#金魚モザイク
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【展示告知】
「マー・マイン」
2024年6月8日(土) - 6月28日(金)
銀座 蔦屋書店 インフォメーションカウンター前
(GINZA SIX 6F)
<展示ステイトメント>
「マー・マイン」とは人魚(マー・メイド/マー・マン)から着想を得た造語だ。
mereは古英語で海の意味をもち、直訳すると「海は私のもの」だが、生命の起源とされる「海」から生まれた「身体は自分のもの」という思いが込められている。
人は時に種族や性別、身体的特徴といった外観を指標に物事を区別し判断する。
そこでモザイク化を通し素材を分解することは、対象の再考や、私たちが無意識に働かせてしまう先入観を抑制する役割を担えるのではないか。
本展示では時代や国、社会的環境によってその形体や名称、役割が変化してきた多面的アイコンでもある「人魚」をモチーフにした作品群を展示する。
----------
小林望美(Nozomi KOBAYASHI)
茨城県出身
群馬大学教育学部美術専攻卒業
<個展>
2023「サナギュトリウム」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2022「ユーフォトルビア 404」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2021「roll swipe connect」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2019「ジェネリックラブ」八犬堂(東京)
2018「夜底の惑星で、」Art Mall(東京)
2017「心辺に座礁」Art Mall(東京)
<アートフェア>
2024「ONE ART TAIPEI」(台湾)、八犬堂
「D-art,ART」(福岡)、MEDEL GALLERY SHU
2023「Study:大阪関西国際芸術祭」(大阪)、MEDEL GALLERY SHU
2022「ART TAIPEI」(台湾)、MEDEL GALLERY SHU
2019「ART FAIR ASIA FUKUOKA」(福岡)、八犬堂
「Infinity Japan Contemporary Art Show」(台湾)、八犬堂
「ART EXPO MALAYSIA」(マレーシア)八犬堂
2018「ART FAIR TOKYO」(東京)、八犬堂
<受賞歴>
2017 第2回星乃珈琲絵画コンテスト 佐藤俊介審査員優秀賞
2016 KENZAN2016 LOWER AKIHABARA賞
<メディア>
2022「プロム」Cocco25周年アルバムジャケットアートワーク
2021「変奏曲を編む」辻 桂子/鷹志かれん著・編 書き下ろし作品掲載
月刊アートコレクターズ8月号「COLLECTOR’S TOPICS」家入一真コレクション展
2020 アートビジネスマガジンARTFULL インタビュー掲載
2019 月刊美術6月号「藝術集団 ARTpro」のエッジィな個性派×7
2018「BSフジ ブレイク前夜 ~次世代の芸術家たち~」
<近年参加グループ展示>
2024
「ART ART TOKYO」“eyes” 大丸東京店(東京)
「お部屋に窓を飾りましょう」伊勢丹浦和店(東京)
2023「ブレイク前夜展」Empathy Gallery(東京)
「大宴会的美術展 KENZAN2023」東京芸術劇 Gallery1
「once more Jonathan Hadipranata & Nozomi Kobayashi」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2022「EYES-portrait show-」MEDEL GALLERY SHU(東京)
「開通60周年記念 芸術に見る首都高展」コレクション展示 O美術館(東京)
「変奏曲を編む刊行記念展」MARUZENギャラリー(丸善・丸の内本店、丸善京都本店、ジュンク堂書店福岡店他、巡回)
2021「家入一真コレクション展 表現へのシナジー」awabar kyoto(京都)
「NEW SURFACE -新しい絵肌への挑戦-」大丸東京店(東京)、松坂屋名古屋店(愛知)
「名作 REBORN展」松坂屋上野店(東京)
2020「阪急×アートコレクターズ ニュースター達の美術展」阪急うめだ本店
「Artglorieux Selection」GINZA SIX(東京)
「ほころびとざんぞう」MEDEL GALLERY SHU(東京)
作家ステートメント
個々の境界線の尊重を心掛けながらも、自己と他者の近似性や表裏一体性に着目したテーマで作品を制作する。
モザイク化は素材を分解し再考する手段や、私たちが無意識に働かせてしまう先入観を抑制する役割を担い、一粒ずつ着彩した粒子で個人を、その集合体で社会を表現しようと試みている。彫る行為は個の強調や区別、存在を刻み込むといった意図で用い、調和や連帯を示したい作品は意図的に彫らない。社会と多様な個人のありかたについて、鑑賞者と議論や、時には同じ背景を持つ者たちとの連帯を展開していく機会をうむコネクターになりたいという思いで創作活動を行っている。
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【展��告知】
「マー・マイン」
2024年6月8日(土) - 6月28日(金)
銀座 蔦屋書店 (GINZA SIX 6F)
インフォメーションカウンター前
<展示ステイトメント>
「マー・マイン」とは人魚(マー・メイド/マー・マン)から着想を得た造語だ。
mereは古英語で海の意味をもち、直訳すると「海は私のもの」だが、生命の起源とされる「海」から生まれた「身体は自分のもの」という思いが込められている。
人は時に種族や性別、身体的特徴といった外観を指標に物事を区別し判断する。
そこでモザイク化を通し素材を分解することは、対象の再考や、私たちが無意識に働かせてしまう先入観を抑制する役割を担えるのではないか。
本展示では時代や国、社会的環境によってその形体や名称、役割が変化してきた多面的アイコンでもある「人魚」をモチーフにした作品群を展示する。
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小林望美(Nozomi KOBAYASHI)
茨城県出身
群馬大学教育学部美術専攻卒業
<個展>
2023「サナギュトリウム」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2022「ユーフォトルビア 404」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2021「roll swipe connect」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2019「ジェネリックラブ」八犬堂(東京)
2018「夜底の惑星で、」Art Mall(東京)
2017「心辺に座礁」Art Mall(東京)
<アートフェア>
2024「ONE ART TAIPEI」(台湾)、八犬堂
「D-art,ART」(福岡)、MEDEL GALLERY SHU
2023「Study:大阪関西国際芸術祭」(大阪)、MEDEL GALLERY SHU
2022「ART TAIPEI」(台湾)、MEDEL GALLERY SHU
2019「ART FAIR ASIA FUKUOKA」(福岡)、八犬堂
「Infinity Japan Contemporary Art Show」(台湾)、八犬堂
「ART EXPO MALAYSIA」(マレーシア)八犬堂
2018「ART FAIR TOKYO」(東京)、八犬堂
<受賞歴>
2017 第2回星乃珈琲絵画コンテスト 佐藤俊介審査員優秀賞
2016 KENZAN2016 LOWER AKIHABARA賞
<メディア>
2022「プロム」Cocco25周年アルバムジャケットアートワーク
2021「変奏曲を編む」辻 桂子/鷹志かれん著・編 書き下ろし作品掲載
月刊アートコレクターズ8月号「COLLECTOR’S TOPICS」家入一真コレクション展
2020 アートビジネスマガジンARTFULL インタビュー掲載
2019 月刊美術6月号「藝術集団 ARTpro」のエッジィな個性派×7
2018「BSフジ ブレイク前夜 ~次世代の芸術家たち~」
<近年参加グループ展示>
2024
「ART ART TOKYO」“eyes” 大丸東京店(東京)
「お部屋に窓を飾りましょう」伊勢丹浦和店(東京)
2023「ブレイク前夜展」Empathy Gallery(東京)
「大宴会的美術展 KENZAN2023」東京芸術劇 Gallery1
「once more Jonathan Hadipranata & Nozomi Kobayashi」MEDEL GALLERY SHU(東京)
2022「EYES-portrait show-」MEDEL GALLERY SHU(東京)
「開通60周年記念 芸術に見る首都高展」コレクション展示 O美術館(東京)
「変奏曲を編む刊行記念展」MARUZENギャラリー(丸善・丸の内本店、丸善京都本店、ジュンク堂書店福岡店他、巡回)
2021「家入一真コレクション展 表現へのシナジー」awabar kyoto(京都)
「NEW SURFACE -新しい絵肌への挑戦-」大丸東京店(東京)、松坂屋名古屋店(愛知)
「名作 REBORN展」松坂屋上野店(東京)
2020「阪急×アートコレクターズ ニュースター達の美術展」阪急うめだ本店
「Artglorieux Selection」GINZA SIX(東京)
「ほころびとざんぞう」MEDEL GALLERY SHU(東京)
作家ステートメント
個々の境界線の尊重を心掛けながらも、自己と他者の近似性や表裏一体性に着目したテーマで作品を制作する。
モザイク化は素材を分解し再考する手段や、私たちが無意識に働かせてしまう先入観を抑制する役割を担い、一粒ずつ着彩した粒子で個人を、その集合体で社会を表現しようと試みている。彫る行為は個の強調や区別、存在を刻み込むといった意図で用い、調和や連帯を示したい作品は意図的に彫らない。
社会と多様な個人のありかたについて、鑑賞者と議論や、時には同じ背景を持つ者たちとの連帯を展開していく機会をうむコネクターになりたいという思いで創作活動を行っている。
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#金魚 #金魚アート #キャリコ琉金 #蝶尾 #金魚好き #金魚モザイク #タイル #モザイクタイル #タイルアート #タイルクラフト #タイル貼り #モザイクアート #モザイク作家 #タイルアーティスト #mosaic #mosaico #tile #tileart #mosaictile #tileartist #katsu #goldfish (Edogawa-ku, Tokyo, Japan) https://www.instagram.com/p/CRD9vNDs5Cn/?utm_medium=tumblr
#金魚#金魚アート#キャリコ琉金#蝶尾#金魚好き#金魚モザイク#タイル#モザイクタイル#タイルアート#タイルクラフト#タイル貼り#モザイクアート#モザイク作家#タイルアーティスト#mosaic#mosaico#tile#tileart#mosaictile#tileartist#katsu#goldfish
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2017/02/08 :: RICOH GR
MOSAIC
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昨年末から韓国海軍レーダー照射事件に関して、未だにゴタゴタしていて一向に収束しない。それどころか、韓国の言いがかりとウソが酷くなるばかりだ。 私はひとりの日本国民として「なぜ日本政府は韓国に対してもっと毅然とした態度を取らないのか?」と不思議でならない。少な��とも小野寺五典前・防衛大臣なら、こんな対応はしなかっただろう、と思うのだが。 私なりに「変だな?」と思ってちょっと調べてみたら、「やっぱり!」と思う事実が出て来たので、簡単にまとめる。
孫正義と誓い合った志?
孫正義の出自が在日韓国人2世なのは知られていても、佐賀県鳥栖市の貧しい朝鮮人集落で生まれ育ったのは、あまり知られていないかも知れない。 ただ、孫正義が15歳の時に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで大いに感動し、16歳で高校を中退して単身アメリカへ留学し、その後ソフトバンクを起業するエピソードは、本人が今まで色々な場所や著書等で「独立心あふれる物語」として美化して伝えているので、知っている人は多いと思う。 本人が語る美談ほど胡散臭いモノはないが、2010年3月31日にTwitterでこうツイートしている。
岩屋、16才の時に誓い合った志、いつも覚えとる。互いに頑張ろうぜ。RT @takeshi108 国民は賢明です。正攻法で攻めまくるのみだと思っています。
32人がこの話題について話しています
※ツイートが消される可能性があるので魚拓
岩屋、16才の時に誓い合った志、いつも覚えとる。互いに頑張ろうぜ。
ん?岩屋、だと?
Twitterから消えた?岩屋たけしアカウント
どうも、現在の岩屋毅防衛大臣のTwitterアカウントは2013年11月22日にツイートを開始した@jimfaini4c890のようだが、それより3年ほど前まで@takeshi108を運用していたようだ(理由と時期���不明だが凍結されている)。
正確には「同じ年」。学校は一緒になったことないが、高校一年の時に友人の紹介で知り合った。その時、彼は「実業家となって1兆円企業を作ったる」と豪語!。「アホかっ?」と思ったが既に実現(笑)。いやはや、たいしたもんですわ。 RT @pecharoh 同級生なんですか?
出展:16才の時に誓い合った志を覚えているか?@takeshi108 2010年03月31日 13:44:05
@takeshi108のアカウントは現在凍結により存在しないものの、当該ツイートをRTしている人はいたので(RTしたご本人に迷惑がかかるとマズイのでモザイク処理をしたが)さらなる証拠としてあげておこう。
自分のブログ記事を消して証拠隠滅?
岩屋毅防衛大臣の公式サイトのエッセイ記事である「忙中閑話」を見てみると、見事なまでに記事が全部削除されている。
しかし、ネットにはキャッシュが残っていることを知らないのだろうか? 魚拓と共に、孫正義との友情っぷりを見てみよう。
乗り換え
電車でもない。飛行機でもない。携帯電話の話だ。つい先日、大学生の息子にせがまれてついに家族全員で携帯をSoftBankに乗り換えることになった。実を言うと、小生も「いつかは」と考えていたのだ。なぜなら、同社総帥の孫正義君は高校時代からの長き友人で、会うたびに小生のdocomoの携帯を見て「お前は友達がいのない奴やなぁ。。」と言われていたのがずっとひっかかっていたからだ。「俺んところは田舎なんじゃ。お前んところの電波はなかなか届かんから仕事にならん。お前がアンテナをいっぱい立てんからいかんのじゃ!」などと言い返していたのだったが、まぁ、ようやくにして長年の「不義理」に終止符を打つことができたというわけだ。
言い出しっぺの息子はiPhoneが使ってみたくて仕方がなかったらしい。それは小生も同じだ。同じスマホなら敬愛するSteve Jobs氏の「遺品」を持っていたいものだとずっと思っていた。それに、この三月は通信各社による顧客の大争奪戦の真っ最中だったらしく、「乗り換え」にまつわるサービスを従来になく充実させて��るのだと聞いた。特に、家族の中に「学生」がいると一層、優遇されるのだという。なるほどよくできた仕掛けだ。家内とも相談した結果、「それほど負担増にならないのだったらまぁいいか」ということになり、娘二人の了解もとりつけて家族五人の携帯を一気に乗り換えることしたのだった。
しかし、手続きをしてみてわかったことは、この種の「乗り換え」にはかなりの精神的負担が伴うということだ。なんと言えばよいのか、、、幸いにして経験はないものの、「離婚」と「再婚」を一時にやってしまうという感じだろうか。。やはり、長年世話になったA社をやめてB社に移るというのはどうにも気が引けるものだ。まずはSoftBankショップの担当者からdocomoショップの担当者に電話をかけてもらって「解約手続き」を開始するのだが、不思議なものだ、その瞬間からなんだか「裏切り者」になったような気分になる。
SoftBankの担当者がしばらく先方と話した後に小生と電話をかわったのだったが、正直、出たくない気分だった。docomo側の受付嬢にしてみればこの種の手続きは日常茶飯事なのだろう。いかにも事務的に淡々と話してくれるのだが、それがまた気になって仕方がない。「あなた、長年付き合った私を捨ててほかの女に乗り換えるのね」と言われているような気がして、だんだんとうしろめたい気分になってくる。その彼女は解約に伴う料金や不利益について丁寧かつ丁重に説明してくれるのだが、そのたびに後ろ髪をひかれるような思いになる。
目の前にいるSoftBankの担当者は小生が顔を見るたびに何度も強く頷き、「早く解約しちまってください」と言わんばかりなのだが、彼女に質問を繰り返している間に刻々と時間が過ぎてなかなか先へ進まない。ハッと気がつくと一緒についてきていた家内と息子が「パパ、なにやってんのよ。早くしてよ」という顔でこっちを見ているので、ついに小生も意を決し、「ご説明いただいた点についてはすべて了解です。ど、どうか、か、解約をお願いします」とキッパリ?言って、ようやくにして「解約番号」とやらをもらうに至った。ここまでで既に冷や汗ものだ。
てなわけで「離婚」が成立。間髪入れずに「再婚」の手続きが始まった。こっちは「離婚」手続きだけで精神的にまいっているので、「再婚」までの間に本当は小休止したいところなのだが、もう再婚相手は決まっているのだからしてそんな悠長なことは言っていられない。まずは機種の説明を受けて「えいやっ」とこれを決し、次に料金体系ならびに各種の付加サービスの選択を迫られる。仕組みが複雑なのと、それ以上にまだ気持ちが動揺していてなんだかよくわからない。「ほかの方々はどうしてい��すか?」などとつまらない質問をして、「ああ、、、、じゃ、それでいいです」などという主体性のない決め方をし、「やれやれ」と思っていたら、今度はただちにデータの移し替えとメールアドレス変更の一斉送信をやるのだという。
「ちょ、ちょっと待って」「えっ?でも、早くしたほうがいいですよ」「うん・・・でも、それを送っちまうともう引き返せないんだよね・・・」などとブツブツ言っているうちに「それじゃぁ、送ります」と言って担当者はどんどんと作業を進めていく。小生は仕事柄もこれあり、山ほど電話番号とメールアドレスを詰め込んでいたので、待つこと20分。まだモヤモヤしていたが、「終わりましたっ」と言われ、「はぁ・・」と生返事した直後からどんどんとアドレス変更メールへの返信が届き始めた。「ううむ。。。かくなる上は仕方ない。もはや覚悟するしかあるまい」と人知れず大きな決心をもう一度して、やっと「再婚」が完了したという次第だった。
「携帯を乗り換えるくらいで」と人は笑うかもしれぬ。が、正直なところ、実に消耗した。もうこんな思いは二度としたくない。別れた彼女に未練はあるものの、こうなった以上、新しい彼女とうまくやっていくしかない。そう決心を固めて「新しい彼女」とともに早速に選挙区に乗り出していったのだったが、案の定、不安は的中した。小生の選挙区は一部を除いては農村山村漁村の集合体だ。地形も複雑でトンネルも全国一多く、以前の携帯ですら「圏外」となるところが多かったのだが、今度のはさらに電波感度がかんばしくない。が、いまさらそれを言っても仕方がない。既に「ルビコン」を渡ってしまったのだ。もはや引き返すことはできない。あとは「勝利」するしかないのだ。
イライラしながら、中山間地の小道を走りぬけ、ようやく幹線道路に出たところでやっと「圏外」マークが消えた。言うまでもない。小生は「新しい彼女」を握りしめ、さっそくに孫正義君にメールを打った。
「このたび家族全員での貴社への乗り換えが完了。長い間の不義理を許されたい。が、電波感度悪し!早くアンテナを立てられたし!!!」と。
ほどなくして「有難う。わかった。頑張る!」との返事。
頑張ってくれよ、ほんとに。
出展:岩屋たけし「乗り換え」(忙中閑話・岩屋たけし公式サイト・平成24年4月3日) ※キャッシュより復元(外部リンクと赤太字は引用に際して修飾)
これらが意味するところとは?
どうも、韓国海軍の対応について渦中にいる岩屋毅防衛大臣と孫正義は、高校は違えど「16歳で志を語り合った仲」であることに間違いはないようだ。そしてそれ以来の友人であるだろうことも、岩屋毅本人のブログ記事から伺い知ることが出来る。 岩屋毅と孫正義がツイートを交わしていたTwitterアカウントがいつ・どんな理由で凍結されたのかは不明だが、別のTwitterアカウントを適当に運用していて、なぜ今は孫正義とTwitterでツイートを交わしていないのだろうか?そしてどうやらこのタイミングで消したらしい、公式サイトのエッセイ「忙中閑話」の記事をなぜ全て削除したのだろうか?
私はこの記事の冒頭で孫正義の出自が在日韓国人2世だと書いたが、正確には1990年に日本に帰化した帰化人である。 あろうことかこの帰化朝鮮人は最近、次期経団連の会長を取り沙汰されているのだ。 ハッキリ言って、岩屋毅防衛大臣は孫正義と韓国に忖度しているのではないか?
おわりに
私は安倍内閣を支持するが、決して信者ではなく是々非々の立場である。 ぜひ安倍総理には結果を出せない(むしろ売国?の)岩谷毅防衛大臣をとっとと更迭し、国防と国益を優先する防衛大臣を据え、韓国に対して毅然とした態度で臨んで欲しいと切望する。 これ以上日本が韓国、そして世界から舐められるのは、いち国民として耐えられない。
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ランテルナムジカ『The lantern man’s song』
“ランタンの甘い魔法 踊る光と影
遥かモザイクの道 赤土に刻まれた詩人の血”
音楽家・トウヤマタケオと画家・nakabanによる旅する劇団「ランテルナムジカ」が、5年ぶりにSHOZO音楽室で新作を上演いたします。
(Lanternamuzica live at Nakata museum July 21, 2018)
----
日程:2018年9月16日(日)
会場:SHOZO音楽室(栃木県那須塩原市高砂町6-7 1988 CAFE SHOZO隣り)
開場:18時30分
開演:19時30分
終演:20時50分頃
予約料金:一般:3600円 中学生未満:1600円
* 当日料金は+400円 *未就学児は無料
出演:トウヤマタケオ(歌とピアノ)、nakaban(幻燈)
出店:nicolas(パスタ、デザート、ドリンク)
---
トウヤマタケオがピアノや歌で、nakabanがライトボックスから投影した点や絵で、共に曲を演奏し、現実の夢を浮かびあがらせる。
vimeo
前回の模様はこちらです。
SHOZO音楽室は、1988 CAFE SHOZOの隣にあります。
1988 CAFE SHOZOは初めて行った時の気持ちのいい空気感に一気に惹き込まれ、10代から通っていて、ある時、スタッフの方が新しく出来たSHOZO音楽室を案内してくれました。 音楽室は、初めてCAFE SHOZOに入った時と同じ、とても気持ちいい空気が流れていて、何かの扉が開かれた感じで、ワクワクしました。
SHOZO音楽室の感じは、トウヤマタケオさんとnakabanさんによるランテルナムジカに似てると思います。 日常に、懐かしくも新しい扉を開いてワクワクさせてくれる。そこで5年前、ランテルナムジカの公演を音楽室で開催しました。 1988 CAFE SHOZOもSHOZO音楽室も、旅の目的地になる。東京からも多数のお客さんが来てくれました。
”私はいつも自然を観察しようと思っている。私は事物との類似に固執する。一層深い、現実よりも一層現実的な、超現実にまで達する類似に”(パブロ・ピカソ)
このピカソの言葉は、ランテルナムジカに通じると思います。
nakabanさんがライトボックスに日用品をかざし、トウヤマタケオさんの音楽との化学変化でイメージが跳躍。 音楽と絵の、リズムと旋律が奏でる光は、日々に未知が満ちていると、それは自分の中にもあると教えてくれる魔法。 ランテルナムジカは見えていなかった現実を見せてくれる。
この魔法によって世界の甘さを体感するのに、SHOZO音楽室はうってつけだと思っています。
ぜひ、ご体験ください。
5年前と同じく、三軒茶屋にあるカフェ・nicolasが出店し、パスタ、デザート、ドリンクを提供してくれます。今回のパスタは「秋刀魚とフェンネルのラグー コンキリエ」、デザートは「アーモンドのメレンゲ」、特製ドリンクは「和梨とすだちのコンフィチュールソーダ割り」です。
この機会にぜひお召し上がりください。
--
お申し込み:下記アドレスまで必要事項を明記のうえ、メールをお送りください。 [[email protected]]
件名「The lantern man’s song」
1.お名前(ふりがな)
2.当日のご連絡先
3.ご予約人数
*ご予約申し込みメール受信後、数日以内に受付確認のメールをお送り致します。
*メール受信設定などでドメイン指定をされている方は、ご確認をお願い致します。
*当日無断キャンセルの方にはキャンセル料を頂戴しています。
お電話でのお問い合わせ:090-3455-9553(熊谷)
--
ランテルナムジカ
2010年に結成。
“lanterna magica"で"幻燈"の意味。 幻燈に音楽がくわわると"lanterna musica"。 東欧をひと匙 “lanternamuzica"。
これまで美術館、公会堂、電車、カフェ、海辺のレストラン、 雪国の温泉、ロックフェスティバル等でライブを行って来た。 lanterunamuzica.blogspot.jp
–
���ウヤマタケオ
音楽家。 1965年兵庫県生まれ。尾道市在住。 作曲、ピアノ、声、諧謔、郷愁、D.I.Y.ピアノ弾き語りの他、 チェリスト徳澤青弦とのデュオ”Throwing a Spoon”、8ビート偏愛バンド”PATO LOL MAN”、 旅する幻燈楽団”ランテルナムジカ”など活動は多岐に渡る。 https://www.takeotoyama.info
–
nakaban
画家。 1974年広島県生まれ。広島県在住。 旅と記憶を主題に絵を描く。絵画作品を中心に、印刷物の挿絵、絵本、映像作品を発表する傍ら、音楽家のトウヤマタケオと『ランテルナムジカ』を結成し、音楽と幻燈で全国を旅する。’13年には新潮社「とんぼの本」のロゴマークを制作。 主な作品に絵本『ぼくとたいようのふね』(BL出版) 、書籍『窓から見える世界の風』(創元社)など。 https://www.nakaban.com
–
nicolas
三軒茶屋にあるカフェ。茶沢通り沿いパン屋さんの2階にあります。
http://www.nicolasnicolas.com/
–
photo:吉次史成
宣伝美術:nakaban
企画:熊谷充紘(ignition gallery)
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2021/10/10 (Sun)
【本日の営業】
本日は(時短だけど)スポット営業します! たつや、ようすけ、しん…の女神感ゼロな態勢でお待ちしてます!(笑) 14時~21時(L.O. 20時)
本当にごめんなさい! 今朝になりたつやが39℃の発熱…。 楽しみにしてくださっていた方々には大変大変申し訳ないのですが、本日はシンひとり、ビールと簡単なおつまみのみでの営業とさせて頂きます。 あ、お食事の持ち込みやニンカシへデリバリーなども可とさせて頂きます!m(__)m 何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます…。 時間は予定通りです。
10月の営業
10日(日) 14:00~21:00
(ビールと簡単なおつまみのみ)
17日(日) 14:00~21:00 24日(日) 14:00~21:00 31日(日) 14:00~21:00 お食事もアルコールもラストオーダー20時 上記以外の日程はおやすみ
※ 要請内容が変われば、随時対応いたします。
営業カレンダー
https://freecalend.com/open/mem137437_nopopon
【本日の樽生】
■
キリンビール/一番搾りプレミアム(東京)
■
いわて蔵ビール/パッションウィートエール(岩手)
■
富士桜高原麦酒/一路平安(山梨)
■
富士桜高原麦酒/麦酒乾杯(山梨)
■
鬼伝説地ビール/金鬼ペールエール モザイクVer.(北海道)
■
京都醸造/一意専心(京都)
■
鬼伝説地ビール/NEW登別大橋IPA(北海道)
■
京都醸造/毬志(京都)
■
スワンレイクビール/ポーター(新潟)
【本日のお料理(抜粋)】
■
前菜6種盛り合わせ
■
牛赤身肉のブレザオラ
■
子羊の生ハム
■
バスク豚のサラミ
■
シェフズサラダ
■
フィッシュ&チップス
■
白身魚のポアレ ~長葱とクリームのソース~
■
トマトのファルシ
■
蝦夷鹿ソーセージグリル
■
スペアリブ
■
マルゲリータ ミニピッツァ
■
マリナーラ ミニピッツァ
■
生ハムとモッツァレラのパスタ
■
アマトリチャーナパスタ
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銀座の金沢 諸事情でネットにあげれなかったお品が何点も…。 その中の金魚小皿二匹がお店のスタッフ〜の創意工夫でどうにかネットの海に放たれたようです…。 マグカップは、総モザイクかしら〜?とスタッフ〜の方々が悩まれまして、わたくし自らモザイクかけてみました。 完全に逆効果… これは海に放たれなかったようです。要問い合わせ物件…。 (dining gallery 銀座の金沢) https://www.instagram.com/p/CDq--SDF8xG/?igshid=fst2uhbvscsv
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08091725
ざわざわ、と、耳の外で空気が蠢く。次第に音が脳に届いて、シナプスが活動を始め、僕に覚醒を促す。到底こんな騒がしい場所は天国でも地獄でもない、背中に感じる微妙に硬い慣れ親しんだ硬さは、まごうことなき病院のベッドだった。
「○○さん、○○さん!!」
そばにいた女の声が、水中で聞くように濁ってよく聞こえない。モザイクがかった不快な声に耳を顰めて塞ごうとした手は、ベッドに縫い付けられたまま動かせない。人間の動物的本能とも呼ぶべきか、拘束されていると分かれば、途端に動いて暴れて逃れようとする身体を複数人に抑えられる。脚だけが自由で、身体も腕も、自由を奪われた状態から察するに、僕はまた死に切れず病院に運ばれたらしい。段々と視界が鮮やかに、目が潰れそうな白い天井と、清潔感を前面に押し出した、看護師たち。
「落ち着いてください!暴れないで!先生を呼んで!」
あぁ、予想通りだ。まるでルーティン。つまらない。途端に力を抜いた僕に拍子抜けしたのか、一瞬キョトン���呆気にとられた表情を浮かべたそばの看護師は、はっと我に帰りPHSでどこかへ連絡している。バタバタ、喧しい足音に頭が痛くなるが、おそらくこの頭痛は騒音によるものではなく、死に切れなかった原因のせいだろう。
暫くして来た医者は、何度か見たことのある顔だった。またか、と言う顔を隠さずに現れた老年の紳士は僕の状態を繋がった機械やら話やらで確認したあと人払いをして、看護師たちを部屋の外へ出した。二人きりになった部屋で、そばの椅子に座った医者は僕の身体にぽん、と手を置いて、何も言わずじっと顔を見つめた。そして、呆れた顔でふっと肩の力を抜き、笑う。
「...すみません。また、ご迷惑を。」
「おかえり、は、きっと君にとっては酷な言葉だろうが、僕は医者だから、君が生きてここにいることを、嬉しく思っているよ。」
「...すみません。」
「不要だと思うけど、説明しておくと君は睡眠薬の大量摂取で運ばれたんだ。通報は、君の上司だよ。」
「また、上手くいかなかったんですね、僕は。」
「君はなかなか、意識のある時に来てはくれないね。」
「すみません。」
「眠れるように鎮静剤を入れさせてもらうね。申し訳ないが、手の拘束は暫くこのままにさせてもらうよ。」
「はい。すみません。」
医者が傍の点滴のパックをいじったあと、腕に取られていた静脈注射のラインから、鎮静剤を入れる。液体が体内に注がれる光景を見ながらふつり、曖昧だった意識が途切れた。
退院費を払う瞬間ほど、虚しいものはない。もう見ないと思っていたこの病院の待合室と、受付。死ねなかった事実より、失敗した事実の方が、背中に重くのしかかっていた。ふらり、見送りに来た医者は、必ず定期的に通院すること、今回のような来院の仕方はもう二度としないこと、僕を心配する人間が少なくともこの病院にはいること、を言い含めて、僕の手を握った。
残念ながら七割方回復してしまった身体を引きずり外に出れば、八月の日差しが脳天に刺さって痛い。太陽は何の使命感であんなにギラギラと星々を焼いて回っているのか、理解し難い。勿論、焼くといっても太陽は燃えているわけじゃなく、ただの核融合で熱を出している事は理解しているが。
「暑い、な。」
病院の表に突っ立っている欅の木に止まったアブラゼミが、1週間後に死ねる喜びで歓喜の声を上げていた。根元には既に力尽きた一匹が転がり落ちて、死体目掛けて列を成す蟻が嬉しそうに屍肉を貪っている。
「美味しいか。蝉は。」
熱を引きずりのろのろと現れたタクシーを尻目に、一歩、病院の敷地から踏み出した途端、地面が無くなるような感覚がして、悔し紛れに足趾に力を入れた。タクシーに乗る金はない。気力で何とかこの足で自宅へ帰り、各方面へ謝り、溜まった所用を全て片付け、明日から仕事に戻らなければいけない。照り返しと太陽で身体が溶けていきそうだが、吐き気がするのはきっと夏のせいじゃない。口内に溜まった粘る唾を飲み込めば、水分不足で張り付く喉をぬたりと降りていく嫌な感触がした。
脳裏に浮かんだ両親の変わり果てた姿が何年経っても消えない。丁度、住んでいた市で一年で一番の暑さを記録した日だった。臨海学校から帰った僕は、アパートの周り、玄関の前に集まる人々に哀れみと期待の目を向けられて出迎えられた。「あなたの家から変な臭いがする。」と嫌そうな顔で言う大家が僕に鍵を出せと催促して、手渡せば鍵を差し込む前にヒィッと叫んでダンダンと足元を何度も踏み締めていた。這い回る蛆虫と飛び回る蠅が潰れて、コンクリートに浅黒い跡を残していた。
扉が開かれる瞬間、僕のことを気にしていた人間はいなかった。日頃当たり前のように繰り広げられる暴力と喧嘩の騒ぎに、周囲の住人は辟易していた。当然だろう。皆、パパラッチ気分。リアルタイムで起こった凄まじい出来事への期待で一杯だったんだろう。まさか、その凄まじさが想像以上の惨さだとは思わずに。
大の大人が倒れ、嘔吐する声を聞きながら僕は、帰る場所へ帰った。ただいま、と開く口には蠅が飛び込んできて、ざりざりと嫌な食感、味を残していく。
ぶら下がっていたであろう父親は、体重のかかっていた首の部分が腐り落ちたのだろう、無様に膨れた身体を畳に横たえ、そして少し離れた場所へ転がった首は濁った目を蕩けさせ、此方を向いて舌を出していた。当時はまだ十数年の人生だったけど、父親の死体はその中でも一番鮮やかな色を持つモノ、だった。蟾蜍のように膨れ上がりヘソが飛び出て、所々表皮がずり落ちる腹部はまだらに淡青藍色で、いつか図書室で見た貴重な翡翠の色を連想させた。手足は薄肉色で、浮腫んだ手指は燻んだ魚肉ソーセージにも見えた。無数の蠅が所々で黒い塊となり、もぞもぞと父親を貪っていた。
風呂に沈んだ母親は半分ほど溶け、浴槽に付けられた切ったであろう腕は水の中で青白く��嫌に綺麗に形が���たれたまま、他の部位との違いがはっきりしていて不気味さを感じさせた。母親の柔らかそうな腹が破れたんだろう、洗い場に溶け出した内臓は蘇芳色とも呼ぶべきか、所々から生えたカビと、群がる蛆虫が一周回ってポップな色合いを醸し出していた。
でもこれは全て当時の記憶をのちに言語化したもので、当時の僕はただ、この世に起こりうる最悪の地獄を、ただただ見て、見て、目に焼き付けていた。駆けつけた救急隊員と警察官が僕を抱えて部屋から連れ出すまで、野次馬も大家も中には誰も入らなかった。
大して必要とは思っていなかった思い出は、二つの腐り果てた死体の色に全て塗り潰され、丸めてゴミ箱に捨てられた。母親と父親、普通の子供、幸せになる要素は揃っていたはずなのに、結末は幸せにならなかった。結局要素があっても、人が努力をしても、どうにもならないことがある、と、そういうわけだ。
僕の向かう先は腐乱死体なのだろうか。夏になるにつれ、死ななければ、というよりも、なぜ生きているんだろう、の気持ちが強くなる。最も忌み嫌う夏に、僕は囚われ続けていた。いつかあの医者が言った、夏の風物詩、とは言い得て妙だ。
山道は荒れ果てていて、足元が覚束ないのは日頃日が昇る頃から沈んで暫く経つまで、延々とクーラーの効いた部屋でPCと睨めっこしているから、だろうか。手に持ったなけなしの金で買った菊花が暑さで萎びそうだ。水のペットボトルを入れた袋が、奴隷の足かせの如く手に食い込んで地面を呼ぶ。止めろ重力、呟く声はミンミン蝉にかき消された。
山奥の昔よく遊んだ場所に、二つ並べて置かれたただの石。これが二人の墓標だった。墓を建てる金はない。燃やされた二人の骨を、僕は壺の中で混ぜて、この場所ですり潰した。拾った棒を突き立てれば、脆い焼けた骨なんてすぐに粉になった。2ミリ、2ミリ、骨を撒く上でのルールを事務的に話した行政職員の言葉を反芻して、欠片が粒になり、粒が粉になり、汗が流れ顎からぽたり、滴り落ちて骨の粉に丸い模様を作った。
何年経っても撒いた箇所にだけは草木が生えないのは、両親の抵抗だろうか。土に馴染んだ骨達は、未来を夢見る種子に何を与えたのだろうか。水を石にかけ、花をたむけ、手を合わせる。僕の脳裏にあの記憶を刻んだ両親を、僕は責めたり、怒ったりしなかった。運命、そういえば諦めがついた。運命だったのだ。彼らが幸せになれなかったのも、僕がただ冷静に事実を受け止めたのも、夏が来るたびに死にたくなるのも��
「運命だ。全て。」
ここは涼しい。部屋には帰りたくない。この石を抱いて、そのまま眠ってしまいたかった。母親と父親の眠る土の上に寝転がれば、生肌で触れた箇所が冷たく気持ちいい。濃くなる土の匂い。
「君がいなくなったのも、運命だったんだろう。」
「君の記憶が沢山あるあの部屋に、僕は帰りたくない。ここだけがいつも、僕を許してくれた。」
蝉、羽虫、照り付ける太陽と青臭い雑草と、生臭い土と夏の匂い。思い出す嫌な臭い。二人が心中した理由は、母親に末期の癌が見つかったのが原因だった。あんな二人にも、愛という概念があったらしい。僕には何も伝わらなかったが、僕に対しては無かったが、その愛により老い先短い命を共に終わらせようとしたのが事の顛末だった。簡潔に書かれた遺書に、僕はいなかった。
「謂わばルーティンだ。これは。」
「最後に二人に会えてよかった。」
立ち上がり払ったズボンから落とされた蟻が、所在なさげに地面をうろうろと歩き回っている。帰ろう。今夜は、君の命日だ。
夏祭りに浴衣で来る、というのはどうしようもなく俗世的で気恥ずかしいが、まあいいだろう。延々と登っている廃神社の石階段は所々が欠けていて、何度も神社を潰して建物を建てる話が上がっては立ち消えているらしい。それもそうだろう。この石階段でもう3人も、落ちて死んでいるんだから。僕なら神社を綺麗にして神様を祀り直すが、役人にはそんな発想も金もないらしい。ただ立ち入り禁止の張り紙と通知文をおっかなびっくり貼るだけだ。本当に死人が出たからか、何処かの心霊スポットよろしく若者の肝試しに使われることもなく、ただ朽ちていくだけの建物が鎮座していた。からん、ころん、と鳴る下駄の音が心地良いのは日本人だからだろうか。
街の喧騒が遠い。今夜は酷く蒸し暑く、祭りでも熱中症が多発しているだろう。じわりと額から滲む汗を拭う。
辿り着いた神社の、正面辺りに腰を下ろせば目の前には小さな街と、薄汚れた夜空が広がっていた。星は数個、肩身が狭そうにひっそりと存在を主張していた。
「デネブ、ベガ、アルタイル。夏の大三角。少し離れたところに、アンタレス。」
僕の目に映る星は、昔と変わらない輝きなのだろうか。歳を取るごとに色覚が衰えていくらしいから、きっと、星座を覚えた頃とは違う様相で、脳は捉えているんだろう。
刹那、空へ一筋の白い光がひゅるる、と空気を割いて登り、そして、弾けた。
空を我が物顔で彩った���色光の大輪の花火。確かあれは、過塩素酸カリウムによる、炎色反応だったか。
また一つ、点火された花火が空に咲く。ひゅるるる、どん。花火玉に付けられた笛の鳴る音を最初に聞いた時、夏が終わる音だと、そう思った。終わるわけがないのに、僕は漠然と、これを聞き終えた時夏が終わり、夏が死ぬんだと、怖くなった。当時は形容し難かったその価値観を、今は大切なものだと思える。
どん、どん、どん。青や紫、ファンシーな形を模した花火から、王道の丸い花火まで、色とりどりなそれらが夏を終わらせようと矢継ぎ早に急く。こうして空に咲く花火は、自殺と似ているような気がする。そういえばあの青い花火、どこかであの青を、見たような気がする。どこだろうか。
懐に忍ばせていた、君の写真。僕が、君と此岸で幸せになれなかったのも、きっと運命だったのだろう。人が思考し、願いを込め、行えば、それはいつか形になることを僕は信じていた。信仰も惧れも、全ては人が生み出す物だ。
せめて彼岸では幸せになろう、と、手に持った写真を丸めて、口に含み、花火の音に合わせて咀嚼した。きゅっ、歯が紙と擦れて鳴る。暫くして飲み込んだ写真が胃で落ち着き、心がじわり、暖かくなった。
空は昼間のように明るい。フィナーレなのだろう。余命宣告。夏が、嗚呼、夏が終わる、夏が死ぬ、夏が、夏が。
朽ちかけていても日本の技術、柱はしっかりしていて、成人男性一人くらいがぶら下がっても問題はなかった。選ぶなら首吊りを、それもまた、運命だったんだろう。そばに書き置きを置いて、空を見つめた。最後の大輪が空を飾り、そして、全ての光が消えた。
『冥婚:生者と死者に分かれた異性同士が行う結婚のこと。一般的に死者を埋葬する際などに、架空の相手を記した絵馬、札等を共に埋葬すること。または、同時期に亡くなった未婚女性と結婚させて共に葬る場合もあれば、人間の女性に見立てた花嫁人形と共に棺に納める場合もある。但し、実在の人物の名前や肖像画は禁忌とされ、特に、写真を用いた冥婚は最大のタブーとされる。理由は様々だが、大きいものとして死者が生者を冥土へ連れていってしまう、という理由が挙げられる。従って、死者と生者の写真を共に燃やすことは禁じられている。』
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The Sims4 Tracy Bros#60 キャンプへアーゴー!
ゴードンのシャツを改良。前よりも丁寧に書き込んだ分、良い感じになったんではないかと。首元が開けたタイプのメッシュが理想でしたが、他になかったのでこれで妥協。
【シムズ4がPS4とXbox Oneに登場】ところで、「シムズ4」がPS4・Xboxでもリリースされるそうです!PCは無理だけどゲーム機なら持ってるって方はこれをいかが?
さて、今回はまた新しいDLCを入れたので、そのプレイ記です。
先日のセールで「Outdoor Retreat」を購入しました!この前の「レストラン」もまだほとんど手を付けていないというのに、ついセールという言葉に負けて…
今回のDLCでの新要素は「キャンプへ行ける」というもの。早速アーゴーしてみました!
というわけでキャンプ場へやって来たトレーシー御一行。
パークレンジャーのおばちゃんからジョンが色々説明を聞いておりましたが、みんなはガン無視で勝手に遊び始めてました。
てゆか、何もないんですけど…?
キャンプ場ってそういうもんかもしれませんが、ゲーム的にはいきなり投げ出されて何をしたら良いのかわからない状態。
忽然と設置されている蹄鉄投げ?こっちでいう輪投げでしょうか、それで遊ぶしかないっていう事態。
でも普通の感覚でいけば、まずテントとか張りますよね。それはどこにあるのかっていう。
・・・なんと、キャンプなのにキャンプ用品を何一つ持ってこなかった御曹司たち!!
こういうところ、お坊っちゃんぽくていいですよね。手ぶらで来て手ぶらで帰るみたいなー。
でも大丈夫。現地購入できました(金持ちだしな)。テントやら一式買って夜までにはなんとかキャンプらしくなりました^^
テントの中で眠れるのは最大4人までみたいです。ここは子供とご老体と女性に譲り、男衆は外で寝袋ですかね?
キャンプに来れば子供のテンションはアゲアゲですよ。(といってもアランはもう高校生なんですけどね)
森の中で蛍を捕まえるのに余念がない末っ子!かわゆす!
そしたらベースキャンプが突然火事になりやがりましたwwwたき火から引火するってありかよぉー!?
あわてて戻った末っ子が消火にあたる。もう!兄さんたち何してるの!?火の扱いには気をつけてよねっ!!
真っ先に遠くまで逃げてたジョンがダサかったですが、国際救助隊とは名ばかりなシムは火事でパニックになるのが基本です。
てか、このたき火、一晩で3回くらい火事になりやがったんですが?引火しすぎじゃないの!?
一日目はほぼ火事で終わりました…。
一夜明けて翌朝早朝、地に寝転がって空を眺めるスコットとバージルを発見。
星空からずっと眺めていたんでしょうか?地べたで夜を明かしたのかもしれません。
寝袋的な簡易ベッドで眠ったジョンは、寝心地の悪さにイライラして目覚めたもよう。
ゴードンは昼まで寝てました。
鳥のさえずりが聞こえて、本当にアウトドアしてるみたいな気分になれます。やることは昆虫採集と蹄鉄投げ?くらいしかないんですけどもね。
普段は多忙に働くのが生き甲斐なスコット兄さんですが、良い気分転換になっているようです。
一方、オタク気質なジョンにはアウトドアは向いてなかったみたいで、表情が険しくなっておりました…><
クマっぽい人も出現するようで。
クマに対しておやじギャグを飛ばす長兄もなかなかウザったいです。
ゴードンは新種のお魚ゲットのため釣り遠征。絶景です!!とても美しい場所です!
しかし、ぼっちで釣りをしてると寂しくなっちゃうゴードン。かわゆす!
ゴードンは社交性が高い分、絶えず誰かと一緒にいないと寂しくて死んじゃうようなウサギみたいな子だったりするんです。
一方、虫取りに熱中して一人でどんどん森の中へ入っていくアランは楽しくて仕方ない様子。
あーー!!それはカメムシ!取っちゃらめえええ><
こんなでっかいカメムシなんていたら卒倒もんですが、これすらアラン少年には魅惑の昆虫のようでした。
ジョンの機嫌が悪そうなので2日目はロッジ付きのキャンプ場を借りてみました。
これじゃ自宅プレイとあんまり変わらない気がするんだけどもなあ。せっかくのキャンプなので一応空きスペースにテントを設置。
ケーヨがたき火で何か焼いてたんですけど、それって、えっ?アランが捕ってきた巨大カメムシ??!(゚Д゚;)
もう気持ち悪いのでモザイクです。
ケーヨ、ワイルドすぎ!ここでは、虫は食材だったのか!!
他にもテントウムシ(巨大)とか「甲虫」は焼いて食べれるんですけど、この感覚ちょっとわからない。
もうジョンはロッジにこもって本でも読んでるしかなさそうです。
ゴードンが寂しがるので、兄弟が釣り場に駆けつけました。
超レアな青いザリガニがいるとのことで。海の男ゴードンをもってしてもなかなか釣れず(そもそもここ海じゃない)2日かけて1匹だけ釣れました。
若衆が出かけている間に。その辺にたくさん生えている未知のハーブを片っ端から摘み取ったおばあちゃんは、調合を始めました。
これがまたマズそうでおばあちゃんっぽかったですw
それをブレインズが改良し、薬にしたとかなんとか。
ブレインズの服もただ今改良中です。
夜になって、団らんのひととき。ロッジがあってもアウトドアらしくみんな外のアクティビティを利用したがります(ジョン以外は)。
ゴードンとアランはテントの中で定番の怪談話をしておりました。
すると誰か1人増えたじゃないですか!!!?これは怖ッ!不気味!!
だがしかし、また火災が発生し、幽霊どころじゃなかったです(´∀`)/
ロッジの中にいても落ち着いて眠れないジョンがかわいそうでした。ほんとに火事起き過ぎだろこれー!?
とまあ、自然の中でのんびり過ごすはずが、火事ばっかでまったりできないという予想外の展開だったんですけども、夏休みっぽくて良かったんじゃないでしょうか?^^
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#金魚 #百人一首 #ちはやぶる #これやこの #いにしえの #和風モザイク #銘木 #らんちゅう #蝶尾 #土佐錦 #タイル #磁器質タイル #mosaic #tile #tileart #art #object #tileartist #金魚のいる生活 #タイルアート #モザイクタイル #モザイク #モザイクアート #タイルで作る (Edogawa-ku, Tokyo, Japan) https://www.instagram.com/p/CUr24ncvY96/?utm_medium=tumblr
#金魚#百人一首#ちはやぶる#これやこの#いにしえの#和風モザイク#銘木#らんちゅう#蝶尾#土佐錦#タイル#磁器質タイル#mosaic#tile#tileart#art#object#tileartist#金魚のいる生活#タイルアート#モザイクタイル#モザイク#モザイクアート#タイルで作る
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【もう、人間と自然は共生できない 環境学者・五箇公一インタビュー】 - CINRA.NET : https://www.cinra.net/interview/201411-gokakouichi インタビュー・テキスト 島貫泰介 撮影:古本麻由未 2014/11/12
{{ 図版 1 }}
11月末まで、お台場の日本科学未来館で行なわれている『地球���宿2014』は、2020年『東京オリンピック・パラリンピック』開催を前に、あらためて地球と都市の環境を考えよう、というイベント。会期中はワークショップを中心に、日本科学未来館が誇る地球ディスプレイ『ジオ・コスモス』のスペシャルデモンストレーションや講演会が予定されており、11月24日には小山田圭吾や高橋幸宏らと『攻殻機動隊』、スペースシャワーTVとのコラボレーションライブも開催する。
そこで今回は、関連イベント『TOKYO・100人ディスカッション』に出演する科学者の一人、五箇公一さんへのインタビューを敢行した。「生物多様性」という近年話題になることの多いホットワードに関連した研究を行っているという五箇さん。その他に日本に入って来る外来種の防除なども研究対象というが、「そう言われても……」と戸惑ってしまうのは、文系人間であるライター稼業の悲しい性。ここは一人の学究の徒に戻り、恥ずかしげもなく質問してみることにしよう。「先生! 生物多様性ってなんですか!?」
■《東京は人口過多な商工業都市で、まさに消費のコア。資源消費というかたちでの、生物多様性へのインパクトは計り知れません。》
―――五箇先生は最近耳にすることの多い「生物多様性」について研究されていると伺いました。でも「生物多様性」と聞くと、すごくスケールの大きい問題に感じられて、なかなか難しそうだぞ……という印象があります。
五箇: たしかに生物多様性はグローバルスケールの話ではあるけれど、本質的にはローカルな問題なんですよ。3千万種いるとも、1億種いるとも言われる地球上の生物それぞれに個性があり、相互に支え合いながらつながっているというのが「生物多様性」のおおまかな説明になります。でも、生き物は本来ローカルな環境に根付き、そのなかで進化してきたものなので、対処としてはそれぞれの地域の自然とどうやってコミュニケーションをしていくのかを考えないといけない。つまり、「身近な自然としての東京」について考えるということですね。
{{ 図版 1 : 五箇公一 }}
―――自分たちの住む街について考えることが、生物多様性の問題につながっていくんですね。
五箇: そうです。東京という街は世界中とリンクしているメトロポリスですから、必然的に外からさまざまな外来種が入ってきます。今年の夏に大きな問題になったデング熱もそうだし、ひょっとすると将来的にはエボラ出血熱の危険も増すかもしれない。グローバル化に伴うさまざまな問題や環境の変化のなかで日本人自身の生活のあり方もどんどん��容しています。10月11日に日本科学未来館で行ったワークショップ『TOKYO・オン・データ』では、都市システムを研究してらっしゃる国立環境研究所の肱岡靖明さんと一緒に、そういった現実的な問題点を踏まえて、どういった未来像を作っていけるかということを考えました。
―――具体的にはどのような内容だったのでしょうか。
五箇: 森林破壊、海洋汚染、乱獲による種の減少など、東京の身近な事例を参加者にお伝えして、「さあ、どうしたらいいでしょうか?」っていう問いかけをしました。でもねえ……生物多様性の問題というのは、人間と自然の相互作用が絡んでくるので、おっしゃる通り、対処の仕方が非常に難しい。グループディスカッションの際には4グループが気候変動の問題を選んで、1グループしか生物多様性の問題を選ばなかった(苦笑)。温暖化はCO2(二酸化炭素)を減らすというのが1つの方程式として出ているわけだから理解しやすい。要するに無駄な消費と排出を抑えましょう、ということだから。
{{ 図版 3 : 日本科学未来館『地球合宿』の様子 }}
―――たしかに生物多様性の問題と言われても、どこから手をつければいいのか、戸惑うかもしれないです。
五箇: でも解決するための軸は同じなんですよ。生物多様性の減少を食い止めるために必要とされるライフスタイルは、できるだけゼロエミッション(排出ゼロ)、ゼロコンサンプション(消費ゼロ)に近づけること。無駄な排出と消費を抑えることで、生物多様性に対する負荷も抑えられる。究極的な目標は、生物多様性も温暖化も同じなんです。おもしろい具体例がありますよ。たとえばウナギ。
―――ウナギですか。
五箇: 最近ウナギが減少して値段の高騰が話題になっていますよね。これも環境破壊と乱獲が原因で。ウナギって海で育って、遡上してくるわけですよ。でも川の途中にダムがあったり、川の環境が悪かったりすると遡上できず、彼らのライフサイクルが分断されてしまう。それと同時に、稚魚を乱獲しすぎてどんどん数が減っている。ニホンウナギは1970年代をピークにどんどん減少してしまって、かつての10分の1も獲れないと言われています。しまいにはヨーロッパウナギやアメリカウナギっていう外国のウナギまで手を伸ばして、そちらも同じように減少を始めている。ヨーロッパウナギは本国でも規制がかかっているんですよ。
―――ウナギ大好き日本人が原因。
五箇: 日本という小さな国が、経済力と消費力で世界の生物多様性にまで影響を及ぼすパワーを持っている。特に東京は人口過多な商工業都市ですから、まさに消費のコア。資源消費というかたちでの、東京から生物多様性へのインパクトは計り知れません。それから水質汚染の問題。高度経済成長期は工場廃水による公害が問題でしたが、公害対策基本法(現在の環境基本法)が整備されて、現在は世界でもトップクラスにクリーンな状態なんです。ではなぜ水質汚染が問題になっているかというと、個人消費なんですよね。
―――日々��生活に使う水ですか?
五箇: 今や日本人の水の消費量、1日あたり平均の水の使用量は1人約300リットルで世界最大級。生活排水が汚染のじつに70%を占めているという現状があります。水が豊かな日本であるがゆえにできることでもあるのですが、生活が豊かになった分だけ、毎朝毎晩シャワーを浴びて、お風呂に入って、全自動洗濯機で排水するという生活を続けて、大変な環境負荷がずっと続いているんです。
≫――――――≪
■《もし日本人が自然征服型で暮らしていたら、あっという間に資源を使い果たして、自分たちも生きていけなくなっちゃうわけですよ。》
―――「生物多様性について考えるのは難しい」とおっしゃっていましたが、今挙げていただいた例は、すごく身近な問題でわかりやすいと思いました。生物多様性を語る難しさというのは、何に起因するのでしょうか?
五箇: 食とか生活に置き換えるとぐっと距離が近くなって感じられるけど、実際の東京の暮らしって自然な状態からかけ離れてしまっていますよね。里山のような村社会が生活様式の中心だった時代は、自然がすぐそばにあって生物の営みが身近に感じられたんです。というか、生態系の恵みを使った循環型の社会システムを作らざるをえなかった。山が急峻で、住むところも少なく、狩猟生活では生きていけない日本では、農業中心の生活に移行していく必要があった。だから規模の限られた、村社会という小さな単位のなかでしか生きられなかったんです。
{{ 図版 (省略) : 五箇公一 }}
―――大陸とはまったく違う世界ですよね。
五箇: そう。大陸の文化というのは自然征服型なんですね。庭の作り方にしても、フランスとかは左右対称にきれいに調和をとって、自分たちの好きな木や花を植えて作ったりするでしょう。日本は枯山水だとか自然の成り立ちをうまく取り入れる。もし日本人が自然征服型で暮らしていたら、あっという間に資源を使い果たして、自分たちも生きていけなくなっちゃうわけですよ。がんばっても無理。
■《グローバル化と都市化というのは感染症を蔓延させる1番の温床なんですよ。リスクは、アフリカ以上に都市部のほうがよっぽど怖いです。》
―――しかし、そんな自然征服型の都市政策を東京は踏襲してきました。
五箇: 西洋文化は合理的なので、便利さを考えれば当然ですよ。速く移動するには紋付袴よりはズボンだし、下駄より靴のほうがいい。近代化への憧れという部分も大きかったと思いますし、世界的な都市化の流れに乗るなら、西洋のシステムのほうが経済もうまく回る。かつての日本の循環型システムを取り入れるよりは、一方向の消費型のほうがよっぽど早く成長できるわけですから。ただ、都市化の流れというのは世界各国ほぼ共通していて、どこに行ってもリトルトーキョー状態。代わり映えしなくなっているということは、都市化のシステムが集約されているということ。
{{ 図版 4 : 日本科学未来館 }}
―――都市工学自体が極まっている。
五箇: もうひと工夫はできると思いますが、屋上緑化とかビオトープ(生物生息空間)の復元とか、都市内に生物多様性を取り入れなきゃ、っていう方向に向かっていますね。ただ今回のデング熱の発生みたいに、生物多様性というのは人間にとって都合のいいことばかりではないんです。都市というのは、いびつに切り取られた生態系なので、結果的にはゴキブリや蚊のような害虫や害獣が増えやすくなるんです。トンボのような天敵もいないですし。そういう害虫たちは地下鉄や地下道の温排水のなかで生きられるから、田舎と違って冬でも淘汰されない。デング熱にしても、冬になれば蚊がいなくなるって言っているけど、あれ嘘ですよ(笑)。
―――世界中でエボラ出血熱の伝染が問題になっています。自然に囲まれたアフリカよりも、高度に都市化されたニューヨークや東京のほうが脆弱なんでしょうか。
五箇: あまりに密集していますから脆弱でしょう。グローバル化と都市化というのは感染症を蔓延させる1番の温床なんですよ。2009年に豚インフルエンザ(新型インフルエンザ)が流行しましたが、半年もしないうちに世界中に広がってしまった。空気感染する病気だから特に感染力が強かったというのもあるけれど、世界の人の動きは止められないし、否が応でも伝染する。満員電車のなかに1人でもいたら、あっという間に100人は感染するわけで。感染症のリスクは、アフリカ以上に都市部のほうがよっぽど怖いです。
≫――――――≪
■《経済が豊かじゃないと、考えるゆとりも生まれないから、環境のことにも手が回せなくなってしまう。》
―――これまでのインタビューなどを拝見すると、五箇さんは自然と都市の間で両義的な立場をとりながら、そのなかで新しい環境をどう捉えていけるかというスタンスですよね。そういう方向性に目を向けられた理由はなんでしょうか。
五箇: 子ども時代は富山県の田舎に住むマニアックな生き物オタク少年で、昆虫だけじゃなく古代の恐竜とか、想像上の生物とか、人間とかけ離れた生物の異質性に強く惹かれる子どもでした。思春期に入って「モテたい」とか「アイドルかわいい」とかで遠ざかっていたんですが、大学に入って受けた実習でダニに触れる機会があって。そこでまたオタクの虫が目覚めてしまって(笑)。
{{ 図版 (省略) : 五箇公一 }}
―――原点に立ち返った。
五箇: せっかく理工系に進んだのにね。ただ、京都大学は世界でもトップクラスの昆虫学の研究室があることで有名なのですが、それはそれであまりにもマニアックで(笑)。人間社会からかけ離れすぎてしまっていて、大半の学生や研究者は虫さえいれば満足という人たちばっかりだった。
―――虫にしかお金を使わない(笑)。
五箇: そういう世界にも「もう付いて行けない!」と思いました。働かざるもの食うべからずという考え方で、卒業後はサラリーマンの道を選んで宇部興産という会社で殺虫剤の開発に携わったんです。サラリーマンとしての7年間は、儲かるか儲からないか、商品が役に立つか立たないか、っていう社会経済システムに乗って仕事をしてきたのですが、そこでやっぱりもの作りがあってこそ日本は成り立つということを知���た。農林水産業は全部そうだし、そういった第一次産業の上に第二次産業が乗っかって、ものを生産して生き残ってきたわけですよ。もちろん公害とかネガティブなものも吐き出してきたけれど、みんなが安心して暮らせる安定した社会を作らなきゃ始まらないという現実があった。経済が豊かじゃないと、考えるゆとりも生まれないから、環境のことにも手が回せなくなってしまう。実際、東南アジアやアフリカのように、発展が滞っているところでは環境汚染は続くわけですよ。
―――経済は必要なんですね。虫だけで人生オッケーとはいかない。
五箇: いかないですよ。「虫だけでオッケー」という人たちが生きていける社会を作れたのも、経済あってのことなんだから(笑)。物質社会や商工業を悪者にしても仕方ない。経済を安定させることで、他の国への経済支援も含めて、世界の環境破壊を抑える力にもなるわけだから。いかにバランスをとるかが大事なんです。会社を辞めて、国立環境研究所の研究室に入ってからは、僕も鼻息荒く「産業は生物多様性に対してはよろしくない!」という立場を取っていたときもあったけど、やっぱり企業で働いた経験があると「ちょっと違うよなあ……」と思うことが多くて。セイヨウオオマルハナバチの問題って知っています?
{{ 図版 (省略) }}
―――ネットで見たことがある気がします。ぬいぐるみのようにフカフカした外見の蜂ですね。
五箇: そうそう。ヨーロッパで商品化された蜂で、1990年代に日本に輸入されました。ビニールハウス内で花粉を運ばせて、トマトの受粉に使うと効果的なんです。それまでは、植物成長調整剤を花にかけて、だまくらかして実を付けさせていた。
―――想像妊娠みたいに、受粉したと思わせて。
五箇: 手間もかかるし、じつはその調整剤ってベトナム戦争で使われていた枯葉剤を希釈したものなんですよ。だから健康上もよろしくない。さらに1990年代から一気に農作物の自由化が進んで、日本のトマトは経済的にも大打撃を受けた。そこで農水省がマルハナバチを導入することに決めて、トマトの増産に入ったんです。
―――国の旗ふりでマルハナバチの輸入がスタートしたんですね。
五箇: ところがこのセイヨウオオマルハナバチはとんでもない繁殖力を持っていて、もし野性化してしまったら日本のマルハナバチを駆逐してしまうということで、日本の生態学者たちがものすごく反対をして悪者になっちゃった。農家までが悪者にされて、社会問題にもなりました。でも農業がいかに大事かという視点から考えると「農業生産を無視して環境保全という話はおかしいんじゃないか?」と僕は思いました。それで学者、企業、農家を交えたラウンドテーブルを組んで、外に逃がさないようにしたハウスでの使用に限定するルールを結んだんです。二枚舌な感じもするけど、結果的にうまく運用できているし、環境省、農水省の面子もこれで立った。もちろん農家さんもトマト栽培に安心して従事できるわけです。
≫――――――≪
■《人間社会を支える多様性というのは、自然環境のみならず、文化にも非常に重要な意味を持っています。》
―――地球環境の話題になると、僕たちは科学者の方にご託宣を求めるように聞いてしまいがちで良くないのですが……果たして僕たちはどのように自然と付き合っていけばいいでしょう?
五箇: こないだのシンポジウムでも同じようなことを言われました(笑)。難しいですよね。僕自身、田舎の生活よりも都市の生活が楽しいし、充実しているし、刺激もある。いろんな弊害もあるけれど、世界中からいろんな人が集まってきて、東京は大都市になって芸術や文化を生み出してきた。人間社会を支える多様性というのは、自然環境のみならず、文化にも非常に重要な意味を持っている。だから単純に都市を破壊して、地方に分散して、田舎暮らしに戻りましょう、という話ではないですよね。
{{ 図版 (省略) : 五箇公一 }}
―――たしかに都市が文化を作り出してきたのは、紛れもない事実ですね。
五箇: ただ、大都市にすべてを集中させるのは良くない。過疎化が進んで地方社会が崩壊する一方、大規模店舗が地方にドスンと移っていって、地方の経済を全部画一化して回そうとするから、地方が持っていた個性が失われてしまう。そういうものを1度見直し、地方ごとの独自の社会システムを作って、産業の育成、雇用人口増加のための若い人の住宅整備といった、ローカリゼーションも必要になってくる。そうやって人が集まれば必然的に自然環境の維持もできるようになって、里山といったものを守ることができる。自然に人は介入しないほうがいいという言い方もあるけれど、それでは生物多様性は守れないですよ。特に日本の生物多様性というのは、里山があり、水田があり、雑木林があり、っていうモザイクのような自然景観の構造があるからこそ、これだけの多様性があるんです。それを放っておくと、常緑樹と針葉樹で埋め尽くされてしまって一気に多様性が低下してしまう。多様性というのは、何かしらの撹乱があって、その隙間にこれまでの環境では馴染めなかった生き物が介入してより複雑になるんです。そうすることで生態系サービスも豊かになる。
{{ 図版 (省略) }}
―――生態系サービス?
五箇: 多様な生き物がいることで、さまざまな機能がそこにかぶさってくるんです。土壌の循環能力であるとか、酸素の供給能力であるとか。生き物が多いほど良いっていうのは、次第に実証されてきています。
■《『風の谷のナウシカ』の腐界と人間世界の関係のように、自然と人間は共生できないんです。》
―――お話を聞いていると『風の谷のナウシカ』の腐海と人間世界の関係を思い出しますね。
五箇: でしょう。宮崎駿さんはよく考えていると思います。
―――原作のマンガだと、結局人間と自然は共生できないっていう話でしたよね。それは先生の考えとやや違うのでは?
五箇: 共生はできないです。里山は自然の恵みをいただいてうまく調和してはいるけれど、やはり掟はある。熊が里に下りてくれば撃ち殺さないと人間が襲われてしまうし、猪も殺さないと農作物を食べてしまう。人間と野生動物の間にはものすごく厳しい不可侵の戒律があるんですよ。でも今は人に慣れた動物が里に下りてくるし、観光客が餌付けしたりするから、さらに我々を舐めてかかっている。このまま行くと、人間は野生動物に押されていくだろうと言われています。
―――人になつく動物の姿は心温まる風景ですが、それは掟や戒律がなくなった証拠でもある。
五箇: 共生というのは仲良くすることじゃなくて、住処や取り分をはっきり線引きすることなんですよ。人間は野生の社会には戻れないです。裸の猿として脆弱に退化していて、進化なんかしていない。エボラ出血熱や鳥インフルエンザの問題もそうで、これからウイルスと人間の戦いが激化するだろうと言われています。本来はウイルスによる激烈な淘汰と免疫を持つ数パーセントの新種の誕生こそが、昔から繰り返されてきた進化のプロセスだった。そのなかで人間だけが、その進化の掟を破るわけですよ。動物や植物は自分たちの生き方を変えたり、住む場所を変えたりして環境の変化に適応していく。でも人間は冷暖房を開発し、新薬を開発して、自らの環境を変化させないことで現状を維持している。自分自身と生活を守る「鎧」を作るという意味では進化したけれど、人間自身はまったく進化していないんです。
{{ 図版 5 : 日本科学未来館(外観) }}
―――なかなかシビアな指摘です……。11月22日と23日に『TOKYO・100人ディスカッション』というイベントが開催され、五箇さんも出演されます。そこではまさに東京での生活の未来像が話題になると思うのですが、どのような場にしたいとお考えですか?
五箇: 前回の『TOKYO・オン・データ』では問題提起をしたので、今回は具体的な将来のビジョンについて議論できればと思っています。先ほどお話ししたローカリゼーションと一緒に考えたいのは情報伝達の問題です。かつて江戸や大阪から見れば、地方はほとんど石器時代くらいの情報の遅れがあって、生活も非常に立ち後れていた。でも今は情報技術が進んで、都市と地方の情報伝達の差が限りなくゼロになってきた。もっと技術が進んでバーチャルな映像再現もできるようになれば、現地に行かずともヨーロッパ旅行ができる時代が来るかもしれない。先端技術や現代日本が築きあげてきた文化というものは無駄なわけでは決してなくて、たとえば新しいネオ里山文化みたいな時代にも向かっていくことができるかもしれない。今あるツールをどう使って、どう発展させていくかを考えれば、そこに企業を巻き込むこともできるようになるしね。そういった発想の転換になるようなアイデアをみなさんで出していければいいですね。
―――さっきおっしゃっていたように、生物多様性と同じレベルで、文明文化の多様性もあるということですね。インターネットもまた、多様性を促進するツールの1つかもしませんし、そこに第2の自然とでも言うべき新たな環境を見出せるかもしれません。先生、ありがとうございます!
●プロフィール 五箇公一(ごか こういち) 国立環境研究所主席研究員。富山県生まれ。京都大学農学部卒業、京都大学大学院昆虫学専攻修士課程修了。宇部興産株式会社農薬研究部に在職中の1996年、京都大学で博士号(農学)を取得。1996年から国立環境研究所に勤め、現在に至る。主な著書に『クワガタムシが語る生物多様性』『ダニの生物学』『外来生物の生態学―進化する脅威とその対策』『日本の昆虫の衰亡と保護』など。テレビ出演、新聞報道などマスメディアを通じての普及啓発活動にも力を入れている。専門はダニ学、保全生態学、環境毒性学。
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2019/9/21 「ルート・ブリュック 蝶の軌跡」展
2019/9/21 「ルート・ブリュック 蝶の軌跡」展
伊丹市立美術館
数ヵ月前から指折り数えて楽しみにしていた展示です。限定カフェイベント開催の日に合わせて都合をつけました。
今日はなんとなく早く起きれたので、その勢いのまま家を飛び出したと言っても過言ではありません。朝食も取らずに家を出たので、途中でモーニングをいただいています。なんやかんや最寄りの伊丹駅へ到着しましたが、時間は9:00。伊丹市立美術館の開館時間は10:00からです。完全に時間を間違えました。この1時間をどうしようかと悩みつつ、とりあえず散歩して時間を過ごすことにしました。
左《魚の皿》右《ヴェネチアの宮殿:柱廊》
10分前から美術館の前に並び、開館と同時に入場。2階の会場に足を踏み入れた瞬間に「部屋のそこかしこに水溜まりがある」ように感じました。まるで雨上がりの広場のようです。というのも、ブリュックの初期作品は青い釉薬を扱った作品が非常に印象的なのです。もちろん淡いピンクや紫、黄色に緑の作品もありますが、とにかく青の作品は深く美しい。2階会場と渡り廊下に限り写真撮影OKですが、ブリュックの産み出す青は写真を見ても意味がないと思うくらい、実際に目で見たときの感動はとてつもないものでした。
ルート・ブリュック展に出展されている作品の殆どはケースに入っていません。剥き出しのままです。基本、美術館の鑑賞者の自分の姿が写りにくくなるよう特殊な作り方をされていると聞いたことがありますが、それでも多少は自分の影が写るものです。そのもどかしさが無いのはとても嬉しいですね。
B1階会場へ続くエントランスには《心のモザイク―ルート・ブリュック、旅のかけら》が展示されています。こちらはブリュックの長女であるマーリア・ヴィルカラ氏による作品です。ブリュックの残したタイルを並べたのだそう。白やグレー黒にオレンジ、青……さまざまなタイルが並べられています。徐々に変化していくグラデーションはブリュックが生きた軌跡を共に歩んでいるかのようです。こちらの作品は図録には掲載されていませんので、写真で記録しておくことをオススメします。
B1階会場から写真撮影は禁止です。ここからが今回の展示のメインである「蝶」にまつわる作品が展示されています。ブリュックは蝶をモチーフとした作品を数多く制作しています。しかしヒラヒラと舞う蝶はおらず、その全てが標本のように正面を向いているのです。実際に標本としてピンで止められた描写のある作品までありました。ブリュックにとっての蝶とは蝶の研究者である父との思い出を象徴しているとのこと。真正面の蝶は標本としてのイメージが色濃く残ったものかもしれません。亡き父のために制作された《蝶たち》、標本として死したる蝶は父への葬送儀礼を表しているのでしょうか。
※画像は「フィンランド陶芸展」の《陶板(タイル・コンポジション)》
ブリュックは歳を重ねるにつれ、徐々に具象から抽象的表現へ変移していきます。その表現に用いたのがタイルを並べていく技法です。四角いタイルには丸や菱形、多角形のくぼみのあるものや、逆に突起のあるもの、菱彫のようなくぼみと山、または模様がデザインされています。釉薬もつるりと光を反射するもの、マットな質感のもの等があり、なんだかジャムの乗ったクッキーのようで美味しそうです。それらひとつひとつが並べられ、集合体となり、一つの大きな作品となっていきます。なんとなく、絵本「スイミー」を思い出しました。エントランスの《心のモザイク―ルート・ブリュック、旅のかけら》はこれらの制作時にできたタイルなのでしょう。現在同時期開催の「フィンランド陶芸展」でもルート・ブリュック作品は展示されています。(こちらは撮影OK)
タイルを用いたの抽象的作品で楽しみだったのが《黄金の深淵》です。こちらはタイル作品の中でも異色です。深淵という名の通り、黄金のタイルが中央に行くほど低くなっています。《黄金の深淵》はフライヤーにも掲載されていましたが、写真特有の錯覚のためか、もう少しのっぺりしていると思っていましたが、実際に見ると、高低の激しさに驚かされました。
2階会場の感想でも記しましたが、ブリュックの作品は雨上がりの水溜まりを彷彿とさせます。美しい水溜まりの間を駆けていったような、清々しい気持ちで会場を後にしました。
展示を全て観終え、もう1つの目的であるコラボカフェへ向かいます。しかしオープンは12:00から。現在11:00だったため、美術館の庭や隣接された資料館で過ごしました。今は秋の虫のフェアが行われていたようで、虫の声を聞きながらぼけーっと待っているのは楽しかったです。時間が来たのでカフェへ向かいます。
フィンランド語で「色」という意味の「Väri」が名付けられた「Väri Cafe」(ヴァリ・カフェ)。21日22日の2日間限定オープンです。ブリュックにまつわるハーブティーとスイーツがいただけます。私はハーブティーの知識に明るくないため、店員さんにパイナップルタルトと合う「元気になれる赤いハーブティー」をセレクトしてもらいました。この日は寒かったので暖かいものをいただきましたが、冷たいハーブティーだと、ブリュックの蝶コースターがついてくるようでした。素朴な味で美味しかったです。
ルート・ブリュック展の落雁とマスキングテープのデザインが可愛らしかったです。
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桜錦 モザイク透明鱗という大変珍しい特徴を持った金魚。 #Goldfish #gold #japanes #kawaii #art #nihonbashi #summer #aquarium #アクアリウム #金魚アートアクアリウム #アートアクアリウム日本橋 #アートアクアリウム展 #金魚 #japan #instagood #aquarium #アクアリウム #水草 #tokyo #アクアリウム好き #アクアリウム好きと繋がりたい #カメラ好きな人と繋がりたい #写真好きな人と繋がりたい #水槽 #癒しスポット
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ブラジル建築紀行 パンプーリャ編
ブラジリアのあと、サンパウロに2日滞在して、ベロオリゾンチへ向かいました。4年前の東京でのオスカーニーマイヤー展を見て、『ここにいきたい』と思ったサンフランシスコ・ジ・アシス教会のある街。
『パンプーリャの近代建築群』として、2016年7月に世界文化遺産に登録されています。
ベロオリゾンチは、サンパウロ、リオデジャネイロ、サルバドールに 次ぐ第4位の都市であるミナスジェライス州の州都。ミナスジェライス州は、17世紀末に金が発見されたのを機に宝石の鉱山として栄えたところ。
ベロオリゾンチ市の北東部にパンプーリャ湖という人造湖があります。1938年にできたもの。この周辺一体の建築を、ブラジリアを手がけるより16年前の若き日のオスカーニーマイヤーが手がけている。当時のベロオリゾンチ市長は、ブラジリアを作ったクビチェック大統領。パンプーリャにレジャー施設を作るためと、オスカーニーマイヤーに依頼した。ランドスケープのブルレ・マルクスとのコラボレーションもあり、ブラジリアの原点のような。
空港からの途中、ミナス・ジェライス州の州政府庁舎は2010年、ニーマイヤー100歳をすぎての建物。
自由な曲線、スロープ、造形的な柱、ニーマイヤーの要素が集約。
最初に訪れたのは、カジノ。1943年竣工、現在は、パンプーリヤ現代美術館。
ブルレ・マルクスの素敵な庭園からのアプローチ。
エントランスからの眺め。
外構計画、大事です。
この建物、完成した3年後の1946年にブラジルでギャンブルが禁止されると同時に閉館に。10年後の1957年に美術館として再開された。サインも美術館仕様です。
スロープ。奥の鏡の効果で、柱が続いていくよう。
大理石のオニキスとステンレスの列柱が高級感。石はブエノスアイレス産だとか。
スロープ!やっぱりダイナミックです。
自由な曲線たち。
奥に続く廊下、カーブを描くガラス。
『ダンスフロアのあるレストラン』だったとか。
床はオリジナルだとガイドのおじさんが言っていた。
内部のブレイズソレイユ。
トイレの化粧室。自由な曲線、コンパクトバージョン。
外部。軸吊りの回転窓とピロティ、カーブと青いタイル。
パンプーリャの他の建物にも共通して使われているこのタイルは、リオ生まれのアーティスト、パウロ・ヴェルネッキ(Paulo Werneck)の作。
半屋外空間のピロティー。
ブルレ・マルクスのランドスケープとのバランスがすばらしく。
地形を生かしたゆるやかな『自由な曲線』
ランドスケープによって建物が生きている。
そして、いよいよ、サンフランシスコ・ジ・アシス教会!
というところで、改修中で中が見れないってガイドのおじさん。落胆がすぎたワタクシ。
仮囲われていました。
屋根までモザイク貼りの4つの波状コンクリートが放物線状になった、シェル構造の建物。
本体のモザイクタイルの模様が仮囲いのもように。
実際はこんなだったようす。モザイクタイルはカジノと同じくパウロ・ヴェルネッキによるもの。
この前面のタイルが素晴らしく。画家のカンディード・ポルティナーリの作。
動物と自然の守護聖人である聖フランシスコ・ヂ・アシスの人生が描かれています。鳥やお魚が。
この足元の動物は狼で、本来、犬が描かれる場所に狼が描かれる独創性が、あとから問題視されたといいます。
庭はブルレ・マルクス。
パンプーリャの建築の中では最後に手がけられたもの。1945年完成。
ニーマイヤーが、エンジニア、アーティストと協力し、モダニズム建築として大きな成果のあったこの教会ですが、ベロオリゾンチの司教は、個人的作品すぎると、伝統的な教会建築として認めませんでした。なんと1959年まで14年間使われず。
市長だったクビチェックが大統領になったこと、1958年にローマ法王となったヨハネ23世がポルチナーリ作の祭壇に興味を示したりがきっかけになって、ようやく教会として認められたそう。
いろいろな紆余曲折があります。
気をとりなおして記念撮影。
続いて、Casa Kubitschek クビチェックの家へ。ブルレ・マルクスのアプローチはカジノと同じくスロープで。
直線的な形や、バタフライルーフに、コルビュジェの影響が残っています。
奥のキャビネットの黒扉にかわいい絵が。
コルビュジェ的な要素が多いと思いきや、中庭にきたら、ニーマイヤー曲線にであう。
このモザイクは既出のパウロ・ヴェルネッキ。
テーブル天板もタイル。レモンの輪切りみたい。
テーブル脚や庇の支柱に、細いスチールパイプ交差使い。
別棟へつながる庭園。
植栽と壁の色、石積み、ペイブメント、色合いが好みだった。
プールと、バタフライルーフ、スモールサイズ。
そして、Casa Do Baile ダンスホール。
自由!な曲線。
自由なキャノピーと円形のダンスホールがつながります。
キャノピーとダンスホールのあいまいな境目。カーブ状のサッシュをあけると一体化。
お隣のヨットクラブ。1943年竣工。当時は湖でのヨット貸しスペース。現在は会員制プール。
スロープとバタフライルーフ。
暫定利用の施工中でした。
連続するブリーズソレイユ。
中から。可変ではなかった記憶。
湖に面するテラスが気持ちよかった。
最初に見たカジノが湖越しに。
パンプーリャの建築群を見終わって、ベロオリゾンチ方面へ。
ブラジルで一番デザイン性が高い、といわれるミネイロンスタジアム。
1965年に建てられたもので、斜めの柱を残して、ワールドカップ前に大改修された。ソーラーパネルや、約6000キロリットルの雨水の再利用ができるなどの計画がされている。収容人員63000人。広〜いブラジルでも十分に大きかった。神宮の国立競技場80000人、そりゃ大きすぎる。
敷地内ではカフェに集う人や遊ぶ子供達が。外周はオリジナルで、その他は大半は改修されたそう。
ベロオリゾンチの街にでて、これまたニーマイヤー巡り。
『Edificio JK』1951年に着手されて1970年まで事情があって引き渡されるまでに20年かかったという建物。
人工地盤の上に、手を広げたような巨大な柱によって浮��たように支えられれている。
2つの住宅街区で構成されていて、こちらがAブロック。幅16メートル、長さ100メートルの23階建て。人口地盤の下1階には商業施設。
道を挟んでBブロック、コンパクトだが、36階建で背が高い。あわせて、およそ5000人がそこに住んでいると推定される(建築案内本より)
地形の斜面を利用して、半地下と人工地盤。道路のペイブメントがデザインされている。
「計画当初は、住宅、ホテル、美術館、ショッピングセンターの共存を想定し、さまざまなタイプとサイズの用途とアパートを組み合わせることで、オスカーニーマイヤーは、可能な限り建築を通して何らかの社会的変革を実行する意図だった」
1階の商店街。曲線は健在。
穴あきのコボゴブロックの壁が。このブロックはとても魅力的。
半地下部分は、あまり治安もよろしくない感じ。
「完成してから数年たち、建物が劣化すると地元の人々に避けられ犯罪者や犯罪者の居場所になった、しかし、1990年代後半以降、建物の修復、その結果として不動産評価があがり、社会経済的地位の高い人々の介入によって、状況は大きく変わった」とのこと。
上部の住宅はセキュリティもしっかりしていました。
それから、守衛さんにお願いしていれてもらったミルトンカンポス公立学校。これもニーマイヤー。
コルビュジェ的な柱のピロティ。この建物、ブラジリアより前の1956年に竣工しています。
教室を上にあげて、ピロティはレクリエーションスペースとしている。生徒さんたちがチラホラ。
教室へのスロープ。
クリチバの美術館みたいと思った目玉のような形のオーディトリアム。
雨がざーざーぶりでした。この駐車の形は正しいのか。
ニーマイヤービル。サンパウロのコパンビルの小さい版。
ニーマイヤーはあまりに作品数が多くて、作られた年代が気になるのですが、こちらが1954年で、コパンが1951年からの着手のようなので、同時期のアイデアのよう。
水平のブリーズソレイユは外周のそれぞれで深さが異なる。中央部に少しだけ見えているのはモザイクタイル。ブラジリアでも見たアトスブルカンデザイン。とのこと。
そして近くの、ミナスジェライス州立図書館。
緩やかなカーブの外観と素晴らしい外構計画。
こんな形の建物。
ホワイエ。
奥の壁、近づいたら、格子の壁は、ガラスなしで外とつながっていた。おーっと驚きましたが、他にも、外気を取り入れるこうゆう壁の建物がありました。ブラジル的穴あき壁。
1階は子供用の図書室。
上のフロア。
サッシュは軸吊りの回転窓。
どのガイドブックにものっておらず、ガイドのおじさんに教えてもらったこの図書館、館内を案内してくれた方が、建築を見に来る人がたくさんいます、オスカーにマイヤーですから!って言っていました。
この日もとにかくたくさん見ました。
公共施設のブラジリアと比べて、人間らしいスケール感。
自由なラインはニーマイヤーのアイデンティティだとしみじみ感じる若かりし頃の作品群。
『祖国リオの山々、川、海の波、女性の体の曲線、官能的な曲線に惹かれる』といったニーマイヤーの建築は、もうとにかくすごい数で、今もなお使われ続けている、色々と度肝を抜かれるのでした。100歳を過ぎても現役だったということも含めて。
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scene31~60
twitterにて「#ハートをくれたあなたのいるワンシーンを書きます」という自作タグを使って創作した短文をまとめました。私の勝手にイメージするその人が遭遇しそうな少し奇妙なワンシーンを書いています。
1~30 http://nnmliner-t.tumblr.com/post/156832730161/scene-1-30
31 アラン模様のセーターの、そのでこぼこを無意識に指先でなぞりながら、彼女は夜風を浴びていた。熱くなった瞼と頬に冷気が刺さり、白い息が紺色の空に溶ける。気持ちが落ち着いても空を見続けていた彼女の目がふと見開かれた。するすると、月から、縄ばしごが降りてくる。
32 散歩の途中でミルクの小川を見つけた彼女は、リュックからざるを取り出して川底の砂をすくった。砂は無色のガラス粒で、ふるうとピンク、黄緑、青の金平糖が残った。彼女はその作業を何回か繰り返し、集めた金平糖を瓶に詰めて立ち去った。スカートの裾が少し濡れていた。
33 どこへともなく車を走らせていると、松並木の道へ出た。松の向こうは田畑や果樹園ばかりで、のどかで退屈な風景だった。コンビニで車を降りた時、遠くの空に銀色に光る円盤が浮いているのに気が付いた。野良猫らしきものが吸い上げられていく、その光景をぽかんと見ていた。
34 使い古した机の上に気に入りの文具を並べていく。無心で配置している内に、その並びが街のように見えてくる。ざわめきが聞こえ、ごく小さな人々や犬や鳥たちが現れると、彼女はそれに夢中になった。スマートフォンが通知音を鳴らした途端街は消え、彼女の愛らしい文具だけが残った。
35 ベランダで煙草を吸っていると、指先から植物が生えてきた。小さなハート型の葉をつけた蔓草がさわさわと生い茂り、腕一本覆ったところで成長を止めた。彼女は煙草を吸い終わるとそれを全部むしってキッチンへゆき、オリーブオイルと塩で炒めてぺろりと食べた。
36 いつの間にか、部屋の中に白くてきれいなヤギがいる。あまりに大人しく優しそうな顔をしているから撫でてみたくなって、おそるおそる手を差し出したところで目がさめた。昨日着ていたカシミヤのセーターが、椅子の背にかけられたままふうわりとしている。
37 両手で瞼を覆うと、暗闇のなかに点滅する幾何学模様がみえる。嫌なことがある度に瞼の裏を見ていたら、嫌なこと全部に、モザイクのようにその模様が重なるようになってしまった。彼女は枕につっぷして、困ったような諦めたような声を低く出す。「あー」。
38 色も形も慎重に選んで大きな花束をつくったものの、贈る機会を失ってしまった。捨てることも慈しむこともできずに萎びてゆくのを眺めていたら、花瓶の水がどんどん増えて溢れてきた。部屋は水浸しで、何もかも嫌になって、彼女はばしゃんと座り込む。
39 白い皿に乗った葡萄の小さな一粒を、摘んで口に放り込む。皮に歯をたてると弾けて、つるりと果肉が喉へすべる。飽きるほど動作を繰り返しているのに、葡萄は一向に減る気配がない。このまま食べ続けたらきっと肌が紫色になってしまう、そう思いながらも、また手を伸ばす。
40 いつからか、他人の顔がコラージュに見えるようになった。その人自身の顔の他に雑多な事物が切り貼りされていてそれらが常に蠢いている。美しい配置もまれにあったが時間と共に崩れてしまう。映画の中の人々だけは変わらなかった。救いだと思った。
41 足元が覚束なくなるほど酒を飲んだ帰り道を、巨大な魚が塞いでいた。魚は街灯の下で黒くぬめり、彼女はそれをナマズの仲間かもしれないと思った。触れてみると粘液と共に銀と赤のラメが付着した。彼女はそれを光に翳してケラケラ笑い、それから迂回して別の道で帰った。
42 水面に雪が落ちては消えていくのを眺めながら、水の中からその光景をみるところを想像した。それがあまりに美しくて、彼は思わず水に指を浸した。首筋を悪寒が駆け抜け、指先はびりびり痺れた。凍る寸前の水というのは、最も冷たい水なのだ。
43 手のなかで眠る小鳥のくちばしの色を見ていた。桜貝のようなそれは艶やかで滑らかだった。窓に目をやると寒空の下すずめたちが飛び交っている。彼女は、暖かな部屋の少し冷たい手のなかで身じろぎする小鳥を再び見下ろす。軽くてやわらかで、あまりに愛おしい。
44 水割りのグラスに間接照明の黄みがかった光が当たっている。彼女は黒光りするカウンターに頬杖をつき、ところどころ剥げた壁に貼られた古いポスターを眺める。腰掛けているスツールの座面をなぞるとビロードの細かな毛が指先をくすぐった。この店自体が生き物のようだ。
45 坂道の向こうから夜明けが迫っていた。「逃げなければならない」と思った。彼女は西へ向かって音のない住宅街を走る。家々や電柱を幾つ越えても影は奇妙に伸び続け、赤光がじわじわと忍び寄る。つまづいて膝をついた地面に小さな花が咲いていて、その陳腐さに彼女は微笑む。
46 ずっと忘れていたことがあって、うたた寝の中でそれを思い出したのだが、目覚めた拍子に忘れてしまった。休日の午後は静かで、部屋中の日用品が絵画のように輪郭を濃くして存在を主張する。覚醒するにつれて喪失感が襲ってきたが、飼い猫がじゃれついてきてそれも忘れた。
47 拳銃を手に入れた彼女は、好奇心を抑えきれず羽毛の詰まった枕に銃口を押し付けた。撃鉄を起こして引き金をひくと、感じたことのない衝撃に鼓膜と腕がびりびり痺れた。彼女は重い銃を手放して無意識に自分の髪の毛を触った。今飛び散った羽毛のように、何だかひどく柔らかい。
48 コンパクトなライダースを羽織りオレンジの髪を風に流しながら歩く彼女は、つい先ほど機関銃に全身を撃ち抜かれたばかりだった。身体中くまなく空いた穴の、そのひとつを小さな蜜蜂がすり抜けたものだから「蜂の巣」と呟いて彼女は笑う。見上げれば雲一つない晴天だった。
49 朝、身支度をして鏡の前に座っていたら、そこに映った女が話しかけてきた。「海へいきましょう」。伸びてきた手を掴んだ時には既に鏡の中に居て、左右反転した自宅を出ると海だった。ふたりは手を繋いだまま波打ち際へ走り、飛び込んで、しばらくすると見えなくなった。
50 本棚の隙間から出た黒い糸を引っ張ってみるとそれは長い髪の毛で、物理法則を無視した動きで女がずるりと現れた。女は床に座り込み、面食らった彼女に構わず赤い唇で喋り出す。それは全て本棚に収められた小説に書かれている言葉だったので、彼女は女を「しおり」と名付けた。
51 もう動かない古い車に乗り込んで埃と黴の混じった匂いを嗅いでいた。後部座席に転がっていたラジオに電池を入れてチューニングを合わせてみる。最新のポップソングが車内の空気を乱し、興醒めした彼女は窓を開けて顔を出し深く息を吸い込む。新緑の香りがした。
52 青みがかった透明な光が差すだけの何もない部屋で彼はじっと耳を澄ませていた。台所のシンクに置かれた食器には水が溜まっていて、そこに水滴がぽつりぽつりと落ちていく。枯れて久しい花瓶の花を一瞥し、彼は立ち上がる。今夜彼はこの部屋を去る。
53 「この足でどこまでいけるのか」。問いかけながら彼女は自身の足首をさする。夜の空気はぬるく土の匂いがして、木々の輪郭はむくむくと蠢いていた。全身を金属にすげ替える想像をしながら顔を上げると真っ黒な空に一本の電車が走っていて、窓の列が光って見えた。
54 露わにした首筋の清々しさは時にかすかな頼りなさを連れてくる。彼女はいつも遠い地平を目指しながら、手の届く範囲の柔らかなものたちを愛でる。橙色の西日が差すときだけ羽を生やす彼女はそれが正常に動作するかだけ確認して再び人の姿に帰る。期が熟すのはまだ先らしい。
55 どうしようもない気分になって、コンクリートに頭を打ち付けたら色とりどりの血が吹き出した。この色を使って絵でも描こうと思案している内に立っていられなくなり、彼は地面に仰向けになって空を見た。都会特有の濃紺が広がっていて、星を数えてみたがすぐに尽きた。
56 春風の中を歩いていると目の前にひらひらと薄紙が落ちてきた。手にとって翳すとそれは淡い色彩で描かれた地図だった。複雑な地形に蟻塚のような建造物が描かれた紙を、彼女は丁寧に畳んでシャツの胸ポケットに収める。折に触れて、彼女はこの地図を眺めることになる。
57 チョコレート製の地面はみるみる溶けて、一歩ごとに深く沈みこむ。吐き気がするほど甘い匂いに満ちた空間に、耐えきれなくなって彼女は叫ぶ。開かれた喉の奥に凍りついた地平があり、彼女はその中で座禅を組み目を閉じている。頭上に言葉が、豪雨のように落ちてくる。
58 ぬかるみに足を取られながらそれでも歩き続けるのは、丘の向こうから聞こえてくる甘美な音楽のせいだった。石に打ち付けた膝が血を流し、塞がったはずの傷跡も時折疼いた。疲れ果て、冷たい泥に半身を埋めた時、地の底からも音楽が聞こえることに気が付いた。美しい音だった。
59 真夜中の台所でひとり、黙々と料理をする。鍋の中で崩れていく野菜を眺めながら、過ぎた日々のことやありもしない過去を回想したりする。何気なく開け放った窓から狐がするりと入り込み、彼女の足元にまとわりつく。これから何が始まるのか、彼女は呆然としてしまう。
60 まぶたにガーネットの赤だけのせて彼女はふらりと家を出る。人ごみをすり抜けて雑居ビルに辿り着くと古いエレベーターに乗り込んで最上階を目指した。重い扉を開けて屋上に立ち、柵から身を乗り出しながら煙草に火をつける。目の前を、カラスが悠々と横切っていく。
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