Tumgik
#遊鳥木
8585vr · 3 years
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008【VR】天井特化アングルVR SUPER BEST
【VR】天井特化アングル!ジーニアス騎乗位(Genius in cowgirl position)!永瀬ゆい 【VR】全編天井特化アングルVR 八乃つばさ 【VR】JOI 天井特化アングルVR 美谷朱里/美園和花/波多野結衣 【VR】元祖天井特化アングルVR 川菜美鈴 【VR】いちゃラブ天井特化アングル ~誕生日お祝いSEX編~ 小鳥遊ももえ 【VR】天井特化アングル!玉木くるみと耐久セックス!! 【VR】天井特化アングルVR ~麗しの兄嫁~ 里美ゆりあ 【VR】天井特化アングルVR~キス・顔舐め・顔騎編~ 佐藤ののか(加藤ももか)/前乃菜々/宮沢ちはる 【VR】14分間、騎乗位しっぱなし!!天井特化アングルだから顔がよく見える!! 佐藤りこ 【VR】いちゃラブ天井特化アングルVR ~るかチャンのおっぱいをひたすら下から見る~ 稲場るか 【VR】君は「蓮実クレアの天井特化アングルでの騎乗位」に耐えられるのか?
C1.〇永瀬ゆい C2. C3. C4. C5.△稲場るか C6. C7. C8. C9.
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tabiosuruki · 4 months
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ずっと図工🎨
時間割もチャイムもない自由な学び舎では、朝から帰りまで、ずっと何かを作ってることがある。
この日はパソコン、ケータイ、Switchを作っていた2人。
コントローラーを取り外せたり、コードがあったり、画面にはオリジナルゲームが描かれている。
誰か評価されるわけでもなく、見せるわけでもない工作たち。
ゲラゲラとおしゃべりしながら作っていく2人。
作ろうと思った時が吉日、とばかりに、2人の集中力は止まらない。
※自由な学び舎(小学生)の入学受付中です🌱
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🏳️‍🌈自然育児サークル(0〜4歳親子対象)募集中。次回は6/22。
🎬 自然スクールTOECを撮ったドキュメンタリー映画「自由な学校」の上映&WS決定しました!2024年9月14日(日)お楽しみに!
🚩ようちえん(年少)・小学生を追加募集中
🚩研修生(OJT)募集中
詳しくは@tabiosuruki のHP【お知らせ】&【自然育児サークル】をご覧ください。
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baien575 · 2 years
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令和5年2月8日(水) 本日もご来店 ありがとう ございました✨✨ …………………………………………… 2/10(金)、11(土)、 12(日)、14(月) (*13(月)は店休日です) ❤️ハートのうその餅(紅梅色) 販売いたします❣️ 1箱1080円(税込) お取置きいたしますので ご予定のかたは お電話下さいませ♪ 092-922-4058 "ありがとう" "木うそ(ハート)"の ミニ梅守も販売しております♪ …………………………………………… ❤️2/10(金)-14(火)福岡三越 菓遊庵(地下2階)でも 販売予定ですが 個数限定ですので お取置きの お電話をされることを オススメいたします🙇‍♀️ 宜しくお願い致します ❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️ オンラインで ご注文のみなさま 本日より 発送しております 楽しみに お待ち下さい😊 ………………………………………… 梅園菓子処 営業時間 10:00-17:00 🟩店休日 2/6(月)、13(月)、20(月)、27(月) TEL092-922-4058 FAX092-928-0383 住所:太宰府市宰府2-6-16 西鉄電車「太宰府駅」から徒歩1分 *参道に入って右側5軒目 *大きな看板が目印です ️*全国発送承ります #梅園菓子処 #太宰府梅園 #太宰府天満宮御用達 #うその餅 #ラムレーズン宝満山 #銘菓宝満山#よろつよ#裏千家#表千家#太宰府みやげ #太宰府和菓子#太宰府天満宮#ミニ梅守#和菓子の贈り物#うそ鳥#太宰府銘菓#博多人形#土うそ#木鷽#郷土玩具#木うそ入りうその餅#ハートうそ#福岡三越菓遊庵#バレンタイン (梅園菓子処) https://www.instagram.com/p/CoZa5GSvcOK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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moment-japan · 3 months
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極楽浄土に住む伝説の霊鳥「共命鳥(ぐみょうちょう)」
一つの体に頭が二つある極楽浄土に住む鳥「共命鳥」。
極楽浄土には白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利(九官鳥)、迦陵頻伽、そして今回登場する共命鳥が仏に仕える鳥として住んでいますが、それらの鳥をまとめているのは天空の守護神である迦楼羅王です。
ブッダが生まれる遥か昔、ヒマラヤの奥地に双頭の鳥が住んでいました。
一羽の名前はカルダ、もう一羽の名前はウバカルダ。
その鳥は「共命鳥」と呼ばれ、一羽が起きている間、もう一羽は眠っています。
ある日、カルダはウバカルダが眠っている間に摩頭迦という木の花を食べました。
カルダは摩頭迦の花を食べることは、もう一方のウバカルダもお腹いっぱいになって両方とも幸せになると思ったのですが、ウバカルダは目を覚ますと、カルダだけ美味しい花を食べたことに腹を立て、怒りの思いでカルダが眠っているうちに毒花を食べ恨みを晴らそうとしました。
眠りから覚め、ウバカルダが毒花を食べたことに気づいたカルダは、
「怒りや、貪り、愚かさには徳はない。このような愚かな行動は、自らを傷つけるだけでなく、多くの者をも巻き込んで皆を不幸にしてしまう」と語った後、2羽とも命を落としてしまいました。
片方が右へ行こうとすると、もう一方は左へ行きたいといい、片方が遊びたいといえば、もう一方は休みたいと、その都度別の意見で衝突して次第に怒りの念を増長させ、愚かな行動に走った共命鳥。
体が一つなのに頭が二つあるが故に生じる感覚や考えの違いが怒りに繋がり、やがて自らを滅ぼすという悲しい結末を迎えたこの物語。
貧欲、瞋恚、愚痴といった「三毒の煩悩」でお互いを傷つけあうことは無意味で罪深いことだと、この共命鳥のエピソードが教えてくれています。
共命鳥がこの世から消えてこの鳥の伝説も人々の記憶から忘れかけられた頃、修行中の僧が釈迦に質問をします。
「提婆達多(ダイバダッタ)は、あなたを妬んで悪いことばかりするが、それはどうしてでしょうか?」
すると、釈迦は「遥か昔の時代、彼と私は一身双頭の関係にあった。その時に毒のある実を食べたのが提婆達多で、私は体に役立つ方の実を食べた。かつてのことがそのまま続いており、私はいつも提婆達多に足を引っ張られている」と語ったそうです。
「共命鳥」に関するものは明治の無教養な連中による廃仏毀釈によってそのほとんどが失われましたが宗派を問わず、ごく一部の寺院の欄間や所蔵する仏画でその姿を見ることができます。
「他を滅ぼす道は己を滅ぼす道、他を生かす道こそ己の生かされる道」と悟った共命鳥は、阿弥陀如来に救われ、極楽浄土で朝夕6時になると美しい声で鳴き、仏の教えを伝えているといわれています。
提婆達多(ダイバダッタ):特撮ドラマのレインボーマンにも登場する釈迦の弟子で従兄弟の僧。
意見の違いから釈迦とぶつかり合い、釈迦を殺そうとして無間地獄から最下層の阿鼻地獄に落ちるが、もともとは釈迦の片腕である非常に優秀な僧であったため、伝説では幾度か転生を繰り返し天界を次第に昇り、聖者となって最後に人間界に戻ってくるといわれており、法華経では「天王如来」という位の高い仏として登場します。
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kennak · 5 months
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町、八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も  |FNNプライムオンライン
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shihlun · 8 months
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大江健三郎 - 後退青年研究所(1960)
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黑暗的深淵在這個世界到處張著大口保持沉默。現實世界向遍布各處的深淵漏斗狀地傾斜,所以對傾斜敏感的人會不知不覺或者有意識地順首傾斜滑下去,墜入深淵黑暗的沉默之中,從而體驗現實世界裡的地獄。
我曾經像地獄把關人站在一個黑暗的深淵邊上,我所體會的對滑入深淵的漏斗狀傾斜的敏感,是指那些在政治或思想上道受過挫折的青年、心靈受到創傷的青年。當然,他們中的許多人在肉體上也有傷痕。
現實世界的一座地獄,即稱之為黑暗的深淵的話,就在大學旁邊不動產公司大樓三樓,房間總是亮堂堂的(啊,人為什麼自古以來就如此熱心努力使自己的周圍照得光明亮堂呢?人為什麼比野獸更強烈地討厭黑暗呢?我只是一個日本青年,不是基督教徒,對這些不感興趣,但每次一想到人對黑暗的恐懼,就想起「原罪」這個詞)。地上鋪著漆布,油光閃亮,不鏽鋼的辦公桌椅顯得清爽氣派,而且具有高效率,等待著合適能幹的主人。
但是,當我目送從走廊推門而入的挫折青年在回答我為了登記卡上的必要事項提出的、僅僅是卡片未曾明確記載但又必須記入卡片的簡單問題後,走進隔壁房間的時候,還是感覺到這間明亮的辦公室是地獄的一個入口。
隔壁房間有鬼嗎?有美國東郊的大學受過非常好的高等教育的嶄露頭角的年輕心理學家戈爾遜先生和擔任翻譯的東京女子大學學生在等待著。在思想或政治上受到挫折的青年邁出憂鬱的一步踏進這個房間,他們滿腦子苦惱,準備談談心裡話。我的大學同學把這間房間稱為「後退青年研究所」。其實正式名稱叫「戈爾遜訪談室」,英文縮寫為GIO。但沒有人稱呼它的正式名稱。結果戈爾遜先生的問題只提一個:「你為什麼後退了?」因為大家都是來談「自己為什麼年紀輕輕就後退了」的。
那個時期,是韓戰結束後相對穩定的時期,是學生運動處於如氣潭中間四陷的波谷時期。學生對社會的關懷表現在合唱俄羅斯民歌,在兩三年激烈動蕩的學生運動中受到創傷的學生重新回到學校,變得憂鬱苦悶,暗自舔著自己的傷口消磨時光。
於是,一個美國國籍的年輕學者就在東京大學旁創立了這家以遭受創傷的學生運動家為主要調查對象的研究所。它每天吸引不少所謂的後退學生。開始它只在校刊上刊登一則《戈爾遜先生恭候先前的學生運動活動家光臨!》的廣告,結果學生絡繹不絕。
我是在這兒打工的學生,今年剛剛二十歲,對青年神情憂鬱、臉色充滿抹不掉的髒垢的陰影般的苦悶可以說漠不關心,因此大概不會懷有同情之心。但如果GIO是對日本人炫耀優越者傲慢的那種研究所,我也不會接受接待戰戰兢兢地前來訴說自己內心陰暗的皺襞深處殘留的思想疙瘩的同胞這種工作,也許自己也會成為一個憂鬱症「病人」低垂頭把帽子貼在胸前排在長長的學生隊伍後面。
戈爾遜是個標準的開朗的美國人,雖然留著油煙色的短唇鬍,其實還不到三十歲,所以我在他這裡工作不覺得什麼強烈的自卑感。來日本的美國知識分子似乎要不是目空一切旁若無人或和藹可親寬厚溫敦,我們稱之為戈爾遜先生的這位芝加哥出生的社會心理學家可以說溫良敦厚的典型代表。
我現在還說不清楚戈爾遜先生為什麼跑到日本來調查受創傷學生的精神傾向,廣義地說,是否不少美國人在韓戰結束後很快就對日本學生的挫折心態發生興趣? 用美國社會心理學的方法調查日本學生,結果對美國人有什麼用?
一般認為,美國人的調查是為了加強在遠東地區進行反共宣傳的基礎的一項工作。這種看法多少令人信服,但就我所在的GIO來看,至少戈爾遜先生從未給我與反共宣傳有關的印象。
戈爾遜調查室每個月都把調查結果報回本國,但接收單位是不知道他業已畢業還是尚在就學的美國東部某大學研究所,好像與美國國務院、議會並沒有直接的聯繫。當然,我在這辦公室工作期間,出於一種自我厭惡的情緒,本來就對辦公室的性質、目的十分冷淡,也不想深入了解。我坐在辦公室裡,也和來訪的學生一樣,心情極其鬱悶,但出了大學教室門,會無緣無故地朝氣蓬勃、輕鬆愉快,有一種充滿希望的解放感。
我想擔任戈爾遜先生的翻譯兼打字員的女大學生也是如此的吧。在辦公室裡,我從未見過這個高挑細瘦的女大學生一絲平靜輕鬆的表情,但偶然在東京大學和東京女子大學共同舉辦的歌舞聯歡會上時看到她時,這位憂慮愁悶的我的同事簡直判若兩人,兩頰緋艷動人,興高采烈,歡聲笑語,像鳥鳴一樣尖聲歡笑。第二天,我懷著某種期待和莫名其妙害羞上班,出現在我面前的仍然是像內分泌失調似地愁眉苦臉的女大學生。
GIO的工作性質本身就極為憂鬱。 有一次戈爾遜先生說,日本的工作告一段落後打算去台灣或南韓從事同樣的工作,熱情動員我跟他一起去。那時候我很想試一試,甚至夢見自己在南韓調查受挫折的朝鮮青年,我不僅把戈爾遜先生的所有工作包攬下來,還手執鞭子像對待奴隸一樣抽打前來傾訴衷腸的青年,想來實在可笑。這也許是GIO表面上像穩重平靜的調查室,其實潛藏著將手指插進青年的傷口使勁摳攪脂肪、肉體的冷酷的一面的緣故,感覺在我的潛意識裡、在夢中重現出來。
我的工作是調查接受前來訪談的學生的履歷和訪談結束後付給學生報酬。酬金是採訪一小時五百日元。戈爾遜先生通常在發票上都寫採訪兩個小時,本來學生上學都有月票,無需交通費,但還是根據現住所到這兒的距離支付交通費,這對學生來說,是筆不壞的打工收入。但是,除了特殊情況外,這樣的「打工」只能申請一次,而且不是前不久積極參與學生運動後來倒退的這樣在思想上發生戲劇性轉變的人不要。因此,雖然不是想像的那麼難,確實比一般的打工不容易。
在GIO工作幾個月後,來訪的學生開始明顯減少,有時我的卡片上一天也沒登記一個學生的名字,戈爾遜先生無所事事,皺著眉頭像狗熊一樣悲傷地在屋裡轉來轉去。在這成績不佳的日子裡,只有翻譯兼打字員的女大學生絕不心慌意亂急躁氣惱,板板正正地端坐在桌前,閱讀袖珍本的《矛盾論》、《實踐論》。這不會讓別人覺得她思想上有所共鳴,因為那個時期,在女大學生中,毛澤東的書和羅曼羅蘭的書一樣風行。
沒有學生來的時候,戈爾遜先生就到傳達室和我聊天。他不和女大學生交談。她非常不愛說話,幾乎從不發表意見(這種徹底的沉默寡言使人覺得不正常,好像向戈爾遜先生發表見解自己也就成了前來訴說精神挫折的學生),戈爾遜先生對 她也有幾分發怵。我們一邊從辦公室窗子望著本鄉(本鄉,地名。東京大學位於此地一譯註)的大學裡高大的樹木,一邊盡量避開商業、日漸減少的後退青年的話題,漫無目的、天南海北地神聊起來。
透過這種無拘無束的漫談,我知道這個家庭一貧如洗的白人兒子靠獎學金上的大學,說不上天資聰穎才華橫溢,卻對日本的挫折青年極感興趣。一個二十八、九歲的美國青年選擇這個問題作為研究課題來到日本成立調查所,這本身就令人覺得他的精神構造不可思議有悖常規。我開始感覺到戈爾遜先生不是深淵的擁有者,而是被吸進這個現實世界的深淵裡的第一個墜落者。於是很自然地聯想到自己,我在自己的學生同胞前來訴說陰暗的情緒崩潰的外國人事務所裡工作,覺得有點近乎賣良為娼的人口販子、老鴇這樣卑鄙下賤,想起少年時光,雖然那時還是戰爭年代,對自己二十歲這個年紀依然懷抱著玫瑰色的幻想。但如今已經二十歲,而且是在和平時期,卻幹這種不清不白不三不四的差事,心頭充滿難以言狀的苦澀和自我厭惡。
可以跟我互相交流自我厭惡情緒的應該說是那個同樣打工的女大學生,但她整天愁容滿面,一有空就全神貫注地鑽進毛澤東的書裡,從不到我的屋子來走動。我一到裡屋,就不得不面對那些登記卡,被憂傷鬱悶的學生的形象擠壓得喘不過氣來,所以絕不會從我這邊推開女大學生房間的門,於是只好愁眉苦臉地和同樣愁眉苦臉的戈爾遜先生漫無邊際地神聊。啊,GIO簡直就是一座無比憂鬱的地獄!
正是在這種閒聊中,戈爾遜先生動員我在日本的工作結束後跟他一起去台灣或者韓國,也正是在這種倦怠鬱悶的時間裡,我從他不經意的動作的細微處覺察出 同性戀的傾向。他談到美國東部的鄉村小鎮,語調那麼親切眷戀,卻不遠萬裡跑到東方來,說不定是被流放到日本來的呢。外國人到大學的課餘打工科要求介紹擔任陪同聊天的人、導遊、翻譯的學生,大多都想藉此名義發展成同性戀對象。 外國人的這種別有用心現在已經變成常識了。我的一個朋友透過打工和一個外國貿易商搞上了同性戀,後來被貿易商拋棄,因此自殺。「被拋棄」這三個字是他寫在遺書裡的。這也是韓戰結束後那一陣子的事。
我和戈爾遜先生用低得能聽見隔壁翻書響動的聲音斷斷續續地聊長天,但雙方的心並沒有互相靠攏貼近。我用半瓶醋的英文跟美國人聊白開水淡而無味的閒天,覺得著急,深深地感嘆自已為什麼會在這裡幹這種事。我現在大體能體會到與美國人一起工作的日本人、尤其三十歲左右的婦女為什麼一天到晚裝模作樣矯揉造作大聲叫嚷的秘密。那些戴著很講究很派頭的眼鏡抹著大紅嘴唇以痙攣性地強調突出臉龐的女大學生們即將埋沒自己的空虛乏味的恍惚。她們和舊式婦女一樣,自我要求對工作奴隸般地逆來順受。
就我自己而言,當我看著和我相對而坐自由交談的這個美國人玻璃般透明而遲鈍呆滯的眼睛、像在果子凍上灑一層麵粉一樣發喧的胖臉和手背的皮膚、當細小的高鼻子、突然發出怪聲的嘴唇時,甚至神經質地想如果為了深入了解對方的思想情緒、為了在對方的臉上恢復人的統一感,簡單地說,如果為了發現我和對方之間人與人的聯繫,可以發展到同性戀關係。
我剛剛二十歲,從這個世界的幾乎一切追尋人與人的關係。而對年輕人來說,無論正常或變態的性關係,都是盲目地沉溺在令人感覺怪誕無序的他在之中的行為,都是賦予意義、制定秩序、變成如自己身體的一部分那樣親密的行為。如果我每天都和戈爾遜先生進行這樣百無聊賴的持續不斷的談話,我很可能要麼神經發作地和他同性戀,要麽神經發作地和他大吵一通辭去GIO的工作。
但是,在某月月初,由於上個月報回國內的調查數據實在缺少內容,本國給戈爾遜先生發來一封信指責他工作消極怠惰,信的措辭相當嚴厲。他早晨上班看了這封信後,一整個早上都在房間裡心煩意躁地急步轉圈。下午,戈爾遜先生終於下了決心,對全所人員,除清掃女工外、即我、女大學生及他本人就當前的困境發表演說。
戈爾遜先生的論點簡潔明快,本國要求他今後每個月提供上個月三倍資訊量的調查數據,如果不能保證這個基數,將解除他遠東研究員的職務。因此,我們必須提高效率。
怎麼提高效率?是在校刊上登更大的廣告,還是在校園貼廣告?《戈爾遜先生恭侯先前的學生運動活動家光臨!》
我針對戈爾遜先生的提問,發表意見說不能指望廣告的方法可以使狀況發生根本性的好轉,因為戈爾遜先生的後退青年研究所在學生中已經出名,即使出廣告,也不會有更多的精神挫折的新學生前來。
翻譯兼打字員的女大學生基本上同意我的意見,她認為即使我們在校內張貼廣告,再到處尋找可能會前來訴說自己精神受到創傷的青年,也不會像GIO調查初期那麼多。歸根究底,社會上並沒有存在很多「精神受創」的青年,並不是有無數的在學生運動中有過挫折體驗的青年在等待著GIO的召喚。大概已經見底了吧。
戈爾遜先生、我、翻譯兼打字員的女大學生心情憂鬱地討論了很久。戈爾遜先生不想現在離開日本,工作半途而廢回到美國意味著在大學裡謀不到一個好位置。 另外,我和女大學生都不想過早失去這份又安穩收入又可觀的打工。
越討論越覺得前途渺茫,大家陷於一籌莫展的時候,戈爾遜先生提出了妥協的方案。他說,下個月一個月大家好好幹,把成績提上去,全力以赴,做出好成績,就可以向國內提出報告說日本學生的調查已大體結束,這樣就會批准調到其他地方去。如果在成績惡劣、遭受批評的風頭上提出調任請求,會立即被炒魷魚,南韓與台灣就是別人的美差了。
我和女大學生覺得不是立刻丟掉飯碗,還有一個月的時間可以找別的打工。於是三個人一致決定大幹一個月全力進行調查提出高品質的工作報告。
但是,不找到幾個後退青年,我們連一張調查卡也填不了,寫報告更無從談起。 這時,我突然心血來潮,一個主意浮上心頭:我們可以製造後退青年、即心靈遭受創傷前來訴說苦惱的青年,簡單地說,就是隨心所欲地把一般青年當做後退青年,編造他們前來GIO訴說精神苦惱的假報告。說起來,這麼好的主意為什麼以前就沒想出來。我們以前聽過積極參與學生運動或黨的活動、後來遭受政治思想上的挫折的「心靈受創青年」訴說自己的真實感受。至少���和翻譯兼打字員的女大學生都聽過。「心靈受創青年」的訴說,連我們的心靈都感受到痛苦。「心靈受創青年」主動到GIO來訴說自己的內傷不僅僅要忍受痛苦,更是克服了巨大的心理障礙。其實,後退青年到GI0來本身就是極不正常的非人性的行為。
根據我的主意,只需要一般學生稍微做些表演就好。我目送這些青年走進隔壁房間接受調查時,不會覺得他們掉進黑暗的深淵而心頭難過,也不會從調查完畢出來的青年臉上看到遭受打擊一蹶不振的印象,或者由於說得太多而疲憊興奮得通紅的肌膚上出現後悔、自我厭惡這些陰暗憂鬱的污垢。因為這一切全是演戲。他們不是「心靈受創青年」。
於是我向戈爾遜先生保證我明天去大學找幾個調查應徵者來,一定是幾年前學生運動的積極分子、典型的後退青年。
第二天,我跑了一間又一間教室,還去研究室和課外小組活動室,說明我的宗旨。說是一般學生,其實對兩三年前的學生運動也很了解,而且全身都給人一種體驗過精神挫折的印象。應徵者很多,我從中挑了十個。他們都知道GIO。他們和我一樣,對後退青年研究所把他們演戲的錯誤數據信以真感到愉快。我們興高采烈七嘴八舌討論說,美國人以為能把自己的手指插進日本真正的「心靈受創青年」的傷口裡使勁摳攪,完全打錯了算盤,我們信口雌黃的遊戲奠定了他們學問的基礎。當天晚上,這十個學生去GIO的日期以及各自扮演的角色都安排妥當。
從下一周開始,GIO每天都是開業以來從未有過的充實豐富。戈爾遜先生情緒極佳,幾乎天天說終於採訪到了一直想見的典型的後退青年。我只是輕鬆地把巧妙玩弄訴說把戲的青年送進隔壁的房裡,心情十分舒暢。
但是,令我稍感不滿的是,翻譯兼打字員的女大學生出人意外地突然辭去工作,戈爾遜先生決定停止調查,立即整理報告。結果我預約的兩位表演者未能上場。
戈爾遜先生也寫了一份日本工作業結束,GIO現已關閉,待命調往他地的報告,隨同本月的統計報表送回。他也答應把女大學生的工作日期算到GIO關閉為止向國內申請特殊津貼。戈爾遜先生對這個月成功的調查充滿信心,相信他的報告將一鳴驚人,博得滿堂喝采。
戈爾遜先生最得意的是我的第七個表演者,這個學生個子矮小臉色淺黑長著猴子般的額頭。我對他說不上了解,但戈爾遜先生一採訪,立刻認定他是最典型的後退青年。後來才知道,翻譯兼打字員的女大學生也因為這第七個表演者才下定決心辭去工作的。
報告空郵出去以後,GIO立即關閉。那天晚上,我們三人小聚,戈爾遜先生問女大學生為什麼要辭去GIO的工作,她回答說實在不願意看見那種厚顏無恥的日本青年。我從容不迫地看著女大學生第一次展現的深切焦慮與悲哀,覺得很可笑。戈爾遜先生一臉困惑,但沒有平時那種難以捉摸的異常感覺,而是一個不諳世故的平凡普通的學者即將發作時的不悅表情。我甚至想知道那個猴子額頭的第七個學生是怎麼表演的。
我是在另一個完全出乎意外的地方知道第七個表演者的伎倆的。GIO關閉一星期後,我從日本發行量最大的報紙上讀到有關第七個表演者的文章,也刊登了他的照片。照片排在介紹GIO活動情況的文章中,戈爾遜先生笑嘻嘻地站在第七個表演者旁邊。這一定是採訪結束後翻譯兼打字員的女大學生照的。報紙說戈爾遜先生認為第七個學生、即A君是典型的後退青年,發現他是GIO調查的最大收穫。報紙引用調查卡的記載這樣報道A君成為後退青年的經過。
A是日本共產黨東京大學支部的成員,但被懷疑為特務,慘遭監禁拷打,小手指頭第二關節被切斷,最後被開除出黨,戀人也離他而去。於是他主動向富士警署的某警察提供情報。但是他已經離開學生運動,情報沒有太大價值,當特務也沒資格。現在他非常孤獨。他恨先前的夥伴,是他們使他遭受巨大的挫折,但他的特務嫌疑問題似乎是一個背叛的同夥告的密。戈爾遜先生把A視為日本左翼學生後退的一個典型。
我覺得絕望的黑暗深淵正吞沒照片上與戈爾遜先生並排站立的、猴子一樣微笑著的第七個學生。我的身體開始顫抖,渴望確認自己在第七個學生不幸之外。我使勁從黑暗熱昏的腦子裡把女大學生的「那種厚顏無恥的日本青年⋯⋯」驅逐出去。
冬天。第五堂課結束時,整個大學籠罩著寒氣逼人的蒼茫暮色。我彎腰縮脖地走出大門,突然看見一個躲在電線桿後面的矮小男人用手套遮著側臉朝我走來。我們默默地沿著大學的磚牆在昏黑中並肩走著。
「本來打算鬧著玩的。」第七個學生萎靡不振地說,「我隨口胡編亂造,沒想到報上登出來了。」
「我也沒想到。」我陷入束手無策的困境,說,「向戈爾遜先生提抗議去。」
「已經提抗議了,我要求他撤回報道,但他不同意。他說報紙報道的內容,既有錄音又有證人,不能撤回。我說那是我鬧著玩的,是信口開河、胡說八道。 但他說不管你鬧著玩也好,胡說八道也好,你說的內容很有意義。」
戈爾遜先生淡灰色的明亮的眼睛、細小的高鼻樑、胖乎乎的粉紅色皮膚立刻統一成一個傲慢的形象浮現在我的眼前,冷酷無情地把一籌莫展驚恐害怕的猴額頭青年猛力推開。我把自己融化在戈爾遜先生傲慢的形象後面,突然變得從容冷漠。
「其實報上的照片很模糊,能認出是你的不就是幾個親近的人嗎?既然是十分親近的人,對他們解釋這是一場玩鬧,大家哈哈一笑不就過去了嗎?」
「不行呀。就說我的戀人吧,看了報紙以後看我的眼神都不對了。」猴額頭的小個子把他的左手伸過來。
我看見他小手指第二關節被切斷了。我一陣難過,停下腳步。他像受欺負的小孩一樣眼睛直勾勾地盯著我,左手戳在我的眼前。 我看著馬路上過來的公車,準備上車。
「戈爾遜先生答應一個月以後在報上發表更正啟事,而且把錄音帶還給我。你也幫我記著。好嗎?我幹嘛說那麼多呢?莫名其妙。」
汽車停下來,我上了車。我擔心他跟上來,但似乎他只是在黑暗中看著我離去。 我終於鬆了一口氣,但我也不明白他為什麼要說那麼多。我至今也沒弄清楚。一個月後,戈爾遜先生的報告受到高度評價被調任為歐洲研究所。即使他在報紙上發表「內容與事實不符」的更正啟事,也毫不影響他前往歐洲赴任。但是他並沒有發表更正啟事,在我和女大學生的送行下,從羽田機場飛走了,因為第七個學生一個月後沒有再去找他。戈爾遜先生託我把錄音帶還給第七個學生,但至今仍保存在我這裡。我想起戈爾遜先生把錄音帶交給我的時候說的一句註釋性的話:「他是一個典型的後退青年!」
於是,我感覺到身邊的現實世界到處都是滑入默默張著大嘴的黑暗深淵的漏斗狀斜面。
(鄭民欽 譯)
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longgoodbye1992 · 1 year
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり。
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
手招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
「すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走らせる。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田���道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。
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夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわないか心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助けてくれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。
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白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。
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雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていないらしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやまない雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけて二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出来上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。
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店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入り車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら時間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている。
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入っていた。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。
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「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
そこへ向かって車を進めると、警備の人が立っていて入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。
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「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
「あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「なに」
「別れが惜しくなったんだろ?」 
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」 
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきかかないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」 
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったことを話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃんとしてれば支え合っていけるんちゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉める?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
ボタンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉��立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
戻ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死なないでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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ari0921 · 9 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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tutai-k · 1 year
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休暇。
10月1日~長期休暇だという噂が職場に流れていた。長期の休みなら行きたい場所はたくさんあったが、噂が流れはじめたのは8月の末くらいで、そんな時期から用意しはじめたのでは何も間に合わない。釧路と舳倉島、どちらにするか悩んだが、どちらも現実的ではないのであきらめて、結局長期休暇は取らずに、四連休だけ取ってあとは出勤した。来年も同じ時期に長期休暇があるのなら、半年くらいまえには教えてもらいたいし(一年後の予定がすでに決まっているような生活をしている人間なので)それなら周到に旅に出られる。
とはいえ、せっかくの休暇なので何かしたいと思っていたら、東京のイゼルローンフォートレスでキルヒアイスのアフタヌーンティーへ行けることになった。
東京は文フリで年に多いと二回くらい行くのだが、単純に『遊びに行くだけ』というのは、何年ぶりか……。イベントまえのストレスや緊張、イベント後の疲れのない旅行というのは、もしかしなくても十年くらいは経験していないのでは? という…。
いつもは始発に乗るのをすこしゆっくりの電車に乗って名古屋駅へ。
平日の、しかも朝だからすんなり食べられるだろうと思っていた名古屋駅名物「ぴよりん」のモーニングは、びっくりするくらい人が並んでいた……。とりあえず名前だけ書いて、出かける直前にバタバタしてて買えなかったお土産を探しに行くも、あせってしまいぴよりんのバウムクーヘンを一個しか買えないまま、席へ通される。 そしてぴよりんモーニングを注文して食べる。 当たり前だがこの「カフェ・ジャンシアーヌ」は、ぴよりんを求めているひとがわざわざ並ぶお店なので、みんなぴよりんを食べる。いろんなひとが「ぴよりんモーニング」を注文するのを、「ああこの人たちはみんな、ぴよりんを楽しみにこのお店に朝早くにやってきたんだなあ」という幸せな気持ちで感じることができる。とてもいい旅立ちの朝だった。
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新幹線は少し遅れている便もあったようだったが、わたしが乗るのは大丈夫だった。予定通り東京駅へ着き、約束の駅へ。
休日はとても並ぶというラーメンのようななにかのお店へ連れて行ってもらう。透き通ったスープに、きしめんみたいな麺(麺は10種類くらいからえらべたが、初心者なので先達に従って頼んだらきしめんみたいなのだった)、たくさんのネギとパクチーが浮いている。パクチー大好きなので、追加すれば良かった。とにかくめちゃくちゃおいしくて、スープまで飲んだ。 到着したときにはお店は結構すいていたのに、すぐに満席になって、お店を出るころには人が並びはじめていた。
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皇居まで歩いて行ける距離だというので案内してもらう。 人生で実は皇居に行く(しかも結構奥の一般人が入れないようなところまで入れる)機会があったのだが、一度も行かなかったので、皇居は初体験だった。入り口は閉まっていて、見学はできなかったのだが、かつて皇居へ入る機会があったころからはずいぶん違う道と考え方をしているわたしには、そういうものなのだと思った。偶然だが。 皇居の周りは走っている人がたくさんいた。柳がたくさん生えていて、風が目に見えるので気持ちよかった。 「このお堀、冬は鳥がきそう」と言ったら、案内してくれた人が、「黒くて足がこんな鳥がくる」と指を三本立ててオオバンを表現したのが面白かった。たしかにオオバンは、カモとかと違って、指がわかれていて足がへら状になっていない(指がわかれていてそれぞれに水かきがついている)。
そのあとは、紅茶屋さんへ。いろいろ悩んだけど、暑かったのでレモンティーを頼む。たくさんおしゃべりして、二杯目も。ロイヤルミルクティーを飲む。どれもおいしかったし、カフェはとても居心地が良かった。 いつも東京で誰かに会うときは、イベントの後の打ち上げとかで、疲れとお酒でハイになってたり、時間も時間だから焦っていたりするけれど、ゆっくり時間を気��せずおしゃべりができたのがうれしかった。 だれかに会いに行く旅、というのを久しぶりにしたなあと思った。
その人とは別れて、イゼルローンフォートレスへ。十年来のフォロワーさんと会う。BL短歌の頃に出会っていて、タイムラインでは毎日のようにおしゃべりしているのに、会うのはこれが初めてなのが不思議。 イゼルローンフォートレスは「銀河英雄伝説」という小説のコンセプトカフェ(公式)で、物語の中の陣営で席がえらべたようで、イゼルローンを選んだよ、と言う話だったが、なにが違ったのかよくわからなかった。記念の銀貨・金貨をもらったり、コースターをもらったりした。ドリンクについてくるコースターにシェーンコップが含まれていたのを、ながれるように渡されたのがおもしろかった。 アフタヌーンティーのケーキにひとつめちゃくちゃ酸っぱいのがあって複雑な顔をしていたら「酸っぱいのきらいだもんね」と言われて、「やっぱりいつも一緒にいる人だ!」と思った。 ライチョウのぬいぐるみをもらう。夏羽と冬羽を選ばせてもらう。まだ夏羽のオスにしか出会っていないので、夏羽をもらった。 ひとしく一緒にわちゃわちゃしているフォロワーさんたちにお土産を買う。今日発送したが、よろこんでくれるとうれしいなと思う。 自分用には、箸を買った。迷ったけど、同盟の箸にした。 世界が平和でありますように、この小説の主人公の一人が語るような、健全な民主主義の世界にたどり着き、すこしでも長くそれがつづきますようにと祈る。
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翌日。 泊ったホテルの近くに野鳥のサンクチュアリのような場所があるようだったが、とにかく「緑色のインコ(ワカケホンセイインコ)」と「オナガ」が見たいと思っていたので、目撃情報があり、さらに良く発生するという井の頭公園へいく。何年かまえ、みんなでアヒルボートを漕いで楽しんだ井の頭公園だ。朝早く到着したからか、あの楽しかったアヒルボートを漕いでいる人は誰もいなかった。 カメラを持っている人が何人かいて、鳥への期待が高まる。 池にはカイツブリとカルガモが浮いていた。
一生懸命探すも、オナガの鳴声とシジュウカラの鳴声しか聞こえないので、公園の管理塔で「緑色のインコはどこにいますか?」と聞く。 「夕方に群で飛んでくるけど、昼間はあんまり見ないね」と言われる。好む木とかが分かればそこから探せるのに…と思ったが、そういうのもないらしい。とりあえず玉川上水を遡る。オナガの声がたくさん聞こえるけど、全然見つからない。 ブラインドがもうけられているところがあって、鳥写おじさんがたくさんいたので覗いてみる。池があって、ムラサキシキブが池の周りに生えていたので、鳥は来そう。だけど鳥があらわれなかったので情報収集。ちょっと離れたところにたくさんいる場所があるとわかったので移動。
関東の人はもしかしたら「なんでこいつ、こんなにオナガ(とワカケホンセイインコ)を見たいんだ?」と思うかもしれないが、オナガは関東にしか住んでいないので、三重では見られないのである。
どきどきしながら歩いて行くと、まず見つけたのはオナガ。 「オナガだ!!!!めっちゃいる!!!!!オナガ!!!」もう大興奮である。オナガはしきりに飛びまわり、すぐに木の中に隠れてしまうので、まだ葉っぱが繁っている今は見つけづらいし、写真を撮るのがむずかしい。でもときどき、開けたところへ出てくるのでそれを撮影していると、なんか変な影が……飛んでくる……。なんて言うんだろう、ロケットみたいな……。日本にいるタイプの鳥ではない、形状の……。 目の前にとまったのはワカケホンセイインコだった! 「わーーーーーー!!!本物だ!!本物だ!!!!」 重いカメラとレンズを担いできたかいがあった……。このインコも木陰に隠れるし緑色なので、はっぱと紛れて見つけづらいし写真も撮りづらい……。 こんなトロピカルな鳥がなんでこんなところにいるかというと、外来種である。飼われていたのが逃げ出して野生化しているらしい。とても異様……。 寿命が30年くらいあるらしい。外来種についてはいろいろ思うことがあるし、その存在を全面的に肯定はしないが、かれらをここに持ちこんだのは我々人間なので、「彼ら」が悪だという立場にはわたしは立っていない。存在と言うよりは、「棲みつかせてしまった」構造や、行為を批判したいと思っている。 絶滅危惧種を「この目で見てことほぐ」必要があるとしたら(その行為の根底には人類の営為による贖罪と、その環境の改善への努力への約束が含まれると思う)、等しく外来生物も「この目で見る」必要があるとおもう。たしかに、都会の森の中に、この南国にいそうな姿は異様で、その「違和感」は、環境について考える動機になる。
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とにかくワカケホンセイインコとオナガを見つけて満足する。 どちらも動き回る鳥なので、追いかけて歩いていたら、ひらけた場所に鳥写おじさんがたくさん集まっていたので寄っていく。 エゾビタキとキビタキを撮影していた。 今年はエゾビタキに出会ってないし、なんだかんだキビタキにもほとんど出会えないので見られて良かった。
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名古屋駅でお土産にぴよりんを買いたかったので、はやめに東京を出ようと東京駅にもどる。 スマホリングが壊れてしまっているので、東京駅のちいかわちゃんのショップでちいかわちゃんのスマホリングを買おうと思っていたら、東京駅のちいかわちゃんショップは一時間待ちだった! あきらめて、東京駅にあるというクルミッコショップへ……人が全然いないなあと思っていたら、なんとクルミッコは売り切れ! そんなぁ~~と落胆しながらお土産を物色していたら、普通の総合お土産ショップみたいなところにクルミッコとサブレのセットが売っていた。 「これ、おふくもち(赤福によく似た伊勢のお土産)みたいな……なんかそういうクルミッコじゃないよな?」と不安に思いながらレジに持って行くと、ちゃんと紅谷の袋に入れてくれたので本物のクルミッコのようだった。 崎陽軒のシウマイもほしくて、真空パックじゃなくてチルドのやつを探し回るが見つけられなかったので真空パックのを買って、お弁当も買っ��電車に乗る。 じつは朝、ホテルのバイキングでしこたま食べてから何も食べていなかったが、腹が減っていなかったので、帰りの近鉄特急で弁当を食べようと思って、新幹線ではもうすぐ車内販売がなくなるというシンカンセンスゴイカタイアイスを食べる。次に新幹線に乗るのは文フリの時だから、もう食べられるのはこれが最後の機会だ。いつまで経ってもやわらかくならないのを待っていたら、いつの間にか静岡を通過していた。豊橋辺りでなんとか食べ終える。そうこうしているうちに、名古屋。
駅でぴよりんを買おうと思ったら、めちゃくちゃ並んでいた。とりあえず特急券を買ってからぴよりんの列に並ぼうと思っていたら、いろいろあって列にならばず、特急も乗らないことに。 ゆっくり急行と鈍行で三重まで帰る。
急行と鈍行のベンチシートではお弁当は食べられないので、���に帰ってきてからお弁当を食べた。おいしかった。
良い旅をした。 翌日(つまり今日)伊良子へタカの渡りを見に行こうと思っていたのに、雨が降っていた。 来週からはとても忙しいので、今年は、もうヒヨドリの渡りを見に行けないだろう。
11月の半ばくらいには忙しいのは落ち着くので、そしたら、いつものアフタヌーンティーの秋のコースを滑り込みで食べよう。そしたらすぐに、ハッピーホリデーアフタヌーンティーがきちゃう。
月末に、今度は九州へ行く用事がある。九州では、カササギを探したいと思う。
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥���石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂という��と で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に���福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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yamada50 · 2 years
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引手力命神社の御神木 一名夫婦柏槇(ビャクシン) 大瀬神社ともいわれる引手力命神社が鎮座する沼津市琵琶島には130本以上の柏槇がありますがその中で随一を誇る樹齢1500年以上、幹周り7mの柏槇が大瀬神社の御神木です こちらの琵琶島は南海トラフ地震としては最古の記録となる飛鳥時代天武天皇の御代に発生した白鳳大地震の際に突然隆起してできた島です その際土佐では多くの土地が水没し消えてなくなりましたが、神が土佐の土地をここに引いてきたのだと考えられて引手力命を祀ったのが大瀬神社の創建とされ、駿河湾の漁民を守護する神様として厚く崇敬されています ちなみに引手力命という神は伊豆独特の神で他の地域には見られない神です 琵琶島に柏槇が自然に群生していることは全国的に稀なことからこの島一帯の柏槇が国の天然記念物に指定されています 琵琶島の遊歩道の柏槇が群生する様はまるで異世界に迷い込んだかのようで、ぜひおすすめしたいスポットの一つです #引手力命神社 #大瀬神社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ 引手力命神社(ひきてちからのみことじんじゃ、ひきたぢからのみことじんじゃ) 鎮座地:静岡県沼津市西浦江梨 主祭神:引手力命 社格:式内小社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ #神社 #神社巡り #神社好きな人と繋がりたい #recotrip #御朱印 #御朱印巡り #神社仏閣 #パワースポット #沼津市 #大瀬崎 #わたしのこころの名木 #名木伝承の日 #銘木総研フォトコン #神社巡拝家 (大瀬神社) https://www.instagram.com/p/CjfH6QxPFRR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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8585vr · 3 years
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009【VR】KMPVR2020年レビュー4.6以上の高評価30タイトル300分VRBEST超豪華永久保存版!~評価の高さが人気の証!高いレビューをいただいた人気作を完全収録~
堀沢ゆい 枢木あおい 七美せな 小梅えな 皆月ひかる 一ノ瀬恋 松本いちか 小鳥遊ももえ 高城ひかる 五十嵐かな 新田みれい 神咲まい 冬愛ことね 香坂みりな 稲場るか 逢坂りの 心菜りお NATSUKI 河北はるな 田中ねね 高美はるか 阿部乃みく 高坂あいり 志恩まこ 笹倉杏 四葉さな 八乃つばさ 蓮実クレア 麻里梨夏
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tabiosuruki · 4 months
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”雨も風も遊びになる”
雨粒がお鍋にポツンと落ちるだけ☔️。
ただそれだけのことが不思議でしょうがない👀
乳幼児の子たちにとって、自然に触れて遊ぶことは、この世界が、とっても不思議で美しいことを教えてくれる第一歩なのかも知れません。
今年から再開している親子向けの『自然育児サークル』では、天候に関係なく、子どもたちは遊びに夢中。
着替えがあって、温かい薪風呂が沸いていれば、親も安心だし、子どもたちも思いっきり遊べます。お腹が空いたらホクホクのお昼ごはんを食べましょう〜🍚
次回は、6月22日(土)です🌈
※旅をする木のようちえんにご興味ある方には、ようちえんの雰囲気を少しだけ知っていただける機会にもなります。(1日の流れはようちえんとほぼ同じです。手作りのお昼ご飯付き)
募集要項&お申込みは、プロフィールのリンク🔗(自然育児サークル申込みフォーム)からお願いします。
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■全日程【6/22】【7/20】【9/7】【10/19】【11/16】【12/14】【1/18】【2/15】
※全て土曜日です
※3日前までに希望の回をご予約ください(お子さんの傷害保険に加入します)
※複数回の予約も可能です
■時間 9:45~14:00
■場所 自然がっこう旅をする木(参加の方には詳細な場所をお知らせします)
■対象 0歳~4歳(今年度4歳になるお子さんまで)の親子
■定員 各回/親子8組
■参加費 親子1組/2,000円(お子さまの傷害保険・親子分の昼食とおやつ付)追加参加費/500円(大人1名)300円(子ども1名につき/乳児無料)
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jaunepastel · 2 months
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百老匯的貓
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此刻,我坐在空蕩蕩的台北家中,距離出發只剩下倒數二十八天。
車子收走最後一箱回收,三十坪的的老房,頓時像剪掉多年長髮的少婦,輪廓活靈活現,展露最原始的模樣。回憶如老照片被翻出,熱戀的歡愉,熟稔的默契,爭執的苦語,新生的喜悅,呱呱墜地的女兒溫溫,際遇如候鳥過境,隨著即將而來的遷徙,沾了邊又得離去。
「喵喵,你也要離開我了嗎?」肥肥的肚腩,在我大腿間形成一顆抱枕,接著掙脫,跳了下去。
大概是低估了紐約租房市場的險惡,以及租客間的競爭火熱。這幾個月,每天早上醒來,我就像緊咬股市開盤的投機客,杵在電腦前,看好目標,下好離手。剪下貼上剪下貼上,有時一口氣連發十幾封郵件和私訊,不小心把開頭的房東人名給貼錯,也是常有的事。
例行公事,我打開收件夾,畫面好似當機:
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
Inquiry about rental in New York
每封信標題內容都大同小異,不外乎身家背景介紹,幾歲哪裡人什麼職業,不煙不酒品行良好,搞得跟相親一樣,最後的最後才會提到我有一個可愛又文靜的一歲半女兒,會跟著我們一起前行。心想說篇幅這麼少,房東應該不會介意吧。事實證明是我想太多。
一個人找房,深諳室友之道,想離曼哈頓近一點不是難事;兩個人找房,下點功夫還是能找到合租公寓,當起二房東的大有人在;三個人找房,已讀不回是常態,歉聲連連說房子太小不適合,建議我們自己租個1B1B好區套房,人生就此飛黃騰達。偏偏,我沒那個錢,也不求飛黃到哪,只想尋個短暫停留的家,得在兩個人找房的預算間,找出三個人的各種可能。
一天一天過去,那些可能,隨著我的Inquiry們,一同消失在茫茫網海裡。
『沒有室友就是爽!三四月曼哈頓套房短租。』
我被這則發文的豪邁給吸引住。 「······我們找房好���段時間了······衷心希望有機會入住您的套房。」
雖然依舊是剪下貼上,但文字背後的焦慮無助,或多或少成功傳遞到銀幕外的另一個空間去了。同一時間,我正糾結於三四個物件當中,短租的日期該如何兜湊,才能無縫接軌這半年;森林小丘上課要通勤一個小時,曼哈頓一樓要擔心老鼠和醉漢入侵,威廉斯堡房租要六個月全付會不會是詐騙,我像童話故事裡撿石頭不能往回走的女孩,再挑下去可是一顆石頭都沒有了。距離出發還有兩個多禮拜。 「小孩我是沒問題,只是我家在四樓沒有電��,你們會不會不方便?」 莎拉簡短的答應,讓我想起她發文時的爽朗用字。「住很重要!我會幫你們打點好,請好好享受我的公寓。」這麼一句話,彷彿給我吞了顆定心丸,安撫行前騷動的思緒。搭機前一晚,包袱所剩不多,不安盡拋腦後,心情輕鬆的不可思議。我看著逐漸縮小的地表樓房,龐雜的台北城,我的故鄉,想著哪天我會不會愛上這輕飄飄的感覺。 於是,我們擁有了第一個結尾是New York的地址,位於曼哈頓百老匯區。
「早知道不要租四樓了!」西恩氣喘吁吁,將最後一個三十公斤重的行李箱拖上樓,一進房門就癱坐在地。「下次搬家可不可以找一樓的。」「我盡量囉。」想到三個禮拜後又要再將所有家當搬下樓,我不禁打了個冷顫。一回生二回熟,我一邊安慰西恩,順手從行李箱拿出一小包烏龍茶,轉頭尋找廚房裡的熱水壺。
十二點十分,東部標準時間。與台北相隔十二個小時的曼哈頓午夜。從甘迺迪機場搭上華人計程車,行駛在平板無憂的快速道路上,兩旁盡是皇后區黝黑大遠景,此時還感覺不到紐約的形貌。空氣粒子旋轉收縮,直到出了中城隧道,我們隨著車流,一舉穿進曼哈頓的心臟。高樓百窗,霓虹街燈鼓譟,打亮了巨大看板上的秀顏,女明星眼眸深邃,企圖引人犯罪。三十七街經過第五大道,塞車的步調,讓我用慢動作欣賞了帝國大廈,那棟建築是你一看到就會認得,不需贅述的經典,這不是夢,卻像夢遊迷幻沈醉,我正在電影場景裡。 夜深,暖氣徐徐放送,驅散我體內的累積疲倦,遠方傳來救護車的高頻呼喊與零星槍響。我閉上雙眼,腦海不由地響起《計程車司機》中憂鬱的薩克斯風,寂寞都顯得立體。喝完母奶的溫溫被西恩抱在懷裡,早在柔軟大床上睡去,只留我與這城,遲遲捨不得入眠。 ♦
初春的光,灑進十坪米的套房,我吸進一口冰涼,清醒地環視四周。對我來說,到一個落腳處,第一件事就是確認廚房。烤箱冰箱洗碗機,醬油麻油中西調味料,麻雀雖小五臟俱全,滿意極了。房子中央擺著一張小巧的鵝黃色木桌,波浪弧形的斑駁桌腳,想必是古董老件吧,突然想起莎拉是學藝術的,牆上掛滿湖水藍綠的動物畫像,獨角獸的尖角孤傲揚起,擠得扁扁的壓克力顏料罐則充滿了生活的氣息。紐約的氣息。
溫溫的雙手扶在起霧的窗上,留下不完整的掌痕,熊熊圖案的米白睡袍還穿在身上,模樣甚是可愛,繼續在窗上拍了幾個小手印,看來她很喜歡這裡,一切如此新鮮有趣。
簡單梳洗,我們輕裝上街。地底白煙卷卷升起,南北向的道,費里尼電影般的靜止車陣,幾何玻璃帷幕,抬頭讚歎資本主義的雄偉;東西往的街,消防梯鏽得煙灰,鷹架層層堆疊,衰敗與生長同時交織成紐約的血肉。小販高聲兜售自由女神,芭蕾女伶頂著包頭,黑衣曲線魚貫沒入窄門,三件式西裝的俊俏男子,用力咬了手上的貝果,一步作兩步橫越馬路。 售票亭外熱熱鬧鬧,我和巷口的《貓》四目交接,黑底黃目如紐約客犀利,這貓名氣響亮,而我竟然一次也沒走進去過;徘徊中城一圈,在Wholefoods超市採購生鮮、酒足飯飽後,金黃燈光齊下,十字路口變成大型伸展台,時髦男女自信耀眼,提著大包小包的我們硬生生穿過《芝加哥》滿溢的開演人潮,美腿包圍爵士樂,上一秒還沈浸在感官享受,下個轉身就被《西方壞女巫》的綠臉紅唇給嚇個正著,衛生紙差點從紙袋裡滾了出來。
開學在即,除了扮演觀光客,還有正事要辦。郵件傳來,通知我去中國城的廚藝用品店,領取已經繡好名字的制服,還得試穿廚師鞋。
「你好了嗎?」西恩熟稔地將溫溫裝在背巾裡,露出兩隻小腿晃呀晃。
「都好了,我查一下。等等可以在附近找個中菜館。」我穿上鞋,低頭盯著手機推開房門。
「打不開!」我大力扭轉把手,門還是一動也不動。
「怎麼可能,你的鑰匙咧?」西恩接手開門,我摸摸外套牛仔褲口袋,脫了鞋在地上裡翻找包包。
「看來我們被反鎖了,你打給房東吧。」西恩將溫溫放下,開冰箱裝了杯柳橙汁。
我打給莎拉求救,太過緊張以致於忘了她在地球的另一端,好在莎拉接了起來,給了我Super的電話號碼,說是管理員會幫忙,要我別擔心。許久沒說英文的我,要打給陌生人,還真有點語言障礙。不管了。電話接通,我的心跳也跟著嘟嘟響。
「我是莎拉的房客,曼哈頓八大道,我們房門被鎖起來,你能來開門嗎?」第一句話順暢說完,我輕鬆許多,等待對方回應。
「我在長島······放假······再見。」這個Super大概是拉丁裔,捲舌音吃掉了話中好多字,我只聽到幾個令人崩潰的重點,接著是一陣沈默。莫名其妙被掛電話後,我也不好再打擾莎拉,決定打給附近的鎖匠碰碰運氣。殊不知,鎖匠在電話那頭嘰哩咕嚕一長串,我一個字也沒聽懂,濃郁口音令人費解。西恩和溫溫坐在餐桌喝果汁吃餅乾,彷彿看我在演哪一齣鬧劇。
我用力敲了房門幾下,宣洩怨氣,金色門把都快被我轉鬆。此時,我聽見開門聲從隔壁傳來,像是轉開保險箱的勝利喀噠聲。
「哈囉,請幫我開門,嘿嘿!」我一邊拍門,試圖將聲音穿透金屬門板傳送到外。所幸,鄰居老先生正要外出,把插在大門上的鑰匙取下,解救了我們。一出家門,熟悉的《貓》埋伏街角,琥珀雙眼大膽直視初來乍到又莽撞的我,這回連貓都在取笑,笑問我準備好了沒有,迎接紐約這場大戲。
走著走著,在百老匯,我們的新家,歌詞的最後一句悠揚地唱著。 
A new day has begun. 明天又有什麼等著我呢? 寫在2017年.春
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honnakagawa · 2 months
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7月19日(金)open 12-19
風は強いけれど、今日も暑いですね。 今朝の市民タイムスに、『のりくらのえほん めぶきのきせつ』の記事を見つけました! 乗鞍に行きたいなぁ…という気持ちでいっぱいの店主ですが、実はお店の脇を流れる湯川沿いの遊歩道からほぼ正面に見える乗鞍岳を毎日眺めているのです。
とにかくこの絵本には乗鞍高原の自然の魅力が盛りだくさんつめ込まれています。 絶滅危惧種で国内で唯一、乗鞍高原での集団繁殖が確認されている、クビワコウモリがその魅力を案内をしてくれます🦇 読み進めると、一の瀬園地にあるあざみ池に集まるいきものたちが登場するかわいらしい物語が始まります。 細かなところまで工夫があって、思わず笑顔になっちゃう絵を手がけたのは、先日もお知らせした白樺のコースターを作る、さいとうまゆみさん。 絵本初挑戦とは思えない! 子育てしながらの日々、様々な苦労がありながら完成できたのは、伴走者である編集者の鈴木麻紀子さんの存在が大きかった、とお話しを聞かせてくれましたよ。 あざみ池のマップには、実際に生えている植物や生き物の情報が書き込まれていて、散策したくなる。 楽しい物語りの後に続くのは、乗鞍の植物、生きもの図鑑のページ。 植物や昆虫、そして私の大好きな鳥たち…!が美しく描かれています。 初めてヤドリギ目にしたのは、そういえば一の瀬草原だったなぁと思い出す。 とても大きくてきれいな丸でした🌳 この絵本はページによって雰囲気が変わるのですが、なんと4名の方々がパートごとにイラストを描き分けているんです。 読むだけじゃなく、眺めるだけじゃなく、この本を連れて乗鞍高原に行きたくなること間違いなし! プロジェクトチームの皆さんの愛に溢れている一冊で、リーダーの斉藤新悟さんさんは元気いっぱい、メンバーの仲の良い明るく気持ちの良い雰囲気を体現していました。 身近な自然を、環境を、当たり前と思ってしまいがちだけれど、とても大切でみんなにとっての宝ものだと実感できるような活動に、本当に胸を打たれました。 この絵本の売り上げの一部は、一の瀬草原の整備に使われます。 乗鞍の皆さんが、本当に乗鞍の地を大事にされている事が伝わります。 是非ご来店の際にはお手に取ってくださいね。 そして、乗鞍に遊びに行きましょう〜🏔️ この週末21日は絵本と一緒にトレッキングのイベント! 定員は無いそうで、どなたでも参加可能! 参加費は1,000円で、なんとおにぎり🍙付きですよ〜。いいなぁいいなぁ。 気持ちの良い時間を、皆さま是非! 参加申し込みはこちらから→https://norikura.gr.jp/content/20240704/
乗鞍を好きすぎてついつい長くなっちゃった!
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kennak · 5 months
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「消滅可能性」744自治体 人口戦略会議 239自治体が脱却 / 日本農業新聞
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