#財布好き
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営業中。春財布。in Japan, 春と張るを掛けて、春財布は金運・縁起が良いものとされております。
本日は鬼宿日(鬼が遊びに出掛けて不在)なので心にかなう事をやるのに最適な日だそうです。
このメタリックブルーの春財布をお迎えすると金運爆上がりする、かもしれませんよ。店頭で手に取って見てくださいね。
#春財布 #メタリックブルー #鬼宿日 #好きなことをやる日 #あれこれ気にせず #やりたいことをやる #雑貨屋 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #商店街 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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♡ #オープン戦の京田選手 先週末のライオンズ戦。 サードとショートで出場。 昨日はデットボール受けてそのまま下がったけど大丈夫だったかしら? #京田ユニを買うにまた財布が悲鳴をあげる #ケチってガールズユニにしようかと企んでもいる ✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧ #だって私はドラゴンズファンですから #ライオンズも好きだけど #京田選手推しだけど #ドラゴンズ #ドラゴンズファン #ドラゴンズファンと繋がりたい #ドラゴンズ愛 #中日ドラゴンズ #ドラゴンズ好き #ドラゴンズ大好き #横浜denaベイスターズ #横浜スタジアム #オープン戦 #画像はベイスターズファンの心友から #画質の限界らしい #京田陽太 #京田陽太選手 #京田選手 #京田陽太選手98 (横浜スタジアム) https://www.instagram.com/p/CpcLTqcPzgY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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スーパーでオードブルがたくさん販売されていて、良いなと思いつつ財布の中身と相談しつつ、あきらめた。お酒が好きな妻の為にも、この三連休に何かおご馳走を作ってあげたいと思って、一念発起。スーパーの売り場を見渡して、格安食材を見繕って買ってきた。
自宅のキッチンで、妻の眠っている間に調理。妻を起こしてテーブルに案内。びっくりして喜んでくれて、私も嬉しかった。三連休のお盆休みだものね。サプライズの料理でした。
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (15)
H for Huath (Hawthorn) - May 13th - June 9th
“May tree - Sixth month of the Celtic tree calendar (Ref)”
colour: midnight blue; Gem: lapis lazuli; Gender: female; Patrons: Olwen, Blodeuedd, Chaldean, Humen, Selene, Virgin Mary; Symbols: love + marriage, fertility + birth, reproduction, heart
The short, thorny, graceful hawthorn. The slender hawthorn trunk and branches twist as the years go by. In winter they are particularly beautiful, standing clinging to misty wildernesses and craggy rocky outcrops, or clustered on open ranges of hills that their appearance is spectacular. Leaves and flowers appear simultaneously in May, signalling the change of season from spring to summer. Hawthorn flowers bloom in clusters, so that at the height of spring, rows of white froth run across the fields and mountains, a scene aptly captured by the English writer H. E. Bates as 'the fluffy cream floating in May'.
In spring, when the hawthorn flowers are in full bloom, the air releases a musky, sweet, rich fragrance all around. Small round berries turn burgundy in autumn.
In Ireland, hawthorn is still cherished as a magical tree protected by the fairy kingdom. Tradition has it that if you cut down a single hawthorn tree standing alone in a field or burial mound, you will lose your livestock and household possessions.
Hawthorn trees protect wells and springs as fairy trees. The beautiful flowers of hawthorn are also said to deliver prayers to the heavens. Even today, many people tie rags and other items to hawthorn trees standing near wells and springs, wishing for good luck or that their love will reach the person they love.
Before Christianity, hawthorn was the supreme fertility symbol and at the May Festival, people confided their love, danced to their heart's content and made love in the woods. Among the Celts, spring was the season for marriage, and it was customary to bring a bouquet of hawthorn flowers to weddings to ensure that the couple would be blessed with children.
In Britain, the earliest known hawthorn goddess was Olwen ('white footprints'), a woman of courage, wit and beauty. The well-known mythological tale of Culhwch and Olwen, in which King Arthur's cousin, Culhwch, overcame 40 impossible tasks that seemed virtually unattainable set out by Olwen's father, the giant king, Yspaddaden, and marry his beloved Olwen.
As the beautiful, white hawthorn flowers opened, people celebrated the power of nature and love to bring new life into the world and marvelled at the miracles of sexual activity, pregnancy and childbirth. For the Celts, sexual activity, pregnancy and childbirth were not something to be ashamed of, but an essential part of life and a sacred expression that one could love.
木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (15)
HはHuath (サンザシ) - 5月13日 - 6月9日
『5月の木〜 ケルトの木の暦(参照)の第6月』
色: ミッドナイト・ブルー; 宝石: ラピスラズリ; 性: 女性; 守護神: オルェン、ブロダイウェズ、カルデア、ヒュメン、セレネ、聖母マリア; シンボル: 愛+結婚、豊穣+出産、生殖、心臓
背丈が低くとげをもった優雅なサンザシ。ほっそりとしたサンザシの幹や枝は、年が経つにつれてねじれていく。冬になるとその姿は特に美しく、霧の立ち込めた荒野や、ごつごつとした岩の露頭にしがみつくように立つ姿、また広々と連なる丘に群れをなしている様子は、見事というより他はない。葉と花は5月に同時に姿を現し、春から夏に季節が変わることを知らせている。サンザシの花は群れを成して咲くことから、春の盛り、白い泡立ちの列が野山を縦横に走り、その様子を英国人作家のH・E・ベイツは、「五月に浮かび上がるふわふわしたクリーム」と的確に表現している。
春、サンザシの花が満開になると、麝香 (じゃこう)のような甘く濃厚な香りがあたり一面に放たれる。小さな丸い実は、秋になるとワインレッドに変わる。
アイルランドでは今もなお、サンザシは妖精の国に守られた魔法の木として大切にされている。野原や埋葬塚に一本だけぽつんと立っているサンザシの木を切ると家畜を失うか家財を無くすという伝承もある。
サンザシは妖精の木として、井戸や泉を守っている。また、サンザシの美しい花は祈りを天まで届けてくれるという。現在でも井戸や泉のそばに立つサンザシには、幸運が訪れるますように、あるいは好きな人に思いが届きますようにと願う大勢の人々が、布きれや品物を結び付けている。
キリスト教以前は、サンザシは最高の豊穣のシンボルであり、5月祭には、人々は愛を打ち明け、心ゆくまで踊り明かし、森で愛を交わした。ケルト人の間で春は結婚の季節であり、夫婦が子宝に恵まれるように、結婚式にはサンザシの花束を持っていく習慣があった。
英国では、サンザシの女神として最も古くから知られているのが、勇気と機転と美貌の持ち主、オルェン (‘白い足跡’の意)。アーサー王の従兄弟であるキルフーフが、オルェンの父である巨人の王アスパザデンが課した事実上達成不可能と思われる40の無理難題を克服し、愛するオルウェンと結婚した神話『キルフーフとオルェン』がよく知られている。
美しく、そして白いサンザシの花が開くと、人々は、新しい命を宿す自然と愛の力を祝福し、性の営み、妊娠、出産という奇蹟に驚きの声を上げた。ケルト人にとって、性行為や妊娠、出産は恥ずべきことではなく、人生になくてはならない大切な一部であり、人は愛することができるということの神聖な表現であった。
#trees#tree legend#tree myth#celtic mythology#celtic calender#hawthorn#may tree#magical tree#fairy tree#culhwch and olwen#legend#mythology#folklore#white footprints#philosophy#nature#art
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以前は「食べ放題」の料金は食事に対して支払うものだと思っていた。だから元を取った取らないで一喜一憂していた。しかし違う。「食べ放題」の対価は「自由」に対して支払われるのだ。量は問題ではない。財布のことを気にせず楽しく好きなものを好きなだけ食べることができれば、その時点で勝者なのだ
Twitter / @MobileHackerz (via 13py2)
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現金はあまり持ち歩かないから、フラグメントケースをお財布として使っています。
このポレーヌ、デザインと色の感じがすごく気に入ってて大好きなんだけど、たまに小銭を入れると絶対に挟まってはいけない部分に100円玉が挟まって、どうやってもファスナーが動かなくなるという困った事態になるんです🥲︎
めっちゃがんばってどうにかファスナー開けて…ってやってたけど、壊れそうだし本当に困るからこのたび他のものを買いました。
革の色とステッチの色がかわいいなと♡
手前のポケットが小銭入れ、L字ファスナーの部分は仕切りがあって、カードとお札を分けて入れられる。しかも外ポケットとファスナー部分の間もポケットになってるからそこにもカードやレシートが入れられる。完璧です💯💮
ロゴは裏面に控えめサイズで、そういうところも好み。MADE IN JAPANの刻印もある🇯🇵
サイトには使ってある革や糸のことまで詳しく書いてあって、職人さんがひとつひとつ作っているとのことなのでなおさら愛着がわく。最近そういうのが好き��す🫶
大事に使いながら革を育てていきたいと思います🤗
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*受験期の頃に書いた日記です
傷 kiss
友人たちが次々と大学に合格していく事実が今もずどんと馬鹿でかい劣等感と化して心臓の上で横たわっている、昨日も同じ夢を見た。不安な気持ちばかりが先走るけれど、かっかしていても何も変わらなかった。他人と比べて自分の優れていると��ろを必死に探していないと自己を保てない自分がほんとうにほんとうに惨めで、マスクが無ければたぶんぼろぼろ泣いてしまっていたと思う。心の底に横たわるみずうみが氷っていくの、口元が覆われているとそれだけで自分が自分じゃない感じがして冷淡になれた。わたしは自らの足音にだけ集中して、ただ早足で行き交う人々のあいだをすり抜ける。ずーっと頭の中を同じ映像が流れるのをむりやり切り落として、でんしゃを滑らせる線路をじっとみつめる。夕陽の光が錆びたその金をうつくしく縁取る様子が痛々しいくらいにまぶしい。受かった瞬間に内職をぱたんと辞める同級生。せーので問題を皆んな一緒に解き始めるとき、隣の子が必死に解答を隠すように背中を丸めて腕を机の上に伸ばす。そういうのばかり見ているとほんとうに、ほんとうに。言葉もでなくなってしまう。なにをそんなに誰かのことを気にするの?と、母の言葉が反芻する。光がまばらに散らばる街並みをみて、光も照らすものを選ぶのかしら、とかおもった。まいにちずっと罰を受けているみたいな日々、冬が近づくにつれて正気を失ってゆく街の様子にそれはもう痛いくらい同情してしまうし、ひたつやふたつ良いことがあっても誰かのそれと比べて自ら幸福の値段をどんどんさげてしまう。ずっとそばにいてほしい。幸福に値段なんてないよ、とかそんなこと言わなくていいの、わたしだってそんなことはわかっているし、いいの。天使とか悪魔とか神さまじゃなくて、ただわたしはわたしにそばにいてほしいし、そこにすきなひとたちがいてくれたらもっとうれしい。何も着ないでぶるぶる震えるわたしのからだを愛しているひとが白いバスローブで包みこんでくれたこと、カチカチに凍ってしまったアイスクリーム。減ってゆく数字。つめたいのにあつい、霧のカーテンの向こうに浮かぶ満月。目の前を歩いている女の子が落としたカードのようなものを拾い上げて渡す。肌寒くはないよ、いっぱい着込んであるから。舌に吸い付いた生ぬるい塩っぽさを誤魔化すために、瞬きもせずその息を呑んだ。
落ちてゆく流星群
不確かなものに心を揺さぶられながらもそれを掴んで決して離そうとしない自分の必死さに、自分で傷ついている。教科書を開いて新しい知識を得るたびに、脳内にびっしりと張り巡らされた細い糸のようなものがぴんと鋭く光って、しずかに緊張する。その感覚をわたしは思い出そうとすればいつでも思い出せるし、べつに勉強が嫌いなわけじゃない。ただ、生きているなあ、と、胸に広がるあたたかさを抱きながらそっと泣いたりする夜が少なくなった。そもそも生きていながら生きているという実感が欲しい、なんてことを考えている時点で可笑しい話かもしれないけれど。
中学の頃、冬になると毎年マラソン大会が開催された。今日みたいな寒い日にふと当時の怠さを思い出したりする。校庭の砂に石灰で大きく楕円が描かれ、その周りをひたすら走るだけの超つまらないイベント。冬の、鼻先をつんとすり抜けるような寒さと冷たい風の乾いた匂い。忍ばせたカイロと、白く上がる息。
このごろのわたしはちょうどその延長線上を生きているような感じがする。毎日同じ景色の中をぐるぐるとまわり続け、いっそのこと軌道から外れてすべてを諦めてしまいたいと思うけれど、そんな勇気も出ないまま、結局は体力と時間だけをひたすら消耗しながらゴールへ向かって淡々と走ることしか出来ない。気を緩めると涙がぽろぽろ溢れてくる。生きているという事実だけでくるしい。日に日に遠のいていく同級生の背中がいつだって意図せずとも視界に入ってきて、やるせない気持ちになる。地に足付かずでいたい、なんてことを随分と昔に書いたような気がするがとうとうそんなことも言えなくなってしまった。未来のことを考えましょうと言う先生の言葉を聞くたび、わたしは勝手に銃口を突きつけられているような感覚になる。もはや自分が果たしてどこにいるかもわからない。
来月には部活の大会を控えているし、予備校の冬季講習に加えて学校の講座を受けないといけない。三者面談と進路選択。期末試験。呑み込めずに舌の裏で転がるC判定という言葉を噛み砕くのにまだ必死なのに。
やりたいことを一つに絞るということは、それ以外を切り捨てるということ。ここから気になる大学を選んでくださいと、大学の名前と学科の一覧が記載された辞書のように分厚い本が配布された。今のわたしには、その厚さの分だけ未来の選択肢がある。そこに記載されている言葉の数だけ莫大なあたらしい世界が。そこから否が応でもたったひとつのものを掬い上げないといけない、その事実が少しだけ重苦しい。けれどそれに値するほどの価値が、これから先の時代を生きるわたしにあるということが同時にちゃんと嬉しい。
疲れた、という言葉にふさわしい努力をしていないのに、毎日すこしずつ疲れている身体はまさに地平線すれすれを生きているような具合で、わたしには喜びのほんの些細な���韻に浸れるほどの余裕もあまりない。なのに、そういうときに限って世界の美しさはいやに眩しい。たくさんのことを書き残したいと思うけれど降ってくる感情をひとつずつ捉えることはそう簡単なことでないし、そのくせして必ず少しの苦しみを伴うのだ。インターネットさえなければ言葉に残せなかったことを後悔することなんて無かっただろうに、それでも縋ろうと踠きながら残すべき自分を探してしまう自分をわたしは可哀想だと思う。わかっている。
もう秋も終わってしまう。寒いね、寒い、とぽつぽつ浮かんでくる言葉を拾いながら、誰かと手のひらを重ねたい。人と比べてしまう限り、わたしはこれからもずっと孤独をひとりで噛み締めないといけないから。胸をきゅうとさせる寂しさにもそろそろ慣れてしまいそうだから、はやくすべてが終わってほしい。はやく好きなことの勉強だけに追われる生活がしたい。そういう思いでひとつずつ過ぎ去っていく毎日の、行き場のないもどかしさも冬の寒さに凍ってしまえばいいのに。ううん、ほんとうはわたしが自分のからだで寒さを耐え凌いで、自分の力だけでもって愛すべきものたちや些細な記憶を守るべきなのだ。だけど、それが出来るほど強くないだけのこと。
無題
銭湯に行きたい。受験して、でもいいところにひとつも合格しなかったら巫女のアルバイトでもしながら京都で浪人生活をしたいな、とかんがえていた。ひさしぶりにおふろで哀しい音楽を聴いた。なんでもない日に哀しい歌をきくと、より一層哀しさが加速されるというよりなんだか心が細く研ぎ澄まされていく感じで今までの日々がきゅうっと音をたてる。雑巾をさいごまで力強く捻って絞り出す汚水、長距離走の最後の2分間、なみだが出る前の喉元になにかが込み上がってくる感じ、そういうの。とてもぼろぼろなんだけど、それと同時になにか澄み渡っていくものがある。だれかのがんばりと比べると劣るかもしれないけれど、ようやく夏も終わろうとしていることに救われる。ふつうの日々が、たくさんあつまって束になる。ぺたぺた歩く、濡れた髪にドライヤーをあてると耳の中に残っていた水があったかくなってきもちわるい。わたしは顔が良いわけでも、精一杯の力で努力できる力量もない。かといって特別な才能だって持ち合わせていないし、たまに数え切れないほどきらきらしたものを抱えている人をみると妬みと自分への劣等感で自らを押し潰れてしまう。だれかの人生で自分自身が、自分のうみだしたものが、かけがえのない財産になれるってとてもうつくしくてズルいと思う。数字がどこでもすべてにレッテルを張るから、それなりのレッテルを貰えなかったらどれだけ美しいものを持っていても誰にも見つけてもらえずにおわってしまう。わたしはそれを未だ求めてしま��ほど本当は幼稚で、幼稚で可哀そう。ねえこういうのって黒歴史になっちゃうと思う?今年の夏は滝をみるはずだったけど、それすらまぼろしになっちゃった。ずーっと空白の未来の下準備を重ねているような現実から離れて、すこしはずれた小さな町で虫捕りしたり桃を買って丸噛りしたりしたかった。大学に入ったらどんなひとがわからないけれど、自分がもっているものと同じくらいのものをもっている人がいるのかなと思うとすこし楽しそうかもという気持ちになる。免許を取りたいけれど友だちにありじの運転は危なっかしそうだから乗るのこわい〜と言われた。そういうふうに笑ってくれる友だちがいるだけで、わたしはもうすでに色々な人の中で財産なのかもしれない。そうじゃなくても、かけがえのないものに出逢えるきっかけになれているかもしれないと薄ら感じてしまってまた胸がきゅうってなる。だれにもわからないことがあっても、言葉にされない何かがあっても、それを価値のないことと結びつけることは暴力じみた愚行かもしれない。自分の中にもまたいろいろな自分が内在していて、自分でも翻弄されてしまうことがあるし、文章を書いていても一貫性がなくて凛としない。英文法の参考書をぱらぱら眺めていたら、into the blue というのがあった。遠いところへ、彼方へ、という意味らしい。あーあ、しんじゃいたいね。
無題
予備校が終わって帰ろうと駅へ着いたけれど、次の電���が10分もあとにくるのでホーム内にある明るい禁煙スペースに入る。寒くなってきたので制服のブレザーを卸した。おおきな硝子に自分の閉じた長い足が映る、ひとが一人ずついなくなっていって、さいごには結局がらんどうの箱のなかでひとりただじっと電車を待つことになった。曖昧な形の◯とか△とか、がさがさ、つやつや、さらさらとか、そういうふうに不確かな輪郭だけ残してことばが次々とその形を変える。一つずつ掴んで物語を紡いで美しく完結させたいのにビー玉とか乱射する光みたいに思い浮かんだことすべてが一種の暴力を伴って脳内を猛スピードで駆け巡る。すぐそこにあるのに実態がわかんないし、むかつくむかつくむかつく、自分を飼い慣らすことでさえこんなに疲れる、もうだれとも話したくない、と消化しきれない感情がずっと身体の皮膚の内側のいちばん近いところで叫ぶこともできずにちりちりと火花を放っている。ロックとかやさしさとか愛とかそういうのぜんぶ病名みたいなものなのかもしれない、ひとつの感情にもその後ろにはそれをそれたらしめる色〜んな歴史があるし、たぶんこの不甲斐なさもいつかコピーペーストを重ねるうちにすこしずつ美化されてしまう。線路にわざと隙間があるのはとりわけ夏あたりに摩擦熱で鉄が溶けてしまわないようにするため、というのを授業できいた。��ちがちに隙間のひとつも有さずに固められたものがいちばん揺るぎないもののように思えるけれど、実はちがくてそういうのが最も脆いものらしい。ともだちにしろ恋人にしろ自分の将来とか自分のアイデンティティも然り、全てに対して揺るぎなさ、安定とか、そういうのをひっきりなしに求めていたけれど、もっと流動体のような観念で受け止めたい。ずっとそこにある月でさえ欠けたり満ちたりするし、花の一つをとってでさえその形や色はすべて毎日かわってゆくけれど、それはそれらが美しくないことの理由付けにはならないし、信用に足らないことの言い訳にもならない。情報として飛び込んでくるいろいろなものを変に調律したり濃く輪郭をなぞったりするのではなくて、ぜんぶ自分のもっているものの周りに飾っていきたい
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代官山のクラブで大学時代のサークルのDJパーティ。クラブでは絶対にレッドブルウォッカを飲む、なぜならクラブっぽくてアガるから。会えていなかった先輩たちと久しぶりに飲み交わす。
懐かしかった。キャンパスで音楽を爆音でかけて、宝焼酎なみなみ注いだ「ばくよい」作ってへべれけで大騒ぎするのが常だった。これを話すとたいてい「チャラい」なんて言われるけど、よくある大学生男女のマッチングを内包したサークルではなくて、ただただ音楽とパーティが好きな人たちだった。ところ変われど選曲は横浜僻地のままで安心する。
2019年のわたしが恋しい、とかよ先輩に漏らすと、でも2019年の〇〇ちゃんはいまの〇〇ちゃんみたいになりたいって思ってたよ、と返された。
たしかにそうだった。いまの私は、2019年の私が焦がれていた姿そのものなんです。大都心に住みたかった。キラキラした会社で働きたかった。見たい景色を自分で掴めるようになりたかった。あのときの粗い解像度で夢想していたものはたいてい手に入ったいま、21歳のあの子は、私になりたくて嫉妬したはずだった。クラブでどう振る舞えばいいのかわからず周りの視線を窺いつつ、お財布を気にしながらお酒の杯数を数えて氷が溶けきるまで啜っていた私は、いまの私を見たらびっくりしちゃうんだろうな。
でも、あの子が羨ましい。どんな人と会ってもたのしくて、どんな人と会っても満たされた。自由に東京の人の海を泳いで、ときめく瞬間の欠片を拾えていた。2019年、ティンダーの人と会い続けていた私のスプレッドシートのログを見返して、ひととの邂逅に身を挺していた高揚を回顧すると、眩暈がしそうだった。あんまり華やいでいて。
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#日常
書店の話、つづき。
そんなわけで、近くのチェーンの書店には足が遠のきつつあるんですが、最近はこの近辺にもこだわりの個人書店がぽつぽつとできてきて、訪れてみるとこれが中々面白い。
先日、各務原のカクカクブックスさんに行ってきました。
駐車場はあるようだったけど、道がだいぶ狭そうだったので、各務原市民公園の駐車場(3時間まで無料!)に止めて少し歩きます。
���み入った住宅街の中に突如現れるカクカクブックスさんは、新刊と古本の両方を取り扱う書店。あとZINEも置いてあります。チェーンの書店よりはるかに狭い店内ですが、エッセイや日記調の本の取り扱いが充実していたり、あと猫のいる本屋さんということもあり(私が訪れた時には店内にはいませんでしたが)猫本のコーナーもあります。それがまた私の好みに刺さりすぎているんだなぁ!
というわけで、迷いに迷って4冊まで絞って買ったのですが、他にも気になる本がありすぎる。しかし読む時間が中々作れず積読が溜まる一方。そして本棚のスペースもなくなる一方。財布もそれほど余裕はない。というないない尽くしなのでとりあえずの厳選4冊です。1時間ぐらい迷いに迷ってウロウロしていたと思う。
こういう個人書店さんって、店主の方の好みや想いがモロに出てくる選書なので、合わない人にはとことん合わなさそうだし、逆に好みが合致すると「ここにある本全部欲しいです」状態になるんですが、今のところ近隣で私の好みに一番合いそうなのがこのカクカクブックスさん。ちょっと自宅から距離もあるんですが、これからも通うぞ……私は……通うぞ……と心に決めたのでした。あといつか猫ちゃんにお会いしたい。(2回訪れましたが、今のところ空振りです)
そして帰り際に、駐車場の近くの、カカミガハラパークブリッジ内のアジャーラーでチャイをテイクアウトして帰ったのですが(子連れじゃないと中々入りづらい立地でしたが、何とか入った……)このチャイが本格的な味(=好みの分かれそうな味)で、甘苦いスパイス感が最高でした。
カクカクブックスさんからのチャイテイクアウトの流れ、またそのうちやりたいものです。その前に積読を片付けねばならないですが!
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クレイジーギャング
退職するなら冬にしよう。夏はお花がないから。好みの花束はもらえないだろう。
最近は枝物に目覚めたので、お家に入ってすぐ一番に目につくところに1m弱ぐらいの超立派なドウダンツツジを活けている。ちなみに50cmぐらいにカットした短いドウダンツツジも別の場所に飾っているけどそれはそれでまた違う表情があっていい。あとはスモークツリーと、適当に選んでもらった生花を少し活けているので私は毎朝4つの花器の水換えをする。百合の花粉を落としたり、要らない枝を剪定したり、毎朝楽しく過ごしている。
枝物は日持ちが長いのでまだまだ楽しめるのだけれど毎週花屋に通っている。先週は土曜も日曜も同じ花屋さんに行った。最早狂気の沙汰。車で30分ほどの場所にあるので切り花の寿命と季節を考えると近くは無いけれど、とにかく接客が良くて店構えもおしゃれ。置いてあるお花も好み。自戒の意味も込めて、DADARAYの花は買わないを聞いている。(そういう曲では無いけれど)聞きながら昨日はバラフェアをしていた小さな花屋さんに行き、バラは好きではないと言って困らせたりもした。でもそのお店で選んでもらったお花もすごく素敵だったから、また近々行ってしまうんだと思う。駐車場がすごく停めにくく常に満車なのが難点だけど。
そう、結局のところお買い物に狂う時ってありません?という話だ。最近の私は花と服に狂っている。少し前は下着と靴に狂っていたのに最近はピンとくるものがなく、あったとしてもサルートの受注生産の上下4万超の下着だったりするのでうむ……と考え込んだりしている。下着マニアをずっと公言してきたけど、私下着に4万出す勇気はないのだなと天井が知れて少しだけほっとしている。
服は最近よく目が合う。むかしおしゃれな人が服は喋ると言っていたけれどまさしくという感じ。最近の口癖は絶対買うと買わない理由がない、である。ペットボトルが入らないカバンは買わないとか、オールシーズンなるべく使える服を買うとか、手持ちの服と合わせやすいものとか服には制限をいくつもかけて吟味していたのに、うるせえうるせえとバンバン目が合った子を持って帰る。そして小さな財布しか入らないカバンや、どんな服と合わせるんだという紫のバングルをうっとりと眺める。幸福。
あとは買い物では無いけれど、ここ1ヶ月ほど図書館にも足繁く通っている。好きな図書館が平日は遅くまで空いてるので、仕事が早く終わればその日に貸し借りに行ったりもする。少なくとも週1では通っている。とうとう読みたい児童書が無くなり、それでも小説を読む元気がないので、最近は専らエッセイばかり読んでいる。児童書にしろエッセイにしろするする読めるので、私は貸し出し記録をみるに、この1ヶ月半で50冊ほど本を読んだことになるらしい。一応1月からの繁忙期がようやく一息ついたのでやばいなーと思う。忙しい時期でこれなら暇になったら何をすればいいんだろう。またルパン300話みようかな。あんまりにもおもしろかったから、近々観たくなるだろうとdアニメストアは解約してないことだし。
思えば年明けはスキンケアに狂っていたし、いつも何かしら狂っているような気がしてきた。女は皆正気じゃないとはまさしく。
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まりーごーるど
当地に移住しさまざまな野菜栽培をするようになってしばらくすると、ニンジンや夏野菜に根瘤が多く観られるようになってきた。線虫の仕業だ。それまではまったく意識していなかったのだけど、限られた圃場の中ではどうしても連作が避けられず、次第に特定の病害虫の影響が顕著になり、対策必須な状況となった。
線虫については専用の農薬があり、それを使うのが一番手っ取り早い。実際に被害が酷い場所には緊急処置的にそれを投入しているが、いかんせん値段が高く、無収入の私にはふんだんに購入して散布する財力はないのよね。
そこでマリーゴールドを試してみようとなった。このキク科の植物が分泌する「α-ターチエニール」という物質が土壌の有害線虫に毒性を示すらしい。花は観賞用にもされるから種の入手は容易だし、価格も安い。農薬とは比較にならない程の低コストだ。
個人出品者から他の野菜種と一緒に購入したマリーゴールドの種は混合種だ。初めてで効果の程もよく解らないから、まずは試してみようということで種類に拘わらなかった。春先にポットに播種し、しばらくして発芽、成長して定植をする大きさの頃には早くも花が咲き始めた。
花の色は株によって赤だったり黄色だったりで異なるが、さらに模様のバリエーションもいくつかあるようだ。いずれにしても一重咲きで余り高くならない丈の特徴から「フレンチ種」だと思われる。ちなみにアフリカン種は花がボールのようになり、草丈は1メートル程にもなるらしい。
草体からは独特の匂いがする。花を見るのは好きでもこの匂いを嫌う人は多いようだ。私はどちらかというと好きな匂いなのだが、いかんせんそのパワーが強烈なのよ(笑)。まあ害虫退治にはそれぐらいじゃないとね。
花の寿命はせいぜい1~2週間だが、ドンドン増える脇芽から次々に蕾が出て花が咲くから、株全体の開花期はとても長い。上の写真は12月の状態だが、まだ沢山の花が開花している。この間にも結実した種が地に落ちているので、2年目からはそれなりの量が自然生えしてくる(ポット蒔きと比べると発芽確度は低い)。
さて肝心の防線虫効果について。有害線虫除外成分は根からも分泌されるので、対象野菜と混植するだけで効果があるとされている。そこで初めの年は畝の両端に1~2株ずつ植えて試したが、畝の大きさに対して株が少な過ぎたせいか十分な効果が得られなかった。なので翌年、自然生えした��も使い畝の半分に狭い株間で密に植えてみたのだが、今度は多過ぎて肥料奪われたか混植しているメイン野菜の育ちがイマイチに(苦)。
そんなわけで、次回は程々の量の定植に留めようと反省しているのだが、とりあえず大量に育ったマリーゴールドが目の前にあるので、これを土壌にすき込んでやることにした。剣先スコップで畝に一定間隔で穴を掘り、初冬でもまだ綺麗に開花している草体にやや躊躇しながらも引き千切りその穴に放り込んでいく。
最近流行の微生物資材などを一緒に放り込めば分解は早いだろうけど、それにコストが掛かったら意味がない。初夏に夏野菜を定植するまでにはまだ半年程有るわけだから、何も急ぐ必要ははないのよ。ただ根だけでなく葉や茎、そして花まで全て土壌に入れるから、有害線虫の奴らにはこれまでになく有効な打撃となるだろう。そんなことを考え、ほくそ笑みながら土を被せ埋め、最後にたっぷりと散水した。
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《深夜の散歩が好きな方必見!夜道で猫を探すバイト 11月9日(土)1: 30~4:30(休憩なし)¥7500》 11月7日、アルバイト探しの求人アプリ『Timee(タイミー)』にアップされた、そんなアルバイトの募集に「闇バイトの募集では?」との指摘が相次ぎ、波紋を呼んでいる。 「冒頭の文言でアップされた募集は、11/8(金)~11/14(木)の期間で募集されたものでした。募集主は、業務内容の項目では『指定された道を��り、猫がいたところを地図上で印をつけるだけです! ※情報漏洩防止の為、携帯電話や荷物を預かります。その為なるべく軽い荷物で来るようにお願いします。作業時間、ご自身で管理していただくのは財布と筆記用具のみになります。』と説明。 また、働くための条件は『指示やお願いに素直に行動できる方』、働く場所は『東京都台東区根岸(その後、番地まで明記)』などと書かれていました。常識的に考えれば、どう考えても怪しさしかない求人です」(社会部記者) この募集がタイミーにあがると、X上には、 《タイミーのこれ、闇バイトで強盗する家探しにしか見えないんだけど、、、気のせい?》 《むしろ猫探しなら連絡取り合わないと無理じゃん それを没収とか絶対違うもんさせるだろ》 《猫って隠語でレクサスとか高級車のことやで》 といった声のほか、 《タイミーの担当者はこれをよく承認したな》 などの意見があがった。裏社会に詳しいライターはこう語る。 「確かに反社や半グレの世界では、防カメ(防犯カメラ)のことを『猫』と呼ぶことがあります。一方で、アルファードなどの高級車を『猫』と呼ぶこともあり、今回の募集内容だけだとどちらを指すのかわかりません。いずれにしろこの件が、“まともなバイト”である可能性は少ないでしょうね」 募集を見た人の中には警察に通報した人もいたようで、同求人は8日までに削除されたようだ。さらに、「タイミー」を運営する株式会社タイミーと、同社の代表取締役・小川嶺氏は8日にぞれぞれXを更新し、事情を説明した。 タイミーはXで「タイミーの闇バイト対策についてお知らせ」として、 《タイミーでは、求人を掲載する事業者のチェックと、求人内容のチェックを中心に闇バイト対策を徹底しています。求人内容は、勤務日までに全件チェックする体制を構築しており、怪しい求人は掲載を止める措置を講じています》 と説明。さらに 《タイミーのアプリ内には「通報ボタン」もあります。ワーカーのみなさまも怪しいと感じた求人内容があったら通報ボタンでお知らせしてください。もしも、募集の内容は通常だったけど、現場で違和感を感じたらすぐに勤務を終了し、通報ボタンでお知らせください》 などと注意喚起を促した。その約1時間後、小川氏もXで 《昨今話題になっている闇バイトの件、ご心配お��けしており申し訳ございません》 と謝罪し、タイミー社としての対策を説明。 《引き続き安心安全なプラットフォーム運営を最優先に取り組んでまいります》 などとつづった。しかし、小川氏のポストに対しても、 《勤務日までとか遅すぎます。応募した時点で相手に個人情報伝わるんですよ?闇かもと怪しんでも上場のタイミーだし応募してからキャンセルしたらペナルティーあるしでやっちゃう人増えると思います》 《これって掲載前にチェックするべき案件ですし掲載停止だけでなく警察への通報としていないといけない案件なのでは?反社チェックしないで反社と仕事していたという事ですよね?》 《手軽さを優先して、大事なものを後回しにした結果ですね。怪しい案件、エロい案件たくさんあります。ワーカーさん達はとても詳しいですよ。このままじゃ悪の温床になりますよ》 など、厳しい声が複数寄せられている。 「タイミーは『現場で違和感を感じたらすぐに勤務を終了し、通報ボタンでお知らせください』などと言っていますが、はたしてそれが簡単にできるのか疑問ですね。闇バイトの指示役たちは、募集してきた者の身元や家族構成などを把握して、一度足を突っ込んだら逃げられなくしてしまうのが手口です。 11月5日に東京・葛飾の強盗傷害事件で逮捕された男も、一度は拒否したものの『ここで引き下がるな』と脅され、犯行に及んだと供述しています。そもそも危険だったり怪しい求人は一切載せない、募集側の企業のチェックを徹底的におこなう、といった対策が必要でしょう」 同社は過去にCMで「本当の出会いは書類や面接では生まれない」とアピールしていた。タイミーでいらぬ出会いがないといいが……。
「よく承認したな」タイミー “猫探しで7500円”怪しすぎる募集に「闇バイト」疑惑…代表が謝罪も厳しい声 - ライブドアニュース
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興味・関心の低下について
子供の時からぱっとしない成績で、小学校から持ち帰るあゆみ(小学校の通信簿)では△〜◎の3段階評価のうち真ん中の◯ばかりが並んでいた。国語や体育は◎が多かったが、特に算数などは△になることもしばしばだった。
当時のあゆみで納得いかなかったのが、「興味・関心」という項目だ。物事への興味なんて自発的に持つべきもので学校教育に強制されるべきではないのに、退屈極まりない算数という科目に興味を持てないことで評価を下げられるのはおかしいと子供ながらに不服だった。自分の興味は主にクラスメイトの誰と誰が両思いとか、学校で飼っているうさぎの世話とか、ポケモンのアニメとか、今日の欠席者の人数からいって給食でデザートのゼリーは何個余りそうかといったことに向けられていて、大人の作った勝手な評価制度で己の関心を採点されることに納得がいかなかった。
それから約20年。今となっては、物事に興味を持つこと・持ち続けることが難しい。
たとえば読書ひとつとってみても、いまは読める本のジャンルがかなり限定されてしまった。受け付け���のはエッセイや新書ばかりで、以前好きだったファンタジーや恋愛小説はどうせ自分の人生に関係のない作り話と白けてしまい最後まで読み進めることができない。誰と誰が結婚したという話を聞いても、他人の人間関係に露ほどの興味も湧かない。たまの休みも疲れるのが億劫で外出もせず、かといってゲームを起動するのも面倒でただ布団に寝転がって手頃なYouTube動画を流し見して一日が終わる。
なにかに熱中できることは、それだけで財産だと思う。時間を忘れるほどに楽しめる趣味があるのなら、それは何を注ぎ込んででも続けるべき価値がある。
中島らもは自身のエッセイの中で「一人で時間を潰せることを教養という。教養のない奴が酒や薬やギャンブルにハマる」といったようなことを書いていたが、まさしくその通りだと思う。ジャンクフードのドカ食いなんかもそうだが、自分で自分を喜ばせる手段を知らない人間は興奮そのものを目的に不摂生な生活習慣へ陥る。低俗な暇つぶししか知らない人間に比べたら、趣味を熱く語るオタク達は選ばれし高等遊民なのだ。
三十を過ぎても何かひとつ寝食を忘れるほど熱中するものを持てない一般人は、おとなしく結婚して子どもを作り、その成長を何よりの喜びとして生きるべきなのかもしれない。私のように無教養で飽きっぽく感性に乏しい人間にとって、生殖は遺伝子に組み込まれた最後の娯楽なのだとしたら、これを拒む理由があるだろうか。
生まれてくる子供にはかわいそうだが、ここはひとつ親である私の人生を豊かにすることを目的に、彼・彼女には腹を決めてこの腐った世に産声をあげてもらうべきなのかもしれない。太宰治が言った通り、この世界では「子供より親が大事」なのだ。
長らく反出生主義者として過ごしてきたが、思想の転換をすべきか、といったところがここ数ヶ月の主な悩みである。反出生に至った経緯については、また自分の感情の整理のためにまた改めてまとめることにしたい。
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昔の日本人はダジャレ好きだったようで、呑兵衛の世界にも益々繁盛→升升半升→2.5升のボトルなんて贈答用のアイテムが存在する。4.5リットル。
Xユーザーのながはな@財布なくしたさん
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