#虫刺されの土産持ち帰る
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2022年12月13日
暗闇 見つめている二重らせん 週刊誌の最後のページ 孵化する 孵化させる 目が覚める からっぽのまま 赤ん坊の手を握る 哲学ニュース 強度 占星術師 と打ったら変換される 性占術師 学生時代 最も力を入れたこと 死は幻想である 愛、あ、あ、あ、名前を教えて なりたいもの わたしが 明るい世界 明るい未来 クビになったドラッグストア 礼拝 お好み焼き チューニングの狂った 歌 聴こえなくなるまで 聴こえなくなるまで featuring あなたのこと 声 死について って誰も知らない経験していない から 駆け込み乗車 禁止 お兄ちゃん お兄ちゃん 扉を開けて 機内モードで延命する アジテーション はやくしたい 遅く 結婚 まん防 イデア的には ずっと一緒がいい よね 今だけ無料 アジテーション テナント募集 の 看板 らすとくりすます とぽろじー 言葉で考えるのをやめる あ、あ、あ、 図式化 ズキズキする 監視されていた 白い部屋 女衒 パッチワーク フランケンシュタイン みたいに 愛と幻想と 愛と幻想と 糸 ほどけていく ことを想像する ジャスミンを銃口に 営業系総合職 死んだ瞬間の聴覚について 死んだ瞬間の聴覚について のように のように さようなら 魔法少女 ハートフィールド 歌う メヌエット ピーチ姫の テトラポット アストラル界 あなたの 吸い込まれる ダム 死体画像 すぐ会いたい女子が急増中 アカツクシガモ 京都市植物園 振り回す キャリアチェンジ された アルバイト する このサイトにアクセスできません と 声が して振り向く 昨日 のことを覚えていない 迷宮 のようだと うわさのベーコン クルトン コーラ・パール ゾラ ほら、と 初音ミクの額から垂れる汗 花園神社で 迷い込む 見世物小屋よ 一生バイト ポケットモンスター 正解を引き当てるまで やる気が出ないな 英単語帳 ランボーを読んでしまったなら ロックンロールはそう ホテル暮らし 空調の音 Jアラート 星座を結ぶ ロックマンエグゼ lain rain ruin ビスク・ドール 野良犬 奈良へ向かう列車 アーレント 現実感 人生攻略サイト 灰と は 意図 思考 回路の中を むさぼり食う 吸う 空気 止まった ままの 子宮的な エリア 嘘をついたまま死ぬ のね ルビンの壺 12ポイント stray sheep と 動詞動詞動詞動詞 同時的に 田中角栄 魔人ブウ 犯す 壊す 作る 波打つ わたしは 殺す 生かす 咲く 咲かす ライフハック 死 冷蔵庫 咲かす 飛び立つ やわらかく もやもやと ばたばたと 解毒する 夏休み 向日葵 消滅した 蝉が鳴く なく 無く 咲く さ さ さ 教育する アナイス・ニン 逃げ出す 逃走する 闘争? 領域を広げていく 閉じる 閉じこめる 閉じ込められた 布団の中 宇宙のように 宇宙そのもの 高橋まつり 滅びた 100年後のことを考えて 文章を書く 脳みそから溢れ出した 白い水着 黒いタイツ 道化のように 大天使のように 借りる 回帰する アカツクシガモ 成長すること 天秤のことを考える by this river ラブ&ポップ 脳破壊 快楽 シャドウ・ワーク 子宮口から この世界の果てまで 共同体 忙しい 忙しさ exclusive みんなのレビュー 連帯 証明するために ランキング もっと欲しい あなたらしい 瞬間に 祈る手 summer 上映する ロングヘアー 偏差値 ピアス 18個 生き延びる ラリる 刺さった 反射した 発射した 家畜人 ホワイトノイズ 空間 依存症 白い 微分不可能な やわらかい その曲線 エゴサーチ バーモント・カレー 姦淫する 階段 聖書 夢の中に出てくる 中島らも 他人の日記 読む 話す 歌う ような気がする そんな感覚が 一時間天気予報 ペヨーテ ぐるぐる回る 永久に 永久的に 結びつけた 途端に壊れる ぱりん、と ふらっと 消えちゃいそうな気がする 意識が高い 高低差 風圧 やさしい言葉 インターネットのグロサイト 巡る 再度 巡る 繰り返していた クリスマス サンタさん 産道 乱視のまま 今日も生きている 息をする あらゆる 虹色の 永久に理解されることのない強度 氷点 貯金やダイエット レポ漫画 面白くなる 国語辞典 解剖する やまい、だれ 芽殖孤虫 ひらひらと 眠る ゴミ出し 擬音一覧 シーシュポス 間違った注文 集める 女性が一生で排卵する卵子の数は400個~500個と推定され 細胞膜 ずきずきと 痛む手 うつらうつらと その指で 欺瞞 マッサージ されたまま死ぬ アイライナー いつかは終わる 旅 続いていく 気持ち悪い、 と少女 折りたたみ傘 出会う 解剖学の教科書 ホーリー・マウンテン もやし 食物繊維 的な ひらく 伸びる 匂いがする 恥丘 裏切る 一本の木 待ち続けている 市民会館 明かしえぬ共同体 ムーミンたち ムーミン谷へ 向かっている ヤツメウナギ もし仮にそれが ハッとする 気がつく 失う 海のそばで グランドメニュー 幽霊 ピアスの穴 カッターナイフで切る 舌を 下へと 血が出る 地が出る前に ここからいなくなる 踊る 大雨の中 浴びる 天高く 土砂降り もっと 濡れてしまいたい 溶ける あらゆる種類の動詞 固着した エディプス・コンプレックス 身体を売る 眠りにつく べたべたした くすぐる 太もものうぶ毛 のように 行こうね ずっと一緒に 逆にする 黒板に描かれた 天使と怪物 流れとよどみと 恋と革命 そのままの 君でいてね イデオロギー それとも 触れる 手に 手のひらに その温度を そっと撫でる ように見える 青ざめた 顔 目で 浮き上がる 物流倉庫会社 キスをする どこにも行けない どこにも行けない 憂鬱な夫婦 中絶用の 願いを書く 七夕 永遠に落ち続ける夢 人生ゲーム 青いピン そのように 性行為のやり方 鍵付き完全個室 運動会 発熱 保健室 はつなつ 人生経験 終わりゆく 肉の厚さ 海馬 言語野の 衰退 ダウンロード数 数えていた 新しい生活様式 リズム 物語ること 豊かな 再生回数 氷 覆われる 世界すべて 素数のように 感じる 解体 怒らない? 起こらない、何も 可能性が失われていく 研ぎ澄まされていく 失われていくことで 何者かになった その平らな牧場 忘れてきた お持ち帰り する 立派な 飛び降りて 刻まれた 胎児のように さえぎられる 海岸には小屋があって 喧嘩をする 白鳥 食べられる 汚い 穢れてしまった 純粋なもの 銃を撃つ 一発 チェーホフ、どこへ行ったの? と母親が階段を上がってくる 切符をなくしてしまったままで 生き続けている気がする 少女には 晴れ 絵日記は かすれてしまった とうに 音楽にはならない 寒天培地の上で 有性生殖する していた した方がいい 人生経験 ペットボトル HPVウイルス 頭のない 風邪総合 目をさます 神経系 ポーチの中で 白い粉になった 睡眠薬 遠くの方へ、遠くの方へ 並べられている 全校集会 鳴らされて 走る 望遠鏡を 覗き込む もうすっかり 子宮頸がん 夢中になって 標本にする どうやって? 悟りについて 五億年ボタン 走馬灯 一週間くらい考えてもいい? 愛妻弁当 ぷっちょ の容器でオナニーする カンブリア紀の 海中生物やわらかく モニターの奥 夏の光 ぴったりと 豊かに 遅延しながら 本間ひまわり いま、を指差す指の先 爪の長さ 変わって 一括見積もり ふざけているのではなく 頭痛 左側 ありがとう こんにちは おはようございます それは愛ではなく の ような 夜行バス 棺 出生外傷 の あなたは ロビンソン トリップした 虹色の女 devenir ひだ 開く 一枚一枚 めくっていく 匂いがする 工場の赤ん坊が コンクリート 嘘だった あてのない 意味のない 海 潜り続ける 潜水艦の中で 夢を見ている 象徴的に もっと速く 飛び立つ 自壊したい 鯛 平らな 館内における密を避けるため 破れた 四つん這いになって するだろう 想像 するだろう 未完のままの もはや戦後ではない 未亡人 ぷろ、ぱかんだ 重量と恩寵 根を 肉体が壊れていくのは かもめ 肉塊 台風が来る前の夜 アオカビ もっとたくさんの地獄 天国は通り 過ぎては消えていく スーツの人が通り過ぎていったあとの 匂い 大人の匂い 食器返却口 この席の使用はお控えください アルコール消毒 セーブポイント 豚 のような女 と 猿の ような 男が出会う 死体ごっこ バラバラに 組み合わせる 英単語帳の例文みたいに 死に近い コンクリート 裂け目 洗浄液 メリークリスマスの Yahoo知恵袋 真理があると言われている そこにある 死んだあと魂はどうなるの? と子どもが尋ねる 何グラムの 前世の記憶 当たり前の事 トンネル 潜り抜ける音 夢の中の休憩所 自動販売機 光 光 夜の闇に飲み込まれないように コンビニエンスストアは灯台として 鳴りやまない 崩れていく 昨日 来ない 来ている すでに いま 冬の ま、ふゆ ま 電気ストーブ あたたかく すりつぶす 通勤・通学 するための列車 眠る 折りたたまれたヒダ 予言する 1999年 産まれ た 朝 ねむる ねむる もっとよくなる 地方都市
夢の中では 現実的な 現実的なもの 親ガチャ 100年後の 2000万年後の 想像していてね 空っぽの脳 おばさんが入ってくる大量に 魚 飛び跳ねる 誰も見ていないところで 老人の声はデカい 無が無限に膨らんで 恒星たちは爆発し きっと届かないまま ゲーム実況見ていた 二年間 だった気がする だった気がする この区域で路上喫煙をすると 一千円の過料が科されます と どこかに書いてあった 教科書に落書きをしている間に 終わっていた もっと濡れたい 雨に 幼形成熟 恋と革命のために 太郎 花子 由香 香織 紗耶 話題のツイート 温泉むすめ 逃れてゆけ 逃れてゆけ 自撮りしているふたりを 見つめる 目 目玉 浜辺で 白く 白く 白く 白く 境界線はほどけた もう一度 あまい 糖衣錠 統一的な 像 増殖する お支払い方法 まとめサイト この世界の秘密 ねじれたソーセージ 青い 白い 脆い イオン・モール 迷子になる 歌を歌う 歌っていた 冗談でした あらゆる 情報商材のために すべて ひとつの 自己啓発 は はいいろの ノイズで
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フィールドミュージアム当日
ついにやってきたこの日!
子どもたちが楽しんでくれるだろうかと内心ハラハラドキドキが止まらなかった。
場所を確保するにあたり
入り口を押さえることで入った瞬間に「やってます」と大々的にアピールできる。
配置も短時間で考えて遊び終わるまでの導線はスムーズにできた。
お土産交換所の設置場所だけは、未だにどこがベストだったかなぁと思っている。
世界観をもっと作って皆を引き込める演出にしたかったなぁ
今後の活動ではその時間も取れるように計画していきたい。
反対側の入り口をハイジャック(ジョークです)
やっぱ宣伝するなら他の場所にもポスター貼った方が良いんじゃないか??
インターンで似たようなことをした時に役立ったので、活用をしてみた。
先生に許可もらえたので✨
さらに…
あれ?みたことある!?
そうです!去年先輩方が使っていた着ぐるみ?
再利用させて頂きました🙇♀️
エコってことで笑(節約も兼ねて😅)
手に持っているもの、そう!
それは前回の授業時に即席で作ったあのプラカード!
手作り感満載で味がある…はず!
このようにPR活動も抜かりなくさせて頂きました。
実際に遊んでもらって
肖像権問題あるので、遊んでる写真ないのはお許しを。
「楽し���った!」
「もう一回やっても良い?」
と嬉しい声が聞けましたね。うんうん。
私たちのおもちゃの遊び方はすごく単純なのですごく小さいお子様でも対応可能でした。
保護者からは「このくっつき虫結構たくさんつくんですね笑」というお声をよく頂きました。
お持ち帰りの品、メダルとミニコは結構好評でしたね。
「キラキラ✨」と「かわいい💓」の二刀流
先輩がやってきた!
何人か前期でお世話になった先輩方が来てくださったのです!
まさしくレジェンドたち🙌
ありがたいことに沢山のアドバイスを頂きました。
一人一人を褒める 自己肯定感上げる
結果より過程を褒める「頑張ったね」
くっつき虫が主に三つあることだけ伝える
なんでくっつくのか?それを考えてもらう(今後も) その相棒としてミニコを贈呈という流れができているなら実際に考えて貰うよう促す言葉がけをする
どうだった?聞いてみる そこで急かさない、答えを言わない
子どもの意見を待つ
マジックテープのくっつき虫はどれに当たるのか(トゲ・カギ・ネバ) クイズ形式にして考えさせるのも良いのでは??
ここで!私たちは終わらないんですね
即座に実行しました。
当日であっても、躊躇なしに改善していく
どんどん進化していくのが私たちG班
先輩のアドバイスを全て実行した(終盤)
一部抜粋すると…(雑め)
パソコン画面を駆使して簡単に説明し、
『なんでくっつくのか?』
ミニコと一緒に考えてみてね。一緒に公園で探索してみてね。
みたいな形に持っていった。
そしたら
お母様「じゃあ、この子(ミニコ)連れて今度公園行こうか。なんでくっつくのか見てみようか。」
お子様「うん!くっつけて遊ぶ!この小さいトゲトゲが刺さってくっつくとおもう!」
お母様「ほんと?お母さんはここの大きさが…」
みたいな会話をめっちゃ繰り広げてくれました。 (微笑ましい会話をありがとうございました。)
あ、親子の会話と考えるという行為につながった
この時、今までにない手応えを感じた。
課題
主に「親子で遊ぶ」「試行錯誤」の要素が足りなかったかな
親子一緒に
すごく小さい子は親の補助で一緒に
両親の場合、一人がライバル��、一人が写真担当
しかし、親一人の場合
「子どもの写真を撮りたいので…」
このパターン多かった!
→どうしたら良かったのか??
必然的に巻き込める仕組みが必要だったかな
試行錯誤
これは先輩のアドバイスを反映させたあとは結構良かったかも
でも、考えながら遊べることが望ましいのかな
まだまだ改善できると思うし、もっと試行錯誤が必要ですね
試行錯誤なだけに(寒っ)
ともかくですね
「楽しかった」
この一言が聞けただけで嬉しいものですね
大変だったけど、楽しかったね!
みんなお疲れ様〜!
最後のお片付け前にみんなでちょっと遊んでみた笑
本当うちら最高のチームだ���✨
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先週の今日 思いつきでバス乗って 苔寺行くも事前予約制で 紅葉狩りしてから 予定外の鈴虫寺へ #参拝客のマナーの問題で #生まれて間もない頃から #事前予約制らしい #お守り返して #お地蔵さんにお願いを #虫刺されの土産持ち帰る、、 https://www.instagram.com/p/Cjx0XV8Lnra1Vvs-EgNoWKf0aly0KXMMdYodoc0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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一人
分身である者との日々を奪われるかたちで失って、私は数日をかけて折り合いをつけ、今ようやく純粋な一人となったが、それに至るあいだ、しばらくほうけていた。輪郭を失ってほうけているあいだ、あるいは輪郭を失って悶え苦しんでいるあいだ、仕事上の責務が膨大に私に降り注いだことは幸運と呼ぶべきものであった。仕事は私が私であることについて考える余地を根こそぎ奪い、それによって私は生きながらえた。慌ただしく動いているうちに時間が過ぎてゆく。時間が過ぎれば、心は、私の感情をともなうことなく、勝手にあるべきところに落ち着くよう自律的に安寧を志向する。
仕事がようやく落ち着いた金曜日、ずっと見ぬふりしていたわたしの心と向き合ってみたら、知らぬ間に勝手に、私の知らぬ場処に、落ち着くべきところを見つけているようだった。
懇願して、その景色を見せてもらった。そこは広陵とした、わずかに草の生える砂丘であった。白浜と呼ばれる場処が曇天のもとに砂に一定の湿度を含むとあらわれる土の色があって、それは茶でも灰でもない、砂もまた海と同じく空の色を映すのかと思わされるような、濁った、薄暗い、すべてを拒絶するような、すべてを諦めるような色を帯びていた。そこに、わたしの心は安住していた。わたしはいま、ここにいるのが心地よいのだと、そう言っていた。
「��ザナミが女陰を焼かれて病み伏していたときに女陰でないところから生まれた神々」という一節を昼間に読んで、ぞくりとした。古事記である。
私は、子を産まないと決めた自分をそこに投射したのだった。私は子を産まないと決めた時、自身の女陰をみずから焼いた。焼いた心地がした。そのかわり、女陰でないところから神を産もうと決めた。私の決意は、今そのように、古事記に擬えうると感じた。私の身近な人間はその覚悟についてよく知っているだろう。ここに私が反応したことに、共感するだろう。
おおまかに説明する。イザナミの女陰が焼けたのは、火の神を産んだせいである。日本の神話的国母であるイザナミはそれによって命を落とし、夫であるイザナギは激怒して「たかが子一人と愛するイザナミとを引き換えにするのでは勘定が合わない」という頭の悪い理屈で火の神を成敗する。そののち、冥土に死んだイザナミを迎えに行くが、「時はすでに遅い、私はもう黄泉の国の者になってしまった。しかし冥王に生き返れないか交渉してみるからしばし待たれよ、待つ間は決して私の姿を見ないこと」と告げて生き返る努力をする。鶴の恩返しの原型。しかしイザナギは愛するイザナミの姿を見たくて待てない。覗き見てみると、愛する妻イザナミは蛆虫まみれの爛れた醜い姿になりおおせていた。その恐ろしさにイザナギは妻への愛を失ってしまい、踵を返す。ふざけんなと妻。夫を殺そうと刺客を放つが、イザナギは結局生きて現世に帰ってしまう。
古事記のその後はイザナギの英雄譚が続く。私が生涯の30年をかけて培ったミサンドリーの全てがここにあると言っても過言ではないのだが、その話はまた長くなるので後日。語らなくとも、このあらすじだけでわかってもらえそうではあるけれど。最低な建国神話である。このような国に生きることの屈辱。
みずから望まぬかたちで、しかしみずからの決心でもって女陰を焼いた私は、もう未来に希望が持てずにいるが、それでも生きていかねばならないのは、どういう理屈だろうかと思う。
ちなみに、女陰を焼かれたイザナミがそのあと産んだのは、吐瀉物と排泄物を元とする神であった。女体を軽んじ酷使するのもいい加減にしてほしい。殺す。殺す。孕み過ぎた女体が嘔吐し失禁するのは当然の反応だろう。殺す。
しかし私はもう、女陰を焼いた以上、イザナミのように限界まで産みもしなかった体で、吐瀉物と排泄物からしか何かを生めないのだろう。私がこれから生み出すものは、排泄や嘔吐と変わらないものなのだろうか。どうしてそんなふうに思わされなければならないのだろうか。
ありとあらゆるままならなさと絶望を引き受け、産まないことを、諦めとともに引き受けた私がこれから生み出すものは、すべて、吐瀉物にすぎず、排泄物にすぎず、���女の、いやそれよりもっと悪い、産めるのに産まなかった女の、汚らしい汚物に過ぎないのだろうか。
そんなことを思うくらいには、私の身体は「女の役割」に染められ果てている。時代であり、呪いであり、政治である。抗うにはおそろしい量のエネルギーが必要なのに、誰も、私以外の誰も、特に男は、誰も誰も誰も、理解しない。
一人で安全に死ぬための算段を立てようとすると、呼吸が苦しくなる。
私を愛する人がいる。理解し、感謝している。しかしその美しい愛はこの国の家父長制を重んじる法制度によって無惨に棄却されてしまうということを、私を愛しているという誰もがわかっていない。私はおそらく一人惨めに死ぬ。その後片付けをしてくれると現状信じていられる人たちよりも後に死ぬ。
死が両腕を広げて待ち構えているヴィジョンがすでに明確にあるのは、きっと私だけだろう。毎日、「死」にその腕を広げてほしいと夢想しながら、かれと対話している。早くあなたに抱きしめてほしいけれど、どうもまだらしい、あなたの腕にすべてを委ねられる日が待ち遠しい。そういう話をする。「死」は答えずに両手を組んで机の上に置いている。
産まない、産まなかった、自分と折り合いをつけるのが難しい。女陰を火で焼かれるまで、産めるべきであった。そうすることで初めて私はこの世界に有用性を示せたのではないか。一つたりとも神を産まなかった私の吐瀉物と排泄物が、世界の何になると言うのだろうか。
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国を繁栄させる四つの道具 国を治めるうえで一番大切な事と具体的な方法を考えるための逸話
市営住宅集会所へ講演会を聞きに行った。 演題は「 兵法書 ( へいほうしょ ) を読んで『生き方』を考える」。内容の要点は次の通りだった。 韓非 ( かんぴ ) は、今から2300年ほど前に生まれた 韓 ( かん ) の貴族。隣国 秦 ( しん ) の圧迫に苦しむ祖国を救うために兵法書を書いた。韓王様は、その兵法書に興味を示さなかったが、隣国 秦 ( しん ) の王様 政 ( せい ) (後の 始皇帝 ( しこうてい ) )は、兵法書に書かれている内容に感動していた…兵法書に書かれている方法で富国強兵を実現し、戦国の乱世を終わらせることができると思ったから。 秦 ( しん ) に 韓 ( かん ) を自国の一部にしようとする動きが有ったので、 政 ( せい ) を説得して 韓 ( かん ) を 秦 ( しん ) とは別の[国]として認めてもらうために、 韓非 ( かんぴ ) は 秦 ( しん ) に行かされた。 政 ( せい ) が 韓非 ( かんぴ ) を信頼して大臣に任命したら自分は大臣を 辞 ( や ) めさせられると考えた 李斯 ( りし ) は、悪口を言いつけて 韓非 ( かんぴ ) を牢屋に入れさせるようにした。そして、 政 ( せい ) が考え直す前に 韓非 ( かんぴ ) を自殺させた。「 拷問 ( ごうもん ) で苦しむ前に毒を飲んだ方が楽」と親切心を 装 ( よそお ) いアドバイスする 振 ( ふ ) りをして…
韓非が書いた内容は、次の四つ。 1)国を豊かにし軍隊を強くするための四つの道具 2)国を滅ぼす五つの害虫 3)家来や家族の心を見抜くのに役立つ六つの 徴 ( きざし ) 4)家来や国民をコントロールするための七つの技術 [国を興すための道具]のうち主なものは、次の四つ。 1)[国の法律]を実行するための組織 2)[国の法律]:国民が行うべき事やしてはならない事を書いた文章 3) 布令 ( ふれい ) :[国の法律]を国民に知らせるための立て札など。「貧乏を無くす」「搾取階級を討つ」「差別を許さない」「弱者を救う」「自由と民主」などの ス ( ・ ) ロ ( ・ ) ー ( ・ ) ガ ( ・ ) ン ( ・ ) も、これの一種。 4) 信賞必罰 ( しんしょうひつばつ ) :富国強兵に役立つ行いをした者には必ず 褒美 ( ほうび ) を 与 ( あた ) え、[国の法律]に違反した者は必ず処罰するという[国の法律]の運用 以下は、韓非が書いた兵法の要旨 〖国を治めるうえで一番大切なこと〗 行うべき事としてはならない事を法律で決めて、国民に法律を守らせる。 王様が[法・術]を 駆使 ( くし ) して富国強兵を実現すれば、望みのもの全てを手に入れることができる。富国強兵の方策とは、法律や禁令を明らかにし、計略をよく心得ることである。法律が明らかであれば、国内に事変が起こっても混乱することなく、計略が当を得ておれば、国外で戦死したり捕虜になったりする恐れもなくなる。 いつの時代でも、徳のある人が采配をふるって民衆がそれを見習うことで一国が治まるとは限らない。腹が減っているとき目の前に米をみつければ人目を避けて盗り、貧しいとき目の前に金塊をみつければこっそり盗む人間が多い今、仁徳だけでは国を治められない。 私利私欲の許されない国家運営の場面において、チェックや監視がしっかり行われ���ければ、社会は乱れ政治は腐敗��て、国が滅亡に向かう。 昔の秦国では、だれも国法を守らず、仲間うちの 掟 ( おきて ) を勝手に作ったり、好き勝手に行動していたので、国は乱れ、軍隊は弱く、王様はバカにされていた。 大臣に任命された 商鞅 ( しょうおう ) は、王様に、国法をキチンと決めて皆に守らせる方法を 提案 ( ていあん ) した。 五軒組と十軒組をつくって、国民に密告させあい、連帯責任をとらせる。 詩経 ( しきょう ) や 書経 ( しょきょう ) などの書物は焼き捨て、法令を明示する。 大臣の請願を聞き入れず、国のために働く者を大切にする。 当時、秦の国民は、罪を犯してもうまく逃れ、功績もないのに 讃 ( たた ) えられる古い 習 ( なら ) わしに慣れきっていたので、新しい法が出ても軽視して守ろうとしなかった。しかし、新法を犯す者に必ず重罰を加え、密告者に 褒美 ( ほうび ) を取らせるようにしたら、密告と受刑者が増えた。 新法に反対する世論が盛り上がったが、王様も 商鞅 ( しょうおう ) も、構わず、新法を適用して犯罪者を取り締まった。 その結果、犯罪は減り、国は良く治まり、軍隊は強く、国土は広く、王様の 権威 ( けんい ) は高くなった。 また、 商鞅 ( しょうおう ) は、商工業よりも農業を大事にすべきだと 提言 ( ていげん ) した。 国民が家を離れて仕官を求めることを禁止し、事ある���きに兵役をつとめる農民を表彰する。 魏 ( ぎ ) の 昭 ( しょう ) 王は、自分で政務を手がけてみたくなった。 そこで、 孟嘗君 ( もうしょうくん ) に言った。 「ひとつ自分で政務をやってみたいが」。 「政務を手がけられるのでしたら、まず法律を勉強 為 ( な ) さることです」。 昭王は法律の本を読みだしたが、いくらも読みすすまないうちに、眠ってしまった。 そして、「私には法律の勉強はできない」と 嘆 ( なげ ) いた。 王様は、権力のカナメをおさえていればよい。家来にまかせておけばよいことまで自分でやろうとするのでは、眠くなるのは当然だ。 「どうも法というのは、うまく使えない」と、 韓 ( かん ) の 昭 ( しょう ) 王が大臣の 申不害 ( しんふがい ) に愚痴をこぼした。 「法は、功績によって賞を与え、能力に応じて官を授けることです。あなたは法を定めておきながら、身近の者の請願を聞き入れていらっしゃる。それでうまくいかないのです」。 「なるほど、これで法の使い方がわかった。もう誰の請願も聞き入れないぞ」。 ある日、申不害が 従兄 ( いとこ ) の仕官を願い出た。 「おまえは、そうは教えなかったはずだ。願いを入れて教えを捨てたものだろうか。それとも、願いを断ったものだろうか…」。 申不害は謝って引き下がった。 市場に出かけようとする母親に子どもがついてきて泣いた。母親は「家にお帰りなさい。お母さんもすぐ帰ってあなたのために豚のごちそうを作るからね」と言って子供をなだめた。 母親が市場から帰ると、父親が豚を殺そうとしていた。母親は父親を止めながら、「あれはただあの子に冗談を言っただけのことですから」と言った。 父親は、「子供は冗談だと思っていないぞ。子供には冗談が分からないのだ。だいたい子供というものは、両親からいろいろなことを学ぶもの、両親の言うことにちゃんと従うものだ。今もし子供をだますようなことをすれば、それは子供に人をだますことを教えることになる。第一、母親が子供をだませば、子供は母親を信用しなくなる。それでは子供に教育なんぞできやしないではないか」と言い、豚を煮た。 〖国法を守らせるための条件整備〗 斉 ( せい ) の 桓 ( かん ) 公がお忍びで民間を視察したときのこと。 鹿門稷 ( ろくもんしょく ) という男がいたが、彼は七十になっても妻がなかった。 桓公がお供の 管仲 ( かんちゅう ) に聞いた。 「しもじもには、年寄りになっても妻を持てない男がいるものだろうか」。 「ございます。鹿門稷という男は、七十だというのにまだ妻がありません」。 「どうしたら妻を持たせることができるだろうか」。 「こういう言葉があります。王様が財産を作りすぎると、しもじもの暮らしは貧しくなる。宮中にひとりで寝る女がいると、しもじもには老いて妻なき男が出る」と。 「わかった」と、言って、桓公は、まだ手をつけていない宮中の女を、みな嫁に出した。 それから次のような命令を出した。 「男は二十で嫁をとること。女は十五で嫁にいくこと」。 こうして、宮中には、ひとり寝の寂しさを歎く女はいなくなり、民間には妻のない男がいなくなった。 何の準備もなしに命令だけ出しても守られるはずがない。 〖信賞必罰〗 母の幼子に対する愛情は、何よりも深い。しかし幼子が良くない行いをするようならば、先生につかせて修養をさせるし、悪い病気にかかるならば、医者にみせて治療をしてもらう。もし先生につかなければ刑罰を受けることにもなりかねず、医者に見せなければ死んでしまうかもしれない。母がいくら我が子を愛しても、愛情などは、刑罰から、また死から救うのに役に立たない。つまり子供を無事に育てるものは、愛ではないのである。子と母とを結ぶ絆は愛である。また君臣関係を結ぶものは計算尽くである。母でさえ愛を以って家庭を無事に存続させることができないのに、どうして王様が愛などと言うもので国家を保持することができようか。 仁者は恵み深く、気前よく財産をばらまいてしまう。暴者は心が強くて動かされず、簡単に罰を与えてしまう。慈しみの心が深いと、厳しく罰することができず、気前が良いと、人に与えることを好み、心が強いと、臣下どもに対して憎しみの心が現れ、簡単に罰を与えると、むやみに人を死刑にしてしまう。その結果、厳しく罰することができなければ、罪を多めに見ることが多くなり、人に与えることを好めば、功績の無い物にまで恩賞を与えてしまう。また、憎しみの心が現れれば、下々の者はおかみを怨むようになり、むやみに人を死刑に処した��らば、民衆は謀反を起こそうとする。 だから、仁者が王様の位につくと、下々の者は好き勝手に振る舞い、軽々しく法律に違反して、お上に対して一時の幸福をむさぼることを望むのである。また暴人が王様の位につくと、法律は気まぐれで王様と臣下の仲は不和になり、民衆は怨んで謀反の心を生じる。そこで私は、仁者にしても暴人にしても、ともに国を滅ぼすものだと主張するのである。 親や近所の者や先生がいかに怒り、責め、教え 諭 ( さと ) しても、少しも改めようとしない子供でも、法律を以て悪人を摘発する巡査が来たら、恐くなって変節し、良い子になる。 民衆は愛情に対しては図に乗ってつけあがり、 威嚇 ( おどし ) にはおとなしく従うのだ。 政治を知らない者は、「刑罰を重くすると、国民を傷つける。刑罰を軽くしても悪事を予防できるのに、どうして重くする必要があるのか。」と言うが、軽い刑で悪事をしない者は、重い場合にも当然悪事に手を出さない。 重刑は、悪人にはプラスになるところが小さく、お上が下す罰は大、民はわずかの利益のために大きな罪を犯すことはしない。 軽い刑は、悪人が得る利益は大きく、お上の下す罰は小、民は利益を目当てにその罪を見くびるから、悪事は防ぎようがない。 20㍍の城壁を、身軽な者でも越すことができないのは、そそり立ってけわしいから。黄金30㌕が道に落ちていても拾う者が居ないのは、必ず罰を受けるからだ。 高山で羊を飼えるのは、山がけわしくないから。2㍍の布が道に落ちていれば拾う者が居るのは、罰を受けるとは限らないからだ。 功績のあった者に必ず賞を与えて 讃 ( たた ) え、犯罪者は手心を加えず罰して不名誉に 晒 ( さら ) せば、能力のある者もない者も全力をつくすだろう。 荊南 ( けいなん ) 地方にある 麗水 ( れいすい ) という川には 金 ( きん ) が出る。金を採ることは法令できびしく禁止されており、捕まれば衆人の前で 磔 ( はりつけ ) の刑に処せられる。処刑された死体はおびただしい数にのぼり、川の流れをせき止めるほどになったが、金を採る者は、あとを絶たなかった。衆人の前で 磔 ( はりつけ ) にされるほど重い刑罰はないのに、それでも金を採る者がいるのは、絶対捕まるとは限らないからだ。 「お前に天下をやる。その代わり、お前の命はもらう」と言われたとする。それでも天下をもらうという馬鹿者はいないだろう。天下をもらうほど大きな利益はないのに、それをもらう者がいないのは、必ず殺される、とわかっているからだ。 魏が 武 ( ぶ ) 王のとき、 呉起 ( ごき ) は 西河 ( せいか ) の長官となった。 国境近くに 在 ( あ ) る敵国 秦 ( しん ) の小さな 砦 ( とりで ) が農民に害を及ぼしていた。といってそれを除くためにわざわざ軍隊を集めるのは大げさすぎる。 考えた末、車のかじ棒を一本、北門の外に立てかけ、布令を出した。「このかじ棒を南門まで運んだ者には、上等の土地と上等の屋敷をとらせる」と。 布令を信じかねて運ぶ者がいなかったが、あるとき、それを運んだ者が出てきた。すかさず、布令どおりの賞を与え、今度は一 石 ( こく ) の赤豆を東門の外に置いて、布令を出した。「この赤豆を西門まで運んだ者には、前と同じほうびをとらせる」と。人々は先を争って運んだ。 そこで呉起は布令を出した。「明日、砦を攻めるが、一番乗りした者には、 大夫 ( たいふ ) の地位を与え、上等の土地と上等の屋敷をとらせる」と。人々は先を争って砦に攻め込み、あっという間にこれを占領してしまった。 〖国益と私利〗 王様が国民の利己的行為を許せば、国の利益は害される。 王様が賞罰を加える対象と、国民が名誉・不名誉とする対象は、 往々 ( おうおう ) にして 一致 ( いっち ) しない。 功績をあげて爵位を与えられた者が世間では評価されなかったり、農業に 励 ( はげ ) んだ者が賞を与えられても農業はつまらない仕事と思われたりする。 その一方で、招請に応じない者を排斥しても、彼らが俗世を超越するものとして尊敬されることがある。世間の評判を気にして、自分で働かずに衣食を得る「有能者」や、戦功をあげずに高位にのぼる「賢人」を横行させれば、国土の荒廃と兵力の弱体化をまねく。 学問によって世を乱す儒者を赦してはならない。 大臣が魚好きであることを知った国中の者たちが、争って魚を買い求め、彼に献上してきたが彼は受け取らなかった。弟が理由を聞くと、大臣は「魚が好きだからこそ受け取らない。献上される魚を受け取って判断に影響し、法を曲げれば、大臣を辞めさせられる。献上される魚を受け取らず、大臣を辞めさせられなければ、安心して自分の力で魚を得ることができる」と答えた。 楚 ( そ ) の国の正直者が、羊を盗んだ自分の父を、 令尹 ( れいいん ) 大臣に訴え出たが、令尹はこの正直者をつかまえて死刑を宣告した。王様に忠義だてして親不孝の罪を犯したものとして断罪したのだ。令尹が、父親を訴え出た息子を罰してからというもの、 楚 ( そ ) の国では罪人を訴え出る者がいなくなった。 魯 ( ろ ) の国が戦ったとき、三度出陣して三度とも逃げ帰った男がいた。どうして逃げてばかりいるのかと孔子が尋ねると、男は答えた。「わたくしには老いた父があります。わたくしが死んでしまったら、養う者がおりません」。その孝行ぶりに感心して、孔子は彼の位をあげてやった。孔子が、敗走した兵士の位を上げてからというもの、魯の国民は敗走を恥としなくなった。 「仁義」を身につけた者を信頼して登用したり、学問を修めた者が先生と呼ばれて名声が得るような風潮を許せば、国は乱れて王様の地位がおびやかされるようになる。 国を富ます農業や敵を防ぐ兵士にたよりながら、同時に飾りたてた儒者の服装を喜ぶのは、チグハグな行動だ。国法を敬わずお上をおそれない遊侠、刺客のたぐいを養うのも、チグハグな行動だ。チグハグな行動をしていたら、働く者が勤めをおろそかにし、働かず学問する者が日ましに多くなる。そして、世の中が乱れる。 宋 ( そう ) の 崇門 ( すうもん ) の町で、あまりに真剣に親の喪に服したため、ひどくやせ衰えてしまった者がいた。親を思う心が深いからだとして、お 上 ( かみ ) は彼を官吏にとりたてた。 次の年には、喪に服したため身体をこわして死ぬ者が、十人以上も出た。子が親の喪に服すのは、肉親の愛情に発することだが、それすらも、恩賞によってこのように奨励できる。 家来が王様につくすことにおいては、恩賞による効果が大きいはずだ。 昔、 蒼頡 ( そうけつ ) は、文字を創るにあたって輪になった形の「ム」によって「私」を表し、それに反するという意味の「ハ」を加えて「公」という字にした。公私が相反することは、既に蒼頡が知っていた。未だに公私の利害が一致すると思うは無知の 極致 ( きょくち ) 。 〖国法と人情〗 良く治まってる国は、国法が人情に通じており、国を治める道理にかなっている。 小さな悪事は、村人に連帯責任を負わせ、相互監視させる。禁令で自分に連座するものがあれば、村人は監視せざるをえない。監視する者が多ければ、悪者は悪事を謀れない。 ウナギは蛇に似ており、蚕はいわゆる毛虫に似ている。人は蛇を見ると、びっくりし、毛虫を見ると身の毛もよだつ。だのに、夫人は平気な顔をして、蚕を摘み上げ、漁師はウナギをわしづかみにする。利益があるとなると、人が嫌うことなどは忘れてしまって、みんなあの孟墳のような勇士となる。 だれでも自分の知らない物事には警戒するが、よく知っている物事には進んで為そうとするものだ。なぜならそうすることが自分にとって得になることが容易に推察できるだからだ。 子綽 ( ししゃく ) は、「左手で四角を画きながら右手で丸を画くことはできない。肉でアリを追っても集まるだけだ。魚でハエを追っても群がるだけだ」と言った。道理に逆らった行為は、うまくいくはずがない。 《禁止と奨励、賞と罰、その原則を逆にしたら、どんな神業をもってしても、政治はできない。条件を与えながら進ませないのは、乱の起こる元である》。 〖損得感情の働きを知る〗 人は幼児期に親に 疎 ( おろそ ) かにされると成長して親をうらむ。成人となった子供が老いた両親を 粗略 ( ぞんざい ) に養うと親は怒って子供を責める。本来、子と親の仲は、利益を度外視したきわめて親密な関係であるはずなのに、相手をうらんだり非難したりするのは相手が自分に報いてくれるという打算があるからだ。得すると思えば仲よくなり、損すると思えば、親子の間にもうらみの気持ちが生じる。 君臣関係では、肉親関係以上に打算が働く。まっとうなやり方で身の安全が保障されるならば、臣下はそれなりに力を尽くして主人に仕えるだろうが、そうでなければ私利私欲に走��、上に取り入ろうとする。王様は、何が得で、何が損なのかをはっきり天下に示したうえで、役立つ臣下に官爵を与え、臣下はそれに対して己の知力を提供するようにしなければならない。 カラスを飼いならすには、まず羽を切る。羽を切られてしまえば、カラスは人間に餌をもらうほかない。どうしたって馴れないわけにはいかないのだ。 [法・術]に 長 ( た ) けた王様の家来飼育法も、これと同じだ。 ポイントは、 俸禄 ( ほうろく ) に頼らざるを得ず、与えられた職に務めるほかないように仕向けることだ。家来は 否 ( いや ) も応もなく服従するだろう。 〖王業の基礎〗 王様が家来を評価するとき、世間の評判に惑わされて、成果を確かめなければ、口先ばかり達者で実際の役に立たない者が増える。昔の聖人を 讃 ( たた ) え「仁義」を口にする者が朝廷にあふれれば、実力と実行力を兼ね備えた人材は世に 埋 ( うず ) もれ、国力が 衰 ( おとろ ) えていくことになる。 商子 ( しょうし ) 、 管子 ( かんし ) といった政治書を読む人々は多くても、内容を活用する人は少なく、農業の議論はしても実際に 鋤 ( すき ) を手にして耕作する者が少なければ、国は貧しくなる。 孫子 ( そんし ) 、 呉子 ( ごし ) といった兵法書を備えていても、実際に 鎧 ( よろい ) 兜 ( かぶと ) をまとって戦う者が少なければ、軍隊は弱くなる。 [法・術]に 長 ( た ) けた王様は、無用な議論が国力を弱めることを知っており、実用にのみ価値を認める。そうすれば、国民はそれに従い、国力は充実していく。 田畑で働く骨の折れる仕事に国民が従事するのは、富を手にすることができるからだ。 戦で死ぬ危険があっても国民が兵役につくのは、高い身分を求めるからだ。 学問や言論を修めれば畑仕事で骨を折らなくても富が手に入り、戦で死ぬ危険を 冒 ( おか ) さなくても高い身分が得られるとしたら、誰が骨を折ったり危険を冒すだろうか。頭を使う者が多くなれば、法の権威は失われ、力を尽くす者が少なくなれば、国は貧しくなる。 [法・術]に 長 ( た ) けた王様が治める国に書物は無用、[法]が[教え]なのだ。 聖人の言葉も無用、官吏が先生なのだ。遊侠の私的武力も無用、国の戦で敵を斬ることが勇気なのだ。 国民は、法にはずれた言論を 為 ( な ) さず、働くときは実績をあげるように働き、勇気は戦で発揮する。このように王業の基礎をかためれば、太平の世に国は富み、戦となれば強い軍隊が国を護る。 ⦅亡国五害[韓非]に続く⦆
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清華大学の法学者、許章潤氏が7月6日、当局に拘束された。(12日に釈放されたが、その件についてはのちに述べる。7月8日公開「習近平政権が改革派言論人を逮捕してまで封殺したかった『批判の中身』」参照、以下、許先生と表記する)。
許先生が捕まったという知らせが入ったのが、7月6日の昼過ぎ、友人の大学教授、Tさんからのメッセージだった。
許先生と親交のあり、共通の友人である北京のKさんから「許先生の自宅の周囲に20台ほどの車が停まり、許先生が連行された」と涙ながらに電話があり、筆者にも伝えてほしいとことづてがあったという。早速Kさんに電話を掛け、同様の内容を直接聞いた。
以前も少し書いたと思うが、許先生とは3年前、来日した中国の自由派知識人グループから案内役を頼まれた旅行で知り合った。
箱根で、許章潤・清華大学教授(筆者撮影)
箱根と伊豆を2日半で回る旅で、筆者は宿や食事の手配からレンタカーの運転、観光地でのガイド役と、彼らの短い旅を満足してもらえるよう、できる限りの「おもてなし」をした。夜、箱根の静かな温泉街を、許先生と2人で歩いたのを覚えている。
ただ正直なところ、その時は許先生について多くを知らず、ましてやその後彼がこのような運命をたどるとは、全く予想していなかったので、あまり深い話はできなかったが、大変物静かな印象だった。
翌日、元箱根から箱根湯本に戻るバスが観光客で満員となり、かろうじて1人分の座席が取れたので許先生に勧めたところ、「クーティエンジュン(古畑君、彼は私のことをこう呼ぶ)は私たちのために大変な思いをし、疲れているのだから座ってください」と固辞され、1時間近く運転席の横で静かに立っていた。全く偉ぶったところがなく、しかも辛抱強い人だと感心した。許先生とは帰国後、メールのやり取りを続け、何本か論文を送ってもらった。
許先生はその約半年後、東大の訪問学者として再び来日、約半年間を東京で過ごしたが、その間の2018年7月、習近平政権を厳しく批判する「我々の現在の恐れと期待」をネットで発表した。帰国が迫っている先生にできればお会いしたいとダメ元でメールを送ったところ、すぐに返事があり、T教授とともにお会いした。
「自分は帰らなければならない」
その時の経緯は以前も書いたが、帰国すれば危険が待っているのではとたずねたところ、「自分は帰らなければならない。国外で声を上げても仕方がない。国内にもこういう声があるということを示さなければならない」と決心を語られたのだった。
ただ正直なところ、先生はその時、清華大学���辞めさせられ、地方の大学に左遷されるのではないかと話しており、学術会議などで再び国外に出られるかどうか、それが大学や当局が自分をどう見ているかの判断基準となるだろうと語ったが、その後の運命は彼の予想を上回る苛烈なものだった。
許先生とは、帰国後も微信などで連絡を取り合っていた。しばしばアカウントが停止されるため、友人から新しいアカウントを教えてもらっては、連絡を取り、無事を確認した。最後に連絡をとったのは5月。「また連絡が取れましたね」「いつか会える日を心待ちにしています」とのメッセージを送り合った。
だが、処分が厳しくなり、教育や研究の機会を奪われると、許先生が書く内容は以前にもまして厳しくなり、当局の逆鱗に触れるのではないかと心配していた。
だから今回のニュースを知っても、「とうとう来るべきものが来たか」というのが正直な印象だった。先生自身も、今年初めに出した「激怒する人民はもはや恐れていない」の中で、「自分がこの文章を発表することで処罰されることも覚悟しており、これが最後の執筆になるかもしれないが、責任逃れはしない」と覚悟を述べていた。
香港問題が引き金か
とはいえ、今回の「買春」という容疑は先生の上述のような人柄を考えたら、全くもって理解できず、許しがたい。
米コロンビア大学のアンドリュー・ネイサン教授はVOAのインタビューで次のように批判した。「(拘束に)驚きはしなかったが、ショックだったのは、中国政府がこの憲法の下でいかなる違法行為をしていない、非常に傑出した教授をこれほど厳しく弾圧したことだ。言論の自由を行使した許氏に対し、当局は『買春』という罪を着せた。このことで恥をかくのは許氏ではなく、中国政府の方だ。今回の事件は、中国の体制がいかに全体主義化したかを示している」
だが、「香港国家安全維持法(国安法)」を香港基本法の原則に反して導入し、言論統制を一気に進めた香港への対応や、攻撃的な「戦狼」外交を見ても、体制維持のためには外国から何を言われようがなりふり構わず突き進む「振っ切れ感」が今回の許先生への対応につながったとの指摘もされている。ある中国人学者の知人はこう語っている。
「習近平は許章潤氏を憎んでいたが、ずっと我慢していた。おそらくは世論への配慮だろう。だが香港問題で、共産党は赤膊上陣(上半身裸で戦いに加わる、何も気にすることなく物事を行う)し、横暴にも香港の自由を奪った。覆っていた布をすべて取り去ったのだから、何のためらいもなく以前から捕まえたかった許氏を捕まえたのだろう」
「香港問題と今回の事件は関係があるだろう。どのみち恥知らずのことをしたのだから、もう1つそれを重ねるのを恐れることはなくなった���だ」
さらに「習近平は決して自分に対する批判を許さない。共産党を厳しく批判しても、彼は許すかもしれないが、自分に対するたとえ温和な批判でも、決して許さず、必ず報復する。ある友人が警察に呼び出された時、警察からは『政府を罵ってもいいが、習主席を絶対に罵ってはいけない』と言われたという」と語った。
最近でも習近平を「権力を渇望する道化役者」などと批判した著名企業家、任志強氏や、新型コロナウイルスへの対応を批判、習の引退を求める文書を発表した法律家、許志永氏らが当局に拘束されている。
それでも許先生を知る知識人の中には、自分たちの思いを許先生は1人で代弁してくれたという声がある。友人で作家のY氏は、筆者に次のように述べている。
ちなみにY氏によると、許先生は1989年の天安門事件当時、中国政法大学の教員で、自らデモやハンガーストに参加したのだという。
「誰かが真実を語らねばならない」
「許章潤先生はここ2年の間、共産党が自分の権利を奪ったことを厳しく批判、特に習近平本人の行為について厳しい批判をしていた。これが逮捕された真の理由だ」
「ある会合で、彼は『どんな時でも、誰かが立ち上がって本当のことを言わなければならない』と語っている。彼はこのことを自分の責任だと感じていた。彼の一連の文章が発表されると、中国の知識人の間に大きなセンセーションを生み、多くの人は彼の勇敢さをほめたたえたが、一方で政府から報復されるのではないかと心配する人もいた」
「ここ数年中国の言論の自由はますます悪化している。体制に異を唱える人々の立場はますます厳しくなっている。許先生の言論は時代の問題を鋭く突き、最も危険な話題から逃げることがなかった。彼はだがこれにより自分にどのような結果が及ぶかは分かっており、すでにそのための準備をしていた」
「彼が警察により連行されたという情報はソーシ���ルメディアで大きな関心を呼んだ。多くの人が彼の待遇が不公平だと感じ、共産党政権による残酷な管理強化の現れだと受け止めた」
このように語るY氏に「許先生の思想には自分も賛同するが、現在の厳しい言論統制の下で、やり方がやや急進的ではなかったか。他の表現の方法もあったのではないか」と聞いてみた。これに対し彼はこう語った。
危険を知りつつも…
「彼の言論は『急進的』ではなく『危険』と言うべきだ。確かに、最も危険な言論であり、間違いなく報復されるであろう言論だった。だが、許先生の文章が広く尊重されるのは、彼の道徳的勇気のためだ。彼は国民全体に向かって、多くの人々が言いたいが言う勇気がないことを敢えて語ってくれた。現在の中国では、(直截的ではない)よりましな表現方法など私も思いつかない。隠喩式の、指桑罵槐(しそうばかい、遠回しに批判する)の言論すら削除され、処罰される。許先生はこの点を見抜き、思い切って立ち上がり、正々堂々と自分の主張を明���に述べたのだ」
そして、最後にこう語った「ある会合で、彼は次のようなことを言っている。つまり、勇敢とは、危険を知りつつも、それでもやらねばならぬことをやることだと」
つまり、彼は為政者に決しておもねることなく、言うべきことを正々堂々と言う、危険な道を自ら選んだ。このことが彼に対する共感を生んだのだ。
香港の著名な作家、顔純鈎氏もフェイスブックへの投稿で、次のように許先生を評価している。
「許章潤先生は今日最も勇敢な読書人(知識人)である。彼は民間の正気(正しさを貫く気概)を代表し、埋没することない民族精神を代表している。共産党は彼を捕まえたが、彼の声を消し去ることはできないばかりか、人々により深い影響を与え、彼の歴史的な地位はより崇高なものとなるだろう」
許先生が拘束される直前、彼のこの間の主要な論文をまとめた著書が米国から出版された。許先生はこの「戊戌六章」という著書の序文で、次のように書いている。
「立憲民主、人民共和の国家を」
「この書の目的は、人々の思考を刺激し、精神を凝集し、心を合わせて『中国の問題』を解決し、『立憲民主、人民共和』の公共の邦家(国家)を作るためにある。このような大きな転換をしなければ、中国は現代世界の体系に生き残ることはできず、人々の平安や文化の発展など論外だからだ。この公共の邦家がなければ、祖国は党の全体主義の植民地であり、人々はみな搾取される人質にすぎない。この世の中の正しい道に逆らい、赤い帝国へと突き進むのならば、行き止まりが待っているだけだ」
そして「中国が100年の紆余曲折を経て、再びスタートラインに戻るには、世界文明の体制に順応し、その正しい道をひたすら進み、新たな中国の文明を建設し、新しい中国を作ることにかかっている。さもなければ、ここ数年の中国のように再び世界の主流から孤立するのであり、その危機がすでに現れている。大きな転換が実現しなければ、天地は荊棘(いばら)のようであり、人々は安住することができない。人々が恐れおののき、国全体が不安に満ちたなら、この国土と人々はどうして平安を保つことができるだろうか」
つまりは中国が憲政による民主主義を実践し、国や社会の大転換を図ることが、新たな社会参加の力を得て、世界の中で再び輝くことにつながる正しい道だと指摘しており、全くそのとおりである。だが現在の体制はこれに背き、国家主席終身制に代表される権力集中と憲政民主の否定、毛沢東時代への思想的回帰、そして国際的な協調路線からの離脱による危険な道を歩んでいる、つまりある著名な民主活動家が指摘したように、「改革」も「開放」も否定したのだ。
なおこの本は、許先生がこれまでに発表した論文をまとめたもので、香港での出版を予定していたが、香港の出版��者が難色を示したため、米国で出版されることになったという。グーグルで電子版の購入が可能なので、許先生の思想に興味のある方は��ひ先生を応援する意味でもクリックしてほしい。
さて、前述のように、今回の拘束は、香港問題と関係があるとのある知り合いの中国人が指摘している。
以前本欄でも書いたのだが、許先生と並ぶ著名な自由派知識人の張千帆・北京大学教授は、「英中共同声明」や「香港基本法」の精神に則り、一国両制度を完全に実施すれば、香港社会は安定すると述べていた。(「反発と羨望が入りまじる「香港デモ」中国社会の複雑な受け止め方」参照)
だが習近平政権はこれとは正反対の対応を取った。高度な自治という約束を破って、中国本土並みの厳しい言論統制を敷き、香港から自由と民主を奪おうとしており、すでに「物言えば唇寒し」という雰囲気が生まれており、フェイスブックでも中国に批判的な投稿がほぼ消えてしまった。
中国のネットでは、「港独(香港独立派)の害虫を退治する殺虫剤」などと「国安法」を称賛する文章もあるが、筆者の知る多くの中国人は、微信などのSNSで、この問題について沈黙を保っている。
それについて、友人のJ氏が許先生の問題と合わせて、次のように語ってくれた。少々長いが引用する。(前述のY氏を含めいずれも安全性が高いとされる通信アプリを使った。)
人々は分かっている
「西側国家は国安法について、中国が(人の意見に耳を貸さず)ひたすら独断専行していると批判している。だが中国は耳を貸そうとせず、2つの世界の分裂はますます深刻になっている」
「この問題は体制内外の両面から見る必要がある。体制内の人間は恐らく、5割くらいの人は(香港問題を含め)どういうことか分かっている。だが妄議中央(中央をデタラメに論ずる、共産党の方針を批判すること)が許されない規定に加え、18回党大会以降、(国家主席)任期を撤廃し、監視機関を強化し、国家機関を私物化し、無数のアプリによって公務員に対し(習近平に対する)個人崇拝の雰囲気を生み、人々を疲弊させ、(国や社会の)問題について考える時間を与えないようにするなど、体制内の人々の思想を統制し、自ら知り得た政府の内幕を外部に知らせないようにしている。同時に千万もの五毛党(お抱えネットユーザー)らを使ってネットを一掃し、虚偽の“民意”を作り出して権力者に奉仕している」
「一方、体制外の人々の2割は(真相を)分かっているだろう。だが高圧的な統治の下、ネットや現実社会の中で“真相”を語ったら、間違いなく当局による厳しい監視体制により、どんなに軽くても当局の呼び出しを受ける。(ましてや)許教授に降りかかる結果はすでに目に見えている」
「中国本土の人々が国安法をどうみているか?私の周辺の体制内の人間は決してこの問題に触れようとしない。人々は『立派に死ぬより見苦しく生きる方がいい』という処世術を持っている。だから何も語ろうとしないということが、彼���はどういうことか理解しており、つまりは(暗に)反対の態度を表明しているのだ。心から賛成しているのなら、口に出して言うだろう」
「香港はかつて最も人気のある留学先だった。学生は香港の大学の学歴を得ることは名誉だった。だが今彼らの夢を壊そうとしている人がいる。この国安法がどうして大衆の支持を得るだろう?だが(暴政の下で)人々は恐れて口に出せず、道で人とあっても目で合図するしかない。このことが民衆の態度をよく表している」
「外国の反対を権力者は全く意に介さない。それは、(1)防火長城(GFW、ネット規制)により真相を覆い隠している。(2)14億人の韭菜(ニラ、いくら刈っても生えてくることから、いくら搾取してもすぐに代わりがきくこと)を抑えておけば、必要な金はすぐに手に入り、外国の金など大したことではない。(3)彼らは中国を70年統治し、人々の生殺与奪の権利を握っている。人々は跪いて運命を受け入れるしかない―からだ。彼らはさらに14億人を従わせるのに満足するだけでなく、中国モデルを世界に拡散しようとし、その第1歩に香港を選んだのだ」
「彼らにとって、香港は(民主化運動を武力で弾圧した)1989年の北京のようだ。当時彼らは(西側からの制裁を受けたが、)幸運にも西側政府や資本から許しを得て、騙すようなやり方で世界貿易機関(WTO) に入り、山河を汚染し腐敗によって得た金で表面的な経済の繁栄を手に入れた。そして今彼らは香港で賭けに出た。だが彼らは勝てるだろうか?」
「実際には中国は彼らが吹聴するほど富強ではなく、各方面は崩壊に瀕し、骨まで腐っていると言える。でなければなぜあれだけ多くの官僚や金持ちが子女や財産を海外に移すだろうか。彼らはこの国がどのようであるか当然最も理解している。彼らはこのボロ船がいつかは沈むと分かっている。彼らはこの政権の巻き添えを食いたくないのだ。彼らこそ最もお見通しなのだ」
「中国人の中の中国人」
「許章潤さんは、権力者にとっては1匹のアリにすぎず、踏み潰すのに何の力もいらないだろう。だが中国の歴史の中では、彼は時事の良し悪しを論じ、権力者に向かって敢えて『ノー』と言う勇士であり、正々堂々とした中国人の中の中国人だ。彼は将来の中国の歴史の中で、その名前を刻むだろう」
彼やYさんのように、香港問題を含めて一定以上の知識と外国の情報にアクセスできる人々は事の本質を理解しており、許先生を支持している。問題は彼らが声を上げられないということだ。
許先生はこうした言論環境の中で、敢えて自分が声を上げたのだ。先生が書かれた「この世の中、いつも誰かが出てきて語らなければならない」という文章に、先生のこうした思いが述べられている。詳しくは紙幅の関係で紹介できないが、彼は最後にこう述べている。
「この世の中、いつも誰かが出てきて理を説かなければならないのだ。そうすることで人々が住むのにふさわしい世の中となる。誰が最初に声を上げるか、それは法律の天賦の才を持つ法律家が言うべきだ。社会には弁護士という職業がある。人々は弁護士を育てたのは、彼らに理を説いてほしいからだ。理にかなった、安寧な日々を人々が送るために、法律家、そして億万の同胞よ立ち上がれ!」
本稿を編集部に提稿後の12日、許先生が釈放され、自宅に戻ったというニュースが飛び込んできた。この件について、北京にいる友人、Kさんは筆者に次のように語った。
「許先生が釈放されたが、これで終わったわけではない。恐らく当局は、許先生を拘束し、国内外のメディアや社会、学者がどのような反応をするか、試してみたのではないか。それを踏まえて、次の手を打ってくる恐れがある。いずれにせよ、許先生は当局が最も警戒する知識人であり、我々もまだ安心できない」
我々としても、引き続き許先生の動向に関心を持ち、不当な処遇を許さないというメッセージを送り続けることが必要だろう。許先生には、ぜひ再び学者として活躍の場が与えられてほしい。そして日本を再び訪問し、前回の旅の続きをともにしたいと心から願っている。
(本稿は筆者の個人的見解であり、所属組織を代表するものではない。)
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08120105
「ああぁ...どーしよ。」
「何、頭痛いの?」
「ゾンビなってもうたかもしれへん。」
「は?」
「ほら。あー。」
「...お前、去年もそれしてたけど、今時中学生でもやらないぞ。そんな古典的なボケ。」
「はー、冷めた大人になったもんやなぁお前は。これやから東京人は。」
真緑に染まった舌を収めた彼が手の中のかき氷を雑にかき混ぜて、冷たい氷が俺の掌に飛んだ。ふわり、香る人工的なメロンの香りが、夏らしくないのに夏を想起させる不思議。
甘い物があまり得意じゃない俺とは裏腹、歯がなくなっても甘いものを食べたいと豪語する目の前の男は折角の鮮やかな緑のグラデーションをストローで壊し、シャバシャバにしてからそれを飲む。もはやかき氷ではない、と指摘し飽きて、今や俺の中でもあれはかき氷のカテゴリーに分類されていた。
発泡スチロールのチンケな容器を酒でも飲むように煽った彼は容器に描かれたペンギンの可愛いイラストを見た後、急に立ち上がる。
「あかん。」
「今度は何。」
「アレ食べるん忘れてた。冷やしきゅうり。」
「まだ花火間に合うだろ、買って来いよ。」
「嘘やん、お兄さん目の前の階段見えてます?」
心底嫌そうな顔で目の前に長く続く石階段を指差した彼はまるで俺を非難するような目線を向けてくるがとばっちりもいいところだ。こっちは彼が食べたいと言い張った袋入りの綿飴(しかも袋の柄はプリキュアだ)を片手に、ちょっといいとこ見てみたいと小馬鹿にされつつ煽られてカチンときた俺が乗っかった結果連れ帰ることになった出目金が二匹詰まった袋が片手に引っ掛かっている。
「だからお前、登る前に買い忘れたもんないか聞いたろ俺。」
「そん時は甘い口やったの。今はしょっぱいもん欲しいねんもん。はぁ、血も涙もない。なんかいる?」
「あー、じゃあ、りんご飴。」
「あ、俺も買お。」
「お前なぁ。またしょっぱいもん欲しくなっても知らねえぞ。」
「ええやん、りんご飴は祭りでしか食われへんし。」
からん、乾いた下駄の音を鳴ら��た彼がふらふらと浮遊するような足取りで階段を降りていく。黒い麻の生地に白いストライプが走る浴衣の足下をひらりと翻す、帯にうちわの刺さった背中を見送って、まだ始まる気配の見せない花火が咲くであろう目の前の何もない空をぼうっと眺めた。
もう、5回目になるだろうか。ここでこうして彼と、花火を見るのは。
関西支社への出向で出会い、打ち解けていくうちに互いの性的指向を知った。というより、最初からうっすら感づいてはいたが互いに口にはしなかっただけか。いかんせん多数派がのさばるこの世界では、マイノリティー、少数派は一つのコンテンツとして扱われる人権のない玩具にも等しい。
「俺、女の子あかんくてなぁ。男しか好きになれへんねん。きしょいやろ、せやから、あんまり、優しくせんといて。」
見たこともない切羽詰まった顔でそんなことを言われてしまえば、俺の出す答えなど一つしかなかった。
大雑把、雑、適当、ポジティブ、時間にルーズ、子供、俺が今まで出会ったどんな大人よりも、むき出しの心で一人立っていた彼の手を取って、5年になるらしい。
初めてデート、で来たこの東京郊外の祭りが存外彼は気に入ったみたいで、俺が本社に戻った後も必ず夏はここへ来て、一緒に屋台を巡り、この寂れた廃神社の前でそこそこの規模の花火を眺めて、帰る。俺達の夏のルーティンだった。いつも通り、恒例行事。
ブブ、スマホが鳴る。通知が来る設定にしている相手は限られている。ちら、と取り出し画面を見れば、「優秀な俺を褒める準備しとき!」というメッセージと共に、ラムネ2本へ顔を寄せた彼の自撮り。
真っ暗な階段の下の方からからん、ころん、涼しい音が段々と聞こえてきた。人混みで真っ直ぐ前にならえで歩くのが苦手とぼやいていた彼らしく、不規則な足音。いや、単純に歳のせいもあるか。ここの階段は急な上に古くて、1日に二度も登ろうなど俺は絶対思わない。
よたり、到着した彼が膝に手をつき肩で息をしている姿を見て、老いをまざまざと感じる。たった2つ上なだけの俺もきっと、同じようになるだろうと想像しながら。
「あっかん、死ぬ、死ぬ...」
「お疲れさん。」
「ほれ、命の水や。」
「うぉ、冷たっ。ありがとう。さすが自慢の恋人だわ、神。」
「せやろ。はーー。」
「お前きゅうりは?」
「買うてすぐ食うてもうたわ。」
頬に押し付けられたラムネを受け取ればもう既に栓が空いている。ラムネを開けるのが苦手な俺への、無��識の配慮だ。こういうところで、彼の手を取った理由を見せつけられるような気がする。
パリパリ、りんご飴のフィルムが彼の手によって剥かれ、出てきた赤い艶々の飴を彼の緑の舌が舐める。これやこれ、と満足げに肯く姿を見ながら喉を潤せば、もう花火が打ち上がる時間だった。
「なぁ、」
「んー?」
「こっち、来る気ないの。」
「んー、せやなぁ。」
白い歯を飴に突き立ててカシカシと齧る彼の横顔はいつも通り、見慣れた彼の顔で、安心する。はずなのに。何故そんな、答えのわかりきった質問をしてしまったのか、自分でも分からない。
「ここ、ほんま人おらんよな。穴場やーいうてバズったりせんのやろか。」
「半端な心霊スポットなら話題にはなるだろうが、ここは別だからな。」
「まぁ、せやろな。去年また変な噂も出たしなぁ。」
「あぁ、死後に恋愛が成就するって噂、だろ?祭りの日に首を吊る、ってのはどうにも、人の妄想を掻き立てるらしいな。」
「まさか後ろでそんなこと起こってるとは思わんやん。お前おらんかったら来てないわ、俺。」
「ここの花火が好きなんだ、俺は。いつも付き合わせて悪いな。」
「んや、ええよ。」
どん、どん、と、空砲のような音が空に響いて、試し打ちなのか、ひゅるる、細い白い光が空を裂いて、そして、炎色反応の円がぱぁぁ、開かれた。
「おぉ、始まった始まった。」
嬉しそうに顔を上げ笑顔になった彼の肩が動いた拍子にとん、と触れて、抱き寄せたくなる衝動を抑えた。そんな行動、キャラじゃない。目は花火を見たまま、意識はずっと隣に向いている。
「昔嫌いやってん。花火。」
「珍しいな。」
「祭りに行ったって友達の話が羨ましくてなぁ。あんなもん別になんもおもんないわ、って拗ねてた。」
「あぁ。」
「んでも、ここでお前と花火見てから、嫌いやなくなったわ。」
「それならよかった。」
身体に響く花火の音と、左右の森から聞こえる謎めいた虫の声と、それに混じって耳に届く彼の小さな感嘆の声。夏が来て、そして終わる。この1時間足らずが俺にとっての、夏と呼べる時間だった。
「俺、まだ大阪で見たい景色がいっぱいあんねん。」
「知ってるよ。悪かった、変なこと聞いて。」
「それに、」
「それに?」
「お前を独り占めする東京は、嫌いや。」
どぉん、一際響く音と共に、大きな円が空に浮かび、そして光達が橙色の火花のシャワーとなって街へ降り注ぐ。変わり種だ。人間、動揺すると、現実から目を背けて冷静になるらしい。戸惑いがちに重ねられた、二人の間にあった手は少し湿っていて、彼の右手が控え目に俺の指を撫でる。
「ど、うしたの、びっくりした。」
「ここなら、誰もおらんから。あかん?」
「んな��けないだろ。」
少し前の俺を殴ってやりたい。年上には見えない華奢な肩を抱き寄せて、目は相変わらず花火を捉えたまま、己の掌から伝わる低めの体温と、自分の左半身に感じる僅かな重み。
「普通となんも、変わらんのにな。」
「...そうだな。」
「もしもボックスあったらな、日本におる人間を皆ちょっと物分かりよくすんねん。」
「物分かり?」
「そう。で、なんやかんやで俺が国のトップになって、全国民に向けて演説や。」
「ほう。」
「皆さん、よう考えたら、人がどんな人生送ろうが、自由ちゃいますか。多数派だけが正義やと、言い切れる根拠ないでしょ。みんな違ってみんないい、それぞれが幸せな国でありましょう。いうて。」
「いい世界だな、それ。」
「せやろ?国民皆総立ちでスタオベや。拍手喝采の中俺は役目を終えて、社畜に戻んねん。」
けらけら、楽しそうに笑う彼の目に、空を彩る光が映っては消えていく。濁ることのない、綺麗な瞳が照らされて、消えて、照らされて、消えて。
「...ただそこに在ることを、誰かに許してもらわなあかんっていうのは、なんやフェアじゃないな。」
「世界中の人間がお前だったら、優しい世界になるよ。きっと。」
「褒めすぎやで。ダメ人間加速してまう。」
「いいよ、ダメなところは俺がカバーするから。」
「そこはそんなことないよ、やろ。」
空がひっきりなしに明るい。クライマックスが近づいていた。彼が、また、花火を嫌いになる時間が近づいていた。肩に置いていた手で彼の髪をそっと梳いて、撫でる。いつか、お前の手つきは言葉より雄弁や、と悔しそうに言われたことを思い出す。
ぽた、ぱた、黒い浴衣に彼の目から溢れた花火の名残が落ちていくのは、もう目を向けずとも分かることだった。心の造りが繊細なんだ、と、そう言うことしか出来ない俺は、ただ震える肩を抱いていた。透明な玉がほろほろと目からこぼれ落ちて、綺麗だと思った。髪がかけられた薄い耳。新しく開けられたヘリックスには、シンプルなシルバーのリングが嵌まっている。秩序が乱され彼の世界が壊される度増える穴は、もう5つ目になる。
「夏、終わるんやな。」
「また来るよ、たった1年待てばいいだけだ。」
「1年、結構長いんやで。」
「知ってる。」
「お前、ずるいわ。意地悪い。」
花火を見るのが嫌いだったのは、彼だけじゃない。夏が終わってしまうことが��くて、花火の音を聞くたびに泣いていた昔の苦い記憶が脳裏を過ぎる。当時は漠然とした恐怖ゆえだったが、今ならその気持ちがわかる。夏は、そういう季節なんだ。夏だけは、終わる時に、死を感じさせる。
そして花火は全て空に消え、夏は死に、シン、と鎮まり返ったただの夜に戻った。
「好きだよ。」
「...知ってる。ボキャ貧。」
「腫れるから擦るな。毎年言ってるだろ。」
「うっさ、オカンか。」
「言わせるな。ガキか。」
顔に押し付けたタオル地のハンカチに顔を埋め、ぐすぐすと鼻を鳴らす彼の頭をぐしゃりと撫でてから、立ち上がる。両手には彼に強請られたお土産。出目金を早く水槽へ入れてあげたい。何よりも。
「ほら、さっさと帰るぞ。」
「...お前、情緒ゼロやな。」
「当たり前だ。今日と明日しかないんだから。」
「何が、」
「面と向かって、お前におかえりとただいま言える日が。」
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遠近法の次は魚眼レンズ
24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。 むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。 それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。 帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。 樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。 だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。 ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。 それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。 しかし、地球はまだまだ広い。 就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。 無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。 何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。 無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。 様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。 自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。 しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。 きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。 達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。 私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。 さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。 だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。 世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。 そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。 15万人が入るというスタジアムに案内された。 東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。 初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。 だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。 演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。 あなたがいなければ私たちもなく あなたがいなければ古里もない 金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳! そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。 むごたらしいまでの完成度の高さ。 虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう! 金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。 色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。 だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。 たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。 かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりす��日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。 しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。 今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。 それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。 忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。 ただ、帰国したその時、かすかだが���固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。 警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。 私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。 そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか? 尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。 出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。 しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。 だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。 めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。 姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほ��らしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。 恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。 根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。 マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。 小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。 その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。 それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。 だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。 その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。 象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。 人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。 理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。 アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。 自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。 相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。 彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか? 派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。 しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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Fate stay night [Réalta Nua] Heaven's feel 感想
HF
2017/9/17 アニメUBWを初見で見始める 9/29 レアルタセイバールート初見プレイ開始 2017/12/24 レアルタUBW初見プレイ開始 2018/1/24 レアルタHF初見プレイ開始 2/24 レアルタヌア初見プレイ終了
HFは1日につきゲーム内の1日分ずつ進めた。
レアルタヌアの感想をブログにまとめてみて思ったけど、めっちゃ感想書いてるな僕wあとで見返すのが楽しいけどまとめるのに時間かかったw
・1日目
眠れないから1日分だけ進めた。
1日目の内容は9割ほどは他ルートと同じだったけど、他ルートでは出なかった「桜を送る(上級編)」が出た。その内容は、慎二の事だったり凛の家の噂の話だったり。
あと、他ルートに比べて士郎が桜を異性として意識してる描写が目立った。
・2日目
他のルートでは序盤の序盤にしか出てこなかった桜がバンバンピックアップされてて少し驚く。
放課後の教室での一枚絵の桜が可愛いかった。
ゾウケンさん初登場。まだ普通のお爺さんって感じ。
・3日目
ゾウケンさんがなんか企んでるっぽい。意味深な台詞ばっかり言ってる。
レアルタヌアのHFのムービーを見たら、なんか皆カッコよかった。HFでは特にライダーが活躍するらしいからそれを見るのが今から楽しみ。
・4日目
セイバーの暴露からの教会での御三家についての説明。
なんというか、言峰が親切すぎてびびる。士郎に助言までしてるしなんだこいつ。
言峰は人と同じ幸福を感じることが出来ない人間なのか。 切嗣と言峰の類似点や相違点も気になる所だ。
ゾウケンに出来損ない扱いされてる慎二が少し哀れに思えてきた。 Fateルートでは死ぬしUBWでは道化だし、両親を蔑んでるみたいだしゾウケンには罵倒されるしで慎二はとことん不遇なキャラクターだなぁ。 HFで彼は一体どうなるのやら。
・5日目
日常が多めだった。
遂に真アサシンとあの影が出てきた模様。でも映画と展開が少し違って戸惑った。やっぱり映画はだいぶ展開を詰めに詰めてるんだろうなぁ…それでもあのクオリティなんだから凄い。
凛が放課後に士郎を呼び出す手紙で「殺す」の文字が消されてるところがプリヤのそれと同じで笑った。 プリヤ一期で凛がイリヤに送った手紙も原作のオマージュだったんだなぁ。
最後の凛が士郎の血を吸う夢?はなんだったんだろう。そういや映画でもなんか色っぽいシーンがあったような気がする。もううろ覚えだけど。
ここってPC版だと直接的なエロ描写だったんだろうか?などと想像してみる。
桜のおっぱいはEカップ
・6日目
ひたすら「桜みたいな奥さんがほしい」と思う1日だった。 もしラジで「もし私が悪いことをしたら~」は結構重要な台詞だと言ってたから覚えておこう。
ランサーvs真アサシンは思いの外地味で映画とのギャップを感じた。映画ではめちゃくちゃ派手に演出してたんだなぁ。
・7日目
桜のソウルジェムが少しずつ曇っていくのを感じて辛くなってきた。
言峰が麻婆豆腐を食べてる所は面白かったw中田譲治さんの演技が最高w
HF初のタイガースタンプを回収。桜と土蔵で話をしないとここでバットエンドになるのか…これ、明らかにあの影は桜と関係があるって事を示唆してるなぁ。
映画を見たときもアーチャーの「私怨を気にしてる余裕がなくなった」発言は気になったけどそのあとの「悲観したものじゃない」って台詞を聞いてアーチャーを応援したくなった。
アーチャーは、まだ災厄を止められるし、まだ後始末をすると決まった訳じゃない!と思ってるんだな。 どうなるのやら。 体は朽ちるがほぼ永遠に生きてるってゾウケンはまるでMOTHER3のポーキーみたいだ。
アーチャーはUBWでは「サーヴァントは所詮道具」って言ってたけど、あれは自虐だったんだろうか。だってゾウケンに似たような事を言われたときに表情が怒ってたし。
凛が学校で「人は本当の事を言われると怒る」って言ってたけど、それはこういう事だったのかも。
・8日目
映画のHF一章の分の内容が終わった。
イリヤとの会話はHFがイリヤルートも兼ねている事を実感 させられたし、復讐の相手だった切嗣がもう居ないと知ったときや、当たり前の日常を渇望するイリヤの心境を考えると悲しくなった。 だからこそ、あの一枚絵とあのBGMはとても印象に残った。
セイバーの「桜は過ちを未来で正すのではなく自分に刻み込むきらいがある」でらっきょでの橙子さんの「私たちは罪で道を選ぶのではなく選んだ道で罪を背負うべき」を思い出した。
桜が士郎の安全を想うが余りヤンデレ的な思考になって行ってるのが不穏だ。その内士郎の四肢がもがれてもおかしくない。
ギルガメッシュが「人が人を頃すのは我慢ならない」って言った事が意外だった。しかも要約すると「札人は人の手に余る」って理由だったのがさらに驚き。 ギルガメッシュはとことん傲慢だけど、それは一本筋が通った傲慢さなんだなぁ。 ギルガメッシュが人気な理由がなんとなく分かった気がする。
・9日目
遂にこの選択肢が出てきた。(鉄心に分岐する選択肢のこと) 正義の味方を貫き通す選択した後がとても辛かったし、タイガー道場でさらに凹まされた。心を鉄にした士郎も桜を頃す凛もイリヤの一言ももちろんそうだったけど、「藤ねえが士郎のこの選択を受け入れる」っていうのが一番辛かった。
もう劣等感しか残ってないし、それを拭おうとして空回りしてる慎二の心境を考えると凄く悲しくなる。これからどうなるんだろうか。
桜は好きな人を騙し続けてる罪悪感に苛まれてる所が月姫の秋葉様に似てる気がする。桜も秋葉様も自分の気持ちに素直になれないし。
桜は士郎に対する想いを内に仕舞い込み、秋葉様は志貴に素直になれない。好きな人に対して素直になれないって所は二人とも同じだけど、その出力先が違う。
桜の懺悔で『灰羽連盟』の罪の輪を思い出した。 自力で罪の輪から抜け出せないのなら誰かに罪を許してもらえば、罪を知りながらも罪人では無くなる。士郎は桜を罪の輪から救出した。
つい最近まで士郎に復讐心を抱いていたイリヤが士郎にここまで優しくするのか…と思わず泣いた。でも士郎が聖杯を求めるのならイリヤはマスターとして立ち塞がるんだろうか?もしそうなったら辛いな。 士郎は正義の味方を貫いてもそうしなくても結局辛い思いをするんだろうなぁ。
桜が士郎の血を吸う場面はPC版だとセックスする場合なんだろうか。もしそうなら「HFはエロ無しでは成り立たない」って言葉の意味が理解できる。
桜はレアルタヌアで「好きな人の血を吸う」という、アルクェイドがしなかった事をしたんだなと思うと少し感慨深い。
・10日目
士郎と桜の状況がどん詰まり過ぎてて読んでてあんまり楽しくなかった。
何故イリヤは桜を嫌う���だろう?言峰の求める答えって何?あの影と桜の関係は?疑問は増える。
セイバーが反転したのを士郎が割りとさらっと受け入れてて驚いた。もっと狼狽すると思ったけど。
言峰の人間性の開示によって「言峰と切嗣は正反対の人間だが印象は似てた」って言葉の意味がやっと分かった。
正しいものを正しいと理解していながらそれに価値を見いだせず、それを求めても得られない言峰と、綺麗な理想を抱きながらも冷徹な行動をとる切嗣。 確かにぱっと見は似てるけど全く違う。
最後の幕間が不穏すぎる。「虫を潰した」って、一体誰が?
・11日目
ひたすら桜と凛が微笑ましい1日だった。この不器用さん共め!w
慎二がまたなんかやらかしそうな雰囲気を出してるなぁ…
凛に「士郎の前だけでは桜は笑う」と言われて、士郎は「今の桜は自分に依存してる」と気がついたっぽい。 姉妹のやりとりは和んだけど、状況が詰んでるのは変わってないんだよなぁ…読んでて少し辛い。
・12日目
感想を一言に纏めると「とにかく読むのが辛い」
桜が助かる為に士郎も凛も行動してるけど、それが桜を傷つけてしまう事が辛い。
本当は士郎と一緒に住みたいイリヤは、切嗣への憎しみを無視出来ないし、士郎が聖杯を手に入れるということは士郎がアーチャーの腕を使い傷つくということ。
士郎も凛もイリヤもそうなんだろうけど、桜も辛いだろうな。
日常生活がまともに送れないほどに体は消耗してるだろうし、士郎は戦うし「自分自身を救おうとしてくれてる人」だと分かってはいるけど凛への不信感は募るし毎晩悪夢を見るし。
滋養である筈の士郎からの吸血でさえ自己嫌悪が付きまとう。
士郎がもし氏ねば衛宮低にイリヤの居場所はなく(凛とは魔術師同士だし桜とは何故かそりが合わないらしい)、イリヤは依り所を無くす。 だけど士郎は戦いを止めない。
凛は魔術師然とはしてるけど骨の髄まで魔術師って訳ではないから、桜に厳しく接するのは辛いだろうなー。 救う対象であるはずの桜を遠ざけないといけないってのはなんとも皮肉な話だ。
日に日にすり減っていく桜の心身。悪夢と士郎が感じた「影」と桜の関係。 ゾウケンの意味深な言葉、ギルの謎の行動。 ちょっと辛すぎw読んでると僕のMPがゴリゴリ削られていくwでも光明は見えた。士郎が凛の宝石剣を投影出来れば状況をひっくり返せるかもしれない。 まぁ、光明が見えた分だけ事態が悪化してる気がするけどw どうなるんだこれ...読んでて凄く面白いけど辛い。
「奈須きのこって本当に凄いな」と改めて実感した。 ここまで複数の出来事や登場人物達の心情が絡み合ってる創作物を読むのは本当に久しぶりかもしれない。このぐちゃぐちゃに絡まった諸々がどんな風にほどけていくのかが楽しみ。
・13日目
今まで明言はされなかったけど散々仄めかされてきた桜と影の真実が分かった。桜を道具として扱っておきながら士郎に「桜を頃せ」なんて言うゾウケンは真性のクズだな。
「なんで桜からあの影が出るんだろう?イリヤからは出ないのか?」と疑問に思ったけど、「イリヤはサーヴァントを回収するたびに人としての機能をカットするから影が出ないんだ」と自己解決した。
桜と士郎が花見の約束をするばめんでアルクェイドの「私はifって好きよ。その時だけは希望がある気がするもの」を思い出して涙が出た。
かつての信念を捨てた士郎にひたすら謝ってる桜にちょっとだけもやっとした。 桜自身には影をどうすることも出来ないんだろうけど、だからってあそこまでして自分を守ろうとしてくれる士郎に対してただただ謝るだけで「ありがとう」の一言も言わないのか、と。
13日目のフローチャートに不自然な空白があるから、たぶん今進んでるルートはその内バットエンドの一つに通じるんだろうし、この不自然な空白の先が正規ルートなんだろうな。 とりあえず今は放置して読み進めよう。
・14日目
桜が反転したけど、まだ完全には反転してないっぽい。
桜と聖杯の関係がややこしい。ちょっと整理してみる。 〈桜には聖杯の欠片を元に作られた刻印虫が埋め込まれている。故に桜は聖杯の機能を持つ。〉 〈聖杯の力は本来無色だが汚染されたため「人を頃す」という方向性を持った力に変わってる〉 〈桜は聖杯の門を閉じられない〉 〈桜の性格と汚染された聖杯が適合して「影」が産まれた〉
「何かが産まれ出てくる事を阻止する事は罪だが、産まれてきた者にもし罪があるのならそれは償うべき」って言峰の考えは凄く厳しいし、桜の影の事に対してそう言ってるから凄く歪んでる。
15日目はまだ終わってないけど、情報が多すぎて頭が痛いから今日の所はセイバーエンドを見て終了。 そして土蔵でのライダーとのやりとりの選択肢から再開する。
セイバーを下したがとどめを刺す前に廃人になってしまった士郎はなんとも無念だ…
言峰は本当に複雑な人間なんだなぁー。 言峰と言峰が愛した女の事を知って、愛とはなんなのかを考えさせられた。 愛した側の心の在り方がどうであれ「愛された」と感じたのならそれは愛なのか?愛する心が無くても「愛するという行為」があればそれは愛するという事なのか?
天の杯と根源の渦の関係がよく分からなくて何回か読み返した。アインツベルンの目的は別に根源の渦に到達する事ではなく、あくまで根源の渦に至る道に溢れてる手付かずの魔力だって事が理解できた。 …この解釈で果たして合ってるのか?合ってると思いたい。
「魔法」や「魔法使い」が型月世界では超重要だって知ってはいたけど、物語の中でそれを体感するのは初めてかもしれない。 でも士郎が言ってたように、士郎達にとってはそんなのは関係無い。彼らにあるのは自分と大切な人の時間だけ。
桜がどんどん反転して行ってるけど、正直、「やっと反転したか~」と思った。メタ的視点から言うと桜が反転しないと話がつまらないし、その過程とそれを受けてどういう風に物語が帰結するかが見たい。
VSバーサーカーでの士郎はとんでもなくかっこよかった。これは間違いなくSN名バトルの一つだろう。 「ついてこれるか」からの「ついてこれるかじゃねえ。おまえがついてこい!」は最高にイカしてる。
タイガースタンプが残り3つ......長かったSNももうすぐ終わってしまう......最初は「これ全部埋められるんか?」と思ってたのに残り3つ......あー寂しい。
終わった。色々言いたいことはあるけど、とりあえず今真っ先に言いたいことは…桜、めっっっっっちゃ美人になってませんかあああああああああ!!!?!!!?!!?!?!
しかも凛に「幸せ?」って聞かれて「はい」って満面の笑みで言ってるしなんなのもおおおおおお!!!良かったああああああ!!! この文章(Twitterのヘッダー画像にしてたあの文章)でもう「あ、士郎達の物語はもう終わりなんだな」って……… いやだあああああああ!!!!!いかないでええええええ!!!!虚無感ヤバイんじゃあああああー!!!!でも「終わり」が大好きなんだよオオオオオオオオオンン!!!! ちなみにタイガースタンプもコンプ。全部埋まった。埋まっちゃった。 SPも見た。綺麗に総括してて最高の締め括りだった。 残るはラストエピソードのみ。これを見たら本当に本当に終わってしまうから、見たいけど見たくない。でも見る。
・ラストエピソード
セイバールートの最後で士郎は結局アーチャーになってしまったのか。でも、この再会があったから二人はきっと報われたんだろうな。 そして「Link」がめっちゃ晴れやかで良い曲だった。 一回だけBGMだけを纏めた動画で聴いたことがあったけど、てっきりHAの曲だとばかり思ってた。 「あの坂を登り終えたらそれぞれの道を行こう」と「笑顔で手を振���う。いつかきっと会える」って歌詞が凄く晴れやかで切ない。
・HFを振り返る
HFのトゥルーエンドで月姫の「まひるの月」や「温かな牛睡」を思い出した。こういう切ないエンドもたまらない。
桜が琥珀さんの系譜のキャラだって聞いたことがあるけど、確かにそうだった。 桜も琥珀さんも、救うことはかなり難しい人だけど、救った時の喜びと感動は物凄く大きい。 まぁ、琥珀さんを救ったのは志貴で、桜を救ったのは士郎だけどね! そこを勘違いしちゃいけないと思う。読者はあくまで傍観者。
桜はアンリマユに憑かれて初めて凛に対して鬱憤を吐く事ができたから、そういう意味ではアンリマユに憑かれた事は良かった。姉妹喧嘩も出来た事だし。 というか、お互いに魔法に近い力を振るう姉妹喧嘩って凄いなwスケールが大きいw
桜がアンリマユに取り付かれてる姿はおっぱいがとても強調されてるから、シリアスな場面でも(おっぱい大きいな)ってしょっちゅう思ってたw イリヤが大聖杯の門を閉じる時の杉山さんの演技が印象に残ってる。 イリヤの名を思い出してから連れ戻そうと名前を呼ぶ。その感情が演技で凄く伝わってきた。
天の杯の服装のイリヤは外見は幼いのにとても大人びて見えた。特にあの一枚絵は。
桜の体は清いとは言い難いし、桜の好意は良くも悪くもとても重たい。それでも桜が好き。 桜は士郎にとって日常の象徴でもあると思うし。
サーヴァントや魔術がある世界だからこそ、士郎と言峰の殴りあいは熱かった。この戦いは正義と正義のぶつかり合いでしかもお互いの力がやや拮抗してるのが熱さに拍車をかけていた。
言峰にとってアンリマユは「自らが出せなかった答えを出すかもしれない希望」だったんだなー。
それまで徹底して冷たい態度を取ってたのにここぞという所で桜への好意を自覚してとどめを刺せないし、凛の境遇を想像もせずにひたすら自分を罵倒する桜を抱き締めてやれる凛が凄く好き。 「うっか凛め…」って思いながら涙を流したし、ここを映画でもし見たらきっととんでもないことになるだろうなーw
終盤の桜の声には凄く気迫があるというか、ドスが効いていて下屋さんの演技力の凄さを実感したし、桜は「ただおしとやかで可愛いだけのヒロイン」じゃないんだなって思った。
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焼きそばハロウィンはいかにして無敵のアイドルになったのか(1)
糸のように少しだけ開いたカーテンの隙間から朝陽が差していた。三角形に切り取られたやわらかな光の中を、田園を飛ぶ数匹の蛍のようにきれぎれの曲線を描いて埃が舞っていた。深い紫陽花色をしたチェック柄のミニスカートが、まっすぐにアイロンを当てられたシャツ、左右が完全に揃えられた赤いリボンとともに壁にかけられていて、部屋の主である女子高校生の内面を強いメッセージが込められた絵画のように表していた。 最も速い蒸気機関車が、そのペースをまったく乱されることなく東海道を走り続けていたように、その子どもがアスファルトを踏みしめるスニーカーのちいさな足音は正確に一分間当たり百六十回をキープしていた。それは彼女が小さなころから訓練に訓練を重ねてきた人間であることを示していた。太陽が地面に落とす影はすでに硬くなり、朝に鳴く鳥の歓びがその住宅地の道路には満ちていた。はっはっ、という歯切れ良い呼気が少女の胸から二酸化炭素と暖かさを奪っていった。 白いジャージに包まれたしなやかな身体は、湖面の近くを水平に飛ぶ巨大な鳥のそれに似ていた。ベースボールキャップからちらちらと見え隠れする桃色の髪がたった今自由になれば、相当に人目を引くほど美しくたなびいただろう。 ちら、とベビー���ーを見た視線が「ヤバイ」と言う言葉を引き出して、BPMが百七十に上がった。冷えた秋の空気が肺胞をちくちくと刺すようになったにもかかわらず、彼女の足取りは軽やかなままだった。そのままペースを落とさずに簡素な作りの階段をタンタンタンとリズム良く駆け上がりながら、背負っていた黄色のリュックサックからきらびやかなキーチェーンに取り付けられた部屋の鍵を取り出した。 かちゃり、と軽い音でドアが開いた。 「ヤバイってえ……」 靴が脱ぎ捨てられ、廊下を兼ねたキッチンの冷蔵庫が開かれると同時に、がっちゃんと重々しくドアは閉まった。その家の冷蔵庫は独身者向けの小さなサイズのそれで、天板に溜まった微かな埃が家主の忙しさを示していた。リュックから取り出された小さなタッパーを二つ、彼女は大事そうに冷蔵庫の中段に入れた。若干乱暴にそれが閉められた後、その場には一息に服が下着ごと脱ぎ捨てられた。浴室に荒々しく躍り込むと、曇りガラスの裏側でごろ、と音が響いて、洗い場の椅子が乱雑に蹴り退けられたようだった。 水が身体に跳ね返って飛び散り続ける音は短かった。男子高校生並のスピードでシャワーを終えて素早く黄色のトレーニングウェアに着替えると、彼女は強力なドライヤーで頭を乾かしながら鏡を睨みつけた。凄まじい早さで顔を直し、部屋の隅に立てかけてあったドラムバッグを一度だけひょいっと跳んで深くかけ直すと、小上がりに鎮座していたゴミ袋を掴んで「いってきます!」と誰もいない部屋に叫んだ。 キャップから出された、揺れるポニーテール。土曜日の早朝を走り抜けてゆく足音をゴミ収集車のビープ音だけが追っていた。 少女の部屋には静けさが戻る。
地下鉄の駅を出ると、人混みをすいすいとくぐってきつい坂を下っていった。途中にある寺の横を小さく一礼して通り過ぎ、降りきった先の人通りの少ない路地を抜けていくと、やがてダンススタジオのちいさな立て看板が見えた。軽い足取りで一番下までたどり着き、ふう、と軽く息を吐く。耳から完全ワイヤレスのイヤホンを引き抜いてポケットに突っ込み、「ごめん!」と、笑顔を浮かべたまま身体全体で重い扉を勢いよく開いた。 小さな子どもたちが彼女の頭上を通り過ぎる笑い声と一緒に、白い光が斜めに入り込んで、暗い床を小さく照らしていた。彼女の瞳は、誰の姿も捉えない。 「……あれ?」 「あれ、じゃない」 ばこん、と、現れた女性に横からファイルで強く頭を叩かれ、彼女は悶絶して頭を抱え座り込んだ。 「城ヶ崎……集合時間は何時だ?」 く〜、と唸り声を上げた美嘉は、しばらくしてから「九時」と涙声��言った。 「今は何時?」 「八時五十八分、に、なったところです」 「正解だ。じゃあな、私はデートに行ってくる」 「ちょ、っと。トレーナー!」 美嘉はトレーナーの服を掴んで、「え」と言ったあと「……冗談、ですよね」と半笑いの顔を作って聞いた。上から下までトレーナーの服装を見て、それがいつもの緑色のウェアとは似ても似つかぬ、落ち着いた色合いの秋物であることに気づく。 「失礼だな、私にも急なデートの相手ぐらいいるよ。年収五百五十万、二十九歳、私にはよくわからないのだがシステム系の会社でマネージャーをしている――」 美嘉はうんざりとした顔を浮かべて、 「相手の年収なんて聞いてませんよ。ていうかそうじゃなくて、私たちのレッスンはどうなっちゃうんです?」 「まず第一に、私はいつも五分前行動を君たちに要請している」 「……それは、すみません。朝、用事で家を出るのが遅れてしまって」 「第二に、彼は笑うとえくぼがとてもかわいいんだ。好きな力士は豪栄道」 「彼氏情報はもういいですから……」 豪栄道とトレーナーの共通点を美嘉がまじまじと探していると、「第三に」と言って、トレーナーは指を振った。 「次は三人揃わないとレッスンはしないと、前回宣言したはずだ。案の定だったな」 美嘉は、うわっ、と呻いて「志希のやつ……」とつぶやきながらスマホを取り出して乱暴に操作した。 「先に鷺沢に連絡しろー」と、ヒールを履いたトレーナーは外に出ながら言った。 「あいつ、いつも三十分前に来て長々ストレッチしてるんだ。本番前最後の確認でいきなり無断欠席となると、少し心配したほうがいいかもしれないぞ」 ドアの隙間から微笑んで、「じゃあな」と、一言言うとトレーナーは去った。ぽかんと美嘉は小窓から彼女を見送る。かつ、かつという高い音は、軽やかに去っていった。 おかけになった電話番号は、電源が入っていないか――。 美嘉は携帯から小さく流れる音声を一回りそのままにしてから消し、スタジオの照明をつけないまま日の当たるところへと歩いていった。『い』から『さ』へ大きくスクロールして、窓際であぐらをかく。『鷺沢文香』を押し、耳に当てる。短いスパンで赤いボタンを押す。『鷺沢』赤ボタン。『鷺沢』赤ボタン。『た』にスクロール。 『高垣楓個人事務所』 耳元の小さな呼び出し音を聴きながら「なんで……」と美嘉は呟いた。短いやり取りで、事務員に文香への連絡を頼んだ。 「プロデューサーにも連絡お願いします……いえ、アタシは……はい、残って自主練やります。」 電話を切った後、ふうう、と美嘉は長いため息をついた。一息に立ち上がり、バッグから底の摩耗したダンスシューズを取り出して履くと、イヤホンを耳に押し込んで入念なストレッチを行った。同い年くらいの少女たちが数人、スタジオの横を笑い声を立てながら通り過ぎ、その影が床をすうっと舐めていったが、彼女はそれに目もくれなかった。 床に丁字に貼られたガムテープの、一番左の印に立った。トリオで踊るときのセンターとライト、残りふたつのポジションに一瞬の視線が走り、美嘉は目尻に浮かんだ悔し涙を一瞬親指の背で拭った。 「くそ」 いきなり殴りつけられた人がそうするように、美嘉はしばらく下を向いていた。闘争心を激しく煽る力強いギャングスタ・ラップが彼女の耳の中で終わりを告げ、長い無音のあと、簡素な、少し間抜けと言ってもいい打楽器が正確なリズムで四回音を立てた瞬間、美嘉は満面の笑みを浮かべてさっと顔を上げ、ミラーに映った自分を見つめながら大きく踏み出した。だんっ、と力強くフローリングを踏みしめた一歩の響きは、長い間その部屋に残っていた。
「おはようございます……」と挨拶をしながら、美嘉がその部屋に入っていくと、「あら、めずらしい」とパイプ椅子に座っていた和装の麗人が彼女を見て笑った。その人が白い煙草を咥えているのを見て、美嘉は「火、つけます」と近寄りながら言った。 「プロデューサー、煙草吸うんですね」 「いやですねえ、二人きりのときは楓と呼んでくださいと、このあいだ申し上げたじゃないですか」 「……楓さん、ライター貸してください。アタシ流石に持ってないんで……」 こりこりこり。 煙草が軽い音を立てながら楓の口の中に吸い込まれると、こてん、と緑のボブカットが揺れ、「はい?」と返事が返った。煙草と思っていたそれが菓子だったことが分かって、美嘉はがくりと頭を垂れた。 「ええと、ライターですか……あったかしら……」 「……からかってるんですか?」 「まさかまさか」 楓がココアシガレットの箱を差し出すと、美嘉は「いらないですって……」と顔をしかめて言った。 「今日は、打ち合わせ?」 「はい、次のクールで始まる教育バラエティの……楓さん、ちひろさんから連絡行きましたか」 「はいはい、来ましたよ。文香ちゃん、大丈夫かしら」 「……軽いですね」 「軽くなんか無いですよ」 ついつい、と手の中のスマホが操作され、「私の初プロデュース、かわいい後輩ユニットなんですから、応援ゴーゴー。各所からアイドルを引き抜きまくって、非難ゴーゴー!」と、画面を見せた。『高垣楓プロデュースユニット第一弾! コンビニコラボでデビューミニライブ』と大きく書かれたニュースサイトの画面には、『メンバーは一ノ瀬志希、城ヶ崎美嘉、鷺沢文香』と小見出しがついていた。びきっ、と美嘉の額に音を立てて青筋が現れ、「だったら」と美嘉は言った。 「ほんっと、真面目に仕事してくださいよ! なんなの、『焼きそばハロウィン』っていうユニット名!」 「ええ〜かわいくないですか、焼きハロ」 「ユニット名は頭に残ったら成功なの! ニュース見たら一発で分かるでしょ、記者さんも訳わかんなくなっちゃって、タイトルにも小見出しにも使われてないじゃん! ていうか百歩譲ってハロウィンは分かるとして、焼きそばってどっからきたの!!」 「以前、焼きそばが好きだっておっしゃっていたから……」 「え、そんなこと言ってましたっけ」 「沖縄の撮影に三人で行ったとき、一緒に食べておいしかったーって」 「……あれ、たしかに……はっ、いやいやいや、丸め込まれるところだった。好物をユニット名にしてどうすんの」 「美嘉ちゃんには対案があるんですか?」 「た、対案?」 いきなりプロデューサー業を完全に放棄して頬杖をしながらがさがさとお菓子かごを漁る楓に、美嘉は「対案……」と呟いて顎を触った。は、と思いついて「たとえば、志希がセンターだから、匂いをモチーフに『パフュー(ピー)』とか、あと……秋葉原でイベントやるし、そうだ、三人の年齢とかを合わせちゃって『エーケービー(ピイィー!)』とか、あーもうさっきからピィピィうるさい! なんなんですかそれ!」 「フエラムネですよ。あっ、今の若い子はご存じないですか」 「アッタッシッがっ、しゃべってるときにはちゃんと聞いてよ、アンタが考えろって言ったんでしょ! ていうか文香さんのこと、早く何とかしなさいよ!」 「ははあ」 ごり、と、ラムネを噛み砕くにしては大きい音が楓の口内から立てられた。美嘉は激昂から一瞬で冷めて、口元に小さな怯えを浮かばせた。月と太陽とを両眼に持ったひとはそれらをわずかに細め、もう一つラムネを口の中に放り込んだ。 「焼きハロ、私はリーダーを誰かに頼みましたよね。誰でしたっけ」 「……アタシ、です」 ごり。 「トレーナーさんからも話を聴きましたよ。なんでも志希ちゃんは、初回以来一度もレッスンに現れていないとか」 「あれは! その……志希は、前の事務所のときからずっとそうで……」 ごり。 「ふうん、美嘉ちゃんはそれでいいと思ってるんですね」 楓がゆらりと立ち上がり、美嘉に近寄った。彼女が反射的に一歩大きく下がると、壁が背後に現れて逃げ場が無くなった。フエラムネをひとつ掴み、楓は美嘉の少し薄い唇にそれを触れさせた。真っ赤に染まった耳元にほとんど触れるような位置から、楓の華やかな口元が「開けて」と動いて、美嘉がわずかに開けたそこにはラムネがおしこめられた。ひゅ、と一瞬鳴ったそれに、楓は満足そうに微笑むとテーブルに寄りかかった。「口に含んでもいいですよ」と楓が言った。美嘉は少し涙の浮かんだ目で楓を睨むと、指を使ってそれを口に入れた。 「私は高垣楓���すから」 テーブルを掴んでいる指で、楓はとんとんと天板を裏側から叩いていた。「傷つかないんですよね、残念なことに。何が起きても」とほんとうに少し残念そうに言った。 「だから、あなた方が失敗しても、私は特に何も思わない。たとえばコンビニのコラボレーションが潰れても、私は特に怖くない。少しだけ偉い人に、少しだけ頭を下げて、ああ、だめだったのかあ、と少しだけ感慨に浸るんです。でもあなた方はきっと、違いますよね」 美嘉の口の中で、こり、と音が鳴って、 「……何が言いたいんですか?」 「自信がないの? 美嘉ちゃん」 質問に質問を返されて、しかし美嘉はもうたじろがなかった。「最高のユニットにしてやる」と自分に言い聞かせるように呟くと、「なんです?」と楓は聞き返した。 「何も、問題は、ない。って言ったんですよ」 パン、と楓は手を叩いて、「ああ、よかったあ」と、言った。 「今日はもうてっぺん超えるまでぎっちり収録ですし、困ったなあ、と思ってたんですよね。明日の店頭イベント、よろしくお願いします」と、微塵も困っていない顔で言った。 「文香さんち、いってきます」と宣言し、美嘉はトートを抱え直した。行きかけた彼女は楓に呼び止められて、投げつけられたココアシガレットの箱を片手で受け取った。 「さっきはちょっといじめちゃいましたけれど……」と楓が言葉を区切ると、美嘉は心底嫌そうな顔をして「はあ」と言った。 「ほんとうにどうしようもなくなったら、もうアイドルを続けていられないかもしれないと思ったら、そのときはちゃんと私に声をかけてくださいね。す〜ぱ〜シンデレラぱわ〜でなんとかして差し上げます」 「もう行っていいですか。時間無いので」 恒星のように微笑んで、楓は「どうぞ」と言った。美嘉がドアを開けて出ていくと。入れ替わりにスタッフがやってきて「高垣さん、出番です」と声をかけた。 立ち上がりながら、ふふ、と笑うと、「楽しみだなあ、焼きハロ♫」と楓は呟いた。 だん、だん、と荒々しいワークブーツの足音が廊下に響いていた。「いらないっつってるのに……ていうか、一本しか残ってないじゃん。アタシはゴミ箱かっつうの」と独り言を言いながら、美嘉は箱から煙草を抜いて口に咥えた。空き箱はク��ャリと潰されて、バッグへと押し込められた。 「あーっ、くそ!」 叫んで、ココアシガレットを一息に口の中へと含む。ばり、ばり、ばり、という甲高い音を立て、ひどく顔をしかめた美嘉の口の中で、それは粉々に砕けていった。
「すみませーん」 美嘉は三度目の声をかけ、ドアベルをもう一度押した。鷺沢古書店の裏庭にある勝手口は苔むした石畳の先にあり、彼女はそこに至るまでに二度ほど転びかけていた。右手に持っていたドラッグストアの袋を揺らしながら側頭部をぽりぽりとかいて「……やっぱり寝込んでるのかなー」と心配そうに小さな声で呟いたとき、奥から人の気配がして、美嘉の顔はぱっと輝いた。 簡素な鍵を開けたあと、老いた猫が弱々しく鳴くときのような蝶番の音を響かせて、顔をあらわしたのは果たして鷺沢文香だった。「文香さん」と美嘉は喜びを露わにして言った。 「無事でよかったー! なんだ、元気そうじゃん」 美嘉は鷺沢のようすを上から下まで確かめた。ふわりとしたロングスカートに、肌を見せない濃紺のトップス。事務所でも何度か見たことのあるチェックのストールは、青い石のあしらわれた銀色のピンで留められていた。普段と変わらぬ格好とは裏腹に、前髪の奥の表情がいつになく固い事に気づいて、美嘉は「……文香さん?」と聞いた。 「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」と、文香は頭を深々と下げた。 どこか寒々しい予感に襲われ、美嘉は「あ……」と、不安の滲む声を漏らした。はっとすべてを消し去り、いつもの調子に戻して、 「今日のレッスン? もういいっていいって。連絡が無かったのはだーいぶあれだったけど、ま、志希のせいで無断欠席には慣れちゃったっていうか、慣れさせられたっていうか――」 「そうでは、なくて……」 文香は言葉に詰まった。合わない視線はゆらりと揺れて、隣家で咲き誇るケイトウの花を差していた。燃え盛る炎のように艶やかなそれを見ながら「アイドルを、やめようと思います」と彼女はゆっくりと言った。がっと両腕を掴まれて、文香は目の前で自らの内側を激しく覗き込もうとする黄金の瞳に眼差しを向けた。 「なんで!!」 美嘉が叫ぶと、文香はふら、と揺れた。陽が陰り、そこからはあらゆる光が消えた。産まれた冷気を避けるかのように、ち、ち、と小鳥が悲鳴を上げながら庭から去っていった。 「向いて、いないと、思いました」と、苦しそうに彼女は言った。 「突然で、ほんとうに、申し訳ありません……楓さんには、後ほど、きちんとお詫びをしようと――」 「嘘」 「……嘘では、ありません。自分が、古めかしい本にでもしがみついているのがふさわしい、惨めな人間――けだもの、虫の一匹だと、あらためて思い知ったのです」 「何があったの、だって」 美嘉は文香から一歩離れると、心の底から悲しそうな表情を浮かべた。 「あんなに……嬉しい、嬉しいって、新しいことを発見したって、何度も何度も言ってたのに!」 「間違いでした」 「何があったんだってアタシは聞いてるの!」 「もともと何も無かったんです!」 文香がこれまで聞いたこともないような大声を出したので、美嘉は呆然と立ちすくんだ。「すべてがまぼろしだったのです! ステージの上の、押し寄せる波のように偉大なあの輝きも!」と文香は一息に言って、興奮を抑えるようにしばらく肩で息をしながら美嘉を見つめていた。やがて、「まぼろしだったのです、あの胸の、高鳴りも……」と、悄然として言った。 「……なぜ」と美嘉は言った。その反転がなぜ起きたのか理解できないようすで、美嘉はただ文香を睨みつけて質問を繰り返した。 長い沈黙のあとに、「家に、呼び戻されました」と文香は言った。美嘉は唖然として「どういうこと」と聞いた。 「親の同意がないままアイドルをやってたから、やめろって言われたって、そういうことなの?」 文香はうなずいた。 「未成年者は保護者の同意書提出があるはずじゃん」 「あれは、東京の叔父に書いてもらいました」 「……だって、大学だってあるし、文香さんトーダイでしょ。そういうの、全部捨てて、帰ってこいって言う……そういうことなの?」 「そうです」 「そんなの、家族じゃない」 美嘉が断固とした調子で言うと、文香は口を一文字に結んだ。そのようすを見ながら「家族じゃない、おかしいよ」と美嘉は言った。 「だって、アイドルも、学校も、全部夢じゃん。自分が将来こうなりたいっていうのを、文香さん自分の全部を賭けて頑張ってたじゃん。アタシずっと見てたよ。すごいな、ほんとうにすごいなって、思ってたよ。ねえ」 文香の瞳をまっすぐに見つめて、美嘉は手を差し伸べた。 「全部捨てる必要なんてない、大丈夫だから」 青い海のようなそれに吸い込まれそうになりながら、美嘉は一瞬の煌めきをそこに見つけて、笑いかけた。文香が恐る恐るといった様子で、ゆっくりとその手を取ったとき、微笑みを浮かべた彼女の口元は「そう……分からず屋の家族なんて、捨ててしまえば――」と囁いた。「う」と小さな悲鳴を上げて、文香は手を振りほどくと、どん、と彼女の肩を両手で押し、庭土へと倒した。あっ、と倒れ込んだ美嘉は、文香を見上げ、「美嘉さんは、鷺沢の家を知らないんです!」と、文香が絶叫するのを聞いた。美嘉の眉はみるみるうちにへの字に曲がって、 「知らないよそんなの! アタシに分かるわけないじゃん!!」 ぐ、と文香の喉は、嗚咽するような音を立てて、やがて、ふううと長い息が吐かれた。 「……さようなら」と、短い別れの言葉で、ドアは閉められようとした。「待って!」と美嘉が呼びかけたときにその隙間から見えた、雨をたたえた空のようにまっしろな文香の顔色が、美嘉の目には消えゆく寸前のろうそくのようにしばらく残っていた。
どさ、と重い音を立てて、その白い袋は金網で作られたゴミ箱へと捨てられた。美嘉はよろめく足取りですぐ横のベンチに向い、腰を下ろした。眼の前には公園に併設された区営のテニスコートがあり、中年の男女が笑いあいながら黄緑色のボールを叩いていた。 美嘉はイヤホンを耳に押し込むと、ボールの動きを目で追うのをやめてうつむいた。両手を祈りの形に組み、親指のつけ根を皺の寄った眉間に押し当てた。受難曲の調べが柔らかく彼女の鼓膜を触り終わったあと、シャッフルされた再生が奇跡のようにあの四回の簡素なリズムを呼び出して、今朝何度もひとりで練習したあの曲が鳴り始めた。美嘉は口をとがらせ、ふ、と微かに息を吐きながら顔を上げた。そしてテニスコートの男女が消え、自分の周りにひとりも人がいなくなったことを見つけた。 空はまっ青に晴れ、柔らかな光が木々の間から美嘉に差していた。そのやさしさをぼうっと受け止めながら、美嘉は立ち上がってゴミ箱から先ほど投げ捨てた袋を拾った。冷えピタやいくつかの薬、体温計を自分のバッグに移し、二つのフルーツゼリーをこと、こと、と静かにベンチの横に置いた。 曲はサビに差し掛かり、いつの間にか美嘉は鼻歌でそれを小さく歌っていた。てんてんと指で指してみかんとぶどうからぶどうを選びとると、蓋を開けてプラスチックのスプーンを突き立てた。 口に入るかどうかわからないくらいの大きさでそれをすくい上げて、飢えた肉食動物のような激しさでがぶりと食いついた。 歌い始めたときにはもうこぼれていた大粒の涙が、収め切れなかったゼリーの汁と一緒におとがいへと伝って、ぽとぽとと太ももに落ちた。 泣くときに必ず漏れるはずの音を、美嘉は少し���立てなかった。涙を拭いすらしなかった。たまに「あぐ」という、ゼリーを口に入れるときに限界まで開いた顎の出す音だけが、緑の葉が擦れるそれと共にそっとあたりに響いていた。食べ終わると同時に曲が終わり、美嘉はイヤホンを引き抜いた。ほうっと息を吐いて、ぐすっと鼻を啜った。涙のあとが消えるまで頬のあたりをハンカチでごしごし擦り、そのまま太ももを拭くと、鏡を出して顔を軽く確認した。 そして、は、と後ろを向く。 ベンチの背越しに伸ばされた腕がゼリーを取って、「これ食べていいやつー?」と聞きながら蓋を開け、返事を待たずにスプーンですくい取った。 「志希」と、呆然と美嘉は言った。 「ん?」と、ゼリーを口いっぱいに頬張りながら志希は言った。
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和歌山旅行記
ふと思い立ち、昨年の夏に和歌山で書いた日記を旅行記としてまとめることとした。約1年前のことなので曖昧になった部分もあるが、総じて良き思い出であったと記憶しているため、できるだけそれを損なわないように補足した。もっとも、旅の始まりは最悪であったが…。
8月31日
9時起床。本来休みのはずの仕事に出る。ただでさえやる気がないのに、昨日解決したと思っていた面倒事がぶり返して泣きそうになる。大きな不安を残して16時に上がり、バタバタと和歌山へ。市内に着いた頃には20時前になっていた。県庁所在地にもかかわらず驚くほど魅力的な飲食店がなかったため、食べログで見つけた駅ナカのラーメン屋で仕方なくつけ麺を食べるも、至極微妙な味。改めて京都のラーメン屋のレベルの高さを知る。ホテルはホテルで激安プランを選んだせいで、なぜか鏡張りの廊下、迷路のようにおかしな内部構造、ボロボロの内装、暗い部屋、薄い壁に虫さんもコンニチハとさながら監獄のようなありさま。トイレは浴室の奥にあり、風呂上がりにはビショビショの床をつま先で渡り歩いて行かねばならない。さらに窓を開けると目と鼻の先に壁があり、閉めきっていたとしても、雨でもないのに絶えずポタポタと水滴の落ちる音が聞こえてくる。おまけに翌日の靴下を家に忘れて来たことに気づき、コンビニに買いに行く始末。無駄な出費に心が傷む。なんともツイてない一日だ。さっきから向かいの部屋のテレビがうるさく、モヤモヤして部屋でタバコを4本も吸ってしまった。0時。さっさと寝て明日に備えよう。今日で8月が終わった。
9月1日
8時起床。極悪昭和レトロなホテルにオサラバした後は、夕方まで研修。グループワークが主体のもので、ディスカッションではモアイ像と化す自分を発見。最後まで苦戦しつつもなんとかこなす。しかし、例によって参加者との交流はうまくいかず、最後までじっとしていた。社会的な身ぶりがどうにも苦手なのだ。昔から集団の中にいるのが耐えられない性格で、浮いていたというわけではないものの、心ではマスの潮流に反発をしていた。そのため、私の第一印象は他人にとって大抵よろし��ないようだ。私はそれをわかっているので、時間を置いてそこから巻き返すことにしている。今回のように一回きりの出会いではそういうわけにもいかないのだが、やはり共同体からは抜け出ていたいという個人的な心理がどうしても勝った。我々は服を着た動物に過ぎない。一時的な社交をそつなくこなす能力など本当に馬鹿馬鹿しい。と同時に、そんなことを考える私が一番の大馬鹿者なのだ、とも思う。社会に対する態度、このアンビバレンスは時たま私を引き裂こうとする。最近は心を開く方が有意義だということもわかってきたので、自分なりに努力をしているつもりだ。今日はたまたま失敗しただけ。明日からまた頑張ろう。 さて、和歌山駅に戻り、行く予定はなかったものの、気が向いたので井出商店でラーメンを食べた。いわゆる京都ラーメンと似た醤油豚骨味で、優しい味わい。腹ごしらえを済ませた後は紀伊勝浦に向かうのみだ。同じ和歌山なのに電車で二時間半と約5000円かかるのというのがすごい。車中ではほとんど寝ていて、着いた頃には21時半になっていた。今日から2日間、海に面した温泉宿に泊まる。チェックイン早々にフロントのおじさんが明日の観光プランを一緒に考えてくれた。人の純粋な優しさに涙が出そうになる。風呂は天然温泉で、硫黄の匂いが立ち込めていた。ぬる湯と熱湯。肌がスベスベになり最高に気持ちがいい。永遠に入っていられるんじゃないかと思った。部屋に戻り、コンビニで買ったビールで小さく宴会。波の音が聞こえる。普段は海のない都市に住んでいるので、海沿いの小さな町には何か憧れめいたものがある。かつて夢に出てきて今も忘れられない場所もこのような土地ではなかったか。そんな気もしてくる。当時、起きてすぐに地図を調べたが全くわからなかった。だが判明してしまったところでどうすると言うのか。きっと手を付けずにおいた方が良い記憶というのもあるのだ。1時。明日は念願の那智の滝だ。心地よい疲労感が安眠をもたらしてくれるだろう。
9月2日
8時半起床。カモメの声で目が覚める。朝飯を食べに、地元の漁師が集う「めしや 里」へ。宿の人が予約してくれていたみたいで、一の滝さんから来たの? と聞かれる。前日、フロントで名物を尋ねた時に知った穴場の店だ。まぐろ造り定食を頼むと、サク2つぶんの分厚い切り身にどんぶり鉢いっぱいのご飯と味噌汁という、とんでもない量で出てきた。さらにご飯はおかわり自由かつサービスのまぐろソテーまで出してもらう。これで1000円だ。あまりに多かったため食べ切れずに残してしまい、とても申し訳なかった。ここのまぐろは冷凍せず、水揚げすぐのものを出しているとのこと。だから食感がムチムチで大層美味かった。魚の値段が���騰している時は1000円で出せないため、まぐろが食べられるかどうかはその時の仕入れ状況によるそうだ。食事ついでに勝浦の話を色々と聞く。熊野が世界遺産に登録された頃は観光客が多かったが、やはり昔に比べてだいぶ寂れてしまったとのこと。確かに、駅前から歩いている時、やってるのかどうかわからないようなフィリピンパブやスナックが立ち並ぶ鄙びた商店街が印象的だった。他のお客は船頭さんが4人。ずっとフィリピン人の姉ちゃんの話をしていたが、そのうちの1人が、今度有休を取って来たら寝る場所と食べる物をやるよ、と言ってくれた。人の温かさに触れられた朝だ。帰りがけに、次は彼女を連れて来いよと言われた。きっとそうしよう。 重たくなった腹を抱え、紀伊勝浦駅で那智山までのバス往復チケットを買って大門坂で下車。熊野古道を歩く。苔むした林道は写真で見たそのままの、いにしえの雰囲気。汗をかきながら那智大社を目指す。脇には青い山が連なり、木々の間を抜けて爽やかな風が吹いてくる。海から近いのになんとも雄大な山々だ。青岸渡寺を参拝後、かねてから念願の那智の滝へ。あまり知られていないことだが、京都にも熊野三山を模した熊野神社があり、後白河法皇が熊野詣でをする際は、そのうちのひとつである熊野若王子神社の小さな滝で身を清めてから出発したそうだ。私は熊野若王子神社の奥にある滝宮神社と、そのさらに奥にある池が好きなのでよく行っている。霊感を受けて詩の題材にもしたほど思い入れのある場所なのだ。その都度いつか那智を訪れてみたいと思っていたため、今回本物の滝を見れる機会に恵まれて、私はかなり興奮していた。階段を降りる足も自然と早まる。そうしてようやく飛瀑へと辿り着いた時、私は本当に唖然とした。その威容、その勢い、その迫力。133mにもおよぶ高さから、無数の龍頭が地上へ突入してくる。ああ、神よ。なんという驚異。開いた口が塞がらないとはこのことだ。私は手を合わせることも忘れ、しばし呆然と佇んでいた。そして気づけば半時間ばかり経っており、首の痛さでふと我に返った。いやはや、ここが「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほどの信仰の地となったのも頷ける。神がいて、我々はそれに生かされる。ただそれだけのことなのだが、それがいかに重大なことか。心が洗われた気分だ。三重塔前の句碑にはこうあった。『薄紅葉して神の那智滝の那智』。 バスで麓まで戻り、那智海水浴場の砂浜を歩く。風が爽やかだ。そのまま熊野街道に入ってひたすら南へ。約5kmの道のりの末、カフェきよもんにてアイスコーヒーとタバコで休憩し、きよもん湯へ。源泉かけ流しの硫黄泉はしっかりと茹でタマゴの匂いがする。小さな気泡で肌もスベスベに。気持ちよく長湯をした後は歩いて山を越え、夏山(なっさ)温泉「もみじや」へ。海沿いの道のどん詰まりにあるここは、まさに秘湯と呼ぶにふさわしい場所。旅館業がメインのようで、300円で日帰り入浴もできる。地図でたまたま見つけただけだったが、これが当たりだった。客は誰もおらず、小さく古い(が、綺麗な)浴室は貸切状態、湯船のへりからは贅沢にも湯が勢いよく溢れ出ている。ここも硫黄泉で、今回入った3つの温泉の中で最も濃い匂いがした。どっぷりと長湯を楽しみ、昭和のままで時間が止まったかのような館内でしばし休憩。宿泊客の食事の準備が始まったようなので、一言お礼を言ってからもと来た山道を引き返し、勝浦のまぐろ料理「桂城」へ。まぐろ定食に舌鼓を打ち、ホテルに戻る。フロントにいたオーナーに今日の行程を伝えると、昨日立てた作戦、大成功やったね、と喜んでくれた。ついでに奥さんも交えて勝浦の話を聞かせてもらう。熊野の歴史や宿の自慢、那智の滝で満行した行者が身を投げたこと、補陀落渡海の悲しさ、あたりの島々にまつわる伝説やエピソード、源泉かけ流しと謳う温泉の裏話、昨日から太地に捕鯨反対団体が来ていること等。明日太地に行くと伝えると、逆に貴重なものが見れるかもしれないねと言われる。日本の文化を尊重して欲しいものだと一緒に嘆いた。その後、身体を癒すため、ホテルの温泉に浸かる。ここの湯は偉い先生がナントカ言って褒めたそうだ。昨日も言ったが、本当に気持ちが良い。全身の力が抜けた。 今日は3つの温泉でリラックスできたとはいえ、一日中歩きっぱなしでかなり疲れた。後で地図を見ると15kmをゆうに超える行程であったことがわかった。一人旅でなければこうはいかないだろう。新しく買ったパラディウムの靴も役に立った。1時半。良い旅だと思う。明日はなんとか5時半ごろの日の出を拝みたいのだが、叶うだろうか。もう寝よう。
9月3日
5時半のアラームで飛び起き、部屋から日の出を見る。弁天島の緑の間から登る朝日が辺りを橙色に染めていた。素晴らしい朝だ。私はそこに神話の空気を感受し、思わず手を合わせた。感動的な静謐のパノラマが広がる。熊野よ、なんという土地だ。 二度寝の後、8時半に起きた。今日は波があるため、紀の松島をめぐる遊覧船は欠航らしい。フロントのスタッフに世話になったと告げ、勝浦から電車で太地駅まで向かう。次の目的地まではバスに乗るつもりだったが、なんとなく歩きに変更。途中にあった「くじら家」でランチを食べる。尾の身と頬肉の刺身に、鼻孔の味噌漬け、大和煮、串カツ、ベーコン、さえずりの吸い物など、まさに鯨尽くしの定食は少々値が張ったものの、食べられるだけ貴重なのでありがたく頂く。鯨と言えば血の匂いのする獣肉で、どこか魚のような風味もあるのが特徴だ。野趣があってうまい。腹いっぱいになったところで再び歩いて太地町立くじらの博物館へ。捕鯨の歴史に関する展示物や骨格標本・解剖学的標本などを一覧し、クジラショーとイルカショーを見学。4m近いクジラのジャンプは見応えがあった。マリナリウムではアルビノのイルカが泳いでおり、その神秘的な姿に見惚れた。その後、岬まで歩こうかと思ったが、かなり距離があったため「白鯨」という宿でレンタルサイクルを借り、上り坂を飛ばす。燈明崎に着いた頃には足が疲れており、歩かなくて良かったと思った。さて、太地町の果て、太平洋を一望できるこの岬には、見張り台と支度小屋の跡がある。昔は鯨の潮吹きを見つけると法螺貝を吹いて船に知らせたそうだ。命がけで戦った海の男たちに思いを馳せる。梶取崎にも足を運ぼうかと思ったが、電車の時間が迫っていたためここでやむなく撤退。帰途、警察が囲む物々しい雰囲気の中でイルカ漁が行われているのが見えた。後でニュースを見ると外国人の活動家が数名来ていたようだ。彼らは写真を撮ったくらいで目立ったことはしなかったらしい。そういえば、勝浦に向かう電車の中で金髪碧眼の背の高い男を見かけたことを思い出した。自転車を返却し、16時過ぎに太地駅を後にした。 京都の自宅に着いたのはそれから5時間後の9時だった。友人Zからの連絡で、今出川の居酒屋へ行くと、久々に会う同級生のKと友人Tがいた。それぞれが自分の近況や人間関係、今後のことについて語り、0時に解散。寝たのは1時半ごろだった。
後記
今回の旅は全くの成功だった。自然と信仰、海と食、それから温泉。陸の果て、紀伊半島南端の文化を大いに楽しめ、濃密な時間を過ごすことができた。だが実際、私が触れられたのは熊野の表層くらいものだろう。訪れて初めて知ったのは、とても一度では回り切れないほどの史跡と自然があるということだった。しばらく滞在したとしても、おそらくその全てを味わい尽くすことはできない。ひとつの地域を知るには、ひとつの生涯を懸ける必要がある。ふと、そんな言葉も浮かんできた。その点、私はお気楽な旅人なので、ぶらぶらと歩くだけであり、首を突っ込んだり突っ込まなかったりする。これは旅の良いところだ。海と山のあわい、そこに吹く風も住む人々も皆優しかった。生涯のうちで記憶すべき場所のひとつとして、私は熊野を心のどこかにしまっておこう。そうして、いつかまた必ず行くだろう。
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2021年9月の夢
- 2021年9月30日 木曜日 4:17 夢 カエルという名前は「めしべをたべる」みたいな言葉が縮まってカエルになったらしい。 そらまめみたいなとかげを触る。 部族の人が円になって踊っている。 父がそれらを研究しているらしい。
白いツルツルした竪穴に入る。中は90度に曲がっている。女子に追われている。同級生と中へ入る。 安全なところを探す。例えば畦道の納屋など。体を隠すためにはまずそこが��の入る大きさかどうか見なければ……とエロ本隠し選手権で得た知識が役立っている。 誰かを祝うために土手でクラッカーを鳴らす。ほとんどが鳴らない。最後の二つだけが鳴り、細いテープが放物線を描いて高く飛ぶのが見える。 水川かたまりがいる。 良くも悪くもない夢。
- 2021年9月29日 水曜日 6:50 夢 先生助けてクラス、通常せんたすというものがある。
船に乗ると台風なのか大荒れ。今にも沈みそう。 怖い。降りる。船着場の屋台。煮魚を見ていたら買うと思われて店員の高校生みたいな子に手配される。
電ガマに黄色いビーフンみたいな麺がヒタヒタに入っている。引き上げてボウルにうつす。 ハライチ。岩井にめちゃ髭。話しながら顔を近づけていって頬をくっつけるギャグみたいなやつがある。 よつばとっぽいキャラクターを紙粘土で作ったもの。腕が折れる。 10人くらい女性がいる。一人一つアイシャドウを割り当てられており、ペアになりたい女性とアイコンタクトで組む。春っぽい色の女性と組む。爪に海の絵を描く。
中国のスーパーにいる。 母がねじねじの赤い棒と青い棒を買い、当たりが出て10本追加で渡される。折れた部分は店員さんが口に入れてたりしてすごい雑でこっちらしいと思う。 日本でいうところのイオンなのか。男性用の紐パン屋やタトゥー屋もある。写真を撮る。
- 2021年9月28日 火曜日 6:33 夢 実家。正月の雰囲気。食卓の窓側の席におじいちゃんがいる。モスグリーンのセーターの下に赤い襟付シャツを着ていて、すごくしっかりした顔をしている。ハグして元気か聞くと、施設で過ごすのは気が休まらないみたいなことを言う。そうかあ。少し現実とのギャップの違和感があるが、環境が変わったから刺激が良いのかな?と思う。餅を焼く雰囲気がある。しばらく手をつないでいるが、やがておじいちゃんは席を立つ。
布団シーツの中に青緑色に光るタマムシみたいなゴキブリがおり、スプレーを噴射する。浮き上がりながら逃げていくがやがて死ぬ。マクドナルドの紙袋の中にも一匹いる。ノズルが入る隙間だけ開けて、あとはガムテで密閉しようかなと思い、そうする。
飛行機に乗りすぎて飛行機に乗るのは足を洗うためだという人。べつに飛行機は足が洗いやすいというわけでもないのにと思う。だがコックピット側のトイレは段差がそうなっているらしい。 パソコン室。ノートにしていた野帳が先生?のノートに挟まれている。2冊。キミドリ色の野鳥もある。ゴミ箱。けんごが来る。
- 2021年9月27日 月曜日 8:40 夢 文鳥を二羽飼っていて、一羽が死ぬ。ポトリと横になる感じ。 銀行のようなところ。朝礼。人たくさん、バタバタしている。前の列の丸椅子にゴミが置いてあり、黒い液体が滴っている。拭くものを探す。三枚の資料の上に座っている人。Tさんに絵を描いたふせんを渡す。このガヤガヤの中で画板で原稿やってる人がいる。 Tさんと外に出る。パスタ屋、洋食? ケーキ屋などどれに行きたいか話す。 目的の場所に歩いて五分ほどで着く。雨上がりっぽい雰囲気のオフィス街、アーケードの入り口。以前に焼き菓子を売っていると思った店の雰囲気が変わっていた。入ると女子高生みたいな数人がいる。店内がコの字型に進行方向を決められていて、カウンター内は多めに店員がいる。すごく小粒のパステルカラーのチョコレート菓子みたいなものがガラスケース内にある。ツヤツヤの落雁のようでもある。そう高いものではなく、1つ80円くらいか? それを別途平たい専用のギフト箱を購入して、詰めて送るという趣旨。食べることがメインではないかわいさ重視のものもある。出る。
- 2021年9月26日 日曜日 6:07 夢 パトレイバーみたいな3人の女が登場する漫画?アニメ?を見ている。女の描き方がすごく良い、テンプレート的じゃなくて。 親戚の子供が家に寄っていく。机から落ちた時に背中を擦りむいていて、インフルエンザにかかるおそれがあるので病院で軟膏を塗ってもらっていた。 私の母に連れられて戻ってきて、声がでかい、とにかく元気。 知らない人の部屋。スキップフロアで漫画がたくさん置いてある。人がいなければ読める。 持ってるものを見せろと言ってくる。薬袋に文庫の漫画を入れていたが、裸体のシーンがあったことを思い出して子供には見せなくないなという感じがある。 Dさん。忘れ物を回収に行く。引き取り表みたいなレシートがあり、見ると期限切れ。 ごみごみした店内。
- 2021年9月25日 土曜日 7:13 夢 高橋一生の横顔のイラスト、角膜が異常にデカく描かれている。吸血鬼に関するフィクション。
- 2021年9月24日 金曜日 6:47 夢 部屋の中。前の住人が置きっぱなしの細いデスク。2、3台。入子構造。ピーナッツが洗い場にある。 社会人向けの勉強本。を書棚に平積みしているHさん。ポケモンの有名な人。香山哲さん作画。氷ステージの話。 バラバラになったトカゲやワニのおもちゃが転がっている。とりいさん。アカウントを見つけた気がするが気のせい。
- 2021年9月23日 木曜日 7:16 夢 スラムダンクの人。オレンジ色のタートルネックを着て向かいに座っている。高校の入学式だがどこの高校かわかっていない。千葉なんとか高校。 私の友人の同人誌を勝手に回し読みしている。そんな読み方をするものではないと憤慨し取り上げる。ボブヘアの女性が去ろうとし、黄色い本を置いていくように言うと、それは彼女が自費で購入したものだと分かる。置いていきましょうかと聞かれ、私にそうする権利はない、また読んであげてください(?)と言う。
- 2021年9月22日 水曜日 7:56 夢 実家。唐揚げがあり、妹がつまみ食いしている。私も食べる。 手羽元と大きい四角い唐揚げがある。 軟骨のところをくれるなら四角い唐揚げを譲ると持ちかけられ、妹は本当に優しいなと思う。 祖父が出かけていく。
- 2021年9月20日 月曜日 8:04 夢 Mが経費でフィリップスの体温計などを購入しており、引っ掛かりを感じる。私物では。 Mの家族が二人、病気で亡くなったと連絡が入る。
ショッピングセンターの吹き抜け空間から大急ぎで地階へ降り、走って遠ざかる。外は暗��、人通りがない。追われているというか、鉢合わせしないように急いでいる。道を進むと門扉があり、女性二人がタクシーを拾おうとしている。私はマフラーがひっかかる。 間に合えば乗せてもらえたのに。
- 2021年9月18日 土曜日 8:38 夢 学校。自動車。 モンゴルナイフさん。記事のオチ。障子の枠に動画をはめ込んでいるが、無料版のロゴがちらほらある。 明日、共産主義について作品の概要を絡めた発表をしなければならない。 オッドタクシーのヤノに関する情報。
- 2021年9月17日 金曜日 8:06 夢 ご近所のH家の整骨院。 紙コップの中に値札。 高いところから降りる。 妹、降りると見せかけてお茶を飲んだりおにぎりを食べたりしている。笑いが起こる。 おもちゃ屋。記憶を思い出す感じとワールド生成が同じ。
- 2021年9月16日 木曜日 8:58 夢 実家の自室(という設定)を片付けている。 左のひきだしを開けると記憶にないパンやミスドやクロワッサンがたくさん出てくる。砂糖が層になって固まっている。恐ろしい、と同時にまだ食えるかなとも思う。あまりに原型を保っているので。 服も出てくる。今の雰囲気のものが多い。 アンパンマンの形のキャラメル色の飴が3つあり、1つ食べる。味はなし。 外箱を捨てた動物型の石鹸。 運動するためにゴムバンドを貸してもらう。以前に譲ったもの。 別の人とその話をするが、イヤな感じが出ないように気を使う。
- 2021年9月15日 水曜日 7:43 夢 どこかで働いている。薄暗いバーのようなところで中華飯を食べてから帰宅する。私含め3名。
- 2021年9月14日 火曜日 8:25 夢 釣りに行く 車の中にものを残さないようにと連れに言う ロッドを伸ばし組み立てるのだがやり方がよく分からない 隣に鈴木もぐらがいて聞こうとする 水に浸かる 数人は早く引き上げても良いとのことで決を採るが、Iさん(会社の人)のグループだった。
- 2021年9月13日 月曜日 8:19 夢 高所に横一列で座っている。 いつも昼食にパンを食べる人 という人が隣に座っている。見た目はシルバニアファミリーのよう。 すごくギリギリで落っこちそうなくらい。 その人はぐるぐるの渦巻パン。 自分はクロワッサンのフレンチトーストのようなもの、そして袋に入ったコオロギ? カナブンのようなもの 虫は食べられるが、暗いから大丈夫だっただけで明るいところで食べるのは怖い。 ドラゴンボールのUFOキャッチャーの表示を読む。
- 2021年9月12日 日曜日 7:15 夢 ビーフシチューの試食の鍋が置いてある。 感染予防を気にしている かをりさんがいる 手帳の線を定規で引いている点を誉める 霜降り明星がいる すごく面白いものを見る シンプルでかわいい蓋つきの茶器でお茶を飲むことにする 山崎に話しかけられる 6人掛けテーブルの座れるところに座る グミの実(とされているもの)を食べる 中央に細長い種が入っているのを警戒して食べているが、ナスのような種だった。それよりも外皮が硬くて口に障るらしい。 小さなグレープフルーツのような実がありえないくらいたわわに実っており不吉。
- 2021年9月10日 金曜日 6:48 夢 潰れたATM機器がおいてある施設の中に入る。診療所の一角だったらしい。
- 2021年9月9日 木曜日 6:54 夢 換気扇からでかいコザクラインコが入ってこようとしている。
- 2021年9月8日 水曜日 7:00 夢 幽霊の出る部屋。 妹が賃貸している。ベッドで眠っており、寝付けない日にパタパタ手を叩いていると、壁から合いの手が聞こえたとのこと。 収納がとにかくでかい。入り組んでいる。祖母の古い家みたい。 さっきとドアのサイズが違うんじゃないかと指摘され、アッと思うが、閉じると合ってるので視覚的にそう見えただけだった。 チーズケーキでも焼こうかなとする。 眠る。妹が手に腕を絡めてくる。怖いのだろう。 何度もあり、中にはピアノ、グランドピアノじゃなくてもっとちゃちな小さいピアノが収納されている。
トランブルーのクロワッサン5つ。3000円くらい。 とんこつラーメン屋の近くに来たということはパン屋が近いということだと言い合う。 この場で食べない選択をした人達用に、小皿にコロッケを乗せて卵を割り、何か副菜を添えたものを持ってきた のりべーがいる。人と連絡を全く取り合っていないそうで、空っぽのタブレット端末を見せてくれる。ゲームのアプリが一つ入っている。ピッコロ・前衛隊員・みたいな画面が出る。 ご飯を食べている。唐揚げが盛られた皿がある。 目の前にKがおり、何か意地を張って唐揚げには手をつけないという態度を取っている。 店員さんなのか若い中国人みたいな女性がさらに追加の唐揚げを持ってきて置く。Kも取って食べ、今日は途中でお菓子を食べなくても済みそうだという旨のことを言った。
学校の風景。半ズボンの女子制服。
- 2021年9月7日 火曜日 6:46 夢 Tさんの事務所?にいる。昼寝をすると言っている。 父に何か映画を見た話をする。一本しか観れていないことに気づく。 寒い屋外。犬猫が柵の中で遊んでいる。細い路地。 母がいる。母を追いかける。指一本で手を繋いでいると、生後間もない弟がしぎ死んだことを思い出すのでやめろと言う。 狭い店舗。CD屋。オザケンみたいなアーティストがライブか何かをしている様子。隣の雑貨屋。砂場とかで型抜きするためのカタ。
- 2021年9月6日 月曜日 6:46 夢
- 2021年9月5日 日曜日 6:56 夢 インド、乗合バス。屋根から滑り落ちそうになる。順に座っていく。親しい人がおらず、ほとんど喋ってない人と話す。改名していた。静ではなく静香(しずかお)。 ローションをこぼす。 顎下まで水がきている部屋。 順平の友達。 文法の暗記。授業。
- 2021年9月4日 土曜日 7:09 夢
- 2021年9月4日 土曜日 7:09 昨日の夢
- 2021年9月2日 木曜日 6:53 夢 ビーチを歩いている。コの字型に曲がったビーチで、道案内をしてもらうのだが分かりにくい。BBQをする。風が強く難儀する。
- 2021年9月1日 水曜日 7:33 夢 ウリマトスさんの誕生日らしい 古家二つを購入して若者で大騒ぎしながら住んでいる
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン2 第七話「復活、ワヤン不動」
☆プロトタイプ版☆ こちらは電子書籍「ひとみに映る影 シーズン2」の 無料プロトタイプ版となります。 誤字脱字等修正前のデータになりますので、あしからずご了承下さい。
☆ここから買おう☆
(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་
ニライカナイから帰還した私達はその後、魔耶さんに呼ばれて食堂へ向かう。食堂内では五寸釘愚連隊と生き残った河童信者が集合していた。更に最奥のテーブルには、全身ボッコボコにされたスーツ姿の男。バリカンか何かで雑に剃り上げられた頭頂部を両手で抑えながら、傍らでふんぞり返る禍耶さんに怯えて震えている。 「えーと……お名前、誰さんでしたっけ」 この人は確か、河童の家をリムジンに案内していたアトム社員だ。特徴的な名前だった気はするんだけど、思い出せない。 「あっ……あっ……」 「名乗れ!」 「はひいぃぃ! アトムツアー営業部の五間擦平雄(ごますり ひらお)と申します!」 禍耶さんに凄まれ、五間擦氏は半泣きで名乗った。少なくともモノホンかチョットの方なんだろう。すると河童信者の中で一番上等そうなバッジを付けた男が席を立ち、机に手をついて私達に深々と頭を下げた。 「紅さん、志多田さん。先程は家のアホ大師が大っっっ変ご迷惑をおかけ致しました! この落とし前は我々河童の家が後日必ず付けさせて頂きます!」 「い、いえそんな……って、その声まさか、昨年のお笑いオリンピックで金メダルを総ナメしたマスク・ド・あんこう鍋さんじゃないですか! お久しぶりですね!?」 さすがお笑い界のトップ組織、河童の家だ。ていうか仕事で何度か会ったことあるのに素顔初めて見た。 「あお久しぶりっす! ただこちらの謝罪の前に、お二人に話さなきゃいけない事があるんです。ほら説明しろボケナスがッ!!」 あんこう鍋さんが五間擦氏の椅子を蹴飛ばす。 「ぎゃひぃ! ごご、ご説明さひぇて頂きますぅぅぅ!!」 五間擦氏は観念して、千里が島とこの除霊コンペに関する驚愕の事実を私達に洗いざらい暴露した。その全貌はこうだ。 千里が島では散減に縁を奪われた人間が死ぬと、『金剛の楽園』と呼ばれる何処かに飛び去ってしまうと言い伝えられている。そうなれば千里が島には人間が生きていくために必要な魂の素が枯渇し、乳幼児の生存率が激減してしまうんだ。そのため島民達は縁切り神社を建て、島外の人々を呼びこみ縁を奪って生き延びてきたのだという。 アトムグループが最初に派遣した建設会社社員も伝説に違わず祟られ、全滅。その後も幾つかの建設会社が犠牲になり、ようやく事態を重く受け止めたアトムが再開発中断を検討し始めた頃。アトムツアー社屋に幽霊が現れるという噂が囁かれ始めた。その霊は『日本で名のある霊能者達の縁を散減に献上すれば千里が島を安全に開発させてやろう』と宣うらしい。そんな奇妙な話に最初は半信半疑だった重役達も、『その霊がグループ重役会議に突如現れアトムツアーの筆頭株主を目の前で肉襦袢に変えた』事で霊の要求を承認。除霊コンペティションを行うと嘘の依頼をして、日本中から霊能者を集めたのだった。 ところが行きの飛行機で、牛久大師は袋の鼠だったにも関わらず中級サイズの散減をあっさり撃墜してしまう。その上業界ではインチキ疑惑すら噂されていた加賀繍へし子の取り巻きに散減をけしかけても、突然謎のレディース暴走族幽霊が現れて返り討ちにされてしまった。度重なる大失態に激怒した幽霊はアトムツアーイケメンライダーズを全員肉襦袢に変えて楽園へ持ち帰ってしまい、メタボ体型のため唯一見逃された五間擦氏はついに牛久大師に命乞いをする。かくして大師は大散減を退治すべく、祠の封印を剥がしたのだった。以上の話が終わると、私は五間擦氏に馬乗りになって彼の残り少ない髪の毛を引っこ抜き始めた。 「それじゃあ、大師は初めから封印を解くつもりじゃなかったんですか?」 「ぎゃあああ! 毛が毛が毛がああぁぁ!!」 あんこう鍋さんは首を横に振る。 「とんでもない。あの人は力がどうとか言うタイプじゃありません。地上波で音波芸やろうとしてNICを追放されたアホですよ? 我々はただの笑いと金が大好きなぼったくりカルトです」 「ほぎゃああぁぁ! 俺の貴重な縁があぁぁ、抜けるウゥゥーーーッ!!」 「そうだったんですね。だから『ただの関係者』って言ってたんだ……」 そういう事だったのか。全ては千里が島、アトムグループ、ひいては金剛有明団までもがグルになって仕掛けた壮大なドッキリ……いや、大量殺人計画だったんだ! 大師も斉二さんもこいつらの手の上で踊らされた挙句逝去したとわかった以上、大散減は尚更許してはおけない。 魔耶さんと禍耶さんは食堂のカウンターに登り、ハンマーを掲げる。 「あなた達。ここまでコケにされて、大散減を許せるの? 許せないわよねぇ?」 「ここにいる全員で謀反を起こしてやるわ。そこの祝女と影法師使いも協力しなさい」 禍耶さんが私達を見る。玲蘭ちゃんは数珠を持ち上げ、神人に変身した。 「全員で魔物(マジムン)退治とか……マジウケる。てか、絶対行くし」 「その肉襦袢野郎とは個人的な因縁もあるんです。是非一緒に滅ぼさせて下さい!」 「私も! さ、さすがに戦うのは無理だけど……でもでも、出来ることはいっぱい手伝うよ!」 佳奈さんもやる気満々のようだ。 「決まりね! そうしたら……」 「その作戦、私達も参加させて頂けませんか?」 食堂入口から突然割り込む声。そこに立っていたのは…… 「斉一さん!」「狸おじさん!」 死の淵から復活した後女津親子だ! 斉一さんは傷だらけで万狸ちゃんに肩を借りながらも、極彩色の細かい糸を纏い力強く微笑んでいる。入口近くの席に座り、経緯を語りだした。 「遅くなって申し訳ない。魂の三分の一が奪われたので、万狸に体を任せて、斉三と共にこの地に住まう魂を幾つか分けて貰っていました」 すると斉一さんの肩に斉三さんも現れる。 「診療所も結界を張り終え、とりあえず負傷者の安全は確保した。それと、島の魂達から一つ興味深い情報を得ました」 「聞かせて、狸ちゃん」 魔耶さんが促す。 「御戌神に関する、正しい歴史についてです」 時は遡り江戸時代。そもそも江戸幕府征服を目論んだ物の怪とは、他ならぬ金剛有明団の事だった。生まれた直後に悪霊を埋め込まれた徳松は、ゆくゆくは金剛の意のままに動く将軍に成長するよう運命付けられていたんだ。しかし将軍の息子であった彼は神職者に早急に保護され、七五三の儀式が行われる。そこから先の歴史は青木さんが説明してくれた通り。けど、この話には続きがあるらしい。 「大散減の祠などに、星型に似たシンボルを見ませんでしたか? あれは大散減の膨大な力の一部を取り込み霊能力を得るための、給電装置みたいな物です。もちろんその力を得た者は縁が失せて怪物になるのですが、当時の愚か者共はそうとは知らず、大散減を『徳川の埋蔵金』と称し挙って島に移住しました」 私達したたびが探していた徳川埋蔵金とはなんと、金剛の膨大な霊力と衆生の縁の塊、大散減の事だったんだ。ただ勿論、霊能者を志し島に近付いた者達はまんまと金剛に魂を奪われた。そこで彼らの遺族は風前の灯火だった御戌神に星型の霊符を貼り、自分達の代わりに島外の人間から縁を狩る猟犬に仕立て上げたんだ。こうして御戌神社ができ、御戌神は地中で飢え続ける大散減の手足となってせっせと人の縁を奪い続けているのだという。 「千里が島の民は元々霊能者やそれを志した者の子孫です。多少なりとも力を持つ者は多く、彼らは代々『御戌神の器』を選出し、『人工転生』を行ってきました」 斉一さんが若干小声で言う。人工転生。まだ魂が未発達の赤子に、ある特定の幽霊やそれに纏わる因子を宛てがって純度の高い『生まれ変わり』を作る事。つまり金剛が徳松に行おうとしたのと同じ所業だ。 「じゃあ、今もこの島のどこかに御戌様の生まれ変わりがいるんですか?」 佳奈さんは飲み込みが早い。 「ええ。そして御戌神は、私達が大散減に歯向かえば再び襲ってきます。��からこの戦いでは、誰かが対御戌神を引き受け……最悪、殺生しなければなりません」 「殺生……」 生きている人間を、殺す。死者を成仏させるのとは訳が違う話だ。魔耶さんは胸の釘を握りしめた。 「そのワンちゃん、なんて可哀想なの……可哀想すぎる。攻撃なんて、とてもできない」 「魔耶、今更甘えた事言ってんじゃないわよ。いくら生きてるからって、中身は三百年前に死んだバケモノよ! いい加減ラクにしてやるべきだわ」 「でもぉ禍耶、あんまりじゃない! 生まれた時から不幸な運命を課せられて、それでも人々のために戦ったのに。結局愚かな連中の道具にされて、利用され続けているのよ!」 (……!) 道具。その言葉を聞いた途端、私は心臓を握り潰されるような恐怖を覚えた。本来は衆生を救うために手に入れた力を、正反対の悪事に利用されてしまう。そして余所者から邪尊(バケモノ)と呼ばれ、恐れられるようになる……。 ―テロリストですよ。ドマル・イダムという邪尊の力を操ってチベットを支配していた、最悪の独裁宗派です― 自分の言った言葉が心に反響する。御戌神が戦いの中で見せた悲しそうな目と、ニライカナイで見たドマルの絶望的な目が日蝕のように重なる。瞳に映ったあの目は……私自身が前世で経験した地獄の、合わせ鏡だったんだ。 「……魔耶さん、禍耶さん。御戌神は、私が相手をします」 「え!?」 「正気なの!? 殺生なんて私達死者に任せておけばいいのよ! でないとあんた、殺人罪に問われるかもしれないのに……」 圧。 「ッ!?」 私は無意識に、前世から受け継がれた眼圧で総長姉妹を萎縮させた。 「……悪魔の心臓は御仏を産み、悪人の遺骨は鎮魂歌を奏でる。悪縁に操られた御戌神も、必ず菩提に転じる事が出来るはずです」 私は御戌神が誰なのか、確証を持っている。本当の『彼』は優しくて、これ以上金剛なんかの為に罪を重ねてはいけない人。たとえ孤独な境遇でも人との縁を大切にする、子犬のようにまっすぐな人なんだ。 「……そう。殺さずに解決するつもりなのね、影法師使いさん。いいわ。あなたに任せます」 魔耶さんがスレッジハンマーの先を私に突きつける。 「失敗したら承知しない。私、絶対に承知しないわよ」 私はそこに拳を当て、無言で頷いた。 こうして話し合いの結果、対大散減戦における役割分担が決定した。五寸釘愚連隊と河童の家、玲蘭ちゃんは神社で大散減本体を引きずり出し叩く。私は御戌神を探し、神社に行かれる前に説得か足止めを試みる。そして後女津家は私達が解読した暗号に沿って星型の大結界を巡り、大散減の力を放出して弱体化を図る事になった。 「��多田さん。宜しければ、お手伝いして頂けませんか?」 斉一さんが立ち上がり、佳奈さんを見る。一方佳奈さんは申し訳なさそうに目を伏せた。 「で……でも、私は……」 すると万狸ちゃんが佳奈さんの前に行く。 「……あのね。私のママね、災害で植物状態になったの。大雨で津波の警報が出て、パパが車で一生懸命高台に移動したんだけど、そこで土砂崩れに遭っちゃって」 「え、そんな……!」 「ね、普通は不幸な事故だと思うよね。でもママの両親、私のおじいちゃんとおばあちゃん……パパの事すっごく責めたんだって。『お前のせいで娘は』『お前が代わりに死ねば良かったのに』みたいに。パパの魂がバラバラに引き裂かれるぐらい、いっぱいいっぱい責めたの」 昨晩斉三さんから聞いた事故の話だ。奥さんを守れなかった上にそんな言葉をかけられた斉一さんの気持ちを想うと、自分まで胸が張り裂けそうだ。けど、奥さんのご両親が取り乱す気持ちもまたわかる。だって奥さんのお腹には、万狸ちゃんもいたのだから……。 「三つに裂けたパパ……斉一さんは、生きる屍みたいにママの為に無我夢中で働いた。斉三さんは病院のママに取り憑いたまま、何年も命を留めてた。それから、斉二さんは……一人だけ狸の里(あの世)に行って、水子になっちゃったママの娘を育て続けた」 「!」 「斉二さんはいつも言ってたの。俺は分裂した魂の、『後悔』の側面だ。天災なんて誰も悪くないのに、目を覚まさない妻を恨んでしまった。妻の両親を憎んでしまった。だからこんなダメな狸親父に万狸が似ないよう、お前をこっちで育てる事にしたんだ。って」 万狸ちゃんが背筋をシャンと伸ばし、顔を上げた。それは勇気に満ちた笑顔だった。 「だから私知ってる。佳奈ちゃんは一美ちゃんを助けようとしただけだし、ぜんぜん悪いだなんて思えない。斉二さんの役割は、完璧に成功してたんだよ」 「万狸ちゃん……」 「あっでもでも、今回は天災じゃなくて人災なんだよね? それなら金剛有明団をコッテンパンパンにしないと! 佳奈ちゃんもいっぱい悲しい思いした被害者でしょ?」 万狸ちゃんは右手を佳奈さんに差し出す。佳奈さんも顔を上げ、その手を強く握った。 「うん。金剛ぜったい許せない! 大散減の埋蔵金、一緒にばら撒いちゃお!」 その時、ホテルロビーのからくり時計から音楽が鳴り始めた。曲は民謡『ザトウムシ』。日没と大散減との対決を告げるファンファーレだ。魔耶さんは裁判官が木槌を振り下ろすように、机にハンマーを叩きつけた! 「行ぃぃくぞおおおぉぉお前らああぁぁぁ!!!」 「「「うおおぉぉーーーっ!!」」」 総員出撃! ザトウムシが鳴り響く逢魔が時の千里が島で今、日本最大の除霊戦争が勃発する!
གཉིས་པ་
大散減討伐軍は御戌神社へ、後女津親子と佳奈さんはホテルから最寄りの結界である石見沼へと向かった。さて、私も御戌神の居場所には当てがある。御戌神は日蝕の目を持つ獣。それに因んだ地名は『食虫洞』。つまり、行先は新千里が島トンネル方面だ。 薄暗いトンネル内を歩いていると、電灯に照らされた私の影が勝手に絵を描き始めた。空で輝く太陽に向かって無数の虫が冒涜的に母乳を吐く。太陽は穢れに覆われ、光を失った日蝕状態になる。闇の緞帳(どんちょう)に包まれた空は奇妙な星を孕み、大きな獣となって大地に災いをもたらす。すると地平線から血のように赤い月が昇り、星や虫を焼き殺しながら太陽に到達。太陽と重なり合うやいなや、天上天下を焼き尽くすほどの輝きを放つのだった……。 幻のような影絵劇が終わると、私はトンネルを抜けていた。目の前のコンビニは既に電気が消えている。その店舗全体に、腐ったミルクのような色のペンキで星型に線を一本足した記号が描かれている。更に接近すると、デッキブラシを持った白髪の偉丈夫が記号を消そうと悪戦苦闘しているのが見えた。 「あ、紅さん」 私に気がつき振り返った青木さんは、足下のバケツを倒して水をこぼしてしまった。彼は慌ててバケツを立て直す。 「見て下さい。誰がこんな酷い事を? こいつはコトだ」 青木さんはデッキブラシで星型の記号を擦る。でもそれは掠れすらしない。 「ブラシで擦っても? ケッタイな落書きを……っ!?」 指で直接記号に触れようとした青木さんは、直後謎の力に弾き飛ばされた。 「……」 青木さんは何かを思い出したようだ。 「紅さん。そういえば僕も、ケッタイな体験をした事が」 夕日が沈んでいき、島中の店や防災無線からはザトウムシが鳴り続ける。 「犬に吠えられ、夜中に目を覚まして。永遠に飢え続ける犬は、僕のおつむの中で、ひどく悲しい声で鳴く。それならこれは幻聴か? 犬でないなら幽霊かもだ……」 青木さんは私に背を向け、沈む夕日に引き寄せられるように歩きだした。 「早くなんとかせにゃ。犬を助けてあげなきゃ、僕までどうにかなっちまうかもだ。するとどこからか、目ん玉が潰れ��双頭の毛虫がやって来て、口からミルクを吐き出した。僕はたまらず、それにむしゃぶりつく」 デッキブラシから滴った水が地面に線を引き、一緒に夕日を浴びた青木さんの影も伸びていく。 「嫌だ。もう犬にはなりたくない。きっとおっとろしい事が起きるに違いない。満月が男を狼にするみたいに、毛虫の親玉を解き放つなど……」 「青木さん」 私はその影を呼び止めた。 「この落書きは、デッキブラシじゃ落とせません」 「え?」 「これは散減に穢された縁の母乳、普通の人には見えない液体なんです」 カターン。青木さんの手からデッキブラシが落ちた途端、全てのザトウムシが鳴り止んだ。青木さんはゆっくりとこちらへ振り向く。重たい目隠れ前髪が狛犬のたてがみのように逆立ち、子犬のように輝く目は濁った穢れに覆われていく。 「グルルルル……救、済、ヲ……!」 私も胸のペンダントに取り付けたカンリンを吹いた。パゥーーー……空虚な悲鳴のような音が響く。私の体は神経線維で編まれた深紅の僧衣に包まれ、激痛と共に影が天高く燃え上がった。 「青木さん。いや、御戌神よ。私は紅の守護尊、ワヤン不動。しかし出来れば、お前とは戦いたくない」 夕日を浴びて陰る日蝕の戌神と、そこから伸びた赤い神影(ワヤン)が対峙する。 「救済セニャアアァ!」 「そう��。……ならば神影繰り(ワヤン・クリ)の時間だ!」 空の月と太陽が見下ろす今この時、地上で激突する光の神と影の明王! 穢れた色に輝く御戌神が突撃! 「グルアアァァ!」 私はティグクでそれをいなし、黒々と地面に伸びた自らの影を滑りながら後退。駐車場の車止めをバネに跳躍、傍らに描かれた邪悪な星目掛けてキョンジャクを振るった。二〇%浄化! 分解霧散した星の一片から大量の散減が噴出! 「マバアアアァァ!!」「ウバアァァァ!」 すると御戌神の首に巻かれた幾つもの頭蓋骨が共鳴。ケタケタと震えるように笑い、それに伴い御戌神も悶絶する。 「グルアァァ……ガルァァーーーッ!!」 咆哮と共に全骨射出! 頭蓋骨は穢れた光の尾を引き宙を旋回、地を這う散減共とドッキングし牙を剥く! 「がッは!」 毛虫の体を得た頭蓋骨が飛び回り、私の血肉を穿つ。しかし反撃に転じる寸前、彼らの正体を閃いた。 「さては歴代の『器』か」 この頭蓋骨らは御戌神転生の為に生贄となった、どこの誰が産んだかもわからない島民達の残滓だ。なら速やかに解放せねばなるまい! 人頭毛虫の猛攻をティグクの柄やキョンジャクで防ぎながら、ティグクに付随する旗に影炎を着火! 「お前達の悔恨を我が炎の糧とする! どおぉりゃああぁーーーーっ!!」 ティグク猛回転、憤怒の地獄大車輪だ! 飛んで火に入る人頭毛虫らはたちどころに分解霧散、私の影体に無数の苦痛と絶望と飢えを施す! 「クハァ……ッ! そうだ……それでいい。私達は仲間だ、この痛みを以て金剛に汚された因果を必ずや断ち切ってやろう! かはあぁーーーっはーーっはっはっはっはァァーーッ!!!」 苦痛が無上の瑜伽へと昇華しワヤン不動は呵呵大笑! ティグクから神経線維の熱線が伸び大車輪の火力を増強、星型記号を更に焼却する! 記号は大文字焼きの如く燃え上がり穢れ母乳と散減を大放出! 「ガウルル、グルルルル!」 押し寄せる母乳と毛虫の洪水に突っ込み喰らおうと飢えた御戌神が足掻く。だがそうはさせるものか、私の使命は彼を穢れの悪循環から救い出す事だ。 「徳川徳松ゥ!」 「!」 人の縁を奪われ、畜生道に堕ちた哀しき少年の名を呼ぶ。そして丁度目の前に飛んできた散減を灼熱の手で掴むと、轟々と燃え上がるそれを遠くへ放り投げた! 「取ってこい!」 「ガルアァァ!!」 犬の本能が刺激された御戌神は我を忘れ散減を追う! 街路樹よりも高く跳躍し口で見事キャッチ、私目掛けて猪突猛進。だがその時! 彼の本体である衆生が、青木光が意識を取り戻した! (戦いはダメだ……穢れなど!) 日蝕の目が僅かに輝きを増す。御戌神は空中で停止、咥えている散減を噛み砕いて破壊した! 「かぁははは、いい子だ徳松よ! ならば次はこれだあぁぁ!!」 私はフリスビーに見立ててキョンジャクを投擲。御戌神が尻尾を振ってハッハとそれを追いかける。キョンジャクは散減共の間をジグザグと縫い進み、その軌跡を乱暴になぞる御戌神が散減大量蹂躙! 薄汚い死屍累々で染まった軌跡はまさに彼が歩んできた畜生道の具現化だ!! 「衆生ぉぉ……済度ぉおおおぉぉぉーーーーっ!!!」 ゴシャアァン!!! ティグクを振りかぶって地面に叩きつける! 視神経色の亀裂が畜生道へと広がり御戌神の背後に到達。その瞬間ガバッと大地が割れ、那由多度に煮え滾る業火を地獄から吹き上げた! ズゴゴゴゴガガ……マグマが滾ったまま連立する巨大灯篭の如く隆起し散減大量焼却! 振り返った御戌神の目に陰る穢れも、紅の影で焼き溶かされていく。 「……クゥン……」 小さく子犬のような声を発する御戌神。私は憤怒相を収め、その隣に立つ。彼の両眼からは止めどなく饐えた涙が零れ、その度に日蝕が晴れていく。気がつけば空は殆ど薄暗い黄昏時になっていた。闇夜を迎える空、赤く燃える月と青く輝く太陽が並ぶ大地。天と地の光彩が逆転したこの瞬間、私達は互いが互いの前世の声を聞いた。 『不思議だ。あの火柱見てると、ぼくの飢えが消えてく。お不動様はどんな法力を?』 ༼ なに、特別な力ではない。あれは慈悲というものだ ༽ 『じひ』 徳松がドマルの手を握った。ドマルの目の奥に、憎しみや悲しみとは異なる熱が込み上がる。 『救済の事で?』 ༼ ……ま、その類いといえばそうか。童よ、あなたは自分を生贄にした衆生が憎いか? ༽ 徳松は首を横に振る。 『ううん、これっぽっちも。だってぼく、みんなを救済した神様なんだから』 すると今度はドマルが両手で徳松の手を包み、そのまま深々と合掌した。 ༼ なら、あなたはもう大丈夫だ。衆生との縁に飢える事は、今後二度とあるまい ༽
གསུམ་པ་
時刻は……わからないけど、日は完全に沈んだ。私も青木さんも地面に大の字で倒れ、炎上するコンビニや隆起した柱状節理まみれの駐車場を呆然と眺めている。 「……アーーー……」 ふと青木さんが、ずっと咥えっ放しだったキョンジャクを口から取り出した。それを泥まみれの白ニットで拭い、私に返そうとして……止めた。 「……洗ってからせにゃ」 「いいですよ。この後まだいっぱい戦うもん」 「大散減とも? おったまげ」 青木さんにキョンジャクを返してもらった。 「実は、まだ学生の時……友達が僕に、『彼女にしたい芸能人は?』って質問を。けど特に思いつかなくて、その時期『非常勤刑事』やってたので紅一美ちゃんと。そしたら今回、本当にしたたびさんが……これが縁ってやつなら、ちぃと申し訳ないかもだ」 「青木さんもですか」 「え?」 「私も実は、この間雑誌で『好きな男性のタイプは何ですか』って聞かれて、なんか適当に答えたんですけど……『高身長でわんこ顔な方言男子』とかそんなの」 「そりゃ……ふふっ。いやけど、僕とは全然違うイメージだったかもでしょ?」 「そうなんですよ。だから青木さんの素顔初めて見た時、キュンときたっていうより『あ、実在するとこんな感じなの!?』って思っちゃったです。……なんかすいません」 その時、遠くでズーンと地鳴りのような音がした。蜃気楼の向こうに耳をそばだてると、怒号や悲鳴のような声。どうやら敵の大将が地上に現れたようだ。 「行くので?」 「大丈夫。必ず戻ってきます」 私は重い体を立ち上げ、ティグクとキョンジャクに再び炎を纏った。そして山頂の御戌神社へ出発…… 「きゃっ!」 しようとした瞬間、何かに服の裾を掴まれたかのような感覚。転びそうになって咄嗟にティグクの柄をつく。足下を見ると、小さなエネルギー眼がピンのように私の影を地面と縫いつけている。 ༼ そうはならんだろ、小心者娘 ༽ 「ちょ、ドマル!?」 一方青木さんの方も、徳松に体を勝手に動かされ始めた。輝く両目から声がする。 『バカ! あそこまで話しといて告白しねえなど!? このボボ知らず!』 「ぼっ、ぼっ、ボボ知らずでねえ! 嘘こくなぁぁ!」 民謡の『お空で見下ろす出しゃばりな月と太陽』って、ひょっとしたら私達じゃなくてこの前世二人の方を予言してたのかも。それにしてもボボってなんだろ、南地語かな。 ༼ これだよ ༽ ドマルのエネルギー眼が炸裂し、私は何故かまた玲蘭ちゃんの童貞を殺す服に身を包んでいた。すると何故か青木さんが悶絶し始めた。 「あややっ……ちょっと、ダメ! 紅さん! そんなオチチがピチピチな……こいつはコトだ!!」 ああ、成程。ボボ知らずってそういう…… 「ってだから、私の体で検証すなーっ! ていうか、こんな事している間にも上で死闘が繰り広げられているんだ!」 ༼ だからぁ……ああもう! 何故わからないのか! ヤブユムして行けと言っているんだ、その方が生存率上がるしスマートだろ! ༽ 「あ、そういう事?」 ヤブユム。確か、固い絆で結ばれた男女の仏が合体して雌雄一体となる事で色々と超越できる、みたいな意味の仏教用語……だったはず。どうすればできるのかまではサッパリわかんないけど。 「え、えと、えと、紅さん……一美ちゃん!」 「はい……う、うん、光君!」 両前世からプレッシャーを受け、私と光君は赤面しながら唇を近付ける。 『あーもー違う! ヤブユムっていうのは……』 ༼ まーまー待て。ここは現世を生きる衆生の好きにさせてみようじゃないか ༽ そんな事言われても困る……それでも、今私と光君の想いは一つ、大散減討伐だ。うん、多分……なんとかなる! はずだ!
བཞི་པ་
所変わって御戌神社。姿を現した大散減は地中で回復してきたらしく、幾つか継ぎ目が見えるも八本足の完全体だ。十五メートルの巨体で暴れ回り、周囲一帯を蹂躙している。鳥居は倒壊、御戌塚も跡形もなく粉々に。島民達が保身の為に作り上げた生贄の祭壇は、もはや何の意味も為さない平地��化したんだ。 そんな絶望的状況にも関わらず、大散減討伐軍は果敢に戦い続ける。五寸釘愚連隊がバイクで特攻し、河童信者はカルトで培った統率力で彼女達をサポート。玲蘭ちゃんも一枚隔てた異次元から大散減を構成する無数の霊魂を解析し、虱潰しに破壊していく。ところが、 「あグッ!」 バゴォッ!! 大散減から三メガパスカル級の水圧で射出された穢れ母乳が、河童信者の一人に直撃。信者の左半身を粉砕! 禍耶さんがキュウリの改造バイクで駆けつける。 「河童信者!」 「あ、か……禍耶の姐御……。俺の、魂を……吸収……し……」 「何言ってるの、そんな事できるわけないでしょ!?」 「……大散、ぃに、縁……取られ、嫌、……。か、っぱは……キュウリ……好き……っか……ら…………」 河童信者の瞳孔が開いた。禍耶さんの唇がわなわなと痙攣する。 「河童って馬鹿ね……最後まで馬鹿だった……。貴方の命、必ず無駄にはしないわ!」 ガバッ、キュイイィィ! 息絶えて間もない河童信者の霊魂が分解霧散する前に、キュウリバイクの給油口に吸収される。ところが魔耶さんの悲鳴! 「禍耶、上ぇっ!!」 「!」 見上げると空気を読まず飛びかかってきた大散減! 咄嗟にバイクを発進できず為す術もない禍耶さんが絶望に目を瞑った、その時。 「……え?」 ……何も起こらない。禍耶さんはそっと目を開けようとする。が、直後すぐに顔を覆った。 「眩しっ! この光は……あああっ!」 頭上には朝日のように輝く青白い戌神。そしてその光の中、轟々と燃える紅の不動明王。光と影、男と女が一つになったその究極仏は、大散減を遥か彼方に吹き飛ばし悠然と口を開いた。 「月と太陽が同時に出ている、今この時……」 「瞳に映る醜き影を、憤怒の炎で滅却する」 「「救済の時間だ!!!」」 カッ! 眩い光と底知れぬ深い影が炸裂、落下中の大散減を再びスマッシュ! 「遅くなって本当にすみません。合体に手間取っちゃって……」 御戌神が放つ輝きの中で、燃える影体の私は揺らめく。するとキュウリバイクが言葉を発した。 <問題なし! だぶか登場早すぎっすよ、くたばったのはまだ俺だけです。やっちまいましょう、姐さん!> 「そうね。行くわよ河童!」 ドルルン! 輩悪苦満誕(ハイオクまんたん)のキュウリバイクが発進! 私達も共に駆け出す。 「一美ちゃん、火の準備を!」 「もう出来ているぞぉ、カハァーーーッハハハハハハァーーー!!」 ティグクが炎を噴く! 火の輪をくぐり青白い肉弾が繰り出す! 巨大サンドバッグと化した大散減にバイクの大軍が突撃するゥゥゥ!!! 「「「ボァガギャバアアアアァァアアア!!!」」」 八本足にそれぞれ付いた顔が一斉絶叫! 中空で巻き散らかされた大散減の肉片を無数の散減に変えた! 「灰燼に帰すがいい!」 シャゴン、シャゴン、バゴホオォン!! 御戌神から波状に繰り出される光と光の合間に那由多度の影炎を込め雑魚を一掃! やはりヤブユムは強い。光源がないと力を発揮出来ない私と、偽りの闇に遮られてしまっていた光君。二人が一つになる事で、永久機関にも似た法力を得る事が出来る! 大散減は地に叩きつけられるかと思いきや、まるで地盤沈下のように地中へ潜って行ってしまった。後を追えず停車した五寸釘愚連隊が舌打ちする。 「逃げやがったわ、あの毛グモ野郎」 しかし玲蘭ちゃんは不敵な笑みを浮かべた。 「大丈夫です。大散減は結界に分散した力を補充しに行ったはず。なら、今頃……」 ズドガアアァァァアン!!! 遠くで吹き上がる火柱、そして大散減のシルエット! 「イェーイ!」 呆然と見とれていた私達の後方、数分前まで鳥居があった瓦礫の上に後女津親子と佳奈さんが立っている。 「「ドッキリ大成功ー! ぽーんぽっこぽーん!」」 ぽこぽん、シャララン! 佳奈さんと万狸ちゃんが腹鼓を打ち、斉一さんが弦を爪弾く。瞬間、ドゴーーン!! 今度は彼女らの背後でも火柱が上がった! 「あのねあのね! 地図に書いてあった星の地点をよーく探したら、やっぱり御札の貼ってある祠があったの。それで佳奈ちゃんが凄いこと閃いたんだよ!」 「その名も『ショート回路作戦』! 紙に御札とぴったり同じ絵を写して、それを鏡合わせに貼り付ける。その上に私の霊力京友禅で薄く蓋をして、その上から斉一さんが大散減から力を吸収しようとする。だけど吸い上げられた大散減のエネルギーは二枚の御札の間で行ったり来たりしながら段々滞る。そうとは知らない大散減が内側から急に突進すれば……」 ドォーーン! 万狸ちゃんと佳奈さんの超常理論を実証する火柱! 「さすがです佳奈さん! ちなみに最終学歴は?」 「だからいちご保育園だってば~、この小心者ぉ!」 こんなやり取りも随分と久しぶりな気がする。さて、この後大散減は立て続けに二度爆発した。計五回爆ぜた事になる。地図上で星のシンボルを描く地点は合計六つ、そのうち一つである食虫洞のシンボルは私がコンビニで焼却したアレだろう。 「シンボルが全滅すると、奴は何処へ行くだろうか」 斉三さんが地図を睨む。すると突如地図上に青白く輝く道順が描かれた。御戌神だ。 「でっかい大散減はなるべく広い場所へ逃走を。となると、海岸沿いかもだ。東の『いねとしサンライズビーチ』はサイクリングロードで狭いから、石見沼の下にある『石見海岸』ので」 「成程……って、君はまさか!?」 「青木君!?」 そうか、みんな知らなかったんだっけ。御戌神は遠慮がちに会釈し、かき上がったたてがみの一部を下ろして目隠れ前髪を作ってみせた。光君の面影を認識して皆は納得の表情を浮かべた。 「と……ともかく! ずっと地中でオネンネしてた大散減と違って、地の利はこちらにある。案内するので先回りを!」 御戌神が駆け出す! 私は彼が放つ輝きの中で水上スキーみたいに引っ張られ、五寸釘愚連隊や他の霊能者達も続く。いざ、石見海岸へ!
ལྔ་པ་
御戌神の太陽の両眼は、前髪によるランプシェード効果が付与されて更に広範囲を照らせるようになった。石見沼に到着した時点で海岸の様子がはっきり見える。まずいことに、こんな時に限って海岸に島民が集まっている!? 「おいガキ共、ボートを降りろ! 早く避難所へ!」 「黙れ! こんな島のどこに安全が!? 俺達は内地へおさらばだ!」 会話から察するに、中学生位の子達が島を脱出しようと試みるのを大人達が引き止めているようだ。ところが間髪入れず陸側から迫る地響き! 危ない! 「救済せにゃ!」 石見の崖を御戌神が飛んだ! 私は光の中で身構える。着地すると同時に目の前の砂が隆起、ザボオオォォン!! 大散減出現! 「かははは、一足遅いわ!」 ズカアァァン!!! 出会い頭に強烈なティグクの一撃! 吹き飛んだ大散減は沿岸道路を破壊し民家二棟に叩きつけられた。建造物損壊と追い越し禁止線通過でダブル罪業加点! 間一髪巻き込まれずに済んだ島民達がどよめく。 「御戌様?」 「御戌様が子供達を救済したので!?」 「それより御戌様の影に映ってる火ダルマは一体!?」 その問いに、陸側から聞き���えのある声が答える。 「ご先祖様さ!」 ブオォォン! 高級バイクに似つかわしくない凶悪なエンジン音を吹かして現れたのは加賀繍さんだ! 何故かアサッテの方向に数珠を投げ、私の正体を堂々と宣言する。 「御戌神がいくら縁切りの神だって、家族の縁は簡単に切れやしないんだ。徳川徳松を一番気にかけてたご先祖様が仏様になって、祟りを鎮めるんだよ!」 「徳松様を気にかけてた、ご先祖様……」 「まさか、将軍様など!?」 「「「徳川綱吉将軍!!」」」 私は暴れん坊な将軍様の幽霊という事になってしまった。だぶか吉宗さんじゃないけど。すると加賀繍さんの紙一重隣で大散減が復帰! 「マバゥウゥゥゥゥウウウ!!!」 神社にいた時よりも甲高い大散減の鳴き声。消耗している証拠だろう。脚も既に残り五本、ラストスパートだ! 「畳み掛けるぞ夜露死苦ッ!」 スクラムを組むように愚連隊が全方位から大散減へ突進、総長姉妹のハンマーで右前脚破壊! 「ぽんぽこぉーーー……ドロップ!!」 身動きの取れなくなった大散減に大かむろが垂直落下、左中央二脚粉砕! 「「「大師の敵ーーーっ!」」」 微弱ながら霊力を持つ河童信者達が集団投石、既に千切れかけていた左後脚切断! 「くすけー、マジムン!」 大散減の内側から玲蘭ちゃんの声。するうち黄色い閃光を放って大散減はメルトダウン! 全ての脚が落ち、最後の本体が不格好な蓮根と化した直後……地面に散らばる脚の一本の顔に、ギョロギョロと蠢く目が現れた。光君の話を思い出す。 ―八本足にそれぞれ顔がついてて、そのうち本物の顔を見つけて潰さないと死なない怪物で!― 「そうか、あっちが真の本体!」 私と光君が同時に動く! また地中に逃げようと飛び上がった大散減本体に光と影は先回りし、メロン格子状の包囲網を組んだ! 絶縁怪虫大散減、今こそお前をこの世からエンガチョしてくれるわあああああああ!! 「そこだーーーッ!! ワヤン不動ーーー!!」 「やっちゃえーーーッ!」「御戌様ーーーッ!」 「「「ワヤン不動オォーーーーーッ!!!」」」 「どおおぉぉるあぁああぁぁぁーーーーーー!!!!」 シャガンッ! 突如大量のハロゲンランプを一斉に焚いたかのように、世界が白一色の静寂に染まる。存在するものは影である私と、光に拒絶された大散減のみ。ティグクを掲げた私の両腕が夕陽を浴びた影の如く伸び、背中で燃える炎に怒れる恩師の馬頭観音相が浮かんだ時……大散減は断罪される! 「世尊妙相具我今重問彼仏子何因縁名為観世音具足妙相尊偈答無盡意汝聴観音行善応諸方所弘誓深如海歴劫不思議侍多千億仏発大清浄願我為汝略説聞名及見身心念不空過能滅諸有苦!」 仏道とは無縁の怪獣よ、己の業に叩き斬られながら私の観音行を聞け! 燃える馬頭観音と彼の骨であるティグクを仰げ! その苦痛から解放されたくば、海よりも深き意志で清浄を願う聖人の名を私がお前に文字通り刻みつけてやる! 「仮使興害意推落大火坑念彼観音力火坑変成池或漂流巨海龍魚諸鬼難念彼観音力波浪不能没或在須弥峰為人所推堕念彼観音力如日虚空住或被悪人逐堕落金剛山念彼観音力不能損一毛!!」 たとえ金剛の悪意により火口へ落とされようと、心に観音力を念ずれば火もまた涼し。苦難の海でどんな怪物と対峙しても決して沈むものか! 須弥山から突き落とされようが、金剛を邪道に蹴落とされようが、観音力は不屈だ! 「或値怨賊繞各執刀加害念彼観音力咸即起慈心或遭王難苦臨刑欲寿終念彼観音力刀尋段段壊或囚禁枷鎖手足被杻械念彼観音力釈然得解脱呪詛諸毒薬所欲害身者念彼観音力還著於本人或遇悪羅刹毒龍諸鬼等念彼観音力時悉不敢害!!」 お前達に歪められた衆生の理は全て正してくれる! 金剛有明団がどんなに強大でも、和尚様や私の魂は決して滅びぬ。磔にされていた抜苦与楽の化身は解放され、悪鬼羅刹四苦八苦を燃やす憤怒の化身として生まれ変わったんだ! 「若悪獣囲繞利牙爪可怖念彼観音力疾走無辺方蚖蛇及蝮蝎気毒煙火燃念彼観音力尋声自回去雲雷鼓掣電降雹澍大雨念彼観音力応時得消散衆生被困厄無量苦逼身観音妙智力能救世間苦!!!」 獣よ、この力を畏れろ。毒煙を吐く外道よ霧散しろ! 雷や雹が如く降り注ぐお前達の呪いから全ての衆生を救済してみせよう! 「具足神通力廣修智方便十方諸国土無刹不現身種種諸悪趣地獄鬼畜生生老病死苦以漸悉令滅真観清浄観広大智慧観悲観及慈観常願常瞻仰無垢清浄光慧日破諸闇能伏災風火普明照世間ッ!!!」 どこへ逃げても無駄だ、何度生まれ変わってでも憤怒の化身は蘇るだろう! お前達のいかなる鬼畜的所業も潰えるんだ。瞳に映る慈悲深き菩薩、そして汚れなき聖なる光と共に偽りの闇を葬り去る! 「悲体戒雷震慈意妙大雲澍甘露法雨滅除煩悩燄諍訟経官処怖畏軍陣中念彼観音力衆怨悉退散妙音観世音梵音海潮音勝彼世間音是故須常念念念勿生疑観世音浄聖於苦悩死厄能為作依怙具一切功徳慈眼視衆生福聚海無量是故応頂……」 雷雲の如き慈悲が君臨し、雑音をかき消す潮騒の如き観音力で全てを救うんだ。目の前で粉微塵と化した大散減よ、盲目の哀れな座頭虫よ、私はお前をも苦しみなく逝去させてみせる。 「……礼ィィィーーーーーッ!!!」 ダカアアアアァァアアン!!!! 光が飛散した夜空の下。呪われた気枯地、千里が島を大いなる光と影の化身が無量の炎で叩き割った。その背後で滅んだ醜き怪獣は、業一つない純粋な粒子となって分解霧散。それはこの地に新たな魂が生まれるための糧となり、やがて衆生に縁を育むだろう。 時は亥の刻、石見海岸。ここ千里が島で縁が結ばれた全ての仲間達が勝利に湧き、歓喜と安堵に包まれた。その騒ぎに乗じて私と光君は、今度こそ人目も憚らず唇を重ね合った。
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近さの / なかに / はいる
※この記事はnoteに書いたものをそのまままとめて移植したものです
→もとの記事(初回)https://note.com/megata/n/n47f8d146b717
[1]
花になるなら、飾らず、まっすぐに伸びるヒマワリがいい。モードが言う。対してハロルドは、一面に咲くヒナギクを見下ろしながら、自分はこの花がいいと言う。あの花この花の区別なく、たくさん横並びで生えている、どれでも変わりないようななかのひと花でありたい、と。そんなふうにヒナギクを評するハロルドに対し、同じ花なんてないとモードは意見する。それから、こんなこともいう。世の中の不幸のほとんどは、他人と同じように扱われることに不満を持たない人々が生み出している、と。
ところが、「どこにでもいるやつなんて どこにもいない」式のことを述べたてるモードは、とてもとても極端な人物なのだ。名もなき雑草のひと花ひと花に愛情深い態度を示すような、落ち着いた穏やかな人格ではない。独善的で身勝手な狂老女、とみなされても不思議ではない。
ラブコメというジャンルはどのような構造で組み立てられているか、という話のなかで話題にのぼり、紹介された映画『ハロルドとモード』を実際にみてみた。とはいえこの映画は、いわゆるラブコメというジャンル映画ではないように思われる。家人の目につくところで自殺を演じ続ける少年ハロルドだが、ハロルドの母は、息子が首を吊ろうと手首を切ろうと銃で頭を撃ちぬこうと、まったく相手にしない。「いつものいたずらね」ということで軽く流し、かわりに精神科に通わせたり、軍人の叔父に預けようとしたりする。ただ��同伴・同席はしない。ハロルドは一人で精神科や、叔父のオフィスに通わされる。 ハロルドはいつものように、知らない人の葬儀に勝手に参列する。そこで知り合った79歳の老女・モードもまた、赤の他人の葬式に参加するシュミがあった。二人は巡りあう。 モードは常に人の車を運転する。公道の街路樹を引き抜き、人の車にのせ、料金を払わず高速道路をぶっ飛ばし、白バイ警官をまいて、山に勝手に植えにいく。シャベルだって当然盗品である。しかしあっけらかんとしていて、罪の意識はない。法を犯していることぐらい理解しているだろうけど、罪を犯している自責はかけらもない。めちゃくちゃである。 惹かれ合った二人が、きちんと一夜を共にする描写(朝になって、裸の少年と老女がおなじベッドで目覚めるシーン)があるのがとてもよかったです。 「ラブコメ」のジャンル映画ではなさそうだったし、それに「恋愛」を描いているようにも思われなかった。おもしろい映画だったけどね。さあ「恋愛」ってなにか。
このごろ読んでいた嘉村磯多の「途上」という自伝小説のなかに、露骨な切れ味の描写があってハッとさせられた。中学校のなか、からかわれたり後輩をいびったり、勉学に励みつつ田舎出身を恥じらい、色が黒いことをバカにされたり先生に気に入られたり、下宿先の家族に気を使いすぎたりして、なんやかんやで学校を中退して、実家に戻ってきた。ぶらぶらしていると、近所にいる年少の少女に目が留まる。いつか一度、話したことがあるきりだが、やたらと彼女が気にかかる。そこにこの一文があらわれる:「これが恋だと自分に判った。」 そんなふうにはっきり書かれてしまうと弱い。「はいそうですか」と飲み込むほかない。 けれど、恋愛を描いている(とされるもの)に、「これが恋」って「判った」だなんて明確に言及・説明を入れ込むことは、どうなんだろう。少なくとも当たり前な、お約束なやり口ではないと思うけど。 世の中には、「恋」「愛」「恋愛」という単語の意味するところがなんであるのか今一度問い直す手続きを踏まえずに、じつにカジュアルに言葉を使っているケースばかりがある。そうすると、その場その場で「恋」の意味が変わっていくことになる。その「恋」が意味しているものは単に一夜のセックスで、「恋多き」という形容詞がその実、「ぱっと見の印象がイケてた人と手当たり次第やりまくってきた」って内容でしかないときも少なくない。 まあけど、それがなんなのかを追究するのはやめましょう。というか、いったんわきに置いておきます。
さて『ハロルドとモード』の紹介された雑談のトピック:「ジャンルとしてのラブコメ」ですが、これは単に、「イニシアチブを奪い合うゲーム」であるらしい。そういう視点で構築されている。要するにラブコメは、恋愛感情の描写とか、恋とは何かを問い直すとかじゃなくて、主導権や発言権を握るのは誰か?というゲームの展開に主眼がある。気持ちの物語ではないのだ。描かれるのは、ボールを奪い合う様子。欲しがらせ、勧誘し、迷い、交渉する。デパートのなかで商品を迷うように。路上の客引きの口車にそれなりになびいたうえで、「ほか見てからだめだったらまた来ます」って断りを入れて、次の客引きに、「さっき別の店の人こういってたんですよね」とこちら側から提示するように。 イニシアチブの奪い合い、というゲームさえ展開できればいいので、気持ちとかいらない。ゲームが展開できるのであれば、主体性もいらない。ラブコメの「ラブ」は心理的な機微や葛藤の「ラブ」ではない。奪い合っているボールの呼び名でしかない。(つまり奪い合い=おっかけっこ、が、「コメ(ディ)」ってワケ)
浮気はドラマを盛り上げる。人が死ぬのも、まさに「劇的」なハプニングだ。雨に濡れて泣きながら走り、ようやく辿りついたアパートの部屋はもぬけの殻、ただテーブルにひとことの書き置き「フランスに行きます」みたいな、そんな派手な出来事で試合はいよいよ白熱する。ところが、心理的な機微や葛藤というのはいつだってモノローグ的だので、気持ちの面での「ラブ」を描きたいなら、このような出来事たちはむしろいらない。うるさすぎる。もっとささやかで、短歌的な味わいのものがふさわしい。ひとりでいるときに、マフラーの巻き方を真似しようと試みて途中でやめたり、チェーンの喫茶店の安コーヒーの味が思い出でおいしくなったり、そういうのでいい。出しっぱなしのゴミ勝手に片づけたの、ちょっとおせっかいすぎたかなってくよくよ悩む、とかでいい。
恋愛の感情・心理がよく描写されているように感じられる物語の登場人物は、内面的な葛藤に閉じこもらざるを得ないシチュエーションに押し込められている場合が多い気がする。「ひとには秘密にしてないといけない」「誰にも言えない」という制約のある環境。仕組みとして、宗教の違いや人種や年齢の断絶、同性愛など、自分の思いを簡単にひとに打ち明けられないセッティングの話のほうが、「イニシアチブ奪いあいゲーム」からは遠ざかる。(それに、そんなようなセッティングだと、「世間の常識」が要求してくるジェンダーロールを無視して鑑賞しやすい場合も多い。)
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[2]
成功した実業家の息子であるハロルドは、経済的にも肉体的にも不自由なく暮らしている。が、なんだか欠落を抱えている。自殺遊びや他人の葬式への参加など、死に接しているときが最も楽しい。老女モードは、そんなハロルドの世界観を一変させることになる。彼女はかなりアナーキーな存在で、逮捕されるようなことばかり繰り返している。けれど悪びれない。自らの行為を、自分らしい人生を過ごしている実感を与えてくれる刺激として肯定している。
J.G.バラードに『コカイン・ナイト』という小説があって、この頃これを読みました。あ、そもそもこの記事は、最近読んだものや見たものについて、できるだけ網羅的に言及できないかと願いつつ当てずっぽうで書き出した文章です。できることなら人とのやりとりや、自分の過ごした日常についても記したいが、それがうまくできるかどうか。
『コカイン・ナイト』の主人公はチャールズで、世界中を飛び回っている旅行記者です。退屈について、カリスマについて、刺激について。さまざまな切り口から鋭い洞察が重ねられたこの名作の入り口は、ミステリーのかたちをしている。 スペインの南、ハイパーセレブたちのリゾート地で働いているはずの弟が窮地にたたされているから助けにいかなきゃ! という目的で、チャールズは物語の舞台にやってき��す。弟の状況はよく知らないけど、あいつのことだし、そこまで深刻じゃないだろう。そう高を括ってやってきました。ところがどっこい、弟、かなりやばい状況でした。 大邸宅が放火により全焼し、五人が焼け死んだ。弟にその容疑がかけられている。捕まって、留置されている。裁判を待っている。けれども、誰も、弟が犯人であるとは信じていない。警察だって例外じゃない。明らかに、弟の犯行ではないのだ。それでも弟は、自分がやったと自白しており、嘘の自白を繰り返すばかりで取り下げない。いったいなにが起こっているのか。どういうことなのか。 地域の人らはすべて疑わしい、なにかを隠しているような気がする。チャールズは素人ながら探偵のまねごとをしはじめ、地域の人々から疎んじられはじめる。チャールズにとって、地域の人々の態度と距離感はますます疑わしいものに思えてくる。そして実際、普通には考えにくい、歪んだ事態を数々目撃することになる。余暇時間を持て余したハイパーセレブたちは、事故を起こして炎上するボートを楽しそうに見つめていた。拍手さえあがる。
『ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン~』という映画があって、平和な村=表向きには犯罪のない村を舞台にした話でした。「表向きには」犯罪はない、というのはつまり、法に反した行為があったとしても、届け出や検挙がなければ統計にはあらわれない、ということを示しています。
世の中にはあたまのかたい人というのがたくさんいて、俺もその一人なんだが、すべてのルールは事後的に構築されたものなのに、これを絶対の物差しだと勘違いしている場合がある。法律を破ったのだから悪い人だ、みたいな感覚を、まっとうなものだと信じて疑わない人がたくさんいる。身近に悪いやつ、いやなやつ、いませんか。自分のなかにも「悪」はありませんか。それと「被告人」「容疑者」はぜんぜん別のことではないですか。 陰謀論がささやかれている。「悪いやつがいる、たくさんいる、てのひらで人を転がしているやつと、愚かにも転がされているやつがいる、自分はその被害者でもある」そう発想する立場に対し、逆の立場に立たされている不安を訴える声もありえる。「知らず知らずのうちに、自分は、陰謀に加担しているのではないか。なんならむしろ積極的に参加しているのではないか」あんなふうになってしまうなんてこと思いもよらなかった、ってあとで口走っても遅い。
『コカイン・ナイト』の主人公チャールズは旅行記者で、世界中を飛び回っているから定住地はない。 どこかに行くと、「自分にとって、ここが本当の場所��」と感じられる旅先に巡り合うことがある。けれどその段階を越えたむこうに、「自分にとって、世界はすべて異郷である。どこにいても、自分は単なる旅人以上のものではありえない」その境地がある、というようなことを池澤夏樹が言っていたかもしれない。言ってないかもしれない。ともかくチャールズは定住地がない。
國分功一郎『暇と退屈の倫理学』には、 遊動の暮らしをやめて定住するようになったとき、人類は、財産や文明を手にするようになった。貧富の差が生じ、法が生じ、退屈が生じた。時代が下って便利になればなるほど、退屈は大問題になってくる。 というようなことが書かれていた。遊動の暮らし云々については資料がない話だから、この本がどれほど学問的に厳密なのかはわからないけど、発想としてはおもしろいと思ったので覚えています。記憶だから、読み返すとそんな話してないかもしれないけどね。 けどまあ、ともかく、遊動し続けていたチャールズは、退屈がまさに大問題になっている地域に巻き込まれるかたちで取り込まれていく。はじめは弟の部屋を使っていたチャールズも、その地域を牛耳っているやつが用意してくれた部屋にうつるときがやってくる。その部屋にはじめて足を踏み入れたチャールズに、こういった言葉がかけられる。「チャールズ、君は家に帰ってきたんだ……」 「今の気分を大いに楽しみたまえ。見知らぬ場所という感覚は、自分にとって、常日頃考えているよりも、もっと近しいものなんだよ」
この記事は当てずっぽうで書き出した日記ではあるけれど、記事のタイトルははじめから決めている。「近さの/なかに/はいる」 ようやく、「近さ」というキーワードを登場させられました。よかった。距離についての話を引き続き。
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[3]
いつか「ア・ホロイ」というグループ展で映像作品の発表をしたときに(おれのみヘッポコな)対談イベントの相手として巻き込んだ太田充胤(医師・ダンサー・批評家)が、ちょうどその当時スタートさせていたのが『LOCUST』という雑誌だった。Magazine for travel and criticism|旅と批評のクロスポイント。 執筆者たちはみんなで旅行をしにいく。そしてその場所についての文章を書く。これを集めて雑誌にしている。参加者は批評家だけではないが、肩書は別になんでもよい。いわゆる観光ガイドでもなく、かといって思想ムックでもない。地域と時事に結びついた、批評癖のある人らの旅行界隈記集で、最近、この第三号を買いました。三号の特集地は岐阜県美濃地方。
この本、千葉市美術館で買った。千葉市美術館ではいま、「大・タイガー立石展」が開催されている。立石紘一=立石大河亞=タイガー立石という作家については、これは子供のころ、好きで好きでしかたなかった絵本のひとつの作者として知りました。親近感、懐かしさがある。 60年代、日本のなか美術作家として活動、のちイタリアに渡り、そこで油絵もヒットしますが、同時にデザイナー・イラストレーターとしても、漫画家としても活躍。日本に戻り、絵本の仕事も手掛けるようになります。陶も捏ねます。 ナンセンス、毒々しくも軽妙で、湿度は高いんだけどしつこくない。筆運び色選びモチーフ選び影の黒さははっきりシュールレアリズム由来で、反逆児のフリをしつつジャンルの枠組みは壊さず、荒唐無稽なフリをしつつ不穏当で思わせぶり、祝祭的=黙示録的、派手好みのくせに辛気臭くすら感じられるガロ感がいつまでも抜けない。という印象。個人的には。
懇意にしている友人の家、友人なのかな、友人なんでしょうか。一緒にいる居心地はいいんだけど、話題が狭く、政治的な話も教養的な話もしない。あるのは惰眠と食卓で、生理的で予測可能なよろこびしかない。安心安全で退屈な時間を過ごす人。おれは人のことをバカにして生きてる。まあいいかそれはいま。ともかく、友人、そう友人の家を出て、千葉中央駅に到着すると、急に大雨が降りはじめた。美術館まで徒歩にしてほんの10分の距離ですけど雨はものすごい。駅ビル内のダイソーで傘を買って足を濡らして10分歩くなら値段的にもそう変わらないと判断し、駅前でタクシーに乗り込みました。「市立美術館まで」と注文します。「市立?」聞き返した運転手はメーターをつけずに発車、すぐに着いて、料金として500円を払う。車運転させておきながら500円玉1枚だけ払って降車するのは後ろめたい。ちょっと照れくさくもある。 タイガー立石の絵はいわゆるコピペっぽさというか、表面的なトレースが多い。ピカソの泣く女やゲルニカ、ダリの溶けた時計、ルソーの自画像、タンギーのうねうね、そんなものがはっきり登場する。作品によっては、モチーフらは一枚の画面にただ雑然と並んでいる。ライブハウスのトイレの壁みたく、全体のなかに中心のない、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 ずっと好きではあったけれど、とはいえどっぷりハマりこんだ覚えのある作家でもない。距離感としては「シュークリーム」とか「揚げ出し豆腐」みたいな。それでも、さすが小さなころからの付き合いだけあって、自分のなかに、あるいはタイガー立石をみる自分のなかに、自分自身の制作態度の原型をみるようで居心地が悪く、やはりちょっと照れくさくもあった。
もちろんカタログを買う。そのために美術館併設の書店に立ち寄った。そこで『LOCUST vol.3』を見つけたので一緒に買ったのだった。太田充胤が、「おいしい、と、おいしそう、のあいだにどんなものが横たわっているのかを考えた原稿を vol.3に載せた」と言っていた覚えがあったためだ。なんだそれ、気になる。そう思っていたところだった。 ぜんぶで7つのパートにわかれたその原稿の、はじめの3つを、ざっくばらんに要約する。 1・はじめの話題は日本の食肉史から。肉を食べることは力をつけることと結び付けられもしてきた。禁じられた時代、忌避された時代もあった。食肉への距離感っていろいろある。 2・野生動物の肉を食うことが一種のブームになっている。都市部でもジビエは扱われている。ただ、大義たる「駆除される害獣をせっかくだから食べる」というシステムは、都市部では説得力がうすい。都市部のジビエは「珍しいもの」としてよろこばれている? 舶来品の価値、「遠いものだから」という価値? 3・身近に暮らす野生動物と生活が接しているかどうかで、(動物の)肉というものへの距離感は変わる。都市部の居酒屋で供される鹿の肉と、裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉は、そりゃ肉としては同じ鹿肉であっても、心理的な距離の質は同じではない。
イモムシが蝶になる手前、さなぎに変態してしばらくじっとしている。さなぎの中身はどろどろで、イモムシがいったんとろけた汁であり、神話の日本の誕生よろしく、ここから形状があらわれ、蝶になるのだと、子供のころ誰に教えられたわけでもないのに「知って」いた。それは間違いだった。イモムシの背中を裂くと、皮膚のすぐ裏側に羽が用意されている。蝶の体つきは、さなぎになるよりずっと前から、体のなかに収納されている。さなぎはただ、大一番な脱皮状態を身構えてるだけの形態で、さなぎの中がどろどろなのは、イモムシや成体の蝶の体内がどろどろなのとまったく同じことだった。日高敏隆の本で知った。大学院生のころ、ひとの自作解説を聞いていたら、「イモムシがいったんその体の形状をナシにして、さなぎの中でイチから再編成しなおして蝶になるように」という言い方をしている人があった。同じ勘違いだ。 この勘違いはどうして起こり、どうして疑いなく信じ続けられるんだろう。だって、イチから再編成されるなんて、めちゃくちゃじゃないか。めちゃくちゃ不思議なことがあっても、それが「生命の神秘」や「昆虫の不思議さ」に結びついて納得されてしまえば、「ね、不思議だよね、すごいよね」で済む話になるのか。<現代人・大人たちが昆虫を嫌うのは、家の中で虫を見なくなってきたからだ>という論文を先日みつけました。隣近所の人とあいさつをするかどうかで生活の心やすさは大きく変わる。知らない人の物音は騒音でも、知っている人の物音はそんなに不愉快じゃなかったりする。「面識」のあるなしは非常に重要だから、背が伸びても���お、公園や野原で昆虫と親しみ続ける人生を送っていれば、虫嫌いにはなっていかないだろう。けれど、そういう人生を送っていたとしても、いったん誤解した「さなぎ状態への理解」が誤りだったと、自然に気づけるものだろうか。
岐阜で供されたジビエ肉についての原稿をLOCUSTに執筆した太田充胤は高校の同級生で、とはいえ仲良しだったわけではない。今も別に、特別仲良しとかではない。なんかやってんなあ、おもろそうなこと書いてるなあ、と、ぼんやり眺めて、でも別にわざわざ連絡はしない。卒業後10年、やりとりはなかった。数年前、これを引き合わせた人がいて、あわせて三人で再会したのは新宿三丁目にある居酒屋だった。ダチョウやカンガルー、ワニやイノシシの肉を食べた。それこそ高校の頃に手にとって、ブンガクの世界に惹かれる強烈な一打になったモブ・ノリオの作品に『食肉の歴史』というタイトルのものがあったな、と急に思いついたけれどこれはさすがにこじつけがすぎるだろう。あ、 ああ、自分の話を書くことはみっともなく、辛気臭いからしたくないんだった。「強烈な一打」たるモブ・ノリオの『介護入門』なんてまさに「自分の話」なわけだが、他人の私小説のおもしろさはOK けど、自分がまさに自分のことを語るのは自分にゆるせない。それはひとつに、タイガー立石はじめ、幼少時に楽しんだ絵本の世界のナンセンスさ、ドライさへの憧れがこじれているからだ。 まとまりがなく、学のなさ集中力のなさ、蓄積のなさまであからさまな作文を「小説」と称して書き散らかし、それでもしつこくやり続けることでなんとか形をなしてきて、振り返ると10年も経ってしまった。作文活動をしてきた自負だけ育っても、結果も経歴もないに等しい。はじまりの頃に持っていたこだわりのほとんどは忘れてしまった。それでも、いまだに、自分のことについて書くのは、なんだか、情けをひこうとしているようで恥ずかしい気がする。と、このように書くことで、矛盾が生じているわけだけど、それをわかって書けちゃってるのはなぜか。 それは、書き手の目論見は誤読されるものだし、「私小説/私小説的」というものには、ものすごい幅があるということを、この10年、自分にわかってきたからでもある。むしろ自分のことをしっかり素材にして書いてみてもおもろいかもしれない、などと思いはじめてさえいる。(素材はよいほうがそりゃもちろんいいけど)結局のところ、なんであっても、おもしろく書ければおもしろくなるのだ。
こないだ週末、なぜだか急に、笙野頼子作品が読みたくなった。『二百回忌』じゃなきゃだめだった。��しぶりに引っ張り出して、あわてて読んだ。おもしろかった。モブ・ノリオ『介護入門』に接し衝撃を受けた高校生のころ、とりあえず、その時代の日本のブンガクを手あたり次第漁っていた。そのなかで出会い、一番ひっかかっておきながら、一番味わえていない実感のある作家が笙野頼子だった。当時読んだのは『二百回忌』のほか『タイムスリップ・コンビナート』『居場所もなかった』『なにもしてない』『夢の死体』『極楽・大祭』『時ノアゲアシ取リ』。冊数は少なくないが、「ようわからんなあ、歯ごたえだけめっちゃあるけど、噛むのに手一杯になってしまってよう味わわん」とばかり思っていた。 新潮文庫版『二百回忌』に収録されているのは4作品。いずれも、作家自身が作家自身の故郷や家族(など)に対して抱いているものを、フィクションという膜を張ることで可能になる語り方で語っているものだ。
『大地の黴』: 生まれ故郷に帰ってきた主人公が、故郷での暮らしを回想する。かつて墓場で拾い、そして失くしてしまった龍の骨が、いまや巨大に成長し、墓場を取り囲み、そして鳴る。小さなころ、その土地に居ついている、黴のような茶色いふわふわが見えていた。地元の人の足元にまとわりついていた。いま墓の底から見上げる、よく育った龍の骨たちのまわりにもいる。
『二百回忌』: 二百回忌のために帰省する。親とは険悪で、その意味では帰省したくない。しかし、二百回忌は珍しい行事だし、すでに死んだ者もたくさん参加する祝祭時空間らしいから、ぜひとも行ってみたい。肉親はじめ自分の人生と直接のかかわりをもったことのある地元の顔ぶれは嫌だけど二百回忌には出向く。死者もあらわれる行事だから華々しいし、時間はいろんなところでよじれ、ねじれる。
『アケボノの帯』: うんこを漏らした同級生が、うんこを漏らしたことに開き直って恥ずかしがらない。そればかりか、自分の行いを正当化ないし神聖化し、排泄の精霊として育つ。(漏らしたことで精霊になったから、その同級生には苗字がなくなった!)自分のうんこの話をするのははばかられるけれど、精霊が語る排泄は肥料(豊かさ)や循環の象徴であるからリッパである。
『ふるえるふるさと』: 帰省したらふるさとの土地が微動している、どうやら時間もねじれている。いろいろな過去の出来事が出来していく。
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[4]
『LOCUST』の第三号の特集は岐阜で、おれの祖父母の実家は岐阜にある。大垣にあったはずで、いまどうなっているかは知らない。 父方の祖母が一年ほど前に亡くなった。おれの祖父=おれの父からすれば実父は施設で暮らしはじめた。住む者のなくなった、父の実家は取り壊された。父は仏壇や墓のことを考えはじめ、折からの歴史好きも手伝って、寺を巡っては話をきいてまわるようになった。寺の住職はすごい。自分とこにある墓の来歴ならしっかり把握しており、急に訪れた父が「うちの母のはいった墓は、いつ、誰がもってきたもので、誰がはいっているのか」と尋ねればすらすらと教えてくれる。 つい数代前、滋賀の彦根から、京都の寺に運んできたとのことだ。ところが運んだ者がアバウトで、京都の寺は彦根の寺と宗派が違う。それもあって、一族代々の墓ではなくて、数代のうち、そのアバウトさに異を唱えなかった人らが結果的におさまっているらしい。よう知らんけど。 続いて調査に乗り出した、母方、つまり岐阜の大垣にあった家の墓の来歴についても、どうやらごまかしが多い。ひとりの「かわりもの」のために、墓の行き先がなくなる事態があったらしい。 昭和のなかごろ、青年らは単身で都会へと引っ越しはじめ、田舎に残してきた墓をそのままにしてると数十年のちに誰か死ぬ。次は誰の番だろうかと悩むころには、あれこれ調べて動かす余裕がない。嫁ぎ先の墓にはいるとか、別の墓をたてるとか、戦死してうやむやになってるとか、ややこしいからウチは墓を継ぎたくないとか、もはやふるさとはないから墓ごと引っ越したいけど親戚全員への連絡の手立てがないのでできる範囲だけを整理して仕切り直すだとか、そういうごたごたを探査するのがおもしろいらしい。 父から送られてきた、一緒に夕食を食べることを誘うメールには、「うちの墓についての話をしたい」と書いてあって、おれはてっきり、「墓を継げ!」というような説教をくらうのかと身構えていたのだけど、全然そうじゃなかった。墓の来歴からみえてきた、数代前のずさんさ、てきとうさから、果ては戦国時代の仏教戦争まで、わがこととしての眺望が可能になった歴史物語を一席ぶちたかっただけだったみたいだ。よかった。
京都で父は祖父、父からすれば実父と、たまにあそんで暮らしている。祖母なきいま、90近い祖父と話をできるのはあとどれくらいかと思いを馳せるとき、父はふと、戦争の頃のことを聞いておこうと思い立った。いままでぶつけていなかった質問をした。 「お父ちゃん、戦争のときなにしとったん?」 祖父は15歳だった。日本軍はくたびれていた。戦局はひどい。余裕がない。15歳だった祖父は、予科練にはいった。 「軍にはいれば、ご飯が食べられるから」と祖父は笑って話したそうだ。けれど理由の真ん中は本当はそこじゃない。どうせだめになるのだ、負けるのだ。自分の兄、つまり一家の長子を死なすわけにはいかない。兄=長男に家は任そう。長男が無理やり徴収される前に、次男である自分が身を投げうとう。 きっと必要になるから、と考えて、英和辞書を隠し持って予科練にはいった。敵の言葉の辞書を軍に持ち込んでこっそり勉強するなんて、見つかったらえらいことになる。 その頃、12歳だった祖母は、呉の軍需工場で働いていた。 生前の祖母、というか、祖父と出会ったばかりだった祖母は、祖父が、長男に代わって死ぬつもりで、自ら志願して予科練にはいっていたことを聞いて泣いたという。 おれの父親は、おれの祖父からそんなような話を引き出していたそうだ。父としても、はじめて聞く話だった。 90近くなった自分の父親が、目の前で話をする。自分の身に起きたこと、戦争時代の思い出話をする。子供の前で語ってこなかった話を語る。なんだか瀬戸内寂聴みたいな見た目になってきている。極端な福耳で、頭の長さの半分が耳である。 本人は平気な顔をして、ただ、思い出を話しているだけなのである。それでも、「大井川で、戦地へ赴く特攻隊を見送った。最後に飛び立つ隊長機は空でくるりと旋回したあと、見送る人々に敬礼をした。」と、この目で見た、体験した出来事についての記憶を、まさに目の前にいる、親しみ深い人物が回想し話しているのに接して、おれの父は号泣��たという。これは「裏山にかかってたから屠って食卓に登場する鹿の肉」なのだ。
戦争への思いのあらわれた涙ではない。あわれみや悲しみでもない。伝え聞いていたという意味では「知って」いたはずの戦争だが、身近な存在たる父親が直接の当事者であったことがふいに示されて、戦争が急激に近くなる。父親が急激に遠くなる。目の前で話されていることと、話している人との距離感が急激に揺さぶられた。このショックが、号泣として反応されたのではないか。食事中、口にする豚肉を「ロースだよ」と教えてくるような調子でふいに、「この豚は雌だよ」とささやかれて受けるショックと同質の、「近さ」についての涙なのではないか。感情の涙ではなくて、刺激への反応としての落涙。 これでひとまず、自分の描く分を切り上げる。思えばいろいろなトピックに立ち寄ったものです。ラブコメにはじまり、犯罪的行為と共同体の紐帯の話、内的な事件「恋」の取り扱い方、ジビエを食べること、故郷についてのマジックリアリズム。 散らかすだけ散らかしておいて、まとめるとか、なにかの主張に収束するということもない。中心がない。さながらライブハウスのトイレの壁みたく、みるべきメインの仕組まれていない羅列面。 この羅列面に対して連想されるもの、付け足したくなったものがあれば、各々が好き勝手に続きを書いてください。うまく繁茂すれば、この世のすべてを素材・引用元とした雑文になるはずです。や、ほんとのことをいえば、すでにテキストというものはそういうものなんですけど。
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国を蝕み弱める五つの害虫 聖人のまねをしても、昔と事情が違う今の世の中で上手くいくはずがない。野良仕事を止め、 以前 ( まえ ) に兎が 打 ( ぶ ) つかって 転 ( ころ ) んだ木の根っこを見守り続けて、次に兎が 打 ( ぶ ) つかるのを待つ男の 二の舞 ( にのまい ) になる。 ⦅興国四具[韓非]から続く⦆
[国を滅ぼす害虫]は、次の五つ。王様が駆除せず放置していたら、遠からず国は滅びる。 1_学者:今になって���昔の聖人をたたえて[仁義]を看板に使い、もっともらしい服装や態度、飾り立てた言葉によって、現行の法に異議をとなえ、王様の心を乱している。 〖仁徳者の意味〗 王様の個人的仁徳に頼る儒家の「教え]は、国を 保 ( たも ) つ上で、有害無益(因みに、「焚書坑儒」は、韓非の思想を実行したものだと言われている)。 孟子は「幼児が深い井戸の側を歩いていて、その中に落っこちそうになるのを見れば誰もが手を伸ばして助けようとする。これは、幼児の親に恩を売ろうとか、他人に褒めてもらいたいとかではなく純粋に善意から出た行い。人には無償の善意がある」と言ったが、明らかに間違っている。「人は性悪。偏った考えで不正をし、無秩序になれば困るので、王様を尊敬させ、礼儀を教えたり、法律を作って犯罪を取り締まったりして、社会の安全を守れば、[善]となる」と 説 ( と ) く聖人も居た。 糠 ( ぬか ) さえ腹いっぱい食べられない者が白米や肉を食べたいと思うだろうか。 粗末な 木綿 ( もめん ) も着られない者が色鮮やかな絹を着たいと思うだろうか。 政治を行う場合にも、火急の問題が解決しないうちに、不急のことに力を用いるべきではない。 高尚で 難 ( むずか ) しい言葉を使う者は賢者と言われ、人をだまさない[貞信]な人物は仁者と呼ばれているが、広く国民に知らせるべき法を、難しい言葉で書いても、国民が理解することはできない。高尚で難しい言葉など無用だ。 無位無官の者なら、人を利益で動かす財力も押さえつける権力もなく、人をだまさない人物に頼りたくなるかもしれないが、王様は、人を統率し、国の財力を使うことができる。賞罰を加える権限を使い、[術]によって家来の正体を見抜こうとすれば、たとえ相手が 田常 ( でんじょう ) や 子罕 ( しかん ) のような 姦臣 ( かんしん ) だろうとも、だまされるわけがない。 数少ない[貞信]な人物だけでは何千何百とある官職を 充 ( み ) たすことはできず、官吏が少なくなれば、犯罪の取締りが行き届かなくなって、治安が悪化する。 [法・術]に 長 ( た ) けた王様に必要なのは、法の確実な執行であって、人徳者を求めたり、人の誠実さに頼ったりすることではない。 〖天網恢恢〗 子産 ( しさん ) (孔子に評価されている人物)が外出したときのこと、彼の馬車が 東匠 ( とうしょう ) の村の入口を通りかかると、死者を 悼 ( いた ) む女の泣き声が聞こえてきた。 子産は御者の手をおさえて車をとめ、しばらくの間聞きいっていたが、役人をさし向けると、女をとらえて尋問した。 女は自分の夫を絞殺したことを白状した。 後日、御者はこう尋ねた。「どうしておわかりになったのですか」。 子産はこう答えた。 「あの泣き声におそれがあったからだ。人は自分と親しい者が病気になると、まず心配し、死ぬときはおそれ、死んでからは悲しむ。ところがあの女は、死んだ者を悲しんで泣いているはずなのに、泣き声には悲しみがなくおそれがあった。さては何かがあるなと思ったのだ」。 ある人が言った、「子産の政治のやり方は、ご苦労なこと。自分の耳や目に頼らなければ悪事がわからないようでは、鄭の国では捕まる悪者はさぞ少なかろう。刑吏にまかせず、比較検討の方法によらず、法の基準を明らかにせず、ただ自分一人の耳と目を使い、知恵をしぼって、悪人を見つけようというのだ。策のない話ではないか。それに、対象としなければならない物は数多いのに対し、自分一人の知恵はわずかなものだ。少ないもので多いものに勝つことはできない。人間の知恵では、物を知りつくすことはできないのだ。だから、物���物によって治めねばならない。同様に、下にいるものは多いが、上にいるものは少ない。少ないものは多いものに勝てない。すなわち、王様は家来を知りつくすことはできないのだ。だから家来のことは家来自身によって知らねばならない。こうしてこそ、体を使わなくても万事は治まり、頭を使わなくても悪者を捕まえることができる。 宋 ( そう ) の国にこういう言葉がある『雀が一羽空を飛ぶ それを必ず落とすのは いくら 羿 ( げい ) (弓の名人)でも無理なこと天下に網をめぐらせば 逃げる雀はいなくなる』。悪人を見つけるにも、天下に張りむぐらした網があれば、一人として逃がすものではない。この理を知らず、自分の推察を弓矢として使うのでは、いくら子産でも必中は無理だ。『知恵で国を治める者は国に害を及ぼす』という老子の言葉は、子産にあてはまるだろう」と。 〖恥を 雪 ( すす ) ぐ〗 斉 ( せい ) の 桓 ( かん ) 公が酒に酔って、冠をなくした。 それを恥じてひきこもり、三日たっても朝廷に姿を見せなかった。 宰相の 管仲 ( かんちゅう ) が桓公をこう 諭 ( さと ) した。 「こんなことは、王様としての恥とは言えない。善政をもってつぐなえばよろしいのです」。 「なるほど」。と言って、倉を開いて貧しい国民に 施 ( ほどこ ) しをし、囚人を調査して、罪の軽い者を釈放した。 三日たつと、国民はこんな歌を歌った。 「お殿様、お殿様、どうか、もう一度冠をなくしてくださいな」。 ある人が言った、「管仲は 小人 ( しょうじん ) に対しては桓公の恥を雪いだが、君子に対して新たに恥をかかせたのだ。桓公が貧困者のために倉を開いて食料を与え、囚人を調査して罪の軽い者を釈放したことが[義]でないとすれば、それで恥を雪ぐことはできない。ところがそれが[義]であるとすれば、桓公は[義]を行わずに保留しておき、冠をなくすのを待っていたことになる。つまり、桓公は冠をなくしたから、[義]を行ったのだ。すなわち、小人に対しては冠をなくしたという恥を雪いだが、君子に対して、新しく、[義]をおろそかにしていたという恥をかかせたわけだ。そればかりではない。倉を開いて貧乏人に食料を与えることは、功績のない者に賞を与えること。囚人を調査して罪の軽い者を釈放するのは、悪人に罰を加えぬこと。功績のない者に賞を与えれば、国民はつけあがって高い望みを持つ。悪人に罰を加えなければ、国民は平気で悪事をはたらく。これは世を乱す 本 ( もと ) だ。恥を雪ぐなどと言えたものではない」と。 〖矛盾〗 歴山 ( れきざん ) で農民が 田地 ( でんち ) の境界を争っていた。 舜 ( しゅん ) が出かけてともに農耕にしたがったところ、一年にして境界のあぜは正しく定まった。 黄河の漁師が釣場を奪いあっていた。舜が出かけて漁師の仲間に加わると、一年で釣場は年長者に譲られるようになった。 東夷 ( とうい ) の陶工が作る陶器は粗悪だった。ところが舜が出かけて一緒に作るようになると、一年で陶器は立派になった。 この話を聞いて孔子は感嘆した。 「農業といい、漁業といい、陶器作りといい、本来の職分ではないのに、舜自ら赴いたのは、間違いをなおすためだ。これは何と立派な[仁]だろうか。自ら労働を実践することによって、国民を習わせたのだ。これこそ聖人の徳の力というものだろう」。 ある人が儒者に尋ねた。 「このとき、 堯 ( ぎょう ) は何をしていたのか」。 「堯は天子だった」と、儒者は答えた。 そこで、ある人が反論する、「それならば、孔子が堯のことを聖人というのは、どんなものだろうか。すべてを見とおす聖人が天子の位にあれば、天下からすべての悪を追い払えるはずだ。もし天子として堯がそうしていたのなら、農民も漁師も争うわけがないし、陶器が粗悪なはずもない。そうなれば、舜は徳を施すすべがない。だから、舜が間違いを正したことは、堯に失政があったことを意味する。舜を賢人というならば、堯がすべてを見とおす聖人だったということはできない。堯を聖人というならば、舜が徳を施したということはできない。両立は不可能である」と。 楚 ( そ ) の国に 盾 ( たて ) と 矛 ( ほこ ) とを売る男がいた。 男はまず自分の売る盾の宣伝をした。 「この盾の丈夫さときたら、たいしたものだ。何で突いたって、突き通せるものではない」。 次に、男は矛の宣伝をした。 「この矛の鋭さときたら、たいしたものだ。どんなものだって、突き通せないものはない」。 ある人が尋ねた。 「その矛でその盾を突いたら、どうなる」。 男は返答できなかった。 何よっても突き通すことのできない盾と、何でも突き通すことのできる矛とが、同時に存在することはできない。 堯と舜とを同時に誉めたたえることができないのは、この盾と矛の例えと同じだ。 また、舜がなおした間違いは一年にひとつ、三年で三つだ。 舜は一人しかいないし、その寿命には限りがある。ところが、世の中の間違いには限りがない。限りがあるもので、限りのないものを追求したところで、いくらも防げるものではない。なおせる間違いはものの数ではない。 ところが、賞罰によるならば、世の中の間違いは必ず防ぐことができる。 「法にかなう者には賞を与え、はずれる者には罰を加える」と、命令を出せばその日のうちに、国民はこれに従うようになる。 十日も経てば、命令は国中に行き渡るだろう。一年もかけることはないのだ。 舜は、堯に賞罰をつかわせようとせず、わざわざ自分で出かけた。 知恵のない話ではないか。 それに、自ら労働を実践して国民を導くことは、堯や舜にとってさえ難事業だった。 だが、権威の力によって国民を正すことなら、[法・術]に 長 ( た ) けた王様でなくともできる。 政治を行うのに、どんな王様にでもできる方法をとらず、堯や舜でさえ難しい方法を使おうというのだ。 〖昔と今の違い〗 大昔の世、まだ人間は少なく、獣や蛇の方が数多くいたから、人間はそれらに対抗することはできなかった。そこに一人の聖人が現れた。彼は木の上に鳥の巣のような家をこしらえて、人間が獣や蛇の害を避けるようにしてやった。 国民は喜んで、彼を王として迎え、 有巣 ( ゆうそう ) 氏と呼んだ。 また、人間はそのころ草木の実や貝類を 生 ( なま ) のままで食べていた。 食べ物は生臭く、悪臭をはなち、胃腸をこわして病気になる者が多かった。 そこに一人の聖人が現れ、木をこすりあわせて火をおこし、生の食べ物に火を加えるようにした。 国民は喜んで、彼を王として迎え、 燧人 ( すいじん ) 氏と呼んだ。 時代はくだり、天下に大洪水が起きたことがあった。 そのとき、 鯀 ( こん ) と 禹 ( う ) が排水路を切り開いた。 もし、 禹 ( う ) の時代になってから、木の上に家をこしらえたり、木をこすりあわせて火をおこしたりする者がいたら、 鯀 ( こん ) と 禹 ( う ) に笑われたに違いない。 さらに時代はくだって、 夏 ( か ) の 桀 ( けつ ) と 殷 ( いん ) の 紂 ( ちゅう ) が暴政をしいたときのこと、殷の 湯 ( とう ) と 周 ( しゅう ) の 武 ( ぶ ) がそれぞれ彼らを倒した。 殷・周の時代になってから、排水路を切り開く者がいたら、湯と武に笑われたに違いない。 とすれば、昔の聖人である 堯 ( ぎょう ) ・ 舜 ( しゅん ) ・ 湯 ( とう ) ・ 武 ( ぶ ) のとった方法を、現在世の中でそのまま手本にする者が、新しい時代の新しい聖人に笑われることも、またたしかだ。聖人とは、昔にとらわれ一定不変の基準に固執する者ではない。現在を問題とし、その解決をはかる者をいうのだ。 宋の国で、ある男が畑を耕していた。そこへウサギがとびだし、畑の中の切り株にぶつかり、首を折って死んだ。それからというもの、彼は畑仕事をやめにして、毎日切り株を見張っていた。もう一度ウサギを手に入れようと思ったのだ。でも、ウサギはそれっきり出てこない。彼は国中の笑い者になったという。 昔の聖人のやり方のまねで、現在の政治ができると思っている者は、この切り株を見張った男の同類だ。 昔は男が畑仕事をしなくても、食べ物は草木の実で足りた。女が布を織らなくとも、着る物は鳥の羽根や獣の皮が十分あった。働かなくても生活にこと欠かず、人口は少なく、財物はありあまっていたので、国民の争いはなかった。だから、厚賞重罰を用いるまでもなく、国民は自然に治まっていたのだ。 ところが今は違う。一人で五人の子持ちはめずらしくないから、子供の子供がまた五人ずつとして、祖父の在世中に孫が二十五人もいることになる。こうして人口が増加する割りに物資が増えないから、いくら働いても生活は楽にならない。そのため、国民の間に争いが起こる。どんなに賞罰を強化しても、世の中は乱れずにはすまない。 かって 堯 ( ぎょう ) が王だったときには、王のすみかは、屋根切りそろえないままの 茅 ( かや ) で、たる木は丸太のままの 櫟 ( くぬぎ ) という粗末な家だった。また、王の食べ物は、粗末な 粥 ( かゆ ) とアカザや豆の葉の煮汁であり、王の衣服は、冬は鹿の皮、夏は 葛 ( かずら ) だった。 今なら門番の暮らしでさえこれほど質素ではない。 禹 ( う ) が王のときには、みずからすきくわを手にして国民の先頭に立ち、ふくらはぎの肉がなくなり、すねの毛がすり切れるほど働いた。 現在の奴隷の労働でさえこれほど苦しくはない。 こうしてみると、昔、天子の位を譲ることは、門番の暮らし、奴隷の労働を捨てることにほかならなかった。天下を譲るとはいっても、たいしたことではなかったわけだ。 ところが今では、県知事ともなると、��分が死んだ後も子孫が馬車を乗りまわすほどだ。今の県知事が重視されるのはこのためだ。 つまり、人が地位を退く場合、昔の王は簡単にやめ、今の県知事がなかなかやめないのは、位の実益があるからだ。 水を谷まで汲みに行かねばならない山の住民は、 髏臘 ( ろうろう ) の祭に水を贈り物にするという。 ところが、水害に苦しむ低地の住民は、反対に人をやとって排水路をつくっている。 また、不作の年があけた春には、いとけない弟にさえ食べ物を分けてやらないのに、豊作の秋ならば、通りすがりの旅人でも必ずもてなすが、これもけっして肉親を粗末にし、旅人を大切にするわけではない。現���に食べ物の量が違うからだ。 これと同じく、昔、財物を軽んじていたのも、[仁]という徳目のためではなく、財物そのものがありあまっていたからだ。現在、財物を奪いあうのは、道徳が低下したのではなく、財物そのものが少なくなったからだ。 王位をやすやすと譲ったのも、人格が高潔なのではなく、王位そのものの権威が低かったからだ。 現在、県知事の座を争うのは、争う人の人格が下等なのではなく、県知事そのものの実権が大きいからだ。 量・実益の多少こそが、今、新しい聖人が政治を行うにあたっての基準だ。 昔、罰が軽かったのは、治める者が慈悲深かったからではない。今、罰が重いのは、治める者が残虐だからではない。世の中の変化に応じて、そう変わったのだ。だから、「時代とともに、物事は変わり、物事に応じて、対処の仕方もかわる」ことを知らなければならない。 [ 仁 ( じん ) ]は、儒家の説く最高徳目。慈愛、博愛の意味に近い。それは堯・舜など古代の天子が実現していたとされる。儒家は、堯・舜の時代の[仁]にならうことを主張した。 昔、周の 文 ( ぶん ) 王は、 豊 ( ほう ) ・ 鎬 ( こう ) の間に百里平方の領土を持ち、[仁義]による政治を行って野蛮な 西戎 ( せいじゅう ) をてなづけ、天下を統一した。 その後、 徐 ( じょ ) の 偃 ( えん ) 王は、漢水の東に五百里平方の領土を持ち、[仁義]の政治を行い、その結果、領土を献上して徐に朝貢する国は三十六を数えた。自国を攻められるのを恐れた 楚 ( そ ) の文王が、先手を打って徐を滅ぼした。 つまり、周の文王は[仁義]の政治によって天下を統一したが、徐の偃王は[仁義]の政治によって、国を失ったのだ。 昔役に立った[仁義]が、今では役立たないということが、これでわかる。 舜の時代、 有苗 ( ゆうびょう ) という蛮族が反乱をおこした。 禹 ( う ) が征伐しようとすると、舜はこう言った。 「それはいけない。こちらの道徳ができていないのに武力を使うのは、正しいやり方ではない」。 それから三年というもの、修養に努めてから、舜が 盾 ( たて ) と 斧 ( おの ) をとって舞楽を舞うと、それだけで有苗は帰順したのだった。 ところが、その後、 共工 ( きょうこう ) (伝説中の舜の対立者)との戦いでは、鉄の 槍 ( やり ) は敵陣に届くほど長くなり、堅固でない甲冑では、体を傷つけられたという。盾や斧の舞いは昔は役に立ったが、今では役に立たないというのがわかる。 古くは、国は道徳を競いあい、次に智謀を競いあい、今や、競いあうのは力だ。 斉 ( せい ) が 魯 ( ろ ) を攻めようとしたときのこと、魯では 子貢 ( しこう ) (孔子の弟子)を使者として斉に送り、魯を攻めることの不利益を説かせた。斉の答えはこうだった。「あなたの言葉はごもっともだが、我々が欲しいのは領土であって、あなたの言葉ではない」。そして、斉は魯にむけて兵を起こし、魯の城門から十里の所まで領土を拡げた。 [仁義]の政治を行った徐は滅ぼされ、子貢の雄弁に関わらず魯の領土は削られたことからも、[仁義]や雄弁は、国を保持する力ではないことがわかる。徐や魯が[仁義]や雄弁を使わず、力によって立ち向かったとしたら、相手がいかに大国の斉や 楚 ( そ ) でも、この二国を思いのままにはできなかっただろう。 儒家 ( じゅか ) や 墨家 ( ぼくか ) の学者どもは、「昔の聖人は天下の国民すべてを愛し、わが子を見る親のようだった…刑吏が刑を執行するとき、王は音楽を慎んだ。死刑の判決を知ると、涙を流した」と言って、昔の聖人をたたえている。 しかし、王様の国民への愛で政治が行えるというのは 幻想 ( げんそう ) にすぎない。 刑をのぞまず涙を流したのは、[仁]によったからだが、それにもかかわらず、刑を執行したのは、法によったからだ。昔の聖人でさえ、涙を流しながらも結局は法に従ったではないか。 天下にかくれのない聖人である孔子でさえ、自らの体得した学問道徳を天下に説いたとき、彼の説く[仁義]に感服して弟子となった者はわずか七十人、[仁義]を身につけたのは孔子一人だった。 一方、[法・術]に 長 ( た ) けた王様とはいえない 魯 ( ろ ) の 哀 ( あい ) 公でさえ、ひとたび王位につくや、領民のうち誰一人としてその支配を拒む者はなかった。 国民はもともと権力のままになびくもの。権力はたやすく国民を服従させるものだ。 だからこそ、孔子が家来、哀公が王様という関係ができあがった。 孔子は哀公の[義]にひかれたのではない。その権力に服従したのだ。 つまり、[義]という点では、哀公は孔子に及びもつかないが、権力を使えばその哀公でさえ孔子を家来とすることができるのだ。 今の学者どもは、王様に、権力を使うことを薦めず、[仁義]に努めるよう 説 ( と ) いている。 王様という平凡な人間に孔子の弟子のようになれと言ってもムリな話だ。 スープを用意できないのに、餓えた人に食事を進めるのでは、餓えた人を生かすことにならない。草地を切り開き穀物を作ることもできないのに、民に物を貸し、施し、また褒美をあたえることを勧めるのは、民衆を豊かにさせることにならない。今の学者の言葉は、根本を論じないで、末端にこだわり、空虚な聖人のことばを唱えて民衆を悦ばすことしか知らない。これは絵に描いた餅と同じである。このような議論を、[法・術]に 長 ( た ) けた王様は決して受け入れたりしない。 墨子の博愛主義は絵空事、深遠広大な論は実用できない。墨翟は、天下に明察と認められたが、世の乱れを解決できなかった。 墨子が雄弁ではない理由を問われて田鳩は答えた、「昔、秦伯がその娘を晋の公子に嫁がせたとき、行列を飾り立て、美しい刺繍を施した衣を着た腰元七十人を従えて晋に行かせました。晋の人々はその腰元の中の妾を大切にして公女を大切にしませんでした。これでは妾を立派に嫁がせたと言えるのであって、公女を立派に嫁がせたとは言えません。楚の人で宝玉を鄭へ売る者がおりました。木蘭の櫃を作って入れ、桂椒の香で香りづけし、真珠を綴ったものをかけ、玫瑰で飾り、翡翠を連ねました。鄭の人はその櫃を買い、中の宝玉を返しました。これは立派に櫃を売ったと言えるのであって、立派に宝玉を売ったとは言えません。今の世の論説を見ますに、皆言葉巧みに飾り立てたものばかりです。世の君主はその飾られた文ばかりに気を取られ有用かどうかは考えません。墨子の言説は先王の道を伝え、聖人の言葉を論じ、人々に告げ知らしめるものです。もしその言葉を巧みにしますと、恐らく人々はその飾られた文に気を取られ、その本質を考えないでしょう。飾られた文によってその有用性が損なわれてしまいます。これは楚の人が宝玉を売り、秦伯が娘を嫁がせるのと同じことです。ですから言葉数は多くても雄弁には致しません」と。 墨子が木鳶を作ったとき、三年かかって完成したが、飛ばしたところ一日で壊れた。 弟子が言った、「先生の技巧は木で作った鳶を飛ばせてしまうほどです」と。 墨子は言った、「私は車の梶棒を作る者の技巧には及ばない。八寸か一尺の木材を用いて、ひと朝ほどの時間もかけずに作り、しかも三十石の荷を引き、遠くへ運べるほど力が強く、長い年月保つことができる。今、私は鳶を作ったが三年もかかって作り、飛ばしたところ一日で壊れたのだ」と。 恵子がこれを聞いて言った、墨子は技巧というものを心得ている。梶棒を作ることを技巧であると言い、鳶を作ることを拙いと言ったのだ」と。 郢 ( えい ) ( 楚 ( そ ) の都)の人が、夜、 燕 ( えん ) の宰相にあてて手紙を書いていた。 灯りが暗いので、燭台を掲げている係りに、「灯りを挙げよ」と命じた。 その時つい間違って手紙の中に、‘灯りを挙げよ’と書きこんでしまった。 燕の宰相は手紙を受けとると、「灯りを挙げよとは、明をたっとべということだ。つまり賢人を任用せよということだな」。 よろこんで国王に上奏した。 国王も感心して賢人を用いたので、国はよく治まった。 治まることは治まったが、それは手紙の言わんとすることではなかった。 くつを買おうとした 鄭 ( てい ) の男の話。 この男は、足の寸法を計ってひかえておいたのに、くつを買いに行くとき、持っていくのを忘れてしまった。 くつを買う段になってこの男、「寸法書きを忘れてきたから」といって、家に取りに戻った。 寸法書きを持ってきたときには、店はもう閉まっていて、くつは買えなかった。 誰かが、「その場で、足に合わせてみればいいのに」と言うと、男の答えるには、「足なんか信用できない。寸法書きの方が確かだよ」。 子供たちがままごと遊びをしているときには、土が飯であり、ドロが汁であり、木片が肉だ。 しかし、夕方、家に帰って食べるのは、本当の食べ物だ。 土やドロは玩具であって、実際に食べることはできないからだ。 大昔の伝説を誉めたたえる者は、言葉はりっぱだが実際の役には立たない。 昔の聖人の[仁義]を口にしても、国を治めることはできない。 これも玩具であって、実際の役に立たないのだ。 伯楽 ( はくらく ) (伝説的な馬の鑑定・調教名人)は嫌いな相手に名馬の鑑定法を教え、気に入った相手には駄馬の鑑定法を教えた。 名馬は、そうめったに現れるものではないから、鑑定人の利益も少ない。 ところが駄馬となると毎日のように売買されるから、利益が大きいというわけだ。 周書 ( しゅうしょ ) に「程度の低い言葉が、ときとして高度の役に立つ」というが、これもその一例だろう。 桓赫 ( かんかく ) がこう言った。 彫刻をするときには、鼻は大きいほどよく、眼は小さいほどよい。 大きすぎる鼻は小さくできるが、小さすぎる鼻は大きくはできない。 小さすぎる眼は大きくできるが、大きすぎる眼は小さくはできない。 [仁義]に 惹 ( ひ ) かれて国を弱めたのが、 三晋 ( さんしん ) (韓・魏・趙)だ。 [仁義]に惹かれることなく、国を強大にしたのが、 秦 ( しん ) だ。 その秦が今になっても天下を統一できないのは、まだ政治が完全でないからだ。 鄭 ( てい ) 県の 卜子 ( ぼくし ) という者が、妻にズボンをつくらせた。 妻が尋ねた。 「今度は、どんなのがよろしいでしょう」。 「前のと同じにしてくれ」。 妻は新しいズボンを破って、はきふるしたズボンと同じにした。 卜子の妻は町に行って、スッポンを買った。 帰り道、 潁 ( えい ) 水まで来た。 スッポンも喉が渇いているだろう、水を飲ませてやろうと思って、水の中に放した。 スッポンは逃げてしまった。 ある男が、年寄りの相手をして酒を飲んだ。年寄りが一杯飲むと自分も一杯飲んだ。 また、 魯 ( ろ ) の国に、行儀を気にする男がいた。年寄りが酒を口に含んだが飲めずに吐き出した。それを見て、男もまねをして吐き出した。 また、宋の国に行儀よく見せようとする男がいた。年寄りが飲みっぷりよく 盃 ( さかずき ) を干すのを見て、飲めないくせに自分も干そうとした。 2_遊説家:うそ八百を並べ立て、外国の力を借りて私欲をとげんとし、国の利益を忘れている。 外交について意見を述べる家来は、 合従 ( がっしょう ) 派か 連衡 ( れんこう ) 派か、さもなければ個人的うらみを国の力を借りて晴らそうとする者。 合従とは、六つの弱国を連合して 秦 ( しん ) に対抗しようとする策。「小国を救ってともに秦を討たなければ、天下すべてを失う。天下が秦のものになれば、自国を保つことも難しくなり、王様の権威は失われる」と言うが、秦に小国が連合してむかう場合、小国間の連合がくずれないとはかぎらない。連合がくずれれば、秦に乗ぜられ、兵を進めて戦えば敗れ、退いて守れば城は落ちる。 連衡とは、秦に従属して、他の弱国を攻撃しようとする策。「秦に従属しなければ、諸国から攻撃を受け、国の安全はおびやかされるだろう」と言うが、秦に従属すれば、 版図 ( はんと ) (戸籍と地図)を献上して領土をまかせ、 印璽 ( いんじ ) を献上して保護を 乞 ( こ ) わなければならない。版図を献上すれば領土は削られ、印璽を献上すれば国の名誉は地に落ちる。領土が削られれば国は弱まり、名誉が地に落ちれば、政治は乱れる。 連衡策をとって秦に従属すれば、この策を進言した者は、秦の力を借りて国内の官職を手に入れるだろう。 合従策をとって小国を救えば、この策を進言した者は、国の威を借りて小国に対して自己の利益を求めるだろう。国家の利益は未確定でも、彼らは領地をもらい厚い俸禄を手に入れる。 進��した結果が成功すれば権力を握っていつまでも重んじられるし、たとえ失敗に終わっても、財産を蓄えて引退するだけのことだ。 このように、王様が家来の進言を受けたあと、成功しないうちに進言した者の爵禄をあげ、失敗しても罰を加えないとしたら、遊説家たちがあてずっぽうの説をたてて、まぐれ当たりを期待しないわけがない。 国を滅ぼし、身を破滅させながら、王様が遊説家のでたらめに乗せられてしまうのは、王様が公益と私利の区別を知らず、遊説家の言葉の当否を察することができない上に、失敗しても罰を加えないからだ。 「外交こそは、大きくは天下に王たるの道、さらには内政を安定させる道である」という遊説は偽りだ。 他国を攻める力を持っている国でも、内政が安定し、治安が保たれている国を攻めることはできない。 国内の政治で[法・術]を用いなければ、富国強兵は不可能、外交に頭を使っても意味がないのだ。 「袖が長けりゃ舞はじょうず、銭が多けりゃ商売繁昌」という 諺 ( ことわざ ) がある。 何か計画を立てた場合でも、国がよく治まり兵力が強大であれば簡単に成功するが、政治が乱れ兵力が弱い国では失敗し易い。 同じ計画を立てても、秦のような強国では、十回 躓 ( つまづ ) いても失敗に終わることはまれだが、 燕 ( えん ) のような弱国では、一回 躓 ( つまづ ) いただけで成功ののぞみはほとんどなくなる。差は、家来の力量ではなく、内政という元手にあるのだ。 周は秦から離れて 合従 ( がっしょう ) 策をとたことがあったが、一年にして秦に滅ばされてしまった。 衛 ( えい ) は 魏 ( ぎ ) と離れ秦と結ぶ 連衡 ( れんこう ) 策をとったが、半年で滅んでしまった。 もし、周と衛が、合従・連衡といった外交策に頼らず、内政の強化に努めていたら…法を明確に示し、賞罰を確実に行い、土地を開発して経済を豊かにし、国民に死力をつくして国を守らせていたとすれば、どんな強国でも、この堅城の下に兵を疲れさせ、乗ぜられ反撃をくうような愚挙を試みるはずがない。侵略しても利益少なく、戦えば大きな損害を被っただろうから。 楚 ( そ ) の王が 呉 ( ご ) を攻めたとき、呉は 沮衛 ( そえい ) と 厥融 ( けつゆう ) を慰問の使者として、 楚 ( そ ) 軍の陣に送った。 ところが 楚 ( そ ) の将軍は、こう言った。 「こいつらを縛れ。出陣の儀式だ。 犠牲 ( いけにえ ) として血を太鼓に塗ろう」。 二人を縛りあげて尋ねた。 「呉は 占 ( うらな ) いをしてから、お前たちをよこしたのか」。 「その通りだ、吉と出た」。 「殺されて、血を太鼓に塗られるのだ。それでも吉か」。 「だからこそ吉なのだ。呉が我々をよこしたのは、もともと将軍の出方を見るためなのだ。 将軍が怒れば、呉は堀を深くし、 砦 ( とりで ) を高くして備える。 怒らなければ、あわてることもない。 だから、わたしが殺されれば、呉は守りを堅くするはずだ。 また、国が占いをするのは、一臣のためではない。 一臣が殺されることによって一国が救われるなら、まさしく吉ではないか。 またもうひとつ。死人に魂がないとしたら、血を太鼓に塗ったところで何になる。もし魂があるとしたら、いざ戦いというときに、我々は太鼓が鳴らないようにして見せよう」。 楚 ( そ ) の将軍は、これを聞くと二人を殺すのをやめた。 宋 ( そう ) の雄弁家である 児説 ( げいえつ ) は、「白馬は馬でない」という 詭弁 ( きべん ) によって、 斉 ( せい ) の 稷下 ( しょくか ) に集まった学者たちを屈服させていた。 その彼が、白馬に乗って関所を通ったことがあった。 ところが、やはり馬として通行税を取りたてられた。 すなわち空論によって国中の学者を屈服させることはできても、実物に当たって点検すれば、関所の役人一人だますことさえできないのだ。 「白馬は馬でない」…「馬」という概念には、白馬も栗毛も黒馬も含まれている。ところが、「白馬」という概念には、栗毛や黒馬は含まれない。故に、「白馬は馬でない」。このような論法は 名家 ( めいか ) という学派の 公孫竜 ( こうそんりゅう ) が唱えた。 鋭い矢じりをさらに 砥 ( と ) ぎ、 弩 ( いしゆみ ) にかけて射れば、眼をつぶってでたらめに矢を放っても、矢の先端は必ずひとつの点に突き刺さる。 だが、直径五寸の的を設置し十歩離れて狙うとすれば、 羿 ( げい ) や 逢蒙 ( ほうもう ) のような弓の名人でなければ必中させることはできない。 基準がなければやさしく基準があれば難しいのだ。 だから、王様が基準を持たずに聴けば、進言する者はでまかせ放題に、長広舌をふるうが、基準を持った上で聴けば、どんな知恵者でも失言をおそれ、でたらめは言わない。 王様が、進言に対して基準を持たず、ただ言葉の巧みさに感心するようであれば、口先の巧みな者が甘い汁を吸い続けることになる。 斉 ( せい ) 王の食客の一人に、絵 描 ( か ) きがいた。 あるとき、斉王が彼に尋ねた。 「いったい何を描くのが難しいか」。 「犬や馬でございます」。 「では何がやさしいか」。 「化物でございます」。 誰でも犬や馬は知っていて、毎日その物を目にしている。 だから、いい加減には描けないのだ。 一方、化物の類は、もともと形がなく、誰も見たことがない。 どう描いてもいいからやさしいというわけだ。 3_遊侠:徒党を組んで義侠を結び、暴力による抗争をして名をあげようする。 犯罪者として処罰されながら、兄弟に危害を加えた相手に復讐すれば 廉 ( れん ) として賞讃され、友人を辱めた相手に友人と一緒に報復すれば 貞 ( てい ) として賞讃される。世間の評判を気にして「廉」や「貞」を処罰の対象としなければ、国民が力を競って争い、役人の手にあまるようになる。 暴力によって国法を 蔑 ( ないがし ) ろにする遊侠の徒を赦してはならない。 4_側近:私財を蓄え、賄賂によって有力者にとりいり、戦士の功労を握りつぶしている。 衛 ( えい ) のある男が、娘を嫁にやるとき、こう教えた、「できるだけへそくりをためることだ。嫁に行っても追い出されるのはごく当たり前のこと、ずっと居られる方がまれだからな」と。 娘は嫁入り先で、こっそりへそくりをためていったが、やがてそれがばれて、姑に追い出されてしまった。しかし、娘が家に帰ったとき、持ち物は嫁に行ったときの倍となっていた。 親父 ( おやじ ) は娘に教えたことが間違っていたと悟るどころか、財産を増やしたのは、賢明だった、と自慢した。近ごろの官僚連中も、みなこれと同じ穴のムジナだ。 楊朱は宋国の東を通ったとき、宿屋に泊まった。そこには召し使いの女が二人いたが、同じ召し使いでも醜い方が格上、美しい方が格下だった。 不思議に思った楊朱がわけを尋ねると、宿屋の主人がこう答えた、「美しい女は、自分でも自分のことを美しいと思うておるもの。わしにはそんな女、美しいとは思えなんだ。一方醜い女は、自分でも自分は見にくいと思うておる。わしにはこんな女を醜いとは思えなんだ」と。 これを聞いた楊朱は弟子に言った、「行いがりっぱであり、しかも決して自分のことを立派だと思わぬような人は、どこへ行っても必ずその真価が認められようぞ」と。 5_商人:ろくでもない容器や贅沢品を買いだめし、時期をみてはそれを売って、農民が苦労して得るのと同じ利益を、労せずしてむさぼっている。 国民は、危険を避けるため有力者を頼って兵役を逃れようとし、要職者に賄賂を贈って便宜を図ってもらおうとする。その思惑が叶えられるなら、利己をはかる者がはびこり、国に尽くす者はいなくなる。 側近を通して請願すれば爵位が金で買えるようでは、商人らの身分を下げることはできない。 不正に 儲 ( もう ) けた金が市場で通用すれば、商人の数は減らない。 儲けが農業の倍あって農民や兵士よりも身分が高いとなれば、節操ある人物が減り、商人が増えるのは、当然だろう。 [法・術]に 長 ( た ) けた王様は、商人や無為徒食する者の身分を低くして、その数を減らそうとする。 ⦅洞察六兆[韓非]に続く⦆
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