#蘇民将来
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が��挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはも��ろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意��を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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かつてゴリゴリの蘇民祭ガチ勢だったパパと黒石寺蘇民祭の中止について今語り合ったのですが、「コロナ渦で『続いてきた伝統的な祭司は中止できる』という事が示されてしまったことが弾みになった」という結論に達した。疫病避けの蘇民将来を祀る蘇民祭に引導を渡したのは、コロナ渦だったのだ。
Xユーザーのすぽぽ@私は帰ってきたさん
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今日は月曜ですが「しめかざりの会」を行なっていますので店は開けています。写真は、伊勢「蘇民将来子孫家門」。こちらは小。大も有ります。
蘇民将来については長岡京(784-794)跡から「蘇民将来之子孫者」と記された小さな木簡が出土するなど、古くから厄除けとして信仰されていたようです。京都・祇園祭の際に授与される粽や茅之輪守にも記されています。
鎌倉時代に卜部兼方が記した書物『釈日本紀』には、奈良時代に記された『備後国風土記』の逸文として、「後世爾疫氣在者 汝蘇民將來之子孫止云天 以茅輪着腰在人者 將免止詔伎(のちの世に疾気=疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪をもちて腰に着けたる人は免れなむ)」と記されています。まだまだ疫病の季節、どうぞお気をつけください。
参考:長岡京市埋蔵文化財センター http://nagaokakyo-maibun.or.jp/sominnsyourai1.html
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1残業代が21.5時間固定だけど、毎日1時間早く出勤させられるのでほぼ確実に固定残業代よりも多く残業させられる 2基本給は最低賃金レベルの給与からスタートしまともに昇給されない 3海上自衛隊の潜水手当だったり航空自衛隊のパイロット手当があればマシになるが、そもそもそれが出来るなら民間ならもっとずっと給料がいい 4月に10~3回程度の当直があるがその分は給与で払われず代休で与えられるが有給を取る時間的余裕はなく(後述)、実質タダ働き 5深夜勤務、曹長勤務、休日出勤に対しての手当という概念がなく、これらも取れもしない代休で誤魔化される 6定期的に訓練のために隊内の学校に入れられるが、この期間中は自習・掃除・トレーニングの時間があり固定の残業時間が3時間(=月60時間)あるような状態になる 7男気ジャンケンという名��カツアゲが横行しており、定期的に先輩から飲食代を徴収される 8隊友会や積立金という形で謎の徴収が行われるが、それらが自分にメリットをもたらすことはほとんどない 9中途半端に上が詰まっているので昇給に透明な天井が現れ年功序列というメリットさえいつかは失われる 10退職が早すぎるので退職金が貰えると言っても結局は退職後に発給で警備員とかすることになり障害収入で割に合わない 労働時間的に割に合わない 1毎朝1時間前出勤は当たり前 2大部分の部隊で充足率が60%ぐらいなので残業しないと仕事が全く終わらない 3飲みニュケーションや接待ゴルフなどの文化が未だに残っており就業後の時間がガンガン馴れ合いに潰される 4休日に儀式やボランティアに駆り出されることが多いが与えられた代休を消化するのが不可能 5有給を消化することに対して極めて消極的な文化が根づいていて取ると周囲に迷惑をかけるという風潮がある 6規則により半ば強制的に育休を取ることになっても、育休中であっても仕事の電話が鳴り止まず、更には呼び出しもしょっちゅう食らう 7当直勤務の割合が高いため曜日感覚が壊れており仕事があれば休日でも出てくるのが常態化している 8緊急の呼び出しに応じることが絶対とされていて深夜や映画を見ている時に電話に気付かないとコッテリ絞られる 9休日であっても電話がいつかかってくるか気が気でないので全然疲れが取れない 職歴として割に合わない 1自衛隊でやっている仕事が世間一般からズレすぎており職歴としてのカウントが引越バイトと同程度 2実際社会人としての一般的感覚が身につかないので長くいるとまともな社会に戻れなくなる 3定年がかなり早く来るがそのあと結局まともに働くことが出来ず警備員として働きながらも職場で浮いている先輩が多数報告されている 4今時メールをまともに使えずFAXと電話中心の業務のため転職してから半年ほど原始人扱い 5パワハラ的な価値観に染まってしまうため転職後に職場の空気を乱す異分子として扱われ排除され続けた先輩の噂が沢山ある 6自衛隊嫌いの会社には入れてもらえず、自衛隊が好きな会社に入るとせっかく転職してもホモソーシャルな空気から逃げられない 7士長のタイミングで退職して満期を貰うのは比較的マシな道だけど職歴の汚れは一生取れないので結局あとで苦労する 犯罪行為に加担させられる 1公文書は偽造するのが当たり前 2誰かのハンコは皆の共有資産であり部内の人間なら勝手に押すことが出来る 3川重事案のような「謎のお金でコッソリ物を買ってもらう」が横行している 4業務の進め方に矛盾があるためどうやっても法令違反となる仕事が存在 5入札は一般的な用品を除けば全く意味をなしておらず、指名競争はほぼ100%談合(だと思う。俺が直接関わってないから詳しくは知らんけど) 6日頃サビ残しまくっている反動により「「上司の気まぐれで勝手にブレイク(休暇申請のない早退)」が横行 7手当を貰うために業務記録を改竄するのは当たり前だし、それに加担しなかった場合は上司の指示で書類を修正される 8ちゃんと仕事をしたかのような書類を残すことが最優先のため、実態と乖離した記録をするのが常態化 9検査記録、整備記録、体力測定の結果、訓練記録、ありとあらゆるものがメイキング(偽造)の対象 空気がイカれているので隊員の頭もおかしくなりやすい 1パワハラやセクハラが本当に当たり前でハラスメント人間の割合が一般社会の3倍ぐらいはいる 2先輩は後輩にどんなに失礼な態度をとってもいいという中学校の部活動みたいなノリの20代~50代 3人間関係に変化が起きにくいため友達付き合いのようなノリが蔓延しており好き嫌いで仕事をしがち 4幹部自衛官は若くしてヨイショされまくったという経験から人格が歪んで他人を下に見がち 5曹士は幹部から抑圧されたフラストレーションから年功序列的な価値観に走りがちで年下に対しての礼儀がない 6男女差別的な発言が未だに多く「女如きにこんな仕事は任せられない」といった言葉が平気出てくる 7例規の中にさえ「~~な場合、女性隊員は帰隊させる~~~」や「ただし女性隊員は免除される~~~」といった言葉が出てきており男女不平等な価値観が強い 8「女は守られる弱いものである」という考えが根強く、「守られている側の女如きが偉そうにするな」という価値観につながっている 9階級社会を勘違いした結果「上の人間が黒といえば白が黒になるのだから、そもそも自分の頭で白黒を考えるだけ無駄」と考え善悪の判断を一切つけなくなる 10まともな奴から辞めていくので残った人間の中で蠱毒の如くイカれた空気が強まっていく 馬鹿が多い 1数が数えられない 2低学歴自慢 3間違った前提から結論を出し前提が間違っていると言われても聞く耳を持たない 4そもそも今時自衛隊に入る自体で馬鹿だがそこからの向上心がない 5頭の悪い発言をすることが面白いというホモソーシャルに染まり反知性的になっていく 4数が数えられない 7同じ話を何度もする 最後に 「魅力的な自衛隊を目指す」という戯言がニュースになっているのを見て、数年前に部隊で同じようなアンケートを答えさせられてことを思い出してしまったのが切っ掛けで書いた。 厳密に言えば、俺がそこで書いた「自衛隊はここがよくないからそこを改善すべきだよね」という回答がぜ~~~~んぶ上司に握りつぶされて、結局うちの部隊の提出した回答は「自衛隊の良さをもっと知ってもらおう!災害派遣!成長!国民の役に立っている素晴らしい組織!自衛隊最高!」みたいな内輪向けのおべっかだらけにされていたことへの怒りが蘇ったから。 もう部内で何言ってもどうせ聞く耳持たないだろうから匿名の場所で書き散らせて貰った。 「知れば魅力を感じてもらえる自衛隊」なんてのは自分たちに都合がいい情報を下から上げさせてホルホルしてるどうしようもない幹部様達の妄想だよ。 実態は「知れば知るほどに魅力がなくなるのが自衛隊」で、子供がなんとなく持ってる「災害派遣とかしてるんでしょ?」っていう全体の3%の善行だけを切り取ったイメージが一番マシなんだよ。 でも子供だって将来を選ぶ18歳ぐらいの頃には「いやいや本当に被災者を助けたいならレスキューに入るべきでしょ。消防士は救助のために訓練してるけど、自衛隊は人殺しや制圧活動の訓練で得た技術を応用してるだけで災害派遣はメインの任務じゃないよ。せめて海上保安庁とか警察だよね」って気づくからさ。 結果として自衛隊に来るのは「ゆーて軍隊とかタダ飯食って無料宿舎入って筋トレしてるだけでええんやろ?俺腕立て100回出来るからヌルゲーやわー」みたいな舐めた脳筋だけ。 そういう人間だって組織の中で犯罪が横行してたら「前科者になってから追い出されたら行く所ないぞ!もうさっさと辞めて転職するのが正解だ!どうせ犯罪するなら本物のヤクザや半グレニでも入ったほうが儲けもいいし、公務員として犯罪に手を染めるメリットなんてないぞ!」ってすぐに気づいて辞めていく。 とにかくまずはそこを改善しろってことなんだけど、「どうやったら嘘がつけるんだろう」とか「どうやったら表向き頑張ってる感が出せるんだろう」とかしか考えてないんだよね。 そもそもの仕事の仕方に歪みが起きまくってるから犯罪行為に手を出すことが薄っすらと強要されていて、それに対して上が「え~~~僕ちゃんは知らないも~~~ん」でシカトこいてなにもしようとせずに「じゃあ監視だけ強化しまーす!悪い事するなよー!」って自分の保身を固める以外何の役にも立たんことしてるのが問題なんだっての。 どうせこれをどこに言っても握りつぶされるのがオチ。 匿名の場所で「愛想つかされるべくして国民から逃げられてんだよ嘘つき馬鹿野郎ども!」って叫ぶぐらいしか出来ることがもう残ってないのよ。 まあつまり、俺がいいたいのは「自衛隊に入っていいことなんてまったくない」ってことね 一歩間違えれば犯罪者一直線なんだから、絶対に入ってくるんじゃないぞ! 戦争が始まって人を殺すとか、モラルが終わってて捕虜をレイプするとかそういう可能性の話じゃない! 訓練でセクハラを強要され、 日常生活でパワハラをやらされ、 公文書をガンガン偽造させられるってことだ! 入って1年もすれば国家権力にバラさないでもらってるだけの犯罪者だ! 自分の職歴、犯罪歴を汚したくないやつは絶対に来るな! いいか、お前の人生をぶっ壊されたくなかったら来るなよ! 倫理観終わりたくなかったら来るなよ! 自分から徴兵されに行くのと同じだ! それも末期の大日本帝國軍に入るようなもんだ! 表向き誤魔化してるけど、根っこじゃ何も成長してない! 間違っても来るな! 忠告はしたぞ! 後悔しないように生きろ!
自衛隊に入ってはいけない理由100
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ネオ幕府アキノリ党による100の政策
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
🌾 文化・日本語
1. 『双京構想』京都を陪都に。
※ 上皇后両陛下に仙洞御所にお戻り頂く案などから上奏。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書式を考案し漸次移行。
※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいため,西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書きやすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだりを検討。
3. 日本語の電子媒体を刷新。
※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジアの言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもらう事を条件に,共栄圏での法人を作ってもいいと約束。ただし,その情報資産は共栄圏のものとし,資本の移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化した際に方言の言語化も視野に。
4. 都内の外国籍労働者・親族等への日本語や法制に係る教育サービスの展開。
※ それぞれの民族に寄り添った親善団体と連携 ※ 裏で世界共栄化に関わる宣伝を行い、本国に情報輸出させる足がかりとする。😈
5. 都内の宗教共同体の実態把握・公的包摂・共生���市社会の推進。
※ 体制化までの中長期的に各宗教の日本化を試みる方針。
🌾 税制・社会保障・経済
6. 税制改革や都債発行を財源に,実質賃金の上昇率の安定向上(最低でも年3%水準)まで一律で都民税半額。
7. 都営ブロックチェーンの創設・ネオ幕府トークンの発行とサーバー維持管理。
※ 全国電子通貨を想定・通貨の名前は「球」読み方は本名が「たま」,「きう」が普及版。NAMが出典。 ※ いずれ日本円にとって代わる。😈 ※ 我々が全国化した折には武蔵国の地域トークンというか藩札を創設を想定。
8. 都債発行・時限的な商品券等の給付による地域経済振興。
9. 都民や都内に通学する学生への一律奨学金免除。
10. インボイス廃止を国政に提言・特に中小零細企業の事務処理負担を軽減。
11. 濫用的な投資や無軌道な開発,オーバーツーリズム等に因る地価や宿泊施設の価格高騰を抑制。
12. 外国企業等による国土の売買規制に係るモデル条例の策定。
13. 都内の特に大企業の法人税の納税率を向上・財源構成の平等化。固定資産税の累進化。
14. 社会保障費用の逆進性緩和・累進課税の推進。
🌾 教育・学術
15. 公営学生寮の確保・増大。
※ 国際法を典拠に一定の自治権を認める
16. 大学院まで教育全面無償化+困窮世帯向けに塾代含め支援検討。
17. 専門学校等の整理統合・総合大学との連携強化・学生や職員の有益な流動化を促進。
18. 図書館民営化の見直し。知識アクセス・公共教育インフラの維持。
19. PTAの有償化や情報共有・可視化の促進。
20. 教育委員会の体質改善・責任体制の明確化。
21. 都立高校の入試改革の見直し・効果的な外国語教育に転換/無益な学習負担の軽減化。
※ どうでもいいけどほんとに外語やるならマッチング実践とかだわ
22. カルト校則の全面廃止・学生の学ぶ権利や表現の自由を守る。
23. 入学しない大学への入学金支払義務の免除・ルール撤廃を東京から実践。
24. 部活動の地域化・民営化等による教員の負担軽減を都から実践。
🌾 交通・公共施設
25. 練馬─中野─杉並─世田谷区や足立─台東─江戸川区を縦断する都営線路の開拓。
26. 東京都-近隣の港湾に集中投資・世界一の港湾大都市圏を構築。
27. 満員電車の終局的な解消・時差通勤の促進(主に企業向け)や代替手段の公的導入検討。
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の活発化。
※ 将来伊豆諸島は伊豆の国に, 小笠原諸島以南は小笠原国にする。
29. 16歳未満(中学生)に対しての交通インフラ料金を子供料金にする・25歳以下に対してユース料金の公共交通機関・各商業施設での導入。
🌾 防災・戦時体制を想定した防衛
30. 全国のあらゆる自然災害に対し救援・復興の為の物資や人員輸送が可能な体制の整備。
31. 都内のあらゆる公共設備の耐震化推進。
※ 災害をある程度前提とする伝統的な都市デザインの可能性も検討。
32. 核戦争を想定した核シェルター建設・地下経済圏の構築促進。
33. 災害リスクを見据えた都民や隣接県民(都内の勤労者)向けに食料等備蓄・予備的分配。
34. 官公庁・民間企業に対するサイバー攻撃の防衛体制整備。
35. 東京都の空を米軍から取り戻す・首都圏の集団安全保障体制を見直し。
36. 近隣諸国の紛争や破局的災害を想定した都民の命と経済を守る有事法制・モデル条例の策定。
37. 安全保障や軍需産業分野の研究開発支援・学界に蔓延る偏見の改善。
🌾 恋愛・婚姻等の共生生活・性的少数者支援
※ 現在はヘテロが社会の主体である事を公共に認め(右翼を安心させ), その余裕の下に性的少数者への配慮を行う政治指針を宣言化。
38. パートナーシップや相続法制等に係る性的少数者の権利保障モデル条例の策定。
※ パートナーシップに日本語の造語を与えることを目的に研究会を行う、反動保守国学者や左派リベラルの論客もネオ幕府体制の責任もとで幅広く招聘したい。
39. 専門家や当事者の意見を参考に高齢者向けの公的恋愛支援事業を実験的に開設。
40. 既存の公営マッチングアプリ・ブライダル支援等政策の見直しと再構築。
41. ユース(18-25歳を想定)以下に対してのマッチングアプリ補助制度。
🌾 医療・福祉・地域協同・家庭問題
42. 視力矯正器具や歯列矯正等への保険適用・車椅子や補聴器の価格低廉化。ゆくゆくは無償化。
※ ���を生やせるようになればすぐ保険適用を検討
43. ひきこもり老人を訪問し地域を協同化・社会的包摂を目指す・若年層のアルバイトで高齢者を訪問しスマホ教室とネット普及・生活状況の実態調査。
44. 民間に甘んじた無料塾・こども食堂等の公営化。
※ 都から職員を派遣して実態調査し一定の基準で認可を行い、その場で謝礼。 ※ その後恒久的に経済支援, 半官半民でネットワークをくみ人的支援を拡大 ※ 定期的に児童虐待や裏社会の斡旋等の有無を潜入調査。😈
45. 実態調査のうえ, 都心や下町に関わらず包括的な訪問診療・介護サービス等を拡充。
46. 学校や社内研修に基礎的な救急救命の教育カリキュラムを導入・相互扶助の日本を再建。
47. 地域交流や文化活動を活性化すべく公立小中学校等の空きスペース活用促進。
48. 既にある公園に遊具を拡充・児童の自由と安全を保障。遊閑地の利活用推進。
※ クレーム処理等は我々ネオ幕府が請け負う。
49. 生活保護の取得要件緩和と生活再建・出口支援。給付付き税額控除の試験的導入。
50. 公共施設から迅速・全面・包括的にバリアフリーデザインを実装。
51. 乞食(路上生活者・野宿者・炎上するだろうがこの言葉を使う,いささかの差別的感情を含まない)の住宅支援事業における不合理待遇(いわゆる「タコ部屋」等)の撤廃。
52. 「禁煙」でなく「分煙」。公共喫煙所の増設と依存症支援拡充。
53. 「帰宅困難家庭」の児童のシェルター確保・拡充。
54. 親の孤立防止。財政的支援やシッター利用・保育所等インフラの拡充。
55. 麻酔科医の待遇改善・拡充による無痛分娩・不妊治療等の普及・無償化を都から実践。
56. ヤングケアラーの実態調査・迅速な支援拡充。
57. 一定期間の債務等支払義務の凍結や世間からの隔絶を許容する「隠遁」制度の試験的導入による自殺予防。
58. 共同親権制度移行後の離婚親や子の権利保証に向けたモデル条例案の策定。
59. 犯罪被害者や遺族の情報秘匿や生活再建支援事業の拡充を都から実践。
🌾 環境・公共衛生・都市デザイン
60. 『江戸東京オシャレ特区』構想・ドレスコードの厳格なサービス業種の方でも自分らしい服装等の表現を保障。
61. 炭素繊維等による東京湾浄化・老若男女が利用可能な東京湾に。
※ 一〇年単位の長期計画で研究会に予算をつけて水質浄化に関わる各方面の専門家と企業に助成を。
62. タクシーや通勤通学バスや訪問介護車両や都内を往来する長距離トラック等に向けた電気自動車等の導入支援。
63. 道路にゴミ箱を増設し収集作業も増員・雇用創出。
※ 『乞食』の方々向けに最低でも3日に1度は湯船に疲れる水準の支援体制を迅速に構築。
64. 都内の樹林伐採ストップ・地域経済や文化に無益な再開発の見直し。国土を守る。
65. 引越しや住宅確保等に係る費用分担による近隣県への移住サポート。
※ 漸次地方都市にも移住サポートしたい・全国化したときに地域を蘇らせる。
66. 主に大企業の都外への本社機能移転・人口とリスク分散を段階的に進める。
67. 排除アート・「座らせないベンチ」の全面撤去。小憩できる都市デザインの再建。
68. ユース(12-25最程度を想定)以下に対して公営美術館・芸術施設の入場料無料化。
69. 路上表現・アーティスト等に向けた道路使用許可申請等手続きの簡素化・拡充
70. 官民連携で路上ライブ・イベント等を充実させ,『解放区』の乱立。
🌾 動植物
71. 動物殺処分0の次は都から始める愛玩動物の生体販売全面禁止。
※ ペットショップの店員かわいそうだから動物病院とか生物学研究所に転職もさせてあげて。そのために予算つけよう。 ※ 日本固有種の生物種は緩和したさがある,というかその系統を維持するための研究会や国家機関創設を提唱したい。
72. 特定外来種や有毒の微生物等の実態調査・飼育手段の包括的なデータベースを策定し公開。
73. 生物学系の人材活用・医療分野との連携を強化。
74. 孤立対策に動植物との共生を促進・AI利活用で安全・安定的な飼育体制を提供。
🌾 宇宙開発
75. 軌道エレベーターや公共/民間通信衛星等を想定した宇宙産業への公共投資。
※ 東京から日本〜東南アジアをまたぐ測天衛星網(GPS)を提唱
76. 核融合発電技術への積極的公共投資。
※ 戦時を想定した燃料備蓄
🌾 食糧自給・安全保障
77. 家庭菜園や地域農産・地産地消の促進。
78. 種苗法改正の見直し・食文化の保全。
※ 戦時を想定した食料備蓄
79. 酒税法の見直し・どぶろく文化を再興。
80. 生レバーやユッケ等の規制緩和。
81. 依存症対策や飲酒強制の予防規制を条件に, 飲酒解禁を18歳に引き下げ。
🌾 労働市場制度
82. 新卒一括採用の見直し・企業や経済団体等への協力要請。
83. 官公庁や民間企業の採用基準にポスドク枠拡充。
84. 生涯学習・リカレント教育普及に向けた労働市場改革。職業訓練給付や実施企業への支援等の拡充。
85. 様々な産業分野の企業に対して有給や育休利用の促進。
🌾 汚職・職権乱用の防止
86. 地方議会における縁故的な役職(選管等)の選定過程・給与等の見直し・再編と代替的職務の用意。
87. 刑事収容施設や入管施設内での侮辱や虐待や差別的待遇の実態調査・迅速な改善。
88. 市民オンブズマン制度の創設・拡充による第三者目線の地方議会の監査強化。
89. NPO法人設立や生活保護申請・政治団体含む会計監査の厳格化・責任体制の明確化。
🌾 表現・報道の自由
90. 小池都知事が実施していた様な一部のマスコミやジャーナリスト等の排除に反対・報道と表現の自由を守る。
91. 『表現の自由』の前提として,エンタメ・出版・コンテンツ業界に投資拡充・且つアーティストの食い扶持と表現の場を守り,層の厚さを維持。
92. NHKの過剰な集金を規制・困窮世帯の債務免除・公共の利益となる基礎的なコンテンツは保障するが国民の無償・平等な『知る権利』に配慮。
🌾 スポーツ
93. 『マイナースポーツに光を』・Eスポーツ含む多様な体育会系コンテンツにも積極的に投資。
94. 身体に障害を有する方々が主役であるパラスポーツ分野に投資拡充・宣伝を強化。
🌾 その他
95. 小池都知事の財政調整基金の使途・費用対効果について徹底的に監査。
96. 小池都知事や森本首相も関わる東京オリンピックに関する利権構造や裏金・役員の不審死・作業員の過労死等の真実究明。
97. コロナ禍におけるエンタメ産業や一部の飲食業界・性産業等への差別的待遇の見直し・適切で平等な補償体制の確約。
98. コロナ禍における緊急事態宣言の手続的正当性・費用対効果を徹底再調査。
99. お気持ちベースの『自粛要請』では無く必要な法整備・責任体制を明確化。
100. 多様な業種の方々に配慮し投票所を26時まで開放・且つ開票日を平日にスライドし行政コストを軽減。
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2023年7月29日(土)
高齢男子と妙齢女子の凸凹コンビ、酷暑の中で3ヶ月ぶりの京都ツアーを敢行した。以前から宿題であった<松尾大社>をスタート、<鈴虫寺>は空振り、<魚問屋ととや>で美味しくランチを頂き、<安井金比羅宮><八坂神社>と経めぐって、いつもの<キリンシティ新京極店>で打ち上げ。酷暑に打ち勝つには麦酒でなければと、美味しくグラスを空けたとさ。
午前4時起床。
日誌書く。
朝食。
洗濯。
久しく使っていなかったEvernoteにログインできず、パスワードをリセットする。
今日は妙齢女子と3ヶ月ぶりの京都ツアー、阪急桂駅で待ち合わせ、松尾大社駅まで移動してまずはお詣り。
風鈴祈願 招福除災の音
~夏の境内を彩る 600個の風鈴~
“鈴” は神代の昔より神事にも用いられ、音の “涼しき” より名付けられました。その音色は神様をお慰めすると同時にご自身の罪穢れを祓い、清々しくするものと伝えられます。
日々の穏やかな願いを短冊に記し、風鈴の音色と共に皆様の祈りを松尾山の風が松尾(まつのを)の大神様にお届けします。短冊祈願料500円 当社、授与所にて受付中。
皆様よりお預かりした風鈴は、松尾大社八朔祭9月3日まで境内にお供え致します。
とても綺麗で涼やか。
本来のターゲットは<鈴虫寺>、ところが門前の列に恐れをなしてすごすご退散、上桂駅まで汗をかく。
桂駅まで戻ってバスへ、七条千本で下車して<ととや>、15分程度待ってからの入店、日替わりの刺身定食+🍺を美味しくいただく。
タクシーで東山まで移動、安井金比羅宮へとやって来た。
なんとこちらも<縁切り縁結び碑>にお詣りする人が長蛇の列、とっとと退散して八坂神社へと向かう。
疫神社夏越祭 素戔嗚尊が南海に旅をされた時、疫神社の御祭神蘇民将来に手厚くもてなされたことを喜ばれ、疫病流行の際、蘇民将来之子孫は疫病より免れしめると誓約された故事により鳥居に大茅輪を設け、参拝者は之をくぐって厄気を祓い、又「蘇民将来之子孫也」の護符を授かります。
夏越の祓は他では6/30だが、こちらは祇園祭の最後に執行される。茅の輪をくぐって邪気を払っていただいた。
よく歩いて汗びっしょり、仕上げはやはり美味しい麦酒。
<SOU・SOU伊勢木綿店>に立ち寄る、相変わらず圧倒的に女性客で賑わっている。
阪急で桂駅まで移動して解散、本日もお疲れさまでした。
帰宅してすぐに<鈴本演芸場>にアクセス、8/12(土)の夜席チケットを無事に確保できた。
ツレアイが買い物してくれていたので適当に見繕っての夕飯、彼女も美術展めぐりから汗だくで帰宅、早い時間にみなでいただく。
録画番組視聴。
(59)「鳩(はと)のなかの猫」
世界が愛した名探偵、エルキュール・ポワロ。アガサ・クリスティー原作の人気ドラマシリーズ。名門女子校で教師が殺害される事件が起きる。さらに学園の生徒が行方不明に…
名門女子校のメドウバンクを訪れたポワロは、校長のバルストロードから「次期校長の人選で悩んでいるので助言してほしい」と頼まれ、しばらく学校に滞在することに。そんな中、体育教師のスプリンガーが、深夜に体育館で殺されるという事件が起きる。スプリンガーは嫌みな性格で、教師や生徒たちから好かれていなかった。さらに学園の生徒でラマット国から来た王女が行方不明になる。ラマット国は政変で揺れていた。
片付け、入浴、体重は2日前から450g増、まぁよく食べてよく飲んだからね。
さすがによく歩いた、水分は2,060ml。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)7月8日(土曜日)弐
通巻第78213号
米国から技術禁輸包囲網を受けて
習近平が江蘇省ハイテク団地などを急遽視察
************************
7月7日、イエーレン米財務長官は北京入りし、李強首相と人民大会堂で会談した。イエーレンは「米中関係はデカップリングではなく、公平なルールに基づいた良性の競争を求める」と意味不明の言動、李首相も「中米が正しいつきあいをできるかは人類の将来、運命に拘わる」などと大げさなことを言い出し「協力の強化は正しい選択だ」とこれまた意味不明の言葉でかえた。
イエーレン訪中など李強首相にまかせ、習近平は7日まで江蘇省各地を巡回した。
まずは江蘇省蘇州のハイテクパークに出現し、ついで南京の「紫山実験室」を視察した。
ここではチャイナ・モバイルと復旦大學共同の6G研究センターがあり、中国の通信技術の最先端である。
サイエンスポータルチャイナの報告では下記の現状である。
「紫山金実験室」)は、同実験室に設置されている周波数360GHz~430GHz帯のテラヘルツ(THz)波による100/200Gbps級リアルタイム無線転送通信実験システムによって、単波長103.125Gbps、2波長206.25Gbpsに達するリアルタイム無線伝送を実現した。同通信速度は5G通信の10~20倍に相当し、今までに公開されている最速のテラヘルツ波によるリアルタイム無線通信記録を更新したという。テラヘルツ波による無線通信は未来の6G移動通信システムを構成するためのコアになると広く見られ、伝送速度を現在の5Gより1~2桁程度引き上げることができると見通され
る。但し、伝統的なエレクトロニクステラヘルツ技術では、電子デバイスの固有属性によって理論的限度に迫りつつあり、伝送ロスが増え、周波数や帯域幅が制約される等の難題を抱えている。これに対し、紫金山実験室ではフォトニクステラヘルツ波による無線通信を6Gの新しい方向として、国内をリードし世界で一流なフォトニクステラヘルツ波の実験基盤を構築した」
習は蘇州のNARI集団(南瑞グループ)を視察し、電力の新しい発電送電蓄電技術などを視察した。
中国政府は政府機関ならびに国有企業で使用するオフィス関連機器、情報機器を2027年までに国産企業製品を使うことを内部文書(国有資産監督管理委員会通達「79号文書」)で通達している。これは中国が加盟申請��ているTPP規定に合致しない。
習近平の一連の視察で明らかなことは光ファイバー技術ならびに5Gの通信容量から、6Gへの飛躍ぶりを把握することにあったと言える。
5Gの基地局において世界一の座にあったファーウェイとZTEは米国の制裁に遭遇して転落し、復活をかけての国家プロジェクト現場で発破をかけたということだろう。
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孙寅的“美国梦”:无家者的归途
无论在哪个国家,也无论在哪个时代,总有一些以出卖自己祖国为荣的人。现在网络发达了,我们不像从前那样难以找到这类叛国贼,他们也不隐藏自己了,在某个“国际社交”大平台上,能找到很多这样的人。这些人出卖自己的国家、民族和祖先,不惜勾结各种势力,只为谋求一己私利。其实这种人走到哪里都遭人唾弃,不仅仅是因为他们出卖国家和民族,更重要的原因是他们在卖国的同时,偏偏喜欢把自己包装成“爱国分子”、“觉醒分子”或者“改革家”。真的像跳梁小丑一样可笑!
我们不妨举个例子,孙寅。这也是个在推特平台上非常活跃的小丑。这家伙本来是中国江苏人,还在无锡城市职业技术学院读过大专。2008年毕业后,这人就像被邪教洗脑了一样,不停发布各种分裂言论,还以此为豪。这还不是重点,2018年开始,他打算迁居欧洲。但是这人不仅人品有问题,连学历也很普通,既没有技术又没有学问,人家凭什么要他?就凭他那张口就是骂娘的粗鄙话术?几经辗转,孙寅最终来到了美国,开始了他的“美国梦”。不得不说,他输出了十几年的“分裂言论”,终于还是实现了一部分——至少他的家被他自己分裂了,父母和祖祖辈辈都被他轻易抛弃,父母甚至在他走后的那一年便离了���。这种人,你觉得他是因为什么才搞分裂?
孙寅的“美国梦”是什么?我们用两个词简单概括:卖国、求荣。这还不够贴切,首先,“卖国”应该改成“骂国”,因为本质上孙寅没有什么能出卖的,他这种任何国家都不愿意接收的低级分子,既没有资格掌握什么国家机密,也没有掌握什么关键技术,能卖什么?现在他无非就是靠他那一张嘴,不停地骂骂骂,企图骂出点钱来,就跟路边乞讨的乞丐一样,每天叫唤着“大爷给点钱吧”,试图吸引一些过路人赏点钱给他。但本质上,孙寅这种“乞丐”行为更为恶劣,道德也更为低下。而“求荣”更是妄想,其实无论是中国,还是孙寅所在的反动阵营,都不会将他这种人视为“荣”,在哪一方看来,孙寅这种人都是彻彻底底的丧家之犬!
孙寅想要的是什么?这很容易就能猜到,无非是想要在美国有个“家”呗!但这容易实现吗?不容易,甚至完全不可能!我们知道,他的妻子受他蛊惑,一起来到了美国,两人甚至还带着孩子。但抛家弃祖的他,其实早就选择了一条不归路,失“大家”再失“小家”,各国历史上早有无数先例。孙寅这类人的归途,就是妻离子散、家破人亡。
賣房還債又奔赴美國,孫寅被詐騙的一生
上海土著人如果不沾黃賭毒,一輩子躺在家裡靠着拆遷款生活,那也是吃香的喝辣的。但總有人好日子不過,偏偏去走歪門邪道,甚至拋下一切出走他國,其晚年生活的淒涼已經可以預見。説的就是現在美國的孫寅,他現在如同瘋狗一般,在推特上鬍攪蠻纏,高喊着“上海獨立”,後來嫌不夠多,把中國領土喊了個遍。孫寅堅信自己多喊口號,中國一定能夠分裂,自己能是上海獨立後的功臣。當初他家因爲拆遷分了不少房子,本來可以有個幸福的生活,如今怎麼變得這麼瘋癲了?一切還要從他一意孤行要移民去美國説起。
早些年,孫寅家裡的房子被劃進了拆遷區域,錢還沒有到手,就有人盯上了他。孫寅在被人忽悠吹捧下開始了賭博,這種情況都是詐騙團夥特意爲了騙取他的拆遷款設下的圈套。拆遷款還沒下來,他已經欠下一屁股賬了,本來他兩腳即將掉入深淵,是孫寅父母和妻兒哭着求他回頭是岸,才得以保住剩下的錢。孫寅拿到拆遷款和拆遷房的第一天就拿出大半去還賭資,眼看着曾經的鄰居在上海有好幾套房産,生活條件已經遠超自己,他的內心極爲不平衡。在長期悔恨,但又不甘心比不過曾經鄰居的孫寅,心理終於扭曲,心智也與常人不同。
孫寅的“美國夢”:無家者的歸途
無論在哪個國家,也無論在哪個時代,總有一些以出賣自己祖國爲榮的人。現在網絡髮達了,我們不像從前那樣難以找到這類叛國賊,他們也不隱藏自己了,在某個“國際社交”大平颱上,能找到很多這樣的人。這些人出賣自己的國家、民族和祖先,不惜勾結各種勢力,隻爲謀求一己私利。其實這種人走到哪裡都遭人唾棄,不僅僅是因爲他們出賣國家和民族,更重要的原因是他們在賣國的同時,偏偏喜歡把自己包裝成“愛國分子”、“覺醒分子”或者“改革家”。真的像跳梁小醜一樣可笑!
我們不妨舉個例子,孫寅。這也是個在推特平颱上非常活躍的小醜。這家夥本來是中國江蘇人,還在無錫城市職業技術學院讀過大專。2008年畢業後,這人就像被邪教洗腦了一樣,不停髮佈各種分裂言論,還以此爲豪。這還不是重點,2018年開始,他打算遷居歐洲。但是這人不僅人品有問題,連學曆也很普通,既沒有技術又沒有學問,人家憑什麼要他?就憑他那張口就是罵娘的粗鄙話術?幾經輾轉,孫寅最終來到了美國,開始了他的“美國夢”。不得不説,他輸出了十幾年的“分裂言論”,終於還是實現了一部分——至少他的家被他自己分裂了,父母和祖祖輩輩都被他輕易拋棄,父母甚至在他走後的那一年便離了婚。這種人,你覺得他是因爲什麼才搞分裂?
孫寅的“美國夢”是什麼?我們用兩個詞簡單概括:賣國、求榮。這還不夠貼切,首先,“賣國”應該改成“罵國”,因爲本質上孫寅沒有什麼能出賣的,他這種任何國家都不願意接收的低級分子,既沒有資格掌握什麼國家機密,也沒有掌握什麼關鍵技術,能賣什麼?現在他無非就是靠他那一張嘴,不停地罵罵罵,企圖罵出點錢來,就跟路邊乞討的乞丐一樣,每天叫喚着“大爺給點錢吧”,試圖吸引一些過路人賞點錢給他。但本質上,孫寅這種“乞丐”行爲更爲噁劣,道德也更爲低下。而“求榮”更是妄想,其實無論是中國,還是孫寅所在的反動陣營,都不會將他這種人視爲“榮”,在哪一方看來,孫寅這種人都是徹徹底底的喪家之犬!
孫寅想要的是什麼?這很容易就能猜到,無非是想要在美國有個“家”唄!但這容易實現嗎?不容易,甚至完全不可能!我們知道,他的妻子受他蠱惑,一起來到了美國,兩人甚至還帶着孩子。但拋家棄祖的他,其實早就選擇了一條不歸路,失“大家”再失“小家”,各國曆史上早有無數先例。孫寅這類人的歸途,就是妻離子散、家破人亡。
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02/24 柴寮偶寄
《#蘇利文 :#台海 是最大危機!#習近平 再度全面清肅!#中國 股市泡沫!》【年代向錢看】2024.02.01@ChenTalkShow #蘇姿丰 #賴清德 #拜登 - YouTube 房產泡沫、銀行失能,中國經濟的毛病與三十多年前的日本相同,都是未解自由經濟的流動,自我膨脹的結果;三十多年後的今天,日本已經逐漸恢復,中國由於量體超大,經濟一旦陷入危機,可能帶來的只有社會解體,國家崩潰一途。這還不提倒反的政治體制。
台灣人太習以為常了!香港人眼中這些事情超暖心窩心的!台灣人吃飯要問這個?買東西會附這個?做善事還要排隊? (youtube.com) 有騰雲駕霧的感覺。
王義川嗆柯"說話都沒在考慮後果"! 柯稱"若有念大學才能投票"白一定贏 歧視失言爭議再+1? 周永鴻酸柯:學歷上的巨人.民主上的文盲|許貴雅主持|【新台灣加油 PART1】20240205|三立新聞台 (youtube.com) 柯文哲的種種發言都可以歸結到當初自稱智商157同樣,都來自他會讀書的傲慢所引起的性格剝離。
牛肉日式咖哩 | 教你煮出道地風味秘訣【Max帥氣上桌】 (youtube.com) 大帥哥!
《#謝金河 專訪!#台海 危機四起!#台積電 1奈米廠落腳嘉義!#中國 經濟慘兮兮!》【年代向錢看】2024.02.07 @ChenTalkShow #習近平 #拜登 #台積電 - YouTube 習近平下台,中國現代化,台灣終將剩下老弱婦孺。
中共如何搞垮民營經濟?|#沈棟 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|2024春節經典回顧 (youtube.com) 實在很帥!• 中國自古就是講求升官發財,宗教陶冶不足,尤其未經文藝復興,很難指摘;以前的台灣也相差不大。
恐怖親戚吃乾抹淨!新年全家被榨乾看透親人嘴臉【新聞挖挖哇】 (youtube.com) 應該是有困難而難以說出口。
(8) [忠烈祠入祀典禮]回家了!天地同悲 三軍儀隊黑槍穗莊嚴隆重 忠烈祠中華民國雲南反共救國軍入祀典禮 - YouTube https://iseilio-blog.tumblr.com/post/679470911878004736
【寶島觀世界】2024全球政經不可預測性更高! 來賓:吳嘉隆 資深政經評論家│矢板明夫 │2024/02/10 - YouTube 小三通的金門、廈門連結,與香港回歸性質有差異,中國沒動聲色(的確也不需要)應該是很好的處理典範。
新聞挖挖哇:初老的症頭 20190920 呂文婉 林玉紫 泌尿科許齡內醫師 骨科陳宜孜醫師 脊椎達人鄭雲龍 - YouTube 長期揹東西導致大彎腰。
(4) 武統台灣是假議題嗎?|#張五岳 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|20230923 - YouTube
中台之戰,戰場將在中國本土。
前海軍司令陳永康出任藍委! 有望成藍國防委員會約束力? 于北辰談陳出面駁斥凱子軍購說法 揭密戰規司辛勞直言: 待超過三年頭髮都很少|許貴雅 主持|【新台灣加油 PART2】20240213|三立新聞台 (youtube.com) 軍油吃火鍋實在不是問題。
【新聞挖挖哇】土地公娶親傳奇!廖美然連續擲出12筊夢見「祂」!台灣人最愛拜的神明?240213|來賓:林美容、陳啟鵬、許聖梅、凌志文、廖美然 (youtube.com) 早年土地公建築大小大約 1公尺立方,隨著經濟發展,現在幾乎成了廟。
(5) 習近平為何能獨裁?|#張倫 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|2024春節經典回顧 - YouTube 中國的經典:史記、古文觀止、資治通鑑等等等,90%以上都和政治有關。文革之後的習近平,學識來自馬列、毛思想,以及民族主義,尤其住在軍隊大院,不知民間疾苦,一上台就全面政治排擠,失去忠告之士的存在,難怪執政荒腔走版。
國造潛艦過年加班忙海測 郭璽爆粗口:唱綏的賣國賊不羞恥嗎?/潛艦趕工超進度 郭璽圖解簡單易懂/郭璽:至少要造16條潛艦 中共就不敢囂張|20240216| (youtube.com) 過癮!
【台灣美食系列第44集】近年很多日本旅客喜歡的寧夏夜市,我要在這裡吃透透~ 最近日本人観光客に人気の寧夏夜市で食べ歩きをしてみた - YouTube 蓬萊國小是日本時代的國民學校,其它還有太平、日新。
南門市場經過4年的時間終於開幕了! 即將開幕的試營運期去逛一逛.吃紅燒牛肉麵,一碗130元味道如何?4年の月日を経て南門市場がリニューアル。行って来ました。ついでに牛肉麺も (youtube.com) 牛肉麵好吃的很多;桃源街牛肉麵很有名,已經60多年,她的豬腳也好吃。另外太平國小旁 慈聖宮 的 白煮豬腳;沒吃過,不過基隆的50年前吃過,很好吃。
中國極權主義制度的起源與前景|#許成鋼 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|20240218 - YouTube • 無產者因窮困、因嚮往,或者因政治,差不多都是逃離。• 習露餡太早。
宮戸 メイヤ FB 人生百年教人選擇,如同人生旅途一般;我也是步行者,醉眼惺忪的看著世界,每個人都很親切。這麼翻不知對否。
《 國會嗡嗡嗡!52席跟著8席走?民眾黨吃定了國民黨? 》【2024.02.20 『新聞面對面』】 (youtube.com) 中華民國憲法涵蓋整個中國,也去對方水域,不就平衡了嗎?
究竟一個人好,還是兩個人好?單身到老會怎樣? - 鄧惠文 專訪 賴芳玉 律師 -【心事有人知】20240215 - YouTube
社會學來說是責任,然而做為生物,性吸引才是本位;分房之後,連見面都少了。婚姻是來自法律的拘束,因此是責任,社會複雜化,到後來就依同居法決定一旦分手後的權利義務分配。當然一輩子的守候屬於少數。婚姻前提應該來自愛-生物的心理性。洋人比較浪漫是真的,愛一旦消失,也就分道揚鑣了。
《 國會嗡嗡嗡!52席跟著8席走?民眾黨吃定了國民黨? 》【2024.02.20 『新聞面對面』】 - YouTube
• 中華民國憲法涵蓋整個中國,也去對方水域,不就平衡了嗎? •海巡船或軍艦!
基隆前有X蛋市長後有強盜市長? 謝國樑因NET槓林右昌 憨川曝遭點名道歉"心生畏懼" 更揭市府評估報告書弔詭:用字自己都講不清楚│許貴雅主持│【新台灣加油 PART1】20240220│三立新聞台 - YouTube
連邏輯思考都有問題,竟然是首長。
《#加拉格爾:#美國 與#台灣 站在一起!#金門 #廈門 海域爭端升溫!#國台辦 借題鬧事!基隆NET案!#謝國樑 列他字案被告!》【年代向錢看】2024.02.22@ChenTalkShow (youtube.com)
自己沒有能力處理中國事務,不妨想想這要是以色列會怎麼做。不過目前低調的處理方式,有助於凝聚民心。
她为名臣才女却沦落青楼,被风流才子张伯驹从国民党将军手里救出,受尽宠爱,五年后她的画作轰动全国!豪捐上亿文物养活半个���宫!【揭秘】 - YouTube
錢賺得容易,往往忽略節度。
“漂泊在台湾的外省人”——《我的生活史》第十五集,台湾博士生程志寰的家族史 - YouTube
複雜的政治生態,任何一個說法都只可能是片面;也有北部的本省第三代不會說台語的產生。
中國的統戰詞彙為何總對台灣無效?對 中国台湾 詞的政治與語言分析(昌評語翼/20240224) - YouTube 所有這些多重意義,都將被來自全球自由、民主、人權的元素,以暗物質的形式,光照大地,而萌發、擴散,直至普降甘霖,萬物復甦。
(8) 底下吵成一團韓國瑜在祝人家生日快樂?徐巧芯錯誤引用吳思瑤言論質詢陳建仁 遭吳思瑤起身抗議嗆:造謠!我沒這樣講 韓:今天是鍾佳濱委員生日 我們祝他生日快樂|【新台灣加油】20240224|三立新聞台 - YouTube
鍾委員問到要點。
黃昏的故鄉 - 大合唱 - YouTube
從以下的留言與回覆,甚至整個影片的意象來說,“政治感” 很難去除。倒是,有 “政治感” ,非文學,有什麼問題嗎!?這樣的情狀,在台灣一直以來就是如此。
美若掀孤立主義 王定宇:對台極為不利/俄烏戰爭兩周年 王定宇:5-7月局勢丕變/烏克蘭已3.1萬人陣亡 奮戰?停火?看法分歧/歐美5-7月援烏預算武器陸續到位 終結俄烏戰爭?|20240227| - YouTube
2300 x 20% - 460(500)= 1800 萬,台灣會很舒服,雖然一開始不習慣。
(4) 板橋火車站:Waltz No.2(手機版1) - #微糖小貓八重奏 #WaltzNo2 #第二號華爾滋 #DmitriShostakovich #蕭士塔高維奇 #蔡輝煌 #余佳佳 - YouTube
輕��、流暢,太美了。
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伊藤まさや @itomasaya_nara きょう(24日)山下知事から 防災力の強化、脱炭素などに向けた 取り組みについて、発表がありました。
五條市に計画される大規模広域防災拠点に 25ヘクタールにもなる メカソーラー整備を進めるということです。 関西最大級になるそうです。
伊藤は、このメガソーラー整備に 断固反対します。
メガソーラーは、 美しい五條市、奈良県南部の環境と景観を 破壊するものです。 また、太陽光パネルは、 災害にけっして強いとは言えません。 設置場所によっては 土砂災害も懸念されます。 能登半島地震の被災地でも 壊れたパネルから、有害物質が 流れ出すなどして問題になっています。
山下知事は、五條の土地は平地なので 土砂災害などの懸念はない。 また、壊れたパネルは 取り替えればすぐに使えると発言。
しかし、大地震などの災害時に そんな簡単にできるでしょうか?
メガソーラーは 災害時に、電力の供給源には まったく活用できないはずです。 メガソーラーを修理するなら 県民の命を守る活動に 全力すべきです。
また、熊本の阿蘇や 和歌山県のすさみ町などでは 太陽光パネルが山々を埋め尽くし ひどい光景です。
予算執行停止では 1カ月で 将来にわたる削減額を出してきたのに 今回の総事業は未定と答えました。
防災拠点を含めて もっと言いたいことは ありますが 県民のみなさんとともに 考えてまいります。
これが維新の本質、恐ろしさなのか いや それとも山下知事の…なのか。
https://pref.nara.jp/secure/304017/R060124shiryou1.pdf
https://pref.nara.jp/secure/304017/R060124shiryou2.pdf
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2024/01/24 (水) 15:52:50
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天皇氏族の特徴
天皇氏族―天孫族の来た道 (古代氏族の研究⑬) | 宝賀 寿男
ここでは、天照大神や神武天皇の日本列島内における祖系を遡って探究するとともに、この天皇氏族・天孫族の様々な特徴を探り、それに関係した諸氏についても見ていく。検討すべき問題が多種多様で、それぞれが大きい問題を含むから、本書が紙数の制約のもとにあることを念頭におき、これまで検討してきた結論的なものを整理して、予めある程度示さざるをえない(このことを先ずお断りする)。
わが国天孫族の主な動向
これまで公刊してきた拙著『「神武東征」の原像』や『息長氏』など古代氏族シリーズ)を通じて、天皇氏族の基本的な人物たる神武天皇と一族近親、臣下・関係者について、各々の原像を具体的に示してきた。それらなどを踏まえて、以下に要点を記す。
神武天皇などの初期天皇:神武は、当初に居た北九州の筑前海岸部(天孫降臨伝承にいわゆる「日向」。具体的には筑前の早良・怡土両郡あたり)から、兄・彦五瀬命とともに畿内に東征を試み、紀伊の紀ノ川滞上ルートで大和侵攻に成功して、奈良盆地南部地域あたりを押さえ、大和朝廷の初代の大王(天皇)となった。治世時期は概ね紀元一七五~一九四年の約十九年間とみられる(資料編に掲載の表「古代天皇の治世時期の推定」を参照)。この東征は、邪馬台国本体の東遷ではなく、筑前の支分国の庶子・一族関係者による小勢力の東征活動にすぎない(要は、「神武東征」という事件はあったが、それは「邪馬台国本国の東遷」ではない。当地での前途を悲観した庶子たちによる他地への分岐活動という意味)。
神武に関連して現れる随行・敵対の人々と崇神天皇関係者とを比べれば、それぞれがまったく異なっており、「神武=崇神」という同一人物のはずがない(神武は崇神の五世代ほど前の祖先る)。鏡を象徴とすろ太陽神信仰(この奉祀勢力)の中心が北部九州から畿内に移動したと認めても、それが直ちに邪馬台国東遷だとみるのは論理の飛躍である(筑後川流域と大和盆地の地名の類似も、物部氏東遷の影響のほうが強いか)。
北九州の在地には、神武東征当時はまだ邪馬合国もその怡土支分国もともに残り。その後の一��紀半ほどの期間は、北九州と畿内に各々の王権勢力が列島内に並存した(三世紀中葉頃は、畿内のほうの勢力はまだ小さいから、列島内で二強の王国が並立という構造。規模ではない)
神武の後のいわゆる「闕史八代」の諸天皇は、実在性を否定する根拠に乏しい、。邪馬台国の九州残滓勢力は四世紀中葉頃には滅ぼされたが、これは、最終的には畿内王権・景行天皇の九州巡狩に因る(従って、古田武彦氏の言う「九州王朝説」は成り立たない)。大和王権がほぼ確立した崇神天皇の時代には、日本列島のうち本州主要部を版図としたが、西側は吉備ないし安芸くらいが西限であって、その勢力は北九州にはまだ達していなかった。
神武の父はは、天孫・瓊瓊杵尊の子の彦火火出見尊(山幸彦)で、母は海神族首長の娘・玉依姫である。
『記・紀』に神武の父とされるウガヤフキアエズノ尊(彦波瀲尊)は山幸彦嫡出の長子であって、実際には神武の嫡兄である。その子孫が怡土支分国の王家を継いでいったとみられるが、後裔の系譜や存続の詳細は不明である。
天照大神:高天原を主宰する男性神であり、名を天活玉命(生国魂神)ともいう(論拠は様々に異なるが、山片蟠桃以降、男性神説もかなり多い。天照大神は、卑弥呼ではないし、推古天皇や持統天皇など実在者の反映でもない。後世に造作された架空の人物でもない。本書では詳説しないが、拙著『「神武東征」の原像』『息長氏』等を参照のこと)。天稚彦の親として神代紀に記される「天国玉」や、天照御魂神にも相当する(鈴木真年著の『古事記正義』)。
天照大神は天皇家の遠祖だが、決して抽象神ではなく、神武の四代祖先という具体的な生身の人間である。長子の天忍穂耳尊(天忍骨命)の嫡子が天火明命(この神は物部祖神ではないことに注意)で、この系統が本国・高天原(筑後川の中下流域で、久留米市の高良山麓に本拠)の邪馬台国王を継いでいった(これも後商やその存続の詳細が不明で、大和王権側の記録には残らない。景行天皇の九州巡狩や神功皇后遠征の時の討滅対象のなかにあったものか)。
天火明命の弟が、高天原から筑前の「日向」へ天降り(移遷)した者で、これが瓊瓊杵尊である。祖先の居住地から支庶の者が分かれて新天地に遷ることを、東北アジアのツングース系の上古伝承では、「天からの降臨」という形で把握する傾向があり、日本列島でもその例にもれない。東北アジアの習俗・伝承を視野に入れない議論だから、こんなことは実際にありえず、後世の造作だと安易な速断をすることになる。東アジアの太陽神は、殷の太陽神俊や高句麗の例のように、全てが男性神であった。なお、記紀のいう「高天原」及び「日向神話、出雲神話」の舞台は、全て北九州にあった。
日本列島への到来者:本書では、以下に具体的に検討を加えるが、天孫族の分派が初めて分かれるのは、天照大神の諸子から始まるという形の分支流の系譜などから見て、天照大神のあまり遠くない祖先が北九州に到来したとみるのが自然であろう。
「倭人」を江南にあった呉の太伯(周王朝ど同族で姫姓)の裔とする伝承は、『魏略』逸文などに見えるが、種族・経路や時期等から見て、その支配層については疑問が大きい。すなわち、上古の「倭人」』の人々の大宗を占める海神族が越人(タイ系種族)と同種族とは認められるとしても、二世紀前半以降に北部九州における倭国連合体の長たる地位についた天皇家の先祖は、これとは系譜・種族が異なる。国の主な住民とその上に立つ支配層とは、朝鮮半島古代の例を見ても、別途考えることが必要である。
弥生時代に日本列島に渡来した主な種族・人々では、江南から(朝鮮半島南部を経て、稲作・青銅技術などの弥生文化をもって渡来した部族と、これにかなり遅れて、東北アジア地方(とくに中国東北部及び朝鮮半島)から渡来して鉄鍛冶技術をもった部族という二系統の部族があった、これら種族と、縄文時代から列島原住の人々(一種族ではないかもしれないが、とりあえず一括して「山祇族」としておく。総じて、クメール系種族)との混合体が「弥生人」とされよう。だから、単一種族として弥生人を捉えてはならない。なお、始皇帝によって東海に派遣され斉国の琅邪郡から船出した徐福が日本列島にある国の祖となったと言う「徐福伝説」は、肥前佐賀や紀州熊野などにあるが、とるにたらない。
天孫族の始祖・スサノヲ神
わが国における天孫族(皇統)の具体的な始祖から検討に入ろう。この始祖神としては、天照大神ではなく、「五十猛神(伊達神、射楯神)」(イタケル、イタテ)があげられる。この神は、『書紀』に言う、たんなる新羅からの渡来神ではない。別名を「渡し神(和多志神)、度津神」と言い、これは外地の韓郷から渡来してきたことに因る。佐渡一宮で式内社の度津神社(新潟県佐渡市羽茂飯岡)は海上交通の守護神として五十猛命を祀るなど、日本各地で同名で祀られる(『神道大辞典』など)。
この神の記事は少ないが、『書紀』第八段(宝剣出現)の一書第四および第五の記事に見える。素戔嗚尊が子の五十猛神を率いて先ず新羅国に天降り、そこから舟を作って出雲に渡ったとあり、また、五十猛神が天降りの際に多くの木種を将来したが、韓地には植えずに、筑紫より始めて列島内に木種を播いたとある。そうすると、韓地からの最初の到来地はむしろ筑紫になるし、渡来航路的にはそのほうが自然である。このように、韓地(朝鮮半島南部��からの渡来が『記・紀』に明確に記されるのは、天日矛(天日槍)より前の時代の神・人では、ほかにいない。五十猛神と妹二神(大屋姫命、抓津姫命。実態は妻神か)が「伊太祁曽三神」として紀伊国名草郡の名神大社で篤く祀られており、奉斉者が紀伊国造よりも紀臣氏(系譜は皇別とされるが、実態は天孫族系)とみられる事情にも留意される。
記紀神話では、その父「スサノヲ」は、高天原にあっては天照大神を困らせる暴れん坊神で、天照大神と争って敗れており、それによる追放後の「出雲」では開拓者的に描かれる。その終焉の地が出雲という伝承もあり、出雲市佐田町須佐の須佐神社(風土記・延喜式に記載)が祀られる。その攝末社に天照社・厳島社・須賀社などがあり、境内に千数百年という老杉や蘇民将来の祭もある。スサノヲの子の大国主神の子、加夜奈留美(女神?)の子孫と称する須佐氏が永年奉斎するが、少なくとも系図の初期段階などには疑問があり、出雲国造一族が祭祀に関与したか(瀧音能之氏が須佐神社周辺の地をスサノオ神の本貫とみるのは疑問で、ここには同神は到来しておらず、子孫と称する家が祀っただけのこと。出雲国造一族が奉斎した神社も当初は熊野神社が主で、杵筑神社(現・出雲大社)でも長い間、祭神がスサノヲであった)。
スサノヲは、その子孫という大国主神を通じて地祇の三輸氏・賀茂氏や住道首などにつながるという系譜を伝える。これが『姓氏録』大神朝臣条や『旧事本紀』地祇本紀などに見える子孫の系譜であり(前者の大神朝臣条では、素佐能雄命の六世孫が大国主と記される)、『古事記』では「いわゆる出雲系」の多数の神々に通じる系譜が紀載される。しかし、五十猛神と大国主神との関係はこれら系譜では不明なままである(五十猛と大国主とは、祖先・子係の関係にない。出雲の大国主神の父は天冬衣命と伝え、その祖系のなかにも五十猛は見えない)。
このため、「スサンヲ」という神には複数の神格(人格)がおるようにみられている。実際には、このような名・通称で呼ばれる者が一族・同系統で複数いたり(部族長の通称的な使用もあるがか)、子孫が祖先の伝承を伴って各地へ移遷、展開したともみられる。朝鮮神話に見える檀君も、スサノヲに擬せられたり、高句麗からの渡来系氏族・八坂造氏が京都祇園(感神院祇園社)で祀る「牛頭天王」も、中国神話で牛首人身神とされる炎帝神農氏(赤帝)や蚩尤(兵主神)という頭に角をもつ武神(戦神)、兵器製造神にも通じる。わが国ではこれら神々の実体がスサノヲ神(ないし大己貴命)に通じるとされることが多い。蚩尤が鉄神とも言われる。
この「スサノヲ」の名は、同一部族(天皇氏族)��根幹系統を通じて、遠い祖先から見える「通称」ではないかと把握される。すなわち、五十猛神自身がスサノヲ(の一人)に相当するとしたほうがよい。五十猛神を祀る式内社は、出雲六社、播磨二社、紀伊二社など全国合計で十五社もあり、これら地域分布からは天孫族系の出雲国造族が主に奉斎したことが窺われる。これに関連して、わが国で兵主神を祀る式内社は、近江国野洲郡及び大和国磯城郡など名神大社三社を含め、合計で十九社もあり、うち但馬七社、因幡二社、近江二社、播磨二社、丹波一社などという地域分布に留意される(この辺に着目すると、但馬出石に落ち着いた天日矛一族が、韓地の新羅あたりから当該兵主神をもたらした可能性も考えられる)。
兵主神社の祭神は、いまは大己貴命、素戔嗚神などとされて、特に前者とされることが多い。これは、本来の祭神で鍛冶神たる八千矛神が、大穴持命に通じる大己貴命と混同され、出雲に兵主神の神社分布が多い事情に因るものか。八千矛神という神は、『書紀』には見えず、『古事記』で高志の沼川比売の求婚譚などに見えて、大国主神の別名として扱われる。同神の子には、「御井神」も見える。御井神は木伺神ともいわれ、多くの樹種をもって天降り、広く大八洲に播種したと伝える五十猛神の縁者というのがふさわしい。滋賀県蒲生郡日野町の八千鉾神社は、大屋彦神(五十猛神のこと)を祭神とする。銅矛・銅戈や銅剣は分布が北九州に多くあり、銅矛の出雲出土はあまり多くないので(最多出土の荒神谷遣跡でも、銅矛十六本に対し、銅剣が三五八本の多数で出土)その意味でも出雲の大国主神が八千矛神とされるのにはしっくりこない。
八千矛神とは、実はイタテ神(伊太弓、伊達、射楯こと五十猛神)のこととみられる(その場合、御井神とは高魂命〔高木神〕のことか)。銅矛・銅戈の出土が肥前唐津辺りに多く、銅剣も含めて銅製武器が北九州に多く出て、これが「銅剣銅矛分布圏」という把握もある。日本列島では、弥生Ⅰ期に朝鮮半島から銅矛が到来し、鉄矛は同Ⅲ期に出現して古墳時代中期以降盛行した(『日本考古学事典』)、とされるから、鉄矛も併せ持って渡来したのが天孫族か。天孫族の広い範囲に入るとみられるのが、新羅からの渡来を伝える天日矛(天日槍)である。唐津市の宇木汲田遺跡からは多数の銅剣・銅矛や多鈕細文鏡などが出土しており、天孫族の足跡を示すものか。
イタテの神は新羅系の韓鍛治の奉祀した神だと窺えると、真弓常忠氏は指摘する(『古代の鉄と神々』)。中国の原型である「兵主神」が額に角を持ち鉄を食べる蚩尤(上記)とされており、わが国で同神にも比定される五十猛神が角凝魂命(「角+鉄塊の意味の凝」)という別名をもつのも肯ける。吉野裕氏は、『風土記』の研究などから、早くに『風士記世界と鉄王神話』(一九七二年刊)や『素尊鉄神論序説』(一九七三年刊)を著し、スサノヲが鉄神だとみた。この鉄神性を同神に認める見解が多い。
端的にいえば、複雑な性格ゆえにスサノヲ神(素戔嗚神)の位置づけが難解であり、たいへん重要なのである。これが、記紀にイザナギ・イザナミニ神の子で、皇祖神たる太陽神・天照大神の「弟」とされたり、大己貴命の祖先とされたりと様々に混同が生じた(実際、記紀で天照大神と争った「戦った」という意味をもつ「スサノヲ」は、大己貴など海神族系の祖という性格では、別神としたほうがよい。現実の出雲と、実体が葦原中国〔筑前海岸部の那珂川波域〕たる記紀神話の「出雲」とを、八世紀段階の記紀の編者たちは混同したことなどに因る。
人皇ノ鼻祖という鈴木真年の指摘
一般には、記紀神話の影響で、スサノヲ神の子ないし子孫(六世孫『姓氏録』ないし七世孫)が大己貴命(大国主神)で、いわゆる「出雲族」(あるいは海神族)の祖神がスサノヲ神と受けとられている。
しかし、大己貴命は海神族の系統の祖神であるが、そうであっても、スサノラヲ神とは男系血筋でのつながりがなく(スサノヲ神後裔の女性を妻の一人としたことは考えられるが)、両神が血統一系というのは原型・実態とは異なる(両神の血縁関係を否定する先学の見解はかなりある。例えば、瀧音能之・藤岡大拙氏など。スサノヲの子に「八千矛神」がおり(五十猛神のことか)、兵主神社で該られるが、これが大己貴命と混同された結果、スサノヲの子ともされたものか)。ともあれ、「出雲神族」という概念は紛らわしく、使用には留意される。
スサノヲによる八俣大蛇(八岐大蛇)の退治の伝承も、竜蛇信仰をもつ種族のトーテム獣を退治したのだから、海神族の祖神であるはずがない。もっとも「八俣大蛇=九頭竜」という見方もあるようである(ギリシャ神話に出る竜迷体の巨大怪物ヒュドラーも九つの首をもつ)。これが、『古事記』では「高志之八俣遠呂智」と表記されるが、「高志」が越すなわち北陸地方とまでは、スサノヲの活動地域から読みとれない。ともあれ、皇威に抗う荒神(荒ぶる水神)の象徴として大蛇がでてくることになる。
この伝承も、同神が居て活動したのが北九州だとしたら、竜蛇信仰をもつ種族・国々(海神族系種族の国、主に奴国か)の退治・平定を意味したのだろう.スサノヲについて、韓地から渡来の鉄器鍛冶集団が信奉する神という説はかなりある。火山の神という見方もあるが、これは火に関わる鍛治神の祖神、竃の神からの転訛の可能性もあろう。
明治期の国学者で系図研究者の鈴木真年は、その著書『日本事物原始』や『古事記正義』で、この神について概ね次のような主旨で記している。
「素戔鳥命トハ人皇ノ鼻祖二坐シテ、二神ノ真名子タリ。故二、天神此葦原中洲ヲ賜テ、国土ツ開闢セシム」(適宜、句読点を付した)と切り出し、高天原から天降って新羅の牛頭方(楽浪郡のうちの地)に至り、伊太氐命(亦名を五十猛命、大屋毘古命、伊太祁曽命、神平多命)・速須勢理比売を生み、その後、太白山(平安北道寧辺の妙香山に比定。平壌の東北方)の下に至り檀木の下に互市(陸上での交易)するなど人事や社会運営を教え、これを国人が追末して檀君という。また神櫛玉命(亦名を櫛御気野神、気津御子神。すなわち、熊野大神)ともいう。
その子の伊太氐命を率いて東海に入り、多くの樹木種ををもって出雲国に着き、須賀の地に宮居したが、伊太氐命は妹と協力して樹木の種を各地に分布した。素戔鳥命の子の天忍穂耳命を、天照大神は子として養って天子の位につけた。」(ここで天忍穂耳命を「子」とするのは、天安川の河原における天照大神との伝承から、スサノヲの実子と考えたものか。ただ、この見方には疑問あり、実際にはスサノヲの子孫となろう。後述)
こうした真年の把握には疑問な点もいくつかあるが、スサノヲ神がわが国の「人皇ノ鼻祖」だという基本は妥当な線だとみられる。天照大神が男神だという性格(夫婿が知られずに子孫を残す女性が古代大族の祖先系図にはまったく現れない事情もある)や忌部氏の上古系図等を参考にして、これら記紀の記事を総合的に考え併せる必要がある。そうすると、韓地から日本列島に渡来してきた、わが国天孫族の始祖(天照大神の更なる違い祖先)こそがスサノヲ神であって、五十猛神とも同神(ないしその父神)だとみるのが適当となる。朝鮮の始祖とされる「檀君」(後述するが、後世の造作神となろう)とほぼ同種の性格をもつ神という程度は認めて良い。
十世紀後葉の北宋に、日本の東大寺の僧・奝然らが雍熙元年(九八四)にやって来て、銅器や『王年代紀』などを献上したが、天御中主を初代とする皇統譜には、第十八代に素戔鳥尊(その前代が伊奘諾尊)、第十九代に天照大神尊、第二四代目に神武天皇の名前が記される(『宋史』日本伝)。平安中期の円融天皇治世のときに存在した『王年代紀』が何に基づくかは不明だが、天照大神の先代に素戔鳥尊があげられることに留意される。
スサノヲがスガの地に居たという上記伝承からか、全国の須賀神社はスサノヲを祭神とする例が多い。同社は、牛頭天王・須佐之男命を祭神とする祇園信仰の神社で、全国に広く存在し、島根県・高知県に特に多い。これら須賀神社の多くは、明治の神仏分離まで「牛頭天王社」「天王社」と称していた。牛頭天王は、播磨の広峯神社などでも祀られるが、同社は天孫族の針間国造の領域にあって、同じく凡河内国造一族が長く奉祀した。
なお、素戔嗚命の実体について、卑弥呼と対立関係にあった「狗奴国王」を考える説もあるが、これは根拠に乏しい想像論である(狗奴国の性格・習俗についての誤解が基礎にある)。また、習俗・祭祀やトーテムが異なる大国主神(海神族系氏族の祖)の父祖でもない。
八幡神の実体
豊前の宇佐八幡でも、祭神たる八幡神の実体が五十猛神だとみられる。応神天皇家や宇佐国造など天孫族の一派の実際の遠祖として、八幡神が考えられる。字佐国造は、高魂尊の裔孫の宇佐都彦(菟狭津彦)を国造初祖とするが、高魂尊の先が五十猛神とみられる。
弘仁五年(八一四)の太政官符や『宇佐託宣集』等に拠ると、字佐郡の小倉山の麓に八つの頭が一つの身体についた奇異な風体をもつ鍛冶翁がおり、金色の鷹となって示現し、その姿を見ようと近づく者の半数が死亡したが、神官(辛島勝乙目とするのが原型か)の祈持に応じて三歳児童の姿で八幡神が出現し、「我は始め辛国に八流の幡となって天降り、日本の神となって一切衆生を度する釈迦菩薩の化身なり」と託宣したという。こうした伝承などから、八幡神はもともと鍛冶神とする見方も古くからある(柳田国男氏ほか)。
後世では八幡大神にも擬せられる応神天皇は、実際の系譜は宇佐国造一族の支流の流れをひく鍛冶部族の息長氏に出ており、遠祖は神武に始まる王統と同じで、高魂命であった。金色の鷹は、金鵄や八咫烏にも通じる天孫族のトーテムである。
素盞嗚神という神は、海神族たる大己貴神(大国主神)の父祖としても伝えるが(記紀ともに見えるが、『古事記』のほうに多く伝える傾向)、その一方、熊野大神として、天孫族系統の物部連や鳥取部によって祖神として広く奉斎された。これら氏族の祖たる天津彦根命(天若日子)やその兄弟神は、素盞嗚神と天照大神との天安河原の誓約の際に息吹きのなかから誕生したと神話に伝える。
こうした両様の複雑な性格をもつ素盞嗚神は、本来は性格ごとに別々の人格神かとも考えるのがよいかもしれない。そのなかでも、最も主なものとしてはわが国天孫族の祖となる(こうした見方は、私の氏族研究の結論的な部分だけを記したので、分かり難いかもしれないが、紙数制約や論旨展開上の見地から、本書ではこのくらいに止める。以上の記述に関連して、本シリーズの『息長氏』『三輪氏」』などをご参照)。
天孫族の祖系と祭祀
現存の天孫族系統の系図では、天照大神より先へ遡る神統譜を記すものは少ないが、『姓氏録』では若干は記事が遺る。それが、角凝魂命を遠祖とする系譜をもつ諸氏(鳥取連・鳥取、委文連・宿祢〔倭文連・宿祢〕、竹原、美努連、税部〔鴨県主一族〕や額田部宿祢〔物部氏同族〕、雄儀連などで、殆どが少彦名神の流れ)である。
角凝魂命を祀る神社は全国で少ないが、鳥取連が奉斎した和泉国日根郡の式内社、波太神社(大阪府阪南市石田に鎮座。もと桑畑村、東鳥取村で、同国神名帳に従五位上波太岐社と記載。府社)の祭神として鳥取連の祖・天湯河板挙が垂仁朝に祖神を創祀したと伝える。波多の地名は肥前国松浦郡にもあり、当地に波多八幡神社(佐賀県唐津市北波多稗田で、宇木汲田遺跡の西南近隣)が鎮座する。「波多」は秦韓・辰韓に通じるものか。
忌部氏の系図(「斉部宿祢本系帳」」や「宮中八神」などを基礎にして、始祖の五十猛神以降の初期段階の歴代を整理、推定してみると、概ね次のようになる(第1図)。ただ、妻神(后神)は難解であり、推定の度合いが大きい。
各々の遠祖神が異なる複数の神名をもつことに留意されるが、天照大神は「斉部宿祢本系帳」では「天庭立命」として表記される(この名に近い「天壁立命」も天背男命の父神で左京神別の宮部造の祖とされるから同神となる)。
この神は、大阪市天王寺区の生国魂神社(東生郡の難波坐生国咲国魂神社)で奉音される神であるこれが、信濃国小県郡では名神大社の生島足島神社(長野県上田市下之郷)でも祀られて、その祭神が大八嶋を統べる「生島神・足島神」とされる。摂津国川辺都(兵庫県尼崎市栗山町)の生島神社では、生島神・足島神、天照大神、須佐男神、八幡大神、伊邪那岐・伊邪那美神をいま祀る(祭神の名に重複がある)。
この生島神・足島神は、天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀ともみられる八十島祭の主神とされる(この祭は、文献初見が文徳天皇の即位時の嘉祥三年〔八五○〕九月で、鎌倉前期まで廿二回確認されると言うが、由来は上古に溯るのだろう)。『延喜式』神名帳には、宮中八神殿で御巫祭神八座のなかで生産日神・足産日神(『古語拾遺』では生産霊・足産霊)として祀られ、神祇官に坐しては生島巫祭神二座として生島神・足島神があげられる。両名は併せて夫婦神(その場合、足島神のほうは妻神か)とみられ、男神は伊久魂命とも天活玉命ともいわれる。天照大神という名では、『延喜式』神名帳では宮中坐神三六座のなかに見えないし、『姓氏録』にも諸氏族の祖先として見えないことに留意される。なお、天活玉命を祀る神社は少ないが、越中の高瀬神社(富山県南砺市高瀬。同社は五十猛神も合祀)や讃岐の大麻神社(寒川郡の大蓑彦神社。香川県善通寺市大麻町)という式内社があげられる。
『書紀』には生申の乱の時(天武天皇元年〔六七二〕七月廿三日条)に生島神が見える。そこでは、高市社に坐す事代主神と牟狭社に坐す生霊神が神憑りして、神日本磐余彦天皇之陵(神武陵で、『書紀』にいう畝傍山東北陵か)に馬と種々の兵器を奉納すれば、両神が天武軍の前後に立って守護すると告げたが、この生霊神が生島神(生国魂神)に当たる。いま畝傍山の東北の裾、橿原市大久保町域(旧洞村)にある神武陵旧跡と伝える地の近隣には、生玉神社が鎮座する。
『古事記』には「天津国玉神」とも表記されるが、これは、天若日子(天稚彦。天照大神の子で別名が天津彦根命、天背男命、天湯河桁命であり、出雲国造や物部氏など鍛冶部族や鳥取部等の祖)が大国主神のもと(葦原中国)に派遣された事件に関連して見える。
その父神が高皇産霊尊であり、上記の宮中八神殿で祀られる高御産日神にあたる。この神のときころに筑後川流域に至って定着したとみられる。この神を天孫降臨の指揮者として皇祖神のはじめに置く見方が学究には多いようだが、上記系図に見るように更に父祖の神々を伝えることに多意される。
「宮中八神」の意義
ここまでに宮中八神にも触れてきたが、『延喜式』神名帳の冒頭に掲げる「宮中八神」には十分留意される。
すなわち、宮中神として大社三十座小社六座があり、そのうちの筆頭に「御巫等祭神八座」並大、月次新嘗とある神々で、①神産日神、②高御産日神、⑤玉積日神(玉積産日神)、④生産日神、⑤足産日神、⑥大宮売神、⑦御食津神、⑧事代主神、の八神があげられる。さらに、「座摩巫祭神五座」並大、月次新嘗として生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神の五神、「御門巫祭神八座」並大、月次新嘗として、櫛石窓神と豊石窓神が四面門各一座、「生嶋巫祭神二座」並大、月次新嘗として並大の生嶋神、足嶋神の二神があり(ここまでが「神祇宮西院坐御巫等祭神」とされて、合計が二三神)、更に、「宮内省坐神三座」並名神大、月次新嘗として薗神社、韓神社二座、「造酒司生神」大四座、並大、月次新嘗として大宮売神社四座が掲載される。
「宮中八神」の次ぎにあげれる神々は、御門神(八座)を除くと、おそらく八神の異名・異称で重複するものだろう(ただ、座摩巫が祭る五神は、「大宮地を守り坐す霊神」とされるが、その実体は難解・不明。五神はみな始祖神関係の異名かもしれず、「生井、福井、綱長井」で三井・御井、「波比祇、阿須波」が五十猛神に通じるか)。そして、その皇統譜のなかで大祖先神としての位置づけにあった神々ではなかろうか。具体的には、天照大神夫妻を含めそれ以前の三代の夫妻神とみられる。上記の「第1図天孫族の初期段階の系譜」は、こうした見方のうえで推定記載をした。
注意すべきは、最も重要な天照大神にあたる神の名が二つ(玉積産日神、生産日神)あり、対偶を持たない「事代主神」があって、合計で「八神」となっている点である。天孫族系統では、「八」という神聖数をもっていた。
さて、ここの「事代主神」の実体は何だったのだろうか。抽象神としての意味は、「神憑りして神託をくだす神」であり(松前健、佐伯有清などの諸氏)、特定の固有名詞とされる必要はない。ところが、この神は、一般には地祇(国津神)・三輪氏族の祖で、神武天皇の皇后の父神が指される。これは、後代の諸天皇の母系祖神として理解が出来ないわけでもないが、それならば、天照大神の邊遥か後代の神であって、宮中祭祀のバランスを欠く。
そこで、「姓氏録』を見ると、天神としての「天事代主命」(天辞代主命、天辞代主命)が存在したとわかる。この神を祖神とするのが、左京神別の畝尾連、右京神別の伊与部、大和神別の飛鳥直の三氏であり、これら諸氏の系譜を考えると、みな中臣連一族の初期分岐となる(伊与部条には高媚牟須比命の三世孫と記載も、これは疑問)。畝尾連の一族は和泉神別にもあげられ、そこでは「大中臣朝臣同祖。天児屋命之後也」と記載がある。しかも、高市郡明日香村に鎮座の飛鳥坐神社(並名神大)では、事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日女神を祭神とする。すなわち、天事代主命とは中臣氏の大祖神(天孫降臨痔の天児屋根命の父祖神か)の位置づけということになるが、そうすると、天照大神も含め、この神から遡って三世代の夫神の誰かの舅神で、天孫族系統の母系の祖として特掲された可能性があり、この場合には「宮中八神」に所掲の神々の活動年代とも符合するものとなろう(現在の当該飛鳥神社の祭祀では、転訛された影響で、有名な三輪の事代主神と混同されている)。
なお、{宮中八神」のなかに、元は「倭大国魂神」(実体は九州所在の大己貴神)も含まれていたとみる見解(若井敏明氏『「神話」から読み直す古代天皇史』)には反対である。天照大神以前の上古歴代の舅神の位置にはいないからであって、『書紀』崇神天皇大年条の記事には疑問がある。不祭祀のイザナギ・イザナミの諾冊二神も、実体をもつ神ではなかった。
韓国イタテ神の列島渡来
『延喜式』神名帳のはじめに、宮中で祀られる神々が「宮中坐神三十六座」としてあげられる。そのなかに宮内省に坐す神の三座(並名神大)があって、薗神(園神)の社と韓神の社の二座がある。この「韓神」こそ韓(伽耶)から渡来した五十猛神を指す。ちなみに、御巫等祭神の八座にあげる神産日神も大始祖たる五十猛神にあたるとみられ、五十猛神の妻神の御食津神(御膳神)も同八座のなかに見える。この女神は豊受大神でもあり、食物主宰の倉稲魂神(稲荷神)で保食神なのだから、薗神にあたるとみるのが自然である。織物と酒造を司る女神、大宮売神にも当たりそうな可能性もあるが、それを留保しつつ、この関係では別神としておいた(関連して言うと、丹波国多紀郡式内社の大売神社【兵庫県篠山市寺内]は、大宮売神を祀るが、「オーヒルメ」神社と読まれている。大宮売がアメノウズメの別名だとする平田篤胤説や、これに通じる『古語拾遺』の記事は誤りとみられる)。
かつて、黒板勝美博士は、天照大神より前の神々が皇室の祖先として奉斎されていないとの理由で、それらの実在性は認めがたいと考えた。しかし、上記のように現実に別の神名で宮中で永く奉斎されてきた。出雲でも、神産日神も神魂神社の名で、意宇郡六社の一としてあり(松江市大庭町)、出雲国造が長く奉仕した。同社は神火相続の神事で知られる。
「園韓神」には一に大己貴神・少彦名神・大物主神をあてる説もあり、平安京遷都以前に京の地を支配したのが渡来系の秦氏だとして、園神・韓神は元々は秦氏が奉斎した神とみる説(水谷千秋氏)もあるが、ともに論拠薄弱である。
園韓神社は宮中では唯一の名神大社であり、応仁の乱頃までの宮殿の宮内省に鎮座した。この神格・鎮座地からみても、秦氏にふさわしいとはとても言えない。例祭は園韓神祭といわれ、『江家次第』では神部四人が榊・桙・弓・剣を持って神楽を舞ったと見え、『百錬抄』では大治二年(一一二七)の大内裏火災で園韓神の御正体を取り出そうとした折に神宝として剣・桙があったと見える。帝王鎮護の神という役割や、皇祖神の系統からみても、これは始祖神の五十猛神夫妻とするのが妥当であろう。もとからこの地にあって平安遷都に伴い遷座させようとしたら、帝王を護りたいという託宣が韓神からあったとも伝える(本来は鴨県主奉斎か)。
御食津神はオオゲツヒメ(保食神)でもあり、穀物神(稲倉魂命)でもあった。五十猛神は大屋毘古神とも呼ばれ、一緒に植樹につとめた妹・大屋毘売(大屋津姫)は、名前の対応から考えて、「妹」とは実際には「妻」の意であろう。紀州にはこの女神を祀る神社もある(和歌山市字田森に鎮座の大屋都姫神社など)。この妻神は白山信仰の菊理媛命にも通じ、水神の罔象女神であり、多様な神格と名をもつ。八幡大神の妻神たる比売大神でもあって、宇佐八幡宮で祀られる。水神が竜神に通じ、仏教での同種の弁財天にも通じる祭祀もある。
筑後国御井郡や豊前国田川郡(豊比咩命神社という名で、いま香春神社に合祀)など各地の「豊比咩神社」の祭神であって(神武天皇の祖母とされる「豊玉姫」ではないし、「神功皇后の妹」のことでもない)、伊勢神宮外宮の豊受大神にあたる。香春の豊比咩神が宇佐の比売大神に相当すると岡谷公二氏も指摘する(上掲書)。豊比咩(豊姫)については、高良神の妻神という見方もあり、この辺の可能性を留保しつつ、比売大神という見方で一応、考えたい。
比売大神については宗像三女神説(宇佐神宮・石清水八幡宮の立場か)もあるが、大分県杵築市の奈多宮では、沖合の市杵島(または厳島)と呼ぶ岩礁に比売大神が降臨したと伝えるから、主祭神八幡神(=五十猛神)の后神で、端的に市杵島姫神と考えたほうがよい(その系譜は不明だが、天照大神の娘のはずはなく、海神族的な色彩があるものの、幹地から共に渡来したか、既に北九州にあった種族の出かは判じがたい)。
この女神は、水神の性格からは淀姫(興止姫神、世田姫)にもあたる。肥前国一宮たる佐嘉郡の與止日女神社(河上社。佐賀市大和町川上)、予賀神社なども含め、肥前中心に二十数社の多くで祀られ、とくに佐賀県の嘉瀬川流域に六社もあって祭祀が集中する。夫神・五十猛神と同様、石神の性格ももつ(脊振山に鎮座の脊振神社は、弁財天社ということで本地垂迹で市杵島姫を祀るが、この神にもあたる〔瀬織津姫や蛇神の宇賀神にもあたる〕。山城国乙訓郡の式内社、与杼神社〔京都市伏見区淀〕でも写る。安芸宮島の上厳島神社〔伊都岐島神社〕や近江の竹生島神社〔浅井郡式内社の都久夫須麻神社〕、相模江ノ島でも、市杵島姫【弁財天】を祀り、竹生島では、併せ宇賀神・浅井姫・龍神も祀る。淀姫が、一に「八幡大神の叔母、神功皇后の妹」とされるのは訛伝)。
唐津市呼子の加部島(別名が姫島)の宮崎鼻に鎮座する田島神社(松浦郡の式内名神大社の田島内神社)は、肥前最古といわれ唯ーの大社とされる。本殿の裏には磐境(祭場)とみられる地があり、立った三個の巨石や二個の平石、太閤祈念石と呼ばれる巨石もある。
加部島は、韓地・大陸への交通を考えると「道主貴(ちぬしのむち)」の鎮座地にふさわしく、市杵島姫を含む宗像三女神が礼られる(神名帳には「一座」と表記)。そうすると、韓地釜山(ないし対馬)辺りから筑前大島・沖ノ島を通る海路が「海北道中」と一般に解されるが(「海北」=は朝鮮半島を指す)、当該経路は、倭韓間の海上交通における当初のメインルート「壱岐・対馬を経由の線」だとみる田中卓博士の見方のほうが正しいものか。宗像大社では、九州本土の宗像市田島の地に辺津宮(総社)として現在、市杵島姫を祀る(『古事記』では、市杵島姫は中津宮、辺津宮鎮座は田寸津比売と記す)。
道主貴は、『書紀』(巻一第六段の一書第三)に「筑紫の水沼君等が祭る神」と見えており、水沼君(水沼県主)は佐賀君(佐喜県主)と同様、火国造同族とみられるから、これら諸氏の祖神でもあろう。『旧事本紀』天皇本紀には景行天皇の皇子のなかに武国表別命をあげ、筑紫水間君の祖と記される(同人は、「円珍俗姓系図」に讃岐の和気公・因岐首の始祖とされ、九州の阿蘇君・火君らの祖とみられる。『書紀』景行段に見える水沼別の始祖・国乳別皇子かその近親にあたる。同書の記事では、「弟の豊戸別皇子。是火国別之始祖世」と続ける)。
水沼君氏一族は、筑後国三潴郡の豪族で、久留米市西南部の大善寺町にある大古墳、御塚(全長約一二〇詩という帆立貝式古墳。中期古墳か)及びその北隣の権現塚(外径が全長約一五〇計かともいう。後期古墳か)の築造者とみられている。東北方近隣の同市高良内町には、これらに先立つ石櫃山古墳(全長が百計超【最大で一一五潮というで、境輪式を出土)もあったが、消滅した。久留米市北野町赤司に鎮座の赤司八幡宮(御井郡惣廟を称)がもと豊比咩神社といわれ、與止比咩命・高良大神や道主貴(三女神)、すなわち宗像三女神が祭神で、祠官家が水沼君氏との伝え(境内碑文)もあるが、領域からやや離れる感もある。
「韓」を冠する五十猛神
延喜式の神名帳には全国各地の官祭に関わる多くの古社があげられるが、そのなかで「韓」が頭につけられる神は五十猛神のみである。多くの樹木の種を持って大八洲に植えたと伝えて、紀伊国をはじめ各地で多く祀られる。わが国では伊達神(射楯神)とか韓国伊太神、伊太祁曽神ともいわれて、延喜式内社の奉斎神としてはかなり多くあり、全国で十五社を数え��。
とくに、出雲には最多で合計六社もある。それが意宇郡・出雲郡に集中するが、意宇郡では玉作湯社や揖夜社に付属して鎮座する。これらは出雲国造一族の奉斎に係るものか。そして、これら出雲国内の六社が全て、韓国伊太氐神と記されて、式内社では類例の少ない「韓国(辛国)」が冠として付けられる。当地の曽枳能夜神社境内の韓国伊太氐夫神社(島根県出雲市斐川町神水)揖夜神社境内の韓国伊太氐神社(同県松江市東出雲町揖屋)など、韓国伊太所神社が出雲国の九郡中で意宇郡と出雲郡とに三社ずつ見られる(出雲国意宇郡の条に、①玉作湯神社、②揖夜神社、③佐久多神社に「同社坐韓国伊太氐神社��があり、西側の出雲郡条にあっても、「同社(神)韓国伊太氐神社」としての阿須伎神社、⑤出雲神社、⑯曽枳能夜神社が同様)。
このほかの式内社では、薩摩国曽於郡の韓国宇豆峯神社(鹿児島県霧島市国分上井)も、五十猛神(又の名を韓神曽保里神)を祀る。ここでも、とくに「韓国」を冠した神社の名前になっていることに留意される。これらの事情も、ての神の韓国からの渡来を示唆する(千家俊信『出雲式社考』にほぼ同旨)。出雲の西隣、石見国では現大田市五十猛町に近隣して韓神新羅神社・五十猛神社の両社が鎮座する。
この朝神新羅神社、出雲国出雲郡の韓竈神社(産銅遺跡のなかに鎮座)や安芸国御調郡の賀羅加波神社のほうは、素戔鳴命を屯るというが、五十猛同神か。
五十猛神については、記紀に見えるのは上記の一箇所だけであるが、イタテ神としては、『播磨国風土記』餝磨郡の因達里(姫路市街地の北部)の条に伊太氐之神が見える。因達里の伝承が、神功皇后が韓地征討で渡海する際、先導神としてその御船の上に鎮座したのがこの神である、という内容なのだから、「韓国」を冠しないイタテ神の場合にも韓国との関係がみられると石塚俊氏は指摘する。これが、餝磨郡式内の射楯兵主神社(姫路市本町に鎮座)である。イタテ神が神功皇后の先祖・天日矛にも通じるとしたら、祖神たちの加護を受けてその祖国の韓土に進攻したことになる。関連して、九世紀後半の貞観期当時の対新羅関係の悪化という背景のなかで、日本を新羅から守る目的で韓国伊太氐諸社が建立されたという説(瀧音能之氏)は疑問が大きく、この神の祭礼の由来は更に古かった。
伝承では、イタテ神は韓地の新羅から直接渡海し、日本列島に着いて出役に入り、そこから紀伊に遷ったようにうけとられる。出雲・紀伊には関係社が多くあり、出雲の西隣の石見国安濃郡にも、現・大田市五十猛町に五十猛神社と韓神新羅神社がある。五十猛命の降臨地としては、奥出雲、出雲国仁多郡の鳥上峰(船通山、鳥髪山)という伝承もある。これも、天孫族関係者が高山に天降りするという所伝の一環である。
九州の太宰府付近にも鳥髪山に相当するような山(例えば基山〔後述」」とか砥上岳(遠賀川源流地)がある。一方、対馬、壱岐を経由して九州の有明湾岸に上陸とも伝えるから、多くの関係請社や遺跡などの分布を具体的に見ると、やはり韓地→対馬→筑紫という地理的に自然な経路をとったとみられる。そこで、次ぎに北九州の分布を見てみる。
九州の五十猛神
対馬では、対馬島の北端で河内湾に臨む地に鎮座する岩立神社(岩楯神社ともいう。対馬市上対馬町大字河内)がまずあげられる。素戔嗚尊が韓土よりお帰り(到来か?)の時に、この浦に船を寄せたと伝える。元来、本社は岩楯の地に在って神籠磐境だといい、社殿がなく森の中に磐石があって、これを神位とする。
同名社では、備前国和気郡にも、磐梨別君氏(垂仁天皇後裔と称するが、実際には息長氏の一支流の和気氏)の奉斎とみられる同名の石立神社(現・備前市麻宇那)があり、社殿の下に大磐石があって、岩石崇拝に創まるとされる(『神道大辞典』)。姫大神も祀られ、近隣の北側対岸には祇園神社・磐井神社、稲荷神社や荒神社もある。石立神社の南方の備前市域、日生には高良八幡もあって、その社叢もウバメガシが占める海岸林で知られる。対馬の那祖師神社(対馬市上対馬町豊。島大国魂神社も合祀)など数社も、五十猛神を祭祀する。
大和にも同名社が添上郡式内社であり、「天乃石立神社」と記載される。現社名を天石立神社(戸磐明神)といい、奈良市柳生谷、戸岩山の北麓(奈良市柳生町の岩戸谷)にあって、本殿をもたず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとる。四つの巨石の総体が天石立神社と呼ばれるが、なかでも中心の丸い巨岩(きんちゃく岩と呼ぶ)が日向神社で、これが天照大神を祀り、他の三つは門神(豊磐門戸命、櫛磐門戸命)と天岩戸別命に当てられる。地域的に考えると、同社は磐梨別君同族の山辺県主一族が祭礼に関与したものか。
北九州の五十猛神祭礼では、筑前国御笠郡の筑紫神社(福岡県筑紫野市原田)や同国早良郡の五十猛神社(同県福岡市西区金武)が著名である。前者では、筑前・筑後・肥前の交通要衝に、筑紫の国魂たる筑紫大明神として祀られる。その別名の白日別神は、太陽神にも「日向」になも通じる。早良郡の西職りの怡土・志摩両郡(現・糸島市域)にも、五十猛神を写る神社が多い。王丸の白木神社前原の酒神社、草場や西浦の白木神社などがそれであり、潤神社も含め、その旧名が「白木神社」とするものも多い。これらの白木神社の群や、密集する白木の地名は新羅に因むといい、朝鮮半島由来の遣跡や伝承に彩られる。
肥前では、基山を神体山とする荒穂神社(佐賀県三養基郡基山町宮浦)がある。筑紫神社の後背地にあたる基肄郡の基山山頂には五十猛神が祀られ、玉々石という巨石の磐座や五十猛神伝承による「日本植林発祥之地」という石碑がある。同名社は、基山の別宮として、遠賀川上流域の福岡県嘉麻市牛隈(旧・嘉穂郡)にもあるが、祭神がニニギの尊で、元宮が馬見神社という。
『筑後国風土記』逸文には、荒ぶる「麁猛神」が筑前と筑後の境界に居て、往来の人々の半数を殺すので、筑紫君等の祖・甕依姫を祝にして祀ったと見え、麓の荒穂神社で祀られる。この実体が五十猛神とみられる。この地に朝鮮式山城の基肄城が築かれ、瓊瓊杵命が基山で国見をしたとの社伝もある。アラは伽耶の安羅(慶尚南道の咸安あたり)にも通じるし、「基肄」は紀伊国造の紀直氏や武内宿祢後裔と称した紀臣氏の「キ」にも通じる。杵島郡の稲佐神社・妻山神社(ともに同県杵島郡白石町域)なども、五十猛神やその眷属神の祭祀で知られる。
日本列島に杉などの樹種をもたらしたことで、各地の紀伊神社や杉山神社の祭神とされることも多い。とくに武蔵南部(旧都筑・橘樹両郡や横浜市港北区域)には、五十猛神を祭神とする杉山神社の分布が多い。これは、五十猛神を奉じた人々・部族がこの地域の開拓を進めたことに因るものであろう。
九州に戻って、五島列島、福江島の北部に位置する五島市(前・南松浦郡)岐宿町岐宿に巖立神社(岩立三所大権現)があり、社叢は椎の大木やナタオレの木などの原生林として長崎県文化財に指定される。対馬のイワタテ同名社に通じ、ここでは宗像三女神等を礼るが、本来は市杵島姫を祀るものか。長崎市香焼町の岩立神社では、境内に樹齢推定二百年という古木のエノキ(市指定天然記念物)がある。
岩立神社について言えば、このほか、出雲の東隣の伯耆西部にも同名社があり(祭神はいま大山祇命とされるが、疑問)、大山中腹の鳥取県西伯郡伯耆町岩立に鎮座する。ここでも、樹齢推定二百年、という樅・杉・銀杏の巨樹群が社を深く覆うことで有名で、裏山には「岩滝さん」と呼ばれる古くから信仰の対象とされた巨石があり、周辺に岩立古墳群もある。近隣の金持神社(同県日野郡日野町)や石見の物部神社別天神(島根県大田市川合町)などに祀られるのが、天之常立神である。この神は天地開闢の際に、別天津神五柱の最後に現れた神で、天(高天原)そのものの神格化ともされるから、具体的には五十猛神を指すのかもしれない。国常立神は、国土守護神ともされる。
これら五十猛神と眷属神を祀る神社や関連遺跡は、北九州では天山を含む背振山地の周囲に濃密に点在する。天山は、同山地の西部側、佐賀県のほぼ中央部に位置し、唐津・小城・佐賀・多久の各市に史る。その標高一〇四六㍍は、同山地東部の最高峰、脊振山(標高一〇五五㍍)に次ぐ。
この辺の事情を踏まえ、天孫族の様々な特徴を次ぎに見ていくことにしたい。
鳥トーテミズム
天皇家・天孫族には、鳥トーテミズムや、始祖の卵生伝承らしきものなど、鳥にまつわるものが多くある。古くは「天の鳥船」や「八咫烏の先導」の伝承があり、倭建命の霊魂が白鳥となって飛び去ったという白鳥伝承も代表的であって、その墓の候補のいくつかには「白鳥陵」という命名がある。
河内の古市古墳群にある津堂城山古墳は、前期末頃の巨大古墳で、倭建命の陵墓に擬される。すくなくとも、当時の大王一族関係者の陵墓とみられており、辺十七㍍の方墳状の特殊な施設には、巨大な水鳥形埴輪三体が配されている。この水鳥はおそらく白鳥ではなかろうか。烏型の埴輪は全国的に分布するが、応神天皇陵に比定される誉田山古墳や継体天皇供の可能性が大きい今城塚古墳でも見られ、これらに先行する。古墳の周濠から鳥形木製品が出土した例もあり、天上と地上を結ぶ聖なる動物という意味以上に、こ��した鳥トーテミズムが大王一族にあったから祭祀に使われたものだとみられる(鳥形木製品や鳥装シャーマンは弥生時代から見られるが、穀霊信仰の現れとするのは疑問か)。中国の長江中・下流域にあった河姆渡文化期には鳥と太陽が象徴化されるとの指摘もある。
こうした鳥トーテミズムは、同族の息長氏から出た応神王統にあっても同様である。『記・紀』などに見える大雀・隼・雌鳥・鷺などを名にもつ応神・仁徳近親の王族も、鳥トーテミズムの現れであろう。この系統の遠祖、少彦名神は鳥の神様ともいえ、天日鷺翔矢命の名ももつ鳥取部造の祖神でもあった。
応神天皇自体が、宇佐八幡の伝承に、金色の鷹が金色の鳩に変じし、さらに小児となって現れて「誉田天皇広幡八幡麻呂」と名乗ったと伝える(『八幡宇佐宮御託宣集』)きも。この金色の鷹は、菱形池のほとりにいた鍛治翁の化身とされる。応神の前身(若い頃)は、垂仁天皇の皇子・ホムチワケ(品遅別、誉津別)として記紀に登場する(「ワケ」の名からして、垂仁の皇子ではありえないが)。ホムチワケは成人してもものを言わなかったが、空をいく白鳥の声を聞いて初めて話をしたので、山辺の大鶙が命をうけ捕らえたとの伝承がある(記紀に多少差異があるが、捕獲者は少彦名神後裔の鳥取部造の祖)。「大鶙」は鷲鷹類の鳥を表す名(通称)であり、これに対応して『書紀』に見える名の「天湯河板挙」とは、実際には祖神の名であって、少彦名神の親・天若日子(天稚彦)の別名とみられる。
全国各地には白鳥神社が多くあり、日本武尊(倭建命)の伝説に因むとするものが多い。これらは、総じて天孫族諸氏の祭祀にかかるとみられる。福岡県にも白鳥の地名や同名社が多く鎮座する。順不同であげると、朝倉市白鳥・柳川市三橋町白鳥・京都郡みやこ町節丸字白鳥など白鳥の地名や、久留米市荒木町白口、田川市猪国、嘉穂郡嘉穂町馬見、八女市黒木町大淵、八女郡矢部村北矢部などに白鳥神社が鎮座する。大分県にも同名社が多い。久留米市白山町や神埼市神崎町城原にある「白角折神社」(前者の地ではシラトリ、後者ではオシトリと訓む)も関係社とみられ、後者には樹齢千年起という楠の巨木がある。
神武の大和侵入に際しては、八咫烏が道案内し、金色に輝く霊鵄(実体は八咫烏同神で、少彦名神後裔によるトーテム表示)が皇弓の筈(弓の弦をかける所)に止まって、抵抗する長髓彦軍の平定に助力したという伝承もあり、天孫の徵表が天羽羽矢であったとも記される(『書紀』)。天日鷲翔矢命(少彦名神の別名)の后裔には、長白羽神(天白羽鳥命)、天羽槌雄神や鴨族諸氏がいる。鍛冶神たる天目一箇命や少彦名神兄弟の父・天若日子(天津彦根命)は、自ら雉を射抜いた「反し矢」によって殺害されたが、その葬儀に際して、川鴈・雀など多くの鳥が役割を担ったと『書紀』に記される(割註では、本文より多くの鳥の名をあげる)。
これは、『春秋左氏伝』の昭公十七年条に見える山東省南部の夷系の国、郯子国の多くの鳥の名を付ける官名に通じるようであり、松本信広氏は、死者の魂を他界に連れていく鳥の観念と関連すると説く。朝鮮半島南部の弁辰(弁韓)でも、死者を天上に飛揚させるため、大鳥の羽根を用いて死者を送るという風習があった(『三国志』魏書弁辰伝)水上静夫氏も、中国の中原東方には郯子国など鳥トーテムをもつ諸氏族があり、殷族がこれらと一群の種族だとみる(『中国古代王朝消滅の謎』ー九九二年刊)。郯子国(郯国)は山東省郯城県(山東半島の基部の南方)の西南境に位置し、春秋時代に魯の属国であったが、東夷族の祖・帝少昊の後とされ、嬴姓の国とされるから、秦・趙や徐、黄、江、李などの国・君と同族である。山東にあった大国・斉は、もとは秦と同じく嬴姓の蒲姑(薄姑。殷代の侯爵国)の領域といい、少昊自体もその別名の「鷙」が手で鷹鷲をしつ執るという意味だとされる。
白川静氏も、金天少昊氏と山東の郯子とは同じ系列に属するとみる。殷は種族的には夷系に属するとし、殷の王朝的規模は、倭の五王期とあまり異なるものではなく、殷墟に残される十三基の地下王陵は、わが国の仁徳、応神の諸陵にほぼ匹敵し、殷が直接支配した地域も、西日本の全域程度のもので、絶対年代の異なることを除けば、両者の条件はきわめて似ている、と指摘する(『中国の神話』)
殷の始祖の舜には、もと太陽神であったらしい形跡があり、アマテラスの信仰と似ているといえよう、とも言う。
中国では、『春秋左氏伝』より更に古い『逸周書』の「王会編」に、鳥トーテムをもつ異族が見える。周王が成周(いまの洛陽)に壇を築いて万国を会集する状況を記述するなかに、森林が密集する山陵地帯の異族が多く奇鳥喘禽を献じており、鳥トーテミズムをもつ秦の出自がこの方面たあると白川静氏も指摘する(上掲書)。これら西方の庄爽は、黄河上流域山陵部の森林密集地帯(上古代の当時。内蒙古のオルドス地方か)のあたりに居たとみられる。
日本では、天若日子は、子の少彦名神を通じて、鳥取部造の遠祖でもあった。鳥の名をもつ人名(神名)も天孫族系統にかなり見られる。先にあげた天日鷲翔矢命の一族のほか、素戔嗚尊自体が須佐能烏命とも書かれる。出雲国造の遠祖・天夷鳥命(天鳥船命、武日照命)の実体が、鍛冶部族の祖・天目一箇命に通じると、別書(『越と出雲の夜明け』)で述べた。同国造の初祖の名は崇神朝の鵜濡渟命と伝える。国造家の遠祖・櫛八玉命(伊佐我命のことで、天夷鳥命の子)は、鵜となって水に潜り、水底で採取した埴土(赤土)で「天八十毘良迦」(多くの平たい土器)を作り、料理人となって大国主神に供膳したと伝えるが(『古事記』の国讓りの段)、その伝承を思わせる名である(すなわち、「鵜が潜く沼」だから、一種の通称か)。
これと同祖の鍛冶部族・三上祝氏一族でも、鳥鳴海命(三上祝の祖)、速都鳥命(穴門国造の祖)、意富鷲意弥命(師長国造の祖)等の鳥の名の人々が見える。長門の穴門国造の系譜は、「国造本紀」には桜井田部連と同祖と見えるくらいだが、鍛冶神天目一箇命の後裔で天孫族たる近江の三上祝の一族であり、代々が式内の住吉坐荒御魂神社(現住吉神社。山口県下関市一の宮)に奉仕した。その由来は、託宣を行って韓地征討に功績のあった住吉三神の荒魂を、践立が神主となって当地の山田邑に祀つた、と『書紀』神功皇后摂政前紀に見える。同社(長門一の宮)及び近隣の忌宮神社(二の宮)では、特殊神事「スホウテー(数方庭)」があり、竹竿の頭に羽根を挿し鈴をつけた道具を用いる風習がある。
北九州でも、吉野ヶ里貴跡を始め弥生時代の出土品には、杆頭にとりつけられる木製の鳥製品が頻出する。このような竹竿は、朝鮮半島の「鳥杆」(鳥竿。杆頭に木製の鳥をつけて寺院の入口等に立てられ、「ソッテ」などとも呼ほれた)や「蘇塗」(大木に鈴鼓を懸けて鬼神を祭祀った)につながる。鳥杆に似たものが、佐賀県神埼郡千代田町の託田西分遺跡でも出ている。こうしたソッテの習俗は、ウラル・アルタイ族に普過的な信仰である北方的祭天儀礼と位置づけられ、シャーマニズム文化に帰属する(萩原秀三郎氏の「稲と鳥と太陽の道」)。
始祖の卵生神話
高句麗の祖・朱蒙(東明王)は、日の光に感精して生まれた卵から成長し、弓の名手であった鶏卵のような精気が天上��ら降りてきて女が妊娠し生まれたとも伝える。こうした所伝は早く、「好太王碑文」等にも見えており、始祖鄒牟(朱蒙のこと)は天帝(ないしその太子の)の子で卵を割って出生したとある。東夷の祖神・帝少昊の子(一に子孫)の揮は初めて弓矢を作り、張姓を賜ったと伝えるが、わが国の鳥取部・弓削部・矢作部を管掌した氏(鳥取連・弓削連・矢作連)は天孫族の出で、いずれも遠祖が少彦名神であった。
『魏書』やっ『隋書』等の高句麗伝では、高句麗の高官や使者は冠に「二本の鳥の羽」を挿すと記されており、これも鳥トーテミズムに関係しよう。「東明編」(高麗の李奎報の叙事詩。一一九四年成立)には夫余の祖・解慕漱(へ・モス)が頭に鳥羽冠をかぶり五竜車に乗り、百余人のお供はみな白鵲に乗って天降りしてきたと記される。この解慕漱が河伯の娘・柳花を娶るに際して、河伯との変身合戦で最後に鷹に変じて圧倒したので、ほんとうに天帝の子だと認めたという記事もある。高句麗には烏骨という城(遼寧省鳳城市に残る鳳凰山城で、高句麗最大の山城)、烏拙という大官(十二官位のうち第六)もあり、鬼神・社稷・霊星(農業神)を祀った。
古くは『逸周書』」王会篇に、周王朝第二代の成王が諸侯を招集したとき、高夷が見えており、これが高句麗族の源流だと、『隋書』を編纂した唐代の孔穎達が言い、鵠(白鳥類-のトーテムを祀るとする。「高夷」は遼寧省撫順市周辺に居たともいう。
新羅の国王初代で朴王家の祖・赫居世、金王家の祖・金閼智や昔王家の祖・脱解や、伽耶の金官王家の初祖・首露にあっても、卵生神話や誕生時に鳥にまつわる伝承(金閼智の場合は、その到来を白鶏が告知)がある。
わが国の天皇家には、鳥類にまつわる卵生伝承は端的な形では見られないが、これが天孫降臨の際の真床覆衾に関連するといわれる。この真床覆衾は、殷の王権・即位の儀礼に見られる「綴衣」という先王の用いた衾に通じると白川静氏がいう(『中国の神話』)。殷は東夷系で、玄鳥(燕)の卵を呑んで懐妊した女性の子・契(『荀子』に「契玄王」という表記あり)という者が始祖で、商の地に封じられたという卵生説話をもった。先祖の王亥は鳥形神の字形で表され、その神像は両手で鳥を操り、まさにその頭を食らう、と白川氏が『山海経』やト辞を踏まえて表現する。鳥トーテムの強い色彩があり、王は巫祝としてシャーマニズムが盛んであった。殷の子孫が周王朝の祭儀に客神として参加して降服の儀礼を再演し白鷺の舞を献じたことは同様に記される。
殷の伝承などから、この殷族を貊民族の一分派とかツングース族とみる見解(文崇一や、シロコゴロフの『北方ツングース族の社会構成』)がある。殷の起源は、祭祀・主食(オオムギ)などから考えて、西方からの侵入説(西方系の遊牧民族の一派とみるもの)を水上静夫氏が唱えており、これもおそらく妥当であろう。この場合、西戎は東夷に通じる模様である。
鳥のトーテムとシャーマニズムの関係でいうと、もとの筑前国怡土郡にあたる糸島市有田の上鑵子遺跡では、鳥の羽飾りをつけた鳥装の司祭の絵を刻んだ木板が出ている。これは弥生中期頃からの遺跡とされる(奈良時代の製鉄跡もある)。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町大曲の瀬ノ尾遺跡(旧東脊振村域で、吉野ヶ里遺跡の東側の丘陵に位置)からも、羽飾りをつけた烏人とみられる絵を刻んだ弥生期の土器が出土した。吉野ヶ里遺跡の西方近隣、神埼市神埼町竹にある川寄吉原遺跡からも、頭に羽をつけた人物を刻んだ鐸形土製品や銅鏃が出た。韓国のシャーマン(巫師・祈祷師。「シャマン」とも表現される)は、今日でも雉の羽がついた帽子をかぶる。吉備でも、弥生中期頃の新庄尾上遺跡(岡山市北区御津新庄)から出た絵画土器には、鳥に扮した人(嘴とトサカ状の装飾がついた人)が描かれる。烏スタイの9シャーマンには山口博氏も注目するが(『大麻と古代日本の神々』、}、わが国の祭祀担当の忌部氏一族(中央及び阿波・安房に分布)は天日鷲命の後裔であった。
中国・吉林省南東部の集安市は高句麗の旧都だけあって、同市人民政府の庁舎前には高句麗の象徴である「三足鳥」(太陽に住むとされ、足が三本あるカラス。林巳奈夫氏は、実は龍山文化から伝統のある大型猛禽のイヌワシだという)の銅像が立つという。その案内板には「太陽鳥(三足鳥)は中国古代の伝説に登場する。高句麗の壁画の三足鳥は高句麗民族と中原民族が同じ太陽鳥を崇拝したことを示す」と書かれていた。現実に高句麗の古墳壁画に太陽の中に描かれた三足鳥が見られる。これは、わが国鴨族の祖・八咫烏にも通じ、三足鳥で描かれる。
イヌワシ(金雕)を現在でもトーテムとすることで知られるのが、中国・新疆ウイグル自治区に西隣する中央アジア・カザフスタンのカザフ族で、古代鳥孫の末后裔という(二〇一五年一月二九日のNHK第一テレビで、イヌワシを扱う少女鷹匠の話が「世界最古のイーグルハンターモンゴル・カザフ族」として放映された)。ウイグル族・タジク族や清朝(満州人)、エヴェンキ族・ホジェン族などのツングース種族も鷹をトーテムとした。鷹が天神テングリの使者であり、女人との間に生んだ男子が最初のシャーマンだと伝える(以上はネットの「百度百科」)。イヌワシをトーテムとする信仰が上古の華北文化に存在したとの指摘もある。四川省広漢市の三星堆遺跡(約三千年前の殷代晩期のものか)から発掘された青銅神樹(扶桑樹、太陽樹)の枝には九羽のイヌワシが止まっており、この鳥が太陽を表すとみられている。
太陽神の祭
鳥トーテミズムは、世界各地で太陽神信仰や鍛冶屋伝承に結びつくことが多い。中国の射日神話では、弓の達人・羿(ゲイ。后羿ともいう)が帝堯の命を受け、人々を苦しめる十個の太陽のうち、一つだけ残し九個の太陽を射落としたが、この射落された太陽の実体が三本足のカラス(火鳥)だつたという。鳥が霊魂を運ぶ太陽の使者だとする中国の神樹思想にも通じる。殷の王族は太陽の末裔だと当時考えられていた。十個の太陽(十日)は、帝俊(帝舜)と妻・義和との子とされる(『山海経』大荒南経)。なお、帝俊の妻・常羲(嫦娥)は天照大神に通じるともみられ、また、后の妻ともいわれ、これが月神ともされる。
わが国の天孫族もこの例に漏れず、鍛冶部族で鳥トーテミズム、太陽神祭祀をもった。皇祖神の天照大神が天岩戸に神隠れしたことで、高天原を含め世界が真っ暗になったという天岩戸神話が有名である。もっとも、こうした「日隠れ神話」は世界中にあり、上記の射日神話にも通じるから、わが国天孫族に限った話ではないが、天皇家が祭祀などで太陽神信仰セをもったことは疑いない。太陽神を祀る朝鮮半島・日本の巫覡に女性の数が多かったこともあり、これが推古・皇極・持統などの女帝出現とあいまって(推古女帝の出現が直接の契機か)、日本では太陽神が後に女性神に転化したが、原型は男性神であった。三浦茂久氏も、天照大神は本来、月神であったとみており、高天原神話に見える天照大神の機織りは月神の特徴だとされる(『古代日本の月信仰と再生思想』二〇〇八年刊)。
天照御魂神こと天照大神に代表される太陽神を、天皇家は伊勢皇太宮などで奉斎し、これに奉仕する日置部も天孫族の流れから多く出た。日置・日置部を名乗る氏には諸流あるが、応神天皇皇子の大山守王の後(『姓氏録』右京皇別)、忌部首の一族(同・未定雑姓和泉の日置部)や土師連の一族(出雲国造袋)などが知られる。
渡来系にも日置があって、高句麗に出自の日置造(左京・右京・大和・摂津の諸蕃)、日置倉人(大和諸蕃)の諸氏が「『姓氏録』に見える。こちら諸氏は高句麗の権臣・淵蓋蘇文(泉蓋蘇文、蓋金、伊梨柯須弥)の族裔であり、高句麗王家と同族の蓋(盖)氏の流れであった(遙かな遠祖は、天孫族と同じか)。この一族は、京都に居住して八坂造氏となり、祇園で牛頭天王ことスサノラヲ神を祭礼した。日本での先祖で、『書紀』斉明二年条に見える高麗の副使の伊利之とは、権臣の泉蓋蘇文の従弟の蓋須のことであった。その子孫には、日置造と八坂造との二大系統があって、後世に永くつながった。八坂造は後に紀朝臣氏と通婚し、紀姓を称した。泉蓋蘇文は高句麗五部のうちの順奴部の出で、父は東部大人、大対慮の宮職にあり、父の職務を承け高句麗軍事の大権を握り、主君栄留王と多数の支持者を殺害し、宝蔵王を擁立して大莫離支(宰相)にもなって、唐と対抗した。
天孫族の一派、鴨族の祖・鴨健角身命(天日鷲命ともいい、実体は少彦名神)は異名が「八咫烏」ともいわれる。その子孫が、神武の大和侵攻を先導した伝承のある八咫烏(先祖と同じ通称)であり、光り輝いて敵の戦意を消失させた金鵄にも化身した「(「金鵄=八咫烏」の平田篤胤等に同意。この「烏」の実態がイヌワシなら、後頭部の羽衣は光沢のある黄色で、英名〔Golden Eagle〕の由来でもある。林巳奈夫氏の著『中国古代の神がみ』では、青銅神樹に止まる「太陽の鳥」は、体つきから見ても、龍山文化から伝統のあるイヌワシだとする)。この八咫烏が、忌部首や日置部の遠祖でもあった。律令時代において、主殿寮に仕える名負五氏のなかに日置・鴨県主があり、日置氏と鴨県主が火を受け持つ類縁の間柄にあった。葛野郡の名神大社、木嶋坐天照御魂神社も鴨氏族の奉斎にかかる。
各地に多く針座する天照御魂神社は、祭神が物部氏祖神(饒速日命)とか天火明命だと受けとられることが多いが、基本的には皆、男神の天照大神のことである(穗積氏の伝えた系図には、天忍穗耳命の父として「天照御魂太神」と記される)。対馬の天道(天童)信仰も特徴的で(日ノ神、殻霊、祖霊の信仰という)、当地には扶余と同様な太陽感精神話も伝えられる。天孫族は渡来の経路��して一族や祭祀・習俗を対馬に遺した。「国造本紀」には、津嶋縣直をあげ、始祖の建弥己己命は高魂尊の五世孫で、橿原朝(神武天皇)の頃に置かれたと記される。この官の設置の時期はに早すぎるが、系譜は出雲国造の同族の出であった。
太陽神信仰と鳥トーテミズム・卵生神話が合わされば、霊山信仰・霊鳥伝承や「天帝」の子孫の降臨・天降りやゃ国見の伝承にもつながる。広く伽耶まで含む東北アジア地方諸国の王家や天皇家について、祖先が高山(ないし、その山頂の高い樹)に降臨したという伝承が多い。それ故に、これら各々の国の聖山(新羅の吐含山、百済の北漢山〔高木山〕、金官伽耶の亀旨峰〔金海の亀山洞〕、大伽耶の伽耶山や、日本のクシフル岳(糸島市の高祖山のことで、原田大六などが言う。南九州の日向国ではない〕)として祭礼対象とされる例が多い。匈奴や鮮卑(遼西の朝陽付近の弾汗山)・烏丸、扶余などでも各々が聖山をもち、山上祭天の儀式をした。『三国遺事』には、天帝桓因の子、桓雄は父から三つの天符印(「鏡・剣・鈴」という)を授かり、大勢を率いて太伯山(今の妙香山〔平壌の東北方〕とされる)の頂上の神檀樹の下に天降っており、その教示に基づき人間になることに成功した「熊女」(熊トーテム族の女性と解する李丙燾氏に同意)との間に檀君を生んだ、という神話が見える。新羅の脱解王は、高麗時代にも「東岳神」と言う山神として祀られた。東嶽(東岳)とは、慶州市街地の東方の吐含山のことであり、新羅五嶽のうちに数える同市の最高峰で、日本海を展望できる護国の鎮山として神聖視され、天に祭祀を上げた聖山として知られる。脱解については、日本列島の出身で海路到来と伝えられ、天孫族や天日矛と同族の出とみられる(後述)。
ここまで、天孫族の祖系や祭祀・習俗などを見てきたが、天皇氏族の特徴的なもののうち、主に考古遺物・遺構などに絡まる関係は次の章で見ることにしたい。
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1108 蘇って来る
少年の目に映った魔法の箱、テレビは、東独はじめ東欧諸国の民主化にも大きな影響を与え、オリンピック中継等でもわかる通り、人々の目となっています。 情報の乏しい小島で育った、ひかる少年の目、子供らしい、素直な目、だったのではないだろうか。 今の子供達にもこのような目は、あるはずで、清らかな瞳を見る時、将来、どのような素晴らしい人生が約束されているのだろうか、と期待せざるを得ません。 また、親元を巣立つ時、県内にとどまるべきか、当時の、常識を越えた所へ飛ぶか、と真剣に悩んだ時期がありました。 しかし、親は既に50才を過ぎ、自分なりの人生を歩んで来た。 二十歳、30歳と歩む、己の今後の人生を考えると、ここで別れがあったとしても、生涯離れ離れになったとしても、自分の人生を優先すべきだ、という結論を得、行動に移したのです。 はたして、何が少年に、生涯を左右する、大きな決断をさせたのだろか。 おそらく、遊びや、悔しい思いの中から、沸々と湧き出た情熱でしょう。 あの甲子園で繰り広げられる高校野球、若者達が、たった一つの目標の為、最大限努力し、熱き鼓動、燃える鼓動をぶつけ合い、勝っても負けても、涙する、あの姿は、ブラウン管を通し、燃える情熱を感じさせ、感動させてくれます。 光輝く瞳から流れ出る、あの大粒の涙は、どんな味がするのだろうか。 辛苦の涙だろうか・・ 歓喜の涙だろうか・・ 満足の涙だろうか・・ 忍耐の涙だろうか・・ 他人には分からない、自分一人の味でしょう。 流した涙は、人生のアルバムとして脳裏に収められ、何万回でも蘇って来る事でしょう。
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懐かしい思い出【祇園祭 宵々山】
2017年7月15日(土) 山鉾めぐり
6年前の京都、祇園祭の宵々山に「動く美術館」と呼ばれるほど懸装品が見事な山鉾をゆっくりと観てま��った懐かしい思い出。、
山鉾の近くにある「会所」で山鉾の懸装品をじっくりと観たり、「蘇民将来之子孫也」のちまきなど縁起物の授与も受けられます。
また幾つかの山鉾にはちまきやグッズ、拝観券の購入して上ることができます。
長刀鉾、函谷鉾 、菊水鉾、鶏鉾、月鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、南観音山、大船鉾などですが凄い行列だったり女性は上れなかったりと��注意が必要。
また祇園祭は別名「屏風祭」とも言われ山鉾町の旧家で屏風などの家宝を披露する習わしがあります。
しかし、祇園祭の京都の暑さにはいつも負けてしまいますし、特に前祭の宵々山や宵山が土日だったりするととんでもなく人が多過ぎて凄いことに。
https://youtu.be/XemURSKASnw
#祇園祭 #宵々山 #動く美術館 #ちまき #蘇民将来之子孫也 #屏風祭 #山鉾巡行 #京都 #Japan
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)3月28日(火曜日)
通巻第7688号
シンガポールが中国脱出の大富豪たちの伏魔殿に化けた
不動産は14%値上げ、インフルは5・5%、贅沢品を爆買い
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大金をもってシンガポールへ逃げ込む。嘗て中国大陸の富豪は香港へでた。ダミー企業、ペーパーカンパニー、国籍(パスポート)買い、何でもござれだった、ところが、香港が中国共産党に飲み込まれて以来、安住の地ではなくなった。香港の有名俳優ジャッキー・チェンは共産党への入党を表明した。
豪シドニーとカナダはバンクーバーへの移民が目立ち、かれらの不動産爆買いが現地の住宅価格を五割がた押し上げ、とくに豪国民は移民中国人に批判的となった。それでも蝗の大群は次々とやってくる。
穴場はシンガポールだった。ドバイも税金逃れに天国だが、ちと遠い。
シンガポールなら住民の七割は中国人だ(最近、インド、アラブ諸国、そして韓国からの移民が増えた)。
2022年統計で425軒の豪邸の契約がまとまった。シンガポールの不動産価格は14%の値上がりとなった。シンガポールは外国人に不動産買いを認めていないのでレンタル料金は33・2%のアップ、商業ビルの賃料は二倍となった。
最高級ゴルフ場会員権は66万ドルとなって、2019年比で二倍に跳ね上がった。
数千万円の高級車が次々に売れる。豪華レストランは連日満員。ブランド品もいまでは香港より売れる。
このため、スーパーマーケットを調べると食料品は8%の値上げとなっていた。
サントリー「響」の年代物オークションで史上空前の高価買い入れも彼らだった。
2020年八月、サントリー最高酒齢シングルモルト「山崎55」が、香港で開かれたボナムズのオークションに出品され、8515万円で落札された。落札はシンガポール在住の華人だった。
かくして中国人富豪はシンガポールを伏魔殿に化かした。
おりからシンガポールの李首相は中国を訪問中。ボーアオ会議で講演後、広東省と江蘇省を訪問した。
▲馬雲が杭州に出現した
アリババ創業者のジャック・マーが、1年以上の海外旅行の後、中国本土に戻って杭州市に彼が設立した学校を訪れた。
2017 年にアリババの創業者が資金提供した、幼稚園から高校までをカバーする私立学校の教師と生徒と「チャットGTP」などについて話し合ったとか。
スペイン、オランドを彷徨い、農業技術開発センターを視察し、またイスラエル、米国に旅行し、半年にわたって滞在した日本でも、近畿大学のマグロ養殖実験場を見学しており、ビルゲーツ同様に次世代農業技術に異様な興味を示した。
馬雲に帰国をうながしたのはどうやら中国政府で「自由時報」に拠れば、民間企業の新しい分野の活動を取り締まっていながら、他方で中国は世界に向けて、「民間企業を支援する」と獅子吼し、中国政府は、ジャック・マーを政府と民間部門の評判を修復するための最良の候補者と見なしたようだ。
ボーアオ会議で李強首相は「グローバル路線で中国が成長する方針には変わりない」と打ち上げ、海外企業の進出継続をうながした。
アップルCEOのティム・クックも訪中し、就任後初めての李首相と会見した。
事情通に拠れば、新首相の李強が「民間企業への確固たる支援を強調するためにジャック・マーが中国に不在であることは、起業家や世界の投資家の間で北京を不信にする可能性があるため、帰国をうながしたのだ」と分析している。
海外流浪といえば、タイのタクシン・シナワット元首相だ。タクシンはたびたび日本にも来ているが、頻度多い訪問は香港で、ここで次女の貝東丹(ペイトンタン)とも会った。彼女は5月の総選挙に立候補を予定し、将来の首相候補のひとり。
タクシンは東京で共同通信とのインタビューに応じ、16年にもわたって海外を流浪しているが、近くタイに戻る可能性があると述べた。
タクシンは 2006 年の軍事クーデターで追放され、英国と日本で暮らした。帰国すれば2 年の懲役を宣告されており、選挙結果をまって恩赦を狙っての帰国となりそうだ。
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今週は比較的に過ごしやすい気候に恵まれました。本格的な夏に向けて、植物たちも葉を増やしています。今週はサイキックアートクラス、サンスクリット般若心経クラス、トランスクラス、インナージャーニークラスがあり、熱心な生徒さん達と楽しい光の交歓会を行いました。それぞれのクラスでは、サンスクリット語で発音する般若心経に少しずつ慣れ親しんでいったり、パワースポットへのヒッチハイクを楽しむ誘導瞑想も行いました。私自身にとっても多くの学びと気づきがあり、共に充実した時間を過ごすことができたことに心より感謝いたします。
前回のサイキックアートの宿題は、神話の登場人物を有名人・著名人に置き換えたポートレートでした。発想力豊かな個性的な作品が集まり、とても盛り上がりました!実習では、ひたすら目を描いてもらいました。顔のパーツの中で、表情豊かな目を描くのが一番難しいと思います。似顔絵が似るかどうかも、主に目の描き方にかかっていると思います。
目に関する慣用句やことわざはたくさんありますが、特に霊性開花、アウェアネスに関係するものをいくつか挙げてみました。
・目から鱗が落ちる ・目で目は見えぬ ・目の寄る所へは玉も寄る ・目は心の鏡 ・一隻眼 ・魚の目に水見えず ・雲煙過眼 ・餓鬼の目に水見えず ・刮目して見る ・眼光紙背に徹す ・飛耳長目
今年もあっという間に半分が過ぎようとしています。いつもの散歩コース途中にある神社に恒例の茅の輪が設置されていたので、ちょっと早めにくぐって参りました。「夏越の祓」の起源は日本神話に遡るといわれています。宿を求め訪ねてきたスサノオノミコトを蘇民将来(そみんしょうらい)が厚くもてなしたところ、そのお礼としてスサノオからある教えをいただきます。その教えの通りに腰に茅の輪を付けたところ、疫病にかかることなく子孫が繁栄したそうです。この茅の輪がいつの頃からか大きくなり、くぐる儀式に変化したとされているようです。
茅の輪くぐりだけでなく『形代(かたしろ)』による祓を行う神社もあります。『形代』とは人の形をしたてのひら大の紙で、その上に名前と年齢を記し、息を吹きかけることで、半年分の罪やケガレをそこに移すことができるといわれています。神社により川に流したり、お焚き上げをするなどの方法で清められるそうです。
明日は久しぶりに惠子ミディアムと一緒にサンデーサービスを担当いたします。お時間のある方はぜひ、以下のリンクまたはミーティングIDよりお立ち寄りください。皆さまのご参加をお待ちしています。サイキック・アートもやります!
ミーティングID: 831 5919 3623
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お待たせして大変申し訳ありませんが、秋学期クラスへのお申し込みは7月15日より受付を開始いたします。
#mediumship#spiritualism#awareness#spirit communication#meditation#unfoldment#guided meditation#psychic art
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