#蓄音器コンサート
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#SaveOurSpaceについて
まずは率直に30万筆を超える署名が集まったことを、賛同者の一人として感謝します。ありがとうございました。
この署名を拡散するにあたって、いろいろな意見を目にしました。実際にTwitterでリプライもいただきました。もう少し噛み砕いて自分の想いを言葉にするべきだと思って、このブログに文章を書くことにしました。
いろいろなことを書かなければなりませんが、まずは、僕たちの現場の状況から話させてください。
ミュージシャンは、もはやコンサートを行うだけで、新型コロナウイルスを拡散してしまう可能性が極めて高い状況に身を置くことになります。誰かの命を奪うきっかけになるかもしれない。人々の命あっての音楽ですから、現在は自粛以外に選択肢がないと、僕は考えています。
僕としては、この間のコンサート活動とその収入がなくなることに対しては、仕方がないことだと納得しています(極端な例ですが、未来永劫に渡って「コンサートを行うこと」によって誰かの命が失われるのならば、コンサートという表現形態そのものを諦める以外にない、とも思っています。それは水銀を海にぶち撒けながら操業できないのと同じだと思うんです)。社会の豊かさの上でこそ成り立つ仕事ですから、その性質を受け入れています。
ただ、ご存知のとおり、音楽活動というのはミュージシャンだけで行われているわけではないんです。楽器、音響、照明、舞台、電源、運搬、イベント設営、警備など、本当に多くの人たちの分業によって成り立っています。
多くのスタッフたちが、もっとも自粛要請の影響を受けるはずだと心配しています。コンサートがなくなり続ければ、その仕事を離れて別の仕事をしなければならな��方も出て来ると思います。家族がある人もたくさんいます。専業的な職種が多いですから、他の仕事が見つかる人ばかりではないと思います。
ライブハウスやコンサートホールなども、自粛によって収入が絶たれ続ければ、廃業や閉店に追い込まれます。そうした文化施設は、細心の注意を払って営業を継続するか、休業や閉店の選択をするしかないと考えるはずです。ウイルス拡散のリスク、破綻や倒産のリスク、さらにはバッシングのリスク、すべてを天秤にかけて、営業して倒れるか営業自粛して倒れるかという究極の選択を迫られています。
自粛というのは「自ら進んで慎め」という意味で、それは自己責任を求めるものであって、政府や自治体の要請を受け入れたとしても何の補償もありません。続けたところで世間の目は厳しい。私刑のような批判にさらされます。個々の施設で経済状況が違うでしょうけれど、補償なき自粛要請は「店をたため」と言われているに等しいと思います。
施設が生き延びるだけの補償があれば、このような究極の選択から逃れて、営業を自粛できます(実損額の補償を求めるのは、交渉のストラテジーだと思います)。
「コロナ禍が去ってから、やり直せばいい」という意見もあると思います。けれども、店を閉めるときには音楽機材の数々も処分されるでしょう。パッと別の場所で始められないのがライブハウスやクラブやコンサートホールです(他の業態も同じだという意見があると思います)。防音の工事、電源、スピーカーやケーブルと配線、水回りの配管など、自分でスタジオの工事を行ってみてよく分かりましたが、本当にお金がかかります。営業に適した場所というのも限られます。
バタバタと潰れた施設を以前のように取り戻すのは大変なことです。潰すのは一瞬かもしれませんが、同じような場を手に入れるのはとても難しいことだと思います。施設に張り付いた歴史や技術も雲散する可能性が高い。その文化的な空白期間の影響を大きく受けるのは、これから音楽などの表現活動をはじめようとする人たちの機会でもあります。
また、大震災のとき、バンドも音楽ファンも入り混じって救援物資を持ち寄った、あるいは身を寄せるようにして音楽を再開した場所であるライブハウスを守りたいという個人的な思いもあります。ただそれは、僕の勝手な物語ですよね。承知しています。
多くの指摘があった「どうして、文化施設だけなのか」。
まったくその通りだと思います。
幅広く、コロナウイルスによって影響を受ける多くの市民に、何らかの補償や助成が必要だと思います。
僕たちが自分ごととして声をあげること、また、いろいろな業種業態から声があがることで、政府に市民の���状が届くことを願います。音楽業界だけにお金を寄越せ、ミュージシャンにお金を寄越せと、そういう思いから始まった署名活動ではないということだけは、弁解させてください。
限りあるパイを他業種から奪うためでなく、自分ごととして、窮状を訴えるために声をあげる。僕はそういうつもりで賛同人になりました。同じ気持ちのひとがたくさんいたと思います。
記者会見のレポートもご覧ください。
https://news.infoseek.co.jp/article/neol_96007/
https://www.cinra.net/report/202003-saveourspace_gtmnmcl
https://note.com/saveourspace/n/n7fbd07eff19c
「普段から政権批判しているのに、こういうときだけ金を寄越はダサい」という意見も目にしました。
例えば、あなたがこの国を愛する人だったとして、政府が間違った政策で国をよくない方向に導こうとしていたらどうしますか。その間違いを指摘すると思います。それこそが愛国で、政府のやることなすことを受け入れることが愛国ではないと僕は思います。
政権の方針や政策を批判をした人や団体が助成金を受け取れない国を想像してみてください。とても恐ろしいことです。国は市民から税金を集めて、それを再分配しています。僕たちがその使い道について意見するのは間違いではありません。民主主義は、選挙結果だけを受けて政権に白紙委任するものではないと僕は思います。
自分が無謬だと言いたいわけではありません。
自分たちが政治に関わってこなかったことが招いている事態でもあるのだと思います。例えば、アメリカの民主党にバーニー・サンダースという議員がいます。大統領選の予備選挙で熱狂的な支持を受けた民主党候補者のひとりです。『未来への大分岐』という本によれば、サンダースを支えたのは様々な社会運動です。彼が元から魅力的な政策を次々に提示するリーダーだったのではなく、差別と闘う黒人たち、ローンの返済にあえぐ学生、環境運動など、様々な社会運動が彼を変えていったのです。
誰か素晴らしいリーダーが現れて社会を変えてくれるのを待つではなく、自分たちが参加しないと政治も社会も変わらない。政治家も変わらない。「お前たちが普段から政治の話をしないから、窮地に立っているんだろう」という指摘は、確かにそうだと思うんです。僕らはナイーブすぎました。
かと言ってそれは、繰り返しますが、普段から政権の近くにいる人と密な関係を築くということとは違います。様々なイシューで、党派を超えた議員の集いがあるはずです。だから、立憲民主党でも、共産党でも、特別に支持する��党がなくても、声はあげられます。政権を批判する者がそれゆえに罵倒されたり、助成金や補償の機会を奪われる社会は間違っています。
長くなりました。
このブログにここまで「僕たち」と書き続けたことに、違和感を持っています。この大きな主語は本来、「僕」であるべきで、「私をそこに巻き込まないでくれ」と感じた賛同者や、署名してくださった方にはお詫びします。勝手に代弁するかたちになってしまって、すみません。反論や批判は真摯に受け止めます。
YOSHIKIさんのようにスマートで迅速な資金拠出ができたらと思いますが、自分の力では焼け石に水、多くの関係者を救うことはできません。単純に力不足です。
僕としては、早急に、自分のまわりのスタッフたちの仕事づくりに知恵を絞りたいと考えています。僕の個人的な蓄えで支えられる人間の数は少ないです。みなさんに安全な場所で楽しんでもらいつつ、フタッフの仕事をつくりつつ、コンサートという表現形態が生き延びられるような未来を模索します。
ですが、やはり、文化施設がひとつひとつ消えて行くのはしのびない。そういう思いも拭えません。どうか補償を!と思います。
そして、多くの人が安心して暮らせる社会を希求します。多くの市民が救われる政策を望みます。最前線で従事する医療関係者のみなさんの安息も願っています。罹患された方たちの快癒も。
僕の様々な発言に対する批判や批評はあって当然だと思います。それについては何の不満もありません。僕の間違いが正されることで、社会がより良い方向に進むなら本望です。反省しながら、僕も社会と一緒に進歩してきたいです。
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日本のこころのうたミュージアム・船村徹記念館「聴いて 歌って 蓄音器コンサート」開催決定!
日本のこころのうたミュージアム・船村徹記念館「聴いて 歌って 蓄音器コンサート」開催決定! #蓄音機 #コンサート #日本コロムビア #道の駅日光 #日光街道ニコニコ本陣
よく考えると、電気使わないから、ありゃりゃではあるのだけれど、蓄音機を使ったコンサートが開催されるそうです。
蓄音機の音って聞いたことありますか?
78回転なので、時々だけど、おっ!と思うような音が出てくることがあるんだよね。
日本のこころのうたミュージアム・船村徹記念館「聴いて 歌って 蓄音器コンサート」開催決定! 日本コロムビア株式会社
聴いて 歌って 蓄音器コンサート
日本コロムビアが指定管理をしている「道の駅日光 日光街道ニコニコ本陣」内、日本のこころのうたミュージアム・船村徹記念館では、2018年5月に開催し好評を博した蓄音器コンサートに引き続き、第2回目の「蓄音器コンサート」を2018年9月22日に開催決定。
今回も100年ほど前の蓄音器を使用し、昭和の名曲や懐かしい童謡唱歌を収録したSPレコードを、日本コロムビアの制作プロデューサー、ディレクターやエンジニアの解説とともに、…
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野毛うっふ、叶結(Kanauknot)のお2人とAYACHYGALで2デイズ公演!
なんと、4演目を用意!
たぶん4回やります。
19:30、20:30、21:30、22:30予定。
今年のふくやま大道芸の帰りに、「こんど一緒にやりましょ!」ってなって、3回目?
いつも、お2人の、
大人の余裕と笑顔と、
愛と貫禄に甘え倒して参加してます。
うたいながら見上げながら、キュンキュンしております。
うっふは素敵なサーカス小屋のようなバーです。バーのようなサーカス小屋です。
野毛ぶらり、も楽しいですよー。
お見逃しなく。
12/13(金)19:30〜/20:30〜/21:30〜/22:30〜【4ステージ!】アクロバットサーカス×シャンソンショウ
Kanauknot 花火&トム
AYACHYGAL あやちクローデル&イーガル
街角で、劇場で、或いは小さなキャバレーで。ピアノの音が鳴り出せばそこは、めくるめく愛と笑いの人生劇場!
CHARGE:¥2000+各回投げ銭
【博物館cafe&bar うっふはこんなとこ↓※お店のホームページの紹介文より】
うっふへようこそ! 横浜 野毛
重たい扉を開けると名画「風と共に去りぬ」で観たようなアメリカの大階段が目に入る。
ようこそ“ベニー・グッドマンハウス”へ。
入り口のステンドグラスをあしらったファッサードの木製扉、左手の大ステンドグラス等、ベニー・グッドマン家の本物です。
フォーニエ手廻しオルガン(フランス製)の大音響がアナタを迎え、エジソンのロウ管蓄音機やスイス製のオルゴールの繊細な100年前の音色に足を留める。
お酒と料理を前に夜毎繰り広げられるJAZZのコンサート芸の数々、ポールダンスからジャグリング、空中ブランコに7メートルの吹き抜け天井の空間は、拍手と驚きに観客の心を奪う。
https://oeuf-yokohama.jimdo.com/
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1月7日から始まった『新春生音三昧2018』コンサートは東名阪、仙台、札幌の5箇所を巡って、先日の2月4日東京紀尾井ホールの千秋楽で無事終えました。 昨年末から色々と盛り沢山なイベントやコンサートが続き少々バテ気味ではありましたが、例年になくゆったりとしたお正月を過ごせたおかげか、演奏に集中して生音三昧ツアーにのぞむ事ができました。
今回は、純粋なクラシックホールばかりだったので、響は何処も素晴らしく、過去のノウハウの蓄積もあってか、モニター等の音響も格別に良く、朝起きた清々しい気持ちのままに演奏が出来た事が幸せでした。 東名阪での、ヴァイオリンとチェロとの演奏も、楽器の種別を超えた真正のカルテットの音楽になっていたように思います。 そういう響とともに演奏できる幸福感を享受しつつ、仙台、北海道での、GTのみのデュオ演奏も充実したものとなりました。 各地にお出で下さった皆様、アリガトーゴザイマシタ。
さて、今年はGT活動40年目。 オリジナルアルバムの企画も少しずつ進んでいるようです。 この歳になっていますから、何事も順風満帆とはいきませんが、GTの出来る範囲で頑張っていきたいと思っています。
何にせよ、音楽は変化していく生き物。 ノウハウはある程度通用するかもしれませんが、多くの部分が未知。 40年経っても、心はいまだ音楽の小学一年生です。 春が来たら、今年もまたピカピカの一年生。 また、新しい音楽と出会えれば幸福です。
Feb.8 2018
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2019.11.27
【演奏曲目発表】
名古屋公演の演奏曲目を発表させて頂きます(*'▽'*)
12/7(土)13:00 Open 13:30 Start
ファイブアールホール(千種駅徒歩2分)
第1部
1. G線上のアリア 作曲:J.S.バッハ
J.S.バッハ(1685年〜1750年)の«管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068»より第2曲「アリア」を、19世紀の名ヴァイオリニストのA.ヴィルヘルミが、ヴァイオリンの4本ある弦のうち最低音の弦、G線のみで演奏した事でこの名が付いたと云われている。
2.アヴェ・マリア(3大アヴェ・マリア)
Ⅰ.シューベルトのアヴェ・マリア
オーストリアの作曲家シューベルト(1797年〜1828年)の最晩年の歌曲の一つである。ウォルター・スコットの名高い叙事詩『湖上の美人』のドイツ語訳に曲を付けた作品。歌曲集『湖上の美人』の「エレンの歌 第3番」が正式名称で、エレンが聖母マリアを讃える祈りに満ちた作品である。
Ⅱ.グノーのアヴェ・マリア
フランスの作曲家グノー(1818年〜1893年)が、1859年、J.S.バッハの器楽曲«平均律クラヴィーア曲集第1巻»より「前奏曲第1番」を伴奏に、ラテン語の聖句「アヴェ・マリア」を歌詞に用いて完成させた声楽曲である。
Ⅲ.カッチーニのアヴェ・マリア
カッチーニ(1545年頃〜1618年)は、イタリア・ルネサンス音楽末期、バロック音楽初期の作曲家である。この作品は、近年の研究では、ロシアの作曲家ヴァビロフ(1925年〜1973年)が1970年頃に作曲した作品と云われているが、現在でも«カッチーニのアヴェ・マリア»として定着している。曲全体は、荘厳な雰囲気の中で展開していく旋律の美しさ、哀しみ、祈りに包まれた作品である。
3. 落葉松 作曲:小林秀雄
軽井沢の自然をこよなく愛した野上彰(1909年〜1967年)が、1947年秋に«落葉松»の詩を書き上げ、親交のあった作曲家・小林秀雄(1931年〜2017年)が、1972年の野上彰追悼コンサートのために作曲された作品である。この詩に目を留めた小林は「深く激しい感動のうちに、一気に初演楽譜を書き上げた」と語っている。«落葉松»は、独唱、女声合唱、混声合唱など、様々な編成で広く愛唱されてきた。原曲は歌曲として書かれ、ピアノ独奏版も残されている。
本日は、平原自身が今年見て感じた«落葉松»に,思いを馳せたピアノ独奏版を披露する。
4. ミス・サイゴン 作曲:C.シェーンベルク
1989年ロンドンで初演。1991年にブロードウェイで上演され、以後世界各地でロングラン公演されているミュージカルである。音楽は、「レ・ミゼラブル」を手掛けたフランス出身の作曲家シェーンベルク(1944年〜)が手掛けている。物語は、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」を基にし、アメリカ兵とアジア人女性の引き裂かれた運命のロマンスを描いている。
舞台は1875年4月のベトナム戦争末期。田舎を戦争で失ったキムが首都サイゴンへ逃げ、アメリカ兵のクリスと恋に落ちる。終戦後、クリスは帰国し、彼らは離れ離れになる。3年後、クリスはアメリカで別の女性エレンと結婚し暮らしている。そんな中、クリスは、キムと自分との間に子供が産まれていたことを知り、キムに会いに向かう。キムは「子供をアメリカに連れて行ってほしい」と懇願するが、家庭のあるクリスは受け入れることができず、キムは子供のために自ら命を絶つ。
命をあげよう
愛するクリスとできた子供タムを見つめるキム。「お前のためなら、私は、この命をあげよう」と、切々と歌い上げる。ミュージカルの中で、最も重要な作品である。
5.チゴイネルワイゼン 作曲:P.サラサーテ
スペインのヴァイオリニスト・作曲家サラサーテ(1844年〜1908年)による、1878年に作曲された管弦楽付きヴァイオリン独奏曲。ドイツ語で“ジプシーの歌”という名の通り、めくるめく情熱と異国情緒がたっぷりと詰め込まれた魅力的な作品である。このピアノ版は、ヴァイオリンの特徴を生かして作られた平原独自の超絶技巧的作品である。
6.ボヘミアン・ラプソディ 作曲:F.マーキュリー
イギリス・ロンドン出身の男性4人組ロックバンド“クイーン”の代表曲。構成は、1.アカペラ、2.バラード、3.オペラ、4.ハードロック、5.バラード という、当時、音楽の革命とも云われた斬新な構成を持つ。本日は、平原誠之独自のピアノ版を披露する。
第2部
1. 令和 作曲:平原誠之
平成から令和へ ーー 新しい時代の幕開けとなり、明るく希望に満ちた時代を願い書き下ろした作品である。
2. 梅たたずむ思い 作曲:平原誠之
厳しい寒さの中、蕾を蓄え、仄かな香りと共に、百花に魁て美しい花を咲かせる梅の力強さと繊細さを表現した作品。古来より歌に詠み、春を待ちわびる日本人の梅に馳る思いを感じることができる。また江戸絵画で知られる伊藤若冲の梅の絵に感銘を受けて完成した作品でもある。2011年に発生した「東日本大震災」の追悼の思いが込められている。
3. パガニーニの主題による変奏曲 作曲:平原誠之
イタリアの鬼才ヴァイオリニスト・作曲家パガニーニ(1782年〜1840年)の無伴奏ヴァイオリン曲「24のカプリース」の第24番「主題と変奏」の主題をモチーフにした作品。強烈な技巧が随所に盛り込まれ、独自の作曲を展開した20分の大作。平原誠之の20代を代表する力作である。
主題
数々のパガニーニの作品の中でも、最もよく知られた旋律。
第1変奏:ピッツィカート
ヴァイオリンのピッツィカートを描写した作品。
ピッツィカート:ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロなどの擦弦楽器を、弓を用いないで指で弦をはじく奏法。
第2変奏:和音
両手の和音を、急速なテンポで表現した作品。
第3変奏:跳躍
オクターブ上に鋭いパッセージが行き交う作品。
第4変奏:カプリチオーソ
軽快なリズムで、スタッカートを用いた作品。
カプリチオーソ:形式にとらわれないで、気まぐれに作られた作品。
第5変奏:アジタート
音のうねりを、平原独自の技法で表現した作品。
アジタート:興奮して。急き込んで。
第6変奏:アパッショナート
激しい感情に包まれた作品。
アパッショナート:熱情的に
第7変奏:マエストーソ
スリリングで、緊迫感のある作品。
マエストーソ:堂々と、威厳に満ちて。
第8変奏:幻影
神秘的な世界観で、技巧的なパッセージが散りばめられた作品。
第9変奏:鐘
パガニーニ=リストの「ラ・カンパネラ」(鐘)をイメージした、高音の跳躍を生かした作品。
第10変奏 トリル
片手のみでトリルとメロディーを同時に演奏する作品。
第11変奏:回想
人それぞれが、自身の生きてきた半生を振り返る様子を描いた、哀愁を帯びた作品。
主題
後半への目まぐるしい“技巧の世界“へ誘う作品。
第12変奏:アルペジオ
左手のメロディーに対し、右手のアルペジオが大海原のように奏される作品。
アルペジオ:分散和音の一種。和音を構成する音を一音ずつ低いもの、または、高いものから順番に弾いていき、リズム感や深みを出す奏法。
第13変奏:戯れ
音が生き物のように戯れている様子を描写した作品。
第14変奏 狂乱
オクターブの技巧的な半音階を、狂乱の如く表現した作品。(改訂版)
第15変奏:トレモロ
フィナーレへと向かう、力強いトレモロ(連打音)の作品。
第16変奏:グリッサンド
グリッサンド奏法を多用した作品。一般的なグリッサンドとは異なり、平原独自の技法を用いており、鍵盤が刃物と化し、指が血まみれになることも多々ある。
グリッサンド:一音一音を区切ることなく隙間なく滑らせ、流れるように音高を上げ下げする演奏技法。
第17変奏:ヴィルトゥオーソ
終曲。両手による和音のスケール(音階)を、僅か1秒間で、3オクターブ移動させるという演奏不可能的な作品。世界で唯一無二の技法を用いた、ラストに相応しい作品。
ヴィルトゥオーソ:演奏の格別な技巧や能力によって、達人の域に���した、超一流の演奏家を指す言葉。
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3月のスケジュール
3/4(土)【音楽】11:00-13:00 みつみかん 結成ライブ♪ アイリッシュバンド みつみかんの結成ライブ。〜はじまりの日和〜 イーリアンパイプ、フィドル、アコーディオン、ブズーキ。 チャージ制 予約¥2,500 当日 ¥3,000(1ドリンク込) 3/4(土)【科学】19:00-20:30 みのだNight!「サイエンスコミュニケーターになるには」 参加費無料(ワンオーダー制)サイエンスコミュニケーションに興味があるけれど何をしたらいいの?という方へ、 サイエンスコミュニケータの様々な��能や養成講座の様子をご紹介します。 3/11(土)【野菜】13:00- 野菜販売 レイモンドファーム 東京の西東京市で80代のおじいちゃん、おばあちゃんと20代の夫婦が作っている野菜の販売です。東京産の採れたて野菜! 3/11(土)【祭り】17:00-19:00 誕生日パーティー さんさき坂ママの生誕祭。乾杯しましょう。 3/11(土)【祭り】19:00-24:00 宮崎移住のお別れ会 さんさき坂ママの息子が、宮崎に旅立ちます会。最高級の原木椎茸や、宮崎のお酒や、料理を振る舞います。 3/12(日)【科学】WEcafe 「義手・義足のお仕事」 ゲスト:義肢装具士 桑山大介さん(公益財団法人 鉄道弘済会 義肢装具サポートセンター) 参加費:¥500+ワンオーダー 3/18(土)【野菜】10:30- 野菜販売 みずほの村市場 茨城のつくばにある日本一の売上を誇る野菜直売所「みずほの村市場」とのコラボです。美味しい新鮮野菜が届きます! 3/18(土)【音楽】17:00-18:30 靴磨きチェリストのコンサート 靴磨きのチェロ弾き高木秀直さんのコンサート。投げ銭制。 3/19(日)【音楽】16:30-17:30 蓄音機の会「浅草オペラとその周辺」 毎月、開催している音楽評論家・レコード史研究家の毛利眞人さんによる蓄音機の会。今回は、毛利さんが共同執筆者として参加されている本 「浅草オペラ 舞台芸術と娯楽の近代」にちなんで、浅草オペラとその周辺がテーマです。投げ銭制です。 3/20(月)【音楽】19:30-21:30 春がくるりん 桜が咲くりん さんさき坂カフェで出会った音楽好きが、一同に集う音楽会。ギター・ウクレレ・ヴァイオリン・ジャンベ・洗濯板が集合します。 往年の名曲からポピュラーソングまで。楽器持ち寄り、飛び込み参加大歓迎。ベース、パーカッションは絶賛募集中。 3/24(金)【音楽】19:00-21:00 谷根千ほのぼのJazz Live 毎月開催、ご近所のピアノとギターの先生のJazz演奏会。ほのぼのとゆったりお酒やケーキを食べながらお聞き下さい。投げ銭制です。 3/24(金)【祭り】21:00- 英語の先生誕生日会 英語の先生の誕生日会を開催!Jazz、ウクレレも合流してパーティーです! 3/25(土)【運動】9:00- サイクリング部 〜街巡り〜 街に詳しいサイクリング部の部長が、毎回楽しいルートを提案してくれます。9時にさんさき坂カフェ集合です。 3/25(土)【科学】18:30-20:00 みのだNight!「人が交流するカフェ・しないカフェ」 町づくり(市民が集いやすいカフェの設計)について研究している、��田広明さんがゲストです。参加費¥500+ワンオーダー。 3/26(日)【音楽】17:00- 海藻姉妹ライブ 「鳥取の地酒と料理と音楽を」 さんさき坂カフェと海藻姉妹で結成した旅行音楽団。第一弾は鳥取県に行ってきます。それに先立ち行ってきますライブを行います! 【英語部】 ベルキー出身の先生による、1時間500円+ワンオーダーの英語レッスン。 ご予約不要。 3/3(金)20:00-21:00 3/7(火)10:00-11:00 3/14(火)10:00-11:00 3/18(土)19:30-20:30 3/21(火)10:00-11:00 3/25(土)10:00-11:00 3/28(火)10:00-11:00 *3/24(金)21:00〜は先生の誕生日会! (レッスンはないです) 【ウクレレ同好会】 ウクレレ好きな人、興味のある人、音楽が好きな人、聴くのが好きな人。色んな人が集まります。 参加費無料。ご予約不要。 3/7(火) 21:00-23:00 3/14(火)21:00-23:00 3/21(火)21:00-23:00 3/24(金) 21:00-23:00 3/28(火)21:00-23:00
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@barks_news
JR日光駅にて蓄音器コンサート開催https://t.co/m69GOH6FNr#蓄音器コンサート
— BARKS��集部 (@barks_news) November 15, 2019
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偽善者の涙[六]
[六]
一方その頃、――正確には佳奈枝のもとに多佳子がやつて来るつい三十分ほど前であるが、里也と沙霧はシンフォニーホールのとある席、――正確には舞台真向かひの二階席、ちやうど正面に指揮台のある演奏を楽しむのにはうつてつけの席、――そこに並んで座つてゐた。外に出るとめつきり喋ることの無くなる彼女は、今日はいつも以上に静かであつた。里也が例��ば、
「意外とガラガラやな。やつぱりラフマニノフの一番て、人気無いんやろか」
と云つても、
「さうですね。……」
としか返つてこない。道を歩いてゐる時ならまだしも、ホールの中に入つてもこの調子なのは珍しく、普段沙霧とコンサートへ訪れて上記のやうな適当を云ふと大抵の場合、やんわりと訂正した後普段喋らない分饒舌に薀蓄語りが始まるのである。それが無いといふことは、やつぱり気分では無くなつたからだらうか、それともゝう疲れてしまつたからだらうか。
今日の彼女はそれとは別に妙に小奇麗であつた。普段は洗つてゐるのかも分からないボサボサの髪をばう〳〵にして、ちやんとしても微妙に時期を外した格好をしてゐる姿に見慣れてゐる里也は、よくもまあこゝまで綺麗になつたものだと感心してゐた。先日に佳奈枝がふらりとゞこかへ出かけて、何故か梳きバサミを買つてきて、まさかと思つてゐたらほんたうに練習台にされて、そのせいで彼はすつかり髪が薄くなつてしまつたのであるが、シャクシャクと小気味良い音を立たせながら綺麗になつて行く沙霧の姿を見られたゞけでも安いものである。彼女が押し黙るやうになつたのは、その時からなのであつた。以前美容室に連れて行つた時は、嫌々ながらも鏡を見てほつと安心したやうに息をつくだけであつたけれど、いつたいどうしたのであらうか。化粧も服も含めて慣れない自分の姿に戸惑つてゐるのであらうか、それとも髪を切るなどとは彼女には伝えてなかつたから機嫌を損ねてしまつたのであらうか。
何はともあれ里也は久しぶりに沙霧と一緒にコンサートに来ることが出来て満足であつた。上手く返事が返つてこないとは云へ、彼に手を引かれて歩いてゐる彼女の顔には笑みが見られたし、今も食ひ入るやうにプログラムやらパンフレットやらを見つめてゐる。かう云ふ時に話しかけては興も削がれるであらう、――里也はさう思つて自分も今日の演目を眺めることにした。前曲、中曲は兎も角として、やはり楽しみなのはメインのラフマニノフの交響曲第一番である。
かの作曲家の作品は往々にしてあひだの曲、――交響曲なら第一番と第三番のあひだにある第二番、ピアノ協奏曲なら第一番と第四番に挟まれた第二番三番が特に有名なのであるが、だからと云つて他の曲に味はひが無いかと云へば全くさうではない。単に知られてゐないだけで、例へばピアノ協奏曲第一番に関して云へば、耳をつんざく運命的なピアノの下降音形から始まり、ラフマニノフ特有の音と音を隙間なく丁寧に繋いで奏でられる耽美な旋律や、後年を思はせる第三��章の一転して小気味良いリズム、それにオクターヴで駆け上つて絶頂へ達する華々しいクライマックスが聞ける。後期の作品よりもさらに哀愁に満ちた息の長い旋律には、ピアノ協奏曲第一番にしか持ちえない美しさと希望の薄さがある。だが、何に増してピアノ協奏曲第一番が素晴らしいのは、神秘に満ち溢れた第二楽章であらう。人気のある第二第三番と比べて緊迫感の無い楽章ではあるけれども、人間の不安とか焦りだとか、さういふものとは関係のないところで音楽が鳴つてゐるやうな気がして、ほんたうに何時間だつて聞いてゐられる。ラフマニノフの評論で必ず云はれる甘く切ない旋律も鳴りを潜め、ただ〳〵美しい調べが止まること無く永遠に続いて行く。若い時分には後年のアダージョのやうに絶望と希望の減り張りに大いに感動を憶えたものであるが、このピアノ協奏曲第一番に関してはそんな緊迫感なぞ無い方がいゝ。絶望と希望に揺れ動くことすらないほどに打ちのめされたある一人の男が、川のせゝらぎを聞きながらじつと佇んでその時を待つてゐるやうな情景は、それこそこの緩徐楽章の味である。有名なピアノ協奏曲第二番ではもう少し希望はあつて、第一楽章で提示された鐘の音がかなり絶望的ではあるけれども、曲を追ふに連れて見えてくる天からの微かな希望を、決して届かないと云ふのに手を伸ばして掴まうとしたり、もう諦めてしまつたかのやうに項垂れたり、何とか自分を奮ひ立たせて立ち上がつたり、でもやつぱり掠りもしないから恨めしく天井を仰ぎ見たり、……そんな絶望と希望のあひだを行つたり来たりするところが、第二番第二楽章の味と云つたところであらう。尤もこの場合は本来はロマンスであるから、希望云々といふ話は邪道かもしれないが、しかしそのやうな葛藤がピアノ協奏曲第一番では見られないのである。兎に角ラフマニノフのピアノ協奏曲第一番は、作曲者自身が後年になつて改訂したとは云へ、他のピアノ協奏曲とは若干違ふ、苦くも決して不味くはない味はひを持つてをり、どうしてこれがもつと世に知られないのか、里也は疑問に思つてゐるのであつた。
そしてその疑問は今日聞くことになつた交響曲第一番でも云へるのである。だがこれについては確かな理由があるかもしれない。
「グラズノフも酷いもんだよな、あんな酔つ払つて指揮するな���て。ロシア人つて云ふのはそんなに酒飲みなんやろか」
何でも初演時に、指揮を努めたアレクサンドル・グラズノフが酷く酒に酔つたまゝ舞台に上がつてしまひ、それは〳〵大変な演奏をしてしまつたらしい。当然笑ひ話で済むはずがなく、その結果、ラフマニノフはピアノ協奏曲第二番を途方もない神経衰弱に陥つたまゝ作曲したと云ふ。
「………」
沙霧は相変はらず静かであつた。チラリとこちらを見てきたやうな気がするが、このときに振り向いてしまふと余計に押し黙つてしまふので、こちらも変はらずパンフレットに目を落としてゐると、
「実は、最近ではさうでもないみたいです。���……」
と聞き取れるか聞き取れないか怪しい音量で云つてくる。振り向くとすぐに目線を逸らされてしまつたが、話は続いた。
「と、云ふと?」
「えつと、………兄さんもご存知ですよね、この曲の楽譜が一旦喪失したことを」
「たしか亡命時に家に置きつぱなしで、以来行方不明なんやつてな」
そして今日に至るまで元々の総譜は発見されてゐない。
「さうです、さうです。さすが兄さんです。それでラフマニノフの死後、レニングラード音楽院の図書館からパート譜が発見されて、そのパート譜からスコアが復元されて、一九四五年にアレクサンドル・ガウクの指揮で復活した、……とこゝまではいゝのですが、そのパート譜からスコアを復元する時に問題があつたさうで」
「ほう? と、云ふと?」
沙霧はむず痒く笑つて話を続けた。
「その復元されたスコアとパート譜の食ひ違ひがあまりにも多いらしいのです。例へば、……例へば、………えつと、第一楽章のオーボエの第二主題の、………」
「どこだ、………」
「あ、……えと、こゝです。………」
と身を寄せて小さく歌つた。それは中々一言が云ひ出せない朴訥な男が語りかけてくるやうな、聞いてゐる側からすればもどかしい主題で、沙霧がうたふとひどく魅惑的であつた。
「あゝ、そこか。思ひ出したわ。哀愁があつて綺麗なんやけど、なんか微妙やな」
「ふふ、……さうですよね。でも、その微妙さこそが原因なのです。ラフマニノフの交響曲は往々にしてリズムだとか音量の濃淡が重要でして、……あ、それは第二番を実際に演奏なさつた兄さんの方がお詳しいですよね」
「うむ。……あんなに細かく強弱記号で音量を指定されたのは初めてだつた」
これは楽譜をたゞ眺めるだけでも分かることであるが、ラフマニノフの交響曲第二番は鬱陶しいまでに強弱記号で演奏者を縛つてゐる。冒頭にある教会での礼拝からしてピアニッシモからクレッシェンドデクレシェンドで音量を支配されるし、その後のディエス・イレを思はせる動機もまた、たつた三小節弱の旋律ではあるけれども五つもの強弱記号が付いてゐる。そんな風に、その後も裸のまゝ投げ出される音符は無いと云つても云ひ過ぎではないのだが、そこへ持つてきて第一主題ではさらに一小節刻みでpoco rit. だとかa tempo と云つたリズムの変化も細かく指定される。交響曲第二番はさうやつて出来た緩急の匙加減が演奏における醍醐味と云つたところで、客席に居る者は交響曲と云ふよりはむしろヴォカリーズを聞くやうな心地にさせられるのである。たゞし、素晴らしい演奏では気が付かないほど巧妙に料理されて出てくるので、コンサートなぞで聞いた暁にはもう一度聞きたい衝動に駆られてしまふ。恐らく一度も演奏しないまゝ、一度も楽譜を見ないまゝ、何も考へず何も意識する��と無く聞くのが、交響曲第二番を味はへる最高のコンディションであらう。
「先程のオーボエの主題における濃淡といふのは、リズムの濃淡でして、らら~、ら~ら、らら~、……とほとんど同じことを繰り返すだけなんです。だから記憶にもあまり残らないし、なによりはつきりとしないので、うつかり記譜を間違へてしまうんです」
「それでスコアとパート譜が食ひ違つてるつて訳か」
「――えゝ。スコア譜では先程の音形が、……らら~、らら~、らら~、………になつてゐたりします。あ、それで話を戻しますと、ラフマニノフが死んだ後に復元されたスコアで、しかも主題でそんな間違ひを犯すほどですから、初演時には一体どれだけの不備があつたことやら、……」
「なるほどなあ、……確かにそれはあかんなあ」
「で、最近ではそんな記譜上の曖昧さが混乱に次ぐ混乱を呼んで、結果、演奏もはなはだひどかつたと、そんな見解が広がつてゐるらしいです」
「へえ、なるほどなあ。練習の時にグラズノフは何も文句を云はなかつたんかな」
「さあ、どうでせう? あの演奏はかなり放漫であつたらしいですから、それこそ酒に酔つて、練習も本番も勢ひで乗り切つたのかもしれませんね」
ふゝ、と沙霧はさも可笑しさうに笑つた。
「はゝゝ、かもな。ありがたう、勉強になつたよ」
「いえ、そんな、……私はこのあひだ読んだことを話したゞけですから、……」
「いや〳〵、同じラフマニノフ信者な俺でも知らなかつたんだから、そんな謙遜せんでえゝんやで。さすが沙霧やん」
「そんな、……ふゝ、そんなおだてゝも、これくらゐしか出てきませんよ。ふゝゝ、……」
「あゝ、さうだ。さう云ふ話を佳奈枝にもしてやつてくれ。まだネタはたくさんあるだらう? あいつはすぐ俺を知識で負かさうとしてくるから、ぎやふんと云はしたつてくれ」
と、里也は、普段あゝだかうだ云つてくる佳奈枝の顔が突然浮かんできたので、冗談めかしくさう云つたのであるが、
「………」
と沙霧の顔からみる〳〵うちに消えていく。
「沙霧?」
と再三呼びかけたが、崩れた笑みはもう戻つてこなかつた。
今日の客入りはほんたうに少ないらしく、開演時間間近になつても自分たちの両隣に人が居ないほど空席が目立つてゐた。少しばかり立ち上がつて一階席の方を覗き込むと、いつも客席を埋めてゐるご老人方がそれなりに居るやうであるけれども、やはり数は少ない。かう云ふ折には大学生くらゐのキラキラとした集まりがいくつもあるものだが、それもまたちらほら見かけるだけである。里也は日本のオーケストラを聞くのは学生の頃以来で、昔はよく講師の先生からチケットを安く買つては佳奈枝と共に訪れてをり、今日はその思ひ出にも浸らうかと密かに考へてゐたのであつたが、かうも学生が少ないと少し残念にも感じられる。学生として最後に訪れたコンサートは、たしかセザール・フランクの交響曲ニ短調を聞いた時であつたゞらうか。折良く定期演奏会の一月前に同じ曲をプロの演奏で聞けると云ふので、練習終はりに同じ金管楽器の連中と、楽器を背負ひながらこのシンフォニーホール��訪れたことはよく憶えてゐる。もちろんその時も佳奈枝は居て、隣りに座つてきたかと思へば、ブルックナーと同じくオルガン奏者であつたフランクへの愛を熱く語つてゐた。この交響曲の魅力はやつぱり何と云つてもその重厚かつ上品な響きにあつてゞすね、今日はそれが楽しみで来たんですけど、演奏に依つてはほんたうにオルガン版とオーケストラ版つて同じ響きをしてゐてゞすね、あ、でも悲壮感はオルガン版の方が上ですね、やつぱりあの強烈な響きには勝てません、やつぱりフランス人なのでオーケストラにするとどうしても音が華々しくなつてしまうんですかね、ま、兎に角、暗雲立ち込める冒頭からしばらく経つて、空が晴れ渡つた時の、あの天が歌つてゐるやうな抱擁感! もう素晴らしいとしか云へません。と云ふより、そも〳〵調性がニ短調の時点ですでに天上の音楽ですよね。それで、第三楽章へ向けてのあの例の主題がですね、――これ以降は忘れてしまつたが、演奏に関しては佳奈枝の望む通り、重厚かつ上品な響きに美しい旋律がそつと乗つてゐるやうな、そんな印象を受けた記憶がある。たゞあまりにも素晴らしい演奏をしてくれたものだから、第二楽章でやつぱり寝てしまつて、後で佳奈枝にこつぴどく怒られてしまひ、今でもコンサートの前には必ずと云つていゝほど寝ないでよね、と里也は云はれてゐるのであつた。
今日はそんな彼女がゐないので、里也は意識が遠のくほど存分に、自分の世界に入り込んで演奏を聞くことが出来た。プログラムもよく把握しないまゝに訪れた演奏会ではあつたけれども、ラフマニノフの死の島が始まつた途端から、船に纏はりつくやうにうねる海に心が囚われてしまつた。隣に座つてゐる沙霧は、里也以上に演奏に聞き入ってゐるのか瞬き一つすらしない。昔、彼女から聞いた話ではこの曲は、アルノルト・ベックリンの「死の島」といふ油絵か何かを見たラフマニノフが、その霊感に感動して作曲したさうだが、なるほど確かに原画を思ひ浮かべながら聞くと一つのストーリーのやうなものが現れる。死の島と云ふからおどろおどろしい想像をしてしまふけれども、ベックリンの意図では全体が墓場となつてゐる島ださうで、そのことを頭に入れておくと、不思議なことに不吉さは感じられず、代はりに何かしら形容し難い存在、いや、存在と云ふよりも概念と云つたところであらうか、それこそ死の概念がすぐに頭に上るけれど、しかしそんな人を恐怖に陥れるやうな概念ではない、葬送と追悼の意味をも込められた畏れ多い何かを、ラフマニノフの死の島を聞いてゐると感じる。里也は美術についてはかなり疎く、いまいちこの曲についても理解出来てゐないところがあるのだが、それでも同じ交響詩である岩よりも好きであつた。想像以上の演奏に、オーケストラの団員が舞台から去つても彼は目をつむつたまゝ、しつとりと心地よく響いてくる話し声や足音にじつと耳を傾けてゐた。
ふと隣を見てみた。隣では沙霧もまた彼と同じやうに静かに、身動きすること無く、演奏の余韻に浸つてゐるやうであつたが、なぜかじいつと里也の目を見つめてゐた。普段ならば目を合はせるとすぐに逸らされてしまふけれども、今だけは首を彼女に向けてもしつかりと見つめ返して来てゐる。軽く笑つてみてもそれは変はらず、つひにこちらが耐えきれなくなつて目をそらすと、彼女は目を閉じて深呼吸を一つした。
「兄さん、話しておきたいことが一つあります」
と沙霧は決意を新たに背筋を伸ばして座り直す。その目はやはり里也を真直ぐに捉へてゐる。
「どうした、そんなに真面目な顔して、何かあつたか?」
「いえ、……あ、いえ、あながち間違つてはゐませんが、さうではありません。これはずつと、……ほんたうは一生黙つてゐるつもりでしたが、どうしても兄さんにはお知りになつていたゞきたくて、……」
一生、の部分で彼女の手が震へてゐるのに気がついて、里也はそつと手を伸ばしたが、静かにはねのけられてしまつた。
「すみません、せつかくのコンサートにこんな真面目なことを。ご容赦くださると、たいへんありがたく存じます」
そこで沙霧が頭を下げたので、一旦目線は途切れることになつた。里也はほつとしたやうな心地になりはしたが、再び頭を上げた彼女の目元から、コンサートホールの薄暗い照明に淡く照らされて、一筋の涙のこぼれ落ちるのが確かに見えた。
「……よし、準備出来たぞ。なんかよくわからんが、もし何かあつても見捨てたりはせえへんからな、云つてくれ」
「ありがたうございます、兄さん。愛してをります。ですが、こゝまで真剣になつておいてかう云ふのも何ですが、私が大げさな態度を取つてゐるだけで、もしかすると大したことないかもしれません。気楽にお聞きになすつてください。それと、今日はこのことがどうしても気になつて、兄さんの言葉に反応できる余裕がなく、大変失礼な態度を取つてしまひました、ほんたうにすみません。………」
「大丈夫〳〵、かうしてその原因を語つてくれるんだから、別に何も気にしてへんよ。――ぢや、気楽に聞くとするかな。俺の分のパンフレット返して」
と客席に座る際に預けたまゝになつてゐたパンフレットを受け取つてから、里也は何気ない体を装つて眺め始めた。実際には手が震へるほど動揺してゐるのであるが、かつて壁に話しかけるやうにそつぽを向いて、自身の身の上を曝け出した彼女を思ふと、やはり今日も自分は物云はぬ壁になつた方が良いやうな気がした。それになぜか嫌な予感がするのである。彼女の云ふとおり、大したことがなければいゝのだが、………
沙霧はありがたうございます、と再び云つてから一つとして言葉に詰まること無く語りだした。それは十年以上昔のことながら日付まで憶えてゐるほどに細かゝつたが、要点を掻い摘んで云ふと、私が中学生の時分に受けたいぢめの中には、兄さんに云つてゐない部分が多々ある。それは当時伝へきれなかつたものから、別に伝へなくてもよいものまで多数あるが、今から話すことはその中でも後者に属してゐた(点々)ことである。と云ふのもこれは佳奈枝お姉さんに関することで、単刀直入に云ふと彼女にも私はいぢめられてゐたのである。その内容はありきたり��ものだつた。ある日は隠された教科書の在り処を訪ねる私を門前払いしたり、ある日はいくつも鞄を持たされた私を嘲笑つてゐたり、ある日はこちらを見て友達数人と大きな声で陰口を云つたり、そんなことは日常茶飯事であつたので、何も感じてゐないと云へば嘘になるが今では記憶が薄れつゝある。が、絶対に忘れられないことが一つあつて、それは体育の授業中に三人の組を作らなければいけなかつた際、ちやうど一人でぼんやり立つてゐた佳奈枝お姉さんに勇気を出して話しかけたところ、(――こゝから先は涙声で上手く聞き取れなかつた。)嫌さうな目だけをこちらに向けて、あつち行けと云はんばかりに背を向けられてしまつた。言葉は無かつた。あの時の目は今でもお姉さんの姿を見るだけで思ひ出される。鬱陶しさうな、冷たい、憎しみすら紛れ込んでゐる恐ろしい目、――あんな目を見せたのは今にも後にもお姉さんたゞ一人だつた。怖かつた。今でも怖い。いつまたひよつこりあの目が私の前に現れるかと思ふと、怖くて仕方がない。あの人を前にすると私は萎縮してしまふ。あの人の声を聞くと私の頭の中は空つぽになつてしまふ。あの人に髪を切られてゐると、命を刈り取られてゐるやうな気分になつてしまふ。私はもうお姉さんとは自然にお話が出来ないかも知れない、もうお姉さんとは仲良くなれないかも知れない、でも私にとつてはかれこれ十四年ぶりの友達だから、しかも趣味を同じくしてゐて、とても私では敵はないほど沢山のことを知つてゐて、人望もあつて、何でもかんでも出来て、私の理想とも云へる人だから、それに、今度の京都ではいよ〳〵二人きりで行動するのだから、……でも怖い。怖いし、何より当時の恨みがどうしても思ひ浮かんで良からぬことを企んでしまふ。もうずつと〳〵〳〵、あの人に対する恨みが募つて〳〵〳〵、どうすることも出来なくなつてしまつた。でもあの人は兄さんの、兄さんの、―――
「沙霧、もういゝ、いゝから、――」
と里也はたうとう耐へきれなくなつて沙霧の言葉を遮つた。
「沙霧、……もう何も云うな、云ひたいことはだいたい分かつたから。今はもう、何も考へずにゆつくりと演奏を楽しんでくれ。いゝな?」
沙霧はありがたうございます、と消え行く声で云つて、ゆつくりと目を閉じた。濡れた瞼の縁から溢れ出た涙を拭はうと、里也はハンカチをポケットから取り出したのであるが、今直ぐでは一層涙を誘ひ出しさうな懸念があるので差控へた(パクリなので変える?)。
気がつけば舞台の上ではオーケストラがオーボエのA の音を基準にチューニングを行つてゐた。ふつと力の抜けた里也には突然聞こえてきたやうなものなのであるが、さうかうしてゐる間に指揮者が壇上へとやつて来て、拍手が鳴り止まぬうちに交響曲第一番の復活を意図する強烈な一手が聞こえてきた。指揮者が出てきた時に弱々しく拍手をしてゐた沙霧の方を見てみると、項垂れてはゐるけれどもゆつくりと呼吸をしてゐるらしく、平らな胸元が静かに上下してゐる。クラリネットで奏でられる最初のDies irae を聞きながらひとまず話に区切りがついてほつとした里也は、沙霧の話は後で考へることにしてそつと深く腰掛けると、長く息をついて自身も項垂れてしまつた。交響曲はもう冒頭部分が終はつたらしく、最初の頂点を目指すべくトロンボーンで奏でられるDies irae が聞こえてきて、本来ならば耳を澄ますところなのであるが、しかしいつたいどうしてこんな時にこんな不吉な曲を聞かねばならないのか。
ラフマニノフの交響曲第一番には人間に優しいところなぞ何一つ無く、そこには神によつて無理やり復活させられた一人の人間の、気が狂つて必死に慈悲を乞うまでの物語があるだけである。冒頭から聞こえて来るグレゴリオ聖歌のDies irae を聞くだけで、もうこの曲は死の曲なんだな、といふことが分かる。と云ふのもDies irae は当時の作曲家、――例へばフランツ・リストだつたり、エクトール・ベルリオーズだつたりが死を象徴するモチーフとして使つたからで、同じロマン派に属するラフマニノフがその意図でDies irae を使はなかつた訳はなく、むしろ最初から最後まで幾度となく聞こえてくるところを顧みると、幻想交響曲のやうにある楽章だけ、と云ふのではなく全楽章に渡つて死後の世界が描かれてゐるのであらう。そして冒頭の強烈な三連符を、キリストによる死者の蘇生だと解するならば、明日があるさなどと呑気に云つてゐる場合ではない、天国に行けるよう目まぐるしく動き回らなければならない。最初の頂点を経て沈静部に入つた時こそ諦めに身を投げだしてゐるやうな気持ちであるが、やがて思ひ出したかのやうに暴れまはる。しかし男にはやましいことがあるのであらう、何度も〳〵もDies irae を聞くうちに正気を失つていき、ひとたび神が強烈にDies irae の主題をうたふ、――のかは知らないが、神の楽器による途方もない冷たさのDies irae が聞こえてくるとつひに気が狂ひ、大声で泣き叫ぶ。それが収まるのが第一楽章の後半、フルートで奏でられる悲哀の籠もつた美しい旋律が流れてゐる箇所であらうか、男は落ち着きを取り戻すものゝ、最初の審判を目にするや直ぐさま不安に襲はれ、再びDies irae が聞こえると共に気を失ふ。
第二楽章はそんな男の見た夢であらう。悲劇的な第一楽章の結尾から一転して可愛らしい妖精のスケルツォではあるけれども、いゝところでDies irae に邪魔をされる。が、実に良い夢である。舞踏会そのもの、と云ふよりは舞踏会を抜け出して、この世にあらざる者たちの踊りを見に行くやうな背徳感を感じる。しば〳〵天から降り注ぐDies irae は、しかし甘いお菓子に塩を加へるのと同じく、可愛らしい妖精たちの踊りをより可愛らしく見せるのに役立つてをり、彼女たちもそれに上手く乗つて踊る。が、最後の最後でヴィオラ以下の弦楽器によつて突然奏でられるDies irae はひどくおぞましい。今まで楽しく遊んでゐた妖精たちが突然踊りを止めたかと思ひきや、一斉にこちらを向いてDies irae を歌ふ、そんな心地がして一気に背筋が冷たくなつてしまふ。しかもそこで唐突に曲が終はるものだから、嫌な��覚のまゝ目を覚まさゞるを得ない。しかし、目を開けるとそこにはかつて愛してゐた女性がこちらに手を差し伸べてきてゐ、彼女に導かれるまゝ、最後の審判で沸き起こる人々から遠ざかり愛を囁き合ふ。遠くでは神が次々と判決を下してゐるのが見え、これが長くは続かないことを悟る。――第三楽章はそんな甘く切ない愛のシーンであらう。せつかくオーボエが甘美な旋律を歌ひ上げてゐるといふのに、ヴァイオリンが耳障りな音でそれに纏わりついたり、ホルンのシンコペーションで強烈に不安を煽られたりするが、ラフマニノフ特有の永遠に続きさうな旋律によつて表現された二人の優雅な愛が、その甘さで観客をとろけさせつゝも屋根の元で暮らすやうな安堵感を与へる。
そんな二人の甘い時間は民衆に巻き込まれる形で突如として終はりを迎へることになる。それが第四楽章の冒頭なのであるが、何と勇ましいファンファーレであらう。第一楽章への回帰と云ふドイツ人ならば必ず勝利の意味を込める構成よりも、その華々しさに目が行つて、第三楽章で寝てしまつた人のための目覚ましのやうにも感じられる。だが、第三楽章で目が覚めたと思つてゐた男も、ほんたうはこゝで目覚めるのであらう。しばらくは愛の余韻に浸るのであるが、木管の民族的な旋律が流れてゐるコントラバスの奇妙な蠢きに駆られて、やはり気が狂つてしまふ。眼の前に夢で見た妖精の踊りが見える。かと思ひきや、壮大な自然が見える。いや、今度はかつての恋人が見え、名も知らぬ肌の黒い美人が見え、一体どこの世界に居るのか、自分が生きてゐるのか死んでゐるのか分からぬ。何もかもが現れては消えていく。……そんな情景が繰り返された後、気がつけば神の御前に向かつて歩いてゐる。体の自由が効かぬまゝ無理やり一歩〳〵確実に歩かされ、絶頂へ達した民衆によつて神の元へ突き出され、一瞬の静寂のうちに必死に懇願する。懇願するが、圧倒的な存在を前に体中が焼き焦げていく。皮膚は溶け、髪の毛は抜け、目の玉は飛び出す。だが耳だけはゝつきりと聞こえる。もう何度も聞いたDies irae が確かに聞こえてくる。男は神の楽器による神の判決を聞きながら灰となつて散つていく。―――
聞いてゐると勝手にこんなストーリーが思ひ浮かぶものだから、里也はラフマニノフの交響曲第一番には何ら吉祥(きちじやう)ごとを感じられないのである。同じ天から降り注ぐ曲としても、フランクの交響曲ニ短調は神の抱擁であるが、ラフマニノフの交響曲第一番は神の審判である。いつもの彼なら、この希望の無さが素晴らしいんだよと云ひながらじつくりと耳を傾けるのであるが、やはり沙霧の話がチラついて結局最後の最後まで集中出来ずにゐた。かう云ふときには同じラフマニノフであつても交響曲第二番の方が、「暗黒から光明への道」といふベートーヴェンから続く交響曲の流れを汲んでをり、今の気分に合致してゐる。演奏が終はつた後、里也はいつものやうに動けずにゐた。違ふのはそれがなぜかと云ふことだつたけれども、自身の心の痺れから素晴らしい演奏をしてくれたのには間違ひなく、隣に居る沙霧を見てみると、彼女もまたどこか柔らかい表情をしてをり、試しに無言で笑ひかけてみたらくすりと笑ひ返されてしまつた。彼女があの後何を云ひたかつたのかは、何となく分かつてはゐる。恐らくは自分に、避けやうのない佳奈枝との関係をほんたうの意味で取り持つてもらひたいのであらう。今まで云ひ出せなかつたのは単に勇気がなかつたとしか云ひやうが無いが、今度二人きりで出かける際にもう怯えたくない。自然に佳奈枝と話し、自然に佳奈枝の友人として振る舞ひ、出来るだけ恥ずかしい事が起きないように、出来るだけ二人のあひだで問題が起きないようにしたい。もうあの旅は避けやうが無いのだから、せめて何事も滞りなく一日を過ごしたい。過去を忘れたい。さう云ふ思ひがこの二週間で募りに募つてしまつたのだ。いや、これまで佳奈枝と会ふ度に募つていつたのが、三年の時を経て今こゝで爆発してしまつたのだ。もし里也があの時沙霧と佳奈枝を引き合はせなければ、あの時佳奈枝を人生の伴侶としてしなければ、あの時佳奈枝を変な後輩だとしか思はなければ、あの時佳奈枝と出会つてゐなければ、………云ひ始めるとキリが無いが、佳奈枝の存在を彼女に伝へなければ、妹は過去のことなぞ自身の薄い胸の内に秘めて、決して外へは出さなかつたであらう。里也は自分たち兄妹の爛れた関係が変はりさうな予感がした。舞台の上ではもうすでに椅子が片付けられ初めてゐ、自分たちの周りに居たお客は皆居なくなつてしまつてゐた。
「そろ〳〵帰らう」
「………はい」
彼にとつて沙霧とはたゞの妹だつたかもしれない、愛しい恋人だつたかもしれない、物云はぬ傀儡だつたかもしれない、夢見がちなお姫様だつたかもしれない。しかしせめて今だけは、自分の妻としてこの憐れな妹を愛してあげようと思ひ、そつと手を差し出して、その冷やつこい小さなぬくもりを握り込んで、かつて新婚旅行と称して二人きりで行つた金沢への旅行に思ひを馳せた。
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あいよりなう☆5月
2017.5.23 『新しい動きの予感とはなてんトリビア』
☆Twitter Logより時系列に並べた未編集の記録 参加の皆さんに、自由に近況や意見をお話しして頂いた内容。
あいよりなう。
#enomoto
posted at 19:01:44
成年後見人制度のお話を聞きに行ってきました。何回も聞かないとなかなか難しい。 消費者センターの相続説明会にも役に立ちそうなので行ってきました。 大阪に生まれて、70年前には丸焼け。 森ノ宮にあった兵器工場の碑を1つずつ回っています。
posted at 19:04:20
あれだけ大きい兵器を作っていたが、一つだけ作ってないものを発見。発表したら、驚いてもらえました。毎月第2日曜日にやってます。かなり勉強できて楽しい。
posted at 19:05:35
5/6 に京都国立博物館の絵画展に行ってきました。いい絵はいいなぁ、と思いました。
posted at 19:06:38
夏鳥のブッポウソウ。ごく少なくなりました。西日本では吉備中央町と鳥取辺りに少し生存。吉備中央町では町おこしの題材としてパンフレットなどを出しています。大きな木がなくなったのですが、キツツキの使い古した穴を巣にしてるようです。木製の電柱なども昔は巣になってました。
posted at 19:08:49
ということで、300程の巣箱を電柱に設置。ブッポウソウ!と鳴くのはコノハズク。名前が取り違えられたのです。
posted at 19:09:58
新年度に入って高校の中の居場所カフェ。国の予算での運営が大阪府の教育庁の運営になり、予算がつき始めた。14校の高校にプロポーザルをかけて、4校が空白になっていたが、今ケアロードでプロポーザル検討中です。
posted at 19:14:32
虐待や性的マイノリティーなど問題を持つ子どもたちの第3の居場所作りを目指す事業。単年度制なので不安があるが、結果待ち。
posted at 19:15:42
大阪市はこども食堂を支援するという状況である。中学生の支援にも動きが出始めた。
posted at 19:17:14
子どもに関する施策については子育て支援課ができ、虐待、保育所などに取り組んでいる。ライオンズからの協力が得れそうで動きがありそうです。
posted at 19:18:33
来週、つるラボ開催。鶴見区の防災訓練の話や防災士さんの話があります。
GWは、秩父宮での慶応同志社定期戦を観戦に行きたかったが、帰省だけ。 娘は、ラグビー部スタッフで初遠征、秩父宮デビューが果たせ、その様子がテレビでも放映されて、ちゃんと仕事してるのがわかってよかった。
posted at 19:19:19
初参加です。地域活動協議会の理事長になりました。江戸時代中頃からここ放出に住んでいます。焼け野原になった放出、戦後の時代をみてきました。
posted at 19:25:53
戦国時代からある道音寺など古い土地柄。 大阪市��が施行され、東成区から旭区、城東区、鶴見区と変遷。この辺りは天領に近いところです。もっと歴史を調べてゆきたい。
posted at 19:28:06
明治42年に榎本小学校が建ったが、その後、私の家が建ちました。
posted at 19:29:17
過去あいよりは続けて来てましたが、1年半ほど空いてましたが、今回また新たに一から出直しの意味もあり参加しました。
posted at 19:30:22
副理事長になったことで、参加できることには参加していきたいと思った。平成23年から会社OBとしてプルタブを1トン59キロ集め、車椅子を各社会福祉協議会に5台贈ることができました。
posted at 19:32:48
先日も101キロのプルタブを皆さんの協力で集めることが出来ました。
posted at 19:33:30
枚岡神社の梅の実収穫祭に行ってましたが、病気になって、今年は全伐採。来年が楽しみです。
posted at 19:34:32
はなてん音楽サロンの実行委員会は毎月第2火曜に開催。今月は1日ずらして開催しれたが、話し合いの後、誕生会をしてくれました。昭和5年5月5日生まれで、こんな事をしてくれるとは思ってもいなかった。 https://pic.twitter.com/0R41yecXYv
posted at 19:37:54
音楽を愛聴する気質が地域にあって、支えられ、51回のコンサートも開催することになった。今日まで盛んになったことは夢のようです。 今後ともよろしくお願いします。
posted at 19:41:35
高槻ジャズストリートをお手本に、鶴見区に広がればいいなぁと始めてみました。やれることから始めればいいし、それが街づくりになるかもしれないとなりました。スタッフが集まり、継続。高槻も赤字続きで規模の大きなコンサートを続けて来た。その中ではなてんでのやり方を模索。
posted at 19:44:20
高槻ジャズストリートの売り上げはティシャツやカンパ。去年は黒字転換、国のお墨付きの観光スポットになったそうです。城跡がいちばん大きな会場でしたが今年は工事中。イメージ的にはあちはや神社の神楽殿で演奏する感じ。高槻が盤石になったのをみて、見習っていきたい
posted at 19:47:23
今日は、ふ���あいまつり前の榎本南公園の草刈り。 次は駐輪場予定のゲートボール場です。
posted at 19:48:11
子どもの居場所作りの話。 会館を借りたい、という女性が来て、10町会の方だと判明しました。まだまだ企画段階なので、あいよりに参加してくださいと提案。高齢者や子ども、切り口は沢山あるようだが、榎本についてはなかなか知らない部分が多いようなので、刺激を受けました。
posted at 19:51:14
ライトハウスには全国から寝泊まりされている方を合わせ、5〜60名。年齢的にはハナテン中古車センター。最近、コマーシャルを見ないのでどうなったのか?という話になった。放出にも映画館があったそうですが?
posted at 19:53:17
放出には、映画館が4軒ありました。 踏切越えてもまた1軒。
posted at 19:54:14
汎愛高校はなぜ地名がつかなかったのか? 市内の女学校が移ってきて汎愛になったとか聞きました。
posted at 19:55:10
学研都市線or片町線? 学研都市線は愛称です。 阪神巨人戦など話題は豊富。 利用者さんからの色んな質問をここで解決したいのでよろしくお願いします。
posted at 19:56:45
蒸気機関車が走っていました。 操作場に入っていくのをじっと見ていた思い出があります。
posted at 19:57:55
ゴールデンウィークに金毘羅さんに旅行。前日に腰を傷めました。前も熊本旅行前に、物もらい。 運動不足かなと、ストレッチを始めました。駅からの道で背後から自転車が来て、駐輪中の自転車が倒れかけ、中途半端に構えて、また痛みが出て来ました。だましだましやってましたが、気構えてしまいました
posted at 20:02:26
政策センターの研究員をしています。 防災の関連で地域を回っています。避難所は中学や小学校が多いが、学校が門戸を開いてくれるのは訓練の時だけ。備蓄倉庫は学校にあるが、どのくらいの量が必要かなど、日常的に学校と話が出来たらいいと考えます。
posted at 20:04:56
新年度から児童にも防災の取り組みを進めている。 救急救命や消火器の使い方などの防災教室の効果はどんなものか考える。 日常的に小中学校の子どもにたちをジュニアリーダーなどで取り組みできないか? 平日の災害に中学生の力が使えないか?生徒の安全が一番だが、保護者の考えはどうなのか?
posted at 20:08:01
地域と学校との防災の考え方を練っていくべきかとも思う。
posted at 20:08:35
政策センターは労働組合の自主的研修から始まりました。今はそこから離れ、公共サービスについての問題を解決するための機関。災害時も平常時も同じようにサービスするために。
posted at 20:11:15
災害時。��機応変に今そこにあるものを活用するための訓練が必要。今まで三角巾の活用が軸になっていたが、今の家庭にはない。
posted at 20:13:35
近所でも、10代の子どものいる家庭、親には会えず、弟は登校していない様子。親もどうでもいい、というような反応。
posted at 20:25:06
親のあり方を見直すべきかも。
posted at 20:25:27
商店会のイベントを通じて、新しい動きがあるのは、楽しみ。 ふれあいまつり、音楽サロンのコンサートもあり、ご参加ください。
雑感 5月もあっという間に過ぎようとしている。 あいよりも新規参加やカムバックされた方、地域外から欠かさず参加してくださる方などが増え、思い思いの話がそれぞれに膨らむ。 3月駅前商店会のイベント、にぎわいフェスタ参加から、榎本での可能性を見出して、会館を訪ねてくれた人がいる。 新旧が入り混じり、そして新たな風が吹く予感。 そして、まだまだ知らない榎本放出。歴史だけでなく、トリビア(ムダ知識?)も加え、まとめてていけたらいいよね‥とふと思ったりして。
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北大CoSTEP 13期生開講式の特別講義「科学とアートのコミュニケーションがはじまる」に参加し,講師:大友良英さんへの質問をこの距離でお話させていただいた.
エジソンの蓄音機の写真から音楽と科学の接点の話題が始まった.音楽は「生」でしか聞く事はできなかったのが「記録された音楽の再生」が可能になったというのだ.ソレ以前はオーケストラと楽譜と印刷技術でベートーベン本人がその場に居なくても再生が可能で…の話題になった時,楽譜を印刷(複製)するところから「著作権が始まった…」といつもの悪い癖が頭の中で始まったが抑える.
ところが,第九のように1時間もある音楽が,蓄音機というメディア(まさに媒体)に制限され一曲の演奏時間が2分,3分に制限されてしまったという.そういえばCDの企画が作られた時,第九の74分を基準にしたなんて事を思い出したりしていたが,話題は「せいぜい2〜3分」の音楽ばかり聞いて育った世代はソレが当然となったと指摘する.そして一般的に音楽を聞く場合の95%は「録音を聞く」ことで「音楽産業」が爆発的に開始し気軽に楽しめるようになったと説く.(それと同時に,頭の中では著作権と契約の概念も大きく広まったと悪い癖も同��進行で広がる)
更に技術と音楽の関係は,蓄音機の時代は低音が「飛ぶ」のでバスドラムの音は控えめに演奏され,少��良くなった時代にジャズ,電気アンプに接続され機器技術の進化で,ベースやドラムを強調したロックが大きく広がり頂点にレッド・ツェペリンとなる.その後リズムマシンやシンセサイザーの出現がクラフトワークやYMOの正確なリズムを生まれた時から聞き育った40歳以下のミュージシャンはゆらぎのない正確なドラムを刻むことが出来るようになったと言う.次から次へと興味いっぱいの話題が飛び出し堪能できる講演だった.
来場者質問の最後に僕が指名を受ける
成長の段階で聞き慣れた音楽が好きな音楽になるということから,正確なリズムよりたった3人で演奏するクリームの1968年解散コンサートのギター(エリック・クラプトン),ベース(ジャック・ブルース),ドラム(ジンジャー・ベイカー)の人間の力技だけで大きな「ゆらぎ」のある演奏と,坂本龍一のインタビューだかライナーノーツの記事で「楽器の肉体的訓練をしなくても頭の中に存在する音楽を外に向けて再生可能なシンセサイザー」の素晴らしさを説いていたが,質問として「どちらがお好みですか?」と聞いてみた.
予想通りの回答は,「ジツは数日前に1968年のクリームを聞いたばかりで,,」と照れながらドチラも好きだとのことだった.帰りの車のなかで僕の脳内ヘビロテは大友良英さん作曲「あまちゃん オープニングテーマ」であったことは言うまでもない.
(撮影・掲載許諾:安倍隆 様)
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生涯[編集] 誕生[編集] フランツはウィーン郊外のリヒテンタールで生まれた。メーレン(モラヴィア)から移住したドイツ系植民の農夫の息子である父のフランツ・テオドールは教区の教師をしており、母エリーザベト・フィッツは結婚前ウィーン人家族のコックをしていた。成人したのは長男イグナーツ(1785年生まれ)、次男フェルディナント(1794年生まれ)、三男カール(1796年生まれ)、次いで第12子のフランツ、娘のテレジア(1801年生まれ)であった。父はアマチュア音楽家で長男と次男に音楽を教えた。 フランツは5歳の時、父から普通教育を受け始め、6歳の時リヒテンタールの学校に入学した。この頃、父は末の息子のフランツにヴァイオリンの初歩を、また長男イグナーツにピアノを教え始めた。フランツは7歳頃になると父親の手に余るほどの神童振りを発揮し始めたため、父親はフランツをリヒテンタール教会の聖歌隊指揮者ミヒャエル・ホルツァーの指導する聖歌隊に預けることにした。ホルツァーは主として感動表現に主眼を置いて指導したという。仲間の徒弟たちはフランツの音楽的才能に一目を置き、当時演奏家として聴衆に注目されなければ作曲家としての成功の機会は無いという時代であったので、聖歌隊建物に隣接するピアノ倉庫にしばしばフランツを案内して、ピアノを自由に練習できるように便宜を図ってくれた。そのおかげで、貧しい家庭であればけっして触れられなかったような良い楽器で練習・勉強することができた。 コンヴィクト[編集] 1808年10月、シューベルトはコンヴィクト(寄宿制神学校)の奨学金を得た。その学校はアントニオ・サリエリの指導の下にあり、ウィーン楽友協会音楽院の前身校で、宮廷礼拝堂コーラス隊養成のための特別教室をもっていた。ここにシューベルトはおよそ17歳まで���属、ハイドンが聖ステファン大聖堂で得た教育と殆ど同様に直接指導での得るところは少なく、むしろ学生オーケストラの練習や同僚の寄宿生との交際から得るものが多かった。献身的にシューベルトに尽くした友人達の多くはこの当時の同級生で、シュパウン(Spaun, 1788-1865)、シュタットラー(Stadler)、ホルツアプフェル (Holzapfel)、その他多数の友人達が自分達の小銭で貧しいシューベルトを助け、彼には買えない五線紙を買って与え、誠実な支持と励ましを与えてきた。また、このコンヴィクトでモーツァルトの序曲や交響曲、それらに類した作品や小品に初めて出会った。 一方、天才ぶりは作曲の分野で既に示しつつあった。1810年4月8日-5月1日の日付のある32ページびっしりと書かれた『4手ピアノのためのファンタジア (D1)』。続いて1811年にはツムシュテーク (1760 - 1802) が普及を図った計画にそって書かれた3つの長い歌曲、『五重奏序曲 (D8)』、『弦楽四重奏曲 (D18)』、『4手ピアノのためのファンタジア第2番 (D9)』がある。室内楽曲への想いが目立っているが、それは日曜日と祝日ごとに、2人の兄がヴァイオリン、父がチェロ、自分がヴィオラを受け持って、自宅でのカルテット演奏の例会が行われていたからである。後年、多くの作品を書くことになったアマチュア・オーケストラの萌芽をなすものであった。コンヴィクト在籍中には多くの室内楽、歌曲、ピアノのための雑品集を残し、また野心的な力を注いだのは、1812年(15歳)の母の葬儀用と言われる『キリエ (D31)』と『サルヴェ・レジーナ (D106)』(それぞれ合唱聖歌)、『木管楽器のための八重奏曲 (D72)』である。1813年には父の聖名祝日のために、歌詞と音楽からなる『カンタータ (D80)』を残した。学校生活の最後には最初の交響曲 (D82) が生まれた。 1813年-1815年[編集] 1813年の終りにシューベルトは(変声期を経て合唱児童の役割を果たせなくなったため)コンヴィクトを去り、兵役を避けるために、父の学校に初級生のための教師として入職した。その頃、父はグンペンドルフの絹商人の娘アンナ・クライアンベックと再婚した。およそ2年以上、シューベルトは自分の意にそわない仕事に耐えたが、伝え聞くには、非常に無関心に仕事をこなしていたようで、その代償を別の興味で補っていた。サリエリから個人な指導を受けたが、彼はハイドンやモーツァルトの真似だと非難をしてシューベルトを悩ませていた。しかし、サリエリは他の教師の誰よりも多くを彼に教えた。シューベルトはグローブ一家と親密に交際しており、そこの娘テレーゼは歌が上手く良い友人だった。彼は時間があれば素早く大量の作曲をしていた。完成された最初のオペラ『悪魔の悦楽城 (D84)』と、最初の『ミサ曲ヘ長調 (D105)』は共に1814年に書かれ、同じ年に『弦楽四重奏曲』3曲(D46.D74.D87)、数多くの短い器楽曲、『交響曲ニ長調 (D82)』の第1楽章、『潜水者 (D77)』『糸を紡ぐグレートヒェン (D118)』といった最高傑作を含む7つの歌曲が書かれた。 1815年には更に豊穣な作品群が登場する。学業、サリエリの授業、ウィーン生活の娯楽にもかかわらず、多くの作品を生み出した。『交響曲第2番変ロ長調 (D125)』が完成され、『交響曲第3番ニ長調 (D200)』もそれに続いた。また、『ト長調 (D167)』と『変ロ長調 (D.324)』の2つのミサ曲、前者は6日間で書き上げられ、その他『ヘ長調のミサ曲』のための新しい『ドナ・ノビス (D185)』『悲しみの聖母 (D383)』『サルヴ・レジナ (D379)』、オペラは『4年間の歩哨兵勤務 (Der Vierjahrige Posten, D190)』、『フェルナンド (D220)』、『クラウディーネ・フォン・ヴィラ・ベッラ (D239)』[2]、『アドラスト (D137)』(研究により1819年の作曲と推定)、『バイデ・フロインデ・フォン・サラマンカ(サラマンカの友人たち)(D326)』(会話の部分が失われている)の5曲作曲された。これらの他『弦楽四重奏ト短調(D173)』、『ピアノのための4つのソナタ(D157.D279.D459』、数曲のピアノ小品、これらの最盛期をなすのは、146の歌曲、中にはかなり長い曲があり、また8曲は10月15日と7曲が10月19日の日付がある。 1814年から1815年にかけての冬、シューベルトは詩人ヨハン・マイアホーファー(英語版)(1787-1836)と知り合った。この出会いは彼の常であったが、間もなく温かで親密な友人関係に熟していった。2人の性質はかなり違っていた。シューベルトは明るく開放的で少々鬱の時もあったが突然の燃えるような精神的高揚もあった。一方マイアホーファーは厳格で気難しく、人生を忍耐すべき試練の場とみなしている口数少ない男性だった。この友好関係は、後年見られるようにシューベルトに対してのみ一方的に奉仕するものであった。 1816年[編集] シューベルトの運命に最初の真の変化が見えた。コンヴィクト時代からの友人シュパウンの家でシューベルトの歌曲を聞きなじんでいた、法律学生フランツ・ショーバー(1796-1882)がシューベルトを訪問して、学校での教師生活を辞め、平穏に芸術を追求しないかと提案した。シューベルトはライバッハ(現在のリュブリャナ)の音楽監督に志願したが不採用になったばかりで、教室に縛り付けられている思いが強まっていた。父親の了解はすぐに得られ、春が去る頃にはシューベルトはショーバーの客人となった。しばらくの間、彼は音楽を教えることで家具類を買い増そうとしたが、じきにやめて作曲に専念した。「私は一日中作曲していて、1つ作品を完成するとまた次を始めるのです」と、訪問者の質問に答えていた。 1816年の作品の1つはサリエリの6月16日記念祭のための『3つの儀式用カンタータ (D407)』、もう1つは『プロメテウス・カンタータ (D451)』、これはハインリヒ・ヨーゼフ・ワターロート教授の生徒達のためで、教授はシューベルトに報酬を支払った。シューベルトは雑誌記者に「作曲で報酬を得たのは初めてだ」と語っている。もう1曲は、《教員未亡人基金》の創立者で学長ヨーゼフ・シュペンドゥのための『カンタータ (D472)』で、愚かな博愛の詩が歌われている。最も重要な作品は『交響曲第4番ハ短調 (D417)』で《悲劇的交響曲》と呼ばれ、感動的なアンダンテがある。次いでモーツァルトの交響曲のように明るく新鮮な『第5番変ロ長調 (D485)』、その他多少の教会音楽。それらは先輩達の作品よりも充実し円熟していたし、更にゲーテやシラーからシューベルト自身が選んだ詩であった。 この時期友人達の輪は次第に広がっていった。マイアーホーファーが彼に、有名なバリトン歌手フォーグル(1768-1840)を紹介し、フォーグルはウィーンのサロンでシューベルトの歌曲を歌った。アンゼルムとヨーゼフのヒュッテンブレンナー兄弟はシューベルトに最も奉仕し崇めていた。ガヒーは卓越したピアニストでシューベルトのソナタやファンタジーを演奏した。ゾンライトナー家は金持ちの商人で、長男がコンヴィクトに所属していたことがあったことからシューベルトに自由に自宅を使わせていたが、それは間も無く“シューベルティアーデ”と呼ばれ、シューベルトを称えた音楽会へと組織されていった。 シューベルトは完全に素寒貧だった。それと言うのも彼は教えるのは辞めたし、公演で稼ぐことも出来なかった。しかも、音楽作品を只でも貰うという出版社は無かった。しかし、友人達は真のボヘミアンの寛大さで、ある者は宿を、ある者は食料を、他の者は必要な手伝いにやってきた。彼らは自分達の食事を分け合って食べ、金を持っている者は楽譜の代金を支払った。シューベルトは常にこのパーティーの指導者であり、新しい知人が推薦された時に、シューベルトが「彼が出来ることは何か?」といういつもの質問がこの会の特徴を最もよく表すものであった。 1818年[編集] 1818年は、前年と同様に、創作上は比較的実りは無かったものの、2つの点で特筆すべき年であった。1つ目はシューベルトの作品の最初の公演が行われたことである。演目はイタリア風に書かれた『序曲 (D590)』で、これはロッシーニをパロディー化したと書かれており、5月1日に刑務所コンサートで演奏された。2つ目は、シューベルトに対する初めての公式の招聘があったことである。それは、ツェレスに滞在するヨハン・エステルハージ伯爵一家の音楽教師の地位で、シューベルトは夏中、楽しく快適な環境で過ごした。 この年の作品には『ミサ曲 (D452)』と『交響曲第6番(D589)』(共にハ長調)、ツェレスでの彼の生徒達のための一連の『四手のためのピアノ曲』、『孤独に (D620)』や『聖母マリア像 (D623)』『繰り言 (Litaney)』等を含む歌曲がある。秋にウィーンへの帰りに、ショーバーの所にはもはや滞在する部屋がないことが分かり、マイアーホーファー宅に同居することになった。ここでシューベルトの慣れた生活が継続された。毎朝、起床するなり作曲を始め、午後2時まで書き、昼食を摂った後、田舎道を散歩し、再び作曲に戻るか、或いはそうした気分にならない場合は友人宅を訪問した。歌曲の作曲家としての最初の公演は1819年2月28日で、『羊飼いの嘆きの歌 (D121)』が刑務所コンサートのイェーガーによって歌われた。この夏、シューベルトは休暇を取って、フォーグルと共に北部オーストリアを旅行した。シュタイアーで『鱒(ます)』として有名な『ピアノ五重奏曲イ長調 (D667)』をスコア無しでパート譜を書き、友人を驚かした。秋に、自作の3曲をゲーテに送ったが、返事は無かった。 1820年・1821年[編集] 1820年の作品には目覚しいものがあり、著しい進歩と形式の成熟が見られる。小作品の数々に混じって『詩篇23番 (D706)』『聖霊の歌 (D705)』『弦楽四重奏断章ハ短調 (D703)』、ピアノ曲『さすらい人幻想曲 (D760)』等が誕生している。 6月14日『双子の兄弟 (D647)』が、また『魔法の竪琴 (D644)』が8月19日に公演された。これまで、ミサ曲を別にして彼の大きな作品はグンデルホーフでのアマチュア・オーケストラに限定されていた。それは家庭での弦楽四重奏の奏者達から育って大きくなった社交場だった。ここへきて彼はより際立った立場を得て、広く一般に接して行くことが求められ始めた。しかし依然出版社は極めて冷淡であったが、友人のフォーグルが(1821年2月8日)ケルトナートーア劇場で『魔王』を歌ってからようやくアントニオ・ディアベリ(作曲家・出版業者、1781-1858)がシューベルトの作品の取次販売に渋々同意した。作品番号で最初の7曲(すべて歌曲)がこの契約に従って出版された。その後この契約が終了し、大手出版社が彼に応じてごく僅かな版権を受け取り始めた。シューベルトが世間から問題にされないのを生涯気にしていたことについて、多くの記事が見られる。それは友人に落ち度はなく、ウィーンの大衆に間接的に落ち度がある。最も非難されるべき人物は、出版する金を出し惜しみし、出版を妨げた臆病な仲介者である。2つの劇作品を生み出したことを契機に、シューベルトの関心がより強固に舞台に向けられた。 1821年の年の瀬に向かって、シューベルトはおよそ3年来の屈辱感と失望感に浸っていた。『アルフォンソとエストレラ (D732)』は受け入れられず、『フィエラブラス (D796)』も同じだった。『陰謀者 (D787)』は検閲で禁止された(明らかに題名が根拠であった)。劇付随音楽『ロザムンデ (D797)』は2夜で上演が打ち切られた。これらのうち『アルフォンソとエストレラ』並びに『フィエラブラス』は、規模の点で極めて���演が困難であった(例えば『フィエラブラス』は1000ページを超える手書き楽譜であった)。しかし『陰謀者』は明るく魅力的な喜劇だったし、『ロザムンデ』はシューベルトが作曲した中でも素晴らしい曲が含まれていた。 1822年-1825年[編集] 1822年にカール・マリア・フォン・ウェーバー、そしてベートーヴェンと知りあう。両者ともにほとんど親しい関係にならなかったが、しかしベートーヴェンはシューベルトの天分を心底認めていた。シューベルトはベートーヴェンを尊敬しており、連弾のための『フランスの歌による変奏曲(D624)』作品10を同年に出版するに当たり献呈している。ウェーバーはウィーンを離れて不在であり、新しい友人が現れても望ましい人物ではなかった。この2年は全体として、彼の人生では最も暗い年月であった。 1824年春、シューベルトは壮麗な『八重奏曲 (D803)』『大交響曲のためのスケッチ』を書き、再びツェレスに戻った。彼がハンガリーの表現形式に魅せられ『ハンガリー風喜遊曲 (D818)』と『弦楽四重奏曲イ短調 (D804)』を作曲した。 舞台作品や公的な義務で夢中になっていたが、この数年間に時間を作って多様な作品が生み出された。『ミサ曲変イ長調 (D678)』が完成。1822年に着手した絶妙な『未完成交響曲 (D759)』が生まれている。ミュラー(1794-1827)の詩による『美しき水車小屋の娘 (D795)』とシューベルトの最も素晴らしい歌曲の数々が1825年に書かれた。 1824年までに、前記の作品を除き『《しぼめる花》の主題による変奏曲 (D802)』、2つの弦楽四重奏曲(『イ短調 <ロザムンデ>(D804)』、『ニ短調<死と乙女> (D810)』)が作られている。また、『ピアノとアルペジョーネのためのソナタ (D821)』は、扱いにくく今では廃れた楽器を奨励する試みであった。 過去数年の災難は1825年の繁栄と幸福に取って代わった。出版は急速に進められ、窮乏によるストレスはしばらく除かれた。夏にはシューベルトが熱望していた北オーストリアへの休暇旅行をした。旅行中に、ウォルター・スコット(1771-1832)原詩の歌曲『ノルマンの歌 (D846)』、『囚われし狩人の歌 (D843)』や『ピアノソナタ イ短調 (Op.42, D845)』を作曲、スコットの歌ではこれまでの作曲で得た最高額の収入を得た。 ウィーンでの晩年[編集] 1827年にグラーツへの短い訪問をしていることを除けば、1826年から1828年にかけてずっとウィーンに留まった。その間、たびたび体調不良に襲われている。 晩年のシューベルトの人生を俯瞰したとき、重要な出来事が3つみられる。一つは1826年、新しい交響曲をウィーン楽友協会に献呈し、その礼としてシューベルトに10ポンドが与えられたこと。二つ目は、オペラ指揮者募集に応募するためオーディションに出かけたが、リハーサルの際に演奏曲目を自作曲へ変更するよう楽団員たちに提案した���のの拒絶され、最終的に指揮者に採用されなかったこと。そして三つ目は、1828年の春になって人生で初めてでただ1度の、彼自身の作品の演奏会の機会が与えられたことである。 1827年に、シューベルトは『冬の旅 (D911)』、『ピアノとヴァイオリンのための幻想曲 (D934)』、2つのピアノ三重奏曲(Op.99 / D898、Op.100 / D929)を書いた。 1827年3月26日、ベートーヴェンが死去し、シューベルトは葬儀に参列した。その後で友人たちと酒場に行き、「この中で最も早く死ぬ奴に乾杯!」と音頭をとった。この時友人たちは一様に大変不吉な感じを覚えたと言う[3][4]。事実、彼の寿命はその翌年で尽きるのであった。 最晩年の1828年、『ミサ曲変ホ長調 (D950)』、同じ変ホ長調の『タントゥム・エルゴ (D962)』、『弦楽五重奏曲 (D956)』、『ミサ曲ハ長調 (D452)』のための2度目の『ベネディクトス (D961)』、最後の『3つのピアノ・ソナタ(D958, 959, 960)』、『白鳥の歌』として有名な歌曲集(D957/D965A)を完成させた。この中の6曲はハイネの詩に付けられた。ハイネの名声を不動のものにした詩集「歌の本」は1827年秋に出版されている。 シューベルトは対位法の理論家として高名だった作曲家ジーモン・ゼヒター(後にブルックナーの教師となる)のレッスンを所望し、知人と一緒に彼の門を叩いたが、何度かのレッスンの後、ゼヒターはその知人を介して「シューベルトは重病です」ということを知らされた。11月12日付のショーバー宛の手紙でシューベルトは「僕は病気だ。11日間何も口にできず、何を食べても飲んでもすぐに吐いてしまう」と著しい体調不良を訴えた。これがシューベルトが認めた最後の書簡となった。 その後シューベルトは『冬の旅』などの校正を行っていたが、11月14日になると病状が悪化して高熱に浮かされるようになり、同月19日に兄フェルディナントの家で死去した。シューベルトの最後の様子はフェルディナントが父へ宛てた手紙に言及されており、死の前日に部屋の壁に手を当てて「これが、僕の最期だ」と呟いたのが最後の言葉だったという。まだ31歳9か月の若さであった。遺体はシューベルトの意を酌んだフェルディナントの尽力により、ヴェーリング街にあった当時のヴェーリング墓地の、ベートーヴェンの墓の隣に埋葬された。1888年に両者の遺骸はウィーン中央墓地に移されたが、ヴェーリング墓地跡のシューベルト公園には今も二人の当時の墓石が残っている。 死後間もなく小品が出版されたが、当時の出版社は「シューベルトはシューベルティアーデ(ドイツ語版)のための作曲家」とみなして、もっと価値のある大規模作品を出版することはなかった。 シューベルトの死亡原因については、死去した年の10月にレストランで食べた魚料理がもとの腸チフスであったとも、エステルハージ家の女中から感染した梅毒の治療のために投与された水銀が彼の体内に蓄積、中毒症状を引き起こして死に至ったとも、いくつかの説が言われている。シューベルト生誕200年の1997年には、改めて彼の人生の足跡を辿る試みが行われ、彼の梅毒罹患をテーマにした映画も制作され公開された。 死後[編集] 19世紀[編集] 没後はベートーヴェンの神格化が加速化する一方で、シューベルトは「歌曲の王」という位置づけがなされ、歌曲以外のシューベルトの作品は『未完成交響曲』や弦楽四重奏曲『死と乙女』のような重要作を除いてはほぼ放置に等しい状況だった。 1838年にシューマンがウィーンに立ち寄った際に、シューベルトの兄フェルディナントの家を訪問した。フェルディナントはシューベルトの書斎を亡くなった時のままの状態で保存していて、シューマンはその机上で『(大)ハ長調の交響曲』が埃に埋もれているのを発見し、ライプツィヒに持って帰った。その後メンデルスゾーンの指揮によって演奏され、ノイエ・ツァイトシュリフト紙で絶賛された。この交響曲の番号について、母国語がドイツ語の学者は第7番、再版のドイツのカタログでは第8番として、英語を母国語とする学者は第9番として掲載するなど、番号は未だに統一されていない。 この他の埋もれていた作品の復活に、1867年にウィーンを旅行したジョージ・グローヴ(1820-1900)とアーサー・サリヴァン(1842-1900)の2人が大きな功績を挙げた。この2人は7曲の交響曲、ロザムンデの音楽、数曲のミサ曲とオペラ、室内楽曲数曲、膨大な量の多様な曲と歌曲を発見し、世に送り出した。こうして一般聴衆は埋もれていた音楽に興味を抱くようになり、最終的には楽譜出版社ブライトコプフ・ウント・ヘルテルによる決定版として世に送り出された。 グローヴとサリヴァンに由来し、長年にわたって《失われた》交響曲にまつわる論争が続いてきた。シューベルトの死の直前、彼の友人エドゥアト・フォン・バウエルンフェルトが別の交響曲の存在を1828年の日付で記録しており(必ずしも作曲年代を示すものでは無いが)、《最後の》交響曲と名付けられていた。《最後の》交響曲が「ニ長調 (D963A)」のスケッチを指していることは、音楽学者達によってある程度受け入れられている。これは1970年代に発見され、ブライアン・ニューボールド(英語版)によって交響曲第10番として理解されている。シューベルトはリストのよく知られた言葉で最も良く要約されている。即ち、シューベルトは《もっとも詩情豊かな音楽家》である。 シューベルトのほとんどの作品に即興性が見られるが、これは彼が運筆にインクのしみを付けたことが無いほどの速筆だったことも関係している。 20世紀[編集] シューベルトは存命中から「歌曲で採算の取れる」作曲家ではあったが、多くの未公開作品や未出版作品が大量に遺されたため、研究は難航を極めた。 ピアノソナタなど、その他の作品が一般にも脚光を浴びるようになるのはシューベルト没後百年国際作曲コンクール(優勝者はクット・アッテルベリ)が1927年に開催されるころからであり、同時期にエルンスト・クルシェネクがシューベルトのピアノソナタの補筆完成版を出版した。 シューベルトのピアノソナタはベートーヴェンよりは格下に見られていたために録音しようというピアニストはきわめて少数だったが、その黎明期に録音を果たした人物にヴァルター・ギーゼキングがいる。没後150年を迎えた1977年ごろになると、シューベルトのピアノソナタは普通に演奏会でかかるようになり、長大なピアノソナタを繰り返しなしで演奏することが可能になった(かつては省略が当たり前だった)。現在は初期から後期まで演奏会の曲目にも、普通に現れる。補作して演奏するパウル・バドゥラ=スコダ(ピアノソナタ第11番)のようなピアニストも珍しくない。 シューベルト新全集は現在ベーレンライター出版社が全責任を取る形で出版に務めているが、オペラなどの部分は完結はしていない。音符の形やスコア全体のレイアウトはすべてコンピュータ出力で修正されているが、合唱作品はCarus社なども新しい版を出版している。 現在の浄書技術を以ってしても「デクレッシェンドなのかアクセントなのか(これについては後述)」の謎は、完全に解明されていない。そのため、「未完成交響曲」の管楽器についた音は、奏者や指揮者によっていまだに解釈が異なり定着していない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランツ・シューベルト#D.E7.95.AA.E5.8F.B7
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蓄音機コンサート「第2回 蓄音機で聴くチェロの巨匠たち ~伝説の名演の味わい~」を開催しました
小春日和となった12月20日、蓄音機コンサート「第2回 蓄音機で聴くチェロの巨匠たち ~伝説の名演の味わい~」を開催しました。
会場入りされた河野先生がチェロをお持ちだったので「弾いてくださるんですか!?」とお聞きすると、「音を出すだけですよ」とのお答えが。
その答えはプログラム7曲目、モーリス・ダムボア(1889-1969)のレコードを聴いた後。 「僕のチェロはダムボアが持っていたものです。今のレコードで聴いたチェロはこのチェロです」ということで、ダムボアが弾いた曲の冒頭を弾いてくださいました。思わぬサプライズにゾクゾクしてしまいました。
カザルスが弾くカサドの曲から始まり、次はカサドの演奏。シャフランが弾くクレンゲルの曲の次はクレンゲルの演奏、クレンゲルと同時代のベッカーを聴いた次に聴くのはクレンゲルとベッカーに師事したピアティゴルスキーというように、連続性のあるプログラムの中で、チェリストたちの名演と、先生方のお話に聴き惚れる、あっという間の2時間でした。 最後はフルニエの白鳥、「数ある白鳥の録音の中で最も美しい」と先生がおっしゃるとおりの名演で幕を閉じました。
今年度の図書館が主催する蓄音機コンサートはこれで終了です。 来年度も開催予定ですので、皆様のご来場をお待ちしています。
「第2回 蓄音機で聴くチェロの巨匠たち ~伝説の名演の味わい~」 日時:2019年12月20日(金)19:00-21:10 会場:音楽学部 第6ホール 解説:河野文昭教授・中木健二准教授(チェリスト・音楽学部器楽科) 助成:藝大フレンズ 観客数:89名 募金額:37,610円
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蓄音機コンサート「第2回 蓄音機で聴くチェロの巨匠たち ~伝説の名演の味わい~」を開催します
12月20日(金)に蓄音機コンサート「第2回 蓄音機で聴くチェロの巨匠たち ~伝説の名演の味わい~」を開催します。
2017年に第1回を開催し、大好評をいただいてから2年。野澤コレクションの整理も進み���使えるチェロのSPレコードは200枚から1100枚へと大幅アップしました。
その中からチェリストの河野先生と中木先生がセレクトした14名の歴史的チェリストの演奏をお聴きいただきます。
名チェリストたちの演奏と共に、河野先生と中木先生の息の合った、楽しくもためになる解説も併せてお楽しみいただけます。
皆様のご来場をお待ちしています。
東京藝術大学附属図書館SPレコードコレクションによる蓄音機コンサート2019 「第2回 蓄音機で聴くチェロの巨匠たち ~伝説の名演の味わい~」 日時:2019年12月20日(金)19:00開演 会場:音楽学部 第6ホール 入場:無料(定員200名) 解説:河野文昭教授・中木健二准教授(チェリスト・音楽学部器楽科) 助成:藝大フレンズ
予定プログラム
パブロ(パウ)・カザルス(1876-1973) カサド「親愛の言葉」
ガスパール・カサド (1897-1966) シューベルト/カサド「アルペジョーネ・ソナタによる協奏曲」より
ダニール・シャフラン (1923-1997) クレンゲル「スケルツォ」
ユリウス・クレンゲル (1859-1933) ポッパー「マズルカ」
フーゴー・ベッカー (1863-1941) ベッカー「メヌエット」
グレゴール・ピアティゴルスキー (1903-1976) シューマン「チェロ協奏曲イ短調」より
モーリス・ダムボア (1889-1969) チャイコフスキー/ポッパー「悲しい歌」
ロマン・ドゥクソン (1901-1973) 古賀政男「泪の春」
ベアトリス・ハリソン (1892-1965) エルガー「チェロ協奏曲」より *エルガー指揮
モーリス・マレシャル (1892-1964) ラロ「チェロ協奏曲ニ短調」より
アンドレ・ナヴァラ (1911-1988) フォーレ「チェロソナタ第2番」より
モーリス・ジャンドロン (1920-1990) フィッツェンハーゲン「常動曲」
ポール・トルトゥリエ (1914-1990) トルトゥリエ「バーレスク “ピエロ”」
ピエール・フルニエ (1906-1986) サン・サーンス「白鳥」
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第10回ロームクラシックスペシャル「蓄音機で聴くチェロの巨匠たち」プログラム
10月17日(火)に開催する第10回ロームクラシックスペシャル「蓄音機で聴くチェロの巨匠たち」の予定曲目は以下の通りです。
パブロ・カザルス(1876-1973) 「アダージョ」 J.S.バッハ
フーゴ・クライスラー(1884-1929) 「アルルの女」より「インテルメッツォ」 ビゼー *ヴァイオリン:フリッツ・クライスラー
モーリス・マレシャル(1892-1964) 「チェロ・ソナタ」より第3楽章 ドビュッシー 「ノクターン Op.9, no. 2」 ショパン
ルドルフ・ヒンデミット(1900-1974) 「ヴィオラとチェロのための二重奏曲」 ベートーヴェン *ヴィオラ:パウル・ヒンデミット
エマヌエル・フォイアマン(1902-1942) 「無伴奏チェロ・ソナタ Op.25, no. 3」 ヒンデミット 「ツィゴイネルワイゼン」 サラサーテ 「弦楽三重奏のためのセレナード Op.8」より ベートーヴェン
グレゴール・ピアティゴルスキー(1903-1976) 「スケルツォ」 ゲンス
アンドレ・ナヴァラ(1911-1988) 「無伴奏チェロ組曲第2番」より「プレリュード」 J.S.バッハ
アマデオ・バルドヴィーノ(1916-1998) 「チェロ・ソナタ イ長調」より「アレグロ」 ボッケリーニ
ムスティラフ・ロストロポーヴィチ(1927-2007) 「フモレスケ」 ロストロポーヴィチ
蓄音機コンサートを開始して3年、今回が初めてのチェロ特集です。解説として初登場の河野文昭教授、中木健二准教授も大変魅力的な先生方ですので、ぜひ足をお運びください。
河野文昭教授 日本チェロ協会HP http://www.cello.gr.jp/cellists/534/ 中木健二准教授 公式サイト http://www.kenjinakagi.com/
第10回ロームクラシックスペシャル 「蓄音機で聴くチェロの巨匠たち ~伝説の名演の味わい~」
日 時:2017年10月17日(火)18:30開演 会 場:音楽学部第6ホール 入 場:無料(定員200名) 解 説:河野文昭教授・中木健二准教授(チェリスト、音楽学部器楽科) 司 会:大角欣矢教授(音楽学部楽理科)
チラシのダウンロードはこちらから!
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偽善者の涙[四]
[四]
自宅となつてゐるアパートを出た頃と云ふのが、昼もとうに過ぎ去つた頃合ひであつたからであらうか、駅に降り立つた里也はまばらな人通りの中、重たく肥えた足を前へ〳〵と動かしてゐた。先々週あたりに佳奈枝とコンサートに行つてからずつと���取りは重いのだけれども、今日は特にさうである。毎晩〳〵、沙霧を連れ出さうと躍起になつてゐる彼女の相手をして、一応の折り合ひがついて、この週末こそゆつくり羽を伸ばせるかと思つたら、時は金なりと云はんばかりに彼自身が連れ出されてしまつた。これほどまでに気を重くして里帰りするのは久しぶりである。心なしか空模様もまたどんよりと重苦しい。今日は雨は降らないのには違ひないのであるが、さつきまで見えてゐた太陽がすつかり姿を消してしまつたので、はるさめ程度は降るんぢやなからうか。里也は空を見上げてゐた顔を、隣でふわ〳〵と舞ふ髪の毛に向けて、ふう、……と静かに息をつくともう一度空を見上げた。
「やつぱり雨降りさうやな」
「大丈夫でせう。もし振つたとしても帰る時には止んでるわよ」
「さう云ふものかね」
「さう云ふものよ」
と云ふ佳奈枝の声音はどこか和やかなのであるが、今日に限つてどこもかしこも和やかである。桜の開花にはまだ早い時分ではあるけれども、今しがたひよつこりと姿を現した桜の、赤々とした色味を帯びたつぼみは、のんびりと春の穏やかな風を待つてゐるやうに見える。それに今日は一段と暖かい。来週になるとまた冬のやうに冷え込むらしいけれど、またすぐに暖かい日が続くと云ふ。里也は例の恨めしい気持ちに気分を悪くしながら、今年はいつ頃京都に向かはうかと考えてゐた。付き合ひたての時から、この夫婦は毎年春になると京都に行つて花見をするのであるが、元々は家族で行つてゐたものが、沙霧が引きこもつて以来里也一人で行くやうになり、それなら一緒にどうと誘つたのが始まりではある。が、最近は人混みを避けたいと云ふ理由から、佳奈枝が行きたいと云はなければ、沙霧が写真を見たいと云はなければ、もう彼は行かうとも思はない。外国人観光客が増えるのは確かに結構なことではあるけれども、小さい神社でなければまともに参拝どころではないし、殊に渡月橋は歩くことすらまゝならないと云ふ風で、それだけの労力を要してまで行かなくても日本には到るところに美しく桜が咲いてゐる。佳奈枝は兎も角、沙霧ならたつた一本ほかの樹木に紛れて咲いてゐるだけで情趣を汲み取れるのだから、わざ〳〵人混みに紛れなくても良いのではないだらうか。確かに平安神宮に咲く桜の花は大阪城のそれとは違ふ趣があつて、見てみたい気もするが、桜の前でしたり顔をする佳奈枝も同時に目に映ることになるから、いつそのこと彼女を一人残して沙霧と一緒に行かうかしらん? 里也はそんなことを思つたけれど、昨夜の話では残ることになるのは自分だと云ふことを思ひ出すと、またもや静かに息をついてしまつた。
「それにしても、――」
佳奈枝は信号待ちで立ち止まつた際に伸びをして、
「――すつかり春になつたわね」
と、里也の恨めしい気持ちなど素知らぬのんきな口調で云ふ。
「だなあ。そろ〳〵蕗のたうが出てくる頃合ひだらうから、よろしく頼むよ」
「天ぷらでよろしくて?」
「天ぷらでお願ひします」
「はい〳〵。でも里也さんはその前にたけのこ掘りに行かなくちやね。蕗のたうもその時にくれると思ふから」
「あゝ! たけのこのことを忘れてた。掘るのは楽しいからいゝんだけど、さすがに毎日は飽きるわ」
何でも佳奈枝の祖父が山で仙人のやうな生活をしてゐて、これからの時期はそこら中に筍が生えてしまふから、処理(点々)するのを手伝つて欲しい、取つた筍はそのまゝ持つて帰つてもいゝし、捨てゝもいゝから兎に角この辺にある、かういつた出つ張りから彼処にある大きいのまで全て残らずこいつで根本から掘つてくれ。この歳になると斜面に登るのも、ほれ、そこに居る孫に怒られるから、頼んだぞ。根こそぎとは言つたけど、里也くんも危ないと思つたら、そいつはもう放つておいていゝからな。――と、云はれて毎年新年度をまたぐ間二週間程度は、週末に泊まり込んでまで筍を掘りに行つてゐるのであつた。
「あはゝ、あれでもけつこうおすそ分けしてるんだけどね。里也さんが掘りすぎなのと、あと持つて帰りすぎなのよ。お父さんだつて、あんなに張り切らないのに、……」
「だつて、もつたいないぢやん? それに、飽きると云ふても、あの山のたけのこは妙に美味しいんだよなあ。なんでやろ」
「料理する人の腕がいゝからぢやない?」
佳奈枝はわざとらしく腕を曲げて、ポンポンと浮き出もしない力こぶを叩く。
「あん? ほら、青だぞ」
「つれないなあ、……」
と、先に歩き出した里也を追ひかけるやうにして、佳奈枝も歩き初めた。あゝ云ふ冗談にはいつも笑つて相手をするのであるが、今日は虫の居所が悪いせいか相手をしてゐられない。それは一つにはのどかな風景に恨めしさを感じること、もう一つには毎夜妻の相手をして疲れたこと、また、若干花粉症気味で頭がぼうつとすることもありはするけれども、全く、自分でも中々の心配性と云ふか、結局は沙霧と同じ血が流れてゐると云ふか、たまにかう云ふ風に不安で調子が出ないことがある。昔も受験だつたり、就職活動だつたり、普通ならば逆に不安をバネとして活用できる場面で、考へ込みすぎて勝手に意気消沈してきたのである。で、今は、佳奈枝が沙霧を思慮無く連れ回さないか、いや、そも〳〵その前に話を切り出した時に何か不安を煽るやうなことはしないかゞ、ひどく気になつて仕方がないのである。何と云つても佳奈枝のことであるから、沙霧が首を縦に振らうが、横に振らうが関係なく自分の意見を押し通してしまふのは目に見えてゐた。実際に里也自身もこの数日間で押し切られてしまつた。今日彼がついてきたのは、他でもなく二人の様子を見守るためであり、もつと正確には無理を云はれた沙霧の愚痴でも聞いてやらうと思つたからである。ほんたうならば電話の一本でゞもいゝので沙霧���は自分から伝へて、考へる時間を与えればよかつたのであるが、生憎のこと電話は持つてゐないから直接云ひに行かねばならない。親を間に隔てゝ伝へてもらはうとしても、沙霧に届くか分からないし、届いたところで返事を面倒臭がられて有耶無耶にされてしまふ。別に電話機の一つや二つくらゐ訳ない家計ではあるから、与へてもよいのではあるが、極端に電話が嫌いな彼女のことだから単なる文鎮と化すであらう。いや、文鎮ならまだマシかもしれない。沙霧と自由に連絡が取れることに嬉しくなつた里也や佳奈枝が、日に何通も何件もメッセージやら通話やらをするだらうから、終ひにはベッドと壁の隙間の埃になる可能性の方が高い。要は、沙霧に何かを伝へる要件がある場合は直接赴かなくてはならないのである。佳奈枝からすると、電話一本で何をそんなに怯えてゐるのか全くもつて理解出来ないから迷惑千万ではあるけれども、里也からすると、何となく気持ちは分かる気がするのであつた。と云ふのも彼は昔は少々悪さをすることがあつて、たまに先生からかゝつてくる電話にビクビクとしたものであつたが、沙霧はそのビクビクとした感情がまだ残つてゐるのではないだらうか。ちやうど彼女が不登校になつた頃、毎日のやうに学校から電話がかゝつてきて、だいたいは受話器を受け取つてくれたけれども、三割くらゐはもう嫌だ〳〵と泣き喚いて布団の中へ潜り込んでしまつたから、もう時が止まつてしまつた彼女にとつて、電話とは一つの恐怖に数へられるのであらう。かと云つて直接会ふのも相当に慣れ親しんでゐないといけないから、――それに今日は沙霧の心を乱してしまふ話題を持ちかけるのだから、ほんたうは夫婦仲の方を乱してゞも佳奈枝を家に置いておくべきだつたかもしれない。里也は年々減少しつゝある沙霧への思ひに自分のことながら辟易すると、眼の前に落ちてゐた石ころさへも恨めしくなつて、気がつけば足で蹴つてゐた。
「いや、だからダメだつて。呼び鈴はあいつが驚くから、……」
「でも、里也さんがしなかつたところで、誰か押すでしよ?」
夫婦は玄関の前に立ちながら、軽い小競り合ひをしてゐたのであるが、その内容とは呼び鈴を押すか押さないかと云ふ、一見するとゞうでもよいものであつた。
「それはさうなんだけど、出来るだけ怖がらせる回数を減らしたいんだよ」
「またすぐさうやつて甘やかす。さう云ふのがいけないのは分かつてらつしやる?」
と、佳奈枝が手を伸ばしたところで、里也がその手をはたき落とす。その光景はこれまでにも数回繰り返されてをり、傍から見れば夫婦で漫才をしてゐるやうにも見える。――が、夫の目は少々真剣すぎるかもしれない。
「と言つても、最初から怯えさせなくてもええやないか。沙霧は、知つてる人が呼び鈴を不必要に鳴らすと滅茶苦茶機嫌が悪くなるんだからさ」
「まあ〳〵、今日はさう云ふのも含めて覚悟してきたんだから、――えい」
結局、二人の芝居は、取手に手をかけようとした里也の不意をついて、呼び鈴を押した佳奈枝に軍配が上がつた。先行きは不安である。この調子で人の心に土足で上がり込み続ければ、沙霧はきつと心を閉ざしてしまふ。たゞでさへ酒の一杯や二杯は飲ませて饒舌にしないと、自分から自分の意思を上手く伝へられないと云ふのに、これでは本末転倒になるのではないか。里也は佳奈枝の頭を軽く小突くと、まずはのんびりとしてゐるであらう両親に挨拶をするべくリビングへと向かつた。
彼らは案の定、二人仲良くテレビの前に座つて、雑誌か何かを懸命に見ながら早口で云ひ争つてゐたのであるが、挨拶も程々に話を聞くと、里也たちが金沢へ旅行に行つたのが羨ましくなつたから、自分たちもどこか遠出して遊びに行きたいと云ふ。元々この一家は毎年夏と冬の二回、家族旅行と称して東へ西へほとんど計画も無しに家を飛び出す事があつたのだが、沙霧が引きこもつて以来、さう云ふことはおざなりになつてゐた。
「で、どつかえゝところあらへんか」
「どつか云うても、あんたら昔は計画も無しに行つてたやないか」
「まあ、さう云ふなや。もうそないに歩き回れるほど体力無いから、行くとこ決めなあかんねん」
と、里也の父親は「広島」と大きく印刷された雑誌をパタパタと振りながら云つた。
「さう云はれてもなあ。……」
こんな一家なものだから、里也もそんなにたくさん旅先を知つてゐる訳ではない。今でこそ金銭的に余裕があるから、佳奈枝とたまに遠出はするものゝ、昔は家族で旅行するのは控えてゐたし、時間のあつた大学生時代は色々と出費が多くて、学会やら研究会やらのついでにたつた半日間だけその近くを回つたくらゐで、ついぞ旅行らしい旅行をしたことがなかつた。彼が金沢に突然行かうと沙霧に持ちかけたのは、別段特別な思ひ入れがある訳ではなく、��ゞ単に金沢はいゝ雰囲気だと、どこかで聞きかじつて来たからに過ぎない。とは云へ、思ひの外金沢旅行が楽しかつたのは事実であるから、暇を見つけては此処に行かうかしらん、彼処に行かうかしらんと、密かに計画を練つてはゐる。が、どこも穏やかで落ち着ける場所だからこの両親が楽しめるかどうか、むしろ自分に聞くよりは佳奈枝に聞いた方が有意義な答えが返つて来るかも知れない。
「あゝ、ならあそこはどう?」
と、それまでクスクスと笑つてゐた佳奈枝が、ちやうど良いタイミングで口を開いた。
「あそこ?」
「あそこ。……あー、名前が出てこない。前行かうとして、結局時間がなくて行かなかつたとこ」
「……ふむ。さつぱりわからん」
「こゝまでは出てきてるのよ。こゝまでは、――」
佳奈枝は喉のあたりを擦つてみせた。
「――けど、……あゝ! ――で、どこだつけ?」
「どこやねん! ……まあ、えゝわ。で、旅行に行くのは別に構はんけど、そのあひだ沙霧はどないするつもりや」
「あの子は、……ま、なんとかなるからえゝやろ。二三日放つておいたところで、むしろ一人で過ごせて嬉しい云うで、知らんけど」
と、夫婦が持つて来た土産物を一通り漁り終へた母親が云つた。
「そんな適当ぢやあかん。うちに預けてもえゝからちやんと考へな。でないとなんもアドヴァイスせえへんで」
とは言ひつゝも、里也は母親の云ふことを完全には否定できなかつた。確かに沙霧なら、両親が数日間家を空けるとなれば喜んで孤独を楽しむはずである。が、いち監督者としてそれで良いのかと問はれゝば、決して良いものではない。もし留守中に彼女が精神的なバランスを崩して、――当然さう云ふ時はこれまであつたから、沙霧を一人家に残すことを断念し続けて来たのであるが、また三階の窓に足をかけてしまつた時に一体誰が止められると云ふのであらう。普段は彼女のことを鬱陶しがつてゐる母親もまた、心のどこかでは心配してゐるからこそ、あゝやつて毒を吐きながらも一応は毎日声をかけてゐるのである。こゝ数年間は里也が駆けつけるやうなことは起きてないにせよ、油断してゐるうちに取り返しのつかない事態になる可能性がある以上、今この場に居る誰かゞ目を光らせる必要は当然ある。変はらず曖昧な返事をし続ける両親に、里也は声を荒げそうになつたが、嫌な話題はさつさと切り上げるに限るので、隣で彼の意見にうん〳〵頷いてゐる佳奈枝に目を配らせた。
「まあ、えゝわ。今日は俺たちは沙霧に用があつて来たから、また後でな」
と言ふと佳奈枝もまた、失礼します、と丁寧に一礼しながら言つてついて来る。何を言つてもうんともすんとも云はない沙霧と違つて、かう云ふ取り繕つたやうな良妻らしさが両親には受けるのか、佳奈枝はかなりこの家に受け入れられてゐた。ともすれば実の娘以上に娘として可愛がられてゐると云ふ風で、母親は里也についてリビングを後にしようとする佳奈枝に、佳奈枝ちやんまた後でゐらつしやい、前来た時にほしいつて云つてた例の物を渡したいから、里也には知られないように、とわざと大きな声で云ひ、それに対して佳奈枝も、まあ、ありがたうお義母さん、でもたつた今知られちやいましたわよ、とこちらも負けじとわざとらしく云ふのである。里也はもうその頃には階段に足をかけてゐたのであるが、それでも二人の会話が嫌にはつきりと聞こえてきて、逃げるやうに足取りを早めて登つて行つた。
「起きてるやろか」
「さすがに起きてるでしよ。もう夕方よ? いくら夜型でもこんな時間まで寝てはゐないわよ」
さつさと二階へ消えてしまつた里也を追ひかけてきた佳奈枝は、沙霧の部屋の前で佇んでゐる里也のつぶやきに答へつゝ、彼の向かふ側にある窓の、さらに向かふ側を見つめた。
「ま、それもさうか」
「それで、今日もやるの? あれ」
と窓に向けてゐた顔を一転させて、ニヤニヤと里也を覗き込む。
「うるさい。あれでも沙霧は真剣にやつてんだよ。絶対に無下にはできん」
「ふうん、そ。ぢやあ、早く入りましよ。きつと夫の帰宅を待つてるんでせうから」
当然のことながら里也が一番困るのは、かうして沙霧と佳奈枝を同時に相手しなければいけない時である。彼は毎度どつちつかずな態度を取つてはゐるけども、佳奈枝からすると目の前で浮気現場を見せつけられてゐるやうなものだし、沙霧にしてみれば初恋の相手を奪つて来た女と面しろと云はれてゐるやうなものだし、ある意味では両手に華と云へば華ではあるが、自分の一言で修羅場と化してしまふと思ふと、いつも冷や汗をかゝずにはゐられなかつた。しかもどう云ふ訳か、佳奈枝を連れて行くと必ず、沙霧の言動が一段とそれ(点々)つぽくなるのである。それを一々真剣な態度で相手するのは正妻である佳奈枝には面白かろうはずはないから、彼はいつも帰りがけに付き合つてやつてゐると云ふ口調で誤魔化すものゝ、やはり沙霧の事情を考へれば、そして自分の事情を考えれば、彼女の要求を真摯に受け止めざるを得ない。心が離れつゝある今ではもはや形骸化してゐる感はあるも、やはりそこには自分たちの繋がりが残つてゐる。
里也は毎度の事ながら、それでも機嫌を悪くするだけで傍に居てくれる佳奈枝に感謝するのであつたが、さうやつて感謝すればするほど、沙霧に冷たくなれない己の非情さを痛感してしまふのであつた。今自分が「夫婦ごつこ」を続けてゐる理由は何のか、己はもう小さな欲望を満たして喜ぶやうな下衆な存在ではなくなつてしまつた、なら沙霧もいゝ加減「夫婦ごつこ」の繋縛(けいばく)から開放されて、過去を断ち切つて、一人の淑女として生きるべきではないか。あの程度のことを止めたところで自分たちの繋がりが切れる訳ではあるまい、住んでゐる場所もさう遠くは離れてゐないのだから、別れたとてはなれ〴〵になる訳でもない。怖気づいてゐても何も変はらないのだから、佳奈枝の云ふ通り、もう荒療治でもいゝから無理やりにでも外へ連れ出すべきではないのだらうか。昨夜、佳奈枝に小言を云はれながら彼は、そんなことを思つてゐた。そして、もう妻に全部任せて後は成り行きに身を投げても良いのではないかと思ひもした。頭の中には妻に連れ回されて、無事笑顔で彼のもとに戻つて来る沙霧の姿が浮かんだ。現実には疲れ果てゝ項垂れるだらうけれど、口上手な佳奈枝の話にはさう思わせる何かゞあつた。驚いたのはそこで最悪の場合を考へなかつたことである。いつもの彼なら、いや〳〵でもそれでも、さう云ふ風に沙霧が戻つて来るのは考へにくいから、どれだけ慎重を期しても慎重すぎることはないと云つて、己の不安が払拭するまで話し合ふし、現に一昨日まではさうしてゐたのであるが、一度佳奈枝の口から「夫婦ごつこ」と云ふ単語が出てくると、もう目の前で涙を蓄えてゐる瞳に辛抱ならなかつた。昨晩の話し合ひはそれきりにして床についた里也は、居残つた不安に襲はれつゝも、隣で寝息を立てる憐れな女に改めて思ひを寄せた。深夜の感傷的な気分だつたせいか、朝には不安が胸に渦巻いてしまつてゐたけれども、少しくらゐ妻を信用しても良いではないか、いくら自分が沙霧を大切に思つてゐるとしても、それは妻も同じである。彼女だつて、沙霧を大切に思つてゐるからこそ、今の今まで黙つてついて来てくれたのではないか。三年前、自分はほとんど無条件に彼女を信用してゐたからこそ、沙霧と引き合はせたのではないか。――里也は昨夜意識が落ちる寸前に思つたことを頭の片隅に、扉に手をかけた。ふと隣を見ると、佳奈枝がさつきとは打つて変はつて真剣な眼差しで見つめてきてゐる。
「なんかドキドキするな」
と、思はず里也も真剣な眼差しになつて云ふ��、佳奈枝は、
「ふ、ふ、……やつぱりいつも通りでいきましよ? 真顔だとそれこそ沙霧ちやん怯えちやうわ」
と笑ひながら云つて、彼の脇腹を突いた。
「こら、やめんかい。――でも、さうだな。沙霧、入るぞ。――」
そつと扉を開けて部屋に入ると、沙霧は佳奈枝と一緒に行くことを母親から聞い���はゐたやうであつたのか、意外にも小奇麗な格好をして、机の前でパソコンに食らいついてゐた。それでも古臭くなつた衣服ではあるが、彼女は佳奈枝の前では着飾りたいらしく、髪の毛も櫛を通したのかさらりとしてゐる。彼女は部屋が明るくなつたのに気がつくと、イヤホンを外してびつくりしたやうな顔をこちらに向けて、口をぽかんと開けた。何かを言はうとしてゐるのか、それとも単に口が開いてしまつたのか、里也には分かりかねたが、
「やつほ、沙霧ちやん。久しぶり、元気にしてた?」
と、まず最初に佳奈枝が声をかけたので、彼も乗ることにした。
「俺は久しぶりでもないな。けど、ま、久しぶり、……か?」
「一ヶ月くらゐ会つてないんでしよ? それは久しぶりつて云ふのよ、里也さん知らなかつた?」
冗談を云ふ佳奈枝を他所に、沙霧は言葉が上手く出てこないのか、
「兄さん。……」
と云つたきり、しばらく口をもご〳〵させてゐた。が、じきに、
「兄さんに、お姉さん、お久しぶりです。特にお姉さんは、あ、……えつと、お正月にお会ひした時以来で、――」
「さう〳〵、もう二ヶ月とちやつとぶりね。年賀状はちやんと届いてた? 今年のはこの人が後回しにしてたから遅れちやつて、ごめんね」
と佳奈枝は沙霧の声が詰まつた瞬間に自分の言葉を重ねて云つたが、これが良くないと云ふことに里也は何となく感づいた。恐らく彼女は予め言葉を決めてゐたのであらう。目はずいぶん上で泳いでゐるし、言葉を紡ぐと云ふよりは思ひだしてゐると云ふ口調だし、何より佳奈枝の言葉に反応できてゐない。昔彼女が語つたことによれば、自分は、――特に目上の人に対してはさうなのであるが、よく知らない人に面すると、頭の中が真つ白になつてしまふ。どれだけ心を落ち着かせやうとも、どれだけ云ひたいことを反復しやうとも、いざその瞬間になるとどうしても頭の中から言葉やら考へやらが消えてしまふ。感覚としては、緊張すると云ふよりは頭がぼうつとするのに似てゐるだらうか、兎に角、人が眼の前にゐると途端に頭が働かなくなるのである。だから自分は人と上手く喋れないのであるが、どうしてお姉さんにもかうなるのかは自分でも良くわからない。別にお姉さんのことを嫌つてゐる訳でもないし、知らないと云ふ訳でもないし、それに今は義理の姉だけども昔は同級生だつたから、特に目上の人と云ふわけでもない。でも何故かあの人を前にすると言葉が出てこなくなつてしまふ。それで兄さんには申し訳ないですが、お姉さんと話す時には一緒に居て、手助けをしてくださると大変嬉しいのですが、……と、さう云ふことらしいので、一旦沙霧の言葉を区切つてリズムを崩してしまへば、余計に言葉が出てこなくなるのは明らかである。
「届いてるよ。前来た時には母さんが持つてたから、まだ下にあると思ふ」
困つたやうに目線を送つて来る沙霧に代はつて、佳奈枝の問ひかけにはさう里也が答へた。彼の目には、申し訳なさそうに小さく頷く沙霧の姿が映つてゐた。
「なら良かつた。――あゝ、良かつたと云へば、元気さうで何より。お正月の時はぐつたりしてたからお姉さん心配してたけど、今日は顔色も良さゝうだし、安心したわ」
「ふむ、……確かに、今日はどうしたんだ。いつもはあんなにボサボサな髪なのに、お前ほんたうに沙霧か?」
と近寄つて屈んで、ヘアピンでまとめ上げきれてゐない前髪をはらりと掻き分けると、相変はらず真白ではあるが、暗がりに紛れて艷やかな光沢のある頬が見て取れる。心なしか色の薄い唇すらへんに扇情的で、情欲と云ふものをくすぐられる。
「こ、この一週間くらゐは早く寝てたから、……」
「ね、佳奈枝さん、だつてさ。早く寝るだけでこんなゝんの?」
「なんない、なんない。ほら、里也さん、少し退いていたゞける?」
「はい〳〵」
と佳奈枝も近寄つて来て、慣れた手付きで前髪を整えてやる。もとがもとであるし、今は褒められてはにかんでゐるものだから、たつたそれだけで余計に可愛らしくなつて行く。……里也は歳の離れた姉が、中学生くらゐの妹の面倒を見てゐる、そんな光景を見てゐるやうな心地で、ベッドに腰掛けてゐた。それにしても今日のやうに夫婦でこの家に来ると、時たまこんな微笑ましい光景に出くわす事があるのであるが、一体この二人が同い年だと誰が気がつくであらうか。沙霧は若く見えすぎてゐるにしても、佳奈枝もまた方々からまだ学生に見えるだのと云はれるほど若々しく、里也もうち〳〵ではその事を自慢にしてゐるのであるが、いざ並ばせてみると、やはり佳奈枝の方がお姉さんのやうに見える。しかも年々歳の差が開いてゐるやうに見えるのは、気のせいではあるまい。と云ふのも、佳奈枝は最近は母にならうとする傾向があるのか、食事をする時や夜の営みを終へたあとによく〳〵見てみると、肉付き(ししつき)のよくなつた二の腕などが目についてしまふのである。別にその程度で愛が変はることはないのだけれど、そんな老けて(別の色っぽい言葉に置き換える)行く妻の体つきを見てゐると、方や普通の人生を送つて来た女、方やいぢめを理由に塞ぎ込んできた女の、違ひと云ふものに慄然とするのである。先に微笑ましいと形容したけれども、里也にとつて義理の姉妹の戯れ合ふ光景は、一種のホラー映画でしかなかつた。
「髪の毛、やつぱり切つた方がいゝわね。綺麗には伸びてるんだけど、長さがまち〳〵で私ぢや上手くまとまんないわ。何なら私が切つてあげてもいゝんだけど、それだと里也さんの髪が大変なことになつてしまふし、……」
と、しばらく沙霧で遊んでゐた佳奈枝は、後髪を一束持ち上げながら云つた。
「なんで俺?」
「練習台」
「あ、さう。……」
まだ続く夫婦漫才に、くすりと笑つた沙霧の顔は、しかしすぐに顔をしかめたかと思ひきや、
「くしゆつ!」
と、見た目相応に可愛らしく嚔をする。
「今日は曇りだからそんなに飛んでなさゝうなんだが、やつぱりさうでもない?」
「……いえ、天気はあまり関係ありません。むしろ雨が降つてゐる時の方が、……あ、ふ、――」
と、またくしゆん! と嚔をする。彼女は毎年この時期になると、花粉症に喘ぐことになつてゐるのである。そして花粉に続いて、いや、かう云ふのは鶏が先か卵が先かと云ふ話でしかないけれども、何にも増して里也が気の毒に思ふのは、他にも林檎だとか枇杷と云つた果物もアレルギーで食べられないことで、昔はパク〳〵とたくさん食べてゐたゞけに、ひとしほ憐れに感じるのであつた。
「あゝ、ほら、ティッシュで鼻をかみなさい」
と、すん〳〵と鼻をすゝる沙霧に、佳奈枝がバッグの中から取り出したティッシュを渡した。
「すみません、ありがたうございます」
「このくらい別に感謝しなくていゝわよ」
「いえ、でも、――」
「いゝから、いゝから」
再び沙霧の言葉を遮つたことに里也は顔をしかめたが、素直に鼻をかみ始めた様子を見るに、沙霧にとつて佳奈枝はやはりそれなりに安心出来る相手であるらしかつた。
「あの、それで、……お二人は今日はどのやうな事情でお見えになられたのですか? 母から話がある、とは聞きましたが、……」
鼻をかみ終はつて、一同が卓袱台の周りに会した時に沙霧はさう聞いた。並びとしては右回りに沙霧、里也、佳奈枝と云つた風ではあるが、円形ではなく少しだけ楕円を帯びた机なので、里也の真左には沙霧が、正面には佳奈枝が、――と云ふ風に座つてゐた。が、しかし、佳奈枝は何か不服なのか、一度唸ると、
「それなんだけど、――」
と、立ち上がつて、壁際にまで近寄つて、
「でもその前に、やつぱり電気つけない? 切れてる訳ぢや無いでしよ?」
と、言ひつゝスイッチに手を伸ばした。やはり彼らを照らしてゐたのは小さな電球一つのみであつたのだが、パチリと云ふ音一つで眩しいまでに部屋が明るくなる。……
「待つて、待つて、佳奈枝さん。せめてカーテンを開けるだけにしてくれ」
「どうして?」
「沙霧がダメなんだつて。ほら、こんな感じに」
里也の言葉通り、沙霧は彼の体にその小さな身を埋めて、蛍光灯の白い光から逃げてゐた。しかし、それでも佳奈枝は問答無用と云つた風采(とりなり)である。
「里也さん、――いや、沙霧ちやん、今日の話つてかう云ふことなの。私たちはね、あなたにこの光に慣れてほしくてこゝまで来たの」
「それでも電気は消しといてくれ。慣らすなら陽の光からだろ。今日は曇りだし、そつちの方がショックは少ない、――」
「里也さんも、今日は一応の覚悟を決めて来たんぢやなかつたの?」
「それはさうだけど、とにかくカーテンを開けるだけにしてくれ」
「ふん、ほんつとに甘々なんだから」
と、佳奈枝は文句を言ひながらも電気を消して、少々荒つぽくカーテンを開けて、今度は沙霧の正面に背筋を伸ばして座つた。その沙霧と云へば、部屋に漂ふ雰囲気だけで何もかもを悟つたらしく、顔色を変へてキユツと小さく縮こまつてゐた。
「それで話つて云ふのはね、――」
里也から出来るだけ穏便にと云はれた佳奈枝は、しかし単刀直入にはつきりとした物言ひで喋りだした。先月から沙霧を連れ出したいと夫と議論してゐること、それは一日、もしくは半日だけで絶対に無理はさせないこと、行き場所については別にあなたの行きたいところでいゝ、それに行きたくなければ首を横に振つてもいゝこと、そして最後に、自分がどれだけ沙霧を思つてゐるかと云ふこと、連れ出した結果が何であれ、決して見放したりはしないこと。――中には里也も初めて聞いた内容が紛れてゐたものゝ、大体は昨夜も聞いた事柄ばかりであつた。下を向いて黙りこくつたまゝの沙霧に彼女の演説がどう聞こえたかは分からない。が、時たま鼻をすゝるのは何も花粉症のせいばかりではなからう、私は里也さんと同じくあなたがどうならうとも絶対に見放さない、彼の夫として、あなたの姉として、最後の最後まで見守つてあげるわ、あなたには私たちがついてる、と佳奈枝が云つた時、さつと目元を拭つたのを彼はこつ��りと見てしまつてゐた。里也は未だ俯いてゐる沙霧の様子にある意味安心して、佳奈枝からティッシュを貰ひ受けると、膝の上で力なくもみ合つてゐる手にそつと乗せてやる。
「里也さんから何か云ふことは?」
「ふむ、さうだな、……」
と、里也は一つ二つ沙霧の不安を取り除く言葉を言はうと口を開いた。
佳奈枝は夫のこの上なく優しい声を聞きながらほつと一息ついてゐた。それは云ひたいことを言つた開放感もあるが、少々強めに言葉を云へた快感があるのも事実である。今日は優しく、兎に角優しく、里也が文句のつけやうも無いほど優しく、このしをらしく夫に凭れかゝつた女を遊びに誘はうとしてゐたのであるが、久しぶりに聞いた妙な敬語を聞くうちに、――いや、その前に、彼女がかはいく嚔をした瞬間にふつと、弱い者に向けるいたはりの心と云ふものが消えるのを感じた。代はりにやつてきたのは、イライラした気持ちであらうか、一度彼女の事が疎ましく感じると、鼻をすゝる音さへ煩く感じられる。――全く、この義理の妹を見てゐると、自分までもが昔に戻つたやうな心地がして良くない���佳奈枝は目を閉じて鼻をかむ沙霧と、それをいたく献身的な態度で労る里也を、時折下唇を噛み締めつゝ互ひ違ひに見てゐた。
カーテンのかゝつてゐない窓からは春らしくもない弱々しい光が差し込んでゐるのであるが、それでもいつも以上に部屋は明るい。さう云へば、さつきカーテンを開ける際に一瞬間外を眺めたところ、六甲の頂きと摩耶の頂きの、なだらかに連なつてゐる様子がちやうど見えたから、景観はかなり良い部屋のやうに思へる。部屋を与へられる際に里也が、いや俺はこつちの方が良いよと云つて、沙霧にはこの部屋が与へられた��を佳奈枝は昔聞いた事があるのだが、せつかくの眺めを殺してしまふのは非常にもつたいない。以前この部屋に来たのは去年の秋頃のことであつたから、その時も今のやうにカーテンを開けると、ぽつ〳〵と紅色に染まつた大地の肌(はだへ)が見られたのであらうか。二人が未だに互ひを慰め合つてゐるので、呆れた佳奈枝は目を離すと、前回は暗くてよく見えなかつた、横にだゞつ広い本棚を見つめた。と云つても、暇を潰さうにもこの部屋には本棚くらゐしか机の他に置いてゐないのである。中には意外と洒落た本たちが、きつちり背の高い順に整頓されてゐるのであるが、それ以上に気になつたのは大量のCD ケースで、三段ある本棚のうちの、下一段をまるごと埋めてゐるから数にして百枚近いはずである。聞くところによると里也がこの家を離れる際に、持つて行くのも面倒だからと全て明け渡したと云ふ。本棚の上は小物置きにしてゐるのか、猫の置物やら、丸い時計やら、丸太の形をしたトヽロの小物入れやらが置いてある。そして、さう云つた小物に隠れるやうに、隅の方に、静かに、誰にもその存在を悟られないように、一つの小さな写真立てがあつた。薄暗くてあまりはつきりとは見えないけれども、目を凝らしてじいつと見つめてみると、ちやうど今のやうな季節の節目だつたのか、立派な桜の木を背景にやんちやさうな男の子と、大人しさうな女の子とが方を寄せ合つてゐる。尤も、肩を寄せ合つてゐると云つても、女の子の方は男の子の胸のあたりにしか辿り着けぬ程小さいから、実際には手を繋いでゐるくらゐなのだが、二人とも同じやうな顔を同じやうに崩して、幸せさうな笑みを浮かべてゐる。それはかつて里也と沙霧が、両親に連れられて京都へ花見に行つた時の写真であらう。両者ともまだ色濃くその面影が残つてゐる。――なるほど彼女はこんなに自然に笑へてゐたのだな、佳奈枝は素直にさう思つた。そして、沙霧が時折自分に見せる笑顔を思ひ浮かべた。今まで見たことのある彼女の笑顔なぞこれに比べればずつとぎこちなく、時として里也が、今日は機嫌良かつたからつい撮つちやつたよと、子供のやうにはしやながら見せてくれる笑顔だつて、この写真の中の彼女には全く敵はなかつた。沙霧が笑顔を取り戻し、誰かに何を云はれやうとも動じること無く、社会に出て自然に振る舞へるやうにする。それが自分の務めであつた。それこそがこの憐れな少女に向けるべき愛であつた。佳奈枝は写真に写る陽気な二人を目に焼き付けると、努めて明るい調子で声をかけた。
以降の話し合ひは、急にいつもの調子を取り戻し初めた佳奈枝のおかげで、ずいぶん穏やかに進んだやうに里也は感じた。議題としては沙霧がどこへ行きたいか、と云ふものであつたが、本人が一向に自分から此処行きたい彼処行きたいと云はないから苦労はしたものゝ、
「ふむ、……ならもう日帰り旅行みたいな感じにしてしまへばえゝんやないの。俺だつたら、さうだな、……今なら天の橋立に行きたいのと、あとこれは去年行きかねたゞけなんだが、紅葉を見に行きたい」
と、里也が言つてからは、それなら昔から行つてみたかつた場所が、……と云ふ。たいそう恥ずかしさうにしてゐるので、さう急かさずに話を聞くと箕面の大滝を見に行きたいと云ふ。何でも昔、里也が大学の講義の一環で滝の高さを測つたことがあつて、その時の彼の話をまだ憶えてゐたらしく、一度は見てみたいと云ふのである。で、一度自分の事を喋つてしまふと枷が外れたのか、意外と色々な場所を挙げて行くので、里也はそれを、なるほど〳〵と云ひつゝ特に何も考へないまゝ、一つ〳〵メモに取る。一息ついた頃合ひに佳奈枝に意見を伺ふと、彼女は彼女で自分の行きたい場所を云ふ。それを聞いて、沙霧はさらに範囲を広げて自分の思ひついた場所を云ふ。そんな風に結局何も纏まらなかつたが、さうかうしてゐるうちに佳奈枝が母親に呼ばれて部屋から出て行つてしまつたので、残された二人は唐突に訪れた静寂に身を委ねてゐた。
「……沙霧」
と、しばらくして沈黙を破つたのは里也であつた。
「はい」
「お前、意外と行きたいとこあつたんやな」
「はい、………」
沙霧は久しぶりにたくさん話して疲れたのかぐつたりとしてをり、何をするわけでもなく、たゞ、机の上にあつた里也の指を摘んで、いじ〳〵と弄んでゐた。
「金沢行く前に、もつと軽い場所で慣らしておけば良かつたねんな」
「いえ、あそこはとても楽しかつたですから、……」
「なら良かつた。――ま、それはまあ、えゝとして、たぶん佳奈枝のことだから、俺みたいに甘くはあらへんぞ。知らん店にもズカズカと入るやろし、疲れたなら疲れたつて言はんと、立ち止まつてもくれへんし、……」
「……えゝ、一応は分かつてる、つもりです」
「さよか」
「………」
指をいじる手を止めた沙霧は目を閉じて、ゆつくりと深呼吸をした。
「沙霧はどうしたい? 行きたいんか、行きたくないんか。佳奈枝には言はへんから、正直に云うてみ?」
里也はさう問うたが、沙霧は依然として静かである。と云ふことは、何か遠慮があつて声を出しづらいと云ふことなのであるが、遠慮があると云ふことは、少なくとも肯定的な答へを持つてゐる訳ではなからう。先程の熱弁を聞いた手前、その弁を奮つた者がをらずとも、自分の意見を云ひたくない、況してそれが否定的ならば頭にさへ浮かべたくない、蓋し沙霧はさう云ふ心持ちなのである。
「やつぱりさうか、……」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と、俯いて震へる。
「あゝ、いや〳〵、えゝんやで、沙霧はそれでえゝ。行きたくても、行きたくあらへんでも、別にどつちでも間違うてはゐないんやから」
と、里也は丸まつた背中をすり〳〵と擦つてやる。自分でも移り気であるとは理解してゐるけれども、かうも簡単に、やじろべゑのやうに佳奈枝の味方についたり、沙霧の味方についたりするのは大変よろしくない。かと云つて、どちらか一方に一方的に着くことも、やはり出来はしない。強いて自分が出来ることゝ云へば、出来るだけ穏便に事が収束するよう佳奈枝を説得しつゝ、少しでも沙霧を外の世界に慣れさせることなのであるが、やる気になつた妻は何を云つても頑なに意見を曲げぬし、やるならとことんやらなければ気がすまぬのである。恐らくこの外出は彼女にとつて最も辛い外出となるであらう。彼女の内気な性格も、人見知りな気質も、内向型の性質も理解出来ない佳奈枝は昨晩、矢面に立たせるやうな真似をさせるとも云つてゐた。問題なのは「させる」と云ふことなのを妻は分かつてくれない。沙霧のやうに、自分の意見すら上手く云へない人には、――それが例へ間違つてゐたとしても、まず自分の意思で行つたことを称賛してあげなければいけないと云ふのに、受け身な態度を取らせ続けては根本的な解決にはならないはずである。だから里也は、この一二週間は、何処其処に行かうかしらんと楽しげに云ふ佳奈枝を止めて、沙霧の行きたいところ、いや、場所はどこであれ、まずは彼女のやりたいことを優先させよと、何度も〳〵云つてゐたのであつた。さう云ふ点で云へば、先程の話し合ひは上手く行つたやうな気がするのである。実のところ沙霧が挙げた場所は、ちやつとばかし遠かつたり、ほとんど登山しなければいけなかつたり、訪ふのに手続きが必要だつたりと、種々の理由で面倒くさい場所が主であつたけれども、佳奈枝も里也も一々突つ込まず、むしろ彼らも一緒になつて色々な場所を挙げてゐた。が、それは里也が前日に口酸つぱく忠告したおかげであつて、さう長くは続かないであらう。沙霧には彼是(あれこれ)させたい、可愛い子には旅をさせよとはよく云ふではないか、彼女にはそも〳〵の経験が足りないのよ、と云ふ佳奈枝を思ひ出すと、里也はやはり妻を完全に信用することは出来ないやうな気がした。いつたい、自分が味方についてやらなければ、沙霧の傍には誰が居てやれると云ふのか。佳奈枝には知り合ひも大勢居るし、家族関係だつて良好であるし、もつと云ふと里也の両親にすら好かれてゐる。が、沙霧の味方とは、自分を除けば一体誰が居るのであらう。今、佳奈枝は彼女のことを思つて色々と尽くしてくれてはゐるけれども、それが少しズレてゐるせいで、このまゝ事が進めば妻もまた加害者になつてしまひかねない。さうなると、もちろん沙霧にとつては不幸であるし、佳奈枝にとつても気持ちの良いものではなからう。滅多に泣かない佳奈枝が、あれほど簡単に涙を見せるのだから、相当に沙霧を思つてゐるのは確かである。連れ出すのを止めるのは難しいにしても、妻が加害者になるのだけは何としてゞも止めなければならない。
「ま、でも、まだすぐにとは決まつてないから、しばらくのんびりしてな。そのあひだに佳奈枝もずいぶん穏やかになるだらうし、沙霧は沙霧で心の準備が要るだらう」
里也は依然として小さく丸まつたまゝの背中を摩りながら云つた。佳奈枝が穏やかになるかどうかは分からないが、時間があると云ふことは、これからゴネるであらう自分を思ふと、確かであつた。いや、むしろ、外に出るのに詳しい日時と充分な準備期間が無くてはならない沙霧のために、これから彼は子供じみてゞもゴネなければならないのである。彼ら夫婦からすると数週間前から持ち上がつてゐる話ではあるが、沙霧からすると今日が初めてなのだから、せめてゴールデンウィークまでは引き伸ばしたい。里也は手のひらに感じるぼんやりとしたぬくもりを大事に仕舞ひつゝ、すつと立ち上がると、もうすつかり暗くなりかけてゐる外を眺めてからカーテンを閉じた。とある文豪の小説によると、かつてはこの辺りから、頂上のホテルに灯の燈つてゐるのが見えたさうなのであるが、今ではすつかりボロボロの廃墟になつてしまつてゐるし、今日はたうとう一度たりとも星と云ふ星を眺めずに終はつてしまつた。カチツと云ふ音がしたので振り返ると、沙霧が机の上の小さな灯りを灯したらしく、赤々と照らされた真白な顔が見える。
「それにしても、今日はようあんなに喋つたわ。遠くて行けへん場所もあつたけど、いつかは行かうな。――佳奈枝には内緒で」
返事は返つてこなかつたが、頬が赤く染まつてゐるのは何も白熱灯の色味だけでは無いやうであつた。
「里也さん、これ食べてみてよ、これ、これ、これ! 美味しいから!」
「はい〳〵」
と、佳奈枝が取り皿をぱつと差し出すので、里也はそれを受け取る。彼は今しがたまで沙霧といちやついて(点々)ゐたのであるが、いつものやうに佳奈枝にご飯よと呼ばれて、先程のしんみりとした雰囲気が嘘のやうに騒がしい食卓に座つてゐた。彼女はその時に二人のごつご遊びを見てしまつたので、少しだけ機嫌が悪いのである。皿の中には舞茸を豚肉で巻いて、それからたぶん蒸したものが一本だけ転がつてゐた。地味な色合ひではあるけれど、胡麻の風味が嫌に漂つて来て、なか〳〵美味さうである。が、里也は苦い表情を露骨に見せて、
「俺、そんなにきのこ好きぢやないんだけど、……」
と、くす〳〵と意地悪く笑ふ佳奈枝に向かつて文句を云つた。
「うん、知つてるわ」
と、彼女は変はらず笑つた。彼は好き嫌いは昔から無いやうなものゝ、きのこ類だけは出来ることなら口に入れるのを憚つてゐるのである。何と云つても、あの食べ物らしからぬ色と、形と、それに口に入れた際のぷよ〳〵とした食感が苦手で、同じくきのこ類が嫌いな沙霧と共に、昔はよく母親に文句を云つたものであつた。里也の憶えでは、彼女は小学生の時にはよく食べてゐたやうな気もするのであるが、いつ頃のことであつたか、彼が椎茸の煮物を前に顔をしかめてゐると、実は私もそんなに好きぢやなくて、……としごく恥ずかしさうに云ふので、それからはきのこ嫌い同士でゐるのである。が、そんな沙霧はと云へば、
「まあ兄さん、好き嫌いは良くありませんよ。あーんしてあげませう」(テンションが高すぎる。要修正)
と云ひながら、彼がテーブルに置いた取り皿を横からくすねる。彼女は両親から逃げるやうにして里也の隣に座つてゐるのであるが、先程彼といちやついたおかげで大方復活したのか、よく喋るやうになつてゐる。実際には、佳奈枝に呼ばれた手前、そして、遠慮したけれども一緒に食べようと連れ出してくれた手前、場をしらけさせないよう少々無理をしてゐる感じではあるけれども、本人はそれなりに楽しんでゐるやうであつた。
「こら、やめなさい。……やめろつて! ――あゝ、もう! あー、……」
と里也の開いた口に、件の巻物が放り込まれる。
「美味しいですか?」
と里也が口の中の料理を飲み込んだ段階で沙霧が聞いた。
「……食べてみれば分かるよ」
と、彼は小高く積まれてピラミッドのやうになつてゐるところから、ポロツと一個取つて来て、
「ほら、沙霧も口開けて。分かてゝ俺にきのこを食べさせたんだらう?」
「うゝ、……兄さんのいぢわる。……」
「いぢわるなのはどつちぢやい」
沙霧は文句を云ふのを止めて、目を閉じて、小さく口を開けて、その時を待つた。が、待てども〳〵、一向にその時が来ない。……
「ふつ〳〵、そんな縮まらなくてもえゝやん」
そんな笑ひ声が聞こえて来たので、恐る〳〵目を開けた沙霧は、もぐ〳〵と口を動かす彼を見るや、
「もう、兄さんつたら、……ほんたうにいぢわるなんですから」
と云つて、ふゝゝゝと笑つた。
当然、佳奈枝からするとこんな光景を見せられるのは面白くない。あなたきのこ類はダメだつたんぢやありませんでしたつけ? と一言くらゐ云ひたくもなつてくるのであるが、それ以上に気になつたのは、沙霧の態度であつた。里也の話では、彼女は食事の際にあまり話をしないたちであるらしいのだが、自分が見る限りでは、いつだつて彼と楽しげに話してゐるのである。それも、自分はあまり食べずに、ポイポイと里也の口の中へ料理を放り込んで行く。佳奈枝はこの家に来た時には、久しぶりに会ふことになる義両親の相手をしなければならず、毎回心をざわめかせながらも、二人のいちやつくのを見てゐるのみであつた。だが今日は、さつきまで料理を手伝ひつゝ話してゐたから、いくらか手持ち無沙汰である。
「里也さん、里也さん、再来週のラフマニノフの話してくれた?」
と、ちやつとしてから彼女は二人の仲に割つて入つてやつた。
「おつと、忘れてたわ。沙霧、再来週にな、――」
「私が説明するわ」
「なら、よろしく」
さう云ひながら里也が日本酒の杯を片手に、すつかり背もたれに凭れかゝつてしまつたので、佳奈枝は好機とばかりにぐいと身を乗り出して、未だ彼の顔を見つめてゐる沙霧に向かつて喋り初めた。――
「沙霧どう? 行きたい? ラフマニノフの一番なんて、あんまりないから良いと思つたんだが、……」
パンフレットを見せながら一通り説明し終はつた頃合ひに、それまで静かにしてゐた里也が入つて来た。
「あつ、えつと、……」
「沙霧ちやん?」
沙霧は里也の顔と佳奈枝の顔とを交互にチラリ〳〵見てゐた。
「どうしたの?」
「いえ、その、……兄さん」
と、今度は里也に助けを求める。
「あ、ついて行くのは俺だけな」
と里也が云つた。そして、ほら、行かう、行かう、沙霧はラフマニノフ信者やろ、行きたくないとは言はせんぞと、彼にしては少々無理やり誘つてゐるのであるが、顔は赤いし、口調はやたら砕けてゐるし、顔はニヤけきつてゐるし、どうもすでに酔つてゐるやうであつた。一体、酒に関しては彼はめつぽう弱く、ともすれば沙霧の方が強いと云ふ風で、彼女は彼女で里也に注がれるまゝ飲んでゐるのだけれども、一向に酔う素振りを見せないのである(緊張してるから酔わないだけ)。
「な、沙霧、行かうぜ。お兄ちやん久しぶりに沙霧とコンサートに行きたいなあ」
「はい〳〵、里也さんはもう喋らなくてよろしい。で、沙霧ちやんはどうしたい?」
と佳奈枝は里也を再び椅子に凭れかけさせて、沙霧にさう問うたのであるが、彼女は、
「あ、それは、ラフマニノフは好きで私もよく聞いてゐて、このあひだはピアノ協奏曲を、――」
と脈絡のない事を云ひ始める。
「うん?」
「えゝと、ですから私はラフマニノフの曲が好きで、ピアノ協奏曲もさうで、ひいては、……」
「沙霧ちやん?」
「あえ、えと、せつかくのコンサートですから、お姉さんは、……」
「いや、私のことはいゝから、沙霧ちやんがどうしたいか云つてくれるだけでいゝんだけど、……」
沙霧が未だに良くわからない事を云つて返事を返してくれないので、佳奈枝はさう云つてみたのであるが、
「あ、さうぢやなくつて、……えつと、ごめんなさい」
と、無理やり打ち切られてしまつた。一対一だとたまにかうである。里也に対しては、こんな賑やかな食事の場であつても中々流暢に話すのであるが、佳奈枝を前にすると言葉が詰まつたり、変な声を出したり、このやうに脈絡も無いことを云ふ。夫はまだ慣れきつてゐないんだよと云ふけれども、もう三年目の仲なのだから、まさかそんなことは無いだらう。人間、数ヶ月に一回程度とは云へ、三年も会つてゐれば慣れも緊張も何もない、自然に話せるはずである。いや、そも〳〵最初に会つた時には今以上に話が弾んでゐたのだから、彼女はそんなに会話が苦手ではあるまい。佳奈枝は期待も込めて、頭を垂れる沙霧をじつと見つめてみたのであるが、彼女は振り向きもしない。さう云へば、まだ目も全然合はせてくれないのである。そのくせ、例の「夫婦ごつこ」の際には、これ見よがしにこちらを見てくるのであるが、それはどうしてかしらん? 状況が状況だけに、里也を奪つたことを恨んでゐるのかしらん? それとも彼女にも悪いことをしてゐる自覚はあつて、申し訳なさゝうにしてゐるだけかしらん? どちらにせよ、目くらゐ、さう恥ずかしがらずに合はせてくれたらいゝのに。でも、さう云ふ臆病とも云へるほど奥ゆかしいところが、夫の好みなのであらうと思ふと、佳奈枝は少しばかり沙霧が羨ましくも妬ましくも感じるのであつた。
「そんな、何も難しいこと考へずに、感じたことをそのまゝ云へばいゝのよ。ふゝ、沙霧ちやんはほんたうに恥ずかしがり屋ね」
「……すみません」
「俺が思ふに、沙霧はたぶん行きたいんだよ。――」
酔ふのも早ければ冷めるのも早い里也は、杯を持つたまゝ座り直して言葉を続けた。
「かう云ふ場だから、考へが上滑りして上手く言葉にできないだけで、頭の中ではちやんと分かつてるんだから、まあ、さう急かすなや」
「さうなの? いや、里也さんに云つたんぢやなくて、行きたいつて云ふのはほんたうなの? 沙霧ちやん」
「は、はい。……」
「ほんたうに?」
「出来れば、……」
そこでくつ〳〵と里也が笑つた。
「さう云ふことだから、沙霧、再来週の十一時頃に迎へに来るからそのつもりで。それよりも今は食べよう。佳奈枝が微妙なところで話を切り出すから、鯛めし冷めてしまうたやん。……」
と、里也は茶碗に目一杯盛られた、醤油色にぬら〳〵輝く鯛めしを口��放り込むと、それにしてもめつちや美味いなこれ、と嬉しさうに感想を述べた。
この家に来ると夫婦は中々帰らせてくれないのであるが、今日もそんな調子であるらしく、父親に捕まつた二人は中途半端になつてゐた旅行の話をさせられてゐた。で、それが終はると、老夫婦を放つておいて、今度は沙霧と一緒に、これまた中途半端になつてゐた日帰り旅行の話をしようと、一人もそ〳〵と煮物をおかずに鯛めしを食べる沙霧に話しかけた。彼女は里也が食事を終へる頃になつてやうやく自分の料理に手をつけ始めたのであるが(もちろん夫婦ごっこ)、いつにも増して味はひながら食べてゐるらしく、米粒を一粒〳〵口に入れるが如き食べやうなのである。そんな折に話を振つたら余計に食事が進まないので、里也は時折首を振る程度の質問は投げかけながら、極力佳奈枝と話してゐるのであつた。沙霧ちやんは静かなところがいゝんだよね、せやけど意外と騒がしくても慣れてる場所ならついて来るで、慣れてる場所つてどこよ、神社とかたぶん上賀茂下賀茂伏見稲荷あたりは来るんぢやね、なるほどさう云ふ場所ね、あと昔行つた場所とかもいゝかもしれんな、いゝわねそれけど云うて私君らがどこに行つたことあるか全然知らないけどね、追々云ひますわ沙霧はそんな感じでもいゝ?――と、例を出してみれば夫婦はこんな会話をしてゐるのであるが、当の本人はもう話し疲れてしまつたのか、うん〳〵と頷くばかりで要領を得ない。さう云へば、そろ〳〵夜の九時であるから、いつもだつたらもう里也に促されて自室に籠つてゐる時間である。彼女にしてみればもう限界と云つたところであらうか。別にその気持は分かりはしないけれども、行き先も決めずに逃げられるとこゝまで来た意味が無いので、佳奈枝は小用から帰つて来た折に、ちやうど空いてゐた沙霧の隣の席へ腰掛けた。里也が邪魔でよく見えてゐなかつたのであるが、見たところ、彼女は粗方自分の分を食べ終へてゐるやうである。
「ねえ、さつちやん、お姉さんと一緒に京都へ新緑でも見に行かない?」
佳奈枝は沙霧のことを「さつちやん」と呼ぶことがあつた。
「新緑、……ですか?」
「そ、新緑。紅葉の逆ヴァージョンみたいな? さうでしよ? 里也さん」
「さう〳〵、下賀茂の糺の森とか、ちやつと遠いけど今宮神社とか、紅葉が綺麗なところはだいたい綺麗なんぢやなからうか。それに春とか秋とは違つて、初夏だと人が少ないから、沙霧にも行きやすいと思つたんだが、……」
自分では行つたことは無いがと云ふ口調であるが、実際彼は京都と云へば春の花見くらゐしか行つてゐないのである。が、だいたいの光景は目に浮かんでゐるから、賑やかさを求める佳奈枝のたちと、静かさを求める沙霧のたちを考慮すると、新緑の季節の京都と云ふのはちやうど両者の中間を縫つてゐるやうで、中々良いのではないだらうか。――と、彼は思つてゐるのである。
「わ、わたしは、――」
「さうだ! 里也さん〳〵、アレ持つて来てるでしよ、アレ。貸して〳〵」
アレと云ふのは里也がいつも肌身離さず持ち歩いてゐるタブレット端末なのであらう。里也はふらりと立ち上がつて、それを持つて、またふらりと元に戻つて来くると、沙霧の眼の前に置いて、けれども慣れた手付きで扱ふ。
「さつき云つてたのつて、どこだつけ」
「貴船と祇王寺と瑠璃光院」
「待つて、待つて、ひとつずつお願ひします佳奈枝さん。あと貴船神社は遠いから却下」
「えー、……里也さんが行くわけぢやないのに。……でも〳〵、瑠璃光院は行きたい。定番でしよ」
「瑠璃光院は〝映える〟から、時期が外れてるつて云つても、人多いだらうなあ。……もう一つはなんて名前だつたか」
「祇王寺。里也さんも行つたことあるわよ。もしかして憶えてらつしやらない?」
「あゝ、なるほど、こゝのことね。佳奈枝が石に躓いて転びさうになつたから、よく憶えてるよ」
と、写真を眺めつゝ里也が云つた。
「もう、忘れてよ。せつかく忘れてたのに」
「ふつ〳〵〳〵、いやあでも、派手に転けなくてよかつた」
と、里也は笑ふのも程々にして、「京都 新緑」と検索窓に打ち込む。時節柄、新緑と云ふよりは桜の開花に話題が集まるやうな気がしたが、もう今年向けのペーヂはあるらしい。可愛らしい春の雰囲気から一転した、青く美しい様子が映し出される。写真だから、実際にはいくらか感じ方は違ふだらうけれども、青々と生ひ茂るもみぢの木と苔は、秋には見られない美しさを醸し出してをり、何より目に優しいのは真夏ほど日差しが強くないからだらうか、それでも至極鮮やかに、葉と云ふ葉が照らされてゐる。殊に神社の朱色とのコントラストが素晴らしい。なるほど、これはもしかしたら、物凄くいゝ提案をしてしまつたのかもしれない。――里也は内心得意になりながら、佳奈枝と共にペーヂを手繰つてゐたのであるが、ふとその時、
「兄さん」
と、自分を呼ぶ声がすぐ傍から聞こえてきた。
「ん? どうした」
「あの、えと、……ら、ら、……」
「うん?」
「えつと、……あ、やつぱりなんでもないです。……」
「おう、さうか。――それより沙霧、俺のカメラ貸すから写真撮つてきてくれないか? 俺も行きたいのは山々なんだが、たぶん止められるんでな。……」
「それどう云ふことよ」
と佳奈枝が云つた。
「お前らに���いて行つていゝ?」
「ダメ」
「ほらな。だから沙霧頼んだわ」
「沙霧ちやんにお願ひしなくても、違ふ日に里也さんも行けばいゝぢやない。今年のゴールデンウィークは長いんでしよ?」
「まあ、せやけど、どうも京都は気軽に行けすぎていかんねん」
「ふ、ふ、なにそれ」
「京都より奈良の方が行きたくならない?」
「なんないわよ、遠いから。ところでこの常寂光寺つてとこもいゝわね」
「ふむ、たしかに。さつきの祇王寺とも近いし。――あゝ、と云ふことは嵐山の辺りなのか。もうそれなら二人とも、嵐山周辺でも散策すればいゝんぢやないの」
――と云ふ里也の提案に佳奈枝がそつくり乗つたので、二人の姉妹の日帰り旅行は嵐山周辺の散策になつたのであつたが、彼女としてはもう少し練り歩きたいらしく、話し合ひはそれからもしばらく続いた。
「沙霧、俺らそろ〳〵帰るからな。――」
と、里也は、夫婦に挟まれていつの間にか眠つてゐた沙霧を部屋に送り届けた後、ベッドに寝かしつけながら云つた。
「……はい。兄さんお元気で」
「再来週の日曜、――たしか七日か、十一時すぎくらゐ、……遅くても十二時までには迎へに行くから、……あー、そんで、その後は佳奈枝に色々してもろて、ご飯食べて、俺と一緒にシンフォニーまで行つて、ラフマニノフ聞いて帰つてくるだけやから、ま、そのつもりで居てな」
「……分かりました」
「よし。ぢやあ今日はこんなもんで。今日はよく喋つたし、よく食べたし、よくこの時間まで下に居たよ、えらい〳〵、――」
と、沙霧の頭を撫でてやる。
「今日はもう寝るねんで。分かつたな? それぢや、ばい〳〵沙霧。――」
と、沙霧がなよ〳〵と手を振り返してくれたのを見てから、里也は階下に下りて行つたのであるが、今一度両親に佳奈枝が捕まつてゐたので、まだ帰らせてくれないやうな気がした。
「それにしても今日は、――」
と、帰りがけ、阪急の駅に向かつて歩いてゐる時に佳奈枝が口を開いた。
「私も沙霧ちやんと話ができてよかつたわ。いつも里也さんに取られつぱなしだもの」
「本人は死ぬほど疲れてると思ふけどな」
「ふゝ、でも楽しかつたわ。この調子で京都も無事に済むといゝわね」
「お手柔らかに頼むよ。ほんまに、――」
彼ら一家が夕食を食べてゐるあひだに雨が降つたのか、街頭の明かり、車の明かり、信号機の明かりで道がてら〳〵と光を帯びてゐた。里也は冷やゝかな夜風を頬に感じながら、酔いどれた足で角を曲がり〳〵して開けた場所に出ると、空を仰いで見えるはずの無い真白なお月さまを見ようと目を欹(そばた)てた。
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蓄音機コンサート「蓄音機で聴くチェロの巨匠たち」を開催しました
前日から続いた雨が午後にようやく上がった10月17日、蓄音機コンサート「第10回ロームクラシックスペシャル 蓄音機で聴くチェロの巨匠たち ~伝説の名演の味わい~」を開催しました。
これまで大小あわせて30回ちかく蓄音機コンサートを開催していますが、チェロ特集は初めてです。選曲をした今年の春時点で、みつかっていたチェロと室内楽のSPは200枚強。その中から解説をお願いした河野文昭教授と中木健二准教授が選ばれたのは9名のチェリストが弾く12曲。それにコンサートの数日前にみつかった1枚を足して、13曲のプログラムになりました。
カザルスの弾くバッハから始まったコンサートは、二人の先生方のお話を交えながら進んで行きます。チェリストや曲への思い、師事されたチェリストの思い出など、先生方のお話はとても面白く、興味深いもので、このまま一晩でも聞かせていただきたいと思うほどでした。 そうしてあっという間の2時間が過ぎ、コンサートの終わりにはこれもお約束、野澤コレクション公開促進事業のための募金をお願いしてコンサートは終了しました。
来年か再来年には、またチェロ特集か室内楽特集を組んで、ぜひとも先生方に解説をしていただこうという野心を胸に抱いています。
追加プログラム フーゴ・クライスラー(cello) フリッツ・クライスラー(piano) 「Melody in F」A.ルビンシテイン Victor 1039 1923年録音
第10回 ロームクラシックスペシャル 「蓄音機で聴くチェロの巨匠たち ~伝説の名演の味わい~」
日時:2017年10月17日(火)18:30-20:40 会場:音楽学部 第6ホール 解説:河野文昭教授・中木健二准教授(チェリスト、音楽学部器楽科) 観客数:74名 募金総額:21,920円
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