#著者の優れた詩的な素晴らしい感性の俳句をお楽しみください。
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わたしの20世紀の夕べ:そして、いくつかの小さなブレークスル―」は素晴らしかった。美しい英語で語られる”若き作家の自画像”とでも呼べる内容は、詩的でウイットがあり、リズムと流れがあった。彼は淡々と率直に、作家としてのブレークスル―(突破口を開く)体験を語り、分裂する世界での作家の役割に触れている。
筆者は思い立って、川端康成と大江健三郎のノーベル記念講演を読んでみた。川端の演題は「美しい日本の私」(1968)大江は「あいまいな日本の私」(1994)である。川端は明恵上人から一休までの和歌と俳句を引き、日本人の美意識と禅の思想を語っている。一方、大江は人文学者ラブレや詩人イエィツを引きヒューマニズムを語り、反戦主義者の心情を吐露している。二人の文章は味わい深いものだが、筆者にはひっかかる箇所があった。
日本人の詩心を謳った川端は講演を次のように締めくくった。「私の作品を虚無という評者がいるが、西洋流のニヒリズムという言葉はあてはまらない。心の根本がちがうと思っている」。筆者は西洋人とは「心の根本がちがう」ととった。川端は心の底では、日本人の心は外国人には分からない、と思っていたのではなかろうか。川端の小説を英訳で読んだノーベル賞選考委員会が、国境を越える文学的価値を評価した上での授賞だったのに。
26年後、大江は川端に反論する。侵略国家の過去を忘れ、近隣諸国との真の和解をしていないのに、日本のアイデンティティを「美しい日本」だけに求めていいのか。敗戦直後、不戦を誓い、日本の再生を模索した時代精神はどこへ行ったのか。日本人のアイデンティティは自然を愛する心にヒューマニズムの精神を加えるべきだ、と彼は主張する。
筆者は、大江は川端より広い視野で日本のあいまいさを見ていると思う。しかし、川端に厳し過ぎるのではないか。彼は非政治的人間で詩人なのだから。もうひとつ、大江は平和主義者だとはいえ、講演のなか���国連平和維持軍をも否定しているのはナイーブだと思う。
ただし、この二つのスピーチに共通していることもある。それはテーマが日本であることだ。国境を越えた作家イシグロはこの土俵から離脱し、記念講演で21世紀の世界と文学を語っている。
講演の全文は『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスル―:ノーベル文学賞記念講演』のタイトルで、早川書房から丸谷才一さんをうならせた『日の名残り』の名訳者、土屋政雄さんの手になり刊行されるので、ここでは筆者がとくに注目した最後の部分をご紹介しよう。
「わたしは最近、何年もの間バブルの中で暮らしていた、ということに気付き愕然としている。その原因はわたしが周りの多くの人々の不満と心配に、目を向けていなかったからだ」で始まる内容は、鋭い社会小説家のそれだ。以下はイシグロ演説の要旨である。
わたしの世界―リベラルな考えを持つ人々がいる空間は、想像していたより小さいようだ。子供のころから自明のことと信じてきた、ヒューマ二ズムの価値観は前進し続ける、という考えは幻想であったかもしれない。
しかし、わたしは楽観主義で育った戦後世代の一人である。なぜなら、両親の世代は全体主義、ジェノサイド、前代未聞の世界大戦を体験したあとで、ヨーロッパを世界が羨む国境のないデモクラシー圏に、変貌させたのを目撃したからだ。また、植民地帝国が崩壊し、人権が拡大することを体験した。われわれの世代は、資本主義と共産主義の間のイデオロギーと軍事対決の時代に育ったが、それはハッピーエンドで終わったと信じていた。
しかし、ベルリンの壁崩壊以降を振り返ると、われわれは自己満足に陥り、好機を逸したように見える。この間、富と機会の巨大な不平等が、国家間と国内で拡大することが容認されてきた。また、破滅的な2003年のイラク侵略、2008年のスキャンダラスな経済恐慌のあと、普通の市民に押し付けられた、長年の緊縮政策による耐乏生活がもたらしたものは、極右イデオロギーと部族ナショナリズムの台頭だった。人種差別という怪物も蘇っている。現在、われわれが団結してそれに対抗できる進歩的主張はないように見える。逆に、西洋デモクラシー諸国は分裂し資源とパワーをめぐって争っている。
一方で、科学技術と医学のおどろくべき進歩で、われわれは挑戦を受けている。遺伝子工学、人工知能、ロ��ットの技術は大きな恩恵をもたらすが、同時にアパルトヘイトに似た野蛮な実力主義社会と大量失業を生みだすかもしれない。
(以上のように、イシグロは現代の世界分裂、歴史逆流の現象の主因は、暴走キャピタリズムにあると言っているが、筆者はまったく同感だ。小説家の鋭いカンで時代を読んでいると思う)
続いてイシグロは次のように自問する。60代の自分は「作日まで存在していることすら考えていなかった世界」を理解し、読者になんらかの展望を与える仕事をするエネルギーはあるのだろうかと。だが「ベストを尽くさなくてはならない」「なぜなら、わたしは文学の重要性を信じているからだ。とくに現在のような困難な状況では」と言う。
イシグロは若い世代の作家に大きな期待を寄せ「書籍、映画、テレビ、演劇の世界には、冒険好きでわくわくさせてくれる20代、30代、40代の男性と女性がいることを、わたしは知っている。だから、将来を楽観している」と言う。
そう語ったあと、彼はノーベル賞アピールをする。文学が「不確かな未来へなにか重要な役割を果たす」には「今日と未来の作家から最良のものを引きだすべきだ」。そのためには「多様になる」必要があると言う。
彼は二つの提案をしている。第一は、先進国の居心地のよいエリート文化の世界を越えて、多様な声を反映すべきだ。その声は国内のものでも遠い外国のものでもかまわない。「未知の文学世界から宝石のような作品を発見する努力を積極的にやろうではないか」と言う。
第二は、「優れた文学の定義を、あまりに狭く、あまりに保守的にすべきではない」である。新世代の作家は、思いもかけない手法で素晴らしいストーリーを語るから「オープン・マインド」であるべきだと言う。とくに、ジャンルと様式について、そうあるべきだと提案している。
イシグロはスピーチを次のように結んでいる。「この危険な分裂の時代にあって、われわれは聞かなければならない。良いものを書き、良いものを読めば、障壁を打ち破ることができる。そこから、われわれを結集させる新しいアイデイア、偉大な人間的ヴィジョンが見つかるかもしれない」
イシグロの記念講演は21世紀のノーベル賞作家にふさわしい。
筆者はこの記事を書くにあたって、以下のビデオ、エッセイ、インタビュー、記事のお世話になりました。感謝いたします。Kazuo Ishiguro Nobel Lecture ”My Twentieth Century Evening-and other small breakthroughs” 2017・12・7 Nobelprize.org, “How I wrote the Remains of the Day in four weeks” Kazuo Ishiguro The Guardian 2014・12・6, ”My friend Kazuo Ishiguro: an artist without ego with deeply held beliefs” Robert McCrum 2017・10・8 The Guardian, “Many ScolwIs” Patrick Parrinder 1986・2・6 London Review of Books, “Kazuo Ishiguro in Conversation with John Wilson” Front Row 2015・3・5 BBC Radio 4、筆者の早川浩インタビュー 2017・12・12.「21世紀に向けて 作家の役割り」 対談 カズオ・イシグロVS大江健三郎 1990・6 国際交流、「阿川佐和子のこの人に会いたい」 カズオ・イシグロ 2001・11・8 週刊文春、「カズオ・イシグロをさがして」 ETV特集 2017・12・19 NHK
【フランス田舎暮らし ~ バックナンバー1~39】
著者プロフィール
土野繁樹(ひじの・しげき)
ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。
土野繁樹 (id:toruhijino) 4年前
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「文化の薫る山口に…」 中原中也記念館名誉館長 福田 百合子さん [後編]
◯外郎の家
チェン「福田先生は山口の外郎(ういろう)の商家のたいへんな大家族のお生れなわけですが、どういったことから文学の道に進まれることになったのでしょうか?」
.
福田「やっぱり戦争の影響っていうのが大きいですね。太平洋戦争があったものですから、外郎と云ってもお砂糖も配給制度になりますし、兄が4人もいたんですけど、みんな戦争に行ってしまって。だから家は祖母や母や叔父、叔母、わりあい年寄りのなかにおりました���で、いろんな話を聞くことが出来ました。山口の歴史や言葉について、生活習慣について。そういうことでずいぶん刺激を受けて、言葉には興味を持ったんですけど、文学をとは思わなかった。兄がシベリアに行って戦病死して、父も相当衝撃を受けたのですが、父もそれからすぐに亡くなったんです。外郎屋を継ぐ人がいなくなって続けていけなくなった。どうしようかという時に、ちょうど宮野の女専ができまして、そこに入るなら国語方面、文学方面しか行けないなって思って受験しました。そこで、太田静一という中也の研究家、嘉村礒多の研究家にお会いしました。それから、古典の世界を。両方教えてもらったので、そこからだと思います」
.
チェン「福田先生の書かれた小説〝外郎の家〟のなかでも細やかにその辺の事情は綴られていましたね。山口を代表する大きな商家が途絶えてしまう、そのさみしさ、僕自身は華僑の生まれですが祖父母の苦労して築いた家業を継がなかった訳ですが、自分の境遇と重ねながら読ませていただきました」
.
福田「そうですね。お父様のね…… 身につまされたでしょう」
.
◯香月泰男との思い出
チェン「先ほど、お兄様のシベリアのお話に触れさせていただきましたが、山口でシベリアと云うと画家の香月泰男さんがいますね。僕は香月泰男美術館がとっても大好きな場所で山口に帰省すれば必ず足を運んでいたんですが、僕が東京の美大にいた頃にはよく周りから香月泰男美術館があるなんてうらやましい、中原中也記念館があっていいねえって云われてたんですが、もっと山口のなかでその魅力が広まってもいいのにって思いがすごくあるんです」
.
福田「私は生前とてもよくしてもらいましたし……」
.
チェン「福田先生の最初の出版の装丁を香月泰男さんがなさったんですよね」
福田「そうです。〝心のふるさと散歩〟というKRYで随筆の放送をしたんですが、それを集めて文芸山口叢書の第1巻として出すことになった時に香月先生が装丁と挿絵を描いてくださって。だから原画も持っております。シベリアからお帰りになったということで、私は兄が亡くなった訳ですから、そのことを先生に話したら、ある種の後ろめたさをきっと持たれたと思うんですが、とってもよくしていただいて、アトリエにも上げていただいて、2階に抑留時代の飯盒があって、飯盒の焦げたススを墨にすり込んでシベリアシリーズの黒の原色として使ったのを、秘密なんだけどって云って教えてくださったり、平和の象徴の鳩もよくモティーフにされてましたが、それは河原で拾ってきた石にちょっと目をつけて鳩だよねーっておっしゃってたり。おもちゃシリーズがありますよね。あれなんかも、とても器用でいらしたから、ちょっとこうやって触ったり引っかけたりで作っておられましたね。最期のとき、新聞社からいち早く電話をもらって駆けつけたんです。ご遺体の手がまだ温かかった。ほんとうに身につまされました…… 古川薫さんもよく通われていて、著者に書いておられました。シベリアへの共通した恨みや思い入れを語られる時に、なんかこう心が通じ合えた気がいたしました」
.
チェン「ほんとうに過酷な状況下で生きて帰られた。あの辛さを、シベリアシリーズとして描かれたのはみなさんよくご存知な訳ですが、一方で、福田先生も触れられたように、子どもが見て笑顔になるような、心がほっこりするようなおもちゃをたくさん作られてますね」
.
福田「そうですね。最晩年には、ヨーロッパや南方を旅行されて、どんどん明るくなって色彩も豊富になって温かい華やかな作風も現れて楽しかったのですが、その最中に…… まあワインがお好きでたくさん召し上がってたのもあって、そのせいもあるかも知れませんが。そしてやっぱりシベリアの寒さや厳しさがお身体に響いていたんだと思いますね」
.
◯古川薫との思い出
チェン「また、近年お亡くなりになられた古川薫さんとも交流がおありだったそうですね」
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福田「そうなんですよ。方言を集めた書物の企画も、古川さんが山口新聞時代に声をかけてくださったものだったんです。それよりももっと前、山口大学の頃、サッカーをされておられた頃から関わりがありました。それから文芸山口の会合の時には一緒にたいへんな大雪の中を山口駅まで歩いて行った思い出もあります」
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◯藤原義江、二村定一、山口の芸能
チェン「僕は、古川薫さんの〝漂泊者のアリア〟の藤原義江さんの記念館につい先日、下関に行った際に訪ねてみたんです」
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福田「そうでしたか。あ���ますね」
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チェン「はい。ところが、藤原義江記念館を見て、ちょっと胸が痛んだというか…… 個人の方が一生懸命に苦しいなか運営なさっておられるという風情で。下関には、藤原義江さんだけでなく、例えば、二村定一さん、あるいは田中絹代さんという、云ってみれば芸能界の先駆者のようなとってもモダンな方がいっぱいおられる。山口はどうしても明治維新のこと中心にPRしますが、こういった昔の文化・芸能のことにももっとスポットを当てていただきたい。古川薫さんが、著書で光を当ててくださったように」
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福田「沢田研二がNHKホールで演じてた時にも、古川夫妻がみえてて、あれはなかなか熱演で」
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チェン「そうですね。沢田研二さんがああやって舞台にされて、藤原義江さんのことが広く知られるようになりましたね」
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福田「私は、実物を知ってて、山口師範の講堂で見たこともあったんです。その時にはバイオリンの諏訪根自子なども一緒でした」
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チェン「そうなんですか! 藤原義江ご本人をご覧になったことがあったんですね!」
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福田「当時〝世紀の恋〟と謳われた藤原あき夫人も綺麗でした。たいへんな名家の方ですからこう髪を膨らませて」
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チェン「そうでしたか。今で云うハーフで、堂々たる風格で、美しい横顔のお写真が残っていますが」
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福田「そうですね。ちょっと、私どもでは考えられないような生涯、それを観たくて、当時アリアがどんなものかも知らずに、音楽的にはなにもわからないまま、多くの人が高商の講堂に足を運んだものです」
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チェン「藤原義江さんはオペラで日本の第一人者ですし、また、二村定一さんは日本における初のジャズシンガーと云える方ですよね」
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福田「そして防府には、大村能章もいますしね。掘り起こせばほんとに豊かな人材がいます」
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チェン「はい。松島詩子さんもいますね!」
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福田「そうそう! 松島詩子も実際に会ってます」
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チェン「そうなんですか! あのすごいドレスの」
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福田「金龍館に淡谷のり子も来て、戦後すぐでしたから停電になってたいへんでしたが(笑)」
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チェン「商店街にあった映画館の金龍館ですね。僕は戦前の音楽に憧れがあるので、僕の立ち上げた劇団でも扱って、もちろん二村定一さんのアラビアの歌なんかもやったんですが、観に来て下さった多くの方が知らなかった初めて聴いたって云われる方がほとんどで。一緒にやった若い人も、もちろん知らない訳なんですが、昔にこんなモダンな人がいて美しいメロディーあったんだったって事に若い感性に響くものがいっぱいあったようなんです。だから、決して昔のものでもう終わったということではなく、また光を当てたり、良さを伝えていくってことをほんとうに大切にしていきたいと思ってるんです」
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福田「そうですね。そういうものを耳にするとまた自分で新しい作曲をしようというものが出てくるかもしれませんしね」
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チェン「そうですね。やっぱり何かかから、影響を受けて、感化やインスピレーションを受けて創作というもの生まれるものですしね」
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福田「そうですね」
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◯詩人の故郷、山口
チェン「話が多岐に及んで、山口の芸能についても触れていただきましたが、福田先生のご専門の中也を始め、山口にはまた、金子みすゞ、種田山頭火、まど・みちおさんなど詩人の方々もたくさん輩出しているわけです。また、宇野千代や下関出身の林芙美子もいますね。こういった、素晴らしい文学の方々がいっぱいおられるわけですが、僕は、これこそが山口の宝なんではないかって思いがとてもあるんです。愛媛県松山市は正岡子規の故郷で、その弟子筋の高浜虚子がいたり、中村草田男がいたりということで、俳句甲子園をやっていますね。去年は、東京の名門の開成高校を下して山口県の徳山高校が優勝して盛り上がったわけですが。この俳句甲子園は全国的にも注目を集めていて、これが映画化されたり、サントリーの地域文化賞を受賞したり、俳句を中心とした町興しが非常に成功したケースと云われています。山口はこれだけ錚々たる詩人の方がいっぱい居ますので、詩のメッカ、詩の故郷であるという事をもっと浸透させてうまくPRできるんではないかと考えているんです」
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福田「一応、中原中也賞というのがありまして、福島のご出身の詩人の和合亮一さんなどが受賞されて、ワークショップで小学校に詩を教えに来てくださったり、福島との交流もあって。また、いまは〝ぼうしの詩人賞〟と云って、小中学生を対象にした賞も設立したんです。けど、これもいかにして宣伝をしてみんなに行き渡るようにしないといけないわけで、その意味では、山口はそういう発信力が、ちょっと遠慮深いかもしれませんね…… もうちょっと堂々とたくさんしていってもいい気がします。でも、徐々に浸透していってくれればとも思います」
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チェン「そうですね。それにはまず、やっぱり地元の故郷の方が、中也や山頭火などの理解を深めて大切にしてほしいなって思います」
◉中原中也の舞台公演のお知らせ
日時:2019年3月30(土)、31(日)
会場:国指定重要文化財 山口県政資料館 旧議事堂
主催:劇団ジャンク派
福田「そうですね。私はまた、近代文学館として、中也、みすゞ、まど・みちおと繋ぎ、面で捉えるような、文学廻廊にするという将来構想をずっと前から持っているんです。山頭火と中也も繋がるし、みすゞとも繋がるし、婦人画報でまど・みちおとも繋がっている」
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チェン「なるほど! それはたいへん素敵な構想ですね! しかし、福田先生がこうやって山口のこれからについていっぱい思い描いているおられる事があって語ってくださってるわけなんですが、みなさん、びっくりされると思いますが、女性の先生ですからお年のこと触れさせてもらってたいへん恐縮なんですが…… 福田先生は、今年で90歳になられたんですよね…?」
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福田「はい満90です。もう卒寿というわけですから、人生卒業なんですけど…… まだ、もう少し、みなさんとご一緒させていただきたいと思っています」
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チェン「昭和3年のお生まれでしたよね」
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福田「はい、9月ですから、もう半分は過ぎましたけど…(笑)」
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チェン「いやー! 素晴らしいです…… いつもたいへんよく歩いていらっしゃいますよね」
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福田「今日も、ここまで歩いて参りました」
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チェン「寒い最中をほんとうにありがとうございます。そして、僕はびっくりしたのは、東京でお会いした時、羽田空港から、六本木のホテル、そして、銀座とご一緒させていただきましたが、とっても歩く速度も速くって、浜松町で山手線に乗り換えてとか、この道からゆけば早く着くとか、全部先生が教えてくださって、とても90歳の先生とは思えませんでした。びっくりして、驚異的だとすら感じています。しかも、いつまでもお美しい。こんな90歳の方っていうのは、日本中探してもなかなかいないんじゃないかと思っています」
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福田「いえいえ、それはちょっとオーバーですよ(笑)」
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チェン「ここで、ちょっと総括的にお伺いしたいと思っています。これまでも、折に触れお話いただいていましたが、福田先生の思われる〝山口のいいところ〟山口県の魅力についてお話いただけないでしょうか」
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福田「はい。山口は地理的に本州の端に位置している事から、よく吹き溜まりだという人がいますが…(笑)私は、ここから発信していく、海を控えていて、遥かに展開が出来る位置的なメリットがあると思っています。そして、非常に総合的に物事を考えられる。それは、瀬戸内側と日本海側と中山間部がありますし」
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チェン「��界灘にも繋がってその向こうには大陸がある」
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福田「はい、九州や四国とも近い、文化的には京文化とも近い、そうゆうことを考えますとやはり総合的な1つの良さを持っていると思います」
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チェン「なるほど。この山口、長州の地から、新しい日本を創ろうと志した多くの志士たちも生まれ育ち飛び立っていきました。これもお国柄なんですかね」
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福田「歴史的なそういう面もあると思いますけど。近代的な意味でも、これから、方々へ飛び立っていくインターナショナルな人々の集約力もあるけど、発展力もあるというふうに思います」
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チェン「なるほど。すごく明るいお話をいただきました。逆に、山口のこれからを考える為にも、〝山口の残念なところ〟課題、これからよくしてゆかなくてはならない取り組みなど、そういったものがあればお聞かせいただけないでしょうか」
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福田「昔は、田んぼが広がり、それが水を受ける機能を果たし、結果、洪水も少なくしたと云ういいところもあったのでしょうけど、都市化してその機能も充分に発揮できなくなっているような、中途半端な地域性に終わっているんじゃないかと思います。先ほど云った文教的な意味合い、あるいは、個々の都市がそれぞれの特色を持ちながらそれを総合的に高めていく、そう云う発想が少し足りないんじゃないかと思います」
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チェン「云ってみればグランドヴィジョンが描けなくなっている。僕はすごく思うのは、昔の方、政治家なども風土をよく理解してグランドヴィジョンを持っている。例えば、東京大学を作れば、一方で大阪ではなく京都大学があり、国立美術館も、東京と京都。山口には、山口大学がありますが、前身となる高商は、やはり戦前は下関が非常に重要な港であった事から、日本に4大高商を作るにあたって、東京に一橋大学、神戸に神戸大学、そして山口と長崎に作った。このように地域の特性をうまく活かす、よく地理を理解している。山口も、やはり山口ならではの地域の特性・風土をよく理解して、ここにはこういうものが必要だと云うようなグランドヴィジョン、展望を描ける人材がほんとうに必要だと感じています」
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福田「それがいると思いますね。やはり住んでる者が声を上げていかなくてはいけませんね」
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チェン「はい、ですから、地域のポテンシャルや良さをまだ理解しきれていない、活かしきれてない、それが残念なことだなぁと思っています」
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福田「そうですね」
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チェン「福田先生の年齢をお聞きしてびっくりいたしましたが、若い人も負けていれませんね。90歳の福田先生がこれからの山口のことを思って精力的に様々な取り組みをなさっておられるわけですから。その多くがボランティアの活動で、ご尽力なさっておらえますね。地方の時代とも云われますが、一方で地方消滅なんて言葉も話題になりました。ほんとうに真剣に考えていかなくてはと思います」
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福田「そうですね。みんなで一緒に考えなきゃいけませんね」
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チェン「最後に、福田先生から、このメディアをご覧になってるみなさんに向けて、メッセージを一言いただけないでしょうか?」
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福田「はい。とても空気が美味しくって、風がとても気持ちよく、そして光も充分な、山口へぜひどうぞ」
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チェン「福田先生、長い時間に渡り、僕の至らない点が多くあったにも関わらず、今日は、様々な話に及びたいへん貴重なお話をお伺いすることができました。ほんとうにありがとうございました」
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福田「いいえ。どうも失礼しました」
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終
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取材場所:一の坂川 喫茶ラ・セーヌ
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