#落日珊瑚
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今日読んだ漫画 2023年8月11日(金)
マーガレット2023年17号
✨『はじめまして あなたが好きです』杏野まこ
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🐱『夜は猫といっしょ』キュルZ
デジタルマーガレット(デジマ)
🐍『後宮の百花輪』霜月かいり+瀬那和章
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後宮の百花輪
📚『「ママ」枠からの脱出!』月島珊瑚+らるむ
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「ママ」枠からの脱出!
ストーリアダッシュ
🛫『うめともものふつうの暮らし』藤沢カミヤ
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#うめともものふつうの暮らし #ストーリアダッシュ #藤沢カミヤ
くらげバンチ
👻『極主夫道』おおのこうすけ
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極主夫道 - おおのこうすけ / 第119話 | くらげバンチ
#極主夫道
花とゆめ2023年17号
🎤『花時をかける』青海瑠依
🐉『暁のヨナ』草凪みずほ
🛐『神さま学校の落ちこぼれ』赤瓦もどむ+日向夏
😼『~贄姫と獣の王 スピンオフ~白兎と獣の王子』友藤結
👑『ザーフィラ陛下と黒と白』もといも
#今日読んだ漫画#はじめまして あなたが好きです#杏野まこ#夜は猫といっしょ#キュルZ#���宮の百花輪#霜月かいり#瀬那和章#「ママ」枠からの脱出!#月島珊瑚#らるむ#うめともものふつうの暮らし#藤沢カミヤ#極主夫道#おおのこうすけ#花時をかける#青海瑠依#暁のヨナ#草凪みずほ#神さま学校の落ちこぼれ#赤瓦もどむ#日向夏#白兎と獣の王子#友藤結#ザーフィラ陛下と黒と白#もといも
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「Can You Catch A Cold?」サンプル5
字幕大王2024.06.25
サンプル4はこちら
水俣病の混乱
細菌論に夢中だったために伝染病と間違われた病気は栄養不足だけではない。1956年5月のこと、5歳の少女が日本の水俣市の病院に入院した。水俣は八代海に面した人口約5万人の小さな漁村だった。その少女は、けいれん、歩行困難、言語障害などの異常な神経症状を呈し、急速に体調を崩していた。数日後、彼女の妹と町内の他の3人もまったく同じ症状で病院を訪れた[45,46]。
その後、数週間から数ヶ月で、村の人々が病気になるケースが急増したが、罹患したのは村人だけではなかった。大量の魚が奇妙な泳ぎ方になり、やがて死んで陸に打ち上げられた。海鳥は飛べなくなり、異常な行動をとるようになった。これらの動物を捕食する猫も具合が悪くなり、口からよだれを垂らし、気が狂ったかのようにぐるぐる走り回った[47]。動物と人間の間で何らかの病原体が伝播したのだろうか。誰も確かなことはわからないが、この大流行は伝染病の特徴をすべて備えているように思われた。最初の患者が出た後、村に住む人々が次々と同じ症状で倒れ始めたのだ。そのため、ある種の「奇妙な伝染病」が発生したという噂が広まった[48]。やがて、この病気は伝染性髄膜炎であるという未確認の報道が出始め、地域社会は大きなパニックに陥ったのである[49]。
謎の病気への恐怖は極めて大きく、近隣の町の人々は水俣人を排斥し始め、長い間築かれてきた密接なコミュニティの絆は急速に失われていった[50]。伝染病まん延を抑えるため、家屋は消毒され、病人は隔離された[49]。この対策にもかかわらず、伝染病が地域住民を襲い続けた。初期の報道によれば、少なくとも55人が感染し、17人が死亡した[45]。
しかし、約3年後、研究グループはついに病気の原因が地元の肥料製造会社であると突き止めた。同社が、合成肥料製造の廃棄物であるメチル水銀27トン���水俣湾に投棄していたのだ[51]。この水銀が地元の水路を汚し、何百平方キロメートルもの海を汚染した。かつては美しく肥沃な自然の珊瑚礁であった水俣湾は、有毒な荒れ地となり、かつては豊かであったその恵みを不運にも口にした人間や動物を毒した。
1963年2月、水俣病の発生原因を調査していた研究グループから正式な発表があった。誰もが落胆したが、水俣病の原因は感染性微生物ではなく、メチル水銀に汚染された水俣湾の魚介類の摂取によるものだった[49]。長年にわたって、この環境破壊の犠牲者たちは、日常生活で出会う人々に伝染性ではないと安心させねばならなかった[52]。この災害によって900人以上が死亡し、200万人が慢性的な健康被害に苦しんだ[51]。
水銀中毒の混乱
水俣で起きた出来事にもかかわらず、医療関係者は今日に至るまで、水銀中毒を感染症として誤って診断している。2018年8月のこと、15歳女性、13歳女性、11歳男性の3人兄弟が救急外来を受診した。彼らには、発熱、筋肉痛、皮疹、倦怠感など、非特異的な症状が進行していた。検査は陰性の連続であり、その結果、「ウイルス性症候群」と診断された。子供たちは休ませるために家に帰らせられたが、その3日後、兄弟はさらに悪化した状態で救急部に戻ってきた。うち一人は神経障害を起こしていた。子供たちは溶連菌性咽頭炎(連鎖球菌性咽頭炎)と猩紅熱(しょうこうねつ)と診断された。彼らには抗生物質が投与されて退院した[53]。
その数日後、子供たちはセカンドオピニオンのために別の救急外来を受診した。この時までに、症状はかなり悪化しており、激しい頭痛、息切れ、手足のしびれ、全身の脱力感などが生じていた。結論に飛びついてウイルスやバクテリアのせいにするのではなく、救急医たちはさらに詳しく調べた。すると、子供たちが自宅で水銀の瓶で遊んでいて、それがカーペットにこぼれていたことがわかった。母親はこぼれた水銀を掃除しようとして掃除機を使った。母親はそうとは知らず、これが水銀を加熱・気化させて、子供たちはうっかり吸い込んでしまったのだ。不思議なことに、母親には何の症状も現れなかったので、この病気は小児感染症のように思われたのだ。
子供たちが水銀中毒であることを知った医師たちは、水銀除去のためにキレーション療法を開始した。二人の子供は完全に回復したが、1人は関節、背中、筋肉の痛みが続き、歩行器が必要になった。この出来事はケーススタディとして記録され、2020年2月の医学雑誌に掲載された。著者の結論としては、水銀中毒が感染症に似ている可能性があることだ[53]。子供たちは同じ家で暮らしており、似たような症状を呈していたため、最初の病院の医師は、小児期の伝染病が兄弟間で広がったに違いないと誤って考えたのだ。ここでもまた、一面的なレンズを通して世界を見ることが誤った思い込みを招き、正しい診断と治療を遅らせたのである。
なぜこれが重要なのか?
壊血病、ペラグラ、水銀中毒といった病気の原因を正しく特定することが重要だったことは明らかだ。しかし、いずれの場合も、細菌論というレンズが真実を邪魔し、調査者を無益な捜索に向かわせ、一般大衆を無用なパニックに陥れた。これらの事例だけを見ても、間違った説明モデルを適用したことによる影響を定量化するのは難しい。数え切れないほどの資源、時間、人命が、存在もしない敵と戦い、追いかけて失われたのだ。また、どれだけの人々が仲間はずれにされ、孤立し、非人道的な扱いを受け、タイムリーで効果的な医療を拒否されたかを考えると胸が痛む。それは伝染病だからではなく、伝染病であることを恐れたからである。このように、我々が世界を見るレンズは強力だ。良くも悪くも、レンズは我々のあらゆる知覚を彩り、我々の見方に一致する結果をもたらす。
もちろん、今では良くわかっており、これらの病気を伝染病と見なすことはない。壊血病、ペラグラ、水俣病のような病気を振り返り、その過ちに気づくのは簡単なことだ。現在の我々から見れば、人間がハンセン病患者のような烙印を押され、治療を拒否され、檻に入れられた動物のように閉じ込められていたのは野蛮なことのように思える。後知恵とはおかしなものだ。我々は今、すべての答えを持っていると思い込んでいる。しかし、我々がいまだに伝染病だと考えているが、そうでない病気が他にもあるとしたらどうだろう?ここまで来たと誇らしげに振り返っても、まだ同じ過ちを犯しているかもしれない。プライドと甘さに目がくらみ、過ちを犯し続けていることに気づかないまま、我々は突き進むのだ。
今にして思えば、過去の研究者の一部が傲慢でなく、型にはまっていなかったのは幸運だった。彼らは謙虚であり続け、心をオープンにし、勇気を持って行動した。もし彼らが、受け入れられているパラダイムに挑戦しようと思わなかったら、今日の世界はどうなっていただろう?我々はまだそれらの病気を伝染病とみなし、かつてと同じ非効率的で非人道的な治療法を続けていたかもしれない。単純な食生活改善の代わ��に、重金属を注射し、ペラグラのために隔離されることを想像してみてほしい。壊血病や脚気、くる病に他人から感染することを恐れて暮らすことを想像してみてほしい。おそらく我々は、ワクチン接種、手洗い、社会的距離、抗生物質、抗ウイルス薬、マスク、ロックダウンといった現代的な方法で、これらの(存在しない)細菌から身を守ろうとするだろう。そのあいだ、人々はライフスタイルや環境によって不必要に死に続けるのだ。そういった想像は難しくはない。例えば風邪やインフルエンザなど、他多くの病気についても、今日の世界はこのような方法で対処しているからだ。ただひとつ違うのは、現代の研究者たちが、伝染病モデルによってこれらの病気を正確に説明できると信じてこんでいることだ。この信念は現在、集団心理に深く刻み込まれており、間違いの可能性を受け入れるのは難しい。文化もまた変化しており、受け入れられているパラダイムに異議を唱える者は、狂った陰謀論者のレッテルを貼られる。
我々はあまりに自身を確信しすぎてしまっている。しかし、本章で示すことは、結果を観察して原因を誤って帰することが、いかに物事を間違えやすいかである。また、結論を急ぐのではなく、厳密に管理された(controlled)科学実験によって因果関係を確認することがいかに重要であるかを強調している。我々は過去にも過ちを犯したし、因果関係を正しく理解しなければ、我々自身がどれほど進歩していると考えていようと、過ちを犯し続けるだろう。誤った例が強調しているように、病気を伝染病と誤って診断することは、あらゆる種類の悪影響をもたらす。病人にとっては、適切な診断や治療へのアクセスが遅れ、より深刻な機能障害や身体障害につながる可能性がある。総合的には、これは広範囲に及ぶ影響をもたらす。実際、病気の原因を伝染病と混同してしまえば、より恐れを抱く回避的な社会が培われ、資源の配分を誤り(研究助成金など)、誤った経済(医薬品など)を支え、組織(政府など)に権力を譲り渡し、誤った道を進む間に、より多くの人々が病気になり、命を落とすという機会損失を最終的には被ることになる。
サンプル6はこちら
「Can You Catch A Cold?」サンプル5 | 字幕大王
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2023/10/28
10月28日 昨晩、案の定たくさん掃除をしてしまいへとへとの状態であのちゃんと神聖かまってちゃんのフロントメモリーをみた。へとへとすぎると流し見した映像って何も覚えていないのに、昨晩フロントメモリーはよく覚えている。とてもよかった。
久しぶりに9時過ぎまで寝てしまい、疲れているんだな、と思いながら出かけた。 日中は薄着で心地よい。何もしたくない電車移動のお供に、何周もやりすぎて導入で内容を思い出してしまうTOEICの読解問題集を持って出た。 なんも知ってためにならない情報のクイズが時間潰しにちょうど良い。
待ち合わせまでギャラリー巡りをした。 まず明日会う友人へのプレゼント用にtealでチョコレートを購入。以前、早い時間に行った時より並んでいる品数がだいぶ少なかった。深緑の紙袋がかわいい。
そこから待ち合わせのSHUTLまで歩きながら行きたいスポットで道草をする。 日本橋の丸善で最果タヒの“恋で君が死なない理由”とTOEICの新しい読解問題を買っておもての道のマリーゴールドを眺めた。 場所柄か実用品コーナーがほとんどを占める本屋さんだった。
次に行きたかったアートギャラリーへ向かう途中、斎藤陽道さんの写真展を見つけ寄ってみる。 京橋を行き交う人たちを静かに見れる良いギャラリーと良い展示だった。 行きたかったギャラリーは、調文明さんのキュレーション展。調さん、何きっかけで知った方だっけ?きりとりめでるさんからだと、インスタグラム写真論かしら。 70年代の写真やメディア、都市などから、その時代が、個人が個として活動するようになった時代である考察をしているようでした。 運営の方がananの雑誌を紹介してくれて「当時は洋服は仕立てるのがまだ主流で、モデルさんの着用している服の情報といえば、その生地がメーターいくらか、なんですよ!」と一緒にページをめくりながら教えてくれた。 当時のランタンフェスティバル(?)のフライヤーや、調さんがメルカリで集めた雑誌を眺めていると、もう1人の運営の若い外国の女の子(他の運営の方とはほぼ英語で会話していた)に「私、あなたの写真展行きました、セルフィ!」と話しかけてもらう。(英語と日本語で話してくれた。) とても嬉しかった。 私も彼女に話しかけてもらって、ギャラリーに彼女が来てくれたのを思い出した。確かタピオカを飲みながら、じっくり写真集を観てくれた方。 「ありがとうございます。サンキュー」と言った。
そのまま休館中の資生堂ギャラリーを確かめて、築地方面から待ち合わせ場所へ。 中銀カプセルタワーから撤去したカプセルを二つ置いたギャラリー。 友人と合流してカプセルに入ったり、最果タヒの詩の展示を観た。そのまま歩きながら、最近のやってみたいこと、やったことのないことの話をして銀座を歩いた。 友人は最近、職場の人にサッカー観戦に連れて行ってもらったらしい。応援する側には厳しい集団ルールがあったらしく、逸脱すると怒られそうな雰囲気だったとのこと。 途中にあったメゾンエルメスで珊瑚やお花の展示を鑑賞。1日で小さな展示をたくさんみられて充実感。
日比谷まで歩くと野外シネマのイベントが開催されていた。ベンチに座って写真集を見てもらう。友人とは以前グループ展を一緒にしたことがあったけれど、彼女は写真を観ることが好きな方。今日も私の写真集を観て「やっぱり写真を観るの好きだな〜」と言っていた。それと「やっぱりサッカー観戦よりこうゆうの(写真を撮ったり、何か作ったり)したい」とも言っていた。言わせてしまったのかもだけれど、私は嬉しかった。
ギャラリーで見つけた公募に応募してみようかな、と持ち駒を消さないようにしている感じ、就活みたい。
やっぱり仕事のことに頭が持っていかれつつ、でも今日見た作品や最果タヒの詩や、応募する作品のことや、フィルムとデジタルの撮り方の違いのことなど、お仕事のことにベールをかけるように重ねられて、落ち着きつつも、頭はいっぱいで帰ってきた。 明日に満月を控えた月が大きかった。
辛くて仕方なかった8月に、川上さんのエッセイに“どうしようもないとき、3ヶ月後のことを思ってみる”とあって、11月を思っていたことがあった。 その時は、そんなもう秋も深まった年末ならば、何か変わっているかもしれない、と期待しながら落ち込んでいた。 11月を目前に、8月の日記を更新しながら、何も変わっていなくて辛さが麻痺している現状がある気がしている。
昨日作って、まあ美味しかったバナナとココアパウダーのムースを今日も作った(こういう時って美味しさが再現され���ことはない)。
写真を通して、人と関わりたい気持ちを思い出せた日だった。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)1月16日(火曜日)
通巻第8092号 <前日発行>
親中派かと思いきや、親インド派のモルディブ政権。また親中派に
首都マレ市長選はアンチ・チャイナ派が大勝
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モルディブ空港へ降りたって、税関で持ち込もうとした焼酎のボトルを没収された。厳格なイスラムの規定で禁酒の国、お酒が飲めるのはリゾートホテルだけ。仕方なく、ノンアルコールビールで誤魔化した。
その頃、���ロナ禍前だが、或る月刊誌の特集で毎月のように海外取材にでていた。ガイドブックは機中か、着いてからホテルで開いた。
1192の珊瑚礁を主体の島嶼国家は、有人の島が200ほど、これが海抜平均が2メートルのモルディブである。
人々は首都マレに密集しており、16平方キロに14万(全体の人口推定は52万人このうち13万余が外国人)。近世の大航海時代にポルトガルがやってきて、次にオランダ、そして英国の保護領となった。いまの大英連邦の一員だが、モルディブ援助はインドより日本がトップ。
海洋地政学の要衝に位置するため、インドは国家安全保障上、スリランカとともにモルディブを保護国のように重視する。
隙を衝いて大々的に進出したのが、例によって、かの「独裁者の国」だった。国際空港の改修と首都マレへ海上大橋をかけて差し上げましょうと、ヤミーン政権(2012~18)にちかづいた。
汚職体質のヤミーン大統領は親中路線を選択した。金が動いた。2018年に野党のソーリフ(ソリとも言う)が政権を奪回し、ふたたびインドとの親密路線に戻したが、2023年にまたまた親中派のムイズが大統領に当選し、インドの外交努力は水泡に期した。ムイズはマレ市長から大統領へ出馬し、決選投票でソーリフを僅差で破った。ムイズは「ヤミーンの代理人」といわれる。
ヤミーン政権時代にモルディブは中国から借金を重ねた。GDPが39億ドルしかない国が15億ドルも中国に債務を負った。マレはビルラッシュ。タワマンはインドか中国資本である。
いたる所にモスク、早朝の街路はモスクへ向かう人々でごった返す。債務返済が無理となって、みかねたインドが15億ドルの信用供与を申し出た。マレが建てすぎたビルの重みで海に沈むかのようにモルディブは中国の借金の罠に落ちた。
ムイズ新大統領は、恩義を忘れてインドを蹴飛ばし、北京を公式訪問し、借金のリスケを認めた貰った上、インドに対しては駐留インド軍を3月15日までに撤兵せよと要求した。
さんざん面倒を見てきた飼い犬に手を噛まれた思いのインドは頭に血が上るほど激怒した。
モディ政権はインド人のモルディブ観光を制限し、航空券の予約を停止した。モルディブへのインド人観光客は年間25万。ついでロシアから。日本人観光客はコロナ禍前は5万人弱、昨年はおよそ5000人ほど。
1月13日、首都マレで市長選挙。反ムイズ、反中国、親インド路線のアダム・アジムが大勝した。(ボクシングチャンピオンのアジム兄弟は同名異人)右顧左眄、路線の変更再変更再々変更を繰り返すモルディブ、これからどこへ向かうか?
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三浦徳子が作詞した曲では『真夜中のドア〜stay with me』が最高に良い
三浦徳子が肺炎で死去した。享年七十五。松田聖子の『青い珊瑚礁』で知って大した作詞家がいたと感心した。竹内結子の『ランチの女王』の脚本家の大森美香と同じくらい松田聖子の一番の良さを捉えてスターへ押し上げた人で、最高のプロデューサーだったと思う。
松原みきの『真夜中のドア〜stay with me』は三浦徳子と林哲司の見事な傑作だ
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もう一曲、凄いと驚いたのは、近年、世界的にリバイバルヒットした松原みきの『真夜中のドア〜stay with me』の作詞もやっていた。作曲の林哲司は菊池桃子の『卒業』で知って良い曲を作ると喜んだことがあるし、素晴らしいコンビの見事な傑作だと聴き惚れる。
松原みきの『真夜中のドア〜stay with me』の曲自体はジャズファンクだと思う
松原みきの『真夜中のドア〜stay with me』はシティポップブームの火付け役みたいにいわれるけれども曲自体はジャズファンクだと思う。黒人音楽で流行った1990年頃に出て来たら嬉しがって買ったかも知れない。日本ではORIGINAL LOVEの『接吻』がヒットした。
僕が特に好きだったのはブログでも取り上げたブランニューヘヴィーズやインコグニートやジャミロクワイなどで、新曲が出る度に聴き捲ってアルバムは必ず買って持っていたくらい完全に嵌まった。
ジャズファンクを最も上手くポップスに結び付けたのがマイケル・ジャクソンだ
僕が彼の曲の中で、一番、好きなのも正しくジャズファンク系ポップスの『Love Never Felt So Good』だ。遺作なので、音楽活動で何年も進化し続けた最高の到達点として受け留める。
三浦徳子の『真夜中のドア〜stay with me』の歌詞の暗さは強さに繋がって来る
松原みきの『真夜中のドア〜stay with me』にはジャズファンク系ポップスならではの強さがある。シティポップに含まれるとしても素敵なお洒落っぽさに止まらない魅力を感じる。三浦徳子の歌詞の気が重くなるような暗さも利いている。軽やな曲調だけれども深みを増している。心から称えたい。
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230310
気が付いたら、金曜日だった。休日。 休みの内にやりたいことがたくさんあって、朝から焦りと不安で苦しい。 早く布団から出ればいいのに、一旦インターネットの海を漂い、現実逃避してしまった。 確定申告をして、スーパーでしょうゆと牛乳を買って、少しだけ引越し荷物をまとめた。 今までガスコンロ付きの部屋しか借りてこなかったから知らなかった。ガスコンロ、高い。 ひとり暮らしする予定の部屋には2口コンロが置けそうだけれど、1口にして、必要なときはホットプレートで代用することにした。 コンパクトな、工夫が要るような暮らしは、少し楽しみ。
ポートフォリオにのせる絵を選び、サボテンの絵を描いた。
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230311
寝落ちしていた、その後、寝坊した。 腰が痛い。 ここ数日、人生初の腰痛に戸惑っている。
美容院にいく。 髪の毛の量がもさもさと増えている。 この美容院で、この美容師さんに切ってもらうのはこれで最後。 美容師さんはフリーになるらしい。6月から。次もお願いしたいなと思っていて、インスタを教えてもらう。 わたしのくせ毛を膨らませずに切って���れる人。しゃべり方が飾っていなくて、気張らなくていい人。この人のおかげで美容院にいく億劫さが減った。 髪を切ってもらっている間、梨木香歩『雪と珊瑚と』を読んだ。 改めて、しんしんと、よかった。
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230313
朝、起きられない。 生活が変わるストレスで、体に力が入り、上手く眠れていないのだろう。 肩も腰も首も痛い。 仕事。 同じサンプルを測定したのに、違う数値が出る。 私がミスしたのか、装置の調子が悪いのか。 信頼できない数値を報告してしまった。よくない。
目にみえないものを分析して、数値で表して、わたしたちは一体何がみたいのだろう。何を信じて進めばいいのだろう。 足元がゆらぐよ。
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230316
眠れなかった、昨日。 ポートフォリオ(と言ってはいるものの大層なものではなく小さな作品集のようなもの) の入稿作業を数時間、就寝前までエンジン全開の集中力でやっていたら、眠れなくなってしまった。 脳が興奮状態で、眠いのに眠れないやつだった。 しんどいながらも、出社し、仕事。 PC画面の数字が、見ても見ても、見えなかった。 全く頭に入ってこなくて、何度もただ眺めてしまっていた。 夜、ブラッシュアップライフをみはじめたら、止まらなくなり、最終話までみてしまった。 最高のハッピーエンド。
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菅原敏 詩集 『珈琲夜船』刊行記念 POP UP EVENT
『季節を脱いでふたりは潜る』(雷鳥社)以来3年ぶりとなる詩人・菅原敏、待望の第4作は、 珈琲を片手に、見知らぬ夜の旅に出る “小舟” としての詩集。
この詩集『珈琲夜船』の刊行を記念して、twililightで3つのイベントを開催いたします。ぜひ足をお運びください。
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「夜船」より
皿にこぼれ落ちた
黒を飲み干せ
祈るよりも歌え
その波に飲み込まれ
深い底に沈む前に
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1)菅原敏『珈琲夜船』朗読会 一杯のコーヒー付き
コーヒーを片手に、詩人・菅原敏さんの朗読によって、詩集『珈琲夜船」の世界へ旅立つ夜。夜から夜をめくりながら。
日程:2024年12月1日(日)開場:19時 開演:19時30分
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
チケット料金:
「朗読会」2000円+コーヒー
「朗読会+詩集」2000円+詩集『珈琲夜船』2200円(��典ポストカード2枚付き)+コーヒー
定員:20名さま
*定員に達したので、キャンセル待ちの受け付けになります!
件名を「菅原敏『珈琲夜船』朗読会」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数・チケット種類(朗読会 or 朗読会+詩集)を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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2)菅原敏 選書フェア「珈琲と夜が似合う10冊」
菅原敏さんが、詩集『珈琲夜船』をより深く愉しめる本を10冊選び、それぞれコメントを寄せています。
会期:2024年11月7日(木)〜12月7日(土)
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3)詩集とコーヒーのセットメニュー
菅原敏さんの選書フェア期間中、カフェでは詩集『珈琲夜船』とコーヒーのセットメニューを販売します。セットメニューをオーダーくださった方には、特典として『珈琲夜船』A3ポスター(先着30名さま)をプレゼント。
*期間中、カフェの席には詩集『珈琲夜船』のサンプルを置いておきます。コーヒーを片手にゆっくりお読みください。
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*twililightで販売する詩集『珈琲夜船』はすべて詩人・菅原敏さんのサイン入り&特典ポストカード1枚付きです。朗読会では、終演後に菅原さんに宛名を書いていただけるサイン会も開催します。
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《『珈琲夜船』について》
菅原敏 詩集『珈琲夜船』 2024年11月7日発売
欧米やロシアでの海外公演、毎夜一編の詩を街に注ぐラジオ番組「at home QUIET POETRY」(J-WAVE)、 〈mitosaya 薬草園蒸留所〉と共同制作した燃やすとレモンの香る詩集『果実は空に投げ たくさんの星をつくること』など、幅広い表現活動をしてきた詩人・菅原敏の香り漂う31編。
菅原敏、待望の第4作は珈琲を片手に、見知らぬ夜の旅に出る“小舟”としての詩集。コーヒーの葉を思わせるグリーンの装丁をひらき、頁をめくれば、漆黒の海を一艘の船が漕ぎ出し、どこか懐かしい情景が浮かぶ。
詩集には、2019年にフランスのナダール賞を受賞した写真家・かじおかみほによる、遠い記憶の断片のような白黒写真が挟み込まれる。
《タンザニア》《コロンビア》などの珈琲豆の産地を冠した詩、スターバックスWEB連載「ACup of Poem」からの詩ほか、全31編を収録。あとがきには文芸誌『群像』にて発表されたエッセイに加筆修正した「珊瑚と珈琲」を掲載。
※前作『季節を脱いで ふたりは潜る』をご購入いただいた方は、読者特典〔電話朗読室〕にて『珈琲夜船』の中からも詩を一編お選びいただけます。2冊あわせてお楽しみください。
『珈琲夜船』 著者:菅原敏
出版社:雷鳥社
写真:かじおかみほ 装幀:山口信博+玉井一平 定価:2200 円(2000 円+税) 仕様:B6 変形、上製 、100p 、1+4C 発売:2024 年 11月7日 ISBN:978-4-8441-3809-9 C0092
◉著者プロフィール
菅原敏(すがわら・びん)
詩人。2011年、アメリカの出版社PRE/POSTより詩集『裸でベランダ/ウサギと女たち』をリリース。以降、執筆活動を軸にラジオでの朗読や歌詞提供、欧米やロシアでの海外公演など幅広く詩を表現。近著に『かのひと 超訳世界恋愛詩集』(東京新聞)、『季節を脱いで ふたりは潜る』(雷鳥社)。東京藝術大学 非常勤講師
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埃及
2021年 冬天, covid还在继续,我们去 埃及的第一站 sharm el sheikh,去前不知道这是什么地方只是机票便宜就来了,在摩洛哥因为新一波疫情而关闭国门之前从西班牙转飞了出来。
冬日,红海,在岸边就见到清澈的海水珊瑚和五颜六色的鱼。忍不住还是要下水试试。如此容易就见到那么缤纷的景象值得忍受冬日的海水。这个城本身没啥好玩的,但海真是最大亮点。埃及一切都得摸索着来 不确定车站有什么车,只能看大家在谷歌上的留言,我们去到车站等车遇到热心小伙子搭讪,帮我们看车,用翻译软件聊天他很紧张的跟我们说他是无神论者,如果被周围的人知道会被杀掉,信仰自由并不是所有地方都有。
Siwa是埃及一个绿洲我们因为workaway的缘故来到这里,帮一个女孩写一个妇女赋权项目的项目书申请资金。我们待了十天,见识了下Yuri和妈妈埃及的生活。她们 来自荷兰在一个超级保守的城市扎根下来与当地人打成一片,开了幼儿园,建造了自己的dream house. 我们每天都工作就是聊项目,聊天,还有主人家带我们玩。这里女生不可以和家人以外的男性说话,单独外出,讲电话也不行。幼儿园老师叫车要四岁的儿子代劳,妈妈在一旁教。去作客女眷也不能出来一起吃饭只有男生可以。外国女生不在被管束的范围。
Yuri母女带我们去了西瓦人的城堡,亚历山大把自己封为法老的地方,去了沙漠,去看耶稣时期罗马人的墓穴,旁边散落着裹尸布和人骨,应该是盗墓者留下的。在这个沙漠有很多贝壳,一开始我还以为他们开玩笑,但到我自己捡到贝壳时我相信了,这里曾经是海。很奇妙。还有透明蓝白拼图的盐湖。明白了多一些她为什么留在这里。也因为热情小姐Yuri的缘故我们在墨西哥和哥伦比亚都有很妙的经历,有机会聊到。
埃及的文物真的是够吃多几千年,三五千年前的东西,今天看来还是高大上,难怪罗马时期的东西这就随便躺,没人管,太多宝贝刨不完。但这里的人民感觉并不是很快乐,游客是行走的银行,他们想办法骗钱,但自己可能也在这个环境下被层层压榨。司机骗游客,商店盘剥司机,商店可能也还有上层。连政府工作人员都想办法骗人多收钱。让人沮丧。但仍然是值得拜访一次。钻钻金字塔,抬头看看高大的神庙、法老的雕像,去开罗博物馆看数不尽的宝贝、木乃伊,爬爬摩西走过的山,走走很多圣经里见到的景象,你还是得来。
我们在埃及庆祝了两次圣诞节,一次2021年12月,在天主教堂,一次1月份在coptic church。天主教在这里真是少数,到了阿斯旺,24号去踩点,准备25号去礼拜。在严格的警察训话后叫牧师出来接应后,见了意大利来的牧师,说他们的礼拜很灵活,好像koshery(一种本地食物,什么淀粉都有),根据参与人员用不通的语言。我们很高兴,第二天圣诞节,我们去了。我有幸第一次做读经,现场加上两位神职人员总共5人,立马懂了为甚语言可以如此灵活。过了有史以来最冷清的圣诞。1月那次是在亚历山大还是开罗不记得了,但那个阵仗非常,我们在门口排队,被要求要扣护照,要里面的高层出来接我们才能进去。门口的年轻人欢迎了我们进来,但还是被凶巴巴的警察拦住,他们又搬了教会长老我们才进去。里面很热闹,唱诵的方式和一般教会的礼拜很不同。用阿拉伯语曲折绕梁的风格,没有太多乐器伴奏,很有历史感。神父拿着很大的无酵饼出来,感觉也很原始。Coptic Christian是埃及特有的一支基督教,属于东正教的分支。埃及是耶稣门徒马克最早传福音的地方,埃及也是在阿拉伯国家里面基督教比例最高的。不知两千年前他们是不是就是这样礼拜的了。我们做了两个小时,因为听不懂实在太闷我们就出来去吃饭了,据说礼拜会进行五个小时。
还有个小插曲是在埃及打covid疫苗我们因为要在外面比较久,也希望有点保护就去找疫苗打。我们找了个疑似诊所的地方,早晨八点去到,到门口完全看不出是诊所。见一同样是来打针的人拿着一张破纸说是在上面写名字排队,我们就照做了。到时间来到,诊所已经很多人。我们就走进去,他们递了张纸让我们填写,完全看不懂。一个漂亮女医生用流利英文和我们聊天,给我们指导,结尾问了一句。要不要听我唱歌? 我们笑了,sure,她就自如的唱起了歌,办公室的同事也跟着她的音乐摇头打节奏很是享受的样子,很妙。去隔壁打针,护士没说任何话,就一个个扎针,很快。我们回来拿证明,医生问,你们打的是哪种,我们爆笑,不知道。。。能帮我写辉瑞吗?她照做了。我们很高兴的留了电话说之后出来吃饭。原来她是个有明星梦想的牙医,现在还是不是看到她的社交媒体美照呢。
埃及不是个很容易的旅行地方,但很精彩。
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セブ島観光の日
セブ6日目、やっと観光らしい観光をしに行きました。
有名な歴史的建造物が集結しているエリアがあり、徒歩でほとんどまわれるのだが暑過ぎて3、4箇所が限界🙂↕️
メトロポリタン大聖堂→マゼランの十字架→サントニーニョ教会→サンペドロ要塞 の順で見学スタート✨
大聖堂は残念ながら中に入れなかったので外観だけ。白珊瑚石で作られた外壁が珍しい。スペイン統治時代に世界周遊航海に出たフェルディナンドマゼランがセブ島に立ち寄ったことによって、フィリピンにキリスト教が浸透。その後たくさん教会が建てられたけど、戦争でほとんど壊れてしまい、この大聖堂も何度か再建されたもの。当時のままではないのだけれど、歴史的な背景を知ってから見学するとより感激しますね。
大聖堂完成から500年の年に記念して建てられた十字架。
キリスト教の布教者であるフェルディナンドマゼランが途中でセブ島に立ち寄らなかったら... この地で殺されることもなく、世界一周を達成してたのではないかと思わざるを得ません。もしそうなったらフィリピンにこんなにキリスト教が普及してなかったかも知れませんが。道半ばで命を落としてしまったこと無念だったろうな...
これは[マゼランの十字架]と言う名称で、セブで欠かせない見どころスポットの一つ。マゼランがセブ島に初めてキリスト教を普及し、当時の王と王妃がキリスト教の洗礼を受けた場所にあります。その際に実際に使った十字架らしいのですが、十字架の外側を削って盗む人続出💦保護する為にコーティングされたみたい。
八角形の建物内部に洗礼の儀式の様子が描かれているのも必見✨観光客が続々とくる人気の場所でした😊
すぐ後ろにはフィリピン最古のカトリック教会であるサントニーニョ教会があります。
正式名 「Basilica Minore del Santo Nino de Cebu」
サントニーニョはスペイン語で 聖なる少年の意味。幼い頃のイエスキリストのことを指していて、この教会内に戦火でも無傷だった奇跡のサントニーニョ像が祀られていました。
内部は祭壇以外にも見所たくさん。想像以上に広くて、素敵な中庭や宗教画が展示されてる通路もあります。
キリスト教が9割を占めると言われるフィリピン。西洋色が強いのも当然、スペインに統治されていた時代が約380年続き、その後はアメリカ、最後に日本も占��。フィリピンの方々がどんな気持ちでいるのか怖い部分もありましたが、出会う方皆さんとっても優しくて日本人ウェルカム。勝手にフィリピンにいだいていた印象を覆された旅行でした。
写真10枚までなので次回に続きます✨
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夏の某日。漁村の男たちはいつも通りに漁へ出る。 その中に二〇代真ん中くらいの若い男が一人。 名をイツキと言って、過疎化が進む村で自ら漁師の道を選んだ男だ。 同級生が皆県外へ就職し見栄え至上主義へと染まる中、彼は堅実に歩みを進めていた。
両親が飛行機事故で亡くなり大学を中退したイツキは、顔なじみのオヤジどもに交じって漁師になる道を選ぶ。 彼は社会不適合者だが、海が大好きだった。 漁師というのは肉体面でも知識面でも覚える事が多く、おまけにえらく専門的で、 『陸の役立たず!』などと嫁や子供に笑われる場面が多々ある。 しかし過度な集中力と強度の知識収集癖を持つイツキにはうってつけだったらしく、今のところは上手くいっている。
ある晩、イツキは夢を見る。 どこかの砂浜でユラユラと浅瀬に漂っていた。 温もりのある柔らかな砂を、穏やかな波が攫っていく。 手を空にかざせば浅黒く焼けた肌と入道雲のコントラストが美しく、イツキは海に包まれる心地よさを満喫していた。
その時。ふいに臀部を何かが掠っていく。 浅瀬にしては結構な大きさだった。 イツキは姿勢を変え辺りを見回すが、景色は先ほどと変わらず沖へ流されている気配も無い。 と、何かが彼を真下から押し上げた。 まるで犬猫がじゃれつく様に、何かがその巨体を擦り付けてくる。 大方イルカや小型のクジラだろうと、イツキはそれの鼻先を撫でる。 背ビレには擦り傷が無数にあり、根本が少し欠けていた。
しかし哺乳類にしては随分と���った背ビレだな……などと思っていると、その近くに奇妙なモノを見る。 大きな裂傷が、胸ヒレの近くにいくつも入っていた。 まるで巨大なカギ爪で引っ掻いた様だ。 海の哺乳類は厚い脂肪を纏っているとは言え、この深さの傷を負って元気でいられるだろうか? ――致命傷だろう。
そうこうしているうちに、謎のデカブツは首をもたげこちらを見上げてきた。 鼻先はハンチング帽のつばを肉厚にしたような形で、目は光を吸い込む真っ黒さで、口は大きくナイフの様な歯がビッシリと並んでいる。 デカい。三メートルは優に超える立派なサメだ。 齧られたら一溜りも無いだろう。 しかし奇妙な事に、イツキは特に恐れも無くサメを撫で続ける。 そもそもの話、サメからしたら人間というのはローカロリーなのだから、彼(もしくは彼女)がこうしてコミュニケーションを図るには理由があるのかもしれない―― イツキがサメの鼻や背中を優しく撫で続けると、サメは胴体をずるりと押し付け「こちらへ来い」と手招くように振り向く。 試しに背ビレに掴まると、サメはイツキを連れて広大な海を泳ぎ始めた。
イツキは様々なものを見た。 極彩色の魚が泳ぐ珊瑚礁、朽ち果てた沈没船、巨大なクジラが回遊する氷河の下、古代文明の水中遺跡……。 実に美しい情景だった。
そうした遊覧を終え、イツキを乗せたサメはあの砂浜へと戻る。 彼が背ビレから手を放すと、サメは名残惜しそうに身体を摺り寄せ、そのまま沖へと泳ぎ去った。
目を覚ましたイツキは、はて奇妙な夢だと首を傾げる。 仕事で沖へ出るも、夢で見たサメの事が頭から離れない。 あまりにボケっとしているものだから、仲間の漁師らに怒鳴られる始末だ。 仕方なく、彼は夢の事を話してみた。
「はぁ~! お前そりゃア、魅入られとるな!」 イツキが聞き返すと、漁師らは古い伝承を聞かせてくれた。
曰く、海には美しいヒトの貌を持つ異形の魚がいて、気に入った人間を水難から助けたり、時に喰らうのだそう。
「大方、昔の人間がサメやらシャチやらを怖がってそう呼んだんだろうなァ」 ひとりがそう締めると、他の漁師が口を挟む。 「言ってもよぉ、俺の先代の話じゃア人魚を招いて宴会したって話だぜ」 「あァ~、網にかかった人魚をもてなしたんだって、ウチの婆さんが……」
その日は曇天で、魚もあまり獲れない日だった。 オヤジどもの雑談を黙って聞くイツキだったが、ふと遠くに白い尾ビレを見た。 扇の様な形はクジラのそれだろうか。 周りに幾つかの小さい黒い尾ビレが肉眼で確認できた。 彼は声を張り上げ周囲に呼びかける。 この辺りでクジラが回遊するなんて聞いた事が無い。 騒ぎを聞きつけた船長は、双眼鏡でクジラの群れを見るなり顔面蒼白で「陸へ帰る」と言いだした。
胸騒ぎを覚え、イツキは船長に訳を聞く。 「あの白い奴はダメだ。アレはもう何隻も沈めてる」 そう言うと、船長はドタドタと船内へ引っ込んでしまった。 イツキは他の漁師と協力し、声を張り上げ撤収作業に勤しんだ。 が、イツキがふと海洋へ目をやると、どうしてかあの白黒の群れが船のすぐ近くまで迫っていた。
船は唸りを上げて全速前進しているのに、クジラは悠々と船を取り囲む。 不意に潮吹きの音がいくつも聞こえ、白い尾ビレがゆっくり沈むのが見えた。 真っ白な巨体が垂直に、船の真下へ潜っていく。 この世の終わりの張りつめた空気の中、その場にいた全員がただ海面を見つめていた。
次の瞬間、船体が揺れて甲板が大きく傾く。 下から突き上がる圧倒的重量に船体が悲鳴を上げ、他の漁師がぼたぼたと海へ投げ出される中、イツキは船縁にしがみつきソレを見上げた。 真っ白い大きなザトウクジラだった。 海面からそそり立つ巨体がこちらへ傾いてくる。 奴は船を見据え、こちらを押しつぶさんとしていた。 イツキは咄嗟に甲板を蹴飛ばし、船から離れようと試みた。 彼が着水する間際、木材と鋼が軋む音が辺りに響き渡る。 そして漁師たちの悲鳴を全て塗りつぶす様に、あの白い巨体が海面へ叩きつけられた。 クジラが沈むのに合わせて海水が渦を巻き、イツキは海へ引き込まれる。 息もできず、見渡すばかりの碧い海で、イツキは船だった瓦礫と共に沈んでいった。
大抵こうして生命の危機に瀕した人間は、やれ走馬灯だの後悔だのが頭をよぎるものなのだろうが……イツキには走馬灯になる程美しい日々も、やり残した事も無い。 ただ、死を許された安堵があった。 彼が逆らう事無くただ沈んでいると、目の前にクジラではない灰色の影が現れた。 影はイツキへ問いかける。 「どうして……生きようとは、思わないのですか」
親無しの自分が、ただ一人だけ生き残ってどうすると言うのか。 自分はこの村で、彼ら船乗りに生かされているのだ。 船を失った今、自分ひとりでは只の『陸の役立たず』ではなかろうか――。
「俺だけが生きて世界が変わるとでも?」
そう言葉にすると、彼の口から気泡が溢れては海面へ上っていく。 どうやら彼は頭から真っ逆さまに沈んでいる様だ。 まるで身投げでもしたかの様な有様である。
「私の世界が変わるのです」
灰色の影はそう言って���こちらへと近づいてくる。 そんなの知った事では無い、勝手にしろと、イツキは無抵抗に目を閉じた。
漁村近くの浜辺。目覚めたイツキは訳も分からず海水を吐き散らす。 鼻や目の奥に塩気と痛みを感じながら、イツキは誰かがこちらをのぞき込んでいる事に気付いた。
逆光で顔は見えないが、彼の頬をそっと撫でる手は柔らかくひんやりとしていた。 朦朧とした頭では掛ける言葉も見つからず、そうこうする内に人々の騒めきが聞こえてくる。 顔の見えない誰かは、イツキをそっと浜辺へ寝かせ何処かへ行ってしまった。
イツキがどうにか身体を起こすと、彼を見つけて顔見知りの者が駆け寄ってくる。 先の騒ぎを聞きつけ救助活動に当たっているらしい。 イツキが辺りを見回すと、さざ波の合間に浅瀬から沖へと向かう傷だらけの背ビレが見えた。
数日後、地元の新聞記事にこんな見出しが出た。
『奇跡の生還! 海の怒りに触れ海難事故となるも全員救出‼』
そうである。あれだけの大層な事故(というか殺人まがいの出来事)にも関わらず死者が一人も出なかったのだ。 もしかして、あのクジラは漁船を縄張り荒らしのライバルと勘違いしたのでは……などと他愛のない事を考えてみる。 するとアラームが鳴り、イツキに面会の五分前だと告げた。
イツキは船長や仲間の漁師を見舞いに、彼らの入院先へと向かった。 八床のベッドが並ぶ大部屋には船乗り達の加齢臭と強めのアルコール臭が充満していて、彼は入って早々に窓へと走る羽目になる。 窓を開け放ち入り口のドアを全開にすると、清々しい風が吹き抜けていった。 手土産の塩辛いツマミを渡しながら、イツキは今後について船長に訊ねる。 船長は彼の神妙な面持ちを「心配するな」と軽くあしらい、コッソリと耳打ちした。
「組合のモンから聞いたんだが……あの後、近くにいた船で人魚が掛ったらしい」
曰く、『美しい女の人魚で、怪我をしていたので保護した』とのこと。 そして村の習わしに沿って彼女をもてなす宴会を開くのだが、人魚にその話をしたところ「イツキを呼んでくれ」の一点張りで困っているらしい。 イツキは二つ返事で、宴会の誘いを了承する。
それから数週間が経ち、人魚が還る前の晩に公民館で宴会が開かれた。 参加者は主に村の漁師らで、主役たる人魚に大漁を祈って酒をガバガバと飲み干した。
夜空が微睡み、あれだけ騒いだ漁師らが寝落ちした頃、人魚はイツキに村を案内してくれないかと頼む。 酒の飲めないイツキは自車の助手席に人魚を乗せ、ドライブへと出た。 とは言って���、村には役場と魚市場と何かの遺跡跡しか無く、どれもエンタメ性に欠ける地味な場所だった。 イツキはミニマムな田舎道を器用に走りながら、助手席に座る人魚を時折盗み見る。
彼女は確かに人魚だ。 うるうるとした黒髪から覗く横顔はどこか日本人離れしていて、唇の色形がとてもきれいで端正な顔をしている。 そして、あばらの辺りのエラとへそ下から繋がるスリット、少しザラザラとした灰色の背中と、柔らかく冷たい真っ白なお腹が彼女を人魚たらしめていた。
イツキは「日が昇る前に」と、彼女を浜辺へ送り届ける。 明け方のマジックアワーの下、彼は人魚を助手席から抱き起して浜辺へと座らせた。 正直な所、港から海に投げ込んでも構わないのだ。 ただ、二度と逢えないだろうと思うと妙に名残惜しくなって、イツキは人魚を浜辺へ連れてきたのである。
イツキが人魚の隣に腰かける。 人魚は彼の腕をそっと指でなぞった。 水掻きがあり、それでいてか細い女の手が、血管の浮き出た褐色肌の上を辿る様に滑っていく。 「ここ。血が出てます」 人魚の指先が触れるとヒリヒリと痛む箇所。 どうやら彼女を抱き起こす際に擦り剥いてしまったらしい。 人魚は左手の薬指を己の唇に当て、その鋭い歯で掻いた。 何をするのかと眺めるイツキの腕をそっと取り、擦り傷に血を塗り込む。 傷は跡形も無く消えてしまった。
人魚に纏わる伝承。 その血は万能の妙薬となり、その肉は食す者に不老不死を与える――
「ねえイツキ」 人魚は彼に甘く囁く。 「私の肉を喰らいなさい」 訳が分からなかった。「どうして?」と人魚に聞き返す。 彼女は只笑って 「貴方には生きて欲しい」 と言った。
「――いや。いらない」 イツキは人魚を押しのける。 親が死んでヤケになって、そんな俺を拾ったのはここの人で、あの船乗り達なのだ。 人魚の肉など食らったら、恩も返せないまま戻れなくなるだろう。
「俺、結婚してんだ。子供もいる」 嘘だ。こんな顔で言っても説得力に欠けるだろうに、ほんとバカだよなぁ。
人魚は驚きの表情一つ変えないまま、ぽろぽろと涙を流した。 涙はきらきらと眩しい宝玉となって、二人の足元へ落ちた。
「――分かりました」 彼女は突然、イツキの腕を握り潰した。 余りの痛みに彼が身を引くと、人魚は彼を押し倒し砂浜へと沈める。 細腕に見合わぬ剛力で首を絞められ、イツキは訳も分からずこと切れた。
人魚はイツキの亡骸を胸に抱きしめ、声も出さずにただ彼の顔に宝玉を降らせた。 「頂きます」 人魚はイツキだった肉塊を全て平らげ、静かに海へと還った。
どうして、上手くいかないのか。 私だって、大切なものを守りたい。 好きな人間には末永く生きていて欲しい。 ただそれだけの願いが、どうしていつも叶わないのだろう?
人魚は深い海へと潜る。鮮やかな情景が過ぎ去り、碧く重たい暗闇が視界を塗りつぶしても尚、人魚は深みを目指し続ける。
もう、過ぎた事だ。 あのひとは私の血肉となり、私は今もこうして生きている。 それで充分じゃないか。 また、貴方の知らない海を沢山見せてあげる。 今度は何処へ行こうか? 私の大好きなイツキ。私の、大切な――
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5 15 詩集 思想詩集 返答詩集
詩集 百花繚乱 「山梔子」(くちなし)
梅が呼ぶ雨の歌 終わりを迎え余韻が薫る
風吹けば蜂蜜のような甘く豊かな薫りが流れ バターのような濃厚な色が風を染める
純白な乙女のよう 虫を誘うのは美しい薫りだからなのか
美しさは止めどない 摘めば忽ち茶色く色褪せる
虫達は豊かな薫りに包まれて幸せを嗅ぐ
香りに授けられる言葉などない 本当に素晴らしいものに言葉など不要なのだから
本当に愛するものに言葉は要らない 私は幸せと口にするのに理由など要らないのと同じように
思想詩集 夢を探して 「不安と信頼の狭間で」Ⅲ
海が地平の果てまで続いている 波が迫り来るばかりで拒むかのよう
何度すくっても何もつかめない 零れ落ちるように指の隙間からすり抜ける
閉ざされた道に途方に暮れる 道を見失い行き先が分からなくなる
退いていく波が海へと誘った 拒絶ではなく呼び声なのかもしれない
思い切って海に飛び込んでみる
珊瑚は色めく森のようで 魚は鱗閃き衣翻す妖精のよう
道は見えはしない
躍動する海の中を 水面下で生きるものたちが道を描く
返答詩集 生きるための歌声 「心の風景 空の模様」
空 それは心の鏡
雲 それは想いの象徴
雨 それは心から零れた滴
雪 それは心に募った想い
雷 それは心から迸る激情
虹 それは心に描く幸せ
雨に触れて 雲を手にとって 雷を目に焼きつけて 命燃やす 空に星が瞬き 安らぎに眠り 太陽が昇り 一日が始まる
たとえ世界に雨が降り続くとしても 心にはいつかきっと太陽が昇る
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洲子灣24-27
0825.24 星期日 海邊晴市區晴午後晴時多雲 …….
昨天下午快三點從洲子灣回到家洗澡後吃完飯就癱在床上看電視昏睡?其實本來有點想偷懶繼續睡?後來還是休息到五點半起來到樓下移車後回房間整理一下穿好衣服五點五十才上線開跑,馬上來單都到三重一到仁義自強五,二到中正北後竹圍大勇,三到蘆洲中央,再來附近轉個彎加單,一二送同一人到新莊富貴中央,三到福德一思源。
再來一直騎車到三重中華才給單,前到三重水漾,後到板橋民治,再來一直騎車到萬華龍山寺才給單,前到開封中華口,後到三重正義北過自強,再來給正義單到板橋文化文聖。
再來又都沒單的騎車回到西門才給單,前到東區大安忠孝,後到敦化南二四維,再來給復興南和平單到安和二,因為已經十點多就不再接單送完離線休息,已經很努力儘量多跑幾單!這樣明天壓力就不會那麼大!可以跑得輕鬆點 ……
晚上跑十四單剛好8分整!算普普還好而已,畢竟已經跑四個多小時!就算不太好囉!而且還從三重蘆洲五股新莊板橋回台北再到東區這樣繞很一大圈,也很誇張厲害了!還好明天只要跑九單就有三十單獎金,可以輕鬆點壓力就不會那麼大!
早上七點多起來,上網幾分就到化妝室梳洗整理,出來打包要去海邊的裝備穿好衣服到樓下能夠上路也已經八點,還比昨天慢三分才騎車上路,不過卻意外超神奇?上路後到三重還蠻順的,一路上大概起碼少等四五個紅燈!而且最讓我意外的是到洲子灣居然還比昨天快二三分抵達?連我自己也訝異!!
到了駐紮營地後可以很快就把日曬床鋪遮陽給弄妥,也馬上就開始拍照啦!
等到拍完之後整理照片休息一下,才十點十幾分就可以下海浮潛,只是這時候剛好準備漲潮要走到可以潛水處也得走一大段路啦!也因為這樣就想去看礁石前端的海中世界,只是因為沙子都被捲入潮間帶,所以跟之前的印象就有點落差,以前有深水處現在也都變成淺灘,還是去瞧瞧才知道究竟囉!
從離岸二三十公尺開始入水,僅剛好身體浮潛的深度而已,慢慢往深處游去,後來到五六十公尺處就有比較深一點的深度,也開始意外讓我看到此處居然也會有珊瑚?雖然魚種不多,但漸漸有看到大魚,還是無法跟墾丁比較種類數量啦!但是有看到珊瑚已經讓我很意外了!也浮潛三四十分才終於上岸啦!
上岸後休息一下才決定還是把游泳圈給吹起來,只是因為開始漲潮淺處的海水都好熱好燙啊!
只是也只飄在海面上半個多小時就上岸囉!
後來就還是待到一點就開始收拾裝備準備回家了!
回到家洗澡後吃完飯就休息到五點半起來,然後趕緊去整理一下穿好衣服五點四十五才上線開跑,有馬上來單,前到三重中正南新興,後到中正北後竹圍昨天有送過的地址,再來居然沒單的一直騎車走忠孝到西門才給單,又到三重前到重新三大同,後到旁邊巷子而已,再來給大同北單回台北到南西延平,再來給圓環單到景化延三,再來騎車離開延三才給延二加延三單,都短打只到昌吉延三而已,前者因為逆向剛好被警察攔下,還好唸二句要我按照規矩去繞一圈就放行,雖然要送的點就剛好在他隔壁門口,但?還是乖乖照做去繞一圈吧!也很感謝警察超佛心,阿彌陀佛!!!
再來給昌吉單到士林夜市文林,再來剛好旁邊二單,前到北投立農一承德,後到三合二,因為在士林就已經跑九單,後來這二單是還沒提前離線就塞的,所以還是把它跑完,也在預期的時間八點半跑完。
晚上跑十一單14分!因為有加五分跟其他一分多的獎金才會比較高囉!本來這週預期就跑300分的,沒想到還衝到400分啦!已經大大的超出預期很滿意囉!
不過雖然才八點半就還是得從北投承德這邊再慢慢騎車回西門啦!這要回西門的路程也花了半個小時才歸來 …….
今日體重測量58.5公斤至61.0公斤
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人氣與名氣
H:有人氣,不見得有名氣。有名氣可能在某專業領域,並不代表有人氣。有人氣只要上網查有幾筆資料,但有名氣則可在維基百科找到。人氣可能一時,名氣卻永久。作家未在國小及中學國文課本出現,名氣略減,但不影響暢銷作家的人氣。20240818W7
網路字典
人氣
釋 義
人的氣息。 例辦公室裡人氣旺,連植物也長得生氣蓬勃。
人或事物受歡迎的程度。 例珍珠奶茶廣受國內外人士喜愛 ,是超人氣的美食。
名氣
聲譽。《老殘遊記》第七回:「這兩省練武的人,無不知他的名氣。」也作「名聲」、「名譽」。
出處與詳解
1、《老殘遊記》第七回:“這兩省練武功的人,無不知他的名氣。”
2、《中國現在記》第一回:“﹝ 胡都 老爺﹞在舊學黨中很有點名氣。”[1]
3、郁達夫 《採石磯》:“如今世上盲人多……看不出究竟誰清誰濁,只信名氣大的人,是好的,不錯的。”
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自述詩十八首
作者:郁達夫
姊妹计划: 数据项
江湖流落廿三年,紅淚頻揩述此篇。刪盡定公哀艷句,儂詩粉本出青蓮。
前身縱不是如來,謫下紅塵也可哀。風雪四山花落夜,竇家叢桂一枝開。
王筠昆仲皆良璞,久矣名揚浙水濱。生到蘇家難為弟,排來行次第三人。
家在嚴陵灘下住,秦時風物晉山川。碧桃三月花如錦,來往春江有釣船。
人言先父喪亡日,小子膏肓疾正深。猶憶青燈秋雨夜,虛堂含淚看兄吟。
九歲題壁四座驚,阿連少小便聰明。誰知早慧終非福,碌碌瑚璉器不成。
十三問字子雲居,初讀瑯嬛異域書。功業他年差可想,荒村終老注蟲魚。
左家嬌女字蓮仙,累我閒情賦百篇。三月富春城下路,楊花如雪雪如煙。
一失足成千古恨,昔人詩句意何深。廣平自賦梅花後,碧海青天夜夜心。
二女明妝不可求,紅兒體態也風流。杏花又逐東風嫁,添我情懷萬斛愁。
幾度滄江逐逝波,風雲奇氣半消磨。揚州夢醒無聊甚,剩有旗亭學醉歌。
吾生十五無他嗜,只愛蘭台令史書。忽遇江南吳祭酒,梅花雪裡學詩初。
兒時曾作杭州夢,初到杭州似夢中。笑把金樽邀落日,綠楊城郭正春風。
欲把杭州作汴京,湖山清處遍題名。誰知西子樓台窄,三宿匆匆出鳳城。
鴛湖舊憶梅村曲,鶯粟人傳太史歌。日暮落帆亭下立,吳王城郭趙家河。
離家少小誰曾慣,一發青山喚不應。昨夜夢中逢母別,可憐枕上有紅冰。
鼙鼓荊襄動地來,橫流到處劫飛灰。秣陵圍解君臣散,予亦蒼茫過馬嵬。
蒼茫又過七年期,客舍棲棲五處移。來歲桑乾仍欲渡,別離應更有新詩。
維基文庫
採石磯 (郁達夫)
採石磯 (郁達夫)
作者:郁達夫
“文���憎命達,魑魅喜人過。”
——杜 甫
编辑
自小就神經過敏的黃仲則,到了二十三歲的現在,也改不過他的孤傲多疑的性質來。他本來是一個負氣殉情的人,每逢興致激發的時候,不論講得講不得的話,都漲紅了臉,放大了喉嚨,抑留不住的直講出來。聽話的人,若對他的話有些反抗,或是在笑容上,或是在眼光上,表示一些不贊成他的意思的時候,他便要拚命的辯駁;講到後來他那雙黑晶晶的眼睛老會張得很大,好像會有火星飛出來的樣子。這時候若有人出來說幾句迎合他的話,那他必喜歡得要奮身高跳,他那雙黑而且大的眼睛裡也必有兩泓清水湧漾出來,再進一步,他的清瘦的頰上就會有感激的眼淚流下來了。
像這樣的發洩一回之後,他總有三四天守著沉默,無論何人對他說話,他總是噤口不作回答的。在這沉默期間內,他也有一個人關上了房門,在那學使衙門東北邊的壽春園西室裡兀坐的時候;也有青了臉,一個人上清源門外的深雲館懷古台去獨步的時候;也有跑到南門外姑熟溪邊上的一家小酒館去痛飲的時候。不過在這期間內他對人雖不說話,對自家卻總一個人老在幽幽的好像講論什麼似的。他一個人,在這中間,無論上什麼地方去,有時或輕輕的吟誦著詩或文句,有時或對自家嘻笑嘻笑,有時或望著了天空而作嘆惜,竟似忙得不得開交的樣子。但是一見著人,他那雙呆呆的大眼,舉起來看你一眼,他臉上的表情就會變得同毫無感覺的木偶一樣,人在這時候遇著他,總沒有一個不被他駭退的。
學使朱笥河,雖則非常愛惜他,但因為事務煩忙的緣故,所以當他沉默幽鬱的時候,也不能來為他解悶。當這時候,學使左右上下四五十人中間,敢接近他,進到他房裡去與他談幾句話的,只有一個他的同鄉洪稚存。與他自小同學,又是同鄉的洪稚存,很瞭解他的性格。見他與人論辯,憤激得不堪的時候,每肯出來為他說這句話,所以他對稚存比自家的弟兄還要敬愛。稚存知道他的脾氣,當他沉默起頭的一兩天,故意的不去近他的身。有時偶然同他在出入的要路上遇著的時候,稚存也只裝成一副幽鬱的樣子,不過默默的對他點一點頭就過去了。待他沉默過了一兩天,暗地裡看他好像有幾首詩做好,或者看他好像已經在市上酒肆裡醉過了一次,或在城外孤冷的山林間痛哭了一場之後,稚存或在半夜或在清晨,方敢慢慢的走到他的房裡去,與他爭誦些《離騷》或批評些韓昌黎李太白的雜詩,他的沉默之戒也就能因此而破了。
學使衙門裡的同事們,背後雖在叫他作黃瘋子,但當他的面,卻個個怕他得很。一則因為他是學使朱公最鍾愛的上客,二則也因為他習氣太深,批評人家的文字,不顧人下得起下不起,只曉得順了自家的性格,直言亂罵的緣故。
他跟提督學政朱笥河公到太平,也有大半年了,但是除了洪稚存朱公二人而外,竟沒有一個第三個人能同他講得上半個鐘頭的話。凡與他見過一面的人,能瞭解他的,只說他恃才傲物,不可訂交;不能瞭解他的,簡直說他一點兒學問也沒有,只仗著了朱公的威勢愛發脾氣。他的聲譽和朋友,一年一年的少了下去,他的自小就有的憂鬱症,反一年一年的深起來了。
二
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乾隆三十六年的秋也深了。長江南岸的太平府城裡,已吹到了涼冷的北風,學使衙門西面園裡的楊柳梧桐榆樹等雜樹,都帶起鵝黃的淡色來。園角上荒草叢中,在秋月皎潔的晚上,淒淒唧唧的候蟲的鳴聲,也覺得漸漸的幽下去了。
昨天晚上,因為月亮好得很,仲則竟犯了風露,在園裡看了一晚的月亮。在疏疏密密的樹影下走來走去的走著,看看地上同嚴霜似的月光,他忽然感觸舊情,想到了他少年時候的一次悲慘的愛情上去。
“唉唉!但願你能享受你家庭內的和樂!”
這樣的歎了一聲,遠遠的向東天一望,他的眼前,忽然現出了一個十六歲的伶俐的少女來。那時候仲則正在宜興氿裡讀書,他同學的陳某龔某都比他有錢,但那少女的一雙水盈盈的眼光,卻只注視在瘦弱的他的身上。他過年的時候因為要回常州,將別的那一天,又到她家裡去看她,不曉是什麼緣故,這一天她只是對他暗泣而不多說話。同她癡坐了半個鐘頭,他已經走到門外了,她又叫他回去,把一條當時流行的淡黃綢的汗巾送給了他。這一回當臨去的時候,卻是他要哭了,兩人又擁抱著痛哭了一場,把他的眼淚,都揩擦在那條汗巾的上面。一直到航船要開的將晚時候,他才把那條汗巾收藏起來,同她別去。這一回別後,他和她就再沒有談話的機會了。他第二回重到宜興的時候,他的少年的悲哀,只成了幾首律詩,流露在抄書的紙上:
大道青樓望不遮,年時系馬醉流霞。
風前帶是同心結,杯底人如解語花。
下杜城邊南北路,上闌門外去來車。
匆匆覺得揚州夢,檢點閒愁在鬢華。
喚起窗前尚宿醒,啼鵑催去又聲聲。
丹青舊誓相如劄,禪榻經時杜牧情。
別後相思空一水,重來回首已三生。
雲階月地依然在,細逐空香百遍行。
遮莫臨行念我頻,竹枝留涴淚痕新。
多緣刺史無堅約,豈視蕭郎作路人。
望裡彩雲疑冉冉,愁邊春水故粼粼。
珊瑚百尺珠千斛,難換羅敷未嫁身。
從此音塵各悄然,春山如黛草如煙。
淚添吳苑三更雨,恨惹郵亭一夜眠。
詎有青鳥緘別句,聊將錦瑟記流年。
他時脫便微之過,百轉千回只自憐。
後三年,他在揚州城裡看城隍會,看見一個少婦,同一年約三十左右、狀似富商的男人在街上緩步。她的容貌絕似那宜興的少女,他晚上回到了江邊的客寓裡,又做成了四首感舊的雜詩。
風亭月榭記綢繆,夢裡聽歌醉裡愁。
牽袂幾曾終絮語,掩關從此入離憂。
明燈錦幄珊珊骨,細馬春山剪剪眸。
最憶頻行尚回首,此心如水只東流。
而今潘鬢漸成絲,記否羊車並載時。
挾彈何心驚共命,撫柯底苦破交枝。
如馨風柳傷思曼,別樣煙花惱牧之。
莫把鶤弦彈昔昔,經秋憔悴為相思。
柘舞平康舊擅名,獨將青眼到書生。
輕移錦被添晨臥,細酌金卮遣旅情。
此日雙魚寄公子,當時一曲怨東平。
越王祠外花初放,更共何人緩緩行。
非關惜別為憐才,幾度紅箋手自裁。
湖海有心隨穎士,風情近日逼方回。
多時掩幔留香住,依舊窺人有燕來。
自古同心終不解,羅浮塚樹至今哀。
他想想現在的心境,與當時一比,覺得七年前的他,正同陽春暖日下的香草一樣,轟轟烈烈,剛在發育。因為當時他新中秀才,眼前尚有無窮的希望,在那裡等他。
“到如今還是依人碌碌!”
一想到現在的這身世,他就不知不覺的悲傷起來了。這時候忽有一陣涼冷的西風,吹到了園裡。月光裡的樹影索索落落的顫動了一下,他也打了一個冷痙,不曉得是什麼緣故,覺得毛細管都竦豎了起來。
“似此星辰非昨夜,為誰風露立中宵?——”
於是他就稍微放大了聲音把這兩句詩吟了一遍,又走來走去的走了幾步,一��原想借此以壯壯自家的膽,二則他也想把今夜所得的這兩句詩,湊成一首全詩。但是他的心思,亂得同水淹的蟻巢一樣,想來想去怎麼也湊不成上下的句子。園外的圍牆弄裡,打更的聲音和燈籠的影子過去之後,月光更潔練得怕人了。好像是秋霜已經下來的樣子,他只覺得身上一陣一陣的寒冷了起來。想想窮冬又快到了,他筐裡只有幾件大布的棉衣,過冬若要去買一件狐皮的袍料,非要有四十兩銀子不可,並且家裡他也許久不寄錢去了,依理而論,正也該寄幾十兩銀子回去,為老母輩添置幾件衣服,但是照目前的狀態看來,叫他能到何處去弄得這許多銀子?他一想到此,心裡又添了一層煩悶。呆呆的對西斜的月亮看了一忽,他卻順口念出了幾句詩來:
“茫茫來日愁如海,寄語羲和快著鞭。
回環念了兩遍之後,背後的園門裡忽而走了一個人出來,輕輕的叫著說:
“好詩好詩,仲則!你到這時候還沒有睡麼?”
仲則倒駭了一跳,回轉頭來就問他說:
“稚存!你也還沒有睡麼?一直到現在在那裡幹什麼?”
“竹君要我為他起兩封信稿,我現在剛擱下筆哩!”
“我還有兩句好詩,也念給你聽吧,‘似此星辰非昨夜,為誰風露立中宵?’”
“詩是好詩,可惜太衰颯了。”
“我想把它們湊成兩首律詩來,但是怎麼也做不成功。”
“還是不做成的好。”
“何以呢?”
“做成之後,豈不是就沒有興致了麼?”
“這話倒也不錯,我就不做了吧!”
“仲則,明天有一位大考據家來了,你知道麼?”
“誰呀?”
“戴東原。”
“我只聞諸葛的大名,卻沒有見過這一位小孔子,你聽誰說他要來呀?”
“是北京紀老太史給竹君的信裡說出的,竹君正預備著迎接他呢!”
“周秦以上並沒有考據學,學術反而昌明,近來大名鼎鼎的考據學家很多,偽書卻日見風行,我看那些考據學家都是盜名欺世的。他們今日講詩學,明日弄訓詁,再過幾天,又要來談治國平天下,九九歸原,他們的目的,總不外乎一個翰林學士的銜頭,我勸他們還是去參注酷吏傳的好,將來束帶立於朝,由禮部而吏部,或領理藩院,或拜內閣大學士的時候,倒好照樣去做。”
“你又要發癡了,你不怕旁人說你在妒忌人家的大名的麼?”
“即使我在妒忌人家的大名,我的心地,卻比他們的大言欺世,排斥異己,光明得多哩!我究竟不在陷害人家,不在卑污苟賤的迎合世人。”
“仲則!你在哭麼?”
“我在發氣。”
“氣什麼?”
“氣那些掛羊頭賣狗肉的未來的酷吏!”
“戴東原與你有什麼仇?”
“戴東原與我雖然沒有什麼仇,但我是疾惡如仇的。”
“你病剛好,又憤激得這個樣子,今晚上可是我害了你了,仲則,我們為了這些無聊的人嘔氣也犯不著,我房裡還有一瓶紹興酒在,去喝酒去吧。”
他與洪稚存兩人,昨晚喝酒喝到雞叫才睡,所以今朝早晨太陽射照在他窗外的花壇上的時候,他還未曾起來。
門外又是一天清冷的好天氣,紺碧的天空,高得渺渺茫茫。窗前飛過的鳥雀的影子,也帶有些悲涼的秋意。仲則窗外的幾株梧桐樹葉,在這浩浩的白日裡,雖然無風,也蕭索地自在凋落。
一直等太陽照射到他的朝西南的窗下的時候,仲則才醒,從被裡伸出了一隻手,撩開帳子,向窗上一望,他覺得晴光射目,竟感覺得有些眩暈。仍複放下了帳子,閉了眼睛,在被裡睡了一忽,他的昨天晚上的亢奮狀態已經過去了,只有秋蟲的鳴聲,梧桐的疏影和雲月的光輝,成了昨夜的記憶,還印在他的今天早晨的腦裡,又開了眼睛呆呆的對帳頂看了一回,他就把昨夜追憶少年時候的情緒想了出來。想到這裡,他的創作欲已經抬頭起來了。從被裡坐起,把衣服一披,他拖了鞋就走上書桌邊上去。隨便拿起了一張桌上的破紙和一枝墨筆,他就叉手寫出了一首詩來:
絡緯啼歇疏梧煙,露華一白涼無邊。
纖雲微蕩月沉海,列宿亂搖風滿天。
誰人一聲歌子夜,尋聲宛轉空台榭。
聲長聲短雞續鳴,曙色冷光相激射。
三
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仲則寫完了最後的一句,把筆擱下,自己就搖頭反復的吟誦了好幾遍。呆著向窗外的晴光一望,他又拿起筆來伏下身去,在詩的前面填了“秋夜”的兩字,作了詩題。他一邊在用僕役拿來的面水洗面,一邊眼睛還不能離開剛才寫好的詩句,微微的仍在吟著。
他洗完了面,飯也不吃,便一個人走出了學使衙門,慢慢的只向南面的龍津門走去。十月中旬的和煦的陽光,不暖不熱的灑滿在冷清的太平府城的街上。仲則在藍蒼的高天底下,出了龍津門,渡過姑熟溪,盡沿了細草黃沙的鄉間的大道,在向著東南前進。道旁有幾處小小的雜樹林,也已現出了凋落的衰容,枝頭未墜的病葉,都帶了黃蒼的濁色,盡在秋風裡微顫。樹梢上有幾隻烏鴉,好像在那裡讚美天晴的樣子,呀呀的叫了幾聲。仲則抬起頭來一看,見那幾隻烏鴉,以樹林作了中心,卻在晴空裡飛舞打圈。樹下一塊草地。顏色也有些微黃了。草地的周圍,有許多縱橫潔淨的白田,因為稻已割盡,只留了點點的稻草根株,靜靜的在享受陽光。仲則向四面一看,就不知不覺的從官道上,走入了一條衰草叢生的田塍小路裡去。走過了一塊乾淨的白田,到了那樹林的草地上,他就在樹下坐下了。靜靜地聽了一忽鴉噪的聲音,他舉頭卻見了前面的一帶秋山,劃在晴朗的天空中間。
“相看兩不厭,只有敬亭山。”
這樣的念了一句,他忽然動了登高望遠的心思。立起了身,他就又回到官道上來了。走了半個鐘頭的樣子,他過了一條小橋,在橋頭樹林裡忽然發見了幾家泥牆的矮草舍。草舍前空地上一隻在太陽裡躺著的白花犬,聽見了仲則的腳步聲,嗚嗚的叫了起來。半掩的一家草舍門口,有一個五六歲的小孩跑出來窺看他了。仲則因為將近山麓了,想問一聲上謝公山是如何走法的,所以就對那跑出來的小孩問了一聲。那小孩把小手指頭含在嘴裡,好像怕羞似的一語也不答又跑了進去。白花犬因為仲則站住不走了,所以叫得更加利害。過了一會,草舍門裡又走出了一個頭上包青布的老農婦來。仲則作了笑容恭恭敬敬的問她說:
“老婆婆,你可知道前面的是謝公山不是?”
老婦搖搖頭說:
“前面的是龍山。”
“那麼謝公山在哪裡呢?”
“不知道,龍山左面的是青山,還有三裡多路啦。”
“是青山麼?那山上有墳墓沒有?”
“墳墓怎麼會沒有!”
“是的,我問錯了,我要問的,是李太白的墳。”
“噢噢,李太白的墳麼,就在青山的半腳。”
仲則聽了這話,喜歡得很,便告了謝,放輕腳步從一條狹小的歧路折向東南的謝公山去。謝公山原來就是青山,鄉下老婦只曉得李太白的墳,卻不曉得青山一名謝公山,仲則一想,心裡覺得感激得很,恨不得想拜她一下。他的很易激動的感情,幾乎又要使他下淚了。他漸漸的���進,路也漸漸窄了起來,路兩旁的雜樹矮林,也一處一處的多起來了。又走了半個鐘頭的樣子,他走到青山腳下了。在細草簇生的山坡斜路上,他遇見了兩個砍柴的小孩,唱著山歌,挑了兩肩短小的柴擔、鬥頭在走下山來。他立住了腳,又恭恭敬敬的問說:
“小兄弟,你們可知道李太白的墳是在哪裡的?”
兩小孩好像沒有聽見他的話,儘管在向前的沖來。仲則讓在路旁,一面又放聲發問了一次。他們因為盡在唱歌,沒有注意到仲則,所以仲則第一次問的時候,他們簡直不知道路上有一個人在和他們鬥頭的走來,及走到了仲則的身邊,看他好像在發問的樣子,他們才歇了歌唱,忽而向仲則驚視了一眼。聽了仲則的問話,前面的小孩把手向仲則的背後一指,好像求同意似的,回頭來向後面的小孩看著說:
“李太白?是那一個墳吧?”
後面的小孩也爭著以手指點說:
“是的,是那一個有一塊白石頭的墳。”
仲則回轉了頭,向他們指著的方向一看,看見幾十步路外有一堆矮林,矮林邊上果然有一穴前面有一塊白石的低墳躺在那裡。
“啊,這就是麼?”
他的這歎聲裡,也有驚喜的意思,也有失望的意思,可以聽得出來。他走到了墳前,只看見了一個雜草生滿的荒塚。並且背後的那兩小孩的歌聲,也已漸漸的幽了下去,忽然聽不見了,山間的沉默,馬上就擴大了開來,包壓在他的左右上下。他為這沉默一壓,看看這一堆荒塚,又想到了這荒塚底下葬著的是一個他所心愛的薄命詩人,心裡的一種悲感,竟同江潮似的湧了起米。
“啊啊,李太白,李太白!”
不知不覺的叫了一聲,他的眼淚也同他的聲音同時滾下來了。微風吹動了墓草,他的模糊的淚眼,好像看見李太白的墳墓在活起來的樣子。他向墳的周圍走了一圈,又回到墓門前來跪下了。
他默默的在墓前草上跪坐了好久。看看四圍的山間透明的空氣,想想詩人的寂寞的生涯,又回想到自家的現在被人家虐待的境遇,眼淚只是陸陸續續的流淌下來。看看太陽已經低了下去。墳前的草影長起來了,他方把今天睡到了日中才起來,洗面之後跑出衙門,一直還沒有吃過食物的事情想了出來,這時候卻一忽兒的覺得饑餓起來了。
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【変見自在】優子を見習え
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高山 正之
忠犬ハチ公は帰らぬ主人を待ち続けた。対して朝日新聞はすぐ見切って別の主人に走るタイプだ。戦後はだから天皇を見切ってGHQに走った。京都は原爆投下候補地で、その威力を正確に測るために空爆も控えさせた。
結果、無傷で残った。日本人がその僥倖を喜んでいるのをGHQは知った。で、尻尾を振る朝日に「ラングドン・ウォーナー教授の意見で空襲をやめた」と尤もらしい嘘を書かせた。細川護熙の父、護貞は記事を事実だと思って米国に感謝する碑を建てた。
そのGHQが去ると、朝日は別の主人を探し、渡辺誠毅はソ連を、広岡知男は毛沢東を新主人とした。 編集局は以後、二人の主人に仕えるようになった。あるとき北京が「京都を空襲から守ったのは梁思成だ」と言ってきた。
昔、日本が面倒を見てやった梁啓超の息子だが、彼にそんな影響力はなかった。全くの嘘だが、ご主人様のお言葉だ。朝日は「梁思成が京都を救った」と書いた。よく書いたものだ。
ネタの真贋より、ご主人様の意向が大事。だから支那や露西亜が喜べばどんな嘘でも書いた。広岡はそれで真実の一片もない「中国の旅」を本多勝一に書かせた。渡辺誠毅も負けずに「教科書検定で侵略を進出に書き換えた」とyった。ガセだが、支那は喜んだ。
「南京大虐殺は都城連隊がやった」とも書き、さらに「これが中支での毒ガス作戦だ」と煙もくもくの写真も添えて掲載した。しかし南京ものは都城連隊関係者が誤りを指摘。毒ガスも産経新聞が写真の出所を割り出して、煙もくもくは煙幕だと証明した。
渡辺は辞任し、世間は北京やモスクワの意向より真実の報道を朝日に求めた。しかし真実を書く癖がない記者に反省はなかった。 次の一柳東一郎時代にはカメラマンが西表の珊瑚に落書きをし、それをもとに「日本人は落書きして恥じない」(降幡賢一)と自虐ネタに仕立てた。一柳のクビが飛んだ。
二代置いて箱島信一時代も記者たちは嘘をやめなかった。政治部デスク曾我豪が田中康夫と亀井静香の架空会談を捏造した。箱島が責任を取り、秋山耿太郎に代わると、前後して「安倍晋三がNHKの番組を改変させた」という本田雅和のネタが出た。
NHKは朝日、共同とともに赤い三羽烏を自認する。自虐の趣味もいっしょなら安倍嫌いも共通した。てっきり口裏を合わせてくれると思っていた。ところが本田の記事がお粗末すぎたのか。NHKは「朝日の報道は虚偽」と秋山に公開質問状まで叩きつけてきた。
政界のプリンスの政治生命を絶とうというネタがガセだったら秋山の首では収まらない。朝日の廃刊だってあり得る。秋山は考え、ここは「第三者委員会に総括させる」ことにした。
ただまともな第三者だったら悪質な嘘を重ねる朝日は即廃刊にするだろう。それで秋山は身内同然の伊藤忠の丹羽宇一郎や憲法学者長谷部恭男、それに共同通信も入れた。
彼らは世間が忘れるまで待って「取材不足」と結論した。記事は正しいが取材が足りないとも読める。
だから朝日には謝罪も訂正も求めなかった。第三者委員会に任せれば何でも無罪にしてくれる。うまい手法を見つけた朝日は30年間、日本人を愚弄してきた慰安婦問題も同じ処理をやった。結論はうやむや。お詫びも訂正もしなかった。
自民の新選対委委員長、小渕優子に朝日が偉そうに9年前の電動ドリル事件を持ち出し、説明不足と責めた。
しかし彼女は朝日と違って公正な第三者委員会を立ち上げ、そこに委ねた。その結論が出ると記者会見もやって答えている。
対して朝日は委員の人選もお手盛りなら結論もお手盛り。結論についての記者会見すらやっていない。
小渕優子に「説明不足」とはよく言えた。
朝日にはやはり廃刊が一番似合う。
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