#色絵皿
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240623
朝、緊張している。 今日、展示のための作品を東京に送る。 ちゃんと全部送れるだろうか。ちゃんと全部できただろうか。 不安があるから昨日はすっきりしなかったんだ、と気がつく。 不安がなくなるように最大限努めよう。 ドローイング。 線から描こうとしたらピンクが浮かんだから色えんぴつでピンクを使う。 最近、色えんぴつから始まることが多い気がする。
絵と日記と本と、ダンボールに詰めて、発送。 気が抜けるかと思ったけれど、そんなことはなくて、ずっと緊張状態が続いていた。 抹茶のソフトクリームを食べた。 とても濃厚な抹茶の味がした気がする。よくわからなかった。心ここにあらずだった。
晩ごはんは春巻き。 彼が揚げてくれた。 休みたいのに休めなくて、絵を描いていた。 はやくねよう、と思っていたのに皿洗いまでした。部屋も片付けた。油の飛び散ったコンロも掃除した。 ずっと、次に展示をするなら、と思っていた。 まだ今回の展示は始まってもいないのに。
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240624
朝、はやくに目覚める。 一応、すぐには起き上がらず布団でぐだぐだとして休んだことにした。 顔を洗って鏡を見たら、目の下に何層ものクマが張り付いていた。こわい。 どうしてこんなにも緊張しているのか。問えば自信がないからで、自信がないのに人に見られてしまうから。つくりあげるって難しい。
今日は休もうと思って、自分の気が向いたことだけをしていた。 『数学の贈り物』森田真生を読んでいたら今が点で線になって、みたいなことを思って、何も考えないようにまるをたくさん描いた。 点を描いて線になる。 それがどこに向かうかは分からない。 今は今しかみえない。そう思って描き始めたけれど、描かれた点(過去)もまだ描かれていない紙(未来)もあった。
今日は雨が降っていて、ずっと部屋にいた。
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240625
東京は梅雨らしい。 北海道はぐずぐずとした天気ではあるものの蒸し暑さはなく、まだ長袖を着ている。
図書館に行って、友人に送るお菓子を買って、ドラッグストアに洗剤を買いにいく。 ついでに日焼け止めをみていたら店員さんに「虫がついているわ。とってもいい?」と聞かれ、お願いしたら、お菓子をいれた紙袋に入ってしまった。
夜、ぐずぐずとしていた。 晩ごはんも食器洗いもやってもらってしまった。
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禾乃登
「最近、〇〇さんはお米どうしてるの?)」と言う話題が上がる。その部分に関して、私は世間とは切り離されているからわからない。と、言っても自分が、自分の家族がお米を作っているから、困っていないっていうのが実情。ぶっちゃけ、去年できた新米?駒井?もう全然残ってるし、まぁ売っていないっていうのが大きいんだと思うんだけどね。タイトルの通り暦の上では秋になった。お米も収穫されて、だんだん解消されていくであろう。8月頭でも、なんだか7月より過ごしやすいかなぁって思ったけど、さっきニュースを見ていたら、観測120年の中で1番暑かった?らしい。平年より1.7度位高かったらしい。そりゃそうだよね、滝のような汗をいつも書くから、多汗症になってしまったんじゃないかってちょっとだけ不安に思った。まぁ今日も、9月になってから初めての平日で、外に出たら、8月よりも過ごしやすく、風も吹いていて、いつもより少し早く外に出たから、良い始まりかなぁって思ったんだけど、そんなこともなく目の前の踏切で、運転見合わせになってしまい、遅れてしまうかと思った。
9月になると、世間でも秋の話題がたくさん出てくる。月見バーガーに、お芋のフラペチーノ、栗ご飯、1杯秋を感じる。雑貨屋さんでは、金木犀の香りが漂っていて、なんだか寂しくなった。秋はなんだか寂しい。冬の方がもっと寂しいかもしれないけど、の秋の容器がなんとなくだけど、寂しさを思い出す。
先月末に、一足早く芸術の秋を女神と楽しんだ。ろくろの体験をした。台風と被ってしまうと予報が���ていたので、雨の中やらなきゃいけないのかなあってちょっと嫌だったけど、結局台風はノロノロ運転だったし、私たちがろくろ回している間、移動時間と雨は降らず、家にそれぞれ戻ってから雨が降り出したので、なんやかんやよかった。東京に戻ってきてから会う彼女は変わらず、美しく可憐で聡明で、私の憧れの人だった。夢のために学校に帰りたいた。彼女は、優秀な成績を残しているようで、短期留学をしようかなぁと目標を立てていて、かっこいいと思った。彼女がいるおかげで、私は頑張れるんだ。陶芸の話に戻り、私は小皿と小鉢、彼女は小皿を2枚作った。夕薬を塗ってくれるみたいで、3ヶ月程度で出来上がり家に届くらしい。私は小鉢にほうれん草を入れたいと思ったので、黄色山吹色をえらんだ。とても楽しみである。
その彼女とはまた明日会う。彼女のためにこっちに戻ってきたのは過言でない位ほんと。
芸術の秋には他にもあって、この前バブーシカを編み終わったので、今はクラッチバックを編んでいる。大きめのカバンを編むのは初めてなので、まだできないかなぁって思いながら作ってるんだけど、徐々に出来上がっている姿に愛情が湧く。早くできるといいなぁ。
今月には海外旅行が待っている。海外に住む友人に、会う約束をした。恋人にも了承得た。語録年の付き合いになるのかなあ。彼女に会うのはすごく楽しみ。ゲーム友達がこんなに続くと思わなかった。楽しむためにも、なぜか最近忙しい仕事を頑張ろうと思っている。
恋人が、お土産にういろうを買ってきてくれた。そのこと自体が嬉しくて、幸せに浸っていたら、案の定恋人は賞味期限当日にあれよ。あれよと忘れた。ういろうを持ってきた。私は白色のういろうが好き。そんな恋人と今日の帰り、たまたま同じタイミングになって一緒に帰った。電車の中で席が開くと、自分の席を確保していたのに、今までは。だけど、今日は珍しく私に席を譲ってくれた。感心感心。そんな彼に昨晩は絵本を読んだ読み聞かせかな。3本の金、髪の毛のお話と何か後気がする忘れちゃった。一応、写真日記を続けていて、昨日のスーパー行く前にエントランスに出た時、虹がかかっていた。思わず同じ居住区の同期に連絡を入れたけど、どうやらいなかったらしい。ハッピーを共有できる相手がいるといいね。そんなもんかなぁ。今日も言葉で文章を書いてみました。今日はとっても眠いので、添削せずそのまま載せます。余��が出たら修正しときます。終わり
そういえば、学会に恩師いた
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追記 気づいたら伸びてた、ありがたい。 店の名前言った方がいい→これは何人か推測されてる通りKOZO、ありがとうKOZO。 金に糸目をつけない美食か→決してそこまで敷居は高くない。食べログに値段出てたけどソシャゲのガチャ20連と同じ程度なので庶民にも十分手が出る。何に価値を感じるかってあると思うけどこれは本気でいい体験だった。 目的 ステマとかではない。よっしゃ再訪のチャンス!とか思っていたらお店が閉店になっていてショックを受けた。 なんなら親の還暦祝いを絶対そこでしたかったぐらいの勢いだし親が死ぬまでには、いや自分が死ぬまでにもう一度あの店(シェフ)の料理を食べておきたいと思った。 辞めた理由ってのもあるだろうけど正直有名店の半額以下だしコスパ良すぎて儲からないなら倍払っていいまであるからもう一度店出してという、中毒患者の呻きみたいなものだと思ってほしい。 どんな店なの 京都にあるガストロノミーのお店。分類がこれであってるかはわからんけど一見これ食べるの……みたいな騙し絵的な料理が出てきたらだいたいこう言ってる。 食べたものに対する鮮烈な記憶 同僚とランチをしに行った。値段は安くはなかったのだが、この食事、いや、体験に比べると絶対に安い。繰り返すようだが別の店で倍払ってもなかなかこうはならない。ならなかった。ガチでオモコロの「味でめちゃくちゃになりたい」ができる店だった。 まず前菜ではなく、いきなりフィンガーフードとよばれる小さなおつまみみたいなものがやってきた。この時点では我々はシェフの力量を知らず、一気に不安になってざわついた。だってあんまりにも小さいんだもん。小さい、ホタテとトマトソースがのったタルト。こんなの一瞬でなくなっちゃうよ……そう思いながらとりあえず食べる。 ──凄まじいとしか言えなかった。最初は普通にホタテの旨み溢れる味わいだったのが、次の瞬間ドライポモドーロの奥行きのあるソースが支配的になる。最後はタ���トをかたちづくる良質な小麦粉の素朴でいて��沢な味わい。こんなに小さいのに、こんなに激変する。これはボヘミアンラプソディと同じぐらいの変わりっぷりでいて、そして同じぐらいのまとまりだ。 「なんか、ディズニーランドに行った記憶とか、パレードみたいな味がする。すごくないですか?」同僚はそう表現した。語彙を失って壊れたように「おいしい、これおいしいよ!」と繰り返す自分とは大違い。たしかにこれは極小のディズニーランドであり、エレクトリカルパレードであると首を縦に振った。ふたりして若干何かを吸った後の人みたいになっているが何も吸わずにこれはひたすらすごいことである、経済的なうえに健康的だ。 次に来たのは本日のお目当て、「盆栽」である。といっても全てが食材で作られたミニ盆栽である。フォアグラの入ったなめらかなマッシュポテトの土に、青のりの苔がむしている。ディルなどのハーブを飾ると大自然の植生があらわれ、そこに黒白の米で枯山水が設えられている。 はっきり言ってこれは普通に盆栽の見た目である。レストランよりホームセンター、いや、オシャレ花屋さんあたりにお還りとでも言いたくなるぐらいだ。ただし、さっきのディズニーパレードのおかげでこのシェフに絶対的な信頼感が生まれていたわれわれは臆することなく土や石にスコップを入れて、自分の口に放り込んだ。 「石!おいしい石!すごい!」人生で石が美味いなんてなかなか出る言葉ではないだろうが、だって石がおいしいのだから仕方がない。フォアグラポテトの土はひたすらなめらかで濃厚で、そこに海苔とハーブで味の奥行きが作り出されている。さらに、枯山水の米がパリパリプチプチと舌触りのアクセントを生み出している。こんな佇まいなのになにも難しいことはない、「無限に食えるやつ」なのだ。こんなことならミニではなくノーマルサイズの盆栽で良かったのに……あっという間に盆栽は消えてなくなってしまった。 ここまででじゅうぶん楽しかったのに、ようやく前菜がお出ましになる。蛤と椎茸に出汁ジュレが乗って菊の花びらが散らされている。今までとは違ってハッキリと高くて美味い見た目である。そして──この一皿は見た目に違わぬ高いパフォーマンスを見せてきた。 まず一口食べてみる。ぷりぷりで柔らかな蛤が爽やかなジュレで包まれてもう大好き。そのままのテンションで奥に進む。スモーキーな椎茸としゃっきりと野菜が口の中で主張する。 次、次と進むとどこかからぷちぷちとした食感が弾けて、柑橘のシャキッとした引き締めに行き当たる。計算されつくした絶えず移り変わるその味わいは、ただの層のある料理とは違う。不思議のダンジョンの階層ぐらい全然違う。もうダンジョン飯だし私��ためのパーティー開かれてる。最高。未知の階層への好奇心のままに食べ進めると、あっという間になくなってしまった。かなしい。 そしてメインの肉料理。皿に配置された料理とソースがまるで絵画に見えてしまう。赤蕪のほろ苦さや素揚げされた蓮根の歯触り、そしてもう一度出会えた無限マッシュポテト。今度はチーズ風味でさらに止まらない度がアップして帰って来てくれた。かなり嬉しい再会だ。同僚とうわごとのように「無限に食える〜」と繰り返してしまった。 しかし肉料理の話だから肉の話をせねばなるまい。肉は鴨肉のローストで、みるからに食欲をそそる茶褐色のきのこのソースがかかっている。 肉を食べると、鴨の味と並走するかのようにはっきりと存在するはずのないクレームブリュレの味がした。何を言ってるのかわからねーと思うが、何をされたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……。 存在しないその味の記憶にたじろぎながら控えめに同僚に「これ、クレームブリュレの味しません……?」と言ってみるとすかさず「思いました!」と返事があり安堵した。いや、集団でスタンド攻撃や呪術をうけていたなら安心して良くはない。ただしっかり破綻せずに美味いので幸せならオッケーである。 出てきたものの半分も紹介できていないが、しっかりとボリュームがあり、はっきり全てが美味しかったし、それ以上に驚きと楽しさがあった。正直なところガストロノミーに半信半疑だったものの、こんだけパレードで不思議のダンジョンでスタンドの気配まで感じられて、十分に味でめちゃくちゃになれてほんとうに行って良かった店だった。 叶うならもう一度再訪したい。叶わなければそれでも一生に1番レベルで美味しかったとシェフに伝えたい。こんなところに書いて伝わるかは知らんけど……。
人生イチ旨かったレストランの話をさせてほしい
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おはようございます。
秋田県湯沢市は雪降りです。
昨日は秋田市に泊まりでしたので、ゆっくりと会場に行こうと思っておりましたが、前夜に楽しくお酒を頂き過ぎたのか、ギリギリの会場入り…
8日から10日までの三日間、秋田市に有ります秋田アトリオン地下イベント広場にて、『第4回 ���連漆器青年会展示会 〜おらだの漆器展「椀」〜』の、二日目が行われました。
「十人十色のお椀選び」
川連漆器の特徴のひとつが、長い歴史の中で育まれた多様性。
会場ではその多様なお椀を手に取ってじっくりと見比べながら、お選びいただけます。
使い方やシーンに合わせた、自分に、贈り物に「しっくりくる」お椀に出会えます。
特別企画として、輪島応援作品の販売も行います。
この企画では、能登半島地震で被災されました輪島漆器青年部へ、応援作品の売上全てを寄付させて頂きます。
また、お買い上げ頂いた漆器に蒔絵で、名前を入れる無料体験や
お使いいただいている漆器の修理も承っております。
是非御高覧頂けます様、皆様のご来場を心よりお待ちしております。
開 催 期 間 : 2024年3月8日(金)〜10日(日)
開 催 時 間 : 10:00〜17:00
(最終日16:00まで)
会 場 : 秋田アトリオン 地下1階 イベント広場
秋田市中通2-3-8
http://www.atorion.co.jp/
昨日もいつもご来場頂いておりますお客様方にご来場頂き、この度の企画展のお椀各種や、ホワイトデーのお返しに、盃やお箸やお皿、そして海外のお客様にも新作のお皿を気に入って下さり、多くの方に名入れ体験も楽しんで頂き、本当に有難うございました。
そして展示会も三日目の本日最終日。
展示会最終日も、良いご縁が有ります様に。
そして皆様にとって今日も、良い休日成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #伝統工芸 #秋田工芸 #秋田の物作り #秋田の物つくり #漆 #うるし #ウルシ #髹漆 #寿次郎 #川連漆器青年会 #川連漆器青年会展示会 #第4回 川連漆器青年会展示会おらだの漆器展 #川連漆器青年会展示会おらだの漆器展 #3月8日から10日まで開催 #アトリオン #秋田アトリオン #秋田アトリオン地下イベント広場 #漆器のある暮らし #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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新入荷品より、阿部眞士・色絵皿。こちらもやはり、冬にあたたかさを感じるものとして。白磁の肌に黒豆の艶がきれいにうつるかと。
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魔法じかけの林檎
誰もがその林檎を欲しいと思ったけど
千鈴は林檎しか食べない。どんな食事を用意しても食べないのに、林檎を切ってあげると、それは食べる。だから、お見舞いのときは、私は必ず林檎を持っていく。 精神病棟だから病室には行けない。けれど、看護師さんに手を取られて、千鈴は面会室には現れる。精彩のない無表情でソファに座る。待っているあいだに切り分けた林檎を並べたお皿を、私は千鈴の前に置く。 その甘い香りか、お皿を置いた音か、それは分からないけど、千鈴は林檎に目を落とし、ひと切れ、手に取る。そして、言葉はなく、しゃり、しゃり、とゆっくり林檎を食べていく。 姉の千鈴。妹の五鈴。私たちは、十三年前に一卵性のふたごとして生まれた。 幼い頃は、ふわふわのカールの髪に結ぶ、色違いのリボンが見分けるコツだった。それと、泣いているのはたいてい私で、褒められているのはたいてい千鈴。 千鈴は泣き虫の私を揶揄ったりもしたけど、けして意地悪ではなかったし、優しい姉だった。私は、よく千鈴のあとを追いかけて走っていた。私たちの毎日が壊れた、あの日もそうだった。 ふたごって何かかわいいねと言われながら、同じ小学校に上がった春だった。私たちは一緒に下校していた。 にぶくて泣き虫な私をまた揶揄って、千鈴は駆け足で先を走っていた。春風に、千鈴の髪を結う白いリボンがひるがえった。ひと気が減ってきた角を曲がり、「千鈴、待って」と息を切らす青いリボンの私は顔を上げ、はっと立ち止まった。 こちらを振り返って笑っている千鈴のすぐ背後に、知らない男の人が立っていた。私は千鈴の名前を叫ぼうとした。��かった。男の人は、強引に千鈴を抱え上げ、そのまま路地に駆けこんでしまった。 茫然とする私の耳に届いたのは、服を引き裂く音、千鈴の泣き声、男の人の荒い息── そのとき、偶然同じクラスの男の子たちが通りかかって、私は泣きながら千鈴が引きこまれた路地を指さした。私は何もできなくて、男の子たちが声を上げたり、大人を呼んだりしてくれた。 けれど、千鈴の心にはすべてが手遅れだった。その日から千鈴は、感情も記憶も喪失した、息をしているだけの人形のようになった。外出はもちろん、家庭で過ごすことさえ困難と診断され、精神病棟で過ごしていくことになった。 しばらく、千鈴は何も食べなかった。点滴で栄養を摂っていても、見る見る痩せていった。ふっくらした薔薇色の頬は蒼くこけて、腕も脚も折れそうになって、しっとり白かった肌もぱさぱさになっていった。 そんな千鈴を見るのをつらいと言い出したのは、私より両親が先だった。何かと言い訳をつけ、千鈴のお見舞いに行かなくなった。私が千鈴に会いたいとせがむと、「病気が伝染って人形になるから」とおとうさんは目をそらした。おかあさんは「千鈴のぶんまで、いい子にしてね」と虚ろな瞳で私の頭を撫でた。 それでも私は、千鈴に会いたかったから、そばにいたかったから、お小遣いを全部交通費に当て、両親には「友達と遊んでくる」と言って、こっそり千鈴のお見舞いに行った。 私と千鈴が幼稚園の頃に読んだ、子供向けにした神話の絵本の中に、こんな話があった。どんな病も傷も治す、魔法の林檎を果樹園で守る女の子がいた。彼女は、林檎を盗みにきた泥棒に殺されてしまった。その死を哀しんだ女神様によって、彼女は花のすがたとして生まれ変わった── 魔法の林檎は、半分食べれば、どんな病気も癒える。全部食べれば、永遠に若く生きられる。そんな、不思議な黄金の林檎。 ひとりになってしまった部屋で、その絵本を読み返した私は、その林檎が欲しいと思った。林檎が心まで癒すかは分からなかったけど、そんな魔法に頼らないと、千鈴は壊れてしまうのではないかと怖かった。
「ねえ、千鈴」
季節はあっという間に巡り、着こんだコートのポケットに、懐炉を入れておく冬になっていた。吐く息が白く、雪が舞う日も多かった。 家から駅まで歩いて、病院の送迎バスが来る駅までふた駅。ありがたいことに、マイクロバスの利用は無料だった。私はその日、お年玉をもらってお金があったので、千鈴のお見舞いに差し入れを持ってきていた。
「お花に生まれ変わった女の子のお話、憶えてる? もしあの子が魔法の林檎を食べてたら、殺されても死ななかったよねって一緒に話したよね。だからね、千鈴も林檎を食べたらつら��ても咲えるかもしれないって、今日は林檎を持ってきたの」
かたわらに置いていたビニールぶくろから、駅前のスーパーで買ってきた林檎を取り出した。千鈴がめずらしく、ゆっくりとだけど視線を動かし、それを見た。私は精一杯咲って、「ちょっとでも食べよう」と千鈴の手に林檎を持たせた。
「林檎を食べたら、千鈴にも治る魔法がかかるから」
千鈴は何も言わなかった。でも、それから、林檎だけは食べてくれるようになった。 それが、千鈴の必死の声だったのだと思う。本当は千鈴も、食べたいし、しゃべりたいし、咲いたいのだ。でも、できない。あの体験がおぞましく焼きついて、自分を思い通りに動かせない。 いつか心が癒えるように、掠奪された自分を取り返して傷を乗り越えられるように、千鈴は願いをこめて林檎を食べた。
「……千鈴だったら、こんな間違いしないのに」
一方、千鈴が欠けた家庭で、おかあさんの態度がおかしくなりはじめたのは、事件から一年が過ぎた頃だった。 私のテストの答案を見ていたおかあさんが、ふとそんなことをつぶやいた。「えっ」と私がちゃんと聞き取れずに問い返すと、おかあさんは突然、答案用紙をびりっと音を立てて破った。
「千鈴なら、こんなテストぐらい百点が取れるでしょう!」
言われていることがとっさに分からず、ぽかんとおかあさんを見た。おかあさんはゆがんだ顔を覆って、フローリングにくずおれて、わっと泣き出した。どくどくとあふれる涙で、床に散らばった不正解だった私の字がふやけていった。 私はしばし突っ立ってしまったけど、「おかあさん」とこわごわその肩に手を置いた。おかあさんはその手を振りはらって、「あんたなんかいらない!」と金切り声で叫んだ。
「千鈴! 千鈴を返して‼ 私のかわいかった千鈴はどこなの、ねえ、どこに行ってしまったの!」
私ははたかれた右手を握りしめ、視線をとまどわせた。おかあさんは、砕けたガラスみたいに床に這いつくばって泣いている。その嗚咽に、千鈴の名前が混じる。 私なんかいなかったみたいに。自分の娘は千鈴だけであるみたいに。 ああ、おかあさんは千鈴に会いたいんだ。いつでも会える私なんか、どうでもいいんだ。おかあさんに必要なのは、一年前まで、無邪気に咲って、当たり前に私たちの中にいた、健やかな千鈴──
「ほ……ほんとに、五鈴は、ダメだよね」
何で、そんなことを言ってしまったのか分からない。
「私からも、五鈴にこれくらいできないとって、しかっておくから」
それが幼い頭でやっと考えついた、発狂しそうなおかあさんのなだめ方だったのかもしれない。
「おかあさん、泣かないで」
おかあさんが震えながら泣きやんで、鼻をすすって顔を上げた。
「私はここにいるよ」
おかあさんが手を伸ばし、私の頬に触れた。
「千鈴……?」
私はおかあさんに向かって微笑み、うなずいた。その拍子、おかあさんは私を抱きしめて、また泣き出した。 でも、耳にきりきりする、痛ましい泣き方��はなかった。安堵で声をつまら��、やっと家にたどりついた子供のような慟哭だった。 こんなに、おかあさんは千鈴を探していたのか。傷ついてしまう前の千鈴を求めていたのか。 だったら、私にできることはひとつだ。おかあさんの前では、私は千鈴を演じる。千鈴のふたごの片割れである私にしか、それはできない。 千鈴がいなくては、おかあさんが壊れてしまう。だから、千鈴が治るまでは、帰ってくるまでは、おかあさんの前では私が千鈴になる。
「五鈴は……つらいかもしれないけど」
その夜、おとうさんが帰宅する頃にはおかあさんは泣き疲れて、リビングのソファで眠っていた。「『千鈴だよ』って言ったら、おかあさん、すごくほっとしてくれたの」と私がつたなく説明すると、おとうさんは言葉を失くしたものの、私の頭に大きな手を置いて言った。
「おかあさんの前では、千鈴でいてくれるかな」 「うん。おとうさんも、私のこと五鈴って呼んじゃダメだよ」 「……ごめんな、五鈴」 「千鈴、だよ」 「ごめん、……ごめん千鈴。守ってやれなくて、本当にごめん──」
おとうさんにぎゅっとされて、スーツの糊の匂いの中で、「大丈夫だよ」と私は言った。 その言葉が、五鈴としてだったのか、千鈴としてだったのかは、分からない。おとうさんの腕に力がこもったのも、五鈴に対してだったのか、千鈴に対してだったのか、分からなかった。 それから、私は家庭では千鈴を演じるようになった。千鈴のように勉強も運動も、口調も身だしなみも頑張った。「五鈴」はいなくなったわけではなく、いつも偶然その場にいないかのように振る舞われた。私だけでは修復しなかった家庭が、私が千鈴になることで、少しずつ明るくなっていった。 もちろん、私を「千鈴」と呼んで、買い物に行けるようにもなったおかあさんについて、近所の人は怪訝そうにひそひそ話をした。私がひとりのとき、「無事だったのは五鈴ちゃんよね?」と心配そうに声をかけられることもあった。私はあやふやに咲ってかわし、家に駆けこんで、おかあさんに百点を取ったテストを見せた。おかあさんの穏やかな笑顔が、私のきしみそうになる心を支えた。 本物の千鈴のお見舞いに行くのは、相変わらず私だけだった。家のことを、千鈴には話したほうがいいのかと思ったけど、刺激を与える話は先生を通してからと看護師さんに言われていた。 近所の人の訝る目を思い出し、あんまりお医者さんには言いたくないなと思った。やっと見つけた落ち着く手段を、やめたほうがいいとか言われたくない。 千鈴は事切れた瞳のまま、静かに林檎を食べている。私たちは、いつ千鈴が帰ってきてもいいようにしているだけ。だけど、千鈴が戻ってきたら、私はどうなるのだろう。 どんどん希薄になっていく五鈴という私は、まだあの家に存在しているのだろうか。帰ってきてほしいと思って、私だけがこうして本物の千鈴を見捨てていないのに、千鈴が帰ってきたら、きっと私が一番報われない。 私が演じる千鈴は、周りの理想を裏切らないように、美しく築かれていった。言葉ひとつ、仕草ひとつ、細心の注意で千鈴らしくした。千鈴以上に千鈴だったかもしれない。 おかあさんが外では私を「千鈴」と呼ぶし、家に来たクラスメイトたちは、「あれ……五鈴ちゃんだっけ? 千鈴ちゃんだっけ?」と混乱して、いつのまにか「えーっと、千鈴ちゃんだよね!」と思いこんでいった。 ���ストや教科書に名前を書くときも「千鈴」と書いた。さすがに本名を把握している先生たちは、最初は「え?」という顔をするものの、私もクラスメイトも──何より親が「あの子は千鈴ですよ」と言うので、触れてはいけない、あるいは関わりたくないと思うらしく、次第に何も言わなくなった。 私は人前では淑やかに咲う反面、部屋でひとりになると、自分の鼓動がうるさくて過呼吸になるときがあった。 私は綺麗。私はいい子。私は──違う、全部千鈴だ。綺麗なのは千鈴。いい子なのは千鈴。じゃあ私は? 私は何なの? 私はどこに行ったの? 千鈴の偽物として生活していて、私自身の価値はどうなってしまったの? どんなに演じても、千鈴本人になれることもないのに、なぜ私は不毛な嘘をまとっているの? 千鈴として咲うほど、私は咲えなくなっていく。千鈴として振る舞うほど、私は何も感じなくなっていく。 自分を切り崩していく中で、中学生になった。最近の公立中学は物騒だからと私立に進んだ。私を千鈴としてあつかうことは、ご家庭の事情があるから、と小学校の先生が伝えたらしい。生徒証などの公的な書類になるもの以外では、私は千鈴として通った。 葉桜の緑が鮮やかな五月、一年生の中間考査では首席を取れた。ほっとして貼り出しから教室に戻ろうとしたとき、「あ、おいっ」という声がして肩をつかまれた。 私は立ち止まって振り返り、そこにいたブレザーの男の子に首をかしげた。黒いさらさらとした髪、まだ童顔の大きな瞳、誰なのか心当たりはなかった。けど、「千鈴なのか?」と声変わりもしていない声が言う。私は貼り出しにある名前が、千鈴であるのを一瞥した。
「……そう、だけど」 「えっと……元気にしてたか」 「ええと、あなた──」 「洋介だよ。谷村洋介。その、……あのとき、妹のほうが俺とか和義を呼び止めて。俺は、学校まで先生を呼びに行ったんだけど」
私はその男の子を見つめた。引っかかる記憶はなかった。 あのとき、どんな男の子たちに声をかけたかもよく憶えていない。クラスメイトではあったはずだけど、特に彼に印象はない。
「ちゃんと、学校にも来れるようになったんだな」 「……もうずいぶん経ったから」 「そうか。あ、千鈴は何組なんだ?」 「A組よ」 「すげ、進学クラスじゃん。俺は一般のC組だけど、また今度、ゆっくり話でもできたら」 「そうね」 「よかった、ちゃんと生活できるようになったなら。ずっと心配してたんだ」
洋介くんは優しく微笑むと、「じゃあ」とそばにあった階段を降りていった。妹のほう。五鈴のことは、名前さえ出てこないのだろうか。 それから、ときおり洋介くんが声をかけてきて、私たちは話をするときがあった。この人、千鈴が好きなのかな。そう気づくまでに、時間はかからなかった。 幼い頃からの想いなのだろうか。再会して始まった恋心だろうか。 後者だとしたら、君が好きになったのは千鈴じゃなくて五鈴なんだよ、と伝えたい心がふくれあがってきた。幼い頃からの気持ちだったとしても、それなら彼には、本物の千鈴のことを言っておきたかった。 どうして、本当��ことを知ってもらいたいと思うのだろう。知られたところで、状況をかき乱すだけなのに。 梅雨の合間に晴れた日、雨粒が芝生できらきらする中庭のベンチで、洋介くんとお昼を過ごしていた。洋介くんはお弁当を食べはじめていたけど、私はお弁当ぶくろを膝に置き、躊躇っていた。「食べないのか?」と言われて、曖昧にうなずいた私は、気を引き締めて洋介くんを向いた。
「あのね、洋介くんに知っていてほしいことがあるの」 「ん、何だよ」 「……これ、なんだけど」
私は胸ポケットから生徒手帳を取り出し、生徒証のページを開いて、洋介くんに渡した。洋介くんはそれを受け取り、怪訝そうにページを見つめた。
「これが?」 「名前を見てほしいの」 「名前──」
洋介くんの目が、そこに記される私の名前をたどった。まぶたが押し上げられる。
「え……これ、五鈴って」 「私ね、ほんとは五鈴なの」 「は?」 「みんな千鈴だって思いこんでるけど、私もそう思われるように千鈴を演じてるけど、違うの。私は五鈴──」 「え……ちょっと、待てよ。演じてるって、じゃあ、ほんとの千鈴は?」 「千鈴、は──」 「てか、わけ分かんねえし。何でそんな演技してんだよ」 「ち、千鈴を演じないと、誰も私なんか見ない、し」 「はあっ? 千鈴はあんなことがあったんだぞ⁉ お前なんかどうでもよくなるのが普通だろ。……くそっ、最低じゃないか」
最低? 私が? 何で? ぽかんとしてしまうと、洋介くんは忌ま忌ましそうに立ち上がって、中庭を出ていってしまった。私はそれを見送り、本当にわけが分からなくて、洋介くんの反応が正常なのか異常なのかさえ判断できなかった。 だって、私が千鈴にならないと、大人たちはまるで歯車が合わなかったじゃない。なのに、私が間違いだったの? そのとき、突然気づいた。魔法の林檎になっているのは、私なのだ。おかあさんにとって。おとうさんにとって。あの事件から目をそらしたい人、すべてにとって。 私という林檎が、麻薬のようにみんなの意識をごまかし、ひととき忘れさせて、麻痺させている。私が千鈴になることで、千鈴が傷つけられた事実はゆがめられ、偽りの安心をみんなに与えている。 やがて、太陽が白光する夏が来た。季節外れでちょっと高い林檎を買って、私はまた千鈴のお見舞いに行った。 千鈴は林檎を食べる。しゃく、と噛み砕く音と共にこぼれる甘酸っぱい香りに、私は涙が出てくる。 このままでは、私が壊れてしまう。私が見せる幻覚は、薬でなく毒だ。そんな調和は、今すぐやめないといけない。 ふと、口元に冷たい酸味が触れた。はっとすると、虚ろな表情のままだったけど、千鈴が私の口に林檎を分けようとしていた。私は千鈴の瞳を見つめ、久しぶりに、五鈴として咲った。 林檎を受け取り、さわやかな味を頬張った。口の中に、新鮮な味がふわりと広がる。 林檎を食べていたら、女の子は死ななかった。でも、もう死んでしまった。だけど、女神様によって花に生まれ変わった。 千鈴もきっと生まれ変われる。綺麗な花としていつかまた咲える。私も弱い大人の犠牲になり、千鈴が花になれたすがたを演じてみせなくていい。そんなことをしなくても、千鈴は咲けるから。その千鈴の生きる力を信じることが、魔法じかけの林檎になって、五鈴としての私を癒やしてくれる。 千鈴じゃなくていい。弱い心に見せる幻にはならなくていい。そんなことをしていても、今度は私が死ぬだけだ。 再び咲えるようになる千鈴と共に、私は私のまま、嘘偽りなく生きていっていいんだ。 私がこくんと林檎を飲みこむのを見た瞬間、確かに千鈴の瞳が、ほころぶようにほのかにやわらいだ。
FIN
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その2
『中銀カプセルタワービル 最後の記録』(中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト編/装幀:上清涼太/草思社) 『ヒエログリフを解け ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レース』(エドワード・ドルニック著/杉田七重訳/東京創元社/Kindle版) 『AXIS August 2023 vol.224 特集シン宇宙時代 The New Space Age』(株式会社アクシス) 『ジブリの立体建造物展 図録〈復刻版〉』(藤森照信監修/コンセプト・デザイナー:種田陽平/編集:株式会社スタジオジブリ/デザイン:細山田デザイン事務所/トゥーヴァージンズ) 『 湖の秘密─川は湖になった』(編集・執筆:前田礼、戸谷莉維裟(市原湖畔美術館)/地図制作:吉田健洋(一般財団法人日本地図センター)/デザイン:大西隆介(direction Q)/写真:田村融市郎、市原市観光協会、『写真集/市原市の昭和史』(千秋社)/市原湖畔美術館発行) 『ジョセフ・アルバースの授業──色と素材の実験室』(執筆:ブレンダ・ダニロウィッツ、永原康史、沢山遼、亀山裕亮/和文英訳:中野勉/欧文和訳:水野俊、林寿美、亀山裕亮/編集:林寿美、亀山裕亮、飛田陽子(水声社)、関根慶(水声社)/ブックデザイン:木村稔将、阿部原己(Tanuki)/水声社) 『相分離生物学の冒険──分子の「あいだ」に生命は宿る』(白木賢太郎著/装丁:細野綾子/みすず書房) 『「生きている」とはどういうことか 生命の境界領域に挑む科学者たち』(カール・ジンマー著/斉藤隆央訳/装幀:大倉真一郎/白揚社) 『食虫植物 多様性と進化』(長谷部光泰著/裳華房) 『What is Tanuki?』(佐伯緑著/題字:森井(藤原)敏惠/表紙イラスト:佐伯緑/装丁:designfolio/佐々木由美/東京大学出版会) 『線虫 1ミリの生命ドラマ』(長谷川浩一著/装丁:鈴木成一デザイン室/dZERO) 『新・動物記8 土の塔に木が生えて シロア��塚からはじまる小さな森の話』(山科千里著/新・動物記シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/ブックデザイン・装画:森華/京都大学学術出版会) 『新・動物記7 白黒つけないベニガオザル やられたらやり返すサルの「平和」の秘訣』(豊田有著/新・動物記シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/ブックデザイン・装画:森華/京都大学学術出版会) 『新・動物記6 アザラシ語入門─水中のふしぎな音に耳を澄ませて』(水口大輔著/ブックデザイン・装画:森華/シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/京都大学学術出版会) 『フィールドの生物学24 ミツバチの世界へ旅する』(原野健一著/東海大学出版部) 『哺乳類前史:起源と進化をめぐる語られざる物語』(エルサ・パンチローリ著/的場知之訳/青土社/Kindle版) 『招かれた天敵──生物多様性が生んだ夢と罠』(千葉聡著/みすず書房/Kindle版) 『進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語』(千葉聡著/講談社ブルーバックス/Kindle版) 『ビーバー:世界を救う可愛すぎる生物』(ベン・ゴールドファーブ著/木高恵子訳/草思社/Kindle版) 『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』(ピーター・ゴドフリー=スミス著/夏目大訳/みすず書房/Kindle版) 『幻のシロン・チーズを探せ 熟成でダニが活躍するチーズ工房』(島野智之著/デザイン、イラストレーション:佐々木宏/帯文:坂上あき、森節子/八坂書房) 『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』(多田将著/イラスト:上路ナオ子/イースト・プレス/Kindle版) 『ビッグコミックススペシャル 藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス7 ポストの中の明日』『ビッグコミックススペシャル 藤子・F・不二雄 SF短編コンプリート・ワークス1 ミノタウロスの皿』(藤子・F・不二雄著/装幀:佐々木暁/小学館) 『北極百貨店のコンシェルジュさん 1・2巻』(西村ツチカ著/装幀:井上則人(井上則人デザイン事務所)/小学館) 『ぼっち死の館』(齋藤なずな著/小学館ビッグコミックスフロントライン) 『すとまとねことがんけんしん1』(内田春菊著/装画:内田春菊/装丁:秋山具義(Dairy Fresh)/デザイン:横倉清恵(Dairy Fresh)/ぶんか社) 『すとまとねことがんけんしん2』(内田春菊著/装画:内田春菊/装丁:秋山具義(Dairy Fresh)/デザイン:山口百合香(Dairy Fresh)/ぶんか社) 『大金星』(黒田硫黄著/講談社アフタヌーンコミックス/電子書籍版) 『ころぶところがる』(黒田硫黄著/小学館/電子書籍版) 『大日本天狗党絵詞1〜4』(黒田硫黄著/アフタヌーンKC/電子書籍版) 『映像研には手を出すな!1〜8巻』(大童澄瞳著/小学館/電子書籍版)
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艶やかで素朴な絵付けに風情を感じる、袖師窯のうつわ
大きな器と小皿に、箸置きをコーディネートされる方もいらっしゃいました
色々とあわせてみてください
先日訪ねた袖師窯、おそらく築100年以上といわるれる工房は厳かでスンッとした空気が漂って、尾野さんと職人さん方がそれぞれのお仕事に集中されていました
絵付け中の尾野さん、ちなみにお尻に敷いてあるのは、須浪さんのBIGサイズ鍋敷だそうです
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胡粉団子のワークショップに行って100叩きしてきた
時は2023年10月21日。 ホルベイン水彩フェスタ2023で、胡粉団子のワークショップをやるそうで、申し込んだら無事当選したので参加してきました。 (いくつか申し込んだけどこれしか当選しなかったYo)
そもそも水彩フェスタなのになんで胡粉団子に申し込んできたの?というと、前から胡粉(普通の胡粉もそうだけど、特に盛上胡粉)や岩絵具を使ってみたかったけど、イマイチ使い方、塗り方がわからなくて困っていたのでした。
なので、このワークショップは実に嬉しい機会だったのでした。 (イラスト塗り絵ワークショップも貴重だけどさ……)
というわけで、早速胡粉体験。
1.胡粉をすりつぶそう
胡粉、買ったことのある方は知っていると思うが、フレーク状になっています。 (はじめっから粉の胡粉も売ってるけど) それを乳鉢ですりつぶしていきます。
ぶっちゃけ乳鉢よりも紙に挟んで麺棒みたいな棒ですりつぶす方が楽なんですけどね。 (ピグモン東京さんの過去のツイートでもそうやってたしw) 水干絵具でもよくすりつぶしてた���したので、自分的にはこの辺までは問題なしで進みます。
2.膠液を入れてすり鉢をゴリゴリしよう
水さじで膠液を数滴入れます。 (初めは少なめに入れて、少しずつ足していく感じ) 膠液を入れて乳鉢でとにかく混ぜていきます。 これが結構しんどかったっす。 上の写真のように、だんだん練り棒に胡粉がついてくるのが正解らしいのですが、これ以上練り棒にはつかず、上手くいきませんでした😂。 ※適量がわからないままやっていたが、どうやら膠液が少ないまま終わった模様
乳鉢や練り棒についた胡粉をまとめて、手でまとめていきます。 このとき、膠が少ない���合は、ハンバーグのようにちょっと中央をへこませて、そこに膠をちょっと乗っけてこねて再び丸めると良いみたいです。 ちなみに話は変わりますが、このとき使った水匙、表面張力?がすごいのか、水が一滴ずつ入れられる不思議な匙でした。 面白いので今度買ってみようかな?
3.百叩き
そして有名な百叩きの登場(?)だ!
普通にお皿にたたきつけます(実際には、今回作る団子は小さいので軽く投げる感じ) このときも、膠が少なかったりした場合は、とき皿に膠を一滴落として、その上に叩くようにすると良いらしいです。
4.団子をとき皿に広げよう
百叩きが終わったら、団子を潰してとき皿に広げていきます。 が、私のは最初のに膠が少なかったらしく、めちゃくちゃ硬くて広げられなかったので、膠をやっぱりお皿に広げてから無理矢理広げていきました。
5.お水で溶こう
ここまで来たら、塗りまであとちょっと! とき皿に広げた胡粉全部ではなく、使う分だけ、少しずつ水で溶いていきます。 どのくらいの濃度で溶けば良いかは、まさに牛乳。 牛乳ぽければOKだそうですw
6.胡粉を塗ろう
この量の胡粉を作るのに、1時間弱。 胡粉作りとはなんて大変なんだろう。 だが、ワークショップは1時間しか無い。 慌てて胡粉を塗っていきます。
このとき、乾く前の胡粉は透明で、ちゃんと塗っている実感がわきにくく、不安になります。 が、(時間がないので)ドライヤーで乾燥させたらそれなりに白くなってたので一安心。
ちょっと色が薄すぎたな、というときは、濡れている状態で塗り足すのではなく、乾かしてから塗るべしとのことです。
7.岩絵具を塗ろう
胡粉が塗り終わったら、岩絵具で上から色を重ねていきます。 岩絵具と膠液は同量くらいだそうです。 そして水で薄めて描いていきますが、その水も膠液と同量程度だそうです。 ただし、粒子粗めの番手だと、やや膠を多くした方がよいそうで。
そして時間切れ。 みんなで慌てて残った胡粉を我が輩が持ち込んだハーフパンにつめてお持ち帰りしたのでした。
8.最後に
1.ナカガワ胡粉さんについて
とりあえず胡粉の作り方だけ先に語ったわけですが、 そもそもどうしてホルベインの水彩フェスタなのに胡粉作りなのか。 それは協賛のナカガワ胡粉さんのワークショップだからです。
ナカガワさんのブースでは、試作の京上岩絵具、検品から弾かれたけど、ちゃんと使える棒絵具、日本画初心者キットと、その他岩絵具っぽいものと新岩絵具っぽいものが売っていました。
実際に製品化されなかったらしいので、めちゃくちゃレア品だと思うものの、岩絵具そんなに使わない&気になる色はなさそう(使いそうな色は新岩のを持っている)のでお見送りしました。
棒絵具は、色によって作りやすい色、欠けやすい色?などがあるみたいで、朱色の棒絵具、次に辰砂(だったかな?)が多かった気がします。
2.なんで膠じゃないと駄目なの?
この話はとても興味深かったです。 3種類のバインダーで溶いた胡粉の見本を見せていただきました。 左から、膠 アラビアゴム アクリル だそうです。 見ての通り、膠が一番不透明なんです。 バインダーが違うと、見え方が変わるのがすごく面白いです。
ちなみに普段自分が岩絵具塗る時は膠じゃなくて日本画用アートレジン使ってるけど、やっぱりアクリル系のアートレジンだと不透明度が変わっちゃうのかなぁ…
4.ワークショップの雰囲気について
みなさん初対面でしたが(実はついった相互さんもいた模様)、フレンドリーでみんなでわいわいやりながらワークショップしていました。 というか、難易度が高すぎて周りの人と相談しながらやったりしてた部分もありましたw 時間が足りなすぎたのは間違いないですし、難しかったですが、楽しい時間でした。 またこのような日本画に関するワークショップを開催していただきたいですね。 (ただし、時間は1時間半くらい欲しい)
自分は水彩っ子ですが、イラストを描くときは日本画の画材もアクリルも使ったりするので、やっぱり知識は多くて困ることはないのです。
5.余談
そもそもなんで百叩きなのか。 きちんと綺麗に膠と胡粉を混ぜないと、剥落したりする事があるようです。
これはワークショップが終わったあと、ブースで聞いた話ですが、今回作ったくらいの量であればわざわざ団子で百叩きしなくても…とのこと。 ただし、量が多いときは百叩きの方が効率がよいみたいです。 長い歴史を持つ日本画の叡智というヤツだろうかw
あと、ナカガワさんには都の雪というチューブ胡粉もあるので、それでやっても同じかと思っていたのですが、こちらは胡粉と膠以外の添加物が入っていて、そのため、本当の胡粉の色とは少し変わってしまうとのこと。 手持ちのやつ、なんとなく程度に茶色っぽい気がしてたのはそのせいなのだろうか。
というわけで、以上、胡粉団子体験記でした。
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暑い時には #青い絵 。
2015年のお皿です。
青だけ、といっても5、6色使っています。
明るい青で色を伸ばしたり、暗い青で締めたりするのが楽しいんですよね。
仕事絵が終わったら、楽しい絵をいっぱい描きたい。
#art #coloredpencil #fabercastell #polychromos #色鉛筆 #ファーバーカステル #ポリクロモス #1日1�� #イラストグラム #今日何描こう #今日何描いた #絵を描く暮らし #青 #blue #ロイヤルコペンハーゲン #染付
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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラ���、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディ��ナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷��をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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231118
朝、昨日の片づけをする。 机の上の食器、床に脱ぎっぱなしの洋服。 頭がこんがらがらない程度に片付ける。 今日は静岡に行く。 行こうと思っていた本屋がお休みで、それならば、と海をみにいこうとしたけれど、カメラの充電器がみつからず、部屋にいた。
電車を降りて、駅のホームに立って、息を吸う。 製紙工場のにおい。 住んでいるときは感じなかった。紙のにおいではなくて、製紙工場のにおい。 以前働いていた会社の人に会う。お家にお泊りさせてもらう。 6歳の男の子に絵本をおすすめされたり、ちょっといい缶ビールを飲んだりして、すとん、とねた。
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231119
朝、目をあけるとりょうまくんの描いたにじいろのさかなとひまわりの絵。 テレビの音と、おしゃべりの声。 布団の中で、人の気配を感じるのがすき。 人のお家なのに、ぐっすりとねむってしまった。 一緒に朝ご飯を食べて、おでかけ。 よくばって選んだエッグベネディクトとパンケーキは食べきれなかった。 はちきれそうなお腹を抱えて歩いた。 湧水。水がほんとうに湧き出ている。 餌をもらいたがるシカとコイはこわかった。欲望むきだしだった。
帰りの電車では詩集(菅原敏の『季節を脱いでふたりは潜る』)をひらいたり、窓の外を眺めたりしていた。 通り過ぎていく海、街、景色。 温泉から帰ってきたみたいだ。 リフレッシュ休暇。 からっぽになりかけていたところが満たされたのを感じる。 木に囲まれて、川は流れて、自然に癒されて。楽しいおしゃべりをして。
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231120
月曜日の憂鬱。 日曜日と時間の速度が違うほど憂鬱は膨らむらしい。 わかりやすく気が落ちていた。 仕事。 手を動かすだけの単純作業。 おしゃべりがはかどってしまった。 こんなに楽しくおしゃべりしていていいのだろうかと思うくらい。 実家でシチューを食べる。ねむる。さむくて布団から出られず、やっと布団から出ても���ヒーターの前から動けない。 部屋に帰ってからも同じで、さむくて、動けない。 そばにチョコレートが落ちていて、つい食べてしまう。
少しだけ、自分の詩がわかったきがした。
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231122
朝、さむくて、体がこわばっている。痛いくらい。 仕事。 なんだか疲れてしまって、疲れてしまっていたけれど、ヒートテックを買って帰りたくて、途中下車。 なぜか建物の入り口に人が立っている。 何かしゃべっている。 火災が起きたため、本日、閉館します。 ついていない。こういう日って、ある。 仕方なく、おいしいうどん屋さんでもりうどんを食べる。 大皿に、艶めくうどんがぐるぐるとのせられている。 しっかりとコシがあって、おいしい。 割りだしというのが出てきて、どうしたらよいのかあいまいなまま、つゆにいれて、飲んでみた。濃い味がした。
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2023年5月4日
麦わら帽子を被って、最近買った青色アロハを着て、短パンにブーツで玉川上水沿いの林道を少し散歩。温かさを通り越して暑いくらいの陽射し。風も、五月の風も時折吹いていて、その度に飛んでいきそうな麦わら帽子を手で抑えた。飛ばされてしまえばよかっただろうか。どこへ?もちろんゴッホの夏へ。「君に握手を贈る」毎回決まって締めくくりにそう書かれていた彼の手紙。林道は木々の草々の、青空へと太陽へと伸ばされた夥しい緑の握手に覆われ仄かに薄暗く涼しく、地面へと落ちた木漏れ日を横ぎる揚羽蝶や紋白蝶の黒い影。ちょうど去年の今頃はドイツ人の作家シュナックが書いた「蝶の生活」という本を読み始めた頃で、様々な蝶の成虫幼虫の挿絵入りでその生態が博物学的に生物学的に紹介されているだけでなく、それぞれの蝶との彼の出会いや蝶を巡る幻想的な小説の章まである、蝶という生き物に対する虫網を持って野原を駆け巡るかつての少年そのままの純粋な愛と憧れと詩情に溢れたその本を鞄に入れて仕事の行き帰りや今日のような散歩の途中、時間を見つけては僕も蝶の影を追っていた、まるでシュナックの魂が乗り移ったかのように。
ところで、「ゴッホの手紙」の中にも蝶が登場する。蝶ではなく蛾なのだけど、それは「死人の顔という蛾」で、
昨日は、死人の顔という珍しい大蛾を写生してみた。その色彩は、黒、灰色、陰影のある白や反射光のある洋紅色、かすかだがオリーブ緑色に転じた色で、たいそう大きい。 それを描くため殺してしまわなければならなかった。それ程蛾は美しかったので惜しかった。ーー硲 伊之助 訳「ゴッホの手紙 下」よりーー
背中に人間の髑髏の模様があるその大きな蛾の彼の素描を見たとき、これはたぶん半ばゴッホの想像或いは幻想で描かれた蛾の絵なのだと思っていたのだけど、その同じ蛾をシュナックの「蝶の生活」の後半の蛾の章で発見して僕は驚愕した。「死人の顔という蛾」は実在していたのだ。それは髑髏面型雀蛾(ドクロメンガタスズメ)という。
この蛾は埋没してしまった古代の夜の世界の最後の目撃者である。その恐ろしい紋章によってこの蛾は人間たちに死を、今なお存在する黄泉の国を思い起こさせる。ーー岡田朝雄 訳 シュナック「蝶の生活」よりーー
煙草を吸う。照明は天井に二つ埋め込まれている小さな電球色のLEDだけで薄暗い、小さな動物や昆虫をペットショップで買ったときに小さな動物や昆虫が入れられる二つの小さな空気穴が空いているだけの小箱のように薄暗い喫煙所で煙草を吸う。ぼんやりと浮かぶ闇の壁にもたれ掛かって煙草を吸う人の顔、その唇の先から指の煙草の先から流れる揺らめく煙は千変万化の軌道を描き、天井へ、まるであの天井の二つの円いLEDの光から出ていくように、地獄の底から見上げた高く高く厚い厚い天井に空いている小さな二つの出口、ここの住人には決して手の届かない小さな二つの出口、窓、裂け目、地上への出口へと流れていく煙かのように、煙を糸のように吐いて、その糸が吸い込まれていく、決してわたしを引き上げてはくれない、わたしが吐いた蜘蛛の糸の流れの先を見上げるわたしはきっと今ルドンの気球の眼をしている、重力を、わたしが重力に縛られた存在なのだと、私は重いのだと、つまりは地獄の底に居るのだと気が付かせてくれる、そんな喫煙所、でもね、地獄の底にも光るものがあって、それは二つの光源のちょうど真下に二つ置かれている灰皿、銀色に鈍く光る灰皿、水の張られた皿を円く囲って覆う銀の蓋が鈍く光っている、大概は捨てられた煙草と煙草の灰の山に埋まっているその二つの目玉と瞳、だけど、たまに掃除の人が来ることがあって、そのときは捨てられた煙草も煙草の灰も綺麗に除けられて、だから銀色の眼球の真ん中に張られた水が二つの瞳のように浮かぶ、でも、その二つのお皿は煙草の脂や錆で焦げ茶や黒茶や赤茶や朽ち葉色に染まっているから、その二つの瞳は冬の池の底、その秋に散ったたくさんの落ち葉が静かに安らかに沈み込んでいる冬の池のようで、電球色のLEDに照らされて琥珀色に輝き微かに揺らめくその瞳は穏やかな午後の陽が射し込む冬の池の底のようで、髑髏面型雀蛾の羽根、身体の色合いはちょうどそんな色をしている。わたしの部屋が、今も少しだけ置かれているけど、百花繚乱のドライフラワーに埋め尽くされたら、きっと真夜中に窓を叩いて飛んで来るだろう、髑髏面型雀蛾。しかしそのとき彼が背中に乗せて持って来る��はいったい誰の骸骨だろう?それはきっとわたし自身の骸骨だ。ゴッホはあの蛾の背中に彼自身の骸骨を見たのだ。もう彼は居なかった。それか��しばらくして彼は死んだ。でも、もう既に彼は居なかった。最後の方に描かれている彼の絵はまるで煙で描かれているようだった。彼は死んで、煙になってその煙が彼自身の最期、骸骨を見ていた。わたしもその蛾を見たときにはもう居ないのだろう。真夜中に窓を叩く風。わたしの居ないドライフラワーが咲き乱れたわたしの部屋の中を気ままに優雅に不思議そうに舞う髑髏面型雀蛾。
わたしは わたしの居ない わたしの部屋で暮らしたい かつてそうだったように わたしは わたしの居ない わたしの世界を見てみたい かつてそうだったように
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2023小橋共作誕生日絵、元ネタの多さとわかる人の少なさ。ちょっとだけ書いておきますね。
単独のポスター
「ひきちぎる」「ふりたてる」「みせつける」「よみがえる」の光の当たり方は蘇って今、最高値のドンデコルテが陽の目を浴びるのだ❗️という……
ピンクいスクーター
「チェリー」小橋さんの愛車。後ろの張り紙は第二回単独で展示されてたチェリーの紹介文章。他にも展示の要素が多々あり。
星の照明
小橋さんの誕生日、6/17はタロットだと「星」だから。
ハイリアの盾
なんだかんだオカリナだったりBOWだったりちゃんとゼル伝やってるイメージがあるから。ゲーム配信とかしてくれてもいいのにー!と思っています。ドンデコルテ唯一のゲーム配信はこばしがんばるラジオ(公式雑談)のゼルダ回のみ。
ミートソース
小橋共作さんが1番プッシュしてるお料理要素、それはミートソース。皿と机、ついでに床の敷物は知りうる限りで実際に小橋共作さんが使っているものをベースに書いています。
切手シリーズ予備知識
ドンデコルテの結成日 2019年11月20日
結成を意識した時のネクタイの名は「覚悟」
渡辺さん誕生日 1985年8月2日
小橋さん誕生日 1989年6月17日
豆知識
ドンデコルテの綴りは「DONDECOLLETE」であると言いまくってるのは私。実は、これだと正規の仏語読みはドゥコレット。ドゥと読ませないための点をeの上にうつ。eだけだとゥになる、エと基本読まないから、読ませるためにアクセント。ドンデコルテと読ませるなら「Dondécolleté」となる。諸説あり。
切手シリーズ W-1
ドンデコルテのオタクの謎文化「略称W」今や銀次のGかもしれないと思う気持ちもあるけどつかみは渡辺だしなと日々考えています。
切手シリーズ K-1
ドンデコルテのオタクの謎文化「略称K」いいデフォルメ。わかり��くいですが、実は小橋さんがムキムキというのを少し表したかったので胸張ってます。
切手シリーズ たばこ
渡辺さんはキャメル、ピース、キャプテンブラック。小橋さんはアメスピのターコイズ(詳細はwikiに書いています)。色面構成したくてこの構図。
切手シリーズ 靴
ドンデコルテといえば、「靴」なのかなと思い制作。それぞれの立ち方、雰囲気を構図に落とし込めてて秀逸。渡辺さんの靴磨きインスタライブのおかげで誰よりも舞台靴に詳しい人間になっています。
切手シリーズ 伝承
記録に残したい、歴史に残るような面白さなんですよという雰囲気で描いています。いい感じに小橋さんのもつ南国感をちょっと斜めから表現できてて感動。ドンデコルテに必要なのはドンデコルテを伝える(布教する)人、そんなことから伝承という言葉を選んでいます。
切手シリーズ 夜
イメージは「朝焼けも夕焼けもないんだ」です。舞台の姿ではないから立ち位置は逆を想定し、片方は何かに気づき、それに紫煙で返事を返すような、そんな距離感が出てれば嬉しいです。実は背中合わせの構図でも全然いいので解釈は自由。
小橋のきゅうくらりん素材
コント「傘」
シチュエーションコントで披露され優勝し、七月のJimbochoグランプリ総合7位だったネタ。画面構成ぢからが誰よりも鋭く、それがネタの中に滲んでる渡辺さんのセンスの良さ、美的感覚が大好き!構図が上手い。
<i>✨なかむらしゅん✨</i>
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Text
painting
絵の具の青と白と水色の3色を、水分多めの筆でトントンと色を置くようにして背景を塗りました。
わざと筆感を残すように置いて、色の境界線を乾いてる筆でぼかしました。
丸い泡は、お皿の縁を白いクレヨンで塗り、泡の中も白と水色を薄く塗り、綿棒で伸ばしました。
皆さんも是非やってみてください🤩
painting materials
paints:アクリル絵の具 リキテックス
ブルー スカイブルー チタニウムホワイト
Water color paper:ホルベインA4サイズ
crayon:ぺんてるクレヨン しろ
Instagramもやってます!
ここに載せてない作品もあるので是非🤩
プロフィールにリンク貼ってます。
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Photo
2023.05.01
連休初日、和食器を見に出かけました。ロンドンからの帰国と今回の引っ越しで、割れたり欠けたりして処分した食器が数点あり、機会を見て買い足したいと思っていたのでした。
何度か訪ねたことのあるお店を覗くと、林京子さんという作家の展示会が開催されていました。たまたま居合わせたご本人(ご夫婦)とお話しすることができ、今回が最終展(引退なさるため)だと知りました。
せっかくなので大皿を一点選びました。そのお皿がだいぶ昔につくられたものだということや、その当時採れた土の性質をいかしたフォルムで、今は同じようなものはつくれないことなど教えていただき、長い経過を経て出会えた品に、何となくご縁を感じました。
少し青みがかった釉薬の色合いやシンプルな絵柄、歪みのあるフォルムがイギリスの古いデルフト皿を思わせます。早速タイのヤムウンセンをつくって盛りつけました。
林京子最終展の情報は以下のサイ���でご覧いただけます。
暮らしのうつわ花田
https://www.utsuwa-hanada.jp/
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