#船見征二
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2月26日(日)の下野新聞。 「鳩と烏と」が県内のベストセラーにいれてもらってます。 写真集制作に携わってくれた方。書店で担当してくれた方。新聞、ラジオ、SNS、口頭などで紹介してくれた方。そして、購入してくれた方。 みんなに心から感謝しています。今後ともよろしくおねがいします。 👽👽 👽👽 #snapphotography #船見征二 #snapshot #スナップ #鳩と烏と #スナップショット #streetphotography #streetphoto #ストリートフォト #写真集 #utsunomiya #宇都宮 #栃木県 #アート #アートフォト #art #artphotography #japanesephotographer #sonyα7ⅲ #sonyphotography #みらいパブリッシング #下野新聞 #streetphotographers (Utsunomiya, Tochigi) https://www.instagram.com/p/CpJSoElvhE1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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※2024/1/24更新 1 新年早々死にそう 2 なんでもない僕にババアが3億くれた 3 父が中学生ラッパーに論破されました 4 僕の年収は芦田愛菜ちゃんの15分 5 母親の手料理がまずくて死にそう 6 世界を征服した上で責任もって平和にしたい 7 石田純一のサマーセーター 8 成人式に行く娘が小梅太夫そっくりでした 9 浅田魔王 10 ファック石松 11 スーパースケベタイム 12 赤面のどちんこ 13 右足が沼にはまって動けません 14 イナバの白うなぎ 15 小栗旬筋太郎 16 右手にコーラ 17 嘘ついたら針千本トーマス 18 ジャスティン��ーハー 19 天草大王 20 チンコフランダース 21 じっちゃんになりかけて 22 ヒデ中田と自分探しーズ 23 そんなことされたらタマランチ会長 24 しらすの底力 25 ビショビショ美少女 26 俺だけはセンテンススプリングを忘れない 27 シロマティー 28 冷たい爪 29 ピープルピープル 30 はんだごてお 31 マジックミラーマン 32 まいたけタイマー 33 概念覆す 34 M字おじさん 35 アナルじじい 36 お腹ヘルタースケルター 37 ペロペロ銀酸ナトリウム 38 ポン酢で目薬 39 安室波平 40 アーノルドシュワルツェネッガー改めアナルイジルホドセイシガドッバー 41 ユースケキャンタマリア 42 ちんこダイニング若 43 ワックス一気飲み 44 FANZA松之丞 45 ハリケンみきサブロー 46 みそクリームコロッケ 47 トゥルーマン翔 48 異次元の豚バラ 49 父は公務員 50 手コキうどん 51 冬の鬼 52 りんご定食大盛り 53 岐阜とカード 54 元ヤクルトレディ 55 壊れたメガネ使ってます 56 デビル夫人 57 コンジローム小林 58 おーい北海道検定 59 三本のシワ 60 ダリの贋作 61 美しすぎる受付嬢 62 永69輔 63 青春のアナル二等兵は夕方のコスモスに涙した 64 一蘭食ってまた一蘭 65 落合のカミさんのウンコ 66 パンティライン学園 67 時 任三郎 68 ピンクのお豆さん 69 論より証拠の大ライス 70 婆さんたまにはあんたが芝刈りに行ってくれ 71 ナースコール二連打略してN2 72 ずっと春休みでいいのに 73 パラダイス銀紙 74 睡眠時無呼吸症候群 75 行けたら行くマン 76 おっさんコロコロ 77 ゴメンなサイドステップアタックよしき 78 ハットリ三世 79 最近ココアよく飲むマン 80 スマホがないから友達ができないんだ 81 やっと目を見て話してくれたよ 82 ミッシェルガンエレファントカシマシ男 83 あなたのチンポお褒めします、ユアチンポ・ホメタゲル 84 森進一最高意思決定機関ポマト 85 船越英一郎の指なしグローブ 86 青梅などで人は死なぬ 87 買い物お手のものモノポリー 88 赤ちゃんのおしりふき 89 亀頭おじさん 90 棚からボッタボタ 91 金のマンタ 92 木更津ジャンキー 93 松平健プライドゼロネーム背中にはいつも幸せのポップコーン 94 雨粒マン 95 ベネットは静かに暮らしたい 96 木工用ジェームス・ボンド 97 今に見てろドッカーン 98 ガッツいちもつ 99 プラダを着たカズマ 100 ぱいぱいちっちゃ美 101 サイレント失格 102 扶養義務 103 アマチュアダックスフンド 104 佐藤たけらない 105 西野かなわない 106 松崎しげらない 107 ビーチ坊主 108 人工衛星 ひまわりの約束 109 仙台駅西口集合 110 懲役160年 111 前立腺四天王朱雀カウパー飲み放題 112 ちんたま乱太郎 113 チーズ撲滅派 114 島倉千代の富士 115 シリアナ・グランデ 116 掲示板で知り合った巨乳 117 ミミズぐちゅぐちゅ 118 北斗の健介 119 謎の存在Q 120 パチンコが生きがい 121 五臓六腑Tiktok 122 どうにもならんよ 123 一寸先はマグロ女 124 希望も何もない 125 テマンゲリオン 126 お萬田久子 127 へちょのすけ 128 レンジでチン太郎 129 本能寺の変態 130 はんぺんサムライ 131 ムダ毛処理大臣 132 試作品622 133 高膣圧ガール 134 ミセスチルドレン 135 君の黄色いマフラーになって吐息を感じたい 136 社交性ゲロ以下 137 シャーブ・ルース 138 デパ地下でパチカ 139 マスメディア大好きっ子ちゃん 140 落合のダッチワイフ 141 幸先ワルイージ 142 怪盗ソルト 143 大入袋 144 駄作 145 薄毛のロン毛 146 高速シンカーワ・優愛 147 私の傘だけありません 148 魔王の刺し身改め天ぷらという概念 149 雨も風も去れば僕の心に残るのは君だけ 150 ちんぽGメン 151 ダーツ部部長 152 甚六さんの宴 153 朝型忍言 154 おしゃクソ 155 ある女 156 橋本奈々未 157 私立探偵ふくないようこ 158 来世はアサガオ。 159 他力本願寺の子 160 毒霧記念日 161 ミートカーソルは��め 162 公園のロケット 163 ミニラーメン大盛り 164 便所ンソン 165 笑い屋キャリー 166 朝挿入 167 パンティ改めブラ 168 下痢 169 浦沢直樹目がイッてる 170 それいけ!残飯マン 171 今日の晩飯カレーとカレイ 172 しごく先生ま〜ら〜 173 元カレとのセックスが忘れられない 174 さだ馬刺し 175 Mr.いいひとどまり 176 明石のふしだら女 177 政府にとって危険な思想の持ち主 178 白石麻衣を思い浮かべてTENGAを使���たらそれはもう白石TENGA 179 金玉院巨大居士 180 溜め息と飲み薬 181 海外旅行に畳持参 182 親が浮気してる 183 耳ほじるり 184 テロリスト 185 嬉し涙じゃじゃ丸 186 シドジェット気流 187 雰囲気8点顔2点 188 ジョニー・デップり 189 手羽先コウ 190 AV大好き 191 中田花奈の五臓六腑に染み渡りたい 192 綾波レイ・セフォー 193 火曜どうですか 194 ゲスの極みオナベ。 195 いちご100%中の100% 196 平井堅fromヘル 197 東北自動車道 198 アホくさい北斎 199 あるある 200 佐藤遅漏 201 鳥獣戯画ジャクソン 202 おちんちん出しときますね 203 女の柔肌の温もりを知りたい 204 知らない土地の松屋 205 ドリンクバーメモリー 206 やーい、お前の母ちゃんドンキの店員 207 ピンフストロガノフ 208 ボランチは要 209 ぽこちんペニックス 210 熱海のたこやきマントマン 211 パンチドランカー斎藤 212 とある無職の糞童貞 213 五月みどりのシャツ黄緑 214 匿名希望(とくなのぞみ) 215 内山田洋とクールポコ 216 スタン・番宣 217 弔辞ルーカス 218 黒ひつじ 219 らりるれ論 220 まぜ餅 221 日本の子供たち 222 バクの耳を引っ張りたい 223 羊羹、羊羹、雨、羊羹 224 DJ口内炎 225 実績ゼロ 226 この世界の片桐仁 227 白の金字塔 228 確変ベイベー 229 左目からコーヒー 230 セルジオ越後の日本語講座 231 ギンギンしてんじゃねーよ 232 ブスだ三日で慣れろ 233 チンポフラペチーノ 234 借りぐらしのチピロッティ 235 おかあさんといっしょ。そう、今も。 236 ロー��は一日にして奈良漬 237 うんこ大将軍46歳会社員 238 熊木丑五郎 239 身から出たサバ 240 釈迦ベイベー 241 ぶつぶつ二の腕 242 しくじり先生にのりピーを 243 慰謝料払えバカ 244 食べるサラダ 245 雪への憎しみ 246 タキシードは風に舞う 247 満腹亭いなり 248 脱糞名人 249 ゆっくり勃起 250 人 251 沼袋 252 オッス、オラ、山村紅葉 253 デカいカマキリ 254 ブラザーフッド・オブ・スティール 255 ミヒマルED 256 ポストカードクラフトスマン 257 金玉 258 ジェントルマンコーラ 259 マニー・タッキャオ 260 髭剃りジョニー 261 変態改め変わった態度 262 聖なる靴下 263 膝に爆弾 264 エレファントかさ増し 265 滝川に栗捨てる 266 サッポロ百番 267 目には目をハニワ顔 268 三度のメシよりサンドイッチ 269 軍手のイボ対ロシア女 270 綺麗な花が好きだから 271 イボ痔 272 もうダメだな 273 僕のアソコはガンダムSEED 274 アソコ・デラックス 275 遠山の金さん銀さん 276 人は、いずれパイナポー 277 僕のことはほっといてください 278 人はいずれ死ぬ 279 私は再生紙で出来てます 280 人間はもう終わりだ 281 じっちゃんの顔にかけて 282 チョコモナカジャンボウンコ 283 俺は神を見放した 284 都立前立腺 285 ヘッドフォンマスターピース 286 僕は絶望の中にいる 287 ラッパーザキバチョフ 288 おやすミッフィー 289 ひょろ長いアネモネ 290 五軍の突撃隊長 291 崖の上の船越 292 フクロウのから揚げ 293 ノンフィクションあつみ 294 悶絶 295 犬の心 296 無回転観覧車 297 爆笑問題の大ファン 298 大黒柱オレオ 299 ダマシ屋 スケシン 300 市川海老反り 301 キューティクルは死にました 302 昔も良くなかった 303 目から鱗滝 304 回らない観覧車 305 アイルトン背中 306 ベンジャミン羊肉(マトン) 307 性犯罪者予備軍(離婚断念) 308 口癖はソイソース 309 大きめの犬 310 犬は先に死ぬ 311 アナルパールなにわ 312 豆腐小僧 313 おかずバナナ 314 フィニッシュ丸 315 需要もないのに勝手に供給 316 本名OKミゲル・マクドナルド・池上 317 オナ��誓いウォーカー 318 クジャクのジャック 319 DJ本田医師 320 パパ活この指とまれ 321 遮るブルーギル 322 村上春樹 323 年収5万 324 ケツ出しエッフェル塔 325 直腸三銃士ポリープでき放題 326 藤原基央スマブラ参戦 327 しおふきんちゃん 328 部分積分いい気分 329 ルサンチマン 330 あの角曲がれば恋の予感 331 さかいわさび 332 帝国歌劇団ひとり 333 離婚寸前 334 ガイルガーゴイル 335 あの日、知恵熱が出たんだ。 336 正面からのダメージに弱次郎 337 環八太郎 338 指紋食べ郎 339 君はチョップなんて効かない 340 パンケーキで浮かれる人だけを見下してます 341 ニューヨークにゃんちゅうス 342 テンガリオン 343 汚い手でいじりました 344 山口火照る 345 むけ男 346 角質炒め定食 347 股関節痛 348 チーズケーキ夫人 349 ラッコフェスティバル 350 ガン勃ちの巨人 351 弟はバカ 352 七転びヤモリ 353 ポテチ食べたいあとモテたい 354 口はざわちんの元 355 タンパク質に花束を 356 ソンソンソンソンエマワトソン 357 江戸川区になんの恨みがある 358 形状記憶老人 359 すべての道は女性器に通ずる 360 だいぶ強い良い大仏 361 センズリ 362 バカも休み休みyeah! 363 遥かなる花粉症 364 ボールは家族 365 へびつかい座 366 無知な豚キムチ 367 塩 368 私はセンテンススプリングを忘れない 369 寂しさが生きる原動力 370 半ケツズバットルロルロロ 371 ラッセンの元カノ 372 おばあちゃんの本名OK海老沢ミツ 373 おもちもちもちももち 374 女房一筋八十年 375 ひろだ☆つの 376 仮釈放まさみ 377 君に降る雨はいつも輝いている 378 手乗り番長 379 最中を食べてる最中 380 友とスムージーと嘘と胃袋 381 犬大丈夫 382 コッペピンポンパン 383 蘇る倦怠感 384 シーズン・イン・ザ 385 石原頑張れる 386 ファンタスティック原田 387 夜嫌いの夜行性 388 アサガタ蚊サス 389 ハウルのすごく後ろ 390 ニーヌ・マッケンジー 391 本名トム・クルーズ 392 寝ても覚めてもダメ人間 393 青いブルマ 394 桃色苦労ババア 395 天真爛漫なブス 396 孤独なコンビナート 397 セッチモニ 398 ねぇ、おぬしって言って! 399 東洋のマゾ ユースケ・キンタマクラ3世 400 ロマンティックえねごり 401 お金がない 402 抱きつかれたのにキスを拒否された 403 ワーギナーマイク 404 老婆の肛門 405 前世が金玉 406 そんなことしてる場合じゃない 407 中田膣彦のコンドーム大学 408 藤田悦しーたん 409 もっこりひょうたん島 410 雪が綺麗と笑うのは君がいい 411 少年カラーに染まったあたし 412 ティッシュ職人水戸アナル 413 ケツデカマシーンの母 414 近江路快速 415 弱みを握る寿司屋の大将 416 チンポ剥けなくていいから君に振り向いてほしい 417 しろくまのバター炒め 418 スケスケ・パンチライン 419 むちむちプリンアラモード 420 鳩子は授乳中 421 オナラ・ダスチカ 422 舘ひろし 423 ももぐちやまえ 424 ご先祖ネーム勝又伊左衛門 425 ウルトラマンキダタロー 426 親の陰毛 427 ジャムおじさんとバター犬 428 お前って呼んでいいよ 429 レッドa.k.a.赤 430 脱糞ガム宮殿 431 私の肛門おとしてくださいマイアナル蔑んで 432 激アツうんこの子守唄 433 坂口ケンタウロス 434 ブランキーじっとして 435 内角低めゴリラ 436 尿道院法尿道 437 神のみぞ知るカニのみそ汁 438 もずんのす 439 等身大ゴリラ 440 手が2本増量したっぽいしっとりマンチカン 441 家政婦エツコさんが作るフォーサイドで大ブームのいちごとうふ 442 既婚者トーマス 443 光浦靖子か、光浦靖子以外か 444 光浦靖子(偽物) 445 室伏広治(本物) 446 お前はどうしたいの? 447 母をたずねてさぁゼンリー 448 漁夫の利 449 家入レオタード 450 オダジョリギー 451 読んでも来ない 452 困る駒 453 おシャケは二十歳になってから 454 おもしろリスナー 455 ガンジー須川 456 全知全能のクズ 457 団地妻になりたい 458 甘いものはベルばら 459 なにぬねノーブラ 460 キャタピラなぎさ 461 飛んで火にいる夏の寿司 462 土佐犬人間 463 ぽんぽこマヨネーズ 464 馬のクリに念仏 465 Simple2000シリーズ THE 罵倒 466 CR源氏物語 467 シン・安住紳一郎 468 すみっコひとりぐらし 469 ねぇねぇ尾身さん 470 多目的トイレの神様 471 防災乳首 472 腰椎ガタガタ 473 毎日がサンデー 474 カルマだん吉 475 エロゴルファー猿 476 トラファルガー・ボディーブロー 477 裏スージーQ 478 でかいカマキリ 479 私は人ではない 480 カンガルー男 481 核地下庫 482 壁に耳あり障子にメアリー 483 恐竜バットヘッド 484 スーチン大統領 485 細工しても不細工 486 持ちビルハゲ太郎 487 男の中の男 488 万年金欠ストリッパー 489 クソみちょゴリラ 490 お湯の水割り 491 そこのけそこのけあそこの毛 492 泉ピン 493 切断面からこんにちは 494 巨乳ゆずる 495 ベントレー上重 496 林家三百平 497 浦安チンチン裸族 498 昼休みのおちんぽ訓練兵 499 人類は600人 500 継続率 501 同じ釜の釜飯 502 健介コストコ行ってこい 503 神社&お寺 504 頭取 505 赤羽ザウルス 506 スラッシュパウロ 507 逃げるは恥だがやくみつる 508 大福包み放題 509 クイニーアマンマン 510 裏筋ナメ太郎 511 プラトニックラブファントム 512 豆山ビーン 513 漢委奴美穂 514 ポーク&ビーンズ 515 チンポコポッコリーン 516 アイアム神社 517 モモンガ 518 玄人チェリー 519 坂下レッドホット千里子 520 エレガントナノマシン 521 膝の皿チュパチュパ 522 見て肛門 523 まんじゅうも怖いしアンミカも怖い 524 ナオト・いもけんぴライミ 525 はぎおはぎ 526 島流され男 527 水漏れかおり 528 高速生焼けジビエ 529 都会の小学生 530 ハッスル運動会 531 うんちぶりぶりステーション 532 凍ったチンポブレード 533 太もも丸太にしたい 534 マザファ寛平 535 肉、買い、食う 536 ツッコミロボ 537 人生ガチ勢 538 左手は添えるだけ 539 魁!河合塾 540 うんちパフェ 541 おでこサンシャイン 542 場所は伏す 543 黄昏の憧れ 544 野良ゴリラ 545 おかかオかかお 546 酸欠ですがなにか? 547 小島瑠璃男 548 新品の靴下についてるアレ 549 花より談合 550 トリケラとブス 551 本格派茶碗 552 でんでん推し推し空回り 553 明太子は炙ったほうが美味しい 554 扁桃パンダ 555 プリングルス玲奈 556 呼ばれてないけどジャージャー麺 557 ガパオライスは飲み物 558 足の小指くらい存在感のない僕 559 サモハン銀行 560 マッケンじゃないよ、マッキンの友達のユッキンだよ 561 君の名はジャイアン 562 月曜からおひたし 563 まえだまえだはお前だ 564 ワイルドピッチは突然に 565 傘のない時だけ雨が降る 566 畔村重蔵 567 W.Cニコル 568 懲役230年 569 かさ増しチャーハン 570 スライダーは中指で切る派 571 大塩pay八郎のお味噌ディル 572 モモコグミカンパニー 573 力持ちチンコ 574 うんこ製造マシーン 575 クソ豚ニート 576 湯婆婆は元女子アナ 577 ゴールドジム・イデア店 578 来世暴れる 579 山里納税 580 三杯酢アイル 581 花言葉は純愛 582 テレビは4K旦那は0毛 583 窒素 584 宇宙の仕事 585 鷲見玲奈 586 角栓しゃぶしゃぶ 587 潔癖北京 588 お便り 589 HLLSPDF 590 よしこは三銃士 591 レンネンカンプ 592 広島の喧嘩最強王 593 もこう大好き衛門 594 東京都 595 澤部派 596 ボールペン返して 597 川合俊一Tシャツ 598 原告側のたぬき 599 新垣結衣 600 化粧を落としただけなのに 601 腋臭で水虫 602 睾丸フリーマン 603 三代目鈴木福くん 604 劇団筋肉おしり 605 尻の穴に軟膏 606 母をたずねて前立腺 607 骨太クソ女 608 渡辺パチ代 609 伯方の塩吹き 610 酒税 611 敏感ペットボトル 612 今いくよ・だすよ 613 トナカイをむさぼり食うサンタクロース 614 ノルウェイの森進一 615 鬼滅のパイパン 616 お小水 617 ベッキーのタッパー 618 不幸中のWi-Fi 619 オビ=ワン・セノービ 620 おへそにたまった水 621 レアルマヨネーズ 622 正岡子規の顔下から見るか横から見るか 623 山の日 624 ハウススタジオ 625 自分の事すら他人事 626 妖怪小皿洗い 627 女教師 628 教習中に信号無視 629 瀕死の囚人 630 銀河鉄道69 631 キューピー3分ボクシング 632 君が代のCメロ 633 可愛い子にはタピを飲ませよ 634 サメ呼吸 635 タッキー&与沢 636 冷やしうんこぜんざい 637 はみ出しチンアナゴ 638 武者小路膣圧 639 角刈りだけど中身はキムタク 640 本当にうっせぇわなのは宮根誠司だけ 641 恵俊彰は許さない 642 寺門ジモンを心から憎んでいます 643 ニコ田藤ル 644 優しさ 645 煮込みチンパン 646 千のリキュール 647 火傷したんやけど 648 カギアナ・アワンデ 649 醤油ラーメンガチ勢 650 翠星石のマスター 651 ゴジラの馬子マゴラ 652 牛乳雑巾 653 飯ライス定食 654 カレーに飽きた福神漬け 655 全優連時々運荷連 656 土に還るまでが遠足です 657 若ハゲの至り 658 東を向けば西が見えない 659 フランスパンを桂剥き 660 オッス、オラ虚空 661 山口県は世も末 662 ビデ男爵 663 道端センズリカ 664 家出レオ 665 遊ぶ金欲しさに 666 胃潰瘍の末裔 667 ソーシャル・D・スタンス 668 神奈川県町田市 669 手汗が半端ない 670 家中ゴミ袋 671 101匹わんちゃん大交尾 672 おジャ魔女平野レミ 673 一秒金縛り 674 マイケル寂聴 675 キリン組 676 バッキンガム留年 677 乳首かじり虫 678 馬の脇毛 679 タガメの便器ん術士 680 クニック・ノーサック 681 お前らの墓に小銭まいてやる 682 餃子DOPENESS 683 ようこそ西川口 684 歯を磨いたのにお菓子食べちゃう 685 イソジンの匂いとタバコの残り香 686 榊原育英会 687 隠し砦の酸辣湯 688 生き生きゾンビ 689 オードリーが壊した椅子 690 万策尽きた 691 ずっと微熱 692 バタ子の苦いところ 693 国家の柴犬 694 SSR藤本 695 おじゃるばつ 696 バツイチ子持ちししゃも 697 富岡製糸ぶっかけ工場 698 小峠英二の下の口 699 フナの解剖 700 村上ホームラン打ったよ 701 無し 702 田中樹の全てが大好き 703 闇金ぺんてる 704 目を閉じておいでやす 705 伊達メガネ政宗 706 北風と太陽vsエアコン 707 好き好き大好き超愛してる 708 不味い高い早い店 709 リチャードセカンドギア 710 ギャンブル大好きネキ 711 あいつら全員町内会 712 山下じゃない達郎 713 井口マリ男 714 今日の放送聴いてなんかヤバいなと思ったおじさん 715 オワコンポンチ 716 松尾微笑 717 留置場住みます芸人 718 ピーマンの箱詰め 719 最初はグーテンモルゲン 720 おっぱい���ァイヤー大爆発 721 知ルベキダー・家ローン 722 ヒザが爆発 723 下から数えたほうが早い 724 小2で盲腸 725 百発七中 726 トモ・クルーズ 727 アダルトヒデオ 728 略すマサムネ 729 骨盤ガクガク 730 素直なお茄子 731 真空パック巻旋風脚 732 今朝、袈裟切り 733 タイトルショルダー 734 本名OK柴田理恵(4歳) 735 バタコの苦いところ 736 下の毛姫 737 母の純血を奪った刺青の男 738 チンカス弁当まる 739 ブルルンでんまくん 740 ボジョレー女房 741 あいうえお 742 ガキの腰使いやあらへんで 743 ブルーノ・マーズクワーズ 744 平成手コキ合戦チンポコ 745 めんま1/5 746 よい子悪い子どうでもいい子 747 セーラー服と一晩中 748 エド・スリーラン 749 篠田麻里子 750 うなぎニョロニョロ 751 チョーシ・クルーニー 752 ハーメル・チンダース 753 生ハムの裏側 754 ミトン大好き婆さん 755 紫敷布団 756 蘇る頻尿 757 オレンジレンチン 758 しまいにゃポコチン 759 持ち物は磁石 760 中身はダンゴムシ 761 オレンジジュースで泣けてくる 762 服おっきいね 763 股間のデビルハンター 764 令和に着地 765 あかあかあかちゃんです私は 766 HLLSPD 767 ポン酢アンドハーデス 768 煉獄ガチアンチ 769 1日中空いてます 770 ごめんなサイスニード 771 赤味噌は報われてほしい 772 デッドリフト 260キロおじさん 773 ガショートコラ 774 お主と拙者と洗濯物 775 犬のしっこで育つ 776 カレーに飽きた福神漬け 777 チンポコジャンケンあいこでしょ 778 ガチの妹 779 クワトロ・ヴァギーナ 780 小麦粉に埋もれたい 781 脳味噌の調子 782 下柳に投げつけられたグラブ 783 iPhoneシャワー 784 チー牛の嫁 785 けつあな確定 786 ちんこタイ米 787 常識を知っている初ガツオさん 788 レオナルド・デカケツプリオ 789 上地雄輔大好きっ子ちゃん 790 ヒカルの碁が好き 791 下痢コーンひじき 792 おちんぽラーメンパワーメイクアップ 793 逆アフロ 794 ガダルアナルチャハ 795 マーライオンにキス 796 広島の最強喧嘩王 797 牛タンのたまった落とし穴 798 ツァリ 799 100キロニキ 800 ガチャピンの股間がムックムック 801 ミスチル桜井 802 2個で10円 803 御茶ノ水全部飲んでみた 804 祖母から産まれた孫 805 じっくり煮込んだチンパンジー 806 失楽園ベイベー 807 イヤホンしてるから君に気付いてないだけ 808 ヌレヨンちんちゃん 809 お通しでお腹いっぱい 810 ドッジボールは常に外野 811 ビビンバにビビんな 812 アムラーに乗り遅れたサーファー 813 皿で皿を洗う 814 まさかのサメと遭遇も余裕シャークシャク 815 カツオの袋叩き 816 非社会勢力 817 裸眼の目玉焼き 818 不健康運動 819 ダスチンコフマン 820 ジョンダイナマイト 821 ロマンスカーに乗ったフレンチブル 822 金玉コレステロール 823 派遣のサンタ 824 なかよくいこうぜ 825 前蹴りジャクソン 826 左右非対称の唐揚げ 827 福山はさまる 828 シーマン大量確保 829 イカ作家 830 タマ白髪 831 ちんこそば 832 高田文子 833 机の行方 834 セクシャル汁男ディズム 835 失恋したら絨毯を洗え 836 上田晋也の隠し子 837 木村カポエラ 838 チャームポイントは蟻の門渡り 839 サーモンの煮付け 840 柄本マルチタスク 841 ベルリンの壁ドン 842 Shape of 優 843 尿道まだ攻めてる途中でしょうが 844 ヤバイチーズ屋さん 845 ひらがなでこしいたい 846 タカチャンホンポ 847 ビニールおっぱい 848 熱血硬派鶴屋くん 849 先っぽで精一杯 850 パンダの好きピ 851 童貞紳士 852 虎の屁を嗅ぐ狐 853 ジュンドルキャン 854 センズリッチ大学 855 グッドナイトボーイ 856 ブラ紐ザウルス 857 浜ちゃんのフレンチクルーラー 858 警察 859 おばあちゃんにドラゴンスクリュー 860 愛をこめて生卵 861 ハリーポッターと賢者タイム 862 秋元産むが易し 863 質実剛健 右乳首カリカリ丸 864 お寿司爆発事件対策本部 865 マイブラッディ派遣社員 866 キンタマモンダミン 867 ボサノババージョンですがよろしいですか? 868 現役音大生ベーシストジャニーズJr.(本物) 869 ザク専用シャア 870 乳袋揉み太郎 871 生肉食べたい 872 チンタン 873 ラリホー 874 堕落ッマ 875 来世はちゃんとする 876 マリー洗濯ネットさん 877 2度目の結婚 878 マジで腰振る5秒前 879 寝バック・トゥ・ザ・フューチャー 880 当社比100% 881 アクセルペダルぶっ飛ぶ 882 最寄りのホテルはエアシューター 883 ��リッとウンチくん 884 屁の呼吸 885 超社会人 886 笑い方バッファロー 887 HIRUASOBI 888 でかきも 889 あらやだ奥さん 890 ぱいぱいしぼ美 891 永久ラブソング 892 ファックス 893 一旦木綿豆腐 894 ヘガ・デルト・ミガデル 895 限界受験生 896 釈迦に説教 897 僕のエーローアカデミア 898 お線香のハサウェイ 899 公園のベンチでひとり飯 900 岸田文雄 901 春はあけぼの、僕はのけもの 902 スヌーピーナッツ 903 ショートスリーパー美神 904 お胸パット・メセニー 905 あの娘としてからチンポが痒い 906 ミュータントギャートルズ 907 サカサマサカサ 908 リリーフランキー堺すすむ 909 はんぺん教師 910 いちばんきれいなひらがな 911 遠い国の音楽 912 隠キャのインポ 913 具なしパスタ 914 靴紐の干物 915 エリートなのに複雑骨折 916 全裸で南極に行く 917 ジェネリック美人 918 ルービックキューブかと思ったら親戚のおじさんだった 919 愛しさと切なさと森高千里 920 シュッとしたデブ 921 焼酎スーパーノヴァ 922 くだらない質問 923 ガス100000 924 絵に描いたような馬鹿 925 爪切りの世界大会 926 ラッキーサモエド空間 927 ウーピンゴールドバーグ 928 シャクレンジャー 929 クソみたいな人生 930 最近は二足歩行 931 気づかない女猛省中 932 夜は腹減りさすればお米 933 セーラーフレディーマーキュリー 934 スープよりソープが好き 935 ガッツイチモツ 936 松潤 937 漁業従事者 938 俺の爺さん今でも髪フッサフサ 939 扇風機ぐるぐる 940 節穴確定 941 色白のどちんこ 942 きら星もろり 943 カリフェラ君 944 アジの開きを開かせない協会会長 945 生麦生米訛った孫 946 鎖骨真っ二つ 947 ボインランドリー 948 最寄りのホテルはエアシューター 949 うんこママ 950 元ラストアイドル 951 あっちいけコンディショナー 952 ユーモア0男 953 控えめなピース 954 げきしこジャパン 955 鼻糞マニア 956 林家東南西北 957 ブンブンセックス(56歳) 958 神聖しこってちゃん 959 カマンベールチズ男 960 藤森慎吾は楽しんご 961 前前前戯 962 ブスは恥だし角が立つ 963 生肉食べたい 964 シーマン大量確保 965 頸動脈 966 都会の駄菓子屋 967 ピカソの本名は長い 968 名探偵ゴメン 969 ヒステリックブラジャー 970 故郷は地球 971 むらむら帝国 972 生エビ10貫 973 紐パンツドキドキ 974 長男なのに痔なんです 975 すすめ!パイケーツ 976 フレッシュレスバーガー 977 ヅラグループの夢社長 978 二階からメタリカ 979 メーロン・マスク 980 あのこは鳥貴族 981 射精爆弾 982 よつ葉乳業のパンケーキミックス美味い 983 魚が焼けたけど食べますか? 984 お先真っくライト 985 腰痛本舗 986 混ぜそばは混ぜるな 987 鶴の倍返し 988 コブクロに謝れ 989 スヴェンソン広報部 990 オジンゲリオン初老機 991 ホシゲノン 992 血圧高杉晋作 993 ビーフガノンドロフ 994 肩関節えぐ子 995 過労キティ 996 どうせ俺様なんか 997 週4下痢 998 いいとしのエリー 999 母乳で作ったヨーグルト 1000 藤井壁 1001 コアラで子洗う 1002 エアグルーヴの足の指の間を舐めたい 1003 ササミオリジナル 1004 ほぐし水サワー 1005 放尿魔 1006 中出さない犬 1007 犬と歩いて棒を避ける 1008 蘇った梅干し 1009 頼むから目を覚ませ 1010 尿 1011 鮫洲の3Bの検査官が出てるAV 1012 アソーカタノ子 1013 ニートたけし 1014 スケベイスで椅子取りゲーム 1015 キャベジン激辛ハバネロ味 1016 フル勃起大学 1017 筋肉にメロディー 1018 間違ったSDGs 1019 半勃ちひろし 1020 クリス松村アローラのすがた 1021 食える公園 1022 ルンバに積もったホコリ 1023 白雪姫と七人の悪魔超人 1024 バイオ山村紅葉 1025 パイ乙付け難い 1026 寝溜めカンタービレ 1027 猫の乳搾り 1028 大鶴VIVANT 1029 テンガをクンニする男 1030 OL(お風呂屋レディ) 1031 もりもりうんこくん 1032 わくわくうんちくん 1033 瑠璃色の海 1034 錆びたコーンスープ 1035 セーラー服と一晩中 1036 ジャンヌ・ダルシム 1037 猫にカート・コバーン 1038 水金近本同点タイムリー 1039 振りすぎファンタ 1040 山口もえ大好きっ子 1041 ブラヒモザウルス 1042 風呂上がりの夜空に 1043 尿ひろみ 1044 ふくらはぎゴツ子 1045 向井しか勝たん 1046 ダイナミックファイター 1047 愛のままにわがままに僕は着るものを身に着けない 1048 豚プードル 1049 イルカドラゴン温泉 1050 痔には���ライフォース 1051 どちらかというと揚げシュウマイ派 1052 なに見てんだてめえ 1053 ナイス国務長官 1054 象のつま先 1055 ちゃんこちゃんこちゃんこちゃんこ 1056 よくしまるひろこ 1057 消しゴムマジックでも消えない愛 1058 乾燥えぐすぎ 1059 窓から茄子 1060 トマト栽培者 1061 窒素 1062 ふがふがふーがふが 1063 若いキツネと淫らなタヌキ 1064 すっとこおむすび 1065 心斎橋のブロッコリー 1066 しゃかりきコロンブス 1067 どうだ世界は広いだろ 1068 パラダイス楽園 1069 るーしーそみお 1070 100点アメリカ 1071 10秒ペテン師 1072 突き指 1073 習字の時間 1074 連れてってクリオネ 1075 布製の醤油差し 1076 おぴんぴん 1077 田中の部屋の住人 1078 ジャミロ村井 1079 好物の寿司ネタに赤身ない銀次 1080 帰る場所がない 1081 変革者フューチャーマン 1082 飛べない紙飛行機 1083 ホ別パンナちゃん 1084 木パンツハンガー 1085 前立腺隊マッサージャー 1086 トシフィコ横浜 1087 谷間の中の谷まりあ 1088 自転車乗れるかな 1089 股関節爆発 1090 D-51ですら泣く出来事 1091 肩関節えぐ子 1092 ありがとんこつラーメンパラダイスどっこいしょ 1093 こけしだけが話し相手 1094 ゴミ野郎 1095 嫁が実家に帰った 1096 正直スマンかった 1097 実家が太い 1098 利息で暮らそう 1099 俺に期待するな 1100 痔主 1101 NEXT膝小僧 1102 一円からの全身脱毛アンチ 1103 ぽんず侍 1104 大惨事のヒロイン 1105 屁出るとすげえ出る 1106 陰毛ごはん 1107 下白石ラテ 1108 オチンポス16闘神 1109 奥歯ガタガタ言わせ太郎 1110 ミッドナイトに大乱闘 1111 ケンティー2世 1112 名探偵コカン 1113 私の彼は御用聞き 1114 俺に憧れるのをやめましょう 1115 保安官 1116 おなかすいたよ 1117 もう小学生 1118 すき家しか勝たん 1119 ファーストサマースイカ 1120 カードキャプター桜田門 1121 タマの痒み 1122 寿司繋がり2連 1123 毎日パンまつり 1124 細麺パラダイス 1125 にじゅういんひかる 1126 乳首をいじったら花粉症が治った 1127 揚げ出し毛布 1128 筋肉ハイビスカス 1129 滝沢アヘン 1130 仕方ないな、タカシ 1131 人生フィルダースチョイス 1132 世界の中心でマシュマロ焼いちゃお 1133 錆びたコンパス 1134 ヘビースモーカー中将 1135 ピラニアの干物 1136 メッシの通訳 1137 日経平均パスタ 1138 ルシファー吉岡里帆 1139 クッキーばばあ 1140 炊きこまれた白米 1141 中型犬ハチコ 1142 踊れない方のTAKAHIRO 1143 ブサイクルショップ 1144 ミラノ風のび太さん 1145 受験失敗したあとの人生 1146 ABCD?いいえ、藤井 1147 みすぼらしいチンコのリーダーズ 1148 血管一方通行 1149 廉くんの鎖骨に住みたい 1150 ハートを奪われたこけし 1151 句読点の女 1152 とりあえず南無 1153 光バイト募集中 1154 五月雨を集めてハヤシライス食う 1155 コンビニの前でたむろなみえ 1156 ジャンヌ・ダルシム 1157 独特な髪型 1158 お茶飲み過ぎ博士 1159 ピンク風呂色 1160 男の人っていつもそうですね 1161 オセンベイ・オリバ 1162 馬術部手術中 1163 さすらいの鶏肉 1164 チェ・カピバラ 1165 アンジェラアキ(Bluetooth機能搭載) 1166 こけしだけが喋り相手 1167 かいみょん 1168 食パン食べたい 1169 三度の飯よりガリガリが好き 1170 夜ごはんはオムそば 1171 ゴリラババア 1172 悪代官の子孫 1173 ムックの法則 1174 好きなガムはジュードベリンガム 1175 戸塚ヨットスクール生徒 1176 左遷島耕作 1177 周富徳のシュート見とく 1178 夏目尿石 1179 徒歩100分 1180 ヨーグルトは俺のもの 1181 橋本パンダ 1183 足が痺れた中3女子 1184 昼の女帝 1185 パパは金持ち 1186 茄子皮に転身 1187 習字の月謝 1188 試作型プロトタイプ 1189 サタデー太鼓フィーバー 1190 頭蓋骨窪み 1191 歯茎の再生能力 1192 ドクロ坊主 1193 三代目CHAGEandASKA 1194 口だけ女 1195 水分 1196 痩せたら深津絵里 1197 社会不適合犬 1198 メイキングTHE道路 1199 Xの二条城 1200 つくねをつっつくね
好きなラジオネーム1200選 - kansou
ラジオ,ポッドキャスト,投稿,ゲスナー,視聴者,ラジオネーム,ペンネーム,サンドリ,サンデーナイトドリーマー,有吉,太田上田,
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推し活、ローン、パパ活
その子と知り合ったきっかけは、マッチングアプリの中にある募集文だった。
サイトでの名はゆまだった。
「水曜日、助けてくれる人」
マッチングアプリをやってる者の大半はこの文面でパパ活目的の書き込みだと察する。
自分も例外ではなかった。
住んでる場所も近く、写真も二十代半ばの年相応な姿だったからコンタクトをとってみることにした。
当時財布の中は万札でいっぱいだったからだ。
返信が来たのは水曜日の夕方だった。
その時は地元から離れたパチンコ店でたくさんのメダルを獲得している最中だった。
遅くなってすみません。なんて言葉もなく、一方的に二十時にここの駐車場に来れますか?なんて内容だった。
ちょうど連チャンも終わりに近づいた頃で気分もよかったから了承した。
くら寿司で軽く食べて高速道路を走らせる。
その日の午前に別な女性と会っていた事なんてとうに忘れていた。
指定された駐車場に着いて車種や色をメッセージで送る。
時刻は二十時まであと十分ほど。
こういう場合返信が来るのは二十時を過ぎてからだ。
今回も例外ではなく、二十時を五分過ぎた頃に連絡が来た。
間もなく着きます。
すると車の前を若くて細身の女性が通り過ぎた。
恐らくはこの子だろうと思ったが、しばらく様子を見ることにした。
ナンバー教えてください。
そうきたのでナンバーを伝える。
やっと気づいたのか助手席側へ来る。助手席の窓を開けた。
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
車に乗り込む。
写真よりも表情がやわらかいなという印象で思ったよりも色白だった。
「暑いですね」
「ほんとだね」
何てことのない会話をしてホテルへ向かうが、そこは混んでいるのか開けてないのか空いている部屋がなかった。
「ちょっと遠くでもいい?」
「いいですよ。そこ行ったこと無いし」
その返答からアプリでよく人と会っているのかという話になった。定期的に会う人はいたがガチ恋をされ、めんどくさくなったので新しい人を募集したらしい。
話すときの身振り手振りが大きいなと思った。
「恋愛とかいらないんで」
「彼氏ほしくないの?」
「うーん、推しがいるからそれどころじゃないかなぁ」
聞けば推しというのは女性地下アイドルらしく、月に最低でも一度は東京へ行っているらしい。他にもジャニーズのライブにも行く予定があったりと、所謂遠征というものにお金がかかっているようだ。
二軒目のホテルへ着く。空室が多く適当な部屋に決めて車を停める。
ウェルカムドリンクを選ぶと向こうが風呂を溜め始めた。
「お風呂入ってくれんの?」
「普段入らないから」
「まあ一人暮らしじゃ入らんよな」
「だからさ、お客さんが先に溜めててくれるとラッキーってなる」
「お客さん?」
「あっ、あたし、たまにデリやってて…」
「へぇ」
よくあるパターンだ。
「店での名前もゆま?」
「違う」
「なに?」
「店バレちゃう」
「バレて何か不都合でもある?」
「確かにこんな関係だしね。こゆきだよ」
「いいね、色白だし」
「なんか古い名前だよね」
「全国のこゆきさんに謝れ」
「はははっ」
「ついでに聞くけどさ」
「うん」
「ほんとの名前は?」
「えー」
「言いたくなきゃいいよ」
「反対にしたいいよ」
「なにを?こゆきを?」
「違うよ、アプリの方」
「まゆ?」
「それにみをつけるといいよ」
「まゆみちゃんか」
「そう」
「俺は」
「大丈夫、あたし名前で呼べないの」
「はっ?」
「彼氏のことも名前で呼んだことない」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
「なんて呼ぶの」
「ねぇ、とか、おい、とか」
「おいはやめなよ」
そんな話をしていたらウェルカムドリンクが届く。
まゆみはりんごジュース、俺はオレンジジュース。
どちらも笑えるくらいに薄かった。
髪を撫でながら唇を重ねる。舌を絡めてきたのはまゆみからだった。うっすらとりんごジュースの甘酸っぱい風味がする。
風呂が溜まってきたようで、二人で服を脱いだ。
「あたし、胸とおしりは褒められるんだ」
「確かに綺麗だと思うよ」
湯船に浸かって後ろから抱きしめてみる。
柔らかい肌と香水の香りが官能的だ。
風呂から上がってベッドに入る。
「耳はやめて」
とだけ言った。
あとはもう自由にした。
互いに果てた後はダラダラと話した。
隣県出身で仕事の転勤で俺の地元に赴任した。今年の九月で三年目らしい。
「来週名古屋に行ってくる」
「アイドル?」
「そう」
「デリを始めたのもアイドルのため?」
「それもあるけど」
「他にもなんかあったの?」
「親に車のお金出してもらってて」
「車買ったんだ」
「そう、三百万したのを立て替えてもらってて」
「その返済?」
「うん、親に返すために最初始めたの」
「今の仕事稼げないのか」
「全然稼げない。大手だけど」
どうもやるせない気持ちになった。
親に返すためのお金を親には言えない形で稼ぐ。
俺は親に頼りっきりだ。
まゆみの髪を撫でながら、ぼんやりと部屋の天井を見た。
スマホにメールが届く。午前会った女性から���を貸してという内容。短文を送ってスマホを置いた。
「お腹すいた」
まゆみが言う。
「今の時間やってる店ないよな」
日付が変わっていた。
「コンビニかすき家」
「すき家寄って帰るか」
「うん」
そう言って二人で浴室へ。温くなった湯船に浸かりシャワーを浴びた。
服を着た後に愛しくなって長いキスをした。
LINEを交換して部屋を出た。
すき家までの道中手を繋いだ。
「好きにならないでね」
「ならないよ」
すき家で牛丼とお新香を食べるまゆみが無邪気で可愛らしかった。
まゆみを部屋の前で降ろす。
次に会えるのは再来週頃らしい。
眠そうにあくびをしながら手を振って別れた。
祭りが終わった街中を飛ばした。
胸の中にざわつきがあったが、二三日でなくなった。
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでいくなかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていたアメリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や���見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場��るのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイルが違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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2023年10月14日(土)
東京で本寸法と人気の<三田落語会>、意を決して初めて伺うことにした。昼席は<入船亭扇遊・古今亭文菊>、夜席は<柳家さん喬・露の新治>という豪華版、とくに夜席のさん喬師は2席とも初めて聞く噺で大満足。東京の落友Nさんとご一緒された友人は、なんとInstagramでフォローしている落語好きの女性とわかってびっくり。交通費も宿泊代も、十分に元を取れた東京遠征であったのだ。
5時起床。
日誌書く。
朝食。
洗濯。
ツレアイに残りご飯でおにぎりを作ってもらう。
息子たちに留守番を頼み、今日は東京落語遠征だ。
京都駅を10時30分に出発、ランチは車内でおに���り、品川で乗り換えて浜松町まで、駅を下りてすぐのところにある<文化放送メディアプラスホール>が今日の会場だ。
13時30分開演の昼席、席は最前列の右端、いささか舞台が見にくい。前座の入船亭扇ぱいは扇遊師の4番弟子、なんとNHKのアナウンサーを止めて入門したという変わり種。さすがにアナウンサーでトレーニングを積んでいるだけあって、滑舌が良くて声も通って聞きやすい。
文菊師はかつて<阿吽坊>で落語会に来ていただいたが、最後は2015年、8年ぶりに生で聴かせていただいた。お馴染みのネタばかりだが<文菊風>の味付けが随所に見られ、人気の程がうかがえる。
扇遊師はテレビの放送ではお馴染みだが生では初めて、人柄がそのまま話に出ているようで穏やかな気持ちになれる。
終演後はホテルに移動、今夜の宿は<相鉄フレッサイン大門駅前>、チェックインがすべてQRコードで済んでしまう。
近所のコンビニで夜の飲物を買って戻り、残りのおにぎりを頂いてから夜席へと向かう。
夜の席は2列目の中央より、今度は見やすくて言い。そこへ登場したのがNさんとお友だち、なんと1列目に着席された。この女性というのが、以前からInstagramで繋がっていた方、びっくりしたが嬉しい出会いをいただいた。
さん喬師の二席、いずれも初めて、そして滑稽噺と人情噺の組み合わせ、いずれも見事な名人芸。
新治師はこの季節ならではの<まめだ>でしっとりとさせ、二席目は笑いをたっぷり盛り込んだ<口入れ屋>、楽しませていただいた。
ホテルへ戻り、持参した<瑞冠(300ml)>とポットのお湯で缶につけていただく。<鰍沢>を聞いた後だから、いっそう美味しくいただいた。
長い距離は歩いていないが、ウロウロした分3つのリングは完成、水分は1,530ml。
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2024/11/13 22:00:27現在のニュース
国民・玉木代表 石丸伸二氏の新党「旋風を起こす可能性ある」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:57:49) 花山天皇の出家描いた大和絵を限定公開 京都の寺社で非公開文化財公開([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:57:39) トランプ外交、「力による平和」鮮明 同盟国に負担迫る - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/13 21:54:33) イーライ・リリーの認知症薬「ドナネマブ」保険適用 薬価は年308万円 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/13 21:54:33) 電気・ガス補助1月再開 非課税世帯には3万円案、政府原案 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/11/13 21:54:33) 北朝鮮兵部隊、クルスク州で戦闘参加…アメリカ政府が初めて確認([B!]読売新聞, 2024/11/13 21:53:01) ロシアと北朝鮮の「軍事条約」発効へ、批准手続き終了…東アジア安保に影響必至([B!]読売新聞, 2024/11/13 21:53:01) これが取り出された福島第一原発のデブリ…搬送先の研究機関が写真公開、14日から分析開始([B!]読売新聞, 2024/11/13 21:53:01) 世界のサンゴ44%が絶滅危機、日本近海は178種…16年間で大幅増「ガス排出の大幅削減を」([B!]読売新聞, 2024/11/13 21:53:01) 鎌倉で「白タク」横行、成田周辺から観光地に拡大…容疑の中国籍男「友達の友達を乗せただけ」([B!]読売新聞, 2024/11/13 21:53:01) 石破首相が9日に続き「健診」…首相指名選挙では「居眠り」指摘、「疲労が蓄積」の見方も([B!]読売新聞, 2024/11/13 21:53:01) 認知症新薬ドナネマブの薬価は年308万円、国内で2例目 20日から公的医療保険適用に([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 「築城名人」高虎の原点を見る 愛媛県・宇和島城 千田嘉博のお城探偵([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 茨城の女子高生を誘拐疑い 福島在住57歳男を逮捕 SNSで誘い自宅に宿泊させる([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 国民、消費税5%に引き下げ要求へ 所得税基礎控除引き上げ、ガソリン暫定税率廃止も([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) <正論>金正恩政権の打倒を目標にせよ 龍谷大学教授・李相哲([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 石丸新党に「ぜひやって」とエール 大阪維新の吉村代表、動画チャンネルも開設([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 高円宮妃久子さま、米国訪問お取りやめ 三笠宮妃百合子さまのご容体悪化受け([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) TBS記者、中国で取材中「警察呼ばれ、全て素材削除させられた」 広東の車暴走死傷で([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 村井嘉浩・全国知事会長が国民民主の年収の壁見直しに苦言 「夢ごとでなく具体策を」([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) NTT法廃止見送りへ、総務省報告書は慎重内容 自民大敗で潮目変化 名より実をとる決着([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 円下落し一時155円台 3カ月半ぶりの円安ドル高水準に 日米金利差拡大を材料視([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) ハリス氏、テレビ出演前に司会者側に7700万円寄付 好意的インタビューとの関係は不明([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) セブン&アイに創業家が買収提案 非上場化で加コンビニ大手に対抗 資金確保策が焦点に([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 自民が新人2議員を厳重注意、衆院本会議場で写真撮影 Xで釈明「禁止とは知らず」([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) バンダイスピリッツ、プラモデルを抜本的値上げ 仕様変更時以外では1969年以来初めて([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 北朝鮮兵が「露軍と戦闘作戦を開始」 米政府初確認、ウクライナ侵略継続で([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 玉木雄一郎代表の不倫報道で調査委任 国民、党の倫理規範に違反あれば処分の可能性も([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 敦賀原発、初の審査不合格 原子力規制委員会が正式決定 再稼働を認めず([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 「メガソーラーは地元理解得られず」 奈良県、防災拠点運営用の太陽光施設を素案に([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 東京・中目黒駅近くで凄惨事故 日比谷線脱線で69人死傷の教訓 警視庁150年 107/150([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) <正論>濱口梧陵の行動力と防災対策 拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長 濱口和久([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) <正論>昭和100年に「海道東征」を 文芸批評家・新保祐司([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) <正論>米新政権が突きつける「核抑止」 同志社大学特別客員教授、笹川平和財団常務理事・兼原信克([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) 玉城知事の「由々しき」発言でよみがえる尖閣中国漁船衝突事件 辺野古抗議制止警備員死亡 【沖縄考】(50) 那覇支局長・大竹直樹([B!]産経新聞, 2024/11/13 21:46:38) トランプ氏、猟犬「銃殺」告白の米州知事を国土安保長官に起用へ | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) ロシアと北朝鮮、連携条約の批准手続き完了 事実上の軍事同盟復活 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) ロシア、北朝鮮との条約批准 相互軍事援助も規定 関係が緊密に | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 「折られた白杖は7本」 暴行被害に声を上げた視覚障害者の願い | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 世界のサンゴの4割超が絶滅危機 IUCN「気候変動が最大の脅威」 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 700年前の「トイレ」発見 土から野菜や寄生��の卵 鹿児島の遺跡 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) トランプ氏、1週間で外交・安保の陣容固める 「力による平和」強調 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 気候革命:弱い人々に偏る被害 小島慶子さんが語る「温暖化への備え」とは | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 森達也監督 初の劇映画「福田村事件」11月15日から台湾で劇場公開(スポニチ) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 24色のペン:韓国文学の源流を訪ねて 大河小説「土地」=堀山明子 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 「年収の壁」超えが800人 収入大幅アップ、大手スーパーの仕掛け | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 自民、新人2議員厳重注意 衆院本会議場で写真撮影 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 東国原英夫氏 国民民主・玉木代表の不倫謝罪会見に「仮に総選挙前にこの状況だったら結果は…」(スポニチ) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 橋下徹氏 国民・玉木代表の不倫相手の元グラドル“解任”にチクリ「相手女性の職を全力で守らなあかん」(スポニチ) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20) 大阪・関西万博:「大阪万博には行きません」高村薫さんが地元で感じる70年との違い | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/11/13 21:46:20)
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弥生時代
弥生時代(紀元前3~5世紀 – 3世紀)の西暦239年に、邪馬台国の女王"卑弥呼"が魏の都・洛陽に使者を送り「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印を与えられたことから、歴史書『三国志〈魏志倭人伝〉』に邪馬台国の情報が記載されました。
しかしながら、その情報量は少なく約2,000文字の一節だけです。
◆三國志×横浜市交通局|4gamer.net
「卑弥呼は約30の国からなる倭国の都として邪馬台国に住居する」という内容が記されており、近代に入って日本もそれを正式な史実として認知しました。
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倭国では内乱が絶えませんでしたが、女王・卑弥呼が統治する��とによって治まりました。
▽『魏志倭人伝』
原文:「其國本亦以男子爲王,住七八十年,倭國亂,相攻伐歴年,乃共立一女子爲王,名曰卑彌呼。事鬼道,能惑衆,年已長大,無夫壻,有男弟佐治國。自爲王以來,少有見者,以婢千人自侍,唯有男子一人,給飲食,傳辭出入。居處宮室,樓觀,城柵嚴設,常有人持兵守衞」
翻訳:「その国、以前は男子を王としていたが、70~80年ほど過ぎて倭国は乱れ、互いが何年も戦争をする事となった。そこで各国が共同で一人の女子を王とした。名を"卑弥呼"という。卑弥呼は《鬼道》に優れ、民衆の心を掌握することができた。女王となった時すでに成人だったが夫はなく、弟が居て国を治めるのを補助した」
「鬼(き)」とは、魏では死者の霊魂や霊的存在を意味したようです。《鬼道》はシャーマニズム的な呪術という解釈の他に、当時の文献では《儒教》にそぐわない体制を表現する用法があります。このことから呪術ではなく、単に儒教的価値観ではない政治体制を意味するという解釈もあります。
《鬼道》とは、《神道》の元にもなった原始宗教《シャーマニズム》と考えられます。シャーマンと呼ばれる人物がトランス状態(興奮して自我を失った状態)に入り、神と交信をしてそのお告げによって政治をおこなうというものです。シャーマンの卑弥呼は、神の言葉を聞くことが可能であったために、女王に選ばれたと考えられます。
本来の巫女は霊を自分に乗り移らせて、霊の言葉を代わりに話すことを得意としたという記録があることから、巫女とは本来はシャーマンのことであり、そもそも巫女の語源は卑弥呼という説もあります。
『魏志倭人伝』の「年已長大」を直訳すると「すでに年老いた」になりますが、この「長大」は「すでに成人になった」という意味にもなるそうです。学習サイトを読むと、一般的に「高齢」という翻訳が多いようですが、真相はいかに……?
「邪馬台国」と「卑弥呼」という当て字について
「邪馬台国」や「卑弥呼」という字は魏側のつけた当て字ですが、『日本書紀』には「夜摩苔(ヤマト)」という表記があります。
このことから、倭人の発した「ヤマト」の発音に当て字をした結果、「邪馬台国」という邪悪な字になったのだと推測できます。
・古代中国語音の「邪馬台」:[jya-mea-də] ・唐代の漢字音「夜摩苔」:[jya-muai-də] ・邪馬台国=ヤマト ・卑弥呼=日の御子
上述の通り、実際の政治は卑弥呼の弟が担当していました。弟は卑弥呼の側近として、表に顔を出せなかった姉の卑弥呼に代わり、表に出て卑弥呼の占いの結果を言伝として民衆に伝え、政治を取り仕切っていました。
ちなみに邪馬台国の位置について意見が分かれる理由として、『魏志倭人伝』には「邪馬台国は九州から船で三日間ほど南下した場所にある」と書かれていたことが挙げられます。その記述が事実だとすると、邪馬台国は太平洋沖にあったことになります。その所為で邪馬台国=沖縄説というとんでも説も生じました。
おそらく使者の報告や記載のいずれかにミスがあったと考えられるでしょう。もしくは、帰国が遅れた理由を問われて「思いのほか遠くにあった」と虚偽の申告をしたのか。たとえば邪馬台国を訪れた魏の使者のために三日三晩ほど祝杯の宴会が繰り広げられて帰りが遅れたとか。
三国志時代は「上役からくだされた目的を果たせなければ処刑(七歩のうちに漢詩を一句書かねば処刑〈曹植の逸話〉、海の向こうのどこかにあるという亶州という国〈倭国説あり〉を発見できなければ処刑〈孫権の逸話〉、三日までに十万の矢を集められなければ処刑〈小説『三国志演義』孔明のエピソード〉が当たり前だったので、嘘も方便ということでありえなくもないと思うしだいです。
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▽『魏志倭人伝』に記述された邪馬台国の統治国
「対馬(つしま)」「一支(いき)」「末盧(まつろ)」 「伊都(いと)」「投馬(とうま)」「不弥(ふみ)」 「斯馬(しま)」「巳百支(しはき)」「伊邪(いや)」 「都支(とき)」「弥奴(みな)」「好古都(ここと)」 「不呼(ふこ)」「姐奴(そな)」「対蘇(つそ)」 「呼邑(こお)」「華奴蘇奴(かなそな)」「鬼(き)」 「為吾(いご)」「鬼奴(きな)」「邪馬(やま)」 「巴利(はり)」「支惟(きい)」「烏奴(うな)」 「蘇奴(そな)」「躬臣(くし)」「奴(な)」
卑弥呼のシャーマン(呪術師・巫女)としての能力は「大衆を惑わす」と評されるほど甚大でした。
倭の女王国・邪馬台国は周辺の30余国の中で最も大きく、政治的組織の官制が整っていましたが、武力ではなく共立された権力だったので、当初の政権基盤は弱いものだったとされます。
邪馬台国の男性は刺青をして髪を結い、頭に布を巻きつけており、女性は布の真ん中に穴をあけて、そこから頭を出す服を着て、髪はうしろで束ねていました。
ちなみに南宋の儒学者"金履祥"の著書『通鑑前編』に、「日本から来た使者が『我々は呉の太伯の後裔だ』と言った。呉は亡び、その子孫が海を渡り、倭国にたどり着いた」と書かれているそうな。そういえば「呉地域の遺跡で発掘された人骨のDNAが倭人のものと一致した」という記事を数年前に読みましたが、ソースが残ってないのか追々確認いたします。確かに呉の中には刺青を掘り、魚を食べる風習もあったそうです。それは弥生人や縄文人の文化とも一致しますが、真相のほどはいかがなものでしょうか。
「倭人の始祖が太伯の末裔」という説について、日本では南北朝時代の禅僧"中巌円月"が「日本は太伯の末裔」と論じました。一方の"北畠親房"は著書『神皇正統記』にて「日本ハ呉ノ太伯ガ後也ト云」とあるのを批判し、室町時代の"一条兼良"も『日本書紀纂疏』で太伯末裔説を批判しました。江戸時代に入ってからは、儒学者"林羅山"は『神武天皇論』で神武天皇の太伯末裔説を肯定しました。イエズス会宣教師"ジョアン・ロドリゲス"の『日本教会史』では、「神武天皇は太伯の2番目の弟の"季歴"の第6代の子孫」と記しました。
明治生まれの日本史学者"千々和実"氏は、綿密な考証を経て「3世紀の倭人が対内的に王権を強化するため、また対外的に威望を挙げるために、自分たちの民族の始祖を太伯に結びつけて名乗ったのだろう」と指摘し、この「倭人自称説」を肯定しました。
ちなみに「日本の始祖が太伯の末裔」という記述を見て憤慨した"徳川光圀"が『大日本史』を編纂させたとする伝説もありますが、これは事実ではないようです。
狗奴国の台頭
晩年の卑弥呼は、敵対勢力の「狗奴国(くなこく)」との戦��渦中に亡くなりました。
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狗奴国は、邪馬台国の南(熊本周辺)にある男子を国王とする勢力でした。
断髪と刺青の習慣のある漁業民の国で、邪馬台国の統治下に唯一ならず、九州(邪馬台国の周辺)以外の西日本と、東日本の北陸・東海・信州までを武力で制圧していました。
また、この狗奴国が後の古代出雲になったとも推測されます。
◆オタクくんさぁ - ピクシブ百科事典
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卑弥呼の亡き後の邪馬台国でも男王が専任されましたが、統治は難航し、諸国は分裂します。
各地で反乱が起こり、卑弥呼が統治する以前の混沌とした時代に逆戻りしてしまいました。
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そんな最中に当時13歳の"壹与"(とよ)が女王となり、再び倭国は平和裏に治まりました。
その壹与を女王とした邪馬台国が、その後どうなったのかは、266年の遣使以後は不明です。
いわゆる空白の4世紀にその姿をくらましたのです。
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神武東征伝説を史実と考え、九州の邪馬台国が東遷して奈良の大和王権となったとする邪馬台国東遷説をはじめ、投馬国東遷説、騎馬民族説、ネオ騎馬民族説🏇などがあるようです。もう一つは逆説的に、大和王権によって邪馬台国は滅亡した、とする見解もあります。
蛇足ですが、平和であるほど縄文時代から弥生時代(邪馬台国)までの日本や、タイ王国のように女性の社会的地位が向上し、戦乱の世になると中世ヨーロッパや中国のように男性の社会的地位が向上する傾向があるようです。
男は女が育てる。女に利用されるのが男の宿命だし、それで成長を遂げるのも男だろう。
◆『千恋*万花』(c)YUZUSOFT/JUNOS INC.(著作権ゆずソフト二次配布禁止)
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三韓征伐
三韓征伐は、西暦200年頃に応神天皇(八幡神社に祀られる第15代天皇)の母"神功皇后"が、新羅国に出兵して三韓(百済・新羅・伽耶)を服属下においたとする日本の伝承です。
百済の救援要請を受け、新羅まで出兵した大和王権軍の軍勢を見た"新羅国王"は恐れおののき「吾聞く、東に神国あり、日本といふ。また聖王あり、天皇といふ。必ずその国の神兵ならん」と言い、白旗を挙げて降伏したとされます。
神功皇后は帰国後、神託を受けて兵庫県南部に神社をいくつか創始されました。
廣田神社
兵庫県西宮市の廣田神社は、日本初の海外遠征となった三韓征伐から凱旋途中の神功皇后により創始されました。
日本最古の国史書『日本書紀』に記される兵庫県第一の旧官幣大社。
生田神社
神功皇后の凱旋に伴い創始された生田神社は、神戸市内の有名な神社の一つです。神戸市中央区の一帯は社領で、神戸(かんべ)職と呼ばれる神社に貢物を奉納する人々が多くいました。それが「神戸」という地名の語源となりました。
長田神社
三韓より神功皇后が帰路の途中、船が先に進まなくなり解決策を占ったところ「我を長田国に祀れ」と恵比寿より神託を受けて長田神社が創始されました。
神社の行事として室町時代より続く古式の県指定無形文化遺産「追儺式神事」があります。
名称が古くからの地名そのままである神社は、その土地の産土神社の可能性が高いそうです。
「三宮の生田神社」「神戸駅前の湊川神社」「長田神社」を合わせて「神戸三社」と呼びます。
▲神戸駅前「湊川神社」
高取神社
出雲大社に初参拝した三日後、高取山の麓にて撮影。
鷹がカラスを押さえつけ人質にし、数十羽のカラスの群れと対峙。���囲のカラスはガアガア鳴くだけで仲間を助けられず膠着状態。鷹の方が速く高く飛べる上に、鋭い爪とくちばしを持つので手出しできなかったのでしょう。しばらくすると鷹はカラスを開放して飛び去りました。開放されたカラスも茫然自失としながら山に帰りましたとさ。
昔々の高取山は、猛禽類の鷹がよく巣をかけたので「鷹を捕獲する場所」という意味で「鷹取山」という山名が付けられましたが、江戸時代中期に山麓地域での「鷹」の字の使用は増税対象になり、やむを得なく「高」に字を変えたようです。この増税はあくまで山麓地域だけなので、今も周辺の住宅街では「鷹」の字が使われます。
古くは神が舞い降りる「神撫山(かんなでやま)」とも呼ばれました。
高砂神社
神功皇后が三韓遠征の際に、現・出雲大社の祭神オオクニヌシの神助を得て戦を治めました。帰国の途中に高砂の地に船を寄せ、国家鎮護のためオオクニヌシを祀られたのが高砂神社のはじまりです。
豊臣秀吉は朝鮮出兵の前、三韓征伐の功績をあげた神功皇后にあやかり、この高砂神社で戦勝を祈願したと伝えられます。
▲豊臣秀吉『戦国無双4』
とよあしはら の ちいほ の あき の みずほ の くに
大和朝廷とは、出雲族と天孫族の連合政権とされます。
「豊葦原千五百秋瑞穂国」 (とよあしはら の ちいほ の あき の みずほ の くに)
上記は『記紀』における日本の美称の一つで、「豊かに葦の生い茂る原」という意味になります。他にも美称として「葦原中国(あしはらのなかつくに)」もあります。
◆豊国(九州北東部) + ◆葦原(出雲〈島根〉) + ◆千五百(長門・周防〈山口〉) + ◆秋(安芸〈広島〉) + ◆瑞穂(吉備〈岡山〉)
日向族(ひむかぞく)とは、日向国(宮崎)の高千穂に降臨した天孫族の血を引く部族。
日向族の数代目の族長"神武天皇"は、日向国から翁(おきな。老人)や、日本サッカー協会シンボルマークとして馴染み深い"ヤタガラス"に導かれ、東に向かい奈良盆地に到達したとされます。
それまで奈良盆地を支配していた出雲族は日向族に屈服し、以後は天皇を頂点とする大和王権が樹立されました。
当時の史料は数少なく憶測の域を出ませんが、出雲王朝の末期には王の座をめぐり二人の太子が覇権をめぐり争っていました。そこで一方が大和王権にくだり配下に収まりました。大和王権軍を味方につけられては適わないと判断したもう一方の勢力も大和王権にくだりました。こうして出雲王朝は大和王権と統合されたとのこと。
一説によると『日本神話』の"アマテラス"は邪馬台国の卑弥呼がモデル。下の弟の"スサノオ"は男王が統治した狗奴国の初代国王がモデルになったといわれます。
ここまで書けばお気付きになるかと思いますが、邪馬台国の政治を司った卑弥呼の弟が、アマテラスの上の弟"ツクヨミ"のモデルとなったとの見方があります。
広く一般的に「邪馬台国の情報は、日本側の歴史書には残っていない」とされますが、もし邪馬台国=高天原説が事実なら『日本神話』は邪馬台国をモデルに書かれたことになります。
もし、それが本当だとしたら、偏にロマンがあると言えるでしょう。
▼三種の神器
◇鏡(太陽)=邪馬台国=アマテラス≒卑弥呼
◇剣(武力)=狗奴国=スサノオ≒狗奴国王 or 難升米
◇勾玉(月影)=ツクヨミ≒卑弥呼の弟 or 天武天皇
「八咫鏡(やたのかがみ)」は、アマテラス(天照大神)の岩戸隠れの際に作られた鏡。アマテラスが岩戸を細く開けた時、この鏡でアマテラス自身を映し、興味を持たせて外に引き出すことに成功して、再び陽光がさして世は明るくなりました。今もこの八咫鏡は伊勢神宮に祀られています。
「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」は「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」とも称される剣の正式名称。スサノオが出雲で退治したヤマタノオロチの尾から出てきたとされる剣です。ヤマタノオロチ=八つの頭の蛇。「蛇」は「男」の比喩表現。つまり「八人の賊を一人で薙ぎ倒した」とは流石と言えます。
「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」は岩戸隠れの際に作られ、八咫鏡とともに榊の木に掛けられました。
古来の《神道》は《イスラム教》と同じく、《仏教》の「仏像」や、《キリスト教》の「キリスト像」のように、偶像崇拝(信仰の対象を像=イメージ化して崇拝)はされませんでした。
神社の本殿に置かれる鏡は、「向き合う自分の心をありのまま包み隠さずに写し出す」ことを意味します。
◆山手線の路線図は太極図|都市伝説
農耕民族と狩猟民族
未来に備えて貯金や貯蔵するのは《ネガティブ(悲観的)》な行動原理で、貯えずにその場ですべて発散するのが《ポジティブ(楽観的)》な行動原理とされます。
貯蔵に通じる概念は「農��民族」より発生しました。「狩猟民族」の主食である肉は保存が利かず、腐らない内に食さないとすべて無駄になりましたが、穀物は長期保存が可能なので当初の「米」は「金」と同等の価値がありました。その弥生時代において最も米を多く保有した氏族が天皇家であり、それ故に日本の皇帝陛下となられました。
天皇は《神道》における最高責任者で、一族の氏神でもある太陽神の女神・天照大神直系の子孫とされます。現在も元号を採用し続ける国は日本のみとなりました。世界最古の王朝として、同じく今も王朝を残すヨーロッパとの外交でご活躍になられております。
▲国産米『秋田県産あきたこまち』
日本列島における縄文人と弥生人
モンゴロイドを大別すると、「古モンゴロイド」と「新モンゴロイド」に区別できます。「古モンゴロイド」は東南アジアや中国の一部、南米~北米大陸、北海道のアイヌ人、約二千年前までの日本列島に分布した縄文人が含まれ、「新モンゴロイド」はモンゴル・中国・朝鮮半島・日本列島・北米にまで渡って広く分布しております。
画像左は三万年前から日本列島に住まった顕在遺伝子の多い"縄文人"と、右は二千年前から日本列島に渡来した潜在遺伝子の多い"弥生人"のイメージ画像のようです。 ▼縄文人の特徴 全体的に大振りで、背が低く体毛が濃いのが特徴。顔の輪郭は四角形で眉が太く、目はぱっちり二重まぶた。耳たぶや鼻は大きく唇は厚い。耳垢は湿っている。血液型はO型とB型が多い。 ▼弥生人の特徴 全体的に細くて背が高く体毛は薄いのが特徴。顔の輪郭は面長で、眉は細く、目は一重まぶた。耳たぶや鼻は細く唇は薄い。耳垢は渇いている。血液型はA型が多い。
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現代日本人は縄文人と弥生人双方の遺伝子を引き継いでおり、遺伝子の比率は地方や個人により微差がありますが、弥生人の遺伝子80%に対して、縄文人の遺伝子は20%ほど残っているとの見方もあります。
遺伝子の解析により、本州では太平洋側の都市部(東京・大阪など)、九州では北部(福岡・長崎)は弥生人の遺伝子が多く残っており、反対に本州の日本海側や東北、九州南部や沖縄は縄文人の遺伝子が多く残っている傾向がわかりました。ちなみに調査団体によっては、最も弥生人の遺伝子の濃い都道府県は奈良県という先入観の強そうな統計もあるようです。
縄文人は外見的には古モンゴロイドに近いのですが、遺伝子を解析した結果は新モンゴロイドとほぼ同じ反応を示しました。また、縄文人と同じ遺伝子(Y染色体)を持つのは、日本以外ではチベット人とアンダマン諸島の人々だけとのことです。
■日本人 - Wikipedia
日本列島に住む"日本民族"は、三種類に分けられます。
・大和民族(狭義の日本民族)
日本列島には倭(近畿地方)を中心に、蝦夷(えみし。東日本人)や、隼人(はやと。鹿児島周辺)などの集団も居住していましたが、大和王権の成立後は同化が進み、これらを合わせて大和民族と呼ぶようになりました。
・琉球民族(大和民族の支族と分類する考え方が主)
・アイヌ民族(大和民族と異なる日本列島北部の集団)
■記者会見:日本列島3人類集団の遺伝的近縁性|東京大学
国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門と、東京大学大学院医学系研究科人類遺伝学専攻分野、東京大学大学院理学系研究科理学部を中心とする研究グループは、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は縄文人の系統と、弥生系渡来人の混血であることを支持する結果を得ました。
日本列島人のDNA分析を行った結果、離れた地域に住む北海道のアイヌ人と沖縄の琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は琉球人の次にアイヌ人に近く、一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かりました。
▲原点(起源:origin)
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古代ギリシア時代
古代ギリシャ時代は紀元前5世紀頃に興りました。これがヨーロッパ内で最も古い文明と考えられています。人種的にはインド=ヨーロッパ語族に属し、バルカン半島からギリシア本土に南下して、エーゲ海域や小アジアに進出した民族です。地中海各地に植民活動を行い、起源前8世紀からアテネなどのポリス民主政を発達させ、美術・文学・演劇・哲学・数学などの文化や学問��形成しました。
◇幾何学 - Wikipedia
十二音律の算出
紀元前6世紀――まだ五線譜や音階のなかった時代に、古代ギリシャの数学者ピタゴラスは、音程を示す器具のモノコードで音の研究を開始しました。
研究過程でモノコードを半分の長さにすると、同じ���きのさらに高い音程になることをピタゴラスは発見しました。これが「1オクターブの発見」です。音程は周波数(1秒間で何回振動するか)で決定されます。これをHz(ヘルツ)と呼びます。A(ラ)=440Hzなら秒間440回振動する音。この回数が440Hzから2倍の880Hzになれば、1オクターブ高い音程になります。同じ要領で440Hzの1オクターブ下は220Hzになります。
これで1オクターブの原理は解明されましたが、次に12音律を導き出した方法を解説します。ルート(根音)の2倍が1オクターブ上ということは、4倍は2オクターブ上の音程になります。さらにルートの3倍は、2倍と4倍の間の新たな音程が出現します。それを半分の周波数にして割り出されたのが、最も濁りの少ない和音となる「完全五度」です。
次に他の音程を導き出します。まずルートを1、1オクターブ上を2、2オクターブ上を4として、3(完全五度)を半分にすると1.5になります。
A:E=(1:1.5)x2=2:3 新しい音の導き出し方 ①3倍にする ②1≦f≦2になるまで2で割る
1.5(E5)を3倍にすると4.5になり、それを2で割ると2.25になります。さらに2で割ると1.125が算出されます。これが長2度になりました。さらにこの計算を繰り返すことにより今で言うアイオニアン・スケールが大まかに算出されました。
ピタゴラスは音同士の響きと相性にも気付きました。最初の計算から割り出された三つの音程で作れる〈ルートと五度の和音〉を「完全五度」と呼び、〈長2度と五度の和音〉を「完全四度」と呼びます。これが和音においてユニゾンの次点で濁りの少ない響きです。
12音律においてルートから五度は+7の音になります。また、五度の+7は長2度です。これを繰り返し、順序を整列したのが五度圏です。
十二平均律
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現代の一般的な西洋音階における「十二平均律」とは、1オクターブ(周波数880Hz〈A4〉の2倍が1オクターブ上のA5〈1760Hz〉)を12等分にした音律。
十二平均律では、1度(ユニゾン)と8度を除いて整数比率による純正な音程は得られない代わりに、ピタゴラス音律や中全音律で生じる誤差の大きな音程に妨げられることなく、全ての調で演奏が可能で、カラオケのように転調や移調が自由に行えます。
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弦楽器は弓で弾くことで真価を発揮できるのでしょう。
東アジアで十二平均律が算出されたのは以外と早かったようです。明代後期の"朱載堉"(1536年 - 1611年)は、伝統的な十二律の求め方である三分損益法を否定し、1584年に『律学新説』の中で新しい方法「新法密率」を提唱しました。これが2の12乗根に基づく平均律の最初の算出例です。
ヨーロッパで平均律を2の12乗根に基づいて最初に算出したのは"シモン・ステヴィン"(1548年 - 1620年)です。彼は未完成の手稿(1605年頃)でオクターブを10000:5000として平均律を記述。
彼の平均律の理論値からの誤差は±0.43セント未満で、後に"マラン・メルセンヌ"(1588年 - 1648年)が1636年にオクターヴを2000000:1000000として平均律を記述しました。
地動説
中世ヨーロッパでは、地球を中心に天体が公転する「天動説」と、地球は平坦で端は滝という地球平面説が通説でしたが、古代ギリシャでは、すでに「地動説」と地球は球状という説が証明されていました。
北極星の高さが緯度によって違うことから、地面が北極星に対して曲がっているということが発見されました。遠くからの光を平行と見なすと、確度が違うのは「地面が曲がっている」、つまり「地球は球体である」と言うことになるわけです。
エラトステネスは、この理論に基づき、夏至の日に井戸の中まで太陽の光が届く都市アレクサンドリア南部(南中高度90度)のシエネと、それ以外で鉛直に立てた棒の影が作る角度が、これら2ヶ所の緯度の差によるものとみなし、緯度の差は7.2度=地球の周囲1/50であることを突き止めました。
当時の単位が現代ではどのくらいの距離になるか正確には分かりませんが、彼が求めた地球の全周は一説には「46,250Km」となり、実際の地球より17%ほど���きな数字となりますが、当時としては異例の大体合ってる数値でした。
▼惑星の逆行 古代ギリシャ時代から科学者を悩ましたのが惑星の逆行現象。「天体の動きは等速円運動」と信じられていましたが、惑星は稀に地球から見て逆に動くことが観測されま���た。これを解決するために「導円と周転円」という概念が導入されました。当時は楕円の式が発見されておらず、地動説より天動説の方が惑星の動きを精度よく予測できました。
▼年周視差 年周視差とは、地球が動くなら1年のうちで恒星の見える角度が変わること。年周視差は目視では確認できず、望遠鏡の発明が必要でした。これが天動説の大きな「観測結果」になりました。年周視差が測定できるようになるのは19世紀になってからです。
▼ケプラーの法則 「天体の動きは等速円運動」と気付いた学者が16世紀のドイツの天文学者ケプラーでした。それまでの観測結果や数学の発展により、火星の観測精度が桁違いに向上しました。
▼「それでも地球は回る」 16世紀のイタリアの学者ガリレオ・ガリレイの名文句はとにかく「地球はなぜ動くのか」という議論に決定的な答えを出したのは、17世紀のイギリスの著名な学者ニュートンの「万有引力の法則」でした。
弥生時代の景観
▲古代ギリシャ都市国家「ポリス」
▲三国志「魏延の陣」
▲弥生時代「高床式住居」
▲平成時代「高知県の水車」
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>縄文時代
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「最後の三角形: ジェフリー・フォード短篇傑作選」ジェフリー・フォード著を読了。
世界幻想文学大賞に7回、シャーリイ・ジャクスン賞に4回、MWA賞、ネビュラ賞など数多の賞に輝く現代幻想文学の巨人による郷愁と畏怖と偏愛に満ちた14篇。
所謂、幻想文学という括りになると思うのだが、ホラーやSFっぽい作品もあり幅の広さを感じる。偉大なる受賞歴を見るとなるほど納得。どの編も出だしは何となく取っ付きにくいというか、これはどんな話なんだ?と思いつつ、読み進めていくとどっぷり世界観に誘われている。大凡、
どんな小説でもそうなんだろうけれど、明らかにこの作家は誘い力が強くて、読み進めていきたい気持ちがムクムクと湧いて来る。素晴らしい作家だと思った。どの編も忘れがたい。今のところ今年度No.1。
アイスクリーム帝国:
共感覚が強い僕はコーヒー味のアイスクリームを食べるととアンナという女性が見えるようになった。アンナも僕が見えるようになったという。進学的幻想なのはどちらなのか。
マルシュージアンのゾンビ:
隣に越してきた老人は、自分は政府の秘密組織で従順な兵士を作る研究をしてたという。老人が急死した直後、我が家に現れたのはゾンビのように意識薄弱な男だった
トレンティーノさんの息子:
クラム漁が盛んなベイ、嵐の日に一人の少年が行方不明になる。少年と交流のあった私は、同じような嵐の海で死んだはずの少年を助けるのだが、船は瓦解してしまう。
タイムマニア:
悪夢にうなされている少年が無人の農家の井戸から白骨化した死体を発見する。ライムを口にしないと、死体のジミーの幽霊が現れてしまうのだが、炎の農場の奇妙な世界へ誘われその死の真相に近づいていく。
恐怖譚:
真夜中に目を覚ましたエミリーは家族の不在に気がつく。夜の道を歩く途中、馬車に乗った紳士に連れられ、朽ちた豪邸に住む母と子に出会うのだが。霊廟の中で呪文を創作するエミリーの姿をディキンスンの詩にまつわる表現で描く
本棚遠征隊:
健康を害して自宅で療養中の作家、本棚を見ると指先ほどの妖精らが本棚の登頂に向けて出発するところだった。これは幻想なのか?彼らは危険を顧みず、様々な本の前を通過して最上段を目指していく。
最後の三角形:
一文無しのホームレスがひょんな事から老婆の家に住むことに。老婆は男に「最後の三角形」と呼ばれる魔術の記号を探すように言われる。奇妙なコンビで魔術の謎を探っていくと、現れたのは死んだはずのの老婆の夫だった。
ナイトウィスキー:
動物の死骸から生える「死苺」で少量作られるナイトウィスキーを飲むと、泥酔した夢の中で死者と再会できるという。翌朝に木の上で眠る泥酔者を降ろす名誉職を得た僕は、酔っ払いとは別の何かと遭遇する
星椋鳥の群翔:
長閑で美しい地方都市には凄惨な殺人の歴史があった。唯一の目撃者である被害者の教授の娘は一才口を聞かず、小さな星椋鳥を連れて街を散策する。野獣と呼ばれた犯人を捜索する警部は、助手のジャリコと娘を尾行するが、公園で星椋鳥の大群が描く姿に驚嘆する。
ダルサリー:
狂気の科学者が生み出したビンの中のドーム型極小都市ダルサリー。原始大の盗聴器によると滅亡の危機にあり、科学者は自ら縮小ビームを浴びて都市に介入を試み、ダルサリーの中で更に極小都市を作り始めたという。
エクソスケルトン・タウン:
外惑星にあるエクソスケルトン・タウンに住む蟲型の生物と人類は、20世紀映画で交易していた。かつての男優・女優のスキンを纏った男女は「ボックス」の中だけで愛し合うことができるのだが。
ロボット将軍の第七の表情:
大きな惑星の衛星で発見されたハーバングと戦うために製造されたロボット将軍、その無慈悲な攻撃で死体の山を気付き英雄になるが、引退後は小さなアパートで暮らしている。自殺を依頼した男と格闘して切り離された頭部は・・・
ばらばらになった運命機械:
年老いた宇宙飛行士の回想、遠い惑星で知り合った恋人と宇宙の旅を続けたかったが冷凍睡眠で死亡、白い森の惑星に安置する。二人の元に時空を超えて現れた紺色の巨人と、機械部品を捜索するロボットによって運命が変えられていく。
イーリン゠オク年代記:
砂の城に住む妖精トゥイルミッシュは、虫のファーゴ、偶然出会った要請のメイワとマグテルと共に、短い一生のうちに創意工夫と喜びの体験を経て、砂の城が波に消えゆくと共に、その生涯を終えていく。
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我們這一家(一)情執
以下一位有緣人分享,來文照登:
最近地震頻繁,女兒某一日突然對我說:「媽媽,如果大地震來了,我該死了就死了,妳就不要救我了。其實想想,死了也是不錯的。」她的話讓我愣了一下,突然感覺自己不認識眼前這個悲觀的女兒。之前曾請示過精舍,女兒是否有自殺業力?佛菩薩開示:「沒有」,於是我決定請示一下精舍。
我請示精舍:「女兒自去年12月下旬,參加學校舉辦的『日本參訪』回來後,就變得非常悲觀,做事不再如往常積極,我都快不認識我這個女兒了?」沒想到經佛菩薩慈悲開示,扯出女兒的前世因緣。
女兒前二世曾欺騙某人感情,女兒前世是一位日本人,前世換對方欺騙她的感情,女兒情傷很重,從此阿賴耶識會排斥感情,自我防衛也很重。這次女兒去日本參訪,到日本第一天參觀的景點,正是去到對方現在擔任神職的神社。對方看到她,就在她的阿賴耶識中灌入黑氣,讓她對人生所有事情都感覺無聊、無趣。
過去世因為兩人各騙對方一次感情,理應互相扯平,並無因果,但卻因這位男眾「執心重」,所以今生再相逢,他瞋恨心再起,才會灌她黑氣,不讓她有幸福的日子過。感恩菩薩慈悲幫她清除掉被對方灌入的黑氣與悲觀思想。
聽完這段因緣,我才恍然大悟。記得出發前,曾請示精舍是否可以參加日本的參訪行程?佛菩薩慈悲開示:「不要去」,但女兒還是執意前往。佛菩薩再次開示:「如果執意前往,一切隨因緣。不用補福德。」原來「一切隨因緣」此句的深意在此。
女兒知道自己這一段前世因緣後,也深深體會到「用情專一」的重要。原來對人用情不專,可以牽扯這麼多世的情感糾葛與麻煩。如阿伯說:「人沒有學佛,不信因果,不了解因果,就不知因果的可怕;不要和別人結怨造下因果,否則縱使百千劫,所作業不亡。」
女兒回家後說:「我跟他沒有因果,他都這樣弄我了,如果有因果,以他的瞋恨心,不是更可怕!」蒙佛菩薩慈悲開示:「化解累世騙人與被騙的因果業力,《金剛經》、《藥師經》、《地藏經》三經各350遍。」
開示當天,女兒晚上向我表示大腿很痛,半夜還痛醒,心裡直覺是否還有干擾?再次請示精舍,佛菩薩慈悲開示,這位日本神高俐高強的精靈,女兒的腿痛確實是祂的干擾。幸好佛菩薩幫我們處理了來自祂的干擾,並交代女兒,要把從這個神社拿回來的所有御守、飾品通通丟掉。因為「有形就有靈」。透過這些有形御守或飾品,靈界就可以對我們進行干擾,就算再漂亮、再昂貴的東西,都要丟棄,才有寧日。女兒也自己體會到,因為有前世因緣的干擾,她在這個神社莫名買下最多的御守與平安飾品。原來讓她「想買」很多御守,都是為「繼續干擾她」而鋪路。
經過這個事件,女兒深深體會攀緣的可怕。女兒主動跟我分享她的一位同學,因為面貌姣好,常常主動跟男生要社群帳號,建立聊天關係,等到對方對她動心了,她就切斷彼此的關心,目的只是想征服男生的情感。女兒後來語重心長地下了一個結論:「她現在不知道騙人家感情,是會種下因果的,才會一直這麼做。將來她的來世一定很慘,到處與人糾纏不清。」
感恩有精舍,幫我們解決日常生活中看似沒事,卻暗藏深重危機的因果事。更感恩阿伯推廣的因果教育,幫助我教導女兒有更正確的感情觀。如阿伯說:「真正的修行,是在塵世中修。修行就是修正行為,把不好的地方修到圓滿。」祈願女兒慢慢能體會阿伯說的:「人要為自己的所作所為負責,諸惡莫作、眾善奉行。」
人最怕得意忘形,「好了傷疤忘了疼」。感恩精舍總是如一面明鏡,照出我們前世、今生種種缺失與心性盲點。人真的要修一顆謙下心,才能持續懺悔自我的種種過錯,進而修正自我。感恩精舍、阿伯師兄為我女兒處理這一切,進而導正她前世對感情不負責任的態度。在精舍總是能受益良多,無盡的感恩��南無阿彌陀佛!
(分享完畢)
有緣人的女兒去一趟日本參訪,回來整個人就變得悲觀、消極、厭世,透過問事才知道,女兒前兩世用情不專,一世騙人,下一世被騙,以及她被當初因感情結怨的神社神職人員灌黑氣,才會對人生諸事提不起勁。這篇分享文大致有以下四個重點:
一、感情要專一,避免造業力
有緣人的女兒前二世曾欺騙日本神社神職人員(靈界)的感情,前世換對方欺騙她的感情。人往往因為沒有正確的因果觀念,而犯下欺騙他人感情的錯誤,有緣人的女兒被佛菩薩開示不要去日本,但她還是去了,因緣讓她本世再遇到對方,受到傷害,在佛菩薩的開示和阿伯的幫忙下,才瞭解自己過去世的因果,從而學習到感情專一的重要。
有些人有不好的習氣,見一個愛一個,不那麼認真看待感情,處處留情的業報,就是以後自己的男友或另一半也會十分花心,像文中的女兒欺騙別人感情,結果下一世換被他人騙,因果相循,絲毫不差。
先前也有個例子,有個有緣人前世是有錢的花花公子,本世果報是老公用情不專,外遇三、四、五、六個都數不清了,照顧小三、小四、小五、小六……,賺錢給別的女人花,就是不照顧自己和孩子。所以奉勸大家,要認真看待感情,要專一,如果已經不喜歡對方,就該好好結束那一段感情,不能腳踏兩條船,欺騙別人或耽誤別人。凡事要求圓滿,任何不圓滿落下的因果結,都會形成未來的未爆彈。
二、廟裡不一定有正神,還是在家認真唸經比較平安
上述案例發生的事情絕非正法,而是邪法,外道主法。大家要建立正確的認知,現在是末法時期,到處充斥邪魔歪道,廟裡不一定有正神,建議不要亂跑廟,您誠心拜的可能是惡靈,想要平安順心,還是在家認真唸經比較實在。
三、別在寺廟拿結緣品與購物,拿/買越多,干擾越多
有緣人女兒因為有前幾世的因緣牽引,加上可能有外靈干擾,真心不建議拿結緣品,不然外靈就可以持續連線干擾您。
別以為花錢購買自己喜歡的東西,不是免費拿就沒事,如果該寺廟為外道主法,買的、送的結緣品,下場都一樣。如果您還將這些東西當成禮物送家人、朋友,等於是把干擾帶給他們。總之,奉勸大家別在寺廟拿結緣品與購物,也盡量婉拒別人送您的這類東西,因為無論對方是有心還是無意,若這些物品有外靈進駐,就會帶來不好的干擾。
四、要修行提升心性,才不會世世執著,頻繁造業,苦不得脫
有緣人的女兒前二世騙對方感情,前世是對方騙女兒感情,把女兒傷得很重。但修偏的人貪瞋癡都重,癡於不識因果、情執不斷;瞋於有錯都是別人,只會檢討別人,忘記反省自己,也把別人騙得很慘,見了面還對有緣人的女兒灌黑氣。
有一句話說,剪不斷,理還亂,其實就是因為執念作祟,把自我看得太重,無限擴大自我的受害,想要討公道,但討公道時忘記別人也會受傷而心生報復,使得因果交織不斷,生生世世糾纏不清。幸好有緣人的女兒經歷此恐怖���驗,加上明瞭自己過去世所造惡業,才知道要改正自己對感情不專的錯誤習氣。
造業的人多半缺乏因果觀念,所以恣意妄為,若瞭解因果業報之可怕,就會懂得收斂,以免放緃一世,卻要用多世的受苦受難和因果糾纏償還。甚至遇到了執心重又心性不佳的人,即使已無因果,還是會狠下毒手。所以我們一定要記得,要跟人結善緣,不要結惡緣,否則只要遇到一個難搞的,就生生世世苦不得脫啊!
最後,提醒大家好好唸經,消除業力,放下執念,提升心性。很多時候只要轉念,就能讓您的人生重新開機。用善良的心看世界,別人的傷害也可以成為學會珍惜、善待他人的養份。
情執不了脫,輪迴無止休,
放下了情執,自在得解脫。
放過別人,就是放過自己。放過別人是慈悲,放過自己是智慧。
學佛要學習佛的慈悲與智慧,行一切善,止一切惡。有緣人的女兒可以把對方對自己的惡,當成消業障、開智慧,心中有愛,則事事無礙。南無大慈大悲觀世音菩薩摩訶薩!
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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栃木県の新聞、下野新聞に写真集「鳩と烏と」を取り上げていただきました。 大きく掲載いただきありがとうございました。 よろしくおねがいします。 👽👽 👽👽 #本当はあと1.5倍いい男 です#snapphotography #snapshot #スナップ #ppschool #スナップショット #streetphotography #streetphoto #ストリートフォト #utsunomiya #船見征二 #鳩と烏と #宇都宮 #栃木県 #アート #アートフォト #art #artphotography #japanesephotographer #sonyα7ⅲ #sonyphotography #下野新聞 #写真集 (Utsunomiya, Tochigi) https://www.instagram.com/p/CnvQNZNvYz1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#本当はあと1#snapphotography#snapshot#スナップ#ppschool#スナップショット#streetphotography#streetphoto#ストリートフォト#utsunomiya#船見征二#鳩と烏と#宇都宮#栃木県#アート#アートフォト#art#artphotography#japanesephotographer#sonyα7ⅲ#sonyphotography#下野新聞#写真集
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--深海人形-- 地獄に楽園の祭典を
…先陣を切るしかない。…此のフロンティアに……(※某名言パロディ)。
※クロスオーバーネタ注意コーナーあり
※人間家具ネタあり
※雑多にネタをぶち込み
※キャラ崩壊注意
…。
ローアは、ノアの方舟と言うより、エジプト神話の『太陽の船』がモデルだと思ってる。
…どうも、マホロアには、魔術師と言うより、錬金術師のイメージある(※科学にも滅茶苦茶詳しいしナ)。
…。
…男達の強さ議論、最強議論癖を嘲笑う非モテの腐った雌豚が、カップリング論争と学級会をして居る。…其れは其うと、『人の振り見て我が振り直せ』って言葉があった様な?
…。
--マホロアとローアが 出会った あの日、
彼に対し、ローアは 何かを感じた。
楽園へ いざなうはずが、クラウンだっかんの
手先となった ローアは だれかに止めて
もらいたく、本来の力を かくして いたという。
--星のカービィ Wii デラックス より引用
クラウン『強奪』じゃなくて、クラウン『奪還』表記なんだよね。何故、『強奪』では無く、『奪還』表記なんだろうか。
そして、楽園にいざなう事とマスタークラウンには何か相関関係があるのだろうか?
…。
ようつべでNen ImpactのPV見てたら「何これ?世界観が明る過ぎる。HxHの格ゲーはアンダーナイトインヴァースみたいな雰囲気が似合う」と言う意見を見て「ほんそれ」と思った。明らかに、HxHって格ゲーで言ったらUNI(前述のアンダーナイトインヴァース)とかヴァンパイアセイヴァーとか堕落天使みたいな暗さなんだよな。
今回の奴は、(※本当はドス黒真っ黒な世界観で所々話の根幹が気持ち悪い)ガンダムとかカービィみたいに広く浅く大衆に売れる様に、にわか、大衆向けに、無理矢理、明るくした感じがして嫌い、本当に嫌いです。…何故、此んな物を発売しようとした(憤怒)?。
…聖人君子みたいな信者でも許せないよ、あんなの(※…まぁ、HxH界隈には、最早、聖人君子と言うべき類のは残っていないと言って良い気がしますが笑)。…然し、何と言う事でしょう、ガンダムEXAより酷い物が……(※あからさまな挑発行為)。
…。
個人的にも気になる事一覧
・エフィリス、エフィリンの様な存在は、あの宇宙では、割と、ありふれて居るのか?(※エフィリスに、ID-F86、エフィリンにID-F87と言う研究コードネームがついて居ると言う事は、其れ以前に、85体の研究対象が居たと言う事である)。
・ディメンションミラーは、古代ハルカンドラ人或いはナイトメアの作ったものか?
・ナイトメアとダークマターの関係
・ナイトメアとダークマターは、もしかして、所属する派閥が違うだけで同族憎悪で敵対し合う同じ存在なのか?
・ラパ、ルパ、ロパ、ローパー属等アナザーディメンションの住人達は、矢張り、ハルカンドラの民の成れ果てなのか?
・手狭な世界を捨て、宇宙に旅立った新世界の民は、本当にハルカンドラの祖なのか?
・ハルカンドラが滅んだのは、マスタークラウンの所為では無いのか?
・ハルカンドラは何故、約束の地と呼ばれているのか?大昔に約束を交わした存在がいたのか?
・ハルカンドラには科学と魔術の両方に長ける存在はいたのか?そこの科学派と魔術派の仲を取り持つ存在はいたのか?
・本当に、カービィはダークマターから生まれた存在なのか?
・ダークマターにグーイと言う一族が居る様にナイトメアにも一族は居るのか?
・マルク、マホロア、ハイネス、ハルトマン父子達は新世界、ハルカンドラ民の(魔術派、科学派)末裔では無いのか?
・ローアが誘おうとしている『楽園』とは、一体何処の事か?
・エフィリス或いはレオンガルフが言及する夢の大地とは、結局、『=(古代の)ハルカンドラ』であるのか?
・歴代ソウルボス達の共通点は何処から、何由来で来るのか、ソウル化の条件は何か?バルフレイナイトや蝶々はソウルボス達に関係あるのか?
・バルフレイナイトと黄泉の蝶々は、マスタークラウン及び、ダークマター、ナイトメア、ラスボス達のソウル化、ニル、ハルカンドラと関係が何かあるのか?
カービィシリーズ謎多過ぎる(※結論)。
…。
…ディスカバリーのバルフレイナイト戦BGMを聞くと、スパストIIXの豪鬼を思い出す(※サイコパワーの使い手を、ボコボコに、噛ませ犬にして倒してから乱入して来る、…と言うシチュエーションも似てるので、尚更)。
…アナザーディメンションとソウル散る忘失の絶島では『明かされた禁足の様で禁足で無い秘境』、レッドガル禁足地は『明かされた知ってはならない秘儀秘教』、…と言う感じがして好き(※カービィBGMの話)。
…。
RXQ-01〜04のイメージはどう考えても、
「連邦」の次期主力戦闘機として開発、ウェイン兄弟の最高傑作にして最後の兵器製造--ガレッガシリーズを投影してる、矢っ張り、あれ等を"未だに"モデルに使ってるんだろうねぇ……と思って居る方へ、…そうだよ(頷き)!!!!
だけど、其れだと、本来なら、ガトーがRXQ-01に、一握りの天才が-04に、設定年齢35歳さんが-03になるべきだったんだよな(※彼がRXQ-02で、彼女がRXQ-04なのは0083準拠なんで ※遠い目)。
…で、…RXQ-01が誰かって?…ほら、彼奴です、彼奴……!…金髪碧眼の赤い……(※…いや、金髪碧眼で赤いヤツと言えども、…偽物の方かな……?)。
…。
…平気で、『ガトーとジョニーのティターンズ堕ちww(※正に悪夢)』、『先程の二人とシロッコとかの心を破壊して機械に直結して使う生体パーツ、生体兵器にする(※前者よりもっと酷い)』みたいな展開やるワイには、EXAを批判する権利は無い(※遠い目)。
…。
コウ「…ガトーは、僕んちの家具として最適な男だったのになぁ……(※ドS)。」
キース「…椅子としてか?…机としてか?(※一応親友に合わせてやる)。」
コウ「…矢っ張り、椅子かなぁ……、…で、キースもガトーを家具にどう?(※親切)。」
キース「…俺は遠慮しとくよ……(※人の心あった)。」
…。
…異端拷問官 ウラキ、悪のジオン星人を異端として拷問しちゃうぞ⭐︎(※頭ティターンズかよ)。
異端拷問官「…ほらほらぁ、ガトーも此う言うの好きなんだろぉ…………?…天然牛肉のバーベキューだぞぉ〜〜〜〜、…だけど、全身鎖で縛られてるから食べられないねぇ?(※可哀想ぉ♡)。」
ガトー「…天然の肉…………ウッ………天然の肉!!!!!!!(※然も霜降り高級牛肉…………!!!!!)。」
何故か其の場に居るジェリド「…うわっ、何て惨たらしい拷問なんだ……(※スペースノイドは上流階級ですら天然の肉なんて、一生に一度食えるか食えないからしいからな……)。」
※…因みに、ジェリドは昔から週一ペースで天然牛肉のバーベキューを食える立場にある(※実質特権階級)。
※…以下、クロスオーバーネタ注意
…、
…大概、ハルカンドラ行くと、大量にドゥビアが出て来る(※拙作の特徴)。…原作のハルカンドラでも出て来るんですけど、普通に、ギガントエッジと同じ位敵キャラとして使い易いからと言うのもあるね、此奴が結構数出て来るのは(※酷い扱い)。
…。
昔Chat-GPT4にぷく天のハムスターズとジェリドの対局を麻雀シミュレーション(半荘戦)させた事があったんですけど、最終的に、ジェリドが三位だった(※汚名挽回不可避)。だけど、鼠畜生に負けるなんて、『(宇宙世紀)人類の恥』では?(※言い過ぎ)。…同じ事を他の面子(※ヒト)にさせたら、大体余裕で一位取るのに(※遠い目)。…ヒトなのに、鼠畜生に麻雀で負けたジェリドが、余りにも、可哀想過ぎて、思わず、GPT4に、一位取ったver書いてと頼んだ位だった(※…兎にも角にも、ヒトが、知恵で畜生に負けるのは、恥だと思う)。
…ヒトの身分で畜生相手に派手に負けた人類ってワイがシミュレートさせた限りではジェリド(若しくは他伝統ボドゲのシミュレーションでナマケモノに負けたハサウェイ)しか居ない。…やっぱ人類の恥じゃん(※辞めろ)。
…。
…『星羅征く彼方からの客人〜The Best Friends.』の後書きで、『団長=ヒトの体に受肉したダークマター一族説(※一応暗黒大陸出身説はある)』出したけど、某赤い彗星と其の妹と其の父ちゃんも、人間の体に受肉したダークマター一族なんじゃねぇの?……とは思う(※或いはニルか……)。
…で、…ヒトの体に受肉するって、随分、"欲情"を彷彿とさせる表現ですよね(※オタク特有の早口)。
…。
…『深海人形 重力のある夢の大地』で、コウとシロッコは、未知のテクノロジー目当てで(…と同じく地獄の様な宇宙世紀を忘れたいと言う思いもあって)、"楽園"に行きたがってたし、目指した(※宇宙世紀は地獄だってはっきり分かんだね)。
…だが、一方、旅団と言うか、…クロロは『異宇宙から来た虚言の旅人〜The Best Friends.』で、"楽園"には興味が無く、「…『ハルカンドラ』?…オレ達は行く気無ぇよ。テメェだけで行きな。」…と言った(※…まぁ、旅団は地元大好きマイルドヤンキーの集団 ※但し、地元に仇なした連中に復讐する為なら死も厭わない極悪最凶盗賊の集まり だしな)。
…皆様、本当に強いメンタリティを持つ人間は、当たり前ですが、後者なのですよ(※宇宙世紀に地元愛の感情を持つあの次元の人間なんて、最早、人では無い気がするが……)。
…其れから、…シロッコ(※辺り)は、幻影旅団の地元愛を、「…田舎者故の視野狭窄現象(※…所詮、旅団は自分達の地元しか見えて無い俗人の集まりでしか無い)。」…みたいに、鼻で笑いそうではある(※…でも、木星迄行ったアンタが言うなら……)。
…。
…後、…『星羅から〜』と『異宇宙から来た〜』では、露骨に、マホロア(等辺)は(※クロロ達の地元愛も含めて)彼奴等を見下してたね()。
…。
ガンダムは…、ガンダムは…、ガンダムは…!!
一体いつから……自分達が見せ物で金儲けの道具で無いと錯覚していた?
御前達は、初代の時点で、見せ物小屋で、金儲けの道具だったよ。今迄其うで無かった事なんて一度も無い。ガンダムを神聖視する人達は、一体何を自惚れているのかな?
比類無き『金を稼ぐ道具』だから、此処迄人気になれたんだよ。
一つの文化でも神聖でも高尚でも何でも無い。只の低俗だ。
…。
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策略規畫家
H:羋月傳第50集,公子蕩想向王叔討教謀劃天下的策略。三國諸葛亮的隆中對是策略,以前流行白皮書也是規劃。每個人都是自己的人生策略規畫家。學校的生涯規劃練習,找出性向及職業也是不錯的議題。20240319W2
網路資料:
「陳文德先生為諸葛亮立傳,以「策略規畫家」為名,再貼切不過了。想做好策略規畫(Strategy planning),必須一方面了解外在環境的變化趨勢,掌握機會;一方面了解自身的條件,發揮優勢。「機會+優勢」,兩環相扣,便很可能成為競爭贏家。」
諸葛亮集
作者:諸葛亮 隆中對為後主伐魏詔→本作品收錄於《諸葛亮集 (張澍)》又名〈草廬對〉

姊妹計劃: 百科·圖冊分類·數據項
〈澍案:《蜀志》,先主詣亮,凡三往,乃見,因屏人問計。亮答之,曰:〉
〈《三國志》卷三十五《蜀志·諸葛亮傳》:由是先主遂詣亮,凡三往,乃見。因屏人曰:「漢室傾頹,姦臣竊命,主上蒙塵。孤不度德量力,欲信大義於天下,而智術短淺,遂用猖(獗)〔蹶〕,至於今日。然志猶未已,君謂計將安出?」亮答曰:〉
自董卓已來,豪傑並起,跨州連郡者不可勝數。曹操比於袁紹,則名微而衆寡,然操遂能克紹,以弱爲彊者,非惟天時,抑亦人謀也。今操已擁百萬之衆,挾天子而令諸侯,此誠不可與爭鋒。孫權據有江東,已歷三世,國險而民附,賢能爲之用,此可以爲援而不可圖也。荊州北據漢、沔,利盡南海,東連吳會,西通巴、蜀,此用武之國,而其主不能守,此殆天所以資將軍,將軍豈有意乎?益州險塞,沃野千里,天府之土,高祖因之以成帝業。劉璋闇弱,張魯在北,民殷國富而不知存恤,智能之士思得明君。將軍旣帝室之冑,信義著於四海,總攬英雄,思賢如渴,若跨有荊、益,保其巖阻,西和諸戎,南撫夷越,外結好孫權,內脩政理;天下有變,則命一上將將荊州之軍以向宛、洛,將軍身率益州之衆出於秦川,百姓孰敢不簞食壺漿以迎將軍者乎?誠如是,則霸業可成,漢室可興矣。〈《三國志》卷三十五《蜀志·諸葛亮傳》。
白皮書
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白皮書(英語:White Paper)通常指具有權威性的報告書或指導性文本作品,用以闡述、解決或決策。白皮書在政府和B2G市場中都有應用。
政府的��皮書
是政府就某一重要政策或提議而正式發表的官方報告書,起源於英國政府。最知名的早期白皮書範例是1922年的邱吉爾白皮書[1]。第一位白皮書的女性作者為英國的探險家暨外交官格特魯德·貝爾。她長達149頁的《美索不達米亞民政回顧》於1920年於議院報告。
因為報告書的封面是白色,所以被稱為白皮書。一國政府或議會正式發表的以白色封面裝幀的重要文件或報告書的別稱。「某皮書」最早源於政府部門對某個專門問題的特定報告,通常這種報告在印刷時不作任何裝飾,封面也是白紙黑字,所以稱為「白皮書」。
各國的文件分別有其慣用的顏色,封面用白色,就叫白皮書,如1949年8月美國發表的《美國與中國的關係的聲明》為白皮書;封面用藍色,叫藍皮書(如英國);用紅色,叫紅皮書(如西班牙);用黃色,叫黃皮書(如法國);用綠色,叫綠皮書(如意大利)等。使用白皮書和藍皮書的國家最多,特別是白皮書已經成為國際上公認的正式官方文書。白皮書被視為政府對國民正式發布訊息、資料和政策的一種手段。在大英國協國家或曾被英國統治的地方,白皮書是政府重要政策落實前的最後公布文書。
參考文獻
參見
榻上策
榻上策是魯肅在建安五年(公元200年)時,與孫權合榻對飲時,對孫權提出了與諸葛亮的隆中對(發生於公元207年冬至208年春)相似的治國對策。由於其是在榻(一種狹長而較矮的床形坐具)上進行的對話,因此得名。
基本介紹
中文名:榻上策
屬性:治國對策
時間:公元200年
地點:江東
實行
與隆中對類似,該對話後來也成為東吳的治國方針。在此對話中的同時,曹操正和袁紹進行官渡之戰,勝敗未分,而魯肅卻能在當時就看出北方的敵人將只會有曹操,之後依其計略,雖然在建安十三年(公元208年),孫權第三次西伐黃祖(荊州牧劉表之部下,同時也是江夏太守)時,消滅了黃祖,但孫權僅能占領江夏南部,因為劉表的長子劉琦仍能及時到達江夏守衛江北江夏。
之後,劉表病重身亡,他的兒子和繼承人劉琮投降曹操。故東吳在企圖攻占荊州,據有全長江流域之前,曹操就搶先南下進攻占有荊州,進而據有在長江上游的江陵,於是魯肅改而主張聯合不久之前投靠劉表的劉備,抵抗南下的曹操。在獲得赤壁之戰的勝利之後,曹操方面的勢力仍然很大,故魯肅主張借荊州給劉備,多樹曹操之敵。終其魯肅在世之時,他一直努力維持孫劉兩家聯合抗曹,聯劉抗曹是當時東吳的治國方針。這實際上確定了三分天下的基本態勢。【曹操孫權劉備】
原文
權即見肅,與語甚悅之。眾賓罷退,肅亦辭出,乃獨引肅還,合榻對飲。因密議曰:“今漢室傾危,四方雲擾,孤承父兄餘業,思有桓文之功。君既惠顧,何以佐之?”肅對曰:“昔高帝區區欲尊事義帝而不獲者,以項羽為害也。今之曹操,猶昔項羽,將軍何由得為桓文乎?肅竊料之,漢室不可復興,曹操不可卒除。為將軍計,惟有鼎足江東,以觀天下之釁。規模如此,亦自無嫌。何者?北方誠多務也。因其多務,剿除黃祖,進伐劉表,竟長江所極,據而有之,然後建號帝王以圖天下,此高帝之業也。”權曰:“今盡力—方,冀以輔漢耳,此言非所及也。”張昭非肅謙下不足,頗訾毀之,雲肅年少粗疏,未可用。權不以介意,益貴重之,賜肅母衣服幃帳,居處雜物,富擬其舊。劉表死,肅進說曰:“夫荊楚與國鄰接,水流順北,外帶江漢,內阻山陵,有金城之固,沃野萬里,士民殷富,若據而有之,此帝王之資也。今表新亡,二子素不輯睦,軍中諸將,各有彼此。加劉備天下梟雄,與操有隙,寄寓於表,表惡其能而不能用也。若備與彼協心,上下齊同,則宜撫安,與結盟好:如有離違,宜別圖之,以濟大事。肅請得奉命吊表二子,並慰勞其軍中用事者,及說備使撫表眾,同心一意,共治曹操,備必喜而從命。如其克諧,天下可定也。今不速往,恐為操所先。”權即遣肅行。
什麼是職業規劃師 職業規劃師,career development mentor,是以職業人的個體利益出發,結合專業知識和相關資源,給予客戶有關職業的適應、發展等方面的專業咨詢、輔導、判斷、建議和解決辦法的專業人才。
規劃師的任務就是通過一些諮詢技巧、藉助一些評估方法幫助諮詢者更深入地瞭解自己及相關需求,並最終由自己作出決策。規劃師最重要的工作是給諮詢者展現更多的選擇,而不是替諮詢者作決策。
維基文庫:
三國演義第四十三回
諸葛亮舌戰群儒,魯子敬力排眾議
卻說魯肅、孔明辭了玄德、劉琦,登舟望柴桑郡來。二人在舟中共議,魯肅謂孔明曰:「先生見孫將軍,切不可實言曹操兵多將廣。」孔明曰:「不須子敬叮嚀,亮自有對答之語。」及船到岸,肅請孔明於館驛中暫歇,先自往見孫權。權正聚文武於堂上議事,聞魯肅回,急召入問曰:「子敬往江夏,體探虛實若何?」肅曰:「已知其略,尚容徐稟。」權將曹操檄文示肅曰:「操昨遣使齎文至此,孤先發遣來使,現今會眾商議未定。」肅接檄文觀看。其略曰:
孤近承帝命,奉詔伐罪。旄麾南指,劉琮束手;荊襄之民,望風歸順。今統雄兵百萬,上將千員,欲與將軍會獵於江夏,共伐劉備,同分土地,永結盟好。幸勿觀望,速賜回音。
魯肅看畢曰:「主公尊意若何?」權曰:「未有定論。」張昭曰:「曹操擁百萬之眾,借天子之名,以征四方,拒之不順。且主公大勢可以拒操者,長江也。今操既得荊州,長江之險,已與我共之矣,勢不可敵。以愚之計,不如納降為萬安之策。」眾謀士皆曰:「子布之言,正合天意。」孫權沈吟不語。張昭又曰:「主公不必多疑。如降操則東吳民安,江南六郡可保矣。」孫權低頭不語。
須臾,權起更衣,魯肅隨於權後。權知肅意,乃執肅手而言曰:「卿欲如何?」肅曰:「恰纔眾人所言,深誤將軍。眾人皆可降曹操,惟將軍不可降曹操。」權曰:「何以言之?」肅曰:「如肅等降操,當以肅還鄉黨累官,故不失州郡也;將軍降操,欲安所歸乎?位不過封侯,車不過一乘,騎不過一匹,從不過數人,豈得南面稱孤哉?眾人之意,各自為己,不可聽也。將軍宜早定大計。」
權歎曰:「諸人議論,大失孤望。子敬開說大計,正與吾見相同。此天以子敬賜我也!但操新得袁紹之眾,近又得荊州之兵,恐勢大難以抵敵。」肅曰:「肅至江夏,引諸葛瑾之弟諸葛亮在此,主公可問之,便知虛實。」權曰:「臥龍先生在此乎?」肅曰:「現在館驛中安歇。」權曰:「今日天晚,且未相見。來日聚文武於帳下,先教見我江東英俊,然後升堂議事。」
肅領命而去;次日至館驛中見孔明,又囑曰:「今見我主,切不可言曹操兵多。」孔明笑曰:「亮自見機而變,決不有誤。」肅乃引孔明至幕下。早見張昭、顧雍等一班文武,二十餘人,峨冠博帶,整衣端坐。孔明逐一相見,各問姓名。施禮已畢,坐於客位。張昭等見孔明丰神飄洒,器宇軒昂,料道此人必來游說。張昭先以言挑之曰:「昭乃江東微末之士,久聞先生高臥隆中,自比管、樂。此語果有之乎?」孔明曰:「此亮平生小可之比也。」昭曰:「近聞劉豫州三顧先生於草廬之中,幸得先生,以為如魚得水,思欲席捲荊、襄。今一旦以屬曹操,未審是何主見?」
孔明自思張昭乃孫權手下第一個謀士,若不先難倒他,如何說得孫權;遂答曰:「吾觀取漢上之地,易如反掌。我主劉豫州躬行仁義,不忍奪同宗之基業,故力辭之。劉琮孺子,聽信佞言,暗自投降,致使曹操得以猖獗。今我主屯兵江夏,別有良圖,非等閒可知也。」
昭曰:「若此,是先生言行相違也。先生自比管、樂。管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下;樂毅扶持微弱之燕,下齊七十餘城;此二人者,真濟世之才也。先生在草廬之中,但笑傲風月,抱膝危坐;今既從事劉豫州,當為生靈興利除害,剿滅亂賊。且劉豫州未得先生之時,尚且縱橫寰宇,割據城池;今得先生,人皆仰望;雖三尺童蒙,亦謂彪虎生翼,將見漢室復興,曹氏即滅矣;朝廷舊臣,山林隱士,無不拭目而待:以為拂高天之雲翳,仰日月之光輝,拯斯民於水火之中,措天下於衽席之上,在此時也。何先生自歸豫州,曹兵一出,棄甲拋戈,望風而竄;上不能報劉表以安庶民,下不能輔孤子而據疆土;乃棄新野,走樊城,敗當陽,奔夏口,無容身之地?是豫州既得先生之後,反不如其初也。管仲、樂毅,果如是乎?愚直之言,幸勿見怪!」
孔明聽罷,啞然而笑曰:「鵬飛萬里,其志豈群鳥能識哉?譬如人染沈痾,當先用糜粥以飲之,和藥以服之;待其腑臟調和,形���漸安,然後用肉食以補之,猛藥以治之;則病根盡去,人得全生也。若不待氣脈和緩,便投以猛藥厚味,欲求安保,誠為難矣。吾主劉豫州,向日軍敗於汝南,寄跡劉表,兵不滿千,將止關、張、趙雲而已;此正如病勢尪羸已極之時也。新野山僻小縣,人民稀少,糧食鮮薄,豫州不過暫借以容身,豈真將坐守於此耶?夫以甲兵不完,城郭不固,軍不經練,糧不繼日,然而博望燒屯,白河用水,使夏侯惇、曹仁輩心驚膽裂。竊謂管仲、樂毅之用兵,未必過此。至於劉琮降操,豫州實出不知;且又不忍乘亂奪同宗之基業,此真大仁大義也。當陽之敗,豫州見有數十萬赴義之民,扶老攜幼相隨,不忍棄之,日行十里,不思進取江陵,甘與同敗,此亦大仁大義也。寡不敵眾,勝負乃其常事。昔高皇數敗於項羽,而垓下一戰成功,此非韓信之良謀乎?夫信久事高皇,未嘗累勝。蓋國家大計,社稷安危,是有主謀,非比誇辯之徒,虛譽欺人,──坐議立談,無人可及;臨機應變,百無一能。──誠為天下笑耳!」
這一篇言語,說得張昭並無一言回答。座上忽一人抗聲問曰:「今曹公兵屯百萬,將列千員,龍驤虎視,平吞江夏,公以為何如?」孔明視之,乃虞翻也。孔明曰:「曹操收袁紹蟻聚之兵,劫劉表烏合之眾,雖數百萬不足懼也。」虞翻冷笑曰:「軍敗於當陽,計窮於夏口,區區求救於人,而猶言不懼,此真大言欺人也!」孔明曰:「劉豫州以數千仁義之師,安能敵百萬殘暴之眾,退守夏口,所以待時也。今江東兵精糧足,且有長江之險,猶欲使其主屈膝降賊,不顧天下恥笑;由此論之,劉豫州真不懼操賊者矣!」
虞翻不能對。座間又一人問曰:「孔明欲效儀、秦之舌,游說東吳耶?」孔明視之,乃步騭也。孔明曰:「步子山以蘇秦、張儀為辯士,不知蘇秦、張儀亦豪傑也。蘇秦佩六國相卬,張儀兩次相秦,皆有匡扶人國之謀,非比畏強凌弱,懼刀避劍之人也。君等聞曹操虛發詐偽之詞,便畏懼請降,敢笑蘇秦、張儀乎?」
步騭默默然無語。忽一人問曰:「孔明以操何如人也。」孔明視其人,乃薛綜也。孔明答曰:「曹操乃漢賊也,又何必問?」綜曰:「公言差矣。漢歷傳至今,天數將終。今曹公已有天下三分之二,人皆歸心。劉豫州不識天時,強欲與爭,正如以卵擊石,安得不敗乎?」孔明厲聲曰:「薛敬文安得出此無父無君之言乎!夫人生天地間,以忠孝為立身之本。公既為漢臣,則見有不臣之人,當誓共戮之,臣之道也。今曹操祖宗叨食漢祿,不思報效,反懷纂逆之心,天下之所共憤。公乃以天數歸之,真無父無君之人也!不足與語!請勿復言!」
薛綜滿面羞慚,不能對答。座上又一人應聲問曰:「曹操雖挾天子以令諸侯,猶是相國曹參之後。劉豫州雖云中山靖王苗裔,卻無可稽考,眼見只是織蓆販屨之夫耳,何足與曹操抗衡哉!」孔明視之,乃陸績也。孔明笑曰:「公非袁術座間懷橘之陸郎乎?請安坐聽吾一言。曹操既為曹相國之後,則世為漢臣矣;今乃專權肆橫,欺凌君父,是不惟無君,亦且蔑祖;不惟漢室之亂臣,亦曹氏之賊子也!劉豫州堂堂帝冑,當今皇帝,按譜賜爵,何云無可稽考?且高祖起身亭長,而終有天下;織蓆販屨,又何足為辱乎?公小兒之見,不足與高士共語!」
陸績語塞。座上一人忽曰:「孔明所言,皆強詞奪理,均非正論,不必再言。且請問孔明治何經典?」孔明視之,乃嚴畯也。孔明曰:「尋章摘句,世之腐儒也,何能興邦立事?且古耕莘、伊尹、釣渭、子牙、張良、陳平之流,鄧禹、耿弇之輩,皆有匡扶宇宙之才,未審其生平治何經典。豈亦效書生區區於筆硯之間,數黑論黃,舞文弄墨而已乎?」
嚴畯低頭喪氣而不能對。忽又一人大聲曰:「公好為大言,未必真有實學,恐適為儒者所笑耳。」孔明視其人,乃汝南程德樞也。孔明答曰:「儒有君子小人之別。君子之儒,忠君愛國,守正惡邪,務使澤及當時,名留後世。若夫小人之儒,惟務雕蟲,專工翰墨,青春作賦,皓首窮經;筆下雖有千言,胸中實無一策;且如揚雄以文章名世,而屈身事莽,不免投閣而死,此所謂小人之儒也;雖日賦萬言,亦何取哉!」
程德樞不能對。眾人見孔明對答如流,盡皆失色。時座上張溫、駱統二人,又欲問難。忽一人自外而入,厲聲言曰:「孔明乃當世奇才,君等以脣舌相難,非敬客之禮也。曹操大軍臨境,不思退敵之策,乃徒鬥口耶!」
眾視其人,乃零陵人,姓黃,名蓋,字公覆,現為東吳糧官。當時黃蓋謂孔明曰:「愚聞多言獲利,不如默而無言。何不將金石之論為我主言之,乃與眾人辯論也?」孔明曰:「諸君不知世務,互相問難,不容不答耳。」
於是黃蓋與魯肅引孔明入;至中門,正遇諸葛瑾,孔明施禮。瑾曰:「賢弟既到江東,如何不來見我?」孔明曰:「弟既事豫州,理宜先公後私,公事未畢,不敢及私。望兄見諒。」瑾曰:「賢弟見過吳侯,卻來敘話。」說罷自去。
魯肅曰:「適間所囑,不可有誤。」孔明點頭應諾。引至堂上,孫權降階而迎,優禮相待。施禮畢,賜孔明坐。眾文武分兩行而立。魯肅立於孔明之側,只看他講話。孔明致玄德之意畢,偷眼看孫權:碧眼紫鬚,堂堂儀表。孔明暗思:「此人相貌非常,只可激,不可說。等他問時,用言激之便了。」
獻茶已畢,孫權曰:「多聞魯子敬談足下之才,今幸得相見,敢求教益。」孔明曰:「不才無學,有辱明問。」權曰:「足下近在新野,佐劉豫州與曹操決戰,必深知彼軍虛實。」孔明曰:「劉豫州兵微將寡,更兼新野城小無糧,安能與曹操相持?」權曰:「曹兵共有多少?」孔明曰:「馬步水軍,約有一百餘萬。」權曰:「莫非詐乎?」孔明曰:「非詐也。曹操就兗州已有青州軍二十萬;平了袁紹,又得五六十萬;中原新招之兵三四十萬;今又得荊州之軍二三十萬:以此計之,不下一百五十萬。亮以百萬言之,恐驚江東之士也。」
魯肅在旁,聞言失色,以目視孔明;孔明只做不見,權曰:「曹操部下戰將,還有多少?」孔明曰:「足智多謀之士,能征慣戰之將,何止一二千人!」權曰:「今曹操平了荊楚,復有遠圖乎?」孔明曰:「即今沿江下寨,準備戰船,不欲圖江東,待取何地?」權曰:「若彼有吞併之意,戰與不戰,請足下為我一決。」孔明曰:「亮有一言,但恐將軍不肯聽從。」權曰:「願聞高論。」孔明曰:「向者宇內大亂,故將軍起江東,劉豫州收眾漢南,與曹操並爭天下。今操芟除大難,略已平矣;近又新破荊州,威震海內;縱有英雄,無用武之地:故豫州遁逃至此。願將軍量力而處之。若能以吳越之眾,與中國抗衡,不如早與之絕;若其不能,何不從眾謀士之論,按兵束甲,北面而事之?」
權未及答。孔明又曰:「將軍外託服從之名,內懷疑貳之見,事急而不斷,禍至無日矣。」權曰:「誠如君言,劉豫州何不降操?」孔明曰:「昔田橫齊之壯士耳,猶守義不辱,況劉豫州王室之冑,英才蓋世,眾士仰慕?事之不濟,此乃天也,又安能屈處人下乎?」
孫權聽了孔明此言,不覺勃然變色,拂衣而起,退入後堂。眾皆哂笑而散。魯肅責孔明曰:「先生何故出此言?幸是吾主寬洪大度,不即面責。先生之言,藐視吾主甚矣。」孔明仰面笑曰:「何如此不能容物耶?我自有��曹之計,彼不問我,我故不言。」肅曰:「果有良策,肅當請主公求教。」孔明曰:「吾視曹操百萬之眾,如群蟻耳!但我一舉手,則皆為虀粉矣!」
肅聞言,便入後堂,見孫權。權怒氣未息,顧謂肅曰:「孔明欺吾太甚!」肅曰:「臣亦以此責孔明,孔明反笑主公不能容物,破曹之策,孔明不肯輕言。主公何不求之?」權回嗔作喜曰:「原來孔明有良謀,故以言詞激我。我一時淺見,幾誤大事。」便同魯肅重復出堂,再請孔明敘話。權見孔明,謝曰:「適來冒瀆清嚴,幸勿見罪。」孔明亦謝曰:「亮言語冒犯,望乞恕罪。」權邀孔明入後堂,置酒相待。
數巡之後,權曰:「曹操平生所惡者,呂布、劉表、袁紹、袁術、豫州與孤耳。今數雄已滅,獨豫州與孤尚存。孤不能以全吳之地,受制於人。吾計決矣。非劉豫州莫與當曹操者。然豫州新敗之後,安能抗此難乎?」孔明曰:「豫州雖新敗,然關雲長猶率精兵萬人;劉琦領江夏戰士,亦不下萬人。曹操之眾,遠來疲憊;近追豫州,輕騎一日夜行三百里。此所謂「強弩之末,勢不能穿魯縞」者也。且北方之人,不習水戰。荊州士民附操者,迫於勢耳,非本心也。今將軍誠能與豫州協力同心,破曹軍必矣。操軍破必北還,則荊吳之勢強,而鼎足之形成矣。成敗之機,在於今日。惟將軍裁之。」
權大悅曰:「先生之言,頓開茅塞。吾意已決,更無他疑。即日商議起兵,共滅曹操。」遂令魯肅將此意傳諭文武官員,就送孔明於館驛安歇。
張昭知孫權欲興兵,遂與眾議曰:「中了孔明之計也!」急入見權曰:「昭等聞主公將興兵與曹操爭鋒。主公自思比袁紹若何?曹操向日兵微將寡,尚能一鼓克袁紹,何況今日擁百萬之眾南征,豈可輕敵?若聽諸葛亮之言,妄動甲兵,此所謂負薪救火也。」孫權只低頭不語。顧雍曰:「劉備因為曹操所敗,故欲借我江東之兵以拒之,主公奈何為其所用乎?願聽子布之言。」
孫權沈吟未決。張昭等出,魯肅入見曰:「適張子布等,又勸主公休動兵,力主降議,此皆全軀保妻子之臣,為自謀之計耳。願主公勿聽也。」孫權尚在沈吟。肅曰:「主公若遲疑,必為眾人誤矣。」權曰:「卿且暫退,容我三思。」肅乃退出。時武將或有要戰的,文官都是要降的,議論紛紛不一。
且說孫權退入內宅,寢食不安,猶豫不決。吳國太見權如此,問曰:「何事在心,寢食俱廢?」權曰:「今曹操屯兵於江漢,有下江南之意。問諸文武,或欲降者,或欲戰者。欲待戰來,恐寡不敵眾;欲待降來,又恐曹操不容:因此猶豫不決。」吳國太曰:「汝何不記吾姐臨終之語乎?」孫權如醉方醒,似夢初覺,想出這句話來。正是:追思國母臨終語,引得周郎立戰功。畢竟說著甚的,且看下文分解。
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天皇氏族の特徴
天皇氏族―天孫族の来た道 (古代氏族の研究⑬) | 宝賀 寿男
ここでは、天照大神や神武天皇の日本列島内における祖系を遡って探究するとともに、この天皇氏族・天孫族の様々な特徴を探り、それに関係した諸氏についても見ていく。検討すべき問題が多種多様で、それぞれが大きい問題を含むから、本書が紙数の制約のもとにあることを念頭におき、これまで検討してきた結論的なものを整理して、予めある程度示さざるをえない(このことを先ずお断りする)。
わが国天孫族の主な動向
これまで公刊してきた拙著『「神武東征」の原像』や『息長氏』など古代氏族シリーズ)を通じて、天皇氏族の基本的な人物たる神武天皇と一族近親、臣下・関係者について、各々の原像を具体的に示してきた。それらなどを踏まえて、以下に要点を記す。
神武天皇などの初期天皇:神武は、当初に居た北九州の筑前海岸部(天孫降臨伝承にいわゆる「日向」。具体的には筑前の早良・怡土両郡あたり)から、兄・彦五瀬命とともに畿内に東征を試み、紀伊の紀ノ川滞上ルートで大和侵攻に成功して、奈良盆地南部地域あたりを押さえ、大和朝廷の初代の大王(天皇)となった。治世時期は概ね紀元一七五~一九四年の約十九年間とみられる(資料編に掲載の表「古代天皇の治世時期の推定」を参照)。この東征は、邪馬台国本体の東遷ではなく、筑前の支分国の庶子・一族関係者による小勢力の東征活動にすぎない(要は、「神武東征」という事件はあったが、それは「邪馬台国本国の東遷」ではない。当地での前途を悲観した庶子たちによる他地への分岐活動という意味)。
神武に関連して現れる随行・敵対の人々と崇神天皇関係者とを比べれば、それぞれがまったく異なっており、「神武=崇神」という同一人物のはずがない(神武は崇神の五世代ほど前の祖先る)。鏡を象徴とすろ太陽神信仰(この奉祀勢力)の中心が北部九州から畿内に移動したと認めても、それが直ちに邪馬台国東遷だとみるのは��理の飛躍である(筑後川流域と大和盆地の地名の類似も、物部氏東遷の影響のほうが強いか)。
北九州の在地には、神武東征当時はまだ邪馬合国もその怡土支分国もともに残り。その後の一世紀半ほどの期間は、北九州と畿内に各々の王権勢力が列島内に並存した(三世紀中葉頃は、畿内のほうの勢力はまだ小さいから、列島内で二強の王国が並立という構造。規模ではない)
神武の後のいわゆる「闕史八代」の諸天皇は、実在性を否定する根拠に乏しい、。邪馬台国の九州残滓勢力は四世紀中葉頃には滅ぼされたが、これは、最終的には畿内王権・景行天皇の九州巡狩に因る(従って、古田武彦氏の言う「九州王朝説」は成り立たない)。大和王権がほぼ確立した崇神天皇の時代には、日本列島のうち本州主要部を版図としたが、西側は吉備ないし安芸くらいが西限であって、その勢力は北九州にはまだ達していなかった。
神武の父はは、天孫・瓊瓊杵尊の子の彦火火出見尊(山幸彦)で、母は海神族首長の娘・玉依姫である。
『記・紀』に神武の父とされるウガヤフキアエズノ尊(彦波瀲尊)は山幸彦嫡出の長子であって、実際には神武の嫡兄である。その子孫が怡土支分国の王家を継いでいったとみられるが、後裔の系譜や存続の詳細は不明である。
天照大神:高天原を主宰する男性神であり、名を天活玉命(生国魂神)ともいう(論拠は様々に異なるが、山片蟠桃以降、男性神説もかなり多い。天照大神は、卑弥呼ではないし、推古天皇や持統天皇など実在者の反映でもない。後世に造作された架空の人物でもない。本書では詳説しないが、拙著『「神武東征」の原像』『息長氏』等を参照のこと)。天稚彦の親として神代紀に記される「天国玉」や、天照御魂神にも相当する(鈴木真年著の『古事記正義』)。
天照大神は天皇家の遠祖だが、決して抽象神ではなく、神武の四代祖先という具体的な生身の人間である。長子の天忍穂耳尊(天忍骨命)の嫡子が天火明命(この神は物部祖神ではないことに注意)で、この系統が本国・高天原(筑後川の中下流域で、久留米市の高良山麓に本拠)の邪馬台国王を継いでいった(これも後商やその存続の詳細が不明で、大和王権側の記録には残らない。景行天皇の九州巡狩や神功皇后遠征の時の討滅対象のなかにあったものか)。
天火明命の弟が、高天原から筑前の「日向」へ天降り(移遷)した者で、これが瓊瓊杵尊である。祖先の居住��から支庶の者が分かれて新天地に遷ることを、東北アジアのツングース系の上古伝承では、「天からの降臨」という形で把握する傾向があり、日本列島でもその例にもれない。東北アジアの習俗・伝承を視野に入れない議論だから、こんなことは実際にありえず、後世の造作だと安易な速断をすることになる。東アジアの太陽神は、殷の太陽神俊や高句麗の例のように、全てが男性神であった。なお、記紀のいう「高天原」及び「日向神話、出雲神話」の舞台は、全て北九州にあった。
日本列島への到来者:本書では、以下に具体的に検討を加えるが、天孫族の分派が初めて分かれるのは、天照大神の諸子から始まるという形の分支流の系譜などから見て、天照大神のあまり遠くない祖先が北九州に到来したとみるのが自然であろう。
「倭人」を江南にあった呉の太伯(周王朝ど同族で姫姓)の裔とする伝承は、『魏略』逸文などに見えるが、種族・経路や時期等から見て、その支配層については疑問が大きい。すなわち、上古の「倭人」』の人々の大宗を占める海神族が越人(タイ系種族)と同種族とは認められるとしても、二世紀前半以降に北部九州における倭国連合体の長たる地位についた天皇家の先祖は、これとは系譜・種族が異なる。国の主な住民とその上に立つ支配層とは、朝鮮半島古代の例を見ても、別途考えることが必要である。
弥生時代に日本列島に渡来した主な種族・人々では、江南から(朝鮮半島南部を経て、稲作・青銅技術などの弥生文化をもって渡来した部族と、これにかなり遅れて、東北アジア地方(とくに中国東北部及び朝鮮半島)から渡来して鉄鍛冶技術をもった部族という二系統の部族があった、これら種族と、縄文時代から列島原住の人々(一種族ではないかもしれないが、とりあえず一括して「山祇族」としておく。総じて、クメール系種族)との混合体が「弥生人」とされよう。だから、単一種族として弥生人を捉えてはならない。なお、始皇帝によって東海に派遣され斉国の琅邪郡から船出した徐福が日本列島にある国の祖となったと言う「徐福伝説」は、肥前佐賀や紀州熊野などにあるが、とるにたらない。
天孫族の始祖・スサノヲ神
わが国における天孫族(皇統)の具体的な始祖から検討に入ろう。この始祖神としては、天照大神ではなく、「五十猛神(伊達神、射楯神)」(イタケル、イタテ)があげられる。この神は、『書紀』に言う、たんなる新羅からの渡来神ではない。別名を「渡し神(和多志神)、度津神」と言い、これは外地の韓郷から渡来してきたことに因る。佐渡一宮で式内社の度津神社(新潟県佐渡市羽茂飯岡)は海上交通の守護神として五十猛命を祀るなど、日本各地で同名で祀られる(『神道大辞典』など)。
この神の記事は少ないが、『書紀』第八段(宝剣出現)の一書第四および第五の記事に見える。素戔嗚尊が子の五十猛神を率いて先ず新羅国に天降り、そこから舟を作って出雲に渡ったとあり、また、五十猛神が天降りの際に多くの木種を将来したが、韓地には植えずに、筑紫より始めて列島内に木種を播いたとある。そうすると、韓地からの最初の到来地はむしろ筑紫になるし、渡来航路的にはそのほうが自然である。このように、韓地(朝鮮半島南部)からの渡来が『記・紀』に明確に記されるのは、天日矛(天日槍)より前の時代の神・人では、ほかにいない。五十猛神と妹二神(大屋姫命、抓津姫命。実態は妻神か)が「伊太祁曽三神」として紀伊国名草郡の名神大社で篤く祀られており、奉斉者が紀伊国造よりも紀臣氏(系譜は皇別とされるが、実態は天孫族系)とみられる事情にも留意される。
記紀神話では、その父「スサノヲ」は、高天原にあっては天照大神を困らせる暴れん坊神で、天照大神と争って敗れており、それによる追放後の「出雲」では開拓者的に描かれる。その終焉の地が出雲という伝承もあり、出雲市佐田町須佐の須佐神社(風土記・延喜式に記載)が祀られる。その攝末社に天照社・厳島社・須賀社などがあり、境内に千数百年という老杉や蘇民将来の祭もある。スサノヲの子の大国主神の子、加夜奈留美(女神?)の子孫と称する須佐氏が永年奉斎するが、少なくとも系図の初期段階などには疑問があり、出雲国造一族が祭祀に関与したか(瀧音能之氏が須佐神社周辺の地をスサノオ神の本貫とみるのは疑問で、ここには同神は到来しておらず、子孫と称する家が祀っただけのこと。出雲国造一族が奉斎した神社も当初は熊野神社が主で、杵筑神社(現・出雲大社)でも長い間、祭神がスサノヲであった)。
スサノヲは、その子孫という大国主神を通じて地祇の三輸氏・賀茂氏や住道首などにつながるという系譜を伝える。これが『姓氏録』大神朝臣条や『旧事本紀』地祇本紀などに見える子孫の系譜であり(前者の大神朝臣条では、素佐能雄命の六世孫が大国主と記される)、『古事記』では「いわゆる出雲系」の多数の神々に通じる系譜が紀載される。しかし、五十猛神と大国主神との関係はこれら系譜では不明なままである(五十猛と大国主とは、祖先・子係の関係にない。出雲の大国主神の父は天冬衣命と伝え、その祖系のなかにも五十猛は見えない)。
このため、「スサンヲ」という神には複数の神格(人格)がおるようにみられている。実際には、このような名・通称で呼ばれる者が一族・同系統で複数いたり(部族長の通称的な使用もあるがか)、子孫が祖先の伝承を伴って各地へ移遷、展開したともみられる。朝鮮神話に見える檀君も、スサノヲに擬せられたり、高句麗からの渡来系氏族・八坂造氏が京都祇園(感神院祇園社)で祀る「牛頭天王」も、中国神話で牛首人身神とされる炎帝���農氏(赤帝)や蚩尤(兵主神)という頭に角をもつ武神(戦神)、兵器製造神にも通じる。わが国ではこれら神々の実体がスサノヲ神(ないし大己貴命)に通じるとされることが多い。蚩尤が鉄神とも言われる。
この「スサノヲ」の名は、同一部族(天皇氏族)の根幹系統を通じて、遠い祖先から見える「通称」ではないかと把握される。すなわち、五十猛神自身がスサノヲ(の一人)に相当するとしたほうがよい。五十猛神を祀る式内社は、出雲六社、播磨二社、紀伊二社など全国合計で十五社もあり、これら地域分布からは天孫族系の出雲国造族が主に奉斎したことが窺われる。これに関連して、わが国で兵主神を祀る式内社は、近江国野洲郡及び大和国磯城郡など名神大社三社を含め、合計で十九社もあり、うち但馬七社、因幡二社、近江二社、播磨二社、丹波一社などという地域分布に留意される(この辺に着目すると、但馬出石に落ち着いた天日矛一族が、韓地の新羅あたりから当該兵主神をもたらした可能性も考えられる)。
兵主神社の祭神は、いまは大己貴命、素戔嗚神などとされて、特に前者とされることが多い。これは、本来の祭神で鍛冶神たる八千矛神が、大穴持命に通じる大己貴命と混同され、出雲に兵主神の神社分布が多い事情に因るものか。八千矛神という神は、『書紀』には見えず、『古事記』で高志の沼川比売の求婚譚などに見えて、大国主神の別名として扱われる。同神の子には、「御井神」も見える。御井神は木伺神ともいわれ、多くの樹種をもって天降り、広く大八洲に播種したと伝える五十猛神の縁者というのがふさわしい。滋賀県蒲生郡日野町の八千鉾神社は、大屋彦神(五十猛神のこと)を祭神とする。銅矛・銅戈や銅剣は分布が北九州に多くあり、銅矛の出雲出土はあまり多くないので(最多出土の荒神谷遣跡でも、銅矛十六本に対し、銅剣が三五八本の多数で出土)その意味でも出雲の大国主神が八千矛神とされるのにはしっくりこない。
八千矛神とは、実はイタテ神(伊太弓、伊達、射楯こと五十猛神)のこととみられる(その場合、御井神とは高魂命〔高木神〕のことか)。銅矛・銅戈の出土が肥前唐津辺りに多く、銅剣も含めて銅製武器が北九州に多く出て、これが「銅剣銅矛分布圏」という把握もある。日本列島では、弥生Ⅰ期に朝鮮半島から銅矛が到来し、鉄矛は同Ⅲ期に出現して古墳時代中期以降盛行した(『日本考古学事典』)、とされるから、鉄矛も併せ持って渡来したのが天孫族か。天孫族の広い範囲に入るとみられるのが、新羅からの渡来を伝える天日矛(天日槍)である。唐津市の宇木汲田遺跡からは多数の銅剣・銅矛や多鈕細文鏡などが出土しており、天孫族の足跡を示すものか。
イタテの神は新羅系の韓鍛治の奉祀した神だと窺えると、真弓常忠氏は指摘する(『古代の鉄と神々』)。中国の原型である「兵主神」が額に角を持ち鉄を食べる蚩尤(上記)とされており、わが国で同神にも比定される五十猛神が角凝魂命(「角+鉄塊の意味の凝」)という別名をもつのも肯ける。吉野裕氏は、『風土記』の研究などから、早くに『風士記世界と鉄王神話』(一九七二年刊)や『素尊鉄神論序説』(一九七三年刊)を著し、スサノヲが鉄神だとみた。この鉄神性を同神に認める見解が多い。
端的にいえば、複雑な性格ゆえにスサノヲ神(素戔嗚神)の位置づけが難解であり、たいへん重要なのである。これが、記紀にイザナギ・イザナミニ神の子で、皇祖神たる太陽神・天照大神の「弟」とされたり、大己貴命の祖先とされたりと様々に混同が生じた(実際、記紀で天照大神と争った「戦った」という意味をもつ「スサノヲ」は、大己貴など海神族系の祖という性格では、別神としたほうがよい。現実の出雲と、実体が葦原中国〔筑前海岸部の那珂川波域〕たる記紀神話の「出雲」とを、八世紀段階の記紀の編者たちは混同したことなどに因る。
人皇ノ鼻祖という鈴木真年の指摘
一般には、記紀神話の影響で、スサノヲ神の子ないし子孫(六世孫『姓氏録』ないし七世孫)が大己貴命(大国主神)で、いわゆる「出雲族」(あるいは海神族)の祖神がスサノヲ神と受けとられている。
しかし、大己貴命は海神族の系統の祖神であるが、そうであっても、スサノラヲ神とは男系血筋でのつながりがなく(スサノヲ神後裔の女性を妻の一人としたことは考えられるが)、両神が血統一系というのは原型・実態とは異なる(両神の血縁関係を否定する先学の見解はかなりある。例えば、瀧音能之・藤岡大拙氏など。スサノヲの子に「八千矛神」がおり(五十猛神のことか)、兵主神社で該られるが、これが大己貴命と混同された結果、スサノヲの子ともされたものか)。ともあれ、「出雲神族」という概念は紛らわしく、使用には留意される。
スサノヲによる八俣大蛇(八岐大蛇)の退治の伝承も、竜蛇信仰をもつ種族のトーテム獣を退治したのだから、海神族の祖神であるはずがない。もっとも「八俣大蛇=九頭竜」という見方もあるようである(ギリシャ神話に出る竜迷体の巨大怪物ヒュドラーも九つの首をもつ)。これが、『古事記』では「高志之八俣遠呂智」と表記されるが、「高志」が越すなわち北陸地方とまでは、スサノヲの活動地域から読みとれない。ともあれ、皇威に抗う荒神(荒ぶる水神)の象徴として大蛇がでてくることになる。
この伝承も、同神が居て活動したのが北九州だとしたら、竜蛇信仰をもつ種族・国々(海神族系種族の国、主に奴国か)の退治・平定を意味したのだろう.スサノヲについて、韓地から渡来の鉄器鍛冶集団が信奉する神という説はかなりある。火山の神という見方もあるが、これは火に関わる鍛治神の祖神、竃の神からの転訛の可能性もあろう。
明治期の国学者で系図研究者の鈴木真年は、その著書『日本事物原始』や『古事記正義』で、この神について概ね次のような主旨で記している。
「素戔鳥命トハ人皇ノ鼻祖二坐シテ、二神ノ真名子タリ。故二、天神此葦原中洲ヲ賜テ、国土ツ開闢セシム」(適宜、句読点を付した)と切り出し、高天原から天降って新羅の牛頭方(楽浪郡のうちの地)に至り、伊太氐命(亦名を五十猛命、大屋毘古命、伊太祁曽命、神平多命)・速須勢理比売を生み、その後、太白山(平安北道寧辺の妙香山に比定。平壌の東北方)の下に至り檀木の下に互市(陸上での交易)するなど人事や社会運営を教え、これを国人が追末して檀君という。また神櫛玉命(亦名を櫛御気野神、気津御子神。すなわち、熊野大神)ともいう。
その子の伊太氐命を率いて東海に入り、多くの樹木種ををもって出雲国に着き、須賀の地に宮居したが、伊太氐命は妹と協力して樹木の種を各地に分布した。素戔鳥命の子の天忍穂耳命を、天照大神は子として養って天子の位につけた。」(ここで天忍穂耳命を「子」とするのは、天安川の河原における天照大神との伝承から、スサノヲの実子と考えたものか。ただ、この見方には疑問あり、実際にはスサノヲの子孫となろう。後述)
こうした真年の把握には疑問な点もいくつかあるが、スサノヲ神がわが国の「人皇ノ鼻祖」だという基本は妥当な線だとみられる。天照大神が男神だという性格(夫婿が知られずに子孫を��す女性が古代大族の祖先系図にはまったく現れない事情もある)や忌部氏の上古系図等を参考にして、これら記紀の記事を総合的に考え併せる必要がある。そうすると、韓地から日本列島に渡来してきた、わが国天孫族の始祖(天照大神の更なる違い祖先)こそがスサノヲ神であって、五十猛神とも同神(ないしその父神)だとみるのが適当となる。朝鮮の始祖とされる「檀君」(後述するが、後世の造作神となろう)とほぼ同種の性格をもつ神という程度は認めて良い。
十世紀後葉の北宋に、日本の東大寺の僧・奝然らが雍熙元年(九八四)にやって来て、銅器や『王年代紀』などを献上したが、天御中主を初代とする皇統譜には、第十八代に素戔鳥尊(その前代が伊奘諾尊)、第十九代に天照大神尊、第二四代目に神武天皇の名前が記される(『宋史』日本伝)。平安中期の円融天皇治世のときに存在した『王年代紀』が何に基づくかは不明だが、天照大神の先代に素戔鳥尊があげられることに留意される。
スサノヲがスガの地に居たという上記伝承からか、全国の須賀神社はスサノヲを祭神とする例が多い。同社は、牛頭天王・須佐之男命を祭神とする祇園信仰の神社で、全国に広く存在し、島根県・高知県に特に多い。これら須賀神社の多くは、明治の神仏分離まで「牛頭天王社」「天王社」と称していた。牛頭天王は、播磨の広峯神社などでも祀られるが、同社は天孫族の針間国造の領域にあって、同じく凡河内国造一族が長く奉祀した。
なお、素戔嗚命の実体について、卑弥呼と対立関係にあった「狗奴国王」を考える説もあるが、これは根拠に乏しい想像論である(狗奴国の性格・習俗についての誤解が基礎にある)。また、習俗・祭祀やトーテムが異なる大国主神(海神族系氏族の祖)の父祖でもない。
八幡神の実体
豊前の宇佐八幡でも、祭神たる八幡神の実体が五十猛神だとみられる。応神天皇家や宇佐国造など天孫族の一派の実際の遠祖として、八幡神が考えられる。字佐国造は、高魂尊の裔孫の宇佐都彦(菟狭津彦)を国造初祖とするが、高魂尊の先が五十猛神とみられる。
弘仁五年(八一四)の太政官符や『宇佐託宣集』等に拠ると、字佐郡の小倉山の麓に八つの頭が一つの身体についた奇異な風体をもつ鍛冶翁がおり、金色の鷹となって示現し、その姿を見ようと近づく者の半数が死亡したが、神官(辛島勝乙目とするのが原型か)の祈持に応じて三歳児童の姿で八幡神が出現し、「我は始め辛国に八流の幡となって天降り、日本の神となって一切衆生を度する釈迦菩薩の化身なり」と託宣したという。こうした伝承などから、八幡神はもともと鍛冶神とする見方も古くからある(柳田国男氏ほか)。
後世では八幡大神にも擬せられる応神天皇は、実際の系譜は宇佐国造一族の支流の流れをひく鍛冶部族の息長氏に出ており、遠祖は神武に始まる王統と同じで、高魂命であった。金色の鷹は、金鵄や八咫烏にも通じる天孫族のトーテムである。
素盞嗚神という神は、海神族たる大己貴神(大国主神)の父祖としても伝えるが(記紀ともに見えるが、『古事記』のほうに多く伝える傾向)、その一方、熊野大神として、天孫族系統の物部連や鳥取部によって祖神として広く奉斎された。これら氏族の祖たる天津彦根命(天若日子)やその兄弟神は、素盞嗚神と天照大神との天安河原の誓約の際に息吹きのなかから誕生したと神話に伝える。
こうした両様の複雑な性格をもつ素盞嗚神は、本来は性格ごとに別々の人格神かとも考えるのがよいかもしれない。そのなかでも、最も主なものとしてはわが国天孫族の祖となる(こうした見方は、私の氏族研究の結論的な部分だけを記したので、分かり難いかもしれないが、紙数制約や論旨展開上の見地から、本書ではこのくらいに止める。以上の記述に関連して、本シリーズの『息長氏』『三輪氏」』などをご参照)。
天孫族の祖系と祭祀
現存の天孫族系統の系図では、天照大神より先へ遡る神統譜を記すものは少ないが、『姓氏録』では若干は記事が遺る。それが、角凝魂命を遠祖とする系譜をもつ諸氏(鳥取連・鳥取、委文連・宿祢〔倭文連・宿祢〕、竹原、美努連、税部〔鴨県主一族〕や額田部宿祢〔物部氏同族〕、雄儀連などで、殆どが少彦名神の流れ)である。
角凝魂命を祀る神社は全国で少ないが、鳥取連が奉斎した和泉国日根郡の式内社、波太神社(大阪府阪南市石田に鎮座。もと桑畑村、東鳥取村で、同国神名帳に従五位上波太岐社と記載。府社)の祭神として鳥取連の祖・天湯河板挙が垂仁朝に祖神を創祀したと伝える。波多の地名は肥前国松浦郡にもあり、当地に波多八幡神社(佐賀県唐津市北波多稗田で、宇木汲田遺跡の西南近隣)が鎮座する。「波多」は秦韓・辰韓に通じるものか。
忌部氏の系図(「斉部宿祢本系帳」」や「宮中八神」などを基礎にして、始祖の五十猛神以降の初期段階の歴代を整理、推定してみると、概ね次のようになる(第1図)。ただ、妻神(后神)は難解であり、推定の度合いが大きい。
各々の遠祖神が異なる複数の神名をもつことに留意されるが、天照大神は「斉部宿祢本系帳」では「天庭立命」として表記される(この名に近い「天壁立命」も天背男命の父神で左京神別の宮部造の祖とされるから同神となる)。
この神は、大阪市天王寺区の生国魂神社(東生郡の難波坐生国咲国魂神社)で奉音される神であるこれが、信濃国小県郡では名神大社の生島足島神社(長野県上田市下之郷)でも祀られて、その祭神が大八嶋を統べる「生島神・足島神」とされる。摂津国川辺都(兵庫県尼崎市栗山町)の生島神社では、生島神・足島神、天照大神、須佐男神、八幡大神、伊邪那岐・伊邪那美神をいま祀る(祭神の名に重複がある)。
この生島神・足島神は、天皇の国土支配権の裏付けを企図する祭祀ともみられる八十島祭の主神とされる(この祭は、文献初見が文徳天皇の即位時の嘉祥三年〔八五○〕九月で、鎌倉前期まで廿二回確認されると言うが、由来は上古に溯るのだろう)。『延喜式』神名帳には、宮中八神殿で御巫祭神八座のなかで生産日神・足産日神(『古語拾遺』では生産霊・足産霊)として祀られ、神祇官に坐しては生島巫祭神二座として生島神・足島神があげられる。両名は併せて夫婦神(その場合、足島神のほうは妻神か)とみられ、男神は伊久魂命とも天活玉命ともいわれる。天照大神という名では、『延喜式』神名帳では宮中坐神三六座のなかに見えないし、『姓氏録』にも諸氏族の祖先として見えないことに留意される。なお、天活玉命を祀る神社は少ないが、越中の高瀬神社(富山県南砺市高瀬。同社は五十猛神も合祀)や讃岐の大麻神社(寒川郡の大蓑彦神社。香川県善通寺市大麻町)という式内社があげられる。
『書紀』には生申の乱の時(天武天皇元年〔六七二〕七月廿三日条)に生島神が見える。そこでは、高市社に坐す事代主神と牟狭社に坐す生霊神が神憑りして、神日本磐余彦天皇之陵(神武陵で、『書紀』にいう畝傍山東北陵か)に馬と種々の兵器を奉納すれば、両神が天武軍の前後に立って守護すると告げたが、この生霊神が生島神(生国魂神)に当たる。いま畝傍山の東北の裾、橿原市大久保町域(旧洞村)にある神武陵旧跡と伝える地の近隣には、生玉神社が鎮座する。
『古事記』には「天津国玉神」とも表記されるが、これは、天若日子(天稚彦。天照大神の子で別名が天津彦根命、天背男命、天湯河桁命であり、出雲国造や物部氏など鍛冶部族や鳥取部等の祖)が大国主神のもと(葦原中国)に派遣された事件に関連して見える。
その父神が高皇産霊尊であり、上記の宮中八神殿で祀られる高御産日神にあたる。この神のときころに筑後川流域に至って定着したとみられる。この神を天孫降臨の指揮者として皇祖神のはじめに置く見方が学究には多いようだが、上記系図に見るように更に父祖の神々を伝えることに多意される。
「宮中八神」の意義
ここまでに宮中八神にも触れてきたが、『延喜式』神名帳の冒頭に掲げる「宮中八神」には十分留意される。
すなわち、宮中神として大社三十座小社六座があり、そのうちの筆頭に「御巫等祭神八座」並大、月次新嘗とある神々で、①神産日神、②高御産日神、⑤玉積日神(玉積産日神)、④生産日神、⑤足産日神、⑥大宮売神、⑦御食津神、⑧事代主神、の八神があげられる。さらに、「座摩巫祭神五座」並大、月次新嘗として生井神、福井神、綱長井神、波比祇神、阿須波神の五神、「御門巫祭神八座」並大、月次新嘗として、櫛石窓神と豊石窓神が四面門各一座、「生嶋巫祭神二座」並大、月次新嘗として並大の生嶋神、足嶋神の二神があり(ここまでが「神祇宮西院坐御巫等祭神」とされて、合計が二三神)、更に、「宮内省坐神三座」並名神大、月次新嘗として薗神社、韓神社二座、「造酒司生神」大四座、並大、月次新嘗として大宮売神社四座が掲載される。
「宮中八神」の次ぎにあげれる神々は、御門神(八座)を除くと、おそらく八神の異名・異称で重複するものだろう(ただ、座摩巫が祭る五神は、「大宮地を守り坐す霊神」とされるが、その実体は難解・不明。五神はみな始祖神関係の異名かもしれず、「生井、福井、綱長井」で三井・御井、「波比祇、阿須波」が五十猛神に通じるか)。そして、その皇統譜のなかで大祖先神としての位置づけにあった神々ではなかろうか。具体的には、天照大神夫妻を含めそれ以前の三代の夫妻神とみられる。上記の「第1図天孫族の初期段階の系譜」は、こうした見方のうえで推定記載をした。
注意すべきは、最も重要な天照大神にあたる神の名が二つ(玉積産日神、生産日神)あり、対偶を持たない「事代主神」があって、合計で「八神」となっている点である。天孫族系統では、「八」という神聖数をもっていた。
さて、ここの「事代主神」の実体は何だったのだろうか。抽象神としての意味は、「神憑りして神託をくだす神」であり(松前健、佐伯有清などの諸氏)、特定の固有名詞とされる必要はない。ところが、この神は、一般には地祇(国津神)・三輪氏族の祖で、神武天皇の皇后の父神が指される。これは、後代の諸天皇の母系祖神として理解が出来ないわけでもないが、それならば、天照大神の邊遥か後代の神であって、宮中祭祀のバランスを欠く。
そこで、「姓氏録』を見ると、天神としての「天事代主命」(天辞代主命、天辞代主命)が存在したとわかる。この神を祖神とするのが、左京神別の畝尾連、右京神別の伊与部、大和神別の飛鳥直の三氏であり、これら諸氏の系譜を考えると、みな中臣連一族の初期分岐となる(伊与部条には高媚牟須比命の三世孫と記載も、これは疑問)。畝尾連の一族は和泉神別にもあげられ、そこでは「大中臣朝臣同祖。天児屋命之後也」と記載がある。しかも、高市郡明日香村に鎮座の飛鳥坐神社(並名神大)では、事代主神、高皇産霊神、飛鳥神奈備三日女神を祭神とする。すなわち、天事代主命とは中臣氏の大祖神(天孫降臨痔の天児屋根命の父祖神か)の位置づけということになるが、そうすると、天照大神も含め、この神から遡って三世代の夫神の誰かの舅神で、天孫族系統の母系の祖として特掲された可能性があり、この場合には「宮中八神」に所掲の神々の活動年代とも符合するものとなろう(現在の当該飛鳥神社の祭祀では、転訛された影響で、有名な三輪の事代主神と混同されている)。
なお、{宮中八神」のなかに、元は「倭大国魂神」(実体は九州所在の大己貴神)も含まれていたとみる見解(若井敏明氏『「神話」から読み直す古代天皇史』)には反対である。天照大神以前の上古歴代の舅神の位置にはいないからであって、『書紀』崇神天皇大年条の記事には疑問がある。不祭祀のイザナギ・イザナミの諾冊二神も、実体をもつ神ではなかった。
韓国イタテ神の列島渡来
『延喜式』神名帳のはじめに、宮中で祀られる神々が「宮中坐神三十六座」としてあげられる。そのなかに宮内省に坐す神の三座(並名神大)があって、薗神(園神)の社と韓神の社の二座がある。この「韓神」こそ韓(伽耶)から渡来した五十猛神を指す。ちなみに、御巫等祭神の八座にあげる神産日神も大始祖たる五十猛神にあたるとみられ、五十猛神の妻神の御食津神(御膳神)も同八座のなかに見える。この女神は豊受大神でもあり、食物主宰の倉稲魂神(稲荷神)で保食神なのだから、薗神にあたるとみるのが自然である。織物と酒造を司る女神、大宮売神にも当たりそうな可能性もあるが、それを留保しつつ、この関係では別神としておいた(関連して言うと、丹波国多紀郡式内社の大売神社【兵庫県篠山市寺内]は、大宮売神を祀るが、「オーヒルメ」神社と読まれている。大宮売がアメノウズメの別名だとする平田篤胤説や、これに通じる『古語拾遺』の記事は誤りとみられる)。
かつて、黒板勝美博士は、天照大神より前の神々が皇室の祖先として奉斎されていないとの理由で、それらの実在性は認めがたいと考えた。しかし、上記のように現実に別の神名で宮中で永く奉斎されてきた。出雲でも、神産日神も神魂神社の名で、意宇郡六社の一としてあり(松江市大庭町)、出雲国造が長く奉仕した。同社は神火相続の神事で知られる。
「園韓神」には一に大己貴神・少彦名神・大物主神をあてる説もあり、平安京遷都以前に京の地を支配したのが渡来系の秦氏だとして、園神・韓神は元々は秦氏が奉斎した神とみる説(水谷千秋氏)もあるが、ともに論拠薄弱である。
園韓神社は宮中では唯一の名神大社であり、応仁の乱頃までの宮殿の宮内省に鎮座した。この神格・鎮座地からみても、秦氏にふさわしいとはとても言えない。例祭は園韓神祭といわれ、『江家次第』では神部四人が榊・桙・弓・剣を持って神楽を舞ったと見え、『百錬抄』では大治二年(一一二七)の大内裏火災で園韓神の御正体を取り出そうとした折に神宝として剣・桙があったと見える。帝王鎮護の神という役割や、皇祖神の系統からみても、これは始祖神の五十猛神夫妻とするのが妥当であろう。もとからこの地にあって平安遷都に伴い遷座させようとしたら、帝王を護りたいという託宣が韓神からあったとも伝える(本来は鴨県主奉斎か)。
御食津神はオオゲツヒメ(保食神)でもあり、穀物神(稲倉魂命)でもあった。五十猛神は大屋毘古神とも呼ばれ、一緒に植樹につとめた妹・大屋毘売(大屋津姫)は、名前の対応から考えて、「妹」とは実際には「妻」の意であろう。紀州にはこの女神を祀る神社もある(和歌山市字田森に鎮座の大屋都姫神社など)。この妻神は白山信仰の菊理媛命にも通じ、水神の罔象女神であり、多様な神格と名をもつ。八幡大神の妻神たる比売大神でもあって、宇佐八幡宮で祀られる。水神が竜神に通じ、仏教での同種の弁財天にも通じる祭祀もある。
筑後国御井郡や豊前国田川郡(豊比咩命神社という名で、いま香春神社に合祀)など各地の「豊比咩神社」の祭神であって(神武天皇の祖母とされる「豊玉姫」ではないし、「神功皇后の妹」のことでもない)、伊勢神宮外宮の豊受大神にあたる。香春の豊比咩神が宇佐の比売大神に相当すると岡谷公二氏も指摘する(上掲書)。豊比咩(豊姫)については、高良神の妻神という見方もあり、この辺の可能性を留保しつつ、比売大神という見方で一応、考えたい。
比売大神については宗像三女神説(宇佐神宮・石清水八幡宮の立場か)もあるが、大分県杵築市の奈多宮では、沖合の市杵島(または厳島)と呼ぶ岩礁に比売大神が降臨したと伝えるから、主祭神八幡神(=五十猛神)の后神で、端的に市杵島姫神と考えたほうがよい(その系譜は不明だが、天照大神の娘のはずはなく、海神族的な色彩があるものの、幹地から共に渡来したか、既に北九州にあった種族の出かは判じがたい)。
この女神は、水神の性格からは淀姫(興止姫神、世田姫)にもあたる。肥前国一宮たる佐嘉郡の與止日女神社(河上社。佐賀市大和町川上)、予賀神社なども含め、肥前中心に二十数社の多くで祀られ、とくに佐賀県の嘉瀬川流域に六社もあって祭祀が集中する。夫神・五十猛神と同様、石神の性格ももつ(脊振山に鎮座の脊振神社は、弁財天社ということで本地垂迹で市杵島姫を祀るが、この神にもあたる〔瀬織津姫や蛇神の宇賀神にもあたる〕。山城国乙訓郡の式内社、与杼神社〔京都市伏見区淀〕でも写る。安芸宮島の上厳島神社〔伊都岐島神社〕や近江の竹生島神社〔浅井郡式内社の都久夫須麻神社〕、相模江ノ島でも、市杵島姫【弁財天】を祀り、竹生島では、併せ宇賀神・浅井姫・龍神も祀る。淀姫が、一に「八幡大神の叔母、神功皇后の妹」とされるのは訛伝)。
唐津市呼子の加部島(別名が姫島)の宮崎鼻に鎮座する田島神社(松浦郡の式内名神大社の田島内神社)は、肥前最古といわれ唯ーの大社とされる。本殿の裏には磐境(祭場)とみられる地があり、立った三個の巨石や二個の平石、太閤祈念石と呼ばれる巨石もある。
加部島は、韓地・大陸への交通を考えると「道主貴(ちぬしのむち)」の鎮座地にふさわしく、市杵島姫を含む宗像三女神が礼られる(神名帳には「一座」と表記)。そうすると、韓地釜山(ないし対馬)辺りから筑前大島・沖ノ島を通る海路が「海北道中」と一般に解されるが(「海北」=は朝鮮半島を指す)、当該経路は、倭韓間の海上交通における当初のメイ��ルート「壱岐・対馬を経由の線」だとみる田中卓博士の見方のほうが正しいものか。宗像大社では、九州本土の宗像市田島の地に辺津宮(総社)として現在、市杵島姫を祀る(『古事記』では、市杵島姫は中津宮、辺津宮鎮座は田寸津比売と記す)。
道主貴は、『書紀』(巻一第六段の一書第三)に「筑紫の水沼君等が祭る神」と見えており、水沼君(水沼県主)は佐賀君(佐喜県主)と同様、火国造同族とみられるから、これら諸氏の祖神でもあろう。『旧事本紀』天皇本紀には景行天皇の皇子のなかに武国表別命をあげ、筑紫水間君の祖と記される(同人は、「円珍俗姓系図」に讃岐の和気公・因岐首の始祖とされ、九州の阿蘇君・火君らの祖とみられる。『書紀』景行段に見える水沼別の始祖・国乳別皇子かその近親にあたる。同書の記事では、「弟の豊戸別皇子。是火国別之始祖世」と続ける)。
水沼君氏一族は、筑後国三潴郡の豪族で、久留米市西南部の大善寺町にある大古墳、御塚(全長約一二〇詩という帆立貝式古墳。中期古墳か)及びその北隣の権現塚(外径が全長約一五〇計かともいう。後期古墳か)の築造者とみられている。東北方近隣の同市高良内町には、これらに先立つ石櫃山古墳(全長が百計超【最大で一一五潮というで、境輪式を出土)もあったが、消滅した。久留米市北野町赤司に鎮座の赤司八幡宮(御井郡惣廟を称)がもと豊比咩神社といわれ、與止比咩命・高良大神や道主貴(三女神)、すなわち宗像三女神が祭神で、祠官家が水沼君氏との伝え(境内碑文)もあるが、領域からやや離れる感もある。
「韓」を冠する五十猛神
延喜式の神名帳には全国各地の官祭に関わる多くの古社があげられるが、そのなかで「韓」が頭につけられる神は五十猛神のみである。多くの樹木の種を持って大八洲に植えたと伝えて、紀伊国をはじめ各地で多く祀られる。わが国では伊達神(射楯神)とか韓国伊太神、伊太祁曽神ともいわれて、延喜式内社の奉斎神としてはかなり多くあり、全国で十五社を数える。
とくに、出雲には最多で合計六社もある。それが意宇郡・出雲郡に集中するが、意宇郡では玉作湯社や揖夜社に付属して鎮座する。これらは出雲国造一族の奉斎に係るものか。そして、これら出雲国内の六社が全て、韓国伊太氐神と記されて、式内社では類例の少ない「韓国(辛国)」が冠として付けられる。当地の曽枳能夜神社境内の韓国伊太氐夫神社(島根県出雲市斐川町神水)揖夜神社境内の韓国伊太氐神社(同県松江市東出雲町揖屋)など、韓国伊太所神社が出雲国の九郡中で意宇郡と出雲郡とに三社ずつ見られる(出雲国意宇郡の条に、①玉作湯神社、②揖夜神社、③佐久多神社に「同社坐韓国伊太氐神社」があり、西側の出雲郡条にあっても、「同社(神)韓国伊太氐神社」としての阿須伎神社、⑤出雲神社、⑯曽枳能夜神社が同様)。
このほかの式内社では、薩摩国曽於郡の韓国宇豆峯神社(鹿児島県霧島市国分上井)も、五十猛神(又の名を韓神曽保里神)を祀る。ここでも、とくに「韓国」を冠した神社の名前になっていることに留意される。これらの事情も、ての神の韓国からの渡来を示唆する(千家俊信『出雲式社考』にほぼ同旨)。出雲の西隣、石見国では現大田市五十猛町に近隣して韓神新羅神社・五十猛神社の両社が鎮座する。
この朝神新羅神社、出雲国出雲郡の韓竈神社(産銅遺跡のなかに鎮座)や安芸国御調郡の賀羅加波神社のほうは、素戔鳴命を屯るというが、五十猛同神か。
五十猛神については、記紀に見えるのは上記の一箇所だけであるが、イタテ神としては、『播磨国風土記』餝磨郡の因達里(姫路市街地の北部)の条に伊太氐之神が見える。因達里の伝承が、神功皇后が韓地征討で渡海する際、先導神としてその御船の上に鎮座したのがこの神である、という内容なのだから、「韓国」を冠しないイタテ神の場合にも韓国との関係がみられると石塚俊氏は指摘する。これが、餝磨郡式内の射楯兵主神社(姫路市本町に鎮座)である。イタテ神が神功皇后の先祖・天日矛にも通じるとしたら、祖神たちの加護を受けてその祖国の韓土に進攻したことになる。関連して、九世紀後半の貞観期当時の対新羅関係の悪化という背景のなかで、日本を新羅から守る目的で韓国伊太氐諸社が建立されたという説(瀧音能之氏)は疑問が大きく、この神の祭礼の由来は更に古かった。
伝承では、イタテ神は韓地の新羅から直接渡海し、日本列島に着いて出役に入り、そこから紀伊に遷ったようにうけとられる。出雲・紀伊には関係社が多くあり、出雲の西隣の石見国安濃郡にも、現・大田市五十猛町に五十猛神社と韓神新羅神社がある。五十猛命の降臨地としては、奥出雲、出雲国仁多郡の鳥上峰(船通山、鳥髪山)という伝承もある。これも、天孫族関係者が高山に天降りするという所伝の一環である。
九州の太宰府付近にも鳥髪山に相当するような山(例えば基山〔後述」」とか砥上岳(遠賀川源流地)がある。一方、対馬、壱岐を経由して九州の有明湾岸に上陸とも伝えるから、多くの関係請社や遺跡などの分布を具体的に見ると、やはり韓地→対馬→筑紫という地理的に自然な経路をとったとみられる。そこで、次ぎに北九州の分布を見てみる。
九州の五十猛神
対馬では、対馬島の北端で河内湾に臨む地に鎮座する岩立神社(岩楯神社ともいう。対馬市上対馬町大字河内)がまずあげられる。素戔嗚尊が韓土よりお帰り(到来か?)の時に、この浦に船を寄せたと伝える。元来、本社は岩楯の地に在って神籠磐境だといい、社殿がなく森の中に磐石があって、これを神位とする。
同名社では、備前国和気郡にも、磐梨別君氏(垂仁天皇後裔と称するが、実際には息長氏の一支流の和気氏)の奉斎とみられる同名の石立神社(現・備前市麻宇那)があり、社殿の下に大磐石があって、岩石崇拝に創まるとされる(『神道大辞典』)。姫大神も祀られ、近隣の北側対岸には祇園神社・磐井神社、稲荷神社や荒神社もある。石立神社の南方の備前市域、日生には高良八幡もあって、その社叢もウバメガシが占める海岸林で知られる。対馬の那祖師神社(対馬市上対馬町豊。島大国魂神社も合祀)など数社も、五十猛神を祭祀する。
大和にも同名社が添上郡式内社であり、「天乃石立神社」と記載される。現社名を天石立神社(戸磐明神)といい、奈良市柳生谷、戸岩山の北麓(奈良市柳生町の岩戸谷)にあって、本殿をもたず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとる。四つの巨石の総体が天石立神社と呼ばれるが、なかでも中心の丸い巨岩(きんちゃく岩と呼ぶ)が日向神社で、これが天照大神を祀り、他の三つは門神(豊磐門戸命、櫛磐門戸命)と天岩戸別命に当てられる。地域的に考えると、同社は磐梨別君同族の山辺県主一族が祭礼に関与したものか。
北九州の五十猛神祭礼では、筑前国御笠郡の筑紫神社(福岡県筑紫野市原田)や同国早良郡の五十猛神社(同県福岡市西区金武)が著名である。前者では、筑前・筑後・肥前の交通要衝に、筑紫の国魂たる筑紫大明神として祀られる。その別名の白日別神は、太陽神にも「日向」になも通じる。早良郡の西職りの怡土・志摩両郡(現・糸島市域)にも、五十猛神を写る神社が多い。王丸の白木神社前原の酒神社、草場や西浦の白木神社などがそれであり、潤神社も含め、その旧名が「白木神社」とするものも多い。これらの白木神社の群や、密集する白木の地名は新羅に因むといい、朝鮮半島由来の遣跡や伝承に彩られる。
肥前では、基山を神体山とする荒穂神社(佐賀県三養基郡基山町宮浦)がある。筑紫神社の後背地にあたる基肄郡の基山山頂には五十猛神が祀られ、玉々石という巨石の磐座や五十猛神伝承による「日本植林発祥之地」という石碑がある。同名社は、基山の別宮として、遠賀川上流域の福岡県嘉麻市牛隈(旧・嘉穂郡)にもあるが、祭神がニニギの尊で、元宮が馬見神社という。
『筑後国風土記』逸文には、荒ぶる「麁猛神」が筑前と筑後の境界に居て、往来の人々の半数を殺すので、筑紫君等の祖・甕依姫を祝にして祀ったと見え、麓の荒穂神社で祀られる。この実体が五十猛神とみられる。この地に朝鮮式山城の基肄城が築か���、瓊瓊杵命が基山で国見をしたとの社伝もある。アラは伽耶の安羅(慶尚南道の咸安あたり)にも通じるし、「基肄」は紀伊国造の紀直氏や武内宿祢後裔と称した紀臣氏の「キ」にも通じる。杵島郡の稲佐神社・妻山神社(ともに同県杵島郡白石町域)なども、五十猛神やその眷属神の祭祀で知られる。
日本列島に杉などの樹種をもたらしたことで、各地の紀伊神社や杉山神社の祭神とされることも多い。とくに武蔵南部(旧都筑・橘樹両郡や横浜市港北区域)には、五十猛神を祭神とする杉山神社の分布が多い。これは、五十猛神を奉じた人々・部族がこの地域の開拓を進めたことに因るものであろう。
九州に戻って、五島列島、福江島の北部に位置する五島市(前・南松浦郡)岐宿町岐宿に巖立神社(岩立三所大権現)があり、社叢は椎の大木やナタオレの木などの原生林として長崎県文化財に指定される。対馬のイワタテ同名社に通じ、ここでは宗像三女神等を礼るが、本来は市杵島姫を祀るものか。長崎市香焼町の岩立神社では、境内に樹齢推定二百年という古木のエノキ(市指定天然記念物)がある。
岩立神社について言えば、このほか、出雲の東隣の伯耆西部にも同名社があり(祭神はいま大山祇命とされるが、疑問)、大山中腹の鳥取県西伯郡伯耆町岩立に鎮座する。ここでも、樹齢推定二百年、という樅・杉・銀杏の巨樹群が社を深く覆うことで有名で、裏山には「岩滝さん」と呼ばれる古くから信仰の対象とされた巨石があり、周辺に岩立古墳群もある。近隣の金持神社(同県日野郡日野町)や石見の物部神社別天神(島根県大田市川合町)などに祀られるのが、天之常立神である。この神は天地開闢の際に、別天津神五柱の最後に現れた神で、天(高天原)そのものの神格化ともされるから、具体的には五十猛神を指すのかもしれない。国常立神は、国土守護神ともされる。
これら五十猛神と眷属神を祀る神社や関連遺跡は、北九州では天山を含む背振山地の周囲に濃密に点在する。天山は、同山地の西部側、佐賀県のほぼ中央部に位置し、唐津・小城・佐賀・多久の各市に史る。その標高一〇四六㍍は、同山地東部の最高峰、脊振山(標高一〇五五㍍)に次ぐ。
この辺の事情を踏まえ、天孫族の様々な特徴を次ぎに見ていくことにしたい。
鳥トーテミズム
天皇家・天孫族には、鳥トーテミズムや、始祖の卵生伝承らしきものなど、鳥にまつわるものが多くある。古くは「天の鳥船」や「八咫烏の先導」の伝承があり、倭建命の霊魂が白鳥となって飛び去ったという白鳥伝承も代表的であって、その墓の候補のいくつかには「白鳥陵」という命名がある。
河内の古市古墳群にある津堂城山古墳は、前期末頃の巨大古墳で、倭建命の陵墓に擬される。すくなくとも、当時の大王一族関係者の陵墓とみられており、辺十七㍍の方墳状の特殊な施設には、巨大な水鳥形埴輪三体が配されている。この水鳥はおそらく白鳥ではなかろうか。烏型の埴輪は全国的に分布するが、応神天皇陵に比定される誉田山古墳や継体天皇供の可能性が大きい今城塚古墳でも見られ、これらに先行する。古墳の周濠から鳥形木製品が出土した例もあり、天上と地上を結ぶ聖なる動物という意味以上に、こうした鳥トーテミズムが大王一族にあったから祭祀に使われたものだとみられる(鳥形木製品や鳥装シャーマンは弥生時代から見られるが、穀霊信仰の現れとするのは疑問か)。中国の長江中・下流域にあった河姆渡文化期には鳥と太陽が象徴化されるとの指摘もある。
こうした鳥トーテミズムは、同族の息長氏から出た応神王統にあっても同様である。『記・紀』などに見える大雀・隼・雌鳥・鷺などを名にもつ応神・仁徳近親の王族も、鳥トーテミズムの現れであろう。この系統の遠祖、少彦名神は鳥の神様ともいえ、天日鷺翔矢命の名ももつ鳥取部造の祖神でもあった。
応神天皇自体が、宇佐八幡の伝承に、金色の鷹が金色の鳩に変じし、さらに小児となって現れて「誉田天皇広幡八幡麻呂」と名乗ったと伝える(『八幡宇佐宮御託宣集』)きも。この金色の鷹は、菱形池のほとりにいた鍛治翁の化身とされる。応神の前身(若い頃)は、垂仁天皇の皇子・ホムチワケ(品遅別、誉津別)として記紀に登場する(「ワケ」の名からして、垂仁の皇子ではありえないが)。ホムチワケは成人してもものを言わなかったが、空をいく白鳥の声を聞いて初めて話をしたので、山辺の大鶙が命をうけ捕らえたとの伝承がある(記紀に多少差異があるが、捕獲者は少彦名神後裔の鳥取部造の祖)。「大鶙」は鷲鷹類の鳥を表す名(通称)であり、これに対応して『書紀』に見える名の「天湯河板挙」とは、実際には祖神の名であって、少彦名神の親・天若日子(天稚彦)の別名とみられる。
全国各地には白鳥神社が多くあり、日本武尊(倭建命)の伝説に因むとするものが多い。これらは、総じて天孫族諸氏の祭祀にかかるとみられる。福岡県にも白鳥の地名や同名社が多く鎮座する。順不同であげると、朝倉市白鳥・柳川市三橋町白鳥・京都郡みやこ町節丸字白鳥など白鳥の地名や、久留米市荒木町白口、田川市猪国、嘉穂郡嘉穂町馬見、八女市黒木町大淵、八女郡矢部村北矢部などに白鳥神社が鎮座する。大分県にも同名社が多い。久留米市白山町や神埼市神崎町城原にある「白角折神社」(前者の地ではシラトリ、後者ではオシトリと訓む)も関係社とみられ、後者には樹齢千年起という楠の巨木がある。
神武の大和侵入に際しては、八咫烏が道案内し、金色に輝く霊鵄(実体は八咫烏同神で、少彦名神後裔によるトーテム表示)が皇弓の筈(弓の弦をかける所)に止まって、抵抗する長髓彦軍の平定に助力したという伝承もあり、天孫の徵表が天羽羽矢であったとも記される(『書紀』)。天日鷲翔矢命(少彦名神の別名)の后裔には、長白羽神(天白羽鳥命)、天羽槌雄神や鴨族諸氏がいる。鍛冶神たる天目一箇命や少彦名神兄弟の父・天若日子(天津彦根命)は、自ら雉を射抜いた「反し矢」によって殺害されたが、その葬儀に際して、川鴈・雀など多くの鳥が役割を担ったと『書紀』に記される(割註では、本文より多くの鳥の名をあげる)。
これは、『春秋左氏伝』の昭公十七年条に見える山東省南部の夷系の国、郯子国の多くの鳥の名を付ける官名に通じるようであり、松本信広氏は、死者の魂を他界に連れていく鳥の観念と関連すると説く。朝鮮半島南部の弁辰(弁韓)でも、死者を天上に飛揚させるため、大鳥の羽根を用いて死者を送るという風習があった(『三国志』魏書弁辰伝)水上静夫氏も、中国の中原東方には郯子国など鳥トーテムをもつ諸氏族があり、殷族がこれらと一群の種族だとみる(『中国古代王朝消滅の謎』ー九九二年刊)。郯子国(郯国)は山東省郯城県(山東半島の基部の南方)の西南境に位置し、春秋時代に魯の属国であったが、東夷族の祖・帝少昊の後とされ、嬴姓の国とされるから、秦・趙や徐、黄、江、李などの国・君と同族である。山東にあった大国・斉は、もとは秦と同じく嬴姓の蒲姑(薄姑。殷代の侯爵国)の領域といい、少昊自体もその別名の「鷙」が手で鷹鷲をしつ執るという意味だとされる。
白川静氏も、金天少昊氏と山東の郯子とは同じ系列に属するとみる。殷は種族的には夷系に属するとし、殷の王朝的規模は、倭の五王期とあまり異なるものではなく、殷墟に残される十三基の地下王陵は、わが国の仁徳、応神の諸陵にほぼ匹敵し、殷が直接支配した地域も、西日本の全域程度のもので、絶対年代の異なることを除けば、両者の条件はきわめて似ている、と指摘する(『中国の神話』)
殷の始祖の舜には、もと太陽神であったらしい形跡があり、アマテラスの信仰と似ているといえよう、とも言う。
中国では、『春秋左氏伝』より更に古い『逸周書』の「王会編」に、鳥トーテムをもつ異族が見える。周王が成周(いまの洛陽)に壇を築いて万国を会集する状況を記述するなかに、森林が密集する山陵地帯の異族が多く奇鳥喘禽を献じており、鳥トーテミズムをもつ秦の出自がこの方面たあると白川静氏も指摘する(上掲書)。これら西方の庄爽は、黄河上流域山陵部の森林密集地帯(上古代の当時。内蒙古のオルドス地方か)のあたりに居たとみられる。
日本では、天若日子は、子の少彦名神を通じて、鳥取部造の遠祖でもあった。鳥の名をもつ人名(神名)も天孫族系統にかなり見られる。先にあげた天日鷲翔矢命の一族のほか、素戔嗚尊自体が須佐能烏命とも書かれる。出雲国造の遠祖・天夷鳥命(天鳥船命、武日照命)の実体が、鍛冶部族の祖・天目一箇命に通じると、別書(『越と出雲の夜明け』)で述べた。同国造の初祖の名は崇神朝の鵜濡渟命と伝える。国造家の遠祖・櫛八玉命(伊佐我命のことで、天夷鳥命の子)は、鵜となって水に潜り、水底で採取した埴土(赤土)で「天八十毘良迦」(多くの平たい土器)を作り、料理人となって大国主神に供膳したと伝えるが(『古事記』の国讓りの段)、その伝承を思わせる名である(すなわち、「鵜が潜く沼」だから、一種の通称か)。
これと同祖の鍛冶部族・三上祝氏一族でも、鳥鳴海命(三上祝の祖)、速都鳥命(穴門国造の祖)、意富鷲意弥命(師長国造の祖)等の鳥の名の人々が見える。長門の穴門国造の系譜は、「国造本紀」には桜井田部連と同祖と見えるくらいだが、鍛冶神天目一箇命の後裔で天孫族たる近江の三上祝の一族であり、代々が式内の住吉坐荒御魂神社(現住吉神社。山口県下関市一の宮)に奉仕した。その由来は、託宣を行って韓地征討に功績のあった住吉三神の荒魂を、践立が神主となって当地の山田邑に祀つた、と『書紀』神功皇后摂政前紀に見える。同社(長門一の宮)及び近隣の忌宮神社(二の宮)では、特殊神事「スホウテー(数方庭)」があり、竹竿の頭に羽根を挿し鈴をつけた道具を用いる風習がある。
北九州でも、吉野ヶ里貴跡を始め弥生時代の出土品には、杆頭にとりつけられる木製の鳥製品が頻出する。このような竹竿は、朝鮮半島の「鳥杆」(鳥竿。杆頭に木製の鳥をつけて寺院の入口等に立てられ、「ソッテ」などとも呼ほれた)や「蘇塗」(大木に鈴鼓を懸けて鬼神を祭祀った)につながる。鳥杆に似たものが、佐賀県神埼郡千代田町の託田西分遺跡でも出ている。こうしたソッテの習俗は、ウラル・アルタイ族に普過的な信仰である北方的祭天儀礼と位置づけられ、シャーマニズム文化に帰属する(萩原秀三郎氏の「稲と鳥と太陽の道」)。
始祖の卵生神話
高句麗の祖・朱蒙(東明王)は、日の光に感精して生まれた卵から成長し、弓の名手であった鶏卵のような精気が天上から降りてきて女が妊娠し生まれたとも伝える。こうした所伝は早く、「好太王碑文」等にも見えており、始祖鄒牟(朱蒙のこと)は天帝(ないしその太子の)の子で卵を割って出生したとある。東夷の祖神・帝少昊の子(一に子孫)の揮は初めて弓矢を作り、張姓を賜ったと伝えるが、わが国の鳥取部・弓削部・矢作部を管掌した氏(鳥取連・弓削連・矢作連)は天孫族の出で、いずれも遠祖が少彦名神であった。
『魏書』やっ『隋書』等の高句麗伝では、高句麗の高官や使者は冠に「二本の鳥の羽」を挿すと記されており、これも鳥トーテミズムに関係しよう。「東明編」(高麗の李奎報の叙事詩。一一九四年成立)には夫余の祖・解慕漱(へ・モス)が頭に鳥羽冠をかぶり五竜車に乗り、百余人のお供��みな白鵲に乗って天降りしてきたと記される。この解慕漱が河伯の娘・柳花を娶るに際して、河伯との変身合戦で最後に鷹に変じて圧倒したので、ほんとうに天帝の子だと認めたという記事もある。高句麗には烏骨という城(遼寧省鳳城市に残る鳳凰山城で、高句麗最大の山城)、烏拙という大官(十二官位のうち第六)もあり、鬼神・社稷・霊星(農業神)を祀った。
古くは『逸周書』」王会篇に、周王朝第二代の成王が諸侯を招集したとき、高夷が見えており、これが高句麗族の源流だと、『隋書』を編纂した唐代の孔穎達が言い、鵠(白鳥類-のトーテムを祀るとする。「高夷」は遼寧省撫順市周辺に居たともいう。
新羅の国王初代で朴王家の祖・赫居世、金王家の祖・金閼智や昔王家の祖・脱解や、伽耶の金官王家の初祖・首露にあっても、卵生神話や誕生時に鳥にまつわる伝承(金閼智の場合は、その到来を白鶏が告知)がある。
わが国の天皇家には、鳥類にまつわる卵生伝承は端的な形では見られないが、これが天孫降臨の際の真床覆衾に関連するといわれる。この真床覆衾は、殷の王権・即位の儀礼に見られる「綴衣」という先王の用いた衾に通じると白川静氏がいう(『中国の神話』)。殷は東夷系で、玄鳥(燕)の卵を呑んで懐妊した女性の子・契(『荀子』に「契玄王」という表記あり)という者が始祖で、商の地に封じられたという卵生説話をもった。先祖の王亥は鳥形神の字形で表され、その神像は両手で鳥を操り、まさにその頭を食らう、と白川氏が『山海経』やト辞を踏まえて表現する。鳥トーテムの強い色彩があり、王は巫祝としてシャーマニズムが盛んであった。殷の子孫が周王朝の祭儀に客神として参加して降服の儀礼を再演し白鷺の舞を献じたことは同様に記される。
殷の伝承などから、この殷族を貊民族の一分派とかツングース族とみる見解(文崇一や、シロコゴロフの『北方ツングース族の社会構成』)がある。殷の起源は、祭祀・主食(オオムギ)などから考えて、西方からの侵入説(西方系の遊牧民族の一派とみるもの)を水上静夫氏が唱えており、これもおそらく妥当であろう。この場合、西戎は東夷に通じる模様である。
鳥のトーテムとシャーマニズムの関係でいうと、もとの筑前国怡土郡にあたる糸島市有田の上鑵子遺跡では、鳥の羽飾りをつけた鳥装の司祭の絵を刻んだ木板が出ている。これは弥生中期頃からの遺跡とされる(奈良時代の製鉄跡もある)。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町大曲の瀬ノ尾遺跡(旧東脊振村域で、吉野ヶ里遺跡の東側の丘陵に位置)からも、羽飾りをつけた烏人とみられる絵を刻んだ弥生期の土器が出土した。吉野ヶ里遺跡の西方近隣、神埼市神埼町竹にある川寄吉原遺跡からも、頭に羽をつけた人物を刻んだ鐸形土製品や銅鏃が出た。韓国のシャーマン(巫師・祈祷師。「シャマン」とも表現される)は、今日でも雉の羽がついた帽子をかぶる。吉備でも、弥生中期頃の新庄尾上遺跡(岡山市北区御津新庄)から出た絵画土器には、鳥に扮した人(嘴とトサカ状の装飾がついた人)が描かれる。烏スタイの9シャーマンには山口博氏も注目するが(『大麻と古代日本の神々』、}、わが国の祭祀担当の忌部氏一族(中央及び阿波・安房に分布)は天日鷲命の後裔であった。
中国・吉林省南東部の集安市は高句麗の旧都だけあって、同市人民政府の庁舎前には高句麗の象徴である「三足鳥」(太陽に住むとされ、足が三本あるカラス。林巳奈夫氏は、実は龍山文化から伝統のある大型猛禽のイヌワシだという)の銅像が立つという。その案内板には「太陽鳥(三足鳥)は中国古代の伝説に登場する。高句麗の壁画の三足鳥は高句麗民族と中原民族が同じ太陽鳥を崇拝したことを示す」と書かれていた。現実に高句麗の古墳壁画に太陽の中に描かれた三足鳥が見られる。これは、わが国鴨族の祖・八咫烏にも通じ、三足鳥で描かれる。
イヌワシ(金雕)を現在でもトーテムとすることで知られるのが、中国・新疆ウイグル自治区に西隣する中央アジア・カザフスタンのカザフ族で、古代鳥孫の末后裔という(二〇一五年一月二九日のNHK第一テレビで、イヌワシを扱う少女鷹匠の話が「世界最古のイーグルハンターモンゴル・カザフ族」として放映された)。ウイグル族・タジク族や清朝(満州人)、エヴェンキ族・ホジェン族などのツングース種族も鷹をトーテムとした。鷹が天神テングリの使者であり、女人との間に生んだ男子が最初のシャーマンだと伝える(以上はネットの「百度百科」)。イヌワシをトーテムとする信仰が上古の華北文化に存在したとの指摘もある。四川省広漢市の三星堆遺跡(約三千年前の殷代晩期のものか)から発掘された青銅神樹(扶桑樹、太陽樹)の枝には九羽のイヌワシが止まっており、この鳥が太陽を表すとみられている。
太陽神の祭
鳥トーテミズムは、世界各地で太陽神信仰や鍛冶屋伝承に結びつくことが多い。中国の射日神話では、弓の達人・羿(ゲイ。后羿ともいう)が帝堯の命を受け、人々を苦しめる十個の太陽のうち、一つだけ残し九個の太陽を射落としたが、この射落された太陽の実体が三本足のカラス(火鳥)だつたという。鳥が霊魂を運ぶ太陽の使者だとする中国の神樹思想にも通じる。殷の王族は太陽の末裔だと当時考えられていた。十個の太陽(十日)は、帝俊(帝舜)と妻・義和との子とされる(『山海経』大荒南経)。なお、帝俊の妻・常羲(嫦娥)は天照大神に通じるともみられ、また、后の妻ともいわれ、これが月神ともされる。
わが国の天孫族もこの例に漏れず、鍛冶部族で鳥トーテミズム、太陽神祭祀をもった。皇祖神の天照大神が天岩戸に神隠れしたことで、高天原を含め世界が真っ暗になったという天岩戸神話が有名である。もっとも、こうした「日隠れ神話」は世界中にあり、上記の射日神話にも通じるから、わが国天孫族に限った話ではないが、天皇家が祭祀などで太陽神信仰セをもったことは疑いない。太陽神を祀る朝鮮半島・日本の巫覡に女性の数が多かったこともあり、これが推古・皇極・持統などの女帝出現とあいまって(推古女帝の出現が直接の契機か)、日本では太陽神が後に女性神に転化したが、原型は男性神であった。三浦茂久氏も、天照大神は本来、月神であったとみており、高天原神話に見える天照大神の機織りは月神の特徴だとされる(『古代日本の月信仰と再生思想』二〇〇八年刊)。
天照御魂神こと天照大神に代表される太陽神を、天皇家は伊勢皇太宮などで奉斎し、これに奉仕する日置部も天孫族の流れから多く出た。日置・日置部を名乗る氏には諸流あるが、応神天皇皇子の大山守王の後(『姓氏録』右京皇別)、忌部首の一族(同・未定雑姓和泉の日置部)や土師連の一族(出雲国造袋)などが知られる。
渡来系にも日置があって、高句麗に出自の日置造(左京・右京・大和・摂津の諸蕃)、日置倉人(大和諸蕃)の諸氏が「『姓氏録』に見える。こちら諸氏は高句麗の権臣・淵蓋蘇文(泉蓋蘇文、蓋金、伊梨柯須弥)の族裔であり、高句麗王家と同族の蓋(盖)氏の流れであった(遙かな遠祖は、天孫族と同じか)。この一族は、京都に居住して八坂造氏となり、祇園で牛頭天王ことスサノラヲ神を祭礼した。日本での先祖で、『書紀』斉明二年条に見える高麗の副使の伊利之とは、権臣の泉蓋蘇文の従弟の蓋須のことであった。その子孫には、日置造と八坂造との二大系統があって、後世に永くつながった。八坂造は後に紀朝臣氏と通婚し、紀姓を称した。泉蓋蘇文は高句麗五部のうちの順奴部の出で、父は東部大人、大対慮の宮職にあり、父の職務を承け高句麗軍事の大権を握り、主君栄留王と多数の支持者を殺害し、宝蔵王を擁立して大莫離支(宰相)にもなって、唐と対抗した。
天孫族の一派、鴨族の祖・鴨健角身命(天日鷲命ともいい、実体は少彦名神)は異名が「八咫烏」ともいわれる。その子孫が、神武の大和侵攻を先導した伝承のある八咫烏(先祖と同じ通称)であり、光り輝いて敵の戦意を消失させた金鵄にも化身した「(「金鵄=八咫烏」の平田篤胤等に同意。この「烏」の実態がイヌワシなら、後頭部の羽衣は光沢のある黄色で、英名〔Golden Eagle〕の由来でもある。林巳奈夫氏の著『中国古代の神がみ』では、青銅神樹に止まる「太陽の鳥」は、体つきから見ても、龍山文化から伝統のあるイヌワシだとする)。この八咫烏が、忌部首や日置部の遠祖でもあった。律令時代において、主殿寮に仕える名負五氏のなかに日置・鴨県主があり、日置氏と鴨県主が火を受け持つ類縁の間柄にあった。葛野郡の名神大社、木嶋坐天照御魂神社も鴨氏族の奉斎にかかる。
各地に多く針座する天照御魂神社は、祭神が物部氏祖神(饒速日命)とか天火明命だと受けとられることが多いが、基本的には皆、男神の天照大神のことである(穗積氏の伝えた系図には、天忍穗耳命の父として「天照御魂太神」と記される)。対馬の天道(天童)信仰も特徴的で(日ノ神、殻霊、祖霊の信仰という)、当地には扶余と同様な太陽感精神話も伝えられる。天孫族は渡来の経路として一族や祭祀・習俗を対馬に遺した。「国造本紀」には、津嶋縣直をあげ、始祖の建弥己己命は高魂尊の五世孫で、橿原朝(神武天皇)の頃に置かれたと記される。この官の設置の時期はに早すぎるが、系譜は出雲国造の同族の出であった。
太陽神信仰と鳥トーテミズム・卵生神話が合わされば、霊山信仰・霊鳥伝承や「天帝」の子孫の降臨・天降りやゃ国見の伝承にもつながる。広く伽耶まで含む東北アジア地方諸国の王家や天皇家について、祖先が高山(ないし、その山頂の高い樹)に降臨したという伝承が多い。それ故に、これら各々の国の聖山(新羅の吐含山、百済の北漢山〔高木山〕、金官伽耶の亀旨峰〔金海の亀山洞〕、大伽耶の伽耶山や、日本のクシフル岳(糸島市の高祖山のことで、原田大六などが言う。南九州の日向国ではない〕)として祭礼対象とされる例が多い。匈奴や鮮卑(遼西の朝陽付近の弾汗山)・烏丸、扶余などでも各々が聖山をもち、山上祭天の儀式をした。『三国遺事』には、天帝桓因の子、桓雄は父から三つの天符印(「鏡・剣・鈴」という)を授かり、大勢を率いて太伯山(今の妙香山〔平壌の東北方〕とされる)の頂上の神檀樹の下に天降っており、その教示に基づき人間になることに成功した「熊女」(熊トーテム族の女性と解する李丙燾氏に同意)との間に檀君を生んだ、という神話が見える。新羅の脱解王は、高麗時代にも「東岳神」と言う山神として祀られた。東嶽(東岳)とは、慶州市街地の東方の吐含山のことであり、新羅五嶽のうちに数える同市の最高峰で、日本海を展望できる護国の鎮山として神聖視され、天に祭祀を上げた聖山として知られる。脱解については、日本列島の出身で海路到来と伝えられ、天孫族や天日矛と同族の出とみられる(後述)。
ここまで、天孫族の祖系や祭祀・習俗などを見てきたが、天皇氏族の特徴的なもののうち、主に考古遺物・遺構などに絡まる関係は次の章で見ることにしたい。
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下架民进党台湾才会好
《民進黨賣島求榮毀臺殃民》報告書
目錄
序言..............................................1
一、民進黨腐敗墮落,玩弄民意,政治毀臺............
◆舔美求榮,不管美國毀臺,只怕民眾疑美............1
◆公權私用,以改革之名行黨爭之事..................2
◆染黑不斷,撐腰黑道,槍支暴力頻發................2
◆黨風不正,桃色新聞連環爆........................3
◆縱容腐敗,修法救貪污犯陳水扁....................4
◆執政第八年,「七大政見」全跳票..................4
二、窮兵黷武,禍及民眾,軍事毀臺..................5
◆經濟下行,軍費上行,債留子孫....................5
◆採購破爛軍備配無能部隊,成為國軍催命符..........6
◆利用戰爭謀私利,瘋狂安插自己人把控軍權..........7
◆大難臨頭總統先跑,強征全民做炮灰................7
三、不顧民生,掏空媚外,經濟毀臺..................8
◆強迫民眾吃「萊豬」、啃「瘋牛」..................8
◆出賣核心產業,臺積電淪為媚美「伴手禮」..........9
◆保費不給民眾卻給美軍養老.......................10
◆外銷不行內銷慘澹,無力解民生之困...............10
◆防務擺中間,民生經濟放兩邊.....................11
四、歪曲歷史,操縱輿論,文化毀臺.................12
◆歪曲歷史,青年一代遭荼毒.......................12
◆競選民國總統,卻又扼殺民國文化.................13
◆打著「文化永續」的旗號,卻放任文化流失.........13
◆撤換非綠電視臺,扼殺新聞自由...................14
◆以政治為藉口強姦文化藝術.......................15
◆拋棄中華文化,總統漢語水準不如孩童.............15
結束語...........................................16
序言
民進黨執掌臺灣15年後,掌握了權力的使用「訣竅」,更加肆無忌憚賣島求榮。為謀求更大的權力,民進黨以私利踐踏民主與自由,任由黑金滲透臺灣政壇,縱容黨內腐敗滋生,破壞和平挑唆戰爭,瘋狂舔美不顧民生,大肆揮霍軍費,歪曲歷史荼毒民眾,鉗制新聞言論自由,逼迫民眾成為戰爭炮灰,將臺灣一步步拖入戰爭的深淵。在實現美國毀臺計畫上,身體力行,從政治、軍事、經濟、文化上掏空臺灣。本報告重在通過列舉事實,揭露民進黨賣島求榮毀臺殃民的斑斑劣跡,讓島內民眾早日警醒,奮起維護自身權利及和平穩定的環境。
一、民進黨腐敗墮落,玩弄民意,政治毀臺:
◆舔美求榮,不管美國毀臺,只怕民眾疑美。民進黨歷年大選前期都訪美求支持,2004年大選前陳水扁訪美。2008年大選前謝長廷訪美。2012年大選前蔡英文訪美,2016年大選前蔡英文和吳釗燮訪美。2003年10月底,在臺灣大選的關鍵時刻,布希政府允許陳水扁訪美,並給其前所未有的禮遇,「布希是陳水扁的守護神」的說法立即見諸臺灣各大報端,一直居於劣勢的陳水扁選情急速攀升。2004年選前一天「3·19槍擊案」未明真相而引發各界猜測之際,美國將其定性為「暴力事件」的表態,等於變相支持陳水扁。就是這股左右大選的���量,讓民進黨瘋狂舔美。2023年2月,美國總統拜登提及「毀滅臺灣」計畫,並強調其比「新保守烏克蘭方案」更具「災難性」。島內民眾一片焦慮,民進黨在「毀臺」論出現後,第一時間不是去查證其真實性,而是解讀為「有心人士」放大疑美論、反美論,與對岸的「認知戰」相呼應,破壞「臺美夥伴關係」。賴清德為美辯解「不能讓有心人散播懷疑美國的言論,甚至讓之成為社會主流共識」「這對臺灣非常不利」。
◆公權私用,以改革之名行黨爭之事。2016年民進黨重新上臺後,成立了促轉會和不當黨產處理委員會,以「轉型正義」為名、行清算國民黨之事。2018年8月,促轉會要求教育部配合清查附屬機關、公私立學校裏兩蔣銅像、遺像等紀念物的數量,同時要求清查為紀念兩蔣而命名的工作場所,包括學校、廣場及建築物等。2022年5月促轉會被解散前遞交總結報告,依然不忘建議移除中正紀念堂大廳銅像、改造堂體功能及外觀、破除園區整體「崇拜軸線」。如果說促轉會著重在政治上清算國民黨的話,黨產會就是在經濟上對國民黨「斷流割脈」。剛成立之初,黨產會就開出最高1億元新台幣的「重金懸賞」,鼓動民眾「檢舉」國民黨黨產。2018年2月,黨產會宣佈臺灣婦女聯合會是國民黨附隨組織,凍結其名下385億元資產。2021年,中華救助總會13億元資產被凍結。此外,民進黨還查處了國民黨其他黨產77億元。《聯合報》評論稱,在黨產會不斷追討下,國民黨每年都處於舉債狀態,財務陷入嚴重危機。
◆染黑不斷,撐腰黑道,社會暴力頻發。民進黨向來與黑道關係密切,不止政治結盟,甚至利益勾結,迄今民進黨都沒有給個清楚交代。民進黨執政下全臺被黑影籠罩,立法院黨團召集人柯建銘能同時叫得動天道盟、竹聯邦、四海幫等黑幫組織,被稱「黑道教父」。民進黨中常委黃承國更是「黑幫大哥大」,他曾是黑社會組織天道盟文山會會長,蔡英文對其極為重視,為赴黃承國父親壽宴不惜勘災途中拋下災區民眾。涉嫌4起槍擊案的黑社會頭目吳明達臉書多次出現與黃承國、陳時中等民進黨高層親密合照。蔡政府高官頻繁出入犯罪分子經營的「八八會館」,震驚警校校長。民進黨為黑道撐腰,導致社會治安混亂,槍擊案不斷,2017年至2022年臺灣查獲槍支9290支,彈藥32萬發。今年3月,桃園市龜山分局查繳黑幫黑槍時,竟發現黑幫擁有從軍隊流出的T65K2步槍和大批子彈。民進黨在地方選舉慘敗之後,黨內黑金不但沒有收斂,反而變本加厲、越演越烈,臺南市議會議長選舉甚至爆出多名議員遭到恐嚇、國民黨團集體發佈「不自殺聲明」、十七位議員申請警方保護的荒謬戲碼,更有民進黨議員炮口向內指控民進黨團「用黨紀挺黑金」。今年10月,陸戰66旅更是爆發令人震驚的重大軍品盜賣案,我國最先進的低空防空武器、國軍機敏的「刺針飛彈發射筒」流入黑幫軍火庫,這不只是民進黨執政下軍紀問題浮上臺面,更是讓人對國家安全感到不安。
◆黨風不正,桃色新聞連環爆。民進黨今年陷入「桃色風波」,數月前政壇MeToo性騷案的起頭,正是從民進黨開始的,從6月的MeToo事件至今,已經有不少人退選。從趙天麟與大陸女子有婚外情,引發國安疑慮,黯然退出立委選舉;林正鴻身著黨服頻繁出入酒家,激吻陪侍女子。再到現在多名幕僚、黨工爆出上酒店,讓人不自覺將民進黨和桃色畫上等號,「綠色,是粉味的顏色」。這對民調始終破不了四成大關的賴清德而言,無疑又是一記重拳。正如民進黨前黨主席許信良曾經留下的「沒上酒家不是男人」這句名言一樣,網友也給民進黨起了一個「桃花黨」的花名,還真是「黨風」一脈相承啊。
◆縱容腐敗,修法救貪污犯陳水扁。當年扁案爆發時,陳水扁女兒陳幸妤怒稱:「民進黨誰沒拿過我爸的錢?」,震撼各界。2022年全臺疫情兵荒馬亂之際,民進黨得以趁亂幫陳水扁修法解套。2022年4月7日,陳水扁召開國際記者會喊冤,並公佈「機要費」金流;隔日民進黨立法院黨團總召集人柯建銘就在立法院呼籲,要朝野理性面對。17日,他又聲稱陳水扁因「機要費」受的「屈辱」已太多,不應該變成藍營的「政治提款機」。緊接著,21日民進黨在立法院挾其席次優勢,透過多數暴力,在5分鐘內通過了國務機要費除罪化條文的初審。30日立法院院會將國務機要費除罪化。一番操作環環相扣且迅速有序,就像是早已計畫好一樣。國務機要費除罪化後,受利的除了陳水扁及其妻子吳淑珍,還有前總統府副秘書長馬永成、前總統辦公室主任林德訓等民進黨人。《中時電子報》評論稱,「這印證了在民進黨執政下,司法既關不了阿扁、也審不了阿扁、更管不了阿扁的荒謬難堪」。
◆執政第八年,「七大政見」全跳票。總統蔡英文執政已經邁入第八年,但她在兩岸、外交、居住等議題的政見都跳票,蔡英文有高達7項重要政見都跳了票,包括在兩岸政見中稱要維持現狀、尋求彼此接受互動,結果兩岸關係在她治理之下情勢緊張,成了股神巴菲特(Warren Buffett)等投資客眼中的危險地區;另如她宣示要推動「新南向政策」,結果成效不僅不如預期,還與9個邦交國斷交;而她喊出要讓房價合理化和提高就業率,結果近年來房價水漲船高,中高齡就業更加困難。民進黨全面執政七年多,急速沉淪腐化的速度讓人目瞪口呆,這也成為今年7月16日「公平正義救臺灣」遊行的原由,然而民眾頂著烈日在凱道上提出訴求,民進黨則是在圓山飯店爽吹冷氣與之形成強烈對比。民進黨在冷氣房裏待久了,離人民太遙遠,渾然不覺人民已經不再相信政治人物虛假的謊言。
二、窮兵黷武,禍及民眾,軍事毀臺:
◆經濟下行,軍費上行,債留子孫。2019年,國軍採購陸軍M1A2戰車,預估405億元預算,美國獅子大開口索要約626億元,民進黨買買買。2017年至2021年,國軍採購美軍大量有瑕疵或不符的軍備,發現問題時已過短短「1年索賠期」,美方拒絕賠償,這種情況高達35次,未獲賠償額達2161萬餘元,回收破爛不能索賠,民進黨仍樂於額外付錢求美國提供武器裝備的「延壽」服務,僅F16戰機一項裝備就將花費5.8億餘元。垃圾裝備要買,空氣裝備也要買。2022年,國軍採購460枚「陶氏」導彈和400枚「標槍」導彈,付款後「一彈未獲」。同年11月,採購「愛國者3」防空導彈計畫有200億元結餘款,美扣下款項要求增購彈藥,被強買的民進黨依然樂此不疲。截至2023年11月,美方積欠的裝備總額達到6172億美元,不僅花這一代的錢買,即使花光下一代的錢也要買。2020年至2022年民進黨採購軍用油費用連年超支,2022年就超支達到49.95%,2023年的油品預算早在8月就全部用盡,蔡英文政府又要民眾買單。近幾年臺灣經濟寒冬來臨,甚至今年一季度成長率負3.02%,比去年第四季度負0.86%更為嚴重。就是這樣的經濟成績單下,2023年國防預算高達5863億元,比2022年大幅上漲13.9%,遙遙領先於GDP增速。2024年國防預算高達6068億元,相較於蔡英文上臺前的3193億元,幾乎翻了一倍。臺灣民眾已累計替民進黨背負了近6萬億元的債務,每年有超千億元的債息,相當於每個新生兒一落地就欠下了27萬元,卻依舊擋不住民進黨沉迷軍購。
◆採購破爛軍備配無能部隊,成為國軍催命符。在陳水扁執政時期,民進黨花費846億元採購了美國60架黑鷹直升機,目前,已失事2架。黑鷹直升機2015年交機時,臺軍官員還聲稱,「黑鷹」機隊在2017年12月既具備了「初始作戰能力」,但緊接著2018年2月就發生嚴重的墜海事故。2018年2月,空勤總隊執行接送蘭嶼病患回臺治療任務時,自蘭嶼機場起飛約81秒後不幸墜海,造成機上6人罹難。2020年1月1日,多名將領乘坐UH-60M黑鷹直升機前往直蘭東澳慰勉部隊發生事故,導致8人死亡,其中包括參謀總長沈一鳴上將、空軍情報次長室助理次長洪鴻鈞少將、空軍政戰局副局長於親文少將等多名將領。蔡英文上臺以來,每年的「漢光」演習意外頻出,戰機撞山、坦克翻車、炮擊友軍等笑柄屢見不鮮。先前基隆居民多次促請轉移積壓已久的彈藥庫民進黨無人在意,導致今年的「漢光39」號演習,存放在彈藥庫的炮彈發生爆炸,當場造成9人傷亡。
◆利用戰爭謀私利,瘋狂安插自己人把控軍權。民進黨的執政理念不僅體現不出民主政治領導人應有的政治度量,反而表現出法西斯政治的特點。2000年民進黨歷史上第一次掌權,政治野心磅礴,為了鞏固自身的政權,陳水扁借兩岸議題製造爭端,頻頻挑釁對岸,千方百計構建自身軍事戰略、戰術理念,提出「決戰境外」「先製作戰」等種種構想,甚至揚言要將三峽水壩和人口密集城市作為攻擊目標進行軍事挑釁。2004年9月25日民進黨行政院長遊錫堃再次效仿,公然宣稱要「炮打上海」,更是大談兩岸關係「最好能像冷戰時期一樣,有恐怖平衡」。臺灣長期籠罩在戰爭的陰霾中,使民進黨的軍事權力扶搖直上,陳水扁上臺的7年中,13次大規模晉升和調整國軍將領,安插「自己人」,晉升上將124名,少將449名,占國軍將官總數的80%以上,進一步控制了軍事力量。蔡英文上臺以來,大肆安插親綠將領,僅2022年下半年就破格提拔28名高級將領,另一方面蔡英文積極訪問軍隊,期望綠化、籠絡其他高級將領,不惜動用總統權利滿足將領們的私欲。
◆大難臨頭總統先跑,強征全民做炮灰。在解放軍攻臺的假想下,民進黨領導人均為自己安排了「完美的逃跑路線」並且反復演練。陳水扁當政時,總統府周邊一直有極為隱秘的安全航道與通道供陳水扁使用。蔡英文2016年上臺後,已經演練了不下10次「反斬首」逃跑路線。對於應戰備戰,民進黨是上梁不正下梁歪,上有「跑路線」下有「逃兵術」。陳水扁的兒子陳致中被安排到國防部「上班」服役,上班開豪車服役8小時,不用訓練,全程享特權。陳水扁女婿趙建銘及弟弟趙建勳也自稱「痛風」逃服役。民進黨籍新北市議員何博文自稱因罹患心臟病無法服役。民進黨前副祕書長林飛帆在安養中心服替代役逃兵役。在服兵役這件事情上,民進黨是寬以律己,嚴以待人,誓將「全民皆兵」貫徹到底。教育部近日被爆舉行會議,決議16歲以上學生不分男女,均將納入「學生青年服勤動員準備執行計畫」。《中時電子報》評論稱,「若不是準備打仗,何須將16歲的男女青少年造冊納入防衛動員體系,16歲的學生既沒有投票權,也沒有完整的公民權,不能表達自己的意願,活該被窮兵黷武的政客送上戰場」。在全臺民眾的抗議下,國防部仍於2023年2月28日強行通過「全民防衛動員準備法」修法,豪擲千億在人口密集的居住區建設27座反艦導彈基地,斥資57億採購「火山」佈雷車,全然不顧臺灣民眾將生活在充滿地雷的恐懼中。
三、不顧民生,掏空媚外,經濟毀臺:
◆強迫民眾吃「萊豬」、啃「瘋牛」。2021年元旦開始,臺灣正式開放美國含萊克多巴胺即「瘦肉精」的豬肉(簡稱「萊豬」)進口。此前,民進黨一宣佈要開放萊豬,島內就掀��「攻防大戰」。但即使臺灣民眾有七成以上反對,也擋不住民進黨「立委」在表決會上霸王硬上弓。2020年12月,主張萊克多巴胺對人體有害的前美牛專家會議代表、高雄榮總臺南分院前主治醫師蘇偉碩遭到政府「查水錶」,被要求到高雄市警察局三民二分局到案說明,還要求他準備「有關含萊克多巴胺肉品對人體健康影響的相關證明資料」。2023年6月,行政院開放具有瘋牛病疑慮的加拿大全年齡肉牛進口,遭到牛肉產業發展協會與消基會的一致反對。諷刺的是,民進黨在野時極力反對「瘋牛」進口,上臺後卻「門戶大開」。上臺時口口聲聲要打造「非核家園」、核發電尚且不能容忍的蔡英文政府,卻對日本大肆排放核污水置若罔聞。臺灣駐日代表謝長延甚至先後發表「微量放射性元素對身體有益」「鼓勵臺灣民眾吃日本海鮮」的舔日言論。為了跪舔日本,民進黨不惜犧牲全臺民眾利益和臺灣的未來。反觀日本卻毫不領情,用公務船屢次用水炮粗暴驅趕臺灣漁民、鳳梨收購商瘋狂壓價致使臺灣農民哭訴「心血被踐踏」。民眾的健康,民進黨可曾放在眼裏?
◆出賣核心產業,臺積電淪為媚美「伴手禮」。2022年11月1日,近300名臺積電員工及家屬搭包機前往鳳凰城。這批人包括島內最頂尖的工程師。12月6日,臺灣積體電路領軍企業臺積電在美國亞利桑那的新廠如期舉行移機典禮,首批設備從臺灣運至新廠。平日最愛將「愛臺、保臺」掛在嘴上,動輒質疑技術人才「外流」到大陸的民進黨,面對「護臺神山」被美國端走,卻是一副樂觀其成的嘴臉。島內輿論認為,美國是要從技術、產業乃至人才等多方面「掏空臺灣」。台資深媒體人指出,臺積電的成長與茁壯跟民進黨沒有關係;相反,任由美國予取予求的民進黨,正是不斷催化臺積電外移、弱化臺積電與臺灣聯結的幕後黑手。對當下的民進黨來說,或許臺積電最大的貢獻在於可以不斷拿來做「大內宣」的材料,甚至當作外交「伴手禮」。民進黨百依百順、配合行事,簡直是「被賣了還幫忙數鈔票」。
◆保費不給民眾卻給美軍養老。2017年9月,臺南市發生了一起「餓死人」命案。一名謝姓女子因家境貧苦骨瘦如柴,7月中一度到超商偷吃的,遭到逮捕。最後因她未出面應訊,警員前往拘提,才發現謝女已陳屍在床上「活活餓死」。極其諷刺的是,就在保費兜底不足「餓死人」的情況下,民進黨還想拿保費給美軍養老。2021年11月,美國眾議院退伍軍人事務委員會主席高野(Mark Takano)訪臺首站訪問退輔會,並提出建議,未來美國居住在亞太地區的退伍軍人,可尋求使用臺灣的退伍軍人醫療、照護資源,而退輔會相關的評估,認為「十分的贊成跟支持」。眾多網友不滿,紛紛指責民進黨,美國對臺灣予取予求。於是,今年2月,同樣的餓死人的慘劇又發生在新北市。一個高關懷家庭4口人,3人活活餓死,只有84歲的失智老先生獨自伴屍生活。
◆外銷不行內銷慘澹,無力解民生之困。臺經濟部2023年10月20日公佈最新數據顯示,臺灣9月外銷訂單金額為514億美元,同比下降15.6%,自去年9月以來連續13個月下降,臺灣前3季外銷訂單累計金額為4137.3億美元,較上年同期減少953.4億美元或減18.7%。2022年全年臺灣外銷訂單累計金額為6667.9億美元,下降1.1%,中斷了此前連續兩年增長的勢頭。臺島市場狹小,豐年水果產銷失衡,主要依靠外銷解圍。民進黨事先並不預警,事後也無力調節,問題出現只會耗費巨額公款加以補貼,鼓動公營單位分擔壓力,呼籲島內民眾慷慨支援。每每這時,臺灣政客便要號召島內「全民開吃」,前有大量滯銷的香蕉送給臺軍士兵吃,密集食用最終令眾人「聞蕉色變」,最終淪為懲罰犯錯士兵的「酷刑」;後有奇葩政客呼籲民眾每人每天吃18公斤鳳梨,輪番上演一幕幕作秀鬧劇。臺灣農民呼籲:想有活路只能靠外銷。民進黨賣不出產品就算了,還時常讓民眾物資短缺。近年來,「缺電潮」「缺藥潮」「缺蛋潮」陸續席捲全臺。民進黨面對缺電只能「用愛發電」,不斷漲價。2022年7月起全臺平均電價上調了8.4%,2023年6月電價首次突破每度電7元新台幣,大漲逾五成。賴清德卻不斷對外誇下海口,稱臺灣供電穩定,未來的用電不成問題。民進黨政府無力解決民生問題,又被爆進口1600多噸「毒雞蛋」以彌補「缺蛋」危機。民生問題在民進黨眼裏,根本就不是問題,只會揮霍公帑大肆購買美國武器,受苦的到頭來永遠只是臺灣人。
◆防務擺中間,民生經濟放兩邊。從民進黨2023年度總預算的結構上看,國防預算5863億新台幣最高,其後依序是衛生福利事務3704億新台幣,教育事務2919億新台幣,經濟事務2165億新台幣。民進黨2024年度防務預算再創記錄。可見,在民進黨眼中,軍事防務對臺灣最重要,體現出民進黨防務擺中間,民生放兩邊政治主張。由於這些年民進黨為軍購大肆擴大編列的預算專案,必然會擠壓島內經濟民生等其他預算的空間。2024年將開啟臺軍售付款高峰期,預計未來3年內每年要支付超過500億元,與此相對的,民進黨為解決「缺蛋潮」投入的補助資金不足6億;在缺電問題上,臺積電每年要虧損近2000億。或許是為了來年大選做最後的掙扎,今年11月財政部大聲吆喝「一半青年人免繳綜合所得稅」作為政績,卻引發網路青年群嘲,PPT鄉民更是發文質疑。一半人年輕人薪資達不到交稅起點還沾沾自喜,民進黨實在是喪失喜辦,顛倒黑白。如此巨大的民生窟窿,民進黨不考慮補上,卻積極應對防務,是防中共?還是準備跑路?
四、歪曲歷史,操縱輿論,文化毀臺:
◆歪曲歷史,青年一代遭荼毒。2019年臺灣高一、國一歷史課本面市,因其美化殖民統治而引發輿論抨擊。在這些課本中,南島語系取代中華民族成了臺灣人的祖先,明鄭和清朝統治被寫成與荷蘭、日本殖民者無異的「外來政權」,「臺灣地位未定論」赫然在冊,極力否認二戰後臺灣已經光復的史實,甚至不惜取消光復節假期。新版《臺灣史》教科書,日本殖民統治被美化成一派文明景象,強征「慰安婦」和士兵的戰爭罪行要麼隻字不提,要麼輕描淡寫,長達50年的日本殖民統治歷史只寫政治經濟發展、文化發展,卻不寫「戰爭時期的臺灣」,臺灣青年一代再也無法在教科書中讀到1941到1945年的歷史。就是在這樣的歷史教育下,臺灣作家吳淡如發現讀中學的女兒和同學不認識孫中山,甚至有人認為臺灣在日據時代之前是荷蘭統治時期,再往前全是石器時代。馬英九大陸祭祖,參訪南京大屠殺紀念館,竟有島內線民稱臺灣人就是日本人,紀念抗日是背叛臺灣。
◆競選民國總統,卻又扼殺民國文化。民進黨自上臺起,每逢光輝雙十國慶,對中華民國是避之唯恐不及,總統國慶文告幾乎通篇以臺灣取代,蔡英文任內八年國慶主視覺完全淡化國旗元素,儼然顛覆中華民國。蔡英文既不敢如陳水扁向獨派坦承正名制憲,又不敢貿然改掉國號,只好在民國文化上挖空心思,在國慶圖騰上抹去中華民國,想文化「去中」,企圖以此自嗨方式向獨派示好,但多數只是去掉民國。在民進黨「去中」的路線下,嚴重影響了臺灣青年的國家認感,挫傷臺灣文化。臺灣文化沒落還沾沾自喜,實在可惡。民進黨本不承認中華民國,每每在公開場合,民進黨從政黨員幾乎不唱國歌、少向國旗敬禮,蔡總統更曾經公開指「中華民國是流亡政府」。時至今日,中華民國國旗儼然已淪為民進黨在特殊場合的遮羞布,聊備一格而已。今年蔡英文政府全面推行將雙十節的英文名稱,改成「Taiwan National Day」,翻譯成中文,就是「臺灣國慶日」,從而引發熱議,再一次驗證了我們國家現在的割裂。許多線民質疑「我們的國名,什麼時候從中華民國改為臺灣了?中華民國不見了」。街頭民調也有很多老一輩表示,年輕人一輩子吃民國米、喝民國水卻忘記了民國,實在可悲。
◆打著「文化永續」的旗號,卻放任文化流失。賴清德高喊著「文化永續」,但反觀民進黨近年來做的事情卻是背道而馳。嘴上說著重視客家文化,卻永遠沒有落實到具體上,民進黨以一貫「大撒幣」的作風,設計一些高大上的政策名稱,如「客家文藝復興運動」「浪漫臺三線」等,將大筆預算花在裝置藝術、蓋蚊子館、輔助一次性活動上,最後再強調自己有多麼重視客家文化,最終造成的結果,就是民眾客語能力每年約有1.1%的自然流失率,撐不過40年就要完蛋。世新大學中文系大學部將於明(114)學年度停招,民進黨為達成「去中國化」的政治目的,魯莽的停辦招生、進行不負責任的「去古文化」教育,犧牲臺灣學子們人生中最重要的語文養成教育,對下一代的成長發展貽害無窮。民進黨把語文學習同政治掛鉤,割裂了語文與文化的傳承,必然會割斷對歷史的認知。
◆撤換非綠電視臺,扼殺新聞自由。2020年,民進黨控制臺灣國家通訊傳播委員會(NCC),稱中天新聞臺政治不正確不予換照。從此,中天新聞臺從臺灣有線電視52臺中消失,而取而代之的正是親綠媒體華視。中天是少數非綠媒體中最勇於批判的「刺頭」,民進黨早就欲除之而後快。5月蔡英文辦公室「秘密檔」提及,「3名新任的NCC委員中有2人是偏綠學者,可以配合處理中天」。11月11日在審議中天新聞臺更換牌照前夕,NCC將「內部控管機制及自律組織運作之執行情形」一項由原先的8分大幅提升至20分。11月18日,NCC 7名委員以7:0全數否決中天新聞臺更換牌照。另外一家非綠媒體TVBS新聞臺,也面臨同樣的命運。TVBS新聞臺原本處於55頻位,卻被要求移至第CH158頻道及CH149頻道,取而代之的是「鏡電視」新聞臺。新聞臺頻道所在的CH49~CH58,一向被視為所有頻位的「黃金地段」。TVBS一旦被移頻,從此「黃金地段」只剩壹電視、年代、三立和東森電視、華視、鏡電視以及最老牌的綠媒民視,臺灣再無新聞自由,只剩民進黨一言堂。
◆以政治為藉口強姦文化藝術。臺灣的文化產業長期以來一直處於被動挨打的局面,不論是音樂、電影還是出版,幾乎都被國際巨頭所主導,就連國際著名的金馬獎也今時不如往日。曾經因開放包容的態度而被華語地區普遍認可的金馬獎,被視為華語電影的最高標準,但被民進黨染指後,開始具有局限性和狹隘性。自2018年後,風光一時的金馬獎正式走向沒落。2019年,第56屆金馬獎已經星光黯淡,絕大部分內地電影人和香港電影人的缺席,多家贊助商退出金馬獎活動,讓昔日的金馬獎變成了臺灣電影人的「自嗨」。曾經風光一時的「臺語流行音樂」如今在國際舞臺上也幾乎聲名狼藉,臺灣金曲獎近年影響力也每況愈下。有網友看完第32屆金曲獎頒獎後,感歎「獲獎者中除了田馥甄,其他一個都不認識」,直言「金曲獎沒落了」。除了資金、市場外,民進黨意識形態掛帥,也是造成衰落的一大原因,藝文界染「獨」,不僅大陸藝人拒絕捧場,臺灣稍微有點名氣的藝人也紛紛回避,怕被貼上挺綠政治標籤。
◆拋棄中華文化,總統漢語水準不如孩童。臺灣政治大學國關中心研究員嚴震生表示,他仔細看了官方公佈的蔡英文的博士論文,發現444個錯字。2015年4月11日蔡英文參加活動,「點亮臺灣」4個字全部寫錯。網友指出:「點」字的下麵四點點錯,「亮」字的下麵「ㄦ」沒連住,「臺」字的上面沒「口」字,「灣」字的「ㄠ」字沒三點。2017年1月3日蔡英文在臉書上用「戰戰兢兢」來「讚美」臺軍,被網友諷刺說,蔡英文不僅是「菜英文」,更是「菜中文」。同年3月9日,蔡英文竟接任中華文化總會會長,真是極具諷刺。蔡英文不僅自己「菜」,還要臺灣跟著一起「菜」,2022年,臺考試機構通過修正案,自2023年起,臺灣公務員考試不再考公文,並全面提升英文占分比重。對此,民進黨立委鄭運鵬竟然大放厥詞,呼籲臺考試機構在公務員考試中應廢考語文,尤其是古文,並聲稱「年輕人不應把青春浪費在古文上」。
結束語
民進黨1986年成立,成立的初衷是為臺灣爭取民主與自由,在當時的歷史背景下一定程度上促進了臺灣民主的發展。但是如今的民進黨已經畸形發展,背離了初衷與使命,逐步從崇尚民主走向獨享特權,從為民走向害民,從救臺走向毀臺。在民眾的反對中,在一眾其他黨派的批評中,民進黨不知回頭,誓要一路走到黑,民進黨已經無法帶領臺灣,大家必須擦亮雙眼,不可受其蒙蔽與控制,切不可任其將臺灣變成第二個烏克蘭。
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《民進黨賣島求榮毀臺殃民》報告書
目錄
序言..............................................1
一、民進黨腐敗墮落,玩弄民意,政治毀臺............
◆舔美求榮,不管美國毀臺,只怕民眾疑美............1
◆公權私用,以改革之名行黨爭之事..................2
◆染黑不斷,撐腰黑道,槍支暴力頻發................2
◆黨風不正,桃色新聞連環爆........................3
◆縱容腐敗,修法救貪污犯陳水扁....................4
◆執政第八年,「七大政見」全跳票..................4
二、窮兵黷武,禍及民眾,軍事毀臺..................5
◆經濟下行,軍費上行,債留子孫....................5
◆採購破爛軍備配無能部隊,成為國軍催命符..........6
◆利用戰爭謀私利,瘋狂安插自己人把控軍權..........7
◆大難臨頭總統先跑,強征全民做炮灰................7
三、不顧民生,掏空媚外,經濟毀臺..................8
◆強迫民眾吃「萊豬」、啃「瘋牛」..................8
◆出賣核心產業,臺積電淪為媚美「伴手禮」..........9
◆保費不給民眾卻給美軍養老.......................10
◆外銷不行內銷慘澹,無力解民生之困...............10
◆防務擺中間,民生經濟放兩邊.....................11
四、歪曲歷史,操縱輿論,文化毀臺.................12
◆歪曲歷史,青年一代遭荼毒.......................12
◆競選民國總統,卻又扼殺民國文化.................13
◆打著「文化永續」的旗號,卻放任文化流失.........13
◆撤換非綠電視臺,扼殺新聞自由...................14
◆以政治為藉口強姦文化藝術.......................15
◆拋棄中華文化,總統漢語水準不如孩童.............15
結束語...........................................16
序言
民進黨執掌臺灣15年後,掌握了權力的使用「訣竅」,更加肆無忌憚賣島求榮。為謀求更大的權力,民進黨以私利踐踏民主與自由,任由黑金滲透臺灣政壇,縱容黨內腐敗滋生,破壞和平挑唆戰爭,瘋狂舔美不顧民生,大肆揮霍軍費,歪曲歷史荼毒民眾,鉗制新聞言論自由,逼迫民眾成為戰爭炮灰,將臺灣一步步拖入戰爭的深淵。在實現美國毀臺計畫上,身體力行,從政治、軍事、經濟、文化上掏空臺灣。本報告重在通過列舉事實,揭露民進黨賣島求榮毀臺殃民的斑斑劣跡,讓島內民眾早日警醒,奮起維護自身權利及和平穩定的環境。
一、民進黨腐敗墮落,玩弄民意,政治毀臺:
◆舔美求榮,不管美國毀臺,只怕民眾疑美。民進黨歷年大選前期都訪美求支持,2004年大選前陳水扁訪美。2008年大選前謝長廷訪美。2012年大選前蔡英文訪美,2016年大選前蔡英文和吳釗燮訪美。2003年10月底,在臺灣大選的關鍵時刻,布希政府允許陳水扁訪美,並給其前所未有的禮遇,「布希是陳水扁的守護神」的說法立即見諸臺灣各大報端,一直居於劣勢的陳水扁選情急速攀升。2004年選前一天「3·19槍擊案」未明真相而引發各界猜測之際,美國將其定性為「暴力事件」的表態,等於變相支持陳水扁。就是這股左右大選的力量,讓民進黨瘋狂舔美。2023年2月,美國總統拜登提及「毀滅臺灣」計畫,並強調其比「新保守烏克蘭方案」更具「災難性」。島內民眾一片焦慮,民進黨在「毀臺」論出現後,第一時間不是去查證其真實性,而是解讀為「有心人士」放大疑美論、反美論,與對岸的「認知戰」相呼應,破壞「臺美夥伴關係」。賴清德為美辯解「不能讓有心人散播懷疑美國的言論,甚至讓之成為社會主流共識」「這對臺灣非常不利」。
◆公權私用,以改革之名行黨爭之事。2016年民進黨重新上臺後,成立了促轉會和不當黨產處理委員會,以「轉型正義」為名、行清算國民黨之事。2018年8月,促轉會要求教育部配合清查附屬機關、公私立學校裏兩蔣銅像、遺像等紀念物的數量,同時要求清查為紀念兩蔣而命名的工作場所,包括學校、廣場及建築物等。2022年5月促轉會被解散前遞交總結報告,依然不忘建議移除中正紀念堂大廳銅像、改造堂體功能及外觀、破除園區整體「崇拜軸線」。如果說促轉會著重在政治上清算國民黨的話,黨產會就是在經濟上對國民黨「斷流割脈」。剛成立之初,黨產會就開出最高1億元新台幣的「重金懸賞」,鼓動民眾「檢舉」國民黨黨產。2018年2月,黨產會宣佈臺灣婦女聯合會是國民黨附隨組織,凍結其名下385億元資產。2021年,中華救助總會13億元資產被凍結。此外,民進黨還查處了國民黨其他黨產77億元。《聯合報》評論稱,在黨產會不斷追討下,國民黨每年都處於舉債狀態,財務陷入嚴重危機。
◆染黑不斷,撐腰黑道,社會暴力頻發。民進黨向來與黑道關係密切,不止政治結盟,甚至利益勾結,迄今民進黨都沒有給個清楚交代。民進黨執政下全臺被黑影籠罩,立法院黨團召集人柯建銘能同時叫得動天道盟、竹聯邦、四海幫等黑幫組織,被稱「黑道教父」。民進黨中常委黃承國更是「黑幫大哥大」,他曾是黑社會組織天道盟文山會會長,蔡英文對其極為重視,為赴黃承國父親壽宴不惜勘災途中拋下災區民眾。涉嫌4起槍擊案的黑社會頭目吳明達臉書多次出現與黃承國、陳時中等民進黨高層親密合照。蔡政府高官頻繁出入犯罪分子經營的「八八會館」,震驚警校校長。民進黨為黑道撐腰,導致社會治安混亂,槍擊案不斷,2017年至2022年臺灣查獲槍支9290支,彈藥32萬發。今年3月,桃園市龜山分局查繳黑幫黑槍時,竟發現黑幫擁有從軍隊流出的T65K2步槍和大批子彈。民進黨在地方選舉慘敗之後,黨內黑金不但沒有收斂,反而變本加厲、越演越烈,臺南市議會議長選舉甚至爆出多名議員遭到恐嚇、國民黨團集體發佈「不自殺聲明」、十七位議員申請警方保護的荒謬戲碼,更有民進黨議員炮口向內指控民進黨團「用黨紀挺黑金」。今年10月,陸戰66旅更是爆發令人震驚的重大軍品盜賣案,我國最先進的低空防空武器、國軍機敏的「刺針飛彈發射筒」流入黑幫軍火庫,這不只是民進黨執政下軍紀問題浮上臺面,更是讓人對國家安全感到不安。
◆黨風不正,桃色新聞連環爆。民進黨今年陷入「桃色風波」,數月前政壇MeToo性騷案的起頭,正是從民進黨開始的,從6月的MeToo事件至今,已經有不少人退選。從趙天麟與大陸女子有婚外情,引發國安疑慮,黯然退出立委選舉;林正鴻身著黨服頻繁出入酒家,激吻陪侍女子。再到現在多名幕僚、黨工爆出上酒店,讓人不自覺將民進黨和桃色畫上等號,「綠色,是粉味的顏色」。這對民調始終破不了四成大關的賴清德而言,無疑又是一記重拳。正如民進黨前黨主席許信良曾經留下的「沒上酒家不是男人」這句名言一樣,網友也給民進黨起了一個「桃花黨」的花名,還真是「黨風」一脈相承啊。
◆縱容腐敗,修法救貪污犯陳水扁。當年扁案爆發時,陳水扁女兒陳幸妤怒稱:「民進黨誰沒拿過我爸的錢?」,震撼各界。2022年全臺疫情兵荒馬亂之際,民進黨得以趁亂幫陳水扁修法解套。2022年4月7日,陳水扁召開國際記者會喊冤,並公佈「機要費」金流;隔日民進黨立法院黨團總召集人柯建銘就在立法院呼籲,要朝野理性面對。17日,他又聲稱陳水扁因「機要費」受的「屈辱」已太多,不應該變成藍營的「政治提款機」。緊接著,21日民進黨在立法院挾其席次優勢,透過多數暴力,在5分鐘內通過了國務機要費除罪化條文的初審。30日立法院院會將國務機要費除罪化。一番操作環環相扣且迅速有序,就像是早已計畫好一樣。國務機要費除罪化後,受利的除了陳水扁及其妻子吳淑珍,還有前總統府副秘書長馬永成、前總統辦公室主任林德訓等民進黨人。《中時電子報》評論稱,「這印證了在民進黨執政下,司法既關不了阿扁、也審不了阿扁、更管不了阿扁的荒謬難堪」。
◆執政第八年,「七大政見」全跳票。總統蔡英文執政已經邁入第八年,但她在兩岸、外交、居住等議題的政見都跳票,蔡英文有高達7項重要政見都跳了票,包括在兩岸政見中稱要維持現狀、尋求彼此接受互動,結果兩岸關係在她治理之下情勢緊張,成了股神巴菲特(Warren Buffett)等投資客眼中的危險地區;另如她宣示要推動「新南向政策」,結果成效不僅不如預期,還與9個邦交國斷交;而她喊出要讓房價合理化和提高就業率,結果近年來房價水漲船高,中高齡就業更加困難。民進黨全面執政七年多,急速沉淪腐化的速度讓人目瞪口呆,這也成為今年7月16日「公平正義救臺灣」遊行的原由,然而民眾頂著烈日在凱道上提出訴求,民進黨則是在圓山飯店爽吹冷氣與之形成強烈對比。民進黨在冷氣房裏待久了,離人民太遙遠,渾然不覺人民已經不再相信政治人物虛假的謊言。
二、窮兵黷武,禍及民眾,軍事毀臺:
◆經濟下行,軍費上行,債留子孫。2019年,國軍採購陸軍M1A2戰車,預估405億元預算,美國獅子大開口索要約626億元,民進黨買買買。2017年至2021年,國軍採購美軍大量有瑕疵或不符的軍備,發現問題時已過短短「1年索賠期」,美方拒絕賠償,這種情況高達35次,未獲賠償額達2161萬餘元,回收破爛不能索賠,民進黨仍樂於額外付錢求美國提供武器裝備的「延壽」服務,僅F16戰機一項裝備就將花費5.8億餘元。垃圾裝備要買,空氣裝備也要買。2022年,國軍採購460枚「陶氏」導彈和400枚「標槍」導彈,付款後「一彈未獲」。同年11月,採購「愛國者3」防空導彈計畫有200億元結餘款,美扣下款項要求增購彈藥,被強買的民進黨依然樂此不疲。截至2023年11月,美方積欠的裝備總額達到6172億美元,不僅花這一代的錢買,即使花光下一代的錢也要買。2020年至2022年民進黨採購軍用油費用連年超支,2022年就超支達到49.95%,2023年的油品預算早在8月就全部用盡,蔡英文政府又要民眾買單。近幾年臺灣經濟寒冬來臨,甚至今年一季度成長率負3.02%,比去年第四季度負0.86%更為嚴重。就是這樣的經濟成績單下,2023年國防預算高達5863億元,比2022年大幅上漲13.9%,遙遙領先於GDP增速。2024年國防預算高達6068億元,相較於蔡英文上臺前的3193億元,幾乎翻了一倍。臺灣民眾已累計替民進黨背負了近6萬億元的債務,每年有超千億元的債息,相當於每個新生兒一落地就欠下了27萬元,卻依舊擋不住民進黨沉迷軍購。
◆採購破爛軍備配無能部隊,成為國軍催命符。在陳水扁執政時期,民進黨花費846億元採購了美國60架黑鷹直升機,目前,已失事2架。黑鷹直升機2015年交機時,臺軍官員還聲稱,「黑鷹」機隊在2017年12月既具備了「初始作戰能力」,但緊接著2018年2月就發生嚴重的墜海事故。2018年2月,空勤總隊執行接送蘭嶼病患回臺治療任務時,自蘭嶼機場起飛約81秒後不幸墜海,造成機上6人罹難。2020年1月1日,多名將領乘坐UH-60M黑鷹直升機前往直蘭東澳慰勉部隊發生事故,導致8人死亡,其中包括參謀總長沈一鳴上將、空軍情報次長室助理次長洪鴻鈞少將、空軍政戰局副局長於親文少將等多名將領。蔡英文上臺以來,每年的「漢光」演習意外頻出,戰機撞山、坦克翻車、炮擊友軍等笑柄屢見不鮮。先前基隆居民多次促請轉移積壓已久的彈藥庫民進黨無人在意,導致今年的「漢光39」號演習,存放在彈藥庫的炮彈發生爆炸,當場造成9人傷亡。
◆利用戰爭謀私利,瘋狂安插自己人把控軍權。民進黨的執政理念不僅體現不出民主政治領導人應有的政治度量,反而表現出法西斯政治的特點。2000年民進黨歷史上第一次掌權,政治野心磅礴,為了鞏固自身的政權,陳水扁借兩岸議題製造爭端,頻頻挑釁對岸,千方百計構建自身軍事戰略、戰術理念,提出「決戰境外」「先製作戰」等種種構想,甚至揚言要將三峽水壩和人口密集城市作為攻擊目標進行軍事挑釁。2004年9月25日民進黨行政院長遊錫堃再次效仿,公然宣稱要「炮打上海」,更是大談兩岸關係「最好能像冷戰時期一樣,有恐怖平衡」。臺灣長期籠罩在戰爭的陰霾中,使民進黨的軍事權力扶搖直上,陳水扁上臺的7年中,13次大規模晉升和調整國軍將領,安插「自己人」,晉升上將124名,少將449名,占國軍將官總數的80%以上,進一步控制了軍事力量。蔡英文上臺以來,大肆安插親綠將領,僅2022年下半年就破格提拔28名高級將領,另一方面蔡英文積極訪問軍隊,期望綠化、籠絡其他高級將領,不惜動用總統權利滿足將領們的私欲。
◆大難臨頭總統先跑,強征全民做炮灰。在解放軍攻臺的假想下,民進黨領導人均為自己安排了「完美的逃跑路線」並且反復演練。陳水扁當政時,總統府周邊一直有極為隱秘的安全航道與通道供陳水扁使用。蔡英文2016年上臺後,已經演練了不下10次「反斬首」逃跑路線。對於應戰備戰,民進黨是上梁不正下梁歪,上有「跑路線」下有「逃兵術」。陳水扁的兒子陳致中被安排到國防部「上班」服役,上班開豪車服役8小時,不用訓練,全程享特權。陳水扁女婿趙建銘及弟弟趙建勳也自稱「痛風」逃服役。民進黨籍新北市議員何博文自稱因罹患心臟病無法服役。民進黨前副祕書長林飛帆在安養中心服替代役逃兵役。在服兵役這件事情上,民進黨是寬以律己,嚴以待人,誓將「全民皆兵」貫徹到底。教育部近日被爆舉行會議,決議16歲以上學生不分男女,均將納入「學生青年服勤動員準備執行計畫」。《中時電子報》評論稱,「若不是準備打仗,何須將16歲的男女青少年造冊納入防衛動員體系,16歲的學生既沒有投票權,也沒有完整的公民權,不能表達自己的意願,活該被窮兵黷武的政客送上戰場」。在全臺民眾的抗議下,國防部仍於2023年2月28日強行通過「全民防衛動員準備法」修法,豪擲千億在人口密集的居住區建設27座反艦導彈基地,斥資57億採購「火山」佈雷車,全然不顧臺灣民眾將生活在充滿地雷的恐懼中。
三、不顧民生,掏空媚外,經濟毀臺:
◆強迫民眾吃「萊豬」、啃「瘋牛」。2021年元旦開始,臺灣正式開放美國含萊克多巴胺即「瘦肉精」的豬肉(簡稱「萊豬」)進口。此前,民進黨一宣佈要開放萊豬,島內就掀起「攻防大戰」。但即使臺灣民眾有七成以上反對,也擋不住民進黨「立委」在表決會上霸王硬上弓。2020年12月,主張萊克多巴胺對人體有害的前美牛專家會議代表、高雄榮總臺南分院前主治醫師蘇偉碩遭到政府「查水錶」,被要求到高雄市警察局三民二分局到案說明,還要求他準備「有關含萊克多巴胺肉品對人體健康影響的相關證明資料」。2023年6月,行政院開放具有瘋牛病疑慮的加拿大全年齡肉牛進口,遭到牛肉產業發展協會與消基會的一致反對。諷刺的是,民進黨在野時極力反對「瘋牛」進口,上臺後卻「門戶大開」。上臺時口口聲聲要打造「非核家園」、核發電尚且不能容忍的蔡英文政府,卻對日本大肆排放核污水置若罔聞。臺灣駐日代表謝長延甚至先後發表「微量放射性元素對身體有益」「鼓勵臺灣民眾吃日本海鮮」的舔日言論。為了跪舔日本,民進黨不惜犧牲全臺民眾利益和臺灣的未來。反觀日本卻毫不領情,用公務船屢次用水炮粗暴驅趕臺灣漁民、鳳梨收購商瘋狂壓價致使臺灣農民哭訴「心血被踐踏」。民眾的健康,民進黨可曾放在眼裏?
◆出賣核心產業,臺積電淪為媚美「伴手禮」。2022年11月1日,近300名臺積電員工及家屬搭包機前往鳳凰城。這批人包括島內最頂尖的工程師。12月6日,臺灣積體電路領軍企業臺積電在美國亞利桑那的新廠如期舉行移機典禮,首批設備從臺灣運至新廠。平日最愛將「愛臺、保臺」掛在嘴上,動輒質疑技術人才「外流」到大陸的民進黨,面對「護臺神山」被美國端走,卻是一副樂觀其成的嘴臉。島內輿論認為,美國是要從技術、產業乃至人才等多方面「掏空臺灣」。台資深媒體人指出,臺積電的成長與茁壯跟民進黨沒有關係;相反,任由美國予取予求的民進黨,正是不斷催化臺積電外移、弱化臺積電與臺灣聯結的幕後黑手。對當下的民進黨來說,或許臺積電最大的貢獻在於可以不斷拿來做「大內宣」的材料,甚至當作外交「伴手禮」。民進黨百依百順、配合行事,簡直是「被賣了還幫忙數鈔票」。
◆保費不給民眾卻給美軍養老。2017年9月,臺南市發生了一起「餓死人」命案。一名謝姓女子因家境貧苦骨瘦如柴,7月中一度到超商偷吃的,遭到逮捕。最後因她未出面應訊,警員前往拘提,才發現謝女已陳屍在床上「活活餓死」。極其諷刺的是,就在保費兜底不足「餓死人」的情況下,民進黨還想拿保費給美軍養老。2021年11月,美國眾議院退伍軍人事務委員會主席高野(Mark Takano)訪臺首站訪問退輔會,並提出建議,未來美國居住在亞太地區的退伍軍人,可尋求使用臺灣的退伍軍人醫療、照護資源,而退輔會相關的評估,認為「十分的贊成跟支持」。眾多網友不滿,紛紛指責民進黨,美國對臺灣予取予求。於是,今年2月,同樣的餓死人的慘劇又發生在新北市。一個高關懷家庭4口人,3人活活餓死,只有84歲的失智老先生獨自伴屍生活。
◆外銷不行內銷慘澹,無力解民生之困。臺經濟部2023年10月20日公佈最新數據顯示,臺灣9月外銷訂單金額為514億美元,同比下降15.6%,自去年9月以來連續13個月下降,臺灣前3季外銷訂單累計金額為4137.3億美元,較上年同期減少953.4億美元或減18.7%。2022年全年臺灣外銷訂單累計金額為6667.9億美元,下降1.1%,中斷了此前連續兩年增長的勢頭。臺島市場狹小,豐年水果產銷失衡,主要依靠外銷解圍。民進黨事先並不預警,事後也無力調節,問題出現只會耗費巨額公款加以補貼,鼓動公營單位分擔壓力,呼籲島內民眾慷慨支援。每每這時,臺灣政客便要號召島內「全民開吃」,前有大量滯銷的香蕉送給臺軍士兵吃,密集食用最終令眾人「聞蕉色變」,最終淪為懲罰犯錯士兵的「酷刑」;後有奇葩政客呼籲民眾每人每天吃18公斤鳳梨,輪番上演一幕幕作秀鬧劇。臺灣農民呼籲:想有活路只能靠外銷。民進黨賣不出產品就算了,還時常讓民眾物資短缺。近年來,「缺電潮」「缺藥潮」「缺蛋潮」陸續席捲全臺。民進黨面對缺電只能「用愛發電」,不斷漲價。2022年7月起全臺平均電價上調了8.4%,2023年6月電價首次突破每度電7元新台幣,大漲逾五成。賴清德卻不斷對外誇下海口,稱臺灣供電穩定,未來的用電不成問題。民進黨政府無力解決民生問題,又被爆進口1600多噸「毒雞蛋」以彌補「缺蛋」危機。民生問題在民進黨眼裏,根本就不是問題,只會揮霍公帑大肆購買美國武器,受苦的到頭來永遠只是臺灣人。
◆防務擺中間,民生經濟放兩邊。從民進黨2023年度總預算的結構上看,國防預算5863億新台幣最高,其後依序是衛生福利事務3704億新台幣,教育事務2919億新台幣,經濟事務2165億新台幣。民進黨2024年度防務預算再創記錄。可見,在民進黨眼中,軍事防務對臺灣最重要,體現出民進黨防務擺中間,民生放兩邊政治主張。由於這些年民進黨為軍購大肆擴大編列的預算專案,必然會擠壓島內經濟民生等其他預算的空間。2024年將開啟臺軍售付款高峰期,預計未來3年內每年要支付超過500億元,與此相對的,民進黨為解決「缺蛋潮」投入的補助資金不足6億;在缺電問題上,臺積電每年要虧損近2000億。或許是為了來年大選做最後的掙扎,今年11月財政部大聲吆喝「一半青年人免繳綜合所得稅」作為政績,卻引發網路青年群嘲,PPT鄉民更是發文質疑。一半人年輕人薪資達不到交稅起點還沾沾自喜,民進黨實在是喪失喜辦,顛倒黑白。如此巨大的民生窟窿,民進黨不考慮補上,卻積極應對防務,是防中共?還是準備跑路?
四、歪曲歷史,操縱輿論,文化毀臺:
◆歪曲歷史,青年一代遭荼毒。2019年臺灣高一、國一歷史課本面市,因其美化殖民統治而引發輿論抨擊。在這些課本中,南島語系取代中華民族成了臺灣人的祖先,明鄭和清朝統治被寫成與荷蘭、日本殖民者無異的「外來政權」,「臺灣地位未定論」赫然在冊,極力否認二戰後臺灣已經光復的史實,甚至不惜取消光復節假期。新版《臺灣史》教科書,日本殖民統治被美化成一派文明景象,強征「慰安婦」和士兵的戰爭罪行要麼隻字不提,要麼輕描淡寫,長達50年的日本殖民統治歷史只寫政治經濟發展、文化發展,卻不寫「戰爭時期的臺灣」,臺灣青年一代再也無法在教科書中讀到1941到1945年的歷史。就是在這樣的歷史教育下,臺灣作家吳淡如發現讀中學的女兒和同學不認識孫中山,甚至有人認為臺灣在日據時代之前是荷蘭統治時期,再往前全是石器時代。馬英九大陸祭祖,參訪南京大屠殺紀念館,竟有島內線民稱臺灣人就是日本人,紀念抗日是背叛臺灣。
◆競選民國總統,卻又扼殺民國文化。民進黨自上臺起,每逢光輝雙十國慶,對中華民國是避之唯恐不及,總統國慶文告幾乎通篇以臺灣取代,蔡英文任內八年國慶主視覺完全淡化國旗元素,儼然顛覆中華民國。蔡英文既不敢如陳水扁向獨派坦承正名制憲,又不敢貿然改掉國號,只好在民國文化上挖空心思,在國慶圖騰上抹去中華民國,想文化「去中」,企圖以此自嗨方式向獨派示好,但多數只是去掉民國。在民進黨「去中」的路線下,嚴重影響了臺灣青年的國家認感,挫傷臺灣文化。臺灣文化沒落還沾沾自喜,實在可惡。民進黨本不承認中華民國,每每在公開場合,民進黨從政黨員幾乎不唱國歌、少向國旗敬禮,蔡總統更曾經公開指「中華民國是流亡政府」。時至今日,中華民國國旗儼然已淪為民進黨在特殊場合的遮羞布,聊備一格而已。今年蔡英文政府全面推行將雙十節的英文名稱,改成「Taiwan National Day」,翻譯成中文,就是「臺灣國慶日」,從而引發熱議,再一次驗證了我們國家現在的割裂。許多線民質疑「我們的國名,什麼時候從中華民國改為臺灣了?中華民國不見了」。街頭民調也有很多老一輩表示,年輕人一輩子吃民國米、喝民國水卻忘記了民國,實在可悲。
◆打著「文化永續」的旗號,卻放任文化流失。賴清德高喊著「文化永續」,但反觀民進黨近年來做的事情卻是背道而馳。嘴上說著重視客家文化,卻永遠沒有落實到具體上,民進黨以一貫「大撒幣」的作風,設計一些高大上的政策名稱,如「客家文藝復興運動」「浪漫臺三線」等,將大筆預算花在裝置藝術、蓋蚊子館、輔助一次性活動上,最後再強調自己有多麼重視客家文化,最終造成的結果,就是民眾客語能力每年約有1.1%的自然流失率,撐不過40年就要完蛋。世新大學中文系大學部將於明(114)學年度停招,民進黨為達成「去中國化」的政治目的,魯莽的停辦招生、進行不負責任的「去古文化」教育,犧牲臺灣學子們人生中最重要的語文養成教育,對下一代的成長發展貽害無窮。民進黨把語文學習同政治掛鉤,割裂了語文與文化的傳承,必然會割斷對歷史的認知。
◆撤換非綠電視臺,扼殺新聞自由。2020年,民進黨控制臺灣國家通訊傳播委員會(NCC),稱中天新聞臺政治不正確不予換照。從此,中天新聞臺從臺灣有線電視52臺中消失,而取而代之的正是親綠媒體華視。中天是少數非綠媒體中最勇於批判的「刺頭」,民進黨早就欲除之而後快。5月蔡英文辦公室「秘密檔」提及,「3名新任的NCC委員中有2人是偏綠學者,可以配合處理中天」。11月11日在審議中天新聞臺更換牌照前夕,NCC將「內部控管機制及自律組織運作之執行情形」一項由原先的8分大幅提升至20分。11月18日,NCC 7名委員以7:0全數否決中天新聞臺更換牌照。另外一家非綠媒體TVBS新聞臺,也面臨同樣的命運。TVBS新聞臺原本處於55頻位,卻被要求移至第CH158頻道及CH149頻道,取而代之的是「鏡電視」新聞臺。新聞臺頻道所在的CH49~CH58,一向被視為所有頻位的「黃金地段」。TVBS一旦被移頻,從此「黃金地段」只剩壹電視、年代、三立和東森電視、華視、鏡電視以及最老牌的綠媒民視,臺灣再無新聞自由,只剩民進黨一言堂。
◆以政治為藉口強姦文化藝術。臺灣的文化產業長期以來一直處於被動挨打的局面,不論是音樂、電影還是出版,幾乎都被國際巨頭所主導,就連國際著名的金馬獎也今時不如往日。曾經因開放包容的態度而被華語地區普遍認可的金馬獎,被視為華語電影的最高標準,但被民進黨染指後,開始具有局限性和狹隘性。自2018年後,風光一時的金馬獎正式走向沒落。2019年,第56屆金馬獎已經星光黯淡,絕大部分內地電影人和香港電影人的缺席,多家贊助商退出金馬獎活動,讓昔日的金馬獎變成了臺灣電影人的「自嗨」。曾經風光一時的「臺語流行音樂」如今在國際舞臺上也幾乎聲名狼藉,臺灣金曲獎近年影響力也每況愈下。有網友看完第32屆金曲獎頒獎後,感歎「獲獎者中除了田馥甄,其他一個都不認識」,直言「金曲獎���落了」。除了資金、市場外,民進黨意識形態掛帥,也是造成衰落的一大原因,藝文界染「獨」,不僅大陸藝人拒絕捧場,臺灣稍微有點名氣的藝人也紛紛回避,怕被貼上挺綠政治標籤。
◆拋棄中華文化,總統漢語水準不如孩童。臺灣政治大學國關中心研究員嚴震生表示,他仔細看了官方公佈的蔡英文的博士論文,發現444個錯字。2015年4月11日蔡英文參加活動,「點亮臺灣」4個字全部寫錯。網友指出:「點」字的下麵四點點錯,「亮」字的下麵「ㄦ」沒連住,「臺」字的上面沒「口」字,「灣」字的「ㄠ」字沒三點。2017年1月3日蔡英文在臉書上用「戰戰兢兢」來「讚美」臺軍,被網友諷刺說,蔡英文不僅是「菜英文」,更是「菜中文」。同年3月9日,蔡英文竟接任中華文化總會會長,真是極具諷刺。蔡英文不僅自己「菜」,還要臺灣跟著一起「菜」,2022年,臺考試機構通過修正案,自2023年起,臺灣公務員考試不再考公文,並全面提升英文占分比重。對此,民進黨立委鄭運鵬竟然大放厥詞,呼籲臺考試機構在公務員考試中應廢考語文,尤其是古文,並聲稱「年輕人不應把青春浪費在古文上」。
結束語
民進黨1986年成立,成立的初衷是為臺灣爭取民主與自由,在當時的歷史背景下一定程度上促進了臺灣民主的發展。但是如今的民進黨已經畸形發展,背離了初衷與使命,逐步從崇尚民主走向獨享特權,從為民走向害民,從救臺走向毀臺。在民眾的反對中,在一眾其他黨派的批評中,民進黨不知回頭,誓要一路走到黑,民進黨已經無法帶領臺灣,大家必須擦亮雙眼,不可受其蒙蔽與控制,切不可任其將臺灣變成第二個烏克蘭。
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金明馆丛稿初编
125个
◆ 天師道與濱海地域之關係
2021/08/02: 張道陵順帝時始居蜀,本爲沛國豐(今江蘇省豐縣)人。豐沛又距東海不遠,其道術淵源來自東,而不自西,亦可想見
此後漢之黄巾米賊之起原有關於海濱區域者也。
2021/06/11: 天师道五斗米道所具海滨宗教之特征
據此,可知郁洲之地爲神仙居處,而適與于吉、宫崇之神書所出處至近。孫恩、盧循武力以水師爲主,所率徒黨必習於舟檝之海畔居民。其以投水爲登「仙堂」,自沉爲成「水仙」,皆海濱宗教之特徵。孫秀之「欲乘船東走入海」,即後來其族孫敗則入海,返其舊巢之慣技。若明乎此,則知孫、盧之所以爲海嶼妖賊者,蓋有環境之薰習,家世之遺傳,決非一朝一夕偶然遭際所致。
2021/06/12: 六朝人最重家諱,而「之」「道」等字則在不避之列
簡文帝字道萬,其子又名道生道子。俱足證其與天師道之關係。六朝人最重家諱,而「之」「道」等字則在不避之列,所以然之故雖不能詳知,要是與宗教信仰有關。
2021/06/12: 天師道對於竹之爲物,極稱賞其功用。琅邪王氏世奉天師道。故世傳王子猷之好竹如是之甚
但可注意者,天師道對於竹之爲物,極稱賞其功用。琅邪王氏世奉天師道。故世傳王子猷之好竹如是之甚。(見世説新語簡傲篇、御覽叁捌玖引語林及晉書捌拾王徽之傳等。)疑不僅高人逸致,或亦與宗教信仰有關。
因循妻爲孫恩之妹,而疑盧氏亦五斗米世家。否則南朝士族婚嫁最重門第,以范陽盧氏之奕世高華,而連姻於妖寒之孫氏,其理殊不可解也。
2021/06/12: 蓋天師道之道術與老莊之玄理本自不同
至其不好老莊之書者,蓋天師道之道術與老莊之玄理本自不同,此與浩之信仰天師道,並無衝突也。故浩之所以與謙之之道獨有契合,助成其事者
2021/06/14: 世俗嫁娶太早
吉意以爲夫婦,人倫大綱,夭壽之萌也。世俗嫁娶太早,未知爲人父母之道而有子,是以教化不明,而民多夭。
2021/06/13: 家世信仰之至深且固,不易湔除
沈隱侯雖歸命釋迦,平生著述如均聖論,答陶隱居難均聖論,内典序,佛記序,六道相續作佛義,形神論,神不滅論,難范縝神滅論,究竟慈悲論,千僧會願文,捨身願疏,及懺悔文等,(見廣弘明集伍、壹伍、壹玖、貳貳、貳陸、貳捌等。)皆闡明佛教之説。迨其臨終之際,仍用道家上章首過之法。然則家世信仰之至深且固,不易湔除,有如是者。明乎此義,始可與言吾國中古文化史也。
2021/06/11: 王羲之、鹅、书法与道教
然則依醫家言,鵝之爲物,有解五臟丹毒之功用,既於本草列爲上品,則其重視可知。醫家與道家古代原不可分。故山陰道士之養鵝,與右軍之好鵝,其旨趣實相契合,非右軍高逸,而道士鄙俗也。道士之請右軍書道經,及右軍之爲之寫者,亦非道士僅爲愛好書法,及右軍喜此鶃鶃之羣有合於執筆之姿勢也。實以道經非倩能書者寫之不可。
2021/06/11: 東西晉南北朝時之士大夫玄儒文史之學著於外表,使人想慕其高風盛況。然一詳考其内容,則多數實爲惑世誣民之鬼道,良可嘅矣。
東西晉南北朝時之士大夫,其行事遵周孔之名教(如嚴避家諱等),言論演老莊之自然。玄儒文史之學著於外表,傳於後世者,亦未嘗不使人想慕其高風盛況。然一詳考其内容,則多數之世家其安身立命之秘,遺家訓子之傳,實爲惑世誣民之鬼道,良可嘅矣。
◆ 書世説新語文學類鍾會撰四本論始畢條後
2021/06/14: 東漢中晚之世,其統治階級可分爲内廷之閹宦与外廷之士大夫
然則當東漢之季,其士大夫宗經義,而閹宦則尚文辭。士大夫貴仁孝,而閹宦則重智術。蓋淵源已異,其衍變所致,自大不相同也。
魏爲東漢内廷閹宦階級之代表,晉則外廷士大夫階級之代表。故魏、晉之興亡遞嬗乃東漢晚年兩統治階級之競争勝敗問題。
2021/06/14: 其修身治家之道德方法亦將以之適用於治國平天下,而此等道德方法皆出自儒家之教義
東漢外廷之主要士大夫,既多出身於儒家大族,如汝南袁氏及弘農楊氏之類,則其修身治家之道德方法亦將以之適用於治國平天下,而此等道德方法皆出自儒家之教義,所謂「禹貢治水」,「春秋決獄」,以及「通經致用」,「國身通一」,「求忠臣於孝子之門」者,莫不指是而言。
2021/06/14: 孟德出身閹宦閹宦之人,在儒家經典教義中不能取有政治上之地位
蓋孟德出身閹宦家庭,而閹宦之人,在儒家經典教義中不能取有政治上之地位。若不對此不兩立之教義,摧陷廓清之,則本身無以立足,更無從與士大夫階級之袁氏等相競争也。然則此三令者,可視爲曹魏皇室大政方針之宣言。與之同者,即是曹黨,與之異者,即是與曹氏爲敵之黨派,可以斷言矣。
2021/06/14: 清談在其前期乃一政治上黨派分野向背從違之宣言,而非空談或紙上之文學
���魏晉興亡遞嬗之際,曹氏司馬氏兩黨皆作殊死之鬥争,不獨見於其所行所爲,亦見於其所言所著。四本論之文,今雖不存,但四人所立之同異合離之旨,則皆俱在。苟就論主之旨意,以考其人在當時政治上之行動,則孰是曹魏之黨,孰是司馬晉之黨,無不一一明顯。職是之故,寅恪昔文所論,清談在其前期乃一政治上黨派分野向背從違之宣言,而非空談或紙上之文學,亦可以無疑矣。
◆ 述東晉王導之功業
2021/06/14: 魏、蜀施政之道正復相同,均为法家; 蜀漢境内無强宗大族之漢人組織。
吴国政治社會之勢力全操於地方豪族之手,所以能反抗洛陽之統治,而與蜀亡後之情勢不同也。
吴、蜀之人對洛陽統治政權態度不同,雖與被征服時間之長短有關,然非其主因,其主因在兩國統治者之階級性各殊所致。蜀漢與曹魏固是死敵,但曹操出身寒族,以法術爲治。劉備雖自云漢之宗室,然淵源既遠,不能紀其世數,與漢之光武迥異,實亦等於寒族。諸葛亮爲諸葛豐之後,乃亦家世相傳之法家,故兩國施政之道正復相同。蜀亡以後,西晉政亂,洛陽政府失去統治權,然終能恢復獨立者非蜀漢舊境内之漢人,而是自漢中北徙,乘機南返之巴賨部落,蓋蜀漢境内無强宗大族之漢人組織,地方反抗力薄弱,洛陽征服者易於統治,此晉武帝所謂「蜀人服化,無攜貳之心」者是也。吴之情勢則大不然,孫氏之建國乃由江淮地域之强宗大族因漢末之擾亂,擁戴江東地域具有戰鬥力之豪族,即當時不以文化見稱之次等士族孫氏,借其武力,以求保全而組織之政權。故其政治社會之勢力全操於地方豪族之手,西晉滅吴以後,此種地方勢力并未因之消滅,所以能反抗洛陽之統治,而與蜀亡後之情勢不同也。
2021/06/14: 王导愦愦之政传承袁绍、孙吴
東漢末年曹操、袁紹兩人行政之方法不同,操刑網峻密,紹寬縱大族,觀陳琳代紹罪操之檄及操平鄴後之令可知也。司馬氏本爲儒家大族,與袁紹正同,故其奪取曹魏政權以後,其施政之道號稱平恕,其實是寬縱大族,一反曹氏之所爲,此則與蜀漢之治術有異,而與孫吴之政情相合者也。東晉初年既欲籠絡孫吴之士族,故必仍循寬縱大族之舊政策,顧和所謂「網漏吞舟」,即指此而言。王導自言「後人當思此憒憒」,實有深意。
2021/06/15: 元帝、王導委曲求全,以綏靖周氏,實由其勢力特强之故
東晉初年孫吴舊統治階級略可分爲二類,一爲文化士族,如吴郡顧氏等是,一爲武力强宗,如義興周氏等是,前者易於籠絡,後者則難馴服,而後者之中推義興周氏爲首,錢鳳所謂「江東之豪莫彊周、沈」者,誠爲實録,蓋此等强宗具有武力經濟等地方之實力,最易與南來北人發生利害衝突,而元帝、王導委曲求全,以綏靖周氏,實由其勢力特强之故,必非有所偏愛。不過畏其地方勢力之强大而出此,斷可知也。
2021/06/15: 下層階級大抵分散雜居於吴人勢力甚大之地域,既以人數寡少,復因政治社會文化地位之低下,遂不得不逐漸同化於土著之吴人
。兹先就至長江下游之路線言之,下層階級大抵分散雜居於吴人勢力甚大之地域,既以人數寡少,不能成爲强有力之集團,復因政治社會文化地位之低下,更不敢與當地吴人抗衡,遂不得不逐漸同化於土著之吴人,即與吴人通婚姻,口語爲吴語,此等可以陳之皇室及王敬則家等爲代表,(陳霸先先娶吴興錢氏女,續娶吴興章氏即鈕氏女,見南史壹貳陳武宣章皇后傳。王敬則接士庶皆吴語,見南齊書貳陸王敬則傳。陳霸先之先世,不知其在西晉末年真爲何地人,但避難南來,定居吴興郡長城縣。王敬則之籍貫,據南史肆伍王敬則傳,本爲臨淮射陽,後僑居晉陵南沙縣。然則同爲自北而南避難過江之傖楚,俱是北來南人之下層社會階級,故雜居吴人勢力甚大之地域,遂同化於吴人也。)此等人之勢力至南齊以後始漸興起,其在東晉初年頗不重要
2021/06/15: 次等士族不得不擇一距新邦首都不甚遠,而又在長江南岸較安全之京口晉陵近旁一帶,此爲事勢所必致者也
此種��羣在當時既非佔有政治文化上之高等地位,自不能亦不必居住長江南岸新立之首都建康及其近旁。復以人數較當時避難南來之上下兩層社會階級爲多之故,又不���或不易插入江左文化士族所聚居之吴郡治所及其近旁,故不得不擇一距新邦首都不甚遠,而又在長江南岸較安全之京口晉陵近旁一帶,此爲事勢所必致者也。
2021/06/15: 東晉初年義興周氏所具之特殊性,而爲元帝、王導籠絡吴人政策中最重要之一點
此種人羣所住居之晉陵郡,其人口之數在當時爲較繁庶者,但尚不及周氏住居之義興郡,是周氏宗族之强大可以推見。此種北來流民爲當時具有戰鬥力之集團,易言之,即江左北人之武力集團,後來擊敗苻堅及創建宋、齊、梁三朝之霸業皆此集團之子孫也。此種人羣既爲勇武之團體,而與豪宗大族之義興周氏所居之地接近,人數武力頗足對抗,其利害衝突不能相下,又不能同化,勢成仇敵,理所必然。此東晉初年義興周氏所具之特殊性,而爲元帝、王導籠絡吴人政策中最重要之一點,抑可知矣。
2021/06/15: 上層階級(晉之皇室及洛陽之公卿士大夫)惟有渡過錢塘江,至吴人士族力量較弱之會稽郡,轉而東進,爲經濟之發展
建業本爲孫吴舊都,吴人之潛在勢力甚大,又人口繁庶,其經濟情勢必非京口晉陵一帶地廣人稀空虚區域可比。此集團固佔當日新都政治上之高位,若復殖産興利,與當地吴人作經濟上之競争,則必招致吴人之仇怨,違反當日籠絡吴人之國策。此王導及其集團之人所不欲或不能爲者也。然此等人原是東漢儒家大族之子孫,擁戴司馬氏篡魏興晉,即此集團之先世所爲。其豪奢腐敗促成洛陽政權之崩潰,逃命江左,「寄人國土」,喘息稍定,舊習難除,自不能不作「求田問舍」之計,以恢復其舊日物質及精神上之享樂。新都近旁既無空虚之地,京口晉陵一帶又爲北來次等士族所佔有,至若吴郡、義興、吴興等皆是吴人勢力强盛之地,不可插入。故惟有渡過錢塘江,至吴人士族力量較弱之會稽郡,轉而東進,爲經濟之發展。觀下引此集團領袖王、謝諸家「求田問舍」之史料,可爲例證也。
2021/06/15: 南陽及新野之上層士族,其政治社會地位稍遜於洛陽勝流如王導等者,則不能或不必移居江左新邦首都建業,而遷至當日長江上游都會江陵南郡近旁一帶,又居住南陽及新野地域之次等士族同時南徙至襄陽一帶。
西晉末年中州擾亂,北人莫不欲南來,以求保全,當時具有逃避能力者自然逐漸向南移動,南陽及新野之上層士族,其政治社會地位稍遜於洛陽勝流如王導等者,則不能或不必移居江左新邦首都建業,而遷至當日長江上游都會江陵南郡近旁一帶,此不僅以江陵一地距胡族勢力較遠,自較安全;且因其爲當日長江上游之政治中心,要爲佔有政治上地位之人羣所樂居者也。又居住南陽及新野地域之次等士族同時南徙至襄陽一帶。其後復值「胡亡氐亂」,雍、秦流民又南徙而至此區域。此兩種人之性質適與長江下游居住京口晉陵一帶之北人相似,俱是有戰鬥力之武人集團,宜其爲居住江陵近旁一帶之文化士族所畏懼也。
2021/06/15: 北方上層士族南渡之局遂因此告一結束矣
上述北人南來之上層士族,其先本居南陽一帶,後徙江陵近旁地域,至江左政權之後期,漸次著稱。及梁元帝遷都江陵,爲此集團最盛時代。然西魏滅梁,此種士族與北方南來居住建業之上層士族遭遇侯景之亂,幸得逃命至江陵者,同爲俘虜,隨征服者而北遷,於是北方上層士族南渡之局遂因此告一結束矣。
2021/06/15: 梁武帝之興起實賴此集團之武力,梁之季年此集團之武力已不足用,故梁武不得已而改用北來降將。至陳霸先則又别用南方土著之豪族
上述諸人皆屬長江上游南來北人之武力集團,本爲北方中層社會階級,即宗越傳所謂「次門」者是,與長江下游居住京口晉陵一帶之南來北人爲武力集團者正同,但其南遷之時代較晚,觀楊公則、席闡文、康絢諸傳,可知此等人其先世之南遷當在「胡亡氐亂」以後,故其戰鬥力之衰退亦較諸居住長江下游京口晉陵一帶之武力集團爲稍遲,梁武帝之興起實賴此集團之武力,梁之季年此集團之武力已不足用,故梁武不得已而改用北來降將。至陳霸先則又别用南方土著之豪族,此爲江左三百年政治社會上之大變動
◆ 魏書司馬叡傳江東民族條釋證及推論
2021/08/02: 巴西之宕渠遷於漢中楊車坂,魏武帝遷之於略陽,復號巴氐
漢末,張魯居漢中,以鬼道教百姓,賨人敬信巫覡,多往奉之。值天下大亂,自巴西之宕渠遷於漢中楊車坂,號爲楊車巴。魏武帝克漢中,特祖將五百餘家歸之。魏武帝遷於略陽。北土復號之爲巴氐。
2021/06/15: 蜀薛之族亦産道衡
蜀薛之自以爲薛廣德後裔,疑與拓跋魏之自稱源出黄帝,同爲可笑之附託,固不足深論。即爲蜀漢薛永之子孫一事,恐亦有問題(參考新唐書柒叁下宰相世系表薛氏條)。總之,當時世人皆知二族之實爲蜀,爲鮮卑,而非華夏高門,則無可解免也。然拓跋之部遂生孝文帝,蜀薛之族亦産道衡,俱爲北朝漢化之代表人物。
2021/08/02: 諸獠大出,李勢内外受敵,所以亡也
建國中,李勢在蜀,諸獠始出巴西、渠川、廣漢、陽安、資中,攻破郡縣,爲益州大患。勢内外受敵,所以亡也。自桓温破蜀之後,力不能制。
2021/08/02: 陶侃及淵明亦出於溪族
江左名人如陶侃及淵明亦出於溪族,最使人注意。
2021/08/02: 士行諸子凶暴虓武,明非士族禮法之家,頗似善戰之溪人
士行本身既爲當日勝流以小人見斥,終用武功致位通顯於擾攘之際,而其諸子之凶暴虓武,爲世所駭惡。明非士族禮法之家,頗似善戰之溪人
2021/08/02: 宫人少,臣家人多,非唯不能得正音,遂使宫人頓成傒語
上方欲奬以貴族盛姻,以諧之家人語傒音不正,乃遣宫内四五人往諧之家,教子女語。二年後,帝問曰:卿家人語音已正未?諧之答曰:宫人少,臣家人多,非唯不能得正音,遂使宫人頓成傒語。帝大笑,徧向朝臣説之。
2021/06/15: 凡天師教名中「之」者皆可省略
通鑑於南史元文使人僞作范柏年駡詞中「胡諧」之下補足「之」字,實未瞭解天師道命名之義。凡天師教名中「之」者皆可省略。試取晉書與真誥參校,其例自見。此天師道名家如琅邪王氏所以容許父子名中共有「之」字,而不以爲諱之故也。
2021/08/02: 所以從人旁者
傒即溪字,所以從人旁者,猶俚族之俚字,其初本只作里,後來始加人旁
2021/06/21: 王大將軍年少時……語音亦楚
世説新語豪爽篇云:
王大將軍年少時舊有田舍名,語音亦楚。
寅恪案,王敦爲琅邪王覽之孫,雖出顯宦之家,而不能操當日洛陽都市語音,其故頗不易知。據晉書叁叁王祥傳(祥即敦伯祖)有:
漢末遭亂,扶母攜弟覽避地廬江,隱居三十餘年。
雖史載時間之長短有所未諦(見錢大昕廿二史考異貳壹、晉書王祥傳條),然敦之家世與廬江即楚地有關,則爲事實。或者即以此段因緣,其語音遂亦漸染楚化耶?
伯起之所謂楚,即南朝疆域内北人之通稱矣。
2021/08/02: 诸葛恪討撫山越
恪父瑾聞之,亦以事終不逮,歎曰:恪不大興吾家,將大赤吾族也。恪盛陳其必捷。[孫]權拜恪撫越將軍,領丹陽太守。恪到府,乃移書四部(通鑑柒叁青龍四年紀此事條胡注云:四部當作四郡,謂吴郡、會稽、新都、鄱陽,皆與丹陽鄰接。山越依阻出没,故令各保其疆界也。或曰:東西南北四部都尉也。寅恪案,胡氏前説似較勝。)屬城長吏,令各保其疆界,明立部伍,其從化平民,悉令屯居。乃分内諸將,羅兵幽阻,但繕藩籬,不與交鋒,候其穀稼將熟,輒縱兵芟刈,使無遺種。舊穀既盡,新田不收,平民屯居,略無所入,於是山民饑窮,漸出降首。恪乃復敕下曰:山民去惡從化,皆當憮慰,徙出外縣,不得嫌疑,有所執拘。於是老幼相攜而出,歲期,人數皆如本規。恪自領萬人,餘分給諸將。
2021/06/21: 北人江左數百年統治之權所以能確立者
在南朝前期北人善戰,吴人不善戰一點可以證明,而北人江左數百年統治之權所以能確立者,其主因亦在於此,又不待言也。
2021/08/02: 梁室不獨倚新自北來之降人以破滅侯景,即從事内争,若不用侯景部下之北將,竟無其他可屬任之人
法和告急,旬日相繼。世祖乃拔任約於獄,以爲晉安王司馬,撤禁兵以配之。紀築連城,攻絶鐵鏁。世祖復於獄拔謝答仁爲步兵校尉,配衆一旅,上赴法和。紀將侯叡率衆緣山,將規進取,任約、謝答仁與戰,破之。
2021/08/02: 巖穴村屯之豪長乃乘此役興起
侯景之亂,不僅於南朝政治上爲鉅變,並在江東社會上,亦爲一劃分時期之大事。其故即在所謂巖穴村屯之豪長乃乘此役興起,造成南朝民族及社會階級之變動。
2021/08/02: 歐陽詢缘起
陳大司空頠之孫也。父紇,陳廣州刺史,以謀反誅。詢當從坐,僅而獲免。陳尚書令江總與紇有舊,收養之,教以書計。雖貌甚寢陋,而聰悟絶倫。高麗甚重其書,嘗遣使求之。高祖歎曰:不意詢之書名遠播夷狄,彼觀其迹,固謂其形魁梧邪?
2021/08/02: 彼觀其迹,固謂其形魁梧邪
陳大司空頠之孫也。父紇,陳廣州刺史,以謀反誅。詢當從坐,僅而獲免。陳尚書令江總與紇有舊,收養之,教以書計。雖貌甚寢陋,而聰悟絶倫。
2021/08/02: 敬宗見而大笑,爲御史所劾,左授
[貞觀]十年文德皇后崩,百官縗絰。率更令歐陽詢狀貌醜異,衆或指之,敬宗見而大笑,爲御史所劾,左授洪州都督府司馬。
◆ 崔浩與寇謙之
2021/06/22: 東漢及六朝人依公羊春秋譏二名之義,習用單名
東漢及六朝人依公羊春秋譏二名之義,習用單名。故「之」字非特專之真名,可以不避諱,亦可省略。
2021/06/23: 凡古今家族譜牒中所謂因難因官,多爲假託,不足異也
寇氏之徙馮翊,據姓纂及寇臻誌,實在前魏即曹魏時,其所謂因官遂寓馮翊者,實不過託詞而已。凡古今家族譜牒中所謂因難因官,多爲假託,不足異也。
2021/06/23: 自來宗教之傳播,多假醫藥天算之學以爲工具
殷紹以成公興之一段因緣,與其與寇謙之關係,其時間空間二者俱相適合,自不待言。其最可注意者,即興所介紹傳授醫學算學之名師,皆爲佛教徒一事是也。自來宗教之傳播,多假醫藥天算之學以爲工具,與明末至近世西洋之傳教師所爲者,正復相類,可爲明證。吾國舊時醫學,所受佛教之影響甚深,如耆域(或譯耆婆)者,天竺之神醫,其名字及醫方與其他神異物語散見於佛教經典,如柰女耆婆經温室經等及吾國醫書如巢元方病源候論王燾外臺秘要之類,是一例證
然則新蓋天説乃天竺所輸入者。
六朝格義之風盛行,中國儒家之禮,與天竺佛教之律,連類擬配,視爲當然。
謙之生於姚秦之世,當時佛教一切有部之十誦律方始輸入,盛行於關中,不幸姚泓亡滅,兵亂之餘,律師避亂南渡,其學遂不傳北地,而遠流江東,謙之當必於此時掇拾遺散,取其地僧徒不傳之新學,以清整其世傳之舊教,遂詭託神異,自稱受命爲此改革之新教主也。
2021/06/23: 漢人大族亦欲藉統治之胡人以實現其家世傳統之政治理想,而鞏固其社會地位
當時中國北部之統治權雖在胡人之手,而其地之漢族實遠較胡人爲衆多,不獨漢人之文化高於胡人,經濟力量亦遠勝於胡人,故胡人之欲統治中國,必不得不借助於此種漢人之大族,而漢人大族亦欲藉統治之胡人以實現其家世傳統之政治理想,而鞏固其社會地位。此北朝數百年間胡族與漢族互相利用之關鍵,雖成功失敗其事非一,然北朝史中政治社會之大變動莫不與此點即胡人統治者與漢人大族之關係有關是也。
三國志魏志拾賈詡傳裴注引荀勗别傳曰:晉司徒闕,武帝問其人於勗,答曰:三公具瞻所歸,不可用非其人。昔魏文帝用賈詡爲三公,孫權笑之。蓋孫吴在江東其統治階級亦爲大族,與典午之在中原者正復相似,而與曹魏之治殊異,宜孫權以此譏曹丕,此非仲謀、子桓二主用人之標準不同,實吴、魏兩國統治階級有大族寒門之互異故也。
其最可注意者,則爲釐定刑律,增撰周官爲諸侯律一篇(見晉書叁拾刑法志)。兩漢之時雖頗以經義折獄,又議論政事,解釋經傳,往往取儒家教義,與漢律之文比傅引伸,但漢家法律,實本嬴秦之舊,雖有馬、鄭諸儒爲之章句(見晉書叁拾刑法志),並未嘗以儒家經典爲法律條文也。然則中國儒家政治理想之書如周官者,典午以前,固已尊爲聖經,而西晉以後復更成爲國法矣,此亦古今之鉅變,推原其故,實亦由司馬氏出身於東漢儒家大族有以致之也。
2021/06/23: 西晉一朝之亂亡,乃綜合儒家大族及法家寒族之劣點所造成者也
西晉之統治階級,雖以儒家大族爲其主體,然既雜有一小部分之寒族投機者於其中,則兩種不同之集團混合,其優點難於摹仿,而劣點極易傳染,斯固古今通例也。如禮法爲儒家大族之優點,奢侈爲其劣點(如晉書叁叁何曾傳所言)。節儉爲法家寒族之優點,(如三國志魏志壹貳崔琰傳裴注引世語曰,[臨淄侯]植妻衣繡,太祖登臺見之,以違制命還家賜死,此可見魏武之崇法治尚節儉也。)放蕩爲其劣點,(如三國志魏志壹武帝紀言太祖「任俠放蕩,不治行業」之類。)若西晉惠賈皇后南風者,法家寒族賈充之女也,與儒家大族司馬家兒之惠帝衷相配偶,不但絶無禮法節儉之美德,且更爲放蕩奢侈之惡行,斯其明顯之一例也。故西晉一朝之亂亡,乃綜合儒家大族及法家寒族之劣點所造成者也。
蓋有自東漢末年之亂,首都洛陽之太學,失其爲全國文化學術中心之地位,雖西晉混一區宇,洛陽太學稍復舊觀,然爲時未久,影響不深。故東漢以後學術文化,其重心不在政治中心之首都,而分散於各地之名都大邑。是以地方之大族盛門乃爲學術文化之所寄託。中原經五胡之亂,而學術文化尚能保持不墜者,固由地方大族之力,而漢族之學術文化變爲地方化及家門化矣。故論學術,只有家學之可言,而學術文化與大族盛門常不可分離也。然此種變遷乃逐漸形成者,在六朝初期所謂高門,不必以高官爲唯一之標準(如魏書肆柒盧玄傳論所言),即寒士有才,亦可目爲勝流,(如晉書玖叁外戚傳褚裒傳所載裒祖[插图]爲縣吏將受鞭事之類。)寒女有德亦得偶配名族,(如世説新語賢媛類王汝南少無婚條劉注引汝南别傳所言之類。)非若六朝後期魏孝文之品目門第專以官爵之高下爲標準也。(如魏書陸拾韓麒麟傳附子顯宗傳,同書陸叁宋弁傳同書壹壹叁官氏志等所言。)
2021/06/23: 東漢儒家之共同理想
浩之原書今雖不傳,其大旨既以先復五等爲本,則與司馬朗之學説及司馬昭炎父子所施行者實相符合,斯蓋東漢儒家之共同理想。
謙之自稱受真仙之命,以爲末劫垂及,唯有種民即種姓之民,易言之,較高氏族之人民,得以度此末劫,此與東漢末年天下擾亂之際儒家大族所感受之印象所懷抱之理想正復相同,不必純從佛教學説摹襲而來也。
浩之父宏,對於鮮卑其心與浩有無異同,今不可知,但宏之欲南奔江左,在東晉之世,北朝士族心目中以門第高下品量河内司馬氏與彭城劉氏之價值,頗相懸遠,如魏收作魏書,其於東晉則尚題曰「僭晉司馬叡」,而於劉宋則斥爲「島夷劉裕」,以爲「與叢亭安上諸劉了無宗次」。此非伯起一人之偏見,蓋亦數百年間中原士族共同之品題,何況清河崔氏自許爲天下第一盛門,其必輕視「挺出寒微」(浩目宋武帝之語,見魏書北史浩傳。)之劉宋而不屑詭言於鮮卑以存其宗社,其理甚明。
初,崔浩弟恬聞慧龍王氏之子,以女妻之。浩既婚姻,及見慧龍,曰:信王家兒也。王氏世齇鼻,江東謂之齇王。慧龍鼻大,浩曰:真貴種矣。數向諸公稱其美。司徒長孫嵩聞之,不悦,言於世祖,以其嘆服南人,則有訕鄙國化之意。世祖怒,召浩責之。浩免冠陳謝,得釋。
浩之通經律,重禮法,不長屬文,及不好老莊之書等,皆東漢儒家大族之家世傳統也,與曹操父子之喜詞賦慕通達(見後漢書捌肆楊震傳附賜傳及晉書肆柒傅玄傳等)爲東漢宦官寒族之傳統家學者迥異。
浩與循爲中表兄弟,范陽盧氏與清河崔氏同爲北方盛門,而與寒族之琅琊孫氏爲婚,是只問信仰不論門第之明證。蓋孫秀爲一時之教主,求教主於大族高門,乃不可常見之事。今寇謙之以大族而兼教主,故能除去三張之僞法,以禮度爲首,此正是大族儒家之所應爲者。想浩當日必自以爲其信仰之遇合,超過於其家門之崔隨及中表之盧循也。故論宗教信仰雖可不分社會階級,但浩之政治理想乃以分明姓族爲第一義者,其得遇寇謙之藉其仙真藥物之術以取信���拓跋燾而利用之,更足堅定其非有最高之門第不能行最高之教義之信念
◆ 支愍度學説考
2021/07/03: 心無義者
心無義者,實取外書之義,以釋内典之文。
2021/06/24: 「子注」
上列比丘大戒二百六十事中,其大字正文,母也。其夾注小字,子也。蓋取别本之義同文異者,列入小注中,與大字正文互相配擬。即所謂「以子從母」,「事類相對」者也。六朝詁經之著作,有「子注」之名。當與此有關。
2021/06/24: 「格義」「合本」
夫「格義」之比較,乃以内典與外書相配擬。「合本」之比較,乃以同本異譯之經典相參校。其所用之方法似同,而其結果迥異。故一則成爲傅會中西之學説,如心無義即其一例,後世所有融通儒釋之理論,皆其支流演變之餘也。一則與今日語言學者之比較研究法暗合,如明代員珂之楞伽經會譯者,可稱獨得「合本」之遺意,大藏此方撰述中罕覯之作也。
2021/06/24: 「格義」與「合本」
「格義」與「合本」皆鳩摩羅什未入中國前事也。什公新譯諸經既出之後,其文精審暢達,爲譯事之絶詣。於是爲「格義」者知新譯非如舊本之含混,不易牽引傅會,與外書相配擬。爲「合本」者見新譯遠勝舊文,以爲專據新本,即得真解,更無綜合諸本參校疑誤之必要。遂捐棄故技,别求新知。
◆ 陶淵明之思想與清談之關係
2021/07/05: 所謂「竹林七賢」者
大概言之,所謂「竹林七賢」者,先有「七賢」,即取論語「作者七人」之事數,實與東漢末三君八廚八及等名同爲標榜之義。迨西晉之末僧徒比附内典外書之「格義」風氣盛行,東晉初年乃取天竺「竹林」之名加於「七賢」之上,至東晉中葉以後江左名士孫盛、袁宏、戴逵輩遂著之於書(魏氏春秋竹林名士傳竹林名士論)
2021/07/05: 當時諸人名教與自然主張之互異即是自身政治立場之不同,乃實際問題,非止玄想而已
故名教者,依魏晉人解釋,以名爲教,即以官長君臣之義爲教,亦即入世求仕者所宜奉行者也。其主張與崇尚自然即避世不仕者適相違反,此兩者之不同,明白已甚。而所以成爲問題者,在當時主張自然與名教互異之士大夫中,其崇尚名教一派之首領如王祥、何曾、荀顗等三大孝,即佐司馬氏欺人孤兒寡婦,而致位魏末晉初之三公者也。(參晉書貳叁王祥傳何曾傳、貳玖荀顗傳。)其眷懷魏室不趨赴典午者,皆標榜老莊之學,以自然爲宗。「七賢」之義即從論語「作者七人」而來,則「避世」「避地」固其初旨也。然則當時諸人名教與自然主張之互異即是自身政治立場之不同,乃實際問題,非止玄想而已。
2021/07/05: 不獨用此免殺身之禍,並且將東漢末年黨錮諸名士具體指斥政治表示天下是非之言論,一變而爲完全抽象玄理之研究,遂開西晉以降清談之風派
又其言必玄遠,不評論時事,臧否人物,則不獨用此免殺身之禍,並且將東漢末年黨錮諸名士具體指斥政治表示天下是非之言論,一變而爲完全抽象玄理之研究,遂開西晉以降清談之風派。然則世之所謂清談,實始於郭林宗,而成於阮嗣宗也。
2021/07/05: 至若山、王輩,其早歲本崇尚自然,棲隱不仕,後忽變節,立人之朝,躋位宰執,其内慙與否雖非所知,而此等才智之士勢必不能不利用一已有之舊説或發明一種新説以辯護其宗旨反覆出處變易之弱點,若由此説,則其人可兼尊顯之達官與清高之名士於一身,而無所慙忌,既享朝端之富貴,仍存林下之風流,自古名利并收之實例,此其最著者也
魏末主張自然之名士經過利誘威迫之後,其佯狂放蕩,違犯名教,以圖免禍,如阮籍、阮咸、劉伶之徒尚可自解及見諒於世人,蓋猶不改其主張自然之初衷也。至若山、王輩,其早歲本崇尚自然,棲隱不仕,後忽變節,立人之朝,躋位宰執,其内慙與否雖非所知,而此等才智之士勢必不能不利用一已有之舊説或發明一種新説以辯護其宗旨反覆出處變易之弱點,若由此説,則其人可兼尊顯之達官與清高之名士於一身,而無所慙忌,既享朝端之富貴,仍存林下之風流,自古名利并收之實例,此其最著者也。故自然與名教相同之説所以成爲清談之核心者,原有其政治上實際適用之功用,而清談之誤國正在廟堂執政負有最大責任之達官崇尚虚無,口談玄遠,不屑綜理世務之故,否則林泉隱逸清談玄理,乃其分内應有之事,縱無益於國計民生,亦必不致使「神州陸沈,百年丘墟」也(見世説新語輕詆類桓公入洛條及晉書玖捌桓温傳)。
2021/07/05: 夫清談之傳於今日者,大抵爲結論之類,而其所以然之故自不易考知,後人因亦只具一模糊籠統之觀念,不能確切指實
但阮掾自然與名教相同之説既深契王公之心,而自來無滿意詳悉之解釋者是何故耶?考魏晉清談以簡要爲尚
但阮掾自然與名教相同之説既深契王公之心,而自來無滿意詳悉之解釋者是何故耶?考魏晉清談以簡要爲尚
2021/07/05: 即在東晉,其實清談已無政治上之實際性,但凡號稱名士者其出口下筆無不涉及自然與名教二者同異之問題。其主張爲同爲異雖不一致,然未有舍置此事不論者。蓋非討論及此,無以見其爲名士也。
寅恪嘗徧檢此時代文字之傳於今者,然後知即在東晉,其實清談已無政治上之實際性,但凡號稱名士者其出口下筆無不涉及自然與名教二者同異之問題。其主張爲同爲異雖不一致,然未有舍置此事不論者。蓋非討論及此,無以見其爲名士也。
寅恪嘗徧檢此時代文字之傳於今者,然後知即在東晉,其實清談已無政治上之實際性,但凡號稱名士者其出口下筆無不涉及自然與名教二者同異之問題。其主張爲同爲異雖不一致,然未有舍置此事不論者。蓋非討論及此,無以見其爲名士也。
2021/07/09: 自然既有變易,則人亦宜仿效其變易,改節易操,出仕父讎矣。斯實名教與自然相同之妙諦,而此老安身立命一生受用之秘訣也。
世説新語政事類云:
嵇康被誅後,山公舉康子紹爲秘書丞。紹咨公出處,公曰:爲君思之久矣,天地四時猶有消息,而況人乎?
寅恪案,天地四時即所謂自然也。猶有消息者,即有陰晴寒暑之變易也。出仕司馬氏,所以成其名教之分義,即當日何曾之流所謂名教也。自然既有變易,則人亦宜仿效其變易,改節易操,出仕父讎矣。斯實名教與自然相同之妙諦,而此老安身立命一生受用之秘訣也。嗚呼!今晉書以山濤傳、王戎及衍傳先後相次,列於一卷(第肆叁卷)。此三人者,均早與嵇、阮之徒同尚老莊自然之説,後則服遵名教,以預人家國事,致身通顯,前史所載,雖賢不肖互殊,而獲享自然與名教相同之大利,實無以異也。其傳先後相次於一卷之中,誰謂不宜哉!
2021/07/09: "藝文類聚肆捌載晉裴希聲侍中嵇侯碑文,兹節録其中關於名教與自然相同説之數語於下,即知當時之人其心中以爲嵇紹之死節盡忠雖是名教美事,然傷生害性,似與自然之道違反,故不得不持一名教與自然相同説爲之辯護,此固爲當日思想潮流中必有之文字。"
其文略云:
夫君親之重,非名教之謂也。愛敬出於自然,而忠孝之道畢矣。樸散真離,背生殉利,禮法之興,於斯爲薄,悲夫!銘曰:
在親成孝,於敬成忠。
2021/07/09: 一部清談之全集
前已言清談在東漢晚年曹魏季世及西晉初期皆與當日士大夫政治態度實際生活有密切關係,至東晉時代,則成口頭虚語,紙上空文,僅爲名士之裝飾品而已。夫清談既與實際生活無關,自難維持發展,而有漸次衰歇之勢,何況東晉、劉宋之際天竺佛教大乘玄義先後經道安、慧遠之整理,鳩摩羅什師弟之介紹,開震旦思想史從來未有之勝境,實於紛亂之世界,煩悶之心情具指迷救苦之功用,宜乎當時士大夫對於此新學説驚服歡迎之不暇。回顧舊日之清談,實爲無味之鷄肋,已陳之芻狗,遂捐棄之而不惜也。
2021/07/09: 凡研究淵明作品之人莫不首先遇一至難之問題
凡研究淵明作品之人莫不首先遇一至難之問題,即何以絶不發見其受佛教影響是也。以淵明之與蓮社諸賢,生既同時,居復相接,除有人事交際之記載而外,其他若蓮社高賢傳所記聞鐘悟道等説皆不可信之物語也。陶集中詩文實未見贊同或反對能仁教義之單詞隻句,是果何故耶?
2021/07/09: 子真守護家傳信仰之篤至矣
一爲保持家傳之道法,而排斥佛教,其最顯著之例爲范縝,(見梁書肆捌南史伍柒儒林傳范縝傳及拙著天師道與濱海地域之關係文中論范蔚宗條。)其神滅之論震動一時。今觀僧祐弘明集第捌第玖兩卷所載梁室君臣往復辨難之言説,足徵子真守護家傳信仰之篤至矣。
2021/07/09: 中國自來號稱儒釋道三教,其實儒家非真正之宗教,決不能與釋道二家並論
中國自來號稱儒釋道三教,其實儒家非真正之宗教,決不能與釋道二家並論。故外服儒風之士可以内宗佛理,或潛修道行,其間并無所衝突。他時代姑不置論,就淵明所生之東晉、南北朝諸士大夫而言,江右琅邪王氏及河北清河崔氏本皆天師道世家,亦爲儒學世家,斯其顯證。
2021/07/09: 其己身之創解乃一種新自然説,與嵇、阮之舊自然説殊異,惟其仍是自然,故消極不與新朝合作
東晉之��葉宛如曹魏之季年,淵明生值其時,既不盡同嵇康之自然,更有異何曾之名教,且不主名教自然相同之説如山、王輩之所爲。蓋其己身之創解乃一種新自然説,與嵇、阮之舊自然説殊異,惟其仍是自然,故消極不與新朝合作,雖篇篇有酒(昭明太子陶淵明集序語),而無沈湎任誕之行及服食求長生之志。夫淵明既有如是創闢之勝解,自可以安身立命,無須乞靈於西土遠來之學説,而後世佛徒妄造物語,以爲附會,抑何可笑之甚耶?
2021/07/09: 謂主舊自然説者沈湎於酒,欲以全生,豈知其反傷生也
詩又云:
日醉或能忘,將非促齡具。
寅恪案,此駮形「得酒莫苟辭」之語,意謂主舊自然説者沈湎於酒,欲以全生,豈知其反傷生也。
2021/07/09: 新自然説之要旨在委運任化,而不須更别求騰化之術,如主舊自然説者之所爲也
新自然説之要旨在委運任化。夫運化亦自然也,既隨順自然,與自然混同,則認己身亦自然之一部,而不須更别求騰化之術,如主舊自然説者之所爲也。但此委運任化,混同自然之旨自不可謂其非自然説,斯所以别稱之爲新自然説也。
2021/07/09: 陶公之新解仍從道教自然説演進而來,與後來道士受佛教禪宗影響所改革之教義不期冥合
考陶公之新解仍從道教自然説演進而來,與後來道士受佛教禪宗影響所改革之教義不期冥合,是固爲學術思想演進之所必致,而淵明則在千年以前已在其家傳信仰中達到此階段矣,古今論陶公者旨未嘗及此,實有特爲指出之必要也。
2021/07/09: 淵明政治上之主張,與嵇康之爲曹魏國姻,因而反抗司馬氏者,正復相同
取魏晉之際持自然説最著之嵇康及阮籍與淵明比較,則淵明之嗜酒禄仕,及與劉宋諸臣王弘、顔延之交際往來,得以考終牖下,固與嗣宗相似,然如詠荆軻詩之慷慨激昂及讀山海經詩精衛刑天之句,情見乎詞,則又頗近叔夜之元直矣。總之,淵明政治上之主張,沈約宋書淵明傳所謂「自以曾祖晉世宰輔,恥復屈身異代,自[宋]高祖王業漸隆,不復肯仕。」最爲可信。與嵇康之爲曹魏國姻,因而反抗司馬氏者,正復相同。此嵇、陶符同之點實與所主張之自然説互爲因果
◆ 論隋末唐初所謂「山東豪傑」
2021/07/13: 竇建德之竇氏實則鮮卑紇豆陵氏之所改(見新唐書柒壹下宰相世系表竇氏條),實是胡種也。劉黑闥之劉氏爲胡人所改漢姓之最普遍者,其「黑闥」之名與北周創業者宇文黑獺之「黑獺」同是一胡語
竇建德自言出於漢代外戚之竇氏,實則鮮卑紇豆陵氏之所改(見新唐書柒壹下宰相世系表竇氏條),實是胡種也。劉黑闥之劉氏爲胡人所改漢姓之最普遍者,其「黑闥」之名與北周創業者宇文黑獺之「黑獺」同是一胡語,然則劉黑闥不獨出於胡種,其胡化之程度蓋有過於竇建德者矣。其以武健見賞於王世充,任馬軍總管,又在竇建德軍中常爲斥候,以神勇著稱,此正胡人專長之騎射技術,亦即此集團的戰鬥力所以特强之故,實與民族性有關,決非偶然也。
竇建德自言出於漢代外戚之竇氏,實則鮮卑紇豆陵氏之所改(見新唐書柒壹下宰相世系表竇氏條),實是胡種也。劉黑闥之劉氏爲胡人所改漢姓之最普遍者,其「黑闥」之名與北周創業者宇文黑獺之「黑獺」同是一胡語,然則劉黑闥不獨出於胡種,其胡化之程度蓋有過於竇建德者矣。其以武健見賞於王世充,任馬軍總管,又在竇建德軍中常爲斥候,以神勇著稱,此正胡人專長之騎射技術,亦即此集團的戰鬥力所以特强之故,實與民族性有關,決非偶然也。
2021/07/13: 太宗曰:送來但取,寧須慮也。且知彼陰謀計,足爲良策。
隱太子、巢剌王元吉將謀害太宗,密致書以招敬德,仍贈以金銀器物一車。敬德辭,尋以啓聞,太宗曰:送來但取,寧須慮也。且知彼陰謀計,足爲良策。
2021/07/14: 此二並世英傑所以成敗互異者,即太宗能保有洛陽以爲基地,而李密不能攻取東都,失去此輩豪傑政治信仰之故也。
斯太宗與李密雖同屬關隴六鎮集團,同利用此系統之人物以爲其主力,然此二並世英傑所以成敗互異者,即太宗能保有洛陽以爲基地,而李密不能攻取東都,失去此輩豪傑政治信仰之故也。
2021/07/14: 當時中國武力集團最重要者,爲關隴六鎮及山東豪傑兩系統,而太宗與世勣二人即可視爲其代表人也
徐世勣者,翟讓死後,實代爲此系統之領袖,李密不過以資望見推,而居最高之地位耳。密既降唐,其土地人衆均爲世勣所有,世勣於王世充、竇建德與唐高祖鼎峙競争之際,蓋有舉足輕重之勢,其絶鄭夏而歸李唐,亦隋唐間政權轉移之大關鍵也。李唐破滅王、竇,凱旋告廟,太宗爲上將,世勣爲下將,蓋當時中國武力集團最重要者,爲關隴六鎮及山東豪傑兩系統,而太宗與世勣二人即可視爲其代表人也。
2021/07/16: 南北朝對峙,其國勢强弱之分界線大約在北朝攻取青、齊之地一役
南北朝對峙,其國勢强弱之分界線大約在北朝乘南朝内争之際而攻取青、齊之地一役,詔書所謂「顯祖獻文皇帝自北被南,淮海思乂」者是也。
2021/07/16: 冀、定、瀛、相、濟、青、齊、徐、兗諸州皆隋末唐初間山東豪傑之出産地,其地實爲北魏屯兵營户之所在
冀、定、瀛、相、濟、青、齊、徐、兗諸州皆隋末唐初間山東豪傑之出産地,其地實爲北魏屯兵營户之所在。由此推測此集團之驍勇善戰,中多胡人姓氏(翟讓之「翟」亦是丁零姓),胡種形貌(如徐世勣之類),及從事農業,而組織力又强。
◆ 記唐代之李武韋楊婚姻集團
2021/07/25: 其後天下衰宗落譜益自貴
其後天下衰宗落譜,昭穆所不齒者,皆稱禁昏家,益自貴,凡男女皆潛相聘娶,天子不能禁,世以爲敝云。
2021/07/25: 代北之人武,故尚貴戚。尚貴戚者,狥勢利,亡禮教。
世之讀史者頗怪陳、隋覆滅以後,其子孫猶能貴顯於新朝,不以亡國之餘而見廢棄者,則未解隋、唐皇室同爲關隴胡漢之集團,其婚姻觀念自應同具代北之特性也。
2021/07/25: 王妃、主壻皆取當世勳貴名臣家,未嘗尚山東舊族。後房玄齡、魏徵、李勣復與昏,故望不減。
房玄齡、魏徵、徐世勣三人其社會階級雖不相同,然皆是山東人,故違反太宗之政策,而與山東士族爲婚,此則地域分别與婚姻觀念其關係密切如此,可以推見。
2021/07/25: 豈所謂淵源氣類相似,其家庭所爲復更相同耶
頗可笑者,武后以賀蘭敏之爲士彠後,與晉賈充之以外孫韓謐爲後者(見晉書肆拾賈充傳)事極相類。賈氏之先嘗爲市魁(見晉書伍拾庾純傳),而武士彠亦是投機之木材商,豈所謂淵源氣類相似,其家庭所爲復更相同耶?
2021/07/25: 武曌以關隴集團外之山東寒族,一旦攫取政權,久居洛陽,轉移全國重心於山東
此詔之發布在吾國中古史上爲一轉捩點,蓋西魏宇文泰所創立之系統至此而改易,宇文氏當日之狹隘局面已不適應唐代大帝國之情勢,太宗以不世出之英傑,猶不免牽制於傳統之範圍,而有所拘忌。武曌則以關隴集團外之山東寒族,一旦攫取政權,久居洛陽,轉移全國重心於山東,重進士詞科之選舉,拔取人材,遂破壞南北朝之貴族階級,運輸東南之財賦,以充實國防之力量諸端,(可參拙著唐代政治史述論稿及隋唐制度淵源略論稿有關諸章。)皆吾國社會經濟史上重大之措施,而開啓後數百年以至千年後之世局者也。
2021/07/25: 陛下立廬陵王,則千秋萬歲後常享宗廟,三思立,廟不祔姑
且姑姪與母子孰親?陛下立廬陵王,則千秋萬歲後常享宗廟,三思立,廟不祔姑。
2021/07/25: 謀復唐室者舍用狄仁傑解鈴者即繫鈴者之策略外,别無他途
在李、武集團混合已成之後,當時謀復唐室者舍用狄仁傑解鈴者即繫鈴者之策略外,别無他途,而最有資格進言於武后之人亦舍張易之等外,更别無他輩,此當日事勢所必致
◆ 論唐代之蕃將與府兵
2021/07/26: 武德之世,即李唐開國之時代,其府兵實「不堪攻戰」也
魏徵所謂「國家衛士」即指府兵而言。蓋府兵之制,更番宿衛。故稱之爲「衛士」也。由此可知武德之世,即李唐開國之時代,其府兵實「不堪攻戰」也。然則此時期太宗頻年用兵,内安外攘。高宗繼之,武功之盛,照耀史乘。其所用之兵,主力部分必非「不堪攻戰」之府兵。
2021/07/26: 太宗未大用蕃將以前,其主要兵力實寄託於所謂「山東豪傑」集團
貞觀四年破滅突厥頡利可汗之前,其蕃將如史大奈、突地稽等以外,亦未見太宗有何重用蕃將之事。然則貞觀四年以前,太宗對内對外諸戰争,究用何種兵力,以補救其「不堪攻戰」之府兵耶?寅恪嘗擬此問題之答案,即太宗未大用蕃將以前,其主要兵力實寄託於所謂「山東豪傑」集團。
2021/07/26: 開元中,張嘉貞、王晙,張説、蕭嵩、杜暹皆以節度使入知政事。林甫固位,志欲杜出將入相之源。嘗奏曰:文士爲將,怯當矢石,不如用寒族、蕃人。蕃人善戰有勇。寒族即無黨援。帝以爲然
太宗所任之蕃將爲部落酋長,而玄宗所任之蕃將乃寒族胡人。太宗起兵太原,與突厥酋長結「香火盟」,誼同骨肉。若自突厥方面觀之,則太宗亦是與突厥同一部之酋長,所謂「特勤」之類也。
2021/07/26: 至若東突厥敗亡後而又復興,爲中國大患。此貞觀以來任用胡族部落酋長爲將領之覆轍
太宗既任部落之酋長爲將帥,則此部落之酋長必率領其部下之胡人,同爲太宗効力。功業成後,則此酋長及其部落亦造成一種特殊勢力。如唐代中世以後藩鎮之比。
2021/07/26: 太宗之用蕃將,乃用此蕃將及其所統之同一部落。玄宗之用蕃將,乃用此蕃將及其���領之諸種不同之部落也
太宗之用蕃將,乃用此蕃將及其所統之同一部落。玄宗之用蕃將,乃用此蕃將及其統領之諸種不同之部落也。太宗、玄宗任用蕃將之類别雖不同,而有任用蕃將之必要則相等。
2021/07/26: 通鑑貳壹陸玄宗天寶十載述安禄山收養「曳落河」八千餘人事
此種方法後來安史餘黨胡化漢人田承嗣輩亦遵依之,遂創啓唐末五代之「衙兵」,或唐人小説紅綫故事中所謂「外宅男」者是也
2021/07/26: 蕃將雖長於騎射之技,而部隊却失去組織嚴整之效,何以玄宗必用蕃人爲大將耶?應之曰,玄宗所用蕃將,其本身雖非酋長,無直接之部屬,但其人則可統率其他諸不同胡族之部落
故玄宗之用蕃將,除用其騎射之技外,更兼取其部落組織嚴整之長。此點實與太宗用蕃將之心理未嘗有别也。
2021/07/26: 國内情勢既改,而東突厥復興,此兩大原因乃促成河北自武則天後始置兵府之真相
寅恪案,崔善爲言「畿内之地是爲殷户。丁壯之民悉入軍府」。實深得唐初府兵設置分配之用意,故不容許移徙畿内之民户,東出關外也。今武后徙雍、同等州之民户,以實洛陽,即是將全國武力之重心自關中而移於山東。河北之地即在山東區域之内。若非武后之世,決不能有此違反唐高祖太宗以來傳統之政策。故今日所存之史料中,河北道兵府之設置,其時代在玄宗以前,武后以後,實與唐代當日之情勢相符應也。國内情勢既改,而東突厥復興,國外情勢又因之大變,此兩大原因乃促成河北自武則天後始置兵府之真相。
2021/07/26: 以唐代之武功言,府兵雖至重要,終不及蕃將一端
以唐代之武功言,府兵雖至重要,然其重要性殊有時間限制,終不及蕃將一端,其關係至深且鉅,與李唐一代三百年相終始者,所可相比也。
◆ 李太白氏族之疑問
2021/07/27: 若太白先人於楊隋末世即竄謫如斯之遠地,斷非當日情勢所能有之事實
碎葉、條支在唐太宗貞觀十八年即西曆六四四年平焉耆,高宗顯慶二年即西曆六五七年平賀魯,隸屬中國政治勢力範圍之後,始可成爲竄謫罪人之地。若太白先人於楊隋末世即竄謫如斯之遠地,斷非當日情勢所能有之事實。其爲依託,不待詳辨。至所以詭稱隋末者,殆以文飾其既爲涼武昭王後裔
2021/07/27: 則其人之本爲西域胡人,絶無疑義矣
夫以一元非漢姓之家,忽來從西域,自稱其先世於隋末由中國謫居於西突厥舊疆之内,實爲一必不可能之事。則其人之本爲西域胡人,絶無疑義矣。
◆ 論韓愈
2021/07/29: 最重傳授淵源,蓋非此不足以徵信於人
華夏學術最重傳授淵源,蓋非此不足以徵信於人,觀兩漢經學傳授之記載,即可知也。
2021/07/29: 退之自述其道統傳授淵源固由孟子卒章所啓發,亦從新禪宗所自稱者摹襲得來也
至唐代之新禪宗,特標教外别傳之旨,以自矜異,故尤不得不建立一新道統,證明其淵源之所從來,以壓倒同時之舊學派
2021/07/29: 宋儒僅執退之後來與大顛之關係,以爲破獲贓據,欲奪取其道統者,似於退之一生經歷與其學説之原委猶未達一間也
退之從其兄會謫居韶州,雖年頗幼小,又歷時不甚久,然其所居之處爲新禪宗之發祥地,復值此新學説宣傳極盛之時,以退之之幼年穎悟,斷不能於此新禪宗學説濃厚之環境氣氛中無所接受感發
2021/07/29: 新禪宗特提出直指人心見性成佛之旨,一掃僧徒繁瑣章句之學。退之生值其時,又居其地,效禪侣之先河,掃除賈、孔之繁文
唐太宗崇尚儒學,以統治華夏,然其所謂儒學,亦不過承繼南北朝以來正義義疏繁瑣之章句學耳。又高宗、武則天以後,偏重進士詞科之選,明經一目僅爲中材以下進取之途徑,蓋其所謂明經者,止限於記誦章句,絶無意義之發明,故明經之科在退之時代,已全失去政治社會上之地位矣(詳見拙著唐代政治史述論稿上篇)。南北朝後期及隋唐之僧徒亦漸染儒生之習,詮釋内典,襲用儒家正義義疏之體裁,與天竺詁解佛經之方法殊異
2021/07/29: 六朝僧徒「格義」之學,即是此種努力之表現,儒家書中具有系統易被利用者,則爲小戴記之中庸
退之首先發見小戴記中大學一篇,闡明其説,抽象之心性與具體之政治社會組織可以融會無礙,即盡量談心説性,兼能濟世安民,雖相反而實相成,天竺爲體,華夏爲用,退之於此以奠定後來宋代新儒學之基礎,退之固是不世出之人傑
退之首先發見小戴記中大學一篇,闡明其説,抽象之心性與具體之政治社會組織可以融會無礙,即盡量談心説性,兼能濟世安民,雖相反而實相成,天竺爲體,華夏爲用,退之於此以奠定後來宋代新儒學之基礎,退之固是不世出之人傑
2021/07/29: 王者之政,變人心爲上,因人心次之,不變不因,循常守故者爲下,故非有獨見之明,不能行非常之事
都官員外郎彭偃獻議曰:王者之政,變人心爲上,因人心次之,不變不因,循常守故者爲下,故非有獨見之明,不能行非常之事。今陛下以維新之政,爲萬代法,若不革舊風,令歸正道者,非也。
2021/07/29: 人年五十歲,嗜慾已衰,縱不出家,心已近道,況戒律檢其性情哉?
其年過五十者,請皆免之。夫子曰:五十而知天命。列子曰:不斑白,不知道。人年五十歲,嗜慾已衰,縱不出家,心已近道,況戒律檢其性情哉?臣以爲此令既行,僧尼規避還俗者,固已大半,其年老精修者,必盡爲人師,則道釋二教益重明矣。
2021/07/29: 漢以來葬喪皆有瘞錢,後世里俗稍以紙寓錢
漢以來葬喪皆有瘞錢,後世里俗稍以紙寓錢,爲鬼事,至是嶼乃用之。
2021/07/29: 因釋迦爲夷狄之人,佛教爲夷狄之法,抉其本根,力排痛斥
唐代古文運動一事,實由安史之亂及藩鎮割據之局所引起。安史爲西胡雜種,藩鎮又是胡族或胡化之漢人(詳見拙著唐代政治史述論稿上篇),故當時特出之文士自覺或不自覺,其意識中無不具有遠則周之四夷交侵,近則晉之五胡亂華之印象,「尊王攘夷」所以爲古文運動中心之思想也。
2021/07/29: 惟仿偈頌音綴之有定數,勉强譯爲當時流行之五言詩,其他不遑顧及,故字數雖有一定,而平仄不調,音韻不叶,生吞活剥,似詩非詩,似文非文,讀之作嘔
天竺偈頌音綴之多少,聲調之高下,皆有一定規律,唯獨不必叶韻。六朝初期四聲尚未發明,與羅什共譯佛經諸僧徒雖爲當時才學絶倫之人,而改竺爲華,以文爲詩,實未能成功。惟仿偈頌音綴之有定數,勉强譯爲當時流行之五言詩,其他不遑顧及,故字數雖有一定,而平仄不調,音韻不叶,生吞活剥,似詩非詩,似文非文,讀之作嘔,此羅什所以嘆恨也。
◆ 劉復愚遺文中年月及其不祀祖問題
2021/07/30: 見劉與李俱漢唐兩朝之國姓,外國人之改華姓者,往往喜采用之
鄙見劉與李俱漢唐兩朝之國姓,外國人之改華姓者,往往喜采用之,復愚及其他伊斯蘭教徒之多以劉爲姓者,殆以此故歟?
◆ 四聲三問
2021/07/30: 以除去本易分别,自爲一類之入聲,其所以分别其餘之聲爲三者,實依據及摹擬中國當日轉讀佛經之三聲。而中國當日轉讀佛經之三聲又出於印度古時聲明論之三聲也。
中國語之入聲皆附有k、p、t等輔音之綴尾,可視爲一特殊種類,而最易與其他之聲分别。平上去則其聲響高低相互距離之間雖有分别,但應分别之爲若干數之聲,殊不易定。故中國文士依據及摹擬當日轉讀佛經之聲,分别定爲平上去之三聲。合入聲共計之,適成四聲。
2021/07/31: ,詠經則稱爲轉讀,歌讚則號爲梵唄
天竺方俗,凡是歌詠法言,皆稱爲唄。至於此土,詠經則稱爲轉讀,歌讚則號爲梵唄。原夫梵唄之起,亦肇自陳思
2021/07/30: 五聲説與四聲説乃一中一西,一古一今,兩種截然不同之系統。論理則指本體以立説,舉五聲而爲言,屬文則依實用以遣詞,分四聲而撰譜
宫商角徵羽五聲者,中國傳統之理論也。關於聲之本體,即同光朝士所謂「中學爲體」是也。平上去入四聲者,西域輸入之技術也。關於聲之實用,即同光朝士所謂「西學爲用」是也。蓋中國自古論聲,皆以宫商角徵羽爲言,此學人論聲理所不能外者也。至平上去入四聲之分别,乃摹擬西域轉經之方法,以供中國行文之用。
◆ 從史實論切韻
2021/07/31: 蓋自司馬氏平吴以來,中原衆事,頗爲孫吴遺民所崇尚,語音亦其一端
洎乎永嘉亂起,人士南流,則東晉南朝之士族階級,無分僑舊,悉用北音,自不足怪矣。
2021/07/31: 晉室南渡之初,僑姓之握政權者,如王導之類,雖往往用吴語延接士庶,以籠絡江東人心。而吴中舊姓,雖好自矜尚,如陸玩拒婚王導
迨東晉司馬氏之政權既固,南士之地位日漸低落,於是吴語乃不復行用於士族之間矣。史言宋世江東貴達者,唯孔季恭靈符父子、丘淵之、顧琛四人,吴音不變,是其餘江東貴達不操吴音可知。而此種風尚,必承自東晉,固可推見也。
迨東晉司馬氏之政權既固,南士之地位日漸低落,於是吴語乃不復行用於士族之間矣。史言宋世江東貴達者,唯孔季恭靈符父子、丘淵之、顧琛四人,吴音不變,是其餘江東貴達不操吴音可知。而此種風尚,必承自東晉,固可推見也。
2021/07/31: 高齊之都城雖在鄴,而衣冠人物悉承洛陽
高歡於天平元年遷洛陽四十萬户於鄴,見北齊書貳神武紀下,故高齊之都城雖在鄴,而衣冠人物悉承洛陽,其語言宜同於洛下也。
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