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#習志野駐屯地
marmarchannel · 6 months
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対戦車ヘリコプター AH-1S コブラ
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kennak · 2 years
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女性から現金などを奪い、性的暴行をしたとして、千葉地検は1日、強盗と強制性交の罪で陸上自衛隊習志野駐屯地(船橋市)の第1空挺(くうてい)団第2普通科大隊3等陸曹、古屋聡一朗容疑者(28)=千葉市花見川区=を起訴した。認否を明らかにしていない。  起訴状などによると、昨年9月9日、千葉市稲毛区のマンション一室で、30代無職女性=東京都=の首を左腕で絞めて「殺すよ。動かないで」などと脅して現金約2万円を奪った。刃物を突きつけ「全部脱いで」などと脅迫し性的暴行を加えた後に「お金もっとあるでしょ」などと言い、現金約5万円を奪ったとされる。
「殺すよ」「全部脱いで」現金奪い性的暴行 首を絞め、刃物突きつけ脅迫…自衛官を起訴 千葉地検(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュース
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overjazztrio · 2 years
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龍の翼26/2023.1
物件No.001
*・゜゚・*:.。..。.:*・'降下塔のある暮らし・*:.。. .。.:*・゜゚・*
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今回ご紹介する物件は、千葉県は習志野駐屯地の××号隊舎、309号室。部屋は9人の相部屋で、一段ベッド3、2段ベッド3の内訳となっております。ベッドの種類は自衛隊でも(悪)名高いいわゆる"緑ベッド"。鋼鉄製のフレームは触れただけで服や指にサビがうつり、寝返りのたびにガタガタと揺れるさまは在りし日のゆりかごを想い起こしてくれます。
風呂・食堂・売店まで走って2分の好立地(お断りしておきますが、歩いての移動は認められておりません)。肌が触れ合うほどスシ詰めの浴槽、どれだけ食っても怒られない食事量、店の外まで列がつらなるセブンイレブン。もう何も言うまい。
駐屯地内には(文字通り)血湧き肉躍るアクティビティが多数用意されており皆さまを退屈させません。朝から夕方までみっちりと、優秀なインストラクターの指導のもとパラシュート等の技能を習得することができます。耳をすませば聞こえる、教官陣の「てめぇえぇ教えた通りにやれっつってんだろうがぁアァ!!!!死にてぇのかぁ!!!!!!」の声。僕も何度も「3番んん!!!!何やってんだおォィ!!!!」などとシバかれ囚人気分を満喫中。
そしてなんといっても、駐屯地のシンボルである降下塔が魅力。煙草を屋上に吸いに行くたびに嫌でも目につく70mの鋼鉄の魔城。今週末にここから落とされるというのだからもう生きた心地がしません。寝ている間も窓からこの塔が「オメーちゃんと着地しないと死ぬよ?」と優しい口調で語りかけてくれます。
千葉の街中に位置する日本随一のこの環境。抵抗虚しく自らの限界を問答無用で突破させられる地獄のブートキャンプ、皆様も一度味わってみては如何でしょうか。
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帰りてえ!!!!!!!!!!( ^ω^ )
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shintani24 · 5 months
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2024年4月15日
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青山クラブ取得から6年、活用策の行方は? 旧海軍ゆかりの施設 呉市は近くの3施設を含めて有識者会議で議論中(中国新聞)
広島県呉市が巨費を投じて購入した旧海軍ゆかりの施設「青山クラブ」(幸町)は、活用されないままの状態で取得してから6年がたった。市は昨年5月、近くの市立美術館など市所有の3施設を含め幸町地区一帯の在り方を検討する有識者会議を設置。同会議が出した結論を踏まえ、エリアの整備方針を策定する。約1年間で同会議の議論はどこまで進んでいるのか。状況を整理した。
観光集客などを目指し、市は2018年に青山クラブと隣接する桜松館、2施設のある国有地約8500平方メートルを約2億円で購入。施設の保存・活用を目指していたが、耐震診断で大幅な改修補強が必要なことが判明し、結論を先送りした。以降、活用されない状態が続いている。
有識者会議は建築や都市計画、まちづくりの専門家たち11人で構成。青山クラブを含む4施設の整備コンセプトや機能について約2年間かけて話し合う。昨年5月からこれまで5回会合を開いている。
議論は、物販や飲食、宿泊など各施設に想定できる機能のアイデア出しが中心だった。2月の中間まとめでは整備コンセプトを「呉の歴史と文化を未来へ」と定め、歴史を伝え感じる▽文化・芸術の発信▽にぎわいの拠点―の3機能をエリアに求めるとした。
ある委員は「機能面については丁寧に話し合いを重ね、アイデアが出尽くした。堂々巡りが続いている感もあり、一歩進める段階に来ている」とする。
複数の委員は議論を進める上で重要なポイントとして、(1)青山クラブの保存をどうするか(2)老朽化する市立美術館をどこに再配置するのか―の2点を挙げる。(1)については「市民の思い出や歴史が刻まれた場所。保存が望ましい」「改修補強に費用が掛かり、全面保存は現実的ではない」と意見はまとまっていない。「エリア内の施設の方向性を市にある程度示してもらわないと、具体的な機能の議論が深まらない」との指摘もある。
青山クラブを巡っては、新原芳明市長が17年の市長選で活用などを訴え、初当選。22年に市は市立美術館の機能を青山クラブに移転する考えを示したが、市議会で異論が噴出した経緯がある。新原市長は「有識者会議の結論などを踏まえ判断する」との考えを示す。
有識者会議の事務局を務める市は「意見を幅広く聞きたいので、市が方向性を示す方式は取らない。次回の会合から具体案の議論を予定している」と説明する。
同会議は年内に最終的な結論をまとめ、市に報告する予定だ。議論の推移をみた市議の一人は「購入して6年。この間にも建物は老朽化している。市民の関心も高く、市はなるべく早く方向性を示すべきだ」と注文する。
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「阿鼻叫喚。これが戦争」特攻志した元少年兵が訴えること 原爆投下直後の広島で救護した「暁部隊」(中国新聞)
暁部隊の軍服や胸章が並ぶ企画展
戦時中、水上特攻を志しながら原爆投下直後の広島で救護や遺体の処理に従事した少年兵たちがいた。陸軍船舶司令部、通称「暁部隊」で、特攻兵を育成する秘密部隊に所属。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)で開催中の企画展で紹介されている。元少年兵たちは来年の被爆80年を前に「命と平和を守ることを考えてほしい」と願う。
宇品地区(現南区)に本部があった暁部隊は原爆投下直後の広島で唯一、軍隊機能を保ち、市民の救援、救護に当たった。その中に、幸ノ浦(広島県江田島市)に駐屯していた船舶練習部第十教育隊の15~19歳の特別幹部候補生もいたという。
石川県七尾市の沢野実さん(96)は17歳で入隊した。「天皇陛下のために死ぬのが当たり前だった」。通称「マルレ」と呼ばれる全長5・6メートルのベニヤ板製の特攻艇で突撃する極秘訓練に明け暮れた。上官には「君たちは捨て石。国のために死ぬのが務めだ」と言われたという。「靖国神社で仲間と顔を合わせようとの思いだった」
原爆投下後、第十教育隊はマルレなどに乗り、広島市内に向かった。沢野さんも市中心部で負傷者の救護と遺体処理に当たった。「心臓が飛び出ている人や泣き叫んでいる人がいて、阿鼻叫喚の現場だった。これが戦争だと実感した」と振り返り、非戦を訴える。
「本土決戦に向け愛国心に燃えていた」と語る岩手県遠野市の伊藤宣夫さん(96)は原爆投下時、船舶通信隊補充隊におり、市中心部で「死の街」を見た。たまらず班長に「戦争はやめた方がいいです」と言うと、「軍人が弱気でどうするのか」と怒られたという。「罪のない国民が殺される戦争は絶対にいけない」と語気を強める。
祈念館の企画展は来年2月末までで、沢野さん、伊藤さんたち元少年兵9人の証言映像や軍服など12点が並ぶ。辞世の句「我が友よ 笑って散ろう 君のため 共に会ふど 九段の社」と書かれたアルバムもある。橋本公学芸員は「自分自身や子どもの身に置き換えて戦争の残酷さを感じてほしい」と話している。
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原子炉内への核燃料搬入開始 柏崎原発、規制委が承認 東電(時事通信)2024年4月15日
東京電力柏崎原発7号機で開始された原子炉内への核燃料搬入作業=15日午後(同社提供)
東京電力は15日、停止中の柏崎刈羽原発7号機(新潟県)について、原子炉内への核燃料搬入作業を開始したと発表した。
再稼働に向けて必要な検査の一環で、原子力規制委員会が同日に計画を承認した。完了までは2週間以上かかる見通し。実際の再稼働には地元自治体の同意が必要となるため、具体的な時期の見通しは立っていない。
東電によると、まず制御棒などを原子炉内に入れた後で、敷地内のプールに保管中の核燃料872体を順次搬入する。その後、燃料が正しく配置されているかや、非常用炉心冷却系機能などの検査を1カ月半程度かけて行う。安全対策のため、宿直の所員を8人から51人に増員した。
岡本孝司(東京大学教授)補足 原子力規制委員会の了解を受けて、まずは原子炉に燃料装荷をスタートしているという事です。この後、原子炉を起動するには、地元の了解を得る必要があります。
原子炉を起動して核分裂が正常に起きていることを確認したのち、試運転に移り、様々なテストを繰り返したのち、営業運転に入ることになります。まだ、再稼働に向けた最初のプロセスです。
いずれにせよ、再稼働には、地元との安全協定に基づき、地元了解が必須です。
今、東京電力の電気代は、原子力発電所が動いている関西電力の1.5~2倍しています。2社のホームページで、電気代単価を比較してみるとよくわかります。柏崎刈羽6,7号機は、ABWRという新しい型の原子炉で、安全性も十分に確認されています。安全第一で、この2基の原子炉が動けば、電気代も安くなる事を期待したいです。また、電力の安定供給にも大きく貢献する事が期待されます。
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柏崎刈羽原発、燃料装着始まる 地元から不安の声「課題たくさん」(毎日新聞 4月16日)
東京電力柏崎刈羽原発7号機の炉心部。右手の四角い水槽が使用済み核燃料プール=2024年4月12日、田中泰義撮影
東京電力は15日、再稼働を目指す柏崎刈羽原発(新潟県)7号機の設備の健全性確認のため、原子炉へ核燃料を装着する作業を開始した。能登半島地震で、地元住民からは事故時に安全に避難できるか不安の声が上がる一方、東電による再稼働準備が進む。【内藤陽】
東電は同日、原子力規制委員会から安全対策設備の試験使用承認(使用前確認)を受けたとして、午後5時過ぎに開始。6時半ごろに1本目の核燃料を装着した。東電は「課題が見つかれば立ち止まり対策を講じるなど、一つ一つの工程を着実に進める」としている。
東電は10日に宿直態勢を8人から51人に増員し即応態勢を強化した。作業では、使用済み核燃料プールから核燃料872体を1本ずつ移動し、原子炉圧力容器に装着する。装着後、制御棒205本の動作確認のほか、原子炉圧力容器などからの漏えいの有無や冷却設備の機能などを確認する。すべての燃料の装着が終わるまで2週間程度、原子炉起動まで約1カ月半かかるとみられる。
花角英世知事は再稼働への立場を表明していない。燃料装着について、花角知事は今月3日の記者会見で「検査の一工程」と述べ、再稼働議論への影響はないとの認識を示した。柏崎市の桜井雅浩市長も「再稼働に必要な検査で、しっかり確認してほしい」と話している。
昨年12月の原子力規制委員会による事実上の運転禁止命令解除後、東電は県内各地で説明会を開き、原発の安全性を住民に訴えてきた。しかし説明会では原発事故時の避難や地殻変動による地盤の隆起などを心配する声が上がり、不安が払拭されたとは言い難い状況だ。
同原発から5キロ圏の同市椎谷に住む佐藤正幸さん(79)は「多くの課題に目をつむって再稼働に動き出すのはいかがなものか」と話す。能登半島地震で道路の寸断や家屋の倒壊が複数発生し、地盤が4メートル隆起したことなどを指摘。「課題がたくさんあるのに、目を背けたまま再稼働を準備するのは、けしからん事だ」と語気を強めた。
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万博はもう中止できないのか?「オリンピックと同じ末路に」専門家は警鐘、でも政府は「能登」を横目に開催へ突き進む
2025年大阪・関西万博は、4月13日で開幕1年前を迎えた。国家的イベントが近づくにつれ、世論の期待は高まっている…と思いきや、SNS上では今も「万博中止」のハッシュタグが目立ち、延期を求める声も飛び交う。「期待一色」には程遠い状況だ。
なぜか。多額の税金が投入される会場整備費は、当初見込みの約2倍となる2350億円まで膨らんだ。独創的なデザインを競う海外パビリオンは想定よりも建設スケジュールが大きく遅れ、着工はわずか十数カ国(4月上旬時点)にとどまる。負担増や課題ばかりが目立つ中で、期待値を上げる方が無理というものだ。
そこに、2024年の元日に起きた能登半島地震が追い打ちをかけた。今も避難を余儀なくされる被災者からはこんな声が聞こえてくる。「万博どころじゃない」。国民に理解が広がらなければ、新型コロナウイルス禍の中で開催された東京五輪・パラリンピックと同じ末路をたどる、と警鐘を鳴らす専門家もいる。
逆風は強まるばかりなのに、政府や関係機関は予定通りの開幕をかたくなに維持する。万博は中止できないのか。費用や手続きの面から「なぜ開催にこだわるのか」に迫った。(共同通信=大阪社会部万博取材班) ※筆者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。
▽「0.14%」と「27%」
吉村洋文大阪府知事は3月28日、万博と能登半島地震との関係についてこんな発言をしていた。「復興を最優先するべきだ。しかし万博を中止、延期して復興が進むのかと言うと、違う」。開幕1年前を控えたインタビューで、国内で実施されている各種建設工事のうち、万博が占める割合はわずか0.14%だとして計画変更の選択肢を否定。こう言葉を重ねた。「復興を理由に万博に反対するのは違う」
ところが、国民感情はそう単純ではない。共同通信が2月に実施した世論調査では、能登半島地震からの復興を踏まえた上で万博を開催するべきかどうかを尋ねたところ「計画通り実施するべきだ」としたのは27.1%にとどまった。「延期するべきだ」が27.0%で拮抗し、「規模を縮小するべきだ」26.7%、「中止するべきだ」17.6%と続き、計画変更を求めたのは全体の7割を超えた。
市民団体「どないする大阪の未来ネット」(大阪市)には、開催中止を求める署名がオンラインを含めて14万件集まった。事務局長の馬場徳夫さん(84)は訴える。「延期してもコストが上がる一方だ。震災復興のためには中止が最適だ」。署名は日本国際博覧会協会(万博協会)や近畿経済産��局に提出している。
能登の被災地からは冷たい視線も向けられている。万博会場となる大阪市の人工島・夢洲から300キロ以上離れた石川県珠洲市内の避難所に身を寄せる井上等さん(65)は、自宅が全壊し、高齢の母との避難を余儀なくされた。会場整備費は国、大阪府・大阪市、経済界が3分の1ずつ負担することとなっており、石川県民も納税者として費用を賄う。井上さんは正直な胸の内を明かした。「今は万博どころではない。地震の前からある話なので、開くなら開けばいい。けれど正直、万博に使うお金があるなら、家を建て直す費用が欲しい」
▽「不可抗力」なのか
今回の万博を中止することは可能なのか、中止すると何が起きるのか。経済産業省の博覧会推進室に聞くと、浮かび上がってきたのは「不可抗力」というキーワードだ。
その前におさらいすると、2025年大阪万博の開催が決まったのは2018年11月。パリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)の総会で、加盟国の投票で選ばれた。5年に一度開かれる大規模な万博の日本開催は1970年大阪万博、2005年愛知万博(愛・地球博)に続き3回目だ。
仮に万博を延期する場合は、BIEの総会で3分の2以上の賛成が必要だ。根拠となるのは、万博の定義を定めた国際博覧会条約。2020年に予定されていたアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ万博は、新型コロナウイルス感染の世界的拡大が直撃。BIE加盟国から必要な同意を得て、延期が決まった。
では中止にはどのような手続きが必要になるのか。博覧会推進室によると、実は中止については国際博覧会条約には規定がない。関係者間の合意があればいいということになっている。
そこで、とある書類が重要になってくる。開催が決まった国がBIEに提出する「登録申請書」だ。2025年大阪万博の登録申請書を読むと、開幕まで1年となる2024年4月13日から開幕前日の2025年4月12日までに中止する場合、参加国とBIEに最大計5億5700万ドル(約840億円)を支払わなければならない、とある。
これは、時期ごとの準備状況に合わせて算出された数字で、補償額はパビリオンのタイプによって参加国ごとに異なる。各国が「相当の資金を負担して参加をしている」(万博協会幹部)だけに、直前の中止は影響が大きいというわけだ。政府中枢の首相官邸からはこんな声も聞こえる。「万博の開催は国際公約だ。中止や延期は国の威信にかかわる」
一方、経産省が把握する中で、これまで中止に伴う補償金が生じたケースはないという。直近ではアルゼンチンで開催が計画されていた2023年ブエノスアイレス万博が新型コロナウイルスの影響で取りやめとなった。ところがBIEの執行委員会で新型コロナによる中止は「不可抗力だ」と報告された。
2025年大阪万博の登録申請書の中では、この「不可抗力」についてこう言及している。「自然災害とみなすような事態に起因する『不可抗力』により中止された場合には、補償金は支払われない」
経産省の担当者は言う。「能登半島地震が不可抗力とみなされるかどうかは執行委員会で議論してみないと分からない」。では、補償金が生じる恐れがあるから開催を中止できないのか、と問うと「全くそうではない」と返ってきた。「万博には意義がある。その意義は震災には左右されないと思う。そもそも復興は『土木』のフェーズ、万博工事は『建築』のフェーズにあり、ニーズは重なっていない。むしろ、延期すれば復興の妨げになる可能性が高まる」
▽頼みは公式キャラクター
万博旗振り役の経済産業省が言う「意義」とは何なのか。テーマの「いのち輝く未来社会のデザイン」や、コンセプト「未来社会の実験場」から国民が読み解くのは難しく、大阪府と大阪市が強調するメリット「2兆円の経済効果」のみが一人歩きする。
万博協会は昨年ホームページをリニューアルし、企業や海外勢によるパビリオンの紹介ページを充実させた。とはいえ、それだけでは「そもそも万博に興味がある人」への受け身のアプローチに過ぎず、万博でどんな体験ができるのかという点を広く知らせるには物足りない。
さらに、PRのけん引役が公式キャラクター「ミャクミャク」頼みになっていることも、意義が伝わらない一因といえる。
開幕500日前を迎えた昨年11月以降、大阪府内の各地では「くるぞ万博」と書かれたポスターがあちこちで見られるようになった。その中央でおどけたポーズを取るのがミャクミャクだ。
大阪市役所の前には涅槃像のように横たわったミャクミャクの巨大モニュメントを設置。府内で開催される自治体系のイベントには必ずと言ってもいいほど、ミャクミャクの着ぐるみが登場するようになった。
大阪府と大阪市が昨年12月に実施したアンケートでも、ミャクミャクの認知度は全国で88・3%と高く、万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」の認知度を30%近く上回った。
もちろん、公式キャラクターの人気はどんなイベントでも成功の柱になる。だが、現時点でミャクミャクの人気が万博への来場意向に与える影響は限定的だ。
アンケートで「万博に行きたい」と答えた人は全国で33.8%にとどまり、1年前から約7ポイント下落。ミャクミャクであふれる府内に限っても36.9%で、2023年度の目標に設定した55%を大幅に下回った。ミャクミャクの人気にあやかるのにも限界がありそうだ。
チケットの売れ行きも芳しくない。万博協会が設定する販売目標は2300万枚。前売り販売は昨年11月末に始まったが、4月3日時点で約123万枚と、目標の6%にも満たない。前売り販売目標の約半数は企業購入分に頼っており、今後はどれだけ個人購入を促せるかが焦点となる。
▽秘策は「ビビッドな情報」?
運営側の取り組みの粗雑さについて、社会学者で神戸大大学院の小笠原博毅教授は厳しく指摘する。
「意義があると言いながら、伝えない。誰が本気で開催したがっているのかが見えてこない」
2020年東京五輪・パラリンピックの開催に一貫して反対してきた小笠原教授は、万博の現状に五輪との共通点を見いだす。「世論を無視して強行した五輪と構図が似ている。多額の税金が使われるのに中身が空疎だ」。期間の短縮やテーマの分かりやすい説明を求める。
新型コロナウイルスの影響で1年延期された東京五輪は直前まで開催を疑問視する声が絶えなかった。開催1カ月前の世論調査でも中止を求める声が3割ほどあり、国民理解を十分得られないまま開会式を迎えた。小笠原教授は、万博も同じ末路をたどるとみている。
岸田文雄首相の国会答弁からは、能登半島地震の被災地復興という文脈で万博への理解を広げようという思惑がにじむ。「万博で被災地をPRし、復興につなげる」。小笠原氏はこうした言葉を「空虚なリップサービスだ」と突き放す。「万博開催による『2兆円の経済効果』をうたうならば、国民の暮らしへの支援や好影響、復興に割く金額を具体的に示すべきだ」
国民の幅広い歓迎に向けて、秘策はあるのか。4月1日に報道各社のインタビューに応じた万博協会の石毛博行会長の言葉は、現状とは裏腹に自信にあふれていた。「開幕に向けて、これからビビッドな情報を出していく」。全国的な機運が広がっていない現状は「経費の増加や海外パビリオンの遅れといったネガティブな報道が影響した」と分析。SNSやメールマガジンを使った地道な取り組みで挽回を宣言した。「万博へのイメージをアップデートする。世界が日本に2025年の万博開催を信任した。きちんとやり遂げるという形で世界との約束を守ることが、われわれにとって極めて重要なミッションだ」
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歴史的円安背景にインバウンド絶好調 百貨店は軒並み“過去最高”記録づくめの決算に(TBS NEWS DIG)2024年4月15日
百貨店の年間決算は、歴史的な円安を背景にインバウンドが絶好調。各社“過去最高”の記録づくめの決算となりました。
「J.フロントリテイリング」のことし2月までの1年間のグループ全体の決算によりますと、売上高にあたる売上収益は前の年に比べ13.2%増え4070億円に、最終利益は299億円と前の年の2倍以上にのぼり、増収増益となりました。
国内の富裕層向けに高級ブランド品などの販売が好調だったほか、インバウンド客による免税売上高が過去最高の721億円となったことなどが主な要因です。
先月、48歳という若さで社長となったJ.フロントリテイリングの小野氏は初めて出席した決算会見で…
J.フロントリテイリング 小野圭一 社長 「いま非常に業界の中で追い風が吹いているが、これがある種の暴風ではないかというふうに感じています。2年、3年たって、コロナが終わってインバウンドがじゃんじゃん帰ってきて売上良くなってよかったということになってしまっているということに、私は一番危機感を持っている。いま好調の中で、どういった将来に向けた成長の種をまけるかというふうなことで、かなり大きな差がついてくるのではないかというふうに思っています」
このように述べたうえで、「現状の上にあぐらをかくのではなく、新しい事業にしっかり根を張って育てていく」としていて、今後、デジタル分野の事業展開などを強化する狙いです。
一方、「高島屋」のことし2月までのグループ全体の1年間の決算では、営業利益が前の年に比べ41.3%増え459億円に、最終利益も13.6%増えて316億円といずれも過去最高を更新。営業利益は、1990年度以来33年ぶりの最高益となりました。
新型コロナの5類移行や円安を背景に、インバウンド需要が増えたことなどで、国内店舗の売上が好調だったとしています。
高島屋の村田社長は、今回の決算内容の受け止めについて、「コロナからのリバウンド的な部分が多分にあることも事実」と述べたうえで、「今年から本当の力が試される年。冷静に過去最高益に浮かれるのではなくて、グループ全体で引き締め直す」と話しました。
また、「松屋」のことし2月までの1年間の決算では、売上高にあたる総額売上高は前の年と比べ31.2%増え1149億円とな���ました。
インバウンド客が多く訪れる主力の松屋銀座店では、売上高が前の年と比べ35.5%増え1018億円となり、1991年度以来、32年ぶりの過去最高を更新しました。
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)見解 インバウンドにおけるモノから体験への流れ、そしてかつての日本人も海外でのブランド漁りから脱却したように、百貨店のインバウンドはやがて収縮していく。
J.フロントリテイリングの小野圭一 社長 のインバウンド好調に対する危機感と、将来に向けた成長の種をまくことが重要だという指摘はまった��の正論。
いまこそ、百貨店の業態イノベーションとビジネスモデルの変革が求められている。
村山慶輔((株)やまとごころ 代表取締役/インバウンド戦略アドバイザー)見解 中国人観光客の完全復活を待たずに、都内や主要都市の商業施設においてインバウンド消費が順調。続く円安、万博効果もあり今後もさらに伸びる可能性がある。ただ、コロナ禍の状況を踏まえると、各企業は安心してはいられないというのが本音でしょう。
一方で、地域の中小企業において、インバウンド需要の回復はまだまだこれから。インバウンド需要も二極化しており、地方誘客が今後のカギになる。
石川智久(日本総合研究所 調査部長/チーフエコノミスト)補足 日本がこれほど安い国になってしまったことに危機感を持つ必要があります。脱成長を求める意見もありますが、世界は経済成長を続けており、成長していないのは日本くらいであることを認識する必要があります。日本が成長しなければ、企業はインバウンド頼みの経営になってしまいます。今こそ日本はいかにして経済成長を遂げるかを考えるべきです。世界では経済成長に財政資金を投じる傾向が強まっています。理系人材の育成や新産業創出に財政資金を投じて、経済を成長させることが、日本が海外から買いたたかれない方法といえます。
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yoshkawa · 2 years
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【イベント】3年ぶり、降下訓練始めに行ってきました
【この記事のポイント】 ・3年ぶりの降下訓練始め、今年は日米英豪合同の訓練に 年始の自衛隊イベントといえば、この週末の日曜日に開催された習志野駐屯地の降下訓練始め。 季節の記事優先ということで、他を差し置いてアップしておきます。 降下訓練始めは2020年以来一般公開されておらず、思い返せばコロナ前に行った最後のイベントだったのか。 それ以前は夜明け前から並んだものの、寒いし辛いかったので試しにとギリギリで入ってみたところ意外にもゆったりと観ることができたので、今回もそのパターンにしました。 京成の実籾駅、ここから歩いても習志野演習場までは3kmもないんです。 毎日の1万歩ウォーキングで苦もない距離になっていて、健康な身体に産んで育ててくれた両親に改めて感謝です。 現地に到着したのは9:50頃、見物席の土手の上は人でいっぱい。 私はここには向かわず、手前にあるトイレの裏手から観ること…
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historysandwich · 2 years
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【常威近代史】(七百四十八回)
七七蘆溝橋事變
時間線進入1937年7月,中日戰爭全面爆發,呢一個月係歷史嘅大轉捩點,中國同日本兩個國家,亦響依一個月開始踏上其宿命之途,毀滅了一個大時代,同時亦創造了另一個大時代。
1937年7月1號,中共定本日為中國共產黨誕生紀念日。7月2號,上海14間絲廠萬幾名女工罷工,同一日,國立東北大學全部遷至西安,7月4號,廬山暑期訓練團第一期開始,由蔣介石任團長;7月5號,國民政府禁止小麥出口。其實嚟到呢一日,冇人會預計到中日全面戰爭會suddenly全面爆發,從此整個國家陷入萬劫不復之地,不過又係嗰句,如果命運能夠預測,人類點會有咁多苦難?
1937年7月7日,駐守宛平蘆溝橋嘅嘅中國守軍同日軍發生大規模槍戰,「七七蘆溝橋事變」爆發,中國現代抗日戰爭就響今日拉開序幕,事實上,中國軍隊同日本軍隊嘅衝突,今次並唔係第一次,以往都發生過好多次,但係今次衝突之後,紙再包唔住火,日本人亦乘機擴大戰事,正式發動侵略戰爭。1937年7月7號晚上,駐守豐臺嘅日軍一個大隊喺蘆溝橋附近進行實彈演習,之前已經講過,日本軍人已經不停進行響華北每處唔同嘅地方真槍實彈演習,可能只係等待一個機會引爆炸藥。演習嘅時候,日本軍人藉口演習部隊士兵失蹤,要求進入宛平縣城搜查,但遭到中國守軍拒絕。日軍一面通過駐北平特務機關與冀察當局交涉,一面連夜調兵包圍宛平縣城。7月8號淩晨4點,日軍突然開槍放炮攻城,七七蘆溝橋事變由此展開。
攻擊宛平縣城嘅日本部隊指揮為日本中國駐屯軍步兵第一聯隊聯隊長牟田口廉也(1888-1966)大佐,話說回頭,第一團隊得以喺華北駐紮,可以追溯到1901年由清帝國咗簽訂嘅《辛丑條約》,條約講明可以畀外國有權喺使館區、北京周邊以及北京至天津間嘅鐵路沿線駐軍,口講目的就係保護僑民。但去到1937年,隨著大部份外國使館重新喺首都南京設置,外國軍隊喺華北繼續駐紮嘅理由亦都唔再存在,但係日本仍然維持駐軍,道理亦都係一字咁淺,所有明眼人應該明白,日本帝國的而且確係一直想侵略中國,或者要搞華北分離,起碼其他西方列強就冇咁樣做。日本當時響北京外圍一帶,大約有7000人嘅武力,編制裝備包括炮兵、坦克同埋飛機。
牟田口廉也要求部隊日復一日演習,佢想將依支以老兵同剛從日本本土徵召嘅新丁混編而成嘅部隊,訓練得能夠迅速、積極應付突發事件,實彈演習同埋夜間訓練不斷進行。7月7號,響牟田口廉也轄下,由隊長清水節郎大尉指揮嘅第8中隊,攜帶住簡約嘅野戰背包,當中包括餐具、彈藥、隨身口糧同埋武器,從駐紮嘅營地行軍,穿越由宋哲元(1885-1940)轄下國軍29軍駐守嘅地域,前往喺蘆溝橋附近指定嘅地點集合,之前已經提過,北京懷仁堂請客食飯事件,日軍就差啲同宋哲元部隊發生衝突。蘆溝橋係一座11道拱形橋身之美而著名的橋樑。
當晚發生嘅事,有唔同嘅版本。當中倫敦《泰晤士報》就曾經咁樣報導「因為蘆溝橋上嘅假意攻擊被中國軍隊誤以為係真正攻擊而觸發了大型衝突」。無論如何,清水節郎話聽到槍聲之後,迅速點算人數,發現二等兵志村菊次郎失蹤,然後聽到更多嘅槍聲由蘆溝橋東面嘅宛平縣城發出,於是就要求入城調查,因為時值深夜,宛平縣城嘅中國執行軍官以行動會造成不安為由拒絕這項要求,清晨,日軍得到來自於住北京使命衛隊同附近城鎮豐臺嘅兵力支援後,清水節郎就下令對宛平發動攻擊,經歷5個小時炮擊,有報導指出「中國軍隊在機槍火力壓制下撤退,遭受嚴重損失……在下流發現許多浮屍。」,據稱死亡人數中方有200幾人,日方有10人。
過往,當面對類似嘅小型軍事衝突嘅時候(今次亦唔係第一次),中日雙方指揮官都會好快減緩衝突及進行會談解決,但今次,南京方面同東京方面所做出嘅決定,卻令蘆溝橋事變成為開啟中日之間全面戰爭嘅導火線,呢場戰爭喺接下來嘅8年讓中國蒙受極大損失,而日本亦響戰爭後期差啲踏上滅國之途。
事變發生當日,中國外交部即向日本使館提出口頭抗議,蔣介石命令宋哲元積極預備,就地抵抗,如果談判,亦唔可以喪失主權,同一時間蔣介石派遣孫連仲(1893-1990)等援軍到達河北支援,東京方面亦都行動起來。7月11號,日本政府發表聲明,宣稱「已下了重大決心」,決定採取一切必要措施,向華北派兵。在此期間,中國國內亦都反應強烈,7月8號,中共發出通電,號召抵抗日寇嘅侵略,7月17號,蔣介石在廬山發表談話,提出解決蘆溝橋事變嘅四項原則:1.任何解決不得侵害中國主權與領土之完整;2.冀察組織不容任何不合法之改變;3.中央政府所派地方官吏不得任人要求撤換;4.第29軍現在所駐地區不能受任何約束。
蔣介石仲聲明一旦戰爭開始,應抱定犧牲一切之決心,去守土抗日。其實響七七蘆溝橋事變發生之後,宋哲元喺天津及北平繼續同日本謀求和平解決事件,不過事情都一發不可收拾,7月20號,北平附近日軍猛烈攻擊宛平城同長辛店,中國政府要求英國等從中調停,但係遭到拒絕,之後就係日軍大規模出擊。7月26號佔領廊坊,7月29號日本佔領北平,7月30號佔領天津!勢如破竹!
#常威💀 #蔣介石平反系列  #佛經抄寫員 #中日戰爭 #民國歷史
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xf-2 · 4 years
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1981年に防衛大を卒業し陸上自衛官になった私は、事故のちょうど1年前に、千葉県の習志野駐屯地に所在する第1空挺団に配属されました。普通科群普通科中隊(当時)の小隊長として30名ほどの部下を率いる立場で、階級は2等陸尉。まだ独身で26歳でした。
 自衛隊では8月に定期異動があり、12日は駐屯地内の「隊員クラブ」で、転入隊員の歓迎会が開かれていました。私はお酒も飲んだため、駐屯地外に借りていたアパートには戻らず隊舎で寝ることにしました。
 その晩、中隊当直幹部として勤務していたのが、作間優一2等陸曹(当時36歳)でした。寝る前に作間2曹から、航空機墜落の報告を受けました。第12師団(当時)の担任区域における事故らしく、第1空挺団に災害派遣の準備命令等が発出されていないことを確認し、ひとまず眠りにつきました。
 その間、ヘリコプターからのリぺリング降下(ロープを使った垂直降下)による迅速な現場進出の必要性から、第1空挺団の出番となり、第12師団に配属しての災害派遣が翌早朝までに決していたのでした。
 朝5時前には「命令受領ラッパ」が鳴り響き、営内に残っていた我々は即座に出動準備を整えて集合、V-107という大型ヘリ6機に乗り込み、7時54分、習志野を出発しました。準備といっても、装備を詰めた背のうは常に用意してあるので、出発前に地図と乾パンを支給されたくらいです。
 6機のヘリのうち、1番機には第1空挺団派遣部隊指揮官である普通科群長以下の「救助部隊本部」の要員が、2番機から6番機にはそれぞれ隊員12名が乗り込みました。12名のうち1名は衛生隊員なので、私は3番機の小隊長として、自分の部下から10名を選抜しました。
 小隊長である私のサポート役として、普段の演習でも常に一緒に行動していた作間2曹は、もちろん真っ先に指名しました。ヘリのパイロットたちもいつになくピリピリしていて、張り詰めた空気が漂っていました。
 現場の「御巣鷹の尾根」上空に到着し、降下を開始したのが8時48分。まず1~3番機の隊員が現場に降り、4~6番機は麓の相馬原(そうまがはら)でいったん待機することになりました。空挺部隊には指揮官が“先頭降下”するという伝統があって、3番機では私がリーダーですから、最初にロープを伝って山の斜面に降り立ちました。私の次に降りたのは作間2曹です。
 空挺隊員にとってリぺリング降下は日常茶飯事ですが、急峻な斜面に着地した瞬間、強烈な違和感を覚えました。ブーツの裏にグニャッとした柔らかい感触があったんです。「なんだろう?」と思って足下を見ると、そこにあったのは人の“耳”でした。ご遺体を踏んでしまったことに気づき、すぐに“申し訳ございません”と心の中で謝りました。
 降下後、普通科群長が命令を下達しました。我々の任務は、「生存者の救出」と「地形の偵察」です。2番機の小隊と共に生存者を捜索しながら尾根を登っていきました。私と2番機の小隊長を中心に、左右各人5~10メートルほどの間隔で横一列に広がって斜面を登るのです。
■「生存者発見!」
 息を飲む光景でした。航空機燃料が燃える独特の臭いがして、岩肌には人の内臓がベタッと張り付いている。見上げると、髪の毛が付いた頭皮が木からぶら下がっていました。傾斜がきつく、木の幹に掴まりながら登るのですが、触った瞬間に滑る感じがする。見ると木全体が血と肉片で真っ赤に染まっていました。私の後ろを歩いていて、やはりその“赤い木”を触ってしまった隊員が「ギャーッ」と大声で叫びました。
 その時に私が感じたのは、「職業選択を間違えた」ということです。地獄絵図のような現場を目の当たりにして、私は「戦場の光景というのは、多分こういうものだろうな」と考えました。とても耐えられない、おれはこの仕事に向いていない、そう思いました。部下の前では表情にこそ出さないものの、それが本音でした。御巣鷹は私にとって初めての災害派遣だったのです。翌朝には慣れて、そういう気持ちは払拭されたのですが。
 同時に、隊員の誰もが「こんな悲惨な状況で、生存者なんているわけがない」と感じていました。斜面を上がれば上がるほど、まともな形を残したご遺体も少なくなっていきます。あるのは手や足だけの部分遺体や、肉片、皮膚ばかり。あまりに凄惨な場所でした。こんな事故で、到底人間が生きていられるはずがない、と。
 生存者を見つけられないまま尾根を登り、今度は別の方角に向かって下りながら捜索を続けようとした時です。無線から驚くべき情報が流れてきました。「生存者発見!」。耳を疑いました。「えっ?」と他の隊員と顔を見合わせました。
 無線を送ってきたのは、4~6番機から降りたグループでした。当初、相馬原で待機を命じられた3機は、我々のおよそ1時間後、9時45分に現場へ来て降下を開始しました。我々が降下地点から尾根を登って行ったのに対し、彼らは群長の命令で逆方向に下りながら捜索をしていたのです。そして、「スゲノ沢」と呼ばれるあたりで、麓から徒歩で登ってきた地元の消防団や松本駐屯地の第13連隊と合流し、そこで4名の生存者を発見したのです。
 尾根の上にいた我々には、「降下地点に戻れ」と指示がありました。急峻な山の中で、その辺りがかろうじて平坦になっていたからでしょう。その付近から生存者をヘリに吊り上げることになりました。降下地点に戻り暫くすると、下から生存者が運び上げられてきました。たしか事故機のトイレのドア等を担架がわりにして運んできたと思います。
 生存者4名は、あの悲惨な現場で一晩発見されずにいたので、当然かなり衰弱していました。そのうちの一人の少女、後で川上慶子さんと知ったのですが、彼女に「頑張れ!」と声を掛けると「うんうん」と頷くようなリアクションがありました。それを見て「大丈夫だ、助かる」と思いました。
 でもそこからが長かった。救出用のヘリがなかなか来ないのです。こちらからは何度も要請しているのに一向に来ない。報道陣のヘリも含め、多くの航空機が上空に飛来していたため、二次災害の危険もありました。
 結局、生存者が吊り上げ地点に搬送されてから、ヘリへの収容が完了するまで1時間近くかかりました。ヘリを待つ間、誰もがイライラしていて、そのうち、現場に到着された赤十字の女性の看護師さんから、ものすごい剣幕で怒鳴られたんです。私の顔をキッとにらんで、「もしこの人たちが亡くなったら、あんたたちのせいだからね!」と。それはよく覚えています。「おれだってどうしようもないんだ」という気持ちでしたね。
 ヘリを待ちながら、現場ではホイスト(ヘリからのワイヤによる吊り上げ)準備をしていました。赤十字の医師から、「隊員が直接抱えて上げたほうがいい」と言われて、自衛隊の茶色い毛布で生存者の体を包みました。最初に吊り上げたのは、吉崎美紀子さん(当時8歳)です。毛布に包んだまま、空挺隊員が抱えてヘリに収容しました。
 次が当時14歳だった川上慶子さん。彼女を収容したのが、私の相棒だった作間2曹でした。1人目と同じように、毛布で包んで準備をしていると“事件”が起きました。救出される生存者の姿を撮影したかったのでしょうが、なんと、いつの間にか周りにいた報道陣から手が伸びてきて、毛布を剥ぎ取ったんです。「何をするんだ!」と怒りましたが、もうヘリは真上にいてワイヤが下りてきている。仕方なく、作間2曹は毛布無しで川上さんを抱えて吊り上げられました。
 3人目の吉崎博子さん(美紀子さんの母、当時34歳)と4人目の落合由美さん(当時26歳)は、担架に乗せた状態で吊り上げました。というのも、抱えて吊り上げるには脱力した大人は相当重たく、途中で落下する恐れもあり、危険だと判断したのです。
 ここで我々はミスを犯してしまいました。3人目の吉崎さんのお母さんを乗せた担架が、ヘリから吹き下ろされる風を受けて、吊り上げた途端にグルグルと回転してしまったのです。すごいスピードで回転して、いまにも担架から体がずり落ちてしまうのではないかと気が気ではありませんでした。私は真下で両手を広げて、「万が一落ちてしまったら、絶対に受け止めなくては」と覚悟していました。
 結果的には無事に収容できたのですが、これは我々の本当に初歩的なミスです。本来、担架の把手にロープを付けて、担架が回転しないように地上の隊員がロープを保持すべきなのです。基本的な作業ですが、やはり異様な現場に平静でいられなかったのでしょうか、あの非常時に誰もそれに気づかないまま吊り上げてしまった。今でも思い出すたびに血の気が引きます。最後に落合さんを収容する際は、きちんと補助ロープを付けました。
 生存者の救出を終えたのが、13日の13時29分。そこから次の任務が命じられました。ヘリポートの構築です。獣道すらない急峻な山に、人員や救助物資を迅速に送り込むにはヘリを使うしかない。我々は上空からロープで降下できますが、以後の作業にはヘリを着陸させることが必須でした。
 普通科群長は私に、大型ヘリ(V-107)用を一つと中型ヘリ(HU-1H)用を一つ、あわせて二つのヘリポートを構築するよう命じました。我々は訓練・演習で簡易ヘリポートを作りますが、その際、なるべく広くて平坦な場所を探します。そこで私は、日航機の主翼が落ちていた辺りに目をつけました。その辺りは比較的広くて平らだったからです。ただ、航空機事故ですから、事故原因の究明のために現場検証も必要です。勝手に現場の状態を変えるわけにいかないので、現場を管轄する群馬県警の責任者を探しました。
 周りにはたくさんの警察官がいましたが、長野県警だったり警視庁だったりで、なかなか群馬県警の責任者が見つからない。ようやく見つけて交渉したところ「ダメだ」の一点張り。仕方なく、現場検証を要しない下方の地点に決定し、周辺の木を切り倒して斜面を掘削し、削った岩石や土を下側に盛るやり方で、中型ヘリ用ヘリポートのみを作ることにしました。
 我々がヘリポートを作っている間にも、続々とご遺体が運ばれてきます。やがて夜になり、13日の深夜にはヘリポートの大枠ができました。暗い中では細かい仕上げができないので、その日はその場で仮眠することにします。そして翌14日の朝3時頃から作業を再開し、7時頃にヘリポートが完成しました。
■“モミジ”
 ただ、この仮眠がつらかった。翌朝からヘリで搬送するべく、ヘリポート付近にはご遺体が集められていました。その隣で横になって眠るのですが、真夏の暑さで傷んだご遺体は、死臭を発しているんです。何度も目を覚ましました。
 14日は、完成したヘリポートを使って朝から何度もヘリが往来し、15時くらいまでに計121のご遺体を搬送しました。この数字に関しては苦い思い出があります。この日、上級部隊から連絡幹部が現場にやってきたのですが、ヘリポートの運用を指揮していた私を見るなり、「今日は何体運んだ?」と聞くのです。私は返答に窮しました。
 ご遺体といっても、五体満足なものは少なくて、手だけ、足だけといった部分遺体も多い。それを現場では努めて早く収容すべく、個別に包装した部分遺体の何体かを一緒に毛布に包んで“1包み”として搬送していました。そういう状態で“121包み”搬送したのであって、「何体か」と聞かれてもわからないのです。
 ところが連絡幹部は、即答できない私を見て、「それでも責任者か!」と叱責したのです。ロクに寝ていなかったせいもあるでしょうが、さすがに頭に来て、部下の一人に「おい、そこの毛布を開けろ!」と命じました。そして「あなたには、このご遺体が“何体”かわかるんですか!?」と聞き返すと、相手も黙ってヘリに乗って帰っていきました。
 今思い出しても、いちばんつらかったのは「モミジ」です。ご遺体の搬送準備中、ビニール袋に入った何かが運ばれて来ました。赤くて小さくて、最初はモミジの葉のように見えました。でもそれは、血に染まった小さな子どもの掌だったのです。徐々にご遺体を見ることにも慣れていたのですが、あれは衝撃的でした。本当にかわいそうで、堪らない気持ちになりました。
 14日の15時過ぎから天候が悪化し、ご遺体の搬送作業はそこで中断しました。雨がしとしと降る中、その夜も前日と同じようにご遺体の隣で仮眠し、翌15日の朝、我々空挺部隊は任務を終えてヘリで習志野に帰投しました。ですから、私が御巣鷹山にいたのは13日の朝から15日の朝まで、48時間くらいです。睡眠も食事も不十分なまま過酷な状況にいたので、今思えばかなりストレスが溜まっていたのでしょう。
 警察と喧嘩もしました。自衛隊のヘリが運んでくるのは、ツルハシやスコップなどの工事用器材、ご遺体収容のための毛布だとか、任務に直結するものばかりです。ところが警察のヘリは、弁当やタバコ、寝袋やらをたくさん運んでくる。
 ある時、広げたままの寝袋が、ヘリの風圧で巻き上げられそうになり、近くにいた私の部下が慌てて飛び乗って押さえた。すると警察官が彼に向かって「おい自衛隊さん、寝袋に穴開けないでくれよな」と言い放ったのです。部下は休憩中だったの���タバコをくわえていました。警察官には、彼がふざけて寝袋に寝っ転がったように見えたのでしょう。私はその警察官に「馬鹿野郎! 寝袋が巻き上げられてローターに接触したら、ヘリが墜落するだろうが!」と怒鳴りつけました。
 マスコミにも腹が立ちました。川上さんの毛布を剥ぎ取ったこともそうですが、遺体の写真ばかり撮る輩もいて、思わず「いい加減にしろ!」と叱ったこともあります。とはいえ、14日の昼頃、ある新聞記者が持ってきた朝刊を見た時は、やっぱり嬉しかった。そこには、川上さんを抱えてヘリに向かう作間2曹の写真が1面に載っていたのです。
 今でこそ災害時の自衛隊の活動はメディアでも取り上げられますが、当時の自衛隊はある意味、日陰者でした。マスコミが現場にいるのは認識していましたが、我々の活動が大々的に被写体になるなんて私自身は想像もしておらず、とにかく驚きました。それと同時に、おれたちは正しいことをしているんだ、という実感が湧いてきたんです。
 ただ5年前、事故から30年ということであるテレビ局の取材を受けた際、ディレクターから開口一番、「なぜ自衛隊の到着が遅れたんですか」と聞かれたのは心外でした。そもそも当時の災害派遣は、要請を受けて初めて出動できる仕組みでした。勝手に現場に向かうことはできません。
 また、「夜のうちに現場へ行けなかったのか」などという人もいます。我々空挺部隊・普通科部隊は深夜の現場であっても救助活動することは可能ですが、輸送に任じた当時の自衛隊のヘリには暗視装置が装備されておらず、暗夜における未知の山地・森林の飛行は危険極まりないものでした。一方で12師団隷下部隊は、夜を徹してまさに暗中模索で現場に向かって山を踏破していたのです。自衛隊はできる限りのことをやったと私は今も確信しています。
■ストレス障害
 御巣鷹での経験は、私のその後の自衛隊人生にも影響を与えました。一番大きいのは、「ストレス障害」について身をもって学んだことです。実は習志野に戻った後、私は不眠症に悩まされました。
 昼間仕事をしている時はなんともないのですが、夜アパートに帰ると、暗い場所があるのが苦痛に感じられるのです。寝室はもちろん、トイレや風呂の電気もつけっぱなしにしておかないと落ち着かない。そして就寝中にふと窓に目をやると、ベランダにたくさんの人が並んで私を見ているのです。ほぼ全身の人もいれば、上半身のみの人、炭化した人など、全員、御巣鷹の現場で我々が後送に関わったご遺体のお姿そのものでした。
 もちろん幻覚だと自分自身納得しています。彼らが現れることに恐怖心を覚える反面、それほど不快には感じなかった。ただただ、「なんで現れるんだ」という気持ちでした。結局、ウイスキーをガブ飲みしないと眠れない状態が1カ月ほど続きました。
 この間は肉類も全く食べられませんでした。でも、当時の私はそれを仲間の誰にも言えなかった。あの頃の自衛隊には、まだストレス障害という概念もなかった。空挺団は、男の中の男が集まった猛者ぞろいの精鋭部隊です。年上の部下を統率する若手幹部として、弱みは見せたくなかった。上司に相談しても「頭がおかしくなったのか? 病院に行ってこい」と言われるだけだと思うと、誰にも相談できなかった。
 ただ、御巣鷹に出動した者の中で、外泊を申請して出掛けたはずの営内居住隊員が、“不気味に感じる”と言って駐屯地に帰ってきて皆と一緒に寝ているという話を聞いた時は、妙に安心しました。私はその隊員に向かって「情けない奴だ」と笑ってやったのですが、内心、「おれだけじゃない、みんな同じなんだ」とホッとしたことを覚えています。
 それからずっと後の、私が1等陸佐として連隊長を拝命した2003年、自衛隊がイラクに派遣されました。私も派遣に備えて、部隊指揮官としてストレス障害に関する教育を受け(結局私自身はイラクには行かなかったのですが)、更にその後の勤務でも、指揮官・幕僚にとって必須の知識として学びました。
 そこで、当時26歳の私が御巣鷹山から帰って体験したことが、まさに「急性ストレス障害(ASD)」の典型例だったと気付いた。それ以来、ようやく自分の経験を他人に話せるようになりました。ちなみに、ASDの状態が1カ月を超えて続く場合は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」とされます。
 戦場や大規模災害の被災地などの過酷な状況下では、どんなに強い人間でもストレス障害になり得る。それを私は、知らないうちに自ら経験していたのです。たった48時間の任務で、私の心は壊れかけてしまった。そしてそれをひたすら隠し、一人で悶々と悩んでいた。
 現在の自衛隊では、海外派遣や災害派遣のたびにメンタルヘルスに関するケアを体系的に行っています。任務終了後の隊員を一人でストレス障害に立ち向かわせるような状態に放置することはありませんし、仮にあったとすればその指揮官は失格です。そういった意味で、この貴重な体験は私自身にとって、指揮官として大勢の部下を率いて任務を完遂する上で大きな糧となりました。
 あの悲しい事故から35年を迎える今、改めて犠牲者のご冥福と、生存者やご遺族の方々の人生に幸多からんことを、心からお祈り申し上げます。
岡部俊哉(おかべとしや) 元陸上幕僚長 昭和34年、福岡県生まれ。元陸上自衛官(防大25期)。第6師団長、北部方面総監などを経て、2016年、第35代陸上幕僚長に就任。2017年8月に退官。
「週刊新潮」2020年8月13・20日号 掲載
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mixs-fan · 6 years
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8月4日は、このあたりでも花火大会が沢山開催 ‐ 手賀沼花火大会・松戸花火大会・習志野駐屯地・佐倉花火フェスタなどなど!
8月4日は、このあたりでも花火大会が沢山開催 ‐ 手賀沼花火大会・松戸花火大会・習志野駐屯地・佐倉花火フェスタなどなど! #花火大会 #8月4日 #手賀沼花火大会 #習志野自衛隊駐屯地 #松戸花火大会 #佐倉花火フェスタ
なんでこうやって重なっちゃうのかな?
8月4日は、花火大会が、このあたりでも沢山開催される模様です。
もちろん荒天時には、だめなのだろうけれど、お天気が良いと良いですね。
いくつか紹介してみますね。
手賀沼花火大会
●手賀沼花火大会
柏市や我孫子市に隣接する、手賀沼で開催される花火大会。
13500発もの花火が打ち上げられます。
その中には、水中花火もあって、他の花火大会とはちょっと違った美しさも、見ることができますよ。
会場が2箇所に別れていて、どちらでもきれいな花火が見られると思います。
開催日は8月4日ですが、夕方から交通規制が行われ、手賀沼周辺へ、車やバイクで近づくのは難し状態となりますので、注意が必要です。
道の駅しょうなんからは、とても良く鑑賞できると思いますが、おそらく混雑していて、駐車することは至難の技というか、お泊り組がたくさんいるみたいですね。
詳細は、こちらの柏市役…
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kennak · 1 year
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習志野の第1空挺団長、特殊部隊のエリートだ。陸士はこづかい帳も付けられんアホが多いので……「29日付で陸上自衛隊第4師団長に就任したのは、戒田重雄陸将(53)。春日市の福岡駐屯地で第4師団の隊員を前に」
[B! 自衛隊] |KBCニュース
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overjazztrio · 2 years
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同級生の自殺という後悔に苛まれている10年後の自分から届いた手紙をもとに、主人公の高校生たちが自分や未来を変えるために行動していく様を描いたSF青春ラブストーリー。高野苺・作。2015年に実写映画化と小説化、2016年にアニメ化(TVシリーズ+映画)されている。「このマンガがすごい!」や「次にくるマンガ大賞」など様々な賞にランクイン。2012年。全7巻。
なぜか習志野駐屯地の図書館にあったので読んでみた。筋骨隆々の男しかいないこの駐屯地にオレンジを置く効能については別示するとして、まぁ、ぼちぼちですかね。ちょっと綺麗すぎるっていうか。グループの6人はみんないい子で、仲間を大切に想って……て感じなんだけど、もっと性格悪いとこあってもいいし、それで起こるぶつかり合いを書いた方が青春マンガとしてはリアル。全員性格良いのはよしとしても、その理由とかが特に書かれてないから、「たまたま集まった聖人君子の高校生たちがなんか知らんけど未来から来た手紙を元に仲間救う」みたいな、重量感の無い仕上がりになっている。「救えなかった翔」の思いだけで一章書かれたとこがあったけど、そこは読み応えあった。まぁ少女マンガ(笑)ですね。現場からは以上です。
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2ttf · 12 years
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hiyoko-channnel · 3 years
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【悲報】プーチンが核ミサイルで狙う「日本の大都市」の名前が判明!「おいおい福岡は落とすんじゃねえよ怖いだろうが」
プーチンが狙う「日本の大都市」の名前 https://i.imgur.com/Rbse5Yc.jpg  上の図の通り、東京はほぼ全域、神奈川、千葉、埼玉の主要部も焦土となる。図では便宜上、10個の核の爆発しか記載しておらず、実際の被害はさらに広く、半径100km圏内に及ぶ。  すべての抵抗手段を完膚なきまでに叩き潰すため、自衛隊の基地は「死の手」の標的だ。朝霞や習志野、木更津、横浜といった駐屯地や、ヘリポートを備えている府中基地にも核は容赦なく襲い掛かる。  必ず狙われるのは在日米軍基地も同様だ。米海軍の空母や潜水艦にとって重要な役割を果たしている横須賀基地、同じくキャンプ座間や横田基地も格好の標的となる。  「熱線と爆風だけで数百万人単位の死者が出るのは確実。熱傷などの被害も含めれば、首都圏の死傷者は1000万人を超えるでしょう」(別の防衛省関係者)  当然ながら、「死の手…
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toshihikokuroda · 3 years
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陸自 コロナ下大移動 九州11カ所1.2万人 使用の演習場 明らかにせず 2021年9月20日【2面】
 10万人が参加する9月15日から11月下旬までの「陸上自衛隊演習」では、約1万2千人の隊員が列島を縦断し九州各地の演習場や駐屯地に移動します。新型コロナ感染症の拡大が懸念される中、移動する隊員を受け入れる九州の演習場や駐屯地が、少なくとも11カ所にのぼることが、19日までに本紙の調べで分かりました。
 判明したのは▽日出生台演習場、十文字原演習場(以上、大分県)▽大矢野原演習場、黒石原演習場、健軍駐屯地、北熊本駐屯地(以上、熊本県)▽霧島演習場(宮崎県・鹿児島県)▽都城駐屯地、えびの駐屯地(以上、宮崎県)▽福山演習場、国分駐屯地(鹿児島県)―です。
 九州に来るのは、第2師団(北海道)5200人、第6師団(山形県)3800人、第14旅団(香川県)3100人の合わせて約1万2千人。隊員へのPCR検査は出発前の1回だけです。感染症対策が不透明ななか、隊員らは演習中、前記した演習場や駐屯地に宿泊します。
 コロナ感染症の広がりが心配される以上、どの演習場や駐屯地が使用されるかは周知が必要です。しかし防衛省陸上幕僚監部は国民には明らかにしていません。
 「陸上自衛隊演習」には移動する1万2千人以外にも全国約160カ所の駐屯地や演習場で約8万8千人が実動演習を行います。普段は社会人や学生として本業を持つ予備自衛官も参加します。約8万8千人はPCR検査をうけないまま演習に参加し、感染拡大が懸念されます。
◇  「陸上自衛隊演習」は、船舶、鉄道、道路をさまざまなパターンで組み合わせ、機動展開(移動)できるようにすることが、目的の一つになっています。感染対策の観点から、移動経路も周知が必要ですが、防衛省陸上幕僚監部は明らかにしていません。
 本紙の調べでは、少なくとも八つの港湾施設が軍事使用されることが、19日までに分かりました。判明したのは、室蘭港(北海道)、苫小牧港(北海道)、小樽港(北海道)、新門司港(福岡県)、博多港(福岡県)、大分港大在コンテナターミナル、志布志港(鹿児島県)、鹿児島港です。
(しんぶん赤旗、2021年9月20日)
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captainjajajthings · 3 years
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許世友想比劃功夫,26歲耿飆年輕氣盛:拳腳大刀,你都不是對手
 許世友想比劃功夫,26歲耿飆年輕氣盛:拳腳大刀,你都不是對手
原創2021-09-12 09:13·兵說
百年百將148:耿飆
作者:相忘於江湖
 1955年9月,有一些戰功卓著的將軍因離開軍隊崗位,錯過了大授銜。
 有些開國將領如果參加授銜,至少是上將甚至是大將的資格。比如滕代遠、張際春、鄧子恢、張鼎丞、李卓然、趙壽山、王維舟和耿飆等人,就是典型的代表。
 耿飆是紅4團首任團長,湘江之戰的開路先鋒,留守陝甘寧的“打虎太保”。
 許世友想比劃功夫,26歲耿飆年輕氣盛:拳腳大刀,你都不是對手
無銜將軍耿飆
 說到開國將帥自帶“功夫”光環的,最有名的就是“少林派”許世友、錢鈞,“武當派”賀龍、賀炳炎。十大元帥、十大將,有很多人有習武經歷。耿飆與賀龍、陳賡一樣,出身武術世家。
 耿飆是湖南醴陵人,父親耿楚南適逢湘軍崛起,在親兵營呆了9年,後被選入慈禧親兵護衛隊成了“大內侍衛”。八國聯軍攻陷北京,慈禧以“西狩”為名,挾持光緒逃亡西安。耿楚南“護駕”有功被光緒賜以“虎頭雙鉤”,江湖人稱“雙鉤大俠”。
 1909年8月耿飆出生,不久辛亥革命爆發,大清亡了。
 耿飆在父親的悉心傳授下,從小學會了十八般武藝,尤其是拳術和刀法出類拔萃。然而好景不長,耿楚南在動盪年代難以獨善其身,很快家道衰落,耿飆只好住到祠堂照看香火、打掃衛生。
 1916年,年僅7歲的耿飆隨父母逃荒到常寧縣水口山,開始背井離鄉。耿飆年齡雖小,個子卻長得很快,13歲已經和大人一樣高,在一家鉛鋅礦當童工,平日也沒忘記苦練武功。
 許世友想比劃功夫,26歲耿飆年輕氣盛:拳腳大刀,你都不是對手
紅軍時期的耿飆
 1926年,耿飆參與領導醴陵暴動,率領農軍攻打長沙。失敗後隱蔽到外地,1928年4月回到瀏陽,擔任瀏、醴遊擊隊隊長。1930年9月,率領遊擊隊參加了紅1軍團3軍9師,擔任參謀。1933年春,耿飆升任紅1軍團2師著名的紅4團團長。
 1934年10月,紅4團代號“勇部”作為紅2師的前衛部隊,衝破三道封鎖線到達湘江,迎來了真正的生死之戰。紅2師師長陳光、政委劉亞樓命令給耿飆、楊成武搶佔界首,直插全州。
 在界首,紅4團又接到命令:緊急趕赴魯班橋、腳山鋪佈防阻敵。耿飆和楊成武來不及吃飯,率紅4團星夜趕到覺山,天剛濛濛亮。陳光一看到耿飆,馬上指揮紅4團搶佔公路兩側陣地。
 激戰中,團部很快暴露在敵軍面前,敵軍一窩蜂沖了過來,耿飆大喝一聲拿起馬刀,和警衛員楊力與敵軍白刃格鬥。幾個人幹翻一個排的敵軍,撤到安全地帶,才發現全身早已染成紅色。濃烈的血腥味讓耿飆一陣陣幹嘔,2天沒吃下一口飯。
 紅4團以一當十守住陣地,保證了身後主力順利過江。遵義會議後,耿飆升任紅2師參謀長,團長由盧子美繼任。耿飆和紅2師四渡赤水、強渡烏江、巧渡金沙江,擺脫了敵軍的圍追堵截。
 許世友想比劃功夫,26歲耿飆年輕氣盛:拳腳大刀,你都不是對手
1935年6月,紅一、四方面軍在四川懋功勝利會師。
 騎兵師師長許世友少年時,在少林學武8年,是一個功夫迷,一碰到行家就要和人家切磋。當得知紅一軍團2師參謀長耿飆也是“練家子”,主動找上門來要求比劃一下。
 26歲的耿飆年輕氣盛,脫口而出:“比拳腳還是拼大刀,你都不是對手!”
 性格耿直的許世友,馬上約定時間比一比,可耿飆卻冷靜了下來,想到紅一、四方面軍會師後有些隔閡與分歧,這個時候還是少惹事為妙,於是藉口工作忙,婉言拒絕,說以後再比。
 1937年8月,紅軍改編後,耿飆被編入129師385旅任參謀長。
 不久,八路軍115師、120師、129師陸續東渡黃河開赴山西抗日第一線,平型關、雁門光、陽明堡等伏擊戰、夜襲戰極大振奮了全國人民,耿飆也期待著385旅早日奔赴前線。
 等來等去,耿飆卻接到了一紙命令:385旅旅部和770團留守陝甘寧。
 渴望上陣殺敵的耿飆非常失望,就去找129師師長劉伯承、副師長徐向前和政委張浩請戰。129師幾位首長態度一致,耐心地解釋保衛陝甘寧是主席的安排,一點也不比一線擔子更輕。
 幾天以後,主席又親自把耿飆找去,做了一番推2H2D持久液    德國黑螞蟻
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  心置腹的長談。
 主席耐心聽完了耿飆的訴求,和藹地講道理:在後方一樣可以給前線出主意,革命沒有根據地,就成了李自成。最後主席語重心長地說:我和朱老總這些人,就靠你們留守兵團吃飯了。
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1938年,耿飆、莫文驊、肖勁光在延安
 1940年下半年,耿飆任395旅2H2D持久液    德國黑螞蟻
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  副旅長兼副政委,駐守隴東慶陽地區。
 為了解決住宿問題,不給群眾增加太多的負擔,耿飆帶領部隊自己就地挖窯洞。為了解決吃飯問題,耿飆帶領大家學習“南泥灣”自己動手豐衣足食,在隴東開展屯田開荒大生產。2H2D持久液    德國黑螞蟻
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    當時這裏一片荒蕪,野獸出沒,不但禍害家畜、莊稼,還對抗日軍民的安全造成很大危險。耿飆帶領戰士開展了大規模的圍獵活動,不幾天就收穫許多狼和野兔等。
 “戰利品”的皮毛可以拿到集市上賣錢,���可以改善戰士們的伙食。
 耿飆將軍吃這些打來的獵物,感覺和牛肉沒有多少區別。耿飆還特別規定:所有野獸獸皮可以賣,肉也可以吃,但是骨頭必須全部上交,攢到一定數量送到延安給老同志治療風濕病。
 有一次,耿飆到留守司令部開會,帶了一只剝皮的老虎。
 恰巧朱老總也在,主席和朱總司令看到真老虎非常好奇,主席調侃54歲的朱老總:“老總,人家都說廉頗老矣尚能飯否,你還能不能舉起這只死老虎啊?”
 朱老總老當益壯,不服氣,結果一連舉了三次都沒舉起來。朱老總搖搖頭:“老虎這一攤太大,不好抓,可能真得吃了九牛二虎,才有舉老虎的力氣。”主席哈哈大笑。
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kisanebacci · 4 years
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疫病と災害から戦争へ 発達障害とネットそしてファシズムへ コロナとアの戦争 何故70年前アの戦争を止められなかったのか、、、 何故、それでも今年にイマの今『交流広場』を目指すのか
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何故70年前アの戦争を止められなかったのか、、、 疫病と災害から戦争へ 発達障害とネットそしてファシズムへ コロナとアの戦争 何故、それでも今年にイマの今『交流広場』を目指すのか    コロナと云う疫病は、様々なことを赤裸々にしていますが、『ヒトとヒトが集まることを模索し続けている』コトをドンドン宣伝して頂けると、ありがたいんです。宜しくよろしくお願い致します。  コウ言い続けてきました。敢えて言うなら【コロナと云う疫病】より、以下の三点の方が余程深刻で怖ろしく、最終的には【精神病患者】や【まつろわぬ者たち】を『皆殺す』だろうと想うと、恐ろしくてタマラナいのです。コロナウィルスより余程恐いのが『人々の心性がファシズムに向けて傾く』コトだと言い続けてきましたが、その意味するところです。キーサンのセーカツからくる怖れと恐怖です。
【所謂云うトコロの発達障害概念と特性に親和性がある】 【ネットに親和性がある】 【ファシズムに親和性がある】
 誰が、一体ドンな人達が、何故に、【所謂云うトコロの発達障害概念と特性に親和性がある】のか、そのうえで【ネットに親和性がある】と、ドウ為りやすいのか、そしてそれは、【ファシズムに親和性がある】と云うことに為らないのか、、、この『コロナと云う疫病』は、赤裸々にしたんだと、想います。  ソコを直観しました。リクツではなく。ソコを直観させてくれたものは、精神病患者会に居続けてきたことと、そして、三月に39度を超える熱を出しほぼ一か月自主隔離をし、やすらぎの里作業所前進友の会を一旦休止しました。4月限定的に拡げ始め、5月からほぼ、元に戻していきました。その間にい病院が全面的に外出面会禁止する中50年以上入院しているなかまが亡くなりました。なかま内で、ドウココを開くのか閉めるのか話し合いをし続けてきた中で、見えてきたものが在りました。そして今、10/3作業所交流広場に集まろうと言い始めて、9/27に生活保護減額のデモと集会が動き始めてみて、皆さんからの反響も含めて、世間様の動きも含めて、ドウ言えばいいのか、、ドウ言えばいいのか、、    「10/3作業所交流広場」は、実際の集まり自体は、『感染症対策』と『なかま内の不安対策』のために、『非公開の限定公開』なんですが、、、実は、ムズカシい独特の判断なのかもしれないのですが、、コンな『ご時勢』なので、信頼している皆さんには集まることを是非とも拡げたいのです、、、だから、もしよろしかったら、周りで『このご時勢』の中『感染するリスクもバッシングを受けるリスクもツブされるリスク』も引き受けてでも、今、イマ、いま『精神の作業所の交流会』を『このご時世の東京』でヤロウとしている『キーサン勢』が居ることを、是非とも拡めて頂けるとありがたいです。    そう、ホンとまさしく『集まることをお知らせることすら躊躇せざるを得ない世の中』になったのです。『70年前、何故、あの戦争を止めることが出来得なかったのか』、リクツではなく心から腑に落ちた次第です。うまくコトバで説明しきれない感覚です、、、おそらく『学問』を積んだ人たちはコトバに出来るのか、、、ソリゃあ、止められないはずだ、、、ソレを書いておきたいと想っているのですが、、、だからこそだからこそ、今最も『戦争に近づいている』と感じています。だからだからこそ、だからこそ、『イマ、今こそ、ヒトとヒトとが集まって、話さなければ』と想っています。それが、戦争とファシズムに対する最大の抵抗です。来年ではなく、今年、今こそ、イマこそ、ヒトは、集まらないといけない、、、、だからだからこそ、アンなに『ご立派に反権力』を叫んでいた人々は、『ゲンジツのジッサイのヒトが集まってナニかする』ことを模索し続けないといけない、、、さもないと、またもや『あの時、いくらでも引き返せる可能性があったのに、何故アの戦争を止められなかったのか』と、問うことに、問われるコトに為るのだと想っています。
 なるほど、何故アの戦争を止められなかったのか、、そりゃあ止められないはずだ、、、、その時代その時代で、押しとどめられナインですよ、、、自分たちがクラスターに為って、感染源に為って、徹底的に、、、が恐ろしいのです。自分たちが感染源と為って、徹底的に、、、、が怖いのです。『非国民』と言われることがナニよりも恐いのです。『ケンペー隊』に眼を付けられるから、止めといたほうがと言われ、ジブンもソウ言い、『トッコー』に眼を付けられないようにしないと、、、さもないと、生きていく上での正業の手段も奪われる。付き合いも人間関係も奪われる。ナニもかも全てが、奪われていき、これまで積み上げてきたものも、根こそぎ失われてしまうかもしれないのです、、、徹底的に排除されるのです。店に行ってもモノを売ってくれなくなる。暮らせなくなるのです。『自粛警察』『自粛自警団』『帰省警察』『ネットでの誹謗中傷』『貼り紙』から始まっていく、その後に来るのはホンとに『コロナ憲兵隊』か『コロナ特別高等警察』か『コロナ保健所隔離部隊』か、、、、『コロナ自警団』はもうアッて活動しているんだから、、、ソレは、もう実際には始まっていることなのです。おそらくは、特に保守的な農村部において、えばっちもそう云うトコの出ですから、、、『帰省警察』はそれを明らかにしてしまった。『ムラ八分』と云う古い古いコトバは、本当のことなのです。今回は『ムラ九部』に為った『お弔い』も禁止されるのですから、、しかも、幾つかの、いやもう沢山の狙い撃ちされた店や事業所や、個人はもうはやツブされてしまっているのです。しかも、実際にナニかの病気に罹ってしまうかもしれない、病気を染してしまうかもしれない、息が出来なくなる病気に罹るかもしれない、、煽りに煽られ、実際の感染者数も死者数も増えていく、、、『自警団』から狙い撃ちされて『虐殺』されるかのように無残に冷酷にツブされていくでしょう。恐いでしょう、えばっちだって恐いですよ。とても怖いんですよ、、、
 だから、アの戦争を止められなかった、大地震の後の「朝鮮人虐殺」も止められなかった。災害が引き続き、貧乏人を襲う。貧乏人ほど被害が大きく、そして立ち直れないでいる。そこにまた次の災害が襲ってくる。何時に為ったら『復興』できるのか『元の生活』を取り戻せるのかと、三年前に五年前に災害に襲われた人々が、ため息をつく。ソコに流行り病が追い打ちをかけてくる。【IT】が【巨大資本】が【ワクチン】が、【悪者】をあぶり出し【元の生活】を誘いかけてくる。そりゃアー『朝鮮人虐殺』も止められなかった、『ハンセン病』に罹患したんだと云う人たちが、ドウ扱われていったのか、『感染する』と言われてドウ扱われてしまったのか、、もう一度、見つめなおすべきですよ。  だから、アの戦争を止められるとしたら、おそらく、駐屯地前で反戦ビラを撒くことよりも、ソレが出来なくなりつつあったのなら、特に、人々が、それでもパーマネントをかけ続け、ジャズのSPレコードを聞き続け、「ダンスホール」に通い続け、野球の試合の時に「よし一本」と言わず「ストライク」と言い続け、いや【言い間違い続け】なければナラナカッタのです。出来得る限り。でも出来なかったのです。出来なかった、恐ろしくて、、、、イマ、ヒトとヒトが集まることを、集まって話し合いをする催しを企画していることを知らせることすら躊躇せざるを得ないコのご時勢に為ったのです。おそらく、アの戦争の後で、今がイマが最も『次の戦争』に近づいている一瞬一瞬を生きているのです。だったら、『次の戦争』をドウしたら止められるのか、、、今、イマ、ドウ為ってシマッテいるのか。『コロナ感染症対策』なら、ドンなコトも進んでいってしまう、、、だったら、、、今イマ、いまこそ、ヒトは集まらなけりゃあーーイマ集まって話しをしなければ、、世間様の言う最大限の感染症対策をやりましょう、その上で、少なくともキーサンのセーカツの場を拡く開き続けないと、、、たまり場もサロンも作業所も患者会も、、とにかく開き続けましょう、拡く開き続けましょう。そして、もう一歩ダケホンの少し踏み出しましょう。それで、少しは、【止められるハズ】なのです。そのホンの少しもう一歩踏み出すことが『みんなでの食事会』なのかもシレナイし『みんなでレクに行く』コトなのかもシレナイし『なかまのうちに差し入れに行ったり様子を見に行ったり泊まったり』するコトなのかもシレナイし『交流広場』なのかもシレナイし、、、誰かが、みんなで、「よし一本」ではなく「ストライク」と言い続け【言い間違い】続けなければ、、、、    フト気付くと、生活保護が六年かけて減らされてきたことに反対する集まりが出来なくなりつつある、反原発も、ダム反対も、基地反対も、およそ考える限りの沢山の運動や集会や学習会やデモが、自主的に止まった、開けないでいる。全てのおよそ全ての『市民運動』『庶民活動』『示威行動』『非暴力直接行動』が、止まってしまった。萎縮してシマッタ。一人でも『コロナ感染患者』が出たら、、、と想うと萎縮し自粛し、自主的に止まってしまった。ソレデもヤロウとしたところが狙い撃ちにされて、徹底的に『権力』からではなく『隣人』から嫌がらせを受けてツブされていく。ソコに震えるほどの恐ろしさは感じないのか、、、しかもそれでいて、代替がネットでヤルことだと、何時しかソレは代替ではなくなるかもシレナい、、、ナニかが決定的に失われてしまうのではないか、それは、集会の時のヒトの熱気と、ヒトの息遣いと、ヒトとヒトとのニンゲン関係、トモダチ関係、信頼関係、同志的紐帯を生み出す最初の握手したときの力強さとやさしさと温かさなのかもしれない、温もりをカンジてウンドーは始まる、、ダのに、握手も出来ないんだから、、、熱気をもって訴えるアの本気度が伝わらなければ、、、リモートでの会議がネットでの話し合いが代替には為らないはずだけれども、、、熱気を持った運動には、その運動独自の匂いと、味と、そして汗と涙が、感じられるものだったのだけれど、、、最早匂いを感じられる距離にヒトとヒトは居てはいけないらしいのです、、、ソコに『ワクチン』が登場すればドウ為るのか、、、『ワクチン』は元の生活を取り戻すためにアルのではなく、命を救う為にアルのでもない、、、『ワクチン』は取り戻せるセーカツをコントロールするためにアルのです。『ワクチン』で大儲け、ソンなモンだけじゃあない、『ワクチン』は『核兵器』と同じくらいの戦略兵器なのです。『ワクチン』を先頭に、おそらく『IT企業』と『巨大資本』が、およそ考えられなかったトコロや分野にまで進出していくはずです。だって、この疫病で焼け野原になってしまっているんですから。その焼け野原になってしまったところに、元のセーカツを取り戻せるんだとばかりに進駐してくるのです。おそらく、自営業、自営農、自営漁、中小製造業、飲食業、観光業、旅行業、小売業、の、焼け野原の後に『ワクチン』を先頭に『IT企業』『巨大資本大財閥』が進駐してくる。ドウ元に戻れ、ドウ生業を続けられるのかは、『ワクチン』『IT』『巨大資本』が決定しコントロールするのです。【疫病】と【大災害】で【焼け野原】になってしまったところに『ワクチン』を先頭に『発達障害特性』を梃子に、【命と暮らしを救うのだ】と云う旗印のもと『IT企業』『大資本大会社』が進駐してくるのです。    「観察法病棟の質問状」「意見交換会、説明会の要請状」ソンなものは、此のコロナ禍では、会えない、話し合いの場を持てない、感染が収束しないうちは他所者を院内に入れることは出来ない、と言われてしまえば終ってしまうのです。『コロナがアル限り余所者は来るな入れない』、同じ様なことは、ほかの場所でも、別なモンダイででも、さんざん使われているはずであり、ソウ言われてしまえば、納得せざるを得ないダロウよとタカをくくれる、そもそも、ヒトとヒトが集まれない、、ウンドーの側も、『発達特性』満載の活動家中心に為っていけば、この状況の方が活動しやすいと、リモートバンザイ、ネット会議バンザイ、ネット集会バンザイ、ヒトとヒトの体臭と熱と息を感じられるほどのトモダチ関係や同志的紐帯や信頼関係や、一緒な空気で息をし、一緒の鍋でものを食べ、一緒の便所で糞をするヨウなセーカツに根付いた運動は、元々嫌で仕方がなかったのだから、、ヒトと会わないで何らかの運動や活動が出来るのなら、その方が余程いいのだ、と云うワケなんだから、、オソロしい、『発達特性バンザイ』なわけです。    えばっちとって、衝撃的だったのは、決定的だったのは、精神病院が全面的に、外出禁止、面会禁止、外泊禁止になって、閉鎖化していくことを、誰も不思議がらなかったことである。戦後ナン十年もかけて、如何なる立場の当事者も、ツマリ精神医も看護も学会も、もちろん患者側も、精神病患者の解放とは、具体的には精神病院のまず鉄格子を外し開放病棟を増やしていく試みではなかったか。そう、まずは精神病院の具体的な開放化であった。時間もかかった、ナン十年もかけ、外国のハナシも持ち込み、内ゲバもあった、職を失うことも、左遷されることも、病状を崩し、己が病状をかけ、保護室に戻らざるを得なかった病者も、自殺したなかまも、苦労に苦労を重ねて開放化は、着実に進められていった。それが、たった一発の今度の『コロナ感染症対策』の名のもとに、一気に閉鎖病棟に戻っていくのを、ナンとも想わなかったのか、、、深刻には捉えなかったのか、、、と云うコトである。精神病院の開放化への取り組みとは一体ナンだったのか。このニホンで、一時期、そして断続的コレからも、開放病棟のある精神病院が無くなったのである。そう一時期全ての精神病院が全閉鎖に為っていたかもしれない。ソレは、イマ、今、この時もである。信じられない想いで見ていた、ナン十年もかけて開放化を進めてきたのに、、この『コロナ感染症対策』の名のもと閉鎖されていくのを、、、ソコは誰もナニも言わないのか、、、言ってもコロナが収まったら元に戻ると本当に信じているのか、、元に戻らないとは言わない、でも、ナニかが、ナニかが決定的に変わっている、コトに気が付かないのか。
 そして、元に戻す装置は『ワクチン』と『治療薬』なら、ソレを握っているもののコントロール下で元に戻るのだが、、さて、ナニをドのように元に戻せると云うコトに為るのか、為らないのか、なら『ワクチン』が出来た時からが、真に恐ろしいことに為っていくのではないか、、、    コンな危機感を抱いているのは、えばっちの病気のせいなのか、、、えばっちの考えすぎなのか、、、えばっちの業なのか、、、コンな危機感は理解されないものなのか、、、年内はヒトが集まることは止めた方が良いと止め続けられるのか、、、今、イマこそ、ヒトはヒトと会い、話し、集会を持ち、息遣いを感じられる、体臭を、その場の風と匂いと味を感じられる交流を模索し続けねばならないと想うのだけれど、モチロンもちろん、世間様の言う感染症対策を出来得る限りした上で、、、でも、、この危機感はキチガイの戯言として葬られ、やはり恐怖と不安と『ワクチン』に支配されるのか、、やはりえばっちは、イマ今こそヒトとヒトは会わなければいけないと詰め寄ってしまうことに為るのか、、、確かに、年齢も持病も健康状態も、長年のクスリのせいで免疫力も落ちているかもしれない、、失うものの大きさも質も違う、それでもなお、今イマ会うことを模索し続けねばならないと叫び続けなければならないと想う、、、えばっちの考えすぎなのか、、、えばっちの業なのか、、、えばっちの病気のせいなのか、、、ボクだって恐いんですよ、、集まることはね、、、ボクだって失うものはアルんですよ、、『一人でもコロナ感染者が出たら』と想うと、ここまで開き続け在り続けた患者会が作業所が、たまり場が維持できなくなるかもしれない、ジブンがそして大事ななかまが、この『感染症』で死ぬかもしれない、、、腰が引けているのです。またもや、誰もが喜ばないモノを書いてしまった。でもサイゴには、この危機感を書いておかなければと想ったのです。   おそらく、元に戻るものと戻らないものが在る いや、どのようにどのくらいナニを元に戻し、どのようにどのくらいナニを元に戻さないのか、それを決めることが出来るのです、自由に、『向こう側の人たち』がです そのための手段が『治療薬』と、 そして最大のものが『ワクチン』なのです。 彼らは素晴らしい武器を手に入れることに為る そして、『ワクチン』のおかげで、ある一定のものが元に戻ったように見えたとき、決定的なものがもう元には戻らないことが分かるのです   おそらく産業構造は変わる ヒトとヒトとの関係性も変わる ヒトとヒトとの距離感が変わる ヒトとヒトの心性はファシズムに傾斜していく 発達障害特性がソコを後押しする ネットがITが、産業構造も、富の分配も、ヒトとヒトの関係性も、心性をも、支配していく ワクチンと治療薬が、元に戻すものと元に戻せないものとをコントロールしていく 【疫病】と【大災害】で【焼け野原】になってしまったところに『ワクチン』を先頭に『発達障害特性』を梃子に、【命を救う】のだと云う旗印のもと『IT企業』『大会社』が進駐してくる       2020/6/8起稿 9/4脱稿
精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所 あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起
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