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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験を��始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを��じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金��けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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【かいわいの時】昭和二十年(1945)3月13日-14日:木造家屋を焼き払うために開発されたナパーム弾攻撃によって、大阪市民は「想像を絶する炎熱地獄」にたたき込まれた(『新修大阪市史』)
���一次大阪空襲に当たっては、第二一爆撃機軍団は、東京(三月十日未明)、名古屋(三月十二日未明)の場合と同じく、先導機洋にM47A2焼夷弾を、主力部隊用にはM69焼夷弾を使用した《略》先導機用のM47A2というのは、一〇〇ポンド炸裂型・油脂(ナパーム)焼夷弾である。先導機がまずM47を投下するのは、爆発すると即座に大きな火災が発生し、後続機に目標を示すとともに、日本側の消火活動を混乱状態に陥らせることができるからであった。
主力部隊用のM69は、六ポンド(二・七キロ)の尾部噴射・油脂焼夷弾である。先導機のM47で消化不能の大火災を発生させた後、主力部隊が小型のM69を濃い密度で大量に投下し、目標地域にさらに大きな火災を誘発し、日本軍の対空砲火も減少させるという作戦であった。
ザァーという恐怖の音、身の毛がよだつ恐怖の焼夷弾落下音がおおいかぶさってくる。強大な火の群れが、あちこちで爆発する。火の玉・火の粉が降ってくる。焼夷弾が屋根を突き抜いて、ゴーッという音とともに火を噴く。何発も落ちてくる。あちらでも、こちらでも、壁にも、塀にも、格子にも、畳にも、ハガキ大の碑のかたまりがペタペタとくっついて燃える。くっついたら離れない。身体に着いたら大変である。M69焼夷弾のナパーム剤(油脂)が小片となって噴射され、付着した場所で燃焼しているのだ。アメリカ軍が日本の木造家屋を焼き払うために開発した兵器が、みごとに威力を発揮しているのである。軒先をはうように、紅蓮の炎が流れる。道路や防空壕に突きささっている焼夷弾もある。半鐘も鳴り響いている。「敵機来襲」、「退避」の警鐘は一点と七点斑打の連打であり、斑打の各点に時間間隔を置かないで早打ちする。敵機は次から次へと来襲する、半鐘は乱打の連続となる。日頃の防空訓練は、何の役にも立たない。天空高く、何千メートルも立ち上る火と煙、想像を絶する炎熱地獄の中に何十万もの市民がたたき込まれた。
同日午後四時三十分の大本営発表は次のとおりであった。
昨三月十三日夜半より本十四日未明に亘り大阪地区に来襲せる敵機の邀撃戦果次の如し。 撃墜十一機、損害を与へたるもの約六十機。
日本の大本営発表の数字のすべては、アメリカの第二二爆撃機軍団の報告書記載のものとあまりにも違いが大きすぎた。撃墜一一機と損害を与えた約六○機を合計して、日本の新聞は「九十機中七十一機屠る」と��出しを付けた(『毎日新聞』昭和20・3・15*)。アメリカ軍側によると「爆撃機数二七四機、損失二機、損傷一〇機」であった。『新修大阪市史 第七巻』第三章第四節より抜粋して編集。表記はママ。
(写真)毎日新聞1945年3月15日
1945年3月13日深夜から14日未明、米軍のB29爆撃機274機が3時間半にわたり、大阪市浪速区や西区、南区などに焼夷弾を集中投下した。当時の府警察局のまとめでは、死者3987人、行方不明者678人、重軽傷者8500人。約50万人が家を失った。大阪府内は計50回以上の空襲にさらされ、全空襲での死者・行方不明者は約1万5000人(毎日新聞2015年3月13日大阪朝刊)
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そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。 正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。 実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会��予定は明日とのこと。何もかも急だ。 ��とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。 じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。 じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。 寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。 じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。 そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。 その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。 そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、���一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。 それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。 死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。 最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。 最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。 父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。 父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。 父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。 亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。 ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。 (ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった) そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。 こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。 生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。 生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。 じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日��飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。 それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。 ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。 私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。 私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
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2024.01.15(Mon)
昨日の結婚式に続き昨晩は2次会があり、何がなんでも参加したいと招待された時から翌日は休もうと決めていた。何をしたかというと、髪を整えに行こうと思って1ヶ月前から予約をしていた。最近というかここ2-3年人気店になっていて取りづらい。結婚式ついでに上京してくるからいいかなと思って、13時から予約をした。けれど5分前に着いたら、15時から予約されてると言われた。時間はあったので改めて向かうことにしたけど、2時間空いてしまった。と思ったら頭に2121が出てきて、展示会にいこう、と決めて乃木坂に向かった。前から行きたいと思ってたけどタイミングがなくて諦めていた展示会が見れてよかった。再度美容院に行く前に近くの乃木神社に寄った。神社でお参りをして昨年の感謝と今年の抱負を伝えた後におみくじを引いたら大吉だった。そういえば、大吉が出にくい初詣や普段お参りに行く神社も同じように伝えたら大吉だった。良い年にしたい。夏の異動が現実になればいいな。神社の木に花が咲いていた。頭にふとゴッホの花咲くアーモンドの木を思い出した。美容院に戻ると美容師側の手違いだった。人間だし間違いはあるよなあと思いながら、次からは行く前にも確認しようと思った。髪色は1年くらい染めてなかったけど赤を入れ直した。強い女。私はシュガシュガルーンの主人公ショコラが大好きで憧れでドライヤーで乾かしている時に同じ髪色のようで嬉しくなった。もっと大好きなのはショコラのママのシナモン。慈しみ深い人になりたいね。驕らず昂らず。帰り道にお弁当を買った。
美味しい海苔弁で海苔の下に鰹節と梅干しと明太子と昆布と高菜が潜めいていた。
可愛い赤❤️まだおひさまのあるところで見てないから明日が楽しみ。お仕事も頑張ろう。
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今夜4/29 22時スタート『ほんとにあったお金の怖い話』https://x.gd/9LpU3
大人になったら、幽霊より怖い〜!(◎_◎;)かも
大切な自分のお金を失うこと
そんな失敗をしたママたちが
【お金のしくじり😱ママ会】でお話するそうです。
「わたしたちの話が皆様のお役に立つのなら...」
「同じようなおもいをして欲しくない!」
ということで、勇気を出して過去のしくじりを
白状します。
「自分がまさか!大丈夫と思っていたのに…」
「知っていたら、こんなおもいはしなかったのに😰」
そんな元しくじりママ達のシェアが聞けるのは
今回だけ!見逃せません!
でも!だからといって、
お金は怖い、は違います。
投資=悪、では、ありません。
物価高がとまらず、
貯金だけではお金が減っていくから
しっかり学んで、
大切なお金を守るためのお話。
・「知っている」だけで防げるかも!?
・気になっている投資案件、本当に大丈夫?
ちょっと覗いてみませんか?
【お金のしくじり😱ママ会】
日時:4月29日(月・祝)22〜23時
対象:お金に興味のある方
※無料・録画あり
※zoomオンライン開催
▽参加はこちらから▽
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月を重ねて
君とまろやかな時間をいつまでも
「いちご! このいちごの奴がいい」
カウンターの椅子によじのぼって、メニューを開くなり、真心は季節限定のスペシャルストロベリーサンデーを指さした。「全部食べれるかなあ」と僕が苦笑すると、「食べれるからこれがいい」と真心は譲らない。
「ミニサイズで作ろうか?」
カウンター内のマスターが気遣ってくれたけど、「おっきいからおいしいのっ」と真心は脚をじたばたさせる。
「じゃあ、がっつりの奴でいこうか」
「がっつり!」
「真斗くんは?」
「僕はいつも通りブレンドで」
「ブラックだね」
「はい。お願いします」
マスターは、ストロベリーサンデーの注文をキッチンに伝えると、僕のブレンドコーヒーはカウンター内のサイフォンで淹れはじめる。
あちこちの席で、客が歓談したり、読書したりしている。カウンターがあって、テーブルは五席ほど。店内を照らす大きな窓が、通りに面してふたつある。よく晴れた今日は、窓の白いカーテンが、光に柔らかく透けていた。
先週、カレンダーは四月に入った。冬が緩やかに溶け、春が暖かく芽吹きはじめている。このあいだ保育園を卒業した真心は、もうじき小学生だ。
マンションからこの喫茶店への道のりを歩き、咲きほこった桜を見て、心海がいない春は二度目だなと思った。
黄色になった信号に、その車はブレーキでなくアクセルを踏んだ。いけると思ったのだろう。横断歩道に突っ込んだ車は、僕の妻で、真心の母親である心海に、容赦なく体当たりした。
アスファルトに頭を打ちつけ、心海は昏睡状態を彷徨ったあとに亡くなった。急いでいる自分の車に気づかなかった心海のほうが悪い、とか言った加害者は、もちろん逮捕されたけど、それで心はおさまらなかった。幼い真心の手前、逆上するような言動はこらえたものの、深夜になるとひとりで泣いた。
心海の死を理解していなかった真心も、「もうママはおうちに帰ってこない」ということは分かったようだ。
「ママ、ごはん食べてる? おふとんで寝てる?」
そんな心配をする真心に、「ママは天国で幸せにしてるよ」と僕は言った。すると、真心は表情を陰らせ、「ママには、おうちで幸せにしててほしかった」とつぶやいた。僕は言葉に詰まったものの、「そうだね、パパもママと一緒にいたかったよ」と涙声で真心を抱きしめた。
去年、僕たちは親子揃って、桜が咲いていくのを虚ろに見ていた。心海の不在は、変わらず僕にも真心にも心の空洞になっている。でも、一年がめぐってまた咲いている桜を見たとき、息ができなくなるほどの痛みは少しだけやわらいでいる気もした。
「どうぞ」
銀のトレイにカップを載せ、カウンターを出たマスターは、ブレンドコーヒーを僕のかたわらに置いてくれた。「ありがとうございます」と僕は手元にソーサーを引き寄せる。マスターのコーヒーで、僕はブラックが飲めるようになった。
「ますたー、あたし、こないだランドセル買ったの!」
「ランドセル? そうか、真心ちゃんは小学生だね」
「それが、テレビで見たキャラメル色がいいって聞かなくて。気に入ってくれる色合いまで、ずいぶん探しましたよ」
僕が苦笑いすると、マスターは微笑んでうなずく。
「心海ちゃんのパンケーキの決め手は、キャラメルソースだったからね」
「そうなんです。僕が同じもの作ってあげられないから、さすがに言うこと聞くしかなくて」
「パパもランドセルの色、かわいいって言ってくれたじゃん」
「そうだけどね。まあ、六年間、大事に使ってやってください」
「うん!」と真心が元気に請け合ったとき、「お待たせしました、スペシャルストロベリーサンデーです」とウェイトレスがサンデーを運んできた。
大きなストロベリーアイスとバニラアイスが溶けあい、ミルクプリンにチョコブラウニー、生クリームとチョコソース、もちろん丸ごとのいちごも器用に飾られている。「わあっ」と真心は瞳を輝かせ、一気にそちらに夢中になった。
マスターはそんな真心ににっこりしてから、カウンター内に戻る。僕は「桜が満開ですね」とコーヒーをすすり、飲みやすい苦みを味わう。
「もう一年なんですね……」
マスターは僕を見つめてから、「こないだ一周忌だったもんね」とぽつりと答える。
「はい。まだ、つらいですね。二十歳から十年くらい一緒だったのに。たった一年では受け入れられないです」
「私もつらいよ。心海ちゃんのことは、子供の頃から知ってたから」
「……もう帰ってこないんですよね。あんな……昏睡状態で、チューブがたくさんつながって、せめて楽になってほしいとか少し思って。でも、やっぱり、いなくなるときついです。真心が心の支えです」
僕の心海へのやりきれない想いを、マスターはいつも穏やかに聞いてくれる。
この喫茶店を教えてくれたのも、もともと心海だった。真心が生まれて頻度が減っていたけれど、結婚前はデートでよく来ていたものだ。
「──ねえパパ、あたし、ママのパンケーキが食べたい」
去年の夏のことだ。心海を喪ったショックも強い中、食事代わりのカップアイスを食べていたら、突然真心が言い出した。真心はバニラアイス、僕はチョコアイスを食べていたと思う。
「ママのパンケーキって……あのふわふわの奴か?」
「うん。アイス乗っけて、キャラメルかけて、お砂糖もいっぱいかけるの」
「僕、作れるかなあ……」
「パパもいつも食べてたから作れるよ」
「うーん、あれってホットケーキミックスで作れるのかな? 調べてみるか……」
一応スマホでチェックして、材料やレシピを揃えて、心海が遺した道具も使い、僕なりにパンケーキを作ってみた。
でも、なかなか心海のようにはうまく作れなかった。焦げてしまったり、生焼けだったり、そもそも、ふくらまなかったり。キャラメルも、とろりとした具合に溶かすのがむずかしい。極めつけに、もたもたしているうちにアイスがでろっと崩れる。
真心は心底がっかりしてしまい、冬になる前には、もう「ママのパンケーキを食べたい」とは言わなくなった。それが僕は情けなくて、今も秘かに深夜特訓をしているのだけど、いくら作ってみても「あの味」にならない。
どうにか作ってやれないだろうか。キャラメル色のぴかぴかしたランドセルをえらんだ真心だから、きっとまだ心海のパンケーキを食べたいとは思っているのだ。
「心海って、料理が得意ってわけではなかったんですけど、あのパンケーキだけは神がかってたなあ」
「昔、よく作ってやってたんじゃないかな」
「えっ……いや、やめてくださいよ。僕たち、お互いに昔の話はしなかったんですから」
「おや、それは失礼」
「僕の子供の頃は、大したことないですけど。心海は話したがらなかったなあ」
そうつぶやきながらコーヒーに口をつけ、マスターは心海の過去を知ってるんだな、と思った。少し興味はあるけれど、もしかして、心海自身の口から聞かなかったらショックなことかもしれないから、やはり訊いてみようとは思わない。
不意に、涼しげなドアベルが響いた。「いらっしゃいませ」とそちらに目を向けたマスターが、すぐに「愛海ちゃんじゃないか」と普段は淡々としているわりに嬉しそうにした。
僕は、何となくドアをちらっとして──喉をつかまれたみたいに、息がすくんで身が硬直した。
店に踏みこんできたのが、心海だったからだ。心海と──男も一緒にいる。
「え、あの人……」
サンデーを半分ぐらい食べ、僕の混乱した面持ちを見上げた真心も、その人を見て声を上げた。
「ママ!」
真心は椅子を飛び降り、その人に駆け寄った。その人は、びっくりしながらも真心を受け止める。席を立ち上がりかけた僕にも目を向けた彼女は、気がついた顔になって頭を下げた。
「おねえちゃんの旦那様、でしょうか」
「えっ」
「初めまして。私、工藤愛海と申します。心海の妹です。この彼は、私の婚約者で──」
「中森悠大っす。初めまして」
まばたき以外、僕はかたまっている。
妹? 心海の妹? そんな人、聞いたこともないけれど──
いや、先ほどもマスターに言った通り、僕は心海の過去を──家庭のことを、何も知らない。ただ、心海は結婚式に家族を呼ばなかったし、葬儀に家族は現れなかった。だから、家庭内で何かあったことだけは察している。
「真斗くん。愛海ちゃんは、確かに心海ちゃんの妹さんだよ」
マスターも言い添えて、僕はぎこちなく「そうなんですか」と言う。そして、愛海さんの足元で半泣きになっている真心に歩み寄った。
「真心。この人はママじゃないよ」
「ママだよ。だって……」
「ママはもっと髪が長いだろ」
「でも」
ごねる真心に、「この子、おねえちゃんの娘さんですか?」と愛海さんは首をかたむける。
「あ、はい。そうなります、ね」
「かわいい姪っ子じゃん」
愛海さんの隣から、悠大さんがにかっとして言った。愛海さんは嬉しそうにうなずく。
「婚約者くんを連れてきてくれて嬉しいよ」
そう言ったマスターは、僕たちをカウンターにうながし、真心は名残惜しそうでも、僕の脚にくっついた。
心海は家庭について何も語らなかった。だから僕は、この妹さんに心を許していいのか、正直分からなかった。
「──私から、少し話そうか」
僕の警戒を感じ取ったのか、マスターがゆったり切り出すと、愛海さんはこくりとした。僕は椅子を座り直す。
「心海ちゃんは、愛海ちゃんの面倒をいつもよく見ているおねえさんでね。昔から、とても仲のいい姉妹だったんだよ」
「そう……なんですか」
「愛海ちゃんも、���海ちゃんのパンケーキはよく食べただろう?」
マスターの言葉に、「懐かしい」と愛海さんは表情をほころばせる。
「あのふわっふわの奴ですよね」
「キャラメルがけでね」
「そう。おねえちゃん、料理はそんなにできないのに、何であれだけはあんなにおいしく作れたんだろう」
「愛海ちゃんが喜んでくれるからだったんじゃないかな」
「てか、俺は愛海のパンケーキも好きだけどなー」
「おねえちゃんのは、レベル違ったんだから」
そのやりとりを聞いていて、ようやく、僕は少しだけ咲うことができた。どうやらこの人は、心海のパンケーキに親しんできた人のようだ。
僕の笑みを見て、愛海さんは改めて頭を下げた。
「ごめんなさい、お葬式とか何も行けなくて。おねえちゃんのことを知ったのも、実は最近なんです」
「いえ。こちらも、連絡先とか見つけられなくて。実家のご住所が、昔のケータイに残ってたのがやっとだったんです」
「……そうですよね。私たち──何というか……幼い頃、育児放棄されてたんです」
「えっ」
「父も母もろくに家に帰ってこなくて、ときどき、おねえちゃんがホットケーキミックスで作ってくれるパンケーキがご馳走でした。ソースなんて買えないから、駄菓子のキャラメルを溶かしてそれをかけて」
心海は市販のソースを使わなかった。こだわって本物のキャラメルを溶かしていると思っていたが、そんな切実な背景があったのか。
「父は今どうしているのか分からないんですが、母は先日亡くなって。やっと、私はこの町に帰ってこれたんです。おねえちゃんも亡くなってて、喪主がいないってことで」
「今は遠方にお住まいなんですか」
「はい。私は……家の中に、うんざりしちゃって。おねえちゃんも見捨てて、ひとりで」
うつむいた愛海さんの背中を、悠大さんが優しく撫でる。僕の膝に座る真心は、あまり話の内容が分からないようだけど、「この人はママのパンケーキ知ってるんだね」と言った。そのひと言に、はたと僕は愛海さんに顔を向ける。
「愛海さんも、パンケーキ作るんですよね。さっき、悠大さんが」
「え、まあ。それっぽいものなら。想い出の味ですから」
「じゃあ、よければ娘にも作ってやってくれませんか? 僕はどうしても真似できなくて」
「えっ、でも、私のなんか」
「いいじゃん! 作ってやれよ。俺はお前のパンケーキ、すっげえ好きだぜ」
「悠大……」
「お願いします。この子にも、心海のパンケーキは忘れられない味なんです」
愛海さんに見つめられ、「ママのパンケーキ食べれるの?」と真心は首をかしげた。それで愛海さんもようやく首肯して、「今度、悠大とお邪魔して作らせてください」と僕にも微笑んだ。
──そのあと、しばらく僕たちは雑談を交わした。愛海さんは、実家に放置されているものなどの処分で、しばらくこちらにいるそうだ。悠大さんも、手伝うために有休を取ってきたらしい。
愛海さんは、きっと心海のパンケーキを一番よく知っている人だ。だからきっと、真心が満足するパンケーキも作ってくれるだろう。
真心がグラスを空っぽにして、僕もコーヒーを飲みほしたところで、僕ら親子は立ち上がった。愛海さんと悠大さんは、もう少しマスターと語らっていくそうだ。別れる前に、連絡先は交換してもらった。
淡いオレンジの夕暮れの中を、春風に任せて、桜の花びらが舞っている。せっかく駅前に出たのだから、スーパー��立ち寄って、買い出しもしていこう。僕がそう提案すると、あんなに大きなデザートを食べたのに、真心はもう夕飯の話を始めて、思わず笑ってしまう。
育児放棄。僕は真心にそんなことしようなんて思えないし、心海ももちろんそんな人ではなかった。しかし、少なくとも心海が真心に愛情をいっぱいそそいでくれていたのは、さまざまなつらさを乗り越えたからのものだったのだろう。
僕はそれを受け継ぎたい。心海の遺した想いで、絶えることなく真心を満たしていてあげたい。
いつまでもそばにいて、年月を重ねて。
キャラメルのかかった、満月を重ねて。
まろやかな香ばしさで包むように、僕はこの愛おしい娘を見守っていきたい。
はらはらと桜がひるがえっていく。アスファルトに降り積もるそれには、僕と真心の手をつないだ影が、長く伸びて映っていた。
FIN
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ヒーリングメイト
Vol.13♡ ライブレポ
潮崎ひろのちゃんとずーっと続けてきたこの企画。
今回はきしのりこさんをお迎えして、川口ショックオンさんにて、約一年ぶりの開催でした〜!!
配信でもたくさんの方に観ていただけて、とてもとても嬉しかったです。( ; ; )✨
ヒーリングメイトということで、ちょっぴりスピリチュアルなトークタイムも。(⁎˃ᴗ˂⁎)笑
人がこの世を去るときに持っていけるものは、地位や名誉やお金より大切な、魂の成長だけ✨というお話をしたり(私たちこういう話が好き(⁎˃ᴗ˂⁎)笑)
最後の3人でのコラボでは私のウクレレとのりちゃんのピアノで、「赤いスイートピー」をお贈りしました♬
譜面から目が離せなかったけど���最後まで楽しかったなぁ!!🌸
大好きなひろのちゃんと、これからも続けていけますように♡
ママになっても、頑張るひろのちゃんに励みをもらっているよ✨
のりちゃんは、この日で一旦ライブ活動のおやすみを発表されました。
そんな節目となる日に共演してもらえて、嬉しかったです♡
復帰後もまた一緒にライブしようね!!
ヒーリングメイト、また大阪や名古屋でも開催できるといいな〜!
どうもありがとうございました💖またの開催時もよろしくお願いします(⁎˃ᴗ˂⁎)
続けてたまっているライブレポ、投稿します\( °ω° )/
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デスメタルのリフを遅くして、ハードコアパンクの形式にザクザクと刻みを入れてみる(ビートダウン)。またはツービートや横山やすし・西川きよしの漫才のテンポを遅くし、ザクザクと分節した時間を引き延ばしてみる(ダウンタウン)。みたいな書き方をしてみるのはどうか。またはベルンハルトのようにダラダラと思考を冗長に垂れ流すのはどうか。That’s life.
『極道たちの野望』のエスタブリッシングショットが面白い。タイトルからして一見ヤクザ映画だと思うかもしれないが、いや、ヤクザ映画なのだが、これはジャンルとしてはヤクザVシネである。ヤクザVシネを見たことが無いという方は一度動画配信サブスクに入ってワンシーンでもヤクザVシネを見て欲しい。いや、見なくてもいい。見たところで思う何かは���生にとって重要なものとなるにはあまりにも時間が短すぎる。私たちは呆然とする時間などない日常で、剰余価値生産のほんの僅かな間隙を縫って作った政治活動の時間までコンテンツ消費に使わなければいけない。どうせ死ぬのだからと、右翼の街宣車をハイジャックしストサベのHardcore Prideを轟音で鳴らしながら財務省に投石、火炎瓶、そのまま突っ込み身体に巻いていたダイナマイトで爆死する心積もりならば、こんな駄文を読んでいる暇などない。早く行け。俺はやることが他にあるからそれをやってから行く。と、ある友人にメールを打ってからというもの、以下のようなメールが絶えない。急なDM失礼します。ママ活をしたい女性からの問い合わせが多く男性が足りておりません。綺麗な女性が沢山いますので是非この機会に参加してください。ご質問等ある方もLINEを追加してご連絡ください。募集中のママさんを公開していますのでよかったら見てください。今日から募集の方も何名かいらっしゃいます。ご連絡お待ちしております。 ヤクザVシネの見つけ方として、まず動画サブスクの検索バーに「小沢仁志」、「中野英雄」、「清水健太郎」、Fuck「中条きよし」、「白竜」などと打ってクリックすると、怖い顔のジャケがずらっと並ぶと思う。その中でタイトルがどうも「臭う」ものを選んで再生ボタンを押してみよう。またはレビューの星の数が3ないし2以下のものを選ぶとより高い確率でヤクザVシネに辿り着けるはずだ。まずは3分見てみる。すると自分の映画鑑賞史の中で培った映画的感覚が妙な違和感を示すはずだ。何かがおかしい…。アナーキーな整音、虚無な照明、身体性がハイのカメラ、アウトオブコントロールな役者、RAWハードコア解像度、shit美術などなど、カチッと何かにハマってない、どこか外れた感じがあるだろう。非芸術的な粗雑さと細部の欠陥、冗語気味な展開、これがVシネの持つ特有のコンテクストである。俺はこれを多大な賞賛を含んだ意味で「映画の外道」と呼んでいる。その中でもヤクザVシネは「映画の外道」の看板ジャンルである。他にエロVシネや金融系、麻雀系、ヤンキー系、パロディ系のVシネなど色々ある。Vシネとは何なのか?ネットにこう書いてあった。
《Vはvideo(ビデオ)の頭文字》東映が平成元年(1989)に発売を開始したオリジナルビデオ映画。 映画館公開のためではなく、最初からビデオとして発売したり、レンタル店に配給したりするために作った映画作品。 商標名。
1989というとベルリンの壁崩壊、昭和天皇崩御、ジョージ・H・W・ブッシュが大統領就任、天安門事件、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!が放送開始など日本然り世界的にも歴史の転換期となった出来事が起こった年だ。そんな激動の裏っ側でレンタルビデオショップに卸されるためだけに作られたビデオテープの映画作品がVシネというわけだ。今はデジタル化に伴いソフトはDVDとなり、主な販売先は多分ネット配信サービス会社だろう。
『極道たちの野望』は2016年に作られた正統なヤクザVシネだ。竹内力主演で、1997年に竹内力が設立したRIKIプロジェクトが製作、販売?はオールイン エンタテインメントを引き継いだライツキューブである。内容はヤクザ社会の勢力争いと内部抗争がセットになったものと、跡目レース、ヤクネタ、御法度の凌ぎ(シャブ)話がプラスされたものだ。これはヤクザVシネで形式化された話の型の一つだろう。これ系のヤクザVシネはごまんと作られたはずだ。ヤクザVシネにはこうした話の型があるので、その微妙な切り口の差異を「撮影」で見て楽しむ、というのは私の鑑賞方法だが、ヤクザVシネ好きは結構そういう人が多いんじゃないか?例えばハードコア(パンク)も大体の形式があり、その範囲内で微妙な違い、またはパターンや要素の組み合わせを楽しむ音楽ジャンルなので、似ている面がある。ただ、ハードコアは特にメタルと融合することで水平的に発展していった歴史があり、いくつもの派生ジャンルが生まれている。逆に初期のUKハードコアの形式(D-beat)の攻撃性やスピード感はスラッシュメタルに影響を与えている。のちにクロスオーバースラッシュというスラッシュメタルとハードコアが融合したジャンルが生まれるが、パンクとメタルが融合してハードコアに派生ジャンルが生まれまくったその原点は初期のUKハードコアの形式=D-beatおよびDischargeにあると言えるんじゃないか。ヤクザVシネはどうだろう。見ている本数はそこそこあるが、というか沢山見る必要性も感じていない、時代的に時間が有限すぎてとても見尽くせない、けれども、水平的にあらゆるジャンルが派生していった、ということは聞いたことがないし、自分が見ている限り何を見ても全て大体同じではないか?と感じる。先に書いた型を発展をさせずにずっと守り続けているのが、ヤクザVシネということだろう。
撮影技術の極端な洗練されてなさがヤクザ映画のアンダーグラウンド、「映画の外道」の真髄であると言ったら怒られそうだが、洗練されてなさ、愚鈍、crass的な要���は低予算=時間を��けられないという背景にもあるだろう。そのためまだ予算がある程度潤沢だったであろう90~00年代より、(ピンク映画監督の江尻大 a.k.a EJD曰く) 2010年以降予算が付かなくなってからがVシネ業界を非技術によるAnything goesが席捲し、ファン側からするとより益体の無いマニアックな見方ができるようになったという点で「映画の外道」の全盛期と言っていい。以前であれば非技術によるAnything goesのようなものを「映画の(素材の)拡張」と書いていたが、自分の作品でもよく使っていた言葉だが、どこかグローバリズム臭がするんですよね、ローカルを守り楽しむ方法を考えたいと、マニアしかわからなくていいじゃないすか?というかグローバルに誰でもわかることなんかやってねーよってことで使用禁止にしてます。 一方でVシネは無名な俳優が沢山出ていることから雇用を生み出す役目も果たしているように見える。というか、製作側からするとエンターテインメントとしての需要もあるだろうが、雇用を創出することが本来の目的なのではないだろうか。昔からヤクザVシネくらいでしか見ない俳優が沢山いる。しかもあらゆるヤクザVシネが大体同じメンツ、しかもギラついた男のような人間しか出ていないので、非常にホモソーシャルなコミュニティの中で経済が回っているようである。その人たちを食わすためにヤクザVシネが未だ滅びずに存続しているのではないか。また、そのために型を守り続けている、ということではないか。型が発展しサブジャンルが生まれると必要な人材も変わってくるし、元のジャンル自体の資本が分散してしまい、自ずと分配も減る(んじゃないのか?)。ただでさえ日本の映画界はーまあ知らんけどー資金集めに苦労しているのだから。ハードコアのライブに行くとNYHCやビートダウン、パワーバイオレンス、メタルコアなどのモッシュ主体のジャンルや激情系には若い人がチラホラいるが、クラスト、ノイズコア、グラインドにはジジイババアしかいない。というのと同じことで、派生ジャンルが発展すると古いジャンルは淘汰される。この変化や発展を食い止めるための型の保守なんじゃないすか?もしや。大ヒット作『日本統一』シリーズはそんな連綿と続く「終わりなき古き良き労働」の一端から商業的に確変をものにした作品だろう。
先日ヤクザ映画のオーバーグラウンド『新・仁義なき戦い』(2000年)を見返したが、岸部一徳、豊川悦司、松重豊と等価に映る大地義行はやはり凄味がずば抜けている。俳優としてのではなく、魔のような地の凄味だ。大地義行のあのやさぐれた狂犬が魔物に取り憑かれたような威圧感は同じくヤクザ映画のオーバーグラウンド『新・仁義の墓場』(2002年)で菅田俊に詰め寄る時のジャケ���トのボタンを外すシーンがクローズアップされたカットに集約されていると思っている。なぜあのカットを撮ったのか?多分撮影を指示したのは監督の三池崇史だろう。だがどうでもいい。あのシーンの現場にいる誰もが大地義行のボタンを外す仕草に震えたはずだ。大地義行は京都の自宅にいた内縁の妻を放火で殺した罪により無期懲役になり、今刑務所にいる。罪状が真実であれば鬼畜の所業だ。EJD a.k.a 江尻大から大地義行が嫁を殺して逮捕された!と知らされたのはもう20年前のことだ。現在は無実を訴え再審請求を目指しているようだ。2000年前後、あらゆるヤクザ映画のバイプレーヤーとして活躍していた大地義行が今も娑婆にいられたなら(少しでも尋常さがあったならいられたはずだ)、当時同じく名舎弟役として売れまくっていた山口祥行と「映画の外道」を盛り立てていたに違いない。しかし、今の日本社会または映画界に大地義行のような無頼の塊のようなはぐれものが生きられる場所はどこにもないだろう。この世で生きていくためには地獄へ足を踏み入れるしか術がない人間がいる。リベラルが望む「平等」はこの世に生まれ持った魔物が存在する限り叶うことはないだろう。
なげーから続きは次回。
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ホシノタニマーケットvol.10 出店者情報
10/20(日)開催のホシノタニマーケット出店者の方々をご紹介します!
地域のおいしい、たのしいものが盛りだくさんです。
ホシノタニマーケットならではの出会いをぜひお楽しみください。
出店一覧(順不同)※写真はイメージです。
◇アクティヴ・ママ
(衣類販売)
「子連れで集まれる場所を自分たちで作ろう!」とママたち自身が始めたサークル。子育てサロンの運営など、座間の子育てを支える心強い存在。今回は子ども服やベビーグッズが並びます。
◇いわしや
(茶葉販売)
漢方アドバイザーの豊島祐子さんが考案した、和漢植物配合のブレンドティー。豊島さん自身の手でブレンドしているそうです。お茶の試飲と、茶葉を買うこともできます。体や心の疲れに、じんわり染みる優しさを味わってください。
◇太田農園
(野菜販売・お菓子販売)
先祖代々続く歴史ある小田原の農家による新鮮野菜と、その野菜を使ったお菓子たち。季節や旬を大切にしながら野菜を露地栽培しているため、野菜とは一期一会のような出会いが多い太田農園ならではの味をお届けします。
◇喫茶ランドリーホシノタニ店
(飲食店)
コインランドリーやミシン、アイロンを備えた”まちの家事室”付き喫茶店のテーマは「どんなひとにも自由なくつろぎ」。エアロプレスで一杯ずつ丁寧に淹れるコーヒー、紅茶に子どもジュース、手作りのツナメルトトースト、ボリュームたっぷりのナポリタン、人気の手作りスイーツなどをお楽しみください。
(イベント)
喫茶ランドリーのスタッフがお店のドリンク、フード、スイーツの中からおすすめメニューを提供します!
また、普段はお店の中で販売している可愛いhandmadeの布小物達を店先にて販売します。
ぜひぜひ覗きに来てくださいね!
◇タニクレーン
(植物販売)
多肉ショップオープンに向けて準備、修行中なタニクレーンさん。育て方や特徴なども発信しさまざまな多肉植物の魅力をお伝えします!
◇時土器
(食器販売)
厚木市みはる野で小さな陶芸教室を開いている時土器(ときどき)。土のぬくもりや素朴さを残して、日々、器や小物づくりをしています。
今回は見た目にもあたたかい雰囲気の陶器を販売いたします。
◇ポエム
座間駅前の顔。
数々の賞を受賞し、地元で35年ものあいだ愛されてきたパン・洋菓子店。座間愛あふれる2代目オーナーが作るおなじみのシュークリームやお惣菜パンをご用意します!
◇ひばり茶寮
(陶芸ワークショップ・販売)
座間市にある陶芸体験&和風喫茶が初出店。地域に愛される、子供から大人までも夢中になるような陶芸体験をお気軽に体験できます!陶器の販売もありますので、ぜひお楽しみに。
◇微々子
(イラスト・似顔絵)
ぷにっとデフォルメ&シュールポップなイラストが可愛い微々子さん。ステッカー、ポストカード等のオリジナル商品から、即興かんたん似顔絵イラスト販売もやる予定です。この機会にぜひ御試しください!
◇まめごはん
(グラノーラ販売)
映画好きならではの、映画にまつわるこだわりごはんを提供するまめごはんさん。今回は、とある映画をモチーフにしたグラノーラを販売します。どんな思いが込められているのかも楽しみながらぜひお手に取ってみてください。
◇木工房千舟
(木工品販売)
木工ろくろや組み木、木象嵌などの技術を使ってシンプルな木のアクセサリーや、オリジナルキャラクターの雑貨を製作している千舟さん。初めて見るような、不思議だけど懐かしい、いつも身の回りに置きたくなるような愛着の持てる作品ばかりです。
◇もふずぱえりあ
(キッチンカー)
パエリアのキッチンカー専門店です。魚介のパエリヤを中心に、日替わりのオリジナルパエリヤをご提供しています。
◇Charmante☆Mémé
(子供服・小物販売) Charmante Mémé (チャーミングなおばあちゃん)が可愛いお孫さんの笑顔を想いながら愛らしく、カッコよく、そして使いやすい作品をお届けするお店です。
◇Den-Pata.
(野菜販売とレザー雑貨販売)
お米や野菜を育てている農家による、自家製新鮮野菜や柑橘類、お米(はるみ米、持つ米喜寿)など、土の恵みを存分お楽しみいただける農産物をお届けします。
手縫いのレザー雑貨もご用意いたします!
◇Ricorita
(キッチンカー)
新鮮な地野菜がたっぷり食べられる南インド風カリー定食MEALS(ミールス)を日々作っています。1 + 1 が10にも20にもなってしまう魅惑のカリー定食MEALS。お子様にも食べていただけるよう辛くないカレーもご用意しております。どうぞご賞味くださいませ!
◇kiiro-季彩-
デザインと色味にこだわった贈りたくなるアイシングクッキーをお届けするお店。
ハロウィンの季節にぴったりなリースアイシングクッキーづくりを、体験できます!この機会にぜひお試しください♪
◇Odakyu OX
(飲食物販)
座間駅前の小田急マルシェ内にある、「Odakyu OX」も特別出店します。今回は、ドリンクやちょっとしたお菓子やおにぎりなどを販売予定!
◇with.
(ワークショップ)
子育て世帯が楽しめる親子で楽しいワークショップを開催。
今回は、お子さんでも楽しめるハロウィンモチーフのワークショップを行います。 お花で彩るハロウィン帽子の髪飾りや、ほっこり♪ハリネズミさんの森ライトなど、ほっこり可愛いモノつくりをぜひ体験してみませんか。 オリジナルの雑貨も販売いたします!
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\小田急マルシェのテナントも特別営業/
◇CAFE IMPRESSION
(カフェ)
座間駅東口すぐの、スペシャルコーヒー専門店。
肌寒い季節、おいしいコーヒーをぜひご自宅でも味わってみてはいかがですか。
お店は10時よりオープンしておりますので、ぜひお立ち寄りください。
◇ダイニングバルピース
(飲食店)
洋食中心のお食事や多彩なアルコールにてご満足頂ける空間です。
ランチ利用OK!、ディナー利用OK!(インスタ必見、フォロー必須、DM歓迎!笑)
ディナーは居酒屋、バル、バーetc...として様々なシーンにご利用頂けます。
(中小団体、貸切予約等のご予算からご相談致します)
ぜひお立ち寄りください。
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\座間市からも出店/
◇座間市クリーンセンター
清掃車「ざまりん号」の乗車体験やゴミの投げ入れなどの楽しいゲームやアート展示。こどもも大人も楽しめる楽しい演出で迎えてくれます。
◇座間市第3子育て支援センターざまりんのおうち「かがやき」
子どもと遊んだり、親同士やアドバイザーとおしゃべりしたり、自由に過ごすことができる憩いの場です。また、子育て相談もできます。
未就園児とその保護者が予約不要かつ無料で利用できるので、気軽にご利用ください。
◇座間市観光協会
座間市マスコットキャラクター「ざまりん」が登場。記念撮影などをお楽しみいただけます。
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◇小田急WOOMS部隊
座間市でのWOOMSの取り組みやゴミの資源化などサーキュラーエコノミーについてご紹介します!
ゴミゼロゲームの体験、イベント会場、街のゴミ拾いにもご協力下さい!
\『ざまにわ』出店者のご紹介/
お子様から大人まで楽しめるような美味しいキッチンカーが3台出店します!
そのほかコンテンツも決まり次第公開予定。
ぜひぜひおたのしみに!
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■注意事項
※駐車場のご用意はありません。公共交通機関等でお越しください。
※ワークショップ受講中のケガ・紛失・その他の事故については自己責任とし、一切の責任を負いませんので予めご了承ください。
※当日は写真撮影及びテレビ取材をさせて頂く可能性があります。撮影した写真や映像は今後WEBや広告などで使用させて頂きますので予めご了承ください。
※イベント内容は予告なく変更になる可能性があります。
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Photo
"\🌈夢を叶える✨在宅𝘞𝘰𝘳𝘬🎀 ̖́-/ スキマ時間を収入化💰できる⁉️ スマホ📱・PC💻だけでOK🙆♀️ あなたのスキマ時間を👇🏻 お金💰に変えれます( ˶'ᵕ'˶ )✨ スキマ時間に、画像とテキストを コピペするだけでOK(っ ॑꒳ ॑c)👌 🟠努力できる方‼️ 『月収20万以上』も夢じゃない⚠️‼️ お気軽にお問い合わせ下さい👇🏻 ▷▷▷https://bit.ly/3WL89t1 #パパ #副業 #在宅ワーク #夢のマイホーム #大歓迎 #仕事辞めたい #在宅ワークママ #暇人 #パート#主婦でも稼げる #副業探しています #綺麗になりたい #就職 #独立 #旅行 #ママ友募集中 #ママ友 #like #節約 #コピペ #計画中 #サイドビジネス #稼ぎたい #自営業 #海外旅行 #権利収入 #女の子ママ #男の子ママ #育児 #不労所得 https://www.instagram.com/p/CoQo-zSvD8p/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「虚無への供物」中井英夫 1151
第一章
15五つの棺(亜利夫の推理) 01
この節は、タイトル通りに亜利夫の推理が披露されます。 かなりがっかりする内容ですが、 多少の興味はあります。
さて、話は、明けてからの世相からです。 昭和三十年、1955年の話です。 国会解散ですから衆議院議員の話です。 第27回衆議院議員総選挙をみてみると、 ここに書かれているとおり、 日本民主党、自由党、日本社会党(左派)、日本社会党(右派)などが争ったみたいです。 社会党に左派と右派があったというか、同じ政党名では大変だったでしょうね。
火事は一日で四十件、交通事故が八十件と書かれていますが、 調べた資料が違うのか、そこまで多くはないようです。 新記録のはしりもでたくらいという表現なので、多い日でということでしょうか?
この頃から東京には熱病が流行の兆候を表し始めたとありますが、 昭和三十二年、1957年にアジアインフルエンザ(H2N2亜型)が流行していますから、 このことでしょう。
六日の集まりのために亜利夫は、聞き込みのようなことをします。 正月明け二日に氷沼家を訪ねると、 九段から麻布谷町(あざぶたにまち)に越した八田皓吉がいます。 しかし、詳しい内容はここでは書かれません。 意味のないことだからでしょうか?
それよりも、蒼司の様子が書かれますが、憔悴しているようです。
たとえとして、 木々高太郎(きぎたかたろう)「青色鞏膜(せいしょくきょうまく)」の主人公さながらといいますが、 残念ながらこの「青色鞏膜」を読むことはできませんでした。 紹介文を読むと、主人公は遺伝による悲劇に見舞われるみたいです。 とすると、蒼司もなにかの遺伝による悲劇に見舞われると言うことなのでしょうか?
そんな蒼司に四人が集まって推理比べをすることはいえないと、 亜利夫は考えています。
さて、話は、約束の一月六日です。
寒の入りのこの日、晴れで、新春恒例の防火・防災行事として東京消防出初式が行われましたが、 夕方からは雪がちらついたとなっっていますです。 記録には雪の記録は残っていませんが、積もるほどではないということなのでしょう。
“アラビク”に集まった四人。
亜利夫のファッションは、 一つ釦(ぼたん)で胴を緊めたフラノの変わりジャケットにスラックスはぐっと濃い目の灰色のギャバというまるで、 一九五四年十一月に帝国ホテルで開かれたじゃがいも会新作ショウのようなスタイルとあります。
1954年に帝国ホテルでクリスチャン・ディオールのショーが開催されているみたいですから、 それの関連なんでしょうが“じゃがいも会”ってなんなんでしょうね。
ちなみに フラノは、フランネルの一種で紡毛地を代表する織物のことです。 起毛仕上げを施しているため、生地表にケバをもつ、やわらかく、暖かいタッチが���徴となっていて秋冬のカジュアル定番素材です。
ギャバの正式名称はギャバジンと呼ばれるものです。 ただのコットン生地ではなく、防水処理が加工された生地で、光沢や、しなやかな風合いが特徴的で、防水のため密度が高いものです。 現在でも人気のあるトレンチコートの前身とされており、撥水や耐久性に優れた素材です。
次に、 久生の様子です。 今日が初釜だったようで、和装のようです。
雪の精みたいに純白なシールのコートを脱ぐとどっしりした鶸(ひわ)色の一越(ひとこし)に洗い朱(あらいしゅ)と銀で遠山霞を織り出した綴(つづれ)の帯という格好です。
純白なシールは、ショールのことでしょう。着物のアウターとして使うこともできますしね。 純白ならなおのこと似合いそうです。
鶸色は、鶸の羽の色を連想して名づけられた黄緑色に近い色で、その色の緯糸の強撚糸を左右1本ずつ交互に一越ごとに打ち込んだ、一越ちりめんの着物に、黄みを帯びた、丹色にいろに近い朱と銀で遠くの山がぼんやり霞んでいる様子を織り出した帯という出で立ちというところでしょうか?
四人は、“アラビク”の二階に陣取ると、ここから各々の推理比べになります。
ところで、夜に集まったはずなのに、蘭鋳ことママは買い物、おキミちゃんは多分、映画に行ってるみたいです。 で、対応にでたお花婆あと名乗っている三味線弾きの爺いが案内してくれます。
当時のゲイバーには三味線弾きがいたということでしょうか? その当時でも、レコードはあったろうし、流しの弾き語りもあったでしょうから、 その三味線弾きの爺いがいたのは、この店の常連だということもあるのでしょうが、 新年ですから、何かの催しがあって、その帰りなんでしょうね。
さて、二階のその部屋には、初春らしい花やかな羽音ぶとんのかかったこたつがあり、 藤木田老人が腰を据えています。 藍ちゃんのことが書かれていませんが、もうすでにこたつに入ってるのでしょう。 そこへ亜利夫と久生がやってきて、こたつに当たりながら、話し始めます。
このところで、藤木田老人が、黒々と染め分けた髪と付け髭ですっかり若返っている幼稚な変装をしていることが書かれていますが、 これ、何の意味があるんでしょう?
で、 やっと亜利夫の推理披露です。
風呂場は白で統一されていて氷沼家には見当たらなかった“白の部屋”だといいます。 ポウの小説「赤き死の仮面」(『赤死病の仮面』"The Masque of the Red Death")にはある白の部屋はあそこだったのだといいます。
そして紅い十字架の鞭痕を背中につけた紅司君が自分自身“赤き死”としてあの部屋に出現した。 そう考えていいんじゃないでしょうか。
どうして、ポウの小説「赤き死の仮面」が引き合いに出されたのかこれでわかりましたね。 というか、ポウに傾倒し過ぎなんではないでしょうか?
よくわからない藍ちゃんは、“赤き死”について尋ねますが、 歌舞伎仕立てにした方の「花亦妖輪廻凶鳥(はなもようりんねのまがどり)」での第一幕一番目狂言にあたる殺人だという意味を表していることでしょう。 と、説明しますが、さっぱりわかりません。 調べても、深みにハマるだけみたいです。
もう一つの“黒い部屋”がどこにあるのかを考えていて真相が判ったと言います。
それは、目黒なんだと言います。 氷沼家は目白にあって、 目黒という地名は目黒不動があるからだけど、 目白にも目白不動が千歳橋の向こうだかにあることが、爺やに聞いてわかります。
しかも、目青、目赤、目黄という全部で五つの五色不動が、 千年以上も前から武蔵の国には配置されていてそれこそ氷沼家の守り本尊なんだと爺やがこたえます。
黒目で蒼司が、目青、目赤、目黄、で、藍ちゃん、橙二郎、緑司の三人が、 一つ一つ銘々のお墓に昔から予定されているんじゃないか。 だから、はやく五色不動と氷沼家との間の因縁を探らなければと言います。
かなり無理がありますね。
というか、これで行くと五人殺されますけど、 凶鳥の黒影の四人殺さるるのと辻褄が合わないことになりますね。
急に話に出てきた藍ちゃんが「お不動様なんかと心中するなんていやだ」と言いますけど、 それが、自分の運命を言い当てたと書かれています。
藍ちゃん、どうなるんでしょう?
藤木田に促されて亜利夫は、自分調べてきた目黒なんかの由来をすらべていたといますが、 結局、五色不動縁起はわからなかったみたいです。
これが、伏線になるなら、もう少し説明があってもいいいでしょうから、 あんまり関係ないのでしょうか?
そこで、亜利夫は今度は爺やに聞いた話を披露します。
アイヌの蛇神が紅司君を殺そうとした。 それを氷沼家の守り本尊である不動明王がとっさにコンガラとセイタカという二童子を遣わして助けられた。
藤木田がそれに対して、 「橙二郎は鬱病、爺やが分裂症初期症状を見せ始めたとなると・・・」 といいますが、 爺やの分裂症初期症状はなんとなくわかりますが、 橙二郎の鬱病は何を指すのでしょう?
また、文覚上人(もんがくしょうにん)の荒行(あらぎょう)以来の珍事だとも言いますね。
これは、平家物語6、文覚上人の荒行のことだと思います。 かなり興味がありますが、珍事だというくらいで深く触れていないのは、 ただの例えなんでしょう。
で、亜利夫は乱歩の「続・幻影城」を取り出します。
『(2)犯行時、犯人が室内にいたもの』の、 犯罪発見者たちがドアを押し開いて闖入(ちんにゅう)した際犯人はドアの後ろに身を隠して、 人々が被害者のほうに駆け寄るすきに逃げ出した。
これの変形しかないといいます。
隠れるところなんてあったかな?
と思ったら、とんでもない場所を示します。 これは、びっくりでした。
みんな呆れてますが、私も呆れました。 これはないでしょう。
当時の噴流式洗濯機を検索してみてみましたが、 流石にここに隠れるのは難しいでしょう。
藤木田は、呆れたように宗教性譫妄症(せんもうしょう)の気味があるといいますね。
人間が持っている宗教に関係する感情や性質により、時間や場所をうまく認識できなくなってしまう見当識障害や、注意力、思考力の低下などということでしょうか? どうして、宗教の関係があるのかもよくわかりませんね。
それから、紅い毬の意味もわからないし、誰もいなくなって風呂場から逃げ出す。 このタイミングをどう計ったのでしょう? それに、どうやって紅司君を殺したのでしょう? 五色不動は面白かったですけど、これは全くいただけませんね。
まあ、もともと、久生にワトスン役を指名されていたのですから、 こういう役回りなのかもしれません。
で、久生はそれを引き取って、自分の推理の一端を披露します。 亜利夫と同じで、やはり誰かが風呂場に隠れていたと考えているみたいで、 この次の項で披露するみたいですね。
つづく
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うちは、現中3の娘と小6の息子、どちらも不登校です。 それぞれ理由は違うのですが、本人たちはそれぞれ何かに打ち込んだりしながら、力強く生きているのが伝わるので、特に不登校であることに対しての不安はさほどありません。 悩みといえば、ご飯を作る回数が増えたことと、経済負担の大きさくらいでしょうか。 (経済負担に関しては、子育てに節約やコスパなど求めておらず、かかるもんは仕方ない!と腹を決めています) 子供2人とも不登校、というと世間的に見たら「子育て大失敗」という烙印を押されるのでしょうか。 元同級生の保護者なんかとばったり出会うと、「まだ行けてないの?」とか、「大変よねえ…頑張ってね」と励まされたりもしますが、その目には好奇の色が差しているのが見えます。 私は自分の子供たちを愛しく誇りに思っているので、一体何を励まされているのかな?と思いつつも、「も〜大変よ〜頑張るわ!」と努めて明るく返しています。 その私がなぜこの本を読んだかという話ですが、そういう世間の人たちの不登校への考え方を知識として知っておきたいという思いがあったのかもしれません。 いくら私自身は悩んでないとはいっても、周囲から(元ママ友とか、教員や学校とか)どのように受け止められているのかは、おさえておきたい。 ある程度覚悟の上で本書を開きましたが、やはりというか… 「子供が不登校になるのは、何かしら親の関わりに問題がある」 に終始している。 つまり、「不登校は良くない」が大前提になっている本です。 悩んでいる親御さんがこれを読んで、出口のない深い森で迷子になってしまわないかと心底、心配になりました。 本書はじめのほうにもありますが、不登校=引きこもりではありません。 しかし不登校の子供への対応を間違えると、自信や自尊感情をボロボロにしてしまい、社会への大きな不安を抱えさせてしまいかねないと思います。 そもそも、「たまたま配属された学校に不適応を起こした」ということの、何がそんなに失敗なのでしょうか。 大人でも、みずから選択し、希望して入ったはずの会社・業界に適応できず心を病んだり、去る人はたくさんいるじゃないですか。 子供なんて、本人が望んだわけでもなく、ただそこに住んでるという理由で勝手にその学校に配属されたわけです。(私立だとしても、小・中などは、本当の意味で「自分で選んだ」とは言い難いでしょう) そこに適応できなかったからと言って、本書のように、「子供がそうなってしまったのは、親のこういう関わり方のせいだ」と数え上げるのはちゃんちゃらおかしい。 なんという思い上がりかとすら思います。 子供が不登校になった時に「私の何が悪かったの…」と考えるのは、子供の現状を「失敗」として扱っているのと同じです。 子供が不登校になった時に最重要なのは、「過去の関わり方に間違いがなかったか探す」ことよりも、「子どもを潰さない関わり方」に全神経を集中させることです。 昨今不登校が増えているとは言われるものの、まだまだごく少数派。 近隣の子供たちが元気に登下校する様子を目にするたび、キラキラと眩しく見え、みんな正しい子育てができているのに、自分だけが失敗したように感じられるかもしれない。 でも安心して欲しい。 学校に通えている子に、なんの問題もないはずかない。 学校に「きちんと」通いながら、いじめをしていたり、誰にも言えない孤独を抱えていたり、あらゆる問題が山積みの子供がなんと多いことか。 学校に行けているというだけで、それらが全て「普通」というキラキラしたラッピングで覆われているだけ、といっても過言じゃない。 あなたの子供は、決して失敗なんかじゃありません。 たまたま所属させられた学校という場所に適応できなかったというだけのことで、子か持つ意欲とか好奇心のような生命力や、自己肯定感まで損なわせてたまるか!の一心で、やっていきましょ!
不登校に悩み、この本を購入される方へ…
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おはようございます😊
蒸し暑い日が続きますね。
���さバテに甘酒いかがですか?
赤しその甘酒もさっぱりで、今の季節にぴったりです✨
7月のカレンダーできました。
🆕7/1 ワンちゃんday🐶 わんちゃん、入店できます。
🆕7/3 スナック麻りえ。夜は、麻りえママが、お待ちしてます。不定期で開催
🆕小さな八百屋さん。自然栽培や有機のお野菜、不定期ですが、届きます。ストーリーズで、お知らせします。
次回は、7/11の予定です
🔴7/2 水キムチ作り
🔴7/8 不登校給食カレー🍛 美味しいカレー不登校の親子さん対象ですが、一般の方もテイクアウトできます。ご予約ください。
15時からは、 ちょいのまマッサージ
🔴7/12〜14 身体おもいのメタトロン、体験もできます。
14は、ペットちゃんもメタトロンできます
🔴7/18 朗読教室 発声練習から始めます
🔴7/24 ちょいのまマッサージ💆♀️ 10分でスッキリ
🔴7/24 薬膳ランチ 今回はガパオとグリーンカレーの魅惑のコンビ
🔴7/28 夏休みお子様と一緒に、大人だけでも楽しめる発酵ワークショップ開催するかも〜
蒸し暑い日々が、続きそうです。
秋に仕込んだお味噌がいい感じになりました。
今年も冷汁ランチ、ご用意します。
お楽しみに😊😊
数量限定になります。事前ご予約、の願いします
❌はお休みです
7月もよろしくお願いします🙇♀️
甘酒で、暑さバテ、解消しましょう😊😊❣️
今日も、良い一日を😊😊
各イベント詳細は、別途、インスタ投稿でも、ご覧いただけます💖
https://www.instagram.com/reel/C7nLygpy4lN/?igsh=Y2o4bXM2M3VxdWt3
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2024年 WishListの振り返り(6months)
12個達成。13個達成。1ヵ月フライングしていたので、修正。読書関連の項目が捗ったわね。私の季節はこれから。どんどん行こう。諸事情により、今年は海外は難しいかも。
wishlistは手帳に貼る
台湾に行く
アジアのビーチリゾートに行く
香港ディズニーに行く
ニューヨークに行く
ヨーロッパに行く
スターアライアンスの航空会社の飛行機に乗る
5連休以上を取る
水着を着る
腹筋を鍛える
夏のワンピースを買う
ソフトエレガントに似合う服を買う
長めの髪にパーマをかける
ハイライトとシャドウを勉強する
ブルベに似合うリップやアイシャドウを買ってみる(本当にブルベか確かめる)
冬のワンピースを買う
元気に挨拶する
ジムに月6回行く
新NISA始める
ideco始める
税理士の簿記論に合格する
行く国の映画を観る
行く国の小説を読む
新書を読む
日本橋の誠品書店で本を買って読む
地方のミニシアターに行く
地方の本屋で本を買う
小さなSCの本屋さんで海外小説を買う
大人の塗り絵をする
劇場公開される台湾映画を全部観る
劇場公開されるディズニー映画を全部観る
ディズニーシーに行く
ディズニーランドに行く
『百年の孤独』の文庫が発売されたら買う
司馬遼太郎を読む
『春の雪』を読む
ノンフィクションを読む
直木賞の作品を読む
ブッカー賞の作品を読む
旧約聖書を読む
fuzkueに行く
美術館に行く
現代アートを見る
洋館に行く
観劇する
プラネタリウムに行く
デートをする
整体に行く
サウナで整う
温泉に行く
読書ステイをする
映画ステイをする
Netflixで映画を毎月1本は観る
ディズニー+でマルチバース・サーガのドラマを観て追いつく
足裏メンテナンスをする
保湿する
地元の大学の図書館のカードを作る
有料自習室を開拓する
ノー残業デーを月2回作る
なんとか在宅勤務をする
転職サイトに登録する
副業できるスキルを考える
職場の最寄りのビストロを開拓する
スパイスカレーを作る
スープを作る
魚料理を作る
台湾カステラ作る
ナシレマッを食べる
カルグクスを食べる
分厚いサムギョプサルを食べる
ミートボールスパゲッティを食べる
パフェを食べる
ハッピーアワーに行く
billsに行く
夏の夕暮れを眺めながらお酒を飲む
HUBに行く
筆記具を新調する
人を褒める
雑談をする
リーダーシップやマネジメントに関する本を読む
後輩と毎日会話する
発音理論を勉強してみる
英語の文法を勉強する
読書会に参加する
友達を作る
ママしてる友達に美味しいものコンシェルジュする
ランバンの香水買う
香水をつける
マニキュアを塗る
脱毛終わらせる
美容医療にチャレンジする
フィルム写真の練習をする(特にピント)
デジタル一眼を持って出掛ける
平日睡眠時間6時間を切らない
語学留学する
スペインに行く
南米に行く
大学で勉強する
批評を書く
優雅な生活で復讐をする
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