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#筒井時正
kennak · 3 months
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イセトーへ業務委託を行っていたとして、当該事案による影響を受けた可能性があると公表している組織は以下の通り。        委託元組織    委託内容等    感染環境に保管等されていた情報            徳島県    納税通知書等作成    令和5年度自動車税種別割納税通知書(氏名、住所自動車登録番号、自動車車台番号、年税額)96件(88名)            東京都教育庁    就学支援金受給資格認定審査等    生徒19名、保護者18名の情報(生徒氏名、在籍校、課程、学年、就学支援金審査結果、保護者住所、氏名等)            東京都大田区    がん検診等案内帳票類印刷、封入及び発送    令和6年度がん検診受診券の画像データ(対象者氏名、住所等)46名分            神奈川県横浜市    軽自動車税種別割の納税通知書の印刷等    令和5年度軽自動車税種別割の納税通知書画像データ 1名分            神奈川県茅ケ崎市    投票所入場整理券作成    令和5年4月統一地方選挙投票所入場整理券の宛名データ(氏名、住所) 47件(調査中のため正確な件数不明)            神奈川県藤沢市    選挙時の投票所入場整理券作成発送    公表なし、数十件と報道*3            神奈川県横須賀市    令和5年統一地方選挙投票案内作成    封入・封緘時に破損した案内の券面撮影をした画像データ(氏名、住所を撮影したもの) 18人分            神奈川県平塚市    市民税・県民税および固定資産税・都市計画税(土地・家屋)の納税通知書作成    令和5年度および令和6年度市民税・県民税(住所・氏名・税額・振替口座情報の一部) 192件令和5年度および令和6年度固定資産税・都市計画税(土地・家屋)(住所・氏名・税額・振替口座情報の一部および共有代表者の氏名94件            大阪府岸和田市    市議会議員一般選挙に伴う投票所入場整理券・封筒の印刷及び封入封緘    5名分の投票所入場整理券のPDFデータ            愛知県豊橋市*4    2023年度高齢者インフルエンザ予防接種予診票作成    34人分            兵庫県西宮市    が固定資産税・都市計画税納税通知書の封入封緘    固定資産税・都市計画税納税通知書の宛名情報78件(氏名、住所、課税情報等)            愛媛県    自動車税種別割の納税通知書の印刷    令和5年度自動車税種別割納税通知書の画像データ 80件(住所、氏名等)            三菱UFJ信託銀行    確定拠出年金にかかる記録関連(NRKへ委託)    顧客情報の一部(氏名、住所、郵便番号等)            三井住友海上あいおい生命保険    委託先とのみ説明    顧客情報(氏名、住所、郵便番号等)            徳島大正銀行    顧客情報の定期的な確認目的のアンケート用紙発送等    同行顧客情報は含まれず対象外。            阿波銀行    顧客へのアンケート用紙発送等(マネロン・テロ資金供与対策一環)    顧客情報の一部            高知銀行    顧客へのアンケート用紙発送等(マネロン・テロ資金供与対策一環)    (分離された環境であり都度削除も行っており流出等報告なし)            香川銀行    顧客へのアンケート用紙発送等(マネロン・テロ資金供与対策一環)    顧客情報の一部            茨城県後期高齢者医療広域連合    同連合事業委託先    医療費通知書 32件(氏名、住所、被保険者番号、受診医療機関名、医療費額)    
イセトーのランサムウエア感染についてまとめてみた - piyolog
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kinemekoudon · 2 years
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【9話】 弁護士に言われたとおり取調べで黙秘してみたときのレポ・後編【大麻取り締まられレポ】
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朝8時になると、200冊ほどの書籍が並んでいるキャスター付きの本棚が運ばれてくる。この本は官本と呼ばれ、収容者が借りることのできる本なのだが、借りられる機会は1日1回、1人3冊までなので、慎重に選ぶ必要があるらしい。
留置官は先に隣のベトナム人を居室から出すと、ベトナム人は『世界の絶景』みたいなタイトルの大型本を1冊手に取り、居室の中へ戻っていく。
続いて僕の番になる。官本のラインナップは、東野圭吾や筒井康隆などの著名なエンタメ小説をメインに、歴史小説や純文学、学習まんがなども置いてあり、案外退屈しなさそうであった。
僕がどの本にしようか悩んでいると、留置官が「あ、5番はこのあとすぐ新件だから、借りてもすぐに回収することになるよ」と言うので、結局何も借りずに檻の中に戻ると、本当にその後すぐに点呼がかかった。ちなみに新件とは、最初の検事調べのことである。
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僕は初めての検事調べにまだ心の準備ができていなかったが、点呼からすぐに居室から出され、手錠と腰縄をかけられると、地下の駐車場に連れて行かれたのち、ワゴン車の後部座席の中央に、留置官2人に挟まれた状態で座らされる。ワゴン車は、運転席との間に金網のフェンスがあり、運転席と後部座席は完全に区切られていた。
僕���てっきり護送車で送致されると思っていたのだが、今回は近辺で検察に送致される被疑者が少なかったため、護送車を出すほどではないという判断になったそうだ。
ワゴン車が出発すると、僕は次第に不安になってきたので、隣の留置官に「大麻は持っていたんですけど、黙秘すれば不起訴いけるかなあと思ってるんですが、どう思います?」などと、留置官が捜査には関与しないのをいいことに、正直な悩みを打ち明けてみる。
左隣のニューヨーク嶋佐似の留置官は「持ってたなら正直に話すべきだろ。自分から正直に話したら心証がよくなって罪も軽くなるだろうし」などと想定通りのことを言うので、僕は「でも黙秘してたらそもそも無罪で済むかもしれないんですよ」と反論すると、嶋佐は「それで上手くいったとしても、一生、嘘をついたっていう罪の意識を抱えて生きていくことになるんだぞ」などと感情論で反論してくる。
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僕は「嘘はついてないですよ。何も喋っていませんから」と揚げ足をとると、嶋佐はムキになって「本当はやったのに何も言わないのは、嘘をついてるのと一緒だろう」などと言ってくるので、僕は「勝手に質問しといて、答えなかったら嘘つき呼ばわりされるのは意味が分からないです」などと屁理屈を言う。
僕は続けて「そもそも大麻を所持していたこと自体罪だと思ってないんですよ。むしろこうして拘束されていることに被害者意識を持ってるくらいなんで、黙秘をするっていうのは、大麻取締法違反で罰を与えてようとしてくる検察に対しての正当防衛だと思ってます」などともっともらしいことを言う。
嶋佐は平静を装っているが本心は苛立っている感じで「でも人を殺した人がそれと同じこと言ってたらおかしいだろ?」などと反論してくるが、僕は「殺人は被害者がいるんで、殺人だったら罪の意識を持つと思いますけど、大麻所持は被害者がいないんで罪の意識を持ちようがないです」と応える。
嶋佐は「いや…」ととりあえず口に出してから熟考して、「大麻は身体に悪影響だから犯罪になってるんだろ」と少し論点をずらして反論してくる。僕は嶋佐を言い負かすのがおもしろくなって「たとえ悪影響だとしても、自分の身体は自分のものですから、究極、自殺しようと自分の勝手だと思いますけど」などとわざと憎たらしく言ってみる。
すると嶋佐は「まあ5番が黙秘しても、これから証拠は出てくるだろうし、今のうちに自白しといた方が楽になると思うぞ」などと半ギレで議論を放棄してきたので、僕は「確��な証拠が出たら自白するか考えますけど、今は黙秘でいかせてもらいます」などと勝ち誇った感じで、留置官に言っても意味のない宣言をした。
留置官はこの議論に辟易とした様子で「まあ5番の人生だから5番の好きにしたら」と投げやりに言うので、僕は心中(その思想がまさに、自分の好きに大麻を吸わせてほしいという発想の根源なんだが)と思ったが、口に出すとさすがに空気が悪くなりそうだったので、口をつぐんでおいた。
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僕は留置官相手に自分を正当化し、言語化する中で、黙秘がいかに賢明な選択であるかという理論を確立できたので、断固たる気持ちで黙秘しようと踏ん切りがつき、不安がなくなっていた。
そうこうしている内に地方検察庁に着き、留置官に連行されながら、被疑者用の出入り口から入って、迷路のようなルートを進んでいくと、待合室がいくつもある広い空間に出る。
待合室と事務室の間の廊下には、都内のいろんな留置場から集結した被疑者たちが30人くらい並んでいて、僕もその列に並ばされ、何分か経つと、地検に勤務している警備役の警官が点呼をとり、各被疑者を各待合室に振り分けていく。
留置場も異様な光景であったが、地検の待合室のある空間は、より緊張感が張り詰めていて、警官の態度や点呼の仕方は軍人のように厳格で威圧感があり、集められた被疑者たちは、容貌からいかにも半グレな人や大人しそうなおじさんから外国人までが全員グレーの上下スウェットを身につけているので、危うさとカオス感がある。
待合室は、鉄格子と金網の扉が一面についた、5人掛けの硬い木のベンチが部屋の両サイドにある、奥には衝立があるだけで隠れることのできないトイレと洗面が付いているだけの殺風景極まりない部屋で、入室前に警官に「他の人と会話をするな」とか「足を組むな」など厳しく注意された後、僕はキツく両手錠をされたまま待合室に入れられる。
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待合室の定員は10名で、混んでいるときは満員になるそうだが、今回は運良く、詐欺で捕まってそうなチンピラ風の若者と、傷害で捕まってそうな腕を組んで足を広げて座る低身長ガチムチの若者2人のみだった。
10時頃から待機していて、おそらく1時間は経過したであろうが、時計がないので今何時かわからず、やることもなく、自由もなく、呼ばれる気配もないので、本当に時間が長く感じる。ガチムチの若者はイライラして貧乏ゆすりをし出し、僕はそれを見て苛立ちそうだったので、目を瞑って瞑想をする。
しかし、待合室のベンチは壁にぴったり取り付けられており、背もたれは90度に近く、硬く滑りやすい材質の木でできているので、浅く腰掛けて背もたれに寄りかかることができず、姿勢正しく座るのが最も疲れない造りになっていて、リラックスすることができないようになっているので、瞑想に集中するのも難しい。
待機から体感1時間半ほどが経過し、チンピラ風の若者が警官に呼ばれ、待合室を出て行ったが、それからは何も音���汰がなく、ついに2時間が経過し、12時の昼食の時間になった。警官によって手錠を片側だけ外され、コッペパン2つと使い切りの個包装されたジャム2つにマーガリン1つ、棒状のチーズ1本、小さい紙パックのりんごジュースが支給される。
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質素な食事ではあるが、僕は待つことに体力と精神力を奪われて疲弊していたので、夢中になって食べてしまう。それに、なにかやることがあるというのが嬉しい。
食べ終わったゴミが回収されると、再び両腕にきつく手錠がかけられ、地獄の待機時間が始まる。ガチムチの若者は食後に小便をするのだが、見ようと思えば見えるし、放尿の音は聞きたくなくても聞こえてくる。それはそうとさすがに腰が痛いし、この仕打ちは人権侵害だと思う。
1時30分頃、ようやく警官に呼ばれ、待合室を後にする。待機時間は人生で最も時間が長く感じた。腰縄をつけられ、留置官に連れられてエレベーターに乗り、担当検事のいる執務室に入る。
執務室は待合室の4倍くらいはある広い部屋で、検事と検察補佐官がそれぞれ大きい机の前に座っていて、その前にパイプ椅子が置いてある。検事は50代後半くらいの男で、上等な眼鏡とスーツを着用し、姿勢がよく余裕のある雰囲気で、おもしろいくらいにエリート感が漂っており、先程まで見ていたワルたちとはちがう威圧感がある。
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僕は執務室に入り挨拶をし、指示されるがままにパイプ椅子に腰掛けると、留置官によって手錠をパイプ椅子に繋がれる。検事は柔和な表情で「取調べの内容は録音させていただきますが、よろしいですか?」と聞いてくるので、僕は「はい」と応える。検察補佐官はノートPCで会話の内容を記録している。
検事は続けて、僕の口から自分の名前や生年月日などを言うよう指示してくるので、僕がそれに応えると、「被疑者〇〇は、大麻成分を含有する植物片13.8gをみだりに所持した疑いで…」などと僕が犯した罪状を読み上げたのち、「あなたには黙秘権があり、言いたくないことは言わなくていい権利があります」と告知してくるので、僕は元気に「わかりました」と応える。
検事は柔和な表情のまま「こちらの罪状を犯したことについては間違いないですか?」などと質問してきたので、僕は一呼吸を置いて「黙秘します」と言う。すると、検事は急に真顔になり、「わかりました」とだけ応える。
検事は真顔のまま「現場ではあなたも乗車していた車の中で大麻成分を含有する植物片が見つかっていますが、これはあなたのものですか?」と質問してくるが、僕は変わらず「黙秘します」と応えると、検事は少し怒ったように目を開いて「わかりました」と言う。
検事は続けて「一緒に同乗していた人はあなたとどうゆう関係ですか?」と質問してくるが、僕は頑なに「黙秘します」と応える。すると検事は再び柔和な表情に戻り、「わかりました。それでは取調べは以上になります。こちらの調書に問題がなければ捺印をお願いします」などと言って、白紙同等の調書を差し出してくる。
僕は「捺印はできません」と応えると、検事は再び真顔になり「わかりました。それではこれで終わりとなります。お疲れ様でした」と言い、補佐官とともに立ち上がって頭を下げていた。
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つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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ichinichi-okure · 9 months
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2024.1.6sat_tokyo
鳥の声で目が覚めた。ちゅんちゅんちゅん。こんな朝の起き方理想的すぎないかと思うのだが、朝、雀がめっちゃ庭に来る。ちゅんちゅんちゅん。
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と言っても今は10時、正月の名残ということで昨日はわざと目覚ましをかけずに寝た。わざとじゃなく1月3日は目覚ましをかけ忘れて、新年最初のイベントには遅刻した。
昨日も朝から稼働した担当イベントの後に23時までコワーキングのラウンジでご飯も食べずに仕事した。えらい。帰ってから夜中に能登のニュースをずっと見てしまったので眠い。昨日は好きな人たちとたくさん話したし、地味に疲れて本当に体が動かないので、2度寝する。 11時にむくっと起きる。昨日水につけておいた小豆を炊く。大きい小豆のお汁粉大好き。いつも一応ちゃんと飾るお飾りも鏡餅も、なんだか気持ちが乗らなくてできなかったので、鏡餅用に買った餅を飾らないまま焼く。切り込みも入れたのに、ちくびみたいなお餅が焼けてしまった。おもろいな〜。
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来週は甲府にも行くし(楽しみにしてた天然ラジウム増富温泉・不楼閣にいく!)、夜もずっと予定があるので、今日明日はいろんな仕事を終わらせておきたいので頑張る。
15時、また動けなくなって地面に横になる。布団は危険だからだめ。こんな日は結構珍しいのだが、頭が考えることでパンクしてるのも影響してる気がする。無理すぎる。目を瞑る。考えることがたくさんある。GAZAのこと、戦争のこと、能登半島のこと、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、近い未来のこと。
こういう時は音楽も、映画も、色々を見るのがキャパオーバーで難しくなる。なので家で作業する時はずっと無音。だけど、写真だけはみたい気がしていて、写美で始まったホンマタカシさんと、 松蔭美術館の牛腸茂雄さんや瀧口修造さんの展示は見逃さずに行きたいとぼんやり思う。
身体は地面に垂直のまま、石川県輪島市の知人である漆工の桐本滉平くんのインスタのストーリーをチェックする。今回の地震で、代々守られてきた、明治時代に工房として建てられた自宅が全壊全焼したと投稿していた。リアルな景色に目を覆いたくなるけれど、ニュースでは得られない、桐本くんのまさに今を切り取っている投稿を見ながら、今できることを考える。といっても寄付くらいしかできないのかもしれない。でも、こうやって遠くでも想うことができること、情報が共有できる時代というのは、本当に希望も多くある。 桐本くんは元旦から今もずっと、輪島の未来や、会ったことのない誰かを救うために、全力で動いていて、避難所のこと、道のこと、今この瞬間のみんなが必要な情報をSNSで発信し続けている。きっと本当に多くの人がこの投稿に助けられている。
私の1/1の16時6分は、埼玉のおばあちゃんちで10数人の親戚一同で集まっている時だった。お寿司を食べて、ビンゴ大会の手前でこの地震が起きた。まずはじめに私の携帯が聞きたくない大きな音で鳴った。その30秒後くらいにみんなの携帯が鳴って、すぐ地震が起きた。自分の携帯にはYahooの災害アプリが入っていて、画面には36秒後に地震が起きますと書いてあった。たった30秒だけれど、みんなの携帯とは30秒の差があったのだった。親の携帯にもアプリを入れなければ。そのままテレビをつけて、地震の情報を流しながらみんなで過ごした。私はXを見ながら地震や津波の情報を集めまくる。石川県には大事な友達たちもいる。途中お母さんが、血圧が高めで眩暈がすると横になりに寝室に行ったが、私は変わらず画面に張り付けになっていて、横にいたいとこの旦那のわたるくんが「ニュースも気になるけど僕は寝室の方が心配だよ」と言ってくれて、まさに…と思って、寝室に様子を見に行った。気持ちを落ち着かせながらその場にはいたけれど、帰る前に寝てた身体を起こして、お母さんから渡された”幸せが訪れますように”と書かれた封筒には3万円とビール券が入っていて、北の国からの泥だらけの1万円札くらい使えねえよ…………………………。とか考えながら、帰宅する電車の中でいろんな気持ちになり小さくバレないように泣いてしまった。
地震のSNSのこと。尊敬する、信頼する人たちからの情報はなるべく信じたい。そうなのだけど、発信をすることについて、映画監督の枝さんが信憑性の話をしていて、シェアができない、というようなことをSNSに綴っていた。良心を騙すような、いろんな詐欺も起きていて、ちゃんと調べてから行動したいと思いつつ、今は瞬発力なのではと思ったり、寒い季節がやってくるよなあと、頭がごちゃごちゃする。寄付について考えているとき、わざわざの平田はる香さんが「被災地に感情移入しすぎて普段の生活を失わないように。寄付はできる範囲で継続的に。1万円を一回より千円を10回百円10回でも。長期間にわたって支援しよう」と書いていて、まさにそう、1回で満足しないで、何度でも、と頷いたり。でも、自分の暮らしもちゃんとしなくちゃとか、ぐるぐるする。
ガバッと起きて、下北沢ボーナストラックに向かう。自転車で10分ちょっと。ギャラリースペースではカレンダーマーケットが開催中で、友達や自分がお誘いした出店者さんがいるので、挨拶をしに。到着してすぐにミヤジが良いカレンダーを案内してくれておもろい。ビール飲んで、ゲラゲラしながら、出店中のヤマグチナナコちゃんと、SAITOEさんに阿部龍一ブースの良さを発表して満足する。阿部の作品や思考は本当に素晴らしい。
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同施設内にあるキッチンスペースでは、今日は養生家の鈴ことさなえさんと、mizudoriのまみさんが出店していて、場所を管理しているりさPが、紹介したいと言って連れて行ってくれた。以前山梨の0-siteで開催されたイベントで、ちまきとホットワインを購入したことがあって、さらに昨年末にeatrip soilで開催のイベントでも見かけて気づいてくれていたらしく、その話もしつつ嬉しい再開。美味しい白味噌の雑煮と、出汁割り、おこぼれで微発泡の日本酒、出汁もご馳走になる。残り福。身体にあったお出汁や日本酒のことをお話しして、一息つく。ほっとする。今年一緒に何かやりたいな〜とお話する。嬉しい。
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続けてラウンジで残って仕事をしようと思ったけど、真っ直ぐ帰宅する。帰り道、怒鳴りながら自転車を漕いでる人がいて、「こわ〜」と思いながら、私が動線を塞いだようになった瞬間に(絶対に悪くない)罵倒されてしまったが、心を無にして道を変えたら、矛先がなくなったからか、さらに大きな声で背中越しにまた罵倒された。さらに無になって大きく深呼吸して、「あの人にもあの人なりの理由があるのだ」とほんの少しだけ思考して、記憶装置から抹消した。毎日いろんな人がいろんなことを抱えて生きてる。
さっきお雑煮食べたので、夕飯は野菜だけのサラダにする。菜の花が美味しいよ〜。そのまま残った仕事をしながら、明日も担当のイベントがあるので早く寝なくちゃとお風呂に入ろうと思ったところ、建築集団 々の野崎将太さんが、インスタライブをしていたので開く。実際に野崎さんは地震が起きてすぐに被災地に向かっていて、現地で簡易トイレを作ったり、生のその日の様子をレポートしつつ、今何をするべきなのかを投稿に残していた。野崎さんとは1回しか会ったことがないけど、仲の良い友人たちが信頼している人で、場作りも含めて作る建築は本当にかっこいいなあと思う。人としても。今回はあやおさんという実際に被災をした方と話す機会を設けていて、報道やSNSで流れていることと、実際に体感したことの違いや、これから起こりえること、今実際に起きていることなどを話していた。現状、今は被災した家に侵入する盗難が多発しているらしく、家を守るために車中泊して見張っている人も多くいるという。被災地が渋滞になるから、ボランティアに来ないでくださいという投稿もよく見るけれど、実際緊急物資などは、一般の人が通れない大きな道を使っているので、現状実際には関係ないこと、スカスカの道もあること、言ってるようにすごく渋滞している道もあること、だけどそれは明日にはわからないこと、被災地には本当に若者がいないことなどを丁寧に話してくれた。これから雪深くなり、外に出れていた人が避難所の中だけで過ごすようになることでのストレスのことなど、本当に今起きていることを話してくれていた。
あと、桐本くんが、地震直後、楽天モバイルだけが使えたことや楽天のキャリアが一番先に避難所に到着して救われたことを書いていて、忘れないようにしようとか。災害メモ作らなきゃとか。色々また巡ってしまい整理する。野崎さんは、阪神淡路大震災の時の経験が、今回の行動にもつながっているというようなことを話していた。身近な友達のアグネスも阪神淡路を経験していて、出かけるときはコンセントを全て抜くと話していた。私は3.11の時も京都に住んでいたので、大きな地震は経験したことがない。
お風呂に入った後に、GAZAのことを発信してくれている波田野州平くんのストーリーもチェックする。自分じゃ拾えない情報を集めてくれて、ずっと発信してくれている。戦争も本当にやだよ。自分にできることも考えるけど、もうちょっと勉強をすることもしなくては。自分は無知すぎる。 (そういえば1/13-19まで下高井戸シネマで2019年作の「ガザ 素顔の日常」という映画が上映される!見なければ)
お正月に起きたいろんなこと、秋から続く悲しい出来事、全部ぜんぶ終わりますように。願うし、動きたいし、できること考えたい。でも、まずは自分が悲しくなって倒れないように、心のケアもしつつ。メディアからも距離をとることをちゃんとして、一人で考えないで、隣の誰かと話すこと。会話して安心すること、みんなが考えてることを知ること。何もできなくてもちゃんと想ってるだけでもいいと思う。あとテンション上がりすぎないように、ちょっと落ち着くこと。余裕が無くならないように、自分のことも考えること。深刻になりすぎないように日常を過ごすこと。この日記も、そういう安心の場になるといいなといつも思う。日常をみんなに綴ってもらえるというかけがえのないこと、を、続けたいです。
元旦から文章にしたくて、自分の番じゃないけど日記を書いてしまいました。こんなことを考えながら、1m以上ある立派な泥ごぼうを夜中に炊き、ホクホクのごぼうができたよ。うまいです。幸せ。明日は楽しみにしてる新年会もあるのです。みんなに会えるの嬉しい。おやすみなさい。
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-プロフィール- 鷹取愛 東京 山ト波
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notokra · 11 months
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MR.High Fashion vol.110 Pina Bausch ミスター・ハイファッション 2002年10月号 ピナ・バウシュ
目次 MR’S SPECIAL ミラノ発信のメンズモードと、ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 トム・フォードが提案する、モダンフォーマルの再来。 by GUCCI Rosemary=写真 ラフでダンディな、ニューカントリースタイル。 by DOLCE & GABBANA 平間至=写真 ジル・サンダー。ウォーターカラーのエレガンス。 by JIL SANDER 戎康友=写真 エンポリオ アルマーニ。クラシカルなワークテースト。 by EMPORIO ARMANI 宮原夢画=写真 長瀬智也。ロメオ・ジリ。クールレジスタンス。 by ROMEO GIGLI 筒井義昭=写真 山下智久、生田斗真。ジリ。コントラスト&レイアード。 by GIGLI 筒井義昭=写真 バーバリー プローサム。ニュークラシシズムのシルエット。by BURBERRY PRORSUM 桐島ローランド=写真 ラフでラグジュリー、ヴェルサーチのニュールック。 by VERSACE 三枝崎貴士=写真 クールでラグジュリーな存在感。 by NEIL BARRETT 石坂直樹=写真 アレッサンドロ デラクア。アクティブでセンシュアル。by ALESSANDRO DELL’ACQUA 守本勝英=写真 エンニョ カパサが提案する、ダウンタウンシック。by ENNIO CAPASA FOR COSTUME NATIONAL HOMME 笹口悦民=写真 ディーゼルスタイルラブ。アーバンなクールカジュアル。 by DIESELSTYLELAB 川口賢典=写真 キーン・エトロと、エトロが生み出される場所。 矢島みゆき=取材・文 アーネスト・レヴィ=写真 MIUCCIA PRADA ミウッチャ・プラダのクリエーション。 二つのベクトルの均衡。/プラダ社の歴史と運営。 矢島みゆき=取材・文 西島秀俊。プラダ。半沢 健=写真/プラダ スポーツ。ニッキー・ケラー=写真/ミュウ ミュウ。半沢 健=写真 イタリア発信の革のツール。靴と鞄。 ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 堀本洋一、畑口和功、牧田良輔、アーネスト・レヴィ=写真 ドメニコ・ドルチェ、ステファノ・ガッバーナ/ジョルジオ・アルマーニ/ドナテッラ・ヴェルサーチ、エンニョ・カパサ、ニール・バレット、ガブリエレ・ストレーレ、ミラン・ヴクミローヴィック、アントニオ・マラス、コンスエロ・カスティリオーニ、ロメオ・ジリ、ルカ・ミッソーニ、スコット・フェローズ、アレッサンドロ・デラクア、クリストファー・ベイリー、トーマス・マイヤー
FASHION PINA BAUSCH + YOHJI YAMAMOTO : Fusion Between the Two 同質のアビリティ。ピナ・バウシュが着るヨウジヤマモトのポートレート。松本康男=写真 イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ、ボヘミアンエレガンス。 半沢健=写真 ラージサイズでテンダーな6人のスタイル。 田中知之/長瀬哲朗/パラダイス山元/梶原由景/ジョン・ストーリー/三宅勝士 宮原夢画=写真 ポール・スミス氏と愛車ブリストルから始まる、クラシック&ストレンジワールド。 by PAUL SMITH COLLECTION アンソニー・クローラ、三枝崎貴士=写真 ヴィヴィアン・ウエストウッド マン、ワーキングクラスからの発想。 by VIVIENNE WESTWOOD MAN 守本勝英=写真 マーガレット・ハウエル。 クラシシズム&モダニティ。 by MARGARET HOWELL 筒井義昭=写真 クールで優しい、ステファン・シュナイダーというスタイル。 by STEPHAN SCHNEIDER 富岡春子=写真 進化するブリティッシュブランド、ダックス E1。 by DAKS E1 筒井義昭=写真 時を超越するSOのスタイル。 by SO BY ALEXANDER VAN SLOBBE 平郡政宏=写真 バーバリー・ブラックレーベル、ロックスターのように。 by BURBERRY BLACK LABEL 秦 淳司=写真 サンディー・ダラルがディレクションする、ICB menのアーバンエスニック。 by ICB men Rosemary=写真 ブライトンの自然と共生する、ポール・ハーンデンのクリエーションと暮し。 富岡秀次=写真 正岡雅子=取材・文 真木蔵人。ドレスダウンクロージング。 by RADMESS MEN’S BIGI 富永よしえ=写真 伊藤英明×オークリー。シャツとデニムパンツの、イージー&クールなスタイル。 by OAKLEY 三枝崎貴士=写真 A.A.R。ハードボイルドでクール。 by A.A.R 平郡政宏=写真 クールなインパクト。カスタム カルチャーのレザー。 by CUSTOM CULTURE 赤羽圭介=写真 東京発信のウォームスタイル。 川口賢典=写真 コンテンポラリーダンディズム。 富永よしえ=写真 DEPARTMENTS コム デ ギャルソンのラージサイズなコロン。 ニューショップ。ブリオーニ/コーチ/ラグビー ノース アメリカ/ フィラスポート・ライフストア/アディダス SOのオランダ通信。 Vol.13 パリのカルティエ現代美術館で再会した、村上隆と滝沢直己。 ミタ リツコ、森本美絵=写真 ビジュアルのコラム集。 ゴールドジュエリーの生産地、イタリア・ヴィチェンツァで開催された国際展示会。 11 トピックス。 PEOPLE 宇川直宏。34年分の記憶を押し込んだ、脳のような空間。 久家靖秀=写真 東谷隆司=取材・文 小林紀晴。幼いころから変わらぬ、アジアへの関心。 かばんの中身。一之瀬弘法。 男のカーライフ。ROLLY。 スーパースタイリストのリアルライフ。 祐真朋樹=写真・文 クレール・ドゥニが描いた、二人の怪物の物語。樋口泰人=文 伊東四朗。男の覚え書き。 沖山純久=文 松本康男=写真 小村和久(5351プール・オム)/リード・クラッコフ(コーチ)/リック・オウエンス ESSAY 犬の肖像。中川十内=写真 沖山純久=文 ハラショー・ボーイ。島田雅彦=文 記憶の中のカンヌ映画祭。秦早穂子=文 COLUMN COMING NOW カフェ・イン・水戸/BOOK 稲川方人=文/BOOK 佐伯誠=文/MUSIC 北中正和=文/CINEMA 樋口泰人=文/ART 椹木野衣=文/THEATER 渡辺美和子=文/NEWS 鳥越俊太郎=文 ETCETERAS INFORMATION/NEXT ISSUE/BACK ISSUES/PRESENTS/NEWS
編集長:田口淑子
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ryotarox · 11 months
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元々、道路交通法ではてんかん患者の運転は禁止されていた。障害や病気を理由に免許や資格の取得などを禁止・制限する「欠格条項」による制限である[7]。2002年、てんかんの扱いの見直しを求める声に応じて、てんかんが、症状によって取得の可否を判断する「相対的欠格事由」に変更された経緯がある[7][15]。しかし、その後全国で治療不十分なてんかん患者による重大事故が相次ぐようになった[16][15]。その影響で悪質な運転手への厳罰を求める声が強まり、2014年5月に罰則を強化した「自動車運転処罰法」が成立した[7][15]。
池袋駅東口乗用車暴走事故 - Wikipedia ※池袋のあの事件とは別
日本てんかん協会副会長の久保田英幹医師は「今回の発作の原因は分からないが、症状に合った薬を正しく飲めば発作はコントロールできる。ほとんどの人は自己管理をしながら運転していることを理解してほしい」とコメントした[9]。 日本てんかん協会は、各報道機関が、てんかんと事故との因果関係が確定しない内から、てんかん患者による事故であるとして報道しているとして、報道側に「誤解を招かない工夫」を求めた[17]。また、マスコミに運転手はてんかんであるという捜査情報を漏らしたのは警察であるとして、警視総監宛てに病名公表の意図を問う質問書を送った[17]。一方で報道の自由を指摘する声もあった[17]。
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法改正の結果、事故が増加した相関があるとすると、難しい問題なのかも。
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「池袋暴走事故」民事初判決 松永拓也さんを苦しめた飯塚氏の「それなら謝罪はしない」という不誠実さ(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
裁判所にはせめて、未来の社会につながる判決を出してほしい。具体的には、飯塚氏が抱えていた可能性のあるパーキンソン症候群と、事故��間の因果関係を認めてほしいです。  パーキンソン症候群は脳の病気で、結果的に足が動きづらくなります。事故後、足をひきずりながら歩く飯塚氏の姿が報道されると、「そんな状態で運転したから事故を起こしたんだ」という声が数多く寄せられましたが、因果関係が分からない以上、臆測の範ちゅうを出ない。だから現時点では、僕は高齢ドライバーの問題に言及することはあっても、病気というアプローチで再発防止を語ることができないんです。  もちろん、好きで病気になる人はいないし、病気を理由に制限を設けるのは酷だという意見もあるでしょう。それでも、(病気との因果関係があるならば、)事故によって命を落とす人を一人でも減らすための努力は必要だと思います。  もし飯塚氏が持病の影響で事故を起こしたと正式に認められれば、パーキンソン症候群の患者さんについて、「車の運転の際にクリアすべき条件を法で定めるべきでは?」「アクセルとブレーキを手で操作できる車なら安全では?」といった議論に持っていける。国を動かすためには、公的な機関が認めた事例が必要なんです。
 
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 1993年 筒井康隆 断筆宣言
筒井康隆 - Wikipedia
 
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doublegroovesite · 2 years
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ジャパニーズ女性R&Bの先駆者DOUBLE.
最近話題のフェロモン系女性歌手が霞んでみえるほど、 DOUBLEのTAKAKOは、全身から妖艶なエキスに満ちあふれた日本屈指!のセクシーなR&Bアーティストだ。 そんなTAKAKOのことをもっともっともっと知りたくて、
LSは彼女の内に深く深く入りこんでみた。
Interview ①
● まずは子供の頃の話から聞かせてもらおうかな?
「子供の頃は、普通に童謡とか好きな子でした。 三人姉妹の一番上の姉が指揮をとって、 合唱とかして、 三人でずっと歌っていましたね。 食事の時も歌ってるので、母から「食卓でだけは歌うの、やめなさい!」ってよく言われてましたね」
● ホントに歌うことが好きだったんだね。
「家族みんな好きでした。その当時、テイチクカラオケの機械がウチにあったし」
● カラオケではどういう曲を歌っていたの?
「デュエットを父に強要されたりして。「東京ナイトクラ ブ」とか「赤いグラス」といったデュエット曲を憶えました(笑)。 それで小学生の頃から歌謡曲が好きになって、「ベストテン」とか「トップテン」といった歌謡番組を毎週見ていました。特に、松田聖子ちゃんが好きでしたね。小学校高学年くらいから、姉の影響で洋楽を聴きだすようになって、マドンナとかシンディ・ ローパー、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ の音楽を聴いていましたね。 その頃にたぶん「ベスト ヒットUSA」(洋楽のPVを流す当時は画期的な音楽番組)も始まったと思うんですけど」
● 初めて買ったレコード、憶えてる?
「杏里さんのアルバム。 杏里さんが主題歌(「キャッツアイ」)を歌っていたアニメが好きで。 三姉妹ということもあって、すごいハマって。 姉妹でお金を出しあってそのアルバムを買ったのが最初です」
● それからはどんな感じで?
「中学生になってからジャネット・ジャクソンの『リズムネーション1814」 に出逢って、すごく影響されましたね。 高校生の時はクラブミュージックを好きになって、よく聴いたりしてました」
● 歌うことが大好きだった女の子が、プロシンガーになりたい!と思い始めたのは、いつ頃からだったのかな?
「プロを意識したことはないんですよ。 もちろん歌手に なりたいというのは、女優になりたい、タレントになりたい、 と同じようなレベルで、 新潟の片田舎では、絶対にありえないことだって思ってた。 夢としてはありましたけれどなれるならなりいたい!ぐらいな感じでしたね。 現実的には、保母さんになりたい!って言ってたかな。 それは保母さんという言葉がめずらしかったからで (笑)。 本当になりたかったかどうかは別。 ほかにもマンガ家になりたいと思っていたし」
Interview ②
● 高校を卒業する頃になると、将来のことが急に現実味をおびてくるじゃない。その頃はどうだったの?
「高校生の時には、自分はキャリアウーマンになるもんだと思いこんでいました。かなり現実的になっていましたね(笑)」
● お姉さんの影響もあっ���のかなぁ?
「ほとんどウチの姉の影響だといっても過言ではないで す(笑)」
● キャリアウーマン志向のTAKAKOが、プロのシンガーになるきっかけを教えてよ。
「短大の時、姉が先に歌を歌うアルバイトに誘われたんですね。 その時に一人じゃどうかということで私も誘われてそれで一緒にやるようになったのがきっかけですね。だから歌を歌うというのは最初から仕事だった。夢としてというよりも、まず先にお金をもらうアルバイトから始まったという感じでしたね」
● それは地元の新潟で?
「そうです。でも最初はイベントとかでした。 例えば、ふるまちドンドン祭りで、 野外の特設ステージで歌ったりする感じ。野外で非常に寒い中、観客の反応もサムい中、さみしく歌ってましたね (苦笑)。 その時に歌っていたのはオールジャンル。マドンナも歌えばオールディーズも歌う感じ。そのなかで出逢ったのがメアリー・J.ブライジやマライア・キャリーだったんです。私にはR&Bが向いていることに気がついたのも、その時期でしたね」
● 当時はお姉さんと2人でステージに立っていたの?
「キーボードを演奏する男の人と3人で」
● デビューのきっかけは、確かレコード会社主催のオーディションだったよね?
「そうですね。オーディションに出してくれたのが、その時一緒に演奏してくれていた男の人なんです」
Interview ③
● オーディションに合格してからデビューまでの道のりは、平坦でもなかったとか?
「日本語で歌うということがデビューの絶対的な条件だったんですね。 まずそこですごい壁があった。 実際、英語の歌の方が得意だったので、日本語で歌うことがすごく大変だったし、スタッフもみんなそう感じていて。英語で歌う時の歌唱力や雰囲気を、どうやって日本語にできるかを模索していた感じでしたね。それができなければ意味がないし、ほかの歌手との差別化もはかれない。それで、なかなかデビューできなかったんですよね。上京してから2年間は、ずっと飼い殺しみたいな状態が続いていましたね」
● なかなかデビューできなくて、正直へコんだり、不安になったりしなかった?
「不安はなかったですね。でも、自分は何をやっているんだろう?と思ったりはしましたね。 それでも一応生きていけるだけのお給料はもらえていたので。ただ自分はもともと比較的働き者の方だと思うので、自分がなにかの役に立っていないとイヤなんです。そういった意味で、その頃は自分のアイデンティティが揺らぐような瞬間ではありましたね」
● それから横田基地内の外国人相手のクラブで歌い始めたんだよね?しかも、そこで日本人歌手がパフォーマンスをするのはなんと27年ぶりというのも話題になった。
「私たちがやっていたのはスモウラウンジという将校クラスのラウンジだったんですよ。 当時は今とは違う事務所でしたし、まだデビュー前でした。横田基地で歌ったのは、自分にとっても、とてもプラスになりましたね
Interview ④
● なるほど。上京して3年目の2月に「For me」でデビューするわけだけど、その時の気持ちを教えてくれるかな?
「デビューの当日、当時のマネージャーに、どういう気持ちと聞かれたけれど、別に世の中はなにも変わりませんよ、というようなことを私は答えてましたね。そういう意味ではシビアだったし、すごく客観的だったと思う。作品にしても、当時は作詞、作曲にいっさい関わっていなかったので。 突然前日とかに曲を渡されてレコーディングするかたちだったので、自分でハン ドルしている気持ちじゃなかった。 楽曲に関しても、いろいろ不満がありましたし。これが私たちのやりたいことじゃないんだというふうに思っていたので」
● 微妙だね。デビューはしたけど、自分のやりたいこととは違う。そのギャップと葛藤の狭間を行き来していたということだね?
「そうですね。自分自身がドライブ感を味わっていなかった。歌うお人形のように扱われているというか。いつも、そうじゃないの!という思いがすごく強くありました。 セカンドシングルまではそんな感じでした。でも今ふり返ってみると、この2枚は筒美京平さんが作曲していらしたんですよね。 私はポップスをベースに、 その中にR&Bのエッセンスを入れるという行為自体があまり好きじゃないんですよ。 R&Bをベースに、それをちょっとポップな方向性にするというのは私の中ではありなんですけれども」
Interview ⑤
● そんな状況が少しずつでも変わってきたのはいつからだったのかな?
「サードシングルの 「BED」からですね。 松尾潔さんとの出逢いがあって、プロデュースをお願いすることになったんですね。 自分のやりたいことを理解してくれる人がいたということがすごくうれしかった。それまでR&Bに対する理解者が少なくて、プラストレーションだったので。その時に初めて曲作りにもチャレンジしたんです。ただ曲作りとはいっても、私が勝手にフェイクで歌っている中からいいフレーズを探して、それを使ってトラックメイカーのマエストロTさんがメロディラインを作っていくというやり方だったんですね。すごくうれしいことだったんですけれども、また不満がでてきて (笑)。 これは思い描いているものではない!って。言葉もサウンドをもっているから、言葉を活かしたメロディ作りをしたり、このメロディのための言葉を選ぶ作業をしなければ、私の思い描いている耳に心地よい音にはならないんだということをその時に勉強したんですね。 それで次に出逢ったのが今井了介さん。今井さんもすごく理解を示してくれて。 私のやりたいものを中心に、お手伝いしたいというスタンスできてくださった。 MTRという録音機材を貸してもらって、使い方も非常に簡潔に教えてくださって。デビュー当時も、まわりのスタッフに自分で曲を作りたいと訴えてきたんですけれども、女の子にそんな機械をいじれるわけがない」みたいな感じで、ぜんぜん聞き入れてもらえなかったんですよ」
● どっちかというと、TAKAKOはそういう機械モノとか嫌いじゃないでしょう?
「得意ですね。で、すぐに覚えて、その時に初めて自分で作ったのが 「Shake」なんですよね。 その曲の評価が高かったというのは、私にとってはホントに光栄なことでしたね。 自分で曲ができた、コントロールできたんです。 ミックスまで立ち合って、指示を出して、ジャケット写真に関してもいろいろと自分が関われるようになったことで不満は一気に解消されましたね」
●やっと自分が満足できる作品「Shake」をリリース した直後に、お姉さんのSACHIKOさんの急逝という悲しい出来事が起こってしまった。 そのあたりの話は次号で、聞かせてください。
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bearbench-3bun4 · 2 months
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「虚無への供物」中井英夫 3331
第三章
33 閉ざされた扉
この節は、<八田皓吉(はったこうきち)の供述>と<伊豆金造の供述>です。 つまり、かなりそれぞれの主観で描かれるということです。
本名は八田広吉(やだこうきち)だそうですが、易者の勧めで商売には八田皓吉という名前を使っているみたいです。 八田皓吉の方が分かりやすいですね。
で、 年は四十二歳ですから、大正2年生まれの丑(うし)となります。 先の対戦が1945年に終わってますから、戦争にいったのでしょうか?
本籍は大阪市阿倍野区松虫通三丁目十三となっています。 番地までわかりませんが、三丁目まではすぐに見つかりますね。 大丈夫なんですかね。
現住所としては、麻布谷町から世田谷区太子堂町四五二に移ったことになっています。 職業は、売り家に住み込んで改築して販売する家屋ブローカーだそうです。 女房の千代に先立たれ天涯孤独です。 状況としてはこんなもんですかね。
千代の両親が殺された経緯が、八田皓吉から語られます。 両親が殺された現場を見て、すぐに元晴の犯行ではと疑います。 そこへ、女の声で 「元晴は本郷動坂上の黒馬荘(くろうまそう)いうアパートに鴻巣玄次という名でいる」 と連絡があります。 この女性は誰なんでしょう?
八田皓吉がアパートの部屋に行ってみますと、ちょうど例の金造がいます。 その金造が逃げ出したあと、両親殺しについて問い詰めると、 コップのウィスキーを飲んで倒れ白目むいて苦しみ出したので、 毒飲みよったあと叫んで、靴だけ持ってドアから飛び出して交番へかけつけたといいます。 風呂敷みは置いていたのでしょうか? いずれわかるのでしょう。 金造の証言とはちょっと違うようですね。 八田皓吉はその人の見間違いだろうといいます��
次は、伊豆金造です。
かなり自己中な証言ですね。 嗅いだこともないのに、ウィスキーから青酸カリの臭いがしたとか、 喧嘩する気になってたら、すっかりひるみやがってタジタジになったとか、 人のことは気にしないし、陰口や噂話が嫌いなので、他人に来た手紙なんか見るわけがないとか、です。
ところで、 八田皓吉は左のコップか右のコップかわからないと言ってましたが、伊豆金造は、左だろうといいます。 そういえば、青酸カリの入ってたのが、左のコップか右のコップかはっきり書かれていなかったような気がします。 いずれわかるのでしょうか? で、肝心の事件の顛末となります。
八田皓吉が来たのと入れ違いに、伊豆金造は部屋を飛び出します。 その後、管理人の婆さんと隣の空き部屋から盗み聞きします。 その後、兄さんって人が毒をって叫んだとき、廊下に顔をだしたから間違いなが、 八田皓吉は部屋から出てないというのである。 まあ、臆病者の伊豆金造の証言なので、警察も信用してないみたいです。 が、 とよ婆さんも、伊豆金造と同じ証言をします。 しかも、部屋のドアがいきなり乱暴にしめられ鴻巣玄次が苦しそうに這って行って、 タンスの引き出しをあける音までしたと証言します。 結局、 八田皓吉が叫んだのは、玄関で靴をつっかけながらだろうということで落ち着いたみたいです。 鴻巣玄次こと川野元晴の自殺だろうということみたいです。
鴻巣玄次がそのアパートにいると電話してきた女は? 八田皓吉が叫んだのが部屋の中だったとしたら、事件はどう変わるのか? 部屋の中からはでられませんしね。 八田皓吉が持ってきた風呂敷包みのことも気になります。 鴻巣玄次こと川野元晴の両親惨殺も状況が語られますが、本編とどれだけ関係があるのか?
2月24日の夜に松次郎が電気コードで絞殺、 コードでぐるぐる巻きにされ押し入れの下段に、 うめの方は後頭部を強打されたのが死因で同じ押し入れの上段のに安置したように上を向いて寝かされていた。 この押し入れが釘でうちつけられていたので、行きずりの強盗などではないと判断し、 家出した不良息子の元晴の仕業と決定づけられた。 ただし、うめの殺害に用いられた凶器が発見されていない。
川野の家では、息子が孝行してくれて一週間ほど九州の親戚へ行くことになっていて、 事件の発覚が遅れることになる。 この息子が、八田皓吉のことなのか、鴻巣玄次こと川野元晴のことなのかとここでわざわざ書いているのは、 意味深ですね。
南千住三丁目が両親殺害のあった場所となっていますが、 そこには、大きなガスタンクの真下に拡がる町だと表現されています。 ガスタンクの正体は、東京ガスの石炭コークスを使ったものみたいです。 現在のイメージでは、球体ですが、当時は円筒形だったみたいで、高さが見る時間によって違ったそうです。 昭和36年に地下鉄の日比谷線の南千住駅が開業してて、 その駅を挟んだ南千住七丁目には昭和37年に開場した東京スタジアムがあります。 だから、ここでいう現代とは、昭和40年頃ということになりますね。
つづく
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shintani24 · 4 months
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2024年5月29日
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「100万円けちって落ちたら後悔するでしょ」 元自民党事務局長の証言 選挙の「裏金」(中国新聞「決別 金権政治」取材班 5月29日)
自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件をきっかけに、政党の裏金とされる政策活動費の存在がクローズアップされ、現在の国会でも議論の焦点の一つとなっている。自民党の元事務局長は中国新聞の取材に、激戦区に党幹部が応援に入る際に「表に出さないカネ」が使われていると証言。その原資は、選挙の年に増額する政策活動費だと語った。(4回続きの2回目)
【画像】政策活動費の資金の流れ
疑惑の当事者の口はどうしても重くなる。一線を退いた元幹部なら色々聞かせてもらえるかもしれない。2019年まで自民党の事務局長を務めた久米晃(70)に申し込むと、取材に応じてもらえた。通常国会開会前の1月23日にインタビューした。
選挙分析に定評があり、名参謀として歴代の党幹部から信頼されてきた久米。国民の政治不信を高めた党派閥の政治資金パーティーの裏金事件の感想を聞くと「政治資金が『悪』と結びつけられてしまった」と残念がった。
根底にあるのは「政治はカネがかかる」という思い。衆院議員は地方になればなるほど、選挙区は広くなり、複数の事務所を構えなければならない。抱える秘書も多くなる。人件費や事務所の賃料、光熱費がかさむ。
「英国製の背広を着て、(高級車の)センチュリーに乗っている人もいるけど、それは限られた人。実際にはカネに困っている議員の方が多い。政治家が金儲けしていると言われると困る」。久米は国会議員の多くは政治資金の確保に苦労していると訴える。
特に選挙前は出費がかさむ。党公認の候補者には、党から公認料500万円と活動費1千万円が候補者側に振り込まれるが、事務員や車上運動員などの人件費に加え、候補者をPRするためのポスターやチラシの印刷・宅配費も膨れ上がる。野党候補との激戦区になると、費用はさらに増していく。
「100万円をけちって選挙で落ちたら後悔するでしょ」
一方、自民党本部は選挙前から情勢調査を繰り返し、各選挙区の状況を把握する。激戦区には、幹事長をはじめとする党幹部が応援に入り、遊説する。久米によると、その際には党幹部が候補者に陣中見舞いとして現金を渡す。「幹部が演説して『はい、さよなら』というわけにいかない。人間社会の常識でしょ」
陣中見舞いの相場は1人100万円。党幹部は選挙期間中、1日3カ所を回ることも珍しくない。「1日に300万円。衆院選なら12日間やって3600万円。(100万円を受け取った候補者は)飲み食いに使う余裕なんてない。必要なことに使う」と説く。
選挙の際に陣中見舞いを渡すのは法律で認められている。政治家同士でやりとりする場合なら、それぞれの政治団体の政治資金収支報告書や候補者の選挙運動費用収支報告書に書けばいいが、久米が語るのは「表に出さないカネ」。政党が政治家個人に渡し、使途を報告する義務がない「政策活動費」だ。
「だいたい車中でぱっと相手の懐に(現金入りの封筒を)突っ込みますよ。それが表に出ないカネ」。こう明かす久米は続けた。「当選するためにできることはする。だって戦だもん。勝たないと意味がない。100万円をけちって落ちたら後悔するでしょ」
疑問なのは、なぜ「表のカネ」として処理しないのかということだ。陣中見舞いを渡したい政治家の政治団体や政党支部の口座に振り込み、領収書をもらって収支報告書に載せれば政治資金規正法に則った寄付になる。
表に出さない理由について久米は「出す方も、もらった方も名前を出してもらいたくないという人がいる」と説明した。その答えに記者が首をひねっていると、久米は「選挙運動はボランティアという体裁を取っている。後援会のメンバーから『先生は50万円もらっているの』と言われたら嫌だし」と言葉を継いだ。やはり記者の腹には落ちなかった。
なぜ水面下で陣中見舞いをやりとりするのか。ある元自民党国会議員が取材に応じた。選挙の時に応援に来た党幹部から100万円をもらったが、収支報告書には載せなかったという。表に出さなかった理由については「他の選挙区の候補者から『なんであそこだけに100万円を出すのか』となってしまう」と語った。
政策活動費 選挙の年に増額 二階氏に47億円
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2022年に自民党本部が党幹部に支出した政策活動費
取材を進めると、選挙の舞台裏でやりとりされる現金の多くが政策活動費から出ていることは間違いないように思えた。政策活動費のデータとも符号する。
自民党の政策活動費をみると、衆院選があった21年は党幹部ら25人に計約17億円、参院選があった22年は15人に計約14億円が支出された一方、選挙がなかった20年の総額は12人に対して計約10億円と、大きく減っている。
政策活動費は、党内を仕切る幹事長に傾斜配分される。21年10月まで5年にわたり幹事長を務めた二階俊博が在任中に受領した政策活動費の総額は約47億円に上る。匿名を条件に取材に応じたある幹事長経験者は国政選挙に使われることを認め「当選ラインに乗る可能性がある候補者に資金投入することはあり得る」と明かした。
信じられないほどの現金が飛び交った選挙として、19年の参院選広島選挙区がある。元法相の河井克行(61)の妻で自民党公認候補だった案里(50)が初当選を果たしたが、選挙から3カ月後に買収疑惑が浮上。検察の捜査で地方議員や後援会員ら100人に計2871万円をばらまいていたことが分かり、河井夫妻は有罪判決を受けた。
検察は重要な証拠を克行宅から押収していた。「総理2800 すがっち500 幹事長3300 甘利100」と手書きされたメモだ。このメモに基づき、検察は幹事長だった二階が3300万円を元法相に渡していたとみていたが、捜査は進展しなかった。
記者が国会内で二階に質問をぶつけた。二階は「河井さんが書き残しておったからといって(裏金が)あったかどうかを俺に聞いたって分からない。メモがあるというなら持ってこい」とすごんだ。激戦区にカネを投入することがあるかと尋ねると「そんなこと知らない」と返答。そうしたカネがあったのかどうか、明確な回答は返ってこなかった。
「政治とカネ」の改革が問われる今国会で、政策活動費の見直しは焦点の一つになっているが、自民党は当初から見直しに背を向けてきた。今月に入ってようやく使途公開の独自案を示したが、公開の対象は限定的で、透明化にはほど遠い内容だ。一方で、野党の多くは政策活動費の禁止を求めており、今後の与野党協議は難航が予想される。岸田文雄首相が明言した通り、6月23日に会期末を迎える今国会中の法改正に与野党で合意できるが焦点となる。(文中敬称略)
取材を終えて
自民党の元事務局長の証言から浮かび上がるのは、昭和の名残が色濃い政治のありようだ。右肩上がりの経済成長が続き、政治家の特権が容認されていた昭和はとうに過ぎ去った。当時の慣行が今の有権者に受け入れられるとは到底思えない。選挙の激戦区に陣中見舞いが必要なら、堂々と使途を公開する形で配ればいいのではないか。
※この記事は中国新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です
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選挙の陣中見舞い「機密費から100万円捻出」 自民党元官房長官の証言、にじむ悔恨(中国新聞「決別 金権政治」取材班 5月30日)
自民党の選挙戦では、「表に出さないカネ」が水面下で飛び交ってきた。そうしたカネの原資の一つとして取り沙汰されてきたのが、内閣の要である官房長官が一手に扱う内閣官房報償費(機密費)。ある元官房長官は「選挙に使ったことがある」と打ち明ける。国の施策推進のために予算化されている機密費の選挙への流用は、目的外使用の疑いをはらむ。(4回続きの3回目)
前任長官から引き継がれた「機密費の使い道」
高層ビルが立ち並ぶ東京の都心。あるビルの一室で中国新聞の記者と向き合ったスーツ姿の高齢の男性が、言葉を絞り出すように語り始めた。
この男性は、2000年以降の自民党政権で官房長官を務めた元政権幹部。「どこそこにいくら、どこそこにいくらみたいなのを前任の官房長官から引き継いだ。自分が使うことより『ここへ』と言われて出した感じだった」。赤裸々に打ち明けたのは機密費の使い道だ。
機密費の目的は「国の施策の円滑かつ効率的な推進」。おおむね毎月1億円が国庫から支給され、官房長官の執務室の金庫に現金で保管される。年間の総額は約12億円。長官の判断で機動的に支出でき、領収書は取らなくてもいい。
内閣が抱える課題の情報収集や関係者の調整など、水面下での活動に使われるとされるが、使途は一切公表されないため実態は分からない。国会の野党対策や外遊に行く国会議員への餞別に充てられたとの証言や指摘もある。「権力行使の潤滑油」とも呼ばれ、首相官邸に陣取る政権中枢の一部しか触れることができないカネだ。
「出してはいけない」 原資は税金
その機密費を選挙に使うことはあるのか―。記者の問いかけに、この元官房長官は「あると思う」と語った。実際、国政選挙の候補者の選挙応援に行った時に、陣中見舞いとして渡す100万円を機密費から捻出したという。「首相が行けないから代わりに行ってくれと言われ、仕事みたいに思っていた。何らかのものを渡さないといけないと思った」と振り返った。
しかし、「国の施策推進」のための機密費を選挙に使うことは適切なのか。記者の質問に、元官房長官は言葉を詰まらせた。「厳密に言えば選挙ではいけないと思う。税金だから」。本来の目的を外れた不適切な支出だったと認めた。その表情には悔恨の念がにじんでいた。
ブラックボックスの使途 「月1千万円を総理に」野中元官房長官証言
機密を大義名分に、使途が公表されない機密費。一定期間を経た後にチェックする仕組みもなく、目的外の使用があっても分からないのが現状だ。
それでも、関係者が口を開いたり、出所不明の記録が出てきたりして使途の一端が表面化したことはある。大きなインパクトを残したのは、10年に共同通信の取材に応じた野中広務(18年死去)の発言だ。
自民党の小渕内閣(1998~99年)で官房長官を務めた野中は、国会で野党対策に当たる自民党国対委員長や参院幹事長にそれぞれ毎月500万円程度を渡していたと暴露。前長官からの引き継ぎ簿に基づき、政治評論家や野党議員にも配っていたと語った。
いずれも、国益や人命を守るための極秘活動に使われる機密費のイメージとは大きくかけ離れた使途ばかり。野中は「悪癖を直してもらいたい」と訴えた。自らが月に5千万~7千万円の機密費を管理し、首相にも毎月1千万円を渡していたことも明かした。
首相から2800万円提供疑惑 「機密費で出せないことはない」
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2019年参院選広島選挙区を巡る裏金疑惑
野中の「告発」の2年後に誕生した安倍政権を巡っては、機密費流用疑惑が持ち上がっている。舞台となったのは、19年参院選広島選挙区を巡る大規模買収事件だ。
この事件では、元法相の河井克行(61)が妻の案里(50)を当選させる目的で広島県内の地方議員や後援会員ら100人に計2871万円を渡した公選法違反罪で有罪が確定。捜査は終了しているが、「総理2800 すがっち500 幹事長3300 甘利100」と手書きされたメモの存在が昨年9月、中国新聞の取材で明らかになった。
メモは捜査当時の20年1月、元法相宅を捜索した検察当局が押収していた。検察は、当時首相の安倍晋三(22年死去)が2800万円、官房長官の菅義偉が500万円、自民党幹事長の二階俊博が3300万円、党選挙対策委員長の甘利明が100万円を提供した疑いがあると分析。首相官邸に陣取る安倍と菅は機密費、党幹部の二階と甘利は政策活動費から出した可能性があるとみていたが、元法相がメモに関する取��調べに応じず、捜査は進展しなかった。
メモは元法相らの公判でも提出されず、闇に葬られていた。中国新聞が報道した昨年9月時点では、既に安倍は亡くなっており、取材はかなわなかった。残る3人は中国新聞の取材に応じ、菅と二階が現金提供を否定した一方、甘利はメモの記載通り100万円の提供を認めた。
安倍の2800万円提供疑惑に関し、前述の元官房長官に「機密費から出すことは可能なのか」と聞いてみた。「いろいろあるやつを集めて一つにして出せないことはない。毎月1億円が入ってくるから」。無理をすれば出せる額だとの答えが返ってきた。
「どう使っても違法にならないカネ」
後日、別の官房長官の下で官房副長官を務めた元衆院議員が取材に応じた。注目したのは、検察が押収したメモにある「すがっち500」の記載。当時官房長官だった菅が出そうと思えば、メモが示す500万円は機密費から容易に出せる額と断じた。
19年参院選で広島選挙区は全国有数の激戦区となり、注目を集めていた。「政権の命運に影響を与える選挙。それならば機密費を使う理屈にできる」。こんな見立てを語り、機密費をこう例えた。
「使途を明かす必要がなく、『この世に存在しないはずのカネ』があるようなもの。どういう使い方をしても、違法にならない」
年間約12億円の国費で賄われているのに、領収書を取らずとも支出でき、使途は一切公表されない機密費。今回の中国新聞の報道を機に、野党から運用の見直しや使途公開を求める声があらためて上がっている。しかし、政府は5月24日、過去に選挙向けに支出されたことがあるかどうかについて「現内閣において確認を行うことは考えていない」とする答弁書を閣議決定した。チェック機能の強化に向けた運用見直しも考えていないとし、不適切な取り扱いがあった際の罰則規定は不要との認識も示した。
機密費の性格上、即時の使途公開は難しいとしても、事後のチェックの仕組みや不適切な支出を防ぐルールは欠かせない。政府は税金の重みをかみしめ、見直しに動いてほしい。(文中敬称略)
取材を終えて
国益や国民を守るための機密費が、国政選挙の陣中見舞いに使われたと語った元官房長官の証言は重い。ただ、これは氷山の一角だろう。機密費は使途が公表されず、領収書を取る必要すらないため、使う側の規律がゆるみ、本来の目的を外れて使われているケースは少なくないのではないか。このままでは国民の不信が高まるばかりだ。
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機密費の使途公開巡る動きなく、相次ぐ疑惑 「国民との約束」踏み切れなかった民主党政権(中国新聞「決別 金権政治」取材班 5月31日)
選挙を巡る不透明なカネとして、使途が非公表の内閣官房報償費(機密費)にも疑惑の目が向けられている。2009年に政権交代を果たした民主党政権が使途の公開を検討したが、結論を出せないままで幕を閉じた。12年に返り咲いた自民党政権では使途公開の動きは途絶え、機密費を巡る疑惑が相次ぐ。13年の参院選で首相だった安倍晋三が候補者に100万円を提供した疑いが発覚。機密費の流用もささやかれる。(4回続きの4回目)
「やるべきだった」元民主党政権幹部の悔恨
「機密費の使途を明らかにしなかったのは本当に心残り。国民との約束でもあり、やるべきだった」。09年の政権交代で誕生した民主党の鳩山政権で官房副長官を務めた松野頼久(63)は悔しそうに振り返る。
鳩山政権が発足する8年前の01年、当時野党だった民主党は「官房機密費流用防止法案」を国会に提出した。機密費と呼ばれる内閣官房報償費の支払い記録の作成と保存を義務づけ、機密の程度に応じて10~25年後に公表させるための法案だ。事後であっても使途を公表することで、目的外への流用を防ぐ狙いがあった。自民党などの賛成を得られず廃案となったが、8年を経て実現した政権交代によって使途公開への期待が高まった。
使途公開に踏み切れなかった民主党政権
政権中枢にいた松野は、当時の法案に沿って使途公開に踏み切るよう求めたが、官房長官だった平野博文(75)は賛同しなかった。まずは機密費を1年間運用した上で、一定期間が経過した後に使途を公表できるかを検討する方針を示した。その後、鳩山政権は9カ月で退陣に追い込まれ、使途公開の可否に結論を出せなかった。
なぜ使途公開に踏み切らなかったのか。平野は中国新聞の取材に「機密費(の実態)を自分で見ていないので、全部をオープンにできるのか分からなかった」と語った。
鳩山政権は1年ともたずに退陣したが、平野は官房長官として在任中に機密費を使った。最も多い使途を尋ねると「情報収集の費用が多かった」と説明。さまざまな政権課題の関係者らと極秘で面会する際に相手側の交通・宿泊費や会場のホテル代を支払ったとした。自民党政権と同様、国会の野党対策の費用にも使ったという。
機密費の使途公開「ものによってはできる」
一定期間後の使途公開は可能なのか―。平野は「ものによっては出せる」と明言した。情報収集の費用は「(相手がいるから)難しい」としつつも、国会対策や政権内の組織運営のための費用は「出せる」と語った。
鳩山政権退陣後、菅政権を経て11年9月に野田政権が発足。30年後の機密費の使途公開を検討したが、12年12月の衆院選で大敗し、政権は自民党に戻った。使途公開を検討する動きは途絶えた。
一方で、機密費を巡る疑惑は後を絶たない。昨年11月、元国会議員で石川県知事の馳浩が東京五輪の招致活動で、開催都市決定の投票権を持つ国際オリンピック委員会の委員に、機密費を用いて贈答品を渡したと発言。後に発言を撤回した。19年参院選広島選挙区の大規模買収事件では、主犯の元法相河井克行(61)に対し、当時首相の安倍晋三(22年死去)が2800万円、官房長官の菅義偉が500万円を提供した疑惑が浮上。機密費が使われたのではないかとの見方が出ている。
安倍首相が13年参院選で候補者に100万円 報告書記載なし 機密費か
安倍を巡っては、別の疑惑も持ち上がっている。13年の参院選で東日本の選挙区の自民党候補者に100万円を渡していた疑いがあることが中国新聞の取材で判明した。
この候補者によると、参院選中に安倍が応援演説に入った当日、個室で面会する場面があり、安倍からA4判の茶封筒を受け取った。茶封筒の中には白い封筒が入っており、その中に100万円が入っていたという。
候補者は100万円の趣旨について「陣中見舞いのような感じで差し出された。厳しい選挙戦の足しにしてほしいという意味と思った」と説明。「表にしないカネ」と受け止め、選挙運動費用や政治団体の収支報告書には記載しなかったという。
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2013年の参院選での安倍晋三首相の「裏金」提供疑惑
安倍が関係する政治団体の収支報告書にも100万円の記載はなかった。どこから出した現金なのか。自民党の元幹部らによると、政権幹部が候補者の応援に行った際に渡す陣中見舞いは党の政策活動費から出すことがあるという。政策活動費は使途を明らかにする義務がなく、事実上の裏金と指摘される。
ただ、13年の党本部の収支報告書を見ると、政策活動費は幹事長だった石破茂に10億円超が渡っていたが、安倍に提供された記載はない。複数の元政権幹部は、機密費から出していた可能性があると指摘する。
政権中枢の「政治とカネ」の不透明な実態に国民の不信感はかつてなく高い。「官房長官は機密費、自民党の幹事長は政策活動費をばらまく。金権政治ここに極まれりだ」と話すのは法政大大学院教授の白鳥浩(現代政治分析)。「政治とカネの透明性を上げて、国民への説明責任を果たしていくことが重要」と強調する。
現在開会中の通常国会は会期末(6月23日)に向け、終盤に入っている。今後は、政治資金を透明化するための改革が最大の焦点になる。不透明なカネを国民に見える形にするのか。われわれ国民は、各党の動きに目をこらす必要がある。次の衆院選で投票先を考える際の大きな判断材料となる。(文中敬称略)
取材を終えて
機密費は、今国会で検討中の「政治とカネ」改革では議論の遡上に上っていない。しかし、かねてから選挙への流用や国会対策などに充てられてきた疑惑が浮上し、そのたびに国会で物議を醸してきた。選挙への流用疑惑は今も取り沙汰されている。「政治とカネ」の改革の機運が出ている今こそ、機密費の使途公開や使い道のルールを定める時ではないか。
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theatrum-wl · 6 months
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【投稿企画】先月の1本・来月の1本(2024年3月)
読者の方々からお寄せいただいた3月の「先月の1本・来月の1本」をご紹介します。先月の観劇の記憶を思い起こしながら、来月の観劇のご予定にお役立ていただければと思います。
・谷岡健彦 教員(1~5本) 【先月の1本】 東京芸術劇場「インヘリタンス」(東京芸術劇場 プレイハウス) いくつか演出に首をかしげるところがあったものの、とにかく戯曲が力強かった。E・М・フォースターの『ハワーズ・エンド』のみごな変奏。前後編合わせて6時間半の長さが少しも気にならない。 【来月の1本】 フジテレビジョン/サンライズプロモーション東京 「『GOOD』ー善き人ー」(世田谷パブリックシアター) 善良な知識人がナチスに加担してゆくさまを描いた秀作。最近、NTライブで上映された舞台があまりに完成度が高かったので、長塚圭史がどのようなアプローチをするのか、期待が半分、不安が半分。
・さわら 会社員(11本以上) 【先月の1本】 二兎社「パートタイマー・秋子」(東京芸術劇場 シアターウエスト) 寂れ始めた中小企業のスーパーが舞台の作品。それが犯罪行為と言われるものであっても、ミニマムな環境下でこの行為が「日常」である場合に、人は正しくいれるのか。社会生活上の多くの縮図をコメディ的に描く手腕の見事さに感嘆とした。 【来月の1本】 本多企画「ULSTER AMERICAN」(「劇」小劇場) 本多劇場グループ×海外戯曲シリーズ。 俳優と演出家と作家の3人芝居。ブラック・コメディとのことだけど、イギリスの脚本なので皮肉も風刺も露悪的かもしれない(偏見) 人間が本質的に抱える問題を真正面から捉えることになりそうで今からドキドキです。
・かちとも 会社員(11本以上) 【先月の1本】 東京芸術劇場「インヘリタンス」(東京芸術劇場 プレイハウス) 前後篇合わせて6時間半という長丁場。キャスト皆さん素晴らしかったが、中でもトビー役の田中俊介さんが放つ激しいエネルギーに圧倒された。後篇のみ登場する麻実れいさんの、快活な南部の女性が素敵な彩りを見せた。 【来月の1本】 シス・カンパニー「カラカラ天気と五人の紳士」(シアタートラム) 加藤拓也さんが別役実作品を演出。この時点で漂う不穏な空気。既に、観終わった瞬間の後味の悪さが想像出来てワクワクする。砂をかじるような観劇体験ができそうで、期待している。
・小泉うめ 観劇人・観客発信メディアWL(6~10本) 【先月の1本】 守口市立図書館「Mの航跡」(守口市立図書館 円形ホール) 地域の歴史から世界の未来を考える。筒井加寿子さんとこの町の距離感が成功の要因。 【来月の1本】 青年団「銀河鉄道の夜」(こまばアゴラ劇場) 青年団第100回公演。サヨナラこまばアゴラ劇場。
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kennak · 1 year
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8月7日に公開された「ワシントンポスト」のある記事が、日本国内で大きな波紋を呼んでいる。同記事は日本の防衛省が被った “世紀のハッキング事件” を報じたものだ。 「記事によると2020年の秋、防衛省の機密情報が中国当局にハッキングされていることを、米国の国家安全保障局(NSA)が掴みました。『衝撃的にひどい』被害だったため、NSA長官で、米国サイバー軍のトップ、ポール・ナカソネ大将と、当時国家安全保障担当の大統領副補佐官だったマシュー・ポッティンジャー氏の2人が日本に駆けつけました」(現地紙記者)  2人は日本政府にこの事件を報告し、対策を講じるように伝えた。ところが、2021年の秋になっても、日本政府は十分なハッキング対策をしていないことが発覚。再び、米国の政府高官が “説教” をするため来日したというのだ。 「冒頭のように、記事全体を通じて米国高官たちの怒りがにじみ出たような内容でした。『日本側はこの問題がただ過ぎ去ることを望んでいた』という米国高官の感想も掲載されており、日本政府が被害を隠蔽しようとしている、という米側の不信感が露わになっています」(同前)  実際、「ワシントンポスト」の記事について、浜田靖一防衛大臣は「サイバー攻撃により、防衛省が保有する秘密情報が漏洩したとの事実は確認しておりません」と否定している。  だが、「異例の事態ですよ」と語るのは、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏だ。 「そもそも2020年秋の段階で、ナカソネ大将といった高官が直接来日するということ自体が、問題の深刻さを表わしています。こういうことは、非公式に伝えられるものですからね。  さらに一部の情報では、今回の記事はホワイトハウスではなく、米国防総省が直接リークしたそうです。リーク先に『ワシントンポスト』という権威あるメディアを選んだあたりにも、ペンタゴンの怒りが伝わってきます」  では、肝心の習近平に盗まれた “機密情報” とはいったいなんなのか。国際ジャーナリストの山田敏弘氏は、「すべてです」と語る。 「防衛省の内部にある機密ネットワークにアクセスされたのであれば、すべての情報が筒抜けになったはずです。防衛省の人事や兵器の詳しい性能はもちろん、人民解放軍にとっていちばんありがたいのは、台湾有事の際の迎撃計画でしょうね。  いざ台湾が侵攻された際、イージス艦や潜水艦、戦闘機をどこに配置するのか、各部隊はどこで指揮を執り、米軍とどう協力するのか……。これらの超機密情報がすべて盗まれたと考えるべきです。米国が問題視しているのは、こうした情報には米軍の機密情報も含まれているということです。  さらに心配なのは、今回の事件がネット回線を通じたものではない可能性です。防衛省の機密ネットワークは、インターネットから遮断されています。そこにアクセスできたということは、防衛省内部や関係者に中国の協力者がいることになります」  黒井氏によると、日本に攻撃を仕掛けたのは、中国のハイブリッドな “凄腕ハッカー集団” だという。 「中国軍戦略支援部隊内のネットワークシステム部でしょうね。正式名称は『32069部隊』です。  この部隊は、2つの部隊が合併してできました。敵国の言語や社会に詳しい通信傍受をする部隊と、エレクトロニクスや数学に長けた電子戦部隊です。いわば、“文系” と “理系” のプロが一緒になっているんです。  たとえば、日本の事情に詳しい隊員が、関係者に成りすまして防衛省にメールを送る。そしてそのメールには、ハッカーが作成した巧妙なウイルスが紛れ込んでいる……という作戦ができるんです」  だが、米国にどれほど叱られようと、日本が中国から身を守る方法はなさそうだ。 「日本も今年、防衛費の増額が決まった際、サイバー部門に人や予算をつけるということになりました。しかし、中国のサイバー部隊はそんなレベルじゃないんですよ。  日本を超える速度で強化しているので、なかなか対抗できないんです。インテリジェンスに詳しい関係者は、今回の報道も『やっぱりな』と受け止めていますからね」(同前)  作戦計画が筒抜けになり、大敗を喫したミッドウェー海戦から81年。歴史から何も学んでいない。
米国防総省が “日本の隠蔽” にキレた! 防衛省から盗まれた「台湾有事迎撃計画」犯人は人民解放軍32069部隊(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
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coolgang1957 · 6 months
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永遠に不滅って筒井康隆せんせーのこと?
13桁ISBN9784103145349 ぐったり疲れた🥱 学生時代はキャッキャ言うて 面白がってたはずやのに、 年くったかなぁ😅 この人の担当変酋者いや編集者は、 文章に意見とか言えるんやろか 校正できるんやろか もう心配で心配で失禁しそうです🤣 それぞれの話をレビューするのは もうしんどいのでひとつだけ感想、 〝ニューシネマ「バブルの塔」〟 の最終ページにでる作者お薦めの 詐欺師たちの顔ぶれは、 もう絶叫するほど嬉しい😆 あとを継いだからって、 まだ死らないでくださいね。 そうか、 大切な人がいなくなった人には 夢の中に居る って言ってあげれば良いのか 1 漸然山脈 2 コロキタイマイ 3 白笑疑 4 ダークナイト・ミッドナイト 5 蒙霧升降 6 ニューシネマ「バブルの塔」 7 レダ 8 南蛮狭隘族 9 縁側…
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ryufurusawa · 6 months
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やまなしメディア芸術アワード2023-24 入選作品展
https://y-artaward.jp/exhibition.php
2024年3月9日(土)― 3月31日(日)
入場料|無料
会場|山梨県内 複数会場 (古澤の作品はFUJIHIMUROにて)
「やまなしメディア芸術アワード」(YMAA)は、創造性にあふれる地域社会の実現をめざして、山梨県が取り組む芸術文化創造のための公募プログラムです。高い表現力や想像力あるいは高度なデジタル技術を有する人材育成を目的とし、独創性の高い作品を顕彰するとともに、アートアワードを新たな価値や技術を創出するプラットフォームと位置づけています。
第3回目の開催となる今回は、青柳正規(山梨県立美術館館長、多摩美術大学理事長、元文化庁長官)を審査委員長として、荒牧悠(アーティスト、多摩美術大学美術学部統合デザイン学科講師)、伊村靖子(国立新美術館学芸課情報資料室長、主任研究員)、小坂井玲(山梨県立美術館学芸員)、高尾俊介(クリエイティブコーダー、甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授)、山形一生(アーティスト、2022年度Y-GOLD受賞)、吉開菜央(映画作家、ダンサー)の6氏が審査委員を務めています。
本展では、国内外378点の応募作品から一次審査で選出された入選作品20点を、山梨県内3エリアとオンラインにて発表します。甲府、北杜、富士吉田の4つの文化拠点を会場にして、会期中に最終審査会を開催し、Y-GOLD(最優秀賞)、Y-SILVER(優秀賞)、山梨の地域特性に新たな価値や意味を創出するY-CRYSTAL(山梨県賞)を決定します。
山梨県は、豊かな地域社会の未来に向けて、芸術文化創造のインキュベーションに取り組みはじめました。世界中で経済活動や社会構造が大きく変化する現在、本入選作品展を通して、新しい創造性に触れていただき、想像力や好奇心を広げる機会にしていただければ幸いです。
入選作品(ファイナリスト) ※会場別・作家かな順
[甲府会場] 小さな蔵の美術館
《I stitch my skin to the ground》宇佐美奈緒
《Solarisation / 遭難|Getting Lost》大岩雄典
《春 ハイレモンの観察》亀井里咲
《Unreal Pareidolia -shadows-》Scott Allen
《Observing Variation / 差異の観測》森田明日香
[北杜会場] GASBON METABOLISM
《音楽劇「声のゆくえ」》大久保雅基
《Hyle(s)》大原崇嘉
《Round and Round and Round》小田陽菜乃
《water ripples》studio muku
《Fire Server》高見澤峻介
《防災無線通信》永田風薫 ※上演
《Body Memory》ノガミカツキ
《愛情★ぼし》李姿婷
[富士吉田会場] FUJIHIMURO
《滑琴狂走曲 in 秋田!(カッキンラプソディー・イン・アキタ)/ KAKKIN Rhapsody in Akita!》おおしまたくろう
《Nevermore》couch 助成:公益財団法人小笠原敏晶記念財団、公益財団法人パブリックリソース財団、横浜市文化芸術活動応援プログラム
《unsound dresser : 化粧箱、鳴ラナイ》筒 | tsu-tsu
《Mirror#Narcisse》新津亜土華
《Mid Tide》古澤龍
《閾 | Threshold》宮下恵太
[富士吉田会場] FabCafe Fuji
《防災無線通信》永田風薫 ※記録展示
[オンライン]
《code play/码上演绎》楊慶新
※上演・上映作品のプログラムの詳細につきましては、ウェブサイトおよびSNSをご確認ください。
開催概要
会期|2024年3月9日(土) ~  3月31日(日)
入場料|無料
主催|山梨県
後援|東京藝術大学、多摩美術大学、山梨大学、山梨日日新聞・山梨放送、テレビ山梨、エフエム富士、エフエム甲府
やまなしメディア芸術アワードウェブサイト|https://y-artaward.jp
X |@y_artaward
Facebook|@ YamanashiMediaArtsAward
会場
[甲府会場]
・小さな蔵の美術館(甲府市丸の内1-1-25 甲州夢小路内)
開館時間|10:00-18:00(入館は17:30まで)
休館日|火曜日
[北杜会場]
・GASBON METABOLISM(北杜市明野町浅尾新田12)
開館時間|11:00-17:00
休館日|火・水・木曜日
[富士吉田会場]
・FUJIHIMURO(富士吉田市富士見1-1-5)
開館時間|11:00-17:00
休館日|火曜日
・FabCafe Fuji(富士吉田市下吉田3-5-16)
開館時間|8:00-17:00
休館日|火曜日
※オンラインの作品は、やまなしメディア芸術アワードウェブサイトにアクセスいただきご覧ください。
やまなしメディア芸術アワードウェブサイト|https://y-artaward.jp
審査委員長
青柳 正規(山梨県立美術館館長、多摩美術大学理事長、元文化庁長官)
審査委員
荒牧悠(アーティスト、多摩美術大学美術学部統合デザイン学科講師)
伊村靖子(国立新美術館学芸課情報資料室長、主任研究員)
小坂井玲(山梨県立美術館学芸員)
高尾俊介(クリエイティブコーダー、甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授)
山形一生(アーティスト、2022年度Y-GOLD受賞)
吉開菜央(映画作家、ダンサー)
展示風景
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gaebage · 7 months
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『クレージーのぶちゃむくれ大作戦』
 紛うことなき古澤憲吾監督のクレージー映画、という印象。テンポが良く、クレージーの面々の役どころ・扱いも全く不足なく面白く観られる。遊園地や山奥を使ったドタバタ場面なども大変に面白い。
 とはいえやはりクレージーそのものがもう時代を捉まえていないような、そんな印象がそこはかとなく漂う。こればかりは仕方がない。クレージーの面々も功なり名を遂げ既に四十の坂、出世を目論む若手社員を演じられる年齢でもない。『ニッポン無責任時代』で植木等が出てきた瞬間、パーっと光が差すような、あの感覚はどこにもない。だがそれが却って映画としての出来の良さを純に伝えているようにも思う。
 しかし改めて1968年時点での”コンピュータ”2024年時点でのAI的なものと捉えられていたのだなとちょっと可笑しみを覚えた。��民の大半がコンピュータを手のひらの上にのせて生活の一部として使い倒すようになるなんて、とても想像できなかっただろうしな。
 あとあれ、この頃はSF第一世代の人たちが活躍した頃でもあったのかな。小松左京平井和正星新一筒井康隆なんてあたりの人たちが。なんかそんな時代状況が反映されているようにも見える。
2024/03/03 Amazonプライムビデオ 東宝チャンネル
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wangwill66 · 8 months
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敗筆
H:寫不出字的筆叫敗筆,儲存的資料查不到叫敗資。最近整理很多筆用完了,功成身退。有些筆,未寫放久油乾寫不出,只好烘烤,熱水軟化,再不行即棄筆。有筆堪寫直須寫,莫待筆乾空畫紙。存了很多資料未分類查不到,敗資。徒勞而無功!資料名稱慎始!20240122W1
網路字典:
敗筆
用壞了的筆。宋.蘇軾〈石蒼舒醉墨堂〉:「君於此藝亦云至,堆牆敗筆如山丘。」《儒林外史》第五五回:「他取了一管敗筆,蘸飽了墨,把紙相了一會,一氣就寫了一行。」
書畫或詩文中的疵病。宋.黃庭堅《山谷題跋.卷六.子弟誡》:「敗筆涴墨,瘝子弟職。」《兒女英雄傳》第二六回:「從通部以至一回,乃至一句一字,都是從龍門筆法來的,安得有此敗筆。」
儒林外史/第55回
儒林外史第五十五回 添四客述往思來 彈一曲高山流水
  話說萬曆二十三年,那南京的名士,都已漸漸銷磨盡了。此時虞博士那一輩人,也有老了的,也有死了的,也有四散去了的,也有閉門不問世事的。花壇酒社,都沒有那些才俊之人﹔禮樂文章,也不見那些賢人講究。論出處,不過得手的就是才能,失意的就是愚拙。論豪俠,不過有餘的就會奢華,不足的就見蕭索。憑你有李、杜的文章,顏、曾的品行,卻是也沒有一個人來問你。所以那些大戶人家,冠、昏、喪、祭,鄉紳堂裏,坐著幾個席頭,無非講的是些陞、遷、調、降的官場;就是那貧賤儒生,又不過做的是些揣合逢迎的考校。那知市井中間,倒出了幾個奇人。
  一個是會寫字的。這人姓季,名遐年,自小兒無家無業,總在這些寺院裏安身。見和尚傳板上堂喫齋,他便也捧著一個缽,站在那裏,隨堂喫飯。和尚也不厭他。他的字寫的最好,卻又不肯學古人的法帖,只是自己創出來的格調,由著筆性寫了去。但凡人要請他寫字時,他三日前,就要齋戒一日,第二日磨一天的墨,卻又不許別人替磨。就是寫個十四字的對聯,也要用墨半碗。用的筆,都是那人家用壞了不要的,他纔用。到寫字的時候,要三四個人替他拂著紙,他纔寫。一些拂的不好,他就要罵、要打。卻是要等他情願,他纔高興。他若不情願時,任你王侯將相,大捧的銀子送他,他正眼兒也不看。他又不修邊幅,穿著一件稀爛的直裰,靸著一雙破不過的蒲鞋。每日寫了字,得了人家的筆資,自家喫了飯,剩下的錢就不要了,隨便不相識的窮人,就送了他。
  那日大雪裏,走到一個朋友家,他那一雙稀爛的蒲鞋,踹了他一書房的落泥。主人曉得他的性子不好,心裏嫌他,不好說出,只得問道:「季先生的尊履壞了,可好買雙換換?」季遐年道:「我沒有錢。」那主人道:「你肯寫一幅字送我,我買鞋送你了。」季遐年道:「我難道沒有鞋,要你的!」主人厭他腌臢,自己走了進去,拿出一雙鞋來,道:「你先生且請略換換,恐怕腳底下冷。」季遐年惱了,並不作別,就走出大門,嚷道:「你家甚麼要緊的地方!我這雙鞋就不可以坐在你家!我坐在你家,還要算抬舉你!我都希罕你的鞋穿!」一直走回天界寺,氣哺哺的又隨堂喫了一頓飯。喫完,看見和尚房裏擺著一匣子上好的香墨,季遐年問道:「你這墨可要寫字?」和尚道:「這昨日施御史的令孫老爺送我的。我還要留著轉送別位施主老爺,不要寫字。」季遐年道:「寫一幅好哩。」不由分說,走到自己房裏,拿出一個大墨盪子來,揀出一定墨,舀些水,坐在禪床上替他磨將起來。和尚分明曉得他的性子,故意的激他寫。他在那裏磨墨,正磨的興頭,侍者進來向老和尚說道:「下浮橋的施老爺來了。」和尚迎了出去。那施御史的孫子已走進禪堂來,看見季遐年,彼此也不為禮,自同和尚到那邊敘寒溫。季遐年磨完了墨,拿出一張紙來,鋪在桌上,叫四個小和尚替他按著。他取了一管敗筆,蘸飽了墨,把紙相了一會,一氣就寫了一行。那右手後邊小和尚動了一下,他就一鑿,把小和尚鑿矮了半截,鑿的殺喳的叫。老和尚聽見,慌忙來看,他還在那裏急的嚷成一片。老和尚勸他不要惱,替小和尚按著紙,讓他寫完了。施御史的孫子也來看了一會,向和尚作別去了。
  次日,施家一個小廝走到天界寺來,看見季遐年,問道:「有個寫字的姓季的可在這裏?」季遐年道:「問他怎的?」小廝道:「我家老爺叫他明日去寫字。」季遐年聽了,也不回他,說道:「罷了。他今日不在家,我明日叫他來就是了。」次日,走到下浮橋施家門口,要進去。門上人攔住道:「你是甚麼人,混往裏邊跑!」季遐年道:「我是來寫字的。」那小廝從門房裏走出來,看見道:「原來就是你!你也會寫字?」帶他走到敞廳上,小廝進去回了。施御史的孫子剛在走出屏風,季遐年迎著臉大罵道:「你是何等之人,敢來叫我寫字!我又不貪你的錢,又不慕你的勢,又不借你的光,你敢叫我寫起字來!」一頓大嚷大叫,把施鄉紳罵的閉口無言,低著頭進去了。那季遐年又罵了一會,依舊回到天界寺裏去了。
  又一個是賣火紙筒子的。這人姓王,名太。他祖代是三牌樓賣菜的。到他父親手裏,窮了,把菜園都賣掉了。他自小兒最喜下圍棋。後來父親死了,他無以為生,每日到虎踞關一帶賣火紙筒過活。那一日,妙意庵做會。那庵臨著烏龍潭。正是初夏的天氣,一潭簇新的荷葉,亭亭浮在水上。這庵裏曲曲折折,也有許多亭榭。那些遊人都進來頑耍。王太走將進來,各處轉了一會,走到柳陰樹下,一個石臺,兩邊四條石凳,三四個大老官簇擁著兩個人在那裏下棋。一個穿寶藍的道:「我們這位馬先生前日在揚州鹽臺那裏下的是一百一十兩的彩,他前後共贏了二千多銀子。」一個穿玉色的少年道:「我們這馬先生是天下的大國手,只有這卞先生受兩子還可以敵得來。只是我們要學到卞先生的地步,也就著實費力了!」王太就挨著身子上前去偷看。小廝們看見他穿的襤褸,推推搡搡,不許他上前。底下坐的主人道:「你這樣一個人,也曉得看棋?」王太道:「我也略曉得些。」撐著看了一會,嘻嘻的笑。那姓馬的道:「你這人會笑,難道下得過我們?」王太道:「也勉強將就。」主人道:「你是何等之人,好同馬先生下棋!」姓卞的道:「他既大膽,就叫他出個醜何妨!纔曉得我們老爺們下棋,不是他插得嘴的!」王太也不推辭,擺起子來,就請那姓馬的動著。旁邊人都覺得好笑。那姓馬的同他下了幾著,覺的他出手不同。下了半盤,站起身來道:「我這棋輸了半子了!」那些人都不曉得。姓卞的道:「論這局面,卻是馬先生略負了些。」眾人大驚,就要拉著王太喫酒。王太大笑道:「天下那裏還有個快活似殺矢棋的事!我殺過矢棋,心裏快活極了,那裏還喫的下酒!」說畢,哈哈大笑,頭也不回,就去了。
  一個是開茶館的。這人姓蓋,名寬,本來是個開當舖的人。他二十多歲的時候,家裏有錢,開著當舖,又有田地,又有洲場。那親戚本家都是些有錢的。他嫌這些人俗氣,每日坐在書房裏做詩看書,又喜歡畫幾筆畫。後來畫的畫好,也就有許多做詩畫的來同他往來。雖然詩也做的不如他好,畫也畫的不如他好,他卻愛才如命,遇著這些人來,留著喫酒喫飯,說也有,笑也有。這些人家裏有冠、婚、喪、祭的緊急事,沒有銀子,來向他說,他從不推辭,幾百幾十拿與人用。那些當舖裏的小官,看見主人這般舉動,都說他有些獃氣,在當舖裏儘著做弊,本錢漸漸消折了。田地又接連幾年都被水淹,要賠種賠糧,就有那些混帳人來勸他變賣。買田的人嫌田地收成薄,分明值一千的只好出五六百兩。他沒奈何,只得賣了。賣來的銀子,又不會生發,只得放在家裏秤著用。能用得幾時?又沒有了,只靠著洲場利錢還人。不想夥計沒良心,在柴院子裏放火,命運不好,接連失了幾回火,把院子裏的幾萬柴盡行燒了。那柴燒的一塊一塊的,結成就和太湖石一般,光怪陸離。那些夥計把這東西搬來給他看。他看見好頑,就留在家裏。家裏人說:「這是倒運的東西,留不得!」他也不肯信,留在書房裏頑。夥計見沒有洲場,也辭出去了。又過了半年,日食艱難,把大房子賣了,搬在一所小房子住。又過了半年,妻子死了,開喪出殯,把小房子又賣了。可憐這蓋寬帶著一個兒子,一個女兒,在一個僻淨巷內,尋了兩間房子開茶館。把那房子裏面一間與兒子、女兒住。外一間擺了幾張茶桌子。後簷支了一個茶爐子。右邊安了一副櫃臺。後面放了兩口水缸,滿貯了雨水。他老人家清早起來,自己生了火,搧著了,把水倒在爐子裏放著,依舊坐在櫃臺裏看詩畫畫。櫃臺上放著一個瓶,插著些時新花朵,瓶旁邊放著許多古書。他家各樣的東西都變賣盡了,只有這幾本心愛的古書是不肯賣的。人來坐著喫茶,他丟了書就來拿茶壺、茶杯。茶館的利錢有限,一壺茶只賺得一個錢,每日只賣得五六十壺茶,只賺得五六十個錢。除去柴米,還做得甚麼事!
  那日正坐在櫃臺裏,一個鄰居老爹過來同他談閒話。那老爹見他十月裏還穿著夏布衣裳,問道:「你老人家而今也算十分艱難了,從前有多少人受過你老人家的惠,而今都不到你這裏來走走。你老人家這些親戚本家,事體總還是好的,你何不去向他們商議商議,借個大大的本錢,做些大生意過日子?」蓋寬道:「老爹,『世情看冷暖,人面逐高低』!當初我有錢的時候,身上穿的也體面,跟的小廝也齊整,和這些親戚本家在一塊,還搭配的上。而今我這般光景,走到他們家去,他就不嫌我,我自己也覺得可厭。至於老爹說有受過我的惠的,那都是窮人,那裏還有得還出來!他而今又到有錢的地方去了,那裏還肯到我這裏來!我若去尋他,空惹他們的氣,有何趣味!」鄰居見他說的苦惱,因說道:「老爹,你這個茶館裏冷清清的,料想今日也沒甚人來了,趁著好天氣,和你到南門外頑頑去。」蓋寬道:「頑頑最好,只是沒有東道,怎處?」鄰居道:「我帶個幾分銀子的小東,喫個素飯罷。」蓋寬道:「又擾你老人家。」
  說著,叫了他的小兒子出來看著店,他便同那老爹一路步出南門來。教門店裏,兩個人喫了五分銀子的素飯。那老爹會了帳,打發小菜錢,一經踱進報恩寺裏。大殿南廊,三藏禪林,大鍋,都看了一回。又到門口買了一包糖,到寶塔背後一個茶館裏喫茶。鄰居老爹道:「而今時世不同,報恩寺的遊人也少了,連這糖也不如二十年前買的多。」蓋寬道:「你老人家七十多歲年紀,不知見過多少事,而今不比當年了。像我也會畫兩筆畫,要在當時虞博士那一班名士在,那裏愁沒碗飯喫!不想而今就艱難到這步田地!」那鄰居道:「你不說我也忘了。這雨花臺左近有個泰伯祠,是當年句容一個遲先生蓋造的。那年請了虞老爺來上祭,好不熱鬧!我纔二十多歲,擠了來看,把帽子都被人擠掉了。而今可憐那祠也沒人照顧,房子都倒掉了。我們喫完了茶,同你到那裏看看。」說著,又喫了一賣牛首豆腐乾,交了茶錢,走出來,從岡子上踱到雨花臺左首,望見泰伯祠的大殿,屋山頭倒了半邊。來到門前,五六個小孩子在那裏踢球,兩扇大門倒了一扇,睡在地下。兩人走進去,三四個鄉間的老婦人在那丹墀裏挑薺菜,大殿上槅子都沒了。又到後邊五間樓,直桶桶的,樓板都沒有一片。兩個人前後走了一交,蓋寬歎息道:「這樣名勝的所在,而今破敗至此,就沒有一個人來修理!多少有錢的,拿著整千的銀子去起蓋僧房道院,那一個肯來修理聖賢的祠宇!」鄰居老爹道:「當年遲先生買了多少的傢伙,都是古老樣範的,收在這樓底下幾張大櫃裏,而今連櫃也不見了!」蓋寬道:「這些古事,提起來令人傷感,我們不如回去罷!」兩人慢慢走了出來。鄰居老爹道:「我們順便上雨花臺絕頂。」望著隔江的山色,嵐翠鮮明,那江中來往的船隻,帆檣歷歷可數。那一輪紅日,沉沉的傍著山頭下去了。兩個人緩緩的下了山,進城回去。蓋寬依舊賣了半年的茶。次年三月間,有個人家出了八兩銀子束修,請他到家裏教館去了。
  一個是做裁縫的。這人姓荊,名元,五十多歲,在三山街開著一個裁縫鋪。每日替人家做了生活,餘下來工夫就彈琴寫字,也極喜歡做詩。朋友們和他相與的問他道:「你既要做雅人,為甚麼還要做你這貴行?何不同些學校裏人相與相與?」他道:「我也不是要做雅人。也只為性情相近,故此時常學學。至於我們這個賤行,是祖父遺留下來的,難道讀書識字,做了裁縫就玷污了不成?況且那些學校中的朋友,他們另有一番見識,怎肯和我們相與!而今每日尋得六七分銀子,喫飽了飯,要彈琴,要寫字,諸事都由得我。又不貪圖人的富貴,又不伺候人的顏色,天不收,地不管,倒不快活?」朋友們聽了他這一番話,也就不和他親熱。
  一日,荊元喫過了飯,思量沒事,一經踱到清涼山來。這清涼山是城西極幽靜的所在。他有一個老朋友,姓于,住在山背後。那于老者也不讀書,也不做生意,養了五個兒子,最長的四十多歲,小兒子也有二十多歲。老者督率著他五個兒子灌園。那園卻有二三百畝大,中間空隙之地,種了許多花卉,堆著幾塊石頭。老者就在那旁邊蓋了幾間茅草房,手植的幾樹梧桐,長到三四十圍大。老者看看兒子灌了園,也就到茅齋生起火來,煨好了茶,喫著,看那園中的新綠。這日,荊元步了進來,于老者迎著道:「好些時不見老哥來,生意忙的緊?」荊元道:「正是。今日纔打發清楚些,特來看看老爹。」于老者道:「恰好烹了一壺現成茶,請用杯。」斟了送過來。荊元接了,坐著喫,道:「這茶,色、香、味都好,老爹,卻是那裏取來的這樣好水?」于老者道:「我們城西不比你城南,到處井泉都是喫得的。」荊元道:「古人動說桃源避世,我想起來,那裏要甚麼桃源,只如老爹這樣清閒自在,住在這樣城市山林的所在,就是現在的活神仙了!」于老者道:「只是我老拙一樣事也不會做,怎的如老哥會彈一曲琴,也覺得消遣些。近來想是一發彈的好了,可好幾時請教一回?」荊元道:「這也容易。老爹不厭污耳,明日我把琴來請教。」說了一會,辭別回來。
  次日,荊元自己抱了琴來到園裏,于老者已焚下一爐好香,在那裏等候。彼此見了,又說了幾句話。于老者替荊元把琴安放在石凳上。荊元席地坐下,于老者也坐在旁邊。荊元慢慢的和了弦,彈起來,鏗鏗鏘鏘,聲振林木,那些鳥雀聞之,都栖息枝間竊聽。彈了一會,忽作變徵之音,淒清宛轉。于老者聽到深微之處,不覺悽然淚下。自此,他兩人常常往來。當下也就別過了。
〈(維基編入者著: 五十五回版本)〉   看官!難道自今以後,就沒一個賢人君子可以入得《儒林外史》的麼?詞曰:記得當時,我愛秦淮,偶離故鄉。向梅根冶後,幾番嘯傲﹔杏花村裏,幾度徜徉。鳳止高梧,蟲吟小榭﹔也共時人較短長。今已矣!把衣冠蟬蛻,濯足滄浪。無聊且酌霞觴,喚幾個新知醉一場。共百年易過,底須愁悶﹔千秋事大,也費商量!江左煙霞,淮南耆舊,寫入殘編總斷腸。從今後,伴藥爐經卷,自禮空王。
〈(維基編入者著: 五十六回版本)〉   看官!難道自今以後,就沒一個賢人君子可以入得《儒林外史》的麼?但是他不曾在朝廷這一番旌揚之列,我也就不說了。畢竟怎的旌揚,且听下回分解。
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catonoire · 8 months
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「HAIBARA Art & Design 和紙がおりなす日本の美」展
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三鷹市美術ギャラリーで「HAIBARA Art & Design 和紙がおりなす日本の美」展を見る。高級和紙などを商う榛原(はいばら)の製品を中心に、和紙デザインを堪能できる企画展である。
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最初のコーナーは「江戸から明治の榛原」。雁皮紙——神の王様と称された高級和紙——の関連資料、買物案内の本、商品の一覧表、商品の見本帳などが並ぶ。酒井抱一の絵を用いた団扇もあり、高級品らしい作りなのが見て取れる。和紙舗である榛原、金花堂、今井の3店が、抱一、渡辺崋山、椿椿山などに声をかけ、彼らの絵を版にした団扇を製作していたとのこと。
次は千代紙の勢揃い。明治時代のものが圧倒的に多く、一部大正時代のものも。現代でも十二分に通用する洒落た意匠が印象的である。河鍋暁斎や川端玉章といったいわばビッグネームがデザインを手がけた千代紙も展示されていた。図案の考案者がクレジットされていない千代紙の中では、榛原を象徴する菱形をデザインした「菱文」、そして機織りのシャトルを図案化した「杼(ひ)」が特に気に入った。「杼」はぱっと見には麻雀の点棒のようにも見えておもしろい。
次いで「四季のうつろいと和紙」のコーナー。春夏秋冬、1月から12月までを表すデザインの紙製品、たとえば団扇、絵短冊、大小暦などが並ぶ。変わり種としては、キャセイパシフィック航空のために誂えた団扇などもあり、手広い仕事ぶりがうかがえる。
「画家たちとの交流」コーナーでは、河鍋暁斎、柴田是真、綾岡有真、伊藤綾春・綾園、竹久夢二をフィーチャーしている。特に榛原の3代目当主は美術に対する関心が深く、同時代の美術家や文人と積極的に交流をしていた由。展示品の中でまず目を引いたのは、河鍋暁斎の描き表装の肉筆画「弾琴五美女憩いの図」。とんでもなく上手くて舌を巻いた。また、伊藤綾園の「菊」「月下の菊」も凛とした佇まいが美しい作品だった。
最後は「交わす、贈る 〜美しく可憐な小間紙たち」。絵封筒、熨斗、ぽち袋のような、現代の生活の中にも見られる紙製品が集められている。これを見た後で特設ショップへ足を運べば何かしら欲しくなってしまう人が多いだろうと思う。
小学生向けのリーフレットも美しく楽しい仕上がり。表紙の右端が和綴じ風にデザインされているのが気が利いている。
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すぐ下の画像の右下のアイテムは、明治時代ごろの「波に鴛鴦」柄の千代紙。デザインした人の名は不明だが、波間に浮かぶオシドリが愛らしく、色の取り合わせも良く、1枚欲しくなる千代紙だった。
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shintani24 · 4 months
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2024年5月28日
「熊が歩いている」保育園の近くでも…住宅街にクマ 近隣の高校は臨時休校 警察が住民に警戒を呼びかけ 広島・廿日市市(RCCニュース)
広島県廿日市市の住宅街で28日朝、クマが目撃されました。警察は住民に警戒を呼びかけています。
警察によりますと、28日午前5時半ごろ、廿日市市桜尾の廿日市高校の近隣で「クマが高校の塀を乗り越えていった」と新聞配達員から警察に連絡がありました。
その後も、廿日市市内で「クマが歩いているのを見た」といった目撃情報が相次ぎました。
米田健太郎記者 「保育園にも近い場所でもクマの目撃情報がありました。近くの砂地には熊の足跡もあったということです」
警察に寄せられた目撃情報によると、クマは1頭で行動していて、大きさは1m程度とみられています。現在のところ、人的被害は確認されていないということです。
クマの目撃情報を受け、付近の学校では廿日市高校が臨時休校となったほか、佐方小学校では、下校時に警察官や教職員が通学路でパトロールを行うということです。
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中国電力に課徴金16億円 過去最高額、不当な料金表示 消費者庁(時事通信)2024年5月28日
家庭向けの電気料金プランを巡り、規制料金より実際は割高の場合があるのに安くなるかのように表示したとして、消費者庁は28日、中国電力(広島市)に対し、景品表示法違反(有利誤認)で課徴金16億5594万円の納付命令を出した。
同法の課徴金としては過去最高額。
同庁によると、中国電力は2022~23年、2種類の電気料金プランで、国の認可を受けた規制料金「従量電灯A」と比べ、「年間1万円お得」などと表示していた。
実際には、燃料費の変動を反映させる「燃料費調整額」が高くなり、規制料金より割高の場合があった。同庁は昨年8月、再発防止などを求める措置命令を出していた。
同社は今年4月、規制料金との差額を返金することを発表。対象となる契約は26万件で、返金総額は最大10億円程度の見込み。対象者には、今月から順次案内を送付している。
同社担当者は「お客や関係者に迷惑をかけ、おわび申し上げる。課徴金納付命令を重く受け止め、再発防止に努める」としている。
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「はい、これ」 中身100万円 甘利氏、車中で茶封筒手渡す 選挙の「裏金」(中国新聞)2024年5月28日
「はい、これ。お役立てください」。慣れた手つきで差し出された茶封筒に��100万円が入っていた―。
自民党派閥の裏金事件をはじめ、政界の不透明なカネの問題が後を絶たない。具体的な使途はなかなか明らかにならないが、選挙の際に使われているとの指摘が多い。前代未聞の買収事件が起きた2019年の参院選広島選挙区でも政権中枢からの裏金疑惑が持ち上がっている。なぜ不透明なカネが横行するのか。出どころはどこなのか―。中国新聞の記者が取材を進めると、現在の国会で問題になっている政策活動費の存在が浮かび上がってきた。(4回続きの1回目)
手渡された「現金」、後援会幹部の困惑
5年前。19年参院選で全国有数の激戦区だった宮城選挙区(宮城県)。予期せぬ出来事は選挙戦3日目の7月6日に起きた。
それは、密室ともいえる車の中。自民党公認候補だった愛知治郎(54)の後援会幹部男性が、応援演説に来てくれた自民党の大物政治家に代理で応対していた。愛知本人は別ルートで遊説中だったためだ。「はい、これ。お役立てください」。丁寧な口調で語りかけられた。
慣れた手つきで差し出されたのは1枚のクリアファイル。A4判の茶封筒が挟まっていた。「選挙の資料か何かかな」。そう思って受け取った。
事務所に戻って封筒を開けると、出てきたのは1万円札が100枚。帯封で束になっていた。「どう処理したら…」。男性は初めての経験に驚くとともに、困惑した。候補者に迷惑がかかるものかも―。すぐに返したかったが、その政治家は立ち去った後だった。
その大物政治家とは、自民党の選挙対策委員長だった甘利明(74)だ。経済産業相や自民党政調会長を歴任した衆院議員13期の大ベテラン。首相で総裁の安倍晋三(22年に死去)を支える党四役の一角として、党の選挙を仕切っていた。勝敗は自身の責任論にも直結する。
収支報告書に100万円の記載なし
現金100万円入りの封筒は後援会幹部の男性を驚かせたが、政党から候補者側への資金提供は政治資金収支報告書に記載することを条件に法律で認められている。「選対委員長とか幹事長とかそれなりの人は手ぶらで来るわけにはいかないのだろう」。甘利の意図を、参院議員を3期務めた愛知はそう推し量る。後援会幹部からの報告を受け、100万円は収支報告書に記載するように事務方に指示したという。
「以前の参院選でも応援に来た党幹部から現金入りの封筒を渡されたことがある」と、愛知は明かす。遊説に使う党の車で2人になった時に渡されたという。「わざわざ現金で渡すから意味がある。応援してやったという形ができるから」。そうしたカネでつながる関係性を「自民党のあしき慣習」と批判する。
ただ、100万円を出した側の甘利の主な政治団体や自民党の収支報告書には100万円の記載はいずれもなかった。カネの出どころはどこなのか。愛知に尋ねると、「それは分からない」。一転、表情を曇らせた。
陣中見舞いの原資は政策活動費か 甘利氏は8060万円受領
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自民党本部に対し、甘利氏が発行した2019年の政策活動費の領収証。参院選10日前の6月24日には5千万円を受け取っていた
政治資金は政治団体や政党を通じてやりとりするのが原則で、双方が収支報告書に載せる必要がある。甘利が愛知に提供した100万円で考えると、報告書に記載しないことが認められているのは「政策活動費」くらいしか考えられない。
政策活動費は、政党が政治家個人に支出する。受け取った政治家がどう使ったかを報告する義務はない。制度上の欠陥を突き、与野党双方が自由に使える「裏金」として活用してきた。
19年の自民党の収支報告書を見ると、甘利は1月23日に500万円▽5月8日に1560万円▽6月6日に1千万円▽6月24日に5千万円―を受領。7月4日に始まった参院選までに計8060万円の政策活動費を受け取っていた。何に使ったのかは書かれていない。
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2019年の甘利氏を巡るカネの流れ
甘利によると、この参院選で同じく激戦になっていた広島選挙区(広島県)でも自民党公認候補の河井案里の夫で元法相の克行(61)に100万円を渡した。
甘利が元法相に渡した100万円もやはり、甘利が関係する政治団体の収支報告書に記載されていない。それが発覚したのは、元法相がこの参院選で起こした大規模買収事件がきっかけだった。捜査を進めていた検察当局が元法相の自宅を捜索した際に裏金提供疑惑を示すメモを発見、押収していたのだ。
メモはA4判。「総理2800 すがっち500 幹事長3300 甘利100」と手書きで記されていた。関係者によると、検察当局は、当時首相だった安倍が2800万円、官房長官だった菅義偉が500万円、党幹事長だった二階俊博が3300万円、甘利が100万円を提供した疑いがあると分析していた。ただ、元法相は取り調べに応じず、安倍ら4人の幹部を任意聴取することもなく、捜査を終えていた。
昨年9月、中国新聞が関係者への取材でこのメモの存在をつかみ、報道した。故人の安倍を除く全員を取材した結果、菅と二階、元法相の3人は現金のやりとりを否定したが、甘利はメモの記載通り100万円の提供を認め「選対委員長として陣中見舞いで届けたと思う」と説明。全国の党公認候補の陣営へ一律に渡した陣中見舞いだったとし、原資は党の資金だったと述べた。陣中見舞いの原資は政策活動費だった可能性が高まっている。
陣中見舞い「陣営に気合を入れるため」
この参院選で甘利は応援で全国各地を回った。そのうち、少なくとも広島と宮城では候補者側に陣中見舞いとして100万円を渡していた。8千万円超の政策活動費を使い、全国の候補者に現金を配っていたのだろうか―。
中国新聞の取材に対し、甘利は文書で回答した。政策活動費の使途については「使途公開は政治活動の自由とも密接に関わる。お答えは差し控える」とし、明かさなかった。
政策活動費の使途について党選挙対策委員長の経験者の一人が取材に応じた。重点選挙区を回る際に地元の党県連幹部や候補者の妻に陣中見舞いの現金を渡したと明かした。100万円のケースが多かったという。「(陣営の)気合を入れるためだ」
東京大大学院教授の谷口将紀は選挙の際に地方議員に陣中見舞いを渡す贈答文化が相当残っているとし「政策活動費も陣中見舞いのような形で渡されている部分が大きいだろう」と指摘。「政策活動費は、表の金から裏の金に抜ける大きな抜け穴になっている。抜け穴をふさぎ、問題の再発を防ぐための改革をしないといけない」と強調する。(文中敬称略)
取材を終えて
中国新聞「決別 金権政治」取材班
政策活動費は選挙にも使われているとされるが、自民党は具体的な説明をしようとしない。そんな中、参院選で党幹部から100万円を受け取ったという愛知治郎氏の後援会幹部の証言はリアリティを感じる。政策活動費をこうした陣中見舞いに使っているなら、自民党は正々堂々と説明すべきだろう。
※この記事は中国新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です
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高速5号二葉山トンネル 夜間作業開始 住宅地区間の掘削完了 広島(広島ホームテレビ)2024年5月28日
広島高速5号二葉山トンネルの工事で住宅地がある地区の掘削が完了しました。今後は夜間の掘削が開始されます。
広島高速道路公社によりますと広島高速5号二葉山トンネルの工事で、夜間の作業をしないことで地区住民と合意していた牛田地区約550mの掘削が、24日に完了したということです。
牛田地区の掘削は2021年4月に始まりましたが、基準を超える地表面の隆起や掘削機のカッター破損などが相次ぎ、当初の予定から2年近く遅れての完了となりました。
二葉山トンネルの残りの区間は約320mで、日中に加えて午後8時以降の夜間も作業を行います。
公社は今後、夜間の騒音や振動を計測しながら工事を進めていくとしています。
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