Tumgik
#立川漁場
chikuri · 2 months
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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rabbitboy · 3 months
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「東京湾には水質がきれいで現在も漁業が行われているところもある。あくまでも競技場周辺のエリアの話だが、埋め立てで水質が悪化したことに加え、大雨などでオーバーフローした下水が河川を通じて流れ込むことがあります。病原性大腸菌の数が多く、食用には適しません」 味に関しても、評価は厳しい。 「そもそも国内で流通するマガキはほぼ100パーセント養殖物で、味や形を整えるために生産工程が管理されたもの。カキは海中の浮遊物を取り込むので、そのエリアの海のにおいがそのまま食べたときの香りやにおいになる。佃煮にしたらまだごまかせるかもしれませんが…たぶん、おいしくないですよ」
まだ続いていた東京五輪の戦い…相手は「カキ」 東京都が億単位のカネを投じて延命する「負の遺産」:東京新聞 TOKYO Web
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kennak · 2 months
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◆報道後も3億円かけ100トン除去 都は、2019年以降も2度にわたって、さらに計17トンのカキを除去。2021年夏の東京五輪は乗り切った。 ただ、カキ問題はこれで終わりではない。 都は、五輪後も4回にわたって計83トンのカキの除去を余儀なくされた。4年前に東京新聞がカキの大量発生を報じた後も、カキの除去に計3億円の経費がかかっていた。 このままだと、またカキが付着してしまう。 海の森水上競技場は、五輪のレガシー(遺産)として、五輪閉幕後も解体せず活用。一般に開放するほか、国際大会や全国大会の誘致を目指していた。 五輪会場の後利用のために、カキ対策は避けては通れなかった。 ◆「カバーに効果」でも20年間で14億円 都は2021年7月から専門家を招き、抜本的な対策を検討し始めた。 候補に挙がったのは、 ①海水を電気分解して貝の付着を抑える次亜塩素酸を発生させる ②装置にカバーを取り付ける ③定期的に装置をワイヤーで吊り上げる ④消波装置を石積みで下から支える の4つの案。 5回にわたる検討会議の結果、消波装置にカバーをかけてカキの付着を防ぐのが最も費用対効果が高いと結論付けた。装置の編み目をビニール製のカバーで覆うことで、稚貝をくっつきにくくする狙いだ。 専門家が「最も経済的な案」と判定したカバー案。それでも消波装置のうち316基に付けるとなると、その費用だけで1億5000万円がかかった。 これでカキ対策も万全と思いきや、「カキの発生を完全には防げない」(施設の運営を担当する東京都スポーツ施設部)というのだ。 カキの幼生は肉眼では見られないほど小さく、カバーの隙間から消波装置に付着する可能性が高い。東京都スポーツ施設部の浅田宗(そう)・前施設整備担当課長(3月当時)は「今後も年に1回は装置を陸に引き揚げて清掃する必要がある」と話す。 すでにカキ対策に6億円を投じている都だが、カバーを設置しても2042年までの20年間で計14億円かかるというのだ。 試算額に、浅田課長は「正直、決して小さな額ではない」と認める。「当初想定しなかったカキの大量発生があった中で、健全な競技環境を整えなければならない。必要最低限の費用で、効果的な対策をとるよう知恵を出して努力している」と理解を求める。 ◆「負の遺産」強化合宿は今も戸田で 「すごい、そんなにお金がかかるとは…」 カキ除去に14年間で20億円かかるとの都の試算に、埼玉県ボート協会の和田卓理事長は一瞬、言葉を詰まらせた。 和田氏は、海の森水上競技場の建設前から「風や波が強く、競技に不向きだ」と疑問を投げかけてきた。 和田氏の指摘に、「波や風の対策を講じるので問題ない」と言い張ってきたのが東京都だった。その結果、五輪が終わっても莫大な維持コストが都民にのしかかることになった。 和田氏は「当時、懸念していたことが、そっくりそのまま現実になった。競技に適さない場所なのに無理やり作ったツケだ」と憤る。 和田氏によると、海の森水上競技場ができた今も、1964年東京五輪のボート会場だった「戸田漕艇場」(埼玉県戸田市)で強化選手の合宿が行われているという。 都は、海の森水上競技場を戸田漕艇場に代わる新たな「ボートの聖地」にしたい考えだ。しかし、五輪後、海の森が一般開放されても、首都圏の大学や社会人の練習拠点は戸田漕艇場に残ったまま。 和田氏は「海の森水上競技場は、海水なので舟が傷みやすいし、消波装置があっても波が高い。使えない上に、たくさんの税金を垂れ流すだけの負の遺産でしかない」と言い切る。 波を防ぐ装置に発生した大量のカキを除去するため、今後も20年間で14億円かかることが判明した海の森水上競技場。一方、波とともに懸念されていた強風対策でも毎年、費用がかかることに。そのコストたるや…。 ◆100年前は東京産が全国トップ カキの産地といえば、広島県や宮城県が有名だが、東京にそのイメージはない。農林水産省の統計では、東京都の養殖カキの収穫量はここ20年ほどゼロが続く。 なぜ大量発生したのか。明確な原因は、都も分からないという。 文献を調べてみると、意外な事実が分かった。 実は古くから、東京湾の台場や葛西、大森周辺には多くの天然ガキがいた。明治期には養殖も盛んになり、昭和初期にかけて、東京都がカキの生産量や金額で全国トップだった時期もあった。 「東京都内湾漁業興亡史」にまとめられた東京都のカキの生産高。明治~昭和初期には全国トップだった時期もあった 「東京都内湾漁業興亡史」にまとめられた東京都のカキの生産高。明治~昭和初期には全国トップだった時期もあった 東京都漁連内の団体が1971年に発行した「東京都内湾漁業興亡史」によると、東京都は1905(明治38)年に養殖カキの生産量が全国1位。1926(昭和元)年と1931(昭和6)年には、天然カキの販売金額も、それぞれ全国1位だった。 東京都水産課の担当者は、「隅田川や荒川、江戸川、多摩川をはじめ多くの河川から水が流れ込む東京湾は栄養が豊富で、本来は漁場としての生産性が非常に高い。 高度経済成長期に海面を埋め立て、都市開発を優先して漁業権を廃止するまで、東京都はアサリやハマグリ、ノリなども含めて漁業が盛んでした」と説明する。 漁獲されていなかっただけで、これまでずっと東京湾の至る所にカキは存在していた。 海の人工構造物にすみ付きやすいカキにとって、突如出現した海の森の消波装置は表面の編み目がくっつくのにぴったりだった。 陸揚げされた消波装置の編み目に付着したカキ殻=東京都江東区で 陸揚げされた消波装置の編み目に付着したカキ殻=東京都江東区で ◆新しいご当地グルメに? 今回大量発生したのは、カキの中でもマガキと呼ばれる種類。国内で一般的に流通し、生食やフライ、鍋物などでよく食べられている。 予期せぬ事態を逆手にとって、ご当地グルメとして売り出すことはできないのか。 カキの衛生基準に詳しい、日本牡蠣協会オイスターズジャパンの三村大輔代表(41)は、「健康上の懸念から、難しいでしょう」ときっぱり言う。 「東京湾には水質がきれいで現在も漁業が行われているところもある。あくまでも競技場周辺のエリアの話だが、埋め立てで水質が悪化したことに加え、大雨などでオーバーフローした下水が河川を通じて流れ込むことがあります。病原性大腸菌の数が多く、食用には適しません」 味に関しても、評価は厳しい。 「そもそも国内で流通するマガキはほぼ100パーセント養殖物で、味や形を整えるために生産工程が管理されたもの。カキは海中の浮遊物を取り込むので、そのエリアの海のにおいがそのまま食べたときの香りやにおいになる。佃煮にしたらまだごまかせるかもしれませんが…たぶん、おいしくないですよ」
まだ続いていた東京五輪の戦い…相手は「カキ」 東京都が億単位のカネを投じて延命する「負の遺産」:東京新聞 TOKYO Web
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le-tessia · 3 months
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なるほど、定期的に訪れる「民主党政権擁護」が再発してるんですね。
あのような惨劇は二度と繰り返してはなりません。あの時代がいかに酷いものであったか、いくらでも具体例を挙げて語れますので、支持者から叩かれることを覚悟で詳説していきましょうか。
個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。
(1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた
(2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した
(3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた
では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。
(1)国家運営能力の欠如
・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。
・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。
・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。
・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。
・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。
・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖閣事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。
・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。
・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。
・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。
(2)外交能力の欠如
・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。
・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。
・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。
・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。
・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。
・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。
・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。
(3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質
・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」
・菅総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」
・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」
・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決)
・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」
・赤松農水大臣⇒口蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」
・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」
・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞
・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影
・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上
・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑
・千葉法務大臣⇒落選後も留任
・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」
・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」
・柳田法務大臣⇒「答弁は二つ覚えておけばよい」
・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題
・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ
・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪
・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名
・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与
・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。
・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。
そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
https://x.com/nittaryo/status/1738566069697356187?s=46&t=1lgVS1ds3uqk5xvTqZM4Fw
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ari0921 · 7 months
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我が国の未来を見通す(95)
『強靭な国家』を造る(32)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 本テーマの講話の行脚が始まりました。札幌、大
阪、江戸川区某所で毎週連続して講話しました。
「これから話すことはすべて事実ですが、“知らな
い方が良かった”と思うかもしれません」と断って
から始まるようにしていますが、ほとんどの皆様が
我が国の課題や未来に待ち構えている“現実”を知
って、驚愕すると同時に、新たな問題意識を持つ方
も増えているような実感があります。
講話のビフォーとアフターでは聴衆の皆様の顔つき
(目つき)が変わるのがはっきりわかるのです。な
かでも「私たち・戦後世代は、生まれた時から何一
つ不自由なく大人になって、平穏な日々を過ごし、
なかにはまもなく人生を終えようとしている人たち
もおられることでしょう。しかし、このまま何もし
ないと、『戦後世代が何もしなかったせいで私たち
は今苦しんでいる』と後世から批判されるような気
がしてならないのです。戦後世代の責任として、後
世に我が国の有形無形の“資産”を残すためにも、
一人一人が我が事と考え、行動する時が来たのでは
ないでしょうか」と訴えると、多くの皆様がハッと
したような顔になります。
講話後の意見交換は“堰を切った”ように盛り上が
ります。「子供の世代をモヤっと心配していたが、
今回、はっきりと問題意識が持てた」とか「日本の
置かれている現状を考える機会になった」など様々
ですが、多くの皆様が思い思いの感想を率直に述べ
られます。
講話はまだ自衛隊の関係団体などに留まっています
が、「我が国の課題は、安全保障や防衛だけに留ま
らない」ことについても理解してもらっていると実
感しています。
さて、私は、『我が国の歴史を振り返る』を書く時
もそうだったのですが、このたびの『我が国の未来
を見通す』を発信するために、寸暇を惜しんで参考
になりそうな書籍の数々を読み漁ってきました。前
にも紹介しましたように、本屋に立ち寄ると、一直
線に読みたい書籍の前に立って、迷うことなく購入
して読破するというようなことを繰り返してきまし
た。
歴史書などは、著者がそれぞれの史観と切り口で解
説していますが、「これが私の見方だ」と自信があ
るのでしょう。多くの場合、自分以外の見方につい
ては紹介しませんし、「自分の解説がいかなる影響
を及ぼすか」などについては著者の関心外なのか、
まず触れることはありません。
一方、我が国の現状の課題や未来の問題点を語ろう
とする書籍は、必ず問題提起はするものの、その解
決策には触れないか、触れても自分の専門に拘(こ
だわ)って“了見の狭い提言でお茶を濁す”程度に
とどまっているものが多いことに気がつきました。
やはりプライドのようなものが邪魔するのでしょう
か、何か“食い足りない”と感じることもしばしば
でした。
その点、“失うものがない”私は、素人であること
を断った上で、浅学菲才や恥を顧みず、また世間の
有識者やマスコミの見方に惑わされず、感じたこと
や考えたことをどんどん発信するようにしてきまし
た。個々の専門分野の知識や洞察力については専門
家に到底かないませんが、専門家では気がつかなか
った“欠陥”を見つけたり、違った視点からみると、
専門家による利点が欠点になったり、またその逆に
なったり、さらには違った解決策を考えたり、・・
様々な発見がありました。
前にも一部触れましたが、「自衛隊は憲法違反」と
考える法律家を筆頭に、歴史家の「再軍備には反対
だが、歴史教育は改善が必要」、農業の専門家の
「戦車より農業」、経済の専門家の「防衛力整備よ
り経済成長」など、“木を見て森を見ず”のような
発言の数々に、個々の専門家たちの“限界”も感じ
ました。
最終的には、第4編「『強靭な国家』を造る」とし
て、試行錯誤しつつ取りまとめようとしていますが、
第4編を総括するにあたり、改めて、「我が国の
“原点”は何なのか」に思いが至り、前回、我が国
における「国家」の意味を再確認しましたが、ここ
まで来た以上、“現憲法のもとで「強靭な国家」を
造ることが可能かどうか”について少し掘り下げて
考えてみたいとの衝動にかられました。それをもっ
て第4編の総括にしたいと考えます。
ガザ地区では、一時停戦が(予期の通り)“束の
間”に終わって戦闘が再開しました。これによって、
それでなくとも厳しい現下の国際情勢がますます不
透明になることは避けられないと考えますが、我が
国の未来の“暗雲”にさらに重大な影響を及ぼすこ
とがないよう祈るばかりです。
▼現憲法下で「強靭な国家」を造ることができる
か?
 
さて、私の頭にいつの間にか浮かび上がり、決して
消えない問題は、“現憲法下で「強靭な国家」を造
ることが可能であろうか?”ということでした。講
話においても、最後に「現憲法下の『統治のかたち』
で『強靭な国家』を造ることができると思います
か?」と問いかけることにしています。
実は、先日の「神田古本まつり」で、偶然にもこの
「問い」に的確に答えてくれる書籍を見つけ、読破
し、考えさせられました。その本とは、講談社勤務
(当時)の互盛央(たがいもりお)氏が2016年
に上梓した『日本国民であるために』です。
著者は言語論とか思想史のプロですが、書籍のサブ
タイトルを「民主主義を考える4つの問い」として
巷の憲法学者などとは違った“切り口”で読者に問
いかけます。要約すれば、「国家の中の自由と我慢」
「民主主義の原理」「日本の特殊性」「日本国民で
あるためにどうすればよいか」の4つです。
私が特に印象に残ったのは、前回紹介しましたジョ
ン・ロックが「社会契約説を結ぶということは、み
ずからの『自然権』制限してでも『平和を求める』
ことである」とした考えが現憲法でどのように謳わ
れているかということでした。
私自身は、日本大学教授松崎彰容氏が『国家の尊厳』
(2021年発行)の中で述べている「人間には
『絶対的な自由』などありえないということ、自ら
が生きる時代と場所(国家)という制約を受け入れ
ざるをえない、ということに私たちは気づくべき」
との考えに同調するものですが、この考えも“みず
からの「自然権」を制限しても”とするロックの考
えそのものだろうと思うのです。もう少し詳しく踏
み込んでみましょう。
互氏は、フランス革命の「人権宣言」やアメリカ独
立宣言の中の「人間の権利」、つまり「人権」の正
体は、ロックが説いた「自然権」そのものであると
まず断言します。
我が国においては、この「人権」は「基本的人権」
と呼ばれ、憲法第11条に「国民は、すべての基本
的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保
障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権
利として、現在及び将来の国民に与えられる」と定
められています。そして「基本的人権」の尊重は、
第13条において「すべての国民は、個人として尊
重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の
権利については、公共の福祉に反しない限り、立法
その他の国政の上で、最大に尊重を必要とする」と
規定されていることを紹介します。
互氏は、この条文の元になったGHQ の草案などを
引き合いに出し、「日本国憲法が提示する『基本的
人権』もまた、ロックが説いた『自然権』そのもの
であり、(その覚えがあろうがなかろうが)日本国
民は『理念』として社会契約説を結んでおり、そう
である以上、私たちはその契約を守らなければなら
ない」と看破します。
さらに、「社会契約を結ぶということは、自らの
『自然権』を制限しても『平和』を求めることであ
り、統治者の側だけでなく、構成員(つまり国民)
の側も『平和』のために行動することが課せられて
いるのが社会契約に基づく国家である。『公共の福
祉』という表現は、そのことを示している」と付け
加えます。
この「公共の福祉」については、憲法第12条に
「この憲法に保障する自由及び権利は、国民の不断
の努力によって、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであって、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」
と書かれており、互氏は、「特に重要なのはこの後
半であり、『国民』は『基本的人権』を濫用しては
ならず、常に『公共の福祉のために』使う『責任』
を負っている」と強調するのです。
これ以上、深く追求するのは素人の限界なのでやめ
ますが、松崎氏も互氏も、そして憲法も、絶対的な
「自由」とか絶対的な「基本的人権」はあり得ず、
その“濫用を戒めるべき”としてしますが、我が国
においては、「自由」とか「人権」などが、“憲法
に定められた権利”としてどこはばかることなく闊
歩し、それを少しでも妨げようなどとするならば、
“国賊”とでも呼ばわりされるような「国柄」にな
ってしまいました。
ましてや、「公共の福祉に反しないかぎり」という
条文などは、「人権」を声高に叫ぶ有識者やマスコ
ミ人をはじめ、多くの国民は考えたこともないでし
ょうから、“常に「公共の福祉」のために「基本的
人権」を使う「責任」を有する”ことなどについて
は頭の片隅にもないことでしょう。
互氏はまた、「日本国民は、ロックが説いたように、
普段から理性的であるように努め、万が一、横暴な
行為がなされた時には、その反理性的なふるまいを
凌駕して是正するほどの理性を発揮することを期待
されている」とも解説していますが、これは、国内
の反理性的な“振る舞い”に対しても、あるいは国
外から来る“リバイアサン”(妖怪)に対しても、
それらを凌駕する“理性的行動”を発揮することが
「憲法の精神」として期待されていると読み取れる
と考えます。これからして、「国民は本来、国防の
義務のようなものを有している」とみなすことがで
きると私は思います。
私自身は、素人ながら長い間、現憲法には大きな欠
陥がたくさんあると考えてきました。一方、「強靭
な国家」を造るために“現憲法そのものを改正する
時間的余裕はない”、言葉を代えれば、我が国の未
来に降りかかるであろう“暗雲”に対しては“可能
な限り迅速に”その対策を講じる必要があると考え
ますので、互氏の解釈を参考にしつつ応用すれば、
現憲法下においても、「国家意思」の統一をはじめ、
「挙国一致」の態勢を造り上げることができるので
はないかとの“光明”が差してきたと感じておりま
す。
なぜならば、「『強靭な国家』を造る」ことは、現
下の我が国にあって、最大の「公共の福祉」である
と考えるからです。憲法は、「公共の福祉」を実現
するために、国民全員が「基本的人権」を使う「責
任」があると謳っているのです。つまり、憲法の精
神にのっとり、そのような「責任」を有する国民の
意思の集大成として「国家意思」を統一し、「『強
靭な国家』を造る」ことは可能ということではない
でしょうか。
唯物史観の人たちは、憲法第9条のように、自分た
ちにとって“都合のいい”部分だけを誇張し、日本
国憲法の根本的な所をあえて触れないようにしてい
るような気がしてならないのです。今こそ私たちは、
憲法の精神を訴え、その精神にのっとり、「『強靭
な国家』造り」に邁進することを高らかに宣言すれ
ばよいと考えます。
▼「統治のかたち」を考える
さて、大東亜戦争時に作戦参謀であった瀬島龍三氏
は、1998年に『大東亜戦争の実相』上梓し、自
らの経験を踏まえて様々な角度から大東亜戦争を振
り返りました。
それぞれの記述は、瀬島氏のご経験やお立場からな
のでしょう、そこはかとなく“遠慮気味”に記述さ
れていると感じざるを得ません。誤解を恐れずに申
し上げれば、“軍人の血”が共鳴するのでしょうか、
元自衛官の私は、氏が“本当に言いたいこと”、さ
らに、自らの経験から“本当に言い残しておきたい
こと”についてはオブラートに隠し、後世に託した
という気がしてならないのです。
瀬島氏は、最後の章で「7つの教訓」を取りまとめ
ています。その教訓3に「時代に適応しなくなった
旧憲法下の国家運営能力」とあります。明治憲法下
の国家運営統制機能は、すべて天皇に集中帰一して
いたとする一方、行政権を輔弼する国務大臣や統制
権を輔翼する陸海軍統帥部長は規定されていても、
行政権を一元的に統制補佐する「内閣府」や陸海軍
統帥部長を一元的に統制補佐する、いわゆる「統合
司令部」(有事は「大本営」を設置)のような機構
は憲法には規定されていませんでした。
これを補っていたのが「元老」であったことは、今
では明白な事実となっていますが、ここにこそ、明
治時代初期の時代背景を踏まえた憲法起草者・伊藤
博文の“知恵”があったことも事実でした(細部は
省略します)。しかし、大正時代になってこの「元
老」たちが次々に他界し、その後の国家運営統制機
能には大きな欠陥が生じることになりました。瀬島
氏は、そのような事実を例示しつつ、教訓3として、
「『国家運営能力』は時代に適合したものでなけれ
ばならない」と後世に託したのでした。
さて現代です。前述した例からわかるように、現憲
法にも、時代の変化にかかわらず普遍的存在として
残さなければならないものがたくさんあるのは自明
ですが、もはや憲法が起草された戦後と現代では
“時代が大きく様変わりした”ことについては異論
がないことでしょう。
この間、たびたびの解釈改憲が行なわれ、今日に至
っていますが、憲法学者によっても解釈が変わるよ
うな“あいまいさ”を残したままではなく、「改正
がない点で世界最古の憲法」と指摘されるような憲
法から、我が国が「立憲主義」国家である以上、
「時代に適合した国家運営」の原理(準拠)として、
文字通りの“有効性”を発揮する憲法に改正する必
要あると考えます。
この「立憲主義」や「民主主義」などについても、
現憲法の持つ問題点など、互氏はとても興味深い切
り口で分析しています。興味のある方は紐解いてい
ただきたいと願っています。
ちなみに、互氏が本書を通じて最も言いたかったの
は、「日本国民であるために」でしたが、氏は、憲
法前文を再び引き合いに出して重要な指摘をしてい
ます。前文に書かれた文言の細部の解釈については
私の能力を超えますが、要は、実際の前文と最終的
なGHQ草案には大きな相違があり、中でも草案に
あった「私たち」が前文では見事に消え去っている
と指摘します。その「私たち」は誰なのか、しかし、
日本の「主権」はその「私たち」の手の中にあると
指摘しているのです。
その「私たち」こそは“アメリカ人”であり、「前
文は、国民主権を『宣言』し、日本国憲法を『制定』
し、『確立』したのは“アメリカ人”である」とい
う歴史的事実を記述したものであると指摘します。
「まさか」と思う方も多いことでしょうが、この考
え方は、トルーマン大統領が「日本を二度と武器を
持って、米国に立ち向かうことができない国にする」
との狙いをもって指示した『降伏後における米国の
初期の対日方針』とピッタリ符合します。
互氏は、その「私たち」を取り戻すことこそが「日
本国民であるため」の方法であるとの結論を導いて
います。具体的には、「憲法9条と日米同盟を同時
に破棄することである」と強調します。
私が、第4編総括の本旨から外れ、かつ現下の情勢
からその可能性を度外視して、あえてこのような指
摘を紹介した訳は、かつて三島由紀夫氏の将来の日
本の姿を見透かしたかのような指摘をはじめ、安倍
元総理が(どこまで踏み込もうとしたかは不明です
が)「戦後レジームからの脱却」を掲げて果敢に取
り組んだこと、それ以外にも保守の論客などがおし
なべて「誇りある国家」とか「真の独立」などと叫
ぶ背景にはこのような事実があることを理解する必
要あると考えたことにあります。
一方、それらとは逆に、唯物主観の護憲派の学者た
ちがこのような“憲法に隠された事実”を十分知っ
た上でなおかつ隠ぺいしつつ、「憲法は日本人の手
で作られた」と主張しているのではないか、との疑
義が脳裏をかすめたこともあります。
私は、戦後の我が国の「統治のかたち」は、我が国
が2千年の長い歴史を有しながら、明治時代も戦後
も、欧米の「かたち」を模倣するような格好でその
「かたち」を作ってきました。
私は、我が国が理想とする「統治のかたち」は、
「皇国」と呼称して天皇を神格化した戦前、そして、
天皇を「象徴」として「統治」の“蚊帳の外”に追
いやっているような戦後の「かたち」の折衷を図っ
た「日本型立憲君主制」の中に存在するような気が
してなりません。
本メルマガの範囲を超えますので深くは言及しませ
んが、ここにこそ、長い歴位の中で、万世一系の
「天皇制」が存続してきた理由を探っていくと、そ
の時代時代に「存続」のために知恵を重ね、様々な
努力を重ねてきたことがよくわかります。これから
未来においても、“私たち日本人の総意”をもって、
新しい「統治のかたち」を創り上げ、我が国の歴史
と伝統を未来に繋ぐ必要があると考えます。
すでに紹介しました『日本の大戦略』では、「安全」
と「富」を目標に、大戦略の「指針」として5つ掲
げ、その5番目に、「新しい『統治のかたち』をつ
くる」ことを提言しています。具体的には、(1)安定
した政権基盤を確立する、(2)官邸における外交・安
全保障司令塔を創出する、(3) インテリジェンス機
能を強化する、(4)対外的な情報発信を刷新する、
(5)政治不信を克服し、有権者のオーナーシップ意識
を高める、などで一部はすでに実現しています。
本書には「憲法」という言葉は全く出て来ないこと、
その代わり、「この『グランド・ストラテジー』は、
放っておいて自ら実現していくようなものではなく、
あくまで日本という国家や日本国民の営々たる努力、
オールジャパンの取り組みによってはじめて実現し
うる」として、「今求められるのは、国際社会に生
じつつある大変動の本質を的確に見極めながら、私
たち日本人が『体制をつくる』という難事を引き受
ける意志を持つことなのである」と提言しているこ
とも紹介しました。
松崎氏も自著『国家の尊厳』の結言として、「『戦
後の国家像』の見直しが求められ、『令和日本のデ
ザイン』が求められているのであり、日本は今、国
家として、尊厳ある国造りが求められている」と語
っていますが、同じような考えに基づくものと思っ
ています。
いずれにしても、「我が国の未来」に立ち向かうた
め、「『強靭な国家』と造る」、その深さや範囲に
ついてかなり検討の余地がありますが、中でも、現
在の「統治のかたち」をいかに改善していくか、段
階的にその「かたち」を拡充していくための要領の
検討を含め、様々な切り口から議論が必要なことと
考えます。
▼求められている「ジャパン・ファースト」
近年の国際社会は、ウクライナ戦争やガザ地区の戦
争が起こるだいぶ前に「コロナ禍」が蔓延し、その
対応をめぐってEUやWHOが機能不全に陥ったこ
ともあって、グローバル化や多国間枠組みが後退し、
元々グローバル化に懐疑的だった米歴史学者エドワ
ード・ル��ワックなどは、「国民国家が責任を持っ
て自国民を守る方向に回帰する」などと主張し、実
際にそのような考えが世界中に拡散しました。船橋
氏などもその延長にありますが、ウクライナ戦争は
その流れに拍車をかける格好になりましたし、この
たびのガザ地区の攻防によって、将来、「国家」の
地位・役割がますます増大してくることでしょう。
私自身は、トランプ大統領の言葉ではないですが、
我が国が未来に生き残るため、「ジャパン・ファー
スト」の精神が今こそ求められていると考えます。
日本国民ための「公共の福祉」を盤石なものにする
ために、つまり「強靭な国家」を造るために、あら
ゆる「国力」の維持・増強を図ることを「挙国一致」
で成し遂げるべき時が到来したと私は確信していま
す。
長くなりました。これをもって、第4編「『強靭な
国家』を造る」を総括とし、次回、本メルマガの
「まとめ」にしたいと考えます。いよいよ完結です。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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patsatshit · 9 months
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拙書『DJ PATSATの日記』以降、約1年半ぶりの日記。僕には普段から日記をつける習慣はない。理由はただひとつ、面倒くさいから。そんな自分が過去にわざわざ日記をzineにして販売したのは、もちろん自分語りをしたい訳では全然なくて、僕自身が日々、息をして飯を喰らい、排泄を繰り返している東淀川区、淡路という街そのものを記録したいと思ったから。そんな大仰な企みを抱きつつも、それを常日頃から継続できるほどの胆力を残念ながら持ち合わせていない。うっかり油断していたらあっさりと喰われそうになる淡路という街と向き合い、毎日毎日、何とかやり過ごすことで精一杯。だって街も人も濃ゆいねんもん。かつてフジテレビ系列で放送されていた『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」コーナーに登場する床の落下セットを当店タラウマラの入口に設置したいと本気で考えるくらいには辟易してる。いや、実際に脳内で落下させた人物や事案は余裕で3桁に届くでしょうね。でもそれは決して一方的な憎悪ではない、むしろ全面的に愛憎。ライオンの親子みたいなものかな。実際に相対してるときには、こいつらとは二度と顔を合わせたくないと胸中で中指をおっ立てているのに、そんな彼らのことを自分の筆で記録したいと思っているのだから自分自身でも訳がわからない。だけどいつだって物事はそんなに単純じゃない。「日記のような日記を書くことを誰もが何のてらいもなく欲望する」(上林翼)現状から距離を起きたくて、この一年はひたすらに小説脳だけを稼働させてきた。とは言いつつも、やっぱり飽き性で忍耐力のない僕は「梔子」「市街地の犬」「ほんまのきもち」「JAGUAR」と書き続けたところであっけなく小説脳が焼き切れた。そんなタイミングでvideo lover a.k.aあっちゃん(以下あっちゃん)に声をかけてもらい、ふたたび日記を書くきっかけをもらえたことにとても感謝してる。この日々のやり取りで、おっさんの凝り固まった頭をあっちゃんの柔らかい感性でグニャグニャにほぐしてもらおう。それはまるで新世紀のメンズエステ、ネオン街ジェネシス。そんなことを言ってるからまた呆れられる。ひとまわり以上も年齢差があるにもかかわらず、あっちゃんとは趣味嗜好、考え方なんかにたくさんの共通点がある。まだ3回くらいしか会ってないけど、確かに僕は退屈がひっくり返る予感がした。だってビースティーズ聴きまくっているような人やからね。いまから25年前に鼻垂れ小僧だった自分にとってのヒーローがまさにビースティーズとアンダーグラウンドレジスタンスだった。当時アメリカ村にあった古着屋のLOVE BUZZで『Check Your Head』のTシャツを買い、同じく同地にあったジェリービーンレコードでURの12インチを買い漁った。アルバイトで稼いだ給料はすべて古着とレコードに突っ込んだ。本を買う気も読む気もまったくなかった。おとなしく部屋にこもって本を読むほど暇じゃなかった。そもそも本を読むことが好きじゃなかった。それはいまも変わってない。オーバーサイズのディッキーズを腰履きして、ヨレたバンドTを着ることが誇らしかったし、URのレコードの盤面に彫られたメッセージにいちいち暑苦しく気持ちを昂らせていた。ヒーローはいつだって僕たちをがっかりさせるものだけれど、彼らの作った音楽は軽く四十路を超えた我が身にも未だに有効だ。僕の最新作「JAGUAR」のタイトルはもちろんURの49番目のカタログから拝借している。でもいま聴きたいのはその曲じゃない。タラウマラ閉店後の店内で97年にリリースされた「 The Turning Point」をターンテーブルに載せる。A面の「SOUL CIRCUITS」からマッドマイクのネバっこい生演奏がほとばしる。単調なのに、いや単調だからこそ中毒性の高いロッキン・エレクトロ・ファンクに思わず血が滾る。狭い店内には本日入荷したばかりの大量の中古自転車、それらはどいつもこいつも蜘蛛の巣や油や泥にまみれている。明日以降の整備の手間を考えると嘆息したくもなるが、この面倒臭さにこそURのファンクは効く。洗練とは真逆の真性の吐瀉、そう、あっちゃんがこの公開日記のタイトルを「Pat Sat Shit」と閃いた瞬間、デトロイトの彼らが自身の楽曲のことを「Shit」と形容していたことを思い出した。そんな折、父親からのLINEメッセージで茨木市に住む親戚の訃報が届いていた。僕は思わず「シット……」と呟いた。
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lupinnewseason · 2 years
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【ルパン三世フェスティバル in 浜中町】浜中町ルパン三世バーチャルツアー&フェスレポート
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漫画「ルパン三世」原作者であるモンキー・パンチ先生のふるさと北海道・浜中町で、3年ぶりに『ルパン三世フェスティバル』(2022年10月29日・30日)がリアル開催されました。フェスティバル会場の模様と、浜中町中や観光スポットで見つけることのできるルパン三世たちを【浜中町ルパン三世バーチャルツアー】としてご紹介します。
◎浜中町ルパン三世バーチャルツアーMAP
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①ルパン三世通り(霧多布市街地)
ツアーは、浜中町役場がある霧多布(きりたっぷ)よりスタート。霧多布市街地の『ルパン三世通り』にはルパン・次元・五ェ門・不二子・銭形たちが描かれたフラッグや看板が掲げられています。
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各キャラクターが描かれたマンホールのふたは、浜中町オリジナルのお土産としてキーホルダーも販売されています。 浜中町商工会:https://hamanaka-shoko.jp/pg937.html
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通りにある仮想店舗「JIGEN’S BAR」「PUB FUJKO」は、ファンが必ず訪れる人気のフォトスポットです。
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仮想映画館「霧多布座」は老朽化により2022年6月に取り壊しとなりましたが、復元ARとして現地で写真撮影ができます。
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※ARサービスの提供は2022年11月30日まで
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②霧多布市街地 店舗
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霧多布市街のお店「鎌沢ドラッグ」さんにお邪魔しました。こちらは店内を飾るモンキー・パンチ先生のサインやルパン三世グッズ、ジオラマなど圧巻のコレクションで、現地を訪れるファンのサロン的存在のお店とのこと。この取材の際も、コスプレ姿のファンが見学をしていました。
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市街には他にも店頭にルパン三世やモンキー・パンチ先生のサインが飾られているお店があります!
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③浜中町役場 新庁舎
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津波対策として高台に建てられている浜中町役場の新庁舎。役場までの案内板には、町の基幹産業である農・漁業ルックのルパン三世一味&銭形警部の姿が描かれています。
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通常は平日のみ見学可能な庁舎内ですが、今回はルパンフェスのため特別に見学することができました。
▼1階:吹き抜けの入り口から見える各階案内板にはルパンたちが。
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▼2階:モンキー・パンチ先生のルパン三世イラストを大きく使用した壁画。
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▼3階:展望台は霧多布市街地を見渡せる絶景ポイント。
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ちなみに新庁舎の外では、ルパン三世通りと同じ5種類のマンホールを見つけることができます!
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④「妖精花伝説」イラスト
浜中町内の牧場にはモンキー・パンチ先生が描かれた妖精のイラストが看板となっている牧場も。
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妖精は何種類かいるそうなので、現地に来た際はぜひ探してみて下さい。 今回は浜中町役場ちかくの小松牧場さんにお邪魔しました。 ※牧場では牛舎や牧草地など立ち入り禁止の場所にご注意ください
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⑤霧多布湿原センター
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霧多布市街からJR花咲線・茶内(ちゃない)駅へ向かう一帯は約3000平方メートル(東京ドーム600個分以上)の広さをもつ霧多布湿原です。浜中町の自然を楽しみたい方は「霧多布湿原センター」で専門ガイド付きのエコツアーも開催しています。また、センターでは物産品と合わせ、浜中町オリジナルのルパン三世グッズも販売しています。
霧多布湿原センター:https://www.kiritappu.or.jp/center/
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⑥JR花咲線 茶内(ちゃない)駅
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JR花咲線(JR根室本線、一部区間の愛称)の浜中町内にある<茶内駅>。 駅の入り口ではルパン三世の等身パネルが出迎えてくれます。そしてホームにはルパンを追ってきた(?)銭形警部の姿も。 フェス中はJR茶内駅から会場までの町営バス(予約制)も運行しています。
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⑦仮想店舗「居酒屋五ェ門」
茶内にあるフォトスポット・仮想店舗「居酒屋 五ェ門」は、駅入り口を背に200メートルほど歩いた場所に建っています。(実際の営業はしていません)
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⑧浜中町ウェルカム看板
茶内駅をはなれ、釧路市~根室市を結ぶ国道44号線に向かうと見えてくるのは、表はルパン、裏は不二子のイラストが描かれた大きな案内板です。
車での観光の際はこの看板が浜中町の目印となります!
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※自動車での観光は、交通ルールを守って安全運転を心がけましょう。
 
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⑨ルパン三世 デーリィロードマップ看板
そのまま国道44号線を北上すると見えてくる茶内酪農展望台。 そのパーキングエリアにある酪農地域全体の案内板にもルパン三世が。
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この他にも、浜中町内の酪農地域ごとに「ルパン三世」キャラクターと「妖精花伝説」のイラストが描かれた案内板があるようです。
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⑩JR花咲線 浜中駅
国道44号線から再びJR花咲線に戻って<浜中駅>へ。 こちらの入口では誰かと待ち合わせしているような次元と五ェ門、そして駅舎内の切符売り場とホームには不二子とルパンの姿を見ることができます。
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駅舎以外でもJR花咲線では大自然の中を���パン三世のラッピングトレインが運行しています。霧多布のラッピングタクシーなど、各種交通機関を合わせての観光もオススメです。
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▼JR北海道 ルパン三世ラッピングトレイン運行表 ⇒ https://www.jrhokkaido.co.jp/travel/lupin/
浜���町の観光スポットではARを使ってルパンたちと写真が撮れるサービスを実施し、フェス期間中に訪れたファンの皆さんにも好評でした。
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※ARサービスの提供は2022年11月30日まで
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⑪ルパン三世フェスティバル会場(浜中町総合文化センター)
霧多布市街地へ戻り、フェス会場の浜中町総合文化センターにやって来ました。 駐車場ではラッピングトレーラーの展示や地元グルメ屋台の出店で賑わっています。
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総合文化センター1階ロビーにあるルパン三世の愛車の展示コーナーでは、フェス中は特別に車のそばまで近づくことができたため、コスプレをしたファンなどたくさんの方が記念写真を撮りに集まっていました。
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2階ではフェスティバルに合わせ TVアニメ「ルパン三世 PART6」ビジュアル展を開催。 ルパン三世グッズ販売や浜中町内で使えるルパン三世payの発行コーナーも設置されていました。
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◎モンキー・パンチ・コレクション
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文化センター2階にある常設施設「モンキー・パンチ・コレクション」にもフェス中たくさんの人が訪れていました。この中ではモンキー・パンチ先生の漫画原稿やイラストが多数展示されているほか、先生の書斎を再現したスポットなど創作の原点を垣間見ることができ、浜中町を訪れるファンが必ず立ち寄る名所となっています。
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◎「スペシャルトーク」ステージ
フェス2日目のラストには、声優陣と制作スタッフによる「スペシャルトーク」ステージが文化センター大ホールにて開催されました。
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<「スペシャルトーク」登壇者> (ステージ左より)MC小新井涼さん/ルパン三世・栗田貫一さん/石川五ェ門・浪川大輔さん/トムス・エンタテインメント 野﨑プロデューサー/東北新社 清水音響監督/日本テレビ放送網 中谷敏夫さん
まず栗田さん、浪川さんが久しぶりとなった浜中町ステージでの挨拶、そして今回がフェス初参加の音響監督・清水さんも浜中町の印象を語り、和やかにトークがスタートしました。
今年8月に亡くなられた次元大介の声優 小林清志さんの話題では、栗田さんはアフレコ現場での小林さんとの最後の会話、浪川さんからは小林さんとの印象的なエピソードが語られました。 そして、今回のステージではサプライズとして次元大介の声優を引き継がれた大塚明夫さんからのビデオメッセージが紹介され、ステージでは「PART6」アフレコ時の様子など制作時のエピソードも飛び出しました。
続く浜中町ステージでのお楽しみ・生アフレコのコーナーでは、栗田さんと浪川さん、そして観客席から元気に手をあげた銭形警部姿のファンも参加し、音響監督の生指導の下で「PART6」第一話ラストシーンのアフレコを再現。見事にリリー役を演じた参加者に、栗田さんと浪川さんからは驚きと称賛の声があがり、会場からも大きな拍手が送られました。
最後のあいさつでは新しいメンバーも加わったルパン三世チームでまた浜中町を訪れたいと栗田さんが語り、温かな雰囲気の中ステージは幕を閉じ、「ルパン三世フェスティバル」の全日程が終了しました。
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浜中町とルパン三世スポットについて詳しくは下記WEBサイトでもご案内をしています! ⇒ 浜中町観光協会:http://www.kiritappu.jp/ ⇒ ルパン三世宝島プラン:https://www.hamanaka-lupin.com/
フェスにご参加いただいたファンの皆様、ありがとうございました!
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oldkwaidan · 11 months
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道志村の川天狗
 山梨県南都留郡道志村は道志川の両岸を東西七里に渡って続く細長い村である。  その道志村の小善地という所にクソマタ淵という淀んだ淵がある。  淵の下手には南面の断崖があり、栃ノ木沢という流れが小さな滝となって落ちている。  今から三十年ばかり前、この滝の際に直径九尺はある栃の大木があった。  言い伝えではかつて三本の栃の木が並んで立っていたが、いつしか一本につながってしまったのだとか。  以下は、その栃の木がまだ三本に分かれていた頃の話だという。
 道志川に死人が浮かぶとき、栃の木から青い火の玉が飛び出す。  その火の玉に狩人が鉄砲を向けたら、火の玉はたちまち樹間に戻って、そのまま消え失せてしまったそうだ。
 あるとき、クソマタ淵で村の子どもが釣り糸を垂れていた。 「子ども! 子ども!」  突然、誰かに大声で呼ばれた。声は栃の木の方から聞こえた。  子どもが恐る恐るそちらに目をやると、栃の木の所に黒い坊主がにょっきりと立っていたという。
 夜釣りのために漁師が河原を歩いていると、月明かりでキラキラ光る川に、ざぶり、と網を打つ音を聞くことがある。  この音が聞こえると、魚がさっぱり獲れないのだそうだ。
 小善地の西にある池之原の奥に白石という場所がある。  ある冬、鴨猟に行った二人連れの男が、山中で焚火を囲んで野宿した。  彼らは浮かれ者であった。  弁当箱を鳥兜に見立てて���に被り、万歳楽に興じ始めた。  すると、彼らの頭上に血染めの大きな手が現れ、東の大室権現に向かって合掌した。  二人は何もかも放り出し、転げるように山から逃げ帰った。
 村の人々はこれらの怪異を、川天狗の仕業だ、と言って恐れていた。
 (伊藤堅吉『道志七里』怪異 「川天狗」)
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haru5586 · 1 year
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私たちは天刑を天啓にできるか。
東日本大震災から12年が経つ。果たして社会はよい方向に向かっているのだろうか。“心豊かな未来”をつくれているのだろうか。
東日本大震災、とくに福島の原発事故に関して、痛烈に反省したことがある。それは、暮らしの根本であるエネルギーについて、“ちゃんと”考えてこなかったことである。人類ではじめて原子爆弾を落とされたこの日本列島で、66年後、今度は自分たちがつくった仕組みで被爆し、故郷を離れざるを得ない人たちがいる。そんな時代を生きることになると誰が想像しただろうか。
“心豊かな未来”を本気でつくりたいのであれば、この現実を受けとめ、直視することからはじめたい。原爆にしろ原発にしろ、二度と故郷を被爆させないという誓いと哀切から、社会をつくりなおしたい。
なぜ、福島の原発事故を食いとめることができなかったのか。要因はさまざまあるだろう。私はその主たる原因は「日本人の身体が鈍感になっていることにある」と考えている。ここでいう「身体」とは、運動能力としての身体を指すのではない。いのちの器としての身体。環境や風土を感受するメディアとしての身体。私たちのいのちが環境や風土とつながっていることを実体験している身体。私たち人間もまた生きものであり、自然の一部であることを理解している身体。そういった意味での身体を指す。身体の鈍り、いのちと風土の関係の希薄さ...。ここに日本社会の最大の課題があるように思う。
日本国内で、農業・漁業・林業などの一次産業を生業にしている人の数は、約300万人と言われる。日本の人口1億2000万人、その約2.5%の人たちしか、私たちが暮らしている風土に直接的に関わっていない。そういう見方もできる。戦後、急激に都市化が進み、人々の多くが、山・川・海から離れていってしまった。同時に、山・川・海など風景の多くがコンクリートで固められていった。大人や子どもが川で遊んでいる景色を見ることは、都市部では極めて稀になってしまった。
嘆いてばかりはいられない。現代社会において、どのようにして身体感覚を磨き、いのちと風土の関係を深めることができるのか。学問や研究ではなく事業として社会に実装し、良質なインパクトを社会へ届けるには、どうしたらよいだろうか。そう思い、2013年3月に起業し、YAMAP(ヤマップ)という登山・アウトドアの事業をスタートした。
自然の中で遊ぶ。これに尽きると思う。ここでいう自然とは、どこか遠くの見知らぬ自然ではない。自分たちが暮らしている街の自然である。住んでいる街から見える山。街を流れる川。その川の源流の山へ行ってみて、自分たちが住んでいる街を山から見渡してみる。山と街がつながっていること。街の恵みは山の恵みに支えられていること。街を離れて山へ行けば、街とはちがう時間が山にはあること。植物を含め人間以外の生きものが山にはあふれていること。私たち人類もまた生きものの一員でしかないこと...。身近な自然の中での遊びを通じて、生きものとしての感覚を磨き、野性を培う。人間からではなく自然から学ぶ。人工知能が進み、知識のあり方が激変している今だからこそ、自然の中での学びに、人類の可能性の鍵があるように思う。
環境・風土・街を含めた地域生命圏を考えるとき、適切な範囲をどのように考えればよいか。岸由二さんが提唱する「流域」の考え方が、極めて有効であると思う。生きものたちの暮らしを支える生態系(ランドスケープ)を、山岳、丘陵を含めた流域でとらえる。流域を環境・風土・街を含めた生命圏のひとつの単位(ローカル)として位置づける。流域ごとに、山・川・海などの自然資本の価値を可視化し、食・エネルギー・教育・医療・福祉など、人間の暮らしに必要な営みを見える化し、社会をつくりなおしていく。
これはコロナを経験した人類が、ローカルに回帰している動きとも符合する。どれだけ時代が変わりテクノロジーが発展しようとも、いのちは有限であり、いのちの現場・社会の基盤はあくまでローカルであることを私たちは身をもって実感したのだと思う。グローバル経済がいかに脆弱で、不安定な仕組みで成り立っているか。海外からの物流が止まれば、食料もエネルギーも高騰し、暮らしが極めて不安定になることを、コロナで私たちは経験した。気候変動に直面している今だからこそ、自律分散型かつ循環型の社会を、流域を単位につくっていく。流域を単位とした地域生命圏の中で人々が遊び、学び、暮らしをつくっていく未来に、私は希望の光をみる。
私たちは心豊かな未来をつくっていけるだろうか。私たちは天刑を天啓にできるだろうか。私たち一人ひとりの生き方にかかっている。
▼ 参考書籍
内村鑑三『デンマルク国の話』
岸由二『生きのびるための流域思考』
宮台真司、野田智義『経営リーダーのための社会システム論』
富山和子『森は生きている』
中村桂子『科学者が人間であること』
長田弘『奇跡』
明石海人『明石海人歌集』序文
※ 2023年4月 会誌『ACADEMIA こころ豊かな未来のか・た・ちへ』の寄稿文を転載
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kei-life · 2 years
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『久しぶりに、旅へ⑤(石川県輪島市方面へ)』
なぎさドライブウェイを久し振りに走る。飛ばす人もいれば、私みたいにのんびり走る者、浜辺に停めて雰囲気を間近に楽しむ者と、それぞれが楽しげだ。
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思わず時間を忘れそうになる(笑)ただこの日は、輪島市への移動がある。その道中もまた、味わい深い場所も多い。やや未練を感じながら、北上再開。
歴史深い、月日の造形深い海岸の道を抜け、輪島市に到達。この地域は、いつ来ても新たな発見がある。
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聞いてはいたが、今まで国道で走り抜けていた地域に立寄る。『黒島地区 重要伝統的建築物群』の見られる、大きな集落で、整然とした漁村風景、統一された住宅建屋の並びが美しい。まさに、日本の風景。
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小道に足を踏み入れれば、国内外の城下町にも似た旅情を掻き立て、その先へ歩いて行きたくなる。…とまぁこんな感じで、時間は押してゆきます。
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さらに、『間垣の里』と呼ばれる『上大沢地区』に立寄る。この地域、とても冬場の環境が厳しい。秋めいたこの時期すでに、地区全体で冬囲が進んでいた。これまた、日本ならではの光景で、旅情を感じる。
輪島の街に近付いても、少し車を走らせた東西には、美しい海岸線と、それを巧みに利用した生活が見られる。石川県ドライブの醍醐味である。
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近年はバイパスが敷かれ、能登半島の先端へのアクセスも楽になってきたが、やはり、旧道の素敵さは筆舌に尽くし難い魅力を放つ。
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日没迎えるその前に、『窓岩』と『白米千枚田』に立ち寄った。何度も来ていて、頭に姿が浮かぶくらい観ているが、毎度感動があるもので…あえて少し下から眺めてみた。夕陽と千枚田、染み染み素敵だった。
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さて、この日泊まったのは『深三』さん。宿主と女将のおもてなしを感じられる、良宿。久方振りにリピートすることができた。のんびりと風呂を借りて一息。個室での夕食は相変わらず地物が旨く、お酒も進んだ。
この数日と、明日の旅の終わりを思いながら就寝。
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この日も、まずまずのナイスドライブ。
さて、どう帰ったものか…。
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palakona · 1 year
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水藻フィッシングセンターで両ウドン床釣り縛り
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
どうも、こんにちは。4月2日(日)は、Fさん、hrkさん、ICDさんと水藻フィッシングセンター(以下、水藻FC)に行ってきました。前夜、hrkさんとメールしてて、グルテン宙釣りが得意なhrkさんは水藻FCへ、両ウドン床釣りをしたい僕は阪奈園へら鮒センターかフィッシングセンター竹之内のどちらかを考えていたのですが、僕らの師匠筋のFさんからhrkさんに「ガオ君を水藻FCに誘うこと」と厳命が降りw水藻FCに出頭してきましたw。水藻FCのInstagramを覗くと、最近の釣果は両グルテン床釣りで40枚ぐらい釣れてる人もいるらしい。床釣りで釣れるのか〜、釣れてしまうやんw。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
自宅から貝塚市の水藻FCまで約1時間。6時開店のカフェでサンドイッチを買ったのですが、到着したら7時半ぐらい?FさんとICDさんは先に着いてて、車でご飯を食べておられました。僕もお腹が空いたので、釣り座を構えてからまず腹ごしらえ。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
さあ、やるで〜。今日の浮子は舟水の「冬の底釣り極細パイプ」です。箱池フェチの僕からしたら水藻FCは深いので、サイズは10番〜14番の5本セットの13番やったかな。「極細」というだけあって、パイプにしては「返し」が弱い気がするけど、トップの馴染みもバッチリで使いやすかったです。今日は最後まで浮子を交換しませんでした。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
常連さん?管理人?いつも見かけるお爺さんに「水深は?」と尋ねたら、「12尺〜13尺で浅い」って言ってたけど、深いんですが…僕はいつも箱池やし。なので、14.2尺の師光の朱総塗りを出しました。好きな竿なので最後まで使ったけど、浮子と穂先が近くなったので15尺〜16尺が良かったかな。さて、釣り始めたんだが、隣のICDさんはYouTubeでも活動している某釣りクラブのメンバー。21尺のダイワの「ヘラV」を使って長尺の両グルテン床釣り。沖床で浮子も遠いのに「床立て」もバッチリでバンバン釣ってます。僕の方がちょっと早いぐらいで、ほぼ同時期にFさんに誘われてヘラ釣りを始めたんですが、「越えられない壁」がそそり立っている気がしましたw。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
後から来たhrkさんも「21尺は買ってないわ〜」と言いながら、19尺の「へらV」を出してこちらも長尺で沖床の両グルテン床釣り。ICDさんに負けじとバンバン釣りはります。床釣り一筋の僕の立場はw。一方、Fさんは、釣りの大会があるらしく、「練習や」と言いながら浅ダナセットでポツポツ釣っておられました。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
僕にも釣れました。(´▽`) ホッ。両ウドン床釣でも釣れましたぜ。水藻FCは、魚品が良いですね。体高の高い河内フナが釣れます。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
ここで嬉しいサプライズが!hrkさんが独自デザインの帽子を数種類作ったのですが、僕らにプレゼントしてくれました。「ガオさん、どれにします〜?」と選ばせてくれたので、僕は「KWS」(喰わせ)を選びました。段床釣りは上手くないけどw。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
午前の釣果は2枚。お昼ごはんを食べて午後の部開始ですが、良い天気ですね〜。桟橋にパラソルが花のように咲いていました。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
釣りをしてたら、「パン!」と鉄砲の発射音みたいな音が鳴ってびっくりしましたが、鵜を追い払っているようです。吉野川で鵜にアマゴを食べられて漁協が困ってましたが、ヘラブナまで襲うんですね〜。午後の1枚目は傷だらけの小ぶりなヘラブナでしたが、鵜に襲われたんかな?
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) Fさん撮影
ヒット!14.2尺の師光が孤を描く。竹竿は13尺〜15尺が竹竿らしいしなりでいいらしいですよ。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
体高もあって腹パンのヘラブナ。水藻FCは魚が良いわ。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
当日は、最大風速5mぐらいの予報だったのですが、午後は風向きが変わって落ち葉が吹き寄せられて目の前は落ち葉だらけ。釣りにくいので桟橋の反対側の内向きに釣り座を変えました。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
こっち側は落ち葉もほぼ無くて釣りやすそう。
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2023年4月、水藻フィッシングセンター(貝塚市) iPhone11
沢山釣れないけどポツリポツリ。両ウドン床釣り縛りだし上出来じゃね?「つ抜け」は遠かったけど、午後は5枚釣れました。Fさん、hrkさん、ICDさんはそれぞれ20枚〜30枚ぐらい釣ったそう。
ということで、4月2日はヘラブナ7枚でした。僕はトイレが近いので、帰りは先に帰らせてもらったのですが、おかげで大阪屋さんの閉店に間に合ったので最近の釣況を聞いてみたら、某池は、4月に入ったというのに釣れておらず、大阪屋の常連さんもボウズか貧果で嘆いておられたようです。僕の腕だと他の箱池でも10枚釣れるかどうかなので、水藻FCで7枚って良い感じだったのでは?
では、また。
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peterchiublack · 1 year
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轉述北斗故事,可信度?
(一)《心有定數,便不再迷路》
1983年,大韓航空007號航班,從紐約起飛後,離奇迷航至蘇聯上空。 天色昏暗,蘇軍射擊警告,客機並未察覺,在即將飛離蘇聯領空時,被導彈擊落。 消息傳出,舉世震驚,冷戰陰雲正濃,美蘇強壓怒火,等待黑匣子調查結果。 結果顯示,客機闖入領空是因地磁導航故障。同年,美國總統里根決定將建設中的GPS系統,開放全球民用。 普通民眾第一次可清晰知道,自己身在星球何處。
 兩年後,中方負責人卜慶君參加美國GPS研討會,歸國後卻另有憂慮。 研討會上,美方明言,特殊情況下將採取三重措施:降低精度、關閉區域甚至更換通信編碼。 因不可受制於人,卜慶君拜訪中科院院士陳芳允,商討中國的衛星定位系統。 陳芳允畢業於清華,抗戰時執教西南聯大,留洋時設計過世界第一部海用雷達,歸國後研發過第一顆衛星,七十年代曾提出衛星定位「燈塔」計劃,但無奈擱淺。 美國GPS定位用四星測距,為節約,陳芳允設計出「兩星定位」方案,然而受限於八十年代國力,計劃再度塵封。老人無奈寫詩,「人生路必曲,仍須立我志」。 衛星定位再成焦點,已是九十年代初。 1990年夏天,美國GPS系統第8顆衛星發射當日,海灣戰爭打響。 多國部隊穿越茫茫沙海,伊軍茫然無措,伊拉克戰俘稱,「我們從來不敢進沙漠,在那會把自己丟掉」。 因為天空上的星辰凝視,海灣戰爭中,伊軍傷亡超10萬,而美軍陣亡僅146人。精確制導的導彈,可以準確鑽入前一枚炸出的缺口。 尚未成熟的定位系統,主宰了戰爭,也搖動著世界的天平。
 1993年,中國貨輪銀河號,遭美方質疑運有違禁化學品。美方關閉了所在海域GPS信號,貨輪無奈在印度洋上漂流了33天。 
第二年,中國啓動北斗一號系統建設。 九年前的「兩星定位」,成為北斗一號主方案。最開始沒衛星,項目組從其他兩個衛星計劃中,騰挪出兩顆備用衛星。 
1995年,卜慶軍去哈工大招人,博士生應聘時都問了兩個問題:待遇多少?能解決住房嗎? 當時,廣州一企業正在校招,月薪五千,提供住房。最終,卜慶君連一名博士生都沒招到,只有四、五名本科生願意前往北京。 幾經周折後,團隊終有雛形。
科學家們為北斗設計了兩個新功能,一個是讓迷途中人可以發120字短訊求助,一個是讓用戶5秒之內獲得導航反饋。 2000年10月,北斗首星發射,一個多月後,第二顆北斗衛星也被送入太空,中國成為美俄後,第三個建成衛星導航的國家。 2002年,歐盟發起「伽利略」衛星計劃,彼時,中方遇技術瓶頸,歐盟缺研發基金,雙方決定聯手開發。 然而,蜜月苦短,2006年,中國突然被排除在項目之外,決議不讓表態,資料不讓瀏覽,技術不被告知,歐洲媒體稱「中國人感到被嚴重利用甚至是羞辱了」。 
中國開始獨立研發北斗。 此時星空之上,衛星導航黃金頻段已被美俄佔去,只余一小段頻率資源,國際電聯約定:衛星先到者先得,且過期作廢。 過期期限設在2007年4月17日。 2007年4月11日,北斗二號首顆衛星,隨火箭進入發射架。然而發射前忽出故障,團隊緊急搶修3天3夜。 4月14日凌晨4時11分,火箭終於升空,衛星開始變軌調整。 4月16日晚8時,衛星信號從兩萬公裡外的太空傳回,此時距頻率失效僅剩4小時。 現場一片歡騰,那些常年沈默的人,放聲哭笑。 人群中沒有陳芳允,老人早在2000年北斗一號首星發射前數月,因病辭世。 晚年,他一直住在黃寺大街大院宿舍內,家中只有簡樸傢具和一台不大電視,見客所言,皆是衛星,有時談至深夜,水泥小樓外滿天星辰。 他年輕歲月,在西南聯大執教時,那一代人,都愛唱那首《畢業歌》:巨浪,巨浪,不斷地增長!快拿出力量,擔負起天下的興亡!
(二)
與歐盟轉為競爭對手後,北斗遭遇的第一重考驗,就是原子鐘。 衛星在太空定位,主要用時間計算空間,衛星里的原子鐘,決定著測距精度。 
此前,瑞士一家公司承諾出口原子鐘,但被要求必須比伽利略所用的,低一個數量級精度。 北斗轉為獨立研發後,瑞士公司忽然終止合作,原子鐘只能自造。 北斗團隊中那群沈默的科學家,開始了無數日與夜。 最終,中國自研原子鐘成功,300萬年僅誤差1秒,部分指標已超越GPS和伽利略系統。 
北斗遭遇的第二重考驗,是建設海外地面站。 因地緣政治,中國很難仿效美國GPS,在全球建立地面站。 北斗團隊為此發明瞭星間鏈路,讓衛星互聯,只要有一顆衛星在中國領空,所有衛星便能通過它,聯繫到國內地面站。 星間鏈路一個關鍵技術方案,提出者康成斌,當年只有29歲。 北斗科學家將這項技術形容為「讓宇宙中的兩顆塵埃私聊」。
 無窮的挑戰貫穿漫長的歲月,而作為人造星辰,北斗還需應對蒼穹一怒。 北斗系統中,每一顆衛星都有既定位置,也因此有指定發射窗口。有時遭遇雷雨,亦要冒險發射。 2011年7月,北斗第9顆衛星發射,發射前半小時,西昌電閃雷鳴,時間在驚雷中流逝。 發射窗口關閉前5分鐘,雷電短暫間歇,火箭趁機升空,升空數十秒後,雷擊再現。 
比驚雷更難捱的還有時間的風浪。北斗一支合作團隊,曾連續十年,出海蒐集數據。風浪無止無歇,大洋無邊無界。 漫長的時間,總能識別人心。
 2007年,北斗二號衛星發射後,從清華前往斯坦福留學的博士生高杏欣,破解了北斗衛星上的民碼編碼。 2009年,有論壇發佈消息稱「清華女生破解北斗送給美國」,一時輿論嘩然。
幾年後,流言不歇,北斗團隊中的80後女生,年輕的博導徐穎,參加一科普演講時,談起此事。 她說,實際上清華女生只破譯了沒有加密的民碼信號,並無難度,而且2012年中國已公開了民碼格式。 而除了民碼之外,北斗還有軍碼,徐穎說: 如果想破解軍碼系統,我們建議更簡單的方式。那就是造時空穿越機,穿越回北斗軍碼設計的時候,在旁邊偷聽好了。
演講視頻當年播放量超兩千萬,徐穎被網友��為北斗女神。 她渾不在意,她說她只是北斗普通一員,茶杯里泡著枸杞,壓力大也會買買買,偶爾也有中年危機。 她和他們,只是心有定數,便不再迷路。
(三)
2008年,汶川地震,震中映秀一度音信斷絕。 地震20余小時後,第一支部隊突破死亡線,進入映秀,借助北斗,發出百字短訊,這是震中傳出的第一條消息。 此後,指揮部緊急調配了1000多台北斗終端,救援部隊借此發送了74萬條短訊,字字千金。 這是北斗首次登上公眾舞台,此後數年,北斗巡視山河,悄然改變著我們的生活。 
在上海,它記錄所有公交車軌跡,提供實時到站預報;在伊犁,它精確引導拖拉機,每千米播種作業偏差不超2.5釐米。 在青海,它守護著藏羚羊遷徙路線,看著藏羚羊穿越長夜昏曉,穿越無人之地。 在東南沿海,當地漁民已有歌謠:出海一拜媽祖,二拜北斗。 漁民們放棄了傳統的GPS,大海上只知經緯意義不大,而用北斗,遭遇危險時,可互相預警。 這只是開始,最近數月,北斗定位標繪了武漢火神山,遙感重測了珠穆朗瑪峰,並幫監管部門找回了屢屢消失的獐子島扇貝。 徐穎說,北斗如水、電、公路一樣,是國家基礎,「北斗應用只受想象力的限制」。
 巡天的北斗已完成了最初的夢。 它已有7億終端,成為130個國家默認導航系統。在泰國,超2000萬輛摩托車管理,依靠北斗定位。 
今年6月23日,北斗系統最後一顆組網衛星發射,最後這顆衛星被暱稱「吉星」。 至此,中國耗時26年,投入超120億美元,總計將59顆人造衛星送入蒼穹。 
蒼穹之下,那群造星星的人,參與人數超30萬,目前隊伍以80後,90後為主,平均年齡31歲。 他們沈默少言,穿越了三個時代,世事百幻,心志如一。 北斗發射完成後,媒體採訪團隊工程師,他冷靜陳述,但說著說著,無聲流淚: 有些事情,總要有人做,就是沈默地做,哪怕看不到盡頭,也要堅持做下去。 
這個時代,變化的故事已經太多,但令人尊敬的,終究是不變的故事。 …… 無數個仲夏夜,一代代幼童仰望星空,第一次分辨銀河,第一次看到北斗。 星星的故事詭秘神奇,唯有北斗,關乎的是實用的生存。 他們的人生前路,迷宮連環無盡,而走出迷宮,終須不變的方向。
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shokobekki · 2 years
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【日記】
少し秋めいてはきたものの、湿度は高く、のぼせがちで、何かとはかどらない。身体の内部から暑気が抜けない。冷たいものが美味しい。最近たくさんいただいた野菜と果物は、ありがたくバテ防止に(写真3~6)。 ことしは、北海道旅の余韻長引く夏。無性に、極寒の土地の荒涼とした風景に触れたくなり、友人が薦めてくれた或る新しい小説をさっそく注文した。が、盆にかかったせいか、なかなか届かない。 待っている間、やはり最近友人との間で話題になった、有島武郎の小説から、北海道が舞台のものをいくつか選び、立て続けに読んでみる。青空文庫でひとりアリシマ祭だ。なんとなく陰気でイメージの良くない作家だったけど、やっぱり暗い。でも何だろう? 重苦しい人間臭が、なぜか仄かにきらめく。それに、北海道の土地の描写にはリアリティがあって、それなりに涼があった。気楽な感想文。
『カインの末裔』 雪の大地、白樺の立木、福寿草、シリベシ川、羊蹄山、昆布岳…個人的にそういうものにいちいち反応してしまう。でも、厳格で淡々とした自然の存在が、粗野で湿っぽい人間の生き様を一層引き立てる。彼らはこれまでもそうやって生きてきて、得たと思えば失い、これからもまた…。宿命的ループを感じさせるような、始まりと終わりの場面が、映画みたいだ。先日北海道旅で平取から白老へ向かう途中、馬をたくさん見たことも思い出す。
『星座』 札幌農学校の学生達の青春群像。ちょっと気取った輩から素朴な人物まで、良くも悪くも時代の空気を映してはいるけど、物語の主体が男子学生ばかりじゃないのはいい。 まだ原野の名残をのこす札幌の町の描写や、藻岩山の影、恵庭の奇峰、貧民街のある豊平川沿い、鮭の孵化場で雇われて働くアイヌの人、学生たちの居る寄宿舎、まだ観光地ではない時計台の塔の内部、町の情景に溶け込んだ時報の鐘なども、最近の旅で見聞きしてきた部分が多く、少し昔(明治末〜大正)にタイムスリップして、楽しくイメージできた。未完の作品なのか...確かに、まとまりがない感じ。続きが気になるし。
『生まれ出ずる悩み』 誰もが「君」であった可能性があり、大人になれば、誰もが「私」となりうるのかもしれない。いや、誰もがではなく、やはりある種の人間の場合、なんだろうか。 それでも、この話のような、君と私の邂逅と交歓(一方的だけど)は、そうそうあるものではないと思う。”だれも気もつかず注意も払わない地球のすみっこで”… もしあったなら、それは幸せなことだ。 冬の岩内の漁場、荒れ狂う海原の向こうに不動の姿を現す雷電山の描写が印象的だった。それを見た「君」は瞬間何を思ったのか、想像をかき立てられる。泊に原発もなかった時代の話。
ほか 『お末の死』『北海道に就いての印象』などなど、子どもの出てくる短編や小エッセイもいくつか読む。はい、寝不足です。
(写真1)札幌農学校寄宿舎
(写真2)旧有島家住宅
いずれも先月の旅で訪れた、「北海道開拓の村」にて。
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kennak · 6 months
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事件現場にかけつけたり、たまたま居合わせたりして事件を解決するのではなく、市民探偵の多くはインターネットで公開された情報を集め、フォーラムで議論をしながら事件解決への糸口を探す。やっていることは地味な行為の積み重ねだが、解決にあたって重要な役割を果たすことも多い。確かに彼らも市民探偵なのだ。その執念の凄まじさは、おそらく多くの読者の想像を超えたものだ。たとえばテネシー州の元工場労働者トッド・マシューズは、両目を失い腐敗した状態で大きなバッグに入れて放置されていたことから「テント・ガール」と呼ばれていた身元不明の女性を、11年にもわたって調査して、最終的にはついに彼女の身元を発見し��みせた。連続殺人鬼の正体を暴き出すことに熱中するあまり郡保安官事務所に侵入し書類を盗み見した二人組もいれば、何千時間もかけて身元不明の犠牲者の顔と行方不明者リストを突き合わせる人もいる。掲示板での議論が白熱し関係ない人間を犯人と名指ししてしまい、その家族も含めて追い詰めてしまったひどいケースも存在する。というわけで本書『未解決殺人クラブ』は、そうした市民探偵たちの活躍(光もあれば、闇もある)を描き出した一冊だ。市民探偵をやるにあたっての注意点に触れている箇所もあるので、本書を読むと自分でもトライしてみたくなるだろう。 サイバー探偵のパイオニア 様々な市民探偵の姿が紹介されていくが、(本書の中で)代表的な例といえるのは、身元不明の犠牲者の身元を明らかにする作業だ。先に挙げた「テント・ガール」を追うトッドも、そうした作業を行う一人。テンド・ガールが発見されたのは1968年のことだ。トッドはその事件を20年近く後の1987年になってから死体の目撃者であった彼女の父親から聞いて、彼女の身元を判明させる作業にのめりこむことになる。しかし先に11年かかったと書いたように、その道のりは簡単なものではない。検視報告書など、手に入るデータはすべて精査した。何度も何度も現場に足を運び、警察署や新聞社に行き、住民、記者、警察官に取材を重ね、時には葬儀社にまで行くこともあったという。結婚に暗雲がたちこめるほどそうした執念の調査を何年も続けた後、1997年にはダイアルアップ接続のインターネット回線をしいて、Yahoo検索で行方不明者の情報を何十時間も検索し続けた。最終的にインターネットの検索作業が実るのは1998年のこと。テントガールの特徴と一致する女性の行方不明情報を入手し、その情報の発信者とコンタクトをとって警察を動かし、DNA鑑定にまでこぎつけたのだ。彼の11年にもおよぶ執念の調査はついに答えにたどりつき、彼はサイバー探偵のパイオニアとして一躍有名人となる。物語はそこで終わらず、アメリカ政府は彼を全米行方不明者・身元不明者システム(略してネイムアス)の設立者兼共同運営者として2007年に雇用し、その後も多くの身元確認に関わってきた。 Web探偵 トッドは特異点のような個人だったが、インターネット時代がくるに従ってWebの集合知を使ったWeb探偵たちも現れることになる。たとえば、犯罪関連フォーラム『Websleuths.com』では、20万人もの登録会員がオンライン上で未解決事件や行方不明事件の解決に取り組んでいる。人数が人数なのでおそらくほとんどの職業がここでは網羅されているはずだが、具体的には看護師、医師、外科医、定年退職した警察官、心理学者、インクの専門家など、専門的知識を持った人たちが揃っている。世の中には多くの未解決事件があるので、こうした犯罪関連フォーラムでは事件ごとにスレッドが立って議論が起こる。たとえばある少女が自宅の地下室で死体で発見された事件(ジョンベネ事件)では、死体の発見前に両親にたいして身代金を要求する長い手紙が届いていた。死んでるのに身代金要求の手紙が届く? それも死体が地下室に? かなり不思議な事件だが、Websleuthsでは、筆跡鑑定のエキスパートにしてサイトのメンバーであるティナ・ウォンに身代金要求の手紙の筆跡鑑定を依頼し、その筆跡が死んだ娘の母親の筆跡と一致(280箇所も)することを突き止めている。ようするに、母親が娘を誤って殺してしまって、それを隠すために他殺を装った、と推測されている。とはいえ、現在のWebsleuthsの所有者兼管理者は、犯罪を解決するのは法執行機関の役割であり、Websleuthsでやるのは、各メンバーがその専門性を使って証拠をまとめて、捜査官や未解決事件の解決に役に立つ情報を警察に提供するまでだと語る。噂話は禁止、名前は書き込まない、侮辱行為なし、事実を追い求めるというルールを徹底し、新しい管理者(現在10人しかいない)メンバーを入れるにあたっては徹底的な確認作業を行って、書き込みをモデレートしているという。 市民探偵の負の側面 「徹底的な確認作業を行って、書き込みをモデレートする」ということは、それをしないと市民探偵の集まりは時にマズい事態を引き起こすことを意味している。たとえば容易に想像できるだろうが、誰が容疑者なのかを議論するスレッドで、「◯◯が怪しい」と誰かが書き込んで、大勢が同調したとする。正義に乗っかった人々はその◯◯が犯人だと決めつけ、ネットで突撃し、場合によっては住居にまで押し寄せるだろう。実際、そうした市民探偵の暴走といえる事例もいくつも起こってきた。その好例が、2013年のボストンマラソンのテロ事件で起こった魔女狩りだ。事件直後に犯人を見つけようとインターネットの市民探偵たちが動き始めたが、特に人が集まったのがソーシャルニュースサイトのRedditだった。「ボストン爆弾犯を探せ」のスレッドには数千人が参加し、現地の大量の写真が投稿された。素人の分析屋がそうした写真を漁りながら、レースに集中していないかのように見える人物をマークし、彼らが何か別のものに気を引かれていたのではないかと邪推した。中でも、重い物がはいっていそうなショルダーバッグを持った男、黒いバックパックを背負っていた男の二人が怪しいとされ、それがニューヨーク・ポスト紙にまで掲載されてしまった。この二人は何の関係もない無実の人間だったが、インターネット上では彼らが犯人だと決めつけた人々による悪意に満ちた脅迫が撒き散らされ続けた。そのすぐ後、ボストン爆弾犯の容疑者として強く疑われる二人の画像がFBIによって公開されたが、今度はその片方と似ているとしてスニール・トリパティという人物の名前が挙げられ、これまたまったく無関係だったが次なる標的として血祭りにあげられてしまった。本人だけでなく家族への誹謗中傷も次々と行われそれに踊らされたテレビクルーも自宅に押しかけた。結局それが致命的な大誤報であることはすぐに明らかとなるのだが、これは多数の経験不足で慎重さもないインターネット探偵らがもたらす負の側面をよく現している。結局スニール・トリパティはもともとうつ病を患い1ヶ月前から行方不明になっていた人物で、最終的には川で死体で発見されている(おそらく自殺。ただし、時間的にネットの狂騒を苦にしての自殺ではなさそうであった)。
何千時間も使って未解決事件を解決しようと奮闘する人々──『未解決殺人クラブ~市民探偵たちの執念と正義の実録集』 - 基本読書
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lvdbbooks · 2 years
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【イベント出店】
「BOOK FAIR 古本市 in SkiiMa vol.2」
大阪市の書店「LVDB BOOKS」店主、上林翼氏キュレーションによる合同展示販売会をSkiiMa Collection Boothにて開催いたします。  昨年も好評いただいた本企画、第2弾では古書を中心とした展示となっており、様々なカルチャーに精通する上林氏ならではの9つの書店がSkiiMa SHINSAIBASHIに集結します。  心斎橋PARCOではなかなかお目にかかれない貴重な機会をぜひお見逃しなく。    概要 
会期:2022年11月4日(金)- 2023年1月23日(月)  時間:心斎橋PARCOの営業時間に準ずる  場所:SkiiMa Collection Booth(心斎橋PARCO 4階)  ※ワーキングスペース内にございますので、観覧ご希望の方は受付スタッフまでお声がけください。  入場料:無料 
/////   出展店舗 
・LVDB BOOKS   大阪市東住吉区田辺の路地の店  大阪府大阪市東住吉区田辺3丁目9-11  Instagram:@lvdbbooks Twitter:@LVDBBOOKS   ・toi books  大阪・本町にある5坪の小さな本屋。文芸書を中心に、“問い”をくれる本を販売しています。  大阪府大阪市中央区久太郎町3丁目1-22 OSKビル204  Instagram:@toibooks  Twitter:@toibooks    ・ON THE BOOKS  アートブックからサブカルチャーまで、わくわく楽しい古本と雑貨のお店です。  大阪府大阪市西区江之子島2丁目1-34 大阪府立江之子島文化芸術創造センター B1  Instagram:@onthebooks Twitter:@onthebooks    ・開風社 待賢ブックセンター  本屋です。場所は京都・西陣の外れ。  あたらしい本と古い本が並んでます。  絵本と沖縄の本が多め。  京都市上京区大宮通椹木町上る菱屋町818  HP:http://kaifusha-books.com/taiken  Instagram:@kaifushabooks  Twitter:@kaifushabooks    ・町家古本はんのき  京都の西陣にある築100年の町家で、〇〇's Den Books、空き瓶Books、古書ダンデライオンの 3軒の古本屋が共同で店舗を構えています。各店のセレクトで幅広いジャンルの古本を並べています。  京都府京都市上京区鳳瑞町225  HP:https://hannoki.jp  Twitter:@MFhannoki    ・ありの文庫  ありの文庫は、京都・四条烏丸に事務所を構える古本屋です。  美術・デザイン・写真等関連書籍と音楽ソフトの買取、イベント出店・通販を中心に販売活動をしております。    ・半月舎  彦根・旧城下町にある商店街で11年ほど古本屋をしています。  滋賀県彦根市中央町2-29  HP:http://hangetsusha.ready.jp  Instagram:@mikosoba  Twitter:@mikosoba    ・オヨヨ書林  美術・工芸から、文芸・絵本まで、幅広く扱う金沢の古書店です。  2010年に東京・青山から石川・金沢市に移転。  現在は、シンタテマチ店、せせらぎ通り店の2店舗を営業中です。  シンタテマチ店:石川県金沢市新竪町3-21  せせらぎ通り店:石川県金沢市長町1-6-11  HP: http://www.oyoyoshorin.jp  Instagram:@oyoyoshorin, @oyoyoshorinseseragi  Twitter:@oyoyoshorin    ・古本いるふ  ホタルイカ漁が名物の富山・滑川(なめりかわ)から参加いたします、古本いるふです。  「いるふ」は「ふるい」の逆さ言葉で、古いの反対で新しいという意味。  古くても新しい良書をお持ちします。  富山県滑川市瀬羽町1890-1  Instagram:@furuhon_iruf  Twitter:@furuhon_iruf 
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gloucester-road · 2 years
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9月とはいえ
蒸し暑い日が続いていて
参りますね。
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私は例年この時期になると
「青春18きっぷ」を使って
鈍行列車で
ちょっとした旅をしています。
今年は
甲府~韮崎と伊東
両方とも日帰りで行ってきました。
旅の目的はズバリ「温泉」でございます。
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まずは甲府。
私の家からは鈍行列車で2~3時間
比較的近いのかな
甲府駅からは路線バスに乗り
住宅街の中に突如現れる温泉施設
それが「山口温泉」です。
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数多くの温泉がある山梨県で
随一といわれる泉質を持つ温泉です。
作りは旧式ですが
脱衣所も綺麗ですし
内風呂と露天があるのですが
入って驚くのはその泉質
体中があっという間に
アワアワになる炭酸泉です。
シュワシュワして実に気持ちいい
ぬる湯なのでずっと入ってられますね。
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もう一つは韮崎にある
「韮崎旭温泉」
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田んぼの真ん中にひっそりとある施設です。
ここも炭酸泉ですが
少しぬめりのある湯で
肌がツルツルになりますよ。
二つともオススメな温泉ですので
ぜひお立ち寄りください。
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そして韮崎では
もう一つ行ってみたかった所があります。
韮崎駅からも見えるこのビルです。
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いつも何屋さんなのかなと
気になっていたので
今回は寄ってみました。
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「アメリカヤ」
1階はカフェですが
それ以外はオフィスだったり
作家さんの作品を
展示している小部屋があったりして
実に面白い施設になっています。
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アメリカヤのスタッフさんの許しを得て
屋上に上がらせてもらいました。
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あの看板を後ろから見ると
こうなってます
景色も綺麗だし
ここはオススメスポットですね。
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そして今週は伊東へ行ってきました。
青春18きっぷの旅は
朝が早いので、お腹が空きます。
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小田原の隣、早川で途中下車
漁港で市場めしをいただきます。
アジの刺身とフライの定食
最高に美味しかったですよ。
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伊東での
お目当ては「陽気館」
ここは電話ボックスぐらいの
小さいケーブルカーに乗って
露天風呂まで行くんです。
これが実に楽しい。
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館の方に聞くと昭和50年代ぐらいから
点検メンテンスをしながら
使っているという事です。
何せお風呂は崖の上です。
エレベーターでは無理があり
この形になったそう。
確かにかなり高さですよこれは
しかしその分
風呂からはこの景色です。
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伊東市内が一望できます。
温泉はかなりの熱湯
源泉かけ流しで塩分強め
素晴らしい泉質でした。
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伊東の町には
沢山の公衆浴場があります。
どこもかけ流し
湯量の抱負さを感じます
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地元の方はこの温泉を70円ぐらいで
入れるのですから
実に羨ましいですね。
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この2回の旅は
両方共に雨予報でしたので
足元は
ショルダーレザーの靴にしました。
韮崎では豪雨と雷にあいましたが
流石はショルダーです。
旅の足元をしっかり守ってくれました。
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温泉ばかりのブログになりましたが
温泉にゆっくりつかると
むくみがとれるので
足や靴にも
良いのではと思ってまして
数年前から意識的に
立ち寄り湯に入るようにしています。
それからは
旅先で休憩しても
足がパンパンみたいなことが
無くなりました。
やはり温泉って効果抜群
皆様も
日帰りでも良いので
沢山旅をして
温泉に入ったりしてみて下さいね。
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