#福満虚空蔵尊
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wankohouse · 3 days ago
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七日堂裸詣り・会津柳津
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これが何か…ピンタレストで削除された写真なんだけど日本人の日常だね
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平成21年1月7日(水) 引用元:はっちゃんの祭り見たまま
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「拡大」するとみんな結構かわいいよ
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よく見かける写真だね
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七日堂裸詣りは会津柳津 福満虚空藏菩薩 圓藏寺(福満虚空蔵尊)の菊光堂(本堂)でおこなわれるんだって。七日堂と言うお堂はないの? なぜ七日堂裸詣りなの?
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kensasuke23 · 7 months ago
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今日は柳津町のやないづ縄文館で土器を見学。
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人体装飾付土器の展示です。
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道の駅やないづから見た福満虚空蔵尊。
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道の駅あいづ湯川・会津坂下からみた飯豊連峰。
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お昼は道の駅あいづ湯川・会津坂下内の会津食のブランド館で喜多方ラーメン。
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kachoushi · 1 year ago
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各地句会報
花鳥誌 令和5年11月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年8月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
思ひ出はねぶた祭りの鈴の音 由季子 居合はずも気配感じて墓参り さとみ 小さき手の祈る姿や原爆忌 都 新刊にしをりはさみし今朝の秋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
夏蝶の影夏蝶の見当たらず 和子 夏帽を墓誌にぱさりと一礼す 小鳥 炎帝の甘い息なり草いきれ 和子 ビルとなく夏草となく墓となく 千種 墓参直方体の石たちへ 緋路 刻む名のなき墓石の灼けてあり 和子 十字架の寝墓を埋めし夏の草 美紀 空蟬を俯きにして走り根に 要 炎天にかつて士族は墓じまひ いづみ
岡田順子選 特選句
睡蓮の影睡蓮の葉に揺るる 緋路 利通の墓へ鋼の夏日かな 俊樹 墓参直方体の石たちへ 緋路 葬列の中のたじろぐ黒日傘 三郎 あふひ句碑墓域にありて百日紅 佑天 奔放で供花ともならず猫じやらし 荘吉 青山の水に肥りし金魚かな 美紀 夏草に陋屋のごと耶蘇眠る はるか 立ち枯れの草より薄き八月の蝶 和子 イザベラの墓へ絵日傘高く上げ 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月5日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
金灯籠灯の曼陀羅をよへほ節 美穂 盆灯籠十万億土超ゆ君へ���久美子 流燈の火の川となり闇に浮く 孝子 流灯の破線となりて彼の世へと 睦子 行く夏や波に消えゆく砂の山 修二 家紋古る釣灯籠に代々の火を 久美子 黒髪に戴く山鹿灯籠かな たかし シヤンデリア墜ちてはじまる夏舞台 睦子 縁日やうすものの母追ひ越さず かおり ダリア立つ背に御仏のおはす如 勝利 炎帝を睨み返せし不動尊 かおり 戦争を知る人とゐて沙羅の花 朝子 恋に堕つ日々はまぼろし星月夜 美穂 風天忌しがらみ捨てて西東 修二 思ひの外長く連れ添ひ夕端居 光子 あの雲の八月六日兄の背に 朝子 河童忌やセピア色なる供華の水 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月7日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
九頭竜に天蓋として秋の空 かづを 饒舌を寡黙にしたる猛暑かな 同 老い包む羅にある粋を着て 同 絽の喪服広げて暫し母偲ぶ 笑 海上を照らし消えゆく花火舟 同 羅に心の綾は隠し得ず 雪 絽の美人正面見すゑ瞬かず 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月8日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
鳳仙花記念写真のまた増えて 裕子 秋薔薇キリスト葬は花のみに 令子 図書館の絵本を借りて秋の朝 実加 秋初め装丁だけで選ぶ本 登美子 褪せ果つるトーテムポール夏の月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月8日 萩花鳥会
広島の原爆殘害眼前に 祐子 盆提灯座敷一変かの浄土 健雄 ひぐらしがよう帰ったと里日暮れ 俊文 七夕や家族揃うてバーベキュー ゆかり 庭野菜取りたて供ふ盆支度 恒雄 ひと日生く古稀の我また花木槿 美惠子
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令和5年8月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
化粧水嫁にねだりて生身魂 すみ子 立葵老女の夢は咲きのぼる 悦子 棚経を待つ朝よりの野良着脱ぎ 美智子 水脈長く長くや土用蜆舟 都 縁台の仰臥は浮遊天の川 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
烈日の寺の甍や蟬時雨 亜栄子 白粉のゆふぐれ匂ふ句碑明かり 文英 達者なる日を百歳の生身魂 同 好物に笑顔は童生身魂 恭子 小湾の潮香満ち足る島の秋 多美女 ビートルズ聴きつうたたね生身魂 亜栄子 草々に水やり終へて今朝の秋 恭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月14日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
打水に乾きし土の匂ひして 迪子 蜩の声に憶ふは奥貴船 貴薫 新涼や虚子文学碑なぞり読む 怜 蜩や今日の仕舞ひにジャズを聴く 貴薫 新涼の風運び来る水の音 三無 蜩の声に包まれ森深き 秋尚 新涼の風運びゆくミサの鐘 怜 直したる服受け取りて涼新 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
耳に残る脱穀の音終戦日 昭子 大都市の火の海と化し終戦日 みす枝 薄れゆく記憶手繰りし原爆忌 英美子 俗論をまた聞かさるる残暑かな 昭子 喜んで逃げる爺婆水鉄砲 みす枝 しみじみと肩甲骨や更衣 昭子 夫の船べりを掴みて鮑海女 同 桐一葉風の意のまま落ちにけり 英美子 どの墓も供華新しき盆の寺 信子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
火取蟲てふに一夜を果つ定め 雪 考へず居れば済むこと髪洗ふ 同 花火果て破に残りし余熱かな 真喜栄 漆黒の闇に銀漢ふりかぶり 同 百日紅又百日紅てふ団地 清女 それとなく秋を呼びゐる風の音 かづを 九頭竜の闇を沈めてゐる銀河 同 ゴジラ似の雲立ち上がる原爆忌 嘉和 地獄より来る祖もありぬ盂蘭盆会 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月16日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
啼く声の細くとぎれし法師蟬 啓子 足さばき揃ひよせ来る盆踊り 笑子 灯籠に女心の一句添へ 希子 流灯の仏慮の風に促され 同 球児等もスタンド席も灼けてゐし 和子 地図上に台風の道あるらしく 同 盆の月古城の上にまかり出る 隆司 吟行も供養の一つ盂蘭盆会 泰俊 故郷の色町とほる墓参 同 表情のはみ出してゐるサングラス 雪 頷いてばかりも居れず生身魂 同 月夜の踊り雨夜の踊り見しと文 同 何となく日向水ある日向かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月16日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
蝿叩きにも自らなる居場所 雪 頷いて居れば安泰生身魂 同 火を恋ひし火蛾の果てとはこんなもの 同 狙ひたる金魚に又も逃られし 同 音もなく傷も付けずに流れ星 みす枝 蜩の声が声呼び森震ふ 同 偕老に二本つましく牽牛花 一涓 来世又君に逢むと墓参 世詩明 夏まつり村の掟は捨て難し 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年8月18日 さきたま花鳥句会
鳳仙花迷路のごとき蔵の街 月惑 天高し殿堂入りの行進曲 八草 夕まずめ途切れ途切れに法師蟬 裕章 あの人に会ひたくなりし天の川 紀花 座の窪きまり南瓜のおほらかに 孝江 朝の厨一分間の終戦日 ふゆ子 夜咄やはたと団扇の風止まる とし江 炎暑寺水鉢かつぐ鬼を吸え 康子 一夜あけ光の洗ふ野分後 恵美子 尺玉の花火の弾け音弾け みのり 強風に七夕飾りもつれけり 彩香
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令和5年8月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
裏返り空を見詰むる秋の蟬 秋尚 校庭の空を奪ひし秋茜 経彦 大空に機関車の缶灼けゐたり 幸風 菩提樹を絡めとりたる葡萄葛 同 なびき癖各々違へねこじやらし 秋尚 山城の搦め手いづこ野路の秋 眞理子 一葉落ち青空丸く生まれたる 三無
栗林圭魚選 特選句
TARO展残暑を赤く塗り潰す 千種 おしろいの紅固く閉ぢしまま 秋尚 横山に行合の空今朝の秋 幸風 校庭の空を奪ひし秋茜 経彦 水被り残暑の石の獣めく 千種 たくさんの水飲み干して夏果てり 久 わが息の荒さをしづめ秋の蟬 千種 秋の蟬力惜しまず昼を裂き 三無 噴水の歪みもとより秋暑し 千種 妣の声聞きに葉月の恐山 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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funada-studio · 5 years ago
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【レンタル】2012.11.5 会津柳津福満虚空蔵尊
●観光地情報→コチラ
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magical-magyars · 2 years ago
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会津柳津  只見川沿いにある「福満虚空蔵菩薩 圓蔵寺」  日本三大虚空蔵菩薩の一つに数えられ、丑寅年生まれの守り本尊として知られる。2022.11.8
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2ttf · 13 years ago
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moment-japan · 7 years ago
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京都・醍醐寺の虚空蔵菩薩立像 (聖観音菩薩)国宝 National Treasure.
明治42年(1909)に重要文化財として指定され、以後長らく、醍醐寺の聖観音像として知られてきたもので、  平成27年(2015)に、醍醐寺所蔵の重要文化財「聖観音菩薩立像」が、近年の調査と研究で尊名と伝来が判明し、あらたに「虚空蔵菩薩立像」として国宝指定。
見た目は聖観音菩薩ですし、如意宝珠を持っていないので納得いきませんが、 虚空蔵菩薩として国宝指定されたそうです。
一切香集世界に住み、限りない智慧と福徳が備わったものという意味を持つ虚空蔵菩薩。 信仰すると記憶力が上がり、成績がよくなるといわれており、勉学の神として知られています。密教では 真言を百日、もしくは五十日の間に百万回唱えると、集中力と記憶力が非常に高まるという密教秘法「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」という修行法があり、高僧の多くはこれを修しているそうです。   
一切香集世界とは: 天界の音楽神であり、香りを主食として自らも芳香を放つ神団ガンダルヴァが住む音楽と花と香りに満ちた美しい仏国土のこと。 
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mabumaro · 3 years ago
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少林山 頼岳寺
■開創  曹洞宗(禅宗)に属し、本山は永平寺(福井県)と総持寺(神奈川県)である。開創は江戸時代初期の寛永八年(一六三一)で開山(初代住職)は大通関徹(群馬県双林寺第十三世)、開基は高島藩初代の諏訪頼水である。頼水は諏訪大社上社にまつられる健御名方神(諏訪明神)の直系諏訪氏で、諏訪氏は古代から中世まで諏訪の盟主として君臨し、江戸時代は高島藩三万石の大名であった。
■上原城周辺  寺の右側の金比羅山(九七八メートル、甲州街道からの比高はおよそ二〇〇メートル)には上原城があった。この城は諏訪頼満の時代、諏訪惣領家の居城として築城され、政満・頼満・頼隆・頼重が板垣平(頼岳寺の南方)に居館をおいて諏訪を統治した。天文十一年(一五四二)武田信玄に攻略されたのちも、武田氏が城代をこの城において諏訪を���め、以後岡村(上諏訪)に政庁が移るまで諏訪の政治・経済の中心地であった。上原には城下町が経営され反映された。とくに城下には鎌倉五山にならって上原五山と呼ばれた五ヶ寺があった。永明寺(頼岳寺の前身)・極楽寺・金剛寺(廃寺)・法明寺・光明寺(この二ヶ寺はのちに合併して法光寺となり上諏訪に移る)があり、上原八幡社もこの時代に建立された。
 上原五山のうち永明寺は向富山と号し、現在の頼岳寺よりおよそ五〇〇メートル南方にあった曹洞宗の寺である。開創は永正年間(一五〇四-一五二一)で、開山は慈山永訓(静岡県真珠院第二世)。開基は諏訪頼水の曽祖父にあたる頼満(永明寺殿西周宗昌大居士)である。永明手寺は以後七代一三〇年間続いたが、寛永七年(一六三〇)同寺に駆け込んだ科人の引渡しを拒否したことから。頼水の命により炎上破却された。永明寺の頼忠夫妻(頼水の両親)の墓、本尊釈迦如来、什器などは翌年建立された頼岳寺に移された。なお永明寺の跡地には「永明寺跡」の記念碑が建っている。
■頼岳寺の沿革  開創以来この地方の中心的勢力を保ち、江戸時代には寺領一〇〇石を賜り、末寺は十四ヶ寺である。古くから修行寺として知られ、常に数十名の雲水が参集した。さらに第三十二世狐峰智餐璨は明治十年以来五十年間にわたる在住中に。人材の育成、伽藍の整備に尽力し、のち頼岳寺の祖本寺にあたる神奈川県大雄山最乗寺の住職を経て、大本山総持寺独住第十八世円応至道禅師となった。
■境内と文化財  本堂(間口十四間)とその後方の開山堂は大正六年、本堂右の庫院は明治三十五年の建立である。山門の額「鵞湖禅林」は頼岳寺の別名で、鵞湖は諏訪湖を指す。山門と鐘楼は昭和二十七年の建立で、山門にいたる杉並木は樹齢三〇〇年で、茅野市文化財に指定されている。開山堂後方の座禅堂は昭和五十三年の建立で、一般にも公開されている。最近になって庫院の増築、墓地の増設などが行われた。
 本堂右後方にある御廟(市指定史跡)には、開基の諏訪頼水(頼岳寺殿昊窓映林大居士)と頼水の父頼忠(永明寺殿昊山宗湖大居士)、頼水の母(理昌院殿玉英貞珠大姉)をまつる。文化財としては諏訪頼忠の念持仏(虚空蔵菩薩)、頼水が徳川家康から拝領した琥珀観音(聖観音)、吉山明兆(きちざんみんちょう)の十六羅漢が市の指定文化財である。国道わきの石柱「少林山頼岳寺」と総門額「少林山」は江戸時代の中国僧東皐心越(とうこうしんえつ)の書による。本堂正面の欄間彫刻は、天保十五年(一八四四)立川流二代和四郎冨昌の作である。境内八十二アール、山林約六ヘクタールは金比羅山一帯に拡がっている。
■貞珠山 理昌院  曹洞宗に属し、頼岳寺の末寺である。頼岳寺第十八世尊応教堂が開山、開基は諏訪頼水の弟諏訪頼雄(二ノ丸家初代)で、母(理昌院玉栄貞珠大姉)のために開創した。はじめ上原城本丸下の曲輪(理昌院平)にあったが頼岳寺開創後に現在地に移る。本尊は聖観世音菩薩、諏訪霊場百番札所の中一番。
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shakuhachi-kataha · 4 years ago
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第19回ミニ講座「虚鐸伝記」を読み解く 其の三! 寄竹登場!
さて、前回は法燈国師(心地覚心)が中国、宋に行き、張伯の子孫、張参と仲良くなり、虚鐸を教えてもらい、日本に帰国した。というところまでやりました。
 
 
 
 
まさに、日中友情物語。
 
 
  
 
そして今回は、三人目のキーパーソン寄竹(きちく)の登場です!
 
 
 
 
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(寄竹、法燈国師に虚鐸を授かるの図)
 
 
 
 
以下「虚鐸伝記」と「虚鐸伝記国字解」の写しと、私の簡単な訳です。
 
 
徒中有寄竹者以禅心殊切敬師益甚
徒中とは学徒とも、徒弟ともいふ事にて、弟子の中にといふ事也。あまた多き弟子の中に也。
寄竹なるものありとは、其あまたの弟子のうちに、寄竹という僧ありけるがいうふ事也。
禅心殊に切なるをもって、師を敬する益々甚だしとは、参禅の心のことの外に親切なるゆえ、師匠を敬う事も益々日をふるにしがひ甚だしき也。
 
 
学心のたくさんい��弟子の中に寄竹という、大変優秀で師匠を甚だ尊敬してるひとりの弟子がいた。
 
 
学心亦親眤之異于他弟子一時学心告之以在宋之時伝得虚鐸音今尚能調之且謂欲長授于汝而嗣此之伝
学心もこれを親眤(しんじつ)すること、他の弟子に異なりとは、寄竹がことの外まことの心を以て、敬うものなる故、学心もこれを親しみ、むつまじゅうせらるる事。他の弟子よりもことによろしかりとなり。ある時学心が寄竹に話のついでに申されけるは、我昔宋の国にいたり、禅学せし時、張参という人より、虚鐸というものを習いしが、今にその吹きようをよく知りていると語らる。その上思うに、汝に此の虚鐸を授け教えて、永く此の伝をつがしめんと思うなりとありしかば、
【親眤】ちかづく・なじむ
 
 
寄竹があまりに慕ってくるので学心も彼を可愛がり、昔宋に行って虚鐸を教えてもらった事を教えてあげた。
 
 
(んー、創始書にこの師弟間の親密感はなんだかな〜)
 
 
寄竹踊躍拜謝伝此之音熟習嗜弄日不置
「寄竹ゆやくはいしゃし」とは、ときに、寄竹師の仰をうけて喜びにたえず、踊躍(ゆやく)と踊り上がり、これは有り難き仰せかなと、嬉しく思い、三拝して礼をなし此の調子を習いうけ、よくよく覚え熟し、毎日毎日怠らず、禅のいとまには、弄びて、すきこのみけるとなり。
 
 
寄竹は飛び上がって喜んで、毎日吹いた。
 
 
(そこまで嬉しかったのか?!)
 
 
他弟子國作理正法普宗恕四人亦良能学此管世稱之四居士
他の弟子、国作(こくさく)、理正(りせい)、法普(ほうふ)、宗恕(そうじょ)、の四人もまたよくこの管を学ぶ。世にこれを四居士(しこじ)と称す。寄竹の他の弟子も虚鐸を好み、上手に吹きならした。 
 
他の弟子、国作(こくさく)、理正(りせい)、法普(ほうふ)、宗恕(そうじょ)、の四人も虚鐸を上手に吹き、世にこれを四居士(しこじ)と称した。
 
  
(突然の四人の弟子も登場!)
 
 
後年寄竹以行脚之志告暇且請道路毎戸発此音以為往来使世人知此妙音
「後年、寄竹行脚の志しをもって暇を告げ、且つ道路毎に此の韻を発して往来のためにし、世人をして、此の妙音を知らしめんと欲す」とは、寄竹は諸国を行脚ののぞみにて師匠に暇を願い申し受けて、人の家毎に表にて、此の虚鐸を吹きて、世間の人に聞かせん事を願いし事也。
 
 
数年後、寄竹は諸国行脚して門前でこの虚鐸を吹いて皆に聞かせてあげたいと願い出た。
 
 
 
(虚無僧の活動の発祥か?)
 
 
 
学心曰善哉志也 
「がくしんのいわく、よいかなこころざしや」とは、まことになるほどそれはよかろう、良い思いつきかな。管を吹いて人の心を楽しましむるも讃仏乗 サンブツジョウ(仏法をほめたたえること)の縁と成り、心をすます種となるという心もこもれり。
 
 
なるほどそれは良い思いつきじゃ。良い修行になるわい、と学心。
 
 
於此直発紀無日到于勢州朝熊嶽上虚空蔵堂下
此処に於いて直ちに紀州を発して朝熊嶽の上にある、虚空蔵堂の下のに到るとは、ただちにとはすぐという心なり。発しをは発足して寺を出ること。日無くとは、日数なくほどなくなり。
 
 
寄竹は直ちに紀州を出発して朝熊嶽(あさまがたけ)の上にある虚空蔵堂に着いたとさ。
 
 
(家々をまわるんじゃ無かったのか!?)
 
 
 
 
と、勝手な突っ込みどころ満載ですが、 
今回はここまで。
 
 
 
そこで、重大な!?疑問点が浮上しました。
 
 
 
 
<普化明暗尺八 明暗導主会HP>にはこう書いてあります。
 
 
 
 
<明暗古典尺八の由来>我国への渡来は、心地覚心 、のちに由良興国寺の開山となられました 法燈国師が建長元年の春(中国の)宋に行った当時、張伯十六世の孫、張参から張家伝来の「嘘鈴」の曲を習い、更に「国作」「理正」「宗恕」「法普」の四居士を伴い帰朝、この曲を法弟の寄竹了円(のちの虚竹禅師)に授けられたのが日本への普化尺八伝来の始まりです。
 
 
 
 
 
「虚鐸伝記」にはこの四人の弟子は中国からやって来たとは一言も書いてない…。「他の弟子四人もまた虚鐸を上手に吹いた」とだけ書いてあります。
あと「嘘鈴」という曲名も「虚鐸伝記」には出てきません。
んー。偽書だからって適当に言い過ぎ!
 
 
 
 
 
明暗真法流の創始説はどうなのでしょうか。
 
京都明暗寺最後の看首、明暗自笑が普化宗廃止時に、文書類は全部もって寺を出て、「文献の一部を初代の中尾都山に譲り、残りは福田閑斎の尽力により明暗教会(現在の京都明暗寺)に寄贈された」(「」内尺八修理工房幻海より参照)
 
 
ということは、明暗対山流である明暗導主会のHPの内容と同じだと思われます。
 
 
 
 
 
いづれにせよ「虚鐸伝記」を書いた遁翁も、普化禅師の鐸の音を尺八に映したのも張伯も中国人です。二人とも謎の人物です。これは、日本人にしてしまうと、出生を突き止める事が可能になってしまいます。張伯などは官人ではなく町人であるとまでわざわざ書いてあること自体、中国に行っても調べられないようにして、入念な作り話であると想像せざるを得ません。
 
 
 
 
 
深読みし過ぎ?笑
 
 
 
 
 
昨今、偽造文書だのなんだのと、下々のものがお上に騙され続けておりますが、この時代はお上を騙すための試行錯誤!明暗寺は関東の一月寺・鈴法寺よりも優位に立とうと由良の興福寺と本寺・末寺の関係を強引に結ぶのです。なかなかやりますなあ。
 
 
 
 
 
現代に生きるぼんやりした我々の頭をひねらせてくれる物語を遺してくれたと思って、欲を張らずにただ一心に尺八の練習をいたしましょうぞ。
 
 
 
 
次回は「古伝三曲の謎にせまる!」です。
こちらも新しい発見あり!
お楽しみに🎵
 
 
 
 
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fox2389 · 5 years ago
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あちこちに赤べこ居ます(*^。^*) #赤べこ発祥の地 (福満虚空蔵尊 圓藏寺) https://www.instagram.com/p/B7Qxx6vpc7MMjL7zWKx-r6mLahXgCJoLO6SX1U0/?igshid=nonhi5r0fcyl
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usamin0325 · 5 years ago
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世相に関する覚書
ものぐさでいい加減な私は人をまとめたり動かしたりするのが極端に苦手な性分で、今でも人と仕事をするのが苦痛で仕方なく、例えば、ある作品の評論を書いてくれと依頼があっても、依頼主の意向を無視したものを書き上げてしまい、折角の仕事の話を頓挫させてしまったことが幾度となくある。
「井原西鶴はスタンダールやバルザックと同じリアリズム文学の創始者であり、当時、大阪はパリに匹敵する文化都市だった、だからこそ、大阪維新の会のような文化破壊をあたかも道徳のように行う政党は決して許してはならない」と書いて、失笑されること数回。十三の風俗嬢とその馴染み客の恋愛を書けば、織田作の模倣に過ぎないと馬鹿にされ、踏んだり蹴ったりの私。それでも井原西鶴や織田作、宇野浩二、武田麟太郎、葛西善蔵、林芙美子を見習い、軽佻浮薄��ケラケラ笑いながら私は生きている。
こんな愚図な私はどうにもならん、いくら賞レースに参加したとて、風俗壊乱の下卑た作品しか書けないので、富と名声までは程遠い。いつまで月給取りをしなくてはならないのだと不甲斐ない自身を罵りながら日常を過ごす。
そんな私だから、音楽なんてとうの昔に辞めて正解であった。もともと不器用なんだから音楽なんてそれはとても私の技量にかなうものではなかったのだ。
退屈で無為な学生時代、セカンドスクールだがなんだかに通い詰めたりして「お前は挫折したことないから、そこへ行ってる俺の真剣さなんて分かりっこない」などと威張り散らし、自身の優越を誇示するのに必死な連中との付き合いに疲れ果て、私はそんな窮屈な人間関係から逃れるために読んだスタンダールの「赤と黒」とバルザックの「ゴリオ爺さん」などの古典文学にこそ、私の居場所があった様なものだった。人間の矛盾に満ちた本質など変わりはしないし、それを責めても何も生まれないのだと思うと、多少、卑屈な思いも鎮まるものである。どうにかしてこのクソ退屈で屈辱に満ちた時間と場面をやり過ごすことしか他はなかったのだ。
そもそも世渡り下手でなにかと不器用な私であったし、といってそれほど学術的に優秀でもない。それに取り柄なんてない。皆の様に明確に目指すものなんてあるわけもない。
私には捉え難いものを追うことしかできず、厄介なことに迷うことでしか多くの物事が分からないのだ。取り返しのつかない失敗と破綻の上に、私の思考が成り立つという厄介さ。
頭のいい方々は羨ましいものだ。路頭に迷い、誰からも必要とされない孤独感や他人との協調が上手いがために疎外感を知らずに、ただ、目の前にある課題をこなすだけで満足そうなのだから。
私の場合はそうはいかない。満足なんてどこにもなく、何かを知れば知るほど、何かをやればやるほど、現実が差し迫って来て、理想は遠く離れていく様に見える。それ故に、常に何かに迫られるような切迫感があって、何処にも落ち着きそうがない。自嘲的にいえば、私はいつまでも年相応の生き方に馴染めず、ただ、当て所なく迷うのだ。放蕩無頼とはよくいったもので、私もそれに近いものがある。
ただ、こんな私でもこれまでの時代は西成の薄暗い商店街の路地裏にいる八卦見にでも見てもらえばよかった。
モーパッサンの「女の一生」の最後、召使いが仕えていた婦人に言うようなことを彼なら���えると分かってる、この言葉を第三者から聞ければ、満足だった。
「結局、未来なんて期待していたほど良くもなく、といって失望していたほどのものでもない」
ところがこんな楽観が成立していた時代が徐々にこの日本から消えつつある。しかもその消失速度はここところ否応無しに増すばかりで、いくら愚図で鈍間な私でも分かる。
実際、私はこのことについて直感的に分かっていたといっていいか。白状するが、大学のキャンパスだろうが、風俗店の受付だろうが、ジャンキーやヤリ目のパリピー野郎ばかりが屯するクラブだろうが、今の職場であろうが、どんなに目を背けても直視せざるを得ない危機が迫っていることだけは分かっていた。
だからといって自身を逞しくしたり資格の勉強をしようとまで思わなんだ。何故って、それは余りにも私には不自然なことだった。所詮、資格なんて役に立たないし、専門性を持てば結局自身の無謬性を過信することとなり大きく判断を見誤るからだ。
例えば、精神科医が大量の薬を出し、多くの薬害を生み出すことは、自身の無謬性を一瞬たりとも疑ったことがない所以ではないか?
かつて私は自身の特殊性ー頭の構造がおかしいのか、頭が時折人との会話や目下の作業についてこれず、注意散漫になって、思考が筋から大きく違う方向へ逸れてしまうーのために、若干精神を病んでしまい、頭に喝を入れるアンフェタミンと精神状態を穏やかにするセロトニンの混合薬欲しさに医者に行ったことがある。そこで医者にこんなことを聞かれた。
「このまま消えたいとかそういった希死念慮はありませんか?」
別に死にたくもないのにどうしてこんなことを聴かれねばならないのかと不貞腐れた私は、
「別にないです。私が欲しいのはただ穏やかさと覚醒だけですがね」
すると、医者はこの答えに不満ありげに、
「おかしいですね?本来なら自殺願望がこういった抑うつ症状の場合にはみられるのですがね…本当はどうです?実際はあるでしょう?」
こう聞く医師の目にどこか見当違いの既視感があるように私には思えてた、抑鬱ならばこの答えではなくては困るといったような、そんな雰囲気を醸し出されており、私は些か困惑した。
まるで鬱に憔悴した人は皆自殺願望でもあるかのように患者に決めつけるところなぞ、なんという傲慢さだろうか。
後々分かったことであるが、私はうつ病でもなければ統合失調症でもなかった。何たる誤診だったろう。こういった行き違いばかりの診察で出された薬に手もつけなかった。私の精神状態が脳の問��であれば、脳波でも見れば良いものを、なんたって本人との面談だけで、あれだけ易々と薬が出せたのだろうか、それが不思議でならなかったのだ。
恐らく医者はその説明を拒むだろう。自身の無謬性に一つでもケチが付けば、彼の自尊心は忽ち崩れ、そして、これまでの経歴を自ら疑わずにはいられなくなる。となると、皮肉なことに、彼こそが向精神薬のお世話になる羽目になるのだ。
ーこうした精神運動が権威と集団に結びつき、少数からの真っ当な非難を論拠なしに厳しい口調や態度で退け続け、悲惨な結末をもたらす自身の行為を改めずに続けること、これをセンメルヴェイス反射という。日本社会に起きている多くの弊害はこうした心理現象に由来するとも言える。他にも合成の誤謬、認知的共同体などが挙げられる。ー
こんな例はいくつもある。
幸か不幸か、私の身内の多くは精神障害者であり、精神科医の被害者である。その多くは医師の言いつけ通りに処方された薬を飲み続け、文字通り、ヴォガネットの作品に出てくる登場人物のように頭がどっかーんとぶっ飛んだ。
通院すればするほど、会話が支離滅裂なものとり、動作がどんどん鈍くなっていく。
その結果、ある者は還暦を前にしてすでに手足の関節の膠着が見られ、自身で排泄と食事すらできなくなるほど衰弱し、その上、会話も成立しない。そして尿道にはチューブが繋がれ、病床に臥したきりになっている。
誰も指摘しないが、これは薬害ではないかと私は思う。
こんなことが頻発しているのであれば、日本の精神医療は最低といっても過言ではない。
地獄への道は善意で彩られているとはよく言ったもので、このほかにも政府や官僚、エリートたちが社会保障の充実のための増税だと、将来世代にツケを残さないためだとかなんとか、美辞麗句ばかり並びたてている。だが、結局、消費税を上げるたびに、日本人は総じて貧乏になり、その供給能力(即ちそれは国家の経済力を指す)は著しく毀損された。
介護医療、土木建設などの生活の根幹をなす業界の現場は、「無駄を減らせ」「民間の知恵を入れろ」との美辞麗句に彩られた合言葉から始まった目的のない緊縮財政と構造改革の煽りで、その運営手段は民営化されたために、作業効率はかえって悪くなり、報酬は減り続けた結果、廃業にまで追い込まれるところが相次ぎ、人手不足で相当悲惨なことになっている。
鈍感ではあったが、世の中が見る見る悪くなると察した私は、将来に向けて努力する同級生を見ても焦りもしなかった。そもそも私が無気力な状態であったことは言うまでもないが、ただ、その焦りは結局、何らかのビジネスに利用されるということを感じたからでもある。
実質賃金が漸次的に減少し、全体のパイが縮小していくデフレ経済下で勝てるのは持てる者だけで、多くは頑張れば頑張るほど燃え尽きるのだ。浮かばれない自身をSNSにでも投稿して憂さを晴らす姿はなんとも惨めったらしくて遣る瀬無い。そしてこの無為とも思われる努力の過程で積もり積もった妬みは政治家や官僚、メディア、詐欺師などに巧みに利用されて、自身の立場を知らず知らず危うくしてしまう。
公務員を叩いて何が良くなった?
何一つ良くなっていない、災害があれば、都市機能は一瞬で麻痺し、復旧には多くの時間と労力を要するだけで、日常生活に以前よりも支障を来すだけの結果にしかならず、何の足しにもなっていなかった。
リーマンショックの時、何か重大な機構の歯車が外れて未来への軌道が逸れた気がした。これまで是としてきたことがすべてまやかしだったというようなことが仄めかされたといっていい。世間の空気が少しだけ冷たくなり、より一層協調を求め、画一化されていくことを人々に強要していた。
「負け組にならないために、空気を読まねばならない。」
その空気とはなんであったか、今でも私には分からない。ただならぬものが何か一定の思考を強いるようなものであったのは確かだった。
後にトクヴィルの「アメリカの民主主義」という書物に出会い、朧げに見えてきたのは、「多数派の専制」がこの日本で行われつつあることであった。
階級や中間共同体が撤廃されて、人々が一様に平等となったとき、慣習や伝統を見失い、模範とすべき対象がないと多く嘆かれる。その時、頼るべきものを見失った人々はメディアが喧伝するイデオロギーや合言葉を、それが正しいかどうかなど関係なく、一斉に飛びついて信じてしまう。そして少数派の非難や意見はことごとく無視され、多数派がその社会を支配する。この多数派の専制が更に進めば、思考の自由すら人々は手放し、多数派の思考に隷属していく。
つまり、全体主義と民主主義は表裏一体。
私が物心ついた時からすでに社会はこの「多数派の専制」のメカニズムを順当に辿っていたのではないか。
阪神淡路大震災以後の日本文明は、何かと言えば、「無駄を省け」「これからは金融の時代だ」「規制緩��して市場を活性化すれば、より経済は活発になる」といった根拠なき意見が散見される次第、しかも何処にも確証もなければ論証もない。これらの試みが失敗したところで誰も責任を取らないどころか、「改革を十分に徹底していなかったから良くなかった、だからより抜本的に行う必要がある」という意見が支配的で、もう手の施しようがない。
つまりこの日本では健全な民主主義が機能していないのだ。
東日本大地震になると、この民主主義の機能不全は輪をかけて酷くなり、福島原発の爆発を見て、人々は恐れおののき、科学的根拠もなく、メディアの扇動だけで直ぐにでも脱原発と声高に多数派は叫ぶ有様。
正直にいって私も当初煽られてしまった。追い追い情報を精査すると、この事故はやむを得なかった。何しろ、想定外の事が起きたのだから。だったら、この想定外を上回る危機にも耐え得る原発を作れば良いではないか。しかしそんな議論は無かった。あったのは原発廃止、それだけ。
しかも脱原発に煽られて、人々は一斉に原発を叩き、根拠なき恐怖心は再エネビジネスに利用されたのだった。
結果、電気代に再エネ促進費用を上乗せされて支払う羽目になり、そのままその金は外資規制もなく再エネ事業者に横流し。しかもビジネス目的で山の斜面に多く作られたソーラーパネルのせいで、豪雨が見舞えば、土砂崩れは頻発する有様。
敗戦のショック同様に、このショックは人々の思考を停止に至らしめ、その隙間を邪なビジネスマンや工作勢力に利用されたのだった。
これをショックドクトリンという。
大惨事が起きるたびにこの国ではビジネスチャンスとなるわけだ。
過去の大戦の原因の一つが、石油をめぐるアメリカに対する我が国の過度な依存であったと分かれば、自ずと、結論は、エネルギーを自前で賄える可能性を有した原発を日本は国を挙げて維持すべきといった意見に傾く。この事故をあくまで日本の宿命と受け止めるべきではなかろうか。自立するために、多少の犠牲を払わなければならない日本の運命的境遇を理解できれば、何でもかんでも反原発と騒ぐのは話があまりにも飛躍しているのではないか。
しかし、こんな私の意見なんて多数派には届くはずもない。多くの人たちは、東電の管轄下にあったものが事故を起こしたのだから、その責任を国が東電に押し付けて当たり前と考え、異論すら聞き入れなかった。
想定外の事が起きているところへ、責任問題として、この事故を扱うこの国のエリート層の知性の劣化にはこの私でも舌を巻くものだった。これは誰の責任でもなく、その負担は政府をはじめとする国家全体が負うべき種類のものだろう。
しかし、政府はその負担を東電に押し付けた。メディアは、また放射能の被害を被った福島の農家に東電職員が土下座する写真を新聞の一面に載せたのだった。
どこまで煽られないと人々は気づかないのか。
その年行われたロックフェスは、従来通り、大量の電力を消費する大規模なものであったのに、ステージに立つ連中は悉く脱原発のイデオロギーに染まり、ある政治集団に至ってはジョンレノンに憧れてるのか、そこで夜中、大音量で音楽をかけながら、環境保護を標榜する集会を開いていた。60年代後半のウッドストックにいたヒッピーの幻想に頭がヤラレだのだろう、原発の利権構造が悪など偉そうな事を言う一方、大量の電力がなければ成り立たない生活をしている自身の矛盾には目を背け、偉そうに騒ぎ立てる姿は、自己欺瞞そのもので、実におめでたい姿だった。この光景をみて、こんな軽薄な連中とつるむのが気恥ずかしくなったものだ。私もそれだけ歳をとったのかわからぬが、彼らに言い知れぬ違和感を覚え、これ以降、私は音楽をやっている連中に関心を寄せなくなったのは事実だ。
一体、奴らの政治的主張のどこに耳を傾ける必要があろうか?実際、彼らの歌詞を仔細に読めば、その内容の空虚さ、幼稚さ、軽薄さが目につくだけで私は、彼らの音楽の不協和音も相まって、一層不快になってしまう。まさにこの自己欺瞞は滅びの兆候といってもいいのだろう。
こんな自己欺瞞ばかりの音楽の世界から遠ざかりたい一心で文学へと関心を移したわけだけど、これと同じことが文学でも起きていると分かった時の落胆は相当深刻なものだった。なんたって文学者の多くは音楽のそれと違って政治力まであるのだ。
私はそれでもこのクソみたいに高慢で自己欺瞞している連中の間で軽佻浮薄な振る舞いをして、世間の失笑と顰蹙を買うことだろう。
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pauhana88 · 5 years ago
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福島の紅葉🍁 (福満虚空蔵尊 圓藏寺) https://www.instagram.com/p/B4ZiZgxB38vS7ihV96IvORudPK559fAqwNfAS40/?igshid=1j2jxtrzvs0b7
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funada-studio · 6 years ago
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【レンタル】2012.11.05 会津柳津福満虚空蔵尊からの風景
●観光地情報→コチラ
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shibaracu · 5 years ago
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●記紀   ●魏志倭人伝は偽書
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●記紀   ●『古事記』と『日本書紀』との総称である。 ★記紀(きき)http://wkp.fresheye.com/wikipedia/記紀 古事記』と『日本書紀』との総称である。『古事記』の「記」と『日本書紀』の「紀」を併せて「記紀」という。 両書とも、奈良時代に編纂された日本の神話や古代の歴史を伝えている重要な歴史書である。 序盤は神話そのものであり、執筆年代に近づくにつれ歴史書としての性格が強くなる。 ただし後半においてもなお疑義がもたれる記載内容もあるとの見方もある一方、近年の考古学的発見の多くは記紀の記事の正確さをより裏付ける結果となっている(法隆寺再建の記事や蘇我氏の甘樫丘など)。 慎重な検証が必要であるが、同時代史料が極めて少ないことから、重要な史料であることには変わりがない。 室町時代までは日本の神話や古代の歴史を伝えている重要な歴史書として『先代旧事本紀』を含めて「三部の本書」とされることが多かったが、江戸時代に入って「先代旧事本紀」が偽書であると考えるようになって以後この二書のみで記紀とされることが多くなった。   ★記紀神話 http://wkp.fresheye.com/wikipedia/記紀神話 日本神話(にほんしんわ)とは日本に伝わる神話のことである。 現在、日本神話と呼ばれる伝承はそのほとんどが、『古事記』、『日本書紀』および各『風土記』の記述をもとにしている。 すなわち、高天原の神々を中心とする神話がその大半を占め、一方で、その出典となる文献は決して多くはない。 奈良時代初頭から神社において神宮寺を建立する動きが出始め、715年(霊亀元年)には越前国気比大神が、また満願禅師らによる鹿島神宮が、ほか賀茂神社、伊勢神宮などで境内外を問わず神宮寺が併設された。   ★神宮寺(じんぐうじ)http://wkp.fresheye.com/wikipedia/神宮寺 日本において神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂。 別当寺、神護寺、宮寺ともいう。   ★氣比神宮(けひじんぐう)http://wkp.fresheye.com/wikipedia/氣比神宮 福井県敦賀市にある神社である。 式内社、越前国一宮で、旧社格は官幣大社。   ★記紀神話が創られた時代 http://www.ten-f.com/kojikinojidai.html ここでは大体6世紀末から8世紀前半の間に限って抜き出し   ★日本神話を読み解く|天地開闢まとめ 『日本書紀』第一段本伝から ... https://nihonshinwa.com/archives/746 2016/01/07 天地開闢 てんちかいびゃく 」とは、はじめて世界が生まれた時のこと。 「 開闢 かいびゃく 」の「開」は開くこと、「 闢 びゃく 」も左右に押し開くことをいいますので、 「天地開闢」とは、文字通り、天と地が開かれること、を言います。 日本神話のみなら ...   ★出雲神話とゆかりの地|縁結びパワースポットと出雲神話|島根浪漫旅 http://www.izumo-shinwa.com/izumoshinwa_spot.html 神話に登場する場所が、今も数多く現存する聖地 出雲。特に有名な国引き神話・国譲り神話・ヤマタノオロチ伝説・大国主神にまつわるお話を紐解き、パワースポットと呼ばれる場所の詳しいお話をご紹介します。   ★スサノヲのヲロチ退治神話(三浦佑之) http://miuras-tiger.la.coocan.jp/orochi.html この神話はヨーロッパから東アジアまで世界的に分布し、ペルセウス=アンドロメダ型と名づけられた英雄神話の一つである。大林太良によれば、それは、多頭の竜や大蛇が定期的に人身御供を要求し続けるのに悩まされる村人たちが、最後にのこった王の娘を捧げようとしていたちょうどその時、ひとりの若者が現れてその怪物を退治し、王の娘と結婚するという共通の内容をもって語られている神話である(『日本神話の起源』)。この内容はスサノヲのヲロチ退治ともほぼ一致するわけで、世界的な視野からの比較分析も必要なのだが、ここでは、ヲロチ退治神話に語られているスサノヲ像から見出せる英雄的な性格にかぎって考察を加えてゆくことにする。   ★昔 話 に み る 悪 と 欲 望    -継子・少年英雄・隣のじい- http://miuras-tiger.la.coocan.jp/sub1-104.html 三浦 佑之 (MIURA Sukeyuki) 新曜社 1992年3月10日刊 46判 292頁 ¥2,200+税    【目次】          はしがき        一 継子いじめ譚の発生         1 シンデレラ         2 日本のシンデレラ         3 おちくぼの君の物語         4 古代の家族と嫉妬譚         5 男の継子から女の継子へ        二 英雄譚のゆくえ         1 古代の英雄         2 昔話の少年英雄         3 狡猾な英雄         4 笑われる英雄        三 隣のじい譚のリアリティ         1 笠地蔵         2 福慈の神と筑波の神         3 蘇民将来         4 隣のじいの心        結 昔話と神話 http://miuras-tiger.la.coocan.jp/yokubo-ketsu.html          参考文献/あとがき   ★昔話と神話-古代の民間伝承(三浦佑之) http://miuras-tiger.la.coocan.jp/mukashi-to-shinwa.html 古代の散文伝承を研究対象にしている者にとって、昔話の発生、あるいは昔話と神話との関係は、魅惑的なテーマのひとつである。ただ、記紀風土記に霊異記を加えても四本の作品しか存在しない古代文学のなかに昔話の痕跡を辿ろうとしても、指摘できることは限られている。しかも、近代になって成立した「神話」とか「昔話」とかの分類概念を用いて何かを論じることの有効性も問題になるだろう。それを承知の上で、ここでは、昔話と神話との関係に目を向けながら、古代の民間伝承について考察してみたい。   ★神のやしろを想う 記紀神話の神様 http://jinja-kikou.net/kamigami.html ★天皇系図 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/3sankou.pdf 則として皇統譜に基づく。 天皇系図. 神武天皇. 綏靖天皇 安寧天皇 懿徳天皇 孝昭天皇 孝安天皇 孝霊天皇 孝元天皇 開化天皇 崇神天皇   ★雑記 - 記紀神話の不思議 https://w.atwiki.jp/bogard/pages/60.html ★古事記編さんに関わった稗田阿礼ってどんな人? ★末梢しきれなかった記紀神話の真と偽 http://bit.ly/H3mdUJ ★天皇と記紀神話  日本・天皇・神道・記紀神話 http://bit.ly/H3mEy9 ★【関西の議論】 日本最古?の神話「ホツマツタヱ」とは…古事記、日本書紀より古い?学界は疑問視も愛好家の研究盛ん  (1/4ページ) https://www.sankei.com/west/news/161215/wst1612150005-n1.html 多くの謎に包まれた古代史の世界で、50年前に国内で発見された「ホツマツタヱ(秀真伝)」という歴史書が一部の愛好家たちを惹きつけている。漢字が伝わる以前の日本にあった「ホツマ文字」という文字でつづられ、古事記や日本書紀よりも古い書物…と愛好家は信じる。もちろんさまざまな矛盾点から学界では疑問視する声が強いが、研究熱は止まず、11月には発見50年を記念した全国フォーラムが同書の全巻が見つかった滋賀県高島市で開かれた。関係者は「ホツマ文字」で書かれた文献はまだどこかに眠っている、と大真面目だ。歴史ファンを熱くする「ホツマツタヱ」っていったい何? 古代の国造り描く!?   ★記紀神話を読みなおす その︵1 - 城西大学 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/JOS-KJ00000589067.pdf 1 はじめに一記紀神話の差異  中国の史書編纂の様式に、古くからく書〉〈紀〉〈記〉〈実録〉〈志〉 〈史〉〈伝〉など、それぞれ用途に応じて明確な区別や使い分けがあり、  そのためのさまざまな書式があったことは広く知られている。  それは中国のように、早くから国家を成立させ、国家意識や歴史認識が  必要不可欠なこととして問われる社会にあっては、社会や文化の  史的富開のあらゆる局面において・より深くゆき届いた史的分析や  その把お 紘握が広く求められたからであろうと思える。  いきおい、あらゆる分野 備において、異質性や微妙な差異をはらんだ  多用な史的認識も生まれ、幅酔そうした叙述を可能にする様々な  表現様式も果敢に試行されたとみて譜いい。  上掲のバラエティにとんだ史的叙述様式の成立などもそうした事の現あろう。   ★邪馬台国と卑弥呼-215  記紀神話と魏志倭人伝 http://bit.ly/Hjf9zA ★『記紀神話』に関連する質問・疑問一覧    http://bit.ly/H0NfyZ ★ブログテーマ[記紀神話]  (11件)  外交は別?? http://amba.to/HnEDPi ★のぞきの系譜@記紀神話 (11件 http://amba.to/HsEB6x ★記紀神話:古事記と日本書紀 - 史書から読み解く日本史 - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/sansui-ou/e/dba42fcd5b1ce3fa694a9d15fe3583cd 2019/10/06 「記紀」とは言うまでもなく『古事記』と『日本書紀』を指し、どちらも奈良時代に成立した我が国の史書の原点であり、神話に始まるこの国の歴史を今に伝えます。 記紀共にその原典となっているのは、両書以前に存在したとされる帝紀及び旧辞という史伝で、一般に帝紀は天皇の系譜や妻子の名前、在位中の主な業績、宮殿や陵墓の場所等を、旧辞は神話や様々な逸話等を伝えていたと解説されますが、その辺りの整合性については不明な点も多く、どちらも原文は早くに散逸しているため、後世の我々は記紀を通してその面影を探るしかありません。 ★古事記・日本書紀の謎-その9-記紀神話の総て http://bit.ly/HhZYwZ ★記紀神話など - 皇居の落書き http://bit.ly/H0LpOm 天の岩屋と国難打開における知恵の重要性  2004-10-27 ★「剣」@記紀神話(Wikipedeaより) http://bit.ly/HjiluY ★第六回 熊野の神々降臨の地 神倉神社 新宮市 神倉神社と記紀神話 http://www.chuokai-wakayama.or.jp/wadensho/kinokunisansaku/kinokunisansaku6.htm 新宮市街の西の小高い山の上に、通称“ゴトビキ岩”と言われる巨石をご神体として崇める神倉神社があります。ゴトビキとはこの地方の言葉で、ヒキガエルのことらしいですが、そう言われて見れば・・・・・見えなくも・・・・・?ウーン?・・・・・? 熊野といえば熊野三山と言われる、本宮、速玉、那智が圧倒的にメジャーですが、これら熊野の神々が最初に天上から降り立った“天磐盾(あまのいわだて)”と言うのが実はこの岩山であったと伝えられ、その意味で熊野信仰の根本とされています。   ★記紀神話を読む--出雲王国は存在したか? ③ http://bit.ly/HkORCb ★国生み | 神社本庁 https://www.jinjahoncho.or.jp/shinto/shinwa/story1 遠い昔、日本の国ができる前のことです。 澄み渡った高い空の上に、高天原という神々のお住まいになっているところがありました。 ある時、神々は下界に新しい国を造ることをご相談になられました。そこで伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神さまに国作りを命じられ、天の沼矛という矛を授けられました。 二柱の神さまが、天の浮橋という大きな橋の上に立ち、下界の様子を眺めてみますと、国はまだ水に浮いた油のように漂っていました。   ★日本神話の深層についての一考察「地の王・天の王」: http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-145.htm 天孫たちはなぜ海神の娘と結婚したのか、あるいは天照大神はなぜ女神なのか2003年08月02日  萬 遜樹        ▼天孫たちは「地の王」と婚姻を結んだ         「海と天皇」という面白いテーマがある。「海と天皇」とは、天下った天孫たちの血筋が海神と深い関わりがあることを指す。初代神武天皇の母は玉依姫[注1]という海神の娘だ。神武の父はウガヤフキヤアエズ尊というが、この尊の父は彦ホホデミ尊、母は豊玉姫である。彦ホホデミ尊とは、「日向神話」の海幸・山幸物語で名高い山幸彦のことだ。母の豊玉姫は玉依姫の姉で、ウガヤフキヤアエズ尊を産むときに「ワニ」の正体を現したことで有名だ。そして彦ホホデミ尊の父が、アマテラスの命で降臨した天孫ニニギ尊なのだ。このように、神武の母も祖母も海神の出自で、彼の血の半分以上は海神のものなのである。        (天孫の系譜)   ★個人的に和風創作(神話・古代)に役立つサイト https://matome.naver.jp/odai/2140326363855681601 更新日: 2019年07月12日 ★補説:記紀神話 「天の石屋」について 1  http://bit.ly/GYnlKZ (「邪馬台国の習俗」)の次の書き込みですが、補説よいうか、記紀神話の「天の石屋」(天の岩戸)について、kitunoさんのHPの掲示板に書き込んだのですが、そのHPが消滅したので、改めて書き込み、記紀神話が中国の商(殷)などの持つ神話に近い古層の面影を伝えており、決して天武天皇の時代に机上で、帰化人の史官などによって造作された(勿論、当時の「現代風解釈」は為されたでしょうが)ようなものではない事を主張したいと思います。 記紀神話といっても、日本書記は、「一書」などの異説が多く、どの説を採るかの検討がまず検証されなければならず、その作業にかかる時間を節約するため、ここでは「古事記」の神話・伝承に拠り、書記は用字の異同などの際に引用する程度に留めたいと思います。 ★記紀神話:ファンタジィ事典mini http://bit.ly/H0Rbim ★日本の神話学 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の神話学 日本の神話学とは、日本神話の研究を行う学問の一領域である。 本項では、神話学等による日本の神話の研究について概説する。 日本神話は、古事記および日本書紀、風土記などにおいて記録された。日本神話において天津神・国津神の神々のなかでもとくに三柱の御子が尊いとされ、その天照大神は主宰神となっている。また、神道、民間信仰で多数な神がおり、総称して「八百万(やおよろず)の神」といわれる。   ★日本神話の伝承地450カ所以上の取材記録を基に記紀神話の世界を机上で体験できる「神話のふるさと歩き」の決定版ガイドブック『日本神話の「謎」を歩く 幾千年の時空の彼方へ』(藤井勝彦・著)を発刊。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002443.000005875.html 2018/11/14  東京オリンピックが開かれる2020年は、『日本書紀』の成立1300年の節目の年となります。折しも同年には2019年の譲位(約200年ぶり)を受けて、新天皇の即位の礼・大嘗祭が行われます。これを受けて今、「日本とは何か?」「天皇制とはなにか?」に大きな関心が寄せられつつあります。  こうしたなか、注目を集めるのが『日本書紀』『古事記』(記紀)です。記紀は虚実取りまぜた歴史書ですが、日本の成り立ちについて考える際には避けて通れない重要な資料となります。本書は旅行作家で写真家でもある作者が、記紀神話に記された450カ所以上の伝承地を訪ねた取材記録を基に、現代と神話の世界の接点を探った日本神話入門書です。   ★「記紀神話」にみる倭人文化 http://bit.ly/HsY9Yl  2009.09.18 ★日本神話を読み聞かせする - 近藤光弘 http://kondo.cool.coocan.jp/nihonshinwanoyomikikase.htm 2000/08/27 一つの話が、3分から8分でまとめています。 朝の会や隙間の時間で読み聞かせができます。 歴史学習の前に是非、使ってください。 低学年から使えます。 ●神話の読み聞かせ一覧表. ・天地のはじめ (4分),  日本人は、宇宙の始まりをどのように想像したのでしょう。 ・黄泉の国 (5分),  いざなぎの命が、黄泉の国(死の国)で見たものは ? ・天照大御神 (4分),  万物を生かす太陽として現れた神、天照大御神。 ・天の岩戸       (3分)  光が消えたとき、切り開く道は、陽気な踊りと、笑いと、・・。 ・八岐の大蛇      (4分)  大蛇の尻尾から出てきたものは、熱田神宮に・・・ ? ・因幡の白兎     (4分)  日本神話の代表作。大国主の命、登場。 ・国ゆずり       (4分)  出雲の多芸志に壮大な神殿が完成する。 ・天孫降臨       (4分)  木花開耶姫との婚姻により、地上の生命は限りあるものに。 ・海幸彦山幸彦    (6分)  なくした釣り針は、竜宮界にて見つかる。 ・神武天皇       (8分)  困難を乗り越えた遠征の旅。日向より大和の地へ。 ・日本武尊「熊曾建」  (3分)  少女になりすまして、熊曾建の反乱を平定する。 ・日本武尊「草薙の剣」(2分)  火攻めにあう日本武尊を助けた剣と火打ち石。 ・日本武尊「弟橘比売命」(2分)  日本武尊の身代わりになって荒海に飛び込む弟橘比売命。 ・日本武尊「白鳥になって」 (2分) “大和は 国のまほろば ・・・” ・番外編 邪馬台国  3世紀の女王 卑弥呼の正体は? ★ ★日本の神話 古事記 http://bit.ly/zfHqA0 日本の神話を読んだことはありますか? 子どもも大人も、楽しく日本の神話を読んでみましょう! ★日本神話 ‐ 通信用語の基礎知識 https://www.wdic.org/w/CUL/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1 読み:にほんしんわ外語:Japanese mythology 英語 品詞:名詞. 日本に古来より伝わる神話。日本の国の誕生と神々が語られていて、太安万侶が編集した古事記、舎人親王が編集した日本書紀、その他多くの書物に記されている。 書物によって若干、神の神の名前や物語に違いが存在するが、その場合は日本最古の書籍とされる古事記の記述が尊重されることが多い。 神話の流れ 概ね、次のように物語が続いている。    天地開闢    イザナギとイザナミの誕生    国生みの物語    黄泉の国の物語 (天照大神の誕生)    高天原の物語 (誓約、天岩戸)    出雲国の物語 (八岐大蛇、大国主神、稲羽の素兎)    国譲り    天孫降臨    筑紫国の物語 (海幸彦と山幸彦、神武天皇) ちなみに世界的には、一般に神話では人間は神が創った旨が描かれるが、こと日本神話においては神は人間を作っていない点が特徴的である。 従って、日本人がどこから来たのかは、神話には描かれていない。   ★高校日本史用語事典 日本神話(にほんしんわ) https://nihonshiyougo.blog.fc2.com/blog-entry-525.html日本神話(にほん日本神話(にほんしんわ) 日本に伝わる神話。 国生み神話、高天原神話、出雲神話、日向神話などからなる。 『古事記』『日本書紀』の記紀神話の他に、『風土記』や祝詞などにも残されている。 関連記事 ・上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ) ・元興寺縁起(がんごうじえんぎ) ・道教(どうきょう) ・古神道(こしんとう) ・社(やしろ) ・氏神(うじがみ) ・産土神(うぶすながみ) ・日本神話(にほんしんわ) ・神代(かみよ、じんだい) ・高天原(たかまがはら、たかまのはら) ・葦原中国(あしはらなかつくに) ・根の国(ねのくに) ・天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) ・国常立尊(くにのとこたちのみこと)、国之常立神(くにのとこたちのかみ) ・伊弉諾尊、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)   ★日本神話とは?多彩で豊かな神々の世界「日本神話」を分かり ... https://nihonshinwa.com/stance 日本神話とは?多彩で豊かな神々の世界「日本神話」を分かりやすく徹底解説! Contents 1 日本神話とは? 2 日本神話とは ... そうなんす、なぜか世界の始まりから神様たちのいろんなアレコレを語ってるうちに、奈良県橿原市にたどり着くんですよね。 ★平成24年は「古事記編纂1300年」~神話のふるさと「島根」推進事業について~ http://www.nga.gr.jp/pref_info/tembo/2010/07/post_946.html  「島根」は、豊かな自然に恵まれ、古き良き伝統文化とその中で育まれた温かい人間関係や地域社会が残る魅力あふれるところです。  平成24年は、日本最古の歴史書「古事記」が編纂されてから1,300年という記念すべき年に当たりますが、「島根」は、スサノオノミコトのオロチ退治やオオクニヌシノミコトの国譲りなど古事記の神話部分の実に3分の1に舞台として登場しています。また、翌25年には、60年に一度となる出雲大社の大遷宮が行われるなど、島根の貴重な歴史や文化に、大きな注目が集まることが期待されています。 ★日本の神話(アニメ子供と見る日本の神話) - 宮城県神社庁 https://miyagi-jinjacho.or.jp/shinwa.html 日本の神話(アニメ子供と見る日本の神話). ・国生み神生み ・天の岩戸開き ・八岐大蛇退治 ・因幡の白うさぎ ・天孫降臨 ・海幸彦と山幸彦 お子さま向け���「アニメでわかる、神社と神さま」ページを開設しております。
★神話の衣装? http://bit.ly/Ho3VN8 http://bit.ly/H3FJfB http://bit.ly/HjLmH9 http://bit.ly/H3JgP3 ★神道と人間の不完全性ー国生み神話考ー - 神田哲拓の神道大意録 https://www.solyruna.com/神道と人間の不完全性ー国生み神話考ー 2019/08/17 神道は不完全性を認めてくれます。実はそれだけで救いだったりするんです。 神様だって失敗する話が沢山あるのですから、我々人も失敗はどうしても起こり得ます。ではその時にどの様に考えれば良いのでしょうか。 目次    全知全能ではない神々    国生みは鶺鴒との合一、共同作業だった   ★日本神話に見る(日本文化考)_百度文庫 https://wenku.baidu.com/view/af66fab169dc5022aaea0098.html 2018/07/02 日本神話に見る日本文化考出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノオ ◇出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノオ神話:なぜスサノオ神話が作られたのか? 『出雲国風土記』に登場するスサノオ命(須佐之男命?素盞鳴命?素戔鳴尊)は、おお ら ... ★ハツクニシラス考 http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/hatsukuni.htm 2002/02/17 目次    「二人のハツクニシラス」    「初国」の用例について    「所知」について    神武の称号 以下に要約しよう(井上『神話から歴史へ』(『日本の歴史』1)、直木『日本神話と古代国家』による)。 1、神武と崇神の両者が同じ「ハツクニシラススメラミコト」の称号を持っていて、この称号は「建国第一代」を示す。 始馭天下之天皇(神武)< ...   ★「れんだいこ、れんだいこ史観」の由来と解説 2017年2月13日 (月) http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-2d47.html 「れんだいこ、れんだいこ史観」の由来と解説  本稿が未投稿だったので投稿しサイトアップしておく。課題は「『れんだいこ、れんだいこ史観』の由来と解説」である。   「れんだいこ史観」とはれんだいこの史観であり、れんだいこが勝手に命名しただけのことである。ますます判明しつつあるが、世の歴史観、歴史論と相当に隔絶している。例えば、最近、明治維新を評する視座に於いて様々な是非論が登場している。中には我慢の限界を超えるような幕藩体制万歳論まで登場し持て囃されている。残念ながら、私論は既成のどの論とも一致しない。且つ我が輩の政論の方がはるかに正鵠を得ていると自賛している。為に区別する意味で自ら銘打っている。   ★日本の神話・伝説の武器 《第5展示室》  http://bit.ly/H3PsTU ★薬草に親しむ-日本神話の植物 http://bit.ly/Hnx0Ld ★日本の神話  http://bit.ly/GZtn9y ★日本の神話・日本の神の系図 http://bit.ly/H4xFjD ★天照大神が女神だからと女系天皇を主張するノーナシ左翼を一網打尽に論破、撃沈さす! ~ 男系継承を堅持したアマテラスとスサノオの子供たち http://bit.ly/H3Nk1Y ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【京都】 http://susanowo.kyo2.jp/ ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【浜松】 http://susanowo.hamazo.tv/ ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【和歌山】 http://susanowo.ikora.tv/ ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【滋賀】 https://susanowo.shiga-saku.net/   ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【郡山】 http://susanowo.365blog.jp/e236.html 2006年07月07日 ◆七夕の起源、「棚機津女」と「牽牛織女」(六) ◆◇◆七夕の起源:(6)、スサノオ命(須佐之男命)とアマテラス(天照大御神)  『古事記』「高天原」説話に、スサノヲ命(須佐之男命)とアマテラス(天照大御神)誓約(うけひ)の際、「天の安の河」を挟んで相対する。ここには「天の真名井(神聖な井)」が登場し、誓約の儀式に「水」が非常に重要な意味を持つことがわかる。  次に高天原において、アマテラス(天照大御神)の弟神であるスサノヲ命(須佐之男命)が荒れ狂い、乱暴狼藉の限りを尽くす場面がある。畦を壊し、水路を潰し、神殿を汚し、更には皮を剥いだ馬を屋内に投げ込む(天津罪)。これはアマテラスの天岩戸隠れの原因になる事件なので多くの方が知っている話だ。   ★爺の戯れ事:秋季展「日本の神話」(熱田神宮) https://titogy.naturum.ne.jp/e1321881.html 2011年11月10日 秋季展「日本の神話」(熱田神宮) 熱田神宮宝物館の秋季展「日本の神話」へ行ってきました 古事記や日本書紀に代表される日本の神話を描いた近・現代絵画を中心に展示   ★日本の神話と縁の社 ぶらり寺社めぐり - Wix.com https://ooki-h.wixsite.com/jisyameguri/blank-9 「古事記」「日本書紀」に記されている日本の神話。 その主な内容と縁の神社をご紹介いたします。 ※神話の内容や御神名は、 古事記の内容・表記をメインに、日本書紀をサブ的に参考にしました。 神代(かみよ) 天地開闢(てんちかいびゃく)と国産み 渾沌たる世界が「陰・陽」に分離して「天・地」と成った。 ★日本の神話・歴史・伝説 http://bit.ly/H3QdQ9 ★日本の神話と酒造り (H21.9.3) http://bit.ly/GZm7hT ★龍と牡牛 | ひめごと日誌 https://ameblo.jp/fumifumi-company/entry-10509608672.html 2010/04/18 宇宙人の問題は刺激が強すぎるというか、多くの方にとっては 荒唐無稽と思われる恐れがあったので本当は触れたくないと考 えていた。 別に宇宙人の話を抜きにしても、この世に不思議なことはいく らもある。なのに鬼の話へ踏み込んでしまったばかりに後戻り ができない。 世界の神話や考古学を検討していると、世界の神は龍と牡牛に 二分されることに気付いた。 圧倒的にアジア世界は龍信仰に彩られ、西洋はほとんどが牡牛 の支配下にある。と言っても牡牛の信仰なんて聞いたことがな いよ、と首を傾げる人が大半だろう。 意外に思われるかもしれないが聖書に登場する神は牡牛なので ある。これははっきりと旧約聖書に記されている。 ★曳山のデザイン - 日本の神話 - いこまいけ高岡 http://bit.ly/H146ku ★島根県:「神々の国しまね」プロジェクト(トップ / 観光 / 観光振興 ... https://www.pref.shimane.lg.jp/tourism/tourist/kankou/kamigami/kamigami/ 平成24年、「古事記編纂1300年」。平成25年、出雲大社「平成の大遷宮」(外部サイト)    この歴史的な節目は、「しまね」が全国から脚光を浴び、神々の時代から受け継がれてきた「しまね」の魅力を、多くの方々に知っていただく絶好の機会です。    古(いにしえ)から古事記・出雲国風土記・万葉集などに描かれ、今もこの地に残る自然・景観・伝統文化・歴史遺産など、県内各地域の資源を活用。    県・市町村・民間団体・経済界等が一体となって「しまね」の存在感を情報発信し、国内外から多くの方々に訪れていただくためのプロジェクトを展開します。    そして、県民の皆さま一人ひとりに郷土の素晴らしさを再発見いただき、ふるさとへの愛着と誇りにつながるように、県民の皆さまとともに進めてまいります。
★古事記編纂1300年、奈良「記紀・万葉」プロジェクトが発進-NAVER まとめ http://bit.ly/GZ4jQs   ★古事記1300年ナイト参加報告(~保守派の限界を超えて~) - アニオタ http://bit.ly/HqeW38   ★竹の間―竹田恒泰のホームページ 古事記1300プロジェクト http://www.takenoma.com/   ★古事記完成1300年(1)古事記とは何か(by 世界大百科事典) http://bit.ly/GZ5Gyv   ★邪馬台国  これを書くに当たって、陳寿は、邪馬台国に来ていません。卑弥呼に会って、話を聞いて書いたわけでもありません。 以前に書かれた中国の歴史書「魏書」や「魏略」を参考にしたり、倭国に派遣された二人の使節の帰国報告書を元に書いたとされています。 しかも、この使節は陳寿と同様、邪馬台国まで行っていません。 九州の福岡止まりでした。 「邪馬台国」という名は、記紀にはありません。中国の歴史書「三国志」の一部である「東夷伝」の中の「倭人条」というニ千字余りの文章に出てきます。 これが有名な魏志倭人伝。 当てはめた漢字には、「倭国」など日本のことを表すのにあまりいい意味がありません。 倭(したがう)卑(いやしい)邪(心が曲がっている)奴(めしつかい)夷(野蛮人)   ★魏志倭人伝 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/魏志倭人伝 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。当時、日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の習俗や地理などについて書かれている。   ★東夷伝(原文と和訳) http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/index_toi.htm 魏志倭人伝(原文、書き下し文、和訳) 魏志倭人伝の構造(採用史料別色分け) 魏略逸文と魏志倭人伝 魏志韓伝・解説 魏志濊伝 魏志東沃沮伝 魏志高句麗伝 魏志夫餘伝と夫餘史 html��pdf 魏志挹婁伝 後漢書倭伝・解説(構造分析付き) 後漢書韓伝・解説 晋書倭人伝 梁書倭伝・解説 漢書地理志 燕地  呉地  楚地  粤地 隋書倭国(俀国)伝 隋書地理志 揚州  荊州 東亜古代史研究所 塚田敬章   ★唯一の文献「魏志倭人伝」に根拠なし! だから邪馬台国論争は迷走する https://ironna.jp/article/4552 里中満智子 日本国内において大規模な弥生時代の遺跡が発見されるたびに「ヤマタイ国か!」とメディアも一般人も色めき立ってしまう。 少しでも古代史に関心のある人にとって「ヤマタイ国はどこか?」は興味の尽きない話題だろう。  ヤマタイ国の候補地は大きく分けて九州説と機内説がある。もちろんそれ以外にも候補地はあるのだが、みな「目安」としているのは「遺跡の規模」と中国の史書の中の「魏志倭人伝」だ。  「魏志倭人伝」に記された倭人の暮らしは興味深い。「男性は皆顔や身体に墨や朱で入れ墨をし、そのデザインは国により、また身分により違う」「人々は争いを好まず女は慎み深く嫉妬しない」「集会では男女の区別が無く、みな酒を好む」「温暖な気候で生野菜を食べる」「海に潜って魚や貝類をとる」「稲、苧麻、桑、蚕を育て、上質の絹織物をつくる」「喪に服す10日間は肉食を避け、泣き続ける。親族以外は酒を飲み歌い踊る。埋葬後は水に入って浄める」「真珠と青玉(サファイア)がとれる。山椒やみょうがもとれるが倭人はそれらが美味しい事を知らない」「長命の者が多く、百歳の人もいる」など。   ★邪馬台国論争(その一) - 日本の歴史捏造研究所 - FC2 http://mayonokuni.web.fc2.com/kenkyu01.htm ①      倭は日本なのか? 邪馬台国はどこにあるのだろう。そして卑弥呼とは誰なのだろう。 私も歴史を志す者であるから当然これには没頭せざるを得なかった。 悪戦苦闘の中で私も罠にはまっている事に気づいた。それまでに数限りなく本に目を通してきた。 大きく分けて三つあるのではないだろうか。 一つは、魏志倭人伝が取るに足らないいい加減な資料で、これを真面目に取り上げる必要はないという立場だ。 もう一つは、日本書紀が偽書であり、魏志倭人伝は正しいと言う前提だ。 前者は例を挙げるなら、「新しい歴史教科書」の会の(今は追い出されたけれど)西尾幹二さんかな。 後者は魏志倭人伝を信じてツアーを組み、韓半島から船に乗り、陸に上がり船に乗り込み又陸に上がって徒歩で数ヶ月、皆さん行方不明になったようだ。ある者は九州で、又ある者は近畿までたどり着いたのだろう。ご苦労様でした。 そして卑弥呼は天照大神なのだ、とか、神功皇后だとか言っている。 もう一つは、どちらも正しいか、どちらも変だと言う人。 ちょっと待って欲しい。誰が倭の国が日本であると決めたのだろうか。どの本もまず何のためらいもなく、日本はむかし倭とか倭国と呼ばれた、から始まっている。 まず、第一歩からしておかしいのではないか。出発点が違っていては前に進めないのではないか。 日本が日本である事は認めても良いだろう。 しかし、倭の国が現在の日本の地域のことであると、どこに記されているのだろう。 どこで証明されているのだろう。   ★古代日本の歴史!「魏志倭人伝」《日本貶め》のからくり・ともはつよし社 https://00m.in/hFjM5 ¥3,666 (税込) 著者名:正氣 久嗣 単行本ソフトカバー 〜絶賛発売中〜 ISBN:978-4-9908081-5-0 amazon購入 説明 ◎ 倭国は日本ではない!韓国の影の存在としてでっち上げられた架空の国だった! 「魏志倭人伝」は占いの書!その破壊的超POWERの真実を開示する! ◎ シュメール人は太古日本の皇統を乗っ取るため「天孫降臨神話」をでっち上げた ◎ 天孫降臨神話により、純朴な日本人は世界の王・日本のスメラミコトを忘れてしまった…… ◎ 世界大戦後、敗戦国日本は「天孫降臨神話」すら否定するよう仕向けられる ◎ 古代日本が中国の属国であったという偽りの歴史書「魏志倭人伝」。この影にはフリーメーソンの存在があった ◎ 「魏志倭人伝」は全くの空想に過ぎず、でたらめの羅列であった!なぜなら、それは歴史書ではなく〝占いの書〟だから ◎ ここまで完璧に仕組まれたからくりが存在するとは!著者・陳寿の心の中をのぞきながら謎を解いていこう! ◎ は中国は大恩ある韓国を貶めるための偽書「魏志韓伝」を捏造し、その返す刀で「魏志倭人伝」をも捏造し、御親国・日本を葬り去るための道具とした! ◎ 「倭人伝」と「韓伝」の比較対照は動かぬ証拠となり、易経の占筮法がさらなる奥深き封印を解き明かす ◎ 邪馬台国の卑弥呼によって日本の歴史は根底からくつがえされてしまった…… ◎ 中国を世界の中心に定め、周辺諸国を属国にしなければならないという慢心の中華思想 ◎ 国家の権威を高めるため漢字を悪用せよ、漢字とはまさに化けものだ! ◎ 中華思想と漢字は不離一体となって発展してきた ◎ 倭国とは韓国の影の存在、決して日本のことではない ◎ 魏志倭人伝にある倭国の方へ向っても倭国を見ることは出来ない…… ◎ 卑弥呼には世界再統一の捨石としての役目があった ◎ 万世一系の皇統は倭国大乱という発想によって完全に抹殺された ◎ 太古の世界は日本のスメラミコトによって平和に統一されていた ◎ 今こそ偽りの「天孫降臨神話」も「魏志倭人伝」も棄て去り、宇宙の中心点、日本の王・スメラミコトを取り戻すのだ!   ★説得力の無い説 - 卑弥呼と魏志倭人伝 - 邪馬台国 https://00m.in/ROvt7 https://www.xhimiko.com/魏志倭人伝/各種論争/説得力の無い説/ 邪馬台国を語る人の中には、延々と講釈を垂れる輩がたくさんいます。一つの例として、以下の文章を紹介します。誰も納得しないでしょう。  ①「卑弥呼はシャーマンであった。」  ②「卑弥呼体制は合議制である。」 この2つはおもしろい命題なので、追及したいと思います。(特に①は自明のようにも思えるし) そこでまた「卑弥呼が共立された。」という一文に登場してもらいます。 そもそもなぜ共立という事態が起こったのか、これは一種の異常事態です。 そこでその時の状況を想定してみたいと思います。とりあえず考えられるのは下記2つの状況です。
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cinemastylenews · 6 years ago
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5/10公開『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』前売り特典で故・金子國義画伯とのコラボレーションが実現!
ニジンスキーの再来といわれた伝説的なバレエダンサー ルドルフ・ヌレエフの半生を名優レイフ・ファインズ監督・出演で映画化!!
『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』
前売り特典で故・金子國義画伯とのコラボレーションが実現!
この度、ハリー・ポッターシリーズをはじめ『シンドラーのリスト』『グランド・ブタペスト・ホテル』など数々の名作の出演でしられるレイフ・ファインズ監督・出演の『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』が、5月10日(金)TOHOシネマズ シャンテ、シネクイント、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー致します。
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俳優としても評価の高いレイフ・ファインズ監督が構想20年を経て、満を持して発表する最新作は、伝説のダンサー、ルドルフ・ヌレエフの若き日からパリでの亡命にいたるまでを映像化。世界三大バレエ団で活躍し、バレエ史に燦然と輝くヌレエフの光と影を見事に描ききっている。
この度、3月15日(金)より上映劇場にて前売り券(ムビチケカード)を発売! 前売特典は、故・金子國義画伯によるヌレエフの画を配した特製クリアファイルを制作。 本物のバレエダンサーたちによってバレエ界のリアルな様子も描いた秀作である本作にふさわしく、美しいものを愛した金子氏は、バレエを好み、ヌレエフ自身のファンでもあった。
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金子氏は「ヌレエ��を最初に観た時から、僕の人生も絵も変わった。アトリエのキャンパスを全て変えるほどになったのです。女性を描いていた絵が突然、青年像ばかりになり、写真の切り抜きでアトリエの壁は張りめぐらされて、“青年の時代”というタイトルで油絵の個展まで開いたのを思い出します。」と、ヌレエフに関するコメントも発表している。
■金子國義 織物業を営む裕福な家庭に生まれ、幼少時から美意識を育む。日大芸術学部在学中に舞台美術家の長坂元弘氏に師事。1964年より独学で油絵を描き始め、翌年、澁澤龍彦と出会い「O嬢の物語」の装幀と挿絵を担当。1967年個展「花咲く乙女たち」(青木画廊)で画壇にデビュー。絵画のみならず、着物デザイン、写真など多岐にわたる活動は晩年も衰えることなく、十八代目中村勘三郎襲名に続き、六代目中村勘九郎襲名披露の口上の美術を手がけた。2015年3月16日虚血性心不全により自宅寝室にて逝去。
【story】 踊り続けたい。ただそれだけ。 ひとりの若者が、黒いベレー帽に黒っぽい細身のスーツ姿で、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)からパリへ向かう飛行機の中にいる。 時は1961年。ルドルフ・ヌレエフ(オレグ・イヴェンコ)はまだ伝説のダンサーでもなければ、尊大な人間にもなっていなかった。世界に名だたるキーロフ・バレエ(現マリインスキー・バレエ)の一員として、海外公演のために彼は生まれて初めて祖国ソ連を出た。 若きヌレエフはパリの生活に魅せられ、この魅惑の街で得られる文化、芸術、音楽のすべてを貪欲に吸収しようとしていた。だが、その一挙一動はKGBの職員に監視されていた。やがてパリ社交界の花形クララ・サン(アデル・エグザルホプロス)と親密になるが、その一連の行動により、政府からの疑惑の目はますます強まる。その後、ヌレエフは信じがたい要求をつきつけられ、苦渋の決断を迫られる。 それは、収容所に連行され、踊りを続けることすらままならない未来を暗示するものだった。6月16日パリ、ル・ブルジェ空港。他の団員たちは次の公演地へ旅立ち、KGBと共に空港に残されたヌレエフがくだした決断とは―
【作品情報】 『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』
■監督:レイフ・ファインズ ■脚本:デヴィッド・ヘアー『めぐりあう時間たち』『愛を読むひと』 ■出演:オレグ・イヴェンコ/セルゲイ・ポルーニン『ダンサー、 セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』/アデル・エグザルホプロス『アデル、ブルーは熱い色』/ルイス・ホフマン 『ヒトラーの忘れもの』/チュルパン・ハマートヴァ『グッバイ、レーニン! 』/ラファエル・ペルソナ 『黒いスーツを着た男』/レイフ・ファインズ 『シンドラーのリスト』 『イングリッシュ・ペイシェント』 ■配給:キノフィルムズ/木下グループ
情報提供: キノフィルムズ
(C)2019 BRITISH BROADCASTING CORPORATION AND MAGNOLIA MAE FILMS
6月28日(金) TOHOシネマズ 新宿ほか全国順次ロードショー!
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birdpark15 · 6 years ago
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26 Jul. 2018
セックス
西尾 今マレーシアに来て「からゆきさん」についてリサーチをしてるんだけど、それをしているうちに前回話してたことと、ちょっと変わってきた。
前回はわりと閉じた小さな世界の話をしてたと思うんだけど、国外にいるからなのか、そういうことを笑い飛ばしたい気持ち。日本の男の人について考えてると、「勝手に苦労をしょってる」「大変ぶってる」っていう感じがしていて、「その大変さ、もう勝手に降りてもらっていいんで…」という気持ちになってきてる。前はこの「カップル」の二人の大変さにフォーカスしている感じだったけど、今はもうちょっと「バカ言ってんじゃないよ」というような気持ちになってきたというか…。結局はそういう細かい大変さを蹴散らしたいというのが出てきてる。
鈴木 前回まで言っていたのは、「男女にはある出来上がった枠組みがあって、その中でしか何かをできない」ってことと、「それを無効化するような関係が男女でもあり得る」ってことだったと思うけど、それと「蹴散らし」とは違うの?
西尾 うん。それは結局大きい枠組みはそのままで、「私たちだけラッキーで自由になれるかも」ってことだったと思う。そのことの大事さは残ってはいるんだけど、その枠組み自体、もっと他のものもあるんじゃない? という気持ちに今はなってるかな。
戯曲の「カップル」の二人はこのままでもいいんだけど、作品全体として、相対主義的に「そんなのもあるよね、でもこんなのもいいよね」というふうにしとくより、「そもそもなんでこんな枠組みがあるの?!」というふうにしたくて、それを「蹴散らし」と言った。
鈴木 じゃあ、今戯曲には3つの話が並列してるけど、例えば最初のシーンの個人的なスケールのエピソードが重要と思いきや、次のシーンでそれがメタに乗り越えられ、さらに次のシーンでも覆され…みたいなこと?
西尾 いや、そうじゃない。前も言ったかもしれないけど、『存在の耐えられない軽さ』がすごくイメージとしてあるんだよね。この小説って、ニーチェの永劫回帰の話から始まって、全然小説っぽくない。そういう哲学のテキストから始まって、え…これがずっと続くの…つら…と思ってると、「そういうことを考えていると、いつもトマーシュのことを思い出すのだった」みたいに主人公の名前が突然出てきて、シューッとお話の中に入ってく。
そういうふうに、度々作者が出てきて、気になってることを話し出したりして、お話とずっと平行してるんだけど。その小説の中では、作者も、作者の書いた世界内人物も、重みの差がないように書かれてていいね…と思ってる。だから具体的な小さな世界から、かなり遠いところまで射程に入ってるようにしたいんだよね。
鈴木 その射程とは?
西尾 そうね…どこから話せばいいのか…。こないだ上野千鶴子の対談集を読んでたんだけど、対談相手の森崎和江が話してたことが印象に残ってて。 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309472645/ 森崎さんがシンポジウムをやったとき、男の人が感想を言う中で、素直に「女の人にも性欲ってあるんですね! 知りませんでした~!(感動)」と言ったのを聞いて、森崎さんは愕然とした、と。
でも私はそれを読んで、その男の人かわいそうだな…と思ったんだよね。自分がセックスしてる時、相手がどういう状態だと思ってたんだろう、と思ってさ。ひたすら付き合ってくれてると思ってたのか、そんなことすら思わないくらい単独行動だったのか、とか。それって女の人が下に見られてるとかいうことより、その男の人が関係性から疎外されたまま生き続けてるってことだと思って、ぽっかり空いた暗闇とセックスしてるみたいなことか…と思ったりした。
鈴木 まあ、その人が何歳か知らんが、付き合わせるのでいいと思って長年セックスしてきたってことは、かわいそうかもしれないがシンプルにひどいというか罪深いと思うけどね。
西尾 うん。それで男の人は常に、女の人と関わってる時であっても常に、男同士のストーリーを生きてるんだなと思った。女性の官能小説家のコラム https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50359 を読んだときも思ったんだよね。読者からお悩み相談を受け付けたときに、女の人は関係性の悩み(セックスレスの悩み、セフレから脱却したい、こんなテクニックで相手は満足してるのか…)を相談してくるんだけど、男の人はもっぱら自分自身の性器について(自分はちんこが大きくない、長く持たなくて、包茎で…)を書いてくるらしくて、それがすごく興味深いなと思った。つまり相手との間に問題があったとしても、男の人は俺がなんとかすればって思っちゃって、それしか解決の道が思い浮かばないんだなーと思ってさ。相談すればいいのに。
鈴木 男の人の方が、考え方が一般的になってる感じがするね。「誰にでも一般に通用する俺なのか」という心配というか。今の話を聞くと、変でもそれが合う相手ならそれでいいじゃんという発想が男の人はあまりないという感じがする。
西尾 そうそう。目の前の相手と俺、というより、もっと大きいピラミッド型の中に自分を位置づけてる。だから結局相手を見てない、自分がイケてるかどうかを気にしてるという感じがする。
鈴木 イケてないと相手から好かれないんじゃない…とか、相手のためには、俺があるレベルに達してないと満足な関係になれない…という不安がある印象ですね。
西尾 そう。あと千葉雅也さんだったかな、「なんでヘテロセクシャルの男性はセックスにおいて挿入がそんなにハイライトになってしまうのか」ということを書いてて、それもなんでかなーと思ってる。
鈴木 それは男の人は物証の問題みたいに思ってる感じがする。後でセックスした事実を周りに言うためにも、とにかくそこまで行ったぜ、ということを果たしたいとか、証拠として掴み取りたい、みたいな。
西尾 でもそれを男友達に話したら、別に挿入&射精が大好きってわけじゃなく、むしろつらい…みたいに言ってて、え…そうなの…と思った。「射精に至るには相手のことより頭の中で必死にエロいこと考えてる」とか言ってて、そんな頑張ってたの…と思って…。まあ個人差はあるだろうけど。それを一人で背負いこむならもっと相手に話すとか、お互い楽しい感じでやればいいのに! と思ったので、この件を何人か男友達に話してみたら、みんな気負ってるみたいでびっくりした。
だから目の前の個人と関係なく、男同士のストーリーのなかで大変がってる、ということを知り、勝手に大変さを人のせいにしてるぐらいならそれ、やめれば?? って思ったんだよね。
鈴木 まあ、今聞きながら思ったけど、セックスについて、二人が満足してればいいじゃんというのは合理的で幸福な解決だよね。でもセックスの大部分が合理性に基づいてないから、二人である儀式を執り行ったんだ…みたいなメタな満足に逸れがちで、でもそれでもベターという感じはする。
西尾 そうね、確かに言葉を介して合意形成して全部プラクティカルに進めたらなんかちょっと何かが変わってしまいそうな気もする。
でもそれって、そのままにしとかないと失われてしまうことなのかな。こないだ、性行為に関して事前に合意を取らないとスウェーデンでは法的にアウトになるみたいなニュース https://www.oricon.co.jp/article/504049/ が話題になってて、日本のツイッターでは「そんなロマンチックさが無くなるようなこと…!」みたいな反応が多かったけど、私は「果たしてそうか…?」と思ったんだよね。むしろ言葉で確認するって結構、とてもロマンチックじゃない? もちろん具体的にこれをこうしたい…これはこれで…って設定するのは微妙だけど…。
鈴木 それをロマンチックに確認するのは技量がすごい要ると思うけどね。
西尾 うん。技量はいるね。でもセックスを文化���考えるか、あるいは人間に残された残り少ない自然と考えるか、ていう問題なんじゃないかな? 私はそれを自然と言わない方が面白いんじゃないかと思ってて…。
鈴木 ちょっとよくわからない。
西尾 こういう感じのことを考えたんだけど。
人間の中に、自然はどのくらいあるか。それは里山みたいな、実は人間の手で管理されている括弧付きの「自然」じゃないか。「自然」を否定しているわけではなくて、「自然」を括弧なしの自然みたいに扱うことに疑問を感じる。「男の性欲は本能だから」という言葉にイラッッッッとすることと関係がある。
2:55 - 2018年7月4日 https://bit.ly/2BYk2qV
本能だとして、だから何だって言うんだろう。Ok, so what? と思う。「本能だから」で話を終わりに出来ると思うのは、自然を無邪気に捉えすぎなんじゃないか。もはや私たちが自然に触れるには、たくさんの様々な儀式のような、人工的なこと抜きにはあり得ないんじゃないかなと思う。
3:01 - 2018年7月4日 https://bit.ly/2omlEBi
私は一体何に苛つかされてるんだろ?と考えるに、「まあそうカリカリするな。仕方ないのサ、男って馬鹿なんだもん☆」と譲歩したようにおどけて言って対話を終わりに出来ると思っている姿だ。あなたが馬鹿なのは、話してたら分かる。しかしそれを男一般のせいにするな。主語を自分にして話せ、と思う。
3:14 - 2018年7月4日 https://bit.ly/2MEaw0U
「こころ」
西尾 そういえば、鈴木くん最近夏目漱石の『こころ』を読んでた?
鈴木 読みましたね。
西尾 戯曲について話すには、『こころ』の話をするといいかもしれない。私も高校生の時読んでグッときたんだけど、でも今になってみるとあれは、お嬢さんの気持ちを考えろよって話じゃない?
鈴木 明治の女(の扱い)というのはこれほどものか、という感じがしましたね。「陰翳礼讃」のこの箇所を思い出しました。
それで想い起すのは、あの中宮寺の観世音の胴体であるが、あれこそ昔の日本の女の典型的な裸体像ではないのか。あの、紙のように薄い乳房の附いた、板のような平べったい胸、その胸よりも一層小さくくびれている腹、何の凹凸おうとつもない、真っ直ぐな背筋と腰と臀の線、そう云う胴の全体が顔や手足に比べると不釣合に痩せ細っていて、厚みがなく、肉体と云うよりもずんどうの棒のような感じがするが、昔の女の胴体は押しなべてあゝ云う風ではなかったのであろうか。今日でもあゝ云う恰好の胴体を持った女が、舊弊な家庭の老夫人とか、藝者などの中に時々いる。そして私はあれを見ると、人形の心棒を思い出すのである。事実、あの胴体は衣裳を着けるための棒であって、それ以外の何物でもない。胴体のスタッフを成しているものは、幾襲ねとなく巻き附いている衣と綿とであって、衣裳を剥げば人形と同じように不恰好な心棒が残る。が、昔はあれでよかったのだ、闇の中に住む彼女たちに取っては、ほのじろい顔一つあれば、胴体は必要がなかったのだ。 谷崎潤一郎「陰翳礼讃」1933
つまり女というのはかつて、主体ではなく状況の方が本体のような扱いを受けていたのだと。お嬢さんも、前半では聡明な女性という感じがするけど、実際のところはどうしようもない状況でもどうしようもないままにいさせられているというか。
西尾 でもそれはお嬢さんと先生(お嬢さんの夫)相互の問題だと思うんだよね。結局先生は学生時代の友人Kにずっと夢中で、Kと俺のことばっかり考えてて、その間にお嬢さんが道具としてあったから使っちゃった、そして結局苦悩して破滅した…みたいな。もし自分がお嬢さんの立場だったら、あんなに自分のことを見てくれない人に内面を出さない。それって、勝手に男の人が大変ぶるんじゃねえよって話じゃない?
鈴木 そうだね。基本的にはひどい話と思う。でも先生とKの生活と、先生とお嬢さんの生活は、時間的には後者の方が長いわけで、それを破局なく持ちこたえさせていたのにはなにか二人の間に理由というか、いい趣のようなものはあったと思うけど。
西尾 でもそれをもう趣とか言いたくないっていうか、趣よりもっと面白いことあるぞ、と思いたい。先生は「塞ぎ込んで余生を生きる俺…」「でも付き合わせてしまったお嬢さんを養わなければ…」みたいになってるけど、それはお前のせいだろ、勝手な話だ…と思う。「そういうことが男の仕事」みたいに、何かを引き受けた感じになってるが、今はお嬢さんから「それは自己満だろう」と言い出せる時代になってると思う。
鈴木 「自分…不器用ですから…」みたいな話ってことか。いや器用になってくれっていう。
今思い出したんですけど、高倉健と八代亜紀がデュエットした「挽歌」という曲の中にこういう健さんのセリフがあるんです。
「前略…お変わりありませんか/北の街でこの手紙書いています」
「幸福ならいいんです/…この手紙…捨てて下さい」
いや…そんな迷惑な手紙ないだろっていうか…デリカシーの無さがやばい。でもそういう男の「負ってる感」というか、寂しげなかっこよさというのは根強いよね。
西尾 うんうん。
鈴木 あと今の話をしてて思ったけど、寅さんもそうかも。寅さんは毎回マドンナと出会って、心を許していい感じになるけど、最後はマドンナは結婚したり元の男のとこに戻る決心をしたりして去っていく。これはマドンナの方にデリカシーが無いパターン。でもこの寅さんの寂しさの趣っていうのは、健さん的な趣とは別案件だけど、その男の「負ってる趣」の再生産に役立ってる感じはあるよな。
西尾 みんながみんな健さんにはなれないから、そんときは寅さんの気持ちになって浸るってことなのかな。『こころ』で言ったら、主人公が先生に心酔しちゃってその虚無を引き受けてくれちゃう。男の人のそういうじっとりした趣みたいなものが、もうやめようぜ! とはならずに継承されていっちゃうわけじゃん。女の人は勝手に奪い合われたり喧嘩されたり去られたりして、ずっとその外にいる。
鈴木 なるほど。
西尾 だから、そういう男の趣ストーリーみたいなものをそろそろかっさばいてもいいんじゃないか、そんな大変ぶらなくてもサクサクやれまっせ、と言って台無しにしちゃっていいんじゃないか、ということを思ってる。そして男の人がそこから脱却して、本当に自由になれた実感をもって、女の人と二人で遠くまで行っちゃったらいいな、と思う。
鈴木 そうだね。でも具体的にそれがどういう状況かは想像するの大変だな。
自分のこととして考えてみると、前回の打ち合わせ以来、自分はその「男のストーリー」が本当によく分かってない層だということに気づいてきた。HIPHOPの男性的なノリも分からないし、テラスハウスとか東京カレンダーとか、そういう男女の市場世界…つまりルールを守って合意のもとに運ばれてるゲームの世界、それが分からないまま大人になっているということが自覚された。
西尾 うん。
鈴木 こないだの話を聞いていて、西尾さんは、男女別学で教育を受けて、女性として男女のアシンメトリーをより体感する機会があって、そこからもっと自由な世界へ脱却できるんじゃないか、という方向に向かって行ってる感じがしたけど、自分はそれと全く逆ルートを進んでいる感じがしたんだよね。
自分は自分が男という自覚がなく、男同士のルールもわきまえず、異性と性差のないノリでしゃべろうとしたときに、そこに見えないルールと構造物が立ちはだかってることに気づく。それには、自分が男女のアシンメトリーな構造を気にしないで育ってしまったゆえの、男ならではの傲慢というのもあるけど…。だから、我々のルートは左右対称にクロスしているというか。
だから西尾さんが蹴散らしたいと言っている「男のストーリー」「男のルール、男の趣、大変がり」みたいなものを僕は意識的にか無意識にか触れずに通ってきたし、そんなものは当然クズというか…話す必要さえないと思ってた。
西尾 そうか、前回、戯曲に出てくる「カップル」の男に対しても、そんな男はいないものとして生きれば…みたいなこと言ってたもんね。
鈴木 うん。でも昔の方がその傾向はより強かった。『こころ』にしても、自分は主人公の書生の気持ちで読んでたけど、高校生とか大学生の頃読んでたら、そんなじじいにかまってるより、学生なんだし勉強とかしてたほうがましでは? と思ってたかも。でも「カップル」の男はより一層クズだね。女の方もだけど。
西尾 笑。そういえば私の戯曲を友達の女性の劇作家の人が読んでくれて、「この女が嫌いすぎる」と言っていて、それぞれ同性に嫌われてるキャラクターっていうとはいいな、と逆に思った。
私も、「男のルール、男の趣、大変がり」みたいなものやそれに基づいたキャラは無視しとけばいいんじゃないの? っていう気持ちは前より出てきてはいる。自分個人の生き方だけを考えてたらそんなことにかかずらってる暇はないんだし。でもさ、この間この記事を読んで思うところがあったんだよね。 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56258 アメリカで非モテの人たちが「インセル」って名乗ってテロを起こしたりしてるっていう記事なんだけど。
鈴木 ほう。
西尾 モテる男やそれらに擦り寄っていく女を憎んでいて、自分がさえなく生まれたのは自分のせいじゃないという怒りがあって、報われない思いから世界を破壊することに至ってる。確かにやばい奴らなんだけど、こいつらに関わらんどこう…じゃ済まないぐらいこういう人が増えているだろうという気がする。
鈴木 うんうん。
西尾 特に、ここにある「相対的剥奪」というのに興味があるんだよね。つまり男の人は、自分個人がどうか/何が好きか、とかじゃなく、大きい盤上に自分を位置付けてその中��イケてるかどうかを考えてるからこその不幸があるんだな、と思った。でも「人はそうじゃなくなれる」という話ができたら感動するな、と思ってるんだけど。
鈴木 確かに。でもさっきも言ったけど、それは具体的にどういうことなのか想像するのが本当に難しいよね。だからこそやりがいがあるんだと思うけど。
結婚
鈴木 今ふと思ったけど、「自由な男の人」を具体的に想像するのが難しいのは、僕はどんなことも、ビジュアルで想像できないとそれにリアリティがあると思えないタイプだからかもしれない。
例えば、男のルールっていうものを端的に可視化してるものっていうのは男のフォーマル・ウェアだと思うんだよね。男の人が、自分を価値ある人に見せるためのフォーマルな装いっていうのは、ものすごくルールに則った装いじゃない? それはある意味、男のコミュニティの中に入らないと差がわからないようなコードでもある。スーツの形、仕立て、生地、レザーグッズのメーカーとか質とかね。そしてスーツを着ないといけない場に出たら、そのスーツの差っていうのはかなり明示的に見えてきてしまって意識せざるを得ない。
でもそういう感じじゃない、自由な男の人、ってものを、装いの面からビジュアル的に想像するとしたらどうなるかというと、それがものすごく難しい。例えばフォーマルの場でそういうルール空間に回収されない装いって、それは現状では「無い」ということになる。あるトリックスター的な立場の人なら面白い装いを出来ることはあるけど、それは本来の意図と違う意味での「クィアなもの」になってしまう。
西尾 うん、そうだね。確かに。
鈴木 そういうことがビジュアルで現れないことこそが重要なのかもしれないけど、僕が想像しづらいのは、その「自由な男の人」を表象してるものが今あんまり無いからなのかも。
西尾 そうだね、無い、まだ無いんだろうね。
鈴木 でもファッションの中ではその「自由な男の人」への試みはずっと続けられてて、ボディブローのようにそれを繰り返して50年ぐらい経つと、フォーマルウェアの中に少しずつ普通のものとして出来てくると思う。でも現状は、例えばロンドンのコレクションで見られるようなアヴァンギャルドな男の人の装いというのは、ミラノのコレクションに代表的なトラッドな装いに対しては全く別市場であると。
西尾 うーん。人、いや男性は、そういうトラッド、フォーマル、メインストリームということと関係なく生きられないんだろうか。例えば女の人は社会に入ってない状況でやってきてしまったゆえに、社会の大きな盤面の中に自分を位置付ける欲求がそこまで大きくない気がするんだけど、「社会」っていう共有された一個のボード(?)に乗っかった上昇志向は、この時代結構行き詰まってる感じがしてるんだよね。だから、そういう盤面への欲求みたいなこと、みんなで一気にやめられないんだろうかと思って。
鈴木 そうだね…。しかし2015年にアメリカの連邦裁判所で同性婚が認められた時のことを思い出すな。僕はその時まで、クィアであるっていうのは、そもそも結婚とか制度上の関係に基づかなくてもいいんだ、っていう姿勢のことだと思ってた。だからむしろ僕にはあのニュースは、インフォーマルなものも含む多様な関係を、結婚ていうルールの方が飲み込み、その中に押し込んだ、という風に思えた。「適度にほっといてくれない」というのかな。
西尾 うんうん。
鈴木 ただもちろん結婚というのは法的な、また生活上の安全保障だから、それは望んで然るべきと思う。でもそのためには結婚ていうフォーマルな形をとるしかなくて、ジレンマがあるな、と思った。この構造を一気に無効化するのは難しいね。それはフォーマル・ウェアと同じかもしれない。
西尾 同性愛者であれば全員結婚というものを否定する立場だと思ってた、ていうのは酷だと思う。単に同じレベルの保障を受けたいだけなのに差別を受けるのはなんでって感じだよね。ただクィアであるということが自分の生き方になってる人の中には、そもそも個人の関係を国家に届け出るってことがナンセンスって思ってる人もいるよね。それとセクシャリティをセットで無理に考えると、なんでそんなに戦わなくてはならんのじゃ、という人もきっと出てくる。
だから作品で書きたいと思ってるのは、本人たちには戦ってる気が全くなくて、例えば貧乏だったり、変な暮らしぶりでも、なにも外部に囚われてなくてすごい満たされてそう、って見てわかるような人たち。外見が素敵なわけでも、みんなが尊敬しちゃうような生き方じゃなくても、自律してる、みたいな。
鈴木 ほう?
西尾 「既存の枠組みを蹴散らす」みたいなことを言ってきたけど、その蹴散らすやり方が「戦い」だけじゃないよね、っていうことかな。枠組みとか勝ち組負け組…みたいなことを、相手にもしてない、気にもしてない二人。
鈴木 ふんふん。二人というのがポイントですね。
西尾 そう。一人だったら、たまたまそういう風に生きられる人がいた、ってことになっちゃうから。
鈴木 僕も同じこと考えてたかな。先日こういうツイートをしたんですけど…。
テラハメンバー「ねえ!キッチンに誰かいるんだけど」 メンバー「本当だ…え…誰…?」わし「へへ…すいやせん…冷蔵庫でビール冷やさしてもらってたんで取りに来まして…。あ、このポテサラもちょっともらいますね…じゃあこのへんでドロンしますわ…へへへ…」(ニヤつきつつ勝手口から中腰で去る)
10:10 pm - 19 Jul 2018 https://bit.ly/2LwgAmZ
今回の鳥公園では男女の構図の中の女ということを少しずつ考えてたが、テラスハウス的あるいは東京カレンダー的な世界の中を、男でも女でもない薬味(?)のような感じで斜めに横切っていきたいという自分の謎欲求が同時に浮かび上がってきた。
2:36 pm - 24 Jul 2018 https://bit.ly/2LABlhe
西尾 あ、これ見た。
鈴木 最近夏なのでよくそうめんを食べるんですが、僕の好きな薬味はみょうがです。そしてうちの家紋もみょうがの紋なんですね。世界のいろんな民族にはトーテムっていうものがあって、一族のシンボルになる動植物が決められている。だから、僕は自分のトーテムはみょうがだと思ってる。男でも女でもない、薬味みたいなキャラクター。
西尾 笑。
鈴木 そう、一人ならそういう薬味みたいな人として生きるぞ、ということもできる。まあ薬味のような役割でなくてもいいと思うんですが、とにかくそういうバイナリーな関係の外にある自由なものとしてね。でもそれが一人の人ではなく、カップルである、ということが今回の芝居の大事なところですね。
西尾 そうなんだよ。まあ、最終的には一人になるかもしれない。カップルは死ぬまで添い遂げないかもしれない。ただ、苦しんで生きてた二人がたまたまのマッチングで出会い、「あ、そうじゃなくても平気な自分になった! サンキューな!」という経験を経て、各々みょうがとして生きていく、みたいな話なんだけども。
鈴木 あるいはしょうがとして。
恋愛
西尾 なんかさ、恋愛というものをどう思う? 恋愛について、と聞かれたら。
鈴木 それは……………非常に大変だよね。
西尾 大変だよね…………。
鈴木 大変なことよね。最近ZOZOの前澤社長と剛力あやめさんが交際なさっているというのが話題ですが、前澤社長の取材記事を読んでたら、よく芸能人のいう「いい恋愛させてもらってます♡」というフレースを発しておられたんですね。
西尾 そんなフレーズあるの…?
鈴木 あるよ。30代の芸能人とかにスキャンダルにならない交際報道が出た時に、囲み会見とかでよく「いい恋愛させてもらってます♡」って言ってるよ。それで好感度ややあげ…みたいな。で、それを聞くたびに、それって……そんなことってあるの?? って思うんですね。
西尾 爆笑。
鈴木 いい恋愛なんてあるの……? っていう
西尾 どういうこと? 常に嵐のようになるってこと?
鈴木 うん。嵐のように酷い場合もあるし、そうでなくても恋愛状態になった時に「役割にひたる甘美さ」みたいなものがある。「こいつ俺の恋人♡」みたいにごっこ遊びっぽくなるというか…。
西尾 え、それはそれで楽しくていいじゃん。
鈴木 楽しくていいんだけど…リアリティのないものや何かを演じることを排除したい、常に醒めていたいという、この僕の性質が、それを居心地の悪いものに感じさせるというか…。
西尾 笑。生活と地続きなものとしては恋愛ができないってこと?
鈴木 かなりそう思う。でもやっぱりなんか避けがたく現れはするよね…。そういう感じです…。だからちょっと生活共同体みたいになってるカップルっていうか「俺ら♡」みたいなノリが自分には想像できないっていうか…まあ友達でもそういう関係になったことないしね…。
西尾 へ〜〜。こないだ契約結婚した人の記事を読んだんだけど。  https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/05/contract-marriage_a_23451860/ その人も恋愛するとしっちゃかめっちゃかになるから、恋愛が結婚になるんじゃなくても、人と一緒にいてもいいじゃないか、といって友達に契約結婚を持ちかけたんだって。で、何を条件に相手を選んだかというと、添い寝をできるかということだったらしい。
鈴木 添い寝…。
西尾 そう、だから別に性的関係になってもいいけど、それが第一じゃなくても、安心して隣で寝られるかどうかが大事、って言ってた。
鈴木 寝首をかかれない保証ってことですね。
西尾 いや、ていうか男女だとまず性的な関係になるかどうかが第一になってしまいがちで、それがいいときもあるけど、生活とか��まず第一に考えると添い寝できるかが条件になると。それはわかる気がした。
鈴木 ふんふん。
西尾 で、他人とセックスしたくなったらそれもいいし、もちろんお互いでしてもいいし、でも性病にかかったらちゃんと言うとか、子供が欲しくなったら相談するとか、ロマンスというより生活仲間になってるみたい。でも完全に切り分けてるわけじゃないところが面白いとも思ったんだけど。それどう思う?
鈴木 いいんじゃない? そもそも夫婦がロマンチック��関係って思ってなかったっていうか、全部が契約結婚みたいな感じ���んじゃないの? って思ってたから、特に感想もないかも。
西尾 だよね。でもロマンスを皆が持たなければいけないとされてるのがみんなを苦しめてるんじゃないのか、と思う。
鈴木 まあ持つべしとされてなくても、なんか憧れちゃうというのはあるね。憧れちゃうよね、ロマンスって…。
西尾 笑。でもたまのロマンスが、やった〜来た〜ラッキ〜程度のものだって認識ならいいと思うけど、実際世の中ではロマンチック・ラブみたいなものが重みを持ちすぎててみんな苦しんでるんじゃないかと思ってる。
鈴木 いや大変よ。本当に。重田カヨコかよって話だよ。
西尾 そう、だからこの戯曲の「カップル」の男女はそもそも恋愛したくないのに、しないといけないのかなー、と思わされつつ出会ったんだと思う。それは自分の欲求について他人任せだったってことでもある。そこから、もういいか、ていうかロマンス無理、という展開になってほしい。
鈴木 うん。
西尾 でも無理か無理じゃないかの二択でもなく、奇跡的なマッチングのようなことがあって、充実した二人になるといいんだけど。
鈴木 そうだね。これは芝居であってドキュメンタリーじゃないから、ある理想、あるモデルを見たいという欲求に応えるべきとも思う。今まで言ってきた「蹴散らし」の果てに二人の人がロマンチックじゃない、ユニークで幸福な形で結びつく、ということを、実感を持てる形で演じられてるところが見たいですね。
西尾 そうだね。
鈴木 あとこれは個人的な希望ですが、人によっては家庭がすべての問題の源だという人もいるけど、僕は自分が育った家庭が素晴らしかったからか、家庭というのは一般的にいいものだと思いがちなんですね。核家族の中で守り育てられるということが。それを他人におすすめする気はないし、事実自分も家庭を持たない方向に進んでる感じがするけど、個人的には、そういうわりと保守的な成り立ちにもとづいたいい思い出がある。
西尾 うん。
鈴木 (自分の育った)家庭の何がいいかと思ってるかというと、サステナブルだっていうことかもしれない。契約結婚がいいと思ってるのも、生活を持続させるためのものだから。なにか持続する空間を作って、その基盤の上で、夫婦間でも子供でも誰か他人でもいいけど、人が教育されて、自信を持たされ、次代に送り出されていくこと。そのよさみたいなのも…ちょっと入ってると嬉しいな…と思っています。
西尾 その感じは私もわりと分かる。私の自己肯定感の強さは家族と家庭によって育まれたと思うし、それが今の自分の仕事の仕方とか、世界への関わり方を支えてくれてるなと感じるよ。でも戯曲では、今の状態だと「カップル」の二人とも自分の家庭をよくは思ってない感じだな。
鈴木 うん。それにこの二人も将来家庭を作るって感じはしない。でも…。
西尾 サステナブルっていうのは、結局その人が自分の足で立ててるかどうかがベースだなって思っててさ、そういう人が複数集まれば、それぞれ自分の道を生きつつ、同じ方を向いているからお互い何を見てるか分かる、というのがいいなと思ってる。だから基本は個人だと思ってる。
それにサステナビリティと永続性は違って、永続性というのは嘘、フィクションだと思ってる。結婚の誓いで「病める時も、健やかなる時も…」って誓うけど、そういうもの(誓い)に頼らなくてもむしろやってけるサステナビリティみたいなものならいい。そこにそれがまだ出現してなくても、そういうものを大切に思う思想みたいなことがあったらいいよね。
鈴木 宣伝美術とタイトルの話に戻りましょう。今回の前提として、この「カップル」はマッチングアプリで出会ったカップルである、ということがある。一般的には、それはすなわちロマンチックな関係であると。でも「この二人はそうではないのだ」ということをどうすればパッと見で伝わるか、ということを考えて試案を作ってきました。
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西尾 うんうん。
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鈴木 さらに、それを言うのでも、ロマンチックの対義語をタイトルにして「プラトニックだ」「友情だ」と言いたいのではなく、「ロマンチックで『ない』」というふうに否定形で言いたかった。これは、こないだサントリーの「恋は遠い日の花火ではない」という古いCMを見てて思いついたんだけど。
https://www.youtube.com/watch?v=XmfLDpIZTY0
CMでは、必死に生活してる市井の人々が、街中で恋の始まりを予感するようなエピソードがメインになっています。そこに「恋は遠い日の花火ではない」ってナレーションが流れて、それを聞くと、脳裏で遠い日の花火をみんな想像する。でも、そう「ではない」と言っていて、否定形である。逆に「恋は目前の火花である」って言ったら、意味は同じでも、「遠い日の花火に対置してる」というメッセージはない。
それと同じで、この芝居も、「コンベンショナルなロマンチックな関係では『ない』」ということを字面として入れることが必要と思った。「愛の新世界」も、愛の外部のものを指してはいるけど、「愛」という字は入れてると。
西尾 ほう。タイトル、この方向で考えたらいいかもと思った。短歌もそういう技術を使ってくるよね。頭から聞いてくと一個ずつ単語のイメージが浮かんで、最後に「ではない」と来てひっくりかえるとか。文意だけじゃなくて、音で一直線に読んでくゆえに喚起されるイメージも使うみたいな。
鈴木 特に日本語は述語が最後にくるからそれがやりやすいのかな。
西尾 そうかも。
鈴木 それで、絵も同じアイデアで考えてます。この二人は寄り添ってるように見えるけど、別のレイヤーに描いてあって重ねられてるだけ。しかも向かい合ってない。
西尾 なるほど。
鈴木 あと男の人の座り方が、あぐらをかいてるんじゃない、というのもポイントです。
西尾 いいね、このべちゃっとした座り方。
鈴木 この座り方できない男の人結構いるんですよね。
西尾 えっ…そうなの?
鈴木 うん。足が開かない〜とかいって。単にこの形で座ったことないから慣れてないだけだと思うんですが。僕はできます。ま、とにかくこの男女二人の並びに、お互いを意識してる感じや力関係がなく見えるように描いてます。
西尾 うんうん。最後のなんて二人が重なっちゃってるもんね。
鈴木 そうそう。ただ今までの話を聞いてると、やっぱりこの絵で表そうとしてたのはこの二人の限定的な関係だけかな、という気もしてきた。具体的でわかりやすいからいいのかもしれないけど。
西尾 うん。絵自体が限定的な物を描いてること自体はいいと思うんだけど、パシンと来た! というところまでは行ってないかな。個別には、4とか5ぐらい男女の距離が近い方がよくて、6まで行っちゃうと日本的すぎ、というのはあるけど。ただ、今言ってた「否定形でしか言えないことをする」「それをタイトルに込める」というのはいい気がする。
戯曲の今後
鈴木 今後は戯曲はどう進みそうですか。今は進んでないよね。
西尾 進んでない。
鈴木 「カップル」「ベランダ」「警備員」と三つパートがあるけど、今日話したようなことでは、例えば「男のルール、男の趣、大変がり」は、男ばっかりの「警備員」のパートにフィードバックがいくのかな。
西尾 それは「警備員」だけじゃなくて全体に関係することになりそうかな。前はその三つのパートがあんまり関わり合わないようにするのが理想だ、って言ってたと思うんだけど、それでいいのか? と思い始めてる。なんか「それはそれ、どうしようもないよね笑」みたいな現状肯定、相対化の態度が、それぞれを分けてる構成の中にあるなと思ってる。そこを肯定したくないかも…という感じ。
あと最初に言ったように、具体的なある人の経験に還元できない抽象的な予感みたいなことを同時に手渡したいんだけど。今言ったサステナビリティとか、自分の足で立つとはこういうことかとか、人はそれができるんだ、という感じのこととか…。
鈴木 うん…?
西尾 答えが出ないんだけどある強い感触みたいな、具体的でないことを、この「カップル」の男女の稀有さとセットで遠くに置けたらいいなあと思ってるんだけど。抽象的な…まだこの世にはないけどそういうすごいものがある…という…。
鈴木 うーん。西尾さんの書き口はいつもわりとリアリズム寄りじゃない? シュールな設定とかはあっても、鳥公園が現代口語劇っぽいのは特徴というか。その書き口で言えるのは一��の具体的なエピソードだと思うんだけど、その中に、そのすごいものを予感させる会話がある…ってことなの?
西尾 いや、「遠い」って言ってるのは、そもそも会話とか演技の形式からしてもっと遠いもの、「なにそれ〜」って言っちゃうようなものを入れたいんだよね。なんかやっぱり今小ちゃく収束しちゃってる感じ、はいはい、わかります、みたいな感じがしてて…。
鈴木 もう少し(個別じゃなく)一般について語りたいってこと?
西尾 そうだね。
鈴木 それってどうやって演技でいうの? それは文章でいうと地の文てことでしょ?
西尾 そうそう。
鈴木 ギリシャ悲劇みたいにコロスみたいな存在がいると便利って話もあるけど…。
西尾 笑。うん、まあそうかも。コロスみたいに、具体的な設定なくやる、ってことかな。会話だとどうしても自然さに近づいていっちゃうから、独白なのか…。
鈴木 プレゼン?
西尾 プレゼンね…うーん…。とにかく、まさかそういうパートが接続してくるとは! みたいなものが入ってこられるといいんだけど。
鈴木 パワーポイントとかが入ってる演劇ってあんのかな。
西尾 なんかレクチャー・パフォーマンスていう形式はあって、完全にプレゼンみたいな感じでやるっていうのはある。それはそれで全編それだから、確かに普通の会話劇の中にプレゼン入ってきた…みたいなのはやろうとすればできるよね。いいかもしれない…。
鈴木 そこでの言葉遣いってさ、例えばさっき言ってたみたいな「『こころ』の先生が…」とか、「健さんが…」「寅さんが…」みたいな言葉遣いもありうるの?
西尾 もっと抽象的だといいな。
鈴木 それは会話パートとのコントラストのため?
西尾 コントラストというか、舞台上で人がそういう風に話すと、どういう居方になんのかな? っていうことへの興味かな。詩みたいな、そういう体、どういう態度でこれを言えばいいのかわからない、みたいなことを入れたいんだけど。
鈴木 興味深いね。
西尾 (1の一番最初にあげた)「散文の異常さ」のパートなんかはそれに近いんだけど、あれを本当に舞台に立ってやるとしたらどういう風にやるんだろう…っていうようなのが、会話部分から遠いものかな。
鈴木 でもよく考えたら今までの芝居でもあったよね。抽象的なことを一人の人が立って喋るみたいな。
西尾 いつもやりたいんだけど、もっと意味不明にやりたい。
鈴木 それは形式が大事って感じですね。例えば講演とかレクチャの時とかに、机の上にガラスの水差しとコップみたいなのが置いてあるじゃん。ああいうのがあるとか、プロジェクターとスクリーンとレーザープリンターがあるとか…。わからんけど。
西尾 あー…。まあなんか自然な会話から逸脱してお客さんに普通に話しかけたいというのは今回だけじゃなくていつもあるんだけどね。
鈴木 そう思うとチラシも、例えばこのA4画面が4分割されてて、違う四つのポスターが並んでて、同じことを言おうとしてるんだけど語り口が全然違う、みたいなのもいいかもね。こういう情景描写をしてるものと、何か言葉でビッチリ書いてるものと、プレゼン用のダイヤグラムと、写真と…みたいな。
西尾 うんうん、あーそれは面白いかもね。同じデーマについてなんだ、っていうのはあるけど、絵で描くならこう、写真で撮るならこう、ってなってるのはいいかも。
鈴木 ね。
つづく
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