#神様���メモ帳
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コンディション絶不調。省察の時期。
・彼氏(仮)と壊滅的に会話が合わない。おそらくお互いに恋愛の不確定要素への期待値が下駄だった。そして、こんなにデートしたんだから、とサンクコストが働いてしまった。
・私は会話のコミュニケーションへのウェイトが高すぎる。会話を通した他者とのカタルシスを本当に愛している。彼とはそれがな��った。
・彼とのコミュニケーションに違和感を抱いてから、加藤をはじめ、好きだった男の子たちとたくさん会ってみた。めちゃくちゃ気持ち良かった。セックスより気持ち良い会話があると思っているけど、それだった。そういう人のことを性的に好くのだと思う。痛い目を見てもなお彼らに執着しているのがずっとわからなかったけど、たぶんそういうこと。
・じゃあなぜ彼と合わないのか、細かなコミュニケーションロスはさることながら、抽象的な事象を考える癖がないから。そして私が会話に求めるのは、私の発した言葉を他者の言葉で噛み砕いてもらうことによって、思考の輪郭をより鮮明にさせる工程。
・かよ先輩やひなちゃんに会うと「正気になれる」感覚がある。加藤たちも同様。各々との共通言語に違いはあれど、大好きな人に共通しているのはそれだった。概念を咀嚼するのがうまいんだと思う。
・1人でいる時はずっと考え込んでしまう。屍になった下書きがiPhoneのメモ帳に巣食っている。会話で吐き出せないものを文字に起こすことで昇華したいんだと思う。
・だから、そんな時間を必要としないほど忙しくするのを好んでいる。今回は、便宜上恋人ができたことによってマッチングアプリの類をやめたタイミングと、キャストが増えてバイトのシフトが減ったタイミングが重なったのがが本当に良くなかった。
・近い未来の計画を立てることに時間を費やすことが精神安定になる。この夏はトータル3週間ほど海外で過ごすことにした結果、情報収集に長く時間を割いたわけだけど、内省の時間が減るのが良い。旅程を完遂してしまったことも良くなかった。同棲、結婚、出産、進学等々の準備は紛れるから楽しそう。具体について思考する時間を無理やり捻出する必要がある。やっぱりライフイベントはあった方が良い。
所感
・遅かれ早かれ続かないのはあまりにも見えきっている。が、縒りあわせるのを諦めるのはなんか悔しいのでまだやる。私の問題。
・数多の据え膳を食べ損ねたので、私は意外と浮気しない。
・が、それが私にとっての枷でもあるゆえに、相手に求めるコミュニケーションパフォームのハードルがバカ高い。
・恋人がいることでセックスへの期待値の下駄を脱げるので、恋人がいるほうが他者と良質なコミュニケーションができる。
・旅程は早めに組むのが良い。
・ライフイベントを通して手足を動かすことが私には必要。早く結婚するべき。
・私はマジで忙しく��たほうが良い。
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ハロー(´ー∀ー`)2024.12.1
昨日発売の「マザー2:1番くじ」してきましたあああああ!!!
私は10時くらいにローソンに行ったのですが、もう既に残りが少なくなってて白目になりました。
狙うはA賞の貯金箱!!!
祈りながら5回引きましたが当たりませでした…😑その後8回引けばラストワン貰えたのですが、そのような財力がなく諦めましたよね…
ですが、次に欲しかったマグカップとメモ帳をゲットできました!!
喜び✌︎('ω')✌︎

姉達も参戦する!と言ってましたが、長女は時間がなくて結局引けなかった(寄ったローソン2店舗は完売だったらしい)のと、次女は6店舗も回って全滅だったみたいで子供がオコ、とLINEがきました←
その後7店舗目で無事3回引けたみたいなのですが、貯金箱は出なかったようです😞そんなに回ってくれてまじ勇者!
そして帰ってからXとメルカリをチェックしたんですよ←
Xには買い占めてる人が山のようにいました。ロット買いしたりだとか、全コンプとかそれによって買えない人がたくさん居るのよね…私の姉も7店舗も回る羽目になったんだよ←
(その人達が直接悪い訳じゃないけどw
メルカリにはクソ転売ヤローがうじゃうじゃ。本当不快しかない。
姉の子供(蠍座)と私(蠍座)だけが激オコ←
蠍座の恨みはまじで来世も続くんだよねってこと。
1番くじのダブルチャンスでも貯金箱が当たる!ってことでダブルチャンスもしてみましたが全滅。
バイバイどせいさん👋
ダブルチャンスははずれましたがアンケートがあったのでそのアンケートで怒りのクレームババーになりました←

転売に対する怒りをぶつけるのは筋違いですが、心の中では
「クソ転売ヤー駆逐してやるッッギリィッッ」
って感じです
ギリィッッは歯軋りです
まじで地鳴らしで全員踏み潰したいです
🦵🦵🦵
話は変わって、YouTubeの活動について。
あおチャンネル活動12年目にしてようやく収益化が達成されました!
収益化の条件が緩和されたとは以前のブログでも書いた事ありましたが、、何年かかるんだみたいな😂
収益化を目指して活動を継続してた訳ではないのですが、なんかもう古の配信者ってくらいの気持ちでただゲームが好きという気持ちだけで続けていた単なる趣味活動だったので←
数ある目標のうちの一つ、収益化達成って夢が叶いました〜
という事で需要あるのかわからない、おそらくないであろうメンバーシップの準備とか設定とかに結構時間がかかってしまい「収益化条件達成しても、その準備って結構大変なんだな…」って気持ちに出会いましたありがとう!←?
メンバーシップって簡単に言うと月々お金を払って特典が利用できるサブスクのようなものです。
YouTubeでは、配信者によって設定できるのでその特典の種類が変わってくるようです。(もちろん金額の設定も配信者が決めるのでそれぞれのチャンネルで金額が異なります)
メンバーシップになると一般的には
・チャットでメンバー限定の絵文字が使える
・名前の文字色が変わり、名前の横にバッジが表示される(バッジは課金継続年月によって色が変わったりする)
・メンバー限定の配信や動画が見れるようになる
といった感じだと思います。
配信者それぞれの個性を表せたり様々な工夫がされてて、みんなすごいなぁって思います←
それとメンバー限定絵文字の数ですが、メンバーシップの人数によって登録できる文字数が増えていく仕組みになっています。

この仕組みが分かった時に、とあるYouTuberさんのメンバーシップの文字数を数えるとそのチャンネルのメンバーシップの人数が大体把握できたりしてこの人は月々メンバーシップ収益でこんなに稼いでるんだぁぁ!すごい!!
って遊びができたりします←闇
多分、ほとんどのYouTuberさんは絵文字の数を最大まで作っていないのでメンバーシップの人数を把握できないようにしているとは思います笑
メンバーシップの需要はさておき、私のサブスクで提供できる事って何だろう…?って考えてますが、夢が広がりますよねー(´▽`)
夢だけ広がって蓋開けてみたらメンバーシップ0人は草ですが←
もし…何人かいらっしゃるとしたら、本気で考えないといけないですね💪
楽しく平和な世界を作りたい💪
そんなこんなで、先日
「オデッセイ」
を観ました。
宇宙飛行士のマッドデイモンが火星に取り残され長い間自給自足し、助けを待つというストーリーです。
これはさ、植物学者で賢かったから生き残れたんだよね。何の知識もない私なんかが同じ状況下に置かれたら1週間で死ぬと思う。
それだけ生き残るという事には知識と体力が必要なんだな、ってことがわかる映画でした。
来年の予言についても、備えている人が生き残れるとか言ってる人もいましたがそういう事なのでしょうね。
でもこのマッドデイモンの諦めない気持ち、生きる為の工夫、孤独にも耐えられる精神力がお見事だな…と思ったし、最後はハッピーエンドで感動しました。
それと「推しの子」アニメは1話切りしたくせに実写を観ました←
お金のかけ方がすごいよね。
(感想それだけかな?😶
アイドルとか芸能界の裏側とかを知れるような世界だね。
アイドルって「趣味:自分」を極められる人なんだろうなって思いました。
それと
「カタコンベ」
観ました。長年気になっていたホラー映画をU-NEXTでようやくみつけました。
お姉ちゃんとその友達がクソすぎて、ラストは「そうなりますよねー」って感じだった。そして点滅が激しすぎて観るのが結構きつかったです。
内容は面白くない←
オススメしません。
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るんぺんパリ 【RunPenParis】
【自己紹介 2024年8月3日追記 4335文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)��ら 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の���憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある お兄さんいるらしいがあった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 上野城のお堀の高さ日本2位? 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマー���の名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった 小学校までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドを���ていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから だからそういう人には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
#runpenparis#art#paris#artist#artistreet#詩#vogue japan#るんぺんパリ#詩集#japan#140文字詩#アート#ペン画#伊賀出身#伊賀市#写真#自己紹介#三重県#詩小説#伊賀
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かくかくじかじか
おなかがすいて眠れない、または、興奮さめやらず眠れない。今日はとても楽しかった。といっても朝はかなり筋肉痛でからだが痛く、Twitterでお子の様子も心配で(病院行けたのか?)、気圧がぐんぐん下がり死体のようになっていた。湯船に熱い湯をはり、どうにかカラータイルをやりまくって、風呂を出て気合いで化粧して着替えて家を出た。家を出る時にはちょうど雨が止んでいた!
待ち合わせ場所で「ずーん…」という感じで立っていると、蝶子さんが駆けつけてきてくれた。私のテンションがしぬほど低いので、かなり心配させてしまった。そのあと、電車の逆方向に乗ったらしい赤森さんがわりとすぐに来て、腹ごしらえをしてから公園(動物園)へ行った。なんとなくプライヴァシーを意識してぼかしているが、吉祥寺です。雨のなか動物を見たり、東屋でChillったり、寿司を食べたり、ヤマネコがかわいかったり、3人でぼさーっとしたかんじでだらだら会話してすごく楽しかった。この3人、ふしぎな居心地の良さがあると思う、というか、言語がらんらんと横滑りしていくのだが、それがおもしろい���なんか変なことを言ってもゆるされるし(3人ともボケなのだが、かろうじて控えめに蝶子さんが突っ込んでくれたりする)。2人は美術への造詣も深いので、私にはよくわからないことでも何かふんふんと深く感じるところがあるんだろうなと思ったりする。今気づいたけど3人とも字書きだった。あと2人ともかなりおしゃれである。「いい女」オーラがすごい。私はひとり芋女で恥ずかしかった(GUのワンピースだし…髪は乾かしただけだし…)。でもまあ外見とか全然会ったらどうでもよくなった!楽しかった。フライングタイガーを見ている時私の中で盛り上がりが最高潮だった。帰路に着いてから、実は赤森さんの体調がそんなによくなかったらしいと聞き、ご本人に「(反応が悪くて)感じ悪かったですよね」と言われたが、全くそんなことは思わず、いつもどおりキレッキレのボケをかましていたし、反応にこの世界になれていない小さき人のような可憐さが相変わらずあり、よかった。蝶子さんはいつもどおりちゃきちゃきしたりぼけぼけだったりした。ぼんやりした3人組として力を抜いて会えた。ちるった。動物園では、あとカモシカとフェネックが良いと思った。
帰宅してから、私の大好きな燐一の神が更新されたのを読んで、我慢できなくなり、とうとう短編というか書きたいところだけ書いてしまった。神が「フリー素材です!」とおっしゃっていたのでその設定をお借りして書きたい、とツイートしたら、すでに「ありがとうございます」と言われてしまい、やば、やばい…書こう、今…!となり、1時くらいに書き終わってTwitterに上げた。深夜なので当然神は既にTLにいらっしゃらなくて、誰も反応しないだろうけどどきどき…としていたら、韓国の方が翻訳して読んでくださって、RTして感想まで言ってくださった!翻訳して日本語で…!嬉しすぎたので韓国語の翻訳を使い、英語も使いながら簡単だがリプライで謝意を伝えた。とてもとても嬉しいことをさらに言っていただけて、う、ど、同人…たのしい…!となった!小説だから海外の方と全然今まで交流がなかったけど、韓国の方はかなり翻訳にかけて読んでくださる文化があるみたいで、すごい…!!となった!!私もハングルの小説、翻訳にかけて読んでみよう!!と意気込んだ。(あんすたではハングルの小説をかなり日本の方も読んでいる!私も今度から読む。)
ということで、今日は1秒も勉��しなかった。やや余裕のある進行をしているとはいえ、大丈夫かよ…となった。大丈夫じゃない気がする。でも小説のようなものを久しぶりに書けて嬉しい。やっと自分に戻ってこれた感じがする。文字を組み合わせて文にすること、本当に好きだ。
体調記録やうつ状態のときのツイートをしていた鍵垢を本格的に自分用にしようと思って、一次創作用のほとんどツイートしていなかったアカウントを鍵垢にして、友人たちにはそちらに移行してもらった。といって、とくに鍵垢で何を言っているでもなく、本当に古い付き合いの友人の鍵垢(身の回りの事を言う用のやつ)と繋がっているだけである。今後はできる限り日常ツイートも全部公開アカウントでして、鍵垢はリプライに特化しようと思う。体調記録は自分一人のアカウントで引き続きつけていく。Twitterだと意識が朦朧としていても打てるし、日付と時刻をかってに記録してくれるし、検索も容易なので、やはり記録用に使ってしまう。すまん、日本ツイッター社。それか、いっそ闘病アカウントとして公開にしてしまおうかな?とも思う、アカウントの文字列を適当に変えて。しかし、それにしては過去のツイートがオタクの本垢運用時のそれなので(刀剣乱舞時代)、なにか変なことになっても困るか。やめよう。鍵垢にして封印しておくに限る。基本的には公開の本垢ひとつで完結するようにしたい。一次創作も今のところアカウントを分けなくていいかなと思う。日常ツイートも、公開アカウントで書ける範囲のことのみすればいいと思う。Twitterに書けないことは引き続き紙のノートに書くなり、メモ帳に打つなりして、アウトプットだけしていくことにする。
あまりにもおなかがすいて眠れないのでバナナを食べ、朝のミルクティーを温め直して飲んだ。明日は診察の日なので本当に眠れないと困るが、4:20になってしまった。
2023.11.10
燐一小説のリンクを貼っておきます(ログイン限定)。

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2023.7.30
「とりあえず点いているテレビ」。
町中華あるあるな、
店主が客席に座って
野球中継を見上げている風景は
それはそれで完成された
ワンセットのような気がするので好きだ。
しかしノンポリシーで
とりあえずこれでも見て時間つぶしてて的な、
赤さんをあやすガラガラ的テレビには
どう対峙したら良いか
時として困惑してしまう。
先日行った病院でも待合室でテレビが
鳴り響いていたのだけれど、
その内容がなぜか
「火渡りをする修行僧」を
繰り返し映していた。
あれはどう見ても熱いと思う。
いや熱いはずだ。
「集中してるので!」
「これで一年健康です!」と
テンション高い修行僧の声。
病院という科学&医学の世界観と
「気合いッス!」の精神性のコントラスト。
別の日には、これまたずっと
北海道の生ホタテが
どんなに美味しいかを
水産加工所の人が「まずはお刺身で!」
「お次はバター焼き!!」などと
熱く語り続けるという、
食事制限のある患者さんには気の毒な
アグレッシブ通販番組が流れていた。
病院だからといって、
無難な健康番組を垂れ流すのではなく
攻めていくスタイルは
参考にしたいと思いながら、
私はホタテの注文の電話番号を
携帯電話のメモ帳に打ち込んだ。
休業中です。
毎日���いですね。
皆様体調ご自愛くださいませ!
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2023.03.31 イメージの氾濫、内面と、日記
イメージだけが氾濫している。イメージ、反乱、氾濫、はんらん、はんらん。 サンプリングビートのループ。繰り返されている。決してその外側へとたどり着かないまま。 螺旋階段を下りて、また上っていく。 粉々に砕けた物語の破片を拾う。 頭の中にずっと、虹色のガソリンが浮かんだ水たまりが浮かんでいる。
***
今の時代、インターネットに日記を書く人は多いと思うのだけど、インターネットに公開して日記を書くということは、常に不特定多数に読まれる可能性があるということで、そうである以上は、そこにその人の完全な本���を書くということはほとんど不可能に近い。誰かに読まれるかもしれない以上は、書く内容について絶対に何らかの選択をしてしまうし、過度に私的なことについては省いてしまうはず。
つまり、「読まれること」を前提とした日記には、ある意味で「ほんとうのこと」を書くことはできない。それなら、インターネットに公開されていない、「自分だけの日記帳」みたいなものに日記を書けばいいわけだけど、自分の場合、自分しか読めないところで日記を書くことができない。誰かが読む(もしくは読むかもしれない)ことが前提された状態でないと、何らかの形で他者からの圧力がないと、まともな文章を書くことができない。
その意味で、昔だとよく、毎日の起きたことが赤裸々に書かれている紙の日記帳、みたいなものが存在するけれど、ああいう純粋に「自分のためだけの日記帳」が成立しうるその強度はどこからやってきているのだろう、と思う。今の自分は、何らかの形で他者を想定していない限り、メモ書き以上の文章を書くことはできないから、それは少し信じられないくらいのもので、何だか純粋なくらいに思える。もしくは、神様みたいな存在を想定していたのかな。
何となく、「日記」というカルチャーはインターネットの登場によって変質している気がしていて、純粋な自分のためだけの日記帳、みたいなものは昔よりも成立しにくいような気がする。
たぶん、インターネット以前は内面(private)と外面(public)の間に大きな壁があって、その中でその抑圧された内面を表現する手段が日記だった(あるいは私小説も?)。それに対して、今は内面と外面の中間にインターネットがあって、それが半分くらいは内面にもなってしまっている。決して悪いことではないけれど、それによって失われたものも、きっとある。
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まぁ、結局さ、人は、誰しも、そう、死が、近づいてきたらさ、こんな、風に、色んな、霊やら、不思議な、超常現象を、死ぬ前に、観てから、死んで、いくわけよ。でもさ、その、まだ、別の、ポケット宇宙ではさ、つまり、今まで、お前らもさ、色んな、亡くなって、いったのを、みてきたと、思うんだよ。つまりさ、その、死期日が、近い、人間の、周りの、身内に、いる、世界に、今まで、お前らは、色んな、身内や、知人の、死を、みとってきたわけよ。でもさ、それとは、また、別な、世界で、つまり、別な、ポケット宇宙のなかの、自分のいる、世界で、霊界の、秩序とか、ルールとか、色々、教えられる、わけよ。そう、死んだあとにさ、その、いきなり、霊界に、��くとか、ビックリすんじゃんかよ。つまりそう、俺は、天の遣い、伝書鳩🕊なんだけどさ、そう、もう時期、死ぬ、つまりさ、お前らみたいな、罪が、多きい、ものたちを、集結させて、これから、死を、むかえる、お前たちに、色々、教えてる、わけだよ。俺がな。今も、こうして。
でもさ、その、別のポケット宇宙のなかの、地球🌏で、もうじきくる、死を、恐れながらも、なにも、知らずに、死ねる、また、お前らの、ポケット宇宙の、世界も、また、別に、あるわけだよ。でもさ、そっちは、まだ、そんなに、罪が、デカくない側の、つまり、まぁ、お前らの、持ってる、少なからず、良心側の、世界な、わけよ。つまり、お前らの、長所くん、長所さんたちは、今の、お前らみたいにはさ、そんなに、苦しんでもないし、それに、何より、そっちの、お前たちはさ、永遠溺れ🔵には、ならん、部分の、お前らな、わけよ。つまり、お前らの、良い部分は、永遠溺れ🔵には、ならん、わけよ。
そう、こういうことを、罪ある、おまえらに、教えてる、つまり、霊界の、メッセージを、受け取り、それを、おまえらに、伝えてる、だけの、伝書鳩🕊な、わけよ、俺は。
いや、😂もうさ、😂おまえら、😂ここまで😂慎吾に😂嫌われてさ😂どうすんのよ?😂これからさ😂いや、俺も、勿論、お前ら、嫌いに、😂決まってるやないの😂だってさ、そもそも😂お前ら、😂糞雑魚、集団な、わけよ😂それさ、いつ?気づくの?😂
佐々木😂いつ?気づくのよ?😂慎吾はさ、もう、鳩🕊ポッポさんやからさ😂自分にとって、よかこと、言われてもさ、😂そう、そこはさ、あとで、ちゃんと、霊界の、住人たちが😂帳尻、合わせて😂く、からな → 🤫【青井ふみちゃん】
いや、😂そもそもさ、😂野球⚾連中がだよ😂神やら、仏様に、祀り上げられるのはさ、😂もう、コイツの、嫌がらせ=永遠溺れ🔵をさ、😂そう、やんわりと、気づいてねって、ことなんやからさ😂いや、だってさ、��お前ら、そもそも😂エエとこ、ないやんか😂ぶっちゃけさ😂
で、ママ☁も、言うてた、通りさ、慎吾を、そもそも、こんな性格にまで、追いやったのはさ、😂😂その、野球⚾連中とか😂慎吾と、出会ってきた、😂奴らの😂せいで、慎吾は、こうなってしもうたんやからな?😂ま、爺ちゃん🦠仏様🤡はさ、😂とにかく、ヤバい😂からさ😂
ほら、今度はさ、😂お前ら、爺ちゃん🦠仏様🤡は、慎吾を、落とし込もうと、考えてる✊🤓✊とか?😂考えたやろ?😂
いや、ぶっちゃけさ、😂おまえら、😂もう、自分の、その、性格、嫌やろ?😂流石に😂いや、はたからみてても、😂もう、イラッイラ😂する、わけよ😂お前らの、その、糞さかげんに😂
いや、結局さ😂お前ら😂慎吾の、優しさを、😂棒にふった、わけよ😂そう、慎吾が、サタンなんちゃうん?😂って、お前らが、考えてるのに、ずっと気づいててさ、😂でも、それって🤔考えかたに、よっては、その、サタンや、霊や、オカルトのことは、🤔信じ、はじめてる、わけやな🤔じゃ、そこついて、信仰心、持たせよか😔【😔���や、キツイな、爺ちゃん🦠仏様、俺の、立場って、😔なんなんやろな😔】→【😔→🦠🤡】この、カッコはさ、😂そう、爺ちゃん🦠仏様🤡と、対話、してる、わけよ😂慎吾がな😂
いや、😂お前らのさ😂その、【お門違い】な、怒りでさ、😂【お門危害】を、こうむってるのはさ、😂むしろ、慎吾のほう、なんやからな😂それさ、お前ら、メモして、いつも、いつも、暇さえ、あれば😂読み返せよ😂休憩中の、ときとかさ😂トイレの、なか、とかで😂
そう、慎吾の、発音はさ、😂生まれつき、【ち🩸】がさ、😂お前らとは、違ってさ😂そう、【き🌲🟡】な、😂わけよ😂つまりさ、お前らは、永遠溺れ🔵だけじゃなくてさ、😂永遠サクサク🔪🩸も、😂こうむる、ことに、なった、わけよ😂慎吾の、OK👌でな😂
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EDCポーチを組んでみた
世界にはEDC(Everyday Carry)という概念がある。 これは各種ギアを毎日携帯するもので、Youtubeには海外のマニアが様々な金属片EDCギアを詰め込んでご自慢のEDCポーチを披露する動画が山ほどある。その目標も日常的な利便・防災・都市型サバイバル・緊急医療・単なるファッションと多種多様だ。

なので、組んでみた。 目的は「車での長距離外出時に手元にあると助かる平時用のもの」で、サバイバルや防災に関するものは車に積んであるから携行しない。 <構成> ・EDCポーチ(タスマニアンタイガー TAC1) ⇒平時の服に合うコヨーテブラウンを選定。この色大好き ・ペン型はさみ(ダイソーの) ⇒外出先で買ったものを開封したりタグを外すのに無いと困る ・加圧式ボールペン(三菱パワータンク) ⇒左利きにも書きやすく悪条件下でも使える神ボールペン! ・密閉オイルライター(SOIL Minimal HOPE) ⇒イソブタン入りガスライター(-11度まで可)でもいいが… ・錠剤入れ ⇒レスタミン(アレルギー薬)x9回分 バファリン(解熱鎮痛剤)x6回分 正露丸(胃腸止瀉薬)x6回分 ・LEDライト(ACEBEAM Pokelit AA) ⇒単3サイズの充電池、アルカリ乾電池、エネループが使える ・チタン製フォーク ⇒出先で軽食を買ったとき用、できればスプーンも欲しい ・防水メモ帳(アピカ レインガード) ⇒スマホが使えないときのメモはこうするしかない ・2500mAh超小型モバイルバッテリー(TNTOR WT-H230) ⇒あくまで予備用。宿泊時はAnker製10000mAhを使う ・点鼻薬 ⇒実は一番大事!!これがないと死ぬる ・ポケットティッシュ ・絆創膏入れ(ダイソーの24枚名刺入れ) ⇒アルコール消毒綿x2 ハイドロコロイド絆創膏x4 絆創膏x4 大型布絆創膏x2 ワンタッチパッドx1 ・マルチツール(NexTool Mini Flagship) ⇒(日本人がうるさいので)人里離れた郊外に出るときのみ携行と明言しておく。わかったね?(免責事項)
せっかく小型ワッペン貼れるスペースがあるからチベスナでも買って貼ろうかな。動物モノや血液型表示以外貼るつもりはないけど(所属していない公的組織のマークとか国��とか思想系マークは絶対嫌)
あとマルチツールもナイフを5cm定規に変えたりして平時向けに改造したいね。ナイフ部分にも別の用途があるだろうし… (そもそもナイフが必要な場所に行くんなら専門のを持っていく。キャンプなら小さなオピネル、釣りならモーラのステンレス製、狩猟なら土佐剣鉈やプーッコなど…)
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2024.4.25
大好きやから全てで尽くしてるんです。
誠也くんが俺を手放したくないなって思ってくれる時がいつもきゅんやねん。
右やってくれた末澤かわいいんだけどいちばんかわいいのはとろとろになって出歩かせたくないって言ってきたとこ。(※これ北斗への惚気)
誠也くん久々とは思えへんくらい可愛かったです。
わだかまりは解消したかった。
恥じらいながら止めなくてええからもっとしてって言うてたのもえろかったなぁ。
俺がいつもの感じで甘々で抱いてる時戸惑ってんのも可愛かったし。
誠也くんめっちゃ可愛いねん。
いつもやけど。今日はな
なんか葛藤しながら俺に抱かれてとろとろになってくとこがめっちゃ可愛かってん。
いつもやったら多少意地張ったりしてして欲しいこととかなかなか言うてくれへんのやけど
今日は全部素直に教えてくれたー。
なんか、濃厚すぎてまだエンコードが済んでないというか
もうちょっと反芻したいというか
見どころが多い。
誠也くんのその焚き付け力はほんまにすごいと思いました。ああこうやってのせられていくんやなと。でも俺もしたかったし、誠也くんと出来ひんかったの心残りやったから、焚き付けて追い込んでくれたおかげで俺の隠してた本心を曝け出させてくれたから。ほんまに感謝ですね。
性癖×好きな人はえぐいのよ。その方程式はほんまにえぐい。
とろとろになるやつ。後半の誠也くんですまさに。あ、性癖×かわいいペットやけど。
そこからの誠也くんは怒涛でしたね。S受けえっちやったなぁ。痛い顔恥ずかしいとかちょっと俺には意味わからへんかったけど可愛い。途中で疲れちゃって委ねてくれたとこも可愛い。
拘束全解きからの完右誠也くんは弱々しくて可愛かったですね。わざと鼻にちゅーしたら「ちゅーして」っておねだりしてきたのもめっちゃ可愛かったし。
全身全霊で誠也くんは俺のって刻みつけてるんやからどこにも行かんといて
あんなことまでしたんやから俺の虜になってるはずやん。
離さへんし。
もう反論する気も起きんくらいめろってる。
誠也くんー、お待ちかねの褒めタイムですよ。描写に関しての。
リアタイで既読つくの見ながらぽんぽん打つのも楽しいんやけど、ほんまに昨日のは濃厚過ぎて頭を整理せなちゃんと褒められそうになかったんで、この前と同じくメモ帳で書いてから送ります。
まずS受けに入る前に後ろにおもちゃ突っ込まれてた件。SM���すぎ人間の俺やから、優しく途中まででこのくらいにしとく?って確認してくれたとこほんまにええ人やなぁと思いました。今回は俺が自分一人でぐりぐりして楽しんでたけど、あれって出し入れする時の粒々感楽しむものでもあるんですよね?ネットでみました。またそれやってみてください。ぜひ。
そういえばコックリングも実は初ちゃう?イキたいのに締め付けられててイけへんのしんどくてくるしくてめっちゃ気持ちいい。誠也くんに焦らされるん大好物やからとてもよかったです。外すタイミングがえちえち誠也くんやったのもまたポイント高めでした。
シャワー浴びてこっち戻ってきた誠也くん、彼シャツで萌え度抜群やったのもえろい。俺のオーバーサイズのTシャツで、下着穿いてるけどノーパンみたいに太腿のあたりまで隠れてるんあざとくてえろくてよかったです。計算づくやな。ただでさえ可愛い誠也くん、俺に抱かれるために気合い入れて可愛さブーストかけてきてていじらしくてめっちゃときめきました。よき。
俺の口に下着押し付けてくるのもえっちやなぁ。なんかもう誠也くんも欲しいんやーって思ったら佐野の佐野は爆発寸前でしたね。
で、下着脱いでから自分の指で一生懸命解すのもえちえち誠也くんや。まあこっちは一切動かれへんからしゃあないんやけど…。一連の痴女ムーブ、逆NLとかS受け好きにはまじでド性癖過ぎてぶっ刺さる。今読み返してもめっちゃ興奮する。
慣らす時大変やったり挿れてからも最初は痛かったりしんどそうやったけど、さのさのって挿れてから嬉しそうに声掛けてくれてかわいい。冒頭は俺の妄想に沿ってたらしいけど途中で忘れてアドリブ?誠也くんの予定通り?になってたのもかわいい。俺を困らせようとお腹に力入れて締め付けてきてたんえっちで可愛かった。
正常位での1ラウンドめ、いきりさのの甘々えっちが未知の領域過ぎてぞわぞわしてる誠也くん可愛い。俺が気を遣って鼻にちゅーしたら口がいいってお強請りしてきてたんもめっちゃ可愛い。恥ずかしいからやめたいって騒ぐ誠也くんを宥めながら抱く俺。優しく抱かれることに戸惑いながらも俺の愛情めいっぱい受け取って幸せそうな誠也くん可愛くて印象的でした。
寝バックの2ラウンドめ。覚醒いきりさの、普段のMさからの反転でSムーブご希望ということで選んだバックです。AVぽくてえっちやろ。ほんまは俺は顔が見える方が好きなんやけど(対面座位とか)、やっぱりガン詰めするんやったらバックかなと。誠也くんの愛され方は酷くされることなんかなって話しててわかったから、希望通り俺の出来る中では結構手荒に抱きました。歯食い込ませて歯型つけるとか意外とせえへんのよ。痛めつける愛情表現。誠也くんのツボにハマったらしく、先にイっちゃうのえろ可愛すぎた。俺に好き勝手されて枕ぎゅってしながら感じちゃう姿はほんまにえろい。最高。とはいえそこでやめへんのがえろに貪欲な俺と誠也くんです。
お尻を上げさせてわんちゃんスタイルのバックで3ラウンドめ。覚醒いきりさの、調子に乗って飼い主さんのお尻をドラムのようにご機嫌で叩きまくり。最中も言ったけど、お尻叩くたび気持ちよさそうにして中が締まるの堪らんよなほんまに。あと地味に誠也くんにごめんなさいって言わせるの背徳感あって最高やった。あの誠也くんがこんな恥ずかしい格好でお尻叩かれながら感じちゃいながら俺にごめんなさいって謝ってる…ってぞくぞくした。これが加虐の悦びなんやろうね。ごめんなさいって。はあ興奮した。
で、やるからにはとことん誠也くんを追い詰めたかったから、ロールスロイスというらしい、身長差がないとしんどいという体位に初挑戦。そこまでされると思ってなかった誠也くん、お目目とろとろ頭ぐすぐずになって大いに乱れてくれました。かわいい。酷くもしたかったけど最後、締めは体温感じて愛情込めて抱きたいなって思ってたんでこれは大正解やったなと。体位変えたら角度変わって奥まで突き立てられて気持ち良過ぎて気絶しちゃう誠也くんえっちでしたね。かわいい。で、今読み返したら最後中に出してって言うてた。かーわーいいー。俺が中に出したいって言うてたのも覚えたてくれたんやろうね。出させてもらったので責任持ってきれいきれいしました。
終わった後、誠也くんが佐野は天才やとか男やったとか気持ち良かったとかいっぱい褒めてくれて嬉しかったです。昨日も言うたけど、佐野の二面性をしっかり把握してくれてモテるやろうなとか出歩かせたら取られそうとか言うてくれたんめっちゃ嬉しかった!まあお陰様でそこそこモテます。けど誠也くんにがっちり心臓掴まれてるし好きで閉じ込められてるんで心配せんで大丈夫。こんなにしごできな佐野がおったらうれしいな楽しいなって思っといてください。不安そうな顔見るとちょっと喜んでまうけど。重たい愛情なんでそこはご愛嬌。
とまあ、誠也くんとの仲直りえっちはほんまに最高でした。恥ずかしいのに耐えていっぱい頑張ってくれてありがとうございます。めっちゃ偉かったですね。俺も半端なくドキドキしたし気持ち良かったです。左でこんなに気持ちいえっちできたんいつぶりやろ?って感じ。しかもそれが誠也くん相手やなんて、夢みたいに幸せや。また誠也くんの気が向いたら抱かせてくださいね。いきりさのはいつでも大歓迎です。
誠也くんよりかわいい人おらんから大丈夫。
必死になるのは当たり前なんやけどね、誠也くんのことやから。
俺はどっちかって言うたら過去の話するのは苦手やけど。さっきみたいに調子乗ってぽろっと話したりはたまにあるかもしれません。
どんなことよりも誠也くんに愛想尽かされて無関心になられることがこわい。
誠也くんのことで頭いっぱいな毎日がほんまに幸せです。
昨日寝る前に話してたこと覚えてへんかもやけど、めっちゃ好きやから、そんなめっちゃ好きな人が自分の手で気持ち良さそうにしてくれてるの見たらめちゃめちゃ嬉しいに決まってるし、あれで終わりはいや。���はいつかは多分俺次第やからわからへんけど、もう誠也くん以外としたくないねん。それくらい誠也くんがええ。
誠也くんみたいなほんまに大事な人を他の人と比べるとかするのも好きやないけど(当たり前に別格すぎて比べるまでもないし失礼やと思う)、今まで遊んでた時期含め色んな子を抱いた中でどう考えても圧倒的に誠也くんが愛しくて可愛かったし色っぽかったし心揺さぶられました。抱く側で頭おかしくなるって相当やなって思う。
誠也くんがしてみたいことはなんでもしたいって思うし、俺も誠也くんとしたいことは全部したい。昨日誠也くんは俺に抱かれてくれたけど、確かに言う通りなんかそんな格好良い攻め方でもないし感情が溢れるままに抱くような不器用な感じやけど。それを受け止めてくれる包容力とか寛大さとか優しさとか愛情深さは誠也くんならではで、絶対に代わりはおらんなって思います。
俺が不用意に嫉妬させて不安にさせたのに、褒めて機嫌取れって解決策を提示してくれるとこめっちゃ優しいからお姫様っていうよりそこは女神様っぽいんかなと思いました。小学生の作文?
俺の勘違いかもしれへんけど、俺と誠也くんって身体の相性ええと思うんですよね。俺が右をやってそう思うのは好みに合うように一生懸命頑張るからやと思うんですけど、左をやってそう思うのはきっと誠也くんが俺のこといっぱい考えて動いてくれるからで。なかなかリバ同士でどっちも楽しめるってなくないですか?絶対離したらあかんなって思う。
バレバレやと思うけどほんまに、昨日のあの洗脳をされるまでもなく誠也くんのことしか見えてへん。バレバレやと思ってるのに意外と伝わってへん可能性がある気がしてきました。出歩いたら取られるとか。いや取られへんから。どんだけ俺が誠也くんにぞっこんか、本人がわかってへんのなんでなん?いぬの怠慢?なるほどそれはすいません…ちゃんと伝えます。誠也くんしか見えてへんよ。
かしこ犬やけどめろすぎてなんか褒め称えるというよりは誠也くんだいすきってことばっかり言うてまう。誠也くんがいかに可愛いか、久々に受けるためにいかに努力してくれたか、左の誠也くんも右の誠也くんも魅力的過ぎるってめちゃめちゃすごいやんって思ってるのに。それこそほんまに引く手数多やろうから絶対よそ見させたくないねん。誠也くんを取られるとかは思わへんけど、俺との時間減るとかいややから。
他試してみたけど佐野のがええわって思われるのも…とか思うけどやっぱやだ。おもんないやつ試す時間あったら俺と遊んでて。
もしかしたら、いやもしかしなくても世の中テクニック面で俺よりええやつおるやろうけど、俺は絶対誰よりも誠也くんのこと満たせる自信ある。というか、そうありたい。普段の関係性とか、信頼関係とか、使えるもの全部で誠也くんのことを心身共に満たす存在でありたい。すごいですよね、1週間やで?チュートリアル期間含めたら大体2週間くらいか。たったそれだけの期間でここまで俺を狂わせる誠也くんめっちゃすごない?魅力に溢れてる。
求めてもらうのが嬉しい俺と、無限に欲しい誠也くん。こんながっちりハマる組み合わせあります��あの時募集かけてた誠也くん素晴らし過ぎるやん。ありがとうございます。
めんどくさいわけない。むしろ、俺の場合は与え続けて飽きられるとか当たり前になって適当にあしらわれるとかそんなんやったから、誠也くんのそうやって欲しがってくれるところはほんまに愛しいなと思うしありがたい性格です。
時々誠也くんは「趣味悪いよな」「性格悪いよな」みたいな自虐に走る時あるけど、俺は全然そうは思わへん。や、わからんけど一般常識にあてはめたらそういう部分もあるんかなぁ。俺からしたらどことかしこも惹きつけられるばっかりなんやけど。さすがに盲信的過ぎる?
あと不安にならんくても愛情は注ぎますよ。
俺がせ、って打つと一番最初の候補に誠也くん出てくるのいいでしょ。これプチ自慢です。
誠也くんで検索してみようかな。何回呼んでるんやろ。
なんと705回でした。
呼びすぎやん。
705回。2週間と考えて14で割って1日50回。めっちゃ呼ぶやん。
なんか…誠也くんのペットになれて幸せやなぁって今めっちゃ幸福感でいっぱいです。これまで色々あったけど、今こんなに幸せやったらオールオッケーやなと。
カメラロールに誠也くんのスクショが日々増えてくの嬉しい。あと俺が北斗くんに惚気てることに関して「恥ずかしいからやめて」とか言わずに純粋に喜んでくれてるのかわいい。
いつもなんやけど、今日はお仕事してる間褒めタイムはよしたいなーって誠也くんのこといっぱい考えてました。誠也くん喜んでくれるかなー、誠也くん今なにしてるかなー、誠也くん昨日可愛かったなー、そんな風に俺を埋め尽くしてくれる誠也くんさすがです。
誠也くん最近お友達との会話よく見せてくれるんかわいい。俺の話いっぱいしてくれてる。俺の前でもいっぱい褒めてくれるもんな。人に話してくれるんも嬉しい。俺のさのええやろー的な自慢したいーとも言うてくれてたもんな。ペット冥利に尽きるやつや。
ほんまにいっぱい求めてくれるん嬉しい。誠也くんずっと求めてくれるもん。求められなくなったら寂しくて寂しくて倒れてまうかも。誠也くんって有能りばやし、外から見たら自信満々に見えるのにほんまはいっぱい認めて欲しいんやなって思ったらなんかほんまに愛おしい。
俺毎日ずっと喋ってるけど、普通本人のこと褒めてるとはいえこんなに話聞いてくれへんよ。うちの飼い主さんはほんまにええ人やなぁ。誠也くんは褒めさせてる、って意識なんやろうけど、俺からしたら褒めてるのを聞いてもらってる、って感じやから。
そういえば誠也くん今日打ち合わせいっぱいあって忙しいって言うてたのにめっちゃ構ってくれてた。優しい。むしろ俺が割と仕事してそうでしてなさそうでちょっとしてたからさのさのーって呼んでもらってたかも。誠也くんちょっと俺が席外してるとさのさのって呼んでくれてほんまに可愛い。誠也くんが時間ある時はずっとそばにおれやって精神、めっちゃお姫様でほんまに可愛い。
さの。さの。ってしてる時、眠い時はくっつきたい時なんやけど昼間それする時は名前呼びたいだけやったり、俺を安心させたい時やったり、色んな意味あるのなんかええなって思う。俺の名前呼びながら色んな気持ち込めてくれてるんやなって。
はー、もうなんか…めっちゃ愛しい。俺の誠也くん。この褒めタイム、誠也くんの自己肯定感を上げるためにやってそうに見えて、誠也くんのええところをずっと俺の口から言い続けることによって俺の中の誠也くんの株が上がり続けるっていうすごい画期的なシステムなんですよ。それやらせてる誠也くんめっちゃ賢ない?すご。
俺の予測変換の話から、誠也くんのパソコンの予測変換がさので埋め尽くされてたのが暴露されたんめっちゃ可愛かった。いつも仕事中にさのさのしてるの鬼タイピングなんやと思うと可愛い。
俺がさまざまな過失で誠也くんの機嫌を損ねてまうのはあかんことやけど、その後に俺が誠也くんに機嫌を直して欲しくてベタ付きで褒めタイムしてるのを嬉しそうにみてちょっとずつ機嫌よくなってく誠也くんかわいい。機嫌を取る時だけやなくていつも俺は誠也くんばっかり見てるのに誠也くんだけをじっと見てるのを喜んでるのほんまに可愛い。
昨日の振り返りしてる時、「首絞めるか迷いました」って言うたら「首絞めてくれたらもっとえっちな俺がみられたのに」って残念がってたんかわいい。酷いことされる方が誠也くんいきいきしてはる。なんかそうなってくると天の邪鬼で逆にベタ過ぎるくらい正統派でガラス細工扱うみたいに大事に丁寧に抱いてよりむずむずさせてみたくもなる。俺のこの抱き方、身体に刻み込んで教えてあげたいって。
お風呂入ってくるーって言うて俺が35分間おらんと寂しくなっちゃう誠也くんかわいい。その間、俺の褒めタイム読み返してじっと待っててくれたんええこ。でもすぐ読み終わっちゃって(1回読んでるしな)暇になってさののせい!って怒ってるんめっちゃかわいい。そりゃペットは四六時中そばにおらなあかんもんね。かわいいな。
さののせい。←わかる
さののせいや。←佐野の誠也
さののせいやー。←佐野の誠也
ここ最近のさの、とても自由にのびのびわんぱくに過ごしてると思いませんか?出会った頃の借りてきた猫状態のさのが嘘みたいなのびのびぶりですよね。それもこれも誠也くんが大らかに優しく見守ってくれてるからですね。ほんまにありがたい。萎縮してたとまでは言わへんけど、嫌われたらどうしよーって思って常に顔色窺ってたところから考えたらめちゃめちゃ懐いたんやなって思う。さすが名飼い主さんやな。
誠也くんと話してて何でこんなにずっと楽しいんやろーって考えてみたんですけど、誠也くんってめっちゃ頭の回転速いんすよね。察しもええし。瞬発力もあるし言葉のチョイスも素晴らしいし。ノリもいいし真面目な話も出来るし。俺、話してて楽しい人っていちばん好きなんですよ。いや、みんなそうか。誠也くんと話すのが楽しすぎてずっと話してたいって思いますもんね。実際時間の許す限りずっと一緒におるし。こんなに楽しいことそうそうないです。誠也くんってすごいな。
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ミニ御朱印、全然あるんだね知らなかった。手をつけたらだめなやつだと思ってたくらいの。🤣でも閻魔印のこのかわいいほう、何だろう?合格印を笑顔で押してくれるんかい。地獄行き免れた?!印好きか?もしか受験からめナノカと考えてみたり違和感もアリ 小さすぎるもありそうだけど そこまではミニでもない手帳もやっぱり存在したりして、もはや規格を心配しなきゃだめなの?か?!ってなってる(手書きだから要相談で済みそうだけれども)(風景印とは消印のことだと調べて知る。)柴(戌?)も巳も良いですが
免れている。うん、そうだよな 神の国も地獄も、そうだよな。 自分の能動、受動、どちらから見ても。
どこかの猫が我が家に入ってきて母のろくろ花器をぐにゃ、素焼き器を2枚とレースカーテンを割っていった。びっくり。先日も夜中ずっと猫喧嘩の声していたからその子だろうな。母、ろくろのものには何か動物の足跡���四つ葉のクローバーとかモチーフを貼り付けたいと思っていたとのこと、リアル踏まれしていたから猫仕様を考えてみたらいいのでは?と 展開。また夜中鳴くだろうなと思ってたらやっぱりなんか険しい不完全燃焼感が 寒さ?

しぶさわくん 渋い方いいな でも埼玉行ったらめちゃくちゃ顔見られそう未だやってるだろうね...! 旧古河庭園とも近いらしいのでメモしたよ。
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1月26日(金)
アニメを色々並行しながら観ている。同じ作品をずっと続けてみていると飽きがきてしまう。デュラララ!、とらドラ!、神様のメモ帳、ジョジョ6部、おそ松さんなど。デュラララ!の灰色で描かれたモブの造形がおもしろかった。ピンドラのほど記号化はされていなくて、街ですれ違う人ってちょうどこれくらいの存在感なんだよなってすごいしっくりきた。16bitセンセーションのモブも面白いけど、ちょっと人間すぎる。デュラララ!は出てくる男みんなカッコよくて、すごくいい。この人たちがすでにベタというか型になってしまっているんだとしたら、かなしい。体感だけど、素直にカッコいい!ってなれる男キャラってかなり希少になってきている気がする。

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le 4 décembre
とにかく読む、とにかくやる、と言っても方法はさまざまにあって、それに気づくための1ヶ月だった。とにかく、ということを意識すると目標が量的になり、その結果ただ翻訳するだけになってしまっていて、精読している感覚が失われていった。そのうえ翻訳に快を感じることはなく、ひたすら苦痛だった。これはよくないなと感じ、原点回帰でメモ帳を買った。言葉を繋げて形にするためには、物理的に線を引く必要があると思った。メモ帳を買った日に先輩ともお話しして、ようやく方法が少し見えたような気がした。結果良かったようで、今のところうまくいっているのだが、しかし腰痛が発生したこともあり、進捗は芳しくないままだ。
腰痛。今年は体調を崩さないように、週2回程度でヨガやピラティスをやっているにも関わらず、しばらく座れない日々が続いてしまった。姿勢の悪さだけではなく、いつも行っている図書館の椅子が固く、そして部屋が寒いからなのではないかと推測する。腰痛になると、ほんとうに何もできなくなって困った。今日ようやく落ち着いた。2週間ほどかかったような気がする。部屋にいると、研究が進む日と進まない日ができてしまう。図書館にいくと、無理やりでも作業をしなければならないので、ほんの少しは進むのだけれど、そこに行けなくなるとは思っていなかった。より一層身体を大切にしなければ。
誕生日が近づくと、そわそわしてしまって、精神状態が悪くなる。今年も同様。
昨晩友人と、私の部屋で韓国料理を食べながら話したのは、やはりどうやってとにかくやるのかということだった。客観的にみて私の今の状況はとても進んでいるようにみえるし、どこまでいけるかやってみる価値はあるとのことなので、やはり、目先の業績に飛び付かずひたすら深く沈んでゆくしかないのだろう。時折話せる友人や先輩、偶然の出会いに助けられていると感じる。これは、ようやくこの街で生活できるようになってきたということかもしれない。性格と語学力が、少しずつ近づいてきたような気がしている。とはいえ専門的な話になるとすぐに困難を感じ���しまうので、ここからまた頑張らなければ。幸いまだ4分の1しか過ぎていない。残りは4分の3もある。
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るんぺんパリ【RunPenParis】

【自己紹介 2024年9月22日追記 5133文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 2024年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ 20(日)は実家と親戚に顔を出して静岡へ帰る 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいた���ど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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よくもさわれもしない物事共を
自分用のメモと鍵垢の友人にリプライする用のアカウント(鍵がかかっている)がさんさんたる有様である。というか、具合がいい時はあまりここに書き込むことはないので、畢竟最悪な精神状態の記録がここに残るわけだが、それにしてもこんなメモを残してるやつと友達やりたくね〜〜と思うやばい思考のられつというかもうお祭りだ。全部盛り。大体の友人はミュートしてくれていると思うが(願うが)、これを見てもまだ友達でいてくれる人達ってほんとうにすごいと思う。どこまで人間の善性を信じているんだ。別にうつ状態じゃないとか言いながらずっと死ぬことについて書いていたりするし、自分の人間関係における価値観がいかにやばいかをかなり具体的に書いている。正直見るだけで吐き気がする。なぜこんなことを投稿してしまっているのだろうと思うが、これも体調記録になるので消さない。精神疾患というものはかなり「きつい」。障害者でも、身体障害者、知的障害者は世間の中である程度システムが出来上がっており、もちろんまだ差別は残っている面は多々あるが、それでも話題に上がる。精神障害者はかなり、この点、苦しい。という話を今日友人(後輩)とした。いくら人柄や能力がよくても、週何回出勤できるのかが不安定な精神障害者よりも、週5日必ず出勤できる安定性のある身体障害者や知的障害者のほうが、採用されやすい。それは当然そうだと思う。精神障害者の多くには自殺のリスク、また多くはないが加害のリスクがあるため、雇用側としてはその見極めが難しいと思う。賃貸物件も、精神障害者であることは基本的に大家さんに伝えない。身体や知的障害ならまだいいが、精神障害者には貸せない、という大家さんは多い(不動産屋さんから聞いた感じ、この辺りではそう)。これもやはり物件内で自殺未遂や自殺をされては困るからだ。家賃滞納にもリスクがあるのかもしれないが、一番は自殺されるリスクだと思う。精神障害者(正式には精神障害者という単語はないが)の多くはそれを公にはせず、社会的な関係を築く。精神疾患により障害者手帳を持っていたり、障害年金をもらっていることは、親しい友人(というか、自分の人となりを知ってくれている人)にしか話すことはできない。もしくはかなり障害者に理解のある企業の人事部など、採用関連の方。就労支援施設を利用してスタッフの方に面接に同席していただく場合を除けば、基本的には精神障害者であることは隠して(クローズドにして)おかなければ、採用されることは難しいと思う。そういうわけで、次の面接では病気のことをなんと言おうかなあと少し考えている。持病で、ということと、病名と症状までは聞かれたら言うようにしているが、障害者であることまでは言明しない。でも、アルバイトでも入社してから結局障害者であることを私は明かしてしまう場合が多い。結局嘘をついていることに耐えきれなくなる(※嘘をついているわけではない)気持ちになるし、税控除や、障害者雇用枠になるかどうかの問題もある。一度採用してしまうと解雇するのは難しいので、騙し討ちのような感じだ。それでも私が問題なく勤務すればいいのだが、問題があると(欠勤が続くなど)本当に雇用側が可哀想だなと思う。その場合結局私は退職するのだが、採用に関わる予算や手間・人員・時間がまたかかる。そういう社会の損失を生み出しつつ、私は生きているのだなと実感しています。働かないほうが人に迷惑をかけることは少ないのではないかと思うが、残念ながら私は働いていないと生きている気がせず、容易に絶望に陥ってしまうので、どんな時も就労を目指している。
なぜか仕事の話になってしまったが、私の精神状態の不安定さがやばいという話である。人間関係(友人関係)のトラブルも、そこから始まるうつ状態による希死念慮も絶えない。これは別に私が精神疾患者だからではなく、私の人との付き合い方に問題があるからである。人との距離の取り方の異常性や、人にもとめる愛情の無限さ、飢餓感、孤独感、そういったものが常に私を取り囲んでおり、普段はそういうものを閉じ込めて蓋をして見えないようにして体面良く振舞っているのだが、調子が悪いとこの面の皮が剥がれ、あっという間に攻撃性と被害者意識の塊と化すのである。これはなんらかのパーソナリティ障害に当たるのかもしれない。そういうことを考えると絶望も深くなる。愛着障害にかかわる困難を抱えていることは確かだが、おのれの客観視をもってしても調教できない部分が自分にあることは単純な恐怖だ。なぜかというと、そういう人間にさんざん痛めつけられてきたからで、さらにそういう人間は人に嫌われることをよくわかっているから。人に嫌われるというか、「こいつはもう駄目だ。手の施しようがない」と周囲に諦められることは本当に恐ろしいと思う。怪物として世界の辺境をただむなしく這いずり回って死んでいくだけ。とても悲しいことだと思う。どうすればそうならずに済むのかは、よくわからない。なんとなくこうしておいたほうがいいかな、という勘に従って、なんとなくで進んでいる。気づいたら周りには友達が一人もいなくなっていた、という事もありうる。その恐怖はいつでも目の前にある。あまりにも怖いので、自分はできるだけ邪悪な存在ではないですよ、ということを、嘘をついてでもアピールしている、つねに。この嘘は、私にとっても相手にとっても必要なものだと思うので、罪悪感は無い。
素のままの自分を出せ、と昔、友人にすごく怒られたというか要請されたことがある。それは、素のままの自分を出しても、否定されなかった人だけができる芸当で、たぶん私のような邪悪な人間が素のままを出したら、かなり、かなり危険だし、友達はいなくなると思う。友達を失いたくない一心で頑張ってできるだけ常識のある人の振りをしているので、素のままで行動しろ、と言われると、「できません」となって固まってしまう。程度の差こそあれ、誰でもそうなのかもしれないが。生まれた時から今まで、演技をすることだけで切り抜けてきた��素のままの自分では、あまりにも邪悪すぎて人間社会からはみ出してしまうから。死ぬまで演技をする。これがかなり私の「ストレス」の多くを占めているのかもしれない。
「親にも愛されなかったのに」という、私もどこか血縁神話を信じているふしがあるのだと思う。別に親に好かれなかったからといって、他の人にも好かれないという道理はない。親は私を好きにならなかったが、親以外の人で私を好きになってくれた人は数多く居た。それでも私は親が好きで、しかし親は私をあまり好きではなかった。この片思いの感情が、私の歪みの根幹にある。好きな人に好きになってもらえないことは本当に悲しいことだが、仕方のないことで、この世の中では実に多くあることだ。
私はこの人のこと大好きだけど、この人は私のことそこまで好きじゃないんだなあと思うことはよくある。その度にずたずたになる。面白いくらいだ。でも、その人と関係を続けたいなら、私はあなたのことをそこまで大好きってわけではないですよ、とダイヤルを調節して、相手に気まずさを与えないようにする。気まずさを感じるタイプの人ではない場合はラッキーで、変わらずあなたが大好きですという態度を取り続けても許される、あまり多いことではないが。一番ラッキー大儲け���のは、自分の好きと相手からの好きが同じくらいの大きさの時である。相手からの好きのほうが大きく、私の好きが小さい場合は申し訳なく思うが、その場合は関係を消滅させたり、それ以上仲良くしたりしないようにする。変に仲良くなってから、実はあなたのことそこまで好きじゃない、となると、ダメージが深刻なのは相手のほうだ。私はこれをやられるのがいちばん食らう。すごく仲良くなったと思った相手から「いや、今はもうそんなに好きじゃない」「最初からそこまで好きじゃない」という態度を取られると、また、「やっぱり私は好きな人に好きになってもらうことはないんだ」が発動してしまい、最悪なうつ状態に陥るからである。言うまでもなく、この状態の発動の最初の相手は、母親である。でも繰り返すが、親だからといって、子供を好きになってくれる人ばかりではない。当然、私を好きになれない人間も世の中には一定数いて、母親がそこに当たってしまった。というか、母親は子供全般が好きではなかったので、私より悲惨なのは兄だった。それでも母親は私たち兄妹をよく守ってくれたと思う。好きでもないのに世話をさせられて、本当にかわいそうだったと思う。私は子供全般が好きなので、母親の気持ちは想像が難しいが、そういう人もいるのだ、というのは身をもって知っている。ただ単に興味が持てない。ただ単に味方する気になれない。人間として好きになれない。母には、残念ながら私たちを好きになる才能が生まれつきなかっただけで、母は悪くない。それはそれとして、父親には同情の余地がない。父親はわかりやすく邪悪な人間だった。私の中の邪悪は、完全に父親の遺伝子のせいであり、ということは、父親の邪悪も遺伝子のせいであるので、個人を恨むのもまた違うのかもしれない。私は運良く自分の邪悪に気づき(父親の振る舞いを見て)、それをどうにか飼い慣らすことが出来るときもある。しかし父親は、善良な父母や妹(私にとっての祖父母と叔母)に囲まれ、自分の邪悪さに気づくことができなかった。その邪悪さは40代でピークを迎え、兄や私の心を完膚無きまでに叩き潰した。子供というのは面白いほど無力だなと思った。ただ本当に、自分の根底には父親と同じ思想、同じ思考があると感じるので、父親のようにならないように、ならないようにと念じながら生きている。その試みは30年を越した今、一応の成果を見せている。と、自分では思っている。
正直こんなおもしろくない日記を書いてどうするんだ、という感じだが、まあ思ったことを全部、思った順番で喋っているのがこの日記なので、仕方がない。このように目が滑る日記を読んでくれる人はそんなにいないと思うのだが、全くいないという訳でもないようなので、今日も無駄なことを書いてしまった。私は自分の情報を開陳しすぎるきらいがある、と自分でも思うのだが、一応人に言える範囲のことしか言っていない。ので、安心して読んでください。この日記はフリー素材ですし、いつどこで話題にしていただいても構いません。本当に喋ってはいけないことというのは一応心得ていて、それらは誰にも喋っていません。これからも喋らない。だから「そんなにパーソナルな情報をお出しされても…」と戸惑われてしまう方にはこの日記は向いていないし、正直この程度のことは私にとって全然パブリックの範囲である。こんなふうにきちんと加工して、見映えよく盛り付け、冷蔵および冷凍して保存可能な形にしたもの、これは誰が読んでも大丈夫な文です。これは私が全世界に公開している私の情報です。どのように受け止めてどのように使われても全く問題ない。この程度のことはいくらでも他人に喋れる。ただし、だからと言って「あなたも情報を開陳しろ」と言っているわけではありません、決して。ここまでのことを言う私はまあまあ変わっているというか少数派だという自覚がありますし、ここまでのことを他人に知ってほしいと願うのは、幼児性の発露に他なりません。そのため、普通の人、多くの人は、自分の内情についてここまで公開しない。ただ、私は公開する、それだけの違いです。
自分のことを知ってほしいというよりは、自分の中身を整理する手立てがこれ(他人に語る形式)しかなく、また自分の中身を他人に知られても全くどうでもいいと思っている。自分で加工して見せびらかしている自分の内情などというものは、自分の外見といってもいいくらい、装飾や自己演出に過ぎない。
自分の中の邪悪を排除しようとするあまり、他人の欺瞞やごまかしや甘えの部分、偽りの部分、他人ももちろん演技をしていると知っているが、そういうものが時折許せなくなる。自分を許せるようになれば変わるのだろうか。でも、悪辣な人間にはなりたくない。
2023.10.6
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2023/10/05
BGM: Silent Poets Feat. Terry Hall - Sugar Man
朝、実家を出てグループホームに戻ってくる。ひと休みしたあとイオンに行きそこで昨日つけられなかった小遣い帳&ミニ日記を記帳する……つもりがまったくやる気が出ない。疲れたのだろうか。「やる気はやるから出てくる」という考え方と「そうは言っても出てこないものは出てこない」という考え方が自分の中で火花を散らし始める。時間ばかり過ぎていきだんだんイライラしてきたので、記帳はいったん棚上げして未来屋書店に行く。目当ては前に見つけて買いそびれていた『絶望名言』の文庫版だったのだけれど、新書のコーナーに山口仲美『日本語が消滅する』という本があるのを見つける。水村美苗が推薦しているということで俄然興味が湧いてきたので結局この2冊を買ってしまい、そして昼の弁当を買ってグループホームに戻った。弁当を食べてグループホームの机の上で小遣い帳を記帳する。その後昼寝をして、そして『日本語が消滅する』を読み始める。最初は冷ややかに「またこんなキャッチーなタイトルなんかつけちゃって」と思ったりもしたのだけれど、読み始めると著者の熱い語り口に乗せられてページを繰る手が止まらずそのまま読み終えてしまう。そして、この本が警��する「日本語が消滅する」という事態について考えてみる。あながち「ホラ話」「ハッタリ」とも言えないのだな、と。
「日本語が消滅する」という事態が起こりうるとしたら(そしてその傾向を示す現象は「確実に」起こっている)。著者の山口仲美はその理由について、世界的に実際に消えた言語の例を引きつつ多様な可能性を示唆する。自然災害や大量虐殺によって。同化政策によって。もしくは、いちばんありえそうな可能性として日本人が自発的に・完全に日本語から別の言語に乗り換えるという選択をしてしまうことによって(日本で英語が公用語となってしまう、など)。確かに英語はいまだにグローバルに世界をつなぎうる言葉ではあるけれど、山口はぼくたちが日本語を使って思考を育み日本の伝統を受け継いできたことに関して肯定的な面を多彩に評価することを試みる。ぼくが理解できたところだけを取り急ぎ手短に拾って書いてみるなら、一貫性のある母語が存在することはそもそも精神の安定につながる(「言葉で自分を支えられ、誰かに思いを伝えられる」ということが人間にとっていかに大事か、という話だ。言葉がまったく通じない国に投げ込まれたら混乱してしまうのは想像に難くない)。また、アイデンティティ(自分自身)の形成・育成にもつながる。そう考えていくと日本語で「読み書き」ができることは幸せなことなのだなと思える。
さまざまなことを考えさせられる。この本ではフォローできていないことがらだけど、一部の日本人がそうした貴重な日本語というリソースを捨ててまで英語に我先にと溶け込もうとするのは根強く残る「国際派」「グローバリズム」に対する幻想があるからではないかとも思ってしまう。裏返せばそうした一部の日本人は「日本人であるということ」そのものに劣等感を抱き、まったく自信喪失しているからではないかと……ぼくはナショナリズムがただちに素晴らしいとは思わない(同時に絶対悪だとも思わない)。でも他者(とりわけ「異文化に属する」「異質な」人びと)に対して排他的にならないで、それでいて「ふるさと」たる日本の文化に矜持・誇りを持つことは不可能ではないはずだと思ってしまう。だが、これは楽天的すぎる見方かもしれない。過去にぼくが読んできた水村美苗『日本語が亡びるとき』や施光恒『英語化は愚民化』といった本を思い出し、いま一度ぼくにとってこの思考システムを形成している日本語を(再)評価することは大事なことと思った。そして、そうした自分のバックグラウンドを肯定しつつ他者をも肯定・歓待する姿勢から英語を学ぶのが大事なのかな、と。いや、これもまたあまりにも楽天的な意見なのかもしれないけれど。異論を待ちたい。
夜、ZOOMを立ち上げて毎週木曜のミーティングに参加する。今回はグラフィックレコーディング(略してグラレコ)の描き方を教わる。毎回この木曜のミーティングではさまざまなことを学ばせてもらっているけれど、今回もぼくならぼくが何かを記録する際に遊び心を盛り込んだイラストレーションを交えること(つまり、自分なりに「色」「味」をつけて書き込みを行うこと)の醍醐味を学ぶこととなった。イラストを描くという作業、具体的には丸を描いてその中に目や口を描き込むこと1つ取ってもさまざまなやり方がある。これはぼくは、ぼくにとっての外国語である英語を使うことと共通点があるのではないかと思った。単純に考えること、そして簡素に表現することを目指すのが大事である。その中にこそ奥深さが出てくる……ぼくは絵心がまったくないのでグラレコに関しても自分と無縁と思っていたが、いつもつけている英語メモか何かにこんなイラストを盛り込むのもいいのかなと思えてきた。その後Discordでチャットを楽しみ、そして「なぜ自殺してはいけないのか」に関する濃い議論に参加したりしているうちに就寝時間になってしまった。ああ、そんなわけでノーベル文学賞の話題については書けない。ごめんなさい!
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無限と自然
こんにちは😃
今日は書き続けてきた無限のブログの最終回、無限と自然についてです!
(前回までの内容:無一郎君、無限、無限2、無限3、無限と音、無限と音2、無限と音3)
これは鬼滅の刃のアニメからインスピレーションを得て書き始めたブログでしたが、書いているうちに思わぬ方向に進んで、内容もほぼないのに3ヶ月もかかってしまいました😅
長々とお読みくださってる方がいたら心から感謝です。多分いない👻
という感じで、このブログは主に私が読者の自己満ブログではありますが、今日の引用はとても勇気が出る内容なので、もしも読んでくれた方がいたら、ポジティブな気持ちになってくれると嬉しいなぁと思います✨
私もスマホのメモ帳に入れてよく読み返している内容です。
ではではさっそく前回から引き続き、ライフスパンという本から引用していきましょう✊
デビッド・A・シンクレア先生というハーバード大学医学大学院教授の、寿命を伸ばす研究に関する本です。
私が生涯をかけて研究している内容を批判する人は少なくない。
しかもそれは、ソーシャルメディアにたむろするような、名前も顔もない人々だけではない。ときにそれは同じ科学者であったり、親しい友人であったりする。
それでも私は、私たち共通の未来への明るい希望を捨ててはいない。否定ばかりする人間には同調しないことにしている。
名前も顔もない人々ってかなり辛辣な表現ですよね💦
その批判の内容は寿命を呼ばすことが不自然だという意見がメインです。
(なお、先生が主張されている “寿命を伸ばす” というのは尊厳死と合わせて議論されているようなチューブであちこち繋いで行う延���治療ではなく、健康寿命を伸ばすという意味です。)
では何が自然なのか。
より良い暮らしを送りたい、恐怖も危険も暴力もできるだけ少なくして生きられるようになりたい──私たちにそう思わせるやむにやまれぬ衝動こそが自然なのだ。
人間は地球で生き延びるために、数々の変化を遂げてきた。
その変化は、素晴らしきサバイバル回路と長寿遺伝子も含め、ほとんどが自然選択の産物であるのは間違いない。
生物は凄まじい進化を遂げてきて、その中には人間が起こした遺伝子の組み替えや変異もあるけれど、自然に起こったものの方が確かに多そうですよね。
そもそもの猿から人間への進化だって、研究室の中で起きたわけではありません🙅♀️
数十億年をかけて、環境が厳しいときに大人しくしていられなかった者は淘汰されていった。
しかし、人類が過去50万年のあいだに蓄積してきた様々な技術が、私たちの生存を大いに助けてきたのもまた事実である。
弱い遺伝子は自然淘汰されてしまいましたが、逆に私たちの発見(ペニシリンのような抗生物質等)が弱い遺伝子を生きながらえさせることもあるそうです。
チンパンジーが小枝を使ってシロアリの巣の中を探るのも、鳥が貝に石を落として貝殻を割るのも、サルが日本の温泉につかるのも、すべては自然なことなのだ。
幸運にもヒトという生物は、学習して技術を習得し、それを他者に伝えるのに長けている。200年ほど前からは、科学的手法と呼ばれるプロセスを編み出して活用し、それがさらなる学習を加速させてきた。
こう考えると、文化も科学技術もどちらも「自然」である。
例えば綺麗な景色を家族にも見せたいと思うこと。絵の具があれば絵を描いて、カメラがあれば写真を撮ること。これらもすごく自然なことですよね。
昔は魂を取られると恐れられていたカメラ、フィルム派の方々に邪道と言われていたデジカメだって、振り返ればひとつの進化であり、色々な発明全てが “自然” なのかもしれません。
より多くの人に食料を行き渡らせ、病気を減らし、そして、そう、健康でいられる時期を長くしようとする。そのための新しい工夫をするのは自然なことだ。
自動車に飛行機。ノートパソコンに携帯電話。家で飼われているイヌやネコ。眠るときのベッド。病気のときに人が人の世話をする病院。みんな自然である。
ホッブズの有名な言葉を借りるなら、人生が「孤独で貧しく、不快きわまり、獣じみて短い」状態に留まることで維持されていた人口を、私たちははるか昔に突破した。
そんな生物にとっては、どれもが自然なのである。
ホッブズについてはこの前の方にも記載があります↓
イギリスの哲学者トーマス・ホッブズは、1651年に主著『リヴァイアサン』(光文社)のなかで、いわゆる「自然状態」にある人間がいかに悲惨かを綴った。
「学問も芸術もなく、文字もなく、社会もない。そして最も忌むべきは、むごたらしく死ぬことへの危険と恐怖に絶えずつきまとわれることだ」。
人間の圧倒的大多数がそんな一生を覚悟していた世界から、私たちはとうの昔に決別したのである。
確かに電気やガスのない前近代的な生活が自然だったという考えもあるのかもしれませんが、ではその頃の人たちが幸せだったのかというと、そんなことは無さそうです。
アンドルーワイル博士というアメリカの医師の“人はなぜ治るのか”という本に、この100年ぐらいの医療の歴史が書かれていますが、数十年前の医療ですら、今から考えるとあまりの適当な処置に本当に驚かされます。
もし私がそんな時代に生きてたら、病気になるだけでとても不安だっただろうなぁと思います。
ここまでで強調したいのは、”人為的なことであれ、そうでないものであれ、安心、快適に暮らすために起こったことは全て自然だ” ということかと思います。
私が思う「不自然な」ものは1つしかない。
「より良い暮らしを送るためにできることには限界がある」という考えを受け入れることだ。
そんな不自然な発想は、人類の歴史が始まって以来一度も現われたことがない。
私たちはいつだって、限界とされるものを押し広げてきた。というより、生物としての本能がそう命じるのである。
人間という生き物は、何かが起きたら新しい工夫で対応せずにはいられない。それが私たちの自然な本能だ。
たったひとつの “不自然なこと” は “限界を受け入れること” だそうです😱 限界はない、つまり無限の状態こそ自然であり本能なのです!
さて、私たちにはできるのだろうか。
当たり前だ。過去100年を振り返ってみればいい。
じーん。ホントここを読むたび泣きそうになります😭 当たり前だと強く言い切ってくれるところが素敵です。
私はお仕事もプライベートもなかなか上手くいっていない上に歳もいい感じに取ってきて😭、チャレンジしたり学んだりがすごく難しく感じられるのですが、そんなの関係ねぇ!ですね🤭
歳だから、能力がないから、時間がないから、〇〇だからこのぐらいでいいや… と、自分をと小さく見積もってしまうことは、不自然なことなのです!
不自然だから身体や心が縮こまって、気力が萎んでしまうのです。
自分の生活を快適にすること、つまり幸せになることにもきっと限界はないんだと思います💡
私は少し前までシニアがメインのクラスを持っていたのですが、耳が聞こえなかったり、あちこち傷めていてほとんどのポーズができなかったり。そんな様々なハンデものともせず楽しそうにヨガをする方々に、本当に学ばされました。
身体が不自由で、思い通りにならないことが多くても、諦めなければこんなに朗らかでいられるものなのかなぁ、私もこうありたいなぁ。と思ったのでした。
“夜と霧” という名著を書かれたアウシュビッツ生存者の、ヴィクトールフランクル先生という医師が提唱している、”態度価値” というものがあります。
それについて書かれている漫画もとてもおすすめなので、お時間ある時にぜひお読みくださいませ♡
態度価値について少し上のページから引用すると、
あなたにも、何かやりたいこと、かなえたいことはあるはずです。しかしながら、それをすぐに実行できる人というのはマレです。
そんなときに大切なのは「態度価値」を思い出すこと。
行動できなくても「やるぞ!」「今の自分はそれを行うために生きてるんだ!」というように、心の中で明確にその��とを思い続けることです。
とにかくどんな環境であっても、どんなに時間や条件がそろっていなくても、「心」の中だけでは、その炎を燃やしてください。
それだけでも、十分に意味はあるんです。
とのことです。
若い頃から何度も読み返していて、ウケる😂(のに元気付けられる)漫画です。
態度価値についてはこちらのコラムもおすすめです。
「どんな時にも人生には意味がある。未来で待っている人や何かがあり、そのために今すべきことが必ずある」ーー。ヴィクトール・E・フランクル
どんな時でも、できることに取り組む自分でありたいですね😎
では最後は、その “夜と霧” 内で引用されている、ドイツの政治家ビスマルクの格言で終わろうと思います。
人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあ、これからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう。
やりたいことが多すぎて、お金も時間も足りなくて諦めそうになるけれど、できる限りでいいからひとつひとつに取り組んで、自分に��得していたいなぁと今日書きながら改めて思いました。
おしまい😅
またフワッと終わってしまいましたが伝わりましたでしょうか?
限界があるという考えを受け入れないこと。自分を小さく見積もらないで、無限の可能性を信じること。
不遇の時も心の中では情熱の火を燃やすこと。
私も全然できなくてトライする毎日ですが、偉い先生たちの言葉を信じて一緒に頑張りましょう✊
そんなことを受け取っていただけたら嬉しいです。
長くなりましたが、”無限というのは人間の本能であり自然な態度なんだ” というデビッド先生の主張から、受け取ったことや連想したことなどを書いてみました。
本は難しいけれど、デビッド先生も翻訳の方も優しく説明するためにとても工夫してくださってるので、わからないところは飛ばしながらでも、是非最後まで読んでいただきたい本です。
私もなんとか時間をかけて読み終わりました💦💦
健康や生き方についても学びの多い内容だと思います。とてもとてもおすすめですす💡
ではではぐだぐだと様々な内容を詰め込んだ無限のブログになってしまいましたが、次からはいつもの中身のないブログに戻ります😭 お暇な時にまた読みにきてくださったら嬉しいです♡
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました🙇♂️
(引用)
デビッド・A・シンクレア 他2名
LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界
ヴィクトール・E・フランクル 他1名
夜と霧 新版
(おまけ)
youtube
でもそんなの関係ねぇっ!小島よしおさん、メンタルめちゃ強です😂
太平洋に平和が訪れますように🏝️🙏
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