#短編画廊
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Every week, we bring you a treasure trove of captivating music videos from lesser-known, new and intriguing Japanese artists who deserve your support! Join us on this extraordinary musical journey as we shed light on the artists who often go unnoticed but leave an unforgettable impact. We also maintain a YouTube Music playlist!
This week we highlighted music videos from: 🍙 Carpenter’sBlue 🍙 Futures 🍙 台所きっちん (Daidokoro Kitchen) 🍙 Burst Blue 🍙 のろゐみこ (Noroimico) 🍙 CLAN QUEEN 🍙 短編画廊 (Tanpen Garo)
Find the article here.
Enjoy the music!
#AVO Magazine#Japanese Music#Music video Roundup#Music introductions#Japanese Pop#Japanese Rock#Visual Kei#Shoegaze#Carpenter’sBlue#Futures#台所きっちん#Daidokoro Kitchen#Burst Blue#のろゐみこ#Noroimico#CLAN QUEEN#短編画廊#Tanpen Garo
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🆕🎶 「 夜景 」 new single by 短編画廊 is now available worldwide! 🌐 Listen now on our weekly updated playlist and discover new sounds from Japan 🎧 https://spoti.fi/42HdAgd
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[新刊&告知]
3冊目の単行本「ひょんなこと」がアタシ社から発売されます。
14編の短編集(一編は描き下ろし)で342ページの大ボリュームです。
一般発売は12月11日からですが、11月25日より 40ページ越えの文庫サイズの特典小冊子がついた新刊の先行販売が始まります。
特典小冊子付きの先行販売を行なっていただく店舗はこちらになります。
○青山ブックセンター本店(青山)
○ブックギャラリーポポタム(池袋)
○書店Eureka (町田)
○タコシェ(中野)
○FOLK old book store(大阪)
○恵文社一乗寺店 (京都)
○栞日 (長野)
また、アタシ社のサイトでも予約できます!
https://bit.ly/3FUGCyZ
もし先行販売を希望する書店さんがいらっしゃいましたら、アタシ社までご連絡ください(先行販売は直販限定です)
[原画展情報]
単行本出版記念原画展が青山のビリケンギャラリーにて開催されます。
会期は11/25~12/10です。
12時~19時 月・火曜休み。
こちらの会場でも特典小冊子つきの単行本を購入いただけます。
また原画の展示と、単行本で使用した挿絵+描きおろしイラストの販売も行います。
土日は在廊予定です。
お時間ある方はぜひ遊びに来てください。
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もう無理……キャクエンしよ……。
役者として1ステを迎えるのは、実に1年ぶり。
ぶっちゃけありえないほどのクソ雑魚っぷりを披露した私は、帰り道、道端に残る水たまりに片足を突っ込みならこう思いました。
そうだ、京都行こう。
役者エグむずいやん。みんないっつもこんな大変なことしてたんですか。いろんな感情があふれてこぼれて、僕の足元には新たな水たまり。明日は晴れます。晴れさせます。
かく言ってますけど、楽しくやらせてもろてます。おおよそベガさんとなぽりが寛容なおかげです。本当にありがとうございます。
何はともあれ役者はすごい!てなわけで、そんな偉くて凄い役者の中から、『いつか栞を挟んで』に登場する皆様をご紹介します。今回は「この役者を主役にするなら、こんなタイトルのこんな劇」というテーマで。
以下役者は本チラ掲載順。
園堂香莉
『シング』
歌でみんなを笑顔にすることを夢見てきた少女。念願叶ってバンドを結成。しかし、第三次世界大戦が始まりかけた世界で、音楽などの娯楽は次第にタブーとされるようになった。そうした社会の風に吹かれ、バンドメンバーも1人また1人と去っていく。そんな少女がたどり着いたのは、商店街にある小さなお布団屋さんだった。彼女の子守唄と、お布団屋さんのお布団で、彼女らは「全世界ふかふかすやすや計画」を実行する。
「世界中の人がふかふかの毛布で眠れば、争いなんてなくなると思わないかい?」
近未来ミイラ
私には主役になれるほどの器はありません。
誰かを主役にすることなら、きっと、なんとか。
たぴおか太郎
『キャッサバイバル』
タピオカの原料として知られる「キャッサバ」、その和名が「イモノキ(芋の木)」であることは周知の事実であるが、そんなキャッサバにも、一時期本物の芋になることを目指していた時期があるということを、君は知っているだろうか。
これは、キャッサバが芋社会からの洗礼を受け、まさに芋洗い状態になりながらも、憧れることの光と闇を垣間見るお話。ちなみに、これはネタバレなのですが、最終的には芋社会のカースト、通称ポーテトで最上位に位置する「スイートポテト」が貢茶(ゴンチャ)の本店を燃やすことになります。芋もホテルも、「スイート」が最上級なんですね。
錫蘭リーフ
『虚ろにジャックポット』
ゲームセンターで働く男。ある日、ゲームセンターの喧騒が似合わない風貌の紳士がその店を訪れる。男が様々なゲーム機に対応する鍵を全て腰からぶら下げているせいで、紳士は男のことを、この世の全ての鍵を開けることができる鍵職人だと勘違いする。半ば無理やり紳士に連れられ、男は大小様々な扉がある部屋へと案内される。紳士は言う。「ここにある全ての扉を、君に開けて欲しいんだ」
「鍵」をテーマに繰り広げられる、ゲームセンターのように騒がしく、それでいてどこか空っぽな物語。
帝京魂
『職場参観』
小学生が、後ろから見ている。作業中の俺のパソコンを覗いている。部長に資料の修正を求められている俺を見ている。電話なのに頭を下げながら話す俺を、なぜか愛しそうに。その小学生の中に、我が子はいるのだろうか。気になるけど、ここで後ろを振り返るのは、なんとなく恥ずかしいような気がする。
オムニくらいの尺で、サクッと笑える劇に仕立てたいですね。
森々仙入
『タイトルコールが始まらない』
とある劇団の公演。いよいよ本番。当初の予定だと、タイトルコールの映像が流れてから本編が始まることになっていた。しかし、本番直前。機材トラブルにより映像が流れなくなる。担当者曰く、「多分すぐ復旧できるから、前説出ちゃっていいよ」とのこと。男は半信半疑で前説に出る。注意事項をあらかた言い終わったところで、舞台袖にちらりと目を向けると、舞台監督が必死の形相で両手を広げている。……延ばせということか?
ラムダが数十分間真面目にふざけ倒す劇。彼は無事に、タイトルコール��いうエンディングを迎えることができるのだろうか。
箏
『すがる藁もなく』
「この子、きっと何かの病気だと思うんです」。母親がそういって診察室に連れてきた少女は、何を尋ねても無口で、表情一つ変えない。どうやら学校でもこの調子らしく、クラスでは孤立し、家族もどう接すれば良いのか悩んでいるらしい。医者はその子を「不笑病」と診断し、一言。「今から治療をしますので、他の医者と看護師を呼んできます」。院内の医者と看護師総出で、彼女を笑わせにかかる。しかし彼女は笑わない。いや、笑えないと言った方が、正しいのかもしれない。
ルーベの口角が上がったが最後、この物語は崩壊します。地獄を見てほしい。
苔丸
『冷仏』
僕らのクラスには、「仏」と呼ばれる生徒がいる。なんでもできて、なんでも持ってて、なんでも許してくれる。と思っていたのだけれど、仏と同じ中学だった生徒が言うには、それは今が夏だからなのだという。なんでもその仏、「仏の顔もn度まで」のnの部分が、その日の最高気温と等しいという特殊な性質を持つらしい。とはいえ、一日にそんな何十回も仏の気に障ることなんかするはずもなく、大きな問題もなく時は流れていった。……その日、秋にしては異例の寒波が日本を襲う。最高気温は、0度。
苔丸の本当の怖さを、君たちはまだ知らない。僕もまだ知らない。
響夜
『見込み無き巫女見習い』
ある神社に、自らを巫女見習いと称する女がやってきた。おいおい。巫女見習いとかいうわりに、コイツ巫女についてなんにも知らねぇじゃねぇか。発言も行動も全部予測できない巫女見習いに、振り回される人々。挙句、巫女見習いはこんなことを訊いてきやがった。「あの、神様って、なんですか?」
今まで当然のように存在すると思っていた何かが、存在しないと言われたとき。あなたはその存在を証明できますか。
ミル鍋
『アマクチカラクチ』
インターネット上でも有名な辛口料理レビュアー。今日も口にする料理のほぼ全てにマイナスの評価をつけて回る。ある日、そんなレビュアーの隣で食事をしていたのは、インターネット上でも有名な甘口料理レビュアー。どんな料理でも「美味しい!」と言い、その料理の良いところをツラツラと述べていく。「そんなお世辞並べたって、この店は成長しないんだぞ!?」「じゃあ、あなたがつけた難癖で、この店は成長するんですか?」 食を通して、飴と鞭の使い方について考察する劇。
ゆには甘口レビュアーの方が似合いそう。ちなみに本編中に食事シーンが5〜6回登場します。楽ステ後は満腹ですね。
西峰ケイ
『穏やかな濁流』
親の都合で大阪から田舎の町へ転校してきた少女。その町のヌルさに愕然とした彼女は、大阪とは何かを体現していくことを決める。そしてクラスを、学校を、町全体を、大阪一色に染めていく。その町が彼女にとってかなり居心地の良い場所になってきた頃、彼女がいるクラスの扉を開けたのは、町長だった。「俺たちの町を壊したのは、お前か」
新しい宗教が蔓延れば、それを抑制しようとする派閥が出てくる。長い歴史でもずっとそうだったし、きっとこれからもそうで。
あろハム権左衛門
『スローに踊るだけ』
一流のマネジメントウーマン。日々様々な企業へ出向き、無駄を徹底的に省くよう的確に指導。その腕が認められ、彼女の予定は2年先まで埋まっている。一方で恋をする予定なんて入れてないから、恋なんてするはずがなかった。なかったのに。ある日訪れたベンチャー企業を統べる若い社長に、恋をしてしまった、ような気がするんです。
キャスパはもちろん、ゲスの極み乙女の「スローに踊るだけ」です。振付もアロー本人が(え)
アリリ・オルタネイト
『つづきつづれずとも』
日本政府は言う。「みんな別々のものを持っているから、それを振りかざして争うのだ。これからは逆の時代だ。みんな別々のものを失い、支え合っていくべきなのだ」 その次の日から、人々からはそれぞれ別々のものが奪われることが決まった。ある人はお金、ある人は片足。そして彼女から奪われるものは、言葉だった。奪われるまで、あと12時間。彼女は彼女の言葉をできる限り残そうと足掻く。文字で、音で、人伝てで。24時。政府の人間がやってきた。
イルルさんの役者紹介意気込みコメントが好きです。言葉を大切にしている感じがするからです。だからこそ。
〆切三日前
『いくつ担っても』
一人複数性制が導入された日本。今日はこっちの苗字の私で生きようかな。それは先週のことだから、今の苗字の私じゃなくて、先週の苗字の私が来た時に言ってください。そんな世界線で繰り広げられる、非日常的日常系短篇集。しかし日常というのは案外あっさり終わってしまうもので。「面倒だから」という理由で一人複数性制は突如廃止が決まる。おっけー、了解した。で、私はどの私を残せばいいんだろう。
キャスト欄に10個くらい異なる芸名が書いてあるんですけど、その内5個はみそかです。
黒井白子
『試行柵誤』
舞台と客席を隔てるのは、上手ハケ口から下手ハケ口まで一直線��伸びた柵。暗転が挟まるごとに、その柵は意味合いを変える。例えばそれは豪華客船の上。例えばそれは高校の渡り廊下。例えばそれはジュリエットがロミオを見下ろす場所で、例えばそれは高層ビルの屋上。この劇においてツラ線を破るということは、柵を飛び越えるということであり、柵を飛び越えるということは、大抵無事では済まない。そんなオムニバス公演。
僕がやりたいことに、彼はまだ付き合ってくれるのかな。付き合ってくれたらいいなという思いを込めて。
中森ダリア
『カメレオンガール』
バーで働く女。しかしこれは世を忍ぶ仮の姿。彼女の正体は、秘密結社「ユージン」のエリートメンバー。コードネームは「華芽麗音(カメレオン)」。彼女の本当の使命は、彼女自身が様々な姿に化けて、この世に数多いる、友達がいないと嘆く人にとっての「それなりの友達」になること。ある時はギャルに、ある時はおばあさんに、またある時は青年にまでなり、その任務を遂行する。
そんな彼女に、「それなりの友達」はいるのだろうか。
きなこ
『毒あるキノコは美しい』
それはなんの前触れもなく、突然の出来事だった。全国民の頭の上にキノコが生えたのだ。そのキノコは色も大きさも様々で、次第に人々はキノコで人を判断するようになっていく。恋人に求める3Kは、価値観が合う、金銭感覚が合う、キノコと言われるようになった。しかし、ほとんどの国民は知らない。ただ1人、キノコが生えてこない少女がいることを。
キャスパ曲は多分「マッシュルームマザー」
暁レミエル
『マイノリティ魔女リティ』
「魔女ってなんか、思ってたのと違うね」 その言葉が彼女を蝕んでいく。そんなこと言われたって、それが私なのだ。魔女のくせにちりとりの方持ってるのとか言われても、それが私なのだ。魔女のくせに電子書籍で魔法覚えてるのとか言われても、それが私なのだ。それが私なのに。
これは悩める少女の、笑って泣ける物語。
肆桜逸
『寝るまで起きてる』
夜。眠れない夜。男の枕元にあるスマホもまた眠らず、その液晶を煌々と光らせている。その夜男には、無数の電話がかかってくる。恋人から、親から、友人から、先輩から、そして、すでに"眠ってしまった"自分から。
男は"眠る"ことを選ぶのか。それとも、もう一度朝日を見ることを望むのか。スチルさんと他役者の録音された声だけで進む、怒涛の一人芝居。
埖麦
『無念ゴミ』
部屋中の本棚に詰め込まれたアルバムの数々。これらは全て、男が後悔している出来事が鮮明に記録されている「後悔アルバム」であった。一度開けばその時の記憶は鮮明に思い出され、その度に男は、���かしさというには悍ましいような感情を抱く。ふと、見覚えのないアルバムを見つける。「……これは、親父のだ」
「アルバムって、何曜日に捨てればいいんだろう」
紫苑
『as mysteriously as possible』
少し不思議、いや、かなり不気味。そんな1人の男がひょんなことから異世界に飛ばされるものの、男が不気味すぎて逆に異世界の住人が怯む話。異世界に行けば周りに馴染めると期待していた男は、「変」であることに虚無感を覚え始める。これは「私」が悪いのか、「私以外」が悪いのか。「変」なりの、奮闘記。
略称はAMAP。ほぼSMAP。
水琴冬雪
『いつかオレンジの原付で』
ブゥーーーンブンブブーンブンブンブブゥーンブーンブンブゥーーンブンブンブンブブゥーーーンブンブゥーーンブンブンブブゥーーンブンブリョゥドゥーーンブゥーンブンブブンブンスウブンカィーーンブゥーンブブブーーン
(原付の音であらすじがよく聞こえないが、ベガさんが主役を張る演劇なんて、良い作品になるに決まってる)
以上です。もし実際に脚本に起こしてほしいという物好きな人がいたら教えてください。そのときには10年かけてでも、あなたを主役にする体で当て書きして完成させたいと思います。
びあげのブゥーンはどうしようかなぁ……
大学のキャンパスでcampusノート使ってる学生、見たことない。
近未来ミイラ
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い��わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ���。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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Remains of Shadowings 2022 Setouchi Triennale 2022 Teshima, Kagawa, Japan Oil on board, antique frames, surveillance cameras, monitors, sound, radio, CRT TV, sand, furniture, household items, others Photo: Keizo Kioku This immersive installation uses a 100-year-old dilapidated house. Visitors follow a route through 13 rooms, corridors, and a garden, including semioutdoor storage rooms and collapsed rooms. 12 of the 13 rooms are each decorated with a painting, which depicts some part of the space in which the painting is placed. The exhibition spaces are set as a mixture of fiction and fact, with rooms that have been purposely left in their original state as if they were ruins, a room in which a dining table has been recreated as if someone had been inhabited a moment ago, a room in which stairs have been set up in unnatural combinations, and rooms with newly installed waste materials as if they had been dilapidated. The viewer has no way of knowing which are the objects newly exhibit and which are originally there. In the thirteenth room, at the end of the route, twelve monitors are installed. Here, for the first time, the viewer can learn that all 12 rooms s/he has seen so far have been monitored by surveillance cameras. (All of the surveillance cameras in each room are carefully installed in a concealed manner, so it is difficult for the viewers to notice the cameras in advance.) On the monitors, the paintings in each room are shown in close-up, and the viewer is now looking through the screens at the paintings s/he has just seen in the previous rooms. The “objects” in the rooms, the “paintings” depicting them, and the “images” monitoring the paintings — different “dimensions” exist in the work, and the viewer experiences a back-and-forth between these multilayered dimensions. The title of the work, “Remains of Shadowings”, is referred from “Shadowings”, a collection of short stories by Lafcadio Hearn (Yakumo Koizumi). The inspiration for this work was taken from a piece “The Reconciliation” in “Shadowings”. The visitors will experience the world of “Reconciliation”, which takes place in an abandoned house and moves back and forth between dimensions from reality to dream, and from dream to reality again, by walking through the sites in order. かげたちのみる夢 Remains of Shadowings 2022 「瀬戸内国際芸術祭2022」 展示風景 豊島 甲生地区, 香川 木板に油彩、アンティークフレーム、監視カメラ、 モニター、サウンド、ラジオ、ブラウン管テレビ、 砂、家具、日用品ほか 撮影: Keizo Kioku 築100年余りの朽ちかけた古民家を使用した没 入型インスタレーション。半屋外の物置や倒壊 しかけた離れなどを含めた13の部屋と廊下、庭 などを使用しており、鑑賞者は順路に従って進 んでいく。13のうち12の部屋にはそれぞれ絵 画が1点飾られており、絵画の中にはその絵画 の置かれている空間の中のどこかが描かれてい る。会場内は、廃墟のように雑然としたまま本来の姿を敢えて残した部屋や、あたかもさっきまで人が住んでいたかのように食卓が再現された部屋、階段などが不 自然に入り組んで設置された部屋、わざと荒廃したように新たに廃材を設置した部屋など、虚実が入り混じっており、鑑賞者はどこからが「展示された」もので、どこ からが「元々あった」ものなのか、知る由もない。動線の最後にある13番目の部屋には12個のモニターが設置され、ここで初めて、鑑賞者は今まで観てきた12の 部屋が全て監視カメラでモニタリングされていたことを知る。(各部屋の監視カメラは全て隠されて設置されており、鑑賞者が事前にカメラに気付くことは困難であ る。)モニター上では各部屋の絵画が大きく映し出されており、鑑賞者はすぐ直前まで観てきた絵画を、今度は画面越しに鑑賞することとなる。 部屋内に存在する「もの」、それを描いた「絵画」、そしてその絵画をモニタリングした「映像」−−異なる「次元」が作品内に存在し、鑑賞者は多層化する次元を行き 来するような経験をする。 なお、作品タイトルにある「Shadowings」は、小泉八雲による短編集『影(Shadowings)』より引用されている。『影(Shadowings)』の中の一編『和解』から《かげたちのみ る夢 Remains of Shadowings》は着想を得ており、廃屋を舞台に現実から夢へ、そして夢からまた現実へと次元を行き来する『和解』の世界観を、敷地内を順路通り 歩くことで鑑賞者は追体験することとなる。
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出会いと座談会
出会い。これから時間をかけてお互いを知っていくのは何だか好きだ。その瞬間は深く記憶される。
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始まりはコロナ禍で外出自粛していたときにジブリの作品を観たことだった。ツタヤへ借りに行ったのだが、その感覚がとても懐かしくなったことを覚えている。初めて観る作品も観たことのある作品も借りてきてノートに感想を記録した。大人になったからだろうか。ジブリの作品はとにかく身に染みるのだ。
そして今年、自分の誕生日の日に念願のジブリ美術館へ初めて1人で行ってきた。全ての創りに夢中になり、時々こっそりと涙を流した。中でも惹かれたのは常設展示されているロボット兵の"上昇海流"という作品だった。もう一つ惹かれたのはホールとエレベーター横の壁に直接描かれた淡い夢のような絵。まるで私にしか見えていないかのようだった。
帰宅後、上昇海流を調べてみるとあの淡い夢のような絵も一緒に検索結果に出てきた。なぜなら、あの絵の題名が"上昇気流"だったからだ。描かれた方は"井上直久"という人だった。更に調べてみるとずっと見たいと思っていた短編映画(ジブリ美術館では月替わりで短編映画を上映している。)"星をかった日"の原作者であり、大好きな"耳をすませば"���背景画と雫の物語の回想シーンを担当されていた。(追記 : 地球屋でカントリーロードを歌うシーンにてリコーダーを吹いている叔父様の声も担当されていました。)私はあの回想シーンの煌めく商店街が昔から大好きだった。まるで星が繋がり星座になったようだった。井上さんの公式ホームページを見てみると11月に展覧会があると載っていた。過去の展覧会の様子を覗いてみると井上さんご本人も在廊される時もあるようだった。何だかどきどきするが、行ってみようと決心して楽しみにその日が来るのを待っていた。
そうして今月11月遂に展覧会へ緊張しながら行ってきた。何とタイミングに恵まれて井上先生は在廊されていた。背後を意識しながら鑑賞をしていく。井上先生の絵はいつも深呼吸したような感覚になり、心が解放される。生活をしていると見えないものに追われて呼吸が浅くなっているのだろう。井上先生はご友人の方と楽しくお話しされていたため、本を購入して帰ろうとするとスタッフの方からもう少しお待ちして頂ければ先生からサインして頂けますよとの声が。もちろん待つことにした。しばらく待っていると私の番が来た。
挨拶を交わすととても気さくで謙虚な方だった。話していると気持ちが自然と落ち着いた。かわいいイラストとサインを書いて頂き、どうやって井上先生を知りここに来たのかをお話しさせて頂いた。貴重なエピソードを聞くことが出来て嬉しかった。そして自分も絵を書いたり、文章を書いていてそれをコピーして本みたいな物を作っているとお話ししてみた。すると、井上先生は「良いですねぇ。やってみるのが良いですよね。それが下手になってもいいし、上手くなってもいい。」と言って頂いた。私は「良いですねぇ。」という一言を聞いた瞬間、その一言をずっと誰かに言ってほしかったことに気が付いた。すごく嬉しくて救われる思いになった。「下手になってもいいし、上手くなってもいい。」という言葉は実は薄々気がついていてとにかく形にしてみることを実践している最中だった。間違ってなかったんだと少し自信になった。これから何を始めるときもこの言葉を思い出したい。
その後はたまたま同じ時間に来ていた優しくて素敵な女性2人と出会い、4人で座談会をすることになった。普段は大人数が苦手な私も不思議と輪に入ることが出来た。とても嬉しかった。そしてそれぞれが絵の中で気づいたところ、好きなポイントを話しながら絵を見て回った。人と共有する喜びを知った。 それから一人一人素敵なアクセサリーを身に付けているという話題になったとき。井上先生は「私は心だけ…」と笑いながら言っていた。私はその言葉が今でも深く残っている。心が素敵ならそれで十分なのだ。いつか私も身につけなくても素敵でいられる自分になれるだろうか。今まで感じたことのないくらい温かい空気が流れる時間だった。また会いたい人達が出来た2022年11月。
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Love me
「 Love me 」 N + 北村直登 匿名作家N:2024年11月15日(金)~11月24日(日) 北村直登:2024年12月6日(金)~12月22日(日) ー 辛さが餡というのが人生(ライフ)だが、 「自分が自分である為に執着すべきことやもの、そして時間。」 を見つけながら時折は安堵ともとれる詠嘆を御守りに、 今日だって私たちは足掻き苦しみ時々は涙なんかで頬をしめらせながらも地球を回す。 神は死んだと言われて久しいし、 最近では綱引きの相手の顔すら見えやしないが、 それでもふと綱先から世界に視線を戻すと、 そこに”まずめ”が在ることも稀にあり、 「アレは奇跡か蜃気楼か?」 なんて言葉遊びにかまけながら、 その刹那、 私たちは確かにまたちゃっかりと救われたりもしている。 人間らしさを取り戻すことのできる刹那。 人によってはゴールデンスランバー、 平仮名にして”えい”と飲み込むのならまずめといったところか。 はたまたきっとそれはらぶ。 「Love me」 今回の展示タイトルです。 エキシビジョン「Love me」は合同展。 展示スキームとしては、 前半に訳あって名前を明かせない匿名作家N、 後半には大分の土地で活動を続ける作家・北村直登の作品が並び、 それぞれが独自の表現で「愛=人間らしさを取り戻すことのできる刹那」というテーマと向かい合うかたちをとっています。 今回、建て付けそのものに文ヶ学が時間をかけて編み込んだ意図(糸)があり、 袖口に”ほつれ”を設けました。 ご鑑賞頂く皆様お一人おひとりにこのほつれを解(ほど)いて頂く、 「鑑賞者様参加型展示会」 となっておりますので、 前半「Love」と後半「me」を、 くれぐれもセットでお楽しみ頂きたいと思います。 犬角(蛇足)だと知りながらもう少しだけペンを走らせます。 世界のあちこちに点在する凡ゆる物語には、 起承転結という背骨が走っているわけですが、 この冬に大分の小さな回��を舞台に展開される短編映画の結びについては、 展示「Love me」のエンドロールでその種明かしがなされる予定です。 ご存知のように、 パレードは例外なく終わりを迎えますが、 不思議なもので、 この世界には終わりを迎えることではじまる物語というものも存在します。 察しのいい方はお気付きですね。 ディスタイムの結びはゴールテープの少し先に置いて来ました。 これをどうかあなたのその肉眼で確かめて欲しい。 ぜひご来場下さい。 . . . それでは吐く息が白くなる頃に、 駅裏の回廊「文ヶ学」でお会いしましょう。 ー 【詳細】 「 Love me 」 ●第一会期 作家名:匿名作家 N 会場:文ヶ学 〒870-0822 大分県大分市大道町2丁目6−26 N2Gビル 1F 期間:2024年11月15日(金)~11月24日(日) 開廊時間:11時~18時 休廊日:なし 入場料:無料 ●第二会期 作家名:北村直登 @kitamura_naoto 会場:文ヶ学 〒870-0822 大分県大分市大道町2丁目6−26 N2Gビル 1F 期間:2024年12月6日(金)~12月22日(日) 開廊時間:11時~18時 休廊日:なし 入場料:無料 ●北村直登ライブペイントのお知らせ 2024年12月21日(土)に北村直登によるライブペイント&サイン会を開催いたします。 今年一年を華やかに飾るスペシャルな催しとなっております。是非お待ちしております! 日時:2024年12月21日(土) ①11:00〜 ②16:00〜 会場:文ヶ学 入場料:無料 それぞれライブペイント後にサイン会を行います。 ※混雑状況によっては、外からのご観覧、またはご覧いただけない可能性がございます。 ※ご来場順に案内をさせていただきます。 会場は住宅街にございますので、午前10時以前にお越しいただくことはご遠慮くださいませ。 みなさまのご来場、心よりお待ちしております。
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2024/10/12 16:00:10現在のニュース
【動画】寝台列車「カシオペア」 旅情運び続ける〝第二の人生〟 アーカイブ「探訪」([B!]産経新聞, 2024/10/12 15:57:21) クレカで乗車可、タッチ決済導入 近鉄など29日から /三重 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/12 15:54:25) ノーベル文学賞ハン・ガンさん最新刊『別れを告げない』書評エッセー 「光がなければ光を作り出してでも…」:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/10/12 15:54:08) 石破内閣の圧倒的ジェンダー格差 「女性に力がないから」の声に私も反論したい〈世界と舫う 畠山澄子〉:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/10/12 15:54:08) テスラ株、9%近く下落 自動運転実現に懐疑的見方、売り注文広がる([B!]産経新聞, 2024/10/12 15:45:36) 追加要求の「回廊への軍駐留」は認められない…ハマス幹部のインタビュー要旨([B!]読売新聞, 2024/10/12 15:45:25) ラブホテルは昭和が生んだ「非日常」 回転ベッドを自宅に移設、写真家・那部亜弓さんがこだわる理由は:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/10/12 15:42:24) 豪雨で犠牲の中3の娘「頑張って帰ってきた」 父は葬儀で声を震わせ(朝日新聞, 2024/10/12 15:41:01) Adoだけじゃない 顔出しNG歌手、XRで武道館も沸かす - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/12 15:39:30) SNS偽広告、メタ本社も争う姿勢 日本法人と併合審理 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/12 15:39:30) ヤンキー文化も紹介する「地球の歩き方」茨城編、大井川知事「勉強になる」「ここまで取材してすごい」([B!]読売新聞, 2024/10/12 15:33:47) 秋田犬「想空」駅長に 大館駅([B!]読売新聞, 2024/10/12 15:33:47) 窓の開かない車両・停車時間も短く…「駅弁文化」の喪失に危機感、広島の製造会社が調査研究に乗り出す([B!]読売新聞, 2024/10/12 15:33:47)
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10月11日(金)open 12-19
今日もまた気がつけば暗く、鈴虫やコオロギ大合唱の閉店時間。 皆さま本日もたどり着いてくださってありがとうございました。 明日からの三連休、松本城ではそば祭り、街中でも様々な催しがありますね。 中川の周りは静かですが、周辺道路は渋滞が発生しやすいので、お車でお出かけの際はお気をつけてお越しください。
さて、少し早めですが(当店比)来月の展示のお知らせを。
阿部海太 個展 『ことばのうぶ毛』 11月3日(日)〜12月1日(日)
《オープニングLive》 出演:今成哲夫 18時〜 ¥2,000 (要予約) ※お申し込みの詳細等、しばしお待ちください
11月は阿部海太くんの個展です。 初日は在廊&今成哲夫さんとのパフォーマンス。 どんな時間になるかな。 初の試みをいくつかやってみよう!と、とにかくワクワクな展覧会になりそうです。 これまでに絵本の原画展に来てくださった皆さまも、初めて阿部海太作品に出会う皆さまも、どうぞお楽しみにお出かけくださいませ。
そして丁度今日届いた本、詩人の白井明大さんのファンタジー『ヘリヤ記 I 《声たち》』。 "架空の市で暮らす少年が《声たち》という見えない存在と対話し、ささやかな働きかけをする、という短編です。"とご案内いただき、その導入だけでドキドキしました。 手触り柔らかな文庫サイズで、装画と挿絵はカシワイさん。 全3巻を予定されているそうです。 地図と言葉を行き来するのは、子供の頃に慣れ親しんだ児童文学のあの本たちみたい!とこちらもワクワク。 ポケットや鞄の中に連れていこう。 白井さんと言えば、憲法を詩訳した『#日本の憲法最初の話』(KADOKAWA)、それから絵本『#わたしはきめた 日本の憲法 最初の話』(ほるぷ出版)を最近の中川では、多くの方にお手に取っていただきました。 絵本版である『わたしは きめた』の絵を手がけたのが海太くんです。
大切にしているものたちが、また大切なものたちへと出会わせてくれます。 今日最後にお出かけくださった、私も大好きなパン屋さん&本屋さん、サパンジの白澤さんともそんなお喋りをしたところでした。
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ダイエットログ016
突然閃いてですね、物をちょっと移動したら、生活が0.1%向上しました。(パーセント?)
Work
凍結日誌
お昼前にちょうど時間が取れたのと、身体が回復してきたことで気持ちも回復傾向だったので、異議申し立て++を実行しました。 前回は移動中だったこともあり、凍結直後にスマートフォンからTwitterのWebアプリで短文の申請を行いましたが、現在に至るまで特に何も起こりません。 僕の情緒がおもしろい感じになっただけでした。 調べてみると、Xヘルプセンターに申し立てフォーム?があることが分かったので、今回はここに状況を説明した文と、DeepLで英訳した文を併記して申請を行いました。 お返事届くと良いですね (^q^)
fig01 存在を証明する為の5つの試練
fig02 こちらこそどうもです (^q^)
研究室にいる人の手記
昨年度まではラズパイ縛りで頑張りPythonでマジ頑張ってようやく解放されたのですが、今年度は危惧していた通りJetson縛りになり、マジ頑張り始めたところです。 Nanoでなく、Xavierであり、さらに今後Nanoとも分かり合う必要性があり、また事情によりインストールされているOSのバージョンも古いでござるのよ...TT で、面白くなってきました。 手元にあるマシンは新規起動時からCPUファンが爆音で回り続け、電源を落としても止まらない怪現象を起こしていて、なにこれドライバ? みたいな感じでめっちゃ設定を考慮しまくって諦めて電源を落としてファンの配線をくにくにしてみたら正常に。 ���ったぜ!! (ある意味初期不良なのでは...)
fig03 配線を回転させコネクタの接続を安定させる謎の技法
Diet
2024-06-04 火
歩数:3333 徒歩:2km エアロバイク:1時間 71km、1時間 74km 朝食:ベーコントースト、グラノーラ+低脂肪乳 昼食:わかめうどん 夕食:グラノーラ+豆乳 間食:チョココロネ、微糖コーヒー 体重:63.5kg 体脂肪率:20.2 内臓脂肪:9
体重は特に変化しませんが、今日も元気がいっぱいです。 体組成計の値は、もはや信用していません。(※心がやさぐれているため)
早起きに失敗して焦りましたが、午前は編集した動画の最終チェックを行いながら1時間、夜はreadline.fmを聴きながら1時間のエアロバイクでした。
古典
古典と言われる本を読む時に、その本がどの時代に書かれて、どの時代のことを言及しているのかを意識してみると、歴史を紐解いているぜ感が出てなかなか良い体験になります。 同時代に書かれた書籍と比較するのも興味深くて面白いですなー。 EP009からはピープルウェアの話に入るので、これも楽しみにしています。 この本は去年オンラインの技術書読書会でも読んできた書籍なので、なかなか感慨深いものがあります。
EP007 『熊とワルツを』 Part3 - readline.fm - LISTEN https://listen.style/p/readlinefm/2nexpfum
EP008 『熊とワルツを』 Part4 - readline.fm - LISTEN https://listen.style/p/readlinefm/cmsnhdlc
技術書読書会 - connpass https://technical-book-reading.connpass.com/
fig04 廊下にあるソファーで人目を忍んでおやつのチョココロネを展開している様子
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🆕🎶 「 夜明け 」 new single by 短編画廊 is now available worldwide! 🌐 Listen now and discover new sounds from Japan on our weekly updated playlist 🎧 https://spoti.fi/3lgjH73
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序にかえて パート直人
~序にかえて~ office krsna代表 Take-D=0
2018年初春に作者から、この作品を見せていただいた。絵に無案内な私であったが、色彩や構図の美しさと添えられた文に身体が揺さぶられた。一度世に出してみてはどうかと勧めたが、作者はまるで無関心であった。作者は次々に新たな制作に取り組んでおり、この作品はただの過去(=「死」)の排出物でしかないようであった。騙し騙し排出物を持ってきていただき、作者に解説して戴いた。私の排出物の蒐集・解剖癖にうんざりしながらも、次第に作者は面白がるようになり、ようやくこの作品を世に出すことを了承して下さった。 私のような素人が誤解しないように、そしてもう少しわかるように解説および注釈を入れるという暴力的な提案を作者にした。案の定、「それはナンセンス」と却下された。そこで、私が作者から教えてもらったことを私の主観として読者に示すことではどうかとお願いした。「あなたの主観で切りとったものであるなら、自分の作品とはあまり関係ないかな」と半ば呆れ承諾して下さった。 この作品で私が強調したいのは、まず一見コラージュのように散りばめられた絵の断片一つ一つが、作者の模写あるいはデッサンしたものを縮小したものであり、コピーではないことである。次に切りはりされつなぎ合わされた文字は、作者のお気に入りの本から切り取ってつなぎ合わせたものであるということだ。コラージュのように散りばめられ縮小された絵を原寸で見せていただいたが、その一枚一枚それだけでも私からみると立派な作品であった。わざわざ見えるか見えないか程にまで縮小しなくてもと思ったが、作者は作品全体の構成である「視点(まなざす)人物」の意識に上がっているものの一部に過ぎないという趣旨からすると縮小して散りばめることが妥当であるという。こだわりを持った文字は、一つ一つがかつてキネステーゼ・ゼロの作者の身体を触発した構成素であり、そこから歴史が堆積してゆき、さらに生成・破壊・創発・再組織化を繰り返し、「文字と文字の間」「私と私の間」「私たちの間」「私と世界の間」に多元的な時空間のオートポイエーシス・システムの作動を可能にする。そしてまた我々を相互に疎外しつつもあらゆるものにカップリングさせてゆく。 作品は1~24(ストーリー)と25(クレジット)および26からなる。構成は作者による。以下、私が作者にインタビューし主観的に解釈した登場人物像とストーリーの概要を載せた。作者によると言葉化できないことが多すぎ���ため、私が主観的に解釈した解説を載せることは、多くの読者に対する暴力的なノエシスであり、下品極まりないことである。しかし、読者や作品に暴力を振るうことになろうが、この作品の存在の意味を広く伝えたい衝動は抑えがたい。以下に作者から私が聴き取ったことを記す。暴力を免れたい読者は、どうか読まずに作品だけをみていただきたい。
Ⅰ・インタビュー:「画家」について。 この作品および続編が描かれるであろう「ある画家の手記」全編を通して「画家」と呼ばれる登場人物は、一般的にいう「絵を売って生計を立てている人」や「絵を描く活動をしている人」とは異なる。ここでの「画家」の定義は「他者や世界、あるいは自分に対しての暴力性にどこまで自覚的であれるか」といった定義である。 絵にする、描くということは、自分の視覚情報や感覚に従順になることで、ひいては目の前にある「そのもの」の存在を尊重せず無視して「自分が」捉えてしまう、そしてさらに「画家」はそれを自らの手と意識で描き出して形に残してしまう。絵は暴力の痕跡である。 「ある画家の手記」に登場する人物(画家)たちは、それぞれの方法でこの暴力性を自覚するなり折り合いをつけるなりして生きている。そして「画家」は誰しもが暴力的であるという事態に対して、一部の「画家」たちには共通認識がある。特に強い共通認識を有するのは、この作品の『視点(まなざす)人物』である名廊直人と次回作の『視点(まなざす)人物』になるであろう行屋虚彦の二人である。それぞれ40歳と15歳である。この二人はお互いの年齢を気に留めず対等に画家として接しあい、まるで共犯意識のようなものをどこかで抱いている。パート1(本作)の『視点人物』である名廊直人は頑なに静物を描き続ける。なぜなら、「人間や生物はその加害性に耐えられないから」である。静物というモチーフに愛着があって描いているわけではなく、もっとも容赦なく自分の感覚そのままに描くことかを許されるという錯覚を抱ける対象は静物であった。それが名廊直人にできる唯一のことであるとも自分にしかできないことだとも本人は思っていない。自分に能力があるか否か、はては絵に向いているかどうかすらどうでもよく、ひたすら誠実さを求める。このことは人間関係にもあらわれ、他人に対しても能力ではなく誠実さを求める傾向がある。彼の誠実さはどこまでいっても「描き表すことで踏みにじられる」類のもので根本に捩れがあったが、本人が絵以外の道を思い浮かべることができず突き詰めてしまう。彼を救うには彼から絵を無理やり取りあげる必要があったが、誰もその発想を抱けないほどには彼の静物画には人を黙らせる力があった。彼の人生は静物画というものに半ば乗っ取られて終わる。彼は弱いから人間を描くことを恐れている。作中に登場する人物で、個人が判別できるくらい特にしっかりと顔まで描かれているのは、同罪者である行屋虚彦と、自分の暴力性を過去に許してくれ���元恋人の冷泉慧鶴、自分の暴力を受けとめる名廊情香、そして自分に描く道を示した隆木義清(先生)の四人である。名廊直人の画家としての手段は「誠実であること」ひとつだった。パート1の名廊直人においては、「画家」像の限界が「死」という形で実を結ぶ。しかし次回作パート2で行屋虚彦が「画家」像の限界に「隷属」を手段として挑むであろう。
Ⅱ・インタビュー:『視点(まなざし)人物』の名廊直人について。 頑なに静物を描きつづける画家である名廊直人は、物腰は穏やか、誰に対しても柔和に接し、たいへんな正直者であり、嘘をつけず騙されやすい。189センチの長身でいびつに大きな手が目立ち、学生時代に「フランケンシュタインの怪物」と揶揄されていた。目眩に襲われてよくふらつき、全体的に覇気がない。口下手であり、なかなか思考が言葉にならず、言葉を落とすように喋る。 直人は自分の身体「目」で隔てられた自分の外側を世界のすべてとし、自らの内側と存在そのものに違和感と疎外感を抱きつつも、画家として「まなざし」描くことで世界と関係を結びながら生きてきた。しかし、絵として描き出すということは、絶えず変化する世界をそのまま捉えようと懸命に誠実さを尽くす直人をいつも最終的に踏み躙った。 直人の 認識は静物と生物は同じラインで捉える。直人が誰かを呼ぶとき、親しさと関係なく相手を名前で呼び捨てやすいのは「ワイン瓶、頭蓋骨、林檎、××」というふうに「ただそこに在る」ことを認めている以上の意味合いがないからである。 この認識の仕方を仮に【静物画的視点】と呼称する。 彼は、相手への人間的な共感能力や社会性や同調性に欠けるが、相手を目の前のものそのものとして尊重し、存在を認めたものに存在にあたうかぎりの誠実さを尽くす。それゆえに短期的な浅い人間関係においては歪さは目立ちにくい。このような理由から二人称を使って会話することは滅多にないが、数少ない親しい人間に対して「きみ」「お前」といった二人称を使うことがあり、そのような相手とは静物画的視点を超えたなんらかの人間関係を築けている。 直人には社会的な約束事が通用せぬようにみえる。なぜなら、上記事情ゆえに「まなざし」で捉えうる現前する相手とただ関係をもつため、複数人との年齢性別を問わない肉体的な関係を実に真摯にそして淡白にもつことが周囲の理解の枠を超えるからである。「美しい」と感じたものを美しいままに許容して見つめることができず、強い陵辱の衝動を起こす。具体的には突然暴力を振るったり相手をレイプするなど反社会的な行動として出た。その衝動は静物画的視点から見た適切な距離感を一気に飛びこえるもので、その衝撃と強い嫌悪感から「目眩」を起こして倒れる癖は生涯に渡って彼の心身を蝕んだ。直人は「目眩が起きるのは仕方ない」と言い、普段は降参してそれと共生するような態度をとった。目眩に負けて倒れることは相手を凌辱しないための無意識に働く安全装置であり、彼はそこは理解して納得している彼が目眩を起こす対象は「美しいもの」であり、そこには生の生々しい脈動がある。目眩=美しいものへの結論が「描くこと」であり、彼を画家たらしめている故に、彼は目眩のない世界で生きるつもりはない。それは40歳での「死」という形で結実する。 これらの直人を苛むものが彼の幼少期の生育環境とトラウマに起因するかは誰にも証明できず、少なくとも直人はその説明では納得できないほどの苦しみを抱えていたためどんな理解も退け続けた。他者から見て明らかな心的外傷の影響を示唆するものとして、虫を極端に怖がる、数字を見分けることが苦手である、強迫的な除菌癖、指先の第一関節より先に軽度の麻痺がある、重度の鬱症状として色覚の彩度が低い、相手を思いやるセックスが困難で暴力的になる、などがあった。本人はそれを病的なものだとは自覚していないし、それらが先天的なものである可能性が捨てきれない以上、誰が彼を病的だと言えるだろうか。それは彼に具体的に踏み躙られ人権を犯された人間にのみ糾弾する術として許されるだけであろう。直人の生涯においては妻の名廊情香をはじめとする幾人かに糾弾され、あるいは諦められて人間関係を結んでいた。まったく異なるケースに「完全な庇護対象=子ども」と、同業者の行屋虚彦、歌う白痴の耀屋七、画の天才である行屋疾彦、狂気の綾瀬香澄などとの人間関係があった。
Ⅲ・インタビュー:本作品 <ある画家の手記>について。 40歳の3月30日未明、直人はしっかり身支度を整えて身辺整理をし、アトリエのある建物から投身自殺する。契機になる出来事はなかった。生来の頑丈な体に救われて未遂に終わるが、後遺症で直近の過去を思い出すのが苦手な記憶障害を抱えることになった。 退院後、間をおかずに元サナトリウムの療養所へ入った。ここから6月23日の「死」までの約三ヶ月間の彼の手による手記が<ある画家の手記>本編になる。名廊直人は、精神的吃音(実際に吃りはしないが何か語ろうとするときに一度どうしても心の中で引っかかってしまう不自由さ)があり、そのことを表現するためにすべての文字を既存の媒体を一度通しての角度の歪んだコラージュにした。彼の社会的なもの(一度製本されたり印刷された)への姿勢や目線と一致させている(疎外感)。画面に散るノイズのようなものは文字をコラージュする際に完全に消すことを控えた余白部分である。そのような社会的に認められた大手を振って存在するものに彼の人生は阻害され、疎外され続けた。それでも彼はスタンプの文字であったり新聞や本の印字された文字だったりを借りてなんとか自分について語る。そもそも言葉にすることができないものを多く抱えているが故に彼の人生の形は画家である。彼は徹底して自分の目で見ることにこだわるため、作中に彼自身の姿は具体的には登場しない。この本の内容はだいたい彼の「まなざし」そのものである。ラストは視点人物の死だが、本の序盤ではイラストレーション的な、視点人物の手による現実の再解釈が強くなされた表現をしている。ラストに近づくにつれて表現はだんだんと写実的で細密な、視覚に殉じただけの描写へ移り変わっていく。それは視点人物の「死」が近づいていることの黙示である。ここでいう「死」は、いうまでもなく括弧つきの死である。
Ⅳ・インタビュー:��ート1~26までの解説。 1、彼はひとつの水槽の中に一匹だけ飼えるベタ(魚の品種名)を好んで飼っていた。彼にとって魚は社会に生きる人の象徴。魚を飼うのは、彼自身が失念しやすい社会や他人の目線を、彼の日常で目の届く場所に、自分が管理しないと保たない形で置くことで、画家という孤立しやすい生活でも社会をうっかり忘れないためであった。彼は海辺の療養所に入った。飼っていた魚もつ れていこうとしたが、全部はつれてこられず、数匹を仕方なく焼いて食べた。bett%.7というスタンプは彼が食べた魚の数である。もうひとつ彼にとって社会的なものの象徴に「言葉」と「文字・記号」がある。 記号の書かれたマスキングテープに四角く囲まれる構図は、彼が野放しにされずに施設に収容されることの暗喩である。 2、綺麗に合いそうにない不器用でガタガタの歯車のシルエット。これがきっちりと噛み合った正円の美しい歯車になり、歯車が合ってしまうことは、辻褄が合うこととなり、すなわちそれは彼の「死」を意味する。 3、彼は静物画を主に描く。ジャン・シメオン・シャルダンは静物画の元祖と 言われることの多い画家である。まばらに散らばった果物などはすべてシャルダンの絵の部分模写である。 4、「世界は僕の外側にある」と彼は言う。窓を閉め切った室内は彼とほぼ一体になった彼そのもののような空間だが、窓を開けると勝手に虫が入る。コ ントロールできぬものだから、彼は虫を恐れて部屋から締め出そうとする。部屋に漂白剤をかけるのも似たような理屈で、前の住人やカビや細菌などコントロールできないものを自分の世界から消し去ろうとしている(「死」)。 二つに分断された虫たちは、デミアン・ハーストの立体作品から着想を得た。嫌いなものを分断して殺してしまうことは、結局それらがたしかに生きていたことを受け容れ引き受けることになる(画家の暗喩)。 5、スタンプのNo.501とは、彼の入った施設の部屋番号。 6、彼は時計を持たず、制作に没頭するとよく昼夜も寝食も忘れる。カーテンのあいた窓ガラスにうつった自分の姿を、いるはずのない母の人影と一瞬見間違えた。彼は、怖くなってその日からカーテンを閉めてしまった。 結果、部屋がずっと暗くなり、朝や昼が何度もすぎて日が経ったことに数日間も気づけなかった。眠るときは画面に散った大量の睡眠薬で眠る。彼の体内時計はずっと以前から狂っていた。 7、彼は数日間が勝手に過ぎ去ったことを職員から聞いてやっと知る。それではいけなかろうと思い、職員から時計を一つ借りる。壁掛け式の正円のローマ数字の時計。彼には少しの識字障害があった。ローマ数字を知らない彼には時計の針がどこにあっても今が何時なのかはわからない。さらに壁掛け式だったが部屋の壁に時計をかけられるような突起もなかったため、床に立てかけてみたが、正円の時計は勝手に回転してしまった。仕方なく彼は時計を床に寝かせてみた。すると自分が部屋を歩き回るたびに時間が変わってしまい、彼は途方にくれ、職員に時計を返却した。 数字ではなく自分の見えるよう自分の都合のいいように時計を無意識に改変して見てしまうエピソードから、絵のために実際の在りようとは違う描き方をしたキュビズム表現の父であるポール・セザンヌの静物画の模写を添えた。 8、ル・コルヴィジェは画家ではなく建築家だが、私生活では好んで絵も描いていた。絵で高い評価は特に得られていない。コルヴィジェの最期は水難事故だった。なお補足だが、ル・トルネ大聖堂のスケッチを添えたのは、メルロ・ポンテイが「目と精神」を書いたのがトルネであり、セザンヌの出生地がプロバンスであるためだ。 直人にはかつて入水自殺して失った友人(青峰)がいた。いつも大きなラブラドールレトリーバー(バスターキートンという名前。キレのある動きと体型と目つきから)をつれていた友人は、直人と出会う前にも何度も自殺を試 みていた。数回目の入水自殺が失敗に終わったとき、その人は海の上に浮かんで一晩中低体温で震えながら夜空を見ていた。月の位置が変わり、流れ星が流れるのも見た。電灯や街の灯からは遠い海の真ん中、深夜にもかかわらず、海から見た地上はぼんやりと薄く光っていた。それを友人は、月や星が輝いているように「この地球も光っていたのをこの目で見た」と直人に語った。直人はその言葉を大事に覚えていた。 友人を思い出した直人はようやく施設に入って初めて外出しようと思い立った。 9、しかし、外出届を出しても自分には行きたい場所がなかったことを思い出した。 どこかへ行きたい気持ちだけある、宙ぶらりんになった状態。ファン・ゴッ ホの「向日葵」の中でもまだ花瓶にいけられていない絵の模写を添えた。 10、11、彼の中での友人たちのイメージ、ロバート・ラウシェンバーグやアンセルム・キーファー、グランドピアノ、モルフォ蝶、モネ、ユトリロ、バスキア、ブラック、ジャコメッティ、檸檬などが登場する。小さな男の姿 は、ギュスターブ・カイユボットの絵の中に佇む、都市化していくパリで置き去りにされて所在無げにしている労働者階級の男の模写である。 補足だがメルロ=ポンティのloeil et lesprit (「眼と精神」)からインスパイアされて彼(直人)のキャラクター像が生成された。このページと次のページはセットで赤と緑の色調。彼は赤緑色弱でありこの二つをうまく見分けて描いてはいなかったであろう。 11、絵の先生の話。 大学の恩師で、唯一直人の絵の師と呼べる人の死の経緯について。先生は術後に病室のベッドの上でも点滴をつけながら頑としてタバコを吸った。先生の描く絵は緻密な水彩画で、先生のありようは桜の大樹に似ていた。 12、佐伯祐三とファン・ゴッホの自室の絵の模写。このゴッホの絵は視点が低いように見える、まるで小さな子供が世界を見ているようだ。 それは5歳で精神的には止まってしまった直人と似た、悲しくなるような稚拙さを画面いっぱいに滲ませている。先生の死の事実を思い返して苦しくなった彼はめちゃくちゃな線を描く。普段の彼は濃淡や面で絵を描くが、寂しさや苦しさが極度になると意味のない 線だけを描くようになる。 線の上に被さったものは、まだしっかりと合わないものの2より作りが精密になってきている歯車である。画面全体にも小さく描き込んだ歯車がまだバラバラだが散っている。 13、大学の頃の旧友がこのピンチに駆けつけてくれた。友人の名前は冷泉慧鶴。大学で美術講師をしている。彼が教えるのは、主に静物画という絵画ジ ャンルが生まれるより以前の時代(ルネサンスから印象派以前くらいまで) の絵画史などで、画面に散らばる模写はすべてその時代の間に生まれた名画たち。静物画を描く直人にとってはメタファーとして過去のものになる、そのためすべてセピア色に褪せている。左端の矢印のついた絵は、「レフカス のサッフォー」、自殺の瞬間の名画である。 14、夢。どこかの街を歩く犬のようなもの。 全面にスタンプを押した犬の姿はジャコメッティの犬の彫刻がモデル。意識は夢の中で旅をする。テオ・ヤンセンのストランド・ビーストのように、それは直人の意思とはまったく別のものの軌道を描いて移動する。
15、ブラックアウトして夢から醒めた意識。うずくまる男の姿はジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル「オシアンの夢」に描かれたオシアンの模写。オシアンは覚めたくないような幸せな夢を見ていた。直人はこれまでを思い返して「みんなほくにやさしかった」という言 葉に纏めようとする。直人にはその優しさがずっと辛く、この一文には「それでもぼくは死んでしまうのだ」というような情態勢がつきまとう。ここでも線だけの絵が出ている。 16、画家のつてで知り合いの高校生(杉崎景一)が、突然直人の部屋に訪ね てくる。 彼は相貌失認と醜形恐怖を抱えており、額に生えた小さなツノのような突起を意識して見てしまうとそれら二つの関連した発作を起こす。そこまでの道中降っていた雨の中、水たまりにうつった顔がひっきりなしにうつりかわるのを景一は見ていた。揺れる水たまりの波紋のデッサンと景一の顔を抱え込んだ後ろ姿。景一の空白はフェリックス・ゴンザレス・トレスのキャンディのインスタレーションと似ている。背中に被せたヴァイオリンはマン・レイの有名な作品からの模写。音といえばマルク・シャガールだ。音楽をする人間はシャガールの絵を見るとよく音楽が聞こえるという感想を言うらしい。ここでしっかりした歯車の輪郭線だけが出ている。 17、「純粋形相」の文字がうっすらと見える。「行屋虚彦がきた。」 行屋虚彦は現在15歳でプロの画家だ。この行屋虚彦が名廊直人の死後に、次作の「ある画家の手記」のパートを引き継ぐ視点人物となるだろう。この虚彦の母親は、後のページに出てくる「七ちゃん」である。 虚彦の生き方や描き方は身投げに等しいもので、頭も腕も捥がれてなお直立して風を受けるサモトラケのニケを連想する。 それを最終的に救うのは母「七」で、子供を守る姿はケーテ・コルヴィッツの絵を思わせる。一方、虚彦の絵はジョン・シンガー・サージェントの厳しい色彩選びを彷彿させる。 18、行屋虚彦が、「直人さん」と「発言」する。この本で唯一発言が出てくる人物。彼はいつも描くことだらけで埋まった頭で、共感覚と神経過敏な体質にイライラしていた。彼は何を見るときも何色の油絵の具で描くかを頭の片隅に置いている。頭に油絵の具の顔料の名前が勝手にズラリと並ぶ。このページだけ唯一発言者が行屋虚彦なので、ページ全体の色調も虚彦の色彩感覚に支配されている。 画面端に僅かにうつるのはiPadの輪郭。直人と違って虚彦はそういう最先端の道具も使いこなす。 次作のパートではこのページの色調がメインになるだろう。 直人は一つ前のモノクロに近いおさえられた色調の世界で生きている。 19、妻(名廊情香)がきた。普段は暴力を振るってしまうために、直人は彼女と距離を置いていたのだが、やはりに彼女にまたしても暴力をふるってしまった。耐えられずにまた線が彼女の上を飛び交う。 20、すぐそこまで迫っている「死」の予感に、直人は6年前に自殺した自分の兄のことを思い出す。兄・名廊雅人は潔癖で強迫的で、都会的だった。徹底して自己コントロールのできるものだけを手元に置くような人間だった。愛車はロールスロス。味覚障害と重度の鬱病を患っていたものの、死ぬまでそれを誰にも悟らせない完璧な振る舞いを続けた。 そしてある日突然前触れもなく死んだ。 ひたすら絵を描く直人にとって「写真���は「死んでいるもの・殺されたも の」のように見える。このページでは、この本で唯一の写真(桜の枝)をわざと使った。そして絵の想起はひとつもない。 21、「七ちゃん」(行屋虚彦の実母て、直人の大学時代のクラスメイト)。彼女には障害があっていつもぼんやりしていた。たまに歌うように音を紡いだ。皆不気味がっていた。彼女の意味不明な吐息のような声を「歌」と呼んだのは直人だけだった。一人で泣けない直人は彼女のもとへ通って、彼女の歌を聴いてそっと涙を流していた。そんな二人の姿はカリエールの絵に出てくる寄り添う人と人のようだ。そして彼女の白痴と絶対の救済はパウル・クレーの天使を思わせる。 22、天使が迎えにきてしまったので、あとは「死」だけという感じ。もう何も想起できず、ただただ直人の描いた静物画が出てくる。 「なにもかく××がない」。なにがないのかすら本人にはもう分からない。 23、ぴったりとあってしまった正円の歯車。これまで散らばっていた小さな歯車がすべてこの中におさまっている。そして上から被さるように歯車と混 ざって癒着するように視神経の断面図のデッサン。 視覚に認識を頼りすぎた直人の歪さと、見えるものしか尊重できない姿勢が 自分自身にまで向いてしまう。自分は自分の目で見ることはできない。他のたくさんのもので知らなければならなかったそれを、彼は絵を描くうちにすっぽりと落としてしまった。 24、未完の静物画。半ばで直人の「死」。 25、クレジット。これまでぼんやりとしか直人には認識されなかった世界を直人の目で見る世界とは違う見方で人物たちを紹介した。 直人がよく忘れる名前という記号がそれぞれにアルファベットでしっかりと ふられ、絵には細い輪郭線がつけられている。記号と文字で顔が覆い隠されて恐ろしいものに見えていた人間たちは、実際はそんなに恐れなければいけないものでもなく、みんな朗らかに笑っていたのかもしれなかった。 26、それぞれのキャラクターを象徴するものを小さなイラストで散りばめた。
作者からインタビューして私が拾い上げたことを書いたが、いかがであろうか。作者と直人そして虚彦は包摂関係にあることは自明である。それゆえに「死」はカギ括弧つきなのである。そして、レヴィナスの「汝、殺すなかれ」が浮かび上がるのである。
2018年7月7日 大泣きする七夕の夜に。
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2024年5月のおしらせ
5/11(土)まで POTATO CHIP BOOKSにて〈会期延長〉 原画展「これがおばけの考えです 貝がら千話選集」
5/18(土)まで TOUTEN BOOKSTOREにて 個展「2464 LITTLE MAGICAL HOMIES」
作品集「2464 LITTLE MAGICAL HOMIES」刊行
5/18(土) 大磯ブックマルシェ
5/19(日) 文学フリマ東京38
原画展 「これがおばけの考えです 貝がら千話選集」
葛飾区立石の書店・POTATO CHIP BOOKSさんにて『これがおばけの考えです 貝がら千話選集』(タバブックス刊)に収録されている図案の原画展を開催中です。会期延長のため、5月11日までご覧いただけることになりました! 『これがおばけの考えです 貝がら千話選集』は2023年3月31日の刊行から一周年を迎えました。リトルプレス「貝がら千話」から、夜眠る前に読みたいお話50篇を収録した短編集です。この機会にぜひ、原画と共にお楽しみ頂けますと幸いです。
原画展「これがおばけの考えです 貝がら千話選集」 会期:2024年5月11日(土)まで 会場:POTATO CHIP BOOKS 東京都葛飾区立石7丁目3−5 102 最寄り駅 京成電鉄押上線・京成立石駅 営業時間:日/月定休 平日10:30 -16:30 土曜11:00-18:00 本展では作品の受注制作を承っております。 本に登場する50の図案のうち、ご希望の図案1点から3点を組合わせて一枚の作品に仕上げます。作品のお渡しは会期終了から一か月程度の予定です。
しおりの工作ワークショップは無事終了いたしました!ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。
個展「2464 LITTLE MAGICAL HOMIES」
名古屋市の書店・TOUTEN BOOKSTOREさんにて個展「2464 LITTLE MAGICAL HOMIES」を開催中です。
鉛筆画の作品36点と線画の作品4点を展示。本展は、1月末から2月にかけて西荻窪・FALLさんて開催した、同タイトルの展示に新作7点を加えた巡回展となります。
展示室内に占いカードを設置しています。こちらは図案のカードと言葉のカードをそれぞれ一枚づつひいて、どのような印象を受けるか?ということから占いを行うというものになっています。 カードの組み合わせによって、いつひくかによって、誰がひくのかによって、まったく異なる印象を受けるのではないかと思います。 ぜひ、カードをひいて遊んでみてください。初日の在廊時にいらした方たちもカードをひいてくださったのですが、みなさんそれぞれに想像を膨らませて楽しんでくださっていた姿がとても印象的でした。 ノートを置いてありますので、作品のご感想、メッセージ、カードをひいて感じたことなど、ご自由にお書き下さい。ご希望の方には、在廊時にわたしがカードをひくこともできます。 次回在廊は5/11(土)を予定しています。
展示作品「HOMIES」はわたしがこのカードをひいたことで思い浮かんだかたちを描いたものになります。ちょっぴり不思議でなんだかゆかいなHOMIESと、友だちになってもらえたら嬉しいです!
個展「2464 LITTLE MAGICAL HOMIES」 会期:2024年5月18日(土)まで 会場:TOUTEN BOOKSTORE 愛知県名古屋市熱田区沢上1丁目6−9 最寄り駅 名古屋市営地下鉄・金山駅 営業時間:10:00 -18:00(平日金のみ21:00) 会期中定休日:5/5(日)、6(月)、12(日)
在廊予定:5/11(土) 展示作品は販売いたします。作品のお渡しは会期終了後となります。
作品集『2464 LITTLE MAGICAL HOMIES』
「2464 LITTLE MAGICAL HOMIES」のすべての鉛筆画作品38点と、その制作背景にあたるカード占いの結果一覧を収録した作品集をTOUTEN BOOKSTOREさんでの展示にあわせて刊行���しました。 展示のカタログではありますが、作品にタイトルでも解説でもない言葉を一言添えて、絵本のような仕上がりになりました。 『2464 LITTLE MAGICAL HOMIES』 変形サイズ 120mm×120mm、44ページ 価格 1500円(税抜) 印刷・製本 イニュニック │表紙:気包紙U-FSディープラフ215.5Kg │本文:HS画王95Kg 2024年4月29日刊行 初版120部 ※初版のみ、中綴じミシン製本になります。 お取り扱い頂ける書店さんを探しています! お気軽にお問い合わせください。
5/18(土) 大磯ブックマルシェ
5月18日(土)・19日(日)に大磯エリアで開催される大磯ブックマルシェに出店します。わたしは18(土)のみ、第三会場〈大磯コネクト〉にて参加になりますが、とても楽しみです。
この二日間は本の販売だけでなく、大磯エリアの様々な会場でたくさんのイベントが開催されるそうです。お近くの方はぜひお出かけください。いいお天気になりますように!
大磯ブックマルシェ 日程:2024年5月18日(土)・19日(日) ※18(土)のみ参加 時間:18日-11時から17時、19日-10時-16時 ブース:大磯コネクト
5/19(日)文学フリマ東京38
文学フリマ東京38に出店します。今回で東京流通センターでの開催は最後になるそうです。展示にあわせて制作した、作品集やグッズも販売予定です。ぜひご来場ください。
文��フリマ東京38 日程:2024年5月19日(日) 時間:12時から17時(最終入場16時55分) 入場料:1000円 ※チケット販売についてはこちら 18際以下の方、16時半以降は入場無料 ブース:第一展示場[Z-10] ※二会場での開催になります。ご注意ください。
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以上、どうぞよろしくお願い致します。
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ある画家の手記if.?-4 名廊情香視点 告白
こいつら三人は、私にはたまに幻影かなにかのように見える。
向かいのソファに座ってる真澄の髪の毛を、光が横から器用に小さく編み込んでってる。 光曰く「今日はわたしとおそろい」。両サイドの編み込み。 「うん、かわいい」仕上げた光が真澄の顎に手をあてて頰に軽くキスして真澄の横に座った。
***
夫婦っつっても色々なんだろうが…。 単純に見たままなら年齢差で完全に犯罪なんだが、二人の様子を見てると、想いあってる愛しあってるのは一目��然として、他のどんな関係でもない「夫婦」だってのがなんとなく滲むように事実としてこっちに伝わる気がする。 外見はまったく似てねえのに、仕上がりが違うだけで同じ生地でできた揃いの服みたいにも見える。 本来の夫婦ってのはこういうもんなのか、サンプルが少なくてどうとも…これまで自分に対峙する誰かならそれなりに見てきたつもりでいた、でも自分とは別に存在して関係しあう誰かと誰かはそれほど注視してこなかったかもしれない。 直人と香澄がそれに当たる。私はあの二人をセットとして見たことは少ない。ないと言っていいほどに。 それぞれに応じてきた。あの二人の関係についてあれこれ考えたときでさえだ。 直人と香澄は純粋に好き合ってることが一緒にいることや今の関係にダイレクトに繋がってる。 とすると、真澄と光は、どうなのか。…ダイレクトなものだけじゃねえのは、分かるような。
「光はお前にベタ惚れだな」 三人で外を歩きながら、さっき光が真澄の髪を編んでたのを思い出す。 「うちが例外にしたって夫婦でもここまで妻が夫に惚れ抜いてるってのは結構珍しいんじゃねえか」 光の好意はわかりやすい。単純ってのとは少し違いそうだが、こと好意に至っては表現に迷いがない。一方の真澄のわかりづれえこと。 今も三人で歩きながら光だけまっすぐ歩かずに真澄のまわりをくるくる回ったりコートの中に潜ったり真澄の手を握ってひっぱったり指先に白い息をかけてあっためたり、わかりやすい。 そんな光をたまにからかうような仕草でいなしたり丸い頭に手を置く真澄の印象は、満更でもない、って感じだ。 「そうかい。まぁ光は最初から頭おかしいんじゃねえかとドン引きする勢いで押してきたヤバい人ではあった。押し負けた」 「押し勝った!」 なるほどな。誰にでも好意的なような光だが、そこからさらに他のすべてへの好意を自分で押しのけてでも真澄一人を選びとるほど、真澄が好きだと。そういうことでいいんだかなんなんだか。 昔から愛だの恋だのって手の話題は不得意だ。好意的な感情の細かいジャンル分けや線引きに昔から首を捻った。その点、直人と香澄は私にとって考えやすいともいえる。あいつらお互いに好意的な感情はなんもかもすべて相手に対してあるからな、多分。 私がこれまでまともに恋愛して恋人同士になった相手なんて学生時代含めたってほんの数人だ。それも型に嵌った何の面白みもない交際。どれも短期間で終わった。同じ家で育った兄貴の交際遍歴を見てて、レンアイってのは難しい…面倒なもんだとハタから見て醒めちまったせいもある。 でもそういう交際やら人間関係の機会に恵まれなかったわけでもねえんだし、もう少し恋愛とかなんとかに絡んで、あの複雑怪奇な情緒をもっと掴んどくべきだったか。
…学生時代、か。… 「………ユキムラマスミ…雪村真澄…お前、今と学生時代で姓名変わったりしてねえか?」 聴かされて覚えた名前、音でしか知らなかった。 まさかこいつがもしかして、同姓同名じゃねえ本人か? 「変わってねえよ?」 拍子抜けするような素直な返事が返ってきた。警戒心の抜けた顔。表情はそれほど大きく変わらねえけど醸す印象が随分変わるな。 「人違いだったら悪い。ユキムラマスミ…もしかしてあれか、私のいた××校で、女遊びが激しいとかなんとかいう噂で、一部の女子から熱狂的に好かれて一部の女子から毛虫のように嫌われてた。意識したことなくてお前自体の姿とか顔までは知らなかったけど、何人か来たぞ、私のところにお前に振られた女子が、お前への割り切れない気持ち抱えてさめざめと泣きに。」 「人違いだね」 ここは間髪入れねえのかよ、嘘だな。 道路脇にかがんでた光が走って追いついてきて、私と真澄に一本ずつ花を渡してきた。 「光のぶんはねえのか?」 光が何も持ってねえから聞いてみれば「わすれてた」とか今気づいたみたいに言いながら驚きに三つ編みが跳ねそうなリアクションしてる。 なんかこういう妖精いたな、人間にプレゼントするのが好きで、自分のことが頭から抜けてて、無制限になんでも喜んで渡しちまうから、最後には妖精自体が存在までもをなくして無邪気に消える。 ふと、さっき光が真澄のコートの胸ポケットにさした花を、真澄が抜いて、光の三つ編みの耳あたりの編み込み部分に髪飾りにしてさした。光がにこにこして真澄を見上げる。 …真澄がいるから、消えねえ妖精、か。 「真澄。おんなあそび。ってなに?」 「何だろうねぇ」 微笑ましいんだかボケてんだか。真澄はともかく、光はこれ分かってて夫に嫌味ふってるとかってふうじゃねえな。 「真澄の話しっぷりはケムに撒いてんのかマジなのかよくわっかんねえなぁ…。お前の話を光はなんでも信じ込んじまうんじゃねえか?」 光は真澄のコートの中に入って前をカーテン閉めるみたいにして合わせて顔だけぴょこっとのぞかせてる。よくその近距離で二人とも滞りなく歩けるな…と思ったけど歩幅も足のでかさも違いすぎて逆に歩けてるっぽいな。 真澄が私の言葉に息だけで笑い零した。 「煙にまくつもりはないぜ。煙にまかれてんじゃねえかと思われた時点でそいつは成立してないもんだ」 視線の方向のわかりづらい黒目がちの伏目の目線の先が、光の頭に目配せするように動いた。 「…」 つまり真澄も、無垢で純真な少女にひたすらまっすぐで美しい想いを向けられ続けて、その無垢な想いの美しさに押し負けた。んじゃねえってことな。…なんかはじめからそんな気はした、半分くらい。 「さっきのはなし。××校ならわたしもがっこうそこだった。ふたりが入学する年にわたしがちょうど卒業したタイミングだったのかな?」 光が真澄のコートから出て、話を戻してきた。 光も同じ学校か。まああのへん子供の数も少なかねえけどそれほど多くもなかったし、いくつも分校されたりってのもないし、一箇所集中しやすかったか…。 「……先輩から聞かされた噂にこんなのもあったな。保健室の座敷わらしとかなんとか言われてた女子生徒。男子と途切れることなく付き合うものの秒速で別れたかと思ったら直後に別れた相手の男子が怪我したり厄介ごとに見舞われる怪奇現象が起こるとかいう…。」 「ひとちがいです」 「光は絶妙なタイミングで嘘が下手だな」 からかったら光がガクッと項垂れた。 こうしてスラスラ学生時代の噂話なんてもんが出てくる自分にびっくりする。 別に私は噂好きでもねえし校内の噂に精通してたわけでもねえし、噂話はむしろ好かねえほうだ。ただ、校内でさんざん周囲の話題にのぼってたせいで耳に焼きついて覚えてたいくつかが今うまくヒットした。 と、いうより、今夫婦になってる真澄と光が両方とも、学校って場所で目立ちやすい存在感と話題性を備えてたんだろうな。 つーか今の感じからしても十分納得するもんがあるよ。お前らは今そうやって夫婦として並んで仲良さげにしてるだけで結構目立ってるしもう話題性を伴ってるからな。 「なんで座敷わらしだったんだ?」 「うー かみのけが、まっすぐで、いまよりすごく長かったからかな」 「重たそうだな…動きづらくねえのか?」 「あの頃はかみのけ切ったらはるきくんに怒られるからしかたなくずっと伸ばしてたらそんな見ためになっちゃってただけだもん…」
ハルキ。佐伯春輝。 昔のことはよく知らねえが、最近のことなら少し聞いた。 絢が、その佐伯春輝ってのがいずれ光の命を狙ってくるのは自明だっつって主張して、光が自分から相手の懐に入って、加害された現場を真澄が処理、ごく自然な証拠を揃えてうまく逮捕につなげた。その犯罪者だ。 ーーー家庭内での案件てのはつくづく捌くのに苦労するもんだ。直人も、香澄も、絢も、光も、慧も、問題のすべてじゃねえにしても確実に家の中でも蝕まれた。 そういうのに切り込むには真澄がやったような変化球が必要になる、少なくとも今のこの国では。 聞いた限りの印象では、私は光の動きが甘かったように感じた。自分で行くと言い出した光、命を左右する現場になる可能性が高かった、実際そうなった、それでも光にはまだ佐伯春輝を救おうとするかのような行動と、警戒心の欠けも多かった。 あれじゃあ真澄も常日頃から気が抜けねえだろう、なんて顛末まで聞いて一人で思ったりもした。まあ簡単にしか聞いてねえからこの程度の感想もハズレてっかもしれねえけど。 ……。光がただの純真無垢な女の子、ではないことは分かった。でも佐伯春輝の件での動きで私が光に持った印象は、つまりそういうもんだった。そう思われておかしかねえんじゃねえか。…否、まだ何も知らねえ段階で、ここまで考え下げるのも無為なような… 「…ハルキ、って、簡単な話しか聞いてねえけど、あのお前の養父とかいうクズ野郎か。あれからどうなった」 おとなしく服役中、じゃねえ可能性がある。それもわからねえが、真澄が相手に刑務所なんて快適生活させとくか? 「光知ってる?」 真澄に聞かれて光は近づいてきた街中のほうを見ながら答えた。 「きもだめしにあそびにきてたよ。おばけ役やりたいみたいだったからわたしとかすみくんとなおとくんとときひこくんで退治したの」 一瞬パキッと自分の歩行が石みたいに固まった気がした。…光と香澄と直人…なんつー絶望的な危機対処班だ… 「情香も呼んだはずだぜ?来ればよかったのに」 「そのオバケとやらの出現を先に教えりゃ行ったさ…。なんつった、直人がなんだって?死人かいいとこで重傷者は出なかったのか?」 これは冗談で言ってんじゃねえぞって目で真澄を見る。真澄は光と顔見合わせてる。 「約一名重傷だったかな?」 「そうでもないよ、おばけだし。ぺしゃんこになったけどたぶんもうげんきにやってるよ」 顔見合わせたまま眩しいくらいにこにこ笑ってるそれは誰がどう大丈夫で誰がぺしゃんこになったんだよ。 …トキヒコ? 「さっき私の知らねえ名前も出たな。随分たくさん集めたのか?」 「ときひこくんか」 話してんのを聞きながら、単に「ヒコ」ってどこにでもある名前の類似で思い出す。
初めて会ったのは… パーティに、直人と香澄とはじめて行ったとき。 画家や関係者だらけのホールに、一人の男の子がいた。その場に子供が彼だけだったわけでもなかった。それでも記憶に残ってる。 偶然近くにきたとき、彼があまりにも強い力で自分の上腕あたりを引っ掻いてたから、服の上とはいえ怪我すると思って、おせっかいは承知で軽く一声かけようとした、 その一声をかけようとするモーションを私が少しも取ってない手前の瞬間に、彼は私のほうへ素早く顔を向けて、何も言わずそのままただ私をじっと見た。 睨まれたとまでいかない、でも独特の目つきをしてた。 あれだけ大きなぱっちり開いた目での上斜視、まるで睨み上げてるようにも見える、私じゃなくてもかなり印象深いだろう。 その子がまったく別日に、ハロウィンで真澄の家に集まってる中にもいた。 その子は直人とハロウィンの作業を終えてから、探すそぶりもなく私のところまで迷いなく歩み寄ってきて、頭を下げて言った。 ーーーー”覚えていらっしゃるか分かりませんが、パーティのときにお会いした者です。行屋虚彦と申します。あのときはご挨拶もせず不躾な目で見て、すみませんでした”ーーーー
「……」 イキヤ…ウツヒコ、か…。さすがにここは関係ねえかな。 「ときひこくんは…真澄のおともだち…?」 「残念ながら違う。僕に友達は居ない」 言い切ったこいつ。友達はいない、か。友達の定義にもよるだろうけどよ…。 「ときひこくんは真澄のことおともだちだっていってた…ときひこくんのかたおもいなの?」 道の脇の比較的綺麗な高いブロック塀の上に身軽に飛びのった光が、そこに腰掛けて両脚を交互に揺らしながらきょとんとした顔で訊く。 「おおう?あの人何言ってんだ」真澄が妙な曲がる球でも受けたみたいにウケてる。 「なら友達としておくよ。片想いされてんのは僕じゃねえしな」 「そうだった、かたおもい…ふてきせつなことばづかい…。ときひこくんはかすみくんがすきなんだった」 急に球がこっちに曲がって私にヒットした、どういうこったよ…。 「そこで香澄が絡んでくんのかよ。なんかまたやべーやつじゃねえだろうなそれ…」 あからさまに嫌な顔して腰に手を当てる。 「わわ、」 そのとき光が妙な声をあげて唐突に大きく体勢を崩して壁から落ちた。 「!」 私が受け止めようと動いたときにはもう真澄が落ちてきた光を抱きとめてた。 「やべーやつだな。けど僕や情香とどっこいだぜ」 たぶん。てとこまで付け加えて答えながら、光を地面に下ろす。 私は普段から、何事か起きるのを頭で考えて予期して動くのは体質的に合わないんで、それよりよほど俊敏に反応できて動ける条件反射でだいたい動いてる。危機対処にしても体の動かし方ならそっちが主軸だ。 真澄はまるで考える部分がごっそりないまま、ただ予期してたような動きを当たり前にする。それで合ってんのか知らねーけど、仮にそういう人間がいたとして…予期が思考じゃなく感覚的なものなら、ノータイムでの動きも可能か…。
さらに歩いて行きながら話を続ける。 のんびり歩いてるせいでちょっとそこまで買い物に行くだけなのにずいぶん時間かかってんな。
「私やお前と張り合うようなやばさならまだ助かる。最近香澄の友達っつー子と話す機会があってな、…あと半歩横にズレりゃ香澄のストーカーっつーか…様相…実態としてな。あれにはまいったよ」 「ほー。そりゃお疲れさん」 「……」 つい最近の、自称香澄の友達っつー子。 あの子と私個人での相性の悪さや考え方の違いはそりゃ在るだろう、てだけでどうってことじゃねえし、あれ以外にも捌き方はあった。扱いにまいったとかじゃない。 「…妙な話だけど、今の形の家族が持てて、これが私に許されるギリギリだったろうなと思うよ。後からだからこそ思える話かもしれねえけどさ」 … 特に優先すべき重要な話題があるでもなし、三人で散歩ついでに話しながら買い物してこうってだけだから、少しくらいは重めの話振ってもいいか。この二人相手でそのまま場が暗く沈み込んじまうってこともなさそうだしな。 …と、思って、珍しいな…とか、少し外れた位置から思う。
友達や知り合いがいないとか孤独に生きてるとかってわけでは全然ないが、これくらい気軽に喋れる相手ってのはいなかった。 うちの場合、特に夫や息子の話ってなるとそのままを話してみてなかなか二言で腑に落ちてくれる相手はいない。香澄が友達に詰め寄られてんのを前もって危惧してたのも、その辺があった。 そういう入り組んだプライベートがなんとなくでも共有できる相手ってのは珍しい。ありがたいとも思う。 話を続ける。 「私が初めて香澄に会ってあれこれ略歴聞いたとき、本人はなにも答えきれてねえこと自体にはおろおろするものの、自分にその答えられねえって事実がなにも響かねえことには動揺はなかったっつーか、ある意味ではあの状況でよく落ち着いてた。本人に落ち着くも何もなかったのかもしれねえが、今回は友達の言葉になんとか考えて自分で反論しようとしてた。私はそこを遮った」 私の高くて細いヒールの音が道のタイルに響く。 「香澄への負荷と、相手にもヒートダウンする時間とチャンスをやるべきだと咄嗟に思った。それにくわえて昔からの癖で、ここはバッサリ省いていい、無為な、思考をさくべきポイントからズレてると…長く真剣に向き合ったぶんだけ下手に消耗してすり減らす…と直感で思ったものを、迷いなくバッサリ切り捨てちまうんだ。 …でもその場から離れても、香澄は友達の言葉に向き合う姿勢を崩さなかった。これにもまだ別の意味での危うさはあるものの、自分がもし香澄にとってもっとひとつひとつの言葉がひどく重く絶対的に響くような存在…例えば実の親だとか、だったなら、とてもじゃねえけど今回みたいなフォローに見せかけた横暴はできねえし、怖気付いて何もできなかったかもな…てな。」 愚痴っぽい情けない述懐に、光は何も言わなかった。これで案外母親としての覚悟や方針は、光のほうがよっぽど度量深くすでに決まってるのかもしれない。 絢には時間がない。 つまり真澄にも光にも、親として家族としてグダグダ迷ったり悩んだりする時間は、もうそれほどない。 真澄も光も絢も、相手に自分のことをまるでわかったような気にさせるのが上手い。騙してやろうっつーことじゃなく自然体でやってるんだろうが、今の私みたいに接した相手は気分いいだろうな。 そのぶん深刻な虚像か勘違いを相手に抱かせたまま、それをことさら修正する必要もなく、生きていく。 誰しもそんなもの。それでも程度の差ってのはある。 こいつら三人は、私にはたまに幻影かなにかのように見える。 横で真澄が小さく嘆息した。 「そんなものは相性でしかないさ。香澄には情香が合う、それで親子なんだからいいじゃねえか」 「……」 幻影(仮)のわりにまっとうなこと喋るよな。おかげで少し頭が切り替わったよ。 「…てめえんちはお利口なウサギと素直なリスだがうちは違った意味で手に負えねえガキが二人もいんだぜ…?いろいろ悩むこともあらぁな…」 自分から話し出したついでに、ここらで恨めしげな目つきしてまぜっ返す。 「お利口…」 真澄が光を見て呟いた。 そういや絢とは最近対面で話してはねえな。なんか絢も変わってきたのか…? 「まだまだ可愛らしい範疇だよ。絢は真澄にベタ惚れだし。とてもかわいい」 光がえらくかわいいを連発してる。絢って初対面時のしっかりした爽やか美青年のイメージが私の中では強いんだが? 「…お前もな。まぁそいつはお互い様だろう。ひやひやさせられてしょうもねえアホだけど可愛いんだから仕方ない」 ……。 「…このリスもはじめはお前のストーカーだったんだっけか?」 親指でクイッと光を指して言ったら真澄が吹き出した。相当ツボに入ったのか肩震えてる、ガチで笑ってんじゃねえかこれ。 「ますみー!そのリアクションまちがっている!ここはわたしをフォローするところだぞ!」 真澄のまわりをぴょんぴょんすごい跳躍力で飛び跳ねて光が抗議する。長い三つ編みが一緒に大きく跳ねる。 それをなだめるように真澄が光の頭を撫でる。 …ちょうどいい、感じでもあるんだろうな。真澄と光と絢は、三人で家族で。
ここではたとさっきの話に頭が戻った。 「もしかして光くらいの世代か…?慧がいたの」 「あき。」 光が横で首をかしげる。三つ編みが一緒にかたむく。 「冷泉慧鶴。やたら目立つやつだから分からねえかな、見た目は完全に白人で、プラチナブロンドに薄い青い瞳の、品の良い雰囲気してるやつで…」 私や真澄とは世代がずれてる、でも光なら校内にいりゃギリ先輩だったはずだ。知り合いじゃなくてもあいつはどこ行っても注目される、…それで光が注目するかはあやしいけど。 「わたしほとんどほけんしつにいたから…ほけんしつの座敷わらしだったので。…ほんとにぜんぜんがっこう行けなかったから、しらないかもしれない…。じょうかちゃんのおともだち?」 一度舌出しといて、私に申し訳ないみたいに眉下げてくる。 「長い付き合いの友人だ。絢となら、ほんの数回だけど会ってお互い見知ってはいるんじゃねえかな。 約一年前、半身に大怪我を負ったまま病院から失踪して、それっきりになってんだ。足どりを調べてもあまりに綺麗に行方知れずで、どう賢く人目を避けてもここまで痕跡を残さねえのは難しい。失踪してこれまでの全部なげて生きるのも私個人と二度と関わらねえのも、それもいいと思うんだが…なんかやべえことに巻き込まれてねえといいんだけどな…」 最低限の情報を伝えて私的な感情も伝えておく。素直な本音だ。慧が今どうなってるやら…。 「もしどっかで見かけでもしたらできれば教えてくれ」 ケータイを取り出して慧の写真を二人に見せる。ネット上に死ぬほど盗撮画像とかがあんだけどな。 「……つるちゃんだ」 「…つ?」 思わず反覆しそうになった。 あいつがあだ名で呼ばれること自体が珍しい。そこまで他人を懐に入れねえし、せいぜい私や直人や香澄が「慧」って縮めて呼んでた程度だろう。 「わたしほけんしつにいたから。つるちゃんもときどき具合わるくなってほけんしつにきたよ。わたしの先輩でほけんしつなかま。……つるちゃんいなくなっちゃったの…」 光がほんの少ししょんぼりした様子になる。聞けばそんなに仲が良かったってことでもなく、一度も連絡もとってねえらしい。ならそのしょんぼりはどっから来てんだ。
とりあえず画像見せるために足を止めてたのを、また街中まで歩き出す。 まだ夕方にもなってない、太陽の位置は高い。 古本や書籍の店だらけの場所まで来た。 「光は本が好きなのか?」 「んー……??」 謎の返事。好きとか嫌いの枠から外れた特殊なものか? 本屋に入ろうとした瞬間、一歩手前で立ち止まった光がギュンと効果音がしそうなくらいの速さで首を横に振って、私の体に三つ編みが高速でバチンと当たった。 小さく謝った光は視線の奥にある通りをじっと見て、 と思ったら途端に駆け出した 「光!」 すぐに追いかける なんだ 異様に足が速い、本当にこんだけ私と身長差あるのか?追いつけるかどうか… 「つるちゃんみつけた!」 走りながら光が言った、 目視で確認する前に光が追いついた、 長いブロンドの、 走ってきた私たちを交互に見てぽかんとした…多分…慧。
「つるちゃんでしょ?みつかったよじょうかちゃん」 満足げに私の顔を見て笑う光は、慧の服の裾をガッチリ掴んで握りしめている。 慧の目線が光を見下げて、思い当たったように少しだけ目を丸くした。 「…きみは…、××校の…佐伯?」 気のせいか…?なんか慧の様子が… 他人か��声をかけられて愛想笑いでも作り笑いでもなんでもニコリともしねえってのは…初めて見た。 「もう佐伯じゃなくて雪村だよ。けっこんしたから。あのね、この子がつるちゃん探してたの。わたしのおともだちのじょうかちゃん」 光の後ろに立つ私が名指されて、視線を光の顔の位置まで下げていた慧がちらりと一瞬あげて私を見た。目つきだけでお互い「詳しい話は後で。」って意思疎通が済んだ。 「…お前の友達?情香がか?」 慧の物言いが若干刺々しくねえか…? 「うん。なんでそこが気になるのかな」 ん?光もなんか張り合ってねえか…? 「情香は友人になる人間はちゃんと選ぶぜ」 「ほう、わたしではじょうかちゃんのおともだちには不足だと」 「誰もそこまで言ってねえ。なんで服掴んでんだ離せ」 「にげちゃうからだめだよ、つるちゃんよわむしだもん」 …。だんだん口調が砕けてきてる、どうもこっちが慧と光のお互いよく知った本来の雰囲気らしい。 やっぱただの保健室で顔合わせてた付き合いの薄い先輩後輩って仲じゃねえだろ。なんかあったのか…? 「そういう無遠慮に踏み込んでくるあたり変わってねえなお前。何十年ぶりって再会だってのに昔と寸分変わらずいけ好かねえなんて、自分が情けなくなってくる」 「かなしいこと言うやつめ。わたしはつるちゃんすきなのに」 「いけ好かねえんじゃなくて嫌いだってきちんと言い直すべきか?」 「大差ないからどっちでもだいじょうぶ。」 「何が大丈夫なんだ分かんねえやつだな」 「……。」 思わず聞き入ってしまった。
慧が姿だけでもだいぶ豹変してるとか、思いもよらず見つかったとか元気そうだとか、色々思うところはあるものの、 基本的に誰にでも笑顔で、嫌いな人間にも礼儀は通すし自分がどんな状態でも礼節は尽くす、あの慧が。 簡単に人を罵ったり嫌ったり下品な振る舞いは決してしない慧が。 光をおそらく…ディスっている、淡々と…。 慧は光にそれだけ言い捨てるようにしたあとでさっさとその場を去ろうとする。 私にはあとから電話もメールもできるからか?……光が離さねえから服の裾伸びかけてる…。 「慧?…大丈夫か?」 声をかけていいもんか迷ったが、慧の連絡先が変わってちゃここで逃すと連絡つかねえかもしれねえ。 慧は静かに振り返って光の手を掴んで服からひっぺがしながらこっちに向き直った。…手袋いらねえのか… 「悪い、光に気ィ取られた。一年ぶりだな、情。後味悪い上に面倒な消え方して悪かったよ。色々お前に世話もかけたんじゃねえか。また日を改めて連絡する。一年分と今日も含めて、そこで埋め合わせさせてくれ」 ほぼ以前と同じ笑顔を浮かべた慧が目の前に立って話している。これも作ってるわけじゃねえんだけど…相変わらず器用にモードチェンジするな。 「…埋め合わせより、質問はここで済む」 「ん?」 「いま元気か、何かやべーことに巻き込まれたりしてねえか、私の助けが必要なことはあるか?」 それさえ確認できりゃいい。友人としてまたつるむのは当然のことだ、慧がまだそう望むなら。 慧はしばらく考えたあとで答えた。 「元気にしてたし、元気だよ。お前の助けが欲しけりゃ遠慮なくまたいつでも頼らせてもらうさ」 これは信頼の示し方だ、慧なりの。 効率よくするための分担だとかで他人と協力して仕事に取り組んだり、そういうのはコミュニケーションスキルの高い慧の得意分野だけど、そういうのを好んでやってはねえし、一人で片付けられるならそれが一番気楽で、誰かに頼るのが上手いようでいて、本当の意味で信頼して誰かに助けを求めたり頼るのは下手だ。 慧は一拍おいてさらに続けた。 「巻き込まれてはねえよ。俺の意思だ」 そのままくるっと体の向きを変えて通りを曲がっていく。 横から光が手を振って言った。 「またあそぼうねー」 慧が遠くから「勘弁しろ…」とかなんとか、こっちを見もせずに半目でげんなりした様子で呟いてるのがかすかに聴こえた。 …あの髪の長さでも美術講師は務まらねえことねえはずだけど、慧の性格的に教職就いててその職種に必要な域を出るほどに派手だったり奇抜な外見は、本人のすわり心地が悪くてできねえはずだ。 ただでさえ必要以上に目立っちまうから慧はせめて髪だけでもっつって常に短く整えてた。 別の理由も絡んでるが。 …以前の張り詰めた空気感が…緩んだ、ようで、以前より緊張感は増してるようにも感じる。 巻き込まれてはねえ、か…。自分の意思とやらで結局今なにしてんのか、今度会ったときに吐いてもらうか。
完全に置いてきちまったと思ってた真澄がいつの間にか光のそばまで追いついて来てた。 その日は光が読む本をどっさり買って、三人それぞれで分けて本を抱えて持って帰った。 私は雪村家の近くの駐車場に停めてた自分の車で自分の家��で帰る。 光からメッセで唐突にお茶会の誘いがきたと思ったら…こうなるとはね… 考えたいことと、すぐにも始めたいことが色々浮かぶのを、運転しながら頭を落ち着けた。
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Remains of Shadowings 2022 Setouchi Triennale 2022 Teshima, Kagawa, Japan Oil on board, antique frames, surveillance cameras, monitors, sound, radio, CRT TV, sand, furniture, household items, others This immersive installation uses a 100-year-old dilapidated house. Visitors follow a route through 13 rooms, corridors, and a garden, including semioutdoor storage rooms and collapsed rooms. 12 of the 13 rooms are each decorated with a painting, which depicts some part of the space in which the painting is placed. The exhibition spaces are set as a mixture of fiction and fact, with rooms that have been purposely left in their original state as if they were ruins, a room in which a dining table has been recreated as if someone had been inhabited a moment ago, a room in which stairs have been set up in unnatural combinations, and rooms with newly installed waste materials as if they had been dilapidated. The viewer has no way of knowing which are the objects newly exhibit and which are originally there. In the thirteenth room, at the end of the route, twelve monitors are installed. Here, for the first time, the viewer can learn that all 12 rooms s/he has seen so far have been monitored by surveillance cameras. (All of the surveillance cameras in each room are carefully installed in a concealed manner, so it is difficult for the viewers to notice the cameras in advance.) On the monitors, the paintings in each room are shown in close-up, and the viewer is now looking through the screens at the paintings s/he has just seen in the previous rooms. The “objects” in the rooms, the “paintings” depicting them, and the “images” monitoring the paintings — different “dimensions” exist in the work, and the viewer experiences a back-and-forth between these multilayered dimensions. The title of the work, “Remains of Shadowings”, is referred from “Shadowings”, a collection of short stories by Lafcadio Hearn (Yakumo Koizumi). The inspiration for this work was taken from a piece “The Reconciliation” in “Shadowings”. The visitors will experience the world of “Reconciliation”, which takes place in an abandoned house and moves back and forth between dimensions from reality to dream, and from dream to reality again, by walking through the sites in order. かげたちのみる夢 Remains of Shadowings 2022 「瀬戸内国際芸術祭2022」 展示風景 豊島 甲生地区, 香川 木板に油彩、アンティークフレーム、監視カメラ、 モニター、サウンド、ラジオ、ブラウン管テレビ、 砂、家具、日用品ほか 築100年余りの朽ちかけた古民家を使用した没 入型インスタレーション。半屋外の物置や倒壊 しかけた離れなどを含めた13の部屋と廊下、庭 などを使用しており、鑑賞者は順路に従って進 んでいく。13のうち12の部屋にはそれぞれ絵 画が1点飾られており、絵画の中にはその絵画 の置かれている空間の中のどこかが描かれてい る。会場内は、廃墟のように雑然としたまま本来の姿を敢えて残した部屋や、あたかもさっきまで人が住んでいたかのように食卓が再現された部屋、階段などが不 自然に入り組んで設置された部屋、わざと荒廃したように新たに廃材を設置した部屋など、虚実が入り混じっており、鑑賞者はどこからが「展示された」もので、どこ からが「元々あった」ものなのか、知る由もない。動線の最後にある13番目の部屋には12個のモニターが設置され、ここで初めて、鑑賞者は今まで観てきた12の 部屋が全て監視カメラでモニタリングされていたことを知る。(各部屋の監視カメラは全て隠されて設置されており、鑑賞者が事前にカメラに気付くことは困難であ る。)モニター上では各部屋の絵画が大きく映し出されており、鑑賞者はすぐ直前まで観てきた絵画を、今度は画面越しに鑑賞することとなる。 部屋内に存在する「もの」、それを描いた「絵画」、そしてその絵画をモニタリングした「映像」−−異なる「次元」が作品内に存在し、鑑賞者は多層化する次元を行き 来するような経験をする。 なお、作品タイトルにある「Shadowings」は、小泉八雲による短編集『影(Shadowings)』より引用されている。『影(Shadowings)』の中の一編『和解』から《かげたちのみ る夢 Remains of Shadowings》は着想を得ており、廃屋を舞台に現実から夢へ、そして夢からまた現実へと次元を行き来する『和解』の世界観を、敷地内を順路通り 歩くことで鑑賞者は追体験することとなる。
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