#番犬助ちゃんを黙らせるには
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CHAPTER 4
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(Japanese Version)
CHAPTER 4
もしこれが夢なら、本当にほっとするだろうな。永遠に続く混乱と不安のサイクルに閉じ込められるのは、絶対に嫌だ。特に、自分が一瞬たりとも想像したことのない状況にいるのだから。
「お前のプライドを傷つけたか、サンズ?」
こいつ、俺を怒らせようとしている。
「へっ、小細工はやめて、さっさと顔を見せてみろよ。」
今の俺の運の悪さを見せたくない。この手に掴んでいる人間は、俺に何の助けにもならない——今この瞬間、俺の人生のどれだけ不幸なことか。俺が一番助けを必要としているときに、お前は完全に役立たずで、ただの障害にしかなっていない。
崩れ始める世界の背後で、空中に浮かぶ破片、破壊の断片が骨にまで染み渡るのを感じる。この黒い霧に飲まれないよう祈るしかないような状況だ。もしこの姿が、世界を支配する神であり、俺の運命を手のひらで弄ぶ存在だとしたら、指を鳴らすだけで俺を消し去る力を持つ存在だとしたら……
今俺がただ望むのは、現実から逃げて死ぬことだ。
「急ぐなよ。驚きは後のお楽しみだ。今はこのまま話そうぜ。」
「俺のルールは俺のルール、お前のルールはお前のルールだ。お前のルールでやりたいなら、交渉もしないし、お前の望みに従うつもりもない。」
こういう時、支配を巡る戦いは避けられない。誰かを支配したいわけじゃないけど、追い詰められると俺はさらに圧倒されるだけだ。
「じゃあ、このままずっとここに閉じ込められることになる。それが望みか、サンズ?」
俺は嘲笑うように笑い、断固として立ち向かう。「俺は怠けるのが得意だぜ。やってみろよ、俺と同じ骨の仲間になるだけだ。」
遠くからかすかな轟音が響く。俺がこいつを納得させられたのかどうか、さっぱりわからない。でも、その微かな揺れが、少なくともこいつのプライドに刺さったことを教えてくれた。
その一瞬のチャンスを見て、俺は人間をテレポートで自分の部屋に送った。それが唯一思いつく安全策だった。ト���に約束したから——まあ、そこが安全かどうかは保証できないけど。無事でいてくれることを祈るしかない。この馬鹿げた状況で、これ以上俺を苦しめないでくれ。ただゆっくり息をつきたいだけなんだ。
「その子供をお前の部屋や秘密の研究所に送っても意味がないってわかってるだろう。俺にはどこに行くかが全部見えるし、いつでもそいつを破壊できるんだ。」
最初からわかってたさ。俺はその子を——いや、自分自身も——この変人から救うことはできないって。でも、少なくとも俺はやったんだ、たとえそれが無駄だったとしても。トリとの約束を守らなきゃならない。少なくともこれは、彼女が信じた言葉を俺なりに守る方法なんだ。
「何かをする方が、何もしないよりはマシだ。それに、もしお前が本当にそんな力を持っているなら、もうとっくにやってるはずだろう?俺がその運命を嘆く必要もないってことだ。で、何を待ってるんだ?」
「おお、冷たい態度だな?その人間に本当に興味ないのか、サンズ?」
何の権利で俺の道徳心を問いただすんだ?こいつはただこの無意味な会話を引き伸ばして、貴重な時間を浪費させたいだけだ。これが奴のゲームか?俺がどれだけ引きずられるか、負け犬になるまでの時間を測るってことか?
まあ、この馬鹿げた話は終わらせてやる。
「その人間を殺すかどうかなんて気にしないさ。そいつが簡単には死なないのはわかってる——だって、もしそんなに簡単なら、お前はここでくだらない脅しをしてる暇なんてないはずだ。」
「俺に挑戦してるのか?」
俺はニヤリと笑った。この変人にもわかってほしい——どれだけ俺がその人間を気にしてるかなんて尋ねる時点で、脅しはもう効かないんだ。
「さあ、やってみろよ。お前がどうやるのか見ててやる。」俺は淡々と答えた。
不気味な沈黙がその場を包み込む。俺の鋭い返答にすぐには反応しなかった。その場は痛々しいほど静かで空虚だった。冷たい、骨までしみる風が俺を包み込む。しかし、俺の心も魂も穏やかだ。ゆっくり流れる川のように落ち着きを保ち、次に何が来ても警戒を怠らないようにする。それが最悪の状況に追い込まれない唯一の方法だ。
「なるほど、天才だな!議論が得意なんだな?俺はお前と戦わないよ。」
俺は微笑むしかなかった。その言葉を聞いて、勝利の音が耳に響いた。いいぞ。この戦いを無駄に長引かせることはなかった。
「さて、お前の姿を見せろ——!」
俺は最後まで言い切ることもできなかった。
突然、凄まじい爆発が世界を粉々に砕き、俺を完全に動揺させた。あまりにも速くて反応する暇もなかった。
目を貫くような閃光が襲いかかる。耳をつんざくような音が、俺の心を鉄の棒で削るように響いた。鋭い痛みが増し、骨を砕くように感じ���。
目を開けようと必死になり、周りを見回す。部屋は白い空間に変わり始め、木々や崖、そして……パピルスも飲み込まれていった。彼の姿はどこにも見当たらない。足が地面に釘付けにされたように動けなかった——でも、彼を探さなきゃ。パピルス……絶対に——
「お前自身のことを心配しろよ、サンズ。お前はもう彼を見つけられない……おっと、俺が許可しない限りな。」
彼らの声は冷たくなり、もう遊び心もリラックスした様子もない。この時は真実を語っていた。
俺はパピルスを見つけられないだろう。
彼らの慈悲がなければ。
くそっ、なんてことだ!
「さて、サンズ、俺を見ろよ。」
俺はその声がどこから来ているのかを探ろうと、全神経を集中させた。
ありえない……まじか。これって……全然予想してなかった。
「冗談だろ。」
俺の目の前に立っているその姿を見つめて、俺の目は見開かれた。俺をじっと見つめるその目、そして広がる不気味な笑顔。
俺の目の前にいるのは……
「レイズ。」
その笑みはさらに不安を煽るようになり、俺をものすごく不快にさせた。
「レイズ、レイ、あるいは—」 彼は威圧的な��情で俺を見て言った。 「サンズ、お前、自分の名前で呼んでもいいぜ、サンズ。」
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11/11文学フリマ東京レポート
11/11文フリ東京の参加レポです。一ヶ月経っちゃってるというかもう年末だ…。この記事は公開したつもりで忘れていたやつです。せっかくなのでちょこちょこ書き足してみました。長いですがよかったら聞き流してください〜
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文学フリマ東京ありがとうございました! ものすごい人出で驚きましたが暑さがない分元気に過ごせたように思います(5月の文フリ東京や9月の文フリ大阪は汗だくだった)。ただまあ今回は、新刊のカバー巻きに追われていたのと、外周の混雑で買い物��出るのをほぼ諦めたため、ほとんど自分のブースにいたので体力を温存できたというのもあるかも。 わたしは第一展示場のまんなからへんの島中、N-5というところにいました。近いアルファベットのところしかまわれなかった。第二展示場はもちろん行けず…。買い逃した本ばかりだったし会いたかった人にも会えずでした。 そして今回はいつも以上に「新刊を出す」に全ツッパしたみたいな文フリでした。ほかのことは本当にズタボロだったのでいろいろ反省も多いです。 そういうなか、わざわざおかわだのスペースまで来てくださったみなさまほんとにありがとうございます。作品の感想を直接お伝えいただいたり、お手紙もらったり、サインを書かせていただいたり、ああほんとにありがたいことだなあうれしいなあと胸がいっぱいになりました。書いた小説を読んでもらえるのが本当に本当にうれしい。すごく充実感のあるイベントでした。
以下漫然と書いていきます。
■今回は個人誌の『顔たち、犬たち』が新刊でした。新刊のドタバタ模様だったりどんな小説かだったりはまた別記事にするとして(←12/24現在まだ書いてないな…)、前日に入稿した本が直接搬入で届く&会場でカバー巻きすることになったのでいつにも増して突貫工事でした。ギリまでやってるのはいつもだけど現地カバー巻きは初です。今まででいちばんやばい…。 まあでもちゃんとしてなくていいじゃんかって気持ちはちょっとありました。出版社や書店、著名な作家のブースが増え、しっかり作ったアンソロも目立つしそれぞれ宣伝とかもよく練られていて、わたしの同人誌はあんまりそういうのができなくてもいいよなと思った。 というかわたしなりの「しっかり作る」は〆切ギリギリまで書いたり削ったりすることだと思っているふしがあるというか。わたしの小説はわたしが勝手に書いて勝手に本にしているものなので、時間いっぱいまで本文に手を入れたいというか…最後の方はずっと書いていたいなあという気持ちになります。同人誌ならではの「書いて即売る」「自ら書いて自ら売る」をやっていたいのかも。
前日に入稿した本が直接搬入で届く ただまあこういうギリプランはイベントの規模や流通の便利さに頼りまくってのことなので、今後もずっとできるわけではないだろうなーとは思っています。 そして印刷業者さんがこういうことをやってくれるのは二次創作だったりいわゆる男性向けジャンルだったり、大部数の漫画を刷るようなお客さんがいるからで、わたしはそこに乗っかっているんだよなーとはちょっと思う。 いや金出す奴が偉いとはいわないし卑屈になっているわけではないんだけど、印刷業者さんの商売の仕組みというかそういうの。割増料金払った��しても負担ではあるんだろうし…とい��つつそういうプランがあるなら利用はしちゃうんだけど…。 出版社や書店、著名な作家のブースが増え いわゆるインディーズ作家だけじゃなくていろんな立場の出店者がいるのはイベントが豊かになって面白い面があるとわたしは思っています。はっきり境目があるわけでもないし。 ただ事務局の人たちがノウハウを積んできたのはあくまで「同人誌即売会」だなあと思うので、暗黙の了解的なところをおたがい伝えあう努力は必要かも。ほかのZINEイベントやブックマーケットとはかなり勝手が違うし。 あと今回は外周がすごく混んでいてわたしは将棋倒しとかちょっと怖かったんだけど、まあでもだからって事務局の人たちがこれをどうにかするのは難しいだろう…となんとなく想像しているんだけど、そういう温度感とか共有できてるといいなーとか。
■カバー巻きの時間を最大限とりたかったので会場設営に参加しました(設営に参加すると終わり次第自分のブースのことやっていいので出店者入場待機列に並ばなくていい)。 朝8:20集合。明け方4時すぎまでスペースでだらだらしゃべりながら準備してたのであんたほんとに行くの?って感じでしたがぜってえカバー巻きたいので行きました。 文フリ東京の設営に参加するのは初めて。テキレボとかほかの文芸イベントでやったことはあったんだけど、文フリ東京はとにかく広くて驚いた。こんなにたくさん終わるのかな…と思っているとなんか終わっているのですごかった。正直わたしはあんまり役に立ってなかった気はするんだけど、机や椅子をならべたり、案内図貼ったり、ブース番号の紙を机に配ったり、やれそうなことをがんばりました。 (なのでほぼ冗談のつもりで「わたしが並べました」って会場設営写真をドヤ顔ツイートしたんだけど、なんか知らない人にもたくさんいいねされていてちょっと恥ずかしかった…。ぜんぶわたしが並べたわけではないし、そのあと「机1個足りないですね」とか「これだと間隔広すぎですね」とかなっていたし…) あとこういう作業するときってしょうがない面があるのはわかるんだけど、「男の人来て」とか「女性は男性に手伝ってもらって」みたいな声かけがすごいあるね…。口うるさいようでごめんだけどオワーーッとはなる。オワーーッとなりつつそういう場面ではふつうに受け答えする自分もいる。面倒を避けたい自分。「力持ちの人〜!」でいいと思うよ…。 (いやまあわたしもくだけた飲み会とかだと「こ〜いう男のこ〜いうところがキライ〜!!!!!」みたいな雑発言をバリバリやらかすほうだけど、名乗りあわないイベント設営と知ってる人との飲み会はやっぱちがうしさ…)
そしてさっきの話とちょっと関連してだけど(わたしも初めて参加しておいて本当になんなんだけど)、新たに参加し始めた出版関係のみなさんで設営���ランティアに参加している人ってどれくらいいるんだろうなーとはちょっと思ったかな。見た感じ常連の同人サークルが多そうだった。いやわたしも仕事の一環で来ているならお手伝いボランティアはやらないと思うけど…。でもこのイベントってボランティアでやってくれてることがめちゃめちゃたくさんあるわけだしなーとは思うので、なんかこう商売につなげていくなら多少手伝うのがスジかなとは思った。 (もちろんいうまでもないことだけど、机や椅子を運ぶのはある程度元気な人じゃないとできないので、できる人がやることだとは思う)
■設営でばったり並木陽さんにお会いして、一緒に作業しました。一緒に机並べた。知っている方がいるとほっとする。一般参加だけどお手伝いに来ていたそうで、こういう方がおおぜいいるイベントなんだよなあと思う。そしてそればかりかなんとなんと新刊のカバー巻きを手伝ってくださり…や、優しい…。厚かましくもがっつりお願いしてしまいました。本当にたくさん巻いてもらいまして、文フリでお手にとっていただいた新刊の大部分は並木さんの手によるものです。めっちゃ速くてほんとに助かりました。わたし一人だったらあんなにたくさん巻けなかった。 いやおかわだのドタバタ新刊を並木さんにお手伝いいただいてるの超面白いでしょ。自分がぎょくおん書いてるとき並木さんのルスダンもギリっぽいな〜とかいつも勝手に(まじで勝手に)心の支えにしていて、あれから7年とか経ってるんですがおかわだくんは1ミリも成長がなくてうけるね…。その後買いに来てくださった方々から「これ並木さんが巻いてくださったそうで…」と一部方面に知れ渡ってんのがすげーおもろかった。 カバー巻いているときに添嶋さんがお菓子くれてうれしかった。これはお菓子もらってウレシ〜だけじゃなくて、知っている方からがんばってねって声かけてもらえたのがほんとにうれしかったしほっとした。何回参加しても心細いし不安でいっぱいなので…。J庭のときもそうだったけど、開場前に遊びに来てくださるのうれしいです。元気出ます。わたしがドタバタでほんと申し訳ないんだけど、先に本お渡ししたりもできるので声かけてくれて大丈夫です(出店者同士はそうやって融通きかせたほうがおたがい買いそびれやすれ違いがないかも)。
■そいでまあ机にモリモリ積んで、巻いちゃった本をしまう場所もないし、もうめんどくさいのでそのまま机に置いて開場したわけだけど(わたしの迷いを断ち切るように?並木さんが空いたダン箱���つぶしてくれたのだ…)、こんだけ積んで一冊も売れなかったらどうなっちゃうんだろうと心臓がバクバクしていた。べつにたくさん売りゃあいいわけじゃないし売れないのが格好悪いわけではもちろんない、作品の良し悪しとも別だとは思っているんだけど、けっこう目立つ感じになっちゃったのでまったく気にしないといったら嘘になる。 そして何より今回は装画を谷脇栗太さんにお願いしておりまして、本当に本当に素晴らしい絵を描いていただいたのでこれが一冊も売れなかったらほんっとーーにつらい。申し訳ない。こういうプレッシャーはふだんあんまりないんだけどけっこうドキドキしていました。 結果としては、机に積んだぶんはすべて買われていって、追加でちょこちょこカバー巻きした感じです。巻いた分はぜんぶ売れました。個人誌では今までで一番でした。よかった…と素朴に思った。本当にうれしかった。見つけてくださってありがとうという気持ちです。
素晴らしい絵を描いていただいたのでこれが一冊も売れなかったら こういうハラハラはBALMのときもあったことはあったんだけどあれはアンソロなのであんまり心配してませんでした。少なくとも参加者献本のぶんは人の手に渡るので…ってことはわたしが心配しているのは売り上げそのものではなく作った本が人の手に渡らない、読まれないことなんだなー。
■どういう人が手に取っていってくれたのか、正直今回はよくわかりませんでした。知り合いが少なかった。出店者は自分のところから動けなかったって人が多そうだし、一般参加で来ていた人もそんなにたくさんブースをまわっていた感じではなさそう。誰が買ってくれたのかわからないので開催後の買った本タグも追えてない…。 というか最近のわたしの場合、あいさつしたり遊んだりする知り合いは必ずしもわたしの小説を読んでる人ではなくて、読者イコール知り合いってわけでもない感じなので、たくさん本が買われていってうれしいと同時にこれは夢?みたいななんかこう不思議な感じです。手応えがないということではなく、小説を書いて不特定多数の人に届けようとするってどういうことなんだろうと考える。 あえて特徴としていうなら、前回、前々回で「イサド住み」「リチとの遭遇」を買って…と声をかけてくれた人が多かったです。リピートしてくださるのめちゃめちゃうれしいです。しゃべったり遊んだりの知り合いではなくてお名前もわかんないんだけどなんとなくお顔を覚えている…みたいな人もいたかな。 ぶらっと来て買ってくれた人もけっこういました。冒頭を読んで痺れたのでって声をかけてくれた人がいてものすごくうれしかった。そんなふうに言ってもらえて痺れるのはこっちだよ…。本をめくって数行読んでみて、ここから先も読んでみようかなと信じ、期待してもらえるのは、本当に本当にうれしい。ほかの何ものにも代え難い喜びです。
あいさつしたり遊んだりする知り合いは必ずしもわたしの小説を読んでる人ではなくて それがさみしいかというとべつにそうでもなくて…いや知ってる人が読んでくれたらそれはめちゃめちゃうれしいんだけど、無理して読むものでもないしなーと思ってる。同人誌で知ってる人って何かしら作品つながりで関わってる人��ので、読んでくれたらそれはほんとにとてもうれしいけど、そういうのを求めすぎると息苦しくなる気がしてる。ヘルシーにやりたいね…。 (まあでもおかわだに何か原稿とか企画とか依頼する人は小説読んでからにしてほしいなというのはとてもあります…。読んだことないって人に誘われるとけっこうびっくりする)
■ほかいろいろ箇条書きに。
・閉会間際にぶらっと来た人が「顔たち、犬たち」を買ってくれてうれしかった。現金ないんですけどとのことだったのでpaypayの個人送金を使った。大々的にやってるよとは言ってないんですがおっけーなので声かけてください。 ・なにか袋ってないですか?ときかれること2回。なにも持ってなくてコンビニ袋をあげた。コンビニの袋に「顔たち、犬たち」が入るのめっちゃいい眺めだったな…。白い袋の向こうにあの顔面が透けてるのやや背徳的?でよかった。 ・10分早く開場したのでびっくりした。並木さんと作業しながら「余裕持ってカバー巻きは開場15分前までにして、あとはほかの本出したり設営完了ツイートしたりしましょう」とか言っていたのに…。マジの散らかり状態でスタートした。 ・でも純文島らへんは開場しばらくはあんま人来ないので焦らずカバー巻きしてても平気だったと思う。 ・カバーは片袖折った状態(表1側の袖を折った状態)で持ち込みしました。意外といけたな。使う紙にもよると思うけど文庫だったらもうちょっと楽かも。わたしは本をダン箱に詰めて宅配搬入するのがほんとにどうしてもどうしてもどうしても苦手なので、直接搬入にして会場で巻く方が気分的にまだマシかもしれない…。 ・あんま人来ない状態で本がモリモリ積んであるのは心臓に悪い。早い時間に来てくださった方ほんとほんとににありがとうございます…救われました…。 ・ポスターをみたお隣さんが「ツイッターで見たやつ〜〜」と言ってくれてうれしかった。 ・ポスター、届いたときからやばいかなーと思ってはいたんだけど予想通りくりんくりんになっちゃって、下に重しをつけてなんとか立てていた感じです。この顔面の裏に500円玉がいっぱい貼ってあるの面白すぎる。 ・やっぱ布ポスターにするべきだったかなーとは思ったんだけど、この顔面を布に印刷する背徳感に耐えられなかった。いやなんかこう添い寝シーツ的なエロさが出ちゃいそうで…。 ・あと調子にのってA2サイズにしたんだけど、もっと大きめのポスタースタンドじゃないと格好よく飾れないですね…。高さを出せずバランス悪かった。反省が多い。この反省を踏まえてその後ポスターはスチレンボードに貼りました(zineフェス長野に持って行った)。
・そんなくりんくりんのバカデカポスターと一緒にクリタさんが写真を撮ってくれてうれしかった。 ・キム・チョヨプ「ローラ」の感想をtumblrにアップしていて、twitterスペースでの読書会で言及いただき、それを読んでと来てくれた方がちらほらいらっしゃいました。ただわたしに書評や論考の本はなくてご期待に添えず申し訳ない…。まただいぶ生意気なことを申し上げましたが、そのときお話した井出さんも来てくださってうれしかったです。こういう意見もあるっていうのを受け止めてくださるのやっぱりうれしい。あとこの読書会って11/5で、新刊の入稿直前で気が立っていたんだよな。トランスジェンダーへの言及でちょっとつっかかってしまったときは、(こういうの言うのちょっと恥ずかしいんだけど)作中人物の今くんの気持ちが出ていたと思う。今くんだったらキレるだろうなって場面ではわたしもキレていきたいみたいなのがある。 ・えもあてのお菓子をもらった。こういうのイベントっぽくてうれしいな〜。あとで渡しときます。←その後2回会ってるのに渡し忘れてるな…ごめん…。 ・お手紙もらうのほんとうれしいです。ほんとに非常に申し訳ないことにわたしがイベント後の荷解きをなかなか(ほんとーーになかなか)手をつけられないとっ散らかり状態のため、会場で一読したあとなかなかお返事もできずにいるのですが、ほんとにほんとに申し訳ないことですが、でも本当にとてもとてもうれしいです。勇気が���ます。お菓子もたくさんありがとうございます。 ・見本誌票を表1に貼るのど〜しても耐えられない。今回の新刊は顔!って表紙なので、ここに見本誌票貼ると優人さんがマスクしてるか冷えピタ貼ってるかって見た目になってしまう…。表4もかなり嫌です。なんかこう表3に貼るとかもっと小さいサイズにするとかできませんかね…と思った。 ・でも見本誌コーナーで読んでって買いに来てくれる人が毎回とても多いので、やっぱ置いとくと見てくれる人はいるんだなあとうれしかったです。 ・土曜日開催きつかった。ここ何年も勤労感謝の日付近だったこともあり体内時計?がついていけなかった。印刷で凝ったことやろうとすると〆切がえっらい早くて驚いた(当初新刊はフランス製本にしたかった)。 ・土曜日開催なので前日入稿直接搬入やれる印刷業者がいつもより少ない。そして物流の人手不足で今回から直接搬入やめますという業者さんもありました。 ・おかわだが今回依頼したくりえい社さんは「webサイトの〆切スケジュール一覧には載ってないんだけど文フリ東京はいつも前日入稿も直接搬入もやってるので問い合わせてくれたらふつうにやってますよ」という隠しメニュー的な感じで、ダメ元で電話してみてよかった…という感じ。 ・カバーはプリントハウスさんという浮間舟渡の業者さんに。店頭受け取りができるのでギリなら宅配より確実かなーと。浮間舟渡って印刷関連の会社が多いんだけど、JRの高架がズバーッと走るちょっとがらんとした町で、銭湯の向かいに印刷屋さんがあるというロケーションがよかったな…。ビル型の銭湯で上がマンションなんだけど、panpanyaの漫画みたいだった。
・↑大滝のぐれさんの「ブロスのおまけの紙」トレー。ブロスのおまけの紙が大好きなのでいつものぐれさんのトレーを見かけるたびうれしくなる。ブロスのおまけの紙をいっぱいいっぱい集めていつかzineを作りたいよね…。 ・お金をトレーでもらうじゃん。もらったお金をどうにかする前に次のお客さんからまたお金もらうじゃん。するとすでにお金乗ってるトレーにさらに乗っけてもらうことになり、そこからジャラジャラお釣りも出し、なんかこう投げ銭みたいですねって言われたんだけどみなさんどうやってるんですか…? トレーをふたつ用意すればいいのかな…。 ・何を何冊売ったのかわからなくなってしまった。いつもは持ち込んだ数と残った数の引き算でやってるんだけど(文フリドタバタなので1冊売れるごとにカウントするのはど〜しても上手にできない)、今回はそもそもいくつ持ち込んだかわかんなくなっちゃったり、数を数えまちがってたり…本当に何回イベント出てるんだよって感じだね…。 ・とくに新刊。イベント終了後在庫を数えてみたら認識していたよりnn部ほど多く売れていて(このnnは小学校の1クラスぶんくらいです)たくさん手にとってもらえたのはよかったんだけど、さすがに誤差どころではなくない?!と反省した。本当に新刊を出すことだけに全ツッパした限界文フリだったな…。 ・既刊はwebカタログに載せたのに持って行き忘れた本があったり、逆にwebカタログには入れ忘れたけど当日持ってきた本があったり、ほんとにズタボロだった。そもそも宅配搬入を忘れて手搬入だったし…。大反省。 ・ここ最近の文フリ東京、ほんとに混んでるしまわりきれない規模なので、知り合い同士隣接配置で固まると安全なんだろうな〜とは思った。界隈って感じが出るのをなんかこう危惧してしまうんだけど、もはやそういう感じではないのかも。 ・ただ個人的には、お顔見知りやなんとなく名前知っている人たちばかりの密な空間はそれはそれで緊張するので、知らない人の中にぽーんといる感じはそんなに嫌ではないです。とくに今回のような、個人誌の新刊を初めて出すみたいな回は本当に本当にドキドキしながら参加しているので、あまり人とのコミュニケーションに気をつかえる精神状態ではないかもしれない…。 ・ひとまず次回は八束さんつたゐさんと隣接します!家父長制アンソロ組ですわよ。 ・��子さんのオール手書きペーパーがよかった…。会場ですぐ読んで胸がいっぱいになった。こういうことをやりたいよな〜!と強く思った。 ・ちいかわのバスボムもらってうれしかった。お湯に溶かすとサウナに入ってるちいかわたちの人形が出てくるやつ。ちょうど新刊にサウナ行くシーンあるんですよ!と思ったけどまだ世界で誰も読んでない新刊だったね…。 ・ポカリスエット500mlを2本飲んだ。ゴルフのラウンド周ってるかのような水分補給だな…。 ・ごはん食べる余裕はなかった。パン持って行ったんだけどリュックにしまいっぱのまま終わった。買い物ほぼ行けないし何も食べてないしトイレも行ってない。という話を終わってからくらなさんともした。わたしの場合はすごい忙しいとかでもなく要領が悪いだけだとは思うんだけどまいどボロボロになる。 ・くらなさんいのりさんと打ち上げ焼肉。ひたすら肉を頼み続け、3人でお米を4合食べた。わんぱくじゃん…。 ・次の日ゴルフ行ってデモ行って打ち上げ第2弾やった。くらなさんいのりさんクリタさんとパエリア食べて焼き鳥食べた。ほんとにわんぱくだな…。
・翌週なむあひさんとも打ち上げして、翌々週はえもなむおかサミットやって、飲みまくっているししゃべりまくっている。文フリ東京にぜってえ新刊を出すぞの勢いでワーーッと突っ走った余波がまだあって、ちょっと過活動気味かも。
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で、1ヶ月ちょっと経ちまして。文フリどんな感じだったとか、どう売っていくかみたいなレポをいろいろ見かけ、興味深く読みました。 いろんな作家さんや書店さんが文フリの盛り上がりの話をしていた。そういう意見交換の場にずっと参加しているインディーズ作家や同人サークルやボランティアスタッフの人とかも呼んで会話できたらいいのかなーみたいなこともちょっと思った。しょうがないんだけどなんかこう「界隈」的なものでまとまっちゃう感じがあるというか。 わたしはずっと参加しているというほどではないけど新たに参加し始めたというほどでもなく、爆売れってことはぜんぜんないけどほとんど売れませんはさすがに嘘だな…っていう中途半端な立ち位置なので、いろんな意見を目にするたび「そんなに極端だっけ?」って思う。言うほど殺伐とはしていないし、知名度が全てという場でもないし、知り合いと交流するのがメインってわけでもないし…。 イベントのようすってレポートにしても伝えきれない、記録しようとするとこぼれ落ちる、なんかこうもうちょっとぐちゃっとした現場の力学が働くなあと思います。直近のようすは直近に来てないとわかんない(しばらく参加してない人はわかんない)と思う。
またzineと独立系書店さんとの関わりとかもいろんな人が語っていたけど、つまるところ「どう売るか」という話が多かった印象。わたしのとても正直な気持ちとしては「どう読まれていくか」の方が関心が強いというか、「小説読まれたい!」がまずあるので、あんまりぴんとこない話もあったかも。いやまあ読まれるためにたくさん売るんだろというのはわかってるんだけど。
書店さんは取り扱う本の中身をぜん��読んで売ってるわけではないですよね。どういう作家でどういう本かっていうのが店の方針と合致するかが大事だろうと思うんだけど、そうすると同人誌やzineの場合、コンセプトの強い本が売り込みしやすいし書店さんも取り扱いしやすいように思います。テーマや意図のはっきりしたアンソロジーだったりエッセイだったり。またエッセイや日記はつかみの部分で本の雰囲気もわかりやすい気がしている。 で、わたしが活動の軸足を置いている小説、ある程度長さのある小説の個人誌でとくに誰からのお墨付きも後ろ盾もないやつ…というのは扱いが難しいだろうなーと思っています。作家本人もこれが何かっていうのはあんま説明できないし、なんというか自分自身の代謝のようにガンガン書いていきたいのがあるので、ひとつの作品をずっと売り続けるかどうかみたいなのもいつも迷うし。 そして同人誌やzineでも独立系書店さんに卸しているものが増えてくると、どこかの書店さんで扱ってもらっているというのがある種の品質保証にみたいになっちゃってないかみたいな葛藤もめちゃめちゃあって…。
みたいな話を、いくつかの書店さんを訪ねたときにちょこちょこお話してきました。自分の小説を扱ってくださるお店を巡っておりまして、つまずく本屋ホォルさん、本屋lighthouseさん、犬と街灯さんにお伺いしました。またこないだおじゃましたRiverside Reading ClubさんのクリスマスパーティーでKaguya Booksの堀川夢さんとお話できましてうれしかった。いろんなところでいろんな話をちょこちょこ細切れにやっているので誰と何を話したっけな…(すみません…)。 わたし小沼理さんの『みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに』というzineを読んですごくいいなって思ったんですが、それ風に言うなら『みんなもっと小説を書いて売ったらいいのに』と思っています。またまとまったら書きます〜
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三篇 下 その三
上方者は、 「ハァ、ソンナラお前のお馴染みは何屋じゃいな」 と、意地悪く問うと、 「アイ、大木屋さ」 と、弥次郎兵衛がいう。 「大木屋の誰じやいな」 と、上方者がさらに問うと、 「留之助よ」 弥次郎兵衛が答えた。 上方者が 「ハハハ、そりゃ松輪屋じゃわいな。 大木屋にそんな女郎はありもせぬもの。 コリャお前、とんとやくたいじゃ、やくたいじゃ」 (やくたい…上方言葉で、らちもない、とんでもない、よくない、など広い意味に使う)
弥次郎兵衛は、 「ハテ、あそこにもありやすよ。ナァ北八」 (大木屋は実在の大見世の扇屋のこと。松輪屋はやはり実在の松葉屋のこと。留之助は松葉屋の抱えの名妓の染之助のこと。したがってこのやり取りでは上方男の勝ち) 北八、面倒臭くなってきて、 「ええ、さっきから黙って聞いていりゃ、弥次さんおめえ聞いたふうだぜ。 女郎買いに行ったこともなくて、人の話を聞きかじって出放題ばっかり。 外聞のわ��い。国者の面よごしだ」
弥次郎兵衛は、 「べらぼうめ、俺だって行くってんだ。 しかもソレ、お前を神に連れていったじゃァねえか」 (神…取り巻き、太鼓持ち。遊廓付きの本職ではなく、客が連れ込んだ遊びの取り巻き仲間。落語の野太鼓がこれである) 北八、思い出して、 「ああ、あの大家さんの葬式の時か。なんと、神に連れたとは、おおげさな。 なるほど二朱の女郎の揚げ代はおめえにおぶさったかわり、 馬道の酒屋で、浅蜊のむきみのぬたと豆腐のおから汁で飲んだ時の銭は、みんなおいらが払ったじゃねえか」 (葬式くずれで繰り込むなら安い店にきまっている。揚げ代二朱なら宿場の飯盛なみのごく安い女郎。馬道は吉原に通ずる町。そこの酒屋のぬたも汁もごく安い庶民的な食い物である)
弥次郎兵衛は、 「嘘をつくぜ」 北八も、 「嘘なもんか。しかもその時おめえ、さんまの骨をのどへ立てて、飯を五六杯、丸呑みにしたじゃねえか」 「馬鹿言え。お前が田町で、甘酒を食らって、口を火傷したこた言わずに」 「ええ、それよりか、おめえ土手で、いい紙入れが落ちていると、犬の糞をつかんだじゃねえか、恥さらしな」 (土手…吉原に入る途中の山谷堀に添った日本堤の土手八丁、金持ちなら土手八丁を四ツ手駕で飛ばし、貧乏人なら歩く、いずれも弥次郎の自慢が嘘だと、北八が暴露したかたち)
と、遣り合っている二人に、上方者が 「ハハハハハ、いや、お前方は、とんとやくたいな衆じゃわいな」 弥次郎兵衛が、 「ええ、やくたいでも、悪態でも、うっちゃっておきゃァがれ。 よくつべこべとしゃべる野郎だ」 上方者は、関わり合いにならない方がいいかと、 「ハァこりゃご免なさい。ドレお先へまいろう」 と、そうそうに挨拶して、足早に行ってしまう。 その後ろ姿をみながら、弥次郎兵衛は、 「いまいましい。うぬらに一番へこまされた。ハハハハハ」 この話の間に、三ケ野橋を渡り、大久保の坂を越えて、早くも見付の宿(磐田市)にいたる。
北八、 「アァくたびれた。馬にでも乗ろうか」 ちょうどそこへ、馬方が、 「お前っち、馬ァいらしゃいませぬか。 わしどもは助郷役に出た馬だんで、早く帰りたい。 安く行かずい。サァ乗らっしゃりまし」 (助郷…東海道の交通の確保のために、沿線の村々に幕府がかけた役務で、人馬の徴発を含めて重いものだった)
弥次郎兵衛は、 「北八乗らねえか」 と、問い掛けると、 「安くば乗るべい」 と、馬の相談が出来て、北八はここから馬に乗る。 この馬方は助郷に出た百姓なので、商売人の馬子でないから丁寧で慇懃である。
弥次郎兵衛は、 「そうだ、馬子どん。ここに天竜川の渡しへの近道があるんじゃねえかな」 と、思い出して、聞いてみると、 「アイ、そっから北の方へ上がらっしゃると、一里ばかしも近くおざるわ」 と、馬方がいう。 北八が、 「馬は通らぬか」 と、更にとうと、 「インネ、徒歩道でおざるよ」 と、ここから弥次郎は一人近道のほうにまがる。
北八は馬で本道を行くと、早くも加茂川橋を渡り、西坂の墳松の立場に着く。 茶屋女が声をかけてくる。 「お休みなさりやァし、お休みなさりやァし」 茶屋の婆も声をかけてくる。 「名物の饅頭買わしゃりまし」 馬方が、その婆様に声を掛ける。 「婆さん、おかしな日和でおざる」 「お早うございやした。いま新田の兄いが、一緒に行こうかと待っていたに。 コレコレ横須賀の伯母どんに、言いついでおくんなさい。 道楽寺さまに勧説法があるから、遊びながらおいでと言ってよう」 (道楽寺は遊びながらおいでにこじつけた架空の寺の名) 馬方は、 「アイアイ、また近うちに来るように伝えときましょう。ドウドウ」 と、いうと、また歩き出した。
「この馬は静かな馬だ」 北八は、珍しく乗りやすい馬なので、つい、そういうと、 「女馬でおざるわ」 と、馬方が、こたえる。 北八は、にんまりして、 「どうりで乗り心地がよい」 馬方が、問い掛けてきた。 「旦那は、お江戸はどこだなのし」 「江戸は日本橋の本町」 と、北が答える。 「はあ、えいとこだァ。わしらも若い時分、お殿様について行きおったが。 その本町というところは、なんでもえらく大きい商人ばかしいるところだァのし」 と、昔のことを思い出しながら、話してくる。 「オオそれよ。おいらが家も、家内七八十人ばかりの暮らしだ」 と、またまた、くちからでまかせ。 馬方もしんじているにのかいないのか、 「ソリャ御大層な。お神さまが飯を炊くも、たいていのこんではない。 アノお江戸は、米がいくらしおります」 「まあ、一升二合、よい所で一合ぐらいよ」 と、考えながら言うと、 「で、そりゃいくらに」 と、馬方は、よく分からない。 「知れたことよ、百にさ」 と、北八がいうと、 「はあ、本町の旦那が、米を百文づつ買わしゃるそうだ」 馬方は勘違いして、そういう。 北八、笑いながら、 「ナニとんだことを。車で買い込むは」 「そんだら両にはいくらします」 と、馬方。 「なに、一両にか。ああ、こうと、二一天作の八だから、二五の十、二八の十六でふみつけられて、四五の廿で帯解かぬと見れば、無間の鐘の三斗八升七合五勺ばかりもしようか」 (割り算の九九の二一天作の八は一二天作の五の間違い、途中から浄瑠璃の文句でごまかしている。米の値段も出でたらめ) と、何やら、��しそうな、計算をはじめる。 「はあ、なんだかお江戸の米屋は難しい。わしにゃァわからない」 馬方は、すっかりけむに負かれて、 「わからぬはずだ。おれにもわからねえ。ハハハハハ」 と、北八も自分でいっててわからなくなった。
この話のうちにほどなく天竜川にいたる。 この川は信州の諏訪の湖水から流れ出て、東の瀬を大天竜、西の瀬を小天竜と言う。 舟渡しの大河である。弥次郎は近道を歩いてここで北八を待ちうけ、ともにこの渡しを越えるとて、一首。
水上は 雲よりい出て 鱗ほど 浪の逆巻く 天竜の川 (水、雲、鱗、浪、逆巻く、みな竜の縁語の竜づくしが趣向)
舟からあがって立場の町にいたる。 ここは江戸へ六十里、京都へも六十里で、東海道の振り分けになるから中の町(浜松市)というそうだ。
傾城の 道中ならで 草鞋がけ 茶屋に途絶えぬ 中の町客 (ここを江戸吉原の中の町に見立てて、花魁道中の高足駄の代わりに草鞋、吉原の引き手茶屋と街道筋の茶屋、どちらも客が絶えぬと言う趣向) それより萱場、薬師新田を過ぎて、鳥居松が近くなったころ、浜松宿の宿引きが出迎えて、 「もし、あなたがたァお泊りなら、お宿をお願い申します」 と、二人の呼びかける。 北八がそれに答えて、 「女のいいのがあるなら泊りやしょう」 客引きここぞとばかりに、 「ずいぶんおざります」 と、いうと、弥次郎兵衛が、 「泊まるから飯も食わせるか」 宿引き 「あげませいで」 北八、 「コレ菜は何を食わせる」 宿引き、 「ハイ当所の名物、自然藷でもあげましょう」 「それがお平の椀か。そればかりじゃあるめえ」 「 それに推茸、慈姑のようなものをあしらいまして」 「汁が豆腐に蒟蒻の白和えか」 と、北八が、客引きとやりあっている。
弥次郎兵衛が、 「まあ、軽くしておくがいい。その代わり百ケ日には、ちと張り込まっせえ」 (ここのやり取りは、宿引きの言うのが、野菜ばかり並べた精進料理なので、死人の法要の料理だと皮肉ったのである。法要では、当初と百ケ日には料理を張り込むのがしきたり) 「これは異なことをおっしゃる。ハハハハハハ。時にもうまいりました」 「オヤもう浜松か。思いのほか早く来たわえ」 と、弥次郎兵衛、ここで一首読む。
さっさっと 歩むにつれて 旅ごろも 吹きつけられし 浜松の風 (松風の音の颯、颯と、さっさと歩くとにかけている。風に吹き送られて早く着いた意味も含む)
その横を宿ひきが駆け抜ける。
宿引きは、旅館に駆け込むと、 「サァサァお着きだよ」 と、置くに声をかける。 「お早くございました。ソレおさん、お茶とお湯だァよ」 それに、こたえて、この旅館に亭主が出てくる。 弥次郎兵衛が、 「イャそんなに足はよごれもせぬ」 と、いうと、亭主 「そんなら、すぐにお風呂にお召しなさいまし」 と、奥に案内しようとする。
つづく。
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デデデその2
11話 ・「うろたえるな、悪の王者の前でやかましいぞい!(自覚あったんだ…)」 ・「差出人は…コックオオサカ?はて…?」 ・「大変ぞい!ワシの面目丸つぶれ、未来永劫末代までの恥ぞい!」 ・「オマエ(エスカルゴン)は伝統料理の食材ぞい。ワシに忠誠心があるなら犠牲になれぃ!」 ・「大人しく料理になれば、特別ボーナスを出してやるぞい!」 ・「おじゃまむし(店に入るときの挨拶)」 ・「カワサキよ、よーく聞けぃ(お前のレストランは営業停止処分ぞい)。」 ・「その代わり貴様は今からは、デデデ城の宮廷シェフとなるぞい。」 ・「(料理がマズいカワサキに対して)貴様にはセンスというものがないのかー!」 ・「デデデ王国最大のピンチぞい。」 ・「食材!?お前(エスカルゴン)のことか!」 ・「宇宙一の珍味で料理人の憧れ、この私ですら口にしたことのない幻の食材『ゼボォ~ン』(後の回を考慮すると[[デデデは字が読めない設定>後付け設定]]なのだが、このときのデデデは普通に本の字を読めている)。」 ・「カワサキが料理バカで助かったぞい。」 ・「オマケにカービィも胃袋に消える。まさに一石二鳥ぞい!」 ・「食前のワインでございますぞい。」 ・「ただいま、メインディッシュをお持ち致しますぞい。」 ・「お待たせしましたー。本日のメインディッシュぞいー。」 ・「あのカービィがどんな料理になったのか、楽しみぞい。」 ・「なに、魔獣!?するとナイトメア社のサービスか。」 ・「(ポポンフライを食べて)美味い!カービィめっちゃ美味いぞい!」 ・「カ���ビィ!貴様を明日から我がデデデ城の宮廷シェフに任命するぞい!」
12話 ・「モデルが良いせいか、よく撮れておる。」 ・「恨み?デュハハハハハハ!そりゃ愉快!幽霊に恨まれるとは面白いぞい!」 ・「もし(幽霊が)出たらテレビで放送してやるぞい!」 ・「ワシの城はわざと古く見せているが、建ったばかり!幽霊など出るわけはない!幽霊も占いもインチキぞい!(デデデの言う「建ったばかり」がどれほどの期間なのか不明だが、少なくともフームが赤ん坊の頃からデデデ城はあるため、それなりに古い城だと思われる。それとも[[某神宮>伊勢神宮]]の如く、定期的に建て直しているのだろうか)」 ・「(地下牢のガイコツについてパームに聞かれた際)お前も知っているはずぞい!あれは気分を盛り上げる為の作り物ぞい!」 ・「���れ黙れ黙れーい!幽霊なんておらんぞーい!」 ・「(カスタマに対して)幽霊退治専門の魔獣を送れーい!」 ・「おーい!誰かおらんのかー!おーい!みんなどこ行ったぞいー!おーい!」 ・「こういうときは、とっとと寝るに限るぞい…。」 ・「(眠れないので)こうなったら[[空元気>からげんき]]をつけるぞい!(踊りだす)」 ・「おしっこおしっこ…。お水を飲み過ぎたぞい…。おおおしっこ…。」 ・「青信号…やむを得んぞい!」 ・「エスカルゴーン!エスカルゴーン!エスカルゴーン!一緒にトイレに行くぞい!ワシの命令は絶対ぞい。おしっこ漏れるぞい!ワシがおねしょしたらお前のせいぞい。」 ・「あー、すっきりしたぞい。」 ・「エスカルゴンがーおーい!幽霊に攫われたぞーい!」 ・「幽霊は実在するぞい…。お助けー!」 ・「ひー!はー!ひー!はー!(某芸人)」 ・「そういうことだったのか。」 ・「すべて聞いたぞエスカルゴン、ワシが悪かったぞい。」 ・「そんなに傷ついてるとは知らなかったぞい。もう脅かしたりしないぞい。」 ・「許してくれ…エスカルゴン…。」 ・「さぁ…仲直りの握手をするぞい。」 ・「分かった…仲良くするぞい…なんて言うと思ったら大間違いぞい!!(怒)」 ・「黙れ!カービィもろともたっぷりとおしおきしてやるぞい!」 ・「どいつもこいつも、このままでは済まさんぞーい!」
13話 ・「いよいよ年の瀬ぞい!」 ・「カービィに勝てないまま年を越せるか!ド派手に強いヤツをよこすぞい!」 ・「ケチるでない!バーゲンの魔獣はおらんのか!」 ・「あー発表する!暮れのカウントダウンには、美しいお祭りを催すぞい!」 ・「そうではない!花火大会ぞい!(拡声器で思いっきり叫ぶ)」 ・「いかんいかん!お前らは花火をつくってはならん!この祭りは独裁者のモノ、人民共がパレードするのは決して許さんぞい!」 ・「お前(エスカルゴン)の発明の方が良いと言うのか?」 ・「(偵察に来たカービィを)逃がさんぞい!」 ・「何もせん、元宇宙飛行士(カービィは宇宙艇に乗ってププビレッジにやってきたため)の遊泳ぶりを見せてもらうだけぞい。」 ・「今夜はぜひカービィ殿に、2001年宇宙の旅に出発してもらうぞい!(アニメ放送当時が2001年であるため)」 ・「サスケよ、攻撃開始ぞい!」 ・「サスケ、連射しろ、(カービィに)吸いこませるな!」 ・「サスケェ―!(某忍者漫画のパロディ?)」 ・「でかしたぞサスケ、このままカービィを宇宙に道連れぞい!」
14話 ・「エスカルゴン、ホーリーナイトメア社から年賀状は届いたか?ワシはお客ぞい!新年の挨拶がないのはどういうわけぞい!新年なのにお年玉もくれんぞい!カレンダーもくれんぞい!福袋もくれんぞい!こうなれば、何が何でも(ナイトメア社に)ニューイヤーサービスをさせるぞい。」 ・「黙れ!新春サービスもなしに勝手なCMとはええい腹の立つ!」 ・「足りんぞい!今すぐお年玉をくれればよし。嫌ならこの装置を破壊して(二度と買い物せんぞい)。」 ・「こんばんはー!明けましてこんばんはー!新春ワハハ番組のお時間ぞい。」 ・「(カービィ人形に対して腹話術で)カービィくん、今年は良い夢を見たかな?(ポヨ)何見てない?それは残念。新年に見る夢は正夢と言って、本当になるというぞい(ポヨ?)。ではそのための良いアイデアを教えてやろうぞい。」 ・「カービィくんの夢のない人生を救おう!というわけで、チャンネルDDDでは(視聴者に健康夢枕をプレゼントするぞい)。」 ・「これぞ、DDD研究所開発の健康夢枕、一晩眠れば頭すっきり、カービィのカービィのボケのすっきり(ポヨ)。」 ・「この安眠健康枕、200万デデンのところ、特別サービス期間にて無料!」 ・「しかも、交換用ピローパッドを4枚お付けしてタダ!」 ・「タダより安いものはないぞい!」 ・「(近くに住んでるヤツは枕を)直接取りに来い!こんなサービスは某民放には決してマネできんぞい!」 ・「デュハハ!(カービィ人形を踏みつけながら)お前より柔らか~い枕だぞい!ぞい!」 ・「嫌なら強制的に(エスカルゴンを)寝かせるぞい!」 ・「(枕を手放すエスカルゴンに対して)この、裏切り者!」 ・「ならば夢枕を(カービィに)試してみるぞい!」
15話 ・「(ガングに対して)とぼけるなぁ!このワシを舐めるつもりだぁ?」 ・「電子ペットじゃ!あれをワシにも売るぞい!」 ・「カービィめ、こうなりゃ手段は選ばんぞい!」 ・「(子供たちに対して)カーカ、カ、カービィじゃありません。」 ・「おっほん、あいつの持っているペットに用があるんだぞい。」 ・「手を出すな…?手を出すなと言われたら(余計欲しくなるぞい)。」 ・「この凶暴魔獣用の檻に入れておけば、絶対に逃げられん。カービィが来ても助けられんぞい(フラグ)。」 ・「(ロボット犬に檻を破壊されたのを見て)し、信じられん…。これは魔獣用の鋼鉄の檻だぞい(フラグ回収)。」 ・「この破壊力は大いに利用できるぞい。」 ・「(ロボット犬に泥をかけられて)よくもワシの顔に泥を…(「顔に泥を塗る→恥をかかせる」という意味とかけている?)。」 ・「ペットはワシのものだー!」 ・「見つけたぞい!そいつは貰った!」
16話 ・「ん、あれはフーム。あんなところで何してるぞい?」 ・「哀れな魚の恋物語…いや~感動したぞい。」 ・「ワシは(自称)偉大なる陸の大王、デデデぞい。」 ・「そのかわり、海の名所「虹色のサンゴの森」の場所を教えるぞい。」 ・「ワシがこの哀れな魚の切なる願いを聞き続けてやったぞい。フーム、約束は守るモノぞい。何だったら結婚せい!」 ・「たった今から(虹色のサンゴの森は)ワシのもの。しかし、周りのサンゴが邪魔ぞい!」 ・「う~み~は~よぉ~デデデの~もの~だよ~」 ・「身の程知らずが��」
17話 ・「特別な日って今日は何の日ぞい?」 ・「特別な日とは聞き捨てならん!直ちに調べるぞい!」 ・「そんなことより、フーム共の特別な日は何か分かったか?」 ・「なにぃ!?古代プププ文明の指輪!?」 ・「けしからん!文化財を結婚指輪にしようとは、国の宝はワシのモノぞい!(目が指輪になる)」 ・「(カスタマに対して)宝石を探すのが得意な魔獣をよこすぞい。」 ・「うるさい!重要文化財を守るのはワシの使命ぞい!」 ・「この宝石は、ワシへのプレゼントだな、エスカルゴン。」 ・「バカモーン!これじゃどれが古代プププ文明の指輪だか分からんぞい(金目のモノが大量に集まったんだから喜べよ…)。」 ・「ノーズマンよ、もう一度吸いこむぞい!」 ・「(ノーズマンを吹き飛ばして)ナイスショットぞい!」
18話 ・「今日が貴様(カービィ)の命日ぞい!」 ・「いでよ!魔獣ノディ!」 ・「これでカービィは終わりぞい!」 ・「バケモノの餌にならんよう、せいぜい気をつけるぞーい!」 ・「ピューキーの花は頭が良いぞい。魔獣ノディの実を作っては、マヌケなヤツに食べさせ眠らせる。そして次の餌は…(カービィぞい)。」
19話 ・「敵襲ぞーい!モノ共であえであえーい!」 ・「やったぞい、これであのチビ(ナックルジョー)も粉々ぞい!」 ・「星の戦士なら、知らんこともないぞい。」 ・「カービィだ、それがお前の探している星の戦士の名前ぞい。」 ・「お食事中失礼、カービィにお客さんぞい。」 ・「こーらメタナイト!何の用ぞい!」
20話 ・「こうなりゃいつもの手で大自然に挑戦するぞい!」 ・「このクソ暑い天気はお前(カスタマ)のせいではないのか。」 ・「ドゥワハハ!(雪が降り積もったのは)『アイスドラゴン』の威力ぞい。」 ・「あぶなーい!(エスカルゴンと共にフームを雪まみれにする)」 ・「これはインテリお嬢様(聞こえづらいのでこのセリフが正しいのか不明)。皆この暑さにはウンザリ!少しはワシに感謝ぞい!」 ・「チリー、アイスドラゴンの雪から生まれた恩を忘れ、カービィを消せなかったとは許せん。」 ・「コイツがカービィを片づければ冬は終わる。だが(チリーは)役立たずと分かったぞい。」 ・「アイスドラゴンよ、この雪だるまを始末するぞい!」 ・「ダハハ!アイスドラゴンを冷やしても無駄ぞい!」
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ある作業員の話
CAWS、バッキーがWSになる頃の話。随所に空想。 スティーブもキャプテンも出てきません。暗い。 1日12時間労働が当たり前だし、飯食う以外の休憩時間なんてまるでないし、有給なんてとんでもないし、やたらと忠誠心を求められるし、やたらと忠誠心を表現せよとも求められるし、この職場はかなり最悪だ。 制服の仕立てはいいし、施設内の食堂の飯もずいぶん美味い、給料の支払いが遅れたこともないし、金がないわけじゃないとは思う。以前勤めていた職場の様にある朝出勤したらビルごと抵当になんてことがなさそうなのはいいところかもしれない。安定ってやつだ。 ここが新型兵器の研究所を兼ねた工場だとしか知らないが、その新兵器とやらは超最先端の化学――科学?どっちかなんてわからないままでもここでやっていくことはできる。――を用いたものらしく、そ��なすごいものを開発するのに適した建物ということなのか、施設の造りはちょっとしたSF映画のようなところも気に入っている。 生体認証は当たり前で、通路は入り組み、様々な配管と様々なケーブルが這い、角は薄暗く、ところどころ旧時代のレンガが見えているのも、何もかも近未来的というよりも、説得力が増す。 つまり、自分を楽しませるための空想に耐えうる。 外界との接触はほとんどなく、時折、明らかになにかの能力を持った人間とすれ違う。そいつらは科学者だったり化学者だったり工学者だったり、もしくはちょっとした異能力者だったりもするらしい。 昔からそういうものが好きだった。 そういう、“普通”ではない何か。わくわくする。いつか誰かが現れて、お前は本当は“ただの”人ではないんだよと言ってくれると思っていた。 走るのが遅いのも、勉強がいまいちなのも、友達が少ないのも、努力が嫌いなのも、手先があまり器用じゃないのも、何かに熱中した経験がないのも、本来の力の使い方を知らない所為なんだと言われる日を待っていた。 自らに備わっているはずの秘められた力は秘められたままに、こんな場所で働くようになったんだから、これは何か、見えざる運命の手によって導かれた結果なのかもしれない。 なんて口に出せはしない、それでも、期待の熾火が体の中にまだあって、相変わらず「他人とは違う何か」に心惹かれる。 だから、仕事はきつくても、後悔はしていない。 偉いさんが来るたびに作業の手を止めて両拳を上につきだすあの習慣はどうにかならんかな、とは思っているが。 しがない1作業員の仕事はもっぱら部品の運搬と組立補助だ。施設のどこかで作られているのか、それとも外から運び込まれるのか、木箱に入ってずっしりと重いネジやら歯車を検品して、運ぶ。運んだ先で鉄板を支えるよう命じられたらそうする。椅子を運び上げる様に言われたらそうする、組み上がったモーターを持っていけと言われたらそうする。細かな部品を運搬するからか、施設内をある程度動き回ることが出来た。 だから、そう、多分様子をうかがえた下っ端の人間は、他にはいなかっただろう。 何台もの飛行機がくみ上げられ、いくつものミサイルが立ち並ぶ格納庫の、3階部分のデッキに、その人影を初めて見た。 名前も知らない上司――上官の姿に、作業員全員が手を止めて両手を拳にして突き上げる。上司は、三人、別の人間を連れていた。正確には、二人の兵士に両脇から支え��れている、もしくは抑え込まれている、男を一人。 そいつは明らかに“違う”やつだった。 上司も“違う”やつではあるから、上司のお仲間かもしれない。それにしても、色々と“違って”いた。 ドッグを見下ろす視線は淀んで生気がない。そのくせ、全身からは強い緊張を感じる。良く飼いならされて、虐待され、飼いならされ過ぎて、生き物としての本性を失った猟犬のような感じだ。 全身黒づくめで、体格は妙にいい。 口は半開きで、どうやらせわしなく呼吸を繰り返している。 上司が何かを言い、そいつは頷くでもなく、両手を突き出すでもない。そもそも左側に腕がない。肩からぶら下がった袖は、肩口で縛られていて、縛り切れなかった袖口が中途半端な高さでふらふら揺れている。 上司がまた何事かを話しかけ、袖に覆われた、腕のない方の肩を掴む。 上司が顔を近づけ、男にまた何事かを言うと、彼が強く床を蹴った。 その音は格納庫に随分大きく響き渡り、3階のデッキ全体が揺れた様にも見えた。 上に突き出したままでいる両腕も、それに合わせてふらふら揺れる。その揺れを見とがめられた誰かが、殴られる音がする。あーあ、と思いながら腕に力を入れなおす。 何を思ったのか上司は一つ笑うと、何事もなかったかのように踵を返す。視線が外れて、デッキの下でもやっと腕を降ろすことが出来た。 あと5秒、揺れないように踏ん張れたら、殴られなかっただろう同僚が、これから腫れ上がるだろう、下痢もするだろう、腹を軽くかばうようにしながら、文句も言わず今までの作業に戻る。もちろん、皆そうする。腕を上げ続けるのは結構な重労働なのに、その愚痴を言う相手も見つけられず、こそこそとその場を去る。だれもがまだやらなくてはならないノルマが残っているのだ。 そのノルマ達成のために指定場所に向かうと、厳重に梱包され傾き厳禁の札の貼られた難物を、慎重な様子で手渡しされる。 傾けずに運べなんて無茶もいいところだと思うが、作っているのが兵器となると傾けたがために運び手が死ぬことも考えられるから、もちろん慎重に運ぶ。よほど衝撃に弱い物質なのかもしれない。 となると、揺らすのも避けたかった。台車を使うのは諦め、両手で抱える。これ一つではノルマを終えられはしないが、幸い重さも大きさも自分でも抱えられる程度なので、まだ今日を終えられないこと、手がふさがって走りにくいこと、つまりこれ一つ届けるのにやたらと時間がかかるだろうこと、つまり、今日の終わりはますます遠のくことを除けば、困難はない。 で、こういうやっかいな荷物の常で、行く先は格納庫でも工場でもなく、研究所内だった。内と言っても該当部署の扉の前までで、秘書だか事務員だか研究助手だかの下っ端と伝票をやりとりするのが精々だが、中は中だ。 すこし、わくわくする。 これはきっと“特別”な荷物だろう。 荷物を抱えて入り組んだ廊下を行く。 この道を覚えるのに半年かかった。覚えた先から通路が増やされたり減らされたりするのにも、今となっては慣れた。 すれ違う同僚は皆無口で、忙しそうだ。皆真面目で結構なことだ。 指紋認証と、声紋認証とを通り抜け、セクションの区切りで門番よろしく立っている兵士に荷物と身分証を見せる。制服着てるんだからそのまま通してくれりゃいいのにと思いはすれど、とても言えない。奴ら、必要以上に無表情だし、話しかけるなんてとんでもない。 そうやって、ある扉の前に辿り着いた時だった。 通路の先、奥まった部屋の前に兵士がいる。どうしてこんなところに、と思ったと同時に、さっきの猟犬のような男が引き摺られてやってきた。この短い間に何があったのか、口の周りが真っ赤で、どうやら鼻血と、口の中も切っている様で、赤い滴は涎とも混じり合い、顎を伝い降りていた。黒い服はところどころ焦げ、足首は奇妙な方向に捻じ曲がっていた。それをまるで荷物でも運ぶかのように引き摺って、引き摺られるそいつの目は開いていたが、焦点があってなかった。 ――……死…んでんじゃ… ぞわっと気色悪い感触に襲われる。 明らかに拷問の後だ。血の匂いと、タンパク質の加熱された匂い。尿の匂い。この短時間でいったい何をどうしたらあれだけ痛めつけることが出来るのか、俺には分からない。 拷問で施設内で人を死なせるなんて、褒められた話じゃない。そうだろ? しかも相手は片腕がないんだ。 だからと言って声をあげることもできなかった。黙々と仕事に打ち込む同僚の顔が過り、声を上げたところで無意味だと思った。声を上げれば罰されると思った。腕を揺らして殴られた同僚のように。 ここがそもそもひどく気色の悪い施設なのだと、唐突に気づいて、だからと言って出来そうだと思えるものなど何もなかった。 やりたいとおもえることもなにもなかった。 いつのまにか傾いていた荷物を、抱えなおして、それから届けねばならなかった。 ぐびりと唾を呑みこんで、目の前の扉を叩く。 扉は奥に開き、白衣を着た男が出てくる。 俺は無言で荷物と伝票を差し出す。 男も無言でサインをして、荷物を受け取る。 バチッっと激しくショートする音が奥の部屋から響き、追って、内臓を全部抉り出されたみたいな、苦痛と悲痛が絡み合い、憎悪と怒りに縁どられ、それでいてどうしようもなく空虚な、聞くに堪えない悲鳴が響く。 やっと自由になった両手で、とっさに耳を塞いだ。 白衣の男は、奥の部屋に視線を投げ、それから、こちらを咎める視線で見る。 同僚が殴られた音がよみがえり、一瞬、体が激しく震える。耳を塞いだ手の平越しにも、悲鳴はまだ続いていて、それでも、その手を無理やりはがして、悲鳴に飲み込まれながらその場から逃げ出した。 それから、どれくらい経ったのか。 左側に儀腕を付けた黒ずくめの男を施設内で見かけた。 その場で蹲って泣いていた。 おわり (2014-06-18P privatter より 改稿あり)
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サブストーリーEX:おしるこの呪い?
寒さが厳しくなって来たにもかかわらず、相変わらず蒼天堀はギラギラとしたネオンの下を行き交う人の熱で活気付いていて、札ビラと欲望が渦巻いている。 その中で、タキシードを纏い、長髪を後ろで括った隻眼の男が自販機を呆然と見つめていた。
「な、なんでや……」
真島吾朗は自販機の前で力無く膝をついた。取り出し口には三本の「おしるこ」が鎮座している。
「何でどれ押しても……おしるこなんや……」
【サブストーリーEX おしるこの呪い?】
昨日の事である。 真島が支配人を勤めるキャバクラ、サンシャインの営業を終え、疲れた体を引きずって帰路についていた時、良からぬ輩に絡まれていた赤いパーカーの小柄な女を見てしまった。 仕方なく、いつもの様に『説得』して助けようとした所だったが予想外の事態が起きたのだ。
「アンタ、さゆりって髪の長い女と付き合ってた?目元にほくろがある?」
小柄な女が、金髪のチンピラに向かって言い放った。金髪が明らかに狼狽し出す。
「な、何ゆうて……」 「その女、アンタの事ようさん恨んでんで。たまに首絞められる夢とか見るやろ」 「えっ……!? な、何でそれ……」 「なんなんやこの女……」
(なんや、けったいな嬢ちゃんやなぁ。おもろそ…いやなんかあれば助っ人したるか)
もう一人のグラサンのチンピラが薄気味悪そうに女を見た。真島も思わぬ展開に興味深げに見守る。
「あと、アンタ最近お婆ちゃん亡くなってるやろ。隣にいるお婆ちゃんが『爺さんの仏壇の引き出しにな、お年玉入れとるんや。トシくんにあげるよう入れといたんやけど間に合わへんでごめんなぁ』って言うとるよ」
女がグラサンに気怠そうに言ってやると、いきなりグラサンが肩を震わせて泣き出し始めた。
「うっ…うぅ…ばあちゃん……悪い…俺、帰るわ…」
グラサンが泣きながら立ち去る。 金髪が呆然と女を見る。
「あの……あ、僕、どうしたらいいですかね……」
女はニヤリと笑ってパーカーのポケットから数枚のお札を取り出して言った。
「一枚一万でええで」
チンピラがいなくなった後、真島は女に声をかけた。
「嬢ちゃん、商売上手やなぁ」
女が顔を上げた。整ってはいるが睨み上げるような三白眼の眼光に思わず真島も鼻白む。
「なんや……アンタも……うわ、兄ちゃんエグいやつ憑いとるやん」 「えっ」
思わぬ言葉に、間の抜けた声が真島の口から溢れ出た。 女はそんな真島など意にも介さず、ポケットから数枚のお札を出すと、ずい、と真島に向けて突き出した。
「今回は初回特別サービスや。この札、兄ちゃんの部屋、あー……刑務所みたいな部屋やな。丑寅の方、川に面した方向に窓あるな。そこと玄関に貼���とき」
全くの初対面にもかかわらず、見ず知らずの女に己の部屋の間取りを言い当てられてぎょっとした。
「じょ、嬢ちゃん、何で俺の部屋の間取り分かんねん……」 「うっさいな。わかるもんは分かるんや。年季が違うんや年季がな」 「何の年季やねん」 「兄ちゃん、ずっと碌に寝れてへんやろ。それ貼っておけばちーっとは夢見もようなると思うわ。ま、あんじょうやりや。ああ、あと……」
何枚かの札を押し付け、女はさっさと立ち去ってしまった。呆然と女の立ち去った方を眺めていたが、吹き荒ぶ冬の夜風にぶるりと身体を震わせて我に返った。
「何やったんや……はぁ、あったかいもんでも買うて帰るか……」
なんだかどっと疲れたと、すぐそばの自販機でコーヒーを買おうと100円を入れ、ボタンを押した。
ガコン!
「な、なんやて……?」
取り出し口から出てきた缶を見て思わず眼を見開いた。
【おしるこ を手に入れた】
「いや、疲れとるんやな。ボタン間違うなんて疲れとるに決まっとるわ」
言い訳のように笑いながらもう一度硬貨を入れ、コーヒーのボタンを押した。 ガコン、という音がしたと同時に素早くそれを取る。
「なんでやねん!!!!」
【おしるこ を手に入れた】
二本目のおしるこの缶を握りながら叫んだ。酔っ払いに「うるせえぞ!」と叫ばれてイラっとしたがそれどころではない。
「じゃ、じゃあこっちは……?」
三回目の正直。今度は清涼飲料水のボタンを押した。
【冷たいおしるこ を手に入れた】
「ふっざけんなや!!!!」
真島の怒りの咆哮が、夜の蒼天堀に響き渡った。
「おはようございまーす。うわ、真島さん、なんか……負のオーラが漂ってません?」
翌日。サンシャインにて出勤してきたユキに開口一番そう言われて、真島はどよんとした目で彼女を見た。
「なんやねんそれ……いや、確かにそうかもしれんな……」
おしるこ騒動から今まで本当に散々だった。 アパートから出た瞬間に階段を踏み抜いて下に落ちる、気が立ったカラスに髪を抜かれる、散歩中の大型犬に後ろから飛び掛かられて顔面を強かに打つ、喧嘩を吹っ掛けられるのは日常だが、橋から蹴り落としたチンピラに袖を掴まれて一緒に川に落ちるといった不運が立て続けに起きたのである。因みに自販機で買ったドリンクは全ておしるこであった。 真島から呪詛のようにその経緯を聞かされたユキと陽田は同情の目を向けた。
「何ですかその100年に一度の厄年みたいな不運……こわっ……塩でも撒きましょうか!? 丁度いっぱい買ってあるので!」
ユキがキッチンから粗塩の袋(5キロ)を持ってきながら言った。
「待ってユキちゃんその量だと土俵入りの力士になってまうやろ。やめてや! 塩を持つな!」 「真島さん、それはお祓いとかした方がいいんじゃないでしょうか……」
陽田が気の毒そうに真島を見る。
「陽田ちゃん……陽田ちゃんだけやで俺の事に親身になってくれるんは……うっうっ」 「ちょっと!!!私だって真島さんの不幸をどうにかしたいと思ってますよ!!!粗塩パワーでお祓いしましょう!」 「だから!!力士みたいに構えんなや!!……あ、そういえば何か貰うたわ」
真島が思い出したとばかりにポケットからくしゃくしゃになったお札を出した。
「うわ、何ですかそれ」 「うわとか言うなやユキちゃん。何や道端でトラブルになっとった嬢ちゃんから貰うたんやが、これを部屋のうしとら?の方に貼れとか言われてな……」 「うしとら……北東ですかね」
陽田の言葉に、真島が意外そうに眼を見開いた。
「何や陽田ちゃん、詳しいな」 「私もお客さんの受け売りですけどね。昔は干支で方位を示していたらしいですよ。丑寅というのは昔から鬼門、鬼や悪い物の通り道なんだそうです。その方、かなり知識があるみたいですね。それにこのお札、ちゃんと手書きですよ。今は印刷とかなのに」 「ほーん。じゃあ帰ったら貼ってみるかのう」 「真島さん、やっぱり塩もやった方がいいんじゃないですかね!?」 「塩はもうええわ!!!!」
やはりトラブル続きだった営業を終え、いつもの五倍くらい疲れた身体を引きずって帰路につく。
「ユキちゃん……まさか3連チャンで客に頭からフルーツ盛りぶっかけるとかありえへんやろ……これが、呪いなんか……」
よろよろと部屋のドアに手を掛ける。ドアノブを回して扉を開いた。 消したはずの灯りが点いている事より、ちゃぶ台の前に座る影に、真島はびくりと身体を震わせた。
「よう。遅かったな。真島ちゃん」 「ぎゃあ!!! 呪いや!!!」
今一番会いたくなかったピンストライプのベージュのスーツの男を見て、真島は情けない悲鳴を上げた。
「だっはははははは! あの泣く子も黙る真島吾朗があっはははははは!」
グランドのオーナーであり今の自分の飼い主、佐川の爆笑が狭い部屋に響く。真島は苦々し気にそれを見ていた。 佐川は手下に買いに行かせたらしい缶ビールをやりながら、腹を抱えてまだ笑っている。 真島は憮然とした顔でちゃぶ台のビニールからはみ出したビールを手に取り、勢いよくプルタブを開けた。
「ぶわ!!!」
その瞬間、まるでシャンパンのように勢いよくビールは噴出し、真島の顔面に直撃した。 それを見て更に佐川が笑い出す。 顔面をビールまみれにしながら、真島は己の飼い主をジト目で睨み付けた。 そういえば、こんなに笑っている佐川を見たのは初めてだ。と心の片隅で思ったが、絶対に顔に出してやるものかと盛大に顔をしかめた。
「まあまあ、今日は人生の厄年がいっぺんに来ちまったみたいな真島ちゃんを労ってやろうと思ってたんだぜ?」 「ああ?」 「俺が知らないとでも思ってんの? 階段踏み抜いて落ちるわ、カラスに襲われるわ、���ンピラと川に落っこちるわ、大量のおしるこ持って途方に暮れてるわ……ぷっ、くくく」 「うっさいわ……しゃーないやろ。何だかようわからんが何か憑いとるのかもしれんな」
噴き出して半分になってしまった���ールを一気に呷る。今日は特に疲れているからかアルコールの周りも良すぎる気がした。酷く眠たい。 今日は早々に酔って寝てしまおうと、真島はそう判断した。寝てしまえばこの招かれざる客も勝手に帰るだろう。 もう一本の缶ビールを開けて勢いよく飲み干す真島を見ながら、佐川は煙草をジャケットから取り出し、吸い始めた。
「はっ。まあ こんな稼業だ。中には験を担ぐ兄貴たちもいるが、今更どうこうしたってどうせ地獄に落ちるのによ」
お前だってそうだろ?と言うように、卓に頬杖をついて虚ろな表情でこちらを見る真島に、佐川は紫煙を吹きかけた。
「佐川はん、アンタなにがいいたいんや……?」
睡魔と酔いで呂律が回っていない真島は、ひどく幼く、危うげだった。 ぼんやりとタバコを吸い続ける飼い主の横顔を見つめる。あらゆる荒事を経験してきただろうに、いつも飄々と、泰然自若としているこの男が大嫌いだった。 世の中の酸いも甘いも噛分けたような顔を装ってはいるが、自分は佐川の半分も生きていない小僧なのだと、何度も思い知らされているのだ。 卓に突っ伏したまま、目を閉じた。いい加減睡魔も限界だった。
「なあ、真島ちゃん」
ひやりとした掌が、額に当てられた。
「お前も馬鹿だなぁ。あの時、兄弟の言う事さえ聞いてれば、こんな檻に入れられずに済んだのにな」
うっさいわ。ボケ。俺には冴島の兄弟しかおらんのや。
「穴倉にぶち込まれて、カタギに堕とされて俺に飼われてまで極道に戻りたいとかさ。本当に馬鹿だねぇ」
……。
「まあ、俺もお前も同じだよ。行きつく先はどうせ地獄だ。先の事なんざ分からねえ」
なんや、今日はお喋りやなぁさがわはん……。
「ふん、お前が先に死んだら死に顔見て笑ってやるよ」
相変わらずやな……逆やったら俺かて同じに笑ったるわ……。
「バァカ。俺は死んでもお前なんかに死に顔は見せてやらねぇよ」
——けどな。
そして、真島の意識はふつりと途切れた。
ひんやりとした冬の空気に否応なく意識が浮上した。 卓に突っ伏してそのままの体勢で眠っていたようだ。変な体勢で寝たせいか体中がぎしぎしと痛んだ。 辺りを見回すと相変わらず生活感のない殺風景な部屋がそこにあった。 ビールの空き缶が数本周りに転がっている。 そういえば、昨夜佐川が部屋に来ていて、一緒にビールを飲んだ事を思い出し、顔をしかめる。
「ん……? 何やこれ」
ちゃぶ台の下に何かがあった。白い紙きれのような物。 手を伸ばしてそれを取る。
「うわ、何やこれ……」
昨日あの変わった女から貰ったお札の一枚が、焼け焦げて無惨な状態になっていた。 ぞっとしながら、指でつまんでそれを捨てる。 時計を見れば、もう家を出る時間が過ぎようとしていた。
「はぁ、仕事行くか。今日はグランドに顔出さなあかんしな」
��のように重い足取りで、真島はアパートを出た。
「よう真島ちゃん。久しぶり」
事務所の扉を開けると、変わらぬ飄々とした口ぶりで、来客用の椅子に座る佐川の姿があった。
「昨日の夜も来たやろ。何で何回もアンタの顔見なあかんねん」
げんなりとしながら言うと、佐川が訝し気な表情でこちらを見た。
「ああ? 何言ってんだ? 俺、三日前からシノギで都内に行ってたんだけど。お前にも伝えといただろ」 「はぁ? せやけど昨日の夜……」
『真島ちゃん、明日から三日ほど蒼天堀空けるけど、悪さすんなよ?』
目の回るような忙しさの中、オーナーから掛かって来た電話。 確かにそう言われたのを思い出した。
「え、ええ~……ちょ、待って、じゃああれは……」
ざあ、と血の気が引くように青褪めた真島に、佐川が首を傾げた。
「何だよ。幽霊でも見たみたいな顔してよ」 「……幽霊や……」 「あ?」
何が何だか分からず、苛ついた表情でこちらを睨みつける飼い主の機嫌を取る事など今の真島には考えられなかった。 あの時、去り際にあの女は真島を見てこう言った。
——あんたに憑いてるそれ、生霊や。えらい兄ちゃんに執着しとるで。
茫然と突っ立っている真島の前に、いい加減堪忍袋の緒も切れそうだった佐川が近づき、いきなり鳩尾に膝蹴りを叩きこんだ。
「げほっ!」
たまらず膝を付く真島を冷ややかに見下ろす眼光は、もはや飄々とした謎の紳士ではなく、冷徹で残酷な極道者の光を放っていた。
「何ワケの分からねえ事をごちゃごちゃほざいてんだよ。ったく。ちったあ使えるようになったかと思えば俺がいないだけですぐ駄犬になっちまう」
煙草に火を点ける佐川を見上げる。今や嗅ぎ慣れてしまった香りが部屋に広がって、真島は思わず低く笑った。
「あ? 何笑ってんの真島ちゃん」 「あんたの……」
あ?と佐川の表情に険が宿る。
「あんたの、幽霊に会うたんや」
——けどな。万が一俺が先に死んだら。 ——お前がどんなクソみてえな死に方するのか見届けてやるよ。地獄の淵でな。
その日の終わり、真島が部屋にしっかりと残りのお札を貼ると、ぴたりと不幸は起こらなくなった。 が、翌日サンシャインに出勤した瞬間に、ユキ達に大量の塩をぶつけられたのはまた別の話である。
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129 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:21/06/02(水)20:03:15 ID:r1.xa.L1自分のせいで小学生の女の子が行方不明になったとき。大学時代、一人暮らしをしていた。ファミリー層の部屋と一人暮らし用の部屋が混在してるマンション。一年生の夏休みの時期に小学生の女の子を連れた母親が入居してきて、粗品を持って挨拶にきた。「父親がおらず、一人で留守番することもある。おとなしい子で大騒ぎすることはないとは思う。ご迷惑にならないようにするのでよろしく」といった話をされた。が、滅茶苦茶うるさかった。主に母親が。あのおしとやかそうなおばさんがあんな怒鳴るの?ってくらい、女の子を怒鳴りつけていて、多分殴ったりしていた。話の内容を聞いていると、「塾での成績が悪い」「他の子より絵が上手くない」など多分成績関係のことで怒られてる。で、女の子が「痛いよー」「ごめんなさい」と泣き叫んでた。夜中に外に出されたりしていて、一人廊下でエーンエーンと泣いていた。あまりにうるさいので警察が呼ばれることもあったけど、その度に「〇〇ちゃんのせいで皆さんに迷惑がかかったでしょ!」と母親が怒る声がしたし、「まあ気をつけてね」で警察も何もしない。夏休みも終わりに差し掛かる頃、夜中に飲み会終わって帰宅すると、また女の子が夜中に放り出されて泣いていた。私は翌日の朝が早いので、「泣く時はマンションの外に行こうね。なるべく泣く時は人がいないところにしようね」と女の子をマンションの外へ連れて行った。「叩かれて痛いのもわかるけど、なるべく泣くのを我慢して黙っているか、お外で誰もいないところで泣くようにしようよ。ね?皆君のことうるさいよねー、早く出ていってほしいねって、言ってるよ(事実御近所とそう話した)」「今日はマンションに帰らないようにできる?」「うん…」で、女の子を真夜中(深夜一時くらい)に、手ぶらで、一人ぼっちにして自分だけマンションに戻った。次の日、友達を呼んで家で映画を見ようと言うことになっていた。友達と映画を見ていると警察がチャイムを鳴らしてきた。隣の女の子が昨夜から行方不明で、私が深夜に廊下で話しかけて連れ出したのを見たという証言が同じ階の住人から相次いだという。慌てて昨夜の話をして、「一人になれとは言ったが攫ったりなどしていない。家探ししてもらっても構わない」と言った。警察から「女の子を真夜中に放り出す上にマンションにも帰るなと指示出しするって何考えてんだ」という趣旨のお叱りを受け、友達からも「事件に巻き込まれてたらどうすんのさ」と呆れられた。「お母さんが外に出してたのが悪いのであって、私のせいじゃないと思いますよ」「私がやらなくてもいつか家出してたと思います」と必死に言い訳しまくったが「そうじゃなくてね」と余計にお説教された。でも丸一日経っても女の子が見つからず、事がどんどん大きくなってきた。その翌日には警察犬がやってきたり、女の子の父親らしき人が来たり、更に近隣へ聞き込みが行われたり物々しくなってきていた。近所の人は「女の子がいなくて静かだから助かるわあ」とホッとしてたけど、私は(自分が罪に問われるのでは)と震えが止まらなかった。そしてその日の夜、女の子が見つかった。なんてことはない、ただの家出。捨てられていたペットボトルに水道水を詰めて水分補給しながらあちこち歩き回ってたらしい。最後の日の深夜、丸2日何も食べていなくて力尽きて、スーパーのゴミ箱を漁っていたところを通報されたそうだ。母親から謝罪は受けたけど、なんだかムカムカして、女の子に「君がいなくなって静かになったって皆喜んでたけど、またうるさくなるかな?静かにできる?ごめんなさいは?」と言ったら警官と友達からまた怒られた。今になって思うと、母親から追い出され、近所の女子大生から「皆に嫌われてるから帰ってくるな」とやんわり伝えられた小学生の女の子も修羅場だったろうし傷つけたなーと思う。それはそれとして、18にして前科がつくのではと冷や冷やした時間は修羅場でした。
続・妄想的日常
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異海感想
前にツイッターに思わずネタバレ垂れ流してしまって良くなかったなぁと思ったのでブログにしときゃええやろという安直な考えのもと作成されております。 そっちの文章も入ってます。
Sadaさん作 異海 ―ORPHAN’S CRADLE― のネタバレ有感想になっておりますのでお気を付けください。
後、思いの丈を気持ち悪いレベルで吐き出してますのでキモイと思ったらブラウザバック推奨。
まず製作者のSadaさんに感謝を。 こんなにも素晴らしいゲームを、魅力的なキャラクター達を、面白くあたたかなシナリオをありがとうございます。 本当に楽しい。面白い。 おかげでEDFもモンハンもほっぽってずっと異海やっちゃってる。時間が溶ける(誉め言葉)。
語りたいことが多すぎるので思いつくことをガンガン語っていこうと。
取り合えずEDは全部見終わった、んだけどイベントもスチルも回収できてないの多いのでまだまだ周回しなくてはならない。 まぁそんな自分の状況はさておき。 シナリオが!良い!!んですよ!!!! 僕のさっぱりな語彙力では表現できないので割愛。 どのシナリオ読んでても面白い。面白過ぎてスキップできない。 周回の為にスキップもするけどお気に入りのシナリオ来ると読んじゃう・・・また時間が溶けてゆく・・・。 差し込まれるBGMもチョイスが良い。情景にあったチョイスをされてて自然にシナリオに没入できる。 照雄さんや吾郎さんと勝負する時のピアノ曲とか、最終盤の蛭子と問答して裕くんが色々理解した時の切な���ピアノ曲とかたまらん。アルペジオがいいんだ。 曲名とかも知りたいくらい良い曲多い。フリー素材なんだっけ?欲しい。 料理、島開発、クラフト要素も楽しい。クラフトとかまだ作れてないの一杯あるんだろうなあ。 ミニシナリオが充実してるのもすごく良い。 多すぎて作者さんの多大な愛を感じる。本当に凄い。 色々気になる設定もありすぎて設定資料集を見たい。
人物評というか感想というか
裕くん 我らが主人公。基本的に周囲が奇人超人が多い中、貴重な常識人ツッコミポジション。 そんな彼も一皮むけば色んな要素が詰まった子でした。 よく笑い、時に悩み、泣き、葛藤しながらも自分の道を見つけて進むことができる姿はまさに主人公。 優しいというより愛情深い。いや、基本的に異海に出てくるキャラクターは皆愛情深いけれども。 サブイベントで人外にですらその手を差し伸べるその深い愛情は圧巻。 たまに「裕くん絶対母性芽生えてるよね?」とか思った。鬼灯イベとか料理のミニシナリオとか。 その大きな愛情で色んな人達を悉く陥落させていく様は正に主人公。 もうハーレムとかで良いから裕くんは皆を幸せにしてあげて欲しい。 相手と状況によっては(主に後ろが)大変なことになりそうな裕くんの未来はどっちだ。 EDによって色んな状況になるのも流石主人公。海堂さんEDはビックリな成長具合だった。そりゃ海堂さんも驚くわ。
定晴さん 色々デカくて豪快な父性溢れるチートスペック超人その1。面倒見も良い。 そりゃ裕くんじゃなくても惚れるわ。 その裏にある定晴さん自身の事情や葛藤がまた何とも。 そりゃ巌さんから見たらソリ合わないよね・・・。 吹っ切れた後は最初の印象に違わぬスケベェなおっさんでした。 スケベ的な意味で裕くんは体もつのだろうか・・・。 だが男前すぎてつらい。裕くん幸せにしてあげて。 ちらほら描写はあるけど君絶対ただの一般人じゃないよね。
巌さん ヤクザみたいな雰囲気のおっさん。のくせに時たま見せる柔らかな父性がまたニクイあんちくしょう。 勇魚さんとは違った意味でこの人はこの人で色んなことで雁字搦めになってた。 初期印象がガラリと変わる人。シナリオでも言及されてたけど懐が大きく、愛情深い。 お前はどこのエロゲの主人公だってくらい父性愛溢れまくってる。 でも巌さん絶対Sっ気あるよね。 元は真面目な消防士ってんだから色々あったんだよね、多分。ってなる。 しかしこの人も大概ハイスペックだよね。他が飛びぬけてるだけで。
洋一くん チートスペック超人枠その2。 別の意味で初期印象がガラリと変わった人。 寡黙マッチョいいよね!とか思いながら攻略したら死んだ。 死んだ。 個別シナリオはもうボロ泣きした。 ノベルゲーやってて泣いたのなんて初めてかもしらん。 この時点で洋一くん推しが限界突破した。好き。 前半の寡黙な洋一くんも良いけど不器用に感情を表す彼も良い。 タガ外れてエッチ要求しまくる彼も良い。 捨てられた犬みたいな表情で「駄目か」「嫌か」なんて言われたらそりゃあ拒否できないよね。 頑張れ裕くん。
辰馬くん ちょっと天然気味なラガーメン。が最初の印象だった。だった。 ヒーラーでサバイバーでラガーメンで医者志望でタガが外れりゃオオカミさん。 ふとした瞬間に出てくる闇と言うか情報の洪水というか、最早何を言ってるのかわからない。 一途、めっちゃ一途。一途すぎて若干ヤンデレの気配も・・・。 でも、なんというか愛おしい。母性をくすぐるというか、愛される人柄だよね。 でもやる気になればクソかっこいいんだからホントにズルい。 巌さんもそうだけど彼も大概ハイスペック。
千波くん 打波の生んだぴゅあぼーい。 何というか甘酸っぱい青春ルートだった。 いや、ルートとしては葛藤も切なさも苦しさも色々あったんだ。 あったんだけど、「ああ、ちょっと切ない。けど、甘酸っぱい」。 そんな言葉が自然と出てくる。千波くんかわいいよ千波くん。 裕くんとの距離感が絶妙に良い。 支えるようで支えられていて、寄りかかるようで寄りかかられていて。 実に微笑ましい。末永く爆発しろ。
冴さん つよい。 いや、その一言で片づけちゃだめなんだろうけど。 印象としてはサモ〇イのメイメ〇さんポジション。 眼鏡だしお酒好きだし。 勇魚さんルートで彼を叱責する彼女には痺れた。 色んな意味で裕くんの味方をしてくれた人。本当に素敵な女性である。 彼女は彼女で秘密があるみたいだけど結局何者だったのだろうか・・・。
イザナギさん 〇モナイ3でいうハ〇ネルさんポジション。 彼も何者だったのかは正直ようわからんかった。 でも、裕くんの味方で、裕くんを導いてくれてたのは確か。 なんというか、ほっとする感じがして好き。
照道さん 良識枠。イザナギさんと同じでほっとする枠。 色々言うけど裕くんを支え、導いてくれた人。その名前は伊達ではない。 ラストで駆けつけてくれたあの勇ましい姿には痺れた。クソカッコいい。 崇くんとは末永く幸せに暮らして欲しい。 ぬか漬け?・・・ウッアタマガ
崇くん 天使。 もうそれ以上の言葉があるだろうか。 いや、後半のあれやこれやで色々と思うこともあるけれども。 本当に、本当に末永く幸せになって欲しい。 崇くんかわいいよ崇くん。
吾郎さん ギャグ枠と思いきやシリアス部分もがっつり持ってくお方。 月狂いの恐ろしさとその苦悩がよくわかるシナリオでございました。 ぶきっちょな吾郎さんも良いですがあんなオラオラした吾郎さんもよき。 下手すりゃ裕くんあのままMに目覚めていたのでは・・・? 互いが互いを思いやる故の忘れ石。でも、忘れたくない。あんなんズルいわ。そこからのEDへのあの流れ。ズルいわ! EDでのギャップにもやられた。制服はズルい。萌え。 子供たちもかわいい。
潮さん 面倒見がすごくよく、性格イケメン。 実際いい男。というか色男。そして一途。 ED見つけるのにめっちゃ時間かかった。まさかノーマルの先だったとは思わなんだ。 いや、どうなんだろ、トゥルー後にもあるなら全く感想が変わってくる。 ノーマル後の潮さんEDを見た感想としては、せつない。 ただひたすらに、せつない。 裕くんと潮さんのあの関係はそれはそれでいいんだ。 幸せそうで。潮さんも満更じゃなくて。 ノーマルエンド、やっぱ悲しいよなぁ。 照道さんが消えて。あの後、崇くんはどうなったのだろうか。 吾郎さんとか汐音ちゃんがいるから平気だろうとは思うけど、絶対自分責めそうだよなぁ。 やっぱり、皆で幸せになって欲しいんだ。 もし汐音ちゃん√のトゥルー後のEDっていう√があれば、全然感想変わったなぁ。
藤馬さん 皆大好き(?)藤馬さん。 目じり下げて笑うあの表情は破壊力あると思います。 完璧超人かと思いきやまさかのメシマズとは・・・。 えっちスケベにーさんだった。えっち最中も敬語なせいで最早言葉攻めだったよ。プレイかよ。 でもそれ以上に愛情の人だった。 辰馬くんに、父に、そして裕くんに向けた愛が溢れまくってる人だった。 兄弟揃って外見も中身もイケメンだった。知ってた。 ED1はまさかのオチだった。いや、弐鬼さんルートでんなこと可能なのは知ってたけど。 そして藤馬さんやっぱ勾制御できなかったら色々ハジけてるじゃないですかヤダー。 あの場合兄弟とは竿だったのか穴だったのか・・・ゴクリ そして問題児三兄弟って多分吾郎さんとこだよね。 ED2は切ない。でも、あの結末の先に続く物語もありそうな感じがある。 結局、あの場合はどっちが柱になったのだろうか。 にしても兄弟揃って独占欲強めな感じがひしひしと。イイデスネ
勇海さん えっちなとうさん。けしからん。実にけしからん。好き。 父性愛溢れまくってて砂糖どころか蜂蜜吐いた。 裕くんがでろでろに甘やかされてるのを見ると「良かったねぇ裕くん」という気持ちが芽生える。 洋一くんや辰馬くん、千波くん見てると「もっと甘えてええんやで」って思うけど裕くんももっと甘えていいと思う。 それを引き出した勇海さんマジお父さん。爛れているのはご愛敬。 定晴さんとの3Pルートもスケベェで実に良い。 裕くんのお尻が心配にはなる。でも裕くんが幸せそうだからいいか。 しかし、疾海さんを内地に解き放って本当に大丈夫だったのだろうか・・・。
弐鬼さん マッチョ刀鍛冶おじーちゃん。 お世話してたら回春したおじーちゃんとえっちしてた。 おじーちゃんがえっちすぎるのがいけないとおもいます。 EDは世界観の一端が見えてそれも良かった。 いきなりおっぱじめたのには吾郎さんじゃなくてもびっくりすると思います。 このルートの裕くんが一番神秘に満ちてる状態なのかな。 洋一くんの五感が鋭いのも弐鬼さんの血族だからなのだろうか。
泰蔵さん 船長兼細工師さん。 最初はぼんやりと「ああ、裕くん島に残ったら旺海の当主しながら細工師するのかな」なんて思ったりもした。 個人的には裕くんのお師匠ポジションになっている。 絶妙な塩梅で裕くんのこと気に掛けてくれるお方。 絶対弟子みたいな目であたたかく見守ってるよね。 なんでかわからんが凄い好き。
沙夜さん ほんわかお母さま。そしてぬか漬けの女帝。 裕ちゃん呼びは中々にくるものがある。可愛らしいお母さまだ。 色々大変で色々な苦悩を背負ってる。 でも最後にはきちんと向き合い、子を守り、愛にも生きる。女は強かった。 にしても、千波の年齢逆算してもそこそこのお歳の筈だが・・・お盛んっスね・・・。
蛭子 黒幕。加害者でもあり被害者でもあり、サモナ〇3のイス〇ポジション。 彼の願いは所謂「自身の死」だった。 そりゃあんな状況に押し込められて無間地獄状態ならそう望むのも無理はないわ。 けど、色んなEDを見た後に思う。結局彼にとって一番幸せなEDはどれだったんだろう。 正規?√は定晴さんEDぽいけど、個人的には蛭子くん自身が色々学んでいきそう辰馬くんED、藤馬さんED1もありかなぁと思ってしまう。 彼も幸せなれるそんな未来があったのかなぁ。
全然関係ないけど、蛭子はマヒトの姿を模してる。 マヒト登場時に「はいてない」選択肢出てた。 つまり蛭子もはいてないのでは? どんだけシリアス話をしてても君はいてないの??? 3週目あたりでそんなアホな思考が湧いてもうダメだった。
考察とも言えない雑感。 考察何てしたことないから理論も順番もちぐはぐのぐちゃぐちゃ駄文。
辰馬ルートやって思ったのが、「自分の命を顧みず、他の誰かを慈しむ」「負の感情に共感し、それを慰めることができる」。 これをできる人が「柱」の素質の大きさなのではないかと。 そこに血筋とか勾とかは恐らく関係ないのではないかと。 んで、バッド√を見て思った。 あのループの中の定晴さんのあの台詞。 多分、定晴さんもあのループの中での記憶を持ち越してて、「もう少しでお前(裕くん)をこのループから解放してやる」って意味だったのかな、と。 そして多分、その代償として定晴さんが柱になるのではなかろうかと。 禍憑きの骨イベントで崇君と定晴さんが同情、というか共感したことで禍が消え去ったのも、あの2人が柱の資質持ちだからなのではないか?と思ったり。 というかイザナギさん回復イベントで産魂に光を入れられた人って、大なり小なり皆柱の資質あるって事なのでは・・・?
裕くんの父親について 某方がSadaさんと問答してらっしゃったけど、多分これ泰蔵さんだよなぁ。 冴さんのお言葉や鑑定の結果見ても一点ものの髪飾り、星見石は打波で産出する、加工が難しい、泰蔵さんの髪飾りに対する扱い、泰蔵さんは細工師、んでお酒飲んだ時のお話。 うん、やっぱりアレ泰蔵さん作では? よくよく泰蔵さんの立ち絵見ると裕くんに似てる気がする。体格とか髪型とか。あと眉毛。 蛭子も命や魂は生み出せないって言ってたし、真那さんと泰蔵さんの子+蛭子の一部=裕くんなんだろう。多分。 多分泰蔵さんは気づいてるよね。そら何かと気に掛けてくれるわな。 そう仮定して泰蔵さんの台詞を見返すとやっぱそうなんじゃね?って思ってしまう。
裕くん本人について 何かしらの勾を持っており、幼い頃から幽霊とかが見えてる。 旺海の血を継ぐ者。 勾については汐音ちゃんから「幽世を渡る力に優れている」と言及されている。 「幽世を渡る力」は詳細が語られていない為不明点も多い。 おそらくこちらは「蛭子の一部としての旺海裕」が持つ力なのであろう。 幽霊や魂といったものを視認し、時には意思疎通さえ行うことが可能。 視認した相手の死の運命のようなモノも感じ取ることができる。 元々できたのか打波島に戻ってから目覚めたのかは不明だが、霊的な存在を祓う、共感し慰撫することで魂を輪廻の中に還す柱としての力も行使している。 ここら辺は主に攻略キャラに関係ないサブイベで行使している。雪女とか胡麻団子の女の子とか鬼灯とか。 幽世の力に関係するのかは不明だが、水鏡による先視に関する力も突出している。 先視は藤馬さん√にて「超高性能のシミュレーション結果」のようなものと明言されている。 絶対の結果ではないが、高い確率で起こる事象の1つを視るのだと。 この先視に関して、前述した『視認した相手の死の運命のようなモノも感じ取ることができる』という能力にも関わって来るのではないだろうか。 バッド√で蛭子がいくつかの結末をシミュレートして試行を繰り返していることから、蛭子が元々行使していた力。 それが、蛭子の一部である裕くんが『死の運命の視認』という限定的ながらも先視の力を行使できても不思議ではない。 余程裕くんの根幹に根ざす力なのか、打波を離れてもその能力は無くなっていない。(巌EDなど) それと、裕くんの勾に関係するかは全くの不明だが、打波島に来てから彼は黄泉がえりを繰り返していると言える。 桃の花咲き乱れるあの空間はしょっちゅう描写されるが、あれが描写されるときは肉体的に死を迎えようとしているか、あるいは魂が肉体を離れている状態なのではないだろうか。 あの空間を降りきったら死んでしまうよと警告もされるし。 巌√で月読のお守りをなくした時、洋一√で顎岬ダイブした時は明確に一度死にかけて(あるいは死んで)いると思しき描写になっている。 しかも桃の花空間も描写されている。 どうみても助からない筈なのに蘇生している。 この事象に関しては裕くんの勾なのかそれとも蛭子が手助けしているかは不明だが、デッドアンドリバースしているのは確かだろう。 先視や水鏡、黄泉がえりの異能を含めて「幽世を渡る力」なのだろうか。 書き出してても全然わからん。 他、定晴さん√にて蛭子から「君は旺海の勾も継いでいるんだね」と言及されている。 こちらは「旺海真那の子、旺海裕」として持つ力なのであると思われる。 旺海の勾については「魂の分割」と作中で明言されており、自分の魂の一部を別個体として存在させるって感じかと思われる。 定晴さん√ではそれを定晴さんの魂でおこなったと。 だからあの場に定晴さんは現れたということだ。 まだある。 条件が揃えば笹神楽を神器として行使することが可能。 この時、裕くんは笹神楽がツール、自身をバッテリーと称している。 この状態に定晴さんソウルが加わると、位相すらも蛭子と同等になる。 これ、限定的にとはいえ限りなく神に近づいてますやん。 いや、蛭子の一部なんだから不思議ではないっちゃないけど。 折れない柱として完成されうるスペックも持ち合わせており、不完全な状態でも柱としての適性は高い。 ていうか弐鬼さん√に至っては一時的ながらも柱そのものとして打波島を支えていた。
定晴さんについて 内地の人間なのに浮き出ていた禍憑きの刻印。 定晴√ラストの裕くんに流れ込む力。 名言されているわけではないが、弐鬼さんEDにて語られる「さる人物の体の中に残っていた海皇の因子」。 さる人物って多分これ定晴さんだよね。 そう仮定すれば定晴さんの謎スペックにも説明はつく。多分。 ていうかスィーフィード〇イトかお前は。好き。
エロについて すごいえっち。 ええ、ええ。すごいえっちでドシコでしたよ! よくこんな量のテキストとシチュエーション思いつくなぁなんて戦慄もちょっとした。 定晴さんの色々溢れまくりなえっちもいい。 巌さんの包み込むような、お互いに色々曝け出すようなえっちもいい。 洋一くんの若さ溢れまくるドチャくそ激しいえっちもいい。 千波くんの青さと若さとやんちゃさ溢れかえるえっちもいい。 辰馬くんのひたすら一途な激し目えっちもいい。 サブキャラの方々もたいへんえっちでございました。 言葉で表しきれないのでまずやればいいと思う。 定晴さんと勇海さんのW雄っぱいサンドで吐血した。いや、吐蜂蜜した。
簡単な総評 めっっっっっちゃ良い作品でした!!!!! そしてめっっっっっちゃ時間が溶けた。 というか回収終わってないスチルもイベもあるからまだやらねば。 あああ、裏設定とか世界感とか凄い気になる! ここまで引き込まれた作品なんて久々だ! Fateやら放サモやらはまだ完結してないから除外。 それ考えたら勝手な考察なんてするほどどっぷり浸かった作品なんて赤松漫画とかハリポタ以来かも。 あああ、一緒に語れる人が欲しい!!あれこれ聞いてみたいし話したい!!
あのボリュームで、プレイ時間で、2000円ちょっとって安すぎない????
お布施はどこにすればいいんです・・・?
しかもまだ追加があるかもしれないというこの・・・。
Sadaさんありがとう・・・ありがとうございます・・・。
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青と金色
■サイレンス
この部屋のインターフォンも灰色のボタンも、だいぶ見慣れてきた。指で押し込めて戻すと、ピーンポーンと内側に引っ込んだような軽い電子音が鳴る。まだこの地に来た頃はこうやって部屋主を呼び出して待つのが不思議な気分だった。鍵は開かれて��たし、裏口だって知っていたから。 「…さむっ」 ひゅうう、と冷たい風が横から吹き込んで、思わずそう呟いて肩を縮めた。今週十二月に入ったばかりなのに、日が落ちると驚くほど冷え込む。今日に限って天気予報を観ていなかったけれど、今夜はいつもと比べても一段と寒いらしい。 近いし、どうせすぐだからと、ろくに防寒のことを考えずに部屋を出てきたのは失敗だった。目についた適当なトレーナーとパンツに着替え、いつものモッズコートを羽織った。おかげで厚みは足りないし、むき出しの両手は指先が赤くなるほど冷えてしまっている。こんなに寒いのならもっとしっかりと重ね着してこれば良かった。口元が埋まるくらいマフラーをぐるぐるに巻いてきたのは正解だったけれど。 いつもどおりインターフォンが繋がる気配はないけれど、その代わりに扉の奥からかすかに足音が近付く。カシャリ、と内側から錠の回る音がして目の前の扉が開かれた。 「おつかれ、ハル」 部屋の主は片手で押すように扉を開いたまま、咎めることも大仰に出迎えることもなく、あたたかい灯りを背にして、ただ静かにそこに佇んでいた。 「やっと来たか」 「はは、レポートなかなか終わらなくって…。遅くなっちゃってごめんね」 マフラー越しに笑いかけると、遙は小さく息をついたみたいだった。一歩進んで内側に入り、重たく閉じかける扉を押さえてゆっくりと閉める。 「あ、ここで渡しちゃうからいいよ」 そのまま部屋の奥に進もうとする遙を呼び止めて、玄関のたたきでリュックサックを開けようと背から下ろした。 遙に借りていたのはスポーツ心理学に関する本とテキストだった。レポート課題を進めるのに内容がちょうど良かったものの自分の大学の図書館では既に貸し出し中で、書店で買うにも版元から取り寄せるのに時間がかかるとのことだった。週明けの午後の講義で遙が使うからそれまでには返す、お互いの都合がつく日曜日の夕方頃に部屋に渡しに行く、と約束していたのだ。行きつけのラーメン屋で並んで麺を啜っていた、週の頭のことだった。 「いいから上がれよ」遙は小さく振り返りながら促した。奥からほわんとあたたかい空気が流れてくる。そこには食べ物やひとの生活の匂いが確かに混じっていて、色に例えるなら、まろやかなクリーム色とか、ちょうど先日食べたラーメンのスープみたいなあたたかい黄金色をしている。それにひとたび触れてしまうと、またすぐに冷えた屋外を出て歩くために膨らませていた気力が、しるしるとしぼんでしまうのだ。 雪のたくさん降る場所に生まれ育ったくせに、寒いのは昔から得意じゃない。遙だってそのことはよく知っている。もちろん、帰ってやるべきことはまだ残っている。けれどここは少しだけ優しさに甘えようと決めた。 「…うん、そうだね。ありがと、ハル」 お邪魔しまーす。そう小さく呟いて、脱いだ靴を揃える。脇には見慣れたスニーカーと、濃い色の革のショートブーツが並んでいた。首に巻いたマフラーを緩めながら短い廊下を歩き進むうちに、程よくあたためられた空気に撫ぜられ、冷えきった指先や頬がぴりぴりと痺れて少しだけ痒くなる。 キッチンの前を通るときに、流しに置か��た洗いかけの食器や小鍋が目に入った。どうやら夕食はもう食べ終えたらしい。家を出てくる前までは課題に夢中だったけれど、意識すると、空っぽの胃袋が悲しげにきゅうと鳴った。昼は簡単な麺類で済ませてしまったから、帰りにがっつり肉の入ったお弁当でも買って帰ろう。しぼんだ胃袋をなぐさめるようにそう心に決めた。 「外、風出てきたから結構寒くってさ。ちょっと歩いてきただけなのに冷えちゃった」 「下旬並だってテレビで言ってた。わざわざ来させて悪かったな」 「ううん、これ貸してもらって助かったよ。レポートもあと少しで終わるから、今日はちゃんと寝られそう……」 遙に続いてリビングに足を踏み入れ、そこまで口にしたところで言葉が詰まってしまった。ぱちり、ぱちりと大きく瞬きをして眼下の光景を捉え直す。 部屋の真ん中に陣取って置かれているのは、彼の実家のものより一回り以上小さいサイズの炬燵だ。遙らしい大人しい色合いの炬燵布団と毛布が二重にして掛けられていて、丸みがかった正方形の天板が上に乗っている。その上にはカバーに入ったティッシュ箱だけがちょんとひとつ置かれていた。前回部屋に訪れたときにはなかったものだ。去年は持っていなくて、今年は買いたいと言っていたことを思い出す。けれど、それはさして驚くようなことでもない。 目を奪われたのは、その場所に半分身を埋めて横になり、座布団を枕にして寝息を立てている人物のことだった。 「…えっ、ええっ? 凛!?」 目の前で眠っているのは、紛れもなく、あの松岡凛だった。普段はオーストラリアにいるはずの、同郷の大切な仲間。凛とはこの夏、日本国内の大会に出ていた時期に会って以来、メールやメディア越しにしか会えていなかった。 「でかい声出すな、凛が起きる」 しいっと遙が小声で咎めてくる。あっ、と慌てたけれど、当の凛は起きるどころか身じろぐこともなく、ぐっすりと深く眠ってしまっているようだった。ほっと胸を撫で下ろす。 「ああ、ご、ごめんね…」 口をついて出たものの、誰に、何に対してのごめんなのか自分でもよく分からない。凛がここにいるとは予想だにしていなかったから、ひどく驚いてしまった。 凛は今までも、自分を含め東京に住んでいる友達の部屋に泊まっていくことがあった。凛は東京に住まいを持たない。合宿や招待されたものならば宿が用意されるらしいけれど、そうでない用事で東京に訪れることもしばしばあるのだそうだ。その際には、自費で安いビジネスホテルを使うことになる。一泊や二泊ならともかく、それ以上連泊になると財布への負担も大きいことは想像に難くない。 東京には少なくとも同級生だけで遙と貴澄と自分が住んでいる。貴澄は一人暮らしでないからきっと勝手も違うのだろうが、遙と自分はその点都合が良い。特に遙は同じ道を歩む選手同士だ。凛自身はよく遠慮もするけれど、彼の夢のために、できるだけの協力はしてやりたい。それはきっと、隣に並ぶ遙も同じ気持ちなのだと思う。 とはいえ、凛が来ているのだと知っていれば、もう少し訪問の日時も考えたのに。休日の夜の、一番くつろげる時間帯。遙ひとりだと思っていたから、あまり気も遣わず来てしまったのに。 「ハル、一言くらい言ってくれればいいのに」 強く非難する気はなかったけれど、つい口をついて本音が出てしまった。あえて黙っていた遙にじとりと視線を向ける。遙はぱちり、ぱちりと目を瞬かせると、きゅっと小さく眉根を寄せ、唇を引き結んだ。 「別に…それが断わる理由にはならないだろ」 そう答えて視線を外す遙の表情には少し苦い色が含まれていて、それでまた一歩、確信に近付いたような気がした。近くで、このごろはちょっと離れて、ずっと見てきたふたりのこと。けれど今はそっと閉じて黙っておく。決してふたりを責めたてたいわけではないのだ。 「…ん、そうだね」 漂う空気を曖昧にぼかして脇にやり、「でも、びっくりしたなぁ」と声のトーンを上げた。遙は少しばつが悪そうにしていたけれど、ちらりと視線を戻してくる。困らせたかな、ごめんね、と心の中で語りかけた。 「凛がこの時期に帰ってくるなんて珍しいよね。前に連絡取り合ったときには言ってなかったのに」 「ああ…俺も、数日前に聞いた。こっちで雑誌だかテレビだかの取材を受けるとかで呼ばれたらしい」 なんでも、その取材自体は週明けに予定されていて、主催側で宿も用意してくれているらしい。凛はその予定の数日前、週の終わり際に東京にやって来て、この週末は遙の部屋に泊まっているのだそうだ。今は確かオフシーズンだけれど、かといってあちこち遊びに行けるほど暇な立場ではないのだろうし、凛自身の性格からしても、基本的に空いた時間は練習に費やそうとするはずだ。メインは公的な用事とはいえ、今回の東京訪問は彼にとってちょっとした息抜きも兼ねているのだろう。 「次に帰ってくるとしたら年末だもんね。早めの休みでハルにも会えて、ちょうど良かったんじゃない」 「それは、そうだろうけど…」 遙は炬燵の傍にしゃがみこんで、凛に視線を向けた。 「ろくに連絡せずに急に押しかけてきて…本当に勝手なやつ」 すうすうと寝息を立てる凛を見やって、遙は小さく溜め息をついた。それでも、見つめるその眼差しはやわらかい。そっと細められた瞳が何もかもを物語っている気がする。凛は、見ている限り相変わらずみたいだけれど。ふたりのそんな姿を見ていると自然と笑みがこぼれた。 ハル、あのね。心の中でこっそり語りかけながら、胸の内側にほこほことあたたかい感情が沸き上がり広がっていくのが分かった。 凛って、どんなに急でもかならず前もって連絡を取って、ちゃんと予定を確認してくるんだよ。押しかけてくるなんて、きっとそんなのハルにだけじゃないかなぁ。 なんて考えながら、それを遙に伝えるのはやめておく。凛の名誉のためだった。 視線に気付いた遙が顔を上げて、お返しとばかりにじとりとした視線を向けた。 「真琴、なんかニヤニヤしてないか」 「そんなことないよ」 つい嬉しくなって口元がほころんでいたらしい。 凛と、遙。そっと順番に視線を移して、少しだけ目を伏せる。 「ふたりとも相変わらずで本当、良かったなぁと思って」 「…なんだそれ」 遙は怪訝そうに言って、また浅く息をついた。
しばらくしておもむろに立ち上がった遙はキッチンに移動して、何か飲むか、と視線を寄こした。 「ついでに夕飯も食っていくか? さっきの余りなら出せる」 夕飯、と聞いて胃が声を上げそうになる。けれど、ここは早めにお暇しなければ。軽く手を振って遠慮のポーズをとった。 「あ、いいよいいよ。まだレポート途中だし、すぐに帰るからさ。飲み物だけもらっていい?」 遙は少し不満そうに唇をへの字に曲げてみせたけれど、「分かった、ちょっと待ってろ」と冷蔵庫を開け始めた。 逆に気を遣わせただろうか。なんだか申し訳ない気持ちを抱きながら、炬燵のほうを見やる。凛はいまだによく眠ったままだった。半分に折り畳んだ座布団を枕にして横向きに背を縮めていて、呼吸に合わせて規則正しく肩が上下している。力の抜けた唇は薄く開いていて、その無防備な寝顔はいつもよりずっと幼く、あどけないとさえ感じられた。いつもあんなにしゃんとしていて、周りを惹きつけて格好いいのに。目の前にいるのはまるで小さな子供みたいで、眺めていると思わず顔がほころんでしまう。 「凛、よく寝てるね」 「一日連れ回したから疲れたんだろ。あんまりじっと見てやるな」 あ、また。遙は何げなく言ったつもりなのだろう。けれど、やっぱり見つけてしまった。「そうだね」と笑って、また触れずに黙っておくけれど。 仕切り直すように、努めて明るく、遙に投げかけた。 「でも、取材を受けに来日するなんて、なんか凛、すっかり芸能人みたいだね」 凄いなぁ。大仰にそう言って視線を送ると、遙は、うん、と喉だけで小さく返事をした。視線は手元に落とされていながら、その瞳はどこか遠くを見つめていた。コンロのツマミを捻り、カチチ、ボッと青い火のつく音がする。静かなその横顔は、きっと凛のことを考えている。岩鳶の家で居間からよく見つめた、少し懐かしい顔だった。 こんなとき、いまここに、目の前にいるのに、とそんな野暮なことはとても言えない。近くにいるのにずっと遠くに沈んでいた頃の遙は、まだ完全には色褪せない。簡単に遠い過去に押しやって忘れることはできなかった。 しばらく黙って待っていると遙はリビングに戻って来て、手に持ったマグカップをひとつ差し出した。淹れたてのコーヒーに牛乳を混ぜたもので、あたたかく優しい色合いをしていた。 「ありがとう」 「あとこれも、良かったら食え」 貰いものだ、と小さく個包装されたバウムクーヘンを二切れ分、炬燵の上に置いた。背の部分にホワイトチョコがコーティングしてあって、コーヒーによく合いそうだった。 「ハルは優しいね」 そう言って微笑むと、遙は「余らせてただけだ」と視線を逸らした。 冷えきった両の手のひらをあたためながらマグカップを傾ける。冷たい牛乳を入れたおかげで飲みやすい温度になっていて、すぐに口をつけることができた。遙は座布団を移動させて、眠っている凛の横に座った。そうして湯気を立てるブラックのコーヒーを少しずつ傾けていた。 「この休みはふたりでどこか行ってきたの?」 遙はこくんと頷いて、手元の黒い水面を見つめながらぽつぽつと語り始めた。 「公園に連れて行って…買い物と、あと、昨日は凛が何か観たいって言うから、映画に」 タイトルを訊いたけれど、遙の記憶が曖昧で何だかよく分からなかったから半券を見せてもらった。CM予告だけ見かけたことのある洋画で、話を聞くに、実在した人物の波乱万丈な人生を追ったサクセスストーリーのようだった。 「終盤ずっと隣で泣かれたから、どうしようかと思った」 遙はそう言って溜め息をついていたけれど、きっとそのときは気が気ではなかったはずだ。声を押し殺して感動の涙を流す凛と、その隣で映画の内容どころではなくハラハラと様子を見守る遙。その光景がありありと眼前に浮かんで思わず吹き出してしまった。 「散々泣いてたくせに、終わった後は強がっているし」 「あはは、凛らしいね」 俺が泣かせたみたいで困った、と呆れた顔をしてコーヒーを口に運ぶ遙に、あらためて笑みを向けた。 「よかったね、ハル」 「…何がだ」 ふいっと背けられた顔は、やっぱり少し赤らんでいた。
そうやってしばらく話しているうちにコーヒーは底をつき、バウムクーヘンもあっという間に胃袋に消えてしまった。空になったマグカップを遙に預け、さて、と膝を立てる。 「おれ、そろそろ帰るね。コーヒーごちそうさま」 「ああ」 遙は玄関まで見送ってくれた。振り返って最後にもう一度奥を見やる。やはり、凛はまだ起きていないようだった。 「凛、ほんとにぐっすりだね。なんか珍しい」 「ああ。でも風呂がまだだから、そろそろ起こさないと」 遙はそう言って小さく息をついたけれど、あんまり困っているふうには見えなかった。 「あ、凛には来てたこと内緒にしておいてね」 念のため、そう言い添えておいた。隠すようなことではないけれど、きっと多分、凛は困るだろうから。遙は小さく首を傾げたけれど、「分かった」と一言だけ答えた。 「真琴、ちょっと待て」 錠を開けようとすると、思い出したみたいに遙はそう言って踵を返し、そうしてすぐに赤いパッケージを手にリビングから戻ってきた。 「貼るカイロ」 大きく書かれた商品名をそのまま口にする。その場で袋を開けて中身を取り出したので、貼っていけ、ということらしい。貼らずにポケットに入れるものよりも少し大きめのサイズだった。 「寒がりなんだから、もっと厚着しろよ」 確かに、今日のことに関しては反論のしようがない。完全に油断だったのだから。 「でも、ハルも結構薄着だし、人のこと言えないだろ」 着ぶくれするのが煩わしいのか、遙は昔からあまり着こまない。大して寒がる様子も見せないけれど、かつては年に一度くらい、盛大に風邪を引いていたのも知っている。 「年末に向けて風邪引かないように気を付けなよ」 「俺は大丈夫だ、こっちでもちゃんと鯖を食べてるから」 「どういう理屈だよ…って、わあっ」 「いいから。何枚着てるんだ」 言い合っているうちに遙が手荒く背中をめくってくる。「ここに貼っとくぞ」とインナーの上から腰の上あたりに、平手でぐっと押すように貼り付けられた。気が置けないといえばそうだし、扱いに変な遠慮がないというか何というか。すぐ傍で、それこそ兄弟みたいに一緒に育ってきたのだから。きっと凛には、こんな風にはしないんだろうなぁ。ふとそんな考えが頭をもたげた。 遙はなんだか満足げな顔をしていた。まぁ、きっとお互い様なんだな。そう考えながら、また少し笑ってしまった。 「じゃあまたね、おやすみ」 「ああ。気を付けて」
急にひとりになると、より強く冷たく風が吹きつける気がする。けれど、次々沸き上がるように笑みが浮かんで、足取りは来る前よりずっと軽かった。 空を仰ぐと、小さく星が見えた。深く吐いた息は霧のように白く広がった。 ほくほく、ほろほろ、それがじわじわと身体中に広がっていくみたいに。先ほど貼ってもら��たカイロのせいだろうか。それもあるけれど、胸の内側、全体があたたかい。やわらかくて、ちょっと苦さもあるけれど、うんとあたたかい。ハルが、ハルちゃんが嬉し��うで、良かった。こちらまで笑みがこぼれてしまうくらいに。東京の冬の夜を、そうやってひとり歩き渡っていた。
■ハレーション
キンとどこかで音がするくらいに空気は冷えきっていた。昨日より一段と寒い、冬の早い朝のこと。 日陰になった裏道を通ると、浅く吐く息さえも白いことに気が付く。凛は相変わらず少し先を歩いて、ときどき振り返っては「はやく来いよ」と軽く急かすように先を促した。別に急ぐような用事ではないのに。ためらいのない足取りでぐんぐんと歩き進んで、凛はいつもそう言う。こちらに来いと。心のどこかでは、勝手なやつだと溜め息をついているのに、それでも身体はするすると引き寄せられていく。自然と足が前へと歩を進めていく。 たとえばブラックホールや磁石みたいな、抗いようのないものなのだと思うのは容易いことだった。手繰り寄せられるのを振りほどかない、そもそもほどけないものなのだと。そんな風に考えていたこともあった気がする。けれど、あの頃から見える世界がぐんと広がって、凛とこうやって過ごすうちに、それだけではないのかもしれないと感じ始めた。 あの場所で、凛は行こうと言った。数年も前の夏のことだ。 深い色をした長いコートの裾を揺らして、小さく靴音を鳴らして、凛は眩い光の中を歩いていく。 格好が良いな、と思う。手放しに褒めるのはなんだか恥ずかしいし、悔しいから言���ないけれど。それにあまり面と向かって言葉にするのも得意ではない。 それでもどうしても、たとえばこういうとき、波のように胸に押し寄せる。海辺みたいだ。ざっと寄せて引くと濡れた跡が残って、繰り返し繰り返し、どうしようもなくそこにあるものに気付かされる。そうやって確かに、この生きものに惚れているのだと気付かされる。
目的地の公園は、住んでいるアパートから歩いて十分ほどのところにある。出入りのできる開けた場所には等間隔で二本、石造りの太い車止めが植わるように並んでいて、それを凛はするりと避けて入っていった。しなやかな動きはまるで猫のようで、見えない尻尾や耳がそこにあるみたいだった。「なんか面白いもんでもあったか?」「いや、別に」口元がゆるみかけたのをごまかすためにとっさに顔ごと、視線を脇に逸らす。「なんだよ」凛は怪訝そうな、何か言いたげな表情をしたけれど、それ以上追及することはなくふたたび前を向いた。 道を歩き進むと広場に出た。ここは小さな公園やグラウンドのような一面砂色をした地面ではなく、芝生の広場になっている。遊具がない代わりにこの辺りでは一番広い敷地なので、思う存分ボール投げをしたり走り回ったりすることができる。子供たちやペットを連れた人たちが多く訪れる場所だった。 芝生といっても人工芝のように一面青々としたものではなく、薄い色をした芝生と土がまだらになっているつくりだった。見渡すと、地面がところどころ波打ったようにでこぼこしている。区によって管理され定期的に整備されているけれど、ここはずいぶん古くからある場所なのだそうだ。どこもかしこもよく使い込まれていて、人工物でさえも経年のせいでくすんで景観に馴染んでいる。 まだらで色褪せた地面も、長い時間をかけて踏み固められていると考えれば、落ち着いてもの静かな印象を受ける。手つかずの新品のものよりかは、自分にとって居心地が良くて好ましいと思えた。 広場を囲んで手前から奥に向かい、大きく輪になるようにイチョウの木々が連なって並んでいる。凛は傍近くの木の前に足を止め、見上げるなり、すげぇなと感嘆の声を漏らした。 「一面、金色だ」 立ち止まった凛の隣に並び、倣って顔を上げる。そこには確かに、すっかり金に色付いたイチョウの葉が広がっていた。冬の薄い青空の真下に、まだ真南に昇りきらない眩い光をたっぷりと受けてきらきらと、存在を主張している。 きんいろ、と凛の言葉を小さく繰り返した。心の中でもう一度唱えてみる。なんだか自分よりも凛が口にするほうが似つかわしいように思えた。 周囲に視線を巡らせると、少し離れた木々の元で、幼い子供ふたりが高い声を上げて追いかけっこをしていた。まだ幼稚園児くらいの年の頃だろうか、頭一個分くらい身の丈の異なる男の子ふたりだった。少し離れて、その父親と母親と思しき大人が並んでその様子を見守っている。だとすると、あのふたりは兄弟だろうか。大人たちの向ける眼差しはあたたかく優しげで、眩しいものを見るみたいに細められていた。 「な、あっち歩こうぜ」 凛が視線で合図して、広場を囲む遊歩道へと促した。舗装されて整備されているそこは木々に囲まれて日陰になっているところが多い。ここはいつも湿った匂いがして、鳥の鳴き声もすぐ近くから降りそそぐように聞こえてくる。よく晴れた今日はところどころ木漏れ日が差し込み、コンクリートの地面を点々と照らしていた。 休日の朝ということもあって、犬の散歩やジャージ姿でランニングに励む人も少なくなかった。向かいから来てすれ違ったり後ろから追い越されたり。そしてその度に凛に一瞥をくれる人が少なくないことにも気付かされる。 決して目立つ服を着ているわけでもなく、髪型や風貌が特に奇抜なわけでもないのに、凛はよく人目を惹く。それは地元にいたときにも薄っすらと浮かんでいた考えだけれど、一緒に人通りの多い街を歩いたときに確信した。凛はいつだって際立っていて、埋没しない。それは自分以外の誰にとってもきっとそうなのだろう。 いい場所だなぁ。凛は何でもないみたいにそう口にして、ゆったりとした足取りで隣を歩いている。木々の向こう側、走り回る子供たちを遠く見つめていたかと思えば、すぐ脇に設けられている木のベンチに視線を巡らせ、散歩中の犬を見て顔をほころばせては楽しそうに視線で追っている。公園までの道中は「はやく」と振り返って急かしたくせに、今の凛はのんびりとしていて、景色を眺めているうちに気が付けば足を止めている。こっそり振り返りながらも小さく先を歩いていると、ぽつぽつとついてきて、すうと寄せるようにしてまた隣に並ぶ。 その横顔をちらりと伺い見る。まるで何かを確かめるかのように視線をあちらこちらに向けてはいるものの、特にこれといって変わったところもなく、そこにいるのはいつも通りの凛そのものだった。 見られるという行為は、意識してしまえば、少なくとも自分にとってはあまり居心地が良いものではない。時にそれは煩わしさが伴う。凛にとってはどうなのだろう。改まって尋ねたことはないけれど、良くも悪くも凛はそれに慣れているような気がする。誰にとっても、誰に対しても。凛はいつだって中心にいるから。そう考えると苦い水を飲み下したような気持ちになって、なんだか少し面白くなかった。
遊歩道の脇につくられた水飲み場は、衛生のためだろう、周りのものよりずっと真新しかった。そこだけ浮き上がったみたいに、綺麗に背を伸ばしてそこに佇んでいた。 凛はそれを一瞥するなり近付いて、側面の蛇口を捻った。ゆるくふき出した水を見て、「お、出た」と呟いたけれど、すぐに絞って口にはしなかった。 「もっと寒くなったら、凍っちまうのかな」 「どうだろうな」 東京も、うんと冷えた朝には水溜まりが凍るし、年によっては積もるほど雪が降ることだってある。水道管だって凍る日もあるかもしれない。さすがに冬ごとに凍って壊れるようなつくりにはしていないと思うけれど。そう答えると凛は、「なるほどなぁ」と頷いて小さく笑った。 それからしばらくの間、言葉を交わすことなく歩いた。凛がまた少し先を歩いて、付かず離れずその後ろを追った。ときどき距離がひらいたことに気付くと、凛はコートの裾を揺らして振り返り、静かにそこに佇んで待っていた。 秋の頃までは天を覆うほど生い茂っていた木々の葉は、しなびた色をしてはらはらと散り始めていた。きっとあの金色のイチョウの葉も、程なくして散り落ちて枝木ばかりになってしまうのだろう。 「だいぶ日が高くなってきたな」 木々の間から大きく陽が差し込んで、少し離れたその横顔を明るく照らしている。 「あっちのほうまできらきらしてる」 中央の広場の方を指し示しながら、凛が楽しげに声を上げた。示す先に、冷えた空気が陽を受け、乱反射して光っている。 「すげぇ、綺麗」 そう言って目を細めた。 綺麗だった。息を呑んで見惚れてしまうほどに。いっぱいに注がれて満ちる光の中で、すらりと伸びる立ち姿が綺麗だった。 時折見せる熱っぽい顔とは縁遠い、冴えた空気の中で照らされた頬が白く光っていた。横顔を見ていると、なめらかで美しい線なのだとあらためて気付かされる。額から眉頭への曲線、薄く開いた唇のかたち。その鼻筋をなぞってみたい。光に溶け込むと輪郭が白くぼやけて曖昧になる。眩しそうに細めた目を瞬かせて、長い睫毛がしぱしぱ、と上下した。粒が散って、これも金色なのだと思った。 そうしているうちに、やがて凛のほうからおもむろに振り返って、近付いた。 「なぁ、ハル」少し咎めるような口調だった。「さっきからなんだよ」 ぴん、と少しだけ背筋が伸びる。身構えながらも努めて平静を装い、「なにって、何だ」と問い返した。心当たりは半分あるけれど、半分ない。 そんな態度に呆れたのか凛は小さく息をついて、言った。じっと瞳の奥を見つめながら、唇で軽く転がすみたいな声色で。 「おれのこと、ずっと見てんじゃん」 どきっと心臓が跳ねた。思わず息を呑んでしまう。目を盗んでこっそり伺い見���いたのに、気付かれていないと思っていたのに、気付かれていた。ずっと、という一言にすべてを暴かれてしまったみたいで、ひどく心を乱される。崩れかけた表情を必死で繕いながら、顔ごと大きく視線を逸らした。 「み、見てない」 「見てる」 「見てない」 「おい逃げんな。見てんだろ」 「見てないって、言ってる」 押し問答に焦れたらしく凛は、「ホントかぁ?」と疑り深く呟いて眉根を寄せてみせる。探るような眼差しが心地悪い。ずい、と覗き込むようにいっそう顔を近付けられて、身体の温度が上がったのを感じた。あからさまに視線を泳がせてしまったのが自分でも分かって、舌打ちしたくなる。 「別に何でもない。普段ここへは一人で来るから、今日は凛がいるって、思って」 だから気になって、それだけだ。言い訳にもならなかったけれど、無理矢理にそう結んでこれ以上の追及を免れようとした。 ふうん、と唇を尖らせて、凛はじとりとした視線を向け続ける。 しかしやがて諦めたのか、「ま、いいけどさ」と浅くため息をついて身を翻した。 顔が熱い。心臓がはやい。上がってしまった熱を冷まそうと、マフラーを緩めて首筋に冷気を送り込んだ。
それからしばらく歩いていくうちに遊歩道を一周して、最初の出入り口に戻ってきた。凛は足を止めると振り返り、ゆっくりと、ふたたび口を開いた。 「なぁ、ハル」今度は歩きながら歌を紡ぐみたいな、そんな調子で。 「さっきは良いっつったけどさ、おれ」 そう前置きするなり、凛はくすぐったそうに笑った。小さく喉を鳴らして、凛にしては珍しく、照れてはにかんだみたいに。 「ハルにじっと見つめられると、やっぱちょっと恥ずかしいんだよな」 なんかさ、ドキドキしちまう。 なんだよ、それ。心の中で悪態をつきながらも、瞬間、胸の内側が鷲摑みされたみたいにきゅうとしぼられた。そして少しだけ、ちくちくした。それは時にくるしいとさえ感じられるのに、その笑顔はずっと見ていたかった。目が離せずに、そのひとときだけ、時が止まったみたいだった。この生きものに、どうしようもなく惚れてしまっているのだった。 「あー…えっと、腹減ったなぁ。一旦家帰ろうぜ」 凛はわざとらしく声のトーンを上げ、くるりと背を向けた。 「…ああ」 少し早められた足取り、その後ろ姿に続いて歩いていく。 コンクリートの上でコートの裾が揺れている。陽がかかった部分の髪の色が明るい。視界の端にはイチョウの木々が並んできらめいていた。 「朝飯、やっぱ鯖?」 隣に並ぶなり凛がそっと訊ねてきた。 「ロースハム、ベーコン、粗挽きソーセージ」 冷蔵庫の中身を次々と列挙すると、凛はこぼれるように声を立てて笑ってみせた。整った顔をくしゃりとくずして、とても楽しそうに。つられて口元がほころんだ。 笑うと金色が弾けて眩しい。くすみのない、透明で、綺麗な色。まばたきの度に眼前に散って、瞼の裏にまで届いた。 やっぱり凛によく似ている。きっとそれは、凛そのものに似つかわしいのだった。
(2017/12/30)
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なくさないように、しまっておいて
これは、俺が17歳か18歳か……ともかく、25年くらい前に書いた小説です。完全にオリジナル。横書きだけど「小説」の体裁を気にしていたようで、数字は漢数字になっています。 もしも、「ひきこもり生活」のひまつぶしになれば、当時のJK俺氏も、公開に踏み切ったおばちゃん俺氏も、うれしいです。 なくさないように、しまっておいて 「一七歳か……いっつも俺の前を歩いてくよなぁおまえは」 互いに部活動を早引けして、よく行く喫茶店でケーキを頼んでささやかなお祝いをした後、家でもお祝いがあるからと言う彼女を送るため、俺たちは電車に乗っていた。彼女の耳には小さなピアス。 「嘘。そんなに早歩きしてないよ、私」 くすくす笑って彼女が答える。ふわりと視線を窓の外にやりながら、指先で軽く耳のイミテーションパールに触れる。気にいってくれたみたいだった。良かった。 まだそんなに遅い時間ではなかったけれど、もう外はだいぶ暗かった。冬の足音が聞こえてきました、そんなコピーが世の中に氾濫する季節。彼女の大きな瞳に、窓の外を流れるネオンの光が次から次へと映っては消える。俺はその光にしばし見入っていた。この、生まれて初めての恋人を、俺はそれはそれは大切に想っていた。 橋にさしかかる。足元から、さっきより乱暴な音が響く。 「ねぇ見て。……川に月が映ってる。綺麗」 急に言葉をかけられて、その瞳に見入っていた俺はちょっと動揺する。 彼女の視線は変わらず外へ向いていた。……綺麗だった。満月を二日ほど過ぎていただろうか、それでも輝きは衰えていない。いや、これから欠けていくことを知っているから、必死で光を放っているように見えた。 今度彼女の瞳に映るのは、……何もない、闇。月明りが包み込む、優しい闇だった。 おまえはあの時、なにを想ってたんだろう? そしてあの夜、なぜあの川へ消えてしまったんだろう? 水面に揺れる月が、おまえを呼んだのだろうか……。 俺は、結局大学へは行かなかった。高校一年の時親父に連れて行かれたバーで働いている。バーテンダーの見習い(もう見習い歴三年だ……はぁ)である。親父の友人であるマスターは優しいけれど、仕事にはとにかく厳しい。マスターの奥さん(一水〈いつみ〉さんっていう)は、静かな言葉で容赦なく叱るマスターと叱られる俺を横目で見ながら、料理を用意したり気が向くとピアノを弾いたり。お客もいい人ばかりの、雰囲気のいい店だ。 「バーっていうより『溜まり場』っていう感じの、アットホームな店でな。俺の友達の店で、“サンクチュアリ”っていう店なんだけど。お前が行っても誰も咎めたりしないと思うんだ。どうせ初めて飲むなら、いい店でいい酒を飲むべきだっ」 そう力説した親父は、酒好きの遺伝子を俺にくださった(お袋もか)。 「瞳〈あきら〉くーん、バイオレットフィズ頂けるかしら」 「はい、かしこまりました。沢渡さん好きですねぇバイオレット」 「若い頃から好きでねー。必ずっていうほど飲んでたわ」 「あっ、やっぱり遊び回ってたんですか?」 なにーっ、と怒ってる沢渡さんは、思わずママー水割り頂戴っと言いたくなる風貌だけど、実は売れっ子の脚本家。この間のドラマも最高視聴率三〇パーセント!なんて出してたから、顔が知られてしまって迂闊に出歩けやしない、と嘆いている。“サンクチュアリ”は駅前の繁華街より少し奥まった所にあるから、そんな業界人もよく来る。(ちな��に俺も沢渡さんのドラマは好きで、欠かさず見ていたりするので、やっぱり嬉しい) 「一水さーん、ピアノ弾いてよー」 「あっオレも聴きたいーっ、弾いて弾いてー」 駅前公団住まいのサラリーマン二人が、ちょっと頬を赤くしてテーブル席から声をかけた。一水さんはそうねー今日は弾いてなかったぁねー、なんて言いながら洗い物の手を止めてカウンターを出る。 “サンクチュアリ”のウリのひとつが、一水さんのピアノだ。音大を出てるだけあって、腕前は一級だし、レパートリーも幅広い。 広くはないはずの店内に置かれたグランドピアノ。これだけ大きいのに、それほど圧迫感がない。 紫色の飲物を沢渡さんの前��置くと、静かにピアノが鳴りだした。 「……あれ、これって天気予報?」 カウンターにいた二人連れの女性たちが、はたと顔を見合わせる。俺も好きな曲だけど、やっぱり天気予報のイメージが……。 「おっ、ジョージ・ウィンストン」 おっと、お客だ。先にマスターが声をかけた。 「いらっしゃいませ。久し振りだねー、林くん」 「えぇ、昨日だったんですよ初コレクション。忙しかったんで」 林さんも常連の一人だ。ファッションデザイナーをしていて、最近独立したそうだ。そっか、じゃあ顔見せないはずだ。 男の人がもう一人と、女の子……年は俺と同じ位、かな……? 強い瞳。誰かに、似てる? 「あらら、こんなところでひなたちゃんにお目にかかれるとはねぇ」 沢渡さんがそう言った。 「知ってる人ですか?」 「えっ瞳くん知らないの? 藍川ひなたっつったら今一番旬なモデルよ。そっか林小吉のコレクションに出たのねー。見たかったわー。ちょっと挨拶してこよっと」 沢渡さんはそう言って林さんのテーブルのほうへ行ってしまった。えーと……。 「瞳、暇なら林さんとこオーダー取って来て」 マスターに言われて、はっと我に返る。 誰に似てるんだろう? いや、そんなこと差し引いてもかなりの美人だ(モデルなんだから当たり前か)。 「ご注文はお決まりですか?」 「お、瞳くん久し振り! まだマスターに怒られてんの?」 「いいかげん回数は減りましたよぉ。林さんこそ忙しそうですね……あっ、独立おめでとうございます」 「サンキューっ。あ、オーダーか、ちょっと待ってくれよ……」 いつもは結構落ち着いたクールな雰囲気の人なのに、なんだか陽気だ。そりゃそうだ、ついに念願の独立! だし。 沢渡さんはいつの間にか例のひなたとかいう子と話し込んでた。 「あれ、じゃあひなたちゃんて瞳くんと同い年?」 「え、あきらくんて?」 「この方よー。ここのバーテン見習い」 「え?」 こちらを見上げたところに、思い切り視線を合わせてしまった。 あ。 わかった……誰に、似ているのか。 「あきらくんて、いうんだ?」 「あ、ええ……そうです」 ぎこちなくなっちまったかな。 「すごいのよー、漢字でヒトミと書いてあきらって読むの」 うわ、綺麗な名前ーっと彼女が驚く(大抵俺の名前を一発で読んでくれる人はいない)。 俺はどうしようもない想いに駆られていた。 そうだ、彼女、玲子に似てるんだ。俺の、今まででたった一人の恋人に。 玲子は一七歳の誕生日の夜、家族でお祝いをした後、皆寝静まった後に一人家を出た。もちろん翌朝は大騒ぎだった。家族が捜索願いを出した直後、この街を二分して流れる川に女性が浮かんでいると住民から通報があった。……玲子だった。 玲子は前の晩食事をしたときのまま、高校の制服を着ていた。着衣の乱れは全くなく、外傷なし、争った跡もないことから、自殺と断定された。遺書も日記も見付からず、理由は全く判らずじまいだった。 玲子は学校では人気者だった。明るくて芯の強い子だった。誰もが彼女のことが好きで、彼女も皆のことが好きだった。俺たちは同じクラスで、いつもクラスの中心にいて校内と教室を忙しく行き来する彼女に、俺も好感をおぼえていた。そんな彼女が俺に告白してきたのは、あれは夏休みが目の前に迫った頃。俺は剣道部の練習を早めに抜けて、誰もいない教室で荷物を片付けて休んでいた。(前の晩親父と飲んでいたから、暑さに負けて気分が悪かったんだ) 誰かが、開け放した後ろのドアから入ってきた。 「……西条くん? どうしたの、部活は?」 「あー勝海さんだー……駄目だ、頭がくらくらする」 「大丈夫? 熱射病?」 玲子はそう言って心配そうに俺の顔を覗き込んだ。 「……ねぇ、いきなりだけど、西条くん今彼女いる?」 「へ?」 まさかあの人気者勝海玲子が俺なんかのことを好きだったなんて思わなかったから、間抜けな返事をしたっけな。玲子は二人のことを隠すこともなく、いつの間にかクラス公認、校内公認になってしまっていた。 玲子は成績も良かった。これなら六大学だって平気じゃないか、との評判だった。 だから、誰も信じられなかった。玲子が自殺するなんて。 今でも時折思い出す。水に濡れたおまえの耳に淡く光ってたイミテーションのパールと、あの夜水面に揺れていた月。 その度に怖くなる。あの偽物の宝石と、欠けていく月の光が、記憶の中で引かれ合い、繋がって、一つになっていくんだ。俺があのピアスをあげなかったら、おまえは月に呼ばれたりしなかったんじゃないか。馬鹿らしいといつも思い直すけれど、やっぱりそんな気がして、急いでしまい込む。 「瞳くん、なにか作って?」 あ。玲子の眼だ。 「瞳くん? おーい仕事中だぞ、ぼーっとするなー」 「……あっ、すみません」 ひなたさんだった。俺はカウンターの中に戻っていたんだ。いつの間にかひなたさんと沢渡さんがトレードしている。沢渡さんは林さんたちと楽しげに談笑していた。 「なにかって言っても、俺たいしたもの作れないよ」 「いいよ、なにか得意なの作って」 得意なのって言ってもな、まだマスターのOK出るのも三分の一の確率だし……とりあえず、モスコミュールなら平気かな。 「はい、どうぞ」 ひなたさんはきれいな指でグラスを受け取って一口啜ると、満足そうに微笑んだ。あまりモデルっぽい笑い方じゃなくて、ただの女の子の顔だった。 「おいしい! たいしたものじゃないの、これって」 「マスターはまだまだだって言うけどな」 「ふぅん、厳しいんだね……」 また一口啜った。よく見ると、どうもノーメイクみたいだ。つまりそれは、素顔だって十分きれいだってことで……すごいな。 「ねぇ瞳くんて、結構もてるでしょ?」 「えーっ?」 「かっこいいもん。ねーねー、彼女は?」 彼女、か。そういや、作ろうとも思わなかったな……。 違う。いらなかったんだ。 「いないよ」 「あ、そうなんだ? なんだ、皆見る目ないなあ……」 この店気にいっちゃった、また来るね、なんて言ってひなたさんは帰っていった。 その三日後に来たのを皮切りに、ひなたさんは本当によく店に来た。ほとんど二日に一遍である。初めと違って、毎回一人だ。 その日は日曜日で、マスター夫妻が次の日から旅行に行くと言い出した。早春の京都に行くそうだ(いいなあ)。自然、店は二人のいない三日間休業である。 「こんばんわぁ!」 「おっ、いらっしゃいひなたちゃん。今日は仕事休みかい?」 「ええ、明日からまた雑誌の撮影ですわー」 ひなたさんは“サンクチュアリ”に来るときはいつもノーメイクだ。そしていつも、カウンターに立つ俺の前に座る。なんだかそれだけで、店の中の雰囲気が少し変わる。モデルだからかな、なんて思うけど、そうじゃない。ひなたさんだから、周りの空気を変えることができるのだと思う。そしてその空気は、日なたのように暖かく居心地がいい。店の常連さんたち���も、すっかり仲良くなってしまっていた。 「瞳くん、いつも作ってくれるの、頂戴」 「かしこまりました」 あの日作ったつたないモスコミュールを、ひなたさんは妙に気にいってくれていた。 ──ありゃ、空っぽだ。 「ごめんちょっと待っててくれる? 酒足りないから取ってくるわ」 カウンターの奥へ回ると、同じことをしていたマスターが声をかけてきた。 「なあ瞳、ひなたちゃんって可愛いよなあ?」 「そりゃあそう思いますけど……どうしたんですかいきなり」 「瞳は今彼女いないんだろ?」 「だからどうしたんですって」 「いや、ひなたちゃんて瞳のこと好きなんじゃないかなあ、なんてな」 「はぁ!? 嘘でしょー」 嘘でしょー、とマスターの手前そう言ったけど、……どうもそうらしい。俺が暇になってカウンターの内側でグラスを磨いたりし始めると、俺にいろんな話をさせる。昔のこと、今のこと、趣味、いろいろ……。ひなたさんは人に話をさせるのが上手くて、しかも聞き上手だから、喋るほうもつい気分が良くなっていろいろ喋ってしまう。 「はい、お待たせ」 「ありがとう。ねぇ、入り口のところに貼ってあったけど、明日から休みなの?」 「うん、そう。三日間ね。あれっでも明日から仕事なんでしょ?」 「夕方には終わるもん。なんだ、明日から瞳くんに会えなくなるのか……」 何も言えなくなってしまった。胸の中に、忘れていた暖かみが戻ってきたような気がした。 同時に、眼の奥に淡い光が蘇る。それは冷たくて、胸の暖かさはすうっと冷めていく。白く、水に濡れて光る。白く、白く、光る。 「残念?」 やっと口を開いた。 「うん……でも、瞳くんも休みたいもんね。そりゃー仕方ないし」 素直な子だな……なんて、妙に感心した。俺はその日、上手くすりぬけて他の客の相手をして、その後ずっとひなたさんとは目も合わせなかった。 街を流れる川は、俺の好きな場所でもある。 この街の大抵の人が、幼い頃にはあの川で遊んだという記憶を持つ。街中だから釣りをする大人たちもほとんどいない。なぜかこの街の小学校は川沿いにあることが多いので、暖かい季節になると子供たちは遊び場を校庭��ら川へと移す。俺も、そうだった。小さい頃からあの川で遊んでいて、当然のようにあの川が好きだった。 その川へ、玲子は消えた。 どんな風に? 制服を着たまま──紺のブレザーに同色のボックスプリーツのスカート、赤いリボン、玲子はそれがとても良く似合ってた──俺がプレゼントしたピアスも、つけたまま。裸足で。あの夜は冷たい風が吹いていた……。 堤防から、川べりへ降りる。手前の方はまだ浅い。本流から枝分かれして、川というか水溜まりを作っているんだ。そこを白く細い足が横切る。ぴちゃ、ぴちゃ。ぬめっとした陸地を通り過ぎると、目の前を川が流れる。足元の小石に注意しながら、水の中へ、一歩、一歩。そう、このあたりから急に深くなる、もっと進むと流れに巻き込まれる……。 玲子の髪が、揺れた。 「瞳く────ん!!」 「えっ?」 振り返る。堤防の上に、……ひなたさんがいた。俺は、川の中に立っていた。ジーパンが膝まで濡れていた。 「なにしてんのーっ、まだ寒いんだから、風邪ひくよーっっ!」 おかしいな、店しめて、帰ろうと思って、それで……いつの間にか、家へと向かう角を逆に曲がっていた。川へ、足が向いていた。 まだ春は遠いようで、本当に水は冷たかったから、俺はすぐに川から出て、堤防の上にいるひなたさんの所へ歩き始めた。川は俺を呼び戻そうともせず、ただ淡々と流れているようだった。 「どうしたの瞳くん? びっくりしちゃったよあたし」 「いや、俺もよくわかんない……」 ひなたさんの家は川沿いにある一軒家だそうで(こんな郊外にもモデルは住むのだなと妙なことを考えた)、あの後家に帰ってまた犬の散歩に出てきたのだと言った。ばくという名(笑)のその犬は、人懐っこく俺の足元にまとわりついてきた。 「いくらなんでも、こんな時間に散歩してたら危ないよひなたさん」 俺は、しゃがみこんでばくの頭をなでながら見上げて言った。 「……瞳くん、ほんとに今彼女いないんだ?」 「……いないよ」 今日は月が出ていない。良かった。 「あたし、瞳くんのこと好きだよ」 柔らかい風が吹いた。川の中に月がある。俺は立ち上がる。 「ごめんね」 「どうして? どうして謝るの? あたしはただ、瞳くんのことが好きなだけ。別に付き合ってなんて言わない、瞳くんが嫌なら」 「違うんだ。好きに、なれないんだ」 「……え?」 眼の奥の冷たい光を見ないようにして、俺は言葉を押し出した。 「昔、恋人を亡くしたんだ。一七歳の誕生日の夜、この川に入って自殺した」 大きいひなたさんの眼が俺を見ていた。俺はその眼を見返すことができなくて、川の向こう岸を走る車たちの流れるライトの光を見ていた。 「家族も、もちろん俺にも、理由が分からなかった。学校では人気者で、成績も良かったし。俺といる時にも、いつも笑ってた」 ばくが足元にじゃれつく。 「わからないんだ……あいつが、どうして死んだのか。それを考え始めると、もう眠れなくなるし……でも、考え続けなければいけない気がするから。だから、誰も、好きになれないんだろうなって」 「……でも答えはないんだよ?」 ひなたさんが言った。俺はその顔を見ないようにして、帰るために堤防を降りた。 正直なところ、そんなことひなたさんに言ってほしくなかった。玲子のことを、彼女は全く知らないのだから。──話した俺が悪いのだ。 「瞳くん!」 俺の背中へ、ばくも、寂しげに鳴いている。 「あたしは、遠慮なんかしないからね!」 今日の夜には、マスターたちはこっちに着くはずだ。駅まで迎えに行こう、と何十杯目かのカクテルの味を見ながら思う。“サンクチュアリ”で働き始めてもう三年が経とうとしている。もうなんだか、マスターと一水さんが親のように思えてしまう。生んでくれた両親とは別の、両親。 マスターからはいつからか店のスペアキーを貰っていた。最初は怖くて仕方なかったけど、だんだんその怖さは気持ちのいい熱い緊張感に変わった。信用してもらっていることが嬉しかった。 マスターには、二人のいない間カウンターに立って練習をしたい、と頼んでおいた。明日からまた店を開けるから、今日は一水さんが頼んでおいた料理の材料も届く。だからいてくれると助かるなぁ、と一水さんが言ったのもある。まぁ毎日来ていたりするのだけど。 半地下になっているせいで、この店の裏口はない。(強いて言えばマスター夫妻の居住スペースに通じるドアくらいか)だから入り口のドアは『CLOSED』の札を出して、天気もいいから開けっ放しにしておいた。 店にはBGMをかけられる設備がない。ピアノがあるからだけど、俺はピアノが弾けないし、弾きながらシェーカーを振るのは無理だ。だから家から小さいラジカセを引っ張り出してきた。古いラジカセは、必死に音を出してくれている。 おっ、今回はいいかもしんない。ちょっと気にいったので、一杯飲み干すことにした。 ピアノの前の椅子に座る。ここに座って後ろを見ると、店内が見渡せるんだ。背もたれつきの椅子にまたがるように後ろ向きに座った。 なんだか疲れた……。三日間、毎日このカウンターに立って練習をしていた。店を開けているときは必ずしもシェーカーを振り続けているわけじゃない。こんなに酒というものに向かい続けたのは初めてだ。それでも納得のいくものなんて、──あったかな? なかったかもしれない。もしかしたら、マスターだって自分にOKなんて出してないんじゃないか、そんな気がした。 ふわりと風が入ってきた。まだ寒いけど、必死でやっていたからそうは思わなかった。心地いい。 グラスを持ったまま、軽く目を閉じた。 「今日はお休みじゃないの?」 あったかい。 目を開けると、ドアのところにひなたさんが立っていた。青空のかけらを従えて。 「お休み。俺だけだよ」 柔らかい笑顔を俺に向けると、いつも通りカウンターに座った。そしていつも通り、 「瞳くん、いつも作ってくれるの、頂戴」 俺もいつも通り、カウンターに立つ。 「じゃあさ、これ飲んでみて。いままででいちばん、かもしれない」 ほんと? そう言って、嬉しそうにグラスを受け取る。一口含んで、ひなたさんは驚いた顔をした。 「これ、いつもの?」 「そ、いつもの」 「……別のものみたいだよ? ほんとにおいしい」 しばらく、俺たちはお互いに黙っていた。ひなたさんはゆっくり、ゆっくりグラスを空けた。そして、脇の椅子に置いたリュックから、一冊のアルバムを取り出して一枚一枚めくると、俺の前に置いた。 「この子でしょ、瞳くんの亡くなった彼女って」 ……控え目な笑顔を浮かべるひなたさんの隣で、──玲子が、笑っていた。ひなたさんの人差し指が指しているのは、玲子だった。 「……話聴いててさ、もしかして、って思ったんだ。玲子は彼氏ができたなんて一言も言わなかったから、違うかと思ったんだけど、あの川で自殺したなんて話他に聞いたことないし。で、気になっておととい玲子の家に行ったんだ。おばさんに会って、昔話なんかして、玲子って彼氏いたのって訊いたら、『あら、ひなたちゃん知らなかったの? 高校の同じクラスの子だって言ってたわよ』だって。それで、やっぱり玲子だったんだなって。 あたしと玲子って、幼馴染みなんだよ。幼馴染みどころか、誕生日も、生まれた病院も一緒でさ。だから親同士も仲いいの。でも家は遠くてね、同じ学校に行ったことはないんだ。 なのによく一緒に遊んでた。お互いの学校の話したりして。どっかで、似てたんだろうね。誕生日も、生まれたところも一緒だから、なんか、特別だったの、お互いが。好きな本だとか、音楽だとかも、よく似てた。 でもね、中学に上がった頃、玲子が物凄い反抗期になっちゃったの。家にいたくない、お父さんもお母さんも大嫌いだって、よくうちに逃げて来て、泊まっていったりしてた。一年くらいで落ち着いたけどね。そしたらあたしはそういう玲子を真近で見てたから、親に反抗なんてしなくなっちゃった。そこから、あたしたちの性格は正反対になった」 俺はじっと聴いていた。ひなたさんの遠い眼を見ながら、ゆっくりとカクテルを作り始めることにした。瞳くんも知ってるだろうけど、そう言って俺の眼を見返して話を続ける。 「玲子は明るくて元気で、強かった。二年生の後半だったかな、クラス委員に立候補したなんて聞いたから、驚いたよほんと。自分が楽しいことが一番だった玲子が、だもの。あたしは『世のため人のため』なんてカケラも考えなかったから、信じられなかった。そしたら玲子なんて言ったと思う?『皆が楽しければ私も楽しいよ』って。忙しいよ、疲れたよ、辛いよって言いながら、死ぬまで皆のために頑張ってた。それでも、充実してるっ! って顔してたもん、負けたわー、って思ったんだほんとに。 あたしは逆に、何もできなくなったの。玲子のそんな姿を見ていて、自分には何もできない、あんなに強くない、って諦めちゃった。とりあえず周りの皆と一緒のことしてれば生きていられる。そう思ってた。 そうしたら、玲子は急に自殺しちゃった。なんでだか、さーっぱりわかんなかったよ、あたしにも。 ……でもね、だんだん、わかったの。もしかしたら、玲子は疲れちゃったんじゃないかって。おばさんも言ってたけど、玲子、行きたい大学だとか、将来の話って全然しなかったんだよ。そうじゃなかった?」 氷をグラスに入れながら、俺は何も言わずに頷く。 「だよね。怖かったんだと思う。だって、自分は皆が、皆と、うまくやって行けるようにって、それだけやってきたんだもん。周りはそれに甘えて、玲子が頑張ってる間に、いろんな夢を見て、それに向けて歩き始めてる。玲子には、その時その時を頑張るだけで精一杯なんじゃなかったのかな。それで疲れて、怖くなったんじゃないかなって、そう思ったの。 ……瞳くんのこと、どうして教えてくれなかったのかなって考えた。なんでだと思う?」 さあ、わかんないな。俺は首を軽く傾けてみせた。 「悔しかったのかもね。あたしさ、高校に入った時に、少しでも自分を変えたくって、ロングヘアをばっさりショートにしたんだ。で、美容院で眼鏡外した時、美容師さんが『眼鏡、外したほうが可愛いじゃない!』って言うのよ。半分お世辞だったろうけど、妙に褒めてくれて、なんだか気分良くなっちゃって、コンタクトにしたんだ。んでその勢いでオーディション受けたらこれが大当たりしてさ。もしかしたら、そんなあたしが玲子を余計苦しめてたのかもしれない��だ……」 どこかで、玲子が笑った。 「そんなことないと思うな。玲子さ、死ぬちょっと前、俺と一緒にいたんだよ。その時、誕生日の���じ、大切な親友がいるんだって初めて教えてくれたんだ。じゃあ今日一緒にお祝いしたかったんじゃないのって言ったら、その子は今日暇が取れないから、──仕事だったんでしょ、ひなたさん。──昨日二人でお祝いしたの、特別だから二人きりで、って嬉しそうにしてたよ」 やわらかくて甘い桃のカクテルを作った。ピンク色の液体をグラスに注いで、ひなたさんの前に置く。 「ありがと。瞳くんは?」 「俺は、これ」 バーボンをロックで。きれいに調和したカクテルもいいけど、たまにはこんなシンプルな味もいい。 「乾杯、しようか」 「何に?」 ひなたさんの眼には、桃のカクテルと似たような涙が浮かんでいた。きっと、甘いだろうな。なぜかそう思った。 「玲子に」 次の日から、“サンクチュアリ”はまた営業を始めた。マスターは、時々俺に難しいカクテルも作らせてやる、と言った。一水さんも、モスコミュールは一級品だね、うちの旦那より上手いかも、なんて言った。そしてなんと、それは俺の特別カクテルにされてしまったのである。ひなたさんが『Eye's Cocktail』なんて名前をつけてくれた。瞳のカクテル──俺の、カクテル。そうさせたのは、ひなたさんだ。 そのひなたさんは、やっぱり二日に一遍は店に顔を出す。そして、いつもこう言う。 「瞳くんのカクテル、作って?」 ある日、ひなたさんがこう言った。 「ねぇ、今でも玲子のこと好き?」 俺は、全く迷うことなく答えた。 「好きだよ。きっと、いつまでもね」 「良かった。あたしも玲子のことずっと好き。でもね、瞳くんのことも好きなんだ」 ひなたさんはそう言って、日だまりのように笑った。そしてその日だまりが、眼の奥に冷たく光る白く淡い光を、ゆっくり、ゆっくりあたためていくのを、俺ははっきりと感じながら、より良い調和を作り出そうと、毎日を過ごす。 冷たい真珠色した月をあたたかい光で包むことができたら、それを心のいちばん大切なところにしまい込んで、俺はまた恋をしてみようと思う。 なくさないように、しまっておこう。
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貴方行き片道切符
「ハロー。勝生勇利です。あの、お忘れかもしれませんが、ぼくは貴方の教え子であるヴィクトル・ニキフォロフの……」 「いちいち言われんでもわかっとるわ。わしが耄碌しとるとでも思っとるのか? おまえのコーチにならされたこともあるというのに」 「失礼しました。貴方はたくさん生徒を抱えておられるので、ぼくみたいな一スケーターのことなんておぼえてないかと思いまして……。突然すみません。番号はヴィクトルの携帯電話で調べました。こっそりと」 「ばからしい。なぜこそこそする必要がある。ヴィクトルに直接訊けばいいだろうが」 「そうすると、俺のコーチに何の用だってものすごくしつこく尋ねたあげく、とても不機嫌になると思うので……。ヴィクトルの不機嫌は厄介です。ご存じでしょう?」 「……ヴィクトルの生徒がヴィクトルのコーチに何の用だ?」 「お察しかと思いますが……」 「はっきり言え。日本人の言葉を濁す文化は好かん」 「失礼しました。グランプリファイナルで引退するつもりでしたが、現役続行することになりまして」 「だろうな。ヴィクトルがばかみたいに浮かれておったわ」 「つきましてはご相談なのですが、今季は騙し騙しやれると思います。ヴィクトルとぼくのことについてですが。残るのは国内大会と四大陸、ユーロ、そしてワールド。ワールドがいちばん重要ですけれど、まあ、今季についてのことは置いておいて……、来季ですが」 「ふん」 「ヴィクトルはロシアへ戻るでしょう。その際、ぼくを連れていくと言ってくるはずです」 「だろうな」 「ぼくがそちらのリンクで練習させていただくということは、現実的でしょうか?」 「難しいことはあるまい。ヴィクトルの生徒なんだからな。おまえがいやでなければ、だが。しかし、いま以上に制約がかかる」 「率直なところを聞かせていただきたいのですが、貴方はどのようにお考えですか? つまり、ヴィクトルが現役に復帰をして、ぼくも現役を続行し、ヴィクトルはぼくのコーチを続け、ぼくがヴィクトルのところへホームを移す。これについてご意見をおねがいします」 「わしは日本人とちがってまわりくどいのはめんどうだからはっきり言おう。わしはおまえにロシアに来て欲しくはない。ヴィクトルは甘い。選手、コーチ、どちらかだけでも大変なんだ。専念しても思うようにいかないことは多くある。それを両方、しかもトップスケーター同士でやるというのは実際的ではない。ちょっと考えられんことだ。どちらかがぐずぐずになるか、両方一緒に落下していくか、だな。一般的に考えれば──だが」 「一般的にですか」 「おまえらが一般的かどうかは知らんが、ヴィクトルがメダルを獲るという目標を考えると、おまえの存在はマイナスにしかならん。おまえの意見のみでそれを決定するのなら、来ないでくれとここで頼みたい」 「わかります。ぼくもそう思います。しかしきめるのはぼくだけじゃありませんよ。ヴィクトルにそう言ってみてください」 「言ってどうにかなるなら言う。あいつはわしの言うことなど聞かん。仕方がないだろう」 「ヴィクトルがごねるからしぶしぶぼくを受け容れるということですね」 「そうだ。ほかにどうしようもあるまい。おまえが率直に言えというからそうしたまでだぞ」 「ええ。ぼくだって貴方と同じ意見ですよ」 「カツキ……」 「貴方の意向を確かめたかっただけです。お時間をいただいてありがとうございました。では」 「待て。どうするつもりなんだ。ロシアへ来るのか来ないのか?」 「さあ……」 ヴィクトルは勇利を、いつか、「勇利はミナコが好きなの?」と尋ねた、町を見晴みはるかすことのできるあの場所へ連れていった。あのときのように桜が咲き、花びらがさわやかに舞い、それはベンチにも地面にも降り積もっていた。ベンチに控えめに腰掛け、すこし長くなった髪が風になぶられるのを押さえている勇利は、うすいさくら色の雨の中にいた。彼の姿を、ヴィクトルはたいへんロマンティックだと思った。あのときは「ミナコが好きなの?」「恋人はいるのかい?」と訊いたけれど、もうそんなこと、質問する必要はなかった。勇利が好きなのはヴィクトルだし、恋人になるべき者もヴィクトルだ。 「今日、風強いねー」 勇利はにこにこしながらまぶたにかかる髪を払った。 「でもいい天気で気持ちいい」 「うん、そうだね」 彼の隣に腰掛けたヴィクトルは、すこし緊張してうなずいた。それきり黙りこむ。「散歩へ行こう」と誘ったのはヴィクトルのほうだから、彼が口をひらくべきだったが、勇利はうながすふうでもなく、のんびり風景を眺めている。ヴィクトルはてのひらに汗をかいていることに気がつき、何をやってるんだ、みっともない、と自分を叱咤した。 「……勇利は長いあいだ長谷津に戻っていなかったんだったね」 「うん、そうだね」 「俺はサンクトペテルブルクを離れたのは今回が初めてだった」 「よくホームシックにならなかったね」 「土地も人柄もあたたかかったからじゃないかな」 「ヴィクトルがなんでも楽しむ性質だからっていうのもあると思うよ」 「勇利は、長谷津にいなかったあいだ、ホームシックになったりした?」 「うーん、どうだろ……ぼくあんまりそういうの考えないし……、飼ってた犬に会えないのはさびしかったけど、スケートをどうにかしなきゃってことで頭がいっぱいで……夢中だったかな」 勇利の持つ愛情は強いし、輝かしい。しかし彼は、それをわかりやすく、生まれ育った土地に向けることはないようだ。だが、だからといって、長谷津を愛していないわけではないだろう。なじんだ場所なのだ。伝わりにくいだけで、勇利だって思うところはあるはずだ。 「…………」 地元を離れて五年……、戻ってやっと一年……、それで俺は勇利をまたここから引き離そうとしているのか……。 ヴィクトルはちょっと困った気分になった。どうしよう、と思う。どうしようもないのだけれど。やっぱり勇利はここにいたほうがいいから、と遠慮をする心積もりは彼にはない。希望があるのだ。 「ヴィクトルは、サンクトペテルブルクが好き?」 勇利が尋ねた。自分ですぐに答えを言う。 「好きにきまってるよね。カモメの鳴き声が聞こえるんだっけ?」 「う、うん……」 「いつか行きたいと思ったものだよ」 ヴィクトルはどきっとして勇利の横顔を注視した。彼は桜の梢を透かすようにし、空を見ている。 「ヴィクトルの生まれたところはどんなとこなんだろうって……。試合でロシアへ行っても、いつもモスクワだったしね。観光する時間もなかったし、あと、寒いし」 「そ、そうだね」 「でも……、」 勇利はつぶやいた。 「ヴィクトルが見てきた場所を自分も目にすれば……、ヴィクトルの考えることがすこしはわかるのかなって思ったりした……」 「…………」 「なんて、ただのファン心理なんだけど」 勇利は困ったように笑った。 「好きなひとの生まれた土地を見て、いろいろ感じたかっただけだよ。あーヴィクトルの吸った空気……とか、ヴィクトルが入ったかもしれないお店……とか、ヴィクトルも歩いた道……とか、そういうのね」 彼の口ぶりはいたずらっぽかった。 「そういうふうに浸りたかったんだよ。わかる?」 「…………」 「わかんないかな……ヴィクトルはあこがれてる相手なんていないだろうしなあ……」 ヴィクトルは目を伏せた。確かに彼にはあこがれの相手はいない。しかし、あこがれの生活はある。どうしてもかなえたい、自分だけの……。 「もし引退してたら、いまごろのんびり、ロシア旅行の計画でも立ててたかも」 勇利は楽しそうに言った。 「きっとしばらくは好きなことをしただろうから……。でも考えてみたら、ぼく、好きなことってとくにないや。全部ヴィクトルのことだから、結局、スケートがいちばん好きなことなのかもしれないね……」 「──勇利」 ヴィクトルは思いきって勇利を振り返り、彼の手を取った。両手で包みこみ、まじめに勇利をみつめる。 「なに?」 勇利は物穏やかに答え、待つようにゆっくりと瞬いた。ヴィクトルはごくっとつばをのんだ。こんなに緊張するものなのだろうか? こんなにどきどきするもの? 勇利みたいに上手く言えない。コーチになって、とか、おまじないをして、とか、彼はいったいどんな気持ちで口にしたのだろう。緊張はしなかったのだろうか? こわいとは思わなかった? 「俺と……」 「うん」 「俺と……、……」 「ん」 だめだ。言葉が出てこない。声がかすれる。ふるえてさえいる。こんなに意気地のない男だっただろうか、俺は。こんなにかっこう悪い──未熟なやつだっただろうか? 「俺と一緒にロシアへ行こう」 言わなければ勇利を失う。その強迫観念に追い立てられ、ヴィクトルは一気にそう言った。口を閉じた瞬間、言えた、と思った。彼はほとんど感激していた。言えた。言えた。しかし、勇利は静かに瞬くばかりである。するとヴィクトルは不安になった。あまりに早口だったものだから、ちゃんと伝わらなかったのかもしれない。あるいは、あまりに緊張したものだから、ロシア語で言ったか。もしそうだったらどうしよう? 英語で言い直す勇気があるだろうか。 「勇利……」 「…………」 勇利がすっと目をそらした。「なんて言ったの」と尋ねないのだから、ちゃんと英語だったのだろう。通じたのだ。しかし、通じたなら通じたで、ヴィクトルは彼のこのそぶりがおそろしかった。勇利は笑いもしないし、うれしそうな態度も見せない。ただ、ああ、うん……というようにおとなしくしている。いやなのだろうか? 「あの……」 「……あのねヴィクトル」 勇利が物穏やかに口をひらいた。ヴィクトルは喉がからからだった。何を言われるのだろう? 少なくとも、勇利がヴィクトルの誘いを喜んでいないことだけは確かだ。彼はうれしいことがあると、ぱっと雰囲気が変わる。瞳は星のように輝き、口元に白い歯がのぞくのだ。 「来季の話をしてるんだよね?」 「う、うん……」 いやだ。聞きたくない。ヴィクトルは反射的に思った。しかし、発言をなかったことにはできないし、了承以外欲しくないと逃げ出すこともできない。 「ぼく……」 勇利はつぶやいた。それから彼は首をまわし、ヴィクトルのほうを向くと、見たこともないほど優しい表情でふとほほえんだ。 「ホームは、長谷津のままにしたいと思ってるんだ」 「…………」 勇利の言っている意味がよくわからなかった。ホームは長谷津のまま。それは……。 「……それは、ロシアには行かないということ?」 ヴィクトルはぼんやりと問い返した。ばか、訊くんじゃない、と思ったけれど遅かった。 「うん」 勇利がこっくりとうなずいた。 「な……なぜ?」 「理由はいろいろあるけど」 「聞かせて」 「たくさんあるよ?」 「全部聞かせてくれ」 ヴィクトルは熱心に勇利をみつめた。勇利が困ったように笑う。 「ヴィクトルは、ぼくのホームはロシアにしたほうがいいと思う?」 「もちろんだよ」 「理由は?」 「それは……、当たり前だろう?」 「聞かせて」 「コーチは俺だ」 「そうだね」 「勇利は俺に教えてもらいたいんだから、俺のいるところにいるのがいちばんいいよ。それが当然だろう?」 「ほかには?」 「ほかにって……」 「ヴィクトルのそばにいること以外、ぼくがロシアへ行ったほうがいい説明はないの?」 ヴィクトルはかっとなった。彼は勇利をにらみつける。 「環境がいい。ロシアはスケートをするには最高の場所だ。設備は整っているし、援助も手厚い」 「地元の選手にはね」 「……能力の高い選手が多い。きっときみの刺激になる」 「つまり、邪魔にもなるということだよね」 「視野をひろげられる。新鮮な感覚があるほうが勇利にとってもいいだろう」 「その人たちって、本当にぼくに刺激を与えられるような才能を持ってる?」 「スケーターだけじゃない。いろんな方面に秀でた知り合いがたくさんいる。勇利をみんなに見せびらかすよ。たくさんの人とふれあったほうがきみの経験が増す。新しいことを知るのはいいこと���」 「でもぼく、人との交流苦手だから。かえってストレスになるかも」 「…………」 「ほかには?」 勇利がにっこりした。 「ほかには、ぼくがロシアに行くほうがいい理由、ないの?」 ヴィクトルは口元をふるわせた。勇利は行きたくないのだろうか? 「ヴィクトル……」 ヴィクトルの表情に気がついた彼は、甘い声でヴィクトルの名を呼び、そっと手を握り返して丁寧に慰めた。 「ごめんね、意地悪を言ったね。いまのは本気で思ってるわけじゃないよ。ヴィクトルの言うことはわかる。ぼくだってそういうことを考えないわけじゃない」 「勇利……」 ヴィクトルはすがるように彼をみつめた。 「勇利は俺と一緒にいたくはないの……?」 「ヴィクトルとは一緒にいたいよ。でも……」 「ロシアはだめなの?」 「だめというか、ね……」 勇利の口元は、ずっと笑みにほころんでいた。どうして笑っていられるんだろう、とヴィクトルはかなしくなった。勇利は俺と離れても平気なの? 「日本をホームにしたい理由を言うね」 「…………」 「まず、リンク。これがいちばん大きい。ぼくは練習をしていなければ不安になるたちだ。ここでなら、頼めばほとんどリンクを開けてもらえる。こんなことはほかの場所では望めない」 ヴィクトルはうつむいた。その通りだった。リンクを貸し切って練習できるスケーターなどまずいない。そして、リンクを借りるのも無料ではない。フィギュアスケートに金銭がかかるのは、まずリンクがなければ練習できない、というところが原因なのだ。勇利は、アイスキャッスルはせつを、ほとんど自由に使用することができる。営業時間以外ならわがままを言える。ヴィクトルだってロシアのリンクをかなり都合よく使っているけれど、勇利にそれはできないだろう。ロシアへ渡れば、夜ふと思い立って、「ちょっと練習してくる」と出掛けることはもう無理だ。 「人目を気にせず練習できるのもいい。誰もいないリンクで、好き勝手にすべることができる。ここは天国のような場所だ」 何も言えない。勇利の言う通りだ。ここ以上にめぐまれている場所は、世界じゅう探してもどこにもな��。 「それに、ロシアに住めばお金がかかる」 勇利は気恥ずかしそうに暴露した。 「ぼく、そんなに補助してもらえないんだ。日本ってそういう制度整ってないし……」 「住む場所なら俺のところでいいじゃないか」 ヴィクトルは一生懸命に訴える。 「下宿代なんか取らないよ。うちにおいでよ」 「でも……」 「何も気を遣ってるわけじゃない。勇利が大金持ちだったとしても、俺は家に誘ったよ。ふたりで暮らしたいんだ」 「ありがとう。だけど、それだけじゃないんだ。ロシアではぼくは言葉がわからない。英語も日本語もだめでしょ?」 「……通じるところもあるよ」 「でも、簡単にってわけじゃない。ロシア語を勉強しないと上手くいかないことが増えると思う。でもね、スケートをしながらそれができるほど、ぼく器用じゃないんだ。英語はなじみがあったし、いずれ世界をまわるようになるんだからって思って、ちいさなころからできるだけ学習してきたけど、ロシア語ってぜんぜんわからない。ぼくはヴィクトルみたいに奔放じゃないから、言葉もわからないまま街へ出るなんてできないよ。誰とも意思疎通できないままにぼんやり暮らすのかな��て思うと、なんだかこわくなる」 「俺がいるじゃないか!」 ヴィクトルは勇利の顔をのぞきこんだ。 「いくらでも話し相手になるし、通訳だってするよ。ロシア語だって教えてあげる。それなら……」 「メディアに注目される」 勇利はやわらかい口ぶりで言った。ヴィクトルは押し黙った。 「ロシアの英雄が生徒を連れて帰ったら、絶対にぼくのところにも取材が来る。よくも悪くも書かれるだろう。みんなの視線が集まる。優しい人もいるだろうけど、意地悪な人もいる。いやな見方をされるかもしれない。ぼく、目立つのきらいなんだ。静かに生きていたいんだ。リンクでだけ見てもらいたい。普段に騒がれるの、好きじゃない」 ヴィクトルはくちびるを噛んだ。勇利がそういう性質だというのは、彼だってよくわかっていることだった。 「試合でロシアへ行ったとき、ヴィクトルはものすごく歓迎されてたよね。みんなあたたかかった。でも、ぼくが何か失敗すれば、あの人たちは全員ぼくの敵にまわるだろう。ぼくはそれがこわい」 「──そんなこと!」 ヴィクトルは勇利の肩口をつかんだ。 「俺が守ってあげるよ!」 「…………」 勇利はあいまいにほほえんだ。 「それにね……」 「…………」 「ぼくがいると……、ヴィクトルはぼくを優先するでしょう?」 ヴィクトルは胸が苦しくなった。 「だめなのかい?」 「いまだって、守ってくれるって言った。ヴィクトルはぼくが困れば、自分のことはほうっておいてもぼくのためにがんばろうとするだろう」 「いいじゃないか……」 「ぼくは、ぼくのせいでヴィクトルが傷つくのがこわい」 勇利が、物静かに、言い聞かせるようにささやいた。 「いやなんだ。ぼくがいるからだよな、って考えて悩むのが……」 「…………」 きっとそれは、ヴィクトルの成績のことも言っているのだろう。もしすこしでもヴィクトルが不調の兆しを見せれば、勇利は「ぼくのせいだ」と思うにちがいない。「ヴィクトルがぼくに時間を使っているから」「ぼくのせいで練習ができないから」──そう考えるのだ。 「勇利……」 ヴィクトルは悲痛な調子で言いつのった。 「大丈夫だよ。俺は傷ついたりしないし、疲れたりもしないよ。ずっと絶対王者であり続けるよ。勇利が望むなら、伝説で居続ける。ね……」 「だからさ……そういう献身的な考えがさ……」 勇利が苦笑を浮かべた。勇利はヴィクトルの負担になりたくないと言い、ヴィクトルは負担になど感じないと答える。するとそれが献身的で困ると拒絶する。ではヴィクトルはいったいどうすればよいのだ。 「リンクも好きに使えない、言葉もよくわからない、土地にはなじみなんてない、まわりはいつ敵になってもおかしくない、味方はヴィクトルひとりしかいない、つまらないことでメディアに非難の対象にされて攻撃されるかもしれない、ぼくが傷つくとヴィクトルが心配してヴィクトルも大変な思いをする、そして単純に、ぼくがいるせいでヴィクトルの練習時間が減る」 勇利はヴィクトルの手を両手で優しく包みこみ、幼子に言い聞かせるように、ゆっくりとひとつひとつ挙げた。 「この条件では……ぼくはロシアへ行く勇気は出ない……」 「…………」 ヴィクトルは泣き出しそうになり、たまらない気持ちで勇利をみつめる。 「ごめんね……」 「勇利……」 「ごめんなさい。ぼくは自分のことばっかりだね……」 勇利の手がヴィクトルの頬にふれた。 「でもぼくはよわいから……。そんなんじゃあ、またすぐに精神がぼろぼろになって、ヴィクトルに八つ当たりするようになるし、帰りたいって泣きわめくと思う……」 「……いいよ。俺が慰めるから」 「…………」 勇利は微笑してゆるゆるとかぶりを振った。俺がどうにかする、俺が守ってあげる、ヴィクトルがそう言えば言うほど、それは勇利にとってまた負担になるのだ。 「ヴィクトル」 勇利は愛情のこもったそぶりでヴィクトルの手をさらに握った。ヴィクトルはすがるように彼をじっと見た。 「ぼくの考えてることを話すよ」 「聞きたくない……」 「聞いて。大丈夫だよ」 「俺は……」 「ぼくは日本でやっていく」 おごそかに、しかしきっぱりと勇利は言った。ヴィクトルはそのひとことでどっといやな汗が噴き出した。 「ヴィクトルはロシアに帰って。それぞれ、自分の国をホームにしよう……」 視界がぐらぐらと揺れた。 「ヴィクトルは選手時代と同じように練習をして。ヤコフコーチに教わってね。ぼくは……」 勇利は目を伏せた。 「サブコーチをつけたい」 ヴィクトルはうめいた。吐きそうだ。勇利がなだめるようにヴィクトルの指を撫でる。いつもなら安心させてくれるそのやり方も、いまはまるでききめがなかった。 「日本にいて助言をしてくれるコーチだよ。できれば日本人。ヴィクトルとはちがう視点を持った、コーチ歴の長い人。普段はそのコーチに見てもらう。ヴィクトルには動画を撮って送る。どこかのタイミングで、ぼくがロシアへ行くか、ヴィクトルが日本へ来てくれるかして、ヴィクトルからはそのときに直接指導をしてもらう。可能ならだけど、できればヴィクトルが日本へ来てくれるほうがいい。ロシアへ行っても、リンクがいっぱいで使えないんじゃ意味がない」 頭の芯がしびれて、何も考えられなかった。勇利がコーチをつける。ヴィクトル以外に。勇利の言うことはわかる。ヴィクトルは自分が選手であるがゆえに、勇利と同じ観点でものを言う。それが勇利にとってよい方向へ向かうこともあるけれど、やはり、指導者としての見解も必要だ。ヴィクトルにとってのヤコフがそうであるように。でも。──でも……。 「ヴィクトルに会うまでに、サブコーチとある程度までプログラムを完成させておく。基礎はサブコーチに、仕上げはヴィクトルにしてもらう。あとは、丹念なすべりこみをすれば苦手なところも解消していけると思う」 わかっている。どちらも引退しない、師弟関係も解消しないというのなら、これがいちばん実際的なやり方だ。勇利の言っていることは正しい。おそらく、ヤコフに訊いても、これと同じ答えが返ってくるだろう。それが最善なのだと。 しかし、わかっていてもどうしようもないこともある。ヴィクトルは息が苦しかった。上手く呼吸ができない。ぐらぐらしているのはなぜだろう。自分がふるえているのか。それとも錯覚か。 「勇利……」 「どうかな? ぼくの案」 ヴィクトルはかすれた声で言った。 「勇利のコーチは俺だ……」 「もちろんだよ」 勇利はにっこりした。 「ぼくのコーチはヴィクトル。それ以上の人なんているわけない。当たり前でしょ? わかってるよ」 「でも勇利……」 「けど、さすがにひとりで練習するのは難しい……。変な癖がついてしまったら困るし、それを指摘する人がいないのは致命的だ。ヴィクトルに動画を送るといっても、こまかいところまではわからないだろうし」 それなら勇利がロシアに来てくれれば。そう言おうとしてヴィクトルは口をつぐんだ。堂々めぐりになる。 「……コーチをふたりにしたら、コーチ料がかさむ」 ヴィクトルは現実的なことを言った。勇利が笑う。 「そうだね。でもどうにかなるよ。ヴィクトルへの支払いをとどこおらせたりはしないから大丈夫」 「そんなことを心配してるんじゃない……」 「今季いい成績だったからスポンサーが増えたんだ」 勇利は落ち着いて報告した。 「それに、コマーシャルの話も来てるし……。本数は多くないけど、悪くない話だった」 「…………」 「だからそっちは大丈夫だよ」 「……金があるならロシアに住めるんじゃないのか。補助してもらえないから困るんだろう」 「そうだね。でも問題はそれだけじゃないでしょ?」 「…………」 「ヴィクトルが招いてくれたとしても無理だって言ったよね。それに、どうせお金を使うなら、よりよい選択をしたうえで使いたい」 「俺以外のコーチをつけるほうがいいっていうの?」 「実際的だという話をしてるんだよ。ぼくの言ってる意味、わかるよね?」 「…………」 わからない。わかるわけない……。 ヴィクトルの目に涙が溜まった。 「これがいちばんいいんだ」 勇利の指がヴィクトルの目元にふれる。 「お互い、師弟関係を解消しない。現役を続ける。そのためには犠牲も必要だ。全部思い通りにはできないよ」 「勇利は……」 ヴィクトルは声を振り絞った。うつむきこんで勇利を責める。 「勇利は俺をそんなに好きじゃないんだ。だからそんなことを言えるんだよ。俺をたったひとりのコーチと思い定めているなら、そんな提案はしないはずさ。勇利は俺のことなんて簡単に手放せる。だってもう終わりにしようなんて言ったんだからね。だからそうやって別々でやればいいじゃんなんて言う。そのほうが効率がいいからって。俺たちは効率で師弟関係を結んでるんじゃない……」 「……そうだね」 「勇利はつめたいんだ……」 ヴィクトルは勇利を抱きしめた。勇利が背中に腕をまわし、優しく抱擁する。抱きしめているのに、ヴィクトルのほうがすがっているようだった。 「ファンだとか引き止めたいとか言って、本当はたいして愛してないんだろ? 俺がうるさいから仕方なく応じてるだけであって、特別な愛情なんてないんだ。あるいは、選手としての俺が好きなんだ。だから調子を落とされたら困るから、普段の俺も適当に相手をする。俺を上手く操縦して、自分の好きに道をきめるつもりなんだ。俺のことなんて片手間だ。きみが大切なのは、スケートと、競技者としてのヴィクトル・ニキフォロフだけなんだよ。ほかには目もくれない。冷酷なんだ。残酷なんだ。自分の好きなものにしか興味がなくて、いらなくなったらすぐに捨てるんだ……」 ヴィクトルの非難を、勇利は黙って聞いていた。彼はひとことも言い返さなかった。言い訳すらしなかった。ただ、優しくヴィクトルの背を撫で、頬にくちびるを当て、注意深く話を聞いて、いつくし���にみちたしぐさで髪を撫でた。 「勇利のばか。ばか……」 ヴィクトルは目を閉じた。 「俺はいやだ。俺はそんなのはいやだ。勇利のコーチは俺だ。誰にも譲らない。そんな話、うなずいてたまるものか。勇利なんかきらいだ……」 勇利は静かに笑い、でもぼくはヴィクトル好きだよ、と答えた。うそつき。 「ね、ヴィクトル。今夜は一緒に寝ようよ……」 勇利��ヴィクトルを求めるとき、ヴィクトルはいつだってしあわせだった。ビーマイコーチ。ヴィクトルとカツ丼を食べたい。そう言ってくれたとき、ヴィクトルは胸がどきどきし、この子だったんだ、やっぱりこの子しかいない──そう思った。あのときめかしさは、一生忘れられるものではない。 それなのに、その勇利がいま、ヴィクトルがいなくても大丈夫だと言う。もしかしたら「終わりにしよう」と言われたときよりひどいかもしれない。こんなことになるなんて。 勇利がそばにいてって言ったのに。 「勇利……」 ヴィクトルは眠る勇利の顔を見ながら、ちいさく溜息をついた。スタンドライトに照らされた面立ちは白く、子どもっぽかった。さっきまでヴィクトルの腕の中で泣いていた彼とは別人のようだ。時によって変わるこの表情、おそろしいほどの差異に、ヴィクトルはどれほど翻弄されているか知れない。 かわいい顔をして、することは悪魔の所業だ。 ヴィクトルはまぶたに落ちかかる髪を長い指で払ってやり、むき出しの肩に上掛けを掛け直した。まくらにもたれかかって、携帯電話を取り上げる。 「アロー……君の忠実なる生徒だよ」 「忠実��聞いてあきれるぞ」 ヤコフはがみがみ苦情を言った。 「おまえほど言うことを聞かん生徒は知らん」 「そんなことはないさ。案外近くにいる」 「どこに」 「いま俺の隣で寝てるよ」 ヴィクトルは苦笑を浮かべた。 「ほんと、ぜんぜん言うことを聞かないんだ……」 ヤコフは黙り、わずかに優しい言いぶりで慰めた。 「すこしはわしの気持ちがわかっただろう」 ヴィクトルはくすっと笑った。 「ねえヤコフ……」 「なんだ」 「勇利がね……、日本をホームにすると言うんだ」 「…………」 「俺はロシアへ帰れって。自分はサブコーチをつけるから心配いらないって。総合的には俺が見て、こまかいところは自分でサブコーチと調整するんだってさ」 「おまえよりずっと実際的なものの考え方だな。もちろん同意しただろう?」 「ヤコフ、俺はね……」 ヴィクトルは勇利の髪を優しく撫でた。 「勇利のことは、全部俺が見ていたいんだ」 「…………」 「俺の色に染め上げたいんだ。もちろん、黙って染められているような子じゃない。彼はおとなしくしていない。俺の手にだって負えないよ。でも、それがいいんだ。俺の色と彼の色、そうやって混ざりあうのがいい。それが勝生勇利というスケーターになるんだ。わかる?」 すっと頬を撫でてみる。勇利は深い眠りについており、気持ちよさそうな寝息が応えた。 「そこに不純物が混ざるなんて……我慢できない……」 「…………」 「ねえ……」 ヴィクトルは微笑した。 「勇利はどうしてそれでも構わないって思うんだろうね……」 「…………」 「だって勇利が言ったんだよ。彼から言い出したんだ。俺にコーチになってって。彼は崖っぷちだった。そこで俺に助けを求めたんだ。なのにどうしていまさら、ほかの人でもいいなんて言うんだ?」 「ほかの者でもいいわけではないだろう。精いっぱい譲歩したというだけだ。お互いのキャリア、今後のためにな」 「同じことさ……」 ヴィクトルはゆっくりとかぶりを振った。 「どういう思考で言い出したんだろうと、俺にとっては同じことだ。ロシアへ来れば勇利が大変な思いをするのはわかっている。彼に負担がかかるのも。でも俺は、それでも何もかも捨てて、貴方についていくよと言ってもらいたかったんだ」 「ヴィーチャ、それは勇気でも愛情でもない。考えなしというものだ。カツキはさきを見ている。大人なんだ」 「大人になんかならなくていい」 ヴィクトルは聞き分けなく言い張った。 「子どものままでいいんだよ、勇利は……」 「カツキだってそうしたいと思って言っているわけではないだろう。おまえを想うからこその処置だ。もちろん自分のことも考えているだろうが、そんな器用なたちでもなさそうだからな。いちばんに思いやっているのはおまえのことだろう。おまえはカツキの負担になると言ったが、やつがロシアに来て、実際に苦労をするのはかえっておまえのほうだ。それがカツキは心苦しいんだ。それをわかってやらなくてどうする」 「そんなのわかりたくない」 「よく考えろ」 ヤコフが、昔から大切なときにした、諭すような口ぶりになった。それでもヴィクトルは幼くかぶりを振り、「わかるわけない」とくり返した。 「俺は勇利と一緒にやりたいんだ。ふたりで戦いたいんだ。大人になって、聞き分けよく過ごして、それで手に入れるメダルなんて……」 「ヴィーチャ、おまえは自分のことばかりだぞ」 「勇利といなきゃ……俺は……」 「ヴィーチャ……」 ヴィクトルは勇利から手を離し、目元を覆ってちいさくうめいた。 「じゃあヴィクトル、身体に気をつけて」 空港まで見送りに来た勇利は、優しい笑みを浮かべてヴィクトルを見上げた。 「ヴィクトルってひとり暮らしだよね? ちゃんとごはん食べてね。ヴィクトルなら栄養士さんとかに頼ってるのかな。もう選手に戻ったんだから、長谷津にいるときみたいに好き勝手に食べちゃだめだよ。ぼくが言うのもなんだけど」 そんなに心配なら、一緒に住んで見張ってればいいのに、とヴィクトルは思った。 「それから、スケートもちゃんとして。ヴィクトルなら心配ないだろうけど、やっぱりシーズンの頭から練習に入るのは久しぶりだし、プログラムも考えないといけないから大変だと思う。ヤコフコーチの言うことをよく聞いて。あんまり困らせないで。いい子でね」 自分はちっとも俺の言うことを聞かないし、いい子じゃないくせに。 「ひとりじゃさびしいだろうけど、検疫が済んだらマッカチンも帰るからね。そのときはぼくが送っていくから。それまでにぼくの振付、完成させておいてよね。っていっても、まだ真っ白だろうから、いま言ってもしょうがないんだけど。ぼくもやりたいテーマ考えるし、ヴィクトルも何かあったら言ってくれるとうれしい」 そんなの、そばにいれば思いついたときにいくらでも移してあげられるのに。 「そんな顔しないで」 勇利はヴィクトルの頬に手を添え、にっこりした。 「かっこいい顔立ちが台無し……」 台無しにしてるのは誰なんだ。 「毎日電話するよ。メールも送る」 うそばっかり。きっと忙しさにとりまぎれて、そんなのはすぐに忘れてしまう。勇利は薄情だから。 「いつもヴィクトルのこと想ってるから」 うそだ。好きなら離れてもいいなんて言うはずがない。 「ヴィクトルは生涯でたったひとりのぼくの大切なひと」 うそだ。勇利は大うそつきだ。 「愛してるよ」 そんなはずはない。そう言わないと俺がロシアに帰らないから、便宜的に言ってるだけだ。 「離れても、こころはそばにいるからね……」 勇利がそっと背伸びをした。彼はヴィクトルに額をこつんと合わせ、青い目をのぞきこんでまぶたをほそめた。 「ああ、かっこよか……。なんでこんなにって思うくらい、ヴィクトルのことが好きだよ」 「…………」 「ほんとに……」 「…………」 「大好きだよ。愛してる……」 「──勇利」 ヴィクトルはたまらなくなり、勇利のことを抱きしめた。かたくかたく……。髪や頬に、想いをこめていくたびも接吻する。涙があふれてきた。それはほろほろとこぼれ落ち、勇利のうすいコートや髪を濡らした。 「ヴィクトル……泣いてるの?」 「勇利。勇利……」 ヴィクトルは声をつまらせた。やっぱりだめだ。できない。勇利と離れるなんて無理だ。彼を置いていくなんて、そんなこと。自分は捨てられようとしている。ひとりぼっちに……。 「できない。できないよ。勇利と離れて暮らすなんて、そんなのできるわけない」 「ヴィクトル……」 「どうして言ってくれないんだ。何もかも捨ててついてゆくと。貴方と一緒にいたいと、なんで言ってくれない?」 身体がふるえた。つらくてたまらない。こんなに愛してるのに。勇利はそうではないのだろうか? なぜ笑っていられる? 「いやだ。いやだ。こんなのはいやだ……」 「…………」 「勇利を失うなんて、そんなこと……」 「……失うんじゃないよ。ぼくはいままでもこれからも、ずっと……」 「そんなわけない!」 ヴィクトルは激しい声で遮った。 「はなればなれになるっていうのに、それでも構わないと勇利は言ってるのに、そんな言葉信じられない……」 愛しているなら、ずっとそばにいるよと言って欲しい。そして態度で示して欲しい。何があっても離れずにそばにいると、ふたりでなければだめだからと、かたい誓いを立てて欲しい。口先だけの愛なんていらない。勇利と離れるということは、半身をもぎ離されるということだ。勇利は痛くないのか。平気なのか。ヴィクトルは耐えられない。貴方はぼくのもので、ぼくは貴方のものだと、そう約束してかたわらにいてくれなければ……。 「ひとりぼっちはいやだ……」 ヴィクトルの声がかすれた。涙が止まらない。 「勇利と一緒がいい……!」 「…………」 「ねえ勇利、ロシアに来て。俺と一緒にこのまま来てよ」 「…………」 「だめなの? どうして? 俺がこんなに言ってるのに? 俺のこと愛してないの?」 「…………」 「勇利が……」 ヴィクトルは勇利の髪に頬を寄せた。肩をふるわせて強くささやく。 「勇利が来てくれないなら……」 ヴィクトルはすこし身体を離し、勇利の澄んだ瞳をのぞきこんだ。 「俺は日本に残る……」 勇利が黒目がちの大きな目をみひらいた。 「日本に残る……そうする……」 「……ヴィクトル」 「べつにロシアになんか帰らなくていい。そんなのどうだっていい」 「ヴィクトル……」 「勇利が俺と離れてても練習できるって言うなら、俺だってできるはずだ。ヤコフと離れていてもいい」 「…………」 勇利がまぶたをほそめた。 「勇利が俺にするって言ったことを、俺が全部するよ。そうすれば何も問題ないだろ。俺は勇利のそばでたったひとりのコーチでいられるし、ヤコフにはたまに会いに行けば問題ないよ」 ヴィクトルは無理にほほえんだ。 「勇利はひろびろとしたリンクで練習できる。俺だって長谷津のリンクは好きなんだ。ふたりだけのリンクにしよう」 「…………」 「俺は日本で暮らすのも大変じゃないし、もうなじんでるよ。日本語もすこしだけどわかるようになってきたしね。これからも勉強するし、町のこともおぼえたし、友達だってできたんだ。メディアは俺を攻撃したりしない。俺はここにいてもこわいことなんてない。日本が大好きだ。この土地で勇利と一緒にいられるなら、もううれしいことしかないよ」 ヴィクトルはもう一度勇利を抱きしめて低く言った。 「そうだ。そうすればいいんだ。どうして最初から考えなかったんだろう? 俺はばかだ」 「…………」 「ねえ勇利、いいだろ? それでいいだろう?」 「…………」 「どうして黙ってるの。いやなの? 俺にロシアへ帰って欲しい? ひとりになりたいの? 俺のそばにいるのがいやなのかい?」 「…………」 「勇利。おねがい、何か言って……」 勇利がゆっくりと両手を持ち上げた。彼は優しく、しかしきつくヴィクトルを抱き返し、それから笑いのにじむ声でささやいた。 「ばかだな、ヴィクトル……」 「勇利……」 「そんなに……、そこまでぼくにこだわって……」 勇利がそっとおもてを上げた。ヴィクトルは目をみひらいた。勇利の目に、涙がいっぱいに溜まっていた。 「ほんとに……ばかなんだから……」 勇利が背伸びをする。彼はヴィクトルのくちびるに繊細でつつましいキスをした。 「勇利」 「わかったよ。ヴィクトルがそこまで言うなら、ぼくも覚悟をきめるよ」 「え?」 「いいよ。言う通りにする。ロシアへ行くよ。ええ、貴方についていきます」 「勇利……」 ヴィクトルはぱちりと瞬いた。勇利はいたずらっぽく笑う。 「ほんと……しようのないひと……」 「…………」 「でも……、そう言うって、ぼくわかってたよ」 ヴィクトルは勇利をきつくかき抱いた。勇利が無言ですがりついてくる。まわりにいる客がちらちらとふたりを見ていたが、そんなことはどうでもよかった。勇利がやってくる。ロシアに。こんなところでまでとりつくろいをする彼ではない。彼は頑固だからなかなかヴィクトルの思い通りにならないけれど、こんなときに出し惜しみをしたりうそをついたりする男子ではない。ヴィクトルは夢中で勇利にくちびるを押しつけた。 「……キャンセル料がかかっちゃうかな?」 「え?」 「コーチ料だよ。もう頼んでるんだろう? 大丈夫?」 勇利はヴィクトルを見上げ、ぱちりと瞬いた。彼は花がほころぶようにきよらかに笑うと、ヴィクトルの首筋を両腕で引き寄せ、甘えるようにつぶやいた。 「ばかだねえ……、そんなの、最初から頼んでないんだよ……」 「まったく……、苦労するのがわかっているのに……」 ヤコフがぶつぶつ言った。ヴィクトルはくすくす笑いながら、食堂でコーヒーを楽しんでいた。 「でも、おもしろい選手だろ? 見ていて教えたくならない? だめだよ、勇利は俺の生徒だから。たとえヤコフでもあげない」 「おもしろいおもしろくないの問題じゃないんだ」 ヤコフは甚だしく不機嫌だった。ヴィクトルは今度は笑いをこらえる。 「そんなこと言って……、ヤコフがじつは勇利のこと気にしてくれてるの、俺知ってるよ。勇利がここへ通うようになってからずっと、彼が自主練習してるとき、ちらちら見て確認してるじゃないか」 「そんなことしとらんわ!」 「またまた。素直じゃないんだからなーヤコフは」 ヴィクトルが頬杖をついてにこにこすると、ヤコフは溜息をつき、やれやれとかぶりを振った。 「おまえは変わったな」 「そう?」 ヴィクトルはきょとんとした。 「変わった? どんなふうに?」 「自覚がないのか?」 「あ、前よりスケートに深みが出てきた?」 指を一本立てて片目を閉じると、「ばかもんが」とあしらわれてしまった。 「おまえは本当に手がかかるわ。おまえほどの問題児は知らん」 「そうかな。俺なんかかわいいものだと思うけど」 「期待されていながら、突然やすむと言い出す。やすむだけならまだしも、勝手に日本へ行ってしまう。それでしたことと言えば、他国の選手の育成だ。のんきにコーチごっこをしているかと思えば、突然復帰すると言い出し戻ってくる。戻ってきたら戻ってきたで、ひとりではなく嫁を連れてくる」 「あっはは。よかったじゃない、ヤコフ。元気なうちに俺のお嫁さん見られてさ」 「最後のは冗談だばかもん」 「俺は本気だけどね」 ヴィクトルはとり澄まして言った。 「それにね……、ヤコフはばかにするけど、コーチごっこもそれなりに──いや、かなり厳しいものがあったよ。ヤコフがいま並べ立てた俺の所業なんて、子どもの遊びに等しいよ。勇利のしたことを考えれば……」 ヴィクトルはおおげさに溜息をついた。 「ヤコフの気持ち、ちょっとどころか、だいぶわかったよ」 「そうか。じゃあ、今後のカツキにも期待しておくか」 「やめて」 顔をしかめてかぶりを振った。これ以上勇利に振りまわされるなんて気が重い。──それを楽しんでいる自分がいることも事実だけれど。 「……ヤコフ」 「なんだ」 「誤解のないように言っておきたいんだけど」 「うん?」 ヴィクトルはカップに口をつけ、それを脇へ置くと、テーブルに身を乗り出してささやいた。 「勇利は、ロシアへ来るのを断ったんだよ」 「…………」 「電話で話した通りさ。あれは彼の本心だった。本気だった。彼はそんなつもりじゃなかった。俺が連れてきたんだ。無理やりに」 ヤコフは黙っていた。 「勇利は日本で続けるつもりだった。勇利にとっては日本のほうが都合がいいんだ。すべての面において。環境も、精神も、風土も、日本が合ってる。俺だってそれはわかってた。でも我慢できなかった。勇利がそばにいなければだめだと思った。どうしてもね」 ヴィクトルはかすかな微笑を浮かべた。 「本当はひとりで戻ってくるはずだった。だけど俺は、勇利がいなければだめだと言って空港で泣いたんだ」 ヤコフが驚いたようにヴィクトルを見た。ヴィクトルは気恥ずかしそうにくすっと笑う。 「みっともないけど、ヤコフにだから白状するよ。みんなにはないしょだからね。俺は勇利にすがりついて、子どもみたいに泣きじゃくった。勇利が来てくれないなら俺が日本に残るとまで言った。脅しじゃなく本気だ。俺はそうするつもりだった」 「ヴィーチャ……」 「そうしたら勇利は笑って、『ヴィクトルがそこまで言うなら』って……」 ヴィクトルは目を伏せ、カップのふちを指先でなぞった。 「すごいだろう? 泣き落としだよ。このヴィクトル・ニキフォロフがだよ。信じられるかい、ヤコフ。俺は信じられない」 すっと視線を上げ、ヤコフに笑いかける。 「でも本当なんだ。そこまでさせる子なんだ、勝生勇利は。ヴィクトル・ニキフォロフともあろう者が泣きわめいて、そばにいて、とすがりついたんだよ。だけどね、ヤコフ……、俺はそうしてるとき、すごく気持ちがよかったんだ。勇利を引き止めて、自分のものにしたくて、俺を彼のものにしてもらいたくて、泣いて泣いてねだってるとき、とても気持ちよかった……」 ヴィクトルは指を下ろし、テーブルにとんと置いた。そしてヤコフを鋭い目で見据える。 「──もう、逃れられない」 「…………」 ヴィクトルはにっこり笑った。 「勝生勇利っていう俺の生徒は、そういう子」 「…………」 「そういう……俺にも手に負えない、どうしようもない子なんだよ」 ヤコフが息をついた。 「ヤコフにも知っておいてもらいたかった」 ヴィクトルは締めくくるように言った。彼は話があると言ってヤコフをここへ連れてきたのだ。 「それだけ」 ヤコフはしばらく黙ってコーヒーを飲んでいたが、誰もいないがらんとした食堂を見渡すと、低い声で「ヴィーチャ」と呼んだ。 「なに?」 「おまえ、カツキが手に負えない、言うことを聞かないと嘆いているが」 「だってそうなんだもの」 「本当に彼の性質を理解しているか?」 「え?」 ヴィクトルはきょとんとした。 「なに……どういうこと?」 「確かに手に負えんだろう。しかしおまえは、やつを子どもとして取り扱っていないか」 「いや、大人っぽいところもあるよ。演技で俺を誘惑するときなんてもう」 「そういうことではないわ」 「うーん、まあ、見ての通りかわいいからね」 ヴィクトルは口元に指を当てた。 「かわいこちゃん扱いはしてるかもしれないね」 「だからおまえはだめだというんだ」 「えぇ?」 「普段は知らん。どんな頼りないところがあるのかはな。しかし、ある状況においては、カツキはおまえより数段大人だ」 「……意味がわからないんだけど」 「ふん」 「ちょっと、ヤコフ……」 そのとき、廊下のほうが騒がしくなった。ヴィクトルは時計に視線を走らせる。昼時だ。生徒たちが昼食をとりに来たのだろう。勇利来るかな、一緒に食べよう、とヴィクトルは目を輝かせた。 「だから、踏み切りはいいって言ってんだろ!」 剣呑な声がした。ユーリだ。おやとヴィクトルは眉を上げる。それに応えたのは勇利の声だった。 「いいならいいじゃん。ユリオ、なに怒ってるの?」 「着氷のことなんだよ!」 扉が開いた。幾人もの男女がかたまりになって入ってくる。その中程に勇利はいた。ユーリと話している。 「ヴィクトル何も言わなかったよ」 「耄碌しててわかってねえだけだろ」 「えぇ……そうかな……」 「おい、不安そうにするんじゃねえよ」 「だってユリオが着氷汚い汚いって洗脳しようとするから……」 「俺は事実を言ってんだよ」 「あとでヴィクトルに見てもらおう」 「俺の言うことが信じられねえのかよ!」 「だって……」 「つーか、ジジイに訊かなくてもわかるだろ! てめえはすべてにおいてだめなんだよ! このドヘタ!」 「ユリオ、さっきのステップシークエンスなんだけど」 「な、なんだよ」 「あのさあ、ユリオのチョクトーってさあ……」 「あーうるせえうるせえ!」 「ねえ、ユリオって、ぼくよりクワドフリップ綺麗に跳べる?」 「蹴り飛ばすぞ!」 「ヴィクトルしか無理だよね、そんなの」 「ブタ野郎!」 ヴィクトルはくすくすと笑い声を漏らした。まったくもう、かわいいんだからなあ、俺の勇利は……。立ち上がり、勇利にゆっくり近づいてゆく。 「そうだよね、勇利のチョクトーは綺麗だよねえ」 勇利が振り返り、ヴィクトルを見て顔を輝かせた。 「ヴィクトル」 「絶対浅くならないしね。うん、俺好きだなあ」 ユーリが、「うるせえのが来た」と言ってさっさと背を向けた。ヴィクトルは勇利の腕をひっぱった。 「なに? サルコウよくないの?」 「ユリオが怒ってくるんだよ……」 「そうかあ。あとで見てあげる」 「ほんと?」 勇利が頬を赤くしてにっこり笑った。 「フリップ跳んでくれるの?」 「……勇利。サルコウを見てあげると言ったんだ。フリップを跳ぶとは言ってない」 「あれ? 聞きまちがいかな?」 「…………」 「願望のせいで空耳かな?」 「…………」 「あれえ。おかしいなあ」 ……くそっ。 ヴィクトルは無言で背後から勇利を抱きしめた。かわいい……。 「……聞きまちがいじゃない。跳んであげる」 「ほんとに?」 勇利が目をきらきらと輝かせた。 「ほんと……」 「ヴィクトルありがとう。うれしい。大好き」 「勇利」 「なに?」 「ごはんあとにしよう。ちょっと物陰に行こう」 「ヴィクトルなに言ってるの?」 「ごめん。むり。俺むり……」 「落ち着いて」 「かわいい。かわいすぎる。キスしたい……」 「ヴィクトルってば。もう……」 ヴィクトルがみっともなくとろけた顔で勇利を抱きしめるのを、ヤコフはあきれた思いで眺めていた。本当に変わったものだと思う。日本へ行く前は、あんなにつまらなそうに、苦しそうにしていたのに。 変えたのは、勝生勇利か……。 ふと、ヴィクトルの腕の中にいる勇利と視線が合った。彼は困ったようにほほえみ、ちょっと目を伏せてお辞儀をする。 『勇利は、ロシアへ来るのを断ったんだよ』 『俺は、勇利がいなければだめだと言って空港で泣いたんだ』 『勇利が来てくれないなら俺が日本に残るとまで言った……』 おそらく勇利は、ヴィクトルがそう言い出すことまでわかっていたにちがいない。本当は最初から、サブコーチをつけるつもりなどなかったのだ。 ──ヴィクトルは、ぼくがいなければだめなんです。 ──貴方はぼくにロシアへ来ないでくれと言う。でもそうしたら、このひとはめちゃくちゃになる。 ──そんな精神になってしまったんです。 誇るでも驕るでもなく、勇利は、ただヤコフにそれを伝えたかったにちがいない。ヴィクトルの精神力は、今後彼が氷の上に立つためには必要なものだ。勇利がそれにどれほどの影響を及ぼすか。彼がいないことでヴィクトルがどんなふうになるのか。ヴィクトルのために、ヤコフに知っておいてもらいたかったのだ。もし最初から、「誰がなんと言おうとぼくはヴィクトルについていきますから」と勇利が宣言していたら、ヤコフの彼を見る目はまるでちがっていただろう。態度には出さなくても、ヴィクトルの邪魔をしている選手だ、という判断をくだしていたかもしれない。勇利の人柄やスケーターとしての能力は関係がない。ヤコフはヴィクトルのコーチだ。彼を優勝させるために仕事をしている。勇利の存在がヴィクトルにとってよいのか悪いのか、という単純な判定をしたときに、悪いという評価を与えてしまっていた。きっと。その気持ちは、たとえ表にあらわさなくても、ヴィクトルに伝わってしまったかもしれない。するとおそらくヴィクトルは、信頼するコーチと深く愛している教え子のあいだに挟まれ、困惑してしまっただろう。 ──ヤコフコーチ。ヴィクトルはこんなふうになってしまったけど、今後とも彼のこと、よろしくおねがいします。 勇利は、自分が変えてしまったヴィクトルを、どんなふうに変わったのか、身をもって示したのだ。 「ふん……」 ヤコフは鼻を鳴らした。 「パートナーの鑑だな……」 勇利にくっつき、「ねえねえ、勇利が俺より綺麗にクワドフリップ跳べるようになったら、俺ふられちゃうの?」とうれしそうに尋ねているヴィクトルを眺める。 「……ヴィクトル、がんばってね」 「勇利、ひどい!」 彼は、「最高にしあわせだ」という顔つきをしていた。 「ヴィーチャ。おまえが思っている以上にカツキは扱いづらい男かもしれんぞ」 すごいやつに惚れこんだものだな。きっと今後も振りまわされる。いまから目に見えるようだ。しかし……。 しかしそれでもヴィクトルは、「勇利といるとしあわせ!」と頬を赤くして笑うのだろう。 「ゆーうりー、早くー」 「はーい」 ヴィクトルはさきに外へ出、勇利が出てくるのを待った。こう��て毎日一緒に帰宅する時間が、彼はとても好きだ。ロシアへ来てから、勇利はどんどん綺麗になるようだ。見ているだけでたまらない気持ちになる。うれしいけれど、誰かに取られはしないかと不安で仕方ない。勇利に訴えると、「何を言ってるんだか」と笑われるのだけれど。 「ぼくはヴィクトルじゃないんだから大丈夫だよ。自分がどれだけもてるかをもう一度よく考えてみて」 そういうことではないのである。なぜ勇利にはわからないのだろう。自分で鏡を見てうつくしさに気がつかないのだろうか? これも言ってみたところ、勇利は手を叩いて大笑いし、息ができなくなるほどになり、そのあとも思い出しては肩をふるわせていたけれど。 勇利は自分の魅力を理解していない。そういう子がいちばんあぶないんだ。ヴィクトルは壁にもたれて立ち、ぶつぶつと文句を述べた。 「ハイ、ヴィクトル」 横合いから声をかけられ、ふと顔を上げる。見覚えのある女性が立っていた。確かどこかの記者だ。そういえば俺に言い寄っていたっけ、と思い出した。 「ようやく帰ってきたのね。調子はどう?」 「取材なら、約束を入れてからにしてくれるかな。俺、これから帰るところだから」 「そうね。日本から連れてきた貴方の愛弟子と一緒におねがいしようかしら」 彼女は肩をすくめた。ヴィクトルはほほえむ。 「彼、かわいいだろう?」 「え?」 「だめだよ、誘ったりしちゃ。俺のだから」 「…………」 彼女はほほえみを消してヴィクトルをにらみつけた。 「一緒の家で暮らして、一緒のリンクですべって、ずいぶん楽しそうね」 「そうだね。俺はいま最高にしあわせだよ」 「ヴィクトル・ニキフォロフが子どもみたいな日本人に骨抜きにされたってうわさになってるわよ」 「そのうわさは本当だ。記事にしてもいいよ」 彼女は黙りこみ、パンプスのかかとを地面に打ちつけた。 「ばかばかしい。あんな乳臭いガキのどこがいいの?」 「──ヴィクトル、どうかした?」 帰り道、ヴィクトルの機嫌が悪いのを気にして、勇利が不思議そうに尋ねた。 「ごめん、出てくるの遅かったよね。ドリンクボトルがみつからなくて。あちこち探しちゃった」 「いいんだ、勇利のせいじゃない」 「じゃあ誰のせい?」 「…………」 ヴィクトルはふっと息をついた。 「記者が来ていてね」 「ああ、さっきすれちがった女の人?」 「ああ……」 「彼女に何か言われたの?」 「…………」 勇利はくすっと笑い、からかうように言った。 「彼女、ヴィクトルのこと好きでしょ」 「──どうしてわかった?」 ヴィクトルはすこし驚いた。勇利は上手く当てたことを喜んでいる。 「お辞儀したら、ぼくのことすごい目でにらみつけたから」 「…………」 「ぼくについて何か言われた?」 ヴィクトルはゆるゆるとかぶりを振った。 「あんな乳臭いガキのどこがいいんだって……」 勇利は目をまるくした。それから可笑しそうに口元に手を当てて笑う。 「事実じゃん」 「勇利!」 もう……、どうしてわからないのかな? ヴィクトルは腹が立った。 「事実じゃない。勇利が自分が本当はどれだけ大人びているか、色っぽいか、わかってないんだ。あんな顔で俺に誘いかけてくるのに……」 「ちょっと、やめて、恥ずかしいな」 「勇利のつやめかしさを知りもしないで、よくもあんなことを……、あれでも記者なのかな。勇利の演技を見なかったのか?」 「べつに、ぼくは誰になんて思われてもいいよ」 勇利はヴィクトルの腕にふれて言った。 「ヴィクトルがそうやってぼくのこと特別に思ってくれるならさ」 「…………」 勇利がいつまでも楽しそうに笑っているので、なんだかもうどうでもいいか……という気になってきた。 「ていうか……、ぼくのそういうところは──本当にあるんだとしたら──ヴィクトルだけが知っててくれればいいんだよ」 「勇利……」 「氷の上で誘いかけたら、見てる人みんなにばれちゃうかもしれないけど」 勇利がヴィクトルに顔を近づける。 「でも、ぼくが誘ってるのはヴィクトルだけだからね……」 「…………」 ヴィクトルは立ち止まり、道端に人がいるかいないか確かめもせず、黙って勇利に接吻した。勇利が「ちょっと!」と声を上げ、通り過ぎた学生が、「あ、ヴィクトル・ニキフォロフがキスしてる!」と大きな声で言った。ロシア語だ。 「なんて言われたの?」 勇利が尋ねる。 「おしあわせに、って」 「うそばっかり!」 勇利は憤り、すたすたとさきに行ってしまった。ヴィクトルは笑いながらあとを追う。 ──そうだ。俺は勇利に愛されているんだ。そして俺も勇利を愛している。それだけわかっていればじゅうぶんだ……。 「勇利、待って」 「知らない!」 勇利は、ロシアへ行くに当たって、自分にとって不利な条件を述べていた。日本にいればこれだけ楽にやってゆける、ということをすべて口にしたのだ。ヴィクトルはその意見に賛成だった。勇利は日本にいたほうがよかった。 しかし──。 しかし彼は、そのすべてをなげうって、大切なものを置き去りにして、それでもヴィクトルのところへ来てくれた。何もかもを捨ててもいいと、それで構わないと態度で示してくれたのだ。それが、ヴィクトルには……。 「待ってってば!」 ヴィクトルは勇利をつかまえた。それはもう自宅の玄関口で、彼は手早く鍵を開けると、中へ勇利をひっぱりこみ、大喜びで胸に抱きしめた。 「ヴィクトル、苦しいよ」 勇利が笑う。もう怒っていない。 「我慢して」 「もう……」 ヴィクトルは勇利の腰を引き寄せた。彼の腕がヴィクトルの首筋に投げかけられる。 「ん……」 ヴィクトルは思い出していた。初めてここへ勇利が来た日。そのときもこうして玄関先で抱きあった。ヴィクトルは熱心に言ったものだ。 「もう勇利のこと、帰せないかもしれない……」 勇利はちょっと笑い、こう答えたのだ。 「最初から、片道切符のつもりでしか来てないよ……」 「──ヴィクトル、マッカチンが散歩に行きたいって」 「うん……」 ヴィクトルは奥からやってきたマッカチンのつむりをひと撫ですると、あのときと同じとろけるような幸福を味わいながら、もう一度勇利にくちづけした。
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私は宮城県名取市閖上(ゆりあげ)出身です。
今日は2011年から7年。2018年3月11日、午後2時46分から1分間の黙祷を終えたところです。
2011年3月11日
私は中学2年生で、卒業式の予行練習で午前授業だった。お昼過ぎには家に帰って、両親の部屋でテレビを見ていた。高校生だった兄も帰宅していて、家には私と兄と猫の太郎がいた。
こたつに入って横になっていると、突然、「ゴーーーー」というものすごい音がした。長かった。びっくりして固まっていると、次は激しい地震がおこった。体がゆさぶられるような揺れだった。太郎は驚いてこたつの中にとびこんだ。見ていたテレビが倒れ、画面が割れ、ここにいては危ないと思った私は、ベッドの上にあがり、上になにもない部屋のすみに避難した。クローゼットの扉は全開になり、中の荷物が全て床に落ちた。お母さんが使っていた、普段はうごかせないほど重いドレッサーも、揺れに合わせて生き物のようにズ、ズ、と前に動いていた。ガタガタと揺れる音や、ガシャーンと1階の台所からか食器の割れるような音が聞こえ、すごく怖かった。揺れはなかなか収まらず、もしかしてこのままずっと揺れているんじゃないかと怖くなり、耳をふさぎながら「あーあー!」と大きな声で叫んでやりすごした。
しばらくして揺れがおさまったので、自分の部屋に戻ろうとすると、ふた間続きになっている手前の兄の部屋は、タンスの引き出しや勉強机の上にあったものが全て落ち、足の踏み場がなくなっていた。地層みたいだった。物を踏みながら奥の自分の部屋に行くと、そこも同じように物の海になっていた。
兄に「とりあえずお父さんのところに行こう( お父さんは家の近くの公民館職員)。」と言われ、部活で使っていたエナメルバッグに持ち出せそうなものを入れ、ラックの上にひっかかっていた薄手の黒い���ャンパーを着た。
もしかしたら役に立つかもしれないとお母さんドレッサーの引き出しに入っていた、カード会社や保険会社からの郵便物もカバンに入れた。無意識だったけど、もう家に戻ってこられないかもしれないと思ったのかもしれない。
兄が「避難所では猫の食べるようなものはもらえないと思う」と言うので太郎のご飯が入ったタッパーも鞄に入れた。太郎が怖がってこたつの中から出てこなかったので、兄に頼んで無理やり引っ張り出してもらった。このとき、兄は膝を悪くしていて、無理をすると膝の皿がずれてしまう状態だった。太郎を無理にだしたので膝が痛んだようで、少し休憩してから家をでた。その間も何回か揺れがきていて、家の壁には亀裂が入っていた。
外にでると、道路はでこぼこになっていて、マンホールからは水が溢れていた。家や電柱は傾いて、いつもの景色がゆがんでいるようだった。私たちと同じように、みんな近くの避難所へ移動しようとしている様子で、公民館に向かった。公民館のグラウンドでは小さい子たちが楽しそうに遊んでいた。状況がよくわかっておらず、興奮しているようだった。
公民館の中で誘導をしていたお父さんに会いに行くと、「津波がくるそうだ。公民館は津波の指定避難所ではないから( 公民館は二階建てで低い建物) 小学校か中学校に誘導するよう連絡がきたから、お前たちもそっちに早く避難しろ。」と言われた。
お父さんに話しかけるまで舞台の上で座っているときに、自分の膝から血が出ていたことに初めて気づいた。どこかにこすったようだったけど、不思議と痛くなかったことを覚えている。
お父さんから、津波がくると言われたけど、いつも津波がきても何センチかで結局大したことなかったので、今回もそんなもんだろうと思っていた。いつだったかのチリ地震の際もそうだったからだ。同じようなことを話している人もたくさんいた。私たちは2キロ先の小学校に向かった。
小学校に向かう途中、生協の前でNちゃんに会った。お兄ちゃんとはぐれたらしく、家に一回戻ると言っていた。私は津波が来るらしいから戻らないほうがいいと言ったが、大丈夫だからとNちゃんは戻ってしまった。
Nちゃんは津波にのまれて死んでしまった。
もっと強く引き止めていればよかった。
消防車が走って避難を呼びかけていた。
いつも何かあると鳴る、町のサイレンはこの日、鳴らなかった。
中学校の前で兄の膝が痛み出したので、予定を変更して中学校に避難することにした。中に入ると誰かが「3階か屋上へ!」と叫んでいた。兄と私は上へと向かった。外階段から中へ入られるドアをガンガン叩く音が聞こえ、見ると女の人が必死にドアを叩いていた。ドアの前に机が置いてあり、開かないようだった。でも、みんな自分の避難に必死で誰もどかそうとはしなかった。兄と机をどかし、ドアを開けた。「津波だ!」と、窓の外を見た。黒い水がじわじわと学校の駐車場に流れてくるのが見え、おじいちゃんが一人、まだ外にいるのを見つけた。「逃げて!」と叫んだけど、そのおじいちゃんが助かったかはわからない。
少し遠くを見ると。ず……、と、景色がそのままゆっくりゆっくりと動いた。町の中に船が見えた。船が家にぶつかり、家はぼろぼろになって崩れていった。あちこちに水の上なのに火が見えた。町全体が濃い灰色だった。兄と三階の教室から、水没したグラウンドを見た。水でいっぱいで、まるで映画を見ているようだった。夜になるにつれてどんどん暗くなり、懐中電灯を教室の真ん中あたりに置き、壁や周りにアルミホイルを貼って反射させて明かりを作った。持ってきたラジオからは、「絶対に水辺には近寄らないでください。被害の状況は———」というような声が繰り返し聞こえていた。私は湿った教室の床に横になり、太郎を抱いていた。何も食べていないはずなのにお腹は空いていなかったし、眠気も全く来なかった。気づいたら朝になっていた。
朝になると水は引いていた。町を見たくて屋上にいった。それと、太郎がトイレをするかなと思って。屋上から見た景色に、町はもうなかった。グラウンドには車や船や瓦礫のようなものがぐちゃぐちゃになっていた。目の前にあった生協もなかった。今度は町が茶色だった。
あのときのトイレは今でも思い出すと吐きそうになる。人の用を足したものが積み重なり、ひどい臭いだった。吐きそうになりながら用をたした。学校には知ってる人がたくさんいて、Sちゃんに会った。Sちゃんは学校のジャージで、お腹から下は泥まみれだった。津波に少し飲まれたらしい。Sちゃんはお母さんとまだ合流できてない、小学校の方にいるかなあと言っていた。あとから知ったが、Sちゃんのお母さんは津波で死んでしまっていた。
お昼前ぐらいに兄が自宅の様子を見に行くと言って、少しして戻って来た。うちがあった場所には、うちの二階の屋根があっただけだったようだ。まだ実感がなく、そうなんだうちはもうないのか、と冷静に思った。
そのうちに大人の人たちが崩れてしまったお店から、食べ物や飲み物を持ち出してきた。避難した時に食料を持ち出すことのできた人たちから少しだけお裾分けをもらった。でも全員分はもちろんないので、たしか私はベビーチーズのようなものを一口分食べた。太郎にはお水を少しだけもらえたのでそれをあげた。
安全な内陸の避難所に全員移動することになったが、中学校の出入り口やバスが迎えに来てくれるおおきな道路にでるまでの道には、船や車や瓦礫などがたくさんあって、大勢の人が移動できるような状況ではなかった。なので自衛隊が道を作ってくれるまで待機するように言われた。
暗くなる前に作業は終わり、みんなでバスのところまで歩いた。海水のようなにおいと、ものが燃えたこげたにおいとガソリンのようなにおいがした。いたるところに車や船があって、きっと中には人がいたかもしれない。水は引いていたけど泥がすごくて、靴はすぐにぐしゃぐしゃになった。靴にビニールをかぶせていた人もいたけど、結局みんなどろどろになって歩いていた。
私と兄と太郎は、内陸の小学校の体育館に避難することになった。着くとすでに近隣の地域の人も避難していて、人がいっぱいいた。入り口でおにぎり一つと使い捨ておしぼりを一つずつ配られた。どこか寝る場所を確保しようとしたけど全然場所がなくて、体育館の中のゴミ回収のスペースの前が少し空いていたのでそこに落ち着いた。おにぎりを食べて、おしぼりで足を拭いた。毛布やシートも物資で配られたりしたようだったけどわたしたちがついた頃にはもうなかったので、余っている段ボールをもらって、段ボールを床に敷いて横になった。近くから避難してきた人たちは、自分の家から持ってきた毛布や服などであたたかそうで、わたしたちみたいな海から逃げてきた人たちとはギャップを感じた。目も怖かった。太郎も不安なのか、私のジャンパーの中から出てこようとしなかった。でもそのおかげで、すごく寒かったけど、お腹はあったかかった。中学の先生が状況把握のため点呼をとっていて、太郎をお腹に抱えた様子をちょっと笑われた。
夜、暗い中で何回か余震があって、そのたびに体育館の照明が大きく揺れて、ざわざわした夜だった。
朝になると支援物資が届いた。飲み物はコップがないともらえないと言われて、考えて、ひとり一個もらえるパンの中からサンドイッチ用のパンを選んで、その空き容器で飲み物をもらうことにした。兄はマヨネーズ入りのカロリーの高いロールパンを選んで、とにかく栄養を確保するように2人で食べた。トイレは、プールの水をバケツでくんで流せたので困らなかった。古着も物資で届いたので、パーカーなどの着られそうなものをもらった。わたしたちの隣にいた老夫婦が小さな犬を連れて避難していて、太郎は犬に懐かれていて面白かった。
兄と座っていると、名前を呼ばれた。お母さんとお姉ちゃんが走ってこちらに向かって来ていた。
生きててよかったと抱きしめられた。みんなで号泣した。
お母さんは仕事で内陸にいて、お姉ちゃんもバイトで海からは少し離れたコンビニにいて、津波が来る前に東部道路に避難して助かっていた。2 人は違う小学校で合流できていたようで、わたしたちの地域の人たちが避難している場所を探していてくれたようだった。お母さんが働いていた保育所の休憩室を間借りしていいといわれたらしく、そこに移動することにした。車できたからそれでいこうと外にでると、血の繋がっている方の父がいた( 私の両親は離婚していて、お母さんは再婚して、新しいお父さんがいます)。私は父のことを嫌っていたし、何年も会ってなかったけど、そのときはなぜだかとっても安心して、頭を撫でられて肩を抱かれると泣いてしまった。非常事態だったので、お母さんも連絡をとって食料や布団などをわけてもらったらしい。
車に乗り、保育所に向かう途中、太郎が安心しておしっこをもらした。避難所では粗相をしなかったので、太郎もがんばっていたのだなと思った。
保育所の休憩室は、5畳ないくらいのスペースで小上がりの畳になっていた。畳の上に段ボールを敷いて、布団を敷いて、家族で川の字になって眠った。やっぱり寒くてなかなか寝付けなかったけど、お母さんが抱きしめてくれたおかげで、よく眠れた。
次はお父さんと合流しようと、情報を求めて市役所に向かった。市役所の中に入ると、壁いっぱいに「◯◯に避難しています◯◯みたらここに連絡をください」といったような内容の紙がびっしりと貼られていた。その中には知っている名前も幾つかあって、ああ無事だったのだなと安心したこともあった。お父さんの名前を見つけたけど、けがをしている、というようなことが書いてあったので焦った。とりあえずお父さんがいるという避難所へ向かうと、お父さんは元気そうに出入り口近くの椅子に座っていた。安心したお母さんはへなへなになって笑った。あのときは情報が錯綜していたので、間違ってそう書かれてしまったらしい。すぐに同じ場所にお父さんも移動したかったけど、お父さんは公務員なので被災者の誘導等の仕事があったのですぐには保育所に一緒に戻れなかった。
保育所での生活は体育館にいるときよりずっと過ごしやすかった。狭かったけど、家族がみんないて、人の目を気にしなくていいのはすごく救われた。電気はまだ復旧していなかったけど、水道が使えて嬉しかった。ごはんも、お母さんの仕事仲間の人が炊き出してくれたりして、あたたかいものを食べられた。ずっとお風呂に入れてなかったので気持ち悪くなって一度、水で頭だけ洗ったけど、寒すぎて凍えた。被災してから一週間たたないくらいに、電気が復旧し始めて、近くの家に住んでいたお母さんの職場の人の好意でお風呂に入らせてもらった。久しぶりのお湯はあったかくてきもちよかった。
お店もすこしずつものを売られるようになって、学校もない私と兄と姉はそれぞれ生活に必要なものを行ける範囲で探し回った。持ち出せたお小遣いをもって、とにかくいろんなお店でなにか買えないか歩き回った。個数制限で、ひとり3個までしかものが買えなかったり、なにも残ってなかったり、3時間以上並んだりした。
あるとき、ひとりでお店の列に並んでいると、知らないおじいちゃんに話しかけられた。どこからきたのかなんでひとりなのか聞かれ、答えると「大変だったね」と自分が買ったバナナを分けてくれた。少し泣いてしまった。いろいろなところで食べ物などを買えてうれしかったけど、そのころは物資不足で窃盗や空き巣が多発していたので、ビクビクしながら保育所に帰る道を早歩きでいつも帰っていた。
銀行でお金をおろせるようになり、保育所も再開するので長くはいられないと、アパートを借りることになった。お父さんががんばって見つけてくれた。引越して、いろんな人の好意で家電や家具をもらって、なんとか避難所生活はひとまず終わった。
アパートで炊飯器をつかって炊いた、炊きたてごはんをたべたときはすごくすごくおいしくて、おかずは缶詰の鯖だったけど、何杯もおかわりをした。あのとき食べたごはん以上に美味しいと感じたものは今もない。
アパートで暮らし始めて少しして、携帯の電話番号を覚えていた友達に電話をかけてみた。その子は飼っていたペットたちは犠牲になってしまったけど無事だった。ただ、その子との電話で「Aちゃん残念だったね。」と言われた。Aちゃんは私のすごく仲良しの女の子で、どういうことなのか理解できなかった。
Aちゃんの妹の名前と避難先の書かれたメモを市役所でみていたので、Aちゃんもきっと無事だろうと思っていた。「新聞の犠牲者の欄に名前が載っていた」そう言われて、後の会話は覚えていない。電話の後に新聞を読み返して犠牲者の欄を探したら、Aちゃんの名前を見つけてしまった。新聞に名前が載っている,という証拠のようなものをつきつけられて、一気に怖くなり、悔しくて信じられなくてまた泣いてしまった。
兄もその欄に仲の良かった友達の名前を見つけてしまったようで、リビングのテーブルに突っ伏して、「なんでだよ」とつぶやきながらテーブルを叩いていた。
4月のある日の夜、また大きな地震が起こった。また津波が来るのではないかと家族全員で車に乗り、指定避難所に急いだ。幸い、なにもなかったが、その日の夜は怖くて車から降りられず、朝まで起きていた。
通っていた中学校から一度学生も職員も集まるよう連絡が来た。当日は市の文化会館に集合し、そこからバスで市内の小学校に移動した。久しぶりに同級生と再会して、今どこに住んでいるのか家族は無事だったのかたくさん喋った。そしてみんなが集まった前で先生が、犠牲になった同級生の名前を読み上げた。Aちゃんの名前も呼ばれた。先生の声は震えていて、最後は泣きながら私たちに向かって話していた。7人の友達が死んでしまった。学校全体では、14人の生徒が犠牲になった。
私はすごく後悔していることがある。遺体安置所に行かなかったことだ。市内のボーリング場が安置所になっていて、そこにAちゃんがいることもわかっていたが、怖気づいていけなかった。私とAちゃんともう一人とで三人で仲良くしていて、そのもうひとりの子は会いに行っていた。顔中があざだらけでむくんでいた、と言っていた。お化粧をしてあげたよと聞いた。私も会いに行けば良かった。
学校は市内の小学校の旧校舎を間借りして再開した。歩いて行ける距離ではなく、駅から毎日臨時のスクールバスが出ていたので、私はそこから毎日学校に通った。文房具や教材は支援物資が届いて、しばらくは制服もなかったので私服登校だった。何週間も字を書いてなかったので、文字が下手くそになっていた。遠くに避難して、転校してしまった子もいたけど毎日家族以外の人とも会えるのは嬉しかった。でも、間借りしていることは肩身が狭かった。間借り先の小学校の子とは話した記憶がない。支援物資や有名人がきた時は「ずるい」、「 そっちばっかり」と言われるようなこともあった。自分は生徒会役員だったため、お礼状や物資管理を手伝っていたけど、千羽鶴や「頑張って!」、「絆」などのメッセージを見るたびに複雑な気持ちになった。無理やり前向きになれと言われているようだった。
学校も落ち着いた頃、同級生の一人のお葬式に参加した。小学校の頃から係活動で仲良くなった子だった。その子はお母さんも亡くなって、その子のお父さんから良かったらきてほしいと連絡があった。とても天気のいい暑い日で、田舎の方の緑がたくさんあるところでお葬式が行われた。久しぶりに会ったKちゃんは小さな箱になっていた。焼かれて骨になって骨壷に入ったKちゃんは、軽くて白かった。お墓にお箸で骨を一つ入れさせてもらった。「ああ、Kちゃんはもういないんだ」と、「こんなに小さくなってるなんて」と、脱力した。
私は夢を見るようになっていた。夢の中で津波から逃げたり、友達と会ったりしていた。その中でも強烈だったのが二つ
ある。一つは、どこかのホテルに友達と泊まりに来ていて、ホテルのベッドで飛び跳ねて遊んでいた。途中までは私も遊んでいたけど、何か変だと感じて、だんだん飛び跳ねている音がうるさくなってきて、「ねえもうやめようよ」と声をかけた。するとその音は「ゴーーーー」という地鳴りの音に変わって、私は耳を塞いでしゃがみこみ、叫んだところで目が覚めた。自分の叫び声で起きた。
もう一つは、なぜか私は小学生で、小学校の帰り道をAちゃんと何人かの友達と歩いていた。夢の中では納得していたけど、不思議なことにみんなでAちゃんのお葬式に行こうとしていた。道の途中で、2本に分かれているけど少し行くとまた繋がる道があり、そこで私はAちゃんをびっくりさせようと「また後でね!」と違う方の道を走って待ち伏せしていた。でも、だんだん不安になって、泣きながらAちゃんを探した。立ち止まっているAちゃんを見��けて、「 行かないで!」と抱きついた、Aちゃんは静かに「なんで私のお葬式があるの?」と、聞いてきた。
そこで目が覚めた。しばらく体は動かず、寝ながら泣いていたようで、頬が涙でカピカピになっていた。
冬になって、12月11日の早朝、お母さんとお姉ちゃんの声で起きた。どうしたのかとリビングに行くと、2人が���お父さん!」と声をかけて、体を揺すっていた。後から聞いた話によると、朝、お姉ちゃんがバイトの支度をしているときに、お父さんから寝息が聞こえず、お母さんに「変じゃない?」と言って、2 人で起こそうとしたようだった。私も声をかけたが起きず、お母さんは「かなこ!( お姉ちゃんの名前) 救急車!」と叫んで、心臓マッサージを始めた。バキバキと骨の折れる音が聞こえた。お父さんの胸はベコベコにされていたが、起きない。私も交代でマッサージをして、救急車を待った。救急車が到着して運ばれる直前、そっとお父さんの足を触った、氷のように冷たくて硬かった。救急車を後ろからお母さんの車で追いかけ、病院についた。ドラマで見たような部屋に運ばれ、看護師に心臓マッサージをされていた。心電図はまっすぐで、「ピー」という音がなっていた。何分間かどれくらい経ったか、マッサージが止まり、瞳孔を見られていた。「すいません」と看護師の方が言い、「ご臨終です」と、初めて聞く言葉を耳にした。病室には「ピー」という音とが響いていた。
みんな無言で家に戻り、お母さんがリビングに座ったところで、「どうして!」と泣き叫んだ。お母さんがそんなに泣いているところを初めて見た。お父さんのことはまだショックでよくわかっていなかったけど、その姿がどうしようもなく悲しくて、お姉ちゃんと抱き合って泣いた。
中学校には、お母さんが色々な手続きで忙しそうだったので、自分で電話をした。担任の先生に繋がり、ほぼ文章になっていなかったけど泣きながら事情を説明した。先生はゆっくり聞いてくれて、学校のことは心配しなくていいよと言ってくれた。
お葬式までの間、斎場でお父さんと過ごした、ドライアイスで冷やされて、冷たかったけど、箱の中にはずっといて、怖くもなかったし、もしかしたら起きるんじゃないかなんて思ったりもした。まあ、当たり前にそんなことはなく、火葬の日がきた。
お父さんが焼かれる場所へ、親族一同で向かった。炉の中へ入れられるとき、もう体さえもなくなってしまうんだと、お父さんに会えなくなるんだと理解した私は一気に悲しくなり、「お父さん」とつぶやいた。涙が止まらなくなり、「行かないでよ」とつぶやいた。お母さんが私の背中をさすった。兄が私の頭に手を添えた。
お父さんは焼かれた。ちゃんとお骨を拾い、壺の中にお父さんは収まった。
お父さんは公民館職員で、そして糖尿病を患っていた。震災の日、公民館は建物が低いので、違う避難場所に誘導している途中で津波が来た。目の前で他の職員が流されるのを見たそうだ。公民館にいた人はギリギリ二階に登り助かったものの、船が建物にぶつかって半壊し、もう少しでみんな死んでしまうところだった。でも、避難途中で犠牲になった人の遺族からすれば、いたら助かったじゃないか! とひどく責められていたらしい。
避難場所でも、公務員はずるい優遇されていると同じ被災者なのに責められ、ストレスで体がおかしくなっていた。持病の糖尿病が悪化し、20キロ体重が増えていた。お母さんから後から聞いた話によると、毎晩のように公民館のグラウンドいっぱいに遺体が��び、こっちに来いと呼ばれる夢を見ていたそうだ。死因は無呼吸からの心肺停止だった。
お父さんは震災に殺された。
お父さんの死と、自分の受験のシーズンが重なり、私は少しおかしくなっていた。受験している場合なのかと悩んで、身が入らなくなっていた。トイレで隠れて手首を切るようなこともあった。今思えば、なにも考えたくなかったからそういうことをしてしまったのかもしれない。様子がおかしいと思われたのか、スクールカウンセラーの先生に、週1回、カウンセリングを受けることになった。行きたくなくてサボった日もあるけど、先生は怒らなかった。優しくいろんな話をしてくれた。友達にも支えられて、なんとかいつも通りに過ごせるようになった。
高校受験もおわり、合格発表の日、私は1人で受験した高校に結果を見に来ていた。無事番号を見つけてお母さんに連絡すると、すぐにメールで返事が帰ってきた。メールが2通届いて、確認してみると、もう1通はお父さんの携帯からだった。「合格おめでとう!」と、本当にお父さんからきたかと思って嬉しかった。すぐにお母さんがお父さんの携帯で送ってくれたのだろうと気づいたけどとっても嬉しかった。
高校では美術科に在籍していたため、常にコンペに向けて制作をしていた。一度だけ、Aちゃんを描いたことがあったけど、周りには誰ということはなにも言わずにただ描いた。それっきり震災関連で制作をすることはなかった。
高校生活の中で辛かった授業がある。保健体育の授業だ。心肺蘇生の心臓マッサージを学ぶ授業の時は、お父さんの感触を思い出して辛かった。避難について学ぶ授業では、ふざけた男子生徒が、避難のシミュレーションを発表するときに「津波だー!」とヘラヘラしながら津波のモノマネをしていて腹がたった。そういう授業があった日は、その日1日は震災のことなどで頭がいっぱいになり、帰ってからいつもお母さんやお姉ちゃんに慰めてもらった。
そして何度か震災復興のためのアートプロジェクトに参加した。被災者として何かしなければと義務感に駆られて、割と積極的に参加した。でも、いつも心の隅には、こんなことをしてなにになるのだと皮肉な自分もいた。震災の時のことを公演してくれ、文章にしてくれ、という依頼は全て断った。語ったりはしたくなかった。
高校の卒業制作展で、ゲストを迎えたパネルディスカッションを行った。ゲストは有名な大学の先生で、私は卒展の実行委員長としてトークをした。その中で、「地域復興」の話題を担当し、いろいろなことを話したけど、「私もゆくゆくは自分の地域をなにかしら盛り上げたい」と口にした後は「本当にそう思っているのか?」と、苦しい気持ちになった。立派なことを言わなければ、というプレッシャーがあった。
いつも3月11日は家で家族と過ごすようにしていたけど、2015年のその日は、震災以来初めて閖上にいた。
京都に引っ越す前にみんなに挨拶がしたいと思ったからだ。お花を持って友達と待ち合わせをして、久しぶりに来た日和山は、前はみんなで鬼ごっこをして遊んだ場所だったけど、今は慰霊の場所になっていて、上から街を見渡すと、何にもなかった。まっさらでたまに草が伸びている、そんな景色だった。
中学校に移動して、2時46分を待った。鳩の形の風船が配られて、メッセージを書いた。「行って来ます。」と。そして2時46分、みんなで風船を飛ばした。
でもその瞬間はひどいものだった。多くの人がスマホを構えて、風船を飛ばす瞬間を撮っていた。カメラの音がたくさん聞こえて悲しくなった。なんのためにやっていることなのか、気持ち悪かった。一緒に来ていた友達も怒っていた。イベントじゃないんだ、と叫びたかった。
京造に進学してからは、震災の話題に触れることは少なくなった。し、自分でも避けるようになった。
宮城出身です、というと大体「震災大変だったでしょ?」と言われた。「そうですね」と正直に言うと、気まずそうな申し訳なさそうな対応をされた。それが嫌で、出身は言いづらくなって、「震災大変だったでしょ?」と言われても、「大丈夫でしたよ」と言うようにした。一回生の授業である先生が、どんな内容で言ったのかは忘れてしまったけど、「津波はあっけなく人を殺すからね〜。」と、さらっと言ったことがあった。私はショックで涙がとまらなくなった。俯いて、寝てるふりをした。周りの子にはバレていたかもしれない。その日はずっと気分が上がらず、帰ってからお母さんに電話をした。当時一緒に住んでいたルームメイトに抱きしめてもらった。
二回生の時は、授業中に阪神淡路大震災の映像が流されて、震災の時の記憶がフラッシュバックしたこともあった。イヤホンをつけて目をつぶってやり過ごして、大階段を登ってすぐ横の芝生のベンチで家族に片っ端から電話をかけた。午前中でなかなか繋がらず、体育すわりをしながらずっと待っていた。お姉ちゃんとつながって、落ち着かせてもらって、その日は授業があったけど、一度家に帰った。夜は眠れなかった。
7年経った今でも、津波の映像や写真は見ることができない。彷彿とさせるようなものも苦手だ。3月はいつものように睡眠を取ることもできなくなる。11 日は家族と実家で過ごすようにしている。閖上の方向を向いて必ず黙祷をして、黙祷している時は、悲しい、悔しい、いろんな感情が混ざったように涙が出る。
私はずっと震災に潰されている。それが、とても嫌だ。
——
でも、このままでいるのはもっと嫌だ!
だから私は向き合うことにした。
制作をはじめると同時にひまわりの種を植えた。ひまわりは、お父さんの1番好きな花だったから。
だけど、ひまわりは咲かずに途中で枯れてしまった。
私にはもう少し、時間が必要なようだ。
もうすぐ、8年目の3月11日がくる。
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(さぶじろ)
灼熱の太陽に熱されたコンクリートを夕立が打ち付けた。
「二郎、これ以上は。」
言いかけたぼくの生傷が目立つ手の甲に当たった雨粒は生ぬるくて、まるで知らない誰かの体温に触れた時みたいな不快感で現実に引き戻した。
誰かを殴った拳は痛いのだと、何かの漫画で主人公が語ったセリフが頭をよぎった。だからかわからないけど、ぼくは二郎の握られた手に指を伸ばしていた。触れることはできなかったけど。
ざあっと音を立てて降り注ぐ雨に立ち尽くした両足は、二郎に引かれてコンクリートを蹴る。
目の前で倒れた体を振り返ったら二郎がさらに強く手を引いた。
古びたタバコ屋の前の屋根の下で止まったぼくらは、黙ったまま空を見上げた。二郎がぼくの手を離した瞬間、2人の指先の間を通り抜けた風がやけに冷たく感じて振り払うみたくポケットに押し込む。
制服の中に入り込んでくる雨水の気持ち悪さと、まとわりつく濡れた���髪、ひりひりと痛む手の甲。
引きずる後味の悪さに、負けたのはこちら側な気さえしてきて這い上がってくる惨めさにじゃり、っと地面を蹴った。
「二郎、これ以上は。」
やめてくれ!
それ以上を言わなかったのは、相手を殴った二郎の手がわずかに震えていたから。
いいがかりをつけられるなんてしょっちゅうだ。ぼくらは負け犬なんだ。たくさんの誰かの願いを背負っていたのだ。それを知ったのはバトルの舞台を降りてからだった。
じめっとした路地裏にぼくを追い込んで見つめてきた目の奥は悲痛さがたしかにあった。ぼくはあの目を知っている。施設にいたころ、行き先を告げずに出ていくいち兄を見つめていた、二郎の目だ。
縋るような、願うような、叫び出してつかみかかりたくなるような、一途で行き場のない感情がダダ漏れの悲しい目。
ぼくが護身術を身につけていて鼻血なんか出していなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。
雨に薄められた鼻血が口の周りで不快にまとわりついて、行儀悪くシャツの袖で拭ったらべたりと汚れが広がった。
安全なポケットから指をだして、さっき触れなかった二郎の右手に手を伸ばす。ぎゅっと握られた指を1本ずつほどいても二郎は何も言わなかった。くい込んだつま先の痕が手のひらに痕を残している。
「なんで、あそこがわかったんだよ。」
「オレの勘。」
「番犬はよく鼻が効くんだな。」
なあ二郎。お前も痛かったんだろ。殴った手。
「顔見せてみろ。」
ぐい、と顎を捕まれ宝石のわずかな傷でも見逃さない鑑定士のような鋭い目が顔中をぐるりと舐める。
「大したことねぇな。帰ったら手当してやる。」
「自分でできる。」
「かわいくねぇな。」
顎を掴む二郎の手を、触るなと天邪鬼な声色で振り払った。離れていく指先はもう震えていない。
「なんで二郎、傘持ってないんだよ。」
「お前こそ、いつも持ってる折りたたみはどうしたんだよ。」
「干したまま、ベランダに忘れた。」
はあ、とわかりやすくため息をついてまた大泣きする空を見上げる。
誰かを殴った拳は痛いのだ。きっとぼくを殴ったあの人も痛かったんだ。殴られたぼくの顔より痛かっただろうか。
行き場のない感情を握った拳。拳の中の暗闇の中に、潰えた願いが見えた気がしたんだ。
振りかぶられた手を見上げて、ああ、ぼくは殴られるべきなんだって体が固まったあの瞬間、テリトリーバトルのステージで浴びた歓声と罵声と人を傷つける目的のラップが聞こえたんだ。
「なあ三郎、お前は家族だ。おれが守る。だけどお前も自分を守れ。」
こんなときに兄貴ヅラかよ。言葉にする前にじわっと胸に広がった優しさが顔に出そうで慌てて俯く。
ねえ、愛とやらはこんな時、卑怯にぼくを苦しめるよ。嬉しいなんて思ってしまって、ぼくは人でなしかもしれない。
もう鼻血は止まったのに鼻の奥がずきりと痛んだ。
「ばかは考えるより先に手が出るからな。」
「なんだとてめえ、助けてやったのに!」
「でもお前がいてくれて、よかったよ。」
途端に、ふんと鼻を鳴らして「そうだろ、そうだろ。」と上機嫌になる単純さ。
握られた拳の中、ぼくへの気持ちが入っていたことを理解している。
きっと、二郎もそうして守られていたんだ。ありがとう二郎。言わないけど。
「雨、やまなそうだから走って帰るか。」
「お前、怪我してんのに大丈夫なのかよ。」
「まあ大した距離ないし大丈夫だろ。」
二郎の返事を待たずに大雨の中に飛び出す。おい! の声に耳を貸さずに走り続ければ、腕にひっかけていたスクールバッグがひょいと奪われる。さり気ない二郎の優しさは幼い頃からずっとぼくのそばにあった。
「帰ったらぼくが最初にシャワー浴びるからな。」
「はいはい。」
ぬるい雨が顔を滑り、服を叩き、全身を舐めては体から離れていく。鼻血も、痛みの奥に残った言い表せない願いも、まだ洗い流されてほしくないなと思った。
いち兄が待ってる。顔や手の怪我を見てなんて言われるんだろうな。きっと二郎がまた兄貴ヅラするんだろうか。考えたら口元が緩んできたから、ぼくはスピードを上げて家に向かった。
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あなたにだけは忘れてほしくなかった
アメリカ合衆国、ニューヨーク州、マンハッタン、ニューヨーク市警本部庁舎。 上級職員用のオフィスで資料を眺めていた安藤文彦警視正は顔をしかめた。彼は中年の日系アメリカ人である。頑なに日本名を固持しているのは血族主義の強かった祖父の影響だ。厳格な祖父は孫に米国風の名乗りを許さなかったためである。祖父の信念によって子供時代の文彦はいくばくかの苦労を強いられた。 通常、彼は『ジャック』と呼ばれているが、その由来を知る者は少ない。自らも話したがらなかった。 文彦は暴力を伴う場合の少ない知的犯罪、いわゆるホワイトカラー犯罪を除く、重大犯罪を扱う部署を横断的に統括している。最近、彼を悩ませているのは、ある種の雑音であった。 現在は文彦が犯罪現場へ出る機会はないに等しい。彼の主たる業務は外部機関を含む各部署の調整および、統計分析を基として行う未解決事件への再検証の試みであった。文彦の懸念は発見場所も年代も異なる数件の行方不明者の奇妙な類似である。類似といっても文彦の勘働きに過ぎず、共通項目を特定できているわけではなかった。ただ彼は何か得体の知れない事柄が進行している気配のようなものを感じ取っていたのである。 そして、彼にはもうひとつ、プライベートな懸念事項があった。十六才になる姪の安藤ヒナタだ。
その日は朝から快晴、空気は乾いていた。夏も最中の日差しは肌を刺すようだが、日陰に入ると寒いほどである。自宅のダイニングルームでアイスティーを口にしながら安藤ヒナタは決心した。今日という日にすべてをやり遂げ、この世界から逃げ出す。素晴らしい考えだと思い、ヒナタは微笑んだ。 高校という場所は格差社会の縮図であり、マッチョイズムの巣窟でもある。ヒナタは入学早々、この猿山から滑り落ちた。見えない壁が張り巡らされる。彼女はクラスメイトの集う教室の中で完全に孤立した。 原因は何だっただろうか。ヒナタのスクールバッグやスニーカーは他の生徒よりも目立っていたかもしれない。アジア系の容姿は、彼らの目に異質と映ったのかも知れなかった。 夏休みの前日、ヒナタは階段の中途から突き飛ばされる。肩と背中を押��れ、気が付いた時には一階の踊り場に強か膝を打ちつけていた。 「大丈夫?」 声だけかけて去っていく背中を呆然と見送る。ヒナタは教室に戻り、そのまま帰宅した。 擦過傷と打撲の痕跡が残る膝と掌は、まだ痛む。だが、傷口は赤黒く乾燥して皮膚は修復を開始していた。もともと大した傷ではない。昨夜、伯父夫婦と夕食をともにした際もヒナタは伯母の得意料理であるポークチョップを食べ、三人で和やかに過ごした。 高校でのいざこざを話して何になるだろう。ヒナタは飲み終えたグラスを食洗器に放り込み、自室へ引っ込んだ。
ヒナタの母親はシングルマザーである。出産の苦難に耐え切れず、息を引き取った。子供に恵まれなかった伯父と伯母はヒナタを養子に迎え、経済的な負担をものともせず、彼女を大学に行かせるつもりでいる。それを思うと申し訳ない限りだが、これから続くであろう高校の三年間はヒナタにとって永遠に等しかった。 クローゼットから衣服を抜き出して並べる。死装束だ。慎重に選ぶ必要がある。等身大の鏡の前で次々と試着した。ワンピースの裾に払われ、細々としたものがサイドボードから床に散らばる。悪態を吐きながら拾い集めていたヒナタの手が止まった。横倒しになった木製の箱を掌で包む。母親の僅かな遺品の中からヒナタが選んだオルゴールだった。 最初から壊れていたから、金属の筒の突起が奏でていた曲は見当もつかない。ヒナタはオルゴールの底を外した。数枚の便箋と写真が納まっている。写真には白のワイシャツにスラックス姿の青年と紺色のワンピースを着た母親が映っていた。便箋の筆跡は美しい。『ブライアン・オブライエン』の署名と日付、母親の妊娠の原因が自分にあるのではないかという懸念と母親と子供に対する執着の意思が明確に示されていた。手紙にある日付と母親がヒナタを妊娠していた時期は一致している。 なぜ母は父を斥けたのだろうか。それとも、この男は父ではないのか。ヒナタは苛立ち、写真の青年を睨んだ。 中学へ進み、スマートフォンを与えられたヒナタは男の氏名を検索する。同姓同名の並ぶ中、フェイスブックに該当する人物を見つけた。彼は現在、大学の教職に就いており、専門分野は精神病理学とある。多数の論文、著作を世に送り出していた。 ヒナタは図書館の書棚から彼の書籍を片っ端から抜き出す。だが、学術書を読むには基礎教養が必要だ。思想、哲学、近代史、統計を理解するための数学を公共の知の宮殿が彼女に提供する。 ヒナタは支度を終え、バスルームの洗面台にある戸棚を開いた。医薬品のプラスチックケースが乱立している。その中から伯母の抗うつ剤の蓋を掴み、容器を傾けて錠剤を掌に滑り出させた。口へ放り込み、ペットボトルの水を飲み込む。栄養補助剤を抗うつ剤の容器に補充してから戸棚へ戻した。 今日一日、いや数時間でもいい。ヒナタは最高の自分でいたかった。
ロングアイランドの住宅地にブライアン・オブライエンの邸宅は存在していた。富裕層の住居が集中している地域の常であるが、ヒナタは脇を殊更ゆっくりと走行している警察車両をやり過ごす。監視カメラの装備された鉄柵の門の前に佇んだ。 呼び鈴を押そうかと迷っていたヒナタの耳に唸り声が響く。見れば、門を挟んで体長一メータ弱のドーベルマンと対峙していた。今にも飛び掛かってきそうな勢いである。ヒナタは思わず背後へ退いた。 「ケンダル!」 奥から出てきた男の声を聞いた途端、犬は唸るのを止める。スーツを着た男の顔はブライアン・オブライエン、その人だった。 「サインしてください!」 鞄から取り出した彼の著作を抱え、ヒナタは精一杯の声を張り上げる。 「いいけど。これ、父さんの本だよね?」 男は門を開錠し、ヒナタを邸内に招き入れた。
男はキーラン・オブライエン、ブライアンの息子だと名乗った。彼の容姿は写真の青年と似通っている。従って現在、五十がらみのブライアンであるはずがなかった。ヒナタは自らの不明を恥じる。 「すみません」 スペイン人の使用人が運んできた陶磁器のコーヒーカップを持ち上げながらヒナタはキーランに詫びた。 「これを飲んだら帰るから」 広大な居間に知らない男と二人きりで座している事実に気が滅入る。その上、父親のブライアンは留守だと言うのであるから、もうこの家に用はなかった。 「どうして?」 「だって、出かけるところだよね?」 ヒナタはキーランのスーツを訝し気に見やる。 「別にかまわない。どうせ時間通りに来たことなんかないんだ」 キーランは初対面のヒナタを無遠慮に眺めていた。苛立ち始めたヒナタもキーランを見据える。 ヒナタはおよそコンプレックスとは無縁のキーランの容姿と態度から彼のパーソナリティを分析した。まず、彼は他者に対してまったく物怖じしない。これほど自分に自信があれば、他者に無関心であるのが普通だ。にも拘らず、ヒナタに関心を寄せているのは、何故か。 ヒナタは醜い女ではないが、これと取り上げるような魅力を持っているわけでもなかった。では、彼は何を見ているのか。若くて容姿に恵まれた人間が夢中になるもの、それは自分自身だ。おそらくキーランは他者の称賛の念を反射として受け取り、自己を満足させているに違いない。 「私を見ても無駄。本質なんかないから」 瞬きしてキーランは首を傾げた。 「俺に実存主義の講義を?」 「思想はニーチェから入ってるけど、そうじゃなくて事実を言ってる。あなたみたいに自己愛の強いタイプにとって他者は鏡でしかない。覗き込んでも自分が見えるだけ。光の反射があるだけ」 キーランは吹き出す。 「自己愛? そうか。父さんのファンなのを忘れてたよ。俺を精神分析してるのか」 笑いの納まらないキーランの足元へドーベルマンが寄ってくる。 「ケンダル。彼女を覚えるんだ。もう吠えたり、唸ったりすることは許さない」 キーランの指示に従い、ケンダルはヒナタのほうへ近づいてきた。断耳されたドーベルマンの風貌は鋭い。ヒナタは大型犬を間近にして体が強張ってしまった。 「大丈夫。掌の匂いを嗅がせて。きみが苛立つとケンダルも緊張する」 深呼吸してヒナタはケンダルに手を差し出す。ケンダルは礼儀正しくヒナタの掌を嗅いでいた。落ち着いてみれば、大きいだけで犬は犬である。 ヒナタはケンダルの耳の後ろから背中をゆっくりと撫でた。やはりケンダルはおとなしくしている。門前で威嚇していた犬とは思えないほど従順だ。 「これは?」 いつの間にか傍に立っていたキーランがヒナタの手を取る。擦過傷と打撲で変色した掌を見ていた。 「別に」 「こっちは? 誰にやられた?」 キーランは、手を引っ込めたヒナタのワンピースの裾を摘まんで持ち上げる。まるでテーブルクロスでもめくる仕草だ。ヒナタの膝を彩っている緑色の痣と赤黒く凝固した血液の層が露わになる。ヒナタは青褪めた。他人の家の居間に男と二人きりでいるという恐怖に舌が凍りつく。 「もしきみが『仕返ししろ』と命じてくれたら俺は、どんな人間でも這いつくばらせる。生まれてきたことを後悔させる」 キーランの顔に浮かんでいたのは怒りだった。琥珀色の瞳の縁が金色に輝いている。落日の太陽のようだ。息を吸い込む余裕を得たヒナタは掠れた声で言葉を返す。 「『悪事を行われた者は悪事で復讐する』わけ?」 「オーデン? 詩を読むの?」 依然として表情は硬かったが、キーランの顔から怒りは消えていた。 「うん。伯父さんが誕生日にくれた」 キーランはヒナタのすぐ隣に腰を下ろす。しかし、ヒナタは咎めなかった。 「復讐っていけないことだよ。伯父さんは普通の人がそんなことをしなくていいように法律や警察があるんだって言ってた」 W・H・オーデンの『一九三九年九月一日』はナチスドイツによるポーランド侵攻を告発した詩である。他国の争乱と無関心を決め込む周囲の人々に対する憤りをうたったものであり、彼の詩は言葉によるゲルニカだ。 「だが、オーデンは、こうも言ってる。『我々は愛し合うか死ぬかだ』」 呼び出し音が響き、キーランは懐からスマートフォンを取り出す。 「違う。まだ家だけど」 電話の相手に生返事していた。 「それより、余分に席を取れない? 紹介したい人がいるから」 ヒナタはキーランを窺う。 「うん、お願い」 通話を切ったキーランはヒナタに笑いかけた。 「出よう。父さんが待ってる」 戸惑っているヒナタの肩を抱いて立たせる。振り払おうとした時には既にキーランの手は離れていた。
キーラン・オブライエンには様々な特質がある。体格に恵まれた容姿、優れた知性、外科医としての将来を嘱望されていること等々、枚挙に暇がなかった。だが、それらは些末に過ぎない。キーランを形作っている最も重要な性質は彼の殺人衝動だ。 この傾向は幼い頃からキーランの行動に顕著に表れている。小動物の殺害と解剖に始まり、次第に大型動物の狩猟に手を染めるが、それでは彼の���求は収まらなかった。 対象が人間でなければならなかったからだ。 キーランの傾向にいち早く気付いていたブライアン・オブライエンは彼を教唆した。具体的には犯行対象を『悪』に限定したのである。ブライアンは『善を為せ』とキーランに囁いた。彼の衝動を沈め、社会から悪を排除する。福祉の一環であると説いたのだ。これに従い、彼は日々、使命を果たしてる。人体の生体解剖によって嗜好を満たし、善を為していた。 「どこに行くの?」 ヒナタの質問には答えず、キーランはタクシーの運転手にホテルの名前を告げる。 「行けないよ!」 「どうして?」 ヒナタはお気に入りではあるが、量販店のワンピースを指差した。 「よく似合ってる。綺麗だよ」 高価なスーツにネクタイ、カフスまでつけた優男に言われたくない。話しても無駄だと悟り、ヒナタはキーランを睨むに留めた。考えてみれば、ブライアン・オブライエンへの面会こそ重要課題である。一流ホテルの従業員の悪癖であるところの客を値踏みする流儀について今は不問に付そうと決めた。 「本当にお父さんに似てるよね?」 「俺? でも、血は繋がってない。養子だよ」 キーランの答えにヒナタは目を丸くする。 「嘘だ。そっくりじゃない」 「DNAは違う」 「そんなのネットになかったけど」 ヒナタはスマートフォンを鞄から取り出した。 「公表はしてない」 「じゃあ、なんで話したの?」 「きみと仲良くなりたいから」 開いた口が塞がらない。 「冗談?」 「信じないのか。参ったな。それなら、向こうで父さんに確かめればいい」 キーランはシートに背中を預け、目を閉じた。 「少し眠る。着いたら教えて」 本当に寝息を立てている。ヒナタはスマートフォンに目を落とした。
ヒナタは肩に触れられて目を覚ました。 「着いたよ」 ヒナタの背中に手を当てキーランは彼女を車から連れ出した。フロントを抜け、エレベーターへ乗り込む。レストランに入っても警備が追いかけてこないところを見ると売春婦だとは思われていないようだ。ヒナタは脳内のホテル番付に星をつける。 「女性とは思わなかった。これは、うれしい驚きだ」 テラスを占有していたブライアン・オブライエンは立ち上がってヒナタを迎えた。写真では茶色だった髪は退色し、白髪混じりである。オールバックに整えているだけで染色はしていなかった。三つ揃いのスーツにネクタイ、機械式の腕時計には一財産が注ぎ込まれているだろう。デスクワークが主体にしては硬そうな指に結婚指輪が光っていたが、彼の持ち物とは思えないほど粗雑な造りだ。アッパークラスの体現のような男が配偶者となる相手に贈る品として相応しくない。 「はじめまして」 自分の声に安堵しながらヒナタは席に着いた。 「彼女は父さんのファンなんだ」 ヒナタは慌てて鞄から本を取り出す。 「サインしてください」 本を受け取ったブライアンは微笑んだ。 「喜んで。では、お名前を伺えるかな?」 「安藤ヒナタです」 老眼鏡を懐から抜いたブライアンはヒナタに顔を向ける。 「スペルは?」 答える間もブライアンはヒナタに目を据えたままだ。灰青色の瞳は、それが当然だとでも言うように遠慮がない。血の繋がりがどうであれ、ブライアンとキーランはそっくりだとヒナタは思った。 ようやく本に目を落とし、ブライアンは結婚指輪の嵌った左手で万年筆を滑らせる。 「これでいいかな?」 続いてブライアンは『ヒナタ』と口にした。ヒナタは父親の声が自分の名前を呼んだのだと思う。その事実に打ちのめされた。涙があふれ出し、どうすることもできない。声を上げて泣き出した。だが、それだけではヒナタの気は済まない。二人の前に日頃の鬱憤を洗いざらい吐き出していた。 「かわいそうに。こんなに若い女性が涙を流すほど人生は過酷なのか」 ブライアンは嘆く。驚いたウェイターが近付いてくるのをキーランが手を振って追い払った。ブライアンは席を立ち、ヒナタの背中をさする。イニシャルの縫い取られたリネンのハンカチを差し出した。 「トイレ」 宣言してヒナタはテラスを出ていく。 「おそらくだが、向精神薬の副作用だな」 父親の言葉にキーランは頷いた。 「彼女。大丈夫?」 「服用量による。まあ、あれだけ泣いてトイレだ。ほとんどが体外に排出されているだろう」 「でも、攻撃的で独善的なのは薬のせいじゃない」 ブライアンはテーブルに落ちていたヒナタの髪を払い除ける。 「もちろんだ。彼女の気質だよ。しかし、同じ学校の生徒が気の毒になる。家畜の群れに肉食獣が紛れ込んでみろ。彼らが騒ぐのは当然だ」 呆れた仕草でブライアンは頭を振った。 「ルアンとファンバーを呼びなさい。牧羊犬が必要だ。家畜を黙らせる。だが、友情は必要ない。ヒナタの孤立は、このままでいい。彼女と親しくなりたい」 「わかった。俺は?」 「おまえの出番は、まだだ。キーラン」 キーランは暮れ始めている空に目をやる。 「ここ。誰の紹介?」 「アルバート・ソッチ。デザートが絶品だと言ってた。最近、パテシエが変わったらしい」 「警察委員の? 食事は?」 ブライアンも時計のクリスタルガラスを覗いた。 「何も言ってなかったな」 戻ってきたヒナタの姿を見つけたキーランはウェイターに向かい指示を出す。 「じゃあ、試す必要はないね。デザートだけでいい」 ブライアンは頷いた。
「ハンカチは洗って返すから」 ヒナタとキーランは庁舎の並ぶ官庁街を歩いていた。 「捨てれば? 父さんは気にしない」 面喰ったヒナタはキーランを窺う。ヒナタは自分の失態について思うところがないわけではなかった。ブライアンとキーランに愛想をつかされても文句は言えない。二人の前で吐瀉したも同じだからだ。言い訳は���きない。だが、ヒナタは、まだ目的を果たしていないのだ。 ブライアン・オブライエンの実子だと確認できない状態では自死できない。 「それより、これ」 キーランはヒナタの手を取り、掌に鍵を載せた。 「何?」 「家の鍵。父さんも俺もきみのことを家族だと思ってる。いつでも遊びに来ていいよ」 瞬きしているヒナタにキーランは言葉を続ける。 「休暇の間は俺がいるから。もし俺も父さんもいなかったとしてもケンダルが 相手をしてくれる」 「本当? 散歩させてもいい? でも、ケンダルは素気なかったな。私のこと好きじゃないかも」 「俺がいたから遠慮してたんだ。二人きりの時は、もっと親密だ」 ヒナタは吹き出した。 「犬なのに二人?」 「ケンダルも家族だ。俺にとっては」 相変わらずキーランはヒナタを見ている。ヒナタは眉を吊り上げた。 「言ったよね? 何もないって」 「違う。俺はきみを見てる。ヒナタ」 街灯の光がキーランの瞳に映っている。 「だったら、私の味方をしてくれる? さっき家族って言ってたよね?」 「言った」 「でも、あなたはブライアンに逆らえるの? 兄さん」 キーランは驚いた顔に��った。 「きみは、まるでガラガラヘビだ」 さきほどの鍵をヒナタはキーランの目の前で振る。 「私が持ってていいの? エデンの園に忍び込もうとしている蛇かもしれない」 「かまわない。だけど、あそこに知恵の実があるかな? もしあるとしたら、きみと食べたい」 「蛇とイブ。一人二役だね」 ヒナタは入り口がゲートになったアパートを指差した。 「ここが私の家。さよならのキスをすべきかな?」 「ヒナタのしたいことを」 二人は互いの体に手を回す。キスを交わした。
官庁街の市警本部庁舎では安藤文彦が部下から報告を受けていた。 「ブライアン・オブライエン?」 クリスティナ・ヨンぺルト・黒田は文彦が警部補として現場指揮を行っていた時分からの部下である。移民だったスペイン人の父親と日系アメリカ人の母親という出自を持っていた。 「警察委員のアルバート・ソッチの推薦だから本部長も乗り気みたい」 文彦はクリスティナの持ってきた資料に目をやる。 「警察委員の肝入りなら従う他ないな」 ブライアン・オブライエン教授の専門は精神病理学であるが、応用心理学、主に犯罪心理学に造詣が深く、いくつかの論文は文彦も読んだ覚えがあった。 「どうせ書類にサインさせるだけだし誰でもかまわない?」 「そういう認識は表に出すな。象牙の塔の住人だ。無暗に彼のプライドを刺激しないでくれ」 クリスティナは肩をすくめる。 「新任されたばかりで本部長は大張り切り。大丈夫。失礼なのは私だけ。他の部下はアッパークラスのハウスワイフよりも上品だから。どんな男でも、その気にさせる」 「クリスティナ」 軽口を咎めた文彦にクリスティナは吹き出した。 「その筆頭があなた、警視正ですよ、ジャック。マナースクールを出たてのお嬢さんみたい。財政の健全化をアピールするために部署の切り捨てを行うのが普通なのに新しくチームを立ち上げさせた。本部長をどうやって口説き落としたの?」 「きみは信じないだろうが、向こうから話があった。私も驚いている。本部長は現場の改革に熱意を持って取り組んでいるんだろう」 「熱意のお陰で予算が下りた。有効活用しないと」 文彦は顔を引き締めた。 「浮かれている場合じゃないぞ。これから、きみには負担をかけることになる。私は現場では、ほとんど動けない。走れないし、射撃も覚束ない」 右足の膝を文彦が叩く。あれ以来、まともに動かない足だ。 「射撃のスコアは基準をクリアしていたようだけど?」 「訓練場と現場は違う。即応できない」 あの時、夜の森の闇の中、懐中電灯の光だけが行く手を照らしていた。何かにぶつかり、懐中電灯を落とした瞬間、右手の動脈を切り裂かれる。痛みに耐え切れず、銃が手から滑り落ちた。正確で緻密なナイフの軌跡、相手はおそらく暗視ゴーグルを使用していたのだろう。流れる血を止めようと文彦は左手で手首を���迫した。馬乗りになってきた相手のナイフが腹に差し込まれる感触と、その後に襲ってきた苦痛を表す言葉を文彦は知らない。相手はナイフを刺したまま刃の方向を変え、文彦の腹を横に薙いだ。 当時、『切り裂き魔』と呼ばれていた殺人者は、わざわざ文彦を国道まで引きずる。彼の頬を叩いて正気づかせた後、スマートフォンを顔の脇に据えた。画面にメッセージがタイピングされている。 「きみは悪党ではない。間違えた」 俯せに倒れている文彦の頭を右手で押さえつけ、男はスマートフォンを懐に納める。その時、一瞬だけ男の指に光が見えたが、結婚指輪だとわかったのは、ずいぶん経ってからである。道路に文彦を放置して男は姿を消した。 どうして、あの場所は、あんなに暗かったのだろうか。 文彦は事ある毎に思い返した。彼の足に不具合が生じたのは、ひとえに己の過信の結果に他ならない。ジャックと文彦を最初に名付けた妻の気持ちを彼は無にした。世界で最も有名な殺人者の名で夫を呼ぶことで凶悪犯を追跡する文彦に自戒するよう警告したのである。 姪のヒナタに贈った詩集は自分自身への諌言でもあると文彦は思った。法の正義を掲げ、司法を体現してきた彼が復讐に手を染めることは許されない。犯罪者は正式な手続きを以って裁きの場に引きずり出されるべきだ。 「ジャック。あなたは事件を俯瞰して分析していればいい。身長六フィートの制服警官を顎で使う仕事は私がやる。ただひとつだけ言わせて。本部長にはフェンタニルの使用を黙っていたほうがいいと思う。たぶん良い顔はしない」 フェンタニルは、文彦が痛み止めに使用している薬用モルヒネである。 「お帰りなさい、ジャック」 クリスティナが背筋を正して敬礼する。文彦は答礼を返した。
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