#田中鎮
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【景點】彰化田中農旅輕旅行, 實地探訪八堡圳溝等原物料產地, 感受食農教育與DIY體驗
之前有提到的田中農旅豐富收藏禮盒 拿給家後水媽覺得味道挺好的 趁著國慶連假, 就決定到田中來看看, 看還有什麼東西能帶回去孝敬她!!XD 田中鎮的交通算是挺方便的, 不但有火車站也有高鐵可以選擇 如果搭乘大眾運輸工具來的話, 就可以考慮在車站租機車或是汽車代步比較方便 再不然就是可以參考田中農旅e起來的活動網頁, 上面有些小鎮導覽以及各類DIY行程可以參加唷! (20人以上成團) 以水哥這天的行程來說 首站來到的是寶大密麻花 寶大密麻花是在地耕耘已經超過四十年的老字號 主要是使用傳統技藝來製作古早味蜜麻花, 還曾經得過百大伴手禮的金牌獎喔! 寶大蜜麻花 來到現場, 可想而知的就是更豐富的各類產品, 讓人目不暇給 像是從來沒想過的芥末口味蜜麻花這裏也找的到唷~~ 而除了更豐富的商品之外,…
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こんばんワイン。
(懐かしい!おぼっちゃまくんか)
来週の火曜まで地元金沢に滞在しておりますので、時間潰しがてら、石川県立美術館へ行ってあまり興味がない展覧会「加賀藩前田家の名刀」を鑑賞してまいりました。
(興味がない。笑)
実家からそれ程遠くはないのですが、中に入ったのはたぶん生まれて初めてです。
(まじか)
天下五剣の名宝のうち、「大典太光世(国宝)」、「無銘義弘・名物富田江(国宝)」、「短刀 銘 吉光・前田藤四郎(重文)」の3振が一堂に展示されるのは、57年振りとのことで「刀剣乱舞」オタク連中に交じって、しっかり鑑賞させていただきました。
国宝の二振りは、足利尊氏から足利義昭と、代々室町将軍家に相伝され、その後、豊臣秀吉から前田利家に渡ったそうです。
本日は偶然にも「国際博物館の日」で、なんとこれらコレクション展は無料でございました。
国宝とはいえ刀三振りと、あとはいろんな刀の解説みたいなのだけなので、僕的には無料が妥当です。
���厳しい沙汰)
近���町市場で人が映らないように写真を撮るのは大変です。
5分くらい待って、人が滅茶苦茶少なくなったところで何とか撮影成功。
市場の二階にランチを食べに行ったのですが、魚屋さんで見たこともない巨大な「ほっけ」が売られており、お値段を見たら2800円~3400円くらいでございました。
(尋常じゃないくらい大きかった)
知らない観光客のイケオジが、高そうなガラス張りの冷蔵ケースの中に鎮座している能登牛の写真を撮りまくりなが��、僕に「な、な、なっ、見てみ!すげーなこの能登牛!」といろいろ解説入りでランゲージされました。
(いつも誰かに声かけられる人)
毎度のことなので、観光客のふりをして最後まで聞いておりました。
(結構疲れる)
兼六園横の戦国武将ショップ「武将庵天翔」には一度も入ったことがございませんのでいつかは入って武将グッズを購入したいと思います。
帰り際、京都でもおなじみ「茶和々」でいつものように何か買おうと思ったけどやめました。
最後に、ドイツ人観光客と一緒に金銀のソフトクリームの置物を撮りまくりました。
(欧米人に大人気だった)
Tschüss!(チュース)
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実家にはボロ屋にそぐわない立派なブリタニカ国際百科事典が鎮座してたけど、片田舎の小学生に必要だった文化資本とはそういう代物じゃなくてドラクエとかスト2とかを楽しめる環境だったんだよなぁ、と思い返したり。
Xユーザーの中田:‖さん
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毛利家を祀る豊榮神社と野田神社 別格官幣社巡りで参拝に上がりました 山口県神社庁のお隣、豊榮神社と野田神社ですが横並びにそれぞれほぼ同じ社殿や回廊を備えどっちがどっちな豊榮神社と野田神社です 豊榮神社と野田神社は見た目ほぼ同じですが別の宗教法人でそれぞれ旧別格官幣社で別表神社となっています しかし現在両社とも古熊神社宮司が兼務されていて数々の別表神社を巡ってきた中、兼務社の別表神社ははじめてのパターンでした 参道より奥、境内東側で橋を渡り社殿前に毛利三本の矢の男爵毛利五郎、男爵小早川四郎、男爵吉川重国奉納の石灯篭があるのが初代藩主毛利元就を祀る豊榮神社です 長門に移封となった毛利輝元が萩の氏神様の春日神社境内に元就公の霊を祀ったのが前身で、江戸時代中期宝暦12年(1762)に同じ萩に元就公を遷座し、毛利家の祖神とされる天穂日命を合祀し神性霊社として創祀しました また明和7年(1770)には仰徳社と改めています 明治に入り元就公による朝廷を崇敬する事跡があったことから、明治天皇より元就公に「豊栄」の神号を下賜され、明治4年現在地に社殿が造営されて遷座、明治15年に別格官幣社に列格しています その後明治6年に長州藩事実上最後の藩主で尊王攘夷、討幕、廃藩置県など明治維新の功労者である毛利敬親公を祀る社を有志によって諡号から忠正神社と称して豊榮神社の別殿として創建され、翌7年に野田神社に改称しました 禁門の変により朝敵ともされた毛利敬親公ですが防長の人々の願いが叶い明治19年に豊榮神社西隣の現在地に遷座し豊榮神社より独立、大正4年に別格官幣社に列しました 境内には山縣有朋をはじめ激動の幕末維新期を生き抜いた人々からの奉納であふれています 元藩士らの敬愛の念が伝わる境内でございました #野田神社 #豊榮神社 #豊栄神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 豊榮神社(とよさかじんじゃ) 鎮座地:山口県山口市天花一丁目1-1 主祭神:���正一位毛利元就公 社格:別格官幣社 別表神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 野田神社(のだじんじゃ) 鎮座地:山口県山口市天花1丁目1-2 主祭神:毛利敬親公 社格:別格官幣社 別表神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市#幕末#明治維新 (豊榮神社・野田神社) https://www.instagram.com/p/CnR7fzhPijZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#野田神社#豊榮神社#豊栄神社#神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#山口市#幕末#明治維新
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<正論>中国の空母にどう対応するか
麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
新型空母「福建」の弱点は
5月1日から8日間、中国の新型空母「福建」は初の試験航海に出た。6年以上かけて上海の造船所で建造され、2022年に進水した。その後、係留状態で艤装(ぎそう)を施し、検査、試験などが実施されてきた。今回、東シナ海という実環境下で各種システムの検証が行われたことだろう。排水量は8万トンと米海軍新型空母に比べるとやや小ぶりである。だが既に実戦配備している「山東」(6万6千トン)、「遼寧」(6万トン)の2隻をはるかに上回る。
山東、遼寧がスキージャンプ方式で戦闘機を発艦させるのに対し、福建はカタパルト方式を採用した中国初の空母となる。ただ一般的な蒸気式カタパルトではなく、電磁式を採用しているのが注目点である。現在、電磁式カタパルトを実用化しているのは、米海軍原子力空母「ジェラルド・フォード」だけである。フランスの原子力空母「シャルル・ドゴール」は蒸気式を採用しているが、独自開発できず、米国からのライセンス生産である。
空母のカタパルト運用は容易ではない。米海軍は安全に使いこなすのに約40年かかった。電磁式を初採用したジェラルド・フォードはトラブルで起工から就役に7年かかった。中国は初めてカタパルト方式を採用したが、一足飛びに電磁式を採用した。軍事常識からすれば無謀に近い。電磁式は十分な電力確保が必要で、原子力空母であることが望ましい。通常動力の福建が必要な電力を円滑に供給できるか疑問視する声もある。
スキージャンプ方式による発艦では最大発艦重量が制限され、戦闘機の能力発揮が制約される。また艦隊防空の要である早期警戒機も、探知能力に劣るヘリコプター型しか搭載できず、空中警戒監視能力に弱点を抱える。
カタパルト方式では燃料、弾薬を最大搭載した戦闘機を発艦させることができる。さらに監視能力の高い固定翼の早期警戒機(KJ―600)が運用でき、山東、遼寧とは段違いに優れた戦闘能力発揮が可能になる。時間はかかるだろうが、諸問題を解決してカタパルト方式に熟達すれば、中国海軍の洋上作戦能力は飛躍的に向上するだろう。
なぜ空母を持ちたがるか
福建の任務は台湾有事の際、台湾東側の海域に展開し、米海軍の接近を阻止し、制海権を奪取することだ。米海軍を海域から排除できれば、台湾攻略は容易になる。最終目標は2049年までに西太平洋の覇権を獲得することである。近年、中国海軍力の増強は凄(すさ)まじい。艦艇数では既に米海軍を超えた。今後、福建型を4~6隻建造し、「原子力化」を進める計画があるという。
他方、対艦弾道ミサイルの登場、水中ドローンの出現、水中発射魚雷の長射程化などにより、空母はもはや時代遅れともいわれる。こういう時期に、なぜ中国は空母を持ちたがるのか。中国の梁(りょう)光烈国防相(2009年当時)は次のように述べた。「世界の大国で空母を持っていないのは中国だけだ。永遠に空母を持たないわけにもいかない」「中国には広い海域があり、海を守る任務も重い。中国の海軍はまだ力が弱く、発展する必要がある」
中国の空母保有は「中華民族復興の夢」「国威発揚と軍威発揚」といった政治目的が軍事的合理性に優先しているようだ。中国は今後とも空母保有に向けて莫大(ばくだい)な資源を投資し続けるだろう。早ければ10~15年後には、空母の戦力化が実現するかもしれない。
「無用の長物化」させる戦略を
安全保障の要諦は最悪を想定し準備しておくことだ。将来の空母の脅威に備え、無力化対策の検討を開始すべきだろう。「空母に対しては空母」の発想は、費用対効果上も軍事的合理性からも愚策である。各種対艦ミサイル、AI型ドローン、自律型魚雷といった空母の致命的弱点を突く先進技術が手に届くようになってきた。
現在、防衛省は長距離地対艦ミサイルや空中発射型対艦ミサイル、そして反撃力としてのスタンド・オフ・ミサイルなどを開発中である。だが空母対応としては不十分である。防御の余地を与えてしまう単純な攻撃手段では対応策にならない。多種多様な手段で空母艦隊の防御能力を飽和させて初めて無力化を強いることができる。空母の無力化に焦点を絞った空中、海上、海中の非対称兵器開発に着手すべきだ。同時に硫黄島の拠点化、要塞化も必要だろう。
対応策さえ準備できれば、日清戦争前の「定遠」「鎮遠」の如(ごと)き威圧効果で、大騒ぎすることはない。必要以上に恐れ、いたずらに騒ぐのは中国の思う壺(つぼ)で��る。
空母の運用には艦載機や早期警戒機だけでなく、随伴する艦艇群、潜水艦などが不可欠であり、莫大な予算を要する。中国空母戦力が完整した時点で、「無用の長物化」させる手段を手にしておけば、莫大な予算を無駄金に終わらせることができる。これが日本の採るべき戦略であろう。今すぐ着手すれば、十分に間に合う。(おりた くにお)
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【かいわいの時】慶長十一年(1606)十二月十三日:秀頼、生国魂神社を再建(大阪市史編纂所)
家康は、豊臣家の財力を失わせるため、故太閤秀吉の菩提をとむらうためなどと称し、秀頼に対して、さかんに寺社の造営・修復を勧めた(略)当時、秀頼が造営・修復した寺社など方広寺大仏殿、誉田八幡宮、四天王寺、東寺金堂、石清水八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、中山寺、叡福寺太子堂、観心寺金堂、常光寺庫裏、宇治橋、鞍馬寺など(柏原市「玉手山物語」)。※原文ママ
石山本願寺建立の際には、この生国魂神社を隣接地に遷座して建立したとも言われるが、だとするならば石山本願寺は生国魂神社の最初の鎮座地に存在したことになる。また、近年の研究によれば石山本願寺は豊臣期の大阪城の詰之丸に存在したとの説もあるが、これがもし事実ならば、生国魂神社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。 戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社���を造営し、天正13年(1585年)に遷座した。このときに造営された社殿は、「生国魂造」と呼ばれる、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである(いくた��夏祭りみこし会)。
(写真)『摂津名所図会 巻之三』より「生玉神社 其二」(スミソニアン蔵)。
江戸時代には、豊臣秀頼により造営された社殿が慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による兵火で焼失したが、江戸幕府により社殿は再興され、社領300石も安堵された。寛永-正保期(1624 - 1648年)の「摂津国高帳」によれば、その社領地は下難波村(現在の浪速区)にあった。また5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院は、黄金若干を当社に寄進したという。『摂津名所図会』では、当時の境内の様子や走馬神事の様子などが描かれている。幕末の『浪花百景』にも絵馬堂、弁天池が選ばれている。弘化2年(1845年)には、社殿の造替がなされた《略》1912年(明治45年)1月には「南の大火」により社殿を焼失し、1913年(大正2年)11月に再建された。しかし1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び焼失した。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列され、翌1949年(昭和24年)7月に本殿が再建されるも、1950年(昭和25年)9月のジェーン台風で倒壊してしまった。その後、1956年(昭和31年)4月に鉄筋コンクリート造で再建された(ウィキペディア)。
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Persona 3 Movie Midsummer Knight's Dream blu-ray interview.
劇場版「ペルソナ3」第2章
インタビュー
熊谷 純 (脚本)
田口智久 (シリーズ演出・第2章監督/第4章監督)
足立和紀 (プロデューサー)
第1章では、主人公である結城理の笑顔を見せるというテーマがありましたが、第2章はどのようなコンセプトのもと制作されたので しょうか?
足立和紀氏(以下、足立): 第1章で笑顔を取り戻した理が、仲間たちとどのような夏休みを過ごすのかが第2章のテーマです。より踏み込んだ言い方をすると、第1章ではある理由 で死に無頓着だった理に仲間ができ、その守るものができた理に死を突きつけることが非常に大きなテーマになっています。
田口智久氏(以下、田口): そうしたコンセプトをくみ取りつつ、第2章では劇場作品ならではの間やフィルム感というものを重視した作りを心がけ ました。
具体的にはどういった部分になるのでしょうか?
田口: たとえば、登場人物がただ歩いているシーンやドアを開けて部屋に入るシーンなど、我々の間では“段取り”と呼ばれる部分を多く描いています。普通はカットするようなシーンなのですが、あえてそこをしっかり描くことで、キャラクターの心情を見てくださる方に伝えやすくなると思ったわけです。
熊谷さんは脚本という立場で、第2章のなかでとくに気を遣って描かれた部分はありますか?
熊谷純氏(以下、熊谷): 第2章は描かなければいけないシーンがとにかく多いんです。たとえば、荒垣真次郎と天田乾の関係、アイギス��ストレガの登場、屋久島旅行などそうですね。それら別々のセンテンスを、いかにうまくつなげて1本のストーリーとして仕上げるかという点は、脚本を書く際に注意を払った点です。第1章と比べても難しかった記憶がありますね。
第1章と比べて、第2章ならではの苦労もあったかと思いますが、いかがですか?
熊谷: やはり、登場人物が多いのは大変でしたよ。戦闘シーンなどでも、気がつくとセリフのないキャラクターがいたりして、できるだけ全員にしゃべらせるよう意識して書く必要はありました。とくに人間の言葉を話せないコロマルの扱いには苦労しましたね(笑)。
田口: コロマルは身長も人間よりかなり低いので、仲間全員が映るシーンなどでは、意識して構図を考えないとフレームから外れてしまうこともあって大変でした。
足立: 犬ならではのアクションもあるので、見栄えのするキャラクターでもあるんですけどね。第3章以降でも見せ場となるシーンはあるので、コロマルファンの方は楽しみにしていてください。
逆に、登場人物が増えたことで楽になった部分などもあるのでしょうか?
田口: ありません(笑)。単純に人数が増えれば描かなくてはいけないキャラクターが増えるので、作業としては大変ですね。
熊谷: 1度、打ち合わせのときに田口監督から「戦闘メンバーは4人にして、ほかは留守番をしていることにしましょうか?」って相談されたことがありましたね(笑)。
田口: ウソ!?
熊谷: あったよ。俺は覚えています。気持ちはわかるけど、この人は何を言っているんだろうって思いましたから(笑)。
田口: 本当ですか?記憶にないなぁ。でも、気持ちをわかってもらえたなら(笑)。ただ、第3章の絵コンテを拝見させてもらったのですが、人数が多いのにすごくスマートにまとまっていて、さすが元水永慶太郎監督だなぁと思いました。
熊谷: ストレガとの願いなどは、9人対3人みたいになって、ストレガがかわいそうになりますよね笑。
足立: 確かに人数的には苦難というイメージになりにくいんですね(笑)。
戦闘、日常含め、さまざまなシーンがありましたが、なかでもこだわったシーンはどこでしょう?
熊谷: 俺は、タカヤが影時間に迷い込んだ一般人に銃を突きつけるシーンは気に入っていますね。タカヤももちろんペルソナ使いなんで、彼は本当は銃なんて使う必要ないんです。でも相手に明確な「死」を突きつけるために、あえて物理的な手段をとってる。そのあたりはこの作品の検底のテーマにも繋がってる気がして、印象深いところです。
田口: 僕にとっては、すべてが見てもらいたいシーンなので、どこか1つというのは難しいのですが、やはり冒頭の戦闘シーンには力が���りましたし、あとは屋久島で理とアイギスが初めて出会うシーンもこだわって作りましたね。
足立: 僕もそれらのシーンは、自信を持ってみなさんにお届けできるお気きなのは、天田がお墓参りをするシーンですね。あの長尺のワンシーンは非常に田口監督のこだわりを感じますし、天田の葛藤が決意に変わる間を描けていて、劇場作品ならではのシーンだと思います。
田口: そういっていただけると、かんばって30秒もの長尺を使ったかいがあります。
足立: でも、本当は1分使いたかったんですよね?
田口: 1分使うつもりだったんですけど。編集スタッフに止められてしまって(笑)。
第2章は、荒垣の死も大きなウェイトを占めるシーンかと思いますが、いかがでしょう?
田口: あのシーンは、天田役の緒方恵美さんがすばらしい演技を見せてくださって、そこに絵を合わせる形で制作したシーンなんです。息継ぎの部分も細かく描くなどこだわったぶん、緒方さんにも気に入っていただけたようですし、なにより劇場まで足を運んでくださったみなさんの心に残るシーンに仕上がったのではないかと感じています。
熊谷: そのシーンは、第2章における大きなエピソードですが、ゲームのままに再現すると荒垣と天田だけで完結してしまうシーンでもあるんです。この作品は、あくまで主人公である結城理の物語なので、そこにいかにして理をからませられるかは苦労したところですね。苦労したぶん、理の人間的成長に繋がるシーンになったと思っています。
足立: ラストはたしかに胸を打つシーンになっていますが、個人的にはエンディングまでの流れも含めて1つのシーンとしてすばらしい演出になっていたと思っています。エン ディングに流れた「One Hand, One Heartbeat」という曲は鎮魂歌をテーマにして作られているんですが、川村ゆみさんの歌唱も相まってすばらしい曲だと思いますし、なにより劇場でみなさんがすすり泣く声を実際に聞いたときの印象が強く残っていて、それらをまとめていいラストになったという実感を持ちました。
たしかにエンディングの曲は感情に訴えかけるものがありました。
足立: あの曲は、第2章の劇伴も制作していただいた小林哲也さんが手がけた楽曲なのですが、小林さんはぺルソナ関連のライブでもバンドマスターを務めるなど、『ペルソナシリーズ』の音楽に精通された方です。それだけに、お客さんにも好意的に『ぺルソナシリーズ』の楽曲として受け入れてもらえたのだと思っています。「One Hand, One Heartbeat」も、決して泣かせる曲ではないと僕は思っています。それでも、とくとくと語りかけるような静の曲調が、あのラストシーンとマッチしたことで、みなさんの感情を揺さぶる名曲になったのではないでしょうか。
ほかにも第2章では、シャドウではない人間の敵である“ストレガ”が登場しました。
田口: ストレガの3人は、『ペルソナ3』という作品をとおしての敵となる存在なので、とにかく強く印象づけなければいけないという思いがありました。そうした小者��をただよわせてはいけないという考えが、チャリオッツ戦における演説のシーンにつながっています。あのシーンを描いたことで、理の心情を揺るがすことができ、敵としていいスタートが切れたのではないかと思っています。
熊谷: 第2章がはじまる時点では、まだSEES.のメンバーの中にはシャドウと戦うことへの明確な意義を持っていない者もいます。一応それなりの理由はあるんだけど、なりゆき感が強いっていうか。そこに、明確な戦う意義を持ったストレガが現れたことで、彼らはもう一度自分と向き合わなければならなくなる。そういう意味で、ストレガってS.E.E.S.が一段階上に行く為にも必要な敵なんでしょうね。
チャリオッツ戦で思い出したのですが、アイギスのオルギアモードの効果時間はあんなに短いものなのですか?
田口: いいところで使えなくなる、というのはある意味原作通りですよね(笑)、第3歳以降にもオルギアモードで戦うシーンってあるんですか?
足立: もしかしたら、最初で最後かも(笑)。
熊谷: 脚本には書いていませんが。自分的にはオルギアモードで戦っているシーンはありますよ。
田口: いや、それはちゃんと書いておいてくださいよ(笑)。
足立: そういえば、オーバーヒートのときにアイギスの声が機械音になるという案もありましたね。
田口: けっこうギリギリまでは機械音でした。ただ、やはりイメージと違うということでボツになりましたけど(笑)
ほかにも、それぞれにここは見てほしいというお気に入りのシーンはありますか?
足立: 僕は、荒垣がコロマルをもふもふするシーンは、アイギスが「家政○は見た」のようにのぞいているカットも含めて好きですね。
田口: 僕は、ハーミット戦が気に入っていて、あの戦闘ではS.E.E.S.のメンバーが作戦を立ててチームとして行動している雰囲気を出せたと思っているんです。それまでは、全員が固まって戦っていたと見える部分もあったので、あのシーンでチームにしての成熟を感じてもらえるとうれしいですね。
熊谷: 作戦といえば、俺は屋久島でのナンパのシーンは好きですね。あの無駄に力の入った作戦感は気に入ってます。きっと、あのとき失敗したことで「作戦は大切だ」と気付いて、ハーミット戦へとつながっていったんだと思います(笑)。
田口: 熊谷さんのなかではそういう構成だったんですね(笑)。
Blu-ray/DVDには、第1章と同じくディレクターズカットが挿入されています。具体的にどのようなシーンが追加されているのでしょう?
田口: 大きなシーンとしては、ハーミット戦のあとで荒垣が苦しみ出すシーンがありますが、そこでその場から離れた荒垣を真田が追いかけて言い争うというシーンが追加されています。あとは、理が夏休みを楽しんでいるという描写が点描で挿入されていますね。
足立: あとは、屋久島のシーンで桐条美鶴が父親の桐条武治にさとされるワンシーンが追加されています。どれも重要なシーンではあるのですが、上映時間や流れの関係でやむなくカットしたシーンを復活させているので、Blu-ray/DVDを見返す際にはそのあたりにも注目して楽しんでいただければと思います。
ここからは少し先のお話もうかがいたいと思いますが、第3章は田口監督から元永慶太郎監督にバトンタ��チされるということですが。
足立: そうですね。絵コンテを見た感じでは戦闘シーンなどはすごくワクワクするような流れになっていましたね。田口監督から見て、元永監督はどんな監督ですか?
田口: たしかに、戦闘シーンはこれぞアニメーションのバトルという作りが見事な監督さんなので、勢いのある戦闘を楽しんでいただけると思います。ほかにも、最低限の要素でまとめるのがすごくうまい監督さんなので、不必要なシーンが一切ない構成で、テンポよく見ていただけるのではないかと思います。
足立: 田口監督は、劇場作品ならではの間などを積極的に作る監督だったので、また違った味が出るかもしれませんね。
熊谷: 知人が第2章を見たときに、田口監督は引きの構図が多いよねって言ってたよ。
田口: それは意図的に引きの構図を作っているんですよ。第1章のコンテをあとで見たときに、顔のアップが多すぎたかなと反省したんです。たしかに顔のアップは迫力があるのですが、情報量が少なくなってしまう。そこで第2章では、引きの構図を意図的に増やして、まずはお客さんにどういうシーンなのかをしっかり理解していただこうと思いました。そのなかで顔のアップのカットをとくに重要なシーンに持っていけば、より際立って印象に残ると考えたんです、とお伝えください(笑)。
その第3章ですが、どのような内容になりますか?
足立: 第2章が衝撃的なシーンで幕引きとなったので、冒頭のシーンに頭を悩ませました。あのムードを引きずった状態で始めてしまうと、立ち直るころには90分経ってしまいそうでしたからね(笑)。どのような始まり方になるかには注目してもらいたいですね。あとは、第2章に負けず劣らず描くべきエピソードが多いので、全体を通して見ごたえのあるシーンの連続になっていると思います。
熊谷: そうですね。物語の流れを重視してゲームとは少し構成を変えているので、そのあたりも楽しんでいただければと思います。
足立: あとは、新キャラクターである“望月綾時”がストーリーの中心となる存在なので、彼がどのような活躍を見せるのかと、主人公である理と同じく綾時も演じられる石田彰さんの演技、とくに理と親時の掛け合いは見どころの1つになると思います。
最後に、『ペルソナシリーズ』ファンに向けてメッセージをお願いします。
熊谷: 第3章は第2章と比べて、キャラクターの描写に時間をかける作りになっています。足立さんがおっしゃった理と綾時のほかにも、アイギスなども、じっくり描いているので、そこに期待していただきつつもうしばらくお待ちいただければと思います。
田口: 第2章は、限られた時間のなかであれだけの内容を消化しつつ、決めるところをしっかりと見せられたのではないかと思っています。とくにラストシーンは、キャストの演技にも応えられ、劇場作品としても見どころがあり単体でも楽しめる作品になったはずです。第3章までは、このBlu-ray/DVDをじっくり見返していただけるとうれしいですね。
熊谷: ちなみに、もし3章の次があったらまた監督やってみたいですか?
田口: それはもう、機会があればぜひ。
足立: すごく大変そうだったから、てっきりもうやりたくないものだと(笑)。
田口: そんなわけで劇場版「ペルソナ3」第3章もお楽しみに!
熊谷: そんなまとめですか(笑)。
足立: 第3章のサブタイトルは、“Falling Down”ということで“秋” と“堕ちる”をかけたタイトルになっています。テーマとしても、第1章では死に無頓着だった理が、第2章で死を突きつけられ、第3章ではその死をどう乗り越えていくかが描かれていて、タイトルにそった内容が展開していきます。この第2章Blu-ray/DVDをラストまでご覧頂き、この先どのように物語が進んでいくのかが気になった方は、第3章もきっと楽しんでいただけると思うので、期待してお待ちください。
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昨年2月25日にNHK-Eテレで放送された「ETV特集 ルポ死亡退院 ~精神医療・闇の実態~」。2023年のテレビで最も優れたスクープ報道として高く評価された。日本新聞協会賞、放送人の会グランプリ、石橋湛山早稲田ジャーナリズム大賞、貧困ジャーナリズム大賞など主だった賞の最高賞を受賞した。 東京・八王子市にある民間の精神科病院・滝山病院。精神科のほかに内科も併設し、人工透析治療などができるため、精神疾患に加えて腎疾患などを抱える合併症の患者が他の病院からも送り込まれてくる。そこではベッドに寝たきりの高齢患者を看護師らが問答無用で殴る、叩く、つねる、蹴る。暴力や虐待が日常茶飯事。ベッドに縛り付ける身体拘禁も日常化。入手した資料で入院患者の約8割が死亡して退院。いったん入院すると死亡しない限りは退院できないというおぞましい実態、“死亡退院”の現実があった。 「このままでは殺される……。どうか助けてください」 悲痛な声で弁護士に助けを求めた高齢の男性患者はその後、亡くなった。 あれから1年4か月。滝山病院の「その後」を追跡した第2弾が6月29日放送の「ETV特集 死亡退院 さらなる闇」だ。このドキュメンタリーは、ふだん週刊誌などが得意としている「院長とカネ」の問題に切り込んでいたのが印象的だった。(全2回の1回目/ 後編 に続く) ◆ ◆ ◆ 「死亡退院」はその後も続いた 暴力や虐待が横行していた恐怖の病院はどうなったのか。��般的にスクープの「その後」の報道はなかなか難しい。最初のスクープだけなら、「暴行」の証拠となる衝撃的な映像で十分にドキュメンタリーになる。だが、「その後」を取材して第2弾を出すとなると、病院経営や体質、さらには精神医療全体をめぐる「大きな構図・背景」を浮き彫りにしない限り、単なる焼き直しと言われてしまう。取材班は大きな背景にも斬り込んで本格勝負を挑んだ。 第1弾の報道を受け、警察は病院を捜査して看護師ら5人を逮捕、略式起訴した。監督官庁の東京都も病院に対して改善を命令。厚生労働省も全国の自治体に虐待防止を通知した。しかし入院患者を支援して問題を告発した弁護士は「死亡退院の状況から何も変わっていない」と語る。 都の改善命令を受けて滝山病院は「虐待防止委員会」を設置。弁護士が中心の「第三者委員会」を作って虐待の真相究明に乗り出した。 東京都も患者の聞き取り調査を実施。転退院の支援に乗り出した。 ところが行政の縦割りや公立病院の受け入れへの消極姿勢、さらに主な受け入れ先として想定された民間病院が費用面や合併症患者の扱いなどで及び腰になるなどで遅遅として進まない。 転院を希望した高齢の男性患者も引き受ける病院が見つからないまま体調を崩して死亡。転退院支援の遅れで「死亡退院」はその後も続いたのだ。 薬剤を大量に投与されて… この患者の記録を調べると病院側が鎮静のための薬剤を大量に投与した不適切な医療行為で死にいたった可能性があることを複数の医師が指摘した。投薬を指示した朝倉重延院長は外部の医師の指摘に「おっしゃるとおり歩み寄りは必要だったと思う」としながらも医療判断の誤りは認めなかったという。 第三者委員会が行った職員アンケートでも多くの職員が「過剰医療」を指摘し、医療の内容に問題ありと考えていたこともわかる。 不衛生な病室。経験が浅いアルバイトの職員に体位交換させて患者に重症の褥瘡(床ずれ)ができ、それが原因で敗血症によって死にいたったケースも多数見つかったと番組では伝えられた。 ところが第三者委員会は「医療行為の適切性」については「判断に医学的知見を要する」からと是非を判断しない姿勢だ。 カルテを分析すると医学的に必須とされる所見がないのに「心筋梗塞」と診断名をつけられ、血液がさらさらになる薬剤などを大量に投与されたケースも見つかる。やはり朝倉院長が診断していた。 医師が院長に電話で問い合わせて「心筋梗塞」の診断名をつけていた音声記録も。蘇生の難しい患者に繰り返し高い薬剤を投与していたという証言もあった。 ◆ 院長が率先する患者への過剰な医療行為をスタッフは「濃厚治療」と隠語で呼んでいたという。
「このままでは殺される…どうか助けてください」相次ぐ患者の“死亡退院”はNHKがスクープした後も続いていた(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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撮影後記です。7月は羽越線 京ヶ瀬駅付近の沿線風景です。
この場所は移動中にたまたま通りがかって見つけました。田園と鎮守の森、そしてそれら以外何も障害物が無い背景の空が何故かわたしの琴線に触れました。車両を配置すると美しく盛り付けられた料理の様に思えたのです。
無意識のうちに何度も通ったのは、もっと彩りの良い盛り付けを試してみたい…そんな衝動があったのだと思います。
一期一会の瞬間を、ありのままに捕らえることも写真表現の一つだと思いますが、身近な場所で少しづつレシピを変えながら、自分が一番美味しいと感じられる一皿を創り上げるような...そんな被写体との相対し方、楽しみ方が自分は好きなんだな、と感じながらシャッターを切りました。
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はど���? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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【食記】田中農旅【豐收藏富】客製禮盒組~精挑細選也能很簡單,健康環保還能客製化你的心意!
生活在台灣 只要是逢年過節, 或多或少都會有送禮的習俗 通常我們會選擇自己吃過喜歡的, 或者品牌大有面子的 然而喜歡的品牌總是有限, 送來送去不可避免的就會重複或者需要排隊的困擾 否則也不會有那種特定店出現排隊人潮, 代排還是買不到生氣氣的問題XD 這次要介紹的呢, 是來自於”田中農旅【豐收藏富】客製禮盒組” 顧名思義, 他其實是關於彰化田中地區農產品相關的禮盒組 希望透過源自于自然的農作品, 來表達不俗的心意 當然啦, 最重要的還是健康又好吃嘛!! 田中農旅形象影片 我們來看看這個外盒 表面上看起來就是個牛皮紙外表的紙箱, 不過其實它有兩種版本「亮綠色」與「橘黃色」, 分別是以呈現在盒子上的字體顏色作為識別 其中亮綠色代表的是春耕.發芽, 而橘黃色則是秋天與秋收,…
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関東大震災時の朝鮮人犯罪の報道禁止(事態の鎮静化の為)から45日後に精査検証を経て発表された、朝鮮人の多数の凶悪犯罪とテロ活動について、今朝の小坂の書き込みの資料です。
記事の一部になりますが、是非、じっくりとお読み下さい。
こうした事実が現場に有ったことを我々は忘れてはなりません。
(以下、画像とテキストは神戸大学新聞記事文庫から引用です。東京時事新報大正12年10月22日の記事です)
関東一帯を騒がした鮮人暴動の正体はこれ : 放火殺人暴行掠奪につぎ橋梁破壊も企てた不逞団 : (記事差止め昨日解除)
翻刻九月一日の震災後東京始め関東一帯の人を騒がせた流言��語の為めに遂に内鮮人にして殺害されるもの算無く、是が流言の出所に就いては尚お闡明されて居ないが、一部の不逞鮮人が混乱裏に左の如く有ゆる犯行を逞うした事で、司法当局は爾来極力是が犯罪検挙に努めた結果昨二十日一先ず取調べを終り、同時に記事差止めを解除した既に起訴されたもの十数件、此外治安警察法違犯、窃盗、横領等により起訴した鮮人二十三名、放火、毒薬投入、爆弾携帯、掠奪、婦人に対する暴行その他の事件につき、東京横浜に於て捜査中のもの亦少くない
掠奪
九月二日午後六時頃本所区中の郷附近 鄭 塋 住所氏名不詳の罹災者より数回に衣類諸道具類を掠奪し吾嬬町清地方面へ運搬の途中押えられた
放火
九月一日午後八時過日本橋北鞘町にて 氏名不詳鮮人一石橋際大谷倉庫に放火した
婦人に暴行
九月二日午後十一時過ぎ本所柳島元町金孫順 避難中の氏名不詳の一内地婦人に暴行を加えんとして遂げず、衣類高十点を強奪し亀戸署に拘禁されたが、同署類焼に瀕しななめ二日解放され行方不明
三十名の一団 柳島の呉服屋で掠奪
九月一日午後十一時過本所区柳島姜金山外三十名位の一団 柳島元町一六九呉服商中里奥三方に乱入し、店員に暴行を加え各一抱の呉服類を強奪した、犯人中姜金山は亀戸署に拘禁されたが、類焼に瀕して解放され行方不明
掠奪
九月一日午後六時より十一時本所区押上町一六五呉服商牧野弥八方、柳島元町洋品店鹿取孝次郎方同洋食店安田組二方、同一六九村上与三方、氏名不詳鮮人、十六六名金品を掠奪し酒食を貪る日本刀、棍棒等を以て襲撃し内四名取押えられ、一名は東森下町に放火し金某は日島渡辺倉庫に爆発物を以て放火した
放火爆弾
九月一日夜より三日月島二号地、月島渡辺倉庫の号、深川区東森下町附近汁粉屋自称金某外氏名不詳鮮人四名 兇器をたずさえて五名本所区菊川町方面より月島に入込み短銃を発射し或は放火、掠奪、爆弾放擲
強奪
九月二日午後二時過深川区富川町三五高橋勝治方前道路氏名不詳鮮人三名 高橋勝治を兇器を以て負傷せしめ金銭を強奪せんとして果さず逃走
少女を殺す
九月二日夜南葛飾郡木田町四つ木荒川放水路堤上氏名不詳鮮人四名 避難中の十六七歳の少女に暴行を加え後殺害して死体を荒川放水路に放棄した
棍棒
九月二日午後十時頃南葛飾郡小松川町字新町三九六二四軒長屋裏手氏名不詳鮮人一名 榎本豊吉に棍棒を以て負傷せしめ逃走した
荒川区議 小坂英二 / X
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Q:今回のアルバム「航海薄明」の意味は?
A:「航海薄明」というのが、太陽が沈んで少しの間、空が明るい状態、という意味らしくて、自分の曲って夕方とか、明け方とかそんな時間帯に思うような曲が多いんですよね。それでその間(はざま)の時間に描いた曲たちをまとめるのに、とてもちょうど良い言葉だなと思って。そんな経緯でこのタイトルにしました。漢字四文字に憧れてるというのもあります。
Q:フルアルバムを作ろうとしたきっかけは?
A:これまで7インチをメインにリリースしてきて(特にここ3、4年の間)この後も新しい7インチを出し続けていくか、ひとまず既存の曲たちをデジタルで一つの作品にまとめるか、となった時に、後者の気持ちにシフトしたのが大きかったからですかね。一度まとめておきたいというか。これまで、レコードが好きな人たちに向けてリリースしてきたものの、そうでない人たち、サブスク、配信、手に取れる「モノ」で、で音楽を聴いてる人たちに向けても輪を広げたくなったからというのもあるかな。ライブや普段の活動を通じて、フィジカルというものの存在の大きさを感じたというのもあります。
Q:アルバム作成に際して、一番大変だったことはどんなことですか?
A��録音した音源たちのミックスをどこまで細かくこだわって仕上げるか、というところですかね。後半の方は、Bim-One Productionのe-mura氏ととことんまで突き進んでやろうと決めて、いつでも音源のことを考えながら過ごす毎日でした。多分、普通の人がやらないこだわり(レコード用、カセット用、デジタル用に分けてマスタリングもやってもらいました)。大変というより、自分の使命感を持ちつつやってたので、今となっては、ミックスに集中する作業は大変ながらも充実した、勉強になる時間だったと思ってます。
Q:アルバムの制作期間はいつからいつまで?
A:大体ですが新録音は今年2月〜6月くらいまで作業してました。レコードでリリース済みの既存曲たちも6曲くらいはあったので、その分、新録曲に集中できたという面はあったと思います。周りのメンバーは相当大変だったと思いますが。笑
Q:MAYONAKA bandというのは固定メンバーですか?その人たちへの想いもあれば教えてください。
A:必ずしも固定というわけではないですが、ここ数年はRECもライブもほぼ同じメンバーで、時折ホーン隊に入ってもらったりしてます。既存のメンバーもホーン隊も信頼できる確か��実力の仲間たちばかりなので、そこは安心して演奏できてるかな、と。
Q:レコーディングエンジニアに内田直之氏を採用した理由は?
A:以前レコーディングでもエンジニアをお願いしたことがあって、そのレコーディング前に電話で長々と自分がこういう方向性の、こういう曲を録りたい、ということを伝えてやってくれた(2018年のカバー曲「帰れない二人」など)信頼が、今回のに繋がった気がします。
内田さんは一般的にはDUBミュージックの重鎮、というイメージが強い方ですが、私の録りたい曲のテーマは多くの人が聴いてくれるPOPSの要素もありつつ、リズム/サウンド面ではジャマイカの香りを感じられる音楽なので、内田さんと話し合って、その理解があると言うところを考えてお願いした経緯です。真摯に向き合ってくれる方なので、レコーディング自体はとてもスムーズでした。
Q:レコーディング中の楽しみはどんなことですか?
A:休憩中に、MAYONAKA bandやゲストミュージシャンたちとたわいもない(全っ然関係ないくだらない)話をしたり、お菓子やおにぎり食べたりしたことかな。というか、、、なんかすごく地味ですね。でもメンバーは割と仲が良くて(みんながその雰囲気を作ってくれてるのもありますね。)レコーディング自体が一つのハコの中で完結するように作ってたので、逃げ場がないというか、みんな仲が良いのが功を奏して気分転換になった感じです。メンバーのみんなもそうだと良いんですけど。。
Q:これから秋にかけて全国ツアーが続くと思いますが、ライブ以外の楽しみはあったりしますか?
A:もちろんライブが第一ではあるんですけど、できれば各地のお勧めコーヒー屋さんへ赴くこと、ですかね。私はコーヒーとカレーが大好きなので、その2つがあれば後は多くは期待しません!!!でも、地元のものが食べられればさらに幸せかな〜とか、今のうちに言っておきます。笑 カッコつけて言うと、そんなに多くは求めないです。目の前の、来てくれたお客さんたちを楽しませるだけなので。自分が楽しむのも含めて、そんな感じで考えてます。
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インタビューは引き続き配信予定。動画の配信でもお送りしたいですね。お楽しみに。
youtube
https://qimygo.bandcamp.com/album/ko-kai-haku-mei
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鎌倉時代の彫刻が残る荘厳な本殿 郡神社 岡山県真庭市に鎮座する郡(こおり)神社です 天正14年(1586)に毛利氏によって再興されましたが、三間四面入母屋造の本殿の彫刻は桃山時代の十二支彫刻と鎌倉時代の彫刻も残っているとのことです 当社の創建は崇神天皇の御代に四道将軍として派遣された大吉備津彦命の弟、吉備稚武彦命がこの地で亡くなったため御陵を造りこの神社に祀ったことが起源と伝わります 現地の由緒板には御祭神として大吉備津彦命、吉備稚武彦命、孝霊天皇となっていますが、岡山県神社庁のHPには大吉備都彦命、伊邪本別命となっています 伊邪本別命は17代履中天皇のことと思われますがなぜここに名が出るのか不明です 日本書紀では応神天皇が妃、兄媛の故郷吉備の葦守宮の逸話が残りますが、古事記では仁徳期に吉備の逸話で黒日売で同様の話が登場します 仁徳天皇が黒日売を追った地は備中の宗形神社とされますが、履中天皇は仁徳天皇の嫡男であるため何か吉備と大和王権との関連性があるのかもしれませんね 三備に分割されるのは41代持統天皇の御代まで下るので古代吉備国の様相が窺える神社の一社です #郡神社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ 郡神社(岡山県真庭市)(こおりじんじゃ) 鎮座地:岡山県真庭市上水田399 主祭神:大吉備都彦命、伊邪本別命 社格:郷社 ⛩┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⛩ #神社 #神社巡り #神社好きな人と繋がりたい #recotrip #神社建築#神社仏閣 #パワースポット #真庭市 #彫刻 #神社彫刻 #岡山観光 #神社巡拝家 (郡神社) https://www.instagram.com/p/ClbwKWpPY4f/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2024.9.1(2)神社
街中では蝉の声がほとんど聞こえなくなりましたが、
鎮守の杜ではツクツクボウシが鳴いてました。
田隈櫛田神社 ~ ↑ 西向き(飯盛山) ↓ 北向き
↓ 梅林八幡宮
YouTube > 残暑の秋空と神社のツクツクボウシ(5分)
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ちよ旅オカルト編2024夏④
崇徳天皇御陵(香川県坂出市)
ここが今回ちよ旅の一番の目的であり、
人生で一度は必ずお参りしておきたいとこでした
この御陵に眠る崇徳院は所謂「怨霊」です
現代では祟りが恐ろしい平将門や天神様としての地位を確立した菅原道真の方がメジャーですが、
元天皇が島流しに遭ったという前代未聞のことで、当時の人々にはかなりのインパクトでむかえられ、正直言って崇徳院はレベルが違う怨霊として扱われ、「日本最大の大魔縁」とまで呼ばれました
色々とその怨念の深さを想像させるエピソードが伝わっていますが有名なのでこれらは割愛させてもらって、
チヨハ的には怨霊を創るのは怨念なんかじゃなく、その人物の生前から偲ばれる「執念」と遺された人々の「罪悪感」だと思ってます
上田秋成による江戸時代の怪奇小説集「雨月物語」の「白峰」の段で、この崇徳院の怨霊の話が語られます
この話にはその怨霊観がよく現れてると言えます
白峰の段では京での暮らしと政治への執念を捨てきれなく、生きとし生けるものの不幸を願い嗤う、恐ろしくも浅ましい魔王としての崇徳院の姿があります
そんな崇徳院の魂を鎮めるのが西行法師です
生前の崇徳院とも親交があった彼は、
崇徳院の崩御から数年経ってもその御陵で手を合わせることが出来ていないことに後ろめたさを感じており、ついには遠く讃岐の地まで旅に出ます
天皇を勤めた方の終の住処とも思えないほど荒れ果てた陵墓を前に夜通しの供養を行っていると、怨霊と成り果てた崇徳院が現れ、問答を始めます
西行法師の必死の説得を受け、ついには自らの王道を思い出し穏やかさを取り戻して夜明けと共に崇徳院は消えていくのです
西行法師は元々は武士、つまり相当な家柄を持つ家系に生まれ、文武共に優れていたのですが、そうしたものを全て捨てて仏門に入った人物です
執着を全て捨てた者だからこそこの世のあらゆる欲にとらわれながら苦しんでいた霊魂を救えたということですね
崇徳天皇御陵の側には白峰寺という崇徳院を供養する寺があり、そこには西行法師の石仏と、西行法師が歩んだであろう「西行の道」が整備されています
さて、日本最大の大魔縁となった崇徳院は天狗を眷属として従えたそうです
雨月物語にも「化鳥」として「相模」という天狗が現れます
そんなワケで崇徳院を供養する白峰寺にも天狗がたくさんいます
烏天狗みくじもありました
かわいいですね
天狗のモチーフは山伏だとする説があります
山伏とは山岳信仰の行者です
この白峰寺も山寺なのですが、そもそも四国自体が空海を中心に山岳信仰の気が濃く、そういう文化も混じり、崇徳院と天狗が融合したのかもしれませんね
物語上では色々語られ、これらは脚色にしろ、でもきっと本心でも京都へ帰ることを切に望んでいた崇徳院が京都に帰った、つまり御霊が京都に移されたのは、実は明治になってからなのです
この時、やっとはじめて、人々の胸にずっとあり、崇徳院の怨霊の姿で取り憑いていた罪悪感が払拭されたのではないでしょうか
さて一方西行法師ですが、
「願はくは花の下にて春死なむ」
(どうせ死ぬなら花の季節に死にてえな)
という有名な詩を残して、その通り春に亡くなりました
その死に様に心打たれて多くの人を羨まがらせたと言います
幸せに生きて死ぬためには
足るを知る、ということが大切なのかもしれませんね
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