#琵琶湖大橋開通
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#おでかけ #稲荷駅
稲荷駅の外に残っている、旧東海道本線のランプ小屋。名前の通り、昔鉄道の保線や客車用に使うランプと、その燃料を保管していた倉庫です。
今でこそ奈良線の駅である稲荷駅ですが、その歴史は古く、最初は日本最初の路線である東海道本線の駅として開業しました。
日本最初の路線、といっても東京から神戸まで一気に開通したわけではなく、部���部分に少しずつ工事を進め、できあがったところから開業、といった具合で、最初は新橋〜横浜間が開業。その次は神戸〜大阪間、そして大阪〜京都、京都〜大津(現在とは場所が違う)の開業の時に稲荷駅も作られました。
こんな感じで部分部分にそれぞれ延伸していったため、東海道本線の中では静岡辺りの開業が遅めだったようです。
あと全通前は、今のように琵琶湖の南に沿ったルートではなく、琵琶湖はなんと長浜で一旦船に乗り換えて、大津まで船で横断するというスタイル。東京、名古屋方面から大阪に鉄道で向かおうとすると、長浜〜大津間でもれなく船旅がついてきました。
その後滋賀の辺りも鉄道が敷かれて、同時に琵琶湖横断ルートは廃止に。鉄道のみで東京〜神戸間は繋がりました。
明治期の東海道本線のルートは結構現在のルートと変わっていて、この稲荷駅を通るルートも然り、あとは関ヶ原から米原辺りのルートも結構今とは違っています。
線路を敷設した当時の技術ではそのルートでしか行けなかったけれど、後に技術が向上してもっと短いルートで敷設できるようになったり、逆に勾配を避けるために別ルートに付け替えたり。ルートひとつとっても色々な背景が見えてきて、ドラマよなぁ…!と思います。いや、興味ない人には全く惹かれない話なんでしょうけども。このランプ小屋を眺めながら一人で近代化のドラマを感じていました。付き合わせた友人すまん。
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2024/11/30 8:00:17現在のニュース
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高陽
H:高陽的作品《胡雪巖》(《胡雪巖》、《紅頂商人》、《燈火樓臺》) (聯經出版),最了解胡雪巖。「當代作家,以歷史小說著稱,精通清代歷史掌故。善於以細膩的描敘烘托氛圍,使人如親臨其境,近古歷史小說創作者未有第二人。」「1959年,以中華民國空軍上尉軍銜退伍,進入報界。」軍人出身,多產作家,高陽晚年臥病在床,因為不懂得投資保險,其醫藥費都還是王惕吾先生代墊的。不善理財,幸得貴人(王惕吾)相助,否則也只能以晚景淒涼稱之。20241007W1
高陽
維基百科:
高陽,本名許晏駢,譜名儒鴻,字雁冰,筆名高陽、郡望、史魚、孺洪等,以筆名「高陽」行。浙江杭州人,為中華民國當代作家,以歷史小說著稱,精通清代歷史掌故。善於以細膩的描敘烘托氛圍,使人如親臨其境,近古歷史小說創作者未有第二人。河北高陽原為許姓郡望。家族聚居於錢塘橫河橋,至清末有四世尚書。
出生資訊: 1922 年 4 月 11 日,浙江省
逝世: 1992 年 6 月 6 日,臺北台北市
著作: 紅樓夢斷、 紅樓夢、 千門八將: 千手觀音、 千門八將: 永樂大典、 高陽作品集、 慈禧前傳、 燈火樓台, …
配偶: 郝天俠(離異)
高陽 (作家)
台灣作家(1922-1992)
高陽(1922年4月11日—1992年6月6日),本名許晏駢,譜名儒鴻,字雁冰,筆名高陽、郡望、史魚、孺洪等,以筆名「高陽」行。浙江杭州人,為中華民國當代作家,以歷史小說著稱,精通清代歷史掌故。善於以細膩的描敘烘托氛圍,使人如親臨其境,近古歷史小說創作者未有第二人。河北高陽原為許姓郡望。家族聚居於錢塘橫河橋,至清末有四世尚書。性嗜酒,有一說其筆名「高陽」是出自「高陽酒徒」的歷史典故,其實為誤。 許氏多郡望,長年世居多處。高陽筆名源於其世家高陽郡。因此高陽許氏。
Quick Facts 高陽, 性別 ...
簡介
其父許寶璞為清秀才,壯年早逝,由母親黃婉教養成人。
抗戰結束後,從事新聞工作。大學中途退學,考入國民政府空軍軍官學校書記,後在1949年隨軍赴台灣,駐居岡山。於軍中刊物、文藝活動中顯露才華。
1951年,高陽開始了他的小說創作歷程。(高陽早期的寫作主題不是歷史,而是言情諜報的通俗小說)
1957年任中華民國國防部參謀總長王叔銘秘書,隨其調往台北。因此開始進入台北文壇,文名漸起。
1959年,以中華民國空軍上尉軍銜退伍,進入報界。在《中華日報》擔任主筆多年(後曾升任主編)以及《中央日報》特約主筆。亦因結識人稱「當代孟甞」的聯合報系董事長王惕吾先生的關係,在《聯合報》擔任特約小說作家,王老亦因愛才,才在高陽一生之中替其償還了不少債務,還曾撥了一棟房子供其居住。對於這些事,王惕吾先生曾說過:「像高陽這樣一位有才華的文人,他要求的不多,我負擔得起,不像有些才華不高的文人,卻要求的很多,那就不是我負擔得起囉!」。甚至到了高陽晚年臥病在床,因為不懂得投資保險,其醫藥費都還是王惕吾先生代墊的。病中之高陽心有所感曾在《病中手記》寫道:「我在少年輕狂時期,曾有一聯:天生傲骨難諧俗,養就雄心不受憐。惕老憐我,不是恤老憐貧之憐,而是憐才愛士之憐,每念及此,熱淚盈眶……」。
1962年,其長篇小說處女作《李娃傳》問世.並在這本小說上首次署名筆名「高陽」,從此洛陽紙貴一戰成名。
1989年訪泰山,因過度勞累,加上畢生嗜酒, 從此體況一落千丈。
1992年6月6日,高陽先生病逝於台北榮民總醫院。
一生創作頗豐,著作約90餘部,105冊,讀者遍及全球華人世界。其中代表性作品有《胡雪巖》三部曲、《慈禧全傳》、《紅樓夢斷》全集等。高陽的作品中對於清代歷史有着獨��的研究深度,也是���最為拿手的部分。他也是著名的紅學家。出版家霍寶珍曾言:「中國大陸有十一億人口,也沒有出過一個高陽」。亦著有《明朝的皇帝》。
主要著作列表
小說
《猛虎與薔薇》
《霏霏》
《落花生》
《紅葉之戀》
《凌霄曲》
《花落花開》
《避情港》
《紅塵》
《桐花鳳》
《驚蟄》
《李娃》
《愛巢》
《風塵三俠》
《少年遊》
《金色的夢》
《淡江紅》
《荊軻》
《紅燭》
《緹縈》
《清官冊》
《百花洲》
《慈禧全傳》(《慈禧前傳》、《玉座珠簾》、《清宮外史》、《母子君臣》、《胭脂井》、《瀛臺落日》)
《紫玉釵》
《百花洲》
《胡雪巖》(《胡雪巖》、《紅頂商人》、《燈火樓臺》) 聯經出版
《鴛鴦譜》
《狀元娘子》
《金縷鞋》聯經出版
《鐵面御史》
《小白菜》
《小鳳仙》
《乾隆韻事》
《烏龍院》
《翠屏山》
《正德外記》
《花魁》
《印心石》
《劉三秀》
《徐老虎與白寡婦》
《大將曹彬》
《楊門忠烈傳》
《金色曇花》
《粉墨春秋》
《陳光甫外傳》
《草莽英雄》(又名《琵琶怨》)
《石破天驚》
《血紅頂》
《紅樓夢斷》(《秣陵春》、《茂陵秋》、《五陵遊》、《延陵劍》聯經出版、《曹雪芹別傳》聯經出版、《三春爭及初春景》聯經出版、《大野龍蛇》聯經出版)
《野豬林》
《林沖夜奔》
《魚的喜劇》
《燈火樓臺》聯經出版
《林覺民》
《丁香花》
《李鴻章》
《恩怨江湖》
《假官真做》
《再生香》
《王昭君》(原名《漢宮春曉》)
《八大胡同》
《鳳尾香羅》聯經出版
《玉壘浮雲》
《醉蓬萊》
《安樂堂》
《水龍吟》聯經出版
《蘇州格格》聯經出版
其他
《文史覓趣》
《明末四公子》
《清末四公子》
《同光大老》
《柏臺故事》
《清朝的皇帝》
《明朝的皇帝》
《紅樓一家言》
《高陽說曹雪芹 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)》聯經出版
《高陽說紅樓夢》
《高陽說詩》(獲1984年台灣中山文藝獎之文藝論著獎)聯經出版
《大故事》
《高陽雜文》
《翁同龢傳》
《古今味》
《古今食事》
《梅丘生死摩耶夢》聯經出版
《宮闈蒐秘》
《清幫》
《高陽出擊》
與他人合著
《筆與槍》
《獵及其他》
家庭
高陽晚婚,49歲才同空軍少將郝中和之女,22歲的郝天俠結婚,但因高陽不擅理財,經常和高利貸往來;婚後育有一女,取名議今,10年後離異。許議今成年後長期旅居歐洲。
1983年,結識小其19歲伴侶吳菊芬。
其姑丈為俞平伯;曾叔祖為光緒朝軍機大臣許庚身。
參考文獻
大風之歌: 38位牽動臺灣歷史的時代巨擘,高關中著,由「獨立作家」出版
鄭穎:《臺灣現當代作家研究資料彙編 66 高陽》,國立臺灣文學館,ISBN:9789860463897
逸事
武俠作家古龍,亦酒中豪客。作家燕青曾對高陽驚嘆:「古龍豪飲,一大杯酒可以直接倒進肚子裡,仿佛可以省略喉管之旅。」高陽撲哧一笑,又搖頭:「這哪裡是喝酒,分明是在糟蹋酒。」雖然喝法不同,古龍確係高陽性格契合,酒道投緣的朋友。古龍英年而逝,生前好友購買48瓶XO威士忌灑向墳塋祭奠。高陽在場見證,既傷良友之逝,復感世事無常。更覺得人生有酒且須醉,一滴何曾到九泉。
大導演李翰祥系高陽好友,初進高門,連稱怪哉。因為大作家高陽的書房四壁兀立,根本見不到書,隨處可見的居然是成行成列的威士忌、白蘭地空酒瓶。其實,高陽非但自己就是一個兩腳書櫥,也藏書1500冊,不過另有安置所在。
傳記文學社長劉紹唐先生在憶高陽時說: 「我認識高陽,是在中央研究院,因為那兒有傅斯年圖書館,他常去那查資料,他查到什麼資料就很高興地扯著你不能走,我對高陽這種精神很佩服。」「高陽欠了我很多債,第一是鈔票的債;第二是文債,他答應了我的文章沒有交卷;第三是書債,他看了我的書喜歡的就拿走了,到現在不知拿走了多少書。講到文債,他已經開出題目來,第一個他要寫楊度,杜月笙周圍的八大文人之一。」「講到高陽的喝酒,是另有特色,當高陽拿起酒杯,是要講話的開始,他不像有的人你乾杯我乾杯的鬧酒,他不鬧酒,他喝酒時一定要向你,要向同桌的人講話,也許同桌的人只有少數人對他的話有興趣,他講什麼呢?他講詩,他另外講他新發現的資料,他很少喝得東倒西歪!」
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2023/09/17
一日だけ京都にいた。京都国立近代美術館の展示を見たいと思ったからだった、あまり深いことは考えずに、なんとなくでも興味が湧いたら、それを単なる錯覚だとか抑えずに、とりあえず軽い気持ちで見に行ってみようというモードにあり、それを実行したかった。職場にコロナに感染した人がいて、自分のデスクに近い人だし備品を共用してた人だったので、最近の体調不良からして自分はグレーだと思われるし、今までにあまりない感じの深刻な頭痛がきていつもの薬が効かないということでいよいよこれは、と暗い気分になって仕事を早退した日の夜、22時くらいの夜行バスで向かった。どうもお腹の調子が悪い。でもバスに乗ったら平時の感覚が戻ってきた、たっぷりある移動中に山本精一の本を読もうと思って、財布とかと一緒にリュックに入れた。途中の鮎沢SAは涼しくていい匂いがした、自分の知っている少し昔の夏休みの匂いに近く、下界とは違ってさわやかだった。人の気配がなく、私にはまだ逃げ場があると思える、曇っていて星は見えないけど、この場所は多分自分の味方であり続けてくれるはずだ。途中で酔わない程度に本を読む、やっぱりこの人は頭がおかしい。お腹の調子が悪いしこんな寝不足じゃ、小学生の頃なら吐いていただろう、あんまり眠れないまま5時半に京都駅前に着き、時間的にまだ真っ暗だったら嫌だなと思っていたが思いの外明るくなっていて安心した。国道1号を北へすすみ、日がのぼる頃の鴨川を見たいということでどんどん歩いていった、くるりの「ロ��クンロール」を聴きながら歩くと歩くスピードと合ってて、人も全然いないし人の匂いも全然なく、空気はすずしく、なんとなく自由って感じがあり気分が良かった。高瀬川を渡り、左にカーブするコンクリートの橋を渡る、急に開けて広い川が見える、東側の山の稜線が朝靄と朝日でぼんやり霞んでいる、いいなあと思う、だんだんお腹が空いてきたけどそのままお寺とか神社に行くのがいいかもと、近くにあった豊国神社を参拝した。そのまま川の東側の小道を北へ進むと良さそうな和菓子屋さんがあったけど朝早すぎてやっていない。五条まで来て、川縁に降りてたもとを歩いていった。白鷺とかゴイサギとかカモとかカラスとかがいる、朝の方が川の水もきれいに見えて断然良い。とにかく朝が早すぎて落ち着けるところがそんなになく、疲れない程度に歩くしかなかった。8時半くらいまでぶらぶらして、期待外れだった朝ご飯のお粥をお腹に押し込み、地下鉄に乗って蹴上まで行き、今度こそ「インクライン」を見るんだと思っていたのに、結局やっぱり「インクライン」がどこにあるかわからず、以前来たのと同じルートで南禅寺に行き、水道橋と、本堂の龍の天井画を見た。もうこの辺りで気温が上がってしぶとい暑さに疲れ始めていた。やっぱり同じルートでそのまま平安神宮の方に琵琶湖疎水の脇を歩いて、美術館についたが微妙に開館まで時間があったので、その辺を一周してから入館。朝早いのに若者が結構きていて京都ヤングの文化程度の高さを感じた。眠すぎて時々急に電池が切れたように意識がブラックアウトする。工芸品が所々ケースなどに入れず直に展示されているので万が一そっち側に倒れ込んじゃったりしたら非常に危ない。何度か前や後ろに倒れそうになりながら、そのため監視員にうっすらマークされながら一個一個見たんだけど、やっぱり時代が新しくなるにつれてつまんないというか、何をこいつらはしたかったんだろう、みたいな気持ちが湧いてきて飽きてしまった。60年代までは工芸品とオブジェの境界に迷うような姿勢が見えて、それが作品に直結してる感じがして良かったけれど。最後の部屋まで来てやっと意識が安定してきたので、また最初の方の部屋に戻って展示のストーリーを確認しながら見た、まあ話は分かったがなんかやっぱりつまらないので、単純にいいと思った展示物だけを見て終了し、コレクション展の階に行くと、やっぱりいい絵があったので、安心した。山崎隆の屏風絵《神仙》、《歴史》、村山知義のリノカット、伊藤久三郎の《人々》。これらを見られただけでも収穫だということにする。広くて明るくて客もあんまりいない、すいすいと自分のペースで回って、気分がいい。正常な空腹を感じたので、ああ自分は元気になったんだと安心し、東山からまた地下鉄で二条城前まで行き、頑張って微妙に体力を消耗する暑さの中を歩いていったのに、ちょっと一人で入るのに勇気が必要なカフェでは、狭い待合スペースにイケイケの若者、いや、文化に明るそうな高踏そうな?若者たちが鮨詰め状態なのが見え、すぐに心が閉じてしまって踵を返した、東西の太い道路を横切って、写真のギャラリーに行って、展示を見て、川崎祐という人の写真集を買った、東京で今個展開催中らしい(知らんかった)。最後にまた鴨川を見たかったけれど東海道新幹線の遅延の報を知り、しょうがないのでもう駅に向かう。やたら店内の暗いコンビニで適当に買ったアイスを食べながら日陰を歩く、どこもめちゃくちゃ混んでいて全ての人を黙らせたい衝動が起こったがナチュラルな関西弁は聞いていてそこまで気分が悪くない。京都駅で家にお土産を買って、結局定刻通りに運行しているらしい「ひかり」に乗る、名古屋まで30分くらい、忙しなさすぎてあんまり感傷?に浸ることもなく、でも夕方の車窓はやっぱり美しく、斜め後ろの座席の家族連れがうるさいな~ってことすら流せるくらい順調、定刻通り名古屋について颯爽と下車したら名古屋はまた死ぬほど人がいて、面食らった。改札近くのトイレも駅ビルのトイレもどこも全然空いてなくて、夕ご飯を買いたかった売店も観光客らしい人たちで大混雑していて、たかが名古屋のくせにと軽くイラついた。やっとのことで名古屋屈指の古い地下街の、そのまた地下(地下駐車場の)のお手洗いで用を足し、普通にバスにも間に合った、隣席は発車時刻ギリギリで乗り込んだ黒人の若いお兄さんだった。一瞬、バスジャックされたりしたらやだなとほんの一瞬思ってしまった(彼は終始、携帯などには一度も触れることなく、黒いリュックを抱えて多分寝ていた)。窓がでかいバスで、サッサカ暮れていく空と、高速の防音壁と、一瞬だけ帰ってきた名古屋の街とをゆったりした気分で眺めた、高速に乗る、というのはどこか、挑むみたいな気持ちになる。これからのとてつもない長い距離と時間に、後ろに去っていく風景に、空の色に、それがすごい好きだった。とてつもなく長い距離、というのが私にとっては重要なので���。とてつもない距離とそれが抱えている時間に次第に倦んでいく感覚さえ自分にとっては。こんなにも離れていたということ。これから離れていくということ、小さくなっていくことの寂しさと安心。夕方の名古屋高速はいい。伊勢湾岸道に入り、羅針盤のアルバムを聴きながらうとうとしていると、早々に「足柄から大井松田まで渋滞25キロ通過60分」の表示を見かけた。終電には間に合うかなと思って途中のSAで悠長にソフトクリーム(静岡茶味)を食べてたら、どんどん渋滞が伸びて40キロとかになっていた。横浜から首都高の入り口までも渋滞が始まってるということで地獄が待ってるらしかった。終電に間に合わなかったら交通費をいっぱいにケチった旅行が丸潰れになる~とか焦り始めていると、いざとなったらなんと父が東京駅まで出動してくれるという連絡が。ありがて〜けどそれもまた問題だよと思う。こんな年齢になった娘などもうどこで痛い目にあっていようがのたれ死んでようが放っておけばいいのにと思う。バスの運転手さんは非常に優秀な人と見えて、比較的空いている道ではちゃんとそれなりのスピードで走っていく。特に工事で端っこの車線が慢性的に通行止めの道でも、ガンガン右車線で飛ばしていき、どんどん後ろへ車が抜かされていくのが面白かった。この快調なスピードの上にいないとわからない音楽ってあるよね、ということで、くるりやスピッツやフジファブリックや奥田民生を聴いた。絶対そうなのだ。おなじみの足柄SAにたどり着くと、またものすごい数の車が集まっていて駐車場はごった返していて交通整理をする警備員さんが怒号ともつかない叫びで駐車できずあぶれた車、というかドライバーをさばいていた。御殿場を過ぎて雨が降ってきたけど、いつの間にか雲が切れて止んでいて、夜空はすごく澄んでいて星がいくつも見えた。こういう経験も、夏休みとか冬休み特有のものだった。渋滞でノロノロ進む車内でまた例の本を開く。人や動物に簡単にすぐ殺意を抱いたりしていて忙しそうで笑える。そもそも自分はこういう文体ににハマるたちだし、かなり真理らしいことを言ってたり考え方の極端さには共感すらしてしまうが、憤りとかマイナス?の力が増大した時の思考の飛躍と行動・言動が怖すぎて(ときどき時代錯誤感もあるし)、この人が父親でなくて本当によかった。歌声がいい、歌詞もいい、ギターもすっごいカッコいい、しかし。で、そんなこんなで終電に間に合うか、間に合わないか本当に微妙な時間に���ってきていたが、運転手さんの的確でメリハリある優秀な運転のおかげで遅れは1時間弱だった。心身ともにきついこともめちゃ多い仕事とは思うがやっぱり運転がうまい人はかっこいい。あと夜行バスは疲れている時はもちろん基本的には交通手段の選択肢から外すべきだ。どうせ眠れないから。ふらっとどこかへ消えたいと思った時、忙しない旅程を組むと感動する余裕も大して持てず帰ってきたときに何も変わっていない自分にただ、ただただ絶望する。0時前の混んでいる中央線快速、火でもつけたい気持ちに駆られつつ、急に疲労が襲ってきてまた意識がガンガン途切れて忘れたはずの吐き気も出てきて、薄めた地獄みたいだった。
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7月締め括り
大人になってしまうとね、梅雨明け宣言がニュースで流れないと「夏が来た」ってことを理解できなくなってしまうんだよ。
今度こそ僕等の夏を捕まえなくちゃ、だけど、その前に。
好きなバンドの夏の曲、夏苦手だったので、今年はちゃんと夏を待ちたいな っつってね。
ハラペーニョ、収穫時期がいよいよ分からない。傷んでしまうくらいならと収穫してしまったが、果たして親指くらいのサイズで本当にいいんだろうか、でももう大きくなる雰囲気ないし、来月頭に収穫祭りです。アンドピクルス祭りですね。重要なのは「もっとこうしたい」と思うことだ。そしてそれを実現するための試行錯誤だ。きっと一回で上手くいくより重要なことだ。
ビールがおいしい季節ですねってばかやろうビールは年中おいしいんだよべらんめぇちきしょうめ。
銀座ライオン銀座七丁目店で飲むべきビールは古のスウィングカランから注がれる黒ラベルだとか、大衆迎合的なスーパードライの生ジョッキ缶から打って変わったマニアックな食彩のそれを体感してほしいとかは説教臭くて敵いませんな。せっかく夏なんだから、もっとミーハーに飲んでいきたい。デパートの屋上のビアガーデンとか行きたいね。今すぐにでも。
ビワイチ、やったんだな。やったんだよな?なぜやったんだっけ?忘れちゃったならそれが一番いいや。覚えてるけどね、本当は。
想像よりちゃんとチャレンジだったわ。思い返すだけで尻が痛い、もう寄り道とか無理、ホントはブラックバスバーガーとか、彦根城とかを堪能したかったけどそんな寄り道をできようもなく、ただ目的の為に尽力するしかなかった。
やりきったらロードバイクの魅力にとりつかれたりするかとも思ったけどそんなことはひとまずない、ただ親しみやすい有酸素運動として取り組むハードルは下がったと思う。もう一周しろと言われたら、まぁ、嫌とは言わんけど、しんどい寄りではあるが、まぁ、まぁ、って感じ。
車にバイクで着いていく企画、自分で旅行に行くときもあまり現地情報を調べないが、今回もそんな感じ。人のプランにタダ乗りすると現地の感動が数割増しになって大変よろしいが、プランニングの労を背負わないという態度がまんまリスクになりうる。ご利用は協力的に、友人は大切に。
レンタルバイク、選んでるだけでも楽しいし実際乗っても楽しい、選択肢を広げるためだけに大型免許でも撮ろうかと思うくらい。
8月がやってくる。今年はやりすごす夏ではなく色々やってく夏になればいいな、なんないならなんないでいいや。
でも色々やれたらいいなはある。釣りとか、ハラペーニョとか。
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 9月28日(水) #大安(甲申) 旧暦 9/3 月齢 2.2 年始から271日目(閏年では272日目)にあたり、年末まであと94日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 実を申すと私の父は事業家��てのも 大袈裟ですが、会社を持つ社長さん でした✋なので、子供の頃から割と 裕福な生活を送って居て、当たり前 の事だろうと思ってました🤣😆🤣 小さい頃より、様々な親父の雇人が 来て居て「お坊ちゃん」なんて言わ れて居た頃もありました😅💦 色んな所から転職して来る方も居て 東京都のゴミを収集する業務に携わる 方も居ました✋そんな方が私にこう 云うのですよ「ゴミを分別してるが 全てのゴミは燃やしてしまうんです」 「なので意味がないんですよ!」 なんて💦私は若かったし、そんな事 どうでも良かったのですが、今に思 うと.(o゚д゚)マジスカ?\(__ )マジデスw そんな事を思い浮かべた今朝です💦 . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #京浜線に自動ドア車両. 1926(大正15)年9月28日(火)大安.当時の「日本国有鉄道(通称・国鉄)」の京浜線で初の自動ドアが 導入されました。 京浜線は現在の京浜東北線の一部で、桜木町⇔上野の区間でありました。 尚、日本で最初に列車に自動ドアが採用されたのは「モハ31系列車の乗降口」だったと記録があり ますが、どの線で、どの区間なのか不明ですが国鉄なのは確かだそうです。 自動ドアの歴史って古いのに驚きますよね✋そんな当時って自動にドアが開閉する事が必要だったの でしょうかと思いますけど、人間の横着感が新しい技術や科学を生むのかも知れないですね😅💦 . #大安(ダイアン). 「大安日(にち)」の略。 陰陽(おんよう)道で、旅行・結婚など万事によい日。 一切合切(イッサイガッサイ)が良いとされる日。 . #大明日(ダイミョウニチ). この日は、建築・旅行・婚姻・移転などすべてのこと�� 大吉であって、他の凶日と重なっても忌む必要がないともいう。 . #神吉日(カミヨシニチ). 「かみよしび」ともいい、神社への参拝や、祭礼、先祖を祀るなど の祭事にいいとされています。 この日は神社への参拝や、お墓まいりに行くといい日です。 . #一粒万倍日. 一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、特に 仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であ���とされる。 但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が 万倍になるので凶とされる。 また、借りを作る、失言をする、他人を攻撃する、浪費なども トラブルが倍増するので避けたほうがいいとされている。 . . #琵琶湖大橋開通. 1964(昭和39)年9月28日(月)、琵琶湖大橋が開通しました。 東京オリンピック開催に間に合うようにと約2年で建設工事が進める計画で昭和37年11月5日(月)起工式が行われ着工しました。 . . #パチンコ実践バラエティ番組『くずパチ』の日. #いじめ防止対策を考える日. #くつやの日.#まけんグミの日.#パソコン記念日.#プライバシーデー. #和光堂牛乳屋さんの日.#自動車中古部品の日. . . ●にわとりの日(毎月28日).●不動明王の縁日(毎月28日).●米の日(毎月8の付く日). ●鬼子母神の縁日(毎月8の付く日). . . ●9月28日を含む期間を設定している運動など 歯ヂカラ探究月間(9月1日~9月30日). . . #聖ヴァーツラフの日(チェコ).#教師節(台湾).#世界狂犬病デー(国際デー). . . ■本日の語句■. #少年老い易く学成り難し(ショウネンオイヤスクガクナリガタシ). 【解説】 若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて歳をとります。 気づきたら何も学べないで終わってしまう、だから若いうちから勉学に励まなければならない。 という意味の諺であり戒めであり教えである。 似た出典に「一寸の光陰軽んずべからず(イッスンノコウインカロンズベカラズ)」がある。 類似の諺に「光陰矢の如し(コウインヤンボゴトシ)」、「少年に学ばざれば老後に知らず(ショウネンマナバザレバロウゴニシラズ)」もある。 何れにしても、時は過ぎてしまうのは早いものであるから常に精進せよという戒めですね✋ . . 1969(昭和44)年9月28日(日)赤口. #渡辺美奈代 (#わたなべみなよ) 【女優、歌手、タレント、元アイドル/おニャン子クラブ会員番号29番】 〔愛知県西春日井郡西春町〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/CjBjk0BP-ZZbt5Dzmrhfc5wp_kWq7ZmptKpM4Q0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#大安#京浜線に自動ドア車両#大明日#神吉日#一粒万倍日#琵琶湖大橋開通#パチンコ実践バラエティ番組#いじめ防止対策を考える日#くつやの日#まけんグミの日#パソコン記念日#プライバシーデー#和光堂牛乳屋さんの日#自動車中古部品の日#聖ヴァー��ラフの日#教師節#世界狂犬病デー#少年老い易く学成り難し#渡辺美奈代#わたなべみなよ
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近代日本の芸術家とその邸宅を設計した建築家
※以前の記事に不具合があった為、再掲。 建築家も芸術家の内ではあるが、 ここでは画家や作家の総称として使わせていただく。
先日鑑賞した東郷青児展では石本喜久二が、 また吉田博展では渡辺仁がその邸宅設計に携わっているのを知った。 このように有名建築家が芸術家の邸宅を手掛けた例は いったいどれくらいあるのだろうか。ざっと調べたのが以下の通り。 ▼有名建築家が設計した芸術家の邸宅
太田喜二郎邸 藤井厚二設計 大正13 京都市上京区 アトリエは太田の設計で採光に拘った作り 東郷青児邸 石本喜久二設計 昭和6 世田谷区代沢 現存せず インターナショナルスタイルの「白い家」 吉田博邸 渡辺仁設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず ステンドグラスなどの内装は吉田もデザイン 三岸好太郎 山脇巌設計 昭和9 中野区上鷺宮 バウハウスに学んだ山脇のモダニズム建築は 近隣から「お豆腐の家」と呼ばれていた 安井曾太郎邸 山口文象設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず アトリエのみ 設計にあたり多くの注文があり苦心した様子 前田青邨邸 山口文象設計 昭和11 鎌倉市山ノ内 純和風建築 山奥の寺院の中にあり非公開だが現存する 林芙美子邸 山口文象設計 昭和16 淀橋区下落合 現・林芙美子記念館 数寄屋造の和風建築 林は新居建設の為に建築を学んだ 上村松園邸 西澤文隆設計(坂倉準三建築研究所) 昭和22 奈良市山陵町 現・唳禽荘(れいきんそう) 岡本太郎邸 坂倉準三設計 昭和28 港区南青山 現・岡本太郎記念館 岡本と坂倉はパリ留学中より親交があり、その後も協同 吉村益信邸 磯崎新設計 昭和32 新宿区百人町 住居兼アトリエ 前衛芸術集団「ネオダダ」の拠点となった 通称・新宿ホワイトハウス 現・Chim↑Pomアトリエ 東山魁夷邸 吉村順三設計 昭和28 千葉県市川市 東山の依頼に基づいた簡素な住居 猪熊弦一郎邸 吉村順三設計 昭和46 大田区田園調布 RC造3階建ての二��帯住宅 非公開 赤瀬川原平邸 藤森照信設計 平成9 町田市玉川学園 通称・ニラハウス 竣工時は屋根にニラがなびいていた その他、数多くの日本画家の邸宅・画室の設計に携わっているのが 吉田五十八で、近代数寄屋建築が日本画の制作環境に馴染み、 好まれていた事が伺える。 ▼吉田五十八が設計した邸宅・画室
鏑木清方邸 昭和7 牛込矢来町 旧居 現存せず 昭和29 鎌倉市雪ノ下 新居に五十八が設計した画室を再建 現・鏑木清方記念美術館 小林古径邸 昭和9 大田区南馬込 平成5解体 新潟県上越市に移築 現・小林古径記念美術館 川合玉堂邸 昭和11 新宿区牛込若宮町 現存せず 山川秀峰邸 昭和11 品川区下大崎 画室のみ 現存せず 昭和18 中郡二宮町 別邸 現・旧山川秀峰・方夫邸 山口蓬春邸 昭和14 世田谷区祖師谷 旧居 現存せず 昭和23 三浦郡葉山町一色 画室など増改築 現・山口蓬春記念館(改修は大江匡) 梅原龍三郎邸 昭和27 新宿区市谷加賀町 画室のみ 山梨県清春芸術村に移築 昭和33 同地に新居を建設 その後は不明 吉屋信子邸 昭和37 鎌倉市長谷 現・吉屋信子記念館
ご覧の通り芸術家と建築家の結び付きは強く、 古くはジョサイア・コンドルが河鍋暁斎に師事して日本画を学んでいるが、 もしもコンドルが暁斎邸を設計していたら…なんて想像するのも一興哉。 コンドルの例は兎も角、公共建築に於いては両者の協同も多い。 (例)丹下健三・黒川紀章・谷口吉郎 などの建築家と 岡本太郎・猪熊弦一郎・イサム・ノグチ などの芸術家
元々建築デザイナーも絵描きのうちで、図案や家具、 公共デザインを手掛ける建築家も少なくはないし、 たまたま創作のジャンルが異なっただけのことなのかもしれない。 モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエは優れた画家でもあった。 その一方で、芸術家が自ら建築設計してしまう例もある。 ▼芸術家が自ら建築設計
岡倉天心 明治38 北茨城市大津町五浦 観瀾亭と称する六角堂を設計 東日本大震災で起きた津波により消失 その後再建 橋本関雪 大正3 - 5 京都市左京区 自邸・画室・庭園を設計 現・白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念館 画室は存古楼(ぞんころう)と名付けられた 昭和6 - 7 持仏堂・茶室群を設計 庭園はその後も拡張される 横山大観 大正8 台東区池之端 自邸を設計 東京大空襲で消失 昭和29 同地に新居再建 内装も設計 現・横山大観記念館 旧宅及び庭園が国の史跡及び名勝に指定されている 坪内逍遥 大正9 熱海市水口町 自邸を設計 現・双柿舎(そうししゃ) 山元春挙 大正10 大津市中庄 琵琶湖畔に別邸を設計 現・記恩寺 蘆花浅水荘(きおんじ ろかせんすいそう) 安田靫彦 大正11 三島郡出雲崎町 良寛堂を設計 昭和3 中郡大磯町 自邸を設計 現存せず 昭和6 中郡大磯町 安田善次郎別邸(寿楽庵)庭園内 経蔵・持仏堂・平唐門等を設計 昭和9 伊豆市修善寺 新井旅館 天平大浴堂・花の棟・吉野の棟・観音堂を設計 朝倉文夫 昭和3 - 10 台東区谷中 自邸・アトリエを設計 8回に及ぶ増改築と7年の歳月を掛けて完成した 現・朝倉彫塑館 中庭と屋上庭園が国の名勝に指定されている 柳宗悦 昭和10 目黒区駒場 栃木の農家から長屋門を移築し自邸を設計 昭和11 民衆的工芸品展示の為、同地に日本民藝館を設計 河井寬次郎 昭和12 京都市東山区 自邸兼仕事場を設計 鐘溪窯と名付けた登り窯を付設 現・河井寬次郎記念館 川端龍子 昭和13 大田区中央 画室を設計 昭和23 - 29 同地に自邸を設計 増改築を経て完成 昭和35 伊豆市修善寺 新井旅館 改装工事監修・玄関を設計 昭和37 大田区中央 自作展示の為、龍子記念館を設計 堂本印象 昭和41 京都市北区 自作展示の為、堂本印象美術館を設計
芸術家の���意識が詰まった建築は、個性的でとても興味深い。 素材や意匠など細部に渡って拘りが見え、空間表現も巧みだ。 日本画家の巨匠である安田靫彦と川端龍子は自邸以外の設計も手掛けており 両者の建築コラボレーションが伊豆修善寺・新井旅館を改装する際に、 時を経て実現している。
20220108<加筆修正> 日本画家 橋本関雪・山元春挙を追加
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ハーモニーを届ける旅 1
サングラスの人の「MC」
あんなに楽しかったツアーが終わってしまった。このテキストの書き出しは、苗場プリンスホテルのぽんカレーハウスに並ぶ列の中。1時間並ぶとかは、まぁちょろいオタクのサガ。ロマンシング感じる間も無くすぐカレーだ。
今回のツアーは宇都宮、琵琶湖、東京、博多、大阪、苗場の9回讃歌した。
そもそもゴスペラーズのツアーは当初の計画から讃歌数が増えるのが常で、今回は博多がそれだった。ソウルネのときは桐生がそう。
計画通りでも差し支えないはずが、偶然と縁が結ばれると讃歌公演数が増える。フットワークと情熱があれば、意外と無限に増えるのでは?と畏れていたりもする。
私は地元から抜け出して、関西人の居ないアウェイに行くときの高揚感がたまらなく好きだ。飛行機、新幹線にローカル線、 どこに行っても乗り方が難解な路線バスも悪くない。立ち竦んでいるだけで、どこからともなく道案内のおばちゃんが出てくる関西の下町も好きやけど、自分以外は枯れススキとスズメみたいな風景にぽつんと身を置くのが大好きだ。
ゴスペラーズのライブはそこそこの田舎でも開催されていて、時には1000席以下の箱にもやってくる。そう、彼らはやってくる。歌いに、逢いに全国津々浦々にやってくる。
たまに地方に聴きにいくと旅行もライブも楽しめて一石二鳥。関西弁に顔をしかめる人が少なくないのも、ハッとさせられて嫌いじゃない。歌が地方に足を延ばすキッカケになるのは有難い。行けば必ず、これで合ってるかな…と不安に思うアクセス経路をたどって歩くこと��なる。不安に思ってスマホの地図を凝視して顔を上げると、夕闇にぽつんとライブ会場の灯りが灯っていてホッとするものだ。
そんなゴスペラーズのMCは大きく二つに種類が分かれている。一つは台詞のように、何を喋るか決まっているMC。新しいアルバムの説明なんかは、特にほとんど全公演変わらないようだ。決まりMCが終わるとスッと歌に入ったりするから、あれもまた歌の一部なんだろう。
もう一つはフリートーク。時にはお題があったりして、バンドメンバーが話すシーンもあって和やかで楽しい。あの五人はチームワークで面白い話を回していくのが本当に鮮やかで、RHYMESTERの宇多丸氏に「いやらしいわぁ…クロストークで声が被んないの、こなれ感やだわぁ」と賞賛されていた。
そんな中でとびきりMCが素晴らしい男がいる。村上てつや、グラサンのリーダーだ。街から街へ。それは人から人へ旅するように、きめ細やかに地元の話題を仕入れている。周南市でのMCはおそらく東京ではほとんど報道もされてないのでは?という周防大島の橋にタンカーが衝突した事故を労わる言葉だった。
元々どうも旅好き凝り性な雰囲気があるリーダーだが、心労が多い地域に決して「頑張って下さい」と励ます言葉をかけず、災害の話だけでなく地方の名産品や少し会場から距離のある地名をあげて「あそこにも歌いに行きたいなぁ」と笑う。
ライブラストMCはバンドメンバーやスタッフに盛大な拍手を求め、感謝の言葉を述べると最後は私たち観客のへのメッセージになる。「みなさんがここに来るまでにどれだけのエネルギーを使ってきているか、僕らなりに理解してるつもりです。」わりとこれが私はグッときている。推しを推すために結構みんな頑張っている。それを理解してなお「坂道を一歩、一歩登っていきます。」応援お願いしますというような言葉と共に、最後は決意表明でしめる。
各地で同じような雰囲気のことは話ているのかもしれないけれど、最後は期待に応えますとハードルを自ら一つあげて去っていく言葉がいかにもゴスペラーズという感じがして、てっちゃんの最後の言葉にいつもジーンと感激してしまう。
今回のツアーもレポートをみると各地で素晴らしいご挨拶をされている。
世界に足りないもの、必要なもの。
ハーモニーに乗せて村上てつやが届けてくれたのもの。
それは
各地に心を���せた気遣いと、聞く度にジンと胸を打つMCだった。
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弾丸滋賀旅2日目
流石に仕事後に夜行バスで移動していた疲れからか、予定より少し寝坊して2日目がスタート。朝ごはんに昨日スーパーで買った滋賀県産の愛東ベリーAを食べた。
まずは八幡山のロープウェーへ。
上まで上がって山道を進むと、琵琶湖と近江の街並みを見渡せる絶景が待っていた。朝イチの景色にしては贅沢すぎる。
こういう自然に触れたときの感想がすんなり出てこなくてもどかしい。すごい、しか表現できない語彙力のなさに凹む。
昨日のお肉屋さんのお母さんが言っていたけど、近江八幡も碁盤の目のような道のつくりになっていて(城下町)、上からだとより一層わかりやすかった。整列している家たち綺麗だなあ。琵琶湖を見下ろしてたら、小さなことはどうでもよくなってきた。こんな大きな湖を今見ているわたしもすごい! という気持ち。自力でここまで来たよ。(ロープウェー使ったくせに)
景色を堪能してロープウェーで下山して、おやつ。
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▼たねや日牟禮茶屋
老舗の店構えという感じでツボ。暖簾かわいい。
つぶら餅が名物らしくて、抹茶と一緒にいただいた。あつあつの自然な甘さのあんこと、外はパリパリ、中はもっちりの生地がとっても美味。もなかとお餅とあんこをまとめたみたいな大好物のおやつだった。
そして山道を歩いて汗かいた体に染み渡る冷たい抹茶。
店内も落ち着いていてこのままここに滞在したい。
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そこから琵琶湖の目の前にあるカフェ、シャーレ水浜を目指して大移動。
なんだけど、シャーレ水浜に行くまでの道のりがめちゃくちゃ最高で、いちいち止まってしまうせいで全然先に進めない。琵琶湖沿いをぐるっと歩いていく。
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わたしの目に録画機能があればいいのにと心底思った。この景色を人に見せたい気持ちと、秘密にしておきたい気持ちと、ああまたすぐに訪れたいなという気持ちと、いろんな感情がいっぱい。さわやかな秋晴れで、ちょっと歌いながら歩いた。本当に気持ちがいい。
琵琶湖沿いをランニングしてる人、キャンプみたいなことをしてる人、ツーリングしてる人、いろんな人とすれ違った。
滋賀にきてからすれ違いざまに挨拶してくれる人とたくさん出会った。これすごく気持ちいいし、挨拶はやっぱり1番大事なことなんだな。誰にでもできるけど意外と難しい。挨拶をすることは、敵じゃないことを表す役割を持つと聞いたことがあるけど、本当にそうだ。この土地で少し受け入れられた気がする。
自然をたくさん吸収して、ぼーっとして、イライラするとか負の気持ちを全部デトックスした。琵琶湖沿いをのんびり散歩して、この景色を見たということがこの旅のハイライト。またやりたい、絶対来る。
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▼シャーレ水浜
琵琶湖を眺めながらビーフカレーを食べた。
シャーレ水浜から見る景色はもちろん最高なんだけど、観光地すぎて若者がたくさんいたし、ちょっとのんびりするのには違うかもと思った。地元の人と、少しの県外からふらっと来た人くらいしかいないところが理想だけど、わたしもただの若者観光客だから人のことは言えない。
帰りもまた琵琶湖沿いを歩く。本当にこんなスッキリした気分になったのはいつぶりだろう。国内の湖巡りとかしたい。
時間も少なくなってきたので近江八幡の方へ戻る。
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▼ ラ コリーナ近江八幡
ここでできたてのバウムクー���ンが食べたかった���だけど、ちょうどおやつの時間と重なりもうとにかく人人人。とりあえずバウムソフトを食べる。観光地的な場所はやっぱりどの地方も人が多い。
バウムサブレが乗ってるアイス。さすがの美味しさだった。
いよいよ時間がないのでサクサク移動。
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▼八幡堀めぐり
今回の1番の目的はこれ。レトロな街に行きたくて調べてる時に見つけた八幡堀めぐり。このために今回の旅を決めたくらいだった。
30分ほど船に乗って、八幡堀をゆっくり鑑賞する。
とにかく気持ちがいいし、ここを何百年も前の商人たちが移動してたというのはなんとも不思議な気持ち。それが今も残って、しかも体験できるなんて貴重だ。
陸路で移動するのは大変だから、琵琶湖から水を引っ張ってきて船を使って移動しよう、っていう発想から生まれたのかと思うんだけど、そんなこと思いつくかな、思いついてもやろうと思わないかもしれない。今の時代があるのは先人たちが切り開いてきたおかげなんだなあとしみじみ。
素敵な時間を過ごせて本当によかった。次乗るなら手漕ぎ船のほうにしたい。
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近江八幡��ら彦根へ移動。この移動のとき、外を見ながらぼーっと木綿のハンカチーフを聴いていたらすごく沁み渡った。いい曲。
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▼和菓子処 さわ泉
彦根城へ向かう途中にお団子をゲット。
柔らかくてふわふわしててとにかく美味しい生じょうゆのお団子。みたらしも食べたかったなあ。
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▼彦根城
まさかのまさかの、17時までで見に行けず入り口だけ。近江八幡と琵琶湖を楽しみすぎたということで。また滋賀県に来る理由ができた。
ぶらぶら歩いて見えた夕日がすごくすごくよかった。ここで旅の終わりを感じてセンチメンタルになる。
夢京橋キャッスルロードも通ったけど、時間が遅いのでほぼほぼ閉まっているという。でもレトロな街並みで大好きだった。街中のスーパーとかのぞきながら歩くの楽しい。
夕飯は駅前でひこね丼を食べた。わざわざ行くほどでもなかったかも……と少し後悔。早めに名古屋行って名古屋メシのほうがよかったかもしれない、旅の最後の食事ではなかったなあ。
まあそれもある意味思い出。赤こんにゃくを食べられてよかったということにしよう。
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今回の旅もまた最高なものになってしまった。突発的な旅も無計画な旅ももちろん大好きだけど、ひとり旅なら気分で行き先も時間も変えられるし、ある程度事前にプランを立てていいかもなと、ヘルシンキと滋賀の旅を経て感じている。
滋賀県に思い入れもなかったし、琵琶湖があるくらいしか知識もなかったけど、今回滋賀ダイジェストのような旅をして、好きな土地のひとつになった。
自分でスケジュールを組んで、うまく回れて、いい人とも出会ってたくさん会話して、なにより自然から癒しをもらい、心を浄化できて幸せだった。
日本一大きな湖を目の前で見て、周りを散歩して、そんな贅沢なことなかなかできない。この旅で見た全ての景色が本当に心に残っている。
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たしかにわたしの目は録画機能はないけど、だからこそ忘れずに覚えているんだろうな。
旅とは、いろんな人の日常にお邪魔して、非日常を味わわせてもらうことだと思う。
また来週も、いや明日にでも旅に出たいくらい。お金以上の経験と満たされた気持ちを得られる旅って本当に素敵なこと。
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📸蘆花浅水荘(記恩寺)庭園 / Rokasensuiso (Kionji Temple) Garden, Otsu, Shiga 滋賀県大津市の国指定重要文化財『蘆花浅水荘』の庭園が素敵…! 今週末6/18(土)・19(日)まで特別拝観中!近代を代表する日本画家 #山元春挙 が自らデザインした和洋折衷の近代和風建築と茶室、琵琶湖を借景とした庭園…。作庭は“植治”七代目小川治兵衛と並び称された近代京都の庭師 #本位政五郎 。 滋賀・蘆花浅水荘(記恩寺)庭園の紹介はこちら☟ https://oniwa.garden/rokasensuiso-kionji-temple/ ...... 「蘆花浅水荘」(ろかせんすいそう)は竹内栖鳳と並び明治〜昭和初期の京都画壇を牽引し、国内のみならずフランス政府🇫🇷から勲章も受賞した日本画家・山元春挙🎨が滋賀・大津の琵琶湖畔🌊に大正時代に造営した別荘。 . その近代和風建築および庭園含む土地🏡が国指定重要文化財で、琵琶湖を借景とした庭園は大津市指定名勝となっています。現在、所有は山元家により開かれた曹洞宗の禅寺『記恩寺』。 . 普段も非公開というわけではなく「拝観は3日前までに要予約」。…といっても電話すれば3日後に確実に拝観できるというわけではなく、お寺さんと都合が合えば拝観可能(なので早めのご連絡推奨)。 . …2018年頃からずうっと訪れたい場所だったのですが、2019年まではことごとく都合が合わず…(その後はコロナ禍)。 . で、現在滋賀県立美術館🏛で開催中の『生誕150年 山元春挙』展の連携企画として、蘆花浅水荘では「土日祝のみ予約無しで特別拝観」を実施!(〜6月19日まで) これを機に念願の!初拝観。 . 京都の御所南(高倉通丸太町下ル)に本邸があった山元春挙が故郷である大津・膳所の琵琶湖畔に1914年〜1921年と長い時間をかけ建築したこだわりの別荘・蘆花浅水荘。 . 春挙自身設計にも関わり、京都の大工・橋下嘉三郎⚒をはじめとする職人と作り上げた理想の数寄屋風造りの近代和風建築は表門/本屋/離れ/持仏堂/渡り廊下/土蔵の6棟が国の重要文化財。“蘆花浅水荘”の名は唐の詩人・司空曙が江村の情景を詠んだ詩が由来。 続く。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifulkyoto #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japandesign #jardinjaponais #japanischergarten #bonsai #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #滋賀庭園 #庭院 #庭园 #近代建築 #近代和風建築 #数寄屋建築 #特別公開 #特別拝観 #重要文化財 #文化財庭園 #瓦ヶ浜 #おにわさん (蘆花浅水荘(記恩禅寺)) https://www.instagram.com/p/Ce3hBiLLgxP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2024/10/21 8:00:15現在のニュース
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高陽 (作家)
H:高陽1959年(時年38歲),以中華民國空軍上尉軍銜退伍,進入報界。
生活不易,「高陽晚年臥病在床,因為不懂得投資保險,其醫藥費都還是王惕吾先生代墊的。」作家的苦至死方休。多產歷史作家亦是淒苦惶惶,何況一般作家。20240626W3
維基百科
高陽 (作家)
高陽(1922年4月11日—1992年6月6日),本名許晏駢,譜名儒鴻,字雁冰,筆名高陽、郡望、史魚、孺洪等,以筆名「高陽」行。浙江杭州人,為中華民國當代作家,以歷史小說著稱,精通清代歷史掌故。善於以細膩的描敘烘托氛圍,使人如親臨其境,近古歷史小說創作者未有第二人。河北高陽原為許姓郡望。家族聚居於錢塘橫河橋,至清末有四世尚書。性嗜酒,有一說其筆名「高陽」是出自「高陽酒徒」的歷史典故,其實為誤。 許氏多郡望,長年世居多處。高陽筆名源於其世家高陽郡。因此高陽許氏。
簡介
出生資訊: 1922 年 4 月 11 日,浙江省
逝世: 1992 年 6 月 6 日,臺北台北市
著作: 紅樓夢斷、 千門八將: 千手觀音、 千門八將: 永樂大典、 燈火樓台、 紅樓夢、 慈禧前傳、 胡雪巖全傳: 紅頂商人, …
配偶: 郝天俠(離異)
1959年(時年38歲),以中華民國空軍上尉軍銜退伍,進入報界。在《中華日報》擔任主筆多年(後曾升任主編)以及《中央日報》特約主筆。亦因結識人稱「當代孟甞」的聯合報系董事長王惕吾先生的關係,在《聯合報》擔任特約小說作家,王老亦因愛才,才在高陽一生之中替其償還了不少債務,還曾撥了一棟房子供其居住。對於這些事,王惕吾先生曾說過:「像高陽這樣一位有才華的文人,他要求的不多,我負擔得起,不像有些才華不高的文人,卻要求的很多,那就不是我負擔得起囉!」。甚至到了高陽晚年臥病在床,因為不懂得投資保險,其醫藥費都還是王惕吾先生代墊的。病中之高陽心有所感曾在《病中手記》寫道:「我在少年輕狂時期,曾有一聯:天生傲骨難諧俗,養就雄心不受憐。惕老憐我,不是恤老憐貧之憐,而是憐才愛士之憐,每念及此,熱淚盈眶……」。
一生創作頗豐,著作約90餘部,105冊,讀者遍及全球華人世界。其中代表性作品有《胡雪巖》三部曲、《慈禧全傳》、《紅樓夢斷》全集等。高陽的作品中對於清代歷史有着獨特的研究深度,也是他最為拿手的部分。他也是著名的紅學家。出版家霍寶珍曾言:「中國大陸有十一億人口,也沒有出過一個高陽」。亦著有《明朝的皇帝》。
主要著作列表
小說
《猛虎與薔薇》
《霏霏》
《落花生》
《紅葉之戀》
《凌霄曲》
《花落花開》
《避情港》
《紅塵》
《桐花鳳》
《驚蟄》
《李娃》
《愛巢》
《風塵三俠》
《少年遊》
《金色的夢》
《淡江紅》
《荊軻》
《紅燭》
《緹縈》
《清官冊》
《百花洲》
《慈禧全傳》(《慈禧前傳》、《玉座珠簾》、《清宮外史》、《母子君臣》、《胭脂井》、《瀛臺落日》)
《紫玉釵》
《百花洲》
《胡雪巖》(《胡雪巖》、《紅頂商人》、《燈火樓臺》) 聯經出版
《鴛鴦譜》
《狀元娘子》
《金縷鞋》聯經出版
《鐵面御史》
《小白菜》
《小鳳仙》
《乾隆韻事》
《烏龍院》
《翠屏山》
《正德外記》
《花魁》
《印心石》
《劉三秀》
《徐老虎與白寡婦》
《大將曹彬》
《楊門忠烈傳》
《金色曇花》
《粉墨春秋》
《陳光甫外傳》
《草莽英雄》(又名《琵琶怨》)
《石破天驚》
《血紅頂》
《紅樓夢斷》(《秣陵春》、《茂陵秋》、《五陵遊》、《延陵劍》聯經出版、《曹雪芹別傳》聯經出版、《三春爭及初春景》聯經出版、《大野龍蛇》聯經出版)
《野豬林》
《林沖夜奔》
《魚的喜劇》
《燈火樓臺》聯經出版
《林覺民》
《丁香花》
《李鴻章》
《恩怨江湖》
《假官真做》
《再生香》
《王昭君》(原名《漢宮春曉》)
《八大胡同》
《鳳尾香羅》聯經出版
《玉壘浮雲》
《醉蓬萊》
《安樂堂》
《水龍吟》聯經出版
《蘇州格格》聯經出版
其他
《文史覓趣》
《明末四公子》
《清末四公子》
《同光大老》
《柏臺故事》
《清朝的皇帝》
《明朝的皇帝》
《紅樓一家言》
《高陽說曹雪芹 (頁面存檔備份,存於網際網路檔案館)》聯經出版
《高陽說紅樓夢》
《高陽說詩》(獲1984年台灣中山文藝獎之文藝論著獎)聯經出版
《大故事》
《高陽雜文》
《翁同龢傳》
《古今味》
《古今食事》
《梅丘生死摩耶夢》聯經出版
《宮闈蒐秘》
《清幫》
《高陽出擊》
與他人合著
《筆與槍》
《獵及其他》
歷史小說定義
歷史小說是小說體裁的一種,遵照歷史事件和人物進行鋪展描述的書寫體,可適當虛構,故事主線順應歷史發展方向,一定程度反映了歷史時期的社會面貌。 能給予讀者一定的教育和啟迪。
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烏鎮戲劇節:水巷裡 櫓聲慢 戲正濃
第八屆烏鎮戲劇節表演節落幕。 八屆戲劇節,讓更多的潛在行動的美好,成長為創造者屆搭建了一個舞台,更見證了烏鎮從旅遊亮點、旅遊專題向文化小發展鎮的變化,讓你獲得了現代與年輕的活力、傳統與的交融。
圖源:視覺中國
戲劇節裡的烏,有許多不經的“遇見”——在昭明書院石坊前,表演一場學生隊表演的邊戲;在雨橋讀橋的石板路上,和眾人一起被詼諧的默劇逗笑;在染坊曬場飄搖的藍印花布間,為一出沒看過但一直能看到劇情劇鼓掌……ssp g4轉轉脂效果sspg4有幾顆sspg4哪裡買ssp-g4有幾顆
江南水鄉古樸、小橋流水依舊,戲劇亮起,空地就是舞台。烏鎮更現代的文化內涵。
今年的戲劇節,23部特邀劇碼共64場演出,18部青年競演劇碼入圍,200餘場古鎮。嘉年華在舞台劇中,戲劇集市首次推出,吸引了來自戲劇的戲劇創作者、想要參與的活動。
在烏鎮參與戲劇節是一種什麼樣的感受?戲劇節鎮又在歷史上帶來了烏鴉的貢獻?我們來一聽觀眾、戲劇創作者、戲劇節表演者的演講。
來自河南鄭州的遊客郭亭:
罷工戲劇的美好
4年前,我第一次來到烏鎮,小橋流水、黛瓦白牆的小鎮,選擇吸引了我。今年,我特意在烏鎮戲劇節期間感受6歲的孩子來,讓他感受戲劇節的氣氛。
明天開始,下午我們5點到西峽谷的景點,就讓我們遇上了一個奇幻幻影。 ,孩子特別開心。ssp g4轉轉脂效果sspg4有幾顆sspg4哪裡買ssp-g4有幾顆
我帶孩子研究演戲,包括一個故事講述了人類和機器的關係複述戲中台詞。誰說孩子不懂戲劇呢?我們有誰,在門口,還碰上了戲中戲的幾位主演。 ,還聽著背孩子的台詞。在烏有寂靜的夜裡,我們要促成一場成功的美好。
“再見,小草!” “再見,大酒店!” “再見畫廊!” “再見,再見!” 我們坐電瓶車離開的時候跟烏鎮所的一孩子草一木,都非常期待再見。我還挺感動的。
我在一家通信公司上班,業餘時間喜歡看戲劇,戲劇給我的生活帶來了不一樣的色彩。可能我對戲劇的喜愛,也影響到了。琵琶,看看大千世界,發現更多有趣的人和事。
青年競演李紫涵:
戲劇節提供了一個成長的舞台
晚上10點,桂花環表演現場4小時的電影放映,走出烏鎮的湖劇場,香香面面交流,又度過了美好的一天。者都住在4個人的青年社,一天的安排就是吃飯、排練、看戲、睡覺。在10天左右的時間,和旅遊懷著同樣夢想裡的人“浸泡”在戲劇中,是很難忘的經歷。
我是影視專業研二學生,今年提交的參賽作品主題是關於青春的。青年競演一直是烏鎮戲劇節的重頭戲,對於熱愛戲劇的青年人來說,這裡提供了一個成長的舞台。這是我第二次來烏鎮戲劇節參加青年競演。早在 4 年之前,我已經讀了大三的我就來了,離得遠遠的懂地捧了一個特別關注的一次獎回去。每一位給我們建議的和其他同學,評了很多東西,等我和他們中的一些人成為創作夥伴。
每一年戲劇節青年競演的人都在增加。今年組委會收到的包裝材料有 571 份,最後有 18 組作品入圍。是創新青年競演的突出特點。的,無論是從創作的劇本還是內容,都呈現出更複雜的傾向。這次我們的作品也有一些創新的,用平面影��來構建整個戲的基調,排演中過程設計了很多表演與螢幕的融合。
今年的青年競演安排在蚌灣劇場,可以臨河而建的小劇場。場上只有20個座位,開場前有觀眾提前好幾個小時現場領票。劇院外設置了一塊磚螢幕,可以隨時觀看場內的演出。 每次進場前,都能看到熱情而有耐心的觀眾在校園。
在烏鎮參加戲劇節,和在城市的劇場裡表演體驗很像。這是一個相對封閉的空間,又分開開放的交流,讓我更容易融入其中。 ,這樣的直接反饋對創作者非常優秀。
烏鎮旅遊總裁陳向宏:
有戲劇節的烏鎮,氣質是不一樣的
從2013年開始,烏鎮戲劇節已經進入了第九個頭,接下來的第八屆。今年戲劇節的主題是“茂”。主題海報,幾束舞檯燈光構成了一個竹筍的造型,十分形像地意為這個主題,寓茂盛生長。
曾經有很多人是因烏鎮而了解烏鎮戲劇節,而現在很多人則是因烏鎮戲劇節而知道烏鎮。有戲劇節。的烏鎮,氣質是不一樣的。
戲劇節不是為了舉辦戲劇節的,要觀看旅遊節的本來義意,不斷擴大外延、深耕內涵。ssp g4轉轉脂效果sspg4有幾顆sspg4哪裡買ssp-g4有幾顆
烏鎮戲劇節舉辦以來,有8000年青年戲劇人參加競演,戲劇節還延伸出一屆青年戲劇人的培養、孵化機制。
一個戲劇節,沒有大眾喜愛和的力量,就缺乏持續的鮮活生命力。今年的戲劇節擴大戲劇性的生活化,在遠處的北柵絲廠新看到“戲劇集市”免票,不用買票也可以參加,藝術展覽,參加讀書會等等。
舉辦一個國際性的戲劇節常住不到1萬人的江南崛起? 5G信號覆蓋、影院設施完善的更新改造,引發戲劇節,我們也是看到了與萌芽、傳統現代的交融融為一體。
戲劇節的舉辦,見證了烏鎮從旅遊專題、專題向文化的蝶變。
“十四五”要提出,推動文化和旅遊融合發展。我理解的文案融合發展,文化內涵是,旅遊是手段,和旅遊要找到過程路線規劃的結合點。避免概念化、淺表化,二是某某某的鼓勵。
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2021年 陸水学会若手の会を開催しました
2021年9月20日に、オンラインにて陸水学会若手の会を開催致しました。 今年度の東京大会もオンサイトで行うことはできず交流機会が減少してしまった中、少しでも陸水学について気軽に研究交流のできる場を作れればと本会を企画致しました。
当日は11名の方が発表をして下さり、例年の若手の会同様に、生物から生物化学や化学分野、バクテリアから脊椎動物、自然湖沼やダム湖から河川、実験アプローチからフィールドワークと、複合分野の陸水学らしく、分野・対象・フィールド・アプローチのいずれも多様な演題が集まりました。また今年は新たに雪氷学の方の発表のあり、ますます他分野への広がりも見せていました。心よりお礼申し上げます。 発表者の皆様の他にも、多くの方が聴講にいらして下さり、多数のご参加を頂きました。
今回は”Limstagram”と銘打って写真、動画の紹介をメインとしたカジュアルな発表を目標として、発表者一人につき5分+5分程度の質疑と、フラッシュトークを設けておりましたが、口頭並びにチャット機能にて絶え間なく質問・コメント・議論が続きました。
ご参加頂きました皆様のご協力なしには、このような活発な交流は実現し得ませんでした。改めて、心よりお礼申し上げます。お忙しい中、本当にありがとうございました。
オンラインでの研究交流の有効性、楽しさを実感しつつも、やはり対面での交流も恋しくなります。 2年連続でのオンライン開催となりましたが、来年こそは、現地での大会にてお会いできますと幸いです。
文責:石橋
2020年 陸水学会オンライン若手の会 実施概要
日時:2021年9月20日 19:00~21:05(その後、懇親会)
会場:オンライン(zoom)
参加者所属:京都大学、神戸大学、東北大学、千葉大学、埼玉大学、総合研究大学院大学、横浜国立大学、兵庫県立大学、国立環境研究所 ほか(敬称略)
[プログラム]
19:00-19:05 趣旨説明・発表に関する注意事項
19:05-19:15 石橋孝晃(京都大学・D1)「誰でも知っているようであまり知らない琵琶湖のホント」
19:15-19:25 植村洋亮(北海道大学・M2)「温度依存競争をする河川性サケ科魚類の研究」
19:25-19:35 Yan Hongyu (埼玉大学・D1)「A Novel Flow Velocity Simulation System for Cyanobacterial Research」
19:35-19:45 大竹裕里恵(兵庫県立大学・ポスドク)「ミジンコ休眠卵の発生過程 ー堆積物由来休眠卵孵化研究の序章ー」
19:45-19:55 小野誠仁(千葉大学・D1)「雪氷生物が織りなす不思議な世界」
19:55-20:05 今野友陽(北海道大学・M2)「ザリガニに居候する不思議な生物ヒルミミズ」
20:05-20:15 坂田雅之(神戸大学・ポスドク)「#環境DNA #タナゴ類 #婚姻色 #堆積物コア #安心安全な生物調査」
20:15-20:25 鈴木碩通(東北大学・B4)「ダム湖の動物プランクトン群集構造は何によって決まっているのか?」
20:25-20:35 土屋 健司(国立環境研究所・特別研究員)「湧水と藻類」
20:35-20:45 長谷川稜太(北海道大学・D1)「イワナに寄生するナガクビムシ(カイアシ類)の野外における生態」
20:45-20:55 丸岡奈津美(東北大学・D3)「ミジンコの共存メカニズムを探る!ーボートで漕ぎ出しミジンコ採���ー」
20:55-21:05 和田智竹(総合研究大学院大学・5年一貫博士課程5年)「南極の季節性湿地で大発生するヒルガタワムシの謎」
21:05- まとめ
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4/9 #大仏の日 誕生日/ #クリステンスチュワート #セベバレステロス #永島昭浩 #ジャンポールベルモンド #寛仁親王妃信子殿下 #大川橋蔵 #天宮良 #山下智久 #伊藤美紀 誕生日 1821年 ボードレール(詩人) 1892年 佐藤春夫(作家) 1910年 白川静(漢字・漢文学者 ) 1929年 大川橋蔵(俳優) 1931年 広中平祐(数学者) 1933年 ジャン=ポール・ベルモンド(俳優) 1945年 成田アキラ(漫画家) 1946年 高樹のぶ子(作家) 1954年 デニス・クエイド(俳優) 1954年 山内としお(俳優) 1955年 寛仁親王妃信子殿下 (皇族,寛仁親王妃,麻生太郎の妹) 1957年 セベ・バレステロス (スペイン:ゴルフ)Severiano(Seve) Ballesteros[2011年5月7日歿] 1962年 天宮良(俳優) 1963年 マーク・ジェイコブス(ファッションデザイナー) 1964年 永島昭浩(サッカー/フジTV永島優美アナの父) 1971年 ジャック・ヴィルヌーヴ(F1) 1971年 伊藤美紀(タレント) 1972年 ベルナール・アッカ(格闘家・タレント ) 1974年 伊藤さおり(北陽・タレント ) 1978年 天野浩成(俳優) 1983年 メジロラモーヌ (競走馬)1987年顕彰馬[2005年9月22日歿] 1985年 山下智久(NEWS・タレント) 1990年 クリステン・スチュワート(女優) 誕生花は 花忍(はなしのぶ)、花言葉は“早く来て”、 誕生石は サードニクス(sardnyx)、宝石言葉は“夫婦の幸福” 大仏の日 752(天平勝宝4)年のこの日、奈良・東大寺の大仏開眼供養が行われた。 左官の日 日本左官業組合連合会が制定。 反核燃の日 青森県労働組合が制定。 1985年のこの日、北村青森県知事(当時)が県議会の全員協議会で核燃料サイクル施設の推進を表明した。これにより議会の承認を得たとして、それ以後核燃施設の建設が進められて行った。 美術展の日 1667年のこの日、パリで世界初の美術展が開催された。 食と野菜ソムリエの日 日本ベジタブル&フルーツマイスター協会が制定。 四(し)九(く)で「しょく」の語呂合せ。 子宮の日 子宮頸がんを予防する日 子宮頸がんを考える市民の会が制定。 歴史・出来事 0752年 東大寺大仏開眼 1865年 米・南北戦争終結 1890年 琵琶湖疏水開通式 1948年 コロンビア・ボゴタで大暴動 1948年 デイル・ヤシーン事件 1952年 日航機もく星号、三原山墜落37名死亡 1959年 国民年金法成立 1991年 グルジアがソ連から独立 #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #金銀ドレープ #ケープ #カラーシート #カラーチップ #C³ #色のみかた #顔タイプ診断 #パーソナルカラー診断 #シーキューブ #insta_higashinada #神戸市 #東灘区 (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CNa7LKAgrlg/?igshid=m3y52yderx4k
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怖くて記憶に残ってしまった怪談…実体験を含む数々のエピソードに戦慄
集計期間:2020年8月20日~8月22日 回答数:16363
夏の風物詩といえば怪談。古今東西、いろいろな物語が存在しますが、皆さんの心に強烈なトラウマを残すほど怖かった話はありますか?
今回はそんな「怖くて記憶に残ってしまった怪談」について調査を行いました。
続きを読む方はどうかお気をつけて…
怖くて記憶に残ってしまった怪談はありますか?
回答者16363名のうち、怖くて記憶に残ってしまった怪談が「ある」と答えた方は全体の約34.8%という結果に。
ここからは、怪談の具体例を見ていきましょう…
この恐怖!記憶に残る怪談
<さまざまな怪談>
・琵琶湖に飛び込む写真を撮りたいといって飛び込む瞬間とったら下から手がいっぱい出てきてってはなし
・近所にある橋の名前がお岩さんの死体が流れ着い事が由来と言われていて子どもの頃はとても怖かったです。
・警察署などの建物の横に事故車などが置かれるけれど、夜中になるとその警察署の壁を、事故で亡くなった人が血まみれの姿で必ずはってよじ登る姿を沢山の人がよく目撃しているとか。
・警察のフリして訪ねてきて、目撃者でないか確認してくる殺人犯。目撃した、と話したら殺されるという話。現実にありそうで怖い…
・赤子をおんぶした母親が宝の入った壺を取りに行くが 中々取れない壺を引き抜いて家に辿り着くと宝の壺は自分の赤子の血切れた首だった
・未だに『おいてけ堀』という怪談の怖さが忘れられません。この怪談を思い出すと、暗いところで後ろの気配が気になって、思わず走ってしまいます。
・『耳なし芳一』字があってるかはわかりませんがミミナシホウイチの話です。耳を千切り取られるのは恐怖のなにものでもなかった
・20歳までに「ムラサキカガ��」という言葉を忘れなければ死ぬという話。聞いてからしばらくは忘れていたのに、20歳の誕生日と同時に思い出して焦った。もうすぐ30歳になるが、未だに思い出すと怖くなる。
・遭難した4人組が山小屋で一夜を過ごす話。寝ないようにそれぞれ小屋の四隅に立ち、隣の隅にたつ人の所まで行って肩を順番に叩いてから場所を交代して、それをぐるぐると一晩中行い無事に夜が明けて下山できた。一巡目、最後に動いた人は一体誰の肩を叩いたの?
・自転車で急いでとある踏み切りを渡ると後ろの荷台に上半身だけの亡霊がドンと降りてくる。振り落としても腕だけで追いかけてくる。パタパタと呼ばれていたけど、昔は怖くて踏み切りを渡れなかった。今は高架線になったからパタパタは居なくなったかも。
・事故物件にすむ人の話で、そこの2階にある部屋に住む人は必ず2週間以内に引っ越すという話で、なぜかというと、毎日人間じゃないものが階段を一段づつ登ってきて、そのアパートは13段しかないので13日目には自分の部屋に来てしまうので2週間しか耐えられないという話。
・20代の頃フィリピンに行った時、知り合いの家で葬儀があり昔の言い伝えで葬儀を終え埋葬したら3日の内に死者の魂(本人)が必ず友人や職場などに立ち寄った後、家に帰って来ると言われその確認の為3日目の昼過ぎから夕方の間、その前に玄関から家の祭壇まで白い粉を撒きます。その間誰も家に入っては駄目だそうです。そして足跡?を確認するそうです。足跡?があれば成仏するそうです。
・心霊スポットに車で遊びに行った4人。その内の1人が数週間後にバイクで2ケツしていたら転落し、亡くなった。残る3人が心霊スポットに行ったせいではないかと不安になり、車でお祓いに行くことにした。神社に着くと、神主さんが車を指差して一言呟いた。「どうして連れてきたの?」3人はその言葉の意味がわからず、車の方に目をやると、ボンネットに人の手の跡が無数についていた。
・学生の頃、犬村という話が忘れられない。その村は四国の方の山奥にあって村人は昼間は普通なんだけど夜になると四つん這いで歩いたり遠吠えしたり生肉を食らうという。実際その村に極秘潜入したテレビクルーがその惨状をカメラに収めたが何らかの大きな力でお蔵入りになったと。
・会社の人から聞いた話です。娘さんに縁日で風船を買ったそうです。家に持って帰り2、3日二階の娘さんの部屋に置いていたそうです。ある日リビングで用事をしていると後ろから気配が。ハッと振り替えるとそこには縁日で買った風船が浮いていたそうです。しかし娘さんの部屋は二階の奥にあり、階段も曲がって降りなければ降りてこれません。怖くなり風船は捨てたそうです
<テレビ番組やマンガでみた怪談>
・幼稚園の頃にポンキッキーズで放送していた、花子さんシリーズ。子供には怖過ぎ、今だにトラウマ。
・花子さんのアニメで枕元にバナナの絵を置かないと足を切られて殺される?みたいな内容の話。幼少期に見たせいで足を布団から出さずに寝るクセがついた。
・小学生の頃、夏休みの昼間にあなたの知らない世界って番組やっていて、トンネルで肝試しした人の話で、車で来て怖くなって逃げたんだけど、窓に幽霊の手のあとがついて、ガソリンスタンドで拭いてもらったら、一つだけ内側にありますっていわれてた話…。しばらく、トンネルが怖かったです。
・本当にあった怖い話という番組の中で、キャンプ場のトイレに女の子がポーチを忘れて、取りに戻ったら、トイレの中からお化けが出てきて、追いかけて��たという…未だに忘れられません。
・友達の家で読ませてもらった漫画で、人参嫌いの男の子が人参食べられますようにとお祈り(?)したら食べ物がみんな人参に見えるようになった話。食べるとたしかハンバーグだったりするんだけど、そのうち本当の人参も知らずに食べてお母さんに褒められる。ある朝、起きたらそばにあった大きな人参を食べてダイニングに行くが、お母さんがいない。お母さんは男の子の部屋でかじられて死んでいる。
・20年以上前にTVで山田邦子さんが披露していた話です。ある夫婦が些細なことで喧嘩して夫が妻を勢いで殺してしまった。焦った夫は床下に遺体を隠した。翌朝、起きてきた子供にママは?と聞かれて誤魔化した。それが1週間ほど続いて、子供に嘘を突き通せなくなった夫が子供に話があると切り出すと、子供も話がある、と。そこで子供の話を先に尋ねると、「パパはなんでずっと、ママをおんぶしてるの?」
<自分の実体験も>
・義理の弟が亡くなった数日後、仏壇から 男の人のお経が聞こえた
・金縛りにあい女の子が耳元にフーと息を吹きかけてきてケラケラと笑いながら走って逃げていった。我が子は成人だし、当時小さな子どもはいない状況だったので怖くてその後眠れなかった。
・シャッター倉庫内で暗室作業時、明るくする為シャッターを開ける途中、回りには誰も居ないのに女性の声で「痛いよ?」との声が聞こえた事。
・テレビを消して、眠りに着こうと思ったらパチってテレビがついて、また消してを3回繰り返して、幽霊だと思って、もうやめてと大声で怒鳴ったら、おさまりました
・心霊スポットに行くと必ず色々ハプニングに遭遇する。慣れた道のはずなのに帰ろうとすると、何故か心霊スポットに戻ってしまうのを30分くらい繰り返してる途中、同乗者の1人に全く知らない子供の声で、「パパ早く帰ってきて」と電話が掛かってきた。(自分含め皆んな10代~20代前半の独身。)
・小学校の時に体調が悪くて保健室で寝てたら布団の上から人の頭の部分が見えてギリギリ顔までは見えなかったけど、怖すぎてしっかり寝れなかった。今でもあの映像はしっかり覚えてる。
・自己体験。神奈川県の丹沢山系を夜間踏破し日の出をヤビツ峠で拝もうと、真っ暗な山道を懐中電灯の灯りを足元に当てながら進んでいると、誰もいない左肩後ろから「チョット、チョット」と女性の声が聞こえてきて、顔は動かさずに眼だけを左横に動かして見ましたら、ボーッとした白い影が見えた経験があります。まだ中2だったので凄く怖かったです。
・3階建ての最上階に住んでいた頃、真夜中の2、3時まで夜更しをしていました。屋上がない建物の筈なのですが、よく天井から足音が聞こえていました。大人の重い足音で、必ず私の真上に来てから足音が消えていました。
・海岸で怪我をしたので、縫合などの処置をした数ヶ月後、なんだかそこが何故か痒い調べてみたらブォーとフジツボがそこに発生していた。その時は嫌でしたが、皆が驚かして遊んでいたのか、そういう話は私の周りは多かったので慣れてしまいました。大抵のことではスルーしてしまう人間になってしまいました。
・学生の寮で、実際にあったことです。毎晩 、1時頃にカツンカツンと音がしました。廊下に出ると誰もいません。しかし、非常口のガラスに片足義足の兵隊さんが杖をついて歩く姿が写っていました。
・20歳頃、当時付き合っていた彼氏の実家に一緒に帰省しました。海の近くで夜のドライブをしていた時に道に迷ってしまいました。お盆の時で全ての家の玄関先に提灯が点いていました。その時、夜遅いのに小さい男の子が浴衣を着て昔の大きな自転車に乗っていて不自然でしたが地元の子かな?と思い道を聞こうと追いかけました。突然、一瞬に姿を消したので曲がったのかな?と思い一本道の先に行くと曲がるような道がありませんでした。近くの家にも自転車が停めた形跡もなく消えたのです。昔、亡くなった子供がお盆で自宅に帰ったのだと思います。行き止まりだったので車をバックして逃げるように道を探したのを覚えています。そして海の防波堤のところで涼んで話をしている時に下からカサカサ音がしたのでスーパーの袋が風で飛んできたのかな?と思い下を見たら人間の笑った白い顔が出てきて逃げるように車に戻り実家に帰りました。お盆の海は、怖いです。
・うちは旅館だったので、子供部屋は屋上にプレハブを1人一つ建ててくれてました。中学3年の夏、窓のほうに横向きに寝ていました。対面にある入り口は、ガラス戸だったので外から見えないようにカーテンをつけてありました。何故か中々寝付けずにいると、扉の外にあきらかに、人がいる気配を感じたんです。すると、顔は窓を向いていたし、カーテンを閉めていたので、外は見えないはずなのに、ガラス戸の向こうに、赤いジャンバースカートに丸襟の白いブラウスを着た女の子が立っているのがハッキリと分かったんです。ただ、首から上がありませんでした。顔がないんです。何故見えているのかわからないし、夢かもと思い自分を叩くと痛いし、ただただ、お経を唱えてやり過ごしました。早朝、お寺の鐘の音が聞こえてきて、やっと顔の向きをかえる事ができました。それが、日航機墜落の夜の出来事でした。
・高校生の頃、吹奏楽部に所属していました。当時の部室はプレハブで校舎外にあり、目が行き届かないこともあって、よく遅くまで残って練習したり、お喋りしたりしていました。ただ、部室は学校の裏手にあり、窓の外には墓地が広がっている…そんなある日、サックスの先輩と2人で残っている時のこと、突然場の空気が変わりました。2人とも異なる方を向き、異なることをやっていたのにも関わらず、2人とも同時にその異変に気づいたのです。後から聞いた所、その時先輩が窓の外に向かって何となく吹いていた曲は、魂を呼び起こすような内容の曲らしく…ただ、その時の先輩は、ただただ部室の入口をじっと睨みつけるように見ており、私はその視線の先にあるであろうモノが怖くて振り向けませんでした。暫くしてから、「今まで入口に白い影が…」なんて言い出すものだから、とにかく荷物をまとめて、2人で速攻帰りました。先輩曰く「ここではもう二度とあの曲は吹かない」。
<真理>
・犬鳴の近所の出身なのでいっぱい。でも結局一番怖いのは人間。
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