#熱死人不償命
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ari0921 · 1 year ago
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カルタゴ滅亡をトレースする現代日本
◆カルタゴはなぜ滅んだのか?!
日本と同じような商人国家であったカルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として日本人は国防を考え直す必要があると切に思うからです。
カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でした。
第2次ポエニ戦争に負けて、戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。しかし、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。
滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。
それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。
平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。この間、たった3年の出来事でした。
ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量��塩が撒かれたと言われています。
これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。
この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。
1つは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。
2つめは、国内の思想が分裂状態であったことが挙げられます。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいものですが、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。
自らの手で愛国者を切り捨てる・・・かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだわけですが、私は今の日本がこのカルタゴに酷似している様に見えて仕方がありません。
今こそ日本の国防を真剣に考えないと本当に危ないと思います。
【対比】日本と似すぎているカルタゴの運命
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。
カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。
紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。
BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
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1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。西洋文明を積極的に取り入れ、富国強兵に邁進します。日清・日露の戦争に勝ち、朝鮮、台湾、南樺太と領土を拡張します。
強国となった日本は、戦艦大和を建造して、世界有数の海軍を持ち、
太平洋をはさみ、超大国アメリカと対峙します。
1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。
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カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア���島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。
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「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。
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カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。
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アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。
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カルタゴは、ローマに無条件降伏します。
全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります)
そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。
ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。
カルタゴは、民主主義の国家に生まれ変わります。
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「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。
日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。
日本は、天皇主権の国家から、主権在民の民主主義国家に生まれ変わります。
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カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。
軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。
戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。
BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。
無敵の軍事大国ローマにとっての脅威は、経済大国カルタゴに移っていくのです。
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日本人��は、勤勉さと物作りの才能がありました。
焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。
アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。
10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。
ソ連が崩壊し、日米の経済摩擦が激化します。
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BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。
経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。
カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。
ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。
ローマは、カルタゴに対して、突然宣戦布告をします。
驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。
カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。
「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。
カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。
すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
我々は、カルタゴの街を根こそぎ破壊することを決めた。
カルタゴ人には、今の街より10マイル内陸部に
新しい居住地帯を造ることを許可しよう。
使者からローマの意��を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。
「こんなひどい仕打ちがあろうか。街を破壊するだと。
内陸部に引っ込めだと。どうせ死ぬなら戦って死のう!」
カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。
武器職人は、連日徹夜で武器を作ります。
若い女性は、長い髪を元から切って石弓の弦が作られます。
こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。
(戦争というより、ローマによるカルタゴの民族浄化です。)
カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。
しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。
そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。
女、子供までがレンガを投げて抵抗しますが、5万人が虐殺されます。
ビュルサの砦に逃げ込んだ5万人のカルタゴ人は、オリーブの枝を掲げて投降します。
彼らは、一部が処刑され、残りは奴隷として売られます。
カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。
700年続いた経済大国カルタゴと世界の富を独占したカルタゴ人は、BC146年こうして滅んだのです。
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kennak · 3 months ago
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1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」は、戦後最大の冤罪の一つと言われ、死刑判決が確定していた袴田巌さん(87)のやり直し裁判が近く静岡地裁で始まる。死刑確定事件の再審では戦後5例目だが、この事件の前にはいくつもの冤罪事件が同じ静岡県で起きていることをご存じだろうか。その一つ、「二俣事件」では、拷問によって無実の少年に一家4人惨殺を“自白”させたばかりか、拷問の事実を告発した刑事を偽証罪で逮捕した揚げ句、精神疾患に仕立て上げるという警察・検察の報復があった。家族もろとも偏見の目にさらされた刑事の妻・山崎まさは今も存命だ。今月27日、106歳になるまさは「当時の苦しみは言葉にできない」と涙ながらに振り返った。(文・写真:秦融/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) まさが住む愛知県みよし市は、名古屋市と豊田市に挟まれた位置にある。市街地から少し離れた一軒家で呼び鈴を押すと、次女の天野功子(のりこ、76)が出迎えてくれた。 まさの夫であり、功子の父である山崎兵八(ひょうはち)は静岡県の警察官だった。 昭和の冤罪・二俣事件は1950年1月、同県二俣町(現・浜松市天竜区)で発生した。就寝中の夫妻が刃物で刺されて死亡、2歳の長女が首を絞められ、11カ月の次女が母親の下敷きになり窒息死した。事件後、近所に住む18歳の少年が強盗殺人罪などで起訴され、一審、二審で死刑判決。その後に逆転無罪となった。 兵八は、現職の警察官ながら警察組織を敵に回し、拷問による取り調べがあったと告発、少年の刑事裁判で証言台に立った人物だ。告発は審理の終盤。巡査だった兵八は読売新聞社と弁護人に宛てて手紙を書き、「(少年は)犯人ではない。新憲法下今なお人権を���視した拷問により罪をなすりつけられたものだ」「江口捜査課長と紅林主任は少年に会った時の第一印象で“彼は犯人だ”と判定、証拠集めの指令を発した」などと記した。 告発前、妻のまさは「そこまでしなくても」と夫の行動に反対だった。夫は「(少年が)自分の子どもだったらどうする?」と妻に問い、固い決意を伝えた。 当時を振り返るまさの受け答えは、とても100歳過ぎとは思えないほど明瞭だ。 「はい、そう言われました。『もしか、この子が私らの子どもだったらどうするかね?』と。間違いないです」 兵八は、弱い人や苦しんでいる人を放っておけない性格だったらしい。夫について、まさはこう語った。 「お父さんにはものすごく、そういうところがあった。きっと、生まれるときからそういう性格を授かってきたんだよね。私も、人を陥れるようなことは絶対にしたくないと思ってね。困っている人には、ねんごろ(親切)にしてね。人が難儀してると『ああ、かわいそうだなあ』って、すぐ思っちゃうんだよね」 しかし、告発は一直線には実を結ばなかった。 二俣警察署の捜査本部で捜査に関わっていた兵八は法廷で「拷問による自白」と証言したにもかかわらず、一審の静岡地裁浜松支部は死刑判決を下す。それどころか、判決の日、兵八は偽証罪で逮捕された。 「正義」の代償は、それにとどまらず、家族もろとも路頭に迷わせる“仕打ち”へと進んでいく。 逮捕後、兵八は名古屋大学医学部の教授による精神鑑定で「妄想性痴呆症」と診断された。裁判では、証人出廷した警察署長が「変人」などと兵八の人格を否定。一審で少年に死刑判決が下ったことから「警察の捜査は正しかった」ということになり、判決に異を唱える兵八は異常者とされたのだ。 辞表を出すと、兵八は精神疾患という診断を理由に、運転免許証をはく奪された。警察を辞めた後は、家族を養うため、トラックの運転手になるつもりだったが、免許なしではそれもできず、他の仕事も簡単に見つからない。逮捕・投獄された兵八は世間の偏見の目にさらされた。 当時10代だった長女・児玉澄子(故人)の手記によると、家族は耐え難い苦しみを味わうことになった。 「父は職も地位も奪われて、仕事を探し、失敗し、書を読み、そして苦しみの多い日は母や私達に当たり散らした」「父母を助けなくては。新聞配達を始めた(のは)五年生の冬でした。学校を休んで早引きをして手伝った畑仕事」「冷たい近所の人たちの目、 幼い弟はいつもいじめられ泣いて��ってきた。『ボクのおとうちゃんどうしてブタ箱にいるの?』 と…」「母の土方の荒れた手とあかぎれの足のひびわれ」(手記から) 苦難はさらに続く。 1961年3月には自宅が全焼した。報道では「火の不始末が原因」などと伝えられたが、当時中学生だった次女の功子は、火災の数日前、自宅の前で見知らぬ男から「山崎さんのお宅はここか」と尋ねられたことを覚えている。また、功子の弟は「火が出る前に半長靴の男が家から出ていくのを見た」と家族に話し、警察にも伝えた。ところが、警察では「半長靴の男」の目撃証言が、弟自身の火遊びをごまかすためだったのではないかと疑われてしまう。 当時を思い起こし、功子は言った。 「最後は、母の火の不始末にされてしまいました。弟に傷がつくよりはまし、ということで母が全てをかぶったんです……父は名誉を回復するため裁判に訴えることも考え、二俣事件の資料を集めていました。“放火”はその資料を灰にすることが目的だったとしか思えません」 火災の真相は今や確かめようもないが、兵八が裁判を起こせば、警察側は捜査の正当性を主張しただろう。兵八を「変人扱い」した者たちの「偽証」も問われかねない。そのようなタイミングで火災が起きたことは事実だった。 「ようやく、ほっかむりが取れた」 山崎まささん(右)、天野功子さん 二俣事件の上告審で最高裁は、死刑を言い渡した静岡地裁の原判決を破棄し、1958年1月に少年の無罪が確定した。 無罪への転機は、東京高裁が控訴を棄却(1951年9月)した後、らつ腕の弁護士、清瀬一郎(1884‐1967年)が弁護人に就いたことだった。清瀬は衆議院議長などを歴任した大物政治家。戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)では東条英機の弁護人を務めた。 清瀬の無罪主張を受け、最高裁は2年余に及ぶ審理を経て「事実誤認の疑いがある」と原判決を破棄。その後の差し戻し審では、拷問によって警察の筋書き通りに自白させた供述の信用性が否定され、地裁、高裁とも無罪判決となった。筋書きと事実との矛盾が次々に明らかになり、検察は上告を断念、少年(逮捕当時)の冤罪は事件から8年を経てようやく晴れた。少年を犯人と決めつけ、筋書きに合う捜査しかしていない警察が再捜査に動くことはなかった。 傍らに座る母・まさを見やりながら、天野功子が言う。 「少年の無罪判決が出たときに、母は『これでようやく“ほっかむり”が取れた』と言ったんです。ね、そうだよね? お父さんの疑いが晴れた時に言ったよね? それまでお母さんはずっとほっかむりして生きとったんだよね」 顔を隠す頬かむりをせず、堂々と外を歩けるようになったという意味だ。当時を思い出したように、まさが涙ぐむ。 「お父さん(兵八)が逮捕され、自分一人で子どもたちを守らなくてはいけなくなったときの不安や苦しさは、言うに言えません。本当につらい思いをしました」 兵八は2001年、87歳で他界した。 その4年前には『現場刑事の告発 二俣事件の真相』を自費出版している。告発に至る経緯については、次のように記されている。 「心の片隅で『お前は正義の味方ではないのか。警察は国民の生命財産を守るのが使命ではないか。立ち上がるのだ』と叫ぶ声が聞こえてくるのだった。片一方の隅では、『黙っていて見過ごすのだ。あと五年経てばお前には恩給もつくのだ。恩給だけで暮らしてゆけるのだ。何も正義ぶりをする事はない。寄らば大樹の陰。大きな(長い)物には巻かれろ、ではないか』と叫ぶ声が五体に響いてくるのだった」 島田事件対策協議会で、無実の男性救済を話し合う兵八(正面左から2人目)ら(鈴木昂さん提供) 兵八によると、二俣事件の取り調べで少年に拷問していることを薄々知っていた警察官は他にもおり、「少年は無実」と思っていた署員もいた。しかし、誰もが「見ざる聞かざる言わざる」となり、法廷では「捜査は正しかった」と偽証を繰り返した。 この“拷問”に関わった刑事の一人が、捜査チーム主任の紅林麻雄警部補だったとされる。紅林は二俣事件だけでなく、同じ静岡県で起きた1948年の幸浦事件(被告は死刑判決、後に無罪)、1950年の小島事件(無期懲役判決、後に無罪)の捜査に関わり、多くの冤罪を生んだ。1966年の袴田事件では、拷問まがいの取り調べで自白を引き出し、警察が犯行の手口を考え出し、それに合う証拠や証言をつくって自白を裏付ける、という同じ手法が使われた。 二俣事件など同時期に続発した冤罪事件が「袴田事件の源流」と呼ばれる理由はそこにある。 同じ時期に起きた島田事件(1954年、死刑確定後の89年に再審無罪)の支援活動に奔走した元高校教師、鈴木昂は「山崎兵八さんには支援集会で講演をお願いし、熱意にあふれる話に引き込まれた。袴田事件の支援要請にも応じておられ、尽力を惜しまない人だった」と話す。 兵八・まさの夫婦は3男2女をもうけ、それとは別に2人の子どもを養っていた。そのうちの1人は勤務先の警察署で補導された、身寄りのない男児だった。まさによると、兵八が「面倒をみてやってほしい」と連れてきたという。 「放っておくのがつらかったらしくてね。(警察官という)職業柄もそうしてやらないかんと思ってだろうね」 まさの話によると、兵八の人柄をしのぶエピソードは他にもある。 「お百姓さんが、あるとき『これを食べてくれ』と駐在所に麦を2袋持ってきてね。お父さんは『絶対に手をつけるな』と言って。腐るかどうかという寸前で、やっと村の人と分けて食べた。それくらいの人でした」 弱い人、苦しんでいる人を助け、不正には手を染めない。まさが語る「警察官・山崎兵八」からは、組織内での孤立を恐れて自己保身に走るのではなく、人の心を大切にし、正しいと信じる道を貫くという人物像が浮かび上がる。 兵八の「正義」を押しつぶした警察・検察、さらには捜査側に寄った裁判所の不当な判決は、昭和から平成へと続き、真実や人権よりもメンツを重んじて自己検証を拒絶する姿勢は、令和の時代にも地続きのように受け継がれている。 96歳の原口アヤ子さんが無実を訴え続ける大崎事件の弁護人で、日本弁護士連合会の再審法改正実現本部・本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は「一刻も早く再審法を改正しなければ悲劇が繰り返される」と危機感をにじませ、改正の要点を次のように指摘する。 「一つは証拠開示の問題です。大崎事件の第2次再審では高裁の裁判長の積極的な訴訟指揮で、それまで検察官が『ない、ない』と言い続けてきた証拠が213点出てきました。さらに第3次再審になると新たに18点出た。なぜ、こんなことが起きるのか。証拠開示を定めたルールがないからです。大崎事件だけでなく、布川事件、東電女性社員事件、松橋事件などは、再審を求める中で重要な証拠が開示され、再審開始決定の決め手になった。規定がないために、検察は隠し通そうとし、開示が個々の裁判官の“やる気”に左右されるのです」 二つ目は検察官の抗告(不服申し立て)の問題だという。 「再審開始決定が出ても、検察官が抗告し、いつまでも再審公判が開かれない。再審は本来、無実の人を救済する制度で、検察官といえども立場は同じはず。ドイツでは検察官の抗告は禁止されている。袴田事件では最初の開始決定から9年、大崎事件は21年、名張毒ぶどう酒事件では奥西勝・元死刑囚の命が尽きてしまった。抗告の弊害による悲劇をなくさなければいけない」 二俣事件の関係者がほとんど他界した中で、まさは穏やかな日々を生きている。 「天寿をいただいているんだよね。まだこれだけ元気でね、みんなのエネルギーをもらっている。人を見放しておくよりも助けてやりたい、という気持ちで生きてきて本当に良かった、と。そう思ってね。やっぱり人に意地悪はするもんじゃないな、ってね。人を助ければ助けてもらえるな、って思うよね。毎日そう思いながらこうして���ますよ」 秦融(はた・とおる)1961年、愛知県生まれ。ジャーナリスト。フロントラインプレス所属。元中日新聞編集委員。滋賀・呼吸器事件の調査報道を描いた著書『冤罪をほどく……“供述弱者”とは誰か』(風媒社)で、2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。至学館大学コミュニケーション研究所客員研究員。 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝統を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ #昭和98年(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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nyantria · 4 months ago
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イードン博士の発言以来色々騒がれている(らしい)イベルメクチンですがナカムラクリニックの中村篤史先生がほぼ現時点でかの薬をどう扱うべきかのファイナルアンサーというか非常に優れたヒントとなる素晴らしいブログエントリーを書いていらしたので転載しておきますね〜
ちなみに私はコロナの存在自体ずっと疑っているのでイベルメクチンを飲む必要を感じなかったし、本当に優れた薬だとしても今まで飲んだことのない知らない薬を個人輸入して飲むなんて怖くて私にはちょっとムリだろ〜とか思っていました。
この度のイードン博士の告発によって私にとっても改めて調べるきっかけになり、とにかく焦って未知の薬には手を出したりしない方がいいんだなってことにまた確信が持てました。
感謝。
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以下、引用転載(前略)
イベルメクチン
2022年11月14日
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コロナへの有効性を検証するイベルメクチンの治験にビル&メリンダゲイツ財団が出資しているという記事。
ビルゲイツといえば、今回のコロナ騒動の仕掛け人のひとりですよ。「ワクチンで人口削減が可能」と公言している人が、イベルメクチンの普及に協力しているわけです。
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「イベルメクチンは、脳に作用しない限り、100%安全です。血液脳関門が正常であれば、イベルメクチンの安全性は確実です。しかしイベルメクチンが血液脳関門を通り抜け脳に到達すると、麻痺や死亡といった副作用が起こります」
イベルメクチンの安全性は、血液脳関門が健全であることが圧倒的な前提になっているわけです。血液脳関門に不具合のある状態でこれを飲めば、何らかの副作用がでる可能性がある。特に血系脳関門が未熟な幼児の服用は避けたほうがいい。
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FLCCC(コロナ問題に危機意識を持つアメリカの有志医師団)は、コロナ後遺症やワクチン後遺症の治療について、イベルメクチンを積極的に推している。そのFLCCCがこんなふうに言っている。
「FLCCCとしては、当団体の治療プロトコルは『ワクチンへの架け橋』であり、ワクチン接種が受けられない人への『セイフティーネット』であると常々主張しています。ワクチンは、多方面から攻める戦略のひとつであり、コロナ感染を防ぐための初期治療に不可欠なものです」
この発言から見てわかるように、FLCCCは、コロナ後遺症やコロナワクチン後遺症に取り組む団体ではありますが、決して「コロナワクチン=絶対悪」などと思っている集団ではありません。基本的に「コロナワクチンは必要なもの」というスタンスです。
イベルメクチンは、こういう団体が治療プロトコルの筆頭に挙げているものだと知れば、イベルメクチンに対する見方もちょっと変わってくるかと思います。
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イベルメクチンを飲んでいるとプリオン病(狂牛病など)のリスクが増えるという指摘がある。
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イベルメクチンを普及させたのはメルク社ですが、その際、WHO、TDR(熱帯病研究プログラム)、OCP(オンコセルカ制御プログラム)、世界銀行など、国連傘下にある様々な機関が動きました。こういうのは「一私企業が頑張った」というレベルの話ではありません。イベルメクチンは完全に”政治”なんです。
ビルゲイツはメルクの大株主だということも知っておくべきだし、メルクは子宮頸癌ワクチンなどの薬害問題で何億ドルという賠償金の支払いを命じられている企業なんだという知識があれば、「イベルメクチンはそういう企業が売り出している薬なんだ」という時点で、何か危険センサーが発動しませんか?
あと、これは個人的な話だけど、僕の知り合いA氏が去年北里の研究所で大村智博士と面会した。大村博士の部屋に案内されたA氏は、博士の”コロナ対策”ぶりを見て驚いた。マスクを着けているのはもちろん、アクリル板越しにしか会おうとしない。A氏は失望した。「イベルメクチンの発明者なんだから、コロナの嘘ぐらい気付いているかと思ったら全然そうじゃなかった。完全なコロナ脳。あの様子だとワクチンも打ってるんじゃないかな」
あくまで伝聞だから真偽の確証はないけれども、仮にこの話が本当だったとすると、発明者自身、イベルメクチンのコロナ感染予防効果を信じてないってことだよ��。
いろんな意味でうさんくさい薬だなと思うのよ、イベルメクチン。だから、僕自身は飲まないし、患者にも積極的には勧めない。ただ、ワクチン後遺症やシェディングに著効することがあるのも臨床的な事実。だから、冒頭のセリフになるわけです。「お助けになるようなら使えばいいですよ」と。
イベルメクチン|中村 篤史/ナカムラクリニック
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nsmn2s · 1 year ago
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とあるUAC基地での出来事1
注意 : 落書きレベルの書きなぐりです。
怒りで握られた拳が力任せにデスクを叩く。デスク上の「サミュエル・ハイデン博士」と書かれたネームプレートが衝撃で飛び跳ね、床へ落ちた。
「机の弁償代を給料から天引きするからな」
「そんな事はどうでもいい!」
怒りを向けられている当の本人は呆れたようにため息を吐く。この光景はもう恒例となっていた。
アポもなく上司である彼のオフィスに無礼も承知でズカズカと入れるのは彼女だけだ。
「何度も言ったはずだ、我々の理念を忘れたのかね。入社時の契約にも書かれていただろう。君たちは同意してここに居るのだろう」
「それが私の部下の命を使い捨てにして良いという理由になるとでも言うのか!」
白いアーマーに身を包んだ女性は臆することなく自分より背の高いサイボー��の上司に食ってかかる。
「これで何回目だ、ジェームズにライナスにアヴドゥル……みんな私より若い。昨日お前達研究者とやらが殺したルカは子供が生まれたばかりだったんだぞ!」
彼女が今まで殉職した部下の名前を忘れた事は無い。
「遺族には相応の見舞金が支払われるから問題は無い。それに何度も言うが先進的な研究にはアクシデントは付き物だ。何年も務めている君も知っているだろう、Y/N警備隊長」
二人の間にデスクが無ければ今にでも殴りかかってきそうな彼女に彼は淡々と話す。
「未来のために犠牲はつきものだ」
「何が未来だ。未来ある若者を遊び半分で殺して何が研究だ。私が遺族に死亡通知を書くときどんな気持ちか分かっているのか!?」
彼は淡々と事実を述べていたつもりだが、それは彼女の怒りに油を注ぐばかりだった。
Y/NはUAC火星基地でハイデン直属の警備部隊を束ねる役職で、部下に殉職者が出る度毎回こうして衝突するのが今や施設内で恒例となっていた。
彼女は熱血で義理堅い性格の人物であるため部下からとても信頼されてはいるが、上司のハイデンとはとにかく馬が合わないことで職員の間で有名である。
だがお互い嫌悪し合っている訳では無い。ハイデンは彼女の能力と自分の意見をハッキリと言う物怖じしない態度を評価しており、彼女もまた兵役帰りで就職場所もなく彷徨っていたところを拾い上げてくれた彼に大きな恩義を感じていた。
彼の弟子であるオリビアが彼女をエリートガード部隊に欲しがったことがあった。勿論そのときハイデンは断固として拒否し、Y/Nはハイデンへの恩を選んだ。本人たちは表こそ出さないがそれくらい信頼し合っていた。
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「これで全員か」
「はい。遺体が見つからない者も含めてです」
ハイデンは静かに就任したての警備隊長からの報告を聞いていた。
エネルギーの研究も佳境に入り、研究費も嵩むにつれて人件費や人手不足が拍車をかける。取り扱うものの重要性や規模が大きいほど研究中の死傷者が増えていた。
いつものように電子脳に送られたデータを見直すと、いつもは気に停めない数字に彼は一瞬だけ目を止めてしまった。
「博士、1つ質問しても?」
「良いだろう」
視線を彼へ向ける。
「なぜ対面でも報告を? データでも報告するので二度手間で非効率では?」
「確かにそうだったな」
ハイデンは毎回デスクを拳で殴るあのやかましい女性を思い出す。そういえば彼女は機械を仲介して会話することを嫌う昔気質なところがあった。機械で��換された数値には1番大事な情報が欠落していると言い、対面での会話を好み、医療班よりも先に部下の不調を見抜いたことがあった。ハイデンの腰のジョイントの不具合も見抜いた事もある。
「次回からデータのみの報告で構わない」
そう言って新任を退出させた後、静かなオフィスに残された彼は何となしに自身のデスクの表面を金属の指で撫でる。彼女が叩いて出来た傷は残ってなかった。
---
オリビアは処分手前の引き受け先のない遺体を引き取った。
実験中の事故で死亡した遺体は科学的な汚染や情報漏洩の危険が認められなければ遺族の元へと送られる。だがその遺体は損傷が激しく誰の遺体なのかさえも分からなかったため、廃棄処分寸前だった。
これが誰なのか、彼女と彼女に囁きかける悪魔は知っている。
「ついに私の所に来てくれたのね、Y/N」
来るべき時のために、彼女は赤黒い地獄の血肉で満たされた水槽に浮かぶY/Nだった肉片に静かに微笑んだ。
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keredomo · 1 year ago
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愛の完成
 あなたが殺してくれと言うので、それなら一緒に死のうよ、と返した。  その即座の返答が、あなたには意外だったのだろうか。少しだけ悩んだそぶりを見せてから、そうするかあ、と返事が来る。あなたがその返事を打ち終えるまで、「……」と表示されるメッセンジャーのトーク画面を見つめていた。ようやく覚悟が決まったらしい文面に、「やった、念願の心中だ」とわたしは無邪気に喜んでみせる。あなたの数秒のためらいはなかったことにしながら、努めて無邪気に。「ようやく一緒に死ねるね」と。たった数秒かけて打ち込んだだけのあなたのしょうもない覚悟、その覚悟なんかに何の意味もないことを察しながら、それでも努めて無邪気に、無表情のまま、文面だけは無邪気ぶって同調し、あなたのそのか細い不安の尻尾を捕まえて自分のものにしようとする。  それは醜悪な独占欲の行使だったが、やっと、やっと捕まえたと思ったのだ。死の匂いのする愛の場処に、ようやくこの人を引きずり降ろしたのだと。
 *
 「殺してくれ」と言われて、「一緒に死のう」と返す。その姿ははたから見ればまるで幼い茶番のようだが、まったく笑えも救われもしないのは、私たちがこれらの言葉を至極本気で言い交わしているからだった。  われわれの交わす言葉に嘘も虚飾もない。それは、数年来、知力の限りを尽くして言葉によってやりとりしてきた関係の守ってきた、唯一の約束だった。ほかに何も交わせないからこそ、それだけは決して破ってはならない約束。言葉という、そもそもが虚飾になることをまぬがれないツールにおいてその約束を結んでしまった以上、われわれは言葉の粗さによって生の実を歪めることを受け入れ、それによって隙のない盤石な関係を築き、「われわれの倫理」という誰にも踏み込むことのできない倫理領域を作り上げた。われわれはその倫理の国の薄い空気のなかで必死になってのたうちまわってきた。いよいよ酸素も足らなくなり、死んでしまおうと計画し始めたのだった。
 息も絶え絶えになってしまった私たちは、本気でこんなことを言い交わして、しかし心に飼っている理性は、われわれがこの心中計画をどうしたって実現し得ないことを知っていて、あからさまに失笑してみせる。互いの頑強な現実的理性がストッパーを担っていることを、本当は互いにわかっていた。どんなに恋愛に苦しんだところで、それは形而上のものでしかない。狂おしい現実に適応するべく理知に従って生きている私たちは恋愛のためには死ねない。この甘い甘い心中計画は永遠に果たされない。わかっていながら、われわれの築いてきた強固な倫理の要求にあらがえず、一緒に死のうと言い交わすことになってしまった。  なんてやるせない愛の睦言だろう。システマティックに煽られた感情にすぎないこの睦言には、けれど倫理を成立させるだけの情熱と真意がたしかに燻っている。社会的な倫理と私的な倫理の相剋は、私たちを無様に苦しめた。どんなにこの愛の深みに沈み込んでみたところで、死をもって完遂することはできないだろう。関係が袋小路に入ったところで、信じたいはずの互いの言葉が空虚なものとして舞う、苦しいばかりの中途半端な共依存関係がわれわれをずたずたに傷つけていた。二つの倫理に引き裂かれているがゆえの、中途半端な共依存関係。
 睦言が睦言に過ぎないことを知っている大人同士の、けれどもその寂しさがゆえに成り立つ、これは「完成された恋愛」だった。私たちのためだけに築いた二人だけの倫理が成り立たせる、何の澱みも、緩みも、破綻もない恋愛だった。言葉を拠り所として紡いできた関係は、それゆえ、互いの言葉への信用がなくなればあらがいようなく終わってしまうのだった。  一緒に死のうだなんてあからさまに陳腐でみっともないことを言い交わす羽目になってすら、私はまだあなたとの恋愛の甘い夢から覚めることができないのだった。関係して6年。交わしてきた膨大な言葉たちが溶け合って、私はとうに自分を見失っている。自分の大きな一部を、大きすぎる一部を、あなたに明け渡してしまっている。おのれの足だけではもう、立てなくなってしまっている。  わが半身となった者なしにはすでに歩くこともままならず、ようやく一緒に死のうと言い交わせても、言葉にすることでそれが土台不可能であることを理性でもって再確認するだけだった。一人で立てもしないが、二人で死ねもしない。おのれの一部を明け渡していると自覚することは、同時に、おのれの全てをあなたに明け渡すことができないと了解することであった。  あまりにも似すぎている者同士の、相互理解の深さが私たちを悲しみに追いやった。相手が私のために死ねないことなど、はじめからわかっていた。私が相手のために死ねないことも、わかっていたはずだった。
 あなたは言う。「あなたはこの先、誰と恋愛をしたってどうせ深く傷つき続けるだろう。だったら、その相手はわたしであってほしいと、身勝手ながら、そう思うんだ。どうせ誰かに傷つけられるなら、わたしが傷つけたい。わたしでいいじゃないか。わたしに、傷つき続ければいいじゃないか」。  あなたは言う。「あなたが恋愛で傷つく相手は、これからもずっとわたしであってほしい。一生、わたしであってほしい。どうせつく傷ならば、その傷はわたしによるものであってほしい。でなければ、わたしは気が狂ってしまう。あなたがほかの男に傷つけられることを考えると嫉妬に狂ってしまう、暴力でもなん��も行使してあなたを独占してしまおうという虚妄に身を灼かれてしまう」。
 あなたの言うことには一理ある、と思う。一理どころではなく、このわれわれの倫理に則るのなら、それだけが真実だと思う。あなたのその嫉妬心も独占欲も、人が抱くものとして、真っ当なものだと思った。それらは人が人に向ける感情の中でもっとも狂おしく、もっとも切実で、もっとも真剣なものだ。そして、あなたがそれを発揮できるのは、われわれの倫理の内側でのみだ。私はあなたの吐露したその切実さに絡め取られて、思う、確かに私にとっても、これからも傷つき続けるのであれば、その相手はあなたがいい。暴力的に独占されるのであれば、その相手はあなたがいい。  けれど、そうか。私はこの先も、傷つき続けるのか。私のもう一つの倫理がそれを拒もうとする。この叫ぶような痛みを受け取り続ける生を送るのか。あなたは、私が傷つき続けるこの世界から私を救い出してはくれないのか。そんな生を、私はずっと生き続けるのか。
 あまりにも強固なわれわれの倫理に絡め取られて、すでにこの身は牢獄の囚人のよう。あまりにも寒く、あまりにも惨めだ。けれど実のところ、どちらかといえば、私のほうがあなたを牢獄に引きずり込んだのだった。私はそれに気づいていた。その責任を果たさねばならないと思って、あなたよりも数年早く、私は二人で死ぬことについて静かに腹を括ったのだった。この結末は死にしかないだろうと結論づけたのだった。  括った腹の、括った紐が緩めば、臓器が汚い床にぶちまけられるだろう。赤黒い腸が跳ね、痛めつけられて穴だらけになった胃がべしゃりと形を崩し、膵臓がそこに黄濁して積み重なる。そのグロテスクな光景を見てもまだ、あなたは私を愛するだろう。破裂した私をも尚、あなたは愛するだろうと思えるほどの骨がらみの恋愛を、私はしていた。渾身でもって。そうしてようやくその汚濁にあなたを引き摺り込んだ。
 *
 ぼんやりと、視力の落ちた目で自分の暮らす一人きりの部屋を眺める。輪郭は揺らいでしまって掴めないが、それでも色彩だけは判別できる。本棚に差す書物の色を選べないせいで、夥しい色が自室にあふれかえっているのがゆらゆらと揺蕩って見える。これらの色々の、すべてに生気が宿っているような気もするし、すべてが死んでいるような気もする。この景色がそのまま私の存在にも反映されていることだろう。私のすべてに生気が宿っているような、私のすべてが死んでいるような——こんなマージナルで危うい生を、これからもまだ、生きるのか。とうに限界を迎えているというのは、どんな言葉で訴えても誰にも正しく伝わらない。私だけが知るところだった。私だけが、つかみどころのない人生に膿んでいた。それはすでに、生ではなく死であるように感じられた。  このぼやけた景色は「完璧な恋愛」の代償だった。愛は命を削る。私の命は削られていた。あなたの命もまた、削られた。
 心中の相談をしながら、あなたと私の感情はけっしてそこに乗ってはいない。ただ、理屈の上だけでの話をしてお互いを慰め合っている���だった。「死ぬの、どこがいい?」「東尋坊でしょう。遺体が見つからない場所がいい」「私もそう思ってた。身投げですね」「うん、そうしましょう」。  なんて空虚な会話だろう。私は唇の片方だけを吊り上げて笑う。ここにあるのは形式だけだ。私たちは間違いなく、何があろうと間違いなく、東尋坊で身投げなどしない。一緒に海の藻屑になることを選びはしない。倫理の強制力に従って口にしているだけだ。この会話すら、「あなたを深く深く、深く愛している」と告げるためのメタファーにすぎなかった。そこには形式だけがあった。  これほど陳腐でこれほど切実なメタファーもない。私たちは確かに、そのメタファーに乗せて、互いの思いを伝えあっていた。けれど、そもそもそこに載せるべき感情は、本当に存在しているのだろうか? わかっている。これは、心中というロマンティシズムに淫することもできないまま、ただ会話をつなげているだけの空虚なやりとりなのであった。愛と呼ばれる美しい交歓はすでに散ってしまって、私たちのあいだに残されているのは、責任、けじめ、矜持、昇華願望、そして諦めだけなのだとすれば、どうしよう。——愛って何だっけ?
   *
 私は知っている、あなたという人は、あまりにも歪なやりかたで、「本心」というものを置き去りにしながらこの世を生きてきた。その場の、場当たり的な誰かの要望に無我に応じることで生をやりすごしてきたあなたは、ここにきて、私の切なる終わりに対しても、いよいよ同じ態度をとっているのではないか。そして、私もまた同じであるからこそ、それに気づいてしまうのではないか。  当事者の私たちですら拾いきれないほどの数多の言葉を交わしてきたから、改めて語られずとも、あなたの生き様についてはよくわかっている。私が送ってきたのとは真逆の生をあなたは生きてきた。奇跡的なことに、互いの「愛」の定義だけが同じだった。だから愛をやれた。完成するまで、愛をやれた。愛は完成した。完成した愛は、そののちに、壊れようとした。
 完成とは「それ」が永遠になることだと、語義の上で、経験の上で、ずっと信じていた。それなのに、完成した愛も齟齬によって破綻しうるのだとすれば、一体何を目指してゆけばよいのだろう。  私はすでに、何によってその完成した愛が罅割れたかを理解している。互いに抱えてきた二つの倫理の矛盾がそこに歪(ひずみ)を生じさせた。その罅を修復するだけの力が、もう私たちには残されていなかったのだ。6年という歳月で、あなたも私も、おそろしく老いてしまった。私たちにはもう、愛のために無理を押し通す力が残されていないのかもしれない。
 私は言う。「あとはあなたを地獄に道連れにすることしかできない」と。その最後通牒に、あなたはもう何も言えなくなってしまう。  私は思う。人を愛することはこんなにも苦しいことだったかと。人を愛することは、人に愛されることは、こんなにもままならないことだったかと。それでもあなたを愛していると。愛する人の手を離すことはこんなに苦しいことだったかと。あなたを愛することができない日が、もう二度と、こないでほしいと。一緒に死のうと言った時に、理性をかなぐりすてて、感情のままに、お互いだけを見つめあって、一緒に死ねればよ��ったのにと。
 私たちが築き上げてきた美しい倫理によってすらそれが叶わなかった生を、これからどう生きてゆけと言うのかと。
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mouniassn · 1 year ago
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失火了!要走還是要留?
以下為一位有緣人分享,來文照登:
前陣子晚上家中失火,當時女兒在外婆外公家過暑假,只有我和先生在家。逃出來時只記得帶上經書和誦經記錄,另外拎著一雙鞋子就跑了出來。看著黑煙從房子冒出,不禁潸然落淚。
如果今日是我的最後一天,我會有什麼不同嗎?我想我會更加用心地做修行與渡眾的事,也會減少每日滑手機和做雜事的時間,更認真地誦經。修行是長時間的累積,人生不長,要珍惜寶貴的時間,修行是一分耕耘一分收獲,做多少努力就有多少成就。我將〈普賢警眾偈〉放在手機桌面,每日都要覆誦:「是日已過,命亦隨減。如少水魚,斯有何樂。」常常提醒自己人生寶貴的時間有限,不要浪費。
《阿伯的話—現場開示精華節錄》:「人身難得,不把握時間修行更待何時?而修行就是要如如不動,生死置諸度外,把唸經、修行放第一,加上勤消業障,才不枉此生。」
「人要把握時間修行、消業,否則時間到了,想要不回去都不行。」
「人生在世,修行是根本,應作為首要任務,所有人事物隨著時間流逝都會幻滅,因世間的一切都是成住壞空,到最後都是一場空,所以要看清真相、學會放下、不要看重這個暫時的「假我」(即去我執、無我相),唯一能帶走的是心性的提升與未銷完的業障。」
現在住在臨時的住所,因為空間有限,只帶了一點行李,似乎也是夠用的。房子因為只有一個浴室及樓下廚房的天花板被燒毀,其他房間的物品都還在,不知道這一屋子塞滿的東西都是為什麼而有?又為什麼捨不得清掉呢?看來還是自己的貪念很重,家裡的衣櫃、櫃子、抽屜才會塞滿東西,但實際生活上真正需要的並不多。
(分享完畢)
失火了您還在睡嗎?有緣人是位發心精進度眾的師姐,家中的火災經查是舊電線走火引起,所幸沒有人員傷亡,財物損失也不多。佛菩薩開示此場火災是精靈干擾所致,沒有因果業障的干擾。是福不是禍,是禍躲不過,這何嘗不是佛菩薩和上天對師姐的提醒與保護,以此災禍消解業力,以此劫難提醒師姐人世無常。
您還有多少時間可以完成此生的夢想和任務?多少的業債和虧欠還沒有償還?多少的因緣還沒有圓滿?多少的心結還沒有解決?您此生來到人世的目的是什麼?是耗費時間滑手機作為別人生命故事的吃瓜觀眾?還是用盡全力燃燒自己成為發光發熱為人指引方向的那盞明燈?您,對得起自己嗎?在閉上眼睛的那刻,你對得起佛菩薩的一路提攜照顧嗎?對得起父母從小的苦心栽培嗎?捫心自問,如果今日是我的最後一天,我會有什麼不同嗎?
三界如火宅,隨時都有危險,濃煙早已密布、高橋開始傾倒、熱浪持續來襲、冰川正在融化,是的,這就是紀元轉換的末法時代,黎明前的黑暗,新世紀的轉換,百千萬年的業力清算、靈界維度熱鬧非凡,會有許多意外、許多干擾、許多無常,而您是否能堅定地走在利益眾生、正己化人的菩提道路上。作為佛弟子,作為娑婆世界勇敢的光行者,是否不忘初心,守住靈魂之約,履行任務、了結因果、廣結善緣呢?
修正自己的壞習慣,需要很大的決心與毅力,但如果不修正,時光就會繼續浪費下去。外道外靈正是因為我們的心性和行為仍有被貪嗔癡慢疑染污之處,所以有著力點可以下手干擾。神通不敵業力,與其不斷處理漏水的水桶,不如從源頭把水龍頭關掉,從根本處理。根本是什麼?是染污的心性、是累世的業債、是向外道發願的契約和印記。這些根本問題的解決之道,就是認真的誦經銷業、以經為師、把經義融入日常生活的心念和行為當中,真正的學佛所學,行佛所行。
阿伯說:「地久難天長,聚散總無常。夜來寒風起,有情苦斷腸。」當我們還衡量著財務狀況是否足以支應優渥舒適的退休生活,著眼於商場經營的利益得失,盼望著生涯藍圖的規劃落實,心繫著和家人伴侶的親暱或爭執……,殊不知,無常的大手早在幕後撥弄著因果的算盤,是昇華或墜落,是了結或���留,在這場人生大戲中,終究會曲終人散、人去樓空。當我們被眼前享樂或苦惱的幻象所迷時,累世的業主菩薩也在苦苦等候,外道外靈更是虎視眈眈,當火宅的致命熱風吹起時,溫水中的青蛙會慢慢喪命,而警醒的夜鶯會鳴叫飛離。
「是日已過,命亦隨減。如少水魚,斯有何樂」慾望之火滾燙地蒸發著上善若水,貪圖享樂之人會問:「你不是魚,豈知魚沒有感受到快樂歡愉?」嚐盡辛酸之人會問:「你不是魚,豈知魚沒有感受到苦痛煎熬?」而人世間正是苦樂參半之處,所以總讓人們在欲樂與痛苦之間擺盪,在墮落頹喪與奮發向上之間徘徊遊蕩。要向上提升或向下沉淪,都在一念之間。
失火了!要走還是要留?阿伯說:「汝應用心提心性,莫待往生一場空。魔性黑氣依舊在,換個皮囊續受災」三界火宅已顯相,眾生還當煙火放,因果業力留人在,修心度眾佛不忘。南無本師釋迦牟尼佛!
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南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原��共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯��妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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vixenwolcott · 28 days ago
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Sage - Radical Paradise.
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❖ 此篇小說主要是填補官方的大賢者故事之中,卡布亞曆 381 年又經過 49 後,那顆深闇之星砸向伏馬城時,大賢者為何沒有拯救城中居民的歷史緣由。
❖ 沒有亦雷茲拉、沒有黑精靈、沒有戰鬥描寫,只有大賢者在 8000 年前,卡布亞曆 430 年時留下的獨白與記憶。
❖ 『』內的文字,部分引用 & 改寫至 Wilfred Owen 威爾弗雷德·歐文,於 1917 年起草的《為國捐軀》一詩。 
Episode 1.
  雷亞盆地的意志之塔在雨夜的亂火裡燃燒。
  浮光般的四十九年歲月已至,當年那曾經高懸於封印石座的幽玄闇星,拖著不潔的末尾徑直地掠星過影,炙熱而殷紅的彗星途穿伏馬城上空時毫無預警地,就像是早已預謀許久��惡作劇般倏地迸裂,那同刻響澈天地的轟鳴與衝擊,僅僅不到一個彈指的轉瞬便將整座城市搗毀。
  沸騰、呼喊、騷亂。
  先人們,即使如同馬加漢那般地虔誠,阿戈里斯也不曾任其予取予求。因此,在伏馬城那崩壞的火光中,對於那些懺悔的淚水與懊悔的呼喚,我置落罔聞,亦不願回應那些狠毒咒罵,我拒絕。這理當是我必須卸下的肩頭重擔。試圖拯救所有人,又或者為了保護伏馬城而起,在那抹狂妄展示著血紅瞳孔的滅亡之星入侵成功時,我便認知到此刻伸出任何援手已是無稽之談。暫時沒有可行的選擇,我往返虛空的通路,將自己再次禁錮在次元的牢籠,儘管我仍能覺察即將來臨的紊亂末法。
  卡布亞曆430年,最終之日已至,曾經的伏馬城在滿懷惡意的星隕中消亡。
  「滅世而不救濟,創生而待再臨。」
  我端詳起軀幹從兩手手掌開始的粒子化,眼前懸浮在半空中的巨大金色蓋伏就像匯集點一樣,吸引那些粒子朝其依附融入。趁還能挪動身子,我挺起胸膛端坐,讓那些從我的方形石座這邊衍生而出,數縷閃爍微量光暈的浮塵金絲能加速被蓋伏提煉吸收。我,熱切地想替未來的人們再度貢獻些許措置,即使終將無人知曉這個曾經。
  「模擬運算,三九六億又九千萬之一次,啟動——」
  蓋伏自轉,內部結構發出咔嚓咔嚓地迴響,機械式地宣告開始找尋應對黑暗掠奪者的方案。
  生生冷冷地,次元的牢籠中那明滅輪轉著澄澈輝光的蓋伏僅存
  『在我萬策皆盡的夢中,他們撲向我,飄零、嗚咽、溺沒。』
Episode 2.
  「結果也沒能剔除這個亂數啊……」
  整理起護身符時,掛載在上的透明垂飾裡收納著四位「德基瑪」們的小型肖像畫,經年累月後已然褪色,只剩鉛粉筆觸勾勒出的輪廓依然存續。尚未浸染紛爭與屠戮的時候,你在哪裡呢巴爾?從伏馬城的溝渠裡撈起你時,我不曾預想到除卻那闇星墜下以外的平凡日子。
  我不是能成為父母的人。甚至該這樣說,身為擁有常人數倍壽限的艾達納,還試圖去嘗試成為父母,本身就是對神的挑釁,或許那出現在封印石座深處的闇星,就是神對有這份狂妄的艾達納們揭示的警告、降下的懲罰。巴爾,這個世界就算是你的父母吧,雖然打從那顆闇星高懸後,伏馬城周圍的甘泉綠地便以肉眼可見的速度逐年沙漠化。現在,耕地甚至連憑藉自身��土壤都無法令苔麩結穗,但伏馬城卻依舊運轉著鋼鐵干戈。而且,混濁愚忠的盲信令往昔的榮光消掩在斜陽陰影中。不過,你依舊在這片土地的哺育下,掙扎地支撐到我發現你的那天,你真是堅強呢,巴爾。在拾獲你那一刻,我是真心為你感到高興的。
  在排水溝渠的出水口發現你的時候,看著你除卻一身污泥外,便是那雙莫可奈何的透亮眼珠、那幾乎可以濾過任何事物的純粹,但卻又像是屏棄凡塵所有紛擾的目光,才下定決心將你拾回我的象牙塔,栽培你,並將你帶入充滿鬥爭的伏馬城裡展開新生活。
  我知道,我的學說對伏馬城的居民、當政者而言,就是道對尚未發生的災難發出的杞憂呻吟。那闇星來訪的回數,恐怕不僅僅是當下,或許這片大地上的生命早已毀滅過多次,是吧?就像偶發的林中野火那樣悄悄蔓延、就像潮汐循環那樣逐漸漫溢消長,縱使芸芸眾生生死去來、山稜風化、諸星皆掩,唯獨那闇紅依舊高懸且迫近,張狂地暴露所攜行的死兆。
  未知的學識前,我僅僅是個愚昧的個體,與常人無異。血肉苦弱的皮囊,侷限著我的求知欲,即便是艾達納,亦無法如飛鳥展翅奔望那紅色太陽,我必須死。艾達納們,為了突破穹窿而想掌握世界本質,我認為也是這點才引起神怒,而讓阿戈里斯替那闇星引路,以示對這傲慢塵世的鄙棄。世界終將殺死我,亦或我終究得步上自戕。巴爾,你生來就是這緩步邁向滅亡的大地的子嗣,背離並不是一種可行的選擇,唯恐在你動念時大地便會殺了你吧。就像是人類發現豢養的家畜衝破圍柵逃亡,待捕��回籠後總會處分牠們那樣。結果,我除了發掘你在兵器製作方面有極高的天賦外,並沒能教會你有關俗世與常人之間的什麼。
  那些原先本意是用來應對黑暗掠奪者的兵器,在你,還有我與其他三位「德基瑪」們回過神時才驚覺被伏馬城惡用在戰場上。伏馬城盜取這些兵器,踏平、肢解周遭眾多的中小型國家,毀滅了這片曾經蒼翠的闊土。不,我不承認!不承認我從那納垢的溝渠裡拾獲的孩童,會是讓這大地燃燒的火種。若能令時空倒流,我有權阻擾當時向著污泥中的巴爾伸出援手的自己嗎?反覆詰問自己,然而始終得不出答案。大地與世界不斷沈淪陷溺,而一個「不如乾脆毀滅吧!」,或許是我歷久的年歲裡都未曾體悟到的想法,油然升起。
  「施行救濟,必先傾毀。」
  你有這個權力與義務,巴爾。從那之後,我授予、灌輸你與其他三位「德基瑪」們適度殺生的方式與訣竅。曾經,當觀賞你親手鍛造出第一具兵器的時候,是我克制不住心中的悸動而擁抱你,那應該算得上貼近身為「父母」感覺的一次吧,或許?可是回首看來,我只教你如何製造,卻沒有告知你如何去善加利用,而你就這麼收下我的饋贈、我的錯誤。因此才說,我必須自戕。畢竟,將火種點燃、擴散於塵世的人,是我。
  巴爾,你成長與領悟的速度太驚人了。儘管我對你們「德基瑪」兄弟不餘遺力地相授,卻依然沒有人可以出你其右,縱使你的兵器曾經被大規模地惡用,但你仍然是我的上乘之作。我想,在我漫長的究竟生涯中,能再度出現與你同列並奪得我目光關注的原石的機率,可說是微乎其微。
  「抱歉,親愛的『德基瑪』們。我終究不能避免伏馬城拘提我出席異端審判的法庭。雖說你們從伏馬城各個陰濕角落裡被撿回來後,便始終待我身側,我可以藉此證明你們的無辜,可我總覺得這次我應該無法準時回到象牙塔了。不過,你們還是可以繼續鑽研新兵器的開發喔,巴爾、希卡、奧勒,還有約路。」
  伏馬城的異端審判庭大陣仗的人馬在象牙塔下叫囂時,我備齊了所有能塞進背上行囊的佐證與捲軸。而無論是友好或對立的艾達納們,或多或少的也聚集在象牙塔的入口處阻擋著審判庭,雖說令我感到欣慰,但這也側面印證了伏馬城的政局已經開始無法再睜眼閉眼地便宜行事,統治者們在一些層面上,或許也將巴爾等人開發的兵器與潛在威脅劃上等號。真要是這樣,我倒是感到高興,因為這恰好證明了我的『德基瑪』們與俗人之間有所區別。你比任何人都還要理解我,巴爾。終有一日,你可以憑藉著自己的意願來處置我,我可以肯定你絕對不會讓這毫無章法的世界,就隨便地置我於死。
  你應當殺死我,我拒絕讓常人恣意定奪我的生死、評價我的靈魂。世界不是圍繞他們而打轉,你得謹防被他們洗劫的未來,不為俗務,僅為你的原則與意願,繼續前行。
  「模擬運算,一一三億又四千萬次,終了——」
  『開始以顛頗向著天涯的安息處。渾身是血、丟失靴子的男人們一瘸一拐地陷入沈睡。所有的一切都顯得蹩腳……』
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Episode 3.
  「結果也沒能剔除這個亂數啊……」
  艾達納的長壽,只是字面意思上的闡述,並不是真正意義上的趨近永生。反而,「德基瑪」,才更有資格向永恆的壽限邁進,因為他們可是作為亞特魯的心臟而反覆在甦醒、入眠兩項之間交替切換的「常人」呢。的確,即使希卡從未透露他部份心聲,可我就是清楚明白地知道,他總是擅自推敲,並認為我眼中所見的「德基瑪」看起來應該不是人。這點可真是讓我暗自傷心啊……
  不過,這倒也是料想之內的事。亞特魯的原型機,姑且還是需要「德基瑪」進入那���大的球狀心臟,充當運轉時的動力源。對黑暗掠奪者這個外來物種而言,希卡製造的亞特魯,就好比是一帖針對其生存的劇藥,哪天要是碰上了雙方絕不可能安然無恙的彼此退讓。即使是四足爬行的動物都會為了抵抗威脅而反擊,那麼人類又怎麼可能不為所動呢。
  然而,一旦進入亞特魯的心臟,「德基瑪」對自己身體的掌握便被大幅侷限。感官放大數百、數千倍的代價就是腦迴路的熱過載,伴隨連帶的漚血……最糟糕的情況之一,是海馬迴受損而引起的記憶與空間辨識能力衰退。每每迎接「德基瑪」從亞特魯心臟中歸還時,看著他們的樣子,我真希望我當場就該被「德基瑪」們反手殺死才對。這些景象,我不曾遺忘,更不能為自己犯下的過錯找尋開脫的藉口。我明白,這是無論怎麼彌補百數千次,都無法補償的罪孽。因此我得繼續殘喘,並不是單單的苟延,而是體認到對「德基瑪」們,我有義務必須竭盡所能地活著。
  我開始看不見未來了——更準確點說,是我已經觀測不到我想探尋的人事物了。就好像有什麼力量,將那些東西都從觀測的事件視界邊緣移除,這肯定是神在冥冥之中對我施加的懲罰吧。為了製造亞特魯,我的確在許多的平行時空裡,威逼利誘地用上白灰黑的手段,干涉了一些人的計畫、蹂躪了部分人的人生、解體了大多人的夢想……這些,都是我在神的面前無法說「不!」的緣故。
  伏馬城的人們又是怎麼看待我與我的「德基瑪」呢?我知道,我知道,最常傳入耳中的大多數都是「象牙塔的怪人」這個渾名。說來也是微妙,我所欲推行的「救濟」,並不是那種什麼想成為救世主之類,常人淺顯易見的、期許自身與周遭都能「被拯救」、「被引導」的蒼白無力的迷思。在肉身上,我就像常人一樣,他們活著,我也活著,他們學習,我也學習。可是區別就在於,他們一旦遇上短期內無法理解、突破的難關,多數人不是掉頭就走,不然就是掩耳不聞、拒絕感受,更何況是繼續深究呢?而我不過是做著與他們相反的事,全心全力的投注其中,久而久之待我摸索出「救濟」的方式時,那渾名亦在我關心之事外的瑣碎時間裡悄然升起。至於我對「德基瑪」們做過的事,在伏馬城那些學者與謄寫員的「好事」下,多少都銘刻至石板上與捲軸文獻裡。經年累月,自己的雙手為了專研技術而沾上漆黑、為了醫治「德基瑪」的身體損傷而染上血紅,伏馬城的人們早已不再把我視為同類的「人」了,無論是常人,抑或是其他艾達納們。
  「身為艾達納是我的本意嗎?不如說我更想如同常人般……」
  「老師,這就是您不自覺地傲慢了!」
  希卡,從亞特魯的心臟中返回後,一邊乾嘔著一邊嚴肅地打斷我,然後抨擊起來。
  那麼為什麼要提防黑暗掠奪者呢?說出來大概也不會被採信吧,畢竟「象牙塔的怪人」可是個被看成整天嚷著什麼「滅世」就要來臨,滿嘴胡言亂語的瘋子呢。在那些觀測過的平行時空裡,我有著幾許印象深刻的記憶碎片,一片是——若那闇星沒有出現,人類會一邊增築意志之塔向神發起挑戰,然後一邊在降下的神罰中壞死。另一片是——常人開始肆無忌憚地濫用那闇星帶來的黑石,不願再與艾達納共榮,付出無數鮮血代價後,徹底將我等「淨化」抹消的純種人類時代……為什麼會變成這樣呢?人類的外在適應性是很強韌的,但內在、基因層面的鬥爭心卻是無法根除的病灶,而黑暗掠奪者的出現,就像是催化劑那樣,大幅地將人性中「好強」的競爭本能,轉化成帶有惡意的攻擊意識。
  闇星落下後的黑石渣滓,不僅將改變地貌,也會令飲用水受到污染,大量常人因而亡故,動亂是必然的,而覬覦黑石的各路野心與看似希望的絕望,則蠶食對星外事物一無所知的常人與塵世。為了做好準備,我不再在乎或辯解那些流言蜚語,與「德基瑪」們深居象牙塔,持續堅守、鑽研「救濟」的手段,試圖阻緩人類這個種族的衰敗。我對這個世界,仍然抱有期待,儘管時局的發展並非一介艾達納能參透,我只是單純命長,不代表全知全能。
  ……無奈的是,我又將再度迎來肉體的死亡。也不確定在歷經這一切後,神——是否願意允諾我重獲新生,或許不會有了吧。至於阿戈里斯的廳堂,會願意收容我的靈魂嗎?曾經的搖籃,伴隨著沒能珍惜的遺憾,從荊棘的棚架上崩落;往昔的天堂已然焚毀,廢墟之中難覓我活下去的明日。
  終有一日,我的「德基瑪」,將在新的世界裡重建人類的花園。
  獻上祝禱吧,為了將要離巢的你們。
  「有必要抱著矜持嗎,老師?」
  「這是理所當然的,不然的話,誰願意一肩挑起呢?」
  那個時候馬上就要來臨了,所有的準備就彷彿是在等待那一天。
  「模擬運算,二二六億又八千萬次,終了——」
  『像頑疾般駭人,像反芻般苦澀,受害的舌尖上滋生出歹毒、無可救藥的膿瘡。』
Coda.
  把垂飾與護身符重新披上肩,令「德基瑪」們的肖像畫照看我身後旅路。 然而,言語與回憶終究會失去原意。屆時,我將以蓋伏與齊貝利烏斯之矛,再度於汝等身軀雕鑿、鐫刻。這是我謹致的回答,更是這漫長救濟征程的起點與結局。
 「模擬運算,三九六億又九千萬次,全數終了——」
 『若在某個窒息的夢中,汝等亦可踱步,或與吾再次同行。』
  汝非汝,吾非吾——洛克斯瑪哈.戴基亞。
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釣魚掛馬,謝謝閱覽。
扶我起來,我還能農。
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bailonglee · 7 months ago
Text
臨死体験で知った宇宙創造の真実!中山康直さん
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たまには、スピリチュアルな話を書いてみます。
書いたとこで、『頭がおかしい』としか思われないと恐いから、極力、論理的にかなう話ばかり、書いてますw🤣
だがしかし、見たヴィジョンは事実な訳で、何より、自分自身に嘘を言っても意味が無いw🤣
だから、淡々と、書くしかないw✨
臨死体験か。。
中山さんの臨死体験は、かなり凄いね。。
溺れたはずが、陸に上げられてたなんて…
まあ、海で死にかけたのは、5回は、あるw🤣
やんちゃが、過ぎた私だった。
平気で、仕切りのポールの外に行き、立ち泳ぎをやめる。
場合によっては、身長の倍くらいの深さが、何回もあったw🤣
で、必死にクロールで岸目指す。
めちゃくちゃ頑張って泳ぎ、パッと立ち泳ぎする…
…全然進んでないw🤣🤣🤣
また、必死に岸目指す…
…殆ど変わらないw🤣🤣🤣
泣きそうになり、命全部注いで、泳ぐ!w🤣🤣🤣
かなり長い時間経つと、ようやく仕切りポールに戻れる…w
そこからは、速攻岸まで泳ぎ、安心して、暫く休むw🤣
…馬鹿やったんやろなw🤣✨✌️😎✨
ただ、持病が中耳炎、年に何回か、切る…
で、水から離れるようになり、馬鹿なゲームもしなくなったw
臨死体験の明確なものは、無いw
ただ、間違いなく死んでたんじゃない?ってのは、31歳くらいに、ある。
風邪をひき、39度くらい熱があった。
営業の仕事、状況的に休めない…
無理を押して出勤したが、もはや、午前中くらいから、意識が遠のいてるw🤣
歩くことすら、やっと。
営業終わった後も、忖度残業というか、いつも皆、22時くらいまで、帰らない。。
だが、その日はさすがに景色も歪むw
所長に、「すいません、熱あって早く帰ります。」と、19時くらいに帰った。
当時、妻と、赤ん坊が1人。
「ごめん、風邪ひいて熱あるから、寝るわ。」
まさに倒れるように、寝た。
目が覚めた。
何時間寝たのかな?
「やっと起きた!死ぬのかと思った!」
妻は、驚いていた。
「どんくらい寝てた?」
「3日、ずっと寝てたんだよ!」
え?…
飲まず食わず、トイレ行かず、確かに3日の時が経過していたw🤣
会社に電話し、事実ありのまま話した。
病院に行きますと、伝えた。
病院で検査。
「確かに、肺炎になりかけてましたが、治りかけてますね。ほら、肺が真っ白でしょ?」
…まじかいな。。
ま、肺炎は寝て治ることもあるのねw
私がスピリチュアル的な目覚めをしたのは、まだ3年くらい、2019か、2020か、その辺り。
TOMOさん動画きっかけで、覚醒した。
その少し前から、やたらとゾロ目数字ばかり見るようになったり、やたらと体じゅうを壊したりした。
実際のトリガーは、40日の断食からだ。
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不安だったが、出来た。
ああ、食べないと死ぬは、嘘だったのかとw🤣
その後、秋山佳胤さんという、6年水も飲まない絶食者を、知った。
瞑想もちゃんと出来るようになり、自分はアンドロメダスターシードだと、知る。
私が行ったのは、エルサレム星という星。
700億人もの人口なのに、人口問題など全くない。
スイスの、アルプスの少女ハイジみたいな衣服、男女とも。
とにかく緑が豊か。
人々は皆温厚、テクノロジーバリバリという印象はない。
ただ、エルサレム星は、巨大な船が、空を飛ぶ…
海のものじゃない。
も一つ、エルサレム星のうさぎは、象よりもっと巨大だったw
でも、温厚。
アンドロメダ以外で行ったのは、オリオン。
まさに、赤と黒の世界だった。
テクノロジーは半端じゃないw軍事に特化したテクノロジー。
アンドロメダでは、肉体屋さんみたいなのがあり、水牛の頭みたいなもん持ってゆくと、どんな肉体でも選べるが、皆、3つくらいしか持っていない。
不思議なもんで、椎名林檎さんのPVと、全く同じ頭の骨。
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↑↑↑まさに、この骨。
で、アンドロメダ行って思った。
なんだよ、容姿端麗とか、まるで無意味なんだなと。
肉体はいかようにも、変えられる。
だとすれば、僕はDevil May Cryのダンテみたいになりたかったが、意味ない…
肉体屋行けば、なれるんだから。
そんな馬鹿馬鹿しい事で、命を落としたり、絶望する事は、馬鹿げてると、知った。
ゼウスの子、ヘリオス系統。
母親は、プレアデス7姉妹。
地球🌏創造に、関係してる。
断片的な記憶しかない。
いつか、もっとはっきり繋がるかもしれないが、私にとり、それはそんなに重要では無いんです。
思いっきりはっきり聞いたのは、「ジョン・コルトレーン」という言葉w🤣
耳元で、はっきり聞いたw🤣
僕はジョン・レノンの大ファンで、アルバムはだいたい聴いた。
しかし、ジョン・コルトレーンとは何者か、聞いた事無かったw
ネットで調べたw🤣
そこは、瞑想でも、チャネリングでもなく、インターネットだイェイって、やつw🤣
クラリネット、ジャズミュージシャンだが、1967年、ガンで死亡とWiki。
だが、「神の啓示を受けた」と発言し、当時のニューソートの流れの、中心人物だったようだ。
そして最後のアルバムタイトルが、なんと、「アセンション」…
なるほど、無縁ではないんだと。
僕は最近は、瞑想あまり出来てない。
断食というより、1日1食程度。
しかも、穀類は少なめ。
肉は全く食べなくなったが、魚はたまに食べる。
おととし、返済を一ヶ月忘れてたら、3日後に、裁判を起こされた…
『求償金請求』という訴状。
記載されていた内容は、「…支払わないと、財産差し押さえ…うんぬん…」
驚いた…
後から知ったが、その訴訟で、財産を差し押さえる事は無いそうな。
いわゆる、《脅し》だと、後に知る。
だがしかし、生きてく上で、裁判ざたやらあれば、生きる時間と精神は削られる。
まずは、借金返そう、今はそれを考えてる。
しばらくスピリチュアルから離れがちだが、地球🌏には地球🌏のルールがある。
良し悪しは別として、状況打破なら、しなきゃならない。
まあ、だから、今はこんな生活w🤣✨✨✨
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kennak · 3 months ago
Quote
「話をおまとめ下さい」 よく通る官僚の声が発言を止めた。82歳の男性があわてて口を閉ざした。その後ためらいがちに出た言葉はとても聞き取りにくかった。すでにマイクが切られていたからだ。新聞記者が連射したシャッター音が会場に響いた。 懇談会の終了間際、出席者のひとり、水俣病被害者の会の中山裕二が「一点質問させて欲しい」と伊藤環境相を引き留めた。「マイクを絞ったのか」とたたみかける中山らに伊藤氏は背を向け、司会を務めた水俣病担当室長も無言で会場を去った。 「全面かつ最終解決」と国が自賛した水俣病特別措置法施行から15年。「マイク遮断」はなぜ起きたのか。環境省にとって水俣病は忌むべき存在なのだろうか。(熊本県民テレビ 記者 東島大/敬称略) 水俣病の仕事は「後ろ向き」環境省職員の本音 筆者が受け取った環境官僚からの電子メール 「究極の『後ろ向きの行政』を担当しておりましたが(略)、今度は『前向きの行政』を所掌いたします」    こんなメールを貰ったことがある。環境省で水俣病を担当する特殊疾病対策室のある室長が異動の挨拶として私に送ってきたものだ。全歴代の室長すべてが水俣病の仕事を「後ろ向き」と認識しているとは思わない。しかし取材者としては、職員のかなりの部分の本音ではあるのだろうと感じてい���。 それは水俣病が単に古い事件だからではない。懇談会でマイク遮断を最初に指摘した中山裕二は40年以上環境省との交渉に関わってきた。今回中山は「マイクを切るなんて初めてだったよ」と憤りながらもその後記者たちにこう話した。 「環境省と私たちっていうのは振り返ればぎりぎりの緊張関係にあったけれども、それなりの信頼関係もあったと私自身は思っていたんです。ところがこの間の特殊疾病対策室長の対応、それが信頼関係を壊した」  5月1日は水俣病にとって大切な日だ。1956年のこの日、水俣市保健所に奇病発生の届けが出された。患者は5歳と2歳11か月の姉妹。報告書によれば、2人とも意識は朦朧として看護師がヤクルトで唇を湿らせてやるのがやっとだった。 姉は亡くなったが妹の実子は71歳になった。ことしに入って寝たきりの状態が続いている。自宅で倒れる直前に「靴がはけない」と声を上げたのを最後に70年自分の意思を言葉で伝えたことはない。 この日を公式確認の日として毎年慰霊式が行われる。環境相と県知事は必ず「謝罪」を口にする。その後に患者との懇談が用意されるが話は「聞き置く」のみ。患者側が追及しようとしても「係争中なので」とかわされる。被害者と加害者は、裁判の原告と被告でもある。そこに「信頼」の文字はない。「マイクオフ」が起きる種はすでにまかれていた。 原因企業ありきの経済成長 水俣病が抱えたタブー 「マイクオフ」を命じた環境省特殊疾病対策室長は、およそ2か月後に異動となった。環境省は定期異動の一環と説明した  ではなぜ環境省は水俣病に「後ろ向き」なのか。それはキャリア官僚たちが束になっても太刀打ち出来ないほどのタブーが水俣病問題に亡霊のようにつきまとっているからといえば文学的に過ぎるだろうか。  たとえば──水俣病の原因企業・チッソは小さな田舎企業ではない。戦前、軍部と結託し朝鮮半島に進出。世界最大級の水力発電ダムを建設し、戦後に首相となった岸信介らの後ろ盾を得てアジア一帯へ勢力を拡大。その売上は三井三菱を凌駕した。戦後は大陸に展開していた人員を水俣へ集約し、敗戦からわずかひと月で工場を再稼働させ、昭和天皇の激励を受けた。 巨大ダムを視察する後の首相・岸信介(右)当時は満州国産業部次長という肩書きだった  戦後は電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビの三種の神器に欠かせないプラスチック製造に必要な化学製品オクタノールの国内シェアの85%を握る。私も取材に加わった「NHKスペシャル 戦後50年その時日本は~チッソ技術者の証言」では、当時通産省から経済企画庁に出向し水俣病対策にあたっていた官僚に取材している。彼は「排水を止めた方がいいんじゃないですかねなんて(出向元の通産省に)いうと『何言ってるんだ、チッソが、これだけの産業が止まったら日本の高度成長はありえない』と言われた。確信犯だね」と語った。文字通り、チッソは日本経済のエンジンだった。 水俣患者と国とで「板挟み」 自殺したキャリア官僚 故・後藤舜吉チッソ最高顧問。45歳で取締役となり「チッソ中興の祖」と言われた  チッソの認識はどうだったか。社長・会長・最高顧問を30年務め2年前に鬼籍に入った後藤舜吉に「工場廃液が水俣病の原因とわかったあともなぜラインを止めなかったのか」と尋ねたことがある。  その時後藤は「わが社が生産しなくなれば客が困る」と即座に答えた。「困るのは日本経済そのものだったのでは」と更に訊くと「たまたま結果が世の中のお役に立つといったようなことです」と煙に巻いた。 こうした「水俣病の責任を認めることは国策の誤りを認めること」という認識は環境官僚の手足を縛っていく。 1990年12月、環境庁の事務方ナンバー2の企画調整局長・山内豊徳が自殺した。53歳だった。 映画監督の是枝裕和が丹念に取材した記録「官僚はなぜ死を選んだのか」によれば、山内は死を選ぶ前日、家族に「水俣の仕事はどうしてもやりたくなかった」「自分に嘘をつかなきゃいけない部分が多すぎるんだ」と告白したという。  今、山内の名を記憶している環境省職員は少ないだろう。しかし「(水俣病問題が)やりにくいのは、外部じゃなくて内部なんだよ」とも漏らしたキャリア官僚の思いは、今も形を変えながら職員たちの意識に流れ続けているように思える。 戦後復興と漁師の命を天秤に 公害広げた「悪魔の選択」  「なぜ政府は水俣病を解決しないのか」。水俣病の取材を30年以上続けていると多くの人々からこの質問を受ける。しかし政府は水俣病を解決出来ないのではない。解決するつもりがないだけなのだ。正確には「解決する立場にない」と考えているというべきだろうか。裁判では、不作為──つまり政府が公権力を行使すべき局面であったのに「何もしなかった」ことが水俣病を拡大させたとされた。なぜ政府は何もしなかったのか。それはかつて政府がまとめた「見解」に見ることができる。この見解からひと月後、山内は死を選んだ。 1990年に政府がまとめた「水俣病訴訟に関する国の見解について」。山内氏はこのひと月後自死した  原文(画像参照)は慎重な言い回しだが、ここから読み取れるのは「戦後復興の代償を支払うのは誰か」という究極の問題である。日本の復興と、九州の一寒村の漁師や子どもたちの命。当時の官僚や政治家が秤にかけたものはあまりに大きすぎた。しかし彼らは一方に目をつぶり一方を推進せざるを得なかった。環境省は水俣病を教訓に産声を上げたと言われるが、正しくはこの悪魔の選択への忸怩たる反省として産み落とされたといえよう。  医師でもあった環境庁の第二代長官大石武一は、水俣病第一号患者・田中実子を見舞ったのちに訪れたストックホルムで「日本国民はより多くの生産、より大きいGNP(国民総生産)が人間幸福への努力の指標であると考え、これに最大の情熱を傾けて参ったのでありますが、その考えが誤りであることに気がつきました」と語った。 終わらない水俣病 解決を阻むもの 大石武一の演説に目を通す水俣病被害者の会・中山裕二さん マイク事件を通して、あらためて行政との「信頼」にこだわる被害者の会の中山裕二は今、大石の講演録を手に語った。 「経済優先の政治っていうのは一切変わってないということじゃないですか。環境省は、設立当初はそれなりの理念と正義があって国にブレーキをかける唯一の役所だったという言い方をする人もいたけれど、でもその後経済成長へともう一度舵を切った時にやっぱり抵抗しきれなかったんですよね」 チッソ工場から垂れ流された排水。水俣病が確認されて10年後の1966年まで続いた 水俣病とは、高度経済成長とは何だったのか。戦後の繁栄を享受した私たち日本人はどこまで水俣病に責任を負うべきなのか。ひとりひとりを説得する覚悟が伊藤環境相にはあるのだろうか。 編集後記 本稿の、岸信介元首相がチッソの朝鮮工場を訪れていたというくだりは10年程前の私の独自だった。当時は岸の孫の安倍晋三氏が首相を務めていた時期で、私がその頃勤務していた公共放送局では東京の報道局から「岸元首相の部分を削ったら放送する」と言われ「それではニュース価値がなくなる」と断ったら放送されなかった。今回マイクを切った官僚にもどこかへ忖度があったのだろうか。原稿を書きながらそんなことを思い出した。 ※この記事は、熊本県民テレビとYahoo!ニュースの共同連携企画です。
水俣病患者らとの”ギリギリの関係”を壊した「マイク遮断」事件はなぜ起きたのか 問題を追う記者が見た「解決を阻むもの」(KKT熊本県民テレビ) - Yahoo!ニュース
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zo-sunz · 9 months ago
Text
エスカレートする「倫理的狂気」
 倫理的狂気に陥るのは、時間がたってからだ。戦争開始直後から起こわけではない。時間がたち、いくつもの出来事を経るうちに、どんどんエスカレートしていく。誰も都市に空から爆弾を落とす第一号になどなりたくなかった。しかし、敵が攻撃してきたので仕返しをした。最初は軍事目標だけを狙うつもりだったが、昼間では敵の戦闘機に攻撃されてしまう。そのため夜間に爆撃を行うことにした。問題は、昼間でも標的に命中させることができなかったことだ。にもかかわらず夜に爆撃機を飛ばすことは、都市に無差別に爆弾を落とすのを、闇に認めていたということだ。
「倫理的には、彼らは昼間でも正確に狙えなかった標的を爆撃しようとしていた」と、レン・デイトンはドイツの戦略の変化について書いている。「実際には彼らは英国空軍爆撃機軍団がしていたのと同じようにしていた。大きな市の中心部を見つけてそこに火を放ったのだ」
 1941年6月、イギリスは敵国の労働者の士気とコミュニティの破壊を目的として、爆撃は夜間に行なうと公言した(ドイツが行なったのは“脅威を与えるための爆撃”で、イギリスが行なったのは、“士気を挫く爆撃”だった)。イギリスにとっては、それは当時ドイツとの戦争において、彼らが持っていた数少ない貴重な戦法の一つだった。
 ドイツの作家ヨルグ・フリードリッヒは複合爆撃機攻撃の航空隊を「人間に向けられた最も不気味な兵器」と呼んだ(この取り組みを監督していた空軍元帥のハリスは戦後も、これがイギリス人兵士一世代分を丸ごと救ったと固く信じていた)。
 ドイツ空軍のヘルマン・ルメイまで、第一次世界大戦のころにパイロットや兵士として戦った軍の指揮官たちにとっては、何があろうと20年前に前線で経験したことよりはるかにましだった。第一次世界大戦では英国海軍が約80万人のドイツ人(大半が非戦闘員)を餓死させたと思われているが──すべてイギリスが海上封鎖している間の戦争の原則のもと──それは西部戦線で戦っていた兵士の命を救うためだったので、倫理的に受け入れられていたと、ハリスは主張した。(もちろん誰もが受け入れていたわけではない。ドイツの姿勢はイギリスとは著しく違っていたが、それは当然だろう)。
 タミ・デイヴィス・ビドルは自らのエッセー『空軍力』で「自国の兵士の命と敵国の民間人の命を、どう比較するのだろうか?」と問うた。また、イギリスがドイツへの空爆を始めたときには、平和主義の聖職者たちが、戦争に勝つためにモラル上の一線を超えるよりも、負けるほうがいいのはどういう場合かと問いかけた。
 米軍空軍司令官のヘンリー・“ハップ”・アーノルドは、何十万人もの市民が死んだあとで、「適切な理解とともに使用すれば、爆撃は、事実上、すべての兵器の中で最も人道的なものになる」と述べた。最悪な大量殺戮はまさに最適な条件で起きた。(爆撃される国からすると、誤った条件下かもしれない。)ある一定の条件の下では、爆撃で火炎旋風と呼ばれる現象が起きる。ある範囲(この場合は町)にいくつもの火炎があがり、それが一つに合わさって大きな火炎となる。これが起きると熱い上昇気流が大量に発生し、地上の冷たい空気が渦を巻いて、ハリケーン級の超高温の風を生じさせる。
 このような状況では、人がいろいろな原因で死んでいく。ある人は爆風で死ぬ──肺が破裂し、血管等神経が衝撃を受けて死が訪れる。炎が燃え移って焼死する人もいれば、コンクリートの塊や建物に押しつぶされて死ぬ人もいる(個人が致命傷を負う弾丸と違って、爆弾は犠牲者の周囲の世界も破界する)。防空壕に流れ込んできた一酸化炭素による中毒、あるいは火炎旋風で部屋の空気がなくなって、窒息した犠牲者も多かった。
 ドイツ軍の爆撃が最も激しかった晩は火炎旋風が生じ、1666年のロンドン大火以来、最悪の大火災となった。しかしそれも、ドイツの都市への報復の爆撃に比べれば見劣りがする。(ドイツ空軍は、当初はあまり考えずに戦略爆撃を重視する原則を採用していたが、戦争が始まるころには戦術空爆を中心としたやり方に切り替えていった。戦術攻撃とは、都市全体ではなくその戦場だけに攻撃を絞る手法である。急降下爆撃機(Ju87ストゥーカ)で戦車を爆撃するのが、戦術攻撃の例である)。最初の激しい攻撃は1943年のハンブルクだった。おそらく4万から5万人が焼死した。
 1943年に19歳だったケイト・ホフマイスターは、爆撃を生き延びた一人だった。グウィン・ダイアーが著書『戦争(War)』に彼女の経験を書いている。そこには人間の経験として想像を超える極限状態が描かれている。防空壕を出たホフマイスターの目の前には、燃え上がる地獄が広がっていた。ガスマスクが溶けて顔にはりついている人が転がっていた。ダイアーはホフマイスターの話を引用している。「アイフェ通りの向こうには行けませんでした。道路には人がいて、すでに死んでいる人も、生きているけどアスファルトにくっついて動けなくなっている人もいました。きっとあわてて何も考えずに道に出てきたのでしょう。足がくっついて、抜け出そうとして手をついたんです。手と膝をついて四つん這いの状態で叫んでいました」
 火炎旋風が起これば、次に何が起こるかは決まっていた。ロンドン大空襲では、8ヶ月を超える期間で4万人が死んだ(これは近代以前のほとんどの軍隊が、一度の戦争全体で失う数よりも多い)。ハンブルクではひと晩でそれだけの数のドイツ人が命を落とした。それは地獄の底をのぞき見て、目を背ける経験だったのかもしれない。
 地獄をのぞき見た人はごくわずかだったが、英国首相はその一人だったと思われる。ウィンストン・チャーチルは、飛行機の先につけたカメラで撮影した、爆撃されたドイツ都市の被害現場の映像を見て、恐ろしさのあまり震え上がってもおかしくはなかった。当時彼と一緒にいたオーストラリア駐在武官によると、チャーチルは腰掛けた背を伸ばして、大声でこう言ったのだ。「われわれは野獣か? ここまでやってしまったのか?」。その同じチャーチルが、1940年にはこう言っていた。「自分の裏庭に火が付けば、ヒトラーは交代せざるをえなくなる。そして我々はドイツを砂漠にしてやる。そう砂漠だ」
 チャーチルはまた、爆撃で失われるヨーロッパの遺産を心配していた。戦争で直接の被害を受けた人々が死んでいなくなったあとも、ローマ時代までさかのぼれる遺産の喪失は、子々孫々にわたり影響を受けることになる。文化遺産が、倫理的狂気によって破壊されるのだ。そしてそれはヨーロッパに限らない。日本、中国をはじめ多くの國で起こっていた。(たとえばイラクへの爆撃で、古代バビロニアやアッシリアの遺跡が損傷した。)
 フランクリン・ローズベルト大統領は、敵の都市の爆撃について、二つの違う立場をとった。公的には反対、非公式には賛成だ。1941年8月4日の彼���発言を、米国財務長官ヘンリー・モーゲンソーが録音していたが、その内容は次のようなものだった(コンラッド・クレーンによる引用)。「ヒトラーに勝つ方法をイギリス人に伝え続けているが、彼らは聞く耳を持たない。軍事施設を狙って百機の飛行機をドイツに飛ばす��ら、そのうち十機は前に爆撃されたことのない小さな町を爆撃するべきだと、繰り返して提言した。どの町にも何らかの工場があるはずだドイツ人の士気を挫くにはそれしかない」
 1943年になると、死者の数が恐ろしい勢いで増え始め、それがずっと続いた。米国は、戦争最後の1年で、それまでの累計より多くの死者を出すことになる。
 ダグラス・カッカーサー将軍は焼夷弾攻撃を非常に嫌っていた。補佐官の一人(基本的に彼を代弁する立場)は、それを「これまでの歴史の中でも最も容赦のない野蛮な非戦闘員の殺戮だ」と述べた。マッカーサーは実際に、市民を守るために民間施設を爆撃しなかったせいで自分の部隊を危険な目にあわせて死なせたことがある。現在でもそれは間違っていたという声がある。
 世界で最も大きな力を持つ人々でも、こうした非道が行われる勢いを止めることができなかったようだ。戦争を率いた陸軍のジョージ・マーシャル元帥と陸軍長官ヘンリー・スティムソンも、その時起きていることを気に入らなかったが、止めることはできなかった。スティムソンの言によるとマンハッタン計画に参加した物理学者J・ロバート・オッペンハイマーは、焼夷弾攻撃と民間人への攻撃に対して米国の一般大衆があまり怒っていないことを不安視していた。オッペンハイマーは必ずしも攻撃を止めることを望んではいなかった。ただそれについて起こる人が少ないのが気に入らなかったのだ。
 これはその時期の狂気を示すものだった。戦前の世論が女や子どもを標的にすることを許さなかったために精密に標的を狙う空軍力をつくった、まさにその当事者らが、1944年には一般大衆が怒らないという懸念を表明していたのだから。しかし都市には多くの軍事施設があるので、町全体を消滅させてしまえば、多くの軍事施設を破壊できる。
 日本は産業を民間人の移住地域に移す決定をして、計り知れないほどの代償を払うことになった。一か所に集中させて爆撃を受けないよう、地域ごとに小さな工場をつくった。これが、当然と言えば当然だが、すべてを消滅させることを都合よく正当化させる要因となった。
 技術の発達で、離れたところから標的を攻撃できるようにもなっていた。陸軍中佐で軍事心理学の専門家であるデイヴ・グロスマンは、距離があると殺人ができるようになる理由、そして標的との距離が遠いほど簡単に殺せることについて書いている。日本とドイツに対して行なわれたこと、あるいはドイツがイギリスに行なったこと、そのどれも、兵士が敵の顔を見て手を下さなければならなかったら、起こっていなかった可能性は高い。
 グロスマンは7万人の犠牲者を出したある夜の空爆について「七万人の女子供にひとりずつ火炎放射器を向けるとしたら、いや、なお悪いことにひとりひとりの喉を掻き切らなねばならなかったのなら、その行為のむごたらしさとトラウマはけたはずれに大きく、誰にもそんなことはできなかっただろう。しかし、何千フィートもの上空からなら、悲鳴は聞こえず、焼け焦げる身体は見えない。だからだれにでも簡単にできてしまうのである」と書いている。日本で空襲を行なって戻ってきたアメリカの爆撃機の搭乗員には、焦げた人間のようなにおいがした。彼らの飛行機の底は焦げていた。そして彼らは戦果報告書を、握手して手渡していたと言われる。
 コンラッド・クレーンは民間人を標的とした空爆について、米国のある当局者の話を引用している。「それは地上部隊に、戦っているときすべての民間人を殺し、すべての建物を破壊せよと命令するのと同じではないのか」
 たしかにそうかもしれないが、前述したとおり、陸軍には海軍と同じように、戦時中に取るべき行動と、何が許容できて何ができないのかについての理解を、何千年もかけて体系的にまとめた指針がある。
3億人を救うためなら1億人を殺戮していいのか?
 1945年2月にら、ドイツにはもう爆撃するものは残っていないので、連合軍はがれきを揺らしているだけだという不満が出ていたが、それでも爆撃は継続された。戦後、ニュルンベルク裁判で、被告は──ほとんどが人道に対する罪で絞首刑になる──連合軍のドイツの都市の爆撃を非難していた。連合軍の法律顧問の一人は、空爆は「すべての国が実行するようになり、近代戦争の一部として認められるようになった」と述べた。倫理的な問題を問うには遅すぎる、というわけだ。
 連合軍からすると、事実上の敗北が決まったドイツへの爆撃を止めないのであれば、それよりは兵力が残っている日本がいる、太平洋戦域での攻撃を止めることは誰も考えなかっただろう。(ドイツ・ファースト政策によって、連合軍は第三帝国への攻撃を優先した。1945年初頭、ドイツはまだ侵攻されていない日本よりはるかに不安定な状況にあった。複数の敵国軍がドイツ国内で戦い、ドイツの大都市はどこも廃墟と化していた)さらに1945年8月、“空からのとどめ”という、ドイツに対する攻撃として想定されていたものが再び浮上した。その時点で、毎日の死傷者の数は恐ろしいほどで、終戦が1日早まるごとに、何千人もの命を救うことができた。
 日本に2発の原子爆弾が落とされてから完全に降伏するまでの間に、千機の飛行機が東京に焼夷弾を落とした。まだやるのか、という話である。
 しかし連合軍の爆撃だけに注目するのは、敵の危険性と性質を無視することだ。空軍の歴史を研究していたブルース・ホッパーは、1945年4月にブーヘンヴァルトの強制収容所を訪ねたあと、次のように書いている。「そこらじゅうで悪臭がした。人骨の残骸が炉の近くに山積みになっている。戦略爆撃を行なったことについての良心の呵責は、これを見れば和らげられる」。1899年のハーグ平和会議で、爆撃機はいずれ標的を狙う精度が高まって、市民を殺さずにすむ人道的な兵器になると言ったのは、米国の代表団だった。米国はまた、多くの非戦闘員を無差別に殺す軍部の策に耐えられないと感じていた。その米国が原子爆弾という、おそらくは世界史上最悪の無差別大量殺人兵器を使用した、唯一の国になるというのは、なんとも皮肉な話である。
 総力戦の論理は矛盾だらけだ。
 話は飛んで15年後、爆弾と高高度爆発物を民間人居住地域に使用することは合法である──なにしろどの国も使っていた──と成分化されたことで、米国自身が冷戦の間、核兵器の標的となる可能性を受け入れた。世界の指導者が3億人の命を救うために一億人を殺戮することは、倫理的に受け入れられるかという話を始めると、倫理的狂気はいっそう激しくなる。
 死者の総数を最小限にとどめようとするのは、それで3億人を救えるのであれば、たしかに論理的である。しかし自分たちが使用した兵器が引き起こした1億の人間の無残な死に、健全で有益だった部分もあるというのは、どんな理由をこじつけようと無理がある。
 人類が世界的な熱核戦争に突入し、再び暗黒時代を引き起こすようなことがあれば、私たちはきっと映画『猿の惑星』のチャールトン・ヘストンのように「バカども! このザマは何だ!」と叫びたくなるだろう。しかしそれは我々が招いた結末ではあっても、誰かが好き好んで起こしたことではないはずだ。
『危機の世界史』ダン・カールソン著 渡会圭子訳 2021年2月25日文藝春秋発行
THE END IS ALWAYS NEAR:
Humanity vs the Apocalypse. from the Bronze Age to Today
by Dan Carlin
Copyright © Dan Carlin 2019
Japanese translation rights reserved by Bungei Skunju Ltd.
By arrangement with Harper, an inprint of HarperCollins Publishers.
through Japan UNI Agency Inc., Tokyo.
ダン・カーリン
Dan Carlin
1965年生まれ。ポッドキャストのパイオニア的ジャーナリスト。かつてはテレビレポーター、ラジオパーソナリティ、コラムニストとして活動していたが、やがて活躍の場をインターネットに移し、彼がひとりで世界史のさまざまなテーマを、1エピソード数時間にわたって語る「だけ」のポッドキャスト番組『ハードコア・ヒストリー』を開設。そのドラマチックなテーマ選びと語り口で人気が爆発し、“Alexander versus Hitler(アレクサンドロス対ヒトラー)”、“Death Throes of the Republic(共和国の断末魔)”シリーズ、“Blueprint for Armageddon(最終戦争の青写真)”シリーズ、日本を扱った“Supernova in the East(東の超新星)”シリーズなど、60本以上のエピソードで累計1億ダウンロードを誇る。2015年の「ベスト教育ポッドキャスト賞」、2018年の「ベスト歴史ポッドキャスト賞」などを受賞。本書が初の著書となる。
渡会圭子
Keiko Watarai
1963年生まれ。翻訳家。��智大学文学部卒。おもな訳書に『the four GAFA-四騎士が創り変えた世界』(スコット・ギャロウェイ)、『習慣の力』(チャールズ・デュヒッグ)、『悪について』(エーリッヒ・フロム)、『かくて行動経済学は生まれり』(マイケル・ルイス)、『フラッシュ・ボーイズ』(マイケル・ルイス、東江一紀共訳)、『人口で語る世界史』(ポール・モーランド)など。
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mouniassn · 3 days ago
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親友的佛緣何時來到
以下一位有緣人分享,來文照登:
終於等到長假,可以回公婆家。從未如此想早點過去,因為太想知道他們到底有沒有在唸經了。本來九月份要回去,但剛好他們和一大群朋友去外地度假半個月,回程那天遇到颱風登陸,他們無法回家,我們也就沒回去。上次臨走前,我還特意加了婆婆的微信,給她發了很多條沒來得及交代的注意事項,還很心急地馬上在手機上做了表格,示範唸完經後要如何記錄,但婆婆始終沒有回覆一個字。
雖然我早已做好心理準備,但進門後,掃視了一下客廳裡,上次離開時我特意囑咐放經書的地方,空空如也,���裡就知道了答案。公婆家沒有書架,客廳電視機前的供案上,勉強可以放一下經書,除此之外,我也不知他們把經書和善書都藏到什麽地方。
住了三天,他們就和平常一樣,吃飯、睡覺、看電視、刷手機,對唸經的事,始終沒提到一個字,我也就沒開口說一個字,怕引發反感,避免公婆因不識佛法而謗佛法僧,又造下新的業力。想來,上次只是他們出於禮節,而沒在當下做出拒絕的回應。可能等我們一離開,他們就把書都收起來了,就當沒這回事。希望越大,失望越大,又是我一廂情願了。
曾經掰著手指頭幫公婆算過,如果我不幫忙,就算他們兩個人一起唸,一個人一天唸一部經,也要近四年才能圓滿迴向。四年,會發生什麽?大限一天天在逼近,人一天天在衰老、退化。看上去歲月靜好,但誰又能知道無常什麽時候會降臨呢?現在吃得下、睡得著,看似快活似神仙,今天這裡度完假,明天又要去那裡,消耗的都是自己的福報,業主菩薩們早就在一旁伺機等待了。
本來還想和他們說,不是超度完祖先們就沒事,你們自己不知還有多少遍的經文要唸。時間來不及了,要自己救自己,不知何時無常就來臨。但想想就好,多說無益,還是先做好自己吧!其它就隨緣,莫執著。對於夫家祖先們,我就只能先說一聲抱歉,你們的後代子孫沒有一個信佛,所以就只能先排隊了。是我請示的,我一定會負責,既能結善緣,還能開智慧,也是好事一樁。只是,還請耐心等待。
(分享完畢)
有緣人非常有心,請示超度夫家的祖先,還和公婆分享佛菩薩的開示,希望公婆能一起唸經超度祖先。可惜的是,公婆及夫家人沒有一個相信佛法,沒人願意唸經超度祖先。有緣人只能請夫家祖先耐心等待,慢慢排隊等候她唸經。
大多數的人不相信佛法、不相信因果輪迴,或不相信靈界運作。以為人來世上走一遭,就是努力工作賺錢、養家活口,有餘裕就盡情地玩樂、揮霍。如同有緣人的公婆,退休後就是把握人生、享福遊玩,這樣確實很快就會把福報耗盡,當業力現前時,也只能聽天由命。
關於超度祖先,以下分享一則《玉曆寶鈔》的附錄故事:
袁德初七位喪父,家庭富饒。但袁德初長得太瘦又多病,母親紹氏十分憂愁,因此每日必定殺一兩隻雞,煮成肉湯給他吃。袁德初十五歲那年,母親忽然得了皮蛀的病,遍身如同蟲在鑽、雞在啄。母親生病日久,悲啼七年後慘死,臨終時發出蟲的唧唧聲和雞的啼叫聲,並且自己用手扒碎皮肉,哀號至死。袁德初見此慘狀,痛心母親為了補養自己的身體,而殺害這麼多的生靈,才會使母親遭此惡死的報應,於是發誓戒殺立德,以贖不孝之罪。
德初的太太施氏,娘家歷代祖先喜歡戒殺,並印送經文。有一天德初到太太娘家作客,偶然在書籍中找到一本《玉曆寶鈔》的古本,就帶回抄寫流傳,當分送到第一百零八本那天,夢見母親說:「兒子你真的好孝順!我今天得以出離罪苦,全憑著你流傳因果善書的功德。世間男女,見到這些書而知所警惕的有四十九人。閻王答應我托夢給你,作為行善的驗證,之後我會被發放到福地去投生,兒子你也可以增壽。」
德初哭問亡父現在投生何處?母親回答:「因為在世生活富裕,享受福份太多,早已投生當窮書生去了。又由於自小註解、輯集因果報應等善書,現已富貴。」
德初夢醒,把夢境告訴妻子,妻子並不相信,笑說:「都是由於你整天抄寫《玉曆寶鈔》,著魔在心,才會做這些離奇古怪的夢。」天亮後,德初為了證實夢境,就到母親墳前焚香,祈請母親再次入夢,讓他有信心繼續做善事。這晚睡後,又夢到母親前來,很生氣地指罵媳婦施氏:「妳嫌丈夫整天抄玉曆,沒空陪妳,曾��中扯碎五本。善事幾乎被妳破壞,禍報不遠,還敢唆使丈夫,懷疑夢境!」德初驚醒後,詢問妻子是否有扯碎玉曆的事,妻子不但不承認,還說哪有人死十多年後,還在陰司受罪的道理!批評袁德初抄寫玉曆善書,著魔了。
隔天,母親紹氏直接託夢給媳婦的娘家,說兒子不相信她的話,都是媳婦的緣故。又回到家,在兒子的夢境中,將媳婦扯碎玉曆的事詳細說明:「因當時媳婦扯碎善書的壞事,被媳婦來訪的親弟弟察覺,暗中將破損的書包起來帶回家。媳婦的弟弟回去後,細心將善書黏補完整,弟弟的善心善行,已經被陰司紀錄大功。而媳婦亂說善事不可信,罪太重,災禍已在眼前,不忍媳婦受苦,才來警醒告知。」
當時,袁德初的妻子已經懷孕近生產,這一天晚上,妻子遍體發熱,背痛難忍。急請產科醫師來診治無果,又去請外科醫師來看,也說病況陰險難治。夫妻倆正不知如何是好,忽然妻弟來訪,見此急症,無不驚懼。各自敘述昨晚的夢境,竟然都相同。妻子的弟弟說:「姐姐確實有扯碎五卷玉曆,罪孽浩大,應該祈請神靈的寬宥。」
德初就奔進廚房,向灶神發誓立願,代妻抄寫百卷流傳,以補償先前的罪過。這時,妻子施氏從昏迷中醒來,猛然醒悟,跪下稱願永遠敬信玉曆因果,願意拿出私房錢,請人廣抄善書來為自己贖罪。午後,妻子身體退熱,背上硬塊也消,不再痛苦。第二天生產,母子均安。
這件事,袁德初不敢隱瞞,凡是所自抄的書,都將此事附錄於書末。現身說法,使人人知所警惕,人人相信遵從。而媳婦施氏,本來是玉曆的罪人,竟轉為玉曆的功臣。以上事跡,紀錄於貴州省遵義縣玉曆的編後。(引用結束)
以上故事告訴我們,世間真有因果業報,舉頭三尺有神明,諸惡莫做,眾善奉行。若祖先在世造下業力,死後會如《地藏經》所言:「是故眾生莫輕小惡,以為無罪,死後有報,纖毫受之,父子至親,歧路各別,縱然相逢,無肯代受。」祖先不安,子孫難安。所以,應認真執行超度祖先的事宜。但如果親友不信佛,寧可像分享文的有緣人一樣放寬心,隨緣莫執著。
學佛、修行、做善事應注意家庭和諧,避免對親友學佛、唸經一事窮追不捨,以免親友反感,反而造下謗佛、謗法的業力。親友的佛緣何時來到,都是他們個人的造作,無須強求。把自己做好,盡己之力孝順父母,廣行善功,積善餘慶,必有蒼天護佑。南無藥師琉璃光如來!南無本師釋迦牟尼佛!
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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shukiiflog · 11 months ago
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ある画家の手記IF.?-7 雪村絢視点 告白
もう要らないよ、刺青なんかよりずっと香澄を守れる俺がいるから そう言おうとして、何度目だろう、愕然として、なにも言えなかった。俺はもう、香澄の人生にそうやって関わることができない、現実を見ながら香澄を守ろうと今の俺がなにか考えるとき、 俺の存在は無いものとして考えなきゃいけない。 俺の居ない世界を、香澄の現実として未来に想定しなきゃいけない。 …充分わかってる、もうこの先なにひとつ使えないアテにならない自分が、その未来に俺がいない前提で今俺が考えて行動することが、香澄の人生を守るなら…
“Fais de ta vie un rêve, et d'un rêve, une réalité.”  ーーーーあなたの人生から夢を作りなさい。そして夢から現実を作りなさい。  -アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ Antoine de Saint-Exupéry( 1900 –1944 ) 作家、パイロット
俺には香澄に言わなきゃいけないことがあった。 ぐずぐずしてたのは調べものとかしてたから。検索で出るネットの記事とかあるけど、大事なことだからちゃんとリアルの人間からの責任ある言葉がほしくて。それでビミョーに不愉快なような変な気持ちがしながらも、虚彦くんに連絡した。 彼は小学生の低学年でピアス開けたって言ってたし、ピアスと…刺青って、無関係じゃない気がして。実際お店とかこの二つは近場にあったりする。広く人体改造とかイメチェンって言葉でも括れなくはないんだろうし。 直にぃのデータにあった、山雪穣って画家。この人は虚彦くんの師にあたる人だ。画像見る限りこの人は片腕から首までガッツリ刺青入ってる。暴力団の和彫とかじゃなくてオシャレなタトゥーってほうかもしれないけど。 それで虚彦くんにこの人を紹介してもらって、通話だけど、山雪さん本人から刺青についての話を聞けた。 やっぱり刺青ってまだ社会の一部からは敬遠されるし、MRIとか現実的に不利な事情を抱えやすいせいもあるのか、会社勤めとか堅実な人生ではあまり入れようって人はいない。自営業とか画家やアーティストや一部のスポーツ選手とか、なかば孤立した状態で暮らしていける屈強な人が入れやすい。一側面に過ぎないだろうけど現実だろう。 山雪さんのおかげで香澄に話したいことも大体リサーチできた。俺に社交辞令っぽくない感じで今度遊びにくるよう誘ってくれたりしたけど、…実現は難しい、かな。
明日は久しぶりに香澄と遊びにいく。久しぶりでもないか? 俺はまだ少し緊張する、この黒髪で外出するのって。…できれば俺がいなくなる前に名廊がどうなってるか、暴走して直にぃや香澄に累が及ばないか確認したいけど…直にぃのことも偵察に行かせるような真似はさせたくないしな…。 鏡の前に立つ。ゆるゆるうねった黒髪をいじりながら、ソファにダイブして横に座ってた真澄さんの膝に頭を乗せる。 「明日香澄と近くのお店に遊びいってくる~」 絢ちゃんのおててで真澄さんのほっぺたを押しながらじゃれついて続ける。 「香澄に明日、背中の刺青、跡形もなく消してもらう話するけど問題ないよね?」 急に話題ぶっ飛んだけど、いつどのタイミングを選んでもこれについてはスムーズに話し出せるわけでもないしね。
香澄の背中の刺青が本人の意思か否かは確かめるまでもないとして、いつ頃、誰に入れられた?関与した人間は今、どこにいる。あれだけ精巧な刺青なら入れたがった本人の持つ技巧じゃなくプロの彫り師やその周辺も咬んでるかもしれない。 俺が望むのは香澄が刺青を消すこと。 俺が言えばおそらく香澄は消す。ただ、関与した人間次第では消すことが却ってとんでもなく悪く転ぶ可能性もある。このあたりを香澄は考えられないから俺が先回りして、香澄が俺の際限のないワガママにやれやれって付き合ってたらいつの間にか不穏分子はすべて滅んでいました、これが一番いい。 刺青も、こうなればベストだ。 そしてあと少しの間に俺にできる、香澄に「遺していける」残らないもの、でもある。 「あの刺青って本人の趣味嗜好じゃないよねーーーーだれ?」 笑ってても声が冷ややかになるのを感じた。 聞かなくたってそれくらい分かる。香澄に「刺青を入れた人間」だ、殴ったの蹴ったのって暴力とはまったくの別種の加害行為。人によりけり、香澄に綺麗な飾りを施したような気にもなるかもしれない、可愛がってやったような気に。知る中で近い例は井原生良とか。香澄のことを通りすがりの他人Aとだけ見るのでは済まなかった人間。 無関心の暴力じゃない、あの刺青は逆。香澄個人への凄まじい執着だ。 「樹だよ」 頭上の真澄さんから予想通りの答えが落ちてくる。 「綾瀬樹さん?真澄さんの双子の兄弟だっけ。それって真澄さんにとってどういう人?兄弟だから一概に仲いいとも悪いとも言えないしね」 まだ軽いトーンを装って話せる、核心部を避けて。けど話題の散らし方や言葉の端々が制御できなくなってきた、…怒りが滲む。 …怒るのは苦手だ、疲れるし、もともと激しく怒れない、体も心臓もきついから。感情の起伏が激しいこととか情緒が乱れたりとかも、泣けば水分不足になるし熱が出る、俺にも相手にもいいことない。最近そんなんばっかだったけど。 少し答え方に迷ってるみたいに真澄さんが時間をあけて答える。 「…どう…も何もないな…樹はもう随分前に亡くなってる。香澄が僕と暮らし始めたのは香澄の父親が限界だったせいもあるが…樹が死んだからでもあるね…」
…限界? 誰が限界だって? 父親として香澄を扶養とか虐待することが? 父親、奥さん亡くなってからメンタルにきちゃった人だっけ、精神的な限界とか、そういうアレ? 限界を失った息子の香澄がいて?さっすが、面の皮の厚さじゃ俺なんて比になんないな。 「香澄の父親が限界。」 真澄さんの膝の上でしばらくころころ転がって笑う。おかしくって 「じゃあなに、刺青彫ってった樹さんも限界とやらで亡くなったわけ」 別に死んだからどうってことでもないけどね、なにが償われたわけでもなし、死んでようやく本人の目的達成って例もあるんだし。死者ってのがいつだって一番タチ悪いよ、人間の死は単純な消滅とは違う。 一度真澄さんに体を起こされてソファにきちんと座り直させられる。その行程で俺が笑うのをやめたら真澄さんが言った。 「他殺だよ」 「…」 嘘がないことを前提として、綾瀬樹の死を「他殺」だとわざわざ語る理由はいくつか思い浮かぶ。今は俺の状態と空気感を加味して、黙して語らずで済ませられた場面、だからこそ。 ひとつじゃないとしてもしその中のうち重点が集中したもののひとつが”俺に語っておく”ってことだったなら、…俺はここまでみたいな姿勢で聞いていられないな。 俺も、話のあとにも場の空気を悪くせずにお互いに流して済ませられるように、って構えを完全に捨てて話さないといけない。ここから先は、真澄さんに気に入られたくていい顔しながらできる話じゃないから。 ストンと顔から余計な表情が落ちる。 沈黙。 「ーーーー香澄に刺青を彫ることの意味が俺には分からない。いくら考えても香澄の人生で足を引っぱる余計なものだ」 でも彫った人間…綾瀬樹の目的は香澄に消えない暴力の跡を残すただ悪趣味で残虐なだけのものだったのか、そうは思えない、それは刺青という凝った仕掛けそのものと、彫られた刺青の美しさからも推し量れる。 けど、もしあの刺青のモチーフに暗喩的な綾瀬樹か香澄にしか通じない悪趣味な裏の意味合いがあるならそれもまた違ってくるのか… 「真澄さんは知ってるの。あの刺青に何か妥当な理由があるのか」 さっきまでと違って、落ち着いた声でちゃんと訊いた。 俺の中での呼び名に過ぎないけど、「彫った人間」って頭の中で呼んだのを「綾瀬樹」にわざわざ修正した。 これは俺の知りもしないどこかの誰かへの憶測じゃなくて、存在した一人の名のある人間にあててだってことを、自分自身に言い含めるために。
ずっと綾瀬樹なんてどうだってよかった。 俺自身の目で死亡確認してないから死んだって言われてもまだ生きてるつもりで対処することをやめずにきたけど、それも真澄さんを信頼してないわけじゃない、信頼してないのは綾瀬樹だ。 どうでもよかった。それが俺の、綾瀬樹に向けられる最大の憎悪の示し方だった。 でもこうやって話すとき、たとえ憎悪を捨てる気がなくても、綾瀬樹も一人の人間だったことを認めなくちゃいけない。そうやって考えていかないと、香澄が大勢から悪意なく落とされたように、今度は俺が綾瀬樹を知らず落として、それはいずれ俺自身の致命的なミスになってかえってくる。 「理由か」 いつも眇められた双眸が少し開いて表情もなく俺のほうを見ていた。 「弱い女子供だと思って手を出してくるような輩は狙った相手が刺青を入れてたら怯むだろ。実際に多少の効果はあったぜ」 あなたらしくない。物事の、良い点悪い点のうち片方だけを悪戯に論うなんて。それも…この場合は良い点とするか…良い点だけを。 あなたは分かってるはずだ、刺青の抱える悪い点も。…あなたが言わないで俺が言うのか、あなたに、そんなこと。 …ひどい茶番劇の中で一人、興に乗れない冷めたやつみたいで自分の滑稽さに内心自嘲が漏れる。 「刺青は威嚇と牽制になる、でもあるのはどこ?地肌の上だ。それを見た相手は香澄の裸の体を見れる距離にもう入ってる、…遅すぎる力だ。 威嚇っていうのは相手からの行為や害意や関心を圧して強制的に退かせるものでもある、それは相手に相応のマイナスの圧力をかけるってことだ、その場凌ぎでしかなくて後に危険が増す可能性もある。 そういう手合いがいざ探すとき香澄はどこか、いい目印が背中にある、簡単には消せない変えられない、派手に主張する見間違えようのないいい目印が。 刺青を見た相手が、刺青を入れる決定を下した香澄の背後にいる力を持った人物にまで思い至ってくれるか、想像してくれるか、その人物に震え上がってくれるか。今まさに香澄に害をなそうとする人間が、そこまで香澄にとって都合のいいことを察せられる人間か、ただの運だ。 馬鹿でもわかる、そうじゃない可能性のほうが年々高くなっていくこと。香澄はいずれ時とともに成長して女子供と間違われることは減っていって、刺青も入れたのは本人の意思だと見做される。 事実、刺青なんて通じなかった人間、直にぃや情香さんや俺が、今の香澄の周囲にいる。 …なんの意味もなかったよ、なんのプラスの意味もなかった。 あの刺青が例えばほんの少し実際に香澄を守ったとしても、どんなふうにも良いようには言ったらだめだ」 口の中で唇を噛んで小さく引き結ぶ。 涙は出ない。それでも酷く哀しい。 見た目だけでもちゃんとしてようと思うのに、目線が下に落ちる。髪が黒いおかげできっと前髪が眉の表情を隠してくれてる。 よりによって真澄さんに俺がこんなこと言わなきゃいけないの。どうして 「ごもっともだね」 返された言葉にさらに眼を伏せる。 視界の端で真澄さんは片方の口端だけでわらってた。 「樹が香澄を守るような何かしたいと望んだ、樹の気がすんだだけさ。…あの刺青があれば顔を潰されても背中見ればあの子だと判別できるだろ。燃やされても沈められても墨の反応が出る。…ギリギリで生きてさえいてくれりゃよかったんだよ。香澄は樹のための贄だった」
か す み の こ と だ と お も っ て き く と
…………だ めだ 俺は 真澄さんを選ぼうとしてるのか? 香澄のことだと思って聞いたら 無理だ、…そう聞けないから だから…? 嫌だ 誰の ことだともおもいたくない おもえない ただ そういうことと ーーがどこかであったっていうふうに 俺の大好きな人たち誰も関係なくて 映画とか 小説みたいに 文章化して 文字にして、訳して フランス語に変えたら つらくないかも … 辛くない? 辛くないってなに 現実はどこまでも苦しいよ きっと誰より恵まれてて大好きな人に可愛がって愛してもらえる、心の底から最高に幸せな瞬間にも 「…俺は今、場合によってはつまらない愚にも付かない誰から見てももっともでお綺麗な正論と常識を言ったけど…真澄さんも言えたはずだ、こんな香澄のいない場所で俺なんかと顔突き合わせて俺が今真澄さんにむかって話すなんて馬鹿げたことになるよりずっと前に。…どうしてこうなってるの」 真澄さんを少し睨むようにただじっと眼を見て訊いた。 真澄さんはもうわらってない。 俺が今、表出すべき感情はなんなのか。 少なくとも綺麗に言葉にのせていかなきゃ、感情任せじゃほんとうに伝わってほしい感情こそ取り落とされるから、任せずに俺が主導権を握って言葉を操らなきゃ。 この人に届いてほしいことを。俺が訊きたいことを。 隣に座ってるけどソファの上で脚を崩して真澄さんの方を向いてた俺に、真澄さんも一度足を組み替えた。 俺のほうをまっすぐ見る、睫毛の奥の黒い瞳は陰ることも濁ることもなく、これまでのどの瞬間とも同じように、月が完全に覆われた夜の静けさだけ湛えていた。 「…お綺麗な正論や常識より樹が優先だったのさ」 正論も常識もあの人を守ってはくれないから 「言ってたまるかよ、どうでもいいガキを擁護するための正論なんざ 誰しも生きるために他の命を食い物にする 他のってのはその他全てってことだ 樹以外全て」 そうか だから俺 そうだ…だから俺もあの部屋で 誰も 「樹を肯定するのにあらゆる正しさが邪魔だった 邪魔だったから遠ざけた」 「………」 駄目だよそれじゃあ。 分かってただろ、どうでもいいガキだからあの部屋にあの人のオモチャに放り込まれたのさ。 火傷で脚がだめになればここにいるしかないからずっと一緒だとか、刺青を入れれば自分の印付きだからどこへ行っても守れるだとか、 短絡的で 安直で 愚劣で 浅はかで 馬鹿丸出しで 耐えがたいほど下品で それでもなんだかある種の哀しい美しさを受胎してるようにも聞こえる、もしも全てが物語だったならね ! 「…それが結果的に綾瀬樹の首を絞めて殺すことに繋がったところまで、真澄さんの思惑通りってことでいいのかな? それで長くも穏便にも続くわけないじゃない、たった一人に犠牲が集中することで安寧を得られる仕組みなんて当然すでに破綻してる、その中での日々が平和に見えたとしても終わりはいつもすぐそこだったはずだ、そのすぐそこを真澄さんがこまめに一々お掃除していったのかな? 他殺って、それは真澄さんが殺したんでしょう」 黒い瞳は無表情のまま、威圧するでも萎縮するでもなく返される。 「そうかもな」 自分の顔から強張りを解く。真澄さんに向けて、にっこり優しく微笑んだ。 「綾瀬樹を肯定したくてたまらない真澄さん、肯定するために綾瀬樹本人の存在も命も邪魔になっちゃった?」
 カシャン
…しばらくじっとしてたけど、ふとコートを取りに立ち上がる。 ソファから降りてちゃんと立ち上がる前に真澄さんに体を引かれて膝の上に強制的に乗せられた。腕でぎゅってホールドされて身動きできない。…。 「……。」 抱きしめたり、すり寄ったり、言葉をかける、謝りたい、何もできない、そうしたい全部を堪えながら、今こうしてここにいるべきなのは俺じゃないんだって非現実的なことをぼんやり思う。 真澄さんのことをもっと徹底して許さないで厳しい言葉で容赦なくなじって責め抜けるような、俺はそうなれない、真澄さんがあんな話し方したのはわざとだ。 言っても滑稽なことか、言っちゃいけないことしか、言えなかった。俺は今この場にふさわしくない。 捕まえられてる状況に、一年前を思い出す、自分のここでの思考。 ーーーー俺が寒いなか勝手にここを出てっちゃったら体弱いからそれだけで真澄さんが殺人未遂になっちゃうしなーーーー 今は違う、こうして俺が出てかないようにしてるのも真澄さんの保身じゃなくて、これは俺が真澄さんに愛されてるから。俺が今真澄さんにすり寄ったり謝ったり一つも愛情表現できないでじっと固まってるのも、俺が真澄さんのこと愛してるから。 俺も真澄さんもそのことがお互いに分かってるから、この時間は辛くても、俺はここから逃げ出したいとは思わない。一人で頭冷やして少し考えたいとは思うけどね。 … なんとなく指先ざらついて、なんだろうと思って両手を見てみる。ホラー映画みたいで一瞬ちょっとびっくりした。両手の指が血みどろでボロボロだ。爪も割れてたり、何枚か剥がれて指からズレてるのとか、剥がれそうに根元ガタついてるのと、指先の皮も剥げて… さっきまで自分が座ってたソファを見る。ちょうど手がくるあたりの位置のソファ生地が血まみれでボロボロに破壊されてる。…話してた間に…俺がやったのか… 指先…これじゃ万年筆を持てない 遺せるもの…残す手段が ひとつしかなかったのに。 だんだんじわじわ指先が痛くなる。でも痺れたみたいな、激痛じゃない。 ホールドされたままそっぽ向いて一度も目も合わせなかった真澄さんのほうに、じろっと目線を上げる。目を合わせたまま暴れるんじゃなく静かに身動きしたら、何か考えがあるのを察して腕をはなしてくれた。 ソファから降りて、真澄さんの服を引っぱる。 俺に服の裾引っぱられながら真澄さんはされるがままになって寝室までついて来てくれた。 ベッドの上に上がって真澄さんもベッドに乗るように服を引っぱる。 ベッドの上で俺の横に座った真澄さんの服の襟を掴んで引き寄せる。体重差あるから俺のほうが引き寄せられるみたいになった。目の前の双眸に向かって言う。 「俺のこと抱いて。今すぐに。」
カシャン、
割れて 壊れて 俺 は… 本当に今も ちゃんと俺かな ひどいこと 傷つくような言い方 わざと聞いたことを曲解して 返した 傷つけたかった? 傷ついてほしかった でも 俺じゃ 傷ひとつつけられない でも 嫌 いや 嫌だ 嫌だ、いやだ いや いや! …やめて 香澄が 香澄を、 あんなふうに言ったから
血に濡れて滑った背中 滴ってベッドもシーツも血痕が 染めて 汚していく なんども 執拗に重ねた傷口の上から 手をとめないで 残った7本の爪を立てる 爪をなくした指が痛む ずれた爪がとれて 7本が6本に、 「…っ 、ぅ…」 爪、ピリッと疾るいたみ 体 頭も ちから抜けて 思わず漏れたちいさな呻きに 俺の体を撫でてた優しい大きな手が反応した 黒い前髪をかきあげて 髪に指をとおして頭を撫でながら …表情 確認されてる ? 心配されても、大丈夫って 言えない かわりに背中に回した両腕で 力いっぱい爪を立ててまた縦に引っかく 乾く間もない傷口から血が伝って 俺の体に落ちる ふたりして 血塗れだ 背中に負えばいい このくらいの痛みじゃ 刺青を彫るのに比べたら、まるでおままごとだ どうして…? 俺は、 大好きで 恋してて 憧れで 心から深く愛するひとに …こんなこと 許されてほしい、愛されてほしい、幸せを享受してほしい、…どれもきっと俺の 果たせる役目じゃない… 今はどれも 言葉に出して言っただけで 真澄さんはまたひとりになる だめ 繰り返し爪を立ててた血塗れの背中を 抱きしめる いれたままのが ようやくゆっくり体を揺さぶられて 我慢できない嬌声といっしょに すがりつく 反った体が真澄さんの体とぴったり合わさる 真澄さんの肩口に俺の口元がきて 首筋に歯を立てて噛みついた 死ぬまで痕 遺ればいい ほんとうに香澄のことが大事なら こんなひと 目もくれてやらなくて いい 綾瀬樹と…同じように 害なすときだけ対処すればいい 人間として尊重なんてしなくていい きっとそうなのに あなたを愛してる あいしてる …どうにもできないくらいに 心から許せないのと同じくらい 許したくて 許されてほしくて こうしてあなたに抱かれるのが 幸せで 繋がったまま、体を起こして ベッドの上に胡座をかいて座った真澄さんの脚の上に、両脚を開いて乗る 向かいあう姿勢に真澄さんが 俺の背中を包むように抱いて支えてくれた 両手を真澄さんの顔にそっと添えて、顔の輪郭や造形を確かめるように 指先で丁寧に触れてなぞっていく 薄い唇を親指でなぞってから 頰を手で包んで唇に唇を寄せた 長い時間かけて唇を屠りながら 唇が離れる瞬間に軽く真澄さんの舌を噛んだ ほんのり血の味が俺の口内にも伝って残る いまは「愛してる」って言えない 伝えられない あなたに憎悪の言葉ばかりさんざん吐いた もう言いたくない…苦しかった
疲れたのか うとうとしだして 真澄さんの首筋に顔を寄せながら、眠ってしまう前に ボロボロにしてしまった、いつも頼れる逞しい背中を残った爪で細く引っかいた
…Ce n'est pas ton amour. Vous n'aimez pas non plus Itsuki Ayase. Ce n'est pas de l'amour. Imitation d'amour. Je voulais penser que j'aime Licht. Je voulais être une personne capable d'aimer les gens. Licht jouait avec amour. C'est stupide contre les humains. Personne ne connaît la vraie nature de l'amour. Vous avez appeléles plus terrifiants plutôt que…
”あなたのそれは愛じゃない 綾瀬樹のことだって愛してもいない それは愛じゃない 愛の真似事だ 俺があの人を愛していると思いたかったのと同じくらい、人を愛せる人間でありたかったのと同じくらい あの人が愛を玩具にしていたのと同じくらい ひとに仇なす愚かさだ 愛の正体なんて誰も知らない ただあなたはよりにもよって、最悪のものにそう名付けて呼んだ”
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bigyokushoten · 1 year ago
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イーユン・リー『理由のない場所』から広がっていく(美玉ラジオ#32)
今回起点にしたいイーユン・リー『理由のない場所』翻訳は篠森ゆりこさん、河出書房新社から刊行されています。
篠森ゆりこさんが英語の翻訳者だということからもわかるように、リーは北京出身の作家ですが、英語で執筆しています。
母語ではない別の言語で執筆する作家は結構いて、その動機は人それぞれですが、リーに関しては母語を捨てたという認識で、それはある種の自殺とも言っています。
リーは1972年生まれで、大学進学時にアメリカに留学して生物学を学びます。博士課程に進み免疫学を学びますが、このままでは一生後悔すると感じ同大学の創作科に転科します。博士号まであと1年というときでした。
それからリーはたくさんの文学賞を受賞する作家になります。イギリスのブッカー賞という世界的に権威ある賞の選考委員を務めたりもしました。
しかし彼女は2017年の秋に息子を自殺で失ってしまいます。
この作品は息子が亡くなってから数週間後に執筆を始めており、内容も自殺した16歳の息子とその母親の会話です。
自殺した息子との会話ですから、なんか霊的なものとか母親の理想で埋め尽くされているとか、もしくは絶望に心を砕かれそうな悲しい内容を想���してしまうますが、これはそのどれとも違います。
本文中でも
”時間と縁を切ることで息子と対峙する。
神や霊の世界ではない、私が考え出した世界でもない。
それは言葉だけでできた世界。映像も音もない。
これは物語を書くことだ”と言っている。
息子も母親もとても言葉に注意というか敬意を払っていて、それゆえに読み応えがあって抜群に面白い会話になっているんです。
息子はとてもクールなんですよね。16歳の男の子はこうでなくちゃという感じもするけど、
本文で
”こういうことが起こるかもしれないとわかっていたのに、なんで子どもを作ったんだ”という問いかけがある。これは息子が自殺する可能性だってあるとわかってたのになぜ子どもを作ったんだということなんですけど。
それに対して母親は
”どれだけ感傷的な人でも多少の希望は持ちたがるものなのよ”
”都合の良い考えって言うんじゃないの。ママが言ってるその希望はさ”
とにかく辛辣。読んでみるとわかりますが、これは母親を嫌っているのではなくて、母親を対等なものと感じていて信頼しての発言。
この本の帯には”息子を亡くした実体験に基づく衝撃作”という文言が載ってたりして、これに惹かれる人はそのままどうぞお読みくださいって感じなんだけど、この帯文にちょっと「うっ……」ってなってしまう人も「ちょっと待って!それで読まないのは余りに勿体ない」と思うわけです。
私なんかは実感の伴わないものを理解する力があまりないので、どうしても自分の興味のある方へ作品を引き寄せちゃうタイプなんですけど、そういう変な読み方を今回もしました。
私は本作に登場する16歳で自殺した息子ニコライをサリンジャー的な人物だと感じていて、サリンジャー的人物というのは「やけに自己が出来上がっているマセた子供」と捉えています。
さっきニコライの母親は時間と縁を切ることで息子と対峙するって言いましたけど、16歳で自死した息子は時間を失っているんですね。
小説の中には時間を失った個性的な子どもが沢山いて、ラノベとかメフィスト系の作品にやっぱり顕著かなと。サリンジャー作品にもそれを感じるから、私にとってサリンジャーはお気に入りのラノベみたいなところがあります。
『ナインストーリーズ』や『フラニーとズーイー』でお馴染みのグラース家、その中でも長男シーモアは時間を失っている。(彼は大人といえる年齢ではありますが)長男のシーモアは「バナナフィッシュにうってつけの日」の主人公で有名です。この短編の最後にシーモアは唐突に拳銃自殺を図るわけです。
小説家の佐藤友哉がサリンジャーのパロディとして発表したのが同名の『ナインストーリーズ』という作品で、こちらに登場するのもグラース家を文字った鏡家の子供たち。こちらでシーモアにあたるのが長女の癒奈姉さんで、彼女もやはり自殺してしまう。
シーモアも癒奈も長子らしい大らかさはあるものの、理解し難い行動や発言を繰り返す人たちで、あれほど圧倒的な存在感を持つ人たちが誰も理解できないままこの世を去ってしまうと本当に頭が?で埋め尽くされてしまって、それ以上考えることができないんですね。考えてもわかんねーやってことで、私は二人のことが大好きなのに、何故か理解しようと思ったことがなかったのです。
だけど理由のない場所のニコライの言葉が私の意識を変えます。
”変えようがない長所や短所があったらそれを貫き通すべきじゃないかな”
なんかはっとしました。ニコライとシーモアと癒奈はそれぞれ全然似ていない(そもそも年齢全然違うし)、でも彼らの自死は何かを貫いた結果なのだろうと急に思ったんですよね。
とにかくシーモアや癒奈姉さんの人となりにもっと近づいてみたいなと思っています。癒奈の兄弟たちの会話にも、次女の稜子が弟の創士に「理解できない人間はいないのよ」って言っていて、再読したら妙にそこで胸が熱くなりましたね。
ところで『理由のない場所』は母親の視点で語られる作品です。
冒頭で
私はルールを作る白の女王ではないし、ルールに従って生きるのを拒むアリスでもなかった。私は説明のつかない悲劇に普通の子供が消えたことを悲しむ普通の母親だった
と言う文章がある。
ちょっと脱線しますが、夏に野田秀樹の舞台『兎波を走る』を観に行ったんですけど、これも不思議の国のアリスが下敷きになっていて。
あらすじは元女優が自分の所有する寂れた遊園地で、幼い頃に母親に読んでもらった不思議のアリスを上演したい!と熱望して劇作家を雇って上演するというもの。劇作家はどれも頓珍漢で劇もデタラメなんですが、現実パートと劇中劇のパートがどんどん混同してい来ます。
現実パートの遊園地の迷子センターに一人の母親が子どもを探しにくる。でも母親は子供の特徴をうまく伝えられないから相手にされない。それでも母親は劇中劇の中を割って入って娘のアリスを奪還しようとする。愛しい娘と何かを伝えたそうな兎を追いかけ続ける母親。
段々と劇は不穏な場面が増えてきて、足を高く上げて歩く軍人や女王のための悪夢のような式典のシーンが続く。
やがて観客は、この作品は拉致被害者とその母親、そして彼らへの償いを果たそうとする亡命した元工作員が繰り広げる、暴力的な理不尽と深い喪失の物語だと気づくんですね。これもまた時間を失った子供と刻一刻と過ぎる時間の中を生きるしかない母親の物語でした。
これは新潮という雑誌で戯曲が読めるので是非。戯曲だけでも破壊力抜群で素晴らしいのでバックナンバーを取り寄せるなり図書館行くなりして読んでください。
話を元に戻しますが、グラース家でも鏡家でも両親の存在は結構薄くて、まぁ鏡家の方には意外に出てくるんですけど、とにかく普通の親という印象しかなかったんですよ。これまでは。
だけど私も歳を取ったので、さっきの舞台もそうですけど、完全に母親側の視点で物語に入り込んじゃうんですね。そうすると、若い頃の私が下した普通の親だろっていう決めつけは随分雑だなって感じてきました。
しかも私が佐藤版ナインストーリーズで最も好き、かつ全小説史の中でもトップレベルに美しいと感じたシーンが、母親が娘の頭上にドーナツをかざして天使の輪を作るシーンなんですよ。あのシーンが本当にめちゃくちゃ好きなのに、どうして当の母親に対してあんな雑な解釈ができたんだと自分が怖くなりますね。こんなにも手に負えない子供たちを母親はどう思っていたんだろうって、そういうのを思ってリーの文章を読むと心がぶんぶん揺さぶられます。
これは別にナインストーリーズの登場人物の人となりを理由のない場所から補完しようって話ではないです。だって全然違う人たちだし。
でも、こうして全然関係ない作品から大好きな作品を楽しむためのヒントをもらえるって言うのは結構感動的でした。
私はイーユン・リーという人が生み出すフィクションの力に、それはそれは大きな信頼を寄せています。どんな読み方をしても良いし、どんな読み方をしても、必ず読んだ者の中に強く残る物語を生み出す人なのです。
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gaogrotesque · 1 year ago
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231210 K-Hiphop Fest in Asia 2023 [Swagger] - TAIPEI ②
韓耀漢真的完全是ROCKSTAR的感覺XDDD 超級耀眼,從歌曲到人本身都是energy超滿! (我也忍不住在心裡再次讚嘆一下JM的多樣性)
開場唱的是今年的新歌〈Shining Star〉
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哥一直都是超~級~全情投入演出的表演類型 感覺像是要把肺都唱到炸掉 也很多飯撒、很照顧粉絲 🥹 是讓人看了會很開心的藝人
「雖然今天是很嗨的氣氛/也唱了很多很嗨的歌,但現在要用真心為大家帶來一首(比較安靜的)歌」
也是今年新專中的曲目〈It's You〉
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還唱了我好久沒聽、但真的很喜歡的��All Day〉…!
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(原來那時候就聽過SOLE的歌聲了XDD)
還有〈DDING〉 😭 突然好想念Jvcki…我還沒看過my queen的LIVE 😭
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最後一首是〈400KM〉cue歌時說是和弟弟合作的歌曲,我還以為是〈범퍼카〉XDD 這首我也是…超喜歡…
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然後就順勢(?)把崔原宰帶出來惹 🥹🥹🥹
我們盲腸炎鬥士真的是 🥹 受了好多苦啊…真的太辛苦了、但我真的好感動也好感謝他這麼努力地來台灣參加這場拼盤 😭 畢竟我最想看的就是他XD 他如果沒來的話對我來說就像是麥香雞中間沒有ㄌ炸雞(嗯?)
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首先一定想說���就是 即使正在盲腸炎手術的恢復期中,盲腸鬥魂·崔原宰的LIVE實力還是超屌超穩…!!! (他只是不能有太大的動作 🥲 但整場小心翼翼 有點虛弱 的樣子也還是很可愛啦 🥲 )
我跟朋都不禁感嘆:當年剛認識這位Rapper時就是以「隨心所欲地玩弄節拍」在形容他,如今他的rapping skill更是爐火純青、stage manner也完全不愧是公演經驗豐富的Mic Controller
還有梁原雙人版〈IndiGO〉有這個舞台我已經覺得值回票價惹
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我真的好久沒有跟著一起大喊
Indigo, we just go, fuck the ops, fuck your noise We make noise, 사시사철 어디던 상관없어 Left side, right side, 수지타산 맞으면 어디던 We just go, here we go, Indigo, indigo
一上台就接連都是這種舞台我真的快昏厥救命(褒)
〈Achoo Remix〉老實說我在節目結束後沒有聽過〈Achoo〉,但第一次在看公演飯拍時看到崔原宰的verse真的是驚為天人…XDD
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讓我們摔進坑裡摔死人不償命(?)的〈WHY DO FUCKBOIS HANG OUT ON THE NET〉
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這首、還有〈IndiGO〉、〈Work Out〉對那時候的我來說完全是一種像中毒一樣的新體驗(?)沒有任何旋律性、完全是beat和Rapper們各具魅力和特色的聲線/flow/tone,居然可以就這樣stuck in my head(?) 我一開始其實莫名地很抗拒XDDD 對自己這種陌生ㄉ狂熱愛感到很不安(?) 但一邊試圖figure out這種奇妙的中毒感是怎麼回事、到回過神來時就已經完全沉迷ㄌ… 🫠
跟朋的感嘆:想當年我們還在搞字幕,真是為愛發電,年輕才會做這種事(。
ment超級…可愛…我真的會昏厥 🫠
「哦、哦…(扳手指數)4天前,動了手術後才來的,肚子像這樣(比比劃劃)剖開了說…(自己也笑場)」
「所以說啊、各位(知道嗎,)腹腔裡本來是沒有空氣的,我呢、因為肚子被打開了,所以就有了空氣…所以現在肚子是鼓鼓的(통통해)(比大肚子動作)」
「(掀衣服看自己肚肚)像這樣從這邊切開、這邊也切開、這邊也切開(委屈兮兮)所以說、會有點喘不過氣,跳的話會很辛苦的~如果各位能代替我跳起來的話,會很感謝的」
「所以說呢、是因為太想見到大家了,雖然醫生本來建議我要休息一週的時間,但是如果不來的話,我會很傷心、各位也會很傷心,所以乾脆還是搭上飛機來了」
「今天會抱著把肚子唱裂的覺悟努力的!」
「翻譯老師謝謝您(謙恭貓貓)」(後來又說了不只一次XDDD)
中間喝水時第二段ment:(在彎腰拿水時一直發出「唉唷」、「唉唷」的聲音賣慘(X) 「我現在是想誘發各位的同情心…還有母愛呢」(翻譯老師翻到母愛二字時感覺非常為難XDDDD)
平常公演的話總是非常jump jump的,但是今天的身體狀況不允許,所以特地準備了負傷setlist 🥹 是平常公演上比較少唱的、比較安靜的歌曲
我也是沒想到能夠聽到〈999 <3〉 🥹
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還有和dress合作專輯中的〈Citrus〉
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keenywong · 1 year ago
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朱韻和:山東省委書記59年饑荒調查:比鬼子三光還厲害
譚啓龍同志在濟寧的講話,主要披露了當時的災情、困難的真相及其發生的原因。他對“大躍進”、人民公社並由此引發的“32風”, 特別是“共產風”,提出了自己的看法。他尖銳地指出:“‘大躍進’的熱度高到一定程度了,發燒燒到說胡話,是小資產階級的狂熱病。” “是左傾機會主義、冒 險主義。有人說:‘得不償失的說法不對’,我看就是得不償失”。“這種情況(指當時災情)我還沒見過,簡直不如舊社會。這是黨在歷史上脫離羣衆最嚴重的一 次。”“生產力的破壞,比八年抗戰、三年解放戰爭毀的都厲害,比日本鬼子的三光政策都厲害。‘共產風’不是一般的風,比颱風還厲害,是旋風,是龍捲風”。 “不是一般的傷元氣,是嚴重地傷筋動骨。恢復起來需要十年八年。搞不好‘三面紅旗’成了‘三面黑旗’了,人民公社成了人民的敵人了。”“這樣下去,別說增 產,保產也保不住。”“現在是一觸即發之勢。有的羣衆說:‘再過半年都成土匪了,有中央軍我一定幹。’我是黨內反對派,黨內缺乏孫安,要提倡孫安精神”。 (引自1959年春譚啓龍同志在濟寧市的講話)
爲了扭轉困難局面,譚啓龍同志在尖銳地指出問題的同時,又提出了建議,主要是:首先要搶救 羣衆的生命,不能再餓死人。爲此要停辦食堂,公社要把糧食發給羣衆,要他們在自己家中做飯吃。羣衆沒有飯鍋,有鑄造條件的廠子生產鐵鍋供應羣衆。公社的土 地分給羣衆百分之三十,羣衆可以租種公社的土地。大牲畜實行“六定”,分戶餵養。開放集市貿易。在不影響國家計劃的範圍內,允許羣衆進行自產自銷的貿易活 動。
---摘自《炎黃春秋》2011年04期,作者:肖磊,原題:譚啓龍的饑荒調查
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