#無関係なこと��勤勉
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鬱病気味の人たちの攻撃(反撃)の基本は、非協力・不勤勉(体調悪化・活動低下・やる気なし)・他活動
#精神疾患#他活動#防衛機制#不勤勉#無関係なことに勤勉#非協力#無知の維持#知らぬで仏になる#知ることを避ける#感じることを避ける#不感知#不知覚#攻撃#反撃#対処#鬱#鬱病#壁#バカの壁#逃避#見ざる言わざる聞かざる#三ざる#ゾンビ化循環
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ひとこと日記📓 2024.10
10.1- 「ちひろさん」の映画を観る。有村架純の演技が好き。ふとした瞬間、整形する前のお姉さんの面影が浮かぶ。もう整形前の彼女はこの世に存在しないと思うと切ない。会いたくても会えないのだから。/ 血便がでてヒヤッとした。ジョブズみたいな人間がいる反面、何一つなし得ないで死んでいく人間もごまんと居るのだ。
10.2- 今日は仕事が少なかった。こんなにゆるい仕事なのに、前の仕事より時給がいいの世の中のバグ。
10.3- 毎日が蛇口から出る水のように流れていく。どうしたらもっと時間を意識した生活ができるか考えている。在宅でできる仕事に就いたとして、通勤1時間を毎日他のことに当てられる。7時起床、8時に仕事をスタートする。フルタイムで働いたとして、休憩1時間で17時上がり。7時間睡眠を確保するために22時に寝る。そう考えると、あんまり今の生活と変わらないな。結局、労働時間を減らすが効果的だが、金も減る。/ 元彼から電話。今週末の約束の確認のための電話だったけど30分も話してしまった。ずっと笑っていたけど、内心は嫌なことを聞かれないか、また尋問みたいな時間が始まらないかとヒヤヒヤしていた。彼から電話があるまで、自分から電話しなくてえらかった。
10.4- 朝起きたらいつも家を出る時間になっていて、大急ぎで家を出た。間に合ったからよかった。理想は職場の休憩室で軽く朝ごはんを食べて英語を勉強してから仕事を始めたい。/ 感じよく話しただけで脈ありと勘違いしたり彼氏面してくる男が多すぎて気色悪い。
10.5- 昼前に元同僚の男とカフェに行く。恋愛や仕事に対する価値観の話をして、わたしにとっては魅力のない価値観を持つ人だなと思った。価値観の合うパートナーと少しだけ意識の高い人���を送りたいです。
10.6- 午前1:18にアパートの廊下の電灯が消えることを知る。午後1時、元彼と会う。質疑応答会議をする。彼からの質問リストにひとつずつ回答を用意してそれについて詳細を確認し合うというもの。とても不安定な気持ちに振り回されてクタクタになった。ちゃんと気持ちが固まるまでセックスしないと約束したのに、あっさり自分から約束を破った。子宮まで到達しちゃうそれはわたしの体のサイズには見合わない。窓の外でジョギングしている人たちは、少し目線を上げた窓の向こうで何が起こっているのか知る由もない。彼はINTPで超論理的(病的)だけど、結局いつも最後は気持ちなの。
easy=簡単な uneasy≠簡単じゃない
10.7- また一週間が始まった。無理やり捻出したみたいな無駄な仕事に人生を費やしているひとになりたくない。/ 好きな人の好きなところが死んでいくのは悲しい。/ 帰宅してから、マックポテトを食べてTwitterを眺めるしかできなかった。頭の中では動きたいと思っていてエネルギーも余っているのに、動けなかった。
10.8- 出社すると、毎日わたしの机に仕事をいくつか用意しておいてくれる営業マンがひとりいる。わたしが仕事に参加できるよう、仕事を振り分けてくれているのだと思う。時々、付箋にメッセージを書いてくれる。些細な優しさに助けられる。
10.9- 弟の運動会。嫌いな母から産まれた子なのに、どうしても1番かわいく見えてしまう。血には抗えない。
10.10- 秋、カフェイン摂ったときの高揚感をカフェインなしで感じられる時がある。やりたいことがたくさんあってわくわくして焦ってる感じ。
10.11- 今週も無事、仕事が終わった。むずかしいことはなく、ただ次から次へと発生する庶務を処理していくだけ。/ 夜、最近メッセージしていたロシア人とビデオ通話する。日本語がほとんど話せなくてかわいい。元彼にもこんな時期があったんだよな。わたしと出会った頃に比べて、だいぶ自然な会話ができるようになったね。
10.12- 早起きしたけど、結局昼寝して17時ごろから活動。1日あればなんでもできるな。/ はじめて本格的なゴスロリのドレスを買ってみた。ハロウィン用。
10.13- ボーリングのスコアがついに120まできた。すこし前まで60だったから、どんな顔していいかわからない。/ 風呂で髪を染めながら本を読む。効率的。
10.14- 性欲オバケになっている。生理終わったのになぜだろう。
10.15-
10.16-眠る前、元彼と電話をして案の定��ンカになって、こいつはクソだなと思った。わたしも違うタイプのクソだけど。/ Tim とひみつの会話をする。
10.17- 一日中、怒りと憎しみの感情に支配される。何のために命を繋いでいるのかわからないけど、お金があって死にたいより、お金がなくて死にたいのはもっと苦しいから、仕事には行く。
10.18- 会社の飲み会
10.19- 洗濯掃除染髪雑務/「最後まで行く」を観る。綾野剛っていつも黒スーツだね。
10.20- ハイエースをレンタルして冷蔵庫とテレビを運んだ。元彼に手伝ってもらい3階まで。秋晴れ。ジメジメした心も無理やり乾かされた。違う世界線を考えてみる。大嫌いな元彼の女友達を毛嫌いしなかった世界線。潔く隠し事をせずに元彼を選んでいた世界線。今更もう遅いんだけどね。元彼は2月に引っ越して遠くに行くようです。わたしをここに置いて。
10.16- 仕事に行くべきだったが、しんどすぎて休んでしまった。昨晩のことがこたえている。/ 銭湯に行く。変な意味抜きで裸をみるのが好き。
10.22- 昨日の日記が10.16付になっている。頭が回っていない。/ LINEのアイコンがわたしの撮った写真から別のものに変わった。/折れた爪が少しずつ伸びていく。生きている。/いつも数ヶ月先まで予約が埋まっている美容室。年末に予約をとってみる。
10.23- またお風呂入らずに寝てしまった。一緒に入ってくれる人がいないと自分を律せない。
10.24- ばーか、なわたし。
10.25- 恋愛むず過ぎ。色恋がなくても生きてる意味を感じられるようになりたい。what can I do to make it right?
10.26- 気が落ちてる時、面白いほどことごとくいろんなことがうまくいかない。営業してるはずの店が臨時休業、約束のドタキャン、あれ?意外とそれだけだった。もっとわるいことたくさん合った気がするのに。要は思い込み、考え方の癖なんだ。レイトショーでジョーカー観てくる。元彼と行くはずだったけど、ひとりで。
10.27- 日付変わってから帰宅。元彼に連れてってもらったバーに勇気を出して行ってみた。アルバイトの男に一緒にバーに行くかと誘われて、いつもと違うことしなくちゃ何も変わらないって強迫観念みたいなものが湧いてきて、飲み屋街に行った。元彼つながりの知人がいるバーに入った。その知人は以前、わたしと元彼との関係について元彼とケンカしてくれた人だ。その日について、ちゃんと謝罪がしたかったから会えてうれしかった。I'll take to your side. と言ってくれた。本当に優しい人。彼と彼の奥さんと話して、アルバイトの男のことはすっかり忘れていたし、不純そうだったからそれでよかったと思う。帰宅して元彼に電話した。1週間未読無視されていたけど、何度か電話したら出た。ごめんなさい、こんな私で。/ 人生で初めてゴスロリファッションに挑戦した。/選挙に行った。
10.28- 元彼とメッセージが続いている。メルカリで初めて物が売れたから嬉しかったそう。なぜ私��報告するの?/頭が痛いと言うと、彼はいつも「お水飲んでね「と言ってくれる。
10.29- 今日も元彼とメッセージが続いている。スニーカーを買ってと言ったら、高すぎると言われて、私の価値は18,920円以下か。/帰宅してすぐお風呂に入った。髪が長くなるにつれ、抜け毛の量が多く感じる。抜け毛のない世界だったらよかったのに。
10.30- 不要な関係は自然と終わりに向かうし、どれだけ傷つけあっても必要な関係は続く。と信じたい。
10.31- 正直に申すと、何のためにあったのかわからない1ヶ月だった。ずーっと心に重たい雲がかかってる感じ。寂しさとの向き合い方は知っているけど、向き合いたくないから敢えて間違った方法で寂しさを埋めようとして悪循環にはまってみる。行くところまで行って落ち着いてきた感はある。自分かわいい大好きな気持ちをもっと育てたいけど少し間違えると自己愛性になるから難しいね。/ 11月にしたいことは、近所にあるタロットの占い屋さんと、タイ式マッサージに行く。
完
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事件概要 女子生徒は2018年1月5日早朝、ソフトテニス部の合宿に参加する予定だったが集合場所に姿を見せなかった。同日、自宅近くのマンションから飛び降りて死亡した。発見時、生徒の腕にはリストカットのようなためらい傷もあったとされる。 遺書などはなかったが、生徒の死亡後に学校がおこなった調査では「この生徒がいじめを受けていた」とする複数の証言が寄せられたという。中には、いじめ加害者とされる生徒の名前を実名で告発したものもあったとされる。 事件の背景 当該生徒は中学校1年の1学期までは大阪府内で生活し、当時住んでいた市の市立小学校・中学校に通っていた。大阪府での生活では、同級生との関係、中学校で所属していたバドミントン部の部活動での様子、小中学校の教員との関係などは良好で、クラスの中心にいるような生徒だとみられていた。 生徒は中学校1年だった2017年の夏休み、家族の転勤に伴って名古屋市に引っ越すことになり、同年9月に当該中学校に転校した。 転校後のクラスでは、クラスになじもうとしていた一方で、「クラスになじみすぎてウザい」と陰口を言う生徒がいたという。また転校前の学校との学習進度の違いなどもあったとされる。担任教諭は転校生であるこの生徒を気にかけて積極的に声をかけるようにしていた。しかし担任教諭の声かけの内容を当該生徒が快く思っていなかった様子だったことも指摘された。 転校前の学校で所属していたバドミントン部は当該校にはなく、転校から約2ヶ月たった2017年11月にソフトテニス部に入部した。その際入部を止めようとした生徒がいたともされる。 ソフトテニス部は「病気やケガ、テスト勉強などでも、欠席は一切許されない」「上下関係に関すること」などの暗黙のルールがあるなど部内の決まりが厳しい・部員間の人間関係がよくないなどの状況がみられ、一部報道では「��ラック部活」に該当するとも指摘された。生徒の入部以前にも、ミスをした部員をほかの部員がにらむなどの状況を苦にして退部した事例も複数例あるなどしたという。 生徒はソフトテニス初心者だったことから、当初は個別練習とし、必要に応じて主に同学年の部員が練習相手になるような練習体制とした。しかしほかの部員に練習相手を頼んでも無視されるなどの事例が続いたという。一方で急速に実力を付け、周囲からの嫉妬対象になっていじめが激化したとも指摘された。 2017年12月におこなわれた部活動の大会では、別の部員とトラブルになっていたとも指摘された。 第三者委員会 名古屋市教育委員会が事案発生直後におこなった調査では「具体的ないじめの目撃情報や遺書がない」として、いじめの有無も含めて自殺理由は特定できないとした。 名古屋市教育委員会のいじめ対策検討会議は2019年4月15日、「いじめは認められない。部活動での過度の練習で心身に不調をきたした可能性がある」などと判断する調査委員会報告書をまとめた。「無視された」などの訴えは「確認できない」と判断し、また生徒が生前に記入して提出していたアンケートでもいじめの訴えがなかったことなどをあげ、いじめは認められなかったと判断した。 遺族側はこれを不服として再調査を求めた。名古屋市では2020年9月、市長部局で再調査委員会を設置するための予算を名古屋市議会に提出した。 名古屋市の再調査委員会では2021年7月30日、部活動で無視されたことなどをいじめと認定する調査報告書をまとめた。いじめと自殺との因果関係については「いじめのみを原因とした直接のものではない」としながらも、転校後の環境の変化・部活動でのストレスなど多くの要素が加わった複合的な要因でストレスが限界に達して起きたとした。 民事訴訟 生徒の遺族は2022年7月19日、「自殺前に学校側がおこなったいじめアンケートで生徒へのいじめを察知できた。自殺後の学校や教育委員会の対応も不十分で精神的苦痛を受けた」として、名古屋市を相手取り約1540万円の損害賠償を求める訴訟を名古屋地裁に提訴した。 名古屋市は2022年11月15日に開かれた第1回口頭弁論で、「いじめを予見することは困難だった」などとして、請求棄却を求め、争う方針を示した。 名古屋地裁は2023年12月に和解案を勧告した。しかし名古屋市は和解に応じないと通知し、和解協議は不成立となった。 名古屋地裁は2024年3月19日、「教員が当時、いじめを具体的に認識することができたとはいえず、安全配慮義務に違反したとはいえない」などとして、遺族側の請求を棄却する判決を出した。 遺族は一審判決を不服として、2024年3月30日付で名古屋高裁に控訴した。 名古屋高裁は2024年12月20日、一審判決を支持し、遺族側の請求を棄却した。
名古屋市立中学校いじめ自殺事件(2018年) – 教育資料庫
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週報-4
2024年02月19日(月)
会社で悪意無く、しかし私的にかなり嫌なことをされて傷つき、帰宅後にそれを話したときの彼氏の寄り添い方が雑だったのでまた傷ついて大泣きした。明日は会社を休むことにする。傷つきやすくて疑り深い自分が嫌だ。自分のことは世界で一番大切だしこんなに純粋で美しい魂は無いと思う。だけど、やっぱり存在していない方が良かった。
2024年02月20日(火)
会社休んで腐るほど寝た。目がパンパンに腫れていてやっぱり休んで正解だったと思った。冷蔵庫を開けるとケーキがあった。彼氏は私が頑張ったり悲しんだりしてボロボロ���なるといつもこういう励まし方をしてくれる。リネン類洗濯、掃除、体操、買い物、作り置き。夕方にケーキを食べた後は本を読んで過ごした。
2024年2月21日(水)
ものすごく気持ちが落ちこんでいて、何も覚えていない。
2024年2月22日(木)
部内の人間が半分以上外出していたため話す人間が少なく過ごしやすかった。仕事をばりばり進める。作業は楽しい。退勤後病院へ。カウンセリングなので仕方ないが、毎回自分のことを話しすぎることにまあまあ落ち込む。
2024年02月23日(金)
退勤後にハンナとごはん!私はハンナが大好きだ。ハンナにとって私は大勢いる友達のひとりだけど、私の友達はハンナしかいない。帰りの電車で延々と猫ミームをみる。お仕事系の猫ミームで恵まれない境遇で働くひとの日常をみるとあまり落ち込まず勉強できるし、食レポなどほんわか系の猫ミームではほんわかして良い。
2024年02月24日(土)
起床即ゴミ捨て体操コーヒー身支度外出。流れるように。ジェラピケ着ていると朝から気分良い。休日のみ。昼前に調剤薬局で受付だけ済ませて一通り用事が終わった夕方に薬を受け取った。用事は美容院と買い物で、途中昼ご飯を食べたくて店を探してたけど15時前にもかかわらずどこも激混みだし、腹が減ってる人間は威嚇するからひとりで休日にうろうろするの嫌なんだよな。女ひとりだとなめてかかってくる。ひとりが好きだけど、外出するときは男といるときのほうが迫害されずに済むから結果楽で、まあ人間も動物だし仕方ないけど、何かな、気にする気にしないの問題じゃないんだよ。でもみんな気づかずにやってるんだろうな。結局タリーズでコーヒーとパン。猫ミームみたり本を読んだりして休んだ後に本屋ですごく読みたかったバカ重い本を2冊買って、薬を受け取って帰宅。良い日だった。
2024年02月25日(日)
起床即体操コーヒー大掃除。掃除はやりだすと止まらない。本棚に積ん読本専用カゴを定置した。とんでもない量だ。あれもこれも読みたくて買って、読んでる間も楽しいのに、新しく読みたい本を買うと途中でやめてしまったりして溜まってゆく。一旦休憩して彼氏と昼ごはんを買いにパン屋に行った。好きなパン屋だったけど、選んだパンがすかすかで小さくて、でも値段は高くて悲しくなる。みんな大変なんだけど、これならコンビニのパンでいい・・・。
彼氏とその母親にはマザコン・ムスコンのきらいがあって、普段の彼と過ごすなかで度々それが見て取れる。今日もそうだった。いつも嫌悪感や孤独感を感じる。彼らが傷つく言動をとりたくなる。でも彼らは善人で、私に優しくしてくれるからそんなことをしてはいけない。お育ちも家族仲も良い家庭はどこでも多少はそういう気持ち悪い関係なのかもしれないが、となると「健全」って何だ?
この日記だけは本当のことを書こう、と思って書いているけど、そうなると露わにできることしか書かないようになる。日々の記録が希釈されたものになる。
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・��析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に��層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた��景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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Fire Emblem Warriors: Three Hopes - Prologue: Camp Quotes (incomplete for now)
So, uh… since there’s no datamine for Three Hopes so far and having to check my billions of screenshots to find something is really annoying, I’ll try to post the Japanese lines whenever I have time. It’s going to be a very disorganised mess, but I’ll do my best to avoid making your eyes bleed. And because I’m a fucking idiot and a bad, bad mooner, you’ll get Golden Dumpsterfire’s lines first. But… it doesn’t matter in the first chapter anyway, so...:
Dimitri (when introducing the Blue Lions):
Felix: フェリックスはフラルダリウス公の嫡子だ。口が悪いが、根は善人だよ。俺は保証する。 あいつは昔から腕の立つ者が好きだから、きっとお前のことも気に入るはずだ。
Sylvain: ゴーティエ辺境伯の嫡子であるシルヴァンはその……見てのとおり、女癖が悪くてな。 あんな態度だが、頭の回転は誰より速い。幼馴染の俺が言うのだから、確かだぞ。
Ingrid: イングリットはガラテア伯の息女なんだが下手な騎士よりも遥かに腕が立つんだ。 あの真面目さや勤勉さは子供の頃からで......シルヴァンなどはよく小言を言われていた。
Mercedes: 俺も、彼女とは入学して初めて知り合った。物腰の柔らかい、しっかりした女性だ。 帝国、王国と各地を転々としてきたらしい。だからな、ああも落ち着いているのは。
Dedue: ダスカー地方のことは知っているか?ドゥドゥーは、そこの生まれだ。 寡黙だが優しい、俺の自慢の......従者だ。まあ、実際に話してみればすぐにわかるさ。
Ashe: 王国南部に、ガスパールという城がある。彼はそこの城主であるロナート卿の養子だ。 あの実直な性格は、信頼に値すると思う。俺も......友人として親睦を深めたいものだ。
Mercedes and Annette:
Annette: あ、傭兵さん!初めまして、だね。あたしはアネット。で、こっちが親友の……
Mercedes: メルセデスよ。よろしくね~。もう他のみんなとはお話しした?
「まだだと答える」
Shez: いえ、出立まではまだ時間があるし、これから話してみるつもりよ。
Mercedes: じゃあ、みんなのことをよく知らないのは私たちと一緒ってことね~。
Annette: 実はあたしたちもこの間入学したばかりです、みんなの顔と名前は怪しいんだよね…...。
Knight of Seiros:
話はアロイスさんから聞かせてもらった。級長たちに加勢してくれて、感謝するよ。
生徒たちに何かあれば、心を痛めるだけでは済まなかった。重ね重ね、ありがとう。
前節も、学校から故郷に帰還した生徒が方向不明に......いや、君には関係ない話だった。
Knight of Seiros:
これまで何度も野外活動を行ってきたが......今回のようなことは一度もなかったのだ。
今年は皇女、王子、盟主の孫が揃っているため、護衛の数も平年の倍以上だった。
にもかかわらず、このような体たらく......。敵が一枚上手だったなどとは言えんよ。
まったく、レア様に何と申し開きをすればよいか......。困ったものだな。
Knight of Seiros:
君が3人に協力してくれて助かりました。
実は……級長たちは囮になって盗賊団の大部分を引きつけ、逃げてくれたのです。
おかげで他の者たちはかすり傷程度で守り切ることができました。
しかし、その結果、級長たち犠牲になっては大問題ですからね。
無事で本当に良かったです。
貴方の協力に感謝しています。
Soldier:
いやあ、特に何も起こらんから、旅行気分で行けって先輩には言われたんですけどね。
蓋を開けてみればこれですよ。まったく死ぬかと思いました。
もう必死で槍を振り回してたんですが……土官学校の女生徒に助けられちゃって。
最近の若い子は強いですねえ。機敏な動きで、見事なものでした。 (This one might be incomplete, I'm not sure)
Student:
怖かったよ!急に人がいっぱい襲ってきて......。
級長もどっかに行っちゃうし......残った貴族の人が指揮してくれたけど。
あれ?そういえば、君って誰?ま、まさか賊の生き残りじゃないよね!?
That's all I have for now (for the prologue, that is), so I'll edit this post once I know where the hell I put my other screenshots.
And since it's already a big mess, don't hesitate to tell me if you want me to post something in particular before I actually get to it!
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心爆発
並行して本を何冊も読んでいるの、もしかしてあまり良くない(記憶保持の点において)んじゃないか!?と思いつつも、あれもこれもをやめられない。最近読了した本では『普通という異常 健常発達という病』が面白かった、かなり。さまざまな哲学者の理論が出てくるのだが、最終的に「デカルト的コギタチオ」という感覚の獲得について理解できるかが鍵となってきて、最終章の5章が難しくて2回読んで、なんとなくわかった気になった。せっかくなので章ごとに要約してみたい気持ちがある。〈友情の現在〉がテーマの現代思想6月号は滑り込みで買えてよかった。巻頭のふたりの対談が既に面白く、私もやっと現代思想(雑誌)を読んで面白いと思えるくらいにはものを知ったんだなあと少し感慨深くなった。ここまでくるのに結構月日はかかってしまったが、好きなことというのは続くものですね。何をどんなに諦めたり挫折したり失敗したりしても、本屋で働くことと、思想に関する書籍(歴史や経済、文化論を含む)を読み続けることはやめられなかったし、今後もこれだけはやっていくんだろうなあと思える。この2つができるなら、生きることというのは私にとってシンプルに楽しい。何者かにならなくとも、どんな業績や実績を残せなくとも、たとえいい小説が書けなかったとしても、世界を知ることは無限に楽しい。人と本を介して繋がること、協働することは何よりも好きだ。こんなことを言えるのはアルバイトの身分だからだと思う。正社員やそれに準ずる役職になったら、上からの「売上」の圧力で私は潰れて死んでしまうと思う。売上のための取り組みをやっているかどうかの報告や、数字で証明しろという圧力、そういうものに耐えて日常の業務をこなせるのかといったら謎だ。そして私には週5日フルタイムで働くことは物理的に不可能であり、ということはそもそも正社員やそれに準ずる役職にはなれない。そこで!つまり自分が店主になって店を構えるということ、新しい働き方を自分が作り実践していくということ、そういうことができたらいいのにな〜と夢想する。そのためには経営に関する勉強、さまざまな労働に付随する法律の知識が必要となると思うし、そもお金はどこから出てくるんだという話だし、それこそ体力は足りるのか?など、課題は山積しているが、絶対に不可能か?と考えると、何事にも絶対というのはない。ただ勝率の低い賭けだとは思う。私には結局死ぬまでアルバイトで週4で本屋店員を呑気にやるのが関の山というか、それでも天晴れだと思う。体力がついてこなければ死ぬまでは不可能なので、いつかは諦めなければなあと思うが…。本屋以外、やりたいことはNPOを作ることしかないしなあ…。別にやりたくないことをやって糊口を凌いでもいいのだが、前半生でこれだけ苦しんだのだから、もう本当に好きなことしかしたくない。好きなことだけで人生をいっぱいにしたい。やっぱり作るしかないのか、本屋。
きょう、大変にありがたいことに、ひじょうに尊敬している方から燐一の小説の感想をかなり丁寧にいただいてしまい、恐縮!突撃!制覇!恐縮!でありました。本当に…そんな、そんなこと書いたっけ…?!ということの万国博覧会で(書いたのが1月のため忘れている)、お返事を書くためにみずからも読み返したところ、かなり悲しくなり、というか、燐一がお互いに恋をしているというだけで私は最高潮まで悲しくくるしくつらくなってしまうので(※しあわせという意味)、胸がいっぱいになりすぎてお返事を書けず、明日にさせてくださいという気持ちになって終わった。あと誤字や設定ミスも見つけた。直さなければ、と思いつつ、頭を燐一でがんがんに殴られてしまいできなかった。(言い訳)これから書こうと思っているものは、この悲しさの57倍くらいの悲しさを持ち合わせる設定と展開なので、大丈夫か?と思った。未だに原稿に手をつけていないのも全然大丈夫じゃない。英検を受けている場合じゃない。しかも英語の勉強も捗々しくない。そんな折、5年来の友人(半年に1度くらいふらっと会うセフレ)から明日会えるかと連絡が来て、かなり久しぶりに会うことになった。正直この友人のことは忘れかけていたというか、「過去の人」枠になっていた。しようとしていた。私は結構友人のことが好きだが(たぶん生涯を共にするならこの人だろうなという感覚)、友人のそういう(恋愛や婚姻に関する)事情は全く聞いたことがない。そのことについてなんとなく、どうなんだ…?と、かねてより思っていたのだが、ある場所で人に話を聞いてもらったところ(この友人の話を人に真剣にするのは初めてだった)、それは是非、もう、明日にでも聞いた方がいい。と言われ、そりゃそうだよな。と思い、明日会ったら、「結婚したい相手とかいるんですか」と率直な疑問をぶつけてみようと考えている。「いる」とはっきり言われたなら私は関係を解消(?)したほうがいいし、もうその時期が来ているなとも思っている。私はどうせ生涯1人で生きていくというか、パートナーを得ないまま生きていくのだろうことを、最近はまた穏やかな気持ちで受け入れられるようになった。それにしても66kgの巨体で会いに行くのはかなり気まずいなと思っている(かなり太ったことは事前通告済み)。5年前には、「次の夢はなに?」と聞いたら「仕事は一段落したから家庭を持つことかな」と言っており、そのことがかなりずっと引っかかっている。おまえ、5年も独身のままで、あの夢はどうなったんだ…?進捗が気になっているんですが…。考え方はしっかりしている人だし、その夢は継続中なのかもしれないが、子供を作りたいなら、男も高齢にならないうちに(精子の質が落ちるため)作ったほうがいい、ということをお節介ながらも伝えたい。もし自分が子供を産めるような人間だったら、この友人や、あるいはもっと他の人とも、パートナーとなる可能性があったのだろうか。など、途轍もなく詮ないことを考えないでもない。まあしかし、不可能なことは不可能で、そこにないならないですね。が世界の真理なので、ということはこれまで何度も体感してきた。そこにないならない。力強いことばで、勇気さえ湧いてきそうである。無いなら無いで、それがなくても元気に楽しくやっていける自分を構築するほかないのである。繁殖への欲望というのはかなり根強く(おそらく本能的なもののため)、私はこの話題に関してすぐmiseryな気持ちになるのだが、周りの友人��ちを見ていると、清々しいまでに自己の繁殖に興味のない人達ばかりで、人とは不思議だなと思う。私は好きな人と付き合って結婚して子供を産んで子供を育てたかったんだなあ〜と、そのことだけは忘れられずにいる。これは「安全な家庭」への幻想を多分に含む。「好きな人」と私は生きているステージが違うんだ、と気づいた時(それは16の時だった)、そこで何もかもの、人生のやる気をなくしてしまった。今まで抑えていたもの全てが決壊して、とうとう一面取り返しのつかないほどに水浸しになり、そのことでまた自責し、呪い、恨み、病んでしまったのだった。私が精神疾患の20年選手で障害年金も受給している立場なのは、やはり自業自得なのではないか、と考える時も多々ある。自業自得で社会保障に頼るなんて最低だな、という論理に陥ってしまうので、いや、悪いのは私というよりも病気だし、それが発症するきっかけになった環境を作り出した社会である、と、毎度持ち直す必要がある。今となっては、誰が悪かったのかもうわからない、とまで思うことがある。私が悪かったこともあるだろうし、父や母、兄が悪かった部分もあるだろう。誰が加害者で誰が被害者ということよりも、私は、私が家族を取りまとめられなかった責任というものを未だに感じている。
16歳の時に、私のように、誰にもばれないようにひそかに家庭内で号泣しなければいけない子供を1人でも減らしたいと心から思った。あの時の私は完全に「被害者モード」に入っていたが、そもそもの話、私がもっと強ければよかったのではないか。たとえば加害を受けても、強く生きていける人もいる。これは生まれつきの性格にも左右されるものだと思うのであまり言いたくはないし、苦しんでいる子に「君がもっと強くなるべきだ」などとは死んでも言えないが、自分に関してだけは、やはりあの時被害者ぶりすぎていたのではないか?強く立ち向かうことをさぼったのではないか?という疑念は常にある。しかし、これは断言できるのだが、「立ち向かう」ということを思いつかなかった。幼少時より、私は耐える子供だった。受け入れ、耐え、ひたすら終わるのを待つことが癖になっていた。だから、親や兄に向かって「反撃」「反論」するという発想はそもそもなかった。30歳あたりからだろうか、もしかして、事態がそこまで最悪化するまえに、私が随所随所で異を唱えていれば、親たちの考えも変わったのではないか?なぜ私は被支配に甘んじていたのか?と、弱い子供ではなくなった今の私は、そんなことをよく考えた。しかし、なかった。発想がなくて、その選択肢を私が思いつくことはなかった。そこになければないですね。残酷だが、そうやって世界はできているし、時間は戻らない。
小説を書ける「モード」に全然入れない。この数日は気圧低下と暴風雨により久しぶりにパフォーマンスが落ちた。眠りは相変わらず上手くいっていない。が、前回診察時からうつ状態(希死念慮を伴う)になることはないし、無気力状態にもなっていない。人生史上いちばん快癒の方向に向かっていると感じる。あとは体力がもっとつけば申し分ない。仕事に順調に出勤していることがかなりのよい土台になっている。週4×4時間。これが限界で、かつての私が見たら「そんなの働いてるって言えないよ!」と絶望すると思うのだが、暴働を繰り返した結果週1でさえ働けなくなった若い私にそれは言われたくない。が、無理をして1日15時間働いていたのも本当に楽しかったし、それで得られたものもあると思う。というか、そうすることでそれ以上失いたくないものがあり、その段階を踏まなければ今の私にはなれなかったのだと感じる。仕事(アルバイト)、哲学や批評の勉強、英語の勉強、歌の練習、とやりたいことが多い中、燐一の原稿を進めるのは至難の業に思えるのだが、いざとなったら仕事以外のことは1回全て止めてもいい。とにかく今しか書けないものを書きたい。二次創作は燐一(あんすた)で最後になると思う。あとは細々とでいいので、自分が「小説」だと思うものを書いていきたい。就業中にふと気になって松浦寿輝について調べたりインタビューを読んだりした。仏文学者、詩人、作家。詩人としてこういう大きな建造物を作るみたいに詩を書ける人というのは、私が憧れる姿だと思った。詩を書きたいという思いもあるし、短歌も作っていきたいと思う時は多いが、その前に先ずやることがたくさんあり、詩歌の創作は、小説のあとになるのかもしれない。少しずつ書いて貯めてはいるが、これを詩で言いたい、という情動が最近あるかというと、特にない。なにもかもが鈍っているなあと思うが、社会にはそれなりに適応している昨今なので、あまり欲張りすぎるのもどうなのか、と思う。
2024.5.29
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「クリエイター エコノミー」は、創造性の未来として私たちに売り込まれています。 これは、オンラインで生計を立てるためにデジタル プラットフォームを活用する起業家、アーティスト、インフルエンサー、フリーランサーの層です。 YouTube のスターや Instagram のインフルエンサーから、アプリやデジタル製品を販売する個人の開発者に至るまで、新世代が従来の雇用を放棄し、キャリアと収入を直接コントロールしようとしています。 クリエイターたちは、夢を現実にするために長時間、たゆまぬ努力をし、困難を乗り越えたストーリーを誇らしげに共有します。 これは、十分な決意があれば誰でもオンラインクリエイターになれるということを意味します。 しかし、本当にそれがすべてなのでしょうか? 私たちの一般的なブートストラップやハードワークの精神の神話化は、クリエイターの課題を過小評価しています。 デジタル空間が飽和状態にあることを認識していません。 そこでは、非常によく作られたコンテンツであっても、競合他社の波の中で知名度を得るのに苦労する可能性があります。 厳しい現実として、才能があり勤勉なクリエイターの多くが、��れほど熱心に働いていても、依然として無名のままです。 ほとんどのクリエイターは依然として極貧です。 たとえば、YouTuber の 97.5% は米国の貧困ラインに達するほどの収入しかありません。 クリエイター経済において運が私たちが一般に認識しているよりもはるかに重要な役割を果たしているということです。 オンライン プラットフォームの気まぐれな性質は、コンテンツの可視性が、アルゴリズムの変更、トレンドのトピック、より幅広い視聴者へのランダムな露出など、クリエイターの制御を超えた要因によって大きく影響される可能性があることを意味します。 こうした運の要素は、クリエイターの仕事倫理やコンテンツの品質に関係なく、一夜にしてクリエイターの軌道を大きく変える可能性があります。
クリエイター経済で成功する唯一の秘訣は運です。 | ジョーン・ウェステンバーグ著 | 2024 年 1 月 | 中くらい
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幼稚園からゴリゴリの私立でした。中学受験の話が出てたので、ひとつお伝えしたく。というかただの私が整理したいだけなのかもしれないです。
良い学校は公立私立なんて関係なくて、動物園かな?って思う程の私立校もあれば、節度の保たれている公立校も存在しているのだと思います。
小学生の頃、受験で、塾の点数で、志望校でマウントを取り合うクラスメイトに戸惑い、そのままエスカレーターで上がりしました。どんな中学か、どんな生徒か、教育方針か何も確かめずに。小学生って親の言うことに従っていれば正解に進めていたので。
入りたい部活に入れて、やりたい楽器を吹けていなければ、私の絶望は中高と共にあったのだろうと思います。通っていた小学校とあまりにかけ離れた中学の雰囲気に唖然としました。授業中に雑談をしている人、教師の言葉遣い、授業参観に来る保護者の服装。「良いなぁ金持ちで」と言われる裏に潜む「世間知らず」。
中学にいた頭のいい、話の合う、授業中かしましくないクラスメイト達は、所謂受験コースと呼ばれるクラスに行くか、教師に色んな事を言われながら外部の高校に出てしました。部活に勤しんでいた私は、受験する時間も作らずこれから起こる孤独に襲われる事等考えず一般クラスの推薦を取るしか考えていませんでした。
今考えてもああするしかなかったのだと思います。ゴリラみたいな体力で、熱があろうと感染症でない限りは休みは取れず、ただただ親の言う「良い将来」のレールを走るしかありませんでした。
自分語りが多すぎて何が言いたかったのだろうと疑問になってきました。どんな人になりたいのか、どんな環境を望んでいるのか、どんな生活を送りたいのかを話し合って決めて言って欲しいなと思いました。
私にとってこの世は地獄で、子どもを育てるということは私が親にされたかったことをしているだけで、それは単に私の自己満足になってしまうこと、それは私の子どもの自由と、尊厳と権利を奪うことになるのだと思っているので、現在は考えていません。
本格的に何が言いたいのか分からなくなってしまいました。少しでも頭の片隅に置いていただければ嬉しいです。
「ひとつ」と仰いつつ全然ひとつじゃなくて笑いました。こういうの待ってました。
僕が疑問に思うのは、小学校中学年〜高学年程度で、主体的に自分の志望校だとか進路を考えることなんてできんのかね、ということです。どんな人になりたいのか、と問われてまともに答えられるのか。僕は少なくとも無理でした。
自分語りついでに思い出したことがあるので、僕もひとつ身の上話を差し上げます。小学校5年生の時に、通っている地域のサッカークラブから、全国区の強豪クラブへ移らないか、と父親にいわれました。細かい経緯はめんどくさいので省きますが、僕はこれを泣いて拒否し、地域のクラブに残留しました。理不尽で強権的な部分も大いにある父親でしたが、最終的には親にNOといえる子どもだったようです。でも、僕を突き動かしたのは中長期的な将来の展望などでなくて、「新しい環境が無理」という目の前の一心だった。いま思えば文字通り幼稚で、浅はかで、臆病だったとも思う。父親の気持ちもわからなくもない。
国民の三大義務に、教育を受けさせる義務とあります。教育を受ける義務はありません。基本的人権には、教育を受ける権利がある。では、教育を受けさせる権利は? この辺りがやはりひどく曖昧で、僕もあなたも戸惑っているようです。「親の敷いたレール」とはよくきく表現ですが、保護者にできることは、経済的な支援と機会提供に尽きるのではないでしょうか。だから経済的に余裕があれば、などと欲をかいたこと口走りもしました。反出生主義っぽい言説もお見受けしますが、勉強不足なのでこのくらいにしておきます。
回答になっていませんが、あなたのも質問になっていないので、お互い様ということで笑 ありがとう。
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会社を辞めた理由
2023年7月末、10年以上勤めた会社を退職した。 8月上旬から中旬は、去年の引っ越し後に手つかずになっていた段ボールの開梱と断捨離をしていた。必然的に段ボールの中の本も断捨離することになり、古書店に60冊ぐらい売った。
そして8月下旬から、短期留学でハワイに来ている。 語学学校に通いつつ、空き時間には観光もして、これまでの疲れを癒しつつ今後に向けてエネルギーをチャージしている。 (とは言っても最初の一週間は宿や学校などの不慣れな環境に馴染むことで手一杯だった……今週はもう少し穏やかに過ごさせてくれ……!)
会社には、退職の理由を、健康診断で視力が大幅に低下してしまい、翻訳チェックの仕事をずっとやるビジョンが描けないので……と説明した。視力は本当に下がっていたので、嘘ではない。 でも、実際にはもっと別の理由がある。上司に言って解消されるような内容ではないので、会社の人には言っていない。 ハワイ生活が軌道に乗り始め、ブログを書く余裕が出てきた今のタイミングで、会社を辞めた本当の理由をちゃんと振り返りたい。
本当の退職の理由は、以下の4つだ。
1) 「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
2) 自分に合った仕事を探す意欲が高まった
3) 経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
4) 「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
「社員と非正規雇用」という歪な関係に疲れた
3年前、部署異動することになった。配属先は女性だけの部署で、7人のうち社員は私を入れて2人、他5人はすべて非正規雇用(派遣か業務委託)だった。 私に割り振られた仕事は、その職場で2年以上働いているベテランの派遣さんが担当していた。私は社員として入社していたので立場としては派遣の人より上だが、その部署での経験という点では後輩という立ち位置だった。
ベテランの派遣さんは、ものすごく仕事のできる人だった。ミスをなくすという目標への執着が桁違いだった。これまでずっと英語関係の仕事をやってきたが、このレベルでミスを潰せる人に出会うのは7年に1度レベルだった。私たちが担当していた技術系の翻訳チェックをするには最適の人財だったと思う。
最初のうちは、自分だって英語を人一倍学んできたのだから、チェック作業のフローになれればそれなりのレベルでチェックできるようになるだろうと思って頑張った。実際に、チェックの精度は徐々に上がった。でも、ある程度の期間その仕事をする中で、��力ではカバーしきれない適正上の問題に直面せざるを得なくなった。
多分私は、仕事のどこかにクリエイティブな要素がないと楽しめない。正確さを追求するより、面白さとか独自の工夫を考える方が向いている(この部署に来て分かったことではあるけど)。チェックの仕事をしながら、「私よりこの作業に向いてる人がいるんだろうな」という気持ちになることが多々あった。 そして、ベテランの派遣の人は、ミスなく正確にタスクをこなすことを楽しいと思えるタイプなのではないかと思う。逆に面白さや独自性を求められると、この手の人はどうしていいか分からなくなる。
ベテランの派遣さん以外にも、こういう人が職場に数人いた。
でも、立場的には社員である私の方が権限を持っている。そのまま偉くなれば、私は非正規の人たちに指示を出すポジションに就く。私の方が経験も浅く、仕事ができなかったとしても。
そもそも、非正規雇用というシステムが非人道的すぎる。 非正規で働く人には有給が与えられず、給料を減らされたくない人は体調が悪くても無理して出社せざるを得なくなる。いつ契約が切られるか分からないので、ローンを組んで家や土地や車などの大きな買い物をすることも難しい。結婚して子供を持つことを諦める人もいる。正社員と同じくフルタイムで働いても、こういう状況にある人は多い。
仕事のできる派遣の人が隣の席にいる環境でずっと働いていると、この問題について嫌でも考えてしまい、仕事そのものとは別の疲労感に襲われる。 そして、どんな事情があったのか分からないが、そのベテランの派遣さんは月に半日程度しか休みを取らなかった。私は月に1.5~2日ぐらい休みたいと思っていたが、派遣さんより上の立場の人間が派遣さんより休むというのはかなり気が引けるため、気軽に休むこともできない。消化できない(そして今後も消化できる見込みのない)有給が、どんどん溜まってゆく。 このまま偉くなったらもっとしんどくなることが目に見えていたので、メンタルを病んだりする前に退職しようと決めた。
自分に合った仕事を探す意欲が高まった
2021年、私の書いた小説が、三田文學新人賞の佳作を受賞した。 小説は8年ぐらい書いていて、過去に色々な新人賞に3回出したものの結果が出ず、才能ないのかなー時間の無駄なのかなーと思いながらも気が向いた時に書くことを続けていた。 初めて賞を貰い、自分の作品が広く読まれたり、文学を生業にしている人からコメントをいただいたりしたことで、やっぱり私はクリエイティブな活動に向いている!と確信できた。
この経験を経て、文化・芸術方面の業界で英語を使う仕事を探そう、という気持ちが固まった。 私は文学や美術を専攻しておらず(専攻は経営・会計学)、その分野の職歴もないが、履歴書に「三田文學新人賞佳作」と書ければ、その手の求人にも応募しやすくなる。そして、親や周囲の人にも説明しやすい。
経営陣が価値観をアップデートできていないことが辛くなってきた
2017年に、反女性差別のキャン���ーン「#MeToo」が世界中にインパクトを与え、フェミニズムやセクシュアリティ研究など旧来の家父長制を問い直す学問への関心が高まった。日本でも、昔は大型書店の奥の棚に数冊あるだけだったフェミニズムやセクシュアリティ関連の本が、#MeToo後には大型・小型書店の平台に並ぶようになり、少なくとも東京では空気が変わったのを感じる。
こうした変化に伴って私の意識も変わり、自分の職場にある理不尽な出来事や慣習が気になり始めた。
私の周りで、育児休暇や子育て目的の時短勤務をしている女性を沢山見た。 でも、勤め先にそういう男性は一人もいない。課長などの役職に就いている人が率先して育休や時短を活用すれば部下たちも同じことをしやすくなるのに、誰もやらない。
また、セクシュアルマイノリティへの想像力を欠いた制度にも違和感を覚えるようになった。 私がいた会社では、社員が結婚すると共済会から祝い金が出る。 でも、ゲイやレズビアンの社員が人生を共にするパートナーを見つけた場合については、何も書かれていない。社員数が1,000人を超えている会社なので、ゲイやレズビアンがいてもおかしくないのに。 最近は、同性カップルが結婚できないことで直面する困りごとについて、様々なメディアで報じられている。自治体によっては、婚姻関係に準ずるものとしてパートナーシップ制度を導入しているし、同性婚を合法化すべきという声も強まっている。 しかし、それでも、共済会のルールは変わっていない。同性パートナーシップの届けを自治体に出したと報告した社員には、結婚した社員と同額の祝い金を渡すなどのルールが加わる気配はなかった。
経営陣は、ドローンやAIなどのビジネスのトレンドについては、プロジェクトチームや勉強会を立ち上げて追いかけようとする。 一応、女性の働きやすさを促進する試みも行われてはいる(男性の育休取得増は達成できていないものの)。 それなのに、セクシュアルマイノリティをめぐる問題については、一切アクションを起こさない。何で?
私が定年まで辞めずに働くとしたら、あと20年この会社にいることになる。 経営陣を信頼できない状態で、20年も働き続けられる気がしなかった。
「父に認められなければ」というプレッシャーがなくなった
2020年下旬、父が亡くなった。 私は一人っ子なので、葬儀の準備や役所での手続き、遺品の整理などを、母と分担して進めた。父が亡くなった時点では私は一人暮らしをしていたが、母が実家の一軒家を売ってマンションに越すと言うので、私も同居することにした。
昨年の4月、一人暮らしのアパートから広いマンションに引っ越した。 荷造りを仕事と並行してやらなければならず、ずっと忙しかった。 転居から3ヶ月ほど経って、ようやく生活が落ち着いてきた。昔より広くなった部屋で、自分にとって父とは何だったのかをゆっくり振り返れるようになった。
父がいなくなって、これまでの私は、「父に否定されたくない」「父にいっぱしの人間として尊重してもらえるような生き方をしなければ」という気持ちで、人生の様々な決断を下してきたことに気付いた。
前の勤め先で、仕事が今一つ楽しめなくても10年以上働けたのは、父に対する意地があったからだ。 「私はそれなりの会社で真面目に働いて、高給とは言えなくてもそれなりの額を稼ぎ、一人暮らしできるぐらいの経済力がある。だから、私の人生に対して口出しはさせない」という意識が、私を支えていた。私の着るものや細かい行動に気が向いたタイミングで難癖をつけ、「俺はお前より優位に立っているんだ」と定期的に示したがる父に対抗するためには、安定した仕事や経済的自立という拠り所がどうしても必要だった。
しかし、父の干渉を阻止して自由に生きるためにとった行動が、新たな不自由を生むことになった。 本当はもっと自分に合った仕事があるような気がしても、やりたいこと基準で転職して今より給料が下がれば、父は必ず文句をつけてくるだろう。そうなるくらいなら現状維持でいいや。そんな思考から、私は違和感を抱えながらも転職を決断できなくなった。 仕事だけではなく、父に何か言われるのが煩わしいという理由で、実家に帰る時に文句をつけられない服装を心掛けたりもした。何故そこまでしてやらなければならなかったのか? 思い返すと悔しい。
父がこの世からいなくなったことで、ずっと私を縛っていたものが失われた。 しがらみから解き放たれて人生を振り返り、私が無意識のうちに自分に課してきたものの大きさを思い知った。 人生の選択を自分の意思で下してきたと思っていたけれど、実際は仕事という人生の大きな要素を自分の純粋な欲求で決めていなかった。こうして言葉にしてみると情けない話だが、事実なので仕方ない。
だから、会社を辞めて短期留学をすることは、自分の人生を取り戻すための儀式でもある。 これからは自分に関する重要なことは自分で決め、それによって生じた失敗も自分で引き受ける。 何かあるたびに他人や環境のせいにして嘆くような、自分の人生を「生きさせられている」みたいな状態を、この辺りで終わらせたい。
今後について
今、この文章をホノルルの家具付きマンションで書いている。 会社や仕事に対する責任から解き放たれ、しがらみのない土地で過ごすという、前例のない体験をしている。 語学学校の授業は難しいところもあるが、落第が危ぶまれるほど深刻ではないので、まあ何とかなるでしょう。
短期留学を終えて帰国したら、1年ほど学生をやる予定だ。 1年間で学芸員過程や諸々の資格を取り、その後に転職活動をする。
ここまで文章を読んで、「こいつ30代後半なのにまだ『自分探し』やってんの?」みたいな感想を抱いた人もいるだろう。 確かに日本社会では、この年代の人間は結婚して家庭を持��て子育てをしているのが望ましいとされている。 でも、私としては「たまたまこのタイミングだったので仕方ないんです」としか言えない。傍から見たら不可解かもしれないが、自分の人生を取り戻すためにどうしても必要なことだから、今やらざるを得ない。
そして、パートナーや子供がいないタイミングで人生を見直せてよかったとも思う。例えばローンを組んで家を買った後だったりしたら、その家に住んでいる人全員が私の自分探しに巻き込まれることになって、さらに大変になるだろう。 (もちろん、パートナーや子供ができた後に生き方を変える必要が出てくる人もいるとは思う。そういう人が別の可能性に挑戦するのが悪だとは思わないが、相手のキャリアが変わる前提で一緒になったわけではないパートナーや子供が納得しなかった場合、家庭という一つの拠り所が失われることも覚悟しなければならないわけで、今の私以上にリスクを負うことになる気がする。) あと、私の母が老後の資金を確保できていることにも感謝しかない。私が母を養う必要があったら、1年働かずに勉強することはできなかった。ありがとうございます。
書くべきことを書ききったので、これからの1年を有意義に過ごすという決意とともに、この記事を終わりにしたい。 まずは語学学校を修了すべく、目の前の課題をしっかりこなす。 そして、ホノルルで過ごす人生の夏休みを、全力で楽しむ!
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文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え https://anond.hatelabo.jp/20220114133403 の筆者です。三年後の現状を追記。 当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています。 当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。 ・教職を取る ・ボランティアに参加する ・長期インターンで働く ・バイトをする ・心理学の本を読む 卒業研究も就活も並行してやった。 教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。 ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係のリハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから、強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで。 ボランティアは市の団体に参加させていただいた。 長期インターンは地元のある企業に一年ほどお世話になった。 バイトは販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分の無能さを思い知った。 心理学の本を読むのも、コメントでアドバイスしてもらったことだ。アドラーや加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。 とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。 結果、俺は今修士二年生で、博士課程に進もうとしている。 あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。 でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。 第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと。 研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。 ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。 これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。 文学研究が分かりやすく社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。 またバイトとインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死でメモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。 こんな俺なので、社会に出て企業勤めしたところであまり役に立てないように思う。 第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本は教員不足だから)。 学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。 第三に、やっぱり文学が好きだった。 文学ができることの一つに、「目に見えないものを表現できる」というのがあると思う。 俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。 だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活が台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情が存在している。焦り、恐怖、驕り、不安、自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。 こういった説明し尽くせない心持ちを表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか。 不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤や倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。 そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。 修士一年のと��に父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。 博士課程からの奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。 でももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。 最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。 これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会的無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。 誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。 何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています。 俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。 追記:心配してくれた人がいたので。奨学金は貸与じゃなくて給付です
文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え の
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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スダチの不登校サポート!進学や就職成功の秘訣に迫る
▼本記事はこんな人におすすめ!
「不登校支援のスダチって具体的にどんなサポートをしているの?」 「不登校の子どもにどのようなサポートをすればいいの?」
今回は『不登校のお子さんの未来はどうなるのか』についてお答えしたいと思います。
不登校の親御さんにとって、進学や就職の将来がどうなるのか、とても気になるポイントだと思いますので、詳しく掘り下げていきます。
それでは、詳しく見ていきましょう。
▼記事を読むとわかること
・不登校のお子さんの進学状況について ・通信制高校の現実と課題について ・不登校のお子さんの就職や課題について ・親子のサポートの重要性について
スダチでは、学校で問題を抱えて行き渋りや不登校、ひきこもりとなったお子さん方を平均3週間で再登校に導いています。
2024年1月時点で1,000名以上のお子さんが再登校に成功しています。
お子さん方はみなさん主体的に再登校を果たし、その後は学校生活を自ら楽しんでいます。
お子さんが深く悩んでいる様子のときには、行き渋りが始まる前に一度スダチへ相談いただけたら幸いです。
現状の様子をヒアリングさせていただき、今お子さんが抱えている問題を根本解決していくために必要なアプローチをお話しさせていただきます。
無料オンライン相談は、1対1で顔出しも不要のため、この機会にご活用ください。
1.不登校でも8割が高校進学!スダチが考える進路サポートの必要性
ここでは、不登校のお子さんの進学状況についてご説明します。
ますい「文科省のデータによると、不登校のお子さんの85.1%が高校に進学しています。ただし、その中で全日制高校へ進学している割合は不明確ですが、定時制や通信制が大部分を占めていると推測されます。高校進学率が高いのは親御さんが進路を真剣に考え、なんとか高校に入学させたいと願っているからだと思います。ただ、その進学先が適切かどうかが問題です。」
小川「そうですね。全日制高校に進学できるのは、勉強が非常にできる子や、特定の私立高校に進学するケースが多いです。ただ、多くの場合は定時制や通信制高校が選択肢となります。特に通信制高校に進学した場合、その後の進路が問題になることが多いです。文科省のデータでは、通信制高校に進学した生徒の32%が進路未決定、6%が退学しているという現実があります。」
ますい「通信制高校があるから大丈夫、という認識は危険ということですね。」
小川「進学率22.8%と、大学や短大に進む割合が低いことも大きな課題です。この数字を見ると、不登校の影響は高校以降の進路選択にまで大きく影響を与えていることがわかります。また、通信制高校に通ったとしても継続的に学習する習慣がないと、卒業後の進路がますます厳しくなる傾向があります。」
不登校のお子さんの約8割が高校に進学しているものの、定時制や通信制高校が大部分を占めていることがよくわかりますね。
また、大学進学率もそのうち約2割と低く、不登校がその後の進路にも影響を与えることが明らかですね。
そのため、スダチでは進学後の継続的な学習習慣のサポートや、親子での進路計画の立案等も見据えたサポートに取り組んでおります。
2.自由度が高い通信制高校で失敗しないために必要なサポート
ここでは、通信制高校の現実と課題にする理由についてご説明します。
ますい「通信制高校に進んでも、自己管理が求められる環境で挫折するケースが多いです。親御さんのサポートがなければ、継続的な学習が難しくなる現実があります。通信制の環境は自由度が高い分、自己責任が重くのしかかります。」
小川「実際に通信制高校を選んだお子さんがモチベーションを保つのは非常に難しいです。たとえば、1年に1回だけの登校でも、毎日しっかり勉強するのは大人でも難しいですよね。こういった現状を親御さんも理解されているからこそ、スダチに相談に来られるケースが増えています。」
ますい「通信制高校に進んだ場合でも、親子の関係がしっかりしていて、お子さんが自分で学びたい意欲を持っていれば、立ち直ることは可能です。ただ、そのためには生活習慣の改善や親子の信頼関係を構築することが重要です。それがないと、通信制高校を選択しただけで安心するのは危険です。」
通信制高校は自由度が高い一方で、自己管理能力が求められるため、多くの生徒がモチベーションを維持できず挫折するケースもあるのですね。
今後は、親子の信頼関係を築きながらサポートする仕組みの整備や、生活習慣改善プログラムの導入が課題解決の鍵となるでしょう。
3.採用のカギは継続力!不登校期間をポジティブに変える具体策
ここでは、就職の可能性と課題についてご説明します。
小川「次に就職についてですが、少子高齢化の影響で、求人は増えています。しかし、条件を選ばなければの話です。良い条件の職場を選ぼうとすると、一定の学歴やスキルが求められるのが現実です。不登校の影響が長引くと、これらの条件をクリアすることがさらに難しくなります。」
ますい「そうですね。ハローワークの求人情報を見ても、給与が非常に低い場合も多く、生活できる水準を確保するのが難しいこともあります。また、不登校の経験が就職活動でネックになるケースも少なくありません。採用する側としても、学校や職場で継続的に頑張れた実績があるかを重視するため、不登校期間中の状況が採用に影響を与えることがあります。」
小川「就職ができたとしても、すぐに辞めてしまうケースも多いです。それは、これまでの生活習慣が影響していることが多いですね。会社勤めでは時間やルールが厳格に求められるため、規則正しい生活が送れないと長続きしません。親御さんが今のうちからサポートをして、基盤を整えることが大切です。」
【関連記事】 不登校の小学生の家での過ごし方については下記で詳しく説明しています。
親子で作る不登校の小学生の家での過ごし方とは?経験者が解説します!
4.やる気を引き出す褒め方のコツ!スダチ流のコミュニケーション術
ここでは、親子のサポートの重要性についてご説明します。
小川「不登校のお子さんの進学や就職を成功させるには、親子でのサポートが非常に重要です。特に生活習慣やデジタル機器との付き合い方、運動や食生活を整えることが欠かせません。これらを改善することで、自己管理能力や社会に適応する力を養うことができます。」
ますい「そうですね。スダチのサポートでは、生活リズムの改善やデジタルデトックスの実施、そしてお子さんのやる気を引き出すための褒め方や声かけの方法もお伝えしています。これらを取り入れることで、お子さんが社会に出て自立するための土台を築くことができます。」
小川「また、親御さん自身が正しい知識を持つことも重要です。不登校への正しい理解があれば、焦らずに対応することができます。親御さんが安心してサポートできる環境を作るためにも、私たちのような専門機関を頼っていただきたいです。」
生活習慣やデジタル機器の適切な管理、運動や食生活の改善が自己管理能力を高め、社会適応力を養う基盤となります。
そこで、スダチのサポートでは、生活リズムの整え方やデジタルデトックスの方法、子どものやる気を引き出す声かけの手法を提供しています。
今後も、親御さん自身の不登校理解を深める教育や、親子のサポート体制を強化するサポートを提供してまいります。
5.進学・就職を可能にする親子の連携!スダチのサポート実例
小川「現実は厳しい部分もありますが、不登校のお子さんでも進学や就職の可能性を広げることは十分可能です。そのためには、親子での正しいサポートが必要不可欠です。」
ますい「スダチでは、不登校のお子さんと親御さんが共に成長できるよう、さまざまなサポートを提供しています。もし、現状を改善したいと思われた方は、ぜひ私たちの無料相談にお越しください。一緒に解決策を考えていきましょう!」
いかがでしたか?
スダチでは、不登校のお子さんが進学や就職の可能性を広げるために、親子でのサポートを大切に考えています。
生活習慣の改善や正しい知識の提供を通じて、親御さんとお子さんが共に成長できる環境を整えてまいります。
私たちは、ただ結果を求めるのではなく、お子さんと親御さんが納得し、自立への道を歩むことが重要です。
そのため、現状を改善し未来への一歩を踏み出したい方に、最適なサポートを提供し続けていきます。
この記事でご興味を持たれた方は、ぜひスダチの無料相談をご利用ください。
今回の記事についてYoutubeでも確認できます。ぜひご覧ください。
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2024年の振り返り
1映画を40本みる(1ヶ月3-4本)。映画館にもなるべく多く足を運びたい。
→27本。去年から13本減。サブスクを見るのは減っちゃったけど、映画館には結構行けた気がする。
2本を40冊読む(1ヶ月3-4本)。好きな作家を見つけたい。
→ちょうど40冊!三宅さん、稲田さん、島本さん、瀬尾さんなど、新しい作家さんにも出会えた1年。
3海外・国内旅行に何回か行く。行ったことないところにも行ってみたい。長期休みを取得して遠くに行ってみたい。
→伊香保、静岡、台湾、小樽行けた。来年はもっといけるといいなー。
4資格を取る
→FP3級取得!!よく勉強頑張った。この先役に立ちそうな知識もあってよかった。来年以降資格を取るかはわからないけど、勉強は続けていきたいなと思った!
5引き続きメンタルを強く持つ。自分のイライラを低減させる方法を見つける。
→辛いことはたくさんあった。イライラはしたけどいつか治るってわかってた気がする。果たしてこの辛いことを続ける必要ってあるんだろうか、逃げてもいいんじゃないか。
6平均歩数8,500歩達成する。ランニングの回数を増やして体力つける。
→8728!達成。
7競馬回収率149%以上。好きな騎手をもっと見つけたい。できれば競馬お友達もほしい、、、
→119%
8競馬場に行く。行ったことない競馬場にも行ってみたい。
→念願の札幌競馬場に行けてとっても嬉しかった。東京のと全然違くてそれもまたたのしめた。また行きたいし、ほかにも行ったことない競馬場を攻めたい。
9また馬に乗る。
→伊香保、鶴見、馬事公苑で乗れた!思いがけずたくさん乗れて嬉しい、、、
10フェス・ライブに行く
→5月ワンオク、8月ロッキン、9月サザン、11月尾崎ニシダラジオ、15周年。来年はツアーもりもり!ビアリーのライブも行ってみたい。
11返事を早く返す。端的に分かりやすく話せるように。使える語彙力を増やす。
→なるべく早く返しているものの、まだまだ足りず。
12人をもっと誘えるようになる。
→誘ってるような気もする!引き続き、やろう。
13有給をもっと使う。残22日よりも少なくできるようにするのが目標。
→20日。思ったよりも消化するの大変。ただ、入社して初めて平日に2連休をとってみた。取れた自分にだいぶ感動している。
14社内転職
→社内転職できたけど、かなりしんどい年だった。人の故意でない悪意にどっぷり使って、どうにもできないことに何度もぶつかった。ここまでする苦労ってあんのかな。ない気がするっていう結論に至った年末。
15アウトプット出来る場を増やして、解像度UPしたアウトプットしていく
→アウトプットする場を強制的に増やすことで過去の蓄積をふりかえることができるようになった。それが意外と役に立っていて、いかに普段思ったことを忘れていってしまっているのかを身をもって知ることができた。確かに、自分が考えてきたことを振り返ることでその感情を大切にできるっていうのがよくわかってきた。
16いつも流行りを忘れない。新しいことにもチャレンジ。
→チャレンジしたこととしては、釣りが1番デカかった!急遽決まったけど、めちゃくちゃに楽しくて、もっと行ってみたいと思った!流行りのコンテンツも定期的にチェックして、いろんな発見もあった。
17いきたいところ、やりたいことのストックを絶やさないように。
→これは正直貯めれてなかった気がするから、定期的に記録に残していくことをやりたいと思う。あー、あれなんだっけーってなることが多い。
18好きなラジオを見つけて深掘り、新たなコンテンツに触れていく
→日曜天国聴き始めたり、ビアリーと出会って音楽の幅広がったり、本も読むようになったし、新たなコンテンツに触れられた年だった!
19酒をめちゃくちゃ飲む機会を増やす。
→あんまり増えない笑
20いろんな人のレコメンドを試していく
→合うもの、合わないものあるけど引き続き試していく!
21 今年も楽しかったなーって振り返れる思い出をたくさん作る
→今年は旅行は少なかったものの、いろんなところへお出かけしたり、体験したり、友達の友達に会ったりしたのがすごく楽しかった!友達に大事な人を紹介してくれるって、すごく素敵なことだし嬉しい気持ちになるんだってわかってすごくよかった。
22彼氏を作る!
→ようやく達成!
23できる限り早寝
→早寝の日もあったよ?来年は数えるか。
24 ハリーポッタースタジオツアーに行く
→いけなかった、、、来年行きたいね。
25たくさん食べれるようになりたい
→比較対象がイマイチ無いんだけど、なんかちょっとずつ食べれるようになってるような気がする?何でだろう
26皮膚科に行く
→皮膚科行った!また調子悪い時ちゃんと行こう。薬ちゃんと塗ろうね。
27風邪ひかない、病気しない
→今年結構元気だった気がする。心労の負荷を考えるとだいぶ元気。やばいかも、ってなった時の対処方法がわかってきたような気がする。あとは、通勤時間の短縮がもしかしたら要因かもしれない、で、家で休息する時間が増えたり、早めに布団に入れるようになってるのかも。
2025年にやりたいこと
テーマ:「まっすぐ」
1 3月までに転職する。
2 映画を40本見る。
3 本を40冊読む、好きな作家を見つける。
4 映画と本の感想をアウトプットする、感想を書く前に人の感想を能動的にみないようにする。
5 海外・国内旅行に何回かいく。行ったことないところにもいく。長期休みを取得して遠くに行ってみたい。
6 転職活動が終わったらパーソナルジムに通ってみたい。
7 平均歩数8,500歩を達成する。定期的にランニングをして、記録につける。
8 睡眠時間を記録する。早めに寝られた日の記録をつける。
9 競馬回収率119%以上。
10 京都競馬場にいく。その他行ったことの無い競馬場に行ってみたい。
11 一人旅行or一人飲みできるようになりたい。
12 またまた馬に乗る。
13 フェス・ライブに行く。ビアリー生で見てみたい。
14 なるべく返事を早く返しつつも、あまりスマホ依存しないようにする(特にライン)
15 人をもっと誘えるようになる。
16 有給をもっと使う。残20日より少なくする。
17 エッセイを書いてみたい。
18 いつも流行りを忘れない。新しいことにもチャレンジ。
19 行きたいところ、やりたいこと、ほしいもののストックを絶やさないようにする。
20 好きなラジオを見つけて深掘り、新たなコンテンツを試していく(人に勧められたものなど)
21 楽しかったなーいい年だったな〜と思えるような年にする!
22 長期的に人生を考えられるようになりたい。人間関係とか、仕事とか、自分自身のこととか。プライベートの手帳にアウトプットすることによって、それができるようにしたい。
23 ハリーポッタースタジオツアーにいく。
24 ちょっといいものを食べる体験を増やす。
25 また皮膚科に行く。
26 風邪ひかない、病気しない。
27 与えることを惜しまない。
28 たくさんメモする。
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光合と猛襲
2日間寝たきりの後に8400歩歩いてしまったため(不可抗力。病院2件はしご)、筋肉痛。そしてその状態でまた今日は8300歩歩いてしまったため(まったく不可抗力じゃない。友達に会いに行った)、足が限界のぼろぼろ竹箒の柄の部分のようにすかすかで壊れかけている。痛い。頼りない。体が重い。アーメン。あぼーん。
今日も求人の応募先から折り返しの連絡が来ないが大丈夫か?
なんとなく、TLでもtumblrでも、今日、今年のことを振り返っているかたが目についた。早くないか!?と思ったが、12月初旬ももうすぐ終わり、どうせすぐ12月の後半になり、下旬になり、年末になり、大晦日になり、23:59になり、59秒になり、2023年最後の瞬間になり、今はまだそこに永遠に存在する刹那のことを考えていられる。今年はすご〜〜〜〜〜〜〜く散々な年だったが、かなりいいこともあった。もはや今年の1月、2月、3月、4月、5月、それらの日々自分それぞれが、今の私とはまったく違う人物だ。誰なんだ。わからない、変な人だ、と思う。でも前の職場(正確には前の前の前の職場)で昼休みに1階のドラッグストアで昼飯を買い、しずかに壁に向かって事務所で咀嚼していた思い出はある。その職場が好きだったし楽しかったが、ゲエ〜と思うこともあった(というか、ゲエ…と思う人がいた)。それから2月の初めは家庭へのストレスが頂点に達し、市内のホテルに1週間泊まってなんとかやり過ごした(2週間休ませてもらった)。その後、もう実家にいることは根本的に不可能ということになったのだろう(覚えていない)、駄目元で都内の書店に応募して有難く内定をもらい引っ越して、結局2回くらいしか出勤せずに辞めた。なんだそれは。自分でも意味がわからない。その後はまた楽しく働いて、8月の暑さと体力不足で倒れて終わった。9月末に死ぬか、と毎日考えていて、じゃ死ぬ前に好きなことするか、大学受けよう(今なら多少金がある)と思い編入試験に向けて勉強し、なんとなく次の道筋が決まったのが今。じつに、ここ半年のことくらいしか覚えていられない。短期間でたくさんの人(職場の人)と出会い、別れ、たくさんの言葉をかけてもらった。直近の職場は本当に続けたかったなあ〜と思う。すごく楽しかったし、今までの職場でいちばん人間関係が楽だった。でもまあ、体がもたなかったものはしょうがないので、未練は断ち切って忘れよう。あとなんだか、すごく休みたい、と感じたのだった。体が極限を通り越して疲れていたもよう。もう一生働きたくないくらい疲れていた。今は結構回復したので、働きたいなあと思っている。しかし無職期間あまりにも健康に過ごせたので、ひょっとして私が健康に過ごすためには、無職くらいの刺激とストレスがちょうどいいのではないか?とまで感じた。働くとすぐ回復不可能なまでにストレス・疲労を受けてしまう。なぜ。まあでも生きて働き続けていればいつかは慣れるというか、少しずつましにはなっていくでしょう。楽観しています。
今のわたしは、ええ、わりと真面目にものごとを考えるようになりました。もっといろんなことを学究的に、というか、きちんと調べて精密に受け止めなければならないということを感じています。あと暗記。いまさら記憶力の強化はできないと思うけれど、できる限り自分の進む分野に関しては覚えておかなければならない。記憶力が悪いことはもうどうしようもないが、辛抱強く反復していく。職場の人の名前は覚えられなくても、友達の名前は忘れない。それは単純に反復の回数、頻度の問題。または、対象の情報量の問題。自分にとって大切なことはどんどん勉強し、その内容を充実させていくこと。そうすればだんだん忘れなくなる。
人間関係や対人における考え方も今年は改善というか、変化が見られた。このことが一番大きいと思う。私は一人で生きていくべきで、友人に依存というか、自分から深く干渉することはあってはならない。または控える。そうすることによって「普通」になれる。普通の人はそうなので、普通になれば、周りにもあまり迷惑をかけなくてすむ。とにかく自分と他人を切り離し、他人と距離を取る。一人でも大丈夫であることを思い知る。
そう、今日は、とても眠かった。眠れそうです。
2023.12.6
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インド 170日を経て
2024年6月16日、羽田空港を出発し、インディラ・ガンディ国際空港に向かった。フライトは約8時間。機内ではワクワクして全く眠れなかった。インドに来る前に様々な噂を耳にしていた。失礼ながら、『臭い、汚い、暑い』という印象しか抱いていなかった。
インドに行く機会が目の前に現れたとき、迷いなく手を挙げた。理由は単純で、厳しい環境に身を置くことで、成長できると信じていたからだ。また、個人的にも将来、海外に駐在する夢を持っていたため、早くその業務を経験してみたいと考えた。いろんな人から多少の反対はあったが、訪印が決まった。
インドに到着したのは午後4時頃。当時の気温は51度。この気温は僕にとって人生で最高の暑さで、肌が焼ける感じは今も鮮明に覚えている。駐在員が空港でピックアップしてくれて、ホテルに向かった。車の窓から外を見ると、道路では牛が歩いており、信号無視や車の逆走が見られた。どれも驚くべき光景で、すぐにカメラに収めた。
今日からインドの生活が始まる。大変なことも、つらいことも、楽しいことも、すべてを受け入れる覚悟をしていた。必ず成長し、日本に戻ると、その日、自分に誓った。
しかし、人生はうまくいかないことが多い。慣れない環境や業務をこなすことはストレスであった。新入社員の時はマーケティングの部署に配属され、インドでは営業が担当となり、業務が異なりすぎた。上司に仕事を振られても、そのやり方が全く分からなかった。恥ずかしい話だが、エクセルは2年間で開いたこともなかった。就業時間は日本と比べて若干長いが、どんなに寝ても疲れは取れない。日々蓄積されていく疲労、そして何よりも暑さ。高校3年間タイに滞在していたとはいえ、それを超えてくるインド。勤務初日に熱中症になり、早退したことは忘れられない経験だった。その後、気温には対応したが、お腹を壊すことが頻繁に起きた。滞在していた6か月間で、少なくとも5回は体調不良で仕事に行けなかった。
6か月を振り返ると、二人の同期がインドに滞在していたことは大きかった。日本との時差は3時間半で、仕事が終わるころ (18:45) には、日本の友達は寝ている時間だった。仕事とインドの不満はすべてこちらにいる同期と話すことができた。間違いなく、彼らがいなければ生活を乗り越えられなかったかもしれない。
時間はあっという間に過ぎていき、10月となった。この時点では、帰国まで一か月と少しだった。インドの生活では毎日何かしらのハプニングが起き、その対応に追われている。これが毎日続いていると、時間もあっという間に過ぎていく。正直に言うと、日本に帰りたい気持ちは8割あった。友達と安心感が一番大きな理由であった。一方、インドから帰りたくない気持ちも心の底からあった。
インドの人口は約14億人で、これは日本の約11倍にあたる。これだけの人がいると、価値観、文化、生活スタイルも異なってくる。正直、ほとんどのインド人は僕にとってストレスの原因だった。
気遣いができないインド人
(列にならんでも当たり前のように横入りをする。エスカレーターの前で止まったり、4列になってゆっくり歩いたりする)
業務遂行が遅いインド人
(仕事ではデータを依頼しても全然動かない。モールにいるスタッフは常に電話していて、全然僕の注文を受け付けてくれない)
しつこい勧誘をするインド人
(どんなにいらないと伝えても、商品を勧めてくるスタッフ)
などがストレスの原因だった。実際、インドにきて生活しないと理解できないと思う。
しかし、少し考え方を変えれば、勉強になることも見えてくる。しつこい勧誘も、彼らは必死に生きていることを意味している。基本的に、インドの販売スタッフは売上に貢献することでインセンティブを得ることが多い。彼らもより多くの売り上げに貢献するため、商品を紹介している。たとえお客様がどんなに興味なくても、必死に商品を勧めてくるスタッフ。彼らは自分の人生のために一生懸命戦っている。それを知り、応援したくなる自分もいた。
そしてインドに来て、もう一つ感じたことがある。これは同期と話している時に出た話題だ。人間の三大要素である衣食住は、はるかに日本より劣っているインド。道端では多くのホームレスがいて、彼らがまともに食事できているとは思えない。そして、大衆の人々はブランド品の服を着ていない。偏見かもしれないが、スーパで買った服だと思われる。
しかし、決して悲しそうな顔をしている人は誰一人いない。
これはインドに来て最も強く感じたことだ。どんなに田舎の場所に行こうとも、活気を感じる。道端で座っていても、みんな元気よく話し、笑みを見せている。人間のあるべき生き方はこうではないかと感じた。
日本は恵まれているのは事実だ。しかし、東京の電車に乗ると、サラリーマンは悲しそうな顔をしており、活気を感じることが少ないと思う。これについて、インド人の友人に訪ねてみた。なぜインドのホームレスは一切悲しそうな顔しないのか。
“ホームレスとして生まれてくるのは運命である。これは変えられないものだから、認めるしかない。しかし、ホームレスにはホームレスの幸せな生き方ができる。どんな些細なことでも、それが幸せに感じられるなら、人生は幸せである。”
インド人は現状を認め、それを変えようとするのではなく、受け入れることが多いと思う。このような生き方は僕には理解できなかった。向上心がないようにしか見えなかったからだ。
もし自分の努力で人生を変えられるのであれば、僕は変えたい。どんなに大きな夢を持とうが、どんなに無理なことを言おうが、僕は自分を信じて進むタイプだ。インド人と僕の考え方は全く異なると感じた。しかし、インド人の考え方を否定するわけではない。
欲求を満たすために生きるのではなく、“今”を生きる。
心の底から尊重できる考え方だと思う。
インドに来てもう一つ感じたことがある。それは駐在員のあるべき姿についてだ。
元々、父の仕事の関係でタイ、オーストラリア、カナダで生活することができ、非常に恵まれてきたと感じている。幼い頃から駐在することに憧れを持つようになった。駐在員のメリットはいくつも挙げられる。海外に住めること、異文化と触れ合えること、給料が上がること、`言語力を生かせることなどだ。しかし、僕は駐在員の良い部分にしか目が行ってなかった。
海外に駐在するということは、会社の代表としてその国に滞在することだ。
駐在員が果たす責任は、予想よりもはるかに大きかった。インドで働いている駐在員は皆優秀であり、責任感が高いことを感じた。残業をすることが正しいとは思わないが、駐在員はみんな遅くまで働いていて、会社をより良くしていく姿勢が見られた。
一方で、自分は中途半端で曖昧な部分がある。業務と娯楽の選択肢があるとき、娯楽を選ぶ自分もいる。少なくとも駐在員であれば、業務を迷わず選択すると思う。今の自分では覚悟が足りないと感じた。
170日のインド生活を経て、たくさんの地域を訪問し、たくさんの人と触れ合うことができた。人生の中でも一番濃い6か月を過ごしたと言っても過言ではない。また、インドに来て、たくさんのことを考えさせられた。毎日ストレスを感じていたが、同時にインド人、そしてインドという国が好きになった自分もいた。
最後に、インドに来て、一番良かったことがあった。
それは、自分の立ち位置を改めて確認することができたことだ。駐在員の姿、覚悟、責任感のどれも自分には足りないものであった。そして、幅広い業務に携わることができ、自分のやりがいを感じるようになった。もっと深くマーケティングを理解したいと考えた。モノがどのように作られ、どのようなプロセス経てお客様に届くのか。そこの背景にあるマーケティング戦略を理解したい。
さらに、サッカーの楽しさを感じることができた。インドではありがたいことにサッカーのクラブチームに所属することができ、そこで得た、楽しさ、怒り、疲れといったすべての感情を90分で味わうことができた。これまで2度の引退を経験したが、やはりサッカーから得られるものは大きいと感じた。
では、次のステージはどこで何をしているのだろう。
後悔のない人生を生きるために、今の自分に何ができるのだろう。
この先、どれだけの“挑戦”が待っているのか。
多くのことを考え、結論は次のようになった。
マーケティングの理解を深めたい。
もっとレベルが高いところで、サッカーがしたい。
この二つの思いが強くなった。
営業で働く以上、車がどのように売られているのか、商品の魅力をお客様に伝えられなければ意味がない。もっと根本的なところを追求していかなければならないと感じた。そして、駐在することをゴールにしてはならない。駐在した先でどう市場に貢献するか、その先を考えなければならないとインドで感じた。将来、駐在が実現した場合、マーケティングの知識が活かされるのではないかと考えた。ということで、
来年の夏から休職し、欧州に行く決断をした。
幸いにも僕は恵まれていると考える。優秀な同期がたくさんいて、毎日刺激をもらっている。言い換えれば、毎日彼らと同じ “戦場” にいても、差を縮めることも、差をつけることも難しいかもしれない。だからこそ、自分だけの新しい道を作ろうと思った。正直、これが遠回りになるかもしれないし、後悔するかもしれない。でも、如何に “正解” に持っていけるかも人生の楽しさだと思う。
そして、言い方は悪いが、今回はサッカーを利用して海外に行くことを決断した。海外での宿泊費、食事代、渡航費は高額である。そのため、サッカーのエージェントに連絡し、プレー動画を送付して、海外でプレーできるチームを見つけることができた。そのチームからは給料をもらう代わりに、宿泊場所や食事の提供という条件で交渉した。詳細は追って連絡しようと思うが、現在、欧州3部リーグ(プロ)または6部リーグ(セミプロ)のチームの選択肢がある。チームは検討しているが、どちらのチームも間違いなく、これまでのサッカーのレベルより高いことが予想される。正直、足を引っ張るかもしれない。
だけど、
“逆境こそが飛躍のチャンス”
インドでは幾度も地獄を潜り抜けてきた。それは自信に変えることができた。次の舞台は欧州。仕事もサッカーもより一層に取り組み、最高の準備をしたい。
最後に、 ・どんなに朝早くても夜遅くても文句を言わずに送迎してくれたドライバー ・どんなに仕事ができなくても優しく接してくれた駐在員 ・どんなにインドの愚痴しか言わなくても話を聞いてくれた同期 ・インド人しかいないチームで、一人の日本人を受け入れてくれたYBC FCのメンバー
本当にいろんな人に支えられていることを感じたインドでの半年間。 感謝の気持ちを忘れずに、今後過ごしていきたい。
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