#池田千歳
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豊島 心桜(とよしま こころ、2003年9月25日 - )は、日本の女優、グラビアアイドル。新潟県五泉市出身。アービング所属。
スリーサイズはB82-W62-H88。かつては洋服を購入する際に胸が入らずあきらめるなど、巨乳がコンプレックスで知らず知らずのうちに隠そうと猫背になっていた。また、SNSに写真を公開する際にはボディーラインが出る服を着ない、横向きのものは加工ツールで小さくするなど、胸を目立たなくなるよう逆加工していた。かつては削ぎ落としたいとまで思い詰めており、これを活かせるグラビアの仕事をしていなかったら確実に要らないと思っていたという。なお、巨乳については祖母や叔母に似たと自己分析している。
高校時代より『週刊プレイボーイ』からグラビアのオファーがあったが、上記の理由で抵抗感や恐怖感を持っていたために断っており、高校卒業後にオファーを受諾した。母と祖母は最初のオファー時点で乗り気だったうえ、2歳下の弟[注 13]の彼女も応援してくれており、『メジャー感』を購入したことを弟経由で連絡してきたという。なお、祖母はグラビア開始以前に(ドラマやバラエティなどの)出演作品をすべてチェックしており、厳しいアドバイスもくれていたという。また、同デジタル写真集の表紙は『君が獣になる前に』のプロデューサーの目に止まり、それを見せてもらった監督も快諾した結果、千田ミヤコ役への起用につながったという。
高校2年時に校則で禁じられていなかったからとUber Eatsを呼んで学校に激怒された結果、3年時の生徒手帳には「デリバリー禁止」が追記された。また、水泳の授業については「朝から塩素の入った水で髪を濡らしたくない」との思いから体調不良と偽って一度も出なかったため、入学時に購入したスクール水着はタグ付きのままで実家に眠っている。当時はオンライン授業ばかりになるなどのコロナ禍にあり、修学旅行については駄目になった海外の代わりである沖縄へ荷物を送ったが、生徒に新型コロナウイルス感染者が出たことから沖縄も駄目になり、1週間後に荷物が返ってきた。さらには、大阪へ変更された時点で緊急事態宣言が出されたため、すべて中止になってしまったという。
スカウトされて仕事を始める前は社長かキャリアウーマンになりたいと思っていたが、20歳になった後は心境に変化が生まれており、タレントとしてこのスタイルが活かせるかもしれないと思うようになったほか、グラビア撮影の際にスタッフからスタイルを褒めてもらった結果、やっても良かったとの旨を述べている。初披露後の反響は凄く、もっと早くからグラビアを始めていれば良かったとの旨で後悔を滲ませている。
『週刊プレイボーイ』2023年47・48合併号にてグラビアを初披露する際にビキニを着用したが、これは1歳半の時にキティちゃんのビキニを着用した時以来のことだった。なお、初披露に際しての予習では頓知気さきなのグラビアを良いと思っていたところ、掲載号の表紙を彼女が担当していたため、思わずテンションが上がってしまったという。また、通常の『週刊プレイボーイ』を見ておこうと思っていたが、増刊『週プレPREMIUM 2023上半期グラビア傑作選』に多数のグラビアアイドルが掲載されているのを見てこちらを先に買い、後から通常の『週刊プレイボーイ』や何冊もの写真集も買って予習したという。
特技は幼稚園年中から中学3年末まで10年ほど続けたクラシックバレエ。ただし、2019年7月時点で身体は固まって久しく、ストレッチ時に頑張れば開脚ができる程度との旨を明かしている。
月に2回は猫カフェへ通うほどの猫好きであるが、上京後は猫アレルギーになってしまい、猫と触れ合う際にはマスクを着用している。
好物にラーメンや麻辣湯(中国語版��を挙げており、前者は週1回、後者は週2回食べている。一方、シイタケが苦手だったが20歳になった後は食べられるようになったという。
「仕事を始めるきっかけとなった憧れの人」には横田真悠を挙げているほか、「私の運命を変えたとっておきのエンタメ作品」には中学生当時に見ていたテレビアニメ『ラブライブ!』を挙げている。
マネージャーはかつて小池栄子を担当していたことからも、豊島には「グラビアもおしゃべりもお芝居もできるようになりなさい」と指示しているという。
本名でもある「豊島心桜」のうち名前の「心桜」は、祖父が好きだったドラマに「桜」の名を持つ人がいたことからその漢字を使いたく、「こころ」か「さくら」にしたいという願望を同時に叶えたものである。
酒については、飲み始めた当時はビールや梅酒のソーダ割りなら飲めるかなという程度だったが、その後は担当編集者と飲みに行かせてもらった際に同じペースで飲んでも自身はまったく顔に出なくなったという。ただ、酒よりもコーラの方が(20歳になる前と変わらず)好きであるという。
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相��いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の���役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は��えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモ��スター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを��き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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タンブラー、むちゃくちゃご無沙汰もご無沙汰です。
何気に展示したり細々写真に関わってます。2024年2月現在は根津のギャラリーバーで展示してますのでどうぞ宜しくお願いいたします。
20代〜30代に撮った写真と最近撮影した郊外の写真です。
ZINEも販売しています。
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2/6(火)〜2/24(土)
ギャラリーバー最終兵器@saishuheiki2022
長谷川諭子写真展「郊外雑感」
東京都台東区池之端2-6-2
(東京メトロ千代田線根津駅2番出口徒歩4分)
17時〜24時 日月定休日
チャージ¥800 ワンドリンクオーダー制
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現代の多くの人間に都会と田舎とどちらが好きかという問いを出すのは、蛙に水と陸とどっちがいいかと聞くようなものかもしれない。
田舎だけしか知らない人には田舎はわからないし、都会から踏み出した事のない人には都会はわからない。都鄙とひ両方に往来する人は両方を少しずつ知っている。その結果はどちらもわからない前の二者よりも悪いかもしれない。
性格が分裂して徹底した没分暁漢になれなくなるから。
それはとにかく、自分��今のところでは田舎よりも都会��生活する事を希望し、それを実行している。
「寺田寅彦随筆集 第一巻」岩波文庫
第2の都市と呼ばれる大阪に住んでいたけれど、私の住んでいた場所は田舎でもなく都会でもなく、中々に何も無い場所だった。
90年代のサブカルに憧れ、東京にはなんでもあると思っていた10代。家庭環境のよるところが大きいけれど、とにかく家を出たかったわたしは写真学校に行くことを理由に19歳の時、憧れの東京に(本当は神奈川に、、)出させてもらった。そんな憧れは大いに空回りで、カルチャーと呼ばれるものをそこまで愛したりは出来なかった。
若い頃の私はそんな自分を憎く思うこともあったけれど、喉元過ぎれば〜というやつで、もう昔の話になってしまった。その頃の私と同じ歳ぐらいの子どもがいてもおかしくない年齢になったのもあるし、今の東京も大阪もなんだかつまらなく感じてしまっているせいもあると思う。
私が当時憧れていたカルチャーも年月が経ってボロというか埃が出るようになってしまったモノもあり、驚く事や考える事もあるけれど、感傷的になるほどの熱はなくなってしまった。
多感な時期に好きだったものが消えていくのが虚しいのか、と言われたらそれほどでもなく、今はどこにいてもどの時間でもネットで買い物も出来るし、新旧問わず音楽や映画や本を楽しめるのでとてもありがたく思っている。
ただ、どうして此処に住んでいるのか、という事を腑抜けて忘れてしまっている時に、この田園雑感の節は身に沁みるのだ。
長谷川諭子「郊外雑感」
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あとソウルメイト(上司)とラジオみたいな全然ショボショボな(でもそれでいいんだよ、、)YouTubeもやってます。
わたしは今回のバー展示の事とKodakFZ45のこととか上司はNikonのカメラの話とか新宿で展示する話とかしてますので何卒。
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その1
『長靴をはいた猫』(シャルル・ペロー著/澁澤龍彦訳/河出文庫/Kindle版) 『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著/三浦裕子訳/装画:Naffy/装幀:田中久子/中央公論新社/Kindle版) 『聊斎志異(上下巻)』(蒲松齢作/立間祥介編訳/岩波文庫) 『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著/岸本佐知子訳/装幀:吉田浩美、吉田篤弘〔クラフト・エヴィング商會〕/白水社) 『新版 小さなトロー���と大きな洪水』(ヤンソン著/冨原眞弓訳/さし絵・カバー装画:ヤンソン/講談社文庫/Kindle版) 『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ著/木下眞穂訳/書肆侃侃房/Kindle版) 『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(ケヴィン・ウィルソン著/芹澤恵訳/イラストレーション:中島ミドリ/ブックデザイン:アルビレオ/集英社) 『透明人間』(ハーバート・ジョージ ウェルズ、著/海野十三訳/青空文庫/Kindle版) 『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版) 『去年を待ちながら 新訳版』(フィリップ・Kディック著/山形浩生訳/カバーデザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ザップガン』(フィリップ・K・ディック著/大森望訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック著/浅倉久志訳/早川書房) 『火星のタイム・スリップ』(フィリップ・K・ディック著/小尾芙佐訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『マーダーボット・ダイアリー 上下』(マーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版) 『珈琲と煙草』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著/酒寄進一訳/東京創元社/Kindle版) 『シャーロック・ホームズ シリーズ全10巻 合本版』(コナン・ドイル著/延原謙訳解説/新潮文庫/Kindle版) 『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版) 『シンドローム』(佐藤哲也著/森見登美彦解説/カバー装画:西村ツチカ/カバーデザイン:祖父江慎+コズフィッシュ/キノブックス文庫) 『俺の自叙伝』(大泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫) 『ブサとジェジェ』(嶽本野ばら著/『三田文學 153 春季号 2023』掲載作品) 『珈琲挽き』(小沼丹著/清水良典解説/年譜・著書目録:中村明/講談社文芸文庫) 『不機嫌な姫とブルックナー団』(高原英理著/講談社/Kindle版) 『祝福』(高原英理著/装幀:水戸部功/帯文:渡辺祐真/河出書房新社) 『若芽』(島田清次郎著/青空文庫Kindle版) 『交尾』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『のんきな患者』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『城のある町にて』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『風立ちぬ』(堀辰雄著/青空文庫/Kindle版) 『自分の羽根』(庄野潤三著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『幾度目かの最期 久坂葉子作品集』(久坂葉子著/久坂部羊解説/年譜・著書目録:久米勲/デザイン:菊地信義/講談社文芸文庫) 『現代語訳 南総里見八犬伝 上下巻』(曲亭馬琴著/白井喬二訳/カバーデザイン:渡辺和雄/河出書房新社/Kindle版) 『キッチン』(吉本ばなな著/カバーデザイン:増子由美/幻冬舎文庫/Kindle版) 『かもめ食堂』(群ようこ著/装画:牧野伊三���/カバーデザイン:井上庸子/幻冬舎文庫/Kindle版) 『ハピネス』(嶽本野ばら著/カバーイラスト:カスヤナガト/カバーデザイン:松田行正/小学館文庫/小学館eBooks/Kindle版) 『猫の木のある庭』(大濱普美子著/金井美恵子解説/装幀:大久保伸子/装画:武田史子/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『ハンチバック』(市川沙央著/装幀:大久保明子/装画:Title: mohohan Year: 2020 Photo: Ina Jang / Art + Commerce/文藝春秋) 『文豪たちの妙な旅』(徳田秋聲、石川啄木、林芙美子、田山花袋、室生犀星、宇野浩二、堀辰雄、中島敦、萩原朔太郎著/山前譲編/カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)/カバー装画:樋口モエ/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『作家の仕事部屋』(ジャン=ルイ・ド・ランビュール編/岩崎力訳/読書猿解説/カバーイラスト:Guillaume Reynard/カバーデザイン:細野綾子/中公文庫) 『腿太郎伝説(人呼んで、腿伝)』(深掘骨著/左右社/Kindle版) 『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫) 『思い出す事など』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『文鳥』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラー��真実の生涯』(川本直著/文庫版解説:若島正/ロゴ・表紙デザイン:粟津潔/本文・カバーフォーマット:佐々木暁/カバー装幀:大島依提亜/カバー装画:宇野亞喜良/帯文:魔夜峰央/河出文庫) 『駅前旅館』(井伏鱒二著/解説:池内紀/カバー装画・文字:峰岸達/新潮文庫)『硝子戸の中』(夏目漱石著/カバー:津田青楓装幀「色鳥」より/注解:紅野敏郎/解説:荒正人/新潮文庫) 『村のエトランジェ』(小沼丹著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『午後三時にビールを 酒場作品集』(萩原朔太郎、井伏鱒二、大岡昇平、森敦、太宰治、坂口安吾、山之口貘、檀一雄、久世光彦、小沼丹、内田百閒、池波正太郎、吉村昭、開高健、向田邦子、安西水丸、田中小実昌、石川桂郎、寺田博、中上健次、島田雅彦、戌井昭人、吉田健一、野坂昭如、倉橋由美子、松浦寿輝、山高登著/カバー画:山高登「ビヤホール」/カバーデザイン:高林昭太/中央公論新社編/中公文庫/Kindle版) 『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫) 『40歳だけど大人になりたい』(王谷晶著/デザイン:アルビレオ/平凡社/Kindle版) 『人生ミスっても自殺しないで、旅』(諸隈元著/ブックデザイン:祖父江慎+根本匠(コズフィッシュ)/晶文社) 『ロバのスーコと旅をする』(髙田晃太郎著/装幀:大倉真一郎/地図制作:小野寺美恵/河出書房新社) 『本当の翻訳の話をしよう 増補版』(村上春樹、柴田元幸著/カバー装画:横山雄(BOOTLEG)/新潮文庫) 『書籍修繕という仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(ジェヨン著/牧野美加訳/装幀:藤田知子/装画:谷山彩子/原書房)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)10月3日(火曜日)参
通巻第7935号
ラピダスの2027年、2ナノ半導体はうまく行くか
インテルの捲土重来、24年から2ナノ生産開始と豪語
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現在、世界最先端の半導体はTSMCと韓国のサムスンが量産体制に入った3ナノである。後塵を拝していたインテルが逆襲にでた。
9月19日にサンノゼで開幕した「Intel Innovation 2023」の基調講演で、インテルのパット・ゲルシンガーCEOは、2ナノ相当の半導体を2024年前半には量産準備が整うと発表した。2025 年の大量生産につながるという。
また1・8ナノの開発も視野に入った、とした。インテルは現在、7ナノ半導体を大量生産中で、4ナノも増強している。
TSMCは米国政府からの多額の補助金に支えられて、アリゾナ工場で3ナノの量産に入るが、地元アリゾナ州では雇用問題で反対運動に遭遇した。
すると、TSMCは2ナノ半導体は台湾で生産すると路線を変更したうえ、次世代1・4ナノの研究と開発も台湾のラボで行うとした。
日本政府は熊本にTSMCを誘致し、28ナノの大量生産に入る。EVやスマホ、電化製品に大量の需要が見込まれているが、最先端技術開発という文脈では甚だしい周回遅れである。
IBMと組んだ大プロジェクトの「ラピダス」は、ようやく北海道の千歳で工場の建設が始まった。順調にいけば、2027年に稼働予定。ラピダス首脳陣は2ナノ半導体を目指すとし、小池淳義社長は吉田松陰を引用して「高い志をもって挑む」と意気軒昂だが、インテルの逆襲で世界の競争状況がおおきく変わろうとしている
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硫黄島の戦い - Wikipedia
最後の生存者として、終戦から4年後の1949年(昭和24年)1月2日に潜伏していた元日本兵2名がアメリカ軍に投降した。 海軍所属であった両名は千葉県出身の一等兵曹 (38) と、岩手県出身の二等兵曹 (25)※ ( 山蔭光福兵長と松戸利喜夫上等水兵 )であり、終戦後も島内の洞穴などに隠れて4年間にわたり硫黄島に暮らしてきたものであった。 両名によると終戦から1年半が過ぎた頃に島内に駐在しているアメリカ兵が捨てたとおぼしき雑誌を拾ったところ、その雑誌に東京の不忍池でアメリカ兵と日本人女性が一緒にボートを漕いでいるグラビア写真があるのを見つけたことにより、日本が戦争に敗れたことに気付くとともに激しくショックを受けたという。この元日本兵2名は1月22日に羽田空港に帰還した。 その後、二等兵曹が「硫黄島に日記を忘れてきた、本を出版するためにどうしても日記を取りに戻りたい」とアメリカ軍に��し出て、同年5月7日に再びアメリカ軍機に乗って硫黄島へと戻った。 ところがいくら探しても日記が見つからず、摺鉢山の火口から400mほど離れた場所から「万歳」と叫びながら飛び降り自殺をしてしまった。 この二等兵曹は日本に帰国した後、周辺の者に「生きて帰ってきて申し訳ない」「硫黄島へ日記を取りに行って見つからなかったら日本へは戻らない」などと漏らしていたことから自殺の覚悟を決めていた節があり、戦友の死んだ地で自分も死のうとしたのではないかと推察された。
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塩田千春(アーティスト)x岡部あおみ
日時:2009年5月10日 場所:銀座資生堂ビル(資生堂ギャラリーで開催された第六次「椿会」展「Trans-Figurative」4月7日から6月21日の会期中に行われたトーク)
『無意識の不安』「椿会展2009 Trans-Figurative」 資生堂ギャラリー(東京)photo: Sunhi Mang
岡部:私が塩田さんの作品を初めて見たのは横浜トリエンナーレで、会場の奥にバーンと巨大な『皮膚からの記憶』があり、塩田さんの作品がある意味、商業的な催しに使われてきたその空間をどういう風に打ち壊せるか、それとは異なる自分の造形言語を打ち立てることができるかに挑戦した作品だと感じて、とても感動しました。その時までは塩田さんにお会いしたこともなかったし、話した事もなかったのですが、会場のディスプレイを建築家の私の夫が担当していたものですから、塩田さんのいる時間を聞いて会いに行ったんです。その時はじめて少し話もしたのですが、彼女はとても素直で、自分の作品に対する想いも、ほんとにちょっとしか話さなかったのですけど伝わって来ました。 その後、飯田橋の日仏学院で私自身のキュレーションで展覧会を開く機会があり、その時に塩田さんのビデオの作品ですが、『マイ ストマックエッグ』をお借りする事になり、初めて直接コンタクトを取らせて頂きました。それ以後、ベルリンに何回か行った時も塩田さんのアトリエにお邪魔したりして、当時のアトリエにもうかがいました。アトリエには70年代の頃からの古新聞ですとかさまざまな日用品が残っていて、それ自体が作品のイメージがあり、都市の記憶が蓄積された、ある意味納屋みたいな、光もあまり入ってこない薄暗い場所ですが、そこで塩田さんは錬金術のように自分の作品を考えながら一つひとつ生み出してきたのだということを感じさせ��場所でした。このアトリエを見つけて使用できるようになったのは、随分あとのことでしょうか。住んでいらしたアパートのすぐ前にあった空間だったわけですが。
『皮膚からの記憶』 インスタレーション 2001年 横浜トリエンナーレ2001 photo: Sunhi Mang
『マイ ストマックエッグ』 ヴィデオ 2001年 photo: Sunhi Mang
塩田:99年からこのアトリエの向かい側に住んでいたのですが、開かずの扉が前にずっとあり、その扉の奥を知りたくてある日、大家さんに訊いて開けてもらいました。開けると20年ほど昔の、いやもっと長い期間、誰も入らなかったような、不思議な空間が目の前に広がっているのを見て、この場所をアトリエにしたいと、その場で大家さんに頼みました。許可を頂き、それから埃だらけの部屋を清掃し、その場にあったガラクタやDDR時代の新聞もそのままにして、スペースを少しだけ空けて、アトリエとして使い制作をしました。夏は暑く、冬は寒い、とても使い難いアトリエでしたがいつのまにか、私にとって、このアトリエは、秘密の場所として、まるで共存しているかような空間となったのです。展覧会でよくベルリンを離れる事が多いのですが、どこに行ってもこのアトリエで自分が制作しているようなイメージが頭から離れず、そしてベルリンに帰ってアトリエの扉を開けるたびに、「帰って来た。」と大きく深呼吸できる場所になりました。何も制作できない時も多かったのですが、ただこのアトリエに入り、座ってその何も出来ない時間やぐずぐずした気持ちなどを、共有する。そんなアトリエでしたが、2007年から、その住んでいた建物も改装工事が始まり、立ち退かなければならなくなり、今はもうこのアトリエは使っていません。
岡部:バスタブの中で泥を被る作品も、あのアパートの作品ですか?引っ越しを何度もしていらっしゃるから、それともそれ以前のアパートですか。
『Bathroom』 ヴィデオ、1999年 photo: Sunhi Mang
01 ベルリンのアトリエの思い出
塩田:その同じアパートです。ドイツに行って3年間に9回も引っ越しました。そして最後にやっと落ち着けたアパートが向かい側にアトリエがあり、お風呂場でも作品を作ったアパートです。その後、引越しはなく、立ち退きまでの8年間同じ場所にいました。 引越しを繰り返していた当時は段ボールに自分の荷物を詰めては、また段ボールを開けずにそのまま次の引っ越しをすることが多く、ベルリンのミッテ地区にこのアパートを見つけたときは、すごく嬉しかったのですが、お風呂がなかったので、水道工事のできる知り合いに頼んでお風呂を作ってもらい、それがまた嬉しくて、それだけが理由ではないのですが、お風呂場で作品を作りました。
岡部:でも新品のバスタブで泥をかぶったりして、排水溝がパフォーマンスの後で詰まったりしませんでしたか(笑)。
塩田:風呂の栓は詰めてパフォーマンスをしていたので大丈夫でした。泥水もたらいで掬って、パフォーマンスの後、屋根裏部屋から地下までその泥水を運び捨てに行ったのでそれは大変でしが、幸い詰まることはなかったです。一番始めはただ泥を被るだけのパフォーマンスがしたかったので、お風呂場ではなくて、ベルリンにある湖へ行って、その池で泥を被ってパフォーマンスをしたのですが、作品にならなくって困りはてて最終的にお風呂場で作ったわけですが苦労しました。
岡部:その時は洋服を着ていたわけですね。
塩田:着てました。その後、最終的に自分の部屋で泥を被って作品にしたのですが、なかなかいい映像ができなくて、泥を被っても、イメージと全く繋がらないんです。そこでもうこの作品はできないと諦めたんです。でも諦めて作品を作らなければという力が抜けたとき、本当に自分が表現したかった映像がやっと完成しました。それを編集した5分間の映像作品が「バスルーム」です。
岡部:いま、公園で着衣の上から泥を被った話を初めてお聞きしたのですけど、それで解ったのが、その後で手掛けられる泥で汚れた巨大な服をインスタレーションする『皮膚からの記憶』です。最初の展示作品は横浜トリエンナーレ程の大きさではないけれど、最初の展示のときも泥のついた服に、泥水を、あるいは水かけていたんでしたっけ。
塩田:水でした。泥にまみれた洋服に水をかけていました。
岡部:公園で自分自身が服を着ていたところに泥水をかけたというパフォーマンスと、泥まみれの服をきれ��にするために水をかけるインスタレーションには自然な繋がりがあるかもしれませんね。後者は自分の肉体は存在しないけれど、泥の掛かっている服だけを展示し、水をかける。泥水をかけるのもありませんでしたか。
塩田:水を巡回させているので、最初はきれいな水でも最終的には服についた泥が流れて泥水になってしまうのです。
岡部:服についていた泥がしみ出していくんですね。横浜トリエンナーレの作品を見た時は、作者は日本人だけれどもドイツに大分長く住んでいて、異文化を皮膚から、空気の中から取り入れる異化してゆく自分がいて、そうした自分自身がどんなことをしてもそれ以前の自分には戻れない、そんなイメージをもったのですが、そうした異文化と同化、同化しきれない何かといったことと関係していましたか。
塩田:自分のバスルームで泥を被りながら自分自身の呼吸を取り戻す、その呼吸を聴く思いでやっていたのですが、泥を被ったパフォーマンスのあと、普通のシャワーを浴びるときも自分自身の泥というか、皮膚からの記憶は落ちていく気がしなくて、自分の中にわだかまりみたいなものがいつまでも残り、このわだかまりは一体何だろうと気持ちになりました。この皮膚に対するこだわりは、私がドイツに住み多国籍の人の中で生活することで生まれてきたように思います。日本にいる時は自分が外国人として生活することがなかったので、自分の皮膚の中にある記憶など考えたことがありませんでした。そしてこのコンセプトは横浜トリエンナーレの作品につながりました。
02 厳しいマリーナ・アブラモヴィッチの指導
岡部:身体を使ったアクション、パフォーマンスをいくつかやっていらっしゃるんですけども、身体と自分自身の作品との関わりには、若い頃にドイツの大学で指導を受けたマリーナ・アブラモヴィッチからの刺激もあったのでしょうか。
塩田:あったと思います。一番最初はマグダレーナ・アバカノヴィッチに習いたくて手紙を書きました。彼女の個展を19歳の時に日本で観てすごく感動したのです。この先生のもとで勉強したいと思い、資料を送ったら、返事が来たのが マリーナ ・アブラモヴィッチだったんです。という偶然から、マリーナ・アブラモヴィッチの元で勉強することになったのです。結局それ以来ドイツに13年滞在していて、今もコンタクトはありますが、マリーナのところで勉強したのは約2年ぐらいでした。
��部:最初にご覧になったマグダレーナ・アバカノヴィッチの作品は、石炭とかを詰める麻袋みたいなものを人体の型にして、インスタレーションするようなものですよね。旧東欧特有のかなり強烈なイメージがあったと思いますし、そういう意味では、服を使った塩田さんのインスタレーションは、アブラモヴィッチよりアバカノヴィッチに通じる面があります。物質、人間の身体性、循環、再生といった概念に、非常に近い部分が感じられます。もしアバカノヴィッチのもとで勉強していたら、逆にあまりにも近い素質があって、優れた先生に近過ぎる要素があると、自分自身の輪郭が見えにくいことがあるので、かえって良かったかもしれませんね。マグダレーナ・アバカノヴィッチとマリーナ・アブラモヴィッチは、名前が似ているので、間違える人も多いんですけど、そういう意味で塩田さんの場合、間違えたのはラッキーだったのではないでしょうか。マリーナはパフォーマンスと映像作品で著名な作家ですが、彼女自身も身体を限界まで持って行く厳しいパフォーマンスが多いので、彼女のもとで勉強すると、その学習自体もものすごく厳しいと聞いています。
塩田:日本では考えられないと思うのですけど、断食修行がありました。断食自体は一週間くらいですけど、3ヶ月くらい前から断食の準備が始まるんです。授業全体がヨガのコースになり、肉を食べてはいけないなど食事制限もありました。フランスの12月の寒い時期にカルゲナールというお城に行って、15人ぐらいの学生が断食をしながら毎日何をしてるかというと、自分の名前を3時間かけて書いたり、大きな湖をまる一日かけて回る。その次の日に目隠しをして昨日回った湖の周りを一周する。でも、一周できないんですよ。昨日何時間もかけて何十周した湖でも、目が見えない状態だと、すごく難しい。12月の寒い中、方向感覚を失い湖に落ちてしまう学生もいました。毎日の普段の生活とはかけ離れた行為をするすごく貴重な授業でした。ちょうど7日目の朝、真っ暗だったんで何時か解らなかったんですけど明け方に彼女が枕元にやってきて「なんでもいいから一言書きなさい」と鉛筆と紙を渡すのです。私は7日間も食事をしていないうえ、凄く朦朧としていて何も書けなくて、ただ思い浮かんだのが「Japan」だったんです。その後、彼女に「これは、あなたの中から出て来た言葉だからこれが何なのか考えること、そして、これは作品を作る上で重要なテーマになるだろう。」と言われました。
岡部:崖みたいなところに穴を掘ってヌードで横たわって、ゴロゴロッと落ちてまた這い上がってゴロゴロっとまた落ちるパフォーマンスは、その時のワークショップの作品でしたね。
塩田:そうです。今度はその言葉についての作品をつくる課題が出されました。私は「Japan」と書いてしまったので、その時は何故「Japan」という言葉が出て来たのか解らなかったのですが、そのときの日本に対する気持ちを作品にしました。崖に穴を掘って裸で横たわってゴロゴロっと転げ落ちながら、でも転げ落ちるとまた穴が恋しくなってその穴に戻ろうとする。海外に住んでドイツで生活していると日本がすごく恋しくなるときがあるのです。でも恋しいのは日本食であったり、友達だったり、両親だったり、と漠然と形にならないものですが、実際の日本に帰って見るとその恋しかったものが、あれ?こんな感じだったかしらと思うことがあり、それがどこにもないような気持ちにさせられるのです。実家に帰り、昔小学校の時に通っていた道をふたたび通ってもどこか違う。旧友に会っても何かが違う、両親や兄弟までも自分の懐かしさと違うような感じがするのです。そこまで来ると私は一体何が懐かしかったのだろうと、そのギャップに戸惑ってしまうのです。 昔の靴が足のサイズが一緒なのに合わなくなったような感じです。その靴の感覚が、大阪の国立国際での靴の作品に繋がりました。大阪では展示のために一般の人から、要らなくなった靴��メッセージや思い出などを添えて送ってくださいと、広告、ラジオ、インターネットなどで、美術館から募集して2000足の靴を集めた作品です。
『大陸を越えて』 インスタレーション 2008年 国立国際美術館(大阪) photo: Sunhi Mang
岡部:故郷に戻れないという意味で作られたパフォーマンスは、お腹が空いていて絶食している時にヌードになってゴロゴロ転がったわけで、そうとう大変でしたね(笑)。学生みんなにいわば死を覚悟させるというか、限界状況で作品を作らせる、そういうスタンスの先生なのですね。
塩田:毎朝6時に彼女がおたまとお鍋を持ってカンカンカンってやって来るんです。それで「起きなさい!みんな起きなさーい!」と言って、みんな外に出て何をするかと思ったら雪のなか裸になってでジャンプするのです(笑)。しかも叫びながら。そんな授業で、究極のところまで行かせて、その中で自分の中から何が出て来るか、本質的に突き止めるのが、彼女の授業でした。彼女自身の制作の上での問題を学生に直接伝えていたのだと思います。今でも本気でつきあってくれるいい先生です。
岡部:例えばそういう経験は、自分自身の生存のコンディションを知ったり、ギリギリまで追いつめられた身体のすごく微妙なレベルの感覚を把握するきっかけになったかもしれませんね。本当にささやかなことで、日常的に誰しもが感じていること、それをもう一歩深く考えてみるひとつの訓練になったかもしれない。昔の靴がどこか合わないという感覚は誰でももつ可能性があるけれど、べつに拘って考えたりしないわけですが、それを塩田さんは繊細な感覚で作品にする。靴の作品にも、ヴァラエティに富んだインスタレーションがありますが、インスタレーション作品の素材で、一番最初に使い始めたのが、今資生堂の「椿会」展でも使用している毛糸ですね。糸を使い始めてから服が現れ、その後が靴と窓枠が来ますが、どちらが先でしょうか。
塩田:靴ですね。
03 服・毛糸・靴 新たな手法へ
岡部:ではもっとも新しい素材が、今手掛けている窓ですね。実際の作品には日用品や日常の素材を使ったインスタレーションが多いのですが、本当は絵を描くところから出発されているんですよね。でも結局自分自身が絵になる、赤いエナメルを���から被るパフォーマンスで絵とはいったん決着をつける。この時使ったエナメルって皮膚の穴を埋めてしまう力があるので、すごく美容に悪くて、とても大変だったんですよね(笑)。
塩田:エナメル塗料は毒性をもっていて、皮膚の呼吸を止めてしまう塗料です。このパフォーマンスをした時は交換留学生としてオーストラリアに行っていました。その時は絵画科に入り、他の学生は絵を描いていたわけですが、私は絵をどうしても描けなかったのです。絵の中での色の構成で作品ができていくのではなくて、自分自身にもっと近い素材に触れてみたい、キャンバスから離れたい。でも、どうしていいか解らず悩む日が続きました。その時に、自分が絵になる夢をみました。その絵の中で自分はどう動けばいいんだろう、どうすればこの絵はよくなるのだろうって考えているのです。考えている内に絵の具はボタボタと床に落ちて、また平面の中で息が苦しくなってどうにもならない自分がいました。その夢をそのままパフォーマンスとして打ち明けた作品です。
岡部:塩田さんにとって、重要な4つの素材がありますね。たとえば毛糸、ずっと長い時間手がけている素材で、今やっている「椿会」展でも、空間を編むといったインスタレーションですけど、毛糸を使って空間を表現することを考えた時に、まずどういう方法をとるのかは、マニュアルや既存のよく知られた前例があるわけではないので、一回一回、ご自分の経験の中から編み出して方法論を構築して行ったのだと思うんです。それとは逆に、絵の具を使って絵を描く行為は従来の伝統技法が存在し、手法は油彩からアクリルへと変化する中で、勿論多少は変わるけれども、基本的なところは学習し覚えた上で表現しなくてはいけない部分がかなりあります。塩田さんは絵の具のような伝統的な素材の代わりに別のものを使いますよね。ひとつの新たな素材を選んでも、それを使いこなすのに、あるいは自分自身で納得のいく仕上がりや、完成度までもっていくには、表現と同時にまず技法的な問題があると思うんです。勿論、アトリエで考案し、やり方もじっくり考えられてから実践しても、与えられたある一つの空間の中、あるいは現場の中で、一回一回暗中模索でトライし、実験していきながら、自分自身が経験していく、あるいは体で覚えていくなかで、独自な手法が編み出されていくという時空間にかかわるプロセスがあるのではないかと感じます。そういう意味で最終的な完成までに時間がかかる。もっともひとつの空間インスタレーションにも数週間といった時間がかかることがありますが、同じ素材を使っても一回毎に異なるそうした挑戦を何度も積み重ね展開していって、自分が本当に納得がいく表現を編み出せるまでに、その素材を使いこなせるまでに、何年も掛かるように思います。同じ素材でも何度も展開せずにはいられないのは、まず技法的な問題があるためではないかと思うのですがどうでしょうか、そういう風に考えられた事はないでしょうか。
塩田:そうゆうふうに考えたことはなかったのですが、一番最初にこうした作品を作りたいというのがだいたい頭の中にあっても、私の場合スケッチなどはしません。長い間、心の中に暖めておいて、最初は我慢します。そしていろんな展覧会場をみながら、この���覧会のテーマでは、こういった作品のアイデアが良いと引き出しから出してこれをしたいと、実現させてゆく。大体一番最初のインスタレーションでは失敗することが多くて、失敗した後に反省ばかりしています(笑)。岡部さんが言われたように、新しい素材に触れるとき、それを使いこなせて自分の思い通りに作品ができるまで、最近わかったのですが、5年位かかっています。だから実際の作品の数はすごく少なくて、今、金沢21世紀美術館の窓の作品も一番最初に展示したのは2004年の時で、窓という素材を使いこなすまで、構成を変え、さまざまな展示会場でやはり完成まで時間がかかっていますね。
岡部:私は塩田さんが海外で発表した作品やインスタレーションもかなり観ています。フランスのリールがヨーロッパ都市という催しの中心になった年でしたが、リールに何人かの作家を招待して、現地で展覧会やさまざまなインスタレーションをしてもらった中で、塩田さんはものすごく大きな教会で糸とベッドを使った迫力のあるインスタレーションを実現していました。当時もう使われてなかった教会でしたよね。
塩田:その教会は当時、もう使われていなかったと思います。
岡部:もの凄いスケールでドームの天上の上から床まで、一体どうやって糸を張り巡らせることができたのか、技術的な部分だけでも圧倒されるわけです。すでにあの頃には毛糸に関してはある程度納得出来る作品になって、何処で���も自由に表現可能になったという段階に達していたわけでしょうか。
塩田:試行錯誤しながら作っていって、ある段階からはもうこの作品は出来た、と思う時期があります。糸の作品に関しては何処ででも自由に表現可能という状態でした。どういう規定でこれは完成したと自分で思うのかは解らないのですが、ある時急に、この作品はもう完成したなと思うのです。それからはどんな場所でも、その素材を使うのは怖くありません。あの時は10mの高さからずっと糸を張って紡いで編んでいきました。教会は人の懺悔と祈りが含まれた場所なのでホワイトキューブに比べて、取っ掛かりをつかみやすかったです。そこでは、糸を張り巡らし、ベッドを30台並べて、実際30人の女性がオープニングの時に寝ました。
岡部:その時のベッドは病院のベッド?それとも軍隊用ですか。
塩田:病院のベッドです。だいたい病院のベッドが多いですね。
岡部:その病院のベッドは、いらなくなって病院から放出されるとか、手に入り易いためなのでしょうか。
塩田:いつもだいたい作品を実現する現地でマテリアルは調達するのですが、ベッドは意外と入手し安いです。形が段々変わって行き、モーター付きの新型などが出て、旧型がいらなくなる。私が作品で使うベッドは旧型なので、なんとかいつも集まります。精神病院のベッドや外科のベッドなどが入手でき、展覧会の期間だけ借りるときもあれば、破棄する時もあります。精神病院のベッドを使ったとき、糸を張り巡らしていると、ベッドの後ろに薬が張り付いてるのがあって、患者が飲みたくなくて貼付けたのかと思うと、その生々しい現状に衝撃を受ける事もありました。病院のベッドだと、このベッドで何人かはそこで亡くなったのかもしれないという事を考えながら作るときもありますね。
岡部:テーマのひとつはやはり「不在」ですね。病院のベッドだと、患者さん��そこにいるのが普通なわけですが、塩田さんがインスタレーションで使う時には、パフォーマンスで誰かが寝たりしている時以外は、誰もいず不在で、ただベッドの存在感だけが、かつてそのベッドにいたはずの人や亡くなった方の記憶を喚起するわけで、教会におかれたベッドには、かなり凄みがありました。あの時は毛糸の網目がスパイラルのようになっていて、グルリとベッドの近くまで入れるように設置され、怖い感じでもあったのですが歩いて回りました。教会が持っている象徴性には、訪れる人々が懺悔する、魂が浄化される空間という意味があるのですが、塩田さんの作品にはある種のそれとは違った意味での浄化作用がある気がしました。場所が場所ですから、浄化という意味は、ご自分でも意識されていたんでしょうか。同じ素材のインスタレーションでも、そのつどご自分の込める気持ちは違うんでしょうね。
塩田:違いますね。ベッドに寝るといったパフォーマンスの後では、その時使ったシーツはそのままにしておいてくださいと頼みます。人が使ったシーツは、その人が不在であればあるほど、その跡で人の存在がよく見える。誰もいなくなったベッドの中にある存在は、ある意味、一人の人間以上の存在をあらわしていて、さらに得体が知れない。凄く重くて、大きい、何かの存在、それを表現したくて制作しているような気がします。富山の発電所美術館で2009年夏に発表する予定のインスタレーションは、何台もの泥のついたベッドを天井から吊し、水を流すもので、社会の熱病を醒ますメタファーをもっている作品を今、考えています。
『流れる水』 インスタレーション 2009年 発電所美術館(富山) photo: Sunhi Mang
04 旧東ベルリンの窓枠を探して
岡部:リールの作品と同じ年にセビリアで第一回ビエンナーレがあり、塩田さんから初めて窓枠を使う作品を発表するという話を聞いていたし、ハラルド・ゼーマンという私が注目しているキュレーターのディレクションだったので見に行きました。ベッドから窓枠へと素材が移る最初のトランジションの時に作られた作品だったという気がしました。セビリアは南スペインの都市ですから、真夏でしたし、陽が燦々とふりそそぐ場所です。窓枠が壁のようになっている中にベッドが置かれているのですが、その窓枠の上には樹木や植物が青青と茂っていました。室内のインスタレーションを見慣れていて、自然光とのかかわりも始めてでしたが、今までの塩田さんの作品はどちらかというと内面の闇とか、記憶の闇、歴史の闇といった薄暗さと関係していたので、セビリアに来た途端に急に光り輝くものになってしまって、これはこれで私には意外で面白い作品になったと思ったのですが、後で塩田さんと話しをしたら、あれはまったく自分では失敗だと思ったとおっしゃってましたね。その辺の理由を話して頂きたいです。
塩田:あの時始めて窓を使った作品を発表したのですが、ゼーマンとのやり取りの中でスペース的にも600枚の窓が必要になってきました。でもベルリンの工事現場で集めてもそれほど窓は集まりませんでした。作品を作ることよりも窓集めに必死になりすぎて、作ることに力が入らなくなったのかもしれません。結果的にこのセビリアで展示された窓の作品を見てみると、ベルリンの窓をわざわざ使う必要はなかったと思ったのです。これならセビリアの窓でも良かった。何も歴史のある、人の思いがこもった旧東ベルリンの窓でなくてもいいと思ったのです。このベルリンの窓を使いこなせなかったのがすごく後に残っていて、では、どうやってこの窓を使って、どういう作品を作っていけば自分のイメージに近づくかは、そのあとの課題になりました。
岡部:セビリアでこの作品を観た時、その頃塩田さんには言わなかったのですが、私自身も窓を集めたことがあって、集めたというより若い頃にモロッコを旅行した機会に1個で買っただけですが、私は都会生まれの都会育ちで、砂漠に生きるモロッコの人々の生活を見ていて、悠久の時間の流れや暗い室内で食事を作っている女性たちのこととかが窓に象徴されている気がしたんですね。モロッコの市場の蚤の市みたいなところにお土産を買いに行った時に、なぜか本物の古びた窓が売っていて、実際の家で使っているのと同じ木枠に、モチーフのある錆びた鉄の模様の格子が嵌まっている。だけどすごく重くて、たった1個、パリに買って持って来るだけで苦労しました(笑)。今でももっていますが、そういう思い出をセビリアで陽が燦々と降り注ぐ塩田さんの窓のインスタレーションを見て思い出したんです。窓って1個1個が素材としてすごく重いし、使う時、使いこなすのは非常に難しいのではないかと思いますが。
塩田:窓を集め始めた時、窓自体に思い入れがあったので窓ひとつですでに何もしなくても作品になるかと思いました。それが1枚が100枚になり、300枚になり、300枚集めても形にならない。ゼーマンとのやり取りで600枚の窓が必要になった時は窓に取り付かれた生活が始まりました。やっとの思いで600枚の窓を集めて、セビリアに送って実現しましたが、やはり形にならない。さらにベルリンのこの窓をどう使って作品にしていいかわからないまま、この窓の作品を何とか完成させたいと考え、またベルリンに帰り窓の収集が始まりました。 朝起きて、いつも何処に行けば窓が集まるだろうかと考える毎日が続きます。工事現場を一日20件くらい自転車で回りながら「すみません、窓はありませんか。」と聴いて回り、集まったところで車を手配しては運ぶ。当時は倉庫を持っていま��んでしたが、ベルリンのアパートは必ずケラーといわれる地下室があるので、とりあえずそこに入れるだけ入れました。 集めてきた窓を並べながら、内でもない外でもない、狭間をつくるその窓をみて、まるで私の生活を見ているような気がしました。ドイツでもない日本でもない、何処でもないその狭間に自分が立っているような気がして、その窓自体がある皮膚のようにも感じました。正確には1500枚くらい窓を集めて、展覧会ごとに3回に分けて日本に送りました。物量にさすがに嫌がられましたが。(笑)
岡部:物量が凄いですからね(笑)。作品毎に皮膚に対する感覚が研ぎすまされて行くようですね。私も海外生活が長かったので、皮膚の色の違いとか異文化との出会いによる内外からの視線に敏感になった経験があります。ドイツでずっと生活してきた中で、戦争中にナチズムなどの歴史の闇を背負った国ですし、そこでの異邦人の生活という意味での境界線を感じるとか、あるいはドイツと日本は同じ敗戦国なので近い部分があるとか、ドイツで活動していくことで、塩田さんの作品に大きな影響を与えている要素はあるのでしょうか。
塩田:私の場合ドイツで生活したいという欲求が元々あったわけではなく、名前は間違えたけれども、マグダレーナ・アバカノヴィッチに学びたいという理由でポーランドではなく、たまたまドイツでの生活が始まり、その後13年間も異文化で暮らしてきました。ドイツにいると日本では見えなかった自分がもっと見えてくるような気がするのです。たとえば塩水をお皿の上においていると、蒸発して塩だけが残ってくる。塩水では、見えなかったその塩が見え今度は結晶になっていく。日本にいる時は自分は個としては見えてこなかった。水の中で自分がどういう存在なのか、何をやりたいのか、何が必要なのかがわかりにくかったのがドイツに来て個となり結晶となり、初めて見えて来たように思います。そんなことを考えると作家としてドイツで制作することは私にとってはとてもやり易いことでした。
岡部:塩田さんの作品の中にある一種の浄化作用はドイツの人にとっては有り難いというか、日本人とは違って、より直接的に感じる面があるのではないでしょうか。もちろん観客の反応はさまざまだし、なかなか解りにくいものですが。
塩田:ベルリンはアーティストや外国人がたくさん住んでいる街なので観客もドイツ人だけではないという面がありますが、表面的に着飾ることを好まないベルリン人には、私の作品は入りやすいのかもしれませんね。
岡部:窓枠の話に戻りますと、金沢21世紀美術館で開催されている『愛についての100の物語』という展覧会に展示されている1000枚の窓枠を使ったインスタレーション作品を購入し、今も展示しているんですね。それ以外の残りの200個の枠は、現在新国立劇場の小劇場で、今週から岡田利規さんという劇団チェルフィッシュのリーダーの方ですけど、彼の演出で『タトゥー』という演劇が始まり、そこの舞台美術に使用されていると伺いました。その展示がほぼ終わったところだそうですが、日本での舞台美術は初めてだと思いますが、いかがでしたか。
『記憶の部屋』インスタレーション 2008-09年 金沢21世紀美術館(金沢)photo: Sunhi Mang
塩田:岡田さんから舞台美術の話がきたのは2007年の12月でした。岡田さんが横浜の県民ホールで私の個展をご覧になり、この新国立劇場での『タトゥー』の仕事が入ってきました。 彼は私と同世代ということもあって共感できる部分も多く、仕事��やりやすく楽しくやらしていただいています。今回の『タトゥー』の脚本の原作者はディア・ローラーというドイツ人で、しかもベルリンに住んでいます。その共通点も面白いですが、内容は重く暗いストリーで近親相姦の話です。家族を守ろうとすればするほど家族が壊れていく話、家族以外のよそ者をいれたくないがために娘と肉体関係を持つ父親。台本にはリズムがあり最後までそのリズムに合わせて読みきってしまうのですが、チェルフィッチュの岡田さんが演出家になるとそうは行かないのです。舞台の台本読みの段階から、参加させていただいたのですが、役者にとにかく「演技するな、言葉にたよるな」、「持っているものがあるから、その言葉の含みを考えてほしい」というようなことを言います。最初は彼の言うことが私もわからなかったのですけど、だんだん舞台が作られていくときに、彼の世界がわかり始め、本当に最低限度のマテリアルで演じようとこの舞台をつくりあげようとしているのだとわかった時には感動しました。演劇は演じれば演じるほど嘘っぽくなり、かえって観客との距離がでてきてしまう。つくりもののお芝居で、できる限り本物に近づくことでリアリティーに迫ろうとする。 今回の舞台で窓枠を家の形に空中につってみました。岡田さんの作品のなかで、よく身体と言葉のズレがテーマに出てくるのですが、それは、たとえば私が今こうして話している言葉と手の動きには全く関係ないことがある。それをあえて舞台の上で動作と言葉を合わせて演じることによって故意に垣間見せてしまう。あえて身体と言葉をずらしたまま自然に演技をする。 私の作品は不在の中の存在感を特にテーマにしているので、役者という存在がいると不在になりえないわけなのです。そこでどのようしてこの舞台美術を完成しようかと悩みました。悩みながら、彼がやっている言葉と演技のズレは、私が作品を作る上でもとても重要な要素なのだと気が付いたのです。今回の「椿会」展の作品で、ミシンを糸で巻いて空間を編んでいく行為もその中心部分をずらしながら線を空気に描く行為そのものなのです。 岡田さんと私の仕事は両極端に見えながらも、求めていることは、実は同じなのではないかと思えてきました。
05 岡田利規の演出による『タトゥー』の舞台美術
『Tattoo』の為の舞台美術 2009年 新国立劇場(東京) photo: Sunhi Mang
岡部:岡田さんのチェルフィッシュの劇団の『フリータイム』という作品を六本木で一度観た事があり、そのあと彼の小説なども読ませて頂いていて非常に才能豊かな面白い人だなと思っています。実際に彼らのパフォーマンスを観ていると、ごく普通に出来てしまった、という感じに見えるんですね。現代人が抱えている不条理感が自然に出ている気がする。でもきっとあそこまで出来るには彼の中に何かとてもストイックなルールがあるのではないかとも思っていました。実際に一緒に仕事をされた塩田さんにお聞きしたら、やはりそういった面があるようですね。塩田さんが話されたズレの間には不在感がありますし。彼を面白いと思える要素には空間や時間の不在感があり、そこに疎外感も感じられて、それは塩田さんにも通じるなと私は思っていました。
塩田:仕事をしていて思ったんですけど、彼の作品は螺旋階段の周りを登ったり降りたりしている作品だと思いました。真ん中に自分が表現したい真実という中心があり、その周りを行ったり来たりしているのです。登ったり降りたり何度も繰り返しながら確実に真実に近づいていく。しかもズレながら。私は美術でそれを表現しようとしていますが、結局のところ、美術も演劇も音楽も文学も、表現方法は違っても求める世界は一緒なのですね。
岡部:彼も現在、既存の舞台言語を0にするところから出発している感じがします。今まで学んで来たことを一度はまず捨てて表現しなさいと言うんだけど、これはなかなか難しい。みんな普通は一度構築したものにまたさらに新しいものを重ねようとやっていきますから、いきなりそれを全部壊すのは怖いしできない。塩田さんの作品を見ていて、素材に対して一つひとつ丁寧に新たな造形言語を作っていく手法が彼とは逆でもかなり近いと感じますね。
塩田:マテリアルについては、できるだけ作ったり虚飾したくないですね。窓も本物でなければいけない。30年間も分断されていた東西のベルリンを眺めて来た窓枠じゃなければ意味が無い。たんなる新しい窓枠ならいくらでも作れるし、それならわざわざ工事現場を一日20件も回らずに済む。靴に関しても同じ事が言えます。新しく大量に靴を買って展示するのでは意味がないのです。その人が使っていたもので、その人の存在が見えないのだけれど、見えてくる素材に惹かれるのです。何かを作ること、表現することを職業としている中で、一番できないのがわざと作ったり着飾ったり、そういう仕事をしていると嘘を付いているような気がして、またそういう作品を見ると嘘をつかれたような気がして面白くない。そこもまた岡田さんと共通する部分だと思います。また今回の『タトゥー』の原作者、ディア・ローラーさんも言語にはとても厳しく表現を最小限に託して戯曲を書く人で、戯曲家という全く違う分野で活動する方なのに、どうしてみんな、作品の作り方がこんなに似ているんだろうと思いました。
岡部:塩田さんの作品にも、根源的なものを突き止める姿勢を感じるのですが、焼いたピアノを使う作品もあり、自然の中の四大元素、つまり火・水・土、そして空気、この4つの元素がご自分の作品では、ある種の根源となっている気がしているんですけど、どうでしょうか。
塩田:自分自身ではあまり思ったことはないんですが、芸術の核になるものと宇宙のからくりは似ているかも知れません。突き詰めていくと、その4つの元素が残るのかも知れないですね。
岡部:それと私が感じることは、人が使った物でなければ作品の素材にならないのは、人と人とのコミュニケーションではないでしょうか。靴もベッドも人が生きてきた跡があり、それがご自分の記憶と造形世界とコミュニケーションをもちつつフォルムを形づける。制作する場所との対話がフォルムを生みだすケースが多いとは思うんですが、そういった世界が観る者にも根源的な問題を喚起させるのだと思います。いわゆる現代アートには既存の文脈を脱構築することで進展して来たものが多いのですが、塩田さんの作品はそうした文脈などを全然知らなくても、何か響くものを感じることが出来る。そうした意味では、アートの文脈や流行や傾向などを、塩田さんはあまり気にされていないように感じるのですが、そのへんはどうでしょうか。
塩田:その時のブームを取り扱った展覧会に招待されることはよくありますが、そのときのブームに合わせて作品を作ろうと思ったことはありませんね。ドイツに住んでいる日本人は珍しいのでその背景からグローバリズムの展覧会に誘われることが時々あります。 招待されるとどうしても日本人ということが背景にある時は、作品が作りにくい。結局、グローバリズムを意図した展覧会のほとんどはナショナリズム的なことを求めてくる展覧会が多いような気がします。私であるから招待されたのか、ベルリンに住む日本人だから招待されたのかは、作品を作るものにとっては大きな疑問です。でもそれも海外に住んで初めてわかったことですが。
岡部:私の方からの質問は以上です。ありがとうございました。
(文字起こしと編集:青田真由子)
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024/12/26 20:00:33現在のニュース
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選挙
そらもう、れいわ新選組しか無いから、入れた🙂✨
そんでまあ、驚いた事。
大田区、参議院、れいわ候補者いないw🤣
うーん、わかるわw🤣🤣🤣
区を上げて、創価学会帝国やもんw🤣
ま、しょうがないのかも。
私は流れもんやし、まだ20年くらいじゃ、なかなか大田区を知ったとは言い難い。
だってさ、私が19歳の頃、まだまだ六郷のおどろおどろしさ、被差別部落の恐ろしさ、ありありと存在してた。
今でこそ、雑色なんかは、ちょっとしたおしゃれな街って感じだが、そういう歴史はある。
まあ、彼らにしたら、創価学会が親みたいなもんだから、何があろうと、従うんだろうし、それ以外は敵対視する…
これから先、池田大作みたいなのは出て来ないだろう。
頭を失ったネズミ講団体が、どのように形を維持するか?
どうやったって、正式な日蓮宗の方がまともで説得力もあるし、プリンターで印刷した原価30円くらいのお札を、5千円だので売るセコい詐欺だけで、教団は維持出来ないだろう。
あらゆる事が、元の鞘に戻る事を、願う。
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豊島 心桜は、日本の女優、グラビアアイドル。新潟県五泉市出身。アービング所属。 ウィキペディア
生まれ: 2003年9月25日 (年齢 21歳), 新潟県 五泉市
身長: 167 cm
事務所: アービング
活動期間: 2018年 - 現在
職業: 女優、グラビアアイドル
スリーサイズはB82-W62-H88。かつては洋服を購入する際に胸が入らずあきらめるなど、巨乳がコンプレックスで知らず知らずのうちに隠そうと猫背になっていた。また、SNSに写真を公開する際にはボディーラインが出る服を着ない、横向きのものは加工ツールで小さくするなど、胸を目立たなくなるよう逆加工していた。かつては削ぎ落としたいとまで思い詰めており、これを活かせるグラビアの仕事をしていなかったら確実に要らないと思っていたという。なお、巨乳については祖母や叔母に似たと自己分析している。
高校時代より『週刊プレイボーイ』からグラビアのオファーがあったが、上記の理由で抵抗感や恐怖感を持っていたために断っており、高校卒業後にオファーを受諾した。母と祖母は最初のオファー時点で乗り気だったうえ、2歳下の弟の彼女も応援してくれており、『メジャー感』を購入したことを弟経由で連絡してきたという。なお、祖母はグラビア開始以前に(ドラマやバラエティなどの)出演作品をすべてチェックしており、厳しいアドバイスもくれていたという。また、同デジタル写真集の表紙は『君が獣になる前に』のプロデューサーの目に止まり、それを見せてもらった監督も快諾した結果、千田ミヤコ役への起用につながったという。
高校2年時に校則で禁じられていなかったからとUber Eatsを呼んで学校に激怒された結果、3年時の生徒手帳には「デリバリー禁止」が追記された。また、水泳の授業については「朝から塩素の入った水で髪を濡らしたくない」との思いから体調不良と偽って一度も出なかったため、入学時に購入したスクール水着はタグ付きのままで実家に眠っている。当時はオンライン授業ばかりになるなどのコロナ禍にあり、修学旅行については駄目になった海外の代わりである沖縄へ荷物を送ったが、生徒に新型コロナウイルス感染者が出たことから沖縄も駄目になり、1週間後に荷物が返ってきた。さらには、大阪へ変更された時点で緊急事態宣言が出されたため、すべて中止になってしまったという。
スカウトされて仕事を始める前は社長かキャリアウーマンになりたいと思っていたが、20歳になった後は心境に変化が生まれており、タレントとしてこのスタイルが活かせるかもしれないと思うようになったほか、グラビア撮影の際にスタッフからスタイルを褒めてもらった結果、やっても良かったとの旨を述べている。初披露後の反響は凄く、もっと早くからグラビアを始めていれば良かったとの旨で後悔を滲ませている。
『週刊プレイボーイ』2023年47・48合併号にてグラビアを初披露する際にビキニを着用したが、これは1歳半の時にキティちゃんのビキニを着用した時以来のことだった。なお、初披露に際しての予習では頓知気さきなのグラビアを良いと思っていたところ、掲載号の表紙を彼女が担当していたため、思わずテンションが上がってしまったという。また、通常の『週刊プレイボーイ』を見ておこうと思っていたが、増刊『週プレPREMIUM 2023上半期グラビア傑作選』に多数のグラビアアイドルが掲載されているのを見てこちらを先に買い、後から通常の『週刊プレイボーイ』や何冊もの写真集も買って予習したという。
特技は幼稚園年中から中学3年末まで10年ほど続けたクラシックバレエ。ただし、2019年7月時点で身体は固まって久しく、ストレッチ時に頑張れば開脚ができる程度との旨を明かしている。
月に2回は猫カフェへ通うほどの猫好きであるが、上京後は猫アレルギーになってしまい、猫と触れ合う際にはマスクを着用している。
好物にラーメンや麻辣湯(中国語版)を挙げており、前者は週1回、後者は週2回食べている。一方、シイタケが苦手だったが20歳になった後は食べられるようになったという。
マネージャーはかつて小池栄子を担当していたことからも、豊島には「グラビアもおしゃべりもお芝居もできるようになりなさい」と指示しているという。
本名でもある「豊島心桜」のうち名前の「心桜」は、祖父が好きだったドラマに「桜」の名を持つ人がいたことからその漢字を使いたく、「こころ」か「さくら」にしたいという願望を同時に叶えたものである。
酒については、飲み始めた当時はビールや梅酒のソーダ割りなら飲めるかなという程度だったが、その後は担当編集者と飲みに行かせてもらった際に同じペースで飲んでも自身はまったく顔に出なくなったという[8]。ただ、酒よりもコーラの方が(20歳になる前と変わらず)好きであるという。
2歳時に中山競馬場へ親戚のおじさんに連れて行ってもらったことをきっかけに、競馬好きとなった。当時は遊具場にて遊んでいてレースは見ていなかったが、新聞と赤ペンを持って大騒ぎするおじさんのディープな姿に抵抗はなく自然と惹かれていき、馬券を買えるようになった後の2024年2月24日には同競馬場にて馬券師デビューを飾ったという。
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台風で仕事が休みになりそうなので暇つぶしに。3年くらい前に日本の半導体産業の近況をまとめたのですが、ここ数年で政治家の先生たちが何かに目覚めたらしく状況が大きく変わりつつあるので各社の状況をアップデート。前回の記事 https://anond.hatelabo.jp/20200813115920先端ロジック半導体■ JASM (TSMC日本法人)熊本工場:28nm, 22nm (工場稼働時) / 16nm, 12nm (将来計画)日本政府の補助金とソニー・デンソーの出資という離れ業により、業界人が誰も信じていなかったTSMCの工場進出が実現した。現在は建屋の建設が進んでおり、順調にいけば2024年内には量産開始となる。生産が予定されているプロセスはいずれも世界最先端に比べると古いものだが日本では最先端であり、HKMG(ハイケーメタルゲート、トランジスタの性能を上げる技術)やFinFET(フィンフェット、性能の良い3次元トランジスタ)といった技術が新たに導入される。工場で生産される半導体の主なクライアントは出資者のソニー。衰退の激しい日本の電機業界だが、ソニーはまだ世界と戦う余力を残しており年間半導体購入金額世界10位で日本トップである。ただし、PS3のCell Processorを長崎で作っていたように先端プロセッサをここで作れるわけではない。PS5のCPUはTSMCの6nmプロセス製造であり、この工場では製造できないのだ。識者の予測ではイメージセンサー向けロジック半導体を生産すると想定されている。■ Rapidus (ラピダス)千歳工場:2nm日本政府の国策で、IBMから技術を導入し自前で最先端の半導体製造を狙う野心的���プロジェクト。量産開始は2027年を予定。社長を務めるのは御年70歳になる小池氏。彼は日立→トレセンティテクノロジーズ(ルネサスの那珂工場の前身)→SANDISK→Western Digitalという国内外の半導体メーカーを渡り歩いた華麗な経歴の持ち主である。以前に社長を務めていたトレセンティテクノロジーズは2000年に日立と台湾の大手ファウンドリUMCとの合弁の半導体製造会社で、世界に先駆け現在の標準となる300mmウェハに対応した先進的な工場であった。ファウンドリ全盛の今から後知恵で見れば、限りなく正解に近い経営戦略と先進性を併せ持っていたがビジネスとしては成功しなかった。工場はルネサスに吸収され、小池氏はSANDISKへと移籍することに。そんなわけで今回の国策ファウンドリRapidusの社長就任は小池氏の二十数年越しのリベンジマッチでもある。なお、氏のポエミーなプレゼンは業界でも有名。記者会見で日本半導体衰退の原因を「驕り」と一刀両断した一枚のパワポが話題をさらったが、本人が一番驕っているのではと不安がる声もある。■ ルネサスエレクトロニクス那珂工場:40nm日立・三菱電機・NECのロジック半導体部門が統合した日本を代表する半導体メーカー。5万人いた従業員を1/3にする大リストラ、先端プロセス製造からの撤退、海外メーカーの買収ラッシュを経て復活。そして大躍進。昨年の売り上げは1兆5千億円を超え、はじめて統合直後の売り上げ(ピークは2011年3月期の1兆1千億)を抜いた。もう1+1+1=1とは言わせない。旺盛な車載半導体需要にこたえるべく、政府の補助金を得てリストラで閉鎖した甲府工場の再稼働を決定。コロナ禍では働き方が柔軟になり、リモートワークは全国どこでもできるようになった。ルネサスは開発拠点も大リストラで統廃合しており、三菱系の伊丹やNEC系の玉川をはじめ全国にあった設計拠点を日立系の小平に集約している。地元の拠点が閉鎖されて単身赴任をしている人も多かったのだが、最近ではリモートワークを活用して単身赴任先のマンションを引き払った人も出てきている模様。■ ユナイテッドセミコンダクタージャパン三重工場:40nm増大する車載半導体需要にこたえるべく、デンソーが出資してパワー半導体のIGBTの生産を始めた。筆者はパワー半導体は専門外で、家電芸人が語る家電の説明程度にしか話せないため軽く紹介するにとどめたい。■ タワーパートナーズセミコンダクター魚津工場:45nm半導体部門を手放したがっていたPanasonicがイスラエル企業のTower Semiconductorと共同で運営していた工場。Panasonicが台湾Nuvoton technologyに持ち分株式を売却したため、現在ではイスラエル・台湾共同運営という珍しい業態になっている。さらに、半導体最大手のIntelがTower Semiconductorの買収を進めているため、将来的にはIntelの拠点となる可能性があり、日本でIntelのCPUが作られる世界線もあるかもしれない。が、本案件は米中対立のあおりで中国での買収審査が長引いているため、先行きには不透明感が漂う。メモリ半導体■ キオクシア四日市工場 / 北上工場:3D NAND 162層日本を代表するメモリ半導体メーカー。前回からの3年で、積層数は96層 → 112層 → 162層と2世代進化した。競合他社は232層品の量産も始めている(キオクシアは開発完了 / 本格量産前)が、最近の3D NANDは闇雲に積層数を増やせば低コストで作れるというわけでもない模様。なお世間では半導体不足のニュースの印象が強く、半導体はもうかっているとの��識があると思うがコロナ禍でのIT投資ブームが終了したメモリ業界はリーマンショック以来の大不況である。キオクシアも例外ではなく、最新の4半期決算で1000億円単位の赤字を計上してしまった。Western Digitalとの統合のうわさがあるが、もちろん筆者は何も知らないし、仮に知っていても絶対にここには書けない。■ Micron Memory Japan (旧エルピーダメモリ)広島工場:DRAM 1βnm世代ルネサスと同じく、NEC、日立、三菱電機のDRAM事業統合で生まれたエルピーダメモリを倒産後に米Micronが買収。前にも書いたが、DRAM業界はプロセスのサバ読みが横行しており、20nmを切ったあたりから具体的な数字ではなく1X, 1Y, 1Z, 1αときて、ついに1βnm世代の量産にたどり着いた。広島サミットに合わせて、社長が来日。岸田総理と会談後大々的な設備投資を発表。1γnm世代を目指して日本初の量産用EUV露光装置が導入されることが決まった。このEUVというのは波長が13.5nmの極超紫外線(Extreme Ultra Violet)を使った露光装置で1台200~300億かかる人類史上最も高価で精密な工作機械でありオランダのASML社が独占的に製造している。もっとも、メモリ業界の大不況を食らっているのはMicronも例外ではなく、岸田総理と華々しく会談している裏で数百人規模のリストラを慣行。こういう外面の良さと裏でやってることのえげつなさの二面性は、いかにも外資だなと思う。■ Western Digital東芝と共同でフラッシュメモリの開発を行っていたSANDISKをHDD大手Western Digitalが買収。キオクシアの四日市工場と北上工場を共同で運営している。Western Digitalはメモリコントローラーを内製していることで知られSSDの性能の良さに定評があり、スマートフォン向けの売り上げが多いキオクシアとは、同じ工場を運営していても得意としている販売先が微妙に異なり、住み分けがなされている。(そのため、2社統合によるシナジー効果が期���されたびたび観測気球的な記事が出回る。)なお、もともと日系半導体メーカーが大リストラをしていた時の人材の受け皿として中途をたくさん採用していた経緯もあり、人材の流動性は高い。在籍時の仕事ぶりがよければ、他社へ転職していった元社員の出戻りも歓迎と聞く。前述のRapidus社長の小池氏は、つい先日までここの社長をしていた。余談だが、上記Micronの米国本社の社長も旧SANDISKの創業者でWestern Digitalによる買収後に引き抜かれている。こういう話を聞くと、いかにも外資だなと思う。イメージセンサー■ ソニーセミコンダクターソリューションズグループイメージセンサーで世界最大のシェアを誇るソニーの半導体部門。2020年、2021年は米中対立のあおりを受けて主要顧客のHuawei向けの出荷減少に苦しんだが、2022年度は大幅に売り上げを伸ばし、1兆4千億円となった。他の半導体の例にもれずイメージセンサーも国際競争が過酷であるため、対抗して人員増強を進めている。Panasonic系エンジニアを引き抜くために関西に設計拠点を開設し、各地の工場の拡張も並行して進めている。調子のいい半導体メーカーはどこも人員増強を進めているが、ここ10年ほどは理工系の学生の半導体業界人気がどん底、かつ人材ニーズも少なかっため、新卒で半導体メーカーに就職した絶対数が致命的に少なく30~40歳くらいの中堅技術者の確保にどこも苦労している模様。なお、スマートフォン向けカメラの次の飯の種として、車載用途に数年前から注力開始。最近徐々に成果が出始めている。ファブレス半導体■ ソシオネクスト富士通とPanasonicのLSI設計部門が統合してできた日本最大のファブレス半導体メーカー。昨今の半導体ブームの波に乗り、株式上場、売り上げ2000億突破と非常に好調。3年前は1000億程度の売り上げだったので、すさまじい成長である。もっとも、母体となった富士通・Panasonicはピーク時の半導体売上が1社で5000億近くあったので、少々物足りなさを感じなくもない。復活は道半ばである。■ メガチップスソシオネクストが誕生するまで日本最大のファブレス半導体メーカーだった。もともと任天堂向けの売り上げが大半だったのだが近年は多角化を進めている。昨年の売り上げは約700億とSwitch人気がピークだった時と比べるとやや劣るが営業利益は過去最高を記録している。■ ザインエレクトロニクスかつては日本を代表するファブレス半導体メーカーと言えばここだった。昨年の売上高は54億と、3年前紹介したときの30億から伸びたものの、ファブレス上位2社からはかなり離されてしまっている。大昔は韓国のサムスン電子に自社製品が採用されたのがウリで創業者の武勇伝にも頻繁に登場していたが、今では売り上げの75%を国内に依存しており海外展開の出遅れが否めない。非先端ロジック・マイコン・アナログ・ディスクリートなど■ 東芝車載用途のパワー半導体需要が伸びており、石川県の工場に300mmウェハ対応ラインを建設。この記事でよく出てくる300mmウェハとはシリコンの基板の直径であり、大きい方が製造効率が良い。125mm → 150mm → 200mm → 300mmと順調に大型化が進み次は450mm化と思われたが、大きすぎて弊害が大きく、ここ20年間はずっと300mmが最大サイズである。従来はCPUやメモリといった分野の製造にしか使用されていなかったのだが、ここ5年くらいでパワー半導体にも300mm化の波が押し寄せてきている。■ ローム何かと癖のある京都系メーカー。車載事業が好調で売り上げが順調に伸びている。次世代パワー半導体材料と呼ばれていたSiCで日本国内の他のメーカーをリード。余談だが、筆者は学生のころSiCを実験で扱っていた。単位を落としまくっていた不良学生だったので、教授がワクワクしながら話していたSiCの物性の話はすべて忘れている。今では家電芸人並みのトークしかできないのでSiCについて語ることはご容赦いただきたい。研究から本格量産まで20年超の時間がかかっていることに驚きである。基礎研究の大変さを実感する。■ 三菱電機パワー半導体大手。半導体に力が入っていないシャープから福山工場の敷地を取得し、300mmウェハ対応のラインを構築。SiCのラインも熊本に作るぞ!パワー半導体には詳しくないからこの辺で勘弁な。■ ミライズテクノロジーズ日本の半導体産業が衰退しまくっていたころに、トヨタが危機感を覚えてデンソーとの合弁で設立した車載半導体メーカー。コロナ禍中に行われたオンライン学会に知らない会社の人が出てるなと思って調べたらここだった。■ TI米系のアナログ半導体世界最大手。富士通とAMD合弁のNOR FlashメーカーSpansionから買収した会津若松工場と茨城県の美浦に工場を持つ。最近は日本法人の話をあまり聞かない。■ On semiconductor米系のアナログ半導体大手。三洋電機の半導体部門を買収したが、旧三洋の新潟工場は日本政策投資銀行出資のファンドに売却した。現在の日本拠点は富士通から買収した会津工場。富士通が半導体事業から手を引き工場を切り売りしたため、会津若松市内には米系大手半導体メーカーの工場が立ち並ぶことになった。■ Infineon Technologies (インフィニオン)ドイツの大手電機メーカー、Siemenseが20年ほど前に半導体部門を分社化して誕生した。従来欧州系半導体メーカーは日本での存在感があまりなかったのだが、富士通のマイコン半導体部門を米Spansionが買収、そのSpansionを同じく米Cypressが買収、そのCypressをInfineonが買収した結果、日本市場でも存在感を示すようになった。もともとInfineon自体が車載半導体に力を入れており、有力自動車メーカーがそろう日本市場に注目しているというのもある。■ Nuvoton Technology (ヌヴォトン)台湾の半導体メーカー。半導体から撤退したがっていたPanasonicから、Tower Semiconductorと共同運営している工場と、マイコン設計部門を買収する。Panasonic時代は、自社家電向けの独自マイコンをメインに作っていたのだが、Nuvotonに買収された後はArmベースの汎用マイコンに設計品目が変わった。日本法人は車載やモーター制御向けのマイコン開発に特化させていく方針で台湾の開発チームとは住み分けを図る模様。富士通ほどではないが、Panasonicも半導体部門を切り売りしており、所属していたエンジニアはバラバラになってしまった。研究室が一緒でPanasonicの半導体部門に入社した友人がいたが、彼は今どこに流れ着いているのだろう?
令和05年最新版 日本の半導体産業の現状について
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Improvisation #3
Rhys Butler 山㟁直人 吉濱翔
日時:2024年10月5日 土曜日 開場 17:30 開演 18:00 会場:秋田市文化創造館 2FスタジオB
前売: 2,500円 当日: 3,000円
▶︎▶︎▶︎▶︎前売チケット購入(クレジットカードのみ) 下記リンク(SQUARE)にて10月4日 23:59まで受付します。 https://square.link/u/P5OM5QWc
チケットは発送しません。当日受付にて予約したお名前をお知らせください。 ご来場いただけない場合も払い戻しができませんのでご了承ください。 16歳未満の方は保護者同伴に限り入場無料。
会場住所:秋田県秋田市千秋明徳町3-16 アクセス
会場には駐車場はございません。お近くの有料駐車場または公共交通機関をご利用ください。
イベントでの飲食販売はございません。館内の自動販売機、カフェ・ショップなどをご利用ください。
主催:Keep Cities Wild (よしはま) 問い合わせ:[email protected]
”Keep Cities Wild” は吉濱翔が主催するリトルプレスレーベルです。 カセットテープやCDなどの制作販売、イベント主催をおこなっております。
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出演者:
Rhys Butler(りーす・ばとらー) 主にミュートされたサクソフォンによる質感や音色を探求しながら即興演奏を行う。オーストラリアのキャンベラ在住。同市で毎年開催されるSoundOut FestivalでGuylaine Cosseron、Jim Denley、Jean-Sébastien Marriage、Monica Brooksなどの現代即興演奏家とのコラボレーションを行ってきた。また、来日経験も多く、山㟁直人、津田貴司、江崎將史、古池寿浩、金子泰子、広瀬淳二などの実験音楽家たちと共演し、日本の音楽にさらに触発されている。
山㟁直人 (やまぎし・なおと) ドラム、打楽器奏者。音楽以前の音楽を探求し、日常からの音や流れから生じる“リズム・響き・間”を大きなうねりにのせ、あらゆる空間を音と共に旅をする。2011年渡仏、ヨーロッパでの活動を経て2014年に帰国。ジャンルを問わず様々なアーティストと共演、プロジェクトを継続し、ダンス作品や映像作品などの音楽も手掛けている。2023年4月〜6月、Artist in residence Munich Villa Waldbertaにミュンヘン市文化庁から奨学生として招聘。
吉濱翔(よしはま・しょう) 美術作家、サウンド・アーティスト。サウンドインスタレーション、フィールドレコーディング、カセットテープや日用品などを使った即興演奏など、美術と音楽の間にある表現を行う。2012年にトーキョー・エクスペリメンタル・フェスティバルにて奨励賞受賞。2017年にポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスに滞在。2023年きょうと視覚文化振興財団の支援を受け個展。同年、リスニング・ビエンナーレ・マニラ2023に参加。映画音楽の制作に砂入博史監督『オキナワより愛を込めて』(2023)、奥間勝也監督『骨を掘る男』(2024)などがある。
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「虚無への供物」中井英夫 0061
序章
6鱗光の館
国電の目白駅から大通りを千歳橋(ちとせばし)方角に向うと、右側には学習院、その裏手は、池袋駅を頂点に、逆三角形の広い斜面を形づくっているとあある。
今もその地形は残っているようです。 ただ、橋名板にも千登世橋となっています。 千歳橋は、通称名とかなんでしょうか?
学習院や川村女学院、目白署なんかは、名残がありますね。
戦災を免れたので、まるで迷路のように入り組んでいて、丈高い煉瓦塀が隠し、繁り合った樹木が蔽うという具合だとなっています。 外から見えないというのもこれも、伏線ですかね。
豊島区目白二丁目千六百**番地の氷沼家は、その迷路の中心に当たる部分に建てられているみたいです。 迷路という割には、番地なんですね。
これって、調べたら、もしかして、特定できたりして。 楽しいですね。
蒼司が昭和四年生まれだということがわかります。 亜利夫が、ひとつ上だから昭和三年生まれだということですね。
目白の氷沼家のことが書かれていますが、平凡さをやたら強調している気がします。 広さも、五百坪だといってます。
五百坪だと、東京ドームの30分の1です。 サッカー場だと4分の1くらい、 テニスコートだと6面くらいになります。
相当広いですね。
庭に、楢(なら)、ブナ、櫟(くぬぎ)が植えられ、昼間でも陰気に薄暗いとありますが、 いずれの木も落葉樹だから、この話の時期は、枯れ枝めいた雰囲気であったのではないでしょうか。 多少枯れた感じはしますが、 昼間でも陰気に薄暗いとは、多少ずれている感じがします。
さて、そんな屋敷にバア「アラビク」の翌日、夜に訪ねた亜利夫。 目白の氷沼家の門をようやく探し当てた亜利夫とありますから、やっぱり相当大きな屋敷なんですね。
亜利夫のことが少し書かれています。
日本橋本石町の貿易商社に勤めて、朝夕のラッシュ・アワーにもめげずスポーツ新聞を耽読し昼休みはチョッキの胸をはだけて室町界隈を回遊するサラリーマン生活。
日本橋本石町で検索すると、日本銀行が出てきますね。 日本橋一帯の町々は、東京の商業地の中心だったので、何とか持ちこたえ、戦後につながって見事に復興出来たのでしょう。 それを表すかのように、亜利夫は、日本橋の貿易商社に勤めていることになっています。
その当時も、ラッシュ・アワーはすごかったのでしょう。 それにもめげず、読んだスポーツ新聞。
日刊スポーツやスポーツニッポンが発行されています。 スポーツ報知も発行されているみたいですが、いわゆるスポーツ新聞のようにはなっていないようです。
亜利夫の心配も杞憂で、蒼司は請じ入れます。
蒼司が着ている肌に染みるほどな薩摩絣、今は、高級品ですが、当時はどうっだったのでしょう? 調べてみると、庶民の着物だったと書かれていますね。 比較的、手に入れやすかったのかもしれません。 それを生きに着こなしている蒼司ということなんでしょう。 薩摩絣には、紺地のものと白地のもがるようです。 清潔な白いシャツが覗いていると表現されているので、多分、紺薩摩でしょうね。
まるで、それが明治の書生めいたているという表現も、それに合致するようです。
澄んだ湖を思わせる奥深い瞳の印象も6年前とほとんど変わらない。
亜利夫が25歳、蒼司が24歳だと思うのですが、6年前の高校生の頃と比較しているのでしょうか? 唐突に6年前と出てきている気がしますね。
蒼司が洞爺丸の後落ち込んでいたが、最近では、雪花石膏(アラバスター)の中に灯を点すようだと表現されています。 よく知りませんでしたが、 現代では、アラバスターはパワーストーンと知られているようです。 当時は、勿論いまもですが、ランプとして、しかもかなり高価なランプとして、使われているようです。
その蒼司は、大学院の工学部応用物理科数理工学コースでフローセオリーの矛盾を追求していた。 困りました。 さっぱりわかりません。 まあ、大学院は東大のことでしょうね。 他にもあったかもしれませんが。
「フロー理論」は、「個人が完全に今行っている事に夢中になり、自己意識がない中でも自分をコントロールできている感覚がある状態」と定義されています。
の矛盾を追求してたんです。 うんそうに違いありません。
今までの話を裏付けるように、 戦争中の通年動員という中学時代、 戦後の旧制高校時代、 食糧事情の悪化から休校。 亜利夫は蒼司を見るとはなしにみていたことになります。
���傷が先にたった第一日目の氷沼家の探訪は 亜利夫も反省することになるほど生ぬるい事になります。 とはいえ、元々何をしたらいいかわからずに氷沼家に言ってるわけですから、当然かもしれません。
さて、 久生は、翌日の日曜、1954年12月12日に西荻窪(にしおぎくぼ)の南口に近い壁画荘(へきがそう)に亜利夫を呼び出します。 まだ、起こるともしれない殺人事件に大きなのぞみをかけているようですね。
電話で呼び出したとありますが、家に1台の時代ではないでしょうから、 本当に呼び出したのでしょう。 それとも、電話を引いていたのか?これも、伏線になるかも。
亜利夫は、月の話から入りますね。 しかも、屋根が蛇の鱗みたいに青くかがやいて、まるで墓場へでもいったみたい。 古い住宅街で氷沼家は、没落華族の旧家のように苔むした塀をめぐらして、云々。
いくら報告することがないからといって、流石にこれは、関係ない話だと思いますね。
セミダブルのディヴァンにもたれこみ、天井にタバコの煙をあげながら薄目になって聞いていた久生が、 「つまり高い塀があるってことでしょう」と、ホームズの口真似で一蹴します。 もう少しいたわってもいいような。
ディヴァンはソファの一種で、もともとは背もたれやひじ掛けがないもので、少し高くなった床に置かれたマットレスだそうです。 多分、ベッドの変わりにもなるのでしょう。
亜利夫の話は、まだ続きます。 門の脇に電話の番号札が光っていたので、氷沼家とわかったとありますが、 電話番号が家の外に堂々と掲げたあったのなんて、今からは想像つきません。 まあ、たしかに、田舎に行くと、玄関の上なんかに、誰が住んでるとか電話番号なんかが書いてあるのを見かけたことはありますけど。
ここで、久生が、クズみたいな話をしててもしょうがないと、 亜利夫の話を遮って、亜利夫に説教します。
「ワトソン役(亜利夫のことですね)に覚えておいてもらいたい。 殺人事件で、最初に蛇神の呪いなんてことが出てきたらそれは必ず反対にどこか身近なところに犯人がいて合理的な方法の殺人を企んでいる証拠だと」
って、これをいうかって感じです。 これが推理小説なら、まさにそんな感じになるのですから。 それを頭から否定されたら、これから一体何を読まされるのでしょうか?
しかも、亜利夫はちょっとかわいそうですね。 苦笑いしながら 「まだワトソン役を引き受けるとはいってない。 事件が起きてないのに探偵だけがしゃしゃり出るのはおかしい。」 と、精一杯の反発です。
それに久生が 「殺人を期待しているわけじゃない。 20年も前のモードなら、犯人が好きなだけ殺人をして、やおら神の如き名推理を働かす。」 と、言ってます。
この話は、昭和29年の話ですから、 指摘された小説は、昭和初期の小説でしょう。 小栗虫太郎(おぐり・むしたろう) 大下宇陀児(おおした・うだる) 久生十蘭(ひさお・じゅうらん) あたりを思いつきますけど、 個人的には、横溝正史あたりが一番しっくりきます。 ただ、横溝正史はやっぱ戦後の作家なんですよね。
実際に書かれたのが、昭和40年以降だとすると考えると、案外、しっくりくるかもしれません。
「私のような良心的な探偵はとても殺人まで待ってられない。 事件のおこる前に殺人が行われたはずだと、未来の犯人と被害者その方法と動機までくわしく指摘する」
と、久生は言い放ちます。 だから、ワトスン役の亜利夫の話が大事なのだと。
まあ、たしかに犯罪が起きなければそれに越したことはありませんが、それなら、この小説は成り立つの? まあ、全く逆なんだろうということは薄々わかりますけどね。
ちなみに “白の女王”というのが出てきますが、 ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の白の女王がすぐに見つかります。
「他人を喜ばせる人生など送らなくていい。云々」
犯人が罪を侵せば、探偵の久生を楽しませることになるとでもいうことでしょうか? 久生の謎解きが始まるんでしょうね。
つづく
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2024年7月19日に発売予定の翻訳書
7月19日(金)には17点の翻訳書が発売予定です。
シッゲのおうちはどこ?
スティーナ・ヴィルセン/作 セーブ・ザ・チルドレン・スウェーデン/作 きただいえりこ/翻訳
子どもの未来社
FRIENDSHIP(フレンドシップ) 友情のためにすることは体にも心にもいい
マリサ・G・フランコ/著 松丸さとみ/翻訳
日経BP
生きるための最高の知恵:ビジョナリーが未来に伝えたい500の言葉
ケヴィン・ケリー/著 池村千秋/翻訳 服部桂/解説
日経BP
データスチュワードシップ データマネジメント&ガバナンスの実践ガイド
David Plotkin/著 Metafindコンサルティング株式会社/翻訳
日経BP
データマネジメント知識体系ガイド 第二版 改定新版
DAMA Internationa/著・編集 DAMA 日本支部 Metafind コンサルティング株式会社/監修・翻訳
日経BP
平和の種をまく
ヘンリ・ナウエン/著 渡辺順子/翻訳 徳田信/解説
日本キリスト教団出版局
虫・全史 1000京匹の誕生、進化、繁栄、未来
スティーブ・ニコルズ/著 熊谷玲美/翻訳 丸山宗利/監修
日経ナショナルジオグラフィック社
ほんとうの自分
ミラン・クンデラ/著 西永良成/翻訳
集英社
気のつよいちいさな女とわるいかいぞくのはなし
ジョイ・カウリー/著 当麻ゆか/翻訳 佐竹美保/絵
徳間書店
THE FOREVER DOG 犬は30歳まで生きられる
ロドニー・ハビブ/著 カレン・ショー・ベッカー/著 松丸さとみ/翻訳 山下翠/翻訳
自由国民社
絵本ピーターラビット全巻収納BOX付きセット(全23巻)
ビアトリクス・ポター/著 川上未映子/翻訳
早川書房
風に散る煙 上
ピーター・トレメイン/著 田村美佐子/翻訳
東京創元社
風に散る煙 下
ピーター・トレメイン/著 田村美佐子/翻訳
東京創元社
小説のように
アリス・マンロー/著 小竹由美子/翻訳
東京創元社
ガスライティングという支配 : 関係性におけるトラウマとその回復
アメリア・ケリー/著 野坂祐子/翻訳
日本評論社
ガチョウの本
イーユン・リー/著 篠森ゆりこ/翻訳
河出書房新社
ネットワークパワー日本の台頭 : 「失われた30年」論を超えて
ミレヤ・ソリース/著 上原裕美子/翻訳
日経BPマーケティング
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