#次回は真夏に海の側で踊るよ
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mag 2023.6.5
今回は『売り言葉 』 にはじめて挑まれる女優さんにもコラムいただきました
新まおりさん [A]に出演
皆様はじめまして。新まおりと申します。 はじめましての方に優しくないこの苗字、読み方はアタラシです。ぜひお見知りおきを。
さて、先日外輪さんから「WEBマガジン用になにか書いてくれないか」と頼まれました。もー!そういうことは早めに言ってほしいですね。
私は書くことが得意ではありません。ただでさえ莫大なエネルギーと時間を消耗するのに、テーマ探しからとなると、それはもう気が遠くなるような大仕事なのです。
今回がevkk初参加ですので、自己紹介でも書こうかと思ってやめにしました。なぜなら、私は自己紹介も得意ではないから!(じゃあ何が得意なの?なんて聞かないでくださいね。)
自分でも自分をよく分かっていないというのに、何を紹介しろというのでしょう。元気よく紹介できるのはせいぜい名前くらいなもんで、そんなもの最初の一行でとうに済ませてしまいました。そもそも、これから芝居を観ようという方々に "新まおり" の��身を知ってもらう必要なんて無いのかもしれません。
自分では不思議なのですが、今の私は30代にも、20代にも、ときには10代にも見られる事があります。(10代の頃は頻繁に30代と間違われていました。よくも勝手に私の20代をうばったな!)
そして、しばらく一緒に過ごしてみると「話が大人だよね」だとか「話すと子どもだよね」とかって言われるのです。
これは一体どういうことなのでしょうか。決して相手や状況に応じて、私が巧みに演じ分けているわけではありませんよ。(それができたら役者に苦労していませんから)
私はずーっと私のままです。私は全然変わっていないのに、違って見えるらしいのです。
「そうか。出逢った人の数だけ "まおり" が存在しているんだ。」
その事に気がついてからというもの、私はできる限り自己の紹介はしないようにしています。
とはいえ、当然 "私が思う私" も存在しているわけで。
外輪さんは私と出逢ってからの一年間、ことごとく "新まおり" を勘違いしておられました。後から「思ってたのと違う!」とクレームをつけられても困るので、外輪さんのイメージする私像を訂正、訂正、訂正…。その都度訂正を重ねてきました。しかし、それはそれで "外輪さんから見た新まおり" という一種の正解だったんですよね。
必死に訂正してきたことを、お詫びして訂正いたします。
人にも自分にもウソはつきたくないけれど、「相手が描いている人物像を崩さない」ための努力はある程度必要かも、と思えてきました。 それはすなわち「相手のニーズに応える」ということでもあります。ある程度どころか必須のスキル。仕事の一環。社会の一員として果たすべき責任。
私も社会の一員として、そして何より役者として、その責任を全うすべきです。少なくとも『売り言葉』が無事に終演するまでの間、私は外輪さんの思う "新まおり" でいなければなりません。
そう書いて私は、なんだか心配になってきました。イヤな予感がしませんか。(何のこと?と思われた方はぜひ劇場へ)大変なことになる前に、やっぱり訂正しておくことにします。
皆さん、そして特に外輪さんへ 私はあなたの考えているような人間ではありませんからね!たぶん!
《追伸》 はじめて通し稽古をしたときの動画が送られてきました。自分の姿を客観的に見られるので、とても有り難いです。
そして、それは私の宝モノになりました。
通し稽古の様子が、ではありません。その動画には少しだけ続きがあって、ほんの数十秒しかない続きの部分が、です。
収められていたのは、通し終わりの空っぽになった舞台。張り詰めていた空気が一瞬にしてフッと緩み、そこにいた全員が��声を上げながら笑っていました。確認できるのは声のみですが、皆がどんな顔で笑っていたのか私には想像できます。きっと子どもみたいな顔をしていたに違いありません。
あんまり楽しそうに皆が笑っているもんで、夜な夜なひとりでその動画を見ながら「なんかもう、この瞬間さえあれば人って生きていけるよなあ」と涙を流してしまうほどでした。
と、そこへチラッと私の姿が写り込みました。それはそれは楽しそうに全身を駆使して笑っています。
あれ?おかしいな。動画の中の私は間違いなく、外輪さんがおっしゃる "新まおり" に見えました。私を勘違いしていたのは私自身なのか!?
やっぱり、それぞれの考え方に「ぶっぶー。間違い」なんてものはなくて、全てが「それはそれで正解」なのだと思います。
芝居だって例外ではありません。観る人の数だけ正解が存在します。もっと言えば、観る人が同じでも、観る回数やタイミングによってそれぞれ別の正解が生まれるかもしれません。
そういうわけで、ぜひとも沢山の方々に観ていただきたいのです。難しいことは抜きにして、ね。それも一度と言わず、二度三度と観てくださっていいんですよ!
そうして生まれた沢山の、それぞれの『売り言葉』が、皆様の中にほんの少しでも存在してくれるなら本望です。
それでは、劇場でお会いしましょう。
新まおり扱い 予約窓口はこちら
中���桜さん [B]に出演
昨日、白桃パフェをたべた。近所、というには少し歩くけど散歩には丁度良い距離のところにある小さなパーラーで、かなり年季の入った外観と内装だけどもそれが居心地良い。期間限定、と壁に貼られたカラーマッキーの手書き文字につられて何の気なしに頼んだパフェは、オールデイズの有線放送を2曲ほど聴いたところでやってきた。
ことん、と紙ナプキンを敷いた花柄の平皿へグラスが置かれる。運んできてくれたおばあちゃんの手は濡れていて、その皺には桃の果汁や香りや皮の感触が残っているであろうことがしのばれた。ありがとうございます。一礼してスプーンを手に取る。細長いぎんのスプーンは清潔ながら、長年の使用によりできた無数の細かな傷で薄く曇っている。鏡のように自分の顔を映すことはできないが、とにもかくにも、最初のひとさじめに取り掛かった。
カンヅメのモモではなく、きちんと剝きたてで、つるんとした中に柔らかい毛羽立ちが残る生の桃だ。真っ白とは異なり、どこかほんのりと落ち着いたあかるさを宿す色。種に近かったであろう部分はぎゅっと紅く、くちびるにふれる瞬間ほんわりとかぐわしい香りが鼻腔を撫でる。ひんやりした果実はつぐんだ口内でたちまち華やかに溢れるジュースとなって、とろんとした甘味が喉の奥へ流れると共にベールのような繊維と微かな苦みが後を引く。
きらきらプルプルの細かなゼリー、しゃりっと消えていくさっぱりしたシャーベット、そういった適度なコントラストを演出する名脇役たちと、みずみずしい生の桃。潔くプレーンなヨーグルトの海にもごろごろと果肉が入っていて、底のコーンフレークから掘り返すように混ぜつつ食べるとざくざくした感触が何とも小気味よく、素朴でさっぱりした味わいが自然と涼しさを誘う。初夏にぴったりの爽やかなひととき、なかなかどうして素敵な一品だった。
嘘である。
繰り返す、嘘である。嘘です。白桃パフェなんて食べてません。うちの近所にレトロなパーラーは無いし、無論のこと白桃を剥いてくれる感じのいい物静かなおばあちゃん店主なんてのも居ない。あるかそんなもん。今回コラムを書くにあたり外輪さんから「昨日食べた白桃パフェがおいしかった的な雑記の方がいいかもしれません」と��アドバイスを受けて思いついた奇行である。ほんとのところ昨日の私はバイト先で馬車馬の如く働きづめるばかりで、次々に入るパフェだケーキだジュースだの注文に着実な殺意を溜めていた。そう、カフェ勤務の私はどっちかっつーと作る側なのである。その立場からするとパフェってのはマーーージで面倒臭い。手間がかかる!!!コーンフレークはそこらじゅう飛び散るしヨーグルトはすぐ在庫が切れるしアイスクリームは一玉掬うだけで腱鞘炎モノだし、見目の良い盛り付けにも神経が磨り減っていく。果物のコンディションは個体ごとに全然違うし、ましてや桃なんて繊細なモノを扱おうものなら十個用意しても売り物になるのはほんの二三個だろう。ちょっとしたオタノシミの一品、の裏には安時給アルバイターの汗と歯ぎしりと死んだマナコが隠されているのである。
ぶっちゃけついでに加えると、初夏のこの季節、飲食業界は桃だのメロンだのミントだのレモンだの、こぞって爽やかさ・清涼さを美徳として売り出すが、そういう風潮が嫌いだ。桃もメロンもミントもレモンも大好きだけど、「ほどよくさっぱり、あっさり、すっきりしたものがいいよね」なんて感覚を持て囃す人間の空気が嫌だ。
だから某スターバックスが数年前の真夏「スモアフラペチーノ」なるものを発表してくれた時は嬉しかった。スモアというのはアメリカで主流なおやつで、炙ったマシュマロとチョコをクラッカーやビスケットで挟んだなんともヘヴィーで濃ゆいスイーツだ。そのスモアをイメージしたフローズンドリンクである、不味い訳がない。8月の猛暑でもおかまいなしに濃厚なチョコレートソースとこんがり煮詰めたキャラメル、バターのずっしり効いたクランチがざくざく入ったたっぷりの生クリーム、マシュマロ。それは鬱屈とした夏を生き延びる心強い味方だった。
甘すぎる、濃すぎる、重すぎる、そういう「過ぎる」ものが私は好きだ。それぐらいでないと心の奥底までは埋まらない。孤高を気取るつもりはないが、「ほどよい」「ちょうどいい」「さっぱり」という言葉はどうも寂しく感じる。普通の適度は私にとって寂しい。スモアはそんな子供じ��た私の、よく分からない孤独感や不安感を甘やかして満たしてくれる。どろどろに焼け付くように甘い、熱く濃くべたついた甘さと重さ。爽やかさを美徳としなければならない時もあるけれど、それに従うこともあるけれど、私個人はあ��まで過多に、トゥーマッチに、ベタベタなものを愛してる。そういうものが無ければ押し込められて消えてしまいそうに感じる。もし消えてしまえば、第三者は私の不安なんて知らずに、私のあっけない去り際を儚いとか清涼だとか切ないとかコンテンツ化して消費するだろう。だから私は今日もふてぶてしく嘘を書き、傲慢にうそぶく。レモン哀歌調のこの世の中で、スモア讃歌を歌う。
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《サワイのヨモヤマ》
こんにちは!澤井里依です
私事でございますが、今年の4月に13年続いたケーブルテレビの番組『三関王』が最終回を迎えました。
第一回放送から調査員田中としてリポーターを続けてきた番組で、人生で初めてのレギュラー番組でした。はじめてのロケの時はまだ大学生で、右も左もわからないまま現場へ。体当たりの調査が多く、サーカスの空中ブランコに挑戦したり、泳げないのに飛びこみをしたり、奈良公園の真ん中で鹿に追いかけられながら踊ったり、、色々なんでもやらせてもらって、今の私が積み重なってきたなぁ・・・・と感慨深い思いです。
ディレクターさんはじめ、沢山のまわりの大人のスタッフさんたちに育てていただき、最終回まで調査員田中をまっとうする事ができました。13年特別な時間を過ごすごとができたのは応援していただいた皆さまのおかげさまです。本当にありがとうございました。
そんな時に『売り言葉』再演のお話があり、三関王ロスの沼に落ちる事なく創作に打ち込むことができています。
『売り言葉』初演は30歳記念、池袋演劇祭の2回目はなんと自身の結婚式の直前(笑)と・・・・たまたま��すがなんとなく私のライフステー���の大切な時に関わる思い入れのめちゃくちゃ深い作品です。
体当たりのお仕事で鍛えられた性格や、家事・育児・仕事・創作とパンパンで生きてる日常と、これまで2度の『売り言葉』の公演の智恵子と女中を経て・・・・今の私の“今の女中”にたどり着きそうです。 前回観た方も、はじめての方もぜひ、ご期待ください!
[澤井里依扱い 予約フォーム]
《ソトワコラム》外輪能隆
演出を担当していた「きのくにプロジェクト」で、武庫川KCスタジオでの上演が中止になったのが昨年8月。そして捲土重来(?) 劇場の大きさに合わせて二人芝居、ホンはもうまちがいのない『売り言葉』でのぞみます
十代から死ぬまでの数十年を、舞台というリアル3D空間でどう描くのか。最近は映像を使って当時を再現させることも可能になりました。しかし零細劇団であるEVKKではなかなか難しく(例のごとく)ご都合主義的演出で解決を試みます。
時間というのは客観的な指標ですが、主観的にも流れますよね。楽しい時間は短く感じる、というアレです。歳をとると一年が早くなるという実感があります。つまり、時間は人間がコントロールしているものでありながら正確である、ある人にとってはあっという間に過ぎた楽しかった1年と、苦しくてしょうがなく永遠とも感じられた1年は、正確に同期されるのです
この作品では、智恵子の希望にあふれた十代から、絶望のなかで死んでいくまでが描かれますが、その時間の流は智恵子によって早まったり遅くなったり、あるときは大きなうねりとなり、はたまたか細くなったりします。一方で、外から見ている女中は正確に刻んでいるようにみえ、それがある1点で同期します。この同期した1点から、物語がどのように流れていくのか――それがこの演劇の醍醐味でしょう
この「時間の流れ」を今回の会場である武庫川KCスタジオの特徴を生かした、ある仕組みで表現しようと考えています。何といっても零細劇団ですので、何ら大がかりなものでありません。ご覧になって「なんじゃそれ」と思われるやもしれず、では先に言っておけばそう見えるようになるやもしれず、この場で言っておこうと思いました
そんなリクツはともかく、この売り言葉、EVKKの作品の中でうちのオカンが「面白かった」とのたもうた唯一の作品ですので、老若男女問わず楽しんでいただけるとおもいます。ぜひご覧ください
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たくさん書いていただきましたので、公演案内が最後になってしまいました。
EVKK 6月公演『売り言葉』
作 野田秀樹 演出 外輪能隆
日程 6/16(金)~6/18(日) 会場 武庫川KCスタジオ
詳しくはこちらをごらんください
http://www.evkk.net
魅力的な役者さんがいっぱいです。ぜひご覧ください
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2021/7/24
朝、目覚ましより先に目を覚ます。相変わらず遠足が楽しみで早起きしてしまう子どもです。すると雨が降りはじめ、なぬ! と思っていると、すぐに雨は止んで、むしろ陽射しが窓から注いでくる。浮きうきで支度をしていると、Nから連絡が来ている。Tが美容室に行くから午後からにしてほしいと。それならカリー食べられるじゃん、となり、予定通りに家を出る。今日も積雲の多い晴れ。上昇する夏のイマージュ。熱気球や光のきらめきを感化しながら、ふたりに会えるのが楽しみで仕方ない。
オープンと同時にOさんのお店に入る。今日は早いですねって驚かれる。この時間はいつもお客さんが少ないらしく、ほんとうにひとりもお客さんがやってこない。久しぶりに音楽談義に華を咲かせる。一昨日ひさしぶりに聴いたAC/DCが凄いかっこよかったってはなしから、Oさんは意外にもAC/DCの大ファンだと知れる。こう言っちゃあれですけど、AC/DCってバカのひとつ憶えっていうか、そんな感じだからバカにされがちだと思うんですけど、あの潔いギターがかっこいいですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、アンガス・ヤングって腹くくってギター弾いてるんですよね、そういう姿勢に惹かれるんですよ、どの曲も同じような感じなんですけど、ある意味でミニマルミュージックなんですって、かなり良いことを言う。ものすごく共感する。アンガス・ヤングのように腹をくくっているギタリストをもうひとり思い付き、キース・リチャーズもそんな感じですよねって。すると、Oさんも同じ意見で、そうなんですよ、僕のなかではアンガスとキースは同類ですね、キースのギターもミニマルミュージック、ひとつのことをどこまでも突き詰めた職人芸で��よねって。お客さん、ほんとうに一人もやってこず、音楽談義が白熱する。
湘南新宿ラインで待ち合わせ。毎度のこと待ち合わせがめちゃくちゃ下手くそなわれわれ。時間を過ぎても誰とも会うことができず、平行世界(パラレルワールド)のことを考える、じぶんだけがいま待ち合わせの存在していない世界線にいるのではないか、と。偶然会うことは得意なのになぁ。そしたらNから連絡が来ていて、Nの居るらしいプラットホームの場所に向かう。Tにも連絡をする。遠足スタイルのNにようやく会うことができる。TからはOKサインがきている。ところが待てども待てどもTの姿が見えない。乗るつもりだった電車が行ってしまったそのあとすぐにTがひらひらとやってくる。バッド・タイミングすぎて、ある意味でグッド・タイミング。そんなのも関係なくTが久しぶりのNをわぁーーっと抱きすくめる。こんな光景を見られただけで大いに大満足で、わざわざこれから海に行かなくてもいいくらいに今日という一日を達成してしまう。これは勝手な偏見かもしれないけれど、ふたりはいい意味に左右対称というか左右非対称で、たぶん、おたがいに自覚していない長所をそれぞれに強く持ち合っている(コントラの感想もきれいさっぱり真逆だったし)。だから、ふたりが一緒にいると最強(最狂?)という感じがするし、ふたりはほんとうにいい友であると思う。
湘南新宿ラインのボックス席、昨日セブンでNに教えてもらったアンダー・ザ・シーをTも知っているかどうか5月8日のピアノの録音をTにも聴いてもらう。録音の日付を見ながら2カ月以上も気になり続けていたんだなぁと思う。電車で音が聴こえ辛いこともあってか、Tはまったくわからない模様。Nにも聴いてもらうと、すぐに昨日のあれねっとなる。Nとふたりでメロディを口ずさんでTに聴かせる。そんなこんなでディズニーやジブリのはなしになる。すでに何回も観ている映画にコメントを付けたり、ツッコミを入れながら観るやつやりたいなぁと思う。窓の外は積乱雲がものすごい。移動の時間が大好きだなぁとあらためて思う。どこかに行くっていう目的も目的でいいけれど、それに伴う移動の時間は目的に付随する二義的なものではなくて、むしろ、移動の時間のなかにこそ目的の限定的な立場からはみ出してそれを包摂するような自由な豊かさがあるような気がする。究極的には行って帰ってくるだけで充分なのかもしれない。
京急線に乗り換える。新幹線スタイルの座席、しかも、先頭車両の一番前の座席がロマンスカーのような展望座席になっている。生憎、展望座席は埋まっていて、後方の席に三人横並びで座る。トンネルの多い路線、トンネルの影のアーチが見えてきて、列車がトンネルの外に走り出て車内がそぞろ明るくなるたびに『恋恋風塵』の冒頭のショットを思い出��。Nは席を離れて、展望座席の後ろから展望窓の風景を覗いている。Tが今日のNちゃんの後ろ姿って小学生の遠足みたいだよね~って。前々からNが何かに似ていると思い続けてきて、ついにこの謎が解けた、トトロだってことを打ち明ける。展望座席が空いたから、そっちに移動する。窓の外は積乱雲がものすごい。線路の周りは緑にあふれ、山間の町並みは茶畑のように段々に家々が連なっている。遠くのほうに海が見えてきそうで、なかなか見えない。停車駅のひとつで、Tがその町並みを眺めながら、すごーい外国に来たみたいって。それは言い過ぎかってすぐに撤回する。大笑いしながら、まあ、イオンあるからねって。ついに車窓から海の濃いブルーが見えて三人とも大はしゃぎ。
三崎口駅に到着。電車から降りると、線路の途切れる終着地がある。バスで水族館に行く。終着点の水族館の名前のバス停で下車すると、空き地みたいなところにマリモをでかくしたみたいな変な植物たちが疎らに群れをなしている。なにこれかわいいと三人とも大興奮。植物が生えているというより、植物のような動物がジッと立ち止まって群れをなしているというほうがピンとくる。もののけ姫のこだまみたいな感じでジッとこちらの様子を窺っている。基本的には疎らに群れをなしていながら、三体がぴったりくっついて仲良し三人組みたいになっているのもいる。マリモのなかからエノコログサが飛び出ている。Tが夜になったらきっとここには誰もいないよ、みんな森に帰っちゃうんだ、みたいのことを言う。大笑いしながら、ほんとうにそんなふうに思われる。水族館のバス停のはずなのに、水族館はまだ先にあって、しかも、けっこうな距離がある。なんで水族館の前まで行ってくれないのって何度もブーたれる。入園してすぐ、でっかいアシカが眠っている。アシカってこんなにでかいんだってびっくりする。Nはアシカにも似ているような気がする。なんだろう、ヒゲの雰囲気がそう感じさせるのかな。まずは、当水族館の押しであるらしいカワウソの森に行く。想像とだいぶ違っていて、カワウソも一匹しか見られず、ちょっとショックを受ける。自然公園みたいなところに野生のヘビに注意の看板が出ていて、さっそくハンターことTの心が燃え上がっている。ヘビ捕まえていいの?! って言うから、野生のヘビならいいんじゃないって。水族館の屋内に入る。入口のところにサメの口の骨のとげとげしい模型があって、すぐ近くまできて、その大きさにびっくりして思わず仰け反るような姿勢になると、Nになんで~って突っ込まれる、ずっと見えてたのにって。いや、近くまできたら思ったよりでかいのにびっくりしてって弁明する。館内に入るなり、いきなりでっかいチョウザメがいて目が点になる。数体の古代魚が水槽のなかでゆらゆらと身を踊らせている。それから個々の小さな水槽を順番に見てまわる。大勢の魚がスクランブル交差点のように錯綜と泳ぎまわっている水槽で、TかNのどっちだったかが全ての魚たちが誰ひとりとしてぶつかることなく泳ぎまわっていることに感心している。チンアナゴがエイリアンみたいな動きでおもしろい。二階に上る。二階は円形の壁沿いにぐるっと大きな水槽が張り巡らされていて、魚たちが回遊できるようになっている。水槽の上からは太陽の光が注いでいて、フロアのあっちこちに光や虹のきらめきが踊っている。サメが特に目を引く。凶悪そうなギザギザの口に、何よりも眼球がひっくり返ったような冷徹な目。鼻に瘤のようなものを付けているサメがいて、あれは何だろうとしばらく後を追ってみるも、よくわからない。ノコギリザメがいて、ふたりにも声をかける。ノコギリザメはけっこうかわいい感じ。見にいくとノコギリザメは泳ぐのやめて、ジッとこちらの様子を眺めている。その瞳の動きで三人を順番に見渡しているのがわかる。ノコギリザメから離れると、ノコギリザメのほうも泳ぐのを再開させる。一階に戻ると、シマ吉くんの催しが行なわれている。魚も芸を覚えることにびっくり仰天。シマ吉くんかわいい。館内を出て、キムタクみたいなペンギンを見に行く。からだを唐突にブルブルッと震わせたり、羽を暢気にひよひよさせたり、ペンギンの動きには変なメリハリがあって見応えがある。そしたら、一羽だけ気ちがいのようにからだを意味不明にくねらせながら泳いでいるペンギンがいる。意味不明に水飛沫を立てるその一羽に三人とも釘付けになる。Nが私もこんなふうに動いてみたいけど人間だからなぁ、みたいなことを残念そうに口にする。でも、Nはたまにいきなり唐突に、衝動的に常軌を逸したような動きを見せるよなぁと思う。件のことで警察署に行くまえ、小川のところで連絡待ちしているときに、いきなりNがわあああっと手に持っていた葉っぱを小川に投げつけたのはほんとうに美しかった。いったん駅に戻って、三戸浜を目指すことにする。なんでバスは水族館の前まで来てくれないんだって相変わらずブーたれながら歩いていると、車がきて道を開ける。車が過ぎて、遠いバス停に向けて再発進しようとすると、Nがいきなり手に持っていたエノコログサをわああっと振り乱しながら急接近してきて、うわわわっと腰を抜かしそうになる。なんで、なんで、いきなりそんなことするの?! Nは悪い笑みを浮かべ、だってKさん、とここでいったん絶妙な間を置き、素直にそのことを言うべきか言わないべきか迷っているような、あえて間を置くことでそのことを強調するような感じで、ビビりなんだも~ん! って。この野郎、ひとをバカにしやがって、いつかぜったい仕返ししてやるからなって心に強く思いつつ、ほんとうに最高だなって思う。ビビりなんだも~ん! いままでNからもらった言葉でいちばん嬉しいかもしれない。
バスで駅に戻り、三戸浜を目指す。収穫が済んで畑にきれいに整列しつつも朽ち果てている植物たちの残骸をTが戦時中の死体のようだと形容する。��るいは向日葵の蛍光色の質感、夜になったら光り出しそう。子猫の亡骸。急に夏の終わりが顕在化する。いまが夏でよかったと思う、すぐに骨に還ってしまうから。Nが持ち歩いていたエノコログサを子猫に捧げる。持ち歩いていて、よかったなぁと心の底から思う。ねこじゃらしはそこらへんにも普通に生えていて、すぐにでも摘んでこられるけども、これは人間側のエゴかもしれないけれど、大事に持っていたそれを捧げるというのはせめてもの救いになる。意気消沈しながらも海への歩みは止まらない。海への入口の畦道を通り抜けると、大きな海が広がっている。夕陽を受けた波のまにまが橙色の光のすじを浮かべている。三人とも大はしゃぎで海のほうに駆けてゆく。サンダルのNが早速パンツの裾をたくし上げて海のなかに入っていく。勢いのある波を受けたNがこっちへ振り返って驚きと喜びの入り混じったようなとってもいい笑顔をみせる。さらにずいずい海のほうに身を入れてゆく。Nのからだが踊っている。このあいだと同じくらいの時間なのに波の寄せ方がぜんぜん違っている、浜のかなり深いところまで波が来ていて、くつで歩ける場所がほとんどない。そればかりではなく、このあいだは空の高いところにずっと見えていた月がどこにも見当たらない、昨日の感じからして今日はおそらく満月だろうと思われるけれど。じぶんもスニーカーと靴下を脱いで波打ち際を歩く。波はけっこうな勢いで、裸足だからと油断していると下半身がびしょ濡れになってしまう。びしょ濡れになって色々諦めたらしいTがサンダルを脱いで裸足になる。Nも裸足のほうが気持ち良さそうとサンダルを脱ぐ。まずは廃墟を目指す。でっかい丸太が波打ち際に落ちている。海のほうに蹴ってみるものの、重すぎてぜんぜん動いてくれない。それだというのに、ひとたび波が丸太に届くと、波はいとも簡単に丸太をさらって、さらに次の波が丸太を波打ち際に叩きつける。あっぶな! と三人で丸太をよける。Tが海の殺意を感じるよーとはしゃいでいる。波打ち際をずいずい歩いていると、後ろのふたりから何これすごーい! 魔法使いみたいって歓喜の声があがる。何かと思えば、じぶんの足が濡れた砂浜に触れるたびに、フワッと空気の膨らみのようなのがあたりに拡がっている。まさに魔法使いが歩いているかのよう、もののけ姫のシシ神様の歩き方みたいってはなしにもなる。波の勢いにかなり苦戦しながらも廃墟が近づいてくる。廃墟の辺りを境に砂浜が岩場に変わっていて、岩にぶつかった波が壮絶な潮砕けとなって舞い上がっている、絶句して、ゴクンと唾を飲み込む。廃墟に到達。Tからもらったウエットティッシュで足の砂を落として靴下とスニーカーを履き直す。いざ、廃墟に潜入! 底の抜けた階段の脇をロッククライミングのように慎重によじ登る。続いてTも。続くNが半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、この次どこに足をもっていったらいいのー?! って。どうにかこうにか登りきる。廃墟にもかかわらず落書きなんかがいっさいない、純然たる野生の廃墟。下から見る限り、底が抜けそうな感じがしたけれど、踏んでみるかぎり最初のフロアは問題なさそう。ところが、その先に伸びている廊下は底抜けしそうというより、すでに床の木肌がひび割れて底が見えている。あっぶな! と咄嗟に引き下がって、そばに来ていたTにも注意を促す。ここで行きにも少し話題になった(そんなことはすっかり忘れていた)Nの「ばけたん」なるお化け探知機がついに初お目見えになる。「ばけたん」が赤く光れば悪霊がいる、青く光れば天使がいる、緑に光れば平常でとくに何もない。どう考えても赤く光りそうなシチュエーションでありながら、どういうわけか青く光る。底抜けの大丈夫そうな場所をひと通り探索して外にもどる。出るときもNは半ばの空中で動けなくなってしまい、あわわ、あわわ、どうにかこうにか地面に帰ってくることができる。続いて洞窟。入り口の岩場にはでっかいフナムシが無数に蠢いている。ふたりから虫がだめなのに、なんでフナムシは平気なのって不思議がられる。セミが夏の天使なように、フナムシは海の天使だからって思っていることを素直に応えながら、でも、だとしても何で平気なんだろうって不思議に思う。ひとりでは怖すぎて一歩しか中に入れなかった洞窟も三人いれば心強い。スマホのライトで先を照らしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、中のほうに入ってゆく。洞窟の側面にも天井にも隙間なく��数のフナムシが蠢いている。Nがここでも「ばけたん」を発動させてみる、結果は緑の光。洞窟は大広間の先に細い小路が続いている。その入口まで行って引き返そうとすると、Tがこの先まで行ってみようよって。もう無理、もう無理、これ以上は無理って断ると、さすが度胸のあるTはひとりで小路に入ってゆく。小路の突き当たりまで行ってもどってくる。小路の突き当たりはさらに左右に枝分かれしているらしい。
夕陽は海上の雲にのまれ、空は暗くなりつつある。岩場をさらに進んでゆくと、一人キャンパーが三組だったか四組、おたがいに微妙に距離を取りながら座っている。焚火のいい匂いがする。岩場にはフナムシなかにカニもたくさんいる。そんな岩場の一角にどんなカニとも比べものにならないでっかいカニをTが発見、すぐさまハンターの心が燃え上がり、捕獲に向かう。カニの捕まえ方なんて知らないよ~(だったらヘビの捕まえ方は知っていたのか……)と弱音を吐きながらも果敢にカニに立ち向かってゆく。数分の格闘のすえ、見事にカニを捕獲、持っていたビニール袋に入れる。Nはその場に腰掛け、じぶんは岩場の先端のほうまで行き、Tはその中間くらいから三者三様に暮れてゆく空と海を眺める。岩にぶつかる波の潮砕けがもの凄い。しばらく経って、Nのいる地点まで戻ろうとすると、Nが大きく手を振る、大きく手を振り返す。ふたたび三人が集まると、Nが家が恋しくなっちゃうって泣きそうな声で言う。たしかにそうなのだ。こんな最果ての辺境で、しかも、もうすぐ夜が来ようとしている。どうして、じぶんはいつもこんなところにわざわざひとりで赴いているのかってことをこのとき初めて考える。それからNがいい写真撮れたよって、ふたりがそれぞれに海を眺めている写真を見せてくれる。そろそろ帰ろうか、来た道を引き返すことにする。廃墟の辺りで海を離れて、上の道路を歩くことにする。Nだけ足の砂を落としていなくてどこかで洗いたい、いちどは海に下りていこうとするけれど、あいだには砂浜があるから海で洗ってもまた砂だらけになってしまう。きっと、そこらへんに水道があるでしょってことになり、そのまま上の道路を歩いてゆく。しばらくすると、マリンスポーツの拠点みたいな施設がある。水道はありそうでなくて、人間はじぶんたちを除いて人っ子ひとりいない。そんな施設のさなかに芝生のお庭がある。芝生のお庭になら水道あるでしょって探すけど、水道はどこにもない代わりに芝生の隣に敷居に囲われたプールがある。その敷居は簡単に跨いでいける感じで、だあれもいないし、あのプールで洗っちゃえば。Tが敷居を跨ぐまでもなく普通に入口を発見して、勝手に入口の鍵みたいのを開けて中に入っている。足を洗ったNがプールの水すごいきれいだったって戻ってくる。ふふ。とうに日は暮れて、暗い夜の山道を駅に向かって引き返す。Nが暗いよぉ、怖いよぉと頻りに泣きそうな声で連呼する。そんなつもりじゃなかったけども、仕返しを無事に達成。Nのスマホのライトでできるでっかい影。とりわけ樹々の左右から覆い被さる真っ暗な坂道、ここで「ばけたん」をやってみようになるけれど、Nのかばんから「ばけたん」が消失してしまう。どこかに落としてきちゃったかなぁ。自動車のヘッドライトからほとばしる影に驚いたりしながら、街灯のある明るいところに移動して「ばけたん」の捜索。かばんを隈なくひっくり返しても見つからず、「ばけたん」の性能には半信半疑ながら三千えんのお買い物がたったの二日で消失してしまうのにはさすがに気の毒な感じがして、色んな可能性を示唆していると、かばんのポケットのひとつから「ばけたん」が発見される。よかったぁ。その場で「ばけたん」を発動させると緑色に光る。山道を経て、畑道のところまで来ると、びっくりするぐらい赤い光線を発する怪しい満月が空のかなり低いところにのぼっている。Tがどこかのタイミングで(たぶん廃墟だったかな)口走った『夕闇通り探検隊』の一言が胸に突き刺さる。月のなかを鉄塔の陰翳が横切る。
帰りの電車でも頻りに「ばけたん」のはなしになる。乗換駅でも発動させてみる。緑色。廃墟でいちどだけ出た青以外はぜんぶが平常の緑色を示す。Nから、こんな胡散臭い商品なのに何故か高評価のアマゾンのレビューを見せてもらう。それでもまだ胡散臭さは拭えなくて、いっぽうで廃墟のときだけ色が変わったことがどうも引っかかっている。帰り際になってNがぽろっと口にした「乱数の偏り」という言葉にアンテナがビビッと反応して、これはきっと何があるぞと思う。帰ったらじっくり調べてみようと心に決める。
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3月に入ってから御言葉で異性の罪、情の罪についてのお話があったので、なんとなく警戒していたのだけれど、やっぱりというか、案の定というか、異性から告白されるというイベントが発生した。
有料記事を読んでいる方は既にご存知の通り、信仰を持つとサタンが堕落させようと必死で信仰者に恋愛イベントを持ち込み出します。
今までモテと無縁だった人でも謎のモテ状態になる。異性の罪が一番重い罪だとサタンは知っているからです。
異性の罪と聞いて有料記事未読の方は何がなにやらだと思うんですけど、神様と疎通して恋人同士になることが本来人間にとっての「幸せ」というものなんだよという話であり、世の中の男女が上手く行かない原因の根本がこれなのです。
アダムとエバがまだ霊的に成長してないのに身体の関係を持ってしまって、人生が狂った。そして彼らは神様が人類の救いの為に立てた中心者でもあったので、人類の運命も狂った。それを聖書の中では木の実を食べたで表現している。ことを私はRaptさんのブログで初めて知りました。
まあ異性の罪についての詳しい話は有料記事をお読み頂くとして、今回どうやって告白イベントをクラッシュして乗り切ったかを書き出し、分析して、自己反省していこうと思います。
告白されたのはコロナ休校で学校に通わなくてもよくなった休校中でした。
そう。私はつい最近まで通学していました。
その前はアルバイトをしていたのですが(アルバイトする前はポルターガイスト現象に見舞われたりしながら半ば世捨て人��いうか、ニートみたいな感じで、そもそも社会に参加してなかったんだけど、それは人によっては馴染みのない話だからまたの機会に)、
個性才能を発見したいというか、手に職をつけたほうがいいなとか…
いや本音を言うと、御言葉の中に電気的なことや工学的な話が出てくるから、それを理解できるようになりたいなという理由で学生になることにしたのでした。スマホの中身とか仕組みが分からないし、コンピュータやネットの概念が自分の中でフワッとしていたからです。
私はもともと小さい頃は図鑑を読んだり図工をしたりするのが好きで、小学校では本ばかり読んでいたし(バレエもやってたけど)、中学では美術をやって、高校は霊現象に見舞われてたから中退したけど美術部の先生には入部を誘われていた(寮生で門限とかもあったから入れなかったわけだけど…)所謂どっちかといえば文系人間であった。
でも今回通ったのは理系分野だったので、もう、それはそれは未知の世界だったわけなのですが、意外や意外、文系は設計などのモノ作りの世界に向いてるっぽい?
いや、単に神様がそう導いてくれただけの可能性のが強い?
入学試験の日に面接があって、面接官をやっていた先生たちが「女の人他にいないけど大丈夫ですか?」って訊いてきたので、「え?女の人だと困る事例が今までにあったのでしょうか?」って訊き返したら、「いやそういう話は特にないです」と返されたので、なんだそれは…どういう意図の会話だったのだ…?と疑問に思いました。
一応卒��生に女の人は何人かいるんだけど、学年飛び飛びで発生するからお互いに写真でしか知らない感じです。
最終学年の夏季休暇より前だったかに会社見学先で会った女性の先輩は、2人きりになった瞬間に「女の人1人だけだと大変ですよね…」って切り出してきたから何かあったんだと思う。
そして先生たちには相談できなかったんだと思う。女の人は、いや人は、「この人に相談したところで解決しない」とわかっている相手に相談したりなどしないからである。この先生たちはあまり頼りにならない存在だとみなされていたんだろうなと思う。
私も入学早々話しかけてきた男の人(クラスメイト)相手に頭痛と吐き気を覚えたことがあって、「授業内容に関わること意外で私に話しかけないでもらえますか?何故か頭痛がするんで」と素直に伝えたんですけど(読んでる人は笑ってもいいです)、「え?なんで?いろんな雑談するほうが楽しくない?」みたいにヘラヘラ食い下がってきたし、それから1年くらいはしつこかった。
本当に面倒臭かった。めっちゃ滅びを祈ってた。どうせサタンに主管されてた人だと思ったから。そう、彼が他のクラスメイトと話す内容は大変下品な下ネタか、目下年下の人間を見下��高圧的で卑劣なもので、あと無い学歴で高学歴マウントをとろうとする(たまにいるよねこういう謎の行為するやつ)などの老害行為とか、とにかくこの世の地獄のような思想を煮詰めた煮こごりみたいな人だった。
そんでその下品な男の人は1年くらいして、ようやく私のことを「最初から生理的に受け付けなかったし」と言って避けるように(無視するように?)なってくれた。私はそれまでずっと「好き嫌いという以前に、人として生理的に受け付けないので関わりたくないです」とめげずに伝え続けてきたので、その台詞はパクリでは?と思いながらも、あと最初からそう思ってくれて話しかけないでくれていたなら私も楽だったのに…とか相手の発言に矛盾を感じながらも喜びました。
今まであなたによって発生してしまった無駄な時間はなんだったんだろうな?あとあなたが勝手にメルカリに出品した私が制作したキーホルダーも返してくれると嬉しかったけどそれは返してくれないのな?(追記:返してもらえませんでした)まあいいよ悪人が離れてくれればそれで。この世の物品など平和な生活に比べたらなんてことないぜ。
そんなこんなで、私は紅一点ながらも下心を持った男の人には塩対応する部分をみんなに見せてきたので、その後謎アタックしてくる人や、謎アプローチしてくる人はいなくなりました。他の科の頭のおかしい人が名前を連呼しながら横を通過したりとかはあったけど、その他は概ね平和に過ごせたと思う。
男子生徒と女子生徒で態度変えるタイプの男の先生たちからは「人使いが荒い」と言われていたし、クラスメイトにも「まあ…あの人はクレイジーだから…」とか「誰よりも男らしい」とか言われていたので、まあ大丈夫だろう、みたいな。
まあ大丈夫じゃなかったことが今回発覚したんだけど。
突然の休校が決まったのはニュースで臨時休校が話題になってからずっと後で、その前は周りに建っている小中学校や高校が休みになる中うちの学校はというと、スカイプを使ってのんびり他校とロボットカーレース的なことをしていた。
会社によってはリモートワークの環境作りに四苦八苦していたようだけど、流石は電気系の先生が多めの学校というか、大会におけるスカイプ空間は学校の設備と先生たちの私物によってサクサク構築されていった。やっぱり最近売れてる自撮り用の小さいながらも高性能なカメラは便利そうである。結構高いみたいだし、海外製は当たりハズレもあるみたいだけど。
そんな感じでのんびり過ごしていたのに突然休校することになったのは周り(東京都の偉い人とか)の目を気にして焦ったからなのか?
ちなみに学校から感染者は1人も出ていないし、もちろんインフルすら出てない。
まあコロナはインフルなのでパンデミックの報道はデマなんだけど、学校は男の人ばかりであるせいかみんな基本的に不健康な生活��送っていたので、そういう暮らしを目にすることに私は若干辛みを感じていたので、休暇は素直に嬉しかったです。(なんで男の人は健康な食事にあそこまで無頓着なのだろうか?)
休暇だけど最終学年なので、つまりは卒業であり、ある意味クラスメイト達とはこの先恐らく二度と会わなくなることを意味します。
それでサタンも焦ったのでしょうか?今回は卒業制作を一緒に仕上げた人間から告白されたんですね。
学校最終日、私はいつものように普通に登校しました。
休校になることは突然知らされたので、荷物や教科書を全て持って帰らねばならなくなったこともあり、まあまあ驚きましたが、それ以上に驚いたのがその日はなんとなくカートをゴロゴロ引いて登校してきたので、スムーズに荷物が持って帰れるという偶然でした。(いや、神様は偶然はないと仰っていましたから神様が霊感で持たせて下さったのでしょう。よって私は神様に感謝しました)
それまでの授業ではラズパイでサーバを構築してHPを作る授業が行われていたのですが無事終わったので、持ち込んでたモニタをもって帰ろうと思ってカートを持ってってたんですね。そこで突然の休校です。
午前中は後輩に教室を明け渡す為に作業場を掃除したりして過ごして、午後は後輩たちのプレゼン大会が予定されていて、いつもより授業の始まる時間が遅かったので私は一旦家に帰ることにしました。あとなんか掃除中にヘアゴムが切れてしまってピンチで、そのへんにあった針金で留めていたので、家でまとめ直したかったというのもある。
やばいピンチだ…と針金で留め直してたとき、思い返せば今回告白してきた人が髪を下ろしたらどうなるのか的な質問をしてきて、「どうって、邪魔ですよね。作業するのに」と返したら「そっか」と笑っていたけど、なんか違和感を感じたやり取りだったのだけど、そういうことだったのかね?
思い返せば中学生の頃プールの授業のあとで髪を下ろして乾かしてたら、当時学校にいた私のことを観察する会的な謎の集団がわざわざそれを見にやってきたことがあった。だからそう、こういう髪に関することで注目してくる男の人はもうなんか駄目なんだと思う。そういうことだったのかも。
そんで家に帰ってから髪を留めて、なんとなくハンカチを新しいものに替えて、また学校へと出発しました。
ちなみに家に着いたとき、たまたま祖母が家にいて何故かご飯を炊いていて、「ちょうど出来たから食べていく?」っていうので、いつもはお昼ごはん食べないんだけどその日は食べてから出発したのでした(よってちょっと出遅れた)。いつもは一駅歩くのだけど、遅刻は嫌なので駅のホームで電車を待っていたら、若い女の人達が「〇〇駅ってどうやって行くんだっけ?」とワイワイ喋りながらスマホで乗り換え検索しながらこちらに向かってきた。でも〇〇駅は反対方向の電車に乗ってから乗り継がなければならないので声をかけてそれを伝えたら、ちょうど反対側に電車がくるところだったのもあり「ありがとうございます!」と言��ながら彼女たちは駆け足でギリギリセーフで乗車していった。(そこで私は思った。ああそうか、それで私は家を出遅れたのかも。神様ありがとう!)
なので学校に着いた時刻はプレゼン予定時刻ギリギリだったんだけど、予定が押したみたいでまだ余裕であった。神様ありがとうございます。
後輩達は私達の学年より真面目な子達が多いので、プレゼンはとてもクオリティが高かった。んだけど中に仏教かぶれの人がいて若干むむってなった。仏教は悪魔崇拝だからです。まあネタ化されてたからガチではないのかもしれないけど。全ての神社仏閣が滅びますように。
最後はなんか、お別れの挨拶をそれぞれ述べて終了という流れになったんだけど、プレゼンを指導していた外部講師の方が今日で十数年に渡る講師活動を終えるとのことで泣きながら色々と思い出を語っていた。熱血タイプの先生なので涙が思いと一緒に溢れてしまったのだろうと思う。私達も突然で驚いたけど色々とタイミングが良すぎである。もういっそ今日が卒業式ってことで良いのではと思った。
お化粧が崩れるのも構わず泣いている先生を見ていて、「そういえば私何故か新しいハンカチ持ってきてたな」と思い出し、そのハンカチを渡した(この時新しいハンカチを持たせて下さったのは間違いなく神様だと思った)。
彼女は潔癖症なので未使用であることを伝えて渡した。「もう学校最後だから洗って返せない。どうしよう!」と言うので、「あげますよ」って言ったら、「洗わないでとっておこうかな(笑)」とか言いだしたので、潔癖症なのにご冗談をと思いながら「いや洗いましょう。何か繁殖しちゃうかもしれないじゃないですか」って返したら「コロナとか?」と笑われたので、私はその流れのまま「コロナはインフルエンザなんですよ」って話をした。
(私最近会う人会う人誰とでもコロナはインフルの話をしているけれど、まだ誰にも否定されたり拒絶されてない。Twitterの工作員とは随分反応が違うよね)
そんなこんなで授業もおわり、作業室で卒業制作で作ったマシンを班員と二人で動かしたりして遊んだ。校長先生を乗せる約束をしていたのにまだ乗せてなくて可愛そうだという話があったので、久々の起動に様子を見ながら発進させてたんだけど、校長を呼んで乗せてたらしばらく動いてマシンは死んだ。
FETが爆発したりしたわけじゃないから、多分ダイオードが死んだとかじゃん?という結論になったんだけど、調べないとわからん…わからんけどもう時間がないので、あとはもう後輩たちが好きにすれば良いんじゃん?ということになった。大掃除のときにモータドライバの同人誌を託したことだし(次回はデジタルアイソレータとか入れてみてほしい)。
校長先生や担任の先生たちとのお喋りも今日で最後か…というわけで、せっかくなのでコロナの画像がサンゴ礁の写真を加工した画像だった説や、タピオカヤクザの話や、蓮舫議員の闇のお婆ちゃん陳杏村の話をした。私は学級日誌でも毎度こんな話しか書いてなかったので先生たちも慣れていたのもあると思うんだけど、割とスムーズに受け入れてくれました。東京都からお金が出てパーツとか買ったりする学校だったけど、都知事をディスったところで咎める者は誰もいなかった。小池百合子はやはり都の職員からも嫌われているのではないか。
このまま興味を持って色々調べるようになってくれれば嬉しいのだがどうだろうか。調べてくれますように。
そして私の知らないところで同性に伝道されるなり、ネットで伝道されるなりすれば良いと思う。
先生たちには「忘れ物があったら取りにおいでね」と言われたけど、学校まではルート的に結構距離があるので、私は「思い出と一緒に置いていきますね」と答えた。そしたら「じゃあ思い出が欲しくなったらいつでも来て下さい」と返されてしまった。グヌヌ被せボケ…
最後まで一緒に残っていたもうひとりのクラスメイトは「あと2時間くらいお話していたいですね!」とか言っていた。勘弁してほしい。
死にかけのマシンはホールに飾られることとなった。
試作の小型機は班員が夜なべして書いたプログラムのお陰か元気に走ったので、最後に走らせて展示場に到着させた。
班員は小型機にゴリアテと名付けようとか言い出して、私はゴリアテ倒す派なので(ダビデの話参照)その場で反対したのだけれど、その後どうなったのかは分からない。今思えば何かの暗示であったのかもしれない。今回告白してきた人間はこの班員であるからである。
そんなこんなで帰りが遅くなってしまったのが良くなかったんじゃないかと今では思う。
校門を出たら外は真っ暗だった。冬だったので星がキラキラしていて大変綺麗で良かったんだけど「星が綺麗ですね…ってもう寝る時間じゃん!」と焦った。私は早く寝て早く起きて祈ったりしたいからです。
さてさよな���するぜと班員に別れを告げるとき、私は特に台詞が思い浮かばなかったので、「とりあえず禁煙したら」と言った。彼は喫煙者だったからである。そしたら今までは絶対無理とか言っていたのに、今回は珍しく「禁煙外来に行こうと思う」と言い出した。
喫煙者が減ることは良いことだし、そのことは普通に嬉しかったので神様に感謝して、私は家に帰った。
その日は風が強くて、家の近所の庭的な広場に誰かのTシャツが落ちていたので、風向きから推測したマンションに届けに行った…のはいいものの、どこに置けばいいのか分からなかったから、そこら辺にいた住人らしき方に訊いて、エントランスに引っ掛けてきた。住人らしき方は見ず知らずの私にお礼まで言ってくれて、最近世間がピリピリしているというのに、優しく対応してくれてありがとうと思った。
それから1週間くらい経った頃だろうか。なんだか体が重かった。生理でも無いのに日中眠かった。
勉強したくても頭がモヤモヤするというか、お祈りの時間に起きられてもなんだか体が重かった。そういう日が数日続いた。
そんなある日、制作課題用に作ったSNSルームに置きっぱにしていたファイルをダウンロードしようとPCを立ち上げログインしたら、告白文が踊っていた。
いや、その前から就活どう?的な情報交換はしてた(私の就活はゆっくりでギリギリだったので先生やクラスメイトたちが私の代わりに心配していたというのもある)のだが、まさかこれを使って告白されることになるとは。そういう素振りを相手が見せたことがなかったので余計に驚いた。
読んだ瞬間はいつものごとく目眩と吐き気に襲われた。なぜ私は異性に好意を向けられたと認識した途端に吐き気と頭痛がしてくるんだろう?神様を信じるようになってからそうなるようになったのね。霊魂の苦しみが脳を通して肉体に伝わるからでしょうか?その仕組が知りたいのですががが。
ところで異性の罪は重罪なので、思わず「ブルータスお前もなの…?」と呟いてしまった。
霊魂は肉体と違って異性の罪によって、まるでウジやハエや汚物を飲まされているかのような地獄を味わうのだと、以前主が御言葉の中で仰っていました。
相手にこうして罪を犯させるような行動を私はどこかでしてしまっていたのだろうかとか、なんかそんな感じでショックを受けたついでにそのままブルータスについてググったら、なんと告白された日とカエサルが殺された日が同じ3月15日だったので思わず笑ってしまった。
よくイルミナティたちが日付にこだわって重要人物を殺したりするけど、確かその中に3月15日もあった気がする(そういうツイートを前に読んだ気がする)。
サタンが験担ぎして告白させたのかもしれんな。はっはっは…(真顔)
(そういえば志村けんが死にましたね。やっぱり小林麻央が海老蔵に生贄として殺されたみたいな感じで他殺なんでしょうか?)
告白文の内容は概ねこんな感じであった。
最終日にそちらから告白を受けたが(してないんですが?)、過去に色々あって二股かけて失敗しているのと(なんですと!?)、一緒に住んでる腐れ縁のルームメイトが人生に問題を抱えていてこれからも自分が助けになり支えていきたいので(誰のことだ?)、貴方の気持ちには応えたいが応えるわけにはいかないと思った。けれど前から可愛��と思っていたし称賛する気持ちは絶対に伝えたいと思っていたので今回告白に至った���。その他、私と会うのを楽しみに学校に通っていたこと、可愛さにため息がとまらない(?)、私が小型機を操縦している様がキラキラして見えた(?)、ここ1週間ほど私のことを考えていた、買い物しに車を出して気付けば学校まで運転しておりそのまま夜空を眺め続けてしまった(重症では?)ことなどが書かれていた。
()は私の感想です。
そんで、うーん…?私そもそも告白してないけど?どういうこと???ってなった。
私としては、突然相手が目の前でサンドペーパーを敷きだしたと思ったらそのまま助走をつけて全裸で一気にスライディンクした挙げ句血まみれになりながら「どうもすみませんね…」とヨロヨロ退出していったような、こちらとしては見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分である。
というか、1週間念を送られていたから具合が悪かったのかもしれないな…?
なんか頼もしいとか崇高とかいう文字も文章内に組み込まれていたので一応リスペクトしてくれてたっぽいことは分かるんだけど、恋愛フィルターを通してそう見えてただけだと思うと素直に受け取るわけにはいかないですよね。だって正気じゃないんだから。
校長先生が入学当初、学校の仲間は将来同じ分野の仕事仲間にもなるわけだから仲良くして情報交換していくといいよ的なアドバイスをお話してくれてた気がするんだけど、でもそこで相手に恋愛フィルターがかかっちゃったらさ、相手が間違ってるときに情が邪魔して相手を正論でコテンパンにしてあげられないわけだからもうその時点で良き仕事仲間とは言えないじゃん。
それに男の人って(弟もそうなんだけど)相手を褒めるときもそんないちいち褒めたりしないですよね。あっても一言で終わるじゃないですか。「スッゲ」「ヤベえ」「ウケんだけど」「流石ですな」「かっけえ」みたいな。だからこうやってリスペクトしてますよ感出して長文ぶつけてくるときは告白じゃなくとも下心があると疑った方が良いっぽい。よ。
可愛いに関してもよくわからなかったんだけど(私には可愛げがないという定評がある)、告白文を見るに、どうも頑張っていた姿がいじらしく見えたとかそういう意味での可愛いということであったらしい。ということは、男の人に比べたてまだまだ頼りない部分があったために可愛いに繋がってしまったのかもしれない。ネットで調べたところ庇護欲を掻き立てる女性はモテるらしいので、こいつは一人でもやっていけるなと思わせるキャリアウーマン的な女性にならないといかんなこれはと思ったし、反省した。
しかし腑に落ちないのが私が告白したことになっている部分なんだけど、どうも「星が綺麗ですね」と最終日に言ったことが告白と取られたらしいのね。
でも「月が綺麗ですね」は聞いたことがあるけど「星が綺麗ですね」はちょっと聞いたことがない。
それに夏目漱石が「月が綺麗ですね」と言ったという話はデマであることがわかっているし、それを告白に持ってくる現代っ子がどれくらいいるのかね?
わからん。
わからんので調べたら、出て��るわ出てくるわ…
ちょっとバリーエーション増やしすぎじゃない?
これじゃあ異性の前で景観を褒めてはいけないことにならないかい?
しかも「星が綺麗ですね」はタロットが元ネタだと?悪魔崇拝者共め…なんと迷惑な。(ちなみに占いもタロットも、悪魔崇拝からきた文化です)
なので私は告白してないのでそれは勘違いだし、一応漱石はデマだよと伝えた。
(あとうっかりここにたどり着いてこれを読んでる方で陰謀論よくわからない人向けにお知らせしとくと、夏目漱石の名前の由来はフリーメイソンなので、興味が湧いた方は調べてみて下さい。)
あとキラキラして見えるとかため息が止まらないとか深夜徘徊とか目に余る異常行動が気になったのでそっちも調べたんだけど、人は恋に落ちると脳内麻薬が出て、なんかそういう状態になるらしい。
というか、完全に病気だよね。
脳内麻薬で脳が酸欠になるらしい。煙草でも脳は酸欠状態になるっていうのに、お前さんはこのまま死ぬつもりか?
冷静になあれ。
とりあえずセロトニンが不足するとそういう情緒不安定状態になるらしいので、日光浴をおすすめしといた。
そしてSNSからは重要ファイルをサルベージした後離脱した(Twitterにおけるブロックのようなものです)。
しかし業務用のSNSで告白って公私混同って感じで普通にルール違反だと思う。勘違いとは言え、気持ちに応えるわけにはいかないからと理性で踏み留まってくれたのは、有難いっちゃ有難いけれど、結果告白してしまったのでは無意味なのではないか。それは踏み留まれているとは言えないわけで。
恋は病気。
愛は理知。
冬の星が綺麗な理由は太陽が早く沈むから残照の影響が少なく湿度も低いためにその分光がこちらに届くから。
よって、さらばだブルータス。
というか以前「背中を押すのは友人の特権だ」とか発言してたような気がするのだけど、友達だと思ってくれていたのは嘘だったということか?
まあ私は私で男友達ですら御免だしこの先男とはプライベートで仲良くするつもり無いですって言ってたわけだけど、大事なことだからそれ2回くらい伝えたはずなんだけど、聞いてなかったのかねブルータスは。
ちなみに「ブルータスお前もか」は「月が綺麗ですね」と同じく言ってないのに言ったとされてる言葉の一つなのであった。綺麗にオチまでついてしまったのであった…
実はその後、学校に卒業書類貰いに行かなきゃいけない日があって、ちょっと憂鬱だったんだけど、エンカウントしないように祈って早めに登校したら、早めに書類もらえたし、早めに帰れたのでブルータスには会わずに済みました。
神様ありがとうございます!
あと水筒持ってくの忘れたんだけど何故か先生が自販機の飲み物奢ってくれるっていうのでお水を買ってもらえました。
先生ありがとうございました。
おしまい!
帰りが遅くなった最終日、家族が私の身を案じて祈ってくれていたそうである。私は本当に、神様に、みんなに助けられて生きてきたし、今もそうである。感謝します。どうかみんなの信仰生活も守られますように。
今サタンが絶賛大暴れしているそうなので、他の信仰者の方々もゲリラ告白をされたりしているのだろうか。どうか無事に撃退できますように。
あと恋の脳内麻薬は3年くらい出続けるらしいから3年は会わない方がいいっぽい。先生には悪いけど文化祭も行かないほうが良さそう。
異性の罪を犯したときに3年くらい期間を設ける話はもしや脳内麻薬にも関係しているのだろうか?まだまだ分からないことが沢山ありますね。
しかし思いがけずスムーズに荷物が持って帰れたり、知らない人が電車に間に合ったり、奇跡的なタイミングでハンカチを差し出せたからといってなんだっていうんだろう。神様にとって有益かというと、そうでもない。
結局学校は神様に意識を向けて生活し辛い空間だったことが証明されただけなんだと思う。卒業が早まってよかった。それこそ、神様に感謝すべきことだったのではないか。
唯一連絡手段が残された相手と縁が切れたことも、信仰生活を送るうえでとても有難いことであったと思います。ありがとうございました。
あと私は異性からの好意に気付かなさすぎであるということが発覚したので、これからもっと遠巻きにしてもらえるように頑張ろうと思いました。
そして恋愛コラム的なことが書かれているサイトって、全部占いへ誘導するようなものばかりで、この世の中に恋愛の文化を広めたのがサタンであることがよくわかる構図だなと思いました。
人間との恋愛は人間を幸せにはしません。不幸への入り口です。
占いは闇です。何も解決しません。
何事も神様に求めるべきです。神様に相談しましょう。
今回色々あった中で私にとって良かったことって、コロナはインフルだって話ができたことくらいじゃないでしょうか。も��とディープな話をスムーズに展開できるようになりたいですね。
反省!
こうして自分を省みる機会を与えて下さった神様とRaptさんに感謝します。どんなに神様が機会を与えて下さっても、Raptさんの宣布する御言葉がなければ理解できないし、悟れないからです。それから私の為に祈ってくれた方々にも感謝します。本当に命拾いしました。ありがとうございます。
コロナのデマが世界中の人々にバレますように。
あと最近初めて行った公園が心臓の形してる気がした。
そして電車の広告にあった有名テニスプレイヤーの顔がそっくりで、2人は血縁かもしれないと思った。
この春あちこち散歩したけれど、東京都民は都知事の言うことなんて心の底では信じていなくて、パンデミックは演出不足であるなと思った。
だって人がわんさか住んでる団地で1人も感染者出てないし、誰も死んでないし、噂好きなおばさまも誰かが死んだ噂すら聞かないって言ってるし、というか2月も3月も全然救急車来てないし(12月と1月は夜でもバンバン来てたのに。餅かな?)。
都民はみんな訝しがっている。
陽の光を浴びながら元気に遊ぶ子どもたちを見ながら散歩したけど、あれはあれ��免疫力がアップしてインフルにかかりにくくなって良いのではないかと思った。
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きみにふれてみたい、だからきみの愛を待ってる
「全部、スケートで返すから」 勇利のそのひとことで、ヴィクトルと彼はつながりあった。これまでの、どこか線を引いたものとはちがう、それよりも一段色を濃くした関係を持ったのである。少なくとも勇利はヴィクトルに一歩近づき、見えない壁のようなものをひとつ取り払ったのだ。 だがヴィクトルは、それで安心はしていなかった。まだこれは入り口なのだ。思っていた��りも勇利は、難解でつかめない性質をしているようである。バンケットの夜、ヴィクトルに近づいてきたり、笑いかけてきたり、抱きついてきたりした彼とはちがう。もっと奥が深く、謎を抱えている。いちばん不思議なのは、こんなにへだたりをとることにこだわるのに、時にはあの夜のように大胆にヴィクトルを求めるということだ。 できればあれくらい勇利と近づきたい。普段からずっと。無邪気な笑顔を向けられ、寄り添われ、ヴィクトル、と甘ったるい声で呼ばれたい。貴方が好きで貴方が必要だという視線をそそがれたい。貴方だけを見ている、という情熱を示してもらいたい。 もちろん、いまの勇利にそれがないとは言わない。確かにあの勇利といま目の前にいる子は同じ人物だと信じることができるほどには、勇利はヴィクトルに好意をあらわしている。ただ、それを覆い隠すふるまいがそれ以上に目立つのである。 あの夜くらい勇利と仲よくなりたい。あの夜以上に。信頼しあって、師弟として濃密に愛しあって、ひとつの目標のために互いに手をたずさえて難局にあたる。そういう間柄になりたい。勇利がこころをひらいてくれたことは、そのための兆しとも言える。 しかしヴィクトルにはもう理解していた。勇利はそんな簡単な若者ではない。「全部スケートで返す」という言葉ですべてが解決するほどわかりやすくはない。たとえばいま、ヴィクトルが当たり前のように勇利の肩を抱き寄せたら、彼は驚いてなにごとかという顔をするだろう。一緒に寝ようと言ったって、やはり戸惑った態度になるにきまっている。そういう意味では、ふたりの関係はまだまだ熟しておらず、初々しいままだった。 勇利は、普段にいきなりさわったらびっくりする子だ。ヴィクトルはまずはそのことをしっかりとこころに刻みつけた。これで仲よくなれたと思って親密に行動したら、きっとまた問題が起こる。もしかしたら眉をひそめるかもしれない。警戒されてしまうかもしれない。勇利は「ヴィクトルはヴィクトルでいて欲しい」と言ったが、それは「ぼくに対して好き放題にふるまってもいい」という意味ではないだろう。そのことは忘れないようにしなければ。 こちらから近づくのは、たぶん、よくない。ヴィクトルはそのことを頭においておくことにした。バンケットのおり、当たり前のようにくっついてきたからと、そのつもりでしばらくいろいろしていたけれど、勇利の反応���かんばしくなかった。ああいうことはいまはやめておいたほうがよさそうだ。勇利はたぶん、酒が入ったときだけは陽気になるが、普段はおかたい、馴れ馴れしい態度を敬遠するようなたちなのだ。いつもそうしてまじめにしているからこそ、おさえつけられたものが酔ったときはおもてに出るのかもしれない。 とにかく、いまは良好な関係を築き、それを深めていく時期だ。せっかく勇利が信頼を見せてくれたのだから、それを大切にはぐくんでいきたい。ヴィクトルのほうから強引なことをするのはよしたほうがいい。勇利は踏みこまれるのが嫌いなのだから��きっとこころだけの話ではない。あまりに近づきすぎたら、勇利が話した「ぐいぐい来る女の子」のように、いやがられて突き飛ばされるかもしれない。 まあ、あの無視された日々は、ある意味突き飛ばされたようなものだけど……。ヴィクトルは思い出して溜息をついた。すこし笑ってしまう。無視なんて初めてされた。あからさまに目をそらされた経験なんてない。 あんなにきらきらした純粋な目で見られたのも初めて、ダンスバトルをしたのも初めて、コーチになってと言われたのも初めて、無視されたのも初めて……。勇利はヴィクトルにいろいろな「初めて」をもたらす。 「こんなに仲よくなりたいと思ったのも、慎重に行動するのも初めて」 つぶやいてヴィクトルは笑ってしまった。 「なんですか?」 勇利が振り返る。ロシア語だったので伝わらなかったらしい。 「なんでもなーいよ」 ヴィクトルは笑顔でかぶりを振った。 「そうですか」 勇利がうなずく。彼は岩のふちにもたれ、ぼんやりした。ふたりはいま一緒に温泉に入っているのだ。 こうして裸の付き合いはできるんだけどな……。ヴィクトルはちらと横目で勇利を見た。ヴィクトルにとって、それほど親しくない相手の前で服をすべて脱ぎ、同じ湯につかる、というのは初めての体験だった。だが、そういうことをすれば、なんとなく親近感がわいた。勝生家の温泉に来る常連客たちと湯をともにしたら、あっという間に仲よくなれた。なるほど、日本人というのはこうして親しくなるものなんだな、と感心したものである。 しかしそれが勇利にはいっさい通用しないのだった。勇利はヴィクトルと温泉に入っても、さほど親しみを感じていないようだ。温泉を経営している家の息子だからだろうか。人と一緒に湯に入る、というのは彼にとって当たり前のことで、いちいち仲よくなるとかならないとか考えるようなことではないのかもしれない。そういえば、昔から友人が少ないと聞いた。この温泉にやってくる同級生もいただろうに、それでも友達ができないということは、つまり勇利は温泉でのつながりに特別なものを見出していないということだろう。もっとも、彼の場合、練習が忙しくて、同級生が来るときもずっと家を空けていた可能性もあるが。 とにかく温泉で仲よくなるのはだめみたいだ。ヴィクトルはふうっと息をついた。いまだって、「なんでもないよ」と言われて、あっさり勇利は引き下がった。「何か言ったでしょう?」「いまのロシア語ですか?」と話を続ける気はないようである。俺、興味持たれてないのかな、と可笑しくなる。会話を発展させるということをしない勇利なのだ。いつも自分の世界だけで生きているようなところがある。芸術家には大切な部分ではあるのだけれど、いまはもうすこしうちとけて欲しい。 勇利は、ヴィクトルが自分の体験を話したら、同じように彼自身のことも話してくれた。そんなふうにすこしずつ近づくしかないようだ。 「俺ね、温泉って入ったことなかったんだ」 ヴィクトルは笑顔で語りかけた。 「こんなにひろいお風呂初めてさ。最初入ったときは感動したな。こんな場所をひとりじめ! って浮かれちゃったよ。勇利は自分の家のお風呂だから慣れてる?」 「そうですね」 勇利はこっくりうなずいた。 「もちろん温泉は好きだけど、日常だから……。あの、すみません」 「何が?」 「ひろいお風呂がいいんですよね。ぼく、もしかして邪魔だったかな。あっちのお風呂に行くので、ヴィクトルはひとりでここを……」 「ちょっと待った!」 ヴィクトルはとっさに勇利の手をつかもうとし、いけないいけない、と思い直して腕をひっこめた。不用意にさわるのはよくない。 「そういうことじゃない。そういうことじゃないんだ」 どうやらこの話題は失敗だったらしい。 「ここにいてくれ、勇利」 「でも、ヴィクトル貸し切りが好きなんでしょ?」 「いや、好きとかそういうことじゃない。ひろくていいなというだけだ。勇利の家のお風呂ってすてきだねという話だ」 「はあ……そうなんですか……」 勇利はきょとんとしている。いけない。俺はどうも勇利に「よくわからないことを言うやつ」と思われたようだぞ。べつによいのだが、いろいろ考えたうえでの行動を不可解そうに眺められるとなんとなくさびしい。 「えーっと」 ヴィクトルは無意識のうちに勇利の肩を抱き寄せようとし、おっと、と自分をいましめた。しかし、ここで勇利の手をつかんだり、バレエのまねごとをしたりしたことはある。そのときは勇利はとくにいやがったりはしなかった。ならばいまも構わないのではないだろうか。……いや、だが、あのころより魔法がとけてきている感じがある。この前は「あぁん!?」などと言われてしまったし。すこし遠慮がなくなってきている。それは歓迎なのだが、まだ親密になったというほどでもないから、接触に関しては以前より後退しているかもしれない。 勇利って難しいな。 「そういえば、勇利のパーパに、この温泉は効く、って言われたんだけど、何に効くんだい?」 ヴィクトルは結局、さして悪くはないが特別よくもない、ごく普通の話をすることにした。 「ああ……、まあ、疲労回復とか、打ち身とか、そういうのです。女性は肌にもいいと言ってますね」 「肌か……」 ヴィクトルは勇利の身体をちらと見た。 「勇利、綺麗だよね」 「え? 何がですか?」 「だから肌だよ」 「そうかな」 勇利は自分の身体を見下ろした。 「長いあいだデトロイトにいたから、そんなに効いてないと思うけど……。でも、もう一ヶ月くらい経つからあらわれてきたのかもしれません」 「ちいさなころからつちかわれた肌質というものなんじゃないかな」 「さあ……ぼくにはわかりませんけど……」 勇利は首をかしげた。ヴィクトルは、「綺麗だよ。ほら、このあたりとか」などと言いつつ勇利の素肌にふれようとし、おっと、とまた手をひっこめた。あぶないあぶない。どうも不用意にさわろうとしてしまう。誰にでもというわけではない。勇利だけだ。なぜだろう? バンケットのとき、愛情いっぱいに抱きつかれたから、それが感染してしまっているのだろうか。 「そうかなあ……」 勇利は納得しかねる様子だ。自分の腕を眺めたり、胸にふれたりしている。ヴィクトルはそんな彼をじっと見ていた。 「ヴィクトルのほうが綺麗ですよ」 唐突に顔を上げて勇利は言った。ヴィクトルはびっくりした。 「温泉に入ってるとか関係なく、ヴィクトルは綺麗」 勇利は率直に言い、かすかにほほえんだ。 「ヴィクトルがいちばん綺麗なんです」 確かなことだというような勇利の口ぶりだった。 「言われ慣れてると思うけど」 そうだ。確かに言われ慣れている。称賛の言葉なんて珍しくもない。しかし……。 勇利が言うと、なぜか特別に聞こえた。彼の褒め言葉は、いままでヴィクトルが聞いてきたものとはちがう響きを持っていた。 「ヴィクトルは綺麗で、かっこいい」 勇利は続けた。 「ヴィクトルくらいかっこよかったら、どんな感じがするものなんだろう……」 彼は��元に手を当て、考え深そうにつぶやいた。それからまたヴィクトルを見てちょっと笑った。 「どんな感じがしますか?」 「どんなって……」 「鏡見るたび、俺ってかっこいいな、とか思うの?」 「いや、べつに……」 「そっか……、いつものことだもんね。いちいち毎回感動することでもないか。ヴィクトルにとってはそのかっこよさが当たり前だから……」 勇利は言葉を切り、それからいつもより明るい声で言った。 「かっこいいのが当たり前って、かっこいい」 彼は笑った。 「なに言ってるのかわからなくなってきた」 ヴィクトルも何を言われているのかよくわからなかった。ただ、勇利のいまの話し方は、親しい感じでよいなと思った。海で勇利と語らったときも、彼はあまり丁寧な言いまわしをしなかった。そっちのほうがいい、とヴィクトルは考えた。たとえば礼を述べられるなら、サンキューよりサンクスと言われるような。親密な表現をして欲しかった。勇利は教科書通りの英語を話すのかと思っていたが、海外スケーターの友人と電話しているのをちらっと聞いた限りでは、ちゃんと砕けた話し方も理解しているようである。それならヴィクトルにもそうしてもらいたい。 いや、しかし、待とう。何かをしてくれ、と勇利に対し要求するのはよそう。勇利はヴィクトルに、ヴィクトルはヴィクトルでいてほしい、と言った。ヴィクトルも勇利にはありのままでいてもらいたいのだ。ふたりの間柄について、ああしろこうしろと口にしたくない。 「ヴィクトルは寝起きでもかっこいいんですか?」 勇利が尋ねた。ヴィクトルは笑って「どうかな」と答えた。 「会ったことあるだろう?」 「あるけど、ぼくの言う寝起きって、本当に起きた瞬間のこと。ベッドで起き上がったときのことです」 一緒に寝ればその瞬間がわかるよ。ヴィクトルはそう言おうとして思いとどまった。代わりにもう一度「どうかな」とほほえんだ。 「ぼくの予想では、ヴィクトルは起きた瞬間からかっこいいです」 「勇利、どこ行く?」 勇利が玄関のほうへ向かっていたので、ヴィクトルは不思議に思って尋ねてみた。 「おつかいです」 「おつかい」 「ちょっとそこのコンビニまで」 「ふうん……」 ヴィクトルは勇利を見ていた。勇利もきょとんとしてヴィクトルを見ていた。勇利はゆっくりと言った。 「……一緒に行く?」 「行く行くー!」 すでに日は暮れ落ちている。雨が続いたあとの晴れた晩で、緑の匂いが風に濃かった。甘いような、むせ返るこの匂い。生々しいほどの自然を感じる。ふたりは、街路灯がほのかに照らす道を連れ立って歩いた。 「なに買う?」 「えっと、買い忘れたらしい卵……、それから牛乳……、真利姉ちゃんの要望でスナック菓子……、あとは好きなの買っていいって」 「好きなの」 「おやつですね。ヴィクトルなに食べたい?」 「アイスかな!」 「アイスね」 勇利はにこっと笑った。このところ気がついたことがある。勇利は、普段はなんとなくぼんやりして表情があまりないが、ヴィクトルのことになると笑ったりする。ヴィクトルはそのことがくすぐったくて仕方ない。たぶん当人は気がついていないだろう。 「このあたりは夜になると静かだね」 「そうですね。ロシアはもっと賑やか?」 「俺の住んでるあたりは、賑やかというほどでもないけど、でもこんなに人通りがなくなったりはしないかな。夏は白夜で、いろんな催しがあるよ」 「ああ、白夜」 勇利は星空に目を向けた。 「きっと綺麗でしょうね……」 彼の夢見るような視線に、ヴィクトルはなんとはなし見蕩れてしまった。きみも綺麗だよ。そう言おうとして、とりあえず口をつぐんだ。なんだ、この口説き文句みたいな言葉は? そういえば前にも言ってしまった。温泉で。でもあのときといまとでは、ちょっと意味合いがちがう。 「白夜かぁ……」 勇利がつぶやいた。こうしておとなしやかな様子で歩いている物静かな彼は、あのバンケットのとき踊り狂っていた彼と同じ人物とは思えない。とても穏やかで神秘的だ。こういうところがよくわからないし、魅力的だなと思う。 「勇利もいつかサンクトペテルブルクにおいでよ」 ヴィクトルは誘った。 「案内するよ。いろんなところへ連れていってあげる」 「ヴィクトルの生まれた街ですね」 勇利はほほえんだ。 「行きたいなあ……」 しかし、行きたい、と言いながら、彼は生涯かなうことのないねがいを口にしているようなふぜいだった。月明かりを頬に受け、瞳に星を映し、どこかさびしそうに笑っている。胸が痛くなるような横顔だ。 「おいでよ。必ずおいでよ」 勇利にそんな顔をさせたくなくて、ヴィクトルはつい力をこめ、熱心に誘ってしまった。 「俺の家に泊めてあげるよ。俺が勇利のところにお世話になってるみたいに」 勇利はきょとんとしてヴィクトルを見た。そして彼はくすっと笑った。 「いいね、それ」 いいね、それ。いいね、それ、だって。 ヴィクトルは、本当にいつか勇利が自分の街に来るような気がした。 「温泉はないけどね」 ヴィクトルはうれしくなって、そんなはしゃいだ話し方をした。 「知ってる」 勇利がまたくすっと笑った。 「知ってる? なんで?」 「え? だって……」 彼は一瞬だけ、からかうようにヴィクトルを見た。 「貴方、温泉に入ったのはうちが初めてだって言ってましたから……」 そこで勇利は歩道から明るい駐車場へと入り、コンビニエンスストアの扉を押し開けた。ヴィクトルはちょっと立ち止まり、それから急いであとを追った���勇利はもうカゴに卵と牛乳を入れており、真利のスナック菓子を選んでいるところだった。 「ヴィクトル、欲しいもの持ってきて」 「…………」 「ヴィクトル?」 「え? なに?」 「アイス、欲しいんでしょ?」 「欲しい」 「ぼくのも取ってきてください」 勇利は袋を見くらべながら言った。 「かき氷」 「カキゴーリ」 「シャーベットアイスですよ。それならカロリーが低いから」 「そうだね」 ヴィクトルはアイスクリームのたくさん入った冷凍庫の前へ行った。自分が欲しいものと、それから勇利の欲しがった「かき氷」を取ろうとした。 「……勇利」 「何ですか」 「赤いのと青いのとある。どっち食べる?」 「ああ……、うーん、どっちでも。ヴィクトル選んでください」 「赤いのはなに?」 「いちごかな」 「青いのは?」 「ソーダ」 ヴィクトルは、青いかき氷を食べている勇利を想像してみた。みずみずしくていいなと思った。次に、赤いかき氷を食べている彼を思い浮かべた。かわいらしくていいなと思った。 ヴィクトルは目当てのものを手にし、勇利のもとへ戻ろうとした。雑誌の並んでいる棚の前を通った。その表紙はかなり過激だ。 「ねえ、勇利」 「はい」 勇利がカゴにスナック菓子を入れながらこちらへ歩いてきた。 「勇利はこういうの、見たりするのかい?」 「こういうのって?」 勇利は顔を上げた。ヴィクトルが成人向け雑誌をまっすぐ指さしていることに気がつくと、彼はぎょっとして急いで寄ってきた。 「勇利のそういう話を聞かないなと思って」 「そんな話はいいですから!」 勇利はまっかになった。声をひそめているが、かなり怒っている様子である。 「なんで? 大事なことじゃないか��男の子なんだし。日本人ってまじめそうなわりに、こういうところでは大胆だよね。勇利もそう?」 「もう帰りましょう」 「いっさい興味がないということはないだろ? 勇利っておとなしそうだけど、そのあたり、どうなんだい?」 「ノーコメントです!」 「また?」 ヴィクトルは陽気に笑った。 「そうやってすぐごまかす」 「こういうところでする話じゃないでしょ!」 「じゃあ、家に帰ったらゆっくり聞かせてくれる?」 「ヴィクトル!」 勇利はレジにカゴを置き、振り返った。 「いい加減にして!」 ヴィクトルはきょとんとした。それから楽しくなって彼のところへ行った。カゴの中にアイスクリームとかき氷を入れる。 「もう、ほんと、怒るよ!」 ヴィクトルはほほえんだ。勇利は会計のあいだも帰り道でも、つんと澄ましてヴィクトルのほうを見もしなかった。 「勇利、悪かったよ」 「ほんとに悪かったと思ってるの?」 「思ってるとも」 「どうだか……」 勇利が横目でじろりとヴィクトルをにらんだ。その突き放すような目つきがかわいかった。 「で、どうなんだい?」 「何が?」 「ああいうの、勇利、見てるのかい?」 「ヴィクトル!」 「勇利」 「なに!」 「カキゴーリとニシゴーリって、似てるね」 勇利が目をまるくした。彼はぱちりと瞬き、それからくすくすと笑い出した。 「ね?」 「そうだね」 勇利は愉快そうにうなずいた。 「似てるね」 それから、彼は思い出したように何度も笑いながら、夜道をゆっくりと歩いた。ヴィクトルは勇利の隣にいた。風に乗って勇利の匂いが漂った。ヴィクトルの手が、勇利の手にふれそうだった。 手をつないだら勇利はどんな顔をするだろう。ヴィクトルはふとそんな好奇心をおぼえた。怒るだろうか? 平然としているだろうか? 照れるだろうか? しかしヴィクトルはそうはしなかった。あとすこしで勇利にふれられる、というところをのんびりと歩いていた。だめだ。いまはまだ……。 「ああ、風が湿ってる。梅雨ももうすぐ明けるかな。明けたら夏ですね。ものすごく暑い……」 「勇利」 「ん?」 「もしまたおつかいを頼まれたら、俺を誘ってね」 勇利はヴィクトルのほうへ首をまわし、大きな目でヴィクトルを見た。黒い瞳の中に月明かりが瞬いて、綺麗だった。 「うん」 ヴィクトルは、リンクにいるとき以外も、なるべく勇利と一緒に過ごすことにした。勇利がどこかへ行こうとすれば行き先を尋ね、ついていってよいかと訊いた。家に飾ってある賞状やトロフィーをひとつひとつ見て、これは何のときのものか、いくつで取ったのか、と興味を示した。勇利がたまに洗濯を手伝っていたら、「俺も」と言ってふたりで物干し竿をいっぱいにした。そうしていると、勇利とのあいだにすこしずつ会話が増えてきた。 「ヴィクトルって」 勇利は白いシャツをひろげながら尋ねた。 「自分の家では、洗濯とかしてたの?」 「いや」 ヴィクトルはかぶりを振った。 「クラブに持っていくとどうにでもなるんだ」 「へえ……」 勇利は意外そうに眉を上げた。 「そうなんだ。手伝いの人とかがいるのかと思った」 「考えたこともあるけど、自分の家に人が入るのがいやでね。信頼できる会社もあるんだが、なんとなく気持ちが向かなかった」 「じゃあ、ごはんは?」 「クラブに栄養士がいるからね」 なるほど、と勇利は感心した。彼は新しいシャツを取り、皺を伸ばした。その無邪気な仕事ぶりにヴィクトルはほほえんだ。 「勇利は? デトロイトではどうしてた?」 「ごはん? ピチットくんと当番制かな。あ、ピチットくんっていうのは友達のスケーターなんだけど。タイの。ヴィクトル知ってるかなあ……。当番制っていっても、結局一緒につくることが多かったけどね。どっちも得意じゃないから、協力しあうしかないというか……」 「勇利と一緒につくるのは楽しそうだ」 「何が?」 「いろいろ」 「ヴィクトル、それ、陰に干さないとだめなやつ。こないだ真利姉ちゃんに怒られた」 「失礼」 勇利はヴィクトルを眺めて笑った。 「ヴィクトルが日本らしいこんな庭で洗濯物干してるなんて、ちょっと衝撃だね」 「そうかい?」 相変わらず勇利は、自分のことではたいていぼんやりしているけれど、ヴィクトルのことでは笑うのだった。 「じゃあ写真撮って」 「え?」 「SNSにアップしよう。洗濯物を干すヴィクトル・ニキフォロフ」 「いいの? こんなのヴィクトルじゃない、とか言われるんじゃない? ヴィクトルはなんていうか……、革張りのソファに座ってワイングラスをまわしてるような……」 ヴィクトルは噴き出した。 「いまさら何を言ってるんだ。俺はこれまで、いろんな写真を出してるよ」 「そうだけど、こんな家庭的なのはまだないでしょ」 「勇利はどう?」 ヴィクトルは勇利の顔をのぞきこんだ。 「何が?」 「家のことなんかしてる俺、ヴィクトル・ニキフォロフじゃないって思う?」 「…………」 勇利はヴィクトルを見てにっこり笑った。 「ヴィクトルはいつでもヴィクトルだよ」 そのとき、真利が縁側へやってきて、「おーい、これも」と声をかけた。 「はーい」 勇利が振り返って駆けていく。ひらひらと彼のシャツの裾がひるがえる。髪がさらさらしていて、ヴィクトルは、その艶やかな黒髪を撫でてみたいと思った。でもだめだ。自分からふれるのはよくない。ずいぶん親密になったつもりだけれど……まだ。 「ねえ勇利」 「んー?」 勇利は大きなカゴに入った洗濯物をこちらへ運んでくる。ヴィクトルの使っている敷布だ。 「もし俺が、きみに──」 きみにふれたら、きみは近づきすぎだと驚くのだろうか? いやな気持ちになるんだろうか? ただ仲がよいしるしだということを示したとしても……。なにしろきみは、人に踏みこまれるのを極端にいやがるから──。 「あ、ヴィクトル」 勇利がふと気がついたというように顔を上げた。 「ぼくちょっと行ってくる」 「え?」 「そろそろ表にビールが届いてる時間なんだ。中に入れなくちゃ。手伝ってくるよ」 「…………」 「これ、よろしく!」 勇利がカゴをヴィクトルに持たせた。彼はちょっと走ると、ふいに振り返って楽しそうに言った。 「洗濯物抱えてるヴィクトル、おもしろい!」 長谷津は夏を迎えた。ヴィクトルにとっては初めての日本の夏だ。もう、信じられないくらい暑い。連日、彼はへたばっていた。せめて昼間はリンクへ行きたいけれど、一般開放の時間だ。遊びに行こうか、と勇利に提案したら、「ヴィクトルが行ったら騒ぎになっちゃうんじゃない?」と笑われた。 「みんなもう俺のことなんて慣れてるだろ」 「それはそうかもしれないけど、やっぱりすべってるとなると話がちがうと思うな。ぼくだって、ヴィクトルがリンクに遊びに来てるなら見たいもん」 「勇利は俺のすべってるところなんて毎日見てるだろう」 「それとこれとはちがうんだよ。慣れてても話がちがうっていうのはそういうこと」 わかってないな、と勇利は笑った。勇利はやはり、ヴィクトルのことになるとよく笑う。好かれている──とは思う。だが、いまだに勇利は、彼のほうから積極的に近づいてきて何かをしようと言うことはない。なんでもヴィクトルが誘うのだ。言えば素直に応じはする��、勇利から親しみを示して欲しいなとヴィクトルはぼんやり考えている。 「ゆうりー」 炎天下では外での体力作りもできないので、昼間は勇利はのんびりくつろぐか昼寝をするかという時間にあてている。勇利の部屋をのぞいてみたが、彼はいなかった。 「勇利?」 ヴィクトルは一階へ下り、縁側へ行ってみた。勇利が畳の上に寝転がり、扇風機をまわして眠っていた。寝てるのか。起こしては悪いと思い、ヴィクトルは黙って腰を下ろした。ちゃぶ台の上に、すこしだけ麦茶の残ったグラスと、空になったアイスクリームの容器がある。いや、アイスクリームではない。たぶんシャーベット──かき氷だ。 ヴィクトルはぼんやりと頬杖をつき、勇利の寝姿を眺めた。暑いとはいえ、何か身体にかけたほうがよいのではないだろうか。しかし、そうしたらかえって汗をかいてよくないだろうか。 ヴィクトルは勇利のそばへ寄っていった。前髪が流れてあどけない額がのぞいている。試合のときの勇利はおでこが見えているが、あの凛々しさはいまはかけらもない。子どもみたいにすやすや眠っている。口元がもごもご動くのは、夢の中で何か食べているのだろうか。 いまだにヴィクトルは、勇利に自分からふれていなかった。踏みこまない、ときめたままにふるまっている。気持ちはずいぶん通じあってきたと思う。勇利がゆるせる境界線というものもわきまえられた。もっとも、それは日によって変化するので、絶対とは言えないけれど。 いまヴィクトルが親しげにさわったら、勇利はどんな顔をするだろう。まだそこまではされたくないだろうか。接触されるのはいやだろうか。ヴィクトルとしては、親愛の情を勇利に示すなら、彼をかるく抱擁したり、手を握ったりは当たり前になりたいのだが、勇利はどうだろう。 「…………」 ヴィクトルはそっと手を上げた。勇利の頬にふれようと伸べる。さわりたい……。氷の上では凛としているのに、そこから降りると、どうしてこうおさなげな様子になるのだろうか。頬も、ふっくらしているというほどではないのに、確かにヴィクトルとは何かがちがう。研ぎ澄まされている、とはとても言えない。大人の男のようではない。だから余計にふれてみたくなる。 ヴィクトルは勇利のほっぺたを撫でようとした。髪にふれ、耳たぶをつまみたかった。こめかみに浮いている汗を指先ですくいたかった。やわらかそうなくちびるを押してみたかった。 だが、手を止めた。 勇利が寝返りを打ち、「ん……?」とつぶやいて目をさました。 「ヴィクトル……?」 「やあ、おはよう」 ヴィクトルは手を握りこみ、身体の後ろへ引いてほほえみかけた。 「何してるの……?」 「勇利の寝顔を見てた」 「変な顔してた……?」 「いや、ぜんぜん」 「わかった。ほっぺたに畳の跡がついてるからおもしろかったんでしょ。もう……」 勇利は目をこすりながら起き上がり、きょろきょろとあたりを見まわした。 「なに?」 「眼鏡……」 「きみの後ろにある」 「ん」 勇利は両手で眼鏡をかけた。ヴィクトルはなんとなくちゃぶ台の上を見、「ひとりでかき氷食べたの?」と尋ねた。 「ヴィクトルも欲しかった?」 勇利が笑った。 「でもそれ、ぼくのだよ」 「かき氷へのこだ��りがすごい」 「そうじゃなくて。だってそれ、ヴィクトルがぼくに選んでくれたやつだもん」 「え?」 「先月……? かな? 一緒に夜コンビニ行ったでしょ。そのとき、ヴィクトルにぼくのかき氷��取ってって頼んだんだよ」 「……ああ、あれか」 ヴィクトルは驚いた。 「そう。だからあれはぼくの。ヴィクトルがぼくに取ってくれたソーダ」 「まだ食べてなかったのか」 「うん」 勇利はそばに落ちていたタオルで汗をぬぐった。 「なんかもったいなくて」 「もったいない?」 「だって、ヴィクトルがぼくのために選んでくれたから」 勇利は白い歯を見せた。 「食べちゃうのが惜しくなったんだよね」 「…………」 「だから名前書いて、奥のほうに隠してたんだけど、真利姉ちゃんに発見されて、霜だらけになってるし、食べないなら食べるって言われて、仕方なく」 ヴィクトルは言葉もなかった。勇利は、ヴィクトルが取って渡した、という、たったそれ���けのものを、こんなにも大切にしていたのだ。 「……美味しかった?」 ヴィクトルは尋ねた。 「うん。つめたくて」 勇利はあくびをひとつした。 「はあ、よく寝たなあ……。汗だくだ。温泉入ろうかな……」 勇利はタオルとグラス、それにかき氷の容器を取り上げ、部屋から出ていった。ヴィクトルはひとり取り残された。 おそらく勇利は、ヴィクトルからふれても、きっと怒ったりいやがったりはしないだろう。もう、それくらいには信頼してくれているし、好意も寄せてくれている。しかしヴィクトルは、やはり、彼のほうから近づいてきてくれるのを待つことにした。こころはこんなにひらいてくれるのだ。いつか──いつか、身体のほうでも、彼から自然に接されたい。当たり前みたいにくっつかれたり、すり寄られたり、もたれかかられたりしたい。 中四国九州大会が近づいていた。この予選に出なければならないのは、勇利が昨季の全日本選手権で失敗したからだが、ヴィクトルは、ある意味ではこれはよかったと思っていた。いきなりグランプリシリーズに出るよりは、もうすこし前に目標があったほうがよい。 勇利も試合が近いからか、近頃はいつも以上に練習に熱が入っている。あまりに熱中しすぎて、ヴィクトルが注意しなければならないほどだ。もともと稽古の好きな勇利だが、このところは、もっと、もっと、ととにかくリンクにいることを求めるのである。あからさまに禁止すれば精神的に悪い影響が出そうだし、だからといって好きなだけやらせるわけにもいかないし、操縦が難しいところだった。 もっとも、本気になってこころも身体も試合用になってゆくのはよいことだ。ヴィクトルはそういう意味では安心していた。 ある日、ヴィクトルは夜半にふっと目がさめた。どうして起きてしまったのかわからない。喉が渇いたわけでも、手洗いへ行きたいわけでもなかった。ヴィクトルは考えこんだ。 起き上がって館内着を身につけ、廊下へ出る。家の中はしんと静まり返っている。ヴィクトルはゆっくりと歩いた。階段を下りてとっつきの部屋が居間だ。そこからちいさな音が漏れていた。ヴィクトルは思いきって襖を開けた。 勇利がいて、彼は真剣にテレビをみつめていた。映っているのは勇利自身である。試合の映像だ。見覚えのある衣装を着ている。昨季のフリースケーティングだった。 勇利はヴィクトルが入ってきたことに気づいたはずだが、顔を上げもしなかったし、何も言わなかった。ヴィクトルは襖を閉めて勇利の隣に腰を下ろした。ヴィクトルも画面を見た。国際大会ではない。どうやら、全日本選手権のようだ。 全日本選手権……。 この試合で、勇利はすべてにおいて失敗をした。ヴィクトルもこの映像は何度か見た。技術は悪くないのに、何かにとら���れたような、なんとももどかしいすべりだった。おまえはもっとできるだろう、と言いたくなる。ここをこうして、こっちをああして、こういうところに気をつけて、と片っ端から注意したい。実際、勇利にそれを伝えたこともあった。しかし何よりいちばんしてやりたいのは、ぎゅっと抱きしめて、「大丈夫だ。きみはちゃんとできる」と声をかけることだった。 ヴィクトルは横目で勇利の様子をうかがった。勇利は真剣な表情をしているが、とくに悲観的には見えない。だが、極上の心理状態とは言えない気がした。きっと彼は、試合が近づくことでやる気にみち、それと同時に不安が生じ、昨季の最後の試合がどんなふうだったか確かめたくなったのだろう。どうも自分をいじめすぎるな、とヴィクトルは思った。どうせなら、絶好調だった時期の試合を見ればよいものを。たとえば、グランプリファイナル出場をきめたときの演技だとか、パーソナルベストを更新したときの競技だとか。なのに勇利は、苦しい、つらいときのものを選ぶのである。まあ、グランプリファイナルを見てないだけましなのかな……。ヴィクトルはそう考えた。 「どうしてこれを見てるんだい?」 ヴィクトルは静かに尋ねた。 「とくに意味はないよ」 勇利は淡々と答えた。 「ただ、急に見たくなって」 「こんな夜中に?」 「うん」 「眠った?」 「寝たよ」 うそだろうな、となんとはなしヴィクトルは見当をつけた。 「どうして悪い試合を見るんだ」 「だから、見たくなったからだよ」 「グランプリファイナルじゃないだけいいけどね」 あのときはすべてを失敗したわけではなかったけれど、国際大会で惨敗した、初めてのグランプリファイナルで、という思いは、相当に彼を苦しめただろう。 「それはさっき見た」 「見たのか!」 ヴィクトルはあきれかえった。勇利が前を向いたまま口元にひとさし指を当てる。 「しっ、静かに。みんな寝てるんだよ」 「勇利、きみね……」 こんなもの見るな。憂鬱になるばかりだぞ。ヴィクトルはそう言って消してやろうかと思ったが、でもこれがいま勇利のいちばんやりたいことなのだろう、と結局は理解を示した。勇利はよくわからない精神構造を持っている。だめだ、と頭ごなしにきめつけていたのでは、彼とともには歩けない。ヴィクトルは、勇利について、よくわからないなあ、と首をかしげるたび、こういう選手なのだ、受け容れよう、と思ってきた。だから今夜もそうするしかない。 「……いまならこんな失敗しないって思うのに」 勇利は、テレビから発されるひかりだけをおもてに受けてつぶやいた。 「でも、本番になったとき、本当に失敗しないかどうかはわからないんだ……」 ぽつんと落ちた言葉に、ヴィクトルはどう答えればよいのかと迷った。 「失敗しないさ」 結局、ありきたりだけれど、いちばん大切なことを口にした。 「しないよ」 「どうしてそう思うの?」 「どうして? 当たり前だろ? 俺は毎日勇利と一緒に練習してる。勇利がどれだけできるか、勇利と同じくらい──いや、勇利よりよくわきまえている。自分の知識に照らしあわせれば、勇利はちゃんとできるという答えが出るよ」 「それ、ぼくの精神的な部分も考えあわせた結果?」 「そうだよ」 「…………」 勇利はしばらく黙りこんでいたが、そのうち、口元にかすかな笑みを浮かべた。 「……ありがとう」 彼は物穏やかに礼を述べた。 「たぶん、実際本番になったらかなり緊張すると思うんだけど、そう言ってもらえるとうれしいよ」 「緊張してもできるさ」 「……うん」 勇利はこくんとちいさくうなずいた。彼はずっと自分の演技を見ていた。何度も転び、悔しそうに立ち上がる数ヶ月前の自分を見ていた。 ヴィクトルはふいに、勇利を抱き寄せたい気がした。こんなことをして自分を追いこむな。俺ができると言っているんだから俺を信じろ。そうささやいて髪を撫でてやりたかった。しかし、それを勇利が望んでいるか、よくわからなかった。彼は傷つきやすく繊細だが、たとえかなしんでいたとしても、どうかほうっておいてくれ、と言っているようなところがある。なぐさめなんかいらない、ぼくはひとりでいたいんだ、という気配を感じるのである。ヴィクトルが抱き寄せ、優しくすることで、かえって彼の精神をみだしてしまうかもしれなかった。 ヴィクトルは悩んだ末、そっと手を上げ、勇利の肩を引き寄せようとした。勇利はまだ熱心に画面を見ている。勇利。ひとりで見るな。次からは俺を呼ぶんだ。きみの何もかもに俺は付き合うよ。だからひとりぼっちでがんばるな。俺はおまえのコーチだろ。抱きしめてそう言いたかった。 しかし、耐えた。勇利の肩にふれる直前、ヴィクトルは手をひっこめた。さわりたいな、と思った。勇利のぬくもりを感じて、ヴィクトルのことも親しく理解してもらって、もっと近々と彼に話しかけたかった。だが、できなかった。自分がそうしたいと思っているだけで、勇利はちがうかもしれないのだ。利己的な考えで勇利をなぐさめたつもりになるのは愚かというものだ。 勇利のほうから甘えて、寄りかかってきてくれたらいいのに……。ヴィクトルは手を握りしめて膝に置いた。 やがて勇利は満足したのか、ふうと息をつき、映像を止めてヴィクトルを振り返った。 「もう寝るよ」 「……ああ」 ふたりは連れ立って二階へ上がり、ヴィクトルの部屋の前で向かいあった。 「一緒に見てくれてありがとう」 「いや……」 「ヴィクトルってすごいね」 勇利はほほえんだ。窓ガラスを通してあわい色の月光を浴びる彼は不思議に神秘的で、笑い方もひどく優しかった。 「どうして一緒に見てもらいたいと思ってたこと、わかったの?」 「え?」 「おやすみなさい」 勇利はヴィクトルに背を向けた。ヴィクトルは閉まった扉をじっと見ていた。勇利は、甘えたいのか甘えたくないのか、よくわからない子だ。 すこし汗をかいたので、ヴィクトルはその夜二度目の温泉に入っていた。ひとりで露天風呂につかりながら、彼はついさっきのことを思い出していた。 そのとき、ヴィクトルは店の食事処で夕食をしたためていた。そこに勇利が通りかかったため、常連客たちが彼を呼び止め、一緒に食事するよう勧めた。勇利は遠慮していたが、結局押し切られて、台所から自分の夕飯を持ってきた。そのとき彼は、空いている席がほかにあるのに、わざわざヴィクトルの隣まで来て、窮屈なところへ座った。ヴィクトルはすこし驚いた。思わず勇利をみつめてしまった。しかし勇利は気にしていないようで、常連客たちの話に控えめに応じていた。ヴィクトルがいつまでも見ているので、彼は不思議そうに顔を上げた。 「なに?」 「いや……」 食事が終わっても、勇利はなかなか席を立たなかった。それは客たちにいろいろと話しかけられているからなのだが、ヴィクトルはなんとなく妙な気持ちになった。これまでちっともなつかなかった猫が、そっとそばに寄ってきたような気分だった。撫でたら警戒してどこかへ行ってしまうだろうか? それとも、撫でてよいからこんなに近くへ来たのだろうか? ヴィクトルはひどく悩んだ。結局ヴィクトルは何もしなかった。あれは何だったのだろう。 「まあ、意味なんてないんだろうけど」 ヴィクトルは風呂から上がり、二階へ行った。自室にあかりがついている。妙だ。消さなかっただろうか、と思いながら中へ入った彼は、その場に立ちすくんだ。 ヴィクトル��ベッドで、勇利が寝ていた。 そばにはノート型のパーソナルコンピュータがある。動画がひらいたままになっていた。きっと、何か意見を聞きたいと思ってやってきたのだろう。待っているあいだに眠りこんでしまったのだ。彼の姿勢は、ベッドに座ったまま、眠気に耐えきれずころんと寝てしまった、という感じだった。ヴィクトルは驚きからさめるとほほえんだ。 「気持ちよさそうに寝るね」 起こさないよう、そっとベッドに腰を下ろした。勇利のあどけない顔。呼吸で身体がすこしずつ上下している。深く眠っているようだ。赤ちゃんみたいだな、とヴィクトルは可笑しかった。 いつの間に、こんなに安心した顔を見せるようになったのだろう。以前はもっと緊張していた。自分がみっともないことをするのではないかと、ひどく用心していたのである。なのにいまは、ヴィクトルの部屋で、ヴィクトルのベッドで、こんなふうに無防備に眠りこんでしまっている。ヴィクトルと一緒にいれば安心、とでもいうように……。 「かわいい」 ヴィクトルは声に出してつぶやき、ほほえんだ。 「そんなにかわいいことをされると、撫でたくなるぞ」 勇利……、もう俺のこと、こころの底から信頼してるだろう? ヴィクトルはうれしくなった。ああ、こんなに無垢なところをさらけ出す彼の髪をかき上げ、そのまま梳き、よしよしとかわいがることができたらどんなにいいだろう。俺はおまえをかわいく思っているよとそぶりで伝えられたらどんなにか楽しいだろう。ヴィクトルのことが好きで、そっけなくて、用心深くて、警戒心が強く、困難な性質をした、かわいい勇利。 あとひと息なのだ。きっとあとすこしで勇利のほうから歩み寄ってくれる。我慢に我慢を重ね、無理に近づかず、さわることも耐えたヴィクトルに勇利のほうから寄り添ってくれる。利己的にならず、勇利が勇利の好きなときに近づいてくれるよう忍耐しきったヴィクトルを信じ、こころを完全にひらいてくれるのだ。 あとひと息……。 「勇利……」 ヴィクトルは勇利の寝顔をみつめた。しかし、そんな日が本当に来るのだろうか、という気持ちもあった。勇利が他人に自分から寄っていくなんて、そんなことがあるだろうか。この、踏みこまれることが嫌いな、人との接し方がへたな勇利が。勝生勇利が誰かに自分からぴったりとくっつき、ぬくもりをわかちあうなんて、どうもありそうにない話ではないか。 今日はじゅうぶんにがんばったので、すこし早めに練習を終え、ヴィクトルは私室でくつろいでいた。夕食後、勇利は部屋に閉じこもり、何かひとりで楽しんでいた。おそらくヴィクトルの動画でも見ているのだろう。勇利はいつもそうだ。 夜も十時を過ぎたころ、勇利の部屋の扉がひらいた。お風呂かな、だったら俺も入ろうかな、と思っていたら、勇利が障子の向こうから声をかけてきた。 「ヴィクトル、ぼくコンビニ行くんだけど、ヴィクトルも行く?」 ヴィクトルはぱっと立ち上がった。 「行く行くー!」 誘ってくれた。勇利が。初めて。ヴィクトルは浮かれながら勇利と家を出た。 雨上がりのしっとりとした大気の中、ふたりは連れ立って夜道を歩いた。 「雲が晴れてきたね」 勇利はおぼろな月を見上げて言った。 「明日はまた暑いかな」 「そうだね。日本の夏、びっくりだよ」 「ぼくも久しぶり。デトロイトも暑かったけどね。日本は独特だよね。湿度が高いから」 「勇利、初めて俺を誘ってくれたね」 「え?」 「コンビニ行こうって」 「そうだっけ?」 勇利は不思議そうな顔をした。 「そうかな……、そうかも。前にヴィクトルが言ってたから」 「え?」 「またおつかい頼まれたら誘って、って」 「…………」 「今日はおつかいじゃなくて、ただぼくが行きたいだけなんだけど、ヴィクトルも行くかなーと思って」 ヴィクトルはがっかりした。勇利が自分で誘いたくて誘ってくれたわけではないのだ。近づいてくれたのかと思ったのだが、ただヴィクトルの要望に応えただけのことらしい。つまらない。 「ヴィクトル、どうしたの?」 「なんでもない。勇利は何を買いたいんだい」 「かき氷」 「また?」 「うん、また」 勇利はくすっと笑った。 「ヴィクトルが選んでくれる?」 「…………」 「今度はすぐ食べるよ。同じことしてたら真利姉ちゃんに怒られるからね……」 好かれていると思うんだ。好かれていると思うんだ……。ヴィクトルは呪文のようにそう考えた。しかし、最後のところで近づいてきてくれない。そもそも、勇利にそれを求めることがまちがっているのだろうか。彼はそういう発想などない、誰にもふれない性質なのだろうか。きっとそうだ。考えにないことなら、いくら待っていたって起こるはずがない。勇利から接触してくれるなんて。 「今日は赤いのにしたら?」 「ヴィクトルがそう言うなら」 ヴィクトルは、勇利って罪な子だなあと思った。貴方がそう言うなら、なんて口説き文句ではないか。なのにちっとも接近してこない。かけひきでもしているかのようだ。俺をためしてるのか、という気がしないでもない。魔性のカツ丼ってこういう意味なのか? 店に入ると、勇利はすぐに大きな冷凍庫の前に行った。 「ヴィクトルもアイス食べるでしょ? どれ?」 「うーん……」 「あ、新しい味出てる」 「じゃあそれ」 ふたりは支払いを済ませて店を出た。勇利はのんびり歩きながら言った。 「帰ったら一緒に食べる?」 「そうだね……」 ヴィクトルは上の空だ。勇利は気づかないようである。 「ヴィクトル、ほんとにアイス、あれでよかったの?」 「いいよ」 「ヴィクトルって日本のお菓子好きだよね」 「ああ」 「ぼく赤いかき氷食べたら、べろが赤くなっちゃうかもなあ……」 「勇利」 「なに?」 「勇利って……」 自分から人にさわったことあるのかい? そう尋ねようとしてヴィクトルは口をつぐんだ。おかしな質問だ。 「どうしたの?」 「いや……」 「あ、ヴィクトル、見て」 ふいに勇利がヴィクトルに身体を寄せてきた。ヴィクトルは驚いた。それと同時に勇利はヴィクトルの腕を取り、そっと静かに手を添えた。 「あそこに川あるでしょ」 勇利が右手を示した。ヴィクトルは返事ができなかった。 「あの川ね、ぼくが学生のころ……」 勇利は何か話している。しかしヴィクトルの耳には入らなかった。勇利がヴィクトルの腕に手をからませた。当たり前みたいに……。 「……でね、ぼくはそのときヴィクトルのことを考えてたんだけど、もう突然大きな水音がしたからなにごとかと思ったんだよね」 勇利が笑った。笑いながら、すり、とヴィクトルにすり寄った。無意識にしか思えない、自然な行動だった。 「ヴィクトルと歩いてて、いま急に思い出した。おもしろいでしょ?」 「…………」 話が終わっても、勇利はヴィクトルから離れなかった。相変わらずヴィクトルの腕に手をかけ、くっついている。自転車のベルが鳴ったので、彼はヴィクトルのほうへ身体を寄せた。自転車が通り過ぎてもそのままだった。 「どうしたの?」 勇利が不思議そうにヴィクトルを見上げた。眼鏡のレンズの向こうで大きな目が瞬き、あたたかそうな色の瞳がきらきらと輝いている。勇利にふれられているところが熱かった。 「……いや、ぼうっとしてた」 「ヴィクトルでもぼうっとするんだ」 勇利は笑うとヴィクトルの肩に頬を寄せ、かるく身をぶつけた。 「……うん、するよ」 「へー」 勇利がかるくうなずいた。 「ぼくはわりとひんぱんにするけどね」 「そう……」 ふたりは家まで腕を組んで歩いた。その夜、ヴィクトルはどうしてだかなかなか寝つけなかった。 翌日、日が落ちてから、勇利がはしゃいだ様子でヴィクトルのもとへやってきた。 「ヴィクトル! 近所の人が花火くれたよ。一緒にする?」 「するするー!」 ヴィクトルは思わず勇利に思いきり抱きついた。勇利は「わっ」と声を上げたけれど、笑って、「暑いよー」と優しくとがめただけだった。浜辺で花火をした。ちいさなふくろにすこし入っていただけだったので、すぐに終わってしまったけれど、たいへん楽しかった。 「最後は線香花火だね」 ぱちぱちとはじけるほのかなかよわい火花を、ふたりで静かにみつめた。ヴィクトルは勇利にくっついた。 「なんでそうくっついてくるの。暑いってば」 勇利が笑った。 「そうかな」 「そうだよ」 「勇利の髪、黒くて綺麗だね」 ヴィクトルは勇利の髪に目を閉じてキスした。勇利はまた笑って、「花火見てよー」と言った。 「勇利って綺麗だよ」 ソファの肘置きにクッションを置き、それをまくらにして、ヴィクトルはくつろいでいた。しばらく何か家のことをして立ち働いていた勇利が居間へやってきた。勇利、座るかな、場所を空けたほうがいいかな、と思ったところで、勇利は身をかがめ、ヴィクトルの腹の上にのってきて、胸元におとがいをのせた。 「なに見てるの」 「企画資料。俺を呼んでこういうことをしたいっていう説明だよ」 「催し物?」 「そうだね」 「おもしろい?」 「まあまあ」 「そう……」 勇利はしばらく静かにしていたが、そのうちヴィクトルが持っている資料に手を伸ばし、それを揺らしたりつついたりするようになった。ヴィクトルはほほえんだ。 「いたずらしない」 「うん」 ヴィクトルは勇利の背中に資料を立てるようにし、それを手で支えて続きを見た。勇利はじっとヴィクトルをみつめていたが、身体を伸ばし、ヴィクトルのおとがいにそっと接吻した。 「勇利」 「ん?」 「いたずらは……」 「これいたずらなの?」 「…………」 ヴィクトルはそれでもしばらくは我慢して、文字を目で追っていた。勇利はそのあいだもヴィクトルの首やおとがいにくちびるをふれさせ、ヴィクトルの匂いを吸いこみ、「ああ、あったかい」とご満悦だった。ヴィクトルはちっとも文章が頭に入ってこないことに気がついた。 「勇利」 「満足」 勇利がもぞもぞと動いてヴィクトルの上から退こうとした。ヴィクトルは資料を投げやり、彼を抱きしめて頬ずりした。 「ちょっと、ヴィクトル、離してよ」 「そっちから来ておいてなんだ」 「もういいの」 「俺はよくない」 「勝手なんだから」 「どっちが?」 ヴィクトルは身体を入れ替え、勇利をソファにあおのかせると、のしかかっていって熱心に接吻した。勇利が、ん、ん、とかわいい声を上げる。 まったくもう。最初はぜんぜん俺に近づいてこなかったくせに。初めて俺の腕を取ったときの胸のときめき、忘れてないぞ。いまもこうされると同じだけ喜んでるんだからね、俺は。わかってるのかな? 勇利はあの夏の夜から、ヴィクトルに自分からさわってくるようになった。しかしたびたびというわけではない。思い出したように、ふいに、すっとふれてくるのである。本当にさりげなく。当たり前のように。一緒に歩いていて急にすり寄ってきた勇利が、ヴィクトルの手の中に彼の手をすべりこませると、ヴィクトルは気持ちが転倒し、ひどく感覚が甘くなって、もう勇利にさわったり抱きついたり髪を撫でたりと、いろいろなことをしてしまうのだ。それで勇利は「ヴィクトルは接触過多」と言うのだから……。 「ヴィクトルがこんなに仲よくしてくれるようになるなんて、思ってなかったなあ……」 勇利がぼんやりつぶやいたのでヴィクトルは驚いた。 「俺は最初から勇利に友好的だっただろ?」 こちらのせりふなのだが、と思いながら抗議すると、勇利はかすかにほほえんだ。 「だってヴィクトル、家に人が入るのはいやって言ってたでしょ」 「え?」 なんのことかよくわからなかった。そんな話をしただろうか? 「ほら、家のことを手伝ってくれる人はいないのかって訊いたとき……」 「……ああ」 「だからぼくをここに住まわせてくれるってヴィクトルが言ったの、すごくびっくりしたし、うれしかった」 勇利は部屋を見まわした。ふたりが���るのは、もう、長谷津ではなかった。 「そもそも、サンクトペテルブルクの街をヴィクトルとふたりで歩けるなんて、そんなのも夢物語だと思ってたし」 勇利はうっとりと言ってまぶたを閉じた。 「ヴィクトル、いつかおいでって言ってくれたけど……、本当になるなんて思ってなかった」 「…………」 「ぼく……」 勇利はささやいた。 「いま、とてもしあわせだよ……」 ヴィクトルは無言で勇利を抱きしめた。勇利が「苦しいよー」と笑う。彼はいまでも、ヴィクトルのことだと特別によく笑う。 「ヴィクトルって親しみやすいし優しいけど、ぼくにはとても近づけない、特別なひとだと思ってたなあ……」 「そうか……」 勇利がぱちりと目をひらいた。彼は可笑しそうに言った。 「でも、長谷津のときも時間が経てばそうだったけど、こうしてふたりで過ごすと、もっといろいろなことがわかって、ヴィクトルってぼくにとてもちかしいひとなんじゃないかって思ったよ」 「本当かい?」 「うん」 「たとえば俺のどんなことがわかった?」 「うーん、わりと適当に返事して、あとで『聞いてない』って言うところとか」 ヴィクトルはくすっと笑った。 「やすみのときは寝坊が大好きで、髪もとかさずにぼーっとしてるのが楽しいとか」 「あはは」 「ごはんは自分でつくったことないって言いながら、ぼくがこれやってって言ったらまじめに取り組むこととか」 「勇利を怒らせたら大変だからね」 「ぼくがやっといてって言ったことはやらないくせに、ほかのめんどうなことをさっさとやっちゃってることとか」 「そんなことしてる?」 「そんな、いろいろだよ……」 勇利はヴィクトルの肩に頬をこすりつけ、「そういうの、知らなかったんだから」と目をほそめた。 勇利、俺も知らなかったよ。きみがこんなにあまえっこなところがあるなんてね……。 「それから、意外とあまえんぼう!」 勇利ははしゃいだ声を上げた。 「それはきみだろ?」 「なに言ってんの?」 「きみだ」 「ぼくは普通です」 勇利は拗ねたように言って、キスをねだるみたいにすり寄った。ヴィクトルは、それだよそれ、と思いながらかるくくちづけした。さっきまで「満足した」とか言っていたのにこれだ。かわいい。どうせすぐにまた「くっつきすぎ」などと抗議するのだろう。何が理由で気持ちが切り替わるのかよくわからない。 「ああ、あと」 勇利は首をもたげてうれしそうに笑った。 「貴方は、起きたらやたらとくっついてきて、べたべたするのが好き。ヴィクトルは起きた瞬間からかっこいいんだろうと思ってたぼくは何なんだろうね? こんなのだからあのとき答えを教えてくれなかったの? ヴィクトルは、ぼくのことで何か新しくわかったことある?」 「それはたくさんあるけど、それでもやっぱりおまえは永遠の謎だよ。たとえば、あまえんぼうスイッチはどこにある?」 「そんなものはありません」
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大人になってお天気の日に1日外にいる、って疲れますね(>_<) でも、 ・ それ以上にフラの初舞台はとっても楽しかったです🌴🌺🌴 ニューハーフ!?コスプレ!?のような濃いメイクに衣装。非日常ね〜 ・ 四十肩で腕上がらんのよー、 30年ぶりにジャンプした!なんて言いながら。 ・ 大人になると、初めての経験や緊張感を味わう機会もどんどん減ってくるので、貴重な体験でした。 昨日だけ若返ったかも😊💃🏿 ・ 帰りに、先生が予約してくれていた宇和島名物の鯛めし屋さんで打ち上げをして、お疲れ様でした。 ・ #次回は真夏に海の側で踊るよ #倒れるかも #2枚目のpicは拡大禁止🙅 ・ #ドライフラワー#ドライフラワーのある暮らし#植物と暮らす#インテリア #花のある暮らし#ギフト#プレゼント#プリザーブドフラワー#プリザーブド#プリザーブドフラワーレイラ#フラワーアレンジメント#日々のこと#暮らしを楽しむ#花好き#igersjp#instflower#instdaily#happy#instaflowers#flowers#flowerarrangement#wedding#weddingflowers#flowerstagram#dryflower
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明かりが射す場所へ
その日は平日の木曜日。ボクは人が多くはないが、かと言って少なくもない原宿にいた。
街を照らすように原宿から青山へ伸びる大通りは、明るいライトアップが施されている。
そう、季節は冬。クリスマスが間近に迫る、12月21日。
でも、ケータイのディスプレイにはその日付の前に、2006年の5文字が並んでいる。
つまり今から、木村さん家のKōkiさんが生まれた頃へタイムスリップをした話です。
この日、ボクが原宿にいた理由はタピオカやホットグを買って写真を撮るためではない。
まだ、無い時代の話だからー!ちなみに、ストロングゼロも��ろよいも、まだないの。
では、あったモノをGoogleで掘ってみますと・・・。
原宿の大きな2つの通りが交差する-明治通りと表参道の交差点には眩い派手な
ネオンサイン付のビルディングがあった。(©「K.M.W」インタビュー)
って、KING OF DIGGIN’ことDJ MUROさんのインタビューに書かれていた。ではーー!
開始10行で、人の文章をパクったところで、最後のBlogを始めたいと思います。
チィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーース!
シラフ状態でアタシが、クリスマス間近の原宿の街に迷い込んでしまった理由、それは、
ライブを見るためです。
向かう会場は、原宿の大きな2つの通りが交差する場所から明治通りを新宿方面へ、
自遊空間やカラオケ館のネオンサインが照らす場所に・・・、小保方晴子さんの勢いで、
「あります」!!(注:ちなみに、STAP細胞はないそうですよ。)
そこは今はもう姿を消した、最大で400人が入るライブホール「原宿アストロホール」。
時刻は、午後7時前。入口を抜けて地下へと伸びる階段を降りた先にあるフロアは、
すでに後ろまで多くの人でいっぱいだった。
そんなインドの朝の通勤電車のようなフロアの一番後ろで、ボクは待った。
この年の夏に、それまで歌ってきた曲を収録した、初めてのアルバムをリリースした
「Perfume(パフューム)」がステージに現れるのを。
ボクがPerfumeを知ったのは、そのアルバムがリリースされたすぐ後くらいだった。
友人から薦められて、SpotifyやApple Musicなどのサブスクもまだない時代だから、
ショップへ買いに行った。そして、ポップさがあるエレクトロミュージックの曲にハマった。
曲を聞くだけでは飽き足らず、最近、社会問題になっている中高年の引きこもりのように
家ではずっとYouTubeでミュージックビデオを見ていた。ときめいてる女の子状態で!
そして最終的に、入ったばかりの会社のパソコンを使って、「太鼓の達人 鬼レベル」に
更新ボタンを連打してライブのチケットを手に入れたの。
でも、ボクがPerfumeを生で観たのは・・・、この日が最後となる。
この数日後に始まる2007年、Perfumeは「チョコレイト・ディスコ」さらに「ポリリズム」を
たて続けに発表し、まさに”STAR TRAIN”に乗って、”レーザービーム”のような速さで
音楽シーンを駆け上がって行く。
知らない方がSiriに聞く前に、Perfumeについて少し補足をしますと・・・
2000年に、出身地・広島県で結成。でも、長く明かりが当たらない時間を過ごす中で、
解散も視野に入り、「これでもう終わりかも」と3人の女の子も思うギリギリの状況の中で
それまでライブで披露していた曲を収録した1枚のアルバムを、「Complete Best」と
タイトルをつけてリリースする。
その後、過去の曲や新曲が次々と評判を呼び、東京で花を開かせ、そして”JPN”から
”引力”に引っ張られるように世界へと飛び出していく。
・・・以上。そんな風に書いてありました!
女性誌「anan」の、『オンナの生き方は、いつも難しい。』特集の中にー。
代わりにボクは、次に夢中になれるような、まだ広く知られていないけど良い曲を持つ
「アイドル」を探すようになった。
そうなの、アタシはPerfumeをきっかけに、アイドルのライブを見に行くようになったの。
最初は多くて月1回ほどだった。それがいつしか、毎週末へと回数は増えていった。
1つの音源&曲との出会いが、アタシの生き方を180度変えた。
その後の、”STORY”までも・・・。
そして出発はそう、広島だったの。では”時の針”を進めましょう。タイムマシンに乗って-
ではーー・・・、「広島」から”So long!”な旅の始まりです。まずはーーーーー!!
主人公が不在の、アタクシ命名の”センチメンタルトレイン”に乗って出かけましょう。
ちなみにこの電車は一般に、東海道・山陽新幹線「のぞみ」と呼ばれているそうですよ。
大きくとられた車窓、広島駅のホームの向こうには商業施設や宿泊施設が見えます。
まだ出発前の列車の中に、途中の停車駅を知らせるアナウンスの声が聞こえる。
東京までの道のりの中で停車する駅の数は、全部で7駅。
その各駅で、乗客が入れ替わるように、旅の途中には幾つかの転換点が待っている。
楽しいことや嬉しいこと、悲しいことや寂しいこと。あと、”涙サプライズ!”なこともー。
ライブにおけるovertureのように、 列車の出発を知らせる発車のベルが鳴ります。
旅の全行程は終点の東京まで、距離約900キロ。日数は、およそ2500日に及ぶ。
長い旅ですが、港区女子ではないので、座席はグリーンでなく自由席。
「席を譲らないと上に上がれないメンバーはAKBでは勝てないと思います。」という、
篠田麻里子さんの教えは忘れず扉が開くと同時にダッシュして窓側の席だけは確保。
そこで、3列シートの真ん中に人が座らないように、ヤンキー座りをして威嚇です。
でも、通路側には否が応にも人が座るので、トイレへ行くのは気を遣います。なので!
マジで今回は長いのでウィンドウを閉じるなら”チャンスの順番”は今。それとも皆さん・・・
ボクに「付き合ってみます?」(©南海キャンディーズ・山里亮太さん♡蒼井優さんの言葉)
〇2012年9月~2014年3月28日
列車が、ゆっくりと静かに動き始めます。広島駅のホームが、後ろへと流れていく。
ビジネスマンはパソコンを開き、観光客は駅弁を写真に撮ったりガイドに目を通す。
窓の外を眺めているのは、アタシか、Nintendo Switchを買って貰えない子どもくらい。
出発してすぐ右手にカープの本拠地「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」が見える。
そのグラウンドに2015年、人気選手と一緒に、広島の街の片隅でアイドルを始めた
8人の女の子が立つことを「2013年」の時点で想像��きた人は、何人いただろうか?
ボクには、できなかった。なぜなら、想像力がないことに加えて、2013年はまだ・・・
彼女たちのことを知らなかったからー!
その女の子たちの名前は、「ひろしまMAPLE★S(ひろしまメイプルズ)」という。
Perfumeが誕生した広島県で、2013年に結成されたアイドルグループです。
列車が東京へ向かって走る線路は、次の岡山駅までの間、トンネルが多く続く・・・
そんな光が射さない道の様に、ひろしまMAPLE★Sの最初も手探り状態だったという。
2代目リーダーを務めた森脇紗香(もりわきさやか)さんによると、「初期は誰も知らない
冷たい目で、『え、何?このグループ?』みたいな感じで見られたのが初披露だった」。
そして、「怖かったよね~↑↑」とIKKOさんの語尾で、当時の状況を証言しています。
オリジナル曲はなく、AKB48の曲をカバーしていたのが・・・、ひろしまMAPLE★Sの
最初だった、らしいですよ。(←モヤモヤさまぁ~ずのナレーションを入れてみました)
さらに踊れる曲が少なく、同じ曲をステージで”ヘビーローテーション”していたらしいっす。
そんな「ひろしまMAPLE★S」は2012年12月、広島市内にあるカフェにライブハウスが
併設されたアイドル劇場「STUDIO MAPLE(スタジオメイプル)」で働く女の子たちに、
お客さんが投票をする総選挙が行われて、翌年の2013年1月に「初めてのメンバーが
決定し、結成された」と、またまた森脇紗香さんがソロDVDの中で言っていましたー。
最初のメンバーの数は、エケペディアを参考にしますと14人。涙を飲んだ女の子もいた。
その中には、後にグループのセンターを長くつとめる女の子もいた。
その女の子は、いつか教えてくれた。「私ね、最初の選抜で13番?14番?だったの」と。
・・・数が合わねーよ。
あとで”UZA”いほど出てきますが、先に紹介をしておきますと、その女の子の名前は、
「小泉明音(こいずみあかね)」さんという。元メンバーの江角佳奈(えすみかな)さんが
『あかりんさん』と呼んでいたので、叶姉妹がいうグッドルッキンでない上にGuyの方の
アタシも、アイドルの気分を味わうために、アメトーーク!「パクりたい-1グランプリ」の
ザキヤマさん&フジモンさんに習って、あかりんさんという呼び方をパクりたいと思います!
そんなあかりんさんに、ボクがまだ知らない頃のひろしまMAPLE★Sについて聞きますと
「ホンマ、なんも知らんね!」、と塩対応は返してきました!
アタシにだって・・・、プライドはある!”ゼロじゃねえマイナスから””のスタート舐めんな!”
と、YZERRさんの曲「Trophy」とでんぱ組.incをMash Upしたところで、ではーーー。
昔のことを教えてくれた神対応のメンバーやTwitterと呼ばれる文献に書かれた情報で、
アタシが知らない、ひろしまMAPLE★Sの空白を埋めていきましょう。
「AKB48さんのカバー」をやり「オリジナル曲とかゼロで、むしろこれからどうなるん?」と
森脇紗香さんが不安な気持ちのまま活動をはじめて2ヶ月が経った、2013年3月14日。
ひろしまMAPLE★Sに初めてオリジナル曲ができる。
曲名は、「SUNRIZE(サンライズ)」。
そのジャケットには、14人の女の子が写っているが、まだ、あかりんさんの姿はない。
当時のあかりんさんについて結成時からメンバーに選ばれ、現在はアイドルユニット、
Meteonomiconで活動する宙音美憂(そらねみゆう・ex矢野美優)さんに聞いてみた。
「あかりんね・・・。影が薄かった!あとね、少年のようだった!!(爆笑しながら)」。
そんな陰キャで少年のようだったあかりんさんは、広島の街に秋が訪れた2012年・・・
劇場型のカフェのアルバイトがあることを知り、「バイトをしながら歌とダンスを習える」と
下心いっぱいの動機で、「アイドルになろうなんて思っていなかった」のに10代半ばの頃、
アイドルのスタートラインに立った。
”0と1の間”である、アイドルとしていつ初ステージを踏んだのかは、小学校受験に落ちた
アタシの教養では知ることができませんでしたが・・・。
ひろしまMAPLE★Sが1stシングルを発売した2013年のホワイトデーの前日、
”計算する女の子”あかりんさんは、「広島から全国に通用するアイドルを目指す」という
グループのコンセプト以上の、世界とつながれるTwitterを開始しシーンに姿を見せた。
コメント数は、わずか9件の静かな始まりだった。
川端康成の小説「雪国」の書き出しは、有名な「トンネルを抜ければ雪国だった」と
ウィキペディアを読んでボクは知りましたが、それは日本の北側のお話・・・。
日本の西側では、列車が岡山駅を過ぎた後もトンネルが多く続く。
”だけど...”暗いトンネルも、いつかは抜ける。
その明かりを探して、ひろしまMAPLE★SのメンバーのTwitterを鬼の検索をしたところ、
初代リーダーをつとめた竹下真衣(たけしたまい)さんのTwitterに見つける事ができた。
広島の街に2013年、”10年桜”が咲こうとする頃、 最初の選抜に漏れたあかりんさんが、
ひろしまMAPLE★Sのライブの様子を撮影した写真に姿が見られるようになってくる。
そして夏が間近に迫る6月30日 、ひろしまMAPLE★Sがリリースした2ndシングル
「恋のセンセーション」のジャケットに写る10人のメンバーの中に、いつの間にか・・・
最前を陣取って、ミステリーな”ハイテンション”でポーズをキメるあかりんさんがいた。
そう、あかりんさんはグループにとって2枚目のシングルで初めて選抜入りを果たし、
ひろしまMAPLE★Sのメンバーとなった。グループの出会いは、これだけではない。
キラキラとしたエレクトロの音色でイントロが始まるのが印象的な、このCDに収録された
曲を手掛けたのは、その後、彼女たちの曲をいくつも手掛けることとなる
広島を拠点にする楽曲制作ユニット、「Oscillophone」。
特攻服に刺繍された漢字か象形文字くらいに読み方が困難ですが、「オシロフォン」と
読みます。
結成から半年、徐々にだがひろしまMAPLE★Sの形が出来上がってきていた。
まさに、ひろしまMAPLE★Sに”アイドルの夜明け”が訪れようとしていたの。
同じ6月には、この先およそ6年に渡り、自撮りが苦手と”言い訳Maybe”し続ける
あかりんさんが、Twitterに初めて自撮り写真を投稿する。
そして、AKB48が「 恋するフォーチュンクッキー 」をリリースした2013年の夏の8月、
後にグループのセンターを担うあかりんさんは、”神様も知らない 先の展開”について
Twitterに、このような言葉を残した・・・。
「メイプルらしいなにかをもっと見つけていきたいと思いますʕ•̫͡•ʔ」。
広島の県の木に指定されているメイプルに、メイプルらしい美しい色がつくのは、秋・・・
1つの曲が完成する。
それは12月11日にリリースされる3rdシングルに収録される曲、「BRIGHT!!(ブライト)」。
英語で「輝く、光る」という意味を持つこの曲を持って12月13日、ひろしまMAPLE★Sは
ご当地アイドルのNo.1を決めるイベントへ出演するため、初めて東京の地を踏んだ。
その場所は、あのPerfumeも立った「原宿アストロホール」、にぃーーーーーー!
2013年、ひろしまMAPLE★S”参上!”。
惜しくもNo.1には手が届かなかったが、トンネルの中から光を掴むように歌った。
youtube
「終わりのない夜なんてないよ いつの日か光り輝く」!!
そして10人で足を揃えて・・・、「ずっと走り続けてゆくよ たとえ遠く離れていても」、と。
同じ冬、ひろしまMAPLE★Sは初めて単独ライブを、広島で開催する。
それがボクが知らない、2013年のひろしまMAPLE★Sだ。
色んな変化があったことが分かる。でも、ずっと変わらないモノもある。
それは、アイドルになろうと思っていなかった女の子、あかりんさんがアイドルをしている
1つの理由。それは2013年最後の日に綴られている。
「みんながいるから私はがんばれる!みんながいるから私は笑顔でステージに
立てています!」。
この言葉は、あかりんさんがその後もずっと言い続けていた言葉です。ではーーー!
うっかり間違って読んでしまった方が、グッタリしてきた頃だと思いますが・・・
「私のことは嫌いでも、ひろしまMAPLE★Sは嫌いにならないでください!」。
”次の足跡”へ、”スカート、ひらり”して見せパンをチラつかせながら進んでいきましょう。
〇ひろしまMAPLE★S:2014年3月29日~2016年1月2日
中国地方を抜け、いま列車は水原希子さんが育った街にある新神戸駅に到着した。
ここから次の新大阪駅までは、距離約40km。およそ15分で到着するくらい、近い・・・。
年が明けて、ひろしまMAPLE★S結成から1年が経った、2014年3月29日。
この月にレコーディングを行った新曲を持って、彼女たちは再び東京へ来た。
その場所は毎週、ラッパーがヤンチャなdisり合いをする「フリースタイルダンジョン」の
収録が行われている場所でもある、新木場 Studio Coast。
「アイドル甲子園」という名がついた約100組のアイドルが出演する大型のイベントで、
ひろしまMAPLE★Sには野外のステージが用意された。
当時、地方発のアイドルを進んで見ていたボクは、広島県のアイドルが出るという事で
そのステージを見ていた。
あかりんさんはこの前日、”心のプラカード”を掲げるようにTwitterに「少しでも印象に残る
パフォーマンスができたらいいなと思います」と、ピュアな気持ちを綴っていますが・・・
心が荒みきったアタシに、この日のひろしまMAPLE★Sの記憶はほとんどございません。
悪事を働いた政治家か朝食を何回も食べるおじいちゃんくらい、記憶にございません。
でも、それがボクとひろしまMAPLE★Sの最初だった。
正直言って、自分的に引っ掛かるモノが無かったのだと思います。でもね・・・。
あのPerfumeの時のように1つの曲との出会いで、道のその先は大きく変わる。
その後のひろしまMAPLE★Sは初めて名古屋へ行ったり、またあかりんさんは自身の
DVDの中で何度も、アメリカのギャングスタ・ラッパーのようにボースティングをする・・・
「水曜日のダウンタウン」が放送開始する以前のTBSの番組へ出演したりしていた。
そんなリアルに充実しだした活動の中で、前回の東京でのステージから4ヶ月が経った
夏の7月、ひろしまMAPLE★Sは再び東京へやって来る。
今度は、6月にリリースしたばかりの通算4枚目となるシングルの表題曲を持って!
場所は、東京の下町・浅草。舞台は、その街の中心にある「浅草六区ゆめまち劇場」。
東は宮城県から西は広島県まで、ご当地アイドル7組が出演するイベントだった。
時は、アイドルブームの真っ只中。モーニング娘。やAKB48、ももいろクローバーらが
起こしたアイドルの人気は全国に波及し、広島で爆誕したひろしまMAPLE★S同様に
全国各地で過去にない勢いでアイドルが次々誕生していた。
実際、その日も暑い陽射しが朝から降り注ぐ浅草の街に、熱中症よりもアイドルに熱を
上げる人たちが、地方を拠点に活動するアイドルを見ようと開場前から行列を作った。
その内の何人が、ひろしまMAPLE★Sを知り、興味をもって集まったかは分からない。
少なくとも、アタシは公開される前の「翔んで埼玉」くらい注目をしていなかったの。
でもそれは、ライブが始まる前までのお話。
ひろしまMAPLE★Sの出演はイベント中盤だったと小動物より小さい脳で記憶している。
アイドルがシーンにバブルのように現れた時期。ルックスや音楽性、ステージングなど
個性的かつハイレベルなアイドルが多く存在していた。
その中の1組だった、ひろしまMAPLE★S。ボクが思う、彼女たちの最大の魅力・・・、
それは第一に「曲」だと思う。
このステージで、ひろしまMAPLE★Sが1曲目に選んだのは・・・
youtube
「Boom! Boom! Miracle Emotion(ブン・ブン・ミラクル・エモーション)」!
エレクトロハウス調のキラキラとした可愛い曲と、10人という大所帯で描くダンスは、
KPPの曲ばりに、最&高だった!ただし、一つ気になることが。それはーーーーー!!
当時は、まだアイドルは黒髪がスタンダードだったと思いますが・・・
金髪に茶髪、カラコン、さらに茶髪にパーマをカブせるなど、バーレスクTOKYOか
”ハロウィン・ナイト”の気合いの入ったギャルくらい、メンバーがギラついていたわー。
当時のひろしまMAPLE★Sの持ち曲は、9曲。でも、このイベントは持ち時間が少なく
披露できたのは、オリジナル曲2曲に課題曲1曲だったと思います。
その中で選んだ1曲の新曲、この偶然とタイミングがその後、ひろしまMAPLE★Sの
軌跡をアタシが追い続ける、彼女たちにとっては黒歴史の始まりとなった。
そのライブの様子は、あかりんさんがBlogに載せています・・・
縦に超絶長い画像でー! 写真を編集をする気ゼロ。写真の半分以上が、真っ黒!
・・・「地獄か!」(←千鳥のノブさん)
2014年は音楽認識アプリ・Shazamがまだ無い時代です。そのため終演後に行われた
物販で、運営の方に「きょう最初にやった曲はどれですか?」と知っている限りの敬語で
聞き、長テーブルに並ぶ4枚のCDから1枚だけを、まだ正気を保てていたから購入した。
当時、ひろしまMAPLE★Sはグッズを買うと無料のサイン券がもらえた。
でもね、その券を使ってメンバーと交流をもつことはしなかった。なぜなら・・・。
長テーブルの後ろで、バーレスクTOKYOみたいなひろしまMAPLE★Sの10人は、
メンバー同士のお喋りに夢中だったから!
アタシに、女子の輪に割って入る鋼のメンタルなどない!泣きながら無言の帰宅です。
でもね、購入したCDは家で何度も繰り返し聞き、そしてネットを検索して存在を知った
YouTubeで公開されていた、まだ再生回数の少ないミュージックビデオを繰り返し見た。
気が付くと、いつかのPerfumeの時と同じ、狂気のノイローゼ状態を患っていた。
そしてもう一度、ひろしまMAPLE★Sのライブを観たいと思う禁断症状を発症する
お薬の時間が必要な状態にまでなっていた。・・・テヘペロ!(^o^)ノ
広島を拠点とするひろしまMAPLE★Sが、次に東京へライブに来るのは1ヶ月後。
だから次に見たのは8月、場所は新宿ReNY。世の中的には夏休みですが、それは
子どもに与えられた特権。その日は平日であり、会場のフロアはスペースが目立った。
この前の浅草は会場に多くの人がいたから分からなかったが、ひろしまMAPLE★Sは
まだ東京にファンの方が多くはなかった。それでも、彼女たちのライブは楽しかった。
霊に憑かれたように何度も聞いた曲、「Boom! Boom! Miracle Emotion」を見るために
ライブへ行ったようなものだったけど、正気を奇跡的に取り戻して見る彼女たちの
ステージは、キラキラとした曲を軸にしたセットリストで、どの曲も自分の好みに合った。
では、メンズに生まれたからには、勇気を出さなければいけない時がある。
アタシー・・・、特典会に着弾!!
窓が広くとられた陽の光が射すロビーで行われていたひろしまMAPLE★Sの特典会は、
およそ半数のメンバーに4~5人が並び、残り半数は暇を持て余している程度だった。
「CDきいてね」
初めて話したあかりんさん(※左上)は、アタシにCDは、BOOK OFFに売ったり、
ベランダの鳥避けに使ったりするモノではなく、聞くモノだと最初に教えてくれました。
ここまであかりんさんを中心に話を進めてきましたが、実は当時、ボクは何となくですが
「センターの女の子を推すことはないだろう」と思っていた。
それはアングラ嗜好、思春期の反抗心、もしくはゆるふわギャングがしてきた反発心で。
でも結局、この日から約4年半の時間をボクはあかりんさんを見続けることになるので・・・
あー���!!(CM「UR都市機構」の吉岡里帆さんのパクりました。)
魅力的で個性的なアイドルが次々とシーンに現れたアイドルブームの中で、ボクが
結果的に、ひろしまMAPLE★Sが東京に来るたびに見に行った理由・・・。
それは第一に、好みであるアイドルが歌うクラブミュージックを軸にしていたからです。
そして、そんな曲をノンストップ で見せるライブスタイルや、ボクが出会った時にあった
オリジナル曲9曲を毎回違うセットリストで見せるのは、今日はどんな”only today”な
セットリストなんだろうというワクワク感があった。
あと鍵っ子だったから大勢が好き、さらにブスなアタシに反比例する可愛い女の子が
いっぱいいて、そのメンバーが総じて性格がアッパーだった、などが挙げられます!
でも、さまざまなアイドルが集まる東京に於いて、ひろしまMAPLE★Sのファンは
なかなか目に見えて増えていかなかった。それでも、あかりんさんがいつも言う
「どれも良い曲」を持って、彼女たちは月1度ほどの東京のステージに立ち続けていた。
アイドルになり、ステージに立って歌っていることが純粋に楽しいように、笑顔で・・・。
そんなひろしまMAPLE★Sが、ボクはずっと続いていって欲しいと思って見ていた。
だけど、今より上へは行けるとも思っていた。その、きっと変わっていくであろう
ライブの景色を見たいと、ボクは思っていた。
中国地方を抜け新神戸駅を発車した列車の車窓の景色は、新大阪駅が近付くにつれて
田園の風景から、近代的な都市へと見えるモノが変化していく。
その景色の移ろいのように、ひろしまMAPLE★Sにも1つの変化がもたらされる。
それは秋が近づく8月24日に披露された、ひろしまMAPLE★Sにとって10曲目の新曲。
その曲は牧歌的なメロディのイントロで始まり、その後はフューチャーポップ・テイストの
曲調へと展開していく。
曲名は、「RPM(アールピーエム)」。
この曲について、宙音美憂さんはBlogでこのように書いている・・・。「新曲のRPMは、
BRIGHT!!と繋がってるんだよ!去年の今頃のBRIGHT!!で走り続けるって言ってて、
それから走り続けてきて今ここまで来たよ!これからも走り続けるよ!」。
そう、歌詞には広島というシーンの中心地から遠く離れた場所から、東京そして全国を
目指す彼女たち自身を投影した前向きな言葉が綴られている。
さらにミュージックビデオは・・・
ダンスシーンを撮影した広島市内にある「広島市現代美術館」をはじめ・・・
「私が歩いた場所、行って!」 とあかりんさんにオススメされた、元メンバーの
景山渚紗(かげやまなぎさ)さんと映画「転校生」ばりにゴッツンコする本通り商店街、
宙音美憂さんと元メンバーの佐伯未来(さえきみく)さんがダッシュさせられる袋町公園、
他にも市内の”青空カフェ”や街を走る路面電車のホームなど、ひろしまMAPLE★Sが
誕生した地元・広島の街を舞台に撮影された、ストーリー仕立ての内容となっている。
誰もが知っている、世界遺産の宮島や歴史的建築物の広島城などの名所は、
ひろしまMAPLE★SがNHKではないため撮影許可がおりなかったのか使っていない。
後のユニット・MAPLEZ(メイプルズ)の最後のメンバーで、現在はアイドルユニット、
NEMURIORCAで活動をするアイリ(ex愛梨)さんは、グループを代表する曲となる
「RPM」の印象について、こう話してくれた。
「(ライブの)最後にやる曲っていう感じ!」。
この薄い感想をもらうために、いきなりステーキでお食事ができるくらいの値段の
チェキ券を買ったのはーーー、どこのどいつだい?それ・・・、アタシだよっ!
そしてこの曲を皮切りに、ひろしまMAPLE★Sはこれまでのキラキラとした曲調に加えて
ヘヴィーなロック曲、アシッドなクラブミュージックにアプローチした新曲を発表。
音楽の幅を一気に広げる。
少し涼しくなった空に”ひこうき雲”がかかる秋、ひろしまMAPLE★S はこれらの曲を
収録したシングルの、アタシにとって初めてのリリースイベントへ突入する。
その先にあるのは、この年の暮れにワンマンライブを行うことを発表した、
収容人数最大で800人を誇る、地元・広島にある「広島CLUB QUATTRO」。
各地で行う無料でライブを見ることができるリリースイベントは、その集客に繋がる、
新たに”チーム”ひろしまMAPLE★S”推し”になってくれる人と出会える可能性がある。
でもリリースイベントの中には10人のメンバーに対し、見に来た人がライザップか
とんこつラーメン屋「一蘭」よろしく個別な、10人ほどしかいない時もあった。
人が少ない余波は、元メンバーの雛里もなか(ひなさともなか)さんから、
「親衛隊ポイント、ゼロ!」とバカにされた、ひろしまMAPLE★Sの本拠地である
「STUDIO MAPLE」に行くと貰える、ファンの証を全く持っていなかった、手ぶらの
最弱生物、アタシにもくる。
ファンの方が少なかったのに同じ会場で3回もライブがあるイベントだったため、
あかりんさんより「 次も来てっ。お願い!」と” 永遠プレッシャー”をかけられた結果、
アタスィー、同じCDを買うためにお仕事を欠勤させて、いただき「まゆゆ」。
アイドルに詳しくなかったあかりんさんが、STUDIO MAPLEに入った頃に勉強したのが
「AKB48」。
CDの売り方のハウトゥーまで、AKB48から学んでいたようです。・・・偉いですねっ!!
季節は冬に向かっていた。それは年末に用意されている、ひろしまMAPLE★Sにとって
1つの目標だった「広島CLUB QUATTRO」でのワンマンライブへのカウントダウン。
ひろしまMAPLE★Sは全国に通用するユニットを目指し、広島弁を禁止していたが、
元メンバーの川原亜美(かわはらあみ)さんはバリバリの広島弁で言っていた・・・
「絶対、成功させたいけん」!
だから、冷たい風が吹く屋外でのイベントにも、写真の撮影を解禁し、いつもの姿で
ステージに立った。
ご紹介が遅れましたが、”Everyday、カチューシャ”でも”ポニーテールとシュシュ”でもなく
センターでキティちゃんのような赤いリボンをつけて親に叱られる人に指をさしているのが
あかりんさんです!!
キャー、かわいいー!ちなみに身長は、橋本環奈ちゃんと同じ152センチです。
そして誰1人としてアタシのカメラに見向きもしない、ひろしまMAPLE★Sの皆さんDeath.
あの「奇跡の一枚」と大違いね。オワッテルーー! \(^o^)/
話は少し脱線しますが、この頃、1人のメンバーに一度、「私にだけに来てください」と
特典会で言われたことがある。アタシのような生態系のドン底にいるファンには
橋本環奈さんより、こっちの方が奇跡。こういう楽しい出来事は、学校に1人はいる
チクリ魔ことアタシは、あかりんさんに報告です。あかりんさんは言っていた・・・
「別に気にせんでエエよ。自分が行きたい子のところに、行けば良いんよ」って。
それまでボクが見てきたアイドルは、当たり前ですが、自分のことをまず第一に
応援して欲しい、その上で他の子に行くのはあり・・・。そのように考える女の子が
多かったように思う。でも、あかりんさんの考えはちょっとだけど違った。
それが、ボクにはオモシロかった。
とりあえず特典会に参加するなら毎回一度は、あかりんさんと話をしてみようと決めた。
結果的にこれ以降、長くあかりんさんを見ることになるのですが、小さな事だったけど
これがボクがあかりんさんの軌跡を見続ける、そしてアイドルのファンになって初めて
グループのセンターを”推す”キッカケだったかもしれないと思っている。
そんなボクに”メイプルのお母さん”ともいわれた元メンバーの森遥香(もりはるか)さんは
「あかりんの髪の毛に触ったら、バイバイだからね」と、アタシをヤバイやつ認定で
教育的指導をしてくれたぜッ。
そんな2014年が過ぎようとする12月27日、ひろしまMAPLE★Sは地元・広島にある、
ライブハウス「広島CLUB QUATTRO」で、1st ワンマンライブを開催した。
後にDVD化もされた映像には、広島の街の風景と共にアイドルシーンの中心地である
東京から遠く離れた街で、上を目指すメンバーそしていつしか増えていたオリジナル曲
15曲をやりきるひろしまMAPLE★S、更に多くいたアンダーメンバーの姿が映っている。
ライブは、ひろしまMAPLE★Sの代名詞的な曲となり、その後、数々の重要なライブで
最後を飾る曲となる、「RPM」で〆られている。そして、形ができつつある2014年から
変化に富む2015年へ、ひろしまMAPLE★Sは向かって行く。
そんな出会ったこの年に撮った1枚のチェキが、手元にある。
「これからもひろしまMAPLE★Sを\\よろしくおねがいします//」
あかりんさんは礼儀正しいですが、アタシのInstagramの「#顔をさらすのNGかよ」に、
いいね!が結構つきそうな、前衛的な写り方ですね。
広島駅を出発して約1時間半、列車は日本三大都市の1つに数えられる大阪市に建つ
新大阪駅へ着く。新大阪の駅からは、観光に適した場所を見つけることはできない。
しかし旅行者は、この駅から出発する電車に乗って人が集まる繁華街へ向かっていく。
そして、東京へ向かう列車も、ここから次の京都駅の間にトンネルなどはない。
ずっと明かりが、その真っ直ぐ伸びた道を照らし続ける。
2015年になり、結成から2年が経過した、ひろしまMAPLE★S。
彼女たちのオリジナル曲は、好みが異なる多くの人にひろしまMAPLE★Sを届けられる
可能性をもった、アプローチした音楽ジャンルを広げた12曲に増えていた。
それら多彩な輝きを放つ曲を”選んで”、毎回違う見え方をする”レインボー”を描くように
毎回セットリストを変化させて、ノンストップで見せるライブ・スタイルを続けてきた中で、
イントロから盛り上がる曲を重ねて最後はひろしまMAPLE★Sを代表曲「RPM」で〆る、
そんなライブが鉄板で盛り上がるキラーなセットリストもできた。
あかりんさんが言う、「どれも良い曲」をノンストップで繋ぐ曲間は、今でも珍しいくらい
短かったと思う。
年が変わった2015年の2月、1通の手紙がボクの自宅に届く。
それは、クラスのヤバい男子から回って来た不幸の手紙ではない。
シングル「RPM」をアコムで金を借りるなどして、ある枚数を買った方に送られる手紙。
書いてくれたのは、あかりんさん。 その手紙には、こう書かれていた・・・。
「もっと上にいきたい」。
そして、「きっとカンタンじゃないけどみんなで力を合わせてがんばるのでこれからも
応援よろしくおねがいします!!」と、句読点なしで書いてありましたー。
あとアタシが、「東京のLIVE”は”たくさんきてくれて」とイラないディスりも入っていたよ。
では”飛べないアゲハチョウ”から変態、そして”少女たちよ”、上へ舞い上がっていこう。
街に”桜の花びらたち”が舞う2015年春、ひろしまMAPLE★Sはファンの方を増やす為に
初めてのツアー「ENDEAVORRR(エンデバー)」へ旅立つ。
それは住みなれた我が家がある地球を離れ、宇宙へと旅立ったスペースシャトル、
エンデバー号の様に福岡・神戸・名古屋・東京・大阪を巡り、地元・広島に帰って来る・・・
総移動距離、秋葉原と東京ドームの間”1830m”のおよそ千倍、約1500キロに渡る長旅。
会場もまたキャパシティ250人の福岡・INSAを皮切りに、最後はキャパシティ800人の
広島CLUB QUATTROへ、末広がりに続いていく。
ひろしまMAPLE★Sは、新たな挑戦をする際に、いつも新たな武器を持って行く。
この初めてのツアーに用意されていたのは、あかりんさんが長く歌っていくことになる
曲の1つ、エレクトロニカの美しいメロディの、「季節はサチュレイトーン」。
サビでは、ステージのメンバーとフロアのファンの方が一緒にライブを楽しむように
シンクロして、ジャンプをしながらクラップをする楽しみ方が後にできる曲です。
大きな事務所ではない、地方で誕生したアイドルによるドでかい一歩となるツアー・・・
しかしアタシレベルの痛いファンになりますとですよ、行ったのは1ヶ所。
しかもーー、屋根を植物で覆い、壁は泥で造られた自宅から行ける範囲の、東京。
結成から2回目となるアイドルシーンの中心地、東京でのワンマンライブ。
その会場は収容人数350人の新宿Ruido K4。チケットはソールドアウトにならなかったが
多くの人が会場に訪れた。そしてそのファイナルを飾るのは、期間わずか半年で
2回目となる、広島CLUB QUATTROでのワンマンライブ。
そこでは、ひろしまMAPLE★Sで唯一のソロ曲、あかりんさんの「Echoes(エコーズ)」が
初披露。さらに、年をまたいだ1月2日に収容人数最大で1000人を超える、
東京・赤坂にあるライブハウス「赤坂BLITZ」でのワンマンライブが発表された。
新大阪駅を出てしばらく経った列車の車窓に、空へ高く伸びる建造物が見えてくる。
その正体、国宝に指定された東寺の五重塔は京都駅の到着が近いことを教えてくれる。
日本の古都に建てられた、京都駅。その街は古き良き日本の街並みが今も残る一方で
昨今の外国人観光客の増加などの影響で、新しい施設やカフェなども見られる。
そんな街のように、ひろしまMAPLE★Sのメンバーも、変化を迎えようとしていた。
実は初めてのツアー「ENDEAVORRR」の前、ひろしまMAPLE★S結成時のメンバーで、
2代目リーダーを務めていた森脇紗香さんが、翌年1月でグループを卒業することが
発表されていた。理由は、体調不良とされていた。
デーブ・スペクターさん並の金髪&カラコンというキャラ立ちした女の子だったけど・・・
一方で、リーダーとしてグループの輪やダンス、立ち位置などに目を凝らす、
本当にグループのまとめ役だったと思う。そして、あかりんさんとも仲が良かった。
だが卒業の翌年1月を前に、ツアーの終わり頃からライブを休むことが増えてきていた。
これは”大声ダイヤモンド”で叫びたくなる、「ピーンチ!」(©バカリズム単独ライブ名より)
リーダーが不在、それでも、9人のひろしまMAPLE★Sは進むことを止めなかった。
なぜなら、もっと上に行きたいから。止まることはできなかった。
そんな春が終わろうとする5月25日、ひろしまMAPLE★Sはそれまでの”神曲たち”を
1枚に集めた初のアルバム「ENDEAVORRR(エンデバー)」をリリースする。
そこには、彼女たちらしいクラブミュージックをベースにしたキラキラした曲をはじめ、
結成初期に発表したポップス、そして結成2年目に発表したロックやファンクなどの
新たな方向性を示した”NEW SHIP”な曲まで、13曲を収録した。
”365日の紙飛行機”が2回も飛行する時間を費やして増やしていったオリジナル曲。
それらの曲を収めたアルバムに加えて、ひろしまMAPLE★Sならではのノンストップで
行うライブの様子はYouTubeにいくつも上がっており、誰でもどこにいても身近に
彼女たちの魅力を”遠距離ポスター”のように見て、知ることができた。
インディーズのアイドルが曲を広めるのは、SASUKEを完全攻略するくらい難しい・・・
だけど、ライブ・音源・YouTubeを含む映像の3つがあった事で、ひろしまMAPLE★Sの
”自分らしさ”は、環境が異なる多くの人に届けることができたとボクは思っている。
ひろしまMAPLE★Sと出会ってちょうど2年目の夏、ボクは初めて彼女たちの地元、
広島へ行く。
後押ししたのは、休みが続いていた2代目リーダーの森脇紗香さんが、Twitterの更新も
ついに途絶えたためだった。メンバーはいなくならない、いつかは復帰する・・・
そう朋ちゃんくらい「I BELIEVE」して、見られる可能性が高いとしたら地元であろうと、
初めて新幹線「のぞみ」に乗った。
広島で”会いたかった”、だけどステージに2代目リーダーの姿はなかった。そして・・・
この日から約1ヶ月後の8月、卒業予定だった2016年1月を待たずに森脇紗香さんは
卒業公演も行わずに、ひとりグループを後にする。
でも、広島に行ったことで初めて訪れることができた、ひろしまMAPLE★Sの拠点である
劇場「STUDIO MAPLE」には、そんな「火垂るの墓」くらい泣ける話を聞いて笑っている
ひろしまMAPLE★Sのメンバーがいた。
劇場の人気メニューである、美ら海水族館に入れる位の金額のおにぎりを握りながら。
実は森脇紗香さんが卒業する前に、ボクが話をした時に言われた1つの言葉がある。
それは・・・、「MAPLE★Sを広めてください。宣伝してください。」
”僕にできること”・・・。それは、うっかり始めてしまった、このBlogを書き続けること。
グループに何のプラスにもなっていない!ヲルタナティヴの神谷さくらさんにしか、
チラッと見たとしたと言われたことがありませんけどー。
それでもこれが、ボクが”High school days”の乙女のようにBlogを書き続けた理由の
1つである。
東京へ向かって走る列車のスピードは、速い。でも、ひろしまMAPLE★Sはそんなに
速く走ることはできない、県内を走る路面電車のように自分たちなりのペースで、
一歩ずつでこぼこ道を前に進んできた。
でもそうしたら、2015年の夏に辿り着けた、大きなアイドルフェスの舞台に!
それは、3大アイドルフェスの1つに数えられる、「@JAM EXPO2015」。
8月29日、その日の空は、朝からどんより曇った小雨がパラつく雨模様だった。
でも会場は屋根がある、横浜アリーナ。
ひろしまMAPLE★Sのステージは、午前11時と午後2時半の2回。
結成から2年半が経過していたが、まだアイドル・フェスは”Beginner”の部類。
少しずつ知名度は上がってきているとボクは思っていたけど、全国各地から
およそ80組にのぼるアイドルが集結する中で、どのくらいの人が、そのステージに
注目しているかは未知数。
ボクが会場に着いたのは、ステージ幕開けの少し前だったと思う。
ひろしまMAPLE★Sに用意された場所は、通路に設置された低いステージ。
フロアも通路の一角をロープ・パ���テーションで仕切っただけの、狭いスペースだった。
・・・SHOCK!!(注:堂本光一さん主演のミュージカルのことではありません。)
でもライブが始まる、午前11時。ひろしまMAPLE★Sのステージを見ようと、フロアには
ロープ・パーテーションから溢れるほどの人がステージ前に集まった。
ライブの前から人が密集し、汗が”ジワるDAYS”!
このステージの前に、あかりんさんにボクが聞いた、1つのことがあった。
それは、2年半の活動をつづけ、オリジナル曲が増え、キラーなセットリストもできた
ひろしまMAPLE★Sに於いて、センターさらにメインボーカルを担当するあかりんさんが
一番自分たちの魅力を出せると思うセットリストは、何なのか?
あかりんさんが答えてくれたセットリストは、この大きなステージ、@JAM EXPO2015で
再現される。
持ち時間は15分、披露したのは4曲!その幕開けは、壁を壊そう!という強い思いが
テーマとなっているイントロから盛り上がるロック曲「BLAST×BLAST(ブラストブラスト)」.
あかりんさんは、間の曲は何でも良いと言っていた。ちなみにこのステージでは、
2曲目にバロック調の「乙女達のアンビシャス」、そして3曲目にエレクトロニカの
「季節はサチュレイトーン」を挟んだ。
迎えたラスト、あかりんさんが思うセットリストのベストなシメは、彼女たちを代表する曲
「RPM」で、”Party is over”!これが、あかりんさんのベストなセットリストだった。
続く午後2時半、1回目と同じく低いステージと小さなフロアだったけど、こちらにも
”Choose me!”という呼び掛けに集まるように多くの人が集結。
2回目のステージでは、ライブで鉄板で盛り上がるクラブミュージックをベースにした
イントロから盛り上がる曲を、ピコ太郎のペンとパイナップルくらいノンストップで繋ぐ
セットリストを披露した。
@JAM EXPO2015のライブは、ボクが見たひろしまMAPLE★Sの対バン・アクトの中で
好きになるキッカケとなったライブと並ぶ、トップの記憶に残る”真夏のSounds good!”な
ステージです。
ひろしまMAPLE★Sが活動を続ける時間に正比例するように、彼女たちを取り巻く状況も
少しずつですが変わり始めていた時期だったと思う。
そんな中で季節も変わり、秋が訪れた9月。
ひろしまMAPLE★Sは、2度目のツアー「P(L/R)AYERS(プレイヤーズ)」へと旅立つ。
その場所は、東京・福岡・仙台・新潟・横浜・名古屋・大阪・広島・神戸・埼玉・札幌を
巡り、そしてファイナルステージの東京へ戻ってくる、1stツアーよりも・・・
訪れる街の数は2倍、初めて北へも訪れる総移動距離およそ5000kmのロングコース。
さらに期間も、2015年9月から年をまたいだ2016年1月2日に渡る長期スケジュール。
会場も、後に何度も使う、メインフロアの収容人数が最大で500人の東京・渋谷にある
「SOUND MUSEUM VISION」を”初日”に設定。
そしてゴールは、最大で約1200人以上を受け入れる東京・赤坂にあるライブハウス
「赤坂BLITZ」に決めた。それは、ひろしまMAPLE★S史上最大の挑戦だった!
ツアーで訪れる各会場の規模も、その大半がスケールアッ���。
訪れた場所によっては、集まる人の数が少ないこともあり、あかりんさんは後に
「行きたくない」と駄々をこねていたが・・・
天野名雪(あまのなゆき)さんは、音楽雑誌「marquee」の取材を受けた際に、
「初めて行った所は、お客さんが少ないだろうと思っていた。でも想像より来てくれた」、
また各会場で「お客さんが増えている」と、ステージ上からの実感を話している。
”風は吹いている”、 マイペースだけど一歩ずつ進んでいけば、ひろしまMAPLE★Sが
いつか”47の素敵な街へ”行き、その街で多くの人が集まるライブができる・・・
アタシは、そんな夢見るオトメのような”希望的リフレイン”を描いていたの。
元メンバーの丸本遼(まるもとはるか)さんも、関東に帰ってきた時に言っていた、
「来年はせめる!」。
2015年が過ぎ、訪れた2016年。街がまだ眠りの中にいる1月2日土曜日、赤坂。
時間は、「名探偵コナン」が謎解きをはじめる午後6時。ひろしまMAPLE★Sは、
グループ史上最大となるワンマンライブの舞台、「赤坂BLITZ」に立った。
3年前にゼロから始まったオリジナル曲は、活動を続ける時間に正比例するように
数を増やし、23曲にまでなっていた。
赤坂BLITZのステージでは、ライブの前半に初期に発表したアイドルらしいポップスを、
そして後半は、ひろしまMAPLE★Sらしいクラブミュージックをベースにした、
盛り上がる曲をノンストップで披露し、そして最後はひろしまMAPLE★Sを代表する曲
「RPM」で〆た。
あかりんさんは、この大舞台に「不安があった」とTwitterに書いていたが、会場は
満員にこそならなかったが、ひろしまMAPLE★Sが”ここにいたこと”を見届けようと
ボクが知る限り北海道から九州まで全国からファンの方が集まっていた。
その場所に集まった多くの人が思ったことは、たぶん共通していたと思います・・・。
ひろしまMAPLE★Sならもっと上へ行ける、そして「どこまでだって連れて行ってくれる」。
そんな、”君のことが好きだから”と集まった人たちに見守られる中で、彼女たちは
大きな発表をする。それは、例えるならば”Reborn”。
グループ名を、始まりの場所である広島の名を降ろし、「MAPLEZ(メイプルズ)」へと
改めることを最後に発表した。
〇MAPLEZ:2016年1月3日~2017年3月26日
2016年、ひろしまMAPLE★Sから「MAPLEZ」となり始まる、新しい旅。
ではアタクシも列車を乗り代えましょう。今度はー!!”恋のブギ・ウギ・トレイン”だぜ。
もちろんこの列車も一般には、東海道・山陽新幹線「のぞみ」と呼ばれております。
向かう先は変わらず東京。ホームには立ち食い蕎麦ではなく、きしめんの店が見える。
走る度に車窓から見える景色が変化する様に、ひろしまMAPLE★SもMAPLEZへ変化、
そして、あかりんさんも移動の時などにAKB48からE-girlsをよく聴くようになっていた。
それは四角形の辺の長さを答える算数の問題で、問題文に直線EGと出ただけで
「E-girls!!」と大声を出すくらい病的に。この事をきっかけに、E-girlsの4枚目の
アルバムのタイトルは、「E.G. CRAZY」に決まったそうですよ。(2ちゃんねる情報)
中国地方から関西を走ってきた列車が、東海地方最大のターミナル・名古屋駅に到着し
列車から多くの人が降りるように、MAPLEZのメンバーは8人となった。
一方で新たに乗車する人がいる様にグループは初めて2人のサポートメンバーを迎える.
その1人、中村美音(なかむらみおん)さんはPerfumeやBABYMETALのSU-METALが
通った、アクターズスクール広島の出身だ。だからどうした、と言われれば・・・、
返す言葉は一言もございません!!
とにかく、そんな新たな顔ぶれも乗せてMAPLEZは、冬へと走り出すお!(でんぱ組.inc)
ではー、心躍ることぜんぶ大好きな方は”Follow Me”。アーンド、”READY GO”です!
ひろしまMAPLE★SがMAPLEZとなり、いつものライブ活動と並行して始めた試み、
それは自らの主催によるライブ、「MAPLEZ CHALLENGE!!」。
あかりんさんと仲良しの山塚はるの(やまつかはるの)さんやモリワキユイさんらがいる
山口の山口活性学園(現:Yamakatsu)、大きなライブの前などにメンバー同士が
エールを送り合っていた東京のアイドルカレッジ、など共に上を目指して活動してきた
全国各地のアイドルと2組で行う対バン形式のライブ。
そんな活動の中で、春が間近に迫る3月20日。MAPLEZは、1つの曲を初披露する。
それは攻撃的なバキバキのエレクトロサウンドに、超重低音のドラムが合わさる曲。
タイトルは、「始発列車はまだ来ない」。
ひろしまMAPLE★Sを代表する曲が「RPM」なら、こちらはMAPLEZを代表する曲。
ミュージックビデオがないため曲をお聞かせできないが、この曲について宙音美憂さんは
「仮歌の段階から一番ヤバい曲だった!」と、クロちゃんの音程で教えてくれたしん!
作詞・作曲・編曲は、ひろしまMAPLE★Sの時から変わらずOscillophoneが担当。
そして振付けは、広島県在住のコレオグラファー・MIKKA(ミッカ)さんが手がけた
メルボルンシャッフルをベースにした、EXILEばりに激しく踊るダンスが付けられた。
MAPLEZに、Rising Sunが始まったかのように早々に射す明かり。
そしてこの曲をもって太陽が真上から照りつける初めての夏に、MAPLEZは”出航さ!”!
その幕開けは6月、東京。場所はAKB48が拠点とする秋葉原、この街にあるスペース、
「秋葉原カルチャーズ劇場」。上の階にはハロー!プロジェクトの元総合プロデューサー、
つんく♂さんが手がけるカフェがあって・・・。さらにこの日、MAPLEZが立つステージには
秋葉原を拠点とするアイドルグループ・でんぱ組.incがいるという、ゴチャついた状況。
そんなでんぱ組.incが見守る中で、MAPLEZは新曲「始発列車はまだ来ない」を含む
5曲をノンストップで繋いだライブを、ステージで披露した。
そのパフォーマンスを、元でんぱ組.incの夢眠ねむさんは、このように評価した・・・
「MAPLEZさん、バッキバキ!」。それが、この頃のMAPLEZだった。
ひろしまMAPLE★SからMAPLEZへ続く道の中で”One Two Three”と数を増やして、
24曲になったオリジナル曲のバリエーションは、まさしく”COLORFUL POP”。
そして活動に比例する様にセットリストのパターン、またファンの方の数も増えていった。
あかりんさんは休日にカラオケへ行き、「おどるポンポコリン」を振りコピで歌っていたが、
3年間、歌って踊り続けた結果、彼女たちの知名度や存在は、デビューの時とは
比べものにならないくらい広く知られるようになっていたと思う。
そんな、活動を始めて4回目の夏だった。
学校の���壇に”ヒマワリ”が咲き、”Mr. Snowman”も溶ける本格的な夏が訪れた7月2日。
MAPLEZは、新幹線「のぞみ」が名古屋駅から向かう、横浜へと降り立った。
向かう場所はE-girlsが所属するプロダクション「LDH」のある中目黒からは、電車1本で
行ける、みなとみらい21地区にある赤レンガパーク。
開催されていたのは3大アイドルフェスの1つに数えられる、「アイドル横丁夏まつり!!」。
海に面した屋外の会場。そこに設営されたステージは・・・、パスポートを持っていない
アタシは見たことがありませんが、分かりやすく言うならば、”自由の女神”レベルに
高く、そして大きい。
一方の入場料が、ディズニーのスターライトパスポートに張る金額を払って見に来た
お客さんのエリアはといいますと、 デコボコした堅い土とその上にハゲかけた芝生・・・
アイドルとそのファンが立つ場所の差が、”北風と太陽”くらい違った。
だが、ロケーションは抜群。上空には雲がほとんどかからない青空が広がり、そこから
降りそそぐ夏の暑い陽射し、ステージの上からは遠くまで広がる濃い青の海も見える。
その場所に、MAPLEZとして初めてフェスの舞台に出演する彼女たちを見るために、
幾重にも人の層が作られるほど、観覧エリアには多くの人が集まった。
その楽しい輪の中に入れないアタクシは、集まった人の一番後ろにポツンとスタンバイ。
それは、いつかのPerfumeのライブを見た時とダブる。
スカスカだったフロアも見てきた、フェスへ出演したがステージが小さな時もあった・・・
でも一歩ずつ着実に歩みを進めて、彼女たちは3年の時間をかけ、大きなステージと
そのパフォーマンスを見るために多くの人が集まる景色にまで、辿り着くことができた。
ボクは時々、彼女たちのライブをファンの方の一番後ろで見ることがある。
それはステージはもちろんのこと、フロアの様子も見たいから。多くの人が彼女たちの
ライブを見て、”CANDY SMILE”を浮かべ楽しそうにしている光景を見たかったからだ。
MAPLEZとして初めて立った、フェスの大きなステージ。でもパフォーマンスはいつもと
変わらない。変わっていたのは、彼女たちに期待する人たちでいっぱいの観覧エリア。
あとあかりんさんの髪型が1日目がハーフツイン、2日目がポニーテールだったこと。
見た目も含めて、彼女たち自身も、今の状況を大きく変えようとしていたように思う。
このステージは、後にMAPLEZに加入することになる、中野なこ(なかのなこ)さんが、
違法アップロードされた「YouTubeで見て、本当に凄かった!」と堂々と言っていました。
・・・\おーまわりさーーん/。でもねーーーーー!!
MAPLEZにとって初めての夏には、さらに”Love, Dream & Happiness”が詰まった、
”うれしい!たのしい!大好き!”なステージが待っているのです。
そのステージを前に、夏の7月23日から秋の9月11日へと向かい、彼女たちは
MAPLEZとして初めてのツアーを始める。その舞台は全て、収容人数が500人を超える
ライブハウス「CLUB QUATTRO」。
「CLUB QUATTRO TOUR 2016 -RUMBLING,PULSATION-」と題したツアーは、
広島・大阪・愛知・東京・広島の4ヶ所5公演、会場は全て過去最大の規模となった。
さらにメンバーの脈打つような思いを表現していくことをテーマに掲げ、その全公演が、
メンバープロデュースにより行われることが高らかに発表された。
ボクがひろしまMAPLE★Sと出会い、2nd ”Anniversary!!”を迎えていた。
これまでの間、ずっとボクが思っていたのはあかりんさんを始めとした彼女たちが、
ずっと続いて欲しいという思い。その思いはいつしかフロアが多くの人で埋まって欲しい、
率直にいうと「売れて欲しい」という気持ちに、自己啓発セミナーに通った人みたいに
変わっていた。
CLUB QUATTROツアーも始まり、”E.G. summer RIDER”のように夏を駆ける
MAPLEZに、もっとも暑い夏の8月がやって来た。
そして彼女たちが4年半を費やして放った”希望の光”に導かれる夏の虫さんのように
”未来を信じて”そして夢を持って、高本いづみ(たかもといづみ)さんが初めて
関西出身のメンバーとしてこの夏、MAPLEZへ加わる。
新しいMAPLEZとなり向かう先は、これまで出演が叶わない、そんな人面犬のような
信じるか信じないかはアナタ次第な”ウワサWassap!”も囁かれた舞台・・・
世界最大のアイドルフェスティバル、「TOKYO IDOL FESTIVAL」!!
この舞台に立つ意味は、 東京から遠く離れた地方、そして小さなステージから始めた
女の子たちにとっては大きい。
実際、元メンバーの川原亜美さんは「マジホンマ出たい!」と、”マジ”と”ホンマ”を重ねた
サンドウィッチマンが 「何言っているか分からない」とツッコミそうなことを言っていた。
卒業していったメンバーも含めて、多くの広島の女の子が出演を希望していた舞台。
何よりこのTOKYO IDOL FESTIVALへの出演をきっかけに、その後の活動に
弾みを付けたアイドルも過去にはいる。
そうなりますと登場するのが、前回のBlogを偶然にも読まれた方にはお馴染み・・・
近所の世話焼きおばさんこと、アタスィーーーーーーー!半年ぶりに、”ただいま!”。
まずは自撮りが苦手なあかりんさんに、「自撮りは増やさないの?」とダル絡み、
続いて当時は茶髪だった天野名雪さんに、「髪は黒い方が良くない」とイラないお節介。
その結果、デビューから4年半、MAPLEZが待ち望んだ、TOKYO IDOL FESTIVALが
近づく頃、あかりんさんは髪の毛を初めてーー・・・、
「金髪」にしたの!!TT←チョコレートプラネット
理由についてあかりんさんは、タメ口で「髪を軽い感じにしたかったの!」と言ってました。
列車での旅に於いて、魅力の1つが景色。広島から東京へ向かって走る列車は、
名古屋駅と新横浜駅の間に、最大の見所がある。
それは名古屋駅を出発して約50分後に姿を見せる、日本一高い山、富士山。
2016年8月5日、金曜日。東京のベイエリア、お台場でMAPLEZにとって初めての
TOKYO IDOL FESTIVAL 2016が華々しく幕を開けた。
ひろしまMAPLE★Sが結成される前の2010年から続くTOKYO IDOL FESTIVALは
この年、出演するアイドルの数は200組を超えた。
その中でMAPLEZに用意されたステージは、開催3日間のうち2日、計4ステージ。
この1つにMAPLEZのファンの人の記憶に、腕の根性焼きのように強く残っていると思う
時間がある。
それは8月7日日曜日、午前11時55分から正午12時10分までの15分間。
MAPLEZが立ったのは地上100メートルの高所、フジテレビ湾岸スタジオの屋上に
設営された、その名も、「SKY STAGE」。
その時間は、あかりんさんがアイドルとして活動した約6年半に渡る時間の中で経験した
数多のライブの中で、もっとも印象に残っていると話していたライブ。では・・・!!
神回を、ご覧ください!!
2016年、あかりんさん&MAPLEZ。初めてのTOKYO IDOL FESTIVAL in SKY STAGE!
youtube
地上から100メートルという高所にあるステージ、頭上には僅かの雲しかない。
そして後ろに広がるのは、紺碧の空。
結成からの4年半、自分たちはその場所に立つことが出来るのか、心の片隅にあった
世界最大のアイドルフェスティバルへの出演が実現した時間。
希望を叶えた”Shiny girls”、7人の顔には揃って笑顔が浮かぶ。
そのステージでMAPLEZが1曲目に選んだのは、サビにこのような歌詞がある曲・・・
「無限に碧く碧く続く空の向こうへ 願いが叶うように前を向いた」。
曲名は、「ウルトラネイビー」。
想いとは、メンバーそしてステージを見届けたファンの方それぞれで違うかもしれない。
でも共通するものがあるならば、それはBメロに書かれている歌詞と同じ想いだろう、
「キミとならきっと どんな場所にだって 行けるんだ」!
アイドルだから卒業を決める子も多い、メンバーの人数は結成時の半分になっていた。
普通の女の子から、ひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZとしてアイドルになった
元メンバーも含めて1人1人が築き上げてきた1つの集大成の形として、7人は
TOKYO IDOL FESTIVALのステージに立つことができたのだと、ボクは思う。
あかりんさんは夏を前に「この調子でいくと、TIFは死にますね。」と話していたけど、
ステージを後ろから見ていて、多くのファンの方がキュン死したと思いました。
そんな”ショコラ”も溶ける暑い夏を通過し、そして秋へ向かい、MAPLEZが続けていた
CLUB QUATTROを舞台としたツアーも終盤に差し掛かっていた。
アタシが行ったのは9月の東京と、その1週間後に設定されていたファイナルの広島。
メンバーがプロデュースするツアーで、あかりんさんはファイナルの広島を担当する。
広島県民が、アタシが来ることに拒否反応を示していたのに、広島へ行くことを
決めたのには、あかりんさんがライブを初プロデュースする以外にも理由があった。
ファイナル公演の8日後、9月19日にひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZの原点である
彼女たちが誕生した場所、広島にある劇場「STUDIO MAPLE」の閉鎖が決まっていた。
ツアーに合わせてイベントがあった訳ではないが、最後に”サヨナラ”しておこうと・・・
ハイパーメディアクリエーターのパソコン遣いでチケットを取り、”Express”に乗った。
↑���現在は、ファミレスの「サイゼリヤ」に変わったことで、知っている人にはお馴染み、
知らない人にはどうでもいい”Introduction”を挟んでしまったと今、書きながら
反省をしている、「STUDIO MAPLE」です。
アタシが訪れた際は、よくその上の階にあるマンガ喫茶に宿泊していましたの・・・
元メンバーの川原亜美さんに、「泊まるなら良い場所があるけん!」と斡旋されたので。
STUDIO MAPLEの店内は、NHKやイギリス・BBCのようなジャーナリズム精神がない、
可愛い女の子にしか興味がないファンの人たちは基本、撮影はNG。
しかし折角なので、そんな”約束の場所”の内部を渡辺篤史さんになった気分で、
少し建もの探訪してみましょう。
センターの立ち位置で、ギャルのような裏ピースをかましているのが、あかりんさん。
で、写真手前左の赤茶色のヘアが元メンバーの城谷るり(じょうやるり)さん、
右端の茶髪が天野名雪さんですね。
・・・ギャルサーか!
この写真は店内で行われたMAPLEZのライブで、写真撮影が許された時のモノです。
でもご覧の通り店内は、警察の取り調べの時に顔に向けられるライトのごとく逆光、
これがギリギリちゃんと撮影できた、まさしく”Diamond Only”な1枚なの。
そんな思い出がつまった「STUDIO MAPLE」から、彼女たちがMCの練習をしながら
歌や振付けの復習をしながら、そしてファンの方の反応に胸を高鳴らせながら、
何度かアーケードを歩いて向かった、徒歩5分程の所に広島CLUB QUATTROはある。
9月11日、秋が近づく広島の街はよく晴れていた。
そんな街でバイトをしながら歌とダンスを習えるからと、うっかりアイドルになってしまった
あかりんさんプロデュースによる、MAPLEZのショーケース。
メンバーがプロデュースする、この日までの公演は、セットリストや演出は元より
初めての様々な試みがメンバーによって考えられ、 公演は趣向を凝らしたモノとなった。
曲の大サビを”Dance Dance Dance”と3回繰り返したり、ステージからフロアに降りて
パフォーマンスをしたり、メンバーからのお土産を抽選でプレゼントしたり、
また16曲連続のノンストップライブに向けてファンの方と一緒に準備運動したりもした。
そんな個性が詰まったツアーのファイナルで、あかりんさんが掲げたテーマは・・・
ファイナルだからこそファンの人と一緒に楽しめるようなライブにする、という考えから
「MAPLEZの王道」。
あかりんさんがそのオープニングについて 、「NEW! メイプルチャレンジ 小泉明音」で
話していたプランを、スマホゲームをやりすぎて指紋がなくなった指で書き起こすと・・・
「アー写で顔を(順番にスクリーンに)映して、5・4・3・2・1系。ゼロで、あーし。」、と
江戸時代の花魁みたいな一人称で言っていたのですが・・・、事務所が却下!!
代わりに、ステージにはバックドロップ幕が掲げられた。
そのステージは「まずはゆっくり聞いてください」という思いからグループで唯一のソロ曲、
あかりんさん独唱の「Echoes」でステージの幕は静かにあがった。決して・・・
美味しいところを1人で持っていこうとした訳ではない、と今でもアタシ信じてる!!
2曲目の始まりと共にメンバー全員が、ステージに登場。序盤はユニット曲やコラボ曲、
さらに初期の頃に発表した曲を中心に構成、後半にMAPLEZのキラー���ターンである
イントロから盛り上がるクラブミュージックやロック調の曲でセットリストを組み・・・
本編の最後は、MAPLEZの代表曲である「始発列車はまだ来ない」でシメた。
そのライブはMAPLEZの王道であり、かつここまで活動してきた3年間の集大成。
公演時間は約2時間に及び、100%の力でパフォーマンスをした曲は21曲にのぼる。
ステージ終盤では、ボクが見た2年の時間の中でたぶん初めて目にしたと思う、
パフォーマンスの途中で下を向いた時などに、苦しそうな表情を浮かべるメンバーの
姿もあった。
それでもメンバーは1人も欠けることなく、再びアンコールでステージに舞い戻る。
ライブが終わった後に、この理由について聞くと、あかりんさんは言っていた・・・
「ファンの人が応援してくれるなら、私は頑張れる!」。
そしてアンコール、あかりんさんは、1曲目に東京へ行くきっかけとなった曲「BRIGHT!!」、
2曲目に、初めてのTOKYO IDOL FESTIVALのステージで歌った「ウルトラネイビー」、
そして最後は、ひろしまMAPLE★SとMAPLEZのライブを〆る王道「RPM」を選んだ。
それが、MAPLEZの秋、CLUB QUATTRO TOUR 2016-RUMBLING,PULSATION-の
クライマックスであった。
そしてこのステージでは3ヶ月後の冬、”Boom Boom Christmas”が過ぎた年の暮れに、
前年を超える収容人数を誇る、お台場に建つライブハウス「Zepp DiverCity」で
単独公演を行うと発表した。
その収容人数は最大で、バチカン市国の人口を超える2000人以上だ。
名古屋駅から走っている列車は、新横浜の駅が近づくにつれて再び、漆黒が口を開く
トンネルへと何度も吸い込まれる。距離こそ短いが、車窓を幾度も黒い闇が覆う。
冬が近付く頃、年末に単独公演をすると発表していたZepp DiverCityのスケジュールに
手違いがあることが分かり、MAPLEZは会場の変更を余儀なくされた。
変更された新たな会場は収容人数最大で1823人の、「ディファ有明」。
収容人数2000人を超えるMAPLEZ史上最大のステージは、”未来へ”と先延ばしされた。
他にも、暑い夏から寒い冬へ向かう時間の中で、世のマダムたちの大好物である
ワイドショーで取り上げられそうな、ドタバタ劇が次々重なった。
メンバーの卒業や脱退、ワイドショーにも取り上げられたフリマ問題、移動時の事故・・・
2016年、暮れの元気なご挨拶をする前に、「ごめんなさいのKissing You」級の、
”エスオー エスオー エスオー エスオー SOS”、”これは緊急事態ね レスキュー”なことが
続いたのー。
それらの問題ですが、Twitterをやっていないアタクシに、あかりんさんは・・・
「知ってる?最初の言葉は・・・、『そ』!」など楽しいクイズ形式にして教えてくれました。
・・・正解しても喜べないよっ!!いつも遅れてハートを削られるのが、アタシィー♡
でも、負った傷は、彼女たちの方が大きかった。
色んなことがあった2016年を締めくくるライブは、”Merry × Merry Xmas★”が過ぎた、
12月27日。世間は、仕事納めの日であり平日でもあった。
本州付近に低気圧が接近し、朝から冷たい小雨が降るその日、MAPLEZの8人は、
今は姿を消した東京・江東区にあったホール「ディファ有明」に立った。
単独公演だったけど、広い会場は、ボクが彼女たちと出会った時に戻るような
フロアを花道やセンターステージで潰しても空間が目立つほど、少ない人だった。
その突きつけられた現実と集まったファンの方の前で、あかりんさんはステージで
1つの発表をする。
数日後に始まる2017年に広島を離れて、東京で始まる新たなユニットに加わる事を。
この時期くらいに、ボクはあかりんさんに聞いたことがある・・・
「アイドルを辞めようと思ったことはないの?」、って。
この質問に、あかりんさんはこう答えた。「1回だけ辞めたいって言ったことがある」。
それがいつの話なのかは、ボクは知らない。
時計が回路により止まらない様に色々あった2016年も”機械仕掛け”に”Bye! Bye!”です。
渋谷の交差点で”Pink Champagne”が抜かれ、車の上でティーンが暴れる街フェス、
年越しが開催され、2017年がやって来た。
”White Angel”がいつ舞い降りてもおかしくない、寒い2017年の1月。ボクは広島にいた。
それはグループにとって、「はじめてのおふかい」。その抽選に当たったアタシはー・・・
親の付き添いなく、途中で道に迷って泣いたりしながらも、キセルをせずに電車を
乗り継ぎまして、ライブが無いのに in 広島ーーーーー!!
2017年1月22日、”Party in The Sun”day。何をやったのか、”君に秘密を教えよう”。
歌って踊るのがお仕事のMAPLEZが、2チームに分かれてお料理!
そんなMAPLEZが作ったお料理は、当時の記録によりますとですよ・・・
左から、城谷るりさんは、こんがりキツネ色を通過しギャルのような褐色の「クレープ」。
宙音美憂さんは作る物をロール白菜からハンバーグに変更、最終的にできたのは「鍋」。
その横、あかりんさんはcookpadを鬼の検索をして作った、「しょうが焼き」。
右端、天野名雪さんはキッチンに散らかさずフライパンに運良く残った「チャーハン」。
以上、MAPLEZが一生懸命つくった、千鳥くらい「クセがスゴい!」、 料理4品でした!
出来あがった料理は、みんなで会食。感想は、もちろん「美味しい!」という賞賛の嵐。
なぜならファンの皆さんは、脳科学者・茂木健一郎センセイから学んだ・・・
MAPLEZを褒めて伸ばす、ピグ��リオン効果を実践しているためです。偉ーい!!
この日から1週間後の1月29日、渋谷にあるスペース「SOUND MUSEUM VISION」で
MAPLEZは、約1年続けてきた体制で最後となる単独ライブを行った。
あかりんさんが新しいグループを始める日は、刻一刻と近付いてきていた。
その事についてあかりんさんはステージでこの日、「最後の挑戦」、そう表現した。
MAPLEZが始まった時からいるメンバーは、たった1年の間で半数になっていた。
グループが生まれ変わるように、3月に始まったツアーで新たに3人の女の子が加わる、
これでもう一度、MAPLEZは復調するのではないかと、ボクは淡い期待を抱いた・・・
でもツアーで巡った会場は、収容人数が350人の場所でも埋まることはなかった。
ツアーを終えると、あかりんさんは束の間の休息に入った。
それは次のグループに向けて、雨でも降ったら新たな花が咲くように・・・。
たった1年と少しの間に、色々なことがあり、彼女たちを取り巻く状況は180度変化した。
その変化を目の当たりにしてきたメンバーやファンの方それぞれに想いはあるだろう。
実際に来ることを止めたファンの人もいた。
それでも、あかりんさんが、そしてMAPLEZがアイドルを続けた理由は推測するなら・・・
それはきっと、あかりんさんがずっと言っている言葉だと思う。
「みんながいるから私はがんばれる!みんながいるから私は笑顔でステージに
立てています!」。
”Snow Time”が終わり春の気配が近づく 季節に、ボクは鼻水を垂らしながらそう思った.
E-girlsと同じLDHに所属するラッパーのSALUくんは、あかりんさんがアイドルの
スタート地点に立った2012年に発表した曲「I GOTTA GO」で、こう歌っている・・・
「楽しいことだけではない でもすべて楽しもう」。そして、「あの街で勝負さ」と!
・・・ということで、ここまで読まれた方に悲報です。このBlogももうちょっとだけ、
”THE NEVER ENDING STORY”とさせていただきまーす!
〇ヲルタナティヴ:2017年3月26日~2019年3月31日
ここまで広島を出発した列車は、中国地方を抜け、関西を巡り、東海地方を通過して
約870キロの距離を、”ある車掌”さんの運転で走ってきた。
列車が停まっている駅、そこは広島からギター1本を持って出てきたミュージシャンの
矢沢永吉さんが降りた崎陽軒と港町の駅、新横浜。
その時から長い時間が経った2017年、春の足音が近づいてきた頃、あかりんさんも
料理が苦手なのに、ひとり広島から勇気と覚悟をもって東京へ来るという・・・
宇宙飛行士・アームストロング船長が言ったような、大きな一歩を踏み出した。
東京へ向かう移動の電車の中で、寝ることが趣味のあかりんさんが、どんな夢や
その先の未来を見ていたかは分からない。でもその手には未来を埋める、家族からの
メッセージがしたためられたスケジュール帳があった。ちなみにですが・・・
あかりんさんは「メイプルチャレンジ」というDVDの中で「弟の虎次郎(とらじろう)です」と
弟さんを紹介していますが、それはアタシが見たところペットのワンちゃんだったので
たぶんスケジュール帳にメッセージは書いていないと推測されます。
では東京までは近い、先へ進みましょう。
あかりんさんの最初の”ステップ”である、ひろしまMAPLE★Sのスタートをボクは知らず、
あかりんさんにバカにされた。なので今回は・・・、やる気だけは誰にも負けていません!
あかりんさんが、東京で始める新しいグループの”エピソード”を、お隣の国・中国の
インターネットポリスくらい監視、チクイチ見逃さないように追い掛けたいと思います。
ちなみに東京へ来た後、あかりんさんに好きなミュージシャンを聞いたところ
思わぬ答えだったのが、星野源さん!ということでーーー!!
そのグループはまずデビューの日から発表された、その日は3月26日。ドヤ顔で・・・
「SUN」!DAY!
続いてはユニット名、その名前は「ヲルタナティヴ」 と発表された。
そして最後に公開されたのはメンバー。その数はあかりんさんに加えて4人の女の子で、
MAN WITH A MISSIONやサカナクションと同じ、5人。
目指す場所は、ケイスケホンダくらいビッグマウスに「世界」とTwitterで発表した。
ヲルタナティヴ・デビューまでのカウントダウンが刻一刻と進む中で東京へ拠点を移した、
料理が苦手なあかりんさんはといいますと、「よるごはん…」や「スフレオムライス」など
大戸屋を中心とした外食の、ご機嫌なツイートをしていましたー!
そして、その日はやって来る。2017年に春が近づく3月26日、渋谷にあるスペース
「SOUND MUSEUM VISION」で、あかりんさんがまさに”生まれ変わり”スタートをする
ヲルタナティヴはデビューを果たした。
ひろしまMAPLE★SやMAPLEZの時に出会ったファンの方から新しいファンの方までが
見守る中で行われたデビューライブは、オリジナル5曲に加え��ひろしまMAPLE★Sの
2曲をカバーした、計7曲が披露された。
・・・って、怪しげな情報サイト「ロピロピ」に書いてありました。
そうなのアタシ!Twitterに登録をしていないので通知がこない、そのため仕事の間も
迷惑防止条例に引っ掛かるレベルでTwitterを見ていた結果・・・。
仕事が、死ぬ!!そのためデビューライブが見れないという、繰り返される悪夢。
そして発達しない、知恵。「助けてくださーーい!」と、世界の中心で叫びたくなりますね。
それはデビュー2日の3月27日、1stシングルのリリースを公に発表した日も同様Death.
ここまで来たら開き直って、日本人の義務の1つである勤労が”地獄でなぜ悪い”。
でもアタシ、いつまでも死んでいる場合ではない。結果、ボクがヲルタナティヴとなった
あかりんさんを初めて見たのは、デビューから4日が経過した3月30日でした。
その場所は、渋谷の商業施設・渋谷モディの中に入る、「HMV&BOOKS SHIBUYA」。
デビュー2日でCDのリリースを発表したヲルタナティヴは、ギネスブックに掲載されている
NAPALM DEATHの曲「You Suffer」くらいの超高速で、1stシングルのリリースイベントに
突入していた。ボクが初めて世界を目指すヲルタナティヴを見たのは、お金が掛かる事で
”ドラえもん”級に世界中で知られているインストア・ライブだったの。
ひろしまMAPLE★S時代は集客に苦労したこともあった、CDの販売と新しいお客さんに
見てもらう、2つの狙いがあるレコードショップで行われる無料で観覧ができるライブ。
その日は平日ながらイベントが始まる”夜”8時、観覧スペースには多くの人が来ていた。
では、ヲルタナティヴを初めて見ましょう。やる気だけは誰にも負けていないつもりですが
ブスとしての後ろめたさがあるので、最後尾でー!
ヲルタナティヴの曲は、星野源さんの”アイデア”が詰まった作品「POP VIRUS」の様な、
「オールジャンルを詰め込んだサウンド」と公式ホームページに書かれているのですが、
その通り、ポップス、クラブミュージック、”Soul”、ロックなどオリジナル曲は多彩だった。
ただ初めて聞いたアタクシの印象としましてはキャッチーさと印象に残るインパクトが、
将来、ライブ会場にダフ屋が出るには少し弱い気がした。
MCを挟まずに、曲をノンストップで繋げるライブスタイルは、ひろしまMAPLE★Sと
MAPLEZを引き継いでいた。
フロアはデビューわずか4日ながら、コールなどが入りそこそこの盛り上がりだった。
だが難があるとすれば、それはステージの上。5人のダンスが、”Drinking”してから
”Dance”したみたいに揃っていないことに加えて、声量にもバラつきがあった。
これは最近の「アメトーーク!」、それか「ナダル・アンビリバボー」ばりに・・・やっべぇぞ!
あかりんさんが、ヲルタナティヴとなって変わったのは、曲やダンスだけではない。
衣装も!
あかりんさんは、陽キャな女子インスタグラマーかと思うお腹チラリした衣装を着用・・・
また髪の毛は、黒い方が良くないと言い続けたアタシの言葉を完全にシカトした
犬のヨークシャテリアみたいな、かわいい薄茶色だったわ。
では、ライブを見た後は、今後長い付き合いになるかもしれないメンバーに、ご挨拶へ
行きましょう。
サブスクが登場する前の時代だから、掟ポルシェさんが言う、ベテランの大人として
常軌を逸した枚数のCDを即買いして!
まずは初めて会う4人の女の子にご挨拶をしまして、最後にあかりんさんです。
ヲルタナティヴとなってから初めて会う、あかりんさんは・・・
「(他のメンバー)誰にも、名前聞かれとらんかったね!!」って、ニコッとしていました。
ディズニーシーに入園できるくらいの金額のCDを買った結果、メンバーの誰からも
興味を持たれなかったのが、アタシのヲルタナティヴの最初です。これはー・・・!
YZERRさんとでんぱ組.incを、再召喚です 。
「ゼロじゃねえマイナスからのスタート 舐めんな」、”Continues”!
ヲルタナティヴとしての活動を始めたあかりんさんだったけど、広島を拠点に活動する
MAPLEZのメンバーでもあり、ヲルタナティヴの活動が中心ながら形式上は、
2つのグループを兼任していた。
では、こんまり流片付け術に習って、アタシの気持ちも整理しましょう。
曲やパフォーマンス、メンバーの人数で選ぶなら、MAPLEZ。でも、ボクは今回、
アイドルを見るようになって初めて、「人」で見続けるグループを決めた。
このBlogを読んでしまった方が、ドン引きしているのがヒシヒシと伝わってきますが・・・、
アタシ、そんな空気に負けない!!
あかりんさんが東京でアイドル活動をすること、それは、これまで毎月だったライブが、
毎週へ変わる。さらにいきなりのリリースイベントで週一どころか休日”Nothing”で毎日。
内閣の年金問題くらいアタシの資産に不安もありますが、あかりんさんが言う
「最後の挑戦」を、あかりんさんから苦情がこないのを良いことに、可能な限り
見ることに決めたの。
完成にはまだ遠い状態でスタートしたヲルタナティヴだったけど、その環境は振り返ると、
あかりんさんがやって来たこれまでのグループの中で、最も恵まれていたと思う。
最初からオリジナル曲が用意され、その中の曲を収録したCDの発売も決まっていた、
また結成2ヶ月後には、ミュージックビデオもYouTube上で公開された。あとあと・・・
売上げランキングで知られるoricon主催の大きなイベントやテレビの音楽番組出演など
多くのレールが敷かれていた。今は未完成だけど、いつかは完成すると思っていた。
しかーし、ヲルタナティヴが始まって2ヶ月、メンバー2人が早々にグループを後にする。
春にデビューしたが、ヲルタナティヴは、夏にはヤバイTシャツ屋さんやダチョウ倶楽部と
同じ、3人になっていた。この展開には、上島竜兵さんもきっと言うだろう・・・
「おいおい、聞いてないよー!」。あとIKKOさんが、「まぼろし~」って!
ヲルタナティヴにとって初めての夏は例年と変わらず暑かったけど、アタシには、
BAD HOPより2年も早く訪れた、COLD IN SUMMERだった。
3人になったけどヲルタナティヴは、MAPLEZが4年半の長い時間を費やして、
やっと辿り着いた世界最大のアイドルフェスのステージに、デビューから5ヶ月で立った。
でんぱ組.incの「ムなさわぎのヒみつ?!」同様にアタシの胸中も、”信じらんないっ”だもの.
そんなこの夏、あかりんさんは初めてグラビアの撮影にも挑戦をした。
そのグラビアは企画と連動しており、アイドル10人が参加しファンの方の投票によって
優勝者が決まり、最終的に単独でマンガ誌のグラビアを飾れるというモノだった。
投票券はマンガ誌1冊に1枚付いているため、お金を出して投票券を買うという、
成人になって初めて知る公職選挙法に基づいた総選挙だった。
善良な国民であるアタクシですから、もちろん司法のメスが入らない程度に投票券を
爆買い!
アイドルのファンになるとCDだけでなく、雑誌も複数冊購入しなくてはならないことを、
アタスィー、初めて知ったの。女性ってホントにお金が掛かるわね。
ステラおばさん似だけど美魔女を目指してコパトーンを塗らないと”肌”を美白に
保てなさそうな夏真っ盛りの8月6日、あかりんさんは約半年ぶりに兼任していた
グループ・MAPLEZのメンバーとしてライブに出演する。そこは一度、夢破れた場所。
収容人数最大で2000人を超える、お台場にあるライブハウス、「Zepp DiverCity」。
ステージが用意されたのは前年、MAPLEZが夢を叶えたTOKYO IDOL FESTIVAL。
あのSKY STAGEから、さらに高みへMAPLEZは行くことができた。
フロアを埋める人は、全員が彼女たちのファンではない。
それでもMAPLEZを、2000近い人が見ることは揺らぐことのない事実。
「キミとならきっと どんな場所にだって 行けるんだ」と、彼女たちは1年前に歌っていたが
本当に行くことはできた。
その巨大なフロアには、MAPLEZさらにヲルタナティヴのファンの人も集まっていた。
続けることは、辛いことも多いけれど、続けないと実現できないことはやっぱりある。
色々なことがあり、魔女の宅急便みたいにおちこんだりもしたけど、そのステージに立つ
あかりんさんとMAPLEZは、元気でした!
限られた時間のライブは、MAPLEZを代表する曲「始発列車はまだ来ない」でスタート、
そして、フェスのフロアが人で溢れた@JAM EXPOの1曲目「BLAST×BLAST」を繋ぎ、
そこから、色々なことが起きてもひろしまMAPLE★SとMAPLEZを好きでいてくれた
ファンの方に”Present”をするように、「Boom! Boom! Miracle Emotion」から
「Bright!!」を、トム・ブラウンの”ギャグ”みたく合体!させた、キラーなセットリストを組み。
最後は、彼女たちを代表する曲「RPM」で〆る約20分のノンストップのライブを
2000人の前でやり切った。
たぶんMAPLEZからは見えなかっただろうが、ボクが見ていたフロアの付近では、
彼女たちがずっと言い続けていた「ファンの人全員が楽しめるようなライブ」の景色を
Zepp DiverCityの中でも垣間見ることができた。
そして屋外だったSKY STAGEと違いZepp DiverCityという屋内の会場だったけど、
顔に汗と笑顔を浮かべたファンの方たちがいる景色は1年前と何も変わらなかった。
小さなステージでゼロから始まって、Zepp DiverCityまで行くことができたMAPLEZと
比較をすると、”Down Town”にある中小企業の社長令嬢くらいには恵まれた環境で
始まったヲルタナティヴ。
でも人気の曲を封印したり、曲のセットリストが固定化したり、動画がほぼ無かったり、
その活動の差は、フットボールアワー・後藤さんの言葉を借りますと・・・
高低差ありすぎて耳キーンとなるわ。そしてアタイ、心が病む!
その結果、まず症状1・・・。 ヲルタナティヴのライブで、前方へ行くことを止める。
続きまして、症状2・・・。 特典会へ率先して行くのを止める。
あかりんさんはかつて「グループを辞めたい」と言ったことがあると言っていましたが、
ヲルタナティヴが結成された最初の夏に、ボクは、グループを見続けることを止めようと
思った。ヲルタナティヴへの熱が冷めていった。
そんな夏も終わろうとする頃、急にあかりんさんから言われた言葉がある・・・
「わらって!」。(注:モーニング娘。の飯田圭織さんパートの練習ではありません)
夏が過ぎ、列車の車窓から見える木々に明るい色がつく”季節”、秋がやって来た。
その秋は、あかりんさんが走り続けるレールに、2人の新しい女の子を連れてくる。
1人は九州でのアイドル活動を終え、カニ道楽のバイトもブッチぎった未夢(みむ)さん、
もう1人は新潟出身、小指を立ててマイクを握る女子大学生、三島凛(みしまりん)さん。
ヲルタナティヴに初めて、新メンバーが加入した。
2人はそれぞれ、ライブを見てまたCDを聞き、ヲルタナティヴへ加わる決心をした。
オーディションの期間は、2人で”Pair Dancer”もしくは南極に置き去りにされた犬の様に
支え合い、そして2017年9月2日にヲルタナティヴとなった。
この2人の加入をきっかけにグループは少しずつですが、変化を始めまーす。
ヲルタナティヴに、新メンバーの次にもたらされた変化、それは「曲」。
これまで 、オールジャンルを詰め込んだサウンド、としていた音楽性から、
老眼に加えて最近は乱視も入ってきたアタシでも、目指す方向が識別できる
新曲たちを発表する。
まずは、パンクとポストグランジにアプローチしたロック調の曲を、2曲。
続いて、EDMとハウスのクラブミュージックにアプローチをした曲を、2曲。
音楽のジャンルに縛られないのはアイドルの1つの強みではありますが・・・
ヲルタナティヴの楽曲を手掛けるOscillophoneが得意とする曲調に寄ったことにより、
ヲルタナティヴらしいと聴こえる音楽の軸が立とうとしているように感じた。
さらにステージも上また、楽屋で衣装の”スカート”をヒラヒラさせてジュリアナダンスを
踊っていた大学生の三島凛さん、幼少期からダンスを習っていた未夢さんの2人が
加わったことで、グループダンスの見え方も段違いに良くなっていった。
・・・となりますと、見た目が悪いのに加え内面もダメージジーンズくらい荒みきっていた、
アタシのメンタルも復活!
新しくなったヲルタナティヴは、10月に大阪の街を舞台にしたフェス「MAWA LOOP」、
さらに日本三大アイドルフェスの1つを主催する「@JAM」のイベントなどに出演・・・
少しずつですがこの時期、ヲルタナティヴにファンの方が増えてきた。
そして”Dead Leaf”が地面を覆い尽くし、”Snow Men”が街をかざる冬を越えて、
”桜の森”が花開こうとする結成から1年が経とうとする春、ヲルタナティヴは初めての
ワンマンライブを開催する。
その場所は物騒タウンこと新宿・歌舞伎町にある、収容人数最大で800人のライブハウス
「Shinjuku BLAZE」。
スタート早々にメンバーが減り、3人で迎えた夏、そして秋に再び5人体制となり、
ロックとクラブミュージックの4つの新曲を発表した、ヲルタナティヴ。
彼女たちが目指す方向は、超メルヘンなうえに不思議ちゃんなアタシが思うにですよ・・・
いま世界で人気がある音楽といま国内で人気がある音楽、そんなジャンルの曲を
可愛い女の子たちがダンスと一緒に魅せるグループだと・・・、乃木坂46のCMの勢いで
思いマウス!!
そうして2018年4月1日、9曲まで増えたオリジナル曲にひろしまMAPLE★Sの2曲の、
合わせて11曲をもって、事情があって4人になったヲルタナティヴは1st ワンマンライブ、
タイトルを「THE WORLD」と名付けたステージに立った。
紹介が遅れましたが、↑が「THE WORLD」の時のヲルタナティヴです。メンバーは左から
「ストリートファイター」のエドモンド本田のようなポーズをきめる元SKEカフェの店員さん、
相沢奈那(あいざわなな)さん!
隣は、お肉とコーラが好きな、育ち盛りの男子小学生みたいな味覚の、あかりんさん!
そしてコンプラに引っ掛かるリリックを書くラッパーをアタシにお薦めするJD、三島凛さん!
右端は、給料をネオバターロールにつぎ込んでいたワンパクな肥後もっこす、未夢さん!
直前にメンバーが脱退するトラブルがある中で開かれた、ヲルタナティヴとして最初の
ワンマンライブ「THE WORLD」。
フロアは、後方を少し関係者席で潰したけど、そのパイプフェンスの仕切りいっぱいまで
大学4年生を2回やったアタシの”予想”を上回る、多くの人で埋まった。
その勢いのままに、夏を前にした6月に2枚目のCD「ヲルタナティヴ EP」を発表する。
「ヲルタナティヴ EP」には、デビューの時に渡されたクラブミュージック調の1曲に加え、
2人の新メンバーが加入した前年の秋に発表したポストグランジにアプローチした1曲と
クラブミュージックであるEDMとハウスにそれぞれアプローチした2つの曲、
さらにエレクトロサウンドとパンクロックが融合したような新曲1曲の、5曲が収められた。
あかりんさんは、これまで11枚の音源に参加をしていますが、ボクが一番好きなのが、
この「ヲルタナティヴ EP」です。
・・・ということでー、同じCDをお酒の力を借りもせず、再び狂ったように購入。
その病は、東京だけに留まりません。ヲルタナティヴは2枚目となるCDを手土産に、
あかりんさんの地元である広島へ凱旋をします。
それはヲルタナティヴとして初めての”ツアー”、「2 SETS of BABEL」の始まり。
アタシも、「桃太郎電鉄」の祟られたビンボー神のように、その後を着いていきます。
ツアーは広島・名古屋・大阪・東京の4都市を巡る、各地でゲストを招いての2マン形式。
スタートの広島の会場は、広島市内にある収容人数が250人ほどのライブハウス、
「SECOND CLUTCH」。
ひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZとして幾度か立った、広島CLUB QUATTROには
届かなかったけど、同じ施設の中にあるタワーレコードに、あかりんさんは帰ってきた。
そのあかりんさんを記念に、親戚のババアみたいにアタシのらくらくホンで、
”フィルム”に残しておきましょう。
ツアーでは、新たな2人のメンバーがヲルタナティヴに加わることが発表されていた。
でもね、ホモ・”サピエンス”について書かれた論文くらい説明がややこしいので
簡潔に言いますとですよ・・・、
ツアーを経て活動に至ったのは、鈴屋もずく(すずやもずく)さん1人だけでした!!
この2018年の夏、あかりんさんは兼任していた1年と少しの時間を過ごしたグループ、
MAPLEZを卒業して、ヲルタナティヴに専任することになる。
あかりんさんがいなくなったMAPLEZについて、最後にMAPLEZへ加入したアイリさんは
「ツラかった…」と言っ・・・、いやこっちも寂しくなるので精いっぱい明るく補整をしましょう
「ツラタン!」って言っていましたー!
そんなMAPLEZは2018年の7月29日、およそ2年半の歴史に終止符を打つ。
ひろしまMAPLE★Sから数えて、約5年半での解散だった。
いつだったか、あかりんさんがいないMAPLEZのライブを、ボクは見たことがあった。
そのステージには、あかりんさんの活動の中心がヲルタナティヴになった後に、
グループに加入した何人かの新しい女の子たちもステージに立っていた。
この子たちがMAPLEZをずっと守っていてくれていたんだと、その姿を見てちょっとだけ
涙が零れそうになった記憶が、アタシにはある!気ーーー持ち悪ーーーーーーい!!
でも泣いてばかりはいられません、気を取り直して前へ進みましょう。
8月、ヲルタナティヴは2年連続となるTOKYO IDOL FESTIVALに出演、アタシは
チケットを購入したけど、出演したステージはチケットがなくても観覧できる場所だった。
そして9月、グループ結成から2度目のワンマンライブを渋谷にあるライブスペース
「WWW X」で開催。そこでは、あかりんさんと長く活動を共にしてきたヲルタナティヴの
結成時のメンバーである相沢奈那さん、そして活動が苦しい時期に加入した未夢さんが
グループを卒業をした。
・・・アタシに憑いている悪い災いをもたらす霊よ、早く身体から出ていってください!
再びメンバーが3人となったヲルタナティヴは最後にMAPLEZのメンバーであり、後に
Meteonomiconとして活動する宙音美憂さんと流川彩菜(るかわあやな)さんが、
サポートの形でグループに加わり、そして9月27日から約1ヶ月の間、活動を休止した。
それは、あかりんさんが新たな女の子たちと出会うために。
初めてその女の子たちと会ったのは、少し時間は遡り2018年8月28日だったと聞く。
ヲルタナティヴに新たに加わる女の子、彼女たちがヲルタナティヴに出会った背景は、
それぞれ異なる。
ある子はTwitterでオーディションを知って、 ある子は曲が気に入って、ある子は以前に
活動していたアイドルグループのメンバーに薦められて、ある子はメンバーに憧れて・・・
それまでの道に別れを告げて、ヲルタナティヴに加わることを決心した女の子もいた。
そして2018年に秋が訪れた、10月20日土曜日。東京・下北沢にあるライブハウス、
「下北沢ReG」で、新たなヲルタナティヴはお披露目された。
ヲルタナティヴというグループ名には、「無限大」と「型にはまらない新しいもの」という、
2つの意味が込められている。
そんなヲルタナティヴは、あかりんさんの「最後の挑戦」の場でもあった。
何度かのメンバーチェンジもあったが、活動を続ける時間とともにオリジナル曲は、
結成時の5曲から、この時で11曲まで増えていた。2枚の音源もリリースした。
そしてミュージックビデオも2本を、YouTubeで公開している。
ボクがアイドルを見始めた10数年前、インディーズのアイドルがCDを一般流通させて
ミュージックビデオを発表することは、当たり前ではなかった。
アイドルに関する情報も少なく、対バンのライブやYouTubeにアップされている映像、
また僅かの口コミなどから、見て気に入ったグループをボクは応援してきた。
そして時代は変わり、アイドルが1つのブームとして盛り上がる時代がきた。
それまでアイドルに触れてこなかったであろう人たちが、アイドルが歌う音楽を聴き、
映像を見て、アイドルのライブ会場へ足を運ぶようになった。
最大時は日本全国に、およそ3000組ものアイドルがいたとも言われている。
メジャーとインディーの垣根はあったけど、色々なタイプのアイドルがシーンにいた。
そんな状況の中で、ボクは応援しているアイドルがいなく、地方を拠点に活動している
アイドルを進んで見ていた時に、偶然見たのがひろしまMAPLE★Sだった。
そのライブは、ボクの好きな音楽の系統の曲を、偶然、ひろしまMAPLE★Sが発表した
タイミングで、その曲をライブで披露した。そして、あかりんさんと出会った。
その時から、約4年半の時間が流れていた。
アイドルを取り巻く環境は再び大きく変わったけど、あかりんさんが立っているステージ、
そして、あかりんさんと一緒に何かを達成しようとする女の子たちを見ているのは
4年半の間ずっと楽しかった。
年が変わろうとする2018年の暮れ、12月27日の夜7時を時計の針が少し回った頃、
1つの発表が、Twitterのタイムラインに流れた。
あかりんさんがアイドルを卒業することを発表した。およそ6年目の、決断だった。
アイドルをずっと続けて欲しい気持ちは少なからずあったけど正直な気持ちをいえば・・・
正しい判断だとも感じた。卒業をする日が発表のその日から3ヶ月の時間があったため
実感が湧いていなかったのかもしれないけど、不思議と悲しさはなかった。
卒業を決めたあかりんさんと会ったのは、その翌日にあった渋谷でのライブだった。
前触れのない突然の発表だったこともあって、その日は平日だったけど多くの
ヲルタナティヴのファンの方が会場に集まっていた。
あかりんさんは、そんな多くの人それぞれに様々な言葉をかけていたと思う。
ボクには、「今の気持ちは?ごめんね」と、映画「HANA-BI」のラストシーンのような
言葉を言っていた。
2019年が迫る、”Week End”の12月30日。2018年最後のライブでヲルタナティヴは、
新たな曲を披露する・・・。それはMAPLEZの曲、「始発列車はまだ来ない」。
だが広島から走り続けた列車は、もうそろそろ終着点へ着こうとしている。
その列車は、品川駅に近づくと下降線を描く。高架から地上1階に作られたホームに
停車をするためだ。到着すると、多くの乗客が列車を降りていく。
もう、ここから新たに列車に乗る人はいない。
あかりんさんに聞いたことがある。「なんで、ヲルタナティヴをやろうと思ったの?」と。
その質問にあかりんさんは、こう答えた。「やってみる?・・・って聞かれたから」。
アイドルを始めた時も、あかりんさんはアルバイト感覚だった。
でもアイドルになりたくてアイドルを始めた女の子たちが、次々と辞めていく中で、
あかりんさんが長くアイドルを続けたのは、辛いことを少しでも上回る楽しいこと、
また大好きな”歌を歌うときは”「どれも良い曲」で、その曲を聴いて自分のことを
応援してくれるファンの方がいた。それが理由だと、プラス思考にボクは思う。
あかりんさんの卒業まで3ヶ月のカウントダウンが始まった。実感は、無いままだった。
たぶん多くの人がそうであったと思うが、それでもライブが行われる会場には、毎回、
多くの人が来ていた。あかりんさんを、昔から知っている人から、最近知った人まで・・・
その人の数は平日でも多かった。たぶん無理をしていた人も、中にはいたと思う。
特典会は、あかりんさんの卒業の日が近付くにつれて、並ぶ人の列が長く伸びていった。
それだけ、誰もがなんとか自分の中であかりんさんを残そうとしていたのだと思う。
ボクもまた残された時間を思い出に残そうと思った。でもね、あかりんさんは言った・・・
「毎回を楽しめばいいじゃん!」、と、それだけ。
3ヶ月、ちょうど90日の中に用意された約50のライブはあっという間に過ぎていった。
2019年も気がつけば冬を終え、ヲルタナティヴのライブの帰りに見上げた街の木には、
いつもより早い桜の花のつぼみがつき始めていた。
あかりんさんがアイドルを卒業するまで、残すところ1週間をきっていた・・・。
そんなカウントダウンが進む中で、あかりんさんは1つの特別なステージに立つ。
決して忘れられない、東京での思い出。それは・・・。
「あーちゃんなりの甲子園」!!
書いたのは、ひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZと活動を共にし”Friend Ship”で繋がる
宙音美憂さん。
そういえばですよ、あかりんさんはかつてTwitterに、こんなことを書いていた・・・。
「あだ名、あかりんなの謎!メイプルに入ってからあかりんになってた。
わかりにくいからあーちんと呼んでください♡」
そうなの、あかりんさんの正しいあだ名は、あーちんではないけど「あーちゃん」!
公式ホームページにも、そのように記述されている。アタシ、4年半もの間ずーーーっと
大きな間違えをしていたようです。”穴を掘”って入りたいところですが・・・、
ここまで来たら、後には引けない!このまま見なかったことにして、前へ進みましょう。
〇小泉明音なりの甲子園
いつもの春より、すこし早く桜の花が開いた、2019年3月26日 火曜日。
あかりんさんは東京で初めてのライブと言い張る、ボクが初めてひろしまMAPLE★Sを
見た、5年前の同じ頃に新木場で開催されたイベント「アイドル甲子園」に出る。
だが、そのイベント名は今回、いつもと少しだけ違う。
”メイプルのシンデレラ”と呼ばれていた、あかりんさんが立つのは、ティアラのように
自分の名前がイベントに冠としてついた、まるでシンデレラ・ストーリーみたいな
「小泉明音なりの甲子園」!これが、正式なイベント名に決まった。
これまでアイドルのグループ名がイベントに冠されたことはあったが、個人の名前が
冠につくのは、初めてのことだった。
平日の火曜日だが、渋谷の街は多くの人が往来している。その人の上に広がる空は、
いつかのお台場のように、青くよく晴れ渡っていた。
ひろしまMAPLE★Sを初めて見た時から、約5年の時間が経っていた。でも・・・
時は来た。それだけだ!(©サイプレス上野とロベルト吉野の名盤「LIVE@o-nest」より)
対バン形式のイベントは、平日にも関わらず”KIDS”じゃないと行けないような
午後5時過ぎに、1組目のアイドルのライブが始まる。
いつかのPerfumeのライブの時のように 、明治通り付近から街灯が立ち並ぶ道を歩き、
ボクが会場に到着したのは、イベントが始まってすぐの午後5時半近く。
入口を抜け階段を降り、フロアへ続く扉を開けると、強い明かりを放つ照明が、
会場となった渋谷のスペース「SOUND MUSEUM VISION」の暗闇を照らし出す。
そのメインフロアには、I Hate ”ワーク”、アイドル”ソング”LOVEずっきゅんな人が
すでに多く集まっていた。
あかりんさんを見続けてきた人の顔が、フロアには多く見ることができた。
会場では、あかりんさんと数々のステージを共にしてきたライバルたちが、イベントを
盛り上げる。
その中には、あかりんさんと長く活動を共にした、宙音美憂さん。
あかりんさんがヲルタナティヴに活動の軸を置いた後の、MAPLEZを守り続けた
流川彩菜さんやアイリさんの姿もある。その感動の裏で、アタクシはといいますと・・・
鼻の下を伸ばした顔で、カッスカスのペンで「WO!!」とグループ名のタグを書く
当時・中学生の、ヲルタナティヴ・神谷さくらさんとチェキを撮っていたの。ご陽気に!
でも、時間は止まってはくれない。時計の針は、回転を続ける。
フロアに集まった人が2013年1月に始まった、どの時間・どの場所で・どのグループで
あかりんさんと出会ったのかは分からない。
でも、その時間に終わりが近づいていることは、誰もが分かっている。
1つのステージは僅かな時間かもしれないけど、それぞれの人にとって大切な時間、
中には、卒業の日は都合が合わず、この日が最後というファンの方もいるであろう。
ボクは、あかりんさんを4年半見てきた。たぶん長く応援している方に入ると思います。
通常なら、そんなアタシに、集まった多くの方々も気を遣ってくれそうな気もしますが・・・
「小泉明音なりの甲子園」に於いて、ヲルタナティヴが登場する午後7時45分、
アタシの目の前には、多くの人が何重にも層を成した!!\アタシ、オワターー!/
なんならボクの位置は、最後尾の方が近いくらい。そうなの、フロア・・・、そこは!
弱肉強食の世界。
アタシクラスの、ばい菌みたいな下等生物などは前を譲っては頂けないのです。
それほど、あかりんさんは男性から女性まで多くの人に愛され、応援をされていた。
そんなあかりんさんを、最後に支えたのは、この女の子たちです。ご紹介しましょう・・・
左からー!!
一番左、hitomiさんの教えに反してご主人様を威嚇する元メイドさん、鈴屋もずくさん!
左から2人目は、同じクラスにハタチの人がいるキュートな高校1年生。神谷さくらさん!
その隣は、幽霊の「貞子」に似た髪型をして、いつも歯に真っ赤な口紅をつける・・・
かわいさとホラーが同居する新潟のオンナ、柊木ハツミさん!
センターは、もと陰キャで少年のようだったアイドル、小泉明音さん。あかりんさん!
隣の氷結ストロングを飲んだようなテンションの人は、高校を留年した桃川もも子さん!
一番右は、インスタグラムで「#そうなんや」を押し売りするニセ関西人。三島凛さん!
以上、ヲルタナティヴの可愛さを100%伝えることができたと手ごたえを感じている、
メンバー紹介でした。
あともう1人、美里由奈さんはこの日は不在。この後に卒業を決めてしまうのですが、
最後に話をした時にボクは由奈ちゃんに「アイドルになって良かった?」と聞いていた。
由奈ちゃんは答えた、「あかりんさんとかファンの人とかにいっぱい会えて良かった!」。
そしてフロアの隅には、あかりんさんと一緒に夢を追い駆けてきたアイドルたち、
MeteonomiconやNEMURIORCAの姿もある。
さらにステージの下には、6年半の時間の中で出会った多くのファン��方たちが、
あかりんさんの登場を待っている。そう、全員揃って、「期待値はYes!」。
では、「ギュンギュンと成層圏を抜けてく」ほど楽しんでいこう!
フロアからは見えないバックステージ、そこでヲルタナティヴは、大切なライブの前に
円陣を組みメンバーが1人ずつ順番に「いち に さん」と掛け声を出すのが、恒例の
慣わしとなっている。
それが終わると、SOUND MUSEUM VISIONに、ヲルタナティヴのライブの始まりを
伝える曲が鳴り始める。
その曲は歌がないインストゥルメンタル、1曲目は、「w421(ウォール)」!
アイドルになるつもりがなかった女の子が、アイドルになって約6年半が経っていた。
グループで最年少だったその女の子は、いつしかグループを引っ張る存在になっていた.
その女の子がいつも立っていた場所、そこはステージのセンター。
1曲目の終わりが近づく頃、何度も立ったステージの真ん中へ、身長152センチと
メンバーの中で誰よりも小さいあかりんさんが、小さな歩幅で向かう。
そしていつもいた最も、「明かりが射す場所へ」立った。
では、行こう。ヲルタナティヴ in 「小泉明音なりの甲子園」!午後7時45分、開幕!!
会場に鳴るのは、ギターが奏でるノイジーなポストグランジのメロディ。
イントロでステージの前方へ、歩を進めた三島凛さんが大きく声をあげる・・・
「あかりんに最高のプレゼントをしちゃいましょう!」。
2曲目は、「ギヴミーメーデー ~明解に不正解な世界の端っこの真ん中で~」。
曲のタイトルのように、あかりんさんのスタートはグループの選抜に漏れて、
スタジオの端っこやバックステージで、アイドルの世界を見ることから始まった。
だがそんなグループもまたオリジナル曲がなく、カバー曲でのライブを余儀なくされた。
この歌のサビに、「メーデーメーデー 今日も明日も たぶん明後日も」 とあるように、
広島の女の子たちは、いつの日に抜けるとも分からぬ不安の中で、
ひろしまMAPLE★Sというアイドルとして活動を続けた。
でも続けていたら、プロデューサーから初めてオリジナル曲が渡された。きっと・・・
嬉しかったと思う。そしてその曲が収められたCDを、初めてみんなで売った。
「世界の端っこの真ん中で 声を聴かせて」、そんな風に自分たちのことを思ってくれる
ファンの人ができることを願いながら・・・。
ステージでは三島凛さんが、再び曲中でフロアを煽る。「(振付けを)一緒に!」。
目の前にはその瞬間、ステージを見て一緒にダンスを踊るたくさんのファンがいた。
では、そんな多くの人と一緒に、ライブも盛り上がっていこう。
ステージの中央で、縦1列にヲルタナティヴの6人が並ぶ。
イントロが流れる、それはオリエンタルなエレクトロのメロディ。そのイントロにリズムを
刻むように、MIX(ミックス)と呼ばれるアイドルライブ特有のファンのコールが被さる。
3曲目は盛り上がりの定番曲、「今宵夢酔夢想歌(こよいゆめよいトロイメライ)」。
メインヴォーカルを担当するあかりんさんが、歌い始める。その歌詞は・・・
「きっと此処は黄金郷 夢か現か」。あかりんさんは活動を振り返って言っていた・・・
「6年半のアイドル人生が夢だったんじゃないかって感じです」、と。
夢みたいだったアイドルの世界は、ひろしまMAPLE★Sの2枚目のCDでメンバーに
選ばれた事で現実となった。それから「夢みたいだって 夢じゃない現実」を続けてきた。
広島を出た場所でもライブができるようになり、訪れたその街にも、黄金郷のように
明るく華やかなステージでパフォーマンスする自分たちのことを好きになってくれ、
応援してくれる人がいてくれた。
クラブミュージックのプログレッシブハウスをベースとするこの曲は、サビに向かって
曲調が盛り上がっていく。その最大の盛り上がりへ向かって、ヲルタナティヴは歌う。
「蝶や鳥も皆集まったなら 全て忘れ 歌え踊れ」
そしてサビで、ヲルタナティヴとこの夜フロアにいるファンの垣根を越えた人たちが、
シンクロして舞う。
お気楽に始めたアイドルだったけど、ファンの方が少しずつ増えるにつれて、
いつしか本気になっていた。増えていく自分たちの曲は、「どれも良い曲」だった。
いつかの日、あかりんさんは言っていた。「私、短大、卒業したよ!」。
別の進む道もあったがあかりんさんはアイドルを続ける道を選んだ。だから今がある・・・
最後を前に、あかりんさんを見たいと思う多くの人がフロアに集まる景色が目の前に。
曲が終わるとヲルタナティヴの6人が、頂点が不規則な六角形をステージ上に描き出す。
それは4曲目、「夏の香のパ・ド・ドゥ」の始まり。
エレクトロハウスという音楽ジャンルにアプローチしたこの曲も、スタートは静か。
「遠い とおい 夏の日 熱い アスファルトの道 君と僕がいた街」と歌うあかりんさんの声、
そして僅かなエレクトロの音だけが会場を支配する。
この曲には、こんなメッセージが込められている・・・。いつか必ず会いに行こう、例え、
遠くとおく離れていても。
遠いようで近い夏の日、たくさんの思い出をファンの方と一緒に作ってきた。
ひろしまMAPLE★Sでは、小さなフロアに溢れるほどの人が集まった「@JAM EXPO」、
MAPLEZでは、初めてフェスの巨大なステージに立った「アイドル横丁夏まつり!!」、
そして夢を叶えた「TOKYO IDOL FESTIVAL」への出演とZepp DiverCityのステージ。
さらにこの日、あかりんさんを囲む5人のように、数多くの歴代メンバーと出会ったのも
夏の日だった。
あと、どうでもイイ、夏の怪談に登場する”化物”みたいな、アタシともー・・・。
そして歌詞に心を込めて、あかりんさんがサビをファルセットで歌う!
「君のいない いない 夜がまた 訪れて消えていっても 忘れないでね」。
君とはきっと、ファンの方にとってのあかりんさん、そしてあかりんさんにとっては
自分のことを応援してくれた全ての人のことを指す、そうボクは思う。
そんなステージにいるあかりんさんを、毎年違う景色を描いてきた夏の日のように・・・
キラキラとしたエレクトロハウスの音色と、照明の光が明るく照らし出した。
ヲルタナティヴのライブはこの日も、あかりんさんが長く続けてきたノンストップで行く。
ではそろそろ、ヲルタナティヴのキラーチューンを始めましょう!5曲目は・・・
youtube
「飴色リズム(あめいろリズム)」!!!!!!!
4曲目「夏の香のパ・ド・ドゥ」のベースとなっているエレクトロハウスから派生した
音楽ジャンルである、コンプレクストロにアプローチした曲。
その特徴は、曲の始めから終わりまでのおよそ4分間、とにかくアッパー!
イントロで三島凛さんが「盛り上がっていくよー!」 とフロアを煽る通り、ヲルタナティヴの
ライブを確実に盛り上げる・・・、きゃりーぱみゅぱみゅさんとでんぱ組.incリスペクトで
”きらきらキラー”な”キラキラチューン”。
Bメロでは、ステージ上のメンバーとフロアを埋めるファンの人たちが夏のEDMフェス並に
プチャヘンザ・スタイルでジャンプ、時間の進行を忘れるようにみんなで盛り上がる。
歌詞に、「時が赦すなら止まっていたいの それ以上は望まないわ」とあるように・・・。
あかりんさんがアイドルとなり活動した6年の時間の中で、残した曲の数は36曲に上る。
リリースしたCDの数は11枚、ミュージックビデオは9本。その1曲1曲に思い出がある。
宙音美憂さんは「始発列車はまだ来ない」、 流川彩菜さんは「アイソレーター」 、
アイリさんは「ENDEAVORRR」、そして「どれも良い曲」と言うあかりんさん・・・
そんな自分たちでも好きな曲が分かれる良い曲を、毎回作ってくれる人がいて、
その曲をステージで魅力的に見せることができるダンスを考えてくれる人、
また照明を考えてくれる人、音響を整えてくれる人など多くのスタッフがいた、
何より、それらの曲を好きになってくれるファンの方がいたからこそ彼女たちは・・・
「夢から醒めてないで」 、アイドルとして活動を続けてくることができた。
そのバトンはきっと、これからも受け継がれていくだろう。
この曲は、柊木ハツミさんが一歩前に出てステージのセンターで1人ダンスを踊る・・・
その後ろに、ヲルタナティヴの他のメンバーが立つフォーメーションで終わる。
曲が終わると同時にメンバーが立ち位置を移動、ステージ前方に2人、後ろに4人の
台形を描く。
聞こえてくるのは、シンセサイザーが鳴らす清んだメロディとストリングスを弾く音、
そしてあかりんさんの歌声。6曲目はトロピカル・ハウス調の曲、「かえろうよ」。
「街の喧騒 通り過ぎた風 季節の始まり連れて ずっと彷徨っていた心 撫でるよ」、
そんな歌い出しのように、故郷・広島を旅立ったあかりんさんは、春に連れられるように
街の喧騒がざわめく東京へ、最後の挑戦をするために来た。
彷徨っていた心もあっただろうが、この街にも一緒に夢を追いかける仲間がいた。
そして、自分の夢を応援してくれるファンの方がいてくれた。
「いつか見た夢が 記憶の奥の奥 同じように煌めくよ」
広島と東京で見続けた、煌めく夢。それは、ファンの方にとっても明るく煌めく夢のような
時間だったと思う。でも、あかりんさんはいつかの日に、こんなことを話していた。
「友だちと遊ぶ暇があまりない」のが悩み。6年半もの長い時間を、非”日常”の世界で
過ごした。
サビに向かい盛り上がるこの曲は、最後にヲルタナティヴとフロアにいるファンの方が
ユニゾンで、こんな歌詞を歌って曲の終わりへと向かっていく。
・・・「かえろうよ」。
では、ヲルタナティヴの「小泉明音なりの甲子園」も、そろそろ終わりへ向かいまし���う。
最後を〆る曲は、疾走感のあるエレクトロのメロディにPunkサウンドが融合した・・・
7曲目、「Wonder Wander Lander(ワンダー・ワンダー・ランダー)」!
イントロでヲルタナティヴの6人がステージ前方に進み、6人揃ってフロアを煽る。
曲は、こんな歌詞で始まる・・・。「煌めいて見えるのが 描いた夢だ」!
一握りの女の子しか立てないステージのセンターで歌うことは、夢のような時間であり
またその時間を共有する大勢のファンの方が、あかりんさんの周りにはいた。
アイドルを目指していなかったまだ10代だった女の子は、ステージのセンターを任され、
歌をレコーディングして、CDをリリースし、またミュージックビデオの撮影もした。
そして全国に通用するアイドル・グループとして、幾度もツアーを行い、北は北海道から
南は福岡までを巡った。
さらに、ワンマンでのライブは、最初は広島の街中にあるイベント広場だったけど・・・
そこから目標だった広島CLUB QUATTRO、東京・赤坂BLITZまで辿り着いた。
アイドルになったからには出演したかったTOKYO IDOL FESTIVAL、一度は夢破れた
収容人数最大で2000人を超えるZepp DiverCityステージへも立つことができた。
テレビにも出演したし、インタビューも何度も受けた、嫌だったけどグラビアも飾った。
もしかしたら「その輝きが眩いなら 目指すは最果て 」と歌う、ヲルタナティヴが目指した
最果て、世界だけがあかりんさんが現実にできなかった夢なのではないだろうか・・・。
「僕らの想いが光るのは あの日の夢とWonder Lander」
ファンの人たちの想いも乗せて、6年半という時間の長さを飛び続けたあかりんさんが、
アウトロで宇宙のキラ星の様に手を瞬かせ、そして着陸船のようにステージの上で
静かに動きを止めた。ヲルタナティヴの6人が、ステージを降りる。
「小泉明音なりの甲子園」でヲルタナティヴは、過去の曲ではなく、あかりんさんが
走り続け、そして辿り着いた今の曲でステージを作った。
初めて見た「アイドル甲子園」で印象に残らなかった女の子は、いつしか多くの人を
魅了し、”恋”い焦がれられる女の子になっていた。だが、まだこれで終わりではない。
再び、あかりんさんがステージに立つ。今度は1人で、ステージのセンターに。
この日、特別に用意されたあかりんさんのソロステージ。その時間にあかりんさんが
選んだのは、ひろしまMAPLE★S時代に発表したソロ曲「Echoes(エコーズ)」。
規則的に鼓動する4つ打ちのビートに、キラキラとしたエレクトロポップのメロディーが
融合・・・、そしてそこに、可愛らしくも透明感のあるあかりんさんの歌声が重なる。
そうだった、ひろしまMAPLE★Sの曲、MAPLEZの曲、そしてヲルタナティヴの曲は・・・
あかりんさんの歌声があって1つの完成形となっていた。
あかりんさんのヴォーカルは、グループの大きな武器の1つだった。
そんなたった1人、ステージに立って歌うあかりんさんを、青色のライトが包む。
そして歌が2番に入ると、フロアから手拍子の音が沸きたつ。
あかりんさんは歌う、「鳴り止まない唄 ここからそっと また歩き出すよ」。
あかりんさんはアイドルを卒業して、ここまでには無い新たな道へ歩み出す。
その存在は、仲間にとって頼れる心強い存在、後輩たちにとっては目指す姿、
ライバルにとっては同じ夢を志した仲間、そしてファンの方にとっては希望だったと思う。
曲の最後のサビ、かつて「うさぎのおめめは?あかりんりん」と自己紹介をしていた
あかりんさんの周りを、月を周回する無数の瞬く星のように、ミラーボールが発する
明かりが、ゆっくりと輝きをもって回転した。
そして歌が終わり最後のMC・・・。「ファンのみんながいるから私は頑張れる、
ファンのみんながいるから私は笑顔でステージに立てています」、と言い続けてきた、
あかりんさんが集まった多くのファンの方に向かって、ありったけの想いを言葉に込めて
言う・・・!
「これまで頑張って良かった!」。
そのあかりんさんの顔は、笑顔だった。ライブの最後に、いつも歌っていた「RPM」の
曲の始まりと同じように。
youtube
- あとがき -
2019年3月31日、白金高輪 SELENE b2。ヲルタナティヴの3回目となるワンマンライブ、
「ヲルタナティヴ 3rd Oneman Live “Wheel of Fortune”」 をもって、あかりんさんは
自身のアイドル人生に終止符を打った。
数日前までテレビでは、その日の天気を雨と告げていたが、よく晴れた日だった。
午後4時半にスタートした、あかりんさん最後のステージは、その前に広がるフロアに
男性をはじめ女性、新旧のファンの方、元メンバーの水瀬もも(みなせもも)さんなど
多くの人がいた。
6年半前は多くなかったが、時間が経ち最後は多くの方に見守られて、あかりんさんは
ステージのセンターに、この日も立った。そのステージで、あかりんさんは言った・・・
「ひとりで歩いた道なんて、どこにもなかった」、そして「これまでムダじゃなかった」と。
6年半に渡る、アイドルとしての活動は広島で始まり、そして東京で幕を降ろした。
あかりんさんと同じ広島で育った現在、BABYMETALで活動するSU-METALこと
中元すず香さんがアイドルグループ「さくら学院」を卒業するまでの最後の1年間、
ボクはほぼ全てのライブを見に行ったが、東京駅に近い有楽町の東京国際フォーラムで
行われた卒業公演のステージでファンの人の前ではずっと笑顔だった中元すず香さんが
公演が後わり、ステージを降りた瞬間に泣き崩れたという話が大好きなのだが・・・
あかりんさんもまた、卒業のステージでは最後まで笑顔で涙を見せることはなかった。
三島凛さん、鈴屋もずくさん、桃川もも子さん、柊木ハツミさん、神谷さくらさん・・・
ヲルタナティヴの5人は本番前に涙を流したりもしたが、ライブが終わった後には、
口を揃えて言っていた。「��イブ中、本当に楽しかった!!」。
そんな、あかりんさんの卒業のステージの前に、ボクは1人のファンの方と出会った。
それはオーストラリアから来日した、外国の方だった。その方はボクに教えてくれた・・・
「明音ちゃんの卒業の時は、絶対に(日本へ)来ようと思った。」、と。
あかりんさんの夢の最後のピースである「世界を目指す」という目標もまた、ボクは、
実現できたのではないかと思うことに決めた。
900キロに渡り全速力で走ってきた列車が停まる。そこは終点の場所、東京駅・・・
ボクは列車を降りる。きっとだけど、忘れ物はない。
”ここにいないあなたへ”
2006年12月から始まった、ボクのおよそ12年に渡るアイドル・ファンとしての時間。
さまざまな女の子と出会い、そして別れを繰り返してきた。その時間の中で・・・
3分の1を超える4年半という、もっとも多くの時間を過ごしたのが、小泉明音さん。
あかりんさんだった。
出会いは今も、偶然とタイミングが合わさった、ミラクルだと思っている。
その出会いにより、モヤモヤする事もあったし、悔しい気持ちを持ったこともあったし、
残念な気持ちになったり、また心の中で怒りを感じたこともあった。
でも振り返るとそれ以上に、あかりんさんを見ていた時間は楽しい事でいっぱいだった。
あかりんさん卒業の日から3ヶ月が経った先月、ボクの自宅に手紙とDVDが届いた。
手紙を書き、DVDにメッセージを込めてくれたのは、あかりんさんだ。
その手紙の中であかりんさんは、長い時間を振り返って、前述したように・・・
「6年半のアイドル人生が夢だったんじゃないかって感じです。」と書いていた。
そんな手紙そしてDVDで、あかりんさんは共通して1つの質問をボクにしている、
「私のいないアイドル界どんなかんじですか?」、と。
最後に、あかりんさんから貰ったこの質問に答えてボクのBlogを終わろうと思います。
あかりんさんがいない今のアイドルシーンは・・・
ボクにとっては意味を持たない。アイドルのライブへ行くのは、終わりにしたよ。
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遠近法の次は魚眼レンズ
24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。 むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。 それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。 帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。 樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。 だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。 ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。 それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。 しかし、地球はまだまだ広い。 就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自���でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。 無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。 何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。 無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。 様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。 自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。 しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。 きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。 達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。 私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。 さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。 だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。 世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。 そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。 15万人が入るというスタジアムに案内された。 東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。 初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。 だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊りは、一つもなかった。 演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。 あなたがいなければ私たちもなく あなたがいなければ古里もない 金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳! そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手を挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。 むごたらしいまでの完成度の高さ。 虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう! 金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。 色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。 だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。 たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。 かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。 しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしま���た。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。 今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。 それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。 忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。 ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。 警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。 私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。 そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか? 尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。 出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。 しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。 だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。 めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。 姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。 恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。 根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の滅私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。 マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。 小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。 その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。 それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。 だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。 その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。 象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、ついぞ車輪を思いつかなかった。 人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。 理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。 アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。 自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。 相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。 彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか? 派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。 しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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【荊棘のトレイル | クリーネストライン】 - パタゴニア : https://www.patagonia.jp/stories/thorny-path/story-123268.html/ : https://archive.ph/R4iiD 西脇 仁哉 { 2022-07-13 }
マウンテンバイクが地域と深くつながり、次世代に引き継げるように。遊ぶフィールドは自分たちで作り、守っていく。
{{ 図版 1 : 下草の枯れる冬には尾根の向こうに絶景が広がる。ライダー:瀬戸 英人 / 写真:西脇 仁哉 }}
悪路を人力で走るための乗り物、マウンテンバイク。路面の起伏、木の根の段差、岩壁など次々と現れる難所を、経験とスキルを駆使し、ダンスを踊るかのように体を素早くしなやかに動かしながら乗り越えていく。人馬一体、いや、マウンテンバイクを介した自然との一体化。そんな身一つだけで地形を攻略するゲーム感覚と、その報酬として味わえる大きな達成感に、小学生の頃から魅了され続けてきた。
大学2年の夏休み、マウンテンバイクの聖地・カナダ西海岸のウィスラーで日本人向けの走行ツアーに参加し、2週間を過ごす。現地でテーマパークばりに充実したマウンテンバイクのトレイルを走り回り、ここは楽園かとカルチャーショックを受けた。そこからは、カナダを再訪することを考えてばかり。大学院に合格していたものの、大学卒業と同時に休学し、ワーキングホリデーで再びカナダに渡った。現地のマウンテンバイクメーカーで仕事をもらい、夏はカナダ、冬は日本というマウンテンバイク中心の武者修行のような生活を3年続けた。
{{ 図版 2 : まるでスキーのシュプールを描くように、砂の崖を急降下。カナダBC州カムループス。写真:辻 義人 }} {{ 図版 3 : カナダのバックカントリーライドでは、絵葉書のような雄大な景色を楽しめる。写真:西脇 仁哉 }}
帰国後は長野県伊那市のマウテンバイクツアー会社でガイドとして1シーズン働き、トレイル整備のイロハも学んだ。現在は海外自転車ブランドの広告の翻訳家と、パートタイムのフォトグラファーとして働き、時間を見つけては近隣のトレイルへ繰り出している。
生まれは東京で、育ちは関東平野と秩父山地が交わる埼玉県南西部で、今もここに住み続けている。山岳地帯と居住地を里山が結ぶこのあたりは奥武蔵と呼ばれ、週末ともなればハイカーやトレイルランナーはもちろん、クライマーやサイクリストで賑わう。自然の中でのんびり過ごすこともハードな運動を楽しむこともでき、さらには都心部からアクセスしやすく、アウトドアスポーツを嗜むのには最高の地域だ。
マウンテンバイクは主に山道を走るのだが、山で実際に乗っている人に遭遇する機会は少ないかもしれない。それもそのはず、マウンテンバイク乗りはただでさえ広い山林の、さらに人通りのない山道を好んで走行するからである。法律上は走行が許されている山道であっても、肩身の狭い思いをしていることが多いマウンテンバイク乗り。そのスピードから、他の利用者との接触事故が懸念され、また見た目にインパクトのある太いタイヤから、路面の侵食の原因と見なされ、走行禁止になった山道は残念ながらいくつもある。
{{ 図版 4 : 岩畳も見つめることでラインが浮かんでくる。写真:鈴木 雄一 }}
山道は無数にある。だから短絡的かつ無責任に考えれば、ある山道が走れなくなれば、違う山道を走ればいい。しかし、これを繰り返せば、全国的にフィールドは減少していくばかり。ただでさえ高額な機材スポーツである。また、玄関を出た瞬間からフィールドが始まるロードバイクと異なり、マウンテンバイクは山道という特定のフィールドありきのスポーツだ。フィールドが減って行けば、次世代のライダーが育ちにくくなり、数十年後には悲惨な状況が待ち構えているかもしれない。そして、走る場所がなくなれば、その存在意義すらもなくなってしまう。だからこそ、すべての山道とまでいかなくても、できるところから整備活動を始めていく必要があると思う。
{{ 図版 5 : 木々の隙間から漏れた光がスポットライトのよう。薄曇りの奥武蔵にて。写真:西脇 仁哉 }}
慣れ親しんだトレイルが将来的に走行禁止になるかもしれないという危機感を持ち、自分たちの手でフィールドを守ろうと2014年に設立されたのが、奥武蔵マウンテンバイク友の会(以下OMC)だ。その目的はいたってシンプル。普段遊ばせてもらっている里山への整備を通した恩返しと、マウンテンバイクの普及および啓蒙である。 友の会に現在所属する会員は、子供から大人までの80名弱。年齢も職業もバラバラだが、共通するのは皆、マウンテンバイク乗りであるということ。私たちは高齢化が進む地域の里山保全団体にマンパワーを提供し、倒木の撤去や雨水の浸食を防ぐための造成などを行っている。また、行政の道路美化団体に登録し、里山周辺で不法に投棄されたゴミの清掃や草刈りもしている。年20回ほどの作業に毎回20名程度が参加し、各地域の作業担当に割り振られた主要メンバーは、月に一度のミーティングで今後の作業内容の決定や、会に寄せられた問題の議論を行なっている。
海外ではトレイルビルダー、要はマウンテンバイクで走るトレイルを山中に作る職業があり、その作業が映像やSNSで紹介されるようになって以来、彼らに憧れるマウンテンバイク乗りも日本で増えてきた。シャベルやツルハシで道幅を拡幅したり、土を掘っては盛って水切りを作ったりするのだ。しかし、所有者に無許可でこれを行なうと、器物損壊の罪に問われてしまう。その点、OMCで整備する山道は、すべて市道となっている。問題箇所の特定、行政への作業の申請と報告を通じて、マウンテンバイクのためではなく、あくまで歩きやすいようにするためではあるが、そのような整備を堂々と行っている。また、OMCではただの肉体労働に終わらず、達成感や意義を感じられるよう工夫している。その最たるものが、汗を流して整備した区間の走行だ。自分たちの手で直したという自負から、その区間の走行は毎回感慨深いものとなる。
{{ 図版 6 : 山側を削り、その土を谷側に盛って山道を拡幅するOMCの会員たち。写真:西脇 仁哉 }}
2017年には、埼玉県飯能市の市民活動支援事業に『子供と楽しむじてんしゃ広場』と題して、同市名栗地域の公園内に自転車コースの開設を提言。無事採択され、翌年には造成が完了。現在は偶数月に一度の整備活動に加え、年二回、地域の子供たちに向けた自転車教室を開催している。純粋な自転車遊びの延長として、土の上での安全な走り方を身につけることで、マウンテンバイクを本格的に始める子供が出てくることを願っている。
{{ 図版 7 : 子ども向けの教室では、学びではなく遊びの延長として、マウンテンバイクの入口を体験できるよう配慮している }}
例えばカナダでは、自転車と言えばマウンテンバイクであることが多い。サイクリングを楽しむ家族から、本格的なスポーツとして取り組む愛好家や世界のトッププロライダーまで幅広い層が定着し、マウンテンバイクという乗り物が市民権を得ているのだ。さらには、充実したその走行環境はマウンテンバイク先進国と言わしめるのに十分であり、世界中から愛好家を惹きつけ、さらには多くの移住者まで生んでいる。また、カナダの国土は日本の約27倍であり、そのうち9割の山林を各州が所有する。これらの州有林は、健康や幸福の追求、つまりはレクリエーションを目的として人々に開かれている。それゆえ、トレイルの造成などには細かなルールが定められているものの、地権者が公私散り散りとなった日本の土地と比べ、はるかに利用しやすい。また、どの街へ行っても、そこにはほぼ必ずマウンテンバイクの走行環境を整える団体が存在している。
一方、日本は国土の約7割が山林であるものの、その目的は保全が多く、多様なアクティビティーの利用に対して開かれているとは言い難い。また、利用までの道を切り拓く上で、マウンテンバイクが貢献できることは地域によって異なる。OMCのように、高齢化する保全団体にマンパワーを提供できる地域もあるし、害獣駆除の一環として、マウンテンバイクの走行が野生動物を田畑から遠ざける役に立つ地域もある。また、良質なトレイルがまとまって存在していることから、マウンテンバイクの目的地として愛好家を呼び込み、町おこしの一端を担っている地域もある。それぞれの地域に適した運営方法や作業内容で、コミュニティーと協力して持続可能な山林の利用法を編み出す団体が全国的に増えているのだ。
{{ 図版 8 : 幻想的な景色と出会えたときの喜びはひとしお。写真:鈴木 裕一 }}
マウンテンバイク先進国から10年は走行環境が遅れていると言われている日本だが、国が違えば制度も違って当然。したがって、日本は日本に適したやり方で、地道にフィールドを増やしていくほかない。これまではただ走っておしまい、と一方的に利用するだけの遊び方だった。しかし近年は、このスポーツを社会にもっと普及や還元させ、次世代に繋いでいくことがより重要視されているように感じる。遊ぶフィールドは自らの手で守る。その言葉を胸に、マウンテンバイクがブームとしてではなく、地域と深くつながって広まっていくことを願ってやまない。
●著者プロフィール 西脇 仁哉 ―――1986年東京生まれ、埼玉育ち。小学生の頃にマウンテンバイクと出会う。大学卒業後にはカナダのブリティッシュ・コロンビア州ウィスラーで本場のマウンテンバイクを体験。国内外の映像作品や専門誌に取り上げられ、現在はフリーランスの翻訳家をしながら、レースとは違うマウンテンバイクの楽しさを発信中。
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1年越しの新刊とカップリング解禁の話
2021年3月。薫颯はじめました。
ということで。出すまでに1年かかった新刊が出ました。ズ!時代、夢ノ咲学院、羽風3年生神崎2年生の冬のお話。カップリング要素はありません。アクアリウムの夏を越えて秋を経て、年越し直前の中途半端な時期。(※そしてこれは単なる小ネタなのでどうでも良いんですがスカウト!ギリシャ神話の前日です。)今回、訳あって神崎を女体化させました。本来原作で絶対にやらなそうなことはやらないのがmy二次創作ルールなんですがこれだけはどうしても描きたくて初めてルールを破った。ごめん私。
ズ!!メインストのKitchen-Seafood事変でめちゃくちゃになったのがちょうど1年前。それまでこのふたりの不仲を見るのが本当にキツくて半ば地雷化していた話は以前したように思うんですが(https://0nibi.tumblr.com/post/627451987590578176/ 参照)ここまではっきりは言ってなかったかもしれない、地雷でした。普段倫理観の欠片もないような話ばかり書いておいてなんやねんと思われるかもしれませんが一応私の中にも私なりの判断基準で許せる許せないの物差しがあり、それで測った時神崎の態度も羽風の物言いもアウトだったので。推しの中に嫌いな側面を見出すのは普通に辛いのでできれば目を逸らしたかったし絡ませないで欲しかったしカップリング扱いとかもってのほかで、地雷でした(二回目)。それが前述の通りKitchen-Seafood事変で完全和解し、その後も謎に急接近した仲良しストを延々浴びせられて脳が壊れ正直カップリングありだな……というところまで来たものの、それはあくまでズ!!に至ったふたりの変化の結果であって、互いの精神を削り続けたあのズ!時代から目を逸らしたままぬるま湯のようなゆるふわBLをやるのは絶対に嫌であんな最悪の関係性から普通に先輩後輩としてつるめるようになるにはそれなりのきっかけが必要だろうしそれにはもう一度全て壊すしかない、普段の上っ面だけ逆撫でしあうような薄っぺらい喧嘩じゃなく互いの地雷全部踏み合って爆心地で血塗れで向き合えよ!ということで、羽風の地雷を踏むために神崎を女体化しました。最悪。
冬頃の羽風、少しずつ変わり始めて男子相手でもそこまで酷い態度取らなくなってきた頃かなと思うんですが、その上でなお神崎のことだけは嫌いであって欲しかったしそれは普段あれだけ拘ってた性別という壁をうっかり越えてもなお変わらないものであって欲しかったしとはいえそもそものきっかけである出会いの最悪さを神崎には絶対に許さないで欲しかった。17ページに全てを詰めました。この頃の羽風の地雷は母親のことであり家のことであり将来のことでありつまり自由というワードそのもの。一方神崎の地雷は幼少期からひたすら鍛錬に励み武士として現代に生き一人の人間として敬愛するようになった神様の首をいずれその手で落とすことになる人生を己の意思で選んできたと見せかけて実は選ぶ自由など持ち合わせていないこと。自由、選択、家、そして深海奏汰。そこに性別という新たな火種を加えたらもうどんな話題を選んでもとりあえず自分と相手双方の地雷を踏み抜く最悪の事態の完成です。愛が欲しいが故に適当に振り撒いていた羽風とまだ与えることを知らない奪うことしかできない神崎。お互い建設的な話し合いをする気など無いので地雷踏み合い合戦も別にそこまで的を射ているわけではありません。相手の事情など何も知らずただ思うままに悪意を吐いて、そこに意図せず混ざった己の血が効果覿面の毒になる。そういうところが正反対なようで妙に近くて、だからこそ相性最悪なんだよなこのふたり。
建設的な話し合いでは無いのでスッキリするオチも無し。相互理解を完全放棄して宇宙の真理を見て現実に戻ります。終始巻き込まれた亀五郎が本当に可哀想。ただ、私の中ではここで全てが終わったのであとは無から作り直すだけ。マイナスがゼロになり無関係の他人からリスタートして返礼祭を経た辺りできっと神崎が誰かから羽風さんちの家庭の事情を聞いてそれなりに反省して少しだけ許したことでゼロがプラスに動いてズ!!に至りました。少なくとも私はこれで納得しました。無理矢理。最悪の出会いを絶対に許さない神崎を羽風が毛嫌いする悪循環を断ち切るために神崎が羽風を少しだけ許すきっかけを与える。破壊と創造。これはその破壊パートで、ここまでやり切ったのであとは創造するのみ。カップリング、解禁します。苦手な方はお逃げくださいね。
そういうわけで、ようやく最近の羽風と神崎がはちゃめちゃに可愛い話を堂々とできるようになりました。暗夜行路のあれ呼ばわりと餌やり代理で血を吐き羽風誕の甘やかしっぷりに頭を抱えツインピークスでその場にいない颯馬くんの話5回もしてきた羽風に混乱しまくりリローデッドのゾンビごっこで灰になった。関係修復、しすぎだろ。元々の関係性が最悪すぎて普通に会話してるだけで距離感異常アラート出るの完全に公式の掌で踊らされていて悔しい。弊社はそもそもBL二次創作という文化に適合できてないので別に付き合ってないし特別恋愛感情めいたものも存在しないしただ普通に会話しているだけだけどただ普通に会話しているという現象がこのふたりにとっては奇跡なので、その奇跡をもってカップリング認定の証とします。お互い散々最悪なとこ見せきってるお陰でかっこつけなくていいし可愛こぶらなくていい自然体で居られる唯一の場所になってるの、駆け込み寺みたいなスタートだった海洋生物部の行き着く先としてふさわしすぎて泣いてしまう。神崎が"良い子"を放棄する場所、今羽風の隣だけなので。塩対応という特別待遇を可愛いと思えるようになって改めて良かった、ありがとうKitchen-Seafood事変。
ここから先は創造パートなので過去の私に類を見ないくらい真っ直ぐ平和にカップリングをやらせて頂きますが、決して以前と解釈が変わったわけではありません。ズ!時代の憎悪を無かったことにせず、全て包括した先の"普通の仲良し"だからこそ価値がある。なのでこの先どれだけほのぼのイチャラブBLめいたものに育とうがうちの薫颯の根本にはこの本が埋まっています。そのために蒔いた呪いの種です。1年間の栽培期間、長かったな。無事に実ってくれて感無量です。だからこの本は、というかズ!!の夏頃までは頑なに「カップリング要素はありません」を貫いていきます。秋口辺りから本格的にカップリング扱いになる。うちの薫颯は可愛いぞ、根っここれだけど。
この先は恒例の装丁バレ。嫌がらせみたいに可愛いので見たい方だけどうぞ。↓
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今回の装丁テーマは"頭悪いエロ本"でした。エロ本どころかカップリング本ですらないんですけど。宗教上の理由で生涯R18本を出さないと誓っているんですが一度くらい頭悪いエロ本みたいな装丁やってみたかった。楽しかったです。あと地獄みを増幅させるためにあえて絵柄を全コマデフォルメ調にしました。絵柄から装丁まで全て可愛いさに極振りして、可愛いものには毒がある。
表紙:ファンタス/ピンク。フルカラー印刷だけどあえて黒とピンクの2色でシンプルに、からの捲るとドピンク。可愛い。
カバー:クロマティコ/ベリーピンクにスミ単色印刷。表紙に重ねるとこうなります。ドピンク。溢れ出る女体化本感。可愛い。
遊び紙:クロマティコ/ブラック。カバーと同じ紙、つまりトレーシングペーパーなんですが、色が黒なので透けません。透けないトレーシングペーパー。謎。明け透けなようでいて何も見えない断絶感と何故か皮膚みたいなぬめっとした質感が好き。推し紙です。
本文:アストロブライト/ストロングピンク。何と本文までショッキングピンクです。頭悪そう!読んでると普通に目がチカチカします。今回これがやりたくて表紙印刷以外全て自宅で印刷製本しました。紙折っても折っても終わらなくて泣くかと思った。
そんなわけで、いろんな意味で本当に難産な本になりました。これまでの同人人生で一番しんどかった。機会があれば手に取って頂けると報われます。何卒。
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夏がやってきた日
朝目覚めると窓の外は既に熱気を孕んだ眩しい光に包まれていた。雀たちの鳴き声、近所の家から車が発進する音も聞こえる。まるでこれから友人たちと車で海へ出掛けて行くような爽やかさ。こんな夏の朝を待っていた。真っ白な牛乳を飲んで食パンを齧る。
じんわりと少しずつ部屋の中が温まっていく。部屋にある二つの窓からは乾いた風が止め処無く吹いてくる。白いレースカーテンがスカートのように膨らむ。私は鉛筆を握って原稿用紙に小説を書いている。怖いくらいに筆が進む。ほとんど完璧に近い形で言葉や次の場面が頭へと浮かんで来る。 小説は一段落着いた。肘掛椅子に深く腰を掛けて煙草を喫う。天井に吸い込まれていく白い煙、恐ろしくなる程の充溢感に私は包まれている。私は充ちている。充ち溢れている。口から白い煙を吐き出さなければならない程に充ち溢れている。それでも足りない。赤いノートを取り出すと私は絵を描き始めた。今書いている小説に登場する女と犬の絵だ。鉛筆の芯の先を紙に擦り付ける。今書いている小説の表紙も自分で描きたい。きっと描けるだろう。出版される事など夢のまた夢だが。煙草は既に灰になった。もう吸わない。吸う必要がない。窓の外からヴァイオリンの音が聞こえる。胸が苦しくなるような音色。胸が苦しい。私は充ち溢れている。一つ呼吸する度に部屋の空気に溶け込んでいる光と熱、夏の太陽そのものが私の口から胸に入り込む。何かせずにはいられない。人間は欠落からのみ行動するのではない。充溢の行動学というのもあるのだ。それは熱帯の情熱だ。実存そのものの烈しい太陽。彼は踊らずにはいられない。彼女は歌わずにはいられない。太陽に心臓を捧げた人々の気持ちが分かる。キュベレーの神官たちは自らの性器を切り落とした。ゴッホはその片耳を切り落とした。さて、私は何を切り落とそう。ヴァイオリンの音がまた一段と激しくなった。まるで官能の鋭い呻き声。彼女もまた弾かずにはいられないのだろう。彼女はきっと片方の手首に白い繃帯を巻いている。 茶色の猫がゆっくりと私の前を通り過ぎた。眠そうな顔をして廊下の方へ歩いていった。トイレだろうか。それともお昼だろうか。時間が経過するのが酷く遅く感じる。時計の針が怠けているようだ。猫がゆっくりと私の前を通り過ぎる。お昼だったようだ。相変わらず眠そうな顔をしている。 お昼を過ぎた。しかし、私は空腹を感じない。私は充ちている。充溢しているとき、私はほとんど腹が減らない。ものを食べたいと思わない。そんなものでこの充溢感を汚したくない。食べ過ぎる者は欠落しているのだ。彼らはもっと太陽を浴びるべきだ。太陽を食べるのだ。そうすればきっと食欲は鎮まるだろう。しかし、私はお腹が空いた。外に出よう。太陽を食べにいこう。私は浴衣に着替えて家の外に出た。服装のマナーは守らなければならない。 からころ、からころ、下駄が鳴る。街のあらゆるものが太陽の強い光と熱に包まれている。擦れ違う人々は皆東洋人のように目を細め白い歯を剥きだしていた。私も同じだ。空を見上げて歩く。青い空の上に白い雲が浮いている。くっきりと陰影深いリアルな雲だ。きっと本物の雲だろう。今日は本物の雲が見える日なのだ。 小さな売店が見える。手動のガラスドアの向こうに少し薄暗い店内が見える。背の低いお婆さんが団扇を仰いでテレビを見ている。店の中に入って来た私と目が合う。「あら、浴衣なんて粋じゃない」褒められて私は喜ぶ。でも粋とはなんだ?九鬼周造のいきの構造は読んだ事ない。でも何となく分かる。それは今日の街中に吹き荒れている。私はラムネを見つけて手に取る。ひんやりして気持ちが良い。これは粋の部類に入れても良い。ラムネを買って私は小さな売店を出た。 からころ、からころ、下駄が鳴る。ラムネを入れた白い袋が光っている。ラムネは袋から頭だけ出している。これを何処で飲もうか。公園が良い。どの公園が良いだろうか。あまり行った事のない公園が良い。私は大通りから小さな道へと入っていった。 閑静な住宅街。広い庭に白いネットを張って沢山のゴーヤを植えている家があった。ゴーヤはまだ小さかった。でも葉っぱはどれも巨人の手のように大きく、陽を浴びてきらきらと光っていた。 公園が見えた。巨大な桜に囲われている広い公園。入り口に付近には花壇が造られ、深い紫色をしたコリウスの葉が毒々しい程色鮮やかに浮いている。その脇には青いサルビアの花も植えられていた。そこから先はささやかな緑の草原になっている。絶え間なく吹く風に撫でられて緑の水面のように揺れているその上をひらひらと黒い揚羽蝶が優雅に飛び回っている。その先は公園の遊具が置かれている子供の遊び場で、螺旋状にくねり回る赤い滑り台、大中小三種類の鉄棒、風に揺れている無人のブランコ、更にはうんていがあって、そのうんていに小さな女の子がぶら下がっている。公園の向こう側は砂が敷き詰められた広いグランドだ。しかし、誰もいない。陽を浴びてグランドは白く眩しい。 子供の遊び場の前のベンチに座った。目の前で女の子がうんていをしている。「おとおさん。見て見て」良く見ると遊び場の向こう側のベンチにキャップ帽を被った若い男が座っている。でも女の子はいつも三本目のうんていの棒のところで力尽き落ちてしまうのだった。尻餅をつく度にこちらを見詰める。ラムネを片手に持った私を見詰める。そうだ、ラムネを飲もう。私はラムネの蓋の周りの包装フィルムを剥がした。するとビー玉を押し出す為の栓が転がり落ちてしまった。畜生め。私はベンチから降りて栓を探す。すぐに見付かった。顔を上げるとまだ女の子が見ている。恥ずかしいところを見られてしまった。私はまたベンチに腰掛ける。『栓をすぐに外すとサイダーが飛び出してくるので少し待ちましょう』誰かが言っていた事を思い出す。私はビー玉を栓で押して、そのまま押さえ込んだ。栓のとビンの隙間からサイダーが飛び出して私の顔や指を濡らした。畜生め。すぐに栓を外せば良かった。顔がべとべとして気持ちが悪い。何となく私は前を見た。まだ女の子が見ている。また恥ずかしいところを見られてしまった。「おとおさん。見て見て」 サイダーは生温かった。更にはビー玉がビンに引っ掛かって上手に飲めない。何度やっても少しずつしか飲めない。気が付くとうんていの女の子は居なくなっていた。遊び場の向こう側のベンチでお父さんと一緒に座っている。ラムネをねだっているのかもしれない。気が付くと手の甲にとても小さな蠅がとまっている。私の手の甲にかかったサイダーを飲んでいるのだ。ああそうかい、気の済むまで飲むが良いさ。私はサイダーを飲む蠅を観察する。人間業とは思えない程精巧で緻密な蠅の身体、瞳はエメラルド色に煌き、透明な羽根は虹色に光っている。美しいひとつの奇跡。そんな奇跡が今私の手の甲でサイダーを飲んでいる。しかし彼も手がべとべとしていやらしい。手の平を器用に擦ってそのべとべとを落とそうとしている。 そのまま暫くの間私は小さなその蠅にサイダーを飲ませていた。それは余程美味しいらしく、蠅はいつまで経っても飛んで行こうとしなかった。そのままずっと飲ませてあげたかった。しかし一匹の蚊が私の腕にとまり、それは二匹三匹と増えていった。そろそろ潮時だ。蚊に刺されるのを我慢出来る程まだ私は粋じゃない。永井荷風の墨東奇譚に出てきたあのどぶ沿いにある蚊だらけの娼館にはまだ行けそうにない。私は手を軽く振って蠅と蚊を払った。さて、行こう。するとまた蠅が手の甲にとまった。余程サイダーの味が気に入ったらしい。何度振り払っても私の手の甲にとまってくる。仕方なく、私はまたベンチに腰を掛けた。蠅にサイダーを飲ませ、蚊に赤い血を吸わせた。しかし既に私は不快ではなかった。夏がやって来たのだ。ここに夏がやって来たのだ。
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2021/7/31
お昼近くまでよく眠って目が覚める。今日という一日をどうしていこうか。じぶんはいま何を欲しているのか。そんなことを考えながらシャワーを浴びる。何カ月もまえから久しぶりに食べたいと思っていたP店のYさんが修行したM店のことがあたまにちらつく。場所がら土日の営業が少なくて、日祝は休み、土曜も隔週でしか営業していない。調べてみると、どうやら今日は営業している。今日という日の柱が決まる。それから、映画に行きたくて行きたくてしかたのない気持ちもずっとある。夏を存分に味わいたいから夕方から始まるようないい映画はないものか。このあいだの日曜の宵に観た前田陽一の『喜劇 日本列島震度0』は格別だった。夏は映画を観られなさすぎる。各館の上映を調べてみると、ついに遭遇を果たせそうな映画がある。4時間15分という時間がネックになってなかなか観られなかった濱口竜介の『親密さ』が17時20分から。今日という日の二本柱が決まる。柱さえ決まってしまえば、今日という日の諸瞬間は自ずと充実してくる。柱という目的はつまらないものだけれど、柱のあるお陰で、残りのことはあれこれと迷わずにそれ自体を感化できる。熱気球や、草木の踊りや、影や、他愛のない人々・動物・昆虫たちの所作や、蜘蛛の巣の発する閃光や、それに類似する様々な光線の在り方や、雲の動きとそれに相関する陰翳といったようなもの。ふたつの柱、旅のはじまりと旅のおわり、これさえ決まってしまえば、そのあいだの移動の時間は自ずと剥き出しのそれ自体になる。
ほんとうに最高だ。ふと、気がつくとあらゆるものに夢中になっているじぶんがいる。何も考える余地もなく、向こう側にからだが投げ出されている。
M店の大辛。M店にはP店の類い稀な繊細がないけれど、それだけに猛々しさがある。この猛々しさに振り乱されながら、どうにか食らいついていくように、格闘するように食べるていくことがM店の醍醐味かもしれない。めっちゃ美味しいうえに清々しい汗を掻いてとってもいい気持ち。ごちそうさまでした!
地図をひらいてみると、近くにオリンピック会場の国立競技場があるから行ってみることにする。会場側へ繋いでいる歩道橋を渡りながら探知してみると、なんと、なんと、赤色がでる。うひょーーー!!!! きたきたきたーーーー!!!! 会場周辺は交通規制が幾重にも張り巡らされていて、国立競技場はたぶん封鎖されている。それでも道がだだっ広いからどうにか抜けられそうな感じがして、警察官が脇見している隙をついて、ひゅっと規制の先に身を参じる。それからはコソコソせず、あえて堂々と振る舞う。これは鉄則だ。警察官ではない警備スタッフみたいなひととすれ違い、お疲れ様でーすと自然な感じで声をかける。向こうは一瞬戸惑いながらも、お疲れ様でーす。そしたら、さっきの警察官が走って追いかけてきて万事休す。手荷物検査と職務質問が始まる。ひとまず全然気づきませんでしたーってすっ呆ける。手に持っていた「ばけたん」を示して、これはなに? と聞いてくるから、お化け探知機ですとも言えず、咄嗟に檸檬ですってボケてみるものの、はい? まったくボケが通じないから、お守りみたいなものですって言い直す。無事に解放され、ついでに明治神宮ってどうやって行けばいいですかって道を尋ねる、線路沿いを真っすぐ行けば門があるよ、ありがとうございまーす。
入口の門に続くという線路沿いの一本道を歩いていると、セミの鳴声が一切ないことに気がつく、大きな街路樹がずーっと連なっている並木道なのにもかかわらず。歩きながら探知してみると連続で水色がでる。明治神宮の門をくぐると、明らかに空気がちがう。大きな樹々の繁る参道には涼感のある空気が流れている。探知は、水色、水色、緑色、水色みたいな感じ。樹々の緑の隙間からストロボライトのように木漏れ日が降ってくる。本殿のまえでも水色が二連続。なんか、もはや、機能うんぬんより「ばけたん」が色んな色に発光することそれ自体が喜ばしい。単に光を見ることが好きだから。清正の井戸というところに行ってみたかったけども、いまは何故か閉鎖されている。そのまま神宮を抜けて駅に向かう。
濱口竜介の『親密さ』。今日の上映は指定席らしく、座席表をみてびっくり、大入りでほとんどの席が埋まっている。二列目の真ん中が空いているから、そこにする。上映まで少しだけ時間があり、夏を感じるためにいったん外にでる。線路を渡す橋の上をうろうろ、探知してみると4連続くらい水色がでる。
『親密さ』とんでもない映画だった。またしても、じぶんの映画史が根底から更新されるような、そんな映画的体験で、じぶんはこの映画に出会うためにここまで生きてきたんだと思う。この映画の発する全てを余すことなく受け止められたじぶんを誇りたい、そんな気分だ。たとえば『コントラ』は一部のひとに観てもらいたいと強く思ったけども、『親密さ』は全人類に観てもらいたい。それはこの映画が、私たちが常々それを欲している〈愛〉にまつわる映画だからだ。
・あなたは私ですか? いいえ、私はあなたではありません。
・映画を支える5つの詩編
①言葉のダイヤグラム
②質問
③花火
④魂
⑤暴力と選択
『質問』は、世界中のひとたちにひとつ質問をできるとしたら、どんな質問をしますか? ってテーゼから始まり、質問が羅列されてゆく。最初のほうは「あなたのことを教えて下さい」タイプの質問で、それが本質的な方向に推移してゆき、その臨界点において質問の方向性が変わる。つまり「あなたは私のことをどう思っていますか?」タイプの質問になり、それが本質的な方向に推移してゆき、その臨界点において「いっそのこと私のことを愛して下さい」というお願いに変わり、いけない、これは質問ではありませんねってところで詩が終わる。
『花火』は、あなたに近づくための言葉がなくなって、しけった花火のように、私の魂もしけったよう。あなたの中に私の言葉が打ち上がらず、魂を点火できない私の言葉は、地面にころがって、たまっていく。あなたに届かず、地面にたまった私の言葉は、最後に、あなたの線香花火に引火して、小さなはじまりのような爆発を起こす。その爆発はいまも私の身体に響いていて、いつのまにか、しけっているようだった私の魂に火が灯っている。こんな感じのニュアンス。
『魂』は、私たちの魂は海からコップで掬われたひとつびとつのようなものってテーゼから始まり、海にいるときはみんないっしょだったのに、コップに掬われて孤独になった魂たちと結ばれる。魂はコップ(=からだ)の存在を疎ましく思う。魂はからだの外に出たいと思う。でも、そんな望みは叶わない。それでも魂は同胞への愛着をどうにか伝えたい。そんなとき、はじめて疎ましく思われたからだを使うことを思い立つ。そのからだを使って、微笑んでみる。手を振ってみる。相手のからだに触れてみる。そんな感じのニュアンス。
『暴力と選択』は、暴力とは選択肢を奪うことだというテーゼから始まり、暴力と選択という視点から暴力ということの理解を深めてゆく。具体的に身体的な暴力から、抽象的に社会的な暴力へと推移してゆく。けれども、暴力は単にそれが発せられただけでは完全な暴力ではなく、それは暴力の胞子に過ぎないことが示唆され、暴力はその受け手がそれを暴力とみなして受粉させる限りにおいてはじめて完全な暴力となる、というような言葉が発せられる。暴力の受け手にはいまだ選択の余地が残されている、受け手が被害者として暴力の胞子を受粉したときに、それははじめて完全なる暴力になる。こんな感じのニュアンス。
・劇外の恋人同士。(a-e)
・劇内の生き別れの兄妹。(a-k〈≠e)
はじめは恋人同士が生き別れの兄妹を演じるつもりだったのが、どちらとも演出にまわるべきだとなり、けれども兄役の演者が演劇を離れて戦地に行くことになって、兄役にaだけが戻ってくる。eは戦地に赴いてゆく降りた兄役に別れの間際、ほんとうは抱きしめたいと言う。きみが戦地に行ってしまっても私たちは関係している、関係ないなんて思わないでってことを明確に言葉で伝える。
劇外のaも劇内のaもフェルナンド・ぺソア的な内面が空っぽな人間として演じられる。eはそんなaのことが大好きで、aのことを尊敬している。ほんとうはちゃんと書きたいし、事細かに追っていきたいけれど、言葉は偏るし、時間が許さないからすっ飛ばす、eと妹役は空っぽの兄役の積極的な外在性だ。だから、からだの動きがとても充実している。kは再開したaに抱きしめてもいい? ―それはなんか違うだろ。
劇内のaはあくまでも代役であり、eは客席から劇を見守る立場になり、本来eのいる位置にはkがいて、映画の中心が微妙に逸らされるような具合になる。劇内でもそんなふうに主役が移り変わってゆき、中心から常にどこかに逸れている。
・この社会で生きていくためには様々な情報を処理していかなければならないけれど、私たちやこの世界は情報ではない。
・壮大な長回しと小津的な交わらない瞳のカット。
そんな諸所が、映画史上もっとも感動的なラストシーンとして結実する。それを目撃しているじぶんは、じぶんのからだから海が漏れ出ていることを知る。
『言葉のダイヤグラム』
言葉は想像力を運ぶ電車です
日本中どこまでも想像力を運ぶ
「私たち」という路線図
一個の私は 想像力が乗り降りする
一つ一つの駅みたいなもので
どんな小さな駅にも止まる
各停みたいな言葉もあれば
仕事をしやすくしてくれる
急行みたいな言葉もあるし
わかる人にしかわからない
快速みたいな言葉もあって
一番言葉の集まる駅にしか止まらない
新幹線みたいな言葉もあります
地下の暗闇を走る言葉もあります
地下から地下へ受け渡される
よこしまな想像力たち
でも時折 地下から地上に顔を出して
ビルの谷間をくぐるとき 不意の太陽が
無理矢理たてじまに変えようとするから
想像力は眉をしかめたりします
ときどき 届くのが速いほど
言葉は便利な 大事なものに思えます
だけど ほんとうに大事なのは
想像力が降りるべき駅で降りること
次に乗り込むべき言葉に乗ること
ただそれだけです だから
ダイアグラムの都合から
ぎゅうぎゅう詰めの急行と
すっかすかの各停が
同じ時刻に出発して
ほんの一瞬 同じ速さで走るとき
急行の中の想像力がうらやましげに
各停をながめることもあるのです
2012年には
東京メトロ副都心線と
東急東横線がつながるみたいに
今まではつながれなかった
あれもこれもつながるんだろうか
そんなことを想像しています
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街それ自体を踊るためのノート・お気に入りの喫茶店でコーヒーを飲むために
1:前書き
1-1:コーヒーの美味しさは私の人生には関係がない
俺は、街で友達と遊べるようになりたいだけだ。 そしてそれはとても難しい。 街で遊ぶ、ということは、どういうことなのだろう。 例えばそれは、お気に入りの喫茶店を見つけて、そこに入って「ゆっくりする」ことだろうか。 これに対して問い返し、増幅してみる。 住んでいない街なのに?/自分がその店を営んでいるわけでもないのに?/地元を出て、自分が偶然住んだにすぎない街なのに?/誰かがインターネットに写真をあげていて、それを良いと思っただけなのに?/ここが地域で愛されているのを知ってしまった上で訪れているのに?/この店を訪れたということは、自分の明日にはなんの関係もないのに?…… そして、この問いかけが空虚であるということの証明は、返ってくるこだまそれ自身によってなされることになる。つまり、 「コーヒーの美味しさは自分の人生にとって何の役にも立たないのに?」といったような言葉で。 確かに、コーヒーの美味しさは人生において意味がない。しかし、私は味しいコーヒーを飲んでいるとき、その美味しさに浸ることができる。それがたとえ一瞬のことでも。
1-2:街で遊べなくなる
抽象的な言葉で言うなら、ここでの「街で遊ぶ」ことが指しているのは、「街と自分を強く関係させる」こと、そしてその時に関係元となる街の「読み方」がすぐに行為となるような遊び方のことだ。 街を読むことにとって、自分がその「読まれる」街の一部になること。そのような「遊び方」に問いを持とうとすると、それは究極的には、「世界にとって私は必要ないのに?」といった問いまで深化してしまう。 東京が、かつて80年代に存在したらしい”「パルコ的」な記号で満たされた渋谷”のようであったら、どれだけ楽だったろうか、と思う。 そこにはあらかじめ用意されたうねりがあり、���の出るプールのように、そこを「海」と見立てて楽しむような、場所との関係性の強固さに無頓着になることによって「楽しさ」の中に身をおくことができるような、楽しさ。いつでもそこにあり、そこに行けばその楽しさが約束されている場所。自分からその空間にはたらきかけなくとも、楽しめてしまう場所。 でも、そんな渋谷だって、もうない。いつまでもそこにあり続ける(と思わせてくれる)ものなんか、たぶんどこにも無いっていうことを、私たちはだんだん知ってしまっている。 そして、そういう場所には決まって「外部」が存在する。いま、私達がいる、あなたがこの文章を読んでいるところ、それがその場所にとっての外部だ。 「内部」へと向かうその境界をまたぐことで、私たちは「外部」に気づかないふりをすることで、「遊び」を行える。 そういう論理が遂行されている場所は、いまあなたが思い浮かべているようなレジャー施設に限ったことではない。 「境界を引け、強い意思と共に」という声は、既にあなたの中に届いているかもしれない。後で記すことになるが、あなたは、私は、その声によってすでに動かされているかもしれない。 あなた(私)が、意思を持って街に降り立ち、意思を持って街を遊んでいるとき、その声は深く、身体へと届いているのかもしれない。 ”いま、ここ”の先に見える街で、自由に遊べなくなっていく。自分から、ある街へ線をひこうとすればするほど、自分がいまいる場所とのかけ離れたものになっていく。 「私」にすべてを関係づけようとすることによって、すべてが内部化し、外部なき、答えなき問いへと思考の矛先は向いてしまう。つまり、「世界にとって私は必要ないのに?」だ。
1-3:街を踊る、美味しいコーヒーに浸る
先に書いた、街と私を関係づけ、そこに強い意味を持たせることを「遊び」と呼ぶことは、生活している世界の境界を自分で決定・固定することだ。 この文章では、この「遊び方」を乗り越えていくことになる。 導かれる問いは、「しかし、果たして本当に、街と私は、強い関係がなければいけないのだろうか?」というものだ。 街にとって、私は必要がないのかもしれない。ただ、きっと大事なのは、「遊びたい」という欲望があることだ。私は街で遊びたい。しかも、自由に。 街から、街との関係性から自由になる。その上で、街を再び遊ぶ。 つまり、”街それ自体”を思考し、”私それ自身”が街を遊ぶこと。遊び続けながら、遊びをやめることもできる。”いま、ここ”と街をさえぎる境界のヴァイヴを楽しみ、街と自分を関係させつつも無関係であること。 街のゆらぎを楽しみ、しかし、ゆらぎを受動的に待ち続けるのではなく、次のゆらぎに乗りつづける。 この行為を「街を踊る」と呼びたい。 街を踊る。気に入った街の、気に入った喫茶店で、美味しいコーヒーの美味しさに浸るために。あるいは、美味しくなさを笑うために。
2:街を踊る 2-1:街、接触‐切断
昨日まであったものが消え、明日には知らない風景が現れる。それはすでに消えてしまっているかもしれない。消えつつあるかもしれない。 その「なにか」の喪失、そのあらわれに気づくためには、私たちは「何か」の外側に立たなければならない。自分の好きな街に線を引き、その外側に引き下がることによって私たちは観測者にも、観光者にもなれるだろう。 しかし私たちは、振動し、増幅を続ける輪郭の中に生きている。そこには自由がある。私たちは、街において街から自由でなければいけない。外部からも内部からも自由でなければいけない。 自由であるということとして、踊りがある。そして、それは街「において」踊ることではない。街「を」踊ることだ。 街の中にひっかかりをみつけて、それを取り出し、それ自体と戯れる。踊りは、その街の上に身体として現れる。街をつむぎ、身体へと結びつける。次のムーヴでは、その結びつきはほつれてしまうかもしれない。あるいは、絡まりあって自らの動きを妨げるかもしれない。 街を踊る。糸がほつれたら次の糸を紡ぎ、動きを妨げるものがあったらそれを切断することによって、常に、街そのものと私=身体を接触-切断させ続ける。
2-2:街の糸を紡ぐもの
風になびき続ける、かつて私の踊りと共にあった糸は、再び誰かがつむぐかもしれない。切断されたまま、たゆたい続けるかもしれない。自らの髪についたままになってることに、自分すらも気づかないかもしれない。また、切断された糸は自分と無関係に誰かの糸と絡まりあい、街に堆積するかもしれない。
街はそれ自体として存在する、私はわたし自身として存在する。 街は私ぬきにも存在するが、私は街に存在する。踊りは、誰か/何かに強制されるものでもないが、必ずしも意思のもとで行われるものでもない。そこには偶然性があり、しかし偶然性のみに身をまかせた動きを「踊り」とみることはできない。
昨日まであったものが、誰の許可もなく明日へと取って代わっていく世界、あるいは、すべてに輪郭が与えられようとしている世界において、街を私たちが踊り続けるために。私達が、街から自由であるために。
3:悲しき熱帯への声、私達の寝息
「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう。」
(クロード=レヴィ・ストロース,p425)
20世紀の初頭、かつて、隆盛の最中にあったブラジル・サンパウロにその身を置いた、偉大な社会人類学者の「かつて」を語る言葉を読む。
「制度、風俗、慣習など、それらの目録を作り、それらを理解すべく私が自分の人生を過ごして来たものは、一つの創造の束の間の開花であり、それらのものは、この創造との関係において人類がそこで自分の役割を演じることを可能にするという意味を除いては、恐らく何の意味ももってはいない。」(同) 悲しき、かつての熱帯。共同幻想としての過去のための感情をノスタルジーと呼ぶなら、ここには現在まで堆積している「かつての」悲しみを伴う過去への感情、サウダージが通奏低音のように響き渡る。その可聴領域ギリギリで鳴る音に、今一度耳をそばだてることはできないだろうか。 失われたものを構造化し、自分の側へと引きつける。自分と世界の間に線を引き、いまの自分の物語を再び作り直すために、私たちはしばしば過去を見る。 しかし、見えない過去もまた存在する。わたしたちの寝息は寝室の壁に吸収されて消える。 寝息はおそらく、誰のもとにも届かない。寝息は過去のものだが、私たちは自分のその寝息を、夢の中ですら聞くことはできない。 寝息は出来事ですらない。そういった類の「過去」が、選択されなかった、知られもしない過去が、世界には堆積し、低音を鳴らし続けている。それを、たまに聞いてしまうことがある。 存在しているはずの、しかし何とも関係しない「かつて」に出会ってしまうとき、私は、既に何かと関係してしまっている、関係しつつある自分を強く揺さぶられる感覚に陥って、うまく立っていることができなくなる。
4:荒廃の先に
4-1:かつての街を歩く
2017年の夏、私はかつての生家周辺を歩いていた。
埃とカビと雑草の匂いが、熱気で膨張して長時間身体を包み込んでいたせいか、めまいを起こしそうになった。曇天が、視界のコントラストを下げ、定めるべき焦点を迷わせ続ける。 ハグロトンボがよたよたと飛んで、視界の隅をかすめた。辺りを見ると、いくつもの黒い羽が地面に張り付いて呼吸をしていて、ぞっとして声が出そうになる。線香の煙がたまに鼻に入ってくる。うず高く積まれ、山のようになった墓石たちは、帰るあてのない女郎の墓だと聴かされたことがある。その山が、トタン屋根の家屋の連なりの向こうに、頭だけ出している。 かつての城下街であり、絹織物で栄えた街。 家の前にスーパーができることに当て込んで、祖父が飲食店を営み始めたのは、母の中学の入学式の日だったという。隣のお茶屋とはいざこざが耐えなかったが、郊外に庭付きの一戸建てを買うことができる程度には儲かったのだろう。その土地には今の私の「実家」がある。生家はもう無い。祖母が死に、祖父が死に、生家があった場所には雑草が生い茂っている。 埃と錆にまみれた、スナックの看板がある建物の裏手に回り込むと、朽ちた木造家屋のドアに新聞が何重にも刺さっていた。ファインダーを向けると、どこかの家から甲子園の実況中継��音が聞こえてきた。シャッターは切らずにカメラを下げる。 色あせた幼児用の自転車に、蔦が絡まっている。ちぎれたカーテン、割れたガラス、セイタカアワダチソウの群生を囲むフェンス。 その奥にある生活は、生かされているわけでも生きているわけでもなく、私がカメラで切り取ろうとしていたものたちと並列して、ただそこにある。 カメラを首から下げ、自分が生まれ育った街を歩く26歳の自分は、あるいはすべてから無関係な身体として、情動と風景を自らの手で循環させる機械にでもなったような思いだった。 私は、この町で遊ぶことはできない。
4-2:街それ自体、私それ自身
私の身体は、この街それ自体と関係できないのだ、という事実が、突きつけられる。 語られなかった過去、出来事以前の過去、過去それ自体が、街それ自体とくっつき、滅びるのを待つ。 そこに、「未来から借りてきた過去」ではない、圧倒的な現在性が立ち現れていることに、ゆらぐ。ここが再び未来を向くことは無いだろう。 しかし、母から、祖父母から聞いた、彼/彼女らの物語が、私をこの街に関係させようとする。否応なしに、意思とは無関係に、街と私は関係する。 祖父が死に、祖母が死に、俺とは無関係なはずのこの場所で、この、人が生きていてるだけの「街」で、私はその街との物語を作ろうとするほど、その空虚さに包まれる。 過去は通奏低音のように鳴り響いている。ずっと、聞こえないだけで、過去の体積はこの場所に、低く、微弱な振動と共に流れている。
地元があり、東京に住んでいる。そのどれもが、私を固定されたアイデンティティから退ける。
4-3:アイデンティティを街と固定することのあやうさ
もし、「物語」への固定化を行ったとしたら、という例を挙げてみよう。 そこには外部として、郊外、というものが立ち現れる。 そして、”「グローバリゼーションによって衰退したかつての地方都市」に生まれた私”という構図は見事に完成される。その中において、私は雄弁に語ることができる。東京を、地元を、自分を。未来さえも描けるかもしれない。 完成された図式の内部に引き下がり、その外部/内部の輪郭を固くすることで、得られる物語は多い。物語作成機構と言ってもいいかもしれない。 それは永遠に物語を再生産し続ける。読み、読まれ、しかもその物語の一部として読み手が存在できる。向精神薬のような、毒に当てられていることに誰一人として気づかない、治療という名のもとで行われるアイデンティティ汚染。 「まちづくり」も「コミュニティ」も「地方創生」「地元らしさ」も、結局、いつか「かつて」として読まれる時間を「いま、ここ」に落とし込む動きにすぎない。前借りした未来の中で、物語は確固たる元ネタ=過去をサンプリングし続ける。 その境界の中ではアイデンティティは決して揺さぶられれない。同じように、「東京らしさ」だって「東京ローカル」だって「ダイバーシティ都市」だって、「ストリートに集う仲間たち」だって、すべて、精神疾患の治療薬が持つそれぞれの名前と同じ理由で存在している。効き目が長いか/短いか、ゆっくり効くか、朝飲むか、夜飲むか。街において、処方箋を書き続ける医者は誰なのか。わかったところで、彼を弾劾すべきではないだろう。投与される薬の量は増えていく。確定されたアイデンティティなしでは生きられない私/街になっていく。
5:さいごに
私たちは、内部に引きこもることも、常に身を外部に置いておくこともできない。
「無数の高層ビルやタワーが集まって形作られる、大都市の輪郭線について考えてみよう。感覚的対象である限りにおいて、そうした建造物が互いに接触可能なのは、もちろん、それらを経験する仲介ないし媒介のみである。そしてまた、私は実在的対象としての建造物に接触することはできない。理由は単純で、実在的対象は、つねに互いから退いているからである、(…)感覚的領域で生じる出来事は、どうにかして、あらゆる経験の外部にある実在へと遡及的に影響力を与える必要があるのだ(…)」(グレアム・ハーマン.p.120) 目指していた街に出会うとき、わたしは街に出会えない。街は降り立つと際限なくひろがり、はるかかなたに、また別の街が浮かび上がる。 街には、どこへでもいけるという自由はあるが、どこへでも行けてしまうがゆえに、不自由である。 街において自由であるということは、この「つねに互いから退いている」まちたちを、すべて捉えきろう、とすることではない。 すべての存在を「経験」しようとすることは、「経験していないもの」も同時に存在させてしまう。「経験」とは、私と街の間に関係をもたせることだ。 街において自由であるということは、退いている街の中で、「街を」楽しむ主体=私自身の身体 を、常に仮固定しておくことにほかならない。 街を踊り続けること。 風のなびきに身を任せ、街において踏むステップの軽やかさを楽しむこと。 そして、自由は、踊ることをやめることもできる、という可能性によって獲得される。ムーブを中断し、喫茶店に入る。そしてまた街へ出る。家へと帰る。 そこでは境界は振動は緩やかになるだろう。踊る自由は、安息をももたらすに違いない。 恋の句を作るのは恋をすることであり、野糞の句を作るのは野糞をたれる事である。/叙景の句とはどういう事になるか。/それは、一七字の中に自分の欲する景色を再現するだけではいけなくて、その景色の中へ自分が飛び込んで、その中でダンスを踊らなくては、この定義に添わないことになる。 (寺田寅彦p.110) 私たちは、街を叙景の句にすることができよう。 街を踊ることは、街を見たり、自分がしたい振る舞いをすることではない。街の中に自分が飛び込んで、その中でダンスを踊らなくては、街は現れないのだ。
参考文献 北田暁大,2002,『広告都市・東京——その誕生と死』,廣済堂出版 國分功一郎,2017,『中動態の世界-意思と責任の考古学-』,医学書院 カンタン・メイヤスー,2007=2016,『有限性の後で-偶然性の必然性についての試論-』(千葉雅也、大橋完太郎,星野太訳),人文書院 クロード=レヴィ・ストロース,1955=2001,『悲しき熱帯Ⅱ』(川田順造訳) ,中央公論新社 グレアム・ハーマン.2010=2017,『四方対象-オブジェクト指向存在論入門』(岡島隆佑監訳 山下智弘,鈴木優花,石井正巳訳),人文書院 千葉雅也,「勉強の哲学-来たるべきバカのために-」,2017,文藝春秋 高野岳彦,1991,「訳者あとがき――人間主義的地理学とエドワード・レルフ」,Relph,E.『場所の現象学』筑摩書房,所収. 寺田寅彦,1996,「柿の種」,岩波文庫 吉見俊哉,1987,『都市のドラマトゥルギー――東京・盛り場の社会史』,弘文堂 フレッド・デイヴィス,1975=1999『スタルジアの社会学』(相場寿一,荻野美穂,細辻恵子訳),世界思想社
執筆者:小川哲汰朗(https://twitter.com/_maoxiong_)
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【アンケート企画】 「2017年の3本」
WLでは読者のみなさんから2017年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画、3回目の今回は20名の方にご参加いただきました。掲載は到着順です。
雨宮 縁(会社員) ・劇団四季『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・ホリプロ『パレード』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・ホリプロ『ファインディング・ネバーランド』(東急シアターオーブ ) 『ノートルダムの鐘』は何が悪なのか? 怪物は誰なのか? 人間の業と差別について圧倒的なクワイアの歌声で問われる秀逸な作品。 ミュージカル『パレード』はストレートプレイを見ているようなミュージカル。アメリカ南部で起こった実話の冤罪事件をミュージカル化した異色作。ある少女殺人事件をきっかけに人種差別や成功者への妬みなどから警察やマスコミ、政治家様々な立場の人達により犯人に仕立て上げられていく恐ろしさ。これが物語ではなく実話であるというさらなる恐ろしさに声が出ない程の衝撃だった。実力者ぞろいの出演者達で見応え満点だった。 ブロードウェイミュージカル『ファインディング・ネバーランド』は来日公演。ミュージカルらしい作品。イマジネーションの世界は自由だと夢のあるミュージカル。窮屈な現実から解き放される感動作で前向きな気持ちにしてくれます。(年間観劇本数:24本)
小田島 創志(大学院生・非常勤講師) ・KAAT『オーランド―』(KAAT神奈川芸術劇場) ・やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』(小劇場てあとるらぽう) ・地人会新社『豚小屋』(新国立劇場 小劇場) 1.KAAT『オーランド―』…ジェンダー、言葉の意味、文化慣習、時代精神などの脱自然化を、舞台上で緻密に表現。観客の想像力を喚起する役者さんの演技も白井さんの演出も圧巻。「男である」「女である」のではなく、「男になる」「女になる」というボーヴォワール的な価値観を、演劇的にスタイリッシュに表現していて素晴らしかった。 2.やみ・あがりシアター『すずめのなみだだん!』…個人と社会、個人と宗教の関係性を、コミカルかつ丁寧な言葉を紡いで描いた意欲作。テーマが複層的で、観客側の思考を誘う。 3.アソル・フガード『豚小屋』…個人よりも集団が過剰に優先され、個人の犠牲の上に集団が成り立つ状況下で、戦争に駆り立てられる庶民の「受難」を、北村有起哉さんと田畑智子さんの壮絶な演技で伝えていた。(年間観劇本数:53本)
豊川 涼太(学生) ・ロロ『父母姉僕弟君』(シアターサンモール) ・木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談 通し上演』(あうるすぽっと) ・ままごと『わたしの星』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 今年の3本を選んでみると、全てが再演(初演はどれも観ていない)だった。 特にロロ『父母姉僕弟君』はキティエンターテイメントプロデュースで、より大きなサイズで大きなスケールで上演できていた。 他の方々も語るように、再演賞を設ける等、演劇界全体で再演文化の定着に力を入れて欲しい。(年間観劇本数:50本程度)
なかむら なおき(観光客) ・月刊「根本宗子」『スーパーストライク』(ザ・スズナリ) ・劇団四季 『ノートルダムの鐘』(四季劇場〔秋〕) ・こまつ座『イヌの仇討』(紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA) 『スーパーストライク』は良し悪しの前にもっとも欲していることが届く作品だったので。『ノートルダムの鐘』はあえて出来事だけを表現して観客に判断を任せているのが面白かった。そして『イヌの仇討』は忠臣蔵を下敷きに目に見えない得体の知れない大きな力を描いていて続々としたなぁと。あ、これらは趣味です。 で、上演された作品を見ると、今の世の中に応答するような作品が多いように思うのです。そして小劇場界隈で育ってきた演出家が大劇場の演出を務めるようになってきているように思うのです。また少し変わったかなぁと思うのです。(年間観劇本数:100本ぐらいですかね)
北村 紗衣(研究者) ・ケネス・ブラナー演出、トム・ヒドルストン主演『ハムレット』(RADA) ・カクシンハン『マクベス』(東京芸術劇場 シアターウエスト) ・モチロンプロデュース『クラウドナイン』(東京芸術劇場 シアターイースト) 今年は『ハムレット』を6本見て、アンドルー・スコット主演版や川崎ラゾーナ版なども良かったのですが、ヒドルストンの『ハムレット』が一番好みでした。ハムレット以外の若者役を全員女性にするキャスティングが効いていました。カクシンハンの『マクベス』はまるでゴミみたいなセットでしたが、内容はゴミとはほど遠いエネルギッシュなものでした。『クラウドナイン』は大変面白かったのですが、あまりよく考えずに「レズ」とか「少年愛」などという言葉を使っているマーケティングは大変残念でした。 (年間観劇本数:121本)
町田 博治(会社役員) ・青☆組『グランパと赤い塔』(吉祥寺シアター) ・小松台東『山笑う』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・ SPAC『アンティゴネ ~時を超える送り火~』(駿府城公演特設会場) 『グランパと赤い塔』 吉田小夏が人の綾なす思いを紡ぎ、丁寧に織り上げられる。 背筋が伸び厚みと洒脱さを合わせ持つ老紳士を佐藤滋が見事に演じ、福寿奈央の初老の妻も見事。二人が作品に一本の筋を通す。 裏の主役とでも言うべき女中役を大西玲子が、目線、ことば、仕草、身体で見事に演じていた。役者が皆素晴らしい。 『山笑う』 兄と妹、地方と都会、肉親ゆえの諍い。 静かに光る小さな宝石の様な作品。 松本哲也の演出がシリアスさと笑いをバランスさせ絶妙。厚みのある演技、役者達のバランスも絶妙。 『アンティゴネ』 冒頭女優石井萠水がミニ・アンティゴネを演じ客を引き込む。 舞台は一面水。灯篭が浮かび明かりが揺れる。あの世と現世の境としての水、水上で舞台が静かに進む。背後に投射された動きが影となり、台詞、歌唱が絡み、幻想的。 「弔い」にこだわるアンティゴネ、最後、円く連なってゆく静かな盆踊りが弔いを暗示胸を締め付ける。(年間観劇本数:299本)
文月 路実(派遣社員・フリーライター) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』(都内某公園) ・NODA・MAP『足跡姫』(東京芸術劇場プレイハウス) ・ 範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 「五感を総動員する」と謳っていたゴキコンの本公演は、まさにその通りの悪夢だった。入り口で目隠しされ、何が何やらまったくわからない状態で味わう地獄。四方八方から泥水や血糊や汚物や虫が飛んでくる。突然役者が飛び出してきて身体の上に載る。内容はいつも通りのひどい話だ。テント内はかなり暑く、なにやら異臭がすごい。終わったときには頭に虫がとまり、レインコートは泥や血糊でぐしょぐしょ、汗で眉毛が半分消えておったとさ。そんなに過酷だったのにもかかわらず爽快感を覚えたのは不思議。普段使わない感覚を刺激されたからか。これこそが演劇の力なのでは。『足跡姫』は勘三郎へのオマージュ。ここ数年の野田作品のなかで一番ストレートに「想い」が伝わってきて、純粋に美しいと思った。『その夜と友達』は、生きづらさを抱えた「夜」という���ャラクターが個人的に刺さった。「しんどさ」を知ってしまった人間にも希望はあるのだと信じたい。(年間観劇本数:42本)
永田 晶子(会社員) ・努力クラブのやりたくなったのでやります公演『フォーエバーヤング』(人間座スタジオ) ・燐光群『湾岸線浜浦駅高架下4:00A.M.(土、日除ク)』(ザ・スズナリ) ・dracom Rough Play 『ぶらんこ』(OPA_Lab) 上演日順です。 ・説明が削られ、描くべきことだけ残った合田団地氏の劇作は、努力クラブの魅力のひとつです。同世代の俳優による静かな演技で、人生における中途半端な時間の儚さをより楽しめました。 ・燐光群の公演で、劇場という閉ざされた空間が持つ危うさを確かめました。戯曲に負けない強い演技と、暗闇にわずかな光を感じるラストシーンが印象的でした。失われた街に思いを馳せる機会にもなりました。 ・既存戯曲を本読み一回・稽古一回で上演するラフプレイを観て、演劇は一度きりの瞬間に在ると思いました。会場全体に広がる「わかりあえなさ」に、戸惑いつつも笑いました。戯曲を忠実に辿ろうとするデッサンのような行為は、dracom の新作での慎重な表現にも繋がっていたと思います。(年間観劇本数:100本くらい)
青木 克敏(地方公務員) ・SPAC『アンティゴネ〜時を超える送り火〜』(駿府城公演特設会場) ・ロシア国立サンクトペテルブルク マールイ・ドラマ劇場『たくらみと恋』(世田谷パブリックシアター) ・NAPPOS PRODUCE『SKIP〜スキップ』(サンシャイン劇場) あまりぱっとしない演劇状況に思えました。その中で、SPACの宮城聰さんの取り組みは素晴らしいものに感じています。アンティゴネは構成がしっかりとしていて分かりやすいかったですが、私の価値観を揺るがしてくれるほどの感動を、与えてくれました。たくらみと恋では、俳優陣をはじめとして芸術レベルの高さを見せつけられました。そして、スキップ。なんだかんだ言っても、キャラメルボックスは、夢と希望をいつだって分かち合おうと走り続ける劇団です。(年間観劇本数:32本)
矢野 靖人(一般社団法人shelf代表理事・芸術監督) ・WORLD STAGE DESIGN『The Malady of Death』(台北国立芸術大学) ・HEADZ『を待ちながら』(こまばアゴラ劇場) ・SCOTサマーシーズン2017『サド侯爵夫人 第二幕』(新利賀山房) The Malady of Death”はバンコクの盟友、僕がいちばん信頼している僕自身のプロデューサー的存在でもあるリオンが演出する作品とあってわざわざそれを観るためだけに台湾まで行った作品。そういうことが出来る/したいと思える仲間がいることに感謝。今年いちばん記憶に残っている。デュラス晩年の最後の恋人は実はゲイで、しかし献身的にデュラスを愛し、デュラスに尽くしたという。美しく儚い作品だった。鈴木忠志「サド侯爵夫人 第二幕」はこの超絶技巧のこのアーティフィシャル(人工的)な日本語台詞をねじ伏せた俳優陣に快哉。久しぶりに劇場で観劇した飴屋法水さんの「を待ちながら」はこちらが思っていた以上に泣けるほどに清々しくベケットで。選外に1作品、APAFワン・チョン氏演出の「Kiss Kiss Bang Bang2.0」を。ノンバーバル且つインターナショナルな演劇の新たな可能性を垣間見せてくれた。(年間観劇本数:43本)
野呂 瑠美子(一観客) ・劇団昴ザ・サードステージ『幻の国』(サイスタジオ大山第1) ・劇団チョコレートケーキ『熱狂』(シアターウェスト) ・文学座創立80周年記念公演『中橋公館』(紀伊国屋ホール) どの時代をどういう切り口で、どのように選ぶかは作者の意識と力量による。劇団チョコレートケーキの古川健さんは、大きな歴史の流れを巧妙に切り取り、多大な資料を元に、新たに肉付けをして、その時代がどんなであったかを観客に見せてくれる。『幻の国』『熱狂』ともに、3時間ほどの舞台からは、困難な時代に置かれた人々の思いと息遣いが伝わってくるようであった。文学座の真船豊の『中橋公館』も、殆ど知られることがなかった、外地・北京で敗戦を迎えた日本人の様子をよく伝えていて、感心した。どの作品も、過ぎ去った時代を描きながら、実は現代をきちんと映し出している秀作揃いで、感動とともに、印象深い作品となった。最近あまり見なくなった歌舞伎だが、今年は仁左衛門の『千本桜』がかかり、おそらく彼の一世一代の知盛であろうと思われて、拝見した。人生は速い。(年間観劇本数:80本)
片山 幹生(WLスタッフ) ・SPAC『病は気から』 (静岡芸術劇場) ・ゴキブリコンビナート『法悦肉按摩』 ・平原演劇祭2017第4部 文芸案内朗読会演劇前夜&うどん会 「や喪めぐらし」(堀江敏幸「めぐらし屋」より) ノゾエ征爾翻案・演出のSPAC『病は気から』は17世紀フランス古典主義を代表するモリエールの喜劇の現代日本での上演可能性を切り拓く優れた舞台だった。ゴキコンはいつも期待を上回る斬新で過激な仕掛けで観客を楽しませてくれる。高野竜の平原演劇祭は昨年第6部まで行われ、いずれも既存の演劇の枠組みを逸脱する自由で独創的なスペクタクルだったが、その中でも文庫版200頁の小説を4人の女優がひたすら読むという第4部の企画の体験がとりわけ印象的だった。食事として供された変わったつけ汁でのうどんもおいしかった。(年間観劇本数:120本)
kiki(勤め人) ・日本のラジオ『カーテン』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・あやめ十八番『三英花 煙夕空』(平櫛田中邸/シアトリカル應典院) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) カーテン:この一年で拝見できた日本のラジオの作品はどれも面白かったが、結局一番好みにあったのがコレ。劇場の使い方や題材の面白さに加えて、奥行きのある人物描写で15人のキャストの魅力が充分に生きた。 三英花 煙夕空:あやめ十八番初の二都市公演で、東京と大阪の会場がどちらも物語によく似合いつつ印象はガラリと変わって面白かった。音の響きや照明も変わり、キャストも変わって、東京公演では濃密な仄暗さが、大阪公演ではエッジの効いた明暗がそれぞれ印象に残った。 アンネの日:風琴工房の題材への取り組み方にはいつも心惹かれるが、観る前には地味だろうと思っていたこの作品がこの一年で最もツボにハマった。描かれた人々の誠実さと強さ、それを演じるキャスト陣の説得力が魅力的だった。(年間観劇本数:155本)
りいちろ(会社員) ・第27班 キャビネット公演B『おやすみ また明日 愛してるよ』(シアターミラクル) ・コマイぬ『ラッツォクの灯』(石巻 GALVANIZE gallery) ・アマヤドリ『青いポスト』(花まる学習会 王子小劇場) 2017年も足を運ぶ先々に多彩な舞台の力がありましたが、中でも常ならぬ舞台の密度や呼吸を感じた3作品を。 この一年、くによし組や劇団ヤリナゲ、劇団普通、KAZAKAMI、遠吠え、キュイなど若い作り手たちの作品にも心惹かれつつ、てがみ座『風紋』、風琴工房『アンネの日』、青組『グランパと赤い塔』、うさぎストライプ『ゴールデンバット』、ワワフラミンゴ『脳みそあるいてる』など実績のある作り手の更なる進化を感じる作品も数多く観ることができました。FunIQの5人の作演での連続上演の試み,ロロの「いつ高シリーズ」やシンクロ少女の『オーラルメソッド4』のように過去作品と新作を合わせて上演することも作品の世界観を再認識させ作り手の進化を感じさせる良いやり方だったと思います。またあやめ十八番や水素74%などの歴史建造物での上演にも、スイッチ総研の諸公演やガレキの太鼓ののぞき見公演などの企みにも捉われました。(年間観劇本数:315本)
矢作 勝義(穂の国とよはし芸術劇場 芸術文化プロデューサー) ・ イキウメ『天の敵』(東京芸術劇場 シアターイースト) ・TBSテレビ『俺節』(TBS赤坂ACTシアター) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 『天の敵』は、戯曲・演出・美術・俳優など全てのピースが寸分の狂いもなく組み合わされた、これまで観たイキウメ作品の中で一番素晴らしい舞台でした。 『俺節』は、主演の安田章大の歌・芝居ともに素晴らしく、回りを固める小劇場系の俳優も一丸となり、見事に劇世界を支えていました。何と言っても、脚本・演出の福原充則の仕事ぶりが充実していました。 風琴工房の詩森ろばさんは、2017年の1年間で多数の作品を生み出していましたが、なかでも『アンネの日』は、教養エンターテイメントと名付けたいと思います。事実の羅列や解説にとどまらず、それをエンターテイメントに昇華しながらも、一つの物語として創り上げられたとても素敵なものでした。 番外として、自身の劇場制作の、青木豪作、稲葉賀恵演出の「高校生と創る演劇『ガンボ』」と桑原裕子作・演出の穂の国とよはし芸術劇場プロデュース『荒れ野』を上げておきたいと思います。(年間観劇本数:132本)
須川 渡(研究者) ・ dracom『空腹者の弁』(ウイングフィールド) ・山下残『無門館の水は二度流せ 詰まらぬ』(アトリエ劇研) ・アイホールがつくる「伊丹の物語」プロジェクト『さよなら家族』(AI・HALL) 今年も関西で多くの作品を観ました。劇場の閉館はたびたび議論になりますが、dracomと山下残はこの問いかけに作品という形で応答していました。dracomはウイングフィールドという場所で演劇を続けること、山下残はアトリエ劇研がなくなることの意味を、どちらも非常に挑戦的な方法で示していました。『さよなら家族』は、伊丹という場所と時間をかけて丁寧に向き合った秀作です。スタイルは様々ですが、観客である私も、同じ場所にとどまって演劇を観続けるとはどういうことかに思いを巡らせた1年でした。 (年間観劇本数:133本)
かいらくえんなつき(演劇ウォッチャー) ・ロロ いつ高シリーズvol.4『いちごオレ飲みながらアイツのうわさ話した』(こまばアゴラ劇場) ・悪魔のしるし『蟹と歩く』(倉敷市立美術館 講堂) ・範宙遊泳『その夜と友達』(STスポット) 2017年も前半は大阪にいたので、関東近辺の演劇はそこまで多くは観ていません。とはいえ、ここにどうしても挙げたいと思う関西の作品に出会えなかったのは、残念。 選んだのは今後ずっと忘れないだろうなと思う観劇体験だったものです。 この他に挙げられなかったのは、FTで上演された『忉利天(とうりてん)』 (構成・演出・美術:チェン・ティエンジュオ)。 これだけをみていうのもと思いますが、それでもいいたくなるぐらい、中国の勢いを感じさせられ、それと裏返しの日本の閉塞感を感じました。 2017年は(も?)色々と区切りとなる出来事の多かった1年だったような気がしています。 毎年同じようなことを書いている気がしますが、2018年はもっともっと新しい刺激的な作品に出会いたい!!(年間観劇本数:おそらく150本くらい)
薙野 信喜(無職) ・ Schauspiel Leipzig『89/90』(Berliner Festspiele) ・Akram Khan Company「Until the Lion」(Main Hall, ARKO Arts Theater) ・日本総合悲劇協会『業音』(西鉄ホール) 2017年は、海外で観た20数本の作品の印象が強い。パリで観たオペラ・バスティーユ『ラ・ボエーム』、オデオン座『三人姉妹』、コメディ・フランセーズ『テンペスト』、ベルリンドイツ劇場『フェードル』『しあわせな日々』、ソウルで観た Yulhyul Arts Group『Defeat the ROBOT 3』、明洞芸術劇場『メディア』の印象が強烈だった。
九州に来演した作品では、ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』、サードステージ『舞台版ドラえもん のび太とアニマル惑星』、イキウメ『散歩する侵略者』、トラッシュマスターズ『たわけ者の血潮』 などが楽しめた。 九州の劇団では、劇団きらら『プープーソング』、そめごころ『ちずとあゆむ』、転回社『夏の夜の夢』 がおもしろかった。(年間観劇本数:156本)
でんない いっこう(自由人) ・東京芸術劇場『リチャード三世』(東京芸術劇場 プレイハウス) ・新国立劇場『プライムたちの夜』(新国立劇場小劇場) ・文学座『鳩に水をやる』(文学座アトリエ) 1.リチャード三世の人格形成に身体の障害を前面に出さなかったし、最期の苦しみを、脳内の様子が突然飛び出し襲い掛かるような映像と音響で訴えたプルカレーテ演出の意外性が惹きつける。 2.人は何に向って本心を言えるのか、自身の老後は応答するロボットを考えていたが、人型のAI・スライムなら2062年でなくとも頷けてしまう身近な物語であった。人を失した悲しみ、本来わかりえない存在、一個の人間。 3.童話作家だった男、今は認知症の鳩に水をやる男。誰にわかると言うのだ、その内面の心理が。過去を生きている男に通じる回路を持たない今を生きてる者達。次点は若い俳優、演出家の成長が嬉しい『その夜と友達』『ダニーと紺碧の海』『ナイン』気になる劇作・演出家で楽しかった『ベター・ハーフ』大野一雄に惹かれ、その時代の映像が見たくて、疑念を持ちながら観たのに何故か後半引き込まれてしまった『川口隆夫「大野一雄について」』等がある。(年間観劇本数:27本)
小泉 うめ(観劇人・WLスタッフ) ・点の階『・・・』(京都芸術センター 講堂) ・風琴工房『アンネの日』(三鷹市芸術文化センター 星のホール) ・神里雄大/岡崎藝術座『バルパライソの長い坂をくだる話』(京都芸術センター 講堂) 前半は人生最高ペースの観劇本数だったが、後半は落ち着いて、おしなべてみれば例年並みの本数になった。そのため見逃したと思っている作品も多い。演劇が演劇であるが故の悔やみである。 『・・・』 ファンタジーという言葉だけでは済まされない不思議な観劇体験となった。窓の外の雪や隙間から入ってくる冷たい空気までもが演劇だった。 『アンネの日』 詩森の戯曲はいつも緻密な取材力とそこからの跳躍力に支えられているが、この戯曲からは一人の女性として、ひいては一人の人間としての彼女の姿が明瞭にうかがえ、彼女の代表作となるだろう。 『バルパライソの長い坂をくだる話』 神里のターニングポイントと言える。再び上演される機会もあるだろうが、あの場所であの役者陣でのスペイン語上演は、当然のことながら二度とないものを観たという印象が強い。 西日本での観劇も例年よりは少なかったが、結局KACで上演された2本を選んでいるあたりも私らしいところか。(年間観劇本数:355本)
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エデンの園 ライブレポート | chan-iruri
※個人の感想と解釈です。また、全オリジナルです。あしからず! (8万人もいたら同じ感じ方をする人が他にもいるかもしれない。パクられた発言は傷つくのでやめてください……!パクってないです!) ※ちょこっと考察入りです。 ※参戦は横浜2days, 代々木2days
開場中
メインステージの中央から花道、その先にセンターステージ。上空にはキューブ型の枠組みに知恵の樹(?)の葉や枝が絡んでいる。 鳥のさえずり、風の音。ここは楽園、そう思わせるかのよう。
開演
暗転し、キューブの各辺が一つずつ青白く輝き出す。続く「インフェルノ」の赤い光を際立たせるとともに、楽曲のタイアップ先『炎炎ノ消防隊』の“青線”を想起させる。 SEは「インフェルノ」Bメロのピコピコ音を使ってる? その作り方といい、雰囲気といい、涼ちゃん作と推測。どうなんだろう。
M1 インフェルノ
Cメロでは舞台ツラ側から炎がランダムにバンバン出る。ありがとうこれが見たかった。
M2 藍
青地に白い縦線が雨のようなライティング。ブレイクで照明がサスや暗転になるのが、この曲の仄暗い悲哀や寂寥を示しているようだった。 「踊ろうぜ~!」の煽りが好きです。いいの?まじで踊るよ?
M3 WaLL FloWeR
オリジナルアレンジは結構久しぶりかも……? 間奏で綾ちゃんドラムがリードする中、キメを合わせるメンバー。 観客の1万幾千の手が「花」のように見えた。
M4 VIP
ロックな繋ぎに高まる期待。 VIPって意外とやらないから、「嫌い!👏🏻👏🏻」は知らない人多いと思う!わかる人は皆に教えてあげてね! 髙野ベースソロ VS アリーナ観客全員の構図は横の指定席から見ると相当かっこよかった。
M5 アンゼンパイ
もっくんがピアノ(!) 弾く前の「やるぞ~やるぞ~👊🏻」みたいなモーションがかわいい。手元が映されて、初め何が起こってるのかわからなくて皆どよめく。導入弾ききって「フゥ!」 涼ちゃんの「あれ?僕以外にも誰かピアノ弾いてる!?」みたいな小芝居が毎回おもろい。 スクリーン白地に赤・青・黄などのモダンポップな色合い。
M6 ProPose
打ち込みの音からイントロへ。ピンクの背景にシルエット。 POP風ダンスは健在。これ本当にポッパーのミセスファンがいたら踊ってほしいんだ。 2番から楽器隊が入るのは、音源と違う演出。横浜初日が一番緊張感があったと思う。もっくんが手で指揮するようにパッてやると音がガンって鳴る、生音のかっこよさ。 「ならばさ なんで 君はなんで」の綾ちゃんの重ためなドラムロールが「ねえ何で、僕は、何で……?」という切なさ・葛藤・激情をばっちり表現しててまじでかっこよかったよ。
M7 Soup
ゼンジンツアーと三田祭では青だった照明がオレンジに。曲の持つ温かさがフォーカスされていたように思う。ProPoseがあまり救いのない曲なので、寂しさがピークに達したところから温めてくれる。 バラードなのにガツンと掻き鳴らすギターやドラムがかっこいい。「知っているんだよ 持っているんだよ 永遠への宝の地図を」は、この歌詞だけ見ると希望があるように思えるけど、そうじゃない。永遠はないのに、持っちゃってるんだもんね。永遠への宝の地図を。明日に期待をして、永遠を夢見ては裏切られて。そういう切なさを狂ったように爆発させる。
MC
元気ですかいけますか、みたいなやつ(割愛)
M8 愛情と矛先
「懐かしい曲やります」「ワンツースリーフォー!」 アレンジがオリジナル音源寄りで動きが初期のままだったのは、当時から見ていたファンの目にはどう映ったんだろう……。 綾ちゃんのドラムコーラスが大好き。
M9 Viking
場転でダンサーさんがぬるっと板付きになるところからもうかっこよかった。 スクリーンに船と海、やがて暴風雨に沈没。海賊の格好のダンサー。アコギ若井。 有名な振付師さんが関わっていたとは!たしかに群舞の振りはそれっぽい、作品に寄せながらクリエイターの色を出せるってやっぱりすごいなぁ。 ジャザーはこれ一緒に踊ろうね。
何もない海。立ち尽くす4人の影。
M10 クダリ
長い暗転。明転すると、センステにアコギを持って椅子に座る大森元貴。 静かに弾き語りを始める。
「虚しさの海」「私という海」から先ほど航海していた”海”を思わずにいられない。 例えるなら、まず「Viking」の物語があって、それが終わり、主人公のエピローグとしてこの曲が語られるイメージ。「クダリ」が新しい聞こえ方をした。
横浜2日目がすごく良くて、なんかもう芸術だった。感情が爆発していて、演技力・表現力が凄すぎる。間の取り方、観客の息遣いすらものにしてた。 中学生の頃、ライブハウスで弾き語りで歌っていた姿が重なって泣いたファンもいたのかもしれない……。
「貴女に刺さった~」は元貴・若井にサス。この曲はひろぱも主役だった。もっくんが声で歌い、ひろぱがギターで歌うデュオ。ふたり別々の方向を向いて、独りぼっちで、でも最後にお互いの存在に気づくように微かに顔を見合わせる。その仕草がこの曲の救いだと思った。
M11 REVERSE
ストリートカルチャー的側面を持つこの曲の、不満や怒りといった本質にフォーカスする表現。
“哀しく寂しい僕は、何を信じていればいいの?” 寂しさの水底に沈んだ主人公の厭世。疑念。猜疑心。不信感。世の中への反抗心。 「感情の海」にも飽きてしまった。
路地裏のウォールアートのような背景画。 HIP-HOPノリができるとこの曲はまじで楽しい。
M12 ア・プリオリ
パンパンパッ(伝われ)の慣れない手拍子にショッキングピンクのスクリーン、何の曲?と思ったら……。 パーカーのフードをかぶって(※代々木)きっとダウナーで非行的な雰囲気を出したかったんだろうけど、
私にはこいつにしか見えなかった(本当にすみません)。
“こんな世の中。まだ信じて居るなんて” 主人公の闇落ち。発狂。錯乱。狂乱。諦念。 ステージに寝転び、悶え苦しむように、体を地面に打ち付ける(横浜2日目)。膝をつき手をつき、絶望する(代々木)。背景は幻覚作用のような、サイケデリックな極彩色。
「悪い人ではなく~」でセンステに来たところは例えるならアンダーグラウンドの啓蒙家、手を挙げてシンガロンをする観客はさながら彼に賛同する群衆たち。宗教的な一体感と不気味さ、気持ち悪さ。
M13 ナニヲナニヲ
この曲も「Viking」からの文脈にあると捉えるとま��違った聞こえ方になりそう。だけど個人的には重苦しいところに聴き慣れたブチ上げ曲が来た安心感(?)があって、正直ちょっとほっとした。 ひろぱの高速カッティング、アベフトシさんを彷彿とさせる。 白い光の筋が重なる、檻のような照明はThe ROOM TOURの「FACTORY」と同じだった?
M14 Ke-Mo Sah-Bee
なんとなく、この流れかなと思ってた。 「真に御前か」でソロ弾き始める御前がかっこいいよ。 オリエンタルなあの映像はターツァさん作?
MC
しずかちゃんとかドラえもんとか旧ドラえもんとかジャイアンとか(割愛)
M15 僕のこと
ゼンジンツアーでの初披露から音源とMVリリース、それから幾度となく様々なライブで演奏されてきたこの曲。公演によって色の変わる感じがあまりないから、この曲のビジュアルイメージは一貫しているのかな、なんて思ったり。
M16 StaRt
こっからメジャー曲パート! 「お手を拝借!」でセンステに出てきたひろぱ髙野、毎回違うことしてた。かわいい。
波々(波波、なみなみ)って呼ばれてる振りは、YouTubeとかに映像ないから予習のしようがないよね(※Rの法則のライブ映像がわかりやすかった気がするけど、消えてる)。アリーナに1万何千人もいたら知らない人いて当たり前なんだから、知ってる人はマウント取らないで教えてあげて!😌 そのあとのポテト🍟は皆やってるんだから〜!
解説すると、「(仕舞うべきところに仕舞うべき)だ→あ↗︎あ↑あ↘︎あ→♪」から2エイトくらい、両手を上げて表拍に合わせて腕を波打たせるように動かす!手先を後ろから前へ、リズムをとる感じで。 やると楽しいのだ🙌🏻
M17 WanteD! WanteD!
いい流れ。安定に好き。
M18 青と夏
WanteD! からこの流れは案外、新鮮かも? 夕焼けの「またね」で手をバイバイってする人がたくさんいてほっこり。
M19 CHEERS
多幸感。最高。カーンパイ、バーンザイ、ワーイワイ、バーイバイ、ワッハッハ、は一緒に。クラークラ、(シンパシー壊れて)しまーった、かーんたん、とか、もう何でもありだね。 HOUSEミュージックなのでハウサーのミセスファンがいたら踊って。お願い。
M20 lovin’
ワイパー。庶幾の唄みたいなエンディング感。 「タメになるね」「難しいことは置いといてさ」はシンガロン。ラスサビも歌ったり。
M21 Folktale
「次で最後の曲です!」が信じられなかった。 寄せて返す波のような光の粒、あの“海”のどこかにこんな浜辺があったなら。
歩いてゆく、歩いてゆく……で最後は走り出しそうな、あるいはスキップし出しそうな足取りでセンステからメインステに向かって行く、そこは光の道だった。美しい光景だった。
アンコール
M22 Circle
夜空の星々。もっくんは白のガウチョ(※横浜・代々木)で幻想的な雰囲気で。 ピアノにグロッケンを混ぜたみたいな、音源とは少し違うキーボードの音が素敵。
MC
エモいやつ(割愛)
M23 我逢人
言葉にするのも無粋!はい!(投)
まとめ
エデンの園。『Attitude』のリリースツアーではない、としつつ知恵の樹など共通するモチーフが見受けられた。思えば『TWELVE』のCDジャケットは「創世記のイメージ」と言っていたし、「パブリック」を「聖書っぽい曲」と評していたこともある。 人類の弱さ。欲望。罪。生。人間のはじまりや本質として、聖書の世界観はMrs. GREEN APPLEの描きたい哲学に通ずるものがあるのかもしれない。 ただ、このキリスト教或いはユダヤ教的なバックグラウンドを踏まえると「藍」と「Ke-Mo Sah-Bee」の「神様」は意味深に聞こえてくる。 うわあ。
ただ、ミセスが「悲しみで溢れる事が無いように」「笑顔であってほしいな」と祈るのは神ではなく人間そのもので。
ちなみに、「The ROOM TOUR」のレポに書いたこれが当たって私はびっくりしてる。
初稿は2019年6月28日の横須賀にて。まだアリーナツアーのタイトルすら出てなかった、何ならAttitudeの収録曲も発表されてなかったはず。うええ!
→全文はこちら
「今!」の答えが明らかになった。「歩いてゆく」それが彼らのメッセージ。 音楽家として。ひとりの人間として。 私たちも、ファンとして、ひとりの人間として歩いてゆくのだろう。
おまけ・雑感
How-toをアリーナで聴きたかった。けど、あの曲はもはや「The ROOM TOUR」と台湾で然るべき役割を果たしたような気もしていて。タイアップ付いてるけど表題ではないし、このままレア曲化しちゃいそうな気がする。そんなの嫌だ。寂しい。そうやって容赦無く隠れてしまって忘れた頃に突然出てくるんでしょう?んで、泣かせるんでしょう??
色んな面で私の支えになってくれたこの曲が、またどこかで聴けるといいな。
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《あなたの知らない奔流中国の旅》
前書き:
前から奔流の参加者の思いが募る文集を作りたいと思っていた。張さんは旅に生きていた。自分の思想を人に押し付けることなく、いつも自分らしく自由闊達に生きていた。その生き様は、一つの芸術作品��ようでもある。私たちも張さんから受け継いだ精神というべきかその思想を何らかの形で残したいのだが、文字にしてしまうとそれはとても小さく見える。私たちの旅は書き尽くすことができない。しかし、今は奔流にとって大変な時。自分たちの青春の中でもっとも素晴らしい思い出を、生涯の誇りを守るために、ここで一丸となり、形のない、奔流という旅を語り合いたい。奔流は人の流れ、私たちの中への流れでもあるのだ。
そうして気づいたことは、自分を深く見つめ、深く知り、世界を深く見つめ、深く知り、世界と自分を深く思索することで、奔流の旅は私たちの未来にもつながる。 この旅の意義を社会に証明し、あなたの今まで見ることのできなかった世界とも出会ってほしい。
そんな世界を提示してくれた張宇氏に感謝!
奔流中国 参加者 2020年1月
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旅は芸術
私は旅をしたくありません。世界各国をめぐられた私の仲間たちには申し訳ないのですが、旅を積み重ねたところで善い人生を 送れることなどなく、また優れた人格を形成できるわけでもありません。むしろ若く貴重な時間を無駄にし、虚しく偽りの自信に捉われる危険性を持つ旅を、私たちは忌避すべきです。このことはアウグスティヌスが鋭く言い表しました。
「人びとは外に出て、山の高い頂、海の巨大な波浪、河川の広大な流れ、広漠たる海原、星辰の進行などに賛嘆し、自己自信のことはなおざりにしている」
(『ルネンサンス書簡集』近藤恒一編訳より抜粋)
まさしくこの言葉の通りで、我々人間は自然の現象ではなく自らの精神の鍛錬、つまり日々の生活こそを大切にし、より善く過ごせるように努めるべきです。成し遂げたい目標があったり、大きな夢がある場合は、なおさら時間と金銭の浪費となる旅は避けるべきではないでしょうか。だから私は、旅をしている時間があるのなら、日々の日課に打ち込み、与えられた仕事を精一杯こなした方が遥かに自分のためになると考えています。それをせずに旅ばかりにうつつを抜かしているとすれば、それは現実逃避以外のなにものでもありません。
ところで、今このように述べ上げたことは、これから私が話す内容とは無関係です。この話はここで忘れて頂きたい。私がどうしても話したいことはもっと別の問題なのです。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーという人物をご存知でしょうか。彼は二十世紀を代表する伝説的指揮者で、クラシック音楽界に与えた影響は計り知れず、死してなおその威光は輝き続けています。彼の演奏は心の奥底に響き、魂を揺さぶり、ひと度その演奏を体験すれば、人は音楽そのものの意味を再考せざるを得ないと言います。彼の著書である『音と言葉』には、その偉大なる人物の心に汪溢する音楽への愛念が滲み出ています。自著の冒頭にて、彼は「すべて偉大なものは単純である」という箴言を用います。この言葉こそ私がこれから拠って立つ原点であります。
なぜ偉大なものは単純でなければならないのか。この言葉は芸術家のためのものです。単純とは「全てを見通して正しくその全体をつかむ」という意味で、ここでの全体とは「この世界を全様態において反映する、世界の分離した一部分」です。つまり、この世界の一部分の全てを正しく見通している作品が、偉大だということです。このように世界を作品の中に単純化することは容易ではありません。不断の努力から得られる強靭な力と、意識の変化を鋭く読み取る直観がなければそれを成し遂げることはできません。芸術家にとっては、作品は単純であるからこそ偉大たりえます。
・・・・・・
ところで、私は2011年9月、奔流中国グレートキャラバンの旅に出ていました。バインブルグ草原やゴビ砂漠を、時には馬で駆け、時にはギターを弾き歌を歌いました。そこでの生活は至極単純で、本当の意味での旅がそこにありました。朝起きて、日中は馬に乗り、夜は食事を火を囲みながらとり、歌や踊りを楽しみながら目的地を目指す。その生活の中にいったいどれだけの苦痛と喜びが混在していたことか!
この旅行の引率者でありNPO法人の代表である張宇氏は、「旅とはアートである」と言います。旅が芸術だと一般的には受け入れ難いでしょうが、まさに旅とは芸術そのもので、世界のさまざまな要素を時間と空間に閉じ込めて、人びとに体験させるものです。私たちが体験した場合では、圧倒的な自然やそこで暮らす人びと、馬や遊牧民たち、歌や踊りとそれらの全てを通じて私たちの心の中に湧き上がる感情を要素として、限られた時間と場所に旅の芸術が集約されていました。音楽が時間の芸術と言われるに対し、旅は時間と空間の芸術と言えます。もっと突き詰めて言えば、旅とは人生そのものを有限的な世界に表現する芸術です。青く広大な空やその中を飛ぶ白鳥も、また雄大な草原やその中で咲くエーデルワイスも、あの旅の要素の一つでした。
ですから、この場合も芸術として旅を見るならば、それは単純であるべきではないでしょうか。古代シルクロードはまさに旅を人生とした人たちによって作られていきました。もちろん彼らは日々を生活する人間であり、決して旅を創り出す芸術家ではありません。ですが、私たちが体験した古代人が創り出したシルクロードへの旅は、なんと芸術的だったことか!そこには人間の人生そのものが、単純に集約されていました。人が生きていく上で求める最初の根源的なものと、日常生活を善く生きるために必要な知恵や力を、私たちは擬似的に体験したのでした。あの旅は張宇氏の人生そのものでもあり、私たちの人生そのものでもありました。思うに、全ての芸術において最も大切な始源はこの点にあります。
つまり、どんな芸術も、最初はそれを創り出す人、または体験する人の人生そのものでした。それこそが偉大なる単純さの源であり、私たちに感動をもたらす泉です。そこから芸術は大いなる奔流となって人びとの生活を満たしていったのです。
私ははじめに、旅などしたくはないと言いました。しかし今となっては、声を大きくしてこう叫ぶことができます。
旅をしよう。記憶に新しいあの旅が私たちに教えてように、日常を旅しよう。それが芸術にとって、また人間にとって大切なことなのだから。
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奔流の旅
奔流の魅力は旅、そのままの姿を体験できることだと思う。予定外想定外のことが起こるのが旅だ。人生だって同じ、予定表なんてない。思い通りにいかない事もあるし、思いがけない幸せもある。 馬が来なかったり、6時間飲まず食わずでぶっ通しで砂埃の中を走ったり、氷点下の中で寝たり、肉体的精神的苦痛が伴った。だからこそ普通の旅行では味わえない絆が生まれる。
この旅は素材であり、それを使っていかに自分の求めるものを創りあげるか。そこに他人からの評価はいらない。上手く出来たら誇らしげにその喜びを仲間と共有すればいい。上手く出来なかったら取り組むべき課題を見つけられたと喜べばいい。いずれにしろ昨日の自分よりは一歩前に進んでいる。 毎年の事ながらこの旅は参加者各個人の内に秘めた力を見事に開放させる。旅を終え、皆キラキラした目でやりたい事を語り、出発前より元気になって帰ってくる。 奔流の旅は、ひと夏の草原の思い出ではなく、新たなスタートである。
私は今年、以下のインスピレーションを頂いた。私はこの牧場を必ず設立させる。私の旅は始まったばかりだ。
それに向けてのまず第一歩は、日々の仕事を着実に頑張ること。夢を大切にし素直に生きる張さんからそれを学んだ。
『奔流牧場』 【コンセプト】”創造”、"絆"、”国際交流”、”楽しい!”、”人材育成”、”挑戦” 【概要】日本の若者に情熱と感性を与え続けてきた奔流。たくさんのエネルギーとインスピレーションを頂き、たくさんのことを学びました。そんなパワーステーションを日本にも作りたいといこうことで設立したのがこの牧場です。忙しい日常から離れリラックスするとともに、時代に流されない美しさ強さを再認識し、新たなスキルを習得できるような牧場です。週末に家族連れて気軽に遊びに来てください! 【設立】20XX年 【場所】湘南国際村(東京から近い、古都鎌倉から近い、海が近い、富士山が見えるetc)
【施設概要】 ・牧場:乗馬 ・農園:organicな感じで。 ・Cafe/Restaurant:牧場・農園からの食材で。 ・Lounge:暖炉を囲み、夜通し語ろうぜ! ・Lodge:基本は青空ゲル(寝袋/銀紙シート提供有)。希望者はlodgeに泊まれます。 ・Dormitory:世界からの留学生が短期/長期滞在できるように。 ・Studio: Language:各国の留学生から直接指導。 Fitness:乗馬/ジム/武道/ダンス/ヨガ/水泳/ゴルフ/テニス/サーフィンetc Art:写真/映画/絵画/音楽etc Japanese culture ”道”:茶道/書道/華道etc 世界に誇る日本の”道”。 Business:第1線で活躍しているbusiness person(君達のことです。)によるセミナー講座。 料理教室:各国の食文化の継承と創造。 ・温泉/プール ・大富豪ルーム ・Gallery: 奔流中国の歴史と変遷。 遊牧民の文化や生活を写真/映画/音楽で保存。 ・茶室:日本芸術の粋。 ・図書館:世界の絵本・各種専門書・自習室。 ・診療所:健康講座・人間ドッグetc ・国際協力:海外留学・留学生の受容。そこから生まれる新たな発想とそれらが生かせるような仕事の創造。 ”医療チーム派遣”:世界の無医村へ医療提供キャラバン。 【リンク】奔流中国主催者張宇氏による”パインブルグ乗馬基地”:シルクロードの中央に位置し、世界の若者や芸術家たちが集い、旅の心を知り馬のスピリッツを共有できる奔流の本山。東方騎馬文化の保全とともに騎馬文化から生まれたファッションブランド基地でもある。
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「人馬一体」に生きる
「切り撮る」×「切り開く」=「突き抜けMAX」…!?
旅の3A,それは人生の3Aでもある―Adventure・Amazing・Art。
冒険心をもって自分自身を世界に投じるところに美しき発見があり,驚嘆がある。それは写真活動にも似て,限りない可能性から,かけがえのない意味とエネルギーに満ちた絵(私自身)をフレーミング(創造)してゆく営み(Art)でもあろう。……(略)……大学を卒業してちょうど10年,社会実践(職場)と研究活動(大学院)に股をかける両立生活は今,自分の中で間違いなく大きな節目を迎えている。「苦悩と渇望」にあって,そこにどんな風景を,どのように切り撮って焼きつけることができるだろうか?(参加動機書より)
キャラバン前に綴った私の思いである。なんとも浮き足立った感が否めない。けれども,少なくとも何かはこの旅に求めていた。頭でアレコレ空想してもダメだ,とにかく自分の足と体を動かそう,そうしたら頭と心も働くはず…そんな思いでついに奔流へ飛び込んだ。
キャラバン中,そしてキャラバン後,心の中にずっと離れず残り続けた,あるおぼろげな風景があった。この文章(旅の証)をまとめるプロセスは,その風景にピントを合わせ,できる限り見通しよく視覚化し,時を得てシャッターを切る(言葉化する)機会となった。あえて最初に屁理屈な結論を先取りすれば,私はこの旅を通じて,ある究極的な華々しい「何か」を得たというよりは,その何かに到達するための,「術」とか「コツ」というものを身につけたように思う。そのために切り撮られた風景は,全くもって想定外だったが…。
さて,中国の表玄関・上海を皮切りに,我々キャラバン隊の進路はひたすら西へ,西へと向かった。奥行きの深い壮大な自然と,そこに堆積する時の厚みにひたすら圧倒された。その我々を運ぶ列車やバスも,強い風雨や泥にまみれ,険しい地形とうまく格闘しながら,黙々と邁進し続けた。その時々の思いは,まるで流れゆく雲のように,旅仲間の思いとくっつき,変化しつつ膨らみ,ゆっくりと漂い,やがて心地よく彼方へと消え去ってゆく…そんな繰り返しだった。そしてついに,この旅の珠玉の乗り物である「馬」にありついた。
乗馬初日から,しかも初めて乗る馬で,いきなり草原を颯爽と駆け回ったあの感慨は,奇跡だと思った。そして小高い丘から見渡す蛇行川,またそこに強く差し込む夕刻の斜陽の照り返しは,ただただ雄大で,豊かで,固唾を呑むしかなかった。そんな心地に導いてくれたその馬に,私は躊躇なしに感謝と愛着を抱いた。
事態が急変し始めたのは,舞台が砂漠に移ってからのことだった。事情あって私の乗る馬は日替わりとなり,馴れない悪戦苦闘の繰り返しが余儀なくされるということもあったが,さてここからは,砂漠上の事故と二次被害を防ぐ策としてとった「基本,並足一列」のキャラバン隊の風景に,話の焦点を絞っていきたい。
容赦なく照りつける直射日光。そこは気候と地形の条件が実に厳しかった。何の潤いも楽しみもない。ただひたすら,相も変わらず馬に乗って進むだけ。次第に疲労感と徒労感に包まれる。皆,口数も少なくなる。引き戻せない辛さ。せっかく馬に乗りに来たのに…。喉カラカラ。命カラガラ。荒涼殺伐~まさにそこは「無味乾燥」地帯!
そして次のような自問自答が,自分の頭を支配し始めた。
「360度見渡す限り,一体どこに方向を定めればここを切り抜けることができるのか?」
「そもそも自分は一体,何のために今ここにいるのか?」
しかし,しばらくしてふと,同じ頭の中でこんなシミュレーションもしてみた。
「この“空虚”な状況下で,ただ一人取り残されたら絶望的だ。だが,もしもここから切り抜けられる可能性があるとしたら,それは一体どのような仕方においてか?」
この問いにおいて,自分にとって絶対不可欠と実感するものが,大きく三つあった。
①キャラバン隊であるということ:【心のシャッター】
実は自分だけが苦しいのではない。皆たいてい辛かったはずだ。にもかかわらず,否,だからこそ,そこには労り合いや励まし合い,分かち合い(特に水!)が自然発生した。
やがて互いの心に動きが起こり,潤いが生じる。他人同士だった者が仲間となってゆく。そこに,先を目指すための燃料と何某かの風景が,胸の内に「切り撮られ」ていった。
②馬の存在~馬とのリズム:【人馬一体】
とはいえ,仲間の力だけで切り抜けられるほど甘くはない。何らかの術が必要である。そこであらためて,「馬」である。今ここに,途方に暮れる私と共にいる馬。その意味で,馬ははじめ私を目的地へと運んでくれる「道具」であった。しかし,自動ではない。故に手綱をしっかりと握り締め,馬を技術的に支配し,甘えさせることなく走らせるのだ。
ところが言うまでもなく,一方的な支配関係ではダメだ。馬にも体力や性格,そして心がある。こちらが縦になおも鞭打てば,そのうち馬にも限界が来る。反抗的にもなろう。だがそうかといって,そこで安易に無為に甘やかせすぎてもいけない。馬も人を見ている。いつの間にか,今度は自分が馬に支配されてしまう落とし穴と,隣り合わせなのだ。
この,支配か-被支配かの次元を超えて,馬をうまく乗りこなすというのは実に難しい。そしてキャラバン内でのこの見えざる孤独な葛藤…それは馬の数だけあったことだろう。しかしそれだけに,馬に乗るという動作には,異次元の奥深さがあるということでもある。
ところで今,「馬���乗るという動作」と言ったが,これは果たして,「人が,技術的に(うまく),馬に乗る」というだけの意味だろうか。ここで少し見方を変えれば,それは「馬が人を乗せる」,あるいはこれを,なお自らを主体として表現し直すなら,少なくとも,「馬に乗せてもらっている」という謙虚さが伴うはずの次元とも重なり合いはしないか。
馬との関わりの困難さ=奥深さが突きつけられた今,もはや私の側のvisionに沿った思惑だけで推し進めることはできない。それを相対視し,それを実現してくれるはずの馬の側の心情や呼吸に沿うこと,ひいては,馬の魂の域にまで触れ合うような私自身の息遣い,心遣いが求められるのではないか。馬は人を見ているのである。いみじくもここのところ、張氏は「なるべく馬は乗り換えず,一つの馬に乗り続けるように」と何度も強調し続けた。そしてそのことに忠実に成功した何人かの参加者の感慨は,実に豊かで,何かを見通せるほど透き通っていた。馬と格闘し,「変化」と「一体」をものにしたかれらの言葉は,心からの喜びそのものだった。馬との不可抗力的な相性の良し悪しを超え,時宜に叶ったタイミングや仕方で馬と呼吸を合わせ,「手綱」の意味を豊かにし,新たなリズムを生み出してゆくこと。この馬との共鳴,あるいはもはや,主体と客体が未分化した境地でまさに文字通り「馬が合う」こと。果たしてこれが,古より受け継がれてきた「人馬一体」の神髄に,幾ばくかでも迫るものとなるだろうか…。
③鐙(あぶみ):【足場の確保】
「人馬一体」への��足として、本能的に常に不可欠としていたものに,「足場感覚」がある。初めての乗馬。スピード感覚よりもバランス感覚に慣れない。死の恐怖がよぎる。そんな時,再び張氏の言葉で印象的だったのは,足場を担保する「鐙」への足のかけ方に関する助言だ。「足は鐙に深く入れない。いざという時,足が外れにくくかえって危険だから。けれども,
単に足を飾りのように「置く」とか「乗せる」というのでもない。踏ん張るのだ」。
この絶妙な言い回し。力みすぎず,油断もしすぎず。心身の安定を支える「足場」は,実際私にとっては何よりの拠り所だった。しかしそこには,‘絶妙なほど加減’なるものがあるようだ。おそらくそれは,馬と私との間の,身体的・精神的な関わりや呼吸において初めて独自に見出され得る,これ以上ない相応しい着地点としての足場感覚,ではないか。
短い時間で実際に得たものは僅かだが,感じるものはとてつもなく重厚で,大きかった。キャラバン半ば,私がほんの一瞬だけ,馬と共に颯爽と駆け巡っていると体感できたある場面を今思い起こすと,私はあの時,馬に「乗る」というよりは,馬に身を預けつつ「立つ」ていた。あるいはより比喩的に表現するなら,私はあの時,大地の上を,何かに導かれながらも,「親指感覚」程度に,自らの足で一歩ずつ踏み出していたようだ。
以上の三つを,砂漠上で,馬上で,考えていた。そして次第に,このシミュレーションとその前提は,自分のこれまで/これからの生き方とも重なってくる事柄のように思えてきた。「この砂漠上で抱く空虚感は,現実の己が既に抱いてきた心の風景ではないか?」
仕事と研究の両輪を回転させてきた自分。だがその二輪車は,いつしか,ある地点から先へと進むことができなくなっていた。思うにそこには,社会における比較や評価という,値踏みの巨大モノサシが立ちはだかり,自らもその既成の枠の中で「自分の力で,(結局は)自分の満足のために」突き進もうとし,一喜一憂しながら振り回されていた姿がある。
否,もしかしたら,そのはるか前から己の内に通底していたであろう,総じて言えば,これまでの「自己拡張」的な生き方が,今や完全に頭打ちとなり,自らをある一定以上に,大きく突き破らせることができなくなったばかりか,ただただ,孤立感と虚無感という,足場無き深淵の闇に突き落としてしまったのだとさえ言える。そしてこうした自己分裂,ひいては自己無化という結末の境地は,無味乾燥にしか映らずただ徒労感に打ちひしがれていた,「あの」砂漠上での心地にピタリと重なり合ってゆくのを禁じ得なかった。
根こそぎ足元をすくわれ,もはや拠って立つ足場が失われつつある危機にあってなお,何にも揺さぶられず,流され得ない確固たる基盤や自分自身の根本的あり方に飢え渇く日々。これ自体,私の中に「生きんとする志」が潜んでいることを示しているのだろうか。けれどもこの期に及んでは,よもや己の力になおもしがみつこうとする自己執着(我執),ましてや,己の生命やそこに隠された神秘の意味を徒に投げ捨ててしまうような自己放棄,といった極端なあり方に右往左往する愚かさには,もはや甘んじられまい。
…では,どうすればよいか?
それは,苦悩(渇望)をちゃんと「苦悩する」,ということに尽きるのではないか。新たな足場は,どこか他に予め用意されているのではなく,自らの態度のあり方においてこそ,その足元から自ずと築かれてゆくのではないか。そしてそのヒントは,あの「親指感覚」にある。力みすぎず,油断もしすぎず。自ら踏み込んで「立つ」(自力)感覚と,自らを超えるものに身を「任せる」(他力)感覚。自問自答でなく自己拡張でもない,この,ある種緊張を伴う絶妙なる呼応関係。こうして,空虚な深淵にあって「苦悩」はその足場となる。
ところで,「足場」とか「親指感覚」とは,そもそも「馬」の話から出たものだ。そしてその馬は,今や私を単に楽しませ,目的地へと運んでくれる道具のみではあり得ない。私自身の足場を常に問い,確保させた先に,私の夢や信念を叶えてくれる導き主である。否,「人馬一体」の域にあっては,既に馬は私の信念そのものであり,辿るべき道そのものだ。
今回の旅の舞台となったシルクロード,また草原と砂漠を分け隔てた天山山脈にしても,その厳しく壮大な自然条件に我々は幾度も驚嘆し,愕然とした。それまでに抱いていた,ある種のロマンティックな空想は,あの実像を前にしては音を立てて見事に崩れ去った。果てしないのである。とはいえ,我々は既にある程度備えられたコースを,主催者側の最善の配慮のもと安全に導かれていた。その意味で,旅ではあったが真の冒険ではなかった。しかし思うに,この地に初めて足を踏み入れた先代達は,いかにしてあの大地を駆け抜け,あの山々を越えて行けたのであろうか。予め用意された道など無かったはずだ。おそらく,孤独を分かち合う同志と共に描いて切り撮った希望や物語を胸に,まさに未だ知られざる「未知(みち)」なる地平を切り開いていった跡に,自ずと「道(みち)」はできたのだろう。「人馬一体」となって突き抜けたであろう,その真の冒険精神は,今回の旅から響いたメッセージであり,来るべき自らの人生の冒険に向けて,かけがえのない贈りものとなった。
「親指感覚」を起点とした乗馬奮闘記,自己探訪記,歴史追随記,未来設計図…なんとGreatなCaravanだったことか!そして今,確かな手応えとして感じている自由。現実のしがらみに束縛されつつも,真に束縛され得ない境地としての自由。かつまた真に現実へと立ち向かってゆく自由なる冒険心。この旅は非日常ではありながら,しかし,現実逃避した幻や夢物語ではない。冒険という名の私の人生そのものとして,風景を変えてこれからも続いていくのだ。
この旅を導いてくれた人、張宇氏に感謝。
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「〜過去への回帰 そして未来へ〜
奔流中国グレートキャラバンに参加して」
自分自身にとって「グレートキャラバン」の旅に参加するということは
まずは、「過去への回帰」でもあったかもしれません。
2011年5月6日。
私はこの日に大切なものをなくしました。
人生がちょっと複雑になってしまった瞬間。
「生きる」ことがちょっとめんどうくさくなってしまいました。
「記憶を消せるなら消してしまいたい。忘れよう。忘れよう。」
一方、「忘れたい記憶があるから忘れた記憶を取り戻したい。」
そんな欲求にかられていました。
2011年6月23日。
そんな中、14年前、まだ大学2年生だったころ、
奔流のシルクロードの旅で出会った張さんをはじめとする仲間と再会。
14年前と変わらない、でもちょっと大人になった人たちの笑顔。
忘れていたものをまず1つ取り戻した瞬間がありました。
そして、聞かされた、「グレートキャラバン」という旅のこと。
「馬で旅をする」しかも
「かつて商人たちがアジア、ヨーロッパ間を馬で走っていたであろうシルクロードを馬で駆け抜ける」
「この21世紀になんておかしな旅なんだろう」
「張さんってば最高じゃん!」
私にはちょっとした非日常が必要だったみたいです。仕事の都合をつけて参加することにしました。
そして、記憶にケリをつけるためにあることをしようと、心に誓いました。
2011年9月18日。
トルファンで合流したら、電車の中から出てくる出てくる
たくさんの学生さんたち。
14年前の記憶が一瞬で戻りました。
「おーこの感じこの感じ。19歳のときは、とにかくなにもかも新鮮ではしゃいでいたっけ」
19歳のときに初めて参加した奔流は、その後の私の人生の大きな起爆剤になりました。「あこがれの中国に初めて行けた。しかもあこがれのシルクロード。」
その後、私の学生生活といえばさらに西へ西へ。中国の隣の国、そしてまた隣の国。シルクロードをひたすら旅して、思春期をすごしたヨーロッパへ。
そこで出会った、宗教にからむ紛争、でもその状況下でも笑顔を絶やさない人々。
「この人々のことを伝えたい。」
忘れていたもの、2つめを取り戻した瞬間。
さすがに33歳になった今、あのころみたいにはしゃぐことはできなくなっていましたけど。。。心の中でちょっと興奮状態。
2011年9月19日。
さて、興奮状態さめやらぬままバインブルグ草原で出会った
額には白い三日月の模様、そして背中につむじのあるステキな馬、
つむじちゃん。つむじちゃんは兄弟の馬とつねに寄り添っていました。
もう一目惚れ。なんてかわいいんだろう。
「運動神経ないけど乗れるのかな」
そんな恐怖、不安はなんのその。気づいたら草原を駆け抜けていました。
つむじちゃんの走るときの体温、息づかい、汗、、、
そしてちょっと張り切りすぎて自分一頭だけになってしまったとき、
兄弟を探している不安げな表情、いななき、そわそわとしている足取り。
最初は顔を近づけても全然そっぽをむいてしまうつむじちゃん。
でも1日、1日しつこくつむじちゃんを探しては乗っているうちに、そして私も兄弟を探して常に寄り添っているうちに、家族みたいな気分。最後は顔を近づけてくれました。
「かけがいのない存在」「家族」「寄り添う」「体温」「息をするということ」
「生きる」「生きている」「必死で生きて行く��
つむじちゃんにとっての「日常」。
つむじちゃんから学んだちょっとしたこと。
一方、草原は人間を寄せ付けない圧倒的な美しさと厳しさが容赦ない。
圧倒的な静寂。圧倒的な朝日そして夕日。圧倒的な星空。圧倒的な寒さ。
でも、そこに住んでいる人々、そして馬たちにとってはこれが「日常」。
私なんか1人でいたら一晩で死んでしまう。私にとっては「非日常」。
ある日見た、草原のさきにそびえる雪をかぶった山脈。南の方角。
そのさきにかつて訪れたチベットが。。。
「ここにはなにもない」
「でもすべてがある」
忘れていたも���、3つめを取り戻した瞬間。
その瞬間、悪夢のような記憶にケリをつけるのをやめました。
一生私はこの記憶とともに生きて行く。
そしてまたここへ戻ってくる。
そして帰国後、東京である日。こんなことを感じました。
店がオープンする30分前の街のざわめきが好き。いつものざわざわ。
いつものデスクまわりのざわつきが好き。
いつものざわざわ。
日常に感謝。
日常がそこにあるから、生きていく。なんのために生きてるのかわからなくなったなんて考えちゃダメだ。
日常をこなすのが生きて行くことなんだ。
これが私にとっての日常。
そしてちょっとした非日常、奔流にありがとう。
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備忘録
大学2年生の4月、偶然youtubeで西安からウズベキスタンを旅した方のスライドショーを見た。炎のような火焔山、キルギスの石人、サマルカンドの青いモスク・・世界にこのような美しい場所があることを初めて知った。中国には青い目を持つ人々が住んでいることを知り衝撃を受けた。私の中国とシルクロードへの憧れはこのとき初めて生まれた。
私は観光目的でグレート・キャラバンに参加してしまった。そのためがっかりさせられることも多かった。寝台列車の遅延や馬の到着が遅れたせいか、楽しみだったベゼクリク千仏洞や羊さらいを見ることができなかった。このことは今でも心残りだ。
しかしあるとき、私は間違っていることに気付いた。
~シルクロードの旅は観光ではない~
シルクロードという言葉は美しい響きがあるが、私の見たシルクロードはそうでなかった。草原の昼は汗をかくほど暑くなるが、朝は霜が降りるほど寒かった。映像で見た美しい天山山脈も、実際登ると吹雪と霧で前が見えなかった。横を見るとそこはもう崖だった。 シルクロードには多くの国が現れては消えた。多くの血も流れた。旅人も盗賊に襲われることもあっただろう。この旅でシルクロードはデスロードであることを悟った。
それでも古来の旅人は死ぬ覚悟でシルクロードを旅した。何故なら彼らには命をかけても成し遂げなければならない使命があったからだ。
ローマ帝国を目指しシリアまで辿り着いた後漢の甘英
仏教の経典を求めインドへ向かった三蔵法師
莫大な富を求めフビライ・ハンの元へ向かったヴェネツィアのマルコ・ポーロ
この他にも多くの旅人がシルクロードを歩いた。勿論、志半ばで倒れた名もなき旅人も大勢いるだろう。シルクロードを旅するというのは、観光などという甘い気持ちで旅してはいけないのだ。砂漠越えでの喉の渇きと腹痛が、私に教えてくれた。
馬は現代では娯楽のための生き物だが、古の時代はそうでなかった。カザフ人の遊牧民スタッフと相撲を取ったが、相手は屈強な体で私は勝つことが出来なかった。モンゴル人と握手した時、彼らの手の皮がとても厚いことに気付いた。寒暖の激しい草原に住んでいるからだろうか。遊牧民スタッフは皆人懐っこかったが、彼らには勇敢な騎馬民族の血が流れている。火器や戦艦が登場するまで、騎馬民族は世界最強の戦士だった。高速移動しながら矢を浴びせ、高い場所から敵を切り裂く。敵の反撃が始まる前に瞬時に離脱する。馬を操れるというのは、今でいえば戦車や戦闘機を操れるようなものなのだろう。騎馬民族が歴代の中国王朝を苦しめ、ヨーロッパまで攻め上がりユーラシア大陸を支配できたのも何となく理解できた。
~奔流中国~
奔流中国最大の存在意義は、自分の道を自分で創り切り開く人材を世に送り出している点だと思う。大学を長年留年したり、定職につかず、会社を退職し留学へしたり・・張さんや奔流の先輩方を見てみると、社会の枠組みにはとらわれない人が大勢いて驚かされる。先輩方の表情はとても明るく、今の自分に後悔しているという感じは見られない。
彼らは中国の雄大な大地を知ることで、そしてシルクロードを旅することで気付いたのだろうか。
道無き道を旅したシルクロードの旅人のように自らの人生の道を創り全力で駆け抜け、そして歴史に名を残すような偉業を成し遂げる素晴らしさを。
奔流が教えてくれる、我々は確かにシルクロードを旅したのだ。
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昔から女性のハイヒールのコツコツという音が好きだった。
朝の通勤ラッシュ時の渋谷駅で、私は無限の行軍に耳を傾ける。
何故この音は心地よく体に響くのだろう。
今日、前を颯爽とゆく女性の足音を聴きながら、もしかして、と思い当たる節があった。
これは、馬のひづめの音に聞こえはしないか。
面白いことに、音だけでなくそのリズムまで、女性と馬のそれは同じに思えるのだ。流石に人にはギャロップは出来ないだろうけど。
何人ものOLが行き交うコンコースで目を閉じると、大都会でキャラバンしているように感じる。
一方でそう思うと、競うように高いヒールを履き合う女性たちが少し滑稽に思えるのだった。
東京でのキャラバンは、灰色の天井と疲れた二酸化炭素ばかりだ。
エスカレーターは一定の速度で人を運んでいく。
私は朝だからご飯を食べ、昼だからご飯を食べ、夜だからご飯を食べ、そして25時を過ぎたので眠りにつく。
私は日々螺旋階段を一定の速度で登ってゆく。
あの旅は違った。
無秩序という秩序。
例えばゴビ砂漠へ向かう道中。天山山脈越え。
身体が「ここは知らない」「ここは知らない」と呟いている。
髪もゴワゴワ。服も4日間同じ。それでも生きてる。
痛む背中と凍てつく寒さに震える。それでも眠りにつく。
お腹がすいたからご飯を食べる。身体が砂だらけだからシャワーを浴びる。
私はそんな環境の中で、飽きのきていた自分という存在を変えたかった。
変わらないことを恐れた。
しかし、そうしたある種の極限状態の中で私が気づいたことは、私は絶対に変われないということだった。
私はどんな場所にあっても、私として生きなければならない。
空っぽのままだ。
それでも、草原のただ中で、星空を見上げつつ、死にたい?と問いかけると、まだいい、と答える声がある。同時に、でも、死んでもいい、という声も。
それが「生きる」ということだと思った。
プランに沿って、完結しない限りは不満足な人生ではなく、一瞬一瞬をスライスしたときに、それだけでいいと思えるような。
何より、張さん、遊牧民の人たち、そして80人の素敵な仲間に出会えたことに感謝感謝。
愛している、
そう思えた旅だった。
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私は旅が好きだ.でも,旅にトラブルは必ずといってついてまわって,でもそのトラブルからの産物も必ずといっていいほどある.極論を言えば,私はそれが楽しくて毎回旅に出ているのかもしれない.
今回だってそうだった.馬運車が速いスピードで走れないこと,草原には鍵付きの厩舎があるわけではないこと,天候,移動中の諸問題.60人規模の団体旅行と聞いただけでも十分トラブル要素は満載なのに,それに生き物である馬が旅に付随した時,例えば馬が予定通りにこないことも,馬が夜逃げ出すことも,裕に想定の範囲内だった.
草原や砂漠での生活と,衣食住の充実が当たり前な日本での生活を比べた時,草原や砂漠でのそれは,私たちにとって決して豪勢で満足いくものとは言えなかったかもしれない.けれど皆,毎食のご飯の時,ぬるいミネラルウォーターを飲む時,腹の底から「ありがてーー」「うめーーー」と迸るような声をあげていた.極寒の中,明らかに人数と面積があっていない狭いゲルの中で「足を伸ばして眠れることって本当に幸せだよね」と話す声が聞こえた.薪ともいえぬ木々を自ら集めて火を焚いて,ギター片手に仲間たちとただ声を合わせる,それだけのことを皆すごく幸せとしていた.
何時間も草原で待ったからこそ,ご飯を何倍も美味しく感じることができたのではないか.仲間のことをより深く知ることができ,また,このようにトラブルに対する自分の反応を通してより一層の自己覚知ができたのではないか.もし日本で,大都会東京で,同じことを体験したならば,一瞬でも心底“幸せだ”“満たされている”と考えることができる人は何人いたのだろうと,そんなことを何度も考えた.
キャラバン中,馬を乗り替わった時に現地スタッフに「その馬はもう走らせないで」と言われた時があった.馬の疲労は明らかで,出来ることならすぐさま降りて休ませてあげたかった.けれど,「馬で旅をする」このキャラバンでは,休ませては,馬も人も目的地には辿り着くことはできない.馬をどう操つるかも,どの道を選ぶかも全ては乗り手次第なのだ.放牧中に馬が逃げて,皆より少し遅れて出発した日があった.常に仲間の群れが視界の中にいたこれまでとは異なり,見渡す限りの砂漠に現地スタッフ2人と私��けしかおらず,この時ばかりはまるで自分たちで道を切り開いているかのようだった.馬と自分たちだけしかいないこの状況で,馬を信じることは言うまでもなかった.馬に“乗せてもらう”のではなく,“共に歩む”感覚を覚えた.普段から馬に敬意をもって接しているが,この時ほど馬に感謝したことはない.
キャラバン中は,馬上で見える世界が多くあったように,地上にいなければ見えない世界もまた多くあった.キャラバン最後の2日間,私は仲間よりも馬に乗る時間が少なかった.馬に乗らずにいた間,私が目にしたものはゲルを手際よく片づけ,私たちの荷物をトラックに積んで何往復もしながら次の場所に運んでくれているスタッフの姿と,60人分の食事をたった2人で作るスタッフの姿だった.主催者をはじめとする見えないところでうごいてくれている多くの人の支えがあったからこそ,私たちは,「馬で旅をする」ことが実現できたのではないのだろうか.毎日気付いた時には,ご飯もゲルも荷物も私たちの目の前にある状況.「馬で旅をする」上では決して当たり前なことではないはずなのに,その状況を私たちは勝手に当たり前と捉え,甘んじていた人も少なくないのではないか.参加者のうち何人が,この“当たり前”と思わせる環境をつくってくれていた人々に,直接感謝を伝えていただろうか.私だってきっと十分にはできていない.
これまでのキャラバンで得たものとは明らかに違う今回3回目の参加.これまで同様,あの広大な大地を馬で駆けることができることに激しい興奮と達成感を覚えたのはもちろんで,3回目の参加にして,初めて「馬で旅をする」という実感が掴めたのも事実だ.しかし今回私が「馬で旅をする」ことで得たことは,自分自身の乗馬の技術上達でも,馬で駆けたいという自分の欲への満たしでもなかった.改めて自分は周りの人々に支えられて初めて生かされているのだということ,五感を奮い立たせながら生きるという困難さと大事さ,そして何より,自分の跨っている馬を,横で一緒に駆けている馬を,一緒に参加している仲間を,そして自分自身を思いやることを自然と意識することができたことだった.それは目にみえた収穫ではなかったが,きっと自分にとっては何よりも大きな収穫だったと考えている.
10日間,喉も身体もカラカラだったけれど,心だけはずっと満たされていた.もしかしたら日本にいる時の私は,喉も身体も全て満たされているけれど,心だけどこか満たされきれていないのかもしれない.
今年も奔流を提供してくれた張さんに、ありがとう!
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旅をする時は、いつも日記をつける。本当は家を拠点に生活している時も毎日つけたいのだが、そうはいかないのは私の怠惰によるものか。けれども、もう少し考えると本当の理由はそこにはなくて、どうやら思考に終着点を求めているか否かの違いらしい。普段の生活では頃愛を見計らって考えることをやめて、ひょっとすると次の日か、はたまた何カ月も先にその続きを始めることが少なくない。それでいいと思っているので、いつも思考の気まぐれに身を任せる。対して非日常の世界では少しだけ意図的に自分の脳みそを支配する。光をあてたい側面を意識して、そこがはっきりと見えてくることを目標に旅の毎日を過ごす。留学であれ、旅行であれ、一人旅であれ、全て同じ。ここを消化したい、これが何なのか知りたい、等、自分の中に何かしらのテーマを掲げて出かけるようにしている。だから、日記をつける。文字に起こさないと無意識のうちに考えることを放棄して、残された曖昧なものは全て美化されていくから。何かを見聞きし、感じ、考え、文字に起こし、そしてありのままを留めておくのが、私なりの旅の味わい方である。
およそ三分の一を前置きに費やしてしまったが、私にとってのこの旅のテーマは「リベンジ」であった。そして、それを達成できたことによる深い安堵が旅の記憶の多くを占めている。この文章を書くにあたり、17日間の日記を読み返した。そこには驚きから喜び、それからちょっとした不満や焦りの気持ちまで、今読むとむずがゆく感じるような表現が並んでいた。ただ、そこには一貫した安堵の念があった。
リベンジには大きく分けて二つの意味があった。一つは乗馬に対して、もう一つは自分に対してのリベンジである。前者は至って単純である。昨年乗馬キャラバンに参加した際、馬に乗せられている感覚を拭えないまま帰国したのが悔しかった。もう一度馬に乗り、今度こそ「私が」操って草原を駆けたいと思った。その思いをぶつけに今回の企画に参加して、自分の意思で手綱を引き、膝で胴をしめ、草原を走る感覚を知ることができた。
後者については少し説明を要する。私は何度か短期留学を経験したり複数のサークルや団体に所属したりと、顔を出すコミュニティが比較的多い。そのどれにも愛着があり、活動中か否かに関わらず、たとえ細くとも末長い繋がりを持っていきたいと思っている。しかし前回参加したキャラバンは例外的にそう思うことができなかった。理由は「当時の自分が苦手だから」。背景は色々あるのだが、要は全く自分らしさを出せなかったため、メンバーに再会して当時の自分を思い出すのを避けていたのである。もう一度奔流に参加して、この煮え切らない思いを拭い去りたかった。そして、それは意外なほど簡単に達成された。この17日間は細かいこと抜きに本当に全力で楽しかったし、帰国後の自分は驚くほど身軽で、前回のメンバーとも約1年振りに気持ち良く会うことができた。あの馬が、大地が、空気が、食物が、星空が、仲間が、そして少し変化した自分がこれを叶えてくれた。
主催者が意図しているものはもっと違うところにあるのだろう。けれども、今回の旅は私にとって間違いなく克服を意味していた。「理由」というものは、自分の中に見出し、向き合い、そして乗り越えうるものだということ。自分は今までそうやって生きてきたし、きっとこれからも同じように生きていくのだということを教えてくれた旅だった。
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幼い頃から他人の目が怖かった。いつだって「いい子」「いい人」で居たくて。自分がどんな風に思われているかばかりが気になって仕方がなかった。100点を取って褒められたいから勉強した。そのまま大学に入り、訳も分からず履歴書を書いて就活に失敗した。自分の中に誇れるものが何一つ無いと、漸く気が付いて愕然とした。そして私は大学を出させて貰っただけの社会不適合者になった。
中身がない。それを取り繕うための建前が日々増えていく。隣の芝が青く見えても「あれはああいう品種だから」と、常に心が壁を作る。でも本当はそうじゃない。隣人の庭が輝いて見えるのは、彼らがそれに見合う努力をしたからだと知っている。比べて私は何もしていない。自業自得だ。わかりきっていた。独り言が増えた。ちくしょう、こんなんじゃないのに。ちくしょう。本当は、本当はこんなんじゃないのに。
…じゃあその「本当」は、どこにあるのか。
1年前。内モンゴルの大草原で見た景色が心に浮かんだ。そして、旅に出ることを決めた。
旅の間私は、心に一切の嘘を吐かないことを自身に課した。くだらない自尊心に塗れ、奥底で眠ってしまった自分の感情を取り戻さなければならない。
誰からも嫌われたっていい。いい人なんて思ってくれなくていい。
自分の心のままに、生きていける場所に行きたかった。
蒙古馬に乗るということは、魂と会話することだ。
膝に力を入れ、馬のリズムに乗る。鞍や鐙の金具が当たっていても、痛みに気を取られれば落馬する。躊躇なく手綱を引ける意志と腕力がなければ馬を走らせることはできない。そこでの優しさとは、厳しさとほぼ同義語だ。生きようとする力が闘争心を生む。妬みや怒りを乗り越えた先に思いやりや協調性がある。
物言わぬ魂に触れていると、自分の心の動きが見えてくる。全ての感情が生まれ、消える瞬間が手に取るようにわかる。苦痛や寂しさ、憤りを感じている時ですら心が満たされていた。叫びたい時に叫び、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣く。そんな当たり前の行動がどんなに幸福だったことだろう。
ヒトは一個の受精卵から胎児に至るまでに母親の子宮の中で進化の過程を辿る。有性生殖を始めた原始生物から今に至るすべての歴史が、私たちのDNAには流れているという。
人間を野生動物と同じく考える場合、その寿命は約30年とも言われるらしい。
私の動物としての生が終わるまであと7年。
人間としての生を授かる前に用意された準備期間のうちに、私はどれだけ本能を研ぎ澄ますことが出来るだろうか。
さあ360度。「本当」を探しに。どこへ向かって走ろう。
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「しぜんと」
中央にそびえる白亜の城、回るメリーゴーランド、人々の笑顔。キラキラと輝く遊園地は、幼い私を異世界に誘ってくれる唯一の空間で、大きくなってからも暫く憧れを抱きつづけていた。しかし、旅を終えて久しぶりにその遊園地に遊びに行くと、何か違和感を覚えた。以前感じていた面白みを実感できなかった。乗り物に乗るための長蛇の列に並びながら思い描いていたのは、砂埃の中で馬を走らせていた私自身の感覚だった。
キャラバンの旅は自分の体ひとつで、異世界に飛び込んだようなものであった。視界の限り何処までも続く草原、ゴビ砂漠そして澄み切った空。耳には馬の駆ける音と風を切る音、遊牧民の声。馬の振動や体温、目に入る流砂、降り注ぐ日光。この旅では常に自分の五感と体で、世界と向かいあっていた。
だからこそ、良いことばかりではなかった。様々なことがあったが特に印象に残っ��いるのは、速馬に乗ったときにバランスが上手く取ることが出来ず、尾骶骨周辺が裂けて出血したことだ。乗馬の最中には傷と鞍が擦れ痛む一方で馬を降りる訳にもいかず、その苦行に奥歯を噛み締めながら乗り続けた。馬は大変不便であり、車もバイクもあるこの近代に文明に逆行してまで馬での移動をする、この旅への参加を何故決心したのか自分でも分からなくなっていた。
次の日、傷休めをするため遊牧民の車で移動をすることになり、快適な車内で私は車が如何に優れているか理解した。車は運転手に従順であるし、基本的に運転の際の運転手の負担はそれほど無い上、快適である。そのように車を賛美していた時、私の乗っていた車が皆のキャラバン隊の横を追い越した。その時の車窓の光景は今でも目に焼きついている。広大な空と大地を背景に馬を駆けさせている、みんな。そのあまりの躍動感や美しさに、見知ったはずのみんなが知らない人の様に見えた。その時に私は、あの集団の一部に私も入りたいとぼんやりと思った。キャラバンは一人ではなくて、他の仲間が居て成り立つ隊列だ。自然が相手の過酷な旅路を仲間と支えあって、目的の地へ向かう。このグレートキャラバンはその様なキャラバン隊を体験できる機会で、そんな掛け替えのない経験を積みに私は参加したのを思い出した。そう考えると尾骶骨の怪我も此処でしか体験できない貴重な事柄のように感じ、遊牧民の人と一頻笑い種にしながら次の日からまたキャラバンに再参加する決意をしていった。
あの場所で起きたことは全て自分の身に直結していた。だから、こんなに生活環境の整った日本に帰ってきても、瞼を閉じれば不便で過酷であったあの旅がしぜんと思い出されて仕方ないのだ。愛している、と言える人たちに出会い、自然と己の身ひとつで向かい合う旅なんて滅多に体験できない。この旅で様々な事象に出会って、私は一回り成長した。そう確信している。
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奔流の旅で私が得たものは、乗馬体験、見知らぬ土地の旅、それらを差し置いて人々とのつながりだ。
私は無類の漫画好きである。にも拘らずアウトドア大好きな人間である。そんな裏表な人間は少数派なのではないかと思っていたが、参加初日にしてその考えが間違っていたことに気づいた。参加者の多くが漫画などに理解があったり、美術や音楽が好きだったり、文化を愛する方達で、そうした、普段から夢や理想を描いている人達だからこそ旅に惹かれる傾向があるのかもしれない、などと根拠のない考察をしてしまった位だ。日本では普段、「漫画好きなオタクキャラ」として生き、またそうした自己を過度に演出するばかりな自分は、ここに来てその云わばアイデンティティのようなものを剥奪されてしまったわけである。そんなもの普通じゃないか、と。それよりもお前の本質は何だ、と。旅の間、同行していたモンゴル遊牧民の一人が、ゴビ砂漠キャラバンの休憩中に、砂で自分に似せた埴輪のような人型を作っているのを手伝った。「これ、貴方?」と身振りで聞くと、さぁ、分からない、と言われた。ただ作っているだけ。自分かもしれないし、誰でもないかもしれない。私もそのようなものなのだろう。だだっ広い砂漠に棒人間一人書いて、これが私です、と定義すれば、それが私になる。わけもなく。
変な話だが、私は私としてではなく、定義されない一個体として、参加者や現地で出会った皆と関われたように思う。
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中国はでっかい!世界はもっとでっかい!!
もともと、夏休みには海外旅行に行くつもりでいた。旅行会社のパンフレットを物色していたある日、学校でポスターを見かけたのが奔流中国との出会いだった。観光地を巡るだけのツアーなら爺さんになっても行ける。どうせなら今しか行けないようなツアーに参加したい。そう思って、奔流中国、その中でも特に異彩を放っている馬の旅、キャラバンへの参加を決めた。
今回の旅のメインイベントは、シルクロードでの乗馬キャラバンだ。世界一の大陸、ユーラシアを西から東へ横断するシルクロード。古代の人々の冒険心が切り拓いたこの道を馬で駆け抜ける、というロマン溢れる旅なのだ。
このように書くと何だか格好いいが、キャラバンの間は、普段とは比べ物にならないほど辛いことが多かった。日差しが強いのに夜は凍えるくらい寒い。馬はなかなか思い通りに進んでくれない。体中の関節が痛くなる。パンフレットに「旅に慣れている人だけ参加してください」というようなことが書いてあるだけのことはあった。正直、最初はここまでとは思っていなかった。シルクロードの開拓者たちも、これと同じような、いや、それ以上の困難を味わったことだろう。
それでも、キャラバン最終日の本当に最後だけだったが、馬を完全に乗りこなせたような気がした。馬の走るリズム、呼吸の音、風の匂い、全てが混ざり合って、不思議な感覚を覚えた。もしかしたらこれが、張さんの言っていた「馬との一体化」の入り口だったのかもしれない。この一瞬があっただけで、辛かったことも全て楽しい思い出に変わってしまうほどだった。
キャラバンを通して、分かったことがある。現地の空気は現地でしか味わえない。草原の風景を作っているのは、テレビや写真でもわかる要素だけではなかった。音、風、気温、匂い、時間、景色の移り変わり、全て合わせて一つの草原が出来上がっている。世界はでっかい。このような場所、このような体験が世界のあちこちにまだまだ眠っていると思うと、ワクワクしてきませんか?
これからもたくさん、あまり人の行かないような所へ行き、誰もやったことのないようなことがしたい。ただ、その原点として、奔流中国は一生忘れないだろうな、と思う。張さん、ありがとう!
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・馬、自由
旅から帰った。
バックパックを広げると、舞い上がる砂埃とともに、旅から持ち帰った様々なモノ��溢れ出た。
くたびれた乗馬ブーツ。
何かの骨。
石。
この旅に彩りを添えた、形あるモノ達は
今は家の片隅で少し居心地悪そうにしながら、日常に溶け込もうとしている。
帰国から少し時が経ち、この旅を形に残す機会に恵まれた。
そして、気づく。バックパックでは持ち帰れない、形のないものを持ち帰ってきたことに。
今やっと、おぼろげながらそいつの輪郭が見えてきている。
2010年、夏。
カラダは痛むし、馬は言うことを聞かない。不自由しか感じなかった、初めての乗馬キャラバン。
何もしなくても勝手に群れの先頭を走る馬。周りが言うほど実は楽しくなかった、馬の旅。
見渡せば歩く気すら起きないほどだだっ広いモンゴルの大草原で
もし馬がいなければ、と思うと途端に突きつけられる、人間のちっぽけさ。
いつ暴走し出すかわからないこの馬に頼るしか、此処で生きる術はないと知った時、覚悟は出来た。
そして、知った。
勇気を出して前に進む、ということ。
命をかけて手綱を握る、ということ。
切り裂く風の中で聞いた「生きたければ、前へ進め」
まさに人生のように。
いや、そこには23年間のどんな場面よりも、はっきりとした輪郭をもって迫ってくる「実感」があった。
持ち帰ったものは、大きかった。
2011年、夏。
「グレートキャラバン」というものがあるのは知っていた。
それが復活すると聞いた時、震えた。
ここに挑戦の場がある、と思った。
今度こそ、「自らの意志」によって馬で駆けよう。
願わくば、人馬一体の境地まで。
「自由」を得るために流す血を、今度こそ厭わない。
「本当に馬で駆けるという事を知る旅に出よう。」そう、決めた。
そして、何を思うか。
今度はどんなものを持ち帰れるか。
天山山脈麓。古の隊商路。草原というより、高原。
ここにいる意味を問う。
正直に答える。
行く手を遮る馬の群れ
群れの先頭から出ようとするのを制止する声
すべてが、ひどく邪魔だった。
それらを全て蹴散らして、地上の流れ星になりたかった。
とことん、我儘になってやろうと決めていた。
それは、「自分の意志」で「全力」で駆けることでしか、ここにいる意味を確かめられなかったから。
真摯に、馬と、自分と、向き合うためにとった不器用な手段だった。
ある方法を知った。
手綱をギリギリと引き続け、群れの後方に下がり距離をとる。
駆けるのに十分な距離ができたら、手綱を一気に緩める。それがGOサイン。
一瞬で空間が縮んでいく。
キャラバン隊で進む限り、駆け足で存分に駆けるには、この方法しかなかった。
勢い余って前方の群れに突っ込んで、ひんしゅくをかうこともあった。一向に構わなかった。
ふと周りをみると、同じようにのろのろと後ろに下がる奴らがいる。
自由に駆ける味をしめ、よからぬことを企んでいる目をした、迷惑な奴ら。
なぜか、嬉しくなった。
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自由。
その言葉の意味するところ、考えてみたことはありますか。
本当の自由を、感じようとしたことはありますか。
70人が東を向いても、おれは西へはなむける。
70人が早足なら、おれは駆け足を。
別に、人と違うことしたからって、自由でいるとは少しも思わない。
でも、人と違うことするときってのは、それなりの覚悟がいる。
それだけの力がいる。
帰国後、参加者の一人が馬について語っていた。
馬に乗りながら、他の参加者の安全に気を配っているという。
鞍を縛る紐が緩んでいないか。鐙に足を深く突っ込みすぎてないか。
金網などの障害物が無いか。地面にでかい穴はあいてないか。見つけたら、即座に周りに伝える。
それは、ただの優しさから来るお節介じゃない。単なるコミュニケー��ョンの手段じゃない。
馬が好きで、自分の意志で共に駆けたくて、血を流しながらやっと得た、力。そして、自由。
そいつは、やっと得たそれを、自分ではなく他人のために使えるやつだった。
力と自由に裏打ちされた、本当に人のためになることだった。
「お前とは格が違うんだよ」と冗談っぽく言うけれど、それは本当かもしれないと思った。
歩く度、今でも違和感を覚える右の足首。
握ると、少しだけ厚みが増した気がする手の平。
それに対し、確実に厚みが増した尻の皮。
自由に駆けたくて足掻いた跡。
自由が拠って立つものは、いたるところに刻まれていると気づいた。
強烈な、願いや切望。
手を伸ばし、足掻き、追い求める、何か。
そこに感じる、力の無さ。
不自由の塊である自分を自覚した時、血を流す覚悟はできる。
ワレモノ注意の五体を、馬に完全に委ねる決心ができる。
わかりきった事、なんかじゃない。
心からほんとに何か為したいと思わないと、自分を縛る鎖はそもそも見えない。
不自由を自覚する機会は生まれない。
おれはそれを、馬から教わった。カラダに叩き込まれた。
頭じゃなくて、心で感じた。
そうして手が届く、自由のかけら。
もしも、あなたが馬で自由に駆けたいと思うなら
おれは、絶対に追いつけないと思わせるスピードで後ろから抜き去ってやります。
「追いついてこい」と笑顔の中ギラついた眼をして訴えます。
あなたの不自由さを、わからせます。
この四肢を賭けるに値する何かを、背中で示します。
馬と人を隔てる境界線が溶けてなくなる、この何物にも替え難い喜びを、全力で見せてやります。
今までただ目の前の行く手しか見ていなかったこの視界を、少しだけ左右に広げて。
それがおれにできる精一杯の伝え方。
次に草原に帰ってくるときは
「馬で自由に駆ける喜びを知ってもらう旅に出よう。」そう、決めた。
旅から帰った。
心の中を覗くと、もう一人の自分が真っ直ぐにこちらを見ていた。
問うている。
この旅は、何だったのか。
狂乱のあとに、残るものは何か、と。
これは、答えのない問いに答え続ける、心の中の、もう一つの旅。
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これから・・・。
嫌で嫌で仕方なかった。
日本に帰りたくて帰りたくて仕方なかった。
一刻も早く故郷の地を踏みたくて毎日イライラだけが募っていった。
退屈で平凡な大学生活に嫌気がさし、少し別の世界を見てみたいと思っていたころに
見つけた「馬と旅する 奔流中国」のポスター。
このキャッチフレーズに引かれて参加する人たちはきっと変わっているに違いない。
私のこの平凡な毎日に刺激を与えてくれるだろう。
深くは考えずに勢いで思い申し込んだ。
旅が始まってみるとこれまでに受けた事の無いような衝撃の連続だった。
リアルを見ていない人に説明する事もままならない衝撃を受けつづけた。
参加者の皆が皆、「我」をはっきりと意識してた。
自分の中では今まで20年間それなりに色々な経験をしてきたと思っていた。
いじめ、中学受験、登校拒否、起業、不登校、高校中退、海外生活、大学受験。
けれどここではそのどれもが意味をなさなかった。
肩書きは関係ない。過去も関係ない。あるのはただ「今」だけ。恐怖だった。
その仲間達と見た中国は偉大だった。
経済発展のまっただ中、上海の町は「希望と自信」に満ちていた。
そして、内地では雄大な自然に人間の小ささを感じさせられた。
山や湖、人間の手が加えられていない自然に久しぶりに出会った。
乗馬に関しては私は何も述べる事が無い。
ただ馬達には「おつかれさまでした。」その一言を送りたい。
この旅の最中「馬の気持ち」というのを考え続けた。
けれども途中で見えなくなってしまった。私に気持ちの余裕がなくなったから。
自分の小ささに気がつかされた旅だった。
精神的にも肉体的にも限界を超えていた。
自信という自信は打ち砕かれ、
私はいったい何のために生きているのかと考える日々が始まった。
これから先私はどの道をどのように歩いていけばいいのだろう。
「参加するんじゃなかった。」それが私の感想。
ただ、この今感じている孤独と苦しみとむなしささえ乗り越えれば
この旅に参加した意義が手に入り、実りのある人生が待っているのではないか。
そのように感じる。日本に帰ってきた今、私がすべきことはなんなのだろうか。
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もともと私はモンゴルとか中国の歴史とか、そういった文化的な類のものには詳しくなくて、 今回奔流中国グレートキャラバンに参加したのも、単純に大草原で馬に乗ってみたかったからだった。
でも草原や砂漠を延々と馬で走っている時に、少しシルクロードに想いを巡らせてみた。そこで、初めてシルクロードを渡った人たちは、もっと遠くのものを見てみたい、何があるのか知りたいという単なる好奇心から、あの長い長い道のりを越えて行ったのかなと、ふと考えた。 道なんてないから迷うかもしれないし、馬はいつ死ぬか分からないし、下手すれば自分だって死んじゃうかもしれない。そんなリスクを負ってまで、好奇心の赴くままにシルクロードを行く。正直最初は、命を賭ける必要なんてあるのかって思った。だって死にたくないもん。でもさ、実際自分が大草原と砂漠を馬で走っていると、もっと遠くに行きたいって思っちゃうらしい。 乗馬2日目のこと。「この先は岩場で危ないし、何時間かかるか分からない。遊牧民も進むことを反対している。もし落馬しても助けてくれるジープはない。そんな道を行きますか?それとも来た道を引き返しますか?みなさんが決めてください。」
そう言われて私は即座に、引き返すのだけは嫌だ!と思った。それと同時に、道が危険と聞いてわくわくしている自分がいた。リスクを楽しむなんておかしい。でも何時間かかったとしても、危険だとしても、前に進みたいと思った。戻ることはしたくなかった。 その先にどんな素敵な場所があるのだろう、どんな達成感を味わうのだろう・・・そう考えると、早く前に馬を走らせたくなるのだ。 その時、ああ、この気持ちこそがシルクロードを渡った人たちの原動力だったのかって思った。彼らにとって大事なのは、行けるかどうかじゃなくて、行きたいかどうか。そしてその行きたいところへ自由に馬を走らせることが、どんなに気持ちのいいことか。 私はまだまだ未熟で、完全に馬を乗りこなすことはできなかった。でもあの快感はやみつきになる。ずっと馬に乗って、もっと奥地へ、もっと人が足を踏み入れない場所へ行きたいと思った。人間の好奇心というのは、いつの時代も共通しているらしい。 私はシルクロードに触れて、何にも縛られない自分の純粋な好奇心を発見した。そしてこの気持ちを、日本でも大切にしたいと思った。
私たちが暮らす今の社会では、やりたいことがあっても、リスクを怖れてどうしても制限がかかってしまうことがある。でもその中を突き進んで何かに辿り着こうとすることは、命懸けでシルクロードを渡るのと同じでわくわくすることなのではないか。とりあえず行ってみよう、やってみようってすごく大事。奔流はこのことを教えてくれた。 日本人はどちらかというと保守的な人が多い気がする。だから私は、この好奇心のままに動くというわくわく感をもっと多くの人に伝えたい、そう思ってこの文章を書かせてもらった。少しでも多くの人が、奔流に興味を持ってくれますように。
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剥ぎとる
シルクロードが好きだった。日本を出てみたかった。知らないことを知り、見たことのないものを見たかった。大学3回生の春、この夏が最後だと思い、参加を決めた。「感じる」旅にしようと思った。先入観とか知識とかプライドとか、余計なものは捨てて、ありのままの自分で勝負したい。初めての海外、知らない人たち、中国語も分からなかった。他のどんな感情よりも怖さが先行していた。出港して、海の色が変わっていくにつれ、固く緊張していた心がだんだんほぐれていった。大きな世界の小さな自分を感じていた。
まるで自分が子どもにかえったようだった。素直に喜び、歌い、踊った。そして、子どもになった私は、草原や砂漠に、人の心に、美しいものに触れるうちに静けさを求めるようになった。聞いて感じているだけで満足だった。一言でも言葉を発したらうるさいような気がした。砂漠の風の音が心に染みた。自分の中で燃えている炎があった。
乗った時急に背が高くなった気がした。視点が高い。遊牧民はこれを毎日見ているのか。自然を征服したような気がする。馬で駆ける。心地よい緊張感が体をまとっている。ぴりりとした空気。油断は許されない。砂ぼこりがもうもうと巻き上がる。圧倒的な迫力。すごい。馬の脚が砂にめりこむ。穴を飛び越え、よける。躓きそうになる。しかし馬はどんなに疲れていても止まらない。走り続ける。すごいことをやっている実感があった。馬とともに何かを飛び越えた気がした。叫びたかった。ためらいや躊躇など遥か遠くに行ってしまって、そのときやるかやらないかだけしかなかった。それまで馬と私の間にはなにもなかった。そこでつながりができた。張さんに、私が乗って馬は重くないのかと聞いた。張さんはふっと笑って、「重いよ」と言われた。そうか、重いのか。馬は私の重さを引き受けた。私はその重さを分かって乗っていただろうか。
私の馬は1日目、全く走ろうとしなかった。それは私が馬がかわいそうだと思って接していたからだろう。馬が痛いだろうと手綱を緩め、出発の時も腹を強く蹴ることはしなかった。馬を心の底で怖がる気持ちを「馬がかわいそう」という態度で覆い隠していた。しかし、一日走って分かったことがあった。馬は犬や猫のようなペットではない、中途半端な感傷や動物愛護の視点からは何も見えてこない。態度を変えた。何よりも指示を明確にしようと心がけた。甘さを捨てた。2日目、馬は見違えたように指示に従うようになった。同じ馬とは思えないほど。馬の目。優しく、そしてさびしそうな目。静かに遠くを見つめている目。馬には私の気持ちなど全てお見通しだったのだ。未熟な心の乗り手になど従うものかと。冷静に、しかし情熱的に、自分のはやる心を抑えて手綱を引く。
多くのことを気がつかないままセーブして生活していたことに気がついた。感動することを、そのまま受け止めることを忘れていた。できないと思ってやらなかったことが多すぎた。最後なんかじゃなかった。もう始まっていた。始まりだった。やりたいことをやるために生きているんだと分かった。もっともっと自由に生きたいと思った。
本当に生活に必要なものってもっと少ないのかもしれない。ただ頼りになる自分があればいい。旅はまだ終わらない。
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旅と日常
結局、奔流は自分に何を教えてくれたのか、それについて綴っていこうと思うのですが、この文章から私の考える馬との旅の意義、そしてそこから浮かび上がる日常での生の有り様を汲み取って頂けると幸いです。
日常とは飽きるものです。私は生活の中での刺激のなさにうんざりしていましたし、何に対しても無感動のきらいがありました。生きている実感がないというのが適切であり、自分が存在しているといえるのかわかりませんでした。でも、それが他者への不信から生じる私の反応だということは自分でもわかっていました。今のままでは無感動の日々が続いてしまうため、何かに能動的に関わらなければと思い、偶然にも参加することとなったのがこのグレートキャラバンだったのです。馬や中国にこだわったわけではないのですが、結果としてこの旅は強い影響を与えてくれました。
「馬に乗ると見える世界が変わる」と旅の中で何度か耳にしましたが、ただ物理的に視点が高くなるというわけではありません。馬上での視点は遊牧民やシルクロードの商人の視点であり、そこにおいて私は日常の自己を超越しています。つまりこの自己の他者化、相対化が可能となっているのです。新疆での馬の旅は、日本で生活を送る私を見つめる良い機会となりました。遊牧民としての可能性にある私、もはや旅の生活を新鮮な刺激とは認められない私はいたのです。しかし興奮させる刺激とは感動に必要なのでしょうか。いえ、そうとはいえません。旅の中で私は懸命に食べ、馬に意志を伝え、仲間と語りました。食事、乗馬、団欒、睡眠の繰り返しの中でも私は生きている実感をもつことができました。これは馬との旅の中でだけの感覚では決してないはずです。
旅は普段の倦怠から逃れるリフレッシュの場ではなく、むしろ日常を見つめる時間を提供する積極的な意味をもった場であり、逆説的ですが普段よりも自分の日常に近寄れたように思えます。食事、勉学、音楽、睡眠に満たされた毎日に自覚的、能動的に生きることが実存感覚と密接しており、行動の内容よりも自分の主体的な在り方こそが重要なのだと、馬の背中で気付きました。他者から受け取るときも然りです。他者から伝達されるというのではなく、他者から受け取るといった主体性が肝要であるはずです。馬と同様に世界はそれに語りかけることなしに乗りこなせません。世界の中にあっても、その美しさを感じるには能動性が必要不可欠なわけです。
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中国の夜から
中国でわたしは闇に包まれた。光といえば星以外に見当たらず、目を開こうが閉じようが大差はなかった。そこにあったのは恐怖と同居する心地よさであった。
人はわたしを他の誰でもないわたしとしようとする。ここにいるのが自分でなければいけない理由、すなわち他人に決して取って代わられることのない自分の確証を欲するのだ。なぜなら、その確証を得られなければ、わたしとしての存在を否定され、何者でもない誰かであることを認めざるを得なくなるからだ。この欲求に基づく行動は光を求める行為といえよう。より強い光の中に自己を置くことで、わたしの輪郭はより鮮明に浮かび上がり、外界とわたしとの差異をよりはっきりと確認することができる。ここに今確かにいるという感覚は得られるだろう。
ところで、奔流の重要な語句の一つに「人馬一体」というものがある。「自分の行きたいと思うように馬が進んでくれた」と誰かが言っていた。しかし、騎手と馬との意志の一致という意味は、この言葉に似付かわしくない。この言葉が指し示すのはもっと高度な次元での「一体」ではないのかと考えた結果、「人と馬との存在の一致」と説明する考えに至った。
人の視点からすると、人は自己であり、馬は他者である。だが不思議なことに乗馬を媒介としてそれらは溶け合う。ここにおいて人は乗馬中にも関わらず、馬に乗っていない。自己も他者もいなくなっているが、代わりに「自己と他者」という一つがいる。この状態こそが「人馬一体」ではないか。わたしはもはや自己ではなくなっている。冒頭で闇について触れたが、この存在の溶け合いは闇に身を置くことを比喩としても差し支えないだろう。闇の中では自分の手すら見えず、自己と他者には境界が見当たらない。自己と他者は混ざり合っているのだ。その時、確かに自己を保持し続けられない恐怖はあるが、同時に世界に拡散されるような快感すらある。
大衆社会、没個性、一般人などの言葉に対してわたしは悪い印象を抱いていて、人は何者でもない自分であるべきだと考えていた。そして今もそう考え続けている。だが、ただ単に光を求め、それを浴びて生きるというのも違うように思えてくる。「人馬一体」が代表するような自己と他者との存在の関わりの肝要さを発見したからだ。ここで注意したいのは、闇にある自己と他者の関係は自己の埋没とは区別されなければならないところである。溶け合いと埋没という語からもその相違は歴然としている。埋没の際には自己は自己としてあり続けるのだが、世界でそれは覆われ視界に入っていないだけのことなのだ。この状態の快楽と闇での快感もまた区別しておきたい。快楽は自己を埋没させることで得られた、これもまた自己を表面的に覆う快に過ぎないが、快感は自己と他者という一つの存在で湧き上がり、その存在の内部で揺蕩っている快である。エピクロスが唱える「心境の平静」は、わたしがここで述べた快感から基づくものであると認識し、わたしは彼に賛同の意を表する。
蓋し、存在は自己の唯一性を追求するものであり、その活動の結果として自他をより強烈に色分けしてゆく。そのことについて反対はしないし、わたしも例外でなくそのような存在であることを否めない。問題はその自他の完全な分離から感じる不快である。ここでいう不快とは疎外や孤独を感じていることなど、状況に応じて生じる好ましくない感情を指していると考えてもらいたい。自ら望んだ結果であるにも関わらず、不快を感じるとは皮肉なものだ。わたしはこの不快を見てみぬ振りをする仕方ではなく、根本から快に覆す可能性を「人馬一体」の中に見た。逆説的ではあるが、存在が自己を自己とあらしめんとする際には、同時に自己と他者の綜合が存在の精神の涵養という面において必要となっているのである。
絹の闇は優しく、世界は一つとなる。
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旅
旅が好きになった。
この安全で,快適な日本を出て,旅に出る。それは非常に馬鹿げていて,非常に贅沢なことなのかもしれない。
でも,旅は人を強くする。
どんなトイレでも使えるようになるし,並の不潔さには慣れる。どこででも眠れるようになるし,寒さだって我慢できるようになる。つまり,不自由さに直面して,それを乗り越えられるようになる。
文化交流とか,他者の理解ってこういう所から始まるのかな,とふと思うことがあった。自分が感じている不自由さも,原地の人にとっては既に「住めば都」状態なのだ。そんな生活は不自由なようで,実は意外な喜びに満ちている。食事のおいしさ,水の気持ちよさ,音楽の美しさ,本当にたくさんあった。だから,社会の教科書を開くだけでは違う国の生活は理解できないのだと感じた。そこは,ただの不自由な汚い世界ではないし,ロハスで優雅な自然生活,というのももちろん幻想だ。現場で自分が感じる様々な感覚が積み重なって初めて,文化は交流し,現地の人を少しは理解できるようになるのかな。とにかく,自分から一方的に持ったイメージなんて大した物でないのだと思った。
現場主義の重要性,なんて表現をしてしまうと思い出は一気に乾燥して,変なゼミ資料みたいになってしまうのだけれども。でも,グローバル,なんてキーワードのもとにズームアウトしすぎると,案外こういう所から足下を掬われるのかもしれない。
ここまでだったら,別に一人旅でも感じられたかもしれない。でも,集団の旅だからこそ起こる出来事だってある。
精神的,肉体的疲労の前ではその人の持つ内面の多くが表に出てしまう。集団生活の中で,強さ,弱さ,色々な側面が,乱暴に暴きだされる。テント移動,薪集め,緊急の対応。どれだけ状況を良くしたいのか,全体の中で自分には何ができるのか。リーダーとかフォロワーとか,さんざん講義され,勉強してきたかもしれない。でも案外,乱暴で粗野な形をとってそれらは試されるのだ。都会のビルのなかでは,なかなかその人の内面なんて閉じ込められたままだ。だから,一回旅に出て,自分の内面,他人の内面がぶちまけられる様子を目にうつして,(すごく恥ずか��くなったりして),そしてまた成長できたらいいのかなと思った。
そして,その人の内面がさらけ出される状況では本当に暖かい触れ合いだってあるのだ。
疲れて,自信も持てず,旅に不安を感じていた時。自分にできることはないのかと探して,それはあまりに小さい気がしてどうしようもなかった時。そんな時に,ふと一緒に食事を食べてくれたり,お茶をもってきてくれたり,そういう経験の中で僕はとても人間的な暖かさを感じた。
誰かにそんな暖かさを,僕もあげられるのだろうか。
なんて原始的な強さ,優しさなんだ。
旅に出て,感じて,そして帰ってきて研鑽する。また旅に出て,感じて・・・
とても健康的で,生産的な生活だと思う。
どうやら,本当に旅が好きになってしまったようだ。
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馬と人との関係は何か。 馬は私達に何を与えてくれるのか。 現代社会での日本の馬の役割は昔のように移動や仕事としてではなく、ほとんどが人間社会に組み込まれ、人間によって飼育され管理されている。馬といったら何を想像するかと日本人に聞けば、ほとんどの人が競馬か乗馬と答えるだろう。それは、私達が身近に馬に接することができるのは競馬や乗馬くらいしかないせいではないか。「馬で旅にでる」という感覚は交通機関が発達している日本で持つのは難しい。魅力的でちょっと好奇心をくすぐるこの言葉、「馬で旅をする」これだけを頼りに私はこの旅に参加した。それは想像を超えるものであり、期待以上の満足感と喜びで満たされた。 今回のキャラバンはかつて交易の路シルクロードに添って歩んでいく。それは、日本のコンクリートではなく、道があるわけでもない。ゴールもなく右や左、振り返っても前も後ろもない世界であった。道無き道を自ら決めて進んでいくのである。ひたすら自分の信じた道を進み行き、道標となっていくのだ。バインブルグ高原では遠くの小高い山々に囲まれ馬で群れとなり、時には馬の腰まで浸かる川を渡り、時には息を飲むほど美しい川に映る夕日を見た。ゴビ砂漠では越えても越えても続く砂漠の山を、埃を被りながら何十頭もの馬で一列になり、何時間もの間進み歩いた。この中で馬と自分だけの道を切り開いていくのだ。 このキャラバン中は何十頭の馬の群れの中でも乗り手は馬のことも考えながら、各々のペースで進み行く。馬を休ませるのも走らせるのも自分次第なのである。 これは日本の乗馬クラブでは決して出来ないことである。まず、馬の数をそろえることから難しいだろう。 もちろん日本の乗馬クラブの外乗も素晴らしい点はいくつもあるが、ある程度決められた大きな柵の中を、誰かが何度も通った補正された道を歩いている気がしてしまう。しかし、ここは違う。キャラバンは全く異なる。何も囲われていない地を自分で決め進んで行く。しかも自分だけのペースで。また、このキャラバンでは決められた馬に乗るわけもなく、同じ乗り方を教わることもない。乗る姿勢や馬をきれいに見せることを習うわけでもない。 参加者全員が自分の道を自ら決め、馬から乗り方を教わり、身につけていく。ただ、自分の好きな道を好きな乗り方で馬と決めていく。それだけだ。たとえ初日に馬に乗る事が困難であった人も時を増すごとに自分の持ち馬を知り、試行錯誤しながら人馬一体に近づいていく。ここも日本の乗馬と異なる点である。一時間ほど馬に乗り、また午後に他の馬に乗るというのではなく、同じ馬に1日中朝から夕方まで縦の揺れの中にいるのだ。しかも数日間。だからこそ、人からではなく馬から教わることで身体を通して学ぶことができる。私はこれがグレートキャラバンにしかないもので、一番の魅力な点だと思う。大自然の中で人が自然と馬に慣れて、乗り方も道筋も自分と馬で決めていくのだ。今までずっと出来無かったことで、挑戦したいことの一つが叶えられたのだ。
この感覚は一ヶ月、二ヶ月経った今も覚えている。このキャラバンに参加して馬の大切さと騎乗の楽しさと喜びを再び実感することができた。想像以上の実体験があったからこそ帰国してからの寂しさと空虚感は大きかった。見えるようで見えない道を進む乗馬と普段の生活を照らし合わせて日本の日常生活に戻った。いつかまたこのキャラバンが開催されれば参加したい。完全にキャラバン中毒になってしまったようだ。
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なんで今私ここにいるんだろう?って自問自答しながら旅を続けて
時には酒におぼれた夜もありました。
でも最終日、ハッと気付いたんです。これは“トキメキ体験ツアー”だと。
奔流にはいろんな人間が集まる。入れ替わりもあるが最大で70人の人間が
同じ土地で、同じ空気を吸い、同じ飯を食べ、同じ生活をする。
70人の人と一気に知り合えるなんてそうそうない。
旅で出会った全員と仲良くなれたわけじゃないし、
一言二言しか話さないでよく知らないままの人もいるけど、
とにかく奔流にはいろんな人間、いろんな考え方、いろんな知識を持った人がいるなぁ、ってすごく刺激になった。
70人も集まれば、その中でそりゃあ魅力的な人もいたし、気が合う人が現れ、
彼らと話していると楽しくって嬉しくって、毎日トキメキだらけだったように思う。
帰国後facebookで友人ポチからの質問に
「自分が失ったらいけないものは何?」という項目があったんだけど、
それ、自分の場合は“トキメキ”かな、と。
トキメキって恋愛感情ももちろんあるけど
人間として好きになったり、見た景色にときめいたり、
羊のお尻にキュンキュンしたり、いろんなものにときめくことが
私の中ですごく大切なことなんじゃないかって考えた。
ときめくって言葉を辞書で引いてみた。
“期待や喜びなどで胸がどきどきする”“心が躍る”
ドキドキしたり、ワクワクするようなことが無くなった毎日だったら
楽しくないじゃないか。生きているのに。旅行はドキドキワクワクが倍増する。
しかもツアーは奔流。ときめかない訳がない。
お金に換算するのはえげつないけど、結局自分の勘違いでこの旅に20万という大金を払って良かった、と思う。
旅が終わってからも、ときどき集まって遊んでもらって、ずっとつながっている感じ。
今もすごく楽しい。奔流友達大好きです。
一言で言うと、
奔流中国、ありがとう!!
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一人対一頭
馬は私をドキドキさせるのだ。
自分を乗せて歩き始めたとき、ものすごいスピードで駆け出したとき、馬が止まらないとき、馬上で出発を待つとき、
馬上だけではなく、馬のそばにいるどの瞬間にも心は高揚していた。
一方でケガや死に対しても警戒している。相手は動物なのだから。
調教によってある程度の扱い方や性質は把握できているため、「乗り物」として支配することは可能であるが、自動車や自転車とはわけが違う。個々の性格も違う、替えの部品なんてない乗り物の中では危険性に溢れた存在なのだ。
そんなリスクと同時に、生きた彼らとやりとりにドキドキするのだ。
乗れば彼らが呼吸をし、熱を持っていることがわかる。生きているのだから当たり前なのだけど馬に乗ることが同じ生物とのやりとりであることが実感できて嬉しいのだ。
乗馬キャラバン一向を後ろから眺めていると、一人対一頭とのやりとりが50以上の群れをなして走っている光景は圧巻だった。
もちろん自分の力だけで馬を走らせていたわけではない。馬の習性をよく利用した遊牧民達の下でキャラバンは統率されていた。
遊牧民の人が走りだせばまわりの馬が走りだし私の馬も勝手に走り出す。そんなときはいつもぐっとたずなを後ろに引き、減速の指示をする。 もっと一人対一頭のやりとりをしたいからだ。
群れの後方まで下がったところで走れと馬のおなかを蹴る。「待ってたぜ」と言わんばかりに馬はスピードを上げて駆け出す。
草薮や他の馬に激突しないようにコースを考え指示して、減速させないように馬の跳ねるテンポに合わせて体を動かす。
スピードへの恐怖はいつだってあるけれど、スピードを恐れたら姿勢が乱れて馬の走りを阻害するので走る速度を上げることに集中する。
自分の体が限界を超えたっていいからもっと走れと感じていた。
駆け足の間は否が応でも馬と自分のやりとりが激しくなるのだ。
広い砂漠の真ん中で群れから離れ、物理的にも精神的にも一人対一頭になれる機会があった。
この馬はこの砂漠を抜けるために必要な手段であるし、私は馬にとって最適なルートと走りを選択しなくてはいけないことを感じて馬で旅をしている実感が深まった。
そんなドキドキさせる行動と環境がこの旅に求めていたものなのだ。
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奔流とは (張宇氏のFBより) 奔流は毎回必ずしも同じ形でない。だけど、奔流は目指す形がある。屈折しながらもいつか必ずそれに成るように努力する頑な姿勢が、それが奔流である。 奔流の理解は必ずしも同じものでない。そこにそれぞれ人間の生い立ちがある。だけど、泥でも沼でも、奔流を汚すことができない清らかなところ、それが奔流である。 奔流に求めるものは必ずしも同じものでない。奔流が求められるものを応えるために存在したわけでもない。だけど、奔流は、もっとも大切なものに気づかせてくれる。「人」の中のなにかを呼び起こすことができる。 奔流が必ずしもすべての人は必要とは感じない。大樹でも、野薔薇でも、弱草でも、必要とする人もしない人も居ると同じように。だけど、そもそも奔流がだれかが必要のために存在しているわけではない。奔流は尊厳のために存在している。 奔流は自由である。社会主義の崩壊と同じように、奔流の自由は、人々はより強い人間を目指す、より賢い社会を目指す、ことが絶対必要条件である。だから、自己堕落が奔流じゃない。 奔流はまた必ずしも自由ではない。自由を選択する人には最大の自由がそこにあると同時に、自由を選択しない人にも自由でなくても生きていける道はそこにある。 奔流は、傲慢、貪欲、堕落愛、原始的、保守的、非民主的である。 奔流は、尊厳、渇望、ブラトン式愛、固執、超時代的、反政治的でもある。 奔流は一種の無為の中で為したものである。
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記憶は草原の風のように、砂漠の砂のように消えていく。 もう忘れてしまったことがたくさんある。 音も、景色も、日程も、遊牧民の名前もすべて曖昧になってしまった。 しかし、形のない大きな感動は、今も心に焼き付いて離れない。 いつかまた同じ場所に戻ったとしても、同じ記憶は蘇らないだろう。 生きものは、常に変わってゆくのだから。 人間であっても、動物であっても、植物であっても。 自分が変わる。仲間が変わる。自然は秒単位で移り変わり、二度と同じ景色を作り出さない。 馬と私、息を切らせて駆け抜けた。愛おしくなったりいらついたり、まるで人間同士のように。 人間と人間、音楽や景色を通じて、ことばに出来ない感覚を共有した。ぐっと本能的に、まるで動物のように。 まためぐり合うとき、私たちは必ずどこか変化していて、同じような感覚は戻らないかもしれない。 それでもまた、新鮮な喜びを見つけ合えるようなお互いでありますように。 キャラバンは終わらない。
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世界で一番海から遠い場所
焚き火を囲む宴会の活気を遠くに聞きながら、地平線の彼方まで広がる草原の暗闇に一人ぽつんと仰向けになり、広大な星空を眺めていると少し離れた暗がりからぬっと人が現れて宴の方へと帰っていった。どうやら用をたしていたようだ。キャラバンの旅では男女問わず青空トイレが基本、とはいえとうとうライトも持たず星の明りのみを手がかりに用を足せるようになったんかぁ、なんてその人の耐性にいたく感服してしまう。しかし暫くしてから「柵の近くでしたから踏まないようにね!」っと大声で後発のトイレ隊に注意を促すのが向こうから聞こえると、ドキっとしながらつくづく思う「ちょっと遠いし汚いが便所は��るからそこでしたらいいのに。」と。言語を絶する大草原、彼方に霞む荘厳なる山々、息をのむ満天の星。ここはバインブルグ、トイレからも最も遠い場所。
この旅に参加しようとした動機が何だったのか忘れてしまった。というよりそんなもの端からなかったと言ったほうが正しいかもしれない。別段見たいものがあったわけでもやりたいことがあったわけでもない。ただどっかに行きたかった。だから道中で知り合った仲間が堅牢で明確な参加理由を持っていることを知って感心しつつも幾分ばつが悪かった。この旅で生まれて初めて馬に乗った、数日乗っただけでえらそうなことは言えないけれど馬を操ることは自分自身をコントロールすることのように思える。不安や恐怖、焦燥や慢心といった雑念を心から取り去り馬に心を開くことが重要で、それが上手くいかないと馬も言うことをきかない、しゃくしも馬もとはよくいったもの。もしかしたら乗馬は禅のようなもので張宇氏の言う「人馬一体」とはその一つの境地であるのかもしれない。馬との旅はこれまでの自分の旅の中でも最も自己と向き合った旅だったかもしれない。
帰ってきた今、今回の旅を思い返せば旅に出る前に思っていた以上のものを得られたと思う。美しい風景とか異文化体験はもちろん、乗馬の感動、個性豊かな人達との新たな輪、信じられない程険しい山道を車で十時間かけて越えても折れない心、腹ブレーク。キャラバンでは信じられないようなハプニングが平気で起る。追い詰められたら人間誰でも地が出るもんで、そこでホントの自分に気付く。本性を鍛えるには、安全でルーティンな日々や紋切り型の海外ツアーでは決して成し得ない。やっぱり追い詰められなきゃいけないと思う。
驢馬が旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではないと言う。例え驢馬は驢馬でもきっと旅に出る前よりもたくましい驢馬になって帰ってくる。そんなお金じゃ買えない価値がある、自分だけの旅は是非奔流中国で。
「驢馬が旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない。」そんなアイロニカルな
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