#東北三兄弟
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Poster for Loyal Kanto Brothers (関東義兄弟), 1970, directed by Seiichiro Uchikawa (内川清一郎) and starring:
Hideo Murota (村田英雄) Kotaro Satomi (里見浩太朗) Saburo Kitajima (北島三郎) Meiko Kaji (梶芽衣子) and Ryutaro Tatsumi (辰巳柳太郎).
#Meiko Kaji#梶芽衣子#Seiichiro Uchikawa#Hideo Murota#Saburo Kitajima#Kotaro Satomi#Ryutaro Tatsumi#Loyal Kanto Brothers#関東義兄弟#内川清一郎#村田英雄#里見浩太朗#北島三郎#辰巳柳太郎#poster
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みんなが好きな「『百年の孤独』みたいな大河小説」ベスト10|秋永真琴
『楡家の人びと』北杜夫
『チボー家の人々』ロジェ・マルタン・デュ・ガール
『ブッデンブローク家の人びと』トーマス・マン
『大地』パール・バック
『千年の愉楽』中上健次
『べっぴんぢごく』岩井志麻子
『笛��川』深沢七郎
『ルーツ』アレックス・ヘイリー
『アブサロム、アブサロム!』ウィリアム・フォークナー
『永遠の都』加賀乙彦
『警官の血』佐々木譲
『天冥の標』小川一水
『紀ノ川』有吉佐和子
- - - - - - - - - - - - - - - - 「響け!ユーフォニアム」も部活の年代記なのかも。
(順不同)
『ときめきトゥナイト』池野恋
『精霊たちの家』イザベル・アシェンデ
『嵐が丘』エミリー・ブロンテ
『炸裂志』エン・レンカ
『大聖堂』ケン・フォレット
『警察署長』スチュアート・ウッズ
『枯木灘』中上健次
『奇蹟』中上健次
『ワイルド・スワン』ユン・チアン
『邯鄲の島遥かなり』貫井徳郎
『平家物語』古川日出男/訳
『血脈』佐藤愛子
『源氏物語』紫式部
『奏で手のヌフレツン』酉島伝法
『俺の屍を越えてゆけ』桝田省治(ゲームデザイン)
『助左衛門四代記』有吉佐和子
『指輪物語』J・R・R・トールキン
『チグリスとユーフラテス』新井素子
『星へ行く船(他、コバルト文庫のシリーズ)』新井素子
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』アリステア・マクラウド
『火星夜想曲』イアン・マクドナルド
『黎明の王 白昼の女王』イアン・マクドナルド
『灯台へ』ヴァージニア・ウルフ
『ジョイ・ラック・クラブ』エィミ・タン
『ウォーリアーズ』エリン・ハンター
『異形の愛』キャサリン・ダン
『王朝四代記』ククリット・プラモート
『ベルリン三部作(1919・1933・1945)』クラウス・コルドン
『六道ヶ辻シリーズ』栗本薫
『鳥の歌いまは絶え』ケイト・ウィルヘルム
『地下鉄道』コルソン・ホワイトヘッド
『征途』佐藤大輔
『あすなろ坂』里中満智子
『ケインとアベル』ジェフリー・アーチャー
『ゲームの達人』シドニィ・シェルダン
『氷と炎の歌』ジョージ・R・R・マーティン
『エデンの東』ジョン・スタインベック
『グリークス』ジョン・バートン/ケネス・カヴァンダー(編)
『リーマン・トリロジー』ステファノ・マッシーニ
『雪の練習生』多和田葉子
『鯨』チョン・ミョングァン
『火の山-山猿記』津島佑子
『レオポルトシュタット』トム・ストッパード
『地の果て至上の時』中上健次
『岬』中上健次
『彼女はマリウポリからやってきた』ナターシャ・ヴォーディン
『九時半の玉突き』ハインリヒ・ベル
『土地』パク・キョンニ
『レ・ミゼラブル』ビクトル・ユゴー
『棺のない埋葬』 ファン・ファン
『楊家将演義』作者不明
『デューン砂の惑星』フランク・ハーバート
『ゴッドファーザー』フランシス・フォード・コッポラ監督
『北京から来た男』ヘニング・マンケル
『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』堀井雄二(ゲームデザイン)
『舟を編む』三浦しをん
『櫂』宮尾登美子
『孟夏の太陽』宮城谷昌光
『血族』山口瞳
『華麗なる一族』山崎豊子
『大奥』よしながふみ
『血脈 西武王国・堤兄弟の真実』レズリー・ダウナー
『シンセミア』阿部和重
『流離譚』安岡章太郎
『雲の都』加賀乙彦
『ロマンシングサ・ガ2』河津秋敏(ゲームデザイン)
『サガフロンティア2』河津秋敏(プロデューサー)
『颶風の王』河﨑秋子
『リア家の人々』橋本治
『アラビアの夜の種族』古川日出男
『聖家族』古川日出男
『白夜を旅する人々』三浦哲郎
『導きの星』小川一水
『地図と拳』小川哲
『機動戦士ガンダムAGE(小説版)』小太刀右京
『われ逝くもののごとく』森敦
『本��小説』水村美苗
『始まりの魔法使い』石之宮カント
『夜明け前』島崎藤村
『カムカム・エヴリバディ』藤本有紀(脚本)
『男樹』本宮ひろ志
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『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
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YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、��角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、���あ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされました��ど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさんがトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
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日本は1910年の韓国併合後、朝鮮半島出身の移民を大量に受け入れることになります。日本人と朝鮮人移民のコンフリクトがあちこちで発生し、苦慮した日本政府は「朝鮮人移民の日本流入を抑制し、朝鮮・満州に向かわせる」ことによって事態の打開を図ろうとしました。 目次 1. 日本本土を目指す朝鮮人 2. 「朝鮮人を管理せよ」 3. 満州へ移住する朝鮮人 まとめ 有料マガジン公開しました! 1. 日本本土を目指す朝鮮人 韓国で言うところの「日帝強占期」の間、多くの人々が朝鮮半島から日本帝国の支配地域へ移住を行いました。1930年の時点で東アジア各地域に居住した朝鮮人の人口は以下の通り。 日本本土:42万人 満州 :60万人 ソ連 :19万人 その他、中国に1万人、アメリカに1万人ということで、当時の朝鮮の人口が約2000万人なので、約6%の人口が半島外に移住した計算になります。現在の日本で例えたら、埼玉県民(約720万人)が全員移住をしたようなレベル感です。 なぜこのように多くの朝鮮人が移民をしたかと言うと、理由は以下が考えられます。 植民地化と中央集権システムの導入で旧来の方法で生きる農民が困窮したこと 日本資本主義の発展で安価で高品質な労働力への需要が高まったこと 日本と朝鮮半島を結ぶインフラが整備され移動が容易になったこと 日本語教育が普及し本土で暮らすことへの心理的障壁が下がったこと では、貧しい農民が働き口を求めて日本に殺到したのかというとそうではなく、農民の中でもある程度カネを持った中〜上層の農民が日本に渡る傾向にありました。 鉄道や客船により日本行きが容易になったとはいえ、日本に行くには高額な運賃が必要だったので、「ある程度教育を受け、カネもあり、日本で一山当てようという気概を持つ者」が日本に渡ったわけです。 農民の中でも一層貧しい者やヤル気のない者は、困窮化する農村で貧しさに耐えながら生きていくしかないのでした。 ただし、「ジャパニーズ・ドリーム」を抱いてやってきた者全員が成功できるわけもなく、就職難・経済困窮・言葉の壁による社会不適応など、失敗して故郷に戻る者のほうが多く、特に1930年代の世界恐慌の時は帰還者が圧倒的に多かったのです。 それでも努力して生活基盤を日本に作った朝鮮人は、正月や先祖供養のために故郷に帰ったり、親兄弟を日本に呼び寄せたり、日本から故郷に送金したり、故郷から日本に懐かしい味を送ってもらったりと、様々な形でヒト・モノ・カネを流通させていきました。 2. 「朝鮮人を管理せよ」 韓国併合により朝鮮人は「日本帝国臣民」になったわけで、戸籍も自由に日本に移動できて然るべきなのですが、最後まで政府は朝鮮人の日本本土への戸籍の移動を認めませんでした。政府内には「民族ノ混淆、同化乃至純粋保持当ニ関スル根本問題」があるとして反対意見が根強く、建前は平等を訴えておきながら、最後まで日本人と朝鮮人を区別する政策を採りました。 また日本帝国臣民となった朝鮮人は、「日本国籍から離脱できない」とされました。仮に朝鮮人の日本国籍離脱を認めると「不逞ノ企画ヲ起シ、内��総呼応シテ治安ヲ害スル」者を取り締まれなくなるからというのがその理由。特に三一独立運動や満州建��以降、治安維持や保護・取締りを名目に、朝鮮人を故郷の戸籍に固定し戸籍の離脱を禁じることで、政府は朝鮮人を強い統制下に置くことに成功しました。 日本が近代化して以来、十万単位の多民族の来訪と定着は、日本社会に大きなインパクトを与え、朝鮮人に対する偏見や差別意識から様々な形でコンフリクトを起こすことになりました。関東大震災の「朝鮮人虐殺」は、震災という極限状態で日常の不安や不満が最も残酷な形で爆発した事件でした。 三一独立運動以降、「暴動を起こす朝鮮人を本土に入れてはならぬ」という治安維持の観点から、それまで比較的自由だった朝鮮人の日本への渡航は「警察が発行する証明」が必要になりました。一方で朝鮮国内に入るには「在外帝国公館の証明」が必要になりました。日本本土と朝鮮内の運動家のネットワークを遮断することを狙ったわけです。また証明制度にすることで日本にやってくる朝鮮人の数を少なくし、質を上げることで、社会的軋轢をなるべく少なくしようという意図もありました。 渡航の証明制度は、当たり前ですが当の朝鮮人には大変不評でした。 故郷では適当な仕事がないため仕事を求めて日本にやってくる者が一定数おり、そのような「とりあえず日本行けば何とかなるだろ」的意識の労働者はブローカーの斡旋で日本海を渡り日本本土に密航しました。警察は摘発を強化し、年間で2,000〜5,000名ほどの密航者が摘発され本土に送還されました。 そもそも「日本帝国臣民」であるにも関わらず、日本本土への密航で捕まるという事自体がおかしいのですが…。 1934年頃から帝国全体で朝鮮人移民に対応する方針の策定が始まり、 日本本土に渡る朝鮮人を一層減らすこと 朝鮮内に朝鮮人を安住させられる環境を作ること 満州や朝鮮北部に朝鮮人を移住させること 日本本土の朝鮮人を日本に融和させること の4項目がまとまり、これに伴い朝鮮内で半島出身者の失業者を吸収することと、さらなる発展が見込める満州や朝鮮北部へ労働力を振り分けることが企画されました。 1930年代に朝鮮半島は工業化が急速に進展するのですが、それは朝鮮人の日本本土への流入を防ぐこと、ひいては治安維持や社会秩序維持がその背景にあったのでした。 3. 満州へ移住する朝鮮人 満州、現在の中国東北部への朝鮮人の移住は、古くは19世紀半ばにロシアが沿海州を手にしてから始まり、豆満江以北の間島地方の開墾を清朝政府が許可してからさらに進展しました。 満州に移住した人の多くは貧しい農民で、生活苦で故郷を棄てて新天地に一家をあげて移住するケースが大半でした。一方で韓国併合後は、朝鮮人の抗日武装勢力が満州に逃げて本拠地にし抵抗を続けるケースも見られました。 満州帝国成立後、日本政府は満州への朝鮮人の移住を促進しようとしますが、満州国を支��する関東軍は抗日武装闘争の激化を懸念し朝鮮人の大量移住に反対しました。しかし結局政府との調整が図られ、1937年以降に毎年1万戸とする取り決めがなされ、1941年までに約2万6000戸、10万7800人が満州に入植しました。 満州への朝鮮人の大量の移住が行われたことは、中国人と朝鮮人の間に新たな緊張関係をもたらしました。 日本は朝鮮人を保護する立場にあったので、朝鮮人の利益を優先し中国の主権を侵害するケースがあり、一般の中国人の目から見たら朝鮮人は日本の手先になって自分たちの生活を脅かす存在に見え警戒感を強めたのでした。 例えば、1931年に満州の長春近郊の万宝山で、中国人地主から借りた土地に水路を引こうとした朝鮮人農民と中国人農民との間に小競り合いが起き、中国側の警察と日本側の警察が両方出動しにらみ合いする事件が勃発(万宝山事件)。 万宝山事件 このニュースが伝わると、朝鮮人の間で反中感情が高まり、朝鮮と日本で朝鮮人による中国人襲撃事件が発生。109名が死亡し160名が負傷したのです。 一方で日本の侵略に抵抗するという点で中国人と朝鮮人の協調が図られたケースも多く、例えば中国人民解放軍の東北部隊、東北人民革命軍の幹部には後の北朝鮮のトップ金日成が就いていますし、大韓民国臨時政府は上海に設置されました。 しかし1936年以降、関東軍のゲリラ取締りが厳しくなり、朝鮮人の抗日ゲリラ運動は壊滅状態になり、金日成もソ連に越境し、戦後に朝鮮に帰還しています。
大日本帝国の朝鮮人移民と移民政策|尾登雄平(世界史ブロガー・ライター)
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)8月2日(金曜日)
通巻第8351号 <前日発行>
ハニヤ暗殺の謎は深まるばかり。イスラエルの関与はあったのか
イスラエルの目的はハニヤの政敵=シンワール殺害だ
*************************
2024年7月31日、ハマスの最高指導者ハニヤがテヘランの「居宅」でボディガードとともに暗殺された。すわ、イスラエルの仕業かと誰しもが反応しただろう。ところが、真犯人はわかっていない。
過激派内部の内ゲバの可能性も否定できないことは前号でもみた。
イランの最高指導者ハメネイ師は「イスラエルへ直接報復をせよ」と呼号した。ハメネイ師は「イスラム共和国の国境内で起きたこの悲惨で悲劇的な事件を受けて、復讐するのは我々の義務だ」と述べた。
「犯罪者でテロリストのシオニスト政権は、我が国の親愛なる客人を殉教させ、我々を悲嘆させたが、自らに対する厳しい処罰の土壌も整えたのだ」と主張した。
イランのマスード・ペゼシュキアン大統領は「イラン・イスラム共和国の領土保全、名誉、尊厳を守り、テロリスト占領者に卑怯な行為を後悔させる」と誓った。
イラン革命防衛隊(IRGC)も、イランとその同盟国による「厳しく痛みを伴う対応」でのぞむとした。「ハニヤ暗殺はシオニストの犯罪者、殺人者、テロリスト集団が、国際ルールや規制を一切考慮せず、ガザでの9か月に及ぶ戦争の恥ずべき失敗を隠蔽するために、いかなる犯罪行為も躊躇しないこと」を示していると述べた。
またイランの国連大使は「暗殺は米国とイスラエルの連携のうえで行われた」と批判した。
モスクワはこうして危険な趨勢に警告し、報復がつづけば中東全域を巻き込む戦闘となり、世界大戦に発展する危険性があるとした。
かくして暗殺関与を名指しされたイスラエルだが、ネタニヤフ首相は7月31日、テレビ演説し、パレスチナのイスラム組織ハマスやレバノンの民兵組織ヒズボラなどの親イラン勢力に「壊滅的な打撃を与えた」と強調したもののハニヤ暗殺に関しては言及しなかった。
ネタニヤフ首相は国民に対し「困難な日々が待ち受けているが、あらゆるシナリオに備えている。いかなる脅威にも断固として対応する」と呼びかけた。
▼中国の和平仲介努力は水泡に帰した
ハニヤ暗殺の一週間まえ(7月23日)、中国の王毅外相はパレスチナ自治区で反目し合うハマスと自治政府主流派のファタハの代表、他に12のパレスチナ過激派の代表を北京に招いた。
中国の仲介で「ガザ地におけるイスラエルとの戦争の終結後、占領下のヨルダン川西岸とガザ地区に暫定的な『国民和解政府』を樹立する」という提案に対して各派が同意した。
この会議は北京で3日間にわたって開かれた、パレスチナの過激派、14グループが参加したことは画期的であり、中国の外交力の表れだとも言えるだろう。
しかし率直に言って、各派は、中国の顔を立てて、何回も反古にしてきた紙切れに署名しなおしたに過ぎない。
実際には同じ合意が2017年10月にエジプトの仲介によってカイロでなされたが、その後の進展は何もなかった。
王毅としては「中国の外交成果だ」と宣伝したいところだろう。中国はイランとサウジアラビアの関係修復を仲介した『実績』もある。
中国外務省の毛寧報道官は「中国とパレスチナは信頼できる兄弟であり、良きパートナーだ」とし、中国はパレスチナの結束と和解に向けて「すべての関係者と不断の努力をする」と述べた。
2007年にハマスがガザ地区からファタハを追放して以来、両グループは対立を解消できていない。
ハマスは30日になって声明をだし「各派閥の和解に向けた中国の取り組みや、これまでの「パレスチナの大義に対する賛同姿勢、大量虐殺の阻止」を称賛した。
しかし北京の和平会談では停戦達成に向けた取り組みや、イスラエルの攻撃によって引き起こされた「悲惨な人道状況」、中国によるガザへの人道支援の強化などが議題になっただけだった。
中国のパレスチナ支援は、毛沢東時代からである。「民族解放」運動を支援するため、パレスチナ人に武器を送った。ガザをめぐって中国政府高官や習近平国家主席までが、パレスチナの独立国家の必要性を強調してきた。北京でアルール(ファタハ代表)は、中国によるパレスチナの大義への支援に感謝した。
ハマス政治部門幹部はイランの首都テヘランで記者会見し、ハニヤ暗殺を受け、パレスチナ自治区ガザでの戦闘を巡るイスラエルとの停戦交渉に意味がなくなったと訴えた。
北京の『努力』にかかわらず中東の安定にはほど遠い。
第一にガザを支配するハマスとヨルダン川西岸を統治するパレスチナ政府とは、口もきかないほどに反目している
第二にアッバスに対しての批判はパレスチナ全体に根強い。
第三にハマスの内部はセクトに分かれ、お互いが対立しており、とくにイスラエル撲滅を叫ぶ強硬派と人質解放を和平の交渉手段としたハニヤとは先鋭的な対立関係にあった。ハニヤはカタールを拠点とし、人質交換などの交渉をイスラエル側と展開してきた。カタール政府もハニヤを支援してきたのだ。つまりイスラエルにとってはハニヤ殺害の動機はあっても、現時点ではメリットが薄いのである。
▼だれがハニヤのテヘランの隠れ家を知っていたのか?
さてハマス指導者の暗殺である。
7月31日、ハマスは「最高幹部イスマイル・ハニヤ氏が殺害された」と発表した。同日早朝にイランの首都テヘランにあるハニヤの滞在先が「そらからの飛翔体」(ドローン?)で攻撃され、警護の1人も殺害された。ハニヤはガザ地区にはおらずカタールの首都ドーハを拠点としており、イランのマスード・ペゼシュキアン新大統領宣誓式のためテヘラン入りしたのだ。
ハニヤはガザ地区のシャティ難民キャンプの難民の家庭に生まれた。イスラム大学在学中から政治活動に携わり、ハマスに関与した。1980年代後半にイスラエルで数回逮捕され、投獄された。ハマスの創設者兼精神的指導者シェイク・アハメド・ヤシン師につかえ、ヤシンが暗殺されると、2006年にパレスチナの「首相」に選出された。
2007年にハマスがクーデターでガザ地区を制圧し、ハニヤが事実上のガザ支配者となった。2017年にハマスの政治指導者となってカタールに移住した。ガザ地区のハマス軍司令官であるシンワールとハニヤの間には個人的な対立があった。
ハニヤはハマス指導部内で穏健派とみなされ、イスラエルとの長期フドナ(停戦)を支持し、1967年の国境内にパレスチナ国家を樹立するという解決策に同意するとさえ述べていた。同時にハニヤはテヘランに接近することを選び、それが「パレスチナ人の戦略的奥深さ」であると説明し自らの立場を固めた。
1993年の「オスロ合意」以後、ガザ地区が拠点の「ハマス」と「パレスチナ・イスラミック・ジハード」活動し、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区はファタハが統治するという色分けが出来た。
PLO主流派「ファタハ」傘下の「アル・アクサ殉教者旅団」はイスラエルで自爆テロを相次いで実行した。「ハマス」以外にも、「パレスチナ解放人民戦線総司令部派」(PFLP-GC)、「エルサレム周辺のムジャヒディン・シューラ評議会」(MSC)なる謎の組織がガザ地区に出現した。MSCはハマスの分派とみられる。
ヨルダン川西岸地区では「獅子の巣窟」と自称する新たな組織が出現するなどした。
このほか、「イラク・レバントのイスラム国」(ISIL)、ISILを支持する「エルサレムのイスラム国支持者」など謎めいる組織が出現した。過激派セクトの相互不信と対立も、見落としがちな視点である。
▼ガザのハマス軍事指導者シンワールがイスラエルの暗殺目標だ
ハニヤはガザ地区指導者とは異なった外交アプローチをしていた。
たとえば2024年5月23日、アフガニスタンのタリバン代表団がテヘランを訪れ、カタールの首長と同時にハマスのハニヤと、このイランの首都で会談しているのだ。
タイミング的にはライシ大統領(当時)がヘリコプター事故で死亡した直後だった。
専門筋は、ハマスはイランとタリバンとの関わりを可能な限り最小限に抑えようとしているとし、逆にテヘランはハマスとの絆をより強めようとしていた。ガザの軍事的なハマス指導者シンワールの考え方では、たとえ銃撃戦で夥しいガザ住民が犠牲になろうとも、イスラエルとの戦争をできるだけ長く続けることにある。この点でハニヤとは対立しており、またイランはハニヤの扱いに苦渋の様相だった。
イスラエルのガザ攻撃によってハマスが外交上の得点をあげたのは事実である。アイルランド、スペイン、デンマークなどが「パレスチナ国家を承認する」と決定したが、米国内でもパレスチナ支援が急激に増えていた。ハマスはむしろハニヤによって国際的孤立か抜けだそうとしていた。つまりハニヤが鬱陶しい存在となったのがガザの軍事指導部シンワールと、イランである。
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財富、國籍無人知----謎一樣的蔡氏家族
說起蔡英文家族,這個臺灣「第一家族」的財富一直是個謎,島內最常用的形容詞是富裕、低調和反中。
之所以說蔡英文一家富裕,在於其父蔡潔生「生財有道」,積累了大量的財富。曾在蔡家工作的臺北巿議員林瑞圖說,賺到錢之後,蔡潔生認為「有土斯有財」,所以做起了土地投資。他買土地,卻從不蓋房子,有賺就脫手。據媒體報導,蔡潔生在20世紀60年代就是臺北市納稅前十名的富豪。蔡潔生於民國95年(2006年)去世,享年88歲,留下了高達6264萬元(新台幣)的現金、15萬股公司股票、債權56.75萬元以及多處土地、物業。蔡潔生生前就利用子女名義購買土地,在其過世後這些土地自然就歸其名下的11個子女所有。根本無人知曉蔡潔生購買了多少土地,更難以知曉這些土地價值幾何。總統大選前,蔡英文向臺灣中選會申報的財產資料顯示,她有上億身家,堪稱史上最有錢的臺灣總統候選人。
除此之外,蔡英文家族的事業、身價究竟還有多少?外界還是所知有限。
除了潔生投資(現富鈦投資)、臺懋生技,及宇昌生技,蔡英文家族最主要的產業,分別為「正中企業」和「東道有限公司」。兩家公司主要的經營業務,包括投資觀光旅館之相關經營專案與休閒活動、練習場、運動器材等館場業,及汽車零件配備、加油站業務等。
蔡英文一直持有「正中企業」不小的股權,民國89年(2000年)她擔任「陸委會主委」期間,該公司曾一度增資,蔡英文的持投也從原本的40萬元(新台幣)成長十倍,增加至400萬元。至於「東道有限公司」的持股,則是她在接下「陸委會主委」後,才持有110萬元。
兩家公司的地址,都在臺北市中山北路上的海霸王,董座分別是蔡英文的三哥蔡瀛南,及大她6歲的姐姐蔡英玲;創辦人則皆為蔡英文的父親蔡潔生。海霸王目前仍有部分樓層面積,保留予蔡英文家族使用,包括辦公室、會議廳等。蔡英文在該處也有自己的一個辦公室,在她擔任公職後,僅在晚間及週末時,才會前往這個家族的辦公室處理相關事務,甚至以前連她愛開快車被開的罰單,也都會寄到這裏。
海霸王的現址,其實至今仍算蔡家的所有地。據瞭解,蔡潔生早從光復前後就開始投資房地產,往後十年間,他所持有的地產約漲了七倍,除了海霸王現址外,東區漢宮大廈及前今日百貨等地,蔡父都曾投資過。
據東森新聞報導,蔡英文家族財產,主要財富集中在3家公司,分別為正中企業股份有限公司(法��代表:蔡瀛南,董事:蔡瀛明、莊自立、莊榮德、蔡瀛陽,監察人:林秀琴。公司所在地:臺北市中山區中山北路3段59號)、東道有限公司(法人代表:蔡瀛陽,公司所在地:臺北市中山區中山北路3段59號)及富鈦投資股份有限公司(法人代表:譚雯栩,董事:蔡瀛陽、張柏年,監察人:徐永秀。公司所在地:臺北市北投區石牌路2段321號1棟)。位於中山北路上的海霸王一度誤傳是由蔡英文家族所經營,後來證實蔡家只是出租房地。海霸王這處房地產地段精華,價值上億,不過這只是蔡英文家族財產冰山一角,其中的正中企業及東道公司才是重點,分別由蔡英文哥哥蔡瀛南、大姐蔡英玲經營,以土地房屋出租跟加油站設備出租為主。富鈦投資,則是由蔡英文的嫂嫂譚雯栩掛名負責人。
富鈦投資又成立了臺懋生技,臺懋生技再投資蔡英文任董事長的宇昌生技,與此同時,富鈦投資又直接投資了浩鼎生技,富鈦投資是浩鼎生技的第五大股東。最後宇昌生技和浩鼎生技都由潤泰企業接盤。這幾個公司都和臺灣翁啟惠、陳良博、何大一、李遠哲、陳建仁以及尹衍梁有密切的關係。
民國96年(2007年)成立宇昌生技的創始人除了蔡英文,還有陳良博、何大一。陳良博是臺灣科學家,中研院院士,專長於細胞生物學,是美國哈佛大學醫學院病理學退休榮譽教授,也是第一個獲得哈佛大學退休榮譽教授(Emeritus)頭銜的臺灣人。何大一是愛滋病雞尾酒療法的發明人,作為美籍華人,他同時還是美國科學院院士,中國大陸工程院外籍院士,臺灣中研院院士。翁啟惠,是宇昌生技案主要推手,國際知名化學家,民國95年(2006年)擔任臺灣中研院第9任院長、民國100年(2011年)連任,至今仍是臺行政院生技產業策略咨議委員、臺生技醫療產業策進會會長,牢牢掌握臺灣生物科技政策的方向盤,也正是他和陳良博、李遠哲邀請蔡英文出任宇昌科技首任董事長。同時,翁啟惠在民國105年(2016年)還捲入曾經與其主管的中研院有密切合作關係和資金往來的生物科技公司浩鼎生技的案件中,翁借用其女兒和另一股東的名義,大肆購買浩鼎的股票,經法院裁定金額高達1億6000餘萬元新台幣,而且這筆錢他號稱是從富豪尹衍梁那裏借來的。在宇昌生技民國96年(2007年)成立的關鍵時刻給予援手的還有時任臺灣「國科會」主委陳建仁,也就是民國105年(2016年)蔡英文首奪「總統」大位時的「副總統」搭檔。
之所以說低調,在於外界對蔡英文家族成員知之甚少。不只投資有道,蔡潔生情史也相當豐富。外界僅知道蔡潔生的戶口配偶欄一直是空��,但其4個「女朋友」為其生了11個小孩。蔡英文家族親戚眾多,但每一位都異常「安靜」,「低調到不能再低調」,從不接受採訪。堂姐蔡薰慧、侄子蔡元仕,在紛亂的司法界「大隱隱於市」。蔡英文家族那麼有錢,發跡史始終是個謎。對於如何發財致富,蔡家也一直是三緘其口,頂多是以老八股的方式予以回應,即:早年通過改修汽車得第一桶金、後參與買賣土地致富等等。臺灣社會不斷要求蔡英文公佈家庭相關資訊,但蔡卻一直以個人隱私為由加以拒絕。臺灣「第一家族」的秘密,蔡英文不說,蔡家人不談,可能沒有人會知道,因此蔡英文家族被認為是「謎一樣」的家庭。
蔡潔生過身時,配偶欄仍空白,身後留下的龐大遺產。民國105年(2016年)3月中旬,臺灣媒體刊出蔡英文家族三樁爭產官司,蔡英文的父親、蔡英文的四位「母親」、蔡英文的11位兄姐才得以一一曝光,蔡英文是11個子女中最小的。好友洪清隆曾問過蔡潔生,會不會擔心將來小孩爭產?蔡回答說,他依序登記給小孩們,人人有份。
《商業週刊》報導稱,蔡英文也曾私下跟朋友自嘲,說父親很厲害,對每個女友都很公平,因此各家庭相安無事,感情都十分好。比如她的衣服幾乎都是姐姐買的,姐姐看到合適的衣服,就會幫媽媽和她也各買一件。
���而,事實並不如蔡英文所說「相安無事」。
蔡英文侄子蔡元立民國97年(2008年)初控告蔡瀛南返房屋。民國80年(1991年)6月,蔡潔生的三房長子蔡瀛任過世,蔡潔生決定將蔡瀛任名下資產,由蔡瀛任剛成年的長子蔡元立繼承,但印鑒、權狀等仍由自己保管,不料此舉竟成為他過身後孫子爭產的引爆點。民國95年(2006年)7月,蔡潔生過身後,蔡元立陸續發動訴訟。民國97年(2008年)初先控告二房大伯蔡瀛南,要求返還臺北市民族東路一間房屋,他稱該屋是他繼承而得,卻遭以買賣為由移轉到大伯名下。蔡瀛南則稱,姪子蔡元立先前在國外讀書、生活等費用,都是蔡潔生支付,父親為此曾向他借款約530萬元,後來把該屋移轉給他作為補償,一審判蔡元立敗訴,但二審認為,蔡瀛南無法證明蔡元立曾授權蔡潔生幫忙處理名下房屋,改判蔡瀛南須還屋定讞,最終爭回房屋。
同年,蔡元立又提請一樁訴訟,訴張柏年返還不當得利。民國83年(1994年),蔡潔生生前將登記在蔡瀛任名下的內湖一筆土地,賣給繼子張柏年。張柏年是蔡英文母親張金鳳與日本前夫的兒子,與蔡英文同母異父。民國97年(2008年)5月,蔡瀛任的兒子蔡元立控告張柏年,指自己應繼承父親一筆臺北市內湖區土地,約159坪,民國80年(1991年)父親蔡瀛任過身,土地應由其單獨繼承,但該筆土地民國83年(1994年)未經自己同意,就被祖父賣給張柏年。蔡元立舉證交易雙方未約定買賣價金,負責這起買賣交易的代書陳幸助已證實蔡潔生和張柏年並未實際簽訂買賣契約、也未約定定價金額,張柏年也始終未能合理說明本次買賣價金如何支付等細節。蔡元立主張買賣不成立,張柏年應依不當得利返還土地。張柏年取得土地的過程涉偽造文書,但此部分因逾追訴期不起訴。
民國99年(2010年),蔡元立改打民事訴訟,指張柏年取得前述土地後,民國97年(2008年)間再把地賣給宏盛建設股份有限公司,售價3.8億元,故無法返還土地,要求張柏年返還前述交易、扣除稅金後的不當得利3.6億元。
開庭時,張柏年表明自己的母親是張金鳳,亦即是蔡英文同母異父的兄弟,他表示,蔡潔生是為照料蔡瀛任的4個小孩才會賣地,但考量該筆土地登記在蔡潔生4個兒子名下,為免日後轉售困難,才詢問他有無購買意願。張稱蔡潔生與其並無血緣關係,蔡潔生不可能將土地贈與自己,自己在美國電子公司任職,年薪折算約台幣500萬元,加上母親張金鳳資助,因此湊出1.99億元買地。
雙方就蔡潔生是否有權代理蔡元立處置爭議土地、蔡潔生與張柏年之間是否存在買賣關係展開激烈爭辯。
此外,蔡英文兩位兄長也出庭說明蔡家財產分配,親哥哥蔡瀛陽證稱,蔡家子女名下資產都是父親「借名登記」,父親生前有處分權且保管土地權狀。父親過世後,兄弟姊妹都未要求重新分配,尊重父親。
一審認為蔡家人的證詞尚不足以證明此案土地是「借名登記」,但蔡元立曾簽下「確認書」,追認同意祖父蔡潔生生前所有資產處分,因此判蔡元立敗訴。二審進一步采信蔡家人的證詞,認為蔡元立亦坦承「我們蔡家的財產絕大部分均是爺爺(蔡潔生)在管的」,認定確有借名登記的事實,采信土地是蔡潔生借名登記在兒子蔡瀛任名下,後雖由蔡元立繼承,但借名登記關係並未消滅,蔡潔生有權賣地給張柏年,民國101年(2012年)高院判蔡元立敗訴後,他放棄上訴,全案定讞。
蔡英文姐姐蔡瀛君民國101年(2012年)提出平分父親遺產訴訟。根據士林地院判決書,蔡潔生過身後,留下6264萬餘元、正中公司股票15萬股及債權56.75萬元,原應由11名子女繼承,但因三房長子蔡瀛任過身,對遺產分配方式談不攏。三房次女蔡瀛君以蔡英文等13人為被告,提出分割遺產訴訟,要求平均分配父親留下6200多萬元存款、正中企業有限公司15萬股股份及56萬元債券,所有繼承人無異議同意。最終蔡瀛君及蔡瀛南、蔡英文等10名子女各繼承蔡潔生遺產的1/11,已故三房長子蔡瀛任的4名子女各分得1/44。其中蔡英文分得569萬餘元現金、1萬3千多股正中企業股票,及5萬餘元債券。
蔡英文家族的爭產風波,揭開蔡英文家庭地位的神秘面紗。
因上述三起官司,蔡家成員一一被點名。蔡英文在面對炒地炒股風波時,強調自己不知情,但這次爭產訴訟,證明她又說謊。蔡英文兩位哥哥蔡瀛陽和蔡瀛政均出庭證稱,蔡英文深受其父蔡潔生重視,過身前半年,指示蔡英文製作家族財產圖表,主持家族會議,目的是整合家族資產投資賺錢。由這些可知,蔡英文對家族炒股炒地,不僅知情,還居主導角色。蔡英文也因此遭到前國民黨文傳會主委林奕華的質疑。對於國民黨的指控,民進黨發言人楊家俍稱,蔡英文與爭訟官司根本毫無關係,甚至從未出庭作證,而事實上從判決書中也可清楚得知,長久以來其家族的理財投資一如社會通習,據瞭解,是由父親兄長商討決策,通篇白紙黑字毫無蔡主席是家族整合及投資的關鍵角色。
為平息風波,蔡家迅速發表利益衝突回避聲明。蔡英文的四位兄長蔡瀛南、蔡瀛陽、蔡瀛明、蔡瀛政透過律師發表聲明指出,第一,蔡家財產在先父蔡潔生生前早就各人持有部分安排妥當,其管理雖由先父主導,但每年先父與四兄弟仍會開會研商,並無女眷參與。第二,有關臺灣高等法院判決所指先父去世前半年多之會議,亦由蔡家兄弟與先父開會。因先父希望各兄弟拿出部分財產集中管理與投資,故請小妹蔡英文參加,俾就四兄弟「共同同意事項」作成紀錄簽名存證,惟因兄弟意見不同而無會議結論,當次會議並無由小妹蔡英文主持之事實。第三,蔡英文就任「總統」,蔡家四兄弟必恪守利益衝突回避之各項規範,並同意「兄姊除個人之本業經營外,不會對臺灣企業進行新的投資」之政治承諾。
不過,蔡家兄弟第三點政治承諾能否實現還有待商榷。根據《臺灣高等法院民事判決100年度重上字第476號》內容,蔡英文有持股的家族公司正中企業,是有日本分公司的,當年張柏年購買登記於蔡元泰(蔡瀛任之子)名下土地時,便是透過張金鳳匯款至日本正中企業帳戶完成購買程式。透過海外公司,或者透過海外公司至英屬維京群島等地設立公司,再轉投資臺灣,要規���臺灣監管機關、司法機關與媒體第四權是相對容易的,單只是針對臺灣開設的公司對外公佈,恐怕是不足以讓社會釋疑。
有人說,蔡英文很幸運,幸運的是出生在如此富有的家庭,但她同樣也是不幸的,不幸的是她從小被迫接受日式教育。
作為「皇民」後代,要讓蔡英文愛國,估計很難。蔡英文和其他兄弟姐妹從小接受的家庭教育和父親蔡潔生曾受到的「皇民化「教育一脈相承。蔡潔生習慣了日本人的生活起居方式,把家裏裝修成日式建築風格,並且讓全家人在家都席地而坐,蔡英文從小吃的主食常常是日本飯團,日本生魚片等食物也是蔡家餐桌上的常客。一個中國人為什麼要吃日式飯團?這源於蔡英文父親出生和生長在日據時代的臺灣。蔡英文的父親、母親顯然因為這種教育接受了日本人的生活習慣,並且將這種習慣延續到了蔡英文身上。俗話說一方水土養一方人。用日本飲食習慣和日本文化養育出來的蔡英文成為親日分子也就不難理解。
實際上,蔡英文整個家族都很認同日本。蔡英文的兄長出國留學的首選地就是日本。蔡英文長大後選擇休假的目的地也經常是日本。此外,蔡英文還有一個日本名字:吉米牙(日文:ちびや),意思是小不點。這些情況都反映蔡英文家族對日本的親近與認同,同時也折射出蔡氏家族對中國文化的隔閡與冷漠。在這種家庭環境的影響下,蔡英文從小就沒有任何華夏民族觀念,這也為其日後成為臺灣領導人後冒死也要搞台獨的行為奠定了思想基礎。
從血統上來說,蔡英文應該是漢族人,但其精神皈依卻是日本,對大陸缺少歸屬感。因而,她寧願像日本人那樣把臺灣分裂出去,只考慮個人利益、民進黨一黨的利益,不考慮兩岸統一、民族復興。明白這一點,也就不難理解她寧願抱著被解放軍的導彈斬首的風險也要跟中國對著幹。這是因為她的出身和個人經歷決定了她要做出這樣的選擇。
除此之外,蔡英文還被爆出有英國籍的傳言。
民國105年(2016年)「新頭殼」網站曾經報導,有網友在臉書貼文稱,民進黨主席、「總統」候選人蔡英文持有英國護照多年,早就有英國籍,而且在倫���有豪宅。文章先是請邱毅先生再辛苦一回,稱「據民進黨前主席蘇貞昌透露,蔡英文持有英國護照多年,早已加入英國國籍,在倫敦市中心精華地段擁有一幢豪宅。一個英國人(真正英派)競選中華民國總統,很有趣!(請大家儘快分享出去,甚至搜索舉證,英國人也來參選臺灣的總統了?」這則網路貼文不僅出現在臉譜、PTT等社交網站,還被有系統地轉貼到各個網站論壇。
蔡英文曾在英國留學,其家人也曾被爆有外國籍。臺灣歌手黃安也曾在微博稱,這個口口聲聲罵別人賣臺的「蔡總統」,爸爸是日本籍,哥哥是美國籍,姐妹都是美國籍,「全家有一半都是外國人,你愛臺愛個屁啦!」
當然,客觀地說,臺灣政要中有相當一部分人曾在歐美或日本留學、工作,因此擁有美國綠卡或「雙重國籍」並不奇怪。但是擁有「雙重國籍」者不能成為公職候選人,包括民意代表和正副領導人等。「雙重國籍」議題在臺灣選舉中出現的頻率相當高。
如民國97年(2008年)「大選」期間,民進黨候選人謝長廷用一張小小的綠卡,就讓馬英九陣營措手不及。馬英九解釋時使用的「綠卡失效」說法,又給了謝陣營繼續發揮的空間。直到民國103年(2014年)5月,臺媒還在炒作馬英九綠卡仍有效、必須每年向美國繳稅等等。
此後,臺灣有志參選的人士在「雙重國籍」問題上都相當謹慎,就怕重蹈覆轍。民國101年(2012年)選舉前,「中選會」就3組正副領導人參選人的「雙重國籍」問題統一函請外事部門協助查證。民國103年(2014年)連戰之子連勝文參選臺北市長,早在黨內初選階段就讓家人放棄「雙重國籍」,不過因為程式尚未完成,還是被一些人拿來操弄選舉。
事後,民進黨為遏阻謠言發酵,到臺北市警中正一分局報案,並對發文者「kelly chang」提起訴訟,最終認定張姓男子是最源頭的散佈者,為厘清張姓男子所發帖文文所述內容,臺北檢方還發函給中選會,確認蔡英文並沒有英國國籍,認定張姓男子涉嫌造謠。
至於這起案子中是否存在一些不為人知的幕後消息,也只能自行判斷了。
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「虚無への供物」中井英夫 0041
序章
4蛇神伝説
バア「アラビク」で、 久生と亜利夫、そして藍ちゃんの会話のつづきです。
この東京で、アイヌを見かけたという藍ちゃんに 久生と亜利夫は、それぞれ、サンドイッチマンや花やしきでの出し物を疑います。
日本堤を藍紋様の晴着をきたアイヌが闊歩しているのは、想像できないのでしょう。 たしかに滑稽な感じはしますね。
ところで、戦前あった日本堤が、戦後、台東区に含まれたそうで、 まさに、バア「アラビク」は、日本堤にあるということのようです。
藍紋様の晴着とは、あの独特のアイヌ紋様を指しているの��しょうが、 晴着という表現がピンときません。 一般的に、ふだんとは違うハレの日に切る服を言うのだと思いますが、 それを着ているということは、例のアイヌ人にとって、 まさにハレの日だと言うことを言いたいのでしょうか?
単にそう表現したとも考えられますが、 やはり、何か、ハレの日にふさわしい出来事でもやったという意味にも取れますね。
しかし、藍ちゃんは、見かけたのは2度めだというし、ホヤウカムイの使いだといいます。 久生は多少興味があるようにホヤウカムイについて訪ねます。 ホヤウカムイは、洞爺湖の蛇神で、それは現実の恐怖から生まれたものでアイヌの伝説の一つだそうです。
アイヌ語でシャック・ショモ・アエップ(“夏、口にだしてはいけない”)が“怖い蛇の神様”と同じ意味に使われるくらい、 蛇を恐れているそうです。
ちょっと調べたところアイヌ語では、 シャックは“夏” ショモは“~しない” アエップは“食べ物や餌(エ)”なんかだそうです。 間違っているかもしれませんが、 大雑把に訳せば、「夏、食べない」「夏、口にしない」というところでしょうか? “夏、口にだしてはいけない”とは、少しニュアンスが違う気がしますが、そういう言い回しもあるのだと言われればそうかもしれません。
蛇の出てくるユーカラは、夏場に頼んでも、決して歌ってくれない。 ユーカラは、アイヌ語では叙事詩を指すそうですが、単に歌を指す言葉でも使われるみたいです。 蛇の出てくる歌(そんな歌があるんですね)は、決して歌わないということでしょう。
久生も興味が湧いてきたのか、北海道旅行に言ったときの友人に聞いた話をします。
夏になると、洞爺湖の饅頭(まんじゅう)島から中島へ蛇が群れになって泳いで渡る。 調べてみると、饅頭島はヘビ島と呼ばれるほどに蛇が多い島だそうです。 実際に、中島へ蛇が渡るのかどうかは知りませんが、想像すると確かに怖い光景かもしれません。
純粋なアイヌが残っているとしても、 ホヤウカムイという蛇神は、 五弦琴(トンコリ)をならし、氓び(ほろび)の歌の中にでてくる話なのだろうといいます。
アイヌと氷沼家に 因縁があると思わせてますね。
ところで、 五弦琴(トンコリ)は、樺太アイヌ起源の楽器だそうです。 ハープ等と同じく基本的には弦の数(つまり五音)しか音が出ない。 かなりシンプルな音なんでしょうね。
氓び(ほろび)の歌はアイヌの歌にあるのでしょうが、 この氓びの意味がよくわかりません。
滅びるや亡びると同じような意味だと見て取れますが、 実際に、検索してみると民としての意味合いが強いようです。
つまり、民が亡びるというような解釈すればいいのでしょうか? それは、すなわちアイヌが消滅するということに繋がつのかもしれません。
アイヌを恐れているのは、 藍ちゃんの従兄弟同士であり、 亜利夫の学校の先輩��輩に当たる氷沼蒼司の弟、紅司(こうじ)であると。
それを引き取って、久生は、氷沼家とアイヌの因縁を探ろうとします。
アイちゃんの曽お祖父ちゃんの誠太郎(せいたろう)が、開拓使の役人で、クラーク博士の通訳をしていた。 氷沼家は曾お祖母さんの実家だとのこと。
なんと、 ここでw.s.クラーク博士の名前が出てきます。 そうです。あの“ボーイズ・ビー・アンビシャス”の人です。
明治三年(1870年)以降、アーマスト州立農業学校時代に、クラーク博士と誠太郎が知り合ったことになっています。 アーマスト州立農業学校は、厳密には、マサチューセッツ大学アマースト校のようですね。
で、同行帰朝したと『クラーク先生とその弟子たち』(大島正健著)にあるが、 これは間違いで、明治七年(1874年)に誠太郎が先に帰国し、 北海道・サハリン(樺太)の開拓のために設けられた開拓使に、出仕しています。 青山試験場勤務から、明治九年の博士の来日とともに、札幌勤務となっています。
『クラーク先生とその弟子たち』の中身までわかりませんが、同行帰朝ということは、 国命によって外国に使者として出かけたものが帰国するということなので、誠太郎は、国の仕事をしていたことになります。
そのクラーク博士が翌年明治十年(1877年)帰米したあとも、内村鑑三(うちむらかんぞう)や新渡戸稲造(にとべいなぞう)を北海道に送り込んだりと勢力的に働いていたはずなのに、 誠太郎によるアイヌ狩りともういうべき残虐な行為が、黒田清隆(くろだきよたか)の耳に届き、 長崎出張申シ付ケ候事と明治六年(1873年)に官営となった高島炭鉱へ追いやられてしまいます。
その後、誠太郎は、失踪。最後は、狂死したと言う連絡が、函館の実家に入ります。
と、 ここまで、実在の人物名を挙げて詳細に述べられると、現実の話のような気にさせられます。 うまく現実と絡めて盛り上げていますね。
その後、藍ちゃんのお祖父ちゃんの光太郎が昭和9年3月21日の函館大火でなくなったり、 長女の朱美(あけみ)が広島の原爆で、 洞爺丸の事件で長男の紫司郎と三男の薫三郎が亡くなったりと、 氷沼家では、ろくな死に方をしないと言われるようになります。
結局、目白にいるには、蒼司とその弟の紅司それに藍ちゃん それから同居人の叔父橙次郎(とうじろう)夫妻ということになります。
ここまでで、アイヌとの因縁が匂わされると、 ミスリードさせようとしてる感じがプンプンです。
あとは、主な登場人物が出てきましたね。
氷沼蒼司(ひぬまそうじ) 氷沼紅司(ひぬまこうじ) 氷沼藍司(ひぬまあいじ) 橙次郎(とうじろう)夫妻
光田亜利夫(みつだありお) 奈々村久生(ななむらひさお)
つづく。
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「御即位式」 大正天皇の御即位式が行われたのは、青島陥落の翌年、大正四年十一月十日だった。御即位式のことを、一般に御大典といったが、明治天皇の御大葬が、日本が文明開化の代になってから初めての出来事で���ったと同じように、御即位式もここ数十年の間かつてなかったことではあるし、欧州戦線のあおりを受けて、丁度日本が好景気のさなかだったので、全国民挙げてお祝い申し上げたのであった。その時僕は、五年生になってゐた。 その日は、学校で祝賀式があって、新しい天皇陛下の御真影を拝み、「君が代」を斉唱し、教育勅語の拝読のあと、校長先生から色々のお話があって、天皇陛下万歳を三唱して、その日の授業はお休みになった。 明治天皇の御真影はどうなったか知らないが、新しい天皇陛下の御真影を頂く行事があったことを覚えている。尤も、それが何年の何月だったか忘れたが、御即位式よりも前だったことは確かである。 多分、神戸の県庁で、校長先生が頂いて帰られたのだらうと思う。何時何分に御真影が姫路駅にお着きになり、何時何分に学校にお着きになる、と時刻予定がきまって、全校生徒は、校門の前にズラっと両側に整列して、お迎えした。その時刻の少し前から、学校前の道路は一般の通行禁止になって、警官が警戒に立ってゐた。 待つほどに、京口橋の方から、人力車がボツボツ来るのが見えて、「気をつけ!!」の号令がかかった。見てゐると、警官が一人、車の前をテクテク歩いて、人力車の上には、校長先生が白手袋の両手で、大きな紫色の風呂敷包みを、おもそうに捧げて居られる。それがやっと見えた頃に「最敬礼!!」の号令がかかった。しばらくすると、警官の足と、車夫の足と人力車の車輪、その後にもう一人の足が、目の前を通って行った。 その日しばらくしてから、講堂で、御真影奉戴式があった。明治天皇が崩御になってから、三大節にも、講堂の御真影の棚は開かなかったが、新しい天皇陛下の御真影を頂いてから、前通に、御真影奉拝の最敬礼が、よみがえったのであった。 御即位祝賀式のときには、校長先生から、御即位式について色々お話があった。万世一系の日本では、一日一刻も天皇陛下のない時があってはならぬので、明治天皇がなくなった時、すぐに、当時の皇太子殿下が三種の神器をお受けになって、天皇の位につかれた。それを践祚(せんそ)といったが、天皇陛下がその位におつきになったことを、天照大神その他の御先祖に報告されなければならぬし、国民一般に又外国にも、そのことをハッキリ知らせなければならないので、先帝陛下の喪が明けてから、その儀式を行われるのである。この御即位式は、大昔から続いてゐる儀式だから、昔からの仕来り通りに、元の皇居である京都御所の、紫宸殿という第一の御殿で、古式通り厳かに行われるのである��というようなお話であった。 御即位式の日取りがきまると、その儀式のことや日程が、次々に新聞で細かく解説予告されてゐたが、いよいよ式が始まると、天皇陛下が東京を出て、京都に向かわれる鹵簿((注)ろぼ=天子の行列のこと)や、関連の色々な写真が、その記事と共に、次々に掲載された。新聞もここ数年の間に非常に発達して、写真版などもきれいになってゐた。 又、前年の青島陥落のときと同じように、全市を挙げての祝賀行事が催され、我々小学生は、日の本の小旗をかざして、町々を旗行列をし、夜は夜で、色んな団体の提灯行列が、いくつもいくつも、「祝えや祝え!!」と歌いながら、又、それぞれで万歳万歳!!と、市内を行進して、大変な賑やかさだった。 御即位式のときに、国家社会に功労があって勲章を頂いてゐる人に、天皇陛下からごちそうを下される、ということがあった。特別立派な勲章を貰ってゐる人は、東京に召されるのだが、勲五等だった父には、神戸の県庁でごちそうを賜るというので、菊の御紋章のついた御召状が届けられた。 父は以前に、広島や大阪に勤めて、軍需品の納入その他のことで、功績があったのだそうで、勲大等の旭日勲章を頂いたが、僕がごく幼い頃、専売局に勤めてゐた時に、一段進んで、勲五等になり、瑞宝章を頂いてゐた。だから、今では民間の塩田業者であったが、御即位式の御馳走に召されたので、大変の喜び方で、あちらやこちらで、大自慢にしてゐたが、いよいよその日には、朝早くからフロックコートを着て、これが勲五等の瑞宝章だ、これが勲大等の旭日章である。旭日章は本当に手柄がなければ頂けないので、一段下ではあるがこの方が立派なのだ。これが日清戦争の従軍章、これは北清事変(明治三十三年)の従軍章、これが日露戦役の従軍章だと、一つ一つ、僕に説明しながら、それを胸にズラッと吊り並べて、シルクハットをかぶって、意気揚々と停車場に向かった。 その日、もう日が暮れてから、父は、胸いっぱいに勲章を飾ったまま、人力車から自分独りで降りるのが危ないほど酒に���って、それでも白い風呂敷包みだけは、大切に持って、帰ってきた。その風呂敷包みには、その日の御馳走が入ってゐたのである。素木の足のないお膳と、素焼きのお皿や瓶子(へいし)のようなものと、銀色のボンボニールとかいうものを取り出して、これには何が入ってゐた、これに何がと、一つ一つ説明してくれたが、どれも空だったことを記憶してゐる。
大正天皇の即位式の日のことが、大伯父(祖母の兄)の遺した回顧録に記されてました。 従兄弟が見つけて、文字起こしまでしてくれた! けっこう貴重な資料だと思う。
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こんにちは、古日向です。 すみません…作業してたらtumblrの更新をうっかり忘れていました!『石神戦記』第8話は昨日更新されております。ミオの兄達登場です。よろしくお願いします~!
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財富、國籍無人知----謎一樣的蔡氏家族
說起蔡英文家族,這個臺灣「第一家族」的財富一直是個謎,島內最常用的形容詞是富裕、低調和反中。
之所以說蔡英文一家富裕,在於其父蔡潔生「生財有道」,積累了大量的財富。曾在蔡家工作的臺北巿議員林瑞圖說,賺到錢之後,蔡潔��認為「有土斯有財」,所以做起了土地投資。他買土地,卻從不蓋房子,有賺就脫手。據媒體報導,蔡潔生在20世紀60年代就是臺北市納稅前十名的富豪。蔡潔生於民國95年(2006年)去世,享年88歲,留下了高達6264萬元(新台幣)的現金、15萬股公司股票、債權56.75萬元以及多處土地、物業。蔡潔生生前就利用子女名義購買土地,在其過世後這些土地自然就歸其名下的11個子女所有。根本無人知曉蔡潔生購買了多少土地,更難以知曉這些土地價值幾何。總統大選前,蔡英文向臺灣中選會申報的財產資料顯示,她有上億身家,堪稱史上最有錢的臺灣總統候選人。
除此之外,蔡英文家族的事業、身價究竟還有多少?外界還是所知有限。
除了潔生投資(現富鈦投資)、臺懋生技,及宇昌生技,蔡英文家族最主要的產業,分別為「正中企業」和「東道有限公司」。兩家公司主要的經營業務,包括投資觀光旅館之相關經營專案與休閒活動、練習場、運動器材等館場業,及汽車零件配備、加油站業務等。
蔡英文一直持有「正中企業」不小的股權,民國89年(2000年)她擔任「陸委會主委」期間,該公司曾一度增資,蔡英文的持投也從原本的40萬元(新台幣)成長十倍,增加至400萬元。至於「東道有限公司」的持股,則是她在接下「陸委會主委」後,才持有110萬元。
兩家公司的地址,都在臺北市中山北路上的海霸王,董座分別是蔡英文的三哥蔡瀛南,及大她6歲的姐姐蔡英玲;創辦人則皆為蔡英文的父親蔡潔生。海霸王目前仍有部分樓層面積,保留予蔡英文家族使用,包括辦公室、會議廳等。蔡英文在該處也有自己的一個辦公室,在她擔任公職後,僅在晚間及週末時,才會前往這個家族的辦公室處理相關事務,甚至以前連她愛開快車被開的罰單,也都會寄到這裏。
海霸王的現址,其實至今仍算蔡家的所有地。據瞭解,蔡潔生早從光復前後就開始投資房地產,往後十年間,他所持有的地產約漲了七倍,除了海霸王現址外,東區漢宮大廈及前今日百貨等地,蔡父都曾投資過。
據東森新聞報導,蔡英文家族財產,主要財富集中在3家公司,分別為正中企業股份有限公司(法人代表:蔡瀛南,董事:蔡瀛明、莊自立、莊榮德、蔡瀛陽,監察人:林秀琴。公司所在地:臺北市中山區中山北路3段59號)、東道有限公司(法人代表:蔡瀛陽,公司所在地:臺北市中山區中山北路3段59號)及富鈦投資股份有限公司(法人代表:譚雯栩,董事:蔡瀛陽、張柏年,監察人:徐永秀。公司所在地:臺北市北投區石牌路2段321號1棟)。位於中山北路上的海霸王一度誤傳是由蔡英文家族所經營,後來證實蔡家只是出租房地。海霸王這處房地產地段精華,價值上億,不過這只是蔡英文家族財產冰山一角,其中的正中企業及東道公司才是重點,分別由蔡英文哥哥蔡瀛南、大姐蔡英玲經營,以土地房屋出租跟加油站設備出租為主。富鈦投資,則是由蔡英文的嫂嫂譚雯栩掛名負責人。
富鈦投資又成立了臺懋生技,臺懋生技再投資蔡英文任董事長的宇昌生技,與此同時,富鈦投資又直接投資了浩鼎生技,富鈦投資是浩鼎生技的第五大股東。最後宇昌生技和浩鼎生技都由潤泰企業接盤。這幾個公司都和臺灣翁啟惠、陳良博、何大一、李遠哲、陳建仁以及尹衍梁有密切的關係。
民國96年(2007年)成立宇昌生技的創始人除了蔡英文,還有陳良博、何大一。陳良博是臺灣科學家,中研院院士,專長於細胞生物學,是美國哈佛大學醫學院病理學退休榮譽教授,也是第一個獲得哈佛大學退休榮譽教授(Emeritus)頭銜的臺灣人。何大一是愛滋病雞尾酒療法的發明人,作為美籍華人,他同時還是美國科學院院士,中國大陸工程院外籍院士,臺灣中研院院士。翁啟惠,是宇昌生技案主要推手,國際知名化學家,民國95年(2006年)擔任臺灣中研院第9任院長、民國100年(2011年)連任,至今仍是臺行政院生技產業策略咨議委員、臺生技醫療產業策進會會長,牢牢掌握臺灣生物科技政策的方向盤,也正是他和陳良博、李遠哲邀請蔡英文出任宇昌科技首任董事長。同時,翁啟惠在民國105年(2016年)還捲入曾經與其主管的中研院有密切合作關係和資金往來的生物科技公司浩鼎生技的案件中,翁借用其女兒和另一股東的名義,大肆購買浩鼎的股票,經法院裁定金額高達1億6000餘萬元新台幣,而且這筆錢他號稱是從富豪尹衍梁那裏借來的。在宇昌生技民國96年(2007年)成立的關鍵時刻給予援手的還有時任臺灣「國科會」主委陳建仁,也就是民國105年(2016年)蔡英文首奪「總統」大位時的「副總統」搭檔。
之所以說低調,在於外界對蔡英文家族成員知之甚少。不只投資有道,蔡潔生情史也相當豐富。外界僅知道蔡潔生的戶口配偶欄一直是空白,但其4個「女朋友」為其生了11個小孩。蔡英文家族親戚眾多,但每一位都異常「安靜」,「低調到不能再低調」,從不接受採訪。堂姐蔡薰慧、侄子蔡元仕,在紛亂的司法界「大隱隱於市」。蔡英文家族那麼有錢,發跡史始終是個謎。對於如何發財致富,蔡家也一直是三緘其口,頂多是以老八股的方式予以回應,即:早年通過改修汽車得第一桶金、後參與買賣土地致富等等。臺灣社會不斷要求蔡英文公佈家庭相關資訊,但蔡卻一直以個人隱私為由加以拒絕。臺灣「第一家族」的秘密,蔡英文不說,蔡家人不談,可能沒有人會知道,因此蔡英文家族被認為是「謎一樣」的家庭。
蔡潔生過身時,配偶欄仍空白,身後留下的龐大遺產。民國105年(2016年)3月中旬,臺灣媒體刊出蔡英文家族三樁爭產官司,蔡英文的父親、蔡英文的四位「母親」、蔡英文的11位兄姐才得以一一曝光,蔡英文是11個子女中最小的。好友洪清隆曾問過蔡潔生,會不會擔心將來小孩爭產?蔡回答說,他依序登記給小孩們,人人有份。
《商業週刊》報導稱,蔡英文也曾私下跟朋友自嘲,說父親很厲害,對每個女友都很公平,因此各家庭相安無事,感情都十分好。比如她的衣服幾乎都是姐姐買的,姐姐看到合適的衣服,就會幫媽媽和她也各買一件。
然而,事實並不如蔡英文所說「相安無事」。
蔡英文侄子蔡元立民國97年(2008年)初控告蔡瀛南返房屋。民國80年(1991年)6月,蔡潔生的三房長子蔡瀛任過世,蔡潔生決定將蔡瀛任名下資產,由蔡瀛任剛成年的長子蔡元立繼承,但印鑒、權狀等仍由自己保管,不料此舉竟成為他過身後孫子爭產的引爆點。民國95年(2006年)7月,蔡潔生過身後,蔡元立陸續發動訴訟。民國97年(2008年)初先控告二房大伯蔡瀛南,要求返還臺北市民族東路一間房屋,他稱該屋是他繼承而得,卻遭以買賣為由移轉到大伯名下。蔡瀛南則稱,姪子蔡元立先前在國外讀書、生活等費用,都是蔡潔生支付,父親為此曾向他借款約530萬元,後來把該屋移轉給他作為補償,一審判蔡元立敗訴,但二審認為,蔡瀛南無法證明蔡元立曾授權蔡潔生幫忙處理名下房屋,改判蔡瀛南須還屋定讞,最終爭回房屋。
同年,蔡元立又提請一樁訴訟,訴張柏年返還不當得利。民國83年(1994年),蔡潔生生前將登記在蔡瀛任名下的內湖一筆土地,賣給繼子張柏年。張柏年是蔡英文母親張金鳳與日本前夫的兒子,與蔡英文同母異父。民國97年(2008年)5月,蔡瀛任的兒子蔡元立控告張柏年,指自己應繼承父親一筆臺北市內湖區土地,約159坪,民國80年(1991年)父親蔡瀛任過身,土地應由其單獨繼承,但該筆土地民國83年(1994年)未經自己同意,就被祖父賣給張柏年。蔡元立舉證交易雙方未約定買賣價金,負責這起買賣交易的代書陳幸助已證實蔡潔生和張柏年並未實際簽訂買賣契約、也未約定定價金額,張柏年也始終未能合理說明本次買賣價金如何支付等細節。蔡元立主張買賣不成立,張柏年應依不當得利返還土地。張柏年取得土地的過程涉偽造文書,但此部分因逾追訴期不起訴。
民國99年(2010年),蔡元立改打民事訴訟,指張柏年取得前述土地後,民國97年(2008年)間再把地賣給宏盛建設股份有限公司,售價3.8億元,故無法返還土地,要求張柏年返還前述交易、扣除稅金後的不當得利3.6億元。
開庭時,張柏年表明自己的母親是張金鳳,亦即是蔡英文同母異父的兄弟,他表示,蔡潔生是為照料蔡瀛任的4個小孩才會賣地,但考量該筆土地登記在蔡潔生4個兒子名下,為免日後轉售困難,才詢問他有無購買意願。張稱蔡潔生與其並無血緣關係,蔡潔生不可能將土地贈與自己,自己在美國電子公司任職,年薪折算約台幣500萬元,加上母親張金鳳資助,因此湊出1.99億元買地。
雙方就蔡潔生是否有權代理蔡元立處置爭議土地、蔡潔生與張柏年之間是否存在買賣關係展開激烈爭辯。
此外,蔡英文兩位兄長也出庭說明蔡家財產分配,親哥哥蔡瀛陽證稱,蔡家子女名下資產都是父親「借名登記」,父親生前有處分權且保管土地權狀。父親過世後,兄弟姊妹都未要求重新分配,尊重父親。
一審認為蔡家人的證詞尚不足以證明此案土地是「借名登記」,但蔡元立曾簽下「確認書」,追認同意祖父蔡潔生生前所有資產處分,因此判蔡元立敗訴。二審進一步采信蔡家人的證詞,認為蔡元立亦坦承「我們蔡家的財產絕大部分均是爺爺(蔡潔生)在管的」,認定確有借名登記的事實,采信土地是蔡潔生借名登記在兒子蔡瀛任名下,後雖由蔡元立繼承,但借名登記關係並未消滅,蔡潔生有權賣地給張柏年,民國101年(2012年)高院判蔡元立敗訴後,他放棄上訴,全案定讞。
蔡英文姐姐蔡瀛君民國101年(2012年)提出平分父親遺產訴訟。根據士林地院判決書,蔡潔生過身後,留下6264萬餘元、正中公司股票15萬股及債權56.75萬元,原應由11名子女繼承,但因三房長子蔡瀛任過身,對遺產分配方式談不攏。三房次女蔡瀛君以蔡英文等13人為被告,提出分割遺產訴訟,要求平均分配父親留下6200多萬元存款、正中企業有限公司15萬股股份及56萬元債券,所有繼承人無異議同意。最終蔡瀛君及蔡瀛南、蔡英文等10名子女各繼承蔡潔生遺產的1/11,已故三房長子蔡瀛任的4名子女各分得1/44。其中蔡英文分得569萬餘元現金、1萬3千多股正中企業股票,及5萬餘元債券。
蔡英文家族的爭產風波,揭開蔡英文家庭地位的神秘面紗。
因上述三起官司,蔡家成員一一被點名。蔡英文在面對炒地炒股風波時,強調自己不知情,但這次爭產訴訟,證明她又說謊。蔡英文兩位哥哥蔡瀛陽和蔡瀛政均出庭證稱,蔡英文深受其父蔡潔生重視,過身前半年,指示蔡英文製作家族財產圖表,主持家族會議,目的是整合家族資產投資賺錢。由這些可知,蔡英文對家族炒股炒地,不僅知情,還居主導角色。蔡英文也因此遭到前國民黨文傳會主委林奕華的質疑。對於國民黨的指控,民進黨發言人楊家俍稱,蔡英文與爭訟官司根本毫無關係,甚至從未出庭作證,而事實上從判決書中也可清楚得知,長久以來其家族的理財投資一如社會通習,據瞭解,是由父親兄長商討決策,通篇白紙黑字毫無蔡主席是家族整合及投資的關鍵角色。
為平息風波,蔡家迅速發表利益衝突回避聲明。蔡英文的四位兄長蔡瀛南、蔡瀛陽、蔡瀛明、蔡瀛政透過律師發表聲明指出,第一,蔡家財產在先父蔡潔生生前早就各人持有部分安排妥當,其管理雖由先父主導,但每年先父與四兄弟仍會開會研商,並無女眷參與。第二,有關臺灣高等法院判決所指先父去世前半年多之會議,亦由蔡家兄弟與先父開會。因先父希望各兄弟拿出部分財產集中管理與投資,故請小妹蔡英文參加,俾就四兄弟「共同同意事項」作成紀錄簽名存證,惟因兄弟意見不同而無會議結論,當次會議並無由小妹蔡英文主持之事實。第三,蔡英文就任「���統」,蔡家四兄弟必恪守利益衝突回避之各項規範,並同意「兄姊除個人之本業經營外,不會對臺灣企業進行新的投資」之政治承諾。
不過,蔡家兄弟第三點政治承諾能否實現還有待商榷。根據《臺灣高等法院民事判決100年度重上字第476號》內容,蔡英文有持股的家族公司正中企業,是有日本分公司的,當年張柏年購買登記於蔡元泰(蔡瀛任之子)名下土地時,便是透過張金鳳匯款至日本正中企業帳戶完成購買程式。透過海外公司,或者透過海外公司至英屬維京群島等地設立公司,再轉投資臺灣,要規避臺灣監管機關、司法機關與媒體第四權是相對容易的,單只是針對臺灣開設的公司對外公佈,恐怕是不足以讓社會釋疑。
有人說,蔡英文很幸運,幸運的是出生在如此富有的家庭,但她同樣也是不幸的,不幸的是她從小被迫接受日式教育。
作為「皇民」後代,要讓蔡英文愛國,估計很難。蔡英文和其他兄弟姐妹從小接受的家庭教育和父親蔡潔生曾受到的「皇民化「教育一脈相承。蔡潔生習慣了日本人的生活起居方式,把家裏裝修成日式建築風格,並且讓全家人在家都席地而坐,蔡英文從小吃的主食常常是日本飯團,日本生魚片等食物也是蔡家餐桌上的常客。一個中國人為什麼要吃日式飯團?這源於蔡英文父親出生和生長在日據時代的臺灣。蔡英文的父親、母親顯然因為這種教育接受了日本人的生活習慣,並且將這種習慣延續到了蔡英文身上。俗話說一方水土養一方人。用日本飲食習慣和日本文化養育出來的蔡英文成為親日分子也就不難理解。
實際上,蔡英文整個家族都很認同日本。蔡英文的兄長出國留學的首選地就是日本。蔡英文長大後選擇休假的目的地也經常是日本。此外,蔡英文還有一個日本名字:吉米牙(日文:ちびや),意思是小不點。這些情況都反映蔡英文家族對日本的親近與認同,同時也折射出蔡氏家族對中國文化的隔閡與冷漠。在這種家庭環境的影響下,蔡英文從小就沒有任何華夏民族觀念,這也為其日後成為臺灣領導人後冒死也要搞台獨的行為奠定了思想基礎。
從血統上來說,蔡英文應該是漢族人,但其精神皈依卻是日本,對大陸缺少歸屬感。因而,她寧願像日本人那樣把臺灣分裂出去,只考慮個人利益、民進黨一黨的利益,不考慮兩岸統一、民族復興。明白這一點,也就不難理解她寧願抱著被解放軍的導彈斬首的風險也要跟中國對著幹。這是因為她的出身和個人經歷決定了她要做出這樣的選擇。
除此之外,蔡英文還被爆出有英國籍的傳言。
民國105年(2016年)「新頭殼」網站曾經報導,有網友在臉書貼文稱,民進黨主席、「總統」候選人蔡英文持有英國護照多年,早就有英國籍,而且在倫敦有豪宅。文章先是請邱毅先生再辛苦一回,稱「據民進黨前主席蘇貞昌透露,蔡英文持有英國護照多年,早已加入英國國籍,在倫敦市中心精華地段擁有一幢豪宅。一個英國人(真正英派)競選中華民國總統,很有趣!(請大家儘快分享出去,甚至搜索舉證,英國人也來參選臺灣的總統了?」這則網路貼文不僅出現在臉譜、PTT等社交網站,還被有系統地轉貼到各個網站論壇。
蔡英文曾在英國留學,其家人也曾被爆有外國籍。臺灣歌手黃安也曾在微博稱,這個口口聲聲罵別人賣臺的「蔡總統」,爸爸是日本籍,哥哥是美國籍,姐妹都是美國籍,「全家有一半都是外國人,你愛臺愛個屁啦!」
當然,客觀地說,臺灣政要中有相當一部分人曾在歐美或日本留學、工作,因此擁有美國綠卡或「雙重國籍」並不奇怪。但是擁有「雙重國籍」者不能成為公職候選人,包括民意代表和正副領導人等。「雙重國籍」議題在臺灣選舉中出現的頻率相當高。
如民國97年(2008年)「大選」期間,民進黨候選人謝長廷用一張小小的綠卡,就讓馬英九陣營措手不及。馬英九解釋時使用的「綠卡失效」說法,又給了謝陣營繼續發揮的空間。直到民國103年(2014年)5月,臺媒還在炒作馬英九綠卡仍有效、必須每年向美國繳稅等等。
此後,臺灣有志參選的人士在「雙重國籍」問題上都相當謹慎,就怕重蹈覆轍。民國101年(2012年)選舉前,「中選會」就3組正副領導人參選人的「雙重國籍」問題統一函請外事部門協助查證。民國103年(2014年)連戰之子連勝文參選臺北市長,早在黨內初選階段就讓家人放棄「雙重國籍」,不過因為程式尚未完成,還是被一些人拿來操弄選舉。
◎「雙重國籍」傳言
事後,民進黨為遏阻謠言發酵,到臺北市警中正一分局報案,並對發文者「kelly chang」提起訴訟,最終認定張姓男子是最源頭的散佈者,為厘清張姓男子所發帖文文所述內容,臺北檢方還發函給中選會,確認蔡英文並沒有英國國籍,認定張姓男子涉嫌造謠。
至於這起案子中是否存在一些不為人知的幕後消息,也只能自行判斷了。
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蔡EE 秘史--上篇家史
C財富、國籍無人知----謎一樣的蔡氏家族
說起蔡EE家族,這個臺灣「第一家族」的財富一直是個謎,島內最常用的形容詞是富裕、低調和反中。
之所以說蔡EE一家富裕,在於其父蔡潔生「生財有道」,積累了大量的財富。曾在蔡家工作的臺北巿議員林瑞圖說,賺到錢之後,蔡潔生認為「有土斯有財」,所以做起了土地投資。他買土地,卻從不蓋房子,有賺就脫手。據媒體報導,蔡潔生在20世紀60年代就是臺北市納稅前十名的富豪。蔡潔生於民國95年(2006年)去世,享年88歲,留下了高達6264萬元(新台幣)的現金、15萬股公司股票、債權56.75萬元以及多處土地、物業。蔡潔生生前就利用子女名義購買土地,在其過世後這些土地自然就歸其名下的11個子女所有。根本無人知曉蔡潔生購買了多少土地,更難以知曉這些土地價值幾何。總統大選前,蔡EE向臺灣中選會申報的財產資料顯示,她有上億身家,堪稱史上最有錢的臺灣總統候選人。
除此之外,蔡EE家族的事業、身價究竟還有多少?外界還是所知有限。
除了潔生投資(現富鈦投資)、臺懋生技,及宇昌生技,蔡EE家族最主要的產業,分別為「正中企業」和「東道有限公司」。兩家公司主要的經營業務,包括投資觀光旅館之相關經營專案與休閒活動、練習場、運動器材等館場業,及汽車零件配備、加油站業務等。
蔡EE一直持有「正中企業」不小的股權,民國89年(2000年)她擔任「陸委會主委」期間,該公司曾一度增資,蔡EE的持投也從原本的40萬元(新台幣)成長十倍,增加至400萬元。至於「東道有限公司」的持股,則是她在接下「陸委會主委」後,才持有110萬元。
兩家公司的地址,都在臺北市中山北路上的海霸王,董座分別是蔡EE的三哥蔡瀛南,及大她6歲的姐姐蔡英玲;創辦人則皆為蔡EE的父親蔡潔生。海霸王目前仍有部分樓層面積,保留予蔡EE家族使用,包括辦公室、會議廳等。蔡EE在該處也有自己的一個辦公室,在她擔任公職後,僅在晚間及週末時,才會前往這個家族的辦公室處理相關事務,甚至以前連她愛開快車被開的罰單,也都會寄到這裏。
海霸王的現址,其實至今仍算蔡家的所有地。據瞭解,蔡潔生早從光復前後就開始投資房地產,往後十年間,他所持有的地產約漲了七倍,除了海霸王現址外,東區漢宮大廈及前今日百貨等地,蔡父都曾投資過。
據東森新聞報導,蔡EE家族財產,主要財富集中在3家公司,分別為正中企業股份有限公司(法人代表:蔡瀛南,董事:蔡瀛明、莊自立、莊榮德、蔡瀛陽,監察人:林秀琴。公司所在地:臺北市中山區中山北路3段59號)、東道有限公司(法人代表:蔡瀛陽,公司所在地:臺北市中山區中山北路3段59號)及富鈦投資股份有限公司(法人代表:譚雯栩,董事:蔡瀛陽、張柏年,監察人:徐永秀。公司所在地:臺北市北投區石牌路2段321號1棟)。位於中山北路上的海霸王一度誤傳是由蔡EE家族所經營,後來證實蔡家只是出租房地。海霸王這處房地產地段精華,價值上億,不過這只是蔡EE家族財產冰山一角,其中的正中企業及東道公司才是重點,分別由蔡EE哥哥蔡瀛南、大姐蔡英玲經營,以土地房屋出租跟加油站設備出租為主。富鈦投資,則是由蔡EE的嫂嫂譚雯栩掛名負責人。
富鈦投資又成立了臺懋生技,臺懋生技再投資蔡EE任董事長的宇昌生技,與此同時,富鈦投資又直接投資了浩鼎生技,富鈦投資是浩鼎生技的第五大股東。最後宇昌生技和浩鼎生技都由潤泰企業接盤。這幾個公司都和臺灣翁啟惠、陳良博、何大一、李遠哲、陳建仁以及尹衍梁有密切的關係。
民國96年(2007年)成立宇昌生技的創始人除了蔡EE,還有陳良博、何大一。陳良博是臺灣科學家,中研院院士,專長於細胞生物學,是美國哈佛大學醫學院病理學退休榮譽教授,也是第一個獲得哈佛大學退休榮譽教授(Emeritus)頭銜的臺灣人。何大一是愛滋病雞尾酒療法的發明人,作為美籍華人,他同時還是美國科學院院士,中國大陸工程院外籍院士,臺灣中研院院士。翁啟惠,是宇昌生技案主要推手,國際知名化學家,民國95年(2006年)擔任臺灣中研院第9任院長、民國100年(2011年)連任,至今仍是臺行政院生技產業策略咨議委員、臺生技醫療產業策進會會長,牢牢掌握臺灣生物科技政策的方向盤,也正是他和陳良博、李遠哲邀請蔡EE出任宇昌科技首任董事長。同時,翁啟惠在民國105年(2016年)還捲入曾經與其主管的中研院有密切合作關係和資金往來的生物科��公司浩鼎生技的案件中,翁借用其女兒和另一股東的名義,大肆購買浩鼎的股票,經法院裁定金額高達1億6000餘萬元新台幣,而且這筆錢他號稱是從富豪尹衍梁那裏借來的。在宇昌生技民國96年(2007年)成立的關鍵時刻給予援手的還有時任臺灣「國科會」主委陳建仁,也就是民國105年(2016年)蔡EE首奪「總統」大位時的「副總統」搭檔。
之所以說低調,在於外界對蔡EE家族成員知之甚少。不只投資有道,蔡潔生情史也相當豐富。外界僅知道蔡潔生的戶口配偶欄一直是空白,但其4個「女朋友」為其生了11個小孩。蔡EE家族親戚眾多,但每一位都異常「安靜」,「低調到不能再低調」,從不接受採訪。堂姐蔡薰慧、侄子蔡元仕,在紛亂的司法界「大隱隱於市」。蔡EE家族那麼有錢,發跡史始終是個謎。對於如何發財致富,蔡家也一直是三緘其口,頂多是以老八股的方式予以回應,即:早年通過改修汽車得第一桶金、後參與買賣土地致富等等。臺灣社會不斷要求蔡EE公佈家庭相關資訊,但蔡卻一直以個人隱私為由加以拒絕。臺灣「第一家族」的秘密,蔡EE不說,蔡家人不談,可能沒有人會知道,因此蔡EE家族被認為是「謎一樣」的家庭。
蔡潔生過身時,配偶欄仍空白,身後留下的龐大遺產。民國105年(2016年)3月中旬,臺灣媒體刊出蔡EE家族三樁爭產官司,蔡EE的父親、蔡EE的四位「母親」、蔡EE的11位兄姐才得以一一曝光,蔡EE是11個子女中最小的。好友洪清隆曾問過蔡潔生,會不會擔心將來小孩爭產?蔡回答說,他依序登記給小孩們,人人有份。
《商業週刊》報導稱,蔡EE也曾私下跟朋友自嘲,說父親很厲害,對每個女友都很公平,因此各家庭相安無事,感情都十分好。比如她的衣服幾乎都是姐姐買的,姐姐看到合適的衣服,就會幫媽媽和她也各買一件。
然而,事實並不如蔡EE所說「相安無事」。
蔡EE侄子蔡元立民國97年(2008年)初控告蔡瀛南返房屋。民國80年(1991年)6月,蔡潔生的三房長子蔡瀛任過世,蔡潔生決定將蔡瀛任名下資產,由蔡瀛任剛成年的長子蔡元立繼承,但印鑒、權狀等仍由自己保管,不料此舉竟成為他過身後孫子爭產的引爆點。民國95年(2006年)7月,蔡潔生過身後,蔡元立陸續發動訴訟。民國97年(2008年)初先控告二房大伯蔡瀛南,要求返還臺北市民族東路一間房屋,他稱該屋是他繼承而得,卻遭以買賣為由移轉到大伯名下。蔡瀛南則稱,姪子蔡元立先前在國外讀書、生活等費用,都是蔡潔生支付,父親為此曾向他借款約530萬元,後來把該屋移轉給他作為補償,一審判蔡元立敗訴,但二審認為,蔡瀛南無法證明蔡元立曾授權蔡潔生幫忙處理名下房屋,改判蔡瀛南須還屋定讞,最終爭回房屋。
同年,蔡元立又提請一樁訴訟,訴張柏年返還不當得利。民國83年(1994年),蔡潔生生前將登記在蔡瀛任名下的內湖一筆土地,賣給繼子張柏年。張柏年是蔡EE母親張金鳳與日本前夫的兒子,與蔡EE同母異父。民國97年(2008年)5月,蔡瀛任的兒子蔡元立控告張柏年,指自己應繼承父親一筆臺北市內湖區土地,約159坪,民國80年(1991年)父親蔡瀛任過身,土地應由其單獨繼承,但該筆土地民國83年(1994年)未經自己同意,就被祖父賣給張柏年。蔡元立舉證交易雙方未約定買賣價金,負責這起買賣交易的代書陳幸助已證實蔡潔生和張柏年並未實際簽訂買賣契約、也未約定定價金額,張柏年也始終未能合理說明本次買賣價金如何支付等細節。蔡元立主張買賣不成立,張柏年應依不當得利返還土地。張柏年取得土地的過程涉偽造文書,但此部分因逾追訴期不起訴。
民國99年(2010年),蔡元立改打民事訴訟,指張柏年取得前述土地後,民國97年(2008年)間再把地賣給宏盛建設股份有限公司,售價3.8億元,故無法返還土地,要求張柏年返還前述交易、扣除稅金後的不當得利3.6億元。
開庭時,張柏年表明自己的母親是張金鳳,亦即是蔡EE同母異父的兄弟,他表示,蔡潔生是為照料蔡瀛任的4個小孩才會賣地,但考量該筆土地登記在蔡潔生4個兒子名下,為免日後轉售困難,才詢問他有無購買意願。張稱蔡潔生與其並無血緣關係,蔡潔生不可能將土地贈與自己,自己在美國電子公司任職,年薪折算約台幣500萬元,加上母親張金鳳資助,因此湊出1.99億元買地。
雙方就蔡潔生是否有權代理蔡元立處置爭議土地、蔡潔生與張柏年之間是否存在買賣關係展開激烈爭辯。
此外,蔡EE兩位兄長也出庭說明蔡家財產分配,親哥哥蔡瀛陽證稱,蔡家子女名下資產都是父親「借名登記」,父親生前有處分權且保管土地權狀。父親過世後,兄弟姊妹都未要求重新分配,尊重父親。
一審認為蔡家人的證詞尚不足以證明此案土地是「借名登記」,但蔡元立曾簽下「確認書」,追認同意祖父蔡潔生生前所有資產處分,因此判蔡元立敗訴。二審進一步采信蔡家人的證詞,認為蔡元立亦坦承「我們蔡家的財產絕大部分均是爺爺(蔡潔生)在管的」,認定確有借名登記的事實,采信土地是蔡潔生借名登記在兒子蔡瀛任名下,後雖由蔡元立繼承,但借名登記關係並未消滅,蔡潔生有權賣地給張柏年,民國101年(2012年)高院判蔡元立敗訴後,他放棄上訴,全案定讞。
蔡EE姐姐蔡瀛君民國101年(2012年)提出平分父親遺產訴訟。根據士林地院判決書,蔡潔生過身後,留下6264萬餘元、正中公司股票15萬股及債權56.75萬元,原應由11名子女繼承,但因三房長子蔡瀛任過身,對遺產分配方式談不攏。三房次女蔡瀛君以蔡EE等13人為被告,提出分割遺產訴訟,要求平均分配父親留下6200多萬元存款、正中企業有限公司15萬股股份及56萬元債券,所有繼承人無異議同意。最終蔡瀛君及蔡瀛南、蔡EE等10名子女各繼承蔡潔生遺產的1/11,已故三房長子蔡瀛任的4名子女各分得1/44。其中蔡EE分得569萬餘元現金、1萬3千多股正中企業股票,及5萬餘元債券。
蔡EE家族的爭產風波,揭開蔡EE家庭地位的神秘面紗。
因上述三起官司,蔡家成員一一被點名。蔡EE在面對炒地炒股風波時,強調自己不知情,但這次爭產訴訟,證明她又說謊。蔡EE兩位哥哥蔡瀛陽和蔡瀛政均出庭證稱,蔡EE深受其父蔡潔生重視,過身前半年,指示蔡EE製作家族財產圖表,主持家族會議,目的是整合家族資產投資賺錢。由這些可知,蔡EE對家族炒股炒地,不僅知情,還居主導角色。蔡EE也因此遭到前國民黨文傳會主委林奕華的質疑。對於國民黨的指控,民進黨發言人楊家俍稱,蔡EE與爭訟官司根本毫無關係,甚至從未出庭作證,而事實上從判決書中也可清楚得知,長久以來其家族的理財投資一如社會通習,據瞭解,是由父親兄長商討決策,通篇白紙黑字毫無蔡主席是家族整合及投資的關鍵角色。
為平息風波,蔡家迅速發表利益衝突回避聲明。蔡EE的四位兄長蔡瀛南、蔡瀛陽、蔡瀛明、蔡瀛政透過律師發表聲明指出,第一,蔡家財產在先父蔡潔生生前早就各人持有部分安排妥當,其管理雖由先父主導,但每年先父與四兄弟仍會開會研商,並無女眷參與。第二,有關臺灣高等法院判決所指先父去世前半年多之會議,亦由蔡家兄弟與先父開會。因先父希望各兄弟拿出部分財產集中管理與投資,故請小妹蔡EE參加,俾就四兄弟「共同同意事項」作成紀錄簽名存證,惟因兄弟意見不同而無會議結論,當次會議並無由小妹蔡EE主持之事實。第三,蔡EE就任「總統」,蔡家四兄弟必恪守利益衝突回避之各項規範,並同意「兄姊除個人之本業經營外,不會對臺灣企業進行新的投資」之政治承諾。
不過,蔡家兄弟第三點政治承諾能否實現還有待商榷。根據《臺灣高等法院民事判決100年度重上字第476號》內容,蔡EE有持股的家族公司正中企業,是有日本分公司的,當年張柏年購買登記於蔡元泰(蔡瀛任之子)名下土地時,便是透過張金鳳匯款至日本正中企業帳戶完成購買程式。透過海外公司,或者透過海外公司至英屬維京群島等地設立公司,再轉投資臺灣,要規避臺灣監管機關、司法機關與媒體第四權是相對容易的,單只是針對臺灣開設的公司對外公佈,恐怕是不足以讓社會釋疑。
有人說,蔡EE很幸運,幸運的是出生在如此富有的家庭,但她同樣也是不幸的,不幸的是她從小被迫接受日式教育。
作為「皇民」後代,要讓蔡EE愛國,估計很難。蔡EE和其他兄弟姐妹從小接受的家庭教育和父親蔡潔生曾受到的「皇民化「教育一脈相承。蔡潔生習慣了日本人的生活起居方式,把家裏裝修成日式建築風格,並且讓全家人在家都席地而坐,蔡EE從小吃的主食常常是日本飯團,日本生魚片等食物也是蔡家餐桌上的常客。一個中國人為什麼要吃日式飯團?這源於蔡EE父親出生和生長在日據時代的臺灣。蔡EE的父親、母親顯然因為這種教育接受了日本人的生活習慣,並且將這種習慣延續到了蔡EE身上。俗話說一方水土養一方人。用日本飲食習慣和日本文化養育出來的蔡EE成為親日分子也就不難理解。
實際上,蔡EE整個家族都很認同日本。蔡EE的兄長出國留學的首選地就是日本。蔡EE長大後選擇休假的目的地也經常是日本。此外,蔡EE還有一個日本名字:吉米牙(日文:ちびや),意思是小不點。這些情況都反映蔡EE家族對日本的親近與認同,同時也折射出蔡氏家族對中國文化的隔閡與冷漠。在這種家庭環境的影響下,蔡EE從小就沒有任何華夏民族觀念,這也為其日後成為臺灣領導人後冒死也要搞台獨的行為奠定了思想基礎。
從血統上來說,蔡EE應該是漢族人,但其精神皈依卻是日本,對大陸缺少歸屬感。因而,她寧願像日本人那樣把臺灣分裂出去,只考慮個人利益、民進黨一黨的利益,不考慮兩岸統一、民族復興。明白這一點,也就不難理解她寧願抱著被解放軍的導彈斬首的風險也要跟中國對著幹。這是因為她的出身和個人經歷決定了她要做出這樣的選擇。
除此之外,蔡EE還被爆出有英國籍的傳言。
民國105年(2016年)「新頭殼」網站曾經報導,有網友在臉書貼文稱,民進黨主席、「總統」候選人蔡EE持有英國護照多年,早就有英國籍,而且在倫敦有豪宅。文章先是請邱毅先生再辛苦一回,稱「據民進黨前主席蘇貞昌透露,蔡EE持有英國護照多年,早已加入英國國籍,在倫敦市中心精華地段擁有一幢豪宅。一個英國人(真正英派)競選中華民國總統,很有趣!(請大家儘快分享出去,甚至搜索舉證,英國人也來參選臺灣的總統了?」這則網路貼文不僅出現在臉譜、PTT等社交網站,還被有系統地轉貼到各個網站論壇。
蔡EE曾在英國留學,其家人也曾被爆有外國籍。臺灣歌手黃安也曾在微博稱,這個口口聲聲罵別人賣臺的「蔡總統」,爸爸是日本籍,哥哥是美國籍,姐妹都是美國籍,「全家有一半都是外國人,你愛臺愛個屁啦!」
當然,客觀地說,臺灣政要中有相當一部分人曾在歐美或日本留學、工作,因此擁有美國綠卡或「雙重國籍」並不奇怪。但是擁有「雙重國籍」者不能成為公職候選人,包括民意代表和正副領導人等。「雙重國籍」議題在臺灣選舉中出現的頻率相當高。
如民國97年(2008年)「大選」期間,民進黨候選人謝長廷用一張小小的綠卡,就讓馬英九陣營措手不及。馬英九解釋時使用的「綠卡失效」說法,又給了謝陣營繼續發揮的空間。直到民國103年(2014年)5月,臺媒還在炒作馬英九綠卡仍有效、必須每年向美國繳稅等等。
此後,臺灣有志參選的人士在「雙重國籍」問題上都相當謹慎,就怕重蹈覆轍。民國101年(2012年)選舉前,「中選會」就3組正副領導人參選人的「雙重國籍」問題統一函請外事部門協助查證。民國103年(2014年)連戰之子連勝文參選臺北市長,早在黨內初選階段就讓家人放棄「雙重國籍」,不過因為程式尚未完成,還是被一些人拿來操弄選舉。
◎「雙重國籍」傳言
事後,民進黨為遏阻謠言發酵,到臺北市警中正一分局報案,並對發文者「kelly chang」提起訴訟,最終認定張姓男子是最源頭的散佈者,為厘清張姓男子所發帖文文所述內容,臺北檢方還發函給中選會,確認蔡EE並沒有英國國籍,認定張姓男子涉嫌造謠。
至於這起案子中是否存在一些不為人知的幕後消息,也只能自行判斷了。
蔡英文秘史书籍下载链接: https://zenodo.org/records/10450173
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蔡英文秘史 家史
先祖告誡我們——
瞭解一個人,必先瞭解其家史、身世,瞭解基因密碼與基因病變。
蔡
姓乃黃帝之後,源出於姬姓。
蔡姓始祖,可追溯到周朝時的蔡叔度。鄭樵《通志·氏族略·以國為氏》載:「蔡氏,文王第五子蔡叔度之國也。自昭侯以下,春秋後相承二十六世,為楚所滅,子孫以國為氏。」蔡叔度,周初「三監」之一,周文王之第五子,為周武王之弟。武王克商之後,叔度受封於蔡(今河南上蔡縣),為蔡國國君,史稱「蔡叔」。武王讓蔡叔與管叔、霍叔三人共同監管武庚(商紂王之子),教治殷民,稱為「三監」。武王去世,周成王年幼繼位,由周公旦臨朝攝政,蔡叔與管叔等不服,聯合武庚一起叛亂,被周公平定後,蔡叔被放逐。以後,周成王又封蔡叔之子胡於蔡。蔡國立國約600年,西元前447年被楚國所滅,蔡國遺民仍以國為姓。
據史書記載,蔡氏得姓於蔡國,發展於濟陽,故蔡姓族人大都以「濟陽」為「郡望」或「堂號」,以志家世根源。
濟陽蔡氏最初是指居於陳留考城縣的蔡氏家族。濟陽郡始設於晉代,西晉惠帝時,將陳留郡一部分劃出設置濟陽國,後改為郡,治所在濟陽,領濟陽、考城諸縣,轄區相當於今河南蘭考、民權一帶。西晉永嘉之亂,漢人南遷,蔡氏族人亦隨之遷居江南、江東。隋唐之後,蔡姓在南北各地都有發展,而在東南沿海一帶尤盛,因此至今仍有「陳林王鄭蔡,天下占一半」的俗諺。
據莆田東沙《蔡氏族譜》和仙遊楓亭譜(蔡襄族譜)記載,蔡用元乃蔡氏入閩始祖,時在唐代。自蔡用元至蔡襄共六代。蔡襄乃北宋慶曆名臣,為官清正,政績卓著,擔任泉州太守時主持建造洛陽橋,名揚天下。在泉州,「青陽衍派」堂號的故事,更是蔡氏族人幾乎家喻戶曉的。在晉江青陽蔡氏祠堂的正廳,有這樣一副對聯,上聯是「裔出周代,肇基唐代,官封宋代,長綿百代振家聲」,下聯是「脈映濟陽,支分莆陽,派衍青陽,好就三陽開泰運」。這副對聯概括說明了青陽蔡姓的源流和發展。溯本追源,青陽蔡氏根在濟陽,後又傳衍到福建莆陽,再由莆陽遷居青陽,故稱「濟陽——莆陽——青陽,三陽開泰」。
明崇禎年間,已有蔡鳴震自金門遷入澎湖。鄭成功率軍收復臺灣時隨之入臺的有不少蔡姓人,泉州、晉江、石獅許多蔡氏留在雲林、屏東等地墾植。明永歷年間,金門人蔡相將、蔡道賓兄弟等由金門遷居到澎湖。清康熙年間,又有南安人蔡為謝、蔡廷、蔡構等入臺開墾。經過400多年繁衍,如今臺北市區、臺北金山鄉、萬裏鄉、基隆市一帶,蔡氏蔚為望族。
蔡姓在臺灣繁衍發展,幾乎遍及臺灣全島各地。從南到北,從東到西,蔡姓的子孫隨處可見。據臺灣有關方面統計,臺灣的姓氏有1000多個,蔡姓名列臺灣百家姓中第8位,人口超過100萬。
蔡英文的祖上蔡攀龍(1738—1798),是大清一位大名鼎鼎的虎將,當年就是他率部一舉平定臺灣叛亂、收復了臺灣,保持了大清領土完整,受到乾隆皇帝親筆詔書嘉獎,榮獲一等功臣。
◎乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號
蔡攀龍本是貧苦出生,年少時以捕魚為生,因���氣頗大,被一老翁看上,覺得此人大有可為,便將自己的女兒許配給蔡攀龍為妻,並建議其從軍。他憑藉著自己的一身力氣參軍入伍,給自己拼一個美好的前程。聽從了岳丈的建議,蔡攀龍決定從軍。
行伍後,蔡攀龍很快就立下了戰功,並被提拔為廈門提標千總,分訊玉州。當時的廈門,海盜猖獗,時時侵擾中國東南沿海領域,身為千總的蔡攀龍假扮成商人,待海盜想要對商船搶劫之時,一舉將海盜捕獲。因為此事,蔡攀龍又被升為廈門守備。
此後,蔡攀龍步步高升,乾隆四十七年升為閔安左營守備,第二年的八月份又擔任金門鎮中軍左營遊擊,四十九年又被凋為澎湖右營遊擊。
乾隆五十一年十一月二十七日,林爽文率領義軍攻佔了彰化縣城,莊大田則從臺灣的南部發動起義,迅速攻佔了鳳山,這讓全臺灣都為之震動。
臺灣坊間傳言,駐臺的清軍準備放棄府城退守到安平,一時之間,府城從上到下人心惶惶。就在臺灣民眾因為林爽文起義而惴惴不安時,蔡攀龍奉福建巡撫徐嗣的命令率領700水師趕到了府城,雖然人並不多,但是援軍的到來暫時穩定住了臺灣府城的人心。
乾隆五十二年二月二十二日,蔡攀龍在收復鳳山的作戰中表現英勇,但是很不幸,總兵郝壯猷在鳳山受到了義軍的伏擊,軍隊被迫退回府城。
三月二十七日,林爽文和莊大田的義軍妄圖趁勢圍攻府城。蔡攀龍奉水師提督常青的命令固守府城近郊的桶盤棧,保護了府城周邊的安全。蔡攀龍由於在鳳山以及府城戰役中優秀的表現,被連升兩級,擔任臺灣北路協副領一職。
林爽文起義被鎮壓之後,蔡攀龍因為赫赫戰功被提升為海壇鎮總兵,不久又改任臺灣鎮總兵,後來還曾擔任過福建陸路提督。乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號,請畫師在紫光閣為其畫像,用來嘉獎蔡攀龍在平定臺灣所立下的戰功。當年那個貧苦的少年,變成了威風凜凜的總兵。
嘉慶三年,蔡攀龍在金門去世,後人將蔡攀龍的屍骨安葬在了金門徑林。蔡氏的後人也將蔡攀龍奉為入臺之後的第一先祖。
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P3xP4 World Analyze pages 30-31 transcription.
ギリシア神話における夜の女神 “ニュクス”
母なる “夜”
日の出が夜の間から太陽が生まれたように見えることから、夜は太陽の母と考えられた。また、夜空が無数の星々を抱いているように見えることから、夜は星々の母であるとも考えられた。いわゆる “地母神” という言葉は大地が植物や生命を生み出した母とする考え方だが、その大地をも生み出す原初的な母神として “夜” が存在する。いわば “祖母” = グランドマザーと呼ぶこともできるが、より概念的な存在であると考えられる。大地から生まれるものは実際に目にできるが、夜から生まれるものは想像によるものばかり。兄弟であり配偶者でもある “暗黒” エレボスとの間に生まれたのは “昼” の女神ヘメラと “大気” アイテル。ニュクス単独でタナトスやヒュプノスを始め、運命や宿命、不和や復讐、非難や苦悩といった形にならないものを多数生んでいる。ニュクスを含む原初の神々は、主要な神話のようなエピソードがあ��り残っていない。
ここでのニュクスは生命に “死” の概念を与え、すべてのシャドウを生み出すきっかけとなった存在とされる。
カオスの眷属
ギリシア神話では世界が生まれるとき、最初に存在したのはカオス “混沌” とされている。これは神として人格を持った存在ではなく、空間あるいは宇宙そのものと言ってもよく、ニュクスはそこに親からというわけでなく発生した。同じように怪物を産む母神として神話に登場する大地の女神ガイアは、カオスを人格神としてその娘という立場になっているなど、より人間的に描かれている。ガイアがティターンやキュクロプス、テュポンなど具体的な怪物を産んでいるのに比べると、ニュクスが産み落とすのは人間でなくとも感じる根源的な恐怖。“眠り”ヒュプノスはそれ自体 “死” タナトスを連想させるが、“老い” ゲラスや “争い” エリス、 “定め” モロスなどもみな死に繋がる恐怖心であり、そうしたものに名前をつけて夜にルーツを求めたのではないかと思われる。“三途の川の渡し守” と言われるカロンも、ニュクスとエレポスの子とされている。
ギリシア神話に登場する “タルタロス” はカオスの子で、二ュクスやエレポスとは兄弟ということになる。
夜の子供たち
怪物的な子供たちの母親であると同時に、ニュクスは “運命” の生みの親として���役割を持っている。死も運命のひとつと考えられる が、モロスやケルも死の運命を表し、“運命の姉妹神” モイライとして有名なラケシス、クロト、アトロポスも生んでいる。“夢”オネイロスや “苦悩” オイジュス、“復讐” ネメシス等も人の運命を左右するものとして同じ系統と捉えられる。
そんなニュクスの子供たちの中では “昼” の女神ヘメラが特殊な位置にある。夜と一対になる存在で、昼と夜の境目にだけ地の果てにある館 “タルタロス” で顔を合わせ、交代するというエピソードも用意されている。ヘメラの兄弟 “大気” アイテルも、父親である中の “暗黒” エレボスと対になっているが、天空神としてはガイアの子ウラノスが有名だったせいか、あえてアイテルの物語は創られなかったようだ。
ジンのペルソナであるモロスもニュクスの子であ、りストレガ内の人間関係を示唆するものといえる。
ニュクスの産んだ子供たち
[ネメシス]
復習の女神とされることが多いが、神話における本来の意味は “悪行への報復” であり、ネメシス自身も美しい女神として描かれている。ゼウスに言い寄られるが、さまざまな動物に変身して逃げるエピソードがある。また、森の妖精につれなくしたナルキッソスに、自分しか愛せなくなる罰を与えるのがネメシスで、この逸話はナルシズムの語源としてよく知られている。
[モイライ]
“運命を描く者” ラケシス、“紡ぐ者” クロト、“変えられぬ者” アトロポスの三姉妹を “割り当てる者たち” モイライと呼び、生まれた子供の運命を決めると言われている。もっともこの三姉妹は神話のバリエーションが多く、必ずしもニュクスの娘ではないともされる。
[ヒュプノスとタナトス]
ニュクスの子は多いが、“返り” ヒュプノスと “死” タナトスは特に結びつきが強く、神話でもともに描かれることが多い。タルクロスに居を構え、ふたり一緒に住んでいる。非情な兄タナトスに対してヒュプノスは優しく、母のをとともに人を眠りに誘うという。タナトスは死者の魂を冥界へ連れていく役割があり、トロイア戦争にもヒュプノスとともに現れている。
“怪物” を産む母神
ガイアやニュクスに代表されるように、母神が怪物を産むという神話は数多い。人が神として崇めたものは災害をもたらすような自然現象が多く、恐れるからこそ崇め災厄が起こらないことを願った。したがって、母なる大地から産まれる神々が恐ろしい怪物であるのは当たり前だった。古い時代は母権の強い社会が多く、怪物を産む母神はより強大な力を持つ存在として描かれる。オリエント神話のイナンナやイシュタル、ギリシア神話のガイアやレアなどがその代表に挙げられるが、彼女たちは人に似た神の姿だけでなく、怪物としての姿も持つことが多い。母なる大地もまた時折火を噴き、地を揺るがす恐ろしい存在だったからだ。
同一視される “夜” と “死”
タナトスのように “死” という概念が神として人格を持った存在とされることは珍しくない。世界各地の神話に “死の神” がいて、いわゆる死神に似た働きをする。よく言われるのは死者の魂を冥界へと連れていくというもので、キリスト教でも天使がその役目を担っていることから、そうした働きをする存在を “死の天使” と呼ぶこともある。冥界が川や海に隔たれたイメージが多いため、“渡し守” という役割で象徴的に描かれることも ある。“眠り” が “死” に近しい存在として描かれるのは、死の定義が難しく、死んだと判断された者が生き返ったように見えたりすることがままあったからではないかと考えられる。
キュベレ
現在のトルコにあたるフリュギアの地母神で、非常に古くから広い範囲で信仰されていた。ギリシアでは、ゼウスやハデスらの母である地母神レアと同一視したり、元々信仰形態が似ていたディオニュソスと関連付けてその信仰を取り込んでいる。
クイーンメイブ
ケルト神話に登場する、アイルランド北西部コナハト地方の女王。北東部アルスター地方の英雄クー・フーリンとは敵対関係にあり、何度も戦っている。後に妖精の女王としてティターニアと混同され、オベロンの要とされるこ ともあった。
タナトス
ギリシア神話の死の神で、眠りの神ヒュプノスとは兄弟で双子ともされる。寿命が尽きた人の前に現れ、髪の毛をひと房切ってハデスに献上してから、冥界に連れていく。ただし、英雄はヘルメスの担当で、タナトスは普通の人間を担当していた。
チェルノボグ
ロシアや東欧地域に伝わる “スラヴ神話” における神で、死神としての性質も持っていたとされるが、神話文献自体があまり残っておらず詳しくはわからない。名前は “黒い神” という意味で “白い神” ベロボーグと対立関係に ある。
パールヴァティ
インドのヒンドゥー教で信仰されている女神で、シヴァの妻としても知られる。6つの顔を持つ軍神スカンダや、象に似た姿をした学問の神ガネーシャを生んでいる。パールヴァティ自身も、カーリーやドゥルガーと同一視される怪物的側面がある。
イザナミ
日本神話の女神で、兄弟で夫のイザナギとともに日本の島々と多数の神々を産んだ。神々の中にはイザナミを売に至らしめるヒノカグツチを始めとする怪物的な存在も含まれており、他の地母神と共通する要素があること がわかる。
アヌビス
エジプト神話の死者の神。死の神であるオシリスの息子で、ジャッカルの頭部を持ち死者あるいはミイラを守る存在。“死の天使” の役割を持つものとしては別にウプアウトという犬そのものの姿をした神がいるが、アヌビス と同一視されている。
リリス
聖書に登場する “夜の魔女” で、男性を狙う妖怪。原初の人間アダムの精液から生まれた最初の妻とする説があり、“男を誘惑する夢魔” サキュバスと同一視された。夜の魔物には淫夢で誘惑するものが多く、リリスはその最初にして代表的存在。
神話上の “タルタロス”
[封印された者]
ギリシア神話における冥界のひとつで、ハデスの支配する冥府のさらに下に存在するが、カオスやガイアとともに生まれた原初の神のひとりともされ、ガイアとの間にテュポンやエキドナといった怪物を儲けている。冥界としてのタルタロスは、牢獄としての役割を持たされることが多く、ガイアが生んだ怪物たちのヘカトンケイルやキュクロプスらがここに幽閉された。その後、ゼウスがティターン族をここに閉じ込め、ヘカトンケイルを番人に改めるなど、神話中に何度も登場している。
[落とされた者]
ゼウスが罰としてタルタロスに落とした者には、キュクロプスを復讐のため殺したアポロン、人間に火を与えたプロメテウス、神の秘密を人間に漏らしたタンタロス、巨人ティテュオスらがいる。親族を殺した最初の人間でヘラと通じようとしたイクシオン王や、最初に少年愛を犯したタミュリス、神を騙そうとしたシシュポスやサルモネウスといった人間たちも、死後タルタロスに落とされた。ゼウス以外にも、アポロンやアルテミスらが罪人に罰を与えるためにタルタロスを利用している。タルタロスはいわゆる “地獄” として描かれている。
ヘカトンケイルには、海の妖精テティスに見出された “百本の腕を持つ巨人” ブリアレオスがいる。
シシュポスはタナトスを騙して捕え、幽閉したため、その間は人が死ななかったと言われている。
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約伯記10
第三十八章 38:1 那時,耶和華從旋風中對約伯說, 38:2 是誰用無知的言辭使我的旨意暗昧不明? 38:3 約伯呀,束起你的腰帶,打起精神來,像個勇士。我將要指示你,你可以表明你的想法。 38:4-7我定下大地的尺度、安置大地根基的時候,那時晨星一同歌唱,神的眾子也都歡呼。你在哪里呢? 這幾節的意思是說,地球是誰造的,有多大,地球是怎樣穩定在空中的。但是古代的人聽不懂,所以神就換了個說法。
38:9-12 太陽從大海的東邊升起,從大海的西邊落下,神為其確定晨光出現的時刻。大地崇山峻嶺,陽光普照,萬物色彩斑斕。你知道其中的奧秘嗎? 38:13-15 約伯啊,邪惡的人內心陰暗,強權的人必不得善終。你能將惡人從人群中篩選出來嗎? 38:16-20 你可知道陰陽兩界邊界在哪里?你能知道陰間的的事情嗎? 38:21-23 四季更替,秋去冬來,寒來暑往,風霜雨雪,電閃雷鳴。你都知道這其中的原理嗎? 38:25-30 江河滔滔不絕,大海潮汐漲落。植物千奇百怪,生長而又凋零。動物種類繁多,繁衍生息。這都是誰在掌控呢? 38:31-33 天空星羅棋佈,南箕北斗,鬥轉星移。你知道天體運轉的規律嗎? 38:36 還有,人類的聰明和智慧是誰賦予的呢?
第三十九章 39:1-30 在動物世界裏,每種動物都有它的秉性。 在荒野裏,獨角獸和牛、雄鷹和麻雀、野驢和駿馬、孔雀和鴕鳥、山羊和母鹿、老虎和獅子,各行其道。 牛被套繩籠在犁溝之間,為人服務,馱運糧食。獨角獸卻無法被馴服。 雄鷹在高空翱翔,窺探獵物。麻雀只能在地上蹦跶,尋找食物。 駿馬能夠如疾風般奔騰,聽到號角聲便勇猛無畏,馳騁沙場,從不退縮。野驢只能為主人拉磨。 孔雀能夠展示它華麗的羽毛,鴕鳥只能光著屁股狂奔。 山羊和母鹿只能被老虎和獅子追逐。
神所造的動物,千差萬別,有著不可思議的奇妙。
第四十章 40:1-24耶和華又說:約伯呀,全能者的做工何其神妙!你覺得人可以在全能者的面前自以為是嗎? 於是約伯回答耶和華說:我是卑微的,我是愚癡的,我能用甚麼回答呢?我已理屈詞窮,無話可說,只好用手捂嘴了。 於是,耶和華又從旋風中對約伯說:你要像勇士一樣束腰。我要指示你,你可以表明你的想法。 約伯啊,神的大能、尊榮、威嚴,神的創造、榮耀、莊嚴。 你看,神造的貝希摩斯,它與牛一樣吃草。它龐大無比、力大無窮,它喝幹一條河也不在話下。但是,神也有利器馴服他。它從不攻擊其他的動物,百獸可以在它的旁邊遊玩。 這個貝希摩斯是神造的一種怪獸,也叫比蒙怪獸。
第四十一章 神接著說, 41:1-34你看,神造的利維坦,它的眼睛好像黎明的天邊,它的目光就像閃電。口中噴火,拖出長長的火焰,可以點燃煤炭。從它鼻孔噴出的汽,就像燒開的鍋一樣。 它那堅固的鱗甲長得像盔甲一樣嚴密。它的每塊肌肉都非常的結實,緊密相連。它以鐵為乾草、以銅為爛木。它的內心無比強大,人揮舞刀槍的聲音令他發笑。 利維坦經過有堅硬、鋒利石頭的地方,就仿佛巨大的鐵輪碾壓過一樣。它攪動大海時,翻騰得像滾開的油鍋。它飛過的深淵,留下一條光帶,如同一根長長的白髮。 在全地上,被造的動物沒有像他那樣無所畏懼的。在所有驕傲的生物中,它是王者。無論多麼神勇的人指望捉拿它,只是徒然。只有神有利器馴服它。它承諾,願意為神做永遠的奴僕。 利維坦也是神造的一種海怪,像鯨一樣巨大。根據神的描述,很像中國人所說的海龍王。
神接著說:天下萬物都是我創造的。誰能阻礙我的旨意呢?神制伏驕傲的人類,使他們屈從,變得卑微。神把惡人踩在腳下摩擦,將他們消滅,埋入土中,關入陰間。約伯呀,你能拯救自己嗎?難道你可以質疑我的審判和裁決嗎?難道你可以自以為是、自以為義嗎? 神並沒有給約伯講什麼大道理。神知道,即使給他講,他也聽不懂。神只是向約伯展示了他的大能,展現他所造世界的神奇和不可思議,讓約伯臣服,不再自以為是,不再自以為義。
第四十二章 42:1 約伯回答耶和華說: 42:2 我知道您萬事都能作,您的旨意不可能被攔阻。 42:3 我所知的人世間的道理非常的膚淺,我所說的人世間的真相也是非常的表面。我的義舉和善行得到了神的護佑和應許,但是,我的傲慢、貪求、自私等罪念,我並沒有覺察。我現在的報應是罪有應得。 神所造的一切,沒有隱藏,完全展現。但是,真理太過奧秘,太過神妙。我確實非常的無知,我根本不懂,根本不明白。 42:4-6我懇求您,聽我說,然後,請求您指示我。我從前風聞有你,現在親眼所見。因此我深感愧疚,我在塵土和爐灰中懺悔。
42:7 耶和華對約伯說話以後,就對提幔人以利法說:我要譴責你和你的兩個朋友,因為你們說的那些大道理都是從你們先輩那裏聽來的。你們根本不明白其中的奧義,只是鸚鵡學舌而已。 你們所說的安慰和勸告,根本不在要點上。憑著你們的德行,根本就沒有資格去譴責約伯。然而,我的僕人約伯說的比你們好得多。和你們相比,約伯真誠、不虛偽、敢說心裏話,是對神更有信心的表現。他敢於追求智慧,敢於探求萬事萬物之真理和真相。這樣的勇氣是值得讚歎的,是我所喜悅的。 42:8 現在,你們要取七只公牛、七只公羊,到我的僕人約伯那裏去,為自己獻上燔祭,我的僕人約伯就為你們祈禱。我因悅納他,就不按你們的愚蠢的想法懲辦你們。你們要向約伯學習,學習他完全正直、敬畏神、遠離惡事的品德,學習他追求智慧、探求真相的精神。
42:9 於是,提幔人以利法、書亞人比勒達、拿瑪人瑣法,照著耶和華所吩咐的去行,耶和華就悅納了約伯的禱告。 42:10 約伯為他的朋友祈禱,耶和華就使約伯從困苦中轉回,並且耶和華賜給他的,比他從前所有的加倍。 42:11 約伯的弟兄、姐妹、和以先所認識的人都來見他,在他家裏一同吃飯。又談論到耶和華所降與他的一切懲罰,都為他哀歎,並且安慰他。每人也送他一塊銀子和一個金環。 42:12 這樣,耶和華後來賜福給約伯,比先前更多。他有一萬四千只羊、六千駱駝、一千對牛、一千對驢。 42:13 他也有七個兒子、三個女兒。 42:15 在那全地的婦女中,找不著像約伯的女兒那樣美貌。她的父親讓她們從弟兄中分得財產。 42:16 此後,約伯又活了一百四十年,得見他的兒孫,直到後四代。 42:17 這樣,直到約伯年紀老邁,壽終正寢。
好,約伯記講完了。
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第一,不管是哪個宗教,哪個派別,只要信主,信上帝; 第二,相信輪迴,去惡行善,懺罪悔改; 這樣的人都是我們的弟兄姊妹,這樣的教派都是和我們志同道合的教派。我們要聯合起來,團結起來,傳播真理。
Kristen,來自東方的牧師,對東西方宗教、文化都有非常深刻的研究。 在其牧師生涯中,尤其註重考證,澄清歷史事實,探尋聖經深意,兼收博採,不分門戶派別。 延續耶穌精神,不與世俗妥協,引領基督徒回歸真理、造福社會。
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