#東京都千代田区北の丸公園
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EASTEAST_TOKYO 2023
会期:2023年2月17日(金)– 19日(日)
場所:科学技術館(東京都千代田区北の丸公園2番1号)
ギャラリートラックスはEASTEAST_TOKYO 2023に参加します! 角田純・坂口恭平・箕浦建太郎・野原かおり・中瀬萌 5人のアーティストが出品します。アートイベントとして前回より大幅に拡張していますので楽しんでいただけると思います。 会期中はスタッフもいますので是非ご高覧いただければ幸いです。
instagram公式アカウント:@EASTEAST_
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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旧工芸館(正式名称:東京国立近代美術館工芸館)は、1910年(明治43年)に皇居北側に建設された大日本帝国陸軍の近衛師団司令部庁舎を改修し、1977年(昭和52年)11月15日に東京都千代田区の北の丸公園に開館した。なお、建物は1972年(昭和47年)に国の重要文化財に指定されている(玄関広間部分を除く内装は指定対象外)。
東京国立近代美術館 - Wikipedia
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2024/10/31 8:00:02現在のニュース
<秩父点描>金色がゆれる ミューズパークでイチョウ見頃(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:58:52) ふるさと納税「流出」3.3億円…たまりかね 所沢市、返礼品8年ぶり復活(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:58:52) 国連委、夫婦同姓義務「法改正を」 皇室典範見直しも勧告 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:57:42) 19件を在日差別投稿と認定 川崎市審査会答申案 削除されない場合再要請へ:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/10/31 7:57:21) 24色のペン:丸川珠代氏の1度だけの弱音=川上晃弘 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/31 7:53:23) 北朝鮮が弾道ミサイル発射した可能性 落下地点の特定急ぐ 防衛省(朝日新聞, 2024/10/31 7:53:22) <衆院選ちば>「野田効果」で立民倍増 野党連携見通せず 現実的な政策を(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) 執事の朗読でティータイム 展望台もお目見え 京成バラ園、11月24日まで秋のイベント(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) 世界記録でアジア王者 ベンチプレス・高橋選手、千葉市長に喜びを語る (東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) 災害派遣など除きオスプレイ飛行中止 沖縄での事故受け 陸自木更津駐屯地(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) <衆院選かながわ 激戦の余波>(中) 「比例は公明」訴える自民 なりふり構わぬ選挙戦 政策論争とは程遠く、トラブルに発展も(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) 黒塗り報告書「妥当性欠く」 本紙請求 神奈川県情報公開審査会が答申(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) 「より良い社会」へ抱負 衆院選小選挙区 30人に当選証書(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) 港区と交流ある各地の名産ずらり 新橋SL広場であすまで(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) ふるさと納税「廃止」に言及 東京都税調が知事に提言(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) 来夏の参院、都議選 国民民主党との連携提案 都民ファ代表(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/10/31 7:49:48) 下馬評は低くても…出雲でみせた「強い駒大」全日本史上初の5連覇へ(朝日新聞, 2024/10/31 7:45:29) 日本の夫婦同姓義務に国連委が是正勧告、なぜ?どうなる? - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 衆議院議員の女性比率、政府目標3割遠く どう増やす? - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 選択的夫婦別姓は政策協議の交渉材料に? 国連委で勧告 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) つくば市長、ネット投票で退職金額決定 22〜2000万円 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 夏の味覚ハモ、秋に再び旬 高級な韓国産も関西に 掘り下げ!関西白書 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 消費減税、実現には壁高く 見えない代替財源 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 麦芽なし「コメのビール」主原料は国産 和歌山市のオリゼー 酒紀行 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) PwCアドバイザリー吉田あかね会長 リーダーは孤独になったら負け 私のリーダー論(上) - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) オリーブオイルで認知症関連の死亡リスクが低下 米研究 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) ワーキングホリデーは入念に準備 語学力高めて詐欺やセクハラ対策 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 「AIエージェント」続々登場 富士通やNTTデータ提供、仕事の進め方に変化迫る 編集委員 吉川和輝 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 障害者学ぶ筑波技術大学、共生社会へ取り組み加速 日経グローカル 大学、地域を拓く - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 北陸電気工事の4〜9月決算、純利益4.8倍 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 石破内閣支持32%、18ポイント減 共同通信世論調査 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 全国の人気���転ずし、富山に集結 31日からイベント - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 岸田文雄前首相、旧岸田派議員を慰労 衆院落選の元職も - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 北陸電力、純利益450億円に上方修正 25年3月期 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 北国フィナンシャルホールディングスの4〜9月決算、純利益17%減 政策株売却益半減 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 運がよければ宝石発見できる? 富山県朝日町ヒスイ海岸 気になるスポット - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:42:13) 北朝鮮、日本海に向け弾道ミサイルを発射 韓国軍発表(毎日新聞, 2024/10/31 7:42:02) 逮捕者4人出した鹿児島県警、野川明輝本部長が警察庁に異動…後任に同庁交通規制課長([B!]読売新聞, 2024/10/31 7:39:05) 舌打ちやため息はフキハラ!職場や夫婦を壊す不機嫌ハラスメントとは?([B!]読売新聞, 2024/10/31 7:39:05) なぜ備蓄米は放出されなかった 制度とイメージの間に潜むギャップ(朝日新聞, 2024/10/31 7:37:16) 東京・三鷹の強盗未遂、連続強盗との関連捜査へ 複数人が窓割り侵入、住人の抵抗受け逃走([B!]産経新聞, 2024/10/31 7:36:42) メタノールで妻殺害の製薬大手元社員に懲役16年 東京地裁判決、自ら服毒したと無罪主張([B!]産経新聞, 2024/10/31 7:36:42) メタ純利益35%増 7〜9月、ネット広告堅調も株価は下落 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:36:37) サービスエリアに初の無人店舗 NEXCO東日本、長野に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:36:37) ホクト、長野県上田市の工場で火災 けが人なし - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:36:37) 長野県佐久市で合同インターン 地元企業と移住者が協力 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:36:37) Microsoft11%増益 7〜9月、AIクラウド需要がけん引 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/31 7:36:37) 北朝鮮、弾道ミサイルの可能性あるもの発射か 防衛省が発表(毎日新聞, 2024/10/31 7:34:21) 同性婚認める「画期的」判決を読み解いた 国の「自然生殖」説を否定し「婚姻の本質」に迫る緻密さ:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/10/31 7:34:07) 北朝鮮、米大統領選挙を狙い核実験か 韓国国防相「存在を誇示したい」([B!]産経新聞, 2024/10/31 7:30:59)
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博物ふぇすてぃばる10に出展します!
新作はヒグマのブローチやトラ、オオカミピアスなどなど!
是非遊びにいらしてください◎
★ブースNo.I-40★
博物ふぇすてぃばる10
《開催日》
2024年7月20日(土)/ 7月21日(日)
(土) 11:00~17:30
(日) 10:00~16:30※最終入場時間は土曜(17:00)・日曜(16:00)までです
《会場》
���学技術館1階催事場東京都千代田区北の丸公園2番1号
《チケット》
■当日チケット
※当日会場受付にて現金での販売のみとなります。
土曜チケット(両日フリーパス)
2,000yen
※土曜チケットは両日のフリーパスとして��
お使いいただけます
日曜チケット(日曜のみお使いいただける1日チケットです)
1,500yen
補足
・小学生以下無料。但し保護者同伴の元
(小学3年生以下のお子様からは目を離さないよう
お願いいたします)
______________________________________________________________
■前売りチケット
※Web前売り電子チケットと
チケットぴあでの販売を予定
土曜チケット(両日フリーパス)
1,800yen
※土曜チケットは両日のフリーパスとしても
お使いいただけます
日曜チケット(日曜のみお使いいただける1日チケットです)
1,400yen
補足
・小学生以下無料。但し保護者同伴の元
(小学3年生以下のお子様からは目を離さないよう
お願いいたします)
・電子チケットはスマホを使っての
入場確認となります。
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詩人・小野十三郎の書く「大阪」を巡り、
音と声による「歌」の可能性を探る
大阪を拠点とし、既存の奏法に捉われず音楽の新たな可能性を追求し続けてきた音楽家・日野浩志郎と詩人・池田昇太郎による、音と声の表現を探る3カ年プロジェクト「歌と逆に。歌に。」。初年度は、大阪・名村造船所跡地のクリエイティブセンター大阪にて��新作公演を発表する。
本プロジェクトにおいて重要なテーマとなるのが、1903年に大阪で生まれ、戦前から戦後にかけて大阪の風景や土地の人々を眼差してきた詩人・小野十三郎だ。1936年〜52年、小野が大阪の重工業地帯を取材し、1953年に刊行された詩集『大阪』と、彼の詩論の柱である「歌と逆に。歌に。」を手がかりに、同詩集で描かれた地域や地名をフィールドワークとして辿る。
小野十三郎という詩人の作品に向き合うということは彼の生きた時代とその社会、彼の生まれた街、育った街、住んだ街、通った道、生活、彼の思想、友人や影響を受けた詩人を訪れることでもある。本作ではそうした街や道、風景を巡りながら、詩集『大阪』にて描かれる北加賀屋を舞台に、小野が試み、希求した「新たな抒情」を感受し、独自に解釈し、編み直し、それを音楽公演という時間と空間の中に試みる。
【歌と逆に。歌に。 Instagram】 ※公演に関する追加情報は下記アカウントから告知していきます。 https://www.instagram.com/utagyaku
公演情報
新作音楽公演|「歌と逆に。歌に。」
公演日時: ①8月16日(金)19:30- ②8月17日(土)14:30- ③8月17日(土)19:30- ④8月18日(日)14:30- ※開場は各開演の30分前を予定
会場:クリエイティブセンター大阪内 Black Chamber 料金:一般=4,000円、U25=3,000円、当日=5,000円 チケット取扱い:ZAIKOイベントページにて
関連イベント|オープンスタジオ
公演を前に、作品制作の現場を間近でご覧いただけます。当日はリハーサルだけではなく、クリエーションやリサーチの進捗共有なども行う予定です。
日時:2024年7月7日(日)14:00-17:00 会場:音ビル (大阪府大阪市住之江区北加賀屋5-5-1) 料金:500円(要申込・途中入退場自由) 申込:Googleフォームにて *オープンスタジオは終了しました
クレジット
作曲:日野浩志郎 詩・構成:池田昇太郎 出演:池田昇太郎、坂井遥香、白丸たくト、田上敦巳、谷口かんな、中川裕貴、日野浩志郎 舞台監督:小林勇陽 音響:西川文章 照明:中山奈美 美術:LOYALTY FLOWERS 録音・フィールドレコーディング音源提供:東岳志 宣伝美術:大槻智央 宣伝写真:Katja Stuke & Oliver Sieber、Richard James Dunn 宣伝・記録編集:永江大 記録映像:西純之介 記録写真:井上嘉和、Richard James Dunn 制作:伴朱音
主催:株式会社鳥友会、日野浩志郎 共催:一般財団法人 おおさか創造千島財団「KCVセレクション」 助成:大阪市助成事業、全国税理士共栄会 メディアパートナー:paperC 協賛:矢島慎也 協力:大阪文学学校、エル・ライブラリー 問合:[email protected]
出演者プロフィール
日野浩志郎 / Koshiro Hino 音楽家、作曲家。1985年生まれ、島根県出身。現在は大阪を拠点に活動。メロディ楽器も打楽器として使い、複数拍子を組み合わせた作曲などをバンド編成で試みる「goat」や、そのノイズ/ハードコア的解釈のバンド「bonanzas」、電子音楽ソロプロジェクト「YPY」等を行っており、そのアウトプットの方向性はダンスミュージックや前衛的コラージュ��ノイズと多岐に渡る。これまでの主な作曲作品は、クラシック楽器や 電子音を融合させたハイブリッドオーケストラ「Virginal Variations」(2016)、多数のスピーカーや移動する演奏者を混じえた全身聴覚ライブ「GEIST(ガイスト)」(2018-)の他、サウンドアーティストFUJI|||||||||||TAと共に作曲・演奏した作品「INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada」(2021-)、古舘健や藤田正嘉らと共に作曲した「Phase Transition」(2023)、等。佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団 鼓童とは2019年以降コラボレーションを重ねており、中でも延べ1ヶ月に及ぶ佐渡島での滞在制作で映像化した音楽映画「戦慄せしめよ/Shiver」(2021、監督 豊田利晃)では全編の作曲を日野が担当し、その演奏を鼓童が行った。音楽家・演出家のカジワラトシオと舞踊家・振付家の東野祥子によって設立されたANTIBODIES Collectiveに所属する他、振付師Cindy Van Acker「Without References」、映画「The Invisible Fighit」(2024年公開、監督Rainer Sarnet)等の音楽制作を行う。
池田昇太郎 / Shotaro Ikeda 1991年大阪生まれ。詩人。詩的営為としての場の運営と並行して、特定の土地や出来事の痕跡、遺構から過去と現在を結ぶ営みの集積をリサーチ、フィールドワークし、それらを基にテクストやパフォーマンスを用いて作品を制作、あるいはプロジェクトを行なっている。廃屋を展覧会場として開くことの意味を視線と身体の運動からアプローチしたインスタレーション「さらされることのあらわれ」(奈良・町家の芸術祭はならぁと2021)、一見するとただの空き地である元市民農園を参加者と共に清掃しながら、その痕跡を辿り、かつての様子を無線越しに語るパフォーマンス「Only the Persiomon knows」(PARADE#25、2019)西成区天下茶屋にて元おかき工場の経過を廻るスペース⇆プロジェクト「山本製菓」(2015~)、「骨董と詩学 蛇韻律」 (2019~)他。
坂井遥香 / Haruka Sakai 2014年野外劇で知られる大阪の劇団維新派に入団し、2017年解散までの作品に出演。2018年岩手県陸前高田市で滞在制作された映画『二重のまち/交代地のうたを編む』(監督:小森はるか+瀬尾夏美)に参加。近年の出演作に孤独の練習『Lost & Found』(音ビル,2020)、許家維+張碩尹+鄭先喻『浪のしたにも都のさぶらふぞ』(YCAM)、梅田哲也『入船 23』、『梅田哲也展 wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ』(ワタリウム美術館)など。場所や土地と関わりを持ちながらつくる作品に縁・興味がある。
白丸たくト / Takuto Shiromaru 音楽家。1992年生まれ。兵庫県出身。茨城県大洗町在住。実感のなさや決して当事者にはなれない事柄を、社会・歴史・その土地に生きる人々との関わりから音楽を始めとする様々なメディアを用いて���訳し、それらを読み解くための痕跡として制作を続けている。「詩人の声をうたに訳す」をコンセプトに行う弾き語り(2016〜)や、ラッパー達と都市を再考するプロジェクト「FREESTYLUS」(2021〜)等。
田上敦巳 / Atsumi Tagami 1985年生まれ。広島県出身。音楽家日野浩志郎を中心に結成されたリズムアンサンブル「goat」のベースを担当。バンド以外に不定形電子音ユニット「black root(s) crew」のメンバーとして黒いオパールと共に不定期に活動。2011年~2018年まで「BOREDOMS」のサポートを行う他、2022年からはダンサー東野洋子とカジワラトシオによるパフォーマンスグループ「ANTIBODIES Collective」に参加。
谷口かんな / Kanna Taniguchi 京都市立京都堀川音楽高校、京都市立芸術大学の打楽器科を卒業。在学時はライブパフォーマンスグループに所属し、美術家、パフォーマー等と共演、即興演奏の経験を積む。卒業後はフリーランスの音楽家として室内楽を中心に活動。卒業後も継続して他分野との即興演奏に取り組んでいる。これまでに、東京フィルハーモニー交響楽団、京都室内合奏団と共演。近年はヴィブラフォンでの演奏に最も力を入れており、2023年11月にヴィブラフォンソロを中心とした初のソロリサイタル「vib.」を京都芸術センターで開催。
中川裕貴 / Yuki Nakagawa 1986年生まれ。三重/京都在住の音楽家。チェロを独学で学び、そこから独自の作曲、演奏活動を行う。人間の「声」に最も近いとも言われる「チェロ」という楽器を使用しながら、同時にチェロを打楽器のように使用する特殊奏法や自作の弓を使用した演奏を行う。音楽以外の表現形式との交流も長く、様々な団体やアーティストへの音楽提供や共同パフォーマンスを継続して行っている。2022年からは音楽家・日野浩志郎とのDUOプロジェクト「KAKUHAN」がスタート。令和6年度京都市芸術文化特別奨励者。
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1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観��山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統アピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネル��メディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿���でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚し��友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満喫。花火もお菓子も買ったのに朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
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関東から四国の太平洋側と九州、奄美、沖縄では4日も晴れ、日中の気温が大幅に上昇した。気象庁によると、沖縄では石垣島で30.6度など、30度以上の真夏日になる所があったほか、高知県四万十市で29.0度など、25度以上の夏日になる所が多かった。 東京都心(千代田区北の丸公園)は26.3度を観測し、今年の夏日が計141日となった。昨年の140日を超え、統計史上最多記録を更新した。
高知で29度 東京夏日141日、年間最多記録:時事ドットコム
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【千鳥ヶ淵🌸お花見デートの後は、私を水道橋の牛しゃさんに、連れてって❗️】と、心底願う、名店に出逢いました❗️ 昨年オープンしたばかりの【焼肉牛しゃ】さん🐮ピカピカ綺麗で、解放的な店内は、夜は女子会で満席でした❗️使用するお肉はA5ランクあか毛和牛🐃 @gyusha0819 お花見デートの後に間に合うそうですよ🌸 千鳥ヶ淵や北の丸公園デート後に、激ウマ焼肉を是非❗️コスパ最高のおすすめ焼肉店です🐃 大きな看板は掲げてなくて隠れ家風で、焼肉通の間で、話題のお店が、九段下にあり❣️ 隠れ家的なので、常連さんがリピートしている雰囲気でした❗️ ーーいただきましたメニューー 🐃 名物🌟厚切り 上たん塩 1980円 今回いただいた中でも、名物の上タン厚切りに、衝撃をうけました❗️仙台出身 牛たんには厳しい私のイチオシです😋✨ 火入れしやすいように計算された切れ目が技❗️ビックリするくらい柔らかく、ショキショキやわやわで、びっくりしました❣️🐃 どのお肉を選んでも、贅沢すぎる上質揃い🤤 🐃 極上フィレ 2300円 A5ランクあか毛和牛、霜降りの織りなすとろける口溶け💖柔らか〜で程よい上品な脂の旨さ❣️ 🐃 希少部位 かめのこ 1450円 上質な繊細な赤身が、噛むほどに、お肉の甘みを感じます❗️お腹いっぱいでも、するする食べてしまう旨さ❣️ 🐃レバー 900円 🐃和牛レバーたたき 900円 レバーマニア必食の、極上A5ランク和牛のレバーたたき❗️極めて甘く、ほんの少し炙っただけの、ほとんどレバ刺し❣️一瞬でとろけますよ❗️付け合わせの野菜の組み合わせも、神業的に、レバーを美味しくさせる組み合わせ❗️上レバーも同じく、激甘でど新鮮❣️和牛レバーは飲み物でしたよ❣️ 🐃和牛すじ煮込み 680円 普通、牛すじ煮込みというと、二、三切れのお肉に、大根や牛蒡、お豆腐がいっぱいですが、こちらは普通の牛すじ煮込みとは、一線を画してます❗️ 牛すじの山と思ったら、中までたっぷりトロトロ〜〜蕩ける牛すじだらけ❗️普段でしたら、この煮込みだけでお腹いっぱいになりそうな一品❗️これだけでも大満足❣️ 🐃カブキムチ 450円 🐃カクテキ 450円 🐃茨城県産ほうれん草ナムル 450円 ネーミングも良いですが、カブのキムチ❗️新鮮ですよね❗️食感も味もセンス抜群❣️必ず牛しゃさんに行ったら頼みたいです。 キムチやナムルも、調味料からこだわりの手作りで、独自のアレンジスタイルが和テイストを感じます❗️ 🐃チョレギサラダ 680円 🐃薬味ネギ山 300円 🐃薬味大根おろしポン酢 300円 サラダも、お肉同様、すごいボリュームで、自家製ドレッシングが食欲をそそり、ネギ混ざりなところが好きです。 薬味のネギや、大根おろしポン酢は、独自の味付けがされ、お肉を益々美味しくさせるので、頼んだ方が良いです❣️ 🐃締め飯①冷麺 850円 たけのこや、おぼろ昆布、キムチに、水菜シャキシャキの 和風盛岡冷麺❗️お出汁が効いて、焼肉後に、これ以上ないほどツルツルと、喉をひんやり滑っていきました❗️こちらも、締めに絶対おすすめ💖 🐃締め飯② クッパ 800円 冷麺で締めたつもリリーなのに❗️牛しゃさんは、何をいただきましても、味付けが抜群なので、スープも頼んでしまいました❗️期待通りの、野菜の旨みたっぷりのクッパに大満足💖 🐃柚シャーベット 350円 しっかり柚果実が入った手作りシャーベット❗️爽やかで、一気にスタート気分❗️ 山盛りでコンポート皿に可愛く盛られていて、映えます❗️ 上質なお肉が惜しみなく出され、最高に美味しくいただく切り方、厚み、味付け、調味料、付け合わせまで、深く研究し、計算され尽くされた名店です❗️ ⭐️お店情報⭐️ @gyusha0819 【店名】焼肉牛しゃ 【住所】東京都千代田区神田三崎町3-10-22 WHARF神田三崎町ビル 1F 水道橋西口5分、九段下駅5分ほど 【定休日】月曜 #東京ディナー#グルメ好きな人と繋がりたい#焼肉#焼肉デート #焼肉グルメ #焼肉女子 #japanesefood #japanfood #WoomyPR#水道橋グルメ #水道橋ディナー #水道橋焼肉#九段下焼肉#神保町焼肉#九段下グルメ#九段下ディナー#飯田橋焼肉#神田三崎町#水道橋グルメ#千代田区焼肉#焼肉牛しゃ#牛しゃ#厚切り牛たん#荒川リリー#lilystudio https://www.instagram.com/p/CqKjtREvieW/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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フェアとイベントのおしらせ
〈2月3月の予定〉
・2/19(日)BOOK LOVER'S HOLIDAY 東京・BONUS TRACK ・3/19(日)第十六回西千葉一箱古本市 千葉・HELLO GARDEN ・3/25(土)第六回吉祥寺ZINEフェスティバル 吉祥寺・PARCO屋上
モノ・ホーミーフェア
京都市中京区、烏丸御池のレティシア書房さんにてモノ・ホーミーフェアを開催中です!
モノ・ホーミーの作品だけでなく高田怜央さんとのユニット“海の襟袖”の作品もお手にとって頂けます。店主の小西徹さんが作品とフェアの開催までの顛末を1月21日の店長日誌にてご紹介下さいました。ぜひご一読下さい。
「モノ・ホーミー」フェア開催中 | レティシア書房 - 古書・ミニプレス&ギャラリー
BOOK-LAETITIA.MOND.JP
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レティシア書房 〒604-0827 京都市中京区高倉通り二条下がる瓦町551 地下鉄「烏丸御池」駅下車、徒歩10��� 13:00~19:00 月・火曜日定休
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BOOK LOVER'S HOLIDAY
2/19(日)、東京・下北沢のBONUS TRACKにて開催されるBOOK LOVER'S HOLIDAYに参加します。今回は屋内ギャラリーでの開催になりますので、いつもよりごゆっくり本をご覧いただけそうです。
日時:2月19日(日) 11:00〜17:00 場所:BONUS TRACK ギャラリー 住所:世田谷区代田 2-36-15 下北沢駅南西口徒歩 5 分 / 世田谷代田駅徒歩 5 分
イベント詳細はこちらの記事をご覧ください。
2/19(日) BOOK LOVER'S HOLIDAY #24 開催|BONUS TRACK NEWS|note
毎月開催、気になる本と出会えるブックマーケット「BOOK LOVER’S HOLIDAY」。今月はギャラリーにて開催いたします📚 ・ 日時:2月19日(日) 11:00〜17:00 場所:BONUS TRACK ギャラリー 住所:世田谷区代田 2-36-15 下北沢駅南西
NOTE(ノート)
第十六回西千葉一箱古本市
3/19(日)千葉県・西千葉のHELLO GARDENにて開催される第十六回西千葉一箱古本市に参加します。公園で、ゆっくりのんびりした雰囲気のとてもたのしいイベントです。
日時:3月19日(日)11:00~15:30 場所:HELLO GARDEN 住所:千葉県千葉市稲毛区緑町 1-18-8 (Google Maps)
イベントの詳細はこちらの記事をご覧ください。
第16回 西千葉一箱古本市
Literature event in Chiba, Japan by kame books on Sunday, March 19 2023
FACEBOOK.COM
第六回吉祥寺ZINEフェスティバル
3/25(土)東京・吉祥寺のPARCO屋上にて開催される第六回吉祥寺ZINEフェスティバルに参加します。普段はなかなか入ることのできない屋上からは、晴れていると富士山も見えますよ!桜の季節なので、井の頭公園の桜を上空から眺めることもできるかもしれません。雨天の場合は3/26(日)に順延になります。
場所 :吉祥寺パルコ屋上 日時 :3月25日(土) 雨天順延26日 10:00~17:30 17時最終入場予定 入場料 :①100円 ※一回入場 ②150円 ※出入り自由
イベント詳細はこちらの記事をご覧ください。
第6回吉祥寺ZINEフェスティバルのご案内|BOOK CULTURE CLUB(シェア型書店のブックマンション・無人本屋を運営)|note
2023年3月25日(雨天順延26日)に第6回吉祥寺ZINEフェスティバルを開催します。 出展者絶賛募集中です! ZINEフェスティバルの概要 約100人のZINEの作り手の方がパルコ屋上に集結します。また、当日はZINE以外にもTシャツやステッカーなども並びます。 第
NOTE(ノート)
以上、どうぞよろしくお願いいたします!
過去のおしらせはInstagramをご覧下さい。
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EASTEAST_TOKYO 2023 @easteast_ に、 Gallery Trax @gallery_trax からの出展にて参加します。 EASTEAST_TOKYO 2023 会期 | 2023年2月17日(金)–19日(日) プレビュー | 2023年2月16日(木)、17日(金) ※招待者と報道関係者のみ 開催時間 | 2月17日(金)14:00 – 19:00、2月18日(土)12:00 – 19:00、2月19日(日)12:00 – 17:00 チケット | [1日券]一般 2,000円/23歳以下 1,000円、[3日通し券]一般 5,000円/23歳以下 2,500円、https://artsticker.app/events/1994 会場 | 科学技術館 〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2番1号 EASTEAST_は東京・日本を拠点に活動するアーティスト、アートギャラリーを国内外へ紹介、参加者間の文化交流を促進するためのプラットフォームです。
次世代を担うアーティストとその協働者であるギャラリスト、キュレーター、批評家、鑑賞者、コレクター、パトロン、企業などのアートプレーヤーが連携し、市場経済と文化・アートが公平に作用し合う「文化的エコシステム」の創造を目指します。EASTEAST_は2020年に誕生したアートフェア「EAST EAST_Tokyo」を大幅リニューアルし、再始動します。第1回目となる「EASTEAST_TOKYO 2023」は、東京拠点を中心とした約25のギャラリーに焦点を当てます。会場は東京国立近代美術館からほど近い、北の丸公園内に位置する科学技術館。出展ギャラリーによるアート展示・販売、アートプロジェクト紹介のほか、映像、サウンド、ライブパフォーマンスの実施やディスカッション、ビューイングツアー、フ���ド&ドリンクをラインナップします。また、オフサイトプログラムとして、渋谷や新宿の街頭での映像作品展示、クラブやライブハウスでの音楽プログラムなど、東京のカルチャーシーンやアーティストたちのコミュニティの価値観を体験できる包括的なプレゼンテーションを実施します。 https://easteast.org/2023/ Gallery Trax 〒408-0017 山梨県北杜市高根町五町田1245 https://www.gallery-trax.com/ 1993年、故木村二郎(2004年没)と三好悦子によって山梨・八ヶ岳南麓に設立。空間デザイナー木村二郎が古い保育園を自らの手でリノベーション、家具や什器など多数制作し、トラックス全体が木村の作品として注目されており、ギャラリーではさまざまなイベントや企画展示が行われている。自然豊かな地でアートとともに併設のカフェもあり、五感の刺激と独特な時間の流れを体感できる。角田純を筆頭に五木田智央、ロッカクアヤコ、写真家の高橋恭司や川内倫子も個展を開催するなど最前線で活躍するアーティストたちを多く輩出、若手アーティストらも積極的に登用している。 Artists 角田純 @juntsunoda68 坂口恭平 箕浦建太郎 @minourakentaro 野原かおり @nohara100 中瀬萌 @moe0814n #EASTEAST_TOKYO_2023 #EASTEAST_ #ArtEvent #ArtFair #ContemporaryArt #アート #現代アート #Gallery #ギャラリー #Tokyo #東京 #Japan #gallerytrax #ギャラリートラックス #角田純 #坂口恭平 #箕浦建太郎 #野原かおり #中瀬萌 (科学技術館) https://www.instagram.com/p/Coq5CkHSEv9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#easteast_tokyo_2023#easteast_#artevent#artfair#contemporaryart#アート#現代アート#gallery#ギャラリー#tokyo#東京#japan#gallerytrax#ギャラリートラックス#角田純#坂口恭平#箕浦建太郎#野原かおり#中瀬萌
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開場 10:00 ~ 閉場 16:00
■入場券は当日販売のみとなります。
(お支払いは、現金のみです。) -入場料 / 1,500円(税込)小学生/800円(税込)
■入場について [ミニカー ア ゴーゴー!!会場入場列]と[「HWジャパンコンベンション限定カー」購入列] の2つに分かれての整列となります。 ※(「HWジャパンコンベンション限定カー」購入後はミニカー ア ゴーゴー!!会場に入場可能。ミニカー ア ゴーゴー!!会場にご入場の方で)
【科学技術館】 102-0091 東京都千代田区北の丸公園2番1号
2/25 科学技術館
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築土神社(つくどじんじゃ)は、東京都千代田区九段にある神社である。通称、築土明神。 創建時の祭神・平将門に因み、武勇長久の神社として親しまれ、千代田区北の丸公園にある日本武道館の氏神でもある。 毎年正月に授与される勝守(かちまもり)は有名。
築土神社 - Wikipedia
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周邊商品 與 來自日本各地的小禮物 :[ http://www.misiatresor.com ] 我的天啊我終於加入會員了!還有每次都拿到日本朋友們的小禮物真的每次都很不好意思!我都不小心帶太少,沒關係下次再補。真的不好意思ね!日本の友達🇯🇵本当にありがとうございました♾、またね!🥰❤️✨ · #misia #Tresor #misiatresor #日本武道館 #にっぽんぶどうかん #東京都千代田区北の丸公園 #Lifeisgoingonandon #周邊商品#週邊商品 #周邊 #週邊 #CLUBMISIATAIWAN MISIA.jp 🌻(在 日本武道館(Nippon Budokan)) https://www.instagram.com/p/Bw8j_NKgsQL/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=a8b70dsa4nd1
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木��の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のものは明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人��友魚に声をかけたのかもとか想像します。
壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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戦後の事件簿 「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた 図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった 1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した 1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない 1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した 1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した 1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した 1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている 1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した 1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうと��たところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された 1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した 1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた 1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した 1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊��消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった 1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された 1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された 1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった 1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された 1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた 1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた 1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪��ほか、騒擾罪などで75人が起訴された 1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した 1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した 1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された 1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した 1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った 1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した 1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた 1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した 1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された 1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している 1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった 1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した 1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者��の市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない
1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった 1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った 1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した 1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達��たため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した 1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した 1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した 1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった 1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警��柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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