#服従訓練
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海底地滑りは驚くべき現象であり、その存在が初めて発見されたのは 1950 年代で、科学者たちは 20 年前にヨーロッパと北米の間の通信を遮断した 12 本のケーブル断層のタイミングを分析しました。 海洋学者のマイク・クレア氏によると、それまでは「深海は退屈で、そこでは何も起こらないと考えられていた」という。 実際、海底には山々や峡谷があり、陸地にあるものを小さくしてしまうほどの雪崩が発生し、堆積物や瓦礫が数百マイルにわたって流れ落ちます。 平井氏は 2006 年に台湾でこの問題に対処しましたが、これはケーブル修理の歴史の中で最も悪名高い出来事の 1 つでした。 12 月 26 日、地震により台湾の南海岸の堆積物がはがれ、世界的なケーブルの要所の 1 つであるルソン海峡に 160 マイルも押し寄せました。 9本のケーブルが切断され、台湾はほぼ完全にオフラインになった。 この地域全体で銀行業、航空会社、通信業が混乱した。 韓国ウォンの取引が停止された。 ケーブルは瓦礫の山に埋もれており、見つけるのはほぼ不可能だった。 オーシャンリンクを含む11隻の船が修理を終えるまでに2カ月近くかかった。 台湾地震のような複数のケーブルによる災害では、地域内のすべての船舶が救助に来ます。 しかし、日本に関しては、前例のない複雑な事態が発生した。断層の大部分が福島で進行中の核メルトダウンの沖合に位置していたのだ。 船舶運航者は支援は危険すぎると判断し、当分の間オーシャンリンクは単独で活動することを意味した。 乗組員は、働く義務があるだけでなく、そうすることができる独自の能力があると感じていました。 彼らは以前にも放射線を扱ったことはあったが、この規模ではなかった。 オーシャンリンクが日本、韓国、ロシアを結ぶケーブルを敷設する直前の1993年、ソ連が計画ルートに沿って放射性廃棄物を海洋に投棄したことを知った。 KCS は若干の不安を抱えながらも仕事を進めました。 彼らはガイガーカウンターと防護服を購入し、化学兵器の訓練を受けた看護師を米国から飛行機で呼び��み、移動中に水をスキャンして放射線を調べた。 何も検出されなかった場合、彼らはギアを倉庫に保管しました。 さて、船の出港の準備をしているときに、従業員が古い放射線装置を見つけるために倉庫に派遣されました。 地元の大学はさらにいくつかのセンサーを寄贈し、乗組員にその使用方法を訓練しました。 彼らは、地震が発生したときに修理を終えたばかりの同じケーブルから始めることにしました。 帰港から8日後、小雨が降る午後、福島原発からまだ煙が立ち上る中、オーシャンリンクは海へ出航した。
インターネットを存続させる目に見えない海洋産業
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月23日(金曜日)
通巻第8145号 <前日発行>
中国共産党、企業の内部に党細胞を義務づけたばかりか
軍事訓練と政治学習の企業内ボランティア軍の構築を実施
*************************
中国は企業のなかに共産党細胞を設置せよと命じている。
外国企業、合弁企業も例外なく共産党細胞がある。国有企業では党書記が居て、社長より偉い。国有企業というより党営企業である。
さて企業の内部に「人民武装部」を設置した企業が数十あることが判明した。英紙『フィナンシャル・タイムズ』やインドの『ザ・タイムズ・オブ・インディア』などが2月21日付けで一斉に伝えた。
習近平の強迫観念ともいえる軍事体制構築の「企業内再編」だが、ボランティアの社員で組織され、中国共産党への絶対服従であり、人民解放軍の指揮下に位置づけられている。「軍事訓練」や「政治教育」などを企業活動の一環としておこなう。
ボランティアとは名ばかりで、いやいやながらノルマをこなしているのが実態だろうと想像出来るが、企業活動が暇になったからに違いない。繁栄し多忙をきわめていたら軍事訓練など社内でやっておられるか
日本との合弁企業のなかにも人民武装部が設置されていた。同社のボランティア社員が「民兵」に早変わりし、三十人余が参加していたのである。中国進出の際に求められる「合弁」の形態は、中国側が51��、日本側が49%という組み合わせが多く、社内の管理は中国人��担当するため、内部で何が行われているのか、把握できないのである。
日本企業ばかりか、中国に進出したドイツ大手企業のなかにも人民武装部の存在が明らかとなった。
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旧東隊の小説(二次創作)
ホッケえいひれ揚げ出し豆腐
一月か二月の頃だった。
トリオン測定ですごい数値を叩き出した新人が二人も入るそうだというのが、その夜の話題だった。出水公平と天羽月彦のことだ。
新生ボーダーが動き出して一年半になる。『旧』ボーダーという言葉が定着するほどに、時は勢いを増して流れていく。その間に、一番仕事をしたのは開発室室長の鬼怒田本吉だった。
まず、彼は異世界に通じる門の発生ポイントを特定できるようにした。次に門の発生を抑えるトリオン障壁を一時的ではあるが生成に成功、最後に門発生ポイントを誘導する装置が開発され、三門市の安心を約束する三点セットがわずか一年で出来上がる。元々の研究分野の応用とはいえ驚嘆に値する開発速度だった。
こうして、急務だった門発生のコントロールに成功した後は研究途中で放置されていた擬似トリオン訓練室の完成、隊員増加を見越してランク戦で使う対戦ブースと八面六臂の活躍である。
短期間でこれだけのことをやってのけた彼及び彼のチームは、城戸政宗司令がどこからか連れてきた逸材だった。三門市にやってきた時には一緒だった家族とは離婚している。仕事に打ち込みすぎたせいだと専らの噂だった。
開発室以外も働いた。門がコントロールできるまではいつどこで出現するかわからない。国の機関に代わって街を守るボーダー隊員たちは昼夜を問わずパトロールを行い、近界民と戦った。
三門市民は最初、胡乱な目で彼らを見ていたが、公的機関と連携した規律ある行動に徐々にボーダーの存在は受け入���られていく。根付メディア対策室室長による世論操作も功を奏していた。
出ていく人間は出ていき、かわりに大量の物資と人材が流れ込んでくる。
ボーダーにもまた人材が集まった。
まず、市民志願者第一号として柿崎国治と嵐山准が入隊する。華々しい記者会見の後、志願者はぐっと増えた。
東春秋が部隊を結成したのもその頃だ。
この時期の部隊は自由結成と言うよりは忍田や根付の意向が強く反映していた。東隊も忍田の指示によるものだった。
忍田自身も部隊を持っていたが、本部で戦闘員を統括する役職につくために解散することが決まっている。
ガラリと引き戸をあけて顔を出したのは東春秋だった。いらっしゃいませと店員が声をかけると案内はいらないと手を振って、店内を見渡す。じきに見知った顔の並ぶテーブルを見つけて近づいた。
二十二歳だと言うが、ずっと老けて見える。外見だけではない。彼に接する人間はつい彼が二十代前半の若造だということを忘れてしまう。
後ろには背が高い男女二人がやはり背の高い東を挟んで並び立つようにいた。どちらも目を引く美男美女だ。彼らは近隣の六穎館高等学校の制服を身につけていた。
さらに後ろに中学校の制服を着た少年がひっそりと控えている。前のふたりと違って背は低い。寒いのか、マフラーをぐるぐると首に巻いていた。
三人は物珍しげに店内を見回している。
「なんだ、三人とも居酒屋は初めてか」
テーブルにいた眼鏡の男が声をかけた。既に頬は赤い。手には盃を持っている。日本酒派だ。林藤匠という。ボーダーでは古参の一人だ。歳は三十一になる。そろそろ現役を引退したいとボヤいているが、いかんせん昨今の人手不足だ。
ボーダー本部建物ができたにも関わらず、旧本部ビルから動こうとしない、なかなかの頑固者だった。
「学生ですから」
と、生意気そうに答えるのは、背の高いほうの一人である二宮匡貴だった。
「あれ、根付さんから聞いてないか? ボーダーマークの貼ってある店はボーダーなら学生でも入れるようになったんだぜ」
トリオン器官の性質上、十代の隊員は増えていく。本部でも食堂は設置しているが、彼らは三門市の飲食店にも協力を求めていた。パスポート制で十代への酒類の提供はないなどの配慮がされている。
「知ってますが…」
さらになにか言おうとする二宮を東は遮った。
「今夜は明日の確認だけしに来たんです。本部で聞いたら、ここにいるっていうから」
「明日? ああ、国の視察ね。用事は、唐沢さん?」
「俺?」
テーブルの奥から唐沢克己外務営業部長が顔を出す。彼はビール派だ。既にジョッキをほとんど空けている。まだ三十そこそこだが、やり手の男だ。鬼怒田同様、城戸司令がスカウトしてきた。元ラガーマンだという以外素性を明かさない男だったが、人当たりがよい。
今夜の飲みメンバーは林藤、唐沢に加え、エンジニア冬島慎次、戦闘員の風間蒼也、木崎レイジの三人だった。風間と木崎は二十歳前なので、烏龍茶が並んでいる。
「まあ、たってないでこっちに座れよ、東くん」
「あー、ウチはウチでご飯を食べる予定なんです」
東はお供のように控える背後の三人を見やった。東隊のメンバーだ。
「ここで食べていけばいい��」
「はあ」
少しだけ、東の心が揺れた。老成しているとはいえ二十二の青年だ。気楽な酒の席は魅力的だ。
「大丈夫です。俺たちは帰ります」
東の心を見透かしたように、二宮が後ろの中学生の背を押して店の入口に向かおうとする。
「東」
林藤は声をかけた。
「みんなで食べてけよ。唐沢さんの奢りだ」
「あなたじゃなくて、俺ですか?」
急に振られた唐沢が満更でもなさそうに笑った。確かにこの男前は今日の面子の中で一番地位が高く、懐も暖かい。
「あら、素敵。せっかくだから、ご馳走にならない? 二宮くん」
そこで初めて、女学生が口を開いた。こちらも生意気な口調だが、軽やかでトゲトゲしいものを感じさせない。
「加古」
「ねえ、三輪くん?」
「……」
急に話を振られた中学生は無表情のまま首を傾けた。
「わかりません」
「東さんがここでお酒を飲んでるとこを見てみたくない? 面白そう」
三輪は悩みながらうなずいた。
「ほら、三輪くんもそう言ってるし」
「言ってないだろう」
「言ってないです」
「わかった、わかった」
いつもの掛け合いが始まりそうになって、東は決断する。一応、上役たちの前だ。
「ごちそうになろう。唐沢さん、ありがとうございます」
東が頭を下げると、揉めていた三人がピタッと止まって、同時に頭を下げた。よく訓練されている。東を猟師になぞらえて獰猛な猟犬を三匹飼っていると言っていたのは誰だったか。
「遠慮せずたくさん食べなよ」
唐沢はいつもの人当たりのよい笑みを浮かべた。
「追い出された」
案内されると同時に、風間と木崎が東隊の猟犬三匹のテーブルにやってきた。テーブルが窮屈になったらしい。
今夜はボーダー戦闘員と唐沢の交流会であるらしかった。
風間の兄は林藤の弟子だった男だ。故人である。木崎は東から狙撃手としてのスキルを学んでいるので、東隊の面々とは面識がある。今は林藤に従い旧本部ビルに寝泊まりしている。狙撃以外の分野では林藤に師事していた。
一方は小柄で華奢、もう一方は筋肉隆々の巨漢だ。正反対の見かけだが、どちらも恐ろしく強かった。さらに木崎はトリオン量は二宮と同程度を持っていて近界のトリガーを使いこなす。
加古の隣に木崎が座り、二宮と三輪の隣に風間が座った。スペースの有効活用の結果である。三輪は隣が風間なので緊張する。風間蒼也は様々な思惑の絡む本部で誰からも重用され、確実に任務をこなすエリートだった。
「もう、頼んだか」
「まだです」
彼らはまだ食べるつもりらしい。
「居酒屋は初めてか」
木崎が気を使って、品書きをテーブルの真ん中におく。
店員がまとめて置いてい��た突き出し(お通し)を配る。
「飲み物から決めよう」
と、店員を呼んでさっさと飲み物を決めてしまう。さくさくと仕切る姿が頼もしい。三人はジュースにしたが、風間と木崎はまた烏龍茶だった。
「おすすめは、揚げ出し豆腐だな。家で作るの面倒だし」
「そういう基準か」
「寺島たちに頼まれて作ったが、たくさん食べるものじゃないし、持て余した」
寺島たちと寺島雷蔵と諏訪洸太郎のことだろう。四人は同い年で気が合うようだった。諏訪は二宮と加古の同期でもある。
「おごりなら諏訪と雷蔵でも呼ぶか」
「来ないだろ」
確かにもう遅い。
「今日の当番は?」
お酒をあおる大人席では、林藤が煙草の煙を吐き出しながら聞いた。
「忍田さんとこと迅です」
迅悠一は木崎隊であったが、先日、晴れて『風刃』所持者となり、隊を離れS級隊員となっている。
「あとは嵐山隊ですね」
なんとなく大人たちは子どもたちのいるテーブルに視線を向けた。三輪がジュースを飲んでいる。迅、太刀川、嵐山と三輪の苦手な三人だ。
「明日は俺らの勤務か」
正直、オーバーワークだ。ここにいるメンバーは皆、ワーカホリック気味ではあるが、大規模侵攻からずっと働き続けている。
「入隊志願者が増えてますからもうちょっと頑張ってもらって…。部隊が増えてくれば、部隊の輪番制に移行するって城戸さんが言ってます」
「もうすぐですよ」
冬島がエイヒレに手を伸ばしながら言う。
「そう願いたい」
品書きと書かれたメニューには写真がない。並ぶ単語は知らないものが多い。
三輪が大人たちのテーブルをチラリと見れば東は刺身の盛られた皿をビール片手につついていた。嬉しそうだ。確かに、隊長ではない東は不思議な感じがした。
「秀次は刺身か」
二宮がつらつらと品書きを見ながら勧める。二宮も初めてだからよくわかっていない。
「盛り合わせがあるぞ」
「ちょっとずつ色んなのが食べたいわ」
加古がウキウキしている。
「レイジさんおすすめの揚げ出し豆腐は頼むでしょ。風間さんのおすすめは?」
「コロッケと卵焼きだな」
間髪入れずに答える。迷いがない。
「じゃあ、それー」
「また家で作れるようなものを…」
木崎がぶつくさ言うが、三輪は蕎麦を茹でるくらいしかできない。
「二宮は?」
風間が水を向けるが、彼は熟考に入っている。
「先に頼んじゃいましょ。店員さぁん」
「加古、お前なあ」
「大丈夫だ、二宮。何度でも頼めるから」
「風間さんがそう言うなら」
注文を手早く木崎がまとめる。
「三輪は決めたのか」
「じゃあ、刺身盛り合わせ(小)で」
「あと、ホッケ」
「加古、語感で決めただろう」
「干物だな。北の魚だ」
明日、視察団が来るというのに、大人組はまだまだ飲んでいる。タバコの匂いがする。
焼肉屋ともファミリーレストランともバーガー屋とも違う雰囲気にふわふわする。
「秀次」
三輪は、二宮に揺り起こされた。ひと通り食べたあと、いつの間にか眠っていたらしい。
「中学生には遅い時間だな」
木崎が気の毒そうに言う。
「大丈夫です。すみません」
彼らも高校生なのだ。
「ほら」
おにぎりが渡された。大きい。海苔がパリッとしている。
「結局、二宮くんが選んだのがこれよ」
おにぎりを優雅に食べるという器用なことをしながら、加古が教えてくれる。
「悪いか」
「いい選択よ」
「うまいな」
風間はまだ食べている。木崎はカチャカチャと皿を重ねて、テーブルを綺麗にしている。 三輪は散々食べたあとだが、おにぎりを持って、「いただきます」と言った。おにぎりは何も入っていなくて塩がきいている。
「おいしいです」
「そうか」
「東さん、あれ酔っ払ってるわ」
三人が揃って東のほうを向くと、その様子がおかしかったのか、木崎と風間が笑った。
「明日はお前らが頑張れ」
その日はみんなボーダー本部に泊まった。
終わり
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革���式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂���底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024年を振り返る
本当は色々書きたいことがあるのだが、明らかに2024年の末までに間に合いそうにない。そこでひとまず概略だけを一つの記事で述べよう。
数学について
大量の金と時間を要する新たな施策を開始した。いまのところ、なんとか単位は落としていない。今年はほとんど高校一年生までくらいの内容を復習した感じだった(かろうじて12月に入ってからベクトルの初歩をやっている)。それでも収穫はあった。数学の内容そのものについてもそうだし、この新たな施策自体がそもそも私にとっては非常に挑戦的だった。そこでなんとか一学期分だけでもやり仰せたことは素直に評価してよいと思っている。数学の内容について二次方程式(なかんづく平方完成)、指数対数関数、三角関数などについて理解が深まり恐怖が薄まった。まあ微積分がまだなので後二者についてはまだ完全にビギナーレベルの理解だけどね(数値の計算は関数電卓任せ)。平方完成に対する恐怖感・違和感が無くなったのは、いまとなってはなんでもないことだが、私にとっては大きな勝利であった。バカバカしく聞こえるかも知れないが、そうなのだ。
確か2月くらいに『こころを旅する数学——直観と好奇心がひらく秘密の世界』(David Bessis 著、野村真依子 訳、晶文社)を読んだ。読売新聞の日曜の書評欄に「数学が苦手なやつはこれ読んで勇気づけられろ」みたいなことが書いてあり、それに触発されて買ったと記憶する。結論から述べればそんな生易しい本ではなかった。この本は「数学が屈辱的なほど不得手であるがゆえに文系にならざるを得なかった人々」にとっては破壊的な本といってよい。もちろん私もその一人だ。ただ一言で述べればこの本は「数学の学習・研究において直観を用い、対象をイメージすること」の効用を解いた本だ。数学をする際の直観的かつ感覚的な経験について詳述されている。「勇気づけられ」などというレベルではない。私のような人間にとっては数学との接し方がほとんど一変してしまうような衝撃だった。「え、そんなことしていいの?それって形式性を重んじる数学ではご法度じゃないの?」みたいな感想を読みながら抱いた。もちろん最終的な数学は(それぞれが参与しているレベルに応じて)形式に則っていなくてはならないのだが、それを思考の過程でまでやる必要はない、というのが著者の主張だろうか。以来、今年の数学はこの著者が主張するところに従って、できるだけ自身の直観と教科書の説く厳密さを一致させようと努めてきた。成果が出るのはいつになるだろう。
そうそう、その本で解説されていたもう一つの衝撃は「数学をやるときは間違えろ」と主張されていたことだ。直観で考え、当然直観は多くのケースで間違っているので、どこが間違っているのか考えろ、という(これが直観と厳密の調和ということになるのだろう)。喜んで間違え、その間違いを修正する格好でより良い(正しい)直観を得るのだ、といえようか。本書のなかで大数学者というべきらしい、ドイツにルーツを持ちフランスで活躍したアレクサンダー・グロタンディークという学者が紹介されていた(というより本書の主要登場人物の一人である)。孫引きになるが、大略次の内容の言葉がグロタンディークの本から引用されていた。「誤りを恐れることは真理を恐れることと同一である。誤りを恐れる者は発見できない。誤りを恐れるときにこそ、我々のなかで誤りは岩のように確固としたものになるのだ」。感動すると共に、ぜひそのような精神に到達したいと思った。第二次世界大戦中に子供期を過ごしたグロタンディークは、数学のあり様を転回させるような研究をしたのだという。そのような数学者が著者の解説曰く「グロタンディークは誤りを少しも恐れない。それどころか進んで誤りを冒す」というような人だったそうだ。グロタンディークに強く憧れたし、著者にも憧れた。著者が本文中で「これは読者であ���お前らにおべっかを使ってるわけじゃなくて、訓練すれば誰でもこうした数学的直観は鍛えられるものなんだよ」って主張していた。そこで私は、とても子供っぽく思われるだろうけど、憧れて、著者の方法論を実践を続けていれば少しは伸びるなにかしらの能力があると思うことにした。
本の話が長くなった。それはそれとして、非認知能力の鍛え方がまだまだ足りない。確かに日常的に数学の勉強はしているが、ストレスに押しつぶされて休日に全く勉強しない日もよくあった。他人からみればストレスに押しつぶされていないのに数学を勉強しない日もよくあった。元来、私は子供の頃から勉強する習慣がない(成績も悪かった)。そしてストレスの発散方法といえばネットで時間を潰すことであった。それらの悪習慣を未だに克服できていない。全体としては(中長期で見れば)間違いなく進歩している。しかし進歩の速度が遅すぎるし、なんというか「もっと上手くできるだろ」と思うことが多い。仕事だって専門的でもなければストレスが多い仕事でもないわけで…。ネット(ここ半年ほどの傾向で言えば、ChatGPT)をする時間を減らし、心を落ち着かせ数学に集中する。ただそれだけのことをちゃんと実行できるようにしなくてはならない。私は勉強する十分な時間がないといつも嘆いているが、それは半分を超えて自己欺瞞である。自己制御能力が低いために生産性がゼロ以下のことに時間と体力を今年も随分浪費してしまった。その分を小さくすることができれば、少なくとも今よりは時間の問題は軽くなる。その分数学の能力も高められる。
非認知能力を高めるという点では規則正しい生活習慣の維持、成長型のマインドセットの涵養、メンタルストレスへの対処方法の習得といった、数学の外の知見・技術を身に着けることが必要となる。何より重要なのは自分や家族に関する「放っておけない事項」(健康とか)を除き、私が他の何を差し置いてでも数学をやること、数学について考えることだと思っている。つまり絶対に無視できない事柄を除き、数学以外の軽佻浮薄な刺激に振り回されて心を消耗させないことがこの先私が数学を続けていくうえで枢要だと私は思う。それは様々な弊害を齎すことが容易に想像できる。一つだけ挙げれば非常識に片足を突っ込む可能性が高くなる。しかしそれでもなお、私は数学の力を向上させたいのだ(それにこの例に限って言えば数学ができないところの労働時間を「自分の常識の修正の時間」として活用することができる)。
婚活について
ほとんど何もできなかった。やったことといえば、冬になってからようやく女性とおデートできる服を買いに行ったことだ(まあ、あと婚活の本とマッチングアプリでのコミュニケーションの仕方についての本を読んだよ)。この5年というもの、他人に会って恥ずかしくない服(他人に見せるための服といえばいいのかなあ、よくわかんないや)を文字通り一着も買っていなかった。だから秋冬用のおデート服を上下買い揃えるだけでも(といってわずか1セットだが…)私にとっては大きな苦労だった。それこそ一時間お店で買い物しただけでもクタクタになるほどに。
そうした経緯から私は働いているというだけで、その実、自分はほとんど社会的引きこもりに近い状態であると認識した。「お洋服を買いに行くのが億劫だし怖い」というのは、引きこもりの人が「人に会うのが怖い、外に出るのが怖い」というのとかなり似ている。私は散々社会的弱者のことを馬鹿にしてきたが、彼らの気持ちが少しは経験できたような気がした。「自分は普通未満である」という認知は人から尊厳を奪うのだと、自分が体験してようやく理解できたよ。服屋に行ったとき私は自分が恥ずかしかった。服を選んでいるだけなのに惨めな思いがした。こんな気持になるなら服を買いに来なければよかったとすら思った。勇気を出した甲斐は実り、最終的には服を買いに行くこと自体にネガティブな気持ちは抱かなくなった(心理的負担が大きいので複数週に分けて買い物に行った)。
マッチングアプリも始めたが一度もメッセージ交換に成功していない。書いていて自分で笑ってしまう。それだけ今の私は女性にとって箸にも棒にもかからない人間ということだ(少なくともプロフィールからはそう読解されるということだ)。以下は読者によって賛否両論ある表現だと思うけど、濁さずに書く(不愉快に思うところがあったらそれはごめん)。
私はマッチングアプリで上手くいかず、リアルで女性と出会う機会も全くないことから、おそらく人生で初めて社会的孤立を感じた(これまでもその状態だったが一度も辛いと感じたことはなかった)。そして女性とお知り合いになり得るところの、旧学友ネットワークを全て断ち切ったことを今更ながら後悔した(学校卒業当初はむしろ進んで自分から彼らとの関係を断絶させたものだ)。昔読んだ本に「仕事も性のパートナーもネットワークを通じてやってくる」みたいなことが書いてあった。そのとおりと思う。もうそのネットワークを復活させることは出来ない。連絡手段が一切ないからだ。それにみんなもう結婚していて(みんなではないだろうけど)仮にネットワークに参加してその手の話題にも加えてもらえたとしても、「パートナー募集中」の情報が彼らの間で行き来することはないじゃないかと想像している。みんな(みんなではないだろうけど)もうパパママやっていて、日々どうやって家事育児をこなしていくかってことに手一杯なのではないだろうか。つまりネットワークと信頼を回復できたとしても(それ自体がありえない仮定だが)「もう時期を逃している」。と思っている。学生の頃にもう少しでいいから人との繋がりを大切にしていればパートナーの獲得も目処がついたかもしれないのに…と人生で初めて後悔した(学生の頃は本当に、同級生とも誰とも関わり合いになりたくないと心から願っていた。誰とも話したくなかったし、話しかけてほしくなかった)。
そしてその後悔は古の記憶を呼び起こし、私を苦しめたことが今年、数回あった(このようなことも人生で初めての経験だった)。学生の頃、私に他者が興味を示してくれたことが、ほんの少しの回数だが、あるにはあった。私はそれを無碍にした。挨拶してくれた相手に対し何も返さず素通りしてしまうような(いや、実際のエピソードは全然違うけど)。それを思い出し私はなんて酷いことをしたのだろう、いくらなんでもあんなぶっきらぼうなことはせずともよかっただろうと強い自己嫌悪の念に苛まれたことが数夜あった(率直に申し上げれば、そこで形成したネットワークが配偶者を得ることに繋がる可能性もあったはずだという後悔は���然あった)。まあ相手はどれも覚えていないだろうけどね。
そういうわけで、今年は人生で初めて「隣に誰かいないことが寂しく、辛い」ということを経験した。これまでは友人がいないこと、恋人がいないこと、配偶者がいないこと、セックスの相手がいないことを辛く思ったことはマジで一度もなかったように思う。それが今年になって初めてそのような気持ちになったのだった。まあ結婚しないことも人生なのかな。それは結婚に付随する様々な喜びを生涯経験できないことを意味するが、もう既に私には「生涯経験することの出来ないウルトラハッピーな出来事」がたくさんある。例えば、大変下品で申し訳ないけど、学生のうちに学生同士でセックスするとかね。従って世の中の多くの人が経験している幸福だからといって、それを経験できないこと自体が直ちに私にとって(いまさら)相対的剥奪感を増すわけではない。そんなものは私にとってはありふれている。とはいえ結婚したいです(真顔)。これって結局「せめて人並みではいたい」という感覚なのだろうか。そうかもしれない。
転職について
仕事中、暇なときに賞与の申告書の体で職務経歴書モドキを書くことしかやっていない。つまり転職活動を出来ていない。さっさと今の会社辞めたい。流行語でいえば「ゆるブラック」ってやつで、労働環境自体は(私が間接部門員ということもあり)真っ白だが同時に将来性も真っ白である。こうしたことを書くと一家言ある方もいると思うんだけど、詳細をいろいろ書いている時間がないため記述が雑になってしまうのはご勘弁ください。
日々の業務としては昨年度一年間進めていた個人プロジェクトが花開いた9ヶ月間であった。1~3月は私なりにめっちゃ頑張っていたな。ITスキル的には全然大したことないけど、会社に追加の費用を発生させず情報システム部様にお伺いを立てる必要がないという点で、現場レベルの努力としては優れていたと思っている。「同じ給料払っているなら、こうしたことを勝手にやり始める社員のほうが雇っていてお得でしょ?」みたいな。実際その個人プロジェクトのおかげで仕事はかなり楽になった。だから仕事中に職務経歴書を書けるくらいになった。同僚に仕事を共有し始めるなど、完全に転職ムーヴをかましている。数カ月間ずっと。
一度上司にその個人プロジェクトをグループ会社にも広めようと上申したが、うまくいかなかった(勤務先が大企業の子会社なので。大企業といっても「一応」をつけるべきだとは思っている。そういう事情もあって転職したいのだ)。作った資料がわかりにくいと言われた。上司の指摘は最もだった。だが私は面倒くさくなってしまい、その水平展開の企みは放棄した。…つもりだったのが、年末に急展開を見せてどうなるか分からない状況になった。私としては水平展開するというアクション自体は完全に死んだものと考えていた(だって当の私が他人に説明する努力を放棄したんだもん)のだが、想定していなかったルートから話が漏れた。その結果、親会社の担当部署で水平展開するか否か諮られることとなった。
率直にいえば、とても嬉しかった。私の長くもない&大したことのない職業生活で最大の成功といってもよいかも知れない。要するにこの個人プロジェクトを他のグループ会社に広めようというのは「僕ちゃんのお頭が良いことを他の会社の人達にも知らしめてやる」という功名心があったからだ。年末に私がやったことは親会社の人々もやっていなかったということを確認する機会があったのだが、それは本当に気分が良かった。この話がどう転ぶかで転職の時期はずらしてもいいかも…とちょっと思っている。転職をより有利に進めるためにも実績は多いほうがいいじゃん?この話が私の都合よくいったならば、これは(余計な仕事はその過程でさせられるだろうけども)実績といってよいはずだ。
随分書くのに時間をかけてしまった。来年は数学の能力を高め、もっと数学に集中し、余計な感情・刺激に振り回されずに生きたい。それと共に自身の哲学を深めたい。カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』を遅くとも来年中には読み終わらなくては。数学をすると共に理性を向上させたい。あとは結婚と転職か。果たしてどこまでやれるだろうか。
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2024/12/2 8:00:22現在のニュース
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TEDにて
エリザベス・コックス:古代エジプトの医者の一日
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
エジプトのメトロポリスに、また、うだるような暑さの朝がやってきました。
日光がナイル川を照らすと、ペセシェット「swnu(医者)」は、彼女の必需品を確認します。蜂蜜、にんにく、クミン、アカシアの葉、シダー油。患者を診るのに準備は万端です。
エリザベス・コックスが、古代エジプトで呪術と一体だった医者の一日を描きます。シャーマン?
講師:アイナフ・ザミアー・デンビン、アニメーション:Echo Bridge *このビデオの教材:https://ed.ted.com/lessons/a-day-in-the-life-of-an-ancient-egyptian-doctor-elizabeth-cox
エジプトのメンフィスにまたうだるような暑さの朝がやってきました。日光がナイル川を照らしはじめるとペセシェットは持ち物を確認します。蜂蜜、にんにく、クミン、アカシアの葉、シダー油、患者を診る準備は万端です。
ペセシェットは「swnu(医者)」です。医者になるために彼女は書記としての訓練を受け「Per、Ankh(生命の家)」で医学の古文書の勉強をしました。現在、彼女はそこで先生をしています。
授業をする前に、まずは診察です。神殿の建設現場で働く労働者が、腕を怪我したそうなのです。ペセシェットが診たところ彼の腕は折れていて更にひどいことに骨はいくつもの断片に砕けています。ペセシェットは彼の腕を縛り固定します。
生命の家に向かっていると道端でひとりの婦人に呼び止められます。息子がサソリに刺されたというのです。ペセシェットは対処法を知っています。毒抜きの呪文を唱えるのです。呪文の力で医者のパトロンで有毒生物の女神であるセルケトに呼びかけます。
ペセシェットはセルケトに扮して呪文を唱えます。この厳かなやり方によって助かる可能性がとても高まります。呪文を唱え終わってから適切な治療法としてナイフを使って毒を抜きます。
毒抜きは終わりましたが、ご婦人にはもうひとつ用があるようです。自分が妊娠しているかどうか気になっていました。ペセシェットは妊娠検査の方法を説明します。
大麦と小麦の種を植えて、その土の上で、毎日、用を足します。麦が育てば彼女は妊娠しています。大麦が育てば男の子、小麦が育てば女の子が産まれるでしょう。加えてペセシェットは、豊穣の女神ハトホルに祈るよう勧めます。
ペセシェットがやっと生命の家に着いたときシャーマンのイセシに出くわしました。彼女は丁寧に挨拶をしましたが、心の中では、シャーマンを利己的だと思っています。
もっとも、イセシのネルペフトとしての地位は、羨ましくありません。ネルペフトとは直訳すると王家に仕える肛門の牧人。王室のおしりの守護者ですから。
生命の家はいつものように書記たちや���官たち、医者たち、そして、生徒たちであふれています。
医学に限らずあらゆる分野のことが、パピルスに記録されここに所蔵されています。ペセシェットの息子、アケセテプは書写に大忙しです。書記になるための勉強をしているのです。
彼は特に期待されている生徒ですが、彼が学べるのは、ペセシェットが書記だからです。彼女の父親も書記でした。専門家の家系に生まれなければ、学びを追求することは、男の子でも難しいです。女の子だと不可能でしょう。
ペセシェットはメンフィスの女医と女性研修医を監督しています。男性には男性の監督者がいます。男性の医者は女性を相手にしないからです。
今日、ペセシェットが教えるのは、解剖学です。彼女は生徒にメトゥについてクイズを出します。メトゥとは体内の管のことで血や空気、尿、そして、悪い精霊までも運びます。
ペセシェットが帰ろうとしていると顔色の悪い痩せた女性に診察を求められました。腕の内側が腫れて痛むそうです。ペセシェットは、腫れものが冷たく、まだ青い果物のように固いことに気づきます。
この病について学んだことはあるものの目にするのは初めてです。この腫物を治す方法はなく薬も呪文も効きません。どんな文書にも放置すべしと書いてあります。
何もできないことを告げてペセシェットは立ち去ります。彼女は夕暮れの街を眺めながら生命の家の階段で物思いにふけっています。いくら頑張っても腫れ物に苦しんでいたご婦人のように助けることのできない患者もいるのです。
彼らのことが頭をよぎりますが、ペセシェットに考え込む暇はありません。数週間後には、今年もナイル川は氾濫の季節を迎え翌年に収穫する生命が、土壌にもたらされるとともにたくさんのけが人が出るでしょう。
古代エジプトは、紀元前30000年に集団が形成され、その後、紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生。エジプトの主神であったアメン神は多神教で世界最初の中央集権国家として現在では知られています。
その後、「アクエンアテン」が推進したアテン神を中心とする一神教が、人類史上初の一神教として誕生。
合議制の多神教である神官と言われる人々が政治に口を出すために、破壊的イノベーションにより誕生したかもしれません。一部。大統領制や政教分離です。
しかし、一神教はエジプトでは破壊されてしまい。モーゼの出エジプト記になり、古代ユダヤ教になったと知られています。参考までに、一般的には古代中国は、紀元前2000年。古代ローマは紀元前500年です。
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から���代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
不思議なシュメール文明について・・・
西洋占星術と四柱推命は、根っこがバビロニア?四柱推命は中国じゃなくシュメール文明から?
翻訳された現実の粘土板の記述には、興味深いことが記されています。
45万年前から30万年前くらいは真偽不明。しかし、30万年前から偶然の一致か、不思議と考古学と一致してくる。
鉱山で働くアナンナキ。アヌンナキの手作業を引き継ぐ原始労働者によって、猿の遺伝子操作?を創り出しています(これは、日本神話のイザナギ、イザナミに似ている)
エンリルは鉱山を沈め、メソポタミアの原始的な労働者をエディナに連れて行きます。
彼らが繁栄することが許すとき、ホモサピエンスは繁栄し始めていきます。
20万年前。
その間、地球上の氷によって生命は停滞します。
10万年前。
再び暖かくなっていきます。アンニナキ(聖書のネフィリム)は、増え続ける懸念を持ち、人間の女性と結婚しています。
7万5000年前。
「地球の呪い」が始まります。新しい氷河期。さまざまな種、回帰型の人間が広がっており、そのうちクロマニオンが生き残っています。
4万9000年前。
エンキは、アヌンナキと共に人々のメッセンジャーを政府に呼び寄せる。
エンリルは怒っており、人類を破壊する予定です。
1万3000年前。
彼女は地球にニビルの差し迫ったアプローチは、巨大な津波を引き起こし、人類への差し迫った災難が明らかにすることを誓うためにアヌンナキを引き起こすことを実現。
1万1000年前。
エンキは宣誓に違反し、潜水艦?を建設するよう命じる。洪水が起こる。アヌンナキは、軌道上の宇宙船?からの災害に従います。
エンリルは、道具や種子を残りの人類に分け与えられることに同意します。 人類は高地を耕作し始める。エンキは動物を家畜化する。
1万500年前。ここらへんから人類の歴史と一致し始める。
ノアの子孫には、3つの領域が割り当てられています。アップル生まれの息子、ニヌルタは、谷を転覆し、川を乾燥させてメソポタミアを居住させる。
エンキは、ナイル川の谷を占めています。シナイ半島は、ポスト・ディルドゥー宇宙港?としてアヌンナキを保有しています。
モリア山(エルサレムが立つところ)にはコントロールセンター?があります。
現実の粘土板の記述らしいけど、何を言っているのか、意味がわかりません。
<おすすめサイト>
サラ・パーカック:宇宙から見た考古学
サラ・パーカック:ペルーの失われた文明を人工衛星、人工知能で探す
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
マニュエル・リマ:人類の知識を表す視覚的表現の歴史
サキ・マフンディクワ:古代アフリカのアルファベットに宿る優美と洗練
<提供>
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「虚無への供物」中井英夫 5581
終章
58 五月は喪服の季(とき)
蒼司の告白後の世俗なんかが語られますが、正直この後になんの話があるのでしょう。
その頃の風俗や事件などが羅列され、現実味を与えています。 が、それほどの効果があるのでしょうか
プロレスブームは、1954年(昭和29年)の力道山vsシャープ兄弟から始まったみたいですね。 その後、力道山がアジア王者になったり世界タッグ王座になったりでその勢いに拍車がかかったみたいです。
ボディビルのブームは、昭和31年に日本ボディビル協会が設立されたのを基に始まったみたいです。
M+W時代というのは、男性度(M)女性度(W)を示すぐらいの意味で、映画『青春怪談』(獅子文六原作、日活版、新東宝版の2作が同時に公開された)から広まったようです。従来の男性像、女性像に対する見方が変わり、社会的に性差に対するこだわりが少なくなってきたことを反映したようです。
トニー谷の愛児誘拐事件は、1955年7月15日、人気芸人トニー谷の長男が下校途中に誘拐されたものです。
女学生の火だるま自殺は、わかりませんでした。
森永ヒ素ミルク中毒事件は、1955年6月頃から主に西日本を中心として起きた、ヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した��幼児に、多数の死者・ヒ素中毒患者を出した毒物混入事件です。
紫雲丸事故は、1955年(昭和30年)5月11日06時56分、香川県高松港沖合において日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船の紫雲丸と第三宇高丸とが衝突し、紫雲丸が沈没して乗客乗員168人が死亡・行方不明になり、その多くが修学旅行中の小中学生や婦女子であったという事故です。
橋北中学校水難事件は、1955年(昭和30年)7月28日に三重県津市の津市立橋北中学校の女子生徒36人が、同市中河原海岸(文化村海岸)で水泳訓練中に溺死した水難事故です。
原爆投下後10年でいくつかの出来事があったみたいです。 1955年8月、 中区中島町1番(相生橋南)に原爆供養塔、納骨堂が改築させられた 中区中島町1番(原爆供養塔南)の平和の石燈 中区基町6番77号に電信電話職員原爆犠牲者慰霊碑 中区基町22番(三篠橋東詰南、本川河岸緑地)の広島陸軍病院原爆慰霊碑 中区小町1番(三井ガーデンホテル広島南東、平和大通り緑地帯)の移動演劇さくら隊原爆殉難碑 なんかが上がっています。
花火工場が相次いで爆発しとありますが、しっくりくる事故は、墨田区花火問屋爆発事故くらいです。
十日詣ともいわれる四万六千日(観世音菩薩の縁日)が、今年も7月10日行われたことが、 そして、今年のパリ祭は7月14日に行われることが、さり気なく挿入されています。 これだけの事件事故があっても催事は行われるということなんでしょか?
また、ボートネックの若者たちが氾濫した太陽族やカリプソとシスターボーイそれから狂熱のロカビリー、 ファンキー族が避暑地にたむろしてドドンパツイストからボサノバまでと風俗が描かれます。 太陽族は、石原慎太郎の小説に由来する風俗ですね。
季節は初夏になっていて、 下落合の牟礼田の家で、久生と亜利夫と藍ちゃんの四人が会っています。 何を考えたのか、久生は結婚の延期を主張して譲らず牟礼田はまたひとりでパリに帰ることになり、 この日は送別のために集まったのです。
蒼司はあれ以来、腰越にもあらわれず、牟礼田にも何の連絡もないという。
黙っていた牟礼田がつぶやきます。 自分が犯人な筈はないのに、犯人の要素を持つというわけかと。
つづく
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「柴犬の秘密:なぜこの犬種が心を奪うのか?」
🐾柴犬との生活を考えている皆さんへ!🐾 柴犬、日本が誇る風格あふれる犬種をご存知ですか?その愛らしい見た目と頼もしい性格に魅了される人は少なくありません。しかし、柴犬を飼う際にはいくつかの注意点がありますよ。今回は、そんな柴犬をお迎えする前に知っておきたい注意点を詳しく紹介します。 ## 1. 独立心の強さ 🐕 柴犬は「一人でも大丈夫!」と言わんばかりの独立心の強さが特徴です。他の犬種に比べて、自己主張が強く、自分の考えをしっかりと持っています。そのため、服従訓練が少し難しい場合がありますが、それがまた柴犬の魅力でもあるんです。飼い主に対する従順さを期待するのであれば、少し根気が要ります。とはいえ、信頼関係を築けば、飼い主に対して非常に忠実です。 ## 2. 運動量の必要…
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ミシガン大学の研究チームがAIに解読させようとしているのは、そんなふうに誤解されがちな犬の吠え方の意味だ。 そのAIはもともと人間の言語用に開発されたものだが、従来のイヌ用モデルよりずっと正確に、遊びと攻撃の吠え声を区別し、さらにはイヌの年齢や犬種、性別までも識別できるという。 広告 犬が吠えている時、何を伝えたいのか? 犬や猫のように身近な動物から、ちょっと危険な肉食動物まで、彼らは鳴き声で何かを伝えているが、人間にとって彼らが何を言いたいのかを正確に理解するのは難しい。だがAIの進歩がそれを可能にするかもしれない。 ミシガン大学のコンピュータ科学者ラダ・ミハルチェア氏は、「人間の声で訓練された音声処理モデルとこれまでの成果を活用することで、犬の吠え声のニュアンスを理解する新たな可能性の扉が開きました」と語る。 動物の声を解読するAIモデルの開発が難しい理由の1つは、データが少ないことだ。人間の声を録音したものならたくさんあるが、動物の鳴き声のデータを集めるのはずっと大変だ。 ペットや家畜ならば飼い主の許可を得なければいけないし、野生動物なら自然の中に分け入っていかねばならない。しかもそうやって会いに行ったところで、彼らが録音に協力的である可能性はほとんどない。 dog-5913243_640 photo by Pixabay 人間の音声用AIで犬の声を分析 そこでミハルチェア氏ら研究チームは、こうした犬の声のデータ不足を克服するために、もともと人間の音声を分析するために設計されたAIモデルを応用できないかと考えた。するとそれが思いの外うまく行ったのだ。 そうしたAIモデルは、音声テキスト変換や言語翻訳など、さまざまな音声技術のバックボーンとなっているもので、口調・高さ・アクセントなど、人間の声の細いニュアンスを区別するように訓練されている。 つまりは、人間が話す言葉のとんでもなく複雑なパターンを学習し、符号化することができるのだ。 今回の研究では、特に「Wav2Vec2」という人間用AIモデルで、犬の吠え声の解読に挑戦している。 ただしそのままでは使えないので、犬種・年齢・性別がさまざまな74頭の犬がさまざまな状況で発した鳴き声を録音し、このデータでAIを訓練し直した。 brands-people-RFpaVggKP6E-unsplash photo by Unsplash 犬の吠え声を4つに分類することに成功 その結果、AIは遊びの吠え声と攻撃の吠え声を区別するなど、4つの分類タスクに成功した。 驚いたことに、そ��元人間用AIは、最初から犬用に作られていた既存のモデルよりも優れていたという。 人間の音声に最適化された技術が、動物のコミュニケーションの解読に役立てられた初めての例です(ミハルチェア氏) この結果は、人間の声に含まれる音とパターンが、動物の鳴き声のようなまた別の音声パターンを分析するベースになることを示しているとのことだ。 こうしたツールは、生物学者や動物行動学者などに便利なのはもちろんのこと、犬をはじめとする動物たちが気持ちやニーズを理解することで、彼らの幸せを守ることにもつながるだろう。 この研究は『Joint International Conference on Computational Linguistics, Language Resources and Evaluation(数理言語学・言語資源・評価に関する合同国際会議)』で発表された。論文の未査読版は『arXiv』(2024年4月29日付)で閲覧できる。
遊びたいの?怒ってるの?犬の吠えている鳴き声をAIで解読する試み : カラパイア
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本当に人手が足りないし、猫の手も借りたいぐらい人手不足になった結果、外国人を雇う事になった。もう外国人を雇い続けて1年になるが、これが頗る評判が悪い。仕事の漏れややり方に不備があるので指摘しても、カタコトの日本語で「ハイ、ワカリマシタ」とは返ってくるが何度言っても改善されない。本社に早く日本人雇ってくれ仕事が回らんと伝えても改善されず。金がないんだろう。発注側も安い清掃会社を使いたいので、もうこのまま安い清掃会社の従業員として致命的なミスでもして、「少し値が張ってもまともな清掃会社を使おう」と思わせるのが俺か社会的役割なんじゃないか?とさえ思った。またとある日、外国人が自分の入館証をトイレに誤って流したと言っていた。意味がわからん。流す前に気づくだろ普通。トイ��じゃなくて誰かをビルに入れるために横に流したんじゃねえか?とさえ思った。入館証トイレ流しの件と再発行の話がビル管理会社に届きこっぴどく怒られ、「従業員に反省文書かせてくれないか?再発されては困る」と言われた。俺も対策してえけどうっかりでトイレに流す意味がわからねえもん。一応現場では入館証をポケットに入れず常に首にかけて携帯するというルールを再度周知はした。当該のベトナム人も「ハイ、ワカリマシタ」といった。そしてオーナーの言う通りに反省文書かせた。ベトナム人の彼なりの計らいではあったんだろうが英語がびっちり並んだ反省文が返ってきた。律儀に書いてくれてありがとう。俺は英語が読めないので、そのまま管理会社に渡した。管理会社部長は「これはふざけてるのか?」とブチキレた。俺は上の空でこの仕事に別れを思った。そんなこんなで数ヶ月前に、久々に日本人が入ってきた。中年の清掃経験がある男だ。挨拶もしっかりしてるし、現場の清掃員の七割が外国人なことに少し戸惑いはしていたが、俺は久々にホッとした。しかし、勤務開始から3日後にビル利用者から「最近入った清掃の男が階段掃除しながらスカートの中を覗いてくる」とクレームが入った。俺は覗きの現場を見てはいないので、片方の意見だけを鵜呑みに新入り中年を咎めることが出来な��ったので一先ず保留にした。そして翌日別の女性からクレームが入ったので、これは本物かもしれない懸念が出た。昼休み前に「階段で清掃員にスカートの中を見られて不快だったというクレームか入った。新入り中年さんは本当に見て無いとは思うが、神経質なお客様もいて以前からこういうクレームがあったので(ちなみに過去に一度も無い)、階段の清掃中は極力仕事だけにフォーカスを当ててくださいね、なんかあったら遠慮なく私に相談してください。」と伝えた。そうすると新入り中年さんは顔と禿げた頭を真っ赤にして「俺じゃねえよ!!!!!!」と怒鳴りだした。「おまえは見てないと思う」という仮置きしたのにこのブチギレ方は「あ、こいつは本物だわ」と確信した。そのままロッカーから私服を取り出しそのまま外に出ていったので飯でも食べに行くのかなと思ったら駐車場から新入りの奇声音となにかものを壊す破壊音が聞こえたので急いで見に行ったら粉々になったマキタの掃除機と脱ぎ捨てられた作業服が転がっていた。新人中年は帰ってこなかった。入館証をトイレに流したベトナム人は「新人中年サン、チョトおかしいよ?」と困惑した表情で溢し、俺は本社から「従業員の教育が悪い」と叱責され、減給を言い渡され、仕事を辞める決心がついた。俺の指導力も不足していたんだろう。新しく入ってくる人間がまともに仕事をしてくれない外国人かやばい日本人の二択で、彼らをまともな清掃員に育て上げる能力は俺には無かった。もう俺は本社と何も話したくないし顔も見たくない精神状態に陥っていて、派遣先の入館証と作業着を本社に郵送し、事前に準備していた退職届を内容証明で送った。本社からの連絡先は着信拒否にし、かかってくる謎の携帯番号も着拒にしてから1ヶ月ほどで解雇通知が送られてきた。離職票が届いてなかったので、本社の総務部に電話で「増田だけど離職票が来てない」と伝えると「人事部長から話があるそうなのでお待ち下さい」と言われたので「はい」とだけ伝えガチャ切りし、ハローワークに「退職した会社に催促しても離職票が送られてこない」と伝えた。3週間ほどで離職票が届いた。そんなこんなで30代無職のゴミが出来上がった。職歴はフリーターと清掃会社しかないし高卒だが、もう清掃には二度と戻りたくないし、なんなら別会社でも清掃関係者を見るのが嫌だし、ホームセンターでマキタ製品を見るだけでも吐き気がする。精神科に行ったほうがいいのかもしれないが、客観的にみてまともじゃない精神状態でも受診しないことで「自分は精神的にまともかもしれない」一縷の望みの可能性に縋る事が出来、それが自分の中の精神安定を保つことが出来ている。話が少し脱線したが、すべての清掃会社はこんな感じではないんだろうけど、給与もっと高くし競争��高めないとこの先もっと酷くなる気がする。今は失業手当貰いながら無職中にJavascriptの入門書写経して「はぇ〜」って言いながら時間つぶしてる、職業訓練は過去に電気工事士取るのに使ったのでまた使ったらもっと職歴が汚れる。(2度も職業訓練に通ってる奴は使いたくないだろう)コンピュータって偉いな、指示が正しければ指示通り動くんだな、もう人間と接したくねえよ追記朝起きたらこんな誤字脱字だらけの書きなぐったような文章がホッテントリいりしてびびった親切心でアドバイスくれた方々どうもありがとう。全部に返事はする気力わかないけど、アドバイスくれた方々だけに所々補足。JavaScriptはブラウザ上ですぐ動きが見えるので入門書買って遊んでただけで、IT系に転職したいとかそういうのはないです。適応障害でメンタル死んだSEの友人の話とか聞いていたのと、N予備校でGithubに触れた時に「ギャッ、英語」となったので、無責任に趣味として遊ぶ分には良いと思うけれども、これに社会的責任がついたら絶対病むと思います。仕事にしてる人すごい。手書きコードをエディタに写経するだけの仕事とかあったらやりたいけどきっとそんなものは無いでしょう。清掃関係にも戻る予定はないですね、昔から自分の能力に劣り(精神的体力のなさや頭の回転の遅さ)を実感していて、門戸の広くてハードルの低い清掃業界に入ったのも自分の能力を見据えての選択でした。若い内に手に職つく別の業界に行くべきだと諸先輩方からは言われた事もあったのですが、新卒時代に圧倒的に同期より劣っていた飛んだ経験から考えて、仮に行っても多分やって行けなかったと思います。ビルメンですが、近くでビルメンを見てきたN=1から言わせてもらうと普通に大変だと思います。便所の糞抜きはビルメンの仕事でしたし、ネットだと未経験が入りやすいみたいな話がありますが、実際は元電気屋とか元水道屋の元職人達が多いので、未経験で入ってきたっぽい人達が苦労してるのを見てきました。手先が不器用なので私には無理だなと思ってます。元職人達に支えられてる業界なので、未経験だらけで記録とりのルーチンはこなせても、設備トラブルによるイレギュラーには対応出来ず、現場によっては炎上(火災的な意味ではなく)してる防災センターもあるとかビルメンの人から聞いたことがあります。電気工事士を取ったのですが、その時に手先の不器用さを痛感したのと、電気の知識が交流から理解できず止まっているので、適正はないですね。免許返納したほうがいいかもしれないです。家のスイッチ交換の役にはたちましたが。清掃やってて何いってんだと思われるかもしれませんが、汚いところと暑い所が結構苦手で、トイレ掃除のたびに頭痛��胃のムカつきを感じていました。こう書いてると働きたくない理由ばかり出てくるので、元々働きたくない社会不適合者なんだと思います。割と好感な反応もあったのでむしろ驚きましたが、本当に仕事ができない無能です。私を知ってる人がこれを読んで、私のことを真面目だとか有能だとか書かれてるのを見たら全員が全員「はぁ……?」と渋い顔すると思います。思われてるほど良い人間じゃないのですみません。とりあえず貯金も失業手当もあるし、当分はゆっくり過ごして、何も考えず静かに過ごそうと思います。気にかけてくれた人達ありがとう。嬉しかったです。おわり
清掃会社人材不足でマジでヤバい
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自衛隊「パワハラ」扱いは慎重に 麗澤大学特別教授、元空将・織田邦男
昨年、防衛省の防衛監察本部が、全自衛隊員を対象にパワー・ハラスメント(以下「パワハラ」)やセクシュアル・ハラスメント(以下「セクハラ」)の実態を調査した特別防衛監察で、被害を受けたとする隊員からの申告が約1400件あったという。
厳しい訓練と規律の理由
パワハラを繰り返したとして、複数の幹部自衛官が降任処分という極めて厳しい懲戒処分を受けたことに対し、違和感を覚えたのは筆者だけではあるまい。パワハラがどういう状況で行われたのか知る立場にない筆者が、軽々に物申すことは控えなければならない。
一般的に言えるのは自衛隊は有事、極限状況下でも国家、国民を守るために、防衛任務を果たさなければならない。自(おの)ずと訓練は厳しくなり、規律の厳格さも徹底して要求される。そうした特殊性を度外視し、一般社会と同等の基準や価値観で判断しているとしたら、将来蹉跌(さてつ)をきたす可能性がある。
米海兵隊は4軍の中の最精鋭を誇り、新兵の訓練も厳しい。入隊教育期間は13週間に及び、4軍の中でも最も長く、苛烈な訓練が行われる。着隊した途端、罵詈(ばり)雑言が面と向かって浴びせかけられ、個性を徹底的に否定される。部隊の一員として自覚させられ、命令に対する絶対的服従を徹底して叩(たた)き込まれる。戦場ストレスを克服して任務を遂行するのに欠かせない訓練である。脱落者は容赦なく除隊させられ、厳しい戦闘訓練や罵詈雑言のストレスに耐えた者だけが「Marine(米海兵隊員)」と名乗ることを許される。これをパワハラと切って捨てれば、米海兵隊の精強性は崩壊する。
同様に、国家防衛という至上の任務を与えられている自衛隊が、一般社会とハラスメント基準が同じであってよいわけがない。セクハラについては、規律、団結維持の観点から、一般社会よりもっと厳格な基準が必要であり、罰則についてもより厳しくすべきだろう。パワハラについても、一般社会と基準が違って当然だ。
一般社会の「定義」でいいか
防衛省におけるパワハラは、「階級、職権、期別、配置等による権威若(も)しくは権力又は職場における優位性を背景に、職務の適正な範囲を超えて、隊員に精神的若しくは身体的な苦痛を与え、又は職場環境を悪化させる行為」と定義されており(防衛省ホームページ)、「職務」には、教育訓練も含まれる。
この定義だと米海兵隊の新兵教育は「組織的パワハラ」と断罪されかねない。平時におけるデスクワークの職場では、それでいいかもしれないが自衛隊の任務は戦闘に勝つことだ。想定される実戦状況下、そのための教育訓練で、この定義はそのまま適用できない。
軍隊と一般社会とでは、価値観が違う。だからこそ、軍法があり、軍法会議がある。一般社会の基準や価値観で軍事行動を裁くことはできない。自衛隊は「軍隊」ではないが軍事組織である。日本国憲法において特別裁判所の設置が禁じられており、自衛隊には軍法も軍法会議も存在しない。ここに問題の淵源(えんげん)がある。
大戦後、同様な位置付けに置かれたドイツ軍も軍法はなかった。だが冷戦後、NATO域外派遣が合憲とされた判断に合わせて、軍法を制定した。軍事裁判所は未だ設置されていないため、一般司法裁判所で軍法に基づき裁かれる。有事がリアルになった昨今、自衛隊も軍法の必要性が語られるが、ここではひとまずおく。
萎縮し、精強性減じるな
戦場で心身ともに極限状況で任務を完遂するには、並外れた気力、体力、忍耐力、そして戦場ストレスへの耐性が求められる。自衛官は厳しい教育訓練を通じて、この能力を身につける。厳しい訓練には苦痛が伴う。だが苦痛に耐え、乗り越えてこそ精強性が身につく。苦痛に心が萎えそうになった時、罵詈雑言に近い言葉で兵士を奮い立たせるのは、指揮官の役目である。それをパワハラと断罪するのは、精強な自衛官育成を放棄しているに等しい。
座禅で睡魔や邪念が入るような時、僧侶が修行者を警策(きょうさく)で打つ。これを「暴力」と非難する人はいない。警策で打つ行為は、坐禅(ざぜん)修行が円滑に進むようにという「慈悲」であり「愛の鞭(むち)」である。
筆者もパイロット学生時、教官から罵詈雑言を浴びせかけられることは日常茶飯事だった。それは極限状態にあってミスを起こさないための「警策」であった。おかげで35年間のパイロット生活を無事終えることができたと心から感謝している。
「パワハラ」と「愛の鞭」との境界は、曖昧である。時々の状況や環境にもよる。軍法のない自衛隊が、大声で叱咤(しった)激励することさえ一律に「パワハラ」と断罪すれば、指揮官や指導者を萎縮させるに違いない。結果的に精強な自衛隊育成の足枷(あしかせ)になると懸念する。自衛隊に対し、一般社会の基準や価値観を安易に適用することには慎重であるべきだ。自衛隊の精強性を減じ、ひいては日本の抑止力の低下につながりかねないのだ。(おりた くにお)
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2024年4月15日
青山クラブ取得から6年、活用策の行方は? 旧海軍ゆかりの施設 呉市は近くの3施設を含めて有識者会議で議論中(中国新聞)
広島県呉市が巨費を投じて購入した旧海軍ゆかりの施設「青山クラブ」(幸町)は、活用されないままの状態で取得してから6年がたった。市は昨年5月、近くの市立美術館など市所有の3施設を含め幸町地区一帯の在り方を検討する有識者会議を設置。同会議が出した結論を踏まえ、エリアの整備方針を策定する。約1年間で同会議の議論はどこまで進んでいるのか。状況を整理した。
観光集客などを目指し、市は2018年に青山クラブと隣接する桜松館、2施設のある国有地約8500平方メートルを約2億円で購入。施設の保存・活用を目指していたが、耐震診断で大幅な改修補強が必要なことが判明し、結論を先送りした。以降、活用されない状態が続いている。
有識者会議は建築や都市計画、まちづくりの専門家たち11人で構成。青山クラブを含む4施設の整備コンセプトや機能について約2年間かけて話し合う。昨年5月からこれまで5回会合を開いている。
議論は、物販や飲食、宿泊など各施設に想定できる機能のアイデア出しが中心だった。2月の中間まとめでは整備コンセプトを「呉の歴史と文化を未来へ」と定め、歴史を伝え感じる▽文化・芸術の発信▽にぎわいの拠点―の3機能をエリアに求めるとした。
ある委員は「機能面については丁寧に話し合いを重ね、アイデアが出尽くした。堂々巡りが続いている感もあり、一歩進める段階に来ている」とする。
複数の委員は議論を進める上で重要なポイントとして、(1)青山クラブの保存をどうするか(2)老朽化する市立美術館をどこに再配置するのか―の2点を挙げる。(1)については「市民の思い出や歴史が刻まれた場所。保存が望ましい」「改修補強に費用が掛かり、全面保存は現実的ではない」と意見はまとまっていない。「エリア内の施設の方向性を市にある程度示してもらわないと、具体的な機能の議論が深まらない」との指摘もある。
青山クラブを巡っては、新原芳明市長が17年の市長選で活用などを訴え、初当選。22年に市は市立美術館の機能を青山クラブに移転する考えを示したが、市議会で異論が噴出した経緯がある。新原市長は「有識者会議の結論などを踏まえ判断する」との考えを示す。
有識者会議の事務局を務める市は「意見を幅広く聞きたいので、市が方向性を示す方式は取らない。次回の会合から具体案の議論を予定している」と説明する。
同会議は年内に最終的な結論をまとめ、市に報告する予定だ。議論の推移をみた市議の一人は「購入して6年。この間にも建物は老朽化している。市民の関心も高く、市はなるべく早く方向性を示すべきだ」と注文する。
「阿鼻叫喚。これが戦争」特攻志した元少年兵が訴えること 原爆投下直後の広島で救護した「暁部隊」(中国新聞)
暁部隊の軍服や胸章が並ぶ企画展
戦時中、水上特攻を志しながら原爆投下直後の広島で救護や遺体の処理に従事した少年兵たちがいた。陸軍船舶司令部、通称「暁部隊」で、特攻兵を育成する秘密部隊に所属。国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)で開催中の企画展で紹介されている。元少年兵たちは来年の被爆80年を前に「命と平和を守ることを考えてほしい」と願う。
宇品地区(現南区)に本部があった暁部隊は原爆投下直後の広島で唯一、軍隊機能を保ち、市民の救援、救護に当たった。その中に、幸ノ浦(広島県江田島市)に駐屯していた船舶練習部第十教育隊の15~19歳の特別幹部候補生もいたという。
石川県七尾市の沢野実さん(96)は17歳で入隊した。「天皇陛下のために死ぬのが当たり前だった」。通称「マルレ」と呼ばれる全長5・6メートルのベニヤ板製の特攻艇で突撃する極秘訓練に明け暮れた。上官には「君たちは捨て石。国のために死ぬのが務めだ」と言われたという。「靖国神社で仲間と顔を合わせようとの思いだった」
原爆投下後、第十教育隊はマルレなどに乗り、広島市内に向かった。沢野さんも市中心部で負傷者の救護と遺体処理に当たった。「心臓が飛び出ている人や泣き叫んでいる人がいて、阿鼻叫喚の現場だった。これが戦争だと実感した」と振り返り、非戦を訴える。
「本土決戦に向け愛国心に燃えていた」と語る岩手県遠野市の伊藤宣夫さん(96)は原爆投下時、船舶通信隊補充隊におり、市中心部で「死の街」を見た。たまらず班長に「戦争はやめた方がいいです」と言うと、「軍人が弱気でどうするのか」と怒られたという。「罪のない国民が殺される戦争は絶対に��けない」と語気を強める。
祈念館の企画展は来年2月末までで、沢野さん、伊藤さんたち元少年兵9人の証言映像や軍服など12点が並ぶ。辞世の句「我が友よ 笑って散ろう 君のため 共に会ふど 九段の社」と書かれたアルバムもある。橋本公学芸員は「自分自身や子どもの身に置き換えて戦争の残酷さを感じてほしい」と話している。
原子炉内への核燃料搬入開始 柏崎原発、規制委が承認 東電(時事通信)2024年4月15日
東京電力柏崎原発7号機で開始された原子炉内への核燃料搬入作業=15日午後(同社提供)
東京電力は15日、停止中の柏崎刈羽原発7号機(新潟県)について、原子炉内への核燃料搬入作業を開始したと発表した。
再稼働に向けて必要な検査の一環で、原子力規制委員会が同日に計画を承認した。完了までは2週間以上かかる見通し。実際の再稼働には地元自治体の同意が必要となるため、具体的な時期の見通しは立っていない。
東電によると、まず制御棒などを原子炉内に入れた後で、敷地内のプールに保管中の核燃料872体を順次搬入する。その後、燃料が正しく配置されているかや、非常用炉心冷却系機能などの検査を1カ月半程度かけて行う。安全対策のため、宿直の所員を8人から51人に増員した。
岡本孝司(東京大学教授)補足 原子力規制委員会の了解を受けて、まずは原子炉に燃料装荷をスタートしているという事です。この後、原子炉を起動するには、地元の了解を得る必要があります。
原子炉を起動して核分裂が正常に起きていることを確認したのち、試運転に移り、様々なテストを繰り返したのち、営業運転に入ることになります。まだ、再稼働に向けた最初のプロセスです。
いずれにせよ、再稼働には、地元との安全協定に基づき、地元了解が必須です。
今、東京電力の電気代は、原子力発電所が動いている関西電力の1.5~2倍しています。2社のホームページで、電気代単価を比較してみるとよくわかります。柏崎刈羽6,7号機は、ABWRという新しい型の原子炉で、安全性も十分に確認されています。安全第一で、この2基の原子炉が動けば、電気代も安くなる事を期待したいです。また、電力の安定供給にも大きく貢献する事が期待されます。
柏崎刈羽原発、燃料装着始まる 地元から不安の声「課題たくさん」(毎日新聞 4月16日)
東京電力柏崎刈羽原発7号機の炉心部。右手の四角い水槽が使用済み核燃料プール=2024年4月12日、田中泰義撮影
東京電力は15日、再稼働を目指す柏崎刈羽原発(新潟県)7号機の設備の健全性確認のため、原子炉へ核燃料を装着する作業を開始した。能登半島地震で、地元住民からは事故時に安全に避難できるか不安の声が上がる一方、東電による再稼働準備が進む。【内藤陽】
東電は同日、原子力規制委員会から安全対策設備の試験使用承認(使用前確認)を受けたとして、午後5時過ぎに開始。6時半ごろに1本目の核燃料を装着した。東電は「課題が見つかれば立ち止まり対策を講じるなど、一つ一つの工程を着実に進める」としている。
東電は10日に宿直態勢を8人から51人に増員し即応態勢を強化した。作業では、使用済み核燃料プールから核燃料872体を1本ずつ移動し、原子炉圧力容器に装着する。装着後、制御棒205本の動作確認のほか、原子炉圧力容器などからの漏えいの有無や冷却設備の機能などを確認する。すべての燃料の装着が終わるまで2週間程度、原子炉起動まで約1カ月半かかるとみられる。
花角英世知事は再稼働への立場を表明していない。燃料装着について、花角知事は今月3日の記者会見で「検査の一工程」と述べ、再稼働議論への影響はないとの認識を示した。柏崎市の桜井雅浩市長も「再稼働に必要な検査で、しっかり確認してほしい」と話している。
昨年12月の原子力規制委員会による事実上の運転禁止命令解除後、東電は県内各地で説明会を開き、原発の安全性を住民に訴えてきた。しかし説明会では原発事故時の避難や地殻変動による地盤の隆起などを心配する声が上がり、不安が払拭されたとは言い難い状況だ。
同原発から5キロ圏の同市椎谷に住む佐藤正幸さん(79)は「多くの課題に目をつむって再稼働に動き出すのはい���がなものか」と話す。能登半島地震で道路の寸断や家屋の倒壊が複数発生し、地盤が4メートル隆起したことなどを指摘。「課題がたくさんあるのに、目を背けたまま再稼働を準備するのは、けしからん事だ」と語気を強めた。
万博はもう中止できないのか?「オリンピックと同じ末路に」専門家は警鐘、でも政府は「能登」を横目に開催へ突き進む
2025年大阪・関西万博は、4月13日で開幕1年前を迎えた。国家的イベントが近づくにつれ、世論の期待は高まっている…と思いきや、SNS上では今も「万博中止」のハッシュタグが目立ち、延期を求める声も飛び交う。「期待一色」には程遠い状況だ。
なぜか。多額の税金が投入される会場整備費は、当初見込みの約2倍となる2350億円まで膨らんだ。独創的なデザインを競う海外パビリオンは想定よりも建設スケジュールが大きく遅れ、着工はわずか十数カ国(4月上旬時点)にとどまる。負担増や課題ばかりが目立つ中で、期待値を上げる方が無理というものだ。
そこに、2024年の元日に起きた能登半島地震が追い打ちをかけた。今も避難を余儀なくされる被災者からはこんな声が聞こえてくる。「万博どころじゃない」。国民に理解が広がらなければ、新型コロナウイルス禍の中で開催された東京五輪・パラリンピックと同じ末路をたどる、と警鐘を鳴らす専門家もいる。
逆風は強まるばかりなのに、政府や関係機関は予定通りの開幕をかたくなに維持する。万博は中止できないのか。費用や手続きの面から「なぜ開催にこだわるのか」に迫った。(共同通信=大阪社会部万博取材班) ※筆者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」でお聴きください。
▽「0.14%」と「27%」
吉村洋文大阪府知事は3月28日、万博と能登半島地震との関係についてこんな発言をしていた。「復興を最優先するべきだ。しかし万博を中止、延期して復興が進むのかと言うと、違う」。開幕1年前を控えたインタビューで、国内で実施されている各種建設工事のうち、万博が占める割合はわずか0.14%だとして計画変更の選択肢を否定。こう言葉を重ねた。「復興を理由に万博に反対するのは違う」
ところが、国民感情はそう単純ではない。共同通信が2月に実施した世論調査では、能登半島地震からの復興を踏まえた上で万博を開催するべきかどうかを尋ねたところ「計画通り実施するべきだ」としたのは27.1%にとどまった。「延期するべきだ」が27.0%で拮抗し、「規模を縮小するべきだ」26.7%、「中止するべきだ」17.6%と続き、計画変更を求めたのは全体の7割を超えた。
市民団体「どないする大阪の未来ネット」(大阪市)には、開催中止を求める署名がオンラインを含めて14万件集まった。事務局長の馬場徳夫さん(84)は訴える。「延期してもコストが上がる一方だ。震災復興のためには中止が最適だ」。署名は日本国際博覧会協会(万博協会)や近畿経済産業局に提出している。
能登の被災地からは冷たい視線も向けられている。万博会場となる大阪市の人工島・夢洲から300キロ以上離れた石川県珠洲市内の避難所に身を寄せる井上等さん(65)は、自宅が全壊し、高齢の母との避難を余儀なくされた。会場整備費は国、大阪府・大阪市、経済界が3分の1ずつ負担することとなっており、石川県民も納税者として費用を賄う。井上さんは正直な胸の内を明かした。「今は万博どころではない。地震の前からある話なので、開くなら開けばいい。けれど正直、万博に使うお金があるなら、家を建て直す費用が欲しい」
▽「不可抗力」なのか
今回の万博を中止することは可能なのか、中止すると何が起きるのか。経済産業省の博覧会推進室に聞くと、浮かび上がってきたのは「不可抗力」というキーワードだ。
その前におさらいすると、2025年大阪万博の開催が決まったのは2018年11月。パリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)の総会で、加盟国の投票で選ばれた。5年に一度開かれる大規模な万博の日本開催は1970年大阪万博、2005年愛知万博(愛・地球博)に続き3回目だ。
仮に万博を延期する場合は、BIEの総会で3分の2以上の賛成が必要だ。根拠となるのは、万博の定義を定めた国際博覧会条約。2020年に予定されていたアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ万博は、新型コロナウイルス感染の世界的拡大が直撃。BIE加盟国から必要な同意を得て、延期が決まった。
では中止にはどのような手続きが必要になるのか。博覧会推進室によると、実は中止については国際博覧会条約には規定がない。関係者間の合意があればいいということになっている。
そこで、とある書類が重要になってくる。開催が決まった国がBIEに提出する「登録申請書」だ。2025年大阪万博の登録申請書を読むと、開幕まで1年となる2024年4月13日から開幕前日の2025年4月12日までに中止する場合、参加国とBIEに最大計5億5700万ドル(約840億円)を支払わなければならない、とある。
これは、時期ごとの準備状況に合わせて算出された数字で、補償額はパビリオンのタイプによって参加国ごとに異なる。各国が「相当の資金を負担して参加をしている」(万博協会幹部)だけに、直前の中止は影響が大きいというわけだ。政府中枢の首相官邸からはこんな声も聞こえる。「万博の開催は国際公約だ。中止や延期は国の威信にかかわる」
一方、経産省が把握する中で、これまで中止に伴う補償金が生じたケースはないという。直近ではアルゼンチンで開催が計画されていた2023年ブエノスアイレス万博が新型コロナウイルスの影響で取りやめとなった。ところがBIEの執行委員会で新型コロナによる中止は「不可抗力だ」と報告された。
2025年大阪万博の登録申請書の中では、この「不可抗力」についてこう言及している。「自然災害とみなすような事態に起因する『不可抗力』により中止された場合には、補償金は支払われない」
経産省の担当者は言う。「能登半島地震が不可抗力とみなされるかどうかは執行委員会で議論してみないと分からない」。では、補償金が生じる恐れがあるから開催を中止できないのか、と問うと「全くそうではない」と返ってきた。「万博には意義がある。その意義は震災には左右されないと思う。そもそも復興は『土木』のフェーズ、万博工事は『建築』のフェーズにあり、ニーズは重なっていない。むしろ、延期すれば復興の妨げになる可能性が高まる」
▽頼みは公式キャラクター
万博旗振り役の経済産業省が言う「意義」とは何なのか。テーマの「いのち輝く未来社会のデザイン」や、コンセプト「未来社会の実験場」から国民が読み解くのは難しく、大阪府と大阪市が強調するメリット「2兆円の経済効果」のみが一人歩きする。
万博協会は昨年ホームページをリニューアルし、企業や海外勢によるパビリオンの紹介ページを充実させた。とはいえ、それだけでは「そもそも万博に興味がある人」への受け身のアプローチに過ぎず、万博でどんな体験ができるのかという点を広く知らせるには物足りない。
さらに、PRのけん引役が公式キャラクター「ミャクミャク」頼みになっていることも、意義が伝わらない一因といえる。
開幕500日前を迎えた昨年11月以降、大阪府内の各地では「くるぞ万博」と書かれたポスターがあちこちで見られるようになった。その中央でおどけたポーズを取るのがミャクミャクだ。
大阪市役所の前には涅槃像のように横たわったミャクミャクの巨大モニュメントを設置。府内で開催される自治体系のイベントには必ずと言ってもいいほど、ミャクミャクの着ぐるみが登場するようになった。
大阪府と大阪市が昨年12月に実施したアンケートでも、ミャクミャクの認知度は全国で88・3%と高く、万博のテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」の認知度を30%近く上回った。
もちろん、公式キャラクターの人気はどんなイベントでも成功の柱になる。だが、現時点でミャクミャクの人気が万博への来場意向に与える影響は限定的だ。
アンケートで「万博に行きたい」と答えた人は全国で33.8%にとどまり、1年前から約7ポイント下落。ミャクミャクであふれる府内に限っても36.9%で、2023年度の目標に設定した55%を大幅に下回った。ミャクミャクの人気にあやかるのにも限界がありそうだ。
チケットの売れ行きも芳しくない。万博協会が設定する販売目標は2300万枚。前売り販売は昨年11月末に始まったが、4月3日時点で約123万枚と、目標の6%にも満たない。前売り販売目標の約半数は企業購入分に頼っており、今後はどれだけ個人購入を促せるかが焦点となる。
▽秘策は「ビビッドな情報」?
運営側の取り組みの粗雑さについて、社会学者で神戸大大学院の小笠原博毅教授は厳しく指摘する。
「意義があると言いながら、伝えない。誰が本気で開催したがっているのかが見えてこない」
2020年東京五輪・パラリンピックの開催に一貫して反対してきた小笠原教授は、万博の現状に五輪との共通点を見いだす。「世論を無視して強行した五輪と構図が似ている。多額の税金が使われるのに中身が空疎だ」。期間の短縮やテーマの分かりやすい説明を求める。
新型コロナウイルスの影響で1年延期された東京五輪は直前まで開催を疑問視する声が絶えなかった。開催1カ月���の世論調査でも中止を求める声が3割ほどあり、国民理解を十分得られないまま開会式を迎えた。小笠原教授は、万博も同じ末路をたどるとみている。
岸田文雄首相の国会答弁からは、能登半島地震の被災地復興という文脈で万博への理解を広げようという思惑がにじむ。「万博で被災地をPRし、復興につなげる」。小笠原氏はこうした言葉を「空虚なリップサービスだ」と突き放す。「万博開催による『2兆円の経済効果』をうたうならば、国民の暮らしへの支援や好影響、復興に割く金額を具体的に示すべきだ」
国民の幅広い歓迎に向けて、秘策はあるのか。4月1日に報道各社のインタビューに応じた万博協会の石毛博行会長の言葉は、現状とは裏腹に自信にあふれていた。「開幕に向けて、これからビビッドな情報を出していく」。全国的な機運が広がっていない現状は「経費の増加や海外パビリオンの遅れといったネガティブな報道が影響した」と分析。SNSやメールマガジンを使った地道な取り組みで挽回を宣言した。「万博へのイメージをアップデートする。世界が日本に2025年の万博開催を信任した。きちんとやり遂げるという形で世界との約束を守ることが、われわれにとって極めて重要なミッションだ」
歴史的円安背景にインバウンド絶好調 百貨店は軒並み“過去最高”記録づくめの決算に(TBS NEWS DIG)2024年4月15日
百貨店の年間決算は、歴史的な円安を背景にインバウンドが絶好調。各社“過去最高”の記録づくめの決算となりました。
「J.フロントリテイリング」のことし2月までの1年間のグループ全体の決算によりますと、売上高にあたる売上収益は前の年に比べ13.2%増え4070億円に、最終利益は299億円と前の年の2倍以上にのぼり、増収増益となりました。
国内の富裕層向けに高級ブランド品などの販売が好調だったほか、インバウンド客による免税売上高が過去最高の721億円となったことなどが主な要因です。
先月、48歳という若さで社長となったJ.フロントリテイリングの小野氏は初めて出席した決算会見で…
J.フロントリテイリング 小野圭一 社長 「いま非常に業界の中で追い風が吹いているが、これがある種の暴風ではないかというふうに感じています。2年、3年たって、コロナが終わってインバウンドがじゃんじゃん帰ってきて売上良くなってよかったということになってしまっているということに、私は一番危機感を持っている。いま好調の中で、どういった将来に向けた成長の種をまけるかというふうなことで、かなり大きな差がついてくるのではないかというふうに思っています」
このように述べたうえで、「現状の上にあぐらをかくのではなく、新しい事業にしっかり根を張って育てていく」としていて、今後、デジタル分野の事業展開などを強化する狙いです。
一方、「高島屋」のことし2月までのグループ全体の1年間の決算では、営業利益が前の年に比べ41.3%増え459億円に、最終利益も13.6%増えて316億円といずれも過去最高を更新。営業利益は、1990年度以来33年ぶりの最高益となりました。
新型コロナの5類移行や円安を背景に、インバウンド需要が増えたことなどで、国内店舗の売上が好調だったとしています。
高島屋の村田社長は、今回の決算内容の受け止めについて、「コロナからのリバウンド的な部分が多分にあることも事実」と述べたうえで、「今年から本当の力が試される年。冷静に過去最高益に浮かれるのではなくて、グループ全体で引き締め直す」と話しました。
また、「松屋」のことし2月までの1年間の決算では、売上高にあたる総額売上高は前の年と比べ31.2%増え1149億円となりました。
インバウンド客が多く訪れる主力の松屋銀座店では、売上高が前の年と比べ35.5%増え1018億円となり、1991年度以来、32年ぶりの過去最高を更新しました。
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)見解 インバウンドにおけるモノから体験への流れ、そしてかつての日本人も海外でのブランド漁りから脱却したように、百貨店のインバウンドはやがて収縮していく。
J.フロントリテイリングの小野圭一 社長 のインバウンド好調に対する危機感と、将来に向けた成長の種をまくことが重要だという指摘はまったくの正論。
いまこそ、百貨店の業態イノベーションとビジネスモデルの変革が求められている。
村山慶輔((株)やまとごころ 代表取締役/インバウンド戦略アドバイザー)見解 中国人観光客の完全復活を待たずに、都内や主要都市の商業施設においてインバウンド消費が順調。続く円安、万博効果もあり今後もさらに伸びる可能性がある。ただ、コロナ禍の状況を踏まえると、各企業は安心してはいられないというのが本音でしょう。
一方で、地域の中小企業において、インバウンド需要の回復はまだまだこれから。インバウンド需要も二極化しており、地方誘客が今後のカギになる。
石川智久(日本総合研究所 調査部長/チーフエコノミスト)補足 日本がこれほど安い国になってしまったことに危機感を持つ必要があります。脱成長を求める意見もありますが、世界は経済成長を続けており、成長していないのは日本くらいであることを認識する必要があります。日本が成長しなければ、企業はインバウンド頼みの経営になってしまいます。今こそ日本はいかにして経済成長を遂げるかを考えるべきです。世界では経済成長に財政資金を投じる傾向が強まっています。理系人材の育成や新産業創出に財政資金を投じて、経済を成長させることが、日本が海外から買いたたかれない方法といえます。
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成人の日によせて
成人、おめでとう。でも、「大人になる」はどういうことでしょうか? 僕は、親や先生や先輩や友達の意見にただ従うのではなく、「あなた自身の頭で考えること」だと思っています。自分の人生を自分で決めるということですね。 けれど、これはと��も難しいことです。だって、日本の若者達はずっと「自分の頭で考えるな」という訓練を受けてきたからです。 日本の多くの中学校や高校では「中学生らしい」「高校生らしい」服装や髪形にしよ うと言われています。けれど、「高校生」というイメージは、様々です。それぞれの人の頭には、それぞれのイメージがあります。それを「高校生らしい」という一言でまとめるということは、「考えるな」ということです。 リボンの幅が3センチは「高校生らしい」が4センチになると「高校生らしくない」ということを論理的に説得できる大人はいないと思います。 僕は愛媛県出身ですが、「愛媛県人らしい服装をして下さい」と言われたら、絶句すると思います。あなたも「出身の都道府県人らしい格好をして欲しい」と言われたら混乱するでしょう。 それと同じくらい「高校生らしい服装」というのは定義不能なのです。「服装の乱れは心の乱れ」という日本中でくり返される標語がありますが、大人に気付かれないように巧妙にいじめる奴らの服装は乱れているでしょうか。陰湿な奴ほど、ちゃんとした服装をしていじめることをみんな知っています。 黙ってブラック校則に従え、疑問を持つなと教えられて来たのに、成人する時にいきなり「自分の頭で考える人になって下さい」と言われるのです。ずっと「一人で泳ぐな!」と言われてきたのに、成人したらいきなり「一人で泳げ!」と言われるようなものです。それは無理です。僕は、日本の若者に深く同情します。 が、嘆いてもしょうがないです。自分の頭で考える訓練を始めるしかありません。そのためには、本を読んで下さい。僕達は、国語の授業でずっと「退屈な本ほど価値が ある」と思い込まされてきました。でも、ワクワクドキドキしながら、本当面白く、あ なたの生き方の役に立つ本が間違いなくあります。本屋さんに行って、面白そうに感 じた本の最初の1ページをとりあえず読んで下さい。つまらなければ、すぐに次の本 に移ります。それでいいのです。何十冊とくり返すうちに、あなたにぴったりの本が きっと見つかります。読書は作者との対話であり、あなたの考えを深めます。やがて、「自分の頭で考えること」が身につくようになるのです。さあ、成人して、やっとあなたは自分の頭で考えていい世界に来たのです! 鴻上尚史
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ある画家の手記if 中郷稔視点
例えば俺の革靴の靴底にはパリに持つ別宅の周辺の街路の美しいタイルを職人に頼んで打ちつけてもらっていて、それで歩くたびに高いヒールを履いた女が歩くより響く硬質な音がいちいち鳴る。 これから語ることはそれに勝るとも劣らない、取るに足りない話。 今となってはすべてが過ぎた話だ。
教授の勧めで俺は大学を卒業せずに中退して、早くから自分のアトリエを持った。まだ分不相応という連中もいたが、教授は俺が一生そこを拠点に制作を続けることを疑っていなかった。俺自身、そんなような今後になるだろうと思っていた。 資金繰りと、ほんの少しの思うところでしばらく海外を彷徨くことになったが、帰国してからは断崖絶壁にほど近い立地のボロ屋敷を買って、そこをアトリエにした。 年中やまない強い潮風、叩きつけてくる白砂、風雪に晒されて煤けた洋舘仕立ての白い三階建。遠巻きの近隣住民からはお定まりの幽霊屋敷という噂付きの物件だった。
俺に両親はいない。 赤子の頃、ちょうどこのボロ屋敷の近くの浜辺、打ち上げられた粗末な小舟の中に放置されていたのを運良く拾われた、捨て子だったと聞いている。発見時、頭に大きな怪我を負っていたとか。 物心つくまでの施設暮らしのあとに、酔狂な金持ちのご老人に誘われてそこの養子に入った。その爺さんが大層な遊び人で顔が広く、意図せずして俺にも半端な知り合いーーー後の人生の稼業において太い人脈になるような金持ち連中ーーーが、大勢できた。 その中で爺さんとは唯一関係なく、不可抗力として知り合ったのが、近所に住んでいて同い年の充(みつる)だった。
充は奇妙な幼馴染だった。幼い頃に知り合って以来、関係は途切れず続いていた。 俺がアトリエを構えると気まぐれにそこへも顔を出した。 いつも大型犬を連れている。充は人間よりも大型犬と一緒に育ったようなやつで、犬の扱いには優れていたが他がまるきりだめだった。 特にいけなかったのは人間への関心の薄さ、理解の欠如、境界線への無頓着、危機意識のなさ。 小柄であどけない容姿の充はしょっちゅう襲われかけた。本人もそれで泣きも怒りもせずへらへら笑っているからたちが悪い。 一度勤めかけた犬の訓練士の仕事も職場でいたずらされているのが明るみになって、切り落とされるように充の採用の話が立ち消えになり、それきりだった。 少し目を離せばもう勝手に触られる、どこかへ連れ込まれる、見かねて街中や人混みでは俺が無理やり腕を絡めて引いて家族か付き添いかパートナーのふりをした。それにも充は笑うばかりだった。 充は俺といても芸術に感化されたり触発されたりすることは一切なかった。
アトリエには馴染みの大学の卒業生たちが溜まることがよくあった。各々好き勝手に泊まっていったり数ヶ月も黙って居候するやつもいたが、放っておいた。 その頃から俺には絶え間なく誰かしらミューズがいた。彼ら彼女らを直接的に作品のモデルに使うこともあったが、ただそばにいるだけで十分だった、リャナンシーが周囲を舞っているように。一人にはとどまらなかった。この世には美しいものが多すぎるし、そのどれもを俺は心から愛していた。
直人と知り合ったのは教授の個展のレセプションでだった。 おそらくまだ学生だったんだろうが、馴染みの教授のパーティに手伝いとして駆り出されていた。俺も学生の頃はそういう仕事で食いつないでいた。 存在だけは前から知っていた。その日は髪をオールバックにしてすらりと長い肢体を黒いスーツに収めていた。背は高いが職業モデルの空気感は持っていない。纏っていたのは画家のそれだった。それにしても目立つ長い手足や大きな手よりも秀でて美しいのはスーツに隠れた胴、特に背中だろうと思った。 その場で、同じ学校の先輩だと名乗って直人をパーティ会場のトイレに引っ張り込んで服を乱して背中を見た。痩せ気味の背中は少しだけ骨が目立ったが大事な筋肉を残していて、その筋肉はあまり肥大せずに筋ばって浮きやすい体質のようだった。 傷がつかないうちに手元に置きたいと思ったものの、会場にはもう一人気にかかる人間がいた。慧鶴だ。 あまりにも華やかな慧鶴はパーティ会場でも常に人に囲まれていて声をかけるだけで骨が折れる。 結局その日はどちらにも大して接触しないままその場を後にした。 少し気分を害してもいたような気がする。俺のすることに直人がやや戸惑いつつもただ受け身だったからだ。背中を暴かれても困り顔で慌てるだけ。その自分への歪な無関心さが充と少し重なって見えたんだろう。
ちょうどそれくらいの頃からか、誰を抱くときも服は脱がなくなった。 服の下は生傷だらけでとても見られたものじゃなかった。 何をされても笑っている充に苛立ってその小さな体をこれ以上ないほどひどく犯して暴力を振るい傷めつけて追い込めば、こいつに暴力やその先に待つ死の恐怖を教え込めるのか、一度試したことがある。 すると誰に犯されても機嫌よく笑っていた充が俺相手には抵抗するような素振りを見せて、最中もひっきりなしに俺の体に爪を立てて噛みついて泣き喚いて暴れた。残念ながら体格と筋力の差で充の抵抗は俺にとって簡単にあしらえる程度のものでしかなく終わったが。 だが俺は嬉しかった。何かに抵抗して必死に嫌がる姿に、ようやく充が俺と共に同じ時間を過ごしているような錯覚を抱いた。真実など知るか。そう感じたまでのこと。それが全てだ。 それから、ずっとそんなことを続けている。
俺の意識はいつも身体から数センチほど浮いていた。 この感覚をひとに上手く説明するのは難しい。物心がついたときにはそうだった。生まれつきといっていいのかも知れない。 数センチ斜め上から自分自身の肉体を意識体だけで常に見下ろしているような感覚だ。俺はいつも自分の肉体が行うことをぼんやりと見ていた。あるいは別の場所に意識は向いていた。 肉体は俺が動かすものではなく勝手に動くものだった。それも相手に応じて臨機応変に現実的な実に的確な行動と判断を無駄なくこなしていく。はたから見れば何もおかしいところなどない。気づく人間も一人としていなかった。まず俺自身がその状態に長い間疑問を持たなかった。 もっと人は意識と身体にズレがなくぴったりと重なり合うようにして生きているものだと気がついたのは、充を抱いた時にその数センチずれた意識が身体に引き戻されたような感覚があったからだ。意識ーーー精神と肉体が、綺麗に重なってすべてが生々しくクリアに目が覚めたように感じられた。 どちらの状態のほうが心地いいとも、正解だとも思えないまま、俺は自分を放置し続けた。 服の下で治っては増えてを繰り返す生傷が痛んでたまに何かを訴えるようだったが、それも無視し続けた。
俺はアトリエにやってきた誰にでも笑顔であたたかく接して、求められることには教え導いたり、ここに居たいという人間には居場所を与えた。能力を持て余した後輩を相応しい道に進めたり、バレエで成功したいという女をモデルにして海外留学資金を工面してやったり、食っていけずに路頭に迷った画家をアトリエに置いて画材を貸し与えたり、頼られればすべてに応えた。 全員感謝して俺をたいそう慕ってくれた。恩人だという人間もいた。 身体から意識が浮いている俺はずいぶんと愛想がよく慈悲深くて面倒見がいい。そのすべてに自分がやっているという実感に欠けていたが、外聞が悪いわけでもなし、それも放っておいた。 俺の行動で誰が救われようと害されようと知るか。誰にでも無神経に手を差し伸べられるのは相手のことなどどうでもいいからだ。本当に救いたい相手に迂闊に触れられるものか。
直人がスラムで一人意固地になって荒れながら絵を描いていると噂に聞いて、手に入れられると踏んだ。あの背が欲しかった。 今にも崩れそうなボロアパートまで訪ねていった、部屋の扉を開けた途端ガラスコップが飛んできたのを避けながら近寄った。直人はすっかり痩せていたがその土地の荒廃した空気に馴染んでいて、痩せ方は衰えるというより一層研ぎ澄まされて暴力的な、生命力に漲った野良犬のようになっていた。 その一方で瞳の奥はいまだに寂しげに揺れたままで、まるで幼い子供だった。あやしつけて懐かせるのも服従させるのもまったく楽な仕事だった。あの先の見えない場所のせいかどうかは知らないが直人もそう望んでいた。高い背に頑丈な体、怪力と、疲れ知らずの性欲は、他のなにより暴力に向いていた。本人にもその自覚はあるらしかった。
直人の背中を気に入っていたが、直人は俺のミューズではなかった。直人はすでに体にいくつも傷を抱えていた。だからただ可愛がった。たまに雑用を言いつけることはあったが、直人も嫌がらずに従った。 前にパーティで服を剥がした時も思ったが、まるで目の前のことしか見えていないようだった。それは静物画を描くにはうってつけで、後天か先天か知らないが狂気と呼んでもいい。が、大抵の人間はそれを画家と呼んだ。 直人は人を傷つけることをひどく恐れていた。その一方で林檎と人間の区別もうまくついていないのだから笑い話だが。 いつだか直人は俺に自分のこれまでの話を詳細に語った。それで俺が傷つかないことを理解したからだ。嘘か本当かすらどうでもよかったが聞く限りこいつは嘘のつけない人間らしい。第一俺の中にいちいち話を疑うほどの関心がなかった。
その頃から充は俺のアトリエへあまり顔を見せなくなっていた。 とうとう何がしかのトラブルで死んだかと思っていたが、直人が慧鶴に引きずられてここから出ていったのと入れ替わりのようなタイミングでまたふらりと訪れるようになった。 充が自発的に俺から離れていくことはない。姿を見せなかった期間に何があったか、結局尋ねはしなかった。 俺の体は充のいない間にすっかり癒えて綺麗になっていて、その責任を取れと言わんばかりに俺はまた同じことをただ行動でのみ充に対して繰り返した。充の反応も以前と変わりなかった。また服の下に生傷が絶えなくなった。
たちの悪い人間だ。愛嬌のある幼げな笑顔で誰のことも疑わない。人間に関心が薄いが人間を嫌悪したり遠ざけているわけではない。充にとって自分に振るわれる暴力はまったく悪意や害意を含まないものらしかった。充にとってはそうだった。路上で他人からいいように暴行されようと、充はそれを凌辱だとか侵害だとか屈辱的だとかいうふうには捉えられない。むしろそういうものはすべて自分と積極的に関わろうとする友好的な態度だと見做されていくらしかった。それが突き詰めてしまった寂しさからくることに薄々気づいてはいたが、俺は俺が頭で考えてみたことなど信用しない。
充が唯一自分からもコミュニケーションを取りたがる犬を奪ったらどうなるか、試した。 いつものように連れてきた大型犬を、充がベッドで気絶している間に鈍器で殴り殺した。さすが充の育て上げた犬だった。常にそうではあっ��が、完璧に行き届いた躾と人間というものへの揺るぎない信頼と安心感に満ちていた。野生の死んだゆきすぎた従順さ。どれほど暴力を振るわれても逃げることも噛みつく事も、鳴き声すら上げずに犬は飼い主である充のそばについて離れず最期まで耐えた。 充はぼんやり目を覚ましてから黙って頭の潰れた死んだ犬を大事そうに抱えてもう一度眠った。 次の日から、充は散歩に行くような気軽さと頻度で自殺未遂を繰り返すようになった。取り乱すわけでもなく悲痛な様子でもなくいつもの顔でただ導かれるようにふらふらと。
充は俺のミューズではない。それに足る程度の容姿とオーラを備えてはいたし、実際俺に勝手に何らかの影響を与えていってはいたんだろうが、俺の何かが充をミューズにすることを拒んだ。モデルにすることも。 俺にとってのモデルは興味関心の対象とは違っていた。そういうものへの愛もある。 ただ、なぜかはわからない、ある時またいつも通りやってきた充が指を数本欠けさせていたことに対して抑制できない感情が働いた。充もその時笑いながら言った「おれはおまえのモデルじゃない」と。その通りだ。自分のことを把握しきった人間などここには今も昔もいない。 冷水がはられたままの浴槽に充を体ごと放り込んで片腕で頭を水中に押さえたまま、浴槽の隣に座って俺は何事かをしばらく一人で充に話し聞かせていた気がする。喉の動くままに。 なにを話したか自分でも覚えていないが気がつくとかなりの時間が経っていて、水中に沈められたままの充はそのままこときれていた。
俺はその日充がつれていた大型犬を引き取った。名前は確かバスター。 ��等な名入りの首輪を飼ってつけてやった。 充はバスターを自分の恋人だと言い俺には懐かないと豪語したが、バスターは俺によく懐いている。 生前の充の命令を今でも守り続けるかのように。
0視点:一人のモデルが二人を横目で見ていた
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雨濡れ色のペトル残響 雨請い 諦観
大変換のときの円城寺吾郎について
act.1
それが起きた日は、吾郎はたまたま仕事が休みだった。
彼は普段通りに、気ままに、カラコロと下駄を鳴らして大通りを歩いていた。ド派手なアロハシャツに袖を通し、磨いたようなスキンヘッドにお気に入りのパナマ帽をかぶせ、薄紫のサングラスを掛ければ、彼流のお洒落の完成だ。道ゆく人は、彼にぶつかることなくその通り道を開けていく。それが日常であった。きっと、彼の周囲にいる誰も彼もがこの日常が不変で、この後に起きるものへの、恐怖も怒りも嘆きも持っていなかったのは確かだろう。
それが起きた正確な時間を吾郎は覚えていない。太陽が隠れて、雨雲が広がり、薄暗さとヒヤリとした風が通り過ぎた後に、ポツポツと降り始めたそれ。雨だったのか、何だったのかよくわからない。感触はどう考えも、水のそれのようだった。
誰かが悲鳴を上げたと彼は記憶している。男も女も関係なしに、ただただ嘆きと恐怖で満ち溢れた声が、あちらこちらから聞こえていたと思う。
逃げろと叫んでいた。
屋根のある場所へ急げ、とも。
雨にうたれながらも、円城寺吾郎は交差点のど真ん中で、立ち尽くしていた。
雨か雨でないのか分からぬそれに侵された人々が、いや、人々だけでなくありとあらゆるものが侵され、呑まれ、化けて、崩れ去っていくその様を彼は眺めいていた。
試しに崩れ去ったものーー人だったのか、それとも車だったのか、何か他のものなのかは分からないーーの一部をつまみ上げてみれば、それは文字だった。
はて、何故に文字と吾郎は首を傾げる。彼はこの事象に心当たりはなかった。この事象が、自身に何の関係があるのかもわかっていなかった。ただ一つ確かだったのは、彼自身はこの雨で崩れる存在ではなかったということだ。
彼はいつの間にか変わってしまった服の色を見て、ため息を吐く。
「この服、気に入ってたんだがなぁ」
真っ赤なアロハシャツは真っ黒に変わっており、そこに描かれたパイナップルはそれなりに映えた。あくまで、それなりに、だ。パナマ帽だって、下駄だって、淡い色をしていたというのに黒に変わっている。
「まぁ、しょうがない、しょうがない。未知の事象だ、服の色くらい変わっておかしくはねぇな。これはこれで、良いってことよ」
そんじゃあ、行こうかね、と彼はようやくその場から離れた。周囲には、彼以外誰もいなかった。
act.2
崩壊までの時間稼ぎでしかないのは、避難している人々にとっては十分承知のことだろう。だが、とりあえずは状況を整理できるだけの時間が欲しかったのだ。その選択を、吾郎は否定しない。彼だって、考えるための時間と物資と場所が必要だった。
百貨店は大型で、例え周囲があの妙な雨にうたれたとしても、全てが侵食されるまでの時間は十分にある。店内には服も食料もある程度揃っていて、近頃はキャンプ道具やスポーツ用品、生活用品を売っているエリアもある。まさに、一時避難にはうってつけの場所だった。
どうにかあの雨から逃れた人々から、ここで起きている事象を聞いたのか。客も、店員も皆が皆困惑のままに留まり続けている。本当か嘘か、判断がつかないのだ。
入り口付近でうずくまっているのは、大半が外から中へ避難してきている人々で、けれど中には雨に侵食されて「死にたくない」と言って崩れていく者たちもいた。その様子を元々室内にいた人間たちは、黙って見ていることしかできなかった。
「なぁ、この緊急事態だぁ。まずは、水を拭くためのタオルかなんかをくれねぇか」
悲嘆の声を、怨嗟の呟きを零す避難者たちの中で、吾郎は百貨店の警備員に言った。
警備員はその目で茫然としながら、何の対処もできずに外の様子を見ていたからか、吾郎の言葉にハッとなった。そうして、もたもたとしながらも腰につけた無線機で、救助を要請したのである。
ようやく吾郎たちが濡れ鼠を脱した頃には、百貨店内ではいくつもの放送が流れ、何度も繰り返されたはずの災害時下訓練の通りにーーけれど、おそらく想定していた以上に鈍い動きでーーとりあえずの誘導と籠城の体制が整っていた。次いで、外の様子があちらこちらからやってくる。それは、従業員用休憩室のテレビだったり、キャンプ用品売り場にあるラジオだったり、警備室の小型テレビや、個々人が持っている携帯電話だったりから、ひっきりなしに届く。
要領を得ない、けれど街の様子を映し出し報道するそれらからの情報をまとめるのならば、この雨はいくつもの場所で降っており、その範囲は拡大していること。雨にうたれたものは、例外なく文字と化すこと。原因は不明、目下調査中。政府や行政は、未知の事象に対し、混乱しきっていること。それでも、雨が降る中に取り残された人々を救助をしなければいけないとは、誰もが口にしていた。どうやって、の部分は全く触れられていなかったが。
それだけだった。
何度も何度も、同じ報道が繰り返されることに、吾郎は飽きた。
そうして、一番初めに声を掛けた警備員と世間話をすることに決めたのだった。
「なぁ」
「……ああ、あんたか」
じわじわと崩れ始めた入り口付近で、何の意味があるのか分からない警備をし続ける男は、吾郎を見て、少し緊張を緩めたようだった。お喋りとすることで気を紛らわせたかったのかもしれないし、その相手が来たことで現実逃避ができると踏んだのかもしれない。
「このあたりの地図って持ってねぇか?」
「地図? 何に使うんだ」
「なぁに、雨が今どこまで降ってるのか確認しようとしただけさ」
吾郎の質問に警備員は何かに気付いたのか。ニヤリと笑って、ちょっと待ってくれと返す。
「なら、この地区全体のやつがいいだろう。インフォメーションセンターにあるはずだ」
「話が早いねぇ、助かるわ」
トントンと進む話��互いに笑う。けれど、警備員は今度は憂いた顔をした。
「……時間がないかもしれないからな」
「なんだ、警備員さんも気づいてんのか」
「誰も彼もが気付いてるよ。必死になって、それを否定しようとしてるだけだ」
場合によっては、上の人間も来るが大丈夫か? という問いかけに、その方がより話が早いと吾郎は返した。
警備員は「少しの間警備をよろしくな」と告げて、その場を離れた。
結局、吾郎は呼び出されることとなった。そして、いくつかの職種の人間たちもまた、同様に呼び出されることとなる。
拡大し続ける雨雲、削られ続ける建物、差別なく文字化する事象、混乱する政府、限られた食料とくれば、次にやってくるのは助けがこないと確定した瞬間の、残された人間たちの生存競争だ。その際には、この訳のわからない現象でなく、人間同士の争いで死者が出るだろう。
それは、おそらく一部の人間たちは気付いている。そして、実はそんなにも時間の余裕がないことも。
報道やネットの力を使って判った雨雲の範囲を確認した吾郎や、他の大人たちは渋い顔をした。籠城線か、それとも脱出か。その判断が厳しい場所に、この百貨店はあったためだ。
「差別なく文字化することで、おそらく障害物はゼロだ。……代わりに、屋根の類も全くねぇだろうが」
「そうでしょうね」
百貨店の支配人や、その他の役職を担う���人たちは、吾郎の言葉に頷いた。吾郎以外にも、この辺りの地理に詳しいタクシー運転手や、休暇中の警官や公務員たちに大学教授などが集っている。この場にはいないが、医療従事者たちは落ち着かない人々を宥めていたし、保育士や教師もまた大人たちの不安を感じ取った子供たちをあやしていた。ここまで統率がとれたのは、奇跡に近いだろう、と吾郎は思っている。そして、この奇跡が長く続かないこともよく理解していた。
「目視での観察でしかないんですが、コンクリートの壁が崩壊するまでの時間はこちらです。建物の総面積を資料から算出しまして、そこから計算すると、数日は保たないかもしれません」
「半分以上文字化しかけた車での実験しかできなかったんですが、乗用車の崩壊まではこれくらいの時間が必要と思われます。天井の崩壊をどうやって止めるかが、鍵かと思います」
「地下駐車場への雨水の侵入は、シェルターで一定時間は稼げますが、シェルターが崩壊したら間違いなく全てやられます」
「去年の台風で使った、土嚢袋の残りはなかったか? あれをうまく使えばもう少し持つかもしれない」
「わかりました。早速警備に連絡しますね」
ぽんぽんと交わされる作戦会議。そして、具体化するタイムリミットと絶望的な状況に刻一刻と近づく現状。
「正直、この場で言うことではないと重々承知していますが、今にも叫びたいほどに最悪な現状ですね」
鉄面皮な支配人の言葉に、誰もが疲れた表情で非難した。そんなことはわかっていると言わんばかりに。だが、吾郎だけは大袈裟な仕草で、それを肯定する。
「おうおう、そんなものさ。こんな大災害にかち合えば、誰だって叫びたくなるだろうよ。この場じゃ、あんただって迷える子羊だ。俺だってそうさ。不安は言っちまいな、そんでその不安を認めちまいな。諦めちまえば、開き直れる。開き直れば、前を向けるんだよ」
バシンと支配人の肩を吾郎は叩く。支配人は吾郎よりも圧倒的に年上だったが、それでも彼は態度を誰が相手でも変えなかった。
派手なアロハシャツに、サングラス、パナマ帽はこの場では脱いでいるが、それゆえにスキンヘッドは眩しいくらいだ。どうみても、カタギの人間には思えない。それが、妙な具合で彼の説得力を増した。
「そんで。今、どの程度の人間がここに避難してるんだ?」
「把握している限りは、おそらく8千人くらいかと。とはいえ、近隣の小型店舗に避難した人々が続々とここに集っているので、さらに増えている可能性があります。あと全て従業員含めた数ですが、従業員の数の数十倍はお客様がいますので、誘導には注意が必要です」
「なるほどなぁ……脱出は諦めた方がいいかもしれねぇ」
その人数は無理だと誰だって分かる。だが、その人数が篭城するだけの余裕は同じくない。
「さすがに数千人規模ですと、車の数からして足りませんし……食料も同様です」
「分かってらぁ。だから時間がねえって、誰もが気付いてるんだろうよ。脱出組は、単純に言えば斥候だ。脱出ルートの開拓。それさえできれば、外からの救出も可能かもしれねえ。警察に消防あとは自衛隊か、どの程度動いてるんだ」
「警察とはどうにか連絡がつきました。役所も同様です」
「脱出組の確保と、その後の救助に動いてもらえそうか」
「合流できれば……ですが」
「ハッ、助かるためには諦めるしかねぇだろ。諦めて、どうにか合流するルートを開拓するしかねぇんだ。腹括ろうぜ」
吾郎のその言葉で、誰もが決意したようだった。
act.3
携帯電話の充電を確認し、互いの連絡先を交換する。慣れない通話用アプリに戸惑ったのは、吾郎を含めたそこそこ年配の人間たちだけだった。学生らしき青年たちはその様子に苦笑いを浮かべ、対し吾郎は「しょうがねーだろ」と肩を竦める。
彼は青年たちが選んでくれたインカムを耳につけた。
「あー、あー、テステス。聞こえてるかー?」
聞こえてる、大丈夫だ、こっちダメだ、誰か原因わかるかー?、店員さーんとあちらこちらでやりとりが生まれる。
ここ最近の百貨店は、電子機器の類も充実しており、必要な機材はそこから調達した。ここぞとばかりに自分好みのを物色する青年たちに「逞しいですね」と店員は笑う。その背後では、できる限り雨を防ぐためのレインコートや帽子、マスクなどをもった衣料品売り場の店員が佇んでいた。
「あー、そんじゃあ30分後に地下駐車場に集合な」
互いに互いの健闘を祈りながらも、吾郎は一人先に進む。
待ってくださいよアニキぃ、と調子のいい声が彼の後ろからしたが、吾郎は「うるせーよ、諦めて覚悟決められたら来い」と一喝して進む。「じゃあ、また後で」と告げる彼らの、賑やかで騒がしいくらいの年頃の青年たちの腕や足が、少しばかり震えていたのを誰一人指摘することはなかった。
再三、無理をする必要はないことが説明された。
体力的な問題で、脱出組は年若い面々となる。吾郎や他の体力自慢の中年たちに比べて、彼らには前途がある。その前途をむやみに危険に晒すことに、年配者になればなるほど言い得ぬ苦い思いがあった。
それでも、一部をのぞいて青年たちは覚悟を決めたようだった。そして決めきれなかった者もまた、見送りへは来られたようだった。そんな彼らへの労いを、彼らの人生の先輩たちが担っていることが警備員から知らされる。
「彼らは臆病者と罵られることを危惧したようですが……それが、正しいときもあります」
「命が惜しいのは、誰だって同じだろうよ」
「……正直、息子と同じくらいの年頃の彼らに、こうしたことを背負わせることが苦痛です。どうにかできないかとも思いますが、自分が行っても足手まといでしょう」
「だろうなぁ」
吾郎の正直な感想に、地下駐車場の警備員は笑った。
「あなたのような人がいてくれて助かりました。そうでなくては、きっと篭城戦の末の自滅しか私たちに道はなかった」
「それは全部済んでから、俺以外の誰かに言ってくれぇ。むず痒くてしょうがねぇ」
「結果の分からない今だからこそ、言える謝辞です」
「違いねぇ」
別れの言葉が青年たちの間で交わされる。激励の言葉もまた渡されたし、労いの言葉も同様だ。
「それじゃあ、行くぞ」
吾郎の掛け声に、青年たちは「はい!」と力強く答えた。
脱出経路は3ルート。使用する車は3台。それぞれ限界まで車を使い進行、車がダメになったところから通りを走り抜けることになる。できる限りの最短ルートを算出したが、どのようになっているのかは未知数である。傾斜によっては、この雨が一箇所に止まっていることも想定できた。
だからこその斥候役である。
エンジン音が響く車内、誰も彼もが無言である。
地下駐車場のシャッターがじわじわと開く。車の車高分まで開かれた時に、警備員がGOの合図を出した。踏み込まれるアクセル、動き出す車。一気に明るくなる風景だったが、水滴がフロントに叩きつけられ、雨音が車内に響いた。
道路には何もなかった。何もないので、最大限のスピードで駆け抜ける。雨が降っているためにカーブはできる限り避けた。だが、それでもじわじわとフロントは文字へと変化していく。
「限界がくる、全員伏せてろ! 車が止まったら真っ直ぐに走れ!」
吾郎は自分が文字にならないことを確信していた。だからこそ、助手席には誰も乗せずに、後部座席に青年たちを避難させた。ギリギリまでスピードを出し、フロントから雨が振り込もうがお構いなしに進み、そうしてエンジンすらダメになり止まるまで彼らは耐え続けた。
タイヤが文字と化し、車が進むことができなくなった瞬間に、彼らは走り出す。
ゴーグルで、マスクで、帽子で、手袋で、服で、レインコートで必死に雨から身を守りながらも、彼らは走り続ける。すでに雨の降らない境界は目視できた。
吾郎は行けと叫んだ。青年たちは応と返した。
じりじりと装備は文字と化していく。頭を突き出し、前のめりの姿勢になり、彼らは走��走る走る。
もう少しだ、と声をかけるのは境界の先で待機していた警察や消防の面々だろう。すぐさま雨を拭き取れるように、大判のタオルを広げている。
誰も彼もが限界までスピードを出して走っていた。
後少し、後少しだ、と最後尾を走っている吾郎は思った。既に一人が無事に到達しているのが見える。あと二人、吾郎を入れて三人。後少しだ、と彼が思った時に、一人が転んだ。最悪なことに、そのまま水溜りに倒れ込んでしまった。
まだ走っている青年が、後ろを振り向こうとするのを吾郎が怒鳴って止める。
吾郎は、歯を食いしばって倒れ込んだ青年を火事場の馬鹿力と言わんばかりに抱え上げて、走り続けた。自分のどこに、こんな力があったのかと驚くくらいに軽々と肩に担ぎ、そうして境界をくぐり抜けたのである。
待機していた人々は、すぐさま彼らの濡れた衣服を剥ぎ取り、水を拭いとっていった。
だが、転んでしまった青年を受け持った人々から、くぐもった悲鳴があがる。
一緒に走り抜けた青年たちは、無事か、どうなんだと騒いでいるが、もう動くことはできなくてその場に座り込んでいた。対し吾郎は水を拭うと、転んでしまった青年の元に足を進めた。周囲が止めようとするも、彼が睨めば動きが止まる。
「……頑張ったなぁ」
偉いよ、出れたんだぜ、と吾郎が慰めるように青年の頭を撫でた。彼の顔は文字と化し、その侵食は進み続ける。表情は分からない、目も口も鼻もなくなったそれは、確かに最期を迎えようとしていた。
「……かあさん」
微かに吐き出された青年の最期の言葉を聞き遂げた吾郎は、動かなくなった彼にゆっくりと両手を合わせ、合掌した。その仕草で悟ったのか、二人の青年が声を荒げて泣き喚く。恥も外聞もなく泣く彼らを、誰が咎められようか。彼らを慰めるべく、別室へと案内する周囲の人々は、鎮痛な表情を浮かべながらも、残った吾郎に説明を求めた。
一頻り祈った彼は、その要請に従った。
act.4
辿った道のり、避難している人数、現地にある装備・備品、掛かった時間や、実験とも言い切れない実験の結果を吾郎は告げる。それらを元に、自衛隊や消防隊が救出作戦を立てていった。
ようやく動き出せそうだ、と隊長格と思わしき人が呟く。
「走行は分厚ければ分厚いほど、良さそうだ。あと、その人数の避難となると列車でも通した方がいいかもしれないな。あるいは危険だが下水道あたり……雨水管を避ければ行けるか」
「列車って線路はどうするんでぇ?」
「なんだ、新幹線の移送を知らないのか。あれの要領で、車体を道にすればいいだろう」
「なるほど、スケールのでかい話だ」
「あとは、許可をもらえるかどうかなんだが」
「車両はどっから持ってくるんで?」
「ツテは心当たりがある」
「へぇ、趣味はもしや鉄道?」
そうだと返す男に、吾郎はこんな状況でなければ話をしてみたかったと言う。
趣味を語る人間は面白い。特に吾郎などが知りもしない知識を大量に持っている面々の語りは、聞いていて興味深い。が、現状は諦めるしかなさそうだ。
「じゃあ、あとは任せますぜぇ」
「ああ……あんたのお陰で大分話が進んだ。後日、感謝状が出るレベルだ」
「……そんな紙切れいらん」
「そう言わないでくれよ」
じゃあな、と吾郎は部屋を後にする。部屋の外に待機していた救急隊員が、彼を病院に送ると申し出た。
「一緒に脱出した二人は?」
「彼らも病院へ向かいました。どこの病院へ、は守秘義務のために言えませんが」
「休めりゃ、どこだっていいさ。あいつらは頑張���た」
「あなたも、です。お話している限りは問題なさそうですが、流石にこの状況下です。一旦、診察を受けましょう」
どうぞこちらへ、と案内されて、吾郎は大人しく従った。
だが結局のところ病院へ運ばれ、簡単な問診をしている間に、あの雨によるライフラインが壊滅。停電や水道の停止、その他通信網や非常電源の起動などへ向けて病院内が慌ただしくなった隙をついて、彼は一人姿を消したのである。
そこから先は、転げ落ちるように全て悪い方向へ走った、と吾郎は今では思う。
雨は容赦無く全てを飲み込み、文字とした。政府は事実上機能せず、人々も多くがその雨に溶けて消えることとなる。
吾郎は諦観していた。
雨雲が拡大し続け、容赦無く振り続けるなかで、いずれ吾郎のような存在以外がどのような行動をとるか自明の理だったのだ。それでも、彼は諦めながらも、諦めたが故に前を向きたかった。あの百貨店にいた人々がどうなったのか、彼は知らない。助けが間に合ったのか、間に合わなかったのか、希望を抱けたのか、絶望に沈んだのか、彼は確かめるのが怖かった。
「諦めようか、何もかも。今は諦めて、これからを考えようか」
そう呟いて彼は歩み続ける。きっと、彼だけではない、この雨の中で活動できる存在を探すことにした。
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