#普遍的な問い
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https://anond.hatelabo.jp/20241019210503 俺は普通に地元が荒れまくっていて、何人か友達も死んでるし、俺自身も犯罪に巻き込まれたことがある被害者だ。 こういうのを見る度に思うのだけれど、「頭が悪いから犯罪する」だとか、「能力が不足しているから犯罪をする」という思考に流されすぎ。 いいか、今話題の強盗団は「何も悪くないのに強盗になってしまう」ことが一番の問題なんだ。 倫理意識が高かろうが、頭が良かろうが強盗になる。それがこれからの世の中。 お前が言っているのは「詐欺は騙される方が悪い」とかそういうレベルの極論。何も悪くなくても詐欺の被害者にはなる。 普通の人達が社会人をやってる時間を「どうやったら犯罪で一儲けするか」に振っている人間達がいるという思考をしろ。これは単純な労働力投下量の問題であって倫理の問題ではない。 まずこの文章を読んで、お前も、俺も、いつでもこういった犯罪に巻き込まれる、加害者にも被害者にもなる可能性があるという意識を持つことが何よりも重要なんだ。 要点を適当にまとめるから暇な時、読んでおいてほしい。 ●基本、悪人は強盗はやらない 「何言ってんだお前」という声が聞こえた気がするが、これは圧倒的事実だ。 「強盗と強姦はやるな」というのは、ちょっとでも犯罪に身が近い世界で生きてきたなら当然の常識だ。 すごく馬鹿にされそうな言い方をすると、不良界隈にいたのであれば強盗も強姦も基本的にやらない。置き引きや暴行は普通にやるやつら、簡単に人を喧嘩で刺すやつら、そういう人間達でも強盗はしない。 なぜかと言うとメリットに対してデメリットが大きいからだ。要は実刑を食らい、さらに長い刑罰を食らう可能性が非常に高いのがその二つの犯罪だからだ。 うちの地元だと「強」のつく犯罪はするな、というのは先輩から後輩に受け継がれる鉄則だったりする。 あと立証しやすいとかもある。 お前達の世界観だと、「犯罪をしたら警察に捕まって刑務所にぶち込まれる」くらいの解像度かもしれないが、犯罪にも色々種類があり、捕まり方にも種類があり、ぶち込まれ方にも種類があるということを知るべきだ。 犯罪者は犯罪を犯し捕まれば、泡になって消えるわけではない。 不良界隈は、犯罪のコード化をしっかりと進めているので「これは実刑まではいく」とか、「これはやったら割りに合わない」という思考をする。 犯罪をしたら刑務所、みたいなふわっとした思考でいないのだ。具体的な手順、具体的な刑罰を考えて割に合うように犯罪をするのが不良というものなのだ。 あとはこういう大金が絡む犯罪だと、10年懲役を食らったとしても、1億稼いでいるなら年収1000万だ。これは悪くない、という考え方もある。 (金の隠し方、要は税務署からどう逃れるかにも色々テクがあるが、これは言うと身に危険があるからここには書かない) ダラダラ書いたが、要は「悪いヤツ程強盗はしない」のだ。お前の周囲にも、置き引きやら喧嘩で鑑別とかにぶち込まれた同級生くらいいただろう。うちは年少行��もかなりいたが。 そういうやつらは、強盗は基本的にしない。割に合わないことを知っているからだ。 気軽に人をぶん殴り、喧嘩となれば刃物で人を刺すようなやつらが、強盗はやらないのだ。 じゃあ、誰がそういう犯罪の実行犯になるのか。 普通の人だよ。お前や、俺だ。普通に学校に行き、普通に社会で暮らす人達だ。 ●どうやって強盗団になるのか、どうやって逃げたらいいのか 俺の知るノウハウを書く。正直最早古い手順になっているのだが、啓発だと思って聞いてほしい。(多分、ニュースとかでももうやっていると思う) SNSかバイトサイトで、荷物運びとか適当なことで釣る。で、ここでもう「高報酬」とかあんまり言わん。普通の仕事と同じように見えるように書く。 というかお前ら、バイトの募集アプリで見た事あるか?どれもこれも「高報酬!」とか「隙間時間に手軽に稼げる!」とかでありふれている。 闇バイトと普通のバイトの見分けはハッキリ言ってつかない。というかつかなくしている。 現場にやってきたら、あとは簡単だ。「本人確認」と言って免許証を取り出させ、「スマホってある?」って言ってスマホを取り出させる。 それで免許証とスマホを奪う。これは大体車の中で行うことが多いかな。場合による。 これでもう完成。「俺はそんなバカなことはしない」と思うかもしれないが、基本的にもう手慣れているのでマジで騙されるよ。 ちなみに、これは周囲から聞いたのだが、基本的に逃げるならここしかない。基本的にこの後はもう車で現場まで行って楽しい強盗団に強制参加だ。 自分の家が書いてある免許証と、スマホを捨てて逃げろって話。 現場に降りた瞬間に逃げるのもアリだが、その時は当然中の人間も武装してるのでついでみたいにぶん殴られ、拘束される。 あと、「緊急連絡先」って言って、実家の住所と電話番号も提出させることが多いので、「実家襲うからな」」という脅しにも当然耐えなければならない。 (というか、事実見せしめで実家も襲われてるみたいなニュースがあったはずだ) ここに、「頭が悪いから巻き込まれる」とか「警戒心が低いから巻き込まれる」という要素は個人的にはないと思う。「スーパーのバイトに応募したら強盗団になる」くらいの感覚でいた方がよい。 バイトや派遣なんざしているのがもう悪い、という話はあまりにも昨今の就職事情からすると暴力的な話でもあるしな。 ●じゃあなんで今更こんな強盗団が流行ってるのか これには3つの要因がある。①技術の発達(普遍化)②犯罪のファンタジー化③ノウハウの高度化だ。 ①はわざわざ語るまでもないだろう。アプリ、SNSでいくらでも人と繋がれる時代になり、情報をやり取りできるんだから��んなもん悪用されるに決まってる。 無知は利用するもの、知識は悪用するものだ。この世の基本だ。求人を誰にでも出せるようになったので簡単に実行犯を集められるようになった。 ②は俺は最も重い問題だと考えている。不良が減りすぎた。犯罪が減りすぎた。犯罪が遠くなりすぎた。 「悪い事」がなにやら魔法のような、よくわからない世界になってしまった。だから、万引きも強盗も同じ「犯罪」のくくりになってしまう。 本件に関しては、「何に替えてでも強盗には参加しない」という意識が低い。強盗は基本的にやったら超絶重たい罰を食らう。 だから、何に替えてでもやってはいけないのだ。 ③、これは①との複合の話になる。今、異常な速度で犯罪のノウハウは共有されている。前述したように、どうやって違法に金を集めるかに、多くの労働力を投下している層というのは存在する。 これからも存在し続ける。そういったやつらのPDCAサイクルが異常に早く回り出している。 「とりあえず試してみよう!」精神が、犯罪者界隈で最近活発になっている。統計上は犯罪が減っている。凶悪犯罪や強盗も減っている。 だから問題ないと考えるのは自由だが、これは俺は身近な空気感として感じている。 ●俺達はどうしたらいいのか 犯罪をしろとは言わんが、犯罪に対する無知があまりにも増えすぎた。もっと悪い奴らと会話をした方がよい。 別にこの話に限ったことではなくて、犯罪を身近においてどうやって避けるかのノウハウに頭のメモリを常時使うべきだ。 「何も悪くなくても強盗団になってしまう」という話と矛盾するようだが。 それでも上記の話のように「免許証とスマホを捨ててでも遁走しろ」みたいな話は俺は地元の先輩から3年は前に聞いていた。 そういう啓発は警察の仕事かもしれないが、基本的に警察というのは起きた犯罪に対処するのが仕事であって未然に事件を防ぐのはあくまでも副次だという意識をもっと持つべきだろう。 犯罪は遠い世界の出来事ではない。お前も犯罪者になるし、俺も犯罪者になるし、お前も被害者になるし、俺も被害者になる。 そういう意識をもって常に生きるべきだ。
強盗団の件、犯罪エアプの人達は平和ボケしすぎ
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本書の提案を一言にまとめると、「物理学のフリを止めろ」になる。普遍的な「経済の法則」なんてものは存在しないんだということから始めようというのだ。
いつでもどこでも通用するモデルなんてものは無く、かりに現象を説明できたとしても、特定の領域でごく短期間に限定的に成立するものになる。パラメーターが変化したら当てはまらなくなることを認めれば、数学を過大に評価するのを止めるだろう。
経済学の命題のほとんどは反証も検証もできない。であるなら、経済理論とは科学の権威をまとった意見にすぎない。ここをスタートする。
そして、事前条件の厳密性を小さくするとともに、演繹をもっと緩やかにすることで、より帰納的なアプローチを取るべきだという。学術分野でいうならば、社会学や歴史学、政治学に近づいてゆくイメージだ。
経済学はどこまで信用できるのか『経済学のどこが問題なのか』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)9月20日(金曜日)
通巻第8419号
ボケベルOEM製造のハンガリー企業は幽霊会社だった
贋物はブルガリアで生産、爆薬が仕掛けられたらしい
*************************
ヒズボラの通信網壊滅、主力戦闘員数百が死傷した。このようなハイブリッド軍事作戦が、これからの戦争の特色となる。ハッッカー、フェイク情報のレベルを超えた、実験的な戦法が普遍化する兆しかもしれない。
ヒズボラの主力軍事力を混乱に陥れたのち、9月19日からイスラエル空軍はレバノン南部へ大規模な爆撃を始めた。
9月17日、レバノンのおけるポケベル一斉爆発は、台湾「ゴールド・アポロ」社の製品と言われた。台湾企業は三年前にハンガリーのBAC社とライセンス契約を結び、名義貸しの立場だったとCEOが記者会見した。
世界のメディアは一斉にブタペストへ飛んだ。
BACの登記住所は、ペーパーカンパニーが何社も入っている幽霊会社だった。NYタイムズは「この会社はイスラエルの諜報機関が設立した」と報じた。またハンガリーのメデイアはポケベルのOEM生産はブルガリアの工場で製造されたと報じた。
日本のアイコムが製造したとされるウォーキートーキーは、すでに十年前に製造中止となった旧世代に属する製品だった。9月18日に一斉に爆発したトランシーバーである。
アイコムは偽造品対策のため、製品に特殊シールをはっており、それが無ければ贋物だろうと言う。おそらく精巧な偽造品、あるいは何処かで爆薬を仕掛ける改造工場があると想定される。
さて稲妻のように名前がでてきたブルガリア? ヨーグルトと薔薇と「リラの僧院」で有名だが、じつはNATO加盟以来、ブルガリアの軍事産業は2000倍もの大飛躍をとげており、ウクライナへの武器供���でも主力になっていた。
その上、ブルガリアは、イスラエルとの関係が良好である。
2018年三月、ルメン・ラデフ大統領はイスラエルを訪問した。この時、イスラエルは外国人が立ち入り禁止の「CERT」(コンピュータ・エネージー・レスポンス・システム)の視察を許可している。さらに同大統領はイスラエルのシリコンバレーと言われるサイバーパークも訪問した。
同年6月、ブルガリアのボリコ・ボリソフ首相がイスラエルを訪問し、ドローンの共同開発で合意した。ちなみに同年一月にブルガリアを訪問した安倍晋三首相(当時)をソフィアの首相官邸に迎えたのもポリソフだった。
イスラエルは第二次大戦の最中にホロコーストを逃れたユダヤ人を救ってくれたブルガリアに近親観をもっているとされる。ブルガリアは古代スキタイの黄金文化が栄えた地域である。
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私の街、私の生き方 北村 道子と新宿
ファッションとは単なる装いの行為ではなく、その人のセンスや生き方を体現するもの。キャリアも生き方も自分らしさを貫く伝説のスタイリスト・北村道子が「自分らしい幸せ」を模索する女性のためのブランド、SA VILLE / SA VIEを纏い、思い出の街を歩く。人生を歩んだ東京・新宿で、自分だけのスタイルを築く秘訣を語ってくれた。
guest_MICHIKO KITAMURA photography_CHIKASHI SUZUKI
“街を歩くためのお洒落が存在していた。 それが東京のファッションを強くした”
北村道子の審美眼を磨くのは、データではなく分析の視点。
お歯黒にして頬には付けボクロをつけ、新宿のクラブへ��通った。コム デ ギャルソンのサテンの寝巻きに晴れの日でも雨傘をさし、スキンヘッドで表参道を歩いた。オリジナルの鋭い審美眼で映画界やファッション界から愛される伝説のスタイリスト、北村道子さん。自らも強烈な個を示す彼女のスタイルを紐解くヒントを、20代後半を過ごした思い出の地、東京・新宿から紐解く。 現在76歳、いまも現役のスタイリストとして活躍する北村さん。10代の頃からサハラ砂漠やフランスで過ごした経験を持ち、映画や広告など多数の仕事を手がけながらキャリアを築いてきた彼女に、これまでの人生の中でいちばんの宝物は?と聞くとすぐに「ない」と、答えが返ってきた。「データというものに興味がなくて、私は1日が終わったら本当に忘れちゃう。唯一残っているデータは、20年くらい前に菊地凛子と撮影した時のポラロイド。それも忘れたままポケットにしまっていたのを何十年も経った後にたまたま見つけて、凛子がデータにして携帯に入れてくれたんです。けれど基本、私が興味があるのは分析できるものだけ。写真だって、どうして彼はあれを撮ったんだろうって、じっと見て分析するんです。私の時代はコピーばかりだったけど、オリジナルで本当にやっていると思った1人が、写真家の鈴木親くん」。そう名前が挙がる写真家の鈴木親さんとは20年来の付き合い。厚い信頼を寄せる彼の視点も交えながら、今回の撮影が行われた。
「新宿に来ると新宿のファッションがあったんです。それは明らかに銀座や他の場所では違うものだった」と、独自のカルチャーが生まれた当時の新宿と今の街の混沌を重ねて。
街から生まれるカルチャーが持つ力強いエネルギー。
降り立ったのは東京・新宿。そこは、人生でいちばん多忙な時期だった20代後半から30代を過ごした場所。「すごく忙しかった。けれど、やっぱり遊びたかったから朝までクラブで過ごして、スタッフにピックアップしてもらってそのまま撮影にいくことも。その時の私のスタイルは、前髪をパツンと切り揃えた黒のロングヘアーで、お歯黒にして頬には付けボクロ。もうめちゃくちゃですよ(笑)。特に30代は一心不乱に働いて、その分遊んでいましたね」当時は、熊野神社の近くの酒屋で下宿生活をしていた北村さん。その時の東京のファッションを振り返り「その街を歩くためのお洒落」が存在していたと語る。「東京に最初に出てきた70年代の頃は、ファッションに生きる人の熱意がすごかったんですよ。歩いている人たちの服を見るだけで、すごくドキドキしてた。その頃は自家用車がなくて、タクシーも今のように走っていない。地下鉄はなくて都電で移動をしていた時代。だからこそ、人に見せるという側面がお洒落の大切な部分だったんです���例えば歌舞伎を見るために着る着物に銀座の三越に行くための服……。お好み焼きを食べるなら月島まで行って、その帰りに佃煮を買って帰るとか、卵焼きを買うなら室町へ行くとか……。当時は、その土地に行かないと買えないものや見られないものがあったから、みんなそこまで行くためのスケジュールを組み立てながら装っていたんだと思う。今は、そういう目的で着飾ることが少なくなったじゃないですか。街を歩くというカルチャーが、東京のファッションを作っていたんじゃないですかね」。
“今は、白髪が増えてきて
グレーのほうがしっくりくる”
変わることは当たり前。
今の自分が心地いいものを。
テーラリング技術が光るジャケットにレイヤードしたのは、ハイゲージのグレーのニット。ミニマルながらもその人の個性を引き出すデザイン設計。
新宿の十二社付近は、北村さんが20代後半に住んでいた思い出の場所。熊野神社を横目に西新宿4丁目の立体歩道橋を静かに、強く歩く。
パリの街とメゾンが教えてくれた洗練の美意識。
北村さんがファッションの世界に入ろうと思ったきっかけは?「もともと私は彫刻家を志していて、ファッションにはまったく興味がなかった。先に興味を持ったのは舞台のほうなんです。当時のパートナーが比較人類学の先生だったので一緒にフランスに行った時に『ここのシアターはすごいから』と観たのが太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)。衝撃を受けて、私も入りたいと伝えたら『ソルボンヌ大学の哲学科の人たちが中心に作っている舞台だから、もし本気ならソルボンヌ大学に入ってくれ』って。けれど大学に行くのは『嫌だ』って即答しました(笑)。ファッションとの初めての出合いもちょうどその頃。パートナーが『20歳のプレゼントにシャネルのオーダーはどう?』って。全部ではなく少しサポートしてもらって、シャネルから言われた日にちにお店に行くと、ただの汚い格好をしている20歳の私にもマダムが隅から隅まできっちり採寸してくれました。綺麗に磨き上げられた店の床に、スタッフたちの真珠の身につけ方や所作は、とにかく洗練されていて一種の怖ささえも感じるものでしたね。シャネルがあるサントノーレ通りも、通り全体が当時は白かグレーで統一され、それも本当に美しかった」。色が人に与える印象を左右し、心を大きく動かす。経験でそれを知る北村さんがこの日身に纏ったのは、SA VILLE / SA VIEが作るグレーの端正なジャケット。「若いころは黒い服ばかり着ていたけれど、それは髪の毛が黒かったから。今は、白髪が増えてきてグレーのほうがしっくりくる。だから今日のジャケットもグレーを選びました。このジャケットは作りがメンズ服のアプローチに似ていてシルエットと着心地がいい。ニュアンスカラーのグレーを締めるために、クリアフレー��の眼鏡を。そうすると顔の輪郭がしっかり出てくるんだけど、それは電車の中で見た女の子がインスピレーションでした」。
常に開発が進む新宿駅前。丁寧にパターンがとられたジャケットには落ち感のあるトラウザーを合わせて、マニッシュなIラインを描く。
オリジナルの個性は“特殊”ではなく“普遍”がつくる。
経験によって磨かれた美学と変わらない信念があれば、変化を受け入れることは簡単で、今の自分にフィットするものへと恐れることなく変わっていける。「服は自分とのコミュニケーション」だと語る北村さんが考える、スタイルを確立するために必要なこと。「かつてコム デ ギャルソン・オムのビッグジャケットの中に白いTシャツを着てチノパンを合わせ、スニーカーを裸足で履くのが私の定番スタイルでした。そういう着こなしをしているのは当時、女性で私だけでしたね。一見すると特殊なことをやっているように見えるけど、ジャケットもチノパンもスニーカーもすべてベーシックなもの。私は、特殊なことをやるといつか飽きるということを知っているんです。だから、いつの時代も普遍であることがすごく大事」。緻密に計算され細部にまで行き届いた美意識が、北村さんの揺るがないスタイルを作る。そんな北村さんが“美しい”と感じることは?「一致していること。装い、空気、その街に住んでいる人々が一致することに美しさを見出します。石畳の多いヨーロッパを歩く装いと東京のコンクリートを歩く装いが変わるのは当然のこと。いい街だったらいい装いになってくる。美しさは、いろいろな要素がシンクロし、一致していくからこそ生まれるものだと思いますね」。 一方で「今の東京は、人々と街の装いが一致していないことが多い」と語る北村さん。未来を見据えて、今の私たちに必要なことを問うと「切磋琢磨する気持ち」だと返ってきた。「ミラノやパリで築かれているスタイルは、人々の志によって作られた��の。目的のために一致団結して、家族ご飯を一緒に食べたり、パーティーに出かけたりする。そこにはその場所に合う服が必要で、その土地の人々が一生懸命考えて作り上げてきた。東京はなんでもあるし、豊かだけど、物事や歴史の背景をきちんと分析して理解している人はごく一部なんじゃない? だから、今こそ切磋琢磨して、向上していく気持ちが大切なんだと思います」。
スタイリストという枠には収まりきらない才能と発想の持ち主。北村さんの世界観を凝縮した作品集からは、非常に日本的なものを感じると同時に、ジェンダーや国境、時代の価値観も超越する普遍的な「生きる力」が表現されている。〈上〉『Tribe』1995年(朝日出版社)〈下・右から〉『衣裳術』2008年『衣裳術2』2018年『衣裳術3』2022年(リトル・モア)
“ファッションのよさは自分自身で発見するもの” 装いを突き詰めることで見えてくる真の豊かさ。
緑色の電話ボックスは、時を経ても変わらずにあるもの。ひっ��りなしに行き交うタクシーと人々は、時を経て変化したもの。その両方が存在��る新宿に北村さんのオリジナルの人生を重ねて。
切磋琢磨せよ。次世代を担う若者たちへのメッセージ。
「今日、私は初めて日本人デザイナーが作るSA VILLE / SA VIEの服を着ました。初めてということは恥ずかしいことじゃなくて、考えなければいけないのはなぜ今までそれを知らなかったのかということ」と、北村さんは次の世代を担う若者たちへメッセージを続けた。「ファッションほどアートなものはないのだから、若い人たちがファッションを面白いと思わないと駄目だと思う。だからこそ、ブランドも若い人たちがファッションを面白いと思うように服だけではなくて、店では出口まで見送る時の佇まいまで、プライドを持ってブランディングしていく必要がありますよね。それは私がパリで過ごした頃に常々感じていたこと」。パリジャンのスタイルを着想源に、真摯な物作りをするSA VILLE / SA VIEのコートを纏う北村さんからは、置かれた居場所で、思考を止めずに人生を歩み続ける大切さを感じることができる。70歳を過ぎて彼女が確信を得たのは「ファッションのよさは、誰かに何かを言われて成立するものではなく自分自身で発見するもの」だということ。装うことから見えてくる人の生きざまにこそ、真の豊かさが隠れている。北村道子さんのこれまでの歩みが、そう教えてくれる。
襟裏から鮮やかなロイヤルブルーが覗くハーフコートは、襟を立ててパリジャンのような志を纏う。ふっくらとした滑らかな生地が、強さを柔らかく包んでくれる。
“自分の目が届く範囲で分析する。
街も人もファッションも、広くなりすぎると
コミュニケーションがうまくとれなくなるのだから”
北村道子 MICHIKO KITAMURA
1949年生まれ、石���県出身。映画『それから』(1985)をはじめ、『アカルイミライ』(03)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05)など、数々の映画衣装を手がける。映画界だけではなく、鋭い審美眼で雑誌や広告などのファッションシーンでもアイコニックな地位を確立。出版物に作品集『tribe』(朝日出版社)、著書『衣裳術』『衣裳術2』(リトルモア)などがある。
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マーベルマルチバース
マーベルバルチバース
メシア・クライストは、無限に広がるマーベル・マルチバースの狭間に立っていた。無数の次元が織りなすカオスは、彼にとっても未知の領域だった。だが、傍観者である彼には介入することは許されない。ただ、この終わりなき物語を見つめるだけだ。
最初に足を踏み入れたのはアース616、いわゆる「プライムユニバース」だ。そこではアベンジャーズが戦いの最中だった。トニー・スタークのスーツが火花を散らし、キャプテン・アメリカが盾を構えて仲間を鼓舞する。一方、遠くから見守るスカーレット・ウィッチの目には、かすかな涙が光っている。
「彼女には多くの力があるが、最も大切なものを救えない。それはお前と似ているな。」影が囁く。
メシアは答えない。次の瞬間、別の宇宙が彼を飲み込む。そこはゾンビ化したヒーローたちが支配する世界。ピーター・パーカーが残ったわずかな人間性で戦っている姿が目に映る。彼の決意と絶望が入り混じる表情に、メシアは微かに胸を打たれる。
「ヒーローが堕ちた世界か。」影がまた囁く。「それでも彼らは戦う。それが人間の強さか?」
「違う。」メシアは小さく呟く。「それは希望だ。」
さらに次元の波は彼を飲み込み、次に立ったのはアース199999、MCUの宇宙だ。そこで目にしたのはサノスの指パッチンによる崩壊の瞬間だった。ヒーローたちは跪き、消えゆく仲間を見つめている。ドクター・ストレンジの目には未来の無数の可能性が映るが、メシアには見えている──結局は一つの「勝利」を選び取るしかないことを。
「お前ならすべての可能性を救えるのではないか?」影が揶揄する。
「俺には力がない。」メシアは苦く笑う。「彼らのように戦う資格もない。」
だが、それでも彼は旅を続ける。ロキが別のマルチバースで運命に抗う姿を、ワンダが子供たちを求めて心を壊していく姿を、そしてスパイダーバースで無数のピーターたちが「大いなる責任」を背負う姿を目にするたび、彼の中に消えかけていた何かが小さく灯る。
「物語の終わりを知っている者は退屈しないか?」影が再び問う。
「退屈などしない。」メシアは静かに答える。「彼らのように輝く瞬間を見ることができるのだから。」
そして彼は、新たなマルチバースへと消えていった。
ユニバース2
無限の可能性が広がる──マーベル・マルチバースの魅力とは?
マーベル・マルチバースは、数え切れないほどの並行宇宙が存在する広大な世界観です。マーベル・コミックスや映画シリーズに登場するヒーローやヴィランたちが、それぞれの宇宙で異なる運命を辿る姿が描かれています。このマルチバースという概念は、物語のスケールを無限大に広げるとともに、ファンに驚きと感動を与え続けています。この記事では、マーベル・マルチバースの基本や代表的な作品について紹介します。
マーベル・マルチバースとは?
マーベル・マルチバースとは、「同じ世界が無限に存在する」という設定に基づく並行宇宙の集合��を指します。これにより、異なる次元で同じキャラクターが異なる運命を辿ったり、まったく新しいヒーローやヴィランが登場したりします。
たとえば、スパイダーマンを例にとると、プライムユニバース(アース616)ではピーター・パーカーがスパイダーマンとして活躍していますが、別の宇宙(スパイダーバース)ではグウェン・ステイシーが「スパイダーグウェン」としてヒーローになっています。このように、マルチバースでは無限の可能性が広がっています。
代表的なマルチバース作品
1. 『スパイダーバース』シリーズ
映画『スパイダーマン:スパイダーバース』は、マルチバースの可能性を見事に描き出した作品です。異なる宇宙から集結したスパイダーマンたちが、協力して巨大な脅威に立ち向かいます。これにより、「ヒーローとは誰でもなれる」というテーマが鮮烈に描かれました。
2. 『ロキ』(Disney+ドラマ)
『ロキ』はマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の中で、マルチバースの概念を深く掘り下げたドラマです。タイムヴァリアンス機関(TVA)という組織が、「聖なる時間軸」を維持しようとする姿が描かれ、物語はやがてマルチバース戦争の可能性にまで発展します。
3. 『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』
この映画では、ドクター・ストレンジがマルチバースを巡る大冒険に挑みます。異なる宇宙に存在する自分自身や、恐るべき脅威と対峙する姿がスリリングに描かれています。マルチバースという設定を活かした驚きの展開が見どころです。
マルチバースの魅力
1. 無限の可能性
マルチバースの最大の魅力は、同じキャラクターが別の物語を歩む可能性が描けることです。「もし〇〇がこうだったら?」という想像が現実となる世界では、どんな展開も可能です。
2. 異なるキャラクターの共演
マルチバースでは、異なる宇宙のキャラクター同士が出会い、共闘するシーンが楽しめます。これはファンにとって夢の共演を実現する舞台ともいえるでしょう。
3. 深いテーマ性
マルチバースは、自己のアイデンティティや運命に対する問いを深く掘り下げるきっかけにもなります。「私たちの選択が未来をどう変えるのか」という普遍的なテーマが、作品に深みを与えています。
今後の展望
マーベル・マルチバースは、コミックスだけでなくMCUでも重要な要素となりつつあります。『アベンジャーズ:シークレットウォーズ』などの新作映画では、さらに壮大なスケールの物語が展開されることが期待されています。
まとめ
マーベル・マルチバースは、ファンにとって無限の想像力を掻き立てる素晴らしい世界観です。これまでに描かれてきた物語を振り返りつつ、新たな次元への旅に期待が高まります。あなたもこの壮大なマルチバースの冒険に参加してみてはいかがでしょうか?
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241210 STRETCH
ブッダが苦行続ける中で「ちげーなこれ、意味ねーわ」なったように
働くことってそんな意味ねーなー、と―
まあ、全力で働いたことある人間だけがそれを言う権利あるってのはありますが
最終的には「意味ねーなこれ」が正しいでしょ
なんもやりたくない。自然の流れに身を任せて滅ぶなら滅んでいい
そういう意識をデフォにしておくのが自然かつ健全であり
その上で「ツッコミどころ満載のことやってる他者」を観測し
「なにあれ?! 面白い! 自分もやりたい」ってなって、やる
そんでまた「んー... 意味ねーなこれ!」ってなってやめる
ツッコミどころってのは、慣れれば「普遍」になっちまう
そのネタは前も観た。その奇異性は知ってるからもはや奇異たりえない
ってなる。要するに飽きる
だから常に新しい「メチャクチャ」を欲してる
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メチャクチャとは「反知性性」であり「詭弁性」のことである
まあ、こんな事言ってられるのもなんだかんだ言ってバッファがあるから
マジで貯金や資産なくなったらこんな事グダグダ言ってる場合じゃなくなる。なんでもいいから仕事くれ、ってなる
そこまで堕ちたことはぶっちゃけないし、その破滅リスクをくれるアンコントローラブルな存在ももういない
うん。なんだかんだ言って突然家族が築いた借金をガンッ! と負わされるリスクと隣合わせだったところが、がむしゃらにやるしかないという気力に繋がってたんだな
なんて寝ぼけたやつだ、私は。別に日本なんて全然安泰じゃあないぞ。いつ他の国のような混沌に陥るかわかったものではないぞ
そう自分を脅してみても、流石にそこまでリアルな絶望のエミュレーションってものは出来ないんだけどさ
かったるいタスクは問答無用に切り捨てていくか
・
例えば打ち上げや飲み会。行ったら行ったでそりゃ楽しい。けど、行けば必ず数日グダるんだわ。グダっていいシーズンならさておき今はそうじゃあない。だから行かない
そーいうのは独りカラオケで十分。自分で能動的に「切り上げられる」息抜き以外すべきではない。今はなー
あとは花の水やり。これは自動化できたらするが、面倒ならそもそも植物は育てない
同じ流れでペットも飼わないってなりそうだが、ここ��飼った方がいい。それを飼う為に自分が家にいなくても代わりに世話をしてくれる人間を用意し、その人間と友好な関係性を維持する。そうする事で社会性が維持できる
まあ、同軸で扱うのもなんだが「子供がいる」ことでも当然「他者に頼る」ことになるので同様のエフェクトが発生する。けどこっちはあまりにも「周囲に受け入れられて当然」なところあるっつーか、得られる支援のバリエーションが尋常ではないので言うほどプレッシャーってもんは発生しない
・
やってもやんなくても大して「社会性」が向上せず、自分の時間を無駄に奪うコストにしかならんものは徹底的に排除する
「(生き物への)愛をシェアする機会」は大事だが「(自分の弱さ由来の)甘えを吐き出す機会」ってもんはそんなに要らんと思う
定期的に自己診断しないと弱体化を肯定し甘えまくってしまう
そんなベタな自分は面白くない
ああ、そっか。意味ねーかもしれないけど意識的に「苦行」してるやつってバカみたいで面白いんだわ
大抵の人が意味ねーと思うこと全力でやり続けた方が「面白がられ率」高まってバッファがどんどん稼げるんだわ
やっぱ人を楽しませるには本能を手続き的に拒絶しつづける「バカ」になんないとだねー
おっけおっけ、負荷上等、メチャクチャ上等で問題なし
【✓】
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8月9日ムーミンの日に「ビクトリノックス ムーミンコレクション」が日本限定で発売。
時代を超えて愛されるビクトリノックスとムーミンのコラボレーション
ビクトリノックス ジャパン株式会社は、2024年8月9日(ムーミンの日)に「ビクトリノックス ムーミンコレクション」をビクトリノックス直営店舗、およびビクトリノックス公式オンラインストア��天市場店、Yahoo!ショッピング店、Amazon店、その他のムーミンショップで販売いたします。
▼ご購入はこちら▼
・全国のビクトリノックスショップ ・ビクトリノックス 楽天市場店 ・ビクトリノックス Yahoo!ショッピング店 ・ビクトリノックス Amazon店
ビクトリノックス ムーミンコレクション
フィンランド人の画家であり作家であるアーティストのトーベ・ヤンソンによって生み出された「ムーミン」は、書籍が55カ国以上に翻訳され、ムーミンたちの愛すべきキャラクターと物語は世界中で愛されています。
ムーミンの物語は時代を超えた価値観や寛容さを持っています。ビクトリノックスも140年にわたり、常に品質と革新を追求し続け、世界中で愛されるマルチツールを作り続けています。時代を超えて普遍的な価値を持つ、ビクトリノックスとムーミンのコラボレーションが実現しました。
商品詳細
ビクトリノックスのアイコニックなマルチツールは、コンパクトなフォルムの中にさまざまな専門的な機能を備えており、日常のあらゆる状況に最適に対応できます。まるで、いつも必要な物を詰めて持ち歩いているムーミンママのバッグのようです。
このマルチツールに、トーベ・ヤンソンが精力的に創作活動を行ったムーミンのアートを繊細に表現しました。 ビクトリノックスのアイコンであるマルチツールに加えて、折りたたみ式のピクニックナイフとカッティングボードも発売します。
マルチツール
「クラシックSD」 全3型 (スモールサイズ) ¥4,180(税込)
クラシックSDは、コンパクトなデザインと優れた機能性により、日常使いに最適なツールです。
今回、ムーミントロールやリトルミイを中心にストーリー性のあるデザインが施されました。
58mmという小さなハンドルの中に、ブレードやハサミなど、日常生活でのさまざまな問題を解決するツールが詰まっています。
●サイズ 5.8 × 1.8 × 0.9 cm , 21g
●機能 1.スモールブレード(小刃) 2.つめやすり 3.マイナスドライバー 2.5mm 4.はさみ 5.キーリング 6.ツースピック(つまようじ) 7.ピンセット
「クライマー」全3型 (ミディアムサイズ) ¥9,900(税込)
マルチツールの原点となるモデルである「オフィサーズ&スポーツナイフ」の伝統を受け継ぐ「クライマー」は、ムーミントロール、スナフキン、ニョロニョロをモチーフにしています。
ブレードやハサミ、缶切りなど切れ味が鋭く、頑丈で使いやすい14の機能を備えたマルチツールは、デスク周りをシンプルかつクリーンに保つのに便利です。また、アウトドアや防災グッズとしても役立ちます。
●サイズ 9.1 × 2.7 × 1.8 cm , 81g
●機能 1.ラージブレード 2.スモールブレード 3.カン切り 4.マイナスドライバー 3mm 5.せん抜き 6.マイナスドライバー 6mm 7.ワイヤーストリッパー 8.リーマー(穴あけ)、千枚通し 9.コルクせん抜き 10.はさみ 11.マルチフック 12.つまようじ 13.ピンセット 14.キーリング
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カトラリー
「ピクニックナイフ」 2色展開 ¥4,400 (税込)
ムーミン一家と仲間たちが行進する、かわいらしい姿をブレードに描きました。折りたたみ式の波刃のペティナイフは、お肉や野菜、パンなどをきれいにカットするのに便利です。アウトドアシーンでも活躍するナイフです。
「レッド」と「ブラック」の2色展開です。
●サイズ 23 × 2.4 × 1.3 cm(刃渡り11cm) , 42g
「カッティングボード」 2色展開 ¥6,600 (税込)
ムーミン一家と仲間たちが行進する、かわいらしい姿を描きました。 ウッドファイバー製のカッティングボードは、木のぬくもりを感じながらも、食器洗浄機での使用が可能であり、機能性と耐久性を兼ね備えています。
サービングボードとしても活用でき、チーズやハムなどを盛り付けて食卓で提供するのにもおすすめです。
「ライトブラウン」と「ブラック」の2色展開です。
●サイズ 23 × 29 × 0.5 cm , 250g
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何かを動かすたびに、その物質が通過するもの (表面、水、さらには空気) と接触すると、熱への変換によってエネルギーの一部が失われます。 この概念を摩擦と呼びます。 そして直感的には、途中で何らかの抵抗を克服しなければ何も達成できないことを意味します。 摩擦には 2 つの異なるタイプがあります。 ���ーブルの上にある物体を考えてみましょう。 物体を動かし続けるのに必要な力よりも、最初に物体を動かすのに大きな力が必要です。それは、物体の静摩擦が動摩擦よりも大きいためです。 オブジェクトを動かし始めると、動き続けるよりも大きな抵抗がかかります。 驚くべきことに、運動フェーズ に到達し、物体が動き始めると、速度が増加しても摩擦は増加しません。 これらの現象を科学を超えて一般化して、私たちが推定できるいくつかの普遍的な真実を次に示します。 ・抵抗に遭わずに何かを前進させることは不可能です ・前進を続けるよりも、前進を開始する方が抵抗が大きくなります ・一度動き始めたら、速く進むほど摩擦は問題ではなくなります
スケールしないことをする。 スタートアップの古典的な部分を探る… | ニル・ジッカーマン著 | 中くらい
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権力勾配があるので権力には差別しても差別扱いにならないのです。男は生まれた瞬間から権力者なので差別してもなんら問題はないのです!!!とかいうのが正しいフェミニズムというならそんなフェミニズムには絶対に賛同しません。権力勾配なんぞ時と場合によってコロコロ変わるもので絶対普遍ではありません。たとえば親権なら母親が異常なレベルで有利な立場を公権力によって確保されているのでその場では女性が勾配的に上にいます。なら男性はその案件では弱者なので無条件に言うこと聞いてくれますか?って話に。
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「悪は存在しない」 感想
山間の町と暮らしとささやかなドラマと...
タイトルどおり「悪は存在しない」
みんな生きて生活を守るのに必死だし、コロナとか山とか多様で豊かで壊れやすく頑強で時に残酷な自然に囲まれて生きている。というように普遍的なテーマのような気もしたけど、もっとこじんまりとした話なのかも。
わりと言いたいことをしっかり印象的な台詞で言ってくれるから、あんまり戸惑わずに見れた。
移り変わる視点にびっくりしたり、同じシーンをずらして繰り返したり、現実らしいシーンにうっすらフィクションを混ぜ込んだり、劇映画として作りこむからこそ描けるものや楽しさがあって、映像作品として楽しかった。
最後、フィクションとして急に突き放された!
最後の展開は急で、自分にはよくわからなかったけれど、全体を通して工夫されたいろいろな視点と構成で深まっていく山間の町の情景をたっぷり見られたのはよかったし、そこにある現実をいたずらに「社会問題」としてものものしく語ったりエンタメとして消費しない思慮深さはいいなと思った。
生業が謎な「便利屋」とか鹿が生き物というより抽象性が強いこととか、視点において地域の生活者というより絶妙に「都会の映画」だよなと感じた。どこか都会的でクールな残酷さが強く出ていて、だから最後ああなったのかな...
コミュニケーションでは解決できない断絶とか均衡とか、突然の暴力に対する理屈もいろいろつけられるのだろうけれど、そういう理屈をつけて理解しようとすることも含めて突き放したいのかなという気もする。
現実との接続を持って描いていたものを、最後一気に絶ち切って劇映画的になってしまうのは、楽しいようななんとなく残念なような。これは好みの話だけれど。
ラストの展開が気になって、いくつかインタビュー記事を読んだなかから。Vシネマや北野映画の影響もあると話していて、なにか腑に落ちた感じ。
どんな理不尽も断罪も平衡もありうるのだとしても、自分は都会で生活しているので、「さみしい」とちゃんと言えて、どんな形であれもがいている人には、映画の一観客としてまだ続きがあってほしいなと思いました。
余談だけれど、優雅な映画館で見たので、不条理系や高尚アート映画の予告をたくさん見ることになり、Lorelei and the Laser Eyesへの機運が高まったのでよかった。
「美しき仕事」と「墓泥棒と失われた女神」と「夜の外側」はローレライで出てくる映画っぽいし、ふつうに気になるので公開まで覚えてたら見てみよう。そのまえに「去年マリエンバートで」を見たいけど。
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B-T TRAINに何度でも
ボーカルのタニグチです。
もし、日本の男性ボーカルで最も影響を受けたのは誰かと問われたら、それは間違いなくBUCK-TICKの故・櫻井敦司氏であると答えられます。過去に制作したあの曲にもこの曲にも、櫻井敦司の血が通っているなとしみじみ思うこの頃です。
とはいえ、BUCK-TICKおよび櫻井氏の熱狂的なファンであったかというとそうでもなく、数年に一度よく聴く時期がある、という距離感の気安いリスナーでした。ちなみに、BUCK-TICKファンと思しき知人・友人もいません。
わたしがなぜそのように周期的なリスナーであったかというと、BUCK-TICKの音楽性がアルバムによって全く異なるというのが一番の理由だと思います。
不動のメンバー5人で、35年間コンスタントにアルバムを発表し続ける一方で、その音楽性が安住の地を見つけることはなかったようです。攻撃的なハードロック、おとぎ話のようなダークポップ、耽美なゴシックロック、ほとんどギター弾いてへんやんけドラムンベース等、本当に同じバンドかしらと疑うくらい、BUCK-TICKの世界観は常に変容し続けていました。
化け物のようだ、と心底思います。
そんな化け物バンドの中で、やはり化け物であった櫻井氏のボーカルは一切衰えることなく、年々深みと繊細さを増し、常に現在が最盛期であるかのようでした。その素晴らしさや、彼が喪われたことを、わたしのようなリスナーは言葉に尽くすことができません。
そこで、大変に勝手ながら、「BUCK-TICKってちゃんと聴いたことないな」という方を想定して、YouTube上の公式音源の中から、代表的なシングル曲をいくつか挙げてみようと思います。
※BUCK-TICKは頻繁にレコード会社を移籍している都合、2000年~2010年代���半頃の楽曲については、公式音源がYouTube上に存在しないようです(名曲揃いなのに!)。選曲にはやや偏りがあることをご承知おきください。
① 幻想的なギターロック
『MISS TAKE ~僕はミス・テイク~』(2012年)
youtube
インダストリアルとゴシックとテクノがギターロックに調和した、最もBUCK-TICKの遺伝子を感じる曲のひとつ。歌詞はギターでメインコンポーザーの今井寿氏によるもので、切れ味鋭い短文が連なっています。
「悲しい曲を上手く歌うおまえ」
「永遠さえ追い越してゆく
本当に自由な天使」
まるで、櫻井氏のことを描いているようだと勝手に思っていました。一番好きな曲です。
② 異端のドラムンベース
『ヒロイン』(1997年)
youtube
不気味さと疾走感を目一杯詰め込んだ、テクノ全盛期を象徴する曲。わたしがBUCK-TICKを聴くようになったきっかけの曲でもあります。
この曲が収録されているアルバムのタイトル『SEXY STREAM LINER』は、「最新型の流線形」という意味で名付けられたそうです。確かに、ボーカルもギターも曲線的なフレーズを多用しています。ツインギターのロックバンドであるとは信じがたい、混沌とした打ち込みっぷりは未だに新鮮です。
③ ザ・星野英彦ワールド
『ミウ』(1999年)
youtube
今井氏と対をなすギタリスト、星野英彦氏の世界観を顕現した、アルバム未収録の人気曲。普遍的で美しいコード進行から一度も外れることなく、淡々としたアコースティックギターのバッキングの上に、櫻井氏の話しかけるような歌が重なります。
星野氏が作る、どこまでもシンプルで優しい曲もまた、BUCK-TICKの核心であるようです。
④ 重厚なゴシックロック
『BABEL』(2018年)
youtube
力強いベースのリードの上で、まるで魔王のような、低く深く響きわたる櫻井氏の美声を堪能できます。
「頽(ぐずお)れて尚 我はBABEL
月光よ愛せ」
という歌詞が衝撃的です。月光に愛を命ずるとは、なんという不遜。ちょっとやそっとでは出せない壮大な重厚感なので、『ミウ』の後に聴くと気圧差でどうにかなりそうです。
たぶんギターのことをシンセサイザーだと思っている今井氏の弾きっぷり(弾いてない)も面白いです。
⑤ 正気を疑うダンスロック
『Go-Go B-T TRAIN』(2021年)
youtube
は? これ(2021年)で合ってる? と誰もが目と耳を疑った、原点回帰的ダンスロックチューン。ピンと来ない方は、レッチリが『Run! Run! RHC』という新曲をリリースしたと想像してみてください。正気の沙汰ではないと思���れませんか。
BUCK-TICKにおいて、正気の沙汰ではない曲は枚挙に暇がありませんが、シングル曲のタイトルはここ20年間正気だったように思います。なのに、まさかのアラ還で『Go-Go B-T TRAIN』。
ファンを裏切り続けるという点でファンを裏切らず、梯子を外すことを恐れないバンドの意欲に脱帽せざるを得ません。今井氏は絶好調にノイズを鳴らしています。
タイトルの通り、歌詞はほとんど言葉遊びのようです。
「片道だけの素敵なTRIP
サヨナラネ地球 アナタトチューリップ」
文字だけを見ると、韻を踏んでいるんだかいないんだかよく分かりませんが、「TRIP」の部分は「チューリップ」と発音されています。自由が過ぎる。
しかし、バンドマンならこれくらい自由でありたいものです。
今井氏は、櫻井氏の訃報に際して、「ずっと、あっちゃんの横でギターを弾いていたかった」とおっしゃっていました。
わたしも、B-T TRAINにいつまでも乗っていたかったなと思います。これからも、気まぐれに、何度でも乗ろうと思います。
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政治というのは命がかかった死活的な問題だと言うことを忘れてはならない。言葉による調整ができなければ力によって調整されることになる。これは人類普遍の法則だ。 偽りの民主主義で国民を欺く自民党。選挙によってより多くの人が納得できる国家体制を構築できなければ、暴力的な傾向は今後も増していくだろう。非暴力の内に体制移行ができることを願うばかりだ。
自民党本部に“火炎瓶”投げ込まれる 総理官邸に車で突っ込もうとして逮捕(TBS NEWS DIG Powered by JNN)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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三連休で山笠も終盤、街が賑わいますね。僕らも負けじと働きます。今日は「日野明子の仕事・13」より、新潟燕・一菱金属の仕事あれこれ。昨年僕も燕を訪ね、一菱金属の江口広哲さんに工場(こうば)の連携でものができあがっていくあり方を案内いただきました。ほんと面白いんです。
ふだん当店では一菱金属の”conte” @conte_tsubame シリーズのうち、トングや薬さじを中心に取り扱っていますが、立ち上げに強く関わった日野さんの会ですので、今回はボウルやバット、オイルポットなどなど取りそろえてお待ちしています。
まずはボウルとオイルポット。日野さんからのコメントは、以下の通り。
conte まかないボウル
キッチンボウルの新しいスタンダード
普遍的で特徴の出しにくいアイテムを、日々の調理の名脇役として、より使いやすくするための問題点を見つけるところから始まったシリーズ。
・衛生面(粉や菌が残らないように洗える)に気を使い、
・縦長で場所をとらず、贅沢な板厚で縦長だが安定感も併せ持ち、
・同じサイズを重ねてはまり込まず、小さく見えるが容量は十分にあり、
・径が狭いので泡立てが早く、汁切れも良い…
など細かいが、使い勝手に影響する事項をクリアし、その機能が美しいプロポーションに集約された。これからのスタンダードと言われるべく誕生したキッチンボウルです。
ボウルに合わせて、出来上がった、丸いバットと平たいザル。
・丸バット+平ザル = 隙間が空く構造です。→ 豆腐などの水切り、魚の臭み取りなどに。
・ボウル +平ザル = ザルを抑えて逆さにすれば、野菜などの水切りに。
・ボウル +丸バット = 蓋として、一時保管できます。もうワンセット載せて、作業スペースの確保もできます。
・ボウル +平ザル = 蓋をしたいけど、密閉したくない、サラダの保管などに。
conteこします
垂れにくいオイルポット
「オイルポット難民」という人がごまんといると知り、開発されました。出来上がったのは、<300cc>入りという通常より小ぶりのもの。シンプルな構造。そして「垂れにくい」注ぎ口。長年、究極のオイルポットを探してきた人にも満足いただいています。大サイズは<出汁漉し>に重宝します。
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【書評】
キーワードは「ありがとう」と「もののあはれ」
光源氏は「ありがとう」と言ったことはなかった。なぜ?
♪
尾崎克之『ありがとうという品性』(啓文社書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
日本人は平均して一時間に一回の割合で「感謝の気持ち」を「ありがとう」と表現している。ところが国語本来の意味は「ありえない」、つまり「世の中にありえない」という意味であるト冒頭から目から鱗だ。
「ありがとう」を漢字でかくと「有り難う」となって、つまり「ありえない」という意味になる。不思議なことを誰も疑問としなかった。いつから「ありえない」ことが「感謝の言葉」となったのか、著者は古語の由来を求めて、古事記から源氏物語、徒然草を読みこなして源流を求める。
源氏物語の主人公である光源氏は一度も「ありがとう」を言っていない。
英語のTHANK YOUは語源的にTHINKと同じで「あなたとのことを思っている」という意味だから日本語とはニュアンスがことなる。
また『源氏物語』に頻用される「ありがたし」は感謝のニュアンスよりネガティブな表現で用いられている。「めったにないほど優れている」「またとなく尊い、おそれ多い」という形容で遣われているのだ。
そして古事記、風土記、日本書紀、続日本紀にはまったく登場しない(ただし現代語訳で「かたじけない」の箇所を「ありがたい」とした事例はある)。
『万葉集』のなかで「ありがたし」の登場は大伴家持の長歌一ヶ所にあるのみ、それは「すぐれたもの」という意味で「ありえない」」の感嘆を形容している。
中国語は謝意をあらわすのは「謝々」、たいへんありがとうは「多謝」である。
本書を国語の文化防衛論かと思って読み出すと、古典歴史書の考察からやがて『源氏物語』を軸に本居宣長論となって、幅広い文化防衛論となってゆく。著者は「歴史観測」の主宰者である。
本書で尾崎氏は「ありがとう」の日本語としての普遍化は明治時代の後半からであったことを調べ上げた。尋常小学校の国語教科書が嚆矢で、当時の『言海』にも「ありがとう」は収録されていない事実を見つけ出した。その改訂版『大言海』、つまり昭和三年版から「ありがとう」が挿入された。
それまで感謝を表す語彙はなんであったかと言えば「かたじけない」だった。
ところが、切支丹バテレンの宣教師たちが日本にやってきて西国大名と織田信長の保護を受けた時代に、宣教師たちは日本の精密な情報を集めた。
日本の秘密を知るには日本語をマスターする必要があり、ロドリゲスは西暦1603年に『日本ポルトガル語辞典』(日葡辞典)を刊行した。そのなかにARIGATAI(ありがたい)という項目があって「神聖なこと、感謝すべきこと、勝っていること」の意味だとしている。ただし、刀鍛冶の感動語だったらしく、解説がない。当時も感謝をしめす主流は「かたじけない」であった。
なるほど、「有り難う」は近世、近代どころか現代で普遍化したことがわかる。
次に問題となるのは「もののあはれ」である。
もちろん、中国語では表現できない、おくゆかしい語彙だが、最初に用いたのは紀貫之でどうやら本居宣長ではないようである。
或るとき、評者(宮崎)が石平さんと議論になったのは中国語で「もののあはれ」を如何に表現するのかという議論から、ならば「やさしい」とは中国語でどう充てるかを聞いた。
「あの人を好きなのは『やさしい』から」と日本女性が言うが、中国語で恋愛の台詞はどういうものがあるかと言うと、「カネがあるか」、「家がアルカ」、「クルマは何にのっていて、所得はいくらか」とすべて即物的である。
ついでに言うと「嘘」という漢字は中国にもあるが、日本語の嘘の意味はない。中国で「嘘」と書くと「お黙り、しずかに!」という意味である。全員が嘘つきだから、日常の人間の状態を表現する必要はない。とびぬけた嘘つきは「詐話」、或いは「詭話」という。
閑話休題。
「もののあはれ」の日本文学における初出は紀貫之の土佐日記で、『舵取りのもののあはれもしらで。。。。』だという。解釈は「赴きもわからないで」と訳されているが、「和歌を応酬する技術や習慣がないために」、雅ではない人間という意味になるらしい。空気が読めないということだろう。
宣長の専売特許かと思われてきた「もののあはれ」は、「もの」(存在)���あはれ(あれこれ)というニュアンスであり、源氏物語を講じていたおり宣長は『紫文要領』のなかで、次を書いた。
「世の中に有りとしあることの様々を見るにつけ耳にきくにつけ、身にふるうにつけで、其よろすの事を心にあぢはへて、そのよろつの事の心をわが心にわきまへしる、其事の心を知る也、物の心をしる也、ものの哀れをしる也」
もののあはれとは「世の中、こういうことだ」「よのなかのありかた」だと哲学的解釈に飛躍したのが現代である。
したがって著者はこうまとめている。
宣長の方針によれば「もののあはれ、つまり『私』がどうこうしたところで仕方がない『世の中』という世界観は、『源氏物語』の時代をさらに遡り『古事記』の中、おそらくは日本神話の中にみることができる可能性があります」。
そして宣長は源氏物語の研究から、古事記研究へと驀進をつづけることとなり畢生の代表作となる『古事記伝』を書いた。
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バイト、サボり、逸脱
コンビニの店員同士がレジでなにやら話し込んでいる。若い男女の店員。炭酸飲料を手にした自分がレジに向かうと、会計するために会話は中断された。商品のバーコードを読み取り、クレジットカードの決済を済ませる。会計が終わるや否や、矢継ぎ早に「それでさ」とすぐに会話は再開された。女はストーリーを続け、相手の男は聞き役に徹している。断片でしかない話が、だんだん輪郭を成していく。自分はすぐに立ち去ったのだけど、なんだかすごくよかった。
アルバイト勤務の最中、シフトがいっしょになった相手と他愛もない話をする。それはちょっとした息抜きであり、ささやかな”サボり”だ。仕事から逸脱し、勤務時間が離散していく。労働という一義的な意義が、そこでは溶解し、変容する。こうした逸脱が自分の生活には足りてないなあ、とふと思った。
コスパ至上主義が度々批判される。批判する際、もっとも留意すべきは、この逸脱や離散のことではないだろうか。コスパ至上主義には、逸脱も離散もない。つまり変容がない。アルバイトの勤務中に、ただひとつの私語も禁じて業務に徹するような退屈さが、そこにはある。ときに役割を放棄し、正しさを投げ捨てること。そんなとき人は空白に立つ。自由というのは、本質的にはそうした空白への転落ではないだろうか。意味からも意義からも離脱し、その余白で宙づりになる。そうした空白に耐えられないから、人は合理性やコスパを要求する。
多かれ少なかれどんな人も、合理性やコスパに支配されている。一定程度のルーティン的な秩序がなければ、生きていくことは不可能だ。そうした秩序の一群は行進を成している。一方、そこから離脱する時間があり、人間がいる。その”まだら”こそ��多様性だ。”多様”とは、イデオロギーの相違のことではない。それは美学のような個人的問題でもないし、倫理のような普遍的問題でもない。多様とは、そうしたあなたのイデオロギーも美学も倫理も、露ほどにも感知しない他人がそこかしこにいるということ。あなたのゲームボードに、ほとんどのプレイヤーは参加していないということ。
ふいに時間が途切れる。スイッチが切り替わる。そうした契機は、寛容さを担保するための条件でもある。集中や注視は、継続にしか与しない。議論が問題を解決することはないと経験的に知っていながら、議論を続ける。そんなプールは窮屈で、泳ぐに十分ではない。このことをよく肝に銘じておこうと思う。
ギターの練習をしていると度々あることなのだけど、どれだけ練習しても指先の覚束なかった演奏が、忘れたころにふとマスターできていることがある。ひとつの課題から時間的に離脱し、それによって脳神経のマッピングが再配置され、スムーズに演奏できるようになる。そうした飛躍は集中からは起こらない。離脱や分散から起こっている。ひとつの時間に執着するかぎり、変化は望めない。関係のないものが関係を持ち、まったく別々の対象が類似をなしていく。そのためには時間的な分散が不可欠になる。
先日こんなことがあった。東京ディズニーランドを訪れた際の妙な居心地の悪さが、しばらく心に滞留していた。それでそんな心持ちもすっかり忘れたころ、沖縄の米軍基地についてのニュースを読んだ。ディズニーランドと米軍基地。まったく異なるふたつの位相が、なぜか心中で響き合う。敗戦国の駐屯地としてのディズニーランド。そんな見立てがふいに生まれる。そうした脳神経のマップを新たに生み出すためには、時間的な分散が不可欠だった。新たな視点を生み出すための鍵は、いまこの場からの離脱にこそある。このことを肝に銘じようと思う。
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2023年8月26日
【新入荷・新本】
A Magazine Curated By Sacai, A Magazine Curated By, 2023
Softcover. 200 pages. 230 x 295 mm. Color, black and white.
価格:6,600円(税込)
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『A Magazine Curated By』は、sacaiの創設者兼デザイナー、阿部千登勢を第25号のゲストキュレーターとして迎える。
家族や友人、アーティスティック・コラボレーター、ファッションブランドなど、作者と親しい様々な面々に寄稿を呼びかけ、200ページに渡り文化的かつ創造的なコンテンツを展開する。
ウルトラマリンブルーが彩る先駆的なイメージを表現したカバーと、英語・日本語の両方でコンテンツを紹介する本誌は、 #sacaiTHEpeople を用いて東京からロサンゼルスまで国際色豊かに見せるポートレートシリーズから、シェフ、工業デザイナー、建築家、アーティスト、ライター、ビジネスアナリストによるコミッション・プロジェクトまで、sacaiの背景にあるそのコミュニティとハイ・コンセプトの世界に迫る。ミニマリスト建築やアップサイクル工業デザインといった物質的な問題から、CGI製品やAI(人工知能)によるファッションルポといった無体の可能性まで、阿部はsacaiのコラボレーション精神を、ハイブリッドや「安心と裏切り」���いうブランドの柱に様々な方法でアプローチする、きわめて現代的なドキュメントへと注ぎ込んでいる。
主な収録内容:sacaiの著名な友人やコミュニティが私物コレクションを身にまとい、一流のフォトグラファーたちによって彼らの本拠地で撮影された国際的なポートフォリオのページでは、ラシダ・ジョーンズ(Rashida Jones)、忽那汐里、エディソン・チャン(Edison Chen)、チン・シューペイ(秦舒培 / Qin Shupei)、ドクター・ウー(Dr Woo)、窪塚洋介、ミシェル・ゴベール(Michel Gaubert)、カール・テンプラー(Karl Templer)、サラ・アンデルマン(Sarah Andelman)、ザ・ルーツのブラック・ソートことタリク・トロッター(Tariq ‘Black Thought’ Trotter)などの著名人が登場。
カール・テンプラーがスタイリングを担当し、ファッションフォトグラファーのクレイグ・マクディーン(Craig McDean)がオーストラリア人モデルのジュリア・ノビス(Julia Nobis)をニューヨークの街中で撮影。2023年秋冬コレクションとカルティエ(Cartier)、阿部千登勢により誕生した限定ジュエリーコレクション CARTIER TRINITY FOR CHITOSE ABE of sacaiをフィーチャーし、写真家エドワード・マイブリッジ(Eadweard Muybridge)にインスパイアされたファッションストーリー。
アート、建築の話題を中心とした東京発のインディペンデントマガジン『TOO MUCH Magazine』とのコラボレーションでは、sacai の旗艦店 sacai Aoyamaの大規模な改装をそれぞれ手がけた日本の著名な建築家、藤本壮介と関祐介への詳細なインタビューを通じて、sacaiと建築とのつながりを探る。
アメリカ人コンセプチュアル・アーティスト、ローレンス・ウェイナー(Lawrence Weiner)へのオマージュとしてキュレーターのハンス・ウルリッヒ・オブリスト(Hans Ulrich Obrist)との新たなインタビューと、ウェイナーとの歴史的な対談を収録。ウェイナーとは、 sacai の2018年春夏メンズ・コレクションでコラボレーションを果たしている。
「食」のストーリーの三部作『saCOOKBOOK』では、京都の老舗和菓子屋である とらや、ミシュラン二つ星シェフ成澤由浩、ニューヨーク・ブロンクスを拠点にする3人組のフードコレクティブ・ゲットー・ガストロ(Ghetto Gastro)が本号のために制作した、コンセプトと料理で構成されている。
巻頭では、阿部千登勢とsacaiのクリエイティブ・アドバイザーを務める源馬大輔に、東京を拠点にするカウンセラー、ジョセフィン・クレイトン(Josephine Creighton)が前代未聞のインタビューを実施。2人のクリエイティブ・コラボレーションを心理学の観点からアプローチする。
ハーバード・ビジネス・スクールの大学院生ショーン・ホーヴァス(Shawn Horvath)とステファニー・フェイ(Stephanie Fei)が実施した、ナイキとのアパレル&フットウェアのコラボレーションの進化に関する詳細なビジネスケーススタディと市場分析も掲載。
ダンスとファッションの世界を融合させ、数々の受賞歴を持つビートダンサーのソラキ(The D Soraki)が、カーハート(Carhartt WIP)やモンクレール(Moncler)とのコラボレーションを含むsacaiのボリューム感のあるデザインを身にまとい、東京・新宿のストリートで踊る姿をフォトグラファー、ROLLSWYZEが撮影している。
また、本書には、イギリス人ファッションフォトグラファー、クレイグ・マクディーンによるプリントが1枚差し込まれている。
コントリビューター: 鈴木親、クレイグ・マクディーン、源馬大輔、ダニエル・アーノルド、ドクター・ウー、エディソン・チャン、ゲルチョップ、ゲットー・ガストロ、ハンク・ウィリス・トーマス、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト、ジャック・ピアソン、ジャン・トゥイトゥ、ホアキン・ラギンジ、カール・テンパー、内藤カツ、キース・オシロ、川谷光平、ローレンス・ウェイナー、マーヴィン・ルーヴェイ、ミシェル・ゴベール、ヌーア・ウヌ・スタジオ、パブロ・ズレト・ザール、ピクゾー、ラシダ・ジョーンズ、ROLLSWYZE 、ローリー・ファン・ミリンゲン、サラ・アンデルマン、忽那汐里、秦舒培、藤本壮介、ホンマタカシ、ブラック・ソートことタリク・トロッター、ソラキ、とらや、ヴィンス・アウン、辻村慶人、成澤由浩、窪塚洋介、関祐介 他
sacai: ハイブリッドの発想を組み込み、ニットと繊細な織素材など、対照的なテクスチャーのファブリックを組み合わせ、パターンを再解釈し、予想外のフォルムとシルエットに洋服を変化させる。コレクションがフェミニンな様相を呈する一方、阿部の関心は、独特でありながら普遍的、そして革新的で実験的な服作りに傾倒し続けている。自身をとりまく日々の生活や、周囲の人々を観察することからインスピレーションを受け作られるコレクションは、ベーシックでクラシカルなアイテムを崩し変化させながら、独特のエレガンスを放つ。ある特定の機会だけでなく、様々なシーンにおいて成立するアイテムに仕上がっている。
2009年春夏よりsacaiのメンズコレクションをスタート。ウィメンズコレクションと同様の哲学とアプローチに基づいて、綿密さとさりげないエレガンスを併せ持つ、定番アイテムを展開する。
2009年10月より、パリファッションウィークでウィメンズコレクションのショーをスタート。現在はウィメンズ、メンズともに各シーズンの最新コレクションをパリで発表している。
2011年9月に東京・南青山に初の旗艦店をオープン。阿部は、自然と人工物、外と内、新しいものと古いものなど、相反する要素を統合した作品で知られる建築家、藤本壮介に強く共感し、タッグを組んだ。2022年に改装され、2023年4月、日本人建築デザイナーの関祐介による新たなコンセプトでリニューアルオープン。
sacaiは、東京以外でも、香港、北京、ソウルに店舗を展開し、世界各地のセレクトショップや百貨店などで取り扱われている。
(twelvebooksによる本書紹介文)
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