#時代祭2015
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koch-snowflake-blog · 1 year ago
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yunocyは、日本のストリーマー、グラビアアイドル、タレント、YouTuber。静岡県出身。G-STAR.PRO所属。ニックネームは「ゆのしー」。 ウィキペディア
別名義 水沢柚乃(旧芸名)
生年月日: 1998年2月20日 (年齢 25歳)
出生地: 静岡県
TV/映画: ヨエロスン、 ほっぷすてっぷじゃんぷッ!、 ほっぷすてっぷじゃんぷッ!2、 ほっぷすてっぷじゃんぷッ!、 ほっぷすてっぷじゃんぷッ! 2、 初恋スケッチ~まいっちんぐマチコ先生~、 Hatsukoi Sukecchi: Maitchingu Machiko Sensei
カップサイズ: D
スリーサイズ: 82 - 58 - 83 cm
デビュー: 2015年
事務所: G-STAR.PRO
高校時代は学内の誰ともしゃべることができず、修学旅行、文化祭なども欠席。ゲームセンターに通い詰め、そこでは「オタサーの姫」状態だったという。
得意ゲームはサウンドボルテックス、ドラムマニア、ユビート、ダンスダンスレボリューションなど音楽ゲーム全般。シャドウバースなどカードゲーム、ストリートファイ��ーVシリーズ。帰宅後、朝10時までゲームをするという自他ともに認めるゲーム廃人。グラビア活動よりゲーム番組出演が主なことから、ゲーマーなのに水着になっている「露出狂ゲーマー(グラドル)とも称される。
普段からよくTwitterを活用しており、Wikipediaの自分の記事を見た本人は「ウィキペディアの地雷臭すごいからもっとなんかかっこよく書いてだれか;;高校時代は友人にも恵まれ〜芸能界に憧れ事務所に入った〜って書いてお願い誰か;;」と自身のTwitterアカウントで発言した。
2018年の雑誌掲載時には『職業:露出狂』と記述されている。
2017年12月から「#10秒グラビア」というタグでTwitterに動画投稿を開始。4か月で10万を超えるフォロワー獲得に成功した。フォロワーを増やすため周囲に相談した中で、広告関係者に10文字以内で数字とカタカナを入れたハッシュタグを入れた投稿をアドバイスされ、撮影会前の告知として行ったのがきっかけ。このタグはのちに他のグラビアアイドルも使用するようになっている。
特技はゲーム全般。趣味はゲームセンター通い、絵を描くこと、ラーメン食べ歩き、コスプレ。
2020年5月12日、ゲーム配信業界で話題となったJumpKingという、ただひたすら登るだけのゲームに挑戦。のべ27時間をかけて踏破した。 
  
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kennak · 2 months ago
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事件の経過 ※経過については、茨城県教育委員会の第三者委員会報告書(2019年)の内容に基づいて記述する。 いじめに関与した生徒は、女子生徒A、女子生徒B、女子生徒Cの3人だとされる。 自殺した女子生徒は成績上位で、またピアノを習っていて、校内の文化祭・合唱コンクールではピアノ伴奏者を務めたり他クラスのピアノ伴奏者が欠席した際には急遽代役を務め、また校外ではプロの交響楽団との共演コンサートをおこなったことがあるほどの実力だったという。ピアニストを目指し、音楽科の専門高校への進学を希望していた。同級生からも教員からも「争いごとなどを好まず、真面目で穏やかな性格」などとと評されていた。 3年進���の際、女性教諭(40代)が担任のクラスになった。小��校時代から仲のよかった友人とは別のクラスとなり、出身小学校も異なりそれまで特に接点がなかったとされる女子生徒Aと同じクラスになった。 Aはこの女子生徒に接近した。Aは生活指導面での課題が多い・乱暴な物言いが目立つとされていた生徒で、この女子生徒と一緒にいる様子には周囲から違和感をもたれていたとされる。 携帯電話事件 女子生徒は、2年の時に同じクラスで親しくしていて3年進級後にほかのクラスになった生徒とともに昼休みを過ごすグループを作り、そこにAが加わる形になった。しかしAが2015年6月、携帯電話でその様子の写真を撮影して無断でSNSにあげるなどの行動を取った。 そのことを把握した学校側は、校内持ち込みを禁止されている携帯電話を持ち込んだとして、Aに指導をおこなった。その際にグループの生徒についても指導をおこない、担任教諭はその場にいただけの女子生徒やほかの生徒についても「連帯責任」「近くにいただけでも、携帯電話を持ち込んだAと同じように悪い」とした。 携帯電話事件をきっかけに、昼休みを過ごしていたグループは「たまたまそこに居合わせただけなのにAの行為の巻き添えになった」という不満もあり、自然消滅する形になった。女子生徒もAと距離を置くことを図った。 しかしAが「この女子生徒から無視された」と言いふらすなどした。別の女子生徒Bもそれに同調した。女子生徒は「不本意な悪口を振りまかれたくない」と追い詰められ、Aに再接近した。 席替え事件 担任教諭は席替えの際、生活指導面で課題のある生徒の近くに、「その生徒の面倒を見る」生徒を配置する方策をとった。 女子生徒は、課題のあった男子生徒Dの隣の席になった。そのことで女子生徒とDが会話をするようになると、Dに好意を持っていた女子生徒Cが嫉妬し、女子生徒に敵意を向けるようになった。またA・BもCに同調し、女子生徒に対して、これ見よがしにひそひそ話をしたりなど、揶揄するような行動を取った。 休み時間にDと話したいからこの女子生徒が自席にいると邪魔とするCの要望を受け、休み時間になるとAとBがこの女子生徒を連れ回すようになった。 担任教諭は、その後の複数回の席替えでも同様に女子生徒をDの隣の席に配置し続けた。 その他のいじめ A・B・Cは、女子生徒に対してそのほかにも複数のいじめ行為をおこなった。 「くさや」とあだ名を付け、連日のように女子生徒のことを「くさや」と呼ぶ。 AとBが女子生徒のことを「くさい」などと悪口を言いふらし、ほかの生徒のところに女子生徒を連れて行って女子生徒の手のにおいをかがせ、「くさいんじゃね」などと中傷した。 体育の授業でバスケットボールのチーム分けをした際、Cが主導し、この女子生徒だけを故意に外すように仕向ける。 女子生徒の卒業アルバムに、AとBがこの女子生徒を中傷する文言を書き込む。 担任教諭の指導 女子生徒は従来は授業への遅刻などはなかったが、加害生徒A・Bに連れ回されるような形で、2学期以降は授業に遅刻してしまう状況も生まれた。担任教諭が担当する英語の授業に3人が遅刻した際、担任教諭はこの女子生徒だけを教卓の前に呼び出してクラスの生徒の前で叱責するなどした。 このクラスでは受験対策として放課後に居残り授業もおこなっていた。しかし女子生徒がピアノのレッスンのために参加せずに帰宅しようとすると、担任教諭は「ピアノばっかりやっていても仕方がない」などと女子生徒に嫌みを言ったこともあったとされる。 同級生によると、「担任教諭も女子生徒に嫉妬していたように見えた」「Cの嫉妬で激しくなったいじめだが、担任教諭が加勢した形に見えた」という。 担任教諭は1学期の進路指導の際、私立高校音楽科を第一志望とした女子生徒に対して、単願ではなく県立高校音楽科との併願を薦めた。当初は単願のつもりで準備していた生徒・保護者は進路指導を受けて、形式的にでも併願するという方向性に変更すると、教諭は「私立が第一志望の場合は県立との併願は認められない」(※そのような取り扱い方針はなく、教諭の誤認)と発言した上で、「志望校を受験できるかどうかは2学期の生活状況次第」と発言した。このことが、高校受験を見据えた女子生徒にとっては「学校を休むことができない」などの大きな圧力となり、いじめに苦しんでいた女子生徒をさらに追い詰めたと指摘された。 自殺当日:ガラス事件 2015年11月10日、Aが音楽室のガラスを割る事件を起こした。 ガラスを割った瞬間には女子生徒は離れた場所にいたが、ガラスを割ったAと一緒にいたBが女子生徒のところに駆け寄って3人になったとき、ガラスの割れる音に気づいて様子を見に来た非常勤女性講師と鉢合わせした。この教員が3人の名前をメモし、担任教諭に連絡した。 女子生徒は「Aがガラスを割った。自分は関与していない」と訴えた。しかし担任教諭は、連帯責任としてこの女子生徒を追及するような対応を取った。女子生徒は割れたガラスを掃除させられた。一方でガラスを割ったAは、「手にケガをした」として掃除には参加しなかった。 女子生徒は教室に戻った際、「やっていない」と訴えて泣きはらしていたのを目撃されている。 女子生徒は午後5時40分頃に帰宅した。帰宅時間が遅くなったことで母親が「何かあったの」と聞いたところ、女子生徒は「Aがガラスを割った」「私は関係ない、知らない」「ガラスを弁償しないといけないかも」などと訴えた。 女子生徒が取り乱している様子に、状況が飲み込めなかった母親は学校に連絡した。担任教諭はガラス事件の一部始終を説明し、「女子生徒がガラスを割ったわけではないが、逃げる態度を取ったのが悪い」などといったという。 母親は電話を切ったあとに女子生徒に改めて確認した。女子生徒は「本当のことをいうとAから攻撃される」「1学期の携帯電話事件の際にAと距離を置いたら悪口を言いふらされた」など訴えた。��た担任教諭への不満を訴えた。 生徒の自殺 女子生徒はその後、家族の車で、茨城県つくば市の教室に音楽のレッスンを受けに行った。レッスンへの行き帰りの車中や、レッスンが終わってから帰宅した後も、女子生徒は普段とは異なる様子だったという。母親は「学校でのできごとがショックだったのだろう。落ち着いてからゆっくりと話を聞きたい」と判断していた。 女子生徒は同日2015年11月10日午後11時過ぎに自宅で自殺を図り、翌日11月11日未明に死亡した。 遺書はなかったが、生徒が付けていた日記には、同級生の実名を挙げて「もういじめられたくない」「これ以上苦しめないで」などと記載されていた。また2015年12月になり、生徒の遺品を整理していた家族が、生徒の制服のポケットに「くさや」と記された付箋があったのを見つけた。 学校・教育委員会の対応 翌日2015年11月11日早朝、生徒の自殺の一報が学校側に入った。家族側は同日のうちに「生徒の死亡は自殺だと公表してもよい」と学校側に伝えた。しかし校長は茨城県県南教育事務所・取手市教委の担当者と協議の上で、「不慮の事故」として公表する方針を決めた。 後日、「くさや」と記された付箋の存在を知らされた教育委員会側は、同級生への聴き取りを実施した。しかし「女子生徒の家庭が厳しかった」と誘導するとも受け取れる内容にもなっていたという。 学校側は2016年3月、「いじめかどうかおよび学校生活と自死との関連は判断できない」とする見解を記した報告書を、取手市教育委員会に提出した。 取手市教育委員会は2016年3月16日、当該案件を「いじめによる重大事態には該当しない」とする議決をおこなった上で、調査委員会を設置した。案件審議のために呼ばれた学校関係者は教育委員に対し、「学校側の聴き取りでは、この女子生徒へのいじめを訴えた生徒はいなかった」などと説明した。 一方で保護者側は独自に調査をおこない、女子生徒へのいじめがあったとする、複数の同級生からの証言を得ていた。 市の調査委員会が動き出したことを把握した保護者側は、「重大事態ではない」という前提の、いじめ防止対策法に沿っていない調査委員会の設置に不満を示し、調査の中止と調査委員会の解散を求めた。また文部科学省にも要請をおこなった。 文部科学省は、当該案件にかかる取手市教委の処理は不適切という見解を示して指導をおこなった。取手市教委は2017年5月30日付で「重大事態ではない」とする議決を撤回した。その後市の調査委員会は2017年6月20日付で解散した。 県の第三者委員会で調査 その後改めて、本来取手市がおこなう調査を茨城県が並行受託する形で、県がいじめ防止対策法に基づく第三者委員会を設置して調査をおこなった。 2019年3月20日に公表された調査報告書では、いじめの存在を認定し、いじめと自殺の因果関係を認めた。また担任教諭および他の教員の不適切指導についても指摘し、当日のガラス事件での担任教諭の指導は生徒を追い詰め自殺の引き金を引いたと指摘した。また自殺事案発生後の学校・市教委の不適切対応についても言及し、「重大事態ではない」と一度議決した件については違法と指摘した。 担当者の「栄転」 取手市教育委員会で事件対応に携わっていた市教委事務局参事・指導課長はそれぞれ、2019年度に市内や近隣市の校長として転任した。 赴任先の学校はいずれも、当該校校長経験者が後年に市の教育長などに就任するケースも多く、「出世ルート」と噂されている学校でもあり、異動の状況にも疑問が呈された。 関係教職員への処分 茨城県教育委員会は2019年7月25日、関与した教職員の処分を発表した。 当時の担任教諭(2019年時点では別の取手市立中学校に異動、体調不良として休職)を、��じめへの対応を怠った・いじめを誘発する言動をとったなどとして停職1ヶ月の懲戒処分にした。 当時の校長(2019年時点では石岡市立小学校校長)、教頭(2019年時点では取手市内の茨城県立高校教頭)もそれぞれ減給処分となった。当時の学年主任(2019年時点では阿見町立小学校教諭)も戒告処分とした。 さらに、当時の取手市教委教育参事(2019年時点では取手市立小学校校長)、取手市教委指導課長(2019年時点では守谷市立中学校校長)についても、それぞれ減給処分とした。 また取手市も同日付で、第三者委員会設置を怠るなどいじめ不適切対応に関与したとして、当時の市教委職員の処分を発表した。当時の市教委部長(2019年時点では再任用)を減給処分とした。当時の市教委次長(2019年時点では再任用)を文書訓告、当時の市教委参事(2019年時点では再任用)を口頭訓告とした。 当時の教育長は2019年時点では辞任しているが、在任時の給与の月額10分の1・12ヶ月分相当額を自主返納するとした。また取手市長も自身の給与を6ヶ月間減給する条例案を準備しているとした。 元担任教諭、処分取り消しを求める 生徒の担任だった女性教諭は、処分を不服として、2019年10月に茨城県人事委員会に審査を申し立てた。しかし2021年9月に却下された。 教諭は2022年3月3日付で、「いじめについて、本人・保護者や、同僚教員・学校からも、全く情報を受けていなかった」などとして、自身への停職処分の取り消しを求め、水戸地裁に提訴した。 元担任教諭は「いじめに気づけなかったことは申し訳なく思っているが、いじめを助長したような言動をとったことはない。いじめを助長したなどありえない」と主張した。また処分の内容についても、必要な事実関係の摘示や立証などがなされていないと訴えている。 水戸地裁は2024年1月12日、教諭の訴えを認め、茨城県に対して処分の取り消しを命じる判決を出した。教諭の行為について「いじめを疑い対応を取るのは困難だった」「調査委員会が、教諭の行為について、何を根拠に認定したのか不明確」などと判断し、懲戒処分理由は違法だと指摘した。 茨城県は判決を不服として、2024年1月26日付で東京高裁に控訴した。東京高裁は2024年10月31日、一審判決を支持して茨城県の控訴を棄却し、処分を違法として取り消しを命じる判決を出した。 茨城県教育委員会は2024年11月14日、二審判決を受け入れ、上告を断念する方針を公表した。
茨城県取手市立中学校いじめ自殺事件 – 教育資料庫
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moderndays · 3 months ago
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
【紹介エリア・テーマ】 静かに過ごす時間/七条通/四条南/御所南再訪/自分みやげ/叡電/現地系中華/老舗の味/賀茂川/河原町松原/栗の菓子/鹿ヶ谷通/アペロの時間/二条城南/東大路通/冷泉通/吉田&聖護院/壬生/整える/北野天満宮界隈/栗の菓子2/御所西再訪/京丹後
女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎���郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじ��)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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hangorin · 6 months ago
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オンライン集会「パリ五輪まであと一か月!カウンターマップで知るフランスの五輪災害」報告
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6月23日、さっぽろオリパラを考える市民の会と反五輪の会共催によるオンライン集会「パリ五輪まであと一か月!カウンターマップで知るフランスの五輪災害」が行われた。
フランスで反五輪運動を展開するSaccage2024が、パリ五輪カウンターマップ「パリ オリンピック・パラリンピック略奪マップ2024 パーティーは終わりだ」を作製。その迫力と情報量、状況分析の鋭さは圧巻だ。日本語版が完成し、Saccage2024のメンバーでパリ在住の佐々木夏子さんが、地図をもとに、パリ五輪に連動して容赦なく進められた都市再編、ジェントリフィケーション、強引な排除、それに対する住民の抵抗、そして現在について報告してくれた。
6月23日をIOCは創設記念日、「オリンピックデー」と名付けている。私たちは「NOオリンピックデー」と呼び、植民地主義、国家主義、競争主義、エリート主義、人種主義、性差別主義、軍事主義の祭典は廃止しろ!、と訴える。
・カウンターマップ
パリ五輪カウンターマップ「パリ オリンピック・パラリンピック略奪マップ2024 パーティーは終わりだ」に先駆け、2010年代、ブルターニュ地方ノートルダム・デ・ランドの空港建設に反対し、地元農民と連帯しながら建設予定地を占拠することによって計画を撤回に追い込んだZAD(守るべき土地)が作ったマップ、その成功があった。これを手がけたアーチスト、地理学者グループが、今回パリ五輪による破壊と強奪の記録、可視化を提案したのだそう。初版は完売、現在二刷目とのこと。
・サン=ドニ
お話は、地図を読み解く前に、パリ五輪の主要な会場、関連施設が集中する、サン=ドニ市周辺の現代史から。1967年、ジャン=リュック・ゴダール「彼女について私が知っている二、三の事柄」、1991年、サン=ドニ出身の移民二世世代ヒップホップユニットSuprême NTMのMV、2015年、サン=ドニ出身女性3人組L.E.JのMV、この3つの映像を手がかりに見ていく。
まず、「彼女について私が知っている二、三の事柄」、「彼女」とはパリ首都圏を指す。パリ首都圏は高度成長期、建設現場や工場の労働者として、旧植民地からたくさんの移民を呼び入れたが、その居住先として巨大な低家賃集合住宅をパリ郊外に作った。登場人物の後ろ、窓の外に広がる景色は、建物にはまだ人のざわめきが感じられない、殺伐としている。誰がどこにどのように住むべきかをコントロールしようとする政策、それは資本と統治の側の都合であって、住民を人として尊重するものでないことが伝わる。
そして約四半世紀がすぎ、高度成長終焉後の都市は、産業構造の変革、脱工業化へと向かう。工場は撤退、団地の若者に仕事がなかった。当時の若者文化を代表するというNTMのラップは、活気の失われた団地を背景に、若者たちの不満が張り裂けている。
2015年、「セーヌ=サン=ドニ・スタイル」と題したNTMの楽曲をカバーするL.E.J、彼女たちも何かに怒っている。その後ろにスタッド・ド・フランスが、映っている。サン=ドニといえばスタッド・ド・フランス。2024パリ五輪のメインスタジアムとなる、この巨大スタジアムは、最も貧しい自治体の常連だったサン=ドニ市が衰退に歯止めをかけるべく、ワールドカップサッカー大会開催のために19915年に誘致した。1998年ワールドカップサッカーフランス大会の決勝戦がここで行われ、フランスが優勝を決めた。当時のフランス代表チームが、さまざまな地域にルーツを持つメンバーによって構成されていたことから、多民族国家フランス「国民」統合の象徴的な場所として、人びとの記憶に刻印される。スタッド・ド・フランス誘致にともなうジェントリフィケーションは、1930年代以降労働者の街サン=ドニ市の政権を握って来た共産党にとって、自らの支持基盤である労働者階級の排除という自滅の道であり、その帰結として、2020年にその地位を失った。
・グラン・パリと五輪
一方、2009年には、パリ首都圏再開発プロジェクトとして当時361億ユーロ(のち2020年に420億ユーロ)という巨額の予算をつぎ込むグラン・パリ・エクスプレス計画が、サルコジ大統領により発表される。パリ郊外を全自動地下鉄新路線でつなぐもので、そのうちの4路線が乗り入れる最重要ハブとして新しくサン=ドニ・プレイエル駅がスタッド・ド・フランス近くに作られた。一日25万人が利用するという、地上5階地下4階の巨大駅は、東京の新国立競技場と同じ建築家隈研吾が設計した。パリ五輪までに完成を急がされたグラン・パリ・エクスプレス工事で5人、その中でサン=ドニ・プレイエル駅工事では4人の労働者が死亡している。
この駅の名前にもなっているプレイエルとは、ピアノ製造メーカーの名で、その工場がこの地区にあった。工場はすでにない。70年代、プレイエルタワーというオフィスビルができていたが、長年ほったらかしになっていた。これが今回五輪を機に4つ星ホテルに生まれ変わった。この周辺は大商業地区になる予定だ。
駅から徒歩圏内、サン=ドニ市、リル=サン=ドニ市、サン=トゥアン市にまたがる56ヘクタールに作られたのがパリ五輪選手村だ。3つの学校、19の企業、2つの集合住宅、1つのホテルが取り壊された。サン=トゥアンには非営利組織ADEFの運営する、経済的に苦しい単身者向け寮があり、1980年代からサハラ以南や北アフリカからの移民労働者が暮らしてきた。ほかに行くところのない居住者たちは、選手村かその周辺に皆がまとまって移住できないか当局と交渉したが、急き立てられ224人がバラバラに追い出された。オリパラ閉会後には6000人の就業が見込まれるホテル、オフィス、商業施設と6000人か入居できる2800の住居、学生寮となる。平均約4000ユーロ/㎡だったこの周辺の地価は、約7000ユーロ/㎡に上昇した(パリ市内約1万ユーロ/㎡)。
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また、ここには内務省が移転し、その職員たちが居住することになる。以前から「治安が悪い」と言われてきたこの地域に、警察を管轄する省がやってきて、そこに働く労働者と家族が居住することで、「住民の入れ替え」が図られている。
さらに、その南には国家治安総局(軍)がパリ西郊から引っ越してくる。軍と警察の街なんて、コワくて住みたくないが、高所得者にとってはむしろ「安心」なのだろうか?
選手村の北、リル=サン=ドニ市には工場跡地が多く残り、そこを占拠する形で約400人が住んでいた(スクワット)が、それらは2023年初頭に取り壊された。
選手村とスタッド・ド・フランスを結ぶ交通の便をよくするために、IOCが高速道路の新しいインターチェンジを作るよう要望し、完成した。その結果、交通量の多い道路が小学校を取り囲んでしまった。怒った保護者らが反対の裁判闘争を展開したが敗北。近くにもともとあるスタッド・ド・フランス近くのインターチェンジは、五輪終了後に壊される。なぜ近くにあるのにわざわざ新しくインターチェンジを作り、古いほうを壊すのかと言うと、スタッド・ド・フランス近くのインターチェンジ付近はすでにジェントリフィケーションが進んでいて地価が高く、インターチェンジにしておくのはもったいない、今後オフィスビルを建て商業地区としてさらに発展させるほうが価値があるという考えたのだ。
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その東、ラ・クールヌーヴ市ジョルジュ・ヴァルボン公園すぐそばにはメディア村が作られる。この公園はEU指定の自然保護区域である。2010年代にここを住宅にする計画が上がった際はそれが理由で実現しなかった。今回は、反対運動の裁判が敗北。五輪後には1300戸の住宅が売りに出される。パリ五輪取材に訪れるジャーナリストは2万人と言われるが、ここに収容できるのはわずか1300人だ。五輪よりも、五輪後のほうがほんとうの目的なのだろう。県は70ユーロ/㎡で払い下げ、新しい住宅は5000ユーロ/㎡で売られる。
その南、オーベルヴィリエには選手の練習用プールが作られ、そのサンルームを設置するために、100年以上の歴史のある労働者の菜園、ヴェルチュ労働者菜園が破壊された。パリはすでに3度、1992年、2008年、2012年招致に立候補したが、21世紀に入るとそのたびにオーベルヴィリエ市は関連施設を誘致しようとした。2008年はこの土地を使って自転車競技場を作ることが持ち上がっていた。今回とうとうパリ五輪が開催される事態を前に、2021年春から、菜園を守るために、菜園利用者、環境団体、五輪に反対する人が集まり、占拠闘争を始めた。しかし9月にはブルドーザーにより破壊されてしまった。反対派は裁判闘争の結果、勝利し、サンルーム建設は撤回されている。ここを再緑地化することも可能であったが、一か月前、ここにコンクリートを入れて都市化する計画が持ち上がった。佐々木さんはその反対集会に、この報告会の後、駆けつけるとのことだ。オリパラは、招致が実現しなくても、招致ファイルにあがった建設計画が実行されることもある。1992年、2008年、2012年パリ大会の選手村建設予定地の開発がそうだった。東京も同様であった。オリパラを招致する狙いは開発に拍車をかけることだが、オリパラが来なくても一度計画された開発の多くは止まらない。
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パリ五輪を前に、現在2030年冬季五輪開催がフレンチアルプスにほぼ内定している。今回はIOCが札幌に見切りをつけた理由は、直接的には東京五輪の汚職が明らかになったことだが、2023年札幌市長選挙により、五輪招致反対の意思が数値としてはっきり示されたことが大きかっただろう。2030年開催地は、ストックホルムやスイスなどが名乗りを挙げてはいるが、ストックホルムは政治家の支援がないこと、スイスは直接民主制の国であるため、開催や招致にあたって住民投票が行われるであろうこと、そのうえで「住民投票は実施しない」と明言したフランスの政治状況を考えれば、フレンチアルプス開催の確率は高い。
6月23日現在、7月7日に国民議会選挙を控え、フランスは混とん状態。今、人びとは極右政権が誕生するのではないか、そのことでいっぱいで、五輪どころではないのが実情。(開票の結果、極右政権は阻止され、新人民戦線が勝利したが、先行きはなお混とん。)
・質疑応答
参加者:札幌の招致が止まってよかった。一方東京では、都の48億500万円をかけたプロジェクションマッピング事業で、オリパラ汚職で入札停止を食らっているはずの電通の100%子会社が受託を受けている。
佐々木さん:電通問題で言えば、パリ大会では組織委のナンバー2にエチエンヌ・トボワという人物がいる。彼の運営するコンサル会社は東京五輪招致に尽力したため、東京都から100万ユーロ支払いを受けている。この成功のために彼は仏スポーツ界の中で出世し、組織委のナンバー2に収まった。トボワの作ったコンサル会社は2017年に電通の100パーセント子会社になった。高橋(電通)同様、このような悪い人脈に通じた人物なしに五輪は成立しない。
参加者:東京大会では開催直前になって、街中が怒り、たくさんの抗議行動が行われた。無観客だったので、交通規制は選手と関係者の移動にかかわるだけに限られたが、それでも会場周辺の住民生活は大きく規制を受けた。パリの住民のかたたちの現在の様子は?
佐々木さん:コンコルド広場、エッフェル塔付近など、テレビ映えする交通の要所が仮設会場になり、道路が閉鎖されている。交通はメチャクチャ、住民の通行にはQRコードを提示させられるなど、不満は高まって���る。オリンピックに関心ないという人が優勢な中でも、いろんな側面から反対の声を上げるという動きが生まれている。ただ、それらが一緒になれていない。かつ、今は選挙でそれどころではない。労働組合の元トップが組織委の中枢に入ってもいるが、末端の組合員は五輪に反対している。開催期間中にストライキをすると予告している。もちろん予告しても実行しないということはあるが、もしファシスト政権が誕生したら実行するであろう。あるいはオリンピックという世界の注目を集める環境で、ファシスト政権の顔に泥を塗る行動をするであろう。
参加者:戦争のただなかで行われるオリンピック。環境の問題、不正、汚職、人権侵害いろいろ問題あるが、今はともかく、五輪に使うおカネとエネルギーを使って戦争を、ガザの惨状を止めてほしい。
佐々木さん:戦闘の続く中、「平和の祭典」と言っていられるのか?オリンピック期間中は休戦という建前を持っているが、ウクライナもガザも止められないかぎり、「平和の祭典」の看板は降ろしたほうがいい。
参加者:スクワットしている人たち、ホームレスの人たち、移民難民の人たちが何千人単位で郊外に追い出されていると聞いたが具体的には?
佐々木さん:これは、「パリの野宿者が郊外に」ではなく、「パリ首都圏の野宿や難民のかたたちが地方に」追いやられているという状況。NGO世界の医療団が中心となっている「メダルの裏側」というキャンペーンによる報告では、12545人が排除された。
参加者:札幌ではオール与党が五輪推進、共産党と市民ネットが反対の立場を取った。人々追い出してまでの開催なのに、推進するフランス共産党はパリの将来をどう考えているのか?
佐々木さん:まず、パリは共産党と社会党が与党、パリ郊外は左翼がより強い。その左翼与党が推進する五輪に右翼も賛同、という構造。フランス共産党がどのような将来像を持っているか分析しきれていないが、フランス共産党がほかのどの政党よりもオリンピックを愛しているという話を7月に刊行する本『パリと五輪:空転するメガイベントの「レガシー」』(以文社)に書いたのでぜひ読んでください。簡単に言うと、1930年代まではフランス共産党はオリンピックとIOCに反対していたのに、1950年代、スターリンがIOCに参加を決めて以来、賛成に転換、以後方針を変えることないまま現在に至っている。
参加者28名。パリは今どうなってるんだろう?日本のマスコミからの情報では全くわからない中、パリ五輪開催にかかわる歴史や経緯から現在のなまの様子までがわかる貴重なお話をお聞きすることができました。とても充実した、内容の濃い集会となりました。6月26日には国際連帯声明が出される予定で、各地の参加者から賛同したいとの声があがりました。 佐々木さん���みなさま、ありがとうございました。
関連記事 五輪のための「弱者の追い出し」がパリでも…華やかな祭典では隠しきれない「五輪災害」「負の遺産」の存在(東京新聞)
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learnersband · 1 year ago
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ラーナーズの8年半。 215本の全ライブ記録です。 あ〜!あの時!!とか、 酔いすぎた夜!とか、、 パートナーと帰り道で喧嘩した!とか、、、 良いことも少しほろ苦いことも、、、 それぞれに思い出があったりしますよね。
その全てが愛おしい。 ラーナーズはみんなを愛しています。ありがとう。 2015年 (13本) 6/15 新代田 FEVER 6/23 渋谷 UNDER BAR 7/29 下北沢 THREE 8/2 渋谷 ORGAN BAR 8/28 新宿 LOFT 9/2 下北沢 CLUB QUE 9/22 下北沢 THREE 11/5 下北沢 BASEMENT BAR 12/1 渋谷 CLUB ASIA 12/13 新大久保 CLUB VOICE 12/16 青山 CAY   12/19 恵比寿 LIQUID ROOM 12/26 渋谷 THE GUINGUETTE by MOJA
2016年 (42本) 1/8 下北沢 BASEMENT BAR 1/11 新代田 FEVER 1/28 下北沢 CLUB QUE 1/30 下北沢 SHELTER 2/2 新代田 FEVER 2/21 渋谷 CLUB ASIA 3/6 下北沢 SHELTER 3/7 下北沢 GARDEN 4/1 新宿 ANTI-KNOCK 4/16 大阪 NOON 4/17 京都 METRO 4/29 豊橋 CLUB KNOT 4/30 名古屋 lounge&live vio   5/1 下北沢 SHELTER 5/4 川崎 CLUB CITTA 5/14 福岡 KEITH FLACK 5/28 下北沢 ReG 5/28 中野 MOON STEP 6/3 新代田 FEVER   6/18 宮古島 MIYAKO ROCK FES2016 6/18 宮古島 2nd show 6/25 代官山 UNIT 6/26 下北沢 ERA 7/3 下北沢 THREE 7/13 渋谷TOWER RECORD 7/29 新宿 LOFT 8/2 代官山 LOOP 9/27 新宿 LOFT 10/11 下北沢 SHELTER 10/25 代官山 UNIT 11/3 下北沢 BASEMENT BAR 11/6 大阪 PINE BROOKLYN 11/16 下北沢 BASEMENT BAR 11/16 渋谷 Beaujolais Nouveau Party 11/19 新宿 RED CLOTH 11/24 渋谷 ORGAN BAR 11/26 青森 SUNSHINE 11/27 仙台 PARK SQUARE 12/17 台北 APA mini 12/18 台北 REVOLVER 12/22 名古屋 CLUB UPSET 12/23 下北沢 BASEMENT BAR
2017年 (28本) 1/7 新代田 FEVER 1/14 渋谷 WWWX 1/23 下北沢 SHELTER 2/10 新代田 FEVER 2/18 下北沢 THREE 2/24 渋谷TOWER RECORD 2/25 金沢 CLUB MANIER 2/26 新潟 WOODY 3/24 銀座 HUNTER 3/30 新宿LOFT 4/15 GO OUT CAMP FES 4/25 新代田 FEVER 9/1 名古屋 QUATTRO 9/10 大阪 SHANGRI-LA 9/11 名古屋 QUATTRO 9/15 渋谷 WWWX 9/26 下北沢 THREE 10/1 新木場 STUDIO COAST 10/10 日本橋 三井ホール 11/3 KOYABU SONIC 2017 11/8 渋谷 7th FLOOR 11/19 下北沢 CLUB QUE 11/21 下北沢 CLUB QUE 12/1 下北沢 THREE 12/2 恵比寿 LIQUID ROOM 12/10 札幌 PIGSTY 12/22 新宿 LOFT 12/29 恵比寿 LIQUID ROOM
2018年 (34本) 1/27 新代田FEVER 2/22 下北沢 CLUB Que 3/18 志賀高原 SMBL 2018 3/23 京都 磔磔 3/25 渋谷 WILD ROVER 2018 3/31 新宿 Red Cloth 4/3 銀座 HUNTER 4/8 恵比寿 LIQUIDROOM 4/17 下北沢BASEMENT BAR 4/27 渋谷 Club Malcolm 4/29 大阪CONPASS 5/5 広島 CLUB QUATTRO 5/6 福岡 EARLY BELIEVERS 5/10 新代田FEVER 5/24 柏CAMPASS FES 5/31 下北沢SHELTER 6/1 下北沢 THREE 6/15 下北沢 THREE (100回目) 6/16 新代田FEVER 7/16 大阪 味園ユニバース 7/21 佐賀 LIVING ALOHA 2018 7/25 渋谷 club asia 8/6 新代田FEVER 8/10 下北沢 CLUB Que 9/15 NEW ACOUSTIC CAMP 2018 9/21 代官山 UNIT 9/26 渋谷 WWWX 9/29 日比谷野外音楽堂 10/9 代官山 UNIT 11/22 下北沢 THREE 12/1 下北沢 GARDEN 12/8 新代田 FEVER 12/16 渋谷 club asia 12/22 横浜 BAY HALL
2019年 (47本) 1/6 新代田 FEVER 1/13 苫小牧ELLCUBE 1/14 札幌 Spund Lab mole 2/1 新宿LOFT 2/2 仙台 CLUB SHAFT 2/16 四日市 Club Chaos 2/17 大阪CONPASS 2/24 下北沢BASEMENT BAR 3/9 下北沢BASEMENT BAR 3/24 渋谷 WILD ROVER 2019 3/27 東京タワー CONVERSE PARTY 4/13 福岡 SKALA ESPACIO 4/26 渋谷 Club Malcolm 4/28 湯河原 音泉歌謡祭 5/10 宮古島 FUNKY FLAMINGO 5/11 宮古島 MIYAKO ROCK FES 2019 5/12 千葉 GROOVE TUBE FES 5/18 ACO CHiLL CAMP 2019 5/19 恵比寿 LIQUIDROOM 5/21 下北沢BASEMENT BAR 6/11 新代田FEVER 10周年 6/12 新宿 LOFT 6/15 豊橋 club KNOT 6/16 京都 CLUB METRO 7/15 味園ユニバース 8/3 広島 因島 SETOUCHI BEACH JAM 9/8 下北沢 SHELTER w/DOBERMAN 9/15 扇島東公園 BAYCAMP 2019 9/22 島根 松江 AZTIC canova 10/1 下北沢 SHELTER 10/6 渋谷 club asia 10/13 下北沢 BASEMENT BAR 10/13 渋谷LA MAMA 全感覚祭 10/19 大阪 NOON 10/20 名古屋 神前津 zion 10/26 京都 METRO 10/27 幡ヶ谷 RE:BIRTH STUDIO 11/3 静岡 焼津 FEVER OF SHIZUOKA 11/15 下北沢 SHELTER 11/17 下北沢 THREE 11/21 渋谷 WWWX 11/30 新宿 LOFT 12/7 長野 CLUB JUNKBOX 12/8 下北沢 BASEMENT BAR 12/21 渋谷 CLUB QUATTRO 12/27 名古屋 JAMMIN’ 12/28 江ノ島 OPPA-LA
2020年 (14本) 1/11 新代田 FEVER 1/15 新代田 FEVER 1/16 横浜 F.A.D 1/26 新代田 FEVER 1/28 下北沢 SHELTER 2/11 新代田 FEVER 2/16 大阪 CONPASS 3/2 名古屋 CLUB QUATTRO 3/3 大阪 梅田 CLUB QUATTRO 3/8 水戸 LIGHT HOUSE 3/10 渋谷 CLUB QUATTRO 7/27 新代田 FEVER 配信 10/31 渋谷WWWX 12/19 新宿LOFT URASUJI
2021年 (12本) 1/25 WWW 配信 3/6 大阪 SUNHALL 5/22 吉祥寺WARP 7/10 下北沢 SHELTER 8/6 広島 CLUB QUATTRO 8/22 苗場 FUJI ROCK FES 2021 9/4 新代田FEVER 10/16 富山 MAIRO 10/26 下北沢 SHELTER 11/27 川崎 CITTA 11/28 横浜 F.A.D. 12/4 福岡 天国
2022年 (15本) 2/18 FLOWERS LOFT 3/12 高崎 5/15 横浜 F.A.D 5/20 渋谷 LEVI’S SHOP 配信 6/4 大阪SUNHALL 6/5 和歌山 NO’11 7/2 新宿 LOFT 7/23 軽井沢 舞鳥祭 7/24 名古屋 UPSET 8/30 下北沢 SHELTER 9/12 下北沢 CLUB QUE 11/6 川崎 CLUB CITTA 11/12 吉祥寺 CRAFT ROCK 2022 11/30 原宿 RUIDO 12/2 渋谷 WWWX
2023年 (10本) 1/8 新代田 FEVER 2/25 荻窪 TOP BEAT CLUB 3/26 大阪 CONPASS 4/16 下北沢 BASEMENT BAR 5/3 新宿 LOFT 5/14 千葉 GROOVE TUBE FES 2023 6/17 新宿 LOFT 7/21 四日市 CHAOS 7/22 神戸 VARIT 1st.Season LAST 12/15 新代田 FEVER
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sskyt · 1 year ago
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『「呪術」の呪縛』上巻読書ノート
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江川純一・久保田浩編『「呪術」の呪縛』(上)リトン、2015年。
 今、呪術がかつてないほど注目されている。近代西欧に成立したreligionに対して、劣位に置かれるmagic概念を所与のものとして前提とすることなく、改めて問い直し、概念史や各国の事例研究といった観点からその諸相に光を当てる書。
 以下、所収論文についての読書メモ。 江川純一・久保田浩「「呪術」概念再考に向けて:文化史・宗教史叙述のための一試論」
 全体の導入論文。日本語の「魔法」と「呪術」、学問的概念としてのmagic、西洋文化史におけるmagic、そして、本書の背景と構成が論じられる。「魔法」(1474)が室町中期に現れているのに対して、「呪術」は『続日本紀』(699)に言及がある。  とはいえ、「呪術」は近世・近代において人口に膾炙しておらず、20世紀後半にフレイザーのmagicの訳語として定着した(それ以前は「魔法」)。また、学問的概念としてのエティックな次元と日常言語としてのイーミックな次元の区別の重要性が指摘される。  学問的概念としてのmagicで要注目なのはタイラーとフレイザーであり、特に後者のmagic→religion→scienceという図式が重要。その後のmagic研究の系譜はある意味です��てここから始まった。他方で、イーミックな次元で見れば、magicの語源は古代ペルシア語に由来するギリシア語のμάγοςに発する。  すなわち、magic概念には、そもそもペルシア由来という他者性が付与されており、つねに地理的他者(非西洋)、歴史的他者(古代)、宗教的他者(異教)という含意がある。近代的なreligionとscienceは、他者にmagicという名を与えることで、自己を正当化してきた歴史的経緯がある。 第一部 呪術概念の系譜
藤原聖子「アメリカ宗教学における「呪術」概念」
 ウェーバー以来、ピューリタンは「世界の脱魔術化」として位置づけられてきたが、1980年頃からピューリタンも呪術を実践していたとする研究が盛んになった。これらの研究を島薗進の新宗教研究(呪術と近代化は背反しない)と比較対象する論文。  アメリカにおけるピューリタンの呪術実践研究では、呪術と近代化の関係は問題とならず、呪術の感情面が重視され、信仰と理性の対立図式、すなわち、アメリカの知性主義対反知性主義というナショナル・アイデンティティの問題へと引きつけて理解されている。  たしかに考えてみれば、アメリカのホラー映画は、魔女、魔法、霊、占い、ゾンビと呪術に事欠かない。むしろ合理性の反作用としての呪術に取り憑かれているようにさえ見える。それはアメリカという国のアイデンティティに関わる問題で、非常に興味深い。  ちなみに、アメリカの呪術総決算的なホラー映画として「キャビン」おすすめです! この『呪術』論集は、「宗教」概念批判を経た後で、「宗教」周辺の重要概念をアプリオリに前提とせず、反省的にその概念の意味を問い直すという点で、『ニュクス』第5号「聖なるもの」特集と双子のような存在ですね。
竹沢尚一郎「イギリスとフランスにおける呪術研究」
 エヴァンズ=プリチャードのアザンデ研究における妖術論とグリオールのドゴン研究における占い論の検討を通じて、呪術を複雑な世界の「縮減」(ルーマン)の仕組みであるとする仮説を提唱する。
 注で触れられている、レイモン・ファースの師マリノフスキーへの問い「もしすべてがすべてに結びついているとすれば、どこで記述を終えたらよいのでしょうか」は、いかにもラトゥール的な問いのように思える。 横田理博「ウェーバーのいう「エントツァウベルンク」とは何か」
 この論文は何度読んでも面白い。ウェーバーのEntzauberung(脱呪術化、魔術からの解放)は有名な概念で、様々な論者によって援用されるにもかかわらず、ウェーバー自身はこの概念を定義しないために、その内容は実は不明確である。  著者は丁寧な読解によって、「脱呪術化」が『プロ倫』における「救いの手段としての呪術の否定」と、『職業としての学問』における「世界の意味づけの否定」という二つの意味をもつことを明らかにする。また、前者が呪術から宗教への移行であるのに対して、後者は「世俗化」を意味する。  ちなみに、私が『現代思想』のウェーバー特集に寄稿した「世界に魔法をかける」の元ネタはこの論文です。「脱呪術化」という概念でひとつ気になるのは、この語はつねにEntzauberung der Weltと「世界の/世俗の」という言葉を伴っていること。この点も「脱呪術化」を援用する論者に見落とされがちだ。
高橋原「初期の日本宗教学における呪術概念の検討」
 日本の宗教学の歴史の中でmagicの訳語としての「呪術」が定着していった過程を跡付ける。明治時代はmagicの訳語として「呪術」は用いられていなかったが、日本の宗教学の確立とともに大正時代にフレイザーの影響の下、「呪術」が定着していった。 谷内悠「呪術研究における普遍主義と相対主義、そして合理性:分析哲学と認知宗教学から」
 「呪術は合理的である」と言われるときの「合理性」について、タンバイアの普遍主義/相対主義の議論を批判的にアップデートさせることで解決しようとする。概念図式/メタ概念図式の議論はガブリエルの「意味の場」の議論を想起させる。  ただ、普遍主義と相対主義の対立をメタ概念図式によって解決するというのは、問題を一段先送りにしただけのような気もするし、最後に出てきた「生物的合理性」は素朴な自然主義のように思えて、正直なところ、肩透かしの感がある。 第二部 事例研究:アジア
鈴木正崇「スリランカの呪術とその解釈:シーニガマのデウォルを中心に」
 スリランカで最も呪力の強いとされるデウォルについての神話と実際の呪術実践から、呪術の特徴を探る。呪術は「外来」「異人」といった境界的状況に対する意味付与・統御として発生するのであり、現在のグローバル化による変動もまた呪術が力をもつ場である。  たしかにマゴスの語源的意味にしても、フェティッシュにしても、文化的・地理的・時間的な境界において、あるいは、他者との界面において、「呪術」(なるもの)は発生するように思われる。個人的には、障り、罪、穢れ、害、悪を意味するシンハラ語の「ドーサ」という概念が面白い。 木村敏明「プロテスタント宣教師の見た「呪術」と現地社会:ヨハネス・ワルネック著『福音の生命力』をめぐって」
 スマトラのバタックに宣教したヨハネス・ワルネック『福音の生命力』に基づいてキリスト教��ら見た呪術の意義と効用を検討する。ワルネックは、インドネシアの宗教をアニミズムとして特徴づけたが、その評価は両義的である。  著者はこれを「世界観としてのアニミズム」と「エートスとしてのアニミズム」に分類し、前者が称賛されるのに対して、後者は現世利益を追求する自己中心的な呪術実践であるがゆえに非難されるとする。しかし、ヨハネスはこうした呪術を逆手にとって宣教が可能となるとして、利用価値も認めている。 池澤優「中国における呪術に関する若干の考察:呪術という語の呪術的性格」
 面白かった。呪術を「非人格的な法則性に基づく宇宙の操作」と定義すると、人間の作為が宇宙の経営に関与するという点で、陰陽五行説のみならず、古代中国思想全般が「呪術」になってしまうが、これは概念の使い方として非生産的である、という。  古代中国宗教研究における「呪術」の用例として、『詩経』研究が取り上げられ、そこではおおむね「呪術」が素朴な宗教を指す語として用いられ、特に言霊信仰のようなものが想定されている、と指摘される。  私は特に、グラネ『中国古代の祭礼と歌謡』の解釈が面白かった。詩は個人の感情を歌ったものではなく、慣習によって定められた集団の感情を表出したものであり、慣用句は「興」という強制力をもって、自然を循環させる力をもつ、という。詩はいわば礼のような宇宙の形式なのだろう。
川瀬貴也「近代朝鮮における「宗教」ならざるもの:啓蒙と統治との関係を中心に」
 朝鮮における近代化、日本の植民地支配という観点から、「宗教」と「宗教」ならざるもの(呪術・迷信)との区別が何を意味しているかを示す論文。特に、今村鞆、村山智順による植民地下の民俗学的調査の視線が見つめる「迷信」が興味深い。  近代化・啓蒙によって退けられた「巫俗」が宣教師たちによって朝鮮宗教の本質と捉えられ、さらに、朝鮮民族のナショナリズムへと結びつき、現代韓国社会において伝統と見なされるようになった、という指摘が面白い。この辺りの話はどうしても「コクソン」を思い出さざるをえない。 第三部 事例研究:日本
井関大介「熊沢蕃山の鬼神論と礼楽論」
 近世日本儒学における鬼神の問題を、白石・徂徠・蕃山を中心に、主に「礼」の観点から検討する。蕃山にとって、祭祀儀礼の意義は、人心を無意識裡に統御し、社会を統治することにあったが、それは天人相関論によって宇宙の運行を正しく経営することでもあった。  蕃山によれば、鬼神祭祀の礼は、社会が経済的に豊かになって人心が堕落し始めたとき、富の余剰を有益無害な仕方で蕩尽させるために整備された、とのことだが、これはまんまバタイユの社会的蕩尽の理論と同じですね。 一柳廣孝「魔術は催眠術にあらず:近藤嘉三『魔術と催眠術』の言説戦略」
 明治期の催眠術��ームのベストセラー、近藤嘉三『心理応用魔術と催眠術』にしたがって、明治期の「魔術」イメージを検討する。近藤によれば、魔術とは心の中の霊気を通じて感通する手法であり、睡魔術と醒魔術に分けられ、前者は催眠術からは区別される。  魔術は、感通によって、施術者の意思が被術者へと影響を与えることであり、催眠術とは睡魔術のの導入部分にすぎず、近藤は催眠術による治療は有害であるとさえいう。ここら辺は黒沢清の「CURE」っぽい話ですね。 宮坂清「科学と呪術のあいだ:雪男学術探検隊、林寿郎がみた雪男」
 これは面白い。1959~60年の雪男学術探検隊に参加した動物学者林寿郎の記録から、雪男に関する科学的視点と呪術的視点の関係を問う。学者が探求していた「雪男」とシェルパにとっての「イエティ」が、実は同じではなかったことが判明する件がハラハラして特に面白い。  日本の雪男ブームの出発点は、今西錦司(1952年のマナスル登山隊が雪男の足跡を目撃)だったんだね。知らなかった。あと、雪男探検隊って、川口浩探検隊みたいなものかと思ってたら、ちゃんとした科学的調査隊が派遣されていたのも知らなかった。 今井信治「「魔法少女」の願い」
 1960年代の『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』から現代の『魔法少女まどか☆マギカ』まで、魔法少女アニメを時系列順にたどりながら、そこで描かれている「魔法」表象があとづけられる。  東映魔女っ子シリーズが女子の人気を博したのは、当時、女子向けのテレビ番組がなかったからで、別に魔法でなくてもよかったとの分析だが、そうはいっても「セーラームーン」の継続的な人気や、映画「マジカル・ガール」を見ると、やはり女の子にとって魔法は特別な意味をもっているようにも思われる。 堀江宗正「サブカルチャーの魔術師たち:宗教学的知識の消費と共有」
 アニメやライトノベルで人気の「魔術」を分析することを通じて、データベース消費型のサブカルチャーがその消費者にとって「宗教」よりもリアリティをもつようになった現状を明らかにする。  「魔術」関心層は20~30代の男性であることと、魔術・宗教的語彙をもったメディア作品の受容者は自分を能動的に魔的キャラクターを使役する存在(つまり魔術師)として同定しているという分析を組み合わせると、なかなかに痛い実態が見えてくるような気がする。
 魔術を扱った代表的な作品として『とある魔術の禁書目録』が挙げられているが、現在(2023年)に改めて同様の問題を扱ったら、おそらく代表的な作品は『呪術廻戦』が挙げられることだろう。また、作中では錬金術はあくまでも「科学」であって「魔法」ではないとされるが、実態としてはどう見ても「魔術」を扱っている『鋼の錬金術師』がまったく言及されないのは不思議。
追記
藤原聖子「「呪術」と「合理性」再考:前世紀転換期における〈宗教・呪術・科学〉三分法の成立」『思想』No. 934、2002年、120-141頁。
 呪術は、科学と比べて「非合理的」とされる場合(フレイザー)と、宗教と比べて「合理的」とされる場合(ウェーバー)があるが、これは両者で「合理性」の意味が異なるためである。著者によれば、さらに第三の失われた合理性概念がある。  すなわち、呪術は、理論ー合理的な科学に対して、理論ー非合理的であるが、実践(合目的的)ー非合理的な宗教に対しては、実践ー合理的である。この2種の合理性に加えて、呪術には「ゾッとさせる」という意味での「実体的非合理性」が含意されている(デュルケーム、オットー)。  奇跡論においては、古代末期か~中世末期、奇跡は「聖」に結びついていたが、19世紀末には「超自然」と結びつくようになった、という話(マリン)が面白かった。つまり、キリスト教では奇跡が聖人の業として呪術に対置されていたが、近代以降、科学と対立するがゆえに超自然と結合した、ということ。
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akunews · 9 months ago
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初日舞台挨拶レポート
昨年9月に行われた第80回ベネチア国際映画祭で初上映されて以来、世界各国の映画祭、劇場での上映が行われてきた本作。この日は待望の日本公開初日ということで、初日舞台あいさつの会場となったBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下は超満員。そして映画上映後、スクリーンで繰り広げられる圧倒的な物語の余波に浸っていた様子の観客の間からは自然と拍手がわき起こった。
そんな熱気あふれる会場内にやってきた大美賀は緊張の面持ちで、「今日までものすごく緊張していたんですけど、(映画上映直後に)皆さまが手をたたいてくださっていたのを聞いて。良かったなと思っております」と安どの表情。濱口監督も「完成してから9カ月くらいですが、ようやく日本で公開できまして。本当にうれしく思っております。今日はよろしくお願いします」と感激した様子を見せた。
本作主演の大美賀は、もともと濱口監督の『偶然と想像』にスタッフとして参加しており、イベントではその時のメイキング写真が紹介されるひと幕も。だがその後、自分が映画の出演者となり、ベネチア国際映画祭のレッドカーペットを歩き、そして日本での映画初日を迎える。その当時からすると予想もつかなかった人生に「これを超えるハイライトが今後、自分に訪れるのかどうか」と笑顔を見せた大美賀。
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濱口監督も「フランスでは2週間早く公開されることになったので、わたしもパリに行ってお客さまと一緒に映画を観たんですけど、結局この人(大美賀)はずぶといなと思ったんですよね。今日も戦隊もので言ったらレッドの位置、どセンターに立っているわけですが(笑)」と冗談めかして会場を笑わせつつも、「究極そういうのができちゃう人だというのは、頼む前は知りませんでした。でもこの映画をつくる前、脚本を書く前にロケ場所などのリサーチをしていたんですが、その時はドライバーとして入ってもらっていました。しかしカメラの前に彼に立ってもらったりしているうちに『あれ、いいかも』という気持ちになって、ここまで来たので。見る目があったなと思っております」と自負してみせた。さらに、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、香港で公開中の本作(今後もアフリカを除くほぼ全ての地域で公開予定)が、フランスでは1週間で7万人の観客が訪れたことも明かされ、会場からは驚きの声が上がった。
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グランピング場建設計画の説明会のシーンの話になると、「あのシーンは本当に緊張しました。2日間かけて撮ったわけですが、最初の方は本当に頭が真っ白になりましたね」と振り返った大美賀。『偶然と想像』にはエキストラ的な感じで少しだけ出演したことはあったものの、本格的な芝居をしたのは初ということで「これ以上ない景色を見ています」と語る大美賀に対して、会場からは大きな拍手が鳴り響くなど、俳優・大美賀均が観客に受け入れられている様子がうかがえた。
そしてこの日はもうひとり。小坂も、もともとは濱口監督の『ドライブ・マイ・カー』に車両部として参加していたスタッフ出身の俳優であった。濱口監督が「彼はもともと俳優なんですが、その時は車両部として入っていて。その時に『僕もチェーホフが好きなんです』と言われて。トラックを運転している人からチェーホフが好きと言われたんで、ギャップ萌えをしてしまいました」と笑いながら語ると、その言葉に補足するように小坂が「あの映画では、車両部と監督だったので、なかなか話せる機会がなかったんですけど、最後に話す機会があって。僕も(同作に重要なモチーフとして登場する)『ワーニャ伯父さん』が大好きで、(『ドライブ・マイ・カー』の)台本に感動したので。そのことを伝えたのがはじめて会話をした時でした」と振り返った。
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それゆえ本作で濱口監督の演出を受けることとなり「しあわせでしたね」と笑顔を見せた小坂。「それこそ『ドライブ・マイ・カー』の時に、こういうところでお芝居をしたいなと感じていたので。濱口監督は、お芝居をする、という環境づくりにこだわってる方なので、そういう場所でやってみたいなと思っていたんですが、僕もそれが急に実現したので。それが幸せでしたね」としみじみ付け加えた。
主人公・巧の娘、花を演じた西川も本作で忘れられない印象を残すが、彼女はオーディションで選ばれたという。「短い台本にちょっとアドリブを入れてやったりとか。そんなに難しいことは言われなかった」と振り返った西川。濱口監督も「実のところ大美賀さんと一緒にしゃべってもらうというところがメインだったんですけど、西川さんはいい感じで距離があったというか。他の子でも、大美賀さんと本当に親子のように話せる子もいたんですが、西川さんは大人として喋っているような感じがあって。それが良かった」と大美賀との相性が決め手だったことを明かす。大美賀との芝居も「家で自分のお父さんと話すみたいに緊張せずに、普段通りに話しました」という西川に対して、「すばらしいと思います。普段、お父さんと話すようにできないと思うんですが。助けられました。ありがとうございます」と頭を下げる大美賀。そんなほのぼのとしたやりとりに会場も笑いに包まれた。
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一方、2015年の映画『ハッピーアワー』に出演していた渋谷。本作は久々の濱口組となったが、「わたしも濱口さんも大きくは変わっていない気がしましたが、ふたりともちょっとずつは大人になっているかなと思いました」と笑うと、「実際に撮影が始まって本読みに入っていくと、『ハッピーアワー』の時にみんなとやっていたことが、さらにどんどんブラッシュアップされていて。また一緒にできてうれしかったです」と感慨深い様子。濱口監督も「『ハッピーアワー』の時がはじめてだったと思うんですが、その後も彼女の舞台を観に行ったりもしていて。渋谷さんは『ハッピーアワー』の頃もいいと思っていたんですけど、その良さを失わないまま、俳優として成長しているものがあった。だから今回、この役は渋谷さんでいけるかも、というインスピレーションがあった時にお願いしたら受けてくれたので。一緒に仕事ができて良かったです」と晴れやかな顔をみせた。
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本作が生まれたきっかけとなったのは音楽家・石橋英子から濱口監督への映像制作のオファーだった。そこからふたりは試行錯誤のやり取りを重ね、「従来の制作手法でまずはひとつの映画を完成させ、そこから依頼されたライブパフォーマンス用映像を生み出す」ことから生まれたのが石橋のライブ用サイレント映像『GIFT』と、本作『悪は存在しない』である。残念ながらこの日は石橋は不在だったが、石橋からは手紙が寄せられ、その手紙を渋谷が代読することになった。
「ちょうど昨年の今ごろ、この映画のために音楽をつくりはじめました。それが昨日のことのような、まるで遠い過去のことのような。時間の感覚が分からなくなるくらい、この作品はわたしの人生にとって大切に作品になりました。わたしがライブのための映像を濱口さんに依頼したのが発端ではありますが、心の大きな濱口さんやプロデューサー、参加してくださったスタッフの皆さま、キャストの皆さま、お一人お一人のこれまでの人生、すばらしいお仕事によって、このようなすばらしい作品になったと思いますし、そのことを心からうれしく思います。感謝の気持ちでいっぱいです」と感謝の思いがしたためられたその手紙は、さらに「そのような大事な映画の、大事な初日に伺えないことは本当に残念で、悲しくて、悔しいです。本当はこの映画の舞台あいさつの後に、夜中の便でイタリアの映画祭に『GIFT』の上映のために向かうつもりでしたが、25日と26日では、飛行機代がありえないくらいの差があり、ゴールデンウィークを本当に恨む次第でございます。いいことばかりでもつまらないと自分を言い聞かせながら、今はイタリアに到着したばかりのボンヤリとした頭で、迎えの車を待っているのでしょう。ただただゆったりと映像と一緒に身を委ねて、楽しんでいただけたらと思っております。自分が関わっていても、本当に何回観ても飽きない作品だと思います。末永くよろしくお願���します」とつづられていた。
そんな大盛り上がりの舞台あいさつもいよいよフィナーレ。最後に濱口監督が「初日に来ていただいてありがとうございます。皆さまがどう思われたか分かりませんが、皆さまの感想をどこかで目にすることができたら、それがどのようなものでも本当にうれしく思います」と呼びかけると、「フランスでこの映画を観ていた時に、この映画を支えているのは映ってる人たちだなと。本当にすごいなと思いながら観ていました。それは撮影���場でもそう思っていたんですが、ひとりひとりが存在として輝いている。わたし自身そういう印象を持ち、感動したので、ぜひ多くの観客に観ていただきたいなと思います。ひとりひとりのありようとか、仕事を観ていだけいたらと思います。この映画、末永く、よろしくお願いします」と会場に呼びかけると、観客からは万雷の拍手が鳴り響いた。
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gangbeibei · 1 year ago
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宗族蒙羞受辱----父女雙雙被宗族掃地出門
金門蔡氏宗親會,曾在民國 100 年(2011 年)12 月破例讓蔡
英文參加祭祖活動,並在民國 105 年(2016 年)1 月稱蔡當選總統,
是該家族「500 年來最為榮耀的時刻」。
但是到了民國 106 年(2017 年),有人打出「蔡英文不是金門
蔡氏後人」的標語,希望將蔡英文一家掃地出門。這是為何呢?
原來是「忠孝廉節」的金門蔡氏家族與蔡英文一家卻完全不同。
金門蔡氏可以追溯至明清時期,其五世祖蔡鏡山、十四世祖蔡安
所、十九世祖蔡攀龍,都是有名的歷史人物。
42◎「忠孝廉節」的金門蔡氏
據統計,蔡氏家族還出過 6 位進士、6 位武將、7 位舉人和 15
位秀才。更重要的是,這些人都是歷史上的忠臣,是維護祖國統一的
功臣,在金門蔡氏祠堂內,忠、孝、廉、節四個大字高懸於牆上。
以上述蔡攀龍為例,其曾被稱為「平臺 20 功臣」之一。
民國 104 年(2015 年)8 月,北京保利廈門寶龍鉑爾曼酒店巡
展的「乾隆御筆平定臺灣二十功臣像贊」中,就有蔡攀龍的畫像。
43◎「忠孝廉節」的金門蔡氏
如果蔡攀龍知道其後代推動「臺灣獨立」分裂活動,違背其平定
林爽文叛亂的忠義,其在天之靈或許難以安息。
民國 38 年(1949 年)蔣公退守大陸入臺後,金門也是發展兩
岸關係最為積極的���方,民國 79 年(1990 年)兩岸便在金門簽署
「金門協議」,民國 83 年(1994 年)金馬愛鄉聯盟提出「金門馬
祖與大陸小三通說貼」,希望能以「單向」、「定點」和「先海後空」、
「先貨後客」等方式,推進「小三通」。
民國 89 年(2000 年)3 月,金門領先臺灣本島,正式與大陸展
開「小三通」。
此外,金門也一直是主張統一的藍營政治勢力的天下,在歷屆選
舉中,民進黨從未在金門討得任何便宜。
4445
◎金門蔡氏祠堂
民國 105 年(2016 年)1 月,臺灣總統競選中,雖然蔡氏宗親
會大力拉抬蔡英文的選情,蔡英文在全臺範圍內都大勝國民黨候選人
朱立倫,
但最終蔡英文在金門僅得到6626票,遠低於朱立倫的24327
票,成為蔡英文輸掉的為數不多的縣市之一。
金門蔡氏作為金門地區的重要家族,在其中也扮演了一定的角色。
民國 100 年(2011 年)以來,蔡英文曾三赴金門蔡氏宗親會。
民國 100 年(2011 年)12 月,蔡英文在民國 101 年(2012 年)
臺灣總統競選前赴金門進行祭祖,藉「小三通」向北京喊話。她說,
她會在兩岸現實的基礎,秉持「民主、對等、和平」原則,與大陸展
開新的對話和事務協商,「在我主政下,兩岸關係只會持續前進,不
會停滯或倒退」。民國 104 年(2015 年)6 月 13 日,蔡英文「點亮臺灣希望行
腳」來到金門,參加了蔡氏宗親會為其準備的瓊林宴及其相關選舉造
勢活動。她強調,如果下一次民進黨有機會執政的話,一定會再一次
重新規劃、思考金門下個階段的發展願景,讓金門的產業和發展都能
有系統、全面性往前大步邁進。
民國 105 年(2016 年)9 月 10 日,蔡英文至瓊林蔡氏宗祠祭
祖,並巡視水頭碼頭小三通現況。蔡英文聲稱,「沒有金門的小三通,
就沒有兩岸的交流」,她呼籲兩岸從小三通的歷史經驗中出發,堅持
兩岸和平往來,持續善意的互動,為兩岸人民謀求更大的福祉。
◎蔡英文祭祖現場合影
金門祭祖的意義確非平常。因為,依憲政架構,金門隸屬福建省,
46而蔡英文主張「中華民國」不包括長江、黃河,卻不知是否承認在憲
政架構下金門隸屬於福建省?又據稱蔡姓源自黃帝時期,蔡英文在福
���省拜祭蔡氏先祖,心中是否仍有「漳州蔡」或「楓港蔡」的糾結?
蔡英文的三次祭祖活動,意圖不難看出,完全為了選舉而來,絕不是
因為對祖宗的任何敬畏和思念之意。
更重要的是,不僅蔡英文之父蔡潔生在生前為日本帝國主義服務,
死後拒絕在墓碑上刻上「福建濟陽」的祖籍地,而且蔡英文本人在當
選總統之後,拒不承認「九二共識」及其核心內涵,頑固推行「台獨」
分裂活動,已經完全背離了金門蔡氏宗親會的基本價值與理念。
金門蔡氏宗親會基於家族情感,基於家族將出現「總統級」政治
人物的「小我」,在民國 105 年(2016 年)臺灣總統競選中支持蔡
英文。
隨著蔡英文推行令他們感到恥辱而且很有可能帶來戰端的兩岸
政策,他們開始後悔了,因此也就出現了將蔡英文一家踢出金門蔡氏
宗親會的一幕。
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peterchiublack · 4 months ago
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實體清單/推定拒絕/許可證/舉證責任的置換
實體清單/推定拒絕/許可證/
舉證責任的置換
烏凌翔,美中科技戰與權力轉移-熱戰可以被避免嗎?( US-China Tech War and Power Transitions –Can a Hot War Be Avoided? ),臺灣大學社會科學院 政治學系博士論文,民國 111 年 12 月,頁206-210。
1一旦列名實體清單,就是推定拒絕,你來說服我,讓我給你許可證啊。
2商務部列實體清單,外界那知悉SOP,而且是商務部工業與安全局單方就算數。
3一旦列名實體清單,就是推定拒絕,你來說服我,讓我給你許可證啊。個案認定。你來個案說服我。
4知道實體清單的厲害了吧!不管三七二十一,通通列入實體清單輔以許可證政策。
5此種舉證責任的置換,不需立法之時的立法論理,只要 ECRA/EAR授權商務部有開列各式 清單權限為已足。
6知道ECRA/EAR授權商務部開列實體清單與種種清單的殺招了吧,當時美國相關報導都很少。
《出口管制改革法》( Export Control Reform Act. ECRA ) 2018.08.13
《外國投資風險審查現代化法》 ( FIRRMA ) 是包裹在《2019財政年度國防授權法》通過的
All Information (Except Text) for H.R.5040 - Export Control Reform Act of 2018 115th Congress (2017-2018)
https://www.congress.gov/bill/115th-congress/house-bill/5040/all-info#relatedBills-content
EAR746Supp.No.1規定了出口行為的一般禁令。“禁令”不代表“禁止交易“,而是在提醒我們進行交易時要特別注意許可證的要求。
1. CCL清單及EAR其他規定請查看BIS官網資訊:www.bis.gov
2. 判斷最終用戶是否受管制
如果產品的收件人和最終使用人屬於如下清單,可能被禁止出口受EAR管轄的商品或需要申請許可證。
 l 被拒絕清單(Denied Person List)
 l 實體清單(Entity List)
 l 未經核實清單(Unverified List)
 l 軍事最終用戶清單 (Military End-User (MEU) List)
 l 特別指定國民名單(SDN list)
___________
實體清單名冊已有669頁,封禁的是屬於中國大陸的實體公司以及大學與研究機構等等,其中30-238頁,pp.30-238。
https://www.bis.doc.gov/index.php/documents/regulations-docs/2326-supplement-no-4-to-part-744-entity-list-4/file
___________
依照美國《出口管理規則》(Export Administration Regulation, EAR)規定,凡美國企業若欲出口、再出口或境外移轉貨品予實體清單(Entity list)中的企業時,須事前通過BIS的「許可證審查政策」(License review policy)。然而,BIS對申請案採取「推定禁止」(Presumption of denial)原則,意即若非有證據證明交易行為不會對美國國家安全及外交政策產生不利影響,將拒絕發放許可。
據了解,由於中國大陸所製造的超級電腦,多數仰賴由英特爾(Intel)、輝達(Nvidia)及超微半導體(Advanced Micro Devices, AMD)公司提供的晶片或微晶片,因此,在美國政府切斷對中國大陸晶片的供應後,恐影響中國大陸的超級電腦的運算能力。
------------
換言之,當時美國總統川普念茲在茲的貿易數字失衡只是美國技術流失的結果,所謂「中美貿易戰」實質上是一場科技保衛戰,之後,隨著美、中磨擦的演進,抱持相同看法的中、外學者來越多,520 這一方面確定了「中美貿易戰」的內涵,也為「中美科技戰」的內容,指引了一條研究途徑。不論美國政府官僚眼中是貿易戰抑或科技戰,為了建立依法行政的基礎與未來制裁中國的「工具」或「武器」,各部會同步進行幕僚作業。主要有 2018 年分別由參院、眾院通過,8 月 13 日再由川普簽署的《2019 財年國防授權法》,
*521 其中包括兩部法案都與對抗中國有關,一是《外國投資風險審查現代化法》(Foreign Investment Risk Review Modernization Act, FIRRMA),
*522 另一是《出口管制改革法》(Export Control Reform Act, ECRA)。
*523 前者賦予財政部旗下「海外投資委員會」(The Committee on Foreign Investment in the United States, CFIUS)更大的權力審查更廣的投資範圍,增加了「申報」程序,當某項交易會導致外國政府直接或間接擁有“重大利益”的外國人士收購涉及關鍵基礎設施、關鍵技術或敏感數據的美國企業的“重大利益”時,強制要求申報,顯然是為了防止中國企業以併購美國公司的方式取得美國科技;後者則為商務部未來管制美國新興技術出口與再出口取得法源,商務部得以「國家安全」為由管制出口。
*524 當時除了法律專業媒體,通俗媒體對這些法案內容的報導很少,有可能是外界一時沒看出這些法律與行政命令的重要性,以及完善這些法令所針對的對象就是中國, 之後美國政府這些「鋪陳」的效果逐步顯現後,外界才確認美國政府其實是「從投資、貿易和出口三個層面逐漸構建了一個對美國的跨境交易逐漸完善的審查體系」,美國這項立法算是「亡羊補牢」,因為在此之前的「2015 年至 2017 年間,中國不僅是每年申報交易數量最大的國家,在對美國關鍵技術企業的收購中,申報數量也是最多的」。
*525 具備了以上法案,商務部就成了對中科技戰的主要「作戰單位」,財政部次之,國防部當然也沒缺席,本章後文會申論。那麼,究竟美國認為哪些領域必需保持相對優勢以防制中國不當取得其科技呢?依據本文之前第參章對於科學與技術的分析,科技領域的分類十分龐雜,中國近年來的追趕又十分緊迫,美國要確認自己到底在哪些科學與技術領域對中國享有優勢、或享有多少優勢,也許並不是件容易的工作,然而川普政府的國安團隊頻頻換手、經貿團隊組成雖較穩定卻也內訌不斷而顯現出在戰術上沒有章法,可能是更主要的原因。
526 從 301 報告發佈,又經過了 2019 年整年、2020 年大半年,美國商務部持續對中國各單位祭出各種程度的行政制裁,一直到外界都看出重點漸漸聚焦在半導體產業後,才公佈需要保護的重點科技領域清單,而且還從不同部門發出內容不一的清單。
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kennak · 12 days ago
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大阪府立懐風館高校の女子生徒が2017年、「生まれつき茶色い髪の毛を黒く染めるよう教師から繰り返し強要され、授業出席を禁止された」などとして大阪府を訴えた訴訟。 事件の経過 この生徒は2015年度に懐風館高校に入学した。生徒は生まれつき髪の毛の色が茶色っぽかった。生徒は中学校時代にも髪染めを強要されていたこともあり、保護者は学校に対して配慮を求めていた。 しかし教師らは生徒に対して、髪の毛を黒く染めるよう繰り返し強要した。入学後は1~2週間ごとに指導し、その後頻度が4日前後になった。 生徒は髪の毛を黒く染めたものの、繰り返しの髪染めにより、染髪料が合わずに頭髪や頭皮が傷むなどの健康被害が出た。また教師の指導の際に、過呼吸で倒れたこともあった。 教諭らは生徒に対して、「母子家庭だから茶髪にしているのか」と差別的とも受け取れる暴言を吐いたとも指摘されている。 2年生だった2016年9月には、「髪の毛の色が黒に染まっていない」として、教師から授業や行事への参加を禁じられた。生徒はそれ以降登校できなくなり、修学旅行や文化祭にも参加できなかった。 生徒は2017年度に3年生に進級したが、事前に知らされていた所属クラスでは、クラス名簿から生徒の名前が抹消され、席も用意されていなかったという。生徒は登校できない状態が続いた。 生徒側の弁護士が学校側に問い合わせたところ、「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」と説明したという。 生徒は、弁護士事務所などに教員を派遣してもらう形で授業を受け、2018年3月に卒業した。 生徒側は2017年10月までに、大阪府を相手取り、約220万円の損害賠償を求めて大阪地裁に民事提訴した。 事件の反響 この訴訟のニュースは反響を呼び、日本国内だけでなく、海外メディアでの外国語での配信も含めて、大きく報じられた。 芸能人がツイッターで「自分も生まれつき髪の毛の色が茶色いが、学生時代に黒く染めるよう強要された」と発言したり、同じような経験をした人がネットメディアで経験談を語りニュースになるなどの事例もあった。 国会質問でもこの問題がとりあげられるなどもした。文部科学省は黒染めの強要については「個別の事例については係争中になるので答えを差し控えるが、一般論としては生徒の自主性を尊重する生徒指導が重要」としたものの、大阪府が生徒の名前を出席名簿から抹消していたことは「不適切」として、大阪府に対して是正指導をおこなったことを明らかにした。 訴訟の経過 大阪府は、訴訟で争う方針を示した。 大阪府は、生徒の名前をクラス名簿から抹消した理由については「不登校になっている生徒への配慮」と主張した。しかし文科省からの指導を受け、2017年11月に生徒の名前を当該クラスの出席簿に加える措置をとった。 大阪地裁は2021年2月16日、大阪府に対して約33万円の損害賠償を命じる判決を出した。頭髪指導については「校則は学校の裁量の範囲内」「黒染の強制などはない」と判断し、また教師の対応についても「生徒の髪の毛を確認した際、根元が黒色だと認識していた」と判断して、違法性を認めなかった。一方で生徒の氏名をクラス名簿から削除したことなど、生徒が不登校になってからの学校の対応については違法と判断した。 原告側弁護士は一審判決について「裁判での事実認定は教師側の主張をそのままなぞったもの。教師だというだけで証言内容に疑問が抱かれないのは納得できない」「原告の受けた被害と比較して被害認定が少なすぎる」として、対応を検討する意向を示した。 原告側は2021年3月1日付で大阪高裁に控訴した。しかし大阪高裁は2021年10月28日、一審判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。 原告側は二審判決を不服として、2021年11月11日付で上告した。しかし最高裁第一小法廷は2022年6月15日付で上告を棄却し、指導は違法ではなかったと判断した一審・二審判決が確定した。 教育資料庫 http://kyouiku.starfree.jp/d/post-7395/よりアーカイブ
大阪府立懐風館高校「黒染め強要」訴訟 - きょういくブログ
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nuthmique · 6 months ago
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・・・・・・・・・ トークイベント
今、劇団をつづけること vol.2
・・・・・・・・・
今、劇団で作品をつくりつづけるのはなぜだろう。
劇団以外にも沢山の演劇のつくり方が存在する中で、多くの難しさを抱えながらも、劇団を結成してよかったと思えている額田大志と山田由梨がホストとなり、2020年代の日本で劇団をつづけることを、様々な視点から語り尽くすトークイベントです。
第二回ではヌトミックの額田大志、贅沢貧乏の山田由梨に加え、中野成樹+フランケンズの中野成樹、ロロの三浦直之が出演。世代の異なる劇団の主宰が集い、劇団だからこそできること、劇団の作品の変化、劇団の面白さと複雑さ……様々な視点から、今、劇団をつづけることについて、じっくりと語ります。
〈日時〉
2024年10月12日(土)15:00~18:00
(14:40開場)
〈会場〉
RYOZAN PARK 巣鴨 THE WHITE ROOM 東京都豊島区巣鴨1-9-1 グランド東邦ビルB1F Google map 〈出演〉
中野成樹(中野成樹+フランケンズ) 額田大志(ヌトミック) 三浦直之(ロロ) 山田由梨(贅沢貧乏) 〈参加費〉
当日精算・現金のみ 一般 3,000円 学生 1,800円 ※当日証明書要提示 〈ご予約〉
下記フォームよりお申し込みください。 定員に達し次第、受付終了となります。
https://forms.gle/3vRaoi4u6PPw6wg6A 〈出演者プロフィール〉
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中野成樹(中野成樹+フランケンズ主宰)
1973年、東京生まれ。演出家。中野成樹+フランケンズ主宰。日本大学芸術学部演劇学科教授。好きな音楽:ロック、フュージョン、吹奏楽。好きなバンド:筋肉少女帯、Weather Report、天理高校吹奏楽部。好きな食べ物:鰻。好きな季節:冬。 
▼ 現在の劇団のメンバー構成 主宰・演出1名、ドラマトゥルク1名、俳優11名、スタッフ2名=15名(+子供たち)
▼ 演劇をはじめたきっかけ 幼稚園の頃、はじめて観た劇団・飛行船に心奪われる。小学生の頃より、父に年に3回ほど俳優座に連れてゆかれる。イプセン、チェーホフ、ブレヒトらに出会う。中高の頃は、吹奏楽に夢中になる。が、大学進学の際に「あ、俺、演劇やってみたいかも…!」と思い、演劇学科へ入学。
▼ 劇団結成のなりたち 大学卒業後、同級生たちとPOOL-5という劇団を旗揚げ(1996)。主に役者としてオリジナル作に出演。やがて、自身のやりたい演劇=翻訳劇の現代化が見えはじめ、それに特化した団体・フランケンシュタイナーを大学の後輩らに声かけし結成(1998)。構成・演出をつとめる。が、その後ガーディアンガーデン演劇フェスティバル落選を機に解散(2001)(ちなみに、選出されたのは庭劇団ペニノ、ヨーロッパ企画、ひげ太夫)。が、自身のコンセプト・創作を諦めきれず、中野成樹+フランケンズとしてリユニオン(2003)。誤意訳を名乗りはじめ、現在に至る。
▼ 劇団のこれまでとこれから 粛々と創作を続けてきました。ガーディアンガーデンの件がトラウマになっているので、劇団の“出世”的な発想からはできるだけ距離を取るようになりました。現在は、メンバーのダブルワークやら子育てやら療養やらと併走できる創作活動を目指しています。あとは、シェイクスピアの『ハムレット』を20年かけて上演する「EPシリーズ」を2021年より開始しています。小さな集団だからこそ大きな視座にこだわってみたい、そんなお年頃です。
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三浦直之(ロロ)
宮城県出身。ロロ主宰。劇作家/演出家。  2009年、主宰としてロロを立ち上げ、 全作品の脚本・演出を担当する。2015年より、高校生に捧げる「いつ高シリーズ」を始動し、戯曲の無料公開、高校生以下観劇・戯曲使用無料など、高校演劇��活性化を目指す。 そのほか脚本提供、歌詞提供、ワークショッ プ講師など、演劇の枠にとらわれず幅広く活動中。 2019年脚本を担当したNHKよるドラ『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』で第16回コンフィデンスアワード・ドラマ賞脚本賞を受賞。
▼現在の劇団のメンバー構成 劇作家・演出家1名、俳優6名、制作2名の計9名
▼演劇をはじめたきっかけ 最初は日本大学芸術学部の映画学科に入りたかったのですが、落ちてしまったので、演劇学科に入学しました。演劇学科に入ったのを機にいろいろと演劇をみるようになりだんだんと演劇に惹かれていきました。FAIFAI(当時は小指値)の舞台をみたときに、こういうの作ってみて〜!とおもったのを覚えてます。
▼劇団結成のなりたち 現在のロロメンバーでもある亀島一徳くんが声をかけてくれたのをきっかけに作ったのがロロの旗揚げ作品です。公演前は続けるつもりはなかったのですが、いざ公演を終えてみると、もっと上手になりたいという気持ちが湧き上がり、大学の友人たちとロロを劇団化しました。
▼劇団のこれまでとこれから 強い信念をもってスタートした集団じゃないので、ロロの活動にメンバーがあわせるというより、歳を重ねるごとに変化していくメンバーそれぞれの価値観にあわせて、ロロ自体がぐにぐにゃと形を変えていくような集団を目指してます。が、やっぱり結構むずかしい。なんか最近はロロでピクニックとかおつかいとかやっていきたいですね
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©︎comuramai
額田大志(ヌトミック)
1992年東京都出身。演劇カンパニー・ヌトミック、コンテンポラリーポップバンド・東京塩麹を主宰。外部作品の演出や舞台音楽や映画音楽なども取り組みます。
▼ 現在の劇団のメンバー構成 主宰・演出1人(劇作と音楽も) 俳優3人(衣装を作ってくれたり、過去には俳優企画があったりも) 制作1人(小道具を調達してくれたりも)
▼ 演劇をはじめたきっかけ 二十歳前後で、友人の舞台作品に音楽で参加したことや、なんとなくレンタルしたダムタイプや大野一雄のDVDで舞台の面白さに気づき、よくわからないけど、かっこいい、そんな思いで自主的にダンス作品やパフォーマンスイベントの企画をはじめました。その後、平田オリザさんの書籍に出会って衝撃を受け、見よう見まねで演劇作品を作りはじめたのがきっかけです。
▼ 劇団結成のなりたち 大学卒業を機に、高校の同級生と二人で結成しました。演劇や音楽で生活するのは難しいと思い、一度就職しましたが、卒業制作で上演した演劇が戯曲賞を受賞し「おっ、これはいけるかも……」と勢いで退職。とりあえずやってみる、で、上演の方法から考えることが多いです。現在、ヌトミックは俳優三名、制作一名を加えた五名です。
▼ 劇団のこれまでとこれから 結成当初は「楽譜のような台本」を明確なコンセプトにしていましたが、ダンサー、ラッパー、建築家など色々な人とコラボを重ねたり、野外劇の上演を続けてきたことで、もう少しゆるやか、というか、懐の広い作り方になっています。今は、劇団が結成から取り組んできた沢山のことを、劇場での公演として結実させようと、頑張っています。
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山田由梨(贅沢貧乏)
1992年東京都出身。劇団 贅沢貧乏を主宰。作・演出を務める。演劇活動以外にもドラマ脚本・監督等の仕事もしています。
▼ 現在の劇団のメンバー構成 作・演出1人、制作1人、俳優3人の計5人です。
▼ 演劇をはじめたきっかけ 小学生のときに子役をしていて、『レ・ミゼラブル』に出演したのが最初の舞台。それが楽しかった記憶がぼんやりありつつ、高校生の時の文化祭でクラスのみんなで毎年演劇を作ったのがすごく楽しくて、作品を作るということに興味を持ちました。それから、大学に入って小劇場演劇を見たり、出たりするようになりました。
▼ 劇団結成のなりたち 大学3年生の時に、学内で一人芝居の公演をして、それを見ていた大学同期が一緒に何かやりたいと声をかけてくれて、流れで次の公演をやることに…その次も…と続けてたら劇団になってました。当初は音楽や映像など裏方メンバーで構成されていましたが、彼らが就職で抜けたり新しく俳優・制作がはいったりして自分・制作・俳優3人の今の5人体制に。
▼ 劇団のこれまでとこれから 劇団の初期は、古い一軒家や、アパート、ビルの一室など、劇場じゃない場所で作品をよく作っていました。場所性を活かした作りが多く、気づけば劇場で作った作品の方が少ないです。これからをそんなに見据えてないけど……今のメンバーがいるからできることを生活を続けながら無理ないペースでやっていけたらいいかなと思ってます。
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ヌトミック nuthmique[a]gmail.com
企画・主催:今、劇団をつづけること
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takahashicleaning · 6 months ago
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TEDにて
ニロファー・マーチャント: ミーティングは歩きながら?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ニロファー・マーチャントが、人生、そして、健康に大きなインパクトを与える可能性を秘めたちょっとしたアイデアを提案します。
今度、1対1でのミーティングの予定が入ったら、ウォーキングしながらのミーティングにしてみましょう。そして、ウォーキングしながら話している間にアイデアが浮かんでくるのを待ってみましょう。
そう!哲学者のように•••
そして、コーヒーミーティングや蛍光灯が眩しい会議室でのミーティングに行く代わりに週に30~40km程度のウォーキングミーティングに行くことを提案。
それにより、生活は一変したそうです。
人間の場合は、ウォーキングの行為そのものや、また移動する事で見聞きすることあるいは、出歩く事で他人とコミュニケーションの場に行くなど様々な動機付けがみられウォーキングに行く理由は、人によって、あるいは状態・状況によって異なります。
現在では、2015年にAppleWatchも発売されているので、心拍計も記録できるようになっています。腕時計型ウェアラブルコンピューターでスマートウォッチとも言われる。
Apple Watchの搭載チップは、振動にもつように完全に樹脂でコーティングされてるために、コンピュータシステム全体を一つのチップに組み込んでるそうです。
アリストテレスは弟子たちと歩きながら語らうことを日課にしていたそうです。
テーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想法にも似ています。こちらは、1mくらいの短距離でもすぐに実践できます。
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも��
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、���しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
2018年では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
<おすすめサイト>
エピソード6Episode6 - アトラクタフィールドと人類の歴史について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
ルーシー・ホーン:レジリエンス(心の回復力)を高めるための3つの秘訣
ティム・フェリス : 目標でなく、あえて心の状態の恐怖認識を明確にすべき理由?
日本テーラワーダ仏教協会
マイケル・サンデル:失われた民主的議論の技術
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷高橋クリーニング店Facebook版
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knk-q · 7 months ago
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2023Best
もうすぐ2024年も半分が終わるというところで、今更ながら2023年にビビッときた曲の記録。
以下、グダグダな解説。長文注意。
Calling You / ジェヴェッタ・スティール (1988) なんか気になって "Bağdad Cafe" を観てめっちゃいいやんってなってヘビロテした。不思議な映画だけど、なんか良かった。なんか。
Can You Feel It / ザ・ジャクソンズ (1976) 私のプレイリストの特徴として���なんで今これにハマったの?」という曲が頻出する。選考基準はその1年のうちにビビッときたかどうかだけ。 これはイントロがひたすらバカっぽくて好き。この場合のバカは褒め言葉。
Running Man / The Fearless Flyers (2022) なぜかこのアルバムを聴きそびれていて、遅ればせながらチェックした。 ドラムパターン大喜利。個人的にはIPPON。
Failing in a Cool Way / ルイス・コール (2022) 大学時代に所属していた軽音サークルのOBライブでカバーして好きになった。激ヤバなライブバージョンのほうを元ネタにカバーしたんだけど、この音源版も良い。 なお私はパーカッションで茶々を入れるだけだった。非常に気楽。
リターン・オブ・カンフー・ワールド・チャンピオン / 上原ひろみ (2006) 新曲(Sonicwonderland)を聴いて立ち返ったパターン。 最近の曲も好きだけど、昔のほうがリフが攻撃的だったりソロが筋肉質だったりする気がする。違ったらすみません。
Megalovania / トビー・フォックス (2015) shu3さんのゲーム実況を見て繰り返し聴いているうちに耳にこびりついてしまった。狂気の縛りプレイ企画にもぴったりなサウンドで改めて良いなあと。 Undertale自体はやったことがなく、RTAでざっくり知っている程度。確実に面白いのは知っているのにやってみようとならないあたり、性格が出ている。
RAP'N'TECHNOTCHI / LAUSBUB×Bose (2023) リリース当時はPVみたいなのがアップされていた気がする。消えちゃった?勘違いかな。 LAUSBUBは友人が教えてくれて、今もサブスクを聴き漁っている。クールな子たちだわあ、本当に。
Jubilance / WshblDucks (2023) 直近で少しずつ聴くようになったジャンルなのでどうやって形容していいか分からない。まずジャンルが何なのかも分からないけど、カッコいい。 変態。応援してます。
Sparkle Tape Break Up / ハイエイタス・カイヨーテ (2021) The Fearless Flyersと同じく元々好きだったけどなぜか新譜を追いかけ忘れていた。時々あるのよね、こういうこと。 これは某カセットテープショップで見つけて、あれ!いつの間に!となった。遅いって。
空とぶ東京 / CHO CO PA CO CHO CO QUIN QUIN (2023) 某音楽番組のベスト10企画でも某氏が別の曲を入れていたバンド(伝われ)。カッケェよなあ。 ちゃんと東京っぽい。ちゃんと今っぽい。でも小便くせぇ感じがしない。憧れちゃう。
B-Side / Khruangbin & Leon Bridges (2021) 2022年にKhruangbinの豊洲PITでのライブを見て改めて好きになって、ちょっとずつ遡りながら聴いていたときにぶつかった曲。1年かかって1年分遡っている。遅いんだって。 ライブは前職で一緒だったおじさん3人と一緒に観に行った。年齢は15歳くらい上なんだけど友達みたいな関係。変な人たち。
Balloon (Sunset Rollercoaster Remake) / ADOY & 落日飛車 (2023) 好きなやつと好きなやつの組み合わせ。カツカレー。ハンバーグドリア。そんなクドい曲じゃないけど。 今回まとめるまでMVあるの知らなかった。めっちゃ可愛い。
素っ頓狂 (feat. BIM) / YeYe (2022) これもOBライブでカバーした。私はBIMパート。なんで? 改めてMVの説明文を見てタイトルロゴが推しデザイナー(?)の脇田さんだと知ってさらに好きになった。
嘘をつく唇 / 東京スカパラダイスオーケストラ (2015) 2023年で一番謎な選曲。理由は特にないです。どうしよう。
君は天然色 / 藤原さくら (2021) 弾き語りの動画をしょっちゅう見ていたけどスタジオ版があることを知らなかった。こっちも良いじゃん。
Slow & Easy! / Penthouse (2023) へぇ〜!これが東京大学の音楽サークルで出会った男女6名によって2018年に結成された「日常をちょっとおしゃれに彩る音楽」の探求をコンセプトに「シティソウル」バンドとして活動を行うPenthouseかぁ〜〜〜!!(Wikipediaより) 音源版みたいにコーラスたっぷりでもいいけど、これくらいスッキリしてるのもいいね。なんせ歌詞がいい。おっと。
Upon You / Bialystocks (2022) 浅草にあったご飯屋さんで流れていてShazamした曲。ご飯もお酒も美味しくなる感じ。いいね。 今度は台湾でお店を出すらしい。また食べたいけど、台湾かあ。行けるかなあ。
Earworm (feat. Vulfmon) / Vulfpeck & Vulf (2022) MV観てると楽器がダメになってしまわないか心配になる。 あったかい感じの曲も聞くんだよアピール。
雨傘 / 大聖堂 (2023) へぇ〜!これが時代や国を問わず様々なルーツやエッセンスを感じさせる音楽性を特徴とし「懐かしさと新しさが同居する」グッドミュージックを日々創出し続けている大聖堂かぁ〜〜〜!!(Bioより) MVも凝っていて、ライブでもみんな可愛らしくて、応援してます。
栞 / クリープハイプ (2018) 突然YouTubeのおすすめに現れてハマった。学生時代はほとんど聴いていなかった。いわゆる「通ってこなかった」バンド。 セブンルールに出ている野球好きの人という程度の認識だったけど、天才なんだね。これはお恥ずかしい。
MajiでKoiする5秒前 / 銀杏BOYZ (2021) リリース当時も聴いていたけど某騒動があって改めて聴き直したというイレギュラー選曲。私は料理をほとんどしないのだけど、肉の焼き方だけ我流を持っていて、たまたま彼と同じ焼き方にたどり着いていました。 聴けば聴くほど歌詞の意味が分からないのは私だけでしょうか。
情熱の薔薇 / 春日俊彰(オードリー) (2022) 春日さんの歌声を「心根の美しさが滲み出た、真っ直ぐで綺麗な青年」「意思がない空っぽの入れ物、もはやボーカロイド」のどちらで受け取ればいいのか分からない。
Take it easy / チュロス (2023) あの曲が!音源に!という謎の感動でカセットテープまで買ってしまった。私を何をやっているんだろう。本当に。 単独も観に行った。最初のコントで東ブクロさんが(偶発的に)グダグダになってしまったけど、動揺した様子が全くなかった。プロといえばプロなんだけど、人間味がなくてちょっと怖かった。
ジャンピングジョーカーフラッシュ / 乃木坂46 (2022) こっそりとゆるめの乃木オタをやっており、2023年に推しが卒業して、ここから3曲はそういうことです。 言い方が難しいのだけど推しはあまり曲に恵まれず(批判ではなく嘆き)、個人的には3期生曲が好みだった。そしてMVが異様に好きなので以下見所。 0:58 田村のご陽気な動き 1:16 やんちゃんかわいい 1:23 こんな一瞬でも目がバキっている林 1:27 こんな一瞬でも動きがバキっている林 1:44 目バキが伝染したやんちゃん 2:47 ギターソロが普通に(重要)カッコいい 3:23 物理演算を無視してカメラ方向に顔向けたまま後退する矢久保 3:37 とにかく元気な清宮 3:46 生まれたての佐藤
I see… / 乃木坂46 (2020) シンプルにアイドルソングとして強すぎ。やたらとイカしたベースライン。超絶可愛いサビの振り付けと、意味不明なストリングスのメロディ。 MVのラストシーン、乃木中で語られていたストイックエピソードを思い出して、アイドルって大変なんだなあと。
ゆっくりと咲く花 / 乃木坂46 (2021) 推しの卒業ライブでも歌っていてなかなか感動的だった。ただ、訳あって妻の友達の家という特殊なシチュエーションで配信を観ていたため泣くわけにもいかなかった。ある意味で貴重な体験。 今後アイドルを推すということはないだろうと思う。何だったんだろうな、この時期。
窓の中から / BUMP OF CHICKEN (2023) NHK「18祭」の曲。自分も18歳のときにこの曲に出会いたかったな。逆に30歳になって聴いたからこそ良かったような気もする。 実際にライブでも聴けて甚く感動した。さいたまスーパーアリーナのスーパー遠い席だった。スーパーちっちゃく見えるフジくんがスーパー兄貴MCをかましていた。「風邪引くなよ」って言われた。フジくん、私もう30歳だよ。
新世界 / BUMP OF CHICKEN (2019) これもそのライブで演奏していた。音源で聴くよりパワフルで、会場を巻き込んでウネっていた。たまにあるよね、この曲ライブだとこんな盛り上がるのかよって曲。 我々世代からすると「あの頃のバンド」と思っている人も多いかもしれないけど、これだけのキラーチューンをバンバン作ってるって、マジでヤバいよな。大天才じゃん。
メモリアフロア / 藤井隆 (2022) 過去のベストにはナンダカンダを入れたこともある。ライブが素晴らしいアーティストという認識。
しかたなく踊る (Live Session) / 星野源 (2023) LIGHTHOUSE、観たよアピール。
A.Y.A / Yogee New Waves (2023) 大好きなバンド。帰ってくるのをひたすらに待つ。
窓 / ゲシュタルト乙女 (2023) 2022年のBestにも別の曲を入れていて、アルバムはカセットテープで購入。これこそ18歳の時に出会っていたらヤバいハマり方したんじゃないかな。声が本当に好き。 大切にしたい作品のカセットテープを見つけると買ってしまう病気にかかってしまった。レコードに手を出していないだけ許してほしい。誰に?
タオルケットは穏やかな / カネコアヤノ (2023) ハチロクのリズムが一番似合うシンガーソングライターだと思う。Bメロからサビの展開と歌詞が大天才。 あんまり聴きすぎると帰ってこれなくなりそうなので気をつけている。
16:28 / 君島大空 (2023) ウワモノとリズムの縦がちょっと揺れたような噛み合い方で、ゆらゆらと永遠に聴いていられる。Cメロみたいなところでそれがガチっとハマって大きく揺さぶられる。歌メロの締め方もオシャレ。 いや〜〜〜良すぎる〜〜〜。(最後の最後で語彙が消滅)
34曲はちょっと多いわ、今度はベスト10くらいにしような。 もし最後まで読んだ奇特な方がいたら、今更ながら2023年を語り合おうじゃあないか。
ちなみにこの年間ベストの記録は2013年から続けている。もうすぐ干支が一周するね。
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utagyaku · 8 months ago
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詩人・小野十三郎の書く「大阪」を巡り、
音と声による「歌」の可能性を探る
大阪を拠点とし、既存の奏法に捉われず音楽の新たな可能性を追求し続けてきた音楽家・日野浩志郎と詩人・池田昇太郎による、音と声の表現を探る3カ年プロジェクト「歌と逆に。歌に。」。初年度は、大阪・名村造船所跡地のクリエイティブセンター大阪にて、新作公演を発表する。
本プロジェクトにおいて重要なテーマとなるのが、1903年に大阪で生まれ、戦前から戦後にかけて大阪の風景や土地の人々を眼差してきた詩人・小野十三郎だ。1936年〜52年、小野が大阪の重工業地帯を取材し、1953年に刊行された詩集『大阪』と、彼の詩論の柱である「歌と逆に。歌に。」を手がかりに、同詩集で描かれた地域や地名をフィールドワークとして辿る。
小野十三郎という詩人の作品に向き合うということは彼の生きた時代とその社会、彼の生まれた街、育った街、住んだ街、通った道、生活、彼の思想、友人や影響を受けた詩人を訪れることでもある。本作ではそうした街や道、風景を巡りながら、詩集『大阪』にて描かれる北加賀屋を舞台に、小野が試み、希求した「新たな抒情」を感受し、独自に解釈し、編み直し、それを音楽公演という時間と空間の中に試みる。
【歌と逆に。歌に。 Instagram】 ※公演に関する追加情報は下記アカウントから告知していきます。 https://www.instagram.com/utagyaku
公演情報
新作音楽公演|「歌と逆に。歌に。」
公演日時: ①8月16日(金)19:30- ②8月17日(土)14:30- ③8月17日(土)19:30- ④8月18日(日)14:30- ※開場は各開演の30分前を予定
会場:クリエイティブセンター大阪内 Black Chamber 料金:一般=4,000円、U25=3,000円、当日=5,000円 チケット取扱い:ZAIKOイベントページにて 
関連イベント|オープンスタジオ
公演を前に、作品制作の現場を間近でご覧いただけます。当日はリハーサルだけではなく、クリエーションやリサーチの進捗共有なども行う予定です。
日時:2024年7月7日(日)14:00-17:00 会場:音ビル (大阪府大阪市住之江区北加賀屋5-5-1) 料金:500円(要申込・途中入退場自由) 申込:Googleフォームにて *オープンスタジオは終了しました
クレジット
作曲:日野浩志郎 詩・構成:池田昇太郎 出演:池田昇太郎、坂井遥香、白丸たくト、田上敦巳、谷口かんな、中川裕貴、日野浩志郎 舞台監督:小林勇陽 音響:西川文章 照明:中山奈美 美術:LOYALTY FLOWERS 録音・フィールドレコーディング音源提供:東岳志 宣伝美術:大槻智央 宣伝写真:Katja Stuke & Oliver Sieber、Richard James Dunn 宣伝・記録編集:永江大 記録映像:西純之介 記録写真:井上嘉和、Richard James Dunn 制作:伴朱音
主催:株式会社鳥友会、日野浩志郎 共催:一般財団法人 おおさか創造千島財団「KCVセレクション」 助成:大阪市助成事業、全国税理士共栄会 メディアパートナー:paperC 協賛:矢島慎也 協力:大阪文学学校、エル・ライブラリー 問合:[email protected]
出演者プロフィール
日野浩志郎 / Koshiro Hino 音楽家、作曲家。1985年生まれ、島根県出身。現在は大阪を拠点に活動。メロディ楽器も打楽器として使い、複数拍子を組み合わせた作曲などをバンド編成で試みる「goat」や、そのノイズ/ハードコア的解釈のバンド「bonanzas」、電子音楽ソロプロジェクト「YPY」等を行っており、そのアウトプットの方向性はダンスミュージックや前衛的コラージュ/ノイズと多岐に渡る。これまでの主な作曲作品は、クラシック楽器や 電子音を融合させたハイブリッドオーケストラ「Virginal Variations」(2016)、多数のスピーカーや移動する演奏者を混じえた全身聴覚ライブ「GEIST(ガイスト)」(2018-)の他、サウンドアーティストFUJI|||||||||||TAと共に作曲・演奏した作品「INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada」(2021-)、古舘健や藤田正嘉らと共に作曲した「Phase Transition」(2023)、等。佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団 鼓童とは2019年以降コラボレーションを重ねており、中でも延べ1ヶ月に及ぶ佐渡島での滞在制作で映像化した音楽映画「戦慄せしめよ/Shiver」(2021、監督 豊田利晃)では全編の作曲を日野が担当し、その演奏を鼓童が行った。音楽家・演出家のカジワラトシオと舞踊家・振付家の東野祥子によって設立されたANTIBODIES Collectiveに所属する他、振付師Cindy Van Acker「Without References」、映画「The Invisible Fighit」(2024年公開、監督Rainer Sarnet)等の音楽制作を行う。
池田昇太郎 / Shotaro Ikeda 1991年大阪生まれ。詩人。詩的営為としての場の運営と並行して、特定の土地や出来事の痕跡、遺構から過去と現在を結ぶ営みの集積をリサーチ、フィールドワークし、それらを基にテクストやパフォーマンスを用いて作品を制作、あるいはプロジェクトを行なっている。廃屋を展覧会場として開くことの意味を視線と身体の運動からアプローチしたインスタレーション「さらされることのあらわれ」(奈良・町家の芸術祭はならぁと2021)、一見するとただの空き地である元市民農園を参加者と共に清掃しながら、その痕跡を辿り、かつての様子を無線越しに語るパフォーマンス「Only the Persiomon knows」(PARADE#25、2019)西成区天下茶屋にて元おかき工場の経過を廻るスペース⇆プロジェクト「山本製菓」(2015~)、「骨董と詩学 蛇韻律」 (2019~)他。
坂井遥香 / Haruka Sakai 2014年野外劇で知られる大阪の劇団維新派に入団し、2017年解散までの作品に出演。2018年岩手県陸前高田市で滞在制作された映画『二重のまち/交代地のうたを編む』(監督:小森はるか+瀬尾夏美)に参加。近年の出演作に孤独の練習『Lost & Found』(音ビル,2020)、許家維+張碩尹+鄭先喻『浪のしたにも都のさぶらふぞ』(YCAM)、梅田哲也『入船 23』、『梅田哲也展 wait this is my favorite part 待ってここ好きなとこなんだ』(ワタリウム美術館)など。場所や土地と関わりを持ちながらつくる作品に縁・興味がある。
白丸たくト / Takuto Shiromaru 音楽家。1992年生まれ。兵庫県出身。茨城県大洗町在住。実感のなさや決して当事者にはなれない事柄を、社会・歴史・その土地に生きる人々との関わりから音楽を始めとする様々なメディアを用いて翻訳し、それらを読み解くための痕跡として制作を続けている。「詩人の声をうたに訳す」をコンセプトに行う弾き語り(2016〜)や、ラッパー達と都市を再考するプロジェクト「FREESTYLUS」(2021〜)等。
田上敦巳 / Atsumi Tagami 1985年生まれ。広島県出身。音楽家日野浩志郎を中心に結成されたリズムアンサンブル「goat」のベースを担当。バンド以外に不定形電子音ユニット「black root(s) crew」のメンバーとして黒いオパールと共に不定期に活動。2011年~2018年まで「BOREDOMS」のサポートを行う他、2022年からはダンサー東野洋子とカジワラトシオによるパフォーマンスグループ「ANTIBODIES Collective」に参加。
谷口かんな / Kanna Taniguchi 京都市立京都堀川音楽高校、京都市立芸術大学の打楽器科を卒業。在学時はライブパフォーマンスグループに所属し、美術家、パフォーマー等と共演、即興演奏の経験を積む。卒業後はフリーランスの音楽家として室内楽を中心に活動。卒業後も継続して他分野との即興演奏に取り組んでいる。これまでに、東京フィルハーモニー交響楽団、京都室内合奏団と共演。近年はヴィブラフォンでの演奏に最も力を入れており、2023年11月にヴィブラフォンソロを中心とした初のソロリサイタル「vib.」を京都芸術センターで開催。
中川裕貴 / Yuki Nakagawa 1986年生まれ。三重/京都在住の音楽家。チェロを独学で学び、そこから独自の作曲、演奏活動を行う。人間の「声」に最も近いとも言われる「チェロ」という楽器を使用しながら、同時にチェロを打楽器のように使用する特殊奏法や自作の弓を使用した演奏を行う。音楽以外の表現形式との交流も長く、様々な団体やアーティストへの音楽提供や共同パフォーマンスを継続して行っている。2022年からは音楽家・日野浩志郎とのDUOプロジェクト「KAKUHAN」がスタート。令和6年度京都市芸術文��特別奨励者。
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hirvi-acousma · 10 months ago
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hirvi Acousmonium Live in Kyoto "CEREMONIAL"
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昨年に引き続き今年もhirvi Acousmonium Liveを開催いたします! hirvi Acousmonium Live in Kyoto "CEREMONIAL"  関西を拠点として活動するヒルヴィは、多層立体音響装置「アクースモニウム」を用いたライブを定期的に開催しています。今回はヒルヴィのメンバーに加え、石上加寿也、かつふじたまこ、Leo Okagawa、Shuta Hiraki各氏をお招きして、総勢9名の電子音響音楽作品を上演します。  コロナによる移動制限が解除され、人々の集いが再開されました。しかしその中で災難が続き喜びや悲しみ、祈りが行き場を無くしているように思います。再びその思いを集約し共有する為に共通コンセプトをCEREMONIAL(儀式の)としたライブを企画しました。  またアクースモニウム演奏の第一人者である檜垣智也によるアクースモニウム体験会を同時開催いたします。 開催日: 2024/5/11(sat) - 2024/5/12(sun) 開催場所: FRAME in VOX 604-8031 京都市中京区大黒町44 河原町VOXビル 3F WEB SITE: https://frame-in-vox.com/ MAIL: [email protected] バス:「河原町三条」各停留所より徒歩1〜5分 京阪線:「三条駅」6番出口より徒歩5分 地下鉄東西線:「三条京阪駅」2番出口より徒歩5分 阪急線:「京都河原町駅」3B出口より徒歩7分 ※駐車場・駐輪場はございませんので、近隣の有料パーキングをご利用ください。 料金: アクースモニウム体験会:一般 2,000円(学生 1,000円)※定員6名 1コンサート券:一般 2,000円(学生 1,000円) コンサート通し券:一般 3,500円(学生 2,000円) ※通し券はアクースモニウム体験会を除く Artist: 石上加寿也 かつふじたまこ Leo Okagawa Shuta Hiraki 天野知亜紀 牛山泰良 大塚勇樹 永松ゆか 檜垣智也 Program: 5/11(sat) 18:00 - 19:30 アクースモニウム体験会( 講師 檜垣智也) 5/12(sun) 15:00 - コンサート1 檜垣智也、永松ゆか、天野知亜紀 16:00 - コンサート2 大塚勇樹、Leo Okagawa*、Shuta Hiraki* 17:00 - コンサート3 牛山泰良、かつふじたまこ、石上加寿也 *……招待作品 お問い合わせ・予約: ヒルヴィ事務局 [email protected] 主催 ヒルヴィ hirvi 協力 FRAME in VOX, MEDIA SHOP GUEST ARTIST: 石上加寿也 KAZUYA ISHIGAMI   1972年、大阪生まれ。DRドイツ公共放送からの委嘱作品制作をはじめ、WDR(西部ドイツ公共放送)、MUSLAB国際電子音響祭(メキシコ)、Zeppelin国際サウンドアート電子音響音楽祭(スペイン)、ICMC国際コンピュータ音楽会議2015(アメリカ/テキサス) 、Music From Japan 2020(アメリカ/NY)などで作品上演をおこなう。自主レーベル”NEUS-318″と“OMODARU”を主宰。 かつふじたまこ TAMAKO KATSUFUJI 音作家。90年代半ばより詩や言葉を用いた音作品の制作を始める。2000年フランス国立視聴覚研究所INA-GRMにて作曲を学ぶ。何気ない日常から小さな奇跡(音)を拾い集め紡ぎ出されるその作品は、日常の隣のちょっとへんてこな世界を表現する。フランスMOTUSよりの委嘱作品ほか、作品はフランス、イタリアのフェスティバル、スペインやNYのラジオ番組でも上演され、海外のファンも実は多いとか?! https://hello-tsukineco.jimdo.com/ LEO OKAGAWA (招待作品) サウンド・アーティスト。2014年よりフィールド・レコーディングをはじめ、録音した素材やアナログ機器のノイズ、シンプルな電子トーンによる多層的なコラージュ作品の制作を開始する。2017年からは即興によるパフォーマンスもおこなう。いくつかの電子機器類を使用し、シンプルなトーンの組み合わせによる構造的な可能性を模索する。 Shuta Hiraki (招待作品) 長崎県在住の音楽家/批評家。音響合成、フィールド・レコーディング、アコースティック楽器の演奏、サンプリング・コラージュなど様々な手法を駆使し、構造/思想の両面からアンビエントやドローン・ミュージックの臨界を志す。KYOU Records、Rottenman Editions、LINE、VAAGNERなど多数のレーベルから作品を発表。近年はシュルティボックスと電子音の連携によるライブ活動を展開。 hirvi 2014年に設立。関西を拠点として、メンバー全員がミュージシャン。アクースモニウムを運用し、メンバーの作品発表を中心に活動している。またアクースモニウムの魅力を社会に発信するために、コンサートやワークショップの企画・制作、芸術祭への参加、音楽出版、音響技術支援などを行っている。 現メンバー:檜垣智也(代表)、天野知亜紀、牛山泰良、大塚勇樹、 永松ゆか、ミユタシマヤ
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heyatoengeki · 11 months ago
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部屋と演劇 対談③ 村社祐太朗×野村眞人
野村 お時間とっていただいてありがとうございます。よろしくお願いします。ちょっと部屋の電気が切れまして。
村社 えー(笑)
野村 ちょっと不気味なライティングなんですけど、お気になさらずというか、はい、お願いします(笑)
村社 よろしくお願いします。
野村 トピックとしてはいくつかありまして、上演についてもそうですが、まずは今回の部屋と演劇 vol.1という取り組み自体についてのお話ができたらなと思っています。
これまで、部屋と演劇では、お互いの関心について話をしたり、お土産を買って帰るために旅行したり、最近調子どう?みたいな雑談をポッドキャストで配信したりなどいろいろなことをしてきていまして、その中で今回ご覧いただいた部屋と演劇 vol.1 は試演会的な位置付けの取り組みでした。個人的にはこれまでの活動と同じぐらいの感覚で、上演や制作ができないかというテーマで臨んでいました。普段の出来事を覚えておくというか、「昨日こんなことがあったんだけど」みたいな話を平然と持ち込む、みたいなことです。パッと集まってワッと作ってサッと帰るという全体のスローガンには、なるべく各自が負担なく制作と上演を継続する場という意味もありますが、個人的にはそういうことを考えていました。
ざっくり言えば生活と演劇みたいなことになるのだと思いますが、その辺りについて村社さんご自身の取り組みや考えを交えながら、ざっくばらんにお話しさせていただきたいなと思っています。
村社 わかりました。あ、ちょっといま猫を部屋から出しますね。
野村 あ、猫ちゃんがいるんですね。
村社 そうなんですよ。すみません、戻りました。
野村 いえいえ。今回、そうした部屋と演劇 vol.1 の終演後の座談会ゲストとして村社さんにお声がけさせていただいた理由として、この試演会が村社さんご自身の演劇に対する考え方とか取り組みと重ねてお話ができるんじゃないのかな、と思ったことがあります。とはいえ、こうしてお話するのは初めてなので、まず自己紹介というか、僕のことを簡単にお話しさせていただきます。僕は京都を拠点に2015年ごろから演劇に携わりだして、2016年から演出家として活動しているんですけど、最初は大学で演劇の研究をしようと思っていました。
村社 そうなんですね。
野村 僕の大学では、既存のカリキュラムとしては文学として戯曲を扱う研究がメインだったんですが、上演を丸ごと視野に入れたかったので美学という研究室に行きました。それでも、文学部の基本的な態度として文献にあたるというのがあって、僕もちらほら読んでみたのですが、あんまり面白くなくて留年しちゃって。それから「そういえば上演を観たことないぞ」ってことにかなり遅ればせながらやっと気がついて(笑)。それで近所にあった劇場にとりあえず観に行ってみたんですが、それが衝撃的に面白くて、「演劇やってみたい」と思いました。そこでまずは演劇を観に行く研究会を作ったんですね。一つの上演についてなるべく多くの視野と視点を持てるように、大学生に限らずいろんな人たちと一緒に上演を観に行って、また集まって感想をシェアしたりレポートにまとめたりしていました。多い時で50人弱くらいの参加者が集まっていて、上演を見るスケジュールを組んで、行ける人が観に行って話すというのをやっていました。
村社 なるほど。その当時の研究会の人たちって、今も京都にいる方もたくさんいらっしゃるんですか?
野村 卒業して東京とかいろんなとこにいく人も多かったですね。関係性の濃い薄いっていうのはできちゃってますけど、いろんなところにいるかなと思います。
村社 そうなんですね。当時の仲間がいろいろなところにいるのはいいですね。
野村 そう思います。そういうところから初めて、研究会の流れで上演を作ることに取り組んだりしながら、次第に演劇を考えたり取り組んだりする場も変わっていって、いまに至るという感じですね。きっと今後もそうなんだろうなとは思うんですけど、作りながら考えることをどのレベルで続けていけるかっていうのが個人的なテーマにあります。その流れの一つとして、今回の部屋と演劇にも参加していると思います。勿論、部屋と演劇っていう名前にもある通り、部屋とか、生活の場とかいうような、すぐ周辺にあるエリアから発想していくっていうことを中心にしつつ、実践の継続も考えるというか。
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『ルーム・ダビング』(2020)
村社 今のお話を聞いてて、いま現状で居る場所っていうのは、野村さんと近いような気もします。私もいま、何だろうな、理由なく続けるモチベーションはほとほとないっていうか、自分の興味関心をぴったり満たさない道筋でやり続ける気はないっていう感じですね。そういう意味では近いような気もします。それで、私が演劇に関わってきた経緯はというと、私は全然逆で、とにかくやったれっていう形で始めて、むしろちゃんと理論とか、古典を読んでどうとか、そういうのを全部すっ飛ばしてて。高校生の時に松尾スズキに憧れてて、ただ人を笑わせるために演劇があった。ちょっとこういうブラックジョーク言えるようになりたいみたいなモチベーションで演劇をやってました。当時読書もほとんどしていなくて、何の経験値もないまま、とにかく書くために、まず新聞部に入るんですよ。ちゃんとした新聞じゃなくて、人を笑かす新聞です。先生に文句を言われるような新聞を3年発行し続けました(笑)
野村 すごい(笑)
村社 プラス、高校で演劇ももうやってました。松尾スズキに憧れてるんで、そういう演劇でした。ただ、演劇部もないんで、新聞部名義で文化祭でやったりとか、演劇部ないけど演劇やりたい人達を仲間に入れてやるとか、そういう形で高校時代は演劇をやってました。だから大学受験にも全然気持ちが向かなくて。全然関係ないんですけど、終業式に申請を出して催しをすることにしてて、最後の3月の教室で演劇をやるんですよね。それで、もうそっちにシフトするんで入試はしないです、みたいな感じだったんですけど(笑)そんな感じで、大学入ってからも、じゃあ続けるかっていう感じで続けてたんです。
さっき野村さんが、じゃあ何か一つ芝居を観ようかと思って何を観て面白かったのか気になるんですけど、私もこういう感じで、松尾スズキとか野田秀樹とかしか知らない状態で、しかも実際に見てはないんですよ。WOWOWで見てるだけ。それで自分は面白いことができるって信じてたので、ずっとその状態で、大学2、3年ぐらいまでいって、そこで現代美術と出会うんです。現代演劇よりも、先に現代美術を知りました。美術系の学科もあって、そこに潜ったり展示とか観て回るうちに「あ、こっちが面白いな」と思ったのか、ちょっと定かじゃないんですけど、とにかく現代美術にずぶずぶはまっていって、展示をとにかく回ったり、そういうゼミも取ってたんで、映像を作ったりもしてました。演劇に興味がなくなりかけた時に、現代美術の文脈からチェルフィッチュを知ったんです。現代美術的なフィールドの中で、演劇をちゃんとやってる人たちがいるんだ、美術業界からこれだけ認められてる人がいるんだってことを、初めて知りました。一方でこの程度で演劇界で名を馳せられるのであれば余裕だなとも思ったんです。美術のことをいろいろ聞きかじった上で見ると、チェルフィッチュがやってることって大したことないなと思って(笑)、美術ってもっとすごいことやってるぜ、みたいなノリで、じゃあチェルフィッチュを倒せばいいんだと思って演劇に戻りました(笑)
チェルフィッチュにとにかく立ち向かうために、どういう箔を付けて行けばいいか自分の中でいろいろ順序立てて、この批評家にまず見せればいいんだとか、このスペースでやればいいんだとか。東京って密集してるんで、とにかく箔を付けるために演劇やってた時期が大学卒業してから2、3年あって、このスペースでやれば、この批評家が観に来る、その批評家がここに記事を書く、それを見て今度この人が来て、次はこの批評家に見せようとか、もう全部ホントに順序立ててたんですよね。ほんと奇跡のように、それがうまくいって、ちっちゃい賞とかも取って。あと助成金ですね。小劇場演劇界では、助成金を取ることがむしろ賞レースに勝つことよりも箔が付いたりするじゃないですか。そう思ってたので、とにかくちっちゃい助成金でも取れば箔が付くと思ったんですよ。それで大阪の千島財団の助成をほんと少額とったんですよ。でも表向きはちゃんと千島の助成を取ったってことに���きたんで、それをまた使って今度はセゾンに応募したりとか。その時はお客さんの数なんて全然考えてなくて。それでセゾン取れてなんやかんやして、ふと息をついた時に、自分が完璧だと思っていた理論って別にお客さんを集められないなと思ったんですよ。もし本当にチェルフィッチュを負かしたいんだったら、もっと考えなきゃいけないことあったなあ、みたいな。偉そうですし、負かす必要もないんですけど。
一方で自分がやりたいことに適当な規模感っていうのも何となくわかってきて、わざわざこのやり方を大きく変えるためにエネルギーを注げないな、っていう。いまはそんな感じですかね。それでいま、興味関心が満たされる方法で、経済的にも、あんまよくないんですけど、プライドとかも傷つかない範囲で続けるみたいなテンションですね。
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新聞家『合火』(2021)
野村 そうなんですね、なんていうか、すごく面白いですね。
村社 何か野村さんと真逆っていうか、逆に実践しかなくて、全く勉強してるタイミングがない。
野村 何か偉そうにちょっと研究したくてとか言ったんですけど、全然本読むのとか苦手で、というか全然好きじゃなかったんですよ。だから基本的には自家中毒起こすくらい考えてたっていうのが正しいです(笑)
村社 そうなんですね、なるほど(笑)
野村 そんな感じのときに、現実の上演にパンチくらって、頭の中で考えてることなんて全然大したことなかったみたいなことを思って、目の前のこの上演すげえっていう、なんかシンプルな力強さみたいなのすごいなと思ったのを覚えてます。
村社 ちなみに何を見たんですか?
野村 地点です。地点の『ファッツァー』という作品です。
村社 なるほど。それはちょっとしびれますね。
野村 しびれましたね。連日観に行ってました。まあこの話すると長くなるんでまたの機会におくとして(笑)
それで、自分の関心のあることから外れた形で続け続けることはせずに、そこに100%フィットしていくような形で作品を作ること、継続すること、経済的なことも含めてっていう規模感で考えた時に、この『部屋と演劇 vol.1』っていうのは似たような関心には基づいているなと思ってます。
それぞれの関心に干渉はせず、自分のやりたいことを同じパッケー��の中でインスタントにやっていく中で、何かを作ることに対しての環境とか条件とかっていうのを整えるための場として結構良かったなと思っているんですね。
ただ、これは個人的な考えですが、その場における観客って誰なんだろうというのが気になったこととしてあるんですね。あるいはどう引き込んでいくか、というか。少ない予算ですぐに稽古と上演までできちゃうっていう環境を継続的に整えていけるのであれば、作りたい人にとっては申し分ないことだとは思うんですが、観に来る人をどう考えていけばいいのかなと。観客っていうものを、自前の関心で作ることと、それを観に来る人がいることとかって、その辺をいま村社さんはどういうふうに考えているのかなっていうのをお聞きしてもいいですか?作ることと見せること、観にくる人について、というか。
村社 そうですね、いま言われて自分でも発見があったんですけど、やっぱり自分は運よくその疑問にぶつからないルートで来てるのかと思いましたね。なんというか、この先に試演会をしたいと多分ですけど自分は思わないという感覚になったんですけど、いまの質問があったからそう感じただけで、別に試演会をしたいかどうかを問うたこともないんですけど、ただその試演会をしたいという気持ちになってないということも含めて、たまたま自分がやってる制作がそういう道のりだったのかなと思ったんです。見せるということと、あとは観に来る人がいるというのが、言葉の意味が野村さんの中でどのぐらい必然性があるのかというのはちょっと置いておいて、受け取った感じだけで言うと、だいぶ差があるって感じますね。分けて考えてないと言うか、私は疎外してるという言葉を使うんですけど、上演を構成する要素のうち、何か一部分でも制作の問題の外に置き出したら、その制作の進めようがなくなるっていう立場で、上演という出来事を作ってるっていう感覚がありますね。まず見せるという行為をバラバラにしないで中に留められるようになってきました。現在は観に来る人を中に入れていく作業をしていると思います。
野村 そこから制作の範疇に含めてデザインしていくということですかね。確かに、観ることができなかったんですけど、Theatre E9 Kyotoでの上演とか、取り組みとしてまさにそうだったんじゃないかなといま思いました。観客を前提の概念として、観客のXさんがただいることにしない、いるとして置いておかない、みたいなことかなと僕の理解では思いました。
村社 そうですね。ただ観に来る人がいることを自明なこととして思ってないというか、待つことができないというか。いつの間にかお客さん一人一人が主体化してるような環境、みたいに大袈裟に言う必要はなくて、どんなやりとりが私とお客さんの間で発生すればお客さんが主体化できるかということを一個一個考えて来たように感じます。チケットの売り方とか、受付での問答とかを結構考えるんですよ。受付は毎回私がやるんですが、受付も上演の一部だと感じてます。
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新聞家『とりで』(2022)Photo: Yamane Kaori
野村 面白いですね。ここすごい掘って聞きたい気持ちあるんですが、時間あるかな、というかこういう感じで大丈夫なのかな(笑)めちゃくちゃ興味あるんですけど。
村社 そうですね(笑) 部屋と演劇に繋げる形で言い換えると、軽さはずっと大事で、大学の時からなんでこんなに演劇って重いんだろうと思っていて苦しくて。たまたま私は、なんというか、楽しくない、むしろ大変な作業になってくるけど、軽くなってるなという方策をたまたま運よく見つけて来られた感じがしてて。だからより集中度は上がってるというか。上演と体裁よく言ってますけど、実際は本当に部屋と演劇でやられてたような、試行と言っても良い取り組みをやってるだけの状態になってきた。これはいま話してて思いましたね。
野村 なるほど。いや、舵取りまでしていただいてありがとうございます(笑)
個人的には、どう続けるか、どうやってどういう形でどう続けていくかを考えることはやはり大事だなと思っていて、その中で、部屋と演劇に期待している点としては、覚えておくこと、というのがありました。たとえば今回の上演で言うと、僕がやったのは1週間くらい前に実際にあった出来事をなるべく再現したいということで、それをいまできる方法で試してみたんですが、最近で起きた出来事を覚えておくためには例えば日記に書くとか、すでにいろんな方法があると思うんですよ。別に演劇じゃなくても。それを、あえてというか、わざわざ他者と一緒に、形には残らないけどどこかに刻まれるみたいな、そういうものとして覚えおきたいなと思っていました。それと、このパッとできる軽さみたいなこととがハマっているように思えたし、それができるんだという実感を持って普段生きていけるのはアリかもと思いまして、そういうことを期待してたんですね。
そういう上演を、大小程度の差はあれ準備していざ発表するということももちろんだけど、作るということがもうちょっと普段に取り込めないかな、というか。稽古するとか制作するというのは、日常的なこととして時間を取れることではあるんですけど、そのための場も持っていて、人も集まってやるっていうところでの軽さというのはすごく期待してる部分というか。
そういう動きが一人だけじゃなくて、複数人で��チームでできるのもすごくいいことだよなと思っていて、続けて行きたいなと思っています。
その中で、自分の関心だけじゃなくて、別の人の関心みたいなことも気になるし、やっぱり影響される部分もたくさんあるし、というのも含めてなんだか面白いなと思いつつ、現在の仲間だけじゃなくて、その時その時で新しい人に参加していただけたらとも思っています。ということで村社さんいかがですか?(笑)
村社 はい、時期が合えば(笑)本当に軽さには自信があるんで。野村さんのいまの、最後に言ってた話は、羽鳥嘉郎さんを思い出してしまいます。羽鳥さんが2018年に出された『集まると使える』という本を読んで、初めて私は羽鳥さんが演劇に対して「使える」という言葉を用いて何を言おうとしてるのか、やっとちょっと理解できたんです。でもそれっていま野村さんの言ってたこととは多分違くて、「これって日常でも使える技術なんじゃないかな」っていう気づきって往々にして限定的な意味での「演技」の汎用っていう気がするんです。私もうっかり「使える」と言いそうになることがあるんですけど、そういう時は必ず羽鳥さんが脳裏に浮かんで、「使える」という表現は避けた方がいいかもなといつも思うんです(笑)
だから自分は使えるという表現じゃなく、それに似たような言葉を当ててると思います、頭の中で。だから演劇に対するそういう思い入れというのには共感して聞いてました。
野村 なるほど。それでいうと、僕は演劇を引用する、と言っていたりしますね。
村社 引用っていうのは、日常で演劇を引用するという意味ですか?
野村 日常もそうですけど、現実的なある一つの状況、人とものと環境とか、そういうものが織りなしている一つの状況みたいな関係性の中に演劇を引用する、みたいな感覚で使ってます。
例えば、演劇を引用することで、ある現実的な状況が上演されているように見える、みたいな感覚で使っています。オルタナティブを作るじゃないですけど、ちょっと距離を取ってみるだとか、逆にクローズアップしてみたりだとか、そういう言わば観客的な立ち位置を作る、例えばそういうことの口実になるというか。
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部屋と演劇 vol.1 野村作品 稽古写真① 出演:永瀬安美、藤家矢麻刀
村社 なるほど。あの、これ今いきなりケンカ売るわけじゃないんですけど、多分そういう演劇観を真っ向から否定して、演劇って、なんというか、使うって言っちゃうんですけど、また別の仕方で使った方が良くない?という1万字の文章を最近書きました(笑)
野村 いいですね(笑)
村社 知人、なんていうか政治家になりたいという知り合いがいて、内輪コミュニティみたいなものがあって、200人ぐらいの規模の、全然関係ないこう趣味趣向の仕事してる人たちを一つのDISCORDに集めて、記事を誰かに書かせてそのDISCORD内で発行して、それをみんなで読んで感想を言うみたいなコミュニティを作ってる人がいて。
野村 すごい。
村社 すごいですよね。それでその人から村社さん演劇やってるならそれについて書いてくださいよ、みたいな感じで、一万字!?とか思いながらも、演劇に普段馴染みがない人に、現代演劇の、しかも現代演劇界の中でもニッチな場所にいる人の考えを伝えるって大分面白いなと思って引受けたんですよ。
そしたら、演じることというのはどういう風に認識されてるのかなと思って、それを説明するために何とか絞り出したのが、例えば世の中で客観視するとか、あるいはメタ認知を鍛えるとか、とにかく客観視をして行動を良い方に修正していくんだみたいな、そこまで言わなくてもいいんですけど、私はあえてそこまで言って、それで、例えばそれがよく目の前に現れる身体としてはお笑い芸人の身体がある、みたいなことを言って。コントはわかりやすく演じると呼んでよさそうだけど、例えば普通のワイドショーみたいなところで、モニターで映像が流れて、それに対して芸人さんが華麗に突っ込むとか、ある程度ライブ的なものだと思われてるじゃないですか。あれも、むしろそのメタ認知を鍛えたりとか、何をどう突っ込めば面白いのかということを経験積み重ねて、反省して行動修正していくという同じサイクルをすごくハイスピードでただやってるだけで、対してコントとやってることは変わらないとか、これを一旦演じると呼びましょう、だから演劇だけに限らず現実でも推奨されてることとしてある種演じるって行為はありますと。ということを5000字くらいワッと書いて(笑)
で、それじゃないんですよ、という、私がやってる演劇に対して、あ、これごめんなさい、野村さんが一致してるか分かんないです、私がいま言っていることについて。
野村 いえいえ(笑)
村社 残り5000字で、それで自分がやっているのはそれとどう違うのかというのを書きたかったんですど、正直あんまりうまく説明できなかったです。ただ「ケア」が近いかなとは思いました。
相手がこう考えてる可能性に配慮するとか、自分が間違ってることを言ってるということをどう扱うのかとか、なんて言うんすかね、別にそれも客観視と呼べちゃうのかもしれないですけど、何かこう良くしていく為のメタ認知みたいなこととして「演じる」を定義するんじゃなくて、何て言ったかな、ええと、「改ざんする」と言いましたね、その文章では。改ざんする技術として「演じる」を使う。これが私が演劇でやってることです、みたいに書きましたね。過去を、というか自分のその言動に関して、なんていうか改ざんって結局過去のやつをばれないように良くない形で変えることじゃないですか。改ざんに立ち会う可能性があるものとして、演劇が使えるのでは?みたいな。改ざんって人にばれちゃいけないわけですけど、それに立ち会うという驚きの状況が起き得るみたいな、ちょっとまだ分かりにくいんですけど、これで最近頭の中を一回整理しました。
野村 コミュニティーもすごいですけど、そこに「改ざんする」で突っ込んでいくのもすごいですね。
村社 あはは(笑)月に2回ぐらい発行されるんですけど、私の前の号では、京都の第3代目として和菓子屋を継いだ人の話とか、いろいろ読めて面白いんですけどね。
野村 すごい面白そう。
村社 このおかげで整理できたんですよ。今日もそうですけど、本当にたまたまそういう機会が最近多くてありがたいなと思って。
野村 なるほど。1時間って短いですね。もっといろいろ話したいですね。
村社 そうですね。
野村 話したいことがあるし、また生まれ続けていってもいるんですけど、どうしよう(笑)意義のある話ではあると思うんで、演じるとか、そうですよね、そもそも演劇のベーシックをどこに置くのか、というか。作品を作るのももちろんそうなんですけど、演劇を観るのが好きとか別に観るのは好きじゃないよとか、色々あるとは思いますけど、とはいえ、演劇に携わっている時点で、どこがベーシックなところなのかというと、やっぱり演じるということになるというか。それをやってるし、それを観てるというところに基点を打っているというのが、改めてそうだよなって思うところがたくさんあるし、面白いなと思います。
ちょっと、着地点見えてるわけじゃないんですけど、もうちょっとだけお話続けたいんですけど、メタ認知とか、演じていることに気づくとかもそうですし、日常生活の中で制度的・儀礼的に要請されることが繰り返されることで、無意識にするようになるという意味でのパフォーマンスを批評するとか、あとは教育の現場や社員研修に演劇を取り入れるとか、いろんな方法で演劇を使おうとしている人たちはいると思うし、それはそれで全然構わないんですけど、僕としてはメリットがあるから演劇を良く活用していこうみたいな希望は全くなくて。僕も一旦整理する必要があるなとも思うんですけど、劇場とか、どこか集まって演劇が生じる場所みたいなのが劇場の中だけではないだろうという思いがまずあり、いろんなところでいろんな人が演じてるよね、みたいなペルソナということでもないんですが、劇場から出て行った先で、演劇ですよねこれ、ということを発見したいような気持ちがあるんですよ。それを例えば劇場に持ち帰って再現してみたいということを思うわけです。最近では精神医療やお墓参り、路上に捨てられた食品などに興味があるんですが、出かけて行く先々で演劇を引用して自分にとって切実な形で出会い直したいような、わがままの口実みたいな感覚が、現状では一番素直な感じなんです。なんか、ちゃんと考えないとなと思いました。
Tumblr media
稽古写真②
村社 本当に私も書くことになって改めて考えて、すんごいキツかったですね。
でも、はっきりしたのが、いわゆる客観的に自分を見なさいとか、メタ認知を鍛えろとなどという時に想定されてる「演じる」と同じことをやってたら、もし同じことやってるんだとしたら正直全然意味がないというのははっきりして、違うことやってるという自信があったから、それを書き始めてるんですけど、ただすぐ定義するのが難しいなと思いましたね。
じゃあ、自分がやってる「演じる」はそうじゃなくて何なのかというのは、そうですね。でも、その視点でものを考えられただけでもすごい良かったなと思って。
今日こういう日に時間いただいて、一応その大事にしていることとか考えてることを紹介しあいましょうということになってたじゃないですか。それで自分のやってることを少し単元に書き出してみて、2週間ぐらいぼーっと見てて1個だけ膨らんだんですよ。それをちょっと紹介していいですか?
野村 もちろんです。ぜひお願いします。
村社 何かこれはその1万字の中にも書いたんですけど、演出家として演劇が創作される場あるいは上演される場に参加していて、当然想像される営みがあるじゃないですか。その1万字書くにあたって、同世代の200人ぐらいの人たちといかに自分がやってることが違うか、多分違うと思うってことを言わなきゃいけないなと思ったんですよね。その時に、演出家って、例えば演者さんがパフォーマンスを稽古場でしたとして、
それに対して、何かをいうポジションじゃないですか。何かを言わないと次に進まないという立場だと思うんですよね。それで、例えばパフォーマンスを見て違和感を感じたとするじゃないですか。ここからのプロセスをちょっと書きかえてみたんですよ。自分が何をしてるのかなと思って。違和感を指摘するとして、例えば蜷川幸雄だとしたら違和感を大味にするということをやってるなと。違和感として自分が認識したときに初動で出てくる言葉があるじゃないですか。そこから距離を取ろうとするわけですよ。距離を取る理由としては、別に強権力を発揮しちゃいけないからとかじゃなくて、単純に自分が感じた違和感がものすごいお門違いかもしれないっていう不安ですね。そもそも大事な流れを断ち切っちゃうかもしれない、流れってのはその稽古場や本番に向けての流れですね。下手したら、自分がものすごい誤った感じ方で違和感を説明してしまうかもしれないから距離を取ると。それで、その上で、今度はその初動で出てきた言葉を改めて信じれる範囲と、一方でやっぱこれは絶対まずかったなと疑う範囲とを検討したりするじゃないですか。
一方で、その初動でパッと出てきた言葉がやっぱり結局はコアで、発信のきっかけになってて、だからそれをないことにするってのは結構まずいし、一方ではそれがあって考えられることになったという事実があって、という状態になると、じゃあ何を言えばいいのかっていうのがなくなってくるんですよね。何もないというのは、結構危ないってことは分かってて、なんでかというと、何もありませんというのは、本当は言いたいことがあるけど、敢えて言わないというのが一番まずい、まずいと言うか逃げてるという状態が演者さんにバレてしまうから。だから何もないというのはまず選択肢に取れないので、ひねるんですよね、必ず。違和感を大味にするっていう説明に戻るんですけど、あえてひねったことを言うんですよね。
最初に感じた違和感とか、初動の言葉っていうものからだいぶ違うこと、ひねれたものを言うようにてて。それはさっき言ったように逃げる姿勢がバレないということもあるんですけど、一方でひねった時に表れてるものって、��まり違和感を口にしてるわけじゃないわけですよ。何かパフォーマンスがあって、それに対して何か言ってるんですけど、その何か言うことってひねられてるんで、私じゃない第三者の主張な訳ですよね。そうすると2つメリットがあって、このひねられた私っていうのは、私以上に別の人が受け入れてくれる可能性があるなと。
私は正直ひねられた私はあんまり好きじゃないんですけど、例えばですけど、もっと気に入ってくれる人がいるかもしれないという意味で、これが他者になってるのは一つメリットがある。もう一つは、私が言ったことじゃない、私が言ったけど、私じゃないっていう理解が私にだけあるから、私から出てきてるけど、これは実は私ではないっていう私の認識なので、仮にこのひねられた私がすごい反発を受けたとしても、私が感情にならずに反発を精査できる、受け取ることができる、これもう一つのメリットだなと。
こういう施策自体が、テキストとどうやって向き合えばいいかというのを示す立場ではあるじゃないですか、演出家のもう一つの立場としては。そもそもじゃあどういう風にこのテキストと向き合うべきなんですかということを示さなきゃいけないじゃないですか。
これを示すのがめちゃくちゃ難しいんですよ。理路整然と箇条ぐらい説明したらじゃあ終わるかっていうと終わらなくて、最後まで説明できないまま終わるんですけど、ただこの施策自体が向き合ってほしい仕方を照らし出すのに有効になってそう、みたいなことなんですけど。
これが何とか絞り出したことです。
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新聞家 オープンスタジオ『保清』(2020)
野村 演出という立場で稽古場にいる時に出演者とどうやりとりしていくのか、その方法としてひねられた私を置く、ということについて、言葉は違うかもしれないですが実感する部分が確かにありますね。同時にいろいろ乖離していて、それがバレたくないような場面とか、いろいろ思い当たります。
こういう演劇の話とか、作ってる時のこの部分の違和感を感じる時ってあるよね、みたいな話を普段からしたりしますか?
村社 いや、あんまりいないですね。意見会で自分の考えを磨いてもらってるなって思いますね。意見会は本当にボロクソ言われるんで(笑)
やっぱ根底から説明する必要に迫られるんですよ。これだけすごい凝ったもの見たんですよということを説明しなきゃいけなくなったりするので、それで勉強させてもらってますね。
だから本当に今回の座談会とかはすごい珍しいというか、場所になりそうだなと期待してましたね。私以外に誘われてたお二人もね、何考えていらっしゃるのかとか、気になりますよね。
野村 すごく気になりますね。そういう思惑もあって、座談会にゲストとして参加していただいている方同士のお話にもすごい興味深いものがあるなということで、全員で、6人でやってみようとしたんですけど、予定がなかなか合いませんでしたね。でもぜひともまたお話できたらと思います。それでも今日こうしてじっくり楽しくお話できて良い時間になったなと思います。
村社 そうですね。
野村 時間も予定よりいただいてしまっているので、今日はこのあたりでと思いますが、村社さんともまたぜひお話したいので、タイミングあえば飲みにいったりしましょう(笑)
村社 いいですね、森下のあたりとかどうですかね。
野村 めちゃくちゃ良いですね!今日はお時間いただきありがとうございました。
村社 ありがとうございました。
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プロフィール
村社祐太朗(むらこそ・ゆうたろう)
1991年東京生まれ。新聞家主宰。演劇作家。訥弁の語りを中心に据え、書くことや憶え繰り返すことを疎外せずに実現する上演に取り組んでいる。近作に『とりで』(2023、作・演出)。戯曲『とりで』(2022)が第22回AAF戯曲賞大賞。2019-20年度公益財団法人セゾン文化財団セゾンフェローⅠ。2020-22年度THEATRE E9 KYOTOアソシエイトアーティスト。
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