#春吉ボーイ
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30.
ついに、30歳を迎えてしまった吉沢です。…とはいえまだあまり実感はありません。20歳の誕生日イベントをさせていただいたときに、事務所に入って4年半経つの早いね。みたいな話を当時のスタッフさん達としていたんですけど、そこから10年ですって。この仕事を始めて、15年になる今年。まさに人生の半分を、役者として過ごさせて貰ってるんだなと思うと感慨深いものがありますね。あの頃よりは、少しは成長出来てるかな。20歳の頃はあれか、ちょうど「ロストデイズ」の撮影期間でしたね。うわ、今作品の名前出したら急に懐かしくなった。急に、10年前を実感しました。そこから3年ほど、学園モノをたくさんさせて貰ってましたね。「水球ヤンキース」「アオハライド」「オオカミ少女と黒王子」「通学電車」「斉��楠雄のΨ難」「あのコの、トリコ」「ママレード・ボーイ」…ほかにも挙げだしたらキリがないほど、たくさんのことに挑戦させてもらったな。あ、みなさん知ってます?吉沢の初主演映画、「サマーソング」っていうんですけど。あれもこの時期だった気がする。学園モノは、同世代の幅広い役者のみなさんとふざけながら刺激し合いながら楽しみながら撮っていて、まさに青春でしたね。一方で「さらばあぶない刑事」や「悪と仮面のルール」では、大先輩方とご一緒させていただいて、たくさんの事を学びました。映画を中心にじっくり芝居をやりたい!という僕の希望を叶えてくださったスタッフさん達のおかげで、1年に8本公開されるなんて年もあったなー。その中には今でも好きだと言っていただくことの多い「銀魂」や「リバーズ・エッジ」もありますね。「キングダム」に出会ったのもこの頃かな。日本アカデミー賞の、最優秀助演男優賞を頂いた時の景色は一生忘れないと思います。今年はついに4作目。楽しみにしててね。作品を積み上げる度に、芝居の楽しさに気付いて、演じることが本当に楽しくて。本当にたくさんの挑戦をさせていただきながら、この時からひとつずつ重ねてきたものがあって。それはどれも、僕にとって大切な軌跡だなと思うわけですけど。それが少しでも、今に繋がっていたら。
20代の半ばから後半にかけては、「なつぞら」で朝ドラというものを経験し、「空の青さを知る人よ」で声優、「プロデューサーズ」ではなんとミュージカル。マジで大変だったし毎日吐きそうになってましたが、こうして映画だけではなくほかの分野にも視野を広げて初めての経験をさせていただけました。どの場所でも、どんなジャンルでも、役者吉沢亮として生きていける。そんな役者に、少しでも近づけたのかな?と。映画でも「ファミリア」や「AWAKE」「さくら」など、今までとは違った役どころをさせていただくことが多かったなーと。あとマイキーね。「東京リベンジャーズ」ですよ。「マイキーを演じられるのは吉沢亮だけです」なんて嬉しい言葉をいただけてね、今も多くの人に愛して貰って。彼との出会いも僕にとって特別ですね。特にこの頃からかな?個人の配信でファンの皆さんを置いてけぼりにしながら大好きな「僕のヒーローアカデミア」について熱弁していたら、声優の話をいただいて。ロディという大きな役に出会えて。「いつか大河に出たい」と、マネージャー���んに事ある毎に話していたら、出るどころか主演という大役をいただいて。「晴天を衝け」、同世代から大先輩までたくさんの方々に支えられて、無事にやりきることが出来たし。「ドラマと言えば月9」の概念を持って小さい頃育った僕が、初めてその枠をいただけたり。あ、今度スペシャルドラマやるんです。「PICU-小児集中治療室-」よろしくお願いしまーす。初演を観て「俺もいつかこういう舞台がやりたい」と言っていたことがまさかその作品で叶った「マーキュリー・ファー」。エリオットとの出会いは、また特別なものでした。また、生の芝居もやりたいですね。作品以外でも、「蟹が好き」と言い続けて、蟹を食べるだけの為に番組コーナーを何回も作ってくださったり。最近だと、ビール好きのイメージが世に知れ渡っている吉沢ですが、ついにCMをいただけたりね。こう、有難いことにやりたいことを声に出し続けて叶えて貰っていることが本当に多くて。言霊ってあるなと思うわけですよ。だから、30代の僕もやりたいことはやりたい!と声を大にしながら、そこに向かって頑張っていけたらなと思います。
そして、そんな数々のお仕事と同じくらい大切なのがこの場所。さっきまでは役者吉沢亮としての振り返り。ここからは、人間吉沢亮としての綴りです。俺が初めてここに来てから、2500日を超えてるっていうことにこの前ふと気づいて。1人で「マジ!?」ってなってた訳ですけども。今の場所に越してきてからで言ってももう2000日超えてて。いやー、ほんと信じられない気持ちと。でも、昔のことって意外と覚えてるもので。あの時こんなだったなとか、こんな人と出会ったなとか。色々思い出していて、改めて縁の大切さについて考えたりしました。何年も前から一緒にいてくれる方々も、最近出会ってくれた方々も。出会ったタイミングや、交わした会話の数もそれぞれですが。ひとりひとりと、大切な出会い方があって、大切な思い出があって。宝物のような場所に、なっています。だからこれからもみなさんと交わした言葉や思い出を大切に、この場所を俺らしく染めていきたいなと。なかなか顔を出せない日もありますし、会話が出来ない日もありますが。みなさんのことを大切にしたい気持ちは大きくて。俺は、俺が傍に居て欲しいと思う人しか俺の世界に入れないタイプなので。最近話せてないな寂しいなとか、思わせてしまうことがあるかもしれないけど。俺にとって、みなさんはとても大切な人です。傍に、居て欲しい人です。それだけは、覚えていてください。俺と出会ってくれたこと、傍に居てくれること。後悔は絶対にさせません。俺の全力で、これからも大切にしていきます。これは、約束。いつも本当にありがとうございます。みなさんと共に、いい1年にしたいと思います。これからも、どうぞ吉沢をよろしくお願いします。
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#案外美容師だっんですね ⇦よく言われる笑 カラーもウェーブも意味が色々あるから面白い☺️☺️😇今週残りもよろしくお願いいたしますーー✂︎ ヘアモード掲載作品お遊び📸 . #そういえば美容師 . . . . #plussterubiyousitsu#pluss福岡#プラステル美容室#春吉#福岡美容室#パーマ#デジパ#ショート#haircut#hair#fukuoka#color#wave#haruyoshi#春吉クオリティ#春吉ガール#春吉ボーイ#春吉美容室#パーマ女子#クリエイション #私と春吉#パーマ推し美容室 #福岡ショートヘア#福岡美髪 (Pluss teru biyousitsu) https://www.instagram.com/p/CcoVFiUvVwQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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好きなアーティストの1番好きな曲
・CRCK/LCKS No Goodbye
・DADARAY 灯火
・HIDATAKE TAKAYAMA Express
・LUCKY TAPES 体温
・Official髭男dism 異端なスター
・Shiggy Jr. ピュアなソルジャー
・Soror 大人の恋愛
・Sugar's campaign ホリデイ
・Tempalay 革命前夜
・クリープハイプ 二十九、三十
・きのこ帝国 ハッカ
・さめざめ 君が死ぬとき思い出す女の子になりたい
・さよならポニーテール 新世界交響楽
・やくしまるえつこ 少年よ我に帰れ
・アカシック プリチー
・カラスは真っ白 浮気DISCO
・クラムボン Rough&Laugh
・コレサワ SSW
・パスピエ 真夜中のランデブー
・ビッケブランカ Slave of Love
・フィロソフィーのダンス バイタル・テンプテーション
・ポルカドットスティングレイ 煌めく
・マカロニえんぴつ 春の嵐
・吉澤嘉代子 手品
・清竜人 ボーイ・アンド・ガール・ラヴ・ソング
・片平里菜 煙たい
・相対性理論 バーモント・キス
・矢井田瞳 初恋
・竹内アンナ ALRIGHT
・緑黄色社会 またね
このアーティスト1曲しか知らないというのもあるのだけれど浴びるように聴いた曲たちです。
アカシックはもうほんとに好きすぎて1曲選ぶのが困難だった、強いていえばという感じ。
質問ありがとうございました。
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たこ焼きタウンと放心ボーイ
なんちゃら活動の件で大阪に行った。
向き合いたくない気持ちが強いせいか言葉を濁してやりました。
そう思えば大阪に来るのは3回目で、叔母の結婚式のため幼少俺が新幹線で腹を下して帰りたいとぐずった記憶と高校の時に青春18きっぷなるもので友人と来て泊まったホテルが日雇い労働者の巣で、エレベーターで騒いでたらそっちらしきおじさんに怒号を浴びせられた記憶とさんざんなものばかりである。
期待もせずに新幹線に乗った。
窓際を取ってくれたので最近お気に入りの曲達をきいてずっと外を眺めてた。風景が変わってくると気持ちが不安になった。お決まりの電車恐怖症も襲ってきた。新喜劇に助けを求めYouTubeを開いて観るが全く内容が入ってこない。5分たったところで見てないことに気づき(たまにあるよね)気持ちを入れ替えてみてみよう��思い立ち、メモリを0秒に合わせる。「テレテレッテレーテレテレッテレーテレテレッテレーテッテー」これだ。
これに歌詞でも載せてみよう。あーでもないこーでもないとくそしょうもないゲームを一人でやっていたら不安も恐怖も忘れあっという間に新大阪に着いていた。
こんなに早かったっけな。新喜劇ありがとう。いやテレテレッテレーありがとな。
到着大阪。御堂筋線に乗った俺は、車内のありとあらゆる会話を盗めるだけ盗んだ。(ルパンも目じゃないぜ)ギャルがメイク変えた話。おばあの腰が痛い話。最近飲み過ぎちゃう話。全部が関西弁だった。
生なんでやねんに、生ほんまかいな、生もうええて
生関西弁達によるパレードが俺の心を鷲掴みにする。
なんちゃら活動を手っ取り早く終わらせ、ホテルに向かう。アパホテル始めて泊まったけどあれ安いな。安い割に色々揃ってて大浴場まで付いてんのね。ようやるわあの緑お帽子のオバハン。部屋に、緑お帽子のオバハンの自伝みたいなの置いてあったけど2ページくらいでイライラして投げつけた。
ほなボチボチ、難波の街に飲みにでも行きまっか。
というエセにもほどがある関西弁をかまし、難波の街を練り歩く。
これね。本当に思うんだけど、難波の通りってめちゃくちゃ吉祥寺に似てるんだよね。というかほぼ同じ吉祥寺大きくしたみたいな。でもちょっと外れるだけで歌舞伎町みたいになったり、またちょっと外れると秋葉原みたいになったり、とても忙しい街の印象を持った。
見渡せば、人人人人人人人人人人人
本当にこんな感じ。でもねとても中国人が多くて割合でいうとね。
日中中中中日中中中中
ぐらいの感じなんよ。うまそうなのか不味そうなのかよくわかんねぇ顔でたこ焼き頬張ってましたわ。
肺炎だのなんだので騒がれてる中、たこ焼き頬張ってましたわ。ほぼ8割マスクして。たこ焼き頬張りマスク外し、お好み焼き頬張りマスク外してましたわ。まぁいいわ。
良さげな立ち飲み屋一軒見つけましてね。
フラッと入った。
気前のいいおっちゃんが一人カウンターで飲んでて、「やっぱ日本酒はええな」と渋みの声が狭い店内に響き渡る。とりあえずハイボールを頼み落ち着く。俺は日本酒が好きではない。
いかにも関西親父感バリバリの店主が「お兄ちゃん観光?」ときいてきた。
俺 「なんちゃらなんちゃらのなんちゃら面接でこっちに来てまして」
店 「ほな、大変やったな。でも、ここよう入れたな。普通、一見さん入りずらいで」
(関西弁は、曖昧なので風です。)
俺「立ち飲み屋好きで結構、一人で入ったりするんですよ。」
お「すごいね。ここ選ぶ人目利き無いよ笑 店主ぼったくりだからね。��� こんないかつい顔した店主の店普通入ってこないよね〜笑 珍しいよ本当に」
(お、はおっさん)
店「そんなに俺の顔がいかついなら、お会計貰って帰ってもらうでホンマに!!」と
とにかくこのおっさんの店主disが凄すぎて、店主がツッこむという関西独特の心地いい漫才テンポに完全に持ってかれたのだ。
店「近くにヤクザの事務所あるんやけどな、流れ弾飛んできたらお兄ちゃん壁になってもらうで。」と冗談を言ってくれたが、肝心のツッコミワードが出ず、終始苦笑いしてしまった。ここは笑いの本場関西。下手にツッコむことなど許されないのだ。
漫才の途中、お店のガスが止まってしまい確認したところ隣のたこ焼き屋さんもガスが止まってしまったらしい。たこ焼けないたこ焼き屋ってなんなん?タコやんっていう会話で盛り上がったりもした。関西は出汁がうまいでと、お腹いっぱいなのに出されたすまし汁は、別段と美味しかった。しっかりと組み込まれたすまし汁代とお酒代を払いおっさんと次の店に行くことになった。
お「ほらな、ぼったくりやろ笑でも、うまいねん」
おっさんが難波をナビゲートしてくれた。
道具屋筋は道具と食品サンプルしか売ってないこと
裏難波には立ち飲み屋が多いこと
日本酒が飲めへんと楽しめないということ
ここのラーメンがうまいとかここの居酒屋はやっぱり日本酒やねんとかおっさんの職業とか未婚のこととか色々聞いた。
2軒目は、路地裏の二階にある怪しげな女性店主がやっている店に連れてってもらった。
とても明るい若い店主は、永遠の27歳と言っていたがそのルール使うんならもっと若く設定すればいいのにと思ったが、料理の手際接客をみて、このリアリティーが良いのだろうとすぐに納得した。
しばらくしておっさんとの会話に飽きてきた所に、26歳の女子3人組が入ってきた。
ここらへんで酔いが回ってきてあんまり記憶が定かではないが、一番覚えている話がある。
ちゃうちゃうちゃうんちゃう?
という奇妙なワードだ。
ちゃうちゃうというは犬のことだ。
標準語に直すと、ちゃうちゃうじゃないんじゃない?
この話を永遠にしてた。腹抱えて笑ったわ。
大阪の人はこの話だけで3杯いけるって言ってた笑
店内はこのちゃうちゃうちゃうんちゃう?の話題で持ちきりとなり、みんなちゃうちゃうを連呼していた。
それがなんか面白かった。
ちゃうちゃうちゃうんちゃううるさいわ!!
と店主のツッこみが入り大笑いでこの話題は締まった。
会計はおっさん持ちで、2ショットをとり握手をした。こんないい夜を迎えられたのもこのおっさんのおかげだ。また、この店で待ってるでと言われ夜の街へ出た。終電をなくしてしまったので緑お帽子のオバハンホテルまで徒歩で帰った。なぜか、official髭男dismを知らないのに歌いながら帰ったのは、恥ずかしいから記憶から消したい。
次の日。
テレテレッテレーに救われたお礼の気持ちとして新喜劇を観に行くことに。
御堂筋線に乗りまた難波に向かう。
御堂筋線では、また関西弁達がパレードをしている。
二日酔いのせいか、パレードが全く楽しくない。
おまけに昨日のちゃうちゃうちゃうんちゃう?が頭の中を占拠し、気持ち悪くなっている。ちゃうちゃうちゃうんちゃう?どっちでもええわ。ちゃうってなんなん。なにがおもろいん?大阪ってなんなん?もう異国やん。
関西弁パレードとちゃうちゃうが俺を殺しにきたところで、難波に到着した。
難波の朝は昨日の夜とは違って、スッキリとしていた。酔っ払いと客引きと昨日のおっさんがいないからだろう。
初めてみる新喜劇に圧倒された。
最初、漫才が何組か見れてその後に新喜劇というタイムスケジュールになっていた。
とりあえずウーマン村本の話術とカッコいい笑いに惚れ、パラダイスの相槌に癒された。
ミキとか天竺鼠の若手や村上ショージや海原やすよ・ともこの大御所までみれた俺は大満足だった。
運良く前から5列目で見れた。臨場感のあるテレビ見てるみたいだった。テレビの中の人はテレビから出られないんかね。。。
テレテレッテレーテレテレッテレーテレテレッテレーテッテーが流れたところで昨日の替え歌を脳内で載せる。
一番びっくりしたのは小藪のデカさだった。
生で見ても内容3割抜けてた。
あ、あと小藪が2回噛んだ。
お昼を食べに昨日、関西親父感バリバリの店主に教えてもろた店に行こうとしたんやけど、どうも入りずらいところで、今度に回したのは内緒の話やねんな。(ラジオネーム:エセ神様)
そう言えば、昨日26歳女子がすき家の味が関東と違うって言ってたのですき家に入ってみた。関西人でも関東人でもない中国人が出す、牛丼ミニを食った。
んー。まぁ言われてみれば?んー。どっちだ。
ネットで調べたら味は変わらないらしい。というベストアンサーに選ばれた回答を見た。
だよね!!!うんうん。
あれ?これ味が違う?関東と違って関西はコクがあって美味しい!!とか言わなくてよかった〜。流されるマンになるところを無事回避。
大阪城を写真に納めて、動物園前にいく。
ハヌマーンの山田亮一がポストワールドやおー新世界という曲で書いた歌詞そのものの街で圧倒された。
まぁ良くも悪くも見えるってことですな。(曲聞けばわかる)あと、おー新世界に出てくるだるまの行列のだるまは串カツ屋さんだということがわかり一人でニヤついた。
昨日の二日酔いが続いていたので串カツは我慢して、お好み焼きを食べに行った。適当な店適当に決めて適当に食ったら適当な感想しか出ませんでした。
そのあと時間が余ったので、ハヌマーンが活動していた、寺田町Fire loopというライブハウスを目指した。
寺田町では女子高生が自転車を3人乗りしながら爆笑していた。青春やん。
寺田町Fireloopに着き、ここで一度でもいいからライブしたいと思った。有言実行させよう。
帰りに後輩のお土産としてたこ焼き(冷凍)を買い、ガスつかえなくてもたこ焼きになることがわかった。タコではなかった。
帰りの新幹線で、風景が変わってくると気持ちが安心に変わった。
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笑ってはいけないwww
牛丼食ってたら5歳くらいの男の子を連れた家族が入店してきた。男の子は牛丼屋に来たことがよほど嬉しかったらしく、『すき家の牛丼が…好きやー!』と元気よく叫び、店内は笑顔に包まれた。ボーイ、ここ吉野家だぜ。 ( 昆布山葵 さんのツイート )
#ドクターに言われた衝撃的な言葉 俺じゃないけど、近所の耳鼻科で診察待ってたら 子供「やだああああ」大号泣 医者「嫌でもやめなーい」 子供「もう治ったあああぁ」 医者「治ったかどうかは僕が決めまーす」 って聞こえてきて笑った(腕は良いがドSっぷりに定評のある医者です ( 伊勢* ((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ さんのツイート )
喫茶店で隣の男「俺とお前と大五郎みたいな曲名の歌あんじゃん。あれ、なんだっけ」 喫茶店で隣の女「えー、なにそれー(笑)知らないよー」 喫茶店で隣にいる男「いや、絶対にあるよ。俺とお前と大五郎みたいな曲名で女が歌ってる」
喫茶店で1人の俺((部屋とワイシャツと私…?)) ( 春野 海 さんのツイート )
そうそう。今日やたらに病院が混んでいて長時間待たされてる見知らぬ隣のおじさんがボヤいた「このままだと治ってしまう…」笑いを堪えるのが大変だった。 ( Jina ʕ·͡ˑ·ཻʔ さんのツイート )
美容室で隣のおばさまが 息子が声優でー! と話してて聞き耳を立ててたら 頑張ってるんですよー うんうん あれほら、なんでも揃うし安いんですよー
…あ? _人人人人人人_ > SEIYU <  ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄ ( 中村温姫 さんのツイート )
確かに聞いた。今日、市の都市開発部に仕事で行ったとき、奥の部屋から『バカお前っ!シムシティじゃねぇんだぞ!』と確かに聞こえた。 ( さくらみそ さんのツイート )
的確にツボをつく!どこからともなく聞こえてきた「不意打ちのひとこと」6選( 笑うメディア クレイジー さんの記事より )
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毛沢東はソ連と仲違いした時、長年にわたって途方もない予算と将兵の養成が必要な通常兵器より、短期間に決定的な抑止力を高める核・ミサイルが効果的であると認識した。
そこで人民の半分が餓死してでも「両弾一星」(原・水爆と人工衛星)を完遂するという決断をした。
その根底には、中国という国家は人民(約8億人)の半分、4億人を犠牲にしても国家は生き残れるという意識であった。
また、「政権は銃口より生まれる」と喝破したように、国共合作で国民党軍を日本軍と戦わせ、共産党軍は後方にいて増勢につなげ、続く内戦で勝利して政権奪取につなげる考えがあった。
実際、430万人いた国民党軍は150万人となり、120万人しかいなかった共産党軍は400万人となり、累次の内戦で約800万人が戦死したとも言われる。
中華人民共和国の建国後の犠牲者
毛沢東は建国10年後の1958年から61年までの3年間、人民公社を地方ごとに造って自給自足で生き延びることができるように大躍進運動を行う。
しかし、公社間の競争精神は実体の伴わない過大報告となり、結果的には約2300万人が餓死したと言われる。
毛は失敗を認めて国家主席を辞任。1962年1月の中央工作会議で劉少奇国家主席が「三分の天災、七分の人災」と述べて大躍進を批判する。
しかし、建国以来続けてきた反右派闘争に勝利して1964年に復権する。この15年間に約950万人を虐殺したとされる。
1966年からは10年に及ぶ文化大革命が続く。この間の政治的な痛めつけでの死亡(約2000万人)や餓死者はほぼ1億人にも上ったとみられている。
3度の批判を生き残った鄧小平は毛の死去(1976年)後の78年末に「改革開放」の大号令をかけ、今日の大発展につながっていく。
しかし、どこまでも社会��義市場経済で、共産主義体制の維持が前提であった。
胡耀邦が総書記に就任(1980年2月)してチベットの惨憺たる有様に衝撃を受け、失政の責任は共産党にあるとして、政治犯の釈放や信教の自由と僧院の再建などの自由化政策を進めるが、共産党幹部の批判を受け87年1月解任される。
続く趙紫陽も学生たちの民主化要求に柔軟な対応を示し、天安門広場に出かけ学生を説得するが失敗に終わる。
鄧小平は共産党政権維持への懸念を深め、中国人民解放軍による武力弾圧を決断し、民主的な抵抗を戦車で粉砕する(「天安門事件」、「6・4事件」とも呼称)。
趙は3週間後(6月23日)に解任され、上海市委員会書記であった江沢民が抜擢される。
天安門事件の死者は発表されていないが、米国の秘密文書によると、死者は1万454人、死傷者は4万人以上となっている(方政・釈量子対談「生き証人が語る 血塗られた天安門の虐殺」、『WiLL』2016.7号所収)。
改革開放後の経済的発展は貧富の差を拡大させ、犯罪や暴動も頻発した。400万人の死刑囚収容施設は不足する状況で、死刑免除と引き換えに外国への労働者として派遣しているとも言われる。
すべてにおいてスケールが違う中国
列挙すればきりがないが、広大な領土と巨大な人口、困難な統一、近代化の遅れ、そして何よりも言論の自由がない共産党独裁の強権政治で「物言えば唇寒し」だ。
他方、愛国無罪が大きな「虚言」を蔓延らせる。
日本では厚生労働省の為体で統計の信頼性が揺れているが、中国は国家ぐるみで、GDP(国内総生産)さえ疑問視されている。
内乱や自然災害、イナゴの異常発生による蝗害などが絶え間なく起き、その都度100万単位の死者・餓死者を出してきたとされるが、何一つ正確な数字の公表はない。
秦の始皇帝が即位したBC221年から共産党結成の直前1920年までの2140年間に160回の内乱があり、累計年数は896年で、13年おきに約6年間の戦闘が起きてきたとされる。
また、この間に5150回の天災、うち1035回の旱魃、1037回の水害が発生。旱魃や水害は2年に1回、蝗害も含めた天災は5カ月に1回の頻度で発生してきたことになる。
施政が行き届かない広大な領土ゆえに、何か起きれば大飢饉に直面した。1810年900万人、1811年2000万人、1849年1375万人、1876~78年1300万人の死者を出す大飢饉が発生している。
20世紀に入ってからも、1928~30年の大飢饉では西安市のある陝西省で200万人が流民となり、1930~32年には1000万人が餓死している。
なお、支那事変で日本軍が開封を占領した1938年、蒋介石軍が日本軍の追撃阻止のため、黄河の堤防を決壊させ、下流域(河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54000平方キロ、北海道の6割)の水没で100万人死亡、被害者は600万人に上ったとされる(『郭沫若自伝』は日本軍の無差別爆撃と対外宣伝した)。
このため、3省の農地が農作物ごと破壊され、河南省では1942年に凶作、続く翌年は蝗の大群発生で、300万人が餓死したという。
こうした餓死者が出ると、得体の知れない茸も食し、子供を交換して食すこともあったとされる(易子而食…子を替えて食らう)。
中国人による中国人の斬殺
問題は人為的な残虐行為で、『揚州十日記』がある。
明朝滅亡時、満清の軍隊が南下して勢力を南京に及ぼそうとした時、南京政府の要所、揚州城の攻防で王秀楚という人物が家族や兄弟と逃げ回る間に体験した記録である。
わずか10日間の出来事であるが、中国社会で昔から蔓延るあらゆる慣習が見て取れる。
指揮官の逃亡、兵士の略奪・強姦・放火・惨殺などの暴虐、金品の強要や強奪などが展開される。
2人の女性が逃げ回り、足が泥の中にぬかって脛まで没している。「1人が女の子を抱いていたのを、兵卒は鞭で叩いてその子を泥の中に捨てさせ、そのまますぐ追い立てて行った」。
数十人のものは牛か羊かのように駆り立てられて「少しでも進まぬと直ちに笞を加えられ、あるいはただちに殺された。女たちは長い綱で数珠を通したように頸をつながれ、一足ごとに躓き転んで、全身泥まみれになった」。
「どこにもかしこにも幼児が馬の蹄にかけられ、人の足に踏まれて、臓腑は泥にまみれ、その泣き声は曠野に満ち満ちていた」
「途中の溝や池には死骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた。池はそのために平らになっていた」
逃げ回った挙げ句、通りに出た。
「通りには人の首が重なりあって横たわっていたが、真っ暗で誰が誰やら見分けがつかなかった��
「(中略)城壁の下には死骸が積み上げてあるため、歩くのに難渋した。何度つまづいては起き上がったか知れなかった。何かに驚かされるたびに、地面に倒れて死骸の真似をした」
彼らは掠奪や強姦ばかりでなく、火災も起こす。四方に火事が起こり、「こっそり戸外に出て見ると、畑の中には死骸が積み重なっていて、中には息絶え絶えにまだ生きているのもあった」。
男(兵士)は幼女と男児を連れた婦人を捕えた。
「男の児が母を呼んで食べ物をねだった。その男は怒って一撃すると、脳が砕けて男の児は死んだ。男は婦人と幼女を引いて行った」
隠れていた場所に「数人の兵卒がやって来て引き出されたことが二度ほどあったが、その都度少しばかりの金を握らせると行ってしまった」。
こうして10日間で80万人が清軍の刀下で虐殺されるという血腥い「大屠殺」が展開され、繁華の揚州は凄惨な生き地獄と化したという。
揚州を落とした清軍は騎虎の勢で数日後に南京に入る。南京王朝の福王や陪臣はいち早く逃亡し、文武百官はみな薙髪して清軍に降伏する。
余談であるが、清軍豫王とまみえた揚州督鎮は「史可法ここに在り!」と大呼するが、武運拙く、ついに捕えられる。
豫王は「降れば則ち富貴ならん」と諭すが、史可法は「われは天朝の重臣なり。あにいやしくも生を偸(ぬす)みて万世の罪人となるべけんや。わが頭(こうべ)、断つべし、身屈すべからず」と断る。
豫王は3日間説得し続けるが、最後は涙を揮って部下に斬らせたという。
中国の極刑さまざま
手元に『図説 中国酷刑史』(尾鷲卓彦著、徳間書店)がある。
酷刑とは残酷極まりない刑罰のことで、中国の酷刑を可能な範囲で紹介したものである。
「彼らは手足を釘で打ちつけられ、鮮血をしたたらせて架刑(はりつけ)にされている劫賊(ごうとう)に、これっぽちの憐みすら寄せないどころか、その“五花斬人(きりきざみ)”のさまを観賞するという奇怪な光景まで演じた」
「街頭や横丁において、首が切り落とされた様子を微に入り細をうがって、活き活きとしゃべりたてるかと思えば、われ先に鮮血にまみれた人頭や半裸の女性の屍体を覗き込む。なかには饅頭に血を吸いこませ、それを食べて肺結核を治そうとする者さえあった」などの記述もある。
酷刑には官刑と私刑の別があり、官刑では「拷問・斬首・��縊・首枷・足枷・站籠(立った姿勢で首枷)・抽腸・鞭打ち・凌遅(寸刻みで切り裂く)・銃殺・見せしめ」が列挙されている。
私刑では「吊り下げ・熱湯あびせ・目えぐり・耳削ぎ・活き埋め・舌抜き・火あぶり・沈め殺し・釜ゆで・圧殺・宮刑・人喰い・足ぜめ・頭髪そり・入れ墨・首切断・バラバラ屍体」などが記されている。
読んでいて、「心胆を寒からしめる」どころか、こんな国家・社会があるのかと恐ろしくなってくる。日本人には想像を絶する奇想天外な国家・社会のようだ。
本多勝一著『中国の旅』にも、「飢えた軍用犬の餌」にした話(文庫本p20)や「電線にコウモリのようにぶらさげ火あぶり」にした話(同p231)、「腹をたち割り、心臓と肝臓を抜き取って食う」話(同)などがある。
臓器を煮て食したのは日本兵ということになっているが、筆者には日本人の行動様式とは思えない。読者はどう思われるだろうか。
月刊誌『SAPIO』(2015年7月号)は、「毛沢東は『資治通鑑』を17回も読み、ライバル抹殺の手本としていた」とのリードで、「『人ブタ』『食人』『生きたまま肉を削ぐ』 歴史書に描かれた中国4千年『残虐の伝統』」の表題を付けた一文を掲げた。
その中で、「人ブタ(手足を切断し丸裸で厠に放る)」「凌遅」��大量虐殺(一族の公開処刑や赤ん坊を空中に投げ槍で刺す)」「人食い」「ムチ打ち・炮烙(銅製円柱に罪人を縛り付けて焼き殺す)」「站籠」などを挿絵入りで説明している。
中国人による日本人大虐殺
拙論の本題は中国人が日本の軍民に暴行を加え、また惨殺・虐殺した事件の検討である。いくつもあるが、ここでは3つを取り上げたい。
(1)旅順猟奇虐殺事件
日清戦争(1894.8~95.5)間の11月21日に起きた事件である。
近代化に邁進中の日本は、戦争においては勝利することと国際法を順守する文明国家であることを強調する必要があり、戦場に国際法の専門家を同道し、第2軍司令官大山巌大将は「我軍は仁義を以て動き、文明に由て戦ふものなり」と訓示していた。
勝利の報が続々と届いていた矢先の惨事に、影響を最小限にする方策で伊藤博文首相と陸奥宗光外相は振り回される。
旅順市街に突入した日本軍兵士は、3日前に生け捕りされた3人の生首が、道路わきの柳の木につるされているのを見る。鼻はそがれ、耳もなくなっていた。さらに進むと、家屋の軒先に針金でつるされた2つの生首があった。
米国人記者も「ワールド」紙で、「日本軍が旅順になだれ込んだ時、鼻と耳がなくなった仲間の首が、紐でつるされているのを見た。また、表通りには、血の滴る日本人の首で飾られた恐ろしい門があった。その後、大規模な殺戮が起った。激怒した兵士たちは、見るものすべてを殺した」と書いている。
清国兵は残酷を極めた方法で傷をつけ、第2軍兵士の死体を放置した。
死者、あるいは負傷者に対して、首を刎ね、腹部を切り裂き石を詰め、左腕を切り取り、さらに睾丸などまで切り取り、その死体を路傍に放置した。これは捕虜の扱いではなく、猟奇事件でしかない。
この残酷さが日本軍に復讐心を燃え上がらせ、生首が兵士たちの激昂を誘ったとされる。
攻撃の包囲網を狭められた清国兵は「袋の鼠」同然となり、軍服を脱ぎ捨て便衣兵となって民家に逃げ込んだ。
復讐心は便衣兵の徹底捜査となる。また、市民の中には武器をもつ者もいた関係から、彼らも加害者とみなされた。
歩兵第2連隊の加部東常七上等兵は「旅順市街に闖入するや、戸々軒々、家中を捜りて、(略)小暗き家の片隅に潜む一人の敵兵。オノレッ!とばかり・・・。直突一閃! 胸板深く突き通せば、彼、苦しさの余り、我剣刃を握れり。コワ・・・仕損じたり。と力を極めて引けば、四指を落としてがくりと倒るる所を亦一刺。魂、天涯に飛んで骸のみ」と手記に記している。
この連隊では清国兵28人を斬殺した一等兵を筆頭に、21人、17人など、11人で166人の清国兵を屠ったという(以上、井上晴樹著『旅順虐殺事件』)。
旅順郊外の萬忠墓には被難者計1万8百余名(かなりが便衣兵か)と明記されているそうである。数はともかく、事件は両国の将兵が確認し、内外の記者数名が報道し確認している。
しかし、非は我に有りとのことか、中国は旅順の猟奇・虐殺をほとんど報道してこなかった。
(2)昭和2年の「南京事件」
「長江(注:揚子江の上流域)流域上下二千浬(カイリ)に亘り、三千余名の在留邦人が暴徒の迫害から遁れて、財産を捨て地盤を棄てて内地への引揚げを断行したことは、我日本としては空前の史実であり世界的にも希有の事変である」
「彼らの我邦人に対する嫌悪と軽侮の念は、十数年来の排日によりて遺憾なきまでに蓄養された。その今日あるはむしろ予想されていなければならなかったはずだ」と悔しさを隠さない。
これは、合法的に南京・蘇州・漢口・重慶などに居留していた日本人が昭和2年の春、中国人によって襲われ、引揚げざるを得なかった日本人襲撃事件の実相を、直後に結成した「中支被難者連合会」が証言や公文書を用いて再現した『南京漢口事件真相 揚子江流域邦人遭難実記』の「序」である。
少し説明が必要であろう。事件発生時までの3年間、外務大臣は幣原喜重郎であった。
上海などで中国の横暴がしばしばあり、英米などは軍艦を出動させて鎮圧してきた。しかし、幣原外相は話し合い解決を主張し、軟弱外交と批判されていた。
こうしたことから、南京の日本領事は「北伐軍を刺激しない」「無抵抗主義で対応する方が効果的」として、荒木海軍大尉らが準備した領事館前の土嚢を撤去し、機関銃は倉庫に隠した。
そこに事件が起き、兵士と暴徒の侵入を許し、婦人までが凌辱・強姦の「忍ブベカラザル検査」(「検査」は領事の表現)を受けたのだ。
中国が事件を起こしても、武力対処は一切斥けた。こうした日本外交に対する思いが「今日あるはむしろ予想されて」の謂いであり、悔しさが滲んでいる。
これこそが「南京事件(昭和2年)」と呼ばれるもので、今日、「南京大虐殺」(昭和12年)として非難されているものは、事件でなく追撃戦であった。
(3)通州虐殺事件
北京の東方約20キロのところに通州がある。「冀東(きとう)防共自治政府」の管理下にある通州保安隊に守られて日本人居留民は生活していた。
盧溝橋事件から3週間後の29日(1937年7月)から翌30日未明の間に、保安隊は国民党軍と示し合わせたかのように警備を解き、女子供を含む邦人257人(日本の警備隊32人を含む)が惨殺された。
居留民たちの救援活動を取材するために、たまたま来ていた同盟通信社の安藤利男記者も襲撃を受けるが九死に一生のチャンスを得て脱出に成功し、後に『虐殺の通州脱出記』を書いている。
午前2時半ごろ保安隊の動きが怪しいとの電話があり、その後は不通。4時頃からは銃声も聞こえる。7時ごろになると市街南方辺りで白煙や黒煙が上がり、銃砲声も激しくなる。
8時になると、記者たちが泊まっていた近水楼の支那人ボーイが他所から口も利けない状態で駆け込んできて、「��務機関付近の通りの邦人商家、カフェー辺りで、日本人が多勢殺されてゐる。太変です・・・」の第一報をくれたという。
また、奇跡的に生き残った人たちも、色々と証言しており、虐殺事件の状況はかなり正確に伝わっている。
1か月後には『主婦の友』が人気作家吉屋信子をカメラマンともども派遣。その時も証拠は至る所に残っており、女性の目で子細に記録している。
しかし、平成28(2016)年7月、現地を訪ね『慟哭の通州―昭和12年夏の虐殺事件』を上梓した加藤康男氏によると、通州市は北京市に吸収されて、「もはやこのあたり一帯に通州虐殺事件に関連した建物は何一つ残されていない。旧城内は、90年代ごろから徹底的に破壊し尽くされてきた」という。
事件から5カ月経った12月下旬(日本軍が南京で入城式を行った1週間後)、冀東防共自治政府と日本側との間で弔意賠償金の支払いや慰霊碑建立の決着が図られた。
都合の悪い慰霊碑はいつしか地下に埋め隠されたが、再開発で偶然に発見された。
その状況を「北京日報」(2001.8.24付)は、「日本軍が中国を侵略した証拠、通州区で慰霊碑が見つかる」との見出しで報じたという。
「1938年日本軍のもので、我が国の抗戦軍民が倒した日寇のいわゆる『慰霊碑』だった。・・・文字はいずれもひどくかすれているが、『大東亜共栄』など日本の侵略理論も記されている」
「通州区の文物所所長によれば、・・・1937年7月29日早朝に通州の2万人余が蜂起、この偽政府(注:冀東防共自治政府)を占領した上、日本人五百人余りを撃ち殺した。翌日、日本軍は大規模な報復を行い、偽政府に二つの慰霊塔を立てることを要求、塔の前には慰霊碑も立てた」
殺害者二百数十人を「五百人余」に倍増し〝抗日の成果″を誇っているし、また5か月後の話し合い決着を「翌日」として日本の傲慢な要求に見せかける中国一流の誤魔化しがある。
加藤氏は、「南京や盧溝橋はもとより、満州各地にある旧大和ホテルに至るまでが『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の差である。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきまでに消し去ったものとしか考えられなかった」と述べる。
おわりに
通州虐殺事件について、「東京日日新聞」(昭和12年8月6日付、毎日新聞の前身)は、「敵は第29軍の首脳部の命を受け26日頃から通州襲撃の保安隊及び正規兵と連絡をとり、北清事変議定書によって正規兵は天津市内に入るを得ざるを以て便服に着替へて大胆にもトラックを以て続々天津付近に侵入。機関銃、迫撃砲、小銃、青竜刀などを蔬菜や貨物の下に隠して運び込み、時の到るのを待って居た」と報道している。
天津では中国軍から攻撃を受けるや否や、日本軍が反撃に出て撃滅したため大事に至らなかったが、通州虐殺事件は天津の日本租界・軍関係機関、その他の邦人多数居留区域と共に、2年前から襲撃計画が練られていた同時多発テロであったのだ。
同紙は「約1万5千人を虐殺し、掠奪を恣にしたうえ、日本租界を占領しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する」ことになっていたかもしれないと書いている。
加藤氏によると、中国共産党は、通州事件を「反正」(過ちを正すこと、即ち冀東防共自治政府の消滅)として評価し公認しているという。それなのに、「なぜ痕跡を抹殺しようとするのだろうか」と疑問が沸く。
筆者は次のように思う。旅順猟奇虐殺事件や通州虐殺事件は、虐殺現場の目撃者があり、「事件の存在」が証明される。これらの事件を大きく取り上げると、「南京大虐殺」についても「事件存在」の「明確な証明」が求められる。
しかし、習近平さえ英国女王の晩餐会で「存在の証明」で「友好のプレイアップ」を図ったが、逆に「非存在」の暴露になってしまい、“はい それまでよッ!”となりかねなかった。
南京事件は大虐殺の「状況証拠」から離れていくばかりだ。いかがであろうか。
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零の会
2020年6月6日 COVID19
坊城俊樹選 特選句評
オンライン句会
坊城俊樹出句
坊城俊樹出句
香水の独りの真夜をもてあます 他人事のやうな顔してサングラス 相模湾てふ塩水を泳ぐなり 胎の子に夏の沖てふ水遙か 小心で潔癖性でサングラス 角海老の裏よりぬつとサングラス もう二度と愛せざる日の水着きて 騙すなら騙し通してサングラス 捨てられし夜を外さざるサングラス 夏風邪の大群衆とすれ違ふ
坊城俊樹選 特選句
◎特選句 句評
色街に飼はれ緋鯉の水暗く 美紀
「暗く」は「昏く」が良いかもしれぬが、零の会らしいは緋鯉という生命と色街の女の命のぶつかり合いがもの凄い。季題の本情と女の本情の絡み合い。零の定番。
下闇を流るゝ水は星と遭ふ 順子
うまいなあ。やんなっちゃうなあ。「下闇」がもの凄い。「☆」が出て来る飛躍の世界。
噴水を昂りながら離れけり 伊豫
これもうまいなあ。やんなっちゃうなあ。「昂ぶり」ねえ、そうなんだろうねえ。私は唐変木なので分からない。女性の性の句だから佳人の作者だろう。違ったら面白いが。
水音を石柱に聴く夏館 眞理子
これもうまいなあ。やんなっちゃうなあ。石柱はこの館の池ノ辺に立つロココ式なんだろうか。丹下健三先生の作にもあったような。
父の恋滲んでをりしサングラス 順子
よくわからないのだが。「滲む」が。感覚的であろうが、遺品のレンズの表面にキズか曇りがあってそれを言うのか。写真の父上か。亡くなったお父上の若き日を忍んで。
元帥のポーズ決まりてサングラス 佑天
マッカーサーのこととは誰でもわかる。だから普遍性のある省略である。「ポーズ」も誰しもがあの写真を思い出す。
夏蝶のやはき香りとすれ違ふ 三郎
ものすごく良いでもないが。季題の本意だと「やはき」でもないが、逆説的に本意を覆しているのが面白い。「春蝶のもの凄き香とすれ違ふ」の如し。
万緑や石の狐の舌真赤 和子
季題が効いています。石から来て、急激に石の舌が真っ赤になるのも良い展開。
蛞蝓が引く銀の道辿る子ら 緑
よくこんな光景が出てきた。言われてみると私も同じことをしていた。現今の子もするのだろうか。郷愁また郷愁。
霍乱やあなたのあとを追はうにも 公世
「霍乱」かなるほど。この作者のこだわり方は凄まじい。季題の斡旋にも苦労したろうが、よく見つけた。日射病では物語として様にならぬ。
モンスーンにバナナ追熟してをりぬ 光子 なんとなく良い。「追熟」が良いのだろう。堅苦しいような、気象庁の長期的天気概況のような、歴史と地理の授業のような、東南アジアの社会ニュースのような。
梅雨寒やエプロンの紐床に垂れ 和子
梅雨の寒さと、この光景の接点がわからなくて印をつけてなかったのだが、よく見ると映画の一場面、特に日本映画の日常のアンニュイのようなものが見えてきた。地味だが。
抱かれてパナマ帽へと手を伸ばす 久
抱擁であろう。男女か。父と子か。どうも釈然としない。抱かれているのに、男のパナマ帽を脱がせる女性か。先にパナマ帽を取ってから抱擁するのが道理だが。嗚呼知りたい。
島の夜は客もボーイも裸足にて 光子
なんとなく良い。いかにも知っていたつもりだが、案外知らなかった事。裸足という季題に南国のアンニュイのようにものが足されて、良いんではないかい。
サングラス語彙の乏しき親しさよ ゆう子
なるほど。「語彙」ときたか。まあよくわかります。
眉上げしグレタ・ガルボのサングラス 公世
そう言えば、グレタの写真にサングラスの片方をズリ揚げたのがあったような。その写真は彼女の代表的なものか。「し」という助動詞の過去をあらわす部分を的確に取り入れたということに乾杯。
行列に並ぶサングラスの���満 久
なるほど。「不満」ときたか。全員そうだったら可笑しいですね。この列は、今回のコロナ騒動に関わることだろうか。海外でも日本でも、コロナ以降に行列を離れて並ぶ風習が。こんな句ならば街の風景と人々の惨状をコロナという言葉を使わないで諷詠できるのである。
▲問題句 句評
真つ白きあぢさゐだけが揺れてゐる 小鳥
なかなかいいのだが、類句か類想がある。そこいらの句会なら入選。
グラサンと言つたりもしたサングラス 荘吉
この俗っぽさは面白いが、いまさらグラサンの事を知らない人も居らず、だからユーモアでもない。サングラスの過去に拘るのもわかるがもっと飛躍を。
拍刻む昭和ロックや黴げむり ゆう子
これは名誉ある△です。唯我独尊句。「一拍」ずつ音を刻むのだろうが、ロックはビートと思うのですが。「黴げむり」は古きレコードのことか。昭和のロックは「頭脳警察」のことであろう。
軍楽隊トロンボーンはサングラス 荘吉
軍楽隊やジャズの古株となれ��、トロンボーンはサングラスに決まっていると感じる。
サングラスはづさず隠れナルシスト 千種
面白い。ただし、サングラスをはずさないのは表ナルシストである。
大穴を狙う姐のサングラス 伊豫
面白い。実に面白いのだがなんか作りすぎじゃあないかい。太地喜和子か何かか。太地喜和子さんはうちの隣マンションに居ました。亡くなりましたが。「狙ふ」ですな。
入選句 句評
十薬に水の匂いの混ざりくる 慶月
上手い句だ。「匂い」は「匂ひ」。零の会だと、名詞や動詞の場合の活用は正確に。国語辞典と動詞や形容詞の場合は活用表を見て作るべし。
人間(じんかん)を見据えてをりぬサングラス 公世
これも格調高い良い句。「見据ゑ」だったら特選でしたのに。
カラフルなアイスクリームまでの列 久
いい句です。ただ、「カラフル」がアイスクリームに掛かるか、列のとりどりの洋服に掛かるかが少し迷う。後者かなと思うが、こういう並列の意味を醸す句はよくある。
星座の名ひとつも言えぬ端居かな 光子
「言えぬ」は「言へぬ」以下同文。
サングラスかけて少女に戻れれば 炳子
戻れないであろう。
入選句
水陰の灯心蜻蛉風立ちぬ 炳子 サングラスかけて少年は目敏し 悠紀子 サングラス浜の女になりきつて 秋尚 カレー屋のすぐに汗かく氷水 千種 長靴をふがふが踏んで水あそび 和子 深ぶかと女の祈りうすごろも 美智子 羅の母を鏡に見送りぬ 順子 水無月や津軽海峡黝き 佑天 片陰の姪は見知らぬ人��ゐて 三郎 サングラス外しすとんと胸に差し 荘吉 水中花水差しやれば泡を生む 順子 日覆に赤い生き物売られけり 和子 風でなきものに蠛蠓揺らぐなり 千種 青梅や惑星のごと水に浮く 順子 竹落葉見えざる軸を旋回す 千種 口角の上がりて外すサングラス 小鳥 紫陽花や列車の音をとほく聴き 美紀 黴の書に詰まる想ひの往き来かな 梓渕 受話器から声を掻き消す日雷 清流 男独り仏を彫りて短夜を 炳子 皮肉屋のシャイな唇サングラス 千種 短夜や抱けばしゃべる人形と 炳子 サングラスと堕つる夕陽を見つめをり 眞理子 水馬覗き込む橋朽ちかけて ゆう子 駅からの海岸通りサングラス 要 短夜や蛾に二粒の黒眼 和子 妖精のかくるるおいど釣鐘草 眞理子 森深く獣も飛ぶか黒揚羽 千種 雑談の背中に揺らぐ水陽炎 三郎 噴水の風にながれてゆく港 伊豫 玉虫の星霜経たる今も美し 瑠璃 花橘残んの月を匂はしむ 炳子 昼前のバックシートに裸の子 久 緑蔭に謎の石組み団子虫 要 古池に水輪をつぐや若葉雨 光子 バザールに紛れて来るサングラス 順子 花魁の気位高し花菖蒲 要 タバスコとアイスコーヒー運ばれて 小鳥 水飴を手に緑蔭の紙芝居 瑠璃 サングラス後ろに掛けて粋がりて 慶月 紫陽花や小さき嘘をつかれゐて 美紀 蹲る猫の目蒼く枇杷熟るる 炳子 門扉より急ぐ白シャツの青年 小鳥 ねつとりと鳩歩くなり日の盛 和子 薔薇朱しその唇が毒を吐く 久 雲の上を軽鴨の辷りし水鏡 順子 一舟の水漬きて雷雨去りにけり 梓渕 夏蝶の想ひありしか子のそばに 三郎 軽薄を貫きとほすサングラス 要 自転車で夕立風と競ひたる 緑 新世界はじまつてをり揚花火 悠紀子 金魚売酔ひの名残の足さばき 悠紀子 なにもなき日なれど辻の立葵 順子 サングラス外し頷く男の子 伊豫 水槽の目高昨年より孤独 瑠璃 夏の燈に透けて動かぬ白蛾かな 和子
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ここであえての2016年の観賞記録と
2016年の映画観賞回数135回。
『クリード──チャンプを継ぐ男』(ライアン・クーゲラー) 『ジョン・ウィック』( チャド・スタエルスキー、 デヴィッド・リーチ) 『ヒトラー暗殺、13分の誤算』(オリヴァー・ヒルシュビーゲル) 『黄金のアデーレ──名画の帰還』(サイモン・カーティス) 『エール!』(エリック・ラルティゴ) 『白鯨との闘い』(ロン・ハワード) 『顔のないヒトラーたち』(ジュリオ・リッチャレッリ) 『シャーリー&ヒンダ──ウォール街を出禁になった二人』( ホバルト・ブストネス) 『Re:LIFE』(マーク・ローレンス) 『ムーン・ウォーカーズ』(アントワーヌ・バルドー=ジャケ)
『海賊じいちゃんの贈りもの』(アンディー・ハミルトン、 ガイ・ジェンキン) 『ローマに消えた男』(ロベルト・アンド) 『コードネームU.N.C.L.E.』(ガイ・リッチー) 『ブリキの太鼓』(フォルカー・シュレンドルフ) 『パリ3区の遺産相続人』(イスラエル・ホロヴィッツ) 『ストレイト・アウタ・コンプトン』(F・ゲイリー・グレイ)2回。 『ザ・シャウト──さまよえる幻響』(イエジー・スコリモフスキ) 『ブリッジ・オブ・スパイ』(スティーヴン・スピルバーグ) 『クリムゾン・ピーク』(ギレルモ・デル・トロ) 『PEACH──どんなことをしてほしいのぼくに』(坂西伊作)
『エージェント・ウルトラ』(ニマ・ヌリザデ) 『恋人たち』(橋口亮輔)2回。 『知らない、ふたり』(今泉力哉) 『バットマンVSスーパーマン』(ザック・スナイダー) 『ニューヨーク──眺めのいい部屋売ります』(リチャード・ロンクレイン) 『オデッセイ』(リドリー・スコット) 『不屈の男──アンブロークン』(アンジェリーナ・ジョリー) 『ひつじ村の兄弟』(グリームル・ハゥコーナルソン) 『最愛の子』(陳可辛) 『クーパー家の晩餐会』(ジェシー・ネルソン)
『ヘイトフル・エイト』(クエンティン・タランティーノ) 『キャロル』(トッド・ヘインズ) 『ズートピア』(バイロン・ハワード、 リッチ・ムーア) 『ポテチ』(中村義洋) 『奇跡』(是枝裕和) 『テラフォーマーズ』(三池崇史) 『弱虫ペダル Re:RIDE』(鍋島修) 『弱虫ペダル Re:ROAD』(鍋島修) 『劇場版 弱虫ペダル』(長沼範裕) 『殿、利息でござる!』(中村義洋)
『マッドマックス──怒りのデス・ロード』(ジョージ・ミラー)5回。通算10回達成。 『海よりもまだ深く』(是枝裕和) 『ルーム』(レニー・アブラハムソン) 『これが私の人生設計』(リッカルド・ミラーニ) 『三等重役』(春原政久) 『フルートベール駅で』(ライアン・クーグラー) 『社長太平記』(松林宗恵) 『マネー・ショート──華麗なる大逆転』(アダム・マッケイ) 『リリーのすべて』(トム・フーパー) 『レヴェナント』(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)
『駅前旅館』(豊田四郎) 『スポットライト──世紀のスクープ』(トム・マッカーシー) 『ミラクル・ニール!』(テリー・ジョーンズ) 『欲望』(ミケランジェロ・アントニオーニ) 『グランドフィナーレ』(パオロ・ソレンティーノ) 『アイアムアヒーロー』(佐藤信介) 『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』(クリス・マウカーベル) 『最高の花婿』(フィリップ・ドゥ・ショーヴロン) 『マクベス』(ジャスティン・カーゼル)2回。 『ヘイル、シーザー!』(ジョエル・コーエン · イーサン・コーエン)
『アイヒマン・ショー』(ポール・アンドリュー・ウィリアムズ) 『ハロルドが笑うその日まで』(グンナル・ヴィケネ) 『夏の夜の夢』(ジュリー・テイモア) 『コップ・カー』(ジョン・ワッツ) 『ボーダーライン』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ) 『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』(マイケル・ムーア) 『デッドプール』(ティム・ミラー)2回。 『モヒカン故郷に帰る』(沖田修一) 『ディストラクション・ベイビーズ』(真利子哲也) 『君がくれたグッドライフ』(クリスチアン・チューベルト)
『団地』(阪本順治) 『ヒメアノ~ル』(吉田恵輔) 『アウトバーン』(エラン・クリーヴィー) 『ブルースブラザース』(ジョン・ランディス) 『トリプル9』(ジョン・ヒルコート) 『FAKE』(森達也) 『プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ』(プリンス、 アルバート・マグノリ) 『ミスター・ダイナマイト──ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』(アレックス・ギブニー) 『忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー 感度サイコー!!』(鈴木剛) 『クレイマー、クレイマー』(ロバート・ベントン)
『帰ってきたヒトラー』(デビッド・ベンド) 『日本で一番悪い奴ら』(白石和彌) 『トゥーヤングトゥーダイ!──若くして死ぬ』(宮藤官九郎) 『嫌な女』(黒木瞳) 『ふきげんな過去』(前田司郎) 『セトウツミ』(大森立嗣) 『超高速! 参勤交代リターンズ』(本木克英) 『マシュー・ボーン「ザ・カーマン」』(マシュー・ボーン、ロス・マクギボン) 『スーサイド・スクワッド』(デヴィッド・エアー) 『エクス・マキナ』(アレックス・ガーランド)
『フリーウェイ』(マシュー・ブライト) 『二ツ星の料理人』(ジョン・ウェルズ) 『教授のおかしな妄想殺人』(ウディ・アレン) 『ONCE──ダブリンの街角で』(ジョン・カーニー) 『シング・ストリート──未来へのうた』(ジョン・カーニー) 『王立宇宙軍──オネアミスの翼』(山賀博之) 『シン・ゴジラ』(庵野秀明、樋口真嗣)2回。 『裸足の季節』(ドゥニズ・ガムゼ・エルグヴァン) 『ロング・トレイル!』(ケン・クワピス) 『グッバイ、サマー』(ミシェル・ゴンドリー)
『ブルックリン』(ジョン・クローリー) 『後妻業の女』(鶴橋康���) 『トランボ──ハリウッドに最も嫌われた男』(ジェイ・ローチ) 『ラスト・タンゴ』(ヘルマン・クラル) 『AMY エイミー』(アジフ・カパディア) 『グエムル──漢江の怪物』(ポン・ジュノ) 『フラワー��ョウ!』(ヴィヴィアン・デ・コルシィ) 『ストリート・オーケストラ』(セルジオ・マシャード) 『ニュースの真相』(ジェームズ・ヴァンダービルト) 『阿弖流為』(いのうえひでのり)
『怒り』(李相日) 『ジャニス──リトル・ガール・ブルー』(エイミー・バーグ) 『高慢と偏見とゾンビ』(バー・スティアーズ) 『オーバー・フェンス』(山下敦弘) 『リトル・ボーイ──小さなボクと戦争』(アレハンドロ・モンテベルデ) 『ハートビート』(マイケル・ダミアン)2回。 『神様の思し召し』(エドアルド・ファルコーネ ) 『THE BEATLES──EIGHT DAYS a week the touring yeas』(ロン・ハワード) 『永い言い訳』(西川美和) 『生きうつしのプリマ』(マルガレーテ・フォン・トロッタ)
『はじまりはヒップホップ』(ブリン・エヴァンス) 『奇跡の教室──受け継ぐ者たちへ』(マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール) 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス) 『この世界の片隅に』(片渕須直)2回。 『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』(ロバート・ゼメキス)
2016年の本読了冊数80冊。(同人誌は除く)
渡部直己『小説技術論』(河出書房新社) アレイヘム『牛乳屋テヴィエ』(岩波文庫) デーレンバック『鏡の物語』(ありな書房) ウォー『愛されたもの』(岩波文庫) いとうせいこう『鼻に挟み撃ち 他三編』(集英社) 畑山博『いつか汽笛を鳴らして』(文春文庫) ウォー『ご遺体』(光文社古典新訳文庫) 栗林佐知『はるかにてらせ』(未知谷) ドストエフスキー『地下室の手記』(新潮文庫) 川田順造『聲』(ちくま学芸文庫)
ブレヒト『アンティゴネ』(光文社古典新訳文庫) 藤野裕子『都市と暴動の民衆史』(有志舎) アリストパネース『蜂』(岩波文庫) 香山リカ『ヒューマンライツ』(ころから) 小野寺拓也『野戦郵便から読み解く「ふつうのドイツ兵」』(山川出版社) ベルンハルト『石灰工場』(早川書房) いとうせいこう=奥泉光+渡部直己『小説の聖典』(河出文庫) 春日太一=サンキュータツオ『俺たちのBL論』(河出書房新社) 大江健三郎=古井由吉『文学の淵を渡る』(新潮社) 岡和田晃『向井豊昭の闘争』(未来社)
岡本かの子『家霊』(ハルキ文庫) 岡和田晃=ウィンチェスター『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社) ドゥルーズ=ガタリ『カフカ』(法政大学出版局) 外岡秀俊『北帰行』(河出書房新社) オニール『言説のフィクション』(松柏社) アレン『間テクスト性』(研究社) スピヴァク『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房) スピヴァク『いくつもの声』(人文書院) バトラー『権力の心的な生』(月曜社) 『朝鮮近代文学選集3 短編小説集 小説家仇甫氏の一日 ほか十三編』(平凡社)
パク・ミンギュ『カステラ』(クレイン) バトラー『自分自身を説明すること』(月曜社) カダレ『夢宮殿』(東京創元社) バトラー『アンティゴネーの主張』(青土社) ベルンハルト『ある子供』(松籟社) ハン・ガン『菜食主義者』(クオン) 木村友祐『聖地Cs』(新潮社) 木村友祐『イサの氾濫』(未來社) いとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社) 吉村萬壱『ボラード病』(文藝春秋)
フックス『フェミニズムはみんなのもの』(新水社) ムージル『愛の完成/静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫) 赤司英一郎『思考のトルソー・文学でしか語られないもの』(法政大学出版局) 北島玲子『終りなき省察の行方』(上智大学出版) 時田郁子『ムージルと生命の樹』(松籟社) ムージル『愛の完成/静かなヴェロニカの誘惑』(岩波文庫) ムージル『三人の女/黒つぐみ』(岩波文庫) 古井由吉『ロベルト・ムージル』(岩波書店) ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー(上)』(河出文庫) ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー(下)』(河出文庫)
橋本陽介『日本語の謎を解く』(新潮選書) カルペンティエル『時との戦い』(国書刊行会) カルペンティエル『この世の王国』(水声社) カルペンティエル『追跡』(水声社) シェイクスピア『から騒ぎ』(ちくま文庫) シェイクスピア『冬物語』(ちくま文庫) カルペンティエル『エクエ・ヤンバ・オー』(関西大学出版局) カルペンティエル『失われた足跡』(集英社文庫) カルペンティエル『バロック協奏曲』(サンリオSF文庫) シェイクスピア『ヘンリー六世 全三部』(ちくま文庫)
シーラッハ『犯罪』(創元推理文庫) シーラッハ『罪悪』(創元推理文庫) シェイクスピア『じゃじゃ馬馴らし』(ちくま文庫) 松岡和子『深読みシェイクスピア』(新潮文庫) 温又柔『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社) ウルフ『灯台へ』(岩波文庫) シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』(ちくま文庫) カルペンティエル『光の世紀』(書肆風の薔薇) ソローキン『青い脂』(河出文庫) 寺尾隆吉『ラテンアメリカ文学入門』(中公新書)
師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書) 温又柔『来福の家』(白水uブックス) 木村友祐『野良ビトたちの燃え上がる肖像』(新潮社) 木村友祐『イサの氾濫』(未來社) ブコウスキー『パルプ』(ちくま文庫) 町山智浩『最も危険なアメリカ映画』(集英社インターナショナル) 『ノーベル文学賞にもっとも近い作家たち』(青月社) カルペンティエル『方法異説』(水声社) 滝口悠生『死んでいない者』(文藝春秋) 崔実『ジニのパズル』(講談社)
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春風亭小朝師匠、SKEが好きすぎてSKEメンバーオススメの一品を堪能
1: 2018/11/24(土) 11:14:24.62 春風亭小朝師匠
2018年11月24日(土) 今夜9時 https://ameblo.jp/koasa-blog/entry-12421201393.html
昨夜は独演会終わりで名古屋へ入り、久しぶりにマサズキッチンさんへ
今朝はSKEの皆さん&みつ吉ボーイさん御用達の<多司>さんのおむすびを初めて食べました
小海老の天まぶしを食べながら、これが斉藤さんと楽々さんが取り合っていたおむすびかぁ、 としみじみとした気持ちで味わいました 多司(たし)の小えび天まぶしおにぎり
(more…)
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清 竜人「馬鹿真面目」YouTubeLive Ver. 2019.5.1 Release『REIWA』 Amazon:https://ift.tt/2Fw2vse TOWER RECORDS:https://ift.tt/34rq9Rp [初回限定豪華盤](CD+DVD):KICS-93791/¥7,000(+tax) BOX仕様、CD、DVD、フォトブック [通常盤](CD):KICS-3791 / ¥2,778(+tax) 【収録曲】 01. 平成の男 02. TIME OVER 03. 目が醒めるまで(Duet with 吉澤嘉代子) 04. 抱きしめたって、近過ぎて 05. 馬鹿真面目 06. サン・フェルナンドまで連れていって 07. 25時のBirthday 08. 青春は美しい 09. Love Letter 10. 私は私と浮気をするのよ 11. 涙雨サヨ・ナラ 12. あいつは死んであの子は産まれた 【初回限定豪華盤 DVD収録曲】 ・平成の男 MUSIC VIDEO ・目が醒めるまで (Duet with 吉澤嘉代子) MUSIC VIDEO ・サン・フェルナンドまで連れていって MUSIC VIDEO ・青春は美しい MUSIC VIDEO ・2018.11.17「清 竜人ワンマンライブ2018 秋」@TSUTAYA O-EAST 01. Love Letter 02. TIME OVER 03. ヘルプミーヘルプミーヘルプミー 04. 馬鹿真面目 05. 涙雨サ���・ナラ 06. サン・フェルナンドまで連れていって 07. All My Life 08. きみはディスティニーズガール 09. The Movement 10. LOVE&PEACE 11. あくま 12. 痛いよ 13. ボーイ・アンド・ガール・ラヴ・ソング <ENCORE> 01. 抱きしめたって、近過ぎて 02. 私は私と浮気をするのよ 03. 平成の男 via YouTube https://www.youtube.com/watch?v=4BZxiHeseyc
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ヤクザと韓国 殺しの柳川や猛牛・町井らが日韓関係裏で暗躍 「猛牛(ファンソ)」こと町井久之氏(共同通信社) 混迷を極める日韓関係だが、遡れば戦後の両国は、禍根を残しながらも複雑な国際情勢の中で関係修復に動いた。その背後で、カネと暴力、闇社会人脈を駆使してヤクザが暗躍していたことは、“公然の秘密”であった。近著『殺しの柳川』で、戦後日韓関係と裏社会の蜜月を描いたジャーナリスト・竹中明洋氏が、「ヤクザと韓国」の秘史をレポートする。 韓国側による慰安婦合意の反故や、海上自衛隊の哨戒機へのレーダー照射、徴用工判決が重なり、日本政府が半導体材料の輸出規制措置を取ると、韓国側は猛反発。日本製品の不買運動が行なわれ、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決定。果ては東京五輪へのボイコットを求める声すら飛び出している。 この事態に元公安調査庁調査第二部長で、朝鮮半島情勢の専門家の菅沼光弘が嘆息する。 「よくも悪くも、日韓を裏側で結びつけた人々がいなくなった」 菅沼がいう「結びつけた人々」とは、政治家や外交官、財界人ではない。 町井久之や柳川次郎、高山登久太郎を筆頭とするヤクザだ。かつては彼らが日韓で軋轢が生じるたびに両国の間で暗躍した。その動きの一端を紹介する。 まずは“猛牛(ファンソ)”こと町井久之。1965年の日韓国交正常化で大きな役割を果たした一人である。町井は1923年に東京に生まれたが、両親はともに朝鮮半島出身。韓国名を鄭建永(チョン・ゴニョン)という。身長180センチ超、体重100キロの巨躯の持ち主で、その腕力を武器に銀座を縄張りとして頭角を現し、1500人の構成員を従える東声会の会長として東京の裏社会に君臨した。1963年には山口組三代目の田岡一雄と兄弟盃を交わしている。 その町井が韓国国内で人脈を広げていくのは、1962年のことだった。韓国で開かれた国民体育大会に町井が在日同胞チームの団長として訪韓した際、ソウルで町井らが宿泊したホテルの警備を担当したのが、のちに大統領警護室長となり、朴正煕(パク・チョンヒ)政権のナンバー2と言われた朴鍾圭(パク・ジョンギュ)だった。豪胆な性格の2人はすぐに意気投合したという(城内康伸著『猛牛と呼ばれた男「東声会」町井久之の戦後史』参照)。 射撃の名手で、気にくわない相手にはすぐにピストルを抜くことから、「ピストル朴」と怖れられた朴鍾圭は、京都生まれで、日本語も堪能。 「俺は韓国の坂本龍馬になる」が口癖で、「かっこよくて銀座のママにとにかくもてた」とは、朴と幾度も東京で酒席をともにしたことがある在日韓国人から聞いた話だ。 朴鍾圭を介して韓国の政財界に食い込んだ町井は、兄弟分だった力道山の紹介で、「政財界の黒幕」と呼ばれた右翼の児玉誉士夫とも親しくなり、その児玉の伝手で自民党大物政治家の大野伴睦や河野一郎らと知己を得る。 当時、日韓の間では長年にわたり続いていた国交正常化に向けた交渉が暗礁に乗り上げていた。 「韓国嫌いで知られた大野をはじめ、自民党内に早期の交渉妥結に反対する声が多かった」(元政治部記者) こうしたなか、町井は韓国の朴正煕政権の意向を受けて、韓国側の要人と大野らをたびたび引き合わせ、1965年の日韓国交正常化実現の環境整備に一役買った。 その前年、1964年の東京五輪では、韓国選手の渡航費用や宿泊費、機材費などを支援。1966年には韓国オリンピック委員会の委員にもなっている。 ◆大統領の警護を依頼 町井と同じ1923年に生まれ、大阪を拠点としたことから、「東の町井、西の柳川」と並び称されたのが、柳川次郎こと梁元錫(ヤン・ウォンソク)である。 日本の植民地時代の釜山に生まれ、7歳の時に母に手を引かれ、海峡を渡った。終戦直後の大阪を暴力でのし上がり、1958年に柳川組を旗揚げ。翌年には山口組の傘下に入った。 その凶暴��から「殺しの軍団」との異名を取った柳川組は、山口組の全国進出の尖兵として関西から北陸や山陰、東海、そして北海道へと勢力を拡大し、1969年に解散するまでに1700人の構成員を数えた。 柳川が、韓国の政財界に食い込むようになったきっかけも、やはり「ピストル朴」だった。朴正煕政権とも関わりの深い韓国人老学者が経緯を明かす。 「1972年に朴正煕大統領が国賓として日本を公式訪問することになり、朴鍾圭が警視庁と警備計画を協議したのですが、天皇の警備でもやらないほどの厳重さを要求したそうです。朴鍾圭にすれば、それが大統領への忠誠を示すものだったのでしょう。日程には大阪も含まれていたので、大阪府警とも同じようにやったのですが、それでも足りないと思ったのか、朴鍾圭は警察以外の者にも警備への協力を求めた。それが町井であり、柳川だったのです」 結局、公式訪問は取り止めとなったため、町井や柳川の出番はなかったが、これ以降、柳川は朴正煕政権との関わりを深めていく。1974年に朴正煕政権の招きで1944年ぶりに韓国を訪れると、翌年には大のプロレス好きで知られた大統領の直々の依頼を受け、アントニオ猪木ら新日本プロレス一行を引き連れ韓国興行を打つ。 猪木と韓国人レスラーの大木金太郎こと金一(キム・イル)の対決をメインとした興行は、韓国の5都市を回り、いずれもテレビ中継され空前の人気となった。ソウル興行後に猪木や金一を伴って青瓦台を表敬訪問した柳川は、大統領から感謝の抱擁をされたという。 1979年に朴正煕大統領は側近のKCIA部長に暗殺される。混乱のなかでクーデターにより政権を奪取したのが、韓国軍の情報機関・保安司令部(ポアンサ)の司令官だった全斗煥(チョン・ドファン)だ。それまでのKCIAに代わって対日工作を担うことになるが、日本国内で活動する手駒がいない。目をつけたのが柳川だった。 「会長を我々の機関で運用して問題ないか審査したのが私だった」 ソウルで私が会ったのは、柳川を「会長」と呼ぶポアンサの元幹部だ。 「もともと会長とはKCIAが深い関係を持っていたが、我々には詳しい情報がない。そこで生い立ちから彼について調べ直したのです。ヤクザだったことは問題ない。むしろ(韓国への)愛国心を持っているかどうか。そこに力点を置いた審査の結果、十分に愛国者であると判断したのです」 お墨つきを得た柳川は日本でのポアンサの工作活動を担い、その様は公安調査庁OBの菅沼をして「事実上のポアンサ駐日代表」と言わしめるほどだった。 大統領に就任した全斗煥の周辺とも太いパイプをつくり、1983年に当時の中曽根康弘首相が日本の首相としては初の公式訪韓をした際には、その地ならしに柳川が暗躍したとも言われる。 ◆柳川の後任に指名 在日韓国人が多く、また在日ヤクザも多かった大阪では、柳川の他にも触れておくべき人物がいる。山口組三代目の田岡一雄と盃を交わし、舎弟となった田中禄春こと韓禄春(ハン・ロクチュン)である。 田中は1921年に朝鮮半島の江原道に生まれ、14歳で単身大阪に渡ると、バーのボーイなどの下積み時代を経て戦後のミナミで巨大キャバレーをいくつも経営し、巨万の富を築いた。田岡の舎弟となったのは、愚連隊やヤクザからのみかじめ料の請求に耐えかねてのことだったとされる。 1966年に堅気となるが、それまでに築いた莫大な財産を民団の活動に寄付して民団本部の常任顧問を務めたほか、大阪の御堂筋に韓国総領事館が建設された際には、建設期成会の会長となって巨額の私費を寄付した。田中は韓国最高級の勲章にあたる無窮花(ムグンファ)章を授与されている。 そして、もう一人、韓国政府と深い関わりを持った在日ヤクザがいる。前出の菅沼はこの人物と初めて会った時のことをこう振り返る。 「1991年末に柳川次郎が亡くなって間もない頃のこと。東京の韓国大使館の武官室から連絡があったのです」 用件は、ポアンサのナンバー2の将軍が訪米の帰りに日本に寄るから会ってほしいというものだった。指定された場所は、熱海の高級旅館。 「行ってみると、そこには私以外にもう一人客がいた。京都からベンツを連ねて熱海の旅館に着くなり、出迎えたスタッフに気前よくチップをはずみ、たちどころに手なずけていました」 その夜、ポアンサの将軍は菅沼にその男を紹介し、こう伝えたという。 「柳川の次は彼にやってもらう」 ポアンサの“駐日代表”を引き継いだこの男は、京都の会津小鉄会の会長・高山登久太郎である。 会津小鉄会といえば、幕末に京都守護職となった会津藩主の松平容保に従った侠客の会津小鉄こと上坂仙吉を初代とする老舗ヤクザ。その四代目の高山は、1928年に大阪市東成区に生まれた在日で、韓国名を姜外秀(カン・ウエス)という。 朝鮮戦争が勃発した際に在日韓国人による義勇軍に応募したこともある。韓国への渡航の集合場所だった東京の民団本部に到着したところで休戦となったため、実際に戦地に赴くことはなかったが、民団中央本部の中央委員を務め、1987年の韓国大統領選挙では、全斗煥の後継である盧泰愚を資金面で支援した。 ◆民主化でヤクザが不要に 韓国の政権と深い結びつきを築いた在日ヤクザたちだったが、高山を最後に目立った動きはなくなる。その理由を菅沼は「民主化が進んだからだ」と��摘する。 朴正煕をはじめ軍人による独裁が続いた韓国の歴代政権は、日本における情報収集や工作活動のために暴力という武器を持つヤクザたちを重宝した。だが、民主化の進展は、そのような不透明な関係を許さなくなったのだ。KCIAやポアンサといった情報機関が改編や解体の憂き目に遭ったことも影響している。 稲川会会長の清田次郎(韓国名・辛炳圭〈シン・ピョンギュ〉)、六代目山口組で統括委員長を務める極真連合会会長の橋本弘文(同・姜弘文〈カン・ホンムン〉)、六代目から分裂した任侠山口組代表の織田絆誠(同・金禎紀〈キム・ジョンギ〉)を始め、いまなお組織のトップに在日は多く、その下にはさらに多数の在日がいる。だが、日韓関係を水面下で動かすことはなく、またそれを許す社会でもなくなった。 民主化にともなう時代の必然とはいえ、在日ヤクザの退場で、両国は混迷の度合いを深めることになった。
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2018/6/2(土)
とうとうこの日がやってきた。『おっさんずラブ』最終回。朝からそわそわする。先週6話で主人公春たん(田中圭)と牧(林遣都)は別れて、その1年後という7話。1話〜6話までせいぜい数ヶ月という時間設定なのに、6話と7話に1年という長い時間が横たわるって、それ、どういうことよ!とぷんすか怒る。牧が出ていった途端、春たんは持ち前のだらしなさで、暮らしの質が下がり、仕事にも支障をきたす。パカでピュアでお人好しで誰からも愛される春田。ただ、田中圭が演じてなかったら、危ういキャラ設定だった。どんなにバカでだらしなくても、許せてしまう愛らしさがないと成り立たないから。『団地ともお』のともおのような憎めなさ、とでも言おうか。(やけに足が長くていい体と顔したともお、、、)。そんな春田の暮らしを黒澤部長(吉田鋼太郎)がフォローしていくうちにいつの間にか同棲することに、、、。
そんな「いつの間にか」ってあるかよー、と叫ぶ。「なにやってんだよ、春田!」声が出る。いや、しかし、黒澤部長はさすが上司。人を育てる能力がある。春田を褒めて、暮らしのあれこれを自分自身でできるように導く。(思えば、牧は怒るわりには全部やってあげてたなあ)。暮らしの質が上昇すれば、仕事もうまくいく。いいことだらけ。妹に「お姉ちゃん、結婚って暮らすってことだから。いかにお互いのcomfortableが合致するかが肝だから」みたいなことを言われたことをおもいだす。要は、好きだーとか、トキメキとかじゃなくて、「心地いい」の形がより似ている二人のほうがなんやかんやとうまくいくってことだろう。それが「家族」ってことなんだろうな。ただし、妹夫婦の心地いいの形は似ている気がしないのだが、、、それは言えない。話がそれたが、つまるところ、春田は部長との暮らしにかなりの快適さは感じているようだった。そこにトキメキがないとしても。40分しかないドラマなのに、30分くらいは、春田と部長のあれこれで費やされ、牧の出番はほぼない。挙句の果てには部長のプロポーズを春田が断れずに受けることに。あまりに早い展開&うまい演出に、ま、これもひとつの愛の形なのかなと、ちょっと納得してしまう。いやいや、ちがうだろー(古い)。まあ、でも、最後の10分。視聴者が震えるほど見たかったシーンを制作側はきっちり見せてくれた。ありがとう、ありがとう。人を好きなるってことがどういうことかピンときてない、無意識下にある牧への好意に気づかない春田。34歳にもなってそんなわけないだろーっておもうけど、春田=ともお(小学校5年生)と考えると、やや納得するわけで、、。一方、物心ついた時から同性が好きで、そのことで、普通的なるものに負い目を感じ、随分と悩んできただろう牧。可能性のない恋をいくつもして、傷ついて、我慢して、いろんな気持ちに蓋をしてきた牧。でも、反射神経で(衝動的に)恋をしているのは春田より牧のほうで、感情的っていうか、いろいろ諦めているわりには暴走気味というか、ネガティブ方向に自分で勝手に結論出してしまうというか。わりに恋愛体質なんだろうなあ、牧。顔もいいしさ。って、牧のこれまでの人生を想像させる演技をするんです、林遣都が。で、最近の男の子って、単発版の落合モトキみたいに、あんまり髭、生えないんですよーっていう、つるつるボーイが多いじゃないですか。でも、牧(林遣都)は、髭が濃いんですよ。色白なのに髭濃いから余計に目立つ。でもねー、それがかえって良かったなとおもう。逆に色気っていうか生々しいっていうか。(逆にってなんだよ)。きれいな顔しているけど、女装とかも似合わない(瀬戸康史や千葉雄大などのように)感じがよかった。あと、林遣都はコンディションにかなりのムラがある。撮影遅いから髭が生えてきてるのかな、前の日、深酒したのかな、顔がむくんでいるな、とか、角度によっては受け口がおじいちゃんみたいに見える時とかある。でも、基本はきれいな顔。照明の当て方、表情一つによっては美術品のような美しさ。でも、そこらへんにいる普通の青年ぽい表情や喋り方もする。なんだろー、バランスが絶妙。林遣都をキャスティングした制作陣に拍手を送りたい。牧の、拭えない翳りも、情熱的で暗い嫉妬の目も、隠せない欲望も、ほんとうに好きなひとには幸せになってほしいという慈愛も、巻き込んじゃいけないっていう戒めも、もういいやってすぐ諦めてしまうところも、勝手に暴走して決めちゃうところも、牧のなにもかもを、林遣都はたった一つの表情で表現してくれた。春たんから、好きだという確固たる言葉をもらった後でさえ、「春田さんは俺と一緒にいたら幸せになれません」って、大きな目に涙ためて震える声で言う牧を見て、涙腺崩壊。牧、もういいんじゃん、幸せになっちゃえよ、と、テレビに話しかけていた、号泣。春たんが「勝手に決めんなよ」って言って、ずっと一緒にいたい、結婚してくださいって牧を抱きしめたとき、「春田、ずっとずっと牧が欲しかった言葉を言ってくれて、ありがとうありがとうありがとうと」とお経を唱えるように口にしていた。そうして、その春田の背中を、震える手で恐る恐る時間をかけて、それでも最後はぎゅっと抱きしめる牧。このゆっくり時間をかけて背中に手をまわすっていうのは、脚本に書かれていることなのか、それとも監督の演出か、はたまた林遣都の演技プランなのか。とにかく神宿るシーンなのである(大げさ)。幸福の涙ってのを久しぶりに見たな。牧のアンサーが「ただいま」ってのもよかった。6話と7話の間に1年間とか、そんな時間の飛び方いらねえんだよ、と冒頭でぼやいていたが、ふたりの間に確実に、その長い時間はあって、遠回りしちゃったけど、ちゃんと帰るべきときところに帰ってきたんだ、6話のまま、紆余曲折なく、ただハッピーなシーンばかりだったら、ここまでの強固な愛は育たなかったし、超鈍感春田が牧への愛に心の底から気づくには、一度失うっていう段階が必要だったのだろうと、脚本・演出の見事さに感嘆しまくり。そして、春たんが子どもみたいに「おかえりぃ」(←「ぃ」などの小さいひらがなを田中圭は多用するが、例:「まきぃ」「やだぁ」「まっててぇ」「やってみぃ」など。これは、春田のキャラ解釈として大正解である)と涙ながらに返すシーンで、「おめでとうおめでとうおめでとうおめでとう」と数えきれない祝福を送った。はい、スタンディングオベーション。感無量。 いや、だけど、このままだと正直、なんかちょっともやもやするー。最後のCM前はおもっていた。というのも、どうせ、春田は男子校のりで男同士の生活は楽しいし、牧が家事をやってくれるから生活は快適だしってことで、牧のこと好きだって言ってるんでしょ、でも、それってば、ゲイの牧の好きとは根本的に違う好きだよ、、、。牧が不憫だよ。そのあたりには踏み込まず曖昧に終わるのだろうとおもっていた。だけど、ラスト2分のシーンで、そのもやもやは完全に払拭された。制作側は踏み込み、ギリギリのラインでちゃんと描いてきた。決して下品になることなく、でも清涼感ある色っぽさで。 最終話での黒澤部長、武川主任(眞島秀和)、幼馴染のちず(内田理央)、のナイスアシストぶりや、マイマイ、マロ、アッキー、蝶子さんの脇役の存在感にも触れたいところだが、さすがになにやってるんだ、わたし、とおもいはじめているので、もうやめる。だけど、速攻でBlu-ray BOXを予約したことは白状する。s
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2009-06-10 吉原では何が起こっているか
■吉原角海老・三浦屋摘発その周辺についてのメモ17
吉原角海老・三浦屋の摘発は、吉原に勤務する人間としてはそりゃ当然、びっくりした。
このニュースに関するはてなブクマのコメントを見ると「五輪誘致のための浄化作戦開始?」という推測が幾つか上がっているが、まぁ、基本的には間違いなくそのへんの流れの中での摘発なんであろうよ。
ブコメ中の割引券出さなかったのがいけないんじゃないか的コメントはまぁ笑止っちゅうか論外として。みかじめ料けちったんじゃないのというのは、うーん…。
吉原ソープランドの地域企業としてのご当局への貢献は、浅草防犯健全協力会*1名義でまとめてやってる事だからねぇ…。
バイオレンス小説の中にあるような、個人的に金品要求して、そのみかえりに「違法」営業を見逃してくれるような警察官は、幾ら警察という組織がかなりアレでナニだとしても、吉原なんていう目立ってしょうがないとこを管轄していたら、まずいられなかろう。
あと、吉原のお店が怖がってるのは、警察じゃなくて圧倒的に保健所なんだよねぇ。そこんとこ世間は誤解してるけど、ソープランドにとっては、警察より保健所の方がずっとずっと怖いのですよ。直接ソープランドこと個室付き特殊浴場の営業権をうんぬんできるのは、結局んとこ保健所さんだから。
吉原の内部情報としては。今回の検挙の直接のきっかけは、角海老あるいは三浦屋の早番女子が、遅刻せずに店の開店時間にいられるよう、店泊(「てんぱく」と読む。閉めたあとの店に従業員が泊まる事をこう呼ぶ)していたことだった、という話が流れている。裏口からの出入りでも、私服警官にみとがめられちゃったか。
で、男子従業員はともかく、女子従業員の店泊は御法度なんだよね。これが見つかっちゃうと、だいたいの場合「管理売春」で店は摘発される。
よって、吉原の多くの店は近年、女子の店泊をかたく御法度としている。風呂も、ベッドもといシングルベッド並みのマッサージ台もあるわけだから、泊まるには好都合なんだけど、いかんのです。
んで。
今回の摘発のニュースでは「管理売春」という言葉は登場せず、「売春場所の提供」といった容疑でとどまっていたあたりが、オレの再度のびっくりポイントだったりしている。摘発前に角海老の経営サイドと警察の間で何かの手打ちがあったのかも知れないし、ご当局、いよいよやり方を変えて来たのかもしれない。
もっとも、吉原ソープランド街へのご当局の締め付けは、最近いきなり厳しくなった訳じゃあないのだよね。
話は平成18年春に遡る。一番最近の改正風営法施行時。
それまでは、吉原のソープランド街各店舗では、深夜というか午前零時までにお客が店の玄関をくぐれば、営業時間内滑り込みセーフだった。
かつては午前零時過ぎ、ラスト番の女子達が個室やら控え室のお片づけなどして、フロントからの「おつかれさまでした」コールを固唾を呑んで待っていると、15分も過ぎた頃になって、そのうちの1人だったり複数名だったりに「お客様です。スタンバイお願いします」コールがかかる、いわゆる「ドはまり」でのお仕事は珍しくもなかった。
ボーナス時期ともなれば、いよいよ零時回ってからがもう一稼ぎの時間帯ってなもんで。
オレがラスト番で仕事をしていた頃は、「ちょっとはまっちゃったけど、0:25上がりだから、これでラストのお客だな」なんて思いつつお帰りのお客とともに部屋から降りると、接客チケットを受け取ったフロントから有無を言わせぬタイミングで「はいお客様続きます」と言われ���頭の中でお鈴どころか梵鐘が鳴り響くという事態は、よくあることだった。
はまりは悲しいものだが、そのはまり仕事による収入は馬鹿にできないものがあり、そこんところがかつてのラスト番勤務女子の旨味であった。
いにしえの、遊郭時代の吉原にも、引け四ツだか引け八ツだっていう「建前のものとは違う大門の閉鎖時間」があったそうだけど。
まさにそのまんま、「引け零時」だった。この深夜営業、実際のところは改正前から風営法には違反するものだったけど、午前零時を回ってから玄関から堂々とお客を入店させたり帰したりする現場さえおさえられなければ、半ば公然と見逃されていたのだ。
ところが。平成18年春からは、状況が一変した。
今の吉原に、午後11時過ぎにお越しいただければ分かる。まだ店の看板を点けているいる店もちらほらとはあるけど。仲之町通りに江戸一通りに江戸二通り、角町通りに揚屋通り、まぁ、暗いよ。怖いくらい。
多くの店はだいたい夜の11時を回ったあたりで、シャッター閉めて看板の灯りを落としてしまうのがここ数年。
やたら制服のおまわりさんが巡回しているようになっただけじゃなく、営業時間内も営業時間外も、私服警官がそれなりの頻度で出歩いてるんだそうで。
客引きに対する規制も厳しくなって、立ち番のボーイさんが玄関の中から、うっかりそれと知らずに私服警官に「こんにちは」と声を掛けただけで客引き行為と見なされて、お店がご当局から厳重注意を受けました、なんていうのも平成18年春以降の話。
さて、今回の老舗角海老グループの摘発に話を戻すと、きっかけは、前述の女子従業員の店泊行為であったんだろう。
老舗の角海老さんがそれをやっちゃったのがよろしくなかったのかも知れず。
最近の吉原角海老グループの業績はあまり芳しくないとの噂もあるが、それでも吉原のビッグネームが案内所ごと摘発されたというのは、吉原の街全体に与えたインパクト大きいよなと感じている。
勿論、多分にスケープゴートだよね。
同時にやったと報道されている情報喫茶への手入れも、角海老グループさんみたいな直営案内所じゃないにしたって、特定の店と懇意にして積極的にお客を送り込んで他の店よりも高額のバックをもらってる情報喫茶なんかはかなりあるわけで。
そういうセミ直営案内所みたいなところを持っている店への警告もあるのかも知れないし、吉原の街からちょっとはみだして、しかも風俗営業は無届けで紹介行為をしていた情報喫茶そのものを、一網打尽にしたいっていうのがそも��もの狙いでありましょう。
だけどさ、そんなことするまでもなく、もうとっくに斜陽産業の気配満々だったけどねぇ、情報喫茶。いつ通りがかっても、マスターが玄関前で立ち尽くしているばかりで店内ノーゲストなんつう店ばっかりですぜ。吉原本体が元気ないんだから、そこにお客を紹介する情報喫茶だって賑わってるはずがない。
くだんの風営法改正直前から、急に各情報喫茶の店先から「情報」の文字が消されて「?」と思っていたけれど、紹介所としては無届けで営業していたのは、吉原の中にいても知らずにいたので、そこんとこは「ああ」と納得はできたんだけどね。今回の件。
しかし、スケープゴート作って「よりつつましく営業せい。こっちの面子を潰すような派手な事はやるな」っていうご当局の示威行為みたいな今回の事件は、インビジブル売女、やっぱり合点はしかねますわいな。
これもあくまで吉原内の噂ではありんすが、現都知事さん、段階的にとりあえずは吉原のソープランドの店舗数を、現在の2/3程度まで減らすご意向らしい、なんつう話も聞こえて来ておりますなぁ。今後、店にちょっと隙があったら、がんがん摘発されちゃう流れになっちゃうんじゃなかろうか。
ガサ入った当日、どうもテレビカメラらしきものを担いだ人物が角海老さんに入って行ったという目撃情報を聞いているので、もしかするとそう遠くないうちに、テレビの番組改編期恒例の警察タイコモチスペシャル番組にて、摘発の様子なんぞを放映するのかも知れませんなぁ。
見たくもないけど、もし見ちゃったら、心の中であるいはもう大声で、歌いますわよビブラストーンの「パブリック・エネミー」を。
そんなのインチキじゃーん!
” - 吉原角海老・三浦屋摘発その周辺についてのメモ - 仕事、メディシン、ろっけんろー (via petapeta)
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テラハ出演『岡本至恩』「キュンとするシーンも盛りだくさん」『ママレード・ボーイ』試写会感想語る
現在全国で公開中の映画『ママレード・ボーイ』のメイキング映像およびインタビュー映像が公開された。 『ママレード・ボーイ』は吉住渉による同名漫画の実写映画版。お互いの両親がパートナーを交換して再婚したことから、4人の親たちと共に同居することになった小石川光希と松浦遊の恋と青春が描かれる。光希役を桜井日奈子、遊役を吉沢亮が務め、2人の両親役に中山美穂、筒井道隆、檀れい、谷原章介がキャスティングされた。
インタビュー映像には、桜井日奈子、吉沢亮、中山美穂、筒井道隆、檀れい、谷原章介が登場。檀は光希と遊の恋愛について「キュンキュンポイントが多くて。クローゼットの中に隠れてとかもう『ヤダー!!』って思って。こっちが恥ずかしくなっちゃう」とコメントしている。また、メイキング映像では6人が食卓を囲むシーンや、夜景の見えるレストランで光希と遊が自己紹介する場面などが公開された。
あわせ…
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桜井日奈子&吉沢亮と両親Sが語る 『ママレード・ボーイ』特別映像公開
現在全国で公開中の映画『ママレード・ボーイ』のメイキング映像およびインタビュー映像が公開された。
『ママレード・ボーイ』は吉住渉による同名漫画の実写映画版。お互いの両親がパートナーを交換して再婚したことから、4人の親たちと共に同居することになった小石川光希と松浦遊の恋と青春が描かれる。光希役を桜井日奈子、遊役を吉沢亮が務め、2人の両親役に中山美穂、筒井道… Source: CINRA.NET
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第26回 東京ガールズコレクション 2018 SPRING/SUMMERにて映画『ママレード・ボーイ』スペシャルコラボステージが決定!!
3月31日(土)に開催される、第26回 東京ガールズコレクション 2018 SPRING/SUMMERにて、映画『ママレード・ボーイ』と『LOWRYS FARM』のスペシャルコラボステージが決定しました。 主演の桜井日奈子さん・吉沢亮さんがTGCに登場します! 今春注目の映画ステージにご期待ください!! 今後も豪華ゲストの出演情報などが続々発表される予定です。 詳しくはTGC公式サイトを是非チェックしてください! ▼TOKYO GIRLS COLLECTION 公式サイト
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