#旧車に優しいメーカー
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monogusadictionary · 4 days ago
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こんなに多くの方に閲覧していただけるとは思ってもいなかったのでモンスタークレーマーではないですがふと思い出した壮絶エピソードを一つ
明け方のことでしたが突然SA内全ての電源損失。(在籍してた給油所だけでなく売店などの商業施設全て)
はじめは給油所の電源が落ちたと思い来店を全て止め、ブレーカー等各種電源のチェックしましたが復旧せず全て不通。NEXCOに緊急TEL。ここではじめてSA内全ての電源損失を知る。
ここからが壮絶で通常のガソリンスタンドでしたら一旦閉店しますが高速道路という特性上、本線上でガス欠を起こし停止すると二次災害の恐れがあるので閉店も出来ず。右往左往している中、たまたま近くにいた給油機メーカー様のご協力もあり手動にて給油準備完了。ただ、この手動給油がかなり大変でそこそこ重いポンプを1分間手動で回し続けて出てくるガソリンは1リッター程。給油ごとに回していたらとてもさばききれないので、携行缶を用意し5リットルづつ小分け。もちろん携行缶とポリタンクも足りないので反対車線のSAまで走り何個かお借りしました。(反対車線は電源が落ちてないので通常営業)
そこから交代で小分けの燃料を用意しつつ、来店されたお客様には事情を話して燃料メーターをチェックさせていただき、本当に残量が際どい車両のみ給油(確かガソリン5㍑、トラック軽油10㍑だったと…)
もちろんカードは使えないので全て手書きにてカード番号、給油量、お客様情報を控えてから退店してもらい、その後各カードセンターに連絡し後方処理しました。
電源損失から2時間ほどで多数の電源車、作業車両が集まり当給油所を最優先で電源復旧していただきました。(さながらエヴァのヤシマ作戦のようでした)
そこから1時間程で仮ですが給油所の電源が復旧し事なきを得ましたが、当時勤務していたスタッフは本当によく頑張ってくれました。
思い出しただけでも2度と遭遇したくない戦場でした。
※文章が下手で読みにくくすみません
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ari0921 · 4 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)10月7日(月曜日)
    通巻第8448号
 インドの対中政策はモデル足り得るか
  ハイテク部品。TIKTOK、アリババ、テンセント全面禁止
*************************
 ジェット機のエンジンはロールスロイス、GE、PWが三大メーカー。ほかに航空機エンジンはIHI、ホンダ、川重、三菱重工が製造している。英米三大メーカーと雖も主力エンジン部品は日本製である。
 インド空軍はミグ21の後継機を自主生産するとして早くから国産化を推進してきたが、国家プロジェクトである「テジャス戦闘機」の開発が遅れに遅れている。テジャスはサンスクリット語で『光』を意味する。
 米国と雪解け時代にロッキードマーチン、GEがプロジェクトに加わって、エンジン開発に目途が立ったこともあった。
ところが、その後のインド核武装への制裁をうけて、停滞した。近年またまた米国は中国への態度を百八十度転換し、��ンド重視に傾く。それで次期ジェット戦闘機の開発は軌道に乗った。
インドの軍需産業の拠点はハイダラーバードである。インドのシリコンバレーとも言われ数学に強いインド人のなかでも優秀な人材があつまる。インドはコンピュータプログラミングとソフト開発で卓越しており、米国のシリコンバレーにも無数のインド人がいる。製造ではバンガロールが有名で、ここにもハイテク企業が集中している。ついでに言えば自動車産業は東海岸のタミルナード、ニューデリー郊外団地、モディ首相の出身地グジャラート州。ムンバイは商業都市、デリーは政治首都、ゴアは無国籍、プネはヨガの本場と棲み分けが出来ている。
日本が受注した新幹線はグジャラートとムンバイを結び、インド西海岸に製造業が多いのは、中東、アフリカ、EU諸国への輸出拠点となるからだ。
 インド空軍のシン大将は言う。
「インド空軍は、その訓練度、作戦立案と展開能力において中国空軍よりはるかに優秀だが、装備、予算、規模において劣勢である。中国はJ20(殲20ジェット戦闘機)、ドローン、戦略爆撃機を自主生産している。その規模はインドの四倍である。インド国境に近いホータン、カシュガル、シガッツェなどに空軍基地を充実させてきた。インドと中国の国境は3488キロに及ぶ」
 インドは従来、その軍事力をロシア製に依拠してきた。西側への兵力システムの変更は規格、プロセス、製造工程などが異なるため、切り替えには時間がかかる。インドはドローンの自主生産をめざしているが、国産化はまだ75%という段階だ。
 ▼インドはアンチ中国だが、貿易では相互依存
 インドは中国から医薬品原料の70%、肥料の40%、そして電子機器・部品の38%、自動車部品の27%を輸入している。理由は単純で安いからだ。中国から原料がこなくなるとインドが自慢のジェネリック医薬品の生産に支障がでる。
 一方で、インドはドローン部品、ならびにアリババ、テンセントなどのアプリ43種の使用を禁止し、TIKTOKは米国に先駆けて全面禁止、携帯電話のファーウェイ、ZTEの携帯電話の利用も厳しく規制している。
中国はちなみにX(旧ツィッター)、インスタグラム、フェイスブックを全面禁止している。中国のデータが米国に流れるからだ。
 日本は自主生産でジェット旅客機、戦闘機を開発してきた���、��国の政治力で潰された。中国は自力で旅客機を開発したが、米国がライセンスを出さないため当面は中国国内便に投入される。
 
 さて、インドの基本方針はナショナリズムを基盤としているが、部品のサプライチェーン、列強の思惑と圧力を前にして、ロシアを牽制材料として政治利用してはいるが、自主開発の姿勢は評価できるにしても、日本のモデル足り得るだろうか?
 インドに中華レストランが少ないのは味が合わないからではなく、在留中国人が少ないからである。瞑想好きで哲学論争に熱中するインド人にとって、現世しか信じない無神論者のシナ人とは異質である。
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kou-f · 6 months ago
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minolta α-7xi & minolta AF 28-105 xi & Fujicolor100
アコードのエアコンの見積もり出ました。
¥195,000
なかなかな値段や。
しかも幾つかの部品はもうメーカーでも作ってないらしく、
清掃して再使用するとのこと。旧車(?)は辛いぜ。
自分の感覚では2006年式はまだ新しい部類なんやけどなぁ。
人間で言っても18歳やし。ピチピチよ。
エアコンの冷媒がR-12だったころの車はさすがに
旧車かなって感じはする。
そういえばこの間、F1で初優勝したオスピ君は
2001年生まれらしいよ!若いなぁ!!!
ノストラダムスの大予言がどーとか騒いでた頃には
まだこの世に存在すらしてなかったんやなw
Y2Kとか…いや~懐かしいですね。
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hangorin · 6 months ago
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オンライン集会「パリ五輪まであと一か月!カウンターマップで知るフランスの五輪災害」報告
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6月23日、さっぽろオリパラを考える市民の会と反五輪の会共催によるオンライン集会「パリ五輪まであと一か月!カウンターマップで知るフランスの五輪災害」が行われた。
フランスで反五輪運動を展開するSaccage2024が、パリ五輪カウンターマップ「パリ オリンピック・パラリンピック略奪マップ2024 パーティーは終わりだ」を作製。その迫力と情報量、状況分析の鋭さは圧巻だ。日本語版が完成し、Saccage2024のメンバーでパリ在住の佐々木夏子さんが、地図をもとに、パリ五輪に連動して容赦なく進められた都市再編、ジェントリフィケーション、強引な排除、それに対する住民の抵抗、そして現在について報告してくれた。
6月23日をIOCは創設記念日、「オリンピックデー」と名付けている。私たちは「NOオリンピックデー」と呼び、植民地主義、国家主義、競争主義、エリート主義、人種主義、性差別主義、軍事主義の祭典は廃止しろ!、と訴える。
・カウンターマップ
パリ五輪カウンターマップ「パリ オリンピック・パラリンピック略奪マップ2024 パーティーは終わりだ」に先駆け、2010年代、ブルターニュ地方ノートルダム・デ・ランドの空港建設に反対し、地元農民と連帯しながら建設予定地を占拠することによって計画を撤回に追い込んだZAD(守るべき土地)が作ったマップ、その成功があった。これを手がけたアーチスト、地理学者グループが、今回パリ五輪による破壊と強奪の記録、可視化を提案��たのだそう。初版は完売、現在二刷目とのこと。
・サン=ドニ
お話は、地図を読み解く前に、パリ五輪の主要な会場、関連施設が集中する、サン=ドニ市周辺の現代史から。1967年、ジャン=リュック・ゴダール「彼女について私が知っている二、三の事柄」、1991年、サン=ドニ出身の移民二世世代ヒップホップユニットSuprême NTMのMV、2015年、サン=ドニ出身女性3人組L.E.JのMV、この3つの映像を手がかりに見ていく。
まず、「彼女について私が知っている二、三の事柄」、「彼女」とはパリ首都圏を指す。パリ首都圏は高度成長期、建設現場や工場の労働者として、旧植民地からたくさんの移民を呼び入れたが、その居住先として巨大な低家賃集合住宅をパリ郊外に作った。登場人物の後ろ、窓の外に広がる景色は、建物にはまだ人のざわめきが感じられない、殺伐としている。誰がどこにどのように住むべきかをコントロールしようとする政策、それは資本と統治の側の都合であって、住民を人として尊重するものでないことが伝わる。
そして約四半世紀がすぎ、高度成長終焉後の都市は、産業構造の変革、脱工業化へと向かう。工場は撤退、団地の若者に仕事がなかった。当時の若者文化を代表するというNTMのラップは、活気の失われた団地を背景に、若者たちの不満が張り裂けている。
2015年、「セーヌ=サン=ドニ・スタイル」と題したNTMの楽曲をカバーするL.E.J、彼女たちも何かに怒っている。その後ろにスタッド・ド・フランスが、映っている。サン=ドニといえばスタッド・ド・フランス。2024パリ五輪のメインスタジアムとなる、この巨大スタジアムは、最も貧しい自治体の常連だったサン=ドニ市が衰退に歯止めをかけるべく、ワールドカップサッカー大会開催のために19915年に誘致した。1998年ワールドカップサッカーフランス大会の決勝戦がここで行われ、フランスが優勝を決めた。当時のフランス代表チームが、さまざまな地域にルーツを持つメンバーによって構成されていたことから、多民族国家フランス「国民」統合の象徴的な場所として、人びとの記憶に刻印される。スタッド・ド・フランス誘致にともなうジェントリフィケーションは、1930年代以降労働者の街サン=ドニ市の政権を握って来た共産党にとって、自らの支持基盤である労働者階級の排除という自滅の道であり、その帰結として、2020年にその地位を失った。
・グラン・パリと五輪
一方、2009年には、パリ首都圏再開発プロジェクトとして当時361億ユーロ(のち2020年に420億ユーロ)という巨額の予算をつぎ込むグラン・パリ・エクスプレス計画が、サルコジ大統領により発表される。パリ郊外を全自動地下鉄新��線でつなぐもので、そのうちの4路線が乗り入れる最重要ハブとして新しくサン=ドニ・プレイエル駅がスタッド・ド・フランス近くに作られた。一日25万人が利用するという、地上5階地下4階の巨大駅は、東京の新国立競技場と同じ建築家隈研吾が設計した。パリ五輪までに完成を急がされたグラン・パリ・エクスプレス工事で5人、その中でサン=ドニ・プレイエル駅工事では4人の労働者が死亡している。
この駅の名前にもなっているプレイエルとは、ピアノ製造メーカーの名で、その工場がこの地区にあった。工場はすでにない。70年代、プレイエルタワーというオフィスビルができていたが、長年ほったらかしになっていた。これが今回五輪を機に4つ星ホテルに生まれ変わった。この周辺は大商業地区になる予定だ。
駅から徒歩圏内、サン=ドニ市、リル=サン=ドニ市、サン=トゥアン市にまたがる56ヘクタールに作られたのがパリ五輪選手村だ。3つの学校、19の企業、2つの集合住宅、1つのホテルが取り壊された。サン=トゥアンには非営利組織ADEFの運営する、経済的に苦しい単身者向け寮があり、1980年代からサハラ以南や北アフリカからの移民労働者が暮らしてきた。ほかに行くところのない居住者たちは、選手村かその周辺に皆がまとまって移住できないか当局と交渉したが、急き立てられ224人がバラバラに追い出された。オリパラ閉会後には6000人の就業が見込まれるホテル、オフィス、商業施設と6000人か入居できる2800の住居、学生寮となる。平均約4000ユーロ/㎡だったこの周辺の地価は、約7000ユーロ/㎡に上昇した(パリ市内約1万ユーロ/㎡)。
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また、ここには内務省が移転し、その職員たちが居住することになる。以前から「治安が悪い」と言われてきたこの地域に、警察を管轄する省がやってきて、そ��に働く労働者と家族が居住することで、「住民の入れ替え」が図られている。
さらに、その南には国家治安総局(軍)がパリ西郊から引っ越してくる。軍と警察の街なんて、コワくて住みたくないが、高所得者にとってはむしろ「安心」なのだろうか?
選手村の北、リル=サン=ドニ市には工場跡地が多く残り、そこを占拠する形で約400人が住んでいた(スクワット)が、それらは2023年初頭に取り壊された。
選手村とスタッド・ド・フランスを結ぶ交通の便をよくするために、IOCが高速道路の新しいインターチェンジを作るよう要望し、完成した。その結果、交通量の多い道路が小学校を取り囲んでしまった。怒った保護者らが反対の裁判闘争を展開したが敗北。近くにもともとあるスタッド・ド・フランス近くのインターチェンジは、五輪終了後に壊される。なぜ近くにあるのにわざわざ新しくインターチェンジを作り、古いほうを壊すのかと言うと、スタッド・ド・フランス近くのインターチェンジ付近はすでにジェントリフィケーションが進んでいて地価が高く、インターチェンジにしておくのはもったいない、今後オフィスビルを建て商業地区としてさらに発展させるほうが価値があるという考えたのだ。
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その東、ラ・クールヌーヴ市ジョルジュ・ヴァルボン公園すぐそばにはメディア村が作られる。この公園はEU指定の自然保護区域である。2010年代にここを住宅にする計画が上がった際はそれが理由で実現しなかった。今回は、反対運動の裁判が敗北。五輪後には1300戸の住宅が売りに出される。パリ五輪取材に訪れるジャーナリストは2万人と言われるが、ここに収容できるのはわずか1300人だ。五輪よりも、五輪後のほうがほんとうの目的な���だろう。県は70ユーロ/㎡で払い下げ、新しい住宅は5000ユーロ/㎡で売られる。
その南、オーベルヴィリエには選手の練習用プールが作られ、そのサンルームを設置するために、100年以上の歴史のある労働者の菜園、ヴェルチュ労働者菜園が破壊された。パリはすでに3度、1992年、2008年、2012年招致に立候補したが、21世紀に入るとそのたびにオーベルヴィリエ市は関連施設を誘致しようとした。2008年はこの土地を使って自転車競技場を作ることが持ち上がっていた。今回とうとうパリ五輪が開催される事態を前に、2021年春から、菜園を守るために、菜園利用者、環境団体、五輪に反対する人が集まり、占拠闘争を始めた。しかし9月にはブルドーザーにより破壊されてしまった。反対派は裁判闘争の結果、勝利し、サンルーム建設は撤回されている。ここを再緑地化することも可能であったが、一か月前、ここにコンクリートを入れて都市化する計画が持ち上がった。佐々木さんはその反対集会に、この報告会の後、駆けつけるとのことだ。オリパラは、招致が実現しなくても、招致ファイルにあがった建設計画が実行されることもある。1992年、2008年、2012年パリ大会の選手村建設予定地の開発がそうだった。東京も同様であった。オリパラを招致する狙いは開発に拍車をかけることだが、オリパラが来なくても一度計画された開発の多くは止まらない。
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パリ五輪を前に、現在2030年冬季五輪開催がフレンチアルプスにほぼ内定している。今回はIOCが札幌に見切りをつけた理由は、直接的には東京五輪の汚職が明らかになったことだが、2023年札幌市長選挙により、五輪招致反対の意思が数値としてはっきり示されたことが大きかっただろう。2030年開催地は、ストックホルムやスイスなどが名乗りを挙げてはいるが、ストックホルム���政治家の支援がないこと、スイスは直接民主制の国であるため、開催や招致にあたって住民投票が行われるであろうこと、そのうえで「住民投票は実施しない」と明言したフランスの政治状況を考えれば、フレンチアルプス開催の確率は高い。
6月23日現在、7月7日に国民議会選挙を控え、フランスは混とん状態。今、人びとは極右政権が誕生するのではないか、そのことでいっぱいで、五輪どころではないのが実情。(開票の結果、極右政権は阻止され、新人民戦線が勝利したが、先行きはなお混とん。)
・質疑応答
参加者:札幌の招致が止まってよかった。一方東京では、都の48億500万円をかけたプロジェクションマッピング事業で、オリパラ汚職で入札停止を食らっているはずの電通の100%子会社が受託を受けている。
佐々木さん:電通問題で言えば、パリ大会では組織委のナンバー2にエチエンヌ・トボワという人物がいる。彼の運営するコンサル会社は東京五輪招致に尽力したため、東京都から100万ユーロ支払いを受けている。この成功のために彼は仏スポーツ界の中で出世し、組織委のナンバー2に収まった。トボワの作ったコンサル会社は2017年に電通の100パーセント子会社になった。高橋(電通)同様、このような悪い人脈に通じた人物なしに五輪は成立しない。
参加者:東京大会では開催直前になって、街中が怒り、たくさんの抗議行動が行われた。無観客だったので、交通規制は選手と関係者の移動にかかわるだけに限られたが、それでも会場周辺の住民生活は大きく規制を受けた。パリの住民のかたたちの現在の様子は?
佐々木さん:コンコルド広場、エッフェル塔付近など、テレビ映えする交通の要所が仮設会場になり、道路が閉鎖されている。交通はメチャクチャ、住民の通行にはQRコードを提示させられるなど、不満は高まっている。オリンピックに関心ないという人が優勢な中でも、いろんな側面から反対の声を上げるという動きが生まれている。ただ、それらが一緒になれていない。かつ、今は選挙でそれどころではない。労働組合の元トップが組織委の中枢に入ってもいるが、末端の組合員は五輪に反対している。開催期間中にストライキをすると予告している。もちろん予告しても実行しないということはあるが、もしファシスト政権が誕生したら実行するであろう。あるいはオリンピックという世界の注目を集める環境で、ファシスト政権の顔に泥を塗る行動をするであろう。
参加者:戦争のただなかで行われるオリンピック。環境の問題、不正、汚職、人権侵害いろいろ問題あるが、今はともかく、五輪に使うおカネとエネルギーを使って戦争を、ガザの惨状���止めてほしい。
佐々木さん:戦闘の続く中、「平和の祭典」と言っていられるのか?オリンピック期間中は休戦という建前を持っているが、ウクライナもガザも止められないかぎり、「平和の祭典」の看板は降ろしたほうがいい。
参加者:スクワットしている人たち、ホームレスの人たち、移民難民の人たちが何千人単位で郊外に追い出されていると聞いたが具体的には?
佐々木さん:これは、「パリの野宿者が郊外に」ではなく、「パリ首都圏の野宿や難民のかたたちが地方に」追いやられているという状況。NGO世界の医療団が中心となっている「メダルの裏側」というキャンペーンによる報告では、12545人が排除された。
参加者:札幌ではオール与党が五輪推進、共産党と市民ネットが反対の立場を取った。人々追い出してまでの開催なのに、推進するフランス共産党はパリの将来をどう考えているのか?
佐々木さん:まず、パリは共産党と社会党が与党、パリ郊外は左翼がより強い。その左翼与党が推進する五輪に右翼も賛同、という構造。フランス共産党がどのような将来像を持っているか分析しきれていないが、フランス共産党がほかのどの政党よりもオリンピックを愛しているという話を7月に刊行する本『パリと五輪:空転するメガイベントの「レガシー」』(以文社)に書いたのでぜひ読んでください。簡単に言うと、1930年代まではフランス共産党はオリンピックとIOCに反対していたのに、1950年代、スターリンがIOCに参加を決めて以来、賛成に転換、以後方針を変えることないまま現在に至っている。
参加者28名。パリは今どうなってるんだろう?日本のマスコミからの情報では全くわからない中、パリ五輪開催にかかわる歴史や経緯から現在のなまの様子までがわかる貴重なお話をお聞きすることができました。とても充実した、内容の濃い集会となりました。6月26日には国際連帯声明が出される予定で、各地の参加者から賛同したいとの声があがりました。 佐々木さん、みなさま、ありがとうございました。
関連記事 五輪のための「弱者の追い出し」がパリでも…華やかな祭典では隠しきれない「五輪災害」「負の遺産」の存在(東京新聞)
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vexationsofannatto60 · 9 months ago
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◯『ゴジラ -1.0』/Prime Video/2024年5月8〜10日/
▼面白く観た。カラー版とモノクロ版、それぞれ1周ずつした。この映画は、ゴジラの「臨場感」に尽きる。
▼登場人物たちは、まるでNHK「朝の連続テレビ小説」に出てくるような、妙なひねりは何もないキャラクターばかりで、わかりやすさ全開だった。ただ、「連ドラ」キャラだとしても、主人公敷島(神木くん)の人物造形は「筋立てのための人工物」感が強過ぎた。二度もゴジラに「遭遇」した敷島が、「ゴジラ」よりも「逃げた自分」のことで頭がいっぱいなのは、ただもう、最後にゴジラに飛行機で特攻させるための「御膳立て」にしか思えない部分がないでもなかった。
▼物語の方も極素直で、「海神作戦」の説明の場面から、最後の典子(浜辺美波)の「眼帯姿」(「眼帯美人」は漱石以来の日本の伝統」)まで、誰でも分かる「予想通り」の展開。むしろ逆に、制作者の「潔さ」すら感じた。
▼とは言え、「海神作戦」には感心した。芹沢博士もいないし、オキシジェン・デストロイヤーもないのに、どうやってゴジラを倒すのかと心配していたら、「深海の超高水圧」と「超潜水病発症」の「2連コンボ」で仕留めると聞いて、「なるほどいい作戦だ!」と膝を打った(でも、残念ながら、敷島が特攻しなきゃいけないから、これでゴジラが死なないのは「やる前」から分かっちゃってるんだよねえ。この映画、全編こんな感じなのが御愛嬌。あと、海神作戦の中身を聞いて「ゴジラって立ち泳ぎしてたんだ」とも思った)。
▼と、何でも観る前から分かっちゃうような映画だったけど、「敷島の脱出」の場面は騙された。てっきり、橘(優香の旦那)が、密かに組み込んだ脱出装置を、敷島がそうとは知らず(爆弾の安全装置を外すレバーだと思って)引いてしまい、謂わば、ご当人の意思とは関係なく、生き残ってしまうのだと思っていたら、ちゃんと、橘は、事前に、脱出装置の存在と操作方法を敷島に教えていた。だがしかし、よくよく考えてみれば、勿論、この方が断然いい。というのは、敷島は自ら「生きることを選んだ」ということだから。それはつまり、彼が「特攻隊の生き残り」という呪いから自由になったということ。「敷島の戦争」は遂に終わって、晴れて典子と夫婦になれるというエンディング。ここが、芹沢博士を「特攻」させてしまった本家「ゴジラ」との最大の違い。
▼因みに、橘が一人で���電の座席を見ている場面で、シートに横文字が書かれているのが映る。ウチの画面ではよく分からなかったのだけど、英語っぽいアルファベットの並びなのは分かった。旧日本海軍の決戦兵器に英字の書かれたシートが備え付けられているは��もないので、アレを観た瞬間に、「あ、脱出装置だ」と分かる仕掛けだったのかもしれない。というか、所謂兵器オタクは、一瞬で、アレがどこの時代のどのメーカーのなんという脱出装置なのかも分かったりするのだろう。知らんけど(流石に、対B29用戦闘機「震電」は知ってたよ)
▼一つ気に入らないのは、典子の首筋に妙なものを付けたこと。あれは、典子が「ゴジラ菌」に感染してゴジラと同じ「超再生能力」を身につけたという暗示だろうけど、そういうの要らないよねえ(無論、電車でぶら下がっているときに感染ったのだ。だって、あんなに長い間「被爆後ゴジラ」の近くにいてゴジラに殺されずに済んだのは典子だけだから。あんなすごい爆風に巻き込まれた典子が生きていた理由も、この「典子のゴジラ菌感染」説で説明がつく)。そうなると、敷島が「生きている典子」と再会できたのも、「ゴジラ」の「おかげ」っていう、新たな「因縁」も生まれるんだけど、そういうのも要らないなあ。
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petapeta · 2 years ago
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Windows HeartBeat #9 (1994年3月) 永久プログラマー  このところ、ハードウェアとソフトウェアが車の両輪のように、うまく歩調を合わせて、進化している。7、8年前、Windowsやページ記述言語のPostScriptに出会った時、どうして、こんな大げさなソフトウェアが必要なのか、疑問を持った。8086や68000など初期の16ビットMPUが全盛の時代に、システムサイズが600KBや1MB近い基本ソフトは、処理速度も遅く、普及するとは思えない代物であった。  4、5年前、WindowsやPostScriptが米国で定着したのを見て、「ソフトウェアの開発には時間がかかる。ハードウェアの急速な進歩を見越して、数年先を先取りしたシステムデザインをしなければならなかったのか」と合点した。  そして現在、開発に時間がかかるはずのシステム・ソフトウェアが、ハードウェアと同じスピードで、どんどん変化している。  新しいソフトウェアが矢継ぎ早に発表される背景には、米国を中心としたコンピュータ・サイエンスに対する基礎研究の充実と、膨大な良質のソフトウェア資産の蓄積、そしていくつかの極への開発の集中が挙げられる。極とは、マイクロソフト、アップル、IBMなどのシステム・ソフトウェア・メーカーである。  システム・ソフトウェアの変化が激しくなると、アプリケーション・ソフトウェアの開発者は、その理解のために、開発時間の多くを割かれることになる。Windowsにしても、開発キットに添付されているサンプル・ソース・プログラムを試し、入門書を読み、プログラマーズ・リファレンス・マニュアルを眺めないと、その「思想」は理解できない。 DOSには、思想など存在しなかったが、Windowsは明らかに思想を持っている。思想に反した使い方やプログラミングを行なうと、Windowsはぎこちない動きをしてしまう。  ソフトウェアの作成工程は、設計、開発、試験の3工程で、工数は各工程でちょうど3等分されると昔からいわれてきたが、Windowsのアプリケーション開発では、その前に「調査」という工程が入る。思想を理解する工程である。Windowsは、グラフィックス、テキスト操作、メモリ管理、フォント操作、デバイスドライバなどで様々な思想を持っている。DOSでは生き字引きが何人もいたが、Windowsのすべてを理解している人は、世界中探しても見つからないであろう。Windowsプログラマーといっても、開発実績を持つ特定分野のことは理解していても、他の分野については素人である。新しいソフトウェアを作る時には、Windowsプログラマーといえども、先ずは調査をして、あれこれ試してみる必要がある。  Windowsだけをとっても、たくさんのソフトウェア技術者が毎日、たいへんな苦労をしながらプログラミングしているのが、日本の現状である。その上、今後、C++を理解し、クラスライブラリの使い方を覚え、OLE2やODBCを使いこなさねばならない。  昨年のComdex/Fallで華々しくデビューしたMicrosoft Office4.0では、アプリケーションが画面上にアイコンとして表示される、新しい試みがなされている。また、Word6.0では、ダイアログ内にメニュー展開用の「タブ」という新しいユーザ・インタフェースが採用された。MDI(複数文書操作)、OLE(オブジェクト結合手順)などの例に見られるように、アプリケーション開発チームが実現させた基本機能を、システム側が取り込むのがマイクロソフトの通例となっている。アイコン表示やタブもその内、OSの機能として組み込まれるのであろう。Windowsの次バージョンであるChicagoで、タイトルバーの文字列表示が左寄せに変わっても、アプリケーションでは何の変更も必要ない。しかし、タブをサポートするためのは、ユーザ・インタフェースの設計からやり直さなければならない。  Excel5.0のような、3Dの立体感のあるダイアログの作成でも、Windows3.1の開発キット(SDK)を使って実現するには、結構苦労した。それが、VisualC++1.5のMFC2.5には、標準ライブラリとして入っているらしい。VC++1.5にはもっと大切なOLE2対応のクラスライブラリや、ODBCの各種ドライバも入っている。Accessエンジンもロイヤリティなしでアプリケーションに組み込んで使えるのである。開発環境も、いつになく速いペースで改善されつつある。  システム・ソフトウェアや開発言語が、急速に進歩する「過渡期」であるため、プログラマーは勉強の連続になってしまう。過渡期といっても、この状態が21世紀まで続く可能性があり、Windowsソフトウェアを開発しようとしても、どこから、何に手を付けて良いやら分からない状況となりつつある。高級なクラスライブラリやオブジェクト指向OS、Visual Basic for Application(VBA)のような1ランク上の開発ツールの出現など、待てば待つほど、充実した開発環境でプログラミングが行えることが目に見えている。 パソコン・ハードウェア本体の「半年で旧型機」と同じサイクルにシステム・ソフトウェアも突入してしまった。東芝の��長さんが言っていた「最高のダイナブックが欲しければ、死ぬ1日前に買いなさい」というブラックジョークが笑えなくなってきた。 最高の開発環境で仕事をしたければ、死ぬ1日前に着手しなさい」ではプログラマーは誰も笑えない。  開発に着手したプロジェクトでは、更に話は複雑である。  A君は優秀なWindowsプログラマーである。彼は、1年半ほど前に、「これからはC++の時代だ」と一念発起して、マイクロソフトC/C++7.0とクラスライブラリMFC1.0を使って、アプリケーションを作り始めた。半分ほどプログラミングした時点でVisualC++1.0が米国で出荷された。その開発環境の良さやMFC2.0の高級な機能に刺激されて、VC++に開発環境を移行した。MFC1.0は、Win16APIにクラスライブラリの皮を被せただけの簡単なものである。彼はこの上に、独自の高級なクラス構築していたのだが、MFC2.0が見事にそれを葬ってくれた。MFC2.0に合わせて、モジュール構造から作り直すのに6ヵ月ほどを費やした。  そして、今、彼はVC++1.5への移行を真剣に考えている。ソフトウェアを出荷できるのは、いくらがんばっても今年の年末。その頃にはExcel5.0やWord6.0の日本語版も出ているに違いない。「OLE2をサポートしないソフトなんて、みんなに見向きもされないのでは?」と心配している。VC++1.5に付属しているMFC2.5のOLE2サポート機能は魅力である。独自に裸のOLE2をサポートするなど、ひとりでプログラミングを行なっている彼にとっては気の遠くなる話だ。マイクロソフトはMFC2.5でOLE2をサポートするために、2万行ものプログラミングを行なっている。これを使わない手はない。  Win32も気になる。半年も待てば、VC++2.0が出荷されて、32ビットで高速に稼働するアプリケーションが作れるであろう。Win32APIは、マイクロソフトが推奨しており、Macへの道も開かれるので、ぜひとも対応したい。このままVisualC++1.0で開発を続けるか、1.5に乗り換えるか、はた又、2.0まで待とうか。とにかく、MFC2.5のOLE2部分は使うことに決めたようである。  Chicago、Cairo、OLE、ODBC、MAPIなどの登場、そしてVisualC++の立て続けのバージョンアップで、「僕のプログラミング・スピードより、OSや言語の変化の方が、速度が速い」と、彼は嘆いている。今年の終わり頃には、オブジェクト指向OSであるCairoが姿を表わすであろう。すると、Win32APIよりも、はるか上位のプログラムインタフェースがクラスライブラリとして提供されることになる。完璧なソフトウェアを目指す、プログラマーの鑑のようなA君は、Cairoへの対応をすぐに検討するであろう。  こうして、プログラマーとしてA級の技術を持つA君は、プログラミングをやり続け、いつになってもソフトウェアが完成しない「永久プログラマー」となるのである。
永久プログラマー
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kennak · 1 year ago
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トヨタは、ITメンテナンスが中断したために14の工場を36時間閉鎖せざるを得なくなったことを受け、パートナー企業に謝罪した。これらの工場は合わせて同社の生産能力の約3分の1に相当する。 トヨタによると、保守作業中に「データベースに蓄積されていたデータを削除・整理したところ、ディスク容量不足によるエラーが発生し、システムが停止した」という。 さらに、「これらのサーバは同一システム上で稼働していたため、バック��ップ機能でも同様の障害が発生し、切替ができなかった※。 これにより国内工場の操業停止に至った。」 より大容量のサーバーが起動され、翌日には生産が再開されました。 トヨタは「対策」は講じていると述べた。 のエンジニアリング ディレクターである Lee Denham 氏は Databarracks に対し、 The Stack 詳細がなければ何が起こったのかを正確に評価するのは難しいが、容量管理と監視の問題は「事前に監視して計画を立てていれば回避可能です。また、それがベスト プラクティスです」と述べています。本番ストレージとバックアップ ストレージを分離するためです」と彼は付け加えました。「これは、同じ環境上に両方を備えた仮想プラットフォームのように聞こえます。」 この事件は、トヨタが2022年にサプライヤーの小島工業がファイルサーバーがウイルスに感染したと発表し、同じ14工場の28の生産ラインを停止した後に起きた。 ( た ) 当時、日経新聞は、トヨタの400社以上のティア1サプライヤーの多くが「自動車メーカーのかんばんによるジャストインタイム生産管理システムに接続されている…」とパートナーの声を高めて指摘し * はい、 2,790 億ドル (2022 年の収益) の企業の IT システムでさえ、ダクトテープで固定されていることがあります... いいえ、私たちも承認しません。 トヨタの事故:ずさんな考え? ように Percona に述べた CEO の Peter Zaitsev 氏がThe Stack 、「十分に文書化され、定期的にスケジュールされたバックアップ計画には、オフサイトおよびオフライン ストレージを含むバックアップの冗長性、バックアップと復元の両方についてテスト済みの手順を含む優れた自動化計画、適切な暗号化の使用、および次のような内容が含まれている必要があります。」プロセス全体を監視します。最も重要な要素は、バックアップをテストすることです。必要なときにデータを回復できない場合は、バックアップを用意していないのと同じことです。回復に関する最大の課題は、これをどのように実行するかです。効果的にアウトします。 「システムのメンテナンスと変更は常に通常の運用よりも「危険」なものです。プライマリに何か障害が発生した場合、より良いプロセスはその障害を調査し、変更をセカンダリに展開しないことです。変更が確実に行われていることを確認することはさらに良いことです。最初に非実稼働環境で変更されてから、実稼働環境に導入されます。 「2 番目のハイライトはディスク容量です。これは重要なシステムのオーバープロビジョニングだけでなく、監視することも非常に重要です。ディスク容量の問題は、CPU 容量などの他のリソースとは異なります。CPU 容量を超える��システムが遅くなり、ディスク容量が不足する傾向があります。」 「システムを完全に停止させ、ダウンタイムやさらに悪いことにデータ損失を引き起こします。ディスク容量が不足したときにシステムが実際にどのように動作するかをテストすることは、重要なシステムにとって重要ですが、残念ながら省略されることが多いのです」と同氏は述べた。 の金融サービス担当ディレクターである Peter Pugh-Jones 氏は Confluent 、このインシデントは、問題が発生する前に対処する能力よりも災害復旧/フェイルオーバー プロセスを優先するという、重要なシステムの時代遅れの設計理念を反映していると示唆しました。 同氏は The Stack に次のように語った。「複雑なシステム設計のプロセスになると、企業はレガシー思考の犠牲になることがあまりにも多い。 これらは、災害復旧とフェイルオーバーの古い原則を優先するように設計されたコア システムに依存しており、1980 年代に確立された技術およびエンジニアリングの原則を反映しています... 「たとえば、ディスク容量が少ないと操作に影響する可能性があるという警告は、プロセス全体の複数の時点でフラグを立てる必要がありました。」 むしろ、組織はデータ ストリーミング分析を中心に構築された、より復元力と応答性の高いシステムの構築に目を向けるべきである、と同氏は述べています。 トヨタ:家にいる人はいますか? 2022年までに売上高2,790億ドルを目指す自動車業界の重鎮であるトヨタのIT資産の状況が完全にうまくいっていないことを示すもう1つの兆候として、同社は今年5月、数百万人のドライバーのデータを駐車していたことを認めた。車両の位置データ – 公開されているクラウド データベース 人為的エラーが検出されなかったため、10 年以上にわたって に保存されていました。 これは 影響を及ぼした。 レクサスの顧客だけでなく、「2012年以来同社の主要なクラウドサービスプラットフォームにサインアップした顧客ベースのほぼ全体」に さらに悪いことが海で起こった… しかし、この事件は近年日本で発生したストレージ関連の危機としては最大のものではない。 スタックは、 名門京都大学で2021年12月に起きた事件を回想する。この事件では、 。 システムプロバイダーHPEがプッシュしたソフトウェアアップデートにより、大容量ディスクストレージのバックアップに保持されていた10日以上古いすべてのファイルがCrayマシンから削除された後、スーパーコンピューターから77TBの研究データが消去された 、目的のログ ファイルだけではなく。 京都大学は、この事件で14の研究グループから3,400万件のファイルが削除されたと発表した。 HPE は、このインシデントについて次のように説明しています (日本語からの翻訳)。「バックアップ スクリプトには、10 日より古いログ ファイルを削除するための「find」コマンドが含まれていました。 スクリプトの機能改善に加え、視認性と可読性を向上させるために、削除時にfindコマンドに渡す変数名を変更しました…しかし、この���正スクリプトのリリース手順には配慮が足りませんでした。 私たちはこの動作による副作用を認識しておらず、[更新された] スクリプトをリリースし、実行中に [bash スクリプト] を上書きしました」と HPE は認めました。 「これにより、実行中に変更されたシェル スクリプトが再ロードされ、変数が未定義になりました。その結果、保存されたファイルを削除する元のプロセスではなく、/LARGE0 [バックアップ ディスク ストレージ] にある元のログ ファイルが削除されました」ログディレクトリにあります。」
トヨタ工場の停止:サーバーストレージの悪影響が原因
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yotchan-blog · 30 days ago
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2024/12/27 17:00:37現在のニュース
立憲・野田佳彦代表が旧文通費の使途公開 首相の著作など購入 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/12/27 17:00:27) 精華女子、3連覇狙う京都精華に惜敗 清藤ら躍動も初の決勝ならず(朝日新聞, 2024/12/27 16:56:45) 韓国国会、首相の弾劾案可決、大統領に続き職務停止 政治混乱に拍車(朝日新聞, 2024/12/27 16:56:45) 京都工学院で初 伏見工の泣き虫先生「昔思い出した」 高校ラグビー(毎日新聞, 2024/12/27 16:53:38) 住宅メーカーやゼネコン、物流会社と資材運搬で協業 運転手不足で(朝日新聞, 2024/12/27 16:49:40) 中国、日本人男児刺殺など2事件の容疑者らを起訴 動機説明なく(毎日新聞, 2024/12/27 16:46:27) 韓国首相の弾劾訴追案を可決 副首相が「大統領代行の代行」に(毎日新聞, 2024/12/27 16:46:27) 保育の質向上へ1933億円計上 保育士の処遇改善 25年度予算案(毎日新聞, 2024/12/27 16:46:27) 億り人に聞く テスタさん「株価は上がり続けると思うな」 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/27 16:42:41) オリンパス前社長、違法薬物「22年から」 任命責任も - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/12/27 16:42:41) 3Dキャラクターと声優の動きがシンクロ バンダイナムコがVTuberライブで最新技術([B!]産経新聞, 2024/12/27 16:42:28) 石破首相「財政健全化の旗降ろさぬ」 25年度予算案(毎日新聞, 2024/12/27 16:39:16) 報徳学園が2回戦へ 仙台育英降す 全国高校ラグビー(毎日新聞, 2024/12/27 16:39:16) 感染症に備え313億円、創薬力向上632億円計上 25年度予算案(毎日新聞, 2024/12/27 16:39:16) 東名高速で7台絡む玉突き事故 7人軽傷 渋滞中にトラックが追突か(毎日新聞, 2024/12/27 16:39:16) 佐賀工が2回戦に進出 松山聖陵を降す 全国高校ラグビー(毎日新聞, 2024/12/27 16:39:16) スズキの鈴木修元会長が死去 94歳 「アルト」「ワゴンR」…軽自動車の普及に尽力([B!]産経新聞, 2024/12/27 16:36:51) 温室効果ガス削減目標、パブリックコメント募集開始 1月26日まで(朝日新聞, 2024/12/27 16:35:09) スズキ前会長の鈴木修さん死去 94歳 軽自動車の普及に尽力(毎日新聞, 2024/12/27 16:32:06)
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moko1590m · 2 months ago
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2024年11月25日 12時34分 イーロン・マスクのNeuralinkのブレイン・マシン・インターフェースを初めて脳に移植した患者がゲームする様子を実況中継
イーロン・マスク氏が立ち上げたブレイン・マシン・インターフェース(BMI)開発企業の「Neuralink」で、人間としては初めてBMIのインプラント手術を受けた四肢麻痺患者のNoland Arbaugh氏が、「頭で考えるだけでゲームをプレイする様子」をX(旧Twitter)上でライブ配信しました。
XユーザーのOwen Sparksさん: 「Neuralink Patient 1 to Attempt 72-hour Endurance Test」 / X https://x.com/OwenSparks_/status/1859865707049095495
2024年1月、NeuralinkはBMIのインプラント手術に初めて成功したと発表しました。手術を受けたのはダイビング事故で四肢麻痺となったArbaugh氏で、同氏が頭に埋め込まれたBMIは「Telepathy(テレパシー)」と名づけられています。なお、Arbaugh氏はすでに「Telepathy」を使ってシヴィライゼーションVIやマリオカート、オンラインチェスなどのゲームをプレイしてきました。
イーロン・マスクの脳改造企業「Neuralink」が初のヒト臨床試験に成功、考えるだけでスマホやPCを操作可能で製品名は「テレパシー」 - GIGAZINE
Arbaugh氏は現地時間の2024年11月22日14時からXでライブ配信を行い、72時間連続で「Telepathy」を利用するという試みに挑戦しました。テストではArbaugh氏の頭部に移植されたN1インプラントの、長時間利用時の耐久性とパフォーマンスを実証することです。テスト前の段階では、Arbaugh氏はNeuralinkのエンジニアと共同で1日最大8時間の研究セッションを行っているそうで、それよりも長時間の利用にデバイスが耐えられるのか調査することが目的というわけ。
Arbaugh氏は過去に24時間、48時間、72時間連続で起きていたことが頻繁にあると語っていますが、「健康状態が悪化しつつあると感じたら、すぐにやめて休む予定です。自分の健康を最優先にすることを約束します」と語りました。
この72時間連続配信テストの一環として、Arbaugh氏はX上で11時間31分56秒のゲーム配信を行っています。
72 hour Neuralink push 4 / X https://x.com/i/broadcasts/1lDxLlXLnlaxm
Arbaugh氏は配信上で約6時間にわたって「The Battle of Polytopia」をプレイしたのち、Chess.comでオンラインチェスの対局を行ったり、Googleストリートビューの画像からどこの土地かを推測するGeoGuessrをプレイしたりしました。
マスク氏もArbaugh氏のゲーム配信に反応しており、自身のXアカウントで「NolandさんはNeuralinkのテレパシーデバイスを使って考えるだけでPolytopiaをプレイしています」とポストしています。
なお、Arbaugh氏がプレイしていた「The Battle of Polytopia」はマスク氏の電気自動車メーカーであるテスラの車両でもプレイできましたが、同機能は「運転中にもプレイできる」として炎上しました。
テスラ車で「運転中にゲームで遊べる機能」が発見されて非難殺到 - GIGAZINE
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(イーロン・マスクのNeuralinkのブレイン・マシン・インターフェースを初めて脳に移植した患者がゲームする様子を実況中継 - GIGAZINEから)
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whiteroom7 · 3 months ago
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今年の最後にして最大のイベントとなる米国大統領選がいよいよ佳境に入っている。現段階においてもハリス、トランプ両者は支持が拮抗。情勢は読みづらく、開票待ちとなりそうだ。当事者には悪いが、外野から観戦する立場としては、接戦の方が楽しめる。
音楽業界からは、テイラー・スウィフト、ビリー・アイリッシュ、ビヨンセ、ブルース・スプリングスティーンなどの大物ミュージシャンがハリス副大統領支持を表明しているが、彼女の支持の広がりにはあまり貢献していないようだ。特に、テイラー・スウィフトは激戦州の1つであるペンシルベニア州出身であるにもかかわらず。スウィフティーズはどこへ消えたのか。この辺りに、トランプ前大統領の本当の怖さが見て取れる。
トランプ前大統領の選挙戦では、フェイク画像や楽曲の無断使用、意味や根拠のない発言など、相変わらずの手段を選ばない手法を展開shしている。さらにイーロン・マスクに至っては、直接的にお金を配るという荒技に乗り出している。これらは、劣勢に対する焦りとも報道されているが、おそらく「地」なんだろうなと感じる。もともと知名度の高いトランプ前大統領のこうした言動が、偏ったカリスマ性を作り上げているのではないか。少なくとも、トランプ前大統領は大統領経験者でもあり、かつ現職として臨んだ前回の大統領選も含めて3回連続で共和党の大統領候補として指名されたのも事実である。経済や移民などの政策を超越した「ドナルド・トランプ」という人物そのものを支持する有権者が多いのではないか。個別の政策の優劣以上に、大統領として米国を良くしてくれる、そんな儚い期待を抱かせてくれるのではないだろうか。だが、トランプ前大統領の言動を見る限り、誠実さと品格に欠け、信頼に足る人物には思えない。
一方のハリス副大統領。バイデン大統領が高齢なだけに、果たす役割は大きいと思われるが、日本では馴染みが薄く実務の状況はあまりよ報道されていない。そこで、ふと思い出すのは、今年の春頃、NHKスペシャルで放映された半導体の特集だ。ハリス副大統領はおよそ2年前、安倍元首相の葬儀に参列するために来日。その時、日本の半導体メーカーとの交渉に当たっている場面が映し出された。通商代表の顔も見えたので、主たる交渉は彼女が担ったと見られるが、対中政策など米国政府の方針に基づく要請は、ハリス副大統領が直接釘を刺したのではないか。そんなことを思わせる場面であった。機会は少ないと思われるが、外交的な交渉も行っている。米国としては、高官を日本に送る以上、手ぶらでは帰らないというしたたかな姿勢が見えた場面でもあった。
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今回も、激戦7州の結果が勝敗に大きな影響を及ぼしそうである。この激戦7州でのトランプ前大統領の巻き返しも進んでいるようで、さらに混沌さに拍車をかけているようだ。
最後にイーロン・マスク。テック系の経営者としては珍しい共和党支持者。トランプ大統領誕生では、テスラに課される税金は増加するとの報道もある。彼��、あるべき未来を見据えた思考や展開している事業は評価されるべきだ。だが、大統領選に関する言動には疑問を感じざるを得ない。まるで、トランプ前大統領と同様の思考回路だ。旧Twitter買収以降、実業家としての評価は下がりつつあるイーロン・マスク。テック系の実業家として、そして世界一の富豪として、世界中からもっと愛され、リスペクトされるような存在になってほしい。私は切にそう願う。
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namansharma0950 · 8 months ago
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エピクロロヒドリンの価格: 最新の傾向、データベースの洞察、予測
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2024年第1四半期レポート
アジア太平洋
2024年第1四半期、アジア太平洋(APAC)地域のエピクロロヒドリン(ECH)市場は下落傾向にあり、価格に影響を及ぼしました。重要な要因の1つは、ECHの世界的な需要の継続的な減速で、サプライチェーンに負担がかかり、価格の下落につながりました。特に中国からのスポットフローが利用可能であったため、価格が低く抑えられ、全体的な下落傾向につながりました。もう1つの影響要因は、安定した生産レベルと新規注文の最小限の減少により、この地域の製造環境が安定していたことです。さらに、韓国は国際市場との競争で課題に直面し、在庫が過剰になり、供給が緩みました。2月の原料プロピレン価格の高騰にもかかわらず、韓国市場では、下流産業からの注文が抑制されたため、ECHの供給は十分なままでした。春節休暇により、市場の動きがさらに悪化しました。韓国統計局(KOSIS)のデータによると、2023年に発行された建築許可の総数は25.3%減少し、許可された床面積の総数は25.6%減少しました。
北米
2023年の第4四半期の低迷に続き、北米のエピクロロヒドリン市場は2024年第1四半期に強気に転じました。市場は、高コストの輸入と建設部門からの中程度の購入活動の影響を受けました。プロピレン価格の大幅な上昇により、スポット市場でのECH供給が制限され、コスト主導の価格上昇につながりました。この生産コストの上昇と中国の低い稼働率が相まって、価格圧力がさらに強まりました。米国では、メーカーが既存の契約の履行を優先し、スポット供給と取引条件が安定しました。しかし、2024年1月17日、テキサス州フリーポートにあるOlin Corporationの工場が極寒のため操業を停止し、一時的な混乱が発生しました。操業は1月24日に再開され、市場への影響は最小限に抑えられました。2月は旧正月休暇と物流上の問題により市場は様子見姿勢をとっており、この期間中に中国から米国へのオファーがわずかに増加しました。
ヨーロッパ
2024年第1四半期、ヨーロッパのエピクロロヒドリン市場では価格が大幅に下落しました。重要な要因は、需要の減少を経験した下流の建設部門であり、注文と輸出の減少につながりました。この減少は、��利の上昇、高い失業率、ストライキによってさらに悪化し、全体的な経済減速につながりました。価格に影響を与えるもう1つの要因は、ECH生産の主要成分であるプロピレンの世界的な価格でした。プロピレン価格の下落によりECHの製造コストが下がったにもかかわらず、ヨーロッパ全土でのインフレ圧力が持続し、消費者の購買力が抑制され、ECHの需要が減少しました。ヨーロッパ最大のECH市場であるドイツでは、これらの傾向が反映され、建設部門からの需要の減少により生産削減と価格低下が発生しました。
エピクロロヒドリン(ECH)のリアルタイム価格を追跡: https://www.analystjapan.com/Pricing-data/epichlorohydrin-157
南米
2024年第1四半期、南米のエピクロロヒドリン市場は前四半期と比較して強気を維持しました。この傾向は、特にこの地域の主要供給国であるアジアからの輸入の増加によって支えられました。アジア市場からの高コスト輸入品の流入により価格が上昇しました。ハイキューブ機器や40フィートの非稼働冷蔵車を含むアジアからラテンアメリカへの出荷に対する一般料金上昇(GRI)は、2024年1月に1,000米ドルに上昇しました。下流のエポキシ樹脂在庫レベルは、予想される高い需要を満たすために休暇前の戦略的な備蓄によって2月に急増しました。対照的に、ブラジルのECH業界では稼働率が低下し、国内生産に影響を与え、輸入価格の上昇と国内建設ブームの複合需要に対応しました。これらの問題をさらに悪化させたのは、ECH生産に不可欠な原材料であるプロピレン価格の同時上昇で、生産コストの上昇と3月までのECH価格へのドミノ効果につながりました。
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ari0921 · 1 year ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月24日(日曜日)
    通巻第8065号
 中国EVの王者=BYDがハンガリーに進出
  他方、インドはBYD進出を正式に拒否した
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BYDが日本に本格進出した。本社を横浜に置き、2025年までに販売拠点を100店に拡大し、年間三万台を当面の販売目標とする。現在,東京、札幌、京都、大阪のショールームなど33ヶ所に販売店を店開きした。
BYDは世界中の従業員は29万、売り上げは日本円で41兆円。CEOは劉学亨。
日本販売の第一弾は「ATTO 3」で価格が440万円(最大補助金が85万円)。バッテリー容量は約58キロワット、航続距離は485キロメートル。第二弾予定の『ドルフィン』は363万円で,補助金は最大65万円だ。BYDオートジャパンの東福寺厚樹社長はフォルクスワーゲンで辣腕を発揮したセールスのベテランとされ、「十分競争力を持っている」と語る。
12月22日、BYDは、ハンガリーのセゲドに新エネルギー車(NEV)の製造工場を建設すると発表した。BYDは既にハンガリーで2017年にバス工場を設立、2023年6月からはバッテリー製造拠点を確保している。ハンガリーのオルバン首相はのりきであり、10月に訪中した際に深センにも赴いて、BYD工場を見学しいている。最終的な詰めは、ハンガリー政府が幾ら出資するかにかかっていた。
ハンガリーの自動車産業は世界の自動車メーカー各社が入り乱れている。トップはスズキの合弁「マジャール・スズキ」で15%のシェアを誇る。二位はトヨタ。近年、ハンガリーはEV志向が目立つようになった(ちなみにマジャール人はチュルク系の遊牧民を祖先として全欧に散在する。ハンガリーでは最大部族。混血を繰り返したため白人である)。
旧東欧で自動車産業があるのはポーランド、チェコとハンガリーである。ハンガリーにはオペル、アウディも組み立て工場をもつ。韓国勢の現代、KIAも進出している。
中国の自動車メーカーの欧州進出の突破口となるか、どうか。電池メーカーのCATLはオランダに製造拠点を計画中だし、上海汽車は欧州に車両製造工場を設立するとした。
ところがインドはBYD進出を拒否した。インドの「メガ・エンジニアリング」(ハイデラバード)と提携してインドに10億ドル規模の工場を設立するというBYD提案をモディ政権は正式に拒否した。
 騎虎の勢いにあるかに見えるEVだが、欧州では補助金制度が停止されたか,或いは削減方向にあり、EV普及率はノルウェイーの80%を例外として、英国、ドイツ、フランスの普及率がまだ10%台、スペイン、伊太利亜などは4%以下。ギリシアはEVに30%の割引をしているが3%台にとどまっている。
 そのうえドイツは23年12月をもって補助金を停止、フランスもアジア生産のEVは補助の対象外とした。欧州は���動車市場で欧州製品を優先する政策を採っており、全廃を決めていたガソリン車の併存を静かに止めた。
 EV世界一の中国も補助金に加え、十数社がひしめきあって割引合戦がすさましい。それゆえに株価は下落し、BYDは年初来24%安だ。NIOが25%、広州汽車が17%下落、反対に株価が上昇したのは理想汽車、重慶長安汽車など数社だけである。
 
理想汽車は8年の歴史しかないがSUVとPHV(プラグインハイブリッド)に特化した高級車を販売し、値引き合戦からは距離を取ったのが好業績に結びついた。
 中国の自動車生産は2023年推計で3000万台(米国を抜いた。日本の六倍弱)。
 このうち、EVは940万台(全体の31%)を生産したが、中国内需要は減速し,輸出が500万台前後と推定されている。
 ▼アンゴラとナイジェリアがOPECから脱退
 EV競争とアンゴラ、ナイジェリアのOPEC脱退はいかなる相関関係になるだろうか?
 EVは原油の影響を受けないというのは嘘である。電力をつかってバッテリー充電をする以上、電気の需要はむしろ増える。そして火力発電は石炭と石油でなされている。中国へ景気減速にも拘わらず、日量1000万バーレルと輸入している。
 ナイジェリアとアンゴラはOPEC脱退を発表した。原油価格を維持するための減産に反発し、「OPECに残れば、減産を強いられる」とした。
 ナイジェリアとアンゴラはそれぞれ1971年、2007年にOPECに加盟した。
 両国は非加盟国のロシアなどを加えた「OPECプラス」が23年11月に協調減産をめざす方針に反対した。
原油輸出量を維持することで、低迷する自国経済の立て直しを優先したいからである。
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shintani24 · 1 year ago
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2024年2月7日
大和ミュージアム改装へ 呉市が過去最大規模の新年度予算案を発表(朝日新聞)2024年2月7日
【広島】呉市は6日、新年度当初予算案を発表した。一般会計は1089億6千万円(前年度当初比2・5%増)で、2005年の広域合併以降で過去最大の規模だ。旧海軍の歴史を伝える大和ミュージアム(市海事歴史科学館)の改装工事費用を計上したほか、病児保育にも重点配分した。
歳入では、市税収入が295億2千万円と、前年度(304億5千万円)を下回る見込みとなった。新年度の定額減税に伴う個人市民税の減収などが見込まれるためという。
借金にあたる市債の発行額は、50億円を盛り込んだ大和ミュージアムの改装工事などに伴い、前年度比15・4%増となる133億6千万円。市債発行残高は2年連続で増加し、1158億円(前年度比25億円増)となる。貯金にあたる財政調整基金からは18億5千万円を取り崩す。24年度末の基金残高は63億円になる見込みだという。
歳出では、病児・病後児保育に重点配分。病児・病後児保育施設の増設(2カ所)や、施設の市民利用を県内で初めて一律無償化する事業、保育園などで体調を崩した児童を預かる施設の新設(11カ所)などに1億7千万円を計上した。
昨秋に事業停止した日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区について、跡地に適した産業を県と共同調査するための費用には1千万円を充てた。新原芳明市長は会見で「『日鉄がなくなるが、呉市は大丈夫か』という声をよく聞く」とした上で、市総合スポーツセンター跡に半導体製造装置メーカー大手「ディスコ」の工場が建つ計画に触れ、「従業員数や税収はいずれ日鉄呉を上回るのではないかと期待する」と話した。
予算案は21日開会の市議会定例会に提案される。
大和ミュージアムの改装工事では、既存施設を改修するほか、大型収蔵庫を設置する。来館者の混雑緩和や、収納しきれていない資料を保管するのが目的だ。
22年の基本計画段階での総事業費は約68億円の見込みだった。そのうち既存施設の改修は30億円だったが、資材高騰などで大幅に膨らみ、新年度予算案には50億円を計上した。収蔵庫の設置費も含めた総事業費はさらに増える見通しだ。
既存施設の改修工事では、混雑解消のためにショップと券売機を屋外に移す。3階を全面的に改修し、科学技術の変遷や戦闘機エンジンの仕組みがわかる模型などを置く。工事に伴い、今秋以降に休館する見通し。期間は未定だが、��館20周年となる25年度中の再開をめざす。
コロナ禍前の19年度は年間90万人が訪れた同館。休館中も客足が途切れないよう、市は3億6千万円を投じて対策する。近くのビューポートくれでの仮展示や、戦艦大和の10分の1サイズの模型を建物外からガラス越しに見られる観覧台の設置などを計画する。
新原市長は「大和ミュージアムは、世界でも有数の軍港になり、戦後は造船業で栄えた呉市のユニークさを体現する施設。世界に誇れる海事博物館にしたい」と話した。(興野優平)
呉市の主な事業
【企業誘致・観光振興など】
◆大和ミュージアムの改装工事(50億円)
◆大和ミュージアムの休館対策として「呉・大博覧会」を開催(3億6200万円)
◆日鉄呉地区の跡地利活用調査(1千万円)
◆呉市・広島大学Town&Gown構想の推進(1600万円)
◆市総合スポーツセンターの産業団地への転換など(3億2千万円)
【教育・子育て対策など】
◆病児・病後児保育などの充実(1億6900万円)
【都市基盤整備など】
◆天応西条第2公園(仮称)の整備(2億800万円)
◆RORO船(貨物用船舶)の受け入れのための阿賀マリノポリス地区整備(1億1400万円)
「死ぬことになればいい」安芸高田市議(59)をSNSで脅迫した疑い 元警察官の男(38)を逮捕 被害の市議「傷つく人がいる。家族がいることを自覚してほしい」 広島(RCCニュース)2024年2月7日
広島県安芸高田市議会の男性市議をSNSで脅迫したとして、広島県警は6日、栃木県の男を逮捕しました。
脅迫の疑いで逮捕されたのは、栃木県宇都宮市に住む自営業で元警察官の男(38)です。
警察によりますと、男は23年8月31日から9月2日までの間、3回にわたり、SNS上で「こいつら生きてる価値あるか?殺されても仕方ないよな?」「死ぬことになればいいなぁ」「死体が見つからない限り殺人にはならないのが日本の法律です」などと投稿し、安芸高田市議会の男性市議(59)に閲覧させ、脅した疑いがもたれています。
当時の投稿内容
調べに対し、男は「投稿したのは間違いないが、脅すつもりはなかった。衝動的に投稿してしまった」と供述し、容疑を一部否認しているということです。
RCCが入手した当時の投稿内容によると、男は「安芸高田市の問題市議会議員様」などと書いた上で、何者かが特定の会派を顔写真つきで批判した投稿を引用し、人が生き埋めにされるような動画も添付していました。
これを受けて市議会の会派は、警察に被害届を提出していました。
安芸高田市議会 大下正幸 議長 「逮捕されたので、ひとまず安心���が、XやYouTubeへの投稿は、気をつけてほしい。完全に恫喝ですから」
被害を受けた男性市議はRCCの取材に対し、「冗談半分でSNSに書き込む人もいるが、傷つく人間がいる。家族がいるということを自覚してほしい」とコメントしています。
男と男性市議に面識はないということで、警察が事件の詳しいいきさつを調べています。
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広島市2024年度当初予算案発表 広島駅南口広場の再整備は大詰め、新サカスタ隣接の広場エリア開業へ(中国新聞)2024年2月7日
広島市が7日に発表した2024年度当初予算案は、街の姿をどう変えるのか。主な大型事業をみた。
【地図と写真】広島市の主な大型事業と予算額
■広島駅南口広場再整備
JR広島駅南口広場(南区)の再整備が大詰めを迎える。前年度とほぼ同規模の予算を確保。25年春に開業予定の新駅ビル2階に高架で乗り入れる路面電車の新ルート「駅前大橋線」を完成させる。駅と周辺のビルをペデストリアンデッキ(歩行者専用橋)でつなぐ工事も続ける。
■エールエールA館改修
駅南口では新たに、商業施設「エールエールA館」へ中区から中央図書館と映像文化ライブラリーを移すため、改修工事に着手する。1、2、9階フロアの取得予算は23年度に確保済みで、24年度に地下2階の一部と8、10階も購入する。25年度分の予算枠をあらかじめ確保する57億6千万円の債務負担行為を設定。26年度の開館を目指す。
■新サカスタ隣接の広場エリア整備
一方、中区で22年から建設してきたサッカースタジアム「エディオンピースウイング広島」が今月オープンした。24年度は、民間主導で隣接地に整備中の広場エリアのうち、公園施設となる遊具やトイレの買い取り費用を計上。エリアは8月に開業し、「ひろしまスタジアムパーク」が完成する。総事業費は約285億円に上る。
■広島城三の丸の歴史館建設
近くの広島城三の丸では、天守の収蔵品などを展示する歴史館の建設に着工し、26年10月の開館を予定する。先立って企業グループによるにぎわい施設の整備が3月に始まり、市中心部を巡ってもらう仕掛けを整える。
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【速報】福島第一原発の汚染水浄化装置から放射性物質含む水が漏洩 漏れたのは約5.5トン220億ベクレルと試算【福島県】(FCT福島中央テレビ)2024年2月7日
東京電力は福島第一原発で汚染水を浄化する装置から放射性物質を含む水が漏えいしたと発表しました。
東京電力によりますと7日午前9時前、汚染水を浄化する装置の排出口から水が漏えいしているのを作業員が発見しました。
装置は点検中で、ろ過水で洗い流す作業をしていた際、本来閉めなければいけない弁が16個中10個開いていたということです。
東京電力の試算では漏えいした水の量はおよそ5.5トンで、セシウムやストロンチウムなど220億ベクレルの放射性物質を含んでいる可能性があるということです。
漏えいした水は大部分が土へしみ込んだとみられますが、付近の排水路のモニタリングに有意な変動はないということです。
東京電力は水が漏えいした区域を立ち入り禁止とし、今後、周りの土を回収するなど対応を急ぐとしています。
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東電本社前に来ている。
カナダの島に謎の難破船が出現、19世紀のものか(AFPBB)2024年2月7日
カナダのニューファンドランド・ラブラドル州ケープレイの海岸で見つかった難破船(2024年1月30日撮影)。(c)Corey Purchase / AFP
カナダのニューファンドランド・ラブラドル州ケープレイの海岸で見つかった難破船からサンプルを回収する考古学者(2024年1月30日撮影)。(c)Corey Purchase / AFP
カナダ・ニューファンドランド・ラブラドル州ケープレイの海岸で見つかった難破船について説明する座礁船保全NGO「Shipwreck Preservation Society Of Newfoundland and Labrador」の代表(2024年1月30日撮影)。(c)Corey Purchase / AFP
【2月7日 AFP】カナダ最東部ニューファンドランド・ラブラドル(Newfoundland and Labrador)州でこのほど、19世紀のものと見られる全長約30メートルの船が打ち上げられた。
先週末には考古学者とボランティアのチームが調査のために現場を訪れ、船が海に戻される前に部品を一部回収した。
回収した木製の板や竜骨(キール)部分の金属製の外装材などは、分析のため研究室に送られた。
考古学者のジェイミー・ブレイク(Jamie Brake)氏は6日の記者会見で「木材の種類や年代、金属の組成などを特定したい。分析結果から、いつごろの船なのか、どこから来たのかなどを知るためのヒントが得られる」と語った。分析結果が出るまでには、数か月を要するという。
船は1月下旬、ニューファンドランド島南西端にある公園で発見された。付近の海は浅い水深に岩が数多くあることが知られており、これまでに多くの船が座礁している。州の考古学事務所によると、この海域には難破した古い船が数千隻ほどある。
ブレイク氏は、この海域では、数百年にわたり欧州の船が航行していたと指摘している。
今回打ち上げられた船ついては、2022年にカナダの大西洋沿岸を襲ったハリケーン「フィオナ(Fiona)」の影響で、海底から流されたとの見方も出ている。
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2月7日 20:59 震度4 震源:和歌山県北部 M4.1 深さ約10km この地震による津波の心配はありません。
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newtogasyou · 2 years ago
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            ~プロジェクトⅩ~                            
             六連星よ永遠に
さてとスバリストでもなんでもない僕がスバルのWRC活動を解説します💦
まず、富士重工もといスバルはルーツをたどれば中島飛行機という、戦闘機を生産していたメーカーにルーツがあり、戦時中は一式戦闘機、『隼』5式戦闘機『疾風』などなど傑作機を世に多数送っていました。戦後、GHQにより航空機メーカーが解体され、プリンス自動車と富士産業に分かれました。その後、様々な 旧中島系の主要企業の共同により 富士重工業を設立。まあ前置きはこの辺でスバルのWRCの参戦のルーツについて、書き連ねようかと。1989年スバルは初代レガシィにて参戦を開始。どうしても後継車種のインプレッサWRXの活動の前にかすみがちですが、ここからスバルのWRC参戦は始まるのです。そして93年ニュージーランド戦にて悲願の優勝。そして次戦1000湖ラリーにてインプレッサWRXが投入され、WRC優勝の為に開発したマシンといっても過言でもないでしょう。ちなみにデビュー戦はアリ・バタネンが二位入賞を果たしています。そして95年あのコリン・マクレーが がドライバーズタイトルを獲得し、マニファクチャラーズタイトルをスバルにもたらしました。そして 1997年、全14戦で行われたWRCにおいて8勝を挙げ、スバルは日本車メーカーとしては初となる3年連続(1995~1997年)でのマニュファクチャラーズタイトル獲得を獲得します。スバル=ラリーのイメージがついたのはこの辺りの活躍のおかげですね。その後も03年にドライバーズチャンピオンを獲得してます。その後08年にWRC撤退を発表。しかしその活躍とまぶしいばかりの栄光は六連星の昴のごとく輝き続けています。
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aa-labo · 2 years ago
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ミニのタイヤを千秋自動車さんで交換してもらいました。 今度の冬のスタッドレスタイヤのはめ替え時期まで保つだろうと思っていましたが、島根出張もあり早目の交換となりました。 いつもネットでタイヤを注文して千秋自動車さんで交換してもらうのですが、ミニのタイヤはネットで買うと1本3000円ほどとめちゃ安いので助かります。ただしミニに合うサイズの選べる銘柄はほとんど無く、国産メーカーではほぼこの銘柄しかありませんでした😅  以前はもう少し銘柄を選べたのですが、今ではこのサイズを揃えているメーカーはほとんど無く、意外なところでこの先の供給体制にちょっと不安を感じてしまいました。 届いたタイヤはちゃんと今年製造のタイヤでした😊 #メンテナンス記録 #タイヤ交換 #12インチタイヤ #ヨコハマタイヤ #旧車に優しいメーカー #yokohama_blueearth #ローバーミニ #クラシックミニ #ミニのある暮らし #仕事の相棒 https://www.instagram.com/p/Cg_agS8ugoE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nemosynth · 2 years ago
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Season 2, episode 2 - E-mu
「これは、内蔵姿勢制御装置のずれを無くし、過剰なジャイロ宇宙的相対理論化を防ぐ機能です。
注意深く画面を観察いただき、重力による空間歪曲や明らかな時間の加速・遅延、鏡に映る物体が実際より近く見えるなどといった不安定化兆候が起きていないか、ご確認ください。数秒後にEmaxがモジュール識別表示へ戻ってきたのであれば、すべては順調です。
注意: 安定化スキャン処理が進行している間、時として小さなエミュー鳥がEmax内部に閉じ込められ画面上を走り回ることがあります。これはEmaxの通常機能に影響はありません。
 (Emax取扱説明書から超絶nemo版和訳)」
「This function aligns Emax’s internal stabilizers and prevents excessive gyrocosmic relativation.
Carefully observe the display for any signs of destabilization (eg. Gravitational warps, apparent speeding up or slowing down of time, objects in mirrors appearing closer than they really are). If Emax returns to the Module Identifier after a few seconds, all is well.
Note: Occasionally a small emu will get trapped within Emax and run across the screen during the stabilization scan process. This does not affect Emax’s normal functions. (原文)」
もうね、原文にある「gyrocosmic relativation」とかってバック・ロジャースのネタだし。「objects in mirrors appearing closer than they really are」って向こうの車のドアミラーに書いた~る警告文パロってる し。どこにも「自己診断処理」って書いてないから。それが自己診断機能だということは、生産完了後だいぶたっ てからネットかなんかで知った。だから現役当時とにかくLCDの中をエミュー鳥が走り回るだけなので、こっちは 訳が分からず呆然とするばかり。
この面倒くさそうなふざけたノリの取説を出したのはE-MUことE-MU SYSTEMS。その創業者は、ぶっちぎり 天才エンジニアであるデイヴ・ロッサム。デイヴと言っても、名機プロフェットを生み出したSEQUENTIALを創業 せしデイヴ・スミスとは別人。
史上初のサンプラーは、FAIRLIGHT CMIなのか初代Emulatorなのか? 今ならエミュレータと呼ばれてしまう のであろうかEmulator。それを生み出したのがデイヴ・ロッサム率いる E-MU SYSTEMS。
今回はそのデイヴ・ロッサムと彼が興したE-MUを見て��たい。彼こそは電子楽器業界における縁の下の力持ち、 いや縁の下の馬鹿力、もうアトラスのごとく世界を支えてきた巨人ですらあり、彼なくしてSEQUENTIALも OBERHEIMも電子楽器業界すべてがかくも発展しえなかったであろう偉大な功労者なのである。
♬     ♬     ♬
「創世神話」
デイヴ・ロッサム(Dave Rossum)は、アメリカ西海岸サンフランシスコ界隈で育ち、SEQUENTIALより先、1971年にE-MUを創業する。
彼の父親は科学者なのだが、音楽がお嫌い。というのもデイヴ・ロッサムの祖父がミュージシャンで呑んべぇで 父が幼いころ祖父は家におらず、それゆえ父は音楽が嫌いに。ところが祖父が家に不在だったのは音楽どーのこー の以前にそもそも浮気しててほかの女との間に3人も子供を作っていたからだと、後年に判明!
父の愛に飢えつつも禁じられた音楽へのあこがれとを両立すべく、幼い坊やは自宅に誰もいないときを見計らっ て家にあった母のピアノなどを弾いていたのである。
彼には絶対音感があった。 リズム感も大変良かった。
でも彼は音楽のレッスンも受けず、趣味として適当に弾くだけ。センスあるのに独学なあたり、既に後々ぶっと んだ天才肌っぷりを発揮する、その序曲だったのかもしれない。
それでいて彼は、全く音楽の道なんぞ考えもしない科学少年であった。ただやたらとリーダーシップだけはあっ たらしく、5、6歳年上の子供たちを引き連れて登山もしたという。しかも子供のときからなんでも作っては売る という、起業家精神すらあった。
何よりも彼を貫いていたのは、まぶしい自由とぶっちぎりの先取の精神がみなぎるカリフォルニアらしいカウン ター・カルチャーであった。大人社会に対する異議申し立て、大人たちへの反抗、ベトナム戦争反対、ラブ&ピー ス、いぇ~い♬ そんなとんがった空気が充満する西海岸の陽光。不屈の反骨精神こそが、いつまでも若きデイ ヴ・ロッサムをして数々の発明を実現せしめ音楽に変革を引き起こすドライブ力であったのかもしれない。
彼はカリフォルニア工科大学にて生物学を専攻するも、その動機はなんと当時の原始的なコンピューターを生物 学に応用したいという、その時代には誰も考えなかったぶっとんだ新しい発想からであった。だからもちろん彼は大学で生物学とともにコンピューターサイエンスも会得。
そんなある日、彼はカリフォルニア大学サンタクルーズ校にてMOOGモジュラーシンセをセッティングしてくれ と頼まれる。シンセ?なにそれ? それはMOOG System 12。有名なMOOG System 15ですらないその前の黎 明期の機種、その現物を目の当たりにした彼は、そしてそれを人が弾いている音を聴いた彼は、永遠に人生を変え ることになる啓示のごとき衝撃を受けたのである。
MOOG Model 12の広告より そうだ、そうじゃないか、当たり前だよこんなの、当然じゃないか、至極まっとうなことだよ、そうだよ、そうなんだよ!!!とかなんとかそんな感じだったらしく。
シンセというものに運命的邂逅をはたしたデイヴ・ロッサム。突如として無性にシンセを作りたくなったデイ ヴ・ロッサム!
え、生物学と電子音楽の共通点? ネガティブフィードバックさ!
だがコンピューター・プログラミングは分かるのに、逆に電子工学は分からない。恐らく彼は時代に先駆けてソ フトウェアエンジニアだったのであろう。そこで友人にハードウェアを教えてもらうこととなった。時に1970年秋 から冬にかけてのことである。
翌1971年春、サンディエゴの高校生たちに音楽を親しんでもらうべくシンセを作ってほしいと頼まれた彼は Black Mariah(ブラック・マライア)という名のプロトタイプをでっち上げ大学の購買部へ披露、あわよくば雇っ てもらえないかともくろむも、出来のひどさにカリフォルニア工科大の学生寮にて窓から外へ投げ捨て廃棄さる!!!
同年夏、めげずに大学を卒業した彼は仲間や3人の大学生と共同生活を開始。その家の表にかかっていた文言とは、
「Starships and Synthesizers, since 1984 (宇宙船とシンセサイザー 1984年設立)」
 ......1984 年設立って、このときまだ1971年ちごたっけ?
そこで彼らはARP 2600のエッセンスをパクった(本人談)シンセ、その名もEμ 25(イーミュー25)を制作。 その機種名は、もちろん電子工学がお好きならお分かりであろう、電子を意味するelectronの頭文字と、μ(ミュ ー)すなわち電気の単位でありマイクロの意味も持つギリシャ文字とを組み合せてEμ。
そして実はEμ 25とは、なんのことはない愛用してたドラッグの名前だったのである。
これが、イーミューの名が歴史に登場した最初であった。一発キメられる音色、いいね(!?)。
2台作るも、1台は個人宅で使われ行方不明に。もう1台は1970年代にサンフランシスコのコンセプチュアルア ート美術館の展示にての目撃を最後に、行方不明に。ひょっとしてまた窓から投げ捨てられたのであろうか?
そして、その暑い夏が終わると3人の学生たちはカリフォルニア工科大へと帰り、残ったデイヴ・ロッサムは高 校時代の旧友スコット・ウェッジと再会。自身のガールフレンドと合わせて3人でEμ SYSTEMSを立ち上げた。 Eμ SYSTEMSの名を使うことは、3人の学生たちからも同意を得てあった。そしてEμは性懲りもなく次世代モジュ ラーシンセEμ Modularの開発に着手する。
しかしのっけからモジュラーの開発に着手したのにはわけがあった。天才デイヴ・ロッサムは、MOOGやARPよ りも優れた回路���たどり着いていたのである。揺るぎなきこと山の如く安定せるVCO、実にクリーミィな効き具合 が味わい深いVCF、これはほかのどのメーカーにもないEμだけの秘密兵器であった。
そのEμ Modularの完成とともにEμ SYSTEMSは法的にも会社となった。時にEμ創業から1年ほどたった後の 1972年11月27日。日本でいえばローランドの創業から半年ちょい後くらい。
当初「Eμ」と表記していたが、1979年になって実はカリフォルニア州法により登記にはローマ字しか許されない ことが分かりE-MUと英語表記へ変えた経緯もある。かくしてE-mu Modularは1980年代初頭まで生産され続け、 モジュラー界における個性派な名機となった。
あんまし儲けを考えずただただ楽しいことをやっているだけなのに何故か連戦連勝してしまうE-MU SYSTEMS の快進撃、ここに始まる!
♬     ♬     ♬
「いきなりデジタル」
ビンテージ・アナログシンセ時代においてデジタルに強いどころかデジタルの天才デイヴ・ロッサム、E-MUが会社になってから初めて開発したるはデジタルスキャニング・キーボード4050。
これは鍵盤楽器ではなく、それに使われるためのキーボード部品。打鍵状況をデジタル論理回路でスキャンする ことで、最大10音ポリの演奏が可能。
「だぁってMOOGが低音優先とかARPは違うんだとか皆あーだこーだ言うけどさぁ、つまり皆さんポリフォニック で演奏したいんだろ?」
E-mu Modularを作っていたデイヴ・ロッサムはそう実感し、E-mu Modular用に4050キーボードを開発。こ れにより彼は後世「ポリシンセの父」と呼ばれることとなった。縁の下の力持ち初号機、見参!
そのデジタルスキャニング・キーボード4050のプロトタイプを開発中だった1974年9月、デイヴ・ロッサムは AESショウにてトム・オーバーハイムと出会う。天才同士たちまちにして親友となりお互いアイディアを披露し合っているうちに、トム・オーバーハイムいわく彼が作ったフェイズシフターに問題があるとのこと。聞けば3080トランスコンダクタンス・アンプを使えば解決できるはずなのだが、実際どうすればいいのか分からんのだと。 それを聞いた天才デイヴ・ロッサム、やにわに傍らにあった紙ナプキンにさらさらっと回路図を描き、
 「こうしたら良いよ」
紙ナプキンに描かれた回路図をじぃっと凝視するトム・オーバーハイム、
「なにこれ、たった今あんたが発明したってぇの?」 「そう」 「この回路、特許取れるんじゃねぇの?」 「絶対に特許取れるね」 「連名で特許取って権利を2人でシェアするってぇの、どう?」 「グレイト・アイディア!」
さらにトム・オーバーハイムはE-MUを訪問、4050キーボードのプロトタイプを目の当たりに。
「これも、特許もんなんじゃねぇの?」
トム・オーバーハイムはぜひこれを自分の製品に使わせてくれとデイヴ・ロッサムに要望。かくしてOBERHEIM は E-MUからデジタルスキャニング・キーボードを提供してもらい、それを自前のSEM音源モジュールと組み合わせる���とで2 Voice、4 Voice、8 Voiceといった黎明期のポリシンセ名機たちを実現。それらはクロスオーヴァー を初めとするさまざまなジャンルにて使われ大ヒット作となった。
かくの如くして他社からライセンス料をもらうことでE-MUは潤うこととなったのである。
♬     ♬     ♬
「影の支配者ビジネスモデル」
1976年7月になるとZILOG(ザイログ)が8ビットCPUの名機Z80をリリース。人気者CPUの登場は電子工学における画期的なメルクマールとなった。
同じころデイヴ・ロッサムはもう一人のエンジニアとともに二人でシンセ用ICを設計。これらはVCO、VCF、 VCA、EGなどを個別にチップ化したものでSSMが生産することとなった。銘石となったSSMによるICチップの誕生である。
翌1977年、Z80の恩恵を受けたE-MU新型デジタルスキャニング・キーボード4060を開発。従来よりもさらに 多い16音ポリを実現、さらに6,000音のデジタルシーケンサーまで内蔵。
・CPU Z80 ・SSMの音源IC ・デジタルスキャニング・キーボード4060
さぁ役者はそろった。後は指揮者とヒット商品ならではの数をさばける量産設備とを待つだけ。
そしてその指揮者とは、SEQUENTIALのデイヴことデイヴ・スミス。デイヴ・スミスは、だが当初「こんだけ材 料がそろってんだから絶対ボク以外の誰でも思いつくはず」ってんで何もせず。でも半年放置プレイしても誰も何 も動かないのを見て、なら自分で、と史上初のプログラマブル・ポリシンセ開発に着手。そしてそれを横で眺めな がらあーだこーだアドバイスしていたのが、なんとここにもデイヴ・ロッサムその人だったのである。
デイヴ・ロッサムは全体制御とアナログ回路の設計を、デイヴ・スミスはユーザーインターフェイス設計とエデ ィット機能の開発を担当、半年間突貫工事。デイヴ・ロッサムが開発にかかわったSSMチップとデイヴ・ロッサム が開発した4060型デジタルスキャニング・キーボードとデイヴ・ロッサムからさまざまにあーだこーだアドバイス もらってデイヴ・スミスはProphet-5という機種へとまとめあげた。
材料がそろっていながらデイヴ・ロッサムがリリースしなかったのは、絶対に売れると確信するもそれに見合う大量生産設備を準備できなかったからとも言われる。彼はあくまで影に潜み、影で電子楽器世界を牛耳ってはピースサインする、機動力に富んだ謎のテクノロジカル小僧だったのである。果たして1978年、無名の新参者SEQUENTIALから彗星の如く現れたるProphet-5、世界を震撼せしめたるその武勇伝は、もう読者お歴々の皆さまご存じの通り。
そしてE-MUには尚一層どんどんロイヤリティが入ることとなった。
笑いが止まらない天才デイヴ・ロッサム、相前後してロジャー・リン初号機PCMリズムマシンLM-1のバグ出しとデザインレビューも実施。デジタルを熟知しているがためにサンプリングも楽勝で理解。LINNのリズムマシンは マイケル・ジャクソン『スリラー』をはじめ80'sポップスにてめったやたらとアイコニックに聴かれ、ここでも歴史的名機を支えるデイヴ・ロッサムは影の功労者として快進撃!
1979年いよいよ法人にするというのでコインを投げたところ、負けた共同創業者スコット・ウェッジが社長とな り、勝ったデイヴ・ロッサムは副社長兼チーフエンジニアとなった。
彼が設計にたずさわったSSMチップはその後も多くのシンセに採用され、例えばKORG PolysixがProphet-5と 同じ音がするなどと言われたのもVCFとしてSSMフィルターを搭載していたからにほかならない。単純な音であれ ばそこはかとなく似るので、PolysixはプアマンズProphetなどとも言われる。
無論やぼなサツみたいなこと言ってしまうなら 
・フィルター SSM 2044:Polysix SSM 2040:prophet-5
・オシレーター VCO1基+サブオシ:Polysix VCO2基+ポリモジュレーション:prophet-5
当然ちょっとでも込み入ったことをすれば音は違う。逆にその伝で言うならKORG Mono/Polyも同じSSMの系 譜。いずれにせよSSMは良い音がするICの銘柄であった。
かくのごとくSSMチップもバカ売れし、他社からデジタルスキャニングキーボードのライセンス料をいただき、 影の帝王デイヴ・ロッサムは安定のニコニコ経営。「ボクこそが真の勝者♬」と安泰に思っていた。
事実、E-MUが作っていた商品はたった1機種だけ、E-mu Modularのみ。それも総数100とか150セットとか言 われる。派手派手しい宣伝広告もマーケティングもしなかったから、ただ口コミで広がるのみ。本人たちもそれく らい秘匿されているほうがお気楽だったらしい。それゆえ収入の多くはコンサルやライセンス料だったのである。
ことほど左様にE-MUはメーカーとしてはちっぽけな存在であり、それでいて電子楽器のすべてを支えるインフラ を築き上げてきたという、表舞台ではほとんど知られていなくとも水面下では巨人アトラスが全世界を支えるが如 き影のメーカーだったのである。
それでもなお商売になるというのは、すなわちスポットを浴びて話題となるスーパー人気シンセや「なんちゃらテクノロジー」みたいなセンセーショナルな応用技術だけでなく、地味な基礎技術にも理解が深くてちゃんと対価を支払うアメリカの懐の深さを物語るものであろう。
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「ビジネスモデル破綻」
ところで1980年代に入ると軽薄短小デジタル時代になり、唯一の商品たる重厚長大アナログモジュラー売れず。 さりとてデジタルシンセシスを開発するも、いまいち良い音せず。さすがに唯一の商品の売れ行きが傾くのはゆゆしき問題。ならばアナログシンセをデジタルで制御しよう!と思いついて開発をはじめたのが、幻の名機Audity。
既にProphet-5の開発を経験済み、それは言わばAudityの赤ちゃん版。Audityはその3倍から4倍も大規模かつ 複雑なアーキテクチャーであり、CPUも高度に進化したものを採用。なんせ今までE-mu Modularは、天才がこだ わりまくって凝り倒して作ったわけで。それに取って代わる次世代の看板商品にふさわしく、これまたこだわりま くりの単体アナログシンセとしてAudityを作らんとしていた。して、その莫大な開発費用にはデジタルスキャニン グ・キーボードのロイヤリティを当て込んでいた。
しかしSSMの歩留まりの悪さにSEQUENTIALはProphet-5の設計を全面改訂。すべて音源チップをCURTISの ICへと置き換えた。ほかCURTISのICを採用していたメーカーにはOBERHEIMやROLANDなどがあり、 SEQUENTIALと言えどさすがに音色も以前とはまるで違うものとなった。これがProphet-5 Rev3の誕生である。 そしてそれでもってSEQUENTIALはもはやRev3を別機種とみなし、デジタルスキャニング・キーボードのライセ ンス料を支払停止してしまったのである。
E-MUにしてみれば看板商品の売上に日影がさしてきたところへ、虎の子の収入源が強制終了、そのせいで次の看 板商品も作れない。思わぬ八方塞がりに慌てたデイヴ・ロッサム、対SEQUENTIAL訴訟のことは社長スコット・ウ ェッジに託し、ぱぱっと作れてなおかつ革命的なネタを求めて1980年5月AESショウへ。そこでFAIRLIGHT CMI を見て天才ひらめく。デジタルシンセを作るのは時期尚早だが、デジタルサンプラーを作るのは簡単! CMIみた いな音楽コンピューターでなく単体サンプリングキーボードを作ればいい! なんせ先述の通りロジャー・リンの LM-1も手伝っていたからサンプリングも楽勝理解済。
CMIは1,200万円もしたのだが、サンプラーというよりコンピューター・ベースの統合ワークステーションだった のだから無理もない。このため当然ながらマルチパート音源を搭載し、それゆえボイスごとにCPUからメモリーか らDAコンバーターに至るまで一切合切を装備するも、そんなものデイヴ・ロッサムに言わせれば「ばかじゃねー の、マルチティンバーなんかよりもシンプルにポリフォニックで鳴るサンプリングキーボードのほうが絶対に売れ るに決まってる。冗長性を排し、CPUはZ80を1つだけ、メモリーも1つだけにして全ボイスで共有させたら安価 にできる」
果たしてコストダウン成功。Audity用に開発したディスクOSベースの楽器とする仕様も流用。最初に彼がサンプ リングしたのはエジソンが蓄音機を発明したときの故事にならって自分の妻が歌った「メリーさんのひつじ」(Mary had a little lamb)、しかも途中で1単語だけルー プさせてみたら「Mary had a little, little, little lamb」となってミクロ羊が誕生。その次は妻が居ないときを見計らって開発室の隣にあるトイレでサンプリング、再生してみたら人類最大の膀胱を持った男のような音。
して、その仮称「サンプラー」を開発中、メンバーの一人が「いい機種名を思いついた」ってんで「Emulator」。当時で言うイーミュレーター。今で言うエミュレータ。すなわち模倣者、競合者、ライバル、そんな感じで名付けることに。
かくして史上初のサンプリングキーボード1万ドルにてEmulator、E-MUからついに爆誕! そしてもはやE- MUは影の功労者ではなく、やにわに表舞台に躍り出て売れっ子メーカーとなったのである!
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「インフラからインフラへ飛び移るとき」
初代 Emulator は大ヒット作となった。1981年発売、8ビット/27kHzサンプリング、RAM 128KB、8音ポリ版と4音ポリ版とがあり、ループはできるがエンベロープすらない。
それでもまだYAMAHA DX7が出る前だった当時、一足先にデジタルを標榜したのはサンプラーたちであった。サ ンプラーという名称すら普及せず、サンプリングキーボードとかサンプリングマシンとか言われた。そしてまだデ ジタルシンセが無いままに、デジタルサンプラーとアナログシンセが入り乱��て織りなすのが当時のテクノポップ の特徴。YMOですらデジタルシンセ以前だったのであり、ついぞDX7を使うこともなければMIDIも無い代わりにで かいアナログモジュラーをライブに使っているイメージまで演出していた古典芸能なわけですよ。
しかもサンプラーは「模倣する楽器」という、それまでに存在しえなかった異次元楽器、ミュータントであっ た。それゆえ、著作権を侵害しているのか否かというぎりぎりきわきわの議論やモロどんぴしゃな裁判すらをも踏 み越え、あらゆる森羅万象サウンドをもとの文脈から切り離しあらたな文脈の中にコラージュするという、脱構築 と再構築のための社会学的記号学的なツールという意味合いすら帯び、コピーとオリジナルへの哲学的考察すらはらむ、ソシュールも天を仰ぐが如きスリリングな知的玩具としてポップカルチャーはもちろんシリアスなアカデミ ズムにおいても話題となり、あまたの論文に登場した。
サンプルライブラリー市場もまた人類が初めて経験するマーケット。今で言うコンテンツビジネスの誕生である。ただ、本当に電子楽器業界へコンテンツビジネスが広範囲に到来するのは、これもまた民生機レベルで実現し たDX7の出現まで待たねばならない。そして評判だったEmulator用サンプルライブラリーのみならず、DX7用の坂本龍一ROMや向谷実ROM、生福ROMといったシグネチャーパッチに夢中になった人たちは、言ってみれば今日の Spliceユーザーの先駆者みたいなもの。
すなわち音色を作るセンスから選ぶセンスへと時代は変わったわけで、どっちも個性を出す創造性であるに違い はなく、プロがキュレートしたネタを目利きなアーティストが選ぶことで作品となす点ではAIが提案するものを選択する未来人類の先駆けなのであろう。
長らく土木工事屋さんの如くインフラを作り続けてきたE-MU。それを支えた次なるインフラこそが、これら良質 なサンプルライブラリーによる多種多様な未来コンテンツビジネスなのであった。コンテンツが楽器の次世代イン フラとなり、コンテンツが経営を支えることを、デイヴ・ロッサムは発見したのである。
しかし同時にデイヴ・ロッサムは自分たちがもはや小さなやんちゃ坊主ではなくなったことを思い知る。かつて 工科大の寮の部屋がE-MUだった時代以来、カウンターカルチャーによってドライブされ遊撃活動を繰り広げる愉快 なパルチザンみたいなもののはずが、いつのまにやら成功して大きな企業となり、ついには弁護士まで雇って SEQUENTIALとロイヤリティめぐって争う。
何よりも世の中が進化し、作るものも難解になった。Emulatorは、画期的なサンプリングデバイスでありさえす ればよかった。Emulator IIは、画期的なサンプリング楽器でなければならなかった。それゆえ Emulator II の開発は難航し、先にEmulatorが生産完了になってしまったあともEmulator IIは難産で発売できず、売れるものを失った E-MUは従業員をレイオフせねばならず、会社は今までの天真爛漫さを失うことになった。
音源モジュール版も無かった。MIDI以前からの古い設計思想がアダになり、あくまで楽器を作ることが開発の前 提になっていた。デイヴ・ロッサムにとって音源モジュールは楽器ではない。E-mu Modularと言えどデジタルスキャニング・キーボードを添えて楽器としていたE-MU。よってEmulator IIから鍵盤を省いても、大してコストダ ウンできない。音源モジュールを作るためには別途それに合わせた回路なりを設計しなければならない。そこまで 開発にコストをかけてまでしてモジュール版が売れるという自信もない。痛快だったはずのE-MU、だがいつのまに やら大人になっていたのだ。
悪戦苦闘の末ようやく1984年に生まれたEmulator IIは再びのE-MUヒット商品となり、もはや「イーミュレー ター」の名はサンプラーの代名詞にすらなった。特徴的なその音はFAIRLIGHTとともにひとたび分かればそこらじ ゅうで聴けてびっくりする。エンベロープはもちろん、マルチサンプリングというアイディアもこのときに初めて考案され、E-MUはサンプラーの標準機どころかメルセデスみたいに業界に君臨することとなった。だいたいマルチサンプリングなんて今では当たり前過ぎて誰も問わないけど、当たり前のものが無かったところから思いついたなんて、やっぱゼロから1を生み出す、独創性あふれる天才ですね。
さらにE-MUから出たのはPCMリズムマシンDrumulator。翌年その後継機種としてサンプリング機能も追加し たSP-12、そして3年後サンプリングメモリーを拡大したSP-1200は、AKAI PROFESSIONAL MPC60に先立ち 新しいジャンルたるヒップホップを切り拓いたレジェンドとなった。短かったサンプリングタイムを稼ぐべくヒッ プホッププロデューサーたちが33回転バイナルを45回転にして再生、それをサンプリング後にピッチを下げることで元の音程と長さに戻すと音質が荒れるのだが、それがかえってローファイな味となったことはあまりにも有名。 そのダーティなサウンドがグルーブ界の記号となったため、あとからMPC が出たときなぞ音質が良すぎて線が細い というのでわざわざ汚して太くするテクが流行したこともまた有名。
だが翌1985年、同じアメリカのENSONIQから出たるは、価格破壊サンプラーMirage。1万ドルもした Emulatorに比べ、たった1,600ドルでMirageはローンチ。61鍵版のほかに音源モジュール版まである。しかも価格破壊のみならず凶悪なまでにひどい音質こそ驚愕であったが、それでもミュージシャンにとっては全く問題なかった。ここまで音が変わってしまうと元がなんだったのかわからんとか、もはやこれは音を加工するシンセであるなどとギャグ・ネタにされようが、もろともせずにパンキッシュに売れまくるMirage。こだわりのE-MUは、だがそれゆえオーバークオリティだったのであり、どん底スペックのはずが軽快に営業成績かっとばして赤丸急上昇する番 狂わせチャレンジャーENSONIQは、だがそれゆえ正統派のAKAI PROFESSIONALなんかよりもずっと深くE-MU にとって考えさせられる商売敵となった。自由な発想が売りのアメリカ人のライバルは、同じく自由なアメリカ人であった。
影の功労者から一転、表舞台に立つ大手電子楽器メーカーとなったE-MU、その看板商品を育て守る戦いがここに 始まる。
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「私が愛したノンリアルタイム演算、皆が愛したEmax」
ダークホースとして姿を現した中型高速打撃空母ENSONIQ Mirage。これを迎撃し、最初から音源モジュールも考えて対決する。その回答として出したのがE-MU初の「廉価版」サンプラーEmax(イーマックス)。お値段は2,995ドルということはDX7 とかと同じ感覚、メルセデスのA Class みたいなもん? 1つしか売るものが無かったガリバー商品依存型モノカ ルチャーとも言うのであろうかE-MUにとって、2つめの柱となった名機シリーズの始まりである。
Emaxを設計するにあたり、かつてのSSMチップ開発の経験をもとにデイヴ・ロッサムは初めて独自チップを開 発。結果できあがったE-ChipはデジタルオシレーターにProphet-5のSSMのフィルターとアンプとを加えて全部ひ とまとめにしたようなものであった。またストレージをEmulator IIの5インチ・フロッピーディスクからEmaxでは 3.5インチへと変えるにあたり、Emulator IIを開発しているときに編み出していた12ビットデータを8ビットにまで 圧縮保存するメソッドを移植。3.5インチ・フロッピー720KBの中に鬼のようにサンプルを保存できるようになっ た。
ポップなカラーリングとテンキーすらもが斜めってるおちゃめな外観はMax Yoshimotoなるデザイナーの手にな るもの。もちろん音源モジュール版も最初からあり、しかもそいつまで同じデザイン、テンキーも斜めの音源モジ ュールなんてEmaxくらいなもの♬
E-MU 謹製ライブラリーに支えられた「廉価版」ともなるとやはり魅力。圧縮保存して多少音がローファイに荒 れようが、アナログのVCF/VCAの効き具合はやはりSSMゆずりっぽさもあって独特なキャラが楽しい。宣伝で「2 音色レイヤーしても発音数が減りません!」とかって魔法みたいに言ってたがなんのことはない、1ボイスあたり オシレーターが2基あるだけのこと(笑)。そして前編冒頭にかかげたみょーな説明がついているBird Runという 機能。文字通り LCD の中をエミューが走り回るだけなのだが、実は自己診断機能であった。
Emaxには後追いでEmax SEという機能追加版があった。SEとはSynthesis Enhanced、フロッピーでバージョ ンアップ。これには24サイン波倍音加算合成による24ステップ・ウェーブテーブル自作機能ことSpectrum Synthesisと、もう一つTransform Multiplication Synthesis、とらんすふぉーむまるちぷりけいしょんしんせし す、あまりにも名前が難解すぎてアメリカ人ですら噛み噛み、こっちから発音してさしあげたら早口で復唱してき たのちに「thank you」と言われてしまう壮絶なシンセ���ス機能が追加搭載された。後者は恐らく2つのサンプル をフーリエ解析し、共通の周波数を持った倍音を抽出し、それらの振幅を乗算させたのちリシンセシスしているも のと思われる。結果例えばバイオリンが言葉をしゃべったりするが、多くの場合予測不可能。強烈な金属倍音が激 しく流出したりして、たいへんな結果に陥ることも多い。
しかも演算がノンリアルタイムであるばかりか、しばしば演算に半時間以上もかかる! 最大40分くらいかかるらしい。なんでもスパコンに相当する演算を32ビットCPUと8ビットコプロとちーちゃなメモリーでやりくりしな がら実行しているかららしいが、とにかく「Synthesize!」とノーテンキなメッセージに促されるままに実行キー を押すやいなや「○○分お待ちください」などとLCDに出てきた日には失神しそうになる。既になりふりかまわず Emax SEは演算に没頭。どえらい波形レンダリングをしている間なんぴとたりとも止められない。英文取説では 「ま、ちょっと休憩でもどう��」なんてぐあいに開き直っている! おまけに最低 32KBのRAM領域が必要とか で、これを割り込むと「足りん! サンプル減らせ!」と怒られる。キロバイトでも貴重なリソース。
これら強力シンセシスを駆使して作成した音は、サンプル同様2基のオシレーターにアサインすることでレイヤ ーできる。サンプルとのレイヤーも可能。そしてこれらは実は現場のエンジニアが仕事の合間に自主的にちゃちゃ っと開発したスカンクワークであった。だから結局おちゃめで楽しい!
EmaxにはSE版のほかに40MBのハードディスクを搭載したEmax HDなどがあり、当時のデペッシュ・モードが メンバーのうち3人がおのおのEmax HDのみ1台ずつをセッティングして弾き、さらにカスタムメイドのパーカッ ションパッドでEmax HDを鳴らし、あとは何にも無いという、いかに80'sテクノにふさわしくすっきりシンプルで ハイテクなステージを披露。ライブ映像作品『101』で勇姿が拝める。
天才デイヴ・ロッサムにとってはどうもEmaxは物足りないらしいのだが、それでもこの価格帯はEmax II、ESI- 32、ESI-4000、ESI-2000、E64、E6400というふうにずーっと引き継がれて最後まで新製品が投入されること となった。
このうちEmax IIは、実は中身ほとんど三IIIことEIIIことEmulator IIIなのだが、Emaxのハコに入ってしまったが ために過小評価されてしまったちょっとかわいそうな機種でもあった。にもかかわらずEmax初代と2代目とで合わ せて9年間も売れ続けたというのは電子楽器の世界ではロングセラー。思い出深く振り返るユーザーも実は全地球的に多い。またESI-32からは2U音源モジュールのみとなり、時代にもマッチしたばかりでなく2Uは運びやすいサ イズでもあったので合理的であった。3Uって重くてでかくて現場へ運ぶのつらいよね。4U以上はもう無理。
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「黄金時代」
この後、1990年代にかけてE-MUは数世代にわたり独自チップを開発、それらをもとに数々の名機を送り出す。 今なおアナログフィルターが懐古的人気を呼ぶEIII(Emulator III)、それをデジタル化した新世代EIIIXP、最後の 巨星EIV(Emulator IV)に至るまで、E-MUはAKAI PROFESSIONALと双璧をなす大規模ハードウェアサンプラ ーの名門となった。そのあとはソフトウェアサンプラーEmulator Xを出すことで、当時台頭していたNEMESYS Giga Samplerの好敵手にもなっている。
またコンテンツビジネスを応用、潤沢なサウンドライブラリーからエッセンスを凝縮させた比較的に安価かつコ ンパクトな1Uラックサイズ廉価版シンセ音源モジュールをたくさん出した。具体的にはProteusシリーズ、 VintageKeyシリーズ、Morpheusなる変態フィルター搭載シンセ音源モジュール、OrbitやMo’Phattなどとい ったジャンル別シリーズなどなど。これが同じPCMシンセかと思うくらい太くて明るい舶来サウンドに魅了された 日本のユーザーも多い。さらにはそれらをベースにしたグルーブボックスのXL-7、MP-7、PK-7なるコマンドステ ーション・シリーズもあり、E-MUはかつてなく多くの機種かつ多彩なラインナップを売り出す人気楽器メーカーと なった。これらはすべて、名だたるE-MUサウンドが欲しい少年少女たちへの福音だった��であり、みなぎるコンテ ンツパワーに立脚した1990年代こだわりのステータスシンボルたちでもあった。やはり、楽器は音である。
EIVはE-MU最後の名機かつ集大成と言ってよく、1990年代から2000年代にかけてAKAI PROFESSIONALへの オルタナとしてプロの定番であった。シリーズ大半が3Uラック・モジュール。128音ポリ。後から76鍵のキーボー ド版も出たなんて覚えてる? 鍵盤のそばにさりげなく“EMULATOR”って書いてあったよね? EOS(Emulator OS)なる独自OSで駆動されアイコンを多用したユーザーインターフェースは、もはやサンプリング専用コンピュ ーターのよう。前述のMorpheusでお披露目された変態フィルターことZ-Planeフィルターも搭載。これはZ平面 の名の通りスペアナ上で3次元的に周波数特性が変化する多彩なデジタルフィルターであり、これを知ってしまう と普通のLPF/BPF/BRF/HPFといったものが凡庸に思えて仕方がない。
最後の大物にふさわしくEIVには派生機種もあり、プリセット音色を充実させたE-Synthや、もはや外観だけが同 じで中身は派生とは言えないハードディスクレコーダーDarwinなどある。また前述のE64、そしてE6400は同時発 音数を半分の64音にとどめた廉価版であった。
そして時はAKAI PROFESSIOANL S6000やYAMAHA A5000といった末期的な巨大恐竜のように肥大化したハ ードウェア・サンプラーのファイナルステージでもあった。そして時代の要請により、それらはすべて音源モジュ ールであった。それら最終進化型サンプラーの世において、その最後に登場した哺乳類型爬虫類の如きミュータン トが新時代の朝を告げる6音ポリ・マシンROLAND VP-9000でありVarPhrase技術だったとも言えよう。
ラインナップの大半が音源モジュールという珍しい楽器メーカーE-MU。豊かなコンテンツパワーの果実たち。そ れでもデイヴ・ロッサムは「楽器」を作りたいという思いからキーボードへの夢が忘れられず、かつて SEQUENTIAL Prophet-T8などの鍵盤も製造したPRATT READから鍵盤製造マシンを手に入れたり、今ではスマ ホやタブレットに使われている静電容量センサーをキーボードに応用し、厳密にベロシティや鍵盤の沈み込み位置 を計測しつつも安い価格で鍵盤楽器を商品化できないか追究。しかし極上のキータッチを備えた絶品かつ安価なキ ーボード・コントローラーという彼の夢は、1990年代のうちに消えたのであった。
そして八面六臂の活躍をした彼の会社もまた SoundBlasterを作ったシンガポールのCREATIVEに吸収され、E- MUの名は今はなぜかヘッドフォン2機種に付与されているのみ。だが実は買収後のデイヴ・ロッサムはCREATIVE 自身の機種開発に忙殺されていたらしい。そしてその後、彼は表舞台から姿を消した。
MIDIは電子楽器を役割別に要素分解し、おのおのの目的に特化したコンポーネントへと分化せしめた。結果、キ ーボードやドラムパッドのようなコントローラーも出れば、音源モジュールも誕生。そしてEIVのような音源モジュ ールは、DAWプラグインとなってパソコンに吸収される時が来た。
それでもなお楽器が生き残るためには、精緻なDAWとは違う道を、つまりソフトウェアに最適なハードウェアを身にまとう道を、フィジカルな躍動感と人間の出番の多さとを楽器に求めることになった。AKAI PROFESSIONAL MPCはそうやって成功を積み重ねた今日的なサンプラーであり、ENSONIQ ASR-Xはあまりにも惜しい対抗馬、 BOSS SP-202 Dr. Sampleはうまく下をくぐって庶民の味方SP-404シリーズに至る血統の開祖となる。
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「総括と旅立ち」
E-MUとは、なんだったのであろう。
世界の創造神MOOGとARP。 それら創造神を倒した英雄OBERHEIMとSEQUENTIAL。
ポリシンセの盟主であるとともにネットワークの先駆者だったOBERHEIMとSEQUENTIAL。パラレルかシリア ルかの違いこそあれ、この2社は楽器をネットワークでつなげたのであり、そのノードにわくわくするポリシンセ の名機たちを置いた。
そのポリシンセを支える技術インフラを構築したE-MU。OBERHEIMとSEQUENTIALが安価な日本勢とのハー ドウェア競争に破れて倒産したときも、E-MUだけはコンテンツパワーでもって生き延びたのであった。ハードウェ アによるインフラからソフトウェアによるインフラへと時代に合わせて飛び移ったアタマの柔らかい天才E-MU。か くしてE-MUは価格競争に巻き込まれること無く、高いプロファイルでもって付加価値をつけ長く電子楽器業界のプ ロフェッショナルとして君臨。してその最後は日本勢に敗北するのではなく、コンピューターという究極のコンテンツ端末によって静かに吸収されることとなった。楽器であることにこだわったデイヴ・ロッサムの姿がステージから消えたとき、それは楽器の難しさを示すものとなった。
すっかりDAW時代になった2016年、���如としてデイヴ・ロッサムはE-MUとは違うところからカムバック宣言。 ROSSUM ELECTRO-MUSICを名乗り、以来、今日に至るまで強烈にヲタな仕様のユーロラックモジュールをたくさん送り出している。
やり過ぎ感たまらん3次元Z-Plane FilterモジュールことMorpheusは、前述のEIVなどに搭載されたものをさら にやり過ぎにした満腹フィルター。やり過ぎ感たまらん8chサンプラーモジュールAssimili8or。複雑怪奇なCVジ ェネレーターControl Forgeなどなど、もはや鬼才とも言えるデジタルモジュールたちが綺羅星のごとく舞い踊る はさすがデイヴ・ロッサム。
一方で自身が発明した最愛まろやかアナログフィルターことE-mu Modularから2100 LPF Module、それを元に 開発したラダー型VCFモジュールEvolution、0.1Hz~25kHzまで安定したレゾナンスが得られるのだというこれも また鬼っぷり。これらはさしずめ21世紀版E-mu Modularとも言うべきものであろう。
同社からはサンプリング・リズムマシンの名機SP-1200もリバイバル、なんとプレミアム価格4,000ドルにて再 登場。さらに2020年からはSP-1200 35th Anniversary Renovationとして驚天動地7,500ドルで販売中。
どうがんばっても75万円以上するサンプリング・リズムマシンをポチりたい勇者は、こちら。
https://shop.rossum-electro.com/products/sp-1200-35th-anniversary-renovation
そして実は新生SEQUENTIALのサンプリングシンセProphet-Xにも、デイヴ・ロッサムが設計したVCFが搭載 される。かつてVCFの銘機とうたわれKORG Polysix に採用された SSM 2044、その復刻改良版SSI 2144。どち らのIC開発にも噛んでいるはここにもやはりデイヴ・ロッサム。二人のデイヴの合作Prophet Xでは、そのSSI 2144でサンプルを加工できるので試していただきたい。同じフィルターICはUDO Super-6にも搭載され、やはり天才デイヴ・ロッサムは再びの影の功労者として、影に潜み、影で暗躍する謎のテクノロジカル小僧に戻った部分 もあるのかもしれない。
デイヴ・ロッサムには電子楽器の基礎技術開発に軸足を置いた前半と、コンテンツでもってビジネスをけん引するモデルとなった後半とがあった。そして両者に共通するのはインフラへの理解。 昨今、とかくコスト重視、大学ですら経済効率、科学誌『Nature』ですらセンセーショナルな話題性を求められすぎて、功に焦ってしまったのがちょっと前にあったほにゃらら細胞事件の深層。それくらいちょっち前の話だけどオバマも言ってたよね、 「不景気な今だからこそ将来への先行投資として、応用研究ではなく基礎研究への予算を倍増する」 って。何でもかんでも分かりやすくてセンセーショナルな話題ばっか探し求めない、地道な基礎技術への理解、さすがです。山というものは裾野が広いからこそ高く成長できるわけで、厚い基礎技術の底力、これ大事。
そしてその影の革命家として天才遊撃隊長デイヴ・ロッサムが夢想するもの。それはツウな逸品やツウなテクノ ロジーを音の宇宙に送り出すこと、電子楽器のツウなる仕出し屋さんとなることなのか。 次回はその彼をして驚かしめたもう一つのメーカー、そう、E-MUとくりゃもう一つのEについても語らないとね。
(2022年8月1日Sound&Recording公式サイト初出)
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