Tumgik
#日比谷喫茶店
kaoriof · 8 days
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実験するみたいに目をぎゅうと細めてコンタクトの洗浄液をケースに流し込む。とびきり良い映画を観たあとは、なんかこう、ぜんぶ立体に聴こえて、ぜんぶ鮮明にみえる。あまりに見えすぎている、という感じ。
夜に落ち合う予定だった男の子に「家の鍵、ポストに入ってるから勝手に入ってて」とだけ伝えて、新宿から日比谷までレイトショーを観に1時間半かけて歩く。気まぐれに入った喫茶店があまりにタバコ臭かった。「あのヘッドフォンの人かっこいいね」と言う友達に、「そう?カッコつけすぎじゃない?」と答える。そこからずっと歩いて、赤信号で立ち止まって、たまに思い切り走って笑ったりした。夜に蝶々ってそういえば見たことがないなとか思いながら、脳みそのずっと奥のほうではあなたのことばかり考えていた。疲れてしまった。自分を良いように魅せるとか、価値があるように振る舞うとか。己が太陽のようにまっさらで溌剌としているように感じられる日もあれば、ただただ静かに降り注ぐ小雨に涙が出るほど心の糸が張り詰めている日もあるし、ほんとうに疲れた。もう多分彼からの連絡は来ないけど、別にそれでいい。「何も無い花こそ本当、花だけ本当」「嘘じゃないから」という歌詞について考える。生きているだけで汚れるというのは本当かもしれない。ぜんぶ疲れたから草むらに裸で寝転んで、湿気った土に頬をぴたりとくっつけたい。パスタを素手で不細工に食べたいし、名前も知らない誰かとキスをして、産まれたての赤ん坊のように泣き出したい。もう誰もわたしの何も知らなくて良いとさえ思う。わたしは家族と友達がだいすきで、雨上がりの匂いや木の葉の揺れに感動できる感性を大切にしていて、この世界をとびきり愛している(そして世界もまた愛を返してくれる)そこらへんのただの女の子だということ。(22歳はもう女の子じゃないかもしれないけれど“おんなのこ”という響きがすき)どんなに急いでいてもコンビニのレジではバーコード面を表にして商品を差し出すし、エレベーターではみんなが降りるまで開閉ボタンを押す。荷物を抱えながら階段を登る人に手伝いましょうかと声をかけようか悩んで、通り過ぎて、でもまた戻って頑張って声をかける。一度も会ったことがない人でもそれが大切な人の友人で病に伏しているのだとしたら一番美しい花を買って見舞いにいく。自分の内側にいる幼くてあどけない、やさしいわたしがいつだってその手を握り返してくれる。100年後には何もかも閉じてしまう物語だから、せめて今だけはわがままでいたい。でも傲慢なのはいやだ。全部欲しい。一つ残らず見たい。叶うなら恐竜がどんな姿見で空を飛ぶのかみたかった。光を反射する鱗肌と、重たいその足音が大地に響き渡るのを聞きたかった。お母さんがまだわたしと同い年だった頃、彼女と会って話をしてみたかった。100の異なる人生を同時進行で生きてみたい。豪雨の中でワルツを踊りたい。自分の子どもを産みたい。ずっと一緒にいたいと思えるような人と出逢いたいし、ほんとはその運命を最後まで守り切れるほど成熟した女性でありたかった。
0時を少し過ぎて映画が終わると、終電が近いのか、エンドロールを見届けないまま人がぞろぞろ帰っていった。スクリーンライトに照らされて、綿毛みたいに細い埃が頭上で舞っているのを目で追う。降り注ぐ奇跡と、約束された明日。また「花だけ本当」という歌詞について考える。わたしも花の香りの名前を名付けてもらったのに、「本当」を生きてはゆけない哀しさ。(わたし、ほんとうはこんな性格じゃないのにな)と思う行動ばかりとってしまって、いつも後悔している気がする。でももういい、全部。どうでもいい。人がいなくなって不気味な白さを放つ駅で、なぜか笑みが、走り出した足が止まらなかった。「それ、罪滅ぼし?」 「お前みたいなやつの書いた作品が世に出回るなんて害でしかないから」 映画の台詞がしゃぼん玉みたいに脳裏を過っては消える。月9のドラマの主題歌を聴く。これはだれの人生?大好きな音楽を聴くと、いろいろな景色を想像する。割れるガラス、草原、海、笑い声、蝶々、風、カーテン、白、眩しい光、流れ星、男の子、裸足。やっぱり幸せかも、と思った。はやく戦争が終わりますように。もっと書きたいけどここまで。明日は図書館へ行こう。
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lumi-kissa · 5 months
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🗼1日目🗼
渋谷でハチ公を見る
ライトワークス五反田本店へ行く
目黒川の桜を見る
恵比寿の英国雑貨店へ行く
赤坂のホテルにチェックイン
新橋演舞場で祭GALAを鑑賞
築地場外市場で海鮮丼を食べる
夜の銀座を見る
東京タワーを見る
六本木から赤坂まで徒歩で戻る
🗼2日目🗼
六本木の喫茶室ルノアールでモーニングを食べる
☆甥っ子と合流
吉祥寺の英国雑貨店へ行く
新大久保でサムギョプサルを食べる
☆姪っ子も合流
神社参拝
浅草タロット美術館に行く
𓂃✍︎
と、事前にしたいことがこんなにあったんだけど、全部できました🤗
さらに、目黒の隠れ家みたいなカフェでランチしたり、築地本願寺を見学したり、ロンドンと吉祥寺にしかないお店で美味しいクッキーを買ったり、予定外のこともできました。
バスやタクシーにも乗ったんだけど、ICOCAと地下鉄乗り放題カードが本当に本当に本っ当〜に役に立った。
東京の鉄道網はすさまじい。
事前に調べてくれた姉のお陰で、迷ったり間違えたりすることなく行きたい所に行けました。あんなに複雑なのに路線図や駅構内の表示がすごくわかりやすいです。
こんなに歩くのが遅くてどんくさい私でも一度も人とぶつからず、誰からもイライラした態度を取られることもなく、大都会の人々のスマートさに感心と感謝の気持ち。人混みですれ違った半分くらいは外国の人のように感じた。
地下7階、という未知の深さに到達したことも忘れられない思い出です。まるでアリの巣🐜
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tokyomariegold · 2 months
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2024/2/11〜
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2月11日 いま写真も日記もインターネットも心底楽しくないかもしれない!と気が付いた日だった。 お部屋を掃除して出かけて、電車で隣の人からひどい匂いがしていて丸の内で一旦降りて、セルヴォーグの限定リップはここでも売り切れで、恵比寿で友人を20分も待たせて合流して、恵比寿映像祭の展示を観て、お茶をして、帰っていている。
友人と別れた先で乗ったエスカレーターでイヤホンを落としてしまい悲鳴を上げながらもう捨てたい気持ちで、とりあえず拾い上げてどうしようかな、と思っている。 まだ歩き足りない気持ちもあり、途中日比谷で降りて少し歩いて帰ろうかとも思っている。 ほんとうはへとへとで、もう何が汚くて何が清潔で、1日何歩歩けば健康なのかなんてどうでも良いはずなのに、いろんなことにがんじがらめになっている。
心が貧しい。
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2月12日 毎日撮り続けられるものがなにか見つかればいいな、と思った。それかポジティブに撮りに出かけられるものが見つかると良いな、と思いながら今日は何もなかった。 朝2本ヨガを受けてとてもスッキリしたけれど、さすがにへとへとで半分眠りながら蔵前まで出かけた。行ってみたかったコーヒーとチョコレートのお店、蕪木へ行くことができた! 外からはお店だと思えない佇まいで、一人か二人席しかない喫茶スペースは、二人席は満席とのこと。おしゃべりもあまり好ましくない感じらしく、とても二階が喫茶スペースとは思えないほど、一階の店舗は静かで人気がなかった。 でも入れ替わり立ち替わり人の出入りはあり、やはり人気店なのかも。 ピーナッツのチョコレートは売り切れだったし、ショコラサブレも私が最後の一つを買ったようだった。 チョコレートとショコラサブレを買って、でも自分では(おいしく)食べられないので、自邸が完成した職場の方へ新居祝いに渡そうかな、と思っている。 そのあとはもう一軒、行ってみたかったチェコの雑貨屋さんへ。チェコのイメージはあまりなかったけれどらみたことのあるもぐらのキャラクターグッズがあった。 ボタンやアクセサリーや食器が、派手な色だけれど品があるさわいさで、見ていて楽しい。2階のチェコの本コーナー(読めない)もみているだけで楽しかった。 そのまま遠巻きにダンデライオンチョコレートの行列を眺めて、シノノメのパン屋さんの行列に出会い、今日も知らないものを見つけた蔵前散歩だった。 早い時間に帰宅して、部屋中の掃除をして、レンジでカレーを作った。スーパーの見切り品コーナーで見つけた甘ししとうを入れてみた。
来週はosajiとミナペルホネンのコラボ商品を見に行けたら良いな。
このところ掃除や消毒に気を取られ過ぎて、よくないことを起こしてしまいがち。 体調を悪くしたり、昨日は帰宅時に玄関で消毒をしたさ過ぎて、ドアの外側の鍵穴に鍵を刺したままだった。 死なないように気をつけたい…。
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.9.18mon_tokyo
牧野容也「City」リリースツアーの真っ最中。東京、名古屋、甲府、神戸と廻って、今日は神戸から最終地点の岡山へと車で向かう1日。
車移動のツアーの醍醐味は、土地土地の隠れた名店に寄り道出来ること。大抵の場合、各バンドに1人は優れた飲食店を見つけるレーダーを備えたヤツがいるもので…我ら牧野バンドは、前日の昼食で〈世界一カッコいいカツ丼セットを出す蕎麦屋〉を引き当てた、あだちレーダーぶ郎ことあだち麗三郎に今日のお店選びを託すことにした。
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メンバーからの「洋食」というリクエストもあり、兵庫県は相生駅そばの洋食店〈ファミリーキッチン スピカ〉にチェック・イン。あだちレーダー、本日はいかに。
店内は広く、ファミリーレストランのような開放的な雰囲気。私はランチAセット(有頭えびフライ&デミグラスハンバーグ)に、迷わずオプションの自家製牛すじカレールーをチョイス。もちろんライスは大盛りだ。
BGMは意外にもBTSやジョン・バティステなどイケイケで、曲のテンポが上がるにつれて空腹感と期待感も高まっていく。さて、お味はいかに。
料理が到着してまず驚かされるのは、その立体感。どっしりとしたハンバーグの横にそびえ立つのは、エビフライ。ふんだんに添えられたタルタルソースが嬉しい。それぞれの料理を下支えする千切りキャベツと、ナポリタンスパゲティの献身も見逃せない。大盛りライスはなんと一合分とのことで、その豪快なフォルムに思わず笑ってしまった。
まずはハンバーグ。近年チェーン店を中心によく見られるお肉ゴロゴロタイプではなく、挽き肉がギッシリ詰まった昔ながらのハンバーグ。赤みの強い(おそらくトマトベースの)デミグラスソースとの相性も抜群で、ライスがみるみる進んでいく。
エビフライは贅沢に頭付き20センチをゆうに超えるしっかりとした身、厚めの衣のおかげもあって食べ応えバッチリ。命を頂いてることを実感出来る味だ。
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メンバー一同が感動していたのは、オプションの自家製牛すじカレー。牛すじのコクと旨みが充分に染み渡ったドロっとしたルー、辛味と酸味のバランスが絶妙で、スプーンが止まらない。ライス大盛りをオーダーした自分を褒めてあげたい。もちろん完食。食後は喫茶店然としたアイスコーヒーで〆。ごちそうさまでした。
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岡山のライブは、手違いでピアノがないことが到着してから判明。急遽小さいシンセと、鍵盤ハーモニカだけで演奏することに。シンセポップと化した「ゆれる」や新曲の「雷」など、ツアー最終日にして新しいアレンジが生まれ、スリリングかつ燃えるライブとなりました。
こういうトラブルが起こっても動じないのが牧野バンドの強み。そういえば昨日、カナミネケイタロウは会場にぶら下がってたベースを本番で使っていたし、演奏も含めて有機的に変化していくところがこのバンドを楽しめるひとつの理由なのだ。
ツアーを通して鍵盤ハーモニカを使うのは自分にとっても初めてのことだったけど、改めて良い楽器だな、と。そもそもピアノやキーボードは、弦楽器や管楽器、打楽器と比べて、手元で音が鳴っている実感を得にくい楽器。ピアノはハンマーを使って弦を叩くから、どうして���弾いてから音が出るまでにわずかなタイムラグがあるし、キーボードはそもそもPA機器やアンプを通さないと音が鳴らない。その点鍵盤ハーモニカは自分の吹く息と音が直結しているから、音量やニュアンスのコントロールが出しやすい。若い頃は「どうして大人がわざわざ鍵盤ハーモニカを使うの?」と思っていたけれど、なるほどどうして。次の牧野容也バンドのライブは「なるべく電気を使わない」ライブとのことで、より一層鍵盤ハーモニカが活躍しそうだ。
終演後は会場近くの居酒屋〈みつの〉で一杯。あだちレーダーぶ郎のオーダーしたがんもどきが逸品で、思わずあだち君とアイコンタクト。あだち君とはもう10年の付き合いになるので、わざわざベラベラ喋らなくても目と目で通じ合う関係になりつつあることを実感してしまった。
岡山の青木さんの勧めもあり、明日の朝食は「給食のソフト麺をレベル99にした」(青木さん談)うどん店〈名玄〉に決定。バンドマンはみんなこのような食の情報を求めています。ファンレターに添えてお送りください。
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1日の締めくくりは、今年2月に六角精児バンドで岡山に来た際に六角さん連れて行ってもらった〈中華そば山冨士〉を再訪。少し甘めのスープと麺の絡み、ごろっとしたチャーシューとしなしなとメンマがたまらない。どのタイミングで食べるかがイマイチ不明なオプションのいなり寿司も含め、大変美味しゅうございました。
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宿に戻ってUNOでもしようと思ったら、みんなそそくさと就寝。次のツアーはトランプにしよう。明日は帰路です。それぞれの住処へ帰ります。あだち君は1週間ほど広島、四国、九州などを周って整体とライブをするらしい。見かけたら応援してあげてくださいね。それでは、おやすみなさい。明日もよく食べよく遊び、最高の帰路にしようぜ!
-プロフィール- 谷口雄 37 東京近郊 鍵盤楽器奏者/プロデュース/執筆 東京生まれ。森は生きているのメンバーとして2013年にCDデビュー。 2015年の解散後は、様々なミュージシャンのライブ/レコーディングに参加。2016年からはレコード&トークイベント「ミッドナイト・ランブル・ショー」を神保町試聴室で毎月開催。
https://instagram.com/yutanigu_ch https://x.com/yutanigu_ch https://note.com/mnrambleshow
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shredderwastesnow · 1 year
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クィアたちのZINE交換【後編】
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前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」という呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめていたかもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ヨガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、京都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手なわたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティについて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではないかと思う。
■アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛されるサトシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開によって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バトルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため、表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーションになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」。 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後��のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理をしなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間が楽しいと思う私は間違ってるのかな?」といったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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parkhabiomaster · 1 year
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ザ・パークハビオ
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江戸川区の最大の特徴は、区民の平均年齢が41.4歳と23区の中で最も若いことです。 これは、特に子どもの数が数字に反映されるためで、平成24年1月1日時点の東京都の市区町村別年齢別人口統計によると、0歳~14歳の人口比率は約17%を占めています。 私はここにいます。 国勢調査のデータによると、28.3%が既婚子持ち世帯、19.0%が4人以上の世帯、3.35%が3人世帯で、いずれも23区の中で最も高い。 合計特殊出生率は 1.45 で、23 区平均の 1.16 を大きく上回っています。 江戸川区といえば、東京東部臨海部の繁華街を代表する区の一つですが、太平洋戦争では大型台風の直撃や家屋倒壊など大きな被害を受けました。 . 海抜が低い地域と揶揄され、津波や洪水の危険性が高いことが懸念されています。ザ・パークハビオ
臨海部の住宅開発により、子育てしやすい区として多くの若者の流入に成功しています。 ディズニーランドに行きやすいところも、子育てファミリーの魅力の一つかもしれません。 支援制度は子育て世帯だけでなく、中高年向けの「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなども充実。 区内のスポーツセンターも温水プールなど設備が充実しています。 やはり海抜の高い地域が多く、自然災害のリスクが高いからです。 しかし、家賃が安いので外国人も多く住んでおり、国際色豊かな街です。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園は緑豊かで砂浜もあり、日本の渚百選にも選ばれています。 動物園併設の公園もあり、区内の公園面積は756haと23区の中で最大です。 水族館では魚も見ることができます。 区内を流れる江戸川や那珂川でも自由に遊べます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜、2013年には新川千本桜が完成し、多くの市民に人気の花見スポットとなっています。 江戸川区は若者の流入が活発ですが、江戸時代から庶民の街として栄えた長い歴史を持つエリアです。 江戸川区には伝統工芸品や特産品もあります。
江戸切子は東京都の伝統工芸品の一つで、主に江東区、江戸川区、墨田区などで作られています。 ガラスの表面に金の板や砥石を使って様々な模様を刻む技法です。 18世紀初頭頃から鏡、眼鏡、風鈴などの製造が始まり、明治時代に入るとヨーロッパの技術が導入・近代化され、東京の地場産業となりました。 2002年には東京都の伝統的工芸品に、2014年には経済産業省より国の伝統的工芸品に指定されました。 もうひとつ、江戸川区を代表する商品が小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜の入った澄んだ汁を好んだことから村名がついたと言われています。 江戸川区は今でも作付面積第1位。 カルシウムや鉄分を多く含み、今や全国どこでも一年中食べられる野菜になりました。 現在、江戸川区がこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生で食べられる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、急激な人口増加により若い世代に人気の江戸川区ですが、治安面で不安の声も多くあります。 子供が多く、ディスカウントスーパーもあり、都心へのアクセスも便利という利点から、空き巣や強盗などの犯罪が多発しています。 長い間、江戸川区は北側を鉄道しか通っていない交通アクセスの悪さから「孤島」と呼ばれていました。 1969 年の東西線開通、1983 年から 1986 年の都営新宿線開通以降、この問題は徐々に改善されてきた。
現在、都心と千葉エリアを結ぶ東西線は完成していますが、区の南北を結ぶ鉄道路線はなく、交通手段はバスのみ。 バスの路線数を増やすなどの対策がとられていますが、1世帯あたりのマイカー保有率は23区内で5位であることからもわかるように、クルマは生活の必需品です。 杉並区は23区の西部に位置しています。 区名は青梅街道沿いに杉の木が植えられたことに由来するが、現在はそのような木はない。 杉並区は、関東大震災後、多くの人が杉並区に移り住み、郊外住宅地として発展してきました。 緑被率は23区で3位、人口密度は11位というデータを見ると、広々とした住宅が立ち並ぶ街であることが想像できます。 震災後に杉並区に転居した者のうち、富裕層は防災のため都心部には戻らず、杉並区にとどまり、広々とした邸宅を建てて優雅な生活を送った。 戦前から文人や画家など多くの文化人が暮らしてきた。 杉並区は、専業主婦の就業率23位、専業主婦率1位、シングルマザー率1位、離婚率23位、高卒大学進学率が高い区です。 . 東京の山腹を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけではありません。 沿線には若者が多く住むエリアがあり、安くて魅力的なお���が並んでいます。
意外にもレジャーマダムだけでなく、若い人も多いです。 杉並区は専業主婦が多く、広々とした家で優雅に暮らすだけではありません。 杉並区に住む年齢層別の住民比率を見ると、18~29歳の若者の割合は男性4位、女性2位、全体では3位です。 中央線沿線の吉祥寺、荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多くの若者が住んでいます。 個性豊かな雑貨店や古着屋、古本屋、ジャズ喫茶、ライブハウスなどが軒を連ねるエリアです。 生活しやすい大きな商店街もあり、乗り換えなしで移動できる新宿へのアクセスも非常に便利です。 昭和の高度経済成長期に生まれ育った人にとっては、広大な土地を持つ一戸建てが杉並の生活かもしれませんが、20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、 、 バラエティショップに囲まれ、毎日刺激を受けながら生活を楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が、杉並区が住みたい街として人気の理由です。この2つの文化がうまく受け継がれ、融合し、独自の杉並文化が生まれています。 現在、杉並区では音楽を通じたまちづくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年恒例の音楽祭など、音楽の街としての地位を築いてきた杉並区。
アニメも地場産業の一つと捉え、その発展支援にも取り組んでいます。 荻窪音楽祭は杉並区を代表する音楽活動の一つです。 21世紀荻窪考える会が主催し、クラシックコンサートを通じて荻窪のイメージアップに貢献してきました。 荻窪駅周辺の銀行、協会、音楽スタジオ、喫茶店など様々な場所で期間限定で音楽フェスが開催されます。 運営スタッフを募集し、ボランティアで開催しています。 無給のスタッフに加え、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募り、音楽祭の資金を募っています。 区民が運営側と出演者に分かれて開催する荻窪音楽祭は、2016年で28回目を迎え、町おこしの一大イベントに成長しました。荻窪音楽祭の他にも、 もう一つの有名な音楽イベントは阿佐ヶ谷ジャズストリートです。 1995年のスタート時は、小学校の体育館や企業ロビー、ライブ会場など13会場で開催されていましたが、現在では60会場以上に規模を拡大。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地元の有志によって運営されています。 全国に600のアニメスタジオがあると言われ、そのうち70以上がここ杉並区にあります。 杉並区にアニメ関連の企業が多く設立されたのは、自社の住居を確保したことと、交通の便がよかったからです。
杉並区は都心へのアクセスが便利なだけでなく、静かで広々とした緑豊かな環境で仕事に没頭しやすい環境です。 杉並区は、日本で初めてアニメを地場産業として位置づけ、その発展を後押ししています。 2014年3月には、線路下にアニメ関連のショップが集まった施設「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープン。 日本のアニメーションの歴史を紹介するアニメーションミュージアムも開館し、展示のほか、ワークショップやア���メーションの上映会など、さまざまなプログラムが用意されています。 アニメウォークという街歩きイベントも。 アニメーション制作者と視聴者が交流する場として、アニメーション産業の発展をサポートするイベントです。 練馬区は、1947年8月に22区制であった板橋区から分離して設置されました。 練馬区は、東京都の北西部に位置し、23 区の中で最も標高が高く、面積は 23 区で 5 番目、人口は 2 番目です。 まだまだ畑が多いことから「緑豊かな区」というイメージを持たれている方も多いと思いますが、区は農地だけでなく公園もたくさんあります。 緑の多い練馬では、農業が主要産業の一つです。 2013 年 1 月現在、農地面積は 240ha で、23 区の中で第 1 位です。 農家数も372戸と1位ですが、33%の農家が農地面積0.3ha以下、約4割が農家収入0~49万円、500万円未満です。 9割のデータを見ると、大規模な農業をしている人は少ないことがわかります。 1975 年に 746 ヘクタールの農地と 1,342 戸の農家があったことを考えると、農業が衰退していることは明らかです。 農業以外にも、練馬の知名度を上げたアニメがあります。
練馬区には、90 を超えるアニメ関連企業、大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスの良さ、緑豊かな環境、家賃の安さは漫画家志望者の求める条件であり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業では地元の特産品をブランド化することが多いですが、かつて練馬には練馬を代表する野菜である大根がありました。 練馬大根は江戸時代から盛んに生産され、明治時代になると日清戦争や日露戦争により需要が高まり、その名は国内外に知られるようになりました。 大正時代になると、首都東京に人口が集中し始めます。 この頃から、練馬地区は都心部の農産物の供給拠点となり、その役割は年々強くなっています。 最近では大根の生産も盛んです。 練馬の農業は、鉄道の開通により流通が活発化し、拡大期を迎えました。 練馬大根の最盛期は、明治末から昭和初期の約25年と言われています。 昭和の終戦とともに、それまで大根漬けの一大供給地であった軍部の解体により、大根の生産は衰退し始めます。
大根の収穫は大変だったので、農家は大根からキャベツに主力生産を移しました。 現在、大根は練馬ではほとんど生産されていません。 農地面積は、1975 年の 745.6ha から 239.8ha へと減少し、2012 年度には 3 分の 1 以下となった。 練馬区内の農家・農家数は、1975 年の 1,342 世帯・7,232 人から 2012 年には 498 世帯・1,075 人に減少している。 、ブルーベリーとブドウ、およびその他の植物の 3,549 ヘクタール。 平成23年度東京都土地利用面積データによると、練馬区の農地利用率は区総面積の5.1%で第1位。 23区で最も農業が盛んな地域ですが、全体として農業の規模は縮小傾向にあります。 農産物の出荷量や作付面積は減少していますが、練馬区ではこれまで培ってきた農業のノウハウや既存の人材を活かし、農業を観光資源として活用しています。 大都市東京に近いという利便性を活かし、練馬区には現在約30のブルーベリー農園があります。 農業を観光資源化し、他地域から多くの観光客を呼び込む練馬の生き残り策の一つとして注目されています。 また、小学校での総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を積極的に小学校に開放し、次世代への農業振興を積極的に行っています。 小中学校での田植え、カキやキウイの選別、受粉・収穫、野菜くず・残飯などの体験を通じて、子どもたちの農業への関心を高める活動。 肥料にリサイクルされています。 日本のアニメーションは、その技術とソフトウェアの両面で海外から高く評価されるようになりました。
練馬区は、日本一のアニメタウンとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内のアニメーションスタジオが日本初のアニメーションを制作し、1963年にはテレビでアニメの放送が始まりました。 当時の漫画家や後に有名になった漫画家のほとんどが練馬区で働いていました。 現在でも90社以上の関連会社が練馬に集まっています。 練馬区では、区が主体となってアニメ産業を戦略的に強化するための政策を策定するとともに、多数のアニメ関連産業を誘致することで区内産業全体の活性化に向けた活動を行っています。 国勢調査によると、2000年から2005年までの中央区の人口変化率は135.7%、2005年から2010年までは124.8%でした。 どちらのデータも、日本で最も高い人口増加率を示しています。 これを見ただけでも、中央区がますます人で賑やかになっていることが想像できます。 また、2020年のオリンピックに向けて、晴海に選手村が建設され、敷地内に約6,000戸の住宅が建設されます。 江戸時代から現在に至るまで、日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も人口が増加し続ける日本最大級のメガシティとして君臨しそうです。 順調そうに見える中央区ですが、紆余曲折がありました。 現在増加傾向にある人口は、1960 年から 1980 年までの 20 年間で 16 万 1000 人から 8 万 3000 人に減少しました。失われた人口を補うために、区は住宅建設を促進するためのさまざまな政策を導入しました。 中央区は区内定住者数の増加に成功したものの、その生活を支えるスーパーマーケットなどの商業施設や、子育て世帯が望む大規模な公園が不足しています。 便利で住みよい街を目指した地域づくりが今後の課題と言えます。 中央区だけでなく、現在の千代田区や港区などトップクラスの23区でも入居者が減少。ザ・パークハビオ
この時期は「都市のドーナッツ化現象」と呼ばれた。 高度経済成長期と呼ばれる1954(昭和29)年から1973(昭和48)年は、急速な都市化の時代でした。 石炭から石油へとエネルギーが変化する中、東京湾沿岸には次々と工場が建設され、産業が発展していきました。 都市部の工業化が進み、所得が増加した結果、裕福な人々はより良い生活を求めて広々とした家に住みたいと思うようになり、郊外に一戸建てを購入するようになりました。 私はそうでした。 この時期、都心部の大企業のオフィスや工場が集中する地域から、快適な住環境を求めて人々が離れていった。中央区では1957年から人口が減少に転じた。 バブル期に入り、中央区の地価が上昇したことで人口はさらに減少し、2000年1月1日現在、69,695人にまで落ち込んでいた。 バブル期の終焉後、都心部の不動産が大量に解放され、比較的安価な住宅が大量に供給されるようになり、都心部に住む人が増え始めました。 これがアーバンリターン現象の始まりです。 中央区は1981年に定住人口10万人を宣言し、1988年には定住人口回復の年を宣言した。 続々と紹介されています。 これらの施策により、長年減少傾向にあった中央区の人口は1998年から増加に転じました。 隅田川流域の住宅開発により、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えています。 これは、23 区の平均である 26.0% を大幅に上回っています。 2005 年から 2010 年までの 6 歳未満の子供の人口増加率は 56.0% と、23 区の平均である 5.7% をはるかに上回っています。 2020年東京オリンピックを控え、全国から注目を集めるエリアとなる中央区。 人口が増加の一途をたどる一方で、生活関連施設の整備が遅れています。 前述のように、日常の買い物ができる店舗はまだまだ不足しています。 大型スーパーはなく、食品スーパーも少ない。 ミニスーパーも増え、買い物の悩みも少しずつ解消されつつあります。 また、緑被率が23区内で最も低いことからもわかるように、緑のある公園の数は非常に少ないです。
浜離宮公園を除く公園面積率は23区中20位。 小さいお子さんがいるご家庭にとっては、外で遊べる場所がないというのは深刻な問題です。 現在、中央区内にはオリンピック選手村跡地や築地市場跡地など、いくつかの再開発候補地があります。 これらの広大な敷地を今後も住居専用にするのか、それとも緑の広場を追加するのかについては、議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によると、千代田区の人口は昭和35年以降減少傾向にある。 都心復帰の影響。 2016 年 1 月 1 日現在、千代田区の人口は 55,131 人です。 東京23区の中でも大きな役割を担う千代田区は、一言で言えば昼と夜の人口差が最も大きい区です。 昼間は人口が多く、夜間と夜間の差は20倍。 日本一にぎわうオフィス街には家がほとんどなく、夜もほとんど人がいません。 千代田区は23区の中で最も人口が少ない区です。 居住者が非常に少ない地域です。 夜間の人口が少なく、昼間の人口が多いということは、この区は昼間に多くの人が働きに来る場所です。 千代田区は業種別に分類しやすいです。 丸の内や大手町は大企業が集積するビジネス街であり、日比谷や有楽町は銀座の繁華街に近いため商業施設や娯楽施設が充実しています。
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a2cg · 1 year
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ウェイティングと私 ・ 美味しい店に行ってみたいのですが予約が取れなかったり予約受付がない店でも長時間並んで待たないといけないのは避けたいですね。 ・ 知らない場所で並んでいる列を見かけたりすると後学のためにも「これ何の並び待ちですか?」って聞いたりします。 ・ 同じように気になるのがなかなか始まらない会議。誰が参加して何を議論したくて何がゴールかわからないのにキーマンが来ていないと「何待ち」って思うのです。 ・ それはお笑い芸人「麒麟」のホームレス中学生の可能性もありますし「ちゃー」というギャグで有名な焼肉屋さんか、ロンドンブーツ1号2号かも知れません。 ・ と言うわけで本日のランチは #田村町木村屋 #田村町木村屋日比谷フォートタワー店 です。本店はしばらく休業しているようだったので #日比谷フォートタワー に来ました。 ・ 頼んだのは #デリカランチ 日替り #サンドウィッチ と本日の #ホームメイドスープ と #ドリンク のセットです。 ・ 本日の #サンドイッチ は #ベーコンエッグ と #ポークジンジャー そして #スープ は #カプシュナック 選べる飲み物は #ミルクティー にしました。 ・ 店内は食後のケーキを楽しむ人とランチ利用の人とで半々な印象です。思いの外早く2分ほどで提供されました。まずは #ベーコンエッグサンド を頂きます。 ・ #ベーコン の塩気と #目玉焼き の味わいが美味しいサンドです。続いてのスープはトマトベースでタップリのキャベツとにんじんの甘さが美味しい逸品。 ・ 途中ポテトの食感とシンプルだけど落ち着く味わいを楽しみます。もう一つのサンドは豚肉の旨味と生姜のアクセントそしてレタスのバランスがいい感じ。 ・ #クレソン の味わいもいいねと思いながらあっという間に完食です。食後の #紅茶 もゆっくりと楽しみたいところですが、時間が無いランチだったので一気飲みです。 ・ 次回はキッシュセットかダブルケーキセットを頼んでみたいと思います。 ・ ジオタグは本店のものです。こちらの店舗は東京都港区西新橋1-1-1 の日比谷フォートタワーになります。 ・ #内幸町ランチ #内幸町グルメ #内幸町喫茶店 #内幸町カフェ #内幸町純喫茶 #内幸町サンドイッチ #虎ノ門ランチ #虎ノ門グルメ #虎ノ門喫茶店 #虎ノ門カフェ #虎ノ門純喫茶 #とa2cg (田村町 木村屋) https://www.instagram.com/p/CqjJgn5SWuA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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palakona · 2 years
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隠れ谷池から、こしが池に転進しました(^▽^;)
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2023年1月、隠れ谷池(和歌山県) iPhone11
どうも、こんにちは。1月16日(月)は、隠れ谷池に行きました。この日の天気は、天気予報が二転三転して昼前から降水確率が減少する…ってことなので、隠れ谷池も11時からの半日料金での釣りを考えていましたが、朝は久しぶりに喫茶店のモーニングセットを食べに行こうと家を出たら、曇ってるだけで雨降ってないし。なので、喫茶店はやめにして隠れ谷池に向かいました。和歌山県に入ったら、晴れ間が見えてるわりに雨がパラついたりしましたが、予報では降水量0mmなので釣りには支障はなさそう。昨日は満足いく釣りができたし、隠れ谷池で竿を出すのが楽しみでしょうがない。だが、しかし…隠れ谷池に着いてみると、駐車場に車が停まっていないし、桟橋に誰もいない。あれ〜?なんで〜?
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2023年1月、隠れ谷池(和歌山県) iPhone11
施錠されてるしw。まさかの休業w。和歌山県まできたのに。はあ、どうしよう。朝ごはんを食べていない���で腹減った〜。とりあえずサンドイッチを食してどうするか考える。朝、ゆっくり出て和歌山まで来たので時刻は9時半。月曜日は元々、隠れ谷池か天神釣池で考えてたけど、今から兵庫県(天神釣り池)まで行かれへんしなあ。高速道路代もかかるので行く気もないw。なので、行きしなに通り過ぎた、こしが池に行くことにしました。Googleさんに聞いてみると、所要時間は約1時間。えっ、そんなにかかんの?ま、僕の家から近いしな〜。ふと、寺口釣り池はどうかなと思ったが、こちらは1時間24分でした。やっぱ、こしが池ですね。
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2023年1月、こしが池(堺市) SONY α7+SELP1650
というわけで、こしが池に来ました。10時半到着。和歌山から大阪に入って河内長野市を走っている時に結構雨が降ってきました。堺市に入ってからは雨は止みましたが、平日で雨模様の天候のせいか、釣り客は2人だけ。僕が3人目でした。事務所に池主さんもいなくて、呼んでいると、竿を出していた常連さんが「(釣りを)始めていいよ」と声をかけてくれたので、池主さんはあとで戻ってくるのだろうと準備を始めました。僕はいつも池の東側のダンゴ可エリアで釣るのですが、長い竿を振りたかったのと、うどんを用意してきたので、うどん専用エリアの1号桟橋に釣り座を構えました。
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2023年1月、こしが池(堺市) iPhone11
昨日、隠れ谷池で段床釣りに使った師光の14尺を出しました。今日は両うどん床釣りです。だが、しかし…逆光で水面がテカってるのがわかります〜?14尺で振り切ると、ウキが見えないw。しかも、波除けパイプの間隔が狭くて、僕の下手な襷の振り切りではコントロールが悪くて、ウキを前に振り込むのが至難の技でパイプをまたいでしまうw。企画倒れ〜、そそくさと仕舞いました。
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2023年1月、こしが池(堺市) iPhone11
尺数を4尺詰めて10尺の名竿師の朱塗の総高野竹を出しました。振り切りでもウキが近くなったので、まあ、見えますw。ウキはまだ水面のテカりの中に入ってるけど。逆光を避けてウキが見やすい尺数は9尺までかな。隣の常連さんは9尺でうどんウキを使っておられました。
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2023年1月、こしが池(堺市) SONY α7+SELP1650
ところで、名竿師なんですが、「名竿師」っていう銘もすごいけど、「竿聖」っていう脇銘も凄いですねw。僕は好きで3本持ってて、12尺が穂先水没で2本になってしまったんですが、大阪屋さん以外では見ないかな?使用頻度が高い7.3尺の朱段巻が傷んできたので、大阪屋さんで修理に出したんですが、社長曰く、名竿師のお弟子さんは有名な竿師が多いそうです。
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2023年1月、こしが池(堺市) SONY α7+SELP1650
釣り開始!やっと釣りができますw。行きつけのはずの西池で5回連続ボウズと辛酸を舐めているんですが、こしが池はウキが動く〜。やがて、マブナによくある「消し込み」でウキが消えました!ボウズ脱出〜w。関西の箱池は、マブナが多いんですが、そこは深く考えないように。みんな気にしていませんw
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2023年1月、こしが池(堺市) SONY α7+SELP1650
今度は、床釣りらしいチクッとした魚信を捉えて2枚目。尺ぐらいのヘラブナ?顔つきがマブナっぽいかな?
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2023年1月、こしが池(堺市) SONY α7+SELP1650
テントの主が帰って釣り客は2人になりました。帰りしなに常連さんと話してましたが、半日で4枚釣ったそうです。
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2023年1月、こしが池(堺市) SONY α7+SELP1650
3枚目。玉網との比較でわかるだろうけど、これも尺上のフナ。軟調子の竹竿を絞ってくれるので楽しい。
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2023年1月、こしが池(堺市) iPhone11
4枚釣れて、きりのいい5枚にしたかったんだけど、力及ばず時間切れ。ほぼ半日の釣りで4枚釣れました。スレが多かったなあ。あと、僕の欠点なんですが、アワセが強くてアワセ切れが2回。いつも思うんだが、アワセ切れで切れなかったら釣れてんのかなあ。なんか勿体無い。
では、また。
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nuthmique · 2 months
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『ヌトミック寄席 夏』プログラムノート
『ヌトミック寄席 夏』は、各回三本のパフォーマンスからなる公演です。全回共通のヌトミックの作品2つに加え、日替わりでゲストによる演目が披露されます。
どの回でも上演するヌトミックの演目『わたしは薬売り』と『ウルトラトリップストーリー』について、作品が生まれた経緯を紹介できればと思います。
執筆:額田大志
『わたしは薬売り』
口上語り+歌謡ショーを組み合わせた「現代の薬」を巡る作品です。初演は2022年の秋となり、今回の上演場所にもほど近い「千住ほんちょう商店街」の薬局の前で披露しました。私と出演者の一人である稲継美保さんは、共に東京藝術大学の同じ学科の卒業生です。大学から企画をもらい、どうしようかな……と思って、思い切って先輩の稲継さんに声をかけました。
何度か北千住のカフェでお喋りしたり、大学の繋がりで足立区役所の方とお話しする中で「なんだか、ビヨンセみたいな作品にしたいね」と盛り上がったのを覚えてます。「誰かをエンパワーメントしたいね」とも。でも、それは誰なんだろう。作品が、そんな漠然としたイメージからはじまることは、よくありま���。
とりあえず、商店街での上演は決まっていたので「商店街のCD屋さんの前で歌っている地元の歌手」を想像しました。今ではほとんど見ないですが、私の世代くらいまでは、CD屋の前でミニライブをする演歌歌手、という不思議な共通認識がある気がします。恐らくは昭和の名残でしょうか。サザエさんやちびまる子ちゃんのアニメでも、そういう風景を見たような、ぼんやりとした記憶もあります。
歌うことはやりたいと思ったものの、では「何を歌うか」。もう一捻りしないと作品にはならないだろうと思い悩んでいるとき、稲継さんから漢方薬の話を聞きました。厳密には「アートは漢方薬のようなものだ」という話です。「アート」という言葉の定義は広く、美術だけを指すこともあれば、音楽や舞台も含む芸術全般を指すこと、さらにはよりカジュアルに表現全般を指すこともあります。テレビや広告、街づくりの文脈で「アート」を使う場合は、表現全般を示すことが多く、ここが少し曲者です。どういう「アート」を示しているのかで、色々な齟齬が生まれてしまうことも多々あります。
「アートによる効果」のような文言は、日々様々なメディアで語られています。しかし、実際に演劇を作っている身からすると、そんなに効果があるのかな、と思うこともあります。いや、もちろん、効果があると言い切ることは大事なのですが、それが市販薬のような即効性と均一性を持った効能を期待されると、正直難しいのではないかとも思います。ただ、市販薬にはなれないけど、漢方薬にはなれるかもしれない。その人に合わせた調合がある。もしかしたら効かないかもしれない。でも、あるときには自分だけの薬に出会うことができる。そんな不確実性とともに存在するのであれば、「アートによる効果」も、もしかしたらあるのではないか……。そんなことでしょうか。ちなみにこの話は、稲継さんが長島確さんから聞いたのを、さらに私が聞いて解釈した形なので、本来、長島さんが伝えたかった意味とはちょっと異なるかもしれません。
ただ、そのとき、この話を聞いて考えたことが『わたしは薬売り』へと繋がったことは事実です。そこには、演劇の可能性を定義し直すような、ある種の開き直りもあったような気もします。ある薬売りが街へ訪れ、商店街の思い出を語り、歌って踊る。そんな作品です。歌って踊る、という古来からの演劇の魅力も詰まっている上演となっています。「誰をエンパワーメントしようか」という大きな問いは、いつの間にか消えていました。そうしたことは、本当の歌手に任せて、『わたしは薬売り』は別の道を歩むことにしたのです。
////////////////////////////// 『わたしは薬売り』 作・演出・音楽:額田大志 出演:稲継美保/原田つむぎ(ダブルキャスト)    額田大志、深澤しほ(北千住公演のみ)、長沼航(国見町公演のみ) 振付:酒井幸菜 作詞:稲継美保、原田つむぎ //////////////////////////////
『ウルトラトリップストーリー』
夏の怪談話が、何度も何度も嘘と本当を繰り返して、どこか遠くの世界へと移り変わっていく、そんな作品です。ヌトミックの長沼航をメインキャストに迎えた新作になります。
何を作ろうか悩んでいるときに、アキ・カウリスマキの『枯葉』をみて、あぁ、こういう作品をつくってみたいと思いました。こういう作品とは、カウリスマキの要素というよりは、もっと純粋に映画的である、ということでしょうか。専門的な手法の名前があるのかもしれませんが、例えば前後の脈絡と関係なく、急に列車が走るシーンが挿入されるような。予期せぬ映像が挿入されることで前後のイメージが変わる……そんな、映像だからこそ許された飛躍を、演劇でどうやったらカッコよくできるだろう、といった感じです。カッコよく、が重要で、演劇の生々しさに対して、カウリスマキの極限まで洗練された美意識に強く惹かれたのかもしれません。
そんな話を長沼くんと渋谷の喫茶店で話している中で、もう一つ、人称のことも気になり始めました。話している人がいつの間にか変わったり、一人称だったのが三人称に移り変わるのは、現代演劇ではもはや使い古された手法ですが、なんでしょう、手法ではなく、それをもっと感覚的にできないか。観客の想像や体験を変えていく装置ではなく、もっと何者かわからない存在が、人称を目まぐるしく変えていくことで舞台上に存在できないか。
何者かわからない存在は、演劇にとってとても重要で、その存在が劇を躍進させたり、ときに混乱させたりもします。『わたしは薬売り』は、そうした曖昧さを意図的になくしている作品ですが、『ウルトラトリップストーリー』は、できるだけ混乱を歓迎していく上演にしたいと思いました。そして、この混乱から解放される快楽はまさに「ストーリー」的であるとも思います。ある人物の正体がわかる、意図がわかる、謎が解明される。その答えを知る快楽が「ストーリー」が演劇に求められる理由なんだろうな……と、恐らく物語をつくるタイプの作家だったら誰もが感覚的にわかっていることを、今更ながらに感じました。
ヌトミックでは珍しい、しっかりとした物語が存在する作品になるので、あまり内容の多くは語れないのですが、稽古場の作業は普段と変わらず、一言で表すと「共感を疑う作業」を行っています。「共感をしない/させない」のではなく、常に疑い続けている状態でしょうか。決して「共感して欲しくない」のではなく、共感してくれたらそれはそれで嬉しいです。ただ共感するということのハードルは相当高いと思っていて、「共感を求める」上演は、結果的に「共感を遠ざける」ものであると感じます。自分だけわからないと、なんか冷めちゃう、ということかもしれません。パフォーマーの家族や熱心なファンであれば、そうした思い入れは比較的得やすいと思いますが、あくまで演技として、作品と観客の平等性を保ちつつ、上演だけで伝える、その距離感と質のことを稽古場ではずっと考えています。
長沼くんと日々稽古を続けていて、これを書いている7月10日は、はじめて通しを行った日でした。少し新しい手法を試していることもあり、演出の自分も心配ではあったのですが、通しを見てこれはいける、と前向きな気持ちに変わりました。そんな気持ちになれたからこそ、こうした紹介文を書けているとも思います。上演時間は寄席の中でも一番長い、40分くらいになりそうです。
『ヌトミック寄席 夏』は、ダブルキャストによる再演、ゲストパフォーマー、新作演目と盛りだくさんの公演です。屋外と屋内を行き来する、近年の野外劇の活動で思いついた構成もあったり、国見町公演では屋台がでたり、とにかくいろんなやってみよう、を詰め込んでます。やってみよう、だったことが作品として届いていく、その時間を一緒に体験してもらえたら幸いです。ぜひ、ご来場をお待ちしています。
////////////////////////////// 『ウルトラトリップストーリー』 作・演出・音楽:額田大志 出演:長沼航、稲継美保 //////////////////////////////
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oisiihito · 5 months
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いい加減に 東京へ出てくるとうんざりするのをやめたい 新宿や渋谷ならまだしも 上野などでうんざりしているようでは 情けがないから やめたいのだけど やっぱりどうしてもああやって人が大きな塊になるような状況をみると 誰でもいいじゃないかという気になってくるので苦手だ そこにいるのは誰でもいい かけがけのないことのないただの記号という形をとった肉の塊にしか思えない だからそのような有象無象に気を配る気にもならない 中高生のような 人を殺す目で あれくらいの時期はみんな特に意味もなくあるいは大きな意志の元で人を殺したいと思っているものでは? うつむきながら 足早に肉塊を通り過ぎるしかない フードエッセイストである平野紗季子さんの (NO)RAISIN SANDWICH が クッキー・モンスター (青色のけむくじゃら) とコラボするということで 銀座のソニーパークへ 遊びに行く 銀座はよくわからない 近いようで遠い街だと思う 京橋や日本橋なんかは完全に他人事なんだけど 銀座に関してはどうしても割り切れない部分が個人的にあったりするわけで 上野から銀座線に乗り ライクアタイトル回収 銀座駅で降りる まずまずの人 ソニーパークは駐車場の傍らにある 以下HP引用 "銀座四丁目交差点改札より、そのまま地下コンコースを歩いてお越しください。B7とC3出口の間にある「西銀座駐車場」の入口を入ってすぐ左がSony Park Miniです" なんとも簡潔でいて分かりのいい文ではないの 無駄のないうえにそこまで事務的でもないのが良い 変な場所にある施設が 結構好きです 新橋の ニュー新橋ビル な 熱海の 第一ビル商店街 な 感じの施設 施設群? この日のために PACS の Round Corner Pocket shirts を卸した 真剣な青色で 名前の通り ザッツリテラリー ポケットがまあるくなっている 生地もスーピマコットンなので 肌触りも良い かつ光沢もあり品の良いシャツに仕上がっている かわいいねお気に入りです 大きめに着る 靴下もファミリーマートのアクアブルーだったので 話しかけられた店員さんに 「格好もクッキー・モンスターを意識されてるんですね!」 などと言われ 恥ずかしそうに頭をかきながらうんとかすんとか ヘラヘラするしかなかったよ 23にもなるのに 恥ずかしそうにヘラヘラするしかない場面がいまだにある ステッカーや缶バッジ なんとなく目当てに��ていたクッキー・モンスターのTシャツはソールドだった まあそうだねと思いながら"PREMIUM COOKIE SANDWICH for COOKIE MONSTERS"を抱えて後にした この時点で汗が止まらなくて病気かと思う 汗をかきはじめると 周りの視線が過度に拡張されていく感覚になる 批評よりも批判よりの視線にさらされているような感覚 さすがに耐え難いので 鳥越の方に逃げた 昔に といっても2年前までは鳥越に居をかまえていたので 今でもマイメンな東京のスポットなのだ そんな場所は本当に貴重だ 鳥越神社という大きな公園のわきにあるアパートの一階部分には Torigoe T という小さなフランス料理のお店があったのだが それも1年前に閉店して今はアメリカ雑貨のお店になっているのを目撃した 6月は鳥越神社の例大祭があり 裸の男たちが蔵前橋通りを神輿担ぎ闊歩する 言語というよりむしろ発声に近い掛け声に混ざるぶつかり合う肌と肌の音は 何かしら象徴的に聞こえるものです 例大祭のチラシがあちこちに貼られているのに沿って鳥越の街を歩く もうこの街は 自室から浅草にあるアルバイト先まで 日陰から一歩も出ることなく歩いて行けるまでに 知っている 知っているのにすでに住んでいないというのはどうして不思議だ 1時間くらい歩き続けて観念したように浅草橋から総武線で新宿まで出張る 小田急線の急行で下北沢に着く頃にはもうだいぶ風が出て涼しくなったような気がして またシャツを羽織った だいぶ変わってしまったねこの街も 高校教師 (1993) には当時の京王井の頭線沿いも出てくるのだが 1993年時点での下北沢駅周辺はとても文化的ではなかったように見える ホームも薄暗くなんとなく湿り気のあるそんなイメージだった むろんあくまでイメージ 妄想ではある産まれてないしそもそも しかしな 今やサブカルチャーにとどまらず演劇や映画のベースメントとして 機能しているので 大したもんだと思う 人間が本気になれば 何もない場所に都市を計画し造ることなんぞは きっと造作もないのだろう 東京も元々大きな湿地帯であったことを考えると 人間のその豪胆さと労力の惜しげのなさには驚かされるばかりである 茶沢通りを北沢タウンホールに抜ける路地の左手に アンダーニース という楽器屋があり ビルの3Fで品揃えもいいしなによりオーナーの人当たりの良さ! この楽器屋でその感じなのありがたい 友人にお土産として Danelectro Black Coffee を買った DODのFX25B Envelope Filter とも悩んだが ゲインがフルテンで固定というオーナーの説明にクラッときたので そっちにした 朝からまともなものを食べていないことに気づいて 渋谷駅から渋谷川に沿って並木橋の方へ降りると恵比寿の手前にフレッシュネスバーガーがあるため そこでフレッシュネスバーガーとジンジャエールを食べる ジンジャエールがとにかく濃く作られており 自家製なのもあって 飲みごたえがすごいことになってんの 正直ハンバーガーには合わせない方がいい 完全に負けているので 狭い店内の後ろの席には 学芸会終わりの親子が感想戦などをしていた ジメっている恵比寿 リキッドルームに家主がやってくるということで 友人を誘った 昨年の12月に出したアルバムのツアー 恵比寿リキッドルーム ワンマン フルセット 整理番号はなぜか800以降のカスだが 久しぶりのライブも 友人に会えるのも嬉しい チケット代の代わりに 何かモノをくださいという暴力に 友人は旅館の灰皿とぶっとい葉巻で応えた 吸わ��かったら灰皿で人を殺してもいいらしい とにかく��煙が足りないと言われた 喫煙が足りない 喫煙が足りない? アウトレイジ 最近バイトや大学の合間を縫って アルバムのレコーディングなどしているらしく 小職よりも忙しそうにしているので頭が上がらない ライブはもちろん完璧だった 正直言ってここまでのめりこめるライブも少ない 撮影が可能らしく ちらほら撮影している観客もいたが 昔気質だからだろうか どうしてもライブという場において撮影という行為がイマイチしっくりこない いまそこにある景色を損なう可能性を 考えてしまって スマホへ手が伸びなかった 撮影などしなくてもライブはサイコーであるのであれば 無理して撮影する必要はない そうだよね ウン 途中マジで酸欠になって フロアが最高潮だからね クラクラしながら ぜんまいじかけ のリフが宙に浮いて見えたりしたが 無事 終演 熱冷めないまままた歩いて渋谷駅まで戻ることになり 家主の話よりむしろバックナンバーやクリープハイプの話になりなぜ? 家主の話をしないということによってむしろ家主の存在が際立っているような 哲学や文学の文脈でよく使われる論文の手法のような雰囲気で 道玄坂のロイヤルホストに滑り込んでひといきをつく 柴田聡子の新譜は ある種 脱構築的に音楽よりも言語 あるいは歌詞や詩の動きにフォーカスしたアルバムだと論じる 前作 ぼちぼち銀河 においてもその様子はたしかにうかがえたが 今回で完全に音と歌詞 (詩) は同時に存在するように作られはじめた それぞれで見てもイマイチパッとこない 納得できない そのふたつは 同時に鳴ることで私たちの前になにかしらの意味を持って突如立ち現れることになる そこが柴田聡子の独自性ではないかという話で盛り上がって 過ぎる時間 こんな話がしたかったと思っていることに気づいたのは分かれてから銀座線で上野御徒町へ戻る最中だった 山形行きの高速バスで 友人がSound Cloudにあげていると教えてくれた レコーディング中のアルバム そのリード曲になるというデモをこっそり聴く 疲れた身体でも 十分に良いと思える曲だった コンスタントな振動に揺れ カーテンをこっそり開けて 高速道路のナトリウムランプが玉になって流れていくのを眺め 耳を澄ませて友人の曲を何度も 繰り返し聴く はじめて聴くのが夜行バスの中で良かったと思った 眼をつむるまでにそんなに時間がかかることもないだろうなと 考える間もなく 眠った 朝の4時に福島にほおりだされて 始発で郡山へ戻り 8時には職場にいるのだから 頭がおかしいとしか思えない 一緒に住んでいる人には 花屋の娘 が入ったフジファブリックのCDをお土産に買った ディスクユニオンの袋に包まれたのを 満足そうに机の上から机の上へ置き直して ニコニコしている 郡山は肌寒く しまったはずの毛布を取り出した
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helloharuo-diary-2023 · 7 months
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思い出を振り返る
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Tuesday 11 February 2014
2014年1月9日(木)夜10時4分、おかあさんが92歳で亡くなった。おかあさんは、自分の母のことではない。ハルオは、26歳の時人生のターニングポイントを迎えた。それはカメラマンになる修行を始める時だった。キーパーソンは、カナダ人のジョン。ジョンとの出会いは、ハルオが当時勤めていたカメラ量販店(24〜26歳)でのことで販売員(ハルオ)とお客(ジョン)の関係から始まった。そのジョンにカメラマンになりたいと伝えるとジョンはある女性を紹介してくれた。その女性は、ハルオが師事する事になったカメラマンGが手掛けていた雑誌の編集者をしていた。ハルオは、ジョンを介してその女性と会いまもなくカメラマンGを紹介してもらい彼の元で働きながら写真を学ぶことになった。
ハルオは、当時国分寺に住んでいた。カメラマンGの仕事場は中目黒にあった。一方ジョンは中目黒に近い下北沢のアパート「葉隠荘」に住んでいた。そのアパートは、いわゆる外人ハウスで管理人がいなくある意味無法地帯のアパートだった。そのアパートがあった敷地内におかあさんが営む一杯飲み屋「小料理 小千谷」があった。ハルオは、国分寺のアパートをキープしながら葉隠荘(3畳部屋)に移り住んだ。そしておかあさんと出会った。おかあさんは、当時70歳だった。1991年のことだ。「小千谷」とはおかあさんの生まれ故郷新潟県小千谷のことだ。「小千谷」カウンターに5席ほどの小さい飲み屋でおかあさんが一人で切り盛りしていた。メニューは、300円と600円のみ。瓶ビール(大瓶)500円。おかあさんは、自分のことを『昔はあばずれ、今は聖母マリア』と言った。そして『おかあさん』と呼んでと言われる。おかあさんは、外国人しかいない葉隠荘に日本人がやって来たことが嬉しかったのだろうかハルオとおかあさんはすぐに打ち解けて仲良くなった。「小千谷」は夕方から12時まで営業していたので仕事が遅くなった時でもお店は開いていてよくハルオはおかあさんに会いにお店に寄った。おかあさんは昔の下宿屋のおばちゃんみたいな存在だった。おかあさんは世田谷区に住まいがあり旦那さんと暮らしていたが葉隠荘にも1室部屋を持っていた。その部屋はジョンの部屋(6畳部屋)の隣りだった。ジョンもハルオも20代後半の血気盛んな時期で週末となればどこからともなく外国人たちがジョンの部屋に集まりテクノミュージック(後にトランス)を聞いて騒いだ。ボロアパートの葉隠荘だから音は筒抜けでおかあさんは最年長でテクノを聞いていたことになるだろうか。聞くだけならともかくその音はおかあさんには不快でよくジョンの部屋に来て『うるさいよ〜』と注意に来た。
「小千谷」には、常連のお客さんがたくさんいて当然おかあさんのファンでもあった。おかあさんが道で拾った鶏をカゴに入れて飼っていた時があった。そのカゴは「小千谷」の店先に置いてあってある日おかあさんはそのコメコと名付けた鶏を写真に撮っている女の子Aと出会う。そして「うちにも写真を勉強しているハルオ君という子がいるよ』と伝えハルオはその女の子と「小千谷」で会った。ハルオは、その女の子を気に入りやがて2人は付き合う様になった。おかあさんは愛のキューピッドをし他にもおかあさんがお客さんとお客さんの縁を取り持ち結婚までしたカップルがいた。ハルオには、18歳で上京して以来2番目に仲良くなったTという友人がいるがそのTも「小千谷」が気に入り常連になった。そのTもやはり常連だった女性と恋に落ちその縁は今でも続いている。
ハルオが葉隠荘にいた期間は3年間だったがその間に「小千谷」が30周年を迎えた。近くの北沢八幡宮の宴会場を借りて大勢の人が集まり盛大に開催された。おかあさんは、得意のかっぽれを踊った。おかあさんはハルオに葉隠荘の外観写真を撮ること依頼しその写真を使い記念テレフォンカードを作った。おかあさんが何かの病気になり病院に入院した。それは大したことではなかったが退院の日ハルオはおかあさんに頼まれて迎えに行った。当時ハルオは400ccのバイクに乗っていておかあさんをシートの後ろに乗せて葉隠荘まで連れ帰った。そのことは後々までもおかあさんの記憶に残っていて時折そのことを懐かしんでハルオに話した。
「小千谷」には焼き飯というメニューがあってとても美味しく量がありハルオはよく好んで食べた。他には、刺身や漬け物、焼き魚等のメニューがあった。時折ハルオが朝仕事に出掛けると葉隠荘の入り口におかあさんからハルオに宛てたメモがありお店で残ったメニューの焼き飯やおにぎり、惣菜、を詰めてハルオに弁当を持たせてくれた。おかあさんは"お母さん"だった。ハルオは、バイクで交通事故に遭い肩甲骨と鎖骨を折って入院したことがあった。その際にはハルオの母も看病にやって来たのでハルオの母とおかあさんは顔を合わせている。その後年賀状のやり取���も続く。
ハルオが葉隠荘に住んで約3年後葉隠荘が取り壊しになる話が進められていた。丁度ハルオはカメラマン修行も終えた頃で立退料を大家の代理から30万円貰って早々に羽根木公園の近くのアパートに引っ越しをした。その後も暫く葉隠荘も「小千谷」もそのまま健在だったが遂に取り壊しをする時がやって来た。おかあさんが75歳前後のことだろうと思う。ハルオは、葉隠荘が取り壊される日、ドキュメント写真を撮った。その後まだ元気だったおかあさんは世田谷区上町駅近くの商店街に「小千谷パート2」を開店させた。ハルオは、定期的におかあさんに会いに行った。さてその店が何年続いたか?2〜3年?ハルオには記憶にない。下北沢という好条件にあった時に比べ上町ではお客さんが少なくなっていた。それでもおかあさんはお店を続けたかったんだと思う。
おかあさんは、水泳を好んで良く���ールに出掛けていた。『ハルオ君、今度私が泳いでいるところを撮って』とおかあさんに言われたことがあったが実現には至らなかった。『小千谷パート2』が終りかけた頃、おかあさんは、自分史を書いた。その文章を常連のお客さんたちが小冊子に纏めた。その中にハルオについての話を書いてくれた。
2006年、ハルオは、写真展「十人十ゑろ」を開催した。しばらくおかあさんとは会っていなかったがおかあさんに写真展の話をすると行きたいと言ってくれた。しかしおかあさんは足が悪くなっていて自力では来れない。ハルオは、タクシーをチャーターしておかあさんの送迎をした。「十人十ゑろ」は10人の女性の素肌(殆どがヌード)をキャンピングテントの中で撮影した作品だった。その後おかあさんとのやり取りは年賀状や時折の電話で続いて行った。
2008年、ハルオは25年間住み慣れた東京から静岡に引っ越しをした。この年の前後(記憶が乏しい)におかあさんに会いに行った。場所は下北沢から近い世田谷区の淡島通り付近の喫茶店。おかあさんの住まいは一戸建だったがとても小さく人を迎い入れるには難があった。おかあさんの足は更に悪くなっていた。その時は、ハルオはおかあさんがキューピッドをして付き合うことになった女の子Aと行った。Aとのお付き合いは半年も続かなかった。しかし元々Aはカメラマンになりたかった女の子でハルオに触発されてか付き合っている頃から写真学校の夜間部に通い晴れてカメラマンになっていた。ハルオとAは、友達として連絡を取り合っていたのでいい機会と一緒におかあさんに会いに行ったのだった。ハルオは、写真を撮って後でおかあさんにその写真を額に入れて贈った。おかあさんはその後世田谷の住まいをそのままにして小千谷に近い新潟県長岡市に身を寄せた。始めはおかあさんだけでその後旦那さんも。
2011年、おかあさんからハルオに手紙が届いた。その日は偶然にもハルオの誕生日だった。手紙が入った封筒には、現金2万円と写真も入っていた。その時何故現金が入っていたのか分らずハルオは、誕生日プレゼントだと勝手に思った。(しかしそれは後で気付いたが新潟までの往復の交通費だった。)そして写真だがそれが驚いたことにおかあさんのヌード写真だった。おかあさんが50〜60歳位の頃の温泉の露天風呂に入っている写真で下半身はタオルで隠れていて上半身は裸で乳首は見えそうで見えてはいなかった。手紙に『ハルオ君の個展か何かに出せるんじゃないかと勝手に考えました。自分のうぬぼれかも知れないけどそんな風に役立てて下さい。お願いします』とあった。随分大胆だなとハルオは驚いた。ハルオは、この時以前プールの写真を撮ってとリクエストされたことを思い出した。
手紙を貰った後中々新潟までおかあさんに会いには行けなかった。 ハルオは、それがはがくゆく気になっていたのでおかあさんに会いに行く決意をする。 おかあさんに貰った交通費2万円を使い時がやって来たのだ。
2013年春、 その旨をおかあさんに伝えようと身を寄せていた新潟県長岡市のお宅に電話すると旦那さんが危ないからまたの機会にして欲しいと言われ延期した。おかあさんには2人のお子さんがいて長女さんは大阪に住んでいて息子さんはすでに亡くなっていた。その息子さんの奥さんがおかあさんと旦那さんの世話をしていたのだ。間もなく旦那さんは亡くなられた。そして10月の始め、おかあさんに会いに静岡から車で出掛けた。久しぶりに会ったおかあさんは、すでにガンに侵されていた。部屋の中で2時間ほど話した。写真も撮った。しかしおかあさんの笑顔は撮れなかった。おかあさんは、長年の伴侶だった旦那さんが亡くなり生きることよりも死ぬことを願っている様に見えた。ハルオは、おかあさんと別れた後おかあさんの勧めで小千谷にも寄って来た。おかあさんの実家は小千谷駅近くにあった。甥っ子さんが寿司屋を経営し、その同じ通りにおかあさんの幼馴染みが住む金物屋があって両方訪ねた。幼馴染みの方はご健在で写真も撮ることが出来た。
『おかあさん、これから手紙を定期的に送っていい?』そうハルオはおかあさんに尋ねると承知してくれたのでその後迷惑にならない様に気を使いながら手紙(葉書)を送った。しかしおかあさんはそれから3ヶ月後に帰らぬ人になってしまった。
おかあさんのご冥福を心からお祈り致します。 長い間本当にありがとうございました。 安らかにお眠り下さいね。
2014年2月21日(金)    ハルオ
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wangwill66 · 8 months
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敗筆
H:寫不出字的筆叫敗筆,儲存的資料查不到叫敗資。最近整理很多筆用完了,功成身退。有些筆,未寫放久油乾寫不出,只好烘烤,熱水軟化,再不行即棄筆。有筆堪寫直須寫,莫待筆乾空畫紙。存了很多資料未分類查不到,敗資。徒勞而無功!資料名稱慎始!20240122W1
網路字典:
敗筆
用壞了的筆。宋.蘇軾〈石蒼舒醉墨堂〉:「君於此藝亦云至,堆牆敗筆如山丘。」《儒林外史》第五五回:「他取了一管敗筆,蘸飽了墨,把紙相了一會,一氣就寫了一行。」
書畫或詩文中的疵病。宋.黃庭堅《山谷題跋.卷六.子弟誡》:「敗筆涴墨,瘝子弟職。」《兒女英雄傳》第二六回:「從通部以至一回,乃至一句一字,都是從龍門筆法來的,安得有此敗筆。」
儒林外史/第55回
儒林外史第五十五回 添四客述往思來 彈一曲高山流水
  話說萬曆二十三年,那南京的名士,都已漸漸銷磨盡了。此時虞博士那一輩人,也有老了的,也有死了的,也有四散去了的,也有閉門不問世事的。花壇酒社,都沒有那些才俊之人﹔禮樂文章,也不見那些賢人講究。論出處,不過得手的就是才能,失意的就是愚拙。論豪俠,不過有餘的就會奢華,不足的就見蕭索。憑你有李、杜的文章,顏、曾的品行,卻是也沒有一個人來問你。所以那些大戶人家,冠、昏、喪、祭,鄉紳堂裏,坐著幾個席頭,無非講的是些陞、遷、調、降的官場;就是那貧賤儒生,又不過做的是些揣合逢迎的考校。那知市井中間,倒出了幾個奇人。
  一個是會寫字的。這人姓季,名遐年,自小兒無家無業,總在這些寺院裏安身。見和尚傳板上堂喫齋,他便也捧著一個缽,站在那裏,隨堂喫飯。和尚也不厭他。他的字寫的最好,卻又不肯學古人的法帖,只是自己創出來的格調,由著筆性寫了去。但凡人要請他寫字時,他三日前,就要齋戒一日,第二日磨一天的墨,卻又不許別人替磨。就是寫個十四字的對聯,也要用墨半碗。用的筆,都是那人家用壞了不要的,他纔用。到寫字的時候,要三四個人替他拂著紙,他纔寫。一些拂的不好,他就要罵、要打。卻是要等他情願,他纔高興。他若不情願時,任你王侯將相,大捧的銀子送他,他正眼兒也不看。他又不修邊幅,穿著一件稀爛的直裰,靸著一雙破不過的蒲鞋。每日寫了字,得了人家的筆資,自家喫了飯,剩下的錢就不要了,隨便不相識的窮人,就送了他。
  那日大雪裏,走到一個朋友家,他那一雙稀爛的蒲鞋,踹了他一書房的落泥。主人曉得他的性子不好,心裏嫌他,不好說出,只得問道:「季先生的尊履壞了,可好買雙換換?」季遐年道:「我沒有錢。」那主人道:「你肯寫一幅字送我,我買鞋送你了。」季遐年道:「我難道沒有鞋,要你的!」主人厭他腌臢,自己走了進去,拿出一雙鞋來,道:「你先生且請略換換,恐怕腳底下冷。」季遐年惱了,並不作別,就走出大門,嚷道:「你家甚麼要緊的地方!我這雙鞋就不可以坐在你家!我坐在你家,還要算抬舉你!我都希罕你的鞋穿!」一直走回天界寺,氣哺哺的又隨堂喫了一頓飯。喫完,看見和尚房裏擺著一匣子上好的香墨,季遐年問道:「你這墨可要寫字?」和尚道:「這昨日施御史的令孫老爺送我的。我還要留著轉送別位施主老爺,不要寫字。」季遐年道:「寫一幅好哩。」不由分說,走到自己房裏,拿出一個大墨盪子來,揀出一定墨,舀些水,坐在禪床上替他磨將起來。和尚分明曉得他的性子,故意的激他寫。他在那裏磨墨,正磨的興頭,侍者進來向老和尚說道:「下浮橋的施老爺來了。」和尚迎了出去。那施御史的孫子已走進禪堂來,看見季遐年,彼此也不為禮,自同和尚到那邊敘寒溫。季遐年磨完了墨,拿出一張紙來,鋪在桌上,叫四個小和尚替他按著。他取了一管敗筆,蘸飽了墨,把紙相了一會,一氣就寫了一行。那右手後邊小和尚動了一下,他就一鑿,把小和尚鑿矮了半截,鑿的殺喳的叫。老和尚聽見,慌忙來看,他還在那裏急的嚷成一片。老和尚勸他不要惱,替小和尚按著紙,讓他寫完了。施御史的孫子也來看了一會,向和尚作別去了。
  次日,施家一個小廝走到天界寺來,看見季遐年,問道:「有個寫字的姓季的可在這裏?」季遐年道:「問他怎的?」小廝道:「我家老爺叫他明日去寫字。」季遐年聽了,也不回他,說道:「罷了。他今日不在家,我明日叫他來就是了。」次日,走到下浮橋施家門口,要進去。門上人攔住道:「你是甚麼人,混往裏邊跑!」季遐年道:「我是來寫字的。」那小廝從門房裏走出來,看見道:「原來就是你!你也會寫字?」帶他走到敞廳上,小廝進去回了。施御史的孫子剛在走出屏風,季遐年迎著臉大罵道:「你是何等之人,敢來叫我寫字!我又不貪你的錢,又不慕你的勢,又不借你的光,你敢叫我寫起字來!」一頓大嚷大叫,���施鄉紳罵的閉口無言,低著頭進去了。那季遐年又罵了一會,依舊回到天界寺裏去了。
  又一個是賣火紙筒子的。這人姓王,名太。他祖代是三牌樓賣菜的。到他父親手裏,窮了,把菜園都賣掉了。他自小兒最喜下圍棋。後來父親死了,他無以為生,每日到虎踞關一帶賣火紙筒過活。那一日,妙意庵做會。那庵臨著烏龍潭。正是初夏的天氣,一潭簇新的荷葉,亭亭浮在水上。這庵裏曲曲折折,也有許多亭榭。那些遊人都進來頑耍。王太走將進來,各處轉了一會,走到柳陰樹下,一個石臺,兩邊四條石凳,三四個大老官簇擁著兩個人在那裏下棋。一個穿寶藍的道:「我們這位馬先生前日在揚州鹽臺那裏下的是一百一十兩的彩,他前後共贏了二千多銀子。」一個穿玉色的少年道:「我們這馬先生是天下的大國手,只有這卞先生受兩子還可以敵得來。只是我們要學到卞先生的地步,也就著實費力了!」王太就挨著身子上前去偷看。小廝們看見他穿的襤褸,推推搡搡,不許他上前。底下坐的主人道:「你這樣一個人,也曉得看棋?」王太道:「我也略曉得些。」撐著看了一會,嘻嘻的笑。那姓馬的道:「你這人會笑,難道下得過我們?」王太道:「也勉強將就。」主人道:「你是何等之人,好同馬先生下棋!」姓卞的道:「他既大膽,就叫他出個醜何妨!纔曉得我們老爺們下棋,不是他插得嘴的!」王太也不推辭,擺起子來,就請那姓馬的動著。旁邊人都覺得好笑。那姓馬的同他下了幾著,覺的他出手不同。下了半盤,站起身來道:「我這棋輸了半子了!」那些人都不曉得。姓卞的道:「論這局面,卻是馬先生略負了些。」眾人大驚,就要拉著王太喫酒。王太大笑道:「天下那裏還有個快活似殺矢棋的事!我殺過矢棋,心裏快活極了,那裏還喫的下酒!」說畢,哈哈大笑,頭也不回,就去了。
  一個是開茶館的。這人姓蓋,名寬,本來是個開當舖的人。他二十多歲的時候,家裏有錢,開著當舖,又有田地,又有洲場。那親戚本家都是些有錢的。他嫌這些人俗氣,每日坐在書房裏做詩看書,又喜歡畫幾筆畫。後來畫的畫好,也就有許多做詩畫的來同他往來。雖��詩也做的不如他好,畫也畫的不如他好,他卻愛才如命,遇著這些人來,留著喫酒喫飯,說也有,笑也有。這些人家裏有冠、婚、喪、祭的緊急事,沒有銀子,來向他說,他從不推辭,幾百幾十拿與人用。那些當舖裏的小官,看見主人這般舉動,都說他有些獃氣,在當舖裏儘著做弊,本錢漸漸消折了。田地又接連幾年都被水淹,要賠種賠糧,就有那些混帳人來勸他變賣。買田的人嫌田地收成薄,分明值一千的只好出五六百兩。他沒奈何,只得賣了。賣來的銀子,又不會生發,只得放在家裏秤著用。能用得幾時?又沒有了,只靠著洲場利錢還人。不想夥計沒良心,在柴院子裏放火,命運不好,接連失了幾回火,把院子裏的幾萬柴盡行燒了。那柴燒的一塊一塊的,結成就和太湖石一般,光怪陸離。那些夥計把這東西搬來給他看。他看見好頑,就留在家裏。家裏人說:「這是倒運的東西,留不得!」他也不肯信,留在書房裏頑。夥計見沒有洲場,也辭出去了。又過了半年,日食艱難,把大房子賣了,搬在一所小房子住。又過了半年,妻子死了,開喪出殯,把小房子又賣了。可憐這蓋寬帶著一個兒子,一個女兒,在一個僻淨巷內,尋了兩間房子開茶館。把那房子裏面一間與兒子、女兒住。外一間擺了幾張茶桌子。後簷支了一個茶爐子。右邊安了一副櫃臺。後面放了兩口水缸,滿貯了雨水。他老人家清早起來,自己生了火,搧著了,把水倒在爐子裏放著,依舊坐在櫃臺裏看詩畫畫。櫃臺上放著一個瓶,插著些時新花朵,瓶旁邊放著許多古書。他家各樣的東西都變賣盡了,只有這幾本心愛的古書是不肯賣的。人來坐著喫茶,他丟了書就來拿茶壺、茶杯。茶館的利錢有限,一壺茶只賺得一個錢,每日只賣得五六十壺茶,只賺得五六十個錢。除去柴米,還做得甚麼事!
  那日正坐在櫃臺裏,一個鄰居老爹過來同他談閒話。那老爹見他十月裏還穿著夏布衣裳,問道:「你老人家而今也算十分艱難了,從前有多少人受過你老人家的惠,而今都不到你這裏來走走。你老人家這些親戚本家,事體總還是好的,你何不去向他們商議商議,借個大大的本錢,做些大生意過日子?」蓋寬道:「老爹,『世情看冷暖,人面逐高低』!當初我有錢的時候,身上穿的也體面,跟的小廝也齊整,和這些親戚本家在一塊,還搭配的上。而今我這般光景,走到他們家去,他就不嫌我,我自己也覺得可厭。至於老爹說有受過我的惠的,那都是窮人,那裏還有得還出來!他而今又到有錢的地方去了,那裏還肯到我這裏來!我若去尋他,空惹他們的氣,有何趣味!」鄰居見他說的苦惱,因說道:「老爹,你這個茶館裏冷清清的,料想今日也沒甚人來了,趁著好天氣,和你到南門外頑頑去。」蓋寬道:「頑頑最好,只是沒有東道,怎處?」鄰居道:「我帶個幾分銀子的小東,喫個素飯罷。」蓋寬道:「又擾你老人家。」
  說著,叫了他的小兒子出來看著店,他便同那老爹一路步出南門來。教門店裏,兩個人喫了五分銀子的素飯。那老爹會了帳,打發小菜錢,一經踱進報恩寺裏。大殿南廊,三藏禪林,大鍋,都看了一回。又到門口買了一包糖,到寶塔背後一個茶館裏喫茶。鄰居老爹道:「而今時世不同,報恩寺的遊人也少了,連這糖也不如二十年前買的多。」蓋寬道:「你老人家七十多歲年紀,不知見過多少事,而今不比當年了。像我也會畫兩筆畫,要在當時虞博士那一班名士在,那裏愁沒碗飯喫!不想而今就艱難到這步田地!」那鄰居道:「你不說我也忘了。這雨花臺左近有個泰伯祠,是當年句容一個遲先生蓋造的。那年請了虞老爺來上祭,好不熱鬧!我纔二十多歲,擠了來看,把帽子都被人擠掉了。而今可憐那祠也沒人照顧,房子都倒掉了。我們喫完了茶,同你到那裏看看。」說著,又喫了一賣牛首豆腐乾,交了茶錢,走出來,從岡子上踱到雨花臺左首,望見泰伯祠的大殿,屋山頭倒了半邊。來到門前,五六個小孩子在那裏踢球,兩扇大門倒了一扇,睡在地下。兩人走進去,三四個鄉間的老婦人在那丹墀裏挑薺菜,大殿上槅子都沒了。又到後邊五間樓,直桶桶的,樓板都沒有一片。兩個人前後走了一交,蓋寬歎息道:「這樣名勝的所在,而今破敗至此,就沒有一個人來修理!多少有錢的,拿著整千的銀子去起蓋僧房道院,那一個肯來修理聖賢的祠宇!」鄰居老爹道:「當年遲先生買了多少的傢伙,都是古老樣範的,收在這樓底下幾張大櫃裏,而今連櫃也不見了!」蓋寬道:「這些古事,提起來令人傷感,我們不如回去罷!」兩人慢慢走了出來。鄰居老爹道:「我們順便上雨花臺絕頂。」望著隔江的山色,嵐翠鮮明,那江中來往的船隻,帆檣歷歷可數。那一輪紅日,沉沉的傍著山頭下去了。兩個人緩緩的下了山,進城回去。蓋寬依舊賣了半年的茶。次年三月間,有個人家出了八兩銀子束修,請他到家裏教館去了。
  一個是做裁縫的。這人姓荊,名元,五十多歲,在三山街開著一個裁縫鋪。每日替人家做了生活,餘下來工夫就彈琴寫字,也極喜歡做詩。朋友們和他相與的問他道:「你既要做雅人,為甚麼還要做你這貴行?何不同些學校裏人相與相與?」他道:「我也不是要做雅人。也只為性情相近,故此時常學學。至於我們這個賤行,是祖父遺留下來的,難道讀書識字,做了裁縫就玷污了不成?況且那些學校中的朋友,他們另有一番見識,怎肯和我們相與!而今每日尋得六七分銀子,喫飽了飯,要彈琴,要寫字,諸事都由得我。又不貪圖人的富貴,又不伺候人的顏色,天不收,地不管,倒不快活?」朋友們聽了他這一番話,也就不和他親熱。
  一日,荊元喫過了飯,思量沒事,一經踱到清涼山來。這清涼山是城西極幽靜的所在。他有一個老朋友,姓于,住在山背後。那于老者也不讀書,也不做生意,養了五個兒子,最長的四十多歲,小兒子也有二十多歲。老者督率著他五個兒子灌園。那園卻有二三百畝大,中間空隙之地,種了許多花卉,堆著幾塊石頭。老者就在那旁邊蓋了幾間茅草房,手植的幾樹梧桐,長到三四十圍大。老者看看兒子灌了園,也就到茅齋生起火來,煨好了茶,喫著,看那園中的新綠。這日,荊元步了進來,于老者迎著道:「好些時不見老哥來,生意忙的緊?」荊元道:「正是。今日纔打發清楚些,特來看看老爹。」于老者道:「恰好烹了一壺現成茶,請用杯。」斟了送過來。荊元接了,坐著喫,道:「這茶,色、香、味都好,老爹,卻是那裏取來的這樣好水?」于老者道:「我們城西不比你城南,到處井泉都是喫得的。」荊元道:「古人動說桃源避世,我想起來,那裏要甚麼桃源,只如老爹這樣清閒自在,住在這樣城市山林的所在,就是現在的活神仙了!」于老者道:「只是我老拙一樣事也不會做,怎的如老哥會彈一曲琴,也覺得消遣些。近來想是一發彈的好了,可好幾時請教一回?」荊元道:「這也容易。老爹不厭污耳,明日我把琴來請教。」說了一會,辭別回來。
  次日,荊元自己抱了琴來到園裏,于老者已焚下一爐好香,在那裏等候。彼此見了,又說了幾句話。于老者替荊元把琴安放在石凳上。荊元席地坐下,于老者也坐在旁邊。荊元慢慢的和了弦,彈起來,鏗鏗鏘鏘,聲振林木,那些鳥雀聞之,都栖息枝間竊聽。彈了一會,忽作變徵之音,淒清宛轉。于老者聽到深微之處,不覺悽然淚下。自此,他兩人常常往來。當下也就別過了。
〈(維基編入者著: 五十五回版本)〉   看官!難道自今以後,就沒一個賢人君子可以入得《儒林外史》的麼?詞曰:記得當時,我愛秦淮,偶離故鄉。向梅根冶後,幾番嘯傲﹔杏花村裏,幾度徜徉。鳳止高梧,蟲吟小榭﹔也共時人較短長。今已矣!把衣冠蟬蛻,濯足滄浪。無聊且酌霞觴,喚幾個新知醉一場。共百年易過,底須愁悶﹔千秋事大,也費商量!江左煙霞,淮南耆舊,寫入殘編總斷腸。從今後,伴藥爐經卷,自禮空王。
〈(維基編入者著: 五十六回版本)〉   看官!難道自今以後,就沒一個賢人君子可以入得《儒林外史》的麼?但是他不曾在朝廷這一番旌揚之列,我也就不說了。畢竟怎的旌揚,且听下回分解。
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tokyomariegold · 14 days
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2024/3/2
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3月2日 大学時代の自分が通っていた学校の同級生に会った。 サークルは他大学のサークルに入っていたので、自分の通った大学ではあまり友人がいなかった学生時代。 なぜか、趣味嗜好が全く異なる4人で、みんなそれぞれ他に仲の良い人もいながらも、なぜか4人で仲良くしていた(わたしは仲間に入れてもらっていた感じ)。
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昨日の腰痛を引きずって、ロキソニンを飲み、そのせいかぼや〜っとした頭で出かけた。 待ち合わせ前に銀座を歩いて、和菓子屋さんでお雛様を見た。三人官女や五人囃子が何をしているのか、まじまじと彼らの手元を見てしまった。 初めて入った和菓子屋さんで、いろんなヴァッフェルがあって神戸出身の職員さんに報告しよう!と写真を撮る。 資生堂でこれから会う友人たちへ渡すお菓子を購入。
近くのナチュラルローソンでいつも買うプロテインバーをレジへ持って行くと、ここは八百屋さんみたいな接客をしてくれる店員さんのナチュラルローソンだった!と思い出す。 「これね!とても人気でたくさん買い占める人が多くて…」と話しながらレジを打ち、前の人のお会計の残りかトレーに3円。 隣でお弁当を温める人に「お兄さん!おつりおつり!」と渡そうとしたら、その方は自分のではない、と受け取らず。 レジの打ち間違えかお兄さんの勘違いかわからないけれど「まあ受け取ってもらえないならね!」と店員さんは元気に3円をレジにしまって「これね、すごい人気なの。今度感想聞かせてくださいね」とわたしのお会計を続けた。
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ウエストのお花を確認して、帝国ホテルでバービー人形を見て、日比谷のHIBIYA KADANで白いチューリップを買った。 先にお店に入っている友人たちのラインを見ると、お昼からお酒の飲める居酒屋さんにいるとのこと。 もう帰りたくなってしまって、日比谷公園でチューリップを見たり、丸の内で明日の東京マラソンのイベント(のっぽん?がいた!)を眺めて、エンフォルドでお洋服をみてみたり、なるべく寄り道して向かった。
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久しぶりすぎて「髪型が変わったことを話していいのかもわからないね」と言いながら会って、特にこれといった大切なこともない話をして、1時間半くらいでわたしは先にお店を出た。 外の人たちと話をした気持ちになって、わたしは何様? 悪い意味でなく、つまらない、本当に何もない話をずっとしていた。 某野球選手やスイカゲーム?、健康診断、子供が食べてくれないメニューの話など。 あと結婚至上主義みたいな風潮が世の中に全然残っていることも再確認。
ミロンガの跡には、ミロンガになりたい喫茶バーが入っていた。 山の上ホテルはエントランスに仮囲いが建てられていて、それでも私を含め写真だけを撮りに訪れている人が何人かいた。 ケバブのする街秋葉原まで歩いて、帰りの電車ではいつの間にか眠っていた。
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友人の子供のエピソードで、自分が作った野菜炒めは食べないのにミールキットなら食べる、自分が味付けしたものは食べないのにただ温めただけのかぼちゃは食べる、おかずを食べない日はご飯に味噌汁をかけてねこまんまにすると喜んで食べる、と言っていた。 最近は、友人が作った野菜炒めが食卓に並ぶと、子供が自らねこまんまを作り始めてショックを受けたとのこと。 それを聞いて、子供の話が苦手だったけれど、なんかいいなと思ってしまった。
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昨日から地震が連発している。 これを書いている間も一度揺れた。 もう祈ることもできず、怖くて声を上げてみている。
窓の外の土手が少しずつ黄色くて、春が近づいている。この季節の心の無が少しずつ近づいているのを予感している。
スーパーの品揃え、いつも毎日買っていたおでんの卵2つ入りがなくなってしまった。 でも先日のお客様の声でリクエストした銀鮭の西京焼き1匹が復活していた。
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.4.30sun_tokyo
起きた。湿気がすごい。窓を開ける。アラーム無しで起きる休日の始まり。起きたらとりあえずコップ��杯の水分を飲む。前YouTubeで見た海外のバレリーナが、起床してから1リットルの水を飲んでいたから真似している。あんなかわいい人になりたいなと思いながら何故か水を飲むことだけ真似している。コップ1杯なんて1リットルに比べたら少なすぎるし水を飲んだだけでかわいくなるはずないのに..でもコップ1杯の量が私の精一杯。コップ一杯飲むだけでなんだか健康になりそうな気持ちにもなるし。なにをするにも気持ちの問題なのかもしれないとぼんやり思う。
昨日の夜は友達の家で料理教室をしてお腹がパンパンだったから、お腹にやさしい雑炊を作る。なぜか小さい鍋を選んでしまい少し煮ただけですぐに溢れそうになって火を止める。キャベツと人参は半生だったけど美味しかった。
今日は2つの予定があったがどちらも雨の予報で延期になった。 部屋の片付けを始める。バイトの日は時間の使い方が難しいから休みの日にやる事をまとめて終わらせようとするけど、結局ぜんぶ終わらせたことはない。うまく時間を使いたいといつも思っている。何もしない時間も必要だと思って何もしない時間を過ごしても、あれを進めておいた方が良いかな..となかなか落ち着かない。24時間は足りない。でももし1日が48時間ある世界に生まれていたとしても、1日が72時間あったら良いのにと言っていると思う。天気が悪くて外に出てバトミントンもできないし、部屋の片付けが捗った。 15時頃マッシュルームのペペロンチーノを食べる。美味しかった。パスタは飽きない。
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作業を進めて近所の喫茶店へ行く。 今日は散歩にちょうど良い気温で外を歩くのが気持ち良かった。
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注文を聞きにきて、カウンターに戻る店主のおばあちゃんの襟足が綺麗だった。 扉の外の景色をぼうっと眺めながらあたたかいアップルパイを食べた。
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喫茶店を出たら空がピンク色になっていた。
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その後彼と彼の友達と豚骨醤油ラーメンを食べた。彼は味噌唐辛子を大量に入れてもはや違うラーメンになっていた。真似して味噌唐辛子を少し入れたら美味しかった。友達は鼻がズビズビで風邪を引いていた。風邪にはネギが良いと言ってラーメンにネギをたくさん入れていた。ジャケットのポケットにはさっきコンビニで買ってきたらしいポケットティッシュを大量に詰め込んでいた。ネギが効いて早く健康になりますように。
帰宅してゴールデンウィークの出店の準備を進める。去年の12月から植物を売り始めて、今回は6回目のイベント。少しずつ自分にできることをやっていきたい。少しずつ、やりたいことをやって、最終的に死ぬまでにやりたいことは全部やりたい。おばあちゃんになったときに豊かな表情でいたい。 5/5(金)-5/7(日)に二子玉川ライズにて開催される太陽と星空のサーカスに参加します。鷹取愛さんの制作した鉢に植物をセレクトして植え替えたものを販売します。是非お越しください! https://www.sunandstars.tokyo/ あいさんとは去年の夏友達を介して出会った。それからよく会っている。会って話すと私このままで良いんだととか、自分の気持ちが前向きなオレンジ色とか黄色のあたたかい色になる。あいさんの生み出す陶芸作品たちは生きものみたいで愛おしい。料理も全部おいしくて心から癒される感覚になる。人におおきな影響を与えるハートの持ち主のあいさん、大好き。
ゴールデンウィーク何するの?と聞かれるし自分も人に聞いてしまう。何もしなくても良いしどこかに行くのも良いね。単純にみんなの日常が気になる。 友達とラインしていて「応援しています」という言葉を使っていて良いなと思った。昔から「頑張って」と人から言われると心のどこかが引っかかる。相手は本当に応援してくれて言ってくれたとしても、背中を押されることを求めていないのに背中を押されているような感覚とか、言われなくても1人でやるよとか冷めた感情がうまれることがある。だから「頑張って」よりも「応援しています」の方が自分にしっくり合った言葉だった。「元気?」という言葉も、元気じゃなきゃいけないの?とか、元気な状態ってそもそも何だろうとか、色々思ってしまう。
色々思ってしまうけど、人がくれた言葉たちは大事にしたいし、私もできるかぎり人の気持ちを考えて生活したい。  不機嫌になったりルンルンになったりする日々のなかで、明日からも栄養とって、適度に運動して、よく眠って、自分の気持ちに素直に過ごしたい。
-プロフィール- 谷地莉香子 25歳 東京 WUEI 植物屋 @hiyookin @wueinet
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nigebanigenige · 10 months
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2023/12/02
お風呂行ってサウナ入る。ジムは行けてないけど、お風呂に入っただけ偉いということにしてる
友達と恵比寿集合でケーキを食べる予定 どうしてもハーブスの高さのあるケーキも食べたかったけど、並んでいたので却下 喫茶銀座に行って、しゃべる 誕生日プレゼントに茅乃舎の美味しそうな鍋つゆあげた。私が食べたい。今年のM-1は、クリスマスイブなので人を誘いづらいという話をする 内装がクリスマス仕様なので、テンションが上がる
渋谷まで行って、友達と合流して紹介したい人を相談する 友達に全然別の友達の話をする時、あまりにも前提を説明する必要があるから、めんどくさいと思うが、彼女は本当にフラットなので話そうと思える 無駄に相手の注意散漫さに気づいて落ち込む
先輩の誕生日会に行く 久しぶりに大人数飲み会、やはりまた頑張れなかった 人望しかない先輩が楽しそうにしていて、それがみれただけでよかった。なんとなくそのまま帰りたくない気持ちで、だが二次会に行く元気はなく、赤坂見附で急遽二人を呼びつけてパブみたいなお店でビール飲む パブっぽい店好き〜久しぶりにグースアイランド飲んだ 今度国会見学しに行く約束をした やたらと固有名詞が出てくる政界の内事情をきく会、特殊すぎていつもおもろい
咳が止まらないので、喋る気力がどんどんなくなる 明日は喋らない
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nekocya · 1 year
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