#日本語でヨガ
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)10月7日(月曜日)
通巻第8448号
インドの対中政策はモデル足り得るか
ハイテク部品。TIKTOK、アリババ、テンセント全面禁止
*************************
ジェット機のエンジンはロールスロイス、GE、PWが三大メーカー。ほかに航空機エンジンはIHI、ホンダ、川重、三菱重工が製造している。英米三大メーカーと雖も主力エンジン部品は日本製である。
インド空軍はミグ21の後継機を自主生産するとして早くから国産化を推進してきたが、国家プロジェクトである「テジャス戦闘機」の開発が遅れに遅れている。テジャスはサンスクリット語で『光』を意味する。
米国と雪解け時代にロッキードマーチン、GEがプロジェクトに加わって、エンジン開発に目途が立ったこともあった。
ところが、その後のインド核武装への制裁をうけて、停滞した。近年またまた米国は中国への態度を百八十度転換し、インド重視に傾く。それで次期ジェット戦闘機の開発は軌道に乗った。
インドの軍需産業の拠点はハイダラーバードである。インドのシリコンバレーとも言われ数学に強いインド人のなかでも優秀な人材があつまる。インドはコンピュータプログラミングとソフト開発で卓越しており、米国のシリコンバレーにも無数のインド人がいる。製造ではバンガロールが有名で、ここにもハイテク企業が集中している。ついでに言えば自動車産業は東海岸のタミルナード、ニューデリー郊外団地、モディ首相の出身地グジャラート州。ムンバイは商業都市、デリーは政治首都、ゴアは無国籍、プネはヨガの本場と棲み分けが出来ている。
日本が受注した新幹線はグジャラートとムンバイを結び、インド西海岸に製造業が多いのは、中東、アフリカ、EU諸国への輸出拠点となるからだ。
インド空軍のシン大将は言う。
「インド空軍は、その訓練度、作戦立案と展開能力において中国空軍���りはるかに優秀だが、装備、予算、規模において劣勢である。中国はJ20(殲20ジェット戦闘機)、ドローン、戦略爆撃機を自主生産している。その規模はインドの四倍である。インド国境に近いホータン、カシュガル、シガッツェなどに空軍基地を充実させてきた。インドと中国の国境は3488キロに及ぶ」
インドは従来、その軍事力をロシア製に依拠してきた。西側への兵力システムの変更は規格、プロセス、製造工程などが異なるため、切り替えには時間がかかる。インドはドローンの自主生産をめざしているが、国産化はまだ75%という段階だ。
▼インドはアンチ中国だが、貿易では相互依存
インドは中国から医薬品原料の70%、肥料の40%、そして電子機器・部品の38%、自動車部品の27%を輸入している。理由は単純で安いからだ。中国から原料がこなくなるとインドが自慢のジェネリック医薬品の生産に支障がでる。
一方で、インドはドローン部品、ならびにアリババ、テンセントなどのアプリ43種の使用を禁止し、TIKTOKは米国に先駆けて全面禁止、携帯電話のファーウェイ、ZTEの携帯電話の利用も厳しく規制している。
中国はちなみにX(旧ツィッター)、インスタグラム、フェイスブックを全面禁止している。中国のデータが米国に流れるからだ。
日本は自主生産でジェット旅客機、戦闘機を開発してきたが、米国の政治力で潰された。中国は自力で旅客機を開発したが、米国がライセンスを出さないため当面は中国国内便に投入される。
さて、インドの基本方針はナショナリズムを基盤としているが、部品のサプライチェーン、列強の思惑と圧力を前にして、ロシアを牽制材料として政治利用してはいるが、自主開発の姿勢は評価できるにしても、日本のモデル足り得るだろうか?
インドに中華レストランが少ないのは味が合わないからではなく、在留中国人が少ないからである。瞑想好きで哲学論争に熱中するインド人にとって、現世しか信じない無神論者のシナ人とは異質である。
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【13話】 留置官に「ブチ殺すぞ」と言われたので弁護士にチクっておいたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
――逮捕から6日目。いつものように、頼んでもいないのに朝食が出てくる。ベトナム人はいつものルーティーンのように、味噌風味のお湯が入った容器にソースと醤油を入れて啜っている。
僕は昨日、自弁のカツ丼を食べて舌が肥えてしまっていたので、味噌風味のお湯を啜る気にはならず、もはや視界に入っているのも煩わしく感じたため、味噌風味のお湯の入った容器をゴザの上から床の上に移動させて食事を続ける。
すると、ヤクザ風の留置官が「オイ5番! ゴザの上に置いて食えよ? こぼしたら床が汚れるだろォ?」などと恫喝めいた口調で僕を叱ってくる。僕は一瞬頭にきたが、(たしかにコイツの言い分は一理ある)と思い、素直に「はい」と答えて、その容器をゴザの上に戻した。
朝食後、この日は留置場内にある風呂場に入れる日であったので、順番を待ち、留置官に自分の番号を呼ばれてから風呂場へ向かう。
風呂場の前に立っている留置官からリンスインシャンプーを借りると、その場で少し待つように指示される。留置官は風呂場に向かって「19番、あと3分~!」などと言って、早く風呂場から出るように催促している。
19番が出てくると、留置官から入場の許可がおりたので、脱衣所から風呂場に入ると、髪を洗っている男の背中に彫られた般若と目が合った。
僕は和彫の刺青を生で見たのは初めてだったし、そもそも浴場で大きな刺青を見るのも初めてだったので、これにはなかなか面を食らった。和彫の男は隣の居室でよく騒いでいたギョロ目のじじいで、目が合うと、「おう5番!!」などと完全に音量を間違えている大きな声で挨拶をされた。
風呂場は6人分程の身体を洗うスペースと、3人程入れそうな大きさの浴槽があり、定員は3人に絞られていたので、割とゆとりのある空間だった。
僕は悪臭を放っていた頭皮と髪を洗い、石鹸を��立てて手で体を洗ってから浴槽に入る。浴槽は垢が浮いていて気色悪さはあったが、そんなことはどうでもよくなる程、熱い湯に全身が浸かる気持ちよさに蕩けてしまう。
時間も忘れて蕩けていると、タイマーで入浴時間を計っていた留置官が「5番、あと3分!」などと急かしてきたので、しぶしぶ風呂場を後にする。
風呂場から出ると、留置官から綿棒を2本提供されたので、その場で耳掃除をし、耳糞のついた綿棒が多く捨てられているバケツに綿棒を捨てる。
入浴後、同じ居室のベトナム人と筋トレやヨガをして、漫画の続きを読み、昼食を終えてうたた寝をしていると、ヤクザ風の留置官とギョロ目のじじいによる、完全に音量を間違えている会話が聞こえてきて、目を覚ます。
「なあ6番、三浦春馬って知ってるか? 俳優の」「あ、よく知らねっすけど、知ってます」「あぁ…じゃあやっぱ有名なんだなあ」「おれはそういうの全然興味ねぇんですけど…それで、三浦春馬がどうしたんですか?」「自殺したんだって、首吊り」
寝ぼけ眼で寝転がっていた僕はそれを聞いて仰天し、膝立ちになり、ヤクザ留置官の方を見て「え!?」と声を発する。するとヤクザ留置官は「あ゛?」と何故か威嚇をしてきたので、僕は無視してまた寝転がった。
それから仰向けの状態で漫画の続きを読んでいると、首が痛くなってきたので、長袖のスウェットを脱いで、それを枕にし、再び漫画を読んでいた。
すると、しばらくしてヤクザ留置官が「何やってんだこらァ!」と急に大声で怒鳴ってきた。僕は目を丸くしてヤクザ留置官の方を見ると、ヤクザ留置官は「てめぇ枕にしてんじゃねえぞ!」と怒鳴ってくる。
僕はムカついて反射的に舌打ちをし、「うっせーな…」と小声でぼやきながら、枕にしていたスウェットを手に取って着ようとすると、ヤクザ留置官は鬼のような剣幕で「てめぇ…! 次やったらブチ殺すぞッ!!」と場内に響き渡る大声で怒鳴ってきた。
僕は大声で露骨な脅迫をされたことで、急激に心拍数が上がり、身がすくんだ。しかしこれは好機だと察知して、「…あ、今ブチ殺すぞって言いました?」などと震えた声で聞き直す。
すると、ヤクザは若干ひるんだ表情で、「……ブチこむって言ったんだよ!」などと言うので、僕が「ブチ殺すって言いましたよね?」と再度聞き直すと、ヤクザは「日本語分かんねえのかァ!? ブチこむって言ったんだよ…! 刑務所に…」などと咄嗟に出たらしい言い逃れをしてくる。
僕は負けじと「ブチこむでも脅迫ですよ? それにここにいる人たちは全員ブチ殺すぞって言ったのを聞いてると思うんで、言い訳しても無駄ですよ」などと平静を装って言い返す。
すると、ヤクザ留置官は見事に何も言い返せ���くなったようで、わなわなと顔を震わせて立ち尽くしていたので、僕は手元にあった便箋とペンを手にとり、「すみません、あなたのお名前を教えてもらえますか?」と尋ねる。
ヤクザ留置官は「…教えねーよ」と言うので、僕が「なんで教えられないんですか?」と尋ねると、「教えちゃいけない規則なんだよ」などと言い返してくるので、「その規則見せてくださいよ」と言うと、「見せちゃいけないことになってるんだよ」などと幼稚な返答をしてくる。
僕は埒があかないと思い、「ええと…16時25分。50代くらいの、暗いレンズのメガネをかけて、髪を七三分けにした男性警官に「ブチ殺すぞ」と大声で脅迫をされました…」などと、わざとらしく声に出しながら、声に出した内容を便箋に書く。
さらに補足として、ヤクザ留置官の特徴をメモに取り出すと、ヤクザ留置官はおもしろいくらいにシュンとして、事務机のある椅子に無言で座った。
僕は既にヤクザ留置官の特徴を十分にメモしていたが、ヤクザ留置官を虐めるのが楽しくなっていたので、「ええと…肌はやや赤黒く、耳は若干潰れており、ええと…よく見えないな……あ、一重まぶたで…」などと言って、ヤクザ留置官の特徴を執拗に記録する。
ヤクザ留置官は、さすがに僕の挙動に不安になったのか、帽子を深く被ったり、マスクを鼻の付け根が隠れるほどに覆ったりし始めたので、僕は「私が男性警官の特徴をメモにとっていると、帽子を深く被ったり、マスクで顔を隠したりしていました」などと記録しながら実況をしてやる。
すると、ヤクザ留置官は顔をうつ向かせて体を丸めだし、とうとう玉のようになってしまったので、「これだけ特徴書いておけば誰だか分かるか…よし!」などと台詞じみた独り言を言って、ようやくペンを置く。ふとベトナム人の方を見ると、ベトナム人は隅っこのほうで気まずそうな表情をしていた。
夕食後、弁護士がやってきたので、今日の一連の騒動を報告すると、弁護士は「それはいいネタを掴みましたね!」などといつになく興奮した様子で、「検察も人間ですから、勾留している被疑者が警察から脅迫されたとなれば、身内の弱みを握られているようなものなので、起訴に踏切りづらくなるものですよ」などと言う。
弁護士は続けて、「私からは担当の検察官宛に抗議書を送付しますが、これから警察や検察の取調べの際には、留置担当官から脅迫をされて、警察や検察を信用できなくなったので、取調べに協力はできませんと言って、黙秘と署名拒否をしてください」と僕にアドバイスをする。
僕は普段の悪態が幸いして、思いがけない武器を手にしたことに胸が高鳴っていたが、弁護士は水を差すように、「ただ、次の検察の取調べは注意してください。そろそろ共謀で捕まっている友人や売人がなにか自白しているか��しれませんから、検察が知り得ない情報を語っていたら、忘れずに覚えておいてください」と忠告する。
弁護士が帰り、自分の居室に戻ると、しばらくしてヤクザでない留置官が「5番、明日地検入ったから」と伝えてきたので、少し不安になりそわそわしていたが、就寝前にデパスを飲んだら、そんなことは忘れてぐっすりと眠ることができた。
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つづく
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この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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安倍晋三元首相の銃撃事件から1週間が過ぎた。母親が宗教団体に多額の寄付をしたことで家庭が破綻(はたん)し、恨みを持っていたという山上徹也容疑者(41)。その母親と同じ団体の元信者が、幼いころの山上容疑者の様子や、当時の��親の信仰心の強さについて語った。 「かわいらしい子だったのに、あんな事件を起こすなんて信じられません」 そう話すのは、旧統一教会(現、世界平和統一家庭連合)の元信者の女性だ。 「かわいらしい子」と表現したのは、安倍元首相を銃撃し、逮捕された山上容疑者のことだ。 この元信者の女性は、山上容疑者の母親が30年近く前から旧統一教会に傾倒し、多額の寄付をしていたことを覚えており、当初は旧統一教会側も母親を大事にしていた印象があったという。 「統一教会は、山上容疑者の母親が入信したときに家系図を書かせ、預金通帳も供養するからとチェックして、こと細かに事情を聴いて資産状況を知っていたからです。山上容疑者の祖父が亡くなると、相続人の一人が母親であることをすでに知っていたようです。お母さまに、山上容疑者の祖父が亡くなる前に大阪府内の家を売却させて、法外な2千万円を寄付させていました。その時は、統一教会の幹部もすごくうれしそうな表情で、『神の祝福がある』というような話を信者の前でしていました。お母さまも『祝福があるはず。とてもうれしい』と話していました」 そして、山上容疑者の祖父が死亡すると、母親はすぐに、経営していた奈良市内の建設会社の不動産も売却した。 「三つの物件で1億円近くを寄付されていました。また、祖父の会社のお金も出していたようです。お母さまは統一教会の狙い通り、ほとんどを寄付して、その結果破産しました」 山上容疑者の祖父が大阪府に所有していた家の不動産登記簿を調べると、1998年8月に売却されていた。周辺の不動産評価から、2千万円前後だったとみられる。そして2002年には破産しており、元信者の女性の証言と符合する。 女性によると、山上容疑者の母親は熱心な信者だったという。山上容疑者の父親が自殺し、祖母も早くして亡くなった。不幸が続き、母親の不安や悩みに旧統一教会が付け入ったという見方だ。 「山上容疑者本人を見たのは、お母さまに誘われてご自宅にうかがった時です。『長男(山上容疑者の兄)は体が弱くて大変なの。けどこの子は元気いっぱいです。私が(統一教会を)信仰しているおかげです』とうれしそうに語っていました。山上容疑者が高学年だったかな。あいさつもしっかりしていて、はきはきした感じで。あんな事件を起こすなんて夢にも……」 女性はそう振り返った。さらに、自宅内に置いてあった統一教会関連の商品を見て驚いたという。 「一戸建てのご自宅には、統一教会のつぼだけで三つか四つはありました。他にも数珠、印鑑、多宝塔に、1冊何百万円という本などが山のように。時の宴ペンダント、ぶどうの実ペンダントなど1個何百万円もするようなものも並んでいました。私はお金に余裕がなく、活動で教団に尽くしてたので、(山上容疑者の家は)すごいお金持ちなんだなと思いました。お母さまは『統一教会の教えを守って、ご先祖様を供養したい』と話していました」 千葉県内の女性が旧統一教会に購入されられたという商品の一部(2008年撮影) 千葉県内の女性が旧統一教会に購入されられたという商品の一部(2008年撮影) そのころ、旧統一教会は霊感商法が社会問題化し、歌手の桜田淳子さんら著名人が韓国での合同結婚式に参加したことが、大きな騒ぎになった。 そのなかでも、旧統一教会は全国にある支部に毎月、「ノルマ」として寄付集めを競わせていたという。 「私の知る限りですが、支部には毎月、寄付の目標があります。例えば『今月は1千万円の寄付を目標に』と幹部が押し付けます。しかし簡単に達する金額ではありません。幹部は資産があるお母さまを頼るのです。それが幹部の出世につながる。お母さまは、最後、統一教会に言われて消費者金融にまで手を出して破産したと聞きました。それでも信仰を続けました。だけど統一教会は、お金がないと思ったのか冷たくしていました」 全国霊感商法対策弁護士連絡会の加納雄二弁護士は、 「統一教会の収入のうち、7割が日本からで、寄付、霊感商法、合同結婚式の参加費用関連などで占められているようです。寄付のノルマを課し、信者や支部の責任者としてはやしたて、より多くのカネを集めようとしていた。それは、統一教会がダミー会社を設立して、セミナーを開催し、高麗人参などの健康食品や家系図などを販売する手法とも同じです。ダミー会社が違法な販売で、刑事事件��なり有罪判決となった例もある」 と説明する。 霊感商法で売られていた壷(1987年撮影) 霊感商法で売られていた壷(1987年撮影) 山上容疑者の母親は、統一教会の聖地とされる韓国・清平(ちょんぴょん)の教団施設で、40日間続けて行われる「HJ天宙天寶修錬苑」に何度も参加していたという。修行の内容は、ヨガやビデオの視聴、講座、祈とうなど。1回につき、渡航費を含めて100万円近くの費用がかかるそうだ。 元信者の女性が話す。 「修練会に行くというのは、修行のようなものです。多額のお金がかかり、40日と長いのでそう簡単に参加できません。信者が修行に行くというのは、支部の幹部にとっても統一教会本部へのアピールになります。お母さまは病気がちの長男を連れて親子で参加していたこともあります。『ご先祖様も安心され、長男の病気も治るはず』と言っていました」 一方で、元信者の女性は統一教会への不信感が募っていったという。 あまりに頻繁に寄付やつぼの購入などを要求され、出す人が優遇されて、出せない人は幹部からつるし上げられる。元信者の女性は、家族から「絶縁する」と言われ、周囲からの説得もあり、脱会を決意する。入信してから7、8年ほどした時だ。 「山上容疑者のお母さまからは『一緒に続けましょう』と何度も説得されました。私が脱会の決意をしたのはお母さまの破産も一つのきっかけでした。それまでお母さまを大事にしていた支部も、『金の切れ目が縁の切れ目』とばかりに、粗末に扱うようになりました。また、お母さまの親族が統一教会に入信していなかったことに幹部は『信仰が足りない』なとど叱責(しっせき)していました。今思えば、お母さまの親族が安定した仕事についておられたようで、統一教会はさらなる寄付がほしいと考えていたようです。幹部の言うことは絶対の統一教会。お母さまはいくら叱責されても、グッとこらえていました」 加納弁護士によれば、 「統一教会は、信者の家族、親族を入信させて親子何代と続けて、寄付させて、カネもうけの道具にする。そういう集金の構図をすでに完成させてします。だから、信者になると家族、親族を絶対に入信させようとするのです。ゆえに統一教会2世、3世が苦境に立たされている」 と指摘する。 高校時代の山上徹也容疑者。応援団員として活躍した=卒業アルバムから 高校時代の山上徹也容疑者。応援団員として活躍した=卒業アルバムから このように指摘される寄付について、世界平和統一家庭連合の広報部に問い合わせた。 ノルマのようなものがあったかどうかについては、 「ノルマはないです。2009年以前は、ノルマではないが、教会長によっては行き過ぎた献金指導がありました。その代表的な例として、『家土地売って、財布を置いていけ』というのもありました。教会長は罷免(ひめん)になりましたが、そういったことも含めて反省があり、09年にうちの法人の会長が謝罪し、離職しました。その後、コンプライアンス宣言をして、法令順守を���げ、鋭意体制を見直しながら、より良い教会づくりに努力しています。今はそういったものはありません」 と回答した。韓国・清平の教団施設の件については、 「『清平40日修練会』といいます。修行の内容は、ヨガ、ビデオの視聴、講座、祈祷のほか、奉仕活動、原理講義の受講、奉読などです。コロナ禍になって、韓国では集団での集まりが規制されたので、この2年間くらいは日本からの参加者はいません。韓国でも修練会はストップしています。(山上容疑者の)母親が参加していたかどうかは把握していません。母親と連絡もとれていません。奈良家庭教会も、脅迫のような電話がかかってきたため封鎖しており、確認が難しい状況にあります」 と説明。参加費が100万円かかるという点については、 「渡航費も含めて100万円はかかりません。時期によっては渡航費が高くなりますが、修練会費だけでいえば、寝食も含めておそらく40万円くらい。韓国のホームページでは修練会費は70万ウォンと記載があるので、今なら7万円程度です。正確には調べてみないとわかりません」 と話した。 また、信者の家族、親族を入信させて親子何代と続けて寄付させるという指摘については、 「信者の家族や親族、友人知人を入信させていくのは、氏族伝道といいます。かつては訪問伝道、街頭伝道が主流でしたが、09年以降は氏族伝道になりました。宗教法人なので一番大事なのは布教。信者が増えないと話にならない。信者が増えると、月々の『11条献金』(月収の十分の一程度の寄付)が増えます。人が増えると献金が増えて、教会の運営も盤石になります。とにかく布教が一番になります。09年以前も、家族や友人などへの伝道はやっていました。ただ、氏族伝道という言い方はしていなかったと思います」 と話した。 旧統一教会への恨みから安倍元首相を殺害するという前代未聞の事件。山上容疑者の犯行動機の背景が明らかになるには、旧統一教会との関係が最大のポイントになりそうだ。 (AERA dot.編集部・取材班)
【独自】旧統一教会の元信者の衝撃告白 私が見た「山上容疑者」と母親の「法外な献金」 | AERA dot. (アエラドット)
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4月14日(日)午後 クライブ・シェリダンのサットサンガ(ヨガ講話)東京
Clive Sheridan : Tokyo Yoga Satsanga at Tsukiji on 14th April
隅田川沿いの夜景 (Dec 2021, Tokyo) Tokyo Ganga at night
日時:4月14日(日)13:30 ~ 16:00 場所:東京都中央区 築地
<日本語の通訳が入ります>
プログラム 13:15 開場 13:30〜16:00 プラーナヤー��、瞑想、サットサンガ (プラーナヤーマ、瞑想を約1時間、残りの時間はサットサンガ)
内容 クライブ・シェリダン先生のサットサンガが4月14日(日)の午後に、東京の築地で急遽、開催されることになりました。 1960年代よりインドに通い、ヨーガを修めてきたクライブがヨーガのお話をいたします。サットサンガはサンスクリット語で「真理の集い」と言った意味ですが、簡単に言えばヨーガの学びをシェアする機会です。 ヨーガの中でも様々な分野がありますが、彼がサットサンガで主に語る内容は、ヨーガの実践に必要な基本的な留意事項、プラーナヤーマの活用法、瞑想の実践、セルフ・リアライゼーション(自己実現/モクシャ(解脱))と非二元論(不二一元論=アドヴァイタ・ヴェーダンタ)やタントラ(日本では密教とも訳されますが、チャクラなどを活用したクンダリーニの覚醒についてなど)、そして女神を中心としたインドの神々を巡る神話的世界です。 今年の秋、10月に静岡県浜松市と東京都奥多摩の御岳山でワークショップとリトリートがありますが、ご関心のある向きはぜひ足をお運びください。
お申し込み&お問合せ先 enquiry(@)wonderyoga.jpn.org 上記アドレスの@マーク前後の(カッコ)を外してお送りください
持ち物など アーサナは行わないのでヨガウエアは不要ですが、多少座りますので、座りやすい衣類がオススメです。会場に座布団はございますが、ヨガブロックなどはございません。必要な方はご持参ください。
主催 Pranayama Sanga, PranaMotion & WonderYoga*
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阪神大震災の混乱がまだ収まらない平成7年3月20日朝。東京・霞ケ関駅を通る地下鉄車両に猛毒のサリンが散布された。13人が死亡し、負傷者は6千人以上に。大都市で生物・化学兵器が用いられるという未曽有のテロは、世界に衝撃を与えた。
実行したのはオウム真理教。自前でサリンを製造し、これに先立つ松本サリン事件(6年)でも多数を死亡させていた。教団の被害者から相談を受けていた坂本堤弁護士一家殺害事件(元年)の関与も疑われ、警察の強制捜査を牽制(けんせい)するため、中央省庁が集まる霞が関を狙ったのだ。
一連の犯行を担ったのは、「グル(尊師)」と呼ばれた教祖、麻原彰晃(しょうこう)=死刑執行時(63)、本名・松本智津夫(ちづお)=に服従する一部の幹部メンバーたちだった。
「絶対的」な帰依の素地
はじめは、ヨガの先生に過ぎなかった-。大手ゼネコン出身で、教団独自の省庁制では建設省大臣に任ぜられた早川紀代秀(きよひで)=同(68)=は入信からわずか4年で、弁護士一家殺害の実行犯の一人となった。
神戸大農学部に進学し、その後景観工学などの修士課程に学んだインテリの早川。安易に「心」を持ち出す宗教はむしろ嫌いだったという。ノストラダムスの人類滅亡論などオカルトがブームだった社会人当時、本屋で「超能力」の文字が躍る麻原の著書をたまたま手にし、まだヨガサークルだった「オウム神仙の会」に興味本位で電話をかけた。
参加したセミナーで、麻原の「シャクティーパット」を受けた。麻原が参加者の額に手を当てるイニシエーション(秘儀伝授)の一種。「神秘体験」とまではいかないが身体が熱くなりエネルギーが入ってくるのが分かったという(『私にとってオウムとは何だったのか』早川、川村邦光、ポプラ社)。
ヨガの修行は宗教団体としてのオウムの特徴の一つだ。抽象的な説法だけでなく肉体を動かすため、なにがしかの変化を実感できる。早川はたばこをやめられるようになった。こんな小さなエピソードが後に「絶対的」となる帰依(きえ)の素地をなしていく。
「オウム真理教は基本的に二十四時間フル稼働の空間である。睡眠するための時間というものが基本的に設定されていない」。6年に出家した当時のことを、元信者の高橋英利はこうつづる(『オウムからの帰還』草思社)。過酷な修行に加え、「ワーク」なる作業奉仕が何時間もあった。
サティアンと呼ばれた教団施設は不潔極まりなく、ネズミやゴキブリが走り回る。「掃除はしないのか」と不平を漏らすと、清潔さや衛生を求めるのは「煩悩」と、別の信者にたしなめられた。
信者同士の私語は原則禁じられ、連帯はない。あるのは麻原とそれ以外。高橋は出家生活について「それぞれの個人のなかに閉じ込められている」と表現した。
善人ほど取り込まれ先兵に
出家信者はときに幻覚が現れるような苛烈な集中修行を課され、疲労により判断能力が減退した脳に、麻原の説法を流し込まれた。合成麻薬のLSDを服用させ、意識変革を迫るイニシエーションも行われていた。
「人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない」。麻原はこのフレーズを何度も繰り返し、輪廻転生(りんねてんせい)を説くことで信者に死後の魂の行方を強く意識させた。生きていても悪業を重ねる人の殺生は「ポア」である-。より良い転生に導くための「善行」と教え込み、教団批判者の殺人を正当化した。
弁護士一家のポアを命じられた際、早川にもためらいはあった。だが、救済者たる「偉大なグル」の弟子というおごりがその迷いをかき消した。早川はこれを「慈悲殺人」と称した。
「自分ははまらないと思っている人がほとんどだが、大半がはまる」
信者のオウム脱会を支援していた弁護士の滝本太郎(66)はそう話す。オウムによるサリン攻撃を受けても教団と対峙(たいじ)し続けた滝本だが、個々の信者は「純粋ないい人ばかり」と振り返る。善人ほどカルトのマインドコントロールに取り込まれる。そして残虐行為もいとわないテロの先兵と化してしまう。
ハルマゲドン(最終戦争)による終末論を唱えていた麻原は、自らも立候補した2年の衆院選で惨敗して以降、国家転覆を妄想し、自動小銃調達やサリン製造など教団武装化の道をひた走った。今や陰謀論の定番となった「公安」「フリーメーソン」からの攻撃も盛んに口にした。両サリン事件というテロはこの延長線上にあったといえる。
逮捕後、妄信から覚めた早川は「権威が示す正義」の恐ろしさに言及した。自らのエゴを捨て絶対的権威に従う形を取っているが、実はそれは、形を変えた自分のエゴだったのだ、と。(呼称・敬称略)
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2023/7/15〜
7月15日 昨晩クール宅急便で突然母から冷凍マフィンが6個届く。とても心がざらざらになり、すぐゴ���袋へ入れて、今朝捨てた。 でもそのざらざらから頭が冴えてしまいとても疲れていたのに大掃除をして、レスタミンを飲んで、朝は早く起きることができず、ゴミ収集車はすでに行った後だった。
一日中ずーっとぼやっと、そしてへとへとで、せっかく写真展の打ち合わせをしたのになんだか疲れたことと大玉スイカが8,000円だったことくらいしか覚えていない。 ギャラリーの方と、今展示中の作家さんと、友人とで青木さんの話をした。 青木さんが、感染症状況下を見て何を思うのかをみてみたかった、という同志がいることを確認できた。
高田馬場は、中国人向けの日本語学校がたくさんある、とNHKで見たことがあったな〜、と本当にアジア系の外国の若者が多かった。
スクリーンショットの写真の展示方法をもう一度考えて、今日教えてもらった印刷屋さんのHPを見てみるつもり。 とにかくへとへとで草枕も食べられなかった。
友人の北海道土産のラベンダーのパックで少し元気になってきたかも。
7月16日 プライムセールで買ったサーキュレーター(安い!)をつけてみたところ、一晩のうち一度くらいしか起きなかった気がする。 日曜なのに4時に起きて、もう一度寝て朝一のヨガへ行けた。 朝に体を動かしてしまうと一日を始めてしまうので今日はなんとかなった。 午後の予定の前に、いつも行けないまちの無印へ行って紙コップを探したけれど取り扱いなし。 それとMarks&webでスースーすると話題(?)のボディジェルを買ってみる。
午後の予定の駅を降りると、バス停の地面に寝そべっている人を警察3人が囲んでいて、なんとなく水をかけている様子だったので、この暑さでパタンとしてしまったのかも。
その後会った方は、先日お父様が亡くなり、それまで疎遠だった3人きょうだいが突然みんなで入れ替わり立ち替わり残された実家の母の元へ通うようになったとのこと。 誰も重い腰を上げる、というようなことではなく、突然の展開に何事もなかったかのように交流が再開したらしい。 私にも妹がいて、いつか話せる日が来るといいな〜くらいには思っている旨を話してみる。 何かをきっかけに変わるかもだけれど、別に焦る必要は全くない、という気持ちにさせてくれた。
その方は(話の端々から、そうなのかしら?と思っていた)未婚でパートナーと一緒に暮らしているらしい。月並みに、私は誰とも生活を共にしたくない、と思っていることを話すと、そう!一人が1番!と言っていた。
すてきだな〜と思う女性の方、かなりの割合で未婚の方かシングルマザーかパートナーと暮らしている事に気がつく。
結婚すると“おめでとう!”て言っちゃうのはもう反射的な感情で、こないだ長島先生が「結婚祝いって難しい!だって結婚しない人は何ももらえないんだよ!」と言っていたことを思い出す(その時、先生の息子さんは「何かの折にあげればいいんじゃない?現金をさ。」と言っていて、その感覚いいな〜と思っていた。)。
私は自分が結婚することに、だいぶ小さい時から拒否感があって、万が一子供がいるイメージをしても、それはどうしても未婚のシングルマザーだったし、結婚する・しない、がリアリティを増している(もはや通り過ぎている…?)今でも、本当にイメージもその選択のフィールドに立っている感も��く、ただ日々に追われている。 少し考えてみても面倒になって、とりあえず写真展をしたい。
憧れる人の人生の真似をするなんて、自分の人生やれよ!って話かもだけれど、憧れを真似るのも私の人生だし、もしそうなったとしてもあまり恥ずかしくない結果かも。
学芸大前にある保護猫カフェに行きたい。 明日は海の日。何も仕込めていない。
Marks&webのスースージェルは(ナイアシンフラッシュが重なったせいか)殺人級の清涼感でちょっと怖かった。
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クィアたちのZINE交換【後編】
前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」という呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめてい��かもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ヨガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、京都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手��わたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティについて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではないかと思う。
■アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛されるサトシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開によって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バ���ルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため、表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーションになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」�� 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後感のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理をしなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間が楽しいと思う私は間違ってるのかな?」といったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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#05 中沢レイ
一日の流れ
朝は6時半くらいに起きて朝ご飯とお弁当をつくります。家は私と息子と私の母の3人暮らしです。息子に持病があって、12時間おきに飲まなきゃいけない薬があるので、彼が寝てようが何してようが飲ませてから出かけます。職場は三重県内の市役所で、移住関係の仕事をしています。非常勤で働いてもうす��3年になります。
家から市役所までは車で山道を走って40分ぐらいで、道が混んでいたら小一時間ぐらいかかるときもありますね。仕事は17時15分までで、時間になったらすぐ家に帰ります。以前、息子と二人で暮らしていたときは夕飯のお弁当を買って帰っていましたが、今は母親が夕飯の支度をしてくれているので、それをありがたくいただいています。夕食後はだいたいぼーっとスマホを見たりして、気づくと2時間ぐらい経ってたりします。息子はゲームが好きで、夜はゲームのコアタイムだから私とは全然話をしてくれないんですよ。みんなが思い思いに過ごしているのを確認してからお風呂に入って、寝るのは23時ぐらいです。
市役所の仕事のほかにヨガを教える仕事もしていて、レッスンがあるときは、仕事のあと家に一旦帰って晩ごはんを食べて、借りているレッスン場に出かけます。土曜日はバレエ教室で子どもたちにコンテンポラリーダンスを教えています。ダンスというか、キャッキャ言いながら自由に動いたり、何でも試してみようというクラスですね。日曜は基本的に休みですが、移住の仕事は土日にイベントがあることが多いので、結構出張したりもしています。空いている日は子どもと一緒に過ごそうと、何をするわけじゃないけど、家にいるようにしています。
生い立ち
生まれは岐阜県岐阜市です。母方の祖父母が縫製業を営んでいて、一家総出で服をつくっていました。両親は朝から晩まで、すごくうるさい工業用ミシンを踏んでいて、家には有名なブランドの布が置いてありました。だけど、私が小学校1、2年生の頃に景気が悪くなったのか、父が仕事を辞めて養鶏場に働きに出るようになりました。それまでは家にずっと親がいたけど、突然鍵っ子になって、弟は泣いていましたね。姉である自分はしっかりしなくちゃと思っていた記憶があります。
中学3年のときに親が頑張って家を建てて、引っ越しをしたんですよ。私は転校もしたんだけど、ある日修学旅行から帰ってきたら両親に「離婚するわ」って言われて。私から見たら仲は悪くなかったんだけど、実際はそうじゃなかったみたいです。せっかく建てた新居も出ることになって、その家は私の叔母さんが住むことになりました。弟は父に、私は母についていくことになったんですが、母の家に引っ越すと中学校を変わらなきゃいけないと言われたので、卒業までは叔母さんのもとで居候をしていました。叔母さんは私のことをかわいがってくれて、叔母さんというよりお姉さんという感じでした。
母は家を留守にしがちだったので、高校からは一人暮らしのような感じでした。家の下がうどん屋さんだったので、母が置いていったお金で天丼の出前を頼んだりしていました。高校3年のときに母が再婚して新しい家族ができましたが、私はもう高校生だし「あなたたちとは関わらないので」と言って、学校もあまり行かずに好きなように過ごしていました。高校卒業後は好きな英語を勉強するために、英語の専門学校に入りました。
仕事のこと
私が専門学校に入った頃は超バブルの時代で、成績が良い子は先生の薦めで在学中から証券会社とか銀行に就職するんですよ。私も1年の終わりには学校に籍を置きながら商社で働きはじめました。同じころ、音楽をやっている友だちから「岐阜放送っていうラジオ局で話す人を探してるんだけど」と言われて。当時はバイリンガルのDJが流行っていて、私が英語を話せると思って声をかけてくれたんですね。実際はそんなに話せないんだけど、洋楽を聴いていたからそれっぽくは話せるんです(笑)。それでラジオ番組のDJをやることになりました。商社は1年勤めて辞めました。
田舎の放送局だけど案外仕事はありました。レコード会社の人がプロモーションで名古屋に来たときに、そんなに回るところがないから岐阜放送まで来てくれるんですよ。「若くてちょっと変わった子がいる」みたいな感じでいろんな人に良くしてもらって、外タレのアーティストに直接インタビューさせてもらったりもしましたね。でも、DJとかタレントになりたいという気持ちはまったくなかったです。どちらかと言うと裏方や制作をやりたくて、19歳ぐらいから台本や企画書を書いたりしていました。自分の番組では選曲も全部自分でやっていたし、そうした仕事が周囲に伝わって愛知や東京でもDJをやるようになりました。
踊りのこと ラジオと平行してやっていたのが、幼少期から続けていたダンスです。うちの親は全然そういう素養はなかったんですが、私が幼稚園のころに「バレエをやりたい」と言ったみたいで、母が習わせてくれました。ただ、習っていた先生が怪我をしてバレエをやめることになってしまい、次に入ったのがモダンダンスの教室でした。少しして「これはバレエじゃない」って気づいたんですが、それがかえって良かったんです。というのも、その先生は生徒にお手本を見せないんです。「シュッとなってパッよ」というふうに擬音で振り付けをするので、みんなそれぞれの「シュッとなってパッ」をやるんですね。中学高校と、その先生のもとでダンスを続けました。
あるとき、名古屋で開かれたダンスの大きなコンクールに通訳として参加したんですが、そこで出会ったのが(舞踏家の故・)和栗由紀夫さんです。和栗さんに「お前、踊りやってるのか。うちに遊びにこいよ」と言われて、東京に行ったら板橋にあった和栗さんの家に遊びにいくようになりました。ある日、和栗さんの家に行ったら、ベニヤ板を2枚出してきて、「ここに座って」と言われて。言われたとおり座ったら今度は「右手をこう出してみな。左手は上から出して。これが閉じてさ、開くんだよ」とか言われて。「こうですか?」みたいな。それで「今度舞台やるんだけど出ない?」とくるわけです(笑)。
それで出演したのが、新宿のパークタワーホールでやった和栗さんの『エローラ〜石の夢』という作品です。その後、和栗さんが主宰していた「好善社」に入るとともに、東京に引っ越してきました。好善社の男の人たちは、それまでダンスをやったことがなくて突然踊りを始めているから、発想がとても面白かったんですよ。そこから結局6、7年は東京に住んでいたと思います。
その後、もう踊りはやめようと思うことがあって、カポエィラに打ち込んでブラジルに行ったりもしました。ダンスの世界は、なんだかんだ言って身体を動かすことが得意な人しか入ってこないけど、カポエィラは、趣味でやってますみたいなお姉さんとか、イケイケの男の子とか、格闘技好きのオタクっぽい子とか、いろんな人がいるんです。一般社会では絶対に仲良くならないような人たちが嬉しそうに一緒にやっているのがすごくいいんですよね。でも、ブラジルにいたとき、テレビから流れ���きた音楽に合わせて、やめたつもりの踊りをふと踊っていたときがあって、やっぱり踊りはやめられずにいます。
妊娠・出産
出産したのは38歳のときです。妊娠がわかったときは、当時結婚していた夫とフランスに住んでいました。日本では私がダンスをやっていると言うと、初対面の人にさえ「いつまでそんなことやってるの」と言われたりしましたが、フランスではまったく逆で、みんな興味を持ってくれました。現地の人たちと仲良くなって一緒に作品をつくったり、小劇場で即興の企画をやったりもしましたが、一方で自分の底が知れた感じもあって、妊娠を機に日本に帰ることに決めました。
出産はだいぶ時間がかかって大変でした。それでも元気に生まれて良かったと思っていたんですが、生まれてからがさらに大変だったんです。とにかく夜まったく寝なくて、ベッドに置いたらどれだけ寝ていても起きて泣いて……。子どもってそんなもんなのかなと思ってたけど、自分も寝れないから信じられないくらい痩せてしまって、布団で寝ていても背骨が痛くなってしまうほどでした。夫は仕事に行ったきりほとんど帰ってこなくて、赤ちゃんと二人暮らしみたいな感じです。しかも、夫の希望で都内からもう少し田舎に引っ越すことになって、それまでは遊びに来てくれた人たちも来れなくなって、本当に孤独になってしまいました。
それでも息子を地元の幼稚園に入れてなんとか生活していたんですが、2011年の1月末に、幼稚園に息子を迎えにいったら、先生から息子の様子がおかしかったと言われました。確かに、家に帰っても何もしゃべらないし、ご飯も食べないんです。病院に連れていって、インフルエンザの検査をしたりしたけどなんともなくて。食塩水を点滴してもらって、ちょっと良くなったように見えたんですが、次の日にはもっと具合が悪くなってしまって。抱っこしたらびっくりするぐらい重たくて、これはおかしいと思いました。
再度病院に行って尿検査をしたら、測れないぐらいたんぱくが出ていて、大きな病院に行くように言われました。行った先で「これはネフローゼという病気で、治療に長い時間がかかります」と言われて、そのまま入院です。ステロイドを大量投与する治療をはじめたんですが、息子はステロイドを半量に減らしたところで再発してしまい、それから一切ステロイドが効かなくなってしまいました。
これはもう救急車で運ばなければという状態になってしまって、埼玉から東京の世田谷にある成育医療研究センターに救急車で運ばれて入院しました。それが2011年の3月11日です。病院について、しばらくしたらダアーッと揺れて点滴は倒れるわ、壁に亀裂が走るわで大パニックです。しかも原発事故で放射能がどうこう言われていたから、ガラケーで一生懸命情報を調べました。食事も大変で、子どもには病院食が出るけど、自分の食事は出ないからコンビニに行くんだけど食料がないんです。なんとかゲットしたパンひとつで一日過ごすなんてこともありました。
生きていてほしい
入院して息子の具合は良くなるどころか、同室の子から風邪をもらったのがきっかけで敗血症になってしまいました。ICUに入って人工呼吸器をつけられて、カテーテルを入れられて……まだ小さくて暴れてしまうので、鎮静をかけられて眠らされていました。そんな息子の姿を見たときに、親としてこんなことを言っていいかわからないけど、この子は何ヶ月も苦しんできて、これ以上苦しむなら、楽になって逝ってしまった方がいいのかなとも思いました。
でもあるとき、私が「今日はもう帰るね」と言ったら、小さくイヤイヤしたんです。鎮静をかけられていて目は開かないけど、耳は聞こえていたみたいで。ICUで隣だった女の子も、私からすると寝てるだけに見えるんだけど、その子のお母さんが「この子は嵐が好きなのよ」と言って、嵐の曲をかけると「喜んでる」って嬉しそうにするんですよね。それまで私は、寝たきりの人や重い障がいのある人が生き続けるのってどうなんだろうと正直思っていたんです。
だけど、1ヶ月ぐらい経つと、嬉しそうな感じがするとか、これは嫌なんだなって分かるようになるんです。それで、やっぱり息子には生きててほしいって思うようになりました。なんて言っていいかわからないけど、何もできなくても生きているという事実が目の前にあるだけで、周りの人が安心するというか。息子がイヤイヤする姿を見て「ああ、とにかく頑張るしかないな」って思ったんです。息子の病気をきっかけに、私の考えはすごく変わりました。
やってみたいこと
治療は長くかかりましたが、幸い息子に合う免疫抑制剤が見つかって、1年くらいかけて普通の暮らしができるぐらいまで回復しました。何かあったときのために、そのまま入院しておくこともできたけど、外に連れていこうと思って思い切って退院させました。その後、息子が4歳になる前に埼玉から三重に移住して、間もなく夫とも離婚しました。 息子は小学校4年生ごろに自閉スペクトラム症の診断を受けて、学校生活も苦労しましたね。小学校1年生からずっと行き渋りで、6年生まで毎日送迎していました。下駄箱でしばらく入れずにいるのですが、なんとか中に入っていくのを確かめてから自宅に戻り、学校からの電話があるといけないので待機していました。中学3年間は完全不登校でしたが、この春から通信制の高校生になりました。
息子が東京で入院していたときは、家と病院が離れていたので、病院の近くにある(ドナルド・)マクドナルド・ハウスという入院患者の家族のための施設で寝泊まりしていました。そこには、地方から出てきて泊まり込みで付き添いをしているお母さんたちがいて、中には子どもが生まれてから10年間そういう暮らしをしている人もいました。みんな自分のことは置き去りで子どもに付き添っているんです。
そういうお母さんたちのために何かできないかと思ったけど、「ダンスしましょう」とは言えないじゃないですか。「ダンスなんてハードルが高いし、そんな気分じゃないわよ」って言われると思うんですよね。でも、みなさんマッサージとかにはお金を払って通っていたので、ヨガだったらやってもらえるかなと思って。これまでも障がい者施設や高齢者施設ではヨガやダンスをやってきましたが、病気の子どもたちに付き添っているお母さんのためのヨガも、いつか実現したいことのひとつです。
みんなに場をつくりたい
私は踊るのは好きだけど、舞台の真ん中で踊りたいとは案外思っていないんですよ。私が踊りをやるのは「みんなに場をつくりたい」からです。1998年に「オービタルリンク」という即興のイベントをはじめたのも、あらゆるジャンルのパフォーマーが自分の表現を模索しながら、やる側も観る側もジャンルの垣根を超えて出会ってほしいという思いがあったからです。ラジオDJをしていたときも、自分が面白いと思ったら無名の人でもゲストに呼んだりしていましたからね。当時から今にいたるまで、やっていることは変わらないと思います。
今日撮影をしたアトリエ第Q藝術も、大きすぎない規模だからこそ「個人」が見えて好きなんです。劇場が大きくなればなるほど、後ろの方まで届くように表現しようと思って動きが大きくなり、身体の動きだけを見せることになることが多いと思うんです。そうすると結局、どれも同じような作品になってしまうというか。私は、踊りの完成度はどうでもよくて、その人が踊りを通して「本当のこと」を言ってるかどうかを知りたいんです。そういうことが見えるのは、このぐらいの規模の劇場かなと思います。チーフディレクターの早川誠司さんには以前からお世話になっているし、舞踏や演劇関係の友だちもよくここで公演をしているので、私のルーツのような場所でもありますね。
人生って、「あのときあそこに行ってなかったらあの人に出会ってない」とか、そんなことばかりじゃないですか。でも本当に好きなことを続けていたら、絶対にまた元のところに戻ってくるし、ずっと会っていなかった人ともまた会えるんですよね。もっと別の仕事をする機会も、別の人と付き合う機会もあったろうけど、そのときの自分がそれをやりたくて選んだんだしなって。自分は、いつも「こういうことを考えている人がいるなら、こういう場所をつくったらいいんじゃないかな」と思って、場所をつくって人と人をつなげてきたんですよね。さらに、自分の場合はそこに「踊り」がありました。そうしてここまでやってきて、今の自分があると思います。
(2023年3月26日収録) 取材協力=アトリエ第Q藝術
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Thank you #2022 yogaによって生きる気力を取り戻した❤️🔥 先輩の @jurikooo が心の火を消していた私に 動くことはやめるな と言葉をかけてくれた そして今年は @igniteliving の2days workshopからスタート そこからヨガの学びを深めたくて @ishtayoga で #RYT200 を取った テストも落ちて 向いてないのかもと 諦めかけたこともあったけど どんな形でも どんな宗派でも ヨガをやり続けてくれたら嬉しいんだ と語っていた私のグル @tomokobayoga さんや #イシュタヨガ の @mack.kumiko さんによって 年内になんとか取得ができて 来年はアーティストとしてだけではなく 心と身体をケアするために 自分のアート(色)と言葉を紡ぎたいと考えてる 今年何度もレッスンを受けてはパワーをもらって 心友の @moon_wlker 🎅🏼 公私ともども支え合ったお箏の奏者でもある @hanakotomita 大きな怪我から復帰していつも前向きでパワフルな言葉をかけてくれる @saisai1013 1番レッスンで遭遇した @akikoholistichealth そして妹みたいな可愛い @meihayashi_ 写真は撮れなかったけど大好きなクラス @miyukiiak メディテーションやヨガだけじゃなく仕事話しを1番語り合った @junpei_wt7b 念願のヨガマットを一緒に作ってくれた @styleboatmarket のデザイナー @choco1492 みんな本当にありがとう😊😊😊 他にも #感謝 しきれない人がたくさん @igniteliving に通って @jurikooo さんについて行き続けて 私は確実に変わった 最後の写真は2年半くらい前の私 小枝のようにガリガリ 体力もなく 泣き続けて食べても痩せて どうしようもなかった でも今は平和で愛に満ち溢れ 幸せです と胸を張って言える ここにあげた友人たちはそれを深く見守って 今の大きくなった私を抱きしめてくれる 体重は7キロ でも体脂肪率は減り現在13% 😂💪🏼 来年も色んなことがきっとある でも自分の内側に答えを見つけて 必ず今日の私よりも さらに進化をして成長をして 心も身体も鍛えて ヨガボディのようにしなやかで柔らかく優しくそして逞しい 心身になっていきたい❤️ 来年もアーティストを軸に しっかりと学びと実りある一年にします😘 愛犬のダウンドッグがお上手な @_peace_official_ くんと共に❤️🌍❤️ ヨガをしたい人 私も教えられる身分になったし 何より @igniteliving は最高だから みんなで #ヨガ やりましょう🧘♀️ #love #thankyou #byebye2022 #yoga #Hana4lifestyle (Tokyo Japan) https://www.instagram.com/p/Cm1YWkOS3qt/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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12月6日(金)朝
指を切った。
3日前の晩に親指を包丁で切った。
あかりさんが待っていてくれるので何かを書きたいのだけれど、何かを、と言う大きな壁がある。「指を切った」と書いたら何か書けるかなぁ、とデスクにコーヒーを持って移動してみた。
今日の予定。
今日は初めてカーネギーホールに行きます。ものすごく楽しみだ。あ、そうそう、ぜひお暇があれば藤田真央くんのエッセイも読んでみてほしい。YouTubeのインタビュー動画を見てその癖のある人柄に魅了されて以来、右肩上がりで好きになりっぱなしの藤田真央くん。なんと筆も取る方なのでありまして、今年読んだエッセイ集の中で1位当選確実な『指先から旅をする』は、真央くんが語り下ろしと書き下ろしの両方をしているボリューミーな一冊です。今年はまだあと24日も残っているのに1位当選確実です!今年私は全部で1冊ものエッセイ集を読みました!
さて、目的もなく書き始めるとこういうふざけた感じになってしまいますね。
カーネギーホールです。
贅沢にも程があるほどJazzを堪能し、ようやくクラシックに気持ちが向く頃にカーネギーホールのスケジュールを調べていて、2公演買いましたとさ。1公演目が今日、Kirill Gersteinのリサイタル。この方、はい、真央くんの先生です。2公演目は来週、Sheku Kanneh-Mason兄弟。この方も、はい、真央くんが推しているチェリストです。楽しみだなぁ。
そう言うわけで、今日はビッグイベントが待っている日。昨夜は遅くなってしまったので遅めに起きて、快晴だったけれどマイナス3度に怖気付いて走りには出ずヨガをした。コーヒーを淹れてピーマンを切った。パッサータを塗ったトーストにピーマンを敷いてチーズを乗せてオーブンの中へと見送った。ずっと、左手の親指がない不自由を感じながら。思考の33%くらいが「何か書きたいな〜」と言う感じで。
それでですね、親指を切ったんです。「切った」というとあながち意志を感じるけれど、もうそれはそれは一瞬の出来事で、意志なんてこれっぽっちもなかったけどね。 スイスロティをですね、作ろうと思ったのです。私ハッシュドポテトとか大好きな人間なので。そしたらサティア宅にピーラーがなくて、そかそか、と包丁でじゃがいもの皮を剥き出しました。やられましたね、芽に。芽にやられた、と言う事実に気がついたのは、やられてから7分49秒くらい経ってからのことだったと思う。しゅぱーん、と包丁の歯が親指の左側10分の1くらいを直撃して、それはそれは滑らかに切り裂かれました。そうなのです、10年以上ろくに会っていなかったうちにサティア、いろんなところで人生を送っていたサティア、すごく料理が上手なんですねぇ。砥石も常備して、食器洗いが嫌いだと言いつつも、包丁だけはいの一番に綺麗に片付ける。そうやって大切に磨かれ続けている料理を愛する男の使う包丁が、しゃぱーん!と潔く私の親指に飛び込んできたという訳です。
うわ!と思った時には既にトクトクトクトクと清らかな日本酒が注がれるくらい滑らかにトクトクトクトクと真っ赤なアイツがこぼれ始め、身体中を汗が吹き出し。大慌てで止血です。スイスロティは結局結構千切りが雑になったけれど、おいしくは出来ました。止血のために締め付けられて切ってしまった箇所の反対側が痛んだ初日。親指は、大事よねぇ。何をするにも大変不便です。でも大丈夫!コンサートを楽しむのには親指の不在は関係ないと思うので!
そんな感じです〜
お便りみたいになりましたね。
ではごきげんよう。
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2024年11月25日に発売予定の翻訳書
11月25日(月)には12点の翻訳書が発売予定です。
歴史
ニキフォロス=ヴリエニオス/著 相野洋三/翻訳
悠書館
シェーンベルクと若きウィーン
テレーゼ・ムクセネーダー/著 阿久津三香子/訳 樋口隆一/日本語版監修
アルテスパブリッシング
法廷弁護士 : 権力に抵抗する人々を弁護した日々
リチャード・ズィトリン/著 村岡啓一/翻訳
現代人文社
心は泣いたり笑ったり : マリーズ・コンデの少女時代
マリーズ・コンデ/著 くぼたのぞみ/翻訳
白水社
ライフライン21 がんの先進医療
基佐江里/翻訳
蕗書房
接着工学 第2版 : 接着剤の基礎、機械的特性・応用
佐藤千明/著・翻訳 若林一民/翻訳 秋山陽久/翻訳 大久保雄司/翻訳 高橋佑輔/翻訳 髙橋明理/翻訳 関口悠/翻訳 ��本一正/翻訳 長谷川剛一/翻訳 ほか
カリブ海序説
エドゥアール・グリッサン/著 星埜守之/翻訳 塚本昌則/翻訳 中村隆之/翻訳
インスクリプト
ミセス・ハリス、モスクワへ行く
ポール・ギャリコ/著 亀山竜樹/翻訳 遠藤みえ子/翻訳
KADOKAWA
[図説]世界の性と売買の歴史 : バビロニアの神聖娼婦から江戸吉原、第二次大戦下まで
ケイト・リスター/著 風早さとみ/翻訳
原書房
「動き」で覚醒する アシュタンガ・ヨガ
デイヴィッド・ガリーグ/著 大谷桂子/翻訳
BABジャパン
シンギュラリティはより近く : 人類がAIと融合するとき
レイ・カーツワイル/著 高橋則明/翻訳
NHK出版
新訳 続・蜂の寓話 : 私悪は公益なり
バーナード・マンデヴィル/著 鈴木信雄/翻訳
日本経済評論社
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睡眠以外に体が求める「7つの休養」 2024.11.01 14:35lifehacker author ライフハッカー[日本版]編集部 Lifehacker 2024年10月12日掲載の記事より転載 えっ、睡眠以外にも休養はあるの? それこそが、Ideas.TEDで「The 7 types of rest that every person needs(誰にでも必要な7タイプの休養)」という記事タイトルを目にした時、私が思ったことでした。 \バリエーションいろいろ/ PR ギズおすすめケーブル3選 CIO スパイラルシリコンケーブル CIO スパイラルシリコンケーブル ¥2,180 Anker USB-C&USB-C L字 Anker USB-C&USB-C L字 ¥1,490 UGREEN USB Type C 2in1 UGREEN USB Type C 2in1 ¥2,699 休養=休み+養うこと 普段から睡眠は意識して十分とるようにしていますが、記事を書いたダルトン=スミス医師によると、睡眠だけが休養ではないそうです。 まず、休養とは何かをおさらいしましょう。厚生労働省による「休養」の定義は次のようになります。 「休養」は疲労やストレスと関連があり、2つの側面がある。1つは「休む」こと、つまり仕事や活動によって生じた心身の疲労を回復し、元の活力ある状態にもどすという側面であり、2つ目は「養う」こと、つまり明日に向かっての鋭気を養い、身体的、精神的、社会的な健康能力を高めるという側面である。 厚生労働省「休養・こころの健康」より引用 休養の「休む」の部分ばかり考えていましたが、そういえば「養う」要素もあるんですね。 では、ダルトン=スミス医師が述べる7つの休養には、どんなものがあるのでしょうか。 1. 身体的な休養 この筆頭は、言うまでもなく睡眠です。 Advertisement ダルトン=スミス医師は、身体的な休養には、受動的なものと能動的なものがあると言います。受動的な休養は、睡眠や昼寝。ヨガやストレッチ、マッサージが能動的なものとして挙げられています。 なるほど、ヨガを休養だと思ったことはありませんでしたが、疲労の回復や心身のリフレッシュするのに役立つなら、一種の休養になるんですね。 人によっては、散歩や瞑想もこのカテゴリーに入るかもしれません。 2. メンタル面の休養 ダルトン=スミス医師の提案には、仕事中に定期的に休むことが挙げられています。 決まった時間間隔ではありませんが、わたしも仕事が行き詰った時にはデスクから離れて、少し読書をしたり間食したりして気持ちをリセットします。 休養というよりは気晴らしだと思っていましたが、自分のメンタル面のプラスになっているならOKでしょう。 また、同医師は、心配事などで夜眠れない時には、枕元にメモ帳を置いて心配事を書き出してから寝ることもすすめています。 不安を書き出す行為が、それを心から外に出すことにつながるのでしょうか。夜に限らず、雑念や不安が堂々巡りする時には効果がありそうです。 この記事を読んで、自分のコロナ以降の生活においてメンタル面の休養になっていることが2つあるのに気づきました。 1つ目は、我が家の習慣となった、ほぼ毎晩のテレビシリーズ鑑賞です。 現在鑑賞中なのは「スタートレック」シリーズで、時空を超えた別世界へ。日常の悩みや心配事を忘れさせてくれます。シリーズ全般でエピソード数が多く、かなり先まで楽しめるのもポイントが高いです。 もう1つは、パンデミックで変わった寝る前の読書習慣です。 えっ!? Zoomってオンライン会議だけのツールじゃなかったの…!? えっ!? Zoomってオンライン会議だけのツールじゃなかったの…!? Sponsored by ZVC JAPAN これまでは自己啓発やスキルアップなどの本が多く、アメリカ在住なので大部分が英語本でした。しかし、パンデミックの際、ふと手に取った児童書に再度(何十年をも経て)ハマったのです。 Advertisement それは、小学校の時に愛読した、岩波書店の井伏鱒二訳『ドリトル先生』シリーズ(子ども用にと持っていました)。情報入手やスキルアップなどの目的のない読書は久しぶり。 1日の最後なので、脳のCPUが酷使される内容や英語の本ではなく、児童書で日本語、しかも自分が大好きだったシリーズ。 読書そのものがとても楽しく、心のリフレッシュになっているので、自分にとってはこれも一種の休養なのでした。 3. 感覚面の休養 仕事の会議やイベント、友だちとのチャットもアプリに頼っている現状では、デバイス使用による疲労感はなかなか解消できません。 デジタルデトックスまではいかなくても、デバイスの使用時間を減らす、Zoomの後はかならず休憩を入れるなど、何らかのルールを決めて実行する重要性は高まっています。 ダルトン=スミス医師は、ときどき1分間目を閉じる、1日の最後にデバイスをオフにするなどを提案しています。 休養とは言えないかもしれませんが、デバイスの通知をオフにして、自分のペースでメールやアプリをチェックするのも感覚面での刺激を少なくすることには役立つでしょう。 ちなみに、前述の読書は、寝る前なのでデバイスではなく紙で読んでいます。 視覚以外にも、聴覚も刺激を受けています。音を遮��、または軽減する場所やツールを取り入れることも役立ちそうです。 Advertisement 4. 感情面の休養 最近は暗いニュースが蔓延しているので、つい「ドゥーム・スクローリング」にはまっているのに気づくことはありませんか。 ドゥーム・スクローリングとは、気が滅入るニュースを続けざまにサーフしたり、スクロールしたりしてしまう傾向です。それに気づいたらデバイスを手放す勇気が、感情面の休養につながります。 ドゥーム・スクローリングに対抗する手段としては、「ジョイ・スクローリング」があります。 こちらは、その名のとおり、楽しく、気持ちがアップするものを見る行為です(ただしデバイスの使いすぎは感覚面での刺激になってしまうので、バランスが必要です)。 5. 社会的な休養 また、ダルトン=スミス医師は、なんでも抱え込んでしまいがちな人には、対人関係から距離を置くこの休養が重要だと述べています。 そのような人には、感情面での休養が必要です。つまり、自分の感情を安心して表現でき、他人の言いなりになることを減らす時間と空間を持つことです。 感情面の休養のためには勇気と自分らしさを持たなければなりません。 この休養が取れている人は、元気かと尋ねられても単に「元気」と返すのではなく、自分の感じていることをシェアできるでしょう。もし、この休養が必要なら、おそらく社会的な休養が足りていないのです。 人間関係には、元気になれるものと疲労させられるものがあります。その区別がつけられない時に休養不足になります。 社会的な休養を取るには、ポジティブで自分を支えてくれる人たちと接するべきです。バーチャルであったとしても、カメラの向こうの人とポジティブなやりとりは可能です。 ideas.tedより引用翻訳 Advertisement 6. 創造面の休養 ジェフ・ベゾスは、朝の10時前には会議などを入れずに、子どもたちとゆっくり過ごしているそうです。 そして、そのような何もしない時間こそがもっとも価値があると述べています。 この記事によると、何もしない時間をつくることで、仕事と私生活の境界線ができ、生活に余白が生まれ、より良い意思決定ができるメリットがあるのだとか。 このような時間は、感情や創造面での休養にもなります。 インプットが多すぎて頭がパンクしそうになった経験はありませんか。そんな時は、インプットを減らすと、その分インスピレーションや創造力が流れこんでくるかもしれません。 あなたはきっと「本当のPDF」を知らない あなたはきっと「本当のPDF」を知らない Sponsored by アドビ株式会社 ダルトン=スミス医師のおすすめは、自然を楽しんだりアート活動に従事すること。 やらなければならないからやるのではなく、自分にとってリフレッシュと活力の源になるなら、絵画、手芸、日曜大工など、いろいろできることはありそうです。 Advertisement 7. スピリチュアル面の休養 最後は、スピリチュアルな面での休養。 ダルトン=スミス医師は、瞑想や祈りやコミュニティに関与することなどを挙げています。 たとえば、お正月の初詣なども、スピリチュアル面での休養になるかもしれませんね。 寺社、公園、庭園、山や海など、自分にとってエネルギーが得られるスポットに身を置くこともスピリチュアルな休養になります。 在宅勤務で休養を取り入れる方法を考えてみた コロナ禍を期に在宅勤務へとワークスタイルをシフトした人も多いかと思います。 会社で仕事をしていた時には、仕事とプライベートの場所は物質的に区分されていたものです。ところが、在宅勤務で公私混在する状況では、意識しないと休養するのはかなり難しくなっています。 公私の区別がなくなり、せわしなくなったと感じているのはわたしだけではないはず。 そこで、在宅勤務でも休養を取り入れる方法を考えてみました。 まず、十分な睡眠は必須。身体面だけではなく、メンタルや感情、感覚面での休養でもあります。睡眠だけではなく、本人にとって多くの面で休養が取れるものなら、その休養を優先するのが良いでしょう。 Advertisement 仕事のスケジュールが決まっている人には、その間に休憩になるだけではなく、休養になる時間やアクティビティを組み込むのは手近な方法です。 休養のために仕事場から離れられるなら、仕事と休養のけじめをつける一助にもなります。 休養時間は、30分や1時間などまとまった時間ではなくても良いと思います。ちょこちょこ時間を取って頻繁にリフレッシュできるなら、メリットがあるでしょう。 幼いお子さんがいる人には、週日(&終日)には仕事も家事も育児も同時進行になって、ストレス増が続きます。 時間が取れそうな週末に、子どもの世話を夫(妻)にまかせて自分の休養時間を設けるのは、贅沢でもわがままでもなく、心身面の健康には不可欠なことです。 また、自分の趣味が休養になるなら、もっと趣味の時間を増やしてみてはどうでしょう。 わたしはお裁縫が好きなのですが、パンデミックの当初にパンデミック用バッグやマスクを作って以来やっていないのに気づきました。これは自分にとっては「養う」要素があります。 睡眠のように誰にとっても休養になることもあれば、メンタルや創造面での休養はひとりひとりにとって異なります。 メイド・イン・東京のプロダクトが世界で注目されるワケ メイド・イン・東京のプロダクトが世界で注目されるワケ Sponsored by HP Japan Inc. これまで「どんなことが休養になっていたのか」を振り返りつつ、自分そして家族の休養をもっと意識して取り入れていきたいです。 Image: Shutterstock
睡眠以外に体が求める「7つの休養」 | ギズモード・ジャパン
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本をたくさん読めるのは、いろいろな物事が安定している時。
そうじゃない時は、瞑想、ヨガ、料理、音楽で、安定感を高めつつ、ちょっとした充実感を得ようとしているなあ。
最近は、もっぱら、その、瞑想、ヨガ、料理、音楽が、自分の帰るところ。
読書は1日2、3ページくらいで、角田光代さんの源氏物語は『花宴』に突入したところです。
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Comparison Is The Thief of Joy.
Photo by Amauri Mejía on Unsplash
月に2回、ヨガのオンラインレッスンを受けている。チャットではポーズに関する質問が多数寄せられ、いつも回答に耳をそばだてながらポーズの確認をとる。他にもヨガに関する心温まるエピソードや、不調が改善されたなどの嬉しいメッセージを聴くのも楽しみのひとつで、まるで自分が励まされているような感覚を覚える。
参加者の中には、日本語がほんの少ししかわからない人や、メンタルに不調を抱えている人、運動習慣をつけたい人など、いろんな人たちが世界中から「ヨガ」を共通項に集まっている。顔は見えなくとも、「ヨガ」を通した不思議な出会いと温かいつながりのおかげで、参加し始めてもう2年になる。
ヨガをしたことがない人たちも、インストラクターの説明を聞きながら一生懸命ポーズをとっているんだな、それぞれの環境でがんばっているんだな、なんて思うと、不思議と笑みが溢れるのだ。
Photo by Maryjoy Caballero on Unsplash
Nike Training Club のアプリを利用してヨガを始めたのが、約6年前。はじめは、ただ体が伸びる心地よさと、心が洗われるような不思議な感覚が嬉しくて続けていた。もちろん、インストラクターと全く同じポーズは取れない。それでもあまり気にならなかった。というより、よくわからないままなんとなく「あ、ヨガのレッスンだ。やってみるか!」程度の軽い気持ちだった。
徐々に「他のインストラクターのヨガレッスンってどんな感じかな?」と興味が湧いて、Popsugar Fitness で 30分の Restorative Yoga を試してみる。ヨガの種類も全くわからないまま、感覚で楽しんでいた。
そのうち、ヨガに様々な種類があることを知り、YouTube でいろんな動画を探すようになった。10〜15分程度の動画ではだんだん物足りなくなり、30分、長いもので1時間近くの動画にトライすることもあった。柔軟性も高まり、だんだん楽しくなっていった。
Photo by GMB Fitness on Unsplash
ここ2年ほどの話。仕事量が増えたこともあり、時間的にも心理的にも運動をする余裕がなくなってきた。10分程度のヨガを細々と続けていたのに、ある日ふと思った。
「10分程度しかできないなんてダメ!せめて20分はやらないと…」
それからは無理して早起きするようになった。睡眠時間を削ってまで、ヨガの時間をとった。瞑想もした。
そこからさらに、こんな考えが頭をもたげるようになる。
「長く続けているのに、インストラクターと同じポーズが取れないなんて失格。もっと練習しなきゃ!」
柔軟性を高めるストレッチや筋膜リリースも取り入れ、毎日必死にヨガに取り組むようになった。
「こんなのじゃダメ!もっともっと!!」
Photo by Shashi Chaturvedula on Unsplash
今思うと、インストラクターと自分とを比べて落ち込んでいたんだろうな。「こんな自分じゃダメ」って、否定しては「もっともっと!!」と自分を追い立て、限界まで追い込んでしまった。
楽しいはずのヨガなのに。誰から咎められたわけでもないのに、自分でダメ出ししていることに驚いた。気がつかなかった。カウンセリングで指摘されていなければと思うと、ゾッとする。
そういえば 9月ごろから、5,6分のヨガですら億劫になってた。昔はどんなに調子が悪くても、ヨガをすれば元気になっていたのに…
少しずつ初心にかえって、まずは楽しもう。インストラクターと同じでなくていいじゃない!柔軟性もポーズも個性。ポイントを掴んでいれば、効果を感じていればそれでOK!!
「自分を認めて受け入れる」って、難しいな。
Song of the Day
SZA, Justin Timberlake "The Other Side"
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どうぶつえんvol.17 後記
2016年に始まった“どうぶつえん”と名付けられたこのイベントは、主催者のAokidが声をかけた発表者と告知を見て集まった参加者の人たちが昼下がりの公園の中を移動しながらそれらの発表などを見、体験していく。 当時は中々発表の場がなくお金もない、けれど時間やアイディアはあって、また閉塞的な状況に対して分野を越えたアーティスト間の交流のようものの必要性を日々感じていた。 そんな中、都市の中にある大きな公園であれば交流と発表を同時に行えるイメージが浮かんだ。 それから8年が経過し、コロナ禍やオリンピック、現在も進行中の公園の工事といった様々な変化をこのイベントの定点観測として感じられる。 、、、 公園にやってきて、まず遊ぶ人たちを眺めながらその日起こることを簡単に想像する。 想像しているうちに別の発表者たちが合流して来て少しずつ集合場所に集まってくる。 打ち合わせを発表者間でしながら観覧希望者も集まってきて、誰が参加者で誰が部外者かわからない感じが発生。このイベントの見慣れた景色の一つ。 出発時点では10人を切るくらいの参加希望者が、会を進めていくうちに抜けたり入ったりしながらも30人くらいになった。 初めて参加する発表者も多かった。 PIDAN 公園の音を記録しなさい、 金川普吾 自分についての説明 平野遥 別で展開される緑のロープの展開するスペース→平野さんが書いてくれた記事 萩原雄太 連帯という文字を象形文字へ戻し、そこに書かれたアクションを組み立て直すことから始める 木原萌花 互いの”真ん中”を探しあてる 小西善仁 時間を溶かす、上演 荒井優作 “どうぶつえん”のまた外に開く 山村佑理 ジャグリングの白いボール Aokid
、、、、、
“もしかしたら後日” 木の幹に小さなサイコロの群れが塊となって集まっていて、それは蟻とかみたいでなくて数えられる黒い点と赤い点の総数がその小さな面に刻まれてるのが複数あり、何か別の概念が植物に植え付けられるそんな感じがした。 (それはここでこのタイミングだけで集まった人や周囲にいた人にもたらされる経験ではなく、明日とかそれ以降とかにたまたま公園に訪れた誰かがもしかしたら遭遇するかもしれない。それをこのどうぶつえんの最中に行っている人が、いた。それがたぶんこの日は荒井さんだったんだ。 しかも僕は主催者でありながらその行為をほとんどは見逃していて、終わりに近づいたタイミングで気づくことが出来たのだった。) 、、、、、
どうぶつえん、は大体始まってから最初はみんなで歩いている時間が長くあるがこの日もその最初の時間は長く、その時間、本当にただ集団で歩いているような時間が流れていった。
“向こうの花”
観覧者の1人みやじさんが「向こうに花が咲いているよ」といって先端を歩いていた私たちはどんなだろう、と赤い花を咲かせている木に近づいていった。 木を見上げることが多く、また、虫の声が木の上から聞こえてこない?と言うので耳を木の上方に向けると実際に上から聞こえてくる。 ここでPIDANさんの指示した”音の記録”をしようと向こうからツクツクボウシのような鳴き声があり、観覧者の1人海ちゃんと発表者の荒井さんが半分黄昏ているように見えたそこにカメラを向けた。この写真を見返すことでこの時の音も思い出せる、とそう思った。 “「気づくと緑色のロープが巡り張っている。」” PIDANさんの指示を受け、木の音を記録しようとそこで黄昏る2人の写真を撮った後におこなったパフォーマンスの最中、気づくと自分の行為に集中していた目線が地面に線をひくように伸びたロープに出会い、一瞬思考が惑ってすぐに戻るということがあった。 そのようにして様々なタイミングで”スペース”という言葉を頼りに出発したこの緑のロープのアイディアがそこに採用してもしなくてもO.Kとさえ感じさせる存在感で、配慮からくるのか”緑”という公園に擬態した色がどうにもこうにもにょろにょろ~、くっくっくっとそこに存在していくのであった。 終わった後、とても充実した顔でいた平野さんは僕などが一瞬目に入れた時に遭遇してとるリアクション以上の何かを施策者としてこのささやかなアクションの中で会得していたのかもしれない。
“木の持つ上空と地面の持つ低地” 移動の中で短いパフォーマンスを何度か行う、と宣誓した山村くん。最初のポイントはケッツァコアトル象の近くでヨガの集まりをしている人たちの近くで。今度はさっき、木の上から虫の鳴き声が聞こえると集まった場所で。その前に一度、木の上の音を録音しようとボールに携帯をテープで巻き付けて上空に投げ録ろうとしていた。 高く伸びた木と少し抜けた空を見上げれるそのス���ースで短くジャグリングのパフォーマンスを行った。 前日の雨で少し湿ってもいたその地点、ボールが上がってはツカッという音で手のキャッチとなり、ボトッという音で地面に落ちた。 続いてその様子を見ていて聴いていてそこが静かだとわかったのでギターを取り出し僕はパフォーマンスを行い始めた。 座り始めた人の間を縫うように歩く靴の音とギターの音で奏でていきます微かな音を。 で、そのあとは木をちぎったり、ブレイクダンスのスカッと身体を切ったり折りたたんだるする音、で構成し、最後は蛇足かもしれないけど歌を歌った。どうぶつえんの歌は2016年に即興で歌った曲だった。あの頃の勢い(はないが)を冷凍保存した。 “車輪と地面” 参加者の1人の車椅子を押すのは発表者の小西くんだったり鑑賞者の風くんだったり、また名前の知らない人だったり変わっていく。ちょっと車輪が通りにくいところもそのようにしてクリアしていく。 “ぐるぐるする言語” みんなで少しずつ広場の方に行くとたくさんの人たちがグループを作ってただその広場を満喫していた。 何度も見てきたこの流れからの光景に以前よりもそれ自体には慣れていった。 ブルーシートをそこで広げて金川さんの発表は自分についての説明をするというものだった。かねてより自分のことを説明したい、というような回りくねった感じのするアイディアについてこの機会にやりたいという話は聞いていた。 さて、いざ話が始まる。みんなが腰を落として正面に金川さんが、隣に鑑賞者として来ていた渋革まろんさんが座る。まろんさんに話をするのではなく、自分語りのような形で話をする。ジュディスバトラーの本を脇に沿えて。ぐるぐると話を進める。 話が積み上がってはくというよりも、言い方を変えたり、言い淀んだり、話が飛んだり、でもまるで体の中に血が巡るようにぐるぐると巡っているというのはなんとなくわかる。途中、聞いている方が疲れてくるから途中で飛んできた大量のトンボ、を指に止まらせようと複数の人が指を差し出すのがかわいかった。場所を変える人、木に登る人、ぬいぐるみで遊ぶ人、そのタイミングで合流する人。それでも金川さんの話は巡っている。し、気になって耳も目も向ける。 途中、まろんさんを見て話をしそうになった自分を反省し再び意識を自分の方に向けて話す金川さん。 20分を経過し、今度は質問をとってみる。観客として参加していた中国から留学で来ている周くんが「話にはまとめやポイントと呼ばれるところがあるが今回のそれはなんですか?」と聞いた。 僕はむしろその質問を聞いてこれは”日本語(この場合は)、言語を巡る話なのでは”と思った。これはアイデンティティの話であり、それを構築するために使用する言語がぐるぐるし形を変えながら、そのパターンの微妙な違いから再び思考へとフィードバックしていくやりとりのようだ、という風なことを思いました。 もう一回後で話をしたいという風に言って、みんなは笑ってトイレ休憩となりました。
、、、、
15時半過ぎに合流となった木原さんだったが、彼女のダンサーとしての姿勢の軽やかさみたいなものが一緒に連れてこられていると感じた。軽やかな服装というのもあったかもしれないのだけど。踊ってはいないのだけども身のこなしのようなもの?
、、、、 “草っ原をか弱く走る車輪” 金川さんのトークが25分ほど続いたあと、トイレ休憩を挟みつつ萩原雄太さんがぐーっと伸びをしていて、なんかみんな伸びをしたい感じだよ、とストレッチをお願いされる。意外に僕の体はその凝った体で次に行くのを待っていたのだけど数名からの要請があったので本日2回目のストレッチを5分ほど設ける。 少しそれで上空に向かって身体は伸びあがってその後おもむろに萩原さんが喋り始める。 連帯が苦手だ、しかし連帯についてをやろうとしていて、じゃあ連帯という文字の成り立ちに戻り取り組むことなら出来ないか、というようなアイディアだったと思う。 持って来たプリントには”連帯”の文字を象形文字に戻し、成り立ちを図で説明し書かれている。 それを確認し、腰に帯が撒かれていて、車を引っ張っている形を自分たちの身体で代替してやってみたいと思う、やってみたい人?と聞き数人が名乗り上げて、まずは帯の代わりにビニールテープを腰に巻き付けていった。今度は車らしいものとして家で見つけたのがローラーということで、それを紐に結びつけた、笑える感じの弱々しい”連帯”の始まりが見えた。 そして何よりも大事である何のための連帯か。 これは現在、イスラエルによる侵略を受け続けるパレスチナに対しての連帯を見出したいということで今度行う予定だというモノローグによって構成されるガザモノローグを進行中に萩原さんが読むので、それを半分聞きながら前に進んでほしい、という演出が伝えられ、向こうに指された木に向けて一向は動き出した。 一向の進む足取りは、他の公園の”連中”よりも自信がなんともなさげで足はぐらついていて、でも重心を前に投げ出そうと1人ずつの進もう、が垣間見えるし、一方でコロコロとついてくるローラーの車輪は小さなかわいい犬みたいに弱々しくかわいい。
“白 白 白 白 白 白 白 白 白 投げる、” 途中、一行が公園の中心にあたる広場にやってくると向こうでは僕らと同じように何かイベント的に集まり遊んでいるグループや外国人観光客や、少人数ピクニック、恋人たちなど様々な過ごし方がすでにそこに溢れていて、端っこの方でさっきまで萩原さんの発表などをしていた私たちはほんの少しの違和感を持った集団へ向けられる視線も多少感じながら真ん中の真ん中のスペースへ近づいていったが、すでにこの時点でここにふさわしいパフォーマンスを用意して来た人が思い当たらず、何度か発表を重ねている山村くんに相談し、もう一つやってもらうことに。 今回もやはり短めのパフォーマンス。 集団が1列、2列、3列みたいな感じの横並びの列の先に1人、山村くんの背と坊主頭があり、空に向かってボールを投げるとちょうどその並んだ背中たち越しの空にボールが上がっているように見えて、ボールを見ている人たちも視界の中に映るのが美しかった。 その後、たくさん持って来たボールをみんなに渡し、ワークショップが始まった。 身体の部位にボールを乗せると押される感じがあり、それを押し返すことでボールがそこに乗っている状態が生まれる。そのまま少しストップし、周りを見渡すと少し劇的な別の景色が生まれていた。 あともう一つやったのが空に向かって一斉にボールを投げるというもの。 一斉に上に向かって投げるが、投げたボールをキャッチもしなければ他の人が投げたボールにもぶつからないように避けるというルールのもと一斉に上空に向けてボールが投げられた。 「いっせいのせ!」で投げたボールが空に上がって落ちてくるまでの時間は変え難い経験として刻まれた。つしか投げていないはずのボールが上空を見上げると一瞬にしてたくさんになっており、遮ることは何もなくて純粋に放ったものたちを見る時間がそこに存在し、自分が投げたものを判別することがその時間内でし切ることはなく、浴びるように地面に落ちるのを受ける経験。 は、あまりにも自身の何かの欲望を満たすような感じがあった。 、、、、、、、
“真正面に立つことと割ること” ダンサーの木原さんのワークショップは簡潔でシンプルな中に様々な判断を入れれるところがユニークでとても広がりがあると思うものだった。 それは2人の人が正面向きで互いに立ち会って、片方から見える”真ん中”を言い当て、もう1人がそれに対して正面であれはO.Kを出すというもの。 言い当てる際に、体でちゃんと真ん中を調整しながら探すのがどことなくダンス。 しかしフィジカルでクリアしたつもりが、もう少し念みたいなもので探しあてる必要も出てきたりする。 また相手を変えながらやっていくとその都度、その人に対して合わせていく分、自分の体も変形していく感じがある。 同じ真ん中を探しているのだけど、みんなの全体が微妙に違う差が面白いんだと思う。 10分に満たないくらいだったけどもう少し続けても面白くなりそう、
“溶け出した時間はみどりいろに” 17時。あたりは暗くなり始めていて「時間を溶かす」をテーマに掲げていた小西くん。 説明ではこれから時間を溶かすというのをやっていくがすでに溶けている感じもある、と話されていてまさしく、確かにいつのまにかどうぶつえんで過ごした時間は溶け出していて、それによって公園の色も変わっていっているように感じられる時間帯だった。 夕日の色から濃いエメラルドグリーンに。 一本の中途半端な高さで美しい木がたつそこに猫のキャラクターのぬいぐるみと椅子の場所を調整するところから演劇が始まった。 金川さんとは違って、この話は身振りも交えながらフィジカルにも展開される時空間だというのがなんとなくわかって進んでいく。 チェルフィッチュの初期を思わせるような揺らつき。 この演劇というか一方のささやかではあるが、向こうが一方で決められた手順を踏みながら話しているということをなぜか観客としても理解出来、それが改めてこうして時間を経過していくとやはり金川さんの話を聞くのとは全く違う時間が流れる。それはおそらくあのジャグリングとも違う時間だった。だから木と人形と小西くんを中心としながらもその周辺の雰囲気のことがやけに印象に色とともに時間の推移の中で静かに動いていることとして残った。
、、、、、、、
もう終わり��なぁということで17時半くらいとなってみんなで最初のスタート地点とかの方に歩きながら戻っていく。集団で歩く。そのちょっと前に出発する前に、あのサイコロの塊をたまたま見たのだった。帰りながら荒井さんに話を聞くと、やはり今この時間に参加者全員への共有というよりは”明日”とか”どこか”でそれを見つける人に向けての、ということだった。それを聞いてどこか、今日じゃないこの場所のことが想像されながら、歩き、戻っていった。 さて、
“「録音しなさい。」年をとる都市の音” PIDANさんは写真専門学校で僕の身体表現の授業を受講していて、授業ではナラティブなパフォーマンスを紹介していて、それから2年経過しその時よりももう少し渇いたアイデァアに様変わっているように感じられた。 “録音しなさい~”といった強めの語気を含むタイトルだがそれはいわゆる録音に限定していない。 年をとることと、都市をかけていたんだと思うが、確かにさっきしていた音と今している音は時間の中で過去と未来だが、それはほんとに年をとった、という概念にあたるのか。 PIDANはそうか、ピータン、黒い卵という意味なのか。 イベントの後半の終わり部分としてブルーシートの上にみんなで集めた録音や資料を広げて見せ合った。あたりは暗かったのでライトで照らしながら。するとみやじさんが言っていたように、今度は暗くなった公園で林の中では虫の音がたくさん聞こえてきて、人間の声よりも虫たちにとってメインの場所だというのがわかる。ある人は写真で、ある人は聞こえた音を頼りにドローイングとして抽象的な記録、ある人は録音を聞かせてくれて、僕は写真から聞こえた音を思い出す形で撮った写真を見せた。 、、、、 終わってみると多く感想をもらうが、言葉を紡ぐ、聞くということを言っている人が結構いた。 、、、、 “後日、記録を編集する中で” スチールを担当した宮川知宙くんからの記録写真が送られてきて最初にチェックすることができるわけだけども、いつも企画に対しての記録写真が送られて見ると、知っていることの写真を見るというのは関係ないものを見るのと違って、解像度が上がった状態で見ることができて、いつも幸福を感じる。前に食べて美味しかった料理がなぜか写真で見ても美味しくてにやにやしてしまう感じ。 写真の中には人の表情を写したものもあれば、動作を切り取ったものもある、また転機となったかもと推測されるようなアクションやアイテム、作家の発表が並び替えられるというよりもどうぶつえん写真を通しては鑑賞者は、再びフラットにその写真を見ていくという別のルートを経験することになる。 映像を頼んだ関さんは1月にライブハウスで出会った友人の友人でたくさんのバンドのサポートを務める人気な人。そして本人はパティシエでもある。 最初から最後まで見てくれた観客の1人に彼のバンド仲間がいた。また終わったあとの代々木公園での打ち上げに続々と仲間が現れてパーティーに加わるのがとても楽しかった。 一曲ずつ歌い合ったりして。 この日は僕は20時半に帰った。もう少しパーティーは続いたのかな?非常に有意義な代々木公園での時間をみなさん、本当にありがとうございました。 Aokid 2024年10月9日
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悟り5
こんにちは😃
今日も書き続けていた悟りについてのダラダラブログの続きですが、このシリーズは今回を除いてあと2回の予定です。初めての方はぜひこちらを読んでから戻ってきてくださると助かります🙏💦
では、今日は右脳と左脳について書きたいと思います✊
さて、私がこのブログを書き始めたのはYouTubeで右脳を働かせることで悟ったと自称している方の対談を見たのがきっかけでした。
誰かを個人的に攻撃したいわけではないので詳しくは書きませんが、その方は右脳重視の生活をすることで悟られたそうで現在は瞑想指導をしていらっしゃいます。
左脳は言語脳と言われるようにロジカルな思考が得意で、右脳はイメージ脳と言われるようにアート的なことが得意です。つまり右脳を使うということは Don't think. Feel. 的な教えです。
私は一昨年ぐらいから身体を使ったセラピーに興味を持ち、右脳に偏った状態に左脳を介入させるようなセラピーをたくさん学び、考えることの重要性を実感してきました。
それまでは私も感じることにフォーカスするのはいいことだと思っていましたが、大事なのは身体や脳をバランスよく使うことであってどちらかに偏ることではない、と今ははっきりと思っています。考えない時間を持つことはリフレッシュになりますが、いつもそうである必要はありません。
左右の脳をバランスさせるセラピーについて精神科医とソーシャルワーカーさんの本から少し引用してみます↓
左脳は、考えて、言葉を使って、問題を解決します。右脳は直感的、感情的で、身体の機能とかかわります。
私たちが感情に流されて筋道立てて考えられなくなっているときには、右脳に支配されています。逆に必要以上に���析的で気持ちが感じられないときは、左脳の支配から抜けられなくなっています。
状況全体がよく見えて上手に振る舞えていると感じるときは、左右の脳がお互いにうまく連携できていて、統合されているといえるでしょう。※1
冷凍保存された記憶が解凍され、フラッシュバックを起こしているときには、右脳の興奮が高まることがわかっています。
イメージの記憶を司る右脳と、言語的な記憶を司る左脳の働きのバランスの悪さが、感情・感覚が丸ごとよみがえる、言語化が難しいというトラウマ記憶の特徴につながっていると考えられています。
「目を左右に動かす」という両側性の刺激で脳のバランスが改善し、情報処理が進むのではないかと考えられています。眼球運動だけでなく、左右交互の触覚刺激(タッピング)や聴覚刺激などでも、同様の効果が期待できます。※2
またグルグルと同じことを考えてしまうのは自分が自分のためにやっているセラピーなんだということもわかったので、考えてばかりいる自分を責めなくなりむしろ感謝するようになりました。トラウマとまではいかないレベルの辛い記憶でも、人は頑張って右脳も左脳も使って処理しているそうです。
言葉にして繰り返し考えることの重要性は、”トラウマのことがわかる本” “対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD” “トラウマと記憶” “脳を見る心、心を見る脳” などに詳しかったです。※3
さて、その方は左脳(言葉による思考)をかなり否定するような主張をされているのですが、果たしてどこまで脳について学ばれてるのかはわからず、全然ルーツが見えません。
プロフィールによるとボディワークを以前習っていて、それらを元に瞑想を自己流で深めて悟ったそうなのですが、ボディワークにも多数種類がありますし、ボディワークの先生は瞑想については基本話されません。
私はボディワークはアレキサンダーテクニークを石井ゆりこ先生に、フェルデンクライスメソッドを西岡寛先生に習い、ロルフィングの扇谷孝太郎のワークショップに参加したこともあります。
また、瞑想の基礎は吉田香代子先生と中島正明先生に、寝て行う瞑想はキミ先生に、マインドフルネス瞑想はジャネットラウ先生に、チャクラ瞑想はポールグリリー先生とスージーグリリー先生に、瞑想指導法はケンハラクマ先生に習いました。
ヴィパッサナー瞑想の10日間コースに参加したこともあります。
私は本当に恵まれていてたくさんの世界的に活躍されている先生から身体、心、スピリットについて教えていただきましたが、思うのは誰も自分が悟ったなどとは言ってないということです。
攻撃するのが目的ではないのでこれ以上はやめておきますが、言いたいのは 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」、みたいなことです!
そして最も主張したかったのは、ルーツが見えない人に習うのは危険だということです。
私は以前は製薬会社で働いていてたくさんのドクターに会ってきました。あんなに勉強して国家試験を突破してお医者さんになった先生たちでも学会に参加して単位、認定を取得して、知識をアップデートされています。そしてその上で一人一人、治療方針もメソッドも全く違うのです。
そのため多くの先生がどこでどんな勉強をしてきたのか、どういう方針でお仕事しているのかを公開していて、患者が先生を選べるようになっています。
そして医療に限らず全てはそうあるべきだと私は思うのです。私は最近のは書き加えられてませんが💦、ホームページで持っているライセンスは全て公開しています。
だから私に習えよ☝️ってわけではないのですが、少なくとも変なボカし方してる人から習うのはやめた方がいいんじゃないかなって思うのです。
太極拳を習っていた時に数冊本を読んで思ったのですが、行きずりの伝説の導師に習ったとか訳分からんことが書いてある本は基本的に浅くて胡散臭いです!ヨガも瞑想も然りです!
皆様、どこで何を学んだのかがわかる人。悟ったなどと慢心せず知識をアップデートしている人からぜひ学んでくださいませ!!
今、体に関わる業界でみんなが勉強している “ポリヴェーガル理論” の論文の初出は1994年です。
最新学説が学界で市民権を得るのに10年くらい、それが入門書に反映されるのにさらに10年くらいかかり、入門書で得られる知識は20年くらい前のものだそうです。どんな情報にもタイムラグがあります。※4
なのでなるべく意欲を持って新しい情報に触れている人を探しましょう。誠実で謙虚な人と学ぶことはとても楽しくて有意義な体験だと私は思います。
ではでは長くなってしまったので、続きは次回書きたいと思います💡
最後までお読みくださりありがとうございました😌🙏
続き:悟り6
(おまけ)
・私が習った先生は本当にすごい方ばかりで、どの先生も大好きです!サインをいただいたりインスタにツーショットを載せている先生もいます✌️
・イヤホンで聴く左右から音楽が交互に聞こえる不思議な音楽は、両脳のバランスが整うらしくゆったりした気持ちになれてとてもお勧めです。
藤本昌樹 心の傷を消す音楽CDブック
(引用・参考)
※1 デイビッド・グランド
ブレインスポッティング入門
※2 白川 美也子
トラウマのことがわかる本 生きづらさを軽くするためにできること
※3 水島 広子
対人関係療法でなおす トラウマ・PTSD
P.A.ラヴィーン
トラウマと記憶: 脳・身体に刻まれた過去からの回復
ダニエル・J・シーゲル
脳をみる心、心をみる脳:マインドサイトによる新しいサイコセラピー 自分を変える脳と心のサイエンス
※4 佐藤 優
読書の技法
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