#日向坂46
Explore tagged Tumblr posts
helloprofun · 1 year ago
Text
小坂 菜緒公式ブログ | 日向坂46公式サイト
Tumblr media
4 notes · View notes
khrbuild · 3 months ago
Text
全世界の皆様
明けまして
おめでとう
ございます
どうぞ本年もよろしくお願い致します。
ということで、2025年となりまして、三ヶ日もあっという間に
令和7年ということで、
今年は私達の年代が愛する
昭和100年らしい、
というか昭和46年生まれの私、
今年は54歳となるのでそうなのでしょう。
今年は昭和の生年月日を聞くと年齢数えやすいね(^_^;)
まぁ、最近歯アニメでもドラマでも、
「年齢なんてただの数字」
ってセリフをよく聞きますが、
ほんとね〜(^_^;)いくつになっても大人になれない症候群!
子供の頃は
「大人ってみんな ちゃんとしててスゲ〜」と思ってたが、
自分がこの歳になると
「そうでもないな〜」と少し不安なるよね。
大人ってこんな感じで良かったんですかね〜?
と天に向かって確認したい時がチラホラ(^_^;)
いや、今年はそんなことのないようにしっかりせねば!
と思いつつも新年を迎えたのですが、
正月早々ショッキングな動画が送られてきた。
送り主は、このブログには度々名前が登場する、
坂口建設の情報戦略室長の
「う~たん」
年末にお互い挨拶をして別れた時には何も言ってなかったのですが、
メールをみるとこんな動画が、
Tumblr media
この動画、う~たんの息子が制作したという、
息子と言っても、わんぱく盛りのゲーム好きな小学5年生の男の子、
家と同じ年齢なんですね。
う~たんいわく、
「 次の坂口建設のホームページを作るときは息子に作らせたいと思います。」ってビックリですね。
昨年は幼馴染みの畑の小屋を各業者のJrチームに作ってもらって喜んでましたが、
こんなところにも、小さいながらも青々とした新芽が芽吹いたとは、
新年早々とても縁起の良いものを見せてもらいました。
そしてJrちゃん、こんな私に大事な時間を費やしてくれてありがとう。
と新年早々簡単に挨拶して失礼しようと思ってましたが、ついつい長々と申し訳ございません。
正月はゆっくりと、うちの実家とジュディーの実家を
ハシゴ酒&御節
Tumblr media
またこんな飲んで食って寝て、
月曜日から厳しい〜ということで、
本日は私のパワースポット
住吉大社に初詣。
Tumblr media
明日連休最終日やから今日はすいてるはずときたら、大正解!
Tumblr media Tumblr media
そやけど、
目的の五大力のお守りお返しに来たのに、正月の5日まで五大力さんはおやすみしますって(^_^;)
また今度出直してきます。
さいさきいいね〜w
今年も、神様皆様どうぞよろしくお願い致します。
とまあ本来ならこんな滑り出しやったはずが、新年早々やらかしてるわたくし坂口建設ですが仕事はちゃんとしでますので、本年もどうぞよろしく、お願い致します。
このあとまた本日のブログもご覧くださいませ。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
アンティーク雑貨 古材 One Bee
貝塚市水間水寺前古民家リフォーム工事
0 notes
neoakiradj · 5 months ago
Text
#柳葉敏郎さん #亀山千広さん #君塚良一さん #本広克行監督 武部聡志さん
#室井慎次
#odoru #踊るプロジェクト
#MUROISM
#odoru #踊るプロジェクト :
   #福本莉子さん
   #齋藤潤さん
   #前山くうがさん #前山こうがさん
   #矢本悠馬さん
   #生駒里奈さん
   #丹生明里さん(日向坂46)
   #佐々木希さん
     ・
   #筧利夫さん
   #西村直人さん
   #赤ペン瀧川さん
   #升毅さん
     ・
   #飯島直子さん
   #小沢仁志さん
   #木場勝己さん
   #稲森いずみさん
   #いしだあゆみさん
0 notes
774 · 1 year ago
Quote
名前の由来は東京・三田の日向坂(ひゅうがざか)から。関係者は「実在する坂の名前から。『ひなたざか』と読ませるのはどうだろうとなった」と話した。
けやき坂46、「日向坂(ひなたざか)46」に改名をサプライズ発表 メンバーは歓喜 - スポーツ報知
0 notes
tokitabi07 · 2 years ago
Text
櫻坂46が復活出場!
今日は休み。
2023年11月13日にNHK紅白歌合戦の 出場歌手・グループの発表がありました。
櫻坂46が復活出場!!!
これで一つ、わかった事は 坂道シリーズは2枠しかない。
昨年の落選で、日向坂46さんの 通称、害悪ファンである"紫外線"が この落選報告に乗っかり 戦犯探しや如何にも 櫻坂46の出場するようなレベル ではなかったね等 あらゆる誹謗中傷等が飛び交ったらしい。
そんな状況の中をくぐり抜け、這い上がり 活躍は海外にまでひろがり Buddies〔櫻坂46のファン〕さえも ビックリするような活動が見られました。 三期生も入り、 課題だった、新たなファンの獲得にも成功し ライブが有れば、低価格帯で配信した。 そんな1年の活動を NHKが見逃さなかったカタチ。
でも、、だからと言って 櫻坂46のファン達は、そんな状況に陥った1年を知っているから日向坂46さんやファンである"おひさま"へのマウントや誹謗中傷等をする、ということはしないようにしようと各自、ネット上で呼びかけられました。
1 note · View note
nancy-sy · 2 years ago
Link
#四六判 #文庫 #新書 #単行本 #CDケース #乃木坂46 #日向坂46 #おひとりさま天国 #AmIready
0 notes
x1-saka · 4 years ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
729 notes · View notes
irias-mogu · 4 years ago
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
FINE BOYS 2021 June
14 notes · View notes
thechiyonosakenyc · 4 years ago
Video
youtube
1 note · View note
tokyo-akb48 · 3 years ago
Photo
Tumblr media
6 notes · View notes
nanamizm · 4 years ago
Photo
Tumblr media
(日向坂46の若きエース・小坂菜緒が好きな男子を飲み物にたとえると?「落ち着いていて大人っぽいけどちょっと甘い"紅茶男"いいですね」 - エンタメ - ニュース|週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト]から)
7 notes · View notes
shigerunakano · 3 years ago
Text
プリンシパル
ホレイショー 実は、殿下、昨夜、お目にかかったように思えるのですが。
ハムレット お目にかかった?誰に?
ホレイショー お父上に、先の国王に。
-ウィリアム・シェイクスピア「ハムレット」
これが、ベルリンの壁跡だという。黒い岩のような素材の上に壁に使われた岩が貼り付けてある長方形のモニュメント。「BERLINER MAUER 1961-1989」とドイツ語で書いてある。バレエ団のマネージャーが個人的に雇い長らく親交を温めているという観光事務所の人が言う。
「私たちの世代にとって壁は憧れの的でした。禁止されると欲望は燃え上がりますからね。壁の向こうには何か面白いものがあるのではないかと」
冷戦期の体験談としてはありふれたものだが、どこか胸がすく思いがある。それは私の子どもの頃の経験とそう変わらないが、当時のベルリンを知る者の意見は興味深い。彼女はビアンカ・フィッシャーと名乗った。
「当時デヴィッド・ボウイがここの目と鼻の先で東側に向かって歌を歌った時は軍が出動するような事態に発展するのでは、という噂が立ちました。あくまで私の周りのことですが」
恐らく当時彼女は高校生ぐらいだったのだろう。少なからず興奮した様子で話している。
「少し肌寒くなってきましたね。引き返したいのですが」
と私は言う。これは本心だが、日本ではしないような率直な言い回しだ。
「そうですか、私もそうしたいと思っていました、ササキさん」
と彼女は笑う。私の本名は佐々木雫で先ほど彼女に名乗った。ルイス・キャロルの謎かけのようなものだ。ここから先ほどのパン屋が配達に使うようなバンに乗って劇場に戻り、そこから歩いて家��帰ることを思うとやや気が引けたが、彼女は何らかの金銭に基づいた癒着や親切心で案内をしているのではなく、正規のサービスなのだ。観光事務所としての。なので仕方がない。私はバンに乗り込んだ。
賃貸に付くとおばさんが話しかけてきた。
「おかえり。ピザと野菜炒めが出来てるけどどうする」
「ただいま。両方頂きます」
と私は答える。今日のレッスンが終わった後ベルリンの観光に行かないか、と聞かれたのが約1週間前で今日がやってきた。明日もレッスンがあり、あれよあれよと一ヶ月後のプリンシパルとしての本番が迫っている。私はバレリーナだ。プリンシパルとしての出演は2度目になる。最初のプリンシパルでの出演が劇団として日本人で最初のプリンシパルになるようだ。そもそも始めから主役級のポジションで契約しているのだから当然かもしれないが、こちらの慣習上かなりの決断だったのだろうと、申し訳なさも若干覚える。私のキャリアももちろん重要だろうが、日本で所属していたバレエ団のスケールとヨーロッパ諸国のバレエ団との交友というかなりの好条件が重なった結果である、ベルリンでのプリンシパルだ。恐らくあなた方に言っても信じてもらえそうにないが。単なるディズニーアニメーションへの言及だと思って欲しい。
カレンダーを眺めながらキッチンの音を聴く。2001年4月5日。ここに移り住んでから今年で2年になるが、ドイツ語の文法はおろか単語も標準的な水準に達しているとは言い難かった。公演は来月2日からの27日間だ。古典的とも言える有名なタイトルだが、国内における1960年代のアレンジをそのまま踏襲しており、ある種の原点回帰と呼べる傾向を示すラグジュアルな公演になることはほぼ間違いないと思われた。おばさんに再びプリンシパルをやる事を述べたら、少し大袈裟に驚いてみせ「そりゃすごい」と笑っていた。彼女の息子とその妻それから3歳の息子がいるが、あまり家が狭くは感じないし、賑やかでいいと思えるほどだ。
次の日のレッスンは今までのパートを中断して、ラストシーンに入った。私は自分に与えられた役をこなすだけだと思っていたが、始まって1時間で振り付けのミスが5回発生した。それは演出の思惑とはまったく異なる水準でしかなかった。正直私は自分が恥ずかしくなった。昨日までのレッスンでも次第点に遠く及ばないのにも関わらず、今日のレッスンでも問題が次々と見つかる。代役はいるが、始めから役を降りた方がいいような気がしてくる。
昼食の時、周りの出す声が気になる。それとなく自分への悪口を言っているような気がする。
3日後、演出に頼んでプロデューサーに面会することになった。彼は事務所でいつものように大人しくしていた。彼の名はカール・シュバルツで38歳だ。
「入って、ササキ」
と、彼が言うので私が入ると彼はニコリと笑った。
演目に自信がないです。具体的にはターンと腕の動きがまったくなっていないと伝えた。
彼は少し考え込んでいたが、首を振りながら予定を変えるつもりはないが、演出とよく話し合っておくと言った。私は少し不満だったが、頷いた。言えただけましだ。
家に帰り、食事を取りながらおばさんと話す。昔のベルリンのことだった。この辺��にはギャングのアジトが元々多いので、外を歩く時は財布を2つ持って歩き、財布を投げ捨てた拍子に目もくれずに逃げ出せ、という笑い話があるのだそうだ。おばさんがそのような経験をしたのかと問うと、
「私が経験したわけじゃないわ。プラトンに会ったことのある人はいない。私たちはプラトンの教えを知っているだけ」
と彼女は話す。プラトンか、と私は思った。プラトンって何だったっけ。おばさんの孫が乳児用のベッドで笑っていた。ここはベルリンにおける一般的な賃貸住宅の3階だが屋外からの音が少なからず入ってくる。
私は劇場に向かう途中公園に立ち寄った。午前8時のこの場所は異様な熱気に包まれていた。行き交う人々も多く、簡単に人とぶつかりそうだ。木々の隙間から空を眺める。曇りだ。自分がかつて憧れたヨーロッパのイメージとは違い最初にドイツに訪れた印象は「東京の下町みたい」というものだった。古い建築物の立ち並ぶさまはどこか下町を訪れた際の親近感を思わせた。いわゆる洋風の家は見慣れていたのだ。
今日は関係者を入れてリハーサルをする。このような事は大抵本番の1週間ほど前に行われる。文字通り政治的判断を下す場だとされている。ひょっとしたら政治家が来ているのかもしれない。
プロデューサーが舞台袖に来て、これが終わったら美味しいお店を紹介してやろうと言われた。会わせたい人もいるからと。私が会いたい人ではないところがこの話の重要なポイントだ。場合によってはセクハラになり得ることも許されたりする。舞台関係者ならば「私も」と言ってくれることだろう。
舞台袖ののぞき穴から客席を眺める。ステージの幕が照らされているが、普通に半分くらいは埋まっていることが分かった。こうしていると見る方と見られる方が逆転しているようで興味深いが、東京で初めてバレエを見た時と変わらない温度感だ。舞台芸術というものはこのようにして空間を越境するものなのだろう。しばらく私は東京の劇場のことが頭から離れなかった。
参考文献:ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ「アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症」、ジル・ドゥルーズ「批評と臨床」、「悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46」(東宝映像事業部、©2015「DOCUMENTARY of 乃木坂46」製作委員会)、田川健三「新約聖書 訳と註 ヨハネの黙示録」
0 notes
ari0921 · 4 years ago
Text
#織田邦男 先生よりシェア
#加瀬英明氏 の論考をシェアさせていただきます。
━━━━━━━━━━
昭和天皇との「佳話」
━━━━━━━━━━
私にとって昭和天皇の存在は巨大なものだった。皇太子として摂政宮と なられてから68年にわたる、日本にとってもっとも困難な時代に国民と苦 楽を倶にされたからだった
陛下はあの時代の大多数の日本国民と同じように、愚直なほど真面目で あられた。最良の日本人を一身に体現されておられたから、慕われた。
天皇皇后両陛下が、昭和46年にヨーロッパを行幸啓された。その時に お召機がアラスカに給油のために降りると、ニクソン大統領がアンカレッ ジまで出向いて、お迎えした。
私はアメリカの友人と、帝国ホテルのバーのテレビで、天皇がアメリカ 軍の儀仗隊を観閲されるのを見た。陛下の足はこびがぎこちなかったの で、「古来から定められたテ
ンノー・ウォークなのか」とたずねられ、咄嗟(とっさ)に「いや、お眼鏡 の度が合わないのではないか」と答えた。
数日後に、偶然、入江相政侍従長と赤坂見付から浅草まで、地下鉄で乗 り合わせた。
すいていたので隣に座った。私はアメリカの友人との遣り取りについて話 した。
すると、入江侍従長が一瞬姿勢を正して、「いや、お上(かみ)があのよ うにお歩きになるのは、皇太子殿下のころから、一歩一歩、全責任をこめ てお歩きになるからです。
万一、お転びになったら、全国民が日本の将来に不吉なものを感じたでし よう」といった。
私は昭和天皇の宸襟(しんきん)をお悩ませしたことがあった。入江侍従 長が昭和60年に在職中に亡くなった後に、朝日新聞社から『入江相政日 記』が出版された。
私は昭和50年に、高松宮宣仁親王殿下のお話を伺って、月刊『文藝春 秋』2月号に「高松宮かく語りき」という題で、殿下が戦前、戦中をどの ように生きられたのか、寄稿した。
私は37歳だったが、『文藝春秋』の常連執筆者だった。
『入江相政日記』の同年1月24日(土)は、「〈略〉そのあと拝謁、 文春二月号を持つていつていろいろお話する。二十六日の御対面〈注・高 松宮との〉の時にはお手や
はらかにといふことゝ、西園寺〈注・公望(きんもち)、元老〉はルツソー などの影響を強く受けてゐて、高松宮が言つたのよりづつと進歩的だつた と仰せになつたのなどがき
つかけで、一遍(いっぺん)よくお話を承(うけたまわ)ることになる。『さ うすれば気も晴れる』と仰有(おっしゃ)つた。」と、記されている。
陛下が「高松宮かく語りき」に、強いご不満をいだかれたのだった。
昭和51年「4月19日(月) 拝謁。『皇族団欒』にはいろく誤りが ある。一々言はないが、あゝいふことは止めること。寛仁さんについて は、身をつゝしむやうにと仰
有つてはと申上げる。『さうしよう』と仰有つてゐた。」
私は高松宮、喜久子同妃殿下、秩父宮勢津子妃殿下、三笠宮家の寛仁親 王殿下にお願いして、皇室について座談会を行っていただき、『皇族団 欒』という題で『文藝春秋』
昭和51年3月号に掲載された。私が司会をつとめた。寛仁親王殿下には 若手の皇族として、参加していただいた。
この座談会も、陛下のご不興をかった。
「六月二十八日(月) お召で拝謁。〈略〉そして又文春二月号(注・ 「高松宮かく語りき」)のこと。いつまでもあとを引くもの。〈略〉」 「五月二十七日(月)〈略〉拝謁。又いろく皇族団欒についての仰せ。」 「十二月二十二日(月) 十時四十分お召し。この間からのお話の追加。 それにもうすつかり済んだのかと思ってゐたのに、また高松さんのことを 仰有つてゐる。大変なものである〈略〉」
「十二月二十七日(月) 年末所感。(注・前年)一月十日に文春の二月 号が出て、それに皇族団欒とかいふくだらない座談会の記事が乗つた。秩 父妃、高松宮同妃、寛仁さ
んといふ顔ぶれ。司会は加瀬英明。つまり高松さんがひとりで誇りか(マ マ)にしやべつておられるだけ。巳に昨年の
同誌二月号にも加瀬君が書いてゐるが、それも高松宮から
うかゞつたやうなことが多く、それによれば御自分は根つからの平和論者 であり、太平洋戦争を止めたのも自分であるといふ意味のことが書いてあ る。これがお上は非常にお
気に入らず、実に数へ切れない程度々お召があつた。このやうなことであ つたのでそれでは思召(おぼしめ)されることを何でもおつしやつていたゞ いたら如何(いかが)か、そ
れによつてさつぱり遊ばすのならとお勧めし、それはさうすれば楽だと仰 せになるのですつかりうかゞふことにする拝聴録計九冊と結語とがこれを 動機として出来上つた。
なほ��年もおつゞけいたゞかうと思ふ。」
昭和五十二年「四月十二日(火)お召といふことで吹上(注・御住居)へ 行く。又高松さんのこと。皆ごもつともである。〈略〉」
入江氏は私が陛下の御不興をかったことを、ひと言も洩らさなかったの で気づかなかった。
それにもかかわらず、天皇が昭和64年に崩御されると、私は新宮殿で 行われた殯宮
伺候(ひんきゅうしこう)の1人として選ばれて招かれた。
古来から「あらきのみや」「もがりのみや」といわれたが、宮殿の一室 に白い天幕のなかに、お棺(ひつぎ)が安置され、十数人がひと組となって 椅子に正座して、交替して
1時間お守りする。私は瞑目しながら、陛下のお怒りが解けたと思って恐 懼した。
天皇と皇室はその歴史によって培われた精神文化から発する力によっ て、日本国民を束ねてこられた。天皇こそ日本の安定の要であってきた。
天皇が歴史によって蓄えられた徳の力がなければ、昭和20年の夏に先 の大戦を終えることができなかった。これからも日本は皇室を尊ぶことに よって、纏まってゆこう。
13 notes · View notes
x1-saka · 4 years ago
Text
Tumblr media Tumblr media
71 notes · View notes
sumikko-antena · 4 years ago
Text
【朗報】小坂菜緒 初写真集発売決定「初の水着姿」も(゚∀゚)(゚∀゚)(゚∀゚)
日向坂小坂菜緒が初ソロ写真集「子供から大人へ成長していく姿」初の水着も(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース 日向坂小坂菜緒が初ソロ写真集「子供から大人へ成長していく姿」初の水着も(日刊スポーツ)  Yahoo!ニュース 小坂菜緒(日向坂46)|見れば誰もが恋をしてしまう、衝撃の1冊!『小坂菜緒 1st 写真集(仮)』6月29日発売 – TOWER RECORDS ONLINE  TOWER RECORDS ONLINE 日向坂46小坂菜緒:写真集発売決定に反響続々 「絶対的エースがついに」「買うしかないな!」  MANTANWEB 日向坂46小坂菜緒の初ソロ写真集にファン興奮 ツイッタートレンドトップに長く留まる  iza(イザ!) 日向坂46小坂菜緒、1st写真集決定 初の水着カットで“曲線美ボディ”も披露  モデルプレス Google…
Tumblr media
View On WordPress
3 notes · View notes
cvhafepenguin · 5 years ago
Text
山に行って穴を掘ろう。でも何を埋めるかはまだ決めていない。そもそも何故穴になにかを埋めることにしたのか、それすら覚束無い。この前巧にふられたからだろうか。しかしそれはきっかけにしても、全てではないような気がした。
世界は私の内側に拡がっている。私にはそんな感覚が小さいときからある。私が失くしたもの、得たもの、知らないもの、これから知るもの、それら全てが私の内側の向こうでひとつとなり微かに揺れている。それはまるで、水面を漂うとりとめのないひかりのよう。そういった認識へのひとつの解が、穴になにかを埋める行為であると私は何故だか直感していた。
その日は朝からずっと静かな雨が降っていた。山は霧深く、道中誰ともすれ違うことはなかった。私はローカル線の山の麓の駅から暫く歩いて出た山沿いのひっそりとした国道のガードレールを跨ぎ、さらに少し歩いたところに広がる草むらを見つけ、その中心部で、リュックから取り出したむき出しのシャベルを振るった。かん、と硬く鋭い音が雨に包まれてくぐもる。レインコートのフードから大きな水滴がしたたる。湿った土の匂いが鼻をつく。私は恍惚に浸りながら汗をかき、無心でシャベルを何度も、何度も、何度も、振るう。やがて私は雨に溶ける。私が私でなくなる。私は風になる。私は山のものになる。掘り続けた底から這い上がった私の足元には、直径1メートルほどの薄暗い虚が穿たれていた。 「穴」 それは、ちょうど私がすっぽり入るほどの深さだった。私は穴の周りをゆっくりと一周歩いてみた。衝動に身を委ね大地に���ャベルを突き立て自分の痕跡を直接残すということは、今まで得たことのない充足を私に与えた。
帰りの電車に揺られる46分間、私の心は穏やかだった。なにかを成したという暖かい満足感があった。家に帰ってシャワーを浴びありあわせの料理を作って食べ、日本酒を少し飲んで寝た。
さて、何を埋めようか。朝起きて私は考える。
半年前に買ったきり放置しているゲーム機?中学生の頃、私を虐めていたグループの中心人物の有坂優子の卒業写真とかも良いかもしれない。いやいや、巧が私の誕生日にくれた、趣味じゃないけど無理をしてつけていた香水か。それとも私の知り合いと浮気をしたのちに私を捨てた当の巧自身か。
もう10月なのに何故か道端に転がっているセミの死骸とか、子犬などを貰ってきて埋めるのも儀式じみていていいかもしれない。
しかしそんな呪いみたいなネガティブな行為ではなく、あえて自分が今大事にしているものを埋めるのが建設的かもしれないな、とも思う。
私の大事なもの。
口座の預金全額、唯一付き合いのある大学の同級生であり貴重な飲み友達のエリ、巧が私の部屋に忘れていった3本残っているマルボロの箱とライター、一昨々日酔っ払ってガチャガチャで引いたシモダイロウミウシのフィギュア、母の遺品のアメジストリング、部屋で飼育しているミシシッピアカミミガメのぼくたく、など。
考え出したらきりがないが、決めているルールはある。それは、埋められるものは1つということと、それを写真に撮って毎日1回は見る、ということ。それ以外は未定だ。
今はただ私と穴だけがある。そしてそのことは私の心を穏やかにした。あの穴が在る限り、私はどこまでも拡がっていけるのだ。
穴。私の穴、毎日は私と穴の間に過ぎていく。ひんやりとした痕をわずかに残しながら。
穴を掘ってから2週間後、巧から会わないかと連絡が来た。私は二つ返事で承知した。
久しぶりに会った巧は少し痩せていた。
「俺、振られちゃったんだ」
巧はお通しの小鉢の中の小芋の煮付けを箸で弄びながらまるでなんでもないようにそう呟いた。
私は黙ってビールを一口飲んだ。ビールは、苦手だ。
「それで」
私は一応聞いてみた。
「いやべつに、それだけ」
「ふうん」
私たちは黙々と杯を重ねていった。酒に弱い巧は最初のビールを空けてすでに赤ら顔になって眠たげな表情をしていたけど、私に続いて飲み続けた。
「そういえばここ、久しぶりに来たね」
「そうだな」
「巧は瑞木さんにふられてつらい?」
「どうかな」
巧は終始伏し目がちで、その様子はテーブルの上の半分骨になったほっけと話しているといった感じだった。
「私にこうやって会うことについて恥ずかしいとか、思わないの」
私はいつの間にかテーブルに手を付いて前のめりになっていた。
「それは、少しあるけど」
巧はそう言ってほっけをひっくり返す。それから遠慮がちに、ほっけに醤油をぽたたと垂らした。
それから、私たちはまた無言になり飲み続けた。巧は今にも寝そうな様子でついに船を漕ぎ出した。
「ねえ巧」
「うん?」
「私ね、穴を掘ったの」
「穴?」
「そう、穴。私の穴があるの」
「うん」
「私ね、その中に何を埋めるかずっと迷っていて」
「うん」
「それでね、一度巧を埋めてみたいと思うの。しっくりくるか確認したくて」
「そうなんだ」
巧は身のなくなったほっけの骨を箸でずっと突いていた。
「いいよ、その穴まで連れてってよ」
居酒屋を後にした私は巧を穴まで連れてきた。夜の山は暗く、2人のスマホのライトだけが頼りだった。穴にたどり着くと、私はリュックに入れていた折り畳みショベルを取り出して、巧に穴に入るよう指示した。
巧はすんなりと、あまりに呆気なく穴に収まった。巧がいいよと合図をしたので私は巧の入った穴にせっせと土をシャベルで放り込む。穴が、満たされていく。しかし私の心は特段変化がないように思われた。神に生贄を捧げるのってこんな感じなのかな、だとか漠然と考えながら手を動かしているうちに、気付くと巧は完全に埋まっていた。このまま帰ってしまってもいいかなと思ったけれどなんだかそれもつまらないし、一人で置いていくのは巧も寂しそうで不便だったから掘り出してあげた。掘り出された巧は相変わらず眠たげだった。
「どうだった」
私は巧に聞いてみた。
「地面のなかは、暖かかったよ」
「それだけ?」
「あとなんだか懐かしかった。胎内に回帰したような心地」
「ふうん」
「こんどエリも埋めてあげようか」
「気が向いたらね」
「エリは俺を埋めているときどうだった」
「特になにも」
「そうなんだ」
「でもその特になにも感じなかったということが、巧と私の関係に由来するものなのか、それとも人間を埋めること自体がつまらないものなのか、ということは穴のことを知る上で一考の余地があるよ」
「なんだそれ」
巧は笑いながらそう言った。このとき、私は巧の笑顔が好きだったことを肉体的に思い出した。
「もう終電だし今日はうちでシャワー浴びて泊まりなよ」
私は無性に巧を家に連れて帰りたくなった。
「そうする」
無人駅発の終電は私と巧以外誰も乗っていなかった。
アパートに着き、私は巧の土まみれの服を脱がして全てゴミ袋に入れた。そして巧にシャワーを浴びせ、優しく身体についた泥を手で落としていった。巧のはかない輪郭に添ってこびりついた泥を中指と人差し指で拭う。巧の汚れが落ち、蘇る。自然と指先に籠る慈しみを、私は無視できなかった。それはなんだか不思議な心地だった。祈りに似ているかもしれない。不意にひとすじの涙が頬を伝う。気づいてほしくなかったけれど、巧がそれに無言で答えているのがその表情からうっすらとわかった。私もいつか巧に同じようにしてほしいと思った。
それから私たちは朝までセックスした。巧は激しく私を抱き、私もそれに応えた。
いつのまにか寝ていた私たちは昼に目が覚めそれからまた日が暮れるまでセックスをした。私たちはまるで付き合い出してからから少し経った頃のように激しくお互いを貪り尽くした。
そしてその日の晩も巧は私のスウェットを着て泊まった。
巧は仕事があるから、と言って朝早くに私のスウェットを着たまま出て行った。私はそれを見送りだらだらと出勤の支度をした。
こんど私を巧に埋めてもらおう。私は自然とそう考えていた。
「ねえ巧、私を穴に埋めてみてよ」
「いいよ」
ベッドに寝転び裸で私を背後から抱きしめながら巧が卑猥な甘い声で囁く。それに伴いさっき果てた巧の性器がまた復活してむくむくと膨んでいく。それは、とても熱い。
身を捩り振り向くと薄闇の中で巧の豊かな睫毛に散りばめられた雫がきらきらと輝いていた。巧の睫毛はいつも私に魔術的な砂漠の夜を連想させる。
その夜私は、巧と2人で穴に入り、さなぎの中身のように溶けそして混ざり合い、ひとつの新しい生き物として産まれ変わる夢を見た。深く安らかな夢だった。
それからまた1週間後、私と巧は手を繋いで穴まで歩いた。あたりは薄暗くて、ほのかに土の香りが立ち昇っている。とても落ち着く香りだ。
私は穴にすっぽりと入り巧に「いいよ」と促した。巧は返事をせず、シャベルを上手に使って私を穴に埋め始めた。あまりにもその動作がスムーズなので、シャベルはまるで巧の身体の一部のように思われた。土が足元から腰のあたりにかけてどんどん積もっていく。ついに私が穴と1つになるときがくる。私と穴との距離が物理的にも精神的にもゼロになるのだ。そしてそれはすなわち私自身がゼロになるということ。
気がつくと私はすっかり地中に埋まっていた。きっちり埋まっているので指先すら1ミリも動かすことができない。巧の言った通り、穴の中は心地よく、身体に触れる暖かく湿った土は、私の身体の一部のような気がした。
そう、そうだったのだ。還るべくして還った胎内。それは私が掘るべくして掘ったこの穴だったのだ。
耳を澄ますと「とっとっと」と一定の振動が聴こえることに気が付いた。地中を伝わり私を震わす律動。それは私の心音が土に響き帰ってくる音なのかもしれない、いや、よくわからない。もしかしたらそれは、巧が走り去る音かもしれなかった。けれど、それもいいかもしれないな。と私は思い、それからゆっくりと目を閉じた。
深い微睡が私の内にひろがる。
2 notes · View notes