#新規失業
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kennak · 11 days ago
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私は、高校を卒業してすぐに就職した。生まれ育った静岡県の山奥から、千葉県松戸市へ。 やたらと地方出身者ばかりを集める会社だった。会社名義でアパートを借りてくれ、家賃まで払ってくれる。なんていい会社に入れたのだろう、というのは若さゆえの勘違いだった。 とにかく休日というものがない。シフト上で「休日」とされている日にはタイムカードをうってはいけない。それだけのことだった。 そんな環境でも二年間勤めたのは、単に逃げられなかっただけだ。会社名義でアパートを借りているので、職を失うというのは住居を失うのと同義だった。 食事もろくに摂れなかったため、がりがりに痩せた。食事の時間があるならば、そのぶん寝る時間にあてたかった。となると歯など磨くはずもない。虫歯が痛み、前歯を一本失ったが、それすらどうでもよくなっていた。 関連会社の男性社員から「借金してでも逃げろ」とまで言われ、ようやく逃げたのが二十歳の頃。 振り返れば、その二年間に休日という休日はなく、七百連勤以上を続けていたのだ。 千葉県内に土地勘などなかった。あてもなく新京成線に乗り、新津田沼駅で降りた。新津田沼を目指したわけではない。単に人がたくさん降りたから、つられて降りた。それだけだった。 駅とイトーヨーカドーがくっついているのは驚きだった。そんな場所がこの世にあるとは知らなかった。 そのままイトーヨーカドーへ入った。エスカレーターで上の階へあがると、そこにはゲームセンターがあった。ゲームセンターといっても、小さな子どもをメインターゲットにしたもので、真ん中には大きなトランポリン���設置されていた。 ここで働きたい。そう思ったのは、子どもが好きだとかそんな理由ではなかった。暇そうだったからだ。もう一生懸命働きたくなどない。この二年間で、一生分働いた。そんな気分だった。 求人誌で見つけたのか、インターネットで見つけたのかはいまとなっては記憶が曖昧だが、そこのゲームセンターは求人広告を出していた。アルバイトで、週に三日程度から可。 とはいえ、住所不定の若造を雇ってくれるとも思えない。先に住居を探した。 幸いなことに、新しい住居はすぐに決まった。駅から遠い、築五十年超の木造アパート。壁を叩けばゴキブリが五、六匹出てくるような部屋だったが、ようやく自分の居場所を手に入れた気分だった。 その住所を履歴書に書き、就職の際に両親が買ってくれたスーツに身を包み、伸びたままだった髪は自分でカットした。がりがりの体と失った前歯はどうしようもなかった。 鏡を見て、「まあ、これは雇わないだろうな」と自分でも思うほどだったが、面接ではなんとなく好感触を得た気がした。 そして数日後、採用が決定したと連絡があった。なぜ採用されたのかは知らない。他に応募者がいなかったのかもしれない。 赤いポロシャツに、黒いズボン。センスがいいとは言いがたい制服だったが、不満はなかった。 とにかく来客数が少なく、やることと言えばクレーンゲームの景品の補充だとか、当時流行っていたムシキングとかおしゃれ魔女などのカード補充とか。 あとはトランポリンで遊びたい子が来たら対応をした。たしか五分で百円。十分だったかもしれない。詳細は覚えていないが、百円玉を握りしめた子どもが目をきらきらさせながら声をかけてきたのは覚えている。 一度の勤務が四時間程度。それを週に数日。時給はたしか八百円ほど。食っていけるはずもなかったが、しばらくはその生活を続けた。とてももう、まともに働く気力などなかった。 借金がある程度膨らんでから、ようやく他にも仕事を始めた。コンビニ、警備員、チラシのポスティング、宅配便の仕分けなど。非正規雇用ばかりを山ほど抱えて、なんとか借金は返した。 ゲームセンターでのアルバイトは続けるつもりだったが、近いうちに閉店すると耳にした。一時間あたりの売り上げが私の時給を下回っているような有様だったので、遅かれ早かれそうなるだろうとは思っていた。 閉店まで続けようかとも考えたが、そのときに面接を受けた倉庫作業の会社で正社員の誘いがあったので、そのまま辞めてしまった。辞めた後、しばらくは営業をしていたようだったが、たしか一年経たずに閉店してしまった。 私は就職し、転職し、結婚して離婚した。また就職して、転勤して、いまは東京の西のほうで暮らしている。 津田沼まで片道一時間強。あまり気軽には来れなくなってしまった。 あれから約二十年。私はすっかりおじさんになってしまったが、おじさんになれてよかった。いま振り返ると、あの頃の自分はいつ人生を終わりにしてもおかしくはなかった。 あそこで働いたのは一年だったか、二年だったか。もっと長かったかもしれないが、まったく思い出せない。 あのゲームセンターはたぶん、七階のマクドナルドの前にあったはずだが、いくら検索しても情報は出てこない。 まるで幻だったかのように��私自身にも曖昧な記憶しか残っていない。検索しても、トランポリンがあったのは屋上だという情報ばかり。屋上ではなかったのはたしかなのだが。 ともあれ、私がなんとか再起をはかれたのは、あそこで働いた期間があったからだ。変に忙しい職場に入っていたなら、きっと潰れてしまっていた。 しかしまさか、イトーヨーカドー津田沼店自体がなくなってしまうとは。 なんとなく、イトーヨーカドー自体はずっとそこにあってくれるような気がしていたので、いつでも行けると思い込んでいた。 二十代前半の、あの時期の私の中心にはイトーヨーカドー津田沼店があった。書店にもよく寄ったし、四本の親知らずのうち三本はヨーカドー内の歯科で抜いてもらった。 あと、誰も気にしていないようなことだけれど、トイレの洗面台の脇に置かれた小さな花瓶に花が生けてあったのが好きだった。造花かもしれない。ただ、誰かの気遣いがそこにあった。トイレ自体古かったが、きちんと清掃しているのはよくわかった。私とは違い、仕事熱心な人が清掃を担当していたのだろう。もう何年も訪れていないので、最近はどうだったのかは知らない。 テナントが徐々に撤退していったのは伝え聞いていだが、それがなんだか思い出の場所が徐々に衰弱していくようで受け入れられなかった。 さて。ここまで長々と書いてきてどう締めればいいのかわからない。結局、歳ばかり重ねて、あの頃からまったく成長などしていない。 「さようなら、いままでありがとう」 でいいのだろうか。 あと、「寂しい」と「もう大丈夫」を付け加えて文を締めたいと思う。 小山征二郎さんが、イトーヨーカドー津田沼店閉館に寄せたエッセイ
時給800円のゲーセンに救われた… 閉館の商業施設に寄せた思い出
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chikuri · 7 months ago
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「民主党政権のどこがどう悪夢だったのかきちんとした説明を聞いたことがない」という主張は定期的に出現しますね。とはいえさすがに「聞いたことがない」なんてはずはないので、おそらく「自分の気に入る説明ではない」という意味か、「バカに分かるように説明したところで、そもそもバカは聞いてない」パターンのいずれかとは思いますが。 悪夢のような時代を生き抜いてきた者として私が言えるのは、「とにかく、あのような惨劇は二度と繰り返してはならない」ということだけです。あの時代がいかに酷いものであったか、ご存知ない方もぜひこの機会に知って頂きたいので、支持者から叩かれること覚悟で全力で反論していきますね。 個人的に、「悪夢の民主党政権」における大きな問題点は次の3点と考えています。 (1)国家運営能力の欠如により、内政上の失敗を数多く引き起こし、国益を損ない続けた。 (2)拙劣な外交を繰り返し、日米関係をはじめ、周辺諸国からの信頼を大きく毀損した。 (3)総理・閣僚をはじめとする所属議員の度重なる不祥事や、自分たちに都合が悪い情報を隠蔽する体質によって、国民の政治に対する信頼を失い続けた。 では、それぞれどんなことがあったか振り返っていきましょう。はらわたが煮えくり返る覚悟で読み進めてください。 (1)国家運営能力の欠如 ・財源の見込みが甘く、政権交代の際に掲げたマニフェストはほぼ未達成。 ・官僚を敵視して排除し、国家業務の停滞と質低下を招いた。 ・金融政策と財政政策が食い違い、タイミングの悪い増税も重なり、景気や株価は低迷を続けた。 ・歴史的水準まで進んだ円高を放置し、デフレを加速させた。 ・法的根拠がないばかりでなく、仕分人の選定や対象事業選定にも透明性を欠いた「事業仕分け」をデフレ時におこない、必要な公共投資を削減。経済を悪化させたにも関わらず、結果に責任を負わなかった。 ・「コンクリートから人へ」という誤った政策により、災害対策を疎かにしたうえ、地域社会を破壊した。 ・「朝鮮王室儀軌引渡」「尖���事件の船長釈放」「運用3号通知」「国家公務員採用大幅減」など、閣僚たちが思い付きレベルの意思決定を独断でおこない、結果的に我が国の将来に禍根を残した。 ・法的根拠のない組織を乱立させ、意思決定過程が曖昧になり、指揮命令系統も混乱。 ・法的根拠のない大臣や副大臣を任命したり、個人的な友人を参与に、党職員を内閣官房職員に任命するなど、ルールを無視、公私の別がつかない人事を実施。 ・原発停止、ダム建設中止など、法令根拠や事前協議が必要な決定を手続無視で断行。 (2)外交能力の欠如 ・普天間基地問題が迷走し、沖縄とアメリカの信頼を大きく損なった。 ・来日したオバマ大統領を日本に残したまま、鳩山総理がAPEC首脳会議に出席するためにシンガポールに向かうという非礼行為。 ・尖閣沖漁船衝突事件では、中国側の脅迫や報復に屈して船長を早々に釈放、不起訴に。その後の尖閣諸島国有化でも迷走。 ・領空侵犯が頻発するも、実効的な対策をとらず。 ・韓国に対しては、通貨スワップ協定締結、朝鮮王室儀軌引渡し、慰安婦問題での「知恵を絞っていきたい」発言など、不用意な譲歩を重ねた。 ・韓国の歴代大統領として初めて、竹島へ李明博大統領が上陸。 ・旧ソ連時代を含めて初めて、北方領土へロシア国家元首が上陸。 ・実現に向けた方策が何ら決まっていない状態で、国連気候変動サミットにおいて「CO2の25%削減」を突如国際公約化。 ・実現の見込みも全くないまま、G8の場で、「太陽光パネルを1000万戸に設置する」と突如国際公約をおこなった。 (3)閣僚・所属議員の度重なる不祥事と情報隠蔽体質 ・鳩山総理⇒偽装献金問題、脱税問題、引退撤回、「最低でも県外」「Trust me」「国民の皆様が聞く耳を持たなくなった」 ・菅(直人)総理⇒外国人献金問題、北朝鮮関係団体献金問題、「顔が見たくなければ法案を通せ」 ・野田総理⇒在日韓国人献金問題、脱税企業献金問題、民団選挙協力お礼発言、「大きな音だね」 ・小沢元代表⇒政治資金規正法違反容疑で強制起訴(無罪判決)、献金虚偽記載で公設秘書が逮捕(有罪判決) ・仙谷官房長官⇒尖閣漁船衝突事件、「自衛隊は暴力装置」 ・赤松農水大臣⇒��蹄疫問題、「だから早く殺せって言ってるのに」 ・松本復興担当大臣⇒「知恵を出さないやつは助けない」「書いたらその社は終わりだから」 ・長妻厚労大臣⇒運用3号独断決定、職務停滞 ・蓮舫行政刷新担当大臣⇒事務所費架空計上問題、国会内ファッション雑誌撮影、「2位じゃダメなんでしょうか?」 ・前原外務大臣⇒外国人から政治献金受領 ・川端文科大臣⇒事務所費架空計上問題、キャバクラ費用を政治資金で計上 ・鹿野農水大臣⇒対中不正輸出疑惑、機密漏洩疑惑 ・鉢呂経産大臣⇒「死の街」「放射能をうつす」 ・一川防衛大臣⇒「安全保障に関しては素人」 ・柳田法務大臣⇒「答弁は二つだけ覚えておけばいい」 ・山岡消費者担当大臣⇒マルチ商法業者からの献金問題 ・中井国家公安委員長⇒議員宿舎にホステス連れ込み&カードキー貸与、式典で秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」とヤジ ・小林議員⇒違法献金問題で選対委員長が逮捕、選対幹部が公職選挙法違反で有罪 ・土肥議員⇒竹島領有権放棄を日本側に求める「日韓共同宣言」に署名 ・横峯議員⇒賭けゴルフ、女性暴行、恐喝事件への関与 ・緒方議員⇒「スーパー堤防はスーパー無駄遣い」 ・原発事故対応(SPEEDI、米実測値の非公表、議事録不作成など)、尖閣ビデオ、北朝鮮ミサイル発射への対応、温暖化対策の家計負担、年金改革の財政試算 など、自分たちに都合が悪い情報は隠蔽し、政府への深刻な不信感を招いた。 ・総理-閣僚間で見解の方向性や意見の不一致が常態化。それらも含め、自民党で同様の事態があれば野党のみならずマスコミも総出で吊し上げられる事態となるが、マスコミも概ね民主党に好意的な報道姿勢。 そんなに民主党時代が良かったなら、下野以降何度でも政権を取り戻すチャンスはあったはず。なのにただ一度もそうなっていないということは、それが民意ということです。私もあんな地獄のような時代は二度と御免です。
新田 龍 / X
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yoooko-o · 5 months ago
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14/06/2024
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☔🐌☔🐌☔🐌
今朝、母がウォーキングをしていたら知り合いに会ったそうです。
その人には息子さんがいるらしく、数年前、役場で正規職員として採用されたけれど、1年間ワーホリに行きたいと今年の3月に退職したそうです。
その人は息子さんの今後のことをを心配して、息子さんにワーホリで休職して復帰もアリなんじゃないか尋ねたら、今度は役場に属しない違う生き方がしたいと言われたので、本人の意向を尊重し、退職に踏み切らせたそうです。 因みに息子さんが退職した役場というのは私が2年前、ハラスメント被害で退職した役場です。 
そして母の話をよく聞いたら、その息子さんというのが私の在職当時、新卒で役場に入庁したTくんでした。本当、世間って狭いです。 Tくんとは部署は違いましたが、あのひどい職場環境の中でも常識の通る1人で、仕事でも1年間お世話になりました🐻 地方は企業数も仕事の選択肢が少ないので、公的機関も貴重な働き口になりますので、公務員を退職するのは勿体ないという意見もあると思います。
在職中、本人には言い出せませんでしたが、あの役場なので心配でもありましたがTくんが退職したのを聞き、失礼ながら妙に安堵してしまいました。 彼があの役場に勤めるには優しすぎる性格だと思います。
ワーホリならどこかの国にいると思いますが、元気でいてほしいなと思いました🌏
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※私が役場を退職する前、2022.3.11の半旗を掲げる作業に立ち会わせてもらいました🇯🇵
半旗に掲げているのが当時新人職員だったTくん。この写真はこの後、Tくんにメールで送っています。またこの日は県庁の人事委員会が私の件で斡旋に入った日でもあります笑
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moko1590m · 19 days ago
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人型ロボット「シン・アトラス」が人間と同じように職場で働いているだとぅ!
著者D・パルモ
公開:2024-11-06・更新:2024-11-06
 より人間めいた身のこなしで間違ってもやり直す。ただ異様な動きがちらつくあたりに不気味さも。ボストンダイナミクスの人型ロボット、アトラスが今年4月に旧型から新型に転生した件をご存じだろうか?
 このたび公開されたのは、見ためからしてずいぶん変わったニュータイプのシン・アトラスが、自律運転で部品を移動させる作業の様子だ。
 かつては華麗なるダンスを披露するなど、魅せるパフォーマンスが得意だ��た旧型よりも、いかんせん地味な絵面になってるけども、よく考えたらこれこそが人に役立つロボットの本領発揮になるような?
自動車工場で自律的に作業するシン・アトラス  こちらの映像は、自動車工場で試験的に自律的作業を行うシン・アトラスをとらえたもの。今回はコンテナにある部品を棚に移し替える作業だそ��。
 保管用のコンテナにあるエンジンカバーを1枚ずつつかみ出し、右の部品棚に納めてゆくシン・アトラス。その姿はまるで人間そのものだ。
この画像を大きなサイズで見る  ちなみにアトラスは、棚の空いてるところに適当にカバーを入れているわけではない。
 ただ単純に移し替えているだけではなく、並び替えも行っており、間違いないよう気をつけながら慎重に作業を進めているのだ。
 ときには途中で失敗してビクッ!ってなるシーンも。まさに人間じみている。
 こっちまでドキッとする動揺ぶりだが、そのあとちゃんと入れ直したよ。
この画像を大きなサイズで見る  この失敗は、カバーの一部が隣の仕切りに引っかかったせいだ。
 だけど、そこで動作がストップしたり、無視して無理やり突っ込んだり、カバーを放して落としたりせずに、もう一度やり直してるところはすごいかも。
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自律的にオンラインで生成される動き  なお、すべての動きは、自律的にオンラインで生成される。つまり動作に関しては、事前プログラムされた動作や遠隔操作なしで行われているそう。
 しかもシン・アトラスは、環境の変化やアクションの失敗に直面すると、その都度、顔も兼ねてるカメラからの視覚と力覚、自己感覚センサーの組み合わせから、自身の動作を検出したのち、反応するようになっている。
全体的には人間っぽいが、特に奇妙な動きも  相変わらずスローだけれど、シン・アトラスの人間とそっくりな動きに感心する。
 低いものを取るために、きちんとしゃがんで取り出して、立ち上がって歩けるとことか、角度を調整しながら物を納めるところとか。
この画像を大きなサイズで見る  でも一方で不気味な動きもちょこちょこあったり。首や腰くるりと回せて、関節も自在に曲がるアトラスの場合、体の向きの変え方とかがなかなかに異様だ。
 スピードが上がるともっとぬるりとしそうな予感もある。
この画像を大きなサイズで見る  人間と違い、先に頭が右回りして後ろ向きになり、歩き出す下半身の向きに上半身が左回りで追いつくシーンとか脳がバグりそう。
 目鼻がなく、つるりとまるい顔の怖さとこの動きとが相まって、得体のしれなさが増幅するというか。
 まあなんだ。作業自体は地味だけど、旧型とうってかわって堅実なお仕事路線でいくのかな?
Atlas Goes Hands On 新型は旧型よりも小柄でスリムな完全電動型  2020年から韓国の自動車メーカー、現代自動車の傘下にあるボストンダイナミクスによると、柔軟な2足歩行の新型アトラスは商業活動用に設計されたもの。
 そのため旧型よりも小柄でスリムな完全電動型になり、すでに多様な現実世界に対応できるという。
 一方、宙返りやパルクールをしていた旧型は、新技術やアイデアの実現性を検証する研究プロジェクトとして開発されていたもので、重さ約90kgある油圧式だった。
人型ロボットが人間社会の工場で働く日は遠い?  動画のように自動車工場で働く人型ロボット(ヒューマノイド)は、各自動車メーカーで開発が進んでいる。
 今年はドイツのBMWもフィギュアAIの人型ロボットの実験導入を発表し、テスラも「オプティマス」というロボットを独自開発中だ。
 これらの二足歩行ロボットを支持する層は、開発がうまく進んだあかつきには、先進的な大規模言語モデルと統合することで、人と会話しながら危険な作業や重労働をこなせるヒューマノイドロボットが誕生する、と期待している。
 とはいえ、もし人間ぽくて有能で安全な自律型ロボットができたとしても、それを工場に導入するには解決すべき問題が数多くある。たとえその問題を解決できたとしても、政治家や労働団体の反対に直面する可能性がある。
 SFではありふれたシーンでも、根本的に人と異なるロボットが、現実の人間社会で普及するには、相当な時間がかかるかもしれない。
References: Oh good, the humanoid robots are working on their own
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AIロボットに最後まで仕事を奪われないのは配管工と電気技師(アメリカ) #びっくり #ヒューマノイド #作業 #ボストンダイナミクス #アトラス
(人型ロボット「シン・アトラス」が人間と同じように職場で働いているだとぅ!|カラパイアから)
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hachikenyakaiwai · 5 months ago
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【かいわいの時】明治四十五年(1912)7月3日:大阪土地建物株式会社、新世界ルナパークを開業。初代通天閣開業(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
明治44年(1911)9月、当時としては珍しい一大レジャー施設「新世界」の建設に着手し、翌45年5月に竣工した。新世界は芳五郎も参加して設立された大阪土地建物会社が、第5回内国勧業博覧会跡地の払下げを受けて建設するもので、工事を当社が受注した。天王寺公園に隣接して面積は2万5,000坪(8万2,500㎡)に及び、ここにコニー・アイランドを模した遊園地「ルナパーク」を設け、その周囲に鉄骨高塔、映画館、食堂などを配した盛り場をつくる計画で、この種の施設としてはわが国最初のものであった。鉄骨高塔は勧業博当時、当社が独自に建てた木造150尺(45m)の「大林高塔」の考えを踏襲し、脚部を含めて地上64mとし、「通天閣」と名付けられた。通天閣は大阪南の一つのシンボルとなり、後にその名は全国的となった。このほかの遊戯施設にはスケート場、ロープウエイ、ドリームランド、失笑館などがあり、小劇場を兼ねた映画館は13号館まであった。新世界は庶民的な盛り場として、戦争が近づく昭和初年まで多くの人々に親しまれ繁盛した(『大林組百年史』)。第2章 全国規模の事業へと飛躍 2 全国に名を馳せる ■―新世界「ルナパーク」より。
(写真)「大阪新世界(ルナパーク)」1912(東北芸術工科大学東北文化研究センターアーカイブス)※東北文化研究センターの活動休止��伴い、2018年2月公開終了。
タカイヤロー、コレカ通天閣デ三百尺*オマンノヤ自働昇降器デジットシテ上レマツカラ一ペン昇ツテ見メヘンカ、ソラ一番高イ所デスヨッテ遠方迄見エルナンカ天王寺公園ヤ新世界ノ活動寫眞館ナドハ足許ニ見エマツセ *ママ。実際は二百尺。
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castatratewriter520 · 9 months ago
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巫術儀式
非洲剛果是一個少數還有使用巫術的地方,我的奶奶就是其中一位非常有名的巫師,現在依然有很多的人,在現代醫療無法治療他們的時候,就會來尋求奶奶的幫助,也因為使用太多巫術的關係,有時候會有一些副作用的反噬,記得有一次,奶奶替一位非常有錢的人施展巫術之後,雖然富人的癌症被治好了,但是奶奶的眼睛也突然看不見了,雖然富人也支付了一筆非常龐大的巨款,這筆錢讓我們在這買了一棟有個非常大的泳池的豪宅,這棟建築物的規模,大到還有人慕名而來參觀,我從小就過著錦衣玉食的生活,這都是多虧了奶奶的強大巫術,自從我滿16歲之後,我開始協助奶奶處理她的工作,巫術的祭品可以說是琳瑯滿目,所有的材料都必要由奶奶當下的感應,才能開始去準備,所以每次需要什麼樣的祭品,我們每次都不會知道,最常使用的材料,就是對方的祖先墳土、指甲、頭髮,或者是血液等,這些幾乎都是必備的東西,接著奶奶會透過與神靈的對話,了解這次需要的祭品有哪些,鱷魚、河馬、大象、猴子、羊等等的也都會有,但是在我們家,有時候還會出現一個非常難取得的祭品,那就是男人的生殖器官,畢竟不會有人自願割下來當祭品吧,為了讓我們的巫師家族得以順利運行,我與幾位好朋友組成了一個團隊,我們會透過我們的資源,獵取這些很難取得的祭品,我們都要花很多的錢,去各個門路安插自己人,我們的團隊現在的規模,不論是旅行社、警方、政客、飯店,甚至是計程車司機,我們都有自己的人,我們可以說是企業化經營。
這次奶奶通知我說,她這次要幫一位全球前百大的富豪施展巫術,事成可以得到三千萬美金,但是奶奶透過了感應得知,這次需要兩副男人的生殖器官,通常一位就已經需要花很多精力了,結果這次居然需要兩副,這讓我跟團隊的夥伴開始商量對策,我們決定派出我跟我的好朋友潔西卡,一起出去尋找來旅遊的觀光客,我先是聯繫了旅行社的朋友,請他幫忙先物色好獵物,透過他給我們的資料,這次會有一團來自德國的旅行團,到時候會安排住在我們的飯店,我這邊接收到他傳給我們的照片,這兩名男子是此次旅行中,單獨來旅遊的人,看到兩人的照片,我跟潔西卡物色了一下這兩個人,好挑選自己想要狩獵哪一位,這兩個人一個是26歲的傑羅,另一個是24歲的史丹利,兩個人都是足球隊隊員,身材非常壯碩,身高都超過186公分以上,傑羅目前剛和前女友分手,而史丹利目前還是單身,透過了基本的了解之後,我選擇了傑羅,潔西卡則負責史丹利的部分,我們在飯店觀察周圍的環境,我跟潔西卡則穿著非常性感,坐在飯店的大廳,打算見機行事,很快的,他們的旅行團抵達了飯店,所有人提著大大小小的行李進入了大廳,或許是男人狩獵的本能,史丹利發現了坐在大廳的我們,潔西卡對著史丹利打招呼,史丹利有點害羞的表情,看來潔西卡這次是勝券在握了,我瞧著我的獵物傑羅,他則是拿著他的手機,一直傳著訊息,看起來有點不開心,此時,飯店的經理告知,晚上飯店在空中酒吧會舉行party,到時候請各位務必前往參加,眼看所有人一一被帶往各自的房間,我與潔西卡也回去穿著晚禮服,將自己打扮的非常漂亮,晚上活動開始後,我們在吧台喝著調酒,等待著兩個獵物出現,果然他們同時出現了,傑羅下巴留著一點鬍渣,五官非常深邃,有著一頭金髮還有漂亮的綠眼睛,我瞧他單獨的坐在那邊喝著酒,我主動的靠近他,邀請傑羅跟我喝一杯,傑羅沒有拒絕,我坐到了他旁邊,我用了這幾年來學會的攀談技巧,很快我們交談的很開心,或許是在酒精的催化下,他主動的吻了我,我的手觸摸著他的胸膛,可以感覺到他平時很認真的鍛鍊身體,我邀請他一起去我事前準備好的房間,他也沒有懷疑的跟著我一起走去,離開前,我看潔西卡也跟史丹利聊的很愉快,我們眼神示意了一下之後,傑羅與我先回到了房間。
我要傑羅先去洗澡,而我此時則是開始準備迷藥跟酒,在開始之前,我喜歡跟到手的獵物來一場性愛,對我來說,既然以後他再也無法做愛了,至少我的工作就是讓他稍微可以在最後一次的性愛中,感受到溫暖,傑羅走出了浴室,全身上下只包了一條浴巾,看他厚實的胸膛和那粗壯的手臂,尤其是明顯的八塊���肌,剛好很適合成為我的獵物,傑羅的胸毛��多一直延伸到了下腹,我此時也只穿了性感內衣,此時的傑羅再也忍不住了,他脫掉了他唯一的那條浴巾,印入眼簾的是一根粗大的陰莖還有兩顆很沉的睪丸,還沒勃起有16公分,勃起之後簡直快跟我手臂一樣粗了,長度有23公分多,他將我撲倒在床上,我們激情的熱吻起來,他的陰莖則是一直磨蹭我的身體,他脫了我的內衣跟內褲,粗壯的手臂讓我感到無比的興奮,傑羅的舌頭很靈活,感覺平時應該很常訓練自己的舌頭,光是舌頭的技術,我就已經爽到發出聲音,接著輪到我的口技,我光是含著他一半的陰莖就已經很不舒服,他的陰莖竟然還有一半在外面,但是這是難不到我的,透過我這鍛鍊的技巧,傑羅的陰莖硬到不能再硬,他讓我躺在床上,雙腿打開,他那巨大的陰莖開始在我的穴周圍滑動,我的穴早已濕潤,他的龜頭開始慢慢撐開我的穴,雖然他不是我做過最大的陰莖,但是也有前三名了,隨著陰莖的深入,我的陰道開始被狠狠的撐開,我被他頂的非常滿足,我覺得我好像被他頂到胃了,傑羅真的很持久,撐了半小時,看著傑羅越來越劇烈的撞擊,我也被他插的很爽,我們換了好多的姿勢,我呻吟的要他射進去,此時傑羅的睪丸收縮了,他的溫熱的精液射入了我的體內,拔出來的時候我看他還很硬,於是我又用力的吸允了起來,他刺激到一直呻吟,但是我沒打算放開,在一陣刺激下,他又射了很多,他的精液在我的胸部上流著,我跟他說我們先去洗澡,他跟我在浴室洗澡的時候,傑羅一邊淋浴一邊幫我清洗身體,我也拿著肥皂在他的胸膛輕輕搓洗,接著我又幫他把他的陰莖清洗乾淨,畢竟等等要把它整個割下來,不想要摸沒洗乾淨的生殖器官,傑羅希望明天還能再見到我,我也只是開心的笑笑,洗完澡之後,我帶著他來到我事前準備的位置坐下,遞給他早已添加了迷藥的紅酒,他很快的喝了一大口,完全沒有懷疑一下,結果不到一分鐘的時間,他就陷入昏死狀態,這個迷藥是特製的迷藥,就算他被割了陰莖,他一樣醒不過來,我看傑羅已經昏睡了,我把他拖進了浴室,拖行的過程中,他的浴巾掉了,我看著躺在浴室的傑羅,只有想趕快完成自己的任務,我推開了他的雙腿,看著他的陰莖還有睪丸垂在那邊,我也只是覺得他的陰莖可以讓我賺進3000萬美金,絲毫沒有任何憐憫的感覺,我拿出了我特制的刀,這把刀可以讓我非常輕鬆的就切除男人的生殖器官,不論有多粗大,都可以一刀解決,幸好他有修毛的習慣,我不用先處理他的毛,就可以輕鬆對準他的陰莖根部,我先握住了他的陰莖,刀刃對準了他的根部,我的習慣是割深一點,因為奶奶說,生殖器官越長越有效,所以我通常狩獵時,都會割深一點,握在我手掌心的陰莖,我還能感受到它的跳動,就像是雛鳥一樣,我拿著刀用力的割了下去,此時鮮血立刻噴出,16公分長的陰莖,就這樣被我完整的割下,而且還是剛剛插人我陰道的那根,我沒有先止血,我先將陰莖放到一旁的地上,接著抓住他的陰囊往外拉一點,一刀就割斷了他的兩顆蛋蛋,我將傑羅割下來的睪丸從陰囊裡面取出,並且將白膜去除,兩顆白皙的睪丸真的很肥美,接著將他的兩顆睪丸還有陰莖用清水洗乾淨,我將他的陰莖跟睪丸放到密封保鮮袋裡,心想這一包就價值1500萬美金,只能說太值得了,我將它裝入了小型手提冰箱內,眼看原本有著大陽具的傑羅,現在也只剩下一個流血傷口,我決定救他一命,我開門讓早已在房間外等候的人進來,他是我們組織裡面的私人醫生,我們狩獵的對象如果要請他幫忙處理,他都可以在短時間之內止住血,並救回對方的性命,就在我整理好後,醫生也已經替傑羅處理好傷口,至少不會有性命之憂,我看著依然躺在浴室的他,我也只是輕鬆的對著他說,對不起囉,你的生殖器官被我們接收了,我們組織頭也不回的離開了房間,只剩下一個被閹割的傑羅。
我們來到了潔西卡的房門外,此時的潔西卡也已經完成了,潔西卡開門讓我們進去,但是史丹利卻沒有那麼幸運,潔西卡在狩獵時,喜歡連體內的肉莖都挖出來,我們看到史丹利的時候,他傷口一直延伸到很裡面,他已經因為失血過多而死亡,一個可愛的德國男人就這樣失血死在了這裡,潔西卡笑著說,史丹利的陰莖勃起有21公分長,而且這還是他的第一次,結果他沒忍住,就把精液射在我的體內,結果他還很可愛的說,他願意為我負責,但是我早已吃了避孕藥,根本就不會懷孕,他真的很可愛,就連迷藥酒都很快的喝完,潔西卡覺得她這次的獵物,一定可以贏過我,史丹利的陰莖很長,再加上體內的部份都挖出來了,這長度至少有20幾公分,我跟潔西卡說,你每次都導致獵物死亡,這樣處理起來是容易一點,但是祭品主人死亡,會導致巫術效果降低,下次別再這樣了。隔天,當地新聞就開始報導這新聞,但是不論是警方或是政客都有我們的人,相關報導很快就被撤下,我們也順利將兩副男人的生殖器官交到奶奶的手上,使用過的生殖器官就不能再次當祭品使用,當作祭品的生殖器官會被奶奶���掉,所以每次都要去找新的獵物,如果需要的那個月是旅遊淡季,我們組織偶爾也會找尋落單的人下手,或者是想跟我們作對的警方人員,久而久之,警方幾乎成為我們的人,畢竟我們組織暗藏在各個領域,誰也不知道誰能相信,除了傑羅被送往醫院急救外,史丹利的屍體則是被我們帶去沼澤地餵養鱷魚了,透過朋友那邊的消息,由於失血過多傑羅至少昏迷了三天,傑羅在清醒之後,從原本的驚恐到後面情緒的平復,就至少花了兩天的時間,傑羅後來被送回德國進行更好的醫療照顧,只是他以後也不再是男人了,只能定期注射荷爾蒙,恐怕他應該恨我入骨了吧,但他永遠也查不到我是誰,因為當初不論是訂房、手機、姓名全都是假的,連監視器都沒有任何畫面,他的人生恐怕只會在仇恨中渡過了吧,我透過網路找到了傑羅的部落格,看他已經慢慢回到正軌,雖然他再也無法回到足球隊,但是看他現在在健身領域有了新的成就,看來他已經適應了新的自己。
過了一個月後,富人準時繳交了3000萬美元的現金,他的疾病也得到了解決,透過他的轉介紹,我的奶奶有越來越多生意上門,為了讓這個產業繼續發展下去,我們這幾年找尋了全國有潛力的小孩,而奶奶從中找到了自己的接班人,他的能力不比奶奶遜色,只要多加鍛鍊,未來一定會是一名出色的巫師,而我在我26歲時,遇見了一個來自俄羅斯的男人安德烈,當年他才28歲,他原本是我要狩獵的對象,在幾天相處的時間中,他不僅沒有像以前遇過的那些男人一樣肉慾,他還非常的珍惜跟我相處的時間,在任務要完成的那天,正當我握住他那17公分的陰莖準備下刀的時候,我腦海裡一直浮現這幾天他跟我的點點滴滴,我發覺我自己下不了手,我又把他拖回他的床上,隔天醒來他還說他不小心喝醉了,他不僅讓我打開了心扉接納了他,我跟他最後也結了婚,並生了三個孩子,或許是我也擁有巫師的血脈緣故,老三居然也可以跟神靈對話,奶奶說他是被神靈選上的人,以後也要替神靈服務才行,或許這也是命中註定的安排,假如當天把安德烈割了,這樣老三就不會出生了,這一切或許早已安排,這件事我並沒有告訴安德烈,畢竟被他知道太多反而是一種麻煩,安德烈他不知道我是獵屌集團的首腦,他只知道我們家族很有錢很有勢力,後來我將集團拓展到了海外分部,我的老公是一名俄羅斯人,而俄羅斯也成了獵屌集團海外第一個分據點,未來還要讓老三成為新一代的巫師。
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ari0921 · 2 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和六年(2024年)10月6日(日曜日)弐
    通巻第8447号
 中国の就職戦線、夥しいレイオフが深刻さを増した
  上海汽車もアリババもテンセントも大量解雇。各地でストライキ
*************************
 大學新卒1179万人の半分の職がないことは何回か報じた。
 くわえて、せっかく高給をはめる企業にはいったのに、レイオフされた。とくにIT、ハイテク、科技の集中する深センが「大量失業』の町になった。これを『低空経済』と中国メディアは読んでいる。
 表面的に中国企業の株が上昇しているのは刺激策発動による一時的現象でしかなく、いずれ下落する。
 『レイオフ』は中国語では「経済的裁員」という。
 過去五年の動きを総括すると、第一期はコロナ感染によるサプライチェーンの寸断で生産ラインがとまり、工場で寝泊まりという事態も発生した。このときの一時解雇は、すぐに収まるとみられた。だが工場はそのまま閉鎖となったところが多い。急遽マスクを製造した企業も多かったが、悪質のうえ乱売で中国製マスクは評判が悪かった。
 レイオフとは日本語では一時解雇、だから完全解雇とは異なる。その境界線も有耶無耶にされて、完全失業となったのが建設労働者だ。
 典型は建設中のビル、高層マンションの現場労働者たちで、農村からの出稼ぐ組が多かった。不払い賃金をはらえと現場でテント村が出来ていたが、公安に追い払われ、どうやら農村へ帰還したようだ。
 第二期は香港の自由化阻止、活動家弾圧と言論の自由が封殺された影響が2022年頃から深刻化し、金融関係の多くが拠点をシンガポール、ドバイへ移管した。
このため証券などでもレイオフが続発したが、外資系のJPモルガン、バンカメ、HCBCなどが規模を縮小し、かなりのレイオフが香港で生じ、それが株式市場のある深センと上海の市場関係者へのドミノとなった。
 第三期は米国主導の中国制裁がじわりと影響をもたらし、輸出産業ならびにソフト開発企業などでレイオフが発生した。花形だった上海汽車はVWやGMとの合弁工場もある。上海汽車の10%レイオフは下請け企業で50%のレイオフにつながった。EXEPICは50%の社員を解雇した。
こうした中国経済の不振はオムロンのように中国依存のサプライチェーン依存企業にも悪影響をもたらし、同社は世界全体で2000名の解雇に踏み切った。まだ活況を呈しているのはドローン関連だけといわれる。
 第四期は外資の撤退に付随した。
台湾企業は七割方が去り、日本企業も遅れ��せながら、中国に進出した10%が撤退。従業員は保障の上、解雇である。
このため各地でストライキが発生、アップル、日立製作所、ペプシコ、シチズンなどが深刻なストライキに遭遇した。
第五期が現在の状況で、ついにハイテク、eコマース(通販)の分野に波及した。京東は30%のレイオフ、アリババ、テンセント,DIDIなど、花形企業もレイオフを断行し、ハイテク業界全体のレイオフは5万人に達した模様である。
深センが経済特区として誕生したのは1979年である。その直前にも筆者は深センを取材しているが、まだ人口が800名足らずの貧しい漁村で、あちこちで建設工事をしていたが、道路は未舗装、食堂は屋台で、冷蔵庫もなく生あたたかいビールを呑んだ。それがいまや人口が1100万を突破、華為技術、アリババ、テンセントなどが深センに蝟集し、中国のシリコンバレーと呼ばれた。
 その深センが低空経済の津波に襲われ、町にあふれ出した失業の群れが、新卒で職のない若者の列に上乗せされる。
中国経済の先行きに明るい兆しはない。
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nihongo · 1 year ago
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Tumblrのコアプロダクト戦略
Tumblrでは、より多くのユーザーを獲得するために、仕事の進め方の再編成に取り組んできました。より多くのユーザーを獲得することは、より持続可能な企業になることを意味します。以下は、ユーザー数増加という目標を達成するために、私たちがとっている戦略です。ラボグループではすでに少し公開していますが、これはより大きなものです。私たちは、Tumblrコミュニティの皆さんとより透明性をもって仕事をするために、この戦略を初めて公開します。この戦略は、限られたリソースの中でガイダンスを提供し、私たちのチームがTumblrの将来を確実にするために特定の重要な分野に集中することを可能にします。
分析
Tumblrが発展するためには、Tumblrをユーザーにとって便利な場所にしている核となる体験を改良する必要があります。根本的な問題は、Tumblrの使いづらさです。これまでTumblrではユーザーが自分のフィードをキュレーションすることに期待するとともに、自分の体験をキュレーションすることに頼っていました。しかし、この期待はユーザーエクスペリエンスに摩擦をもたらし、ユーザーのごく一部にしか通用しないものでした。
Tumblrの競争優位性は、そのユニークなコンテンツと活気あるコミュニティにあります。インターネットカルチャーの先駆けであるTumblrは、エンターテインメント、アート、ゲーム、ファンサイト、ファッション、音楽など、幅広い趣味を網羅しています。そんなカルチャーに浸るために皆、Tumblrを訪れるため、人々とコンテンツのシームレスな繋がりを確保することが不可欠です。
Tumblrの継続的な成功を保証するためには、人々とコンテンツのシームレスな繋がりを育むことを優先しなければなりません。これには、新しいユーザーやクリエ��ターを惹きつけ、維持し、彼らの成長を育み、プラットフォームへの頻繁なエンゲージメントを促すことが含まれます。
Tumblrの行動原則
Tumblrのユーザビリティを向上させるには、以下の行動原則に取り組む必要があります。
新規ユーザーがTumblrを見つけ、登録する方法を拡大する。
アプリを開くたびに、高品質のコンテンツを提供する。
ユーザーが会話に参加しやすくする。
クリエーターのベースを維持し、成長させる。
ユーザーがTumblrを使い続けることを促すパターンを作る。
プラットフォームのパフォーマンス、安定性、品質を向上させる。
以下では、それぞれの原則について深く掘り下げていきます。
原則1:新規ユーザーがTumblrを見つけ、登録する方法を拡大する
Tumblrは、ユーザーではない人を熱心なログインユーザーに変える「初期認知段階」の問題を抱えています。また、業界標準のSEO対策にも投資していないため、初期認知の段階を確実なものにできていません。外部ソースから得られる紹介トラフィックは、一貫性のないユーザーエクスペリエンスにつながる様々なページに分散しており、その結果、これらのユーザーを通常のTumblrユーザーに変える機会を逃しています。例えば、検索エンジンからのユーザーは、ブログネットワークやブログビュー内のページにランディングすることが多く、そこには登録する理由があまりありません。
私たちは、ログアウトしたtumblr.comで実験を行い、訪問者の登録やログインへの潜在的なコンバージョン率を最も高くする必要があります。ログアウトしたページで、将来の潜在的なユーザーにTumblrが提供する幅広いコンテンツを見せることを検討するかもしれません。複数のタブやページにアクセスすることなく、誰もがTumblrの可能性を簡単に理解できるようにしたいのです。「Tumblrとは何なのか」をユーザーに理解してもらうという点において、現在のログアウトした探索ページはほとんど役に立っていません。これは、Tumblrへの参加を促す機会を逃していることになります。
アクションと次のステップ
Tumblrの検索エンジン最適化(SEO)を業界標準に合うように改善する。
ログアウトしたtumblr.comで、登録とログインのコンバージョン率を最も高くするための実験を行い、訪問者がTumblrを「理解」し、登録を促す方法を探る。
原則2:アプリを開くたびに、高品質のコンテンツを提供する
各セッションにおいて、ユーザーの多様な興味に合わせた新鮮で関連性の高いコンテンツを提示することで、最高のユーザー体験を保証する必要があります。ユーザーのコンテンツ体験に欠点があれば、その責任はプロダクトにあります。
デフォルトの立場は、常にユーザーがアプリケーションの操作方法を知らないというものであるべきです。さらに、ユーザーが自分の興味に関連するコンテンツを検索する際に、紛らわしい制限や予期せぬ障害物がなく、簡単にアクセスできるようにする必要があります。
Tumblrに対する人々の先入観という重荷を背負っているため、15年の歴史を持つブランドであることが足かせとなっ��います。平均して、ユーザーは1セッションにつき25件の投稿しか見ないため、最初の25件の投稿では「Tumblrは未開拓の可能性を秘めた活気あるコミュニティ」だという価値を伝えなければなりません。私たちは、Tumblrが古く、自分に関係のない場所だとユーザーに思わせたくないのです。
アクションと次のステップ
アプリを開くたびに素晴らしいコンテンツを届ける。
Tumblrの活気あるコミュニティがどこにあるのか、ユーザーが理解しやすいようにする。
すべてのフィードにおいて、アルゴリズムによるランキング機能を向上させる。
原則3:ユーザーが会話に参加しやすくする
Tumblrの魅力の一つは、会話の発展や、リブログチェーンやリプライの中に見られる気の利いた発言を紹介できることにあります。このような議論に参加することは、楽しく、気軽であるべきです。
残念なことに、リプライやリブログを介したTumblrでの会話の現在の仕組みは、新規ユーザーにとっては混乱するものです。個々のリブログに関わる制限や、リプライが元の投稿にしか適用されないこと、スレッド化された会話を簡単に追うことができないことなどが、ユーザーが会話に参加することを難しくしています。
アクションと次のステップ
リプライとリブログの混同に対処する。
返信とリブログの会話投稿機能を改善する。
個々のリプライやリブログでのエンゲージメントを可能にする。
ユーザーがリブログのスレッド内の様々な会話経路をたどりやすくする。
リブログのスレッドを折りたたむことで会話の乱雑さをなくす。
ユーザーのフォローフィード内の重複するリブログを削除する可能性を探る。
原則4:クリエーターのベースを維持し、成長させる
クリエーターはTumblrコミュニティにとって必要不可欠な存在です。しかし、Tumblrはクリエーターを維持、育成、成長させるための一貫した組織的な取り組みを行ってきませんでした。 
Tumblrで新しいクリエーターになることは気後れするものであり、離脱の可能性が高かったり、作品を共有してもエンゲージメントやフィードバックがなく失望したりすることがあります。私たちは、期待されるクリエーター用のツールを確実に用意し、クリエーターを維持するとともに彼らが成長できるようなやりがいのあるフィードバックの循環を培う必要があります。
フィードバックの欠如は、ダッシュボードのメインフィードでフォローしたブログ(「フォロー中」)のコンテンツのみを表示するという時代遅れの決定に起因しています。それが、新しいクリエーターへのサポートを犠牲にし、人気ブログがより見られやすくなるというサイクルを永続させています。この問題に対処するために、私たちはプラットフォーム上で新しいクリエーターの成長をサポートし、育成することを優先する必要があります。
また、Tumblrを利用する誰もがそうであるように、クリエーターが安心して自分の体験をコントロールできるようにすることも不可欠です。コミュニティからの質問であれ、投稿に対するエンゲージメントであれ、Tumblrで成功することが決して厳しい体験であってはいけません。
アクションと次のステップ
クリエーターの新しいコンテンツを、そのコンテンツに興味を持っているユーザーの目に触れるようにする。
クリエーターへのフィードバックループを改善し、投稿を続けるインセンティブを与える。
クリエーターがバイラルになった時に、大量の通知が届くことから保護する仕組みを構築する。
投稿にTumblrのリンクを埋め込む機能を追加する��ど、コンテンツを共同制作する方法を拡大する。
原則5:ユーザーがTumblrを使い続けることを促すパターンを作る
プッシュ通知とメールは、ユーザーのエンゲージメントを高め、ユーザーの維持を向上させ、コンテンツの発見を促進するために欠かせないツールです。Tumblrのユーザーへのアプローチ戦略は、プロダクト、コマーシャル、マーケティングの各チームがうまく連携する必要があります。
私たちのメッセージ戦略は、パーソナライズされ、ユーザーの興味の移り変わりに適応する必要があります。私たちのメッセージは、ユーザーのコミュニティにおける最新の活動を絶えず知らせるとともに、最新のショーやリアルなイベントのウィットに富んだアプローチやリミックスのために訪れる場所として、Tumblrを常にユーザーに念頭に置いてもらうべきです。
最も重要なことは、私たちのメッセージは心のこもったものでなければならず、決してスパム的であってはならないということです。 
アクションと次のステップ
メッセージ戦略の監査を行う。
通知が頻繁すぎる問題に対処し、必要に応じて調整、折りたたみ、ミュートを行う。 
メールメッセージをパーソナライズする機会を割り出す。
1日のプッシュ通知の上限をテストする。
ユーザーがプッシュ通知をオフにしている場合、メールを送信する。
原則6:パフォーマンス、安定性、品質
モバイルアプリの安定性とパフォーマンスが低下しています。過去300日間に修正されたバグよりも生まれたバグの方が多く、製作上の問題が大量に滞留しています。この状態が続けば、およそ2日に1件の割合で未解決の製作問題が新たに発生することになります。アプリとバックエンドシステムが問題なく動作し、クラッシュしないことは、素晴らしいTumblr体験の基盤です。パフォーマンス、安定性、品質を向上させることは、Tumblrの持続可能な運営を実現することにつながります。
パフォーマンスと安定性の向上:Android版、iOS版、Web版において、クラッシュのないレスポンシブで高速なアプリを提供します。
品質の向上:最高品質のTumblr体験をユーザーに提供します。
高速化:APIとサービスを提供することで、コアとなる製品イニシアチブのブロックを解除し、ラボから登場する新機能を立ち上げます。
結論
Tumblrのミッションは、常に世界のクリエーターに力をもたらすことです。私たちは、新しいクリエーター、アーティスト、ユーザーを惹きつける領域を改良しながら、既存のユーザーをサポートする方法でTumblrが確実に進化すること全力を注いでいます。ユーザーは、ユーザー自身にとって機能するデジタル上のホームを持つ価値があります。そして、ユーザーには、上質なコンテンツを簡単に発見できることを優先したプラットフォームでの、自身のコミュニティとつながるための最高のツールや機能がふさわしいのです。今、Tumblrは活気に満ちており、私たちは現在の戦略にこれ以上ないほど胸が高まっています。
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quotejungle · 3 months ago
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なぜレストランは生き残れないのでしょうか? 1 軒だけでも? まず、確かにコストは大きな理由です。特に、家賃と給与はどちらも収益の要因となるからです。家賃の高い場所は、(うまくいけば)売上の増加につながります。優れたサービスを提供するには、より優秀でより多くのスタッフが必要です。そのため、一見固定費のように見えるこれらのコストも、実際には収益と利益の両方に影響を与える変数です。  第二に、レストランは集客ビジネスです。ミシュランの星を獲得したような、他にはない体験を本当に提供していない限り、お客様の 80% は半径 5 km 以内から来店する可能性が高いです。つまり、この地域で (たとえば) 2 年間営業していれば、あなたの店のことを知り、試してみたかった人は全員、すでに試していることになります。  FMCG (Fast Moving Consumer Goods)(日用消費財)の観点で言えば、あなたの浸透は限界に達しています。浸透を拡大するには、精神的なリーチ (より多くの人々にあなたのことを知ってもらう) と物理的なリーチ (より多くの人々にあなたの製品にアクセスしてもらう) を拡大する必要があります。あなたの顧客層では、その両方が限界に達しています。新規ユーザーを獲得する速度は、今後非常に遅くなります。これが、本当の問題です。
レストランが失敗する理由 - シャシャンク・メータ著
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shihlun · 10 months ago
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大江健三郎 - 後退青年研究所(1960)
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黑暗的深淵在這個世界到處張著大口保持沉默。現實世界向遍布各處的深淵漏斗狀地傾斜,所以對傾斜敏感的人會不知不覺或者有意識地順首傾斜滑下去,墜入深淵黑暗的沉默之中,從而體驗現實世界裡的地獄。
我曾經像地獄把關人站在一個黑暗的深淵邊上,我所體會的對滑入深淵的漏斗狀傾斜的敏感,是指那些在政治或思想上道受過挫折的青年、心靈受到創傷的青年。當然,他們中的許多人在肉體上也有傷痕。
現實世界的一座地獄,即稱之為黑暗的深淵的話,就在大學旁邊不動產公司大樓三樓,房間總是亮堂堂的(啊,人為什麼自古以來就如此熱心努力使自己的周圍照得光明亮堂呢?人為什麼比野獸更強烈地討厭黑暗呢?我只是一個日本青年,不是基督教徒,對這些不感興趣,但每次一想到人對黑暗的恐懼,就想起「原罪」這個詞)。地上鋪著漆布,油光閃亮,不鏽鋼的辦公桌椅顯得清爽氣派,而且具有高效率,等待著合適能幹的主人。
但是,當我目送從走廊推門而入的挫折青年在回答我為了登記卡上的必要事項提出的、僅僅是卡片未曾明確記載但又必須記入卡片的簡單問題後,走進隔壁房間的時候,還是感覺到這間明亮的辦公室是地獄的一個入口。
隔壁房間有鬼嗎?有美國東郊的大學受過非常好的高等教育的嶄露頭角的年輕心理學家戈爾遜先生和擔任翻譯的東京女子大學學生在等待著。在思想或政治上受到挫折的青年邁出憂鬱的一步踏進這個房間,他們滿腦子苦惱,準備談談心裡話。我的大學同學把這間房間稱為「後退青年研究所」。其實正式名稱叫「戈爾遜訪談室」,英文縮寫為GIO。但沒有人稱呼它的正式名稱。結果戈爾遜先生的問題只提一個:「你為什麼後退了?」因為大家都是來談「自己為什麼年紀輕輕就後退了」的。
那個時期,是韓戰結束後相對穩定的時期,是學生運動處於如氣潭中間四陷的波谷時期。學生對社會的關懷表現在合唱俄羅斯民歌,在兩三年激烈動蕩的學生運動中受到創傷的學生重新回到學校,變得憂鬱苦悶,暗自舔著自己的傷口消磨時光。
於是,一個美國國籍的年輕學者就在東京大學旁創立了這家以遭受創傷的學生運動家為主要調查對象的研究所。它每天吸引不少所謂的後退學生。開始它只在校刊上刊登一則《戈爾遜先生恭候先前的學生運動活動家光臨!》的廣告,結果學生絡繹不絕。
我是在這兒打工的學生,今年剛剛二十歲,對青年神情憂鬱、臉色充滿抹不掉的髒垢的陰影般的苦悶可以說漠不關心,因此大概不會懷有同情之心。但如果GIO是對日本人炫耀優越者傲慢的那種研究所,我也不會接受接待戰戰兢兢地前來訴說自己內心陰暗的皺襞深處殘留的思想疙瘩的同胞這種工作,也許自己也會成為一個憂鬱症「病人」低垂頭把帽子貼在胸前排在長長的學生隊伍後面。
戈爾遜是個標準的開朗的美國人,雖然留著油煙色的短唇鬍,其實還不到三十歲,所以我在他這裡工作不覺得什麼強烈的自卑感。來日本的美國知識分子似乎要不是目空一切旁若無人或和藹可親寬厚溫敦,我們稱之為戈爾遜先生的這位芝加哥出生的社會心理學家可以說溫良敦厚的典型代表。
我現在還說不清楚戈爾遜先生為什麼跑到日本來調查受創傷學生的精神傾向,廣義地說,是否不少美國人在韓戰結束後很快就對日本學生的挫折心態發生興趣? 用美國社會心理學的方法調查日本學生,結果對美國人有什麼用?
一般認為,美國人的調查是為了加強在遠東地區進行反共宣傳的基礎的一項工作。這種看法多少令人信服,但就我所在的GIO來看,至少戈爾遜先生從未給我與反共宣傳有關的印象。
戈爾遜調查室每個月都把調查結果報回本國,但接收單位是不知道他業已畢業還是尚在就學的美國東部某大學研究所,好像與美國國務院、議會並沒有直接的聯繫。當然,我在這辦公室工作期間,出於一種自我厭惡的情緒,本來就對辦公室的性質、目的十分冷淡,也不想深入了解。我坐在辦公室裡,也和來訪的學生一樣,心情極其鬱悶,但出了大學教室門,會無緣無故地朝氣蓬勃、輕鬆愉快,有一種充滿希望的解放感。
我想擔任戈爾遜先生的翻譯兼打字員的女大學生也是如此的吧。在辦公室裡,我從未見過這個高挑細瘦的女大學生一絲平靜輕鬆的表情,但偶然在東京大學和東京女子大學共同舉辦的歌舞聯歡會上時看到她時,這位憂慮愁悶的我的同事簡直判若兩人,兩頰緋艷動人,興高采烈,歡聲笑語,像鳥鳴一樣尖聲歡笑。第二天,我懷著某種期待和莫名其妙害羞上班,出現在我面前的仍然是像內分泌失調似地愁眉苦臉的女大學生。
GIO的工作性質本身就極為憂鬱。 有一次戈爾遜先生說,日本的工作告一段落後打算去台灣或南韓從事同樣的工作,熱情動員我跟他一起去。那時候我很想試一試,甚至夢見自己在南韓調查受挫折的朝鮮青年,我不僅把戈爾遜先生的所有工作包攬下來,還手執鞭子像對待奴隸一樣抽打前來傾訴衷腸的青年,想來實在可笑。這也許是GIO表面上像穩重平靜的調查室,其實潛藏著將手指插進青年的傷口使勁摳攪脂肪、肉體的冷酷的一面的緣故,感覺在我的潛意識裡、在夢中重現出來。
我的工作是調查接受前來訪談的學生的履歷和訪談結束後付給學生報酬。酬金是採訪一小時五百日元。戈爾遜先生通常在發票上都寫採訪兩個小時,本來學生上學都有月票,無需交通費,但還是根據現住所到這兒的距離支付交通費,這對學生來說,是筆不壞的打工收入。但是,除了特殊情況外,這樣的「打工」只能申請一次,而且不是前不久積極參與學生運動後來倒退的這樣在思想上發生戲劇性轉變的人不要。因此,雖然不是想像的那麼難,確實比一般的打工不容易。
在GIO工作幾個月後,來訪的學生開始明顯減少,有時我的卡片上一天也沒登記一個學生的名字,戈爾遜先生無所事事,皺著眉頭像狗熊一樣悲傷地在屋裡轉來轉去。在這成績不佳的日子裡,只有翻譯兼打字員的女大學生絕不心慌意亂急躁氣惱,板板正正地端坐在桌前,閱讀袖珍本的《矛盾論》、《實踐論》。這不會讓別人覺得她思想上有所共鳴,因為那個時期,在女大學生中,毛澤東的書和羅曼羅蘭的書一樣風行。
沒有學生來的時候,戈爾遜先生就到傳達室和我聊天。他不和女大學生交談。她非常不愛說話,幾乎從不發表意見(這種徹底的沉默寡言使人覺得不正常,好像向戈爾遜先生發表見解自己也就成了前來訴說精神挫折的學生),戈爾遜先生對 她也有幾分發怵。我們一邊從辦公室窗子望著本鄉(本鄉,地名。東京大學位於此地一譯註)的大學裡高大的樹木,一邊盡量避開商業、日漸減少的後退青年的話題,漫無目的、天南海北地神聊起來。
透過這種無拘無束的漫談,我知道這個家庭一貧如洗的白人兒子靠獎學金上的大學,說不上天資聰穎才華橫溢,卻對日本的挫折青年極感興趣。一個二十八、九歲的美國青年選擇這個問題作為研究課題來到日本成立調查所,這本身就令人覺得他的精神構造不可思議有悖常規。我開始感覺到戈爾遜先生不是深淵的擁有者,而是被吸進這個現實世界的深淵裡的第一個墜落者。於是很自然地聯想到自己,我在自己的學生同胞前來訴說陰暗的情緒崩潰的外國人事務所裡工作,覺得有點近乎賣良為娼的人口販子、老鴇這樣卑鄙下賤,想起少年時光,雖然那時還是戰爭年代,對自己二十歲這個年紀依然懷抱著玫瑰色的幻想。但如今已經二十歲,而且是在和平時期,卻幹這種不清不白不三不四的差事,心頭充滿難以言狀的苦澀和自我厭惡。
可以跟我互相交流自我厭惡情緒的應該說是那個同樣打工的女大學生,但她整天愁容滿面,一有空就全神貫注地鑽進毛澤東的書裡,從不到我的屋子來走動。我一到裡屋,就不得不面對那些登記卡,被憂傷鬱悶的學生的形象擠壓得喘不過氣來,所以絕不會從我這邊推開女大學生房間的門,於是只好愁眉苦臉地和同樣愁眉苦臉的戈爾遜先生漫無邊際地神聊。啊,GIO簡直就是一座無比憂鬱的地獄!
正是在這種閒聊中,戈爾遜先生動員我在日本的工作結束後跟他一起去台灣或者韓國,也正是在這種倦怠鬱悶的時間裡,我從他不經意的動作的細微��覺察出 同性戀的傾向。他談到美國東部的鄉村小鎮,語調那麼親切眷戀,卻不遠萬裡跑到東方來,說不定是被流放到日本來的呢。外國人到大學的課餘打工科要求介紹擔任陪同聊天的人、導遊、翻譯的學生,大多都想藉此名義發展成同性戀對象。 外國人的這種別有用心現在已經變成常識了。我的一個朋友透過打工和一個外國貿易商搞上了同性戀,後來被貿易商拋棄,因此自殺。「被拋棄」這三個字是他寫在遺書裡的。這也是韓戰結束後那一陣子的事。
我和戈爾遜先生用低得能聽見隔壁翻書響動的聲音斷斷續續地聊長天,但雙方的心並沒有互相靠攏貼近。我用半瓶醋的英文跟美國人聊白開水淡而無味的閒天,覺得著急,深深地感嘆自已為什麼會在這裡幹這種事。我現在大體能體會到與美國人一起工作的日本人、尤其三十歲左右的婦女為什麼一天到晚裝模作樣矯揉造作大聲叫嚷的秘密。那些戴著很講究很派頭的眼鏡抹著大紅嘴唇以痙攣性地強調突出臉龐的女大學生們即將埋沒自己的空虛乏味的恍惚。她們和舊式婦女一樣,自我要求對工作奴隸般地逆來順受。
就我自己而言,當我看著和我相對而坐自由交談的這個美國人玻璃般透明而遲鈍呆滯的眼睛、像在果子凍上灑一層麵粉一樣發喧的胖臉和手背的皮膚、當細小的高鼻子、突然發出怪聲的嘴唇時,甚至神經質地想如果為了深入了解對方的思想情緒、為了在對方的臉上恢復人的統一感,簡單地說,如果為了發現我和對方之間人與人的聯繫,可以發展到同性戀關係。
我剛剛二十歲,從這個世界的幾乎一切追尋人與人的關係。而對年輕人來說,無論正常或變態的性關係,都是盲目地沉溺在令人感覺怪誕無序的他在之中的行為,都是賦予意義、制定秩序、變成如自己身體的一部分那樣親密的行為。如果我每天都和戈爾遜先生進行這樣百無聊賴的持續不斷的談話,我很可能要麼神經發作地和他同性戀,要麽神經發作地和他大吵一通辭去GIO的工作。
但是,在某月月初,由於上個月報回國內的調查數據實在缺少內容,本國給戈爾遜先生發來一封信指責他工作消極怠惰,信的措辭相當嚴厲。他早晨上班看了這封信後,一整個早上都在房間裡心煩意躁地急步轉圈。下午,戈爾遜先生終於下了決心,對全所人員,除清掃女工外、即我、女大學生及他本人就當前的困境發表演說。
戈爾遜先生的論點簡潔明快,本國要求他今後每個月提供上個月三倍資訊量的調查數據,如果不能保證這個基數,將解除他遠東研究員的職務。因此,我們必須提高效率。
怎麼提高效率?是在校刊上登更大的廣告,還是在校園貼廣告?《戈爾遜先生恭侯先前的學生運動活動家光臨!》
我針對戈爾遜先生的提問,發表意見說不能指望廣告的方法可以使狀況發生根本性的好轉,因為戈爾遜先生的後退青年研究所在學生中已經出名,即使出廣告,也不會有更多的精神挫折的新學生前來。
翻譯兼打字員的女大學生基本上同意我的意見,她認為即使我們在校內張貼廣告,再到處尋找可能會前來訴說自己精神受到創傷的青年,也不會像GIO調查初期那麼多。歸根究底,社會上並沒有存在很多「精神受創」的青年,並不是有無數的在學生運動中有過挫折體驗的青年在等待著GIO的召喚。大概已經見底了吧。
戈爾遜先生、我、翻譯兼打字員的女大學生心情憂鬱地討論了很久。戈爾遜先生不想現在離開日本,工作半途而廢回到美國意味著在大學裡謀不到一個好位置。 另外,我和女大學生都不想過早失去這份又安穩收入又可觀的打工。
越討論越覺得前途渺茫,大家陷於一籌莫展的時候,戈爾遜先生提出了妥協的方案。他說,下個月一個月大家好好幹,把成績提上去,全力以赴,做出好成績,就可以向國內提出報告說日本學生的調查已大體結束,這樣就會批准調到其他地方去。如果在成績惡劣、遭受批評的風頭上提出調任請求,會立即被炒魷魚,南韓與台灣就是別人的美差了��
我和女大學生覺得不是立刻丟掉飯碗,還有一個月的時間可以找別的打工。於是三個人一致決定大幹一個月全力進行調查提出高品質的工作報告。
但是,不找到幾個後退青年,我們連一張調查卡也填不了,寫報告更無從談起。 這時,我突然心血來潮,一個主意浮上心頭:我們可以製造後退青年、即心靈遭受創傷前來訴說苦惱的青年,簡單地說,就是隨心所欲地把一般青年當做後退青年,編造他們前來GIO訴說精神苦惱的假報告。說起來,這麼好的主意為什麼以前就沒想出來。我們以前聽過積極參與學生運動或黨的活動、後來遭受政治思想上的挫折的「心靈受創青年」訴說自己的真實感受。至少我和翻譯兼打字員的女大學生都聽過。「心靈受創青年」的訴說,連我們的心靈都感受到痛苦。「心靈受創青年」主動到GIO來訴說自己的內傷不僅僅要忍受痛苦,更是克服了巨大的心理障礙。其實,後退青年到GI0來本身就是極不正常的非人性的行為。
根據我的主意,只需要一般學生稍微做些表演就好。我目送這些青年走進隔壁房間接受調查時,不會覺得他們掉進黑暗的深淵而心頭難過,也不會從調查完畢出來的青年臉上看到遭受打擊一蹶不振的印象,或者由於說得太多而疲憊興奮得通紅的肌膚上出現後悔、自我厭惡這些陰暗憂鬱的污垢。因為這一切全是演戲。他們不是「心靈受創青年」。
於是我向戈爾遜先生保證我明天去大學找幾個調查應徵者來,一定是幾年前學生運動的積極分子、典型的後退青年。
第二天,我跑了一間又一間教室,還去研究室和課外小組活動室,說明我的宗旨。說是一般學生,其實對兩三年前的學生運動也很了解,而且全身都給人一種體驗過精神挫折的印象。應徵者很多,我從中挑了十個。他們都知道GIO。他們和我一樣,對後退青年研究所把他們演戲的錯誤數據信以真感到愉快。我們興高采烈七嘴八舌討論說,美國人以為能把自己的手指插進日本真正的「心靈受創青年」的傷口裡使勁摳攪,完全打錯了算盤,我們信口雌黃的遊戲奠定了他們學問的基礎。當天晚上,這十個學生去GIO的日期以及各自扮演的角色都安排妥當。
從下一周開始,GIO每天都是開業以來從未有過的充實豐富。戈爾遜先生情緒極佳,幾乎天天說終於採訪到了一直想見的典型的後退青年。我只是輕鬆地把巧妙玩弄訴說把戲的青年送進隔壁的房裡,心情十分舒暢。
但是,令我稍感不滿的是,翻譯兼打字員的女大學生出人意外地突然辭去工作,戈爾遜先生決定停止調查,立即整理報告。結果我預約的兩位表演者未能上場。
戈爾遜先生也寫了一份日本工作業結束,GIO現已關閉,待命調往他地的報告,隨同本月的統計報表送回。他也答應把女大學生的工作日期算到GIO關閉為止向國內申請特殊津貼。戈爾遜先生對這個月成功的調查充滿信心,相信他的報告將一鳴驚人,博得滿堂喝采。
戈爾遜先生最得意的是我的第七個表演者,這個學生個子矮小臉色淺黑長著猴子般的額頭。我對他說不上了解,但戈爾遜先生一採訪,立刻認定他是最典型的後退青年。後來才知道,翻譯兼打字員的女大學生也因為這第七個表演者才下定決心辭去工作的。
報告空郵出去以後,GIO立即關閉。那天晚上,我們三人小聚,戈爾遜先生問女大學生為什麼要辭去GIO的工作,她回答說實在不願意看見那種厚顏無恥的日本青年。我從容不迫地看著女大學生第一次展現的深切焦慮與悲哀,覺得很可笑。戈爾遜先生一臉困惑,但沒有平時那種難以捉摸的異常感覺,而是一個不諳世故的平凡普通的學者即將發作時的不悅表情。我甚至想知道那個猴子額頭的第七個學生是怎麼表演的。
我是在另一個完全出乎意外的地方知道第七個表演者的伎倆的。GIO關閉一星期後,我從日本發行量最大的報紙上讀到有關第七個表演者的文章,也���登了他的照片。照片排在介紹GIO活動情況的文章中,戈爾遜先生笑嘻嘻地站在第七個表演者旁邊。這一定是採訪結束後翻譯兼打字員的女大學生照的。報紙說戈爾遜先生認為第七個學生、即A君是典型的後退青年,發現他是GIO調查的最大收穫。報紙引用調查卡的記載這樣報道A君成為後退青年的經過。
A是日本共產黨東京大學支部的成員,但被懷疑為特務,慘遭監禁拷打,小手指頭第二關節被切斷,最後被開除出黨,戀人也離他而去。於是他主動向富士警署的某警察提供情報。但是他已經離開學生運動,情報沒有太大價值,當特務也沒資格。現在他非常孤獨。他恨先前的夥伴,是他們使他遭受巨大的挫折,但他的特務嫌疑問題似乎是一個背叛的同夥告的密。戈爾遜先生把A視為日本左翼學生後退的一個典型。
我覺得絕望的黑暗深淵正吞沒照片上與戈爾遜先生並排站立的、猴子一樣微笑著的第七個學生。我的身體開始顫抖,渴望確認自己在第七個學生不幸之外。我使勁從黑暗熱昏的腦子裡把女大學生的「那種厚顏無恥的日本青年⋯⋯」驅逐出去。
冬天。第五堂課結束時,整個大學籠罩著寒氣逼人的蒼茫暮色。我彎腰縮脖地走出大門,突然看見一個躲在電線桿後面的矮小男人用手套遮著側臉朝我走來。我們默默地沿著大學的磚牆在昏黑中並肩走著。
「本來打算鬧著玩的。」第七個學生萎靡不振地說,「我隨口胡編亂造,沒想到報上登出來了。」
「我也沒想到。」我陷入束手無策的困境,說,「向戈爾遜先生提抗議去。」
「已經提抗議了,我要求他撤回報道,但他不同意。他說報紙報道的內容,既有錄音又有證人,不能撤回。我說那是我鬧著玩的,是信口開河、胡說八道。 但他說不管你鬧著玩也好,胡說八道也好,你說的內容很有意義。」
戈爾遜先生淡灰色的明亮的眼睛、細小的高鼻樑、胖乎乎的粉紅色皮膚立刻統一成一個傲慢的形象浮現在我的眼前,冷酷無情地把一籌莫展驚恐害怕的猴額頭青年猛力推開。我把自己融化在戈爾遜先生傲慢的形象後面,突然變得從容冷漠。
「其實報上的照片很模糊,能認出是你的不就是幾個親近的人嗎?既然是十分親近的人,對他們解釋這是一場玩鬧,大家哈哈一笑不就過去了嗎?」
「不行呀。就說我的戀人吧,看了報紙以後看我的眼神都不對了。」猴額頭的小個子把他的左手伸過來。
我看見他小手指第二關節被切斷了。我一陣難過,停下腳步。他像受欺負的小孩一樣眼睛直勾勾地盯著我,左手戳在我的眼前。 我看著馬路上過來的公車,準備上車。
「戈爾遜先生答應一個月以後在報上發表更正啟事,而且把錄音帶還給我。你也幫我記著。好嗎?我幹嘛說那麼多呢?莫名其妙。」
汽車停下來,我上了車。我擔心他跟上來,但似乎他只是在黑暗中看著我離去。 我終於鬆了一口氣,但我也不明白他為什麼要說那麼多。我至今也沒弄清楚。一個月後,戈爾遜先生的報告受到高度評價被調任為歐洲研究所。即使他在報紙上發表「內容與事實不符」的更正啟事,也毫不影響他前往歐洲赴任。但是他並沒有發表更正啟事,在我和女大學生的送行下,從羽田機場飛走了,因為第七個學生一個月後沒有再去找他。戈爾遜先生託我把錄音帶還給第七個學生,但至今仍保存在我這裡。我想起戈爾遜先生把錄音帶交給我的時候說的一句註釋性的話:「他是一個典型的後退青年!」
於是,我感覺到身邊的現實世界到處都是滑入默默張著大嘴的黑暗深淵的漏斗狀斜面。
(鄭民欽 譯)
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kennak · 2 months ago
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これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。 政府もテコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。 「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。 そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。 なんなら和書が中央ではなく洋書が中央である。日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。 客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数の書店が統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。 「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。 全勢力が協力してできた超超巨大書店を中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店。 海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。 税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。 例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国が追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。 ��こかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。 書店と書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人で経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園は読書に最適化されている。 その街にはどこにでも��子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。 この街には有名人が毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。 読書家はこの街の付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。 一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街に存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的の人間は異様に目立つようになり警戒される。 街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通の人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。 地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人の言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。 この街の広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。 たとえばベトナム語のマンガの新刊広告なども見受けられていてほしい。 この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有の書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語帳専門店」や「栄養学書籍専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議と利益が出るのだ。 この超超巨大書店圏内部には研究所や大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。 そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原や神田にカレーがたくさんあるようなものだろう。 やや込み入ったところにはマイナーな本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。 石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所は日本ではここしかない。 しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。 「この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街は地球に必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだが不思議と日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である。 この街では、夜もたくさんの書店が営業している。こんな大きな本屋が24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。 街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分の選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。 富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。 富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。 近隣の都市はこの超超巨大書店都市のおかげで経済効果がある。 この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。 そして、全身の細胞で体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。 取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。 誰か作ってください。 ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し! 書店は兵器です。 追記 ジュンク堂書店など大型書店が潰れかけているのは知っている。 ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。 大型書店であっても、本が少なすぎるのが問題である。 だいたい日本語の本というのは大して範囲が広くない。 それに「物理本を読む人が少ないから本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。 「物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である。 本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから。 本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである。知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ。 ない側に媚を売っていれば潰れて当然。 「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。 「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。 ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店の重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。 だからこそドカンとぶち上げるのだ。 記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。 自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存の書店をちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。 コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。 自分が言っているのは、数億冊あるような書店群である。つまり、コーチャンフォーやジュンク堂書店や紀伊國屋書店は超超巨大書店(世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である。 世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語や韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学の参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。 地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る��は・・・?」���この街が・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店群である。 イメージとしては↓な感じ。 まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議な光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。 電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。 降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区域書店」だった。 右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機で販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機の歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。 床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。 改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。 デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージにさようなら」「入門グロッキング」「般若心経の終焉」 ぼうっとしているとハトが飛んできた。ここでは何やら、ハトでさえ賢く見える。予算は5万円だったが、足りるだろうか。 Amazon倉庫でもないんだって。 なんか全然伝わっていなくてものすごく悲しい。 子どものときに巨大書店や巨大図書館に人生で初めて行ったときとか、論文と大学と研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。 目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。 記号接地問題ともいうらしいが。 いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。 そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。 神田の古本屋街や、既存の大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。 ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリで人間を左右にスワイプするとき、人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。 一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。 自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしまう場所がほしいということである。 それから、実現の不可否はともかくとして、「え、そういう本屋あったらめっちゃいいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と感じてほしい。
ド田舎に世界各国の超超巨大書店が集積する都市がほしい
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wwwwwwwwwwww123 · 1 year ago
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相談に乗っている桜井🌺(相互)さんはTwitterを使っています: 「非正規雇用で低所得な弱者男性をバカにしてる人は多い だが、バカにしてる人だって、その職場が倒産などして失業した場合、新卒至上主義の日本では即低所得の弱者になるんだぞ なかなか再就職できず、なんとか就けた職場だって総支給180,000円、手取り120,000円というのは今時珍しくない #弱者男性 https://t.co/dVDrlhnoyx」 / Twitter
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yoooko-o · 1 year ago
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13/11/2023
最近、tumblrのメッセージに「漫画以外で普段どんな本を読まれますか?」という質問を何通かいただきましたので、ここで紹介させてください。
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権力(パワー)に翻弄されないための48の法則(上・下) / ロバート・グリーン他 著
腹黒い人には読ませないで欲しい!刑務所のリクエストランキング上位に上がっているそうです。 私は腹黒くなろうという意思が全くないので、読むのに必死です。 「じゃあ、何でこんな本買ったの?」 って突っ込まれそうですが、これは単純にThe Kid LAROIが2年前(当時18歳)にyoutubeで人生に欠かせない10アイテムのひとつとして紹介していたことに、最近知りました。
元ネタはこちらです(04:20)↓
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「日常生活だけではなく、この業界で生き抜くのに役立つ」
成功をおさめた18歳からそんなことを言われたら読むしかありません笑 本当、単純な理由から買った本です💧 また、ここで断っておきますが、これまでの投稿でThe Kid Laroiのことを散々書いていますが、そこまでディープなファンではありません(ファンの人、すみません…)💧
会話中の規制音の凄いこと苦笑
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こころの処方箋 / 河合隼雄 著
以前、社労士事務所を病気で退職したときに(原因は所長の度重なるパワハラです)、2年間のブランクができました。当時は不本意な形で退職したので、退職後は今後の喪失感と絶望の中、焦りと不安から毎日泣いていた日々を過ごしていました。その当時から繰り返し読んでいる本で、当時の私に新たな気付き、そっと背中を押してくれる本でした。
今も心に迷いができそうなときには必ず読んでいる本で、私の生涯を通して大事な本です。
いつもの食レポ・外出ネタ(たまに愚痴)とは違った内容でしたが、個人的には楽しく投稿させてもらいました。最後までご覧いただきありがとうございました☺
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kaoriof · 6 months ago
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも��過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さ��微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょっとラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題 
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あっ��かいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。���ッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れていくのだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやましいな〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなってしまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人��、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心底信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間にクリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投稿しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話してなかった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見��落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分���何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先週の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少���どきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを露わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分��するのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見に行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといけるでしょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、���い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくと��んだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。たくさんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに良い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、何もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己���定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろ���なものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞ���て、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付くので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてしまうなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任��なってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしまいたい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとす��すれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを読めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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okadadada · 2 years ago
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プラットフォームはこのように滅びていく。まず、ユーザにとって良き存在になる。次に、ビジネス顧客にとって良き存在になるために、ユーザを虐げる。最後に、ビジネス顧客を虐げて、すべての価値を自分たちに向ける。そうして死んでいく。 私はこれを「メタクソ化(enshittification)」と呼んでいる。プラットフォームが容易に価値の配分方法を変更できることと、プラットフォームが買い手と売り手の間に陣取ってそれぞれを人質にし、両者の間を通過する価値のシェアをますます大きくする「両面市場」の性質によって生じる必然的な帰結である。 産声を上げたばかりのプラットフォームはユーザを必要とする。それゆえ、はじめはユーザにとって価値のある存在であろうとする。Amazonを思い出してほしい。Amazonは長らく赤字経営だった。資本市場へのアクセスを利用して、あなたが買うものすべてに補助金を出していたからだ。商品を原価割れで販売し、配送も原価度外視だった。さらに、以前のAmazonはクリーンで便利な検索機能も備えていた。ユーザが特定の商品を検索したら、その商品を検索結果の最上位に表示させることに全力を尽くした。 Amazonのユーザがとんでもない厚遇で迎えられていた時代があったのである。多くのユーザがAmazonを利用し、その結果たくさんの実店舗型小売業者が立ち行かなくなると、Amazon以外の店で買うという選択肢が失われていった。次にAmazonは電子書籍やオーディオブックを販売し始めた。それを購入するということは、DRMによってAmazonのプラットフォームに永久にロックインされることを意味した。つまり、Amazonで1ドルのメディアを購入すれば、Amazonとそのアプリから離脱する際にその1ドルを失うことになるのだ。さらにAmazonはプライムを売り込み、1年分の送料を前払いさせた。プライム会員はAmazonでばかり買い物するようになり、その90%は他の店舗で検索することはない。 こうして多くのビジネス顧客を誘引していった。つまり、マーケットプレイスの出品者たちは、Amazonが当初から約束していた「なんでも屋」にAmazonを変えてくれたのだ。サードパーティの出品者たちが次々と参入してきたことで、Amazonは補助金の使い道をサプライヤーに向けるようになった。KindleやAudibleのクリエイターたちも厚遇で迎えられた。Amazonはビジネス顧客の手数料を低く抑え、マーケットプレイスの出品者たちは膨大な消費者にリーチできるようになった。 こうした戦略の結果、買い物客はAmazon以外での商品探しが次第に難しくなり、Amazonでしか検索しなくなった。一方、販売者たちはAmazonで販売しなければならなくなった。 そうしてAmazonはビジネス顧客から余剰を収穫し、Amazonの株主に当てるようになった。今日、マーケットプレイスの出品者は、販売価格の45%以上をジャンク料としてAmazonに支払わされている。Amazonの310億ドル規模の「広告」プログラムは、出品者同士を対立させ、検索結果の上位に表示されるチャンスを競わせるペイオラ(訳注:賄賂)スキームなのだ。 Amazonで検索しても、検索ワードに最も適した商品が最上位に表示されることはない。そこに表示されるのは、検索結果の最上位に表示されるために最も高い額を支払った商品である。その手数料(訳注:広告料)は、あなたが購入する商品の代金に上乗せされる。Amazonから「最恵国待遇」を義務づけられた出品者は、他のストアでAmazonより安く販売することができないので、Amazonはすべての小売事業者の価格を押し上げてもいるのである。 Amazonで「猫用ベッド」を検索すると、最初の画面いっぱいに「広告」が表示される。その中には、Amazonが自社プラットフォームの出品者からパクった自社ブランド商品の広告も含まれているのだが、これが元々の出品者を廃業に追い込んでいる(外部の販売者は上位表示のために45%のジャンク料を支払わなければならないが、Amazonは自社製品の上位表示にこうした料金を請求しない)。「猫用ベッド」の検索結果の最初の5画面のうち、だいたい半分は広告である。 https://pluralistic.net/2022/11/28/enshittification/#relentless-payola 余剰は最初のうちはユーザに向けられ、ユーザの囲い込みに成功するとサプライヤーに向けられ、サプライヤーの囲い込みに成功すると株主に向けられる。そうして、プラットフォームは役に立たないクソの山になる。モバイルアプリストアからSteam、FacebookからTwitterに至るまで、これがメタクソ化のライフサイクルである。 キャット・ヴァレンテがクリスマス前のエッセイで記したように、Prodigyをはじめとするプラットフォームは、ソーシャルなつながりを求める場から、「おしゃべりをやめて、モノを買う」ことを期待される場に一夜にして豹変してしまうのだ。 https://catvalente.substack.com/p/stop-talking-to-each-other-and-start こうした余剰をめぐるペテンは、Facebookでも起こったことだ。当初、Facebookはあなたが好きな人、気になる人の投稿を表示してくれる良きプラットフォームだった。だがひと度、あなたの大切な人たちがFacebookを利用するようになると、事実上、そこから離脱できなくなってしまう。たとえわかりあえているはずの友達とでも、どの映画を見るか、どこに夕食を食べに行くかは、半分くらいはうまくまとまらない。それはさておき。 Facebookはその後、フォローしていないアカウントの投稿をフィードにプッシュするようになった。最初はメディア企業の投稿をユーザのフィードに埋め込み、新聞や雑誌、ブログへのアクセスを促した。 パブリッシャがFacebookにトラフィックを依存するようになると、Facebookはトラフィックを減少させるようになった。メディアがFacebookに投稿する記事要約とリンクから自社サイトへのトラフィックを絞り、メディアにFacebookの箱庭の内側に全文フィードを供給するよう誘導したのだ。 こうしてパブリッシャはますますFacebookに依存していくことになる。読者はパブリッシャのウェブサイトにアクセスしなくなり、Facebook内でその情報を取得するようになった。パブリッシャは読者を人質に取られ、読者同士も互いに人質に取られてしまった。Facebookはパブリッシャが投稿した記事を読者に見せることをやめ、パブリッシャがお金を支払って「ブースト」しない限り、記事が読者に届かないようにアルゴリズムを調整した。つまり、読者が明示的に特定のパブリッシャの投稿を見たいと表明していても、パブリッシャが金を支払わない限り、その読者には届かないようにしたのだ。 Facebookのフィードにはますます多くの広告が溢れかえっていった。読者が繋がりを求めたアカウントからの賄賂(payola)も、読者の注目を独占したい無関係なアカウントからの賄賂も同じように扱い出したのだ。これは広告主に大いに利益をもたらした。Facebookはあなたの同意なしに収集された個人データに基づいて、ターゲティング広告を安価に売り出したのである。 その結果、広告主もFacebookに依存するようになった。ビジネスがターゲティング広告頼みになってしまったのだ。そうしてFacebookは広告価格を引き上げ、広告詐欺を厭わなくなり、Googleと共謀して『ジェダイ・ブルー』と呼ばれる違法なプログラムを通じて広告市場を不正に操作するに至った。 https://en.wikipedia.org/wiki/Jedi_Blue 今日のFacebookは、ユーザにとっても、メディア企業にとっても、広告主にとっても、末期的なメタクソ化を果たした。この企業は、Facebookユーザの間で動画が人気だという間違った主張をもとに「ビデオへの転向(pivot to video)」を呼びかけ、Facebookに依存していたパブリッシャの大部分に壊滅的な打撃を与えた。メディア企業は(訳注:Facebookにそそのかされて)ビデオ配信に数十億ドルを投じたが、ユーザからは見向きもされず、多くの企業が倒産に追い込まれた。 https://slate.com/technology/2018/10/facebook-online-video-pivot-metrics-false.html にも関わらず、Facebookは新たな提案をしている。「Meta」と名付けられたソレは、足もセックスもない、厳重に監視されたローポリの子供向け番組のキャラクターとして余生を過ごすことを我々に要求する。 Metaは、メタバース向けアプリを制作する企業に、かつてFacebookがパブリッシャにしでかした酷い目には合わせないと約束している。その甘言に騙される企業がどれくらい現れるかはわからない。かつてマーク・ザッカーバーグは、ハーバード大学の仲間たちが個人情報を新興ウェブサイト「TheFacebook」に送信していることに驚いたと友人に語っていた。 理由はわかんないけど 彼らは「僕を信頼している」 バカなのかな
https://p2ptk.org/monopoly/4366
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gaetanchiao · 7 months ago
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美國隊長Captain America 中計洗腦淫墮(上)
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「我不懂?」
美國隊長說,從一條腿換到另一條腿。
「這很簡單,隊長。」西特威爾探員解釋說。 「根據規定,你的年度體檢已經過期了。」
「但是……我身體非常好,那個血清……」
西特威爾舉手打斷:
「那固然很好,但規則就是規則,要想保持現役狀態,你需要進行年度體檢。」
復仇者嘆了口氣:「那我只要去看醫生……」
「不行!」西特威爾說著,遞給美國隊長一張名片。
「這是盾牌局的醫生,他是唯一有資格給你做體檢的。」
他接過名片。
「布萊克醫生?」
西特威爾點頭:「這是一個安全的設施,我們不能讓你的醫療信息落入錯誤之手。」
隊長將名片滑入他的腰帶。
「就這些?」
「他預計今天下午會等你。」
史蒂夫張嘴想要抗議,但他轉念一想還是算了,畢竟西特威爾只是一名探員,他不制定規則。
「謝謝。」
他說著,不悅地走出辦公室……因為他的一天就這樣沒了。
肌肉英雄一走,西特韋爾就掏出手機撥了個號碼。
「他今天會來……不,他什麼都沒懷疑。是的……我同意……」掛斷電話前,他微笑著說。
「向九頭蛇致敬。」
史蒂夫騎著摩托車停在醫生診所前,再次確認了地址。這並不像他見過的任何醫生診所,但話又說回來。
他對這個時代還相對陌生,在他的年代,醫生大多在自己的房子裡工作,而不是在這些毫無特色、沒有標記的建築裡,窗戶也是空白的。它看起來更像是政府大樓。
「如果這是某個秘密政府醫療機構的話,這樣也說得通……」
他自言自語,關掉了摩托車。他很生氣,這是無法避免的,自從他醒來以來,他的生活似乎一直不受他控制。
從洛基到神盾局,再到發現佩姬成了一位患有失智症的老人,住在護理之家……這一切接踵而至,他從未有過喘息的機會。
「你需要的是去找人發洩一下。」托尼上次見面時打趣道。 「不是開玩笑,隊長,已經多少年了?60多年?有藍球症(意指男性被挑起性慾但無從發洩的情況)的是一回事,但你遭受的是另一回事。」
史蒂夫對這個笑話感到惱火,只因為它說中了心坎。厄斯金博士曾解釋過血清會讓他的一切都增強,但他沒有說明這意味著一切。
史蒂夫的性慾,回到過去那會兒已經夠糟糕的了,現在卻增加了十倍。以前他只是個瘦弱、沒有吸引力的窮小子,所以他唯一的出路就是手淫,經常手淫……這是巴奇經常無情嘲笑他的。
「不是你的平足讓你被拒絕。」他有天下午說:「是因為你那手淫弄得眼瞎了!」
就像托尼的評論一樣,這讓他感到憤怒,因為這是事實,當時的史蒂夫很不滿,畢竟不是每個人都長得像巴奇那樣,能夠隨便得到任何女孩。現在他的外表比巴奇好多了,但仍然感到性挫折的諷刺並沒有讓他感到好笑。
當他走進大樓時,他沈思著讓他如此焦躁的原因,和60年前一樣。事實是,史蒂夫從未學會如何與女孩交談,而當他被塑造成活著的英雄傳奇時,這種知識也沒有傳授給他。
現在他只是一個二十幾歲的處男,擁有希臘神明般的身軀和渴望被使用的生殖器。黑寡婦非常樂於取笑他這點,毫無疑問,她分享了東尼的看法,認為他需要好好發洩一下。
當他走向小窗口並按響了門鈴時,他希望事情能那麼簡單。
一位有吸引力的女士滑開窗戶,微笑著說:
「你好,你一定是史蒂夫·羅傑斯吧?」
史蒂夫感到自己開始臉紅,他點頭說:
「是的,夫人,我來做身體檢查。」
她點了點頭。
「我們一直在等你,拿這個剪貼板,你可以在那邊填寫這些表格,然後把它們交回給我。」
史蒂夫拿起剪貼板,坐在提供的椅子之一上。當他填寫資料時,他抬頭看了看接待員,注意到她有多美,她有一個令人難以置信的身材,但她穿著一件時尚的連衣裙,這讓史蒂夫更加興奮。
這些天來,似乎女孩們都將一切展示給所有人,這對他來說是一個巨大的轉折。當他感覺到自己的陰莖開始變硬時,他在座位上移動了一下。他咬了咬下唇,開始想些別的事情,試圖讓自己不再想女人,以便停止那種感覺。
問題是自從注射了血清後,他的神經末梢變得如此敏感,即使是摩擦內衣的微小動作也足以讓他興奮。他在填寫表格時在座位上移動,希望自己的生殖器能夠在他的生活中首次變軟。
填完表格後,他走回到她那裡,確保剪貼板遮住了他的勃起。
「給您,夫人。」
她接過來看了看。
「太好了,恩,我知道這可能聽起來很直接……」
史蒂夫屏住呼吸等待她繼續說下去。
「你覺得你可以為我的兒子簽名嗎?他4歲,是你最忠實的粉絲,我丈夫給他買了一個像你的假盾牌,他到處都帶著它。」
她當然是已婚的。
史蒂夫假裝微笑:「我很樂意。」
當一位穿著白色實驗室大衣的年輕男子走出來時,他為她簽了一張紙。起初,史蒂夫沒有理會他,以為他是實驗室技術員之類的。當那個男孩說:
「羅傑斯隊長?」
史蒂夫看向他。
「是的,醫生準備好見我了嗎?」
他微笑著。
「是的,我就是。」
史蒂夫停了下來,他所聽到的話和他所看到的不太對勁。這孩子二十多歲,英俊,金髮,湛藍的眼睛……他怎麼可能是醫生!
「你是布萊克醫生?」
那男孩微笑著。
「我是,我15歲高中畢業,18歲大學畢業,去年剛從神盾局的加速醫學課程畢業。所以,是的先生,我是您的醫生。」
史蒂夫搖了搖頭,他永遠也習慣不了這個時代。
「對不起,我習慣了……」
「年長的醫生,我知道,」那男孩帶著隨意的微笑說。 「沒關係,我已經習慣了。你想跟我回去嗎?」
史蒂夫點了點頭,跟著那個男孩……呃,男人走下長長的、冰冷的走廊。在這裡,這個地方更像是神盾局的操作,沒有海報,沒有裝飾,只有赤裸裸的功能主義。
醫生帶他回到一間檢查室,然後關上了門。
「這是一個安全的房間,沒有人會進來打擾我們的檢查。」
史蒂夫看著門。
「嗯,好的,這是正常的嗎?」
醫生抓起一個剪貼板。
「光是抽你的血就需要最高機密級別的許可,更不用說檢查了,所以我將是唯一進行檢查的人,這裡沒有其他人有這個許可。」
「所有這些只為了一次身體檢查?」
男孩抬頭對他微笑。
「我們不能太小心了,不是嗎?你可以脫掉衣服。」
史蒂夫四處看了看。
「在這裡?」
「隊長,接下來的一小時左右你將保持裸體和我在這個房間裡,如果你願意,我可以轉過身去,但最終我還是會看到一切。」
史蒂夫嘆了口氣,彎下腰解開鞋帶。
「我的意思是通常會有一件病號服。」
「你想要一件嗎?我不知道你這麼害羞。」
史蒂夫把衣服從頭上拉過。
「我不害羞,我們就趕快開始吧。」
醫生看著復仇者無瑕的身體被揭露出來。史蒂夫試圖忽略他的陰莖硬得像石頭的事實,現在他無能為力,所以他只能站在那裡。
「我的天啊!」布萊克博士驚嘆地說。 「我是說……」他搖了搖頭。
「我聽說過血清如何改變你的身體,但親眼所見,真是太神奇了。」
史蒂夫感到非常暴露,但他沒有動,出於某種原因,對他來說不顯示恐懼給他的粉絲很重要,他的自尊不允許他在這一刻顯得軟弱。
「無意冒犯,博士,但我沒有整天的時間。」
布萊克點了點頭,示意走向檢查床。
「請坐下吧,」
他去繫上一個血壓袖帶在那人的手臂上,然後停了下來。
「老實說,我們可能沒有足夠大的尺寸給你的二頭肌,我們就用你的前臂吧。」
他將裝置繞在史蒂夫的前臂上,並將一個裝置附在他的手指上。布萊克戴上聽診器,開始聆聽肌肉英雄的心跳聲。
「你聽起來像台機器。」布萊克評論道。 「強而有力。」
機器嗶嗶作響,他看了一眼數字。
「92比78……奧運運動員都沒有這種數值。」
史蒂夫默不作聲,當探頭插入他的耳朵時。
「體溫正常,沒有阻塞,非常好。」
「我們完成了嗎?」史蒂夫說著,開始站起來。
布萊克把他推回檢查床上。
「很抱歉,還沒有,我們才剛開始。這是一次全面的身體檢查,隊長,從頭到尾,我只是說你的生命體徵非常好。」
史蒂夫嘆了口氣,重新坐下。醫生開始用手在史蒂夫的頭上摸��,穿過他的頭髮。
「我在檢查是否有任何割傷或擦傷的跡象,以及是否有頭蝨或蟲子的跡象。」
他往下看著史蒂夫的手和指甲,然後用手托住肌肉英雄的下巴。
「請伸出你的舌頭給我看。」
史蒂夫遵從了,凝視著醫生深藍色的眼睛……它們看起來……幾乎讓人感到熟悉。
「你來自哪裡?」史蒂夫問,就在布萊克把聽診器掛回去的時候。
「深呼吸並屏住……」史蒂夫照做了,然後他移動了一下。
「再來一次。」
檢查完畢後,醫生取下了器械。
「我出生在德國,小的時候家人搬到了美國。現在我要按壓你的腹肌……」
他將手放在復仇者緊實的腹肌上按壓。
「沒有疼痛,對吧?」
史蒂夫搖了搖頭。
布萊克的手在六塊腹肌上遊移。
「我敢打賭,這些肌肉大概能擋住子彈。」
史蒂夫顫抖了,他的陰莖明顯地跳動著。他的臉變紅了。
「對不起,醫生,只是一切都變得更加敏感了……」
布萊克點了點頭。
「我讀過相關的資料,血清增強了你的體感系統。這導致了神經傳導性的顯著提高和感官接收的放大。因此,你擁有更高的本體感知、觸覺敏銳度以及擴展的感官知覺範圍。」
史蒂夫困惑地看著他。
「這就是為什麼你反應如此迅速,你的感官被調到了11級,但它���強了所有的感覺,對嗎?」
史蒂夫點頭。
「確實是個麻煩。」
「好吧,我希望我們可以跳過下一部分,」他皺著眉頭說,「我需要檢查你的睪丸是否有腫瘤的跡象。」 史蒂夫的眼睛瞪得很大,「什麼?為什麼?」 布萊克微笑著說,「這只是標準程序,我會很快的。」 史蒂夫閉上眼睛,當布萊克伸手抓住他的一個睪丸時。這位復仇者壓抑住一聲喘息,因為這觸摸讓他的全身,包括只有部分勃起的陰莖,立刻彈了起來,預精沿著粗壯的軸身流下。 「該死的醫生,我…」 「噓,」醫生說,一邊按摩著另一個睪丸,「完全正常。」 史蒂夫的頭向後仰,當兩個睪丸被玩弄的感覺讓他覺得要射了。「呃…醫生…」他顫抖著說。 布萊克移開手,「結束了,看吧?一點也不痛。」 「我們完成了?」 「不,我們還有一次測試,通過後就可以離開。」 「太好了,是什麼事?」 「前列腺。」 史蒂夫凝固了,「什麼?」 「對於超過特定年齡的任何人來說,這是標準程序,而且無意冒犯,隊長,您的年齡是那個的兩倍。」 「但是…我很好…」他抗議著…他的思緒在旋轉。 「我知道,但我必須進行…躺回床上。」 史蒂夫沒有動,醫生慢慢地推他躺回去,直到他躺在小桌子上,雙腿懸掛著。布萊克走過去戴上一副手套,然後從口袋裡拿出一管非常特別的凝膠,擠了些在他的指尖上。 「這太荒謬了,」史蒂夫結結巴巴地說,「我是美國隊長,我身體非常健康!」 「一旦我做了這個,我就可以在那上面簽字,屏障會閉嘴。請張開你的腿。」 布萊克醫生只是微笑著,當他的手指冰冷的尖端滑過史蒂夫的洞時。這種感覺震驚了肌肉英雄,他對抗著醫生。布萊克醫生安撫道,「放輕鬆,」「你只需要放鬆,我們就這樣度過去。」 醫生再次將手指推入,這一次當史蒂夫感覺到它進入自己體內時,他不禁皺起了眉頭。手套上的凝膠開始溶解進入復仇者的皮膚,這是專為美國隊長製作的,使他的神經末梢變得更加敏感。 當那個年輕人進一步推進時,史蒂夫感到他的洞口周圍一陣溫暖,他驚訝地發現自己的洞口放鬆了,讓手指進入了體內。 這種感覺是他以前從未經歷過的。感覺就像有成千上萬的小火花在他體內爆發,擴散到他的全身。他對這種感覺感到驚訝,他的陰莖再次變硬。 「你準備好了嗎?」布萊克博士柔聲問道,微笑著看著史蒂夫。 「不,」史蒂夫低聲說,「不,等一下……」他的聲音在顫抖,但他的勃起背叛了他的感覺。隨著手指更深地進入,他發出了一聲輕微的呻吟,「不……」他在開始失去抵抗意志時喘息著。 布萊克博士能看出史蒂夫在與自己的慾望掙扎,試圖抵抗貫穿他的快感。「放鬆點,隊長,」他哄著,又加了一根手指。史蒂夫的肌肉試圖緊縮在他體內的手指周圍,但它們沒有反應。 相反,快感的波浪在他完美的身體中迴盪。這位肌肉英雄能感覺到體內的熱量在積聚,他知道自己無力阻止。他想對那個年輕人尖叫著讓他停下,但他所能做的只是呻吟和喘息。 醫生在手指上再次擠了些潤滑劑,然後將它們重新插入。溫暖的液體充滿了史蒂夫的屁股並向內擴散,使他的肌肉完全放鬆。史蒂夫試圖搖頭,但當他感到自己屈服於這種感覺時,他的力量已經消耗殆盡。 當布萊克博士又加了一根手指,將他撐得大開時,他只能咕噥著發出含糊不清的聲音。這位肌肉英雄身體的每一部分都點燃了慾望和渴望。他低頭看著,看到自己的陰莖在肌肉發達的腿間挺立,精液塗抹在他完美的腹肌上。 史蒂夫驚恐地意識到他正在享受與一個男孩的親密接觸;這是他從未想過自己會做的事。他努力收集力量推開醫生,但凝膠的結合作用和年輕醫生的溫柔觸摸使他無法動彈。 「停……」他喘息著,聲音中的虛弱讓他感到惡心,他躺在那裡,任由這孩子的手指進進出出地刺激著自己。 他能聽到醫生手指進出時發出的咕嚕聲,一點一點地撐開他。史蒂夫再也忍不住了。他咬住嘴唇,感覺到高潮的衝動在體內上升,當他感到自己滑落時。 布萊克醫生只是繼續抽插著史蒂夫的屁股,享受著這位超級肌肉英雄在他身下扭動的景象。房間裡回蕩著史蒂夫口中沈重的喘息聲,他的呼吸因無情的刺激而變得困難。「請……」史蒂夫乞求著,抬頭望著布萊克醫生,眼中充滿了渴望。 「親愛的隊長,」布萊克說著,又加了第三根手指,「你不必乞求,我會給你想要的。」然後猛地刺入復仇者,壓迫著史蒂夫的前列腺。史蒂夫在狂喜中大叫,拱起背部,磨擦著醫生的手。 他的陰莖劇烈地跳動,大量的前列腺液滲出,流到他的腹部。史蒂夫的身體抽搐,穿透他的高潮強度之大,令人難以承受。 他忍不住發出一聲低沈的呼喊,射出繩狀的白色黏液,全部噴在他結實的腹部上。當他經歷第一次無需觸碰的高潮時,他的眼睛瞪得大大的。 「操!」他大叫一聲,他的屁股一次又一次地緊縮在男孩的手指上,當他感到身體中所有的緊張感流失時。他倒在床上,四肢抽搐,大腦被純粹的狂喜淹沒。 布萊克醫生帶著一聲濕潤的啪聲把手指抽出,留下肌肉英雄筋疲力盡,喘著氣。這位德國醫生用毛巾擦了擦手,對著疲憊的復仇者得意地微笑。「隊長,不用感謝我,」他說著,狡猾地笑著,舀起一些肌肉英雄的精液,「我會把這個當作報酬。」 他把手放到臉前,舔掉手指上的史蒂夫的精液。「太美味了……」男孩說著,他俯下身開始舔食肌肉英雄無瑕的身體上剩餘的精液,「你真是一道美味,隊長先生,」他輕聲笑著,舔過史蒂夫的胸膛,引起一陣陣顫抖。 「你……你在做什麼?」史蒂夫虛弱地問,他的屁股的溫暖現在蔓延到他的全身。被這樣侵犯的想法讓他感到厭惡,但男孩舌頭的感覺卻讓他呻吟。 「我在做每個好孫子都會做的事,」他一邊擦拭下巴上的精液,一邊說,「我在努力讓我的祖父感到驕傲……或者在這種情況下……我的曾祖父。」 史蒂夫的眼睛開始閉合,他努力想要保持清醒,但是卻越來越不行了…… 「別擔心,隊長,你的生活即將變得輕鬆許多……」 然後就什麼都沒有了。 這不是史蒂夫第一次醒來發現自己在牢房裡,該死的,這甚至不是第五次,但這是他第一次完全赤裸地醒來。 當他坐起來時,頭暈了一會兒,這是他被重度鎮靜的跡象,因為大多數藥物在他體內的燃燒速度都非常快。他坐在小床邊緣四處觀望,石牆,古老的,可能是某種城堡? 這也不是他第一次在這樣的地方醒來。與石頭相比,房間的其餘部分看起來格格不入,角落裡有一個小廁所和水槽,而不是門,房間的一側被透明的場域覆蓋。 他站起來輕輕觸摸著發光的牆壁,感受到了輕微的電擊。 他四處尋找攝像頭,但他從神盾局學到了,新型的攝像頭太小了,無法被看見。作為牢房來說還不錯,但這並沒有告訴他太多,「那麼我應該感到害怕嗎?」他大聲呼喊著,知道自己正在被監視。 一連串的腳步聲從走廊傳來,他等著,直到有人進來,因為他可以透過牆壁看到外面。看到「布萊克博士」來到他的牢房前站著,他只是略感意外。 一件血紅色的長袍垂掛在他健壯的身形上,他看起來比醫生的白大褂所顯示的要健康得多。 「你醒了,」他微笑著說,「感覺如何?」 「我們並不覺得好笑,」史蒂夫嘲諷地說,「這一切有什麼意義?我的衣服到底在哪裡?」 那男孩咧嘴一笑,「但是隊長,看看你,為什麼要遮掩這樣的傑作呢?如果你是我的,我永遠不會讓你穿衣服。」 史蒂夫怒火中燒,「聽著你這個怪胎,我永遠不會是你的,所以直接說重點!」 布萊克笑了,「你真是你時代的遺物啊,隊長,怪胎?你以為我只是個簡單的同性戀者,但事實是,我們都是流動的,我們都有慾望,只是有些人對此更加坦白。」 「我不是來跟你辯論性取向的,布萊克博士,」肌肉英雄帶著諷刺說,「那你何不告訴我我為什麼會在這裡?」 那男孩突然大笑起來,「哦,我向你保證,我是個醫生,是由神盾局親自認證的,這部分是真的,不過我得承認,我的姓不是布萊克。」 「我應該在乎它是什麼嗎?」 那男孩向場地邁進了一步,「你應該在乎,它是施密特。」 這個詞一出口,一切都湊成了一塊,那雙眼睛,那個微笑……都屬於他最年長的紅骷髏!這孩子是……他的孫子?不,根據年份來看,應該是曾孫。 史蒂夫環顧四周,意識到他以前來過這座城堡,不過那是在第二次世界大戰期間。 「紅骷髏的後代是怎麼進入神盾局的?」 那孩子聳了聳肩,「你會感到驚訝的,畢竟,海爾上尉,神盾局就像性取向一樣是流動的,它可以是很多事物。」 史蒂夫猛地一拳打在桌上,「你想要什麼!你知道會有人來找我的。」 「他們會嗎?我的意思是,如果他們不認為你正在執行一項機密的神盾局任務並且失去聯繫,他們可能會……但他們正是這麼想的,所以不,上尉,我們有些時間可以共處。」 「所以,這是關於復仇的嗎?」 施密特露出了狼一般的獰笑,「不,羅傑斯上尉,這是關於權力。誰擁有它,誰渴望它,以及誰會使用它。」 史蒂夫翻了個白眼,「嗯,你聽起來像你祖父,他也喜歡聽自己的聲音。」 那孩子挑了挑眉,「哦,原諒我,我想我們見面的閒聊部分結束了,我們應該繼續進行了吧?」 史蒂夫挺直腰桿,「不管你能夢到的任何折磨,我都能承受。」 「折磨?」那男孩假裝驚訝地問,「我為什麼要折磨你,當我可以做這個。」 他從口袋裡掏出一個小遙控器,按下了一個按鈕…… 就這樣,史蒂夫的世界被徹底顛覆了。 一道快樂的閃電穿過他的身體,就像同時經歷了千百次微小的高潮。這位肌肉英雄在他的陰莖開始蠢動時喘息著,當他感受到一波又一波的狂喜穿過他那肌肉發達的身體時,他的膝蓋開始發軟。 「什麼……」史蒂夫在感受到身體對這些感覺的反應時大叫,「你在對我做什麼?」他最終問道。
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