#新甲子園商店街
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 �� 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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好意外,居然是由這位香港僑生,來講出我們這一輩台灣人的老故事,而且出奇的完整,實在教人驚異,這真是台灣人最幸福的時代!
*原文刊載於《文創達人誌》60期,可惜~永~遠~回~不~去~了!
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林野,那個沒有手機的年代,《文創達人誌》60期,2018. 09。
*原文刊載於「文創達人誌」60期,2018. 09
▶應該是本名【溫德生】的另一位筆名同為【林野】的作家。 [溫德生]本籍廣東新興,出生地“香港”,1957年來台。此資訊也與本文內容所謂「從香港舉家遷台」事情相符合。 詳見 國立台灣文學館 檔案資料 :
https://db.nmtl.gov.tw/site4/s6/writerinfo?id=815
上個世紀的五十年代,從香港舉家遷台,因不會說國語,學校硬將我降一級從小三讀起,每次老師���頭規定課後作業,因沒聽懂,不是寫錯,就是沒寫,第二天少不了被打手心,一度視上學為畏途。
第二學期總算克服了語言障礙,從此國語科考試成績突飛猛進,有一次月考考燈的單位,全班沒人答對,惟有我寫的「一盞燈」得到一百分,那一個兇巴巴的女老師就不再打我了。
學期結束,學校發給學生的獎品都很寒酸,不過是墊板一塊,以及有橡皮頭的「雄獅」鉛筆四枝。記得這個牌子算是比較高級的,有時候也會改發「月光」香水鉛筆,至於手刨鉛筆機還不多見,大家都是用「手掌牌」的小刀削。五年級時的導師是一位師大畢業的女僑生,作風比較闊氣,她買給學生的獎品是「王樣」水彩盒,可惜僅教了一年就回香港了。
在那個家庭收入捉襟見肘的時代,孩童沒有什麼零嘴可吃,餅乾是秤斤兩賣的,鐵罐裝的「金雞餅乾」則是餽贈親友的好禮。
有些父母將麵粉加點砂糖乾炒,當作子女的甜點,成為日後古早味的麵茶;每逢爆米花的三輪車過街,孩童就帶着裝米的罐子蜂擁而至,圍觀小販的震天一爆。以前用過的克難物品在懷舊的柑仔店裡已不多見,像「天鵝牌」非肥皂、「百雀羚」面霜、「窮人木頭」的竹器、升火的煤球爐等,許多嬰孩是吃「仙童牌」代奶粉長大的。
「白雪公主」泡泡糖搶先在「夢夢」口香糖之前銷售,風靡全台,5角一盒,縱使不會吹泡泡,也會迷上它附贈的彩色卡片。或許這是台灣第一種「文創」商品,以三國演義、封神榜的人物引誘購買慾,宣稱集滿100號可換自行車一台。我曾經花了幾年,收集到的卡片六十多張,卻在初二的數學課被老師整盒沒收,下課後哀求她賜還不成,幾乎恨她一輩子。
當年的自行車最初是以倒轉踏板剎車的,後來纔改進為手剎車。一台「伍順牌」自行車售價要幾百元,許多公務員分期付款作為上班代步的交通工具,學生如果能有一輛,簡直是奢侈品。不可思議地,那時規定前輪的車柱要掛車牌繳稅,無牌上路會被警察攔下,這種怪法規到高中畢業後終被取消。
三、四年級最懷念的童年讀物,八成會說是葉宏甲的諸葛四郎漫畫。從「大戰魔鬼黨」看到「大破山嶽城」,儘管老師禁止帶到學校,還是偷看不誤,這也成為日後整套時出版,廣被老讀者們的訂購,至於優良讀物「東方少年」還沒它那麼流行。
有時隨父親上台北,他會帶我逛重慶南路挑幾本回頭書,整條街都是櫛次鱗比的書店,知書達禮的人很多,現在老字號書店已剩下沒幾家了。
九年國民義務教育尚未延長之前,初中入學有聯考,學生開始用鋼筆寫作業,記得SKB是最普及的品牌,吸墨水時要拉下筆桿側邊的開關,當時擁有一支美國製的派克21鋼筆可真叫人羨慕。老師批改作業還是使用沾水鋼筆,墨水有兩個牌子─「銀行牌」和「派克牌」,用久了需要換筆尖,後來陸續出現的國產「利百代」和「玉兔牌」原子筆,兩者都會漏油,法國製的Bic和Reynolds 原子筆,趁勢進佔文具市場。
武俠小說開始盛行,臥龍生、司馬翎、諸葛青雲等人的作品成為市俗的大眾文學,故事中的刀光劍影、江湖風雨,常帶給人們想像空間的快感。坊間的租書店也多,不知何故,書的版面狹窄,封面和底面都裝訂了厚紙板,好像是為了偷看的方便,後來有了菊16開的版本,終於大方地行俠天下。
上了高中,瓊瑤的言情小說取而代之,成為早熟少男少女的喜愛,那時的學校皆以「禮義廉恥」為共同的校訓,男生的頭髮很短,女生裙子很長。每學期的軍訓課都會到三張犁打靶,國文課本裡打了圈的文章都要背誦,考卷會有一段默寫。「文星」和「水牛」出版的口袋書流行起來,高三時好奇��讀完王尚義的「野鴿子的黃昏」和「狂流」。
1962年台視首先開播,黑白電視機改變了人們的生活,慎芝主持的「群星會」,打響了綜藝節目的第一砲,接着田邊製藥贊助的「五燈獎」也不遑多讓。
1969年中視也跟着開播,家裡終於有了一台電視機,兩部連續劇「晶晶」和「情旅」的劇情雖已模糊,但猶記得後者的主題曲中幾句歌詞:「在寂寞的旅途中 偶然的與他相逢,他的笑靨,使我神往;他的眼睛,使我迷惘」,引起許多人坐火車的遐想。
不久入伍當兵,那陣子台視每星期會播映一次日本的職業摔跤節目,晚點名剛解散,士官兵就湧向中山室看兩頭怪物,豬木和馬場在擂台上打鬥,超過10點,值星班長就跑來趕人就寢。至於夜間看少棒是默許的,祇要向衛兵登記,時間一到就會叫你起床。在台灣青少棒所向披靡之年,上班族犧牲睡眠,深夜觀戰,每場勝仗都振奮人心。
退伍後愛上洪小喬主持的「金曲獎」節目,她的闊邊草帽半遮臉孔,吉他輕撥彈唱,直到最後一集纔揭開廬山真面目。
1972年美國總統尼克森訪問大陸,1978年中美斷交,刺激了國內年青人的文化覺醒,於是校園民歌萌芽,發展成為國內流行音樂的主流。學歷高的民歌手轉向用自己的語言,創作自己的歌曲,形成靡靡之音外的一股清流。
七十年代彩色底片夢幻成真,美國的「柯達」和「伊士曼」,日本的「富士」和「櫻花」是我儲存大學繽紛記憶的道具。當年「柯達」製作了一支非常經典的反越戰廣告,一個返鄉的士兵走下火車,畫面忽響起湯姆・瓊斯的Green green grass of home,印象深刻。最初因沖洗費不便宜,故不敢多拍,後來各地快速冲印店的興起如雨後春筍,加上操作簡易的傻瓜相機上市,生活的點滴皆可信手捕抓。
此一時期,市面上出現TDK和SONY的卡式錄音帶,成為學習英語,考TOEFL的工具,從此音樂卡帶變成方便的載體,完全攻佔了黑膠唱片的市場,我買的第一個卡帶是理查・克萊德門(Richard Clayderman)的浪漫鋼琴演奏。隨身聽也繼之應運而生,成為愛樂者的新潮電器,我買的第一台是獨眼龍商標的「戴陽」,體積幾近磚頭般大,由於嫌它笨重,又買了一台SONY推出的Walkerman趕上時髦。
迄今不少人會將參加過的救國團活動和黃金歲月畫上等號,昔日夏令和冬令戰鬥營在軍方的支援下,報名人數極踴躍,常有向隅之憾。我在大三的寒假被學校保送參加交通大學舉辦的「歲寒三友會」,記得參加者皆是大專和軍校社團的菁英,文武青年交融成一片,聆聽講師的領袖培養課程,遊戲間學習團隊合作,惜別時刻依依不捨,有人也在活動結束後仍藕斷絲連,找到未來的妻子。
經國先生主政的年代,吏治澄明,推動十大建設,加上孫運璿等清官,帶給台灣空前的繁榮,人民對經濟起飛亦與有榮焉。當時的生活雖嫌單調平淡,但學校有規矩,社會有秩序,人人睡眠充足,因為三家電視台到了深夜12點就唱國歌停播,商店的霓虹燈有節電管制,夜店甚少,也沒有24小時營業的7-Eleven。
七十年代老三台播映的美國電視影集,很受國人青睞,從中視的「愛之船」開始,啟發我對美國文化的認識,出國前買了「三人行」學英語。記憶較深的是「法網恢恢」,劇中的小兒科醫師理查・金波為了昭雪沉冤,在各州浪跡天涯,據說真相大白的最後一集收視率高達五成七,然而來到美國始終沒看到電視的重播。幾年前我買到它的第一季影集,完結篇卻是從網路下載的,以前看過的「勇士們」和「虎膽妙算」也陸續找到,當作記憶的時光標本。
九十年代學成歸國,公車上有人手持「黑金剛」打電話,公共電話亭越來越少,心態一時不能調適變���中的大環境。諸如e世代追求次文化,言行���性,祇要我喜歡有何不可?21世紀到臨,智慧型手機帶來想像不到的方便,但人際關係反而變得複雜。回想那個打電話要投幣的年代,收到朋友的來信時,心情是超愉快的,因它是經過書寫和投遞的,具有溫度。
幾年前的小學同學會,有人提起那位打人很兇的導師,次日和同學到天母去探望她,快90歲了,大家合送一個紅包,據說她壓在枕頭下,捨不得花。當年沒收我收集泡泡糖卡片的數學老師,也在初中的同學會中遇到,我趨前向她敬酒,如果那些卡片依然無恙,可是柑仔店裡稀有的古玩。那個沒有手機的年代是民風淳樸,社會有感覺,人間有情義的年代,好似一張純樸無華的黑白照片,不以色彩取勝。
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思い出を振り返る
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Tuesday 11 February 2014
2014年1月9日(木)夜10時4分、おかあさんが92歳で亡くなった。おかあさんは、自分の母のことではない。ハルオは、26歳の時人生のターニングポイントを迎えた。それはカメラマンになる修行を始める時だった。キーパーソンは、カナダ人のジョン。ジョンとの出会いは、ハルオが当時勤めていたカメラ量販店(24〜26歳)でのことで販売員(ハルオ)とお客(ジョン)の関係から始まった。そのジョンにカメラマンになりたいと伝えるとジョンはある女性を紹介してくれた。その女性は、ハルオが師事する事になったカメラマンGが手掛けていた雑誌の編集者をしていた。ハルオは、ジョンを介してその女性と会いまもなくカメラマンGを紹介してもらい彼の元で働きながら写真を学ぶことになった。
ハルオは、当時国分寺に住んでいた。カメラマンGの仕事場は中目黒にあった。一方ジョンは中目黒に近い下北沢のアパート「葉隠荘」に住んでいた。そのアパートは、いわゆる外人ハウスで管理人がいなくある意味無法地帯のアパートだった。そのアパートがあった敷地内におかあさんが営む一杯飲み屋「小料理 小千谷」があった。ハルオは、国分寺のアパートをキープしながら葉隠荘(3畳部屋)に移り住んだ。そしておかあさんと出会った。おかあさんは、当時70歳だった。1991年のことだ。「小千谷」とはおかあさんの生まれ故郷新潟県小千谷のことだ。「小千谷」カウンターに5席ほどの小さい飲み屋でおかあさんが一人で切り盛りしていた。メニューは、300円と600円のみ。瓶ビール(大瓶)500円。おかあさんは、自分のことを『昔はあばずれ、今は聖母マリア』と言った。そして『おかあさん』と呼んでと言われる。おかあさんは、外国人しかいない葉隠荘に日本人がやって来たことが嬉しかったのだろうかハルオとおかあさんはすぐに打ち解けて仲良くなった。「小千谷」は夕方から12時まで営業していたので仕事が遅くなった時でもお店は開いていてよくハルオはおかあさんに会いにお店に寄った。おかあさんは昔の下宿屋のおばちゃんみたいな存在だった。おかあさんは世田谷区に住まいがあり旦那さんと暮らしていたが葉隠荘にも1室部屋を持っていた。その部屋はジョンの部屋(6畳部屋)の隣りだった。ジョンもハルオも20代後半の血気盛んな時期で週末となればどこからともなく外国人たちがジョンの部屋に集まりテクノミュージック(後にトランス)を聞いて騒いだ。ボロアパートの葉隠荘だから音は筒抜けでおかあさんは最年長でテクノを聞いていたことになるだろうか。聞くだけならともかくその音はおかあさんには不快でよくジョンの部屋に来て『うるさいよ〜』と注意に来た。
「小千谷」には、常連のお客さんがたくさんいて当然おかあさんのファンでもあった。おかあさんが道で拾った鶏をカゴに入れて飼っていた時があった。そのカゴは「小千谷」の店先に置いてあってある日おかあさんはそのコメコと名付けた鶏を写真に撮っている女の子Aと出会う。そして「うちにも写真を勉強しているハルオ君という子がいるよ』と伝えハルオはその女の子と「小千谷」で会った。ハルオは、その女の子を気に入りやがて2人は付き合う様になった。おかあさんは愛のキューピッドをし他にもおかあさんがお客さんとお客さんの縁を取り持ち結婚までしたカップルがいた。ハルオには、18歳で上京して以来2番目に仲良くなったTという友人がいるがそのTも「小千谷」が気に入り常連になった。そのTもやはり常連だった女性と恋に落ちその縁は今でも続いている。
ハルオが葉隠荘にいた期間は3年間だったがその間に「小千谷」が30周年を迎えた。近くの北沢八幡宮の宴会場を借りて大勢の人が集まり盛大に開催された。おかあさんは、得意のかっぽれを踊った。おかあさんはハルオに葉隠荘の外観写真を撮ること依頼しその写真を使い記念テレフォンカードを作った。おかあさんが何かの病気になり病院に入院した。それは大したことではなかったが退院の日ハルオはおかあさんに頼まれて迎えに行った。当時ハルオは400ccのバイクに乗っていておかあさんをシートの後ろに乗せて葉隠荘まで連れ帰った。そのことは後々までもおかあさんの記憶に残っていて時折そのことを懐かしんでハルオに話した。
「小千谷」には焼き飯というメニューがあってとても美味しく量がありハルオはよく好んで食べた。他には、刺身や漬け物、焼き魚等のメニューがあった。時折ハルオが朝仕事に出掛けると葉隠荘の入り口におかあさんからハルオに宛てたメモがありお店で残ったメニューの焼き飯やおにぎり、惣菜、を詰めてハルオに弁当を持たせてくれた。おかあさんは"お母さん"だった。ハルオは、バイクで交通事故に遭い肩甲骨と鎖骨を折って入院したことがあった。その際にはハルオの母も看病にやって来たのでハルオの母とおかあさんは顔を合わせている。その後年賀状のやり取りも続く。
ハルオが葉隠荘に住んで約3年後葉隠荘が取り壊しになる話が進められていた。丁度ハルオはカメラマン修行も終えた頃で立退料を大家の代理から30万円貰って早々に羽根木公園の近くのアパートに引っ越しをした。その後も暫く葉隠荘も「小千谷」もそのまま健在だったが遂に取り壊しをする時がやって来た。おかあさんが75歳前後のことだろうと思う。ハルオは、葉隠荘が取り壊される日、ドキュメント写真を撮った。その後まだ元気だったおかあさんは世田谷区上町駅近くの商店街に「小千谷パート2」を開店させた。ハルオは、定期的におかあさんに会いに行った。さてその店が何年続いたか?2〜3年?ハルオには記憶にない。下北沢という好条件にあった時に比べ上町ではお客さんが少なくなっていた。それでもおかあさんはお店を続けたかったんだと思う。
おかあさんは、水泳を好んで良くプールに出掛けていた。『ハルオ君、今度私が泳いでいるところを撮って』とおかあさんに言われたことがあったが実現には至らなかった。『小千谷パート2』が終りかけた頃、おかあさんは、自分史を書いた。その文章を常連のお客さんたちが小冊子に纏めた。その中にハルオについての話を書いてくれた。
2006年、ハルオは、写真展「十人十ゑろ」を開催した。しばらくおかあさんとは会っていなかったがおかあさんに写真展の話をすると行きたいと言ってくれた。しかしおかあさんは足が悪くなっていて自力では来れない。ハルオは、タクシーをチャーターしておかあさんの送迎をした。「十人十ゑろ」は10人の女性の素肌(殆どがヌード)をキャンピングテントの中で撮影した作品だった。その後おかあさんとのやり取りは年賀状や時折の電話で続いて行った。
2008年、ハルオは25年間住み慣れた東京から静岡に引っ越しをした。この年の前後(記憶が乏しい)におかあさんに会い���行った。場所は下北沢から近い世田谷区の淡島通り付近の喫茶店。おかあさんの住まいは一戸建だったがとても小さく人を迎い入れるには難があった。おかあさんの足は更に悪くなっていた。その時は、ハルオはおかあさんがキューピッドをして付き合うことになった女の子Aと行った。Aとのお付き合いは半年も続かなかった。しかし元々Aはカメラマンになりたかった女の子でハルオに触発されてか付き合っている頃から写真学校の夜間部に通い晴れてカメラマンになっていた。ハルオとAは、友達として連絡を取り合っていたのでいい機会と一緒におかあさんに会いに行ったのだった。ハルオは、写真を撮って後でおかあさんにその写真を額に入れて贈った。おかあさんはその後世田谷の住まいをそのままにして小千谷に近い新潟県長岡市に身を寄せた。始めはおかあさんだけでその後旦那さんも。
2011年、おかあさんからハルオに手紙が届いた。その日は偶然にもハルオの誕生日だった。手紙が入った封筒には、現金2万円と写真も入っていた。その時何故現金が入っていたのか分らずハルオは、誕生日プレゼントだと勝手に思った。(しかしそれは後で気付いたが新潟までの往復の交通費だった。)そして写真だがそれが驚いたことにおかあさんのヌード写真だった。おかあさんが50〜60歳位の頃の温泉の露天風呂に入っている写真で下半身はタオルで隠れていて上半身は裸で乳首は見えそうで見えてはいなかった。手紙に『ハルオ君の個展か何かに出せるんじゃないかと勝手に考えました。自分のうぬぼれかも知れないけどそんな風に役立てて下さい。お願いします』とあった。随分大胆だなとハルオは驚いた。ハルオは、この時以前プールの写真を撮ってとリクエストされたことを思い出した。
手紙を貰った後中々新潟までおかあさんに会いには行けなかった。 ハルオは、それがはがくゆく気になっていたのでおかあさんに会いに行く決意をする。 おかあさんに貰った交通費2万円を使い時がやって来たのだ。
2013年春、 その旨をおかあさんに伝えようと身を寄せていた新潟県長岡市のお宅に電話すると旦那さんが危ないからまたの機会にして���しいと言われ延期した。おかあさんには2人のお子さんがいて長女さんは大阪に住んでいて息子さんはすでに亡くなっていた。その息子さんの奥さんがおかあさんと旦那さんの世話をしていたのだ。間もなく旦那さんは亡くなられた。そして10月の始め、おかあさんに会いに静岡から車で出掛けた。久しぶりに会ったおかあさんは、すでにガンに侵されていた。部屋の中で2時間ほど話した。写真も撮った。しかしおかあさんの笑顔は撮れなかった。おかあさんは、長年の伴侶だった旦那さんが亡くなり生きることよりも死ぬことを願っている様に見えた。ハルオは、おかあさんと別れた後おかあさんの勧めで小千谷にも寄って来た。おかあさんの実家は小千谷駅近くにあった。甥っ子さんが寿司屋を経営し、その同じ通りにおかあさんの幼馴染みが住む金物屋があって両方訪ねた。幼馴染みの方はご健在で写真も撮ることが出来た。
『おかあさん、これから手紙を定期的に送っていい?』そうハルオはおかあさんに尋ねると承知してくれたのでその後迷惑にならない様に気を使いながら手紙(葉書)を送った。しかしおかあさんはそれから3ヶ月後に帰らぬ人になってしまった。
おかあさんのご冥福を心からお祈り致します。 長い間本当にありがとうございました。 安らかにお眠り下さいね。
2014年2月21日(金) ハルオ
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23.12.31.>>24.01.01のこと
新しい年の抱負とか目標とかって、結局大晦日あたりに助走をつけた方がいいんだなと去年気づいた。ドリルとか参考書とか買うだけで、解くのも年末に一度やった方が良かったのだ。
今年の助走は、一味違うぜっ。
大晦日にやることを数日前から企てていた。一度でいいから、12/31 深夜に友だちと過ごしてみたいと思っていたのだ。うちの実家は、毎年変わらぬメンバーと1/1に行くのが慣習になってるのだけど、大人になってから帰省せずに東京の行きつけの飲み屋にいってそのまま一緒に初詣に行ったり、東京じゃなくても似たようなことをしてたりする人の話を聞いて、わたしはすごく羨ましかった。
家族と行く初詣、ぜんぜん楽しくない。寒いし、話すことないし、最近の身の回りの辛かったり苦しかったりすることは話せないし。でも飲みに行くなんて怖くて言えない。お母さんとお父さんはそれを楽しみにしてるかもしれない、当たり前だと思って崩したら何か言われるかもしれない。
12/24の笑いの祭典を湯島の某所で見た後、「怒られるの怖くて外出たいなんて言えない」と怯えるわたしに「コンビニ行ってくるでもいいからコソッと抜け出して、外にひとがいるのを見るだけでも変わりますよ」 と後押ししてもらった。
実際は両親が寝静まってから、こっそり家出をしました。その年に限ってノド風邪をやり、大して風邪もひどくないのに実家帰省を延期にしたから、あまり母さんの機嫌が良くなかったのだ(朝じゃなくてやっぱ夕方帰るわ、と言ったら嘘つき呼ばわりされて悲しかった)。
最近実家のオートロックシステムが変わったので、父と母の持ってる鍵をぜんぶ盗んだ。どの鍵でクリアなのか分からんし。起きてる弟だけがわたしを不審がっていたので、散歩してくるわ、と正直に告げた。どーせあいつなら喋らん。
正直、お父さんもお母さんも思ったより夜更かししていて、わたしは暖かい部屋でお腹いっぱい食べたのでめっちゃ眠くてもーいっかな、とおもってたけど。がんばった。変わりたいから!
外の空気がいつもより冷たく感じた。高揚感なのか不安なのか、昨日の気持ちはよく覚えてない。それよりも実家から神社までの道のりが小さい頃とまた変わってるので、そちらのが気になった。自分が知らない街になっていく。
次の日家族とお詣りに行く神社は、夜だというのに出店が出て人が境内に向かって列をなしていた。それに本当に驚いた。
うちの地元、まだこんなに人がいたんだ!大人だけじゃなくて、たぶん中学生がこんな時間に並んでる!しかも結構いる!参拝しようかとおもったけど並んでるしやめた!それに一人で来てるのわたしだけじゃん!
驚きはあったけど、自分の中で劇的な変化はなかった。ただ、うちの地元は少子化が進んで廃れるだけかと思ってたけど、意外となんとかなるんじゃないか?と思った。なんとかってなんなのか分からないけれど。
どっかスナックで一杯だけ飲んで帰りたかったのに、目星つけてたとこが閉まっている。しゃーないのでローソンであったかいお茶を買ってもうすこし歩こう、と会計を済ませようとしたら財布を忘れていた。
幸先が悪い!!電子マネーも使わないし、カードもないのでめちゃくちゃ焦ったが、au payアプリのポンタポイントで事なきを得る(店員さんがゆっくりでいいですよ、と優しかった)。
神社のある町から、商店街や百貨店のある町へ歩く。よくよく考えたら、こんなド深夜にここら辺をちゃんと眺めたことはなかった。
扉は閉まってるけど中でワイワイやってそうなお見せがあった。ほんの2、3軒だった。でもそれで良かった。来た甲斐があった気がする。財布がないのが悔やまれる。年齢と住所だけ言って後日払いますルートも過ぎったけど、ワイワイやる気分でもなかったのでまた今度にした。
ワイワイするお店をひとりで行くのに、その夜のその時間まで抵抗があった。出来ればゆっくり顔見知りになれるお店をうまく開拓したいと思っていた。でも、ワイワイ系の刹那的楽しみ方も必要な時がくる。寂しさを紛らわしにそこをたまーーーに利用するのもいいなと思えた。
今までゼロヒャク、白黒つけたがりすぎた。意味や理由をつけたがった。それは母さん��らの刷り込みなり、仕事とか大学のプレゼンで必要だから外付けされたもので、ほんとうのわたしは決めることが嫌いで意味など考えなかった気がする。なんでなんでは言うけど。
まだ盛り上がるお店を通り過ぎ、誰もいない百貨店と、元2階がカラオケ101+1階ブックスタマの今や老人ホームを通り過ぎ、更地になった通ってた幼稚園を眺めて、なんだかエモくなって帰ることにした。
帰りがてら、ようやく一人でプラついてるロングコートの男の子を見かけた。20代くらいの若い子だった。周りに誰もいないし、向こうも同じようなことを考えてたのかすごく見られていた気がする。このまま話しかけたらどーなるのかな?と冒険する気持ちより面倒くさいが勝って何もないように横切った。
帰り道にむかし友だちだった子の家が近づいてきて、あの家のシェパードすげえ吠えて怖いんだよな、と思って、すぐ杞憂だったことに気が付いた。
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山田太郎。捕手。右投左打。
高校時代、ご飯だけを詰めたでっかい弁当箱を食べていたため、ドカベン(ドカっとでかい弁当)というあだ名をつけられた。
明君高校5回甲子園出場。4回優勝。
西武ライオンズ(1995-2004)。高卒新人で32号本塁打。本塁打王、打点王、新人王。通算2000本安打達成。
ドカベン(アニメ、漫画)の銅像。新潟古町商店街通りのアーケード。
作者の水島新司先生は新潟市出身。
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[香港旅遊優惠]台中必去旅遊景點推介|薰衣草森林、彩虹眷村、高美濕地、三井Outlet|自由行包車及門票推介
[香港旅遊優惠]台中必去旅遊景點推介|薰衣草森林、彩虹眷村、高美濕地、三井Outlet|自由行包車及門票推介 https://www.jetsoday.com/%e9%a6%99%e6%b8%af%e6%97%85%e9%81%8a%e5%84%aa%e6%83%a0%e5%8f%b0%e4%b8%ad%e5%bf%85%e5%8e%bb%e6%97%85%e9%81%8a%e6%99%af%e9%bb%9e%e6%8e%a8%e4%bb%8b%ef%bd%9c%e8%96%b0%e8%a1%a3%e8%8d%89%e6%a3%ae%e6%9e%97.html 台中一直都有很多旅遊景點值得參觀,行程岩哂老少咸宜參與!今次小編幫大家整理了6個台中必去的旅遊景點,包括薰衣草森林、一中街商圈、彩虹眷村、幻覺博物館、高美濕地及最新三井Outlet。當然台中還有不少景點,包括著名逢甲夜市、麗寶樂園等,大家可以這幾篇行程安排自由行行程! 相關優惠:台灣8大樂園/水上樂園推薦|小人國主題樂園、六福村主題樂園、九族文化村、義大遊樂世界、遠雄海洋公園|從北到南的標誌性遊樂園/水上樂園適合一家大小遊玩! 台中新社薰衣草森林 位於台中新社地區的「薰衣草森林」 是非常適合親子旅遊的景點,它是一個集合花圃、咖啡廳等的大自���體驗園區。園區內的各式香草季節分別是薰衣草 (11月至4月)、繡球花 (4月至6月)、粉萼鼠尾草 (5月至10月)、天使花 (3月至11月)、以及螢火蟲季節 (4月至5月)。 園區入口的「森林島嶼」是一個售賣各式各樣薰衣草產品的商店,旁邊就是季節限定的繡球花牆。再走入園區內就是夢幻的薰衣草花田,旁邊還有一個許願樹,「森林旋轉木馬」是旅客到訪此地必體驗的娛樂設施,因為在天然的環境下乘坐旋轉木馬是很特別的體驗!「初衷小屋」可以讓咖啡愛好者體驗手磨咖啡,其他還有森林咖啡館、美術館等木製小屋,最特別的是園區還有售賣用薰衣草材料製作的冰淇淋和奶茶,以及可逛售賣限定商品的「香草市集」。台中新社薰衣草森林的門票每人一律收費台幣200,但是交通比較不方便,比較推薦大家包車一日遊。 預訂台中一日包車 預訂門票 ▼「薰衣草森林」是一個集合花圃、咖啡廳等的大自然體驗園區,非常適合親子旅遊 ▼園區內有一個「森林旋轉木馬」,非常受到旅客歡迎 ▼一大片的薰衣草田看起來非常夢幻 台中新社薰衣草森林 地址:台中市新社區中興街20號 (地圖) 電話:+886 4 2593 1066 營業時間:週一至週五10:30 – 18:30、週六和週日10:00 – 18:30 台中新社薰衣草森林網站 相關優惠:台中好去處2023|台灣自由行必睇!3個台中南投縣必去文青、打卡景點|中興新村、半山夢工廠、毓繡美術館 一中街商圈 位於台中北區的一中街商圈是除了逢甲夜市以外,最值得去的美食商圈,因為一中街是屬於當地學生最喜歡逛的商圈,所以當地多數小食都比較平價,也吸引了很多外國遊客去這裡品嚐到地美食! 一中街最值得品嚐的美食包括偈亭泡菜鍋、打餅舖烙餅、胖子雞丁雞排、王子神谷日式厚鬆餅、豐味綠豆沙牛乳等。大家如果有計劃要去一中街商圈可以有兩種交通方式前往,第一個是從台中火車站下車轉乘55號、201號巴士、或者從台中高鐵站下車轉乘82號巴士到台中科技大學下車就到達了! ▼台中的一中街商圈售賣的小食都比較平價,吸引了很多遊客前去 ▼當地其中一個最推薦的美食店就是「偈亭泡菜鍋」 ▼「胖子雞丁雞排」是一中街很受到歡迎的小食 一中街商圈及夜市 地址:404台灣台中市北區一中街
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【祇園祭 後祭】総集編
2023年7月23日(日)・24日(月)
京都駅ビル・宵山・山鉾巡行・花笠巡行・還幸祭・御旅所・京のSAKESORA・八坂神社・壹銭洋食・よしもと祇園花月・祇園囃子奉納
https://youtu.be/thyE-V5ho_0
「祇園祭 in 京都駅ビル」京都美風~祇園祭~
実施期間:2023年7月3日(月)~7月31日(月)
実施場所:京都駅ビルインフォメーション前
実施内容:祇園祭の歴史や魅力を伝えるパネルや授与品を展示、祇園祭の山鉾のミニチュアを並べたものを京都駅ビルインフ ォメーション前に展示。
「宵山・山鉾巡行」2023年7月23日・24日
9:30から橋弁慶山を先頭に11基(鷹山含む)の山鉾が巡行します。巡行中にくじ改め・辻回しが行��れます。
巡行経路は、烏丸御池→河原町御池→四条河原町→四条烏丸
https://youtu.be/cQIKjw7TVIE
「花傘巡行」2023年7月24日(月)
「織商鉾(京都・ミスきもの)」「花傘娘」「祇園東」「先斗町」「祇園甲部」「宮川町」
今年は巡行ルートが大幅に変更になっていました。
今年の新しい「花傘巡行ルート」
下京中学校成徳学舎から高辻通東・烏丸通北・四条通東・御旅所(くじ改め)・四条通東・石段下南・神幸道東を通って八坂神社へ。
https://youtu.be/k_Urid8iINo
「還幸祭」八坂神社祇園祭 四条御旅所
2023年7月24日(月) 午後5時
「還幸祭」神幸祭で四条御旅所に運ばれた三基の神輿を神社に戻し、神輿から祭神を神社に戻す神事。
氏子地区を回る約8キロの道のりを勢いよく進み、深夜に東山区の八坂神社に到着。「おかえり」とも呼ばれます。
https://youtu.be/xKVp5kuNRbU
「御旅所」
毎年7月17日の神幸祭に八坂神社からの神輿が渡御し、24日の還幸祭までとどまる場所。
御旅所に祀られているのは三基の神輿。左から西御座、中御座、東御座。
中御座神輿はスサノヲノミコト(牛頭天王)が祀られています。屋根の上に鳳凰をいただく六角形の神輿。
東御座神輿はクシイナダヒメノミコトを祀ります。屋根の上に擬宝珠をいただく四角形の神輿。
西御座神輿はヤハシラノミコガミを祀ります。屋根の上に鳳凰をいただく八角形の神輿です。いずれも重量は2トンから3トンだとか。
https://youtu.be/Xl41WB-JJgY
「京のSAKESORA(キョウノサケソラ)」
京都市中京区堺町通三条下る道祐町135-1
京のSAKESORAさんは京都の路地で彩り豊かで滋味に富むおばんざいランチをはじめとした創作和食と京都の全ブルワリーのクラフトビール、京都の酒蔵が醸す日本酒が楽しめるお店。
イノダコーヒー本店の向かいの細い路地に面した長屋の建物に7つのお店が入居する小さな飲食店街「三条食彩ろおじ 堺町の道」
細い路地に京割烹、鉄板ビストロや鰹節丼専門店など7つの飲食店が連なっていて、入り口側から2軒目が「京のSAKESORA」。
「おだし」「つけもの」「麹・味噌」の“三味”をテーマにした三味彩々(さんみいろいろ)ランチ1890円がおすすめ。
ランチの後は「錦市場」をぶらぶら。
安土桃山の時代から京の市場として存在し、「京の台所」とも呼ばれる、じつに奥の深い商店街。
京野菜や豆腐、魚などの生鮮食���店が軒を連ね、外国人の観光客などで物凄い賑わいを見せています。
https://youtu.be/FZ23Zvymi7Q
「八坂神社」2023年7月23日(日)
後祭の11基の山鉾を巡った後に八坂神社を参拝させていただきました。
八坂神社の主祭神は、素戔嗚尊(すさのを)、櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)の三柱で、日本神話でも重要な神様が鎮座されています。
https://youtu.be/B9vMD0clHr4
京都祇園名物「壹銭洋食」お好み焼きの元祖
八坂神社参拝の後に何年ぶりかの壹銭洋食さん
楽しい店内と懐かしさでちょっとおやつ代わりに食べてみましたが、けっこうお腹いっぱいに。
ドリンクはいろいろありますが、メインのメニューは壹銭洋食800円のみ。
久しぶりに来たらけっこう値上げしてますね。
それとお客さんはほとんど外国の観光客ばかり。
https://youtu.be/6pUbNgZoa2o
「よしもと祇園花月」
祇園祭 山鉾巡行の後にあまりの猛暑に疲れ果てたので、よしもと祇園花月さんで祇園吉本新喜劇を観覧しながら14:00までゆっくり休憩。
休憩後に花見小路の十二段家さんと四条大橋西詰の東華菜館さんにランチに行きましたが、残念ながら両方ともタッチの差で昼の営業は終了。
甘蘭牛肉麺「京都四条河原町本店」さんで甘蘭拌麺を食べてから、永楽屋 本店喫茶室さんで宇治金時氷を。
宇治金時氷が凄いボリュームで寒い寒いと震えながらなんとか完食。
https://youtu.be/roMxL8F5nlA
「祇園囃子の奉納」【船鉾】
7/23(日)は船鉾さんが祇園囃子の奉納の当番日。
7月17日夕刻、四条寺町の八坂神社御旅所に神輿が着輿され24日に発輿されるまで、18日から23日までの間、毎晩7時から9時ごろまで祇園囃子が奉納されます。西御殿の前で行われ、囃子のある12の山鉾が受け持ち、2年に1度当番日が回ってきます。
https://youtu.be/MkOkArLUhLg
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https://youtu.be/thyE-V5ho_0
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移民三部曲
世界副刊
陳漢平(5月&6月徵文:回��移民路) 2023-05-07 02:02 ET
從冰河時代開始,人類為了求生存、謀發展,就有遠渡重洋、移民他鄉的歷史。電影《冰原歷險記》(Ice Age)就是描寫當時情境。人類體內的移民基因一直遺傳了下來,以華人為例,從黃河流域,到長江流域、珠江流域,再下南洋,最後跨越太平洋,到達美洲。
我的血液裡無疑也含有移民基因。在我出生那年,我家剛從南洋遷回故鄉金門,其後改變移民方向,從「南向」改為「東向」。
平心而論,有些人並不適合移民。首先,移民需有足夠資源,如果經濟能力不足、應變技巧不夠,就不宜輕易移民,乃是「貧賤不能移」。其次,移民在生活上須接受嚴峻挑戰,一向養尊處優的人也不適合移民,乃是「富貴不能移」。另外,移民要能屈能伸,該放下身段以適應環境時,不能逞強硬充好漢,此為「威武不能移」。
有人說愛情是一種疾病,移民其實也是一樣,都是會傳染的。當周遭的同學、朋友都在談戀愛或出國留學,很難不受感染。回想我當年出國留學,不排除便是受到社會風氣影響。
當時社會動盪不安,國際局勢忽戰忽和,每人心情極不穩定。連文學、音樂也推波助瀾。世界各地吹起存在主義風潮,卡繆《異鄉人》獲諾貝爾文學獎,華人則流行起「留學生文學」,把漂泊流浪當成了一種風雅。
每人出國時心情各不相同。有人滿懷希望欣然上路;有人依依不捨黯然告別;也有人糊里糊塗跟著走了。每人的移民故事也各不相同。
●
回想當年出國,我像《鐵達尼號》主角傑克一樣,突然贏到一張船票,很興奮地蹦蹦跳跳地搭上了那艘多少人期待已久、夢寐以求的命運之船。那是我移民的第一階段:「浪漫期」。我從童年開始,就耳濡目染、潛移默化地被灌輸了許多出國的浪漫夢想。
小時候,我家四合院後方有龐大果園,我常帶著愛犬,在樹蔭下閱讀《人猿泰山》和《魯濱遜漂流記》,後來迷上了馬克吐溫的《湯姆歷險記》和《頑童歷險記》。
中學時代,我又迷上了西洋歌曲,當年台北西門町中華商場,唱片行櫛比鱗次,和美國同步推出,唱片每張十元台幣。也有樂器行,吉他每把二百元台幣,約五美元。
我就讀的建國中學附近有美國新聞處,其中的圖書館藏書豐富、印刷精美。那裡冷氣很強,供應冰水,是學生們的避暑勝地。
當時台北中山北路鄰近美軍顧問團,形成早年的美式生活圈,那裡有英文書店,能買到英文版漫畫《淘氣的阿丹》。附近還有個「晴光市場」,專賣各種舶來商品,包括化妝品、服飾、珠寶等。在那裡,識途老馬還能買到英文版《花花公子》雜誌。
要買大學用的英文版書籍,要到重慶南路最南端的英文書店,一本六十元台幣,約一塊半美元。重慶南路書店街上的香菸攤,有門路的人可買到藏在暗處的進口洋菸。
從浪漫角度看,男兒志在四方,只要腦筋能開竅,我的未來不是夢,整個世界就像一枚生蠔(The world is your oyster.),美食美景美色,可以盡情享用。
處於移民浪漫期的我,就像情竇初開的少年,心中如小鹿亂撞,無限陶醉,有一種飄飄然的感覺。
●
等到客機抵達美國,降落在洛杉磯國際機場,我就進入了移民的第二階段:「挑戰期」。
當時的心情就像鐵達尼號舉行盛大饗宴時,突然撞上了冰山一般,令我驚訝不已、措手不及。一顆心如冰塊般冰冷地一直往下沉,我馬上從浪漫情懷中覺醒,各種挑戰立刻接踵而來。
挑戰之一是適應當地氣候和風土。一踏進了美國海關,就告別了萬里外的鄉關。記得那一年的冬天特別寒冷,白雪更帶來了無限鄉愁。想起納蘭性德〈長相思.山一程〉:「風一更,雪一更,聒碎鄉心夢不成,故園無此聲。」故鄉無雪,見到一片雪景,心中才猛然驚覺:故鄉已遠。
挑戰之二是無處不在的鄉愁。移民所移動的,不僅是身體,而是連心也移動了。就像植物被連根拔起移植到他處,不知會不會存活?而在移花接木之後,活下來的植物也許會改變品種,開不同的花、結不同的果。
剛出國時,常夢見出國前的情景,夢中並不知道自己已出了國,突然醒來,發現四周環境全變了,才領悟出李後主說的:「夢裡不知身是客,一晌貪歡。」
挑戰之三是語言的學習和溝通。記得就讀交通大學時,英文教授趙麗蓮博士建議同學們平時用英語交談,才容易有進步。有位同學提問:「如果現在聽懂同學講的英文,將來卻聽不懂外國人講的英文,那怎麼辦?」趙博士回答得好:「如果你能聽懂同學講的英文,將來無論聽任何人講英文,保證一定聽得懂。」
但我出國後才發現,在課堂上,競爭激烈,即使聽懂英文都不見得有用,更何況似懂非懂?
挑戰之四是生活上的食衣住行。每天早上睜開眼睛,就是一天賽跑的起點,需要迅速起床、漱洗、趕上課、趕考試。有人問:「學生不是在出國前就是這樣的嗎?」沒錯,但是那時並不需要買菜、煮飯、開車、修車、找路。
挑戰之五是文化衝擊。在美國填寫表格時,華人族群屬於「亞裔和太平洋島民」(Asian and Pacific Islander),換言之,菲律賓人、夏威夷人和我們都是同鄉。美國人種多元化,歐裔、亞裔、西裔、非裔,除了文化差異,還有族群競爭、種族歧見等,非朝夕就能化解。
不過,對我來說,以上都是較小挑戰,那麼,最大挑戰是什麼呢?那就是「前途茫茫、人海茫茫」,對於自己的未來一點概念都沒有,更談不上能掌控。就好像站在鐵達尼號的甲板上,迎著海風,我不敢想:前面的冰山究竟有多大?
記得一次剛考完試,我泡了一杯咖啡,靜下心來休息,腦中突然浮現青少年時曾想過但已很久不再去想的問題:我是誰?為何在這裡?原本從何處來?將來往何處去?生活目標是什麼?生命意義是什麼?
●
我的移民第三階段是「領悟期」。面對各種挑戰,正在走投無路、無計可施時,奇蹟發生了,我竟然發現:我「找到了自己」。領悟的感覺,如當頭棒喝、醍醐灌頂,頓時大澈大悟,豁然開朗。
領悟之一,是「用功就會成功」。美國畢竟是個充滿了機會的國家,也是個移民所建立的國家。英國人、愛爾蘭人、猶太人、義大利人,各有其滄桑經歷,每人都有自己的移民故事。我體認到:成功並非一蹴可幾,但一步一腳印地努力就能達成。
領悟之二,是「公平就是和平」。我終於瞭解了美國多元社會的價值觀,和法治社會的遊戲規則。「他山之石,可以攻錯」,原來必須離開了家鄉,才能真正瞭解自己的家鄉,也才能真正瞭解別的國家。
領悟之三,是「他鄉就是故鄉」。最後,我發現他鄉和故鄉竟然有那麽多相似之處。於是,我不再有鄉愁。因為冬天和夏天,只是不同季節。過去和未來,只是不同時間點。他鄉和故鄉,其實是同一個地方。
●
自從那年出國留學告別了鄉關,多年之後,如今回首來時路,也有風雨也有晴。
我對「山和水」的看法,並非「見山又是山,見水又是水」。而是像一個登山客,起初,見山水很美麗,想去登山涉水。之後,發現登山涉水很辛苦,想要放棄而下山。最後,還是到達山頂,也才知道:幸好沒有放棄,否則不可能看到這樣美麗的風景,留下這麼美好的回憶。(寄自加州)
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#龜記迷你杯 #歡慶兒童節期間限定 From:龜記茗品-台中一中店 @guiji_official 電話:04-22253225 地址:台中市北區一中街167巷1號 隨著兒童節即將到來,龜記為了慶祝兒童節新推出了兩款期間限定的迷你SIZE飲品,分別是冬瓜ㄋㄟㄋㄟ跟哈妮檸檬,限定迷你杯小巧可愛,3/18就開始販售唷~ 藍子特別喜歡龜記的哈妮檸檬,其使用新鮮檸檬混搭甜而不膩蜂蜜,喝起來有著清爽的果香與甘甜的蜜香,酸酸甜甜的口感十分清爽開胃,真的超級適合炎熱的天氣飲用,也一起來喝看看吧~ 對了!現在只要任點兩杯迷你飮品皆可免費加料乙次(兩杯皆可加料,椰果或珍珠2選1),喜歡珍珠或椰果的朋友們可別錯過了(o^^o) #龜記兒童節期間限定 #小人物大生活 #冬瓜ㄋㄟㄋㄟ #哈妮檸檬 #紅柚翡翠 #蘋果紅萱 #台北飲料 #台北美食 #桃園美食 #新竹美食 #苗栗美食 #台中美食 #彰化美食 #嘉義美食 #南雅夜市 #南西商圈 #公館商圈 #西門美食 #信義美食 #中原夜市 #逢甲夜市 #一中商圈 #文化路夜市 #羅東夜市 #士林夜市 #晴光市場 #taipeifood (在 龜記茗品-台中一中店) https://www.instagram.com/p/CqFsDDgP31A/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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▪ブラジル NO.2 ■酸味が少なくマイルドなコーヒーで、一般的にブレンドに多く使用されるコーヒーです。 味覚レベル 甘味 ★★★☆☆ 酸味 ★★★☆☆ 苦味 ★★★☆☆ コク ★★★☆☆ 生産地 ブラジル連邦共和国 収穫時期 5月~8月 輸入時の形態 59kg麻袋入 精選方法 ナチュラル ■ブラジルコーヒーは積出港であるサントス港から名前が取られ一般的に取引名として使われています。 ■麻袋に"SANTOS"と表示されています。 ■ブラジルでは、豆の大きさであるスクリーンとコーヒーの中に不完全豆や夾雑物の量によって等級が決まっています。 ■スクリーンは、12~20まであり数字が大きいほど豆のサイズが大きくなります。 ■等級はNo2~No8まであり、数字が少ないほど等級が上になり、不完全豆や夾雑物が少ないことを意味します。 店頭価格 100g¥400 #ブラジル #no2 #酸味が少ない #マイルド #コーヒー #ブラジル連邦共和国 #ナチュラル #サントス #サントス港 #santos #400円 #新甲子園商店街 #koshiencoffeeroasters #甲子園珈琲 #コウシエンコーヒーロースターズ #甲子園 #koshien #こうしえん #こうしえん⚾️ #コウシエンコーヒーロースター #coffee #coffeetime #coffeelover #珈琲 #coffeeroaster #roaster #coffeeroasters #焙煎 #ロースター (Koshien Coffee Roasters コウシエン・コーヒー・ロースターズ 甲子園コーヒー) https://www.instagram.com/p/B-yslmJjN-h/?igshid=k8z4ks98fu3k
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エンリケ後悔王子
※本テキストはPCでご覧頂いた場合雑誌風の縦書き表示となります。
先が見えない。行き詰まりのどん詰まりで我々は今抗ったり、受け容れたり、或いは諦めたりしている。想像した未来はもっと華やかで便利で、そうじゃないとしてもマトモだったはずなのに。
効率化を突き詰めればその先には『死』しかない。バンドは非効率の極みだ。その非効率を更に極め、自ら修羅の道を行く痴れ者たちことエミリーライクステニス。今回メンバー全員にインタヴューを敢行することにより、その哲学がヴェールを脱いだように思う。まずは唯一のオリジナルメンバーであるエンリケ後悔王子だ。
(聞き手:早瀬雅之)
友達もいないけど、いじめられるでもない。何もない。毎週ブックオフに行ってた
●まず生い立ちを訊こうかなと。
「出身は群馬の前橋っていう県庁所在地なんですけど」
●結構中心地というか栄えてる?
「いや、死んでますね(笑)。オリオン通り商店街っていうのが近所にあったんですけど、ブラックビスケッツが一体五万円の木彫りのブラビ像を売っていて、どうしても売れなかった最後の一体を買い取ったのがその商店街で。商店街の人が『この通りの名前もブラビ通り商店街にしましょう!』って言ってた(笑)。そんな街です」
●ええ…。今もその名前なの?
「多分…。僕が大学生くらいの時にその近くにモールが出来ちゃって、商店街は蹂躙されちゃったんですけど、そこに新星堂があってD☆SELDOMっていう安いオムニバスと、フリーペーパーを毎月取りに行ってた記憶が」
●ああ、出してたね。それが情報源みたいな。
「そうそう、音楽雑誌かそれ。タワレコは高崎に行かないとなかった。県庁は前橋なんですけど高崎の方が栄えているんですよね」
●何か栄えているイメージがあるよね。
「自分の思春期で結構(高崎に)持ってかれたかな。ヤマダ電機の本店とか」
●ライブハウスもclub FLEEZが高崎に移って。
「そうそう、G-freak factoryの根城でお馴染みの」
●家族構成はどんな感じだった?
「祖父母と両親と姉と兄と…」
●三人兄弟?
「姉貴が九個上で兄貴が二つ上ですね。だから僕が小学生のうちに大学進学で家を出ていきました」
●何か姉弟仲が良いイメージがある。
「今でも年数回会うし、兄貴も姉貴もうみのてのライブ観に行ったことがあったはず(笑)」
●その節はどうも(笑)。
「洋楽を最初に教えてくれたのが姉貴で、後は兄貴とオルタナを掘ってたかな」
●なるほど。やっぱり上に兄弟いると強いというか影響受けるし、早熟になるというか。
「そうですね。一番最初は小学生の時に、姉貴がミスチルのファンクラブに入ってたので、当時出たDISCOVERYかな。あと深海をずっとカセットで聴いてた記憶が」
●いい入りなんじゃない?
「入門編としては(その二枚は)間違っているような(笑)。あとは兄貴がビーズが好きだったから聴いてましたね」
●じゃあ結構音楽には入っていきやすい環境だったんだね。
「両親は大学の合唱団か何かで知り合ったんだっけな。あとはクラシックが好きで。音楽番組を観てると「最近のは全然わかんねーな」って機嫌が悪くなるような感じの人でした」
●タチが悪いやつだ。
「かと言ってクラシックを強要するでもなかったですけどね」
●学校ではどんな感じだったの?
「小学校入るまではものすごく引っ込み思案で。それが小学校入ってからすごい、何か陽キャみたいになって」
●え?そうなの?
「文集のランキングに入ってる『面白い人』とか『将来有名になりそうな人』とかあらかた名を連ねてるんですよ。今じゃ考えられないんですけど(笑)」
●何でこうなってしまったんだ、みたいな(笑)。
「いわゆるクラスの中心人物だったんですよね。アクティブな。でも小五くらいからかな、今思うと些細なことですけど、自分の家庭が新しいガジェットに対してものすごい嫌悪感を出すというか。プレステとかアドバンス買ってくれないみたいな。それで段々みんなの話題についていけなくなって、翳りが見えてきた(笑)」
●(笑)。
「結局小学生の「面白い」「つまらない」の尺度って如何に話題を共有できるかがほとんどじゃないですか」
●そうだね。特にゲームとか。
「あと漫画、昨日のテレビ、流行りの音楽くらいか…。段々それについていけずに、スクールカーストが下がっていく(笑)」
●でも野球やってたし、運動なんかは出来る方だったの?
「小学生までは自分が主人公だったから(笑)。少年野球で打率六割くらいあったし。『ヒット打つの簡単じゃないですか?』とか言って調子に乗ってた」
●ムカつくなぁ(笑)。
「シングルヒットしか打てなかったんですけど。早熟だったのかな。当時は背も小さくて痩せてて。段々みんな身体が大きくなって。中学くらいだともう置いてかれちゃったみたいな」
●今の感じに段々近づいてきたね(笑)。
「中学くらいで陰と陽が逆転して陰の者に(笑)。タウン&カントリーの黒い方になっちゃった」
●陰陽のマークね(笑)。部活はずっと野球?
「中学は野球で、高校も途中まで軟式をやってたけど「勝つぞお前ら!」みたいな顧問に代わって…。高校の軟式野球ってすごいヒエラルキーが低いんですよ」
●そうなの?
「甲子園もないし。甲子園決勝の一週間後に明石の球場で偽甲子園みたいなのをやってるけど、誰も気にしてないというか」
●硬式と軟式ってまったく別物?
「全然違う。硬式はボールがまず痛い」
●(笑)。
「練習が好きだったんですよ。でも試合は緊張するから嫌いで。それと硬式は甲子園を目指してレギュラー争いもそうだし、負けたらお終いみたいな…。野球は好きだけど、競争とかバトルしたくない、みたいな精神性でしたね」
●ああ、そうなんだ。
「こっちは楽しく野球やりたいのに、強要するなよ。って。その顧問は初心者をすごくないがしろにしていたし。それで辞めちゃった」
●勝ちたいよりも楽しみたかったんだね。高校のカーストは?
「中学で底辺で…。紅白戦でわざとデッドボール当てられたりす���んですけど」
●イジメじゃん(笑)。
「『先輩、塁に出られてよかったッスね』みたいな。だからとにかく、輩とかしょうもないいじめっ子がいない進学校に行くしかないっていう強迫観念だけで勉強してました」
●その頃は頭はよかったんだ
「うん。学年で十番以内だった」
●おお、すごい。
「それで前橋高校っていう男子校の進学校に行って。そこはね、スクールカーストがなかったんですよ、何もない。いい大学行けるように自由にやれ。みたいな」
●グループがないの?
「いや、グループはあるしもちろんイケイケな奴もいましたけど、男子校なのでカーストを思い知らされる現場に遭遇しない。『あ、あいつ俺の好きな子と一緒に帰ってる…!!』みたいなシーンを見ないで済むというか。たぶん九割以上童貞だったはずですよ」
●男子校だとそういう劣等感は生まれにくいのかもね。
「そう、友達もいないけど、いじめられるでもなく。何もない。部活が終わったら自転車圏内にある三つのブックオフを毎週ローテーションするだけ。三週間後に行くと微妙にラインナップが変わってて。あとはツタヤで安い日に下北系を借りまくる日々」
●なるほど。
●話が戻るというか変わるけど、兄弟の影響とかありつつも、高校くらいは自分の意思で音楽を聴いてたの?
「そうですね。中学終わりくらいまで洋楽を聴いてなくて。兄貴がツェッペリンとかハードロックが好きで聴かせてきたんですけど、ハードロック伝説みたいなエピソードあるじゃないですか」
●はいはい。ありますね。
「オジーオズボーンがコウモリ食べたとか、ホテルでグルーピーと…とか。それがすごくカッコ悪く感じて」
●ああ、ロッククラシック的なエピソードが。
「『俺たち、ロックだぜ』みたいなのが嫌だったんですよ。でも中三の時に姉貴がWEEZERを『これ聴きやすいよ』って貸してくれて。それですごく衝撃を受けた。こんな冴えない人がバンドやってるんだ!みたいな」
●大味なロックバンドよりもうちょっとパーソナルなのが好みだった?等身大の。
「そうそう、等身大の。中学の野球部引退した後から邦楽のギターロックにハマりだしたんですよね。くるりから始まりモーサムとかシロップとか。ちょうどその頃全盛期だったんですよ。アジカン、アシッドマン、レミオロメンの御三家を筆頭に…」
●一番アツい時期だね。後に続けとたくさんのバンドが。
「あとアートスクールとバーガーナッズかな」
●UKプロジェクトとかQuipマガジン的な。下北が盛り上がってた頃だ。
「で、洋楽はWEEZERからオルタナとかシューゲイザーにハマっていった」
●今でもその辺りは好きだと思うんだけど。その時期に聴いていたものがバンドのルーツになってる?
「そうですねぇ、初めてやったバンドはNIRVANAのデモみたいな音質の、汚くて演奏が酷い感じだったような(笑)」
●ライブ初体験は?
「一番最初は中三の時に行ったゴーイングアンダーグラウンドかな」
●おお、意外。
「受験期にハートビートが出て、ずっと聴いてたんですよ。後は高校のとき、FLEEZにアートスクールとか観に行ってた。早瀬さんも行っていたとされる…」
●パラダイスロストのツアーだっけな。モーサムと。
「あと結成当初の秀吉が出ていた」
●意外と群馬はバンド大国だよね。
「当時はメロコアと青春パンクが強かったですね。で、陽キャがそういうのを聴いてるから逆張りで内省的なギターロックが好きだったのかも知れない。バンドに一切罪はなくても、銀杏とかが聴けなかった」
●ああ、自分が入っていく余地がないみたいな?
「そうですね」
●そこから大学に行くタイミングで上京?
「はい。東京じゃなくて横浜だったけど」
橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って軽音部を辞めた
●そういえば楽器っていつ始めたの?
「中学の選択授業で体育選んだのに手違いで音楽になっていて、ピアノも辞めちゃったしどうしよう。ってなって」
●ピアノやってたんだ。
「小一から小六までやったのに何も身につかなかったけど。ト音記号の場所しかわからない。コンクール用の曲をひたすら半年前から練習してやり過ごしてたと思う。で、その授業でどうしようかなと思っていたら、いとこで駅でギター弾いている子がいて、その人がギターを貸してくれて。ゆずの楽譜とともに(笑)」
●まったく(ゆずを通った)イメージない(笑)。
「それでその曲は簡単だから何となく発表も乗り切れて。でもある日家に帰ったら兄貴がギター弾いてて、既にFとか抑えられるんですよ。『俺が借りたのに!』って。すごくムカついて(笑)」
●ああ、利用されたみたいな。
「そう。それでロクに弾いてなかったけど、高校受験の直前にギターロック聴きだしたからエレキが欲しいってなって。親に受験終わったらいいよって言われたんです。そしたら兄貴が『絶対ベースを買うべき。エレキは俺の弾けばいいから。ベース弾ければ高校でバンド組むとき重宝されるぞ』って言うんですよね」
●そうかな…。
「そしたら受験真っただ中で最初に話したオリオン通りにある新星堂が潰れることになって、弾くのは受験終わってからって約束で閉店セールでベースを買ったんです。で、勉強しててこっちは弾けないのに兄貴が弾いてるんですよ(笑)」
●ズルい奴だな(笑)。
「結局自分が弾きたいから弟に買わせると」
●それで「ベースを買った方がいい」って力説してたんだ。
「そうなんですよ。で、兄貴が僕が高二のときに大学進学でエレキ持ってっちゃって。家にアコギとエレキベースだけがある状態(笑)」
●厳しいね。
「しょうがないからアートスクールのベースをずっと耳コピしてて。部屋を暗くしてコンポ爆音でヘッドフォンつないで、小さいアンプからベースを弾いてる。親からしたら心配ですよね。子供部屋から重低音だけが鳴っている」
●うちの息子は大丈夫かって(笑)。
「受験の時もそうだしいろいろと心配をかけましたね」
●大学はどうやって選んだの?
「結果論というか、もともと大学デビューしたくて関西の方の大学を目指してたんですけど、高校の先輩が行ってた大阪大学ってところを志望校にして。センター試験って会場が適当な高校に割り振られて受けるんですけど、なんと会場が自分の高校の自分のクラスだったんですよね」
●えーすごい偶然だね。
「そのホームグラウンドで何故か受験科目を間違えて(笑)」
●何で(笑)。
「一日目にロッカー開けて確認したら『あ、阪大受けられないじゃん』って。それでやる気がなくなって高校も行かずに、もうA判定のとこならどこでもいいやって思ったら国公立の前期も落ちて、たまたま後期で引っかかって、気づいたらビーズの稲葉の後輩になっていたと。進路が決まったのが三月の二十日過ぎだったと思う」
●めちゃくちゃギリギリだな。
「ロックコミューン(立命館の音楽サークル)に入りたかったですね。くるりを輩出したでお馴染みの」
●あとヨーグルトプゥね。
「そうそう(笑)」
●そこでエミリー結成したの?
「満を持して『バンドをやるぞ!』って軽音サークル入ったんですけど。上下関係が厳しくて。しかもみんなメタルのコピバンをやっている。学園祭になるとOBたちが集結してジューダスプリーストとかやってるみたいな(笑)」
●すごいサークルの良くない感じが出てるね。
「新入生はすぐバンドを組んで五月にお披露目ライブで一曲やらなきゃいけないんですけど、僕は何故かたまたま同じ大学に進学した高校の同級生三人とバンドを組んだんですね(笑)」
●意味ないじゃん(笑)。
「陰の者同士で(笑)。それで何かコピーしようとしたけど全員下手過ぎてコピー出来なかったんです。ドラムはドラムマニア上がりでベースとギターはほぼ初心者で。だからオリジナル曲をやることにしたんです。で、同時期に橋本君ていうサークルの同期のミクシィが炎上しちゃった子がいて。『軽音部は内輪ノリでクソ寒いカスの集まりだな』みたいなのが先輩に見つかって」
●うわ怖いなー。
「その子もお披露目ライブで頭脳警察みたいなオリジナル曲やって。すごいカッコいいんですけど、めちゃくちゃ物を投げられるんですよね。ライブ中に。その後何故か僕のバンドも物を投げられまして(笑)」
●すごい荒廃してるな(笑)。
「終わった後橋本君に『こんなくだらないとこ、さっさと抜け出そうぜ』って言って辞めましたね。で、他の音楽サークルにロバートジョンソン研究会っていうのがあったんですけど」
●なんだそりゃ(笑)。
「あんまり研究してる感じはなかったかな(笑)。まぁ、ブルースとかハードロックのコピーをする割と穏健派のサークルだったんですけど。新歓行ったら最後に名のあるOBみたいなのが袖からわらわら現れて、十人ぐらいで「いとしのレイラ」を弾いてるんですよ(笑)」
●それは、ダメだね(笑)。
「ここもダメだって(笑)。で、ある日ロック研究会っていうサークルが大学の路上でライブをやってて。JR ewingっていうノルウェーのハードコアバンドのカバー…その時はカバーって知らなかったんですけど。それを演奏してて、ドえらいカッコよかったんです。赦先輩の同級生たちだったんですけど。で、そこに入ろうと思ったら、『ここはサークルというか半年5000円でスタジオ利用権をバンド単位で買う人たちの集まりだから、まぁ好きにしなよ』みたいな」
●へー。
「当時赦先輩はすごい怖い先輩とスリーピースやってて、赦先輩も怖かったんですよね」
●ちょっとイメージと合わないね(笑)。
「そうですね。『後のバンドメンバーである』って漫画だったらナレーションがつく」
●『この時はまだ知る由もない』みたいな。
「(笑)」
今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ
●なかなかエミリー結成しないね…
「いや、その同級生とのバンドが大学一年の終わりくらいに解散しちゃって、遅いハードコアをやってたんですけど」
●遅いハードコア(笑)。
「で『よし、今度はシューゲイザーをやろう』ってエミリーライクステニスが結成された」
●シュー…ゲイザー?
「当初はギタボが自分で、ベースが女の子で、ドラムは残留して、あとギター兼フルートがいた」
●編成だけ聞くとそれっぽいね(笑)。
「そうなんですよ。で、新歓ライブをやったらフルートが『カッコ悪いことしたくないわ』って抜けちゃって」
●曲はオリジナル?
「全部自分が作ってましたね。で、スリーピースになっちゃって、ギター二本ないとキツいわって思って。当時僕とドラムがポストパンクにハマってたんで、じゃあそういうのをやろうってなって。それが2008年の夏くらいかなぁ」
●なるほど。バンド名はずっとエミリー?
「そう。でもその後ドラムがギャンブルにハマっちゃって」
●ああ、良くない方向に。
「どうしたんだよ、って家に行ったらスロットの筐体が置いてあって」
●もうダメだ。
「それで脱退して途方に暮れてたらバイト先にクロアチア人が入ってきて。『ドラム出来ます』って言うからあ、ちょうどいいじゃん!って。デヤンさんっていうんですけど」
●加入したの?
「うん。クロアチアン・パンク時代ですね」
●そんなのあるの?
「いや、わ��んないです(笑)。で、その人がライブの前日に『もうすぐ子ども生まれるからライブ無理かも』ってメールがきて、マジかと思ってたら翌日普通にリハ来てるんですよ(笑)」
●(笑)。
「『赤ちゃん大丈夫?』って訊いたら『昨日生まれて今ガラスん中入ってるから大丈夫』って」
●ガラスん中(笑)。
「それがきっかけかわからないけど、家族の圧により2009年の春くらいに脱退して。その後ベースも辞めるってなって」
●とうとう一人に。
「そう、で、どうしようと思ったんだけど、サークルの一学年後輩に泉君っていう毎日JOJO広重のブログを読んでる子がいて」
●だいぶオルタナティブだな(笑)。
「その子にベースをやってもらって、あと二つ下の武井君って子がドラムに加入した」
●だいぶ変わったね。
「でもその頃の音楽性はポストパンクとニューウェーブみたいな感じのままですね。で、どこでライブやっていいかわからないから、横浜…中華街の近くのライブハウスに毎週出てた」
●あーあそこね。
「そう、あれは本当に時間の無駄だった」
●(笑)。
「ブッカーにすごいナメられてたんですよね。暇な大学生の穴埋めバンドって」
●学生のバンドっていうのはねぇ…。
「酷い時は『来週の水曜日出れる?』みたいな。で、『面白いイベントになりそうなんだ』って言うから出てみたらアコースティック・ナイトってイベントで(笑)」
●酷いな(笑)。ありがちですね。いや、ありがちじゃよくないんだけど。じゃあ横浜が多かったんだ?
「あと下北のいろんなところに、殊勝にもデモを送ってたんですよ。モザイクとか251とか、今思うとちょっと違うんだけど(笑)」
●カラーが違うね(笑)。でもちょっとずつ広げようとする気持ちが。
「あと当時MySpace全盛期で」
●流行ってたね。
「そこでモーションとグッドマンと…葉蔵さん(中学生棺桶、例のKのボーカル)が働いてた頃のバベルかな。誘ってもらって。『あ、あっちから誘ってもらえることあるんだ!?』みたいな」
●『音源を聴いて連絡しました』みたいなのね。
「そうそう。まぁ、いわゆる平日の条件で今思えばアレですけど、それでも嬉しかったですよね。だからその人たちの悪口は言えない」
●(笑)。見出してくれたから。
「別にそこから鳴かず飛ばずですけど(笑)」
●(笑)。でもそこで知り合ってまだ付き合いがあるバンドがいる。
「そうそう。だから初めてモーション出たときのブッキングは今でも覚えてて、クウチュウ戦(現Koochewsen)、ギター大学、プラハデパートっていう」
●すごいメンツだな(笑)。
「すごいですよね。で、クウチュウ戦なんて年下じゃないですか。なのに上手過ぎて。『え!?東京ってこんなにレベル高いの??』。もう、幽遊白書の魔界統一トーナメントみたいなモンですよ」
●こんなすごい奴らが何の野心も持たずに…っていうやつね(笑)。
「そう、雷禅の喧嘩仲間のくだりね。で、初めてバンド友達が出来たというか。otoriとかもかな」
●音楽性的にも共鳴出来て。
「同世代だし。そんな感じでやってたんですけど、ライブやった後めちゃくちゃテンション下がるんですよね。当時の音楽性が」
●自分たちの音楽性のせいで?
「そう、お葬式みたいな気持ちになるというか。早瀬さんは四���になってからしか観てないと思うんですけど。当時は歌詞も暗いし」
●今とは全然違うね。
「うん。リフとか再利用してるのはありますけどね。普段部室で泉君とムーの話とか未解決事件の話をいつもしてて、そういう瞬間はテンション高かったり楽しかったりするのに、ずっと暗いことを歌ってなきゃいけないのはしんどいなって」
●最初の部活の話と少し繋がってくるかもね。
「うん。あと暗いバンドをやっていると暗くなきゃいけないと思っていて。打ち上げはしちゃいけない。みたいな思い込みもあり(笑)」
●イメージに縛られ過ぎてる(笑)。
「でも『死にてぇ』とか歌ってた人が打ち上げで乾杯してたら違和感あるじゃないですか。そういう強迫観念で自家中毒になってしまったというか。『今日大学ですごい面白いことあったのに、ライブで今歌ってるの、めちゃくちゃ暗い歌詞だなぁコレ』って」
●過敏だったんだね。
「センシティブだったんですよ。グッドマン出ても(ブッキングの)鹿島さんにすごいディスられてたし」
●ダメ出しが。
「で、MCだけすごい褒められる(笑)。当時三曲くらいやると僕が小噺をして(笑)」
●面白エピソードみたいなのを。
「『この間バイト先で…』みたいな。今思うとああ、平日のモーションだなぁって思うんですけど(笑)」
●そうだね(笑)。
「でも『この後もカッコいいバンドばっかり出るんで最後まで楽しんでいってください』とかは言ったことないですよ」
●『名前だけでも覚えて帰ってください』みたいな奴ね。
「(笑)。そう、それも言ったことないです。で、だんだんしんどくなってきたんで、どうしようかなと。当時の曲作りが僕がリフを持っていって、泉君がめちゃくちゃにするみたいな感じでやっていて。ドラムの武井君はすごいいい奴なんですけど、当時から曲の展開が多くて、たまに展開を忘れて、止まっちゃうんですよドラムが(笑)。ドラムの音がなくなったその瞬間僕と泉君がキレて楽器を投げつけてしまう。そういうことをしてたら『正直もうしんどいッス』って言われて、本当に申し訳なかったなと思いますけど」
●行き詰ってるね…。
「当時二学年下に獣-ビースト-とT-DRAGONがいたんですよ。僕が四年生、泉君が三年生の時です。みんなロック研究会にいたからそれなりに話してたんですけど、T-DRAGONは当時ノイカシのシグマとよくわからないバンドをやってて、あんまりパっとしなくて。獣-ビースト-はもっと謎で、時折八時間くらいスタジオ抑えてるんですけど、一人で入ってて何やってるかよくわからないんですよ」
●怖いな(笑)。
「本人曰くテクノっぽいのを作ってたらしいんですけど、結局一度も日の目を見ることなく。で、見た目がセドリック(At the Drive-Inのボーカル)っぽいじゃないですか。当時今よりもセドリックっぽかった。それでT-DRAGONに武井君の代わりに叩いてってお願いしたら、ライブとか観に来てくれてたのもあり割と快諾してくれて。で、獣-ビースト-に『At the Drive-Inみたいなバンドをやることになったから。ボーカルやって。この日スタジオいるから』ってメール送って。返事がなかったんですけどちゃんとその日スタジオに来てくれて、漸く今の編成の原型が出来たんですよ」
●やっと今の形に!
「いやー長いですね。この時点で大学卒業する直前ですね」
仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから
●就職とかはどうしたの?
「大学三年の秋くらいに『どうしよっかなぁ』って出版社とか何となく受けていて。で、僕はマルチタスク機能がものすごく低いんですよ。いろんな会社を同時に受けるみたいなのが出来なくて、一社受けてそこそこのところまで行って、落ちて、また別のところにエントリーして、みたいな」
●落ちるとゼロになっちゃう。
「そう。変に真面目なところがあるんですよ。面接で絶対「弊社が第一志望ですか?」って訊かれるんだからそこ以外受けちゃダメだよな。みたいに思っていた。あと某音楽雑誌の会社も受けたんですけど圧迫面接だったんで逆ギレして帰った」
●えー圧迫面接なんだ。
「エントリーシートに物凄い熱量をぶつけたんですよね。そしたら面接官に鼻で笑われたというか。『随分音楽が好きなんですね。ハハッ』みたいな。ライターの坂本真里子が好きだったんで受けたんですけど。まぁ入る価値のない会社ですね!って」
●すごいな。
「そういう感じで疲弊してきたからとりあえずモラトリアムを伸ばそうと、大学院行こうかなぁって思ったんですよね。そしたら親もそうだけど姉がすごい説教をして。うちの姉はすごい傾き者なんですよね(以下、傾き者エピソード)。で、大学院も行かない方がいいか、と。それでもう仕事に好きとか興味とか求めない方がいいな。土日休みならバンド出来るから。って今の会社に入ったんですよ」
●就職してからバンドとの両立はどうだった?
「難しいというか、当時僕が一番年上で唯一社会人だったからノルマとかスタジオ代全部負担してたんですよね。それがキツかったかな(笑)。たぶん2014年初頭くらいまで」
●結構最近までじゃん(笑)。
「獣-ビースト-とかT-DRAGONが就職するまでは基本的にあまり負担させないようにしようと。赦先輩も当時サポートだったし。でもグッドマンとモーションは本当に良くしてもらったから。あと両立と言うか…。僕大学を卒業する時に大学の近くに引っ越したんですよ」
●卒業するときに?
「意味がわからないんですけど。入った会社が家賃補助がないということに気づいて、極限まで安いところに住まなきゃって。本当にヤバい、タックルしたら崩れるような家。後にT-DRAGONもそこに住むんですけど」
●安いってどれくらいなの?
「えっとね、18000円」
●安すぎでしょ!!
「七畳+キッチン+風呂トイレ別でそれですからね。本当は20000円だったけど入るときに『大学院生です』って言ったら安くしてくれた(笑)」
●いいなぁ。
「いや全然良くない。ボロいなんてもんじゃないですよ。木造の長屋を三分割して三部屋になってるんですけど。築は…五十年くらいかな。で、風呂が外にあるんですよ」
●共用?
「いや、共用じゃなくて、もう一つのプレハブ長屋みたいなのがあって、それが三分割されてるんですよ」
●なるほど。
「で、その外風呂が、外からしか鍵がかからない(笑)」
●閉じ込めることしか出来ない(笑)。
「そう。で、大学が近いので土日のスタジオは大学でやってたんですよね。ライブは基本土日で。平日のライブの時は誰か後輩に楽器を託して…。無理やりやってましたね」
●その頃はもう割と東京のオルタナシーンに食い込んでる感じの。
「確かうみのてと対バンしたのが2012年初頭で」
●一月だった気がする。
「グッドマンでね。あれが転機っていうと大げさですけど」
●いわゆるライブハウスに良く来る人たちに知られた感じかもね。
「その頃はやたらトリプルファイヤーと対バンしてた気がする。2012年から今でも親交がある人と一緒にやり始めた」
●まだ2012年だ。
「長いですね。とりあえず赦先輩が入るまでの話をすればいいかなって…」
●いつだろ
「2013年の春くらいかな。で、2012年の春に泉君が大学院に進学するんですけど、関西に行っちゃったんですよね。もう続けられないねって。で、サークルのかなり下に内海君ていうスキンヘッドの子がいて、見た目がいいから誘った。それが失敗だった(笑)」
●まぁいろいろ、あったね(笑)。
「うん、いろいろあった(笑)。それでバンド辞めてもらって。赦先輩はしばらく連絡もとってなかったんですけど、サポートやってもらえませんか?ってお願いして。で、なし崩し的に正規メンバーになってもらった。現在に至る」
●赦さんが入ってだいぶ音楽性に幅が。
「内海君の頃までほとんど僕が考えてたんですけど、赦先輩が入って初めてスタジオで曲を練り上げる、みたいな。バンドっぽくなってきた」
●他のメンバーのエッセンスが入ってきて
「こういうフレーズはどうかな、とかイメージを膨らませたり」
●やっとバンドらしいエピソードに(笑)。
「そこまで辿り着くのに五年くらい要してる(笑)」
●そこからは今に至る。
「メンバーは変わらないけど、音楽性はだいぶ変わったかな。ハードコアが薄れて…何というかメタ的な曲が増えた」
●そうだね、ハードコアでもプログレでもない、何とも言えない。
「何とも言えない(笑)。演劇の要素だったり、曲の中にもう一曲あったりとか」
●はいはい。
「構ダンカンバカヤロー!を観て『あ、こういうのでもやっていいんだ』とかボーダーを再確認させてもらってますね」
●アウトとセーフの線引きを。
●バンドの成り立ちはこれくらいにして、曲のアイデアとかどういう時に考える?
「基本のリフは今でも僕が考えるんですけど、スタジオで試して、カッコいいだけだとボツになるんですよ(笑)」
●(笑)。
「後はコンセプトをみんなで固めて。リフのパーツを無数に作っておいて、当てはめる感じ。シチュエーションとか」
●コンセプトありきでそこから曲と歌詞?
「それがないと今は逆に作りづらいですね」
●歌詞は誰が?
「今はほとんど獣-ビースト-です。Brand-new suicides(エミリーの楽曲の中に登場する架空のバンド)の曲だけ僕ですね」
●そうなんだ(笑)。ライブの時の意識は変わってきてる?
「昔はカッコよく思われたいみたいなのが多少あったと思うんですけど、今はもうとにかく面白いかどうか、みたいな。『さぁ、消費しろ!』って。最悪『何も思い出せないけどとにかく楽しかった』でいいや。って。『よくわかんなかったけど面白かった』でいい」
●それはすごくいいことだと思う。
「『よくわかんないけど凄い』という方向だと絶対勝てないじゃないですか。グランカとかルロウズとか。最高峰に。そっちは無理だから、変化球で攻めるしかない」
●ライブ中ってどういうことを考えてる?
「なるべく仕事のことを考えないようにしている(笑)」
●(笑)。
「ハンターハンターのシャルナークのオートモードみたいな。あれに近い感じになると割といいライブが出来ますね。今何を弾いてる���か一切考えずに弾けるときがあって。逆に『このフレーズ難しいんだよな』とかふと思い出すと弾けなくなっちゃう」
●邪念が入ってくるとね。
「だからなるべくオートモードで弾くようにしたい」
●展開がすごく複雑だから身体が覚えるまですごく時間がかかりそうな印象があるけど。
「でも正直、曇ヶ原(エンリケ後悔王子が過去在籍していたプログレバンド)より全然覚えやすいですよ」
●マジか(笑)。
「曇ヶ原はA→B→フォントが違うA→フォントが違うBみたいな感じで繰り返しが多いけど微妙に違ってて。でもエミリーはとにかくAからZまで覚えるだけなので(笑)」
●なるほどね。
●平日はどういう生活をしてる?
「仕事に行って、帰って、疲れて寝る。みたいな(笑)。『無』でしかない」
●仕事終わった後に何かするって難しいよね。
「平日何も出来ない病なんですよ。かれこれ十年」
●音楽は聴いてる?
「精神的にキツいと音楽も聴かなくなるというか、耳馴染みがいいやつしか聴けない時がある」
●新しい物を受け入れる体力もない時はあるよね。
「昔のJ―POPとか、中高のとき聴いてたのとか」
●最近はどんなのを?
「ジャンル的にはユーロビートですかね」
●ええ!?
「あれって速いんですけど、リフ的にオイシイというか。ファミレスで言うとミックスグリル定食みたいな曲ばっかなんですよ。キラーリフてんこ盛りみたいな」
●詰め込んである感じで。
「これは意外とヒントがあるなと」
●なるほど。バンド的に取り入れるぞ!って意識で聴いてるの?
「サウンドは取り入れようがないので、和音のリフとかフレーズを参考にしている感じ。あとは昔J―POPとして聴いてた、例えばglobeとかSPEEDとか、それをCDで聴き返すとめちゃくちゃ発見がある。『この曲のバンドサウンドすごいな』とか『あ、あの曲のパロディーなんだ』みたいな」
●メロディーしか覚えてなかったけど、聴き返すとアレンジがすごい、みたいなのはあるよね。
「そうそう。小さい頃はマイラバの声は『すごい声だな』って。オーバーダビングの概念がないから(笑)。みんなホーミーみたいにああいう声を出せるんだと。ミスチルとかめちゃくちゃハモれてすごいなって(笑)」
●すごい技術だ(笑)。
記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよ。レガシーをね、遺したい
●バンドをやってもう結構な歴があるけど、やってなかったらどうなってた?
「うーん。土日関係ない仕事をしてたかなぁ。あの…中学の時の夢が『オリックスの球団職員になること』だったんですよ」
●球団職員なんだ(笑)。
「プレイヤーとしての限界は悟ってたので(笑)」
●裏方でもいいから野球に携わるという。
「もっと前は小説家とか、マンガ家とか。いわゆるキッズが憧れるクリエイティブ職になりたかったけど。バンドやってなかったら…。ちょっと想像つかないですね」
●例えば今の生活からバンドが何らかの理由でなくなったとして、今の仕事だけ続けてくのは気持ち的にしんどい?
「しんどいですね。実際今それに近い状況になっているけど…。表裏一体というか、それでバランスとってたんだなぁって。普段はバンドと野球とハリエンタルラジオだけで生活出来たらいいなって思ってたのに(笑)」
●なるほどね。
「仕事以外のコミュニケーションが欠乏してて、ストレスが溜まっていく。バンドメンバーって十年近く、今まで少なくとも二週間に一回は会ってたのに。その人たちに一ヵ月以上会わないのは違和感がすごくて」
●フラストレーションが溜まってる感じ?
「この間スカイプでバンド会議みたいなのをして『いやぁ、楽しいなぁ』って(笑)。普段赦先輩がスタジオ遅刻するとすごく嫌な対応をみんなでしてたのに(笑)」
●失って初めてわかる大切さみたいな。
「前よりも優しくなれるかも知れない(笑)」
●今はこういう状況ですけど、また落ち着いた頃にこうしていきたいとかバンドである?
「昔の自分みたいな、基本的に陰の者に『楽しいなぁ。バンドやってみたい』とか思われたいですよね。以前モーションで話しかけてきた男の子が、二十歳くらいなんですけど。『僕もバンド組みたいです!』って言ってて、あ、嬉しいなって思って。その後コンパクトクラブで群馬に行ったときにその子がまたいて『僕、バンド組みました!』って嬉しそうに報告してくれたんですよ」
●普通にいい話だ(笑)。エミリーは水とかうちわとかいろんな形態でリリースしてるけど、今後こういうのを出したいとかある?
「そうですね。僕が考えていたのがダウンロードコード付土地なんですけど]
●(笑)。
「10万円くらいの離島の土地を買って、そこに看板とQRコードを貼って、辿り着きさえすればフリーでダウンロード出来るみたいな(笑)」
●なるほど。
「アドベンチャー型音源」
●面白いな(笑)
「石碑でもいいけど。記録媒体として一番長持ちするのは石か壁画なんですよね。だから最終的にはそれでリリースしたいんですよね。将来オーパーツみたいになるかも」
●遺跡として遺っていくかもね。
「レガシーをね、遺したい」
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Marine snow
以都心的標準來說,都營大江戶線就是相對地挖得很深很深。在淺寐的清明夢當中,我挨著西新宿站內ㄧ路直下的電扶梯扶手潛入地底,將那無論乘客有否都毫不間斷地乘坐叮囑聲置於身後,經過一個短暫的轉角,再次搭上繼續向底端月台延伸的電扶梯,強烈的站內循環冷氣像是激流那般,膨大且迅速地招呼過顯露於衣著與口罩外的肌膚,隱隱約約地讓毛細孔緊繃了起來。
蝶蝶--在電扶梯下方更接近��台的前幾階,我注意到她那一頭染成金色的中長捲背影。然而不曉得她有無察覺,出聲呼喚的想法隨即打消。正巧在不自覺地自然眨眼之間,她的身子以泡沫的形式分解後溜出我的眼簾,不過卻又早一步地在端末的月台那重新凝聚。此時,下個班次的電車即將進站的站內播音開始放送,顧不得多餘的思忖,提起雙腿倉惶地向著月台奔馳。我想要確認--那個重新聚合的蝶蝶,究竟是同一個人嗎,又或者到底只是有著同樣外殼的個體呢?
踏著混亂的步伐趕抵月台--啪唰地是車門開啟,啪唰地也是車門閉合。蝶蝶已乘上那班電車,發車移動的透明壓克力車窗,恰巧反射著站內的照明,儘管蝶蝶面向我,但卻讓人無法辨識她的臉孔。月台上僅我零落一人,目視該電車急遽地消隱在隧道彼端。莫名地,我隱約察覺下個班次的電車,是不會再有的了。
就在我回頭準備折返時,身後原先的電扶梯已不見蹤影,取代而之的是每階段都有著三個成人高度的藍色石階,向著原途徑堆疊竄升直至消失在視野的邊際。仰望,但只得一片漆黑的深邃空洞。既無法攀爬更無從離開,除了自己以外空無一人的地底月台,電子看板重複登載班次延遲的顯眼紅字,頂上行列有序的白色 LED 照明在此刻格外地予人壓迫。本應是低熱能的燈光在封閉的空間裡卻宛若鹵素燈泡不斷放出灼傷般的焦躁感--好比碰觸到火與電的瞬間抽手的反射動作,那淺層睡眠的夢境在我彈起驚坐時戛然而止。
握住置於床頭邊小几桌面的保溫瓶瓶身,將倒扣在上的水杯翻正,替自己斟了莫約五分滿的溫水慢慢喝完,試圖緩和情緒以及暖胃。接著挪動雙腳,前後踩進左右兩邊都有著貓耳裝飾的發熱鞋裡。準備盥洗前,先將全遮光窗簾撥開一道間隙,望向公寓窗外--
年末最後一個花金的晨光,熹微。
記憶追溯回十一月初,因公事漏接的那通電話轉成了語音留言:
「以前想去的那家旅館,請你也來吧。」
語音信箱的列表上,聯絡人抬頭的姓名,唯獨署名蝶蝶的訊息我不怎麼定期清除。也因那句邀約,回撥給蝶蝶向她確認日程後,在工作日將很久沒用過的有給休暇申請送出去。
於是,時間來到這早朝。梳理整裝完畢,確認家電的關閉與否,在玄關換上革靴,帶上門鎖後乘電梯向下。在這給休的年末最後工作日,慣例地到對角的 FamilyMart 買好能量飲料與早餐,之後原路折回公寓旁側的立體停車場取車。駛離位於小石川町的 Princess Isle 後樂園居所,十來分鐘後順著首都高速道路 5 號池袋線的號誌經竹橋 JCT 接入都心環狀線 C1,馳騁--即刻與東京拉開距離。
腦中偶爾會閃過、憶起蝶蝶行動力總在計畫前的直率,那種出人意表所帶來的憧憬,就像是連日陰雨後的突然放晴、上班日的早晨共睹體液暈染的被褥,我認為能這樣子灑脫的蝶蝶,早已不用外在的推力支持,而是憑藉自己的直觀,爽快地將能力所及的物事都承攬在肩上。或許更該說,是蝶蝶十足地暸解她與我之間的距離感,因此才得以那麼寬宥有餘。
而我需要為自己的性向對自己提出申辯嗎?就好比在《Merry Christmas, Mr. Lawrence》當中,大衛・鮑伊擁吻坂本龍一後,對坂本所飾演的世野一角與其他「當時的」日本人所爆發的人文衝擊那樣。蝶蝶是未婚妻,不過與我關係距離更貼近的是大江茜這名同性的摯友,蝶蝶與我互通有無,但我無法割離對茜的愛。像我這樣的人,在完全做好最後的決定前本來就不該妄圖任何的愛憎,交際更是難以維持在同溫層的保護傘下,一時半刻都無法說服自己了,怎麼還能強要蝶蝶又或是茜兩方圓融呢。我並不想撕裂任何一方,畢竟只要有一人崩解肯定是三方一同陷溺。雖說這樣有些情緒化,不過歡欣的過往還是佔據多數,但人性就是最大的感性公約數,那些短暫如一瞬流星的快樂能被無限上綱,對於藏匿在後的那些相對犧牲與齟齬往往渾然未知。在精心佈置的冬陽午後陽台小憩,茶几上放著剛煲好的紅茶,蝶蝶在旁邊的躺椅上哼著山下達郎的 Love Space;在清早的下灘無人車站,與茜並肩齊眺瀨戶內海,放著青春 18 的車票不管任憑久久一班的予讚線電車通過。到底是人都無法界定出歡愉的巴別塔能增設到多麼高聳,那是媲美天堂的偉業呢可不是嗎?
通過廣島東 IC 地點的出口後,順利地沿著府中往廣島車站方向的出口下了高速道路。把握九鐘頭半的方向盤後的午後四時,我抵達了廣島市內、蝶蝶預約好的旅館。
「午安妳好,我是有預約的北小路--」
向右側拉開旅館的門扉,我在玄關朝著出來招呼的女將簡單地告知身分。
「您的太太在松之間,這就讓我為您領路。」
其實還沒有去登記呢--我在心中對於蝶蝶這樣權宜的舉動輕做嘖舌。旅館的佔地並不算寬廣,進入玄關換上室內鞋踏足木造廊道後,馬上就能看見口字型的中庭水池以及天井,透過女將介紹得知那池養著十數隻錦鯉的水潭是女將父親過去的主意。午後傾斜的日照穿透天井的半透光隔板,灑落在粼粼池面。館內一樓的房間由於考量天花板上二樓的聲響因素後,原則已不做營業用途,隨著女將前往二樓的階梯時,扶手上的幾何結構也獨具巧思。來到松之間外門前方,待女將打開外門輕敲內門的幾秒內,我短暫詳視了外門門柵上的松葉型的簍空雕飾與客室入口地面上也堆砌成松葉樣子的浮雕,暗自感佩這樣子的堅持。隔著內門,裏頭的應門語調是我熟悉的方式,下一秒便聽見門錠打開的聲音--蝶蝶隨即在內門後方出現。
等我向女將道謝並目送其離開後蝶蝶便將我拉入房內,她早我兩天先行搭乘新幹線來到廣島。上次見面是在十一月中旬,間隔一個半月又九個多鐘頭後的她,舉手投足以及那挾雜在香水裡涼菸的淡薄尼古丁香,仍然都是我熟悉的那個模樣。向她詢問頭兩天的空檔裡,去做了什麼又或者去哪些地方踩踏,她在腦中整理後約略地托出:
「散步、爆睡、書寫、抽煙、『買花』,即使是我也有各種要煩惱的事嘛。」
「還是在抽 VIRGINIA S.DUO 嗎?」
館內禁菸,我想蝶蝶十有八九是趁著散步時去到街頭的公共吸菸區解癮了吧,注意到房內的桌几上不見菸盒擱置,閃掉『買花』的個人私德,便把話題轉移到她慣用的香菸上。
「沒帶到留在代代木那邊了,過來的路上就買同品牌的 Noire 撐著……」
圓窗旁蝶蝶上身趴伏,下巴倚在桌几上她自己帶來的肉骨抱枕,盯著手機的螢幕手指上下來回滑動,如有所失地發著哀怨聲。
「辛苦你了,那真是不得了呢。」
我發出「欸--」拉長音的語氣,從行李拿出個人衛浴的小包裝以及替換衣物時,視線卻被她那鴨子坐坐姿而朝向外側--從青靛袴裙末端顯露的,米白色薄光蕾絲花邊隱形襪包覆的足裏,以及在其布料內側正巧細微騷動起伏的腳趾形跡所吸引,然而長距離、高耗時的奔波後想先沖個澡讓筋骨舒緩的生理催促則令我只好進入浴室內。
旅館是在戰後五年,也就是昭和 25 年時落成的。在廣島被爆的損害下,市內的遊郭花街也在當時同成為歷史的灰燼,而當旅館則在五年後新築落成,至直 33 年政府完全落實、實施賣春防治法--令公娼制度廢止,迎來赤線時代的落幕為止,當旅館在這先前,仍是被列冊的多數男女幽會的「特殊飲食店」;到了 35 年時,旅館裡外雖保留遊郭外觀與格局,不過卻已改建轉型完成,只留下「遊郭」的外殼,徹底地成為一般的旅宿,就這經過了七十年的風雨。因此無論是我現在泡澡的石作浴池,又或是客室內的古典圓窗以及相關的擺設,幾乎都保持與六、七十年前如出一轍的模樣。
「喲--沖完澡後完全沒聲音,我還在想你是不是在浴室睡著了?」
浴室的拉門突然被拉開,盤好頭髮的蝶蝶纏著白色的大浴巾自顧自地踏入浴室,拉過浴椅扭開浴池旁獨立的出水口後坐下,順手地就拿著我的衛浴小包裝擠出沫浴乳,從雙腳開始搓揉泡沫。這樣子山賊般的行為,看在想要補眠的我眼裡,說起來有點--可愛?沖洗的淅瀝水聲消停,蝶蝶起身移動到浴池前作勢要爬進來,指了個方位要我讓開出空間的手勢。
「話說我還這裡面欸,你也進來泡的話就太擠了……」
「不讓我進來會著涼的是我欸,就不知道是誰啊--說想要跑遊郭跡巡禮的?」
忽視我抗議的蝶蝶,提起膝蓋、橫過大腿爬進浴池裡匍匐到另一個邊上,背對我出聲拆掉我話語中的台階。我繼續倚著浴池邊上平坦的置物空間,枕著手臂小寐,並沒有搭理她。
「補眠可以再等等吧?真的在浴室熱水裡睡著也太危險了。」
划動池水的翻騰捲滾聲響傳入耳蝸,抬起沉甸甸的眼皮,蝶蝶從池裡起身移動,雙手向後扶著池邊支撐上半身,底蘊含蓄的乳房、平坦腹部的腹白線,美裸地胴體就半坐在我正前方。水中,她擺盪右腿,以右腳的腳趾前端從我充血的陰囊下方將其托起,祟動的五趾隔著表層皺折來回逗弄裡頭兩側睪丸,有些搔癢不過卻帶來不少的快感;隨後蝶蝶改變了攻擊的位置,將腳掌貼上已經勃起的陰莖,開始輕微地施力搓踩--期間她索性地把左腿向旁張開,將雙腿間倒三角形地帶的外陰部揭顯在我眼前,也染成金色且修剪整齊的陰毛、微微律動張合的縫隙,都相當地奪人目光,連睡意都能徹底地驅逐。
蝶蝶起了玩興,將擱置在旁的浴巾朝我扔來遮斷我的視野,右腳則暫時從陰莖離開,以腳趾尖左右來回磨蹭、扒刮過我盤腿踞坐的大腿兩股內緣數次,惹得陰囊與根部開始抽蓄,旋即又貼回陰莖--將龜頭盡力地挾箝在拇趾與食趾的縫隙,用趾腹的柔軟肌膚反覆撥弄著冠狀溝下緣,有規律地妥善分配滑嫩足裏的力道,讓陰莖陷溺在射精衝動的莫比烏斯帶裡無法掙脫。
「看不到不是更刺激嗎?你自己動手吧我想看你自慰。」
突然,她先是停下腳部的動作,然後將右腳從陰莖抬伸到我胸前踩踏,使得我得向後仰躺--接著她向我下達自慰的命令。雖然中斷的錯愕帶來幾秒短暫的沉默,不過我還是伸手握住那依然挺立在水下的陰莖,遵從她的意志開始自慰;人聲的靜默持續,矇在浴巾裡再度闔上眼,聽覺的感官範圍在失去視覺能力後大幅地擴張,握住陰莖鬆緊有韻的手掌力道,與手指彎曲伸張相互協調,上下套動,又或以手掌像是握住排檔桿頂部那樣,包覆起龜頭前後左右地循環畫圓;輕淺地划水聲在腦海中放大如潮汐激流,忽明忽滅勾的勒出蝶蝶日常穿鞋,在鞋尖後方露出腳趾縫隙的尾端,以及脫下鞋子時,從後方窺視那踮起的腳跟與足裏的連線,肌肉群拉張收束成曲弓形的模樣--嗚呼,好似在她的身軀體膚上,看見西方中世時那些米色大理石凝膏塑像的再誕--體感我套弄陰莖抵達五分鐘時,嘴巴周圍的浴巾被蝶蝶用腳趾夾開--
「未帆,你舔啊!」
蝶蝶叫喚我的名���打破寧靜,把腳趾放在我的嘴唇邊游離試探;我張開嘴蝶蝶把腳趾塞進我的嘴中,小心翼翼地試著不讓牙齒嚙咬傷人,並用舌頭一道一道地清潔她的腳趾縫隙,自然分泌的鹼鹹與些許滲入皮下的沫浴乳合成果香,以及用磨砂膏養護好的木質調芬芳--在味蕾上奔竄流轉。或許是等不及看到--要求看我自慰、舔她腳趾與足裏的蝶蝶,現在是什麼表情,手掌握住陰莖上下套動的速度便比平常加速許多,想快點射精、想快點再看見她的臉--
「欸你不要在水裡自慰到射精喔!這池還要換我用呢。」
查覺到我意圖的蝶蝶,把左腳伸過來踩停我手部的上下往復,再度地將射精的節奏打亂,然後將右腳從我的嘴中退出,用同樣的方式將遮蓋我視線的浴巾卸除。
「不是因為我的裸體,而是用我的腳弄到完全勃起,你是變態嗎?」
面對蝶蝶的責備,我不作聲地從浴池中起身站立,讓她戲弄後充血紫腫的龜頭膨脹地幾乎比核桃還大上些許,周圍,甚至到陰莖根部,都有前列腺的分泌液塗抹後的輕微黏稠。發散著熱氣的尿道口更是滴落幾滴在蝶蝶交疊的腿上,在上閃著略帶混濁的水光。腦海被射精的念頭佔據大半的思考迴路,一時找不出可以辯駁的說詞,只好稱讚她起來--
「--你開發有方嘛……」
「看來只好取消去宮島看鎮火祭了呢--」
蝶蝶抬手將盤好的頭髮放開,聽似遺憾的但至多也只是嘴上的遺憾,我明白她的居心便讓她由背後推著從浴室離開……
是從什麼時候開始習慣於,在冬季時室內的性愛的呢?明明與窗外身著寒服冬衣行走、背膀像是貓咪捲曲起來那樣緊縮的行道人群僅有二樓一牆之隔,我們卻是以裸身的方式弄得汗潮淋漓,甚至連有著窗簾阻隔的玻璃窗內面,都因兩人體溫升高使得四疊半大小的室內更加��活地驟起熱氣,而與外頭的冷空氣蒸凝出一層薄露。像這樣的情愫,我並不認為是什麼隱晦淫穢的事。
蝶蝶的腰窩凹陷內仍有局部殘存、沒有滾落到被褥上的,早前一刻的精液積聚流淌的痕跡,在天井燈光的下方顯得清晰可見,本想替她擦拭不過她卻先說出再做一回,順應她的意思在沒有變換體位的背後環抱姿勢下,挪動手掌經由她的鼠蹊,微速地先向著下腹--子宮的位置,伴隨著她悄聲地低鳴輕輕地按摩;這之後那因緊密接觸而持續發熱的掌心,朝著上半身撫過撩動,指甲早已修剪磨平的食指像是繞著漩渦般,從乳暈的環狀帶由外向內的不停迴旋--直到觸及勃起的乳頭時,手掌完全地張開並將部分的乳房緊握、捻揉;蝶蝶的嗚咽隨著動作的加強又開始高漲起來,為了避免呻吟的音量過分明顯,我將揉捏擠壓她胸部的手掌換了個位置,一轉受容強硬地要求她張開嘴巴,將方才服侍過她身軀的食指塞進她的嘴中--
「舔吧!」
我靠近她的耳際,在旁發下命令後,食指便感受到她以濕熱黏滑的唾液包覆著吸吮,舌頭也由最初自然抗拒的反射條件逐漸的轉化為非定速的不規律纏繞。陰莖在這段期間以半勃起的情況擱置輕貼在蝶蝶的外陰,龜頭碰到被單時連帶因她的雙腿根部的捕夾、咬肉,或許在此時賀爾蒙分泌就轉化成了清楚可聞的體香,又讓我浮現尋求在她身上那些性癖的部位射精的肉慾……在我要她停下嘴中的動作,好讓我稍微抽身去拿一旁桌几上的保險套時,「啵」地一聲,食指、髮絲以及唾液,混合著蝶蝶的喘息由她的口腔退出--
而蝶蝶也確實流露出急躁的樣態--那管不住的雙腿在我拿取保險套時,雖然上半身保持不動,卻伸腳過來以足裏及腳趾對陰囊向著陰莖撥撩催促幾番;隨即重新挺進蝶蝶的體內後,我箝制住、抓緊了蝶蝶的兩肩,令陰莖又得以更深入享受她濕潤陰道裡的擠壓,混合著她腰背上那些多少乾涸的精液染痕的視覺刺激,即使與陰道壁內的層層皺褶有一層阻隔,也讓勃起時連帶陰囊上升的受器體感更進一步的放大,帶來好像隨時都能將保險套撐破並在體內射精的快感--不過蝶蝶暫時還沒有打算讓我這麼做的計畫;經過十數分鐘那像是打樁模樣,有規律的在慢速高速間調節的上下動作,由自己腳部蔓延上至骶髓的輕微酥麻感,讓我繃緊大腿的肌肉在她的陰道裡使勁地頂上一下後,暫時將陰莖從陰道拔出--尚未射精,不帶儲精囊的保險套則令前列腺液與體液以及空氣混合成白沫的狀態,將保險套包覆的肉桿局部浸染白濁。
現在我又把手指塞進她的嘴中,用著十數秒攪和那些唾液弄得整個手掌滿黏潤,退出後她那在嘴角牽成絲狀的迷離側臉與向後垂視的眼珠十足地奢靡。在她恥邱覆蓋上那沾滿她體液的手掌,愛撫著充血勃起的陰蒂周圍之際,兩指併合後更是遞進她的陰道內來回出入刺激皺褶下的神經梢點,蝶蝶忍不住地令呻吟聲加大了些。
「這可是你的口水呢!用自產的方式讓人替你弄得更溼你不也挺痴狂的嗎?」
「像這樣恍神迷亂的表情,就算是在代代木那邊跟你做的時候也沒見過呢,你能用這種扭曲的臉孔出現在鄰居前或是職場裡嗎?還是說這是只有去『買花』時才特有的浪蕩啊--!」
移開手掌後,我俯身到她的耳邊發出斥責的穢語,陰莖尚未沾染白濁的中段至根部的青筋仍舊可見浮現,鼓譟著那亟欲射精的醜態,我伸手調整陰莖的位置,在蝶蝶的下陰處外部,以龜頭的冠狀溝摩擦幾番後,向上移到雙臀的間隙,貼緊那道溝渠,像是畫圓那樣來回擺動。在她迷茫浮沉的氣音途中,提起自己的腰身--然後毫無預警地再次插入--
蝶蝶像是觸電那樣哀叫了一聲,這次左右手掌交疊把握住她了兩掌,手指縫間密緻地合貼在一塊,共同將被單緊緊抓牢。從上俯視蝶蝶背部的曲線、鼻腔內浸潤混合雌雄體液的腥羶、交合時披散亂墜的金髮,還有她那弄溼枕頭的嘴邊垂涎--鬆開其中一側的壓制,將她的頭部按壓在床單上,讓她身子移動的方向配合著陰莖在她體內進出的前後往復,不給她有機會撐起上半身;之後我徹底無視蝶蝶嘴裡含糊不清的話語詞句,便又抓起她的雙臂,沒有停下陰莖在她體內的鑽突便直接將她往我的方向像是蝦子那樣仰翻,抽蓄收縮的陰道內,多層次的紋路與顆粒的蠕動就像是章魚吸盤糾纏緊繞上來絞榨,陰囊內想突破尿道括約肌壓力馬上在蝶蝶體內洩精的強烈性刺激,就好像深淵之底那種虛邪的呢喃在腦中催化誘使--
「我也不是完全要討你歡心才跟你做的--你有煩惱我也有想短暫擺脫一切束縛的時候啊搞清楚!順著你的意思想讓我怎麼做就怎麼做的戀人遊戲的戲言就全留在東京那啊東京!現在在這裡跟我媾和的你就只是我的--」
在半跪的後入姿即將衝抵那射精的紅線前幾秒,陰莖猛烈地從蝶蝶的陰部拔出,接著迅速地摘掉前端的保險套,要蝶蝶將雙足併攏朝上折起,接著抓住那合併成對的透紅腳底,用她的腳掌劇烈地套弄陰莖,而陰囊內那像是天地翻攪的滾動,令我的腳趾由捲曲至緊閉,在前列腺收縮將那酥麻的快感完全釋放,直接竄上腦門達到高潮時伴隨著低吼,精液像潮水暴漲後洩洪那樣--激烈地濺射向她的足裏--
“但即使兩人的私生活再怎麼官能耽溺,無論性別與性向,最後在射精時都會成為野獸。”
「那些話才是你真正的樣子嘛……」
「氣勢上來太衝動了,抱歉喔--」
順勢地讓脈動起伏的陰莖貼抵著蝶蝶的足裏射精後,以前茜在完事時講過的那段話將理智扯了回來;此時我的手指,在那沾上淌落精液的腳趾縫間游走勾纏,弄得蝶蝶發癢抽蓄,待稍微冷靜下來後,我回到她的身邊,以沒有沾上精液的另隻手抱住她的腰側,將半張臉埋入她的金色中短髮裡,畢竟完事前突然想到茜的事,對蝶蝶射精後便升起些許的自我嫌惡,可是蝶蝶那顯得潮紅並略為喘氣的側臉與髮香,又令陰莖開始躁動,讓我不得不調整過度密合的姿勢。蝶蝶見狀只是笑意摻雜的用問句的方式要我不要多事去打斷她的餘韻,至此我只得在心中幽幽地對自己下了審判:
「真是人渣--」
渾然不覺斜陽密匿,再醒來時街燈已著,胡亂地摸索擱置在桌几面上的手機,瞥過螢幕上的 19:37,大約補眠了一個半鐘頭,完事後也沒有關閉的白色基調燈光,有點弄痛剛張開的眼睛,雖然模模糊糊地尋不著蝶蝶的身影,不過浴室裡傳來的沖洗交織的水聲讓人安心下來。翻過身背對浴室方式,盯著螢幕左右滑動,確認輸入在行事曆裡的行程。
如果用海洋深度的色彩來做歸納,蝶蝶、茜,還有我,都在那藍色的光譜上。只是蝶蝶的色調與茜的色調或許是在光譜的兩個極端。紺青色的蝶蝶釋放著凌人地威勢,但卻無法隱藏住其中的落寞,而瓶覗色的茜則是透著清涼,寧靜之中蘊藏著相對掀起駭浪的力量。關於我--群青那般在 2°C 的斜溫層之底、深水層之頂的夾層邊際起伏不安,困惑自己是需要朝著海床飄零,還是順著湧升流再次朝向透光帶發進?摸索有關三人距離時,捲曲在白色照明下的我顯得薄弱,浴室的水聲逐漸趨小,記憶都被沖刷。
「起來啦!大晦日哪有人在睡覺的,晚點不是還要去搭渡輪去嚴島初詣嗎?」
走出浴室盥洗完畢的蝶蝶一腳踩在我的背後,開始提點更晚的行程。我坐起來,拿過早前本來是沖澡後要換上,但卻遇事延宕未使用的衣物,準備再次進入浴室,途中向她詢問她怎麼處理完事後腳部的汙濁。
「踮腳,然後踮腳,跳進浴室洗掉。」
「好險明天才有別組客人要來,女將講我們的關係太好了--」
帶上浴門時,她就像影劇中的反派讓計畫得逞那樣她賊賊地笑著。
由於事前已經知道旅館沒有供餐的服務,因此再盥洗後立刻打理一陣,偕著早已穿戴整齊的蝶蝶準備出發,晚餐或許是在藥研堀,也可能是抵達宮島才處理。將客室外門的掛鎖鎖上,下到一樓與女將再次打過照面,交代明日才會返回的事項後從玄關離開。
「那個緊急出口,以前唸做『裏樓梯』喔,給男女完事後遁走的呢--」
掩上正門出入口門扉,走離旅館有段距離後,蝶蝶講起二樓往逃生方向的階梯,伸手捏了我的臀部時裝得若無其事地樣子提起。
20:44,我們在八丁堀搭上往宮島口的廣島路面電車 2 號線。因為有一個鐘頭的車程,車內也無法連續交談,為了方便溝通我便拿出手機開始敲擊虛擬鍵盤,把今早出發前的夢境用文字的方式傳送給她。明明並肩鄰座,卻以這樣子的形式交流,不免顯得突兀。
『只有一個人的旅行難過嗎?』,讀完我描述的夢境細節,她丟訊息過來。
「--那倒未必喔。」,我將訊息回傳。
『跟我一起旅行,苦澀嗎?』
「--不見得。」
『做愛時覺得寂寞嗎?』
「--嗯。」
「嗯」很明顯地令人受傷,蝶蝶把手機收起後交代了句抵達時要叫醒她,隨即閉眼休眠。我也無意打斷她的假寐;在那夢中,我僅僅目送他向那個不知曉的目的地出發,將對她的依賴減縮到幾乎不復記憶,因此才表示即使做愛也感到寂寞。但是到底,性愛一事長久看來僅佔據生活裡短暫的現在過去,與亂數的未來。即使加諸精神上的共享,肉體的關係仍是相對多數,只要情感還存於人世的一日,那麼任誰都得擁抱不安吧,這份不安當然可理解為精神上的潔癖,抑或未能克服的懦弱--各種說法。因此,在肉體媾和當中,我甚少找到自身企及的寧靜。但也因為這份不安,從旁看去,蝶蝶與我的連繫就像在獨木上做作用力形式的來回拉鋸,待到切斷這根獨木時,連繫終究傾頹,雙方永遠靜滯。所以,那道「嗯」的訊息,便是我的不安,以及我們關係在目前還得以存在的象徵。
抵達時我喚醒蝶蝶,跟她在街上找到公共的吸菸區時,她遞了隻菸過來。她知道除了公事外,我沒有碰菸的習慣,於是我解讀為這是那道「嗯」之後的報復。上午奔馳在高速道路時,思考著關於由藏匿起的犧牲與齟齬所建立的巴別塔,僅僅在幾個鐘頭後,便從模擬的想像中,承受著來自現實的侵蝕。燃燒後的薄荷醇化合物香氣,我用吸管喝水那樣的方式,吸了一整口填滿肺葉,隨後再緩緩地讓煙霧從嘴巴吐出--即使有過抽菸經驗,不過老實說一直沒有習慣Noire,或者其它菸品那種突然湧現的冷涼,弄得氣管隱約緊繃起來,抗拒似地在吐出煙霧的途中嗆咳不止。
「還剩四支我們就均分掉吧,抽完才去買渡輪船票喔。」
蝶蝶看了看菸盒,又用指節敲了敲反射吸煙區頂上淺蔥色螢光的手錶鏡面,滴答滴答--
我們總算搭上往嚴島渡航的渡輪時,已經是 22:40。上層甲板的船尾角落,她挽著我的手臂,在望著漆黑海面,對向的返回船程時,說了句「來接吻吧」,突然地便吻了上來,並將舌頭伸進我的口腔中,索求著什麼那樣。周圍一部分人群的注意力在我們的身上飄移,她發現卻也無意隱藏,直到滿足後她才收回舌頭的纏繞。鞭子與糖果、毒與蜜,她的眼裡共存著兩種情愫--審視與魅惑,我則像是在明知不可繼續前行的深淵邊際,讓她拉著手向著淵底齊墮。
與其說是蝶蝶還在生著悶氣,倒不如說是她在搶回主導權,積極而且愈發狠心。
下船後從港町出發的那小段路幾乎是摸黑前行,不見鹿群只有稀稀落落的隻影暗中向人群張望。然而有參訪人群的地方,屋臺自是少不了的,折過一轉角--接入此刻島上最是熙攘的參道商店街的堤防通路,也不知道蝶蝶的興致怎麼來的,早先���八丁堀時已用過晚餐,現在還特意地買好兩份廣島風的什錦燒後,拉著我坐到堤防邊上大快朵頤起來。海水正逢退潮,堤防上的探照燈餘光亮度勉強可以看見後退的海岸線,我一向吃得沒蝶蝶快,就在我瞭望著海岸線以及沉浸在海潮的迴響裡時,沒留意到背後一隻循香氣而來的落單成鹿,突然咬住服裝背後,讓我怪叫一聲,蝶蝶見狀噗哧地一聲別過頭去。
「我不是有意的,但有時你就該被這麼刺激一次--」
蝶蝶將嘴擦拭乾淨後,兩手手肘抵著左右膝上,雙掌捧著下巴轉過頭來向我說著。我本來想說些什麼的,但為了不重蹈覆轍那個「嗯」的失言,吞下最後一口什錦燒後覺得還是算了。處理掉完食器皿後,蝶蝶握住我加入朝著神社行進的行列--在中途推進到可以將大鳥居盡收眼底的彎道附近時,鯽魚般簇擁的人群實在是太擠了,按捺不住的蝶蝶又拉著我從隊伍裡掙脫,一時地欲往沙灘退避。
「成為大人後,無論男女,人總要有些雅俗、癖好才能繼續面對人生。或許,以後我會為新的生命改掉這些癖好,不過我希望還能在你的身上懷念曾經的自己,才好分清楚你我各自的司職。」
握住她小心地走下通向沙灘的階梯,讓她依然摟著我的腰,方便穩穩地走在泥濘的地面。與大鳥居取出一個適當的距離後,我請附近的遊客替我們拍了幾張與大鳥居的合照--畫面上的她,難得地收斂起平時的奔放,自然地露齒微笑著。滑動過照片幾回後,她伸手再次摟住我的腰際時,我不多作表示地接受她那像是替自己找個聊表歉意的說詞。
「意思是得有癖好才能活得像人呢--那為什麼在年末來到廣島呢?」
「在你夢裡,我不是前往一個未知的地方嗎?我覺得這點,你我姑且是相同的--都有著想逃離到另個遙遠地方的靈魂;北方太冷,南國更遠,所以才起意選了廣島。」
消退的潮水與我們佇足的沙灘有段距離,大鳥居甚至都露出滿潮時浸潤在海中的根部,從沙灘向岸上望去--雜沓、等待參道底端的入口開放,臨近年始的列隊人龍不見末尾。不超過 4°C 的冬季海風中,蝶蝶摟著我腰際的手,又摟得緊了些。
師走,年末嚴島 23:45。
「你能愛我嗎?」
「--」
發出聲音的嘴型,是她想聽的答案。
潮時去來,海淵沉潛,東雲茜時,泡沫心中。
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看完日本人的報紙廣告設計賞,我感覺紙媒復興又有希望了!
左手握著digital媒體準備投放,右手刷著iphone盯預覽效果的agency們,如果有天資源方對你說,“要不投個報紙廣告吧!”我相信,你的每個頭髮絲都會提出抗議:“不了、不了,這誰會看啊?”
聽到這段對話,隔壁鄰居日本人可不樂意了。 4月初,一年一度,歷史最悠久的報紙平面設計廣告——每日廣告設計賞公佈了第87屆獲獎結果,備受廣告從業者的關注。看完一圈,我感覺紙媒復興又有希望了呢! (劃掉,有創意的內容永遠不過時)。
眾所周知,日本人是最愛讀報紙的民族,即使在紙媒式微的今天,大部分日本人還是保留了閱讀報紙的習慣,光是18到25歲之間的年輕人就有61.9%的人閱讀報紙的習慣,這個數據還是很驚人的。
為了探索報紙廣告的未來,自1931年(昭和6年)以來,報業巨頭每日新聞主辦的每日廣告設計賞,每年都通過競賽的形式,挖掘富有創意、成品具備美感、廣告表現優秀的報紙廣告。
以“突破藝術街道,融合藝術與工業”為口號,每日廣告設計賞的出題範圍,涵蓋食品、出版、汽車、旅遊、金融,也有政府、教育等公共議題,最終評選出了「一般公募・廣告主課題部」和「廣告主參與作品部」兩個類別下的30 多組平面廣告設計作品。其中「一般公募・廣告主課題部」是基於贊助廣告商的問題,來徵集廣告作品,得到了麒麟啤酒、資生堂、三得利、豐田、岩波社等知名企業的支持。
正是因為該獎項和巨型商業公司密切結合,對設計師而言,如果作品能被入選每日廣告設計賞,這無疑多了條通向設計行業的快速捷徑,(還有誘人獎金也是參賽的原因,最高獎可獲得100萬日元)。因此,每年每日廣告設計賞吸引了很多廣告從業者、獨立設計師以及學生的參與。
今年第87屆廣告設計賞的評選結果到底長什麼樣?我們先來盤它幾個! (不分先後)
SDGs×Uchimizu
夏日潑水節大作戰
廣告課題:“ Uchimizu”是日本的傳統習俗,每年夏天,大約有500萬的人紛紛上街,在街道上灑水,從而達到降溫、清潔的作用。為此,環保組織可是操碎了心。面臨2020奧運會,如何通過“Uchimizu Operation”喚醒大家對可持續發展的認知,這就是可持續發展組織SDG的廣告課題。
剛剛洗完澡的狗子都在參與“夏日潑水節大做戰”,用盡奶勁,將身上的水珠撒向周圍。狗狗憨態可掬的姿態在戳動大家內心萌點的同時,也在身體力行地傳遞了潑水節的實質:人人參與、反復用水、利用自然力獲得涼爽。 麒麟啤酒Kirin Body FREE
廣告課題:“啤酒肚”大概是一個世界難題,據說有70%的日本中年人都在擔心腹部脂肪囤積。為了滿足這5700萬位日本人的訴求,麒麟啤酒推出了Kirin Body FREE,這是一種無酒精啤酒味飲料,口感和啤酒差不多,但又有減少腹部脂肪的功能。麒麟啤酒的課題則是:如何鼓勵那些沒有喝過無酒精飲料的顧客來嘗試這款Body FREE?
象徵麒麟啤酒的麒麟小蹄子伸入畫面一角。拿著啤酒的小人,大腹便便。隨後,一口啤酒下肚,麒麟從畫面上一躍而過,帶來了清爽,也帶走了小人的大肚子。作為麒麟啤酒忠粉的topys君都想立馬下單,體驗一下喝了不會胖肚子的Kirin Body FREE。 松下廣告每個人都能通過“ AKARI”燈光看到他們的夢想
廣告課題:松下電器自2018年3月啟動“ AKARI”光明計劃,通過捐贈太陽能節能燈,將光明帶給更多的地區。不過這些節能燈不是買到的,捐贈者需要通過募集二手書和其他物品,用義賣的錢來購買節能燈。既幫助了貧困地區的孩子,又鼓勵了二手書市場的活化,這個社會項目可謂是一舉兩得。
夢想,對於孩子來說是什麼呢?通過學習,成為救死扶傷的醫生、教書育人的老師、飛向外太空的宇航員。對於參與“ AKARI”的讚助者來說,他們的夢想是募集更多的二手書,讓更多小朋友實現人生夢想。海報用影子勾勒孩子的夢想,傳遞了捐助者和被捐助者的雙層用意,讓人為之動容。 岩波書店x和y這種字去不了的地方
廣告課題:岩波少年文庫的《岩波日語詞典》自1963年首次出版以來已積累了900萬冊。最新版本,則著眼於日語現代化。它的訴求對象則是:中小學生及孩子的祖父母,以及想要提高日語能力的商人,鼓勵他們用日語打開通往未知世界的大門
如果讓你列舉日語學不好的理由,你估計會摔出一籮筐:片假名、平假名太難背了?顛倒的語序搞得我頭大?我年齡太大記性可不好?為了降低的學習的畏難情緒,這幅廣告的設計者可謂是腦迴路清奇,用一串拼貼畫(x和y這種字去不了的地方)為大家脫敏,把學數學和學日語的選擇題丟你面前。你來康康:這本字典裡沒有頭疼的數學X、Y公式,好讀的很。 emmm,好像有點道理吧。 資生堂安耐晒廣告
廣告課題:吸引喜歡運動的人使用安耐晒完美紫外線護膚乳。資生堂這個課題好像有那麼點簡單,但是廣告創意卻非常有看頭。
夏天過後,你最討厭點事情是什麼?不就是因為防曬不足,造成膚色不均。每一條白花花的印子,都是敢於直面太陽的勇士徽章,也是防曬不足的羞愧印章。插畫師洞察到這個生活細節,用顆粒質感的筆觸,將拖鞋印、bra印、手錶印,以及夏日炎炎的回憶丟給你:與其花一年時間去養白,不如防曬於未然!用安耐晒吧! ·第87屆每日廣告設計賞獲獎名單· ·最高獎SDGs×Uchimizu:夏日潑水節大作戰
·優秀獎
資生堂:安耐晒品牌廣告
麒麟啤酒:body free
超級推理雜誌月刊:月光
·鼓勵獎
岩波社:x和y這種字去不了的地方
資生堂:安耐晒廣告
久保田農機:在天空中飛行的久保田
久保田是一家賣農用插秧機、拖拉機的企業。 ·學生獎平凡社:平凡
天鹽:赤穗的天鹽
超級推理月刊雜誌:月光
用神秘符號寫的報紙是不是只有雜誌愛好者才能讀懂? 總統出版社:dancyu丹西美食雜誌
龜甲萬食品公司:醬油廣告
廣告主參與作品部
·最高獎
豐田汽車:企業官網
紅色字為企業官網的logo,無實際意義,這個網站實時更新關於豐田汽車的最新消息。
·卓越獎 三得利:BOSS咖啡 /人間如此美好,不是你活下去的理由嗎
五十鈴汽車:輕型“小精靈”卡車誕生60週年,無論多少歲都要重獲新生。
雅虎日本:日本換新年號了,有關詳細信息,請訪問雅虎網站。
·特別獎
資生堂公司:令和元年香水
·類別獎
日本煙草株式會社:表揚一下討厭抽煙的人吧!正因不同,所以才能互異共生。
食品/煙草/企業廣告
(犬猿の仲)日本傳統中,狗和猴子不和,被形容關係比較差,水火不相容。
FANCL公司:我不想吃藥。
家用產品/藥品/企業廣告
講談社:狼和山羊已經成為好朋友,人類呢?
出版/電影/娛樂/廣播/新年廣告
凸版印刷有限公司:我想讓女兒入讀這裡的小學,請問需要什麼手續?
汽車/工業/企業廣告
Cyber Agent:不是遺照,而是加入公司的證件照。
信息與通信/精密/電力/辦公機器/資深廣告撰稿人招聘廣告
星飛科技:涉谷站的忠犬八公雕像和它的故事。
旅行/交通/物流/服務/企業廣告
住友林業株式會社:平成年代之後的東西。
房屋/房地產/金融保險/法人廣告
東京平山校園:文化藝術團2020年春季OPEN。
政府機關/團體/教育/開幕廣告
·策劃獎
松下公司:每個人都能通過“ AKARI”燈光看到他們的夢想。
電器/公益廣告
·特別獎
味之素有限公司:烹飪是大腦訓練。
食品/烹飪課程廣告
BEAMS:屬於微笑灰姑娘的慶典。
製藥/家庭用品/ 高爾夫/體育廣告
聯合集英社:兒童,努力發展。
出版/電影/娛樂和廣播/元旦廣告
伊藤忠商事株式會社:幫助商家,走向下一個世界
汽車/工業/企業廣告
軟銀公司:我們一起走進新時代吧!
信息和通信/精密/電子/辦公設備/企業廣告
日本鐵路:您能走多遠?
旅行/交通/物流/服務/企業廣告
東京海上消防保險公司:保險源自冒險。
住房/房地產/金融保險/企業廣告
東京造型大學:新年快樂
政府機關/組織/教育/品牌廣告
實在搞不懂,機智的小伙伴可以分享一下你的看法?
人們不反感廣告,只是反感無聊的廣告。如果紙媒的廣告能像這些獲獎作品一樣可圈可點,我也願意天天讀報紙、看雜誌呀! *Article from TOPYS.com
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一家一館
老闆就是最佳的說書人
來老街,先到第一站的湖口老街旅遊服務中心拿張導覽地圖,按著圖參觀老街上有特色的一家一館,有吃有玩有可以逛的店家,如老街客家美食的傳統米食,餐廳則有百年歲月、及位在天主堂側的瑪納風味餐廳等,瑪納除客家菜外還有曾獲新竹縣十大伴手禮的辣椒醬<希望醬作>,與餐廳相連的瑪納庭園茶館,則有擂茶DIY的體驗。三元宮前的老街藝品柑仔店, 店內有各式各樣的藝品及兒時零嘴,相鄰幾間的木醋達人由一群年輕創業,展售萃取自樹木的天然清潔用品,甚至陸續新開開的創意小店,時間充裕都很值得入內參觀。而出了老街過了高速公路涵洞不遠處的八角紅樓,是間近百年的兩樓巴洛克式磚造洋樓,再繼續往湖新路就是牛車驛站、漢卿步道與金獅步道,腳程好喜歡踏青的朋友,別錯過老街的歷史人文、有特色的故事館、自然步道與茶園景觀。
老湖口天主堂文化館
西方宗教建築是老街上最好的起點,沿著階梯拾級而上是典雅高聳入天的建築,站在木門前會有種寧靜之感,教堂的二樓紀錄了天主教在客庄大窩口的歷史軌跡,文化館的鎮館之寶,則是滿思謙神父編纂全世界第一部的英客字典,絕無僅有,祭台右側則懸掛著大約是在1965年前後的布製中文聖祭經文,以工整的書法字抄寫彌撒過程重要的祈禱文。
國揚琉璃藝術坊
李國揚館長是現任玻璃協會的理事長,來自台南白河,十幾歲時就對玻璃的吹製感興趣而來到新竹,剛開始他先從學徒做起,學會掌握矽砂在高溫下與不同金屬產生色澤變化的特性、吹拉鑄造等不同技法,後來嘗試不同造型主題,逐漸走出一條玻璃工藝的路。現在館內陳列各式的玻璃藝品,欣賞晶瑩剔透的作品,耐得住高溫的朋友,可以在現場觀摩作品由無到有的過程,親眼見一只長形玻璃棒,在李國揚手上很奇妙地變身為一隻栩栩如生的馬、鬱金香花束等。
木石花園
保有紅磚門樓的木石花園,有個非常熱情的館長鄭榮次,他是老湖口人,曾在新北市板橋當過三屆里長,即使頭髮花白,只要走到門邊就可以感受到他邀請入館的好客,不難想見他過去熱心助人的佳評,後方一草一木的栽培更顯見他對此地的熱愛;館內展示了他畢生的收藏品,包括許多世界各地的朋友交流餽贈,以致於館內的收藏品超過三萬件,在眾多的物件裡,最讓鄭榮次驕傲的是從事藝術創作的兒子打造的台北101大樓之牆面門神彩繪作品。
花語烘培工坊
精於義大利麵的劉宇軒,原來在竹北有家餐館,受金融風暴影響最終選擇結束生意,以精緻的西式糕點重新出發,不加水、香料等人工添加物的起司條口味獨到,與平實價位的提拉米蘇是店內的招牌餐點,有興趣來到這裡,記得選購之餘,也聽老闆分享他對於甜點無師自通的勤實努力。
香草花園
老街上最美的翠綠的草坪,就在香草花園,經營花園超過十二年的羅志堯,是道地的湖口老街人,離開原來室內設計工程,整理老家之後就以太太拿手的幾樣料理開門做生意,有了基礎後以供應西式套餐、飲品等服務;除了開店,羅志堯也利用閒暇空檔與在地文史工作進行訪談調查,旁邊的白色小木屋,是他不眠不休耗時一個月打造,屋內陳列著一張張斑駁歲月痕跡的老照片,是關於老街的前世今生,對大窩口歷史與老建築有興趣的朋友,不妨來這,聽羅志堯聊聊他兒時趣事。
台富行芋香餅
店內最道地的點心是芋頭餅,揀選在地新鮮芋頭削皮製成內餡,顏色看似不鮮豔?是因為糕點師傅黃偉鴻堅持不加香料、色素,他與糕點的淵源自小就開始,黃偉鴻成長在老字號的關西糖果工廠,為了製作薑糖,他打從國中開始就跟著阿婆在深夜起床,用杵臼來搗碎老薑;然而,黃偉鴻剛結婚時並不是做糕點,而是載著一卡車的園藝樹苗到處販售,直到一回種樹過程受傷,為了謀生他才回到最熟悉的老本行「傳統糕點與糖果」,也才有了店內招牌商品「月光餅和芋香餅」的誕生,至於薑母糖、麥芝果、花生糖、芋香酥片及客家仙草,也都是黃偉鴻與妻子親手製作。
豆之味豆腐坊
黃學緯因為本身多年推廣有機農業及認證工作,在他的觀察中發現,黃豆的耕種是一種善待自然、環境永續的勞動實踐方式,所以他毅然決然投入豆製品的生產,摸索期間除了到日本琉球去觀摩之外,也參加台灣的「合樸農學市集」販售豆類製品,並在市集裡開設教學課程,一步步建立消費者對「豆之味」的認識與信任。現在只要到湖口老街,就能品嘗到黃學緯為大家準備的天然豆類製品。
小駐百貨
老街上的小駐百貨,大門門楣上有個老堂號「天祿堂」,店內的香粉香皂、陶瓷食器、玻璃容器、古早味玩具及糖果…應有盡有,每個懷舊小物,都像是很久以前就在架上、完好如初的陳設在老櫥櫃;經營小駐百貨的范振州來自新埔,他分享著家鄉的老街況味,聊著他在湖口老街找到相近的古老氛圍,於是,他辭去原來在科技廠的工作,選擇老街來實現夢想,這家復古懷舊百貨行就是他回歸家鄉的第一步。店內的食器、古早味的香粉香水及可循環使用的自然素材用具,是范店長推薦伴手禮的首選。
嶢品藝術
騎樓紅磚門柱旁復古味十足腳踏車,販賣的是芋泥、芋頭冰,一旁是店家嚴選的老街文創商品,門樓維持著老街建築式樣,每到假日人潮總是擠得滿滿,人手一盒的享用芋頭點心;��嶢品」是由黃騰嶢夫婦協力用心經營,一人負責空間與藝術創造,一人在美食發揮專長,他們在湖口老街一路從餐飲到生活美學藝術等不同型態的經營,累積十年經驗最後成功轉型為藝文空間,空間裡的藝術品與老物件在在呈現著生活的品味,即使不買館內陳列的藝術品或物品,也是個值得沉浸放空的好地方。
湖口風情
湖口風情原址的「復興戲院」是日治時期的郵便所,後來在1954年改建,主要是開放給當時的國軍裝甲部隊,連盛極一時的牛車順戲團、客家採茶戲班或雜耍賣藝都曾在此演出,後因部隊裡建了基地、捷豹兩間戲院分食客源,加上1960年的一場強颱將屋頂掀翻而歇業走入歷史;2008年起轉由「湖口風情」經營客家傳統美食,背後重要的推手是文物協會理事長的盧廷城與擔任大廚的太太,他從航空公司退休,協助太太共同經營,店內每道菜都是挑選新鮮食材料理,「客家獅子頭」還曾經在客家創意料理比賽得獎,開張至今,甚至有來自台北的客人每周按時來餐廳報到,六年如一日,是忠實的好主顧。歡迎來到老街上的「湖口風情」用餐,絕對可以品嘗到廚師用心的客家原味菜餚。
往新豐
湖口再往南是新豐,從竹塹地區的歷史發展來看新豐的紅毛港過去居舉足輕重的地位,舊名是紅毛鄉的新豐,因為紅毛港而得名,它曾經是荷蘭、清末福建廣東移民的登陸點,現在成了觀察學習紅樹林生態重要據點之一,鳳坑村的姜屋聚落是北埔姜家渡海到台灣的落腳處,對於墾拓歷史、客家傳統件建築有興趣的訪客,來到新豐除了自然生態、鳳崎晚霞外,還可走訪香火鼎盛的池府王爺宮及中崙村的三元宮。
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『ソウルメイツin中華街』
※あくまで二次創作であります。公式とは違いますので設定等変わっている所もあると思いますのでご注意くださいませ。
ACTORS二次創作ショートノベル
『ソウルメイツin中華街』
よく晴れた休日。陽太は珍しくスライヴセントラルを出て中華街まで来ていた。東門を出た後、近くを走るバスに乗ればすぐに中華街までたどり着く。人で溢れかえる賑わいの中、約束どおり延平門前で待ち合わせをしている。
普段スライヴセントラルから出る事が滅多にない陽太にとって中華街は初めてで、その賑わいが第七学区の商店街など比べ物にならない事に圧倒されていた。そしてこれまたお誘いなど初めての相手がもうすぐやってくる。陽太はまわりの風景を楽しみながらも、その待ち人を今か今かとそわそわしていた。
「遅れてすまん! ちょっと寝坊しちまった」
同じ路線のバスから降りてきた赤い髪の天翔学園の生徒が陽太のもとに駆け寄る。
「円城寺くんこんにちは!」
「ソウルメイトよ!」
待ち合わせ相手は三毛だった。三毛が陽太を誘って中華街に来るというのは珍しい話だが、彼を誘って出かけるというならば目的はひとつしかない。もちろんメンダコのマーチの購入である。よほど楽しみなのかテンションがいつもより高い。
「休日に誘って悪かったね」
「大丈夫だよ。僕も円城寺くんに誘ってもらって嬉しいよ」
「誘うなら陽太しかいないからね」
「本当に……中華街ってすごいね! こんなに人がいっぱいいるなんて。あと建物も独特でびっくりだよ」
陽太は嬉しそうにキョロキョロと辺りを見回した。
「陽太は中華街初めて?」
「うん。まだこっち来てからそこまで経ってないしね。特区の中をいろいろ散策するだけで手一杯かなぁ」
「ほかの学区まで見回ろうとするならかなり広いし時間かかるしなぁ」
「そうなんだよねぇ」
「じゃあとりあえず行く?」
「あ、そういや円城寺くんが教えてくれたメンダコのマーチ限定版ってどんななの?」
「中華街限定メンたん四聖獣バージョンな。白虎、朱雀、青龍、玄武を模したモンたんらしい」
「へぇ~面白いね」
「そんなに作ってないって噂だから今日中に買えないともう二度と手に入るかわかんねぇってさ」
「じゃあ急いで買いに行かないと……甲斐くんは待たなくていいの? 一緒に来ると思ってたんだけど」
「あいつは来ないよ。今家庭科室に篭ってカレー作ってる。新作思いついたとか言ってたな」
「休日なのに!?」
「カレーの事になると見境なくなるからな。ああなると完成するまで出てこないね」
「甲斐くんのカレー好きは筋金入りだね」
「ほんと意味わかんねぇ。美味いからいいけど」
「あはは」
「よしいこうか」
「うん。中華街って結構広いの?」
「それなりにね。だけどここはしょっちゅう来てるしそこそこ詳しいから案内は任せてよ」
「じゃあ僕は円城寺くんに付いていくよ!」
陽太と三毛のふたりは揚々と中華街に突入。人の群れを掻き分けながら、目的の品が売っている店に向かって歩いていく。赤と緑と金を基調にした装飾を施された大小の建物が並び、どの店にも多くの観光客が出入りしている。
キョロキョロとしている陽太を引率しながら三毛は細い路地に入っていく。その道は店の前に置かれた置物や荷物で溢れており、すれ違うだけでも窮屈そうだが、表通りに比べればかなり空いていた。
「三毛くんこっちでいいの? すごい道だなぁ」
「ああ、ここ抜けるのが近道なんだよ」
「こんな狭い道にもお店が並んでるんだねぇ。独特な匂いがするよ」
「ああ、それは八角の匂いだな。この路地は料理店向けの食材なんか売ってるんだ」
「へぇ。詳しいんだね」
「ここらに甲斐がカレーのスパイス買いに来てるんだよ」
「カレーなのに中華街��の?」
「東南アジア系の食材も揃ってるマーケットなんだってさ。そういうのならここに何でもあるって言ってたな」
「へぇ~面白いね!」
「この道抜けたらすぐの店だよ」
そういいながら三毛は路地から出た先の大通りに出ると、一際ひとだかりが出来ている土産店を指差した。その店には金の文字でドラゴンチャイナと英語で書かれた黒い看板がかかっており、店内にはさまざまな雑貨が所狭しと並んでいる。
「うわ人がいっぱい」
「ちょっとこれヤバいかも。売り切れてるやつあるかもしれない」
三毛は慌てて店に入り、限定版メンダコのマーチが置いてある場所を探す。 陽太も間もなく販売コーナーにたどり着いたが、そこでは三毛がしてやられたという顔をしていたため、よろしくない事になっていたのにすぐ気が付いた。
「三毛くんあった?」
「予想外だよ。玄武バージョンしか置いてない」
「あらら残念だったね」
「こんな速攻で売り切れると思ってなかったんだけどね。でもほかにも売ってる店はあるからまわってみよう」
「そうだね! コンプリート目指して頑張ろうね!」
そうしてふたりは残りの限定版を探すため中華街散策をはじめた。三毛は残りを見つけるため真剣な顔で探しまわるが、陽太は楽しくて仕方がないようで目新しいものを発見するたびに立ち止まり、三毛との距離が広がると急いで着いていくという事を繰り返した。
「陽太ぁ迷子になるなよ~」
「あ、ごめんね円城寺くん」
遅れ気味に歩いていた陽太が、謝りながら三毛に駆け寄る。
「中華街は初めてだとテーマパークみたいでわくわくするよな」
「そうなんだよね! 見た事ないものばかりでびっくりだよ」
「はは、それだけで誘ったかいがあったね」
「ホントありがとうね! でも残りまだ見つからないんでしょ? 僕はいいから円城寺くんが好きなように探してよ」
「たぶん、あそこに行けばまだあると思うんだよなぁ……あ、ここだここ」
三毛が陽太を先導しながらたどり着いたところには、土産屋ではあるが随分とこじんまりしていてあまり客入りがない店があった。
「この店、限定土産よく置いてるんだけどなぜかみんな知らないんだよね」
「詳しいねぇ」
「前に出た中華街限定版もここで買えたんだよ。でも必ず置いてあると限らないから」
「あるといいなぁ」
「えっと……メンダコのマーチは……お、あったよ!」
店に入った三毛はレジ横に置いてあった限定版メンダコのマーチを手に取った。彼の予想通りここにはそこそこの数が残っていたのだった。しかし満足する様子はなく、むしろ困ったような顔をする。
「よかったねこんなにたくさん残ってたよ」
「いやまだ一種類残ってる。朱雀と白虎はあったんだけど青龍がない」
「じゃあ限定版探しは続行だね」
「そうだね。ここまで来て諦めるなんて無理だよな」
「今度はどっちのほう探すの?」
「見つからないのに妙に嬉しそうだね」
三毛は陽太の反応にすこし笑ってしまう。
「あ、ごめんなさい」
「いやいいよ。揃ったら陽太の中華街散策も終わっちゃうしね。まだ見てまわりたいんでしょ?」
「あはは円城寺くんにはお見通しだね」
「見つかって時間残ってたら、今度は陽太の行きたい所いこう」
「ほんと!? ありがとう!」
「お願い聞いてもらってるんだし。当然だよ」
「僕も限定版欲しいから気にしないでね。そう思ってくれたから今日誘ってくれたんでしょ?」
「……さすがソウルメイトだけあるな!」
感動した三毛は照れる陽太の手をがっちり握ったのだった。
そしてふたりは引き続き、最後に残った限定版を探すため通りを練り歩いた。すでに目星を付けていた店はまわり切ってしまったため手当たり次第店内を覗いていく。
しかし望み薄の店しか残ってないためどこも当たり前のように置いておらず、かなり時間をかけて探したものの見つかることはなかった。
「さすがに足が痛いな……ちょっと休もうか」
中華街を隅々探しまわったためすっかり疲れてしまったふたりは、通りの中ほどにあった公園にて休憩する事にした。公園には中華風の東屋がありそこのベンチに腰掛ける。
「街の中にこんなところがあるんだね」
「ここで遊んだりするときはだいたいこの場所で休憩するんだよね」
「中華街って面白いねぇ。外国に来たみたい」
「陽太……見付けられなくて申し訳ない。さすがに諦めるしかないか。はぁ~コンプしたかった」
「人気あるからしょうがないよ。3種類買えただけで僕は大満足だよ!」
「陽太が寄ってみたいとこある? まだちょっと時間あるし」
「もう十分だよ。いっぱい見てまわったからね」
「じゃあ甘いもんでも食べて帰ろうか」
「うん。ゴマ団子とか食べたいなぁ。あ、月餅お土産に買ってこうかな?」
「そうだね。甲斐にも買っといてやるか……おっ!?」
「スイーツの名を言う聞き覚えのある声がすると思ったら円城寺ではないか。それに光司も一緒か」
三毛が立ち上がろうとすると、背の高い長髪を束ねた男性が近づいてくるのに気付く。そして彼はふたりが何か言おうとする前に話しかけてきた。
「鳴子くんじゃない?」
「こんにちは! こんなところで偶然だね!」
「新作スイーツのチェックをしに来たんだが、お前たちも食べに来たのか?」
「目的は別のものだったんだけど買えなかったから甘いものを食べて帰ろうかと思ってね」
「ふむ。何を買おうとしてたんだ? スイーツの事なら協力できるかもしれない」
「僕らはメンダコのマーチの中華街限定版を買いに来たんだよ」
「今日発売の四聖獣バージョンなんだけどもう売り切れててね」
「ん? そのスイーツなら今朝買っているぞ」
「マジか!?」
「ああ。今回の限定版は杏仁豆腐味ということだからな。気になっていたから朝一で入手したぞ」
郁は鞄の中からメンダコのマーチを取り出し取り出しベンチに置く。それを見た三毛の目が見開く。
「ああああ青龍メンたん!」
三毛がパッケージに書かれた絵に激しく反応した。それもそのはず、郁が買ったメンダコのマーチは、いくら探しても見つけられなかった最後の一種類だったのだ。
「ん? もしかしてこのキーホルダー目的だったのか? ならあげるよ。俺はスイーツにしか興味がないからな」
「サンクス! 恩に着る!」
「円城寺くんよかったね。これでコンプできたぁ」
「いや、これは陽太が貰っておいてよ。メンたん好きなんだし」
「でも……一生懸命探したのは円城寺くんだから」
「なんだふたりとも欲しかったのか。それを早く言ってくれ。同じものがあるかもしれない」
郁はまた鞄をまさぐるとメンダコのマーチを何個か追加で並べる。そして期待を込めて見つめていると、ふたつめの青龍メンたん入りの箱が出てきた。
「よっしゃ! もう一個あった!」
思わずガッツポーズする三毛。
「これでふたりともコンプできたね! 鳴子くんありがとうね!」
「よかったな。ならそのお祝いに俺と新作スイーツを食べに行かないか? 味は保証するぞ」
満面の笑みを浮かべたふたりの姿に満足したか、にやりとする郁。
「ああ! ぜひ行こう」
完全に元気を取り戻した三毛がそう応え、3人となった一行は足取り軽く公園を後にしたのだった。
END
前回に引き続き三毛がまた登場しましたが、もともと陽太と三毛のエピソードを書こうと思っていたことの方が先でして、前回の三毛登場がイレギュラーなんですよ。ソウルメイトというぐらいの仲なのにそれをクローズアップしたエピソードって自分が手がけた頃はなかったですからね。三毛を地の口調にしようか迷ったのですが時系列が適当なのでそこはやめときました。ただ、時間が経てば間違いなく素を出せる関係になれるでしょうね。
また郁が休日にスイーツ探訪するのもエピソードとして書いてみたいものだったのでミックスしてみました。郁と陽太三毛がどのぐらい交流していたのかってのは当時見せてなかったと思います。なので軽い友人程度には互いを知っている程度のポジションにしてみました。まぁ二次創作ですから何でも出来ます(笑)
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