#新田荘歴史資料館
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太田市の歴史公園で紅葉を見てきました。
新田荘歴史資料館の2週間前には緑だった木も、しっかり紅葉していました。
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夏旅2023 庄内散策 - 山居倉庫・本間美術館
今回は、台風によるフェーン現象で酷暑となった山形県庄内地方へ出かけてみました。最初は酒田へ。
新潟からの特急いなほ にて酷暑の庄内地方 酒田に到着。駅から出た瞬間の日差しにくじけそうになりました… なるべく日陰を探しバス乗り場へ。酒田市のコミュニティバス るんるんバスに乗り込み15分ほど、山居倉庫へ。料金は一律200円、Suica等の交通系ICカードは使用不可なので注意。
米どころ庄内における米の積出港としてにぎわった酒田。米保管倉庫として明治期にたてられたのが酒田のシンボルでもあるこの山居倉庫。フォトスポットとして有名なのが、夏の高温防止のため倉庫の裏地に植えられた樹齢150年以上のケヤキ並木。土蔵造りの倉庫と日差しに照らされ青々と輝く並木、抜けの良い石畳の道の組み合わせが実に趣がありますね。
9棟の倉庫の一部は現在、観光物産会や庄内米歴史資料館としてにぎわっています。
山居倉庫から徒歩1キロ弱、次は本間家旧本邸へ。酒田の豪商として地域社会の発展に努めた本間家のお屋敷。幕府巡見使一行の本陣宿として建造された後、本間家代々の本邸として使用されたとの���と。現在は観光施設として一般公開、古いお屋敷好きとしては欠かせないスポット。
さらにもう1.5キロほど歩いた先、美しい庭園を望む別荘 清遠閣が佇む本間美術館にも足をのばしてみます。酷暑とはいえ風がやや強いことが幸い、日陰を探せば比較的 快適に歩けました。本間美術館は戦後の荒廃した時期に、地域の復興・活性化と芸術文化の向上の資することを目的に本間家が設立した私設美術館。本間家に代々伝わる貴重な収蔵品を見学した後、お庭へ。鶴が舞い降りたことから「舞鶴園」と名づけられた庭園。この美しいお庭は隣接する清遠閣から眺めてみるのがおすすめ。心地よい風を受けながらのんびりと流れる時間を満喫しました。
昼過ぎに酒田に到着し、美術館の最終入場が16:30と、なかなかにせわしない旅路でしたが、ボッチ特有の歩く速さ(バスを待つより歩いたほうが早いときは歩き)で時間を稼ぐことで、一通り酒田の街を楽しめました。夕方の電車で鶴岡へ移動、翌日の散策に備えます。
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10月30日〜31日と群馬方面に
新田荘歴史資料館 → 沼田のキャンプ場 → 吹き割の滝 → 榛名湖
紅葉にはちょっと早かったけど「吹き割の滝」はそれなりの迫力がありました。
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々…… 1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。 いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあっ��マンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり��方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。 ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。 ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。 当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。 ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。 夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。 その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。 辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。 そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。 さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。 ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4 持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代 当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。 ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラック���ンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。 さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン ガ 誌 時 代 に 突 入 実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。 初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描か��いでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~ 後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。 この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒った���ャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~ 上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。 「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~ 久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録] エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。 この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~ この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々] この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの���は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ] この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~ なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。 この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。 この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~ 美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。 掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中] この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3 ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。 この頃のめぼし���短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド! 本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して��となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~ 「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。 またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~ くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院���業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結 前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。 10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~ この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。 「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。 「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~ さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~ 「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。 TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。 この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~ ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。 短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ! 「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~ この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。 「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3 「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦���」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。 この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。 いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。 この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンショ��・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない? この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5 ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきた���のの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。 ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。 この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~ 美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。 「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。 「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」] 「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7 同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。 今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。 さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。 今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語] こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・ 燃 え よ ペ ン ! なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
http://www.rx.sakura.ne.jp/~dirty/gurafty.html
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📸廣瀬淡窓旧宅・隠宅庭園 / Hirose Tanso Residence Garden, Hita, Oita ――“天領日田”で有名な国の重要伝統的建造物群保存地区“日田市豆田町”の路地裏に残る、“三大詩人” #広瀬淡窓 の旧宅の庭園。国指定史跡。 大分・廣瀬淡窓旧宅・隠宅庭園の紹介は☟ https://oniwa.garden/former-hirose-tanso-house/ ........ 「広瀬淡窓旧宅」は“天領日田”で知られる大分県日田市の国の重要伝統的建造物群保存地区“日田市豆田町”の中心部にある、江戸時代の儒学者/詩人で『咸宜園』を開いた廣瀬淡窓の旧宅🏡 「廣瀬淡窓旧宅及び墓」として国指定史跡、日本遺産『近世日本の教育遺産群』にも構成。先に紹介した日本遺産『咸宜園』と同じく今年2月に訪れました! . 『咸宜園』を開いた広瀬淡窓は日田・豆田町で江戸時代初期から続く有力商家に生まれ育ち、その環境の中��頼山陽や菅茶山と並び“三大詩人”と称される文化的センスを磨き、また塾経営の支えにもなりました。 . “魚町通り”を挟んで“北家”と“南家”に分かれ、合計約2,000m2の敷地に建つ廣瀬家(広瀬淡窓旧宅)。 このうち“北家”は主に江戸時代後期に建立された主屋・新座敷・土蔵によって構成され、『廣瀬資料館』として一部を一般公開(*ですが、2023年まで保存工事のため休館中。ほんとはこちらにも庭園が)。 . 近年開放のはじまった“淡窓の歩いた路地”を抜けた先にあるのが「廣瀬淡窓旧宅南家」。 淡窓の弟で、家業を継いだ六代目広瀬久兵衛の隠宅として主に用いられた空間で、建築も1850年(嘉永3年)頃のもの。 . “隠宅”の南の側面は雨戸など現代っぽくなっているけど、北側は庭門〜“竹韻”の額の掛かる玄関へと至る園路にも目がいく数寄屋風の空間で、豊後岡藩や筑前秋月藩から宗匠を招きお茶の稽古などをされていたそう🍵 . 庭園も建築と同時期に作庭されたもので、南側には用水路を園池として取り入れた“流れの庭”が、東側〜北側には露地風の庭園が広がります。 廣瀬淡窓も花見などたびたび訪れ、長崎の南画家の木下逸雲もこの庭園をモチーフに絵画を描いたエピソードも残るとか🎨(なお庭園を歩きたい場合は、事前に資料館に申し出れば可能とのこと。今回は休館中だったので外からの眺めだけ…) . 旧宅から南へ徒歩5分程の場所にあるのが広瀬家の墓所『長生園』。先に国指定史跡になっていたのは旧宅ではなくこちら。 元は広瀬家の別邸があった場所を淡窓が広瀬家の墓所と定め、後に淡窓自身やその後を継いだ塾長・広瀬旭荘、広瀬青邨、広瀬林外らの歴代塾主👨🏫の墓所も置かれました。あわせて立ち寄ってみて。 ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #建築デザイン #庭園 #日本庭園 #庭院 #庭园 #kyushutrip #大分旅行 #大分観光 #九州旅行 #日田市 #重要伝統的建造物群保存地区 #日本遺産 #国指定史跡 #小京都 #古民家 #おにわさん (廣瀬資料館) https://www.instagram.com/p/Ceuz3Duv0L-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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歴史公園の紅葉を見てきました。
ここは、歴史公園の中の新田荘歴史資料館の庭。色々な木の紅葉が見られて楽しいのです。
私のお気に入りの木は(1枚目の手前の木)、まだあまり紅葉していませんね。
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2022/5/12 (木) - 柳生
起床。熱は36.8度。
今日はガイドグループの研修(兼定例会)。37度を超えていたら参加を見合わせようかと思っていたが、ギリギリで回避。実際、関節の痛みがなくなって、動くには問題ない。ただ、病み上がりのだるさのようなものはある。頭もまあまあボーッとしている。
母、デイサービス。母の迎えと同じタイミングで、自分も家を出た。 今日は雨。今のところ、大した降りではない。
研修先は柳生だ。 歴史や地理に詳しくない方だと、「柳生一族の陰謀」やらで、柳生家は江戸幕府の近所みたいなイメージが何となくあるんじゃないかと思うが、柳生一族がいたのは奈良なのだ。かく言う自分も奈良に来るまで知らなかったが。
奈良駅からバスに乗って一時間ほどのところ。バスに乗り込んで10分も経つと、田舎の山中といった様相になった。ただ、今日は雨が降っていたので、車窓から眺める風景がなかなか良かった。晴れてクリアな風景も悪くはないが、雨ふりだと風景に変化が伴い、今の季節だと新緑も映えて、実によろしい。
バスから降りると、カエルの声が至るところから聞こえてくる。まだ体が小さいのか、少しキーの高い軽やかな音。うん、良いな。雨の日の研修も捨てたものではない。ワクチンの副反応上がりだが、来て良かった。
久しく出番がなかったGPSロガーだが、YAMAPを起動して、今日の行程の記録を開始する。…もっとも、記録開始のボタンを押したら放っておくだけだが。
行程は、旧柳生藩家老屋敷→摩利支天碑→柳生八坂神社→歯痛地蔵→陣屋跡→天乃石立神社→一刀石→芳徳禅寺→柳生家墓所。柳生観光協会の方に、ガイドをお願いしている。
家老屋敷は山岡荘八が一時期所有していたことがある。そして実際に住み、大河ドラマの原作を執筆していたりもする。…知らなんだ (今回、何も予習せずに臨んでいる)。
摩利支天碑。最近のもので、建立の際に千葉真一が来てくれたそうな (柳生一族の陰謀つながり)。
摩利支天碑は小高いところにあり、眺めが良い。手前の建物は廃校になった中学校で、現在はコスプレ撮影会場やドローンの飛行練習場所になっているそうな。
歯痛地蔵。人徳も商才もある人物が、それ故に謀略に嵌められ、処刑されてしまう。そのとき「三年で柳生を灰にする」と言い残した。果たして三年後の最後の一日、柳生家の陣屋が焼け、灰となった。その亡き霊を鎮めるため、彫られた地蔵。…でも、何で「歯痛」なんだろう (聞くのを忘れた)。
天乃石立神社。一刀石に行く手前にある、巨石がご神体の神社。一刀石よりも神々しい。後ろ姿はちょっと猫っぽいシルエット。
芳徳禅寺。柳生家の菩提寺。開山は沢庵和尚。資料館が併設され、柳生関連の古文書や武具などを見ることができる。新緑が美しかった。
柳生家墓所。少し変わった形の墓石。とっくり型の墓石に、酒樽型の台座、手前の盆はお猪口型という、なかなか振り切った墓もある。
柳生家墓所から急な坂道を下って、スタート地点の柳生バス停付近に戻る。 バスを待つまでの間に、十兵衛食堂というバス停近くのお食事処で昼食。とろろ定食を頼んだ。美味しい。店屋物の類は安くて、天ぷら丼550円とか。鬼滅うどんという、なかなか興味そそられるメニューもあった。
帰りのバス。研修中、歩いているときは気にならなかったが、帰りのバスではさすがに疲れやだるさを強く感じる。 でも、参加して良かった。柳生はいいところだった。
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新型コロナ。5/12午前 (日本時間) の時点で死者数増加が、アメリカ230人弱、インド24人、ブラジル120人強、ロシア100人弱、メキシコ記載なし、イギリス記載なし、フランス100人弱、イタリア120人弱、ドイツ230人弱。 世界全体での今日1日の感染者数は、577,000人弱の増加。
日本では、今日一日で感染者41741人増加、死者32人増加。感染者数は、東京4216人、大阪3290人、神奈川1841人、愛知2373人、福岡2424人、北海道3176人、沖縄2330人。奈良の感染者数は467人。 (出典: Worldometer、NHK)
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2022年4月28日
漫画「ゴールデンカムイ」連載終了 世界にアイヌ文化広めた8年(毎日新聞)
単行本29巻で累計発行部数1900万部を突破した野田サトルさん原作の人気漫画「ゴールデンカムイ」(集英社)が、28日発売の週刊ヤングジャンプ22・23合併号で約8年間にわたる連載に終止符を打つ。魅力的なキャラクターによる冒険活劇が先住民アイヌへの関心を高めた功績は、各方面で評価されている。
高い画力 スリルとアクション
連載は2014年8月に始まり、明治末期の北海道や樺太(サハリン)が舞台。日露戦争の帰還兵である「不死身の杉元」こと杉元佐一とアイヌの少女「アシㇼパ」が、敵対勢力と戦いながら金塊を探し求めるストーリーだ。書店員など漫画ファンの投票で決まる16年の「マンガ大賞2016」で1位に輝いて一層人気が高まり、アニメ化にとどまらず、実写映画化も発表された。
高い画力で描かれた個性的な登場人物が織りなす、息もつかせぬスリルとアクション。躍動感ある展開はファンを増やし、アイヌが主題ではないにもかかわらず、コメディー要素を織り交ぜながらアイヌの風習やグルメ、言葉などを随所にちりばめたことで、振興が課題となっているアイヌ文化への関心を飛躍的に高めた。作品に登場する土地などを巡るスタンプラリーが実施されたこともあり、アイヌや作品ゆかりの地を巡る「聖地巡礼」が読者の間で広まった。
ふらり訪れた男性、「野田サトル」のサイン
アイヌ文化を受け継ぎ、文化施設などが点在する北海道平取町二風谷(にぶたに)も聖地の一つ。伝統的な技法や文様を取り入れて斬新な作品を生む木彫家、貝澤徹さん(63)の「北の工房つとむ」にも全国からファンが訪れる。貝澤さんは「漫画の影響で若い人や家族連れのお客さんが多くなった。ゴールデンカムイに携われてうれしかった」と話し、作品との縁に思い出を巡らせた。
15年6月、野球帽にリュックを背負った男性が、タクシーでふらりと工房を訪れた。聞くとアイヌが登場する漫画を描いていると言い、彼らの暮らしに欠かせない細かな文様の入った木彫のマキリ(小刀)を「作ってください」と依頼された。「サインを送ってくれたらね」と気さくに返すと、注文書に「野田サトル」のサインを書いて、立ち去った。
後日、改めてサインを添えたイラストがすぐに届いた。貝澤さんがお返しに彫ったマキリは、ゴールデンカムイの登場人物の所持品として作中で描かれ、単行本の表紙にもなった。野田さんからは礼状が届き、その後は「同じ物を」と注文するファンが続いた。反響は大きかった。
アシㇼパ、ロンドンに立つ
アイヌ文化の発信で、貝澤さんには忘れられない光景がある。英国・ロンドンの大英博物館で「マンガ展」が19年に開かれ、貝澤さんも野田さんに誘われて現地を訪れた。荘厳な建物の正面に、展覧会の象徴に選ばれた巨大なアシㇼパのイラストが飾られていた。マキリを腰に下げ、装束をまとうアシㇼパの姿を見て、「このマンガがアイヌ文化を世界中に広めることになった」と心が震えた。
大英博物館には貝澤さんの木彫も収蔵されており、二重の喜びだった。「野田さんは『命を削って描いている』と言っていた。僕は木を削るが命は削っていない。漫画の世界や力は本当にすごいと感じた」。サイン色紙やグッズが並んだ工房で、目を細めた。
専門家「正確な描写、魅力的なキャラクター」
アイヌ文化に詳しく、ゴールデンカムイの監修を担当した千葉大名誉教授の中川裕さん(66)もこれまでになかった波及効果に目を見張る。アイヌに対する差別や偏見の歴史を背景に「映画もテレビも漫画も、批判を浴びる可能性などからアイヌを真っ向から扱うのを危ぶむ傾向があった」と指摘しつつ、連載を契機にアイヌ書籍の出版や特集番組の放送などが相次いだ点に触れ「エンターテインメントでアイヌの存在を意識したことがない人たちに興味を抱かせ、身近なものに引き寄せた」と評価する。
中川さんは連載開始直前の14年6月に野田さんから監修を依頼された。第1話の原稿を読み、「アシㇼパの絵を見たらアイヌの描写が正確だった。こんなに魅力的なキャラクターが登場するのは喜ばしいし面白そうだから、ぜひ一役買いたい」と快諾。言葉や生活様式などに助言し、登場人物の名前のアイデアも出した。中川さんは「ものすごい量の情報を選別して作品に仕上げていた。それを8年間、週刊連載で続けたのは大変だったと思う。普通の人はできない」と、野田さんや編集者をたたえた。
大学での授業や講演会などで、作品の人気とともにアイヌへの関心が高まる様子を肌で感じた中川さん。アイヌの文化振興や権利保護に向け「関心を持った人をこれからどう引っ張っていくか。アイヌに関わる全員が考える必要がある。私自身も情報を発信し続けたい」と話した。【谷口拓未】
インド警察、いけにえの少女救出 「秘宝」ほしさに父親ら計画(AFPBB)
【4月28日 AFP】インド西部マハラシュトラ(Maharashtra)州で、娘(18)をいけにえとして生き埋めにすれば秘宝が見つかると信じて実行しようとした男が逮捕された。警察が27日、明らかにした。
同州ヤバトマール(Yavatmal)地区警察のディリップ・ブジュバル・パティル(Dilip Bhujbal Patil)署長によると、警察はこの少女の友人から通報を受け、男がヒンズー教の僧侶1人を含む共犯者8人と儀式を行っている現場に急行。すんでのところで少女を救出し、9人を現行犯逮捕した。
パティル氏によると、少女は儀式が始まる1時間前に男が計画について話しているのを耳にし、殺害される恐れがあると友人に伝えた。男は儀式の前日、少女を生き埋めにするための穴を自宅の庭に掘っていた。
9人には殺人未遂の容疑が掛けられている。男はさらに、別の娘に対する性的暴行の疑いでも捜査対象となって��る。
インドにおける人間のいけにえに関する公式統計はないが、同様の儀式で毎年多数の子どもが殺害されている。
【本日 (4/28)の広島県内の感染状況】(広島県)
GW来客大幅増に期待と懸念 厳島神社の宮島で予約満室「今年こそ」(朝日新聞)
最長10連休のゴールデンウィーク(GW)が29日から始まる。行動制限がかからないGWは3年ぶりだ。広島でも多くの旅行・帰省客が見込まれ、観光関係者の期待は膨らむが、連休明けの感染再拡大のリスクも懸念されている。
「大型連休は、楽しんでお過ごしください」
26日夜。広島県の湯崎英彦知事は記者会見でこう書かれたフリップを掲げた。「『県外に出ないで下さい』とか『県外から来ないで下さい』と言う必要はいまはない」との認識を示した。
実際に県外往来は大幅に増えそうだ。コロナ禍前の水準には回復していないが、GW期間中の山陽新幹線の指定席予約数(25日現在)は前年同期比で328%。広島空港発着の羽田便の予約数(22日時点)も全日空が同138%、日本航空が同239%に達した。
広島市中心部で5月3~5日に開かれる「ひろしまフラワーフェスティバル」は3年ぶりに観客を入れたステージイベントを実施。平和記念資料館もイベント期間中、閉館時間を午後8時まで2時間延長する。
県外客の多い観光地・宮島も盛況だ。旅館「錦水館」とホテル「宮島別荘」を営む会社によると、一昨年は緊急事態宣言で休館、昨年は約85%の客室稼働率だったが、今年は29日~5月4日、予約で満室という。総支配人の志熊聡さん(59)は「今年こそ頑張ろうという思いだ。夏から秋にもお客に来てもらう糸口ができれば」と意気込む。
世界遺産・厳島神社の参道で、もみじまんじゅうなどを販売する「菓子処きむら」の店主木村力さん(76)も「これまで売り上げが(コロナ禍前の)5割を切る月も多かったが、花見の時期から人は増えてきた。GWもそのままの勢いで行ってほしい」と言う。
しかし、往来の増加が「第7波」につながるとの懸念もある。昨年はGW後に新規感染者数が急増し、5月16日から県内に緊急事態宣言が発令された。今年に入り、感染力が強いとされる「BA.2」への置き換わりも進んでいる。
県は観光の割引キャンペーン「やっぱ広島じゃ割」の期限を4月下旬から5月末まで延長すると決めたが、29日~5月8日はGW期間中の感染拡大を抑えるという国の方針に従って対象外とした。ワクチン接種やPCR検査の会場は大型連休中も開設��る方針だ。湯崎知事は「大型連休後に少し感染が増えてしまうことはやむを得ない。大きな波にして医療逼迫を起こさないためにしっかりと感染対策をお願いしたい」と話した。
北海道・知床半島沖で観光船が行方不明になった事故を受け、中国運輸局などは27日、広島県内の旅客船の緊急点検を行った。瀬戸内海の多島美で知られる広島では船による観光が人気で、運航会社が多数ある。
この日は担当官5人が宮島を周遊する小型旅客船「もみじ」(定員72人)で救命胴衣や運航前の点検記録、非常時の連絡手順などに問題がないことを見て回った。運航会社長の沖本広重さん(43)は「他人ごとじゃない。身が引き締まる思い」と語った。
海保の拠点から距離のある知床では、救助ヘリの到着に時間を要した。第6管区海上保安本部(広島市)によると、瀬戸内海では広島航空基地からヘリで潜水士を派遣し、福岡県の北九州航空基地などからも機動救難士を出動させる段取りだ。天候や機材状況で変動するが、救助ヘリが「おおむね1時間以内」(担当者)に到着できる態勢を取っているという。(松尾葉奈、大久保貴裕)
東京都 新型コロナ 新たに5394人感染確認 先週より1300人余減(NHKニュース)
���保組合7割赤字 全体赤字額2770億円 来年度以降急激な悪化か(NHKニュース)
大企業の従業員らが加入する健康保険組合の今年度の収支は、前の年度から2000億円余り改善するものの、全体で3000億円近くの赤字となる見通しです。健保連は、来年度以降は、高齢者の医療費を賄うための拠出金の増加に伴い、急激な財政悪化が予想されるとしています。
全国およそ1400の健康保険組合で作る健保連=健康保険組合連合会は、各組合の今年度予算を集計し、その結果を公表しました。
それによりますと、全体のおよそ7割に当たる963の組合が赤字となる見通しで、組合全体の収支は2770億円の赤字となると推計しています。
昨年度予算と比べると、2259億円収支が改善する見込みで、健保連は、新型コロナの感染拡大による受診控えの影響で、高齢者の医療費を賄うための拠出金が2080億円減ったためなどと説明しています。
一方、来年度以降は、高齢化が一層進展することに加え、受診控えの反動で拠出金が再び増加する可能性もあり、急激な財政悪化が予想されるとしています。
健保連の佐野雅宏副会長は記者会見で「まさに一時的かつ極めて異例な拠出金の減少だ。いったん減った拠出金のリバウンドを含めてどうなっていくか、新型コロナの感染状況なども合わせて見ていく必要がある」と述べました。
オミクロン株の新たな変異ウイルス、国内初確認 海外未報告(毎日新聞)
仙台市は28日、新型コロナウイルス変異株「オミクロン株」の新たな変異ウイルスを確認したと発表した。第6波の主流の「BA・1」とその派生型「BA・2」で遺伝子情報の組み換えが起こっており、国内で初めて見つかった。4月11日に空港検疫で見つかった両者の組み換えの「XE」とは異なるという。
市によると、感染者は3月下旬に発熱で受診し、既に療養を終えた。年齢や性別は明らかにしていない。海外への渡航歴はなかった。市や国立感染症研究所(感染研)でのゲノム(遺伝情報)解析で、新たな組み換えウイルスと判明した。市は同時期の陽性者についてもゲノム解析したが、同様の事例は検出されなかった。市は今回見つかった組み換えウイルスについて「市中感染を疑わせるものはない」としている。
組み換えは、遺伝子配列が異なるウイルスが人の体に同時に感染して起こる。世界ではBA・1とBA・2や、アルファ株とデルタ株などによる組み換えが複数報告されている。XEは感染者が増えるスピードが約1割早いとの報告が英国である。
国立感染症研究所によると、今回見つかったのは、XEなどで確認されている組み換え場所とは異なり、感染の足がかりとなるスパイクたんぱく質で組み換えが起こっている。国際的な研究者のネットワークではまだ報告されておらず、感染力や病原性への影響も不明だという。
現在、日本ではBA・1からBA・2への置き換わりが進んでいる。感染研の斎藤智也・感染症危機管理研究センター長は「異なる系統のウイルスが同時に流行している時には組み換えが起きやすい。国内で組み換えが起きても全く不思議ではないが、国内で起きたか海外から持ち込まれたかは判断がつかない」と指摘した。【金秀蓮、小川祐希】
オミクロン株の新たな派生型、ワクチンすり抜ける公算大-南ア研究者(ブルームバーグ 4月29日)
新型コロナウイルスのオミクロン変異株で、南アフリカの科学者が今月発見した新たな派生型はワクチンや以前の感染で獲得した免疫をすり抜ける能力を持っている可能性が高い。この派生型に関するリポートを発表した遺伝子配列解析チームのトップが語った。
南アのクワズールー・ナタール大学とステレンボッシュ大学の複数の研究所から成るチームのトップを務めるトゥーリオ・デオリベイラ教授は、新たな派生型「BA.4」と「BA.5」は、先に見つかった「BA.2」よりも感染力が強い様子だと説明。「BA.2」も従来のオミクロン株に比べ強い感染力を持つ。
南ア市民のほぼ全員が、ワクチンを接種済みか過去に感染歴がある。それにもかかわらず感染者数が現在増えているのは、これらの派生型が単により強い感染力を持つだけでなく、免疫を突破する能力があるためだと考えられると、デオリベイラ氏は指摘した。
デオリベイラ氏は「この派生型には免疫のすり抜けを可能にする変異」があるとの考えを表明。「この派生型は再感染を引き起こす恐れがあり、一部のワクチンを突破する能力を持つとみている。人口の90%以上が一定の免疫保護を得ていると考えられる南アで、感染が広がるのはそれ以外に説明が付かない」と述べた。
同氏はまたツイッターでの投稿で、現在の南アの新規感染ではこの派生型が約7割を占めると明らかにし、「『BA.4』と『BA.5』で感染件数は増えているが、入院者数と死者数の大規模な発生にはつながっていない。それがこの派生型に関するわれわれの中心シナリオだ」と見方を示した。
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迷ったら中米に行こう!~戦々恐々とコスタリカを旅する~
20代最後の夏に思い切って中米コスタリカへ行きました。
幼稚園からの友人が海外協力隊として現地で活動しており、彼を頼りに8月10日から16日の1週間、初一人海外へ出て行きました。
コスタリカで見たものや経験はどれもみずみずしく新鮮なものばかりで、この気持ちが少しでもフレッシュなうちにメモを残しておきたいと考え、帰国の途につくコスタリカサンホセ空港にてキーボードを叩き始めました。(が結局書ききれたのがだいぶ後になってしまいました汗)散文的な内容になることを恐れずゴリゴリ書いていこうと思います。
【コスタリカの概況】
言語はスペイン語。国教はカトリック。そのため街の要所には教会が立ち並んでいる。
コスタリカの歴史は基本的にはスペイン人統治時代から始まり、それ以前の先住民の歴史的、文化的な遺産などの観光資源に乏しいのが現状。
しかし、先住民たちが森を切り開き巨大な文明を築かなかったことと恵まれた気候から自然が非常に豊かで九州と四国を合わせた程度の国土面積に、地球全体の5%もの動植物が存在すると言われている。
国はこの点を自国の観光資源として捉え、国土の多くを国立公園として保護し、その自然の中を探索する『エコツーリズム』を世界に先駆けて始めた。これが世界に受け入れられ、それまで農業依存だった国の経済構造を好転させた。
そのほかにも軍隊を持たない平和国家として、軍事費に充てていた費用を教育や医療、再生可能エネルギーなどに投資し、前述のエコツーリズムに加え、中南米で屈指の教育、福祉、自然エネルギーの国として強い国家アイデンティティを保有している。(日本も見習いたい)
街の観光地はどこもごみが少なく、水道水も飲めるのは中米に限らず世界的にも希少な国のひとつではないだろうか。
【コスタリカの人々】
・観光地のガイドからUberのドライバー、クラブに来ていた若者に小学生まで様々な人と触れ合ったが総じて気さくで穏やかな人が多かった印象。車の運転もアジアなどに比べても丁寧な感じだった。
・観光地やホテルでは英語を話せる人が非常に多いため、スペイン語が苦手でもガイドを受けたり簡単なコミュニケーションは十分可能(ただし自分は英語もできなかったため状況は変わらなかった)
・中米の中で治安が良く経済が安定していることもあり、多くの移民が存在し、とくに貧しいニカラグア人が市街地でホームレス化している現状が社会問題となっている。そのほかにも社会情勢が不安定なベネズエラ人なども目立った。
私のコスタリカ旅行
友人が1週間のバカンス休暇を取りほぼ土地勘もコミュニケーションもできない私にほぼ24時間付き添ってくれて様々な場所に行かせてくれました。
現地で撮った写真を見ながら適当な順番と粒度でコスタリカについて語りたいと思います。
1.市街地の風景
成田からヒューストンを経由し、サンホセ空港に到着。
駅からバスでサンホセ市街地へ出て街を散策。初めての中米だが、町の雰囲気は東南アジアとも近い印象。首都ということもあり、おそらく単純に国の経済力、発展度によって似た雰囲気の街が出来上がってしまうのかもしれない。(日本も昔はこうだったのかも)
市街地には人通りが多い。また、路上に座り大声で物売りをする人も多く見かけたが、友人曰く彼らはニカラグア移民だとのこと。あまり近づかないようにした。
2.食事
「コスタリカの食事はマズイ」と友人から聞かされていたため戦々恐々として乗り込んだものの、総じておいしかった。ただし、値段の割に(というか高い店に限って)全くおいしくない店もあり、その辺はどんな店でも一定のクオリティは保っている日本の外食店文化のありがたさを感じた。
<上流国民編>
初日夜は友人の現地の友達で日本に留学経験もあるというコスタリカの方とコスタリカの中ではちょっとハイソな街で夕食。とてもいい方たちだった。
写真は2件目に行ったビールバー。クラフトビールの飲み比べができた。
※ここに関わらず外食費は総じて日本よりやや安いものの大きな差はなく、中米の中では非常に高いとのこと。家族を大事にし、家での食事を重んじる国民性があるとはいうものの、平均月収が日本の数分の一ということを考えると外食はなかなか大変な出費になるのだと思う。
山でのレジャーや森の散策を楽しめるモンテベルデ自然保護区で止まったホテルの隣にあったレストラン。モンテベルデという土地柄もあり周りは外国の観光客だらけ。
キャンドルがあったりと店の雰囲気は日本の都会のおしゃれレストランさながらな雰囲気だったが、料理は10ドル弱、ワインもボトル15ドル程度となかなかのコスパ。そして味が抜群にうまかった。この旅の中でもトップクラスに満足した食事だった。
同じくモンテベルデでの食事。わかりづらいが、本物の大木をそのまま残し、その周りに3階建ての建物を巻きつける(?)ような特徴的な構造を持ったモンテベルデの有名レストラン。パスタは15ドル程度と結構お高め。
ただ申し訳ないが味がマズかった。4分の1程度しか食べれなかった。友人が「コスタリカの料理は味が薄い」と言っていたのはこれか!と納得。
その後パスタは宿へ持ち帰るも、部屋に置いておいたら蟻の餌食となり無事死亡。
<庶民編>
友人行きつけという現地の食堂にて。コスタリカでは米(左)、レモンとパクチーの効いたサラダ(中央)、ポテト(右)、豆(奥)を基本セットに、そこに豚肉やチキンなどのメインが乗るワンプレート料理がスタンダード。
米はタイ米などに近く、日本のよりも細長くて水分が少ない。また、黒い豆と米を合わせて炊くとコスタリカの伝統料理「ガチョピント」となる。
だが、米と豆を別々に食べても味は大差ない。
これは別の店だが、基本は一緒。そこに焼きバナナなどがついていた。
モンテベルデの屋台にて。鶏むね肉とポテトというシンプルで豪快なファストフード。非常にボリューミーだが500円程度。美味しかった。
<家庭料理編>
チフリーゴ。友人がお世話になっているホストファミリーのお家に自分もお邪魔してごちそうになった伝統料理。
ご飯に鶏肉と豆が乗っており、そこに刻んだトマトとパクチー(←これもよくコスタリカで出てくる)をお好みで載せて食べるどんぶり。鶏肉にトマトの酸味やパクチーの刺激が合わさりとても美味しかった。
米を食べる文化があるため、各家庭に炊飯器もある模様。(米があるのはありがたかった・・・)
朝は旦那さんのほうが準備してくれた。ガーリックトーストにソーセージに卵、そしてパパイヤとかなりボリューム満点でおいしかった。
3.文化編
<原住民編>
原住民が木の実などをすりつぶす際に使用していたとされる石の机。独特な形状が面白い。石工技術の高さがうかがえる。
よく日本のテレビなどでもコスタリカを紹介する際に一緒に出てくる謎の石球。その製造年代や製造方法、作られた目的などが不透明で一部ではオーパーツの一つともいわれていたが、現在では研究も進みその謎が徐々に明らかになっているとかいないとか。
ちなみに写真は国立博物館にあったレプリカ。本物はコスタリカの郊外にあるため、観光地にはしばしばこのようなレプリカが置かれていた。
<建造物>
国立劇場
コスタリカを象徴する建造物の一つ。この建物を壊したくないがために内紛が起こらない、と言われるほど現地人からも愛されているという建物。劇場内部も見学ができる。
息を飲むほどの迫力。今なお現役の劇場として使用されており、しばしば日本の能や和太鼓の演奏なども上演されるとか。
受付兼待合室。豪華すぎて落ち着いて待てなさそう。
ロスアンヘレス大聖堂
首都サンホセの隣の県カルタゴにある大聖堂。国内各地から人々が巡礼に訪れる聖地で建物も非常にでかい。
中の造りも荘厳で素晴らしい。礼拝に訪れた人は中央の通路を膝立ちで移動して祭壇へ向かう慣習があるようだった。我々は邪魔にならぬよう脇の通路を回って見学した。
<若者文化>
現地人が多く集まる深夜のクラブへ友人と2日連続で繰り出した。入場前にID(自分の場合パスポート)と場所によってボディチェックが行われ、さらに場所によっては入場料も支払う。
クラブで飲むのは大体ビール。他の酒より値段が安いため、お金のない現地の人もビールばっか飲んでいるとのこと。
ちなみにコスタリカのメジャーなビールはimperialとPilsenの2種類。そしてちょっと高くてマイナーなBAVARIA(写真)がある。味はimperialが薄くて軽く、Pilsenは少し香りとえぐ味が強い印象。BAVARIAはその中間といった感じ。
美味しかったのは写真に乗せたBAVARIAのゴールド。一番日本のビールに近い。時点でimperialのsilverという種類のもの。
BAVARIAはあまり扱っているところが少ないため、一通り飲んだ後はimperialを選んで飲むことが多かった。
左の黒人Jango。入場の手続きで手間取っていると後ろから声をかけてきた。身長めっちゃ高いし超怖い。
でも本当は荷物を預ける場所を教えてくれようとしていたこのクラブ界隈の従業員?オーナー?的な人だったらしい。その後テキーラを2杯もご馳走してくれた。めっちゃ気さくでいい人。
ぶれぶれ。お酒飲みながら爆音の音楽を聴いてるとある若者グループの輪に招かれて一緒に踊ってた。なんとなくアジア人で(自分は楽しんでたけど)周りになじめてないオーラが出ていたのか誘ってくれたのだと思う。
言葉は通じないけどお酒もあいまって身振りや表情でコミュニケーションを取る感じがなんとも楽しかった。
友人が話したところそこのグループにいたほとんどの人がベネズエラ人だったとのこと。ベネズエラといえば近年の超インフレで経済が破綻寸前、首都の治安は世界最悪と言われている国。あんなに気のよさそうな彼らの背景にそんな深刻な事情があるのか、と色々と考えさせられた。
4.自然編
上でも触れたモンテベルデ自然保護区にて、昼と夜の森林散策ツアーやキャノピーなどのレジャーを体験した。
昼はオランダ人の家族と一緒にガイドの話を聞きながら野山を散策。
トゥカーン(の子供)
なんか笑顔の木
景色が一望できる!と思ったもののあいにくの雨。朝は晴れていたのに、、
羽が透明な蛾?
ゴミをあさっていたアライグマ。全然人を怖がらない。
ちょっとここからはモンテベルデではないけど、
これは幻の鳥といわれるケツァールを見にいくツアーでの朝の集合場所のロッジに来ていたハチドリ。
で、1時間以上何か所もポイントを回ってやっとお目にかかれたケツァール。 これはメスのため尾が短いが、オスはもっと尾が長く色も鮮やか。残念ながらこの日オスはお目にかかれず。
5.その他
帰国最終日にどこ行きたいかを友人に尋ねられ、彼の職場のゴミ収集センターと地域の小学校へ行くことに。
サンホセのゴミ収集センター
回収されたごみたち。袋の中身はまだまだ分別が行き届いていない状態。
各地から届けられたごみ袋はこの台で職員の方が一つ一つ開封し手作業でごみを仕分けている。
普段はこの仕分け作業をおばちゃん2~3人で行うそうだが、この日は民間企業からCSR活動の一環と職場体験ということでさらに数名参加していた。エライ
ペットボトルは無色と有色のものを分けてプレス。プレスすることで輸送にかかるコストを下げている。
これらは民間の業者に売却され、資源として再利用される。
段ボールも同様。談笑しながらも手際よく潰してトラックにつめていた。
外では家庭のごみなどを持ってくる人がごみを捨てていた。まだまだポイ捨てなんかも多く、ゴミに関しての市民の意識が低いとも感じられたが、このように律義にごみを持ってきて捨ててくれる人がいることがありがたいとのこと。
サンホセの小学校
その後サンホセの小学校にアポなしで突撃するも、友人の顔パスで難なく入れた。
カメラを向けると照れて顔をそらす子供。なんかとても開放的で自由な雰囲気。
生徒たちは全員1日学校にいるわけではなく、上級生と下級生が曜日ごとに午前、午後の授業日を交代でまわすようなカリキュラムを取っているそう。
例えば月曜日の午前が上級生の授業なら、午後には上級生は下校し、下級生が授業をする。火曜日はその逆、といった感じ。
後者が”ロ”の字型になっており、中庭が校庭になっており、中央の礼拝堂を挟んでコンクリートのバスケコートが二面あった。
ただしバスケを行っている生徒は誰もいなかった。コスタリカ人はサッカーが好きだからフットサルコートにでもすればいいのに。
牛乳パックを再利用してできた机だそう。木のように固い。
体育の時間で誰もいない教室。
パソコン教育も行われている。ここのパソコンも友人の協力隊活動の一環で企業から提供されたもので、この部屋はそのために新たに作られたものなのだそう。
食堂。おやつにフルーツを振る舞われることも。
帰り際に先生に挨拶をすると我々もフルーツをゲット。リンゴをむしゃむしゃ食べながら帰路についた。
さいごに:コスタリカを旅行しての感想いろいろ
1.意外と多かった、日本を親しんでくれる人々
この旅で最も印象深く嬉しかったものの一つが日本に親しんでくれている人が多かったこと。上でも述べた初日に紹介してもらった女性たちのほかにも、例えば2日目に行ったクラブでは「日本人!?」と声をかけてくれたコスタリカ人がいたのだが、彼はなんと3月まで我々の地元の宮城県の東北大学に留学していたとのこと。
さらに4日目に利用したUberの車の後ろにはなぜか日本の国旗が飾ってあって、話を聞いてみると彼は日本にこそ行ったことないものの、日本の興味があり自主的に日本語を学んでいるとのことだった。友人曰くこんなに色々と日本を知っている人に出会うことは珍しくてラッキーだったとのこと。楽しい出会いのある旅行だった。
2.中米への関心が深まった
当たり前すぎる小学生��みの感想だが、こちらも自分の心に大きな変化をもたらした。
先ほども述べたようにあまり日本人にとってなじみのないコスタリカだが、地球の裏側では日本に関心を持ってくれている若者たちがいる。そしてみんな気さくで親しみやすく、とても可愛げのある人たちだった。
日本に興味を持ってくれている人たちがこんなにもいてくれていることを考えるとすごく嬉しく感じたのと同時に、自分たち��もっと海外に目を向けていかなければいけないと感じた。
さらに前述したベネズエラ人との出会いも考えさせられるものがあった。恥ずかしながら自分はベネズエラなんていう国は国名を知っている程度の知識で、彼らに出会わなければきっとこの先もベネズエラに関してここまで関心を抱くこともなかったと思う。
帰国してすぐに、超インフレが進むベネズエラでは桁を減らすための新たな通貨の単位を作るという経済政策が打ち立てられたとのニュースが入ってきた。もちろんこんな政策ではさらに経済を混乱させることになりかねないという見方が大半だ。経済が混乱すれば他国への移民問題もより深刻になるだろう。これから先中米はどうなるのか、今後の情勢には色々と関心を寄せていきたいと考えるようになった。
3.外国語を話せるようになりたいと思うようになった
今回の旅行は友人のサポートもあり様々な出会いと気づきのある非常に楽しい旅行だったが、それゆえに言葉を理解して自分の気持ちを伝えられないもどかしさを抱えていた。
例えば彼のホストファミリーの家にお世話になった際も、食事を「美味しい」という気持ちすらうまく伝えられず非常にもどかしかった。お土産に持って行った九谷焼についても、本当はその背景にある日本の文化や歴史なんかを話したいという気持ちはあれどそんな高度なコミュニケーションが取れるはずもなく、、
ホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃんが本当に親切にしてくれただけに、自分の気持ちを言葉で伝えられない歯がゆさがあった。
海外旅行は恐らく簡単な英語と身振り手振りで頑張れば、観光地を巡ったり宿に泊まったりなどある程度の目的は達成することができると思うし、実際自分もその程度で良いと考えていた。
でも海外旅行で一番楽しいのは現地の人との生のコミュニケーションだろうと思った。その土地の人が何を考え同くらいしているのか、そういったことを言葉を介して理解し、また自分の考えも相手に伝えられるようになりたいと強く感じた。
せめて日常会話レベルの英語でも身につけたい。。30年弱の人生で今が一番外国語学習欲が高まっていると感じている。今やらないと一生やらない気がするので、ひとまず本を読みながら拙いながらも話せるように勉強中。
4.ごみのことに関心を持つようになった
友人の職場に行き、いろいろとごみへの思いを語ってくれたこともあり自分もごみへの関心が高まった。
自分が普段何気なく出しているごみも処理には多くの人手が必要ということ、作業はハードなこと、そして何よりも地球上の多くの人が関わり、今後も関わり続けていかなくてはならないものだということ。
現地の方の仕事ぶりを見て説明を受けると、自分もなにかできないか自然と思いを巡らせていた。
例えば友人はごみを出す段階で分別がされていないことがひとつの問題と言っていた。
なるほど、確かにゴミ箱は色分けされてどこに何を捨てるべきかが分かりやすくなっている。
ただ、ちょっとデザインの観点から考えてみるとゴミ箱の上にはごみの種類が分かるような絵を入れたり、ゴミの入れ口を入れるごみの形にしてごみを捨てる行為をアフォードさせるような施策があってもよいかと感じた。
現状だと識別する要素が色と小さく書かれた文字のみのため、例えば歩きながら街を歩く人がごみを捨てようとした際に反射的に自分が捨てたいごみの正しいゴミ箱を判断しづらいのではと感じた。色とごみの種類に明確な関係性がないため、ほかの要素で使い手に正しいゴミ箱を反射的に認知させる仕掛けが必要と考えた。
日本のごみ箱はまだそのへんが少し良くできていて、入れ口の直下に何を入れるごみ箱なのかを絵と言葉で入れることでごみを捨てる人の目に必ず入るように工夫されているとともに、口の形状で何を入れるべきかを感覚的に示している。
缶やペットボトルなど、入れ口を丸くすることでそのごみ箱が飲み物の容器を捨てるものだと把握できるのと同時に、丸い形状に筒状のものを入れたくなる人間の心理も上手に作用させている。
そんな小さな改善を重ねながら、街がもっと綺麗になってコスタリカ人のごみへの関心が高まることを願っている。
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2021/11/30 初氷や霜も降り始めて、銀杏や紅葉が散る中で、南天の赤い実が紅一点! 早稲田大学千年村プロジェクト候補になっている、地元の宇治会を登録しようとしたら、8ページに渡るチェックリストに、調査して記載するのが、結構大変な作業‥‥‥ ※京都の石清水八幡宮の資料に、平安鎌倉時代の頃、常陸国宇治会が荘園だった記録が残っているので、大字(村)の名称が、一千年の時を超えても残っているのが、非常に面白く感じました。 電話で宇治茶の宇治と住所を説明した時に、京都の宇治市が何らかの関係があるのではないかとはと思ってたら、裏山にある宍戸家類系の二条山館城址とか、色んな関連性が出てくるので、ワクワクしちゃいます(*ˊ˘ˋ*)。♪:*° 隣地区の、常陸国分寺の瓦を焼いていた瓦塚(瓦屋)大字(村)瓦谷も1,300年の歴史があり、隣接する大字佐久(村)には、千年以上の佐久の大杉もあります。 ファミリーマートで見たことが無いビールが三本置いてあったので、ついでにおつまみも購入して、アサヒ生ビールマルエフで乾杯🥂 #iPhone日記 #南天 #常陸風土記 #新編常陸風土記 #千年村プロジェクト #石清水八幡宮 #常陸国宇治会保 #アサヒ生ビールマルエフ #アサヒザダブル #エビスホップテロワール #ハムカツとガーリックチーズポテト #皮付きポテトとウインナー https://www.instagram.com/p/CW59ieQBbUo/?utm_medium=tumblr
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中世社会と現代
中世社会と現代
五味文彦 山川出版
概要
古代律令国家の権力統合の弛緩の中で生まれた中世社会。その政治制度は極めて簡素である。中世国家は人々の自力救済を前提に形成されている。中世の実情を現代の様々な視点から探る。
足元から中世を探る
道 中世の道は古代、近世等と異なり曲がっている。 →ランニングコストを避けるため自然に適応。(権力による形成でない) 守護地頭や地域住民による整備により、紀行文や信仰など、文化的側面を持つ。 道と都市 中世京都は小路が発達。京東部の民間信仰の寺社周辺が繁栄。 小道に沿って家が密集して惣町が形成。 →会合衆、町衆による自治 道と信仰 中世における直線は信仰のラインに見られる。神仏への信仰と共に道が開かれ、文化が成長。 道と勧進 公共事業に於いて勧進上人(聖)が重大な役割を果たす。(最初の大事業:重源の東大寺大仏再興) 以前は国家が担うものであったが、中世権力は経済力に乏しく、人々への仏教信仰心を誘って公共事業が推進された。 権力が何もしなかった訳ではないが、勧進と同形式が取られた。
政治権力
院政と武家政権 中世権力は分権的性格を持つ。国司が地方に下らなくなり、武士が台頭。受領に変わり地方文化・経済で主要な役割。地方政治の中心「館」の主も国司から武士へ。館を中心とする社会を築く。 保元平治の乱で中央への影響。 鎌倉幕府と武士連合 院政・平氏政権は天皇補佐の形をとり、政治を積極的に行わず。 →この分権化に呼応し、武士の要求から幕府が誕生。 泰時の代では評定衆が置かれより分権的性格を表出。同時期御成敗式目制定。 合議と専制 鎌倉幕府:将軍親裁→執権政治→得宗専制 あくまで御家人合議が基本。朝廷権力に干渉せず、御家人間調停を務める。 専制志向(得宗、義教、後醍醐)→瓦解、の流れ。 武家政権は王朝を温存し、その権威に依拠しつつ、政治実権を握って近世まで存続した。 諸勢力が統合的であった後白河院政期から承久の乱後の後嵯峨院政期までに限り、諸権門が分立する中、天皇中心に機能を分担して統合される国家体制(=権門体制国家)が指摘できる。 自力救済 分権化著しい中世では、権力による保証は期待出来ず、自力救済が求められた。(特に訴訟など) 自力救済が前提であればこそ、公正な裁判も期待され、鎌倉幕府は訴訟制度の充実を推し進めた。
信仰の世界
仏教と民衆 白河上皇期に成立した顕密主義は法然らの専修性や民衆的性格に揺らぐ。また禅律主義により相対化され、共存するに至った。 神仏への信仰 飢饉や疫病に対し、神は祟る神・救う神の両義性を帯びる。救う神の側面が仏の化身とされ、神仏習合による本地垂迹説が広がりを見せる。 一揆 神仏への誓約という形で契約団体として一揆が形成される。初期は南都北嶺が神木・神輿を担いで強訴した時期。より広く意識されるのは承久の乱後。この頃になると参加者が平等な意識を持って一味同心する集団が広く見られた。幕府の式目制定も一揆の産物と言える。 一揆は新たな法や文化を創出した一方、排他性も帯びていた。
民衆の世界
惣 田地開発の中心が武士から百姓に移行した鎌倉後期になると、一揆も広く民衆の間に見られ、荘園領主や地頭への抵抗が行われた。紀伊國阿氐河荘訴状はこの時期。 一揆は村の集まりである惣が母体となり、村の成長と共に構成員も拡大。室町〜戦国の戦乱期には徳政を引き換えとした派兵や自検断を保持。 近世の村の源流となる。 戦乱と富の蓄積 長期間全国的に生じた南北朝動乱は中小武士の国人一揆形成を促した。この長期戦乱を可能にしたのは、富の拡散と費用の補充であり、料所を通じた土倉や問といった金融業者の存在が大きい。 戦乱が終結して成立した室町幕府はそこに財源を求め、また貿易利を求めた明・朝鮮との外交も展開。金融資本に依拠した政権の体を示したため、後期の民衆一揆は土倉や酒屋を攻撃対象に、徳政を求めるようになる。幕府は民衆への妥協と金融業者の保護、加えて守護大名の対立のジレンマに駆られ、混迷。 銭の流通と「資本主義」 院政期以降宋銭の大量流入によって貨幣が流通。都市の発展、金融業者、為替の発達と続いた。米と銭の選択が可能。 銭・米・文書への物神崇拝に基づき、「資本主義」が芽生え、近世の経済発展、近代の西洋資本主義の早期受容に繋がる。
地域社会
列島各地に地域社会が形成され、それらが内的・外的交流を経て成長。大陸との関係など国際性も確認される。 中央の三代の院政と奥州藤原氏三代は寺院等のモニュメントによる王権強調や、梁塵秘抄・新古今和歌集等コレクションによる王権装飾といった共通点が存在。
歴史のサイクル
西暦 事項 展開 967 関白藤原実頼 摂関常置、後期摂関政治開始 1068 後三条帝即位 延久国政改革、院政へ 1167 平清盛太政大臣 平氏・鎌倉の武家政権 1268 蒙古の国書到来 東アジア世界の流動 1368 応安の半済令 足利義満の公武統一政権の成立 1467 応仁の乱開始 戦国時代の到来 1568 織田信長入京 統一政権へ 1660 全国市場成立 幕藩体制の確立 1760 田沼政権 近代国家の胎動 1868 明治維新 国民国家の形成
※東アジア世界との連関がみられる
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中世の文学と尺八📖「宗長手記」篇
齢八十四まで尺八と共に、生きた!詠った!連歌師、宗長。
宗長手記とは、室町時代に書かれたいわゆる日記、紀行。柴屋軒宗長(さいおくけん そうちょう)という連歌師が書きました。2巻。大永2 (1522) 年 75歳の5月から同7年 80歳の年の暮れまで書き継がれたもので、連歌、俳諧についてばかりでなく、当時の世相を知るうえにも貴重な資料。
柴屋軒宗長(1448~1532)は室町中期の連歌師で、一休宗純と親交があり、また一節切尺八の名手であったとされます。永正元年(1504)駿河国宇津山麓に柴屋軒を結び(家に屋号をつけてそこに構えた)、以降今川家の政治的活動の為に旅をくり返したそうです。
そして、誰もが知っている
「急がば回れ」
を、唱えた人だそうです。
(そうだったの!😮)
『武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋』
琵琶湖を渡って京に上るには矢橋(やばせ)の港から大津への航路が近道に見えるが、風の影響などを受けて、しばしば、遅れたり危険を伴ったりする。確実に行こうと思うなら、瀬田の唐橋まで南下していくべきである、の意。
急いでいる時に限って、だいたい失敗してさらに時間がかかるなんて事はよくあることで…。
逆に、今日早起きしてめっちゃ余裕ある〜なんて時に、何故か気がついたら時間が無くて遅刻する、なんて事もありますね😅
何事も慎重にいきたいものです。
その宗長、職業は連歌師ということですが、
連歌(れんが)とは日本の古来に普及した伝統的な詩形の一種。5・7・5の発句と7・7の脇句の,長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの歌にしていく。奈良時代に原型ができ、平安時代半ばに長短2句を唱和する短連歌が流行して、やがて連ねて長く読まれる長連歌になり、鎌倉時代初期に50、100、120句と連ね、同後期に100句を基本型とする形式の百韻が主流となる。南北朝時代から室町時代にかけて大成されたが、戦国時代末に衰えた。多人数による連作形式を取りつつも、厳密なルール(式目)を基にして全体的な構造を持つ。百韻を単位として千句、万句形式や五十韻、歌仙(36句)形式もある。和歌のつよい影響のもとに成立し、後に俳諧の連歌や発句(俳句)がここから派生している。(wikipediaより)
一節切の名手だったということで、日記にも度々尺八のことが書かれています。
そんな中世の頃の情景を思い浮かべながら、尺八を親しんだ宗長の日記をかいつまんで読んでいきたいと思います。
「宗長手記1群書類従 新校 第十四巻」国立国会図書館より
(赤いラインの部分から)
「紹崇(せうすう)として尺八(1)吹僧。もとは東山霊山の時衆。五条東洞院常福寺、柴野大仙院四・五年もありて、此ごろは和泉の堺草庵。尺八の弟子、だんなにて活計。伊勢に参宮とて、長阿(宗長のこと)折ふし山田に逗留。尋来て十日あまり、長阿は山城薪へのぼりしなり。昼夜もてなし「共(いなし)」とぞ聞えし。いかゞ有けん、二見の浦の浪にしづみけるとつたへきゝて、
無常心(2) おこす一曲 いかにして 吹沈みけん あなうみのよや
南都にてつたへ聞し事なるべし。山田へ申つかはし侍し。此尺八物にもかへて、跡の事とぶらはんとて、妹の尼時宗度々いへども、つひにのぼせず。」
ここで言う尺八は一節切のこと。
【無常心】世の中をはかなく思う心
宗長と親交のあった紹崇(じょうしゅう)という薦僧がおり、彼は元は東山霊山の時衆(時宗)徒であった。臨済宗大仙院に四、五年いた前歴もあり、近頃は堺の夢庵(肖柏・しょうはく)の弟子になり、尺八を吹いて旦那(信者)から施しを受けて生計を立てていた。伊勢参宮いうことで、私(宗長)はその折りに山田に逗留。こちらに尋ねてきて十日あまり、山城の薪(荘園)に行く。(紹崇は)昼夜もてなされ共にいたとも聞いたが、何があったのか、二見浦(伊勢)に入水自殺したと伝え聞いた。
「無常心 おこす一曲 いかにして 吹沈みけん あなうみのよや」
(この世の儚さを奏でる尺八の曲は、まるで海のように吹き沈んでゆくようだ、どうして逝ってしまったのか。)
南都(奈良)で伝え聞いた。山田に告げ知らせに行く。(此尺八物にもかへて)去っていった彼を慰問する(探し求める)と思い、妹の尼に度々言ったけれども、ついに上京しなかった。
んー、この自殺してしまった薦僧に、一体何があったのか?!気になります。
宗長は、海に沈んでしまった薦僧を想い、この世の儚さを奏でる尺八の曲は、まるで海のように吹き沈んでゆくようだ、どうして逝ってしまったのか。と「吹き沈む」という言葉を使い弔っています。
そして、翻訳、難しいです…。古語が難しいのはそうなのですが、その上、今更ながら日本語って主語がないから分かりにくい!アメリカ人の知人にもそう言われたことがありますが、まさにその通りで。一体誰の事を言っているのかホント分からない。下手な訳をご容赦下さいませ😅
ふと、思ったのですが、いちいち誰の事か前後の文章で考えなくてはいけない日本語の構造は、こういう事から「察する」とか「空気を読む」とかそんな日本人の特徴が生まれてくるのかしらと感じました🤔
「・・・京よりいざなはれくる人々、舟ばたをたゝきて尺八笛吹きならし、宇治の川瀬の水車なにとうき世をめぐるなど、このごろはやる小うた興に乗じはべり。」
京都から舟に乗って来る人々が、流行りの小歌を歌いながら、舟ばたを叩いてリズムをとって尺八吹いていたそうな。楽しそうです。
「東圓坊尺八、今夜兵部卿(1) 尺八とり出られて平調(2) 一手二手ばかり吹きすてられりし。身にしみてぞ覚えし。」
【兵部卿】律令制下の八省(はっしょう)の一つ(軍事を担当)の兵部省の長官。
【平調】(ひょうちょう)「五調子」と呼ばれるものの中の一つで、我が国の音楽の当時の基本的な音階。
吹きすてられりし、という表現が何ともいいですね…
↓こちらのミニ講座では、『體源抄』に記載される五調子の一節切の事をやりました。宗長が愛用したとされる、一節切も登場します。
「寺の東圓坊、八十の老宿(1)、連歌の内夜ふくる物語のついでに、尺八の面白くもあはれにも身にしみてぞ侍りし。」
【老宿 ろうしゅく】 年をとり、徳を積んだ人の意。目上の人や高徳の僧に対する尊称として用いる。
「尺八の面白くも哀れにも身にしみてぞ侍りし」…う��ん侘び寂び感…。
「三井寺東圓坊、八十まで尺八の名をえたると也。尺八をきりしらべらるゝこと上手にもや、切りておくらる。歌あり。
すさめおけ五のしらべすむ竹の齢八十の身になすをみてまとに八十の作、不思議のことにぞ。かへし、
君がなす五のしらべすむ竹の千代に八十を取添えてける祝着をかさねて、殊にこの竹なり。うつくしく手にふれがたければ、
竹のよの 美しさ手に ふれがたみ 君が調べを 聞かぬ限りは」
こちらも、訳が難しゅうござりますが😅…三井寺東圓坊は八十まで尺八の名手で、製管にも通じていたとのことで、彼の尺八を讃えているのでしょうか。
「大津津田宗桂一宿。京よりの堅等勝蔵(1) 尺八吹て、夜一夜おもしろく明けぬ。打出の濱より舟にて坂本、船の中勝蔵堅等かれこれ数盃。時雨し風の名残荒くて、船にや酒にや。いずれともなくて酔ひふしながら、比叡辻の法泉寺栄能の聴月軒、又こゝにて酒ありてぞ、勝蔵かへられし。一雨夜休息。」
堅等さんと、勝蔵さんの二人の名前のことでしょうか。
京から来た知人と一晩、一緒に尺八を吹き、船に乗ってお酒を飲みながら楽しく過ごしたようです。
「三井寺で勝蔵坊日暮れて訪来。終夜尺八。」
またまた勝蔵さん登場。
いいですね〜、朝まで尺八三昧。
この日記によって、この頃尺八は、時宗、禅宗の僧侶や、宗長のような連歌師などの文化人たちによって愛用されていること、最初に書かれていた紹崇のように尺八を演奏することで身を立てていた薦僧も存在していたということがわかります。
昭和中期あたりまで、尺八というのはオトコの嗜みとして、多くの人に好まれたようですが、今やもう存在すら危ぶまれております。この尺八の音色が醸し出す侘び寂び、無常感に対する日本人の感度が、文化と共に消えているということなのでしょう。
少しで足りた時代に私は思いを馳せるのでした…。
さて、この尺八の音色で、現代の日本人の心を揺さぶることができるのか⁉️
長生きした宗長さんを見習って、八十歳すぎるまで⁉️いやいや死ぬまで(笑)元気に尺八吹いていられるといいですね〜😊
参照
「尺八史概説」山口正義
「十七世紀における虚無僧の生成」保坂裕興
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「ととと便り」2020年12月7日 「今日の盛岡の朝を歩こうマンデー!というかブラタクジ」 録画していた「ブラタモリ」水の国・熊本編を見ながら雨が止むのを待ちました。 以前、阿蘇のゲストハウス阿蘇び心で働いていて熊本市内の店舗に手伝いに行くこともあったのでずっと見たかったのです。 熊本市の湧水と阿蘇山の噴火の関係、加藤清正の川のコントロールと街づくりなど腑に落ちることばかりで ずっと「へ~!」「へ~!」言ってました。 陽が射し、雨は弱くなったので、諦めて傘を持って出発。 肴町にある「Michel」でパンを買って帰ってこようと歩き始めたところで 近所のクリーニング屋さんの裏を取り壊しているのを発見。 いつも表しか見てなかったのですが、実は古い町家だったんですね。 ちょうどご主人が出てきたのでお話しを聞いたら 120年から130年くらい前の建物だそうです。 そしてその脇にはもともとは船着き場だった石垣が残っていて見せてもらいました。 こんな身近に江戸時代の石垣が隠れていたなんて。 歴史ある街ってやっぱりいいですよね。 (リアルブラタモリだ~!と思って内心大興奮でした!) 江戸時代は今の明治橋のそばに舟をつないで舟橋がかけられていて、 北上川を上ってきた船はここで止まり、荷下ろしをしたのです。 今も川のそばには大き��御蔵(下町資料館)が残っています。 また、ちょうどこの場所に城下町の入り口「惣門」があり、 今もある木津屋さんや、盛岡市中央公民館に移築されている「糸治」といった大きな商家があったのです。 鉈屋町は遠野や宮古から来た人たちが泊まる宿場町だったんですね。 そう考えるとかつての城下町の入り口にある宿場町にあるなんてとととはあるべき場所にできたんだなと感じます。 肴町アーケードのMichelへ。 相変わらずの品数の多さ。 今日は「カキフライバーガー」に「具だくさんピザ」 ピザ一つだけで十分かなというボリュームでしたが、 カキフライ好きなので我慢できず。 タルタルソースたっぷりで美味しかった。 Michelを食べ尽くすのは不可能なのでまだまだ楽しめます。 近くにある「未完成」で食後のコーヒーを飲もうと思ったらピンポイントで今日はお休み。 まだ入ったことがなかったのでいい機会だと思ったのに。 縁がないですね。 枯死したので伐採されそうだとニュースで見た「岩手女子高校のエゾエノキ」を見ておこうと向かう途中。 「杉土手」という大きな表札を発見。 あさ開とも書いてあったのでバーか居酒屋かな?と思いましたが 後でネットで調べても一切情報なし。 隠れ家バーなのかな。 今度、夜に行ってみて確かめます。 この辺は馬場町といって、今の下ノ橋中学校に桜之馬場があったそう。 周りの道は馬場小路、川原小路、鷹匠小路、上衆(かみしゅう)小路、大清水小路といった名前で 中下級武士の武家屋敷があったところらしい。 歩いているとリハビリ施設に「鷹匠小路」、床屋さんに「上衆小路」の文字が。 旧地名を廃れさせない心意気、いいですね。 梅の木らしい木を見つけたそばに「紅梅荘」というアパート発見。 きっとこの木が紅梅なんですね。 来春に見に来ます! お目当てのエゾエノキ、残念ながら既に伐採されていました。 遅かった。残念。 でも、岩手女子高にはまだ大きなケヤキがあるので、 新緑の季節に見に来たいと思います。 また、桜並木もきれいそう。 「下の橋」 ウイスキーバー「Scotch house」 「新渡戸稲造生誕の地」 先日Googleマップで見つけた「やきとりきこちゃん」 神子田朝市でも見かけるお茶屋さんの「森之園」 を通ってとととへ。 今回は一人なので食べる時間が短めで多めに歩き回りましたが 適当に歩いたのにジャスト2時間で終了。 体内時計がこれくらい時間で満足ということなのでしょうか。 一緒に歩きたい方、大歓迎ですよ! それでは、おやすみなさい! (穀丁の惣門跡) https://www.instagram.com/p/CIf2vDYhesQ/?igshid=b3ppx6n1mcuc
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📸高杉晋作誕生地(旧高杉氏庭園) [ 山口県萩市 ] Takasugi Shinsaku Birthplace, Hagi, Yamaguchi の写真・記事を更新しました。 ーー国指定史跡・萩城城下町🏯に残る“奇兵隊”を率いた志士 #高杉晋作 の旧宅。やっぱり萩の武家屋敷庭園は出雲流庭園っぽい。 ...... 7月に訪れた萩の庭園シリーズ。「高杉晋作誕生地」は“奇兵隊”等を率いた幕末の志士・高杉晋作の生家。国指定史跡・萩城城下町に残る武家屋敷の一つとして一般公開されています🏡 . なおこの高杉晋作旧宅は現在も個人の所有。そのため9施設で310円と超破格な「萩市文化財施設1日券」の対象外なので留意を(もっとも、見学料100円なので迷うものでもないと思うけど)。 . この高杉晋作旧宅や先に紹介した『木戸孝允旧宅』等のある一帯は国の重要伝統的建造物群保存地区からは少し外れている一方で、『史跡萩城城下町』として国指定史跡となっている珍しい例。 高杉晋作旧宅は国指定重要文化財『菊屋家住宅』の白壁が歴史を感じさせる“菊屋横丁”沿いにあります🏘この小路には他にも田中義一の誕生地などもあり、かつては侍屋敷が立ち並びました。 . 1839年(天保10年)に萩藩士 #高杉小忠太 の長男として生まれた高杉晋作。松下村塾では久坂玄瑞らとともに吉田松陰から学び、最後の萩藩主・毛利定広(毛利元徳)の小姓役を務めた後に徐々に藩内で頭角を表します。その後の活躍は省略…。 . この旧宅は江戸時代後期、父・高杉小忠太の時代に建てられたものが残ります。邸内に上がることはできませんが、庭園・縁側からその様子をうかがうことができ、その中では書状などの史料を展示📜(更に高杉晋作のことを知りたい人は、『萩博物館』の高杉晋作資料室へ!) . 現在の敷地は往時の半分ほどだそうですが、庭園には鎮守や晋作の産湯に使ったと伝えられる井戸がそのまま残ります。晋作(東行)の句��も。 で、その庭園が他の萩の武家屋敷でも書いているように“出雲流庭園”っぽい特徴が。決して広くない庭園で『木戸孝允旧宅』の庭園のようなビューポイントは無いのですが、茶砂の中に配されたカラフルな飛び石、すっごく『松江武家屋敷』に似てるよな~。 . なお冒頭に「こちらは個人所有」と紹介しましたが、萩市の『史跡萩城城下町 保存管理計画』を見ていると“将来公有化検討”とある。 もし将来、現在の所有者が手放すことになっても保護できるよう既に策定がされている、歴史を残すための萩の街づくりはすごいなあと思うし、その手助け?になるように今後も萩に泊まりの旅行をしたいな🚃 . 「おにわさん」では高杉晋作ゆかりの庭園として、下関の国宝寺院『功山寺』や菩提寺『東行庵』(第一無鄰菴)、博多の『平尾山荘』も紹介しています。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/takasugi-shinsaku-birthplace/ ーーーーーーーー #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #zengarden #gardendesign #日本庭園 #庭園 #庭院 #庭园 #建築デザイン #武家屋敷 #samuraihouse #枯山水 #枯山水庭園 #karesansui #山口庭園 #文化財 #国指定史跡 #おにわさん #oniwasan (高杉晋作誕生地) https://www.instagram.com/p/CWF4cJpllhG/?utm_medium=tumblr
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