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#敗戦満洲の芸術家たち
anamon-book · 1 year
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敗戦満洲の芸術家たち 松本次郎 永田書房
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xf-2 · 5 years
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『機動戦士ガンダム』の生みの親の一人である安彦良和氏は、40年前に「ガンダム」のキャラクターを作り上げた。近年では『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』で登場人物たちの過去、すなわち「歴史」を描いてきた。
71歳の安彦氏は、実際の「歴史」とも向き合っている。目下のライフワークは近現代史をテーマにした作品。『虹色のトロツキー』では中国東北部に存在した日本の傀儡国家「満州国」を描いた。連載中の『乾と巽』では「シベリア出兵」に取り組んでる。
複雑な背景を持つ近現代史をなぜ描き続けるのか。安彦氏は「善悪二元論で歴史を解釈することは、とても危ない」と、歴史との向き合いかたに警鐘を鳴らす。
日本が歩んできた道を問い続ける安彦氏に、歴史と向き合う作法と意義を聞いた。
人間は、トラウマで心にかさぶたを作る
インタビューに応じる安彦良和氏
――安彦さんは『虹色のトロツキー』で、「満洲国」にいた人々に取材を重ねています。戦後74年を迎えた今、近い将来に戦争経験者がいなくなることが現実になろうとしています。
あの戦争で、生きるか死ぬかの経験した人がいなくなる。そういう時代が来る。平和だからこそですが、一方では大変恐ろしいことだなと思います。
僕は1947年生まれで、タッチの差で戦争を経験していない。「戦争は絶対いけない」「どんな戦争もやっちゃいけない」と、生死の境をさまよってきた人たちの言うことを厳かに聞かなきゃいけないという思いがある。
しかし、そこで「お説ごもっとも」と、思考停止をしてもいけない。
「戦争」や「戦い」を一般論化して、何が肯定されるか、また否定されるかというのは、なかなか難しい。ただ、戦争を経験した人が「とにかく戦争はダメだ」と語る証言は、とても貴重だと思うんです。
もっといえば、本当に生死の一線を越えてきた人たちの中には、そのことを語り残さなかった人もいるでしょう。
――過酷な体験は振り返りたくないという人を、私たちが責めることはできない。
「思い出してどうなるのか」「悪いことを思い出すだけ」と、あえて語らなかった人もいたと思うんです。
人間というのは、トラウマで心にかさぶたを作る。それを剥がすのは、残酷なことじゃないかと。それを語らせるのは、非常に微妙な作業でもあります。
そのかさぶたが、ある日突然破れて、感情が噴出することもある。本当に深刻なトラウマっていうのは、必死にかさぶたでふさごうとするけど、癒えないわけですよね。
我々の親の世代は、一種の自己防衛で語らなかったという気もします。語られていない歴史、そこに思いを致すことも必要かもしれません。
『虹色のトロツキー』で描いた「リアルな目線からの満洲国」
『虹色のトロツキー』単行本
――『虹色のトロツキー』の主人公は、ウムボルトという青年学生でした。なぜ旧満洲を描こうと思ったのですか。
そもそもは、ある時期に当時の旧満洲を撮影した写真を見たことがきっかけでした。多くはいわゆる宣伝写真でしょうが、そこからは人々の生活の匂いを感じた。
いわゆる「満洲モノ」と言われるものには2パターンがありました。一つは、加害者として、あるいは被害者の立場から「満洲国」を告発するもの。もう一つは「馬賊」モノのような娯楽作品です。
そのどちらでもなく、「満洲国」という存在を正当化はしないまでも、そこに生きた人たちを描きたい。
なので、等身大のウムボルトという、日本人とモンゴル人との間に生まれた青年学生のリアルな目線で旧満洲を描こうと思いました。
――主人公は無名のキャラクターで、その周りに関東軍の石原莞爾や辻政信、満映理事長の甘粕正彦、女優の李香蘭など実在の人物が出てくる。無名の人の目線からあえて物語を描いたのはなぜですか。
ウムボルトは混血の青年、いわばマイノリティです。その意識は僕の中にもあった。
マイノリティの意識が自分にもあるからですかね。馬の骨の話もそうだし、北海道っていうのはある意味で外地ですからね。北海道は今でも本州を「内地」と言っているくらいですから。
メインストリートではない、辺境の目線から見えてくるものがあると思うんです。
左から李香蘭、甘粕正彦、辻政信、石原莞爾
――「満洲国」は「帝国日本の脆い理想が現実と渡り合った成れの果て」だったと。そこにいた青年たちは、理想と現実が複雑に交錯した時代を生きた。その舞台となったのが満洲建国大学でした。
満洲建国大学は、石原莞爾が唱えた「五族協和」の理想に基づき、石原の支持者だった辻政信が開学させた。新国家に有用な人物を生み出すための国策大学でした。
しかし、その実態はとても多様だった。門戸は様々な民族に拓かれ、中国やモンゴルの人も入学していました。
印象的だったのは、中国や旧満洲の人たちが建国大学に入りたがっていたということことでした。もう日本の敗戦が目の前に迫っているようなときでも、喜んで入学した人がいた。そういう夢があったのかもしれない。
『虹色のトロツキー』2巻(中央公論新社、2000年)、248-249頁
「五族協和」「王道楽土」というのは、単なる空虚なスローガンではなく、彼らなりにあくまで一つのリアリティを求めた言葉だった。実際に、そこを本気で目指していた学生もいたわけです。
建国大学の同窓会の雰囲気や結束の固さを見ていると「この人たちは真面目だったんだ。本気だったんだ」という気がしました。
それらも含めて、全ては世界史の過酷な現実に押し流されてしまった。それが歴史の恐ろしさだとも思うわけです。
善悪だけでは語れない。それが「歴史」だ
「善悪二元論で歴史を解釈することは、とても危ないと思います」
――つまり、善と悪だけでは語り得ないっていうところを表現したいっていうのがあった。
「満洲国」は、軍国主義や日本の大陸侵略を象徴する国家ではありますが、それだけでは語り得ないのではないか。
確かに、旧満洲をめぐる陰謀めいたものが挫折し、否定され、大きな悲劇が起きた。あの国はどうしたってつぶれる運命だった。
しかし、実はそんな単純な話ではなかったのではないかという思いもあるんです。善悪二元論で歴史を解釈することは、とても危ないと思います。
――作品では、独断専行でノモンハン事件の犠牲者を増大させた陸軍参謀・辻政信が登場します。辻はガダルカナル島攻防戦を指導するなど「作戦の神様」と呼ばれましたが、戦後は旧軍の精神主義を体現していた人物とみなされた。そんな「絶対悪」とも評される人を、安彦さんはコミカルに描きました。
『虹色のトロツキー』で困ったのは、取材で当時の話を聞くと「みんないい人だった」という話になることでした。
連載していた頃、辻政信は世間ではそれほど扱われていなかったと思います。もちろん「悪」とされても仕方がない人ですが、実際に関係があった人から話を聞くと、みなが「魅力的だった」と言うんです。
「神出鬼没な人だった」「声がでかかった」とか、懐かしい目で語るんですね。
人間というのは「こいつは超悪い人だった」「こいつは善人だった」と単純に割り切ることはむずかしい。直接会ったりすると意外と魅力的で、コロっと好きになるようなことがあると思うんです。
なので、無条件に悪と断じたりするのではなく、面白いキャラだが基本的にダメだよと。そういうリアリティを反映した描き方をしたほうがいいんじゃないかなと思ったんです。
尾崎秀実(左)とリヒャルト・ゾルゲ
―― 一方で、戦時中のスパイ事件(ゾルゲ事件)に絡んで処刑されたジャーナリストの尾崎秀実については、少し不気味な描き方だなと感じました。尾崎は戦後に平和主義者として語られがちでしたが…。
尾崎については中途半端な描き方しました。家族を愛した平和主義者として語られますが、単に平和を愛した人物ではありません。
尾崎は近衛文麿首相のブレーンで、そのための言論活動もしていました。講演では「資源を得るために日中戦争をどんどんやれ」というようなことを言っています。
そして日本の情報をソ連のスパイ、ゾルゲに売っていた。娘たちには「いずれ戦争は終わります。日本が勝ちます。頑張りなさい、堪えなさい」って言うんですが、彼が売った情報で、日本は戦略的に負けたわけです。
それなのに戦後の僕らは、尾崎が��中で妻と娘に書いたメッセージ「愛情はふる星のごとく」に涙するわけです。「平和主義者なのにこんな目にあって、家族も可愛そうだ」と。この本はベストセラーになりました。
尾崎を戦争の犠牲者として、無条件に平和主義者と定義するのは、戦後的な美化だと思います。
戦後の「マルクス主義」的な歴史観の是非について
幼少期から漫画家になるのが夢だった安彦氏だが、かつては学生運動の闘士だった。1966年、故郷の北海道を離れて青森県の弘前大学に入学。学生運動に身を投じた。 後に弘前大全共闘のリーダーとなったが、大学本部占拠事件の責任を負わされ1969年9月に逮捕、翌年に除籍された。その後、安彦氏は上京。たまたま目にした手塚治虫の「虫プロ」の求人広告をみて応募。採用された。 当時の学生運動を描いた山本直樹の漫画『レッド』の登場人物・安田は安彦氏がモデルとされている。
――戦前は『古事記』の神話さえも史実として教えられましたが、戦後は批判的に読まれるようになった。戦後、歴史の教科書は大きく変わりました。
戦前期は基本的に「悪」の時代。戦後は「善」の時代とされますよね。
民主主義の下、過去を悔い改めない人たちを少数派にし、「善の戦後史」を作れば、日本は世界に輝く平和国家になる。それが戦後の民主主義教育の考え方でした。
でも、なかなかそうはならないわけで、いくら経っても悔い改めない人たちがいるわけです。そして、その色合いはむしろ強まってく。そこに大いなる「なぜ」があるわけです。
――その「なぜ」とは。
戦後の支配的革新思想「マルクス主義」、もっと言えば「社会主義」の敗北につながる問題です。
世界では18世紀ごろから「人権を大事にしよう」という思想が、啓蒙思想として出てきます。そして「世の中は時代が進むにつれて、より人権が尊重されるようになり、必ずよくなる」という考え方あった。それは今でもあります。
でも、ヒューマニズムだけでは力が足りない。それを科学的に立証しなければいけない。歴史には停滞する時期や逆行する時期もありますから。
それを冷徹に分析し、まあ世の中はおおむね「進歩」している。そう捉えたのが「マルクス主義」でした。
この思想は「科学的」であることを売り物にしていた。世の中の「進歩」を信じていた人々は、それにすがった。
やがて「科学的」であるはずの思想を盲信する人が生まれ、「党派」をつくり、それを教団化し、宗教的なものになってしまった。
ただ、それにも終わりがやってきます。1989年にベルリンの壁が崩壊し、90年に冷戦が終結し、91年にはソ連が崩壊した。社会主義の実験は失敗に終わり、「あれあれ、善玉が負けちゃった」となる。
「社会主義は善」「悪は滅び、善は勝つ」という思想が、逆に不幸を招いたような気もするわけです。
撤去されるレーニン像(ソ連・リトアニア共和国・ビリニュス)=1991年8月23日 
――社会主義は、自らが否定した宗教的なものになってしまった。内ゲバもあったし、それこそヒューマニズムが欠如していた。
おっしゃるとおり「科学」という名の神を信仰する宗教になってしまった。
結論を言えば、やはりヒューマニズムを安易に「卒業」してはいけなかった。それが社会主義、史的唯物論的な考え方に置き換えられた時点で失敗したと思うんですよね。
歴史への科学的な姿勢こそ、思想の進化だと我々はずっと思ってきたわけです。ヒューマニズムなんて甘っちょろい。現実に負けてしまうとね。そういう考え方の中で人間的な目線を置いてきちゃったんです。
「ニュータイプ」に憧れを抱くのは危うい
インタビュー場所は安彦氏の自宅の一室。壁には安彦氏が描いた作品が飾られていた。
――安彦さんがおっしゃるように、今を生きる私たちがヒューマニズムを取り戻すためにはどうすれば良いのでしょうか。
ヒューマニズムを、ひたすら素朴に追求することじゃないですかね。
簡単に言えば、階級格差や貧富の差を見すえて、もっと人権が尊重される社会にする。もっと多くの人が幸せだなと思える社会を地道につくっていく。そういうことだと思うんです。
前衛党を作って、戦略的に練り上げた革命を達成して、究極の理想社会に向かって指導されていくべきだ……みたいな部分を否定すればいい。
ヒューマニズムの社会をつくるには、もっとたどたどしくていいんですよ。みんなが「他人の痛みを知ること」「他人の気持ちになること」を意識する。そういう社会を目指そうということです。
――一方で、私たちは心のどこかで「よき指導者」を求めているような気もします。マスコミでも「新たなリーダーが必要」みたいなことが言われます。ともすれば、『機動戦士ガンダム』のギレン・ザビのような、強いリーダーシップを求めてしまいがちです。
リーダーを求めること自体は良いと思います。ただ、リーダーに全権委任するのがいけない。リーダーだって人間で、限界があるわけです。「いい人だと思ったけど案外ダメだな」と思ったら、さっさと見限る分別を持っていればいい。
宗教的なカリスマや、『ガンダム』でいう「ニュータイプ」的なものに憧れを抱くのは危うい。常に権力者を疑いながら、くよくよと迷いつつ、道を探し求め続けるしかない。
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の単行本。12巻の表紙にはジオン公国の総帥、ギレン・ザビが描かれている。
――それは、古代ギリシャのオストラシズム(陶片追放)からずっと続いている。
それで何がいけないんでしょうか。やはり、指導者はほしいですよ。もちろん個々人の能力差は当然ありますし、権力欲で成り上がろうとする者も絶えずいる。
だからこそ、僕らは目を肥やす必要もある。「あいつはろくでもねえ」「この人がいいな」と、ずっと観察し続ける。
「ナショナリズム」と「パトリオティズム」の違い
『虹色のトロツキー』の原画。描かれているのは主人公ウムボルト
――『虹色のトロツキー』の主人公ウムボルトは「五族協和」にこだわっていました。自分は「満洲国人でありたい」と。一方で、民族主義の発露は、時として自民族が優れているという選民思想、偏った愛国心の萌芽となる危険性もあります。
かつて親しくさせていただいていた松本健一さんという思想家がいました。彼は意識的に「ナショナリズム」と「パトリオティズム」を分けていました。「ナショナリズムには乗れないけど、パトリオティズムならいい」と。
「よき愛国心」という定義は難しいけど、愛国心というよりは「愛郷心」というのかな。「国」となると色々な要素が入ってくるんだけど、ふるさとを愛する心みたいなニュアンスをこめておられたと思います。
――「故郷」と書いて「くに」と読ませることもありますね。
パトリオティズムは、同郷心に近いかなと感じます。ウムボルトは、パトリオティズムとしての「満洲国」の可能性を探っていたのだと思います。
もしかしたら「満洲国」というエスニック国家が存在し得たんじゃないかと、僕も思うわけです。無論、それを存在できなくしたのは、当の日本だったわけですが。
「五族協和」という標語の是非は別として、石原莞爾などは「満洲国民になる」みたいなことを一時言ったりしていました。
――作中で、李香蘭が「日本人が中国人になったり、中国人が日本人になったりするって間違っている」「目的が、国が違う同士が仲よくするためにお役に立てるならいいことなんじゃないか」と話すシーンが印象的でした。
「満洲国」というビジョンを示しておきながら、「満洲国」というアイデンティティを形成するのを結局最も強力に妨げたのが日本だった。そこに大きな問題があるんじゃないのかな。
「五族協和」を掲げながら、本当の意味で「満洲人のための国家建設」をしなかったわけですからね。結局は日本のためだったわけですから。
「人と人は、わかり合えない」 だからこそ…
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の単行本。表紙にはガンダムとララア(17巻)、シャアとララア、ララアが搭乗する機体「エルメス」(21巻)が描かれている。
――『機動戦士ガンダム』でも、ジオン公国の選民思想的な「ジオニズム」という言葉が登場しました。
『ガンダム』の舞台は宇宙ですが、そこには地球上で繰り返されてきた争いの構造が埋め込まれています。地球を出て宇宙に移住した彼らは、民族としての結束を保つために「ジオニズム」というイデオロギーを形作るわけです。
ユダヤ教の選民思想や、ナチス・ドイツのゲルマン民族の優越思想、そして戦前日本の純血思想、これらは古代からずっと続いてきた構造です。
自分たちを選民と考えれば、それ以外の人々への差別が生まれ、ルサンチマン(被害者意識)がまた生み出される。
人はルサンチマンを再生産し、他者と争い、それを繰り返してきた。それぞれの時代を生きた人間たちが、何千年にもわたって積み重ねてきた葛藤。それが「歴史」であり、『ガンダム』が提示したメッセージでもありました。
つまりは、「人と人はわかり合えない」ということです。
「シベリア出兵」を扱った連載中の漫画『乾と巽』。安彦氏は、いまも歴史と向き合っている。
――歴史と向き合うということは、わかり合えない他者と向き合うことでもある。
中には「人はわかり合えるはずだ」と信じる人もいるでしょう。人間にとって平和に暮らことが何よりの希望なのに、なぜ戦争をしてしまうのかと問い続ける人もいる。
しかし、実のところ逆だと思うんです。人と人は、わかりあえなくて当たり前なんです。この「人と人」は、「国と国」と言い換えることもできます。
「きっと自分のことをわかってもらえる」という考えは危険です。其処から反感や絶望が生まれる。「ニュータイプ」なんてものも幻想です。「だったらいいな」ということを究極的な夢として表現している。だからアムロとララアの関係は悲劇的に終わる。
もちろん、だからといって、「わかり合えないなら何をしても良い」ということでもありません。
安彦氏のアトリエ
「わかり合えない」という前提を認めた上で「でも、わかりあえたらどんなにいいだろう」と考えること。そうすれば、相手の良いところが見えてきたりもする。私たちの身近な人間関係もそうですよね。
人は、歴史を巻き戻すことはできません。でも、似たようなことが繰り返されるのだったら、「なぜあの時失敗したのか」「あの時、もしもこうしていたら…」と考える。それが、同じ轍を踏まないために必要だと思うのです
【インタビュー後編はこちら】
<安彦良和 やすひこ・よしかず>1947年北海道生まれ。70年弘前大学中退後上京し、手塚治虫の「虫プロダクション」でアニメーターになる。73年にフリーとなり、以後『機動戦士ガンダム』など大ヒットアニメの主要スタッフとして参加。キャラクターデザイン、作画監督、監督などアニメ界でマルチに活躍。79年『アリオン』でマンガ家としてデビュー。90年『ナムジ 大國主』で第19回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。2000年『王道の狗』で第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。12年『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』で第43回星雲賞を受賞。マンガ作品は『ヴイナス戦記』『神武』『虹色のトロツキー』『イエス』『天の血脈』『ヤマトタケル』など多数、著作は『原点 THE ORIGIN』などがある。
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honryu2 · 5 years
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第一章     若い感受性ゆえの挫折
1976年、私は中国のごく一般的な家庭の3人兄弟の末っ子として、ハルピンという街に生まれた。両親はともに教員をしていて、中国では大学の教員は基本的に大学キャンパス内のマンションに住むことができるので、私は子供の頃、キャンパスならではの運動施設や広場、緑豊かな公園などに恵まれ、伸び伸びと過ごせたと思う。
 当時のハルピンは三階までの建物が多く、街の中でも荒地があちこちあり、それらはすべて子供にとって楽園だった。夏には、トンボや蝶を追ったり、バッタを捕まえたり、冬には野外でアイススケートしたり、橇を作って遊んだりしていた。近所の子供たちもよく一緒に遊ぶ時代で、今の中国の街では見られない風景だった。
 ハルピンは20世紀始め、ロシアが中国の東北地域の植民地支配を始めた頃、鉄道の重要な拠点として街をつくられた。ロシア本土の街と違って、極東にあって、ヨーロッパ的な都市を一から作るため、ロシア側にはしっかりとした都市計画があったようだ。20年代ではとても美しいロシア風の街のひとつで、シベリア鉄道の終起点の一つでもあった。当時ヨーロッパからの資本や銀行がたくさん入っており、ユダヤ人も大勢おり、アジアで上海の次に国際色の強い街だった。30年代に入ると日本に占領され、満鉄の重要な街として日本にも知られた。ロシア風の古い建物が多く、文化的にも東欧からの影響が濃く存在していた。今でも北京より遥かにお洒落で、ファッションセンスのある街である。
 50年代以後、毛沢東の「北大荒(中国の東北にある黒竜江省など人口密度の少ない地域)開拓」の呼びかけに応じて、多くの若者が故郷を離れ、全国各地からハルピンにやってきた。そのためハルピンの人口は膨らんだ。中国には各地方の方言があるが、ハルピンは一番標準語に近いと言われる。各地方の人たちが集まったので、標準語を使うしかなかったからだ。
 母と父は大学卒業後少し南にある遼寧省からやってきた。父は普通の鉄道員の家庭出身だが、母は資本家家庭出身で、波乱万丈の中国近代史を間近で見てきた。小さい時から母はよく戦時中のことや、社会主義の前の中国のことを話してくれていたので、日本への最初の印象はその時出来上がったように思う。
 そのことに少し触れたい。母の曽祖父は清王朝の官吏で、清が滅んだ後、賭博場(今でいうカジノ)を経営し、瀋陽で(満州時代は奉天と呼ばれた)では多少名の知られた人物であった。軍閥張作霖とも親交があり、1931年の満州事変(日本関東軍による張作霖暗殺、満州出兵)の後は日本軍から警戒されていて、相当な不遇にあった。しかし三人の娘は皆顔立ちが綺麗だったために、それぞれ満州時代の商売人や当時の高官に嫁いだ。私の祖母の嫁ぎ先、すなわち私の祖父は瀋陽で屈指の商売人だった。日本とも貿易があったため、よく母を連れて日本に来たりしていた。母は、日本の女の人が和服を着て綺麗だったと私によく話してくれた。瀋陽の中心街に住んでいたので、(東京でいうと銀座のような場所)、平和に暮らす日本人しか見ていないので、日本に対して非常に良い印象を持っていたようだ。
 母は南満洲鉄道の「アジア号」の話をよく聞かせてくれた。当時家族で豪華な車両を貸し切りに「アジア号」に乗っていたといつも自慢げに話していた。「アジア号」は当時では世界一速かったらしい。私には半信半疑だったが、何年前に日経新聞を読む時に、偶然に「日本が世界に誇る列車、アジア号」の話が出てきて、とても懐かしかった。
 私の子供頃は、よく「一休さん」と「おしん」、そして「姿三四郎」がテレビで放送されていた。そのお蔭で、その時代の中国人は皆日本に対してとても好感を持っていた。礼儀正しく、辛抱強く、真摯的で、それが90年代以前の中国人の日本に対する印象であった。もちろん、愛国主義教育で戦時中日本はどれだけ中国に対して悪いことをしたかという教育と、日中戦争をテーマとした映画の中では日本は「鬼」と化しているが、だれでも戦時中の日本人と実際の日本人とは別者に考えていた。それは今でも同じだ。最近日本のメディアではよく、中国人は愛国主義教育のため日本を嫌いになっていると言うが、それは単に中国の事情知らないだけである。或いは意図的なものかもしれない。最近の日本嫌いは、どちらかというと、日本人が自ら自分の美徳を見捨てたところにあると思う。昔の日本人ほど尊敬できるところは少なくなった、というところからだと思う。
 また、私の中では、昔から「自国が弱ければ虐められるのが当然」という考えがあった。歴史知識があるなら当然思うことかもしれない。中国はアヘン戦争以後、日本だけでなく、ヨーロッパ列強に侵略されていた。だからといって、日本の侵略戦争を好意的に解釈するつもりはない。侵略戦争はいつの時代でもどこでも起きている。しかし、近代に入ってからは、大量の民間人の虐殺の伴う侵略、とくに残酷な手段による虐殺は許し難い。ナチス・ドイツを許し難いのは戦争を起こしたからではなく、大量の民間人を意図的に迫害し、虐殺したことにあると思う。第一次世界大戦もドイツによるものだったが、そこには大きな違いがあった。
 それが過去であって、狂った時代であって、少しでもまともな人はそれが今の日本と結びつかないだろう。政治家たちは政治交渉のカードとして出すかもしれないが、本気で当時の日本と今の日本と同じ風に見る人はいないと思う。むしろ、中国の教科書には、明治維新の意義やそれに対する評価が高く、中国ではそれがうまくできなかったから取り遅れたというような論旨も見えた。私が日本留学を選んだのは、経済、技術大国となった日本への憧れもあるが、それ以上に明治維新や戦後急速な復興を成し遂げた日本に対する尊敬の気持ちがあったからだと思う。
 当時の中国では、優秀な学生たちは皆海外留学を望む時代だった。留学のことを「渡金(金箔を付けるという意味)」と言われ、企業でも大学でも留学経験のある人を重要視される傾向もあった。���としても外国に学び、自国を高めたいという時代であって、個人レベルでは、当時の中国人は海外にいくことはほとんど不可能な時代で、外の世界を見る唯一の手段は留学だった。先端の知識への渇望と好奇心が私達を駆けたてたかもしれない。
 私の場合、高校入ってからよく英語で海外の本や雑誌を読んでいたので、当時の中国の雑誌の世界観が私にはとても狭かったし、いつか海外留学したいという気持ちが強かった。当時の中国の優秀な学生は皆アメリカ、またはドイツか日本留学を選ぶ時代であった。私は日本留学を考えた。猛勉強をして、高校一年生の時にはすでに高校の卒業試験を受けて、試験に合格し、卒業証書をもらい、留学の手続きを始めた。
 *     *  *
 こうして、1992年1月、高校三年の前期を終えて、私は一人で東京にやってきた。東京・小平で月1万5千円の木造のぼろアパートを借り、高円寺にある日本語学校に通い始めた。
 当時の中国は貧弱そのもので、ほとんどの留学生は自分で生計を立てなくてはいけなかった。本国からの仕送りを受けるどころか、多くの留学生は日本で稼ぎ、本国に送金する時代だった。私も、日本語はゼロから勉強し始めたが、三ケ月ほどでなんとか伝えたいことは言えるようになり、アルバイトを探し始めた。たまたま知人の紹介で、ある指圧の先生の下で指圧を習い、三鷹、立川そして福生などで指圧のアルバイトをしていた。仕事を選ぶまでもなく、とにかく経済的に自立したかった。
 家に帰るのはいつも深夜で、疲れてすぐに寝てしまう時もあった。これでは目標としたこの年の進学には間に合わなくなるので、アルバイトが終わっても家には帰らず、家の近くの東京学芸大学の教室に忍び込んで、朝まで勉強したりしていた。今思えば、喫茶店やファミリーレストランでも勉強できたが、当時まず知らなかったことと、生計のことと進学の学費など考え、とにかくお金は使えなかった。それに、当時の中国は一食10円程度の時代だったので、日本に来てすべてがあり得ないくらい物価が高かった。来日まもなく月20万円ほど稼げたが、ほとんど貯金に充てた。
 苦労したという人もいるかもしれないが、私はそれを苦労と全然感じなかった。それより当時の中国はATMもコピー機械すらなかった時代なので、日本に来てすべてが新鮮に感じた。とにかく日本語を覚え、進学のことだけを考えていた。アルバイトに相当の時間をつぎ込んだはずだが、意外と日本語の勉強も猛スピードで進んでいた。
 大抵の人は日本語学校に一年半か二年間通うけれど、私は半年経ったところ、今年の受験でも行けると感じた。日本語はまだまだ習っていない文法や語彙も多かったけれど、雑誌や新聞を読んで、知らないものと出会ったら自分で辞書さえ調べれば、理解できるようになった。もう一年日本語学校に通うことは時間の無駄だと感じた。
 しかし、私の通った学校は社会人向けで、進学指導はなかった。多くの日本語学校では進学指導があることさえ知らなかった。すべて自分で準備するものだと思っていた。そして、その年の9月から、午後のアルバイトに行くまでの時間、東京学芸大学の図書館に通い、日本の高校の教科書を巡りはじめた。
 その二ヶ月後に、日本語能力試験とセンター試験を迎えた。有機化学ではほとんどカタカナでとても覚えられなかったし、微積と線形も中国の高校では今外されて、大学で勉強することになっていたので、さっぱりできなかったが、それ以外の部分はほぼ満点を収めたので、留学生の中では7番目だった。
 当時の自分は情報がなかったので、早稲田が日本で一番いい大学と思い込んでいた。早稲田の試験を受ける時に、試験官はとても傲慢だったのを覚えている。しかし試験問題は、それでも高校生の試験問題なのかと思うくらい簡単だった。
 1月に入ってたまたまある塾の数学の先生と出会い、彼は私の成績を見て、あなたはとても早稲田に行く人ではないよと言われた。そして旧帝国大学のことを教えてくれて、東大か、京大、東工大を受けるべきだと言われた。せっかくだから日本の政治経済の中心地に残りたいので、東大と東工大を出願したところ、東大は高卒2年以内でないと受ける資格がないと言われ、結局東工大しか受けられなかった。
 そのことを少し説明しないといけない。私は高校入って海外留学したいという気持ちがあったので、高校の授業を一年で一通り勉強し、高一の時にも卒業試験を受けて卒業証書を取得していた。そのため、卒業証書では、二年過ぎてしまったことで東大を受ける資格はなかった。そのことは、自分の中でとても悔しい思いをした。
 その後の早稲田の面接の時に、20人ほどの先生たちに一周囲まれて、日本語もまだ慣れていない来日一年目の自分は、とても緊張していた。しかし、聞かれているのはほとんど学費払えるかの経済問題。少しずつ、私が勉強しに来ているのに、なんて学費のことばかり質問するのだと反抗心が強くなり、もともと東大を受けられない悔しい気持ちが胸いっぱいだったので、なぜかすごく胸が張って答えられるようになったと今でも覚えている。
 しかしその後の東工大の試験はまったく違った。試験官も全く高圧的な態度はないが、試験問題は泣きそうなくらい難しかった。数学は三割しか解けなかった気がする。それでも合格できたのは物理と化学、英語が良かったかもしれない。面接の時も面接官はとても優しかったのを覚えている。うちの学科に来ないか、そんな具合だった。
 大学入学まで残りの二ヶ月はとにかく学費・生活費を稼ぎ、高校で習っていなかった微積と線形代数を勉強した。そんな思いだけだった。深夜のコンビニのアルバイトもした。昼間はまた普通に指圧のアルバイトをしていた。ある時、コンビニのバイトで徹夜上がり、昼間も普通に勉強できて、倍の時間を使えたと嬉しくて電話で母に話した。そうしたら、母に「体壊すよ」とすごく叱られた。でも母の言うことを聞かなかった。そんな生活を一週間ほど続けていたある日、電車を乗っていたら、吐いてしまった。母が正しかった。
 東工大入学後、更に悔しく感じることはたくさんあった。それまで高卒で東工大に入学した留学生は私一人だけだった。なぜなら、中国では高校で微積と線形代数を教科書で扱わないし、また英語の試験は国によって試験問題はまったく違うので、よほど余裕がないと、外国で受ける、つまりまったく系統の違い試験問題を受ける時にいい成績を取りづらい。だから、中国で大学に一度入って一年、二年で中退して来日した学生の方が高卒の人より遥かに有利だった。中国の大学は日本と違って、高校並に勉強できるところなので、彼らは微積や線形代数、そして英語がとても余裕だった。
 だから、東大が高卒二年以内という制約あって、競争少ないため、留学生にとって東工大より遥かに入りやすかった。東工大の場合、大学中退した実力のある学生たちが上位並んでいるので、中国高卒の留学生が東工大に入れた人はこれまで私以外いなかった。私の場合、数学以外は、彼らに差を付けられなかった。英語でさえ、もともと海外留学を考え、高二の時猛勉強したことがあり、そのお蔭ですっかり英語が好きになり、自然科学、経済、歴史、哲学まで英語で読むことが好きになった時期があって、高二の時に中国大学院の入学試験(5級)に合格していた。
 こうして、東大を受ける資格のない留学生の中の成績上位の学生たちは皆東工大に来ていたので、私の成績は東工大では7番目となったため、初年度奨学金をもらえなかった。東大を受けられれば一番になれたのに。悔しくて学校に事情を話しに行った。留学生課の先生は細かい事情を当然知るすべがなく、一応理解を示し慰めてくれた。しかし、期待したところ、何も具体的に助けてくれなかった。今思えばたった月7万円の奨学金だが、しかし、当時の私たちには大きな意味があった。なにせ、親の一ヶ月の給料は4千円だった時代。生計を自分で立てている私たちには学習時間にそのまま直結するものだった。そのことで、私の後の人生に大きな影響を与えた。二つのことを心に銘記させられた。
 一つは日本の奨学金制度に対する疑問から。奨学金は、優秀な学生にあげるべきなのに、日本の場合は、各大学に平均的にあげる傾向があった。援助金のようなものだった。皆平等に扱うという発想からかもしれない。私が日本の平等意識に疑問を抱き始めたのはその時からだった。
 もう一つは人に頼ろうとしなくなったこと。だれかが同情してくれて助けてくれるだろうと期待したところ、結局、自分しか頼りにならないことはその時思い知らされた。その時から、人や社会に頼らず、自分の力で生きていく、と心の中に決めた。それは今の自分の生き方そのものになっている。
 後の話だが、私が創り上げた馬上の旅では、日本的でないものがたくさんあった。たとえば、乗馬の際に、私は参加者を平等に扱っていない。素質のある人が私は特別扱いして伸ばしていく、けっしてできる人を抑制して平均に合わせるようなことはしない。普通の日本人の考えだったら、だれかを特別扱いして他の人から反発を受けるだろう。しかし私はそんなことを気にしない。素質のある人を伸ばすことで、他の人にビジョンを示すことができる。そうすると他の人も頑張ってくれる。結果的に皆が早く上達できる。どんどん上にいくからこそ見える世界がある。それこそ人の権利を尊重することにあると思う。もし、私が旅での中で結果的な平等のやり方にしてしまったら、だれでも不完全燃焼になってしまい、魂まで喜びを覚えるような境界は一人も達せなかっただろう。今の日本社会はまさにこういった結果的平等の考えによって、完全燃焼ができなくなっている。抑圧的な社会になっていく。日本社会はそういう意味で、平均に合わせようという力が大きすぎる。もっと上に行けて、もっと大きなものを知れる人の権利が奪われたのと同然なのだ。
 奨学金を得られなかった分、自分で稼いてやる。そんな気持ちの中、大学の最初の二年間は、アルバイトを沢山した。田園調布駅で朝の通勤ラッシュ時にホーム要員として働き、夜は工場で働き、土日は指圧のアルバイトを入れ、7つものアルバイトを掛け持ちしていた。地下鉄サリン事件の時は、永田町のビルで朝の掃除のアルバイトをしていた。事件があと10分でも早ければ、自分も被害者になったかもしれない。
 今思えば、これらのアルバイトの経験は、日本社会を間近で見る貴重な機会になった。その後、独立創業する自分に大きな意味があったと思う。
7つのアルバイトはいずれも朝9時から夜5時までの学校の時間に重なっていなかったので、大学の友人たちは私が全くアルバイトをしていないと思われた。しかし当時、アルバイトで月20万円ほども稼いだ。当時の一か月の生活費の出費は家賃を含めて3万円程度だったので、実はそんな稼ぐ必要はなかったが、中国からの貧しい留学生の中では、多く稼げることはそれも一つ能力を測る基準であった。今思えば、私達は学生でありながら、生計を自分で立てている時点で、多く稼げる人もそんなに稼げない人も、立派に社会人として独立していたと思う。が、同じ条件、同じ出発点だからこそ、その中に自然と競争意識が生まれ、一つの価値観が形成されていく。
 同じ東工大でも、アルバイトが見つからない人はたくさんいた。私に紹介してほしいと頼みに来る人もいた。私は可能な限り彼らを助けていたが、同時に彼らを叱りたくもなった。私たちは能力も状況も同じなのに、何て自分で見つけられないのだ。99軒に断られても、100軒目に期待する。それが当時の私の心意気だった。自分ができない、失敗だと認めない限り、できないことはない。その時からそう思い始めた。
 経済の独立への執念が強かったため、勉強は疎かにした。勉強時間はほとんど電車の中だけになってしまった。学習意欲も次第と下がっていた。そうさせたのは、日本の大学教育に対する失望感と進学後の挫折もあった。
 後で分かったことだが、東工大の授業は、日本の大学の中でもとりわけ難しかった。特に自分の専門とする制御システムの学科はそうだった。東工大の二年生の授業は東大の大学院一年レベルとも言われた。とにかく自分の研究をそのまま伝えている先生が多くて、どう教えれば学生のためになるかということをまったく真剣に考えていなかった。大学の先生は研究者である前に、まず教師であって教えることが仕事だということを忘れている先生が多かった。
 勿論、当時の私の日本語能力も問題だった。授業中一生懸命聞いていても、いざ演習となると、隣でずっと寝ていた学生から、これは先生が言ったのではないかと言われたりした。理系の場合、外国語で学ぶ時、ある程度知識を俯瞰できる余裕がなけ��ばいけないことは身をもって知った。
 そして、東工大の学生は、物理問題もすべてが微積で考える。それが微積を独学で習い、まだ自由に操れない自分は、微積の考えについていけなかった。高校まで物理も数学も学校では一位だった自分が、そんなふうに「差」を付けられてしまうことがとても悔しかった。今でも納得しない。微積の考えを高校の時点で物理に導入することは私が賛同できない。考えが安易になって、直感的な“物理力”ができなくなる。
 大好きな勉強に楽しみがなくなった。しかし、その一方で自信はあった。その自信はどこか別なところに訴えようとした。
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genron-tomonokai · 7 years
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[友の会メール](ノ><)ノ『ゲンロン0』が『新潮』6月号で書評! 批評再生塾締め切り間近!
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[友の会メールvol.264]  (ノ><)ノ 『新潮』6月号で『ゲンロン0 観光客の哲学』が取り上げられました。  社会学者・大澤真幸さんによる12ページの読み応えのある評論です!  批評再生塾は定員間近、応募ご検討中の方はお早めにお申し込みください!   (2017年5月9日配信)
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☆『ゲンロン0 観光客の哲学』特設サイト、情報更新しています☆
先日お知らせした『ゲンロン0 観光客の哲学』特設サイト メディア情報などを随時更新しています!
https://genron-tomonokai.com/genron0/
新しく東浩紀による『ゲンロン0』の紹介動画も配信しているので、ぜひご覧ください!
それでは以下、新たな『ゲンロン0』に関する情報をお伝えします!
★『新潮』6月号に12ページの書評が掲載、絶賛されました!
毎日新聞、読売新聞の書評に続き、今度は『新潮』6月号で 『ゲンロン0』の書評が掲載されました! 筆者は、社会学者の大澤真幸さんです! 「最初から最後まで、一分のゆるみもなく思考が展開し、 読むことの楽しみを十分に味わうことができた」 「郵便的マルチチュードは、誤配を再演する、というテーゼに、 私は両手をあげて賛成したい」 など、詳細に論じた上で絶賛してくださっています!
http://www.shinchosha.co.jp/shincho/backnumber/20170506/
すでに『ゲンロン0』をご覧になった方にも読み応えある内容ですので、 ぜひご一読ください!
★大好評につき増刷決定! 書店売り上げでもまだまだランクイン!
たくさんのみなさんのお買い上げいただいたおかげで本日増刷が決まりました! これで現在27000部発行、硬派な人文書としては異例の売り上げです!
現在『ゲンロン0』は発売から1ヵ月と少しですが、 東京大学生協駒場書籍部の4月人文部門で月間1位に輝いたほか、 名古屋のちくさ正文館書店「週刊ベスト10」で再び1位(4/30-5/6)、 三省堂書店神保町本店人文書部門週間総合ランキング2位(5/1-5/7)、 八重洲ブックセンター人文書部門週間ランキング2位(4/30-5/6)など、 各書店の売り上げランキングでまだまだ上位につけています!
★cakesのインタビューの第4回が掲載!
cakesで掲載中インタビュー、第4回が公開されました!
第4回「テロの時代に『家族』をどうアップデートするか」 https://cakes.mu/posts/16151
そして最終第5回が5/11(木) 10:00に公開予定です!
★発売記念選書フェア全国で展開!
選書フェアも引き続き好評開催中です。
ジュンク堂書店池袋本店/三省堂書店有楽町店/ブックファースト新宿店 青山ブックセンター本店/HMV&BOOKS TOKYO/八重洲ブックセンター本店 湘南 蔦屋書店/紀伊國屋書店アミュプラザおおいた店/ジュンク堂書店福岡店 くまざわ書店武蔵小金井北口店 ※詳細は特設サイトをご覧ください
★プレゼントが当たる読者アンケート実施中!
読者のみなさまからの感想を募集しています。 以下のアンケートページまでどしどし感想をお寄せくださいませ! 抽選で3名様に、規定のゲンロン過去刊行物を 東浩紀のサイン付きでプレゼントします! https://goo.gl/aIBSO1
★ご購入はこちら!
・ゲンロンショップで買う (国内) http://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=357 (海外) https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=356 ・Amazonで買う http://amzn.to/2oPHDj3 ・友の会に「『ゲンロン0・5・6』セット会員」で入会する https://genron-tomonokai.com/7th ・こちらから試し読みもできます。 https://issuu.com/genroninfo/docs/genron0issuu/36
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● 批評再生塾第3期生は、締め切りまで間もなくです!
おかでさまで正規受講生は定員間近となった批評再生塾第3期ですが、 まだお申し込みは受け付けています! ご検討中の方はお早めにどうぞ!
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正規受講生と併せて、今期から「聴講生」も募集しております! 聴講生は課題を提出できないかわりに、手ごろな価格で申し込むことができますので、 これまで興味はあっても受講に踏み切れなかったという方も、ぜひご検討ください!
6月開講の批評再生塾第3期は、ゲスト講師に批評家だけでなく実作者(クリエイター)もお迎えし、 ご本人についての批評を執筆・提出するという刺激的なプログラムとなっております。 実作者のゲスト講師としてお越しいただくのがすでに決まっているのは 小説家の保坂和志さん、劇作家の岡田利規さん、映画監督の黒沢清さん、哲学者の國分功一郎さん。 いずれも第一線でご活躍されているそうそうたる顔ぶれです!
新しいプログラムの新しい批評再生塾にぜひ挑戦してみてください!
また、批評再生塾第1期の内容をまとめた 『再起動する批評 ゲンロン批評再生塾第一期全記録』(朝日新聞出版) も大好評発売中です!
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それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ  ◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◇◇ 今週の放送情報 ――――――――――――――――――���――――――――
◆5/9(火)19:00- 【生放送】清義明×速水健朗 「スポーツ、文化、ナショナリズム ――『サッカーと愛国』から考える現代社会」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv296628451
◆5/10(水)18:00- 【再放送】速水健朗×東浩紀 「新・東京から考える」 (2016/7/8収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv296276754
◆5/11(木)13:00- 【生放送】大澤聡×佐々木敦×さやわか×東浩紀 「ゼロ年代以降に批評はあったのか ――『現代日本の批評』2001-2016を収録直後の討議メンバーが語る批評の15年」 (2016/8/14収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv297162441
◆5/11(木)18:00- 【生放送】大山顕×本田晃子×上田洋子 「ユートピアと日常の共産主義建築――地下鉄、団地、チェルノブイリ」 (2017/2/15収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv297163157
◆5/12(金)13:00- 【生放送】さやわか【さやわか式☆現代文化論 #29】 「さやわか式☆ベストハンドレッド 2017」 (2017/2/9収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv297163829
◆5/12(金)18:00- 【初再放送】藤井光×藤田直哉×東浩紀 「地域アートは自由の夢を見るか? ――藤田直哉編著『地域アート』刊行記念イベント」 (2017/5/19収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv297164242
◆5/16(火)18:00- 【再放送】浅田彰×千葉雅也×東浩紀 「POST-TRUTH時代の現代思想 ――60歳を迎えた浅田彰と語る、21世紀の新世界秩序」(2017/3/25収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv297803234
★「ゲンロン完全中継チャンネル」今後の放送予定の一覧表 https://goo.gl/ay9ey7
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ――――――――――――――――――――――
◆5/9(火)23:59まで 【GW直前再放送】宮台真司×東浩紀 「ニッポンの展望 #5 2016・秋の陣」 (2016/9/21収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv296275275
◆5/9(火)23:59まで 【GW直前再放送】津田大介×宮台真司×東浩紀 「ニッポンの展望 特別編 トランプの時代をどう生きるか」 (2016/12/17収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv296275957
☆大好評!☆ ◆5/9(火)23:59まで 【昨日開催!】宮台真司×東浩紀【初放送】 「『ゲンロン0 観光客の哲学』刊行記念トークショー」 (主催:代官山蔦屋書店) (2017/5/1収録) http://live.nicovideo.jp/watch/lv296299213
◆5/16(火)23:59まで 【生放送】清義明×速水健朗 「スポーツ、文化、ナショナリズム ――『サッカーと愛国』から考える現代社会」 http://live.nicovideo.jp/watch/lv296628451
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入できるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画 ――――――――――――――――――――――――
◆【vimeo】安藤礼二×速水健朗 「満洲国というユートピア――分離独立から考える日本のいま」 (2015/11/25収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20151125
◆【vimeo】速水健朗【独立国論 #1】 「失敗した人工国家満州国の理想とカルチャー ――ひょっこりひょうたん島からジオン公国まで、去来する満州の影」 (2015/9/17収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20150917
◆【vimeo】速水健朗【独立国論 #2】 「革命とエンタメ。そして、なんとなく堤幸彦論。」 (2015/10/29収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20151029
◆【vimeo】速水健朗【独立国論 #3】 「いまなぜ「独立国論」を語るのか」 (201511/5収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20151105
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://goo.gl/ycdtJe
◇◇ 発売中の会場チケット ―――――――――――――――――――――――――
【チケット完売】 ◆5/17(水)19:00- 田中康夫×浅田彰×東浩紀 「田中康夫と浅田彰の憂国呆談2 ゲンロンカフェ出張版」 http://peatix.com/event/259603
☆注目イベント!☆ ◆5/24(水)19:00- 石田英敬×東浩紀 「続・一般文字学は可能か——記号論と脳科学の新しい展開をめぐって」 http://peatix.com/event/259290
◆5/31(水)19:00- 小林浩(月曜社)×辻山良雄(Title)× 竹田信弥(双子のライオン堂) 「出版不況が叫ばれるいま、なぜあえて本屋をはじめたのか」 http://peatix.com/event/255205
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ   ◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇
今後の展示予定 ◆5月19日(金)-6月4日(日)15:00-20:00 ※月曜休廊 柳本悠花 個展「さまよう むこうがわ」
来週の5月19日(金)からは、造形美術作家・柳本悠花さんの個展がはじまります。 柳本さんは地元である高知県の風景をはじめとし、山や石といった自然造形や、 堤防などの土木建築、あるいは寺社仏閣といったモチーフを、 フェルトや綿を使った「ソフトスカルプチャー」として発表している作家です。 今回は「むこうがわ」をテーマにした作品を発表するとのこと。 是非ともお越しください!
※柳本悠花さんのtwitterはこちら https://twitter.com/stripe_yuka/media
(藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ   ◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◆『ゲンロン0 観光客の哲学』予約受付中!!
★特設サイトオープンしました! https://genron-tomonokai.com/genron0/
★ゲンロンショップで購入する(オススメ) (国内) https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=357 (海外) https://shop.genron.co.jp/products/detail.php?product_id=356
★ 東浩紀が『ゲンロン0』について語った ニコ生のアーカイブ動画へはこちらから(無料です!) (YouTube) https://www.youtube.com/watch?v=A3Wnpuz3SXA (Vimeo) https://vimeo.com/209144983
★ 友の会第7期入会はこちら(『0/5/6』セット会員あります!) https://genron-tomonokai.com/7th/
◆5月7日(日)発売の『新潮』6月号で、大澤真幸さんが『ゲンロン0』 を取り上げてくださいました! 全12ページの読み応えある本格評論です!
大澤真幸 「誤配は続くーー東浩紀『観光客の哲学』を読む」 http://www.shinchosha.co.jp/shincho/
◆4/30の読売新聞朝刊の書評欄(9面)��、『ゲンロン0』が取り上げられています。 ゲンロンカフェでもおなじみ政治学者の三浦瑠麗さんが、 好意的な評を寄せてくださいました! 以下から全文お読みいただけます!
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/review/20170501-OYT8T50038.html
◆4/23の毎日新聞朝刊「今週の本棚」に、橋爪大三郎さんによる 『ゲンロン0』の書評が掲載されました! 以下から全文お読みいただけます!
https://mainichi.jp/articles/20170423/ddm/015/070/027000c
◆cakesにゲンロンSF新人賞を受賞した高木刑さんのインタビューが掲載されています!
「あの講座で得たものは。ゲンロンSF新人賞受賞、高木刑インタビュウ」 https://cakes.mu/posts/16011
全文は4/25発売のSFマガジン6月号でご覧になることができます! http://amzn.to/2oCZJDC
◆そして同じくcakesで、大森望さんがSF創作講座について語った 新SF観光局・cakes出張版が掲載されています!
「創作講座に参加する3つのメリット。『SFの書き方』あれこれ」 https://cakes.mu/posts/16009
◆美術手帖5月号の椹木野衣さん月評で、新芸術校上級コース成果展「まつりのあとに」 の連動企画のひとつ、「Death Line」展が取り上げられました! 以下から全文お読みいただけます!
https://bijutsutecho.com/series/3848/
◆批評再生塾初代総代の吉田雅史さんの共著書『ラップは何を映しているのか ――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』が3月27日に刊行されました!
大和田俊之、磯部涼、吉田雅史 『ラップは何を映しているのか――「日本語ラップ」から「トランプ後の世界」まで』 (毎日新聞出版) http://mainichibooks.com/books/arts/post-398.html
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、 友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。ご要望などもお気軽に! http://genron-voices.tumblr.com/
(最近の更新) ・海外で『ゲンロン0』を購入したい https://tmblr.co/Zv9iRg2Kyqs7g
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報   ◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◆4/28発売の『週刊読書人』に、『ゲンロン0』刊行を記念し、 東浩紀インタビューが掲載されています。聞き手は坂上秋成さんです! 以下のサイトから試し読みができます。 http://u0u0.net/DgHb
◆cakesに東浩紀が最新刊『ゲンロン0 観光客の哲学』について語ったインタビューが 4回にわたり掲載されています!
第4回「テロの時代に『家族』をどうアップデートするか」 https://cakes.mu/posts/16151 第3回「『 つらいキミたちに共感するよ』とか『デモに行けば社会が変わる』という話でもなく。」 https://cakes.mu/posts/16106 第2回「観光客とはNANIMONOか?」 https://cakes.mu/posts/16024 第1回「このすがすがしい哲学書は東浩紀の技術の集積である」 https://cakes.mu/posts/15941
◆東浩紀がアンスティチュ・フランセ東京で開催される哲学イベントに出演します!
第5回「哲学の夕べ」―遊びについて― 5月27日(土) 会場:アンスティチュ・フランセ東京 参加無料・飲食有料 【参加アーティスト・哲学者】 國分功一郎、ドミニク・レステル、ベルナール・スティグレール、東浩紀、石田英敬、 ル・ジャンティ・ギャルソン、額田大志、 細井美裕、スイッチ総研、ピエール・モートロン、 ジル・スタッサール、他 http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/nuit-de-la-philo-2017
◆4/20発売の『表象』11に東浩紀が書評を寄せています。 対象書籍は乗松亨平さんの『ロシアあるいは対立の亡霊』で ゲンロン6のロシア現代思想特集につながる内容ですので、ぜひご一読ください!
http://amzn.to/2pYvrvX
◆NewsPicksに宮台真司さんと東浩紀の対談が掲載されました!(有料会員限定)
「『ソーシャル後の世界』に希望はあるか」 https://newspicks.com/news/2200996 「ソーシャルが私たちから奪ったもの」 https://newspicks.com/news/2200991
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が隔週で連載中です! これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。
第9回「対米従属一択というリスク『トランプ以後』の構想を」です。 https://dot.asahi.com/aera/2017042700019.html 第8回「ユーストリームが終了 『ダダ漏れ民主主義』の曲がり角」 https://dot.asahi.com/aera/2017041400062.html 第7回「認知症高齢者の免許停止から感じた“困難な時代”への疲労感」 https://dot.asahi.com/aera/2017033000049.html 第6回「こじれる築地市場の豊洲移転 石原慎太郎というスケープゴート」 https://dot.asahi.com/aera/2017031500065.html 第5回「『安倍晋三記念小学校』は非日本的な名前?」 https://dot.asahi.com/aera/2017030100035.html 第4回「映画『沈黙―サイレンス―』を観てもう一度普遍主義の価値を考える」 https://dot.asahi.com/aera/2017021600122.html 第3回「トランプが体現する政治と経済の矛盾」 https://dot.asahi.com/aera/2017020200023.html 第2回「初詣ベビーカー論争に見る『迷惑』と『権利』の混同」 https://dot.asahi.com/aera/2017011700208.html 第1回「もっとも深刻なのは『忘れっぽさ』である」 https://dot.asahi.com/aera/2016122900077.html
◆◇ その他のお知らせ  ―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて> ご好評いただいております、座席確保サービスですが、 お席の希望のご連絡を、当日16:00までに、 いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について> お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、 メールアドレスなどに変更があった方は、 友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
会員サービスページ https://genron-tomonokai.com/service/
※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜、月曜は休業日となっております。 営業時間は、13時-21時です。 営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。 ご了承くださいます様、お願いいたします。
◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆―――◇―――◆
株式会社ゲンロン 〒141-0031 東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231 http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
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