#掃部ヶ岳
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再び山ん。
お遥かです。屋根屋です。
皆様ご存じの通り、元日に大地震に襲われた能登で今度は豪雨災害が起きてしまいました。以前、お手伝いに行った特殊支援部隊『山ん』さんの投稿で水が足りていないという実情を知ったので、思いつきではありますが白馬のみんなに呼びかけて物資を募り、一走りしてきましたので、ここで能登の実情を皆様にお伝えできればと思います。
豪雨災害が起こったのは9月21日。俺は小谷の嫁様の実家の祭りでお神輿担いでました。小谷でも一時は中止しようという判断になるくらいの降りでした。
次第に雨は収まってきたので決行されましたが、消火栓で水撒いてきたり、人ん家の庭の池に飛び込んだりする狂った神輿で結局濡れるので雨もクソもねえじゃねえかというのが正直な感想です。
それから数日経ち、能登の被害の深刻さが報道やSNSで広まっていくなか、今度の週末なら動けるぞってことで水曜日に思い立ち、木、金曜日の二日間で救援物資を募り土曜日に能登へ発つ事にしました。
火曜日にたまたま子供の保育園の運動会で一緒になったオラが村のオリンピアン、宮脇健太郎君に能登へ向けて何かしたいと思っていると話したところ彼も協力したい言ってくれてたので、彼がこの夏、岩岳にオープンしたばかりのスノーボードショップ『secret fort』を物資の預かり場所として使わせてもらいました。
おしょっ様です!
更に南側でもどこか受け入れ先があったらいいなと思い、神城の飯森にあるトランポリン施設『Hakubounce』のジョニー君に相談したところ、そんな面識あるわけでもないのに快く協力してくれました!
おしょっ様です!
そんなこんなで二日間で集まった物資は、2Lの水6本入りが100箱近くと想像を遥かに越えた量が集まりました。当初は自分の軽バンで行こうかななんて思っていたけどとんでもない。急遽会社のトラックを借りて(親方、おしょっ様です)コンパネ使ってなんとか積み込みました。一時、白馬のスーパーから水が無くなったという噂も。
その他、カップラやタオル、ガス缶、または日本銀行券までくれた方も。皆様本当におしょっさまです。
てな訳で屋根屋の新入りを道連れにし、明朝5時発で能登へと向かいました。
災害から一週間経ってしまいましたがどんな状況でしょうか。
珠洲市へ入ると道路脇に今回の災害で流れてきたであろう流木が目に入ってきました。これだけでもとんでもない状況だったということが伺い知れます。
更に市街に入ると発生から間も無く10ヶ月ほど経つのに倒れた家ばかりの景色を見て、初めて来た新入りは言葉を失っていました。2回目の俺もだけど。
それでも前回と比べると解体も少しづつ進んでいるようです。
そんなこんなで山んに到着。到着して挨拶もそこそこにクロネコから荷物が届いたり、次々と訪れる地元の人々の対応に追われるマコ君。
ごめん、まともにみんなと写真撮ってる間もなかった。
能登の最新状況はこのマコ君のインスタのストーリーズをチェックしてればわかります。ほんと常に忙しそうに奔走してるのにきっちりとストーリーあげててすげーっす。
白馬から来た物資も無事に置けました。ちょうど人手もある時間で助かりました。かつて白馬にいた絵描きの若者なんかもいたりして思わぬ再会も果たしました。
品薄になっていた食料も潤いました。
が、週末ということもあってか沢山の人が取り来ていて、これもすぐ終わってしまいそうです。
暫くするとマコ君が、今回珠洲市の中でも特に被害の大きかった若山方面へ物資を届けに行こうという事で同行してきました。
20分程走って川伝いに山へ登っていく道に入ります。
川沿いは水が溢れ、流木だけでなく電柱なんかも流れ着いていました。マジかよ。
土曜の朝9時頃から降り始めて10時頃にはそこら中が崩れて、もうとんでもないことになっていたそうです。そんな早く避難の決断なんてできないですよね。
マコ君の知人の��内で今回孤立した集落の人の所へ向かい、物資を置いていきます。
途中、被害を受けた家の周りで作業してる人を見かけては、「あ、あの人、水欲しいんじゃないかな?」なんて気にかけながらも、車で先導して案内してもらっているので車を停めることができずに、もどかしくしているマコ君の姿が印象的でした。
孤立集落への道はかろうじてなんとか車が通れるようになっている感じです。
更に別の集落へ向かい、誰か見つけるとすぐ声をかけ、「水はいらんか?スコップ、掃除道具は?」と尋ねていくマコ君。奥ゆかしい能登の人々は最初は「いや、いい、大丈夫、もっと困ってる人にやってくれ」なんて言うけどマコ君の石川弁トークで徐々に打ち解けて「それじゃあもらおうか」なんて渡していきます。
時には呆然と座り込むおばあちゃんに声をかけて、おばあちゃんの溢れ出る思いをただただ優しく聞いたり。
信州弁なら俺もいけるんだけどな〜。
そんなコミ力高男のマコ君はすぐさまその地域の人の集まりやすい、大工さんの工場を聞き取り出し、そこへ残った物資を全て置いてきました。
行く先々で聞くのは死ぬかと思ったと言う言葉。当時の壮絶さを物語っていました。
山んに帰ると、あれ?誰もいない。そして電話も出ない。まあ、海でしょと言うことでサーフスポットへ行くと。あーいたいた。
張り詰めたら緩めることも重要。それほどのサイズではなかったそうですが楽しかったようです。
次の日、金沢でイベントがあるというマコ君と別れ、晩飯はスーパーで買ってきた魚。シンプルに塩のみの味付け。そんで味噌汁と米。
うんめえ〜。
行きしに聞いてきた KREVAのタンポポ feat. ZORN先生の「美女のモデル とかリゾートホテルより 味噌と米 ありゃ理想と呼べる」のラインが沁みます。
前回は入れなかった五右衛門風呂もいただきました。
新人君も色々といい経験したようです。
明朝、午後から白馬で用事があったので早朝に出発。せっかくなんで輪島の様子も見てきました。こちらも大変なことになっていました。
以上、能登潜入レポートでした。
正月の大地震からようやく立ち直り、所々ではキリコ祭りをやったり稲穂が実ってきて復活の兆しが高まったところでの今回の豪雨災害。神様、いくらなんでも残酷ですよ。マコ君に同行して何人かのお年寄りの話聞いてもみんなだいぶ参っていました。そりゃあそうですよね。被災者の方々の悲しみや苦労は計り知れません。頑張って���人に頑張ろうなんて軽々しく言うななんて意見もありますが、それでもそれでもいつかは前向いてやるしかない訳で、でも今はまだそれどころじゃない訳で。うーんそれでも…と、自分でも結論の出ない取り留めない文章になってしまっていますが、これを読んでなんとか力になりたいと思っているアナタに朗報!
特殊支援部隊『山ん』のインスタアカウントから飛べるこちらのページから山んへ直接、水を始めとしたあらゆる物資への寄付が可能です!モヤモヤしてるあなた!是非とも今こそ能登の人々へ力を!
今回ご協力いただいた皆様、誠に誠におしょっ様でしたー!!
引き続きみんなで能登を注視しながらサポートしていきましょう!
ほんじゃあ〜👋
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榛名山/群馬県高崎市【日本二百名山】標高1,391m榛名富士山頂にロープウェイでお手軽登山
榛名山とは 榛名山(はるなさん)は、群馬県高崎市榛名湖町(ぐんまけんたかさきしはるなこまち)にある日本二百名山だ。 上毛三山の一つであり、最高峰は標高1,449mの掃部ヶ岳(かもんがたけ) 今回は最高峰の掃部ヶ岳には行かず、榛名富士に���ープウェイで登ることにした。 上毛三山の一つ、榛名山の火山活動によって生まれた、標高1,100メートルにある榛名湖。 年間を通じて美しい景観と自然を満喫できる高崎市で一番人気のアウトドアスポット。爽やかな空気の中、ボートや遊覧船、オートキャンプなどが楽しめます。 榛名山・榛名湖 | 高崎市 から引用 (more…)
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#ロープウェイ#上毛三山#伊香保温泉#前橋市#富士山#掃部ヶ岳#日本二百名山#榛名富士#榛名富士山神社#榛名富士山頂駅#榛名山#榛名山ロープウェイ#榛名湖#榛名湖町#県道33号線#群馬県#赤城山#駐車場#高崎市#高根展望台
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HARUNA 6 Summits Challenge 2週間前、所用で高崎に行った帰りに見た榛名山を縦走したら楽しいかもと思って、家に帰ってから夫に話したら、ノってくれて、本日決行しました。 榛名湖の周りを取り囲む掃部ヶ岳、氷室山、天目山、榛名富士、烏帽子岳、鬢櫛山の6座の縦走。本当にできるかなと半信半疑で、ダメだったら湖畔にエスケープすればいいかなと思いながらスタートした、今年最後で最大の私たちのチャレンジ。なんとか予定時間に完了することができました。ひとつひとつはそれほど大きな山ではないけれど、榛名湖を取り囲む山々をすべて自分の脚で歩き通すことができて、達成感でいっぱいです。 ①烏帽子岳展望台からの眺望。 ②1座目 掃部ヶ岳 ③2座目 氷室山 ④3座目 天目山 ⑤4座目 榛名富士 ⑥5座目 烏帽子ヶ岳 ⑦6座目 鬢櫛山 #haruna6summits challenge #榛名山 #榛名湖 #掃部ヶ岳 #氷室山 #天目山 #榛名富士 #烏帽子ヶ岳 #鬢櫛山 (Mount Haruna) https://www.instagram.com/p/B6VZazChDK2/?igshid=ewynslomokjz
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いたるところに、漢字、漢字、漢字が…!
「你好! 安田先生!(こんにちは!安田さん)」
小さいが清潔感のある空港から外へ出ると、私の名字が書かれた紙を持っている青年が流暢な中国語で声をかけてきた。彼の中国語名は子辰。紙には中国語で「歓迎」、日本語のひらがなで「ようこそ」と書いてある。彼は日本語はわからないが、Google翻訳で調べて書いてくれたという。
“子辰”と握手を交わした私のすぐ横を、機内で隣席に座っていた中国国営企業(資源系)に勤務する北京出身のビジネスマンの集団が歩いていく。彼らとは宿が一緒だったので「再見!(またね)」と挨拶を交わして見送った。
「四川電力阿壩公司」
現地の通貨を下ろすためにATMの列に並んでいると、またもや目の前に漢字があった。私の前に並ぶ男が、なぜか中国内陸部のインフラ企業・四川省電力公司アバ支社のサッカーチームのレプリカユニフォームを着ていたのだ。さらにミネラルウォーターのボトルを捨てる場所を探すと、中国語で「リサイクル」「その他のゴミ」と書かれたゴミ箱があった。
待っていてくれたピーター(子辰)と、空港付近で見かけた中国語の数々。ゴミ箱は中国の援助で設置されたらしく、英語よりも漢字のほうが文字が大きい。
そもそも、カタールのドーハで飛行機を乗り換えて以来、私はほとんど中国語しか使っていない。英語はせいぜい機内でのドリンクの注文と、入管で渡航意図を説明したときにちょっと喋った程度だ。
だが、私が来た場所��北京でも成都でもない。東アフリカの内陸部に位置する山岳国家・ルワンダの首都のキガリである。標高1500メートルほどの��原地帯に位置するキガリは、ほぼ赤道直下にもかかわらず、年間を通じて最高気温・最低気温の平均がそれぞれ約27度・約18度、湿度も低くて過ごしやすい。
“子辰”のルワンダでの名前はピーター・ムホザという(さらにフランス語でジャン・ピエール・ムホザという名もある)。意思疎通にほぼ問題がないレベルの中国語を話し、漢字のニックネームまで持っているが、れっきとしたルワンダ人だ。
ピーターとは、現地への渡航にあたり、北京の中国地質大学で恐竜学を学ぶ黒須球子(まりこ) さんのルームメイトのモザンビーク人留学生の友達の友達……という、恐竜とアフリカ系中国人材というカオスな人脈をたどった果てに知り合った。
(黒須さんについては、こちらの記事も参照いただきたい→https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64445)
中国を見るならアフリカを見よ!
ところで、私はなぜルワンダに行ったのか? 理由は簡単だ。いま、中国本土以外で中国ウォッチャーが最も見ておくべき場所は、アフリカだからである。
中国は1950年代以来、反帝国主義や第三世界の連帯を唱えてアフリカ諸国と独自のコネクションを築いてきた。イデオロギー主導の外交は1980年代にいったん下火になったが、21世紀に入ると資源エネルギー需要の増大や中国企業の対外進出(走出去)政策、さらに習近平政権下での一帯一路政策を受けて、アフリカとの関係が再び強化された。
※取材謝礼であるヤマハのステレオを手にテンションが爆上がりのピーター。ビックカメラの英語ページから欲しい商品を選んでもらったが、彼が選んだ液晶テレビは中国メーカーのハイセンス製だったので、第2希望のヤマハ製品を持っていった。
近年は中国の対外援助の5割近くを対アフリカ援助が占めている。「政治的条件のつかない援助」を合言葉に、相手国の政体にかかわらず(=たとえ独裁国家が相手でも)手を差し伸べる中国は、専制的な国も多いアフリカから見ればありがたい相手だ。旺盛な経済関係もあって、アフリカ諸国の対中好感度は軒並み高く、国連などの場でも中国の応援団として振る舞うことが期待されている。
そんなアフリカ諸国のなかで、私が今回訪ねたのがルワンダ��。1994年に50〜80万人もの犠牲者を出したルワンダ虐殺から、今年はちょうど25年目にあたる。いまこそ見ておくべき国だと言っていい。
詳しくは後述するが、内戦終結後のルワンダは「アフリカのシンガポール」を合言葉にスマート国家への脱皮を図っている。政治は専制体制、経済はニューエコノミーを重視した国家資本主義……と、国土面積が四国の1.4倍程度の小国にもかかわらず、中国さながらの国家を作ろうとしているのだ。
私は北京から約8000キロ離れたこの小さな国へ、「中国っぽいもの」を探す旅に出たのであった。
習近平は素晴らしいリーダーだ!
「最近のルワンダはアメリカと少しギクシャクしているけれど、中国との関係はすこぶる良好だ。いまのルワンダにとっていちばん重要な国は中国だと思うよ」
空港からのタクシーの車内で、ピーターがそう説明してくれた。
1990年生まれの彼はルワンダ虐殺で父を失ったが、内戦後は母子家庭のなかで勉学にはげみ、成績優秀者を選抜するルワンダ国家の奨学金を得て同国では数少ない高等教育機関であるルワンダ国立大学を卒業した。やがて2015年に中国政府奨学金留学生として北京科技大学に留学して、バイオ燃料にかかわる論文で修士号を取得している。
ピーターは細身の長身で、黙っていると横顔がちょっとウィル・スミスっぽくてかっこいいのだが、お調子者で不器用な性格が玉に瑕である(ただしルックスがよいのでモテる)。もっとも優秀なのは確かで、北京留学中は留学生の代表として訪中したルワンダ大統領のポール・カガメ(後述)にも会った。今年か来年、中国政府から再度の奨学金を得て北京で博士号を取るのが当面の目標だ。
「習近平は素晴らしいリーダーだと思うね。中国のリーダーはロング・タームでものを考えて、実行できている。多くのアフリカのリーダーも見習うべきだろう」
その経歴からしても当然、ピーターは親中派である。もっとも、こういうエリート層は最近のルワンダ(のみならずサブ・サハラ各国)ではそれほど珍しくない。例えば、2日後に私が会ったピーターの友人で、中国語教師のガット(32歳、中国語名「田文」)も言う。
「ルワンダがモデルにするべき国家は中国だ。政治的安定、経済発展、イノベーションを実現するには中国みたいな体制が理想的なんだ」
ガットも94年のルワンダ虐殺の生き残りである。ピーターと同じくルワンダ政府の奨学金を得て大学へ進学し、やがて中国政府の国策にもとづく語学教育プロジェクト・孔子学院の奨学金を得る形で重慶師範大学で漢語教育分���での修士号を取った。帰国後はそのままルワンダ国内の孔子学院に就職し、母国の後輩たちに中国語を教えている。
中国語とソロバン、広がる影響力
孔子学院はあくまでも語学教育プロジェクトであり、日本で一般に思われているほどゴリゴリのイデオロギー教育がなされているわけではない。ただ、ルワンダにとって最大の輸入相手国である中国の言語を教え、さらに奨学金を通じて「先進国」中国への留学の機会を提供してくれるので、現地のインテリ層の対中好感度を上げるうえでは一定の役割を果たしている。
2018年12月現在、アフリカ全土で孔子学院は59施設、より小規模な孔子課堂が41施設あり、のべ140万人以上が学んだとされる。ルワンダだけでも孔子学院・課堂は約20施設があり、ガットが教えているのはキガリからバスで3時間ほどの距離にある地方都市の教室だ。
ルワンダの孔子学院で、学生側が負担する費用は入学手続き料の30000ルワンダ・フラン(約3600円)のみ、入学後の学費は完全に無料だ。学位は取得できないとはいえ、将来を切り開く上ではかなりお得な教育機関だと言っていい。
※もう一人の孔子学院奨学金OBの中国留学経験者で、キガリ市内で旅行会社を経営するガテラ氏。アフリカ大陸のど真ん中にもかかわらず、中国語人材を探すとどんどん見つかる
孔子学院以外にも、私が目にした中国のソフトパワーを紹介しておこう。それはピーターの仕事である。彼は現在、北京に本社を置いて世界展開するソロバン教育塾チェーン「Shenmo(神墨)」グループのルワンダ・ブランチの運営にたずさわっているのだ。
キガリ郊外にある教室に遊びに行くと、6〜11歳の子ども十数人が、一心不乱にソロバンの玉を弾いていた。一通りソロバンを使わせた後は暗算である。算数の基礎能力を付けるうえでは、ソロバンは有効だ。
授業は英語でおこなわれるものの、教材は中国からそのまま持ってきたもの。漢字で書かれた答案用紙に、子どもたちが答えを書き入れていく。
かつてルワンダは旧宗主国のベルギーが教育に不熱心だったこともあって、1960年代まで大学が存在せず、その後も内戦などで教育の混乱が続いた歴史がある。Shenmoはまだ小規模だが、教育産業の需要それ自体はある国だ。
「ルワンダの教育環境は、はっきり言って現在でも全然よくない。理数系に強い人材を育てなきゃいけないんだ」
そう話すピーターは、半年ほど前に隣国タンザニアのダルエスサラームでShenmoのブランチ代表としての研修を経験した。イラン・ルワンダ・タンザニアの代表が集められ、中国人コーチからソロバンの特訓を受けたらしい。ライオンだらけの国に、中国ソロバン塾の「虎の穴」があったのだ。
父は穏健派だから殺された
ピーターのソロバン教室で学ぶ子どもたちは人懐っこく、あれこれと私に話しかけてきたり、時計やカメラをいじり回したりと天真爛漫だ。だが、彼らが生まれる前にルワンダが経験した歴史は重くて暗い。
ルワンダは過去にながらく、旧宗主国のドイツやベルギーによって作り出されたツチ・フツの「民族」対立に苦しんできた。ツチとフツの言語や宗教はほぼ同じで、両者の差異は実質的にほとんどないが、植民地時代に少数派のツチが「白人に近い」とみなされ中間支配層として活用されたことで対立の芽が生まれた。
ツチとされた人たちは人口の約14%、フツとされた人たちは約85%である(他に先住民である「トゥワ」が1%)。ツチ・フツは外見上でも区別できないが、植民地政府が作ったIDカードに「民族」を記載する項目が設けられたことが悲劇の遠因になった。
1962年のルワンダ独立後は多数派であるフツが権力を握り、初代のカイバンダ大統領時代にはツチがしばしば虐殺された。2代目のハビャリマナ大統領(服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』にも「ハビさん」の名で登場する)の時代の末期、1990年代前半にも激しい内戦が起こり、権力の維持を図った同政権の取り巻き集団を中心にフツ至上主義(フツ・パワー)が喧伝された。
ツチへの憎悪を煽った雑誌『KANGRA』。ルワンダ虐殺の当時、ツチの民兵たちの間でよく読まれていた。キガリ市内の虐殺記念館にて許可を得て撮影
ついに94年、このハビャリマナ大統領の暗殺を契機に混乱がいっそう拡大し、民兵組織や地方有力者の扇動を受けた一般のフツ系住民が、ツチや穏健派フツをわずか3ヶ月間で50万〜80万人(一説には100万人)も虐殺するルワンダ虐殺が起きた。単純計算でも、内戦前の人口(約720万人)の10%近い人数が犠牲になったことになる。ソロバン先生のピーターも、この事件で父親を失っている。
「当時は4歳だったから、僕には父さんの記憶も、虐殺の記憶もない。父さんがフツで母さんがツチだったらしいけれど、父さんはフツなのに虐殺に加わらない穏健派だったから殺されたみたいだ。ただ、どうやって亡くなったのかはよくわからない」
いっぽう、孔子学院の講師であるガットは、父親がツチで母親がフツだった。ガットが7歳のときに発生した虐殺で父親の一族は皆殺しにされたが、当時は母親がフツの男性と再婚していたので、連れ子であるガットはかろうじて難を逃れている。ガットは言う。
「私みたいな話はいくらでもあるが、みんな我慢している。被害者も加害者も大勢いるし、(虐殺の)当時に何をしていたかは、他人に聞ける話題じゃないさ。過去に直接手を下したことがわかっている人についても不問に付す。それが未来のためだ」
虐殺25年後の強権と経済発展
1994年のルワンダ虐殺は3ヵ月ほどで終わった。隣国ウガンダに亡命していたツチ系勢力を中心とするルワンダ愛国戦線(RPF)が内戦に勝利し、虐殺が停止されたからだ(ちなみに同年9月〜12月にはルワンダ難民への人道救援活動として、自衛隊が隣国ザイールの難民キャンプに派遣されている)。やがて政情は徐々に安定し、2000年からはRPFのリーダーだったポール・カガメが大統領となった。
近年、カガメは強力なリーダーシップのもとで「アフリカのシンガポール」を目標にルワンダの国家改造を進めている。カガメはかなり独裁的だが、ジンバブエのムガベや中央アフリカのボカサのような、従来のアフリカにありがちな国家を私物化するタイプのリーダーではなく、あだ名は「ルワンダのCEO」だ。植民地時代から行政や教育現場で用いられてきたフランス語も、英語に置き換えられた。
ルワンダの一人当たりGDPはまだ750ドル程度で、国家予算の3割を援助に頼る。だが、ルワンダの汚職の少なさや政府の行政能力、良好な治安、起業の容易さなどは国際的にも高く評価されている。国外からの投資も集まり、2008年〜2017年の10年間のGDP成長率は約7.5%に達した。人口も虐殺当時の倍以上となる約1220万人まで増え、社会には若者が多く活気がある。
近年は政府の政策により清掃に力が入れられていることもあって、キガリ市内の中心部はかなり清潔だ。路上にゴミはほとんどなく、他のアフリカの都市と比較しても清潔感がある。夜間のひとり歩きも、それほど怖くない。
カガメ政権下では従来の民族対立も強引に押さえ込まれ、いまや「ツチ」「フツ」はもちろん「民族(ethnicity)」という単語すらおおやけに語ることはタブーだ。もっとも実際のところ、内戦前は人口的に多数派のフツ系が支配層だったが、内戦後はカガメ自身を含めたツチ系のリーダーたちが台頭するようになっている。
現在、ICT分野で起業をしたり、中国に留学したりするような「意識の高い」ルワンダ人の青年エリートは(ピーターはフツ系だが)多くが幼少期に虐殺を生き延びた���、亡命先から母国に戻ってきたツチ系の人たちである。彼らはそれぞれカガメを手放しで称賛する。
「カガメ大統領は凄い。彼はルワンダ国民を愛しているし、ルワンダをもっと発展させてくれる。国家が発展するときは、ああいうストロングなリーダーの政治が必要なんだ。マスコミや野党の統制だって、ときには必要とされる場合があるのさ」(ピーター)
「カガメの政策は庶民の希望と合致している。彼ら(=RPF)はルワンダを虐殺から救ってくれたし、カガメに代われる者はいない。みんなが、カガメにもっと大統領を続けてほしいと思っている」(ガット)
中国人から「言論の自由がない」と評される国
ルワンダではカガメについて「褒める」以外の評価が許されていないとはいえ、かなり多くの国民が本気でカガメを支持しているのも確かだ。これはピーターやガットのようなエリート層だけに限った話でもない。
ただし、カガメ政権は経済発展以外の分野でもシンガポールや中国を参考にしているらしく、マスメディアを強力に統制し、野党を強力に弾圧している。さらに2015年には、憲法を改正して大統領任期を事実上17年間も延長してしまった。
プロパガンダ雑誌の表紙をかざるポール・カガメ。「ルワンダのCEO」のイメージを損なわないための演出なのだろうが、反政府ゲリラの元リーダーがこれだけスマートに振る舞っているのは驚きだ。
ルワンダの報道統制は凄まじく、中国系の民間シンクタンクが昨年8月に発表したレポート『非洲国家民衆眼中的中国形象—盧旺達(アフリカの国家・民衆から見た中国の姿:ルワンダ)』のなかでも「言論の自由は相対的に制限されている」「(現地メディアは)民衆の真実の感想や視点を反映したりよく伝えたりすることが比較的少ない」という記述がある。中国人が見てすら「言論の自由がない」と感じてしまうほどの国なのである。
従来、欧米各国はルワンダ虐殺への配慮もあってカガメ政権への批判を手加減してきたが、近年はさすがに批判が強まり、ルワンダの対米関係も悪化しつつある。ただ、それゆえに専制体制を気にせずに仲良くしてくれる「大国」の存在は歓迎される。つまり中国のことだ。
CNNによれば、中国は過去12年間でルワンダに4000億ドル(約4兆3900億円)を投資してきた。ルワンダの道路状況は地方を含めてかなり良好だが、こうした国内道路の7割は中国企業の建設によるという。昨年7月、習近平は中国の国家主席としては初めてルワンダを訪問して一帯一路構想への参加を歓迎し、一説には道路建設に1億2600万ドル(約138 億円)規模ともいう融資を決め、さらに病院や新空港の開発でもルワンダ政府と合意に達した。
ルワンダの目覚ましい復興は「アフリカの奇跡」として国際的にも高い評価を得ている。だが、その成功を支えるものは、広い意味での中国モデルの国家体制である。
「虐殺」の後には中国きたる
以前、私は『さいはての中国』(小学館新書)で、カンボジアでの中国の存在感の増大について書いた。かつて内戦とポル・ポトの虐殺を経験したカンボジアは、1990年代前半にUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)をはじめ��した国際社会の支援のもとで議会制民主主義が導入されて国家を再スタートさせたが、近年は中国の強い影響化に置かれるようになった。
現在、カンボジアは急速な経済発展で投資家の注目を浴びるいっぽう、与党が国民議会の全議席を独占するなど、フン・セン首相の独裁体制が固められている。フン・センと中国の関係は強固で、カンボジア国家は、中国からの多額の借款を受け入れている。ASEANの会議などで南シナ海の領土問題が持ち出された際に、カンボジアが必ず中国を支持する光景もすでにお馴染みだ。
虐殺の後には中国きたる――。この構図はカンボジアのみならず、ルワンダもまた同様だ。
米中対立の激化が進むなか、今年5月12日付けのAFP(日本語版)は、フランス国際関係研究所のアリス・エクマン氏の見解を引用する形で、世界の各国が米中のいずれの勢力に属するかの選択を突きつけられる時代の到来を予告している。中国に「新冷戦」を本気で戦い抜く覚悟と体力があるかは不明だが、近年の中国の国際的プレゼンスの拡大を受けて、第三世界の諸国のなかには、かつての毛沢東時代さながらに中国側へなびく国が出てきている。
ルワンダをめぐってはかつて冷戦下の1960年代に、西側寄り(フランス寄り)のフツ系政権を牽制する目的から、複数のツチ系反政府勢力がソ連や中国の支援を受けていた歴史がある。現在の中国とツチ系のカガメ政権との関係は、半世紀前の共闘の構図が新冷戦の時代に装いを変えて復活したもの、という見方もできるだろう。
アフリカで中国を探す私の旅は、まだ始まったばかりである。
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谷川連峰北部 榛名山・掃部ヶ岳登路より
Northern part of Tanigawa Range along the Gunma-Niigata border, central Japan.
#nature#landscape#mountain#mountain spotting#mt tanigawa-dake#tanigawa range#gunma#niigata#japan#original photography#山座同定#谷川岳#谷川連峰#榛名山#群馬
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「麦の穂青し」③終
知覧特攻基地と言えば、「富屋食堂」を営み、多くの特攻隊員の面倒を見て、“特攻の母”と呼ばれた鳥濱トメさんが有名ですが、地元の知覧高等女学校の生徒たちが特攻隊員を献身的にお世話したことも記憶に留めておく必要があります。
本書には、知覧高女なでしこ会が刊行した『群青 知覧特攻基地より』の「まえがき」が引用されています。
本書の第二部「征く人、送る人」の第二章「さらば、祖国よ」から、「知覧の少女たちが見た別れ」の箇所を、少々長くなりますが引用いたします。なお、文中に出てくる『空から轟沈』の唄はご存じない方が多いと思いますので、Youtubeから貼り付けました。
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知覧基地に関しては、地元の知覧高等女学校の生徒たちによる特攻隊員に対する献身的なもてなしが、多くの特攻隊員につかの間の安らぎを与えたことはよく知られています。
知覧高等女学校の生徒たちがなぜこのようなもてなしをするようになったかのいきさつは、「知覧高女なでしこ会」が昭和51年に刊行した『群青 知覧特攻基地より』の「まえがき」に、永崎(旧姓前田)笙子が次のように記しています。
「昭和20年3月27日、知覧高等女学校の三年生進級を前にして、突然、私たちは勤労動��学生として、各地から知覧基地へ集結された特攻隊員の身の回りのお世話をすることになりました。敗色濃い戦局だった��めに、軍だけでは隊員たちを受け入れるゆとりもなく、その態勢も整っていなかったのでしょうか。激しい空襲のさなかを自宅から基地まで、遠い人は二時間もかかって通い、三角兵舎の掃除、食事の用意、洗濯、そしてつくろいものなどの雑用係として、14、15歳の少女���った私たちがあたることになったのです。最初18名だった女学生も、手が足りなくなって次第に増員されるようになりました」
戦争末期のこの時期、日本軍には余力というものが全くなくなり、青壮年は根こそぎ軍隊にとられ、本来なら下級兵士や軍属がすべき雑用を、知覧基地では14、15歳の少女に任せるはかなかったのです。その期間は昭和20年3月下旬から6月下旬までの3ヶ月足らずですが、この聞に昼間出撃した特攻隊員を飛行場で直接見送るという稀有の体験を少女たちは重ねることになったのです。その点を永崎は次のように記しています。
「多くの隊員は到着して4、5日間を基地の三角兵舎ですごして出撃されましたが、なかには、たった一夜だけの滞在で慌ただしく出撃された方もいらっしゃいました。それは、つかのまの出会いではありましたが、長い歳月を経た今でも、心の奥底に多くの隊員たちの思い出が生き続けているのは、平和な時代には想像もできないような異常な戦争体験だったからでしょうか。泣きながら桜の小枝をうち振って出撃を見送ったときの光景など、折にふれ鮮烈な思い出としてよみかえってまいりました」
彼女たちは今で言えば中学二、三年生の純情で清潔で多感な少女でした。その少女たちが、「生き神様」と呼ばれ、明日には特攻散華するかも知れぬ、一死殉国の若者たちの身の回りの世話をし、共に語り、共に笑い、共に心を通わせたのですから、その印象は生涯消すに消されぬほど鮮烈なものであったに違いありません。
特攻隊員でもっとも若い者は16、17歳であり、少女たちより二、三歳上に過ぎないのです。そうした若者たちが日本を救うために明日にはその身を敵艦上に爆裂させるかもしれないという切迫した状況が、少女たちを深く感銘させ、その感銘がまた少女たちの献身を引き起こしたのです。いわば特攻隊員の自己犠牲の崇高な精神が彼女たちに無償の奉仕という対価を求めぬ純粋な献身行動を呼び起こしたとも云えるのです。
そして永崎はさらにこう続けます。
「皆様の遺書や書簡を読ませていただき、あらためて現実の出来事のように、ありし日のあの方、この方をしのび、多くの若者を失ったあの戦争とはいったい何だったのだろうかと、新たな感慨に胸が締め付けられる思いでございます。生と死の狭間のなかで苦悩しながら、永遠の平和を願い、国の護りに殉じていった若い人々のために心から涙を流した愛惜の日々は、私たちの頭から生涯消え去ることはないでしょう」
大東亜戦争は日本史上最悪の出来事でした。死者の総数は310万人を超え、日数でならすと一日に約2,300人の死者が出た計算になります。これほどの大悲劇はありません。ただその大悲劇の中で、唯一清冽な想い出を歴史に刻んでくれたのが特攻隊の若者たちの愛と勇気に満ちた身の処し方であり、このことは日本史がつづく限り、民族の誇りとして語り継がれてゆくに違いありません。
戦争を経験せずに真の平和はあり得ないとされています。まだ逆に平和を獲得するのが戦争だという考えもあります。しかし戦争と平和の問題は個々に独立した概念として把握されるべきではなく、常に歴史の連続性の中で確認されねばならぬ最重要な国家的課題であり、永崎もその点を次のように説いています。
「いま私たちが手にしている平和が、数多くの人生とかけがえのない青春の上に築かれていることを忘れ、自分の利害だけで、権利ばかりを主張して責任を果さない風潮が一般的になったと、よく人々から聞かされるようになりました。こんなとき、平和を願い、すべての私情を断ちきって短い人生を終えていった特攻隊員を、その出撃直前まで目のあたりにしてきた人々の中から、『歴史の証言として何かを残すべきではないか』という声がもちあがりました。それもある思想的な立場からの作為のもとに粉飾されたり、無意識のうちに変ってしまったものではなく、その時、その状況の中で真剣に綴られた生のままを残したほうがよいのではないかということでした」
この群青というタイトルには、特攻隊員が出撃して征った沖縄の青い海や空がイメージされていることば確かですが、それよりも平和な時代の限りなく優しい海や空の青を思い描き、祖国防衛戦争にその尊い命を捧げた特攻隊の若者たちの自己犠牲の崇高な精神を、日本民族がつづく限り、永遠平和のために未来永劫語り継いでゆこうという強い意志がこめられているに違いありません。それゆえ永崎は次のように記してこの「まえがき」を閉じています。
「本書は、還らざる方々の魂の証と、ささやかながら私たちの心の軌跡をまとめたものです。特攻隊に関する本は少なからず出版されていますが、数ある太平洋戦争史の大河の流れの一しずくとして、心ある方がもし拾いあげてくがさるならば、これにこした喜びはありません」
本書が他の特攻関連の本と一線を画するのは、陸軍特別攻撃隊の若者たちと知覧高女の乙女たちの清楚で涼やかな心の交流が全編の至るところににじみ出ていることにあり、本書を心読すれば、当時の青春はこれほどまでに純粋で美しかったのかと強い感動に襲われるに違いありません。本書は特攻隊員の壮烈な遺書・遺稿を掲載しながら、それが壮烈であればあるほど、知覧高女の乙女たちの精神のたたずまいの美しさが際立ち、巧まずして平和の尊さを読む者の心に深く静かに訴えかける、稀有の鎮魂の書となっているのです。
本書には、知覧高女の乙女たちの見た特攻出撃の光景が哀切に描かれています。たとえば永崎笙子は満開の桜の中を出撃して征く特攻隊の哀しいまでに美しい光景を次のように記しています。
「ある日、私たちは当番兵から、徳之島前進の特攻機におにぎりを二個ずつ積むように言われました。徳之島前進というのは、航続距離の短い特攻機のために、徳之島を中継基地として出撃するため、知覧基地を飛び立って徳之島へ集結することを意味します。
ただ、おにぎりを配るだけでは、どうしても私たちの気持ちをあらわすことができないような気がして、機中の隊員の方に桜の小枝を差し上げましたところ、隊員の方にたいへん喜ばれ、『ありがとう、ありがとう』と何度もくりかえしいわれました。その様子から、『時がくれば何の未練もなく散っていく桜のように、武士のいさぎよさを見た』と言った人もいました。それ以来、私たちは出撃する特攻機の操縦席を、桜の花で飾るようになりました。当時、知覧は桜の花盛りでした」
俗謡に「富士と桜の日本によくぞ男と生まれける」とありますが、日本男子にとって桜ほどふさわしい花はありません。『仮名手本忠臣蔵』に「花は桜木、人は武士」とありますが、特攻隊の若者たちも自分は現代の武士であると堅く信じていましたから、この言葉には大いに魅かれましたが、これ以上に特攻隊員が共感したのは「花は散り際、武士は死に際」という言葉でした。ひとたび出撃した特攻隊員に残されたことは存分に戦って潔く死ぬことだけであり、それゆえ死に際の見事さを彼らは切に願ったのです。
また彼らは出撃前の壮行会では必ず「同期の桜」を歌いました。「咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょ、国のため」という文句ほど、彼らの特攻魂をたぎらせ、かつまた彼らに清冽な詩情を与える文句はありませんでした。そして彼らは「散るのは覚悟」と歌いきることによって、特攻死というものが決して恐怖であるばかりでなく、華と散ること、即ち散華の美学と直結することを理屈としてではなく、感覚として理解できたのです。
さらに桜についていうなら、彼らが好んだ句は「散る桜、残る桜も散る桜」であり、「風吹かば、かねて覚悟の桜かな」でした。桜の花が真に美しいのは満開の時よりも花吹雪となって散り急ぐ時であり、宗宮亮平(陸軍特別攻撃隊飛行第六十六戦隊、昭和20年6月6日、出撃戦死、少年飛行兵、岐阜県、20歳)という若者は、日記の最後に、
「身を清廉潔白に保ち、若桜の一陣の春風に散るが如き最期を遂げたきものなり」
と記して出撃して征きました。特攻隊の若者たちがいかに潔い死を望んでいたか、この清冽な一文を読めば誰でも納得がゆくでしよう。知覧高女の乙女たちが贈った一枝の桜ほど若い特攻隊員たちを元気づけたものはなく、特攻機の操縦席に桜を持ち込んだ彼らは、桜と共に散華できることを無上の喜びとし、日本武士の誇りを胸に敵艦めがけて突入して征つたに違いないのです。
そして永崎は眼前に見た特攻出撃の光景を次のように記しました。
「4月12日
今日は晴れの出撃、征きて再び帰らぬ神鷲と私達をのせた自動車は誘導路を一目散に走り飛行機の待避させてあるところまで行く。途中『空から轟沈』の唄の絶え間はない。先生方と隊長機の擬装をとってあげる。腹に爆弾をかかへた隊長機のプロペラの回転はよかった。本島さんの飛行機もブンブンうなりをたててゐる。どこまで優しい隊長さんでせう。始動車(当時の飛行機は発進のときプロペラの回転が自動でできず、始動車によって始動した機が多かった)にのせて戦闘指揮所まで送られる。うしろを振り返れば可憐なレンゲの首飾りをした隊長さん、本島さん、飛行機にのって振り向いていらっしやる。桜花に埋まった飛行機が通りすぎる。私達も差上げなくてはと思って兵舎に走る。途中、自転車に乗った河崎さんと会ふ。
桜花をしっかり握り一生懸命駆けつけた時は出発線に行ってしまひ、すでに滑走しやうとしてゐる所だ。遠いため走って行けぬのが残念だった。本島機が遅れて目の前を出発線へと行く。と隊長機が飛び立つ。つづいて岡安、柳生、持木機、九七戦は翼を左右に振りながら、どの機もどの機もにっこり笑った操縦者がちらっと見える。二十振武隊の穴沢機が目の前を行き過ぎる。一生懸命お別れのさくら花を振ると、にっこり笑った穴沢さんが何回と敬礼なさる。パチリ……後を振り向くと映画の小父さんが私たちをうつしてゐる。特攻機が全部出て行ってしまふとぼんやりたたずみ、南の空を何時までも見てゐる自分だった。何時か目には涙が溢れ出てゐた」
知覧高女の生徒たちは、こうした別れを毎日のように体験したのです。彼女たちにとって特攻出撃は勇壮なものであると同時に、お世話した若者たちとは二度と会えぬことが定められた惜別の哀しみに満ち満ちたものでもあったのです。
さらに永崎は出撃にまつわる次のような親子の哀切な別れも記しています。
「ある日のこと、搭乗したばかりの特攻隊員のところへ息せききって走りよる初老の男の方がいらっしゃいました。ふたことみこと言葉を交してから着ていた羽織の紐をもぎとると、それを隊員に差し出し去した。二人は手を固くにぎりしめたまま、身じろぎもしないで思いをこめた眼差しを交していました。その様子から、その男の方が隊員のお父様であることがわかり、胸があつくなりました。
やがて羽織の紐を乗せて特攻機は飛び立ちましたが、機影が開聞岳の向うへ消えたあとも、乱れた羽織姿のままで南の空をいつまでも見つめながら、悄然と立ちつくしておられました。親子のきずなを羽織の紐に託して永遠の別れを告げられたその情景に、私たちは思わずもらい泣きをしてしまいました」
特攻は見方を変えれば、すべて哀切な別れのドラマといえます。両親との別れ、兄弟姉妹との別れ、妻子との別れ、恋人との別れ、あるいは戦友や朋友との別れといったように、徹頭徹尾、特攻は愛と別れのドラマといえるのです。そしてさらに永崎はこの日の出撃光景を続けます。
「離陸した特攻機は、飛行場の上空を旋回しながら隊別に三機編隊を組み、編隊を組みおえると機首を戦闘指揮所へ向けて急降下をしました。そして、みんな一様に三回、翼を左右にふりながら最後の別れを告げると、急上昇して開聞岳の彼方へ消えていきました。
基地に残った隊員や整備兵たちは、いっせいに帽子を振り、私たちも桜の枝やハンカチを振って見送りました。機影が見えなくなってからも、私たちはしばらく呆然と立ちつくし、そのあとで急に襲ってくるはげしい悲しみに堰を切ったように泣きだしました。
でも私たちは涙のかわかないうちに、まだ次に到着される特攻隊の方々をお���話しなければなりませんでした。そんな悲しみに堪えながら三角兵舎へ戻ることがたびたびでした。寒々と静まり返った兵舎内に足をふみ入れますと新たな思いにかられて、とめどもなく涙が頬を流れ落ちました」
このように優しい乙女たちに見送られたことは、特攻隊の若者たちにとっても何物にも代えがたい喜びであったことでしょう。彼らにとっては、この別れが生きる喜びを感じた人生最後の体験となったのです。そしてこの離陸から長くとも二時間か三時間で彼らの人生は終わりを告げることになるのです。しかも彼らは心身ともに健康で、本来なら夢と希望に満ち溢れた二十歳前後の青年なのです。この一事を捉えても、特攻隊を美化したり、戦争を肯定したりすることが、人間性の尊厳を否定する不遜な考えであることが自ずと明らかになるのです。
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エッセイ「今日は何の日❓」 朝孫の光翔(みなと)くん(4ヶ月)が、脇の下に熱取りの氷を付けたママで、下のバァの部屋にヤッテキタノデス⁉娘たち家族は、感染性の胃腸炎の様で漸く快復してきましたが、みなとくんが、熱が引かずに座薬を入れて寝たのです。ジィージは、その姿を心に焼き付けた朝となりました❣パパと娘は、南多摩病院へみなとくんを連れて出かけた様です。 家中の掃除を終え、夕飯を食べ始めた時に、点滴を終えて迎えに行った二人の孫たちも帰って来たのです。点滴をする時に大声で泣いたらしく妻が「病院の先生が、大声で泣くようなら大丈夫ですよ」と娘から途中の携帯だった様です。 帰って来���と尿も出たとの事なので、少し安心出来ました⁉ここ数日は、娘にベッタリでしたからジィージの顔を見ても反応が、イマイチなのでチョッ��寂しカッタなぁ❣ (途中で風呂へ)風呂の戸が開いて、長男の孫の友翔(ゆうと)くんが「ジィー、みなとゲボ吐いた‼タオルは❓何処⁉」「ジィーのデナクテ?」棚の上に有るタオルを渡しました。風呂から出るとママとみなとくんは、寝たようでした? 今日は、ソウナノデス「天正18年6月23日」八王子落城の日で、イベントがある日なのでした‼すっかり忘れていました、外出から帰る途中でようやく気付いたのです。 朝には、必ず家の神棚、洋服箪笥の上の木彫の「アイヌの酋長夫婦」(妻との新婚旅行で買いました)へ挨拶をして、隣の部屋(孫たちのオモチャに娘のヌイグルミがある)の窓から遠望できる「深澤山⛰」さんへ向かって挨拶を致します。 深澤山さん、おはよう御座います。本日も宜しくお願い致します🤲貴方の頂にお鎮まり頂いている八王子神社の神様、八人の王子様今日も宜しく御願い致します🤲八王子城の合戦でお亡くなりになられた「武者」御婦人さん」「お子さんたち」今日も宜しく御願いを致します🤲 其の後に「御霊神社」「八幡神社」「漆印興善様」「御岳神社」「日枝山王社」や、あるご縁の家のご先祖さまやお末社、お地蔵さんからgoogle mapでお伺いさせて頂いた、八王子地域中心の神社から始まり⛩朝のご挨拶を次々に行い、最後に「私のご縁でお参りさせて頂いた、全てのお寺の御本尊様、御住職様、檀家の方々、お守りしておられる方々おはよう☀😃🌞御座います❣と締めるのが日課になって居ります‼でも、忙しい時や体調のすぐれない時には、省かせて頂く事もありますが、毎日続けています。寝る前には、寝ながら今日も一日ありがとうございました❣なのですが、最近はあまり体調が良く無いので、省かせて頂く事が多くなりました。 朝の我が家の仏壇へ感謝のお祈りも欠かさずに致しております❣仏壇への用意のご飯、お茶等は洋子さんが致します。縁者の方の御命日には、長いお灯明を灯し、誰もいられない時には、短いお灯明を灯します。私は、お線香を点けてご先祖様たちへのご挨拶を致しております。今私が此処に住んで、娘夫婦、孫たちと暮らせる事への感謝の印なのですが、何故に⁉娘たち家族に起きている感染性の胃腸炎⁉が起きているのか❓ その訳は、私の部屋に飾ってあった娘や孫、親族の写真を全て取り外した日から起こっている出来事なのですヨォ⁉私が此処から去る事を阻んで居るからなのかも知れませんねぇ‼神仏やご先祖様が、お��りなのでは無いのですかネェ⁉そのお怒りは、どうぞ私に向けて下さいなぁ❓デモもう私の身体は、悪い処だらけだから向けようが無いのかなぁ❣ (Hachioji, Tokyo)
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2020.12.13 . 久しぶりの投稿になってしまいました 多忙すぎる毎日です 2020秋の山まとめ 9.5 赤城・黒檜山へ向かうも雨天の為断念 ①②10.4 黒檜山リベンジ ③④10.24 榛名・掃部ヶ岳 ⑤⑥同日に妙義山・第二見晴ら ⑦YAMAPコラボピンバッジGET♪ ⑧⑨⑩11.1 赤城・地蔵岳 https://www.instagram.com/p/CIuodmtFMShzs7e2rGH7JwoAITE5k85DEoRhgE0/?igshid=szy0qhoprxxy
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20200904_01
山行記・八ヶ岳(編笠山・権現岳・赤岳)縦走 ①
8月中旬、南八ヶ岳は編笠山 (2,524m)、権現岳(2,715m)、赤岳(2,899m)を縦走、登拝した。日本百名山。
安山岩に覆われた編笠山の山頂。
南アルプスの山々。中央に日本第二の高峰、北岳。画面右に向かって先頃登った鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳であります。
甲斐駒。こないだあそこの先っちょにおったわけです。
木曽御嶽山。2014年に御嶽山が噴火したニュースを見てた頃はまさか自分が山に登るとは思いもしなかったなあ。そういや岐阜方面に母親のルーツがあることも知らなかったし。
中央に東ギボシ、右に権現岳。
編笠山の下りの岩石帯。大きな岩を飛び移るように越えて行く。
見返りの編笠山。必死に歩いてきた道も振り返ればただの引っ掻き傷のよう。山は人の空間に対する尺度を変えてしまう。
水木しげるの南方戦線従軍記的な漫画や鬼太郎なんかでもそうなのだが、画面を割る大きなコマにジャングルの植物などの背景がビッチリと書き込まれ、その中に人やキャラクターだけがぽつんとヘロヘロな線で描かれているのは、人間の自然の中での圧倒的な非力さを上手く表しているように思う。アシスタントが緻密に背景を描き作家本人はキャラクターだけを描くプロダクション制という仕組みと戦争体験によるスケール感の変化や人間の存在の不確かさに対するニヒリズムのようなものが合致して生まれた表現なのだ。昔ホテル清掃のバイト先に水木プロで働いていた人がいたのだが8cmx6cmぐらいのコマの点描に3日かけろと指示されていたらしい。
話が逸れました。
ノロシバ、西ギボシ
西ギボシ
阿弥陀岳。左斜辺部の辺りの尾根が去年登った御小屋尾根である。
そういえばその御小屋尾根を登っている際、摩利支天の手前辺りで座って休憩しているとトレラン装備の50代ぐらいの白人男性が私の頭をポンポンと軽く触って追い越して行った。体力あるなあと振り返ってみると逆光の中をスイスイと登って行く男性のあごの辺りから紐がプラーンと円弧を描いてぶら下がっている。イヤホンかなと思ってよく見ると60cmぐらい垂れた「よだれ」��った。軽く吹き出してしまった私に男性は親指を立てて笑いかけ颯爽と行ってしまったがよだれに一切気付く素振りはなかった。液体ってか針金みたいだったなあ。あれはたまげた。
なんなのこの話。
→ 山行記・八ヶ岳(編笠山・権現岳・赤岳)縦走 ② へ続きます。
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#23 Lullaby
■公演日 2019年10月3日(木)~6日(日)
■劇場 シアターサンモール
■作・演出 伊藤マサミ
■Cast 石川五右衛門:神里優希 石田三成:栗山航 細川ガラシャ:舞原鈴 玄信:雨宮光 茶々:楠世蓮 真田幸村:小栗諒 豊臣秀吉:笹岡幸司 徳川家康:藤田幸士 服部半蔵:程嶋しづマ 稲姫:かおりかりん 加藤清正:伊藤孝太郎 甲斐姫:矢澤梨央 風魔小太郎:山田せいら 伊達政宗 :原野正章 雑賀孫一 :細川洪 黒田官兵衛:鷲尾直人 江:澤田真里愛 柳生宗矩:緑川睦 猿飛佐助:星璃 立花宗茂:林田寛之 立花ぎん千代:窪田ゆうり 島左近:伊藤マサミ 真遊:梅田悠
望月祐治 橋本直也 加納義広 鎌田英幸 中野貴文 安藤佳祐 小野田唯 山田知弘 倭香 櫻井紫乃 橘ゆき
■Staff 演出助手:小島麻奈未(進戯団 夢命クラシックス) 舞台監督:森貴裕(M.T.Lab) 音響:志水れいこ 照明:島田雄峰(LST) ムービングライト:紺野浩史 美術:宮坂貴司 音楽:今泉翔 殺陣振付:芹澤良 ダンス振付:伊藤マサミ・山田せいら 衣裳デザイン:加藤佑里恵(藤衣裳)前野里佳(藤衣裳) 衣裳製作:園田春香(藤衣裳) 衣裳統括:かおりかりん 撮影ヘアメイク:武部千里(S-SIZE)東門稚乃 杉山千夏(S-SIZE) ヘアメイク:青山亜耶 スチール撮影・デザイン:圓岡淳(Atelier caprice orchestra) 制作協力:小野智美 制作補佐:山口由希 制作統括:舞原鈴 企画・製作:Office smc ■あらすじ[公式より] 天正11年。「賤ヶ岳の戦い」に於いて大義を得た時の大名、豊臣秀吉は、怒涛の勢いで隣国を手中に収め、天下にその手を掛けんとしていた。 しかし、激動の時代に生きる各国の猛者たちは、未だ「天下」を諦めたわけではなかった。 揺れ動き、嘆き、儚くも美しく燃える戦乱の世。 その中に、己が信念を崩さず、真っ直ぐに進む男達がいた。 力を重んじ、ただ己の為に生きる男。やがて天下にその名を響かせる大泥棒、石川五右衛門 理を重んじ、ただ誰の為に仕える男。今はその正義を貫き、あらゆる悪を掃討し歩む孤高の武将、石田三成 信念はやがて衝突し、時に並列する。 世はまさに、華も血とけぶる戦国乱世。 進戯団 夢命クラシックスが送る、英雄たちへの���守唄。
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榛名山。
今日登った榛名山のことです。峠ばかりで膝が痛いです。また、分岐が多く道に迷いました。迷ったことで遅れたことが功を奏して虹が見れました。良かった良かった。
2019年10月に群馬県高崎市にある関東百名山のひとつの榛名山に行ってきました。最高地点は1449m(掃部ヶ岳)、最大標高差は359m、歩行距離は約18kmです。
〜以下ガイドブックより
榛名山はカルデラ湖である榛名湖と、中央火山丘の榛名富士を中心とした火山で、外輪山や側火山をいくつも連ねた複雑な形状をしている。この山並みは山麓からもよく目立ち、赤城山や妙義山と合わせ上毛三山と呼ばれて、群馬県民に親しまれてきた。江戸時代には雨乞いに霊験あらたかな山としての信仰を集め、1803年(享和3年)には現代のガイドブックに当たる「上州榛名詣」という書物が出版されるほど参拝者が多かったという。
榛名山という名前は山体の総称で、榛名湖西側の掃部ヶ岳が最高峰だ。ここではその掃部ヶ岳から林道を経由して南側の外輪山に移動し、2番目に高い相馬山へ縦走しよう。
アクセス
<行き>
電車 JR上越線 高崎駅
バス…
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_Dichorragia nesimachus_ #Dichorragia _nesimachus Asian #constable #nymphalid #Pseudergolinae #butterfly #papillon #Schmetterling #スミナガシ 位置情報では掃部ヶ岳となっているけれど、実際には杏ヶ岳山頂。地図では「すももがたけ」と読むようだが、現地の道標には「すもんがたけ」と書かれている。「あんず」でないことだけは確か。掃部ヶ岳の「かもん」も読めないよ。 (掃部ヶ岳山頂) https://www.instagram.com/p/ByT-sSXgRVB/?igshid=9au2wn6bya69
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BSの支那人社員の余卿(よ・きょう)を少女誘拐で逮捕!静岡の未成年連れ出し札幌で発見!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180903-00000004-dal-ent TBS社員、少女誘拐容疑で逮捕 静岡の未成年連れ出し、札幌で発見 9/3(月) 5:59配信 デイリースポーツ TBS 静岡県警は2日、少女を自宅に連れ込んだなどとして、未成年者誘拐の疑いで東京都渋谷区在住のTBS社員余卿(よ・きょう)容疑者(30)を現行犯逮捕した。 逮捕容疑は8月中旬から9月2日までの間、静岡県中部に住む10代少女を、未成年と知りながら、自宅に連れて行った疑い。県警は余容疑者の認否を明らかにしていない。 TBSによると、余容疑者は2015年4月に入社し、現在は事業局映画・アニメ事業部に所属している。 同県警焼津署によればこの日午前10時ごろ、余容疑者と少女が札幌市北区の路上を歩いているところを任意同行した。少女の家族から8月中旬に行方不明の届けが出ていたという。少女はすでに自宅に戻り、容疑者は同署に移送されたという。 余容疑者を知る人は口々に「驚いた。真面目でおとなしいタイプだった」と口をそろえる。余容疑者と仕事をしたことがあるという人は、「悪い感じの人ではないが、キレがあるというよりは、���もなく不可もない印象」と証言。別の人は「社内に親しい人は多くないと思う」と話した。 同社は「社員が逮捕されたことは誠に遺憾で、関係者の方に深くおわびする。事実関係を調べた上で厳正に対処する」とのコメントを出した。
>静岡県警は2日、少女を自宅に連れ込んだなどとして、未成年者誘拐の疑いで東京都渋谷区在住のTBS社員余卿(よ・きょう)容疑者(30)を現行犯逮捕した。
またTBSか?!
少女誘拐で逮捕されたTBS社員の余卿(よ・きょう)は支那人らしいが、そもそも日本のテレビ局に支那人や韓国人や朝鮮人などの外国人がいること自体がおかしい!
公共の電波は、日本国民の財産だ!
TBSなどの日本のテレビ局は、日本国民の財産である「公共の電波」を格安の電波利用料で使用させもらっているくせに、外国人を社員に採用するのは絶対に間違っている!
テレビ局などの放送事業者は、外国人の採用を一切禁止とするべきだ。
日本は、テレビ局の外国人株主比率については規制しているにもかかわらず、なぜか外国人役職員については全く規制しておらず、日本のテレビ局は大量に外国人を採用している!
今回は、その支那人社員が少女誘拐という犯罪をして逮捕されたのだから、言語道断だ!
しかも、支那や北朝鮮や韓国は、日本の敵性国家だ。
TBSでは、報道番組(ニュース番組)である「Nスタ」も、韓国人にディレクターをさせており、日本の安全保障にも悪影響を及ぼしている!
【報道テロ組織!TBS!】
TBS「Nスタ」は、韓国のソウル出身で元韓国空軍将校の朴眞煥がディレクターをしている番組だ。
【朴眞煥】
朴 眞煥 TBSの平日夕方のニュース番組「Nスタ」ディレクター
ソウル出身 京都大学大学院修了 元韓国空軍将校
韓国で記者などを経て2005年から日本在住
平成26年(2014年)11月27日、朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」は、日本の【和紙】がユネスコの無形文化遺産登録に決定した際、「和紙は風船爆弾の材料に使われ、アメリカで女性と子供を殺害した」と繰り返し報道!
平成28年(2016年)6月15日、舛添要一が辞職願を提出したその日の夕方、早くもテロ朝のニュース番組と朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」が新橋駅前での街頭インタビューで「蓮舫マンセー!」を唱える同一人物(仕込み女)を8分間に連続出演させた!
上:テロ朝
下:TBS「Nスタ」
テロ朝とTBS「Nスタ」に「蓮舫マンセー!」女(仕込み)が連続出演!
(平成28年6月15日夕方5:10と5:18、新橋駅前)
TBSなどマスゴミは蓮舫をごり押し!
↓ ↓ ↓
平成28年(2016年)9月7日、朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」は、蓮舫の二重国籍(違法)を追及することについて「出生を巡る問題を取り上げて資格を問う運動をアメリカでは『バーセリズム』と言って非常に軽蔑されることだ。」などと批判!
平成29年(2017年)9月12日夕に放送された、朴眞煥ディレクターの報道・情報「Nスタ」(TBS系)。
16時12分ごろ、CMに入る前に、「イスラム国戦闘員の家族に日本人か」のナレーションとともに、佳子内親王殿下がイギリス留学に出発されるときの映像が5秒程度流れた。
佳子内親王殿下が空港で関係者に笑顔で挨拶している映像だった。
また一瞬、画面右上にも「『イスラム国』家族に『日本人』?」というテロップが入った。
TBS「Nスタ」で、【「イスラム国」家族に日本人?】のテロップと「イスラム国戦闘員の家族に日本人か」のナレーション!
しかし、映像は、笑顔の佳子内親王殿下!
平成29年(2017年)12月4日放送、朴眞煥ディレクターのTBS「Nスタ」、井上貴博アナウンサー「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は~」
【ものは言いよう】 井上アナ「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は…」 『ICBM発射実験を見せつけ挑発する北朝鮮。それに怯むことなく軍事演習を行うアメリカと韓国』とは言わないのがまさにTBS#Nスタ
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https://twitter.com/N74580626/status/937609102192021509 雨雲 @N74580626 【ものは言いよう】 井上アナ「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。それに怯むことなく軍事的な挑発も辞さない構えの北朝鮮。この対立の構図は…」 『ICBM発射実験を見せつけ挑発する北朝鮮。それに怯むことなく軍事演習を行うアメリカと韓国』とは言わないのがまさにTBS😓#Nスタ (動画) 18:06 - 2017年12月4日
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http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6793.html
TBS「圧倒的な軍事力を見せつけるアメリカと韓国。怯むことなく軍事的な挑発も辞さない北朝鮮」
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-6897.html
日本のテレビ局が外国人を採用するのは、おかしい。
テレビ局というのは、安全保障などの観点から放送法第52条で外国人株主比率を規制するなど、外国人の影響を大きく受けないようにしている。
日本は、テレビ局の外国人株主比率については規制しているにもかかわらず、外国人役職員については全く規制しておらず、NHKも民放も大量に外国人を採用しているため、放送法第52条で外国人株主比率を規制している意味が全くなくなってしまっている!
テレビ局などの放送事業者は、外国人の採用を一切禁止とするべきだ。
テレビ局等マスコミへの在日朝鮮人の就職優遇は、「在日特権」の一つとなっている。(
詳細記事
)
渡部昇一氏 馬渕睦夫元大使
■動画
元外務省「放送業界は在日韓国・朝鮮人が牛耳っています」
https://www.youtube.com/watch?v=ZocyPf_gDsY
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馬渕:ある「ザイニチ」の方が私に「息子がNHKに入りました」と喜んでおられた。
まだその頃はNHKも目立たなかった。今その影響が出て来ている。
渡部:反日の「ザイニチ」系のひと。またその手の回っているひとが、非常に高い地位にいっぱいいるような気がするんですよ。
馬渕:アメリカでは、私が聞いている範囲では、テレビ局には外国人は入れない。
いかに民間の放送とはいえ、公共の電波ですからね。外国人がそれを牛耳るのはオカシイ。
日本も本当はそうすべき。
すぐにそうすることが無理なら、「日本名」ではなく、本名で仕事をしてもらう。
「創氏改名」が嘘であること・強制ではないことを、彼ら自身が証明している。
彼らが日本名で仕事をしている。日本名で日本で生活しているでしょ。
これは「創氏改名」が嘘だった、強制じゃなかったということを証明しているんですよ。
渡部:そうです。
���淵:日本の「公共テレビ」は職員は日本人とすべき。日本名を語って出自を隠すことは止めるべき
(以下略:
関連記事
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https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/18.html ■TBSの不祥事年表 年次 月日 内容 補足 1966 10 自衛隊観艦式中継を、TBSとRKB毎日放送の労組の圧力により放送中止 民放労連は共産党系 1968 01 米原子力空母を特集する予定だったが、スポンサーに無断で中止 1968 03 成田闘争においてTBS報道班が中核派系過激派の支援 1985 08 病死を殺人事件とし、岐阜県の男性を殺人者として報道。男性は誤報への抗議の遺書を残し自殺 1989 10 「NEWS23」第1回目に筑紫が「屠殺場」発言をし、解同から「大糾弾」 1989 10 「NEWS23」が山口組五代目継承式を無断で放送し、山口組から訴えられる 1989 11 オウム真理教の坂本弁護士一家殺害を幇助 ★殿堂★ 1990 05 TBSビデオテープ事件 1991 06 損失補填事件(証券会社に6億5000万の損失を肩代わりさせる) 1994 06 松本サリン事件で第一通報者の河野義行さんを犯人に仕立て上げ、殺人者呼ばわりを続ける 1995 01 筑紫哲也が阪神大震災で「温泉街」発言 ★殿堂★ 1 1995 05 「報道特集」でサブリミナル手法によりオウム真理教教祖の麻原の顔を挿入 1996 03 「NEWS23」で筑紫が「TBSは今日、死んだに等しい」と発言し波紋を呼ぶ 1996 04 オウム村井刺殺事件関与疑惑 殺害映像 1996 05 「ニュースの森」等でサンディエゴ事件の被害者夫人を犯人の様に報道 1996 06 TBSが放映済み映像を見せなかったとして女優の元夫が損害賠償請求で勝訴 1997 09 「報道特集」で上越市のゴミ処理場に関して虚偽報道。上越市から訴えられる 1998 01 「ニュースの森」等で帝京大学ラグビー部員暴行容疑事件無関係者を犯人扱い 1999 03 上岡龍太郎の発言に和歌山・奈良県知事がTBSに抗議文 1999 07 芸能人乱交パーティーにアナ含むTBS社員複数参加事件 1999 07 警視庁記者クラブ在籍のTBS記者が民家に侵入。女性の入浴を盗撮し逮捕 2000 04 「ガチンコ!」収録中に一般参加者の女性が着地に失敗し裂傷を負う 2000 11 「ニュースの森」等で旧石器捏造と無関係の「つくる会」を結びつけて報道 2001 06 TBS若手女子社員が、職場でのセクハラや陰湿なイジメを苦に自殺 2001 08 網走刑務所の墓地を無断撮影 2001 09 TBSがテレビ朝日の番組内容を盗用 2001 10 「うたばん」収録中にゲスト出演者が足に12針縫う怪我を負う 2002 03 「とくばん」でゲストに対し司会者がセクハラ発言を行い、BPOに抗議が殺到 2002 05 「筋肉番付」の収録中に一般参加者2名が負傷し番組が打ち切り 2002 07 神栖町ヒ素汚染問題で「旧日本軍の毒ガス兵器が原因」と捏造報道 2002 07 TBSと北朝鮮による、身代金目的の共同謀議発覚 2002 10 「NEWS23」で筑紫が「拉致被害者に過失(不作為?)があるとすれば、日本人に生まれたということでしょう」と問題発言 2002 11 筑紫が、拉致被害者に執拗な取材を行い批判を浴びた「週刊金曜日」を擁護「NEWS23」で筑紫自身が週刊金曜日の編集委員であることには触れず 2003 02 TBSメディア推進局副理事が約7000万円の所得隠し 2003 04 通り魔事件の犯人が統合失調症である��の様に報道。某団体からTBSに抗議 2003 07 TBSが放送した豆乳ローションを作ろうとした視聴者2名が重傷の火傷を負う 2003 08 撮影中にワゴン車からカメラマンが転落し脳挫傷で死亡。スタッフを書類送検 2003 11 石原都知事の日韓併合発言で捏造テロップ ★殿堂★ 1 、2、3、4、5、6 2004 03 オウム真理教ドキュメンタリードラマでやらせ 2004 05 筑紫哲也が年金未納で「NEWS23」を一時出演休止 1 2004 06 男性アナウンサーが酒気帯び運転で物損事故 2004 06 TBSとP&Gが行った双方向CMで、応募者1万868人分の個人情報流出 2004 06 TBSラジオの番組のクイズ企画に応募したリスナーの個人情報が流出 2004 07 TBSが業者に100万円渡し、中国にある大使館への脱北者の亡命を演出未遂 2004 07 ロケバス無許可運行で逮捕者 2004 07 向井亜紀が自身の講演内容を歪曲し報道されたとしてTBSを提訴 2004 09 ネットで外国宝くじ購入、刑法違反で謝罪 2004 10 「ケータイ刑事銭形泪」で、間違って予定と異なる回を放送 2004 12 石原都知事の名誉棄損容疑で、TBS社員4人を書類送検 1 2005 01 脱北者提供「日本人拉致被害者写真」が偽物 2005 02 TBS元社員らが企業年金の減額は違法としてTBSを提訴 2005 05 TBS携帯サイトから個人情報流出 2005 05 公式ホームページに載せるコラムを新聞記事から盗用 2005 06 ドラマの解説文を外部のホームページから盗用していたこと等発覚 2005 06 「朝ズバッ!」でみのもんたの失言に激怒した番組スポンサーが降板 2005 10 東条英機の孫の発言を捏造 2005 11 「NEWS23」で台湾新幹線の開業延期問題を日本の責任にする虚偽報道 2005 11 「NEWS23」で世論調査捏造疑惑 2006 01 「朝ズバッ!」でみのもんたがボビー・オロゴンに対して人種差別発言を行う 2006 02 トリノオリンピックでTBSスタッフと中居正広がルール違反で出入り禁止処分 2006 02 男性社員による結婚詐欺疑惑 2006 02 自局・川田亜子アナ(当時)のWikipediaに、TBSが中傷書き込み 2006 03 「からくりTV」の元スタッフが番組出演者ら約540人分の個人情報を流出 2006 03 「NEWS23」でナヌムの家報道。「NEWS23」スポンサー不買運動が行われる 2006 04 大家族・青木家に数々の疑惑 2006 04 TBS系列会社「BS-i」と「C-TBS」が民放連指針違反 2006 05 白インゲンダイエットで下痢や嘔吐などの入院患者100人超 2006 06 「NEWS23」でハイド議員の靖国発言を超訳して放送 2006 07 TBSのホストから甲府FW・茂原岳人の項目で「レイプ癖は健在」等と編集 2006 07 「イブニング・ファイブ」の731部隊報道に安倍氏ポスターをカットイン 画像 2006 08 亀田疑惑の判定で世界王者、抗議6万件超 2006 09 亀田大毅の判定に客が野次を飛ばし乱闘騒ぎに 2006 09 番組取材協力者103人分のメールアドレス流出 2006 09 「KUNOICHI」収録中に感電事故、一般参加の女性が病院で手当て 2006 09 TBSが上祐オウムに会見場所を提供 2006 10 TBSアナウンサー川田亜子さんが社内の苦悩に涙する様子を放送 2006 10 「NEWS23」新キャスター・山本モナさんが民主・細野議員との不倫で降板 2006 11 世界バレー女子、6位・日本からのMVP選出に大ブーイング 2006 12 「はなまるマーケット」で便器破損の恐れがあるトイレ掃除法を紹介 2007 01 反則の柔道王・秋山成勲がヌルヌル&グローブ細工疑惑で失格処分 2007 01 「朝ズバッ!」で「不二家が賞味期限切れのチョコレートを回収し再出荷していた」と捏造 ★殿堂★ 1 2007 01 TBS特番でみのもんたが夕張視察。みのの問題発言とやらせ連発 2007 02 頭のよくなる音・ハイパーソニック音で過剰表現・論文無断使用 2007 02 「サンデー・ジャポン」で柳沢発言を不適切編集 2007 02 「華麗なる一族」にてサブリミナル効果で公明党の宣伝 2007 03 桜庭選手に失望したとのネット掲示板の書き込みを捏造 2007 03 「朝ズバッ!」の不二家報道が事実と異なるとして総務省が調査 2007 03 「新SASUKE」収録で5人重軽傷。警察に届けず事故隠し 2007 03 みのもんたが女性アナウンサーへのセクハラ疑惑。TBSの対応にみの激怒 2007 04 「サンデー・ジャポン」にて、同一人物によるやらせインタビューが発覚 2007 04 TBS取材車が池袋で駐停車禁止場所に堂々と駐車。注意で逆ギレ 1 2007 04 「イブニングニュース」で、支那大陸の砂漠化、黄砂は日本の責任と主張 2007 04 J-CASTや週刊現代など他マスコミからの取材の拒否を宣言 2007 04 伊藤一長長崎市長狙撃事件で、延々と市長の血だらけの顔を全国放送 2007 04 江口ともみさんがTBS番組収録中に事故に遭い、腎臓摘出 2007 04 番組収録中に金子昇が左手首骨折するも警察に未届けだった事が判明 2007 05 番組名「ニッポン劣島改造計画」と明記。苦情相次ぎ番組名変える 2007 05 「NEWS23」で左翼団体メンバーを「普通の学生」かのように偏向報道 1 2007 05 「NEWS23」で右翼風改憲ラップを自ら発注し情報操作した上で放送 1 2 2007 06 「ピンポン!」が盗聴工作未遂&「イブニング・ファイブ」がヘリでプレー妨害 1 2007 07 「リンカーン」で亀田興毅の自慰をモノマネ。抗議が有り翌週に謝罪放送行う 2007 08 「ピンポン!」取材陣、葬儀にTシャツ、ジーンズ・短パンで取材、遺族に謝罪 2007 08 「ピンポン!」番組内で「現役客室乗務員」と紹介された女性、実はニセ者 1 2007 09 一連の不祥事を受け役員|19人処分するも社外に向けて自主公表せず 2007 09 「ピンポン!」が民主党の主張のみ放送。舛添厚労相の出演依頼拒否を捏造 1 2007 09 神戸高3自殺に関し、学内名簿・成績表等の収集目的で「裏2ch」で取材を試みる 2007 09 「NEWS23」にて麻生太郎の発言をぶった切り編集し、歪曲報道 1 2007 09 「朝ズバッ!」のスタッフが変死。「2時っチャオ!」のスタッフが自殺 2007 10 ボクシング亀田大毅vs内藤大助で大毅反則多発、TBSも関与か 2007 10 「アッコにおまかせ」で、「初音ミク」ユーザーをオタクネタ化し批判を受ける 1 2007 10 TBS関連会社元契約社員が、盗撮目的でTBS内の女子トイレ侵入 2007 10 「ズバリ言うわよ!」が無許可で朝青龍インタビュー 2007 10 「朝ズバッ!」の男性スタッフが女子アナ盗撮で逮捕 1 2 2007 10 消えゆくアルプス民族楽器のはずが、全く消える予兆無し 2007 10 「ピンポン!」で取り上げた獣医師は抗議署名3699人も集められていた人物 2007 10 イベント応募者1033名の個人情報を流出 2007 10 「HOTEL」の再放送が4話で終了。出演者が逮捕される数日前突然の打ち切り 2007 11 「朝ズバッ!」でみのが香川姉妹祖母殺害事件で父親が犯人かの様に報道 2007 11 TBSのスタッフが「路上喫煙禁止推進区域」にて堂々と路上喫煙 2007 12 TBSが映画「南京の真実」の撮影を妨害していたことがチャンネル桜にて発覚 2007 12 TBSに批判的な記事を書かせない為に他マスコミへの情報提供の制限を宣言 2007 12 中国産ゲーム機Viiについて、中国で4000万台販売されたと虚偽報道 2007 12 「朝ズバッ!」で取材拒否VTRを放送。みの発言に激怒した男性が提訴 2008 01 亀田大毅に100%責任のある追突事故を「巻き込まれた」と偽装報道疑惑 1 2008 02 住宅火災で亡くなった女児と違う、別の女児の写真を誤って使い報道する 2008 03 射幸心を煽る不適切な表現をしたとして謝罪 2008 03 富山市が高架化事業について「一方的な報道をされた」としてTBSに意見書 1 2008 03 「朝ズバッ!」で硫化水素の作成方法を報道。自殺を激増、殺人も引き起こす 2008 03 「著しい誤解や不快感を与えた」として会津若松市がTBSに謝罪・訂正求める 2008 03 生放送中に出演者が胸を強打し右肋骨を骨折。全治4週間の怪我を負う 2008 03 「王様のブランチ」生放送中 カンフー少年が頭部から流血 1 2008 04 チベット人の振りして障害者からトーチを奪おうとした中国人の自作自演に手を貸す 2008 05 元TBSアナウンサー川田亜子さんの自殺現場を、TBSだけ違う場所を撮影 2008 05 番組で紹介された「ティッシュ箱飛ばし」で、視聴者の負傷続出 2008 06 「報道特集NEXT」で「高村正彦外相が万景峰入港の全面解禁を主張した」と捏造 2008 06 「NEWS23」で問責決議案可決後の福田首相のコメントを意図的に編集 2008 07 東京都八王子市で起きた無差別殺傷事件で、被害者として報じた写真が別人 2008 07 内藤の世界戦に“亀田乱入”でTBSに抗議殺到 2008 08 井上弘社長(68)の不倫疑惑発覚 2008 09 「どうぶつ奇想天外」で死に至る危険性のある寄生虫を宿すペットを飼っている少女を紹介 2008 09 「2時っチャオ!」眞子さまジャニーズファン報道に紀子妃激怒! 宮内庁TBSへ抗議 2008 11 「アッコにおまかせ!」スタッフが小室哲哉容疑者に差し入れ。行き過ぎに謝罪 2008 11 アパワイン会で田母神俊雄氏と同席した民主党・鳩山夫妻にボカシ 1 2008 11 『余命1ヶ月の花嫁』の長島千恵さんはAV女優と判明 2008 12 幼児殺害事件の容疑者に執拗な取材。警察と弁護団双方からクレーム 2008 12 税収減り道路の穴放置報道。TBSが田原市に謝罪 1 2009 01 TBS社員のPCからTBS女子アナ××写真流出 2009 02 麻生総理講演会を印象操作して報道 2009 02 「朝ズバッ!」でみのもんたが小沢騒動に関して問題発言連発 2009 04 「朝ズバッ!」で未承諾で容姿を映されたことに対し、肖像権侵害などでTBSに賠償命令 2009 04 「情報7days ニュースキャスター」で、「これが二重行政の現場」と悪質なやらせ報道 1 2009 06 総務省が事実を正確に報道しなかったとしてTBSを厳重注意 2009 07 「キミハブレイク」の収録で深夜に荒川河川敷で打ち上げ花火。警視庁が注意 2009 08 「サンデージャポン」の大阪府強制執行報道で問題発言。BPOから勧告 2009 08 「アッコにおまかせ!」で酒井法子容疑者の息子をモザイク無しで放送 2009 10 「2時っチャオ!」の女性リポーター(38)が取材先の大津市内の女性に軽傷を負わせ書類送検 2009 10 「サンデージャポン」で、中川氏死亡の速報に「速報は注目しないでください」と発言 2009 11 「朝ズバッ!」のディレクターが市橋容疑者に突撃取材で逮捕。広報部は隠蔽 2 2009 11 石川遼が出場するゴルフ大会で、TBSのカートがギャラリーに突っ込み女性ら負傷 2009 11 内藤×亀田戦で、TBSによるリングアナ富樫光明氏への言論弾圧工作が発覚 2009 12 TBS警察呼ばず、犯人国外逃亡「ブラック紙幣」詐欺番組で論議 2010 01 TBS系制作会社の記者が個人の郵便物を盗み見、更に発信機を取り付けていたことが発覚 1 2 2010 02 TBS61.6%の大幅減益、視聴率低迷で。純損益予想でもTBSは赤字に転落 ★ 法則発動 ★ 2010 02 バンクーバー五輪・カーリング女子日本代表チームの非公開練習を盗撮、出入禁止処分 2010 02 津波警報を知らせる日本地図で対馬を除外 2010 03 朝鮮学校の授業料無償化の件でテロップを捏造 2010 04 巨人・木村拓也コーチ急死と報じ謝罪 2010 05 赤松農水大臣GW中の外遊でゴルフをしていたと捏造報道 2010 06 『NEW23クロス』にてW杯でポルトガルに0-7で大敗した北朝鮮を7-0で大勝と捏造報道 2010 08 PSPソフト『けいおん! 放課後ライブ!!』Youtubeにアップしたセガ&TBS 公式 のゲームプレイ動画をTBSがセガに無断で削除 2010 08 「朝鮮学校」無償化を捏造報道 2010 08 TBSカメラマンを在宅起訴 高知地検 2015 08 単発ドラマに登場する汚職政治家にブルーリボンバッジ ★殿堂★ 2018 09 TBS社員余卿(よ・きょう)、少女誘拐容疑で逮捕 静岡の未成年連れ出し、札幌で発見 ★NEW!!★
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2018年、登ってよかった山岳ベスト5【車中泊女子の全国縦断記】
■リフトやロープウェイを使って、様々な風景を満喫しました 中高年の登山ブームや「山ガール」など、近年トレッキングが盛んになってきています。筆者も登山好きですが体力があまりないので、リフトやロープウェイがあれば積極的に利用しています。 今年、訪れた中から特に印象に残っている山、またクルマで山頂まで行けちゃう山も含めてご紹介します。 【その1 日光白根山(群馬県)】 世界遺産・日光東照宮に代表される日光。奥日光には男体山をはじめ中禅寺湖、戦場ヶ原、また華厳の滝や龍頭の滝などの観光スポットが広範囲に点在しているので一度は訪れたことがある方も多いのではないでしょうか。 日光白根山(標高2,578m)へは、まず【日光白根山ロープウェー】(往復2,000円)で山頂駅へ。ロープウェーからは、眼下に菅沼・丸沼などの絶景が広がります。 ここから日光白根山へ続く登山道が最短ルート。登山せずとも自然散策コース(1周1.5km/約45分)と史跡散策コース(1周5km/約2時間)も整備されています。また山頂駅付近には二荒山(ふたらさん)神社やカフェ、展望台に足湯もあるので充分に楽しめます。 トレッキングの後は数ある温泉で汗を流し疲れを癒せるのも魅力です。ロープウェーセンターステーション内にも、日帰り温泉施設【座禅温泉】が併設されているので便利です。 【その2 室根山(岩手県)】 2018年春にオープンした道の駅【むろね】から約10km。室根山(標高895m)は室根高原県立自然公園に指定されており、森林公園やキャンプ場、乗馬クラブなどレジャースポットも集まっています。 山の中腹に鎮座する室根神社には、本宮に「金の鈴」、新宮に「銀の鈴」があり、金と銀の鈴が二つ揃っているのは日本でここだけなのだそう。 山頂まで車道が整備されているので、労せずして景色を堪能できるうえにワインディングロードドライブも楽しめちゃいます。山頂には駐車場とトイレも完備。天文台は閉鎖中ですが、1階のお食事処は休憩所として開放されており、また屋上にも上ることができます。 屋上からは360度パノラマが広がり、近くにパラグライダー発着所があるためタイミングが合えば悠然と飛んでいる姿が見られるかも知れません。 【その2 三ツ石山(岩手県)】 東北百名山に数えられる三ツ石山は、標高1,466m。【休暇村岩手網張温泉スキー場】(夏期はトイレのみ利用可能)からリフトを3つも乗り継ぐこと約40分、スキー場の上、雫石の町が一望できる展望台から登山開始です。ちなみに料金は「1本のみ」「2本乗り継ぎ」「3本乗り継ぎ」片道/往復など細かく設定されており、また『片道リフト3本乗り継ぎ+下山バス券(1,200円)』もあります。 展望台から大松倉山を通過して三ツ石山荘(トイレあり)〜三ツ石山山頂へ。山頂は巨岩のため、多くの登山客が順番待ち! ちょうど紅葉シーズンだったこともあり、おおいに賑わいました。 帰りは奥産道(奥地等産業開発道路)登山口からバスでスキー場駐車場に戻るはずだったのですが、バス出発時刻(14:30)に間に合わず、とぼとぼ徒歩で帰るしかないと覚悟していたところ、親切な女性がクルマに乗せてくれたことは忘れられません。優しさに感謝。 【その4 月山(がっさん・山形県)】 月山は、羽黒山、湯殿山とならぶ山岳信仰の聖地として有名な【出羽三山】の最高峰(標高1,984m)。開山は、崇峻天皇の第三皇子・蜂子皇子(はちこのおうじ)によるものと伝えられています。 月山スキー場駐車場から徒歩で【月山ペアリフト】乗り場へ登る道すがら、清掃協力金(一人200円)を支払います。ペアリフトの料金は、往復1,030円。約15分で、上駅(姥ヶ岳休憩所/トイレあり)に到着します。この周辺からでも素晴らしい眺めが堪能できますよ。 まず姥ヶ岳に登ってから、尾根づたいに金姥、柴灯森、牛首ときて月山山頂、帰りは沢コースで上駅へ戻る…というルート。この日の天気はめまぐるしく、午前中は晴天、お昼頃から曇ってきて幻日環が現れ、山頂付近からは眼下に雲海が広がり、月山山頂の背後、雲の上に鳥海山がひょっこり現れるという(写真)1日でいくつもの光景を目の当たりにすることができました。 下山する頃にはまた晴れて斜陽に紅葉が赤く照らされ、絶景に見とれてなかなか歩が進まず。登り始めた時間も遅かったのですが、いかんせん足が遅いのでリフト運行の最終時間(16:30)になってしまいました。ペアリフト下駅に到着したら、地面に小石で書かれた「おがえり。マタキテケロナ。」の文字が! 小粋な演出にも感動しました。 【その5 山岳信仰の山】 筆者の地元・熊本の阿蘇山をはじめ九州には山岳信仰の山々が数多く存在します。幼少時代に慣れ親しんだ金峰山(熊本県熊本市)も霊山ですし、そのせいか個人的には「おどろおどろしい」というイメージがまったくなく、むしろ身近に感じます。 先に紹介した山々も霊山ではありますが、「山岳」と呼ぶには性質が違うなと思う3ヶ所をまとめて「山岳信仰の山」として挙げます。 【太田山神社】(北海道久遠郡せたな町) 2010年に訪れたものの、その険しさから断念した太田山神社 本殿(奥宮)。北海道最古の山岳霊場であり、道南五大霊場のひとつ。 山体は平均して約45度もの斜度があり、これをつづら折りに登っていきます。その昔、太田山神社は女人禁制だったので、女性のために中間地点に女人堂が建っていますが、女人堂まででもかなりきついので満足感があると思います。 山頂近くになると屹立する岩盤があらわれ、岩肌に設置された心もとない梯子を上ると、ついに奥宮が鎮座する岩の真下に到達します。ここからが最大の難関です。ほぼ垂直の岩盤を、鎖を頼りに登らなければなりません。下から見ると登れそうな気がするのですが、いざ鎖を手にして2〜3歩で恐怖心が大きくなり、何度かチャレンジしたものの、どうしても恐ろしくて登ることができませんでした。 登ることができたとしても、これを降りるのはもっと困難です。女人堂まで行ければ、と思っていたのですから、ここまで来れただけでもよかったです。 【宝登山(ほどさん)】(埼玉県) 秩父神社、三峯神社とともに【秩父三山】に数えられる宝登山神社。その奥宮が鎮座しているのが宝登山(標高497m)です。第十二代 景行天皇の皇子・日本武尊(やまとたけるのみこと)が神霊を拝したところと伝えられています。【長瀞(ながとろ)八景】のひとつであり、【日本さくら名所百選】にも数えられるなど秩父の人々に愛されている山です。 ふもとの宝登山神社から徒歩1時間半程度の初心者向け低山ですが、体力に自信がない方は【宝登山ロープウェイ】(往復820円)で山頂付近まで登ることができます。ロープウェイ乗り場の駐車場はとても狭いので、停められる確率は低そうです。宝登山神社の駐車場からロープウェイ乗り場までは、徒歩約5分。 ロープウェイ山頂駅までは5分程度で到着。宝登山神社 奥宮までは徒歩約5〜6分程度ですので、春先であればロウバイや桜を眺めながら散策気分で登拝できます。 ロープウェイ乗り場や周辺にお店などが見当たらなかったのですが、なんと奥宮の境内に売店がありました! 奥宮=山頂ではなく、ここからまた1〜2分ほどなだらかな遊歩道を進んだ広場が山頂です。樹々に囲まれ山頂らしさはゼロ。さらに奥宮からロープウェイ乗り場とは逆方向に下りる途中には動物園がありました。 【寶登山は千古乃霊場】と讃えられたそれが今や、レジャーランドと化していることに衝撃を覚えつつ、各地に似たような霊山があることもまた事実。三峯神社(奥宮��妙法ヶ岳)の荘厳さとあまりに対照的で、切ない想い出となりました。 【嵩山(たけやま)】(群馬県) 嵩山は、道の駅【霊山たけやま】の背後にそびえる標高789mの独立峰。吾妻八景のひとつで、古くは縄文式文化時代の遺跡が多く出土、また中世 室町時代の中期には北関東・白井をとりまく友城のひとつ嵩山城という側面も持っています。 まず登山の前に、嵩山をご神山とする親都(ちかと)神社へ参拝、無事を祈願します。案内板には「ハイキングコース」と書いてありますが、歩く場所によってはとんでもない岩場&鎖場になるので、しっかりした装備(特に靴)が必要です。嵩山三十三番観世音めぐりも、足元が危険な場所があったり立ち入り禁止区域になっていたりしますので、無理して全部を廻ろうとせず気持ちだけで。 山岳信仰の霊山に鎖場はつきものですが、ここ嵩山の大天狗は過去最大の難関でした。北海道の太田山神社で本殿を前にリタイヤしたことが思い出され、意を決して、軍手を嵌め直して鎖を握りしめて、少ない凹凸に足をひっかけ四つん這いどころか這いつくばって必死によじ上りました。最後、女岩に登り切ったときは手が震えるほど。360度パノラマの景色に身を委ね、感無量でした。間違いなく、2018年ベストワンの経験となりました。 3枚前の写真が、その大天狗からの眺めです。小天狗なら危険度が少なく、榛名山が一望できるなど眺めも素晴らしいので機会があれば訪れてみてください。 次回はお待ちかね(?)、ご当地グルメベスト5をお送りします。 (松本しう周己) あわせて読みたい * 2018年、行ってよかった日本の風景・ベスト5【車中泊女子の全国縦断記】 * 2018年、心に残った出来事・ベスト5【車中泊女子の全国縦断記】 * 「苔の生えた」キャンピングカーを徹底洗車。光触媒コーティング施工で生まれ変わった!?【車中泊女子のキャンピングカー生活】 * キャンピングカーのリアラダー修理顛末記【車中泊女子のキャンピングカー生活】 * 【車中泊女子のキャンピングカー生活】凡ミスから4ヶ月、ついにサブバッテリー交換 http://dlvr.it/QvWDRn
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読書日記『娘と私の部屋』
6/6『娘と私の部屋』佐藤愛子
今日も休憩回。読んだの小学生ときなので、もろもろうろ覚えです。 夏休みや冬休みは父親の勤める会社の保養所に泊まるのが定番で、なんていうのかな、今よりもうちょっと世の中の景気がよかったころの建物の感じ…新しくはないけどきれいに掃除されていて、おいしい食事があって温泉があって、ただまあ新しくはないからちょっと合宿所みたいな雰囲気で…。豪勢な旅館とかホテルという感じではなかったんだけど、海沿いの急坂に建った宿の眺めはとても好きだった。あたりをうろうろするのも楽しかった。細い階段道にパイプが走っていて、なんだろうと触ったらとても熱くて、どうやらあちこちの宿へ温泉を引くためのパイプだった。宿の食堂には大きな鹿の剥製が置かれていて、でも鹿のいるような山ではなかった気がするのであれはたんに趣味だったのかな…。 で、そんなに長逗留する客もいなかったと思うんだけど、小さい図書室があって、古そうな本がいろいろ並んでいた。宿にある本棚を物色するのは今でも好き。文フリ大阪のときに泊まった天王寺の宿は20年くらい前のりぼんマスコットコミックスがたくさんで、おかみさんの娘さんのものかなあという感じだったし、甲府で泊まったビジネスホテルではなぜかNANAを読み返し…。なぜかっていうか、ビジホとかスパ銭とか友だちの家とか短い滞在で手に取ってみる漫画っていうと「三月のライオン」か「NANA」になりがちなんだけど、なんだろうね、人の感情が激しいドラマをぼーっと眺めるのがなんか旅先の興奮に適度な感じなのかな…。「NANA」ってレンが死んじゃった直後の巻からずっと止まったままなので、わたしはこの巻を何度も読んでる気がする。だから何度やってもレンが死んじゃうループものみたいになってる。ところで泊まったホテルにライブラリーがあって…っていうのは村上春樹の「土の中の彼女の小さな犬」にもあったね。あれにも古くて通俗的な本しかなかったみたいなくだりがあった。 その保養所の図書室で手に取ったのが佐藤愛子の『娘と私の部屋』。佐藤愛子が娘の響子さんとの暮らしの生活をユーモアたっぷりに、というかかなりふざけた感じに書いたエッセイ。なんでこれを読もうとしたのか思い出せないんだけど、一泊だったから最後まで読み終わらず、仕方ない返そうとしたら「次来るときまで持ってていいですよ」ってなって、子ども心にそういう気の長い感じの約束はいいなうれしいなと思った。けっこう笑えるやつ。まあ今読んだらだいぶ古い感覚のところもあるんだろうけど、男の人のいない家の感じがすごく面白かったしよかったな。歩くスピードは速ければ速いほどよいと信じていて、娘の響子さんが呆れるくだりとか、正月にいっさいの来客を断るとか。 響子さんはわりとミーハーだって書かれていて、好きなアーティストやボーイフレンドに夢中になったり急にしょげたり、いっぽうのんびりしているふしもあって、それが「ワタクシ大佐藤としてはですねえ…」の佐藤愛子といいコンビ感というか。まあ親子にコンビっていうのもなんなんだけど。 あるとき響子さんは来日したクイーンのレセプションに行きたい!ってだだをこねるのね。佐藤愛子はクイーンがいまいち誰だか何だかわかんなくて、響子さんに雑誌の写真を見せられて「ふーん」みたいな感じなんだけど、なんのかんの行けるように手配してあげて…(この毎度毎度なんだかんだひと肌脱いでやる母親感がコミカルですごく面白いんだよな)。響子さんはロジャー推しなんだったかな。その後クイーンのファンにシメられるみたいなエピソードもあった記憶。
ようするに『ボヘミアンラプソディ』を観ていて思い出したんだよね。金曜ロードショーを録画したやつ。クイーンの楽曲がドラマを盛り上げてて、バンドの物語としてみんなが楽しめるものになっていたと思うんだけど(大学でライブやってて話しかけて…みたいなのは「プリパラは好きぷり?」みたいな感じだし)、なんだけど、なんだけど、わたしはもうちょっとフレディの伝記映画みたいなのを期待していたので物足りなかった…というか、エイズで亡くなった人を描くのにこれはゲイフォビックじゃないかなあと気になった。あれだと「ゲイ・バイ男性が奔放に遊んでいると怖い病気にかかって死んでしまうんですよ」という感じに見えかねなくない…? まあわたしフレディの人となりやメンバーとの関係とかにぜんぜん詳しくないのであれなんだけど。なんていうか、奔放な性生活によって感染するウイルス=同性愛者たちは遊び人で好き勝手遊ぶからよくないことが起きる…みたいな描き方に見えたし、感染してからのメンバーへのカムアとか父親との和解とかもなんかこう…罪→罰→贖罪みたいな感があって、その和解の流れがほんとうだとしてもそこをクライマックスにもってくる構成はあんまりのれなかった。当時の政治がちゃんと対策を講じなかったこと、それによっておおぜいの人が命を落としたこと、偏見の目…みたいなものがすっぽり抜け落ちているのが、「クイーンを好きで現在生き残っている人たち(多くは白人のヘテロセクシュアル)に都合のいい映画」感は否めないというか…。 さっきの甲府のビジホに泊まったときの話だけど、そのときは中村キース・ヘリング美術館に行ったのね。キース・ヘリングもエイズによる合併症で命を落とした。ちなみにこの美術館、館長の中村さんの「考えるんじゃなくて感じてほしい」っていうポリシーがあるようで作品の解説とか作家の年表とかのキャプションがほぼない…笑。いっぽう館内は写真撮影OKだからなんかこう「おもしろインスタ映えスポット」になっている感はあり…いやでも興味ある人は映像コーナーとか書籍コーナーをいろいろ見ることはできるし、HIVの啓発とか関連書籍とかも扱っててすごく面白いし意義ある美術館だったんだけども。 なんかこう、フレディが45歳、キースが31歳の若さで亡くなってて、それはかれらが奔放に遊んだのが悪いわけではないし、ましてやセクシュアリティのせいではないじゃんっていうのが、、、、研究や啓発をちゃんとやらなかったこと、それによる偏見が多くの人の命を奪ったわけで、それはいまもでしょ。いまも間違った知識による偏見があるなか、もっとこうもっとこう、せっかくおおぜいの人が観る映画なのにそこはそれでいいんかいっていうのが、気になった。なんか日記がまいど愚痴っぽいな…。
佐藤愛子の小説はちゃんと読んだことなくて、千葉だったか熊谷だったか、ぶらっと入った古本屋で買った『その時が来た』っていう小説を途中まで読んでそのままになってる。これ、なんだってこんなちょうどよくバレッタみたいな位置に「50円」って値札貼ったんだろうな…。美容整形医の中年女性の話。いまちょっとめくってみたら「庭のバラの木という木が、ローズ色の大きな花をいっぱいに咲かせる時期が来ると、九重彰野はいつもその庭を陰鬱だと思うのだった。」って冒頭がいいな…。ローズ色って言っちゃうのもいい。
ちなみにキースヘリング美術感のある八ヶ岳のあたりは、日本の中でもっとも湿度が低い場所だそう。近くにある「アフリカンアートミュージアム」っていう美術館も面白かった。アフリカのマスク(仮面)など数多く展示されてて、儀式で使われたものだから血液や乳などしみこませてあってすごくかびやすいらしいんだけど八ヶ岳だと保存がしやすい…という話をスタッフの方にきいた。車じゃないと行きづらい場所なんだけどおすすめです。
目がタカラガイ。
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2020.6.23
火曜。曇り空。降水確率は少なめなのが救い。
もうすぐ6月も終わるなぁ。この3ヶ月、慣れないなりによく頑張った。仕事しててもしてなくても、平日への思いはあまり変わらないことがわかった。小さな楽しみを見つけながら落ち込んだり励ましたりを繰り返して繰り返して、週末を思うだけだ。
帰り道、少し晴れ間が見えて、駅ナカのスターバックスでアイスキャラメルマキアートを買って、飲みながら歩いて帰った。
ふいに聴いたユーミンの【12月の雨】という曲がかなり良い。季節外れだけども。MISSLIMというアルバムが良い。
2020.6.22
月曜日。雨。それだけで憂鬱が3割増だけど、昨夜のフルカワさんと荒井さんのライブ配信がとても楽しかったから少し浮上。
今日はお昼当番で1時間ずらしてお昼時間になった。仕事はやっぱりまだまだわからないことだらけで落ち込む。落ち込んでも仕方ないと奮い立たせる、の繰り返しだ。大きな窓のあるスペースで雨が降るのを眺めながら昨晩の余り物詰めたお弁当を食べた。こんな中途半端な気持ちでもちゃんと働けるもんだな、よくやってるな、エラいな、と自分を褒める(自分にいつも甘い)。雨はしんどいけれど、考えようによっては今の気持ちに寄り添ってくれているような気にもなったりして、結局そのときの気持ちが、見える景色に反映されるんだよなと思う。
夕方、部署中の扉の鍵を閉めて、早めに帰る。まだ雨は降っていた。
2020.6.21
日曜日。夏至。日食は曇で見られなかったみたいだ。昼寝してたからもう夜だ。
今日はいつもより少し遅めに起きて(犬に起こされて)、掃除機をかけたり、家中のマットを洗ったり、犬と短めの散歩に行ったりして良い午前を過ごした。
お昼は昨日から食べに行こうと決めていた上町のサイゴンに行った。久しぶりに食べたナンはとても美味しかった。家でもチーズナン作れないかな?
それから帰りにいつも前を通って気になっていたコーヒー屋さんでカフェラテを買った。オシャレな佇まいのお店だった。最近のテイクアウトのコーヒー屋さんはストローのないカップで、少し慣れない。カフェラテは濃いめで美味しかった。
無印に寄って、仕事で使うシャーペンとメモ帳を新調した。ついでにお香とか、カフェインレスのコーヒーとか、欲しかった指ありの靴下とか買って、休日は楽しい。
帰って少し昼寝して、夕方に目が覚めてもう1回犬と散歩に行って、夏至の空を眺めて、来年もこうして犬と夏至の夕方を散歩したいなぁと思った。
夜はライブ配信を観たいから、配信の開始時間から逆算して支度をした。
〇フルカワユタカ×荒井岳史 ライブ配信〇
荒井さんはバンドのthe band apartもかなり好きだけど、ソロは1枚だけしかアルバムを持っていないし、もっとちゃんと聴きたくなった。集めようかな。希望という曲がとても良かった。(これは持ってるアルバムに入ってる)
フルカワさんもとても良くて、聴きたかったyesterday today tomorrowが1番に聴けて嬉しかった。最後のドナルドとウォルターはやっぱり最高だ。何せギターの似合う人だなと心底思う。
荒井さんとのバスストップも、アフターパーティー(という名のダブルアンコール)でのドーパン時代のバンアパとのコラボ曲 SEE YOUもとても良くて、ライブは良いなぁと思った(配信だけど)し、やっぱり生で聴きたいからライブに行きたいなぁと強く思った。
ライブ配信はライブの代わりにはならないけれど、新しいライブの形として受け入れることには変わりない。
荒井さんもフルカワさんも、また普通にライブをできる世界になってもライブ配信(今のパッケージ)は変わらず続けると話していたし、遠方に住む方とか、仕事や家族のことなどでライブに行けない事情がある方にはとても有難いと思う。いつ自分がそうなってもおかしくはないから、こういうコンテンツがあるのは救いになるなと思う。そう思うとコロナのある生活を経たことには意味はあったんだ。
次は7月4日だって。とても楽しみ。
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