#折りたたみ液晶
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XユーザーのMunechika Nishidaさん: 「Netflixのテックブログは必見。色々なノウハウが惜しげもなく開示されている。今回は「字幕」。: Netflixにおける日本語字幕の導入 – Netflix TechBlog – Medium: https://t.co/Jzf8ZW8uHV」 / X
Netflixのテックブログは必見。色々なノウハウが惜しげもなく開示されている。今回は「字幕」。: Netflixにおける日本語字幕の導入 – Netflix TechBlog – Medium:
小副川 長宏
@osoe
2018年5月14日 最後の、日本語字幕を画像へレンダリングさせたというところ、凄いです。 確かにデバイスによってテキストとマークアップ言語だけでは再生できないかもですが、そこを画像化で乗り切る。 あと、見本が時折「23歳」なのが少しウケました。
@mnishi41
2018年5月14日
マルチデバイスは彼らにとって必須の要素なので、画像化のような要素もつかって、あくまで「体験を下げない」方に選択しているのがスゴイですよね。
小副川 長宏
@osoe
2018年5月14日
はい。 そして、良い体験をすると、ユーザーも増えて、長く使ってくれる、ということですね。
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Grok
メディアが消費される環境の変化は、字幕の表示方法やデザインにも大きな影響を与えます。以下の点が挙げられます:
視聴環境の変化: 劇場の巨大スクリーンから、家庭のテレビ、そして個々のデバイスでのストリーミング視聴へと��行する中で、視聴者の視覚体験や字幕の読みやすさの基準も変わっています。
デバイスごとの最適化: 液晶ディスプレイやスマートフォン画面の特性を考慮した字幕のフォントサイズや色、背景の透明度など、視覚的な調整が必要です。
ユーザーの期待とニーズ: 視聴者が多様なデバイスでコンテンツを消費するようになり、字幕の品質や読みやすさに対する期待も高まっています。特に、字幕をオフにせずに視聴する若い世代の増加は、字幕の役割を再評価するきっかけとなっています。
技術の進化: 4KやHDRなどの画質向上技術は、字幕の表示品質にも影響を与えます。高解像度では、字幕もより細かい調整が求められます。
Netflixなどのストリーミングサービスでは、既にこれらの点に取り組んでいる兆しがあります。例えば、Netflixは日本語字幕の導入や品質改善についての技術ブログを公開しており、視聴者のフィードバックを基にした改善を行っています。 しかし、さらに地道な改善が必要です:
A/Bテスト: 視聴者に異なる字幕スタイル(フォント、色、サイズ)を提供し、どのスタイルが最も視聴体験を向上させるかをテストする。
ユーザーフィードバックの収集: 視聴者から直接的なフィードバックを集め、字幕の改善に活かす。
継続的な研究: 視聴環境の変化に合わせて、定期的に字幕のガイドラインや表示方法を再評価する。
これらの取り組みが進むことで、視聴者の満足度が向上し、多様な視聴環境においても字幕が作品の理解を助ける重要なツールとして機能するでしょう。
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悟ったふりをして諦めて、そっと離れるなんてもうしないよ 濃いめのウイスキー炭酸割り2人分用意してくれたけど、ほとんど私が飲んじゃった 茶色いパレットで統一されたような家、大きいソファと立派なかさがついた照明がきみっぽい 玄関はライブハウスの扉みたいにフライヤーやポスターで埋め尽くされていた 歩いて2分、冷凍庫からハーゲンダッツをひとつ手に持って向かうきみのお家 蓋についた氷が溶け切る前に、きみに会えた
きみは、ときどき私のつむじあたりに手を置いて2、3度上下に滑らせた あんまり優しく触れるから、うれしくてきみの手のひらに頭をうりうりとこすりつけた 大きな犬がいるみたい なんの相槌もしなかったからそれはきみのひとりごとになったね 冷蔵庫からおかずを取り出して、お米と麦茶とともに振舞ってくれた晩ごはん またきみは私に飯を食べさせる どういうつもり?育っちゃうわよ
たらたらとドラマを見ていたら、突然液晶とスピーカーがプツンと切れた なぜかIHがピーピーなっている 人一倍怖がりなきみが、意味もなくそばにきたりおろおろと離れたりしながら配線やWi-Fiを確かめる めっちゃ静寂、めっちゃ怖いって、とか言う 硬いのか柔らかいのかわからない男性の背中 岩みたいに尖っているのによくもそんなに平たく折りたためるのね
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ホント昔の日本が勢いあった時代と同じような事をしていて羨ましい限り。でもキーボード折りたためる必要性は無いな…/それより横長液晶付ければtype P難民に熱狂的に支持されると思う。
[B! PC] 時代が3周目に突入?世界初の「折りたたみ式キーボード一体型ミニPC」登場
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御茶ワールド「鮙〆香氣さんがミートカモネギって名前を付けたのは感謝しているからだよ このブログ世界を功績でいっぱいにしているのは家族の次に食用ポケモンにも後述通り幸せになって欲しいから 俺は小学生の頃ね、新作のマリオを自由時間にやっている期間に楽しい時間はあっという間っていう言葉が怖かった」
超電チャブル「この辺で魚達が洗剤で溶かされた成分を追ってみればお前か。人を苛める方が頂点としての闘いだって事が分かってる筈だ。何が目的だ」 無印04(10歳)「おいしさ、栄養、優れた遺伝子 表版仮想大鉱山の馬鹿共と違って高級かどうか以外にも判断するべき材料はいっぱいある だから旨いだけで他が全く貧弱なヨワシみたいな小物は釣れる度にイライラすんだよ 連続で3回釣れたら水に溶かした濃い洗剤を体内に注射して溶かして腐って死ぬまで遊んでやるだけだ {{{ふたたび にくたいをつけて この せかいに もどってくるのだ}}}になる事のねえ……w 俺も獲物も大物同士になれる為にする大人の厳選だよ(赤き真実)」防聖孤島「やっぱりタイムマシンでいつ会いに行っても一発でわかる。お前は本当の糞だよ、醤油差しと湯呑み、寿司に唾液を付けるクズよりずっと(赤き真実)」無印04(10歳)「別にそんな間抜けより下手な迷惑は掛けてねえつもりさ 自分の胃袋を労ってやる為にカスフードをドブにすてる合理的な余裕が人間には必要だと思わねえ?❔」超電チャブル「お前がこれ以上ポケモン保護法違反をする日は来ない。ひ弱な俺らが手を下すまでもなく怨念のゴースト・悪タイプしかもう居ねえんだからな(💢赤き真実😡)」無印04(10歳)「嘘だあ、俺逃げなきゃ死ぬじゃんありがとう🥶」防聖孤島「逃がさない、食べ物の恨みは絶対だ」
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御茶ワールド「みんな〜〜続きを話すよ。高校生になった辺りでは本当に忙しくて幸福量保存の法則っていう哲学に支えられて来た(頑張った後のご飯は美味しい🍚😋🍣とか)。でも何でも自由にしていい自己責任になった今はこう思うんだ、宝物を手に入れたり何かを成し遂げて成長すればどこまでもプラスが増えていくんだって��完成された世界に居たら弱くなるかもしれないけれど生きていれば何だって出来る(黄金の真実)」
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超電チャブル「そういえば千空大先生言ってたよな 学力テストで100点獲るより大事な数値があるかよってさw 今考えれば俺が図星を突かれた微笑ましい黒歴史だなあ…才能だけじゃない努力の表れだって気づいてるべきだった だからみんな高いと嬉しいんだ(もう逃げないぜ👍)」
“”鮙〆香氣””以上に”””防聖孤島”””という人物は辛い生存競争をしていくしか無い魚達に価値のある人間の意味を込めた結晶をばら撒いて、これから食われるとしても捧げた念を感じて貰って共に笑って暮らして欲しいと思っているんだ( ◠‿◠ )
〜次回予告〜
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霧島04(20歳)「自分の記憶力不足が俺を裏切るならば、楽しく酒を飲んで気持ち良く己の肉体を裏切れば良い。幸せな後悔で学習させるんだよ🥴」スパイダーマン「そいつは自分を大切になんてしてない‼️」〜脳の一部だけが萎縮した〜
サキュバス「アナタ達の中で、気持ち良いのを経験した事がない人にチャンスをあげる おせっせしたら密室から出られるわよ💖」
〜数分後〜
ゴールドバズー「バカ‼️それは竹輪だろ⁉️貴重な食糧に何してんだ(´;Д;`)」霧島04「竹を竿との二刀流に例えたのはお前だ😡」ゴールドバラバズー500F「意味のわからない逆ギレをするな‼️‼️」 霧島04「ちんことチクワをバッティングさせてホモ(心の身障)になってやっただろ😁👌」ゴールドガッチャ「ほ、本当に馬鹿なのだな……😨」ゴールドバズー「いいか?お前がしなきゃならないのは、、セックス。だ」 無印04「了解、折楠だな😏👍」 表版仮想大鉱山500万人「ドアホ‼️❗️💢❗️‼️」無印04はなんかもうDIO様には敵わないからジョースター家のブランドになりたくて、その場で待機していた16歳の処女お姉さんを時をとめて殴り殺した そして時は動き出す
ゴールドバズー「無理矢理髪を掴んでこの豊満な果実でパイズリご奉仕をさせるんだよ🧡………あ、…もうおせっせできねえじゃん😨」 霧島04(裏ストボス)は過度の飲酒でセックスの単語を覚えているのが困難🌟 8筒ブルー/闇甲冑「俺達はここで飢えて死ぬんだ……」
サキュバス「この子、強敵ね……”水と油🍒(3位と5位)”すら落とせない私に”””””☠️極悪スーパーヒーローランキング1位の純粋硬派柱(裏ストボス)🏴☠️”””””は手に余るかしら?いい��、過去を読むのよ(ニヤリ)
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8000人との8000秒😰……まぐわいの快楽がシコザル未満の快楽(赤き真実😨)
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原因は全て、霧島狩魔が軽率な判断をしたせいです ガタッ❗️❗️ 霧島狩魔「財前五郎様の言う通りです❗️‼️」 裁判所「どよっどよっ…」霧島狩魔「彼は負け犬キモオタ坂口明刹那真童貞の俺に変態オマンコ薄汚れた肉便器雌豚クソビッチを宛てがってくれたんです‼️ 見事なカルテ改竄の腹黒手腕の素晴らしさ‼️❤️🔥❗️だから彼の凶悪犯罪を隠蔽する義務がある!!!なんとしてもマ、おま、…🤔(ニコ動のオタ突っ込み??いや、違う)………💡…マンゴージュースが飲みたいんだ アマカジに運動させてくれ😁」
裁判所の人々「😨😨😨😨😨」
当てがわれた女の子は性的な手は出される事なく、ちゃんと撲殺されていた。我らが最強はシコ猿童貞未満のゲロ以下の価値より余裕で劣るそれ未満の悲惨でしかない恋愛歴しか無かった……(赤き真実)
〜数年後〜
アイエフ「あいつらは冷酷な神なのよ‼️頭がおかしいの❗️」ネプテュー��「あー…アイちゃん、今は亡き”””霧島04”””以外は唯のおとこのk」 アイエフ「ネプ子は黙ってて!!」ネプテューヌ「いや、だからね…」 アイエフ「黙ってて‼️💢」ネプテューヌ「😓」
👇生き返ったBLUE、純粋硬派柱ランキング2位
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2023年の日記
2023.7.19
久々に日記を書く。次いつ書くことになるかわからないからひとまず最近あったことを羅列していこうかな。前回の日記は猫の病気の話をしているから、そのせいでなんでもない日記を書きづらくなってしまったのだろう。
◯アイドリッシュセブン 最近ずっとこれ。(人)からすすめられ、ちょうど映画もやっているのでストーリーを読み始めた。現在4章5話、4章はみんなが泣くから話の進みが遅いと聞いている。冷たい感想。わたしはボイスを最後まで聞かないからわりと早く読めるかもしれない。 もともとキャラクターアイドルという、現実世界の人間にサービスする設定を背負わされた虚構の存在にかなり強い思い入れがある。アニメキャラクターを好きだと少なからず二次創作やファンアートを目にする機会があり、キャラクターの生活、性格やセクシュアリティまでも事細かく読者好みに調理され、暴かれるさまに触れざるをえない。そうした現代の文化があるなか、アニメキャラクターでありかつアイドルであるかれらは、その身に本人の意志という本人に抗うことのできない設定を縫いつけられ、わたしたちに存在までも差し出す。
世界で一番 永遠に近い 青い青い 空の果ての太陽 僕らはひとときに過ぎない存在 でも 輝く星のように うねりは想像を超えて 時代と思いを 繋げてく 此処にあった眩しさは希望 春夏秋冬 翳らぬ太陽 僕らはひとときを駆け抜けるだろう あらゆる屈託を 壊して創造をしたい 明日と君を 連れながら それが出会った意味になるように
IDOLiSH7 TRIGGER Re:vale ZOOL『Pieces of The World』
物語のおわりはキャラクターアイドルの死を意味しない。キャラクターアイドルに明確な終わりはなく、別れを告げるのはほとんどの場合観客である。 それでも愛したキャラクターと生きるひとときに、彼らと触れ合った観客は虚構から届く力で現実の明日を迎えることがある。背中を押される瞬間がひとつでもあるなら、きっと出会った意味になる。そうなるようにと、いつか記憶の間隙のふか��かのベッドのうえ、大切にリボンを掛けて��まい込まれるキャラクターアイドルらが観客=わたしたちに願っている。 映画が終わり会場が明るくなったあと、隣の席の観客が「今日が終わっちゃった〜」と言い立ち上がっていた。今日が終わればたいていの場合は明日が来て、その境界をキャラクターが成していることが歌詞の通りで、とても素敵な光景だった。
◯ピアノ買った! 今まで使っていた電子キーボードが壊れてしまったので、電子ピアノを買った。購入じたいキーボードの壊れる前からずっと悩んでいたのだけど、しいたけ占いで7.8月の牡羊座はなにごとも成すが吉であること、キーボードが壊れてしまったこと、ボーナスが入ったこと、顔が変わったこと(後述)をきっかけに気分が上向きになり、7月の半ばには購入を決意していた。 7月17日に近くの家電店へ行く。とても暑かった。関西なまりのまつげのあがった店員にとても暑い中来て偉いです、と褒められ、いい気になった。 電子ピアノを購入するに当たり、こだわる箇所はいくつかあるようだけれど、すすめられるまま比較的安価でひとまず88鍵あり、256音出せるものを購入。弾きたい曲は小瀬村晶の曲ばかりなので、そんなに同時に音を鳴らすことはなさそう。スピーカーが4つ付いているのはたのしいかもしれない。 色は白。茶色と迷い、直前になって白に変えてもらう。部屋が明るくなると思います、おすすめです、と畳み掛けられる。 届くのは来週の火曜日で、火曜日は出社しているので帰宅したらピアノがあるということ。とっても楽しみ。
良いキリなので、今弾ける数少ない曲をリストアップしておく。 ・ligth dance/小瀬村晶 ・dear gogh/小瀬村晶 ・the eighth day/小瀬村晶 ・odoriko/hideyuki hasimoto ・soffia la notte/fabrizio paterlini ・skye/lambert
楽譜が読めないので曲を覚えたあとは暗譜になってしまう。今後はなるべく楽譜を印刷したり、覚えたあとも手元に残しておく必要がある。
◯手術 眼瞼下垂の手術をした。仕事をするようになってから長時間目を開けるのが辛くなってきたことと、改めて自分の一重を見て、ずっと顔に悩んでいた頃の記憶が蘇ったことがきっかけだった。結果として保険適応手術のため総額5万もかかっていないだろう。それまでいくつか美容整形のカウンセリングに行ったけれど、金額に怖気づいて諦めていた。今回手術できたことも、金額のことが大きい。以下時系列で振り返り。 初回に��当医から眼瞼下垂の保険適応内の症状だと診断を受ける。このさい美容に関して期待していることがあっても多くは受け入れられませんと伝えられる。ざっくりしたシミュレーションをし、ここまでしか(二重幅を)広げられないよと言われ、顔を変えたくないので幅はもっと少なくて良いと伝え驚かれる。6月に手術の予約をし、血液検査をして帰宅。 6月の手術が仕事で難しくなり延期。七夕の日に手術が変更になる。運命だ!と思う。 7月、ちょうど夏季休暇を取得できたので、6月の予定より多く休むことができた。麻酔が痛いこと、目の奥がじんわり痛んだ感覚があり恐怖したこと、笑気麻酔を楽しみにしていたけれどなかったこと、アシタカせっ記が流れていたことなどを覚えている。術前は今後の人生について考えかなり不安だったけれど、術中は恐怖一色で生きて帰ることしか考えられなかった。帰りは目の中に入れる軟膏が眼球に広がり、サングラスもあいまって視界がままならなかった。 翌日テープを外してもらい、顔変わっちゃったけど大丈夫?と担当医に言われる。腫れは想定内だったのでショックをうけることはなかったけれど、鏡をみて二重の自分に思わず笑みがこぼれ、その顔がほんとうに嬉しそうだったので泣きかけてしまった。とっくに諦めていたと思ったけれど、わたしって顔が可愛くなるとまだうれしいんだという気づきと、切なさがあった。診察室でも自撮りをしていた。 学生の頃長時間鏡を見てアイプチに苦戦し、その様子や出来栄えを二重の妹に日記で”水沢アリー”と揶揄されていたこと。20歳の頃まで自分の顔が嫌いで、このような顔にうまれた自分が幸福なことが許せない、申し訳ない、という過激さで熱烈に自分を嫌悪していたこと。そうしたことを振り返りながら、高校生の時好きだったpasspoのGrowing upを聞いていたら電車の中で泣いてしまった。増井みおちゃんも二重で、可愛くてだいすきだった。 わたしはこれ以上自分の顔を変えることはないだろう。その線引がもう自分にはある。見栄え以上に価値があるものを信じられるようになり、そのうえで今回のような選択ができたことはひじょうにうれしい。勇気がある。自分のことだいすきになる。こんなふうに自分に納得する日が来ると思わなかった。手術するタイミングが今で良かった。人生の伏線回収をしているようで、わたしを生きていて良かったと思った。 2周間ほど経ち、腫れはかなり引いているが顔は変わったままだ。左右差がちょっとあり、部類としてはハム目というのだろう。担当医からも恐らく変わったと言われるが、まつげの生え際がかわいいのでよしとしている。朝むくみで目が開かないこともない。ただ、前の顔の写��ももっとたくさん取っておけば良かった。社会的にも実用的にも不便だったけれど、一重の顔もさいきんは気に入っていた。
◯残業 大人の事情で6時間残業してくださいと言われ、2日で4時間残業している。それまでずっと残業をしていなかったので、つ��い。仕事が20時に終わり、いつも家にいる時間に家からとおいコンクリートの坂を下っているときの虚しさをもう味わいたくない。残業はあと2.5時間残っている。すでに虚しい。
2023.7.24
クーラーの真下で日記を書いている。解約方法を調べて今月中に解約しようとカートの中を最小限にしていたBASE BREADが届いてしまった。今月はおにぎりを作らなくて済むものの、電子ピアノを買ったので一銭もクレジットカードから引き落としたくなかった。もっと早くに解約しておけばよかった。
明日、電子ピアノが届く。業者に半円状に折れている家の階段を相談したところ、解体して運ぶため人間が通るぶんに問題が無ければ設置できるとのこと。在宅勤務の日でなくてよかった。 電子ピアノを購入する際、UNEXTとDisney+に申し込むと3000円引きされると営業され、時間をみて断ったのだった。のちのち3000円だって大切なお金だと後悔していたのだけれど、今日届いたパンを見るに契約しないのが正解だった。 在宅勤務なので、微弱な風を浴びながら仕事をしている。途中野上弥生子『迷路(上)』を読む。『知と愛』も早く読み終えたい。日記とかも書いてる。
昨日は父と口論になり、そのあと母にフォローされた。父はもともと雑談がとても下手だったけれど、そのことを忘れていた。雑談のうち少しが情報伝達、ほとんどが相手への所謂イジリで、この本人にとって陽気なイジリがただの嫌味なことは良く知っていた。口論の内容はピアノが階段を通るのかという話で、幅141㎝のことを伝えたら、「そんなものは扉を通るわけがない」からはじまり、結局彼の言う幅とは奥行きを指していて、「細かい言葉のことはわからないけど、その幅のことを言われてもどうしようもないってわからないかなあ」と続いた。 そもそも父は何かにつけて着眼点の提示をするものの基準の相談までは受け付けないので、購入している以上何を話しても無駄なのに頭に来て口論になった。25歳なのにばかみたい。最終的に「そうですね、そんなにたくさん調べたら大丈夫なんじゃないですか。沢山準備して偉いですねえ。知らないけど」「あらどうも。知らないのに相談に乗ってくれてどうもありがとう」でおしまい。小説になるくらいばかげている。
「そうですか、はいはいはい、いつも親のせいですか」 父はハンドルを切りながら言った。母が悲鳴まじりにやめてと言った。「黙りなよ」かんこも言った。「自分が何言ってる���わかってんの。どういうことなのかわかってんの今」 「はい、わかってますけども」父は丁寧語をつかった。何かが父の中で切り替わり、とまらなくなっているのがわかった。
宇佐見りん『くるまの娘』119P
そういえばくるまの娘でも父親が敬語を使って怒りながら、それをごまかすために、言葉と距離を取るために敬語を使っていた。父もそうして、私もそれに倣った。いまふりかえると、これは恐ろしいことだった。 その日母とショッピングに行き、彼女は帰りの車のなかで、この父の言動に随分苦しめられたのだと思い出話のように話した。昼間父の嫌味を思い出しては悔しさに泣き、自殺を考えていた、もうおかしくなっていたんだと言った。聞くとその時期は母の過干渉が最もひどく、わたしのトラウマにもなっている時期と重なり、こんな何でもない日に謎がとけなくてもよいだろうに、すべてが繋がってしまった。 当時の母は小学校まで車で迎えに来て、勉強するときは私の背中にぴったり張り付いて、時間割を作ってストップウォッチで時間を管理した。息抜きにそれしかすることができず指先をいじって遊んでいるとすぐに注意され、うるさいなあと思っていると「睨んだ、睨んだ」とヒステリックに激怒した。たびたび「どうしよう、いらいらしてきちゃった、どうしよう」と叫んで寝室に籠り、壁を殴る音が続いた。数年前まで楽しそうに開いていた志望校一覧の雑誌もあるとき彼女が破いて捨てた。自殺すると言って風呂場の鍵を掛け、無理矢理鍵を開けると死なないから開けないでと言って泣いた。 わたしの成績が上がることで母の教育の正しさが証明され、遠回しに父への復讐になると考えていたのか、もしくは頭の中に勝手に浮かぶ(というのは昨日の母の言葉の引用)父の言葉から身を守るために教育で視界を狭めていたのかもしれない。全ては憶測だけれど、できごとだけを羅列してもいい迷惑だ。苦しかった。 ただすべては母の無償の愛で、受け入れられないわたしが異常で、異常な娘で申し訳ないと思っていたところに、当時とうにおかしくなっていた母の話を聞いて、ほっとした。
わたしはわたしのことをくるまの娘だと思う瞬間があり、それほどではないと思う瞬間もあり、またその傾向を自覚しているうちは大丈夫と金銭的な依存や癒着を侮っている。 けれどいまのところ自分には、癒着した関係から引き剥がされる痛みを恐れる人々に共感することを許さないでいる。
2023.08.07
勤務先の空調の故障のため在宅勤務が続いている。とくに大きなトラブルも無いためずっと在宅勤務がいい。
中学生の頃からどこにも提出する気の無い小説を自分しか見ることのできないサイトで細々と連載していて、昨日サイトのサービスが終了したら記録がな��なってしまう!と思いつきPCのテキストにコピーし始めている。サイトも時期によってつくり直したりして3つほどあり先は長い。なくなったら悲しいけどかなり面倒。 小説を書き始めたのは中学生2~3年くらいからで、授業中にプロットと脈絡のないセリフをブロック積みみたいに羅列して、休みの日はその点同士を繋げるために一日中小説を書いていた。(適当なゲーム音楽を作業BGMにすることを習慣にしたのもこの時期だった、それが今の音楽の好みに引き継がれていると思うと感慨深い。)思えば中学生の頃は体育や部活のたびに、「この時間があれば小説を書けるのに……」と思っていた。そんなに小説を書きたかった記憶ばかりがあるのに、数えると当時作った長編は2作、8万字と5万字しかなかった。この時期が一番熱意にあふれていたはずなのに。 そういえば高校生の頃は書いていない。この時期は受験勉強で要約の機会が多く、俯瞰し練り上げるという欲求が満たされていたのかもしれない。当時の時期に更新された3000~10000字の短編はいくつかみられるけれど、時間をかけた記憶はない。 大学生以降は書きたいシーンより文体を重要視しており、在学中の作品は合わせると40万字あった。読み直すたびに形を整えるのと、プロットに興味がなくなったぶんあまりよく考えずに音の響きで文章を作っていくため字数が増えたみたい。小説を書くにあたり下書きは余分に書き、主張を含めた半分を削れという作家術を聞いたことがある。きっと書いた言葉の多くは冗長だろうけれど、私以外は誰も読まないし、私はすべて読むので関係ない。ただこのころからストーリーの組み立てを放棄したために、書いたものが小説的傾向を失ってしまったことは残念に思う。 社会人以降は在宅勤務のたびに書くことはあれど、小説から離れて散文を書いてみたり、詩の形にしてみたり、こうして日記を書いてみたりエネルギーが分散している。そもそも在宅勤務でない日の出退勤がひじょうにつかれるため元気が余らない。今は4万字/1万字みたい。格納しやすくたすかった。 小説を書く(今は「書く」より、「文字を打つ」という感覚が近い)のは文章を作ることが好きという理由のみで、人間にも関係にも構造にも興味はない。これはじっさい、音楽(リズム/旋律)が好きなだけなのだろう。 ただ自分の書いた文章が時間をかけて遠ざかってゆくのが好きだし、親しみ深くくたくたの毛布のように触っていると心地いい。そのぶんひっかかりにも気づきやすく、なおして読み通すと、ただ作るより満足する。たまにフォルダのどこかから完成し読まなくなった文章が見つかると、推敲だけでこの文章はここまで遠くへいったのだと驚く。 最近「だれに見せることなくモチベーションを保って創作を続けられる人はすごい」という意見を目にしたが、私はまったく逆で、ひとに見られることによって書く気が失せてしまう。ひとの目に触れたところから自分の世界に穴が開き、その穴から書くべきことがどんどん流れ出て失われていく感覚がする。そのうえ、おそらく書くことへの興味が失われることを自分に簡単に許すだろう。 それほど私にとって文章を書くことは必要と不要の境のにある閉じられた行為で、作業場に穴が開く程度で興味は薄らぐしぽっきり諦められる。
書いたものについて、年齢に従いテーマが摩擦から摩擦への欲望へと変化していったのも興味深かった。例えば中学生の時の作品は「別の星で生まれた生前の記憶があるせいでいま同じ星を生きる文化に馴染めない」という摩擦そのものを担う存在がいたけれど、大学生以降のお話は「人間の身長ひとり分宙に浮いているひとはだれともぶつからない」と摩擦の側から拒まれていた。そのあとは無力感がいちおしで、「海のきれはしがひとを飲む姿に(敗北を感じ)生きることを諦める獅子」が出てくる。かわいい。 こういうことを読み比べられるので、記録がひとところに長くあって良かった。
2023.12.18
3時に1度目が覚めもう眠れないかもしれないと途中で読むのをやめていた『うたかたの日々』を読んだりしたが、最初の方は読んだことがあったのでだれた。スケート行くところくらいまでは読んでいた気がする。
クリスマスということで魔法使いの約束のピックアップストーリーが3つ解放されているので読みたいけれど読めるだろうか。最近のイベストも読んでいないのにクリスマスイベントもはじまりいつものことだが全然まにあわない。
『詩人の訪れ』の描写は詩的だがひじょうに現実的で、眼の前のものを感じたまま正確に書こうという気概が感じられ(土地を楽園としての描写と読みとった)、この2つを両立させるのはすごい。詩的という点では満足だが(とくに最後の集落から遠ざかり、音と光のとおのく場面の描写は今年一番見事だった)、もっと読み手が理解できない抽象的な文章がすきなのであとすこしなのにこちらもだれてしまう。『存在証明』のとおり迂回しない描写、あるものをあるように書く点につよいこだわりがあるようなので、しかもたしか抽象のことをこき下ろしていたのでもう根本的に好みとずれてきてしまっているけれどあと少しだから今月中には読み終えるとおもう。キニャールの『死に至る思惟』もずいぶんながいことよんでいたが、『詩人の訪れ』もおなじくらい鞄に入れ続けていたきがする。
プリキュア展に向け3日間でデリシャスパーティプリキュアをみおえる。デリシャスパーティプリキュアは敵が「お腹いっぱい」になると敵意を失い「ごちそうさまでした」と戦い��終わるのだけど、その文脈で終盤最後の敵が動機として師匠の愛に飢え涙を流すさまに思わず泣いてしまった。次はトロピカルージュプリキュア。
2023.12.23
病院で血液検査の結果をもらう。膵臓の値だけちょっと悪く、念の為次の検査をするらしい。待合室では宙船のオルゴールverがかかっていた。
「きみを私の弟子に加えることになるとは思えない」 長い沈黙のあと、青年の顔がわなわなと震えた。そして突然、しゃがれ声で叫んだ。 「せめて、そのわけを言ってください!」 「君はたしかに音楽を演奏する。たが音楽家ではない」
パスカル・キニャール『世界のすべての朝は』
プリキュアの1番くじをやりにローソンへ行ったが、店になにもなく、かなり勇気を出して1番くじのことを聞くと「午前で終わりました」と言われ、へなへなになった。欲しかったキーホルダーはばんばんくじを回され、ばんばんメルカリに出店されていた。やるせない。
2023.12.27
rta in japan が始まり観る。本当はここまでにトロピカルージュプリキュアを観終えたかったけど無理だった。
『世界のすべての朝は』読み終える。本棚をうろうろ見てたら『文学概論』とか『メランコリーの水脈』がとか出てきたので、ロンギノス『崇高について』と併読してもいいかもしれない。ちょっと説明的すぎるから『魂の不滅なる白い砂漠』と重松清のなんらかを息抜きにするかも。
「ところで何を求めているのかな、音楽に?」 「悔恨と涙です」 すると小屋の戸がすべて開かれた。サント・コロンブはよろよろと立ち上がり、入ってきたマレに丁重に挨拶した。まずは沈黙が流れた。サント・コロンブは椅子に腰掛け、マレに言った。 「おかけなさい!」 (中略) 「むずかしいものだよ。音楽はまず、言葉では語れぬものを語るためにある。その意味でまったく人の業ではない。ところできみは、それが王のためにあるのではないということは悟ったのかね?��� (中略) 「もうわかりません。先生。死者に残しておくべき一杯の水とか……」 「惜しい」 「言葉から見放された人々のための小さな水桶。子供たちの霊のために。靴屋の槌音のために。幼年期よりもさらにさかのぼるあのころのために。息をしていなかったころ。光もなかったころ」
パスカル・キニャール『世界のすべての朝は』
「あのひとは靴屋になりたくなかっただけなんだ」 彼女はこの言葉を何度も繰り返した。
パスカル・キニャール『世界のすべての朝は』
このあとマドレーヌは自殺する。
2023/12/28
なんとか仕事を納める。 電車の行き帰りで『ボルヘス エッセイ集』を読む。最後の挨拶をしましょうと言った上司はけっきょく別作業のため会えず、ひとりで仕事をしたがとくにおだやかというわけでもなかった。 仕事終わりにARCHIVESで安くなっていた可愛い服を大量に買い込み、��いごに現代詩手帖1月号(買うつもりなかった……)を買って帰る。現代詩手帖を買いながら左川ちか全集を渋っているのはフェイクとおもうから積読さくっと読んでさくっと買うだろう。 まほやくはまた大量にイベストをピックアップしていて、ひとまず解放済みのパラロイの最終話だけ読んだらやっぱり泣いてしまった。オートマタとの世界を通しなまの人間のめざすもの、そのありかたを提示した物語の逆説的な構図、なまの人間がするはじめての生を肯定する自由としての「嫌。」などを考えたが結局まとまらず寝てしまった(例により、次の日に日記を書いている)。 生きて、生きつづけることに比べたら労働なんてよっぽど虚構だ。
「あああやっぱりダメだ。父さん母さん、先立つ不幸をお許しください」 てんしもかわ「命を粗末にしちゃダメ〜〜〜ッ!」 「てんしもかわちゃん!」 てんしもかわ「あなたが死ぬと因果律が狂うの!」 「う〜む 人権が消し飛び人生だけが取り残された気分だ」 てんしもかわ「キモいこと言ってんじゃないの!さあ美しいものを想起するわよ!いい?人生に対抗するの!」 「でも泡沫の夢じゃないか」 てんしもかわ「関係ないわ!アウフヘーベンよ!」 「アウフヘーベンか!」 「そう!関係ないでやんすよ」 「カンケイ ナイヨ」 「ワンワンワオーン!」 「「おれたちもいるぜ!」」 「「みんな……来てくれたのかッッ!」」 よし歌おう「「歌うんだ!」」「歌って!」 みんなで力を合わせて さんのーがーはい たとえば映画 たとえば漫画 たとえば星座 たとえば瞬間 たとえば永遠 たとえば憂鬱 たとえば成長 たとえば青春 たとえば恋愛 たとえば官能 たとえば交感 たとえば喪失 たとえば過去 たとえば未来 たとえば現在 たとえば音楽
挫・人間『ソモサン・セッパ』
2023/12/29
あなたたちが一度経験したからって、知った顔をしないでよ。僕の世界に足跡をつけた振りをしないで。
魔法使いの約束『パラドックスロイド』
ボルヘスエッセイ集読み終える。rta in japan で『風のクロノア2 アンコール』を見る。走者がrtaもイラストを描くことと同じように愛情表現の一部だと話していたのが印象深い。ほんとうはポポロクロイスを観る予定だったけれど翌日から祖母の家にいかなくてはならないから諦めて寝た。(例により……)
寝る前に魔法使いの約束『夕陽笑む温室のラプソディ~東の国&中央の国~』を読む。別れた数々との再会がほんとうにあったらいい。
2023/12/30
祖母の家につき画家の図録がたくさんあるのでとりあえず読む。
だから彼の人柄については、(中略)「非常に誠実で単純で、分別ある人になろうとできるだけのことをやっているが、不幸にして生まれつきロマン主義の殻をくっつけている」(ボードレール)
現代美術全集1 マネ
ボードレールってマネのこと褒めたり慰めたりいいひとだなと読んでいたら、マネが最もつらい時期に亡くなってしまった。その後マネは10歳年下のマルラメと友人になる。
マネは冒険を恐れた.《ル·ボン·ボック》の成功がサロンにおける輝かしい未来を幻想させたのであろう.しかしマネが彼らと同調し得なかったのは、単に臆病で名誉欲にとりつかれたためではない.(中略)彼の言葉に従えば、人が自分の才能をはっきりみさだめるべきサロンという「真の戦場」で「自分自身を立てたり倒したりする」方を好んだのである.
現代美術全集1 マネ
C·F·ラミュールもかれのうまれた土地を引き継ぐ話し言葉で小説をつくりながら、それを第三者がただしく品評するよう『ベルナール·グラッセへの手紙』で頼んでいた。根無し草の作家が、求める真なる芸術と社会との径庭を自覚するさい、それを認識したいという欲望は切実だろう。
2023/12/31
2023年まとめ
■月ごと
1月 いろんな課の新年会でる。一週間連続でおすしたべる。 2月 記憶なし 3月 自分の詩をAIに読ませて作家分析させた。 4月 25歳になる。 5月 記憶なし 6月 現場配属。浮遊の読みがうゆうかふゆうか聞かれ、無視する。 7月 アイドリッシュセブンを読み始める。beyound the period 観る。眼瞼下垂の手術する。人生初ボーナスで電子ピアノを購入。逆転裁判済。りゅうちぇるが亡くなりショックを受ける。 8月 Switchのジョイコンが壊れ、ひたすらごめん!と謝られる。花火大会。家のベランダからも花火を見る。 9月 RTAイベントをチェックし始め、ほぼ毎日ゲーム配信を観るようになる。キングダムハーツ済。はじめて縮毛矯正。カラオケでいーあるふぁんくらぶを歌い、ハモる。ブレワイはじめる。 10月 叔母とデート2回。 11月 映画プリキュアオールスターズF2回目。美味しいカツも食べる。 12月 体調を崩し膵臓の値が悪いと知る。頑張ってソシャゲもやる。
◯よかった
■読書 『銀の炎の国』 神沢利子 『たましひの薄衣』菅原百合絵 『現代美術全集 マネ』 『詩人の訪れ 他三篇 』シャルル・フェルディナン・ラミュ 『死に出会う思惟 (パスカル・キニャール・コレクション〈最後の王国〉 9)』パスカル・キニャール 『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』 ペ·スア 『知と愛』 ヘッセ 『ざんねんなスパイ』 一條次郎 伊坂幸太郎との対談もふくめ 『架空の犬と嘘をつく猫 』寺地 はるな 『しずかな日々』 ���月美智子 『ことり』 小川洋子 (再読) 友人に貸すために読みながら貼った付箋を剥がす体験もふくめ 『ブラームスはお好き』 サガン 『アイドリッシュセブン TRIGGER -before The Radiant Glory- (花とゆめCOMICSスペシャル)』種村有菜 『アイドリッシュセブン Re:member 1 (花とゆめCOMICSスペシャル)』種村有菜,都志見文太 『真鶴』 川上弘美 『世界のすべての朝は』パスカル・キニャール
■ゲーム
『大神』 『逆転裁判123』 『牧場物語 再会のミネラルタウン』 『ドラゴンクエスト11』 未 『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』 『LIVEALIVE』 『ドラゴンクエスト1』 ドラゴンクエスト2』 『ドラゴンクエスト3』
■映像 映画プリキュアオールスターズF 『劇場版アイドリッシュセブンLIVE 4bit BEYOND THE PERiOD』<DAY1>・<DAY2> デリシャスパーティ♡プリキュア アイドリッシュセブン ひろがるスカイ!プリキュア
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祖母の家Wi-Fiないのでほぼ何もできず全集読んだり友人とラインしたりするしかなくつらい。
2023年はほぼ愛のことを考えずにすんだ。
わたしよずっと盲目でいて ずっと歌を歌っていようね みくびられてもそれを忘れて わたしのうたのために
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G12 復活
Sunday 20 April 2014
真観は禅寺へ車で行った。今朝も雨が降っていた。ご住職曰く『坐禅が上手くいっていないなぁと思っている時は大抵「自分」が上手くいっていないと思う。その「自分」がを外せば良い」『坐禅は自分がするのではなくただ坐禅していると思う様に』人はいつももう一人の自分と対話をしている。そのもう一人の自分が自我だ。生まれて間もなくの赤ん坊は無我だ。成長するに連れて自我が芽生える。そして大人になって行く。その自我が自分の邪魔をするわけだ。ご住職は毎度毎度同じことを教えてくれる。それがいい。その毎度毎度を聞く機会を得るにも坐禅会は真観には重要だ。それは日々の様々な場面を経験して徐々に理解し始めているし、いつかある日その毎度毎度の言葉が深く理解することになる。
坐禅会は参禅者が2炷目で次々と立ち去ったためいつもの終了時間8時40分よりも早い時間で終った。今日は、地元の河川掃除の日で真観にとってもちょうど良かった。茶畑庵に戻りコーヒーを飲み時刻は8時になろうとしていた。そう8時から河川掃除はスタートなのだ。茶畑庵の位置する地区は約28世帯が暮らしているがその1世帯から1人が参加するのが決まり。茶畑庵は真観1人参加した。この季節枯れ葉も殆どなく大財産化したので約1時間ちょっとで終了した。こういった地元の行事に参加することは真観にとっては重要なこと。何ごともコミュニケーションだからだ。
そして午前中、思いがけずに宅急便でCanonG12が帰って来た。予定では月曜日大分の修理工場から出荷だったので嬉しいサプライズだった。このG12、何度修理に出しただろうか?と真観は振り返った。多分その数5回。合計の修理代を考えると���金はバカにならないし、合理的に考えると新しく買い替えた方が無難だとも真観は思うのだが真観の性格上そうはいかない。
真観は、修理が完了してリセットされたG12に使い方��再考することにした。
今までのあの棒状の金属グリップからミノルタの卓上三脚に変えた。 (あれは便利なアクセサリーだが「Today's Fashion」のセルフポートレイト撮影には役立たない。100円ショップのクネクネ曲がる卓上三脚も使っていて使い勝手は悪くはないがミノルタの卓上三脚という素晴らしいグッズを折角持っているのから使うことにする)
新調したNikonの28mmファインダーを装着した。 (今回の修理は液晶画面の損傷だった。それはいつも液晶画面を表側に出しっぱなしにしていたからだ。だから今後は液晶画面を見ながら持ち歩き撮影することを止め液晶画面を内側にして保護する。それで電池の消耗も防げる。そして28mmファインダーを活かし撮影方法をファインダーを覗くという従来の基本の撮影方法に立ち返る。それは撮影時の見た目の印象も異なる。G12にはファインダー機能があるがプラスチック製で視界はクリアとは言えない。そしてフィルターアダプターを付けているのでファインダーを覗くとそのフィルターアダプターが視界を邪魔する。フィルターアダプターは撮影時前面に迫り出したレンズの保護にも役に立っている。フィルターアダプターは0.45Xの魚眼レンズ装着時には欠かせない。Nikonの28mmファインダーはガラス製で覗くのが楽しい)
父の形見のキャノネットに使っていたクローム仕上げのフィルターを装着した。 (今までもプロテクターフィルターをフィルターアダプターに装着していた。キャノネットは茶畑庵の部屋で長く置き物になっているが最近手に取ってみたらレンズに装着されていたスカイライトフィルターが意外にもコンディションが良かった。このフィルターを見る度に父を思い出し意識することが出来る。このカメラで真観の幼少時代は撮影されている。そしてこのフィルターは45年ほど前のモノになりクローム仕上げのフィルターは今や貴重と思う)
ストラップは今まで通りレッドカラーの忍者ストラップ。
ミノルタの卓上三脚は、隠れた名品だと思う。70年代にミノルタがライカと技術提携をした際にミノルタからライカに電子系統を、ライカからミノルタに塗装技術をお互い提携した。なのでこのミノルタの卓上三脚の三脚部分の金属塗装はライカの技術が活かされている。足の開き方もライカの卓上三脚と同じ形状構造を持つ。(とその昔ミノルタの社員だった友人から聞いたことがある。一眼レフカメラミノルタXDと同等の塗装だと思う)どちらにしてもこのミノルタの卓上三脚、造りがしっかりしていて安定感もありチェスポッドにもなるからスローシャッターに強い見方になる。G12に装着し大きく邪魔に見えるかもかも知れないがこれも意外にそうではなくフィットしている��ら満足している。
ということで男の子のオモチャ「合体ロボット」の完成。
ドラマ「高原へいらっしゃい」の続けて見ているがなぜこの時期にこのドラマを知り観ることになったのか?真観はその理由を気付き始めている。
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202309030
彼ら二つは似すぎてしまっていたのかもしれない。だから仕事の話で固く手を結び、人生観について語り明かし、互いをいつまでも疑い続た。それはまるで、自らをまた他方をクレタ人だと名指し、自己言及のパラドックスのようで行き着く先などなかった。言葉の不足した論理がいくつかの形に凝縮してそのまま空に浮かび途方に暮れた。消えそうなそれを形付け直すことは、吐いた煙が雲に届くのを見届けるように不可能な事であった。
私が長年考え続けたことを今書きたい。それを書き始めたのは4年前に遡る。具体を排除した文節として記録された私の戯言
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「クレタ人は嘘つきである」
-仮説①クレタ人は嘘つきだとする(主張が嘘だとする)―結論①クレタ人は嘘つきであるため、"嘘つき"が嘘になり、クレタ人は正直者になる。【=仮説①に反する】
-仮説②クレタ人は嘘つきだとする(主張が正しいとする)-結論②クレタ人は嘘つきではない【=仮説②に反する】
どちらの仮説を立てても、仮説に反する結論に行き着いてしまうというパラドックス。
これを生活に落とし込むと、多くの者は「途中式なんてものはどうでもいいから結局どっちなの?」と息もつかず、あるいは露骨に深い息を吐きながら結論を迫る。結論だけを提示することがシンプルとでも言うの
201911424の私は彼女と対話をしていた。対義語と否定語はあまりにも役割が違いすぎると思い知った。彼女にとってのyesの否定語はnoだったけれど、私にとってyesの否定語はnot yesだったからだ。例外なく女子大生は恋バナをする(私は肩身の狭い恋バナ不得意勢であったが)。彼女は「好き」の否定語は「嫌い」だと捉えているようで、おそらくパートナーとは言えない人からの言動に一喜一憂し忙しなくも充実しているように見えた。「"好きじゃない"って言われたけど、なにそれ」と整えられた長い爪で今にも画面を割りそうなくらい液晶を連打した。私がある人を指して「嫌いじゃない」と状況を説明したところ、彼女の気性を逆撫でたのだろう「それは好きとは違うわけ?」、付け加えて「そういうどっち着かずの反応はキープと紙一重なんじゃない?ズルくない?」と今度は私を割ってやろうと言わんばかりに視線を向けてきた。
もちろん彼女の言わんとすることは私にも感覚的には分かったけれど、否定語を対義語と混合されることは思った以上に誤解が生じるのだなと学んだ。数学的に言えば、「行ける」の否定語は「行けない」、「行けない」の否定語は「行ける」ではなく「行けなくない」なのだ。でもこれが彼女の言う"どっち着かずの反応"である。飲み会への出欠確認なんかでは「で、どっちなの?」と煩わせる。ただ、この煩わしさの要因は文字から生じるものではなく、私情を伺うことにある。一度、情を切り離してみれば、「雨が降る」の否定語は「雨は降らない」。一方、「雨は降らない」の否定語は「雨は降らなくない」。もし天気予報士が統計をもとに"雨が降るとは断言できない"と判断すれば、「雨は降らなくもない(=雨が降る可能性もある)」としか言えないのだ。晴かもしれないし雨かもしれないし、はたまた曇りなのかもしれない。もっと一般化してしまえば、雨かどうかは"分からない"ということだ。そんなどっち着かずの反応も雨のように無機質で人臭さのないものが対象であれば、大半の人は「ハッキリしろよ」なんてテレビに向かって声を荒げない。「雨が降るのかもしれないな」と折り畳み傘を鞄の中に入れるのだ。そして、「ハッキリしろよ」と言っている者に対して、この人は聞く耳を持たない者だとすら思うのかもしれない。天気予報との明らかな違いは、私たちは統計と可能性と選択だけで動くロボットではないことだ。私たちは相手を思いやることができる熱を持ったヒトだし、他人の私情に簡単に揺さぶられつつ未熟ながらも尊く相和するのだ。だから、行けなくなくても「行く」「行けない」とハッキリと提示するし、たとえ「行けない」を選んでも、それについて誰も嘘つきだとなじる者はいないことを当然のように知っている。細かな点々がじわじわと滲んで綺麗な円になるような個人が大衆を取り巻く社会の全貌。
だが仮説は仮説だとしても、仮説としての機能を果たしている。私たちは見えない行間を読むように会話を摘まみ、否定語の否定は「分からない」という結論にしかならないけれど、「嫌いじゃない」「行けなくない」「雨は降らなくない」を含めていて(否定語の否定を肯定する要素にもならないけれど)、私情がなくてもあって身がはち切れそうでもそういう理論を受け入れていかなくてはならない。
時という流れは刻一刻と過去を増やしていき、その流れの中には取り返しのつかない選択だって紛れている。私は誰をも傷つけるべきではなかったし、私は誰からも傷つけられるべきじゃなかった。でも"起こった"ということは、粉々に割れた珈琲カップと同じことだ。どんなに手を尽くしても元には戻らない。でもそれに悲しんでいても時は流れていくから、私たちはその過去を根に持って継承したり繰り返すのではなく、許していかなければ息が尽きてしまう。許すという行為は相手以上に自分を掬いとる唯一の方法なんだ。綺麗事じゃない、私はなにも恨まないよ、たとえ私を恨んだモノたちが目の前にいてもだ。
ところで否定語については上のことが言えるけど、もし「分からない」が通用しない、真と偽の二つしかない事象があるとしたら、この種のパラドックスは避けられないのだろうか?
ある人はこう言葉を始めた。いいかい?パラドックスが生じたとき前提を疑うことだ。途中式をあの手この手で組み替えても決してそれは解決には繋がらない。なぜならそれがパラドックスだからだ。「もう一つ言うなら」、彼が人差し指を伸ばしたから思わず私はその指先に目を向けた。そこには宙があるだけだった、あるいは何もないから宙だった。「そもそもその主張は意味を宿しているの?」。私は既に眩暈を覚えている、それは孤独についての話だった。
20210330『箱の中のカブトムシ』を知り、20210508箱の中のカブトムシはヒトに与えられた生涯の孤独であると府に落とした。私たちは言語ないしは言葉を概念とともに習得してきた。箇条書きで「~というもの・こと」で表される事由をかき集めてたった一つの名詞(三角形・カラス)��成る。両者が認識している名詞であれば、少なくとも感覚的に「~というもの・こと」を共有して捉えていると言えて、逆に言えば、浸透していない言語は言葉通り意味の無い、ただの記号の羅列であり口から出る音の連続でしかない。三角形やカラスのように、それを見て多くの人が同じ色・形・大きさ・温度・音・肌触りを把握できて、これは▲だけどこれは■だね、これはカラスだけどこれはハエだね、と真剣衰弱のように照らし合せができれば随分と安心するのに、信号の色は青色か緑色か、こんな身近なものあたりから境目がぼやけはじめる。特に具体的な形や物体を伴わない、極めて外界や他人を理解するために機能する概念(痛み.好意)となれば、視界一面に薄い透明ガラスが何重にも厚みを作っているような感覚だ。口の動きは見えるのに何を言っているのか伝わらない通さ。
赤信号が青信号に変わったのに、私たちは歩を進めず信号を眺めている。「私には青色に見えます。」「いいや俺には緑色に見えると言ったら、俺はあなたを信じていないことになる?」-ならないです。でも信じているということにもならない。そもそもこれは肯定と否定でも真と偽でなく、私にとっては青色に見えるということと、あなたにとっては緑色に見えるということだけであって、逆に言えばそれだけでしかないからです。「もうひとつ覚えておいた方が良いことがある」彼は赤になる前に渡ろう、と言って横断歩道の白い線を踏んだ。「あなたにとっての青色と、俺にとっての緑色は同じ色の可能性を秘めている」俺たちは中身を他人と共有し得ない箱を持たされて生きている。だから、自分のカブトムシに従って感覚や概念を伝えるしかない。しかし残念なことにどれだけ自分の考えていることを話しても、本質的には自分しか知り得ない。それが俺たちが与えられた生涯の孤独というものだ。でも不幸の中にも幸福はある。これは反証し得ない仮説と同じことなんだ。誰にも俺の緑色を否定できないし偽だとも証明できない。そのなかで、色が認識されていくときの諸条件のひとつひとつを丁寧に標本化していければ、もしかしたらあなたの言う青色と俺の言う緑色は、同じ色の符号を指している可能性がある。不思議なものだよね、青色と緑色は異なる記号の羅列であり、口から出る異なる音の連続なのに同じものを指しているなんて。その逆も然りではあるんだけどさ。
私たちの中に"カブトムシ"が何千何万匹と蠢いていることはよく分かる。ざわざわと奇妙な感触をもってこのカブトムシを感じている。この"分かる"もカブトムシのひとつなのだろう。失いたくない人を目の前にすれば、失いたくないのに好いているも愛しているも永遠も私には分からなくなる。勝ち負けや駆け引きが始まれば、言語の使われ方は本能に翻弄され意味だけが剥ぎとられ、実態を欠いた響きだけが耳に届くのだ。耳を塞ぎたい、膝を抱えたい、目を瞑りたい、この膨れ上がった頭を手放したい。でもこの耳も目も頭も割れた珈琲カップと同じなのだ。与えられた感性は��方がないのだと散った体力をひとつに掻き集めて身体に送る。それが私というものだった。どうか信じて欲しい。私は目の前のあなたを信じていなくはない。ただ、時々、この不条理で可能性に満ちた世界を誤って拒みたくなるのだ。あなたが信じることも疑うことも放棄したことと似たように。
自己言及のパラドックスは言語の不完全性に責任を転嫁した、言語を扱う側の不完全性なのかもしれない。似すぎてしまった二つはおそらく目の前の相手に初めの一歩を踏み込んでもらうことを実は望んでいる。テイクアンドギブしか出来ない私たちが、ギブアンドテイクを惜しまない彼らのいとも簡単そうにこの暗闇から引っ張り出してしまう軽やかさを。
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今回「2画面」Surfaceを発表したのも、プロダクティビティツールとしてPC(広義のものであり、WindowsがOSであるもの、という話ではないのに留意)のあり方に一石を投じ、「Microsoftのプロダクティビティツールをより良く使ってもらうにはどういうことをすべきか」という観点から生まれたものだ。 だから「デバイスドリブン」ではない。Surfaceには驚くほど「まだ生産が始まったばかりの特殊なデバイス」は採用されていないのだ。 折り曲げられるOLEDではなく薄型の液晶を2枚使ったのは、その方がコストと堅牢性、用途の3点で有利だからだ。だが液晶で理想的なデバイスを作るには、特殊なヒンジを含めた構造物の設計と生産が必須になる。それは「技術的に困難」なのではなく「やるかやらないか」の世界に近い。 PCやスマートフォンは「デバイスドリブンな事業」と言われる。ディスプレイやSoC、イメージセンサーなど、新しいデバイスが出てくるとそれを核に商品が企画されることが少なくない。分かりやすいし、確かにそれで価値も生まれるからだ。調達戦略上、その方がコスト的に有利、という点も大きい。 だが、MicrosoftはSurfaceで、一貫してそういう作り方を採らない。「こういうスペックの部材が欲しい」というところから組み立てている。だからオリジナルスペックのパーツが意外に多い。ウリもデバイスでなく「機構」「デザイン」だ。それができるのは、Microsoftが潤沢な資金をもっており、余裕をもった形で事業を回せるからに他ならない。 PCメーカーの中でシェアトップを目指す必要がないので無理に低価格なモデルを作ることもせず、「一定の価格でちゃんと売れる」モデルだけを作ろうとする。そしてその結果、「Surface」という特異なブランドが形成されていく。これが、Microsoftのハード事業の特徴であり、立ち位置だ。これ以上一気に数を増やそうとすると崩れる、微妙なバランスの上に成り立っている。 そうしたやり方を許容することこそ、サティア・ナデラ体制の特徴といえるかもしれない。
Apple、Amazon、Microsoftのハードウェア戦略を俯瞰する(2/3 ページ) - ITmedia NEWS
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生きていたい。生きていたくない。生きるのが辛い。辞めたい。逃げ出したい。死んでしまいたい。幾ら小説を読んでも仏教を理解しても根本的な解決策とか何も見当たらなくて何となくお先真っ暗だとか言う事実だけが残って虚しくなるからいつの日からか本を読む事も映画を見る事も辞めてしまった。頭に入らない、文字を目で辿っている筈なのにそれは音にも単語にも文章にも何もにもならずただ文字のままで意味なんて一つも理解できやしなくて好きな事さえも失くして���まったと絶望した事もあったな。何夜も何時間もろくに頭も使わずに一心不乱に人を殺すゲームに明け暮れた。何も残らなかった。時間を無駄に消費しただけで1ミリたりとも何も。虚しくなった。意味のない事なんてこの世には一つもない、とか誰かが言ってたけどそこには無意味しかなかった。寂しさも虚しさも忘れて仕舞えばこっちのもんだとひたすらに液晶画面と向き合い続けた。苦し紛れの嘘。悪かったな。全部俺のせいにして都合の良いように消し去ってくれて構わない。何も残したくない。残らない。誰かと一緒に居る事も誰かに必要とされる事も独りで居る事より何万倍も苦しい。理解をしないで欲しい。見て見ぬふりして欲しい。足跡を探さないで、追わないで。求めないで。返せないから。最初から何も出来ないし解らない。分からないことしかこの世界にはなくて自分の事も人の事も分からなくてどうしてそんなに上手く息を吸えて吐き出せるのかも分からない。どうしてそう簡単に未来を語れて過去を忘れられるのかも分からない。死んだら全てが終わる。唯一の救済措置。それだけが希望でそれだけしかない事に絶望を憶える。行く末がまるで最初から決まっていたかの様で苛立ちさえ憶える。絡み合って解けそうにない糸を丁寧に梳かした所で何処かでまた新たな淀みが出来る。疾患。壊すしか無い。何処かで折り合いを付けなければならない。無理だ。自分には出来ない。何一つ成し遂げる事も出来ない。出来損ないだとか欠陥品だとか呆れる程聞いた台詞、いちいち酷く嘆嗟してた。今では心地良い。期待には応えられないし埋めてやる事も出来ない。お手上げ降参状態。明日も強く生きてね。
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折り畳み型スマートフォン市場、2023年に10倍の出荷量に伸びる可能性
折り畳み型スマートフォン市場、2023年に10倍の出荷量に伸びる可能性 #折りたたみ液晶 #スマートフォン #Apple #Samsung #折りたたみスマートフォンの予想 #Galaxy
SoC の進歩もすごいけれど、もうすでに、ふつうに使う域を超えるほどの性能を持っているものね。 どちらかと言うと、今進んでいるのは、カメラと画面かな? カメラは多数のカメラモジュールを搭載して、打倒!一眼レフみたいな勢いだし、老舗のレンズの会社がガンガン参入してきていたりで面白いけれど。 こちらはもう1つの焦点となるであろう画面のお話。 ぼちぼちと製品も出てきているけれどね。 まだまだお高いのが実情だが、この調査って来年には10倍に伸びると言っているが、お安くなるってことなのかい? お値段って重要だと思うよ。 折り畳み型スマートフォン市場、2023年に10倍の出荷量に伸びる可能性 2021年の折り畳み型スマホ市場は2020年と比較して3倍、Samsungは2023年までシェア75%を確保する見通しに。 Counterpoint Technology Market Research…
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以前も別のところで載せたけど昔僕が所持していたガラケーのうち、残っている物を載せます。 一番右から今から22年前の京セラ製の浦和レッズ限定版。その隣は2001年に出たDOCOMOのP503i、2007年に発売されたW52P、2006年に発売されたW42SA。 色についてはツッコまないでください(笑)。 #ガラケー、#折り畳み、#日本移動通信、#DOCOMO、#au、#Panasonic、#ストレート、#大画面、#液晶、#IDO、#浦和レッズ、#さいたま市、#浦和区、#浦和美園、#限定モデル (Okegawa, Saitama) https://www.instagram.com/p/B-O_MfxDpAk/?igshid=ckkov7pobg63
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代替えカメラ
Wednesday 9 April 2014
真観は、禅寺に行った。最近は花粉症対策でマスクを着用。坐禅中にもそうしている。その方がくしゃみする率は低くなる。読経の時は声を出すのでマスクを外してみるのだがそうすると鼻が詰まってしまうのでやはりマスク着用。
昨日真観はいつものカメラCanon G12を修理に出した。液晶画面とファンクションキーに問題があった。通常なら東京に行った折にCanonの新宿センターに持ち込めばいいのだが今回は先に送ることを思いつき新宿センターに電話してみた。すると新宿センターでは受付出来ず茨城の修理センターに送ってくれというのでそうした。なので暫くお休みしていたGE PJ-1を代替えカメラとして使うことにした。このカメラは、画質はCanonと比べ物にならないほど酷いが面白い機能が備わっている。一番の目玉はプロジェクター機能。そして線画モードという機能もある。
真観は、禅寺からの帰り道に写真を撮るのが日課になっているがこの線画モードで撮ると何とも不思議な写真が出来る。写真は二次元だが更に平坦な描写になる。この線画モードで撮った写真を画用紙ペーパーにプリントアウトして「塗り絵」として扱ったらどうだろうか?例えば子供たちに自分の部屋や家、身近な風景を線画モードで写真を撮ってプリントして渡す。多分塗り絵を面白がってやるだろうと思うのだが。どうだろ〜?可奈子さん。(笑)
今日は、母の日なので午後から母に電話何回かしたが繋がらなかった。その理由は後で分った。前々から母が予定していた実家の総ペンキ塗り工事で忙しかったのだ。真観の母は、ペンキ��臭いで体調を崩していた。母の声でそれは理解出来た。築53年にもなる実家の母屋の窓はサッシではないので密閉性がなく屋内にいても外のペンキの臭いが入り込んでしまう。それが原因だった。真観は母に気遣い電話を早めに終らせて休ませたかったが母は話したそうだった。 母曰く、Yさんの調子が良くないという。Yさんは確か真観の母よりも二歳上。ということは今年81歳になる。真観もYさんにはいつもお世話になっているので心配だ。真観は母と話しているとつくづく親子似ているんぁと思う。思い立ったら早く実行して片付けないと気が済まない。これは良い面もそうでない面もある。今回の実家のペンキ塗りは母のことだから念には念を入れて料金や時期を考えて決行したに違いない。真観は今やっているカメラ・メンテナンスも同じようなこと。
今日またオーバーホールしたカメラが届いた。それはオリンパスPENだ。このカメラは、真観がカメラマンデビューしたての頃よく活躍したが滅きり使っていなかった。シャッターが壊れていた。オーバーホールを頼んだお店はネット検索して浜松の修理屋になった。一緒にオーバーホールしたレンズは100mm/F3.5。他にも標準の40mmや25mmレンズを持っているがオリンパスPENに関してはこのレンズとの組み合わせで使いたかったしあれもれもオーバーホールする余裕はない。
壊れたものをそのままにしておくが良くないと以前風水を学んで余計に強く思う様になった。壊れたものに"いい気"は流れない。思い切って捨てるか直すか、はたまた壊れたままでも再利用の方法を見付けたほうがいい。
すると真観はもう一つ気になり始めた。それは祖父から父へ形見として渡った舶来の懐中時計だ。この懐中時計は真観が父の形見として持っているがやはり壊れていて使っていなかった。カメラと同じ様に防湿庫に保管しておいたのだがフィルムカメラのメンテナンスの見直しをする際にこの懐中時計も久々に引っ張り出し手巻きのネジを巻いてみた。しばらく寝床に置いて時間に狂いがあるかチェックしてみたら意外にちゃんと動いていた。壊れている箇所は風防と針。オーバーホールするほどでもなさそうだ。真観は、この懐中時計も直す事にした。その修理する店をどこにするかネットで検索するのも楽しいこと。それが今日見付かった。近く修理に出す。
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BLコミックプレゼン作品たち
先日、BL漫画のプレゼン大会が催され、私も参加した。
BLコミックに関して私はズブの素人である。開催までのわずかな間にいくつか読んだとて歴戦の戦士たちとは並ぶべくもないだろうから、いっそ開き直って当日に書店へ向かい「この装幀は力(リキ)が入ってんね!」と思った作品を選ぶことにした。
仕事でTLコミックを担当する際BLコミックの雰囲気や方向性のデザインを求められることも多かったし、なによりデザインでおまんまを食べているので、これなら自分なりのプレゼンができるだろうと思ったからだ。もちろん見た目の派手さだけがすべてではないし、内容に即したデザインかどうかは買った上で中身を吟味しないとそのものの良さを語れないし、そもそもイロハや作法もわかっていない状態で面だけで選ぶというのはあまりにも浅はかであったと完全に反省してます。みなさん許してくださり本当にありがとうございます……。
ということで「この装幀は力(リキ)が入ってんね!」と思って書店で買った3作。どの作品もちゃんと読んだがひとまず当初のコンセプト通り装幀に触れる。解説というより自分用のメモ代わりです。
『春懸けて、鶯』那梧なゆた
NUUDE COMICS/東京漫画社 Art Direction/Design 楠目 智宏(arconic)
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CMYK+蛍光イエロー+UVインクの6C 加工はグロスPP。共刷りっぽいので帯もグロスPPでテカテカ。蛍光イエローと黒い筆跡部分はUV鬼盛り。シュリンクが掛かった状態でも(ちゃんと盛り上がってるな〜)がわかる。UVはよく使う加工方法だがたいてい表1と背で、袖側まで使うのはあんまり見ない気がする(担当した作品だとヲタ恋はそうだったがこんなに鬼盛りじゃなかった)し、折り部分にくるとUVが割れるかもと避ける傾向にあるが強気に背渡し。なによりバーコード横の定価部分もUVが乗ってるのは本当に初めて見た。こんなことできるんだ。 特徴的な筆文字のロゴタイプはモリサワの【うたよみ】がベース。「懸けて、」はフォントママで「春」と「鶯」は筆のかすれや勢いが付け足されている。重版版しかなかったので帯は重版の文言だが、(ネットで検索した)初版の方がコピーとカバーイラストが合致している感じがしてかっこいい。重版は帯にUV加工は為されていないが初版だと違うんだろうか。ネットで書影を見るとくっきりしたイエローでたしかに目を引くが、やっぱり本領は鬼盛りUVだよな〜という感じ。ブツで欲しいやつだ。
『2ndバージンのじょうずな育て方』ずんだ餅粉
DEAR+ COMICS/新書館 Design 記載なし
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CMYK+蛍光イエロー+特色金(DIC620系の青金)の6C 加工はマットPP。蛍光イエローの英字をオーバーレイとかでノセにして、絵柄の色差が黄色に浮く感じ。その上に金。よーーーく見たら版ズレしているのでちょっと悲しい気持ちになる。私も金色を使うとき気をつけよう。でもやっぱり蛍光イエローと金は豪華に見えるね。金色の発色はどうしても液晶で見ると茶色に見えるので、実際に手にして角度を変えてその繊細さがわかる。ブツで欲しいやつだ。
ロゴはモリサワ【A1明朝】をパスのオフセットで細くした、TLコミックスのロゴでも非常に参考にしたタイプ。読めない前提でガンガンロゴを断ち落としにして飾り的に見せつつ、読めるタイトルを小さくサラっと入れる流行りのやつ。あと、いつのまにか帯を紛失していてショックだ。加工や紙質はちょっとわからないけど、ネットで見る感じ、マゼンダがちょっと入ったイエロー(特色で2C刷りかも)のカラーはカバーの繊細な感じと真逆の力強いイメージでかっこいい。傾向イエロー、青金、マゼンタ混色のイエローが黄色系、帯の黒地とタイトルに使われている座布団の黒が統一感をある。なくしたのショックだ〜!デザインが記載されてなくて残念。
『ボーイミーツマリア』PEYO
Conna Comics/フランタン出版 Design YASUHISA KAWATANI(kasatanidesign)
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CMYK+蛍光ピンク+緑系特色の6C プレゼンの際は意気揚々と緑は特色じゃないなど言ってましたが完全に緑が特色です。私の目は節穴……。加工はマットニス。風合いのある用紙なのでニス加工でもちょっと手触りが残っている。さすが少女漫画メチャつよの川谷デザイン、帯にカバーのイラストを使うのではなく、トレーシングペーパーを使って文字を載せつつ、透明感を物理的に解決しつつ、表1の時点で物語が浮き上がってくる見せ方。表4も花瓶を隔ててわずかに色のトーンが違っているのもいい。PEYOさんと川谷さんの互いの領分がどこまでだったかはわからないが、本当にこういう仕事をしたいものである。 ロゴタイプのフォントはゴシック系で、尖ったウロコが特徴的だがちょっと普段使うフォントではないのでよくわからない。方向としては先ほどの『2ndバージン』と似た感じ。全体的にポップな色使いなので色が外に広がりすぎそうなところをタイトルの「ボーイミーツマリア」「PEYO」「Boy meets Maria」、帯の「演劇部のマドンナ。彼女は、男でした」のゴシック体に使われている黒が引き締めている。少女漫画雑誌でもよく言われる“墨単色は誌面で強すぎるが使わないと散らばってしまうので要所を抑えて”が反映されていて勉強になる。帯は重版用。ピンク系の特色でさらっと入れていて、そもそも読める必要はないので(特にこの作品だと表1に付帯情報を入れてしまうと雰囲気そのものが崩れると思う)、これでいきましょうで通せるデザイナーも理解のある編集者もこの作品の方向性を本当にわかってる……と感動してしまう。
あと、作品を選ぶ際、もしかしたら顎が尖っていて気怠そうに笑う顔のいい男が好きなのではという気づきがあった。もちろん「この装幀は力(リキ)が入ってんね!」で選んだのだが、無意識にそういう作品の方が長いあいだ吟味していたような気もする。今回のプレゼンで紹介いただいた作品はひとまず電子で(電子ですみません……)購入したので読んでゆくぞ〜です。 学生の頃はこの作品おもしろい!や読んで!を紹介したりされたりがごく当たり前だったのが、そういうやりとりからずいぶん遠ざかってしまって、久しぶりに熱量のある作品紹介を聞いてひとりでグッときてました。これが好き!って会話をするのが好きだったんだよ〜。なのでみんな好きな作品をどんどん教えてくれ。ひとまず対戦ありがとうございました〜!
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溝と暗流
よくお茶を飲んでいると言われる。それまではカフェインなしに脳みそを奮い立たせることができず、コーヒーが手放せなかった。気に入った喫茶店からいつも豆を買って飲んでいたし、朝は妻にコーヒーを淹れてもらうのが好きだった。ついには自らコーヒーの生豆を焙煎するほどのコーヒー党だったが、なんとなく苦いのが嫌になってきて(そのために飲んでいたはずなのだが)飲まなくなってしまった。休日にベランダで煙を出しながらコーヒー豆を炒めるのは、ほとんど呪術のようなものだった。今はほうじ茶ばかり飲んでいる。私があまりに美味しそうに飲む為か、息子はコップで水を飲むたびに私の真似をして「アー」と声を上げる。私は本当にこんな顔でお茶を飲んでいるのかと思う。コーヒーほど凝ったことはしていない。透明な急須を気に入って使っていたが、それも面倒になってスーパーで買った50個入りのティーバッグのほうじ茶を愛飲している。ティーバッグ?ティーパック?いまだにわからなくなる。調べたらティーバッグ(tea bag)だという。
一日に何回か飲んでも一ヶ月は持つ。そうして一日に何度も電気ケトルでお湯を沸かす。新入社員だった頃に買ったもので、ステンレス製、コーヒー用のヤカンのように注ぎ口が細くなっている。水を入れて沸かすだけだから、あまり真剣に洗ったことがなく、底の方が薄黒く焼けてしまっている。何か電気的な変化なのかもしれないが、はっきりしたことはわからない。ケトルの周りは水垢やら油ぎった埃が張り付いている。いつも握っている黒いプラスチックの取っ手だけは感触が滑らかだ。お湯が沸いてもそれを知らせてくれるわけではない。控えめにカチリと音がなってレバーが戻り、オレンジ色のランプが消える。だから時折お湯を沸かしていたこと自体を忘れて、黙々と作業にのめり込んでいる時がある。そうしている間にお茶が飲みたくなって、全てを忘れて、またお湯を沸かしてーー。
月の裏側でほうじ茶を飲んでいるとは誰も思うまい。灰を固めたようなビスケットを齧る。長い休暇もいよいよ終わりが見えてきた。ほとんど仕事に行かなかったので、高等遊民になりたいという長年の夢も半分くらいは実現した。職場から時折電話が掛かってきて、簡単な指示を出したり、簡単な報告をする。あるいはプレステをいじるか、合間に去年買った量子力学の本を開いて何やら計算する。息子のために買った落書き帳もほとんど計算用紙として消費されており、妻はその様子を不満げに見ている。妻はコールセンターでバイトをしている。色々な電話が掛かってくる。大抵の人は、妻の対応に満足してくれるが、中にはそうではない人もいる。そもそもこの時代に電話をかけてくる人は大抵何かに怒っている。帰宅すると時折妻が愚痴のようなものをこぼす。「そんなこと言われる筋合いはないわ」と彼女は言う。妻は私と一緒で、たぶん正しく怒ることができない人なのかもしれない。何か恐ろしい言葉で呪いをかけられると足がすくむし、口も乾いてきて、頭がぐらぐらする。家に帰ったあたりで、はっきりしてくる。私はあんなこと言われる筋合いはなかった、と。
カチリと音をたててシリンダーがひとつ分だけ回転する。
駐車場は吹きさらしになっていて、車が雪の中に沈んでいる。もしも自分で家を立てたら、絶対に車庫付きにしようと思う。この労働から解放されるなら月々のローンが数千円増えたって構わない。幼い頃は雪だるまが複数個作れることや、一か所に雪を集めてかまくらをつくることを考えたかもしれないが、今では意味を見出すことができない。大気中の水蒸気から生成される氷の結晶が空から落下してくる天気。
ブーツを買わなければ、と思っているうちにもう二月になってしまった。そして文章を書かなければと思っているうちにきっと三月になってしまう。我が子が泣き叫ぶほどにパソコンから遠ざかっていき、社内の文書規定に従ってしまう癖がついてしまった。同時にあらゆる政治的な扇情から身を引いた。自分でもわからないくらい、不気味に、あらゆるものからから遠ざかっていった。思うに自分が自分から遠ざかっていったということに他ならなかった。つまりこの半年ほどは自分どころの騒ぎではなかった。直接的に肉体が変容していった妻に至っても同じ意見だった。我慢しているうちに全てが先送りになっていた。会社の朝礼で次のようなスピーチしたが、この記録を残しながらなんの教訓にもなっていないことがわかった。「ものごとを先送りにしてしまうのは人間の心理作用の一つであり、先送りにしてしまうことに対して先輩方が単純に先送りするなというのは筋違いで、先送りの原因となっている障害を取り除かなれけば先送りを解消することはできません。」などといったのがすでに数ヶ月も前の出来事だった。
今年は小雪だったから足元の悪さを気にすることは少なかった。必要なはずなのに、必要なものほどその要否は審議にかけられる。なんでもいいから買ってしまえばいい。鉄製の先が尖ったスコップ、氷を砕くためのツルハシ、防水ブーツ、結露防止のシート。私の持っているものは、ひと月も人の手が加わらなければほとんど雪の中に沈んだまま元にはも戻らない。誰かが通った跡に足先を嵌め込むように歩く。深い部分は湿っている。同じ建物に住んでいる上司だろうか、私より足の長い誰かが通った跡だ。そうしてやっと車にたどり着く。表面は息を吹きかけると飛び散るような軽い雪で、溶解と凝固を繰り返した深層部は重く張り付いている。助手席側の雪をスコップで寄せる。ドアを開けて車内から雪と氷を剥がすヘラ取り出す。スキー用に買った高級な手袋も、ほとんど雪かき専用になってしまった。
暖かいところで暮らしたいとずっと思っていたのに、どうして北上する羽目になったのだろう。こうして生まれてから死ぬまで雪との格闘が続く。鉄、水、スコップ、血液と石鹸。なにか新しいものを生み出しているわけではない。誰かがやらねば、誰かが困る。そう思っていたが、ある時からそのくだらない作業をしているうちに、自分から遠ざけてしまった自分自身が、ぴ���たりと戻ってくるような気がする。凍えるような寒さのなか、身体中の隙間を見つけては入り込んでくる薄暗い冷気を切り分けながら、側溝に雪を流したり、庭の裏に向かって雪を捨てにいく。深夜に夜に雪を寄せているとより特別な気分になった。一面雪に覆われていれば、月明かりだけでそれなりに明るく見えるものだ。幼い頃、同じように深夜に雪を寄せる父の姿を覚えているが、今の私とほとんど同じ気持ちだったのかもしれない。
そういえば、側溝にはいつからかわからないがほとんど水が流れなくなった。地域によっては側溝に雪を捨てるのは罪になるそうだが、私が生まれた街ではそういうことはなかった。側溝を流れてくる水が、果たしてどこから流れてくる水なのかいまだに分からない。一度その溝の先を辿ったことがある。民家と民家の間に吸い込まれるようにコンクリート製の溝は続いて、より大きな河川までたどり着いたが、その河川の方が側溝よりも下に位置していたので、結局水がどこからきているのかは分からなかった。その溝は自分も知らない深い場所で静かに分岐し、未知なる水源に接続されているようだった。しかし、無限に水が流れてくるかに思われたその溝も、大学を卒業して故郷に戻ってみるとカラカラに乾いていた。もはや雪が詰まっているだけのくだらない窪みになっていた。そして流れがほとんどなくなった溝の底にはほとんど樹木のような硬い植物が生えていた。この辺りの子どもたちは、いや私だけかもしれないが道に生えている草をちぎって、側溝に流してはどの草が一番早く流れるか調べたものだった。だからアスファルトから突き出している草木という草木はほとんど生えた瞬間から抜かれていったものだった。そういう遊びがこの辺りの無秩序さを押さえ込むのに一役買っていたとはに夢にも思わなかった。私たちはあの街で秩序の一部分だった。
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本特許は、左右それぞれの目に複数のレンズを重ね合わせるというものです。そこでは液晶レンズ(液晶を透明な基盤ではさみ、電圧を調整して屈折率を変化させる可変焦点レンズ)や液体充填レンズ(光学的流体に電流や電圧を加えて焦点距離を変える)およびアルバレスレンズ(2枚のレンズを相互にスライドさせて度数を調整する)などを併用できるとされています。
いずれのレンズも「電極から光学材料(レンズ)に電力を供給する」ことで光の通し方を調整できるものですが、さらに複数の電極を重ねて使い、3つ以上の方向性を持たせることで、必要な視力補正に合わせて正確に調整できると説明されています。
またアイトラッキング(視線追跡)を利用して、より高度な視力調整も可能とのこと。具体的にはユーザーの視線を追いかけて度数を細かく制御できるというわけです。
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