#手づくりフェア
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お礼とお知らせ 2024初秋
ご無沙汰しております。
春にお知らせしたイベントに出展後、なぜかログイン出来なかったのですが、最近になって原因が分かり書き込める様になりました。
遅ればせながら、各地でお世話になった皆さま、ありがとうございました。
特に多治見で��、何年も前にお世話になった方にやっと感謝を伝えることができ、しかも作品をお買い上げいただき、とても嬉しい出来事でした。
さて、出展の決まったイベントをお知らせします。
森の手づくり市 〜ものづくりforest〜
2024年9月7日(土)
※1日出展です
京都市 下鴨神社 糺の森
くらふとフェア蒲郡2024
11月2日(土)10時〜16時
11月3日(日)9時〜16時
愛知県蒲郡市 みなとオアシスがまごおり(市民会館向かい)
まだまだ暑い日が続きそうですが、皆さまご自愛くださいね。

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機械輸出を巡る冤罪(えんざい)事件に巻き込まれた機械製造会社「大川原化工機」(横浜市)の社長らが国と東京都に損害賠償を求めた民事訴訟の控訴審は、元取締役に対する警視庁公安部の取り調べの違法性が争点の一つだ。一審の東京地裁判決は、人を欺く「偽計」を用いて供述調書を作成したなどとして、一部を違法と認定した。どのような状況だったのか。元取締役に聞きながら、取り調べの在り方を考えた。(山田雄之) 大川原化工機を巡る冤罪事件 警視庁公安部が2020年3月、国の許可を得ずに噴霧乾燥機を中国に輸出したとする外為法違反容疑で大川原正明社長や島田さんら3人を逮捕し、東京地検が起訴したが、21年7月に取り消した。1年近く身体拘束された社長らが逮捕・起訴は違法として東京地裁に起こした国家賠償訴訟の証人尋問で、捜査担当の警察官が事件を「捏造(ねつぞう)」と証言。昨年12月の地裁判決は捜査の違法性を認め、国と都に賠償を命じた。原告、被告双方が控訴。東京高裁での審理は、12月25日に結審予定。 ◆窓のない部屋で取り調べ39回 「うそをつかれたり、脅されたり。悪意に満ちてましたよ」。大川原化工機の元取締役の島田順司さん(71)は8月上旬、警視庁公安部の取り調べに対する憤りを「こちら特報部」に語った。 国家賠償請求訴訟の控訴審で、10月9日にある警察官の証人尋問への思いを語る島田さん(右)と代理人の高田剛弁護士 同社の「噴霧乾燥機」が生物兵器製造に転用可能だとして、国の許可を得ずに輸出した外為法違反を疑われた島田さん。逮捕前の2018年12月〜20年2月、任意の取り調べを39回受けた。1回3〜4時間。原宿署の灰色の窓のない部屋で、警察官と向き合った。 生物兵器製造に転用するには、機械を扱う人が細菌に感染しないよう内部を「殺菌」する性能が必要だ。大川原の機械はその性能がなく、国の輸出規制の対象にならない。島田さんは終始一貫して訴えたという。 ◆「あんなの供述調書じゃない」 だが、公安部が作成した島田さんの任意調べ時の供述調書計13通に目を通しても、そのような主張は登場しない。逆に輸出規制の対象になるとして「勝手に全て非該当と判定した」「国の許可を取らずに不正輸出を繰り返した」と容疑を認めるような記述がある。 一体どういうことなのか。島田さんに聞くと、「あんなのは供述調書じゃない」と声を強め、勾留中に記録した「任意事情聴取時の状況」という手書きメモを見せてくれた。 ◆話してもいない文言を付け加えられ 島田さんが書いた「任意事情聴取時の状況」のメモ。供述調書作成時の苦悩がつづられている メモには「供述調書作成状況」という項目がある。調書が「供述した内容と大きく恣意(しい)的に変更され、誇張された」として、「警察はこのようなことをするのかと失望した」と記され��いる。「偽って」「認識していながら」「ずさんに」など話してもいない文言が多く付け加えられた、とも。「『無許可で輸出した』という部分は、『許可が必要とされない仕様なので、結果的に無許可で輸出した』と(補足するよう)何回要求しても入れてもらえなかった」という。 島田さんによると、取調室ではペンを貸してもらえず、調書の訂正したい箇所に印を付けられなかった。訂正を希望すると交換条件を付けられたり、一カ所訂正するたびに調書を取り上げられたりして、見落としや確認不足が起きた。 ◆何を聞かれ、どう答えているかも分からなくなった 当時の精神状態をこう振り返る。「平静を装ったけど、緊張で手が震えていた。逮捕をちらつかされ、『おまえだけが認めない』とうそをつかれて迫られ、何を聞かれ、どう答えているかも分からなくなった」 島田さんが「不正輸出を繰り返した」と容疑を認める趣旨の調書の存在に気付いたのは、逮捕後に弁護人に指摘されてだった。 ◆公安部の「偽計」を認定した地裁判決 国賠訴訟の東京地裁判決は、公安部の取り調べ時に「殺菌」の解釈を島田さんに説明したやりとりが調書にないことなどから、誤解させて調書に署名させる「偽計」を用いた取り調べで違法だと認定した。 この認定について、警視庁幹部らは本紙の取材にそろって不満を口にした。ある幹部は「『偽計』なんて犯罪行為のような認定は受け入れられない。今後の捜査にも影響する」と語った。 ◆新証拠の録音記録を確認したら… 東京高裁で6月に始まった控訴審。都側は輸出規制に精通する島田さんを誤解させるのは「不可能」で、調書に「殺菌」解釈を説明した形跡がなくても不自然ではないとして、地裁判決は「重大な事実誤認」などがあると反論している。 「生物兵器の製造には転用できない」と噴霧乾燥機の説明をする元取締役の島田順司さん=横浜市の大川原化工機で 大川原化工機側は終止符を打つべく、新たな客観証拠を提出した。13通目の調書作成後の2019年11月1日にあった34回目の取り調べで、島田さんが身体検査をくぐり抜けてひそかに成功した録音だ。 録音記録を確認すると、島田さんは噴霧乾燥機の輸出規制要件を巡って、自身の考えを説明し、経済産業省のガイドラインを根拠に大川原の機械は「該当しない」と訴えている。だが警察官は「ガイドラインは大した内容でも何でもない」「経産省は明確に要件に該当ですって」と述べ、取り合う様子はなかった。 ◆逮捕後の弁解聴取でも違法認定 代理人の高田剛弁護士は「公安部は独自に考えた『殺菌』の解釈を示さず、経産省の名前を出して��めつけで取り調べを進めた」と指摘。その上で「任意捜査の終盤でも、明確に不正輸出を否定していたことが明らかになった。改めて供述調書の不正確さが浮き彫りになった」と強調する。 島田さんの任意取り調べ時の供述調書���「不正に輸出を繰り返した」と容疑を認めるような文言がある 地裁判決は公安部が島田さんの逮捕後に弁解を聴く際にも、島田さんの指摘に沿った修正をしたように装って書面に署名させる違法があったと認定し、控訴審で争われている。取り調べに補助で立ち合った警察官の証人尋問が10月9日に予定され、島田さんは「正直に話してほしい」と話す。 ◆「なめんなよ」「ガキだよね」問題相次ぐ 最近も捜査機関の取り調べを巡る問題が目に付く。 19年に不動産会社社長が業務上横領容疑で大阪地検特捜部に逮捕され、後に無罪となった事件では、大阪高裁が今年8月、部下の取り調べで「検察なめんなよ」などと怒鳴り、机をたたいて責めたとして田渕大輔検事(52)を特別公務員暴行陵虐罪で刑事裁判に付すことを決めた。 18年に犯人隠避教唆容疑で逮捕されて黙秘した元弁護士が、取り調べ時に「ガキだよね」などと横浜地検検事から侮辱されたとして国に賠償を求めた訴訟で、東京地裁は7月、賠償を命じる判決を出した。 いずれも逮捕後の取り調べの録音・録画が義務化された検察の独自捜査事件だったため、映像から判断できた。一方、大川原の場合は録音・録画の対象ではなく、任意段階の様子は、島田さんの録音がなければ正確なやりとりは全く分からなかった。 ◆日弁連「全事件で録音・録画義務づけを」 「捜査機関の心証に合致する供述証拠を作るためのものではない」。かねて取り調べのあり方を問題視してきた日本弁護士連合会は6月の決議で、全事件の逮捕前からの全過程で録音・録画を義務づけるよう要望した。さらに録音・録画の状況下でも不当な取り調べが繰り返されていることは「公知の事実」として、弁護人を立ち会わせる権利を確立すべきだと主張した。 前出の高田弁護士も「捜査機関は際どいテクニックを駆使して自白をとりにくる一方で、取り調べられる側はペンさえ持てずに丸腰だ。希望があれば全過程を録音・録画し、弁護人の立ち会いも認めるべきだ」と話す。島田さんもこう訴える。「現状のままでは、われわれと捜査機関が全くフェアな関係じゃない。また必ず冤罪が起きる」 ◆デスクメモ 記事中の警視庁幹部の言葉にあぜんとする。捜査員が裁判で「捏造」とまで言い切った事件だ。かたくなな抵抗は内輪の論理にしか見えない。真っ先になすべきは、なぜ冤罪が起きたのかを徹底��証し、その結果を開示することでは。その上で、全面可視化を見据えた対応を求めたい。(岸)
悪意に満ちたウソ・脅し、変更された供述調書… 大川原化工機冤罪事件が浮き彫りにした取り調べの問題点:東京新聞 TOKYO Web
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よわよわ通販のお知らせ
J庭ありがとうございました! 新刊『よわよわおちんぽとじこめナイト』、たくさんお手にとっていただきありがとうございました。思いのほかいろんんな方に見ていただきましてとてもうれしいです…!
①通販のお知らせです。 フロマージュブックスさんのサイン本フェアに参加しています。 販売期間は10/8〜25(水)23:59で、受注販売となります。もう始まってる!とびっくりしたのですが、先着や抽選ではないので期間内にポチっていただければいつでも大丈夫です。 新刊『よわよわおちんぽとじこめナイト』と『イサド住み』の二種類で参加しています。
おかわだのサイン??とは???という感じなんですが、まあなんか野菜とか卵とかについてる「わたしが作りました」シールみたいなもんかな…。表2か表3 になんらか名前的なものを書きます。 受注数がわかってから用意しますので、お届けは11月中旬ごろの予定です。詳しくはフェアページをご覧ください。
★フロマージュブックスTOP https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/
★フェアTOP https://x.gd/xi4g5 「フロマ通販受注販売会場」または「サイン入り同人誌一覧」に入っていただき、作家名「オカワダアキナ」で検索すると出てきます。
作品ページ ★『よわよわおちんぽとじこめナイト』 https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/detail/detail.php?product_id=2101569
★『イサド住み』 https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/detail/detail.php?product_id=2101570
いつもやってるBASEストアでの通販は、フェア終了後、11/11文フリ東京の後になるかなあと思います。 数の管理が大変になっちゃうのと、文フリ新刊の〆切前でわたしがいまとてもとてもドタバタしているので…。 (売り切れちゃった場合どうするかとかはまだ考えてないです。。。)
いつもBASEでお買い求めいただいている���(そしてもっと以前のBOOTHからお気にかけていただいている方)にはややこしくなってしまい大変申し訳ないのですが、いろいろ試行錯誤しながら活動しておりますのでどうぞよろしくお願いします。もしよかったらフェアのご利用もご検討いただけますととてもとてもうれしいです…!
②Kindle版のお知らせ まだ準備中ですが、よわよわ〜はKindle版を作ります。 タイトルにおちんぽ・OCHIMPOって書いてあるR18の同人誌なので、紙の本で手元に置いておくのはな…という方はぜひこちらをどうぞ。
タイトルがモロなので「恥ずかしい」というお声はめっちゃもらう、めっちゃわかる…。リツイートしづらいなあみたいなのもほんとわかるのでどうかお気になさらず。。。 フロマージュブックスへの委託もそうですが、おたがい名前が見えない方が手に取りやすいかなあというのもありますので、気兼ねなくポチっていただける手段としてちょっとずつ電子書籍も整えている感じです。『イサド住み』『ハッシャバイ』も予定しています。 販売スタートになりましたらまたお知らせしますのでよろしくお願いします。
取り急ぎこんなところかな�� どんな作品で〜という話はまた改めてめっちゃとてもしゃべりたいのですが、「エロ・クィア・ラブ・面白をぜんぶ両立させた愉快なお話が書きたい〜〜!」という思いで書いた小説です。 『イサド住み』を書いたとき、初めてトランスジェンダー男性のボーイズラブを読んだ、こういうのがあってうれしい、もっと探してみたいというお声をいただいて、すごく励まされました。 で、そこからもう一歩進んで、エンタメとかエロに極振りした愉快な話も書きたいな〜!と思ったので挑戦してみたつもりです。ウルトラハッピーでとびきりクィアでバッキバキにインモラルな話になったのではと思います。
フェア通販の発送が11月中旬で、次回イベントは11/11(文フリ東京)なので、今からだと一番早いのはKindleかな。 べつに急いで読みたい人もそんなにいないと思うんだけど、わたし自身が「書いたものはすぐお届けしたい、大丈夫だったか知りたい」と情緒がジェットコースターなので(毎度そう)、もしよかったら読んでいただけますととても励まされます。
試し読みはこちらです。1万5千字くらい(作品全体は4万字ちょいです) https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20788049
ちょっと大げさな言い方だけど、自分なりの実存とプライドをかけて力いっぱいエロをやっておりますので(そういうのもあってモロなタイトルにしているというのもあり…)、あたたかく見守ってくださいましたら幸いです!
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地下鉄の席で向かいに座った人の手の甲に(╹◡╹)こんな顔がペンで書かれている。保育士さんかな、とぼんやり見ていたら、手の甲の顔ではなくその人と目が合ってしまい、思わず目を伏せる。わたしの視線に気づいたはずなのに、組んだ上の方の手は、何も書かれていない甲ではなく、顔の書いてある甲だった。隠す気ないのだなと思った。
年始にほんのり気になっていた人が、彗星の如く近づいてきたから、好意を伝えた。市内の水族館にも行ってみたが、あんまりだった。波長が合わない。「身長も高いし、顔が中の上?上の中?カッコよくない訳ではないのモテてこなかった」と自分のことを評価していた時は、さーっと気持ちも酔いも冷めていった。お酒を飲ませてみれば、ある程度その人の本音が見えてくる。毎回半年も経たずして彼女に振られると話すので理由を聞いたら「どうしてだろうね。つまんないんじゃない?」と笑っていた。髭がまばらに生えている。遠巻きに見ていた時は、落ち着いてて優しいなと思っていた。けれど近づいてみれば、わたしに必死になって欲しいのが透け透けな癖に、面白みがない人で急に冷めた。軸のない大人で格好が悪い。
一瞬でも浮ついた気持ちになったこと、恋人に申し訳ないことをしたと思う。けれど、不完全燃焼な気持ちが誰かにあると、いつか微かな火花で発火してしまいそうでいつも怯えている。だからこれで良かった。さっさと元カレとか好きだった人たちみんな結婚して欲しい。それか久々に会って片っ端から幻滅したい。別れても近くにいた元彼もしっかり幻滅してからお別れしたら未練なんてなかったし、わたしの恋路にいた登場人物たちのほとんどをこれで清算できただろうか。
この件でフェアな形ではないけれど、恋人がより大切になってしまった。なにかの会話の流れで自分のこと格好が良いと思ってる?と聞いた時に「魅力的ではありたいよね」と、顔の造形ではない部分で回答された。外を歩けば、同じものに目が行き、それについて話す。物事の良し悪しのレベルも同じ。どうしてこんなに話のウマが合うんだろうねと聞くと「感性が同じなんだろうね」と。一緒にいる人は波長が合う人がいいなとずっと思ってたけれど、それと同じことなんじゃないかなと思う。
母に、恋人のことを話すと「結婚するんじゃないでしょうね」と言われる。「結婚ってタイミングだからねえ、まあ結婚したことないんだけど」と返す。絶対的な味方が欲しくてずっと結婚したがってたけれど、今は絶対的な味方と結婚したいなと思う。
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この手の人たちって関西民鉄の普通運賃が関東民鉄より軒並み高いことには言及しないからフェアじゃないなと思う
すべての旅客に低廉な運賃でサービスする関東民鉄と、特定の人に豪華な(俺の尺度では高級ではない)サービスをする関西民鉄という見方もできるんですよ
一方的なものの見方は個人的にあまり好きではない
もっとも俺はクロスシート嫌い(現行の鉄道というデザインではどう転んでも良い座席は作りづらい)だから普通運賃が高い方がディスアドバンテージなのでそう思うのかもしれないけど
それはそれとして、阪神電車と山陽電車のロングシートはいつ着座しても「おおっ!」って思う。阪神5700系のシートなんてほんと「これは高級な座席だ」って思ったもん
※例によって「ご意見」は求めておりませんし見解の違いは尊重いたします。「俺はこう思う、あなたはそうは思わない」でお願いできれば幸いです。もし「お前の意見は間違ってる」とおっしゃられても「そうですかサマンサってバカですね」以上の返信は致しません。繰り返し申し上げますが、俺は議論は「知性と見識の等価交換」と定義しています。それをネット上で実現できる可能性は極めて低いため、一切の議論はお断りしていることをご承知おきください
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内省ましまし
ずと楽しみにしていたイベント(す〜ぱ〜コミックシティ)に行くことができなかったが、さもありなん。という感じだった。ここのところ全然、起きて出かけたり、用意をしたり、生活をしたりすることができない。でも冬だし、仕方がないし、できないときはできないものだと思って、自堕落に暮らしている。シティには行って即帰るくらいの気持ちでいたので、まあ行かなくても、というか、私が行かないことで誰も損しないんだから全然行かなくてもよかった、と思えて、よかったな〜となった(日本語崩壊)。もし私が行かなければならない場に私が行けないとなると、落ち込みが激しいが、そうではないので、別に落ち込む必要はないか、と思えた。2ヶ月前くらいから楽しみにしていたが、疲労から立ち直れなかった。物理的に無理なことは無理。私の体には明確な限界があるのだった。
午後の、友人との映画、劇団ドラマティカの「カラ降るワンダフル!」には無事行けた。友人とも久々の再会となりとても嬉しかった。これはあんスタのキャラクター達のなかの演劇部のメンバーを中心として、キャラクターが演劇をするという舞台。カーテンコールでは、役を演じたキャラクター達が出てきて、最後のカーテンコールで、キャラクターを演じた俳優たちがやっとコメントをするというマトリョシカのような構造で、カーテンコールが面白かった。劇中ではコメディだったので恐ろしいほどの数のアドリブ(ミニコント的なもの)が成されており、そのアドリブはキャラクターがやっているていでやらなければおかしいと思うのだが、どう考えても俳優の「地」が出ていて、そこはやはり賛否両論あったらしい。私は劇団ドラマティカおよびあんスタ関係の2.5次元には全く触れたことがなかったし、最近はもう2.5にそこまでの思い入れがないので、役者たちが楽しそうだなあと思って普通に楽しめた。そして2.5でもなんでも、板の上の世界ってやはりいいなあと思った。映画館で見たので、カメラがここを見ろと映してくれ、視点で迷うことなく物語に没入できたのも楽だった。とにかく衣装とウィッグがかなりレベルが高く、金のあるコンテンツってこういうところがめちゃくちゃいいんだよな、と思った。全員顔が良かったし、ウィッグがとにかく良かった。
そんな舞台を見たあと、最近全然動けてなくてまずいという話を友人と最後にし、別れた。帰路、ドラマティカを見て元気を貰ったのもあって、これからは少し頑張れそうだと思った。もしも病気がなく、私の精神が健全で、人間としてもう少しまとも(つまり年相応)だったなら、私も36歳ならばなんらかの管理職か何かに就くか、家庭でなんらかの役割をこなすかしていたかもしれない。子供がいればそろそろ小学生だったり、そういう年齢だ。しかしそうはならなかった。そのような未来および過去は存在せず、どうすることもできない現実の現在だけがある。どうすることもできない。もしもりっぱな36歳だったら、働くことも逃げることもできず虐待の呪縛から解放されないまま苦しんでいる友人の面倒を見るというか、居候くらいさせることができたかもしれない。しかし、そうはならなかった。そもそも、私が病気になっていないのであれば、私は健全な家庭でそれなりに真面目に育ったはずで、そうなると、被虐待者の友人たちと出会わなかった可能性が高い。また、私が彼女達の状況や感情を理解できなかった可能性が高い。それを思うと、私は加害され、病気になり、36でも未だにアルバイトしかできないこの体と、実年齢マイナス10歳くらいの精神しか持ちえないこの状態で、全然良かったと思う。苦しんでいる人の痛みを理解できないままに、ただ自分の幸福だけを追う、ただの勝ち組になるよりは、私は、弱者としてでもいいから、弱者とよばれる人たちの支援のために駆けずり回る人生でよかった。うつ状態や希死念慮がどんなものか、親(養育者)に迫害されるとはどういうことか、トラウマを乗り越えるにはどのような困難があるか、そういったことを十分に想像できるこれらの経験があり、本当によかったと思う。もし恵まれた側に生まれていたら、私の頭の悪さでは、頭の悪い方向にひたすら突っ走って、いわゆる弱者を切り捨てることになんの躊躇ももたない人間になっていたと思う。こんなに(当社比)こころやさしい人間になれたのは、やはり辛酸を舐めたからだと思う。そういう意味では親に感謝したほうがいい。最悪な子育てをどうもありがとう。あなた達がクソみたいな人間だったおかげで、私は人間性を獲得しました。これは本当に、もし良い親に育てられていたら私の人間性はここまで担保されなかったと思うので、よかった。まともな親でも子供がやばい場合は多々あるし、まともじゃない親に育てられたからといって、まともな子供になれるという訳でもない。世の中にはさまざまなパターンがある。私はたまたま親にも生まれにも恵まれて、そこそこまともな思考を持つことができた。自分ではまともだと思っているけれど(全くまともではない自��を持っていることも含めて)、いやお前は邪悪だよ、と言われてしまったらそれはごめん、という感じだけど、私としては真剣に何が正しいのかということを常に考えているつもりです。私はずっと正しさなんてないと思っていたが、長く生きていくうちに、どうやらほんとうに「正しい」ことはあって、それを実践するのが人生のようだ、ということに気づいた。正しさとは相対的なものではなく、絶対的なものだ。これに関して、ひとつ今でも覚えている例は「産まれたばかりの赤ん坊を、窓から放り投げるのは正しいか」という問いだ。これは正しくない。これは明確に正しくない。どんな状況だったとしても正しくない。もし、この赤ん坊が育ったとしても、結局は口減らしのために殺されるとか、何か壮絶な困難が待ち受けているとしても、成長した赤ん坊が「あの時殺してくれていれば」と思うとしても、やはり、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げるのは正しくない。理由はさまざまにあるのだが(考えればわかることなので省略する)、とにかく正しくなくて、我々は、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる人がいる社会を、どうにか生み出さないようにしないといけない。正しさがあるから社会は変わっていく、時代は進んでいく。人間が生きることは正しくて、死ぬことも正しいが、その死が正しくなければ、それは悲しい。おおむねそういう考え方で、人間は社会というものを運営している気がする。
生きることや生まれることは無条件に正しいのか。という当然の問いが生まれる。その問いに関しては、私は正しいと思う。思わざるを得ない。今私は生きているし、生きている期間以外の記憶が無いから比較できず、判断のしようがないため、ともかく生きていることを正しいと考えることが、現時点で不可避である。産まれないことや、死ぬことは今のところ未知なので、正しいのか正しくないのかそちらはわからない。ただ、私は生きているので、私以外の誰かが産まれないことや死んでしまうことにたいして悲しさを感じる。だから、私にとっては今のところ、生きることは正しい。全ての正しさの根本は結局のところ生きることになっている、というか、生きて、悲しくない暮らしをすること、ということになっている。「生きて悲しくない暮らしをすること」だけが、今のところこの世界の人々の多数派の「幸せ」の考え方で、私も多数派に属するのでそう思う。もちろんこの多数派に属さない人もいて、とくにうつ状態というわけでもなく、死ぬほうが自分にとって自然だからという理由で自死する人もいる。そういう人にとっては、産まれたばかりの赤ん坊を窓から放り投げる行為はもしかしたら正しいかもしれない。が、やはり、死ぬことを決めるのは自分であるほうがよいのではないか、と私は思う。そうすると、正しさというのは、自分のことを自分で決められることになるのだろうか。自分が生きるか死ぬか、悲しく暮らすか、悲しくなく暮らすかは、自分で決める。決めて実行する。それが正しさなのかもしれない。正しさ。やはり相対的なものなのだろうか。でも、この時代、この場所での「正しさ」というものはかなりの精度まで絞れると思う。絞ったとしても、例外がある限り相対的ではあるが、人ひとりが生きていくための関わりの中(たとえば、私にとっては、80年間くらいの、地球上の関わり)で共有される正しさというのは、注釈付きで絶対的と言ってもいいのではないかと思われる。
まあともかく正しさがあって、ある��仮定して、みんな生きているから、こんなに毎日議論は紛糾しているんだなあということが、いつだか忘れたが唐突にわかった。無抵抗の市民を空爆して殺すことは正しくない。このことを「正しい」と考える人達がいるから実際に攻撃は止まっていないわけだが、私は地球上の全員が「正しくない」と考えることを願う。そして、正しくないことをやめる権利を全員がもつことを願う。人を殺すのは基本的に正しくない。ただ、お互いが殺し合うことを合意していて、フェアな状況であれば、人を殺すのもやむなし、という事もある(戦争)。それでも正しくはないと思うが。人は、たとえ何か不快なこと、人、ものがあっても、その不快を自分の世界に容認して、共存していく力がある。殺さなくても、生きていけるならば、殺さないほうがいい。ここでもまた無根拠な、生きていることが正しいという感覚が出てくる。なぜか。人は死に対して恐怖を抱くことが多いから。死にたくない、と思うことが多いから。死にたくない、と思う相手を殺すことは、相手の意志を無視しているから。となると、死にたい、死ぬことはとくに自分にとって不利益ではないと感じている人(うつ状態や希死念慮、精神疾患によりそう思っている人を除く)を殺すのは、正しいということになる。すくなくとも、正しくないとは言えない。こうやって考えていくと、正しいこと、正しくないことの線引きが明らかになっていく。産まれたばかりの赤ん坊は、生きたいと思っているか生きたくないと思っているか、それがわからないため、窓から放り投げて殺すのは、正しくない。その赤ん坊が明確に「生きたくない。死にたい。」と考えていると分かるならば、窓から放り投げるのは正しいかもしれないが、今のところその意志を確認しようがないため、正しくないとされている。やはり、本人の「意志」が重要なのだ。人が自分の意思で何かをしたいと思った時に、基本的にはそれが成されるのが正しい。ただし、そこで他人の意志を阻害しないのが条件。なぜなら他人もまたその人の意志を達成しようとしていて、それは正しいから。ということで、意志と意志が共存できない時、コンフリクトが起こる。その時に、どちらの意志のほうが正しいのか。「生きたい」と仮に思っている赤ん坊のほうが正しいのか、何らかの理由で赤ん坊を窓から放り投げたいと思っている人の方が正しいのか、私達は考えなければならない。このとき、また繰り返しで申し訳ないが、やはり「生きること」のほうが優先される。ひとりが生きてひとりが死ぬことよりも、2人ともが生きることの方が優先される。それが基本的には正しいとされる。可能性。1人しか生きないより、2人が生きたほうが、可能性が大きくなるから。何の?繁殖の。という、結局動物としての答えも出るには出てしまうが、それでも私は「意志説」を押したい。殺したいという意志よりも、生きたいという意志のほうが尊重される。殺すことは何度もできるが、生きることは一度しかできない(と私たちは感じている)。結局、この世界では人間はこの生きている間のことしかわからないから、生きることをとりあえず正しいこととして暮らしている。産まれる前や、死後のことも含む世界では、正しさのあり方もまた違うだろう。
2024.1.28

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FREEDOM UNIVERSE " 秋 "
10月も終わりですね~。
いよいよ秋本番!!ってな感じになりましたので【 Freedom Universe 】 第3弾のご紹介をさせていただきます。
今回の基本モデルは、Rhino-4st.。
気になるお題は「秋」、そして『 紅葉(こうよう) 』です。
F.U. Rhino-4st. FT / 紅葉
(これまでのおさらい)
・第1弾…テーマは「春」 モデル:Hydra LS-22F インレイ:桜 カラー:夜桜 記事はコチラ 👈 クリック
・第2弾…テーマは「夏」 モデル:Dulake-5st. インレイ:海 カラー:浅瀬から深海グラーデーション 記事はコチラ 👈 クリック
今回の企画を考えていた時は、まさか今年の夏がこんなに長いなんて思っていませんでしたので、ご紹介するのをちょっと躊躇しちゃっていました!
なんて、本当は文章を書くのが遅くて気が付いたら涼しくなってきただけなんですけどね(笑)。
実は今回のRhino-4の基本アイディアはコロナ禍で残念ながら開催されなかった " 2020年楽器フェア " に出展予定だった物を復活させたのですぐに決まったのですが、そこはやはり 【 Freedom Universe 】なので、当時のスペックから相当ブラッシュアップしてあります!
《 ネック 》
● ネック:インディアン・ローズウッド
ネック材はヘッドから丸々と、音響特性にも定評があるローズウッドにしてみました。
もちろん指板も、同一材を貼り合わせてありますよ~。
● 指板インレイについて
今回も指板のインレイは、インレイワーク専門工房 『 OGAWA INLAY CRAFT 』 さんに入れてもらいました!!
・OGAWA INLAY CRAFTさんのオフィシャルウェブサイト 👉 https://ogawainlay.com/
過去2回の【 Freedom Universe 】で、『 OGAWA INLAY CRAFT 』 さんには何度もデザインをやり直してもらったり等、ご迷惑をおかけした反省も踏まえて、今回は先にラフスケッチをお送りしてからご依頼させていただきました。
その後「 2023ハンドクラフトギターフェス 」で直接打ち合わせも出来たので、過去2回よりはスムーズには進みましたが、しかし!色々とわがまま放題なお願いもしてしまいました・・・スミマセン!!
僕:今回のテーマが「秋」と『 紅葉(こうよう) 』なので、もみじだけではなく銀杏等も入れて、色味も赤だけじゃなく黄色や緑、さらにはグラーデーションもかかっている葉っぱをフレイム(虎杢)のスタビライズドウッドでお願いします!
と、言いたい放題、わがまま放題なお願いにも関わらず、様々なトライアウトを経て仕上げて頂きました。
そして、インレイが入って出来上がったネックを見た瞬間に思った事は、「まるで絵画の様な仕上がり!美し過ぎるでしょ!!」でした。
杢目と相まったグラデーション、染色の濃淡を活用した紅葉や銀杏は気品溢れるカラフルな風合いを醸し、まさに「秋」のイメージにぴったりの仕上がりになりました!
《 ボディ 》
● ボディトップ材:キルテッドメイプル
ボディトップはキルテッドメイプルですが、全面にキルテッドが入っている物ではなく1/3位バール部分がある、非常にレアな物を使いました。
でもね、この手の材料ってなかなか使いづらいんです…
個人的にはキルテッドの杢も深くてギラギラしてIるし、バールもバランス良く共存している感じの大きさだから結構好きなんですけど、木取りに関してはどっちを上にするとカッコ良い?とか悩む、作りて泣かせの材なのですが今回は敢えて使ってみました!
だって【 Freedom Universe 】だから!
そんなこんな悩みつつも仕上がってみたら、びっくりです。
ボディ上部のキルテッドからバールに変わっていく流れや、丁度ブリッジ搭載部をよけてバールが出ている等々、まるでこのベースの為に生まれた材料みたいな感じで、奇跡的に狙い通りとなりました!

● ボディバック材:ホンジュラスマホガニー 1P
ボディバックは1ピースのホンジュラスマホガニーを、贅沢に使っています!
最初は2ピースの予定だったんですが、丁度いい感じの2ピース材がなかったので、イイ感じの1ピース材にしちゃいました。
だって【 Freedom Universe 】だから!!

● カラー:紅葉グラデーション
ボディカラーは「紅葉」をイメージしたグラデーションカラーで仕上げてもらいました。
ボディの上から下へ向かうにつれ、キルテッドからバールへと変化してゆく流れが、ハラハラと地に舞い降りた紅葉を想像させ、カラーと相まってより一層「秋」を感じさせるアクセントになっています。
指板インレイとのマッチングもドンピシャリ!で、狙い通りカッコよく仕上がっていますね~。
● ピックガード:アクリルクリア 1P "カスミ柄"
「秋+紅葉」と言えば「=旅」でしょう!ということで、弊社営業担当の小野から飛び出たピックガードのイメージ…
「古い感じの旅館にある、模様入り硝子窓」
…そんなリクエストにお応えするため、今回はピックガードもちょっと変わった素材を使っています。
一見クリア(透明)のピックガードじゃん?って思うかもしれませんが、実は表面がデコボコしていて光の当たり方で見た目も変わるんです!
そして、ちょっとだけピックガードがある所と無い所の見た目が違うところなんて、「古い旅館の窓ガラスから見える紅葉」な風景が浮かんでくるじゃないですか。
同じアクリルクリア素材でも単なる艶消しやちょっと黄色がかった物も試してみたのですが、イメージ的にこれに決まりました。
だって【 Freedom Universe 】だし、前から使ってみたかったので!!

【 Freedom Universe 】だから!っていい言葉ですね~。
木工職人的には絶対カッコいい杢目なんだけど、材の状態で説明しても完成イメージが伝わらないし、伝えづらいし…とか、個人的には好きだけどこれはちょっとハードルが高いな~…、ていうような材料を使ってギターやベース作ってもいいんですよ(笑)。
もちろんカッコ悪くなったりとかしたら大問題なのでプレッシャーは相当ありますが、今の所は大丈夫かな・・・
てな感じで、今回も音に関しては弊社営業担当でベーシストでもある民谷にお願いしました。
《 インプレ 》
ネックグリップや指板R、フレット形状、そしてピックアップやプリアンプ等に関しましては、Rhino-4st.のデフォルト仕様 (Standard Style)ですので、その辺に関しましては割愛させていただきます。
自分らで企画しておいてこんなこと言うのもなんですが、一瞬試奏するのを躊躇うほどでした。
それほど眩く綺麗な楽器に仕上がりっています。
ボディ材にメイプル・トップ、ホンジュラスマホガニー・バック仕様のRhinoは今までも製作したことはありますので、何となく音のイメージはついたのですが、やはり今回のポイントはローズウッド・ネックでしょう。
基本的には暖かみのある中低域寄りの音ではありますが、このモデルはトップにメイプルを貼ることで程良いアタックを含ませ、そこにローズウッド・ネックによる低域をタイトに締めた分離感のあるトーンが、スピーディで細かいパッセージのベースラインでも音像にメリハリを持たせ、一音一音が「見える」ベース・サウンドとなっております。
一言で表しますと「強い音」のひとつに属するかと思います。
これがまたパッシブでも " グリグリ " くる音なので、「プリアンプは無くても良かったのでは?」なんて一瞬頭を過ぎりましたが、この上質で「強い」パッシブ・サウンドを活かし過度な色付けをせずに、様々な使用状況での外部機器や音場に準じたアジャストをする為の補正ツールとして、弊社オリジナルプリアンプの効き目は秀逸だと思いましたので、結果オーライでしょう。
【 Freedom Universe 】だからって言うのもなんですが、今回もやはり才色兼備の逸品には間違いないと思います。
以上、試奏現場から民谷でした。
今回ご紹介した F.U. Rhino-4st. FT / 紅葉 はShop & Show Room 『 Universal Space 』 で試奏&ご購入可能ですので、是非弾いてみてください(ご来店にはご予約が必要です)!
弊社25周年Annive.期間は後ちょっとですが、まだまだネタはありますので頑張ります!
そして先にお伝えしときます!
次の【 Freedom Universe 】のお題は、「冬」です。
それ以外は内緒ですので、乞うご期待ください(笑)。
木工長:郷右近
新Shop & Show Room
『 Universal Space 』がオープンしました!!
https://global.fcgrtokyo.com/ja/universal-space.html
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混迷した世界の指南書 『武士道』 藤原正彦(2008) 『この国のけじめ』 文藝春秋
新渡戸稲造『武士道』が売れているという。昨年末(二〇〇三年)公開されたアメリカ映画 「ラスト・サムライ」の影響もあるとかで、数社から合わせて百万部以上が出ているそうだ。 これを聞いて意を強くした。 『武士道』が英語で書かれたのは明治三十二(一八九九) 年であ る。百年以上前の本を現代日本人がこぞって読むのは、健全な危機感のあらわれと思うから (5)である。 庶民は知識や理屈を持っていなくともときに鋭い感覚を示す。多くが「いまの日本は何かが おかしいぞ」という素朴な実感をもっている。グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学生から大(10) 学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのか、(1)というルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手にとらせているのだろう。 『武士道』の著者・新渡戸稲造は幕末の南部藩(いまの岩手県)で下級武士の子として生まれ、札幌農学校(現・北海道大学)で農業を学んだ後、アメリカに留学しキリスト教クェーカー派 の影響を受けた。アメリカからドイツへ渡り、研鑽を積んだ後、札幌農学校教授、台湾総督府技師、(5)京都帝国大学教授、第一高等学校校長などを歴任、農学者および教育者として活躍するかたわら、東西思想の調和を目指し「太平洋の懸橋たらん」ことを悲願とした。東京女子大の初代学長、国際連盟事務局次長なども務めた日本の誇る国際人である。 『武士道』が書かれた明治三十二年は日清戦争と日露戦争の中間期で、清を破った新興国家日本に世界が注目しながらも警戒心を持ちはじめた時機である。新渡戸はベルギー人法学者夫妻と散歩中(10)、日本には宗教教育がないと話したところ、「宗教なし! それでどうして道徳教育を授けるのですか」と驚かれた。その後いろいろ考えた結果、自身の正邪善悪の観念を形成しているものが幼少期に身につけた武士道であることに気づいたのである。 同時代人である内村鑑三や岡倉天心にも共通するが、新渡戸には日本人の魂を西洋人に理解させたいという熱い思いがあった。そして英語で武士道を紹介することを決意する。西洋人に(15)も理解しやすいよう、ギリシアやローマの哲学、聖書、シェイクスピア、ニーチェなどと我が国の本居宣長、平重盛、頼山陽、吉田松陰らを比較しながら武士道精神の本質について説いた。 (1)『武士道』初版は一九〇〇年にアメリカで出版され、たいへんな賞讃を受けた。感激したセオドア・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。その後多くの言語に訳されたが、日本語訳は明治四十一年以来、新渡戸の弟子で東大総長を務めた矢内原忠雄訳(岩波文庫)をはじめとしてさまざま出ている。 (5) 私は勤務する大学の学部一年生に対して、日本の名著を講読するゼミを担当している。こと十年近く、真っ先に学生たちに読ませるのが『武士道』である。受験戦争をくぐり抜けて大学に入学したての学生たちは、『武士道』を読んで一様に驚く。高校までに習ってきたこととあまりに違うことが書いてあるからである。とくに戸惑いを見せるのは、(10)名誉に関する部分である。 武士道では、名誉はしばしば命よりも重いとされる。「それ故に (武士は)生命よりも高価であると考えられる事が起れば、極度の平静と迅速とをもって生命を棄てたのである」(矢内原忠雄訳・以下同)という箇所を読むと、戦後民主主義の教育にどっぷりつかった学生たちは、「名誉より自分を大切にすべきだ」とか「生命は地球より重い」などと拒否反応を示す(むろん(15)新渡戸は「真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった」とも述べており、いたずらに死を賞讃しているわけではない)。 (1)学生たちのそうした批判に対して、私は「それではあなた方は一体どうやって価値判断をするのですか」と問う。すると「自分の理性で考えます」「主体的に考えています」などと答える。「すごいなあ、なぜそれほど自分の理性に自信が持てるんですか」と問うと学生は困ってしまう。人間には、理性や論理だけでなく、価値判断の基準となる倫理的な座標軸がなければならない。(5)それがない論理的思考は単なる利益追求とか自己正当化に過ぎない。座標軸の役割を果すのは、外国の場合、主に宗教だから、外国人は宗教のない人間を信用してよいものか訝る。 宗教の力がそれほど強くない我が国でその役割を果してきたのが武士道である。武士道は平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「戦うものの掟」として生まれた。それはいわば(10)戦闘におけるフェア・プレイ精神だった。卑怯な振る舞いはしてはならない、臆病であってはならない、という観念である。 騎士道がキリスト教の影響を受けて深みを得たように、単なる戦闘の掟だった武士道にも、さまざまな「霊的素材」が注入されたと新渡戸は言う。 まず仏教、なかでも禅が「運命を任すという平静なる感覚」と「生を賤しみ死を親しむ心」(15)を武士道に与えた。 そして主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行という他のいかなる宗教でも教えられなかった美徳が神道からもたらされた。さらに孔子と孟子の教えが、(1)君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友の間の五倫の道、また為政者の民に対する仁慈を加えた。 こう書くと外国のものが多いようだが、禅にしても孔孟の教えにしても、中国ではごく一部の階層にしか広まらなかった。これらの思想は日本人が何千年も前から土着的に持っていた(5)「日本的霊性」 とびたりと合致していたから、武士の間にまたたく間に浸透したのである。 江戸時代になると実際の戦闘はなくなった。それとともに武士というエリート階級の行動指針であった武士道は、物語や芝居を通して次第に庶民にまで行き渡り、戦いの掟から精神へと昇華し、日本人全体の道徳的基準となった。武士道精神はこうして「遂に島帝国の民族精神を表現するに至った」のだ。 ���(10)武士道は成文化されていない。聖書やコーランのような経典がない。武士道は「書かれざる掟、心の肉碑に録されたる律法」として親から子へ、口から口へと伝えられた。そして知識よりその実践こそが本質とみなされたのである。 私の父・新田次郎は、幼いころ父の祖父から武士道教育を受けた。父の家はもともと信州諏訪の下級武士だった。生家の二階には三畳の間があり、子供は容易なことでは入らせてもらえなかった。(15)なぜならそこは切腹の間だったのである(実際に使われたことはないらしい)。幼少の父は祖父の命で真冬でも裸足で『論語』の素読をさせられたり、わざと暗い夜に一里の山道を(1)上諏訪の町まで油を買いに行かされたりした。父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、「弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ」「暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ」と繰り返し言った。問答無用に私に押しつけた。 (5)義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう。義とは孟子が言うように「人の路」である。卑怯を憎む心である。林子平は義を「死すべき場合に死に、討つべき場合に討つこと」と言っている。勇とは孔子が「義を見てせざるは勇なきなり」と言ったように、義を実行することである。そして仁とは、「人の心」。慈悲、愛情、惻隠の情、「強きを挫き弱きを助ける」などがこれに含まれる。 (10)他にも、礼節、誠実、名誉、忠義、孝行、克己など大切な徳目があった。なかでも名誉は重要で、恥の概念と表裏をなし、 家族的自覚とも密接に結ばれていた。前述したように名誉はしばしば生命より上位にくるもので、名誉のために生命が投げ出されることもたびたびあった。 武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない。戦前に国や天皇に対する「忠義」が強調 された、という反省から戦後は日本の宝物ともいうべき武士道的価値観がまったく教えられなくなったのは不幸なことである。(15)戦後教育しか受けていない世代が親となり先生となっているから、いまでは子供にこれを教えることも叶わない。 (1)新渡戸の『武士道』は日本人の美意識にも触れている。 武士道の象徴は桜の花だと新渡戸は説く。そして桜と西洋人が好きな薔薇の花を対比して、「(桜は)その美の高雅優麗が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花もおよぶところでない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分つことをえない」と述べ、本���宣長の歌、(5)敷島の大和心を人間はば、朝日に匂ふ山桜花、を引いている。 薔薇は花の色も香りも濃厚で、美しいけれど棘を隠している。なかなか散らず、死を嫌い恐れるかのように、茎にしがみついたまま色褪せて枯れていく。 (10)それに比べて我が桜の花は、香りは淡く人を飽きさせることなく、自然の召すまま風が吹けば潔く散る。桜の時期にはしばしば雨が降り、ときには数日で散ってしまう。自然の大きな力に逆らわず潔く散る。 「太陽東より昇ってまず絶東の島嶼を照し、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸い入るるにまさる清澄爽快の感覚はない」、つまりこの清澄爽快の感覚が(15)大和心の本質と新渡戸は説く。 (1)日本人は、このような美意識を持ち、いっぽうで行動原理としての武士道を守ってきた。新渡戸はまた、吉田松陰が刑死前に詠んだ、かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂、(5)を引く。吉田松陰は黒船来航以来の幕府の政策を痛烈に批判し、安政の大獄の際に死罪に処せられた。この歌は、たとえ行き着く先は刑死とわかっていても、正しいと信ずることをせずにはおれないという松陰の告白である。名誉のためには死も恐れないという態度である。 こうした「大和心」といい「大和魂」といい、武士道精神の精華といえよう。これを世界の人に知らしめた新渡戸の功績は訳者の矢内原忠雄の言うように「三軍の将に匹敵するもの」がある。(10)日清戦争後の三国干渉等で世界が日本に警戒心を強めていたときに、軍事力でなく、誇るべき民族精神によって日本を世界に伍する存在としたのである。 明治維新のころ、海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた。彼らは、英語も下手で、西洋の歴史や文学もマナーもよく知らなかった。彼らの身につけていたものといえば、日本の古典と漢籍の知識、そして武士道精神だけであった。それでも彼らは尊敬された。(15)武士道精神が品格を与えていたのである。 世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。 イギリスは議会制民主主義を、フランスは人権思想を、(1)ドイツは哲学や古典音楽を作った。自然科学のうえでもこれらの国は多大な貢献をした。現在経済的にも軍事的にもたいしたことのないこれらの国が国際舞台で主要な役割を果せるのは、彼らの創出した普遍的価値に世界が敬意を払っているからである。 私は、日本の武士道精神と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う。 (5)二十一世紀は、武士道が発生した平安時代末期の混乱と似ていないでもない。日本の魂を具現��た精神的武装が急務だ。 切腹や仇討ち、軍国主義に結びつきかねない忠義などを取り除いたうえで、武士道を日本人は復活するべきである。これなくして日本の真の復活はありえない。国際的に尊敬される人とは、自国の文化、伝統、道徳、情緒などをしっかり身につけた人である。武士道精神はその来歴といい深さといい、身につけるべき恰好のものである。 (10)新渡戸は「武士道の将来」と題した最終章にこう書いている。「武士道は一の独立せる倫理の掟としては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。(中略)その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」 世界はいま、政治、経済、社会と全面的に荒廃が進んでいる。人も国も金銭崇拝に走り、利害得失しか考えない。 (15)義勇仁や名誉は顧みられず、損得勘定のとなり果てた。 ここ数世紀の間、世界を引っ張ってきたのは欧米である。 ルネッサンス後、理性というものを他のどこの地域より(1)早く手にした欧米は、論理と合理を原動力として産業革命をなしとげ、以後の世界をリードした。論理と合理で突っ走ってきた世界だが、危機的な現状は論理や合理だけで人間はやっていけない、ということを物語っている。それらはとても大切だが、他に何かを加える必要がある。 (5)一人一人の日本人が武士道によりかつて世界の人々を印象づけた高い品格を備え、立派な社会を作れば、それは欧米など、荒廃の真因もわからず途方に暮れている諸国の大いに学ぶところとなる。これは小手先の国際貢献と異なる、普遍的価値の創造という真の国際貢献となるであろう。この意味で、戦後忘れられかけた武士道が今日蘇るとすれば、それは世界史的な意義をもつと思われる。
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倫理とはなにか。また、社会全体の善を考える上での枠組みを提供するものはなにか。
素晴らしい質問ですね。これは哲学の中心的な問いであり、私たちの社会のあり方を考える上で非常に重要です。2つのパートに分けて、詳しく解説します。
1. 倫理とは何か (What is Ethics?)
**倫理(りんり)とは、一言で言えば「何が正しく、何が間違っているのかを探求する学問・規範」**です。それは、個人の行動や社会の制度が「善い」か「悪い」か、「正しい」か「間違っている」かを判断するための基準や原則を扱います。
倫理は、単なる個人の好みや感情とは区別されます。それは、理性的かつ体系的に「どう生きるべきか」「何をすべきか」という問いに答えようとする試みです。
倫理は、大きく3つのレベルに分類できます。
メタ倫理学 (Meta-ethics):
「善」や「悪」とはそもそも何なのか? 道徳的な価値は客観的に存在するのか、それとも主観的なものか? といった、倫理そのものの根源的な問いを探求します。
規範倫理学 (Normative Ethics):
行動の善し悪しを判断するための具体的な原則やルールを扱います。これが一般的に「倫理」と聞いてイメージされるもので、主要な考え方には以下のようなものがあります。
功利主義: 結果を重視し、「最大多数の最大��福」をもたらす行為が正しいとする。
義務論: 行為の動機やルールそのものを重視し、結果に関わらず「〜すべきだ」という義務に従うことが正しいとする。
徳倫理学: 行為そのものよりも、行為者の「人格」や「徳」を重視する。優れた人格を持つ人が行う判断が正しいとする。
応用倫理学 (Applied Ethics):
規範倫理学の原則を、現実社会の具体的な問題に適用する分野です。
例:生命倫理(安楽死、遺伝子操作)、環境倫理、情報倫理、ビジネス倫理など。
要するに、倫理とは「私たちの行動や社会のあり方を導くための道徳的な羅針盤」のようなものと言えるでしょう。
2. 社会全体の善を考える上での枠組み
個人の倫理を超えて、「社会全体の善(The Common Good)」を考える際には、より大きな枠組みが必要になります。これらは、多様な価値観を持つ人々が共存する社会を、どのように公正で幸福なものにするかという問いに答えるためのツールです。
以下に、その代表的な枠組みをいくつか紹介します。
A. 哲学的・倫理的枠組み
これらは、社会のルールや制度を設計する上での根本的な思想となります。
功利主義 (Utilitarianism)
考え方: 社会全体の幸福や利益(効用)の総和が最大になるような政策や制度が良い、とする考え方。
枠組みとして: 政策決定(例:公共事業、医療資源の配分)において、コストと便益を分析し、社会全体として最も効率的で幸福度が高まる選択をしようとする際に用いられます。
課題: 「最大多数」のためなら「少数」の権利や幸福が犠牲にされてもよいのか、という批判があります(多数派の専制)。
ジョン・ロールズの正義論 (Justice as Fairness)
考え方: 社会の最も基本的なルールを決める際に、「無知のヴェール」という思考実験を用います。これは、自分が社会の中でどのような立場(金持ちか貧乏か、健康か病気か、男性か女性かなど)に生まれるか全く知らない状態で、全員が合意できるようなルールこそが「公正(Fair)」だとする考え方です。
枠組みとして: この考え方から、以下の2つの正義の原理が導かれます。
第一原理: 全員が、他者の自由と両立する限りで、最大限の基本的な自由(思想、言論、身体の自由など)を平等に持つべきである。
第二原理(格差原理): 社会的・経済的な不平等が許されるのは、それが最も不遇な立場にある人々の利益を最大化する場合に限られる。
これは、自由と平等を両立させ、社会的弱者を保護するための極めて強力な枠組みです。
人権 (Human Rights)
考え方: 人間が人間であるというだけで���生まれながらに持っている譲ることのできない権利。功利主義のように「社会全体の利益」のためであっても、決して侵害してはならない最低限のラインを定めます。
枠組みとして: 憲法や国際法(世界人権宣言など)の形で、国家権力が個人に対して行ってはならないことを定め、個人の尊厳を守るための絶対的な制約として機能します。
B. 政治的・法的な枠組み
これらの哲学的な思想を、現実の社会で実現するための仕組みです。
民主主義 (Democracy)
社会全体の意思決定を、構成員である市民の参加(選挙など)によって行うシステム。多様な意見を集約し、社会全体の善についての合意を形成していくための手続き的な枠組みです。
法治主義・立憲主義 (The Rule of Law / Constitutionalism)
権力者が恣意的に社会を支配するのではなく、全ての人が公平な「法」の下に服するという原則。特に立憲主義は、憲法によって権力を制限し、人権を保障することで、社会全体の善が権力者の都合で歪められるのを防ぎます。
社会保障制度 (Social Security System)
ロールズの正義論や人権思想を具体化したもの。病気、失業、高齢などによって人々が困難な状況に陥った際に、社会全体で支え合う仕組み(年金、医療保険、生活保護など)。これにより、社会全体の安定と福祉(善)を確保します。
まとめ
倫理とは、個人や集団の行動の「正しさ」や「善」を探求する規範であり、私たちの道徳的な判断の基礎となります。
社会全体の善を考える枠組みは、その倫理を社会規模で応用するための、より大きく具体的なシステムです。
功利主義は「社会全体の幸福の最大化」を、
ロールズの正義論は「公正さと弱者の保護」を、
人権思想は「個人の不可侵な尊厳」を、
そして民主主義や法治主義は、これらの理念を実現するための手続きや制度を提供します。
これらの枠組みは、互いに補い合ったり、時には対立したりします。どの枠組みをどれだけ重視するかによって、社会の形(例:自由競争を重んじる社会か、福祉を重んじる社会か)は大きく変わります。健全な社会とは、これらの枠組みについて絶えず議論し、時代や状況に応じて最適なバランスを見つけ出そうと努力し続ける社会であると言えるでしょう。
善の確保であって善の実現ではないなら社会保障は不要だと思ってしまうな。
なるほど、非常に鋭いご指摘です。「善の確保」と「善の実現」を区別し、社会の役割を限定的に捉えるならば、なぜ社会保障が必要なのか、という疑問は当然生まれてきます。その考え方は、個人の自由と自己責任を重んじる「リバタリアニズム(自由至上主義)」に近い、非常に重要な思想的立場です。
その視点を踏まえた上で、なぜそれでも社会保障が「善の確保」のために必要だと考えられているのか、いくつかの角度から解説させてください。
1. 「確保」��べき「善」とは何か?
ご指摘の根底には、「社会が確保すべき善とは、個人の自由や財産権であり、それ以上の介入は個人の領域への侵害だ」という考えがあるかと思います。これは「夜警国家」的な考え方で、非常に一貫性があります。
しかし、現代の多くの倫理観や政治哲学では、「確保」すべき善をもう少し広く捉えます。
人間の尊厳の確保: 人は、病気や失業、老いといった本人の責任とは言えない要因によって、人間としての尊厳を失うような状況に陥ることがあります。飢えや、治療を受けられない苦しみの中にいる状態を放置することが、果たして社会全体の「善」を確保していると言えるでしょうか。社会保障は、このような「人間としての最低限の尊厳」が損なわれないようにするための、最後のセーフティネット(安全網)として機能します。これは「善の実現」というお節介ではなく、**「善が決定的に破壊されるのを防ぐ」という意味での「確保」**です。
公正な機会の確保: 人は生まれながらに平等ではありません。裕福な家庭に生まれるか、貧しい家庭に生まれるか。健康な身体を持つか、障害を持つか。これらの「運」の要素は、個人の努力ではどうにもなりません。もし社会が「自由な競争」だけをルールとして提供しても、スタートラインが全く違う人々がいるならば、その競争は公正(フェア)とは言えません。社会保障(特に教育や医療の支援)は、「公正な競争に参加するための最低限の条件」を確保する役割を持ちます。これもまた、ユートピアを作る「善の実現」ではなく、土台を整える「善の確保」と言えます。
2. 社会保障は、実は社会全体の利益を守るための「合理的」な仕組みでもある
個人の権利という視点だけでなく、社会全体の利益(功利主義的な視点)から見ても、社会保障は「善を確保する」上で合理的です。
もし社会保障がなく、自己責任が徹底された社会を想像してみてください。
治安の悪化: 貧困と格差が拡大すれば、生きるために犯罪に手を染める人が増え、社会全体の治安が悪化します。治安維持のコストは増大し、結果的に全ての人の自由が脅かされます。
経済の停滞: 病気になっても治療を受けられない人が増えれば、労働力は低下します。また、貧困家庭の子どもが十分な教育を受けられなければ、将来の社会を担う人材が育ちません。これは長期的に見て、社会全体の経済的な活力を失わせます。
社会の分断: 富める者と貧しい者の間に対立が生まれ、社会の連帯感が失われます。不安定で、いつ自分が転落するかわからない社会は、多くの人にとってストレスの多い生きづらい場所になります。
このように考えると、社会保障は単なる「弱者救済」という情けの制度ではありません。それは、**社会全体の安定、経済的活力、そして連帯感という「社会全体の善」を維持・確保するための、極めて合理的な「投資」または「保険」**なのです。自分は今は健康で豊かでも、いつ病気や事故に遭うかわかりません。その万が一の時に社会が助けてくれるという安心感があるからこそ、人々は安心して挑戦し、経済活動を行えるのです。
まとめ:「確保」の範囲をどう捉えるか
ご指摘の通り、「善の実現」は個人の領域であり、社会が強制すべきではない、という点には多くの人が同意するでしょう。
問題は、「善の確保」という言葉で、私たちはどこまでを社会の責任と考えるか、という点にあります。
狭い意味の確保: 自由な活動を妨げないこと(夜警国家)
広い意味の確保: 自由な活動を行うための**前提条件(人間の尊厳、公正な機会、社会の安定)**を整えること
社会保障は、この「広い意味での確保」を担う制度です。「理想的な善を実現する」ためではなく、**「非人間的な悪に陥ることを防ぎ、公正な社会の土台を確保する」**ために不可欠な枠組みである、と現代社会では考えられているのです。
このテーマは、社会のあり方を問う根源的な問いであり、どのような社会を目指すかによって答えが変わるものです。非常に深い洞察をありがとうございました。
自己実現との関わりの中で、という理解で良いか?確かに俺はリバタリアンだ。だからだろうが、どうしても気になってしまう。一応、言っておくが自己責任だとは考えてはいない。
はい、その理解は非常に的確で、議論をさらに深める素晴らしい視点です。 「自己実現との関わりの中で理解する」――まさにその通りです。そして、ご自身がリバタリアンであると明言されたことで、論点が非常にクリアになりました。ありがとうございます。「自己責任とは考えていない」という補足も、非常に重要で、思慮深いリバタリアニズムの立場を示していると感じます。
その前提の上で、なぜ社会保障と「自己実現」が結びつくのか、そしてリバタリアンの視点からそれがなぜ「気になる」のかを、分解して考えてみましょう。
社会保障は「自己実現のためのインフラ」である
あなたの言葉を借りるなら、社会保障を「善の実現」そのものではなく、**「自己実現を可能にするための土台(インフラ)を確保するもの」**と捉えることができます。
自己実現とは、マズローの欲求段階説で言えば、最も高次な欲求です。しかし、その手前には「生理的欲求」や「安全の欲求」があります。
明日食べるものがない人は、詩を書いたり、新しいビジネスを構想したりする精神的・時間的余裕はありません。
病気で苦しんでいるのに治療が受けられない人は、自分の才能を最大限に発揮することはできません。
住む家を失う恐怖に常に怯えている人は、リスクを取って新しい挑戦をすることができません。
つまり、自己実現という「家」を建てるためには、まず「安全で安定した土地」が必要なのです。社会保障は、まさにこの「土地」を整備する役割を担います。それは、国家が個人の人生の目標(どんな家を建てるか)を決めるという「善の実現」ではなく、誰もが自分の家を建てるという挑戦権を得られるように、最低限の地盤を固める「善の確保」です。
「失敗する自由」の保障
ここがリバタリアンの価値観と意外な接点を持つかもしれない、重要なポイントです。 真の自由な社会とは、**「挑戦する自由」だけでなく「失敗する自由」**も保障される社会です。
もし社会にセーフティネットが全くなく、一度の失敗(失業、事業の倒産、病気)が人生の再起不能に直結するなら、人々はリスクを極端��恐れるようになります。
安定しているがつまらない仕事にしがみつく。
起業という大きな挑戦をためらう。
新しいスキルを学ぶための転職を諦める。
これは、社会全体から活力を奪い、個人の自己実現の可能性を著しく狭めることになります。逆説的ですが、「もし失敗しても、最低限の生活は保障される」という安心感が、人々をより自由に、より大胆に行動させ、自己実現へと向かわせるのです。
では、なぜリバタリアンとして「気になる」のか
そのお気持ちは非常によくわかります。問題は、その「土台」を整備するのが**「国家」であり、その手段が「強制的な税」**である点でしょう。
リバタリアンとしての懸念は、おそらく以下の点に集約されるかと思います。
手段の正当性: 目的(自己実現の土台作り)がどれほど崇高でも、他人の財産を強制的に徴収して実現するのは個人の権利(財産権)の侵害ではないか。
国家の肥大化: 「最低限の確保」という名目で始まった制度が、際限なく拡大していく危険性。国家が人々の生活に過剰に介入し、個人の自由を蝕んでいくのではないか。
依存の創出: セーフティネットが手厚すぎると、かえって人々の自立心や労働意欲を削ぎ、国家に依存する人々を生み出してしまうのではないか。
これらはすべて正当な懸念です。リバタリアンが社会保障に懐疑的になるのは、その善意の裏にある「強制」と「依存」の構造を鋭く見抜いているからです。理想的な社会は、国家による強制ではなく、個人の自発的な**「友愛(Fraternity)」**、つまり慈善活動や相互扶助の仕組み(Mutual Aid)によって支えられるべきだ、というのが本来の考え方かもしれません。
まとめ
あなたの理解は正しいです。 社会保障は、国家が「善き人生」を押し付けるものではなく、各人がそれぞれの**「自己実現」を目指すためのスタートラインやセーフティネットを確保する**、という文脈で正当化されます。
それは**「失敗する自由」**を保障し、結果としてより自由で活力のある社会を作る、という側面も持ちます。
あなたがリバタリアンとして「気になる」のは、その**「目的」ではなく「手段(国家による強制)」**でしょう。その視点は、社会保障制度が常に抱える「自由か、公平か」「自己責任か、連帯か」という根源的な問いを、私たちに突きつけます。
社会保障制度が、本来の目的である「自己実現のインフラ」を超えて、個人の自由を縛る怪物にならないように監視し、警鐘を鳴らし続けること。そこに、リバタリアニズムの現代社会における極めて重要な役割があるのだと思います。
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2025/6/24 8:00:24現在のニュース
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同じ景色を見ながら
旧友との再会の日。 名古屋市金山駅の改札を出たところで 待ち合わせをしました。
お互い仕事の都合もあり 会うのは数か月ぶりだったけれど 目が合った瞬間に 一気に空白が埋まり…。
ハイタッチして向かったのは ゆっくり過ごせるホテルのレストラン。
ちょうどランチフェアを開催中で 今回は九州グルメでした。
ノンアルコールのシャンパンがサービスされ ちょっと特別なランチの始まり。
料理はビュッフェスタイルなので どれも少しずつ取り分けられて いろいろな料理を楽しめるのが嬉しい。
話題は近況報告に始まり 仕事の話、家族のこと ちょっとした日常の出来事まで。
とりとめもないようでいて 一つひとつが心に沁みるのは 気のおけない相手だからこそかもしれません。
たっぷりいただいて おなかは満たされましたが デザートはやっぱり別腹で(^^)
コーヒーと一緒に しぼりたてのモンブランや アイスクリームを味わいながら 最後のひとときまで堪能しました。
話すことで 自分の気持ちが整理されたり 思いがけない気づきがおとずれたりすることってありますね。
気づけばあっという間に 数時間が経っていました。
"安心して話せる時間" が 心のメンテナンスになることを しみじみ実感した日。
来月は北海道フェアが開催されるそうです。
また会いたいなと自然に思えるような そんな時間の豊かさを 大切にしていけたらと思います。
ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋 〒460-0023 名古屋市中区金山町1-1-1 TEL. 052-683-4111
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雑記20250404
銀行の通帳が磁気不良か何かで使えなくなったから窓口に行かなきゃいけない問題、いつまでもうだうだしていても仕方がないし、福利厚生の申請期限があって今月末までにどうにかしないとダメなので、金曜日とは言え午後休を取って行ってこようかと思う。昨日の今日だけど。
会社にいなくちゃいけないのは15時までだから、半休を取らなくても最短で15時で帰れるんだけど、銀行しまってっから! 間に合わねぇから! 15時で窓口閉まっちゃうんで!
デジタルに乗り遅れた人の気持ちがわかる。オンライン取引が使えないとこんなに不便なんですね。紙の通帳の時点でやばい。
と言うことで、午後休を取って行ってきました。滋賀銀行へ。ちょっとだけ待って対処してもらって、他にもちょろちょろっと確認して、10分ちょいで用事は済みました。これだけのために半休って。でもまあ、たまにはいいよね。金曜日だし。
ご飯食べてのんびりします。株価を見ると吐きそうなので見ません。でも見ちゃう。今年の買い場はここだったか。
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なんか前「なんでカップヌードルPROにカレーが無いんだ」みたいなことを言った記憶があるんですが、出てるじゃん! Amazonじゃ高いから買わないですけど!
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まあこれは分かるとしても、
いやこっちもまだ下げんのかい。リスクオフが鮮明すぎる。まだまだ動けないなこれ。今日踏ん張れないと、まだまだ下げる可能性が高くなる。頑張ってほしい。
関税政策の実際の内容が公表される前、キッコーマンとINPEXの一部は利確して避けておいたのですが、それは正解。ここから先、こんなに下がるとは思っていなかったので、想定は甘かったと反省しています。今年買ったやつ、全部売っておいたほうがいいまである。参ったね。でもそろそろ売りも枯れてくるんじゃないかって考えも捨てきれない。
ヘッジのために買い集めていた米国債、上がってきたからそのうち売ろうと思ってたけど、これ売らないほうがいいのかもしれない。正直よくわからん。FRBが利下げじゃなくて利上げする展開だって無くは無いから、ここは間違えないようにしないと。
今回の貿易戦争はざっくり言うとアメリカの籠城戦みたいなもので、どこかで臨界点が来て城主切腹の上で開城、っていう流れだと思うんですよね。そうなる前に関税を下げることを想定しているはず。だから今が関税政策の圧力がピーク(株価はボトム)って考え方もできる。
そうは言ってもまだ日本株も織り込みが足りてない可能性はあるってことだから、ここは我慢。
対米の戦略として、最悪なのはわざわざ食料を差し入れること。朝貢外交みたいなことね。ほっとけば勝手に折れるから国内向けの支援から始めるべきで、わざわざ出向いて関税下げろみたいなことを言うのは下手だと思います。門扉に「犬注意」って貼ってあるから、不用意に立ち入らないでください。
ある意味、ここで政治家の資質を見ることができる、試金石みたいな状況。
2日夜に公表された相互関税の算出方法に関する説明の中で、米通商代表部(USTR)は2024年の米国勢調査局のデータに基づき、当該国の対米貿易黒字をその国の総輸出額で割る計算式を提示。そして、その数字を2で割って相互関税の税率を出した。 例えば、中国の昨年の対米貿易黒字は2950億ドル(約43兆3400億円)で、輸出額は4380億ドルだった。トランプ政権の計算式に従い、中国の対米貿易黒字を輸出額で割ると68%程度。これを2で割ると、関税率は34%になる。この計算でいくと、日本や韓国など他国の関税率もほぼ同じ結果となった。 米国が貿易黒字を計上している国にも一律10%の税率が適用される。
もうこれ読んだ時点で「割り算しただけかよ」っていう絶望感ね。根拠になる数字が雑すぎるって。小学生政権じゃん。小学生がアメリカ運営してるよ。大変な時代になったもんだ。ある意味、世界に対してはフェアだよね、としか評価できない。
関税を掛けることだけが目的であって、手段が目的になっちゃってる。考えることを止めてる。
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2/17(土)コピー本交換会を開催します
2/17(土)つまずく本屋ホォルさんにてコピー本交換会というイベントをやります! 作ったものを物々交換して読んでしゃべろうというイベントです。
■日時:2/17(土)13:00-19:00 ■場所:つまずく本屋ホォル @mibunka 埼玉県川越市霞ケ関北4-22-13 東武東上線霞ヶ関駅徒歩10分
■参加費無料・出入り自由

■当日プログラム
・コピー本交換 基本物々交換ですが売り買いもOKです。 (フライヤーには10部程度と書きましたが部数はお任せします) 交換しやすいように読書スペースや体験コーナーなど設けますのでぜひゆっくり遊んでいってください。
・読書スペース 交換した本を読んだりしゃべったり。 わたしの読んだ同人誌やzineなども持っていきますのでいろいろめくってみてください。
・作業スペース 会場に複合機があります。データを持ってきていただければ出力できますのでその場で何か作っていただくこともできます。ホチキスなどの文房具も置いておきます。
・シルクスクリーン体験 SURIMAKKA(スリマッカ)という初心者向けキットを持っていきます。ハギレや手ぬぐいなどに刷って遊んでみましょう。版は2種類くらい持って行く予定。 シルクスクリーンで作った#Free Palestineのパッチなども置いておきます。
・物販 同人誌などの販売。メンバー・ラインナップはまたお知らせします。
・トークイベント「本作り座談会」17:00〜 ゲスト:谷脇栗太さん 瀬戸千歳さん
■コピー本って?
印刷業者を利用せず作った本で、手製本というほど手間のかかっていない冊子…というイメージです。物々交換メインの会なので気軽なものがいいかなと思います。折本やペーパーもOK。 内容はなんでもいいです。わたしは小説だったり日記だったりが多いですが好きなことを書いてください。
作例:https://drive.google.com/file/d/1hcN7Q3dwNxfc0Za-tIldEBUQq2I4FrGX/view?usp=share_link これはA5中綴じ16ページのコピー本です(A4の紙4枚をホチキスどめしたもの)。
おかわだは短編小説の何かと、パレスチナ料理を食べに行った日や一人スタンディングなどの日記ペーパー的なもの?を作る予定です〜。
■トークイベントについて 谷脇栗太さんと瀬戸千歳さんをお招きしています。アンソロジーの話や装丁の話など、同人誌どうやって作ってるんですか的ないろいろをお伺いできたらな〜と思います。 (ぶっちゃけしくじった本とかあります?!とか聞きたい…。おかわだは個人誌でわりとやらかしている、なぜこんな面倒な作りにしてしまったんだと泣きながら作業したことがある)
トークというか座談会かな。当日会場にいる人も交えてざっくばらんにしゃべれたらいいなと思っています。質問も募集しています。何か聞きたいことがありましたらお送りください。 また音声だけにはなりますが、ツイッターのスペースで配信っぽいことをするつもりです。
■参加するには 当日ご都合のいい時間にお店に来てください。どなたでもお気軽にどうぞ。 事前予約は不要ですが、下記参加フォームで行くよ!とお知らせいただけると励みになります。
何か持って来ていただければ交換ができますが、展示やトークもありますので手ぶらで遊びに来ていただいても何かしら楽しめると思います…!
■郵送参加 当日来られない方向けに募集します。
・コピー本(1〜2部) ・返送用スマートレター
をわたし宛に送ってください。送っていただいた部数のぶん返送します。何が来るかはお楽しみですがなんとなくイベントの雰囲気が伝わりましたら幸いです…! ご興味ある方はわたし宛にDMください(ツイッターでもインスタグラムでもOKです)。
〈注意事項〉 ・交換すること、読んで話すことに重きをおいたイベントです。届いた作品の感想などぜひぜひお伝えいただけましたら幸いです。 (ぜった���何か発信して!というわけではないんですが、作品発表の場を作るとともに読む・話す場にしたいと思っています)
・わたしが搬入できる量に限りがありあまりたくさんの部数をお預かりできません。。。集まり具合をみて締め切るかもです。恐れ入りますがあくまでメインはお店に来てもらうイベントということでご了承ください。。。
・わたしと住所のやりとりが必要になります。できれば知っている方、日ごろやりとりしている方やお顔馴染みの方だとありがたいです〜!
■会場案内
・つまずく本屋ホォルさんの2階スペースを貸し切りにしています。靴をぬいで入るスペースで、ふだんはコワーキングスペースとのこと。電源・Wi-Fiがあります。
・階段のみ、エレベーターはありません。恐れ入りますが上り下りに困難、不安のある方はわたしが1階に本を持って行きますので(全部は無理かもですがようすをみつつ…)どうぞよろしくお願いします。また店舗入り口に段差があります。 お手間おかけしてすみませんがご心配なことやそのほかアクセシビリティに関する配慮が必要な方は参加フォームの質問項目よりお声かけくださいませ。
・飲食OK、持ち込みOKです。ごみをまとめやすいもの、手の汚れにくいものにしていただけると助かります。 またホォルさんの喫茶スペースでドリンク等ご注文いただけます(2階スペースでお召し上がりいただけます)。
・商店街の無料駐車場があるとのことです。近くのスーパー屋上にもコインパーキングがあります。
■セーファースペースポリシー のちほどまとめまして記載します。 来ていただいた方が安心して過ごせる場になるよう精いっぱいやりたいです。
■こんなところかな? また何かありましたら追記します。 文学フリマがどんどん大きなイベントになっていくので、小さい場所で何かちがったことをやってみるのもいいかなあと企画しました。去年おじゃました陰気なクィアパーティーというzineの交換会がすごく楽しかったのでお手本にしています。 コピ本は、おかわだ、えも、クリタさん、くらなさんのはあるかな? 参加するよー!というお声をツイッターでちらほら伺っておりまして、とてもありがたく楽しみです。
お店は霞ヶ関の角栄商店街というところにあります。わたしの実家からもわりと近くて思い入れのある町です(初めてのバイト先とか好きだった子の家とかがめちゃめちゃ近い…)。 ホォルさんにはわたしも同人誌をいくつか置いていただいているのですが、店主の深澤さん、mibunkaの吉田さん両名が本当に骨太なお店づくりをされています。こちらでイベントができるのは背筋の伸びる思いです。 素敵な書店さんを目指してちょっと遠出するのっていい時間だと思いますので、お近くの方もそうでない方も、ぜひぜひ遊びに来てくださいませ〜
なお2月いっぱい、埼玉県北本市の小声書房さんでおかわだの本棚展(わたしが選書した本などのフェア)とえも個展『たたずむ』が開催されます。コピー本交換会の日もやってます! ホォルさんと小声書房さんはそこそこ遠いんですが(同じ埼玉なんですが電車で行くとけっこう遠い)、がんばってハシゴしていただけましたら…あるいは2月は2回埼玉に遊びに来ていただけましたら幸いです…!
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昨年11月の兵庫県知事選に立候補したNHK党の立花孝志党首が斎藤元彦知事の疑惑を調べる県議会調査特別委員会(百条委)での秘密会の隠し撮り音声や、怪文書を入手していた問題で、漏洩元の維新3県議が2月23日、記者会見した。陳謝はしたものの不合理な説明をくり返し、”真偽不明の情報を伝えることは問題ではない”との本音も隠さなかった。頭を抱える維新は1人を除名処分にする方針だという。 「内容が事実かどうか分からない」文書を立花氏に渡した 2月25日中に除名処分が出ると伝えられているのは増山誠県議。他に、岸口実県議が離党勧告を受ける見通しで、白井孝明県議は処分が継続協議される方向だ。 「年長の岸口氏は百条委副委員長を務めていましたが、知事選2日目の昨年11月1日に立花氏と会い、百条委で疑惑追及の先頭に立った竹内英明元県議らが斎藤氏をハメた“黒幕”だったなどと書いた怪文書を渡しました。 百条委メンバーだった増山氏は秘密会だった昨年10月25日の証人尋問を隠れて録音。この音声データと、怪文書に近い内容の岸口氏の備忘録を立花氏に手渡しました。 音声ファイルには、片山安孝元副知事が、斎藤知事の疑惑を告発しその後自死した元西播磨県民局長・Aさんの県公用パソコンの中から“クーデター計画”や不倫を連想させる文書が出てきたと話している内容がありました。 ただクーデター計画なるものはAさんを調べた県人事課も相手にしなかったシロモノで、不倫を連想させる文書も日記なのか空想なのかも分からない内容です。また、白井氏は、立花氏に情報提供をしようと電話で連絡をとっていました」(地元記者) 立花氏は岸口氏と会った経緯について、片山元副知事の代理人からの連絡を受け出向くと岸口氏が現れたとし、岸口氏は片山氏の名代だと説明してきた。 「立花氏は怪文書を“片山元副知事側”からの情報と捉えたとし、増山氏や白井氏とのやりとりも加え、告発者Aさんや竹内元県議らを非難する内容を街頭演説で話し、SNSでも発信しました。 『斎藤氏は悪くない』と印象づけるこの2馬力手法が斎藤氏の再選に大きく貢献したとみられています。それだけでなく、立花氏の言動に触発された人たちのSNSやリアルでの誹謗中傷にさらされた竹内氏は県議を辞職し1月に自死しました」(同記者) 維新は選挙で斎藤氏とも立花氏とも違う候補を推していた。その選挙のさなかに県議団長を務めていた岸口氏がなぜ対立候補の立花氏と会うのか。 会見で岸口氏は、片山氏の関与は知らないと主張し、「(立花氏には)民間人である方からお声がけをいただいて会いに行ったのです」と説明。 その理由を問うと「そこは説明がつかないところでありますけども、誘いを受けて、その通りお会いしたということです」と不合理な説明を繰り返した。 怪文書は面会場所のホテルで見知らぬ人物が同行者のX氏に届けにきたと主張。「内容が事実かどうか分からない」「どなたが、どういうつもりで書いたか分からない」という文書を立花氏に渡したというのだ。 岸口氏は党の事情聴取に対しても、「仲介に当たった民間人Xさんとの関係上、軽率について行ってしまった」と供述するだけで面会の全体像は全く明らかになっていない。 竹内元県議を呼び捨て、正当性を主張し続ける増山県議 一方、党の処分を待つとして神妙な態度だった岸口氏と対照的に、除名が確実視され会見当日に党に離党届を出していた増山氏は饒舌にしゃべり続けた。 「録音データを外部に流出させたことはルール違反でございます」と陳謝はしたが、音声データなどを立花氏に渡したのは、「公益に資する情報」であり「県民の皆様が知らないまま選挙に突入してしまうという危機感」からだったと行動の正当性を主張。 問題の10月25日の百条委は知事選への影響を避けるため選挙後まで非公開にすることが多数決で決められ、増山氏は非公開に賛成していた。これについては「非公開に賛成したのはそれまでの偏向報道がひどいと感じており、これ以上過熱することを懸念した。しかし新たな重大な事実が証言され県民が知るべき公益に資する情報だと思った」と強弁。 流出させた片山氏の証言の一部はAさんのプライバシー情報だとして選挙後も非公開にされた可能性があったが、すべて立花氏を介して暴露された。これも��山氏は「全体を把握するために必要な情報だと思った」と主張。「有権者がより多くの情報を得て行なわれた選挙の方が正しかった」と独自の見解を開陳した。 ならばなぜ隠れて立花氏に託したのかと聞かれると「百条委の委員として提供すると何らかの責任が生じてくる」と、委員資格は失いたくなかったと正直になる。 ところが一方で、「(Aさんが)不同意性交」をした可能性があると立花氏が選挙中に言い立てたことについて「完全に否定する情報がなく、可能性はあると」とまで言い始めた。被害者がいるとの情報があるのかと質問が出ると「存じ上げていません」と返答。確たる根拠もなくAさんを貶めたと記者からとがめられた。 増山氏らの情報を基にした立花氏の言動の先に竹内元県議が亡くなったことについてどう責任をとるのか、と質問が出ると、 「立花氏の情報によって竹内が亡くなったというような因果関係も私としては確信をもっておりません」と竹内氏を呼び捨てに。百条委委員を辞任し離党することが責任の取り方だ、と述べた。 県関係者は「増山氏は『私は今でも立花氏がデマを言っていたとは認識しておりません』とも発言しました。増山氏は参院選でNHK党から出馬しないかと立花氏から打診されており、応じるのでしょう」と冷ややかだ。 “まことしやかに流れる情報”をメディアが報じると思うのか? 3人目の白井氏は、支援者が立花氏に電話番号を伝え連絡を取ったと説明。大した情報は伝えていないと釈明したが、言葉からは真偽不明の情報の拡散は問題がないと考えていることがうかがえる。 冒頭から「まことしやかに噂レベルで騒がれていた問題がクローズアップをされずに、一方的に斎藤知事だけが悪者のような報道をされている現状がフェアではないと私も思っておりました」と発言。斎藤氏を告発したAさんの「噂」を拡散させようと発信力のある立花氏に接近したことを隠そうともしない。 立花氏が問題の怪文書を公表した時には、「噂レベルではありますが、言われていたことは事実で県議会議員の間でも広がっていた噂でございますので『それは実際にあったことですよ』と(立花氏に)お伝えさせていただいた」というのだ。 そこで集英社オンラインは白井氏に、“まことしやかに流れる情報”という程度の話をメディアが報じると思うのか、とたずねた。白井氏は「噂レベルのところがどれだけの信ぴょう性があるか、というとこがあるが、そこが公平に公表されていなかったのか、という気持ちです」と返答。信ぴょう性に疑問がある情報でも伝えるべきだとの考えを改めて公言した。 5時間半の会見の後、維新は3県議を加えた会議を開催。その後会見した日本維新の会の岩谷良平幹事長は深々と頭を下げ、「維新の会として今回の問題を大変重く受け止めている」と謝罪した。 岸口、増山両氏の行動が竹内元県議の死に至った可能性への受け止めを聞かれると「つながっていたのであれば、重大な結果を招いた責任は大きなものがある」とも述べ、増山氏とは違う姿勢を見せた。 増山氏は昨年9月、斎藤氏が失職し県庁を去る時に唯一見送りに来た県議だった。その後の出直し選挙で「ルール無視」(岩谷氏)の暴走をした増山氏らによって、兵庫県政の大混乱は維新全体に飛び火した。 ※2月27日追記 兵庫維新の会は2月26日、岸口氏を除名、増山氏を離党勧告の処分にしたと発表した。 ※「集英社オンライン」では、今回の記事についてのご意見、情報を募集しています。下記のメールアドレスかX(旧Twitter)まで情報をお寄せください。 メールアドレス: [email protected] X(旧Twitter) @shuon_news 取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班
「文書の内容は事実かわからない」「噂レベルでも知られるべき」斎藤知事応援の“ルール無視”漏洩トリオの仰天主張…隠し録音県議を維新が除名へ〈兵庫県政大混乱は維新に飛び火〉(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
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2025/02/08 BGM: Donald Fagen - New Frontier
今日は早番だった。今朝、起きてみたらやはりというかなんというか寒波の影響でうっすら雪が積もり、外は一面の銀世界。感動と同時に、徒歩で職場まで通うことが確定となりさっそく気が重くなる。とはいえもちろんサボるわけにもいかない。まあ、そういうこともあるのだった。シャワーを浴びて服を洗濯機で洗濯し、その後朝食を摂った後に英会話関係のZoomミーティングに出席して気分を晴らす。今日の日替わりテーマはMacのパソコンやiPadやiPhoneといったアップルの製品がどうぼくたちの生活に浸透し��おり、ゆえにアップル社がどう業績を伸ばしているかといった話だった。ひるがえって日本でいま世界的に躍進している企業はあるだろうかという話になり、俗に言うITというかテクノロジーの分野のことはトーシロのぼくにはさっぱりわからなかったけれど、ではコンテンツというか文化産業においてはどうだろうとかあれこれ考える。いや、産業の規模じゃなくて先進的なコンテンツ(作品群)を発表しつづけているグループや個人がどれだけいるかといった、たぶんに「搦め手(?)」というか「詭弁」めいた論の進め方になるのだけれどそれでも日本のアニメや漫画やおなじみの村上春樹を先陣とした文学はどうかなあ、とかなんとか。そんなことを英語で話し合った。
その後徒歩でとぼとぼと出勤して、午前10時から仕事をはじめる。正午に電話がかかってきた。英語研究会でお世話になっている先輩の会員の方からで、この雪のため明日の英語研究会の会合が中止になったという知らせだった。来月、晴れて仕切り直しとして『ハリー・ポッター』を輪読する予定になったとのこと。ということは一ヶ月余裕ができたことになるので、読めるようなら日本語版を(そして、なかなかおもしろい小説ということもわかったのでここはいっちょ欲張って英語版も図書館かどこかで)手に入れて読むのもいいのかなあとも思ったりした。その後昼弁当に舌鼓を打ち、そしてふとスマートフォンを見たところLINEのぼくが参加しているオープンチャットのグループにてある方がおもしろい質問をされていた。もし眼前に日本語が堪能な外国人(それこそ『源氏物語』をかるがる読みこなすレベルの相手)が現れたとしたらあなたはその人を「日本人」として許容できるかどうか、というのがその骨子だった。
ぼくもそれで、ついつい乗っかってしまい答えてこんなことを書いた。ぼくは政治的・実際的にそういう人たちがどう「移民」として受け容れられるのかわからない。でも、少なくとも文化的にはそうした外国人をカジュアルに(気軽に)というか広くというか、心をオープンに保って歓迎・歓待したいしこの日本文化というテリトリーにも迎え入れたいと思う。というのはぼくに誰かが文化的に日本人の資格を有しているとかいないとか言える権限がありうるとはこれっぽっちも思えないからである。いや、とぼけるというかカマトトぶるわけではなくほんとうに「日本人としての資格? なんのこっちゃ」なのである(たとえば島崎藤村を読みこなすアメリカ人が現れたらその人はぼくより日本人らしいのか? それは誰が決めることだ?)。そして、仮にぼくにそういう権限がありうる(自在に・恣意的に誰かを「日本人か否か」とジャッジしてもいい)という話になったとしても、ぼくとしてはこんなことも言いたい。というのは、日本文化というのはそうしたぼくならぼくの既成概念というか「この人は日本人だ」「この人は同族だ」といったぼくの安寧な偏見による決めつけをくつがえし、あまつさえ日本文化を活性化さえする「他者」「アウトサイダー」によっても発展してきたのだと思うのだ。たとえば、いまパッと思いつくところとしては多和田葉子がそうしたチャーミングな執筆活動を行いつづけている畏怖すべき「他者性」を備えた書き手として思い浮かぶ。いや、老若男女問わず、日本国内外問わず、もっとたくさんいるにちがいない。
ただしこのことについて考えるならば、さっき書いたことをなぞるがぼくがそうした議論(思考実験?)に乗っかる前に、そもそもぼくが無意識のうちにどんなポジションに乗っかっているのか考えておきたいとも思ってしまうのだ。というのはぼくは公明正大な神様なんかではありえないからだ。ぼくは女性を愛する異性愛者のニッポン人のオトコで、自閉症者でもあってゆえにここから敷衍というか導き出せることがらとして「日本語話者」であり、「(それなりの)助平心を持つ」「(ことによると)差別心さえ持つ」、つまりはそれだけ「偏見」を持つ存在だということがわかる。ゆえに、そうした「他者」「アウトサイダー」をフェアに評価できるかどうかまったく自信がない。そうした「偏見」ゆえにそうした才能たちを「嫌悪」「ヘイト」するかもしれないし、その裏返しとしてまったくありがたがって「絶賛」「屈従」さえするかもしれない。具体的に言うならばぼくは黄色い肌や黒髪・黒目を持つアジア人だ。そこから、もちろんものすごく言いにくいことだけれどでも正直な実感として、もっぱらぼくの価値観がアップデートされていないがために欧米の価値観というか、もっと言ってしまうならば白人至上主義(白い肌・金髪碧眼)の価値観をありがたがってしまう可能性もありうるのかなあ、とも思う。谷崎潤一郎チックだが……いや、これ以上はもっと考えをコトコト煮詰めないといたずらに物議を醸すだけなのでやめておきたい。なんでこんな難儀きわまりない話をしてしまったのか。雪のせいにしてもいいだろうか。
そんなこんなで仕事を終え、また徒歩でグループホームに戻る。そこで夕食をいただき、その後はさすがにぐったりしてしまった。というのは今日だけでそれこそ11,000歩も歩いたからである。50歳にはさすがにきつい。くたくたになってしまい、ぼんやり片岡義男の『日本語の外へ』を開くともなしに開いたりTwitterの画面を見たりしていたら寝てしまっていた。
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お正月
久しぶりに友人たちとご飯
あんなに小さかった2人が
少年に
もうすぐ身長を抜かされそうだ
明るくて温かい時間
サプライズ富士山
眩しく
陽の光をたくさん浴び
冬の熱中症⁈
暖房よりホットな自然の恵み
我々世代のSOSは一緒だ
跳ね返すチカラはない
受け入れて付き合っていくのが賢明だ
古本フェアで
伊丹十三監督の本と
手塚治虫先生の「昆虫つれづれ草」
16歳の時に描いた昆虫図鑑が素晴らしい
こちらは博士へ
帰り道、美味しいそうな団子を見つけ
食欲ももどってきた
明るい笑顔に
たくさん元気をいただいた
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