#感謝的心情
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we-tokyoboy · 1 year ago
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a3089732 · 1 year ago
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kennak · 3 months ago
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足立区でケースワーカーやってるけど、まだギリギリ20代だし基本情報技術者試験受かったから保守運用系の底辺エンジニアに転職しようと思っている。 多少給料が下がってもいいからもう生活保護受給者や路上生活者と関わりたくない。 人間性の底辺に触れ続けて完全に疲弊した。根本的な価値観の壊れた人間とこれ以上関わり合いたくない。 知的障がい者、ひとり親、高齢単身女性はまだ許せる。 まず、知的障がい者は素直な方が多い。 知的ハンディに善性を見出すのは健常者の傲慢かも知れない。それでも窓口や電話で延々とゴネてくる人間が(少なくとも自分が関わってきた人間の中では)いないという点だけで本当に感謝したい。 彼らは余計な知識に基づく邪念がない。問題を起こさず粛々と生活を営んでくれる。就労継続支援(いわゆる作業所)を通じて自分なりに社会に貢献しようとしている。本当にそれだけでありがたい ひとり親世帯はDVやモラハラで弱りきった女性が多い。 DVの被害に遭う女性は幼少期からの虐待や性犯罪によって自己肯定感を健全に育めなかった女性が多い。 そんな脆弱な立場にいる女性が懸命に子どもを育てているわけで。 倫理的にも心情的にも、そしてこの方たちが育てている子どもの内包する将来的な生産性を考えても、この方たちが最も優先して保護されるべき存在だと個人的に思う。 高齢単身女性は善良な方が多い。 専業主婦・パートタイム労働者として夫を通じて地域社会を支えてきた女性が夫に先立たれて経済的に困窮するというパターン。 一番話が通じるのはこの方々。ボランティアへの参加率も高い。阪神淡路大震災で高齢単身女性の死亡率が高かったことが悔やまれる。 逆に助けたくないのは、暴対法によって仕事を失ったヤクザ、生育歴がグチャグチャで頭���かしくなった元受刑者、発達や精神に障がいを抱えた男 X(旧Twitter)では常に男女が権益と正邪を巡って論争しているが、少なくとも女性は底値が高く基本的に最低限の常識と良心を持っているという点で女性の方が正しいと思う。それほどまでに底辺の男は酷い。 そして、そんな底辺の異常な男に路上やネットで絡まれて削られているであろう女性の苦労を思うと男から見ても苦しく思う。 なぜ底辺の女は結婚できて底辺の男は結婚できないか?なぜ電車やゲーセンやカラオケは女性専用エリアを設けてるか?なぜ女性を保護する施策や団体はあって男性を救済する施策や団体はないのか? 答えは簡単。男の底辺は男から見ても想像を絶するほど底が抜けているから。この国で男が弱者になるのは自業自得としか言いようがないから。 暴対法の施行によって食いっぱぐれたヤクザが、子飼いのフィリピーナを利用して、生活保護を受給する、窓口で職員を恫喝、時には暴力を振るう、集団で押し寄せて開庁から閉庁まで延々と文句を言う。 ヤクザが死に絶えるまでの過渡期だとは分かっているが、一番マンパワーを削られるのはこいつらへの対応。 そしてこいつらは生活保護の受給によって得た余暇で、街宣車に乗って駅前や繁華街で街宣車を止めてスピーカーで大音量を鳴らして市民に迷惑をかけている。 「暴対法に反対してください。家族や友達にヤクザがいるだけで貴方も暴力団の関係者として罰せられる可能性があります」 お前らがヤクザから足洗えば済む話だろ、被害者ぶるなと言いたい。 生育歴で頭がバグって犯罪を犯した元受刑者はもう野獣としか言いようがない。 家庭訪問をすると暴言で済めばまだマシ。普通に手や足、場合によっては凶器が出てくる。 そしてこいつらが暇な時間で公営住宅や近所を徘徊して、ネグレクトで放置されている女児にわいせつ行為やグルーミングを行い、メンヘラを生産し、その女児が母親となり虐待に繋がって暴力の連鎖となる。 ここ数年で増えてきて、個人的に最も不愉快なのが、発達や精神、人格に障がいを抱えた男。 弱者男性(笑)を慰撫する言説によって、大した境遇でもないのに被害者意識を膨らませ、弱者男性を相手にしたビジネスを通じて得たライフハックを通じて福祉を利用している。 こいつらは暇な時間を如何に相手を言い負かすかの理論武装に時間を費やしているからとにかく気力と時間を削られる 少し強い態度で挑めば怯むチー牛であることだけが救い。 自閉症スペクトラム症+二次障がいで生活保護を受給していた男性が、ネット上で女性に対するヘイトスピーチを繰り返して過去の発言が身元を探られて福祉事務所に通報が入ったケースもある。 福祉に携わる人間として言いたい。弱者男性を無責任に甘やかすのは社会悪。 と、こういう経緯で福祉職に疲れ果て、現在エン転職に登録してゆるゆると就活している。 どれほど助けたくなる姿をしていない弱者であっても血の涙を流しながら救済するのが使命。自分は福祉の最前線にいる。基本的人権の守護者。 そんな信念だけを糧に苦難と不条理に耐えていた時期もあった。それはもう遠い昔の話 自分一人が消えたところてメサイアコンプレックを持った人間は続々と生まれては福祉に携わっていく。 俺はもう疲れた。
弱者と福祉に対する失望
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hiromusicarts-blog · 8 months ago
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ただいま発売中のJazz Life 10月号に新譜「叙情 - Lyric Suite」のレビューが掲載されています。 ヒロオガワのことを、とことん知り尽くした深い目線に驚愕と恥ずかしさを禁じ得ない内容です。 確かに現代音楽風ではあるけれど、プログレ的なアプローチであることを見透かされてしまった。悪い気はしないけれどね。ただ、無調であったり、変拍子であったりする曲も割と入っているので、そこは見解が分かれるところだ。「異質な作品ではなく~代表作として列するべき」と言う力強いお言葉に感謝します。最後に「小難しそうなのに聴きやすい」と言う言葉が、印象的でした。 レビュワーの富澤さんとは5作目「bue eye」からの付き合いなのですが(毎回ではないけれど)いつものことながら流麗な言い回しに感心しきりです。 レビューページの左隣に、かつしかトリオのウチュウノアバレンボーが載っていて、ついでに見てくれないかなぁ?なんて。 The October issue of Jazz Life, now on sale, features a review of the new album "Lyric Suite." The deep perspective of the reviewer, who knows Hiro Ogawa inside and out, is shocking and embarrassing. It certainly has a contemporary musical style, but the progressive rock approach was clearly seen through. I don't mind, though. However, there are quite a few atonal and irregular time signature songs, so opinions are divided on that point. I appreciate your powerful words that "this should be ranked as one of his masterpieces, not as a unique piece." The final words "It sounds difficult, but it's easy to listen to" left a strong impression on me. I've been acquainted with reviewer Tomizawa since my fifth album "blue eye" (though not every time), and as always, I'm impressed by his elegant way of speaking.
Facebook ページの同内容の記事です
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iiinsendo · 18 days ago
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𓇚 𝗟𝗼𝗴𝗼𝘁𝘆𝗽𝗲 : 破百 - 紀念迎來第一百則貼文, 意味著已經做了大約一百個作品, (感覺在說廢話,每一分鐘就有六十秒過去😆) 心情有如當兵破百一般激動,好不容易, 感謝大家的喜愛與陪伴🫶🏻 - Finally the 100th post, which is not easy. Thanks for your support all the time. - - -
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badgalsasuke · 4 months ago
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Kishimoto Entermix Magazine interview (2014)
Translation from Google Translate, QuillBot and DeepL
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本当に終わっちゃうの?
Is it really over?
週刊少年ジャンプ50号にて堂々の完結を果たした『NARUTO- ナルト-」 を記念して、15年に及ぶ長期連載の執筆を終えてすぐ の岸本斉史先生を直撃。 最終回を迎えた現在の心境からラスト バトルに込めた想い、 劇場版の制作エピソードや次回作の話ま で、話題大盛りでいくってばよ!
In commemoration of “NARUTO,” which reached its grand conclusion in the 50th issue of Weekly Shonen Jump, we interviewed Mr. Masashi Kishimoto, who has just finished writing the long-running serialization that spanned 15 years. He talked about everything from his current state of mind after the final episode to his thoughts on the final battle, the production episode of the movie version, and his next work, and much more!
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完結の熱と共に、フィナーレは続く 説明不要の国民的人気漫画『NARUTO-ナルト ―』が、11月10日発売の週刊少年ジャンプ50号にて一挙 2話掲載され、第700話をもって15年の歴史に幕を下 ろした。3年以上に渡って連載された第四次忍界大戦の ラストバトルはナルトとサスケの一騎打ち。激闘の末に 迎えたグランドフィナーレは漫画史上に残る大団円との 声も。エンタミクスでは同作���の感謝を込めて岸本斉史 先生のインタビューと共に、ナルトの成長の軌跡 イバック。さらに12月に公開を控えた劇場版『THE LAST -NARUTO THE MOVIE』のマ スト情報も掲載。原作は完結したものの次なるプロジェク トの構想が次々と明らかになり、まだまだ『NARUTO ―ナルト―』から目が離せない。
With the heat of conclusion, the finale continues.
The immensely popular manga "NARUTO", which needs no introduction, had two chapters released at once in the 50th issue of Weekly Shonen Jump, released on November 10th, and the 700th chapter will bring the curtain down on its 15-year history. The final battle of the Fourth Shinobi World War, which has been serialized for more than three years, is a one-on-one fight between Naruto and Sasuke. The grand finale that followed the fierce battle is said to be a grand conclusion that will go down in manga history. Entamix is proud to present an interview with Masashi Kishimoto as well as a look at Naruto's growth trajectory. Additionally, we have included the latest information about the upcoming movie "THE LAST -NARUTO THE MOVIE", which is scheduled to be released in December. Although the original work has concluded, the plans for the next project are being revealed one after another, so we still can't take our eyes off "NARUTO".
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ナルト VS サスケの最終決戦は 連載開始から決めてました
The final battle between Naruto and Sasuke was decided from the beginning of the series.
-15年の長期連載、お疲れさまでした!
-Thank you for your hard work over the last 15 years of serialization!
岸本斉史(以下、岸本) : ありがとうございます。 実はつい1時間ほど前に最終話を描き上げたば かりなんですよ。 それから少し仮眠して、この 取材を受けているんですが、今頃になってよう やく終わったんだっていうことを認識できるよ うになってきました。
Masashi Kishimoto: Thank you very much. Actually, I just finished drawing the final chapter about an hour ago. Then I took a short nap and now that I'm here for this interview I'm starting to realize that it's finally over.
まさに興奮冷めやらぬですね。 先生にとっ どんな1年間でしたか?
-The excitment is still palpable. How was the past year for you, sensei?
岸本: こういう質問にはこ��まで「長いようで短かった」って答えていたんですが、今の率直 な気持ちは「本当に長かった」です(笑)。 この感 覚は連載が終わったからでしょうね。 毎週締め 切りに追われている状態の時は一週間があっと いう間なんですけど、今振り返ってみるとやっ ばり15年というのは長かったですね。
Kishimoto: Up until now, I have answered questions like this by saying "It seemed long but it was short" but now my honest feeling is "It was really long" (laughs). This feeling is probably due to the fact that the serialization is over. A week passes by in the blink of an eye when you're busy with deadlines every week, but looking back now, I realize that 15 years was a long time.
最終話を描き終えた瞬間の感は、どのようなものだったのでしょうか?
-How did you feel when you finished the last chapter?
岸本: 原稿が描き上がったとき、初代の担当編 集さんが花束を抱えてきてくださったんです。 その花束をもらった瞬間に、一気に新人時代が 甦りました。2人で連載を立ち上げた時のこと とか、これまでの苦労とか。 その時は本当にヤ バかったです。アシスタントさんの前だったの で「別に……」って強がって(笑)。泣いたらカ ッコ悪いので、必死に涙をこらえていました。
Kishimoto: When I finished the manuscript, the first editor came to me with a bouquet of flowers. When I received the bouquet, I was instantly reminded of my rookie days, when we launched the serialization together, and all the hardships we had gone through. It was a really bad time. Since the assistants were there I pretended to be tough, so I said “It's nothing...” (laugh). I was desperately holding back tears because it would be embarrassing to cry.
最後のナルトVSサスケ戦は15年の集大成に 相応しい見事なバトルでしたが、この決着はい つ頃から決めていたのですか?
-The final battle between Naruto and Sasuke was a magnificent battle worthy of being the culmination of 15 years, but when did you decide on this outcome?
岸本: 最後はナルトとサスケが戦って終わりにしようというのは、連載当初から初代編集担当 さんと話し合って決めていました。 担当が変わ るときにも「あのラストだけは変えちゃダメだ よ」と言われたのですが、同時に「君の作品だか ら、どう変わっても自由だよ」とも言われて、い ったいどっちなのかなと(笑)。ただ僕の中でも このラストは変えたくなかったので、結局そこ はブレずに貫きましたが、それぞれがどういう 状態で最終決戦を迎えるのかはずっと手探り状 態で、現在のような流れがはっきりと固まった のは3年ほど前でした。 ラストバトルで僕がこ だわったのは、ナルトとサスケがただの敵では なく、互いを友達だと意識しながら戦うという ことです。と言うのも、最後にサスケを救う可能 性があるんだったらそこしかないと思ったんで す。 サスケは色々あって拗ねまくってしまった 面倒くさいヤツなんですよ。自分で描いていて もイライラするくらい(笑)。そんなサスケを受 け止められるのは、めちゃくちゃ器が大きいナ ルトくらいしかいないんです。あれだけサスケ のことが大好きなサクラでも、サスケを刺そう とした際に一度は諦めの気持ちが芽生えていま すけど、ナルトにはまったく諦めがないですか ら。親友を失って終わるのはやっぱり辛いです から、僕自身そんなナルトの可能性に賭けて、 何とかサスケを救って欲しいと思いました。
Kishimoto: I had discussed with my first editor from the beginning of serialization that the finale would be a battle between Naruto and Sasuke. When I was assigned a different editor, he told me, "You must not change that ending," but at the same time, he also said, "It's your work, so you're free to change it however you like," and I wondered which was it (laughs).
However, I didn't want to change the finale, so I stuck to it in the end, as for how each character would be in their final battle, it was always a bit of a trial-and-error process, and it wasn't until about three years ago that the flow of the story we have now became clearly established.
What I was particular about in the final battle was that Naruto and Sasuke would not be just enemies, but that they would fight while being aware that they were friends. I thought that if there was any chance of saving Sasuke in the end, that was the only way to do it.
Sasuke is a troublesome guy who was constantly sulking because of all the things that happened. Even I get frustrated drawing him (laughs). The only person who can accept Sasuke like that is Naruto, who has an incredibly big heart. Even Sakura, who loves Sasuke so much, gave up on him when she tried to stab him, but Naruto never gives up. It's painful to end the story by losing your best friend, so I wanted to bet on Naruto's potential and hope he would somehow save Sasuke.
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キン肉ドライバーの兄弟愛 岸本先生がもっとも伝えたかった。友情というテーマをきっちりと描き切りましたね。
The Brotherly Love of Kinnikuman Driver.
The main message that Kishimoto-sensei wanted to convey was the theme of friendship, which he perfectly captured.
岸本 :そこは満足しています。友情”はたくさ んの作品でテーマになっていますが、僕にとって 友情は兄弟愛や家族愛に近いもので、それを失 うことはアイデンティティを喪失すること。 テ ィーンエイジャーにとってもっとも怖いことで、 その様子は作品上でも度々描いてきました。 今 回はその集大成を最後のバトルで表現できたと 思います。
Kishimoto: I'm satisfied with that. "Friendship" is a theme in many of my works, but to me friendship is similar to brotherly love or family love, and losing it is akin to losing one's identity. This is the most frightening thing for teenagers, and I have often depicted this in my works. I think this time I was able to express the culmination of this in the final battle.
ナルトとサスケは最初から最後まで、まさ に双子の兄弟のような関係ですもんね。
From beginning to end, Naruto and Sasuke are like twin brothers, aren't they?
岸本: 実際に僕自身が本当に双子なので、小さ い頃からナルトが感じていたような感覚を持っ て育ってきたんです。 この話は格好悪いのであ んまり話したくはないんですけど、小学生の頃 は2人とも体が小さくて、休み時間になるとよ 弟がキン肉マンに登場するパロスペシャルと いう技をかけられていたんです。別にいじめら れていたわけではないのですが、体が小さいと 何かと技をかけられる時期じゃないですか。 そ んな弟を見ていると、まるで自分が技をかけら れているように痛かったんです。 まあ実際に僕 は僕で、弟の隣でキン肉ドライバーをかけられ ていたっていうのもあるんですが(笑)。 でも変 な話ですが、 そういう時に「俺たちって兄弟な 「んだな」ということを強く感じたんですよ。 弟 との繋がりを意識した瞬間というか。それが高 校生や大学生になると、友達が失恋したり何か 上手くいかないことがあると、小学生時代に弟 に対して抱いた感覚と同じ感覚になるようにも なったんです。そこで「俺はコイツと本当に仲 がいいんだな」って改めて思ったりしました。 だから僕にとっては兄弟愛と友情は同じなんで す。そういう意味では、双子に生まれてきてよ かったと思います。 ナルトとサスケの友情の原型は、まさに僕と弟だったわけですから。
Kishimoto: I actually am a twin myself, so I grew up with the same feelings that Naruto experienced. This story is kind of embarrasing so I don't really want to talk about it but when we were in elementary school, we were both small, and during recess, my younger brother would often get hit with a technique called the Paro Special, which appears in Kinnikuman. It's not like we were being bullied or anything, but when you're small, you tend to get picked on with moves like that, right? It was painful to watch my younger brother as if I was being attacked myself. And I actually was, right next to him, getting hit with a Kinniku Driver (laughs). But, oddly enough, it was at those moments that I really felt we were brothers. It was the moment when I became aware of the connection with my younger brother.
When I became a high school and university student, I started to feel the same way towards my friends when they experienced heartbreak or something didn't go well, just like I did towards my younger brother when I was in elementary school. In those moments, I would think, "Wow, I really get along well with this guy". So, for me, brotherly love and friendship are the same. In that sense, I'm glad I was born as a twin.
The prototype of Naruto and Sasuke's friendship was me and my brother.
This is the screenshot fans often share if you wish to compare translations. The last sentence on the first paragraph doesn't make sense in context and the third paragraph is kinda clunky.
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〒699話ではサスケが里を去り、 旅をする 様子が描かれていますが、このように結末を描 いた意図は?
-Chapter 699 shows Sasuke leaving the village and going on a journey. What was the intention behind depicting the ending this way?
岸本 あれだけのことをやってしまったので、 さすがに里で普通に暮らすのは難しいですよ ね。だからひとつは贖罪の旅という意味です。 さらに僕の中にある裏設定としては、世界に残 っている謎を解明するという目的です。原作の ラスボスだった大筒木カグヤがいったい何者 で、どこから来たのかを解明しないと再び世界 が厄災に見舞われてしまうので、それを阻止す るための旅でもあるんです。ただそれを長々と 説明してしまうと、「これ、まだまだ続くの?」 って思われてしまうので、そこはさらっと流し ました。そこは続く予定はありませんから。
Kishimoto: It is difficult to live a normal life in the village after all that has happened. So one aspect of it is that it's a journey of atonement. The other is to solve the mysteries that remain in the world. If we don't find out who Otsutsuki Kaguya is, the final boss of the original work, and where she came from, the world will be struck by disaster again, so it's also a journey to stop that. However, if I explain it in detail, people will think, "Is this still going on?", so I just glossed over it. There are no plans to continue it.
最終話ではヒナタとの間に2人の子供がい ることが示唆されましたが、ヒナタとナルトが 結婚する未来はいつ頃固まったのでしょうか。
-The final chapter hinted that Naruto has two children with Hinata, but when was it solidified that Hinata and Naruto would eventually get married?
岸本: かなり前からヒナタで決めていました。 サクラにしようかと迷った時期もあったのです が、ここへ来てサクラがナルトに心変わりした ら、さすがにサクラはひどい女過ぎでしょう (笑)。それに、実際サクラはなんだかんだで��� スケに対して一途なんだと思います。
Kishimoto: I decided on Hinata a long time ago. There was a time when I was torn between Sakura and Hinata, but if Sakura were to change her mind about Naruto now, it would make her seem like a really terrible woman (laughs). Besides, I think Sakura is actually quite devoted to Sasuke, no matter what.
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夏までナルトを描きます ―“友情”を描き切った漫画本編に対し、12月 に公開される映画「THE LAST』では、一 転して“恋愛”がテーマとなっていますね。
I'll be drawing Naruto until summer.
-While the main manga is all about friendship, the movie "The Last," which will be released in December, has a completely different theme: love.
岸本: 恋愛をテーマにしたいというアイデアは アニメ制作サイドから出たものでした。 僕とし てはいいアイデアが浮かばなければ映画は作ら ないほうがいいんじゃないかと思っていたので すが、この話を聞いた瞬間に「これはイケるか も」と感じました。 漫画ではバトルばかりでほ とんど恋愛描写はできなかったので、その補完 的な意味合いも込めて、映画で恋愛面でのナルトの成長を描写できると思い、一気にイメージが膨らみました。
Kishimoto: The idea to make romance the theme came from the anime production side. I thought that if I couldn't come up with a good idea, I shouldn't make a film, but the moment I heard about this, I thought "This could work." The manga is all about battles and not much about romance, so I thought the movie would be a great complement to the manga, and I could portray Naruto's growth in terms of romance, which is what I had in mind when I started the movie.
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岸本先生としては、映画にどのように携わ られたのでしょうか。
-Kishimoto-sensei, how were you involved in the film?
岸本 最初に話をいただいたときにはシナリオ の第一稿が出来ていたんですよ。僕はそれを元 に修正依頼をしてブラッシュアップしていった 感じです。脚本家さんを始め、スタッフのかた が、ナルトの恋愛”というテーマにすごく前向き で、僕もその熱意に共感していつの間にか細か 何度も修正をお願いしてしまいました。
Kishimoto: When I was first approached about the project, the first draft of the script had already been completed. I used that as the basis when requesting revisions and gradually polishing it up. The screenwriter and the staff were very positive about the theme of "Naruto's love life" and I shared their enthusiasm and before I knew it I asked them to revise the script several times.
原作でも本格的な恋愛描写はほとんど登場 しませんし、 特にナルトの恋愛というのは想像 し難いですよね。
-There are hardly any serious depictions of romance in the original work, and it's especially hard to imagine a romantic relationship for Naruto.
岸本: 僕自身、恋愛描写は恥ずかしくなっちゃ って描けないんです。だから原作でも本気の描 写は避けてきましたし、最終話では「ドラゴン ボール」ばりに一気に時間を飛ばす形を取りま した。 恋愛話はアニメだからこそ実現出来たこ とだと思いますし、結果的に漫画のラストに繋 がる良いエピソードになったと思います。
Kishimoto: Personally, I find depictions of love embarrassing and I can't draw them. That's why I avoided serious depictions in the original work, and in the final chapter I took the approach of jumping through time in a "Dragon Ball" style. I think the love story was only possible in the anime, and it turned out to be a good episode that leads up to the end of the manga.
そして最後にどうしても気になるのは、岸本先生の今後の予定についてです。
-And lastly, what I'm really curious about is Kishimoto-sensei's future plans.
岸本: 来年春に「NARUTO-ナルト-」新編を 短期集中連載します。それ以外にも、夏くらいま では『NARUTO-ナルト-」関連の仕事がまだ 残っていますから、本格的に次作の準備に取りか かるのはそれからですね。 実はネタ帳には色々 なアイデアが溜まっているので、期待してくだ さい。 でも僕も40歳になったので、週刊連載は 辛いですね。よく秋本(治) 先生を見習えって言 われますけど、 秋本先生は本当にすごいんです。 できれば週刊は勘弁してください(笑)。まずは、 もろもろ落ち着いたら新婚旅行と子供と遊ぶ時 間を作りたいですね。結婚して10年以上経ちま すが、 『NARUTO-ナルト-」のおかげでとに かくノンストップでした。 そろそろナルトたち と一緒に自分の家族も大切にしなきゃね(笑)。
Kishimoto: I'll be serializing a new chapter of "NARUTO" in a short intensive series next spring. Other than that, I still have work related to "NARUTO" until around summer, so I won't be able to start preparing for the next installment until then. Actually, I have a lot of ideas in my notebook, so please look forward to them. But now that I'm 40 years old, weekly serialization is tough. People often tell me to follow Akimoto (Osamu) sensei's example, but Akimoto sensei is really amazing. If possible, please spare me from weekly serialization (laughs). First of all, once everything has settled down, I want to have time for a honeymoon and to play with my children. I've been married for over 10 years, but thanks to "NARUTO", it's been nonstop. It's about time I cherish my family along with Naruto (laughs).
Please let me know any correction/observation you have.
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szmxsm · 7 months ago
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【Commission】Broken Colors
Another standee commission but Br0ken Colors! So happy that I could draw Rasmus with a cute OC(♂)😍
Commission open, DM me if you want to draw anyting!
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好久沒畫異型頭CP啦!同為Br0ken Colors的同好所以畫得十分開心!也十分感謝委託人讓我有機會畫Rasmus和可愛的OC(♂)😍
委託開放中,有需要可以直接私訊詢問詳情哦!
——
60 seconds speed painting:
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ak0gare · 3 months ago
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0126
さしてたくさんの人に明かしたわけではないのだけれど卵子提供について話すと当然「どうして登録したの?」「なんでやるの?」とたずねられた。 だいたい3つくらいの理由(好奇心、遺伝子を残したいという嗜虐的欲求、金銭)を述べて、〆のように「まあいろいろあるけど、もの書きだし、めずらしい経験できるチャンスがあるならやった方がいいかなと思って」と言うと大概の人が訳知り顔でなるほどね!さすが!と納得してくれてそれ以上追及されなかった。 もちろんそれも本当のことだけれど、後づけといえば後づけだと自分ではわかっている。 最初に卵子提供について知ったのは大学2、3年の時だった。誰に言っても信じてもらえないのだけれど、文学部棟の教務課の掲示板に「卵子ドナーとして協力してくれる方を募集します」というポスターを見たことがあるのだ。わたし以外に「確かにそれ記憶にある」と言った人はいないのだけれど、確かに謝礼額とともに卵子提供者を募集する旨がどうどうと書かれていた。見つけた時はぎょっとした。具体金額は覚えていないものの「へーそんなに高いんだ」と心惹かれたのは覚えている。「でもさすがに怖いし本当にやる人なんていないだろうなあ」と自分事ではないこととして処理した��とも。 なんで怖いと思ったんだろう。というか逆に、わたしはなんで去年登録に当たって「闇ビジネスっぽいしなんか怖いからやめとこ」と全く畏怖を抱かなかったのか、いまとなってはそっちの方が不思議だ。 8年以上経ってどうしていまになって卵子提供について調べたんだか覚えていない。映画「EGG――選ばれたい私たち」を観たからかもしれないけど、そもそもなんでそんなマイナー映画をUNEXTで観たのかも定かじゃない。 30歳まで、としているエージェントが多かったので「登録するだけ無駄だろうな」と思いながらそれでも何かの参考になるかもと思って登録した。学歴職歴病歴云々を親や祖父母の情報の分まで打つのでものすごく手間がかかった。加工が強くなくてそれなりに盛れている、でも数年前の写真を近影写真として数枚添付して、それでおしまいだった。 1回目は「背が高いところが似ているから」という依頼理由をそれとなくエージェントから伝えられた。2回目に依頼があった時「学歴が決め手になったそうです」と言われてナハハ……と笑うしかなかった。学歴厨のわたしの卵子が学歴厨の夫婦のもとへ委託されるというのは、理に適ってるんだかものすごい皮肉なんだか、よくわからなかった。そもそも学歴は遺伝子では決まらない。後天的にしか得られないと思うのだけれど。 それで言うとわたしは逆子で生まれた影響で脳細胞が人より若干少ない。それはいいのか(後天的欠損なのかもしれないが)。 いずれにせよ卵子で反映されるのは先天性の遺伝要素だけだ。背が高いとか、前歯が大きいとか、日焼けすると黒くなりやすいとか、目が悪いとか、そういう要素。けれどいざ卵子を売ろうとする時、ルックスだの学歴だの後天的に得たものを前面に売り出すのはなんだか成形肉のようで、グロデスクに思う。それはわたしが個人的に容貌に梃入れしていまの見てくれに落ち着いた、という背景への後ろめたさがあるからそう思うのかもしれないけれど。 前回ハワイへ一緒に同行したドナー女性は慶應の院生で、留学経験豊富な、すらっとしたエキゾチックな美女だった。「あーこういう人が人気ドナーなんだろうなーこれが初めてだとしてもこれからも何回も依頼されそうだなーわたしだって選ぶ立場だったらこういう子に目がいくだろうなー」と瞬時に思い、瞬時にそんなことを思ったことがとても恥ずかしかった。わたしはその人を「卵子ドナー」というラベル越しで見て瞬時に査定したのだ。おそらく向こうもちらっとは思っただろう。 「なんで登録したの」と訊いたら「なんでだっけ忘れた」と返ってきた。後ろめたいからそうこたえてるのかな、とひそかに思った。 何かに似てるなと思ったのは、やはり、夜職やパパ活である。自身が自身の女衒となって、性や身を売るということ。 東京にいて、この現代で、自身の肉体の所有者としてだけ生きている女の人は本当に、すごいなと思う。わたしは所有者であるよりもずっと先に、女衒であり、ブローカーなのだ。自身の肉体を家畜と見做しているのと変わりない。 今年30歳になる。あと2回卵子を売ることが既に決まっている。もっと若い時に登録していたらな、とさもしいことを思った時にふと気づいた。それは、22歳で初めて水商売で働いた時と、全く同じ感想だった。
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blr-blue · 2 months ago
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 恥感情&後悔まる出しクソネガティブTumblrを書かせてくれ。いまとても心臓がぞわぞわしている。
 基本的にわたしという存在は喋りすぎることを恐れている。そして喋りすぎても許されるのはTumblrだけだと思っているのでここで感情を消化させてくれ。ここは何文字書いたって一投稿だしね。それにみんな、わたしのネガティブTumblrをエンタメとして扱ってくれるじゃん。ありがとねほんとに。こんなので良ければずっと書き続けます。
 これはもう定期的に訪れる発作としか言いようがないのだが、またもや最近、表の世界ことTwitterで喋りすぎている気がしてならない。ポスト自体は週に1~2回までに留めようとしているし実際にそこまでポストを頻繁にするタイプじゃないと自分では思っているのだけれど、最近Twitterにおける鎖国の意識が緩まっており、リプだのスペースのコメントだのをよく打っている。べつにそれ自体に問題があるわけじゃないのだろうけど、なんだか自分が悪目立ちしているんじゃないかっていうクソ意味のわからん恥感情に苛まれてふつうに泣きたくなっている。リプとかコメントの相手に対して何か思ってるってわけじゃないんですよ? わたしが勝手に感じている謎の恥感情なの。誰も悪くないんですよ。シクシクエーン。
 自分がキモすぎて笑ってしまう。誰かに忘れられることが恐ろしいと思って文章を書くことを趣味としているくせに、悪目立ちはしたくないんですよ。しずかに黙々と書いている人だと思われたい。アーーーキモすぎる。助けてくれ。
 小学生向けの対人関係スキルを基本のき、みたいな書籍を買ってみようと本気で思っている。わたしは最近引きこもりすぎて人間との話し方を忘れている。「社会人になってから人見知りを主張するひとってあまり良くないよね」という話をここ数か月で何人もの人が言っているのを目にしたり耳にしたりしていて、それを聞くたびに、それはそうだなと同意すると同時に、心臓をぐさりと一突きされているような気分になる。いや、わたしは自分のことを人見知りと形容したことは人生で一度もないのだけれど、どちらかと言えば人間と上手に話せない側の人間なのですごく刺さる。わたしはまだ学生ですが同級生はみんな働いているので、社会人じゃないから~という言い訳が通用するわけがないのも、自分ではわかっているんですよ。
 わたしは学歴がある側の人間なので言わせてもらいますが、人生においては対人スキルの方が学歴なんかよりもよっぽど大事です。もちろん学歴と対人スキルの両方が備わったエグい人もいるんですが、どちらかしか選べないなら対人スキルがある方が生きやすいと思う。精神的に健康だ。
 大学院にいると価値観��歪むんですよ。人間とうまく喋れない、メールも返せない、だけど研究はめちゃくちゃできる、みたいな化け物がたくさんいるのでそれに染まってしまいそうになる。わたしは対人スキルが中の下、研究スキルは中の中、変人度は中の上のクソキモ一般人なのでどちらにも振れない。研究できることがアイデンティティの化け物にもなれないし、対人スキルの高い器用な人間にもなれない。はい、中途半端な大学院生の完成です。研究室で酒を飲んでわいわいする集団に対してキモ死ねって思うくせに、別に学振は取れないしやる気なさ過ぎて英語論文もまだ書き終えていない。なんなんだよ、キモいのはどう考えてもわたしだ。
 もちろん、対人スキルが高い人には高い人なりの悩みがあるのは百も承知だけど、結局人間ってないものねだりなんだよな。こんなに中途半端なわたしだって、きっと誰かに羨ましがられてる。
 今日は人間関係をテーマに書いているので、このまま中学時代のエグイ部活の話をしようかと思う。
 中学生のとき、女子○○部、みたいな感じの運動部に所属していた。上下関係がとても厳しい部活だった。そして不運なことに、わたしは真っ先に先輩に目を付けられた。中1の初夏、生理痛が酷くて部活を休んだときに、「生理痛くらいで部活休むなよ」と先輩に陰口を叩かれたことが発端だったように思う。一番の敵は理解のない女だ。そこからは事あるごとにいちいち欠点を指摘されては先輩の悪口のサンドバックになった。個人指導、という謎の制度(つまり何かと理由をつけて気に入らない後輩を延々と叱り続けるという集団リンチ)の常連被害者だった。結構な頻度で先輩数人に取り囲まれて、人格否定を繰り返された。謝っても、「はあ、もうそれ聞き飽きたわ~。結局行動で示してもらわないとどうにもならないんだよね~」とか言われんの。だけど当時、わたしは自分がなぜ怒られているかあまりよく理解していなかった。だからとりあえず、すみませんでしたって謝るんだけど、それも上記のように意味ないから八方塞がり。あ~どうしよっかな~でもこのまま怒られてたら筋トレしなくて済むのかな〜ならそれでいっか~あ〜面倒くせ~死ね死ね死ねって考えていた気がする。そしてまあ、もちろんちゃんと病んだりもしたが、やはりわたくし、生命力がとても強いのでふつうに学校に通っていた。はいはい死ね死ね、って感じで部活も行っていた。えらすぎ。
 中学のときに生徒会に入ったのは活動にかこつけて部活を堂々とサボれるからであった。副会長の先輩(もちろん男)はよく部活の愚痴を聞いてくれた。あとは、保健室でサッカー部の先輩(イケメン)に慰めてもらったりもした。同級生のRくん(本���)にも夜な夜なLINEで話を聞いてもらったりした。今思えば、わたしが部活内で嫌われていたのは、部活で酷い目に遭っていることを男子に相談して、か弱い女子を演じて味方を増やそうとするところに原因があったのかもしれない。まあ、それはいいんですよ。とりあえず、部活の先輩にはとことん嫌われ、個人指導という名の集団精神リンチをされながらも部活は辞めずにぬるく生きていた。中総体の前には「いつも厳しくしちゃってごめんね;;」と書かれた手紙を集団リンチのリーダー格の先輩からもらった。やっぱ死ねよ、と思っているうちに先輩は順当に地区予選で敗退し、すぐに自分たちの代になった。
 本題はここから。まだ地獄は続く。
 代がわりをして、部長はNちゃん、副部長はAちゃん、わたしは野良の部員になった。野良の部員はわたしのほかに5人いた。
 ある日部長Nがエグイことを言いだした。「準備を一番頑張っている後輩と、一番サボっている後輩を先輩(つまりわたしたち)の投票で決めて、みんなの前で発表しよう。そうしたら後輩たち、みんな頑張ってくれるはず」と。もうお気づきだろう。地獄である。
 部長絶対王政の部活だったので、それがまかり通って、実際にその投票制度は数か月にわたって続いた。みんなの前で部長が特定の後輩一人を指して、「○○ちゃんはこの前の準備で部活に関係ない話をしてたから、もうすこし真剣に頑張ってほしい。みんなちゃんとやってるのに迷惑だよ」とか言うの。それで名指しされた後輩は青ざめた顔しながら震えた声で返事するし、その子はその子で後輩グループの中で浮き始めるし。泣き出す子もいた。だけど部長Nは「泣くくらいならちゃんとやれば?」「投票されるのが悪いんだって」とか言っちゃうの。それが毎週繰り返された。エグいだろ。正義感の暴力ってとても恐ろしい。わたしも先輩によく陰口を叩かれていたけれど、ここまでヤバいのは多分なかった。地獄だった。これ中学生の話ですよ? 中学生なんて今思えばクソガキじゃん。何してんだろ。
 もちろん、投票制度に反対して、投票しなかった子もいた。わたしはどうだっただろう。拒否した記憶と誰かに投票しちゃった記憶がごちゃごちゃになっている。わからない。とにかく、謝っても許されることではないと思う。ちなみにこの制度は問題にすらならなかった。どうやって終わったかというと、ただ自然にフェードアウトしただけだったのだ。
 部長Nと副部長Aは仲が良かった。そしてよく、部長Nと副部長Aが徒党を組んで勝手に色々と物事を進めるので、部長・副部長派閥と、野良派閥でよく対立が起こっていた。わたしは部活嫌いの生徒会役員だったので、どちらの派閥にも属さず、どちらともそれなりに話していた。両派閥の仲介をして、キモいな~とか思っていたのである。あと当時わたしは四六時中恋愛のことを考えており、部活なぞどうでも良かったので、かえってうまくやれたという節もあった。そういう感じのことがずっと続くような、ダルい部活だった。
 だがやはり部長Nと副部長Aはとりわけ嫌いだった。よく嫌味を言われたのを覚えている。それに、先輩にいじめられていた1年生のとき、先輩にわたしの悪口を吹聴していたのは主にその2人だった。いろいろと嫌なことがあったが、ありすぎて何を言うべきかわからないのでこの話はまた別でしようと思う。部長Nと高校が離れ、わたしは心の平穏を得た。その後Nは短大を中退し、近所のサイゼリヤでバイトをし、バイト先の店長(10歳くらい年上)にラブ♡になったらしく、インスタのストーリーで店長との夢小説?のようなものを書いていた。キモくてスクショをした。スクショはまだわたしのスマホに残っている。中学生のときわたしを下に見ていた彼女を、やっと高いところから見下ろすことができてわたしは満足している。副部長Aとも高校は離れたが、その後同じ大学で同じ学科になった。きっと、学科首席になって卒業式で登壇するわたしを見ていただろう。それを想像するだけで気持ちがよかった。相手がどう思っていようと、わたしが相手よりも秀でているという事実がわたしを高揚させた。
 中学の部活ってなんであんなにキモいんだろうか。まあ、わたしがみんなに嫌われていたのは納得できる。だってわたしも、わたしみたいなやつが後輩にいたらキモいからいじめると思う。知らんけど。それにわたしも今よりずっと幼かったし、今だって対人スキルがどうとか言ってうだうだ悩んでいるのだから、当時のわたしはもっと空気が読めなかったし、きっとなにか侵しちゃいけない境界線を飛び越えたりしてしまったのだと思う。でももう過ぎた時間は戻ってこないから、これからすこしでも失敗しないようにするしかないのだなと思ってしまう。まあ、とりあえず、準備サボった後輩晒し上げ地獄制度の話ができて満足です。
 なんか今日の文章、いつもと文章のリズム感がすこし違っていて気持ち悪いんだけど、もうこのまま上げちゃいます。おわり。
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ari0921 · 2 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)3月1日(土曜日)
     通巻第8675号
 トランプはゼレンスキーを見限った。首脳会談が鮮明に決裂
   合意文書に署名せず、記者会見はキャンセル
*************************
 最初から喧嘩腰で始まったトランプ大統領とゼレンスキー・ウクライナ大統領との首脳会談は緊張した雰囲気につつまれた。バンス副大統領も加わって激論となり、罵倒の応酬、交渉は決裂した。 
 予測された鉱山開発合意文書には署名せず、予定された記者会見もキャンセル、トランプは「彼は停戦の用意が無い。彼は無礼である。アメリカの支援への感謝の気持ちがないことが分かった」とし、ホワイトハウスを去るゼレンスキーを見送らなかった。
 最初から激突は予測されていた。
トランプが用意した鉱山開発の利権シェアなどといっても、これはトランプが何もカー��をもたないゼレンスキーに提示した「助け船だ」ったのに、ゼレンスキーの視野狭窄と頑迷さが、停戦への展望を壊した。
 トランプはゼレンスキーを見限った。
 のこる選択肢はゼレンスキーの退場でしかない。ウク��イナに新しい指導部が生まれ、改めての停戦交渉となるだろう。
 ウクライナ抜きの米露会談はつぎにトルコで開催される模様である。
 ウクライナの鉱山開発に関して。大手メディアを読んでいると分からない人が多いだろう。
この鉱区の多くはドネツク、ルガンスクにある。チタンとリチウム、ウランの埋蔵が顕著だが、とくに重工業の基板材料となるチタンは世界埋蔵の25%、ハイテク製品に欠かせないリチウウは世界埋蔵の20%と見積もられ、ソ連時代から操業は続いている。
 すなわちロシア軍が占領している地区も主な埋蔵地である。
ということは、米国がゼレンスキーと合意文書を取り交わしたところで、リアルな取引ではなく薔薇色の将来のシナリオを語り合っただけ。トランプ政権の一方的な予測は2500億ドルだが、そうした具体的数字を上げて、取引カードとし、ゼレンスキーは花道を飾らせようと意図したのだろう。それゆえトランプが提示した助け船だったといえる。
 レアメタル、レアアースの生産は中国が世界一だが、埋蔵はじつはアメリカが世界一である。世界中を見渡せば、他の地域の鉱脈でも、たとえば日本領海の南鳥島の海底とか、フィンランドあたりでも、あのアフガニスタンでも埋蔵が確認されている。
 ▼鉱山開発には最低十年の歳月と膨大な投資を必要とする
 新規鉱山開発には莫大な資金が必要である。ウクライナ鉱山開発に興味をしめす米国企業はない。ベンチャーファンドでも前向きなところはない。
将来の収入に見合うほどのコスパが得られるかどうか。
鉱山はアクセスがたいそう不便な地域にある。まずはトラック、ブルドーザ、クレーンを運べる道路建設、発電所建設、そして資材置き場、建築労働者の宿舎、兵站を維持するインフラが必要である。
この整備に三年以上、五年はかかるだろう。
 第二段階は具体的な埋蔵集積場所がどこかをボーリングをおこなって調べる。そして地下トンネル、トロッコ鉄道を敷き、地下を往復するエレベータの建設となり、最終的は岩盤を運び出して精錬する。ウクライナには製錬技術が不足している。
 まして電力を大量に必要とする精錬所はおそらく港湾に近いところに建設される。どんなに急い��も十年、ウクライナ鉱山の拡充に必要な資金は数十億ドル。
 あまつさえ停戦合意がもし成立しても、小競り合いや戦闘がつづくだろうから鉱山エンジニアに志願する労働者もあらわれないだろう。
 トランプが本気で開発に乗り出すなどとは考えられず、有権者を得心させ、ウクライナに注ぎ込んだ支援1750億ドルを相殺するのだという政治ジェスチャーのためだったことが分かる。したがって2月28日のトランプvsゼレンスキー会談で合意文書に署名しなかったのも、当然なのである。 
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sanfangzhu · 8 months ago
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有太多話想說 我要直接丟來這邊 給你一個重擊 我超壞!💥
1.Mychael好可愛~趴在衣服堆還一邊搖尾巴 這樣衣服一定充滿他香香的味道!嘿嘿...(好像變態)我們的愛能照耀全宇宙 成為裡面最耀眼的星辰*⁠.⁠✧
2.這什麼蘑菇睡衣 我要了!至於最後一個的車子 好好笑 喇叭來的措手不及
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我真的要封你為製糖大師 甜到快要糖尿病 讓我每個禮拜都能被幸福爆擊づ⁠ ̄⁠ ⁠³⁠ ̄⁠づ💜(送一個飛吻 會不會被打🤣
時區好Angle🙌 很高興又看到你了😆
好多誇誇🔥🔥🔥 衣服味道什麼的好棒,感覺是溫暖的味道ლ(゚д゚ლ),蘑菇睡衣真的很讚🍄,當初看Cheea的設計就愛上,直接坐等商品實體化(x)😤🤌👕,壞結局真的每個都好創💔,但是又會好奇去解看看劇情(到底),感謝你喜歡我選的歌😎🤝😎///
不會,謝謝你喜歡我的作品,收到回饋真的很開心🫂💜💜 最後記得日常保持水份和好好休息// (つ´ω`)つ💜小心翼翼的接住然後收起來)
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kennak · 4 months ago
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私の両親は、いわゆる、「人権派」、活動家だった。 もっと正確に言うと、人権派と陰謀論者の中間、あるいは地域の名物おじさんみたいなものだった。 父は予備校塾の講師、母はデザイナーだった。 この家に育って何が起きたか。 物理的な虐待とか、経済的困窮とかそういうことは、当然ない。 それは認めるし、親としては感謝している。 だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的なコミュ障のような人間になった。 少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレー���ー」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。 また、統一協会やエホバの証人の二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。 自分が世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。 私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者が英雄みたいに私に話すのだった。 大きな例を挙げると、神戸の連続殺傷事件(酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年Aは犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。 池田小の事件も、父親は死刑廃止について盛んに唱えていた。 私の父は予備校の会報か講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。 食卓で悲惨なニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール、死刑廃止活動やあらゆる有名な事件にまとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。 母は、左翼の地方議員の勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロンの香りを漂わせていた。 別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子やお土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教の座談会の人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。 こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。 極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察と政府は悪。端的にそう言う世界だった。 ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼の議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人の人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。 しかし私の両親は実際、そういう価値観だったとしか思えない�� 私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。 それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。 しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場に居合わせた。 母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長に面談を申し入れた。 私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。 なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。 そして自分が世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。 両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌。友達。漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。 そして私は、「世間」がどういう理念で動いているかを知った。 両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろ、ピエロの様な、少数者だった。 だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかわからなかった。 「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。 だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。 大学生となり家を出て、私は飲み会に行った。 そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪を揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。 私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。 場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。 SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。 人権は、そしてそれを擁護する存在は重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか。
「人権派」の家に育って
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shihlun · 27 days ago
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西武現實主義(Seiburealism)
/ Victor Burgin, 1989
四月的東京。在上野公園,櫻花低垂如雲,野餐席遍布其下。啤酒潑灑成水漥,載著狂歡人群的塑膠布筏子順著櫻花樹大道漂流(每艘筏邊整齊地擺放著一圈鞋子)。這些瀝青河流的兩岸擠滿觀光客,他們既為櫻花短暫盛放的美感所吸引,也沉醉於花見野餐所展現的景象——櫻花短命的綻放成了這場狂歡的道德藉口、一種死的提醒(momento mori)。櫻花影像被傳輸到西武百貨澀谷店,以環境影像的形式出現在店內各處。透過十二層樓的螢幕、交錯的手扶梯與電梯中,櫻花在商場每個角落綻放;如同富士山的影像(櫻花融化為山景,伴隨著約翰·藍儂《Imagine》的旋律);又或是街上的路人影像,被隨機捕捉,短暫地使螢幕成為千扇窗戶,讓人望向外部世界。(從外頭望上,百貨外牆橫跨數層樓的數位螢幕上,行人可能只看見巨大的魟魚,在海底悠然擺動,然後畫面轉化為像素化的動畫新聞,播報最新的人質危機。)
班雅明(Benjamin)曾視十九世紀的購物商廊為從街道過渡到百貨公司之間的中介階段。商廊——一條室內街道——白天靠天窗照明,這種大片透明玻璃得以實現,乃因為鐵架的支撐使其成為可能。抬頭望去,人們可見白日的雲朵,或夜晚的星空。在西武百貨中,這些鐵框玻璃矩形彷彿已從格子中爆裂而出;我想像它們在電腦動畫中慵懶地翻滾,變形為無所不在的視訊螢幕。在一種與時間無關的均勻冷光照射下,這些螢幕可以顯示雲朵、火星地貌,或任何可用二進位編碼定義的影像。東京位於富士山以東約百公里之處。從江戶時代(1600年)起至明治末年(1912年),富士山仍可間歇而清晰地從市內望見——成為一種固定的時空精神指標(在東京,能望見富士山之地即為「名所」)。如今,建築與空氣污染抹去了富士山的輪廓,至少在肉眼中是如此。新的參照點、新的「山」,在城市中自身誕生,成為僅能從百貨公司中看到富士山的景觀。儘管如此,觀看富士山的現象學經驗仍保留於百貨空間中——人們在穿越商場、從一處螢幕移動到另一處時,如同昔日穿越建築縫隙偶爾瞥見山景一般。
日本人稱為「立讀(tachiyomi)」的行為,是一種移動中、隨機式、斷續式的閱讀方式:翻閱漫畫與雜誌,只是路過隨手翻看,並無購買意圖;或在地鐵上從鄰座撿起報紙隨意瀏覽。安德烈・布勒東(André Breton)曾回憶戰時與賈克・瓦謝(Jacques Vaché)在南特的日子,他們的習慣是「無論正在播放什麼,都隨意走進電影院,看到哪裡算哪裡,一旦感到無聊便馬上離席,前往下一家影院,如此不斷輪替」。如今我們不斷切換電視頻道。(有段時間,在紐約某些餐廳流行「瀏覽式點餐」——這嚐一點、那吃一口。)觀光客也像這樣「套餐式」地體驗文化:在這座城市待兩天,再去另一座城市幾日(就像我如今在這區閒晃,在那區遊蕩)。而日本人不也常被說是「瀏覽」西方文化、取其所需再「本土化」的代表嗎?如果文化本身是複雜的文本,那麼它們如今已成為富裕與閒適者邊走邊翻的文本——無須承諾,只是移動中的一瞥。
在這間西武百貨的書籍部(藏書四十萬冊,我甚至找到兩本由密西根安娜堡的UMI學術出版社出版的超現實主義論文),一整面牆成為了放映螢幕,播放經典好萊塢電影的片段——以主題分類,其中之一是「戰爭」。畫面上,美國轟炸機正準備夜襲(東京曾在戰爭中遭遇毀滅性燃燒轟炸),畫外音堅定表示:「無論敵人藏在哪裡,我們都會追擊。」螢幕右側,在轟炸機飛出畫面之處,擺放著一座展示模型——燒焦的塔樓,其頂部爆炸場景正是電影《魔鬼剋星》(Ghostbusters)結尾的鏡頭之一。
(布勒東初識瓦謝是在1916年的軍方精神病院,當時布勒東是實習醫生,瓦謝是病人。其他病人中,有一人堅信所謂的「戰爭」不過是模擬場景;砲彈是道具,傷口是化妝;死者是從醫學院解剖台上帶來的屍體,趁夜散佈在假的「戰場」上。)美軍轟炸機由畫面左側飛向右側,如同西方的閱讀方向。而在書區翻閱時,我又看到一部漫畫,開頭描繪的是日本轟炸機自右向左起飛。它們先摧毀珍珠港,然後轟炸美國本土。接著,日本士兵踢破美國住家的大門。一戶家庭——男子、女子與一名幼童——蜷縮在客廳中,被士兵襲擊。男子遭殺害。士兵開始撕扯女人衣服,孩子哭喊。一名日本軍官抓起孩子的腳踝,以一個橫跨雙頁的弧線將他甩向牆壁。孩子的臉部從頭顱撕裂開來,飛越畫面,拖出一道墨筆揮灑般的筆觸,讓人聯想到禪宗書法。接下來半頁畫面中,女人遭輪暴(其哀號以英文呈現),最後士兵們聚集起來,坐在倒塌自由女神像的伸展手臂上合照。下一頁,也是最終頁,我們看到裕仁天皇騎馬現身。有人說,東京之所以安全,是因為所有暴力都被收納於這些漫畫中。
布勒東在《超現實主義第二宣言》中曾寫道:「最單純的超現實主義行動,就是手持左輪手槍,走到街頭,盡你所能隨機射擊群眾。」如今,這樣的行為雖然不常見,卻也成為日常生活中的一種現象。有評論指出,第二次世界大戰的爆發令超現實主義失效,因為現實世界的暴力早已超越藝術所能預見。(盟軍登陸時,超現實主義攝影師李・米勒(Lee Miller)遊走於滿目瘡痍的街道,每扇門像是通往駭人而奇幻的風景。有次她不慎踩到一隻人手,撿起後憤怒地將其拋向街道。)但人們往往忘了,超現實主義始於第一次世界大戰,其戰間期的重要使命之一,正是將日常生活中的恐懼與失落加以昇華——轉化為幻想,特別是在性愛的範疇中。
在街頭,人群偶爾會突然分開,使人瞥見某個身影、某張臉,但那一瞬即逝,卻觸動了情慾神經。班雅明稱之為「最後一瞥的愛情(Love at last sight)」。百貨公司則提供這一現象的變體:透過那些輕薄帷幕圍成的小空間,女性離開觀眾群,成為被觀看的對象——不僅為了自己與其他女性目光的觀賞,也為那因帷幕掀開而勾引來的非法凝視所設(羅蘭・巴特曾問:「身體上最具情慾性的部分,不正是衣物掀開之處嗎?」)。我匆匆轉移視線;某些光線在鏡面空間內反射、延遲,在我視網膜上形成混亂(與其說是超現實,不如說更像立體主義),只能依靠記憶,在其中提取出一段熟悉的、被愛的身體片段。班雅明在論述超現實主義的文章中寫道:「在秘儀式的愛情中,女人本身並不重要。布勒東亦如此。他與娜佳(Nadja)親近的,不是娜佳本人,而是娜佳身邊的事物。」我們可以將這種「秘儀愛」以臨床術語命名——「戀物癖(fetishism)」。百貨公司,作為商品戀物的神殿,也召喚著佛洛伊德所言的戀物心理。男性漫遊者(flâneur)若欲前往正當之地,勢必得穿越洋裝海洋與香水濃霧的沙漠。他別無選擇,只能進入這些禁忌之地。他的藉口天衣無縫,而內心的罪惡快感則無可迴避。當他在衣架間無意識地翻看服飾時,或許以為自己在為情人挑選禮物,但同時他也正盲目地觸摸著母親的身體。某刻我在西武感到口渴,找到了飲水機,其透明上層水流覆蓋著石礫——彷彿是一段溪流被切割下來,擺放於展示台上的自然部件。
在街道層,有一家以廢墟為造型的酒吧(採用「後末日建築」風格),其立面突出一段飛機機翼,下懸的引擎艙象徵性地讓人聯想到曾夷平越南的 B-52 轟炸機。在奈傑爾・柯茲(Nigel Coates)設計的 Café Bongo 中,「內部空間」衝破與「外部空間」之間的脆弱邊界。在同一個六本木(Roppongi)地區,為時裝設計師安傑洛・塔拉齊(Angelo Tarlazzi)設計店鋪的建築師八束一(Hajime Yatsuka)曾說,他將整棟建築構思為城市的「內部」。班雅明曾評論:「對於漫遊者(flâneur)而言,街道就是他的住所;他在房屋立面間的感受,猶如市民置身於四面牆內一樣自在。」百貨公司已成為那些從榻榻米小房間逃出的富裕難民的共同居所,他們在地鐵裡入睡。在城市各處,人們沉睡的景象隨處可見。男性躺在西武百貨各樓層扶梯轉折處旁的寬大沙發上,看似專為此而設(否則用途為何?),進入沉睡。
在這家百貨公司底下的有樂町地鐵站內,年輕的女性上班族也入睡著。她們從城市邊緣通勤,來回奔波於狹窄的住處與辦公地點,週末則重返澀谷、銀座、池袋,或其他西武分店。她們購買的是三宅一生(Issey Miyake)、Comme des Garçons 等品牌的服飾,而這些品牌對歐美的同齡女性來說幾乎遙不可及。從她們狹小房間出發,搭乘約一個半小時的列車,度過一天如遊蕩者般的生活,徘徊於西武那奢華至極的空間——這些空間透過無所不���的環境影像,開啟通往無限空間的通道。作為來自英國北部工人階級家庭的流離者,我想起了那位較富裕的姑媽家中的「前廳」(frontroom)。那是一間擦得發亮、充滿蠟香的房間,平時封閉,只在打掃或有訪客來時才會開啟。來客可以看,但不能碰,只能站在敞開的門前觀看,而不能踏入其中(這間「起居室」沒人坐,這間「客廳」裡也無人交談)。這房間彷彿是一個全息投影的模擬空間,只為提供心理上的額外生活空間,如同西武百貨所帶來的慰藉一般。在西武百貨,正如其西方對應對象(至少在這方面),家具部就如同無數富人家庭的前廳;彷彿從其原始情境中抽離,再「傳送」到這座城市的樓層中——這座由無數「前廳」構成的城市,雖然沒有牆壁,卻以內部街道相互隔開,主要用途就是用來閒逛(flânerie)。
尚–盧・高達(Jean-Luc Godard)曾表示過這樣的想法:既然任何東西都可以被拍進電影,那就所有東西都應該被拍進電影。比起電影,西武百貨更是一場由異質集體所創作的組合展——包括買手、租戶精品店業者、駐場視覺藝術家、圖書管理員、旅行社人員等。這裡沒有「作者控制」或「敘事封閉」的概念(因此也不需要布勒東與瓦謝式的逃避);其組織原則早已是非整體的、務實的、機會導向的。在某種程度上,這場組合也可視為一種整體,由此構成的過程類似於超現實主義者的集體書寫實踐。
西武百貨是超現實主義於後現代階段的作品,一件無盡變奏的作品,由遊蕩者(flâneur)「自動書寫」而成,其對於商品的興趣與對所處空間的興趣無高下之分。(班雅明有句格言:「建築是在分心狀態中被欣賞的。」)
在日本,想看一場重要的藝術展覽,你有很大機率會在百貨公司,而不是美術館看到它。當西武百貨展出尚・杜布菲(Jean Dubuffet)的作品時,東京上野公園內的東京都美術館也於1988年4月開展名為《1920年代的日本》的展覽。我在那裡得知,1923年摧毀東京的關東大地震,被視為日本「機械時代」藝術的開端。布勒東的《超現實主義宣言》與《超現實主義革命》首期,也是在1924年的巴黎發表。在東京都美術館,我發現大量機械美學影響的證據,特別是包浩斯(Bauhaus)對視覺藝術——攝影、繪畫、建築、工業設計、電影、劇場設計、時尚等的深遠影響。同時也能看出德國表現主義的廣泛影響,尤其在劇場與電影領域;而隨著1920年代結束,愈來愈多政治啟發下的「寫實主義」創作開始盛行。然而我幾乎找不到任何關於超現實主義的明確跡象。並沒有理由認為當時的日本在1920年代對於超現實主義的了解會比其他歐洲美學運動來得少。1970年,瀧口修造(Shūzō Takiguchi)——在布勒東與艾呂雅所編的《簡明超現實主義辭典》中被列為「超現實主義作家」——曾寫道:「在日本,從未出現過像法國那樣的超現實主義團體。」我無法判斷超現實主義在戰間期或今日的日本意味著什麼,也無從推測它未能代表什麼;我確定的是,它的意義絕對與我自己的理解不同。許多超現實主義研究者認為,這場運動的編年史應該終結於1968年五月事件。而就在同一年,一個法國電視台團隊前往東京郊區採訪三島由紀夫。他是傳統價值的擁護者(兩年後,他將以近乎完美的切腹行動實踐他的理念),當時他住在一間宛如法國蔚藍海岸別墅的宅邸中。一樓以十八世紀法國風格裝潢,而樓上則採用現代國際風格設計。三島說道:「在這裡,只有看不見的部分才是日本的。」
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beyourselfchulanmaria · 10 months ago
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👆 My son asked me : Mom, Do you know who's he? then he told me that ~
日本職棒名星選手-大谷翔平 Shohei Ohtani/おおたに しょうへい 
(b. 1994) 他目前效力於美國職棒大聯盟洛杉磯道奇,主要擔任投手及指定打擊(即投打「二刀流」) Los Angeles Dodgers – No. 17
He is a Japanese professional baseball pitcher and designated hitter for the Los Angeles Dodgers of Major League Baseball (MLB). Nicknamed "Shotime".
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My son is a chemical engineer at LCY GROUP in Taiwan. He called me two days ago and said: Mom, he got a promotion and a salary increase, so he took me to eat, go shopping, and buy ice cream to go home and enjoy. lol (He is a very pragmatic big boy who never dreams. Maybe because he is a child of a single parent, because they have experienced many human relationships with me, inculded up and down in life since they were young, so they mature very early. Fruits were pulled from the tree before they were ripe. hahaha) In fact, his company is not as profitable as in previous years in general this year, but he is lucky. He is the only one in his department at the Kaohsiung factory who has been promoted and received a salary increase.
We chatted and laughed about all kinds of topics. I am really lucky. God has given me two children who are smart, independent, sensible and gentle. Of course he also gives me dividends lol I like and appreciate that every time he takes the initiative to give me money, I always see the light of accomplishment and love in his eyes ~ shining like stars in the sky! 🙏 Thank God!
Although "it is more blessed to give than to receive". But there is another deeper understanding, especially for some people with strong self-esteem. Sometimes you have to learn to meekly "accept" gifts from those who love you in life.
我的兒子是台灣榮化集團(LCY GROUP)的化材工程師,前兩天打電話跟我說:媽媽,他升職加薪了,所以他帶我去吃飯、逛街和買冰淇淋回家享受。lol (他是個相當務實,從來不會作夢的大男孩。可能因為是單親的小孩,因他們從小就跟著我經歷許多人情冷暖,所以很早熟。果子還沒熟就從樹上拔下來了。hahaha) 其實今年他的公司總體來說並不如往年利多,但他很幸運,高雄廠在他的部門只有他一個人被升職和加薪。
我們聊天又笑呵呵的各種話題無所不談,我真的很幸運,天主賜給我兩個既聰明獨立又懂事溫順的孩子。當然他也分紅給我 lol 我喜歡也感謝當他每次主動地給我錢時,我總會看到他眼中充滿著成就感和愛的光芒~像天上星子閃爍著! 🙏 感謝天主!
雖然『施比受更有福』。但另一種更深的認知特別是對於一些自尊心很強的人而言有時你要懂得學會在生活中柔順地"接受"從愛你的人的施予。
Lan~*
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📌Restaurant餐廳:鼎泰豐 Din Tai Fung is a Taiwanese restaurant chain specializing in Chinese cuisine, particularly famous for its Xiaolongbao. Based in Taipei, Taiwan, Din Tai Fung also has branches in Australia, Mainland China, Hong Kong, Indonesia, Japan, Macau, Malaysia, the Philippines, Singapore, South Korea, Thailand, United Arab Emirates, United Kingdom, and the United States.
是臺灣一家以麵食生產銷售為主的連鎖餐廳,以小籠包等上海點心聞名,總店開設於臺北市信義路二段的永康商圈中。1958年成立,最初為油行,1972年轉為餐廳,兼賣小籠包。1996年,鼎泰豐日本新宿店開幕,發展為跨國企業。
在1993年曾被《紐約時報》評為「世界十大美食餐廳」之一。2010年香港尖沙咀分店獲得米其林一星,是台灣首間獲米其林指南列入星級的餐廳。
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anzuchansims · 2 years ago
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Miscellaneous collection of my game screenshots.
雜七雜八的測試圖和遊戲截圖~
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TS4 conversions
Dresses for the toddlers.
Sometimes, I envy TS4 players for having so many beautiful CC to use. Thanks to all the creators who are allowing others to convert models to TS3.
Recently, I heard that some original creators are unhappy, even angry about the conversions, which makes me a little sad. While I can understand, it's really disheartening. However, I believe there are still many kind and warm-hearted people in this community.
給孩子們的洋裝。有時候我真的很羨慕 TS4 的玩家能有那麼多漂亮的 CC 可以使用,謝謝所有願意讓模型被轉換到 TS3 的作者。
最近聽說有原作者對轉換感到生氣,讓我覺得有點難過。雖然我可以理解,但這真的讓人很洩氣。不過我相信這個社群裡還是善良又溫暖的人居多的。
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New posepacks by wasset-aseskara and yorithesims
I really love their expressions. The kids are so adorable ❤
新的動作盒子!我很喜歡他們的表情。孩子們看起來很成熟,超級可愛。
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New interactions by TheSweetSimmer
The interaction between adults and children is really adorable. I really think you should consider working at EA!
大人和孩子的互動真的是太太太可愛了。請務必考慮進 EA 工作!
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Change table by Hydrangeachainsaw
Although the bathtub is a bit small, this design is just too cute! Forgive me for repeating the word 'cute / adorable' from the beginning till now.
功能性的尿布台!還有小浴盆!雖然浴盆有點太小了但不妨礙它的可愛。
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More Activities Activity Table by Olomaya
This has always been what I wanted! I've always wondered why EA's tables come with crayons but kids can't draw.
完美的遊戲桌!孩子們終於可以用蠟筆畫畫了。謝謝所有幫 EA 收拾殘局的作者大大。
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But I have to say, at least EA did an excellent job with the windsurfing animation.
但我還是要說一句,至少 EA 把風帆衝浪的動畫做得很棒。
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My commercial lot
I've finally completed the commercial lot I started building several years ago. That basement took me some time, and I really wish the game originally had more convenient basement tools, so we wouldn't have to put in so much effort just to have a basement with a direct entrance from the outside.
我終於完成了好幾年前開始蓋的商業用地。 那個地下室花了我一些時間蓋了又拆拆了又蓋,真的很希望遊戲原本就有方便的工具,讓我們不用耗費這麼多心力就為了有一個能從外面直接走下去的地下室。
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imassamayr · 4 months ago
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脳神経内科が専門の松川則之・名古屋市立大学医学部教授(62)が、これまでにわかってきたこと、誰でもできる7つの予防法を解説 脳の神経細胞は、細胞の内側と外側でナトリウムやカリウム、カルシウムの濃度を変えることで、電気信号を出しています。  その信号をほかの神経細胞とやり取りして、見たものや聞いたものを認識し、言葉を出したり体を動かしたりしているのです。 認知症になってしまうのは、神経細胞をつくっているタンパク質に傷がつきやすくなり、電気信号をやり取りできなくなるからです。  若い時は、タンパク質が傷ついても自然に処理してきれいにしてくれますが、年を取ると処理しにくくなり、傷ついたタンパク質が脳内にたまりやすくなります。  たまる場所は二つあります。細胞と細胞の間と、細胞の中です。 神経細胞の間に傷ついたタンパク質がたまると、電気信号をやり取りする邪魔になります。また、神経細胞の中に傷ついたタンパク質がたまると、細胞自体が死んでしまいます。  脳の神経細胞がどんどん死んで、脳全体が縮んでしまうことで起きる病気が「アルツハイマー病」です。 アルツハイマー病には、2つの異常なタンパク質が関わっています。  ひとつは「アミロイドベータ(β)」で、50代を過ぎると細胞と細胞の間にたまっていくといわれています。  もうひとつは「異常リン酸化タウ」といい、細胞の中にたまって細胞を死なせます。  この2つが脳内にたまっていき、神経細胞の電気信号がうまくやり取りできなくなって、症状が出ます。 認知症になりやすい人の共通点もわかってきています。 ・糖尿病 ・高血圧 ・脳梗塞 ・意識障害が起きるほどの頭のけが ・心房細動 ・肺機能の低下 ・社会的孤立 睡眠薬は脳の活動を下げることによって眠れるようにしているので、漫然と飲み続けることはよくありません。 認知症にならないために「今できること」をまとめます。 1. 積極的に社会と関わる 2. 知的興味を持ち続け、訓練する  麻雀や囲碁・将棋、料理などはいいですね。自分で計画して旅行をするのもおすすめです。 3. 豊かな感情を維持する  いつもニコニコして、感謝を忘れず、家族や隣人と仲良くしましょう。憂鬱な気分にならないことです。 4. 有酸素運動を続ける 5. 頭にけがをしない 6. 新たな挑戦をやめない、あきらめない 7. 生活習慣病の治療を絶対やめない  特に高血圧、糖尿病など血管系のリスクを減らしましょう。
認知症にならないため、今できる7つのこと 世界の研究でわかったポイントを脳神経内科教授が解説(メ〜テレ(名古屋テレビ)) - Yahoo!ニュース
父親は糖尿病の薬を飲んでいて、定年退職後に小さい脳梗塞が起きていたと言われて、症状が一気にひどくなった。
いつもニコニコしている人だったが、認知症になったら無表情になることが多かった。
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