#恋愛ごっこじゃ無理な領域
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しゃべりたいことがたくさんあってどうしようもない。書いて散らしていく。
学位プログラム等で関わりのある、学年がひとつ下の後輩(Kとする)に対して苦手意識があった。それが明確になったのはつい先日、プロジェクトのミーティング前に雑談しているときだった。みんなで、学振ヤバいよね〜という話をしていた。学振というのは、日本学術振興会というところでやっている、将来有望な研究者の卵に研究費を支援するプログラムである。倍率はクッソ高い。通過率10%くらいかな? D進を視野に入れているorD進した大学院生はみんなそれを狙っている。狭き門だ。
去年学振DC1に落ちたわたしが、話の流れで、「わたしは去年書いた申請書が原型としてあるから、作成自体はそれ見ながらやればなんとかなるかな〜」と零した。そうしたら後輩のKが言った。「いや落ちてんだから書き直せよ(笑)」と。
しね、と思った。お前だけはDC1落ちろ、と思った。キメーんだよ、こっちの努力も知らないで。つーかそんなコロコロと研究計画変えられるわけねーだろ(笑)おまえはどんだけ一貫性ない研究してんだよ(笑)ちょうしのんな。ちょうしのんな。ちょうしのんな。
な〜んて思いながらも、それに対して過剰に反応する自分なんか誰にも見せたくないから、てきとうに誤魔化した。誤魔化せていたかどうかは定かではない。とにかくKがうざいな〜と思っていた。だけど後輩だから許せた。これで自分よりも年上だったらドン引きだけど、歳下ならキモいな〜で済む。
だがその後、驚きの新事実が舞い降りた。後輩K、なんと高卒後1年間浪人していたらしく、年齢はわたしと一緒らしいのだ。
その瞬間、そいつが大嫌いになった。アーわたしと同じだけ年齢を重ねてきたくせに、おまえはわたしですら持っている良心を持っていないんだね? と思った。キモキモキモキモ。
またも同じプロジェクトの別の後輩(こちらは女性)と、別件で飲みに行った。話の流れで、恋愛についてしゃべった。彼女はひどくプラトニックな恋愛に身を投じていて、わたしとは違う人種のにんげんだった。彼女もその彼氏も大学院生で、ふたりは性的な経験を持たず、クリスマスに贈り合ったというプレゼントも同年代のカップルが交換するものとしてはかなり子どもっぽくて(示し合わせたわけでもないのに、素で2〜3000円で買える物を贈りあっていた)、ふたりともびみょうに垢抜けてなくて、デートっぽいデートもしているわけではなさそうで、たまにお家で一緒にご飯をたべて、健全に解散するだけの関係で、基本的にすべて割り勘で、お互いに自立を求めていて、親もその関係を知っていて、そんな彼氏の現在の趣味は節約で、外食もしなければ俗っぽい遊びもしない、しかも告白の場所は地元の近くの公園で、初デートはお互いの研究領域にゆかりのある施設、らしい。誕生日くらいは奢ったり奢られたりしないの? とたずねると、べつに割り勘ですね〜、と返ってきた。いい意味でピュアなのだ。彼女は俗っぽい恋愛というものを知らない。
わたしはそれを聞いて、高潔だな、と思った。
彼女にわたしの話をしても引かれるだけだろう。そう思って、あまり自分の話をせずに、ひたすらに聞き手に回った。すてきな関係だね、なんて、思ってもいないことを口にして。
わたしはいろいろと歪んでいるので、汚くない恋愛をせずに生きてきた彼女を羨ましく思っていると同時に、じぶんはこっち側でよかった、とも思っていた。高潔であることは羨ましい。だけどわたしは、そういう付き合いに耐えられない。クリスマスには多少見栄を張ってほしい。仮にその後輩ちゃんがクリスマスに貰ったモノを、わたしが自分の彼氏から貰ったとしたら、発狂して大喧嘩をすると思う。おしゃれなレストランで食事をしたい。飲食店のソファ席は当たり前に譲ってほしい。重い荷物は持ってほしい。愛は目に見えないものだから、お金と時間をかけて愛を具現化してほしい。つまり、わたしにお金と時間を使ってほしい。そうしてくれないと嫌。もっと甘えたい。わがままを聞いてほしい。つねにわたしだけの味方でいてほしい。わたしを何より優先してほしい。わたしに依存してほしい。自立しないでほしい。わたしだけが生きる意味であってほしい。
汚い恋愛をしないと見えない世界というものが確実にある気がする。知るのと知らないのだったら、知っている方がいい。わたしは無知を罪だと思っている節がある。べつに彼女を罪深い人間だと決めつけているわけではないが、恋愛という話題において、わたしの価値観は彼女を傷つけるし、彼女の価値観はわたしを傷つけるものだと悟った。
その後の会話で、彼女の家族仲が良いことを知り、わたしはやっぱり、ほんのすこしだけしにたくなった。彼女が持つ、自分の価値観に対する絶対的な自信は、家庭のあたたかさに起因するものだったのだろう。垢抜けてなくても、世間の恋愛観と自分の恋愛観がすこしずれていたとしても、なにも気にせず、ありのままの自分を愛してもらえると、彼女はそう信じているのだ。ああ、そういうところが妬ましい。両親からありのままを愛されたからこそ、そんな高潔な思考をブレずに持ち続けられるのだ。「〇〇さんのお家では家族LINEとかないんですか?」って無邪気な顔で聞かれたときのことが忘れられない。わたし、家族だけどお父さんのLINE知らないの。
実家がお金持ち��家庭はもちろん羨ましいけれど、それよりももっと羨ましいのは、家族旅行などに行ける関係性の家族である。先に書いた彼女はその典型で、家族とよく旅行をしているらしい。それがなんだか苦しかった。これはわかる人にだけわかってもらえたらいい。
父と母と旅行に行きたいかと言われたら微妙なんだよ。しぬまでに母をどこかに連れて行きたいとは思うけれど、父はべつに……って感じだ。そんなわたしのことを冷たいと感じる人は、自分の家庭を引き続きたいせつにしてください。全員に理解されたいわけじゃない。もっともっと奥深くてどうしようもない感情なんだ、これは。何度も言うけれど、わかる人にだけわかってもらえたらいいの。
月末、やっと母との予定が合い、実家に帰ることになった。妹と弟が家にいない日を狙わないと、わたしはろくに実家にすら帰れない。きっと帰省しても父とは挨拶を交わすくらいでまともに話はしないだろう。
LINEで母が言った。「あなたの部屋がぐちゃぐちゃになっている」と。妹がパニックを起こし、わたしが使っていた学習机をひっくり返したらしい。あの机の引き出しには、実家を出る前に付き合っていた元彼からもらった手紙と、元彼と撮ったプリクラが大量に仕舞われているはずだ。ほんのすこしおもしろくて、ほんのすこししにたくなった。
わたしはきちんと家族という枷に縛られている。わたしは自分の家庭環境の中でていねいに創り上げてきた自分の価値観が揺らぐのが、おそろしいのだ。
上記でなぜこんなに学生プロジェクトのメンバーの話をしているかというと、先日、同プロジェクトで企画した一般向けのイベントがあり、それでプロジェクトメンバーとの関わりが一時的に増えたからである。大学でとある単位を取得するために、あまり得意ではないアウトリーチ活動をした。
企画イベントは大盛況だった。まあ、それは話の本筋とはなんら関係ないので端折る。
イベント参加者に質問紙調査をさせるために、同じくイベント運営メンバーそれぞれからiPadを貸してもらうことになっていた。だからiPadを回収する前日、ブラウザの履歴を削除するように呼びかけていた。やましいものは消せよ、とは言わないものの、まあそういう意味合いを込めて伝達した。当日、回収したiPadの設定をするためにブラウザアプリを開いたら、わたしがとても尊敬しているI先輩のiPadのブラウザタブにアダルトサイトが残っていた。しかもMissAV。おまえ違法サイトで見てんのかよ。セコすぎわろた。しかも大学から貸与されてるiPadでAV観てんのヤバすぎ、大画面を満喫してんじゃねえよ。でもわたしは基本的にI先輩がだいすきなので、完全無欠なI先輩にもそういう人間っぽいところがあるんだ、と思ってすごく安心した。とりあえず、念入りにタブを削除させてもらった。思春期の��子の自慰行為を悟った母親の気分ってたぶんこれかも。
I先輩はイベント後、新幹線の終電で帰宅した後そのまま報告書を書き、夜中1時くらいにこちらに送ってきた。なんだそのバイタリティは。I先輩には敵わない。やっぱり尊敬している。
大学院生は世間という実体からかなり離れたところに位置していると思う。つまるところ、みんな浮世離れしているのだ。
苦手な後輩Kも、子どもっぽい恋愛をしている後輩も、わたしだってそうだ。
学部時代のわたしは中堅私立大にいた。ずっとそこで学歴コンプレックスを患っていたけれど、今となってはそこで4年間、俗っぽさの海を漂えてよかったと思っている。旧帝大はやはり頭のネジが数本ぶっ飛んでるひとが多すぎるし、それがマジョリティになっている。そしてそのほとんどが、自分の感覚が世間とズレていることを自覚していない。
わたしは、世間の感覚を失うことに怯えている。高校や大学のときの友人は社会人になって、社会に揉まれながらも妥協点を見つけて生きている。わたしは、世間から遠ざかりながらも、同時に大学院生(とくに自大)のコミュニティに馴染めない感覚もある。どちらにも振り切れないのだ。それがくるしい。わたしを置いていかないで。
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「ブレードランナー」とは何か?どんな映画なのか、そしてなぜこの映画は特に40代・50代の人たちに大きな支持を集めているのか?
若い方にはよく分からないと思うのですが、本作が語り続けられる映画であることには、理由がある。「ブレードランナー」を語ることは単なる1つの映画作品の範疇を超えて、デザイン、カルチャー、さらには建築からマーケティングに至る話と大きな関連があるからだ。
公開当時、私は高校生だったわけですが、この映画が映し出す未来世界の中に、どこか今の現実世界を映し出しているような、「リアル」なものを感じた。ところがMacintoshという名前のコンピュータのCMを作ったことで名が知られていたこのリドリー・スコットという監督が作った本作、公開当時の評判はさっぱりだった。私の父は彼の前作「エイリアン」を大いに褒めたが、本作には冷ややかだった。何かよく分からないSF映画じゃないかと。
例えば画面の絵作り。未来のLAの街はずっと雨が降っていて、照明の具合も変で俳優もヒロインも顔に深く皺が刻まれている。やけに登場人物はみんな歳とったように思える、そんな小汚いSF映画だ。実際に当時、一部の映画���ァンやSFファンは褒めていたが、夏休みの大作映画として公開されたのにも関わらず、すぐに終了。興行収入はよくなくて、制作費の半分にも達することができなかった。自分も本作ではなくて「E.T.」のほうを観に行った。ところが時代が経つに従って、デザインだったり当時のカルチャー、哲学に興味のある人たちから徐々に話題が広がり、公開された年から4年ほど経過した86年くらいをピークにして「ブレードランナー」の話をよく聞くようになる。つまり当時、一般的になってきたレンタルビデオで観られ、TVでの放送や環境ビデオでその断片が使われ、再上映が繰り返されることでファンが広がり、時代を追うごとに繰り返し観られることで評判を高めていったというわけだ。
なぜ我々の世代は本作を理解しやすかったのか。この世界がリアルだと感じたのか。こんなに好きになってしまうのか。理由は3つある。1つはこの映画の主人公と敵のキャラクター設定。主人公はダメ探偵、敵は魅力的でカッコよく、美男子の戦闘員というキャラクターの作り方と敵味方の関係性。本作におけるハリソン・フォード演じる主人公の探偵は、ロバート・アルトマン監督の映画「ロング・グッドバイ」の影響下にある。冴えない独り者の探偵がLAの街を放浪し、少しずつ犯人に近づいてゆく。我々の世代はこの映画自体は観ていなくても、この作品が影響を受けたテレビドラマの数々、例えば松田優作の「探偵物語」などを山ほど観ていたから、この主人公の設定、かっこいい敵といった関係性が極めて分かりやすくお馴染みのものだったのだ。
2つめは美術。リドリー・スコット監督作品は、本作のみならずどの作品も観ればわかる通り、美術やミニチェアがすごい。彼は美術監督を経て映画監督になった人物だから。ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの出身でグラフィックデザインを学んだデザイン界のエリート。作品はどれも美術史に残る作品からのしつこいくらいの引用を行う、美術史の時代を行き来するような作品を作ってきた。例えばCMディレクターとして名を成して40才の時に製作したデビュー作、ハーヴェイ・カイテルを主人公にした「デュエリスト」では、フェルメールの「光」を作品の中で極めて忠実に再現することをやってのける。
この「デュエリスト」のストーリーフォーマットをそのまま未来に持ち込んだのが「ブレード・ランナー」だ。この映画は一応、SF映画、ということになっているが、ピカピカ・ツルツルした従来のSF的世界とは一線を画していた。そもそもプロデューサーも、スコット監督も、美術監督すら原作と言われるフィリップ・K・ディックの原作を読んでおらず、SF映画にも関心がなかった。本作で美術のイメージに大きな役割を果たしたのはフランスの���画家で前作「エイリアン」でも美術デザインに参加したメビウス。彼の描いた「ロング・トゥモロー」というゴミまみれの都会風景をベースにした。
さらにそこにイメージを重ねたのが、当時、建築界の大きな波になっていた「ポストモダン建築」だ。すでに日本でも公開当時、竹山実の「渋谷109」(1979)、磯崎新の「つくばセンタービル」(1983)などが我々の日常の風景に現れて、異彩を放っていた。そしてさらに本作公開後には、高松伸の「キリンプラザ大阪」(1987・スコット監督の「ブラックレイン」で登場するビル)など本作からの影響すら見られる建築物も登場してくる。合理性や機能美から解き放たれた形が、当時の都市部(しかも京都なら北山通という畑の中に突如現れた新商業ビル)に実際にあった。いわゆる現代にも続く「良いデザイン」とされるモダニズムデザインに対する反抗声明とも言えるポストモダンの潮流が画面の中にびっしりと詰まっている。当時も今もこれらの建築や美術、プロダクトデザインは「バブルの象徴」と言われている。本当にそうだろうか?何れにしても、これらの風景やデザインが画面いっぱいに登場する様子を見て当時の我々、若者としては「やってやった」というものだった。そして新しい風景と古い風景が渾然一体となって存在しているごちゃ混ぜの都市の風景。それはすなわち「今」と連続して続いている新宿・歌舞伎町のような風景だ。
いくつかのデザインはプロダクトデザイナー、シド・ミードに依頼されたものだが、監督が彼に伝えたコンセプトは「レトロフィット」というもので、外形は古いままで、最新の機械を組み込んで動いているように見せてくれ、というものだった。実際に「これは未来的すぎる」と言って完成後、キャンセルされたデザインもあったという。そしてこのシド・ミードによってデザインされたパトカーや拳銃も、結局は油にまみれ、ドロドロに汚された。しかしホコリや砂にまみれたSF映画「スターウォーズ」世代の我々には、ハン・ソロと同じ俳優が演じる本作に、これこそSF風景!、これこそリアル!と感じられたのだ。
3つめ、広告都市。ラストシーンで主人公がルトガー・ハウアーが演じる敵と戦うのは、当時、カセットテープのブランドとして世界的に有名だった「TDK」の巨大ネオンサインの前だ。二人の戦いは延々、このTDKの看板を背景に映しながら行われる。それだけではない。この映画の都市は溢れるばかりの、エドワード・ホッパーの絵の色調をそのまま借用してきた広告のネオンサイン。そして巨大ディスプレイに映った広告の山(強力わかもとを美術制作者は避妊ピルだと勘違いしていたらしい)、空に浮かぶ気球にまで様々な広告が映し出されている広告都市(渋谷スクランブル��差点の大型モニターの風景は本作からイメージされたものだというのはご存知だろうか)。
80年代初頭、最も重要な哲学書はなんだったか。若者によく読まれていた人文書はなんだったか。それはフランスの思想家、ジャン・ボードリヤールである。彼の著作「消費社会の神話と構造」「象徴交換と死」、そして「シュミラクルとシミレーション」だ。彼が解いていたのは大量消費時代における「商品」というものの本質とは何か。商品は単なる使用価値を超えて「記号」として現れ存在するのだと説いた。今でこそデザインやマーケティングの領域で多くの人が共有している概念だが、彼の著作に刺激されて出現したものは、例えば西武文化だったり、無印良品だったりというブランドだった(堤清二氏はその影響が無印を作るきっかけになったと自著で述べている)。それが製品やサービスとして実態になり、本作の公開時に街に溢れていた。
リドリー・スコット監督が広告業界出身であったことを思い出してほしい。そして、TDKの看板の前でラストの戦いシーンにしても、旧来の文化の捉え方しかできない観客には「なるほど、TDKから広告費をもらってるんだな」と考えるかもしれない。しかしそれは事実ではないし、スコット監督の意図とも違うだろう。実際、当時、このシーンを観たわれわれ観客の目にもそのようには決して映らなかった。なぜか?
このTDKの広告で重要なのは、画面に映っているのがカセットテープの絵柄ではなく、ロゴマークだけといことなのだ。本作に現れる他の看板類も全てそうだ。製品そのものは一切、その姿を現さず、巧妙に画面から隠されている。ボードリヤールは「消費社会の神話と構造」の中でこう書いた。資本主義の概念である「等価交換」では、商品の価値は品質と機能によって決まるというルールに乗っ取っていたが、しかし商品過剰の状態によっては、商品そのものはむしろ重要ではなくなる。何が重要となるのか?それはイメージだ。つまり「ブランド」その名前自体を広く知らしめればいい。それが現代における「広告」の意味であり、価値である。ブランド価値が商品そのものの実態に還元されてゆく。そうやって「ブランド名」や「ロゴマーク」だけが大量に街へと放出される。これこそが「未来の都市風景」なのである。
ボードリヤールは「シュミラクルとシミレーション」の中でこう書いた。現代社会において、シミレーションがどんどん高度になっていったこと、蔓延していったことで、ホンモノの価値というものは大きく脅かされ、価値が消えていったと。例えば「幸せな家庭を描いたCM」や「恋愛ドラマの中で素敵な恋愛をするアイドルたち」を眺めることは、退屈な実際の日常を軽々と超えてしまう。そして、むしろそこにこそ「リアリティー」を感じているのではないか。現実を超えてゆく、完璧なシミレーション、これをボードリヤールはこう呼んだ、「ハイパーリアル」と。
本作では人造人間のことを「レプリカント」と呼ぶ。外見は人間そっくりに作られ、人間が行くことのできない宇宙に出かけて危険なミッ��ョンを行ってきたという。そして人間と同じように考え、感じ、死を恐れ、さらには詩をつくることすらできる。ラストシーン、主人公を前に、レプリカントはこんな自作の詩を語ってみせる。
私は君たち人間が想像すらできない、美しいものを観てきた
オリオン座の近くで燃え上がる宇宙船
タンホイザー・ゲートの闇に輝くオーロラ
だがそんな思い出の数々もこうやって消えてゆく
雨の中、頬を流れる涙のように
そして彼は寿命を迎えて死ぬ。レプリカントは人間以上に「人間らしく」作られた。ハイパーリアルとは、モノだけに固定されるものではない。われわれ人間の存在すらハパーリアルの中に組み込まれる。完璧なシミレーションがリアルを越えてゆく。人間以上に人間らしく作られた人間。それがレプリカントという存在なのだ。
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2024年のメモ
〈読んだ本〉
三体(劉 慈欣) ひとつひとつが一作品級の想像力で、三体というゲームさえギミックのひとつに過ぎなかったのはいま思い返してもびっくり。読み終えるころにはとんでもない所まで来てしまったと思った。作中でも重要視される「責任を取ること」だが、黒暗森林で幕を閉じずに死神永生へ繋げたこと自体も、物語と登場人物への責任を取る作者の姿勢が重なり感銘を受けた。 ラブ・アセンション(十三不塔) 『2084年のSF』収録作の『至聖所』という作品が素晴らしく、その作者の新作ということで。宇宙生物×軌道エレベータ×恋愛リアリティショーの群像劇で、徐々に異能力ものの展開も見せる。『至聖所』でも感じたことだがとても映像的だと思った。キャラクターの動きがあるというよりは、構図がバチっと決まったクールなカメラ。最初にピックアップされたこともあって異相あざみさんに肩入れしてしまったし、後半の動きも嬉しかった。 ヤンキーと地元(打越正行) 文庫化にあわせて。確実にそこにあるものの、自分がこのまま生きていれば交わらない世界に興味がある。今後ももっとルポものを読んでみたい。観念としての沖縄像を崩すわけでもなく、その光が生む影にある厳しさを覗く。程度は違えども自分の人生も綺麗なアーチを描けているわけではなく、そういう自分の心をどうやって保っていくかというところに共振するところがある。 STATUS AND CURTURE(デーヴィッド・マークス) 本の情報をみて、私と無関係では無さそうだと思った。読み始めればその容赦なさに少し恥じ入ったり空しくもなったりするのだが、終盤では自己啓発のようにも読めるのではないかと思った。流行が起こり廃れていくことは世界が(一応)前転している証左であって、生きて何かしらのリアクションを取ることはその前転に加担することである。その加担の仕方が、あるジャンルでは最後尾であり、あるジャンルでは最前線であることができ、それが各々の個性なのではないか。愚かであっても歯車ではあるし、イカしていれば車輪にもなれるのかもしれない…と、割と前向きな印象で読み終えた。 〈観た映画〉 トラペジウム フックになる絵や台詞はあったものの、そういうセンセーショナルさを取り除けば、どれだけ語らないかという作品だった。語弊を恐れないまま原作の骨に近づきアニメ化という肉を与えた���のプロジェクトに本当に入れ込んだ。 関心領域 どうしても途中眠くなって、多分支障はないだろうと思って15分くらい寝つつ観た。とはいえ大きい画面と音響はしっかりと傷跡を残していって、レイトショーの劇場から出るとあたりは暗闇で、自販機のうなりや建物の水平垂直がズンと立ち上がってくる。寝たっていいしわからなくてもいいから劇場に行こう。 BanG Dream! It's MyGO!!!!! 前編 春の陽だまり、迷い猫/後編 うたう、僕らになれるうた & FILM LIVE ライブシーンが多い後編は特に胃にずしっと来るけど、フィルムライブが本当に良い。リアルライブではまだお目にかかれない、そよさんがやさぐれた状態でのライブなのが貴重。 劇場版アイカツ! メモリアルアンコール のっけから炸裂する「お疲れ様です!」「ありがとうございます!」の応酬にこの数年で失ったものを見る。諦め、受け入れた先に何があるのかわからないまま、心身の健康のために私はそういう状況に慣れていった。アイカツ!の中で誰が諦めただろう(天羽先生の厄介を被った紫吹蘭には同情する)。劇場には2度通ったが、いちごからあかりへの最後の台詞で2度とも泣いた。強者としての自覚だけでなく慈愛のある、アイカツ!らしい最高の台詞。90分ほどのコンパクトさで美月・いちご・あかり3人の機微を描きとる編集力に脱帽する。 〈聴いた音楽〉 いけない(Kaede) ミツメの活動休止は残念だが望めるならこういう楽曲提供が続くと嬉しい。2024年のベスト。 コントラスト(篠澤広 CV.川村玲奈) 令和っぽいかと思えばサビの不思議なノスタルジーに包まれる。一聴した瞬間からずっと好きな曲。 Luna say maybe(月村手毬 CV.小鹿なお) それぞれの要素はそれほど好きなものでなくても、一つのコンセプトのもとにガッチリと噛み合うことはこんなにも素晴らしい。 Reebok(柴田聡子) 柴田聡子さんについてはアルバムまるごと挙げたい。RYUTistへの提供曲も最高。 angel near you(Homecomings) もともと好きなバンドだったが、音楽性としてはドラマーが変わって好きなほうにさらに近づいた。牧歌的だったものが、骨太なドラムになることで浮遊感へとスライドした印象。 トレモロアイズ(Poppin'Party) この本格感はともすれば自身のキャラクターから脱線していそうだが、おたえがいるかぎりポピパの���楽への探求心は担保されていることを私たちは知っている。意外性と納得がメディアミックスされることで、キャラクターが生きていることを実感する。 人間になりたいうた(CRYCHIC) 歌詞ではないからフルコーラスもちゃんと短いという誠実さ。立希ちゃんのドラムが中学生とは思えない豊かな手数だが、これも祥子によるプロデュース能力によるものだとしたら?という妄想が捗る。 FUN☆FUN☆わんだふるDAYS!(石井あみ&後本萌葉) とにかく音作りの丁寧さ。テクニカルな単音が重なって粒の立った可愛らしさを演出している。ハイハットワークがすごい。 風に乗る船(MONGOL800) Salyuトリビュートアルバム素晴らしい。なかでもアレンジと大らかなメロディが合ったMONGOL800バージョン。 まちのうた(BUZZ) 2024年の曲ではないがラジオで流れて衝撃的だったのでよく聴いた。ミニマルだが開放的な展開。高橋幸宏のドラム最高。
〈買ったもの〉 PORTER×DIGAWEL ヘルメットバッグ ここ数年で最大のひとめぼれ。痛バッグをファッショナブルに展開するとこうなるのかなという。 ウエノスケ シタノスケ S 池尻のTENTで。2個一組のコップで、蓋のようにかぶせて収納、かつ埃の侵入を防ぐ。洗いやすさ、扱いやすさ、見た目最高。 立川 ピュアホワイト 05 白ペンの答え。隠ぺい性、速乾性、耐久性、書き味どれも理想的。今のところ詰まりもない。 adidas SAMBAE 刺繍で出来た漆黒のラインがコントラストがあり、カジュアル感抑え目で良い。 バンドリのペンライト 拳よりも先に頂点があり、さらにそこが光っている。演者は音で、ファンは光で、アリーナ級のコミュニケーションを実現しているのだと感動した。
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2024.8月日記
2024/08/01
仕事をしているとえらいひとがきて、「がんばってるんだってね」とわざわざ声をかけてくれ、かれにチームのみなさんにはいつも感謝してますとお伝えすることができた。チームのみなさんに直接言う機会がなかなかないが、せめてひとづてに伝わるといい。さいきんは様々なひとが作業について聞きにくるからたくさんのひとと話す。いつも怒られている年下のひとがわたしのところへきて、「聞きたいこと全部聞けました」と���って帰っていくから、よかったとおもう。『赤いモレスキンの女』はつまらないから早く読み終えてしまいたくて読んでいるが、そこまでして読む必要もないかもしれない。だって手帳を勝手に覗き、そのひとの家に上がり込むジャンルの物語がラブロマンスで売り文句が大人のおとぎばなしってなんだろう。
2024/08/02
みなとみらいでドラクエの立像をたくさん見る。キラー��ンサー格好いい。キラーマシンもいたみたいだが、ビルがちがったので気力が足りずいけなかった。
2024/08/03
カフェで後輩とご飯。夜勤明けというのに時間を合わせてきてくれた。
2024/08/04
自分のミスで残業。最終的に報告結果と異なる箇所が10箇所あり、焦った。
2024/08/05
ポケモスリープの、チュートリアルでつけたなまえが「ねるいち」なので毎日「ねるいちはーーと寝るのがたのしみなようです」と表示される。いいなまえ。
せなかの羽が銀色に反射する蠅が座席の背もたれをいったりきたりし、ときには翅をひろげてばたばたやっていたが、わたし以外は寝ていてだれも気づいていないようだった。ああいうのはとつぜん顔にむかってくることがあるからいやだけれど、そうおもっていると窓のすきまに入りこんでもう見えなくなっていた。
2024/08/06
残業。ある量だけ固定で割り振られるうち、6-7個対応できたらよいねという作業で対応できるものが20個くらいありたいへん。8月は楽しいことがたくさんありいそがしいとおもっていたが、もしかしてかなりたいへんなことになるかも。
2024/08/07
残業。今の作業の嫌いなところは他人から作業についてたくさんはなしかけられ、質問されるところで、ひとりすべて資料に書いてあるのにとりこぼし、とりこぼす自身を重視しないひとが助け合いのためでなく自身の不安解消にわたしを使い始めたことがかなりストレスになっている。そのひとの上司はとりこぼすそのひとの人格否定を常にしているが(これはほんとうにかわいそうで許されることではない)、具体的な支援はしないのかいつもわたしのところへくるたびわたしが資料の読み方を教えており、そういうのは自社の教育でやってくださいとおもう。作業内容でなくて、資料の読み方を教えていると、いまはつねに時間がないのでこの時間は一体…というきになる。
2024/08/08
残業。なにひとつなんの隙も無い。作業をしているとメンバー同士で質問したりされたりの機会が増えはじめは学園祭みたいで楽しかったのに、旧チームの作業がわたしにだけふられひとりで地獄を見ている。(リーダーが対応しようと思っていることをわざわざわたしに伝えにきたのに、いざ始まってみるとこれで、リーダーは遅刻するしやすむし、ばかばかしい)のでかなりひとりていそがしくなってしまったうえ、質問してくるひとは今大丈夫ですか?のようなワンクッションがなく、わたしの席へくるなり(自分の資料)開いてもらえますか?とずうすうしくもわたしの作業場をつかって領域展開するので帰るたび後処理するのもつかれる。いちど「今時間ないです」と断ったら、ただ早口になっただけで押し負けてしまった。でも時間がないと言ったら時間を使わないようになるべく早口になるのはある面で理にかなっており、納得した。
2024/08/09
残業。たのしくもないのでいやになってくる。先��はまだあらゆる仕組みが生きて仕事は楽しかったが、もうただノルマを達成するだけになり、他の作業もあっぷあっぷしている。昼休みも返上して仕事をするので起きている間は通勤以外ほぼ仕事をしており、こんな人生になんの意味が…となるが、これを経て給料が入ればipadを買えると思うとわるくないのか?うそうそ、わるすぎる!悪いは悪いからはやくノルマ基準でなく自分なりのペースを見つけたい。
2024/08/10
rijへ。面倒になって流そうとしたが勿体ないので涼しくなってからいく。着いた頃にはちょうどドラゴンクエストビルダーズが終わる頃で、できれば見たかったから残念。つぎのを一時間だけ見て、外で大きな音が鳴っているから雷かと思い、天気が悪くなる前にと思い退出。でもほんとうは雷でなくて花火で、外では小さい子どもが母親に「私花火ってきらーい、見るのは好きだけど、音が怖いから」と言っていた。もう少し早く行けばよかったと後悔。その後イヤリングをなくしたり(パチンと音を聞いたことを明確に覚えているが、意味不明な音、体のどこからそんな音がしたんだろうとスルーして場所を思い出せない)鞄に水道の蛇口が引っかかって水が入ってビラが濡れたり(ひとりでいき、なんとなく恥ずかしくて会場の写真が撮れなかったからビラをもらったことだけが救いだったのに)さんざんだったが終電に間に合ったのでよい。
2024/08/11
後撮りの予約をしたので内容確認のため着物屋へ。11日とスケジュール帳に書いたが、実際に予約したのは18日だったらしい。名前を間違えられたりしたところから電話予約の記憶が蘇り、間違いに気づき始める。快く日時を当日へずらしてくださりたすかった。お値段も安め。帰りにまたワンピースを買い、みなとみらいでキラーマシンと写真を撮って帰った。(剣を握る方の手の五本指や、槍のぼやけた光沢感が格好いい。そいうコンセプトかはしらないが、あれが実物大としたらかなりこわくて夢がある。キラーマシンはだいたいシリーズの初2回攻撃モンスターだったりするので序盤の強敵というイメージがあり、キラーマシンが出てきてから冒険があともどりできなくなる感覚もある。大きくて強そうだと威厳があって格好いい) 前撮りも撮らず、成人式にも出ず、卒業式もでなかったので袴を着ることもなく、後撮りが着物をはじめて着る機会になる。前撮のときは自分の写真を撮って親戚に配ることや、そもそも撮ることの嫌悪感が拭えず、取る意味も分からず見送ってしまったが、いまになって撮ることにし、自分が迎えられるときに折り合いの上もういちどイベントを迎えられてうれしい。いまでも親戚に自分の写真を送るのだけは不明だが(二十歳のお祝い金をもらっているから写真で返すのが普通と家族には言われ、調べていないのでそれがどのていどの普通かはわからないが、お祝いなのだからお返しとかないだろうし、返すとしてもそれぞれのタイミングでこちらも祝い金を渡すだけで良いとおもう。それを写真…写真とかもらってうれしい?うれしいならそうなんだでおしまいだけれどうれしくないのに慣習だからという話だとなおさら…)
2024/08/12
ようやくなにもない日になったのでrijをみたり時のみる夢を耳コピしたり自由に過ごした。時のみる夢はピアノカバーの動画がみつからず、参考できるものがなくて弾ければよいというかんじ。ピアノがちゃんと弾けるひとはうらやましい。締め切りの近いものが3つあるが、目処が立ったので今週中にはどうにかしたい。本当は12日中にどうにかしたかったがむりだった。楽しいことだけしていたので仕事に行きたくない。
2024/08/15
仕事の目標もくもくやって定時で帰る。ショッピングに出かけるときれいめの靴がセールになっていて、喜んで3足買う。そのままルミネでうろうろし、またどこに着ていく?というワンピースを試着したあといったんはあきらめた。いまはiPadProがほしいから些細な買い物もためらわれる。
2024/08/16
台風で呪術廻戦展にゆけずうだうだし、ピノ二箱食べても灰色の休日だった。前の日靴を買った理由のひとつが呪術廻戦展だったのもあり気持ちがかなり沈んでいたが、そもそもお出かけしたかった理由のひとつが最高におしゃれして遊びに行きたいだったのをおもいだし、急遽クーラーの効いた部屋で冬服のおしゃれをすると解決した。気力が湧いたのでセールになっていた「ゼルダの伝説 夢を見る島」を購入。同シリーズ「知恵の借り物」のまえにクリアしたいと思っていたのでよい機会.
2024/08/17
友人と食事in渋谷。二年ぶりくらいにあうひとだったが感情の起伏もなく。店の二つ上に占いの館があり、同じエレベーターに乗り合わせたひとがその階のボタンを押していた。わたしも占いにいって人生の主導権を他人に明け渡したいとおもうものの、先ずこういう感覚ではだめだろうともおもう。「彼氏いないの?」ときかれ、なんとなくながれでひとを紹介されそうになるが、年上好き(を公言している)、友だちを誘ってバンジージャンプにいく、人前では場のために頑張って話すが家では無口(と自分で周りに言っている)のがあまりぴんとこず、適当に他人の恋愛とかの話をしてながした。いまのところ彼氏がほしいというのはなく、結婚したいというのもなく(芯までロマンティックラブイデオロギーに侵されているので好きなひととは絶対結婚したい、でも結婚できるなら誰でも良いとは全然思わないし、好きでないひとと結婚するくらいなら結婚しなくて良い)、ただ定期券内にふたつ水族館があり、それに一緒に行ってくれるひとは欲しいかもしれない。(でもその話をして「たしか��水族館は一人で行く場所じゃないかもね」と共感されたとき、いやひとりで行ってもたのしいでしょうと思ったのでいらないのかも)
2024/08/18
一日夢島。赤い服を手に入れたからだいたいのフィールドモンスターを一撃で倒せるようになる。薬局にパックだけ買いに行ってあとはごろごろしていた。なつやすみおわっちゃう!とじたばたしながら寝る。
2024/08/19
まぶしさのわりに涼しく、夏も終わりそう。夏が嫌いなときなつっぽい単語を作って遊んでいたが終わりかけにもなるともう集まらないかも。 └角のない熱・ゴム製の硝子・泥の襞・重力の愛撫・錆の唾液・遅延する流体・永遠の乳歯
2024/08/20
いつも友人と遊ぶときはお店をうだうだ決めることになるが、今回は行きたいところがあるひとがいてさっと決まった。連日残業で帰ってお風呂に入るだけでなにをする時間もなくなってしまうが、ポケモンスリープだけは寝ている時間であそべてよい。お気に入りはヤドンとウパー。
2024/08/21
退社するとどしゃ降りだかネイルへ。後撮りに向けてうるつやのきらきらに爪を可愛くしてもらう。
2024/08/22
なんとなくマクロを組んでいわゆる業務効率化している。ちゃんと働いててえらい。
2024/08/23
Hのあつまりでご飯。待ち合わせが20:30で、はやめにつくとだれもいなかったのでコンビニで時間を潰した。歯ブラシを2つ購入。みなさん残業続きのようで、わたしの数時間程度の残業などたいしたことないようだった。Tが喫煙者になっていた。魚の脂がすごく、さいごまで食べきれなかった。でも色の変わるレモンサワーなどはたのしく、いい会だった。
2024/08/24
成人式の後撮り。けっきょく数枚よく撮れた写真をプランに追加したらほかの店舗のプランと似たりよったりの値段になってしまった。かえりはスパゲッティをたべた。写真の出来はまあよくもわるくもないけれど、自分の容姿が別に好きでなくてみおくったものを、その執着を捨ててたころに撮れたのは人生が進んでいるようでよかった。
2024/08/25
IKEAでぬいぐるみのくまを二体購入。中の綿がへたったとき綿を入れ替えるのと買い換えるのとどちらがよいだろう。サーモンマリネが美味しかった。
2024/08/26
夢島おわりそう。火の出る杖を手に入れた。カメイワはマグマが溜まっていたから氷の矢系かな?とおもったけどちがった。ゼルダの伝説シリーズは仲間がいないところがすごくいい。チャットともナビィ、ミドナ、ラインバッハとはお別れするし、コッコのお姉さんもぐるぐるおじさんも思い出の中の他人で、夢島だとワンワンもリンクには懐くけれどさいごには他人のペットとして鎖に繋がれてもういっしょに遊びに行けないし、そらとぶ鶏はニワトリ小屋のおじさんに飼われてしまう。だからこそ夢幻の砂時計のエンディングの、フレームアウトしていたラインバッハの船が画面に映る演出がすごく嬉しかった。ゲームのつるつるしたかんじに飽きてきて、だいたい本を読んでいる。ひさびさにお風呂でDr.STONEをみると七海龍水が格好良い。
2024/08/27
28日締切のものをいくつか仕上げ無理のないスケジュールになったので定時退社したがのこりは残業していて、ぱっと見た感じ遅延になりそうなものはないはずだがみなさんなにをしているんだろう。ノルマのためや個人的なものならよいがなにかわたしがスケジュールを見落としているのではないかとひやひやする。夢島クリア。ゲームオーバーせずクリアするとちょっと違うエンディングがあるとのことだがそこまでやるかは迷う。クロノクロスも中断しているし…。Nintendo Directでようやく水滸伝のリメイク発売日が公開され、延期になっていたので一安心。それならそのまえに百英雄伝を…とおもったり、そもそもやりたかったsea of star とか、でもそろそろ知恵の借り物が…とかんがえるといろいろどうでもよくなってくる。後撮り高かったからしばらくは無理だがipadproほしい、仕事のいまのフェーズはまったくたのしくないのでなんとかしたい、カラオケ行きたい、今年の衣服代たか(10万に抑えたい)など思いながらねる。
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♥Poorly Aged Post from 2018♥
ガチャゲーの女主人公総受けに潜む異性愛規範性が放っておけない、サモないと大変なことになるぞという話
(18/12/3追記)以下の内容は「公式もしくは公式コンテンツの中でキャラクター全員が異性大好き異性愛者であることを前提としていない・強調していない」という想定で書いています。 「公式で書かれていることに反した二次創作」という切り口に関してはそれ言われたらどうしようもないじゃん(強すぎてここで論じるのに値しない)という意味で 「『原作に忠実であれ』VS『二次創作の自由』論に関しては(原作に忠実というのが事実であるかぎり)同意できない主張にも最低限の正当性がある」(「見たくない人に嫌な思いをさせてはいけない」VS「存在すること自体をやめさせることはできない」) 「これから話すのは原作そのままの設定や関係性ありきである キャラクター同士の異性愛を好む人達とは関係のない領域について」としてまとめています。
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1年前から今までずっと苛ついていたことから楽になりたくて書いた文章です。 書いたのは女なので腐女子に該当します。シスジェンダーです。 性的指向と恋愛指向に関しては伏せますが、どちらもヘテロではありません。 以下の文章は普段からTwitterで愚痴として書いていたことについて、 できる限り汚い言葉を使わずに書いたものになります。
要約 ・異性愛規範を示すために「ノーマル」という表現を意図的に使い続ける人たちが嫌い ・異性愛規範を示すために「ノーマル」という表現を意図的に使い続ける人たちに 女主人公総受け好きが多いという体感とその根拠 ・女主人公総受け好きがよりによって「ノーマル」という表現が一層批難されて然るべきコンテンツに流入してきている ・流入してきた女主人公総受け好きの言動に腹が立っている
補足:これは誰かに何かを強制したりやめさせたりすることを目的にした主張ではありません。 他人を思い通りにすることはできないからこそ感じていることを伝えるために書いた文章です。 これは「LGBTの話」ではありません。私はLGBTのいずれも自認していません。 「怖い」「巻き込まれる」という表現を使って未知の相手を都合のいい的として利用しないでください。
1.異性愛規範性とは 2.異性愛規範性とガチャゲーと女主人公総受けの親和性 3.女主人公総受けの放サモへの流入 4.実際に起きたこと 5.最後に
1.異性愛規範とは
異性愛規範は、異性愛が唯一の性的指向とされること、または唯一の規範であること、 性的な、または婚姻関係は異性の人々の間で最も適合していることを前提としている。
(Wikipedia「異性愛規範」より)
異性愛規範は英語で「ヘテロノーマティブ(Hetero(異性愛) normative(規範))」 と言います。
ざっくりと表現すると ・人間は必ず男か女に分類される ・人間は必ず出生時に割り当てられた性別と自認している性別が一致している ・人間は必ず性的役割から逸脱していない ことを前提に異性愛を「こうあるべきもの」とした価値観のことで、 わかりやすくできる限り詰め込んだ例で言うと 「(男性と認識している相手に対して)彼女いないの?なんで?恋愛とか興味ないの? 普通好きな女の子とかいない?彼女がご飯作ってくれなかったらコンビニ飯じゃん! え〜っ料理が得意?裁縫が趣味?もしかしてソッチの人~?(笑)」 というような考え方のことです。
無自覚に人を傷つけているのがわかりやすいように上の例では詰め込みましたが、 これを限界まで小型化した言葉が「普通」です。 女性オタク界隈で頻繁に槍玉に挙げられる「ノーマル」のことですね。
先に自分の意見を言ってしまうと、 「ノーマル」という言葉の使い方は聞かされる度に自分が傷つくから嫌いだし、使う人のことも嫌いになります。 そして、おそらく嫌がっている人がいることを知った上で意図的に使っている人がいることも知っています。
2.異性愛規範とガチャゲーと女主人公総受けの親和性
2-1.ガチャゲーと恋愛要素を含む二次創作
話は変わりますが、 最近はアイテムを消費することによる抽選でキャラクターを獲得する 基本プレイ無料のゲーム(以下ガチャゲー)がたくさんあります。
キャラクターが順番に登場するストーリーとは別に「ガチャで獲得した手持ち」という概念があるせいか、 手持ちのインベントリをキャラクターが生活するコミュニティと見なす概念があり、 プレイヤーがお気に入りを決めて会話できるシステムがあるものが多いのも相まってか、 プレイヤーの分身とキャラ、もしくはキャラ同士の恋愛を主題とした二次創作が増えやすいようです。
二次創作における恋愛要素は���写されるキャラクターの性別を基準に ファン層の中で何を生産/消費するかの派閥として分かれます。
キャラクターのほとんどは男か女に分類されているため、 二次創作の消費者層は(複数の層に該当する人がいることを前提として) まず男性を性愛の対象とする層と女性を性愛の対象とする層に分かれ、 プレイヤーの分身である主人公以外のキャラクターが男性/女性に限定されるゲームの場合は どちらかが消えて片方に絞られます。 ※性別を変化させたキャラクター同士の恋愛に関してはここでは無視します
さらにそれぞれの中に異性愛と同性愛が存在し、男性異性愛と女性異性愛を重複としてまとめると 主な消費者層は ・男性同性愛を消費する人たち ・女性同性愛を消費する人たち、 ・異性愛を消費する人たち の3つになります。
同性愛を完全な嗜好と見なし、 自身の指向に基づいて消費する人たちのことを無視した異性愛規範のステレオタイプ的な言い回しをするなら 「腐女子」「百合男子」「”ノーマル”な私たち」ですね。 ここで触れるのは「男性同性愛を消費する人たち」と「異性愛を消費する人たち」の間に起こっていることについてです。
2-2.ガチャゲーと女主人公総受けについて
前述の通り、ガチャゲーにはプレイヤーの分身である主人公を除いたキャラクターが 男性/女性どちらかのみで構成されるものと、 男性/女性/ノンバイナリーなどの男女に当てはまらない性別の複数が混ざっているものがあります。 前者のゲームの場合、異性愛二次創作の消費者の中から (原作通りの性別の)キャラ同士の組み合わせを好む人達は除外されます。 タイトルで「女主人公総受け」と限定している理由の一つは、原作そのままの設定や関係性ありきである キャラクター同士の異性愛を好む人達とは関係のない領域が存在するためです。
男性のみのゲームにおいて存在しうるものは ・キャラクター同士の同性愛 ・片方のキャラクターの性別変化を異性愛として扱ったもの ・キャラクターにとって異性にあたるオリジナルキャラクターやプレイヤーの分身との異性愛or同性との同性愛or男女に限らない性との恋愛 になり、プレイヤーの分身の容姿が不明瞭であったり、 セリフがあっても選択肢によって言動が変わる場合は 上から下に行くにつれ外見や性格の創作性が強くなっていきます。
女主人公総受けは一番下に属するもので、 「総受け」の元々の意味まで辿って説明すると長くなってしまうのでまとめてしまうと 「メタ視点から見て女性主人公が複数のキャラクター(この場合は男性限定)から好意を寄せられている」ものになります。 女主人公総受けを好む人たちの典型的な言動を一つ挙げると、 公式が乙女ゲームを名乗っていないものを「○○(ゲーム)は乙女ゲー」と断言する形で呼んでいるのをよく見かけます。 本物の乙女ゲームならわざわざそんなことを言う必要はないはずですからね。
「女主人公総受け」を好む人たち曰く ・プレイヤーがキャラクターを所有する ・シナリオやコミュニュケーション機能によってキャラクターから敬意や好意を示される ・手持ちというシチュエーションを利用して主人公(自分)を唯一の異性にあたるコミュニティを設定することで ハーレム状態を想像して楽しめる ことから「○○(ゲーム)は乙女ゲー」と断言しているようですが、私はそれに加えて ・「複数の異性に好意を寄せられるモテモテ状態」のみを求める場合 生産/消費できる二次創作のパターンが限られる ・二次創作のパターンが限られると飽きやすい ・基本プレイが無料のゲームは一つのもの���飽きても簡単に他のものに手が出せる ため、ガチャゲー、中でも特に異性だけで構成されたものは、 女主人公総受けを好む人にとっては決まった形に当てはめて消費する際に 都合のいい原作に過ぎないのだろうと思っています。
ちなみに、イラスト投稿サイトやイベントで頒布される同人誌の数では、 女性キャラを性愛の対象とする層の中では異性愛が女性同性愛よりも、 男性を性愛の対象とする層の中では男性同性愛が異性愛よりも人気が高いと言われています。
楽しみ方は人それぞれで済めば良いものの、 敵対意識の強い人たちにとっては同じ原作のファン同士という戦場で 原作キャラのみでアブノーマル扱いされる同性愛と、 オリジナル要素の強いキャラを含んでいてノーマル扱いされる異性愛が一騎打ちになるわけです。
2-3.異性愛規範と女主人公総受け
ここで異性愛規範に話を戻すと、「女主人公総受け」に代表されるような 男性を性愛の対象とし、二次創作において男性同性愛と競合している女性の場合、 ・異性愛を「ノーマル」と呼ぶことで他の性的指向を異端視する ・フィクションにおいても「BL」「GL」などではなく「ホモ」「レズ」などの呼び方を選ぶ ・結婚や妊娠が行えるのは男女間だけであることを二次創作の恋愛における正当性の根拠にする ・原作での描写や設定に拠るのではなく、「ノーマル」が正しいのだから全てにおいて 同性愛は退けられるべきと主張する のようなヘテロノーマティブな行動は 数で劣る男性同性愛の二次創作に対するカウンターであると同時に、 異性愛そのものの優位性を示すマウンティングとして機能しているように思えるわけです。
補足:キャラクターの性別が混合しているゲームでも同じことは起きているけど 2-1のゴチャゴチャぶりから分かる通り派閥が多すぎて大変なので省略します 補足2:正直に言うと男だけの某ゲームから性別混合の某ゲームに移ってきた女主人公総受けの人たちを見て 「だいたいアレのせいじゃん」と思っている偏見が大いにあります 補足3:「原作に忠実であれ」VS「二次創作の自由」論に関しては(原作に忠実というのが事実であるかぎり) 同意できない主張にも最低限の正当性があると思っているため切り離しています
3.女主人公総受けの放サモへの流入
3-1.ガチャゲーと異性愛規範
テレビゲームの歴史に学ぶ通り、 ゲームの主人公というものはシスジェンダーでヘテロの男性として設定されていることが多く、 プレイヤーが主人公の性別(容姿)を選択できるゲームであっても、 アニメなどの大きなメディアミックスでは男性主人公が登場し、 プロローグではパートナー/ヒロインとなる女性キャラと運命的な出会いをするものが王道として扱われます。 ※ゲームの主人公についてはここで糾弾したいわけではないので事実の再確認程度に受け止めてください
主人公の性別(容姿)を男女から選べるゲームであっても、 バレンタインデーやホワイトデーのような主人公対キャラクターの疑似恋愛要素の強いイベントにおいては、 主人公の性別が内容やプレイの可否そのものに影響することが当たり前になっています。 自分でプレイしているわけではないので影響がどのようなものなのかに関しては触れませんが、 その影響は決して誰も傷つけることがないものというわけではないと思います。 異性に限定された恋愛対象や主人公の性別によって態度を変えるNPCであったり、 何気なく書かれているであろう否定的なセリフに対して落胆するのはコンシューマーゲームで既に通った道だからです。
���らに言うと、 男性/女性キャラクターのみで構成されたゲームの場合、プレイヤーの分身に明確な性別設定がなかったとしても 「男性キャラのゲームは女性向け」「女性キャラのゲームは男性向け」と扱われることが当たり前になっています。
これらは上で触れたゲームの歴史に息づいてきた異性愛規範があるからこそのものであり、 異性愛規範が支配しているからこそ二次創作において同性愛は キャラクター同士であれば「全てのキャラクターはヘテロであるはず、これはおかしい」と批判され、 キャラクターと同性にあたる主人公であれば「異性でやればいいのに」と貶されます。
3-2.放サモについて
そんな中、異性愛規範を意図的に撤廃したスマホ用ゲームが登場します。 PC用のゲイ向け18禁ゲームを製作していた同人サークル「四畳半的生活」を前身とする 合同会社「ライフワンダーズ」の第1作、ゲイ向け恋愛ゲームの「召喚勇者とF系彼氏」です。 意図的に撤廃という書き方をしたのは、「召喚勇者とF系彼氏」の作風には 同人サークル時代のものとは明らかな違いがあるからです。 過去の作品は1960年代~現実とほぼ変わりのない現代の日本を舞台に設定し、 日本社会の中にあって当然のものとしてホモフォビアを含む異性愛規範が頻繁に描かれていたのに対し、 「召喚勇者とF系彼氏」は典型的なRPGを連想させる中世〜近世ヨーロッパ風のファンタジー世界を 舞台にすることによって、しばしば消費者から「現実性」として押し付けられがちな異性愛規範を排除しています。
全4章が分割形式でリリースされていた「召喚勇者とF系彼氏」の第1章配信後に開発が告知され、 2年後にサービスを開始した第2作にあたるガチャゲーが「東京放課後サモナーズ」です。
「東京放課後サモナーズ」も「召喚勇者とF系彼氏」と同様に現実とは異なる世界を舞台にしていますが、 設定では過去に人間以外の種族が流入したことによってそこに住む人間たちが生態や文化の異なる他者へ適応した 「現在とほぼ同じ時代でありながら現実にあるような規範が撤廃された東京」になっています。
双方の作品において撤廃されている異性愛規範は登場人物の言動によるものだけではなく、 物語そのものやその世界の社会におけるルールの中にあるものも含まれています。
「召喚勇者とF系彼氏」の第1章における男性主人公による男性キャラクターを恋愛対象とした二択は、 多くのコンシューマーゲームで女性キャラクターを対象として行われてきたことのやり直しであり、 「東京放課後サモナーズ」では男性主人公をデフォルトとした上で、 プロローグで男性のキャラクターと運命的な出会いをします。
「召喚勇者とF系彼氏」では婚姻は異性間のものに限られるという制約はなく、 現実にはない方法によって同性間で子供を設けたり、養子を育てていく結末も描かれています。 「東京放課後サモナーズ」の世界における制約に関しては今のところ肯定も否定もされていません。 一部のキャラクターは性別に関係なく子供を設けることができると明言されています。
「東京放課後サモナーズ」はLGBT向けゲームとして宣伝されており、 男性的/女性的な主人公の容姿と自認する性別を別々に設定するできることと、 恋愛関係を設定できるシステムにおいて性別の組み合わせが異性間に制限されないことをアピールしています。 そして、LGBT向けという趣旨に対して要件を満たしていないという話題において言��されることの多い特徴が、 登場するキャラクターのほとんどが男性であることです。 ここまで話せば次に何を言いたいのかはわかってもらえたと思います。
3-3.女主人公総受けの流入
光あるところに影はある。 意思あるところに道はある。 壁に耳あり障子に目あり。 国破れて山河あり。 城春にして草木深し。 火のないところに煙は立たず。 男あるところに女主人公総受けありとばかりに、異性愛規範を携えた女主人公総受けの愛好者たちは 「ノマカプ」という他の指向や嗜好を否定する言葉を使い続けるその口で 「『好き』が否定されない」「自由な愛」「多様性」と唱えながら「東京放課後サモナーズ」にもやってきます。
4.実際に起きたこと
これから書くことは実際の体験です。 女主人公総受け好きの人たちの中にある異性愛規範が他人を嫌な気分にさせるという例です。 取るに足りないことだと感じる人もいるだろうと思いますが、実際に嫌な気分になったので書いています。 言及している相手が誰なのか探せばわかってしまうかもしれませんが、 直接名前やツイートの原文を出していないことを配慮として汲んでいただければと思います。
1年前に私は「東京放課後サモナーズ」の二次創作漫画を描きました。 漫画と言っても1ページで終わってしまう単調なコマ割りの落書きで、 女性主人公が「少ないけど女性キャラクターが可愛い」と話す内容で、「少ない」の部分が揶揄の意図を含んでいます。
ハッシュタグをつけているためそのまま投稿するよりもRTされやすく、 間接的に感想がつけられていることもあるので「リツイート直後のツイートを表示するやつ」という 外部サービスを使って確認していると、以下のようなリツイート直後のツイートがありました。 できる限り元のツイートの形を変えないように、かつ全文が一致しないようにしています。
「男性が放サモ始めると男主人公を選ぶので出てくるキャラが男ばかりなのを見て『ホモゲーだ!』となるのか」 「女の子も放サモをやって人外ハーレムを作ろう」
最初は全く意味がわかりませんでした。 女の子もやろう?女主人公を描いてるのに? 男性がやると?そんな話一言もしていないのに? 「『ホモゲーだ!』となる」ってなんで取り違えてるような言い方を?同性愛が無視されていないゲームなのに?
おそらくその人が私の漫画を「女性主人公でプレイしている男性異性愛者」が描いたものと 捉えて言っているのであろうということに気づいた途端、ひどく嫌な気持ちになりました。
それ以前にその人が描いた「東京放課後サモナーズ」を紹介する漫画を見て疑問を抱いていたことも原因です。 漫画の中では「東京放課後サモナーズ」がLGBT向けゲームであることと LGBTについて説明しているにも関わらず、恋愛システムが自由であることの例として描かれている 組み合わせが ・シス男性主人公と女性キャラ ・シス女性主人公と男性キャラ ・男性的な外見の女性自認主人公と女性キャラ ・中性的なシス男性主人公と男性キャラ など大半が「外見上は男女に見えるもの」であり、 その人自身もプロフィールで「人外×少女が好き」「女主人公モテろ」と名乗っているのを見て、 漫画内での主張とその人の価値観が噛み合ってないような、悪い言い方をすれば嘘くささを感じていました。
ヘテロセクシュアルで��ない人たち(+シスジェンダーではない人たち)に向けたゲームについて 理解を促すような語り口の漫画を描きながら、そのゲームをプレイしている人は皆ヘテロセクシュアルだと思い込む。 「ノマカプ」という言葉を使い続け、「東京放課後サモナーズは男キャラがたくさんいるから乙女ゲーム」と言って宣伝する。 そんな人から無理矢理な理屈で自分の性別を間違えられたことに耐えられずに、その人のことはブロックしました。
異性愛規範を撤廃したゲームを楽しんでいるところにすら入り込み、 自分たちが正しいと信じている異性愛規範を撒き散らしていくというのが、 私の中に形成された「女主人公総受け」に対する印象です。
5.最後に
当然、女主人公総受けが好きな人の中にも異性愛規範を持たない人はいるかもしれません。 そんな人がいるなら、これからもそのままでいてください。 自分はあんな連中とは違うと胸を張ってください。 もしかしたらブロックしてしまっているかもしれないけれど、私が見たくないのは 女主人公総受けと女主人公総受けを通じて浴びせられる異性愛規範であってあなた自身ではありません。
「誰でも言ってることじゃん」と思った人がいたら、まずあなたがやめてください。 どうしても言うことを我慢できないような理由がないのであれば聞きたくありません。 私が求めている「『好き』の否定されない世界」は「現実に存在する異性愛規範に脅かされる心配のない世界」だからです。
無意味!ガハハ
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主治医から、買い物依存症としての治療をはじめていきましょう、と言われた。パーソナリティ障害や、発達知能の問題にするよりかは、両親の理解を得やすく、つまり都合がよく、便宜的にそうするという主治医自体も、どんずまりな気持ちで自分に伝える決意をしたのだろうと、そう思えた。
ヘロインを数滴たらした水と、ふつうの水を用意して、大小ふたつのケージのなかにねずみを入れる。すると、味もよくないのにねずみはヘロイン入りの水をよく飲むようになり、それは小さなケージのほうが、ヘロインに「ハマる」ねずみが多い。
主治医が話してくれた、「憶測の域を超えない」実験として、これをあげてくれたのは、私が「依存症というのは、器質的要因と環境的要因はどのように考えられているのか」と質問をしたからだ。
ケージが大きいとそのぶん、ストレス発散もできるが、小さいとそれができず、オレもやってる、オマエもやってる、というので、薬物仲間の縄張りができ、そうやって離れていったねずみたちは、孤独にたえられなくなり、「オレもやってる」と、ヘロイン入りの水を飲むようになる。すなわち、環境要因として「耐えられなくなり」手をだしているのではないか、というものだ。
「おもしろいですね」
と自分は言った。それがどれだけ無責任で、たくさんの人を傷つけているのか、自分はあとで思った。消極的に「領域を閉じて」決定されること。自分は、紙を切るはさみのように必要とされて生まれたのではないと、高校のときみたいに思った。
親は私の胎動がはじまった頃のことを、次のように話す。「わたしがほしい!いまだ! というときに妊娠した、おまえはわたしのところに、くるべくして来たんだよ」そういうが、内情は、父親に「離婚するか子供を作るかどっちかにしろ」と、せまったことらしい。
ながらく、じぶんは親に「おまえがいたからわたしは離婚しなかった」と言われてきて、じぶんは家庭の生命維持装置なんだと思い、親から同意をさそわれたことに対しては「はい」と回答してきた。自分は、じぶんで考えることを、本を読むようになり、本を手放したときに、ようやく気付いた。自分の意見として言ったはずのことが、ぜんぶ親の意向だったことに気づいた。じぶんは、進路を決めるときに父親にコネではいれないのか、と聞いた。
考えるのは好きだ。考えるのが大好きだから、誰かに汚されていることに気が付いて、本当に苦しかった。自分の思考は、この気持ちはだれのものなのだろう、と考えて、もう10年経ちそうだ。
俺は一体誰なんだ、と思うけど、その時に指さす相手が自分自身でないとは限らない。
自分が何者なのか分からないし、自分は特にすごくないと思う。自分は、すごくなりたくない。でも、少なくともアンタよりは天才的でありたい。そう思って、何かを作ってきたし、きっといまもそうなんだろう。主治医にも、
「じぶんが『苦しい』と思ったとき、無作為に抽出した出来事に対して、その都度おもう感情は違う、ということに最近気づいた」
「じぶんが『苦しい』と思うとき、苦しいから『苦しい』という言葉で現出したのか、『苦しい』という言葉から苦しさが現出したのか、わからない」
こんなことを話した。主治医は「どちらもある。原因をさぐるのに因果的に遡及しなくてもよい」ということを言っていた。こういう話をするたびに、主治医はあくまで医者なんだなと思う。べつに哲学的井戸端会議をしたいわけではないけど。
からだにいっぱい異常が現れている。緑内障の疑惑が出ているが、検査結果を見た感じ、ほぼ確定だと思う。足が一日中しびれているのは、もう何年もだけど病院にいっていない。さいきんは、もともとあった手の震えにプラスして、頭を固定するのが難しくなった。あたまがぶれて、視界もぶれる。
神経系が壊れているんだろうな、と思う。故人の名前を聞くたび、うらやましい気持ちになる。今日死んでしまったあなたの代わりに、私が死にたい、と毎晩祈っている。
「総毛立つ」という表現がまったく合っているように、全身に寒気のような電撃のようなしびれが走る。今日の朝なんてひどかった。
あるとき、ラーメン屋に行って幼児が描いた絵をみた。そこで自分は、年齢が上になればなるほど、人間のかたちは閉じた線で描かれるのではないかと思った。ペンを持てる年齢や、その人の巧拙はあるにしろ、顔をかくときには、まず「丸描いて」ちょんなのだ。
モノがそこにある、というのは、端的に、モノが自分から見える二次元平面状で輪郭があり、閉じているということだ。じぶんは絵を描けないけど、美術史をざっと通し見したら、この、モノの輪郭との闘いが美術なんじゃないのかと思った。
あるものがある。というのは、ほんとうに、どういうことなのかさっぱりわからない。年を重ねるごとにわからなくなる。
消極的に、つまり外部から因果的に求められて「在る」ようになるのか、それ自体���個物として生まれいでるのか、まったくわからない。
小泉構文として揶揄されるのは、自分は同一律だと考えている。「A=A」。自分はこの同一律が大好きだ。というか、一日のうち大体これについて考えている。同一律から派生して、きょうはシャワーをあびながら、こんなことを考えた。
恋愛は真剣(マジ)でないと成立しない。真剣(マジ)でない恋愛は成立しない。
どういうことか。
ひとに「あなたは真剣に人生と向き合ってますか」と質問したら、たいていの人は否定するだろうが、すくなくともあなたは「それを否定するのに」マジになったのだ。このメタ構造はどこまでも内包する。
論理学でおなじみ、質問をしたら真実に対して真逆の答えを言うひとがいるとする。これは紛れもなく、「真実に対して真逆の答えを言う」ことにマジである。
アンチ・恋愛をやってみたいのだけど、アンチ・恋愛とはなんなのか、さっぱりわからない。でも、このたとえの上に想定が付くのは、
「『あ』を描こうと思いながら『か』を描く」ようなものだ。
と、それは狂っていても、できないことだ。
ふりかえって、Δt秒前に考えていたことが誤りであったことに、気づくのではない。一生わからないのだ。このΔtは無限に分割できるし、その無限は2に収束しない。そのΔtが生命の時間、すなわち有限であること。そうして誤りにきづかないまま、死んでいくこと。
同一律は、こういうものではないとわかっていても、思考は加速する。それは端的に、じぶんの、自分自身への真実に迫りたい欲求なのかもしれない。
YouTubeのコメント欄をみていると「そんなんいわんでも誰でもわかるわ」な意見がみえる。けれど、人間と話したいなら他人がわかるように言わなきゃいけないんだ。ほんとう、自分はこのことを知らなかった。
数学や哲学にふれて、わからないものだらけで、わくわくした。自分がわからないもの、それが確かにあるだけで、安心できた。未来に希望を持てた。楽しい気持ちになった。うれしくなった。
でも、そんなの、調べればわかるんだ。勉強すればわかるし、調べればわかる。わからないものがわかっていく間は、たのしい。でも、おおざっぱにわかってしまうと、悲しい。もう自分は、現象学を辞書で引いて、意味不明な言葉に出くわすことはない。自分にとって、意味不明であることが、ずっと素晴らしいものだと、魅力に感じていた。
コメント欄では「知っている」文章しか流れてこない。ぜんぶわかる、なら読まなくていい。
これからさき、しらないものに出会わないなら、生きてる意味がまったくない。苦しいばかり。ただ「全て知っているもの」に対して、耐え、飽き飽きしていくしかない。そのなかで衝撃に出会って、Δt後には、わかるものになっている。こんなかなしいことって、ないよ。あんまりだ。
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多分、浜崎あゆみとか😂椎名林檎あたりは😂俺が、言ってる、ヒャーたれのこと😂理解してると、😂思うよ😂なんでかってさ、😂俺たち、三人、😂世代が😂同じやし、😂何より😂九州人😂なんよ😂で、この、ひゃーの、はなしはさ、😂俺、世代の😂なおかつ、九州人じゃないと、😂伝わらんし😂理解できんと😂思うんよ😂
で、anoも、ひゃーでは、あるんやけどさ😂なんか、新しいんよ😂なんでかって言うとさ、基本、ヒヤーってさ、😂ひっそりと、自分たちと、似てる友達と、クラスの陰で、😂ひっそりと、してるんよ😂だからさ、anoみたいにさ、😂威張ってないんよなぁ😂しかしさ、😂りんご、アユ、😂本田翼の、ヒャー具合さ、😂パなかったな🤣🗯️
多分、anoの、新しいタイプの、ヒャーはさ、😂結論で、言うと😂窮鼠猫を噛む😂なんよなぁ😂そう、動物もさ😂進化の過程で😂強き、者に、喰われないように、😂弱生物が、😂足が、速くなったり、😂高い、木の、上の、実を、食べるために、首が😂長く、なったようにさ😂そう、つまり、基本、ひゃーは、😂クラスの陰で、ヒッソリ、身を固めていたのがさ😂自分より、レベルの高い、女たち、根暗な、女たちがさ、自分より、イケてる、女たちに、対してさ😂牙を、向いたのよ😂つまり、anoは、新しき、ヒャーの、革命😂つまりはさ、😂ヒヤーの、レボリューションを、😂起こした😂進化版の、まったく、もって😂新しいタイプの😂ひゃー、😂なんやろうなぁ😂
だってさ😂可愛くて、綺麗で、イケてる😂ローラをさ、😂ヒャーである、anoが、負かしたんやから😂そう、anoは、ローラを、芸能界で、😂見事、負かしたのよ😂
でさ、俺が、東京に、住んでる、最後のほうまでは、時代は、そして、芸能界は、ローラが、😂実権を、握ってたのよ😂つまり、2014年12月末までは、ローラが、芸能界の、先導者やったんよ😂で、いつの間にか😂俺が、😂福岡に、移り住んで😂つまりは、2015年1月あたりから、時代が、ローラから、anoに、引き継がれる、瞬間やったんよ😂つまり、2015年は、😂そんな、年だったんよ😂で、ローラの、先輩😂つまり、一つ前までは、😂だいぶ、老いてはいたけども、😂まだ、アユの時代😂そう、つまりは、まだ、時代は、ギャルの、帝王😂浜崎あゆみが、芸能界の、実権を、握り😂先導してたのよ😂そう、浜崎あゆみが、😂芸能界を、😂牛耳ってたのよ😂それが、いつの間にか😂浜崎あゆみ(ギャル)→ローラ(コメディを、持ったギャル)→ano(ヒャー要素を、残しながらも、ギャルを、取り入れた、まったく持って、新しいタイプの、ヒャー女)なんよなぁ😂で、ちなみに、一つ、付け加えると😂浜崎あゆみも、ローラも、😂スーパーギャルなんやけども、😂ヒャー要素は、一切、ない、😂正真正銘のギャルなんよ😂そう、男が、最も、苦手とする、それでいて、めちゃ��ちゃ😂彼女にしたい、ギャル要素のみしか、持ち合わせてないんよ、😂つまり、浜崎あゆみも、ローラも😂ヒヤーの、経験は、ないんよ😂二人とも😂だから、anoは、ひゃーの、叩き上げ、つまりは、いけてる、グループの、ギャルに、対して、窮鼠猫を噛む、なんよなぁ😂でさ、もっと言うと、anoは、ヒヤーであり、ギャルであり、さらに、LGBTなんよ😂で、浜崎あゆみと、ローラは、普通の、ギャル女で😂LGBTでは、ないんよ😂つまり、anoは、鬼に金棒どころか、二刀流どころか😂三刀流😂なんよなぁ😂
ヒャー & ギャル & LGBTならさ、😂そりゃ、😂芸能界の、みんなはさ、😂anoに、からみ辛かろうなぁ😂
やっぱ、このくらい、パなないと、😂女で😂はじめての、😂仏には、なれんのやろうなぁ😂悟空雲☁が😂anoとの、恋愛を、続けることも、😂慎吾の、仕事って😂言ってる意味が😂ようやく😂分かったよ、😂理解できたよ😂
ポチャコとか😂その、あだ名の、つけ方😂それが、ヒャーの、仲間なんだよなぁ😂
でも、そんな、anoでも、さすがに、シュガーソウルの、アイコには、😂勝てんな😂あんな、イケてる女😂浜崎あゆみも、ローラも、椎名林檎も、😂多分、怖いと、😂思うよ😂
そう、😂もう、ぶっちゃけるけどさ😂ロックより、ヒップホップのほうが😂イケてるんだよ😂残念ながら😂

そう、😂もう、ぶっちゃけるけどさ😂ロックより、ヒップホップのほうが😂イケてるんだよ😂残念ながら😂
でさ、ただ、その、強敵、ヒップホップを、負かす方法は、一つだけ、あるんよ😂それは、宗教心😂そう、禅ヒッピー、キリスト教、ブッダこのへんの、アイテムを、うまいこと、つかえば、ヒップホップなんか😂ちょちょいの、ちょい😂なんよなぁ😂つまり、音楽に、無知な俺が😂彼らより、カッコイイのは、😂その、宗教のこと、しっかり、勉強してるからなんよなぁ😂
で、俺は、今、さらに、その、人間が、神の、宗教を、すでに、卒業して、野生動物達の、愛の世界に、もう、すでに、入ってるのよ😂つまり、ビートニクの、そのまた、上の、領域に、すでに、俺は、いるのよ😂今😂
そして、俺さ、😂その、野生動物たちの、愛の世界に😂入ってるだけでは、😂まーだ😂満足せんのよ😂その次の😂世界😂つまりは、木🌲や、植物を、😂神に😂たたきあげる、😂世界を、😂今、😂猛烈に😂開拓してる、最中なんよ😂実は😂
少し前に、近所の、公園にさ😂植物の、種を😂植えたり😂してるのよ😂俺😂
あと、苔、つまり、コケね、😂コイツを、岸壁から、😂剥ぎ取ってさ😂DAISOで、買ってきた、植物や、野菜の種を😂その、剥ぎ取った、苔の、下に、まぶして😂その、苔&植物の種に、水やり、あと、爬虫類の、カルシウム剤を、まぶしたり、してるのよ😂俺😂今😂
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型にだけひとつを簡略してしまうとそれこそ'旧来を強める'ような追認をして、会話途切れたりの仕組みをも。


こういう'読み方それ自体'の意味で込み入った領域に来てみて思えることかもしれないけども 現実と夢とか公私がどうとか、理想のあわいに力無く居る場合に。。会話で辿る部分だからこそ... 理論で当てはめるとなると、その時その人何に意識があり陰影があるか。いわゆるの特権というものが幻想的に��え合われているむごさでもあり、そこに留まるものが沿う時に、今は脇道であるほう、も真摯に共有しないとどうしても窮屈で 自分の中で論じざるを得ないものもあるから、繰り返されるものの中で見つけたくなって、自分がいなくなりそうにもなり、読み方の上で書けることがあり。実際遠回りぽくても仕方ないと思う時もあるし痒いままのヒリヒリいつでもぶり返すようで そうだな私も批判的なものに対して冷静でいられない(反例は探す)、他人事になれない私の混同があって悩み、他者の中の闇も怖く、怒っては怯えになったろうし、どうしょうもなく、やりきれないやつなのだ、何というか多分 許さないひとり ではね 意識や誇りだけではね シンプルに恋愛の仕組み(だけじゃない)の重み回 楽なものにも続きのないものは恐れていくし、言葉になったものも増えていくけれど、自分の底は何なんだろうねと、したい事というものの楽しさは一旦置いてしまった後も、バランスって何だろなと思えてはいるし、取れないからの膠着 精神分析の過程はやっぱり共同の作業だから、言葉づかいふるまいは生々しくリアリティを持って立ち現れるのだろう 一方で他所のものみたいにも見えたりするだろう 言葉の思い込みから抜けないといけない作業でもあるし理由を創っていく方法でもあるだろうから、嫌なものに嫌と出会うし、良いものは解放されうるだろう(希望) 規範の何かひとつ、が囲い込むように自責としてちらつかない状態であるべきなのかもしれない?泣ける こんなに怖いから、意識のないままのものからも聴こえてくるから、ふといろんな人の目や自分の目の話、個と共同体の話、信じる信じないの話、環境や文化、民族、普通と思うものの話、冷めていくながらにも巻き込まれちゃうが 悔しくて悲しくてそれもどこに安息あるのか分からないほどだったから許しきれなくて 戻れも行きもしない 本当にそれがいたいことなのという言葉の響き。。。





今でもこの概念は重要と言い切っていいのだろうか? 患者さんでエディプス的なものが人生最大の課題として、それを解決するために精神分析が必要だという方も沢山いらっしゃる。フロイトの守っていた「両性性」。それが何を探してこそ自己の手をとってくれるだろう?心の男性性、女性性、だけでなく老若男女、大切さのまま...。日本人の精神を昔話や神話の女性に当てはめると手がかりに歩きやすいのならばと思った後。主張の中に選民的なものが宿ることは分かった気がして、そして括って管理としたり抽象的に他者が名付けてしまうと...仮にその線引きが具体的になれたとしても、自分とはという語彙が壁にしかならない議論なら本当やっぱり辛いから。見てられない。自分のバイアスも無視してはあげられなかった。我々は。原因に迫るだけでなく偶然性にも意欲にも鉢合わせて。というか'ひとつの真理'が必要ないことで。あー些細なことにも大雑把なものにもこういう景色があるとなー。ひきごこもごものまま続く。何が自分の気持ちか、それのいかに見えないかを思う時の確かな気持ち。涙は出るしコントロールのないところで夢も見えるし。心や霊的な力の生かし方が難しいことにはなってしまったが、思い出したいからこらえているんだ 傷を自分のものだけー強い自己とはを決めては存在したいほうにいけない 忘れたい傲慢なんか減るのかな 忘れた時には自己ごと忘れちゃうのかな
いかに各人の夢(願望、無意識)のイーチネスもしくはインディビジュアリティ個別性、個人性(自由という概念も、やはり東洋西洋的に沿ってみられる傾向も無視しきれないくらいある)を横取りせずに、いかに規範の中に位置付けうるか、そういう大切さを繰り返し感じる領域である
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さっきみんなに見える方でどこをどう切り取っても愛おしいって書いたやつの補足なんだけど、笑ってたり怒ったりしてんのは勿論なんだけどこんな話してくれるんだとかそんな反応してくれるんだってとこでも愛おしさ爆発すんだよね。いくら相手のこと知りたいと思っても俺らの恋愛観だと限度があるじゃん。今までだったらこれ以上は聞いてもこっちがただただ気まずい領域かも、みたいなのあったんだけど岸にはそれが全くなくて。もっと色んな話聞いて岸が今までどんなものに触れてきてどんな感じ方してきたのか知りたくて仕方ないの。これ片思い初期になるやつじゃね?遅れて片思いスタートしてんの?けど恋愛観まで変えられてきてんのちょっと困るなー。ほんとに岸以外じゃ無理になっちゃうじゃん。ごめん、ほんとは嬉しいくせに照れ隠ししました。いやこれで喜んじゃってんのも末期な気すんな…怖くなってきたからここらでやめときます。
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バタースカッチ・コキュートスのホテルへようこそ! ケンタウロスのヒュー
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◆ヒュー身上調査書
姓名:Hugh Godah Chyllon(ヒュー・ゴダ・キロン) 愛称:ヒュー、ヒューゴ 年齢:531歳 性別:男 種族:ケンタウロス 寿命:老衰なら2千年くらい 誕生日:1492年8月25日 星座:おとめ座 体長:318cm ※前足の蹄からツノの先まで 体重:1084kg 髪色:燻った溶岩の臙脂色 瞳の色:赤色 肌の色:赤銅色 声の質:ゆったり堂々とした声 戦いの際は隣の山に響くほど大きな声が出る 魔術、特殊能力:体内で常に溶岩のように熱を溜めておき、炎として口から吐ける 身体的特徴:尻尾や髪は燃えているように常にメラメラと揺れている 触ってすぐ火傷するほどではないがそれなりに熱い 恋愛、結婚観など:遊びの恋愛などはなく、一人の番を死ぬまで一生愛するつもりでいる 出身:奇峭な岩窟 職業:戦士/石工職人 癖:眉間に皺を寄せる、考えごと 酒癖:ビールとラム酒が好き たくさん飲んでたくさん食べたい 強いが酔っ払うとだんだんアルコール度数に比例して物理的にヒートアップしてくる 人間に対して:わりと友好的で遠く離れた地域で暮らしているせいで人間の生態について疎い 人間はちょっと食べてみたい ホテル役割:ゲスト
*交流向け 恋人/許嫁:ロージー・ドライカンパ 一人称:俺 二人称:お前、あんた 呼び方:名前呼び捨て
*���要
体表に熱と炎を帯びる誇り高きケンタウロスの戦士。が、最近は戦いが少なく石工職人をしていることが多い。性格は大真面目で大雑把、しかし意志とこだわりが強い武骨者。戦争と風呂が大好き。 普段は巌窟に住む人馬の一族。山を一つ越えた場所に住むタピラ族という巨人族とたびたび戦争し、大暴れしている。いつも忙しく働いているため、ホテルに来るのは今年が初めて。
*性格
大真面目で意志が強い武骨者。情熱的で欲深い。数少ない欲しいものは必ず手に入れる主義。自分の意思は常に正確にはっきりと伝える。仕事や戦争に関しては完璧を目指すが、それ以外のことにはかなり大雑把。強い信念を持って理想の地点までひたすら静かに全力を尽くす内側は熱い男。忙しくするのが好きで、暇になると何かと仕事を見つけては働いている。 戦士として育てられたため修行修行戦争の日々を好み、戦争がない時期は若干テンションが低い。テンションが上がりすぎると血湧き肉躍り火山を噴火させる大暴れになるので、ちょどいいといえばちょうどいい。 なんだかんだ根は楽天的で自信家だが、独占欲ゆえに財産を浪費せずいろいろ溜め込み傾向にある。
*モンスター生態 炎や熱を操るケンタウロス。体内で常に溶岩のように熱を溜めておき、炎として口から吐くことができる。出力する熱のコントロールは上手いが、体表の熱コントロールは苦手。人間社会に混じることがほぼないため、人型になるのもかなり不得手。魔力を大爆発させるほうが得意で、調子のいい時は火山に活を入れて噴火させることもできるが、ふもとの人里から自分の一族の領地まで巻き込む大惨事となるため「戦争に勝つための捨て身攻撃」に近い。 ケンタウロスであるため当然足はとても速く、重い荷物を持っていてもどこまでも駆けることができる。まったくの疲れ知らずで燃費がよい。冷たいものは苦手ではなくほどよく落ち着く程度。悪魔の血も少し混じっているが、薄まっているため聖なるものが苦手なほどではない。
*家族、一族について 人の寄り付かない切り立った岩山を主な棲家とする人馬の一族。大きなケンタウロスの群れで、キロン族をはじめいくつかの枝分かれした血族がいまだ一つの共同体として暮らしている。過酷な環境でも育つ生命力の強さと生まれつき魔力を炎や氷など何らかの属性に変えて操ることができるのが特徴。 溶岩地帯から寒冷な山、草原など領地はとても広い。昔から山を一つ超えた場所に住む巨人のタピラ族と肥沃な地を巡って争い続け、現在は戦争のせいですっかり不毛の大地と化している。 そのような歴史のせいか古来より外部からの侵略者に排他的な種族であったが、ここ2~300年の間にかなり緩和されつつある。しかし独自の言語や文化体系は継承され続け、少しずつ外のモンスターと文化交流が進んできている。キロン族の作る頑強で非常に壊れにくい石や金属の武具、家具、精緻な金属装飾などは外でも評判がよく職人技の逸品揃い。 基本はケンタウロスの見た目の者が多いが純血主義ではなく、若い者ほど混血が進んでいる。キロン族には悪魔の血も少し入っている。みんな風呂好き。
*能力 優れた戦闘能力、馬力、無限といえるほどの体力を持ち、自身の炎を操っての攻撃に長けている。得意な武器は手斧と金棒など近接武器。また手先が非常に器用なことと設備などが揃わなくても自身の熱や炎によって石や金属を加工し、非常に頑強で精巧な武器を作ることができる。最近は戦争がご無沙汰のため、その技術は家具や家屋などの石工職人として使われている。意外とビジネスが上手くニッチな需要をうまく突いて財産を増やしている模様。 一度歩いた道を忘れることがなく、方向感覚に優れている。
*キュリオンゴッツ製品について
ヒューと兄ルーカスが中心になっている製品事業。名前の由来はそのまま「キュリオン(キロン族の)」と「GOTS (Goblin Optimal Technic Standard/ゴブリンによる最善技術者基準)」をつなげたもの。数百年前にキロン族の製品が世に出回るようになった頃、その技術力の高さからゴプリンの認定を受けブランド名として付けることを許可された。一度損しても継ぎ目をぴったり繋げることができ、本格的な修理をするまでのかなりのあいだ十分使うことが可能。そこから状態が悪化することもない。 家具部門では素材の頑丈さ、壊れにくさに特化することによって合う家具や道具を見つけづらい種族の労働者たちに、美しく実用的でもあるジュエリーは金銭的余裕のある女性たちを中心に需要を高めている。高級すぎず、たいへん丈夫なため長い目で見ればとてもコスパがいいと評判。別々の作品もあれば、主に設計や素地を弟のヒューが、デザインの仕上げは兄のルーカスが担当することも。
-(ドラゴン族の労働者)キュリオンゴッツ製の家具なんかが売り出されるようになったのはここ数百年の話だ。なんせ何買っても丈夫でよ、特に弟のほうが作る家具は脆い素材なんか一つも使われてねえ。俺らみたいにうっかり家財を炎で燃やしちまうような連中にはありがたい話だ。何より高すぎないってのがいい。奴さん稼ぐ苦労ってもんがよくわかってるのさ。もっとも本当は武具がメインなんだろうがな。
-(豪商の貴婦人)はじめはケンタウロスが作るアクセサリーなんて……思っていたのだけれど、キュリオンゴッツのジュエリーは宝石の削り出しから駆金まで実に見事な職人技!さすが「ゴブリン認定」を受けているだけありますわ。特に兄が作るジュエリーは見栄えしてパーティーにぴったり。激しく踊っても壊れる心配もなし。決して彼のブロマイドが目当てで買っているわけじゃありませんからね。
*好きなもの 食べ物:石焼きマグマシチュー、ステーキ、岩みたいに硬いパン 飲み物:ビールとラム酒 気候:乾燥していて熱い場所 色:冴えた氷の青や、愛らしいオレンジがかったピンク色 香り:風と草花の匂い 書籍:モンスター経済新聞 動物:四つ足の動物 ファッション:苦手 動きやすいもの 場所:工房、だだっ広い草原 愛用:祖先の金の装飾品、丈夫な蹄鉄 趣味:仕事
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「長閑の庭」面白かった。 背景が花園な少女漫画な夢心地の描写でありながら主題のリアルな人の心の動きや葛藤がはっきりと映し出されていた。 原作とドラマは主題を壊さない限り違っていい。ドラマならではの演出、脚本、ロケ地、音楽、キャストがあるのだから。別作品として楽しめればいいと思う。このドラマはその意味でよかった。 #長閑の庭 #長閑の庭すごく良かった #長閑の庭というドラマに出てくる言葉がとても美しくて感動したのに #田中泯 #橋本愛 #斉藤由貴 #ボクラノカタチ #ロザリーナ #震えてたら抱きしめて #恋は一本の鎖 #愚かになって下さい #これは恋だと思うのですが #心から愛した人が朽ちていくのを最後まで看取るということは自分自身も失われていくこと #恋愛ごっこじゃ無理な領域 #朝比奈くん #いくおくん #シュバルツさん (at NHK Broadcasting Center) https://www.instagram.com/p/BzFLY7-gSYr/?igshid=3rmmurcdlr86
#長閑の庭#長閑の庭すごく良かった#長閑の庭というドラマに出てくる言葉がとても美しくて感動したのに#田中泯#橋本愛#斉藤由貴#ボクラノカタチ#ロザリーナ#震えてたら抱きしめて#恋は一本の鎖#愚かになって下さい#これは恋だと思うのですが#心から愛した人が朽ちていくのを最後まで看取るということは自分自身も失われていくこと#恋愛ごっこじゃ無理な領域#朝比奈くん#いくおくん#シュバルツさん
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やがて海に溶ける | 芍星真澄(大林)
ジパ夢、原作軸SS小説。
コレージュ・ド・フランスで理学博士号を所得した原子核物理学者の草加静代は、ミッドウェー海戦で戦死したはずの兄の拓海が、 ドイツ占領下のコペ ンハーゲンでウラン235の濃縮作業にあたる亡命物理学者から濃縮ウ ランを極秘に入手したという情報を大学人民戦線経由で知り、日本へ 一時帰国する事を決意した。 そこで拓海と再会するも……。
原i子核i物理i学者i・草i加静代という、非自己投影型のオリジナルキャラクターが主人公です。
兄の草i加i拓i海が勧誘してるお話。
癖のある作品なので、夢主に自己投影して恋愛したい方は回れ右です。
×××
詳しくは連載夢の「星海燃ゆ」をご参照下さい。
息抜きに書いた作品なので時系列は曖昧ですが、 12巻以降。 草加拓海が妹を勧誘してる話。 現パロにすると無職になった元海上自衛官幹部が右翼係系新興宗教 団体を立ち上げ、 物理学者の妹を勧誘してるものすごく笑えん話です。
×××
表紙絵はこちら


花田縹様にジパ夢の草加拓海と草加静代を描いて頂きました。2枚目は表紙絵。
私や静代が草加拓海に対して抱く「深海のように得体が知れない不気味さ、怖さ」を汲み取って描いて下さいました。
難しいオーダーをお引き受けして下さりありがとうございます🙇♂️
×××
作品の参考文献
兎にも角にも、草加拓海の怖さを全面に押し出した作品にしたかったので、人によっては不快に思うかもしれません……。
未知の領域に足を踏み入れてしまったが故の、夢主の静代はおろか、凡庸(どころではない)私でも到底理解出来ぬ、とても怖い拓海思想を全面に出した作品なので、夢小説感が消失しました💦
また本作では、原子核爆弾で命を落とされた方、被爆され今なお原爆症等で苦しまれている方々への配慮は出来る限り行なって書いたつもりですが、それでもご不快に思われた方がいらっしゃいましたら、この場をお借りして深くお詫び致します。
最後に、当方は戦後の復興に尽力して下さった方々には心より感謝しておりますし、そのような方々のお陰で今の日本があると存じております。
当方は戦争肯定派でもなければ核兵器保有賛成派でもありませんので誤解なきようお願い致します。
当時、原子核爆弾を阻止すべく立ち向かった科学者が数多くいるにも関わらず、歴史の闇に葬りされてしまったのがとても悲しく、草加静代という夢小説の主人公の人生に組み込ませて頂きました。
しかし東京裁判の知識はまだ浅く、この作品で書ききる事が出来ませんでしたが、今後もジパング、草加拓海のエピソードもしっかり踏まえて少しずつ書こうと思います。
×××
雑いですが登戸研究所レポも支部に。
誤解を与えてしまったら本当に申し訳ないですが、ジパ夢二次創作小説を書くのが楽しくて仕方がないです。
また続きを書いてこう
×××
なかこ様にジパ夢短編連載小説「星海燃ゆ」中編の表紙絵を描いて頂きました。


作品投稿と一緒にと思いましたが、非常に細やかに丁寧に描いて頂いたのを閉まってるのも忍びなく😢
大切に使わせて頂きます🙇♂️
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2022年12月13日
暗闇 見つめている二重らせん 週刊誌の最後のページ 孵化する 孵化させる 目が覚める からっぽのまま 赤ん坊の手を握る 哲学ニュース 強度 占星術師 と打ったら変換される 性占術師 学生時代 最も力を入れたこと 死は幻想である 愛、あ、あ、あ、名前を教えて なりたいもの わたしが 明るい世界 明るい未来 クビになったドラッグストア 礼拝 お好み焼き チューニングの狂った 歌 聴こえなくなるまで 聴こえなくなるまで featuring あなたのこと 声 死について って誰も知らない経験していない から 駆け込み乗車 禁止 お兄ちゃん お兄ちゃん 扉を開けて 機内モードで延命する アジテーション はやくしたい 遅く 結婚 まん防 イデア的には ずっと一緒がいい よね 今だけ無料 アジテーション テナント募集 の 看板 らすとくりすます とぽろじー 言葉で考えるのをやめる あ、あ、あ、 図式化 ズキズキする 監視されていた 白い部屋 女衒 パッチワーク フランケンシュタイン みたいに 愛と幻想と 愛と幻想と 糸 ほどけていく ことを想像する ジャスミンを銃口に 営業系総合職 死んだ瞬間の聴覚について 死んだ瞬間の聴覚について のように のように さようなら 魔法少��� ハートフィールド 歌う メヌエット ピーチ姫の テトラポット アストラル界 あなたの 吸い込まれる ダム 死体画像 すぐ会いたい女子が急増中 アカツクシガモ 京都市植物園 振り回す キャリアチェンジ された アルバイト する このサイトにアクセスできません と 声が して振り向く 昨日 のことを覚えていない 迷宮 のようだと うわさのベーコン クルトン コーラ・パール ゾラ ほら、と 初音ミクの額から垂れる汗 花園神社で 迷い込む 見世物小屋よ 一生バイト ポケットモンスター 正解を引き当てるまで やる気が出ないな 英単語帳 ランボーを読んでしまったなら ロックンロールはそう ホテル暮らし 空調の音 Jアラート 星座を結ぶ ロックマンエグゼ lain rain ruin ビスク・ドール 野良犬 奈良へ向かう列車 アーレント 現実感 人生攻略サイト 灰と は 意図 思考 回路の中を むさぼり食う 吸う 空気 止まった ままの 子宮的な エリア 嘘をついたまま死ぬ のね ルビンの壺 12ポイント stray sheep と 動詞動詞動詞動詞 同時的に 田中角栄 魔人ブウ 犯す 壊す 作る 波打つ わたしは 殺す 生かす 咲く 咲かす ライフハック 死 冷蔵庫 咲かす 飛び立つ やわらかく もやもやと ばたばたと 解毒する 夏休み 向日葵 消滅した 蝉が鳴く なく 無く 咲く さ さ さ 教育する アナイス・ニン 逃げ出す 逃走する 闘争? 領域を広げていく 閉じる 閉じこめる 閉じ込められた 布団の中 宇宙のように 宇宙そのもの 高橋まつり 滅びた 100年後のことを考えて 文章を書く 脳みそから溢れ出した 白い水着 黒いタイツ 道化のように 大天使のように 借りる 回帰する アカツクシガモ 成長すること 天秤のことを考える by this river ラブ&ポップ 脳破壊 快楽 シャドウ・ワーク 子宮口から この世界の果てまで 共同体 忙しい 忙しさ exclusive みんなのレビュー 連帯 証明するために ランキング もっと欲しい あなたらしい 瞬間に 祈る手 summer 上映する ロングヘアー 偏差値 ピアス 18個 生き延びる ラリる 刺さった 反射した 発射した 家畜人 ホワイトノイズ 空間 依存症 白い 微分不可能な やわらかい その曲線 エゴサーチ バーモント・カレー 姦淫する 階段 聖書 夢の中に出てくる 中島らも 他人の日記 読む 話す 歌う ような気がする ���んな感覚が 一時間天気予報 ペヨーテ ぐるぐる回る 永久に 永久的に 結びつけた 途端に壊れる ぱりん、と ふらっと 消えちゃいそうな気がする 意識が高い 高低差 風圧 やさしい言葉 インターネットのグロサイト 巡る 再度 巡る 繰り返していた クリスマス サンタさん 産道 乱視のまま 今日も生きている 息をする あらゆる 虹色の 永久に理解されることのない強度 氷点 貯金やダイエット レポ漫画 面白くなる 国語辞典 解剖する やまい、だれ 芽殖孤虫 ひらひらと 眠る ゴミ出し 擬音一覧 シーシュポス 間違った注文 集める 女性が一生で排卵する卵子の数は400個~500個と推定され 細胞膜 ずきずきと 痛む手 うつらうつらと その指で 欺瞞 マッサージ されたまま死ぬ アイライナー いつかは終わる 旅 続いていく 気持ち悪い、 と少女 折りたたみ傘 出会う 解剖学の教科書 ホーリー・マウンテン もやし 食物繊維 的な ひらく 伸びる 匂いがする 恥丘 裏切る 一本の木 待ち続けている 市民会館 明かしえぬ共同体 ムーミンたち ムーミン谷へ 向かっている ヤツメウナギ もし仮にそれが ハッとする 気がつく 失う 海のそばで グランドメニュー 幽霊 ピアスの穴 カッターナイフで切る 舌を 下へと 血が出る 地が出る前に ここからいなくなる 踊る 大雨の中 浴びる 天高く 土砂降り もっと 濡れてしまいたい 溶ける あらゆる種類の動詞 固着した エディプス・コンプレックス 身体を売る 眠りにつく べたべたした くすぐる 太もものうぶ毛 のように 行こうね ずっと一緒に 逆にする 黒板に描かれた 天使と怪物 流れとよどみと 恋と革命 そのままの 君でいてね イデオロギー それとも 触れる 手に 手のひらに その温度を そっと撫でる ように見える 青ざめた 顔 目で 浮き上がる 物流倉庫会社 キスをする どこにも行けない どこにも行けない 憂鬱な夫婦 中絶用の 願いを書く 七夕 永遠に落ち続ける夢 人生ゲーム 青いピン そのように 性行為のやり方 鍵付き完全個室 運動会 発熱 保健室 はつなつ 人生経験 終わりゆく 肉の厚さ 海馬 言語野の 衰退 ダウンロード数 数えていた 新しい生活様式 リズム 物語ること 豊かな 再生回数 氷 覆われる 世界すべて 素数のように 感じる 解体 怒らない? 起こらない、何も 可能性が失われていく 研ぎ澄まされていく 失われていくことで 何者かになった その平らな牧場 忘れてきた お持ち帰り する 立派な 飛び降りて 刻まれた 胎児のように さえぎられる 海岸には小屋があって 喧嘩をする 白鳥 食べられる 汚い 穢れてしまった 純粋なもの 銃を撃つ 一発 チェーホフ、どこへ行ったの? と母親が階段を上がってくる 切符をなくしてしまったままで 生き続けている気がする 少女には 晴れ 絵日記は かすれてしまった とうに 音楽にはならない 寒天培地の上で 有性生殖する していた した方がいい 人生経験 ペットボトル HPVウイルス 頭のない 風邪総合 目をさます 神経系 ポーチの中で 白い粉になった 睡眠薬 遠くの方へ、遠くの方へ 並べられている 全校集会 鳴らされて 走る 望遠鏡を 覗き込む もうすっかり 子宮頸がん 夢中になって 標本にする どうやって? 悟りについて 五億年ボタン 走馬灯 一週間くらい考えてもいい? 愛妻弁当 ぷっちょ の容器でオナニーする カンブリア紀の 海中生物やわらかく モニターの奥 夏の光 ぴったりと 豊かに 遅延しながら 本間ひまわり いま、を指差す指の先 爪の長さ 変わって 一括見積もり ふざけているのではなく 頭痛 左側 ありがとう こんにちは おはようございます それは愛ではなく の ような 夜行バス 棺 出生外傷 の あなたは ロビンソン トリップした 虹色の女 devenir ひだ 開く 一枚一枚 めくっていく 匂いがする 工場の赤ん坊が コンクリート 嘘だった あてのない 意味のない 海 潜り続ける 潜水艦の中で 夢を見ている 象徴的に もっと速く 飛び立つ 自壊したい 鯛 平らな 館内における密を避けるため 破れた 四つん這いになって するだろう 想像 するだろう 未完のままの もはや戦後ではない 未亡人 ぷろ、ぱかんだ 重量と恩寵 根を 肉体が壊れていくのは かもめ 肉塊 台風が来る前の夜 アオカビ もっとたくさんの地獄 天国は通り 過ぎては消えていく スーツの人が通り過ぎていったあとの 匂い 大人の匂い 食器返却口 この席の使用はお控えください アルコール消毒 セーブポイント 豚 のような女 と 猿の ような 男が出会う 死体ごっこ バラバラに 組み合わせる 英単語帳の例文みたいに 死に近い コンクリート 裂け目 洗浄液 メリークリスマスの Yahoo知恵袋 真理があると言われている そこにある 死んだあと魂はどうなるの? と子どもが尋ねる 何グラムの 前世の記憶 当たり前の事 トンネル 潜り抜ける音 夢の中の休憩所 自動販売機 光 光 夜の闇に飲み込まれないように コンビニエンスストアは灯台として 鳴りやまない 崩れていく 昨日 来ない 来ている すでに いま 冬の ま、ふゆ ま 電気ストーブ あたたかく すりつぶす 通勤・通学 するための列車 眠る 折りたたまれたヒダ 予言する 1999年 産まれ た 朝 ねむる ねむる もっとよくなる 地方都市
夢の中では 現実的な 現実的なもの 親ガチャ 100年後の 2000万年後の 想像していてね 空っぽの脳 おばさんが入ってくる大量に 魚 飛び跳ねる 誰も見ていないところで 老人の声はデカい 無が無限に膨らんで 恒星たちは爆発し きっと届かないまま ゲーム実況見ていた 二年間 だった気がする だった気がする この区域で路上喫煙をすると 一千円の過料が科されます と どこかに書いてあった 教科書に落書きをしている間に 終わっていた もっと濡れたい 雨に 幼形成熟 恋と革命のために 太郎 花子 由香 香織 紗耶 話題のツイート 温泉むすめ 逃れてゆけ 逃れてゆけ 自撮りしているふたりを 見つめる 目 目玉 浜辺で 白く 白く 白く 白く 境界線はほどけた もう一度 あまい 糖衣錠 統一的な 像 増殖する お支払い方法 まとめサイト この世界の秘密 ねじれたソーセージ 青い 白い 脆い イオン・モール 迷子になる 歌を歌う 歌っていた 冗談でした あらゆる 情報商材のために すべて ひとつの 自己啓発 は はいいろの ノイズで
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2022年10月28日 めばえ誕生処方箋、アイロニカルなファッション
夜の梅田の風俗店をいくつも越えていった先にあるメンタルクリニックで処方箋をもらったあと、近くの薬局に行って薬をもらうまでの待ち時間、前にあるテレビを見たら関西ローカルの番組の「めばえ」というコーナーでちょうど今日生まれてきた赤ちゃんの映像が流れている、という一連の記憶。
今はもうそこには行っていないのだけど、冬だった印象が強くて、夜の冷たい空気に満ちた夜の梅田できらきら輝く風俗店の光、そしてメンタルクリニック、そしてその日生まれてきた赤ちゃんの牧歌的な映像(赤ちゃんの名前と、その赤ちゃんを抱いている夫婦というやわらかい質感の雰囲気)が何だか変に現実感がないし、それを薬局で薬を待つ人たちと半ば一緒に見ているのもなんなんだろう、と思う。
自分もこの「めばえ」みたいにして生まれてきたのだとして、メンタルクリニックの処方箋持ち込んで薬局で薬を待つのも、風俗店の光が輝いているのも、すべてが繋がっていて、最終的にそれは生≒性と死に結びつけられる。「めばえ」に映っているほほえましい誕生の瞬間の先で、いま薬局でただ発達障害の薬の処方を待つだけの時間がある。問い直される、いま、という瞬間が存在するまでのすべての性と死について。
という内容のことを140文字以内でツイートしたら、おそらく「風俗店」という言葉が入ったツイートをしたからなのか、瞬間にそういう感じのアカウント3つにフォローされ、まず頭の中に誘蛾灯、という言葉が思い浮かんで、そのあと夜のコンビニの光の周りを飛ぶ羽虫の姿が思い浮かんで、消えた。そのとき光とされているものっていったい何なんだろう? あと、そういう考えるより前のイメージみたいなものに接近したいと思う。言葉は結びつけるものであり、その意味では詩も小説も根源的に、何かを結びつけるもので、あとはその結びつけるものの距離と数と速さと緻密さ。
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ジェンダーレスなファッション、というのが最近(高い年齢層の人はともかく)少しずつ市民権を得てきた感じがする。そして、自分自身、そういうジェンダーレスなファッションは素朴に好きだからそれはよいことなのだけど、一方で、「そういう雰囲気のファッション」が領土化されて「ジェンダーレス」というカテゴリとして成立した時点で、もうそのファッションにベタに乗ることはできなくなってしまったとも感じる。そういうファッションに対する好意はある(あった)けど、別に「ジェンダーレス」というカテゴリを背負いたくはないし、そこにはなんか「女を殴ってそうな」感じとの接続なんかもあって、別にその具体的な内容はどうでもいいのだけど、すでに領土化されて何らかのイメージと結びつけられたカテゴリ、に属する服装をするということについて、変に敏感になってしまう。
ただ、こういうのってまずはそのステレオタイプなイメージに乗った上で、後からそれを裏切っていくという方法を取るしかないし、ファッションって本質的にそういうものなのかも(ファッションについて何も知らないけど)。ベタにギャルのファッションをやる、とか、ベタに「女殴ってそうな」ジェンダーレスファッションをする人が当然いる一方で、アイロニカルにギャルをやったり、アイロニカルにジェンダーレスなファッションを着る、ということもありうる。あるカテゴリーに属しながら、同時にそのカテゴリーを裏切ること。ある系統のファッションをしてそのイメージに乗りながら、そのイメージを内側から塗り替えるようにして行為すること。その意味で自己を紹介することとファッションにはそれなりに深いかかわりがある、と思う。
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小説、あるいは文学という形式はたぶん恋愛(性)と死を扱うことに向いているから、小説と呼ばれているものはどれも恋愛と死のことばかりを描いている。ミステリー小説は死者によって動かされているし、文学もまた恋愛死恋愛死恋愛死、を描き続ける。ちょっと変わり種でSFとか言っても結局、物語は恋愛によって動かされる。
そして、もちろんそれでいい。それでいいのだけど、小説から恋愛と死を引いたら何が残るんだろう。神様? 革命? 政治? 宗教? 友情? 祝祭? 祈り? 終わりを知らない遊園地の中で回り続ける観覧車、そういえば動物園の虎も、狭い檻の中を回り続けていた。動物園のことを考えると、いつもその虎を思い出す。
*** 『インターネットと世界の果て、はて、ハテ』という記事を書いた。インターネットについて、幼少期の実感(それは距離)と大人になることについて、どこにもない果てについて。岩井俊二の『リリイ・シュシュのすべて』浅野いにおの『おやすみプンプン』などから。あと村上龍『共生虫』や狐火『あの娘は夜通しインターネット』などの話しもしていて、それなりによく書けたと思うけど、ちょっとサブカル過ぎて自分では読み返せないし、自家中毒。 読めば分かる通り、「2,大人になること、なれないこと――『おやすみプンプン』」のところだけインターネットと無関係だけど、自分の中で、幼少期の世界に対する実感(鹿児島までの絶望的なまでの距離)とその喪失は、インターネットというもう一つの世界におけるあの「遠さ」と対応しているような気がする *** フッサールとベルクソンは共に1859年に生まれていて、この1859年というのはダーウィンが『種の起源』を出版した年でもある。このことは何だか示唆的な気がしていて、哲学というのが自然科学の隅に追いやられていく時代の中で、異なる方法で哲学を行い続けた二人。そして、フッサールの現象学はハイデガー、メルロ=ポンティやデリダへと繋がっていくし、ベルクソンはドゥルーズやあるいは京都学派に影響を与えることになる。
フッサールは『厳密な学としての哲学』で実験心理学(特にヴント)を批判していたけれど、このことは逆に実験心理学が哲学の領域を覆いつくそうとしていたことを意味していて、ベルクソンもまた実験心理学および自然科学に対して、哲学固有の仕事を主張し続けていたと思う。
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どうせ死ぬから何をしても一切意味はないな、と思いながらも一応色々なことをしているわけだけど、そうやってこれまで何十億以上の人たちが「どうせ死ぬけど…」と思いながら一応何かをやって、その結果として現在、一応何かが積み上げられているの、怖すぎる。
どうせ死ぬ、というかすべてのものは終わるのだから何かをすることに意味はないし、自分がどれだけ立派なことをしてどれだけ立派な人になっても、逆に一生ニートで過ごしても、何も変わらないな、ということを小学生くらいの頃から考えていた。でも、それが分かっても今すぐに死ぬこともできないから、それはそうとして一応、何かを書いたりバイトをしたり遊んだり勉強をしたりYoutubeを見たり、食べたり寝たり起きたりしていて、たぶんこれまで生まれて死んでいった人たちも、(何となく感じながらも深く考えずにいた人だっているにせよ)そうやって、どうせ死ぬけど一応何かするか、と思っていたはずで、なにか、その惰性のようなもので何となく科学とか芸術とか文学とか音楽とか全部積み上げられてしまった感があって、そう思うと世界なんて人類なんて文化なんて社会なんて人生なんてぜんぶ暇つぶしで、何となくの惰性で、一応やっておく、くらいの感じで何となく成り立っているものなだけに思えてくる。「人生は死ぬまでの暇つぶし」なんていう常套句(クリシェ)があるけど、それが別に比喩でも誇張でも何でもなく、そしてそれは世界とか人類とか文化とか社会とかぜんぶがそうなのかも。
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Never Ending Playlist
「賢い刑務所生活」に続いた「賢い医師生活」。
あまりにも愛溢れるドラマの場合、終わりというものが来るのが一年の早さほどに信じられずとりわけ悲しくなる。大好きな登場人物たちに会えなくなるから。それでも終わりを迎えてしまいました。
賢い医師生活を最初に見たシーズン1の1話、いつものように登場人物の顔と名前を一致させつつ物語を楽しむことにした。あの頃は一斉配信だったので割と早い段階で完走した組で、周りで共有できる人が少なかった。なんだかいいドラマだな、そう思って見終わってすぐなのにまた再生して、気づかぬ間にとびっきりの物語、構成、演出、音楽、その全てに魅了されました。ロマンスありきの韓国ドラマも胸に来る切なさや夢見るようなシチュエーションが詰まって最高なのに、賢い医師生活は完全に一線を画していました。これは大変なものに出会ってしまった。
ドラマはまさに、ヒーリングでした。
物語の最初で同じ病院に勤めることになった医大時代の同期5人。イクジュン、ソンファ、ジュンワン、ソッキョン、ジョンウォン。それぞれ違う分野の科を担当し、目も回るほどの忙しさの中で、一人の提案から大学時代にやっていたバンド活動をまた始めることになる。一人が選んだ月ごとの練習曲が、出会う患者と自分たちの生活とリンクするかのように、ときに背中を押し、ときに過去や未来を慰めてくれる。
ドラマを見ているとき、誰かに感情移入したり羨ましくなったりして次が見たくなる、という訳ではなかった。ただただ主演の5人(1999年大学入学組なので99ズと呼ばれている)の関係性、ゆえに繰り出される会話と空気があまりに暖かくて、ずっと見ていたいだけなのだ。もう彼らを知らない人生に戻れないという感じ。物語に特別な事件は起こらない。不条理な会長も、お金絡みで怪しいヤクザも、裏がありそうな患者だって現れない。今までの韓国ドラマで慣れている視聴者側が「何かあるはず」と思えば思うほど、このドラマの良さに気づくことになり呆れてしまうほど。そうだこれは今までのドラマじゃない、「賢い医師生活」だったんだ、と。医師と患者、取り巻く家族、出てくる人物たちの、確かにそこに存在する人生をゆっくりすくい上げるように描いた物語である。
毎度のように泣いてしまうのは、ドラマに対して情が深すぎるのは抜きにしても、人間の心の琴線に触れるのがあまりに上手すぎる脚本の完成度が大きい。どっと目頭から涙が溢れる体験はそうそうないのに、このドラマを見ていると自然と湧き上がる感情に幾度も遭遇する。誰かの言葉に、誰かの表情に自分の心が揺れ動いては抑えられない。そんな脚本を体現する出演者の俳優さんたち、通常フューチャーされる主演陣以外にも丁寧な配慮が物語を通して当たり前に感じれるドラマはこれが初めて。まず99ズの演技力と団結力は言うまでもない。見たらわかる。なるべく素に近いキャラクター設定はメイキングを見たら明瞭で、キャスティング時点で完璧。出会うべくして出会ったような5人がだんだんと砕けて役そのものの関係性のように近づく姿は動物の動画より癒しになる。やっぱり土台がないと役の膨らみには限界があるんだな、と改めて実感する。土台が固まれば固まるほど、上に乗せれるものは多くなる。経験豊富な主演陣を支えるようにとても多くの俳優さんがインターンや外科生、教授や同期役で出演されている。医療モノは登場人物や関わる人がとにかく多いイメージだったので、どうやって全てを配役してキャラクターを肉づけるんだろう、あまりに真ん中の人たちのクオリティが高すぎるし…と思っていたシーズン1序盤、これまた私の中のドラマ常識が崩れる。
とにかく、全員、上手い。余すことなく全員の演技がうますぎる。特に悲しい結末を持つ患者側の家族の方々は表情や空気の作り出し方が只者のそれではなく、完全に領域が桁違いというか、ここのこんな役で、ここまでの深みを出せるの…?と毎回衝撃。そのおかげで一切の緩みのない、本当に真摯なシーンが作られているんだなと感激でした。こんなに丁寧に作られるドラマは、本当にない。そして何と言っても豪華なゲストの数々。流石のシン・ウォノ監督、配役に一切の無駄も手加減もない。大御所ー!あの人だー!誰この人知らないけどめちゃめちゃ素敵!!そんな感想が湧き上がる中、画面からは「喜んで!」と俳優さんから伝わるような愛を感じる友情出演の多さ。韓国ドラマファンとして大興奮でした。たまらない。生み出される登場人物と彼らが持つ無数の感情が、流されることなく積み重なって一つの物語を豊かにしているんだな、と感動します。
さらなる醍醐味は、人生において欠かせない幸せの瞬間、「食べる」!三度のご飯は元気の源、誰かが美味しそうに食べている姿はなんだか胸がほっこりするはず。賢い医師生活でも食事シーンは必見。ぽんぽん飛び交う身内ネタ混ざりの会話にサムギョプサルの焼ける音、麺をすする音、鍋いっぱいのラーメン、疲れた時に沁みるトッポッギとビール。ご飯は一人より、誰かと食べる方があったかい。韓国ドラマは何故か毎回コーヒー頼んだばっかなのに「もう行こうか」とお店を出たり、フォークを刺してもないパスタを残してお腹いっぱいと言ったり、ご飯好きには心が痛い演出が多くて何かと気になっていました。(関係ないけど、あとはニット着たまんま寝たり)ちょっとしたことで 「ああ、これは作り物だもんな」 と割り切ってしまうシ場面が多かったのです。賢いにはそれがない。どれほど嬉しかったことか!!!リアリティに忠実で、役としてのリアルを追求してくれるおかげで、物語以外に気になる暇もない。純粋に話を楽しめることが幸せ。
そうしてコメディな要素も満載なため、まるで友達との会話を思い出し笑いするかのように普段からシーンを思い出してしまうのです。あのネタ面白かったな、あんな言い方最高だったな、と。面白い友達の話を誰かに共有したくなるような気持ち。「昨日イクジュンがさ〜〜、あっ賢いの話なんだけど。」
そして、賢いシリーズに欠かせない「音楽」という大スパイス。選曲から流すタイミング、全てが完璧。「はじまりのうた」や「シング・ストリート」を思い出すような、韓国作品昇華版。どうしてこんなにぴったりな曲を、慄く。映画やドラマでも雨はいつもキーポイントになりますが、賢いでも同様。「雨」や「涙」が歌詞に多く出てきました。私が大好きなのは、「With my tears」 「Already one year」 「I like you(チョ・ジョンソクバージョン)」です。シーズン2の選曲がドタイプでした。ジュンワン恋物語曲は胸が締め付けられて聞くたびにあの眼鏡の奥のおぼろげな瞳思い出して泣きます。シーズン2の1話のギョウルとヨヌオモニ with 「Rain and You」 、正直過呼吸なるかと思いました。夕焼け見ながらの 「Already one year」 は滝涙。未見の方、涙の枯れない私をここに置いて、今すぐNetflixを開いてもらいたいです。
ビハインドを見るたび、出演者のインスタを見るたび、インタビュー記事や動画を見るたび、その顔色の良さ、監督の演出する姿、全部に「愛」が見える。愛の具現化=賢い医師生活。
迎えた今回のシーズン2は前と同様、各回放送終了後ツイッターで賢医ヲタクの皆さんが繰り広げる考察大会を私も血眼になって追いながら全力で共感しつつ、同じ温度で賢医が好きな友人に怒涛のラインをする。前シーズンの膨大なメイキングと番外編(主演5人がキャンプをするというこの世で一番平和なバラエティ動画)をYouTubeでBGMかのように再生しながらご飯を食べ、服を選び、メイクをして、仕事へ向かうのが定番。そうしていつの間にか迎えた毎週木曜、私は早寝なので23時の配信を眠らせた金曜の午前中に見て、同日二回再生して復習をするのがルーティーンでした。これからも何度だって見れるし何度も会えるけれど、たった今あの5人は何を食べてどんな患者さんと向き合ってそれぞれがどんな道を歩んでいるか、それを追えないのが悲しくて仕方がない。
偶然にも窓の外は強めの雨が降る中で、室内の私はベッドシーツを涙の跡で濡らしましたが、物語が一度終わったからといって冷める愛で2年間過ごしていません。いつか賢い医師生活がまた始まることを祈って、信じて、また明日からの私の人生を軽やかに歩むつもりです。あー悲しい!寂しい!もう会いたい!でも再履修のしがいがある!全てのキャストさんの次回作が楽しみ!ミドヌナとイェジン様らのドラマも、ギョンホさんの舞台続報も、追う情報はたくさんあるし、これからもきっとずっと仲の良い99ズが存在しているだけで良い。このドラマに出会ったおかげで私自身も大きく成長できる気がしてならない。いつかもしも私が大成して、賢いキャストの皆さんとお会いできる世界線を目指します。日本を代表する賢いヲタクの一部でありたい。
人生で一番好きな「賢い医師生活」というドラマについて少し語って見ましたが、再度、見ていないという方は、ぜひ見てもらいたいです。必ず幸せな気持ちになれます。離脱した方もいつか戻ってきますように。このドラマを作ってくださった全てのスタッフ陣、キャスト陣、制作の方々、本当にお疲れ様でした。大きな感謝と愛だけ抱えて。
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