#恋は心を苛む
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恋は心を苛む
手に入らなかった恋がいつまでもいつまでもその人を苛む(さいなむ)。
もう何年も片想いを続けていて何年も何年も少女のままだった友人はいつしか魔女になって消えてしまい
初恋が行ったり来たりする友人はいつまでも夢の中。
傍観者を決め込む私は「そんなもんかねぇ」とため息を吐くしかない。
が、
もし
こんなにも恋が心を苛むのだと知っていたら
あの時
もっと慎重になれたのに。
「恋をしなさい」と言わず
「恋は選びなさい」と言えたのに。
叶いっこない恋なんて
落ちるなと、陥る(おちいる)なと
はじまる前に言えたのに。
せめてまだ恋をしていない人へ、
「恋はその後の人生を蝕む(むしばむ)ものだから
心して恋をして欲しい」
そう伝えたい。
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。酔った勢いで入れ墨を彫ってしまう危うさ、煙ったクラブでなにもかんがえずに踊って、好きな男と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。自らを成り立た��るピースを集めた上でそれを食い尽くすくらいの覚悟や貪欲さがあなたにはある?わたしにはそれが足りなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーしにてーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。わたしはわたしのことをぜったい見放さない、それだけで充分いっぱいすてきでしあわせで救いだということを今じゃなくてもいい何年もかけて真実にしていく、揺るがない愛に変えていきたい。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい、わたし、山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだ���に忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して死ぬほどどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。木曜日、ほんとうは1限に英語の授業があったんだけど、財布を忘れたいせいで交通費が若干足りなくて新宿駅から乗り換え先の電車に乗れなかった。その旨をインスタのストーリーに載せたら、一度しか喋った事ない同じクラスの男の子から「抜け出していくわ、」とだけ連絡が来て、本当にきてくれた。クラスで唯一金髪で、派手で、いつも高そうな服を着ている。ピーナッツをぼりぼり食べながら、ダーツをする。わたしが2回勝って、可哀想だったからあとの1回は負けてあげた。それからは何も無かったかのように授業では一言も喋らない。お互い、目を合わせないふりをしているような、ふしぎな距離感を保つ。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にし��なんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切った��うが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがい��い1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもうの。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける!だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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白夜(劇場実習発表版)
演出空間コース 2年 劇場実習発表
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原作:フョードル・ドストエフスキー (小沼文彦訳よりアダプテーション)
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僕はもう、自分の人生に罪を冒したって悩まなくても済むかもしれない。
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主人公の青年は、サンクトペテルブルクに引っ越してから8年、友人が一人もできず、夢想的で孤独な生活を送っていた。白夜のある晩、橋のたもとで、ある少女に出会い彼の日常は鮮やかになっていく。孤独だった 2 人は、互いに惹かれあい、会う度に気持ちは高まっていく。しかし、実は少女には婚約者がいた。夢のような淡い恋心が芽生え始めたころ、彼の想いは淡く散ってしまう。 青年は少女との出会いを心から喜び、感謝し、誠実に関わろうと努める。それでも少女は青年の前から去ってしまう。そのとき彼は何を思��のだろう。
今夏、名古屋芸術大学内で上演された授業製作作品を、西文化小劇場にて劇場実習発表版として上演。
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開演日時
2025年1月17日(金)16:00
※開演30分前より開場 ※上演時間 約60分 ※終演後トークあり ※場内車いす席あり ※全席自由 ※未就学児入場不可
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料金無料、ご予約不要(全席自由)
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会場
名古屋市西文化小劇場 (名古屋市西区花の木2-18-23)
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出演
宇津 舞衣子(音楽領域 音楽総合コース2年) 安尾 琢杜(舞台芸術領域 プロデュースコース2年)
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照明・音響・美術・制作
舞台芸術領域 2年生(3期生)
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「白夜」の主人公は、あまりにも人間らしい。
夢想家である彼は、考え込み、想像し、思い上がったと思えば、悲観し、皮肉り、絶望する。そして、今日という日を懸命に生きていくのだ。
この作品の中で、彼は沢山の感情を吐露する。それは、人の素晴らしさだけでなく、人の残酷さ、世の中の無情さによるものでもある。
私達も彼と同様、理不尽な出来事に苛まれる時がある。等身大の人間である彼と共に過ごすこの物語は、あなたの心にも重なることがあるのではないだろうか。
世界は変わっていくものであり、そこには失うことや捨てることへの不安よりも強い期待がそこかしこに溢れている。若々しい期待は、ほとんど場合、期待通りの結果にはならない。その世界の中で私達はどう生きれば良いのか。
世界の若者の多くが、これまでに心の病を経験していると言われる現代。だから私達は、この今の時代に「白夜」という作品を通し、「あなたが抱えるものはあなただけのものではない」ということを伝えたい。そんな自分を、他者を、そして世の中を赦せたのなら、あなたの世界はより一層健やかなものになるだろう。
舞台芸術領域 プロデュースコース 3期生
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構成・演出:鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市で作品を上演。ポーラ美術振興財団在外研修員(2012・フランス)。2014年、三重県津市美里町に拠点を移設。民間劇場 Théâtre de Belleville を開設。愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員(2015〜)。名古屋芸術大学 舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真:松原豊
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照明協力:今井歩
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指導教員:
石黒諭、岡野憲右、鳴海康平
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宣伝美術:橋本純司
フライヤービジュアル:イ ロイ
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
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お問い合わせ:
名古屋市西文化小劇場 tel / 052-523-0080〈9:00~20:00〉 ※日曜・祝日は17:00まで。年末年始(12/29~1/3)、月曜日休館(月曜が祝休日の時はその直後の休日でない日)
名古屋芸術大学 舞台芸術領域 mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
主催: 名古屋芸術大学 舞台芸術領域 共催:公益財団法人 名古屋市文化振興事業団[西文化小劇場]
協力:名古屋芸術大学 音楽領域音楽総合コース
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だって、こんな生活、罪ですよ。
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フォロワーさんとの会話の流れで元恋人とおそろいで買ったものの話をしてて、昨年の今頃は付き合いたてほやほやだったんだなぁって当時を思い出した。
最初は平和だったけど途中からどんどん歯車が噛み合わなくなって些細なことにも苛立ったりで、軌道修正したいから仲直りはするのに次第に話したところでまた通じないんじゃないか拗れちゃうんじゃないかって、向き合うことすらできなくなるのを積み重ねて、その他にもいろんな要因があって最終的に私の足らない言葉を誤解した彼から数日の無言の後での別れ話。
彼の言い方的に話し合うとかよりはもう修復はできないんだなぁって実感して行く中で、お互いに溜め込んでた気持ちを当時を振り返りながら話したら誤解が解けたり、お互い泣き笑いしながら何日か平和に過ごせたけど、本当に1%も可能性がないのならって私が離れて終わり。
…その後、唯一の共通さんの度を超えたおせっかいのおかげでちょっと動揺しちゃったけど。
でもそれもまた自分はそういうのはしないようにしようって教訓になったし。
お互いに幸せに過ごしたかっただけだったのに向き合えないことにはむずかしいって、向き合えてた頃とすれ違いの頃の日々を振り返ってしみじみ。
あ、途中でされて心折れた私からの余計な進言。
もしも恋人やおそろいに設定してたのなら、別れ話の途中でヘッダーや待ち受け変えるのはやめようね。せめて別れ話を終わらせてから変えようね。それかもう戻らないって強い意志があるなら、別れ話を切り出す前に変えようね。
…もちろんそんな話に発展しないことがベストだけど。
新しい恋と出逢えるかはともかくとして、みんなと幸せに過ごせたらいいな。
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生理前である。憂鬱がひどくて死にたくて休みたくてどこかに消えたい。同じ班の後輩が結構無理なタイプで振る舞いも声も見た目もなにかにつけモタモタしてとろいのも仕事の勘が悪いのも全部気に触る。無理。生理前で苛々に拍車がかかる。最近毒にまみれてる。食べたって食べたって募る消えたさ。恋人は最近はやく寝たがるので、あんまり構ってもくれないだろうなって家に帰りたくなく過食の旅。起きてるのに落ちてる私をスルーされるくらいなら、寝静まったベッドに潜り込む方が百倍ましだ。ドラッグストアをウロウロしたって、心底欲しいものなどなく、食べ物の代わりに高価ななにかを買わなくてよかった。なんで生きなきゃならないの
私にとったらPMSの落ち込みは毎回フレッシュな苦痛が訪れているのだけど、はたから見たら毎度毎度ってうんざりするんだろうな。なに言われるんだろう。嫌な想像ばかりして帰りたくないよ。
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ルナと詩人
うちのヒカセン「Luna Cocco」のキャラクター設定を練り直したので以下に記載します。
Luna Cocco(17)
天然でぽや~っとした性格。純粋で騙されやすく、嘘をつくのが大の苦手。手先が不器用で何事もマイナスから始めるタイプだが、努力で補っている。軟禁生活だったため経験不足で、料理・裁縫・戦闘などすべてが下手だった。お酒はなるべく飲まないようにしているが、飲むと泣き上戸になる。素敵な恋に憧れるお年頃だが、初めて心惹かれた相手が性別不詳だったため、確たる恋心というものがよくわからないまま引きずっている。月神メネフィナへの信仰が厚く、つらい時は祈り、楽しい時は感謝している。
ミコッテ(ムーンキーパー)の両親のもとに生まれた1人娘。両親は黒衣森で狩った獣の毛皮を売って暮らしていたが、ルナが4歳の時に野盗に襲われて死亡。両親は駆け落ち同然に結ばれた仲だったので頼れる身寄りもおらず、ルナは彼らが懇意にしていた取引先のララフェル(デュー��フォーク)の男に引き取られる。 豪商の義父に連れられてウルダハに移り住んだルナだが、難民たちの苦境や貧富の差を目の当たりにし無力感に苛まれる。難民たちを見下す傲慢な義父に付き従うも、とうとう黙っていられなくなり、苦言を呈したことで義父の怒りを買う。それをきっかけに5年間自室に軟禁されてしまう。 不自由な暮らしに狂いそうになるが、窓の外から聴こえてきた吟遊詩人の美しい歌声に救われる。いつしか2人は言葉を交わさずとも歌を通じて心を通わせる。 ルナの17歳の誕生日の夜、詩人はこっそりルナを屋敷から連れ出す。それからしばらく2人は楽器を奏でて旅をするが、ある日を境に詩人が行方不明になってしまう。義父の差金による犯行と警戒したルナは、戻らない詩人を悲しみながら、自力で生きていけるように鍛錬を始める。 これが新生エオルゼア冒頭に繋がる。
【余談】 ルナを救った吟遊詩人は名前も性別も不詳の若いミコッテ(サンシーカー)。顔は見せていたが、中性的でどちらともとれる姿だった。
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クィアたちのZINE交換【前編】
発端
ある6月の休日、ZINE交換会に参加した。 主催は、数人のクィアによって結成されたプロジェクト集団「陰気なクィアパーティ」。今年春から、東京と名古屋で、派手なパフォーマンスが苦手なクィアのための穏やかな集まりを開いている。
そもそも「クィア」とは何か
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めない人を指す言葉として、最近様々なメディアで使われるようになった。 元々「クィア(queer)」は「奇妙な」「異様な」という意味の英語で、セクシュアルマイノリティたちを揶揄する蔑称として欧米で使われていた。 しかし社会運動をしていたセクシュアルマイノリティたちが、たとえ端から見れば奇妙でも自分たちはありのままで生きるという決意と共に「クィア」を自称��はじめたことで、かつてのネガティブな意味合いが薄れてゆき、現在に至っている。
「クィア」の意味するところは「セクシュアルマイノリティ」と似ているが、カバーする範囲は「クィア」の方が広い。 紙媒体やネットでこれらの言葉に触れてきた印象では、「セクシュアルマイノリティ」は、性自認・性的指向が明らかにマジョリティとは違うという自覚がある人を指している。 それに対して、「クィア」には、まだはっきり認識できていないものの、世間が想定する性のカテゴリーに今ひとつ馴染めない…と感じているような、マジョリティとマイノリティのあわいにいる人も含まれる。 また、「セクシュアルマイノリティ」には、マジョリティに理解されず、社会から疎外された存在というニュアンスがある(その他の「マイノリティ」=在日韓国人、部落民、外国人などのような)。 この言葉が使われる際は、当事者が法制度などによって不当に権利を制限され、自分らしく生きることを阻まれているという実態がセットで提示されることが多いように思う。
例えば、性自認が男性(シス男性)で恋愛対象は女性(ヘテロセクシュアル)だが、女装をしている時の方が心地よいという人がいたとする。「クロスドレッサー(異性装)」「トランスヴェスタイト」「女装家」などと呼ばれる存在だ。 特殊なセクシュアリティを持っているが故に、街中で後ろ指を指されたり馬鹿にされたりして、尊厳を傷つけられることはあるだろう。 しかし、「ホモセクシュアル」ではないので、同性婚できない日本でパートナーと結婚できずに苦しむリスクはない。 「トランスジェンダー」的な傾向はあるものの、性自認と医学的・社会的に割り当てられた性のギャップに苛まれたり、高額な性別適合手術の必要性を感じているわけではない。 このような人は、「私はセクシュアルマイノリティです」と言っていいのか戸惑いがあるのではないだろうか。 自分の辛さは、法制度と闘わなければならない人のそれに比べたら軽微なのだから、この程度でセクシュアルマイノリティを自称して生きづらさを訴えるのは行き過ぎている…と自粛してしまうことが考えられる。 しかし、男は365日ズボンで暮らすものだという既存のジェンダー観から外れているという点で、彼は間違いなく「クィア」である。「私はクィアです」と言うのは、「私はセクシュアルマイノリティです」と言うよりはるかにハードルが低い。
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めていないが「セクシュアルマイノリティ」の括りから除外される人々もふんわりと包み込む、懐の深い言葉だ。 セクシュアリティは千差万別で、まだ解明されていないことも多く、しかも生まれてから死ぬまでに変化する可能性もあるという揺らぎを前��として生まれた概念なので、より多くの人たちの拠り所になれる。しかし、このふんわりとした性質故に、定義するのは非常に難しい。
参考:
私のクィアネスについて
私は自分が「デミロマンティック」だと思っている。要は、世間一般の人と比べて、恋愛感情が希薄だという自覚がある。
多分「デミロマンティック」は多くの人にとって聞き慣れない言葉だが、「アセクシュアル」「アロマンティック」であれば知っている人はいるのではないだろうか。 「アセクシュアル」は性的欲求を持たない人、「アセクシュアル」は恋愛感情を持たない人を指す。 (日本では「アセクシュアル」は恋愛感情も性的欲求もない人の意味で使われ、恋愛感情はあるが性的欲求のない人は「ノンセクシュアル」と呼ばれるケースもあるようなので、「アセクシュアル」の意図するところは使う人や文脈によって変わりそうだ。なお、「ノンセクシュアル」は和製英語だそうです。)
「アセクシュアル(asexual)」「アロマンティック(aromantic)」の頭に付く「a」は、英語では否定(non-、un-)の意味を持つ。「asexual」=「sexual(性的欲求のある状態)でない」、「aromantic」=「romantic(恋愛感情のある状態)でない」ということになる。 一方、「demi」は、「半分」「少し」の意味を持つ(ヨーロッパ系のカフェでエスプレッソを注文すると出てくる小さなカップ=「デミタスカップ」を想像してもらえると腑に落ちるのではないでしょうか)。つまり「デミロマンティック(demiromantic)」は、「romantic(恋愛感情のある状態)が少なめである」という意味になる。
息抜き:
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当事者の書いた文章や当事者が主人公の小説を読む限り、アセクシュアルおよびアロマンティックの人は、それぞれセックスや恋愛に対して拒否感や嫌悪感がある印象だ。 私はどちらに対してもそこまで強い拒否感はなく、恋愛の延長線上にセックスがあることにもそれほど違和感を持っていないが、いかんせん恋愛感情が起こらない。
学生時代、周囲が少女漫画を貸し借りして「○○君と△△君だったらどっちがタイプ?」「私たちもこんな恋愛したいよね~」と真剣に語り合っている中、私はそのテンションに全く付いていけず、自分はみんなと違うな……と漠然と感じていた。
勉強や就職活動や創作活動などは、将来の自分の可能性や選択肢を増やして今より自由になるための活動であるのに対し、恋愛は、相手と良い関係を作るためのしがらみや我慢を発生させる点で、人生を不自由にする活動だと思っていた。 シスヘテロ男性との恋愛の先にあるかもしれない結婚・妊娠・出産などを想像すると、積極的に恋愛するシスへテロ女性たちは、自ら進んで家父長制に取り込まれにいっているように見えてしまった(ものすごく穿った見方だという自覚はある……彼女たちは自分の意志で恋愛しているのであり、余計なお世話だとは思うけど)。
私の中にこういった思考が育まれたのは、幸せな恋愛やパートナーシップのサンプルを身近に見つけられなかったという環境的な要因に加えて、やはり先天的な要因もあると思う。 近年の脳科学では、外部からの刺激によって脳内の快楽を司る「報酬系」という神経回路が活発化し、ドーパミンが分泌されると恋愛感情が起こるとされている。多分、私の脳ではこの回路があまり活発ではなく、少女漫画という刺激では作動しないのだろう。 (ただ、脳内物質にはドーパミン以外にもセロトニン・テストステロン・エストロゲンなどがあり、これらが出ていれば何らかの感情は発生していることになるので、恋愛感情がないからといって無感動というわけではないのですが。)
参考:
社会人になってから、微妙に恋愛感情が出てきた時期もあるにはあったが、それも数年に一度ぐらいの低い頻度だった。 仕事が忙しければどうでも良くなるし、一人で行きたい場所に旅行したり、カルチャーに触れたりライブやイベントに行ったりすればそこそこ満たされてしまうので、そのうち別にいいやという気持ちになる。
そんな自分のことを、私自身は「ドライな人間」「淡泊なタイプ」だと解釈していた。 ただ、性自認と医学・生物学的な性は一致しており(シス女性)、恋愛感情が起こる場合は異性に向くため(ヘテロセクシュアル)、自分がセクシュアルマイノリティだとは思っていなかった。 しかし、日本でもセクシュアルマイノリティに関する議論が活発になり、LGBT以外のセクシュアルマイノリティやクィアについての文献や記事が広く出回るようになって、やっと「デミロマンティック」というちょうど良い表現に出会えた。
クィアを自覚した後の問題
自分がクィアだと自覚することは、こういう人間は自分だけではないと安心できる点では救いだが、自分は差別される側の人間なのだという疎外感を突きつけられる点で呪いにもなる。 過去にセクシュアリティの違いが原因で周囲から浮いてしまった経験を、差別を受けた体験として捉え直す作業は、それなりの痛みを伴う。 しかし、これを丁寧に行わなければ、自分の生きづらさを解きほぐして緩和することもできないし、この先どう生きるのが自分にとっての幸せなのかも模索できない。 また、自分が生きている日本社会がどんな人間を異端として疎外・排除しているか、あらゆるセクシュアリティが肯定されるために社会や自分自身はどうあるべきかも見えてこない。
自分の中のクィアネスに向き合うことを意識し始めてから、同じように既存の性のカテゴリーからはみ出している人がどう生きているのか知りたいと思うようになった。 コロナが沈静化したタイミングで読書会やコミュニティを定期的に検索していたところ、「陰気なクィアパーティ ZINE交換会」の告知に出会った。 クィアとして生きる実感をZINE作りという形で語り直す作業を、この機会にやってみたいと思った。
限られた���間の中で何とか内容をまとめ、A5版12ページ、6,000字強のZINEが完成した。 会場で7部を交換し、2部は手持ちのZINEがなかった人に渡した。
「陰気なクィアパーティ」の大らかさ
私は「LGBT」ではないし、「アロマンティック」「アセクシュアル」のいずれでもないので、そういった人を対象とするコミュニティへの参加には抵抗がある。 でも「クィア」を冠したコミュニティであれば、私もここにいて良さそうだと思える。
会のグラウンドルールには、このような文言がある。
陰気なクィアパーティは、セーファースペースであり、あらゆる性のあり方を持つ私たちが共にいるための空間です。 差別の構造を解体する空間であるためには、参加者全員の協力が必要です。 自身の境界と他者の境界を尊重し、全ての人が居心地良く過ごすことができる対話空間作りにご協力ください。
この宣言はとても心強い。 このような場なら、「性的指向も性自認もマジョリティと変わらないくせにマイノリティぶるな」とか、「もっと辛い立場にあるセクシュアルマイノリティに比べれば、お前のしんどさなんて取るに足りないものだ」といったような攻撃を受けるリスクは低そうだと感じた。 そして、一定の安全が担保された空間で様々なクィアたちとコミュニケーションする中で、クィアとしてどう生きるかのヒントが掴める気がした。
会場に足を運び、様々なセクシュアリティの参加者からもらったZINEを読んで、自分の想像を超えた差別や疎外感を知り、世界の見え方が少し変わった。 あの空間に、一人のクィアとして立ったからこそ見えた景色だ。 私のZINEも、誰かにとって新たな気付きをもたらすものになっていればいいなと思う。
会社を辞めようとしているタイミングでこのような場に出会うことができ、本当に感謝している。 主催者の皆様、ありがとうございます。
そして今後は、小説の執筆ペースを上げることと並行して、一人のクィアとして考えたことをもっと言葉にしたくなった。 個が尊重されるセーファースペースで、様々なクィアと対話したり励まし合ったりする時間が定期的にあったら、何かと心細いクィア人生も豊かなものになる予感がする。
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あなたと一緒にいる時以外、ずっとあなたのことを憎んでいるの
時々、私のもとを訪れる人。あなたといると心がとても安らぐ。私はあなたに存分に甘えて、あなたも私に存分に甘える。私はあなたに話したかったことを話せてとても嬉しい。あなたも私に話したくてたまらなかったことをとうとうと語って嬉しそうにしている。私はあなたに触れたかったから、無遠慮に触れる。何のためらいもなく肩に頭をのせて、のせた頭をあなたの頬にすりつける。あなたの膝に寝転がってあなたの顔を見上げる。あなたも無遠慮に私に触れる。何のことわりもなく肩を抱く。腰を抱く。太ももをさする。膝にあずけた私の頭を撫でる。見つめ合って、愛おしそうに唇を落とす。両手を広げて抱きしめる。額にも、頬にも、瞼にも、首にも、したいように唇を落とす。笑い合う。私たちは互いを預け合う。美しい時間。甘やかで、うっとりするような匂いと声とに満ちた、やさしい時間。
けれどあなたは立ち去る。約束の時間がくると、どんなに睦んでいても、あっさりと立ち去る。何か理由があるらしい。あなたが立ち去ると、私はあなたを憎む気持ちでいっぱいになる。なぜ立ち去るのか。なぜあなたがいない時間を過ごさなければならないのか。その時がくればあなたは立ち去ることになるのに、なぜ私にやさしい声をかけるのか。なぜやさしく触れるのか。なぜ笑い合うのか。なぜ愛し合うのか。なぜ私の言葉を蔑ろ��するのか。なぜ私を忘れるのか。なぜ私の苦しみがわからないのか。なぜ私の怒りが届かないのか。なぜいないのか。なぜ私の痛みが届かないのか。なぜ私の孤独を埋められないのか。なぜここにいてくれないのか。なぜ、あなたは今、ここにいないのか。
――立ち去る必要があるからせめて逢瀬の時間は至上の愛を与えたい、と、私のゴドーは言う。ゴドーが、来ているだけましなのだ。ベケットを参照しながら、私は思おうとする。ゴドーはほんらい、来ないものなのだ。それが来ているのだから、私はそれに感謝しなければならない。――でも、何に対する感謝なのだろう? 神?
だったら私は神を殺してゴドーを牢に監禁したい。神を殺し、この世の理をすべて葬り去り、奇跡的に私のもとに尋ね来てくれたゴドーの手足を削いで、この自室に監禁したい。私は二度とゴドーを待ちたくないのだった。こんな辛酸を舐めるくらいならば、ゴドーの身体を奪い、自由意志を封じ、わがもとに繋ぎとめてしまいたいのだった。けれどそれは許されない。私に神を殺す力がないからだ。
こんなものが恋であるはずがなかった。恋とは相手のことを思い出せばそのままうっとりと悦楽の境地に至ってしまうような蜜のような感情を指すはずだった。思い出すだけでばら色の頬が私を美しくするようなもののはずだった。あふれた慕情に耐えかねて床にのたうち回る、あふれた慕情に耐えかねて膨大な言葉を書きつける、浮き足だってなにも手につかなくなる、そういうものが恋であるはずだった。それなのに、今や私は常に苛立っていた。一人きりで抱えているのは孤独と憎しみだけだった。憎しみの介在によってそれは恋とは呼べないものになり、私はもう長らく恋をしていなかった。
愛ではあった。恋でなくとも、愛ではあり続けた。これが愛であるがゆえに、愛になってしまったがゆえに、憎しみも苦しみも怒りも抱き込むことをおのれに認めさせなければならなかった。愛と恋とは峻別するべきものだが、その峻別には大いなる痛みがともなった。
憎いのは、私が愛の痛みを甘受しているにもかかわらず、あなたは恋に浮かされている、そのアンビバレンスだ。癇癪を起こしながら、しかし私はすべてを理解してすべてを諦めていた。この激しい癇癪は無為なものだと了解し、セルフ・コントロールがきかず漏れ出るわずかな感情のみを相手にぶつけながら、癇癪のほとんどを自身の裡に抱え込むのだった。それはひとえに理知によるものだった。それが愛だった。情動のなす恋とちがい、理知がなすものが愛であった。理知による忍耐がなすものが愛であると、思い込むことしかできなかった。
外科室で、寝台に横たわる。なぜ、これ以上生きていきたいはずのない生にありながら、私は治療を受けるのだろうと不思議に思った。憎く、かつこれ以上ないほどに愛おしく思っていた父親、死んだ父親から遺伝的に受け継いだ心臓の疾患は、ストレス過多な人生の圧迫を受けて想像以上の悪化を見せており、少しでも若く体力のあるうちに���刀すべきだと診断された。私は診療にかかったことを後悔した。医者は人命を救うことを使命としており、施術を拒否するには相当の労力を要することが明らかだった。そのまま、正義感の強い医者の強い進言を受け入れるかたちで、またも先々に生きながらえるための道を自分で選んでしまったのだった。
生きながらえたところで、私はどのみち自分を傷つける選択をするのだろう。生きながらえた私は、またもや愛をおこなうのだろう。そうして憎しみと苦しみと怒りと、加えて、悲しみの果てに、ただ泣き咽びながら生きているだけの人生を、延長することになるのだ。
この先、何の喜びがあるだろう。何の達成があるだろう。自分の人生に、美しい未来がもう見えない。私はきっと憎しみと苦しみに囚われて、刹那的な快楽のみを享受しながら生きていくのだろう。だとして、こんな延命処置に何の意味があるのだろう。
そんなことを思っているうちに、全身麻酔がきいて、深い深い眠りに落ちた。数時間の意識の放棄ののち目が覚めると、私の左胸の、乳房の付け根にはガーゼによる覆いが施され、左腕には点滴が落ちてきていた。みずから延長してしまった人生の、これからのことを考えると、目眩がした。手術でたくさんの血を失ったせいかもしれない。
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御茶ワールド「鮙〆香氣さんがミートカモネギって名前を付けたのは感謝しているからだよ このブログ世界を功績でいっぱいにしているのは家族の次に食用ポケモンにも後述通り幸せになって欲しいから 俺は小学生の頃ね、新作のマリオを自由時間にやっている期間に楽しい時間はあっという間っていう言葉が怖かった」
超電チャブル「この辺で魚達が洗剤で溶かされた成分を追ってみればお前か。人を苛める方が頂点としての闘いだって事が分かってる筈だ。何が目的だ」 無印04(10歳)「おいしさ、栄養、優れた遺伝子 表版仮想大鉱山の馬鹿共と違って高級かどうか以外にも判断するべき材料はいっぱいある だから旨いだけで他が全く貧弱なヨワシみたいな小物は釣れる度にイライラすんだよ 連続で3回釣れたら水に溶かした濃い洗剤を体内に注射して溶かして腐って死ぬまで遊んでやるだけだ {{{ふたたび にくたいをつけて この せかいに もどってくるのだ}}}になる事のねえ……w 俺も獲物も大物同士になれる為にする大人の厳選だよ(赤き真実)」防聖孤島「やっぱりタイムマシンでいつ会いに行っても一発でわかる。お前は本当の糞だよ、醤油差しと湯呑み、寿司に唾液を付けるクズよりずっと(赤き真実)」無印04(10歳)「別にそんな間抜けより下手な迷惑は掛けてねえつもりさ 自分の胃袋を労ってやる為にカスフードをドブにすてる合理的な余裕が人間には必要だと思わねえ?❔」超電チャブル「お前がこれ以上ポケモン保護法違反をする日は来ない。ひ弱な俺らが手を下すまでもなく怨念のゴースト・悪タイプしかもう居ねえんだからな(💢赤き真実😡)」無印04(10歳)「嘘だあ、俺逃げなきゃ死ぬじゃんありがとう🥶」防聖孤島「逃がさない、食べ物の恨みは絶対だ」
御茶ワールド「みんな〜〜続きを話すよ。高校生になった辺りでは本当に忙しくて幸福量保存の法則っていう哲学に支えられて来た(頑張った後のご飯は美味しい🍚😋🍣とか)。でも何でも自由にしていい自己責任になった今はこう思うんだ、宝物を手に入れたり何かを成し遂げて成長すればどこまでもプラスが増えていくんだって。完成された世界に居たら弱くなるかもしれないけれど生きていれば何だって出来る(黄金の真実)」
超電チャブル「そういえば千空大先生言ってたよな 学力テストで100点獲るより大事な数値があるかよってさw 今考えれば俺が図星を突かれた微笑ましい黒歴史だなあ…才能だけじゃない努力の表れだって気づいてるべきだった だからみんな高いと嬉しいんだ(もう逃げないぜ👍)」
“”鮙〆香氣””以上に”””防聖孤島”””という人物は辛い生存競争をしていくしか無い魚達に価値のある人間の意味を込めた結晶をばら撒いて、これから食われるとしても捧げた念を感じて貰って共に笑って暮らして欲しいと思っているんだ( ◠‿◠ )
〜次回予告〜
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霧島04(20歳)「自分の記憶力不足が俺を裏切るならば、楽しく酒を飲んで気持ち良く己の肉体を裏切れば良い。幸せな後悔で学習させるんだよ🥴」スパイダーマン「そいつは自分を大切になんてしてない‼️」〜脳の一部だけが萎縮した〜
サキュバス「アナタ達の中で、気持ち良いのを経験した事がない人にチャンスをあげる おせっせしたら密室から出られるわよ💖」
〜数分後〜
ゴールドバズー「バカ‼️それは竹輪だろ⁉️貴重な食糧に何してんだ(´;Д;`)」霧島04「竹を竿との二刀流に例えたのはお前だ😡」ゴールドバラバズー500F「意味のわからない逆ギレをするな‼️‼️」 霧島04「ちんことチクワをバッティングさせてホモ(心の身障)になってやっただろ😁👌」ゴールドガッチャ「ほ、本当に馬鹿なのだな……😨」ゴールドバズー「いいか?お前がしなきゃならないのは、、セックス。だ」 無印04「了解、折楠だな😏👍」��表版仮想大鉱山500万人「ドアホ‼️❗️����❗️‼️」無印04はなんかもうDIO様には敵わないからジョースター家のブランドになりたくて、その場で待機していた16歳の処女お姉さんを時をとめて殴り殺した そして時は動き出す
ゴールドバズー「無理矢理髪を掴んでこの豊満な果実でパイズリご奉仕をさせるんだよ🧡………あ、…もうおせっせできねえじゃん😨」 霧島04(裏ストボス)は過度の飲酒でセックスの単語を覚えているのが困難🌟 8筒ブルー/闇甲冑「俺達はここで飢えて死ぬんだ……」
サキュバス「この子、強敵ね……”水と油🍒(3位と5位)”すら落とせない私に”””””☠️極悪スーパーヒーローランキング1位の純粋硬派柱(裏ストボス)🏴☠️”””””は手に余るかしら?いいえ、過去を読むのよ(ニヤリ)
8000人との8000秒😰……まぐわいの快楽がシコザル未満の快楽(赤き真実😨)
原因は全て、霧島狩魔が軽率な判断をしたせいです ガタッ❗️❗️ 霧島狩魔「財前五郎様の言う通りです❗️‼️」 裁判所「どよっどよっ…」霧島狩魔「彼は負け犬キモオタ坂口明刹那真童貞の俺に変態オマンコ薄汚れた肉便器雌豚クソビッチを宛てがってくれたんです‼️ 見事なカルテ改竄の腹黒手腕の素晴らしさ‼️❤️🔥❗️だから彼の凶悪犯罪を隠蔽する義務がある!!!なんとしてもマ、おま、…🤔(ニコ動のオタ突っ込み??いや、違う)………💡…マンゴージュースが飲みたいんだ アマカジに運動させてくれ😁」
裁判所の人々「😨😨😨😨😨」
当てがわれた女の子は性的な手は出される事なく、ちゃんと撲殺されていた。我らが最強はシコ猿童貞未満のゲロ以下の価値より余裕で劣るそれ未満の悲惨でしかない恋愛歴しか無かった……(赤き真実)
〜数年後〜
アイエフ「あいつらは冷酷な神なのよ‼️頭がおかしいの❗️」ネプテューヌ「あー…アイちゃん、今は亡き”””霧島04”””以外は唯のおとこのk」 アイエフ「ネプ子は黙ってて!!」ネプテューヌ「いや、だからね…」 アイエフ「黙ってて‼️💢」ネプテューヌ「😓」
👇生き返ったBLUE、純粋硬派柱ランキング2位
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Independently blue
感受性が豊かだとかいつも考えすぎだよの一言で自分のすべてを見透かしたかのようにわたしのことをとくべつ綺麗に表現してほしくなかった。というか、絶望や不安感や絶えない悲しみに美しさなんて微塵たりと存在しないと思っているのに、それを爽やかな笑顔を浮かべながら素敵だと言われてしまうと、わたしも捻くれた人間なのでより一層自分に対して惨めな想いばかりが募ってしまう。こんな調子だからいつになっても満たされないのだ。ずっと。自分で自分を縛り付けているような感覚に頭が痛くなる。何一つとして誇れるものを持ち合わせていないことに。家族や友人はたいせつだけれど彼らだってやっぱり一番大切なのは自分自身で、そういった意味では彼らもある種の寂しさを抱えているのかもしれないけど、それでも、と、ぐるぐる考えれば考えるほど自分だけが異様に変わっているように思えてきて耐えきれず泣いてしまう。
無題
世界はドラマによってうごかされていて、そのドラマによってわたしたちはうごかされている。と、高校演劇大会の審査員の演出家の方が言っていた。
ドラマの定義というのは最初に保たれていたバランスが何かをきっかけに崩壊して、そしてまたあたらしいバランスが構築される、というその繰り返しのことらしい。ここで大事なのはバランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のエネルギーの動きをしっかりと捉えて明確にするということ。そうすることでは��めてハッ、となる瞬間がうまれる。ここでいうハッというのは新しい気付きのことで、これは今までは流れに流されていたものが急に堰き止めらたときに止むを得ず立ち止まり、改めて周りを観察し分析することで自分自身の置かれている立場を客観視できる、ということだと思う。バランスが崩れるということは何かが劇的に変わることを表していて、人間はそれに適応することに大体は切磋琢磨して多くの場合くるしくなったり悲しくなったりとネガティブな感情に追い込まれてしまうと思う。けれど演劇において、また人生においても同じことが言えるけれど、そこでは自らの感情に思うがまま身を委ねるのではなくてロジカルに思考をすることが大事になってくる。というのも、大きな衝動は複数の感情をより複雑に絡ませてしまい、そうするとまた今度はそれを解くことに必死になって小さなパニックが起きてしまうから。そうしてそのように自らを疲れさせないために情報量を極限まで少なくすると、はじめて人間はそこで現在進行形で起きている意外性というものに気がつく。そして大概この意外性、つまり思いがけない驚きや予想外の仕掛けというものは自分だけでなく他者にも影響を及ぼし、それがその審査員のいうハッ、という気付きに繋がるのかもしれない。
同情の有無にかかわらず人間への関心を失ったら演劇など出来ない、と審査員の方々が話すのを聞きながら、人生と演劇って似ているなあと改めて思った。自然であることと自然でないことはまったくもって違うけれど、実は紙一重なのかもしれない。
辛いことはたしかに尽きないけれど、そこでその辛い気持ちから自己防衛をするために自分自身を正当化し誰かを傷つけることは全くもってちがうし、それでは自分のかなしみはより加速する一方で、一向に幸せにはなれない。自信を持つ方法だとか辛い気持ちから脱却する方法だとかそういうことをつらつらと語る動画をたくさん見たら、元気が出た。今までにないほど散々汚い言葉を投げかけられて、ついこの間までもう自分には幸せになる価値なんてないのかもしれないとマイナス思考だったけれど、そんなことはない。幸せになりたい、という思いだけで充分だと思う。どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となる。ただ誰かを傷つけることで自分を正当化する人や人の心に深い爪痕を残そうとする人、自分自身を責めてしまう人や優しさや愛を素直に受け止められずに疑ってしまう人、いろいろな人がいるけれど、その人たちを責めることもまた全くちがうことなのかもしれないと思った。わたしは今までは悪いことをした人は絶対的に悪い、と一方的に思っていたけれど、そのうしろにはその人にしか分からない苦しみがあるのだろうし、それはその人自身によるものだけではなく環境によるものだという可能性だってある。冒頭で述べた、「バランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のうちのエネルギーの動き」というものを自分の���本にある愛やだれかから受け取る愛の不十分さゆえに消化できず、他のものでそれを補い上書きしつつ誤魔化すことで、彼らも彼らなりに自分と向き合うとしているのかもしれない。これはあくまで仮定だけれど、そう思うことでわたしも心が軽くなる。辛いとか、幸せとか、気にしなくなるほど愛に満ち足りた生活をしたい。ゆるしたい。自分が侵してしまった失敗や罪も、自分を傷つける人たちの言葉も、上手く物事をこなせない自分自身のことも、幸せでない過去のことも、ぜんぶゆるしてあげたい。号泣しながら鏡を見たら予想以上に顔がぐちゃぐちゃだったので綺麗だった、なんて微塵たりとも思わず、むしろそれを汚いと思ってしまったけれど、それをいつかあの頃の美しさに生かされていると言えるほどの愛を自分のために抱えて離したくない。
無題
丁寧に髪をとかすともう0時だった。ピピピというメロディとともにコンビニのドアは開かれて、わたしはそこで煙草を買おうかと思うけれどもやめる。憧れている女の子が新宿区の高校に通っていることを知って、落ち込んで舞い上がって、そうしてまた落ち込んだ。こんなにも近くで同じ景色を見ているのにわたしはどうしても彼女と同じ世界を生きることができない。等しい恐怖心ともどかしさを感じながら寂しさを分かち合いたかった。彼女がきれいだと思うものをわたしもきれいだと思いたいし、彼女が眠れない夜にはわたしも眠れずにいたい。となりで同じ蝉の鳴き声を聴いて、電車が過ぎ去ってゆくのをみて、風が、草はらを駆け抜けてゆくのをみた。けれどその一瞬のうちですら、たぶんわたしと彼女はきっとそれぞれ異なるひとのことを想って、それぞれ異なる色と匂いと温度と光をかんじている。わたしは彼女がかなしいと思うときにおなじようにかなしいと思えないのだ。それほどもどかしいことはないし、それほど愛おしいものもない。わたしの孤独はわたし一人だけで成立しているものではなくて、わたしの大切なひとたちがいてこそのものだと思うと、それだけで眠れなかった夜が嘘みたいに今度は眠りたくない夜になる。満たされていないからわたしは海をきれいだと思うのだろうし、なんの迷いも戸惑いもなく未来に眩さや希望やあたたかな愛を見出すことができるのだと思う。満足することを知らず、いつまでも世界のありとあらゆるところまでつねに感じていたい。うしなわれた光と温度と音が知らない地でまたあたらしくうまれるところを、ずっととおい国のちいさな街で暮らす少年の報われなかった恋を、インターネットの隅で未だに煌めきを失わず残ることばの数々を、千年前に生きていた十七歳の少女が今を生きるわたしのそれと同じ眼差しで、同じ場所で、同じ海を眺めている様子をみたかった。恐竜の鱗が光にてらされてかがやいているのもみたかった。この風は、まだ人間が人間じゃなかった頃に吹いていた風かもしれない。同級生のこととかたとえば自分の数年後のこととか明日の試験のこととか考えているうちに、きっとたぶんあっとういうまにわたしは歳を重ねて死んでしまうから。あなたも。死は永遠に続く停止ではなくて、またあたらし��有限への始まりにしか過ぎないのかもしれない。昔の文章、はずかしすぎてマトモに読めなかった。一年前のわたしだったら全部削除していたかもしれない。だいたい、あなたにはなれないと分かっていながらあなたになりたいなんて思ってしまったわたしがわるかった。わたしは全然自分が思っているより幸せだし、あなただってきっとあなたが思っているより幸せなのだと思う。それにそうだねと言えないのなら、わたしが幸せにしにいくから泣かないで。
Fresh Flesh
苛々してばかりいる。排気ガスを吸い込んだ朝の光。どこまでもぬるい夏の風。孤独を拒絶する友人。数値化された感性。立ち並ぶビル群。声のでかい女。ぜ〜んぶ、ほんとにぜんぶ、まるで雷光のようにわたしの心の奥の奥の奥のほうをカッと照らすので、まぶしくてひたすらに鬱陶しい。だけど舌打ちも暴力も歯軋りも性に合うはずがないので、ただ血液だけが巡るその速度を速め、ああ、もうさ、どうしてこんなに世界って鮮やかなわけ?って、思った、昼。あらゆる音がさっきまで飲んでいたシュワシュワサイダーの泡みたいに空気中を弾ける。ぽつ、ぽつ。びゅうびゅう。ざあざあ。びたびた。ぱらぱら。すぐそこで揺れている深緑(ふかみどり)が泣いているみたい。小鳥や野良猫は雨の日どこで雨宿りをしているんだろうか。ショッキングイエローも、スモーキーピンクも、オーシャンブルーも、わたしたちはすべて黒い色の文字で表現できてしまうのに、心がぎゅうってなるあの��覚って、どんな言葉を選んでもなにかが違う。途中でこうじゃないって投げ出してしまう。どれだけ小説のページを繰っても、黒、黒、黒、そうして少し、余白。けれどそこにはそこにしかない風があって、匂いがあって、音があって、熱があって。先生の合図とともに重たい教科書を開いて、ハイライターで色をつける。まだあと二十分もある、って思うとき途方も無い気持ちなる。(おねがいだから一人にしてほしい、)と、一人なのに、そう思う。これからどうすればいいんだろう。どうなるんだろう。何をすればいいんだろう。何を守るべきで、何を捨てるべきなのか、わかったら、なんの迷いもなしに会いたい人たちの元へと駆けて行けるのに、わたしがいなくても彼らの生活は成立してしまう。その事実が毎日のようにわたしの胸をきつく締め付けるので、勉強さえ手につかない。夏の夜の闇に、重ねに重ねた不安を押しつぶされそうになって、怖くなって、ママが深く眠っているのを確認したあと、あたかも人が眠っているかのように部屋の布団を整えて、玄関のドアをゆっくり、すごくゆっくり開けた。レッドのマットリップと、ドット柄の上下パジャマのズボンと、上はダボダボのブルーのパーカー。午前零時。自転車のギアをいちばん重いのにして、全速力でペダルを漕ぐ。まだたくさんいる人々の話し声や車のエンジン音が瞬く間に遠のいていく中、車輪の回転する音だけが一定の大きさで響きわたる。往復およそ三百円の通学路と、京浜東北線。光が差し込むと肌が透けてみえる白いブラウスと、微かに香る柔軟剤のにおい。テスト前、教科書がパンパンに入ったリュックサックの重さと、かかとの磨り減ったローファーの鈍い光沢。小さな教室と、先生のつまらない冗談。どっと響きわたる笑い声の中に掻き消された不安定な思考。すべて、いつか、終わってしまうことがちっともさみしくないと思ってしまった。ゆるしてほしい。だって、いつだって死ぬことは生きることの一部。怖いモノなど無いと信じたいでしょ。
無題
上野で車に轢かれた鳩の死骸をみた。車窓に映る風の如く過ぎ去ってゆく光景はあらゆるモノの死の産物なのだと、いつか君が話していたのを思い出した。それに感化され涙を目に浮かべるわたしもまた、いずれ消えてしまう。雲ひとつない晴れた日に駅の出口で名前も顔も知らない人を待ちながら、点滅する青信号に早まる人々の足取りを目で追う。断ち切れた水道管の真横でカラスがゴミを漁っていた。彼も彼女もこの街ですらいつか朽ちてゆくのに、世界はなぜこうも美しく出来すぎているのだろうかとよく考える。降ってくる雨粒の鋭さに刺され出血することもなければ、太陽の光によって皮膚が火傷することもない。風の強さで眼球が吹き飛ぶこともなければ、鳥の鳴き声で鼓膜が破れることもない。そのやさしさがたまに鬱陶しくて鬱陶しくて、真夜中に布団に包まってひっきりなしに泣く。ああ、やってらんないなあと思いながら、チョコレートパフェを注文する。向かい席に座った顔見知りになって間もない女性が煙草を嗜む、その姿に恋心にも似たときめきを覚えた。文豪たちが綴ったうつくしい言葉が無数に散らばる図書館で、わたしと彼女は自分たちで編み出したくだらない戯れ言に花まるをつけた。いつか、という言葉が好きだ。いつか大丈夫になる。いつか幸せになる。いつか報われる。いつかわたしにも大切な人が出来る。いつか大人になる。いつか死ぬ。その果てに見える景色があらゆるモノの死の産物だとしたら、わたしは毎日それらを瞼の裏に葬り、目を閉じて祈る。人生にリタイヤもバッドエンドもエンドロールもない。それよりも踊ってばかりの国のサイクリングロードを聴きながら、ドライブしよう?
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白夜
AP_2023 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域2年 演劇公演(プロジェクトワーク3)
原作:フョードル・ドストエフスキー (小沼文彦訳よりアダプテーション)
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僕はもう、自分の人生に罪を冒したって悩まなくても済むかもしれない。
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主人公の青年は、サンクトペテルブルクに引っ越してから8年、友人が一人もできず、夢想的で孤独な生活を送っていた。白夜のある晩、橋のたもとで、ある少女に出会い彼の日常は鮮やかになっていく。孤独だった 2 人は、互いに惹かれあい、会う度に気持ちは高まっていく。しかし、実は少女には婚約者がいた。夢のような淡い恋心が芽生え始めたころ、彼の想いは淡く散ってしまう。 青年は少女との出会いを心から喜び、感謝し、誠実に関わろうと努める。それでも少女は青年の前から去ってしまう。そのとき彼は何を思うのだろう。
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開演日時
2024年7月13日(土)11:00、14:30※
※両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ※当日券は若干枚発行予定です。
※受付開始・開場は、各公演30分前より ※上演時間45分(予定・途中休憩なし) ※駐車場あり ※場内車いすスペースあり ※未就学児入場不可 ※全席自由
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料金:無料
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会場
名古屋芸術大学 東キャンパス 8号館スタジオ 愛知県北名古屋市熊之庄古井281
公演当日受付場所:東キャンパス 1号館 1階ロビー
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ご予約(オンライン受付) https://forms.gle/mUviZedostUTAMHa9
●両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ●当日券は若干枚発行予定です。
※予約開始 6月7日(金)12:00 ※定員に達し次第、予約受付は終了となります。 ※演出の都合上、開演後はすぐに入場できない場合があります。
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出演
宇津 舞衣子(音楽領域 音楽総合コース2年) 安尾 琢杜(舞台芸術領域 プロデュースコース2年)
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「白夜」の主人公は、あまりにも人間らしい。
夢想家である彼は、考え込み、想像し、思い上がったと思えば、悲観し、皮肉り、絶望する。そして、今日という日を懸命に生きていくのだ。
この作品の中で、彼は沢山の感情を吐露する。それは、人の素晴らしさだけでなく、人の残酷さ、世の中の無情さによるものでもある。
私達も彼と同様、理不尽な出来事に苛まれる時がある。等身大の人間である彼と共に過ごすこの物語は、あなたの心にも重なることがあるのではないだろうか。
世界は変わっていくものであり、そこには失うことや捨てることへの不安よりも強い期待がそこかしこに溢れている。若々しい期待は、ほとんど場合、期待通りの結果にはならない。その世界の中で私達はどう生きれば良いのか。
世界の若者の多くが、これまでに心の病を経験していると言われる現代。だから私達は、この今の時代に「白夜」という作品を通し、「あなたが抱えるものはあなただけのものではない」ということを伝えたい。そんな自分を、他者を、そして世の中を赦せたのなら、あなたの世界はより一層健やかなものになるだろう。
舞台芸術領域 プロデュースコース 3期生
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構成・演出:鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市で作品を上演。ポーラ美術振興財団在外研修員(2012・フランス)。2014年、三重県津市美里町に拠点を移設。民間劇場 Théâtre de Belleville を開設。愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員(2015〜)。名古屋芸術大学 舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真:松原豊
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制作(舞台プロデュースコース)
安尾琢杜、山田葵衣、石川大海(演出補) 今泉舞音、遠藤美帆、岡部創太 河合仁衣菜、齋藤寧々、田中蒼真 松本千花、蓑原楓子、萬敬祐
音響(演出空間コース[音響])
上之未来、奥田颯杜、松木千夏
照明(演出空間コース[照明])
浅野羽菜、大橋知世、何采沂 桂川栞吏、新名里彩、野本恭可 深作百花、水谷莉子、���宅梨世 山田瑞希
美術(舞台美術コース)
大下女神、岡本愛結、後藤歩栞 坂倉しずの、白井友菜、諏訪天音 髙橋杏奈、田中杏果、丁奕文 成瀬葉菜音、花瀬由珠、坂梨々愛 間瀬美紀、松本莉歩、武藤彩花 村松真琉子、山下心響、吉川治希 吉田翠里
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照明協力
イ ロイ、今井歩、上本瑞和 酒井優、佐藤星希、鈴木日奈子 関楓奈、松浦萌衣、三浦琴葉 宮原羽菜
音響協力
夏目依吹、橋村怜央、二木陽菜 松木花水実、中根美咲
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指導教員:
梶田美香、鳴海康平、浅井信好 石黒諭、山口剛、神谷怜奈
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宣伝美術:橋本純司
フライヤービジュアル:イ ロイ
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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主催・お問い合わせ: 名古屋芸術大学 舞台芸術領域
mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
協力:名古屋芸術大学 音楽領域音楽総合コース
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だって、こんな生活、罪ですよ。
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三輪秀次の小説(二次創作)
【4】
四 七月 古寺章平
E per me nuovo Capir nol so.
(初めてのことで、僕にもよくわからないのだ)
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト『フィガロの結婚「恋とはどんなものかしら」』
スマホの音楽アプリに、有名なアリアをダウンロードするくらいには古寺の頭はおかしくなっていた。
三門市も梅雨が明ける。もう夏が始まる。中三の彼にとっては受験生の夏である。しかし、塾の夏期講習はキャンセルした。
ボーダーに入隊したのは二ヶ月前、ポジションは最初から狙撃手を選んだ。自分に合っていると思ったからだ。昔から、何事も遠くから俯瞰して眺めるくせを持っている。
近界民侵攻から三年、仮設住宅にもようやく慣れてきた。壁は薄い、部屋は狭い。寒いと暖房が、暑くなるとクーラーの効きが悪いと母親はいつもぼやいている。男子三人を抱える家庭にとって、特に夏休みは母さん発狂案件だった。長期休みが来るたびにそろそろ新しい家をという話になる。
それは、三門を離れるか残るかという話でもあった。司法書士である父ならば他の土地でも仕事はできる。それでも、故郷の街を離れるのはかなりの勇気がいるらしい。しかし、この土地に住み続けるにはある一定の覚悟が必要だった。街が近界との境目に位置しているからだ。国と三門市からは住宅斡旋の補助が出ているが、再び住居を手に入れるにはまだ覚悟が足りない。そんな人たちが仮設住宅にはたくさん住んでいる。
古寺はこの歴史のある街に愛着があったので、ボーダーに入隊することで、家族の気持ちを後押ししたい気持ちがあった。
愛着があるだけではない。古寺には三門市を離れたくない理由が他にもあった。
古寺には近くにいたい人がいるのだ。いま、離れたくない人が。この気持ちがどういうものなのか、彼は知りたい。
E per me nuovo Capir nol so.
初めての気持ちで、古寺にもよくわからないのだ。
だから、彼自身にもそれが恋だとか何だとかはまだ言えない。恋とはどんなものなのだろうか。
作戦室目的で奈良坂を入れたと豪語するわりには、米屋は部屋に居つかなかった。相変わらず個人ランク戦に忙しい。
作戦室はまだ備え付けのロッカーとテーブル、オペレーター用のデスクがあるだけの部屋だ。三輪はA級の部���よりは狭いなと感じる。
…やはり、狙撃手二人体制がいい。
奈良坂は自分のノートを見ながら、そう主張した。やりたいことがいろいろあるらしい。
三輪は奈良坂の意欲が嬉しい。一緒にあーだこーだ言っていると、大抵、米屋はもう個人ランク戦行ってきていい?と言い出す。聞いてないわけでない。理解したし了承したから、もういいだろうというサインだ。了承しなければ、要所要所で口を挟む。わかってきた三輪はあとで俺たちも行くからなと送り出す。それがここしばらくパターンとなっていた。
「で、目星はついているのか?」
「候補がいる」
優しげな風貌だが、見た目に反して俺様であるスナイパーは胸をはった。
「それなら、まかせる」
狙撃手のことは狙撃手に任せたほうがいい。それよりも、戦闘員四人体制のチームについて、考えることはたくさんあった。楽しい。楽しいだけではなく、問題もある。四人体制のチームは少ない。オペレーターに負担がかかるのだ。月見との細かい打ち合わせも必要だった。
「えー、俺はこれから辻ちゃんと戦うんだけど」
対戦ブースである。
辻新之助は二宮隊の一員である。そ��縁で、三輪もここ最近で知り合った人物だ。さすが二宮が選んだだけあり、かなり優秀なアタッカーである。控えめな印象を受けるが話せば明るくて人当たりもいい。コミュニケーション能力が高い人間であると思うが、何故か女性に対してはそうもいかないらしい。
「秀次と奈良坂にまかせるよ」
奈良坂の推す狙撃手に会って来るのだが、と誘ったところ、案の定、米屋は個人戦を優先したいようだ。
「秀次だって、奈良坂に任せてるんだろ」
「俺はいいよ、米屋くん行ってきなって」
遠慮する辻に申し訳ないが、三輪と奈良坂では進む話も進まない可能性がなきにしもあらずだ。奈良坂には言えないが、三輪は奈良坂が自分と同類ではないかと思っている。つまり、コミュニケーション能力が低い側だ。
辻には詫び、三人で待ち合わせをしているというロビーに向かう。
何、このキラキラ感。
顔面偏差値の高い集団に囲まれて、古寺は赤面している。彼は年頃ではあるが、容貌についてはそれほど頓着しない。ましてや、ここは実力主義のボーダーである。これは、あれだ、あれ。教室で女子が読んでる漫画。アレのキラキラ感。読んだことはないのだが。
高いのはそれだけではない。戦闘力である。古寺の家にも積まれている小学生男子のバイブル的漫画(侵攻で一度焼失したが下の弟のためにサンタが去年持ってきてくれたものだ)で登場するアイテム、スカウターで測れば戦闘力は五十三万までは行かなくとも結構な値が出るのではと思わせた。
新人王である奈良坂は言わずもがな、A級隊員だった三輪、個人ランク戦強者の米屋、この三人が隊を結成したその日にはC級隊員に激震が走った。
B級ランク戦に再び波乱の予感だ。ランク戦を見たくて、ボーダー入りしたC級隊員は意外と多い。
その三人がなぜ自分に。
「話はわかりました。でも、なんで俺なんですか?」
「奈良坂が決めたから」
「奈良坂が推すから」
アタッカー二人は、奈良坂を見る。古寺も当然向いた。
「奈良坂先輩?」
奈良坂は表情を変えずに、首を少しかしげた。
「マップ」
「え」
「…合同訓練のときにマップを読むのが俺よりうまいと思った」
狙撃手は正隊員との合同訓練で三週連続で上位十五%以内に入ることにより、B級に昇格し、正隊員となる。夏期講習をキャンセルした罪悪感を消化するため、ひたすら訓練に励んだ結果、結構な速度で古寺はB級へと進んだ。しかし、特に目立つことはなかった。いまや狙撃手は人気ポジションであって次々と話題のスナイパーが登場するし、転向してくる隊員も多い。さらに不動の上位陣は常識外れなほどに技量が高かった。
奈良坂は上位陣の中でもトップに君臨する一人である。
光栄な話だ。二つ返事でひきうけたい。
でもでもでも。
古寺は未練があるのだ。
宇佐美栞は、古寺より一つ年上の風間隊のオペレーターである。今シーズンで風間隊はA級へ駆け上がった。正確に言えば、まだ、A級への挑戦権を行使していないが、おそらく、駆け上がるであろう台風の目である。
その立役者と言われるのが、高校一年生になったばかりのオペレーターだった。宇佐美だ。風間隊のコンセプトを立案し、その戦略に沿った人間をスカウトして実現した。もちろん、隊長である風間が主体だろうが、それを差し引いてもおよそ、高校生のできることとは思えない。
しかし、古寺は宇佐美らしいと思った。彼女ならば、お手のものだろう。得意分野だ。
宇佐美とは同じ中学で生徒会に在籍していた。彼女は改革者だった。彼女の手腕により、学校があっという間に新しい姿に変わっていく様子は恐ろしいほどだった。苛烈ではない。現状を肯定しながらも、いつの間にか現状自体が変わっている。
彼女が三年生の途中で、ボーダー入隊のために辞めてしまったのは、おそらく彼女の理想の形に変革し終わったからだろう。
「章平くんとは眼鏡仲間だね」
彼女と話していると、頭の中がきれいに整理されていくようだった。頭の良い人と話すとはこういうことかと、感心したものだ。
彼女と話すのは好きだった。彼女のことを天然と揶揄するものもいたが、理路整然としているのに、型にはまらない喋り方が心地よかった。
ボーダーに入隊した彼女を追うようにボーダーに入ったのは、思い詰めてではない。あの声をまた聞きたいとなんとなく、そう、なんとなく思ったのだ。なんとなく離れがたくて。
「章平くん、ボーダーに入ったんだ」
もちろん、宇佐美は古寺を覚えていてくれた。また、声が聞けて嬉しかったけれど。
それから先の感情は古寺はまだ知らない。意図的だろうか、おそらくそうに違いない。頭の良い人だ。現状を把握するのも上手い。そして、現状を肯定しながら操るのは彼女の得意分野だ。
やんわりとそこから先にすすむことは拒否された。何か態度に出たわけでもない。言葉はない。けれども、この初めての感情がそこでストップされてしまったのだ。
もちろん、今更、風間隊に入れるわけもない。
古寺は今、ただ途方にくれている。
古寺の葛藤は表面には出なかったようだ。
「マップ?」
「マップ?」
奈良坂の意見にアタッカー二人は、意外そうな表情をしている。
「マップは月見さんが担当だろう」
「それがいけないと思う。三輪も米屋も、マップが読めていないだろう」
「読める」
「戦術の問題だ」
「わかっている」
地図の読めない男だと言われた三輪は反論する。東にも、月見にも散々叩き込まれているのだ。急に喧嘩腰で喋り始めた奈良坂と三輪を目の前にして、古寺はこの人たち、仲いいなあと思うだけだ。
「古寺がビビってんじゃん」
地図の読めない男そのニがフォローに入る。
「いえ、そんな。皆さん、仲がいいんですね」
ありがたい話というのは別として、この仲良し三人のなかに自分が入ってやっていけるのか。
「大丈夫だ。別に仲がいいわけじゃない」
古寺の不安を見透かして、奈良坂が言った。
「こいつら、相性とか気にしないらしいから」
奈良坂の顔は端整すぎて表情が読めない。
「どうする?」
終わり
五に続く
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五 七月 三輪隊
三輪隊への入隊届を出した、その足で作戦室に向かった。初めて足を踏み入れた作戦室は殺風景だった。
案内するほどもない狭い作戦室の壁際に小さな机が置いてある。
「古寺くん、受験生でしょう。ここで勉強したらと思って」
月見は古寺に遠慮するすきを与えず、テキパキと椅子に座らせた。
「広さはどうかしら?」
「ありがとうございます」
「奈良坂から聞いた。六穎館だろ」
「はい、一応」
「スゲエ」
米屋が腕を後ろにまわしたまま、大げさに感嘆の声をあげる。奈良坂が気遣わしげに見てくる。彼は中学受験組だったそうだ。
地域一番校である六穎館高等学校の今年の入学審査が今までにない激戦であるのは周知の事実だ。
今年度の受験生が小学六年生のときに近界民侵攻は起きた。このため当時、中学受験を断念した者が多く、彼らのうち、県外に出なかった者は高校からの入学を目指す。さらにボーダー提携校になったことも非常に大きい。同レベルの高校を目指していたものが、六穎館に志望校を変更する者も多い。内申点四五/四五を誇る古寺であっても、本来ならば気を抜いていいものではない。皆の心遣いが嬉しかった。
自然と笑みが浮かぶ。途方にくれた、寄る辺のなさはまだあるけれど、それはそれで悪くないと思えた。
「がんばります」
「明日はここに学校が終わったら集合、打ち合わせをしながら昼。明日は、みんな、午前で学校終わりだろ」
「そうだっけ?」
「終業式よ」
「通知表、みんな持ってこい」
「なんで」
「確認するわ、成績は任務遂行の上でも大事よ」
「誰が決めたんですか」
「城戸司令」
「ホントですか?」
「夏休みかぁ、プール行きたい。今年オープンした市営プール、超いいらしいぜ。栞が風間隊で行ったらしい」
「風間隊!? 栞って、宇佐美先輩のことですか?」
「ああ」
米屋はこの展開に相当馴れているらしく、すぐに、ニヤリと笑った。
「宇佐美栞は俺のいとこ」
「マジですか〜?」
「俺はプールは行かない」
「泳げないんだろう」
「そんなことない」
「海もよくね?」
夏が来たのだ。
次のシーズンが始まる。
終わり
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2025
年が明けた。今年もよろしくお願いします。
この人がいないとこの飲み会は盛り上がりに欠ける、しかし、この人がいるとすぐ愚痴大会になる。社員Aは隣にいるわたしには触らないのに、男性社員の体には触れて、男性社員が満更にもないように笑う。男性社員とその親友は休日に12時間電話をしている。その親友は遠方に12個下の20歳の彼女がいる。お互い、社内という小さな空間の中で共有できることを話す中でそういう小さなノイズが走る。深く介入しないように意識している目配せしあう同僚は早々と帰宅。消化しきれないアルコールと似たような気持ちの悪さを大晦日に抱いて、帰り道に紅白をラジオで聴き始めると、米津玄師の「さよーなら、またいつか」が流れる。
「人が宜う地獄のさきにこそ わたしは春を見る」
その瞬間、目の前の段差に気が付かず足を捻って転んだ。大晦日特有の車通りがない静かさの中で、一人うずくまりドス黒い気持ちを抱えてしゃがみこむ滑稽な自分を誰にも発見されぬことを願った。家に着くと、そのまま年が明けた。明日も仕事だ。
「虎に翼」といえば尊属殺人事件での最高裁口頭弁論のシーンが印象的だった。父親に強姦されていた実の娘が父親を殺めたという事件。▼小学館の文芸誌『GOAT』にも父親が実の娘に性加害をする文章が掲載されていた。のっぺりと頭に記録される。ああ、気持ち悪い 地獄でなぜ悪い、聞きたかった
最終出勤日、泣くつもりは全くなかったのに、お世話になった先輩に煽られてまんまと泣いてしまった。上司も力になってあげられなくてごめんという言葉と一緒に涙が出ていて私もつられて号泣してしまった。これには自分でもだいぶ驚いた。ピンと張っていた糸がするっと緩んだ、自分でもどうにかしなきゃと翻弄したここ6年間だった。もうどうにかしなくてもいいんだと思うと、自然と涙が出た、よく頑張ったみたい自分は。
もう頑張る必要がないんだと思うと数日は何もやる気がでなかった。やりたいことはいくつもある、それをまず書き出そうとしたが体が動かなかった。海外に行きたいからまずパスポートを更新しなきゃ、旅行に行きたいから計画を立てないと、二重の整形したいからカウンセリングの予約をしなきゃ、歯列矯正もしたいから歯医者の予約を。全部やろうとすると、全部できない、生まれ持った怠惰のせいで。
不思議とスケジュールは埋まっていって、友達と会う日が幾つもあった。歌舞伎を初めて見に行った。見に行く前、早めに東銀座に到着してしまったのでスタバに行く、世の中は年始明けで忙しなく回っている、窓際に着席するして足早に移動する人々をただ眺めていた、ああ私はこの歯車からいったん降りたのだなと、大きな解放感とじわりと迫る罪悪感に苛まれながらモバイルオーダー、その瞬間隣に座っているおばちゃまの鞄が落下した。飲み物を取りに行く。数分後、わたしと同様に外を眺めるおばちゃまに話しかけられた。飴をくれた。ついつい最近あったことを話してしまう、貴方優秀なのね!と褒めて頂き、新生活への激励。海老蔵の睨みは邪気を払う。実は住んでるところが近くてびっくり、東京で話しかけられるなんて仕事で気持ちが落ちてる時はこんなことなかったなー、やっぱりわたしは今にこにこしてるのかなー、きらきらしてんのかなー
友達のべんけーが毎日日記を書いてブログを更新している。毎日一万歩歩くことを1日の目標に掲げている、私も真似してみることにした。なぜ歩くのか、楽しそうにするわたしの外側から見るわたしの罪悪感を取り除くためだ、人は小さな目標でも達成することでドーパミンが出るらしい。そうだ、それに倣って、小さな目標を達成するための1日を刻んでいこう。相変わらずわたしはやりたいことを書き出すのも儘ならない。病んでる間は衣食住を繰り返していた、年末友達から聞いた言葉を思い出す。できるだけ自分を責めないように暮らすことをひとまずの目標とした。初日、一回の散歩で10000歩を達成したがあまりにも疲れた。その後の読書にはありえないほど集中できたから良かったけれど、これはハードすぎる。その後べんけーに会っ��ので、話を聞くと一万歩を1日の中で分割するらしい。そりゃーそうか。
一万歩歩くが段々と習慣化してきて、適度にお笑いを観に行って心を満たす、一人の時間も持つし、友達と遊ぶ時間も作る。本を読む、歩く、寝る、ご飯を食べる、悩む、フジテレビの会見を見る。
一人で住む家を探さなければならない。新しい職場は遠いからできるだけ近くに、そう東京に出るのだ。そのために仕事を辞めたのだ。親から離れるのだ。
情けないことに父親にはまだ言えていない、恥ずかしき限りだ。なぜ言えないのかをずっと考えている、向き合うことから逃げている。母親は、わたしがいなくなったらとどうなるのと弱音を吐いている、しかし母親の中にも考えはあるらしい、『いつまでもわたしのそばにいて欲しいと言うのも人生を縛るようで』と母親と母親の友人と3人でマックにいるときに話していた、縛っている自覚はあるんだと思った。わたしは、いまは離れるべきだと強く思った、帰り道、一人で喫茶店で本を読んだ。
過去に出演したpodcastの集まりが渋谷であったので顔を出す。隣の席に座った初めましての女の子がこう言った「よく考えすぎだと上司から言われる、みんな考えてないのかなあ」彼女には考えがある、自分よりも長く生きている人たちの意見をしっかり聞いてそのレールを歩きながら、少し外したことがしたい、と。基礎がない人間にはなりたくないと、同席した男性が問う、つまりそれは保守ってことだよね?わたしは、へえと思う。
フジテレビが10時間も会見した。トランプがアメリカの大統領になって、この世の性別は男と女のみ、という、何故かホッとする。朝井リョウの『生欲』を読む。スーパー銭湯に置いてある新聞にはこう書いてあった、リベラルが行き過ぎるとS字曲線になってその分保守が強くなるらしい。へえ。
同僚Aに、よく仕事中に恋愛のことを聞かれていた。最近どうなの?その会話自体は楽しかったので、半ばネタ作りのためにマッチングアプリを始めて大して好きではない人と二人でご飯を食べていた。途中危ない目にもあったりしてからサッパリアプリは退会した。同僚Aには、恋人ができただろうか。お風呂に入りながらそんなことを思う。
さて、これから何しよう。毎日歩きすぎてふくらはぎが痛いことくらいしか今は悩みがない。なんだかんだで心穏やかに生きていけている、大丈夫。ああ、ただ生きているだけなのに、湧いてくる承認欲求が今日も心底気持ち悪い。今日起きてきた感情や見た景色は自分の心だけのものにしたいと、願えば願うほど社会は捻じ曲がりその悩みをchatGPTに投げるのだ。けれど夕焼けは美しい、今日も本を読む。
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2025 1/17 (2:10)
タクシーで書いてる。タクシーに乗るつもりはなかった。なかったけど、24時間営業の喫茶店に入って時間を気にして喋りたくなかったから終電を気にしなかった。わたしは今日職場でトイレに駆け込んで座り込んで泣いてた。無かったことにはできないと思う、騙せたって長くは騙せないと思う。後輩には悪いことをした。久しぶりに会った友人と話して元気が出た。いい気分だったのに会ったことも興味もない友人の友人が死にそうだとかで帰らなくてはならなくなり帰っている。わたしはもともと怒ることが苦手だけど最近は怒るというより、覚悟を決めるという感じになっている。覚悟を決めるから覚悟を決めた顔をしてそういう感じで話す。余計な言葉を言わないように、伝わってほしいことだけを伝えられるよう、気をつけて話す。そしてそういう時はとてもしっくり来ている。わたしは傷ついている、こう思っている。金曜の夜なのに寒すぎてか人があまりいない新宿の街を歩きながら、友人に「その子に友だちといたって伝えてね、わたし、今損なわれてるから。そういうわたしのことを無かったことにしないでね」と言った(もちろん平和に送り出したけど)。素直に話すしあえては自分のことを無かったことにはしない。自分だってかつてはこんな風に人に甘えていたのだと思う。だけどわたしはその電話越しの人みたいに「無理だから今から来てほしい」とか「いやだ、電話を切らないで」とか言ったことはない(ない、と思う)。我慢してたのか、それは我慢だったのか?わたし、何に苛立っているのか。色々なことを飲み下している自分を差し置いて、そういうことを手放しに人にしてしまえるような人がいてもいいことになのか。それもおかしいってことは知っている。みんな好きなようにす��ばいい。今日はなんかただ甘えている人間に苛立った。わたしは最近健康的な方面で、素直に感情を発露する練習をしてる感じがするな。
<2025 1/18> (1/20 1:16)
変な時間に眠ったせいで朦朧とする。母に電話し、楽しいわたしを見せられない時、申し訳ないと思う。一つの考えに囚われている。バランスを失った自分には気づいていても止められない時がある。人を憎むのには体力が必要で、わたしは怒っていながらにそんな自分にいつも泣きそうになって、笑ってしまう。本当は六本木の温浴施設に行くはずだったけど思ったよりも高くてやめた。大江戸線の中でやめた。新宿五丁目にある公民館のような銭湯に行った。友人と明るい時間帯からジェットバスで背中を赤くしていると、旅行に来た気分になれる。毎日こういう気持ちが良い。初めて塩サウナに入った。身体に塗った塩はどんどん溶けて、自分自身が美味しくなってしまいそうだと思った。小さい空が見える偽物の露天風呂にも風はきちんと入ってきた。脱衣所で見知らぬお姉さんにドライヤー代の20円を借り、壁一面の漫画の中からめぞん一刻、A子さんの恋人を選んで友人を待つ。眠ってしまいそうだった。神保町でワインを飲んだ。ほぼ寝ていたようで記憶がない。絶対に嬉しい日だったのに少し悔しい。錦糸町でカラオケに行って友人のベッドで眠った。小泉今日子の「La La La・・・」はわたしでも歌いやすい高さ。友人の家の床が真っ青だ。
<2025 1/19> (1/21 0:53)
寝ぼけながら錦糸町の中国語しか交わされないお店で定食を食べ、渋谷駅構内を久しぶりに歩き下北で久しぶりの友人と会う。本当は話したいこと多分たくさんあったんだけど、頭が回っていなくて悔しかったし、後々申し訳なかった。だけど一緒に行きたかった本屋に行けてぽつぽつと言葉を交わし、それは嬉しかった。休日は好きな人たちと会うことに必死で、わたしは多分少しばかり調子に乗っているのだと思う。全部を大事にできたらと思うのだけど これ良い曲だった
好きな人が住み始めた家の風呂場は常に窓が開け放たれていて、だけど冷気が入ってきて心地いい。韓国のSFを読んですぐにのぼせた。切った髪を褒めてもらえて、それだけで満足だった。好きな人の存在が色薄い、ほぼ知らない人のものでできている部屋のソファーで知らない人のマグカップを使い、我が物顔でテレビを見ていると不思議な気分になる。全部わたしの力ではない。だけど心地よくて、ここにいる。
2025 1/20 (21:51)
雨が降っている時のタイヤが地面に擦れる音を聞きながら、今日は雨なのかと思いながらまた寝た。時間がなくて外に出る、全然行きたくなくて何してるんだろうと思った。林檎一緒に食べたかった。全然知らない駅から駅を歩いていた時、昨夜流してたツインピークスのこと、「何のために生きてるかこんなんじゃわかんなくなるよね」と言ってた顔を思い出す。身体が重くてずっと眠たい。取り合わない。取り合ったらもうこれ以上歩けなくなる。退勤して外に出たら雨が降った後の湿度を久しぶりに感じて、雨ってこんなんだったなと思ってる。また誰かの傘を持って帰ったけど雨はもう止んでた。久しぶりに遠くに行ったり映画を見たりしたい(できれば好きな人と)。家に帰ってpowerpointで遊んだ。こんなんでいいのか?だけど楽しい。密かすぎる遊び。
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長々と「ゴーストワールド」考
私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う��欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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2025.1.13 mon.
夢にひさしぶりに純さん(であろう人)が出てきた。彼の田舎で大人数で合宿をする夢。
翔さんは昨日も遅くまで何かしていたのかまったく起きない。水曜の休みもしばらく合わないのに連休は予告もなく3日間出かけて寝る時間も起きる時間も合わせる気がないということでイヤな気分。pmsかな?と思い薬も飲んでみたが生理が終わったところなので違う。むしろもしpmsだったら爆発していただろう。苛立ち具合のわりには落ち着いている方だとも思う。私が求めなければセックスもなくなっていくんだろうなーと定期的に嵌る思考にいたる。これでもしセックスしなくなったらこの人はパートナーでも恋人でもない。私が求めるパートナーシップはそういうものではないので。私は彼にとって友人関係でよかった相手なのでは?と思う。例えばただの同居人としてなら円満にやれていたと思うし、もうそれでいいんじゃないかなーとも思ってくる。でもこの一連の話はどうせ一ミリも気持ちも意図も伝わらずただの揉め事になるだけなのでなにも言わずに家を出る。そっけなくなってしまっているであろう私に対してちょっと狼狽するような顔をしていたが本当になにも心当たりがないのか?ないんだろうな。ないなら仕方ないよなぁ分かんないんだもんな。考えようともしてないだろうけど。家出た瞬間に一人で楽しくテレビでも見るんだろう。私がこうやってぐちゃぐちゃ考えている間に。この人は一人の方が向いているんだろうなと頻繁に思う。ハッピーアワーを思い出す。男女がパートナーとの関係性に求めるものって本当に違うんだなーと頭では理解している。していてもつらいものはつらい。
出勤したら店の前で葉っぱのようなにおいがしてぎょっとする。今日はイベントなので余計に気が滅入る。やることが多い。もう嫌になってきた。やっぱりpmsかな。
店はなんだかんだと忙しくあっという間に時間が経つ。コントラバスって女性のなめらかな体みたいで弾く姿がセクシーだなと毎回思うことを思い、ヨヲコさんの歌も大好きだし、クラシックギターとバイオリンのお二人は音に不穏さ、緊張感が生まれる瞬間が物語性を高めていて良かった。ラストの4人で演奏するパートで大好きな曲をやっていて、終わりがバシッと決まっていてとても気持ちよかった。また見たい。
帰ると翔さんは映画を観ていてろくに話そうともせずその上さっさと寝ようとするので、さすがにあんまりだろとここ数日の苦言を呈したのがトリガーとなり大喧嘩になった。結局朝ぐちゃぐちゃと書き綴っていたことを全てぶつけた。日記に吐き出した意味なし。相変わらず「愛情はあるが好きというのとは違う」などとわたしが言われて一番嫌な言葉を(嫌がるとも分かっているのに)平気で言いやがるのでもう終わろうというところまで行き、同居人としては継続して恋人はよそで作ればいいのでは?という提案すらして、そこからもひたすらに揉めたが、「私とあなたは違う国の言葉で話しているのだから私に何かを伝えようとしているなら私の国の言葉で話して」と言えたのが個人的には良かった。自分の言葉にジーンときた。その通りだよな。自分にも言えるけど。結局この辺りでもう今日は寝る、とりあえず関係は続行で、となる。最後に、あなたは別れたいの?と聞かれ、「私は好きだから別れたくないよ」「おれも好きだから別れたくない」「さっき何回も好きとは違うって言ってたやん」「あなたの国の言葉で言ったらね おれの国で好きはもっと軽いねん」というやり取りをして寝た。初めからこれが出来たらそれだけで済んだのに、私たちにはそれが難しい。この先さらに難しくなってゆくんだろう。それでも一緒に居ようとし続けるのだろうか。
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