#志免ラーメン
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天龍ラーメン@糟屋郡志免町
2024年3月6日水曜日11:45
ワンタンメン ¥900
住所:糟屋郡志免町南里1-3-31
TEL:092-935-1588
営業時間:11:00〜22:00
定休日:
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Persona 3 Portable 100 Mysteries contents page
まえがき
P3P年表
キャラクターの謎
伊織順平はなぜ野帽がトレードマークなのか?
荒垣真次郎はなぜ夏でもコートなのか?
真田明彦はなぜいつも絆創膏をつけているのか?
コロマルの服にはなぜ羽根がついている?
望月綾時のマフラーの素材は何?
桐条美鶴は寮で何を食べているのか?
真田明彦の午丼の好みは?
山岸風花はいつもPCで何をしているのか?
「グッジョブ!」 「ブリリアント!」 という真田明彦と桐条美鶴の口癖は誰かの影響? それともどちらかに癖がうつった?
荒垣真次郎の特技、料理はどこで覚えた?
桐条美鶴は「じゃじゃ馬を乗りこなすのは苦手」と言っているが、本当か?
エスカペイドと荒垣真次郎との関係とは?
アイギスの名前の意味は?
アイギスの稼働寿命はどのくらい?
コロマルはいくつくらい?
幾月修司はいくつ?
幾月修司は「頑張って影時間の耐性を付けた」と言っているが何をどう頑張ったのか?
幾月修司がダジャレを好むのは本性を隠す仮面なのか?
ストレガの名前の意味は?
タカヤはパンツしか持っていないのか?
エリザベスとテオドアは武器マニア?
主人公には武術の素質があったのか?
どうしてベルベットルームの面々はお金持ちなのか?
真田明彦の妹・美紀はどんな少女だったのか
真田明彦が孤児院を去った後、荒垣真次郎はどうしていたのか?
シャイだけど優しい荒垣真次郎はモテたのか? 彼の恋愛経験は?
荒垣真次郎の懐中時計は誰にもらったもの?
望月綾時はどこに住んでいる?
望月綾時はなぜ女性を口説こうするのか?
モノレールと競争している宮本一志の脚力は?
黒沢巡査が武器調達に協力する事になった経緯は?
小田桐秀利は刑事マニア? 単なる正義感の溢れ出ている人?
伏見千尋の好きな少女マンガの作者は誰?
伏見千尋はいつか男性恐怖症?
保健の江戸川先生がオカルトにハマったのはなぜ?
趣味がネットゲームの92歳のおばあちゃんは何のネットゲームにハマっている?
主人公はどこから来たのか?
ストーリーの謎
主人公がかつて過ごした街に戻ることになった経緯は?
主人公はなぜ寮の到着が24時になったのか?
主人公が最初にオルフェウスを召喚した際にタナトスが現れたのはなぜか?
幾月修司が固執した予言書とはなんだったのか?
幾月修司の語る予言書にあった 「皇子」 とは何を指すのか?
最後の戦いの時、一般の人の象徴化が解けたのはなぜか?
ファルロスが言う 「毒のある花」 とは何を指すのか?
「刈り取るもの」 とは何者なのか?
なぜ 「刈り取るもの」 は時限式なのか?
特殊なシャドウはどんな人間から坂け出たのだろうか?
なぜタルタロスには多くの敵が出現するのか?
影時間になるこ現れる床や外観に付着・垂れている赤い血のようなものは何か?
タルタロスに迷い込んだ人々はなぜ迷い込んだ?
10年前、主人公はなぜムーンライトブリッジに一人で居たのか?
10年前の事故はどのくらいの被害者が出たのか。また、その被害者の中で、特別課外活動部のメンバーに関連する人物はどのくらい居た?
主人公は月光館学園に来るまでの間、影時間を体感していたのか?
寮と月光館学園では距離が離れているが、11月4日の影時間には鐘の音が聞こえてきた。鐘の音はそんなに大きかったのか?
召喚器はどういうもの?
影時間以外でもペルソナは使える?
荒垣真次郎とストレガはどうやって知り合った?
ストレガはどこからペルソナ制御剤を調達しているのか?
天田乾は荒垣真次郎をどうやって呼び出したのか?
学園の謎
月光館学園はどんな学校?
伊織順平は授業中に野球帽を被っていても怒られないのはなぜ?
月光館学園の制服に関する校則は?
どうして修学旅行が2・3年合同なのか?
桐条美鶴は何人の立候補者の中から生徒会長になった?
アイギスと望月綾時の転入時に席を奪われた生徒はその後どうなった?
寮の部屋の共有部分の間取りはどうなっている?
寮にはどれくらい監視カメラがついているのか?
なぜ桐条美鶴か真田明彦がいなければ出動できないのか?
出動時の制服にはどこで着替えるのか?
最後の戦いが終わった後、武器と防具はどうしたのか?
寮の自販機は、なぜ3種類しか飲み物がないのか?
寮のキッチンの設備は?
共用の風呂の用など寮生活での家事は誰が行っていた?
「特別課外活動部」 に所属することで手当てや免除などあるのか?
街の謎
ベルベットルームはなぜエレベーターなのか?
ベルベットルーム (エレベーター) の高さは何メートル?
ベルベットルームの人たちは普段何をして過ごしているのか?
桐条グループはどのくらいすごい?
主人公はなぜ当日にきなりアルバイトできるのか?
辰巳ポートアイランドの人口はどれくらい?
モノレール 「あねはづる」 の名前の由来は?
モノレール 「あねはづる」 は何分間隔で動いている?
黒沢巡査はなぜいつでも交番にいるのか?
黒沢巡査はどこから装備品の調達をしているのか?
青ひげファーマシーの夏のシャーベットは何でできている?
鍋島ラーメン 「はがくれ」 は、あつさりとした印象の見た目に反し、スープの複雑な旨味が麺に絡むのはなぜ?
���たこ焼き・オクトパシー」 はたこが入っていないのに、なせ 「たこ焼き」 と言��張るのか?
「わかつ」 のDHA定食の内容は?
「ワイルダック・バーガー」 のカエルバーガーは本当にカエルを使っている?
フェロモンコーヒーの成分は一体何?
ツカレトレールの成分は?
1日50個限定のメロンが人気のパン屋はどこにある?
白河通りのホテルの料金設定はどのくらい?
「クラブ エスカペイド」 はいつも閑散としているが経営は成り立っているのか?
「時価ネットたなか」 のテーマソングは誰が作った?
「時価ネットたなか」 の荷物は誰が部屋に運び込んでいる?
デビルバスターズ・オンラインとはどんなゲーム?
ニュースを賑わす謎の人物たちの正体は?
不死鳥戦隊フェザーマンRは全何話?
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2022年1月の夢
- 2022年1月31日 月曜日 6:14 夢 ヨネ大魔王という名前で活動しているドラマーが、以前から懇意にしていたバンドのライブ時の穴埋めのために名乗り出ている。募って知らない人が来るより慣れた人がきてよかったねという空気 どんぐりが落ちている、どんぐり拾いの場所のことを考える、いつもものすごく楽しいことが起きる場所だった(という設定で具体的な中身はない)、仕事で行ってもいいが仕事ならあまり楽しそうな顔はできないなと思う 何らかのテロリストのいる付近に3人で円を描くようにして向かう。小熊の雰囲気
- 2022年1月27日 木曜日 7:12 夢 いとこの娘がパン屋のような空間にいる。焼き立てのいろんな種類のパン。人はほとんどいない。施設のトイレが、演説台のような高台に拡声器が置いてあり、そこに便器があるスタイルで、座っても引き下がるしかないしろもの。なぜか迷彩柄のタンクトップに学生棒を被ったような格好をしている。迂回すれば別のトイレがあることに気づく。黄色い表紙の絵本のようなもの。
- 2022年1月26日 水曜日 6:01
夢 牛乳5L.カペリンみたいな名前、これからはパックから出して瓶に詰めるように松本人志に言われる、開け口が汚いので カラオケ、妹の友達、全部で4人ほど。 3メートルくらい身長のある人が面接にくる、ドア枠に手をかけるようにして入ってくる、3メートルってこんなに大きいんだと思う、付き添いの人もでかい、モンゴル系の顔立ち 宅建免許切れ
- 2022年1月25日 火曜日 7:05 夢 玉置州系とタイタンがいる。話す。ドラえもんのイラストが付いているコラボ服。VHSに、ビデ��書き出して披露している。ギズモ。タイタンの母が作ったミートボール。エヴァのゲーム。
- 2022年1月24日 月曜日 6:57 夢 バスに乗ってどこか旅先から帰宅している。バスが実家に着き、車を寄せる、エコ配の車が出ていく。芭蕉の実? 唐辛子のような形のバナナがなっている。祖父がおり、笑顔で親指を立ててくる。父もいる。室内がかなり変わっており、広く、柱が立っている。大理石のテラゾーのようの素材の薪ストーブが置いてある。テラゾー部分にWHY NOTと彫り込んであり、それがダサく、埋めたいと思っている。
- 2022年1月22日 土曜日 8:27 夢
- 2022年1月21日 金曜日 8:52 夢 のりべーにくしを買ってもらう。会計の場所が違う。山の内覧をする。客を案内する。 衣類を持って部屋に引っ込もうとするとおじいちゃんがおり、鏡に向かって髭剃りをしている。若い。
- 2022年1月20日 木曜日 6:43 夢 緑色のインコを飼っているらしい。粟玉みたいな白くて大きめの粒を与える。なついており、かわいい。 南と誰かもう一人と遊びに行くことになる。外。公園のようなところ。踊っている南を撮っている、一人加わり二人加わり、バレエを踊る輪が大きくなっていく。 チェンソーマンを読むためにだだっ広い本屋?のようなところを歩いている、黄色いジャンパーを着た監視員のような人がところどころにいる 細いドアを抜けると、巨大な筒状の上部につながっており、3つの出口を相互に行き来できる。本来は水路のよう。
- 2022年1月18日 火曜日 6:14 夢 自室、実家のとはちょっと違う、に、新しい本棚が加わっていて、2000年ごろのギャル雑誌とか、文庫判の軽めの読み物みたいな本が並んでいる。面白い。背が四角い感じ。 妹が寝ており、暑そう、毛布をかけて送風にする 南と北、ラウンドアバウトがこの世界だと逆の意味になっている
- 2022年1月17日 月曜日 6:41 夢 元ラブホの部屋に住んでいる。天井の壁紙がめくれているので気づく。オレンジの壁紙の下に紫の千鳥格子。交際しているわけではない男。 エレベーターホールへ。共用部分が広いので気づく。遠くにAさんがいる。 目が水色みたいな目の見えない猫。向かって左目の中を覗き込むとラーメン丼に描いてあるような雲の紋様が入っている。深度がついていて左右つながっている。かなり丸々している。 広間でイベントがあるらしく、骨、ホルマリン漬けの標本などおどろおどろしいものが展示されているのが見える。
エネルギーを回転の動きに変えて、オレンジ色の輪の回転でモーターを回す。 父と外を歩く。��がヒタヒタの水路に細い木の板が渡してあって、雑草を食べるYouTubeチャンネルのことを言いたいと思う。進んでいくと母のいるキッチンのようなところへ続いている。私の大学時代の封筒とか雑紙みたいなものを逐一取っていて、捨てるの捨てないので揉め、じゃあいつ使うのか、今日か、明日か、明後日か、と問いただしている。ゴミを入れるための袋を探すが見つからない。
- 2022年1月16日 日曜日 0:40 夢 夢の中でも頭痛がしている。頭痛の理由を、何かゲーム攻略本風の言い方になぞらえてExcelの表にまとめようとしていて、山口さんのイメージと重なる。下膨れの顔の女性が室内に入ってくる。特殊な医療従事者系の人。横になった状態で顔を上げる。12時。会社始まってると気づき、言う。 別シーン。カオナシに似た仮面が目線の高さに浮いている。気づかないふりをするべきだが、気づかないふりが大して効かない。生きているものには無視もきくが、そういう小手先のわざが通じない、呪のものなので。めいっぱい無視しているが、関係なしに間近に来られる。古い家の中。お面と、何か鈍い金色の他のお面と、リンリンリンリン音が出るものと、ある。家の中には一家がおり、特に子供はそのお化けのようなものにつきまとわれ、それが嫌で泣いているが、家長らしき初老の男性は無視している。顔はのっぺらぼうとして描かれていて、これは家族がお互いに無関心であることの表現としてだと、宮崎駿的な人のインタビューに視線が引いていく。最悪のピークで音が止まり、過去の回想シーンに移っていく。
夢 めぐみに似た女がメガネをしている。シルバーでレンズに細かい気泡が入っている。レンズはくるくる表裏変えられる。そのメガネが良いと褒め、褒めることができたこと(関係を維持する試みができたこと)にほっとする。 オサムグッズの小さいタッパーウェア?防水のパッチンと止められるシリコン素材の容器が売ってある。うち一つはよくよく見ると香水らしく、中に液体が入っている。チョコバー、有名建築士のデザインした鏡のジェネリックなど売られている。
- 2022年1月15日 土曜日 8:59 夢 何となく入ってみた雑貨屋で多面体のスノードームみたいなものを見つける、砕いたウイスキー用の氷みたいな形、上下がない、ひっくり返すと雪が積もった山頂みたいなものが見える、細かい粒子状のラメが動く、すごいキレイ。小さいタイプのものも、貝殻が入っていてそれはそれできれい。買おうとするのだが、日本ではないらしく、目を凝らしてもラベルの数字が日本円なのか香��ドルだかわからない。 レジ方面に行く。キョンシーのお札風おもちゃみたいなものが売ってある。 水に落ちるシーン。 母がいる。実家の景色ではないが室内。ひきだしを開けると金色のチョコレートの包み紙ばかり出てくる。自分がむかしこっそり食べて隠したものだと思う。2012年頃に期限切れのキャラメル風味の砂糖チップなどを勝手に持って帰る。錆びたお菓子の缶に不要な金属類を溜めていたらしく重い。中をあらためる。すごく錆びたペンダントトップ、クレヨンの箱?みたいなものが出てくる。母が昔に父から贈られたものらしい。妙にハンサムな造形の青っぽい犬?馬?のディズニー風キャラクターの、首から上の陶器の貯金箱。母、サメのでかいぬいぐるみを手洗いしている。
- 2022年1月14日 金曜日 6:11 夢 ちえが雪を削り取って食べている 剣山への水の染み込ませ方。短冊切りの白いウレタンみたいなものをまぶしている。実家でそういうのをやっている子は剣山くらい庭に落ちてるとのこと。
- 2022年1月13日 木曜日 6:39
夢 本を読んだ 毎日迎合って書いてあった 録音機器みたいなものが置いてある 幼い妹を泣くまでくすぐり倒す 茶碗に洗い残しがある
- 2022年1月12日 水曜日 6:59 夢 緑色の服、T字のカフスの女性 二度寝しすぎて夢が壊れた
- 2022年1月11日 火曜日 7:14 夢 一人で手漕ぎボートに乗り、少し遠い目的地へ向かう。 何かの福引のような催しで丸々した生のイカを一杯もらう。 会ったことのないフォロワーが仕事を辞めるらしく、最後にもらってきたでかい歯ブラシを勤め先に忘れてきた話とか、離婚しようと考えているらしい話を聞く。 ザリガニの卵。灰色でハートのような形をしており、水草にくっついて気泡を出す。 穴の空いている巨大な石の奥に黒っぽい燭台があるのを見つける。燭台を引き出し、蝋燭と線香を供える。不気味に振動するので心のどこかが怖いのだが、割と平気だ。
- 2022年1月10日 月曜日 7:24 夢 韓国の住居内を抜けて逃げている。広い庭。床に掘り込みが作ってあり、洗い物などが入っている。室内かわいらしく写真を撮る。 ヘアクリップで前髪をとめる。実家にある古いくちばしクリップを捨てる。
机の上に古いメモ帳が残っている。20006年、2007年。絵コンテみたいなもの。ぷくぷくした絵柄。それだけ経ったことに恐ろしさを感じる。 カップ麺を大量に購入した女性が、ビーズ状のものを組み立てて箱を作っており、おそらくその箱に購入品を分けて人に配るつもりらしい。箱に足を突っ込んでいくが、すぐに違うことに気づく。
- 2022年1月8日 土曜日 6:47 夢 心臓をウタエットという名前の改造銃で撃たれる。7人くらいでおり、全員撃たれる。銃を持った人が二人いる。分かりやすい痛みはないが、一日後くらいに心臓麻痺になるみたいな死に方をする。家にいれば撃たれなかったのに。と少し思うが、何もせず家にいた自分が考えられず、運命を受け入れてもいる。 文房具屋のような静かな店。どこかの主婦が鉛筆に文句をつけている。ロルバーンの筆入などを見る。 カモフラージュで隣の喫茶店の制服を着て働いているおじいさん。お礼をしたいのだが痕跡を残せない。金魚鉢みたいなコーヒーフロートを渡す。
- 2022年1月7日 金曜日 6:39 夢 妹の年賀状。3種類ほどを作成している。妹の友達T。みかんか何かを剥きながら、ほとんど初対面の男とTと私でなんとか間をもたせる。
- 2022年1月6日 木曜日 7:09 夢 カレー、鳩時計 集合している中鳩時計を持っていく
- 2022年1月5日 水曜日 6:55 夢 パチンコ屋の中を通り抜ける 二店舗連なっており、女性スタッフがいる 輪になり、ミーティング風の中、ラジオ体操のようなことをする 裏路地の中を抜け、プロレスをテーマにした���酒屋?バー?のような店に入る まだ時間が早い。 天六という名前のカクテルみたいなものを作ってもらう。梅酒とリンゴジュースを混ぜたような単純なもの。タンブラーグラスに注がれ、目の前に来るとピンク色のフローズン状のものになっている。
- 2022年1月4日 火曜日 5:41 夢 あまごっちゃはんどうという単語 服屋を見ている ピンクとブルーのザラメがチューブ内で固まったものをこそげ取る
- 2022年1月3日 月曜日 8:54 夢 さつまいもの匂いのするところへ社員旅行へ行く。出発当日だが荷造りが終わっていない。
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「カブ主への道・免許併記&納車編」2021年10月21日 昨日なんとかかんとか卒検合格。 今日はさっそく免許センターへ併記の手続きに行ってきました。 一般的に書き替えということが多いですが正確には「併記」というみたいです。 盛岡の免許センターは盛岡駅西口にあるアイーナという複合施設の中にあります。 平日9時~10時しか受付していないので朝から出かけるしかありません。 バスか電車で行こうかと思いましたが、 時間が合わないと歩きとそんなに変わらないことに気づいたので歩いて行くことに。 30分くらいで着きましたね。 予想以上に空いていたのであっさりと受付終了。 手続き開始まで1時間くらいありましたが、 行きたいところもないので待合スペースで待ちました。 人数が少なかったのか予定時間より早く手続き開始。 11時前には「普自二」の文字入りの新しい免許が。 誤算だったのは写真を持って行けば免許センターで撮影する必要ないだろう、 と思って先に写真撮って行ったのですが、 その写真だと画質が低いと言われたので撮影することに。 免許用を選んで撮ったのに画質が低いとは。 もうあの機械は使わないな。 たまたま前々日くらいに頭も髭もいったん全部剃っていたものの 当日は油断して何にもいじってなかったので、大丈夫かなと思いましたが まあ大丈夫でしたね。もともと写真映りよくないし。 服も特に選んでいかなかったのだけど ニュージーランドにワーホリ行った時に買った思い出の服だったのでいいでしょう。 いい誤算もあって、ゴールド免許になりました。 次の車の免許の更新時にこのまま行けばゴールドになる予定でしたが 今回でなるとは思ってなかったのでビックリ。 保険が安くなるのがありがたい。 さっそくバイク屋さんへ向かいました。 今回バイクを購入するのは津志田にあるクボトラさん。 クボトラさんまでは盛岡駅からバスに乗ってみました。 いつも自分が運転してる道を人の運転で通るって、バスとはいえなんだか贅沢な気分になりますね。 バスを降りてクボトラさんに向かって歩いていると岩手山が頂上まできれいに見えました。 けっこう下まで積雪がありますね。 今年はきれいな岩手山が長く見れそうです。 店頭にはもうカブが用意されていました。 よくぞこんなピカピカな新古車を出してくれたものです。 このバイクが出て来なかったら免許取得は来春になっていたことでしょう。 支払い、説明を受け、ついにカブ主になりました。 操作説明もしてもらい、駐車場で軽く乗せてもらいました。 ネットやYouTubeで予習していったものの 教習所のバイクとは違う操作にちょっと戸惑い。 とりあえずシフトチェンジの時にアクセルを戻すことと 止まってからニュートラルに落としても大丈夫、ということを忘れなければ何とかなるかな、 と思ったところで、納車手続き終了。 近くの車通りの少ないとこで練習するつもりでしたが、 お腹が減ったので近くで昼飯を食べてからにすることに。 バスから降りた時に、いつも前を通って気になっていた「南国やまちゃん」があったので昼食はここと決めていたのです。 店の看板に「ギョーザ・ラーメン・定食・焼肉」とあったので まずはギョーザからでしょと「ギョーザ定食」(650円、ライス大盛+50円) にんいくがたっぷりと利いた白飯と一緒に食べると美味しいギョーザでした。 クボトラに戻って「南国やまちゃん」で食べてきたと伝えると 次は「あんかけ焼きそば」を食べてみてください、と言われました。 点検の時にまた行ってみます。 カブに乗り、おっかなびっくりちょっとだけ国道4号線へ。 すぐに裏の方へ行って、ちょうどよい直線、曲がり角、坂道のあるところを見つけたので 行ったり来たりしながらシフトチェンジの感覚と ブレーキの効き具合を確認。 エンストがないって素晴らしいですね。 しばらく走ってみて、予想以上にしっくり来たので 4号線沿いの寄りたかったお店に寄りながらとととまで帰りました。 ちょっと加速がスムーズではなかったけど危ないこともなくととと到着。 ほんのわずかな時間ですが、既に楽しい。 明日からも時間を見つけて乗って早くスムーズに運転できるようになりたいです。 盛岡近辺のライダーの皆様、 ととと宿泊予定のライダーの皆様、 ぜひ一緒にツーリングに行きましょう。 以上、「カブ主への道」完結。 今後はカブライフの様子をときどきお伝えしますね。 走って楽しい道を寒くなる前にいろいろ探ってみます。 #ととと 盛岡の泊まれるたまり場 #ととと盛岡 #ととと便り #普通自動二輪免許 #普通自動二輪 #中免 #中免取得 #カブ主 #カブ #スーパーカブ #岩手自動車学校 #自動車学校 #自動車学校通い 「盛岡の宿応援割開催中!」(対象:岩手県内居住者) https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/kankouinfo (ととと ―盛岡の泊まれるたまり場― Tototo Morioka) https://www.instagram.com/p/CVSYueUBvyk/?utm_medium=tumblr
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決めました
長らく悩んでいた進路をようやく決めた。
こんなに��カい意思決定はないんじゃないかと思いつつも、まあまあ贅沢な悩みをある程度の時間頂いて考えることができ、幸福であった。今後の人生が上手くいく、いかないといった分岐は、現在までの自分ではなく今後の自分に依存していると信じて、なすべきことを粛々と行っていきたい。
ヒルガオの仲間@家庭教師先までの道のり
うまみバーガー@アウトレット内
ハンバーガー最高
骨組みとか構造って綺麗ですよね
ツバキ
ケーキセット@新宿「らんぶる」
いかつい室外機@新宿
ワンカップ大関が集まるかご@新宿
徹底的に他のごみが排されていて気持ちいい
醤油ラーメン@「うお青」
ここのラーメンは味が複雑かつ、濁りがなく本当に美味しい
肉の違いも面白い
あさがお
色づく前も可愛いね
標語@原宿?
ハンバーガー@渋谷「Whoopi Goldburger」
デカくて美味い
びわ!美味しそう
座らせる気が無い椅子x2@バスの待合所
OGRE YOU ASSHOLEのライブ@渋谷「TSUTAYA O-EAST」
最高だった。PAのお二人を含めて合計6名でライブをやっているようだった。
後からアーカイブも買った。
ピザトースト@新宿「らんぶる」
喫茶店のピザトースト好き。玉ねぎとピーマンが大事なのかも。
テクスチャーが良いアパート?@新宿
大学の友達と喫煙@大学
中華めちゃくちゃ美味い
つけ麺@学芸大学「麺処 びぎ屋」
ファッション・イン・ジャパン展@新国立美術館
1920年代から現代までの日本のファッションを総括するには良い機会となる。
あくまでもドメスティックであることに注意。ファッションの流れは国内外で発達している。
エレクトーン@上野「古城」
相変わらずステンドグラスが美しい
コーヒーゼリー@上野「古城」
江ノ島の北側
地域住民と思われる人達で賑わっていた
観光客の食糧を狙うトビ@江ノ島
日の入りも近い@江ノ島
朝食を頂く@鎌倉「イワタコーヒー店」
フルーツサンド!!!@鎌倉「イワタコーヒー店」
アジサイが飾られてる俗な場所@鶴岡八幡宮
良い機会だからテキストにいくつか思考を残しておく。
進路選択は非常に悩み、難航した。というのも、第一志望から内定は貰い、就活を終えろうとしていたところ、ハードスキルの獲得のために受けていた魅了的な他社から内定を貰ってしまったからだ。業種は違うが重なる部分も多く、様々な評価軸でスコアリングしたとしても、総合的に判断すると拮抗してしまい、決断することができなかった。
与えられた時間の多くは、「どちらかに決めること」に使うのではなく、「どちらかに決める際にどう決めるか考えること」に使った。最終的には3つほどの理由で、あとから内定を貰った企業に進むことに決めた。
理由になったのは3点、
➀日常の延長上に業務が存在すること(半ば趣味的な仕事であること)
②デカ組織の力学にあまり影響されない環境
③今現在の自身の関心
1点目が一番重要である。どうしても決断しなければならない場面で、かつその決断が難航しているため、「新たに評価軸を置き、その評価軸のみで定める」という方針を取ることにした。既に十分考えているわけで、新たな方針が立つか怪しいところではあったが、上述の評価軸を思いつき、採用することにした。
人生で重視していることは「妥当性」であり、その状況下で同一の状況になるであろう意思決定・判断を重視している。今回の評価軸も後から振り返ったとしても後悔の湧かない、納得感のある意思決定であると思う。
2点目は、最近「デカい組織いやだな~」と思うものが増えたので、感覚的に避けたいというもの。とあるデカ組織の不祥事のレポートを読んでみたが、あの内容では某社への印象低下は免れないだろう。
3点目は純粋な好奇心。基本的に長期的なキャリアを重視しつつも、直感的に、「今やりたいことを今やる」のが心地の良い生き方なので、それを実践したまで。
「高給」「転職しやすい」といった特性はもちろん魅力の一つだが、それは決め手ではない。給料であれば、比較していた企業も十分稼げる。転職も今度どうなるかわからないし、メインの理由までは上がってこない。
突き詰めれば、「日常の延長でできそうだし、面白そう」という率直な感覚がベースとしてあり、それをうだうだ補強しているような気もする。
まあ何はともあれ、ようやく進路を決めたので頑張りますっていう話です。
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父の死 連載第25回 母との口論
母親の異変を確めるために帰省し、2泊した3日目の午前中は、隣家の従兄弟・ショージ兄のアドバイスを受け入れ、母親の了解を得た上で、加古川市(兵庫県)に介護保険のヘルパー申請をおこなった。要介護認定を受けたあと、数ヵ月後にはヘルパー派遣が実現するはずである。
昼時に「ごはん、外に食べに行こか」と母親を誘うと「家にあるラーメンかそうめんでいい」と言う。ふだんの昼食は、インスタント系で済ませていることが想像できた。
近くの中国料理店で餃子と豚まんを買い、家でふたりで食べる。以前は杖代わりに自転車を押してラーメン屋に出かけたことを思うと、さみしい食事風景ではある。
ふとダイニングのテーブルの下���見ると、座布団がひとつ置いてある。母親に確かめると、冬は足元が寒いので、そこに足裏をつけていたらしい。前の冬から、季節はほとんどひとめぐりしているではないか。
スリッパを履けばいいのではと問うと、「こけてケガでもしたら、みんなに迷惑がかかる」と言う。厚手のスリッパが市販されていることを知らないのだろうか。座布団にはほこりがこびりつき、不衛生なことこの上ない。仮にも食事をする部屋である。
父親が亡くなって7年。重しがなくなったように、母親だけが住む実家は乱雑になった。やはり家の中に誰かがいると”自分以外”を意識するものである。考えてみれば、私も学生時代に借りたアパートの部屋は、散らかり放題だった。
あまり書きたくないのだが、母親はもともと整理整頓が苦手である。父親がいなくなり、体が思うように動かなくなると、以前にも増してずぼらになった。少なくとも息子の私から見てそうだった。風呂場は滅多に掃除をしないため、カビや垢で黒ずんでいる。洗面所の鏡はくもり、いつ使ったかわからない歯ブラシが後生大事に置いてある。
学生時代のアパートがカオス状態であったように、私はけっして潔癖症ではない。どちらかというと、いや、はっきり言って、だらしがない人間である。
だからこそ、使ったものは元に戻し、自堕落な生活に戻らないように気をつけている。そんなゆるゆるの私から見ても、母親のルーズさは目に余った。
今回の帰省中も、座敷や廊下に靴下を放ったらかしにしていたので、私が片づけた。しかも2回も。入れ歯を食器に入れてあるのを見たときは、さすがに注意した。私たちも使っているものだったからだ。
家がますますほこりっぽくなるのを見るたびに、私の心はすさんでいった。グレて非行に走りたい気分だった。暴走族に入って、バイクをぶっ飛ばしたかった。組織に向いてない上に、原付きバイクの免許しか持っていないけど。
私はさりげなく、テーブル下のほこりだらけの座布団からカバーをはずし、かろうじて自分で非行の芽を摘んだのだった。
◎◎◎ ◎◎◎
昼食後、前日に作業を終えることができなかった雑草取りの段取りを確認した。
「あとは家のすぐ脇にある草を取り除いたらええねんな?」
「いや、あんた忙しいからええよ」
「まだまだ残ってるやん」
「女の子にしてもらうからええ」
なんでも通勤時にわが家を通る40前後の女性が、たまに畑作業を手伝ってくれるという。
といっても本格的な作業でないのは、伸び放題の雑草が物語っている。それはともかく、前日に残りの雑草を除去することは、母子で���意したことではないか。
いったん用事で外出し、帰宅後にもう一度確認した。
「雑草は家の脇にあるのを抜いたらええねんな?」
「もうほとんど片付いてるからええよ。自分でする」
「できひんから雑草が伸び放題になってたんちゃうん? 残りはふたりで明日しよう言うてたやん」
言いながら私は段々腹が立ってきた。積もりに積もったほこりをふり払うかのように、母親に対して不満を言った。
冷蔵庫の中を見る限り、ろくなものを食べていない。外出する意欲がなくなっている。そもそも老いや障害にマイナスイメージをもっているので、現状を受け入れることができていない。それは従兄弟や叔母も同意見である・・・。
母親は逐一それに反論したが、私からすれば反論になっていなかった。友達に外に連れて行ってもらってる、マイナスイメージは持っていないと言われれば、話はまじわらない。
従兄弟や叔母にまでそういう目で見られているのは知らなかった。そういうな目で見られとると思うと情けなくて涙が出てくる、と声を震わせた。”そういう目”とは、母親がまだ自分で何でもできると思っている、そう思いたがっているという所見である。
母親と口論しながら、私は自分の価値観を押し付けているのではないかと思った。考えてみれば、母親と暮らしたのは20年ほどだけで、私はそれから倍近くを実家から離れて暮らしている。価値観や感性が、母親とはかなり違ってしまったのも不思議ではない。
急激に体が衰えたことを、母親自身が整理できていないのかもしれない。ただ、こうなる前から「体が動けなくなって、みんなに迷惑かけたない」と繰り返し言っていた。その発想が障害の受容を妨げ、不自由な生活を余儀なくされているのではないか・・・。
そもそも、迷惑ってなんやねん。迷惑かけてもええやんか。周囲に迷惑をかけないで生きていけるんか。迷惑をかけたり、かけられたりするんが、人間の生活と違うんかーー。そう考える私と母親は、対極のところにいるのかもしれない。
これ以上、畑作業を手伝わせたら、息子に迷惑がかかる。母親はそう考えたのだろう。
◎◎◎ ◎◎◎
畑作業をしないのなら、私にすることはなかった。夕方前に荷物を整理し、飼い犬の桃次郎を連れて家を出た。門扉のあたりで、母親はちょうど前日収穫したサツマイモを洗っているところだった。
「帰るわ」
「なんで帰るんよ?」
「おっても、することないやん」
「まだしてもらわなあかんことあんのに、帰らんといて! おって!」
「何回も畑手伝わんでええんかって聞いたやろ?」
「ほんまは手伝うてほしかったけど、言われへんかったんや。きのうは手伝ってくれるとは夢にも思てなかった。そやから久しぶりに朝までぐっすり寝れた。礼を言わなあかん思とってん」
「それはええから。11月に有馬温泉に誘うから、来るやろ?」
「こんな状態になったら、行かれへんわ。迷惑かかるし」
「桃次郎も調子悪いし、きょうは帰るわ」
実際に飼い犬は食欲がなく、大阪に帰りたそうにしていた。彼も12歳で、人間で言えば60代。もう若くはない。
帰らんといて、という母親の言葉に心が揺らいだが、ここはいったん時間と距離を置いたほうがいいと判断した。
私の意志が変わらないことに気づいた母親は、急に攻撃的になった。
「あんたらきょうだい3人でこの家を売り払って、私は施設に入ったらええねんやろ!」
施設云々は、自分が動けなくなったらという想定で、母親が言い出したことである。自分がまず口に出したんやがな、という言葉を飲み込んで、私は冷静を装い、言葉を返した。
「感情的な人とは、話ができひんわ」
キャリーバッグを引っ張って、私は実家をあとにした。持って帰るはずだった収穫したばかりのサツマイモをバッグに入れることを忘れていた。もっとも、決別した去り際に、必死にイモをバッグに詰める行為は様にならなかっただろう。
母親の生活をじっくり見る必要があると思い、3泊分の着替えを用意してきたが、2泊が限界だった。2泊といっても1泊目は夜に着き、2日後の午後に帰ったので、滞在時間は50時間足らずである。
後味の悪い、短い帰省だった。
◎◎◎ ◎◎◎
たかだか50時間を一緒に過ごしただけで、母親が自らの老化を受容し、それに応じた生活にシフトする。そう考えるほうが無理だった。
私は何もかも急ぎすぎたのではないかーー。そう反省し、大阪に帰った翌日、母親に葉書を送った。<言い過ぎたかもしれません。ただ、衛生的で健康的な生活を送ってほしいと思ったからこそです>と書き添えて。
ふだん私は<衛生的><健康的>などという憲法の条文にあるような言葉は使わない。ここは母親に即して、敢えてそう記した。
母親がそれをどう受け取ったのか、私はまだ確認していない。<2020・10・29>
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1万円札を5千円札にすり替える手口で約9200万円着服 愛知銀行元女子行員(CBCテレビ)
1万円札を5千円札にすり替える手口で約9200万円着服 愛知銀行元女子行員
7/17(金) 19:15配信
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CBCテレビ
元銀行員の60歳の女が、9200万円あまりを着服していたことが分かりました。
愛知銀行の元行員・加藤加代子容疑者(60)は、6月29日、勤務先の蟹江支店の金庫から現金500万円を盗んだ窃盗の疑いで逮捕されました。
17日、愛知銀行が記者会見を行い、加藤容疑者は9200万円あまりを着服し、銀行の金庫内の1万円札の束の中身を5千円札にすり替える手口で、数年前から盗みを繰り返していたということです。
愛知銀行は、「チェック体制の強化など内部管理の一層の強化を行いたい」としています。
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最終更新:7/17(金) 19:15
CBCテレビ
source https://uyscuti.biz/2020/07/19/39813/
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父は脳腫瘍という病気を患い、手術を終えたあと50代にして視覚障がい者になった。
今は障がい者一級の認定を受け、基本的には何も見えない生活をしている。
最初は家族も私も戸惑ったし、ショックだったけど離れて住んでいたので病院にもいられなかったし、実感もわかず涙も出なかった。そうなんだ、これから大変になるね、とくらいしか言わなかったと思う。
そして、この件についてあまり人に積極的に話してこなかった。本当に気持ち的に距離の近い親友や、文脈として話さないと意味が通らない時しか発信しなかった情報である。※この件について知らなかった友人や近しい皆さん、デリケートな話題で話すにも気力が必要なので、話すかどうかはその時々の気分で決めていることがほとんどです。知らなかった=私があなたのことを大事と思っていないとは思わないでください。
父が手術を受ける直前に一度、出張ついでに私の住む横浜に遊びに来てくれたことがある。予約していた駅近の居酒屋に現地集合でいいだろうと思い、ラインでその連絡だけ入れてお店で待っていたが一向に現れない。
心配になり電話すると、「一人ではお店に行けない。横浜駅まで来てほしい」と言われて急いで駅まで戻った。
そこで再度電話をかけると、「改札口がわからない」と言っている。JRなのか京急なのか、どこにいるのか聞いても全然わからない様子だった。
短気な私は事態が飲み込めなさすぎて少しイラつき、「え?なにか上の看板に書いてない?」と聞いても上の看板って何?わからない。。というような返答でいやいやまいったなと思った。
とりあえずJRの改札にいるから駅員��んに聞いてそこまで来てほしいと伝えた。電話は切らずにつないでいると、改札のすぐ向こう側に父の姿が見えた。
電話越しに「パパいるの見えるよ、パパが今立ってるところからまっすぐのところにいるよ」と言い、普通ならすぐに気づくような距離だったが、全く気づかないでボーっとしている。
この時点で、なんかおかしいなと思った。注意力があまりにもないというか、視野がものすごく狭い。
周りの目は気になったが仕方ないので改札のそばにあった鉄の仕切りのようなものを拳で叩いて音を立て、「パパ!」と大きな声で呼んだ。
すると「おお、エミ」とか言ってた。すぐそばの改札を通ろうとすると、引っかかっている。マジかーと思いつつ、まずみどりの窓口で駅員に通れないって話してみて、と言ったがすぐそこに見えるみどりの窓口が、どこにあるのかわからないと言う。このエスカレーター超えたところにあるよと伝えて、すぐ出てくるだろうと思い電話を切って窓口の出口で父が出てくるのを待っていたら、またまた全然出てこない。というか姿が消えている。
焦った私は窓口にいる駅員さんに、たった今スーツケース引いてメガネをかけてる男性が改札通れないって聞いたと思うんですけど、どっちに出ましたか?と聞いた。すると「え、さすがにわかんないです」と言われ、正直「は?たった今のことも覚えてねーのかよ!」とキレそうになったがぐっと堪えてわかりました、いきなりすみませんと言って窓口を出た。
電話をかけても全然出ないので焦ったが、とりあえず私はあまり動かない方がいいかなと思いその場に留まることにした。
すると父が突然現れたので、目の前まで駆け寄って「パパどこにいたの?心配したんだよ」と言うとまだ遠くの方をキョロキョロ見渡している。目の前の私に気付いていないのだ。驚きながらも肩をトントンしてもう一度声をかけると、「ごめんごめん、京急に乗ってきたのにJRの改札から出ようとしちゃったのさ」と言っていた。
そういや羽田からはそりゃ京急だよな。。と自分がめちゃくちゃ焦っていたことにもここで気づいた。そして、父が前と同じようには行動できなくなっていることを確信した。
予約時間をかなり過ぎてから、ゆっくりゆっくり歩いてお店まで向かった。その途中、何度も電柱にぶつかりそうになっている。また、後ろから追い抜かしてくる人にも気付けず、さっと避けることもできないのでぶつかってしまっている(いや、ぶつかられている?)。
スーツケースは私が引いた。話を聞くと、空港の切符売り場でスーツケースを忘れて置いてきてしまうところだったらしい。ここでさらに、やばい、これはただごとじゃないと気づかされる。居酒屋で美味しい料理を食べながら2人で話していると、いつものパパだと思った。なんでも好きなもの頼みなさい、横浜でちゃんと頑張ってるんだねえ安心したよ、はなはボールを空中キャッチするようになったんだよ、と前と同じように話している。混乱したし、戸惑った。そしてまたゆっくりゆっくり歩いて電車��乗って、やっと家に着いた時には正直クタクタだった。脳腫瘍ってやばい病気だな、と実感した。
父は昔から仕事人間で、子どもの私たちと話す時もロジカルで、ただ「あれやりたい」「もうやめたい」だけじゃ通じない人だった。なんでそれをしたいのか、それをして何になるのか、今やめることがほんとに自分のためなのか?色々深く問いただされる。そして大体の場合、途中でこちらが折れることになるのだ。その結果犬や携帯電話、めちゃくちゃ厳しい部活をやめることなど、色んな物事を諦めた。
そんな中、私がどうしても諦めなかったのが海外留学だ。父は基本的に、私を自分の手元に置いておきたがった。高校生の間はずっと、「お前には弟と妹がいて、2人にもお金がかかるから大学は道内の国公立しか行かせない」と言われていた。私は生徒全員が必ず海外留学をする必要があるという秋田国際教養大に興味があったが、先述した内容や「そんな田舎に耐えられるのか」など色々言われ、確かにそもそも結構難しい大学だし、私田舎とか自然興味ないしなあと思い諦めた。
でも、国際教養大に行くつもりで数学Bの授業ではなく英語の授業を選択していた私は、進路の選択肢のほとんどが私大という状況だった。唯一の国立大の選択肢は数学2までとっていれば受験できる小樽商科大学、父の母校だ。父は浪人して入学した、当時、英語以外の教科は先生への愛想やキャラクターで成績をよくしていたと言っても過言ではない私にとってはそこそこチャレンジングな大学(国際教養大より下なんじゃ?と思うけど)。
そして私はセンター1ヶ月前というギリギリになってやっと1日12時間の猛勉強に取り組み、なんとか推薦で同大学に合格する。それを誰よりも喜んだのも父だった。「エミが俺の母校に入るのか〜」とよく言っていた。こっそり母から「自分の母校に入るのも嬉しいんだろうけど、札幌を離れず実家から大学に通ってくれることを一番喜んでるのさ」と聞かされる。そういうことかよとやっと気づく。私はいつも気づくのが遅い。
大学に入り、往復5時間かけて通学する日々が始まった。めちゃくちゃ遠い。朝めちゃくちゃ早い。めちゃくちゃ眠い。行き帰りだけで本当にクタクタで、なんでこんな大学に入ったんだろうと、通学中に関しては4年間ずっと思っていた。
ただ、それでも私は在学中勉学についてはそこそこ頑張った。英語のクラスを担当する教授に色々と機会をいただき、在札幌米国領事館が主催する英語のエッセイコンテストでジェンダーについて書き、特別賞でiPodと日本女性会議に出席(という名目の見学)する権利をもらった。
日本女性会議ではニューヨークの裁判官の女性と話し、女性から男性に対してのDVについてはどう対策すればよいと思うかを質問した。ただ、当時の私の英語力ではせっかくもらった回答の内容を理解できなかった。いい質問だと言われたことしか覚えていない。これは私の人生の中の最大の後悔の一つだ。
他にもオーストラリアの元衆議院議員の方との会食に同行させてもらったり、米国領事館のパーティーに参加したり、なんか色々やってた。単位は落とさずにいられた。サークルにも入らず固定のグループにも属さず、なんかよくわかんない子だったと思うが、友達にかなり恵まれ、みんなのおかげですごく楽しい大学生活を過ごせた。
大学2年の前期、私は最初の留学のチャンスを見送った。理由は元々父に言われたとおり、弟と妹にもお金がかかると思ったからだった。当時弟は受験生になっていた。それでなおさら、自分にだけお金をかけさせるわけにはいかないと思ったのだ。ただ両親は弟には道内国公立という条件を出さなかった。理由は弟が男だからだ。私はこれにマジギレした。多分人生で一番親にムカついたのはあの時だった。私の方が高校時代の成績も良かったのだ。私は絵に描いたような男尊女卑だと、親にめちゃくちゃキレた。
それで、私も留学する!!と勝手に決めたのだ。実は私は自分が見送ったtermで留��した他の子たちをめちゃくちゃうらやましく思っていたのだ。私の方が英語できる気がする、私の方が海外生活への挑戦意欲は絶対強いと思う、これまで頑張ってきた自分の力を試したい、と毎日毎日思っていた。そして親に留学を反対・阻止されないよう、TOEICやTOEFLの勉強をめちゃくちゃして、どちらも本番で過去最高得点を取った。そしてほとんど誰にも言わずに留学の学内選考に申し込み、勝手に合格してしまった。当時私にものすごく期待してくれていたアメリカ人の教授が親身に相談に乗ってくれて、志望理由の添削なども快く引き受けてくれた。そのおかげもあり、学内推薦の枠をとれた。
母には選考が始まった時点で留学のことも話しており、「そんなにやりたいならお金はなんとかするからやりなさい。きちんと努力する子には私は投資するよ」と言ってくれた。母は、いつも私の英語の勉強意欲や海外への憧れを認め、後押ししてくれた。そして、この言葉は今でも励みになっている。
問題は父である。昔から日本のものより海外のものに惹かれていた私を海外かぶれと呼び、アメリカをホワイトアングロサクソンが牛耳る国と表現し、なぜそんなところに憧れる!?と言われて育った。今思えば結構なレイシストだった。
絶対嫌がるだろうな、と思ったが、私にはあまり反対意見を言ってこず、受かってしまったものは仕方ないという感じで、銀行に通い教育ローンを組んで私をニュージーランドに送り出してくれた。アメリカは私の申し込んだtermの選択肢にはなかったので、消去法で唯一の英語圏だったニュージーランドを選んだのだ。
ニュージーランドでの2学期が私にとってどれほど楽しかったかは私を知る人はもう知っているだろうから話さない。とにかく人生最高の時間だった。初めて親元を離れたが、シェアハウスに住んでいたからかあんまり寂しくなかったし、親の目につかないところでちょっと悪いことをするのは最高に楽しかった。ただ、とにかく高い生活費や家賃を嫌な顔一つせず振り込んでくれる親への感謝は絶対忘れないよう決めていた。
後になって知ったことだが、父がすんなり承諾してくれたのは母の説得のおかげだった。父が「エミがボブサップみたいな黒人でも連れて帰ってきたらどうすんのよ!」と母に怒ると、母は「え〜。。ハーワーユーって言う。」と答え、さらに怒らせていたらしい。めちゃくちゃうちの母らしい。でも、やりたいことはやらせようよと頑張って説得してくれたんだと思う。そのおかげで、私はとにかく充実した時間を過ごして、自信をつけて家に帰ってこられた。ちなみに行きも帰りも母は空港で普通に結構泣いていた。行きは当時の彼氏も涙を必死で堪えていた。私だけが全く泣なず、これから始まる新生活への覚悟と期待ばかりが頭にあった。帰りの空港に彼は来なかった。当時は色々思ったが今思えば当たり前である。
帰国後足りない分の単位をとりながらバイトも再開して忙しくしていると、さらに就活も始まった。今思うと、新卒の就活はマジでクソみたいな行事だった。私は正直留学で燃え尽きていて、みんなと同じ格好をして綺麗事を並べる就活というものに疲れ切り、適当に受かった地元の会社に決めてしまった。
そこで働く間、両親は小学校高学年から英語の個人レッスンを受けさせてもらい、高校大学とずっと私の英語の勉強に投資し、応援してくれたのに、なんでそこで培ったスキルを活かす仕事につけるよう必死で頑張れなかったんだろうと、ずっとずっと後悔していた。あと当時の上司と先輩がめちゃくちゃ意地悪だったので、普通にやめたかった。
そして、父の病気はその会社に入って2年目の半ば頃に発覚した。当時福岡で単身赴任していた父は、なんとなく様子が変わっていた。まずあんなに大好きだった仕事が、全然楽しくなさそうだった。私は子供の頃から父から仕事の話を聞くのが好きで、よくわかんなくても色々聞いていた。福岡の前にいた島根では色々功績を残していたようで、その過程の話を聞くのはとてもワクワクしたし、娘として誇らしかった。でも福岡に行ってからは愚痴が増えた。というかあんまり楽しくない、としか言わない。それ以上は話したがらなかった。
また、なんか運転荒くなったな〜と思うようになった。いや元々荒い方なのだが、それにしても危なっかしい。注意散漫な感じだった。私は免許がないので運転のことがよくわからなかったが、毎日運転する母はめちゃくちゃびびっていて、危ない!と叫んだりするほどだった。あまりにも運転が荒すぎて、車酔いしやすい妹は父が運転するなら出かけないようにすらなった。
あんまり詳しく覚えてないけど、なんか他にも物忘れが激しくなったり、前は帰省の間毎日札幌ドームに野球観戦に行ってたのにぱたりと行かなくなったりと、色々おかしいなと思うことが増えていた。母がかなり心配するのを、私たち子供3人は元々危なっかしいところはあるよとか、天然だからねとか言って流していた。
しばらくしてから本人が病院に行くと言い出した。赤信号を無意識に無視しようとしてしまったらしい。病院で色々検査した結果、脳に拳大くらいのものすごく大きい腫瘍が見つかった。
それを最初聞いた時は、なんて思ったか正直覚えていない。多分ショックだったとは思うけど泣いた記憶はない。でも、何回目かの精密検査のあと、印刷された結果の紙に手術によって起こりうることみたいなのが一覧にして書いてあった。そこには脳梗塞とかなんか難しい漢字がたくさん並んでいて、失明というのもあった。それを見た瞬間、こんなにリスクがある病気なの?と母の前で泣いたのは覚えてる。それでも、父の病気のことであんまり泣いた記憶がない。私は普段かなり泣き虫なので、本当に泣けないほどショックだったのかもしれないな、と今となっては思う。
父の病気が発覚してから、色々考えることが増えた。父の病院の付き添いやお見舞いのため、会社を休むことも増えた。そのうち何回かは自分のためだった。色々気持ち的に疲れ、遊びに行くとかいう気持ちにもなれず、とりあえず犬と家にいたりした。でも会社や当時の上司はその辺はすごく理解してくれて、深く聞かずに協力してくださった。そこには本当に感謝している。
ちょいちょい会社も休みつつ、毎日色々ぐるぐる考えた結果、「私、結構親に恩返ししたいと思ってるんだな。その一番の方法って、ちゃんと英語のスキルを生かして楽しく働いて、親が私に投資した分を回収できるほど稼ぐことだ!」と気づいた(今思えばちょっと突っ込みどころもある)。
そして職場でも男尊女卑とか古い思考が蔓延しているのを感じ、基本不満しかないような状態になっていたので、本格的に転職活動を始めた。
転職活動は、新卒の就活よりチャンスは限られていた。有名な企業の求人にもとりあえず色々申し込んだが、新卒の時は当たり前のように通った書類審査でほとんど落ちた。でも、2年の経験で多少のスキルやマナーも身についていたおかげか、はたまたこの場から抜け出せれば人生やり直せるぞという強い希望からか、かなり高いモチベーションを保って行動できていた。平日の夜と土日はTOEICの勉強や企業研究、面接準備をしていて遊ぶ暇はなかった。けど、当時はそれを負担にすら感じないほどそれらに打ち込めていた。ある意味、こういう行動が辛い現実から目をそらす一つの方法だったのかもしれない。そんなときも自分の会社で面接官を担当したこともある父には、色々相談に乗ってもらった。
その結果、今働いている大きな会社から内定をもらえた。それまでわりと傍観していた、というかどの会社を受けているの���とかも多分よくわかっていなかった両親も、いざ転職が決定したとなると色々態度が変わった。当時私は色々あって両親(特に母)とあまり良好な関係を築けていなかったため、物件探しなどは全部一人で行った。というか23歳にもなり、これから一人暮らしするとなるとそれくらい一人でできないとダメだろうと思ってもいた。ただ、母は気まずそうに家具の買い出しや引っ越し手配などの手伝いを申し出てくれた。実際、そのおかげでかなり助かった。費用もかなり浮き、結局親の助けって大きいんだなと実感し始めた。父からはそういう類の協力は特になく、ただただ何回も「本当に横浜に行くの?」と聞いてきたり、「そうかあ、行っちゃうのかあ」とぼやいたりしていた。仕事中に「エミが横浜に行っちゃうのが寂しくて仕事にならない」とラインしてきたりもした。この人は本当に私のことを手放したくないんだなと思った。
子どものときから私はパパっ子だったし、父は実際私たち兄弟3人をめちゃくちゃ可愛がってくれたので、ここまで寂しがるのも仕方ないことなんだろうと思った。
それまでなんだこいつらと思っていた両親に対して、少しずつまた感謝の気持ちが湧くようになっていた。
そしてなんとか横浜や新しい会社での生活に少しずつ慣れてきた秋頃、ずっと保留にされていた父の手術が決行されることになった。いつ行われるのか、手術日直前までずっと計画が流動的だったので、飛行機を取るにも取れず、私は付き添うことはできずに当日も横浜で働いていた。まだ試用期間だったので本当はダメだったが、上司が在宅勤務にしてくれた。
手術は24時間以上かかり、母はずっと手術室の前で待っていた。普段父の愚痴ばかり言っていたのに、こういうことになると24時間とかでもあの固そうなベンチで待てるんだな、夫婦って謎だなと思った。
手術が終わった後、まだ腫瘍が残っているので来週また手術すると聞いた。どんだけ腫瘍あるんだよと思った。そりゃ運転なんかまともにできないよとか、その状態でずっと働いてくれてたんだなとか、色々思った。普段の私なら泣きそうな考え事だが、その時も泣けなかった。
そして2回目の手術も終わった後、母から顔がパンパンに腫れて管が繋がれた状態で、病院のベッドで寝ている父の写真が送られてきた。
正直、なんとも言えない気持ちだった。運動神経が悪く運動会を地獄と思っていた私だったが、運命走では父が毎年私を1位にしてくれた。仕事がめちゃくちゃ出来て、休日でも電話が鳴ると仕事モードになってテキパキ応答していた。友人関係で悩み学校にいけなくなった中学時代、忙しい中母と学校に出向いて先生に直接相談に行ってくれた。そんな父の姿が変わり果てた状態で札幌にある、とあんまり信じられなかった。
とりあえず親と妹に付き添いありがとうとだけは言ったと思うけど、なんか詳しいことはあんまり覚えてない。
その次の月に札幌に帰り、2週間ほど実家から在宅勤務させてもらうことにした。父が視覚障がい者になったことで、母の生活はとにかく大変になった。札幌を出るときにも感じたことだが、遠くから何もできない自分��対し自己嫌悪の気持ちを感じていた。一人だけ、大変な状況から逃げてきたような気持ちだった。それで今後後悔しないように上司やチームのメンバーに相談して快く受け入れてもらい、在宅勤務をさせてもらったのだ。
当時の父はほとんど何も自分ではできなかった。コップに水を入れることも、薬を包装のプラスチックから出すことも。何せ手術がおわり目を覚ましたら何も見えないのである。仕方ないと思い、みんな全部やってあげていた。
これがなかなか大変だった。普段通り続く仕事や父が障がい者になったことによる諸手続き、家事でも忙しいうえに、ずっと父のそばにいて余裕がなくなってきていた母と妹は、少しは自分で何かできるようにチャレンジだけでもしてほしいという気持ちでストレスを感じていた。また、それで父に優しくできない自分たちにも嫌悪感を感じてしまう。その時、本当にこのタイミングで札幌に帰ってきてよかったと思った。私はまだ気持ち的に余裕があったし、父のことをかわいそうに思う気持ちの方が強かったので、代わって父の相手や手伝いをしてあげられた。母が何度もお礼を言ってコーチのバッグとポーチまでプレゼントしてくれたが、私としては何もせずに傍観することで今後後悔したくないと思う、自分のための行動でもあったので、お礼を言われるようなことではないと思っていた。実際、終盤は私も疲れてきて、母と妹と3人でラーメン屋さんで父の横柄さや自己中さを愚痴りまくったりもしてしまったし。たしかにこれが日常なのはキツいと思った。
札幌から横浜に戻った後もしばらく、自分だけ逃げてきたような気持ちに苦しんでいた。特に、大好きでかわいい、しかも4つも年下の妹をあの大変な日常に置いてきてしまったことが辛かった。
それまで私は当時、彼氏にこの話をあんまりしたくなかった。しても楽しくないからだ。また、正直付き合って半年ほどの彼氏に話すには色々と重かった。だからずっと黙っていたが、なぜか横浜に帰ってきてから1ヶ月ほど経ったあとのクリスマスデートの準備中、とうとうこの罪悪感を打ち明けた(理由は、なんとなく今なら言えそうだなと思ったからである)。
すると「でも、エミちゃんは家族と離れているおかげで多少余裕を持って家族に接してあげられてると思うよ。全員が同じ場所にいたら、誰も家族の話を冷静に聞いてあげられる余裕がなかったと思うから、お母さん��みーちゃんも、エミちゃんに話聞いてもらってるだけで助かってると思うし、ここにいてよかったんだよ」と言ってくれた。正直、この時初めて結構泣きそうな気持ちになった。けどただでさえ変な空気にせざるを得ない話をし、その上泣いたらなんかマジで変な空気になるしなと思って、化粧をしながら平然を装ってありがとうと、今まで自分の殻に閉じこもってて本音を言わなくてごめん、と言った。一言だけ「俺はエミちゃんの話聞くくらいしかしてあげられへんから」と言ってくれたが、彼のいう通り、ただ話を聞いてくれるだけの人って、本当に助かるのだ。それを身をもって実感したことで、私も家族にとってのそういう存在になれてるのかもな、と思えた。それにより、やっと家族と離れていることへの罪悪感を消すことができた。慎重な私からすると、正直大丈夫なの!?と思うこともあるくらいいつも楽天的な彼だが、こういうことを偽りなくスラスラ言��る優しさや前向きな気持ちを持つ人と一緒にいることが、私にとってどんなエリートや大富豪といるよりも最良の選択肢に感じた。そして今もそう思っている。
その間も、父の手助けをしたり一日中話し相手になる大変さを何度も二人からは聞いた。そう言われると辛いよね、ママやみー(妹)の立場だとそう思っちゃうよね、とか、なるべく相手の気持ちを汲んでいるような言葉遣いを意識した。前のわがまま女王の私には到底できなかったことである。
そして、父が函館の視覚障がい者向けの訓練センターに入ることになった。本当に少数の視覚障がい者と、色々と教えてくれるメンターの方しかいない施設だそうだ。
父は行きたがらなかった。施設どころか、自分の実家にも帰りたがらなかった。母が諸々の手続きを済ませるために家をあける間、また妹も仕事などでいない間、一人にしておけないので実家にいて、ついでに(少し休みたいのでとは言わないがそういう意味も込めて)今夜は泊まってきて、と頼んでも嫌がっていた。無理矢理行かせてもいつ迎えに来るんだと電話が来る始末だった。これはまじでキツいだろうなと思った。
父は仕事ももちろんまだ行けないので、一日中リビングの一人がけソファからトイレ以外は一歩も立たず、ずっとそこにいて話しかけてくるのだ。目が見えるとある程度読める空気も、読めないので仕方ない(元々かなりのkyおじさんなのもあるが)。本当に何もしようとしなかった。実際父もストレスはかなりあっただろうから、無意識に嫌な言い方をされることも多く、色々書類を書いたり細かい手続きを済ませたりしないといけない母はクタクタだったし、妹も精神的にかなり疲れていた。父の無意識のきつい言葉に傷つき泣いたりもして、一緒にご飯食べたくないとも話していた。
そのため、母も妹も父の函館行きをある意味心待ちにしていた。ひどいように聞こえるかもしれないが、そうでもしないと二人とも身を入れて休めなかった。
父が函館に行ってから、母は生き生きしだした。自分の好きなことを好きなペースでできるようになったからだ。我が家の愛犬のはーちゃんも散歩嫌いを克服し、毎朝長い距離母を連れ回すようになった。それによって他の飼い主さんと仲良くなったり、友達とのランチやピラティスの時間もとれたり、母の生活が目に見えて充実し始めた。ずっと辛い話を聞いていた私はかなり安心できた。妹の電話口の声色もかなり明るくなり、みんな父のことが嫌いになったとかではなく、単にこれまでどうしても疲弊してしまう日々だったんだろうなと思った。
そんな中、突然父からラインが来た。え、ライン?と思った。なんせ前実家に手伝いに帰った時はiPhoneのロックを解除することもできなかったのだ。視覚障がい者用のモードに変更して、音声を頼りにパスコードを打つのがどうしてもうまくできず、イライラしてすぐ途中でやめていたし、基本的に携帯を触ろうともしなかった。そんな父から誤字脱字がほぼないラインを受け取り、本当に驚いた。と同時に訓練を一生懸命頑張ってることがわかり、とても嬉しかった。実は施設に入る直前に父と電話で大喧嘩したこともあったので、なんか色々安心した。
その頃、ニュージーランドでの1学期目の間、とても仲良くしてくれた香港人の友人と久々に連絡を取った。彼女は去年お父さまを突然亡くしたと話していた。とても賢く明るく、私と同じように男の子みたいにわんぱくな彼女だったが、ストレスで毎日浴びるようにお酒を飲み、円形脱毛症にもなったという。私も友人には積極的に話さなかった父の病気の経緯を初めてその子に打ち明けた。余談だが日本語だと言いにくいことも英語だと言いやすいことって結構ある。そして、「大変だったね。お父さんも家族もストレス溜まるよね。でも、エミがお父さんのことをちゃんと気にかけてあげていることは本人がわかるようにしてあげてね。じゃないと後悔するから」と言ってくれた。
それから私は毎週末、なるべく施設で訓練を受ける父にラインで連絡を入れるようになった。YouTubeの使い方を練習しているので、面白いラジオやいい音楽を教えてと頼まれて、私の大好きなオードリーのトークまとめと、父のために作ったプレイリストを送った。父もお気に入りの音楽を教えてくれたが、どれも命や周りの支えに感謝する歌だった。今の自分の気持ちにピッタリなんだと書いてあるのを見て、なんとなく父の内面的な変化も感じた。そして、やっぱり父は努力の人、やればなんでもできる人なんだと思い、誇らしかった。それは母も同じなようだった(ちなみに母にはラインに慣れてない頃、訳の分からない文章をたくさん送っていたらしい)。
しかしコロナウイルスの影響で父の訓練は中断され、一度札幌に帰ることになった。そしてこの後の訓練は札幌でやることになると言う。正直私たち3人はエッと思った。思っていたより二人が休める時間が縮むことを意味するからだ。ここからまた大変だな。。と思っていた。
それでもいざ訓練から戻ると、父はできることがだいぶ増えており、郵便屋さんからの荷物を自分で受け取り支払いも済ませたり、歩いて近所のスーパーに行ったりまでできるようになっていた。また、一人で部屋で過ごす時間も前より自然と取るようになり、妹は父のそういう進歩や変化について嬉しそうに話してくれた。
結局父はみずからやっぱり落ち着いたら函館にまた戻って訓練を受けると言い出した。実際、後続の訓練は札幌で、というのは父だけでなくセンターの方の意見でもあったので、なぜ函館に戻ると言い出したのかはわからない。でも、訓練を頑張りたいという意志は伝わってきて、手術後はあんなに色々と後ろ向きだった父が積極的に訓練に向き合ってくれたことがとても嬉しかった。
そして、函館での訓練を終えて帰ってきた父は、どうも色々性格的にも変化しているようである。元々理論派な仕事人間ながら天然でウケる部分もあった父だが、特に明るいタイプではなかった。失明してからは尚更で、無神経な物言いをしたりもしていたが、今はそういうことがかなり減ったらしい。なんとなく明るくなったと言う。この前は父から母に「今日は実家に泊まる。少し休めるしょ?」と言い出してくれたらしい。父も、自分の存在が負担ということではなく、単に母の疲れを感じ取って休みが必要だと配��することができるようになったのだと思う。
夫婦生活を何十年としていると、最初にあった思いやりや配慮が薄れていくだけだと思っていたが、夫婦というものはいつになっても悪い方向だけでなく、いい方向に形を変えることも可能なのだと親を見ていて知ることができた。
はっきり言って、去年から今年にかけて私はかなり辛かった。涙こそ思っていたより出なかったけど、悲しみや精神的な疲れがいろんな形で出ていたと思う。それに、仕事の変化についていくのも大変だった。
そういう時、一緒にバカなことをして騒いだり、美味しいものを食べながら恋愛や仕事の話をしたりしてそういう悩みから気を逸らさせてくれた友達や、私の精神的疲労の弊害を受けながらも見捨てず、常に優しくそばにいてくれた彼氏にとても助けられた。
そして突然視覚障がい者になったことを、多少時間を要しても最終的に受け入れ、その生活に順応する努力をする父、そしてそれを献身的にサポートする母や妹を心から尊敬する。あと、いつもみんなのストレスを無意識のうちに緩和し癒してくれる、犬のはなみちくんにもとっても感謝している。
こういう言い方をしてはなんだが、この事を通さないと分からなかった各人の良いところを知れた、いい機会でもあったとすら思えるようになってきた。
障がい者になること=マイナスではない。障がいを通じて、得られるプラスだってあるのだ。
せっかく色々書いたので、最後に一言。
話は少しずれるが、人種、セクシュアルオリエンテーション、宗教など、各分野でマジョリティ、マイノリティが存在し、その間での格差や差別、抗争が日々生まれている。こういった問題について、個人としてマジョリティ、マイノリティどちらも万人に受け入れられるべきであるとハッキリ言える人間になれたのは、ティーンの頃からこのような問題について国内外の同世代の友人とのディスカッションを通じて熟考したり、当事者とコミュニケーションを取ったりする機会の基盤にある、高度な教育を受けさせてくれた両親のおかげだと考え、心から感謝している。黒人、女性、同性愛者、トランスジェンダー、ムスリム、そして身体障がい者、またその他のすべてのマイノリティに属する人も、決して理不尽な迫害を受けるべきではない。すべての人間が人間として尊重されるべきである。この信念だけは決して曲げずに生きていく。
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幸龍ラーメン@糟屋郡志免町
2024年3月6日水曜日11:26
ラーメン ¥580
住所:糟屋郡志免町南里4-1-24
TEL:092-936-3405
営業時間:11:00〜14:20 17:00〜19:30
定休日:日曜日
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ゆり: 糟屋郡志免町 民放テレビで放送されたりする 筑豊ラーメン山小屋 志免店 年末終わる頃、ラーメン食べに行って来ました [
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左京ワンダーコラム032
左京にまつわるエトセトラ.31 はなさかたみお 『左京区で生きてますけど、何か?』
気づいたら、4月20日が過ぎている。
今年は、4月に入ってからも雪が降ったり、桜が遅くまで咲いていたりしたせいか気分が盛り上がらない。
例年なら、1月、2月に冷え込んで、3月から徐々に暖くなって、桜が咲く頃に気分が盛り上がるのだが、今年はその感覚がおかしい。それほど気分は高揚せずに平坦なままだ。
そんなわけで何かを書こうと思いつつも思い浮かばず、何も書かないまま、今に至っている。
一応書こうとするのだが、どうでもいいようなことばかりが浮かんできてーー私が選挙に出たときの公約(一乗寺のラーメン屋には駐車場設置の義務付けとラーメン税の導入とか、新婚の夫婦にはホテルモザイクの割引券とか、イノシシやシカ、ハクビシン、クマなどの害獣の処理・解体する施設の建設など)を考えたり、新紙幣の人物の選定(個人的には演歌しばりで、1万円は北島三郎、5千円は金沢明子、千円は千昌夫、2千円は小金沢昇司)をしたり、ケーシー高峰先生が亡くなったお笑い界で下ネタの希望をどこに見出したらいいのだろうかと落ち込んだり、電気グルーヴのDVD買っておいたらよかったなと後悔したり、鞍馬寺のケーブルカーに乗ってきたビミョウな距離感の男女の関係を疑ったり、カナート洛北のフードコートで4時間以上も長居する老人を見ながら、ここでテロが起きたらなーと妄想したりしていた。
そして気づけば、スタンプラリーが始まっていた。
今回も88の個人商店や間借り出店のお店などが参加している。去年までの常連さんもいれば、今回からのお店もあるし、業態を換えたお店もある。
個人的には、あの店も参加しているのか、という新規の店舗がいくつかあって、左京ワンダーランドのアングラなカラーが少し変わったように感じた。
一乗寺のカレーの老舗・ガラムマサラや出町柳駅近くのワインバー・アシュクルクなどがそうだが、これまでとはちょっと違った長寿店が参加したことで楽しみ方が増えるのではないかと思う。
ゲストハウスの地球号がスリランカカレーの店になっていたり、ホホホ座三条店をナミイタで月曜日のランチを担当していた山福が引き継いでいたりもする。今まで知っていたのとは違う形でお目にかかれるのも面白い。
また紹介文を読んでいると、“有機野菜”や“無農薬”、“���ーガニック”、“新鮮”、“手作り”といった文字が多い。食べ物ばかりでなく、作家さんの作る日常につながるものも同様である。
左京区に住んでいると、天然酵母のパンとか、オーガニックなジャム、フェアトレードの雑貨やコーヒー豆ーーそんなものは当たり前のように思えてしまうが、世界的に特殊な地域であろう。
そんな特殊性を形成する土台には、利益を追求しない、ある種の大らかさがあるように思う。ある程度の現金があれば、という潔さである。それと本物志向というか、ケミカルなもので済まそうとしないなど安易な打算さが少ない。赤貧ではないが、心は錦の精神に近いのだと思ったりする。
左京区はユルいとかダルいとか理解に苦しむとか右京区や西京区とは正反対だとか云われているのをよく耳にするが、このスタンプラリーをきっかけに、左京区的な資本主義との付き合い方を体験して欲しい。
4月28日には岡崎公園でワンダーマーケットというイベントがあるが、利益の追求ばかりでない、穏やかな次世代の暮らしの一端がたぶんそこにあるということを知って頂ければと思う。
あと、ヘンタイの多様性と併せて。 ◆はなさかたみお 敷居は低いがハードルの高い店『失われた時間と百年の孤独』を経営。1977年生まれ。オススメの左京イベントは、松ヶ崎涌泉寺の日本最古の盆踊りと八瀬の奇祭 赦免地踊り。あと、岡崎の江州音頭フェスティバル。Let’s 音頭 again!
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1/17 シャム配信メモ
以下、順平の発言の要約
代理人は施設の人間ではない お金について、交通費だけ出そうかなと? やっぱ一人じゃムリ、ここまでは来られなかっただろう、24日があったからこそ 猫夜叉との関係は続いていない ふわっちで配信した理由はスパムができんかった(Youtubeのスパム機能の件) 代理人の事は悪く言わないで 収益化はまだされていない 働いてはいない カラオケも、代理人がいたので、彼も反省しているので許してあげて欲しい カラオケの動画は、自分でも違和感があった、久々の動画ということであのような感じになってしまった 編集も一人でやりたい あんまり代理人の事は悪く言わないで Twitterでも言ったが、撮影はSyamu一人でやり、編集は代理人とやる 家族も、前は許可もらったと言っていたが、やっぱりネットでの活動は反対している 代理人に騙されているわけでは無い、彼は良い人 最悪、騙されててももういいんじゃないか 24日彼がいなかったらこの件は無かった、TwitterもYoutubeもインスタもやりたかったから 24日なかったら多分家にずっと居たと思う (代理人の)操り人形ではない 代理人についてはもう何も言えない 自分がやりたいことをやるには協力人が必要 自分でも面白くない事は自覚しているので、荒れても仕方がない 代理人にもプライバシーがあるので... 前の食品レビューや商品紹介はリメイクになってしまうので面白くないだろう 代理人とはそのうちお金がまとまったら関係を終わらせるつもりである、お金を渡して 逆に関係が続いているから、このようにして放送ができているので 向こうもサポートしたいと言っていたのでついて行った シバターには甘えたくない 昔の自分に戻ったら、それこそつまらないだろう 仮に代理人と関係を終わらせても、もう復活はムリだろう つまらないのが自分だ とにかく新しいことをするには協力者が必要 最終的には一人でやっていく予定 操り人形を思ってくれればいい (活動が順調になったら代理人に)お金を渡そうと思っている、交通費など のびハザはなんか引っかかる、小学館から苦情が来て消されたりするのでやらない ゲーム実況はやりたい 自分もまだ無知なので、いろいろYoutubeで引っかかってしまったのは申し訳なかった 親は今の状況を認めてくれていない、お金を入れて旅行などをプレゼントしたり、時短調理器をプレゼント、父にはバイクを買ってあげたい ネットの件で親に、家族に迷惑をかけたので、認めさせるには夢を掴み成功させるしか 年賀状は来たけど、怒られなかった まずは家族にお金を渡してから、代理人に渡す 一人暮らしすれば色々動画のネタが作れるので 妹はなんとか元気 代理人にはちゃんとお金を渡すつもりだ 東京にはそのうち行こうと思っている オフ会はやるつもりだ 料理は、時々というか考えている みんなオフ会と言っているが、こっちにもタイミングがある。そのうちやる 女何人で行きま~すというのは��カマやな 助詞100人で行きま~すとかいうのはね、ネカマやな 今やればオフ0じゃないのでは お金があれば、デートもできる 例えオフ会を開いて0人でも、また盛り上がる。あのオフ0があったから今の自分が続いているので シバターとは復縁しない オフ会をやる事には代理人と関係を終わらせているだろう 童貞はそのうち卒業するのでは アトピーの調子はいい 風俗は行かない 前の写真はアトピーがひどかった ホテル浦島食中毒起こしましたよね やっぱり、ネットの事で散々あったのでちょっと病んでいたが、やっぱりネットをやりたいなと 貝塚にお世話になったので、インスタで発信出来たらいいなと 嫌がらせがある度に親、家族に言われて苦しかった、本を読んでいて(ネットを?)やりたいなと AZKとはやりとりしてもいい、会うぐらいならいいのでは 作曲したい AZKは売名かもしれないが 赤川次郎先生の夫は泥棒で妻は刑事のシリーズを読んだ AZKを知っている 女性とやりとりするぐらいならいいのでは 引っ越ししたい 最近のネットは見ていないので知らない ゾッ帝は忘れてしまった、書くつもりはない、新しい物語を構想している 代理人の良いなりにはなっていない、大丈夫 ゾッ帝未完結で申し訳ない 好きなラーメンは、金ちゃんラーメン 出前一丁 ゾッ帝ほとんどの人読んでないのでは ゾッ帝そんなに好きやったんか ニコ生どうしよう 今年の目標は一人立ち ニコニコ、オファーあればやってみたい Youtubeの収益化は厳しいのでは、きついと思う シバターとは関わる気ない すごい盗撮されている?(このへん聞こえなかったので後で聞き直します) シバターは自分のこと好きかもしれないが、自分は嫌い 年賀状は結構届いた、もちろんお気づきかと思うが嫌がらせの年賀状もあった。丸山さん(丸山ほだか)とも相談した カツドンチャンネルを知っている 丸山さんともやりとりしている 丸山さんにお世話になっている ホテルはいいもんですかね 親は相当参っているみたいだ まずはPCとケータイを揃えたい 実は撮ったけどアップしていない(多分質問動画) カツドンに対してだめな人間やな自分は aiueoは知ってる 障害者手帳は無い たれぞうは知ってる、いなくなった、自分は後釜と言われている ニートの人も引きこもりのひともいるかもしれないが、そう言う人が人材の宝庫、得意分野があると思うので頑張って下さい、自分も頑張ります ここで引退することも出来るが、そこで再び復活しろと言われ、復活すればつまらないの繰り返しだと思うので、引き下がらない 広島人だ (アンチは)ネカマにダマされてリークされた自分を見たいのでは (ホテルを)転々としていく え、なんで、別に両親に謝る必要はない、生きててごめんなさいではなく、100%悪い人は居ない、謝る必要は無い 彼女はいない また引退したら荒れる 一番はスパチャ(で稼ぐ) 引退することもできるが、 石付けている クラウドファンディングは、資金積むんやったっけ? 別に普通の人間なので アルトサックス(今)吹けると思う、クラリネットもトランペットも吹いていた 米津玄師(げんじ)知ってる、ニコ動で活躍していてメジャーデビューした、CMでワイヤレスイヤホンのに出ていた ジム・キャリー知ってる ふわっちやることになったのは、YoutubeLive出来るけど、今は投げ銭が出来ないから 最近はお正月にBSでミッションインポッシブルやっていた、3,4を見ていた Vtuberはキカイでしたっけ?PCでしたっけ?詳しくないので 阪神淡路大震災から24年ですね、被災した方々お悔やみ申し上げます (Twitter)重大発表というのは、まとめたら一人暮らししたいということだ 今年で35になった、中年ですわもう 普通に働こうと思ったが、一番はネットのことがありそれが引っかかっていて働きづらさ、生きづらさになっている 就労がゴールではない、ムリに就労しても心を壊しやめるのがオチではないか、本当に何をしたいか考えたときにネットしかないと思った、すいません 何を言われようが、自分の意志を貫き通すのがかっこいいのではないか、その考えの上ではネットしかないと 本スレ(2chのほう)は見たり見なかったり、エゴサしてもしょうがないけどね 自分の声は好きでは無い 昔は好きでは無かったが今は素直になれている サングラス(オーバーグラス)何処のやつか分からない 心はイケメンではない、それは昔の自分だ、人間どこか嘘をついている部分があるから 特定されても大丈夫です 去年の1月に坊主にしようと思った ゆゆうたは知らない 体重は五十何キロか? いくら罵倒されようが、好きなことをやっている人間がかっこいいのでは かっこいいんかねぇ... 免許はMT、最近大型二輪を取りたいなと思っている ドライブ動画もいい、軽自動車買って 自分の人生について考えている 告白した人数は0 AZKの事は話してみたいと思っているだけ いずれ、郵便物取られてアップロードされるやろなと思っていたら、アップロードされた。自分が無知でネットをやっていたので、それはしょうがない 郵便物撮って上げるのは犯罪だ、しょうがない、しょうがないよね カスゴリに謝る必要は無い、認めてくれないし、しょうが無い、でも父母に感謝はしている 焼肉動画はもう消した これからについて、どっかホテルから配信する 洗車動画も上げない 別に引きこもりでもいい 丘people!?はおかしいぞと言ったつもりなのに、ああなってしまった ライン工で良いことはなかった AV男優になるつもりはない (自分が)関西を盛り上げるのはムリ 日本を背負うというのはヨイショしすぎだろう 万博が決まってからだったので、タイミングが良かった 小説を書きたい 今後アップする動画は、オリジナルメニューなど、色々考えていきたい 商品紹介など 質問コーナを撮ったが、また撮り直す 一番嫌だった嫌がらせはなりすまし通報、なりすまし通販 引っ越すのはもしかしたら大阪市内 体を鍛えている 出会い系は出会えない系だ トロピカル無職なんかなあ... 腕立て、多いときで80回 彼女欲しい ウォンツの機材は使っていない AZKは別にお話したいと思っていて、デートしてもいい、その先はなし 物体Xは狙ってやった訳では無い 体は見せられない ウォンツは今関係ないので、お話することはない
以上
投げ銭
当該配信のURL: https://whowatch.tv/viewer/9201846
第二ラウンド
以下、順平の発言の要約
身長は163ぐらい体重50ぐらい 血液型はOかな? ボカロはやっていない 元気ないというのは、こういう場だから 今年で35になる ドリフトシティは復帰する予定はある ギャンブルは出会い系サイトだ、結構投資した 服はユニクロ バイクは詳しくない、知っているのはハーレー位 好きな食べ物は寿司、ラーメン、焼肉 シーソー乗ってる動画ありましたっけ? 好きな色は白か青色系 ツイキャス系は申し訳ないが、ふわっち(でやる) ふわっち選んだのはやってみたかったからというものあるし、スパチャが使えないから、すいません 無色と無職(白色について) オーバーグラスは100均のものか? 昔犬に追いかけられて、転んで犬が嫌いになった、今は大丈夫だと思う 猫夜叉は元気でやっているんでしょうかね、どうなんでしょう 皆さんに聞きたいが、どんなゲーム実況のリクエストがありますでしょうか? バイオですか、バイオ2リメイクって最新作なんかな?ダークソウルか、エロゲはちょっと無理やな 猫夜叉とは連絡取れていない 僕と君の夏休みは途中で終わってしまった シャド様って誰や、自分のキャラクターやったっけ? (物体Xの作り方教えて下さいに対して)焦げ付きにくいやつで作ればよかったんでしょうかね? 明石に2017年?に行った鳴門海峡の渦潮が見れなかったのが残念だった 明石海峡の動画上げてたっけ?浦島は上げてたような気がする コラボはやれたらいいかなと思っている クラナドは引っかかるのでは 車系はニードフォースピード、2018に最新作が出た 好きなゲームはアンチャーテッド、トゥームレイダー、バイオ、マリオカートもやりたい 怪異症候群昔やってたよね アンチャーテッド一番やりたい Switch興味ある マリカーはやっぱキノピオ Youtubeはマイペースにやる ヨッシーアイランドってスーファミでしたよね オリジナルメニューは出来るが、撮って良いのかですよね 動画の投稿ペースを上げるのは無理かもしれない カラオケ動画のトレーニングをやっていこうかなと思っている、カラオケのトレーニング動画は見たいか? よろしいでしょうかね、じゃあやろうかな 動画はもう一人で撮る テクニックを磨いてから撮りたいと、動画的には 髪は黒い方が良い 親は反対していない、いいんじゃないかと諦めている タオルのアルバイトはしていた 作業所は本当に行っていた 反対はしているけれど、自分がやりたいんだったらやったらいいんじゃないかと思う お気づきかと思うが、ホテルで撮っている うつ病はガセではない、円形脱毛症になった 別にお世話になっていた先生もYoutubeを仕事にしたらいいんじゃないということは言っていた 物体Xは汚れてしまったフライパンで作ればいいのではないか 好きなスポーツというかやってみたいスポーツは、スケボー、パルクール、ロッククライミング、BMX、乗馬 一月の引きこもり支援施設の件はお騒がせしてすいません、もう施設には行っていない 休んでいた間は、本を読んでいた 焼肉の動画はあったが、消した 難しい本は読んでいない、オンラインという本を読んでいた 先ほどのAZKさんの件はすいませんでした 謝るのは大事かなと思う モンストはやってみたいと思う、でも友達が0だから 親友も0人、彼女は欲しいと思っている Wiiはもう売った 小中高校と暗い���生だった 猫夜叉は友達だけど、どうなんでしょうかね、今どうしてるんやろうね 猫夜叉と連絡がつけば謝りたい Amazon使ったことある 創作活動は物語を構想するぐらい 楽しかった思い出は無いかな DTM、パソコン作曲もやりたいかなと思っている 岬高校はなんとなく送っていた、クラブにも入らず オーバーグラス似合いますかね スーパーのお菓子コーナーによく行く 収益はちゃんと自分に入る やってみたいスマホゲームは、よく知らないがモンストやパズドラ 対馬(つしま)ですね ア→イ↑マ↓スってなんでしたっけ、ア→イ↑マ↓スって音ゲーでしたか
以上
投げ銭
URL: https://whowatch.tv/viewer/9202750
幾ら稼いだんでしょうね
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「カブ主への道・免許併記&納車編」2021年10月21日 昨日なんとかかんとか卒検合格。 今日はさっそく免許センターへ併記の手続きに行ってきました。 一般的に書き替えということが多いですが正確には「併記」というみたいです。 盛岡の免許センターは盛岡駅西口にあるアイーナという複合施設の中にあります。 平日9時~10時しか受付していないので朝から出かけるしかありません。 バスか電車で行こうかと思いましたが、 時間が合わないと歩きとそんなに変わらないことに気づいたので歩いて行くことに。 30分くらいで着きましたね。 予想以上に空いていたのであっさりと受付終了。 手続き開始まで1時間くらいありましたが、 行きた���ところもないので待合スペースで待ちました。 人数が少なかったのか予定時間より早く手続き開始。 11時前には「普自二」の文字入りの新しい免許が。 誤算だったのは写真を持って行けば免許センターで撮影する必要ないだろう、 と思って先に写真撮って行ったのですが、 その写真だと画質が低いと言われたので撮影することに。 免許用を選んで撮ったのに画質が低いとは。 もうあの機械は使わないな。 たまたま前々日くらいに頭も髭もいったん全部剃っていたものの 当日は油断して何にもいじってなかったので、大丈夫かなと思いましたが まあ大丈夫でしたね。もともと写真映りよくないし。 服も特に選んでいかなかったのだけど ニュージーランドにワーホリ行った時に買った思い出の服だったのでいいでしょう。 いい誤算もあって、ゴールド免許になりました。 次の車の免許の更新時にこのまま行けばゴールドになる予定でしたが 今回でなるとは思ってなかったのでビックリ。 保険が安くなるのがありがたい。 さっそくバイク屋さんへ向かいました。 今回バイクを購入するのは津志田にあるクボトラさん。 クボトラさんまでは盛岡駅からバスに乗ってみました。 いつも自分が運転してる道を人の運転で通るって、バスとはいえなんだか贅沢な気分になりますね。 バスを降りてクボトラさんに向かって歩いていると岩手山が頂上まできれいに見えました。 けっこう下まで積雪がありますね。 今年はきれいな岩手山が長く見れそうです。 店頭にはもうカブが用意されていました。 よくぞこんなピカピカな新古車を出してくれたものです。 このバイクが出て来なかったら免許取得は来春になっていたことでしょう。 支払い、説明を受け、ついにカブ主になりました。 操作説明もしてもらい、駐車場で軽く乗せてもらいました。 ネットやYouTubeで予習していったものの 教習所のバイクとは違う操作にちょっと戸惑い。 とりあえずシフトチェンジの時にアクセルを戻すことと 止まってからニュートラルに落としても大丈夫、ということを忘れなければ何とかなるかな、 と思ったところで、納車手続き終了。 近くの車通りの少ないとこで練習するつもりでしたが、 お腹が減ったので近くで昼飯を食べてからにすることに。 バスから降りた時に、いつも前を通って気になっていた「南国やまちゃん」があったので昼食はここと決めていたのです。 店の看板に「ギョーザ・ラーメン・定食・焼肉」とあったので まずはギョーザからでしょと「ギョーザ定食」(650円、ライス大盛+50円) にんいくがたっぷりと利いた白飯と一緒に食べると美味しいギョーザでした。 クボトラに戻って「南国やまちゃん」で食べてきたと伝えると 次は「あんかけ焼きそば」を食べてみてください、と言われました。 点検の時にまた行ってみます。 カブに乗り、おっかなびっくりちょっとだけ国道4号線へ。 すぐに裏の方へ行って、ちょうどよい直線、曲がり角、坂道のあるところを見つけたので 行ったり来たりしながらシフトチェンジの感覚と ブレーキの効き具合を確認。 エンストがないって素晴らしいですね。 しばらく走ってみて、予想以上にしっくり来たので 4号線沿いの寄りたかったお店に寄りながらとととまで帰りました。 ちょっと加速がスムーズではなかったけど危ないこともなくととと到着。 ほんのわずかな時間ですが、既に楽しい。 明日からも時間を見つけて乗って早くスムーズに運転できるようになりたいです。 盛岡近辺のライダーの皆様、 ととと宿泊予定のライダーの皆様、 ぜひ一緒にツーリングに行きましょう。 以上、「カブ主への道」完結。 今後はカブライフの様子をときどきお伝えしますね。 走って楽しい道を寒くなる前にいろいろ探ってみます。 #ととと 盛岡の泊まれるたまり場 #ととと盛岡 #ととと便り #普通自動二輪免許 #普通自動二輪 #中免 #中免取得 #カブ主 #カブ #スーパーカブ #岩手自動車学校 #自動車学校 #自動車学校通い 「盛岡の宿応援割開催中!」(対象:岩手県内居住者) https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/kankouinfo (株式会社 クボトラ) https://www.instagram.com/p/CVSYJcHhEnL/?utm_medium=tumblr
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うめ塩らーめん ※限定 @麺処 ゆきち 2017/05/05(金) 【ほんのり酸っぱいGWの思い出】 GW限定で提供している「うめ塩らーめん」。先日に伺うも売り切れ御免だったためリトライ。早めに伺いつつ、提供数も増��しているらしく余裕でゲット。因みにGWの盛況もあってか、12:30過ぎの到着で外並び5名。30分程度の待ちを経て入店。からの〜… . ちゃっくどぉ〜ん!!(←ラヲタではない) . 平凡な見た目に見えつつも、全体的に緑を散りばめつつ目に馴染んで美しく見える。スープは梅の酸味が味を牽引しつつ、円やかな塩気と鶏ベースの出汁でスッキリと纏っている。刻んだ大葉がところどころで現れてより一層の爽やかさをもたらし、当たりを引いたような美味しさ。梅肉はスープの中に潜み後から出てくるのが面白かった。 鶏むね肉のチャーシューはしっとりとベストな美味さ。余裕があれば皿わんたんつまみながら昼ビー🍺したかったな。今度しよう(笑) ごちそうさまでした 127杯目#ラーメン#らーめん#ラーメン倶楽部#ラーメンインスタグラマー#中華そば#ramen#noodles#japanesefood#拉麺#つけMen野郎のラーメン日記#麺処ゆきち#北習志野らーめん#限定麺#うめ塩らーめん#大◯インスパイア#嘘でラヲタです (麺処ゆきち)
#ラーメン倶楽部#japanesefood#麺処ゆきち#ラーメン#ラーメンインスタグラマー#noodles#つけmen野郎のラーメン日記#らーめん#ramen#拉麺#中華そば#大#嘘でラヲタです#北習志野らーめん#うめ塩らーめん#限定麺
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久しぶりに来た。ワンタンメン。#ラーメン #ラーメン倶楽部 #福岡グルメ (ラーメン山小屋 志免店)
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空座第七女子寮物語 8
どばどばと、砂糖を袋ごとボウルに流し込む織姫を見て石田はひぃ!と声をあげた。
「ちょ、ちょっと!ストップストップ!」 「ん~?」 「何してんの!こんなに入れたら甘くて吐き出しちゃうよ!?」 「甘いほうが好きなんだけど?」 「駄目だよ!」
織姫の手から砂糖の袋を取り上げ、急いで山盛りに浮いている砂糖を掬い上げて流しに棄てると織姫があー、と悲しい声をあげた。
「もったいないよぉ」 「それは君のせいでしょ?」
唇を尖らす織姫を石田はキッと睨み付ける。 食堂にいた学生達から笑い声があがる。
「も~アンタらうけるわー」 「夫婦漫才してんのかよ」
ホントにケーキは出来んの?食べれるのー?という声に、煩い!と石田が言い返す。 僕1人ならこんなに時間もかからないというのに。井上織姫の突然の「あたしも手伝う」という乱入により、かれこれ2時間近くかかっていた。 井上織姫は料理をしたことがないという。お嬢様だからそれは仕方ないと思うし、彼女には確かに必要ないことだとも思った。 だが、手伝いたいとまるで小さい女の子のようにはしゃぐ彼女の世話がこんなに大変だと思わなかった。 全く、朽木がいてくれれば井上織姫も僕にまとわりつくこともないというのに。 あの女はまだ帰って来ない。まだ打ってるのだろうか?
「あのね石田さん、私、生クリーム塗るのやりたいなぁ」
えええー、君絶対無理、と石田は思わず顔をひきつらせる。せっかく綺麗に焼けたスポンジケーキも井上織姫の手にかかればゴテゴテのボコボコなケーキにされてしまいそうだ。
「……井上さんは、フルーツをスライスしてくれると助かるんだけど」 「スライス?」 「スポンジの間に挟むのと上に並べるから」 「なるほど!わかった!任せて」
ふんふん鼻唄を唄って冷蔵庫から果物を取り出している隙に石田は素早く生クリームをスポンジに塗り始めた。
「管理人うまいな」 「手際いいじゃん」
足を椅子にかけて股を開いた学生や、禁煙と貼り紙が貼られてるのもお構いなしに煙草をふかす学生達に褒められ、別に、と石田はにこりともせずあっという間にスポンジケーキを真っ白な姿を変えた。
「皆何してんの?こんな時間に……て、わぁ、ケーキ!」
既にパジャマ姿にすっぴんの桃が食堂に現れた。嬉しそうにカウンターから中を覗く。
「あ!桃ちゃんも食べるよねー?私と石田さんの合作なのぉ」 「違ぇよ、織姫チャンは邪魔ばっかしてたの」 「え~?ひどいよぉ~ 石田さん、そんなことないですよね?」 「……あながち間違ってもいないような」 「そんなぁ~」
あはははと食堂に笑い声が響き渡る。 桃も笑いながら、あれ?とあたりを見回す。
「ルキアは?」
「ま��帰って来ないね。稼いでんじゃん?」 「あの子ほんと、すごいよなぁ。あれで学費とか生活費とか賄ってんだもんな」 「すんげー貯めてんだって。もう200万貯金あるらしいよ?」
にひゃくまんだぁ~??? 一斉に皆が声をあげた。 何か嫌だな、と桃は話題を変えなきゃと思ったのだが
「沖縄か北海道に住みたいらしいよ、あの子」
という、誰かの声に言葉を失う。 なにそれ そんなのしらない 桃は胸が圧迫されるように苦しくなった。 だがそれだけでは止まらなかった。
「あの子さ、親が警官だったんだけど、ヤクで死んだんだよな。んで一時スゲー騒がれたの知らね?」 「そうそう。警察官違法薬物と女との乱れたなんとかだろ?なんとなく覚えてんな」 「あー、なんか聞いたことあるかも」
やめて、やめて 桃は声がでない。 その話はしないで そんな話を持ち出さないで
「そんで大学出たらーその事件と自分を誰も知らないところで暮らしたいんだってさ」 「あの子何も言わねーけどさぁ、嫌みとかいじわるとかされたんじゃねーの?」 「かわいそうだよね。虐めも酷いけどさぁ、自分の親ならあの子自身も相当傷付いただろーし」
あぁ、と 桃はそれでも少し、苦しさが紛れる気がした。
この話をして欲しくないけれど 言葉は悪いけれど
ここの人達は、ルキアを悪く思ってない、あの事でルキアを嫌ったりはしていないと感じたのだ。それは桃の心を少しだけ軽くした。
◾ ◾
ルキアの父親は交番勤務の、所謂おまわりさんだった。よく自転車で街を回っては色んなことに目を配る信頼された警官だった。 学校行事の一貫で、学校に訪れて自転車の指導や、警官の仕事を話したりもしていた。 顔もかっこよかったし、明るくて豪快なルキアのお父さんは街の人気者だったのだ。
ルキアもまた、警官の父を誇りに思い正義感溢れた女の子だった。 いつでも明るくよく笑う女の子だった。
そのルキアのお父さんが、 街でも一番治安の悪い場所で突然死んでしまったのは桃とルキアが小学6年生の冬だった。
死因は薬物の大量投与。
警察が現場に行った時、若い女が狂ったように泣いていたという。 「警官だから怖くて逆らえなかった」 と女は、ルキアのお父さんからヤクを買わされていたという話だった。 小さな街でのこの事件は大ニュースだったし、実際雑誌やら民法のニュースでもその事件は扱われていた。
ルキアは怒った。 全ての報道に対して怒った。 お父さんはクスリなどやらないと泣きながら怒った。ところが家宅捜査で箪笥から小さな包みに入ったそれが見つかった。 絶対に違う!! ルキアはそれでも否定した。
【悪徳警官の爛れた生活 ヤク中 女飼】
そんな見出の雑誌が出回り、ブラウン管の中でもルキアのお父さんは著名人に叩かれた。
学校では 最初は、皆、何も言わなかった。 誰かの
「ルキアちゃんと遊んじゃダメって、親に言われたんだ」
その心無い言葉をきっかけに、一斉に皆ルキアから離れた。先生は見て見ぬふりをした。 そしてそのうち虐めがはじまった。
それは長いことルキアを一人にして追い詰めたと桃は思い出す。 卒業しようと、学年が変わろうと高校に入ってもー
ヤクの売人警官の娘
このレッテルから逃れることは出来なかったのだ。 けれどー、と桃は思う。
あの事件は 警官がクスリと女に溺れた、と先に騒がれてそればかりが話題になってしまったが 事件は確か未解決なのだ。なぜならルキアの父親が買うルートが何処にも見つからなかったのだ。 だからルキアはまだ父親を信じているだろうと思う。 虐められて一人になった寂しさより ルキアは お父さんの無罪を認めてほしくて苦しんでいるように、桃は感じていた。
◾ ◾
「ただいまぁ……って、なんだ?」
少し頬が赤く、目の潤んだルキアが食堂に入ってきた。
「なんだ?何でこの時間に皆いるのだ?」 「管理人がケーキ焼いてくれたんだよ」 「へぇ?ケーキ?石田が?」 「呼び捨てにするなら君にはあげないよ」 「んー?ルキア酒臭いなぁ。飲んできたのか?」 「……うん、まぁ」
【 誰と?? 】
それは本当に、食堂にいた誰もが一斉に口にした事で大きく響き渡った。 一瞬の間をおいて全員が笑いだした。
「なんだ失礼だな!私だって飲みに行く相手ぐらい……」
ルキアの顔が更に赤くなる。 いやいないだろ、と誰かの声が上がる。 だって織姫ちゃんも桃も石田もここにいるのに、アンタ誰と飲みに行くのよ?
うっ、とルキアは身を引いた。 男か?男だな、と皆楽しそうに笑う。 ルキアは恥ずかしくて助けてほしくて、織姫の方に走ると後ろに隠れてしまった。
「一護くん?」 小さい声で織姫が聞いてきた。 ぱっと織姫を見上げると優しい顔で織姫はルキアを見て微笑んでいた。 素直に頷くと、織姫はヨシヨシとルキアの頭を撫でた。
織姫ちゃーん、ルキア誰だってー? と皆が織姫に聞いても 内緒だってぇー と織姫は言わないでくれた。
織姫の手も、あったかくて気持ちがいいー と、ルキアは思う。 そしてさっき 一護に抱き締められた時も、思った。 一護の身体は、洋服越しでも暖かいと思った
何で一護はらあんなことをしたのだろうかとルキアは思う。 いや深い意味はないのだ。だってふわりと優しく抱かれた、と思ったのは多分勘違いで。 そのあと「いったぁぁ〰い!!」と大声を出さなければならないほど一護はルキアをがんじがらめにして笑ったのだ
一護は高らかに笑って
「おまえって、あれだ、小動物なんだよ!」
と、意味不明な事を言って、カワイイカワイイと撫でまわしてきた。
あの馬鹿、とルキアは思う。
最初の、ほんの一瞬だけ、ドキドキしてしまったではないかと思う。 そのあともやはり手は離さぬまま、ルキアは一護に飲み屋に連れていかれた。 一護とは何度か飲んだことはある。でも赤提灯で他の一護の仕事仲間と一緒とか、屋台のおでんやとか屋台のラーメン……と所謂おっさん友達みたいなところでしかなかった。
だから高そうな店に連れていかれて、おまけに前でなく当たり前に隣に座ってきた一護にドキドキしてしまった。
おまけに一護はすぐ、触る、と思う。 でもそれは別にルキアにだけというわけではない、とルキアは思っていた。 いつでもスカウトした女の子の肩に手をかけていたり、腕に女の子をぶら下げて歩いているのだから。
でも だから
男に免疫のない自分が、一護に触れられてドキドキしてしまうのは仕方ないと思う。 やめてほしいとすら、思ってしまう。 あんな風に手を握られたら 意識してしまうではないかばかもの……
◾ ◾
「寝ちゃったねぇ」 と織姫がニコニコしながら、ルキアの頭を撫でた。 気がつけば食堂に残っていたのは、石田���織姫、桃、ルキア4人だけだった。
「さっきの、話ですけど……」
桃がぽそぽそと口を開いた。
「ルキアから、お二人は聞いてましたか?」
織姫と石田は二人とも首を振る。そうだよね 、と桃は言葉に詰まる。
「……変な、言い方なんですけど、あの、ルキはいい子なんです……本当に。でもお父さんの事件でいっぱい虐められて、家族もいなくなって喋らないし笑わなくなって…… でも最近のルキア、よく笑うから……あの、だから」
ことばがうまくでない。 ありがとう、って言いたいのに、自分がそんな事言うのはおかしいのかもしれない。 嫌いにならないでください、それも変な話だ。この二人に自分は何を言いたいのかー
「桃ちゃんと同じで、あたしはルキアちゃん大好きだよ」
泣きそうな桃の頭をいいこいいこと織姫が撫でた。
「彼女は彼女だ。過去に何があったかなんて関係ないしね。興味もないけど。僕が初めて彼女を見たとき彼女はスロでバカみたいに出していて、喋ると言葉遣いが悪くて、でも話しやすい女の子だよ。僕は嫌いじゃない」
石田も、自分の爪を削りながらぶっきらぼうにそう言った。
ありがとう、と桃は声にならない声で二人に伝えた。
大丈夫、 きっと大丈夫
遠くに行かなくても、ルキアはこんなに愛されているもの
桃は泣きそうな自分を見られたくなくて
「もう、寝ますね」
と椅子から立ち上がった。 その時ルキアが目を覚ました。
「ルキアちゃん、あたしたちもお部屋に行こう?」 「ん~……気持ち悪い……石田ぁ水くれ……」
なんなんだ君は、と言いながらも石田は冷蔵庫にミネラルウォーターを取りに行った。 織姫が軽々とルキアを背中におぶるのを見て桃はまた、少し笑った。
「なぁ、桃……」
ムニャムニャと寝ぼけながら、ルキアが桃に話しかけた。
「んー、何?」 「小学校……私たちのいた、桜島小学校に」 「……うん」 「一護という男の子……いたっけ?」 「一護?」
織姫と石田は目があった。 どういうこと? と、お互いの瞳は語っている。
「一護君……?覚えてないなぁ」 「……だよなぁ、でもな、一護は私の名前を知ってたんだよ……」 「?」 「自分で名乗ったんじゃないの?何かの時に。パチ屋のカード見たとか」
そう言いながら石田は、ペットボトルの蓋を外した水をルキアに渡した。 ありがとう、とルキアは織姫の背中で飲みながら
「違うんだ、志波ルキアって本名で、呼んだんだよなぁ……」
そう言うとまた、ふにゃあと織姫の背中に倒れた。 慌てて石田がペットボトルを取り上げる。
志波ルキア? 本名?
織姫と石田が桃をみれば
「知らない……一護なんて男の子……」
と桃は怯えるように口許に手をあてた。
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