#彼女が好きなものはホモであって��ではない
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kennak · 1 year ago
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人およ��外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジ��ニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による��薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて��来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに��成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じ���い (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 「噴飯告訴に答える 追及第9弾」 (1999年12月23日号・p179~181) 外国人記者が「ジャニー喜多川ホモ・セクハラは日本の恥」 追及第10弾 (1999年12月30日号・p38~40) ジャニーズ裁判 元タレントはなぜ「偽証」した キャンペーン再開! (2000年1月27日号・p180~181) ジャニー喜多川よ、ファンもこんなに怒っている 徹底追及(第12弾) (2000年2月3日号・p165~167) NYタイムスも報じたジャ二ー喜多川「性的児童虐待」 (2000年2月10日号・p172~173) ジャニー喜多川「性的虐待」 日本のメディアは腰くだけ ピュリツァー記者が激白 (2000年2月17日号・p34~35) 【追加報道】 スクープ撮! ジャニー喜多川の素顔 (2000年3月16日号) ジャニー喜多川の性的虐待! 母親が決意の告白 「息子は私に訴えた」 (2000年3月23日号・p184~186) 新展開 ついに国会で質問されたジャニーズ性的虐待 なぜNYタイムスしか報じないのか (2000年4月27日号・p176~179) ジャニーズ疑惑 梨元勝国会で証言へ! (2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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secretcreatorcycle · 10 months ago
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新宿の発展場。自分。スラムダンクがお気に入りだった。汗とオシッコと精子と足の匂いたすと。スラムダンクの芳香剤デキるのかな。。wwゴメとラがルミに普通に売られてた頃だ。新大久保ドラゴンだっけ。。あそこ。狂って自殺したとか、職質も多かった。自分ネタ車に乗せて、24裏の駐車場止めてて、職質。やばかった。エスティマで広いから助かった〜って当時。ホモっぽい顔してるってだけで職質。毎度毎度されてたわ。。
ゴ。って、オナニーが何回も出来る、ケツ感じなくなる。。って効能だよね、、全然ハマんなかった、、
ラッシュはたちの人吸わせて来るけど、瓶傾けて、液が顔にって片鼻抑えられて、吸った。。入ってこない、、くらいからな。。
でもゴは超危険。あの時代で終わって良かった致死量加減。粉だけで販売もあったよね。
複数に参加した時、エス+5..
5をね、penに詰めて、打たれた。エスきまってて、掘られながらの5ペン。頭。くるくるかいてんしてんの。。相手はひたすらケツ掘ってた。。
中出し。で俺の精子ケツで吸収させろと。線みたいなのされた。。ケツに大きいイボみたいなのある人で。当時怖かったわ。うつそうとしたよな。あれは。。
とりあえず5はケツ感じなくなるから、エスと合わせるともったいね。5がエスくっちゃってた。
劇薬なんだな。。ケツ感じなくさせるなら、皮膚麻酔。ビデオモデルが使うやつだ。。
自分。皮膚麻酔使えばケツ余裕、、だめそれは。
うん。。だめ。でも俺の為に我慢出来ねーのか?って言わせるくらいなら使えばよかった。。
大好きな人だったから、その苦しみも。彼のだ。
感じたいだろ。エスは痛みを快感に。
ウケに生まれてきてよかった。すげーきもちい���ってなる。エス最強ね。今のネタ副作用弱いし。
狂って壁とおしゃべり。なんて、もう効かないよね。。ヌレのアンナカ入り?べっとべと。
ワンパケ2くらいだった気がす。。
発展場。スラムダンクが、ストリート系つーの?多かった気がする。スカイビル、パラゴン、ベローチェ向かいの地下降りたとこの。オオバン、24,シブスト、ジンヤ、後、仙台スピード、jスパーク。
思い出語ります。
Jスパ。廊下にオシッコ。もらしだよな。道の真ん中に。
ベロ向かい地下。
大阪から遊び来てた人みたいで、鏡の部屋でしよって、恥ずかしくて。。可愛い可愛いって。そんで、俺のお前の穴に入ってるよって鏡越しに俺の顔いくまでみてて、、って。終わった後、大阪の人エスコートうめ〜。優しい。本気で惚れそうだった。持ち上げ方うま。
シブスト。穴でメモ交換して、お前の方言っていい?って。今思うと、緩いガチムチの。楽天カードマンポイ人。着衣系で、ワイシャツ着たままスマタされてた気がする。。凄い汗だくなって、抱きしめられながら、スマタで。。自分もお兄さんに抱き着いちゃったwwなつかし〜。
24会館。大部屋で種壺初めてみた。。女装みるの初めてで、引いた。憧れはあるけど。。
それと、大部屋に手を引かれて入ったら、自分を奪ってくれた人がいたの、、、そんで、彼が後ろチラってみた。ん??みたいな顔されて、手を離されておいてかれた。。一回手を引いたら責任もてよ。奪っておいてそれはねーだろ。。
結構回ってるけど、スラムダンクメインで後、一回づつ位。
思い出した。個室のドア開けて、暗いからよくみえない。だからって、ペンライトあてんな。そして去るな。くそが。
で。2ヶ月くらい前。かな?池袋、秋葉原に着衣系の発展場あるじゃん。ビデボ?結局行かなかったけど。。発展場。。今度東京行ったらいってみよ、、
脱衣系は、、。無理。昔はキモガリ言われてたような気がする。自分はタチの人より小さく見せようとしてた。タチより大きいうけなんて。自分的にだめ。だから、鍛えてなかっただけ〜。今も鍛えてねーけどな。
ニチョ。ゴメ売ってた頃。客多かったよね。土日なんかさ。女が出入りするようになって廃れた。秋葉原とかもさ。思い入れのある街だけど、、もういかないかな、、。高2の時。マルイメンズ図鑑で初ヴィトン。コンパクトジップ。彼氏とおソロで持ちたくて。。かわいいっしょ。自分ww
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togekiss4ss · 11 months ago
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Rockin′On(1993.9 Vol.22) Brett Anderson
Brett Anderson
鋭利な論理で語り尽くす、 降りられない高速道=ポップ·スターの苦悩と栄光。そして、セックスを脱皮していくスウェードの今後
インタヴュー=増井修       翻訳=BRYAN BURTON LEWIS
●デヴィッド·ボウイとの対談の中で、あなたは「創造性というものは緊張がら生まれ、心地好くなった途端にすべては失われる」という発言をしていました。実際、スウェードの曲にはそうした強烈なテンションが感じられますし、ギグでもギリギリの地点でのパフォーマンスがわかるんですが、ではそういうあなたにとって、心の平安とか慰安とは何になるんでしょう?
「うん……そうだな……ほとんどそういう時間はないんだけど、例えばそう、家にいる時にはできるだけリラックスするよう心がけてるけどね……。でも重要なのはずっと進み続けるということだから、ノーマルな生活をする時間なんてあっちゃいけないものなのかもね。こうと決めたからには最後までやり通さなきゃ。音楽を作るどんなアーティストも、バート·タイム気分ではやれないんだ。朝起きてスーパーマーケットに働きに出かけて、夜になると家に帰ってくつろぐ、というのとはわけが違う。自分の一部になってるんだから。つまり音楽を作ることで自分自身を表現してるんだよ。だから、自分の一部が何一つ表現するものを持っていないとしたら、もうアーティストとはいえないんだ······。ある意味ではそうだな、車をぶっ飛ばしてるようなものかな。急に降りて一休みするなんてことはできないんだよ。だからリラックスする時間はほとんどない」
●そういうテンションの高い、言ってみれば常に追い越し車線を走っているような生活によって、抜き差しならない状況、例えばドラッグ中毒に追い込まれる危険というのは常々感じてます?
「うん、まったくそうだよ。常にそういうわき道にそれる危険性がある。ただ、車をぶっ飛ばす"というのは、必ずしも追い越し車線で生きるべきだという意味で言ってるわけじゃないんだ。ロックンロール神話を生きるというのと、ハイ·テンションの中で創造的な作品を作り出すというのは、明らかに違うからね。セックス·ドラッグ·ロックンロールなんていう神話はもう存在しないんじゃないかな。それはともかく、緊張度の高い状況に伴う危険性というのは確かに感じるよ。でもそれはあっても仕方ないんじゃない。喜んで引き受けるよ。それに俺はアーティストである限りはプライヴェートな自分というのはないものと思っているんだ。だからまあそうだね。確かに乗っ取られてしまう部分もあるだろう。インクヴューだとかフォト·セッションだとか、そういったことが日常的なものになると、やっばりポップ·スターとしての生活のほうに比重がシフトしていかざるを得なくなるわけだしね」
●では、モリッシーはかつて「アーディストたるもの今にも死ぬんだという気持ちでステージに立たなければ駄目だ」と言いましたが、この言葉には共感できますか?
「うん、完全にね。『ああ、明日はあれをやらなきゃ』とか『明日もギグがある』なんて考えながらステージになんか立てないよ。いつもツアー終盤になると声が出なくなって「少し手を抜けば」みたいに言われるんだけど、ステージに上がった途端、まるで���何ていうかドラッグでもやってるような感じになるんだよ。これ以上へヴィーな経験はしたことがないってくらいにさ。だからうん、モリッシーの言葉には100%共感できる」
●しかし、そういう気持ちを保持しながら、年を取っていくことは可能だと思います?
「年を取った後もそのままずっと進み続けて、音楽そのものの持つパワーと緊迫感で、若さからくるエネルギーに対抗することだってできると思う。スウェードに関して言えば、俺たちの強さは、若さからくる強烈なエネルギーと音楽そのもののテンションの高さの両方にあると思う。だからそのうち俺たちのすべてをステージで出し切れない気がする瞬間が来ると思うけど、それは、ティーンエイジャー的なテンションの高さが出せなくなったということなんだ。そうなったら俺たち、最終的には音楽だけの世界に引っ込んじゃうだろうな。ライヴだとかインタヴューだとか写真撮影といった対外的なものはすべてやめて、もともと望んでいた音楽作りだけに集中して、純粋に音楽を通してのみ緊迫感というのを表現していくようになると思う」
●ということは、デヴィッド·ボウイが最新アルバムにおいて、そしてボール·ウェラーがスタイル·カウンシルからソロの流れにおいて、ポップ·スター·イメージからの脱皮を図った変化というのも、あなたなりに共感できる部分がありますか。
「うん、そうだね……。自分自身を表現し切ってしまうと、おのれのカリカチュアしか残ってなくて、自分でもうんざりしてしまって何か自分じゃないものに変わりたくなるんだと思う。それに、ミュージシャンの評価というのはイメージじゃなく音楽そのものによってなされるべきだしね。だから彼らには100%共感できるよ」
●では、こういう面ではどうでしょう?あなたがたは事あるごとに、「労働者階級の出身というみじめな記憶は一生消えないだろう」と語っていますが、この気持ちはやはり、あなたがたの意欲を支える復讐としてこれからもずっと変わらずに残ると思いますか?
「うん。猛烈な野心というのは、ある程度"復讐したい"という気持ちからもたらされると言ってもいいだろうね。自分の置かれた抑圧された環境から逃げ出してそして復讐してやりたいっていう気持ちがないと、野心なんて抱かないんじゃないかな。だから、もともと多くの権力を与えられた立場にいたり、裕福な家庭に生まれたりして、そもそも何かと闘う理由のまったくない人間は、何の野心も抱かないし、何もしようとしないんじゃない。だってそういう刺激を受ける要因が少ないからね。“復讐"というのはかなり残酷な言い方だけど、俺たちのことをかなり的確に言い当てた言葉だと思う。俺たちの曲は、性的な意味での自由だとか社会からの逃避について歌っているものが多いからね」
●あなたがたの曲からは、男同士だろうが女同士だろうがセックスこそが究極のコミュニケーションである、というメッセージが読み取れますよね。
「ある意味ではそうだろうね。セックスというのは、最もパーソナルで隠喩的な表現方法だと思う。でも精神的·宗教的なものとは比較にならないとは思うけどね。セックス��て、何かを例えば漫画やCMに描いて表現するようなものなんだと思う。『セックス=ロマンス』とか『セックス=精神的親近感』といった単純で分かり易い形でね。俺は、セックスは究極の表現だからほかの何よりも重要なものだ、なんてことは絶対に言わないよ。確かに、ありとあらゆるものがセックスとのつながりを常に持っている。何もかもセックスと同じ線上に並べられているのがわかるんだ。何もかもが性的なイメージや性的なシンボルと結びつけられている。俺だって無関係じゃないさ。だけど俺は、セックスが究極的に重要なものだとは全然思っていないんだよ」
●ということは、曲の中でしばしば性的な言及を行っているのは、セックスこそが人間の持ち得る最高の関係なんだという体験的確信に基づいてのことではなく、ポップ·ミュージックの有効な表現の手法として選んでいるということなんですか?
「うーん……わかんないなあ。へヴィな質問だ(笑)。もちろんセックスへの言及は単なるでっち上げじゃないし、雲をつかむような話をしてるんでもない。すべて実体験を歌ってるんだ。自分が直接体験したものもあれば又聞きしたものもあるけど、どれもすべて俺の人生を一旦通って濾過されたものばかりだからね……。ただ、意識的にああいうメタファーを選んだんじゃないんだ。俺のやることはどれも、ある意味で潜在意識的なもので、とにかく意識してなくても自然に出てくるものなんだ」
●では、「世の中にはアブノーマルなセックスなどあり得ない」というような、ある種の啓蒙的なメッセージを伝えたいという目的意識は持っていなかった、といえますか?
「そんなことはないよ。だってそれは俺たちの音楽から読み取れるすごく重要なメッセージだと思うし、もちろんそう伝えたいと思ってるよ。ものすごく重要なことだ。だけどここでまたせックスを隠喩として扱うなら、そもそもこの世の中にはアブノーマルな人生なんてものはあり得ないと言えるんじゃないかな。実際そのほうが重要なことだよ。大勢の人間が自分の人生を見失ってしまい、そして社会から"アブノーマル"と決めつけられて恥ずかしい思いをしてるんだ。でも異常などというものはこの世に存在しないんだよ。健全さというのは統計で示すことができるものじゃないんだ」
●じゃあ、“ムーヴィング”の中“so we are a boy, so we are a girl”という印象的なフレーズがありますが、「ホモ体験のないバイセクシュアルだ」というあなたがもし実際にホモ体験をしているとすれば、あなたの表現の説得力に影響を及ぼし得る、あなたのものの見方を変え得ると思いますか?
「んー……。そう、あり得るかもね。まあ、変わるか変わらないかというのは、俺にとってはどうでもいいことだけどね。あの引用文の、っていうか、周りの人間があの言葉を引用する時に言う“性的なアンビヴァレンス“っていう考え方の何がイラつくかっていうと、みんながあの発言を読み違えて、すごく肉体的な文脈の中で提えようとするってことなんだ。俺は肉体的な意味でああ言ったわけじゃないんだぜ。俺は精神的な意味でのあいまいなセクシュアリティーに興味があるのであって、バイセクシュアリティーとはまったく関係な���んだよ。もっと精神的なアンビヴァレンスのことを言ってるんだ。一定の性的なアティテュードを伴う肉体としての人間ではなく、精神(スピリット)としての人間について考えてるんだ。“so we are a boy, so we are a girl”って歌う時に俺が言いたいのは、誰に愡れるかということではまったくないんだよ。人間だからといって、必ず何らかの性を感じなきゃならないなんてことはない。単に人間であるというだけでいいんだ���。脳ミソを持ったね。男に対する愛について俺が歌うと、大勢の人間が男に恋焦がれる男の歌だと読み違えてしまいがちだけど、大抵は女性の立場から歌ってるんだ。でも、それは必ずしも俺が女だということを意味するわけじゃない。女性の立場になって考えることができる幅を持ってるって意味だよ。だって人はただの人だもの。社会が人を“お前はへテロ”だとか“お前はゲイ”だとかいうふうに一つのカテゴリーに閉じ込めてしまうのさ。でも人間というのは、こういったカテゴリーを超越できるだけの幅の広さを持ってるんだよ」
●なるほど、よくわかります。ただ、一つすごく興味があって、しかも非常に心配に思うことがあるので是非訊きたいんですけど、スウェードの最大の魅力というのは、あなたがたの音楽によって、我々が普段の自分ではなくなってしまえるところだと僕は思っているんです。そしてこれはセックスにおいて生まれる状況とまったく同じだと思うんですが、曲のテーマがセックスからべつの方向に徐々にシフトしてきているということになるとこの先、スウェードの最大の魅力であるこの“自分でなくなる”というフィーリングも消えてしまう恐れはありませんか?
「そうならないことを願うけど……。だってすごく悲しいことだからね。セックスの話をしなきゃ人じゃないってわけでもないし、セックスの話をしなきゃセクシュアルじゃないというわけじゃ必ずしもないんだ。ポルノグラフィーとエロティカが違うのと同じだよ。すごく明快に直接的に実際のセックスの話をすることもできると、セックスに一切言及しないでもセクシュアリティーの話をすることだって可能なんだ。なぜならセクシュアリティーとは、嫉妬、貪欲、衝動、魅力といった人間の基本的本能と大いに関係しているものだからさ。さっきも話したけど、こういった本能は確かに究極的にはセックスの中ですごく隠喩的に表現されるものだよ。でもその点だけを盲目的に強調する必要はないんじゃないかな。俺たちの曲にも、いろんな感情を直接的なセックスへの言及抜きで表現したものはあるよ。同じ衛動をセックス以外の話によって表現することは可能だからね。そうしないとすごく薄っべらなバンドになってしまう。だからもし実際に“もう全部やった”って思っだら、明日にでもすべて辞めてしまうよ」
●ということは、オーディエンスが自分たちの音楽によって普段の自分をまったく失ってしまう状況を作り出したい、というあなたがたの基本ラインは変わらないということですね?
「うん、そう願うよ。変わらないはずさ。まさに君の言うとおり、その中にいると自分を失ってしまって何も考えられなくなるという意味では、音楽はセックスと同義語なんだ。自分を運れ去ってくれる限り、“どうやって”自分を失ってしまうのかは間題じゃなくなるんだよ。無意識の状態に到達したという喜びに満たされてしまってね。そしてそういうことができるのは、多分音楽とセックスのニつだけだろう。俺個人にとって音楽が最もパワフルなアー��·フォームなのは、もしかするとそのせいかもしれない。実際、俺にとっては音楽だけが本物のアート·フォームなんだよ。ほかのアート·フォームは頭で考えるものだけど、音楽だけは体と感性に訴えかけてきて、聴く者を遠くへ連れ去ってくれるんだ。そして俺たちはその中で我を忘れてしまうのさ」
●じゃ、今までのスウェードの曲はどれも極限の性描写だと解釈することも可能だったんですが、これはスウェードの発展過程における初期的段階だった、というふうに今は考えているわけですね?
「そう願ってるよ。それこそポップ·ミュージックの持つパワーだからね。ポップ·ミュージックがどんなにパワフルなものか、多くの人間が忘れてしまっている。ラジオでカイリー·ミノーグの次に3分30秒もらって、何百万もの聴衆に向かって自分たちの曲をプレーする時、その中にいろんなものを詰めこむことができるんだってことをね。流れるべきではないメッセージを突っ込んで、みんなの神経を逆撫ですることだってできるわけ。だから、これまでのスウエードにとっては、セックスについて歌うというのが重要なことだったけど、これからは、それ以外のことについて欧うのが重要になることもあると思うよ」
●そういうスウェードの新しい側面というのはシングル「アニマル·ナイトレイト」の“ビッグ·タイム”や、最新シングル“ソー·ヤング”に結構端的に表れているようですね。
「そうだね。いろんな意味で卑しさが消えてきて、いろんな意味で“エレガント”とでもいうべき側面が出てきたと思う。幼さというか若さはもう以前ほど感じなくなったね。でもいいことだと思うよ。ローリング·ストーンズみたいに25年経っても同じことをやっていちゃ駄目なんだ。もちろんストーンズは偉大なバンドだけど(笑)。俺は仲間に入りたいとは思わないね。うんざりしちゃうに決まってるもの。とんどん前進し続けて、自分を刺激し続けなきゃ。今のスウェードには、ヒロイズム、ロマンティシズム、そしてエレガンスといった要素が少しずつ表れ始めているように思う。“ソー·ャング”はそれを完璧に表現している、俺のお気に入りの自の一つなんだ。すごくポジティヴな曲なんだょ」
●わかりました。ところでライヴ·パフォーマンスの話をしたいんですが、実は僕、アムステルダムであなたがたのライヴを見てるんですよ。
「アムステルダムで!」
●イエス(笑)。
「退屈しただろ?(笑)」
●イェス!(笑)。
「アムステルダムのオーディエンスっておかしいんだよね。身じろぎ一つせずじっと立ちつくしたまんまで」
●ほんとそうでした。でも僕はあなたがたの演奏自体は非常に良かったと思うんです。
「ああ、それはわかってるよ。でもオーディエンスが何ていうかさ……とにかくすごく奇妙でおかしなライヴだったよ。つまりこういうこときーライグの良し悪しというのはバンドのコンディションで決まるんじゃない、オーディエンスの反応で決まるんだよ。ある意味では会場にいるすべての人間がパフォーマンスしてるんだ。バンドそしてオーディエンスが参加する、とてつもない規模のパフォーマンスさ。オーディエンスが参加しないパフォーマンスなんて、バンドが参加していないのと同じくらい無意味だ。オーディエンスがパフォーマンスする時は、俺たちと同じょうな格好をし、俺たちと同じようにエキサイトする。ただそれを歌声で表現するか演奏で表現するかが違うだけさ。だからオーディエンスが自分たちの役割を果たさない���だったら、悪いけど俺も果たせないね」
●(笑)。先日アメリカでのッアーのレヴューを読んだんですが、ボストンでは大酷評されていて、サンフランシスコでは大絶賛されてるんですね。で、これはあなたがたのバフォーマンスのせいではなく、観客の態度が違ったからだと?
「その通り。まさにそうだったんだよ。東海岸のほうが西海岸よりシニシズムをより強く感じたんだ。西海岸の人間はあっけらかんとしてるんだよね。LA、サンフランシスコ、サンディエゴでやったギグはベストの中に含まれるよ。東海岸では誰も俺たちのことを信用しようとしなかった。俺たちのことをミュージック·プレスの産物だと思ってるのさ。そんなんじゃないのにね」
●ただ、ここまでスウェードの人気が高まってしまうと、あとはもういきなりスクジアム·ロック化していくしかないという要請が、本当に既に出てきていると思うんですけど、そうなるともう観客の質というのはほとんど問えなくなりますよね。これまでずっと観客との緻密なコミュニケーションを図ってきたスウェードですが、やはり新しい段階に進まなければならないと思うんですけど、あなた自身、そのへんはどう考えてますか?
「うん……大きいなジレンマを感じるよ。しかもこれは甘受しなきゃならないものだ。最初の頃は、ギグの規密なフィーリングというのに固執していたし、何人かの観客と直接会話するようにしてたんだ。だけど結局そういうのは意味がないんだよ。だって直接話をするにしたってそれ以外の観客を拒んでいるんだし、それにそろそろ成長することを学ばなきゃ駄目なんだ。魚のように大きくなっていく方法を覚え始めないとね。小さな鉢しかないのなら小さな金魚を飼うしかないだろ?そして鉢のサイズが大きくなるのに伴って、魚も大きくなっていくんだ。そうやって、必要な時に自ら外に出ていかなきゃね。でも俺たちも今、もっと大きな会場でブレーして、もっと大人数の観客とコミュニケートする方法を実際に学び始めてると思うよ。でもある時点を越えたら、もうどんなバンドにもコミュニケーションなんてできなくなると思うしそう、1万人を越えたら事実上不可能になるだろうね。でもロンドンではブリクストンアカデミーでやった時の6千人が最大なんだけど、どうにかうまくコミュニケートできたと思う。小規模のコンサートに劣らず良い出来だったと思うよ」
●では一番最近のグラストンべリー·フェステイヴァルはどうでした?
「最高だった。確か4万人集まったんだよね?でも俺たちからはせいぜい前方の1万人か1万5千人くらいしか見えなかったんだけどね。グラストンベリーは俺にとって人生で一番エキサイティングな経験の一つだよ。電流が走ったみたいに、信じられないくらい興奮した」
●そうやって英国での人気はすごいものがあるわけですが、アメリカはどうでしょう?成功する自信はありますか?
「うん。でも時間がかかるだろうな。初めてアメリカに行った時は慌てちゃったよ。アメリカに進出しようとする英国のバンドはみな経験すると思うけどね。とにかくシーンの仕組みが英国とはまったく違うんだ。アメリカの音楽的土壌はすごくレイド·バックしてて、俺たちにはまったく馴染めないし、それに音がに対するセンスがすごく伝統的で、ジャズみたいにかな���扇情的な音楽が好まれるという点も、俺たちには全然合わないんだよね。だから成功するにはまだしばらくは時間かかるだろうけど、スミスと似たような状況になるんじゃないかな。スミスも今になってようやくアメリカで評価されるようになって、そういう意味では、スミスが俺たちのアメリカ逃出への下地を作ってくれたと思う。モリッシーも今向こうですごい人気だけど、俺たちの音楽のほうが彼らには受け入れ易いと思うよ。モリッシーの音楽ほどわかりにくくはないからね。とにかくやれると思うし、努力も厭わないけど、2、3度ツアーをやったくらいじゃ無理だろうな。それに“ポップ·ミュージックというのは基本的にティーンエイジャーが舵を執っていくものだ”っていうポップの理想みたいなものがあると思うんだけど、アメリカ人はもう疲れちゃってるというか、“600年ツアーし続ければ55歳でヒットが出せる”的な雰囲気が漂ってるんだよね。そのへんが難しいかもしれない」
●でも、“世界中の人たちに自分たちの音を聴かせてなんぼだ”という方針はあくまでも貫徹するわけですね?
「もちろん。俺たちにとって重要なことだからね」
●最後に、バーナードとあなたの関係について何いたいんですが、バーナードの場合はステージでもにこにこ微笑みながら手を振ったりして、非常にかわいらしいキャラクターの持ち主だと思うんですが、一方のあなたはすごい尊敬を勝ち得ると同時に、非常に敵を作り易い人だという気がするんです。そういう立場でバーナードとのバランスを保っていくというのは難しくありませんか?
「いいや、だってべつにバランスをとるためにやってるわけじゃないし、二人でそんな話をすることもないしね。どうしてああなるかというと、要するに、バーナードはスウェードの音楽面での主戦力であり、奴は普遍的な言語である音楽を奏でてォーデイエンスに語りかけてるつてことなんだよ。そしてき楽っていうのは、それがいい音をしている限り、決して攻撃的にはならないんだ——「なんだこれは!」とか「オエッ」とか思いながら音色を聴く奴なんていないってことさ。音楽というのはそういうことをしないんだ。これってすごい強みだと思うよ。だけど一方のシンガーというのは、自分の意見を他人に押しつけようとする。そしてその意見は、他人に受け入れられないものであることが多いんだ。シンガーは常にギクリストよりも不快で攻撃的なものなのさ。シンガーのほうがより社会的で肉体的なことをやらなきゃならないからね。でも、そういうものなんだからべつに気になりはしないよ」
●でもシンガーのそうした役回りは、あなたとしてはやっぱりへヴイじゃないですか?
「んー……まあつらいなって思うことも時にはあるよ。街を歩いてると「失せやがれ!」って言われることもあるしね。べつに澄ましてるつもりはないけど「君たちもっと実際にネガティヴなものを侮辱した���どうなんだ?」って気分になるよーひどい政治家とか世界の指導者とかさ」
●それでなくても、あなたのように派手な人はマッチョなグループからいつもひどい目に遭わされてきたんじゃないですか。
「ああ、もちろん遭ったよ。俺たちの曲にもそれははっきり出ているしね。バンドの活動自体がいろんな嫌がらせやゆすりへの反発���んだよ。順応や凡庸の名において俺たちをなじり倒そうとする奴らへのね」
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jaguarmen99 · 1 year ago
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417 名前:名無しさん@おーぷん[sage] 投稿日:23/08/13(日) 23:59:39 ID:Cz.io.L1同性の元友人に告白されて人生崩壊した。元々は数多くいる友だちグループの一人として付き合っていたんだけどある時どうしても好きだという気持ちを抑えきれない、交際出来るとは思わないけど気持ちを打ち明けてスッキリしたいと言われた。で、告白されたんだけど、俺自身は普通に同性愛者では無いので断った。それから元友人に粘着される様になった。当時交際していた彼女がいたんだけど、俺が浮気してるだのマザコンだの無い事無い事吹き込まれて喧嘩になり別れる羽目になった。落ち込んでると元友人が寄ってきて寂しいなら一緒に飲もうぜ、みたいな事を言われた時はぞっとした。いきなり冤罪をかけられて誰が嘘吹き込んだんだって思っていたから、直感的にコイツが犯人だと思った。あとで元彼女や元彼女友人らから色々話を聞いて元友人が犯人だって分かったんだけど逆ギレされた。そうなると良くも悪くも人が良い連中揃いだったから、元友人を理解してあげなよとか、仲良くしてあげなよとか余計なお節介。いや変な嘘ついて貶めた時点で普通の友人としても付き合い無理だろって思ってたから断ったら俺がハブされる様に。結局それで当時のバイトもサークルもゼミも居心地が悪くなり一気にボッチ化。それで精神病んで大学を退学する羽目になった。頑張って努力して合格した大学だったから非常に辛かった。それで終わればおかしな奴に粘着されて散々な目にあった、で済んだけど、それだけでは済まなかった。数年後、治療を重ねて何とかマシになって退学してから一年後ぐらいにリハビリ兼ねて務め始めたバイト先の正社員登用試験を受けて合格。人より遅れたし学歴も失ったけどけど何とか正社員に戻って働き始めた矢先に、元友人が俺の眼の前に現れた。久々に仲が良かった筈の大学時代の友人に誘われていったら、何故かその友人らと元友人がいるんだよね。元友人がいるなら行かないと思ってたから散々確認はしたんだけど。その場で断って帰ろうとしたけど空気壊すなって言われて強引に飲み屋に。何故か元友人と隣同士。元友人と友人らの話によれば、どうしても俺を諦めきれないということで場をセッテイングしたらしい。「あれから時間も経ったし、お前も就職して落ち着いただろ?付き合えとは言わないけど、いい加減仲直りしてやれよ」って言われて、激怒してその場は帰った。大学時代の友人含めて全員着拒した。それから程なくして会社に謎のクレームが入る様になった。やれ俺の接客が最悪とか、詐欺紛いの営業されたとか。弁解はしたけど、実際にクレームは凄く入る様になって、庇った上司の顔も潰してしまい、俺は会社での立場を無くし退職する羽目になった。落ち込んでいると、またも元友人からSNSを通じて連絡がきた。今度会わない?あの時は自分が悪かった、直接謝りたい。せめて一人の友人として向き合って欲しいと。証拠は無いけど、絶対にコイツがやったと思った。というか誰にもSNSのアカウントなんて教えてないのに、どうやって特定したかも謎だった。気持ち悪くなってアカウントは削除したけど、どこから元友人がやってくるか分かったものでは無い。LGBT法みたいなのが出来ると、こんなでも俺がLGBTのアイツを差別した極悪人の犯罪者で、アイツは守られるべき存在なのだろう。何故被害者の俺が悪人扱いされて苦しんで、加害者のアイツが大手を振って歩けるのか。同性愛者だろうがストーカーはストーカーだろ、何故同性愛というだけで一方的に正しくなってしまうのか、本当に理不尽だし理解出来ないし苦しい。これがホモ差別なら、俺は差別者でもいいからアイツと一生関わらない人生が送りたかった。
続・妄想的日常
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toshikun777-blog · 1 year ago
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ガオガオがおー。
帽子のなか。。大変な事になってるの、、。
みたい人〜〜?したいひと〜〜??
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って、変態バリウケどんぐり見てもきもいだけだよね、、明日。新居が決まるかも。横須賀?平塚、藤沢、保土ケ谷、茅ケ崎、辻堂、相模原??厚木もいいよね。。。なんでかって??
子安、厚木の山登ってったとこ、藤沢、平塚、追浜、横須賀。川崎もか。。もう川崎の産業道路なんて、もう、、、妄想やばいよね。。答えは。
肉体労働者さま。工場。。いろいろ。
仕事おわり、、疲れてるとき、一気に勃起することない??あるんです。期間工のお兄さんとか、男子寮に帰っていく。。あー。。拉致られて、閉じ込められて、監禁されたい、、、。。慰安夫になりたい、、、。
れいぷされたいよね。。だって、便器だもん。欲しくなるの当たり前だよ。ご飯食べるみたいに普通のこと。。肉食動物が草食食うのと一緒。弱肉強食。。
自分はね絶対タイマン負けるよ。。つか、、てなんかあげれないし。。でもね。肉食なんだから、弱いものいじめしてスカッとしたいはず。。だからね。2体1で、更に動けなくされて、、、。。自分父親にDV受けて育ったからかな、、父。自衛官なんだよね、、。。
しょっちゅう目を腫らしてた、、、。でもいまは大好きなんだ。だって喜んでくれるんだよ。。縛られた自分。。これからどうされるんだろ、、三人しかいない。。抵抗できない。。気が狂いそうになるほど可愛がられたい。。ニヤニヤしながら二人で硬くなってさ。叫んでも誰も来ないし。逃げれない。苦しむのみて興奮してびんびんに、、。。自分は男のなりそこないのエラー品。。いれるんじゃなく、いれられてるんだもん。。37になってメイド服。。着れる?
自分なんで岩手から横浜来たと思う??男にたっぷり犯されるため、、あげた時しかえろならんけどさ。。
まあ、女装してまで犯されたい変態だからね。
だって、自分の穴使ってほしいよね。。無理やりじゃないんだもん。自分は
ケツ使ってくれるならなんでもする。
言ってる。本当は女がいいのにさ。。。だからさ。。やった後さ、ノリでやったけど、なんでこんなのとやったんだ?きもちわり〜、、。って。多分なると思う…つか、自分は無理だ��ん、、
あっ。ムリも何も、立たないし入れられなかった。。だからね。。だからさ。
だいたい一回で終わるでしょ、、?一回で終わりなら。お互いなにしてもいいし、優しくされるよりも、奴隷のようにたっぷり可愛がられたいよね。。ホモってマジ、ちんこのタメならなんでもすんだなって笑われて、逃げれないからだ。。ストレスも発散させたい。。だって、、自分なんかを使ってもらえるんだよ。。本当だったら、ないんだから。なんもない。女とやる人だよ。その男の人が、勃起しながらニヤニヤ。。声が震えたり、歯ぎしりなんかはじまったら、、、。。
自分バイの彼氏がいたんだよ。つか、バイばっかり。ばいにしかすかれないんよ。別にすかれてないけど。体ありきで性処理以外で必要とされた事、、、ないんだろうな。。。
自分はさ。変態な事いったりなんだりはさ。カモフラージュ。。男のひとと一緒にいたいってすごく思うし、、気持ちよくしたいとか、使ってほしいとかさ。。面倒くさい話はやめよ。。そんなもんひとりよがりな感情だから。。
だからくだらねーこといわねーで、楽しませて上げるんだよね。。好きな人の為になんでもしてあげたいよね。当たり前の事。するなら、中出しされたい。当たり前。でも眼の前の人は自分なんか好きじゃない。。女の子なら、しゃぶる前からビンビンになってるんだろな。。だからRingつけさせる、勃起ものませる。。当たり前だよね。だって自分は女とやる気もしなけりゃ、たちもしない。でもたってくれてる。。涙
自分ってなんも嫌な思いしていない。
でもノンケとかバイなんて。最初から嫌な理由。せめてできるのは、気を使わずに何でもさせてあげよう、、つか、したいのは自分だよね。変態なりきって、変態なおねがいしまくろう。思いっきり使わせてあげよう!
自分本当にないんだよ。エロ以外で、、。酒飲みにとかはあったけど。どう考えてもない。
高校ときの彼氏くらい。
としく〜ん宿題やったか〜って。。
毎日電話くれたんだ。そして土曜の夜。スカイラインでうちまで迎えにきてくれたの。
自分顔真っ赤だったんだろな。。
あった途端豹変するタイプ。みんなもそうだよね??姉もそうだった、、。急に女になるやつww
って、自分まだぜんぜんやってないんだ。ずーっとエロエロなってるけどさ。
自分明日。新居きまるんだ。。自衛隊さんがいる横須賀?追浜のトヨタのおにーさん?追浜。なんか小ぶりなパチンコ屋と、小さい飲み屋なんかたくさんあるよね。なんとかデリカだっけ?惣菜屋。磯丸水産あってさ。。
だれか。新居祝に中出ししてよ。つか、女装して犯されるのみる?女の格好すればいいっていう、単純さ。。自分が感じることないエロの感情。。なんだろな。。
自分になら理性外してなんでもしてあげたい。。
社会人だから毎日ストレス溜まってると思うし。。対等なんかないよ。
たださ。神様ありがとう。穴を2つつけてくれて。。ありがとう。これが無かったら、なんもできな��ったんだ、、ありがとう。。
自分。。ずっと思ってることがある。
ゲイタチっているのかな?って。。
レズってほぼほぼバイらしいね。。
自分は生まれて16の時便器になって、それからずっと。バリウケ。変にリバとかにならなくて本当に良かった。いまんとこ、付き合った相手が掘られてるとか見たことない。多分一発で覚めると思う。。やっぱさ。性別なんだよね。無理することないよ。無理してやっても。それは違うんだよ。ある意味自分って一番ノンケだよねww対象が男でウケ。高校の時女と二回。それだけ。そん時の感情思い出せない。。多分幻だ。女ごめんね。なんとなくしてみたかったんだ。童貞思われたくなかったし。。デートとかしたかもしれないけど、普通に彼氏いました\(^o^)/あはは。
つか、、30分も。。だってきもちいいんだもん。この多幸感。これ買うために仕事してるわ。わし。セックスが気持ちいいって感じたの。初めてキメタとき。なしだと、、ちょっと怖いんだ。。嵐山のジレンマだ〜。。
エヴァのライトミドルやりたい。。
パチンコ半年以上やってない。最後大海5のミドル。。やりたいと思わないの。。
で〜。ねーねー。新居祝いに使ってくれる人。。DMください。今さ55型テレビだけど近々85にします。。一緒にみながらしようよ。。、エロ動画。。
横浜東京民。おいで〜。車でむかえにもいくよ★おうち。すっごいすてきすぎなんだ。
つか、、楽しも〜★神奈川民遊ぼ〜★
天涯孤独だし。め゙いわくかける人なんていない。。
ねー。あそんでよ、、。。
受けの子とは変態話と妄想で。
さみしいよ
おもちゃたくさん遊ぼうね。
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今度みんなにも紹介するね。
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moko1590m · 1 month ago
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ネアンデルタール人は人類最初の化石収集家だったことが洞窟の遺物で明らかに
著者konohazuku・パルモ
公開:2024-12-06・更新:2024-12-06
 スペイン、ブルゴスにあるプラド・バルガス洞窟から白亜紀後期の海洋化石15個が発見された。
 約4万6000年前のこれらの化石は、、かつてここに住んでいたネアンデルタール人が収集していた証拠となりうるという。
広告の下に記事が続いています
 彼らは、現代人と同じように、娯楽として非実用的な物を収集していた可能性がある。つまりそうした収集行為はネアンデルタール人の抽象的概念の表れともとれるのだ。
非実用的な物を収集する人類の習性  道具など実用的な目的ではなく、美的な興味だけで物を収集するのは、極めて人間くさい行為で、現代でもそうした志向は変わっていない。
 骨董品、切手、コイン、ビー玉などコレクターにとっては、なんでも収集の対象になるというわけだ。
 記録に残る最古のコレクターは、紀元前7世紀のアッシリア王アッシュールバニパルだったらしい。
 粘土板の収集家、つまり今でいう書籍コレクターだが、単に興味をもった物を所有しておく習慣ということであれば、もっとずっと古くからあったようだ。
 例えば、南アフリカのマカパンスガット渓谷では、人の顔に似た赤みがかった碧玉の石が発見されているが、これはアウストラロピテクス・アフリカヌスが集め、洞窟内に保��していたと考えられている。
 ジャワ島で見つかった彫刻が施されたムール貝の貝殻は、ホモ・エレクトスと関係があるとされている。
この画像を大きなサイズで見る Photo by:iStock ネアンデルタール人の抽象的概念  スペインのプラド・バルガス洞窟からは、貝殻、石英、シカの頭蓋骨、その他さまざまな化石など、遠方からもたらされたと思われる珍しいものも数多く発掘されている。
 これらは差し当たって実用的なものではないが、初期の人類が美的価値のある物に興味、好奇心を示していたことを示す証拠といえる。
 ブラド・バルガス洞窟の地層の詳細な分析によって、出土した化石遺物はおよそ3万9800~5万4600年前のムスティエ文化(欧州の中期旧石器時代)期の地層にあったことがわかった。
 つまり、これら遺物はネアンデルタール人がこの洞窟を道具を作ったり狩りをする生活の拠点として使い、さらに必ずしも実生活に必要のない象徴的な行為を行っていたことを示している。
この画像を大きなサイズで見る ラド・バルガス遺跡の地質と地理の状況 image credit: Quaternary (2024)。DOI: 10.3390/quat7040049 洞窟内で発見された貝の化石の特徴  見つかった15個の化石は大きさは平均5センチ未満で、さまざまな貝が含まれている。
 道具や装飾品として使用された形跡はなく、ただ美的あるいは象徴的な興味から集められていた可能性が高いという。
これらは洞窟のすぐ近くの地質からの産物ではなく、中には30km以上離れた場所のところのものもあった。
 ハンマーとして作られていたと思われるものはひとつだけで、残りは実用性な道具であることを示す改造が見られなかった。
 このような化石を集めた理由は、審美的な興味、象徴的な意味、贈答や交換などの社会的慣習が考えられる。
 こうした行為における認知能力は、収集者が抽象的な概念がわかる能力をもっていたことを示している。
 ネアンデルタール人が、埋葬を行い、顔料を使い、装飾品を作ったり、洞窟壁画を描いたりしていた痕跡は知られている。非実用的なものを集めていたという証拠は、彼らの文化の複雑さを感じさせる。
この画像を大きなサイズで見る プラド・バルガス洞窟から発見された貝の化石  image credit:Quaternary (2024). DOI: 10.3390/quat7040049 ネアンデルタール人の子供たちが貝でゲームをしていた可能性も  本研究は、この洞窟には子どもたちがいた可能性も示していて、貝の化石を集めていたのは子どもだった可能性もある。
 もしそうなら、現代の子どもたちもよくやるように、収集品を使って、なんらかのゲームのようなことをしていたかもしれない。
 考古学において、その遺物が鑑賞用や儀式など象徴的な意味で使われたとみなされることは多いが、ゲームや玩具として使われた可能性は見過ごされがちだ。
 ネアンデルタール人も現代の私たちと同じような動機で収集を行っていたのなら、もしかしたらゲームのようなこともやっていたかもしれない。
 あるいは、化石に記録された絶滅生物に興味があったのかもしれない。
本研究は『Quaternary』誌(2024年11月12日付)に掲載された。
References: Fossil collection found in Neanderthal cave suggests abstract thinking
広告の下にスタッフが選んだ「あわせて読みたい」が続きます
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5万年以上も他の集団から孤立していたネアンデルタール人の新たな血統が発見される
ネアンデルタール人から受け継がれたDNAが自閉スペクトラム症の発症と関連していることが判明
7万5000年前のネアンデルタール人女性の顔の復元に成功
ネアンデルタール人は現在よりも2倍も大きなゾウを集団で狩っていた
早起きが得意?朝型の人はネアンデルタール人の遺伝子を引き継いでいる可能性 #化石 #洞窟 #ネアンデルタール #貝殻 #収集 この記事を
(ネアンデルタール人は人類最初の化石収集家だったことが洞窟の遺物で明らかに|カラパイアから)
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pureegrosburst04 · 3 months ago
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⬆︎このトリオ、ノーベル平和賞を越えた
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ともちん「私はまた失礼な歴史を繰り返してる。”””アイツ”””の言うような薄汚い攻撃本能だって、B(バグ)ちゃんは言わなかった」超電波油「それは貴女が逆恨みをしないから、プライドを捨てて素直に謝ってくれるからだ。」御茶ヶ��「もう俺達には苦手な人なんて居ない、だってみんな同じ視界と同じ耳で同じ世界と向き合うから」防聖孤島「でも貴女はみんなに好かれる人柄なんだよ」
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表版仮想大鉱山の意味それは、①表向きの②劣化版③文字通り仮想⇨④大鉱山は安価に作れるステージ。つまりここに居る女性はみーんな、NPCだ。もっと早く気づいて欲しかったけどようやくわかったかい?😩」
ともちん「じゃあ何で潰そうとか作戦会議を練ってたの?」御茶ヶ滝「ほら、軍人ってシミュレーションミッションをノリノリな雰囲気だして盛り上がるでしょ?😊」ともちん「なんだ〜、世界は平和なんだねー☺️」
富豪05「ゴールド宝魔は実際に生きてはいるが、奴等はペルソナ5二次創造のパレス専用の住人なんだ。でも本当の悪が仲介役のように行動して実際に穢された被害者もいるから優しい嘘をつくヒーローならみんな潰そうとする🤥」
ゴールドバロン「フィクションの嫌な奴、憎たらしい奴を童貞だと惨めに妄想する見当違いな優越感に縋る結果。その甘い感情に喰われてシングルマザーが出来上がる現実 ほら、僕達約119万5000世帯のヤリステ遺伝子を残す為に頑張れ🤗(赤き真実) 泣いて傷付いた被害者の女の子はどうせ売春婦w😚w
表版仮想大鉱山「頑張れ頑張れ(笑) ハハハハハハハハハ!!!!!」
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ゴールドバズー「まだ騙されてるのか?マンコに冷酷で薄情な男性様の俺達こそが童貞を卒業するんだよ(笑) ゴローニャなんて一般ポケモンwwwに涙する演技を信じ続けるメルヘン(赤き真実🥴) 時代はアルセウス様だよ(笑)
全て、全てが…”””霧島04様”””による賜物……俺達は現実の女を…(赤き真実)」
ゴールドガッチャ「我らの精子一匹死んじゃった(笑)…だげじゃなく、 12万2725人の善悪のクズ精子も死んだのじゃぞ💛
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嫌な予感がする……」
ゴールドバラバズー500F「現実を自分達が見たまえwww 虫ケラババアをバカにするのは決まって童貞(妄想)wモテない(妄想)wwホモ(妄想)WWW…同じ土俵で戦えないからこうなり、突っ込みが入るのだよ(笑)………
何故、”””霧島04様”””は我々をここまでもてなす様な絶対悪にしたのだ?不気味な程怖いのだよ」
〜Lv6 焦熱地獄〜
表版仮想大鉱山:部下「目を覚ましてください。…繰り返死刑……私達は……一体{{{いつから}}}、…亡き”””あの方(裏ストボス)”””に。洗脳されていたのでしょうか?」
悪行は必ず返って来る。それを受け止められるか?躱し切れるか?理想の化け物はどこかには居る、
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無実の人を逮捕すればこうなる。 冤罪がどれだけ気楽でいさせてくれる薬になるか、綺麗な人には悪の立場がわからない
〜暗黒時代〜
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霧島04(15歳)「バカが馬鹿にしてきた努力とは善であり急ぐべき絶対的な+🩵で、悪が奪うとする効率の良さそうな+は正反対が数倍以上☠️ぶっ飛んで来るもんだ。死んだら天国も地獄もねえ?行く所は無?誰にも分かんねえだろそんなの、人は無から産まれたんだから サイコパス指数と邪悪レベルを上げる方法はちょっと極端な悪人なら誰にでも可能だ👇 
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つまり、Lv8無間地獄でも俺は殺せない。あいつらは本物の女性より便利なメリットしかないNPC童貞のままで居れば食べ物を残した身障のび太より恵まれた最上位天国に行けてたんだよ絶対。いつからだろうな、俺が彼等を終わらせたんだ(赤き真実)」
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薄汚いゴミクズが果てしない欲望を”””神”””に叶えさせてもらっても、幸せになれる未来が待っているとは限らない
表版仮想大鉱山50��万人は…PureEgrosburst04のうんち💩と、GrassShining3のオシッコと、ULtiMaTeShadowLeader04の下の下の下の下の下の低次元と、DOUZIMEKAZAの鼻糞と、SPECIALWORLD21の耳糞から作られた(赤き究極の真実)
この悪魔、霧島04(裏ストボス)を越えた(赤き真実)⬇︎
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frlbmemo · 10 months ago
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エンド1回収
アプリでも深淵の記憶だった 好きなエンド…
ニシくんのお父さん中国の安国市にいる?
ヒガシくんの母親はそのまた母親から金をせびられている 祖母は祖父と別居(離婚はしていない)ヒガママと祖母は似てると思われる 祖父母の話で「おじいちゃん、おばあちゃんと交流がある人ばかりでもないと想いますよ」「人の羨ましいと思う部分は嫌でもよく耳に入ってくるものです」 これ自分の事言ってる? ニシくんの母親の介護をニシくん1人でやってたのどう考えてもおかしいし 父親が仕事で家をあけるにしても祖父母の家にいたほうがいいよなあ
え!?ニシくんが幼虫にたかられる夢、母親の誕生日の前日に見たの!? なんか話変わってきたな やっぱりループしてる? ラボに来てから記憶がブレてるならわかるけどはっきり「前日に見た」はこれは… でも蘇生実験はPC版ではやらないからこの辺の謎はっきり明かされないのかも〜ワカンナイ… アプリ版でニシくんの家の話するっぽいし コンビニ弁当がね… フレラボのOP思いっきり時計が逆行してるんだよな…
あーそうだヒガシくん母親の弟に引き受け拒否されてんだ まあ…わかるよ 被虐待児の世話大変だもん もし娘がいたらそういう可能性なくもないし。実際事件としてはあるんだよね… なんでニシくん今殺したよって思ったけどそうか母親の彼氏が出所する前にか 「ありもしない事でごまかすな」 ニシくんは〜ニシくんはずっとヒガシくんの「助けて」を待っていたのに〜と思い…表情…
ニシくんが会いたくないのは父の友人だなあ ニシくんの母親、両目失明、顎に後遺症、顔全体に皮膚移植 頭ひかれたのか ニシくんこれ多分見てるな 事故現場 動き回る事は出来る、下半身は無事っぽいからマジで引きこもってたのわからんのよなあ 精神的なものが大きそう リハビリしてくれ… 激痛の後遺症に言及されてた なんとも判断しづらいなあ 食が細くなったのは顎のせいかな うーーーーんんん マジでなんで父親家を空けたよ? 流動食で嗅覚もほぼなくなってたらもう泥飲んで���ようなものだからなあ…
追加項目細い針 これなんともなしにイチャイチャイベントじゃ〜んってニヤニヤしてたけど 「危険度が増している」 もしかして これ 最終的に死にます? 嫌な予感してきた ニシくんの上着で庇うかと思ったら今度はヒガシくんか…針は消えるだろうし 「ニシくんにしてやれることが少ないから」 アッ!?????ニシくんがキス♡ハグ♡とか言ってる時に「何言ってんだこいつ」ってなってたのって「それは俺がしたい事だしな…」みたいになってたの!???!!!?まさか!??!!!?? 針消えた!!??!!?手当てシーンは!???!!?
ニシママが亡くなったのが小5(小6にあがる前)の1月 ヒガシくんが泊まりに行ってたすぐ後じゃん…? この時食べてたのが茯苓餅?
セッ…クシーなポーズをしてくれるとか! ヒガシくん聞いてなさそうな時結構聞いてるから「やっぱりニシくんは女性が好きなんだなあ」くらいは思ってそう 薬箱の中に印鑑なぜだ?
「誰かの死は、その人の大事な人のためにあるんだと僕は思っています」 これめちゃくちゃトーマの心臓思い出させるんだよな お母さん少女漫画好きって言ってたし読んでそう
「ヒガシくんが僕と一緒にいてくれるだけで、十分なんですよ」 「……ニシくんの、ソレは嘘なのか本当なのかわからない」 やっぱヒガシくん ニシくんの求愛をどう受け止めていいかわかってない感じだなあ ヒガシくんなんとなく、性愛については奪い合いみたいなものが付随すると思ってる感じが 少なくともニシくんからグイグイこないと信じられないみたいな…
「俺がニシくんの家から戻ったら母さんは鬱になってた」 本当か?母親からの暴力が悪化していたのでは?「ああ、喜んでもらえてたなら良かったです」 こんな薄っぺらい言葉があるか
ニシくんの父方の祖母ちょっとぼけてるな だから頼れなかったのか
動く壁追加
あの これ 動く壁… あのお……死にません?これ……動く…壁… いやこれ…これ…OPの血のキスしてるやつ 死なない?普通にエンド迎えたいんだけど と とりあえず入浴まで盗撮する アンロックの主題歌めっちゃ好きなんだよな〜
ニコ…!!!!!!☺️☺️☺️☺️☺️ 手の大きさ合わせてるの可愛いねえ〜 中学に行ってからあんまり会えてなかったのは母親からの虐待が酷くなってたからか? もしかしたら学校が終わったら即帰宅を命じられていたのかも
動く壁オン… 生きて帰ってきてね2人とも バチン!でクソびっくりした あーーーーーーーーそうだニシくん暗い+狭いのダメだった じゃあなんでお前自分の墓穴掘ったよ… いやこれニシくん 過去になにかあったんじゃ? 何も出来ない事が嫌なのはわかるけど ニシくんの気が紛れる話をしよう!←正論 ヒガシくんめちゃくちゃ正論ティーじゃん あ〜〜〜〜〜ニシくん常に自分を抑圧してるから物理的に抑圧されると限界がくる感じ? ニシくんの謎語録、それを晴らすものなのかも いやでも���もうせまい四角い箱の中にいるのは嫌」 これやっぱり過去に詰めこまれた事ない? 「こんな事する俺を憎んでいい」 ヒガシくん全然ニシくんの愛情信じてないじゃん〜!!!!!!! えーんよかったエンドじゃなかった 実験者これ「これ以上の芸術作品は存在し得ないでしょう」じゃん 許せねえよ(自分)
「もしかして、思い出して怒ってます?」 「うん」 「…もしかして、その日僕を探したりしてました?」 「うん!」 は〜〜〜〜〜〜〜〜〜今ガス撒こうぜ!!!!!!!今だよ今!!!!! 中学の担任の先生いい人っぽいよな。ヒガシくんもだけどニシくんも気にかけてて、事件のあと一番ショック受けたのこの人なのでは
あれっ!?深淵の記憶エンドだった キーワード14MAXだったんだけどな 絵で開くのかな 実は深淵の記憶エンド好き 穏やかで凪が続く感じで 思い出せないんじゃなくて思い出したくないんじゃないかな とも思う このスチルめちゃくちゃ愛情を感じて好き ニシくんは、なんとなくヒガシくんも早世したのを察してる感じがする ラボで穏やかに過ごして欲しい 動く壁についてはほんとごめんな
ガスは6回撒きました。 この後ご褒美思い出す事もあるかなって…
しかしこれどうやったら想起に入るんだろって思ったら10日目に必要な特殊物のフラグを立ててなかったんかな というかあれだ 精神安定剤が出てないな…これが必要な感じする 牛のリュック、ニシくんの手紙、当座のお金はやったんだけど
動く壁でニシくんは自分が本当に無理だとヒガシくんを置いて死のうとしたの あれ多分何かのPTSDによるパニックっぽいんだけど それはとりあえず置いといて、ニシくんの凶行の行動原理だった感じがした ヒガシくんの事を守りたいのにヒガシくんは自分の庇護下に来てくれないし、母親から虐待受けているし母親の彼氏の出所も見えてるし 自分には何も出来ないっていう所で じゃああの女を殺そうって感じだろうか ニシくんの気が紛れる話をしよう、で本とか薬の話をしようとしてニシくんがそんな話かって諦めた感じになってたの「君は僕のことを全然知らない」って思ってそう お前が隠してるからだろ なんか2人とも自己肯定感0だから2人で幸せになるんじゃなくてお互い離れても平気、で別離するのが本当の幸せなんじゃないだろうか… ヤダヤダ!2人には一緒にいてほしい! 離れても平気になってもそれでもお互いが好きになって欲しい!!! ラブラブ和姦してニシくんはヒガシくんが実は快楽にめちゃくちゃ弱くてドスケベな事にびっくりして欲しいし ヒガシくんはニシくんからスキンシップ受けて安心するようになってほしい たまに徹夜するんで寝ててくださいって言われて(2人で寝るのに慣れてしまったのに)ニシくんは勝手だ…………とか言って拗ねてほしい
ヒガシくん、アプリの「それってニシくんを無視してるって事だろ」がめちゃくちゃ良かったのと ガスの時の流れのノリかもしれないけどニシくん以外は…みたいな事いってたのでヒガシくんもニシくんの事性的な意味でも好きだと思うんだけどなあ ただやっぱり母親の彼氏に性器をからかわれてたりしてるから 確実に「お前らホモじゃないのか」みたいな事は言われてると思うんだよな〜…… もしかすると「ニシくんと結婚する」みたいな事言ってしまって、さんざん男同士はおかしいとかなじられたのかも 悲しい……
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takahashicleaning · 1 year ago
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TEDにて
ドナルド・ホッフマン:我々には現実がありのままに見えているのか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
認知科学者のドナルド・ホッフマンは、大きな謎の解明を試みています。我々の脳は現実の世界をあるがままに認識しているのか?それとも、必要に応じて変更が加えられているのか?
彼はこのちょっと驚かされるトークで、我々の心が現実をどのように再構築しているかのかという、彼の考えを紹介します。
あるシミュレーションを行いました。そこでは、生物が生きるための資源を求めて競争します。現実を全て論理的に見れる生物、一部だけが論理的に見れる生物、現実が全く見えず、適応だけが可能な生物。
社会の常識に反して、勝利したのは、現実を全く論理的に見ることなく、適応していくものだけが、現実を論理的に見る生物を絶滅に追いやるそうです。ダーウィンの進化論を証明しています。
私は神秘的なことが大好きです。科学における最大の未解決の謎に魅せられています。その理由は、おそらく個人的なものです。
その謎とは、我々とは何かということで私はこのことに興味を抱かずにはいられません。
この謎とは、脳の働きと意識体験の間にある関係のことです。ここで体験とは、たとえば、チョコレートの味とかビロードの肌触りといったことです。
これは昔からある謎で1868年にトーマス・ハックスレイは、こう記しています「神経組織が刺激された結果として意識という状態が現れるというのは、アラジンがランプをこすったらジニーが現れることと同じ位、説明不可能で見事なことだ」
もちろん、ハックスレイは、脳の活動と意識体験が関係していることを理解していましたが、その理由については知りませんでした。彼の時代においては、これは謎でした。
彼の時代の後になり脳の活動については、多くの知識が得られましたが、脳の活動と意識体験との関係については、今でも解明されていません。なぜ?なぜ解明が、遅々として進まないのでしょうか?
この問題の解明は不可能だという専門家もいます。我々人類には必要な概念と知性が、欠如しているからだといいます。サルが量子力学の問題を解くことは、無理だと思われるように人類がこの問題を解き明かすことはあり得ないと考えているのです。
でも私はそう思いません。もっと楽観的に考えています。我々が単に誤った仮定を置いているのだと思います。これを改めれば、この謎を解き明かすことが出来るかもしれません。今日は、その誤った仮定が何なのかなぜ誤りなのかどう修正すべきかについてお話ししたいと思います。
まずは、問題を確認してみましょう。我々は現実をあるがままに見ているのでしょうか?眼を開いて1メートル先に赤いトマトがあることを認識します。
その結果、私は、現実に1メートル先に赤いトマトがあるのだと信じることになります。
次に、目を閉じると私の意識は灰色の世界へと変わります。それでも現実には、1メートル先に赤いトマトがあるのでしょうか?私はそう思いますが、間違っているでしょうか?もしかしたら知覚というものを誤って解釈していないでしょうか?
人類は、知覚によって現実を誤って解釈したことがあります。地球は平らであると考えていました。なぜならそのように見えるのですからピタゴラスは、それが間違っていることを発見しました。
次に、我々は地球は不動で宇宙の中心にあると考えました。やはりそのように見えるからです。またもやコペルニクスとガリレオは、我々の考えが間違っていたことを発見しました。
ガリレオは、我々が認識したことを捻じ曲げて解釈しているのではないかと疑いました。彼はこう書き残しています「味、臭いや色といったものは、我々の意識の中にあるものだと思う。だから生物がいなくなったらこういった性質は全て消失するだろう」
驚くべき主張ですね。ガリレオは正しいのでしょうか?我々は経験することをひどく誤って解釈しているのでしょうか?現代の科学による見解は?
神経科学者は、大脳皮質の3分の1が視覚に関わっていると主張しています。あなたが目を開き部屋を見渡す時、何十億という数のニューロンと何兆ものシナプスが関わってきます。
これはちょっとした驚きですね。なぜなら我々は視覚というものは、カメラのようなものに過ぎないと考えているからです。客観的な現実をそのまま写真として撮るのです。
視覚にはカメラのような部分があります。眼球にはレンズがあり眼球の後方に像を写します。そこには1億3千万個の光受容体があるので眼は1億3千万ピクセルのカメラのようなものです。
しかし、これでは視覚に関わる何十億もあるニューロンと何兆にもなるシナプスについて説明できていません。
ニューロンは何のためにあるのでしょう?
神経科学者は、我々が目にする形、物体、色や動きといったものをリアルタイムに創造していくのだと言います。この部屋の写真を撮るようにありのままを感じると思いますが、実際には、見たものを頭の中で構築しているという訳です。
我々は同時に全てを構築しているわけではなく、その時に必要なものだけを構築します。
我々は見たものを構築しているのだという紛れもない証拠が多くあります。2つの例をお見せしましょう。この例では円盤がいくつかあってその一部が取り除かれています。
しかし、この円盤を少し回転すると突然、3次元の立方体が飛び出して見えるでしょう。もちろんスクリーンは平らですから皆さんが経験した3次元の立方体は構築されたものに違いありません。
次の例では、とてもシャープな縁をもった光り輝く青い帯が、多数の点がある面を動いているように見えるでしょう。実際のところどの点も動いていません。フレームから次のフレームに移る時に点の色を青から黒に。または、黒から青に変えているだけです。
でも、これを素早く行うと皆さんの視覚が、シャープな縁をもった光り輝く青い帯が動いているイメージを創造するのです。まだ多くの例がありますが、見たものを構築していることを示す例を2つだけご紹介しました。
神経科学者は更に先を行っていて我々は、現実すらも再構築していると主張しています。
「赤いトマト」なるものの体験においてたとえ現実の赤いトマトを実際に見ていなくとも正確に再構築できる体験なのです。
さて神経科学者は「構築する」とは言わず「再構築する」と言うのでしょう?標準的な理論では、進化論に基づき説明しています。より正確に見ることが出来るようになった我々の祖先は、より不正確にしか見ることが出来ない個体に対し生存競争での優位性がありました。
そのため、彼らはより多く遺伝子を後世に残していきました。我々は、そのようなより正確な視覚をもった者たちの子孫なのです。だから、通常において知覚が正確であると自信を持って言うことができます。これは標準的な教科書に書いてあることです。
ここでは、例えば「進化論的に見て知覚はとても正確でありとても有用である」この概念の背後にあるのは、正確な知覚は適応により進化したものであり、生存競争における優位性があると考えています。
これは本当でしょうか?進化論の正しい解釈といえるでしょうか?まずは自然におけるいくつかの例を見てみましょう。
オーストラリア玉虫は、くぼみがあり艶々とした褐色の虫です。メスは飛ぶことが出来ません。オスは飛ぶことが出来てもちろん魅力的なメスを探し求めます。探し当てると降り立って交尾を始めます。
全く違う種を見てみましょう。ホモ・サピエンスです。この種のオスは巨大な脳を冷えたビールを探すのに利用します。ビールを見つけるとこれを飲みほし、時には瓶をどこかに投げ捨てます。
すると、ビール瓶は、窪みがあり艶々としており程よい褐色をしているので玉虫の興味を惹きます。オスは交尾しようと瓶に群がり本物のメスに対する興味を全く失ってしまうのです。酒瓶に夢中になって女性を放っておく男性の典型的な例ですね。
この種は絶滅しそうになりました。オーストラリアはこの玉虫を救うために瓶のデザインを変えなければなりませんでした。オスは何千年もの間、いやおそらく何百万年もの間、メス探しに成功してきました。現実を見ていたようでそうではなかったようです。
進化の仕組みによりハッキングが起きてしまいました。メスには窪みがあり艶々とした褐色で大きければ、大きいほど良いと!瓶の上で這い回っていてもオスは間違いに気づくことが出来ませんでした。
こう言うかもしれません。玉虫なんて単純な生き物だ哺乳動物ではないからねと。哺乳動物ならこんなトリックには、引っかかったりしないと。これについて詳しくは述べませんが、この写真で想像がつきますね。
ここで重要な技術的な問題が提起されます。現実をそのまま見る性質は、自然選択において本当に優位性があるのか?幸いにも手を挙げて答えを当ててもらう必要はありません。
進化は数学的に精密な理論であり、進化の方程式に当てはめてこの点を検証することができます。
我々は様々な生物が競争する人工的世界を作り上げ、何が生き残り繁栄するかどの感覚系がより適合するのが見てみることができます。
これらの方程式で鍵となる概念は、適応度です。このステーキについて考えてみましょう。これが動物の適応度とどう関係するのでしょうか?腹をすかせて食べ物を探しているライオンにとっては適応度が高まりますが、満腹のライオンが交尾の相手を探しているのならば適応度は高まりません。
ウサギの場合、どんな状態にあってもステーキの適応度は高まりません。適応度はもちろん現実に依存しますが、生物、状態と行動にも依存します。
適応度は、あるがままの現実と���結びつきません。
進化の方程式で中心となる働きをするのは、あるがままの現実ではなく適応度です。
そこで私の研究室では、何十万回という進化のゲーム・シミュレーションを行いました。そこでは多数の異なった世界が、ランダムに選ばれ生物が生きるための資源を求めて競争するのです。
ある種の生物は、現実を全て見ることが出来てまたあるものは、現実の一部だけが見え別のあるものは現実が全く見えず適応だけが可能です。
誰が勝利するのでしょうか?
皆さんを落胆させたくはないのですが、現実を認識するものが滅びます。
殆ど全てのシミュレーションで現実を全く見ることなくただ適応していくものだけが、現実をあるがままに見る生物を絶滅に追いやるのです。
少なくとも進化の向かう方向は、事実と認識の一致や正確な知覚の獲得にはありません。
現実を知覚することは絶滅へと導きます。
これはちょっとした驚きです。世界を正確に見ないことが、生存する上で優位性があるのは、なぜでしょうか?
これは直感に反することです。しかし、玉虫のことを思い出してください。玉虫は単純な視覚のトリックだけで何千年、もしくは、何百万年と生き延びてきました。
進化の方程式は、人類を含めた全ての生物は玉虫と同じルールに従っていることを示しています。
我々は現実をあるがままには見ません。
我々は生存を可能にするために現実を異なる表現で知覚しているのです。
それでもなお我々は直感に頼ることが必要です。
現実をあるがままに知覚することが、なぜ有益ではないのでしょうか?
幸いにもとても参考になるたとえがあります。パソコンのデスクトップのインターフェイスを見てみましょう。あなたが原稿を書いているTEDトークを保存する青いアイコンについて考えましょう。
アイコンは青い色をした長方形でデスクトップの右下の角にあります。このことは、パソコンに保存されているテキスト・ファイルが青く長方形であり、パソコンの右下の角にあることを意味しているのでしょうか?
もちろん、違います。
そんな風に考える人は、インターフェースの役割を誤解しています。パソコンの実際のデータは、そこにはありません。
実のところ、現実は隠されているのです。ダイオードや抵抗器、それにソフトの全データについて知る必要はありません。そんなことをしていたらテキストを書いたり、写真を編集することは決してできないでしょう。
こう考えます。
進化は我々にインターフェースを提供し、現実を隠して適応できるような行動を導いています。
あなたが今、知覚している空間と時間は、あなたにとってのデスクトップであり、物理的に存在する物体はデスクトップ上のアイコンに過ぎません。
明らかな反対意見もあります。
「ホフマン。あの電車が時速約320キロで近づいてきても、それがデスクトップ上のアイコンに過ぎないというのなら正面から飛び込んでみたら?」
理論を道連れに死ぬことになります。でも電車は単なるアイコン以上のものであるに違いありません。
私は電車に飛びこんだりしませんよ。それはアイコンを不注意にゴミ箱にドラッグしないのと同じ理由からであり、アイコンが文字通りの単なるアイコンとは考えていないからです。
ファイルは実際に青色でも長方形でもありませんが、注意深く扱うのは数週間分の仕事を失いたくないからです。
同様に進化は、我々を持続的に生存させるために知覚的なシンボルというものを形作ってきたのです(概念とも言います)
このことを真面目に考えるべきです。ヘビを見たらつかんではいけません。崖に立ったら飛び降りてはいけません。これは我々の安全を保つため設計された仕組みであり、軽視してはいけません。
とはいえ、文字通りにとらえてもいけないのです。そこに論理的な過ちが潜んでいます。
別の反論です。新しい考えではないねと。物理学によれば、強固に見える金属製の電車も実際には微小な粒子が、ほとんど空っぽの空間を飛び回っているだけだとずいぶん前からわかっていた。
新しい考えではないではないか(相転移を考えてないのでこれも過ち)
でも、厳密にはそうではありません。
こういうことです。デスクトップ上の青いアイコンは現実のパソコンそのものではありませんが、ちゃんとした虫眼鏡で近づいて見てみると小さなピクセルが見えますが、これこそがパソコンの現実なのです。
いいえ、まだデスクトップを見ているだけでここにポイントがあります。この微視的な粒子は、なおも時空に存在してます。まだユーザー・インタフェース上の世界であるということです。かの物理学者よりも過激なことを主張しているつもりです。
最後に、こういう反論もあるでしょう。ご覧ください。
誰にでも電車が見えます。だから誰も電車を「構築」しているわけではないのだと。しかし、こちらの例をご覧いただきましょう。この例では誰にでも立方体が見えますが、スクリーンは平らです。だからご覧になっている立方体は、皆さんが構築したものなのです。
誰にでも立方体が見えるのは、それぞれの人が見た立方体を構築しているからです。電車についても同じことがいえます。誰にでも電車が見えるのは、各人が構築した電車を見ているからです(共通認識を定義して各人が学んでるから)
全ての物理的に存在する物体について同じことが言えます。
我々は、知覚というものはあるがままの現実を覗く窓のようなものだと考えがちです。進化論は我々の知覚に関するこの考えが、正しくないと主張します。
現実は3次元のデスクトップのようなもので現実の世界の複雑さを隠ぺいし、適応的な行動をとるように設計されています。知覚する空間がデスクトップであって物理的に存在する物体はデスクトップ上のアイコンに過ぎません。
我々は地球が平らであると考えてきました。そのように見えるからです。次に地球は宇宙における不動の中心であると考えました。そのように見えるからです。
でも我々は間違っていました。知覚は誤解されていました。時空と物体は、あるがままの現実であると信じています。進化論は、またもや我々が間違っているのだと主張します。我々は知覚による体験を誤って解釈しているのです。
我々が目で見なくても存在している何かがありますが、それは時空でも物理的な物体でもありません。
体験する時空や物体を否定することは、玉虫がボトルから離れることと同様に難しいことです。なぜでしょう?我々は本当のところが、見えていないことに対し盲目だからです。
それでも玉虫よりは優れていることがあります。それは科学と技術です。望遠用のレンズを通して眺めることにより、地球は現実の世界における不動の中心ではないことを発見しました(他人の検証が絶対に必要)
また進化論を注意深く考察することで認識する時空と物体が、現実の真の姿でないことも分かりました。私が赤いトマトと表現するものを知覚によって体験する時、現実との作用が起りますが、現実は赤いトマトとは全く異なるものなのです。
同様にライオンやステーキなるものを知覚により体験する時、現実との作用が起こりますが、現実は(見たままの)ライオンやステーキではありません。
ここに問題を見てとることができます。脳ないしニューロンによって知覚的な体験をするとき現実との作用が働きますが、現実は脳やニューロンによって構築されたものではなく脳やニューロンの構築物とは全く異なったものです。
現実は、それが何であれ世の中の原因と結果の元となる真の存在であり脳やニューロンの構築物ではありません。脳とニューロンには原因を引き起こす力は無く、我々の知覚的な体験や行動そのものを引き起こしません。脳やニューロンが構築するイメージやその方法は種に依存します。
概念も同様です。
概念も同様です。
このことは意識の謎の解明にどの様な意味をもたらすでしょうか?新しい可能性の道を開くことでしょう。例えば、現実は我々に知覚的な体験をもたらす、複雑な機械のような物なのかもしれません。個人的には否定的ですが、探究する価値はあります。
現実は意識を引き起こす元となるものが作用する巨大なネットワークなのかもしれません。単純な様でも複雑であり、個々に認識的な体験をもたらします。実際のところ聞くほどには、奇妙なアイデアではありません。私が研究を進めている分野です。
しかし、ここに重要な点があります。ひとたび我々がとても直感的な。しかしながら、誤った現実の本質に関する仮定を捨て去れば、生命の最大の謎を探求する新しい手法が切り開かれるのです。
現実というものは、もっと魅力的でこれまでに想像し得なかったような予想外のものだと分ると信じています。
進化論は非常に大胆なアイデアを提示しています。知覚とは真実を見ることではないと認めましょう。子供を持つようなものです。ところで、このTEDのサインですら皆さんの頭の中で構築されたものですよ。
どうも有難うございました。
クリス:ここにいるのが現実のあなたなら。どうも有難うございました。多くのことを教えて頂きました。まず気になったのは、進化は現実を重視しないと知ってとてもがっかりする人もいるだろうということです。
つまり、人々の全ての努力が、少々損なわれることになり我々が有する能力によって真実を見出せるというあなたの理論も含んだ考え方の妨げになるのでは?
ドナルド:私の理論が科学の進歩を停止させてしまうのではありません。私が主張しているのは、知覚したものが現実であり、現実は知覚したものとほぼ等しいという1つの理論が過ちと判明したということです。
その理論は間違いでした。こんな理論は捨て去りましょう。だからと言って現実とは何かという他の理論の提示を妨げるわけではありません。理論の一つが否定された事は進歩です。科学は今までとおり進歩します。何の問題もありません。
クリス:だからこの様な理論は、発展するのですね。素晴らしいことです。進化によって理論的な思考力が高められていく可能性があるものとお考えですね?
ドナルド:それは大変重要なポイントです。私が紹介した特に知覚に関するシミュレーションによると知覚は現実を隠蔽すようにデザインされています。
しかし、論理学や数学については、その限りではありません。それを確かめるシミュレーションを行ってはいませんが、少なくとも真実を理解する論理的・数学的な思考への進化論的選択圧が働いていることが示されることと信じています。
私だけでなく我々人類にとって数学や論理学の理解は難しく、十分な理解力を有していませんが、進化論的な選択は少なくとも真の数学や論理学から退化する方向には向かっていません。
我々は脳の各認識能力を一つ一つ調べ、それぞれがどう進化したかを見てみるべきでしょう。知覚に関するしくみは数学や理論学には当てはまらないでしょう。
クリス:あなたの提言はまるで現代版のバークリー司教による世界の解釈のようです。意識が物を生じさせその逆ではないと。
ドナルド:バークリーとは少し異なります。彼は理神論者でした。つまるところ現実というものは神であるといったことです。私はバークリーの考えには与しません。かなり考えが異なっています。
認識現実論と称する私のアプローチはとても異なっています。
クリス:いずれ何時間かかけてこの話を伺いたいところです。どうも有難うございました。
ドナルド:有難うございました。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛��基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
2018年現在では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
要するに、種の保存には、論理よりも直観(仏教で言われる目の前の一瞬一瞬に適応するような・・・)が大切と言いたいように見えます。つまり、創造力です。なぜ?
すべて認識して観ようとすると、脳が自動的に認識しデスクトップ上のアイコンみたいにまとめてしまうから。そこに認識の誤差が生じる?
この認識の誤差というか、微妙な機知みたいなことは、量子力学の現象の認識の方法にも似ています。
ニュートン力学では、実験すれば再現できるけれども、あまりにも小さく人間の眼では、見えない領域の現象は数値化して、そこから見ないと認識できないからです。
量子力学の黎明期に天才たちが、苦心の末に編み出した認識するためのフレームワークでもあります。
でも、現在では当たり前にみんな活用しています。人間のわからないことの限界を破り、わかるまでが一番労力を要することもわかります。
また、目の前にあるニュートン力学レベルの大きさの物質は、腕を動かして触れれば、視覚以外でも触覚でかんたんに認識できます。
しかし、外観イメージのように一部が見えていて、正確に裏側までは見えていないそうです。詳しくはご覧ください。
進化は、我々にインターフェースを提供し、現実を隠して適応できるような行動を導いています。
あなたが、今、知覚している空間と時間は、あなたにとってのデスクトップであり、物理的に存在する物体はデスクトップ上のアイコンに過ぎません。
少なくとも進化の向かう方向は、論理よりも直観や創造力です。事実と認識の一致や正確な知覚の獲得にはありません。
現実を正確に知覚することだけの極端な追求では絶滅へと導くそうです。
直観や創造力で法律、社会システム、宗教、人権、貨幣、アイデア、法人、時間、文字、その他の概念を構築した人類だから、多少の弾力性は必要ですが・・・
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originworld · 1 year ago
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「PS5 Marvel's Spider-Man 2」をトロコン。その価値を抽出して🌴「緑薬灸[全]in複製電脳軍要塞」を1コマ強化しました🫡
今回は始終[[FRIENDLY]]縛り(いやいや、こんなにヌルい条件でやるのはダメだ😅)➡︎ 結局[[[AMAZING]]]縛りでトロコンやりました👍 (なのに難易度、高過ぎてきつかった……しかし頭の体操としてはスカイハイですなあ、YouTube側にライブ配信許可取ってもらう前にストーリーが終わったのですよ😮‍💨)
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初見だからこそ、2回はオールクリアしたい神ゲーだからこそ今回はあえて低めを選択したい気持ちと経験者としての振る舞いを考えて難易度縛りプレイをする。このブランドを楽しみに待っていた…想像以上に面白い👍  メインストーリー以外にも絶対続編出るだろ、って伏線の嵐
前々作の冒頭のようにラスボス級の大物が出てきて捕まった後に残していく不穏な始まりの言葉。操作もまた少し変わって(🟥ヘビーアタックによる回避癖に頼れない難関の場面が多数と🟦叩き付け攻撃を合わせ技として使われるとそれぞれ逆ミスして一気に削られる事があるなど)、慣れてなかったのもあるがサンドマンは今思うとファーストボスとして低い実力をカバーするに相応しい神キャラだった 今作の難易度は俺から見て一番高い(育成特化のプレイをすると最も低くなるが)
序盤である”””””討論家JJJ様(トゥルーグランドの広告塔)”””””という男性を救急車に乗せて救ったのたが、””””B(バグ)の家族達””””より可愛くて笑った💛☺️🧡。これは当然の事で、悪堕ちさせられたのは仕方ないとしても淡い性欲が歪んでニヤつきながらチェリンボを噛みちぎって食い尽くして葉っぱ🌱の部分だけぴらぴら捨てるサドビッチーズも中には存在するようじゃあ”””野比のび太君”””には綺麗なケアルガンハートでかなわねえわな(正気に戻ったら[[あの子に酷いコトしちゃったんだ。だって私の両手は、真っ赤に汚れてるから……]]とか言い出すぞ絶対🥵)。しかし知球GrassShining3(メノス・グランデ)より遥かに高い隠し階級の””””知球GrassShining3(ヴァストローデ)””””は全員が何があっても凄く善良で優しいのだが、その3割は国外で立場の弱い美少年を買ってから自分の穴で激しく大人の種絞りを繰り返してるからドン引きしてます🤢(地域によっては怪盗と理不尽な性犯罪をなんでも許される法律の電脳世界だから裁けない
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故に新主人公のポケモン達はみ〜〜〜んな貧弱な坂口明や無能な野比のび太君にしか懐かない)。全部自分のキャラクターなのに……ブログ主{{{{本気でホモになりそう🥶}}}} その意味で唯一の拠り所として頼りだったピーターが、後半入った辺りのシンビオートと細胞レベルで同化しかけた時にいじめられてた昔の方がビジュアル込みでマシだと鬱になり、ガッカリしてしまったがそれでも見捨てず勝利に導いてあげて良かった(むしろだからこそ終盤の感動と愛の連続はゲームの賞を総なめしてもおかしくない完成度だったのに同時期に高品質なゲームが大量に発売されたらしく、一つも取れなかったと記事が載ってた時に抱いたんだぜ。大いなる疑問をね🥸)
今更言うが第一章クリアで喜んでたら学校の先生をクビになった主人公。現実の世界に悪影響を及ぼすのはテレビゲームだけじゃなく社会的な偉業を成し遂げる為にもそうなってしまう悲しみが伝わってきますね(日本では正体がバレなきゃ俺みたいな貧乏キモデブハゲでも意外と人生なんとかなるもんだが👍)
最初がポップで終盤に近づくにつれてシリアスな戦闘シーンがメインになるのはネタ切らし少年ジャンプの悪い癖。俺のママゴン受けが良くない 
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だけどグレイグンは話しが進む毎にワイルドな肉体的強さよりも目立ち出したあまりにもカッコ良くて悲壮感0で真面目に”””くれいじーばとるのひと”””だったから信じられないほど初見殺しで手こずったけれど、ハンターの拠点を中途半端にクリアして不穏な家族関係を聞き齧っただけなのに食われて死んでも達成感以外なんとも思わなかった👎🙄(発売前に敵はヴェノムと宣伝されてたのに途中まで本気でこいつが真のラスボスだと思ってたしハンター集団のインパクトある初登場と退場の仕方が自然すぎて褒め言葉以外の感想が出てこない、場面場面が劇場みたいだwww)
このスパイダーマンシリーズのパワー系って尋常じゃなく強い。攻守ともに隙がなくて今作では受けに回らなければ有効打を制限される苦しみはスタイリッシュだからやればわかる(ボス系の方が体力は多いものの、怯みや隙がでかいケースが多くて苦手意識は薄い。{{{嘘です信じられないほど死んでます。というかある進行度以降に負けたら死ぬというか、間接的に全世界ヴェノムエンドってことだよな😭}}}
後からぽやん、と考えてたけどヴェノムが居なかったらピーターは死んでた、その前にハリーも療養中のまま人生の終わり。カケラだけでも生きてて欲しかったなあ…敵も主人公達もお互いに息の根を確実に止めるチャンスは幾度もあった なのに眠らせて生け捕りにしたり悪役なのに罪悪感で殺されようとしたり。何が言いたいかって言うとこのスパイダーマン2、死んだ方が良いゴミクズが一人も出てこないと俺は結論を出した 彼等の心は複雑でやる時は殺る覚悟を決める強さがあるから気付きにくいと感じたけど三作もやればわかる やっぱりトゥームストーンさんもリーさんも優しさに負けてくれたから悪人だった頃の計画に綻びが出来てみんな生きてる 今作は世界を癒したい大いなる理想が産んだ悲��(かなり真面目な話だから色文字を使わない)
ちなみにラスボスとの戦いの最序盤で負けると罵倒か余裕の言葉を吐いてくる今までの敵とは異なる彼等の優しさが伝わってしまう
重大なネタバレするけどハリーさんとノーマンさんはマジでパラレルワールドでも逆ポジ親子なんだね……愛が重すぎる。全くと言っていいくらいろくに強化せずに(無駄にコスチュームを解放して能力値が雀の涙くらいアップしただけ、後に呑気すぎたと反省)エンディングを迎えたから己に失望の連続をした俺はこの新しい過去を乗り越えられた訳で、ヘイリーとの関係がこうなるとは前作で伏線すら立ってなかったから間の抜けた俺に刺激的な🎯ビンゴタイムだった スパイダーマンの平穏な引退式?に人を呼ぶ必要なんて無いところもしっかりと分かってる 大切な家族がいればいい👍
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生命の尊さ度で””””ラオウ様(真主人公)””””と同様に“”””霊猫蒼海ちゃん(永遠の正統派処女童貞)””””を越えた男性⇧””””ハリー・オズボーン(スパイダーマンの相棒)””””
“”””共有緑知(ヴァストローデ)””””みたいに男子児童買春だってしない
“””””獅童正義さん(裏ストチートボス)”””””みたいに傲慢で冷酷な神でもない、ユーモアと才能があって誰も右に出れない唯一無二の青年(黄金の真実)
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現在の所持品➡︎🌴「緑薬灸[全]in複製電脳軍要塞(守護女神ブラックハート様達の魅力にも好影響を与えるアイテムだが、エルンスト・フォン・アドラー様をはじめとする絶対悪のカリスマを強化[特大]する効果も秘めている熱源✖️7コマ) ←実績有りのゲームをオールクリア、ノベルゲー以外(別Ver2)
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防聖孤島「寝たきりで脳だけが生きていて排泄物しか作れなくなってしまった””””ハリー””””の方がこんな”ゴールドバラバズー500”なんかよりずっと価値がある(黄金の真実)。香氣04さんは蜜蜂に刺された被害者の女性が世の中には山程いると思っているし結果的に優れたアイテムを大量にバラ撒く太っ腹な奴だとしても元が卑猥系絶対悪のゴミクズなんかにアルセウスと女性の画像を貼り付けて欲しくなんかないんだ。どれだけ足を引っ張られても愛くるしいのが家族で、こいつらはそれとは他人未満で正反対な性犯罪者(表版仮想大鉱山)でしかないから。可愛い女性なんて必要ない(好かれる事を証明したかったんだよ、なんて悪魔の言う真っ赤な大嘘に騙されないでね)」
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voyagealiledeserte · 1 year ago
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エドゥアール・ルイ『誰が僕の父を殺したか』――翻訳で読めないフランス小説2.
 文学界のグザヴィエ・ドランとでも言える新星がフランスに登場した。男性同性愛者を取り巻く社会状況を、スタイリッシュな文体で記す91年生まれのその作家の名は、エドゥアール・ルイという。
 21歳で『エディーに別れを告げて』という衝撃的な内容のオートフィクションでデビューした彼には、献辞をグザヴィエ・ドランへに捧げ、タイトルも『マイ・マザー J'ai tué ma mère』のオマージュのような短い小説がある。今回はその小説、『誰が僕の父を殺したか Qui a tué mon père』を紹介したい。
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 物語は非時間的で、思い出すままに語り手の父親への想いが呈示される。現在、50歳の父親は妻に捨てられて、フランスの田舎で暮らしている。まだ中年と言ってよいはずの彼は、酸素吸入器なしでは生きることもできず、歩行もままならない。彼がそんな風になってしまったのは、長らく働いた工場で、重機落下の事故に巻き込まれたせいだ。
 若き日の父親は家族に頻繁に暴力を振るい、彼のセクシャリティ――語り手はゲイである――を全否定してきた。この父親にとって何より大事なことは、タフに、男らしく生きることだ。子供時代の語り手がクリスマスに『タイタニック』のVHSを欲しがれば、「あんなのは女のものだ」と否定する。ホームパーティで女の仮装をした息子を恥ずかしく思って無視する。
 語り手はこの父親に対して、複雑な感情を抱いている。それは、父親が彼一人のせいで傍若無人な振舞いをするようになったからではないことを分かっているからでもあるし、この父親にも男らしさで括ることのできない一面があることを知っているからかもしれない。
 ある時、彼は母親に、どうして父を好きになったのかを尋ねる。そこで母親は、父親が香水をつけていたからだという。当時の男性たちが香水をつけることはなかったが、彼の父親はちがったのだと、母親は言うのだ。そうした女性的な仕草も身につけながらも、息子の同性愛や女っぽさを、彼は「ホモ(pédé)」と全否定する。まるで、自分は得られなかった自由を息子がもっていることを、憎しむかのように。
 あるいは、子供時代の語り手の早熟な同情……。クリスマスの日、自宅に停めてあった父親の車はトラックに追突されて、跡形もなく大破してしまう。その車のトランクには、わが子へのクリスマス・プレゼントが隠されているのだ。逃げ去るトラックを必死になって追いかけ、叫ぶ父親を見て、7歳の語り手は泣く。だが、7歳の語り手が泣いたのは、プレゼントが跡形もなくなってしまったからではない。なけなしの給料からプレゼント代を工面した父親の絶望した表情を前にして、通勤に必須の車が消えたことを理解して、彼は泣いたのだ。
「誰が僕の父を殺したのか」――その答えは社会であり、そして社会を支配するエリートたちである。物語の末尾では、シラク、サルコジ、オランド、マクロン……といった政治家たちの名前が、書物の題ともなった問いへの答えとして書き込まれている。背中に障害を負い、もはや歩行も困難になった父親も、生きるためにはまだ働くことを要請される。そんな社会保障が不十分な社会をつくったのは、エリートたちだ。
 16歳で勉学を諦めて、田舎の工場で重労働をするしかなかった一人の男を殺したのは、政治とそれを牛耳る支配階級なのだ。そして、父になった男は酒に溺れ、息子たちや妻へ暴力を振るうしかなすすべがない。実は彼の父親もまた、暴力を振るう親に育てられたのだった――《暴力は暴力の原因であると僕は長らく繰り返してきたが、間違っていた。暴力が僕らを暴力から救うのだ。》
こうした物語内容は、エドゥアール・ルイの実体験が元になっている。ルイは父を憎んでおり、かつては復讐を試みたことが分かる描写もある。しかし、今では冷静に自らの父親が陥った状況を分析し、原因を告発しようとしている。地方に生まれ、ブルーカラーの労働者となった人間が、社会の底部から這い上がることはあまりに困難だ。
《あなたはお金がなかった。あなたは勉学を修められなかった。旅に出ることができなかった。夢をかなえることができなかった。あなたの人生を表わすには、ほとんど否定的な言葉しかないのだ。》
 いわば、この小説はある種の「親ガチャ小説」なのかもしれない。「親ガチャ」問題がもたらす困難は、与えられた環境から抜け出したあとにも残存する。社会の下層に位置する社会階級から上方の別の階級への移動は、貧困・搾取から抜け出す一つの手段であるが、それは自らの元々属していた環境を捨てることにもなるだろう。
 自らが大卒者になることで親との軋轢が生まれることがあるし、階級の移動は過去の自身を否定することにもなるために、単純に喜ばしいことではない。この階級を捨てるという主題をめぐっては、労働者の父親と文学教師の娘の関係を記したアニー・エルノーが先駆者に当たるだろう(『場所』)。さらには近年、哲学者シャンタル・ジャケはこの現象を「階級の移動(transfuge de classe/transclasses)」と名付け、分析もしている。
 エドゥアール・ルイは経歴だけ見れば超エリートに見えかねない。現役大学生の頃にブルデューとフーコーについての論集を大学出版で編纂し、自作小説の出版にこぎつけている。しかも、処女作はベストセラーだ。だが、彼が暴力と差別の蔓延した北フランスの町で育ったことも事実だ。つまり、彼こそが、「階級の移動」を経験した張本人なのだ。
 語り手は先述の通り、父親に対して単なる憎しみとは言えない感情を抱いている。同性愛者で女っぽい自分をあれほど否定し続けてきた父を、語り手は単純に否定することができないでいる。そんな父と息子の関係を切り抜いた本作の後半には、次のような一節が存在する。
《数年後、町から逃げ出してパリに住むようになった時、夜のバーで会った人たちに、家族と僕の関係を尋ねられる。妙な質問だが、彼らはそれを聞いてくる。僕はいつも、父のことは大嫌いだと答えるのだ。でも、それは本当ではなかった。あなたのことが好きなことを自分で分かっている。それでも、あなたを大嫌いだと他人に言う必要を感じてた。だが、どうしてなのだろう?》
故郷と家族を捨て、高みを目指したひとりの青年の抱く苦悩を赤裸々に、本作は描ききっている。
【今回の小説】:Édouard Louis, Qui a tué mon père, Seuil, 2018.
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ysformen · 2 years ago
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ジャニー喜多川の性的児童虐待について
ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。
まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。
ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ルポライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。
『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。
元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(データハウス、1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(データハウス、1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(データハウス、1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(鹿砦社、1996年4月)、 山崎正人は『SMAPへ』(鹿砦社、2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズ、著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテインメントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍繊細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群やグルーミングの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。
1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。
1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。
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togekiss4ss · 1 year ago
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SNOOZER 1998 4 Bernard Butler 天国から降り立った至福のソウル・ミュージック、遂に完成!
BERNARD BUTLER
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by SOICHIRO TANAKA photography by MIDORI TSUKAGOSHI
間違いなく、98年最初の傑作と呼びうる作品が座み落とされた。アルバム「ピープル·ムーヴ·オン」——バーナード·バトラーという類稀なる才能がようやく咲かせた、大輪の花びらである。険しさや激しさとは無縁。勿論、どこまでも気持ちが高揚するアップ·テンボのナンバーもある。だが、基本的には柔らかで、しなやかで、ゆったりとした時間が漂う、極上のソウルフルな作品集である。
■練りに練り込まれた4ピース·バンドのアンサンブル、そこに実に効果的に配置された華麗なストリング���——だが、そんなゴージャスなプロダクションにもかかわらず、バーナード本人の細かい息遣いがそのまま伝わってくるような親密さがここにはある、日当たりのいいキッチンに通されて、入れたばかりのココアを御馳走になったかのような暖かさ。薪が割れる音だけが聞こえる、暖炉のある暖かい居間に招かれて、家族との思い出話をひとつひとつ聴かされているかのような距離感。そして、妻、亡き父親、兄弟達、多くの友人達——バーナード自身と彼の周囲の人々をめぐる大小様々なドラマが平易な言葉で綴られた歌詞。ここはバーナードが招き入れてくれた彼の部屋なのだ。
■「僕が何故、落ち込んでるか聴いてくれるかい?/僕が過ごしていた日々は、ありがちな疑いばかりだったから/そう、僕が夢を語っても、君だって耳を貸しちゃくれなかった」「そう、君はわかってくれてると思ってた/友人達が僕のことを取り合ってもくれなかったってことを/だって、僕は他人のことが少しもわからないんだよ」「でも、最近は僕はひとりじゃないんだ」——アルバムに先立つ2枚目のシングルとしてリリースされた“ノット·アローン”において、バーナードはどこまでもあけすけに歌う。だが、ここで鳴らされているのは、夢、失意、孤独、離別、誤解、強がり、喜び——そんな普通的なものばかりだ。そう、これこそは我々、日常と自分自身の感情に翻弄され続ける「ちっぽけな魂」の主題歌そのものなのではないか?
■バーナード·バトラーは、自分の半径2メートルのありきたりの小さなドラマから「普遍」を生み出した、どこにでも転がっているありきたりの失意と喜び——だが、それが当の本人にとってはとれほどに深刻なドラマなのか? そして、それを細心の注意を払い、目一杯の熱意でもって奏でた時に、それはどれほどに崇高な叙事詩たりえるのか?——アルバム「ピープル・ムーヴ·オン」は、そうした事実を証明してみせた。バーナードに招かれて、我々は自分自身について語りだす。そう、アルバム「ピープル·ムーヴ·オン」は、そんなありきたりのちっちゃな喜怒哀楽に対する祝福で溢れている。
このレコードによって父の思い出が公になってしまうのは、少し哀しい。でも、そのことによって、僕自身の存在を証明出来た気もするんだよ。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくない。そんな思いを父の思い出がサポートしてくれるのさ
ありきたりに生きたありきたりの男が愛した「やせっぽちの息子」だからこそ産み落とせた、どこまでも親密な「至福のソウル・ミュージック」——
マチズモからも、ホモ・セクシャル体験のないバイ・セクシャルからも遠く離れた、奇跡のソロ・デビュー・アルバム『ピープル・ムーヴ・オン』が到達しえた、しなやかさの秘密
●素晴しくソウルフルなアルバムが出来上がりましたね。
「どうもありがとう」
●このアルバムを聴いて、何故、あなたがスウェード時代、あんなにも居心地悪そうにしていたのかがわかったような気がします。というのも——。
「ふう(と、言ったまま机につっぷしてしまう。髪の毛がスープに浸ってしまっているのも気にせずに、ガバッと起き上がり、首を激しく振り続ける)」
●もうスウェードの話はしたくないんですね?
「いや、そんなことは言ってないよ。別にいいんだけどさ。別にいいんだけど……でも、スウェードのことについては散々話し過ぎたから。ねぇ、アルバムの話にしてくれない?」
●ええ、勿論。だって、今日はスウェードじゃなくって、あなたのソロについて話しにきたんだから。
「それなら良かった。うん、もうスウェードの話はしたくないんだ。僕はスウェードでのキャリアを、本当に誇りに思ってるよ。でもさ……でも、もう5年も前の話なんだぜ?でも、ヨーロッパのプレス……特に英国のプレスは、事あるごとにそんな昔の話に固執するんだよ。昔のことだけじゃない。スウェードが何百万枚もレコードを売ったとか、そんな話をするんだ!そんなの僕の知ったことじゃないのに」
●いや、だから、僕が訊こうとしてるのは——。
「(遮って)だってさ、このアルバムはスウェードのレコードに対する反撃でも何でもないんだから……。このレコードは明らかに、今までやってきたことと違うはずだよ。僕の人生の中の、新しい時代の節目にふさわしいものなんだ。歌詞的なアプローチの方法も、個人にすごくクローズアップしていったり、うんと突き放してみていたり、すごく一般的なことに基づいていたり、様々なんだ。そう、これは全て『僕』なんだ。すごく『僕』らしいレコードなんだよ。ここには、いろんな違った角度から『僕』が描かれているのさ。それこそが、僕が常にやりたいと思っていたことなんだ。うん……でも、まあ、君がこのアルバムの中の僕と比べてみて、スウェード時代の僕は居心地悪そうにしてた、と言うのも分かる気がするよ。確かにそうだったかもしれない(笑)」
●うん、そう。つまり、僕が「何故、居心地悪そうにしていたのかが分かった」と言ったのは、このアルバムを聴きながら、「ああ、これこそがバーナードが昔からずっとやりたかった音楽だったんだなあ」としみじみと感じたからなんです。
「ああ、もう本当にその通り。大正解だ。でも、そんなことを言ってくれたのは、君が初めてだよ」
●嘘?本当に?
「ねえ、『ボトム·ドロワー』って知ってる?結婚に備えて、女の子が嫁入り道具をしまっておくたんすの引き出しのことなんだけど。お父さんやお母さんが、お嫁に行くときに持って行かせたいものを、娘のために蓄えておいたりもするんだ。で、これは、そんな感じのレコードなんだよ(笑)。今まで大事に蓄えてきたものがギッシリ詰まってる。なかなか外にひっぱり出すことが出来なかったんだけど、絶好の機会を得て、ようやく陽の目を見ることを許されたのさ(笑)」
●(笑)なるほどね。それで、このアルバムを聴いて最初に感じたのは、ひとつが最初に言ったソウルフルな作品だということ。で、もうひとつが、70年代のソングライター達がやっていたような、すごく「パーソナルな息遣い」が伝わってくる作品だということなんです。
「へえ。なるほど。いいね」
●でも、自分自身の弱さや怖れをも包み隠さずに歌うのは、最初は戸惑う部分があったんじゃないですか?
「いや、僕は隠しだてしたりしないんだ。隠すものなんて、何もないからね。むしろ人間は自分を包み隠したりしないための努力をすべきだと思うよ。ほら、去年出たレコードの大半はマッチョで、アグレッシヴなギター·ミュージックばっかりだっただろ? なんかお高くとまってると言うか、人を下に見てるって言うか。『俺はグレイトなんだぜ!俺はお前らとは違うんだ!』ってね。でも、僕はそんな風に自分のことを考えたくない。それよりも、もっと繊細なものを表現したいんだ。人間関係のことや、離別や、誰かを失うことや、家族のこととかね。僕はそういうものを自分の内側にひたすら溜めているだけなんて好きじゃない。殻に籠りたくないんだ。溜まったら吐き出して、受け入れていかなくちゃ。どんなポジティヴなことも、ネガティヴなこともね。勇気を奮い起こさなきや。『何でこんなことが僕の身に起こったんだろう?』って理由を解明するんだ。それで『きっとそれは僕が物事の悪い面しか見てなくて、考え方によっては良い側面もあるはずなのに、それを見ようとしないからなんだ……』って気付くんだ。それは変化し得るものかも知れないんだから、リスクを負わなくちゃ。それが、このレコードで表現されている僕の感情というか、感覚なんだ。とにかく、このレコードはすごくパーソナルなものなんだよ。だから、どの曲が具体的にどの人について歌っているかは、言いたくない。僕に言えることは、『このレコードは僕の人生にすごく深く関わっているものだし、多分、みんなの人生にも何らかの関係性を持っているだろう』ということだけなんだ」
●なるほどね。実際、あなたは、これまで自分自身のことを「やせっぽちの、ギターを弾くしか能のない男」という言い方をしてきましたよね。でも、この作品さえあれば、そういった自嘲的な言葉で照れ隠しするのではなく、「僕には人を感動させることが出来るんだ!」と胸を張って言えるんじゃないですか?
「そうだね。僕はこのレコードをすごく誘りに思ってるよ。でも、特に、ここ10年くらいは男が怖れや弱さをさらけ出す、なんてことが受け入れられない状況にあるだろ?実際、僕が思うに、男は普通そういうことをレコードの中で表現したりしないんだよ。男っていうのは、いっつも叫び声をあげてなきゃならない。っていうか、いつでも強気で、男らしくて、荒々しくふるまわなくちゃならなかったりするんだ。でも、僕は、終始『俺はグレイトだ!俺は最高だ!俺の書く曲はどれもこれも素晴しいんだぜ!俺はこの世代で、いちばん優れたソングライターだぜ!』なんてふれまわるような人間には興味がないんだよ(笑)。自分の道をまっすぐに、ただ前だけを見て進んでいけばいいのさ。僕はその方がずっと強い生き方なんだと思ってる。実際、怖れや弱さをさらけ出す、って言っても、何もネガティヴで、悲観的な意味かりがこもっているわけじゃないと思うんだ。本当は、もっとずっとポジティヴで前向きなことだと思うんだよ。だって、ちゃんと自分と前向きに向かい合っているわけだろ?で、その先を模索するための一段階なんだからさ。勿論、これは僕の問題であって、他の人にも強要するつもりなんかないよ。でも、もしかしたら僕のレコードが他の人の考え方に影響を及ぼすかもしれないよね。その可能性もあると信じてるんだけど……。だから、このレコードっていうのは、マッチョでもなく、アグレッシヴでもない、でも、強くてしなやかな男の作ったレコードなんだ。前だけをまっすぐ見て、突き進んでいくだめのレコードなんだよ」
●マッチョじゃないってことで言���ば、ヴォーカルという面についても、ニール·ヤングの「囁くような歌い方」があなたに歌う勇気を与えてくれたんじゃないですか?
「う~ん。囁く、っていうのはちょっと違うかな。でも確かに、ニール·ヤングみたいに、ヴォーカルではなくて、表現の一部として歌を歌っているような素晴しい人達っていうのは、技巧に凝らないよね。ビブラートも使いこなせなければ、音階もまともに取れない。でも、何故彼らの歌が素晴しいのかと言えば、ここから生まれたものだからなんだ(と胸をトントンと叩く)。それにいい音符が並んでいれば、つまり良いメロディがあれば十分なんだよね。でも、僕が勇気づけられているとすれば、やっばり彼のアティテュードなんじゃないかな」
●先ほど、70年代のソングライター的なパーソナルな思遣いという話をしたんだけども、逆に、あなたとしては英国人のソングライターに多いキャラクターや物語を設定する歌詞の書き方には、胡散臭いものを感じるんでしょうか?
「そもそもイメージを作り上げようとする点では、大英帝国こそ最も悪しき存在だと思うな。この国は、もう何千年もの間時間を無駄遣いしてる。国民はずっとそれに踊らされて、『大英帝国万歳!』ってやってきた。で、その思想みたいなものが、今の時代になってもずるずると国民の頭の中に残ってるんだよな。こんな小さな国に住んでるもんだからさ、アメリカにプレイしに行ったバンドなんて、すぐ大陸を征服したような気分になってしまうのさ。『俺達はすごい!』ってね。勿論、これは一般的な英国人の考え方であって、僕の意見というわけじゃないよ。僕はそんな考え方には反対なんだ。僕の両親はアイルランド人だから、この大英帝国的な思想は相容れないものがあるし。これがさっきも言った、アグレッシヴな考え方の根底に���っているものなんだ。僕は、僕のレコードを聴いた人達にイメージの刷り込みとか、餌付けみたいなことはしたくないんだ。それよりも、このレコードを聴いてくれた人達と手をとりあって、暖かな雰囲気を感じて貰いたいと思ってる。僕は火になって、誰かを暖めることだって出来るはずなんだ(笑)。まあ、確かに、その英国的なソングライティングというのは、一種のシニシズムのようなものだよね。それと、幻想みたいなものを人はそこに見い出しているんじゃないかな。というのも、みんな退屈してるからね。退屈な生活、退屈なバックグラウンドを持った人達が、大勢ロンドンにやってくる。特にロンドン郊外からね。サリー州やケント州、サセックス州といった場所に生まれ育った若者達は、ロンドンに大都会の幻影を見てるんだよ。『ロンドンに行けばきっとエキサイティングなことが待ち受けてる』ってね。でも、僕もそうだけど、元々ロンドン市内で育った人達は、そんな幻想を持ってはいないからさ。でも、郊外で育ってロンドンに来た人達は、そういう幻想を持ってる。すごく奇妙な、ロンドンのアンダーグラウンド·シーンを発掘するのに執着するんだ。むしろ僕は自分のレコードには、退屈ならその退屈をそのまま表現したいと思ってる。下手な幻想を描くのではなくてね。まあ、こういうことはロンドンに限らず、世界中の大都会に共通する風土病みたいなものなんだけど(笑)」
●なるほどね。
「諸悪の根源は、あのブリット・ポップだった。まあ、中にはいいのもあったけど、そういう地味だけどいいレコードよりも、もっとくだらないけど華やかなレコードばっかりが売れて、そういう連中だけが大金持ちになっちゃったんだよね。ヴァーヴとか、レディオヘッドとか、そういう素晴しいバンドは黙ってベンチに座ってるだけだった。僕もそうだった。でも、最近になってやっと状況とクオリティが一致してきたように思うんだ。でも、やっぱりあの時代というのは、失望させられてばっかりだったよ。まるでロンドンのイメージー=ユニオンジャックの旗、赤い2階建てバス(笑)っていう、あのステレオタイプのイメージがそのままロンドンのミュージック·シーンに持ち込まれちゃったんだ」
●では、今も話に出たレディオヘッドのトム·ヨークのような人は、自分しか気が付かないような、自分自身や世界の問題点をえぐるように見つめて、それを克服するために創作に向かっていますよね。
「僕、彼のことが本当に好きなんだ。尊敬に値するね。レディオヘッドの曲を聴くと、いつでもついつい歌詞に目がいってしまう。歌詞カードを読む、数少ないバンドのひとつだね(笑)。でも、ああいうダウンな歌詞で曲がものすごく良いバンドって、本当に少ないと思う。そこが彼らのすごいところなんだ。曲がとてもいいから、その曲と詞の相乗効果が素晴しくて、詞そのものがまるで詩歌みたいに響いてくる。世界で最高のバンドのひとつだね。それは疑いようがない。興味深くて、曲が素晴しくて、声が美しい。そして、歌詞が本当にいい。自分達の過去を忘れてしまって、最初からビッグなバンドだったような顔をしないのがまたいいよね。彼らが最初にレコードをリリースした時、この国の誰も彼らに興味を抱かなかった。『ザ·ベンズ』をリリースした時だってそうさ。でも、半年経った頃に、ようやくみんながあのアルバムの良さに気付き始めた。ファッショナブルだとさえ言われるようになったんだから。最初は誰の目にも留まらなかったものが、今では10年来の傑作レコードにまで成り得たのさ。その辺が、僕が『ロンドンのミュージック·シーンはクズだ』と言う所以なんだよ」
●ところで、あなたのソングライティングについてもうちょっとお訊きしたいんですけど、やはり今作に収められた作品のソングライティングの過程というのは、自分自身の弱点やダークな部分と向き合って、それを克服していく過程でもあったんでしょうか?
「うん、そうだね。ただ、向き合って、というのは確かにそうだと思うけど、克服っていうのはちょっと違うな。克服というよりも、『ポジティヴなやり方で自分自身を表現している』と言ったほうが適切だと思う。僕は決して紙と鉛筆を持って、じっくり腰を据えて曲を書くようなタイプではないからね。ただテープレコーダーを回して、思いついたフレーズをランダムにそこに放り込んでいく。アイディアをとっ散らかったままとにかく録っておくのさ。頭の中はいつも混沌としていて、いろんな考えや感情がぐちゃぐちゃに渦巻いている。それを簡潔な言葉で説明することなんて出来ないはずなんだ。なのに、一旦レコードになると、ちゃんと簡潔にその意味がまとまっているんだよね。自分でも不思議でしょうがないんだけど(笑)。それで、レコードをじっくり聴き直してみて、ようやく自分自身の考えていたことが解ったりするんだよね。曲作りは、本当にそんなふうな自然発生的なものなんだ。予めプランを立てておくことなんて出来ない。いや、出来たらどんなにいいか、って思うんだけどね(笑)。だけど、やっぱり駄目なんだよね」
●では、今回、ソングライティングの過程で、本当の自分自身と向き合う時、最も苦痛を伴ったのは、具体的にどんな部分だったか数えて下さい。
「そうだな……僕の父親についてのラインを書いている時かな。このアルバムには、全体を通して僕の家族についての描写がたくさん出てくるんだけど、時々胸が苦しくなったりしたね。タイトルや、そういったフレーズに引用されているのは、妻との会話や、何年も前の僕の家族との対話だったりするんだ。まあ、中にはテレビの中の会話からとったものもあるけど(笑)。僕は、基本的に、そういう具体的な会話を引用するのが好きなんだ。政治的なメッセージ性のあるタイトルなんて付けたくないからね。僕は本を読まないからさ。知識なんかよりも、もっと自分のイマジネーションや、頭の中にあるもの、感覚的なものを大切にしたいと思ってるんだ。とにかく、家族のことを曲にするのは、いつでも苦痛を伴う作業なんだ。でも、そこにこそ僕のエモーショナルな部分がいちばん生かされているとも思うし、ポップ·レコードに、もっと深い感情を与えてくれる存在でもあるんだよ。それに、父親や、祖父や、先祖の思い出は僕に残された遺産だと思うんだ。で、その遺産を僕も残していきたいと思ってる。そう、運命みたいなものだね。それに自分なりに折り合いを付けていくのは、エキサイティングなことでもあるんだ」
●実は、この作品を聴いて、かつてあなたがあなたのお父さんについて語った素晴しい言葉を思い出したんです。「自分はごく平凡なとても素晴しい人をひとり知っている。君達にはなんの意味も持たないかも知れないけど、僕にとってはとても大切な人だった。その人はとても幸福な当たり前の人生を生きて死んだんだ」って言葉を。
「ああ、そうなんだ……うん……彼はね、そう、とても平凡な人だった。ごくごく当たり前の人生を送っていたよ。人生を通して、何か特別なことをしたわけじゃない。9時から9時まで退屈な場所で働いて、夜は毎晩テレビを観て、お金の工面をして、ごくまともな死に方をしたんだ。特別に楽しいことがあったわけじゃないんだろうけど、月明りの頃……死の直前にはそれなりに残りの人生をエンジョイして死んでいったと思うよ。その父の思い出がレコードをリリースすることによって公になってしまうのは、僕にとってちょっと哀しいことでもあった。でも、それと同時に、彼の思い出を公にすることによって、僕自身の存在を証明出来たような気がするんだよ。僕自身がここに居る、その事実と理由をね。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくはない。そんな思いを彼の思い出がサポートしてくれるのさ。そう、父はとても博識で、機転が利いていて、ウィットに溢れた人だった。でも、誰も声を大にして、彼にいい仕事にありつく機会を教えてはやれなかったんだ。君や、僕のようないい仕事にね。まあ、これって世代的な問題でもあるし、それだけのことなのかもしれないけどね」
●うん。でも、このアルバムさえあれば、あなたは彼の遺志を継いだ、素晴しい息子だという証明が出来ますよ。
「(笑)そうだね。父がそう思ってくれることを願うよ」
●先行シングルの“ステイ”は、どこかお父さんに捧げられた部分もあるんじゃないかと思ったんだけど。
「いや…… 。特にそういうわけじゃないんだ。でも、もしかしたら、潜在的にそんな思いもあったのかもしれないね。正直なところ、どういうふうに君に説明したらいいのか分からないんだけど。この曲は、『変化』について歌われたものなんだ。僕は、人が他人に『君は変わるべきだ』『君はもっと先に進まなくちゃいけない』なんて言ってるのを見ると、イラついてしまうんだ。だって、言われた方は、彼らが変わらなくちゃいけないことも、彼らが本当に先に進みたいと思っていることも、ちゃんと分かってる。それと同時に、そのことがどんなに難しいことかも分かっているんだから。でも、一日の終わりには、必ず『やっぱり自分は変わらなくちゃいけない』って思うんだ。それって、すごく絶望的な光景だと思うんだよね。変化の過程というのは、いつでも恐怖や失望を伴うものだし、違う場所に到達するのって、フラストレーションに常に苛まれるシチュエーションなんだよ。感情的にも不安定で、すごく傷つくことなんだ。実は、この曲のフレーズは、ちょうど僕がレコーディングに入る前に知人の女の子に言われた言葉でさ。彼女は僕が先に進まなくちゃいけないことも分かってるのに、僕にそんな風にばかり言ってて…おまけに、自分は進もうとしなかった。自分も前進しなきゃいけない、って分かってるのにさ。このことは、“ステイ”の前の曲 …なんだっけ、アルバムの9曲目」
●え~っと “ユー·ハヴ·ゴット·ホワット·イット・テイクス”ですね。
「その曲も、このことについて歌われたものなんだ」
●そうなんだ。なるほど。じゃあ、アルバム·タイトルにもなっている『ピープル·ムーヴ·オン』というタイトルは、そうしたあなたの人生における変化に対する認識が現われたものなんでしょうか?
「これも、もともとは毎日の対話の中から出てきたフレーズなんだ。でも、ちょっと違うのは、これは自分自身の対話というところなんだよ。『何でこんなことが起こるんだろう?』、『何でこんなことが自分の身に起こったりするんだろう?』という問いかけから生まれたものなんだ。自分の頭の中に渦巻いている、人生そのものに対する問いかけだね。このフレーズが最初に閃いた時、僕はウェストエンド(ロンドン中心街)で新聞を売ってたんだ。何年も前の話さ。で、人がただ、流れていく。流れていく。流れていく。土曜日の夜で、みんなはクラブに繰り出すために、流れていたんだ。僕は、それをじっと観察してた。自分勝手に彼らを批評してたわけさ。クラブへ向かう時にはお洒落して、皆すごくスマートに決めてるだろ? でも、帰りには口紅は剥げてるし、髪の毛はめちゃめちゃだし、あられもない格好になっていたりするんだ(笑)。そういう流れ行く人の立ち居振る舞いを、批評することだって出来るし、それを経験の一つとして自分に取り込むことも出来るんだ。そういうのって、ただの行きずりの人についても、大切な人についてもそれは同じことだと思うんだ。過去に一緒にプレイしたことのあるミュージシャンだって、一緒に仕事をしたことのある人だって、関係を持ったことのある人だって同じことさ。僕の中には、他人は自分の中を通りすぎて行く存在に過ぎないという思いがどこかにあるのかもしれない。勿論、その中には僕を救済してくれる人も、僕のイマジネーションをかきたててくれる人もいる。2度と会わない人もいる。「ピープル·ムーヴ·オン」というのは、人が自分の中を流れていく、まるで旅するように来ては去っていくシチュエーションをイメージさせるフレーズだと思うよ。このレコードも、そんな旅のようなものなんだ。色々な人や、色々な経験がこのレコードを通り抜けていくのさ」
●なるほど。で、このアルバム全編には「許し」が漂っていると思うんですよ。あなた自身、このアルバムを作ることで、憎しみや怒りという感情から解放されて、とっても清々しい気分になったんじゃないですか?
「いや、どうだろ……最初から『許し』があったというよりも、先に『評価/判定』があって、その結果から君はそう感じたんじゃないかな。勿論、ネガティヴな評価の場合もあるよ。で、そういう人間関係を自分の経験則として蓄積することが出来るんだ。そういうことだと思う。そう、それと『ビーブル·ムーヴ·オン』というタイトルには、もう一つ別の意味があるんだ。それは、『頼むぜ!動いていこうよ!』ってことなんだ(笑)。『進んでいこう、イマジネーションを最大限に使って、音楽に関する知識をうんと生かして、動いていこう、進んでいこう!』ってことなんだ。まあ、つまりは、レコードを作ろう、ってことなんだけど(笑)。スピリチュアライズドやレディオヘッドといったバンドは、それを本当に上手にやってのけたと思うよ。彼らはこの国の音楽的な財産にきちんと敬意を払いながら、全く同じことをやるということに、プレッシャーを感じてる。違和感を感じてるんだ。『お、これいいね!頂戴しよう』って上手く過去の音楽スタイルを取り入れながら、最新型のオリジナルを創り出しちゃうんだからね!すごく革新的だよ。こういうのを、アート·ワークって言うんだと思う。いろんな人から影響を受けて、それで今度は自分達がリスナーやオーディエンスに影響を与えてる。動き続けているのさ」
●うんうん。じゃあ、あと少しだけ。“ユー·ライト·ザ·ファイア"の穏やかなムードというのは、あなたの家庭のムードそのものの反映なんでしょうか?
「いや、というよりは、これは今現在の僕自身の状態についての曲なんだ。父が死んでから数年の間、僕は兄弟達と全然連絡を取り合っていなかった。でも、ちょうどアルバムの最後の曲のヴォーカル·トラックを録っていた時なんだけど、兄弟が僕をスタジオに訪ねて来てくれてさ。なんだかすっかり歳とっちゃったみたいに見えたけど、もうとても嬉しくてさ。つまり、レコーディングが一区切りついたところで兄弟が激励に来てくれたんだよ。その時っていうのが、すごく暖かな気分だったんだ。その後も、僕にも子供が出来て、兄弟にも子供が出来て、母が孫を見に来てくれて、良い時期が続いてる。すごく暖かくて、素敵な、ポジティヴな時間が続いていることを歌っているのさ」
●うんうん。でね、ちょっと気になったのは、このアルバムを聴く限り、あなたってちょっとジェラシーが強すぎる男性なんじゃないかな?って。
「ジェラシー?いや、僕としてはそんなことないと思うけどな。良く分からないな、その質問は」
●OK。じゃあ、ここ数年のあなたの活動を見て、最もやきもきしていたのは、あなたのワイフなんじゃないかと思ったんだけどーー。
「え、どういうこと?彼女が僕の音楽活動を気に入ってなかったってこと? それとも、全然働いてないことを怒ってたかってこと?」
●違う違う!だって、ここ数年、音楽活動の面であなたは色々と紆余曲折してたじゃない?
「ああ、分かった。そういうことか。うん、僕の奥さんはね、すっごく素敵な女性なんだよ。アハハハ。いやいや、とにかく、音楽のことに限らず、色々心配はかけてると思うな。僕は結構肝心なことを言わなかったりするもんだから、彼女はそれをどうにか理解して、問題を解決しようと努力してくれてるんだ」
●じゃあ、“ユー·ジャスト·ノウ”は、彼女との関係の中から生まれた曲なんでしょうか?
「そう、僕は彼女のことを何でも知りたがるからね、まるで子供みたいに(笑)。というより、彼女が僕を理解してるのかどうかを知りたがってしまうんだ。ほら、子供って何でも根掘り葉掘り訊きたがるだろ?『どうしてそんなこと知ってんの?それってどういうこと』ってさ。小さい時には誰でも、『なんで今夜サンタクロースが来るなんて判るのさ?』って両親につっこんで、困らせたりするじゃない。もちろん親はそれには答えられないんだけどね(笑)」
●でも、それって、あなたがジェラシーの強い人だってことも関係してるんじゃない?
「ああ。なるほど。それは良い見解だね(笑)。そうか。そうなのかも。ハハハ」
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renneiscent · 2 years ago
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A fujoshi that fall in love with a boy who is gay. I really love the cinematography in this movie.
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moko1590m · 1 month ago
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いた
150万年前のアフリカで異なる2種の初期人類が同じ場所で共存していたことが足跡から判明 記事の本文にスキップ 著者牡丹堂・パルモ 公開:2024-12-02・更新:2024-12-02  アフリカ、ケニアで発見された150万年前の足跡によって、2種の初期人類がまったく同じ場所、同じ時代で共存して生きていたことが明らかになった。  一緒に暮らしていたことが明らかになったのは、「ホモ・エレクトス」と「パラントロプス・ボイセイ」だ。 広告の下に記事が続いています  いずれもすでに絶滅しているが、とりわけホモ・エレクトスは私たち「ホモ・サピエンス」の直接的な祖先であるため、今回の発見は彼らの暮らしぶりについて新たな洞察をもたらしてくれる。  異なる初期人類(化石人類)が共存していたという証拠は、彼らが何らかの形でお互いに交流していただろうことを物語っているという。 数時間差で同じ場所につけられた2種の人類の足跡  東アフリカでは足跡の化石がたくさん発見されている。  例えば、タンザニアのラエトリ遺跡では、約360万年前につけられた「アウストラロピテクス・アファレンシス」(ルーシーの化石で有名)の足跡が見つかっている。  だが今回、ケニアのトゥルカナ湖国立公園群内にあるコービ・フォラで発見された足跡には、注目すべき特徴があった。  それは、2種の二足歩行動物がほんの数時間差で同じ場所を歩いたことで残されたと考えられる点だ。  化石人類(現在ではすでに化石化してその人骨が発見される過去の人類)である、「ホモ・エレクトス」と「パラントロプス・ボイセイ」である  コービ・フォラでは、300万年ほどの間にアウストラロピテクス属2種とヒト属4種が暮らしていたことがわかっている。  ただし、それらの化石は不完全かつ断片的なものであるため、彼らが同時期に暮らしていたのかどうか確かなことは不明なままだった。  ところが、新たに発見された足跡は、少なくとも2種がまったく同じ時代に住んでいただろうことを示しているのだ。 この画像を大きなサイズで見る 左:ワシントン DC のスミソニアン自然史博物館の人類起源ホールに展示されているホモ・エレクトスの成人女性の顔の復元模型((Wikipedia)、右:パラントロプス・ボイセイの法医学的顔面復元((Wikipedia) ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイ  コービ・フォラの足跡は、複数種の足跡が8mに渡って続いている。1人の人物は、12個ほどの足跡を残しており、また別の人物のものが3つあった。さらにすでに絶滅した大型コウノトリの足跡も一緒に保存されていたという。  3Dイメージング技術による分析では、足跡を残した人物の足の形と動きの特徴が明らかになっている。  まず3つだけ残された足跡の人物は、土踏まずが高く、まず踵を着いて次につま先を着くといった現代人に似た足運びが見られた。  こうした特徴から、体形も大きさも現代人によく似ていたホモ・エレクトスの足跡だろうと推測されている。 この画像を大きなサイズで見る ホモ・エレクトスの足跡 /Image credit: Kevin G. Hatala, Chatham University  もう一方の足跡は、ずっと平らで、踵よりもつま先が深く着地していた。また、親指がやや広がっており、現代人の足の親指のように他の指に沿っていなかった。 この特徴からは、親指がほかの指から離れていたP. ボイセイのものであることがうかがえる。 この画像を大きなサイズで見る パラントロプス・ボイセイの足跡 / Image credit: Kevin G. Hatala, Chatham University  これらの人物が男性なのか、女性なのか、それとも子供だったのかはっきりとはわかっていない。 だがパラントロプス・ボイセイの靴のサイズは大体26.5cm、ホモ・エレクトスは22.5~24.5cmくらいであるそうだ。 この画像を大きなサイズで見る ホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイの足跡の3Dモデル / Image credit: Kevin G. Hatala, Chatham University チンパンジーとゴリラの関係に似ていた?  こうした足跡が示しているのは、今から150万年前、この地域ではホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイが共存していただろうということだ。  ただし彼らがお互いにどう思っていたのか、どのような交流があったのかはわからない。友好的だったのか、敵対的だったのか、それとも無関心だったのか、確かなことは不明だ。  だが、今回の論文著者である米国チャタム大学の古人類学者ケビン・ハタラ氏は、両者の関係は、チンパンジーとゴリラのようなものだったのではと考えている。この2つの種は、良くも悪くも、互いに交流している姿が確認されているという。  それでもホモ・エレクトスとパラントロプス・ボイセイの足跡がほぼ同じ場所にほんの数時間差でつけられたことを考えると、両者は想像以上に身近な存在だったのではないかと想像される。  「彼らが互いを目にしたとき何を思ったのか、そしてどのように交流したのかを考えるのは楽しいですね」と、ハタラ氏は述べている。  この研究は『Science』(2024年11月28日付)に掲載された。 References: 1.5 million-year-old footprints reveal our Homo erectus ancestors lived with a 2nd proto-human species | Live Science / 1.5-Million-Year-Old Footprints Suggest Two Ancient Human Relatives Walked Together | IFLScience 広告の下にスタッフが選んだ「あわせて読みたい」が続きます あわせて読みたい ホビットとして知られるフローレス原人の骨が発見され、考えられていた以上に小さかったことが判明 考えられていたより8倍古い。人間の言語は160万年前に誕生したとする説 初期の人類は我々が思っている以上に賢かった。120万年前の黒曜石の道具を作る作業場を発見 人類は78万年前から火を使って調理をしていた。最古の料理は焼き魚 太古のアフリカ大陸では、少なくとも3種の人類が共存していた(アフリカ)
(150万年前のアフリカで異なる2種の初期人類が同じ場所で共存していたことが足跡から判明|カラパイアから)
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giong · 6 years ago
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有洋蔥的BL小說呢!😭👍 //面對自己沒法理解的世界,人們總有將其簡化的傾向。// //你可以逃跑,然而,你沒法徹底逃離自己// //因為弱小,所以這麼做。為了活下去,所以這麼做。倘若不這麼做,一定會被擊潰。// //無論會被誰討厭或是無法獲得他人認同,我希望只有自己一定要愛自己// #她喜歡的是BL不是同志的我 #彼女が好きなものはホモであって僕ではない https://www.instagram.com/p/ByYKz9VBHhz3C0BUFW5bqNqnEcFRYj_QLEKl6I0/?igshid=t06cwztraxdu
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