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#座間市ひまわりまつり
gon-iii · 2 months
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群生の夏
2009年、座間市ひまわりまつり。
どこまでも続くひまわり。
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kennak · 5 months
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今回の報告書で「消滅可能性自治体」とされた自治体は、以下の通り。 【北海道】 函館市、小樽市、釧路市、夕張市、岩見沢市、網走市、留萌市、稚内市、美唄市、芦別市、赤平市、紋別市、士別市、三笠市、根室市、砂川市、歌志内市、深川市、富良野市、登別市、伊達市、北斗市、当別町、新篠津村、松前町、福島町、知内町、木古内町、鹿部町、森町、八雲町、長万部町、江差町、上ノ国町、厚沢部町、乙部町、奥尻町、今金町、せたな町、島牧村、寿都町、黒松内町、京極町、共和町、岩内町、泊村、神恵内村、、積丹町、古平町、余市町、赤井川村、南幌町、奈井江町、上砂川町、由仁町、長沼町、栗山町、月形町、妹背牛町、雨竜町、北竜町、沼田町、当麻町、比布町、愛別町、上川町、上富良野町、和寒町、剣淵町、美深町、音威子府村、幌加内町、増毛町、小平町、苫前町、羽幌町、遠別町、浜頓別町、中頓別町、枝幸町、豊富町、利尻町、美幌町、津別町、清里町、小清水町、訓子府町、佐呂間町、遠軽町、湧別町、滝上町、西興部村、雄武町、大空町、豊浦町、白老町、洞爺湖町、むかわ町、日高町、平取町、浦河町、様似町、えりも町、新ひだか町、士幌町、広尾町、池田町、豊頃町、本別町、浦幌町、釧路町、厚岸町、浜中町、標茶町、弟子屈町、白糠町、羅臼町 【青森県】 青森市、弘前市、八戸市、黒石市、五所川原市、十和田市、むつ市、つがる市、平川市、平内町、今別町、蓬田村、外ヶ浜町、鰺ヶ沢町、深浦町、藤崎町、大鰐町、板柳町、鶴田町、中泊町、野辺地町、七戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、大間町、東通村、風間浦村、佐井村、三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村 【岩手県】 宮古市、大船渡市、久慈市、遠野市、一関市、陸前高田市、釜石市、二戸市、八幡平市、奥州市、雫石町、葛巻町、岩手町、西和賀町、平泉町、住田町、大槌町、山田町、岩泉町、田野畑村、普代村、軽米町、野田村、九戸村、洋野町、一戸町 【宮城県】 石巻市、気仙沼市、白石市、角田市、登米市、栗原市、蔵王町、七ヶ宿町、村田町、川崎町、丸森町、松島町、七ヶ浜町、大郷町、色麻町、加美町、涌谷町、女川町、南三陸町 【秋田県】 能代市、横手市、大館市、男鹿市、湯沢市、鹿角市、由利本荘市、潟上市、大仙市、北秋田市、にかほ市、仙北市、小坂町、上小阿仁村、藤里町、三種町、八峰町、五城目町、八郎潟町、井川町、大潟村、美郷町、羽後町、東成瀬村 【山形県】 鶴岡市、酒田市、新庄市、上山市、村山市、長井市、尾花沢市、山辺町、中山町、河北町、西川町、朝日町、大江町、大石田町、金山町、最上町、舟形町、真室川町、大蔵村、鮭川村、戸沢村、高畠町、川西町、小国町、白鷹町、飯豊町、庄内町、遊佐町 【福島県】 会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町 【茨城県】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、潮来市、常陸大宮市、稲敷市、桜川市、行方市、鉾田市、城里町、大子町、美浦村、河内町、八千代町、五霞町、利根町 【栃木県】 日光市、矢板市、那須烏山市、益子町、茂木町、市貝町、塩谷町、那珂川町、 【群馬県】 桐生市、沼田市、渋川市、藤岡市、富岡市、安中市、上野村、神流町、下仁田町、南牧村、甘楽町、中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、東吾妻町、片品村、みなかみ町、玉村町、板倉町 【埼玉県】 行田市、秩父市、越生町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村、神川町、寄居町、松伏町 【千葉県】 銚子市、勝浦市、富津市、八街市、南房総市、匝瑳市、香取市、山武市、いすみ市、栄町、神崎町、多古町、東庄町、九十九里町、芝山町、横芝光町、白子町、長柄町、長南町、大多喜町、御宿町、鋸南町 【東京都】 檜原村、奥多摩町 【神奈川県】 三浦市、中井町、山北町、箱根町、真鶴町、湯河原町 【新潟県】 小千谷市、加茂市、十日町市、村上市、糸魚川市、妙高市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、胎内市、田上町、阿賀町、出雲崎町、湯沢町、津南町、関川村、粟島浦村 【富山県】 氷見市、南砺市、上市町、入善町、朝日町 【石川県】 七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町、 【福井県】 大野市、勝山市、あわら市、池田町、南越前町、越前町、高浜町、若狭町 【山梨県】 都留市、大月市、韮崎市、上野原市、甲州市、早川町、身延町、南部町、富士川町、道志村、西桂町 【長野県】 大町市、飯山市、小海町、佐久穂町、立科町、長和町、阿南町、阿智村、平谷村、天龍村、上松町、南木曽町、王滝村、大桑村、木曽町、生坂村、筑北村、小谷村、坂城町、高山村、山ノ内町、木島平村、信濃町、小川村、飯綱町、栄村 【岐阜県】 美濃市、瑞浪市、恵那市、山県市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、揖斐川町、池田町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村 【静岡県】 熱海市、下田市、伊豆市、御前崎市、牧之原市、東伊豆町、松崎町、西伊豆町、川根本町 【愛知県】 津島市、新城市、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村 【三重県】 尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町 【滋賀県】 高島市、甲良町 【京都府】 宮津市、京丹後市、井手町、宇治田原町、笠置町、和束町、南山城村、京丹波町、与謝野町 【大阪府】 富田林市、河内長野市、柏原市、門真市、泉南市、阪南市、豊能町、能勢町、岬町、太子町、河南町、千早赤阪村 【兵庫県】 洲本市、西脇市、加西市、養父市、朝来市、宍粟市、多可町、市川町、神河町、上郡町、佐用町、香美町、新温泉町 【奈良県】 大和高田市、五條市、御所市、宇陀市、山添村、安堵町、三宅町、曽爾村、御杖村、高取町、上牧町、河合町、吉野町、大淀町、下市町、黒滝村、野迫川村、十津川村、下北山村、上北山村、川上村、東吉野村 【和歌山県】 海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、紀美野町、かつらぎ町、九度山町、高野町、湯浅町、広川町、美浜町、由良町、みなべ町、日高川町、白浜町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町 【鳥取県】 岩美町、若桜町、智頭町���八頭町、大山町、日南町、日野町、江府町 【島根県】 雲南市、奥出雲町、津和野町、隠岐の島町 【岡山県】 玉野市、笠岡市、井原市、高梁市、新見市、備前市、真庭市、美作市、久米南町、吉備中央町 【広島県】 竹原市、府中市、安芸高田市、江田島市、安芸太田町、神石高原町 【山口県】 萩市、長門市、美祢市、周防大島町、上関町、田布施町、平生町、阿武町 【徳島県】 鳴門市、小松島市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、佐那河内村、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、上板町、つるぎ町、東みよし町 【香川県】 さぬき市、東かがわ市、土庄町、琴平町 【愛媛県】 宇和島市、八幡浜市、大洲市、四国中央市、西予市、上島町、久万高原町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町 【高知県】 室戸市、安芸市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、東洋町、奈半利町、田野町、安田町、北川村、本山町、大豊町、いの町、仁淀川町、中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町 【福岡県】 嘉麻市、小竹町、鞍手町、東峰村、添田町、川崎町、みやこ町、築上町 【佐賀県】 多久市、玄海町、大町町、白石町、太良町 【長崎県】 平戸市、松浦市、対馬市、壱岐市、五島市、西海市、雲仙市、南島原市、東彼杵町、小値賀町、新上五島町 【熊本県】 水俣市、上天草市、天草市、美里町、和水町、小国町、産山村、高森町、山都町、氷川町、芦北町、津奈木町、多良木町、湯前町、相良村、山江村、球磨村、苓北町 【大分県】 佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、杵築市、豊後大野市、国東市、姫島村、九重町、玖珠町 【宮崎県】 串間市、えびの市、高原町、国富町、諸塚村、椎葉村、美郷町、高千穂町、日之影町 【鹿児島県】 枕崎市、阿久根市、西之表市、垂水市、曽於市、南九州市、三島村、さつま町、湧水町、錦江町、南大隅町、肝付町、大和村、喜界町、天城町
【全744自治体リスト】「消滅可能性自治体」を一挙公開…北海道から鹿児島まで 出産年代の女性人口が半数以下に 日光市や草津町も  |FNNプライムオンライン
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bastei · 26 days
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 植生、昆虫類になぜだか嫌味がない。現在のアパートの踊り場で死んでいる蝉や不意に現れる蛾などには明確な嫌悪感を抱くが、故郷の往来で空薬莢のごとく死んでいるカナブンにはどこか見慣れたところがあり、生来からの親しみを覚える。郷愁の正体は得体の知れている生態系にあるかもしれない。虫は路上で死に絶え植物は跋扈する。私のように数年単位で町から町へ移動していると人生の半分を過ごしたこの場所以外に、これから先の暮らしで郷愁を覚えることはないだろう。
 この汽車は日常の雑事のなかへと私が戻っていく汽車である。私のほかには先刻ホームの長椅子で隣に座っていた老婆が遠く対岸の優先席へ腰掛けているのみで、線路と車体が触れ合う規則的な音が車内へこだましている。老婆と目があって会釈をする。汽車に乗る前に、私はこの老婆が土産に買っていたお菓子の箱を地面に落とすのを見た。退屈な会話に巻き込まれることがわかっていながら私はそれを拾った、という仲である。聞けば昨日まで町を挙げてやっていた祭りを見たくて故郷へ戻ってきたのだという。私はその祭りに参加して囃子を演奏したり運行に携わってたのだからその点は悪い気がしなかったが、それ以上のことを知ったところでどこか気まずくなる。まだ往来で死んでいるカナブンの方がどこか気楽に思われて、私は再び単調な景色に視線を移している。
 電車はなく燃料で駆動する汽車である。遠方で回転する風車との距離について考える。たとえ三角関数を知っていても、どこかの長さが分からなければその実像は身を結ばない。それでもこうして暫く眺めていられるのだから遥か上空を飛ぶ飛行機のように相当遠くにあるのだろう。その一台ずつに無数の企業であったり、職務へと従事する人がおり、日夜その回転に関わっているということにどれほどの人が気がついているだろう。音もなく悠々と姿を隠していく夕日を背景に見送りながら、このような全能感に掻き立てられることもある。ところがその回転している世の中にかすりもしない小市民が現在の私である。汽車は揺れ、風車は回る。
 退屈凌ぎに読み始めた本に「人間ひとりのすべての細胞が一日に発散しているエネルギーを集約すれば、30Lの水を沸騰させることができる」と書いてあった。私も「スーパーなどで買った大福は冷蔵庫の中で一日ばかり乾かしてから食べるのがコシが出て美味しい」などという発見をどこかに記載したい。
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servant222 · 3 days
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20240924 おさかな市場と海
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久しぶりに仲良しの友達と会った。ひと月程前から予定を合わせて、どこに行くかはいつも前日の夜に決める。天気とか体調とかもあるので割と前日の夜決めるのも悪くない。
同県とはいえ端と端にいるので中間地点で遊ぶことが多いのだが、難点は現地の土地勘が全くない場所ということ。スマホで調べたら色々出てくるから救われているけれど、あの辺りって何かあったっけ?どうやって行くんだ?から始まる。
大体田舎住みの私が車で向かって、都会住みの友達をどこかの駅で拾うというのが通常。今回も行ったことのない駅に向かう。それもまた楽しい。なんとなく電車の到着時間に合わせて家を出るのだけれど、いつもかなりぴったりの時間にその場所に着くから不思議。
おさかな市場に着いたのが昼近くだったので、早速そこでお昼を食べることに。3連休明けの平日だからか、人は少なめ。何軒かある中から迷いながら2階にある食堂にした。電気は薄暗くて窓際の席もいっぱいだったけれど、新鮮な魚でとても美味しかった。日替わりランチというものがやっぱりお得にできているんだろう。友達が日替わりランチ1200円。私が海鮮丼2600円。見た目の差がすごい。
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ご飯を食べた後は、海近くなので堤防沿いを散歩。おしゃべりしながら歩く。日差しはあったけれど風が涼しくて秋が来たなという感じ。
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近況報告、恋の話、いくつになっても変わらない。ひと通り歩いたらまたおさかな市場に戻って甘いものでも♡ということで
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座ってのんびり食べながらまたおしゃべり。尽きません。お土産に干物や塩辛を買って車に乗り込む。最寄駅ではすぐ着いちゃうから寂しいので、乗り換え駅まで送ることに。小一時間のドライブ後、駅に到着。またねーと手を振り合ってお互い帰路に。
楽しかったな。
思えば中学生の頃から仲良くしてるけど、学校帰りにお互いの家に別れる曲がり角で何時間もしゃべってたっけ。その頃から確かに随分大人になった。お互い色んなこともあった。それでも変わらないなっていうところがたくさんある。今でもこうやって会って笑って楽しく過ごせるって本当にありがたい。
とても良い一日でした♪
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xx86 · 2 months
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シンデレラのお姉さん
指定された時間に律子の家に行ったら、律子は既に運転席に座っていた。車内はクーラーがついているのに彼女の額からは玉のような汗が顔から流れていた。開口一番にねえ痩せた?と聞かれる。わかる?お母さんはやつれたって言うんだけど、わかるよ尋常じゃない痩せ方してる、病人の顔をしてるもの、と病人を沢山見てきた彼女に言われ、ああお盆までたくさんもらったリポソームのサンプルを使いまくろうと思った。肌をピカピカにして、ついでに髪もピカピカにしておけば親戚どもにやつれたとは言われないだろう。あいつら太っても痩せても文句言うからな。そういう時、心の中で私はヨジャドル、私はヨジャドルと唱える。痩せて見えるのも太って見えるのもスタイリングの問題よ。
ナビを設定し、運転してもらってる時も一頻り体調の心配をされ、検査してもらったけどスーパー健康って言われたから大丈夫と何度も答える。クーラーの温度も風量もマックスなのに律子の汗が止まらないので、どうしたの、温度下げようかと聞くと、ギリギリまで車内を掃除してたの、汚くないからよかったら礼もドリンクホルダー使ってと言われた。すごい気の入りようだ。私車に人乗せる時にここまで気を遣ったことあったっけと考える。かぼちゃの馬車に乗るシンデレラみたいな気分。そもそも誘ったのが4日前とかだからいけなかったのかもしれない。
豊田市民文化会館には開場の1時間前には到着した。中学校吹奏楽県大会2日目を聴きに来たのだ。私も律子も元吹奏楽部なので、この会場には思い入れがある。ロビーにはそれなりに人がいたので2階席すぐ埋まっちゃうかもね〜と言いながら開場と同時に階段を上ると、びっくりするぐらい2階には人がいなかった。そうか、ロビーで待ってた人達は出演順が早い学校のご家族か関係者だねと律子と唸る。わざわざ顔の見えない2階席には来ないだろう。でも審査員席は2階なので、学生はそこへ向かって演奏する。1階と2階では響きが全く違うので、家族でも関係者でもない、吹奏楽からもとっくに離れた私達は審査員席の横を陣��った。
そういえば最初から最後までコンクールの演奏を聞いたのは初めてだ。私は姉も妹も吹奏楽部で、少しずつ歳が離れているので、各々の大会を観に行くことはあったけど、出演順に合わせて家を出発していたし、当然自分が出演する側だった時は通しで見られる訳もない。
自分が引退した後も吹奏楽のコンクールにはずっと来てみたいと思っていた。でも車を持っていない時分にはホールへ行くのが不便だったし、コロナ禍で入場規制もあった。ようやく通しで聴けて、自由に休みが取れるようにもなるまで卒業してから15年近くかかってしまった。自由曲に選ばれる曲も現代曲ばかりで当然知らなかったし(私達の時代はこぞってメリーウィドウセレクションばかり演奏していた)、課題曲をマーチにしない学校が大半で時代は変わるんだなあと思った。おかげでマーチが来る度律子とやっぱマーチだよね!と老害ムーブをかましてしまった。
演奏がはじまって何より驚いたのは、審査員の先生方がひっきりなしにメモを取っている事だった。先生によるが、学校にもらう先生からの講評は結構テキトーだったから。大変上手でした。ぐらいの先生もいる。最も私達が汚点と言われるほど下手な代だったからかもしれない。現役時代審査員の先生も飽きちゃうからと自由曲を耳馴染みのない曲にしたりしてきたけれど、先生方は真剣でちっとも飽きた様子はなかった。地区大会はまだしも県大会以降は主催が愛知県吹奏楽連盟ではなくなるから、その分ジャッジが厳しいのかもしれない。
最後の結果発表まで見てきたが、私も律子も気合いを込めて拍手をした。部長だけが壇上で証書をもらう。金賞と言われてキャァと嬌声を上げる学校にも、銀賞と言われて沈黙する学校にも。どんな結果でも涙を流せず証書を受け取り、客席に向かってお辞儀をする15歳に割れんばかりの拍手を送りまくった。不思議なもので時代は変わっても先生が変わっても強豪校は変わらない。きっといいレッスンの先生がついてるんだろうね、と話しながら帰った。
律子と早めに夕食をとる。駅前が居酒屋しかなくて、まあここならおつまみ以外もありそうだし、とやっと探し出した17時から空いている店に入ろうとすると、お酒頼まないと嫌がられたりしないかなと心配していた。なんというか、本当にこの人は普段気を遣いすぎて倒れたりしてないか心配である。ちなみにその和食居酒屋はお酒を頼まなくても嫌な顔ひとつされなかった。高い刺し盛り頼んだからだろうか。
親戚にされた酷い話をツマミにこれ笑って欲しいんだけど、という度にごめんね、ごめんね、と謝られ、次第には涙を浮かべられた。それはちょうど兄に容姿を未だにいじられるのがすごく不快だけれど、私は甥と姪の前では兄を悪く言わないで、数少ない兄との素敵なエピソードをかき集めて甥と姪には話していると言った時だった。だって嫌でしょう。自分の大好きなパパが悪く言われてるのを見るのなんて、と言った時だった。あなたがそんなふうににこにこ気を遣ってしまうのは私のせいだね、ごめんね、と泣くのだ。嫌だ泣かないでよ全部終わった話でしょ、と言いながら私も少し泣いた。
律子は私の姉だ。私は自分の姉と17歳から24歳になるまで口を聞かなかった。理由は分からない。あの時聞いても教えてくれなかった。17歳の時、何度か話しかけても無視された。無視、は私が1番トラウマであったこと、前々から感情の起伏が激しかった姉にほとほと疲れていたのもあり、私も心のシャッターを閉めた。家族もうるさい親戚も誰もその事について触れられないぐらい、7年間私たちの仲は張り詰めていた。
子供だったから仕方なかったのだ。傷ついたのはお互いさま、喧嘩両成敗と思うし今こうして仲良くやってるならなんでも良いじゃんと思うのだけれど、姉はそう思っていない。妹を傷つけ、人の顔色を伺う可哀想な子供にしてしまったと悔やんでいる。7年間の溝は私より姉の方がずっと深く感じているのだろう。律子と会う度初デートの彼氏より細やかに不器用に気を遣ってくれる。罪滅ぼしだ。
きっと被害者でいるより加害者でいたい人なのだろう。姉が謝りたいなら私は謝罪を何度でも受け入れる。でも結局それって、私はずっと被害者になり続けるということで。さだまさしの償いみたいな。島本理生の君が降る日みたいな。
最後は笑って楽しい話をして、東海大会も一緒に行こうと約束した。またかぼちゃの馬車で連れていってくれるらしい。ラッキー。
私と姉は、私が17歳になるまで仲良しだった。だからこそ空白の7年が無ければどうなっていたのか気になるし、空白の7年があったからこそ今ぎこちなくとも上手くやれてるのかもしれない。
私達はどの道あの頃には戻れないのだから、新しく作っていくしかないでしょ。何度でも。
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hachikenyakaiwai · 11 months
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【かいわいの時】天正十四年(1586)九月二十五日:山科言緒(阿茶丸)、中島天神社の流鏑馬を見物(山科言経『言経卿記』)
天満宮では、九月二十五日の秋大祭に流鏑馬式がある。伝承によると明治以前には、射手が拝殿に一七日間参籠 し、当日は飾馬に乗り、鏑矢を持ち、社殿を三度回ってから、表門の前から浜の間に立てられた三ヵ所の的を射たという(『新修大阪市史 4』)。旧暦。現在は10月25日。
大阪天満宮における流鏑馬神事の起源は定かではありませんが、豊臣秀吉の時代に天満に居住した公卿・山科言経の目撃証言(息子が見物)があります。
天神社ニ今日ヤフサメ有之、四条・阿茶丸寸見物云々、哥仙新造懸之、願主津田ト眞也云々(天正十四年九月二十五条)。東京大学史料編纂所編纂『大日本古記録 言経卿記二』より。
その後、一時途絶えたようですが、元和元年(1615)に松平忠明が大坂城主として入城後、幕命により乗馬を神事に供したことがきっかけで復活(伝)。延宝八年(1680)刊行の大坂の年中行事を案内した一無軒道冶の『難波鑑』には、馬上から矢で的を射る「天満天神の矢ふさめ」の挿画入りで解説されています。
此日天神の御神事也。則やふさめあり。是は天満天神の門の前に。茶屋あり。茶屋のあるじの式として。としこと是をつとむ。まづ七日以前より。拝殿にあらこも志きて。通夜いたし。精進潔斎して。其日にいたれバ。あたらしきなをしはかまに。袖くくりあかき鉢巻して。かさりたる馬にのり。ゆミとかふらやを。左右の手に取とり。社檀をのりめくること三度それより。逸散をかけいだし。宮の前浜手九町を三反のりかへすあいたに。六所に角のまとを立て。是を射る也。手綱もとらず。手をはなちて。弓射ゐる間。逸足かくる馬を。つゐに落さることハ。此天神の御はからひといとたふとし(「天満天神流鏑馬 ��二十五日」)。『浪速叢書 第12』「難波鑑 第五」より。
しかし、江戸後期になると、様子が変わっています。享和元年(1801)、大坂の銅座に赴任した幕臣・大田南畝の『葦の若葉』には、現在と同様に馬上から半弓で的を打ち破る様子が記録されています。
九月二十五日、晴天滿天神の秋祭にて、流鏑馬の神事ありと聞て、御社にまうづる道々に矢來結ひわたせり、神主社家に知る人ある物を伴ひたれば、神社の拜殿に登る事を得たり……やゝありて肩衣袴きたる男、馬に乘て門前の西の方より出て大路を南へ濱の方迄かけおふ事、一度してかへれり、是を馬場見せといふ、やがて的板三本を大路の東の方三所へたつ、乘るへき馬を拜殿の階下に引立つ、社家の白衣きたるが垂多く持出て、厩人に渡す、口取馬の頭につく、社家拍子うちて、細に切たる紙をちらして入る、緋縮緬の小手袖きて〔金絲にて縫たる丸き紋を付〕黄なる皮の行騰に似て、短き物はきたる若き男、弦なき弓と矢を持〔初の馬場みせ乘たるものにあらず〕拝殿の幕の內より出て、神前にぬかつく、社家盃を傳ふ〔神酒なり〕ついたちて、騎射笠のこときものを着て馬に乘り、拜殿の前なる棚のもとを、東より西にめくる事、三度にして門を出づ、此時門の内人あまた立込たれば、棒持たる男先に立て、打拂〃〃行く、門を出て西の方に入て、大路を南へ濱の方まて馬を走しむ事三度なり、一度〃〃に例の的札持たるもの、大路の方三所より的差出すを、弓のはずもて打ば、的持たるもの、的を破りて引く事都合九度なり、此間神主社家ともに、拜殿の階上に座し事終りて退く、此馬にのる男は、例年山本屋といへる市人なりといふ(『葦の若葉 巻三之下』)。吉川弘文館『蜀山人全集 巻1』より。 
その出で立ちは、南畝の描写とは細部で違いはありますが、芳梅の『滑稽浪花名所』で見る事ができます。
(写真)芳梅「滑稽浪花名所 天満天神」1857-58(ボストン美術館蔵)
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gobangiri-news · 5 months
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4月23日(火)完成披露舞台挨拶付先行上映会オフィシャルレポート!
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このたび、映画『碁盤斬り』の豪華キャストが勢ぞろいし、4月23日に完成披露舞台挨拶付先行上映会を開催いたしました!本作は、草彅剛さんが冤罪に貶められた浪人・柳田格之進役に挑み、時代劇を初めて手掛けることとなった『孤狼の血』の白石和彌監督との強力なタッグが実現した感動のリベンジ・エンタテイメントです。本日は、草彅剛さん、清原果耶さん、中川大志さん、奥野瑛太さん、音尾琢真さん、市村正親さん、斎藤工さん、小泉今日子さん、國村隼さんというオールスターキャストと白石和彌監督が登壇した舞台挨拶を実施しました。撮影中のエピソードや、映画の内容にちなんで《リベンジ》したいことなどについてトークが展開され、大盛り上がりの舞台挨拶となりました!
寡黙な武士、柳田格之進を演じた草彅さんは、舞台挨拶冒頭から満面の笑みを浮かべ、充実感を漂わせました。撮影以来となる共演者との再会をよろこび、「みんなのグルーヴがすごくいい!」とニッコリ。自分の持っているものすべてを出し切れたと話した草彅は「幸せな環境で映画が撮れました」と報告し、大きな拍手を浴びました。撮影現場は作品に関わるすべての人、職人のこだわりが詰まっていたとし「みなさんのおかげで(格之進を)ちゃんと演じられました。代表作になったと思います!」と役を演じ切ったと胸を張っていました。格之進の娘・お絹役の清原さんは「現場で草彅さんを見かけるたびに、“父上”という気持ちになって。格之進として佇んでいらっしゃって、とても支えられました」と感謝。父・草彅さんの背中を「追いかけられたらいいな、支えられたらいいなという思いで見つめていました。草彅さんのおかげでお絹ちゃんとしていることができたと思います」との清原さんの言葉に草彅さんは「その言葉、一生大事にします!忘れません」と返し、父娘のほっこりトークで和ませました。萬屋の亭主・萬屋源兵衛役の國村さんは「タイトルにもあるように碁盤を挟んだシーンがたくさんあります。碁がテーマでもありますが、碁のシーンを通して、格之進の性格を伝えていくという意味合いもある作品です。碁のシーンで格之進の中身が変わっていくのを感じられると思います」と笑顔でアピールしました。萬屋の手代・弥吉役の中川さんは「すごくピュアで真っ直ぐな武士の子。小さい時に源兵衛に拾ってもらい、息子のように育ててもらった青年です。映画の中で起きる事件に大きく関わるという役どころ。囲碁がベースになっていますが、とても親近感のある、身の回りで起きるような出来事を描いた作品です。弥吉のポジションは苦しいけれど、応援したくなるような弥吉になればいいなと思いながら演じました」と役作りを振り返りました。音尾さんが演じた萬屋の番頭・徳次郎はトラブルの発端となる役どころでいわばトラブルメーカー。中川さんが「あの人のせいです!」とトラブルを引き起こした音尾さんを指さすと、「トラブルを起こして申し訳ありませんでした」とお詫び。中川さんと音尾さんのトークのコンビネーションで会場を沸かせました。撮影現場で印象的だったのは座らない草彅さんの姿と明かした音尾さんは「神経が研ぎ澄まされているのでしょうか。本番に合わせてググッとフィットしていくために、研ぎ澄まさせている姿を見ていました。今日は現場と違ってかなりふわっとしています」と撮影中とイベントでの草彅さんのギャップを指摘。音尾さんのコメントに「ありがとうございます、高倉剛です」と撮影現場で座らないことで有名だった高倉健さんになぞらえ、キリッとした表情を見せ笑いを誘った草彅さんは、座らない理由について「5秒で眠くなっちゃう(笑)。みんなよく眠くならないよね。僕は夜10時には寝るけれど、座ると眠くなっちゃうんだよね」とマイペーストークを展開し、会場を笑い声でいっぱいにしました。すべてのキャストと絡みがあった草彅さんは、撮影中のエピソードを次々と披露。音尾さんについては「ずっと写真ばっかり撮っているカメラ小僧」とニヤリ。「この話でいいの?」と確認しつつ、カメラトークは止まらず、中川さんに至っては音尾さんにすすめられたカメラを購入したことも明かされました。自身のトークの順番だったにも関わらず、どんどん共演者とのエピソードを話し続ける草彅さんに時折ツッコミを入れ笑わせた音尾さんはしっかりと作品に触れる場面も。「いい役をもらいました。今年も白石監督にお歳暮を送ります」と白石監督作品常連の音尾さんならではのおなじみのフレーズで盛り上がりました。國村さんとの共演シーンを振り返ると、「春のシーンだったけれど、実はすごく寒くて。映像では綺麗に映っているけれど本当は寒いんです!」と草彅さんが撮影時の裏話を暴露。國村さんが「きっと寒かったんやろうな、って思いながら観てください」と舞台挨拶後に鑑賞予定の観客に呼びかけると、草彅さんは「僕(格之進)と國村さん(源兵衛)のラブストーリーにも注目してください!」と本作のおすすめポイントを伝えました。格之進と因縁のある武士・柴田兵庫役の斎藤さんは「ずっとかっこいい!」と大絶賛の草彅さん。「佇んでいるだけですごくクール。なんでいつもそんなにかっこいいだ、チクショー!という気持ちを込めました」と対峙シーンへの意気込みを解説し笑わせました。町の親分・長兵衛役の市村さんについては「すごく気遣ってくれる大先輩」と感謝した草彅さん。「いつも元気ですごい。役者として見習いたいので、健康法を教えてくださいと訊いたら、親が元気なので、と言われて(笑)。遺伝だからって。元も子もない!」と大先輩からのアドバイスを期待しましたが、まさかの回答があったことも明かし、笑い飛ばしていました。彦根藩の藩士・梶木左門役の奥野さんについては「ずっと途方に暮れていた」と撮影現場での様子をレポートした草彅さん。共演者全員との撮影を振り返り「僕はみんなと交流があったので!」と一緒のシーンがなく、今日が初めての顔合わせとなるキャストへの気配りで、いろいろなエピソードを公開したと説明しました。「役柄としては非常にクソ野郎です…」と小声で話した斎藤さんの役作りは「正義への考え方」だと解説。正義の反対は悪ではない。もうひとつの正義という気持ちで兵庫なりの悪を演じたとし、格之進役の草彅さんとは「最小限の動きの競技である囲碁と殺陣。静と動、2つの対峙をやらせてもらいました。どんなに熱を沸騰させた状態でいても、格之進と対峙すると水が変わるというのでしょうか。研ぎ澄まされた空間になってしまう。そういう格之進に静かに鳥肌を立てながら撮影していました」と語りました。このコメントを聞いた草彅は「かっこいい…。“静かに鳥肌を立てながら”っていうセリフもらいます!」とニヤニヤ。これまでの斎藤さんとの共演経験を踏まえ「(対峙の)集大成のようなシーンが撮れました。感謝しています」と深々とお辞儀をしました。演じた役柄について奥野さんは「格之進に常につきまとっている役。格之進が実直で、健気で、武士らしい姿を見せてくれるので、全幅の信頼をおきながら、ただただついていく。彼の背中をただただ執拗に追いかける役です」と独特の表現で分析し笑いを誘いました。草彅とは29年ぶりの共演となった小泉さんは「まだ剛くんが20代前半だった頃。少年っぽさが淡く残っていた時にテレビドラマで共演して。放送が始まって剛くんのキャラクターが人気になって、出番が増えていき、キャラクターが大きくなっていったのを覚えています」としみじみ。「当時から演じることを楽しんでいたし、すごく素敵でした。久しぶりにお芝居を一緒にしたけれど、背中が素敵で。主役としてすべてを背負って引き受けている姿に感動しました。この背中の役に立ちたいと思いながら、お庚という役を一生懸命演じました」と話す小泉さんに草彅は「キョンキョン大好きです!」と答え会場を盛り上げました。さらに草彅は17年ほど前に小泉さんからプレゼントされたTシャツにサインをしてもらったエピソードも明かしました。「和柄で、今回の作品に合っていて。撮影中の2週間、パジャマにしてました、洗わずに(笑)」と付け加え、さらなる笑いを誘いました。「春の撮影で花粉症がつらそうだった」と撮影中の草彅の様子を思い出した小泉さん。すると草彅が「かゆいし、鼻をかむと髭がとれちゃう。鼻をかむたびに(メイクの)直しが入って。それが1番大変だったかも」と撮影時の苦��を明かす場面もありました。市村さんとは「いつか一緒にミュージカルを!」という話で盛り上がったみたいで、イベントで草彅がその話を続けようとしたところで「今日は『碁盤斬り』の話をしましょう!」と市村さんが脱線を防ぐナイスなフォローを見せて会場を笑わせました。本作で時代劇に初挑戦した白石監督は「日本の映画史は時代劇とともに発展しました」と切り出し、「スマホの寄りを撮らなくていいなど、(現代劇とは違う)発見がいろいろとありました。今後もぜひ、時代劇に挑戦したいです」と充実感を漂わせました。こだわったのは江戸時代の光源だとし、限られた光源でどれだけの表現ができるのか、かなり攻めたとも話しました。さらに「普段はフレームからはみ出るような荒々しい映画をと思っているけれど、今回は美しい映画をという思いがありました」と初時代劇への見せ方にも触れ、注目してほしいポイントです。作品にちなみ“復讐したいこと”を尋ねられた草彅さんと清原さん。草彅さんは「今日の舞台挨拶をもう1回やり直したい。リベンジしたい(笑)」と少し俯き、「テレビカメラとかいっぱい入っているのに、どこが切り取られるんだろうと急に不安になってきて…」とここまでの自由なトーク展開を苦笑い。「では、私はそのリベンジを応援します!」と気合いを見せる清原さんに草彅さんは「清原さんはちゃんとしてたよ」と優しく返答。「これだけ(キャストの)みんなが集まるのは最初で最後かもしれないのに…」としながらも「映画をたくさんの人が観てくれたらリベンジできるかも!」と、今後もイベントが開催されることを願いつつ、たくさんの鑑賞を呼びかけるというナイスなPRで大きな拍手を浴びました。最後の挨拶では本作の宣伝を務める観客に向けて、SNS投稿時の「#(ハッシュタグ)」も発表。「#碁盤斬り」もしくは「#ごばんぎり」とのこと。「漢字は難しいから、ひらがなでもいいです。ご飯じゃないよ、ごばんだよ。このフレーズ気に入っているけど、いまいちウケなくて…」としながらも、最後までしっかりと映画を宣伝し締めくくりました。  
■英語タイトル“BUSHIDO(ブシドウ)”として 4月に開催されるイタリアのウディネ・ファーイースト映画祭のコンペディション部門での上映も決まっております。 さらに、フランスの配給も早々に決定しました。フランスの配給会社、ART HOUSE FILMS(アートハウス・フィルムズ)社の社長エリックさんからコメントをいただきました。 「演出も俳優陣の芝居もとてもいい。この映画は侍映画の伝統を引き継いでおり、とてもエレガントでよくできている」
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xf-2 · 1 year
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目次
子供たちが怖い、放置され無教育
日本人支援者の迷惑、教���が壊れる
教育で未来を変えようとするクルド人学生
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
子供たちが怖い、放置され無教育
【70代女性、川口市上青木在住、取材】
子供たちが怖いです。昼間からウロウロしています。私の知り合いの70代の男性が10歳前後の男の子がゴミを散らかしていたので注意をすると、ピーと指笛を吹かれて、すると男の子たちが集まってにらまれました。何も言えないでいると、唾を目の前で地面に吐かれて去っていったそうです。
近くのショッピングモールで、小さい5歳ぐらいと少し年下の男の子が、泥靴で走り回っていました。「静かにしなさい」というと、流暢な日本語で「僕たちはかわいそうなクルド人です。弟はまだ小さいので何もわからないから許してください」と言われ、じっと見つめられました。そうすると、何もこちらは言えなくなってしまいました。
(私:同じような話がXで書いてありました。誰かが教えているのかもしれません。)
私はXをやっていませんが、誰かが日本人が黙るように教えているのかもしれませんね。「僕は弱者だ」なんて言われると、日本人は何も言えなくなってしまうのでしょう
この地域は、工場の労働者向けの安いアパートが並んでいました。1970年代に建てられたものです。工場が川口から減って人がいなくなって、そうした古いアパートに中国人、最近はクルド人が入っています。
中国人は日本語が話せるのですが、クルド人は日本語を話せないし、生活で態度が悪いので困っています。日本人は高齢者ばかりで、注意するのが怖いので黙って我慢をしています。
隣のアパートにクルド人が、数ヶ月で入れ替わり住んでいます。入れ替わる理由はよくわかりません。時々騒音が聞こえます。女の人は家にこもって、買い物の時しか出てきません。
あるとき若い20歳ぐらいの母親が、子供が病気になったのか救急車を呼んだようです。しかし住所不定で、そして日本語が全く話せないので、救急車は搬送できなかったのです。すると昼間、救急車の前に座って路上で、子供を抱えて大泣きしました。そんな行為より子供を助けるための行動をしなさいとハラハラしました。救急隊員も困りました。私が話を聞こうとしても、聞かずに泣き続けました。泣けば主張が通ると思っているのでしょうか。
すると工事の泥で汚れた作業服の姿のまま夫がトラックでやってきて、片言の日本語で説明し、病院に行ったようです。迷惑をかけた周囲の日本人に、その後、クルド人夫婦から説明もありませんでした。変わった人たちです。日本語を少しでも学び、最低限のルールを知らないと。
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
【40代女性、川口市在住】
娘が高校生です。クルド人の友達もいます。公立小学校、中学校にクルド人、中国人など外国人の子供がいるのですが、日本語の授業が成り立たなくなっています。私の見たかぎり、日本人の子供たちは差別をしていません。逆に外国人の子供に気を使っている話ばかり聞きます。
クルド人を巡っては困った話がありました。あるクルド人の子供(男か女か、小学校か中学校は、私の判断で明示しない。クルド人の児童の特定、学校の特定を避けるためだ)が、クラスで孤立しました。ものを壊してもそのままにする、当番をしないなどの問題行為をしたそうです。同じクラスにいたクルド人の子供も距離を置きました。
すると東京の活動家がそれを聞きつけて、いきなりネットメディアで「クルド人の子供がいじめられている」と報道しました。毎日新聞もいじめと断定して報じました。活動家は学校に怒鳴り込み、卒業式にまで乗り込んできて、カメラマンを連れてきて、パチパチ写真を撮ったのです。公開されないか、父兄も子供も、怖がりました。卒業式はクルド人1人のためのものでも、この人のものでもありません。この活動家は、他の何百人の子供達の卒業式を台無しにしました。
(私:その活動家、イスラム教徒のクルド人の子供たちをクリスマスパーティーに誘って、クルド人に笑われていたらしいです。クルド人のことを知りません。)
変な人なんですね。当事者の生徒の話も聞かず、川口の子供がいじめているという話を日本中に報道するのはおかしいです。日本人の子どもたちは、報道に傷つきました。
クルド人を支援する人は、今は川口市にはほとんどいなくなりました。これだけ迷惑行為をしているから離れて行きました。支援者は「変わった人」扱いです。ただし川口市民の方ではクルド人を差別したり、嫌がらせをする話はありません。逆に外国人に気を使っています。
日本人の子供が今、外国人によって、学校教育で、適切に教育を受けられない状況になっています。外国人が多いと、学校の学習進度がどうしても遅れてしまいます。私の子供は塾でほとんど勉強せざるを得ない状況でした。日本人への逆差別です。ですから、小学校、中学校で私立に行かせようとしている親が多いです。市役所も先生たちも、対応に疲弊しています。国はこうした外国人の教育の現実を知っているのでしょうか。
教育で未来を変えようとするクルド人学生
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【70代男性、川口市】
以前は教師でした。定年後に、外国人に日本語を教える川口市の日本語教室の教師ををしています。
(川口市、蕨市ではボランティア、NPO、また私塾の形で日本語が教えられている。身元をぼかすため、詳細は記さない。)
他の外国人は積極的に日本語を学びにきます。クルド人は来る人が少ないです。クルド人は、ささいなこと、例えば授業の遅刻、また態度の改善を注意しただけで、すぐ怒り出します。根気もなく、すぐに教室に来なくなってしまいます。
他の国の人は合法な居住の人が多く、たいてい日本語がある程度話せます。クルド人は、難民と称して滞在しているので、言葉を学習せずに、日本にやってきます。他の民族の人は日本は好きですが、クルド人は大半が日本のことを知りません。加えて、クルド語もトルコ語も上手に読み書きできないようです。彼らは中学校を出ているかも怪しく、勉強の文化がないと、石井さんが記事に書いていました。納得できました。そのために、日本語も上手くなりません。
ただし、悪い人ばかりではありません。一生懸命学習するクルド人の中学生もいます。同胞や親が、「出稼ぎなのに難民と嘘をついて日本に来ている。それは良くない」と、状況を分かっていました。クルド人が同胞の経営者を儲けさせるために安く働かされたり、変な日本人活動家に利用されたり、弁護士や行政書士などにお金を吸い取られていることも、理解していました。石井さんの報道の通りですね。
この子は、そうした境遇を抜け出すため、また自立するために一生懸命勉強をしています。学校の成績も良いです。私は大学まで行って奨学金を取り、滞在の資格を、仮放免の立場から、留学ビザ、正規滞在に変更することを勧めています。その子も、その意欲があります。
石井さんの報道は正しいと思います。ですがクルド人に取材するほど、彼らに冷たく、厳しくなっていますね。脅迫されたためでしょうか。
(私:そうです。)
あなたの感情は理解できますが、真面目に、頑張る子供がいることは、ぜひ知ってほしいと思います。
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
ようやく川口では人々が「おかしい」と声をあげ、ほんの少しだが状況が変わりつつある。行政が動き、不法行為の摘発が少しだけ始まった。
外国人差別は許されない。合法的に、また日本人と協調して暮らそうとするクルド人、その他外国人とは共生しなければならない。しかし違法行為、違法滞在をする外国人には、法適用をし、速やかに帰国をさせなければならない。その方向に、微々たる動きだが変わりつつある。
暗い話ばかりがクルド人問題で聞こえるが、埼玉県民、川口市民が変化の希望を抱いていることも紹介して、この原稿を終えたい。私にいただいた評価も、少し恥ずかしいがそのまま残しておこう。
【川口市民、メール】
クルド人問題については「おかしい」ということに、私はためらいがありました。私の周囲の川口の住人にもあります。私たち日本人は、小さい頃から「外国人と仲良く」と刷り込まれますから。
そして国とメディアと学校が「ヘイトスピーチはダメだ」キャンペーンを続けていますよね。これはこのクルド人問題では悪い方向に働いて、日本人が物を言えない状況を生んでいるように思えます。
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【埼玉県民、メール】
石井さん、身の危険を感じることと拝察します。くれぐれもお気をつけて取材を続けてください。あなたのような記者がいらっしゃることで、日本のジャーナリズムもまだ死んでないんだ、と思えました。あなたは正義感から川口市に突っ込んで「なんで自分がこんな目に」とぼやいていますし、気の毒と思いますが、そうした勇気が社会を変えます。
記者会見で権力者を怒鳴りつけたり、偉そうなことを言う記者はたくさんいますが、何の役にも立ちません。社会問題を調査し、客観的にそれを私たち国民に伝えることがメディアの役割と思います。しかし、誰も、クルド人問題でやりませんでした。大手の新聞社やテレビはいったい何をしているのでしょうか。
どうぞご自愛ください。川口市の奥富市議とか、心ある人と連携して頑張ってください。私たちの手で、川口、埼玉、日本を守りましょう!
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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patsatshit · 11 months
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレー���咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親��に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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ari0921 · 8 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月27日(土曜日)
   通巻第8107号  <前日発行>
 ミャンマー国軍のクーデターは「西郷なき西郷軍」?
  軍と仏教高僧との融合統治が機能不全に陥ったのではないか
*************************
ミャンマーで「本当は」何が起きているのか?
 大手メディアは投票箱民主主義至上史観だから、本質的なことが見えてこない。
 2021年2月、ミャンマー国軍はクーデターに打って出た。ところが、ミャンマーの民衆が想定外に強く反発し、「民主主義を蹂躙した」として大規模な抗議集会が開かれた。抗議デモに軍が出動、多くの死傷者がでたため国際社会から批判に晒された。
 欧米の傀儡といわれたアウン・サン・スー・チーを支持する人たちは外国のメディアが同情的に報道したので、鮮明に反政府の旗を掲げた。こうなると正義はどちらにあるのか、よく分からない政権運営が続いた。因みに2021年のミャンマー経済はGDPがマイナス18%、通貨は暴落し、庶民は生活苦に喘ぐ。
 クーデターから三年が経った。欧米のメディアの複写機である日本は「国軍=悪」vs「民主主義団体=善」のスタンスを依然として維持している。スーチー政権のときにロヒンギャ70万をバングラデシュへ追い出すと、欧米メディアは一斉にスーチーを「人種差別主義」「ノーベル賞を返還せよ」と猛烈な批判に転じたが、日本はそのまま、ミャンマー国軍批判である。
 この価値基準は「イスラエル=悪」vs「ハマス=善」、「ゼレンスキー=善」vs「プーチン=悪」と、リベラルな西側政治家やメディアが作り上げたフェイク図式に酷似している。ミャンマー国軍ははたして悪魔なのか?
ミャンマーの社会構造は宗教を抜きに語れない。
仏教徒が90%をしめ、しかも上座部(小乗仏教)である。僧侶が800万人もいる。
軍隊は徴兵制で43万人(実態は15万に激減)。
つまりこの国は軍と仏教世界との融合で成り立つ。軍は元来、エリート集団とされ、国民からの信頼は篤かったのだ。それが次第にモラルを低下させ、徴兵ゆえに軍事訓練は十分ではなく、そもそも戦意が希薄である。愛国心に乏しい。
 軍クーデターは伝統破壊の西欧化に反対した政治的動機に基づく。単なる権力奪取ではない。つまり「西郷軍が勝って、近代化をストップした」ような政治図式となるのだが、現在のミャンマー軍(ミン・アウン・フライン司令官)はと言えば、「西郷隆盛なき西郷軍」である。権力は握ったものの何をして良いのか分からないような錯乱状態にあると言える。
 軍人は経済政策が不得手。コロナ対策で致命的な遅れをとり、猛烈インフレに襲われても、適切な対応が出来ず、外資が去り、自国通貨は紙くずに近く、闇ドルが跋扈している。
国民は外国で反政府活動を活発に展開する。国内各地には武装組織が蠢動を始めた。
 ▼まるで「西郷のいない西南戦争」でクーデターが成功した
 西南戦争は『道義国家』をめざし、挫折した。戦略を間違えた。というより勝利を計算に入れずに憤然と立ち上がったのだ。
佐賀の乱、神風連、秋月の乱、萩の乱から思案橋事件が前哨戦だった。城山で西郷は戦死、直前に木戸が病没、大久保暗殺がおこり、明治新政府は「斬新」な政策を実行に移した。しかし行き過ぎた西洋化、近代化。その象徴となった「鹿鳴館」に反対して国学派が復興した。
 ミャンマーの仏教鎮護国家の復活が国軍指導者の目的だった。
しかし彼らは広報という宣伝戦で負けた。都会は西洋民主主義、グローバリズムに汚染され、若者は民族衣装を捨てていた。西洋化は、あの敬虔なる仏教との国ミャンマーにおいてすら進んでいた。
 となりのインドでは巨大なモスクを破壊し、その跡地に大きなヒンズー寺院建立した。竣工式にはモディ首相自らが出席した。
 ミャンマー国軍に思想的指導者は不在のようだ。だからこそ、国軍は仏教の高僧を味方にしようとしてきた。しかし国内的に厄介な問題は同胞意識の欠如である。そのうえ山岳地帯から国境付近には少数民族各派の武装組織(その背後には中国)が盤踞している。中国はミャンマー国軍政府と「友好関係」を維持しているが、背後では武装勢力に武器を供給している。
 主体のビルマ族は70%だが、嘗て国をまとめた君主はいない。カチン、カレン、モン、シャン、カヤ族と、それぞれ少数の武装組織が国軍と銃撃戦を展開しているものの、反政府で連立は稀である。カチン、カレン、モン族は博くラオス、カンボジアにも分散しており、ラオスでのモン族は米軍について共産主義と闘った。敗戦後、17万人のモン族は米国へ亡命した。
 2023年10月27日、ミャンマーの反政府武装組織が初めて三派共闘し、シャン州北部で「国軍」と戦闘、驚くべし国軍が敗走した。国軍兵士数百が投稿した。
 中国の秘密裏の仲介で停戦状態となったが(24年1月26日現在)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、タアン民族解放軍(TNLA)、西部ラカインのアラカン軍(AA)の「三派」の共闘はこれから「連立」となるか、どうか。
この三派以外にも不明の武装組織(なかにはギャング団、麻薬シンジケートも武装している)。なにしろミャンマーは五つの国と国境を接し、130の少数民族がいるとされる。 
 
国境問題の複雑さが問題をさらに複雑にする。ミャンマーが国境を接する国々とは、インド、中国、ラオス、タイ、バングラである。地域によっては少数民族が多数派となる。
西海岸の古都シットウエイはインドとの海路の拠点であり古代遺跡があるため外国人観光客が多い。
チャウピューは中国へのパイプラインがミャンマーを斜めに横切り雲南省へと繋がっている拠点、ここには中国企業が進出し、工業団地を建設中で、ロヒンギャとの暴動になった場所、行ってみる、と放火されたモスクの無残な残骸があった。やや東側の中部、マンダレーは雲南華僑の街である。
旧首都のヤンゴンと新首都ネピドーはアクセスが悪い。マンダレーは国際空港こそ立派だが、翡翠やルビーの商いはほぼ華僑が握る。そうした三都三様の物語が付帯する。
 ▼麻薬王
ラオス、タイ国境に拡がるのが統治の及ばない「黄金の三角地帯」である。
アフガニスタンにつぐ麻薬産出地域で、ギャング団と武装組織と博打場である。治安の安定はあり得ないだろう。
黄金の三角地帯の形成と発展、その後の衰退は国民党残党という闇とCIAの奇妙な援助があり、やがて彼らへの弾圧、そしてミャンマーとタイとの絶妙な駆け引きをぬきにしては語らない深い闇である。
国共内戦に蒋介石は敗れて台湾に逃れたが、南アジアで戦闘を継続したのが国民党の第27集団隷下の93軍団だった。およそ一万もの兵隊が残留し、シャン州をなかば独立国然とした。モン・タイ軍(MTA)は『シャン州独立』を目指した軍事組織で、ビルマ共産党軍が主要敵だった。
国民党残党の軍人とシャン族の女性のあいだに産まれたのがクンサ(昆沙)。
のちに『麻薬王』と呼ばれる。中国名は張奇天で、一時はモン・タイ軍の2万5000名を率いた。軍資金は麻薬だった。
CIAが背後で支援した。アルカィーダを育て、やがて裏切られたように、ムジャヒデン(タリバンの前身)を育てたのもCIAだったように、やがて米国はクンサに200万ドルの懸賞金をかけた。
『麻薬王』と言われたクンサは紆余曲折の後、麻薬で得た巨費で財閥に転じ、晩年はヤンゴンにくらした。2007年に74歳で死亡した。米国の身柄引き渡し要求にミャンマー政府は最後まで応じなかった。
もうひとつの有力部族=ワ族はモン・クメール語を喋る少数民族で、いまワ族の武装組織は中国の軍事支援がある。
 ▼ミャンマー進出の日本企業は、いま
さて安倍首相が二度に亘って訪問し、日本が投じたティワナ工業団地はどうなったか。
ヤンゴンの南郊外に位置し、コンテナターミナルを日本が援助した。しかし国軍クーデター以後、西側が制裁を課し、日本政府が同調したため、日本企業の10%がミャンマーから撤退した。住友商事、KDDIなどが残留しているとは言え、投資のトップはシンガポール、中国、そして台湾、韓国が続く。
日米印の企業投資は実質的にぼゼロ状態だ。
拍車をかけているのが外交的孤立である。ミャンマー軍事政権を支持するのは中国である。背後では、ロシアが接近している。
 仏教界は分裂している。将軍たちと協力し、仏教とビルマ文化の両方を外部の影響から守る必要があるという軍の理念に共鳴した高僧もおれば、「ラカイン州で地元の仏教徒とイスラム教徒のロヒンギャ族の間で暴力的な衝突が起きると、『過激派僧侶』といわれるウィラトゥ師は、「ビルマ仏教はイスラム教徒によって一掃される危険にさらされている」とし、「イスラム教徒経営の企業のボイコット」を奨励した。
 軍事クーデターに反対するデモに参加した僧侶たちも目立った。シャン州北部の主要都市ラショーでは国軍の統治が崩壊した。
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gon-iii · 1 year
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遙かなるヒマワリ畑
2009年、座間市ひまわりまつり。
この時はとても暑くて風もなくて、ひまわりまつりの会場は日除けもなく大変だった。
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kennak · 13 days
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これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。 政府もテコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。 「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。 そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。 なんなら和書が中央ではなく洋書が中央である。日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。 客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数の書店が統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。 「よくわからなくても物理の本を���うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。 全勢力が協力してできた超超巨大書店を中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店。 海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。 税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。 例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国が追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。 どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。 書店と書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人で経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園は読書に最適化されている。 その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。 この街には有名人が毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。 読書家はこの街の付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。 一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街に存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的の人間は異様に目立つようになり警戒される。 街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通の人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。 地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人の言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だったりもあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。 この街の広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。 たとえばベトナム語のマンガの新刊広告なども見受けられていてほしい。 この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有の書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語帳専門店」や「栄養学書籍専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議と利益が出るのだ。 この超超巨大書店圏内部には研究所や大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。 そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原や神田にカレーがたくさんあるようなものだろう。 やや込み入ったところにはマイナーな本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに異国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。 石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所は日本ではここしかない。 しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。 「この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街は地球に必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだが不思議と日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である。 この街では、夜もたくさんの書店が営業している。こんな大きな本屋が24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。 街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分の選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。 富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。 富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。 近隣の都市はこの超超巨大書店都市のおかげで経済効果がある。 この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。 そして、全身の細胞で体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。 取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。 誰か作ってください。 ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し! 書店は兵器です。 追記 ジュンク堂書店など大型書店が潰れかけているのは知っている。 ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」のではない。逆。 大型書店であっても、本が少なすぎるのが問題である。 だいたい日本語の本というのは大して範囲が広くない。 それに「物理本を読む人が少ないから本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。 「物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である。 本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから。 本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである。知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ。 ない側に媚を売っていれば潰れて当然。 「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。 「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。 ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店の重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。 だからこそドカンとぶち上げるのだ。 記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。 自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存の書店をちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。 コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。 自分が言っているのは、数億冊あるような書店群である。つまり、コーチャンフォーやジュンク堂書店や紀伊國屋書店は超超巨大書店(世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である。 世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語や韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学の参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。 地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街が・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店群である。 イメージとしては↓な感じ。 まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちなど誰もいない。不思議な光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。 電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。 降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区域書店」だった。 右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機で販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機の歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。 床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。 改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。 デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージにさようなら」「入門グロッキング」「般若心経の終焉」 ぼうっとしているとハトが飛んできた。ここでは何やら、ハトでさえ賢く見える。予算は5万円だったが、足りるだろうか。 Amazon倉庫でもな��んだって。 なんか全然伝わっていなくてものすごく悲しい。 子どものときに巨大書店や巨大図書館に人生で初めて行ったときとか、論文と大学と研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。 目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。 記号接地問題ともいうらしいが。 いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。 そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。 神田の古本屋街や、既存の大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。 ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリで人間を左右にスワイプするとき、人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。 一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。 自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしまう場所がほしいということである。 それから、実現の不可否はともかくとして、「え、そういう本屋あったらめっちゃいいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と感じてほしい。
ド田舎に世界各国の超超巨大書店が集積する都市がほしい
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mlyzvt-no2157 · 8 months
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一文字の間違いで物凄い意味が違った事
【ご注意】
今回のエピソードは、かなりお下品です。っていうか、ガチで下品です。それでも大丈夫って方なら、どうぞ👇
私が前に勤めていた会社は珍事件の宝庫だった。特に、ユニークで面白いというか個性的(変な人とも言う)が非常に多く、常に誰かがネタを落としてくれていた。
私が新人の頃、嘱託で読書家だったZさんはスペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語を話すマルチリンガルで、若い頃の記者時代はキューバ革命や冷戦中のキューバ危機、コロンビアの紛争など、主にスペイン語圏の中南米の記者だった。そして、かのカリスマ革命家のチェ・ゲバラにも会ったという事で私も含めて若手記者達の目標と憧れでもあった。(ちなみに私は、アル・カイーダのウサマ・ビンラディンに会ってみたかったが、終ぞ、彼に会う事は叶わないまま、ビンラディンは死亡してしまった)
ただ、Zさんはラテン語は物凄く上手なのに、英語は超が付くほどド下手だった。ハッキリ言って、そこら辺にいる小学生や、中学生の方が遥かに英語が上手だろうと思うくらい、英語が下手で、普通に英単語の発音が間違っていたり、ラテン語が混ざっていたりするので、Zさんが使う英単語が何を意味するのか理解出来ない人がほとんどだった。例えば、イギリスのチャールズ皇太子(現チャールズ国王)をラテン語読みで「シャルル皇太子」と言うので、理解できるまで???状態になってしまう事もしばしばだった。
ある日、所属長のMさんと同期のS君と私との3人でのんびり過ごしている時、Zさんが我々の部署にやってきて、私の隣の席(もともと誰も座っておらず、常に空いている)に座り、声をかけてきた。
Zさん「なぁなぁ、みずほちゃん、今暇?時間大丈夫?」
私「暇なわけじゃないですが、立て込んでないので大丈夫ですよ」
Zさん「よかった。ところで、みずほちゃん、『ペニスの商人』って知ってる?」
私は教皇の間に呼び出されたミロのように、思わず、「はっ?」と言ってしまいそうになったのをグッと堪えた。
『ペニスの商人?なんじゃそりゃ????臓器売買のブローカーのことかな???いや、ペニスは臓器じゃないか(👈どうでもいい)...ペニスを除去するのなら、私が子供の頃はモロッコ、今はタイが主流だけれど、何の事だろう???そもそも、ペニスを取り除くって需要があるのは知っているけれど、ペニスが欲しいって需要なんかあるのかな?それとも、私が知らないだけで、ペニスの売買っていう市場があったのかな?しかし、需要と提供のバランスはちゃんと取れているのかな?ペニスを提供する人は何の為に提供するのかな?ひょっとして物凄い高額な市場なのかな?でも、聞いた事ないしな~???』
私の頭の中は疑問符が飛び交っていた。
私が珍妙な表情をして黙りこんでしまうと、Zさんは、「おーい、みずほちゃん、聞こえてる?」っと尋ねてきた。
「聞こえてますよ」
「じゃぁ、返事くらいしてよ」
「いや~、Zさんが仰った『ペニスの商人』って何だろう?って思って、考え込んでしまったんです。『ペニスの商人』って何ですか?臓器売買のブローカーか何かですか?」
「臓器売買のブローカーって恐ろしい事いうなぁ...ペニスの商人は明るい話で、有名な小説だよ。知らんの?」
「小説ですか。初めて聞きました。」
Zさんが、『ペニスの商人』が小説だと言うので、私はそのとき、ふと小松左京さんの『アダムの末裔』という小説の事を思い出した。以下がアダムの末裔の簡単なあらすじである。
ポルノ小説作家である主人公は、恋人と幸せに暮らしていたが、自分の作品がマンネリ化している事に悩んでいた。新しい小説の連載の締め切り期限が近づいているが、一向に新鮮なネタが思い浮かばず、悩んでいるとき、自宅のリビングの飾り棚に物凄く巨大なペニスのオブジェがある事に気付く。恋人と自分の関係もマンネリして、恋人がこの巨大なオブジェを買ったのだろうか?と疑問を抱きながら、主人公がオブジェを見ていると、なんと、そのオブジェが動き出した。ビックリ仰天した主人公は腰を抜かしてしまう。そして、気が付くと、自宅の周りには、その最初に見たオブジェと同じぐらいの大きさのペニスのオブジェが溢れかえっていた。恐れおののく主人公。巨大ペニスの大群が自宅の中を好き放題荒らしていったが、一匹(と言っていいのか分からないが💦)のペニスがネズミ捕りの罠にかかり絶命してしまう。その他のペニスはいつの間にか忽然と消えていた。すると、巨大な人がやってきて、そのペニスはずっと未来の人間の男性の姿なのだと言う。遠い未来、男性の役割は子種を残す為だけのものとなり、進化の過程の一環で、身体はペニスだけとなり、文明の繁栄をもたらす女性は巨大化したのだという。絶命したペニスは未来からやってきた女性に持って帰られ、主人公は男性の未来の姿がペニスだけになるという事い愕然とする一方で、男性で人類の祖先と言われている聖書の「アダム」の「末裔」が「巨大化したペニス」という小説のネタを思い浮かぶ
30年以上前に、親友に借りて読んだ小説なので、あまりはっきりとした事は覚えていないが、アダムの末裔のあらすじはこんな感じだったような気がする。私は、Zさんが言っている「ペニスの商人」と言うのは、ちょっと内容は異なるが、ひょっとして「アダムの末裔」のことではないかと思った。
私「ペニスをテーマにした題材なら、小松左京さんの『アダムの末裔』なら知ってますけど、「ペニスの商人」は初めて聞きました。誰の作品ですか?」
Zさん「ペニスの商人の作者は、日本人じゃなくて、外国人の作家。有名な作家だよ。けど、ボクは作者の名前を発音できないけど、ファーストネームは『ギジェルモ』で、ラストネームは『○×◆□×////』ダメ、ボクは発音できない。しかも、ペニスを売るからペニスの商人っていうタイトルじゃなくて、ペニスっていうのは地名だよ」
私「『ペニスの商人』は、ギジェルモ・ナントカさんって人が書いた小説なんで、ペニスは地名ですか...?」
私の頭の中は益々混乱した。
ギジェルモって誰だろう?有名な外国人作家でギジェルモなんて人はいたかな?トーマス・マン、フランツ・カフカ、オスカー・ワイルド、アレクサンドロス・デュマ、エミリ・ブロンテ、ビアトリクス・ポター、アーネスト・ヘミングウェイ、ドストエフスキー、レフ・トルストイ、チャールズ・ディケンズ、ヘルマン・ヘッセ...やっぱり、ギジェルモって人は知らんなぁ...
しかも、ペニスなんて地名はあっただろうか?一体何処だろう?未承認国家の山の奥地かな?それとも、インドネシアのジャングルの奥地に住んでいる原住民みたいなペニスケースを衣服としている人々の集落かな?うーん、検討もつかない...Zさんは、一体何の何処の場所を言っているんだろう??
私の頭の中は、益々激しく疑問符が飛び交っていた。
私「ペニスってどんな場所ですか?未開の地のジャングルか山奥の原住民が暮らしている集落ですか?アフリカの奥地ですか?それともアマゾンの奥地ですか?もしくは、鎖国している国にある秘境か未開の場所ですか?」
Zさん「違う違う!ペニスはキレイな事で有名な街だよ。そうだな~一番の特徴は、お面を付けるお祭りがあることかな」
私「ペニスには、お面を付けるお祭りがあるんですか?」
Zさん「そうそう!お面を付けた華やかなお祭り!いっぱい観光客が来るよ♪」
私の頭の中はまたもや疑問符だらけになってしまった。第一「ギジェルモ」なんて名前の有名な小説家は聞いた事が無いし、お面を付けたお祭りなんて、ひょっとこのお面にドジョウ掬いぐらいしか思い浮かばなかった。ひょっとこのドジョウ掬いは、島根県に由来する事は知っていたが、私の頭の中で、島根県に『ペニス』なんて地名はない。島根県のドジョウ掬いを、外国の有名な作家が、わざわざ舞台にして小説化するだろうか?ドジョウ掬いの祭を見に行ったことはないが、観光客が押し寄せるとも考えにくい。しばらく考え込んでから、私は再びZさんに尋ねた。
私「お面を付けたお祭りって、もしかして、島根県でやる、ひょっとこのお面を付けたドジョウ掬いの事ですか?」
Zさん「違う違う。そんなんじゃなくて、もっと洗練されたカッコイイお祭!」
私「洗練されたカッコイイお祭りですか。ペニスってお面を付けたお祭り以外にも、何か有名な物ってないですか?」
Zさん「ええっとねぇ。まず、ヨーロッパにあって、観光客が常にいて、車の乗り入れが禁止されていて、アドリア海に面していて、昔都市国家だったときに凄く繁栄していた街。それでね、物凄く街並みがキレイで、世界遺産にもなっていて、ペニスは別名として『アドリア海の女王』とも呼ばれている所!」
私は、『アドリア海の女王』という言葉を聞いて、やっとZさんが言っていた「ペニス」が何処であるかを分かった。都市国家、車の乗り入れ禁止、物凄くキレイな街並み、かつては都市国家として栄光の歴史を歩んでいる、『アドリア海の女王』、これはすなわち、アドリア海に面した運河の街、イタリアのヴェネツィアで間違いないだろう、と。
私「Zさん、ペニスって、イタリアのヴェネツィアのことですか?」
Zさん「そうそう!ヴェネツィア!ヴェネツィアを舞台にしたギジェルモ・ナントカの喜劇小説!」
私「やっと分かりました。ウイリアム・シェイクスピアの『ヴェネツィアの商人』の事ですね」
Zさん「そうそう!その通り!」
ヴェネツィアは、英語読みすると『ベニス』と発音する。Zさんは、英語が恐ろしく苦手な人なので、濁音の「ベ」が半濁音の「ペ」になってしまっていたのだろう。そして、ウイリアム・シェイクスピアのファーストネームであるウイリアムはスペイン語読みで「ギジェルモ」と発音する。『シェイクスピア』をZさんは発音できなかったのだろう。
この後、Zさんとどういう会話をしたか、あまり覚えてないが、チラっとMさんとS君の方を盗み見ていると、PCの画面に顔を埋めて肩が小刻みに震えていた。恐らく我々の会話を聞いて、吹き出したいのを堪えていたのだろう。
私は、Zさんに、ヴェネツィアの英語読みは、『ペニス』ではなく、『ベニス』と発音すると教えてあげるかどうか迷ったが、Zさんに恥じをかかせる事になると思い、黙っておくことにした。
しかし、一文字の違い、しかも濁音か半濁音かの違いで、トンデモナイ意味の違いがあるのだなぁと改めて思った。同じ事を意味のつもりでも、『ヴェネツィアで、仮面を付け、仮装した人々でカーニバルが開催される』と『ペニスで、お面を付けたお祭りがある』では、Zさんにとっては同じヴェネツィアのカーニバルの事を意味していても、聞く方になってみると、全く違うモノを想像してしまう。
一文字の違いが、こんなに大きな意味の違いになってしまうとは、字書きとして、気を付けなければと思った瞬間だった。
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longgoodbye1992 · 1 year
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サイドシートの君
ゆかは旅先で呼んだコールガール。
地元が近いのと趣味が合った事がきっかけで連絡先を交換した。
そしてお盆の帰省のタイミングで会う約束を決めた。
ゆかのいる町まで車で一時間ほど。
来るか来ないかは半信半疑だった。
約束を破るような子では無いと思ってはいたけれど、連絡の返信の遅さがちょっと気になっていて、来なければ来ないでいいやと思っていた。
約束の時間の十分前に待ち合わせ場所に着いて車を停めた。
ゆかに着いた事と車の特徴を書いたメッセージを送る。
来ても遅れるだろうと思い、二十分後に発走する競馬を予想して買った。
既読が着いたのは約束の時間を二分過ぎたあたり。
あと五分くらいで着くらしい。
少し安心した。
それから十分後にメッセージ。
車のナンバーはこれですか?と来て、車の後ろを振り向くと、こちらを見ているゆかと目が合った。
手招きをして助手席に呼ぶ。
ゆかが席に乗り込んでくる。
「すみません」
「久しぶり」
「お久しぶりです」
「元気だった?」
「はい」
「ありがとね、来てくれて」
「いえいえ」
「じゃあ行こうか」
プランを二つ提案した結果、神社に行って近くにある貝出汁のラーメンを食べることにした。
近くのコンビニでコーヒーを買う。
「そうだ、さっき競馬買ってたんだよね」
「そうなんですか」
「一緒に見る?」
「見ましょう!」
一緒に見たレースは見事に的中だった。
ゆかも喜んでいた。
車を走らせる。
車内ではゆかが同棲中の彼氏に薦められて見た頭文字Dの話を熱く語っていた。
今度聖地巡礼に行くらしい。いろは坂はあのまんまだよと言っておいた。
ゆかが今日着ている服はライトなロリータ風のワンピースで、童顔の彼女にはそれがとても似合っていたので伝えた。
嬉しそうに笑うゆか。ロジータというブランドらしい。
田舎道を走っているとひまわり畑を見つけた。
下りてみると一面ひまわりが咲き誇っていて、その後方にある風力発電のプロペラがまたいい味を出していた。
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夢中で写真を撮るゆかは無邪気な少女のようで、転んてしまわないか心配になるくらいだった。
車を再び走らせて神社へ向かう。
険しい階段を上って本殿でお参りをする。
「五円あった」ゆかが財布から硬貨を取り出す。
「俺は欲張りだから五円が十倍あるように五十円にするよ」
「なるほど!」
神様に祈ったことは今日が楽しく終わりますように。きつねの神様は俺を助けてくれるだろうか。
反対側に下りて行くと無数の赤い鳥居が並んでいる。何度来ても圧倒されるが、ゆかも同じだったようだ。
ここで少し雨が落ちてくるが気にせずに歩いていく。鳥居の中を歩いていくと横に水場がある。そこに咲く蓮の花を見つけたのでゆかに教えると鳥居から蓮にスマホを向けて撮影した。
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白い花びらが水から顔を出して咲く姿は可愛らしさだけではなく強さも感じた。何となくそれはゆかの姿にも重なった。
高台から鳥居が並ぶのを眺める。
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雨が本降りになってきたので木の下で雨宿り。
ゆかの持っている赤いバッグには傘が入っていないらしい。
「折りたたみもってくればよかった」
「雨降るなんて考えてなかったよ」
「県の真ん中の方は降るって聞いてたんだけどなぁ」
「しゃあないよ、ここ真ん中じゃないし」
しばらく経ってもやまない雨。結局少し濡れながら歩くことにした。
雨降りにも関わらず別な色の蓮の花を見つけて二人で写真を撮った。
階段を上って下り、おみくじをひいた。
天然石が入ってるおみくじで、パワーストーンが好きなゆかにはぴったりだった。
昼食の時間になったので店へ向かうが、時期や時間もあって行列ができていたので、同じく貝出汁のラーメンを出している別な店で食べることにした。
運良くすぐに座れ、ゆかとあれこれ話した。
ゆかは小学校から高校まで卓球をしていたらしい。
大学ではクラゲの研究をしていて、クラゲの生態にも詳しかった。
「一応理系なんで」
確かに同人小説を書き方を聞いたら実に論理的に話を作っているなと感じていた。
そんな話をしているとラーメンが出来上がって食べた。貝の出汁とバターの風味がうまくマッチしていて絶品だった。ゆかも気に入ってくれたようだ。
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店の外に出るとまたもや雨。
近くの公園にあった遊具も濡れていた。
「晴れてたらやりたかったのになぁ」
「これじゃ濡れちゃうね」
残念そうにするゆか。
ここの段階で時間は十三時をまわっていた。ゆかは十六時くらいまでならと言っていたので、次の場所を迷ったが、思い切って賭けに出ることにした。
市街地へ車を走らせる。
「あのさ」
「ん、なに?」
「夜の仕事、まだやってるの?」
「いや、しばらくやってない。昼の仕事で稼げるようになったから。このままやめようと思ってる」
「そっか、昼の仕事が順調ならいいね」
「うん、もう知らない人に会わなくてもいい」
「お疲れ様。よう頑張ったと思うよ」
「彼には絶対言えないけどね」
「体調もよさそうだね」
「うん、抗うつ剤は飲んでないし、元気になったよ」
「よかったよ」
ゆかの手に触れて握ると、握り返してくれた。
川沿いの堤防を走る。
カーステレオからは真夏の果実。
市街地にあるホテルへ入り車を停めた。
ゆかの表情は暗くて見えなかった。
「いい?」
「タダじゃ嫌」
「そっか」
その返答は予測していた。元々は金で繋がった関係だ。
「いくらくれる?」
価格交渉が始まるが、割とすぐにまとまった。
タッチパネルで安い部屋を選んで入る。横にあるシャンプーバーの香りが鼻についた。
部屋に入ってソファに座る。
唇を重ね、ゆかの胸に顔をうずめた。
その後の事は何となくしか覚えていない。何度もキスをして、何度も愛を囁いた。
そして二人並んで眠った。
ゆかの寝息を聞きながら時間を気にしていた。
リミットの時間はとうに過ぎている���
目を覚ましたゆかに聞いた。
「時間大丈夫なの?」
「ああ、うん。別に花火があるからそれまでに帰れれば。そんな花火見たいわけじゃないんだけど」
その日はゆかの住む町で祭りがあって二十時から花火が上がる日だった。
「そっかそっか。一緒に見る?」
「うーん、誰かに見られると嫌だから」
「だよな」
その後はゆかの書いた小説を読んだ。そしたら俺もゆかに自分の書いた物を見せたくなった。
「ゆかの事書いた作品があるんだけど見る?」
「えー!恥ずかしいからやだ」
「まあまあ、自分だと思って見なきゃいいからさ」
「うーん、ちょっと興味はあるんだけどね」
そしてTumblrに投稿してたコールガールを見せた。
時に笑いながら、時に考えながら読んでいた。
「この表現好き」
ゆかを花に例えた部分が気に入ったらしい。
「人の書いたもの見ると勉強になる。すごく読みやすかった」
「ありがとう」
「今日の事も書くの?」
「そうだなぁ、たぶん書く」
「めっちゃ恥ずかしい」
そんな事を話しながら、不思議な関係だなと思った。
現実で会った人にTumblrを見せたのは初めてだった。
彼女でもなければセフレでも無い。そもそも会って二回目の関係なんだから名前をつけようにもまだ難しいだろう。
それでもこの関係は何だろうと思いながら気づけば温くなった風呂に二人で入っていた。
洗面台で歯を磨くゆかに後ろから抱きついたり、服を着るのを邪魔してみたりした。
帰路につく。
夕焼けの時間だった。
この様子だとゆかの町に着くのは十九時くらいになりそうだ。
「今日さ」
「うん」
「何で来てくれたの?」
「えっ、うーん…誘われたし暇だったから」
「そっか。お金もらえるって思ってた?」
「いや、それはない。ただ会ったらするかもなとは思ってた」
「そうなんだ」
「うん」
途中の海辺で夕焼けの写真を撮った。
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「すごくいいね!あとで送って」
「いいよ、今送るよ」
すぐゆかに送った。
「ありがとう」
そっとゆかの手に触れた。自然と繋ぐ。
車は海沿いの道を駆け抜けていく。
町に着くと大勢の人で賑わっていた。
「どこで下ろせばいい?」
「真ん中は嫌だから…朝会ったとこ」
そこへ向かって車を進めると、警備の人が立っていて入れなかった。
「ちょっと入れないな…」
「うーん、どうしよう」
ぐるぐると町中を周る。
「やっぱ入れないよ」
「離れたとこなら一緒に見てもいい」
「えっ、あっ、そっか。じゃあそうしよか」
「うん」
「食べ物買いに行こか」
「屋台はダメだよ。知ってる人いるかもしれないから」
「そうだな。コンビニでいいか」
その町にある唯一のコンビニで食事を買った。
その隣りにある駐車場から花火が見えそうだったので、そこに停めて見ることに決めた。
花火が始まる。
ここでもゆかは写真を撮るのに夢中。
俺も撮ってみたけれど、信号が邪魔して上手く撮れなかった。
合間に見せてくれるゆかの写真は上手に撮れていた。
プログラムの間、ひたすらゆかはスマホをいじっている。その動きが止まると俺のスマホに通知が来た。
「アルバム作った」
開いてみるとトーク画面に日付が入ったアルバムが出来ていた。花火や蓮、ひまわりの写真がたくさんおさまっていた。
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「おー、いいね。ありがとう!」
「ふふっ」
ゆかはまた外にスマホを向けた。
「あの色はリンで…」
花火の色を見ながらそんな事を言っていた。
「覚えたことって言いたくなるよね」
ゆかが笑う。そうだなと俺も笑う。
あっという間に花火大会は終わった。
「帰ろっか」
「うん…」
帰りに降ろす場所を探しながら車を進めた。
「あっちに行くと公園がある」
「そこで降ろす?」
「いや、遠いからいい」
「行ってみようか?」
「うん」
公園に行くと暗くてよくわからなかったが、日中は眺めがいいだろうなと思った。
「あっちには小学校がある」
「行ってみよか」
何となくゆかの気持ちがわかった。
「あれだろ」
「なに」
「別れが惜しくなったんだろ?」 
笑いながら言った。
「でも明日は友達と遊ぶから泊まれない」
「もうちょっとドライブするか」
「うん」 
小学校へ入った。ゆかが通っていた小学校はかなりきつい坂の上だった。
「こんなのだからめっちゃ足腰鍛えられた」
「これは中々スパルタだな」
「でしょ」
小学校を後にして車を俺の地元方向へ走らせた。
「あれだよね」
「なに?」
「泊まっても寝ればいいじゃん」
「うーん」
「俺いびきかかないし」
「そうなんだ」
ゆかの右手に左手を重ねた。
「朝、めっちゃ早起きだよ?」
「いいよ。またここまで送るからさ」
「わかった」
「じゃあ、泊まろっか」
「親に連絡しとく」
コンビニでコンタクトの保存液とビールとほろ酔いを買った。
ホテルへ入る。今日二度目だ。
カラオケがついていたので酒を飲みながら二人で歌った。
夜は深くなっていく。
シャワーを浴びる。マシェリでゆかの髪を洗った。
洗面台でそれを乾かしてベッドへ入る。
互いに欲望のまま相手を求めあう。
眠っては起きて、キスをして、何度も何度も。
「俺に好きって言ってみてよ」
「言わない」
「いいじゃん、嘘でも言ってみなよ」 
「嫌だ言わない」
「そっか」
力一杯抱きしめて、それをゆかも返した。
俺は六月にあったことを話した。
自殺未遂のことも。
「ガチで死のうとしたんだね」
「うん、そうだよ」
「生きててよかったね」
「ほんとそう思う」
「今も彼女のこと好き?」
「いーや、全然」
「そっか」
「新しい好きな人いるらしいし」
「いなきゃ好きなの?」
「いや、そういうわけでもない。俺にはあわなかった」
「切り替え早いね」
ゆかの首筋にキスをして眠りについた。
結局は予定の時間にゆかは起きれなかった。
俺も軽くは起こしたけれど、別れを早くしたくないなんてエゴが出た。
「私ほんと時間にルーズなんだよね」
と言いながら、そんなに慌てないゆかが滑稽だった。
「私と付き合わない方いいよ」
「どうして?」
「時間守れないし、好きなこと話すと止まらないし」
「時間を守れないのはよくないな。でもそれはパートナーがちゃんとしてれば支え合っていけるんちゃうか?」
「うん…」
ワンピースを着ながらゆかは俺を見た。
「うしろのチャック閉める?」
「閉めよっか」
「自分でも出来るけど」
「いいよ、閉めるよ」
背中を向けたゆかの背中のファスナーを閉めた。
「上のボタンもかけて」
「はいはい」
ボタンを掛けて後ろから抱き締める。
「かわいいよ」
「ふふっ」
ゆかにかわいいと言うといつも笑う。
そんなとこはあざといのかもしれない。
「友達との待ち合わせ場所まで送ってくれるんでしょ?」
「うん、送るよ」
「やったー」
「そのかわり」
「なに?」
「お金は無しな」
「えー、少しも?」
「当たり前だろ。泊まったし送るんだし」
「ふふっ、そうだよね。わかった」
「交渉成立な」
「電車代浮いたからいいや」
「なんだよそれ」
ゆかが笑った。
ホテルを出てコンビニでコーヒーと朝食を買った。
予定時刻までに着かないのはわかっていた。
友達やら予約しているカラオケに電話をしながら、車の中でアイラインを引き、ルージュを塗った。
「ちょっとはおしゃれしないと」
「昨日と同じ服だけどね」
「それはしょうがない」
「そうだな」
「そうだ、スッピンどうだった?」
「あー、うん。可愛かったよ」
「ふふっ」
相変わらず笑う。
海辺を見ながらゆかは言った。
「普段海見ないけど、やっぱりこっちの海のが好き。向こうはなんか深くて怖いから」
戻ってこいよ。なんて言おうと思ったけど、別に俺がそれを言える立場じゃ無い。
「やっぱさ、十八年見た海は特別なんだね」
「確かにそうかもな」
「今回帰ったら、次見るのは冬か」
「その時も一緒に見たい」
「うん、いいよ。あっ、あとは会いに来てくれれば会えるよ」
「行きたいなとは思ってるよ」
海辺を過ぎて内陸へ入る。
あと五分で目的地。
信号で止まった時にゆかの唇を奪った。
信号の色が変わるのを感じで離れる。
ゆかの表情はどこか寂しげだった。いや、そう思いたいからそう見えたのかもしれない。
カラオケの前で降りる間際にもキスをした。
去り際にゆかは俺を見てこう言った。
「死な���いでね」
短いけど重い言葉だった。
「そっちもな」
車を大通りへと向かわせる。
何度もゆかの耳元で囁いた言葉を思い出す。
車線を変えながら車を一台二台と抜いた。
「俺って本当に」
アクセルを踏んで帰路につく。
サイドシートにマシェリの香り。
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shintani24 · 2 months
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2024年8月8日
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南海トラフ地震の想定震源域と今回の震源
南海トラフ地震臨時情報の対象の1都2府26県707市町村はこちら(朝日新聞)
気象庁は8日、初となる「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」を発表した。対象となった1都2府26県707市町村は次の通り。同庁は今後1週間程度、地震や津波への注意を呼び掛けている。(内閣府の資料から)
茨城県 水戸市、日立市、ひたちなか市、鹿嶋市、神栖市、鉾田市、東茨城郡大洗町、那珂郡東海村
千葉県 銚子市、館山市、旭市、勝浦市、鴨川市、富津市、南房総市、匝瑳市、山武市、いすみ市、大網白里市、山武郡九十九里町、同郡横芝光町、長生郡一宮町、同郡長生村、同郡白子町、夷隅郡御宿町、安房郡鋸南町
東京都 大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ケ島村、小笠原村
神奈川県 横浜市、横須賀市、平塚市、鎌倉市、藤沢市、小田原市、茅ケ崎市、逗子市、三浦市、秦野市、厚木市、伊勢原市、海老名市、座間市、南足柄市、三浦郡葉山町、高座郡寒川町、中郡大磯町、同郡二宮町、足柄上郡中井町、同郡大井町、同郡松田町、同郡山北町、同郡開成町、足柄下郡箱根町、同郡真鶴町、同郡湯河原町
山梨県 甲府市、富士吉田市、都留市、山梨市、大月市、韮崎市、南アルプス市、北杜市、甲斐市、笛吹市、上野原市、甲州市、中央市、西八代郡市川三郷町、南巨摩郡早川町、同郡身延町、同郡南部町、同郡富士川町、中巨摩郡昭和町、南都留郡道志村、同郡西桂町、同郡忍野村、同郡山中湖村、同郡鳴沢村、同郡富士河口湖町
長野県 岡谷市、飯田市、諏訪市、伊那市、駒ケ根市、茅野市、南佐久郡川上村、同郡南牧村、諏訪郡下諏訪町、同郡富士見町、同郡原村、上伊那郡辰野町、同郡箕輪町、同郡飯島町、同郡南箕輪村、同郡中川村、同郡宮田村、下伊那郡松川町、同郡高森町、同郡阿南町、同郡阿智村、同郡平谷村、同郡根羽村、同郡下條村、同郡売木村、同郡天龍村、同郡泰阜村、同郡喬木村、同郡豊丘村、同郡大鹿村、木曽郡上松町、同郡南木曽町、同郡大桑村、同郡木曽町
岐阜県 岐阜市、大垣市、多治見市、関市、中津川市、美濃市、瑞浪市、羽島市、恵那市、美濃加茂市、土岐市、各務原市、可児市、山県市、瑞穂市、本巣市、郡上市、下呂市、海津市、羽島郡岐南町、同郡笠松町、養老郡養老町、不破郡垂井町、同郡関ケ原町、安八郡神戸町、同郡輪之内町、同郡安八町、揖斐郡揖斐川町、同郡大野町、同郡池田町、本巣郡北方町、加茂郡坂祝町、同郡富加町、同郡川辺町、同郡七宗町、同郡八百津町、同郡白川町、同郡東白川村、可児郡御嵩町
静岡県(全域)静岡市、浜松市、沼津市、熱海市、三島市、富士宮市、伊東市、島田市、富士市、磐田市、焼津市、掛川市、藤枝市、御殿場市、袋井市、下田市、裾野市、湖西市、伊豆市、御前崎市、菊川市、伊豆の国市、牧之原市、賀茂郡東伊豆町、同郡河津町、同郡南伊豆町、同郡松崎町、同郡西伊豆町、田方郡函南町、駿東郡清水町、同郡長泉町、同郡小山町、榛原郡吉田町、同郡川根本町、周智郡森町
愛知県(全域)名古屋市、豊橋市、岡崎市、一宮市、瀬戸市、半田市、春日井市、豊川市、津島市、碧南市、刈谷市、豊田市、安城市、西尾市、蒲郡市、犬山市、常滑市、江南市、小牧市、稲沢市、新城市、東海市、大府市、知多市、知立市、尾張旭市、高浜市、岩倉市、豊明市、日進市、田原市、愛西市、清須市、北名古屋市、弥富市、みよし市、あま市、長久手市、愛知郡東郷町、西春日井郡豊山町、丹羽郡大口町、同郡扶桑町、海部郡大治町、同郡蟹江町、同郡飛島村、知多郡阿久比町、同郡東浦町、同郡南知多町、同郡美浜町、同郡武豊町、額田郡幸田町、北設楽郡設楽町、同郡東栄町、同郡豊根村
三重県(全域)津市、四日市市、伊勢市、松阪市、桑名市、鈴鹿市、名張市、尾鷲市、亀山市、鳥羽市、熊野市、いなべ市、志摩市、伊賀市、桑名郡木曽岬町、員弁郡東員町、三重郡菰野町、同郡朝日町、同郡川越町、多気郡多気町、同郡明和町、同郡大台町、度会郡玉城町、同郡度会町、同郡大紀町、同郡南伊勢町、北牟婁郡紀北町、南牟婁郡御浜町、同郡紀宝町
滋賀県(全域)大津市、彦根市、長浜市、近江八幡市、草津市、守山市、栗東市、甲賀市、野洲市、湖南市、高島市、東近江市、米原市、蒲生郡日野町、同郡竜王町、愛知郡愛荘町、犬上郡豊郷町、同郡甲良町、同郡多賀町
京都府 京都市、宇治市、亀岡市、城陽市、向日市、長岡京市、八幡市、京田辺市、南丹市、木津川市、乙訓郡大山崎町、久世郡久御山町、綴喜郡井手町、同郡宇治田原町、相楽郡笠置町、同郡和束町、同郡精華町、同郡南山城村
大阪府 大阪市、堺市、岸和田市、豊中市、池田市、吹田市、泉大津市、高槻市、貝塚市、守口市、枚方市、茨木市、八尾市、泉佐野市、富田林市、寝屋川市、河内長野市、松原市、大東市、和泉市、箕面市、柏原市、羽曳野市、門真市、摂津市、高石市、藤井寺市、東大阪市、泉南市、四條畷市、交野市、大阪狭山市、阪南市、三島郡島本町、豊能郡豊能町、泉北郡忠岡町、泉南郡熊取町、同郡田尻町、同郡岬町、南河内郡太子町、同郡河南町、同郡千早赤阪村
兵庫県 神戸市、姫路市、尼崎市、明石市、西宮市、洲本市、芦屋市、伊丹市、相生市、加古川市、赤穂市、宝塚市、三木市、高砂市、川西市、小野市、加西市、南あわじ市、淡路市、加東市、たつの市、加古郡稲美町、同郡播磨町、揖保郡太子町
奈良県(全域)奈良市、大和高田市、大和郡山市、天理市、橿原市、桜井市、五條市、御所市、生駒市、香芝市、葛城市、宇陀市、山辺郡山添村、生駒郡平群町、同郡三郷町、同郡斑鳩町、同郡安堵町、磯城郡川西町、同郡三宅町、同郡田原本町、宇陀郡曽爾村、同郡御杖村、高市郡高取町、同郡明日香村、北葛城郡上牧町、同郡王寺町、同郡広陵町、同郡河合町、吉野郡吉野町、同郡大淀町、同郡下市町、同郡黒滝村、同郡天川村、同郡野迫川村、同郡十津川村、同郡下北山村、同郡上北山村、同郡川上村、同郡東吉野村
和歌山県(全域)和歌山市、海南市、橋本市、有田市、御坊市、田辺市、新宮市、紀の川市、岩出市、海草郡紀美野町、伊都郡かつらぎ町、同郡九度山町、同郡高野町、有田郡湯浅町、同郡広川町、同郡有田川町、日高郡美浜町、同郡日高町、同郡由良町、同郡印南町、同郡みなべ町、同郡日高川町、西牟婁郡白浜町、同郡上富田町、同郡すさみ町、東牟婁郡那智勝浦町、同郡太地町、同郡古座川町、同郡北山村、同郡串本町
岡山県 岡山市、倉敷市、玉野市、笠岡市、井原市、総社市、備前市、瀬戸内市、赤磐市、浅口市、和気郡和気町、都窪郡早島町、浅口郡里庄町、小田郡矢掛町
広島県 広島市、呉市、竹原市、三原市、尾道市、福山市、府中市、大竹市、東広島市、廿日市市、安芸高田市、江田島市、安芸郡府中町、同郡海田町、同郡熊野町、同郡坂町、豊田郡大崎上島町
山口県 下関市、宇部市、山口市、防府市、下松市、岩国市、光市、柳井市、周南市、山陽小野田市、大島郡周防大島町、玖珂郡和木町、熊毛郡上関町、同郡田布施町、同郡平生町
徳島県(全域)徳島市、鳴門市、小松島市、阿南市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦郡勝浦町、同郡上勝町、名東郡佐那河内村、名西郡石井町、同郡神山町、那賀郡那賀町、海部郡牟岐町、同郡美波町、同郡海陽町、板野郡松茂町、同郡北島町、同郡藍住町、同郡板野町、同郡上板町、美馬郡つるぎ町、三好郡東みよし町
香川県(全域)高松市、丸亀市、坂出市、善通寺市、観音寺市、さぬき市、東かがわ市、三豊市、小豆郡土庄町、同郡小豆島町、木田郡三木町、香川郡直島町、綾歌郡宇多津町、同郡綾川町、仲多度郡琴平町、同郡多度津町、同郡まんのう町
愛媛県(全域)松山市、今治市、宇和島市、八幡浜市、新居浜市、西条市、大洲市、伊予市、四国中央市、西予市、東温市、越智郡上島町、上浮穴郡久万高原町、伊予郡松前町、同郡砥部町、喜多郡内子町、西宇和郡伊方町、北宇和郡松野町、同郡鬼北町、南宇和郡愛南町
高知県(全域)高知市、室戸市、安芸市、南国市、土佐市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、香南市、香美市、安芸郡東洋町、同郡奈半利町、同郡田野町、同郡安田町、同郡北川村、同郡馬路村、同郡芸西村、長岡郡本山町、同郡大豊町、土佐郡土佐町、同郡大川村、吾川郡いの町、同郡仁淀川町、高岡郡中土佐町、同郡佐川町、同郡越知町、同郡梼原町、同郡日高村、同郡津野町、同郡四万十町、幡多郡大月町、同郡三原村、同郡黒潮町
福岡県 北九州市、行橋市、豊前市、京都郡苅田町、築上郡吉富町、同郡築上町
熊本県 宇城市、阿蘇市、天草市、阿蘇郡高森町、上益城郡山都町、球磨郡多良木町、同郡湯前町、同郡水上村、同郡あさぎり町、天草郡苓北町
大分県 大分市、別府市、中津市、佐伯市、臼杵市、津久見市、竹田市、豊後高田市、杵築市、宇佐市、豊後大野市、由布市、国東市、東国東郡姫島村、速見郡日出町、玖珠郡九重町
宮崎県(全域)宮崎市、都城市、延岡市、日南市、小林市、日向市、串間市、西都市、えびの市、北諸県郡三股町、西諸県郡高原町、東諸県郡国富町、同郡綾町、児湯郡高鍋町、同郡新富町、同郡西米良村、同郡木城町、同郡川南町、同郡都農町、東臼杵郡門川町、同郡諸塚村、同郡椎葉村、同郡美郷町、西臼杵郡高千穂町、同郡日之影町、同郡五ケ瀬町
鹿児島県 鹿児島市、鹿屋市、枕崎市、阿久根市、指宿市、西之表市、垂水市、薩摩川内市、日置市、曽於市、霧島市、いちき串木野市、南さつま市、志布志市、奄美市、南九州市、伊佐市、姶良市、鹿児島郡三島村、同郡十島村、薩摩郡さつま町、出水郡長島町、姶良郡湧水町、曽於郡大崎町、肝属郡東串良町、同郡錦江町、同郡南大隅町、同郡肝付町、熊毛郡中種子町、同郡南種子町、同郡屋久島町、大島郡大和村、同郡宇検村、同郡瀬戸内町、同郡龍郷町、同郡喜界町、同郡徳之島町、同郡天城町、同郡伊仙町、同郡和泊町、同郡知名町、同郡与論町
沖縄県 名護市、糸満市、豊見城市、うるま市、宮古島市、南城市、国頭郡国頭村、同郡東村、島尻郡与那原町、同郡渡嘉敷村、同郡座間味村、同郡南大東村、同郡北大東村、同郡伊平屋村、同郡八重瀬町、宮古郡多良間村
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猛暑のせい?広島の夏の交通事故、死者数が倍に 警察が注意呼びかけ(朝日新聞)
7月以降に広島県内で起きた交通死亡事故数が、昨年の同時期を大幅に上回っている。県警によると、連日の猛暑による集中力や注意力の欠如が原因の一つと考えられるといい、注意を呼びかけている。
県警交通企画課によると、7月1日~8月4日の交通事故死者数は12人で、昨年同時期の5人から倍以上に増えている。
このうち、バイクや自転車、歩行者の死者数は計9人。日中の事故で亡くなった人は9人で、夜間は3人だった。
同課は、気温が高くなり、運転などに集中できないことが事故につながっている可能性があると分析。運転する場合はこまめに水分補給したり休憩をとったりし、体調に異変を感じる時は運転を控えるなどの対策が必要としている。
担当者は「交通事故を防ぐためにも、熱中症警戒アラートが発せられるような暑い日は不要な外出を控えて」と呼びかけている。
気象庁によると、広島市内では35度以上の猛暑日が8日まで10日間続いている。(遠藤花)
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「1990年に天皇の戦争責任を論じ始めたとき不安はなかったか、ですか? なかったと言えばウソになります」=吉本美奈子撮影
(インタビュー)昭和天皇の戦争関与 歴史学者・山田朗さん(朝日新聞)
「昭和天皇は戦争への主体的な関与をしなかった」「最後まで対米英戦を回避しようとした」。こうした昭和天皇像に、実証的な研究を通じて見直しを迫ってきた歴史学者がいる。明治大学教授の山田朗さんだ。「天皇の戦争指導」の実態はどうだったのか。その歴史を直視してこなかった戦後日本社会とは。
 ――昭和天皇(1901~89)が戦争中にどう行動し、そのことを戦後にどう考えていたのか。実証的に調べる研究を30年以上も続けていますね。
「きっかけは、昭和天皇の健康が悪化した88年から日本社会を覆った『自粛』現象でした」
「天皇が戦争にどうかかわったかについての先行研究はすでにありましたが、私には『昭和天皇には戦争責任がある』という結論ありきの研究に見えました。他方には『戦争責任などない』との意見もあったけれど、どちらも戦争中の実態を踏まえた議論とは思えなかった。史料を踏まえた実証的な研究が必要だと思いました」
 ――日本が米英に対する戦争を始めたのは41年12月でしたね。「昭和天皇は最後まで日米開戦を避けようとしていた」という話が広く信じられていますが、事実でしょうか。
「違います。41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇は開戦を躊躇していました。しかし側近の日記や軍の記録などから見えてきたのは、そのあと天皇が戦争への覚悟を決めていく姿でした」
「10月には宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得されています。最終的には天皇は開戦を決断したのです」
 ――昭和天皇は戦争に主体的に関与することがなかった、という理解も広がっていますね。
「事実ではありません。大日本帝国憲法では天皇は大元帥、つまり日本軍の総司令官でした。形式的発言をするだけだったというイメージが広がっていますが、記録によれば、大元帥として出席した大本営御前会議では活発に発言しています。軍幹部への質問や注意を通じて作戦に影響を与えていた実態も、史料から見えてきました」
 ――昭和天皇が具体的に変えた事例を挙げてくだ���い。
「42年のガダルカナル島(南太平洋ソロモン諸島)攻防戦で、航空部隊を現地へ送るよう天皇は3回にわたって、出撃をしぶる陸軍に督促していました。3度目の督促の翌日、陸軍は��遣を決めています」
「45年の沖縄戦では『現地軍は何故攻勢に出ぬか』と言って、積極的な攻撃に出るよう要求しました。現地軍は持久戦でいくと決めていたのですが、天皇の意思が現地まで伝わったため中途半端な攻勢が行われ、無用な出血につながりました」
「天皇の言葉が作戦を左右する影響を与えた事例は、満州事変から敗戦までの間に少なくとも17件確認できます。国家意思に影響を与えていた形です」
 ――作戦指導だけにとどまらず「戦争指導」も行っていたと著書で主張していますね。
「ええ。戦争指導は単なる軍事作戦指導とは異なり、外交などの政治戦略と軍事作戦を束ねた、より高次の指導です」
「昭和天皇は43年のソロモン諸島などの攻防で、戦い方が消極的だと侍従武官長を厳しく叱責し、こんなことでは敵国の士気が上がって第三国にも動揺が広がってしまうと言って積極攻勢を求めました。国際情勢をにらんだ上で国家としてどう作戦を立てるかという戦争指導の領域にこのとき昭和天皇は立ち入っていたと、私は思います」
 ――昭和天皇はなぜ作戦指導や戦争指導をしたのでしょう。
「大日本帝国という国家の抱えていた構造的な問題が背景にあってのことだったと思います。天皇を好戦的な指導者だったとみなすのは間違いです」
 ――構造的な問題とは?
「ガダルカナル戦で天皇が指導に踏み込んだのは、どちらが航空機を出すかでもめていた陸軍と海軍の対立を解くためでした。大日本帝国では陸軍も海軍も天皇に直属していて、両者を統合して指揮する統合幕僚長のような指導役が不在でした。陸・海軍の対立を調整できるのは当時、天皇だけだったのです」
「軍事戦略と外交戦略の双方を統括しえたのも天皇だけでした。軍の最高指揮権にあたる『統帥権』は天皇にあり、統帥権は行政から独立していました。首相ですら軍事行動の詳細を知ることはできない構造です。外交や予算をつかさどる行政が軍部と分立していた中で、両者を架橋しえたのは実質的に天皇だけだったのです」
 ――「昭和天皇は戦争指導をしたのか否か」と問う以前に、「そもそも戦争指導をできる指導者は当時いたのだろうか」と考えさせられる話です。
「ええ。戦況の悪化に直面したことで昭和天皇は大日本帝国が抱えた構造的欠陥の深刻さに気づき、自らが動くしかないと考えた可能性があります。陸軍と海軍が持つそれぞれの経験値では解決できない事態があり、政治が軍事を制御できる仕組みも見当たらない。そんな状況下での戦争指導だったのです」
 ――昭和天皇に戦争責任はあった、と主張していますね。
「実態を踏まえれば、昭和天皇には戦争責任があったと考えるべきだと思います。あれだけの悲惨な結果を招いた戦争において、大日本帝国の軍事と政治の双方を統括できる国家指導者だったのであり、すべての重要な政策決定の場にいたのですから、およそ責任がなかったと言えるものではありません」
 ――連合国が戦後に日本の戦争指導者を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)で、昭和天皇は訴追されませんでした。米国が占領統治のコストを下げるために見送ったとされます。
「裁判が始まる前から日本国内では、昭和天皇は平和主義者であって戦争責任を問われるべき人物ではないとのイメージづくりが、政府などによって進められました。天皇を守るためだったと語られがちですが、それだけではなかったと思います」
「戦争は陸軍の強硬派が進めたものであって天皇には止める権限がなかったというストーリーをつくることで、海軍主流派や外務省・内務省の官僚らは自らを『天皇の側にいた者』とし、責任追及を回避できました。その人たちが戦後日本の権力を担っていったのです。このシナリオを最終的に追認したのが米国主導の東京裁判でした」
 ――その歴史は現在に何か影響を与えているでしょうか。
「責任をとるべき人がとっていないという巨大な前例が今も生き続けています。宮内庁が編纂して今から10年前に公開された『昭和天皇実録』も、天皇は平和主義者だったというイメージを強化する内容でした」
 ――ウクライナ侵攻などが起きた影響もあって、今、日本政府はかつてない規模での防衛力増強に乗り出しています。
「戦争期の近代日本史が教えるのは、軍を政治的にコントロールすることの難しさです。軍事は軍事の専門家だけが理解できるものだという論理のもと、閉じられたサークルの中で『自己展開』していってしまう傾向が、軍事にはあるからです」
「昭和戦前期と違って今は一応、行政府が外交も安全保障もあわせて統括できる体制には変わっています。しかし、国民の代表である国会のチェックが安全保障政策に反映されているかといえば、答えはノーです」
 ――5年前に公開された新史料「拝謁記」に注目するよう訴えていますね。なぜですか。
「昭和天皇があの戦争のことを『戦後に』どう考えていたのかを、今までにない生々しさで伝えている史料だからです。拝謁記とは、初代宮内庁長官だった田島道治が昭和天皇の戦後の肉声を記録したものです」
 ――何が分かったのですか。
「昭和天皇の中で戦後、『誰がどうやっても戦争の流れを止められなかった』という考えが次第に強まっていった事実です。田島の耳に最後には言い訳だと聞こえてきたほどでした」
「陸軍が戦争の牽引者だったのは事実です。しかし昭和天皇はブレーキの壊れたジェットコースターの単なる乗客だったのではなく、操縦する側でした。ブレーキが壊れていたわけでもなく、実際、天皇の聖断という形で戦争は終わっています」
 ――その歴史からどんな教訓をくみとるべきでしょう。
「戦前は天皇が国家の主権者でした。その主権者が戦後、『自分にはどうしようもなかった』という考えに至っていた。現在の日本では国民が主権者です。再び戦禍に見舞われたあとで『自分にはどうしようもなかった』という総括をまた繰り返すのか。主権者としての選択が問われていると思います」(聞き手 編集委員・塩倉裕)
やまだあきら 1956年生まれ。専門は日本近現代史。軍事史や天皇制論に詳しい。著書に「大元帥 昭和天皇」(94年)、「昭和天皇の戦争認識」(2023年)など。
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安養寺(倒蓮華寺) 浄土宗西山禅林寺派に属する寺である。由緒はきわめて古く、寛仁二年(一O一八)恵心僧都が奈良県當麻に建てた蓮台院が当寺の起こりで、次いて恵心の妹安養尼が居住して安養寺と改名した。天永年間(三O頃)隆暹が京都に移し、鎌倉時代に入って証仏が大いに寺連をひろめた。天正年間一五八〇頃)豊臣秀吉によってこの地に移された。本尊は阿弥陀如来立像で、八枚の蓮華を逆さに置いた上に立っているのが特徴で、このことから倒蓮華寺と呼ばれる。伝説によれば、本尊をつくる際、連座がとうしても壊れるので、蓮華を逆さにしたところ、無事完成した。これは女人は業が深く、心の蓮華はさかさまとなっていて極楽往生できないので、これを救済するため、わざと蓮華を逆さにしたのだといわれる。この本尊にまつれる伝説によって、昔から特に女性の信仰が深い。 京都市
Anyo Temple (Face-Down Lotus Flower Temple) This temple, which has a very long history, belongs to the Jodo sect Seizan Zenrinji faction of Buddhism. Its origins date to the year 1018, when Eshin, a Buddhist monk, built Rendai Temple in Taima, Nara. Anyo, a Buddhist nun, and Eshin’s sister changed the name of the temple to Anyo temple, when she took up residence in the temple. Around 1110, Ryusen relocated the temple to Kyoto. In the Kamakura period (1185-1333), Shobutsu brought great prosperity to the temple. Around 1580, Toyotomi Hideyoshi relocated the temple to its present location. The statue of a standing Amitabha Tathagata is the central icon of this temple. One of the major characteristics of this statue is that it stands on 8 faced-down lotus flowers. Due to this characteristic, this temple has been called Face-down Lotus Flower Temple. According to the legend, the creators of this statue were unable to complete a lotus stand for this statue since the stand kept falling apart. Consequently, they carved the lotus flowers of the stand face down. In so doing, they were successful in completing the statue. It is also said that they made the lotus flowers of the stand face down to save females who were too sinful to enter paradise, as the lotus flowers in their hearts were face down. Owing to this legend, this temple has many female worshippers. Kyoto City
Vocab 安養寺 (あんようじ)Anyo Temple 倒蓮華寺 (さかれんげじ)Sakarenge Temple 浄土宗 (じょうどしゅう)Jodo/Pure Land sect (of Buddhism) 西山派 (せいざんぜんりんは)Seizan sec (of Pure Land Buddhism) 禅林 (ぜんりん)Zen temple 属する (ぞくする)to belong to, be affiliated with 由緒 (ゆいしょ)history, pedigree, lineage 極めて (きわめて)exceedingly, extremely 寛仁 (かんにん)Kanin era (4/23/1017-2.2.1021) 僧都 (そうず)Buddhist priest 當麻 (たいま)Taima 当寺 (とうじ)this temple 起こり (おこり)source, origin, beginning 次ぐ (つぐ)to follow, come after, come next 尼 (あま)Buddhist nun 居住 (きょじゅう)residence, abode, dwelling 改名 (かいめい)name change 天永 (てんえい)Ten’ei era (7/13/1110-7/13/1113) 隆暹 (りゅうせん)Ryusen 鎌倉時代 (かまくらじだい)Kamakura period 証仏 (しょうぶつ)enlightened buddha 大いに (おおいに)very much, considerably, a great deal 天正 (てんしょう) Tensho era (7.28.1573-12.8.1592) 豊臣秀吉 (とよとみひでよし) Toyotomi Hideyoshi 本尊 (ほんぞん) principal object of worship at a temple 阿弥陀如来 (あみだにょらい) Amitabha Tathagara 立像 (りつぞう) standing statue, image 枚 (まい) counter for flat things 蓮華 (れんげ) lotus flower 逆さ (さかさ) inverted, upside down, reversed 倒 means the same as above in this context 伝説 (でんせつ) legend, folklore 連座 (れんざ) lotus seat (under Buddhist statues) 壊れる (こわれる) to break, fall apart 無事 (ぶじ) safely, without incident 女人 (にょにん) woman 業 (ごう) karma, result of one's karma 極楽往生 (ごくらくおうじょう) rebirth in paradise, peaceful death 救済 (きゅうさい) (religious) salvation わざと deliberately, intentionally まつる to pray, worship 信仰 (しんこう) (religious) faith, belief
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