#幸恵先生のお話はいつも美しい
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ing!!!! MV 制作秘話。
MVの大ネタバレを含みますので、必ずご視聴後にご覧ください。
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■はじめに おおまかなあらすじ・設定はこちらで語ってもらったので まずはそちらを見るとより一層楽しめます。 文字起こしで見たい方はこちら
■てなわけでmaking!!!!(言いたかっただけ) 初手自分語りなんですが、絵コンテを6,7年ぶりに描きました。 14枚描きました。
▲ここからちょこちょこピックしてお話できればと。
【全体】 楽曲に込めた想いを伺った後に楽曲を聴いてみた印象は 「めちゃくちゃヒロイックだな!?!?」でした。 その印象そのままにヒーローものを作りたいと打診したところ二つ返事でOKをもらいました。
最初はOP風で走り切る予定でしたが、どうやっても無理なので 1話分のお話を描き起こすことにしました。(え?) ここで巻き添えをくらったのがKIRAAAAAさんってワケ... 本当にありがとうございました...!!!!! 幸いにもONdaは特撮大好きマンだったので、持っている知識フル活用で制作に臨みました。 日常→事��発生→怪人と遭遇→戦闘員との集団戦→巨大ロボ戦 この枠組みをベースに楽曲の意図にあわせて肉付けをしました。
下に歌詞が出るタイプのシンプルな表示方法をとったのはOP構想の名残だったりします。
さて、ここからは各パートに分けてのメイキングをつらつら書いていきます。
【イントロ】 テレビデオから始まる今回のMVですが コンセプトの「過去vs現在」を端的に表せたと思っています。 過去(テレビデオ)に映る現在(ing!!!!)のロゴ。 シルエットの位置にも意味を持たせています。
演出的な話になるんですが左から右=過去から未来と表現することが多かったりします。(お約束みたいなもので別作品でもやってます) 爆弾のシルエットは若干左寄りなのは本編見てたらわかるかもネ... ちなみにロゴの登場シーンとOPの演出、 それぞれ異なる2つの特撮作品のオマージュが入っています。 分かる人には分かるかな?レベルです。(もちろん意図を込めています。)
1つはわかりやすいと思いますが... 某アニメでも同じ元ネタが使用されていましたネ... 被ったァ!?って叫びました。本当に。
【1A~1B】
日常→事件発生 パートですね。 さて、ここでは絵コンテからのビフォーアフターを見て��ましょう。
KIRAAAAAさんすごくね?
読解力ゥ...となりました。 本当にイメージ通りの絵が来るので毎回ドヒャー!となっていました。 それと、「美しい時間は過ぎ去り未だにその影法師」部分は 前述の左右の話を意識して見てもらえると嬉しかったりします。
他にも上下の動きが...ここは後述します。多分。 (ここまで書くのに2時間近くかかってる)
【1サビ】 ここ寸分違わず同じ動きしてます。間違い探ししてみてね。
キョンツーのCiさん初登場シーン。 初期案ではもう���し可愛げがありました。
まあぶっ叩かれるのには変わらなかったんですが。 後にこのデザインで統一されました。
▲キョンツーのCiさんデザインスケッチ
劇中で登場するコメントなどは適当ではなく1つ1つ考えているのでので、ぜひ読んでみてくださいね。
振り返りでも話してましたがどちらが正義って話でもないので キョンツーの方がヒロイックな構図を作っているときもあります。
こことか。 逆に、Ciちゃんが悪人顔(?)になるようお願いした差分もいくつかあります。
【間奏】
元ネタは変●ベルトのCMですね。 このためにお面を3Dモデル化しました。 非公式なのでDXでもなければロゴも写真もガビガビです。 謳い文句もどこか様子がおかしかったり。 なれる!じゃなくて可能性!で留めてるあたりもヤラしいよね。
目の部分から背景が透けていないあたりでこの仮面にのぞき穴がないことを確認できるかなと。ここでしれっと重要な設定を開示しています。
劇中では描かれていませんがこれによって本拠地がバレることになります。(販売元割れちゃうだろうしね) 【2A・2B】
キョンツー量産工場。ここにもきっちり意図が組み込まれています。 ここまで読んだなら気づけるはず!多分!
ちなみに、キョソシーとキョンツーで迷ったんですが ツ←これが顔に見えるのでキョンツーになりました。 ¯\_(ツ)_/¯
↑こういう顔文字みたことないかしら 余談でした。
あのさあ!!!! 俺、このシーンだーーーい好き!!
実を言うと最初に作り込んだのはこのシーンだったり。 工場の3Dモデルや唐揚げ爆風が生まれたり、戦いの中で成長しているッ!となりました (ここの爆破に使った唐揚げのデータ紛失してしまった...)
▼絵コンテだとこんな感じ。
オンドリャア!!!!!!
ンダコラァ!!!! 【2サビ】
KIRAAAAAさん、やりすぎだって。(超褒め言葉。良すぎ。) (補足に���キツそうだけど楽しそうなカンジで」って書いてあった。) 正直なことを言うと、ここからは勢い重視なので2サビ以降はノンストップで見てくれると嬉しいです。
あ、それと。
こちら、Tier1の唐揚げ素材です。もも唐揚げです。 仕入れ先はガ○トと鶏○です。
めっちゃそれっぽい。
【ラスサビ前】
Ciロボ初期案。結構スリムでした。 KIRAAAAAさんにシルエットおまかせしつつ、カラーの指定はさせてもらいました。
絵コンテでもかわいい驚きCiちゃん(LINEスタンプにしたい)
冒頭でも使われたSNS画面の話。 コスト的な面もあっての流用なんですが...
ポストの内容とは別に冒頭と差別化した要素があります。 実際のXとか触ってみたら意図が伝わるんじゃないかな。 勢い任せとはいいましたがここは一時停止して見てもいいかもしれない。
【ラスサビ】
あの、このシーンコンテにないです。
ただのパンチの予定でした。なんかいけると思っちゃってェ... 手足のパーツ全部バラして、自由に動かせるようにして... 一回ビーム撃たせて却下してロケットパンチになって...
その結果、このシーン追加がお誕生日配信当日の朝までかかった原因になるわけです。
本当に申し訳ございませんでした!!!
真面目な話(言い訳)をすると、過去の思い出補正や歪んだ理想像をモチーフとした敵サイドなわけですが 過去には過去の良さというか、魅力があるはずなんですよ。 だからこの戦いは生まれているわけで。 ヒーローもの...魅力...と考えた結果「必殺技」が必要だな。と。 ただのパンチからロケットパンチになりました。 そしてそれを乗り越えて...
放て、Ciちゃんトドメの一撃。
サイクロン・ペネトランテ 穿つ大竜巻
サイクロンってイタリア語でCicloneって書くんだって! ということで命名されました。 マジでこの情報どこで出す予定だったん?てな感じですが、ここまで読んでくれた方へのおまけ要素です。 Ciちゃんは最後、画面左下へ突っ込んでいくわけですが それと最後の「つづく」にはニコイチで込めた思いがあります。 そこが恐らくいちばん最後の考察要素になるのかな、と。 考察というよりかは、どう解釈します?くらいに留めておきます。 もちろんポジティブな意味を込めていますよ!
■おわりに 改めてここまで読んでくれてありがとうございました。 考察の幅を持たせたいのでヒントなどの種は蒔きつつ、直接的な解説というよりも初期案とか、裏設定とかそういった部分をメインにお話しました。 なにはともあれ、自由に解釈をしてくれたら嬉しいです。
関係者の皆様、好き放題やらせいただき本当にありがとうございました!
応援のコメントや、倒したあとの「やったー!!」のコメントなど プレミア公開の最中に現在進行形で完成する作品に仕上がったと思います。 かつ、我ながらめちゃくちゃ詰め込んだなあと。ちょっとキモいくらいに。 それもこれもすべてCiちゃんの魅力があってのことだと思います。 本当にいいご縁に恵まれました。改めてありがとうございました。 是非またMVを見てもらえたら嬉しいです。 何回も見てほしいです。本当に。
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それと最後に。 ドリルって時計回りに回ることで��を空けるらしいですよ。 またどこかで! p.s 他の自分の作品もこれくらいの解説可能なので好評だったらまたやります。
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天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては���と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年���の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交にある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
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なんだか詰めに詰め込んで充実した週末だった。まず、朝10時の回で役所広司主演の“パーフェクト デイ”を見に行った。劇的なことは何も起こらない日常を描いた映画で、劇的なことは何も起こらないけれど、日常の些細な煌めきを見つけるのが上手くなりそうな映画だった。通りすがりに愛でている観葉植物の葉にちょこんと触れるようななんてことのないシーンで数回��いた。職場と自宅との往復だと変わり映えのない毎日に思える。でも実は、小さな変化や美しさに溢れている。本当に心が美しくある人は、愛情ある日常のなかに美しさや楽しさと言った煌めきを見出す。そんな映画だった。この感覚をこの映画を大切にしていこうと思った。静かな映画だったから、キャラメルポップコーンは口の中で溶かしながら食べた。
良い映画を観て、ほくほくした気持ちのまま新居の内見へ。内見と言えど、すでに入居を決めて審査完了ひている賃貸だ。21日に引っ越す。周りが戸建てばかりで、遠くにある藻岩山まで突き抜けて見えるのを今日知った。日当たりが良い。ガス台や冷蔵庫スペースや窓枠を採寸し終わって、今度はそのまま札幌駅へ向かう。夜の用事まで時間があるからと来たけれど、節分だから恵方巻きを食べたくなってしまう。デパ地下でひとつ買って家で食べる。方角を調べなかった。きっとわたしの行く方角はいつも幸運があるから大丈夫。
夜になって、友達と合流して恋人のライブに行く。家では陽気な恋人が、クールで笑った。音楽のセンスや知識はないわたしだけれども、楽しそうにみんなでジャズをしているのを観ていると、こちらも身体を横に揺らしてしまう。恋人がソロを吹いて、ぺこりと小さく一礼。座ろうとしたところで、ビックバンドのリーダーが煽って、即興でもうワンパート吹いていた。こんな一面もあるけど、普段から決してひけらかしたりしないことに感心する。その後に、ソロリストとして名前を呼ばれてもぺこぺことお辞儀するだけで、にこりともしない。翌日、「本当に楽しかった」って話すから、面白い人だなと思う。ジャズは演者同士が目配せや楽器で会話して、音楽となっていくから面白い。
ライブが終わって、恋人にひと声かけて会場を出る。「15分後にふたり座れますか?」と、ある酒場に電話をかける。すすきので1番好きな酒場。年明けてから行くのは初めてだった。いつからか顔見知りになった店主に「あけましておめでとうございます」と言って、ビールと日本酒を飲む。1杯目のビールが9.5%あったことを思い出したり忘れたりするくらい酔った。隣の席に座っていた30代のお姉様方とお話し、徳利の日本酒を勝手にお酌し、しばしガールズトークを楽しむ。「結婚しても子供が産まれても旦那に家のこと任せて飲みに出れるのいいな〜」と結婚の条���をまたひとつ上書きする。終電で帰宅。1時になっても彼氏が帰ってこないから、先に寝ることにした。
もぞもぞと彼氏がベッドに入ってくる。ライブどうだった?とか来てくれてありがとう、とかの前の第一声が、ここには書けないような中学生みたいな下ネタで、半分夢の中のまま笑った。なんじ?と聞くと「よじ」と言っていてアホだなーと言いながらまた眠りに落ちた。
次の日は、朝から不動産で新居の契約締結。昼前に料理が得意な男友達が家に来てポークステーキをさささっと作ってくれた。「日曜のお昼だからさ」と言ったそれは彩り鮮やかなブランチで、昨日ライブだった彼氏がジャズを流していたから、なんとも優雅な昼下がりとなってしまった。
その後��、演劇を観に行く。演劇は初めてだった。映画とは違って、自分の好きなところに目をやって楽しめるから、観客は神様視点だなと思った。毎年同じ夏の月末に、同じホテルに泊まる男女の話。毎年、それぞれの家庭や仕事、生活の近況を語り合ったり、イチャイチャしたり、本音でぶつかって喧嘩したり、胸の内の秘密を吐露して泣いてしまったりする25年間を5年おきにシーンカットした演劇。題名が「same time,next year」という。生身の人間が目の前で芝居するパワーや没入感、距離感が映画とは段違いに違う。感情移入してしまって数回泣いた。面白かったからまた行くと思う。札幌で触れる新たなカルチャーの予感。
地下鉄で恋人と感想を言い合いながら、帰宅。うどんを食べて、サウナへ。最近、彼氏の真似をしてサウナにハマっている。汗をびっしりかいて、-2℃の外気浴をする。不思議と寒くない。ひと足先に休憩所で待っていた恋人とオロナミンCとフルーツ牛乳で乾杯して、ほかほかした気持ちで家に帰る。
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桜林美佐の「美佐日記」(268)
ドミノ・ピザ創業者の壮大な物語──宝物はたくさ
ん隠れている
桜林美佐(防衛問題研究家)
────────────────
おはようございます。桜林です。「男もすなる日記
といふものを、女もしてみむとてするなり」の『土
佐日記』ならぬ『美佐日記』、268回目となりま
す。
先日、ちょっと高級な「親子丼」を食べたのです
が、そういえばかつては出前でよくカツ丼などを頂
いていましたが、近年は出前そのものがなくなって
いて、もはやあの食べ終わったどんぶりを玄関に置
く光景も「昭和の景色」となってしまったのでしょ
う。
夜勤をしていた頃の、あの冷めたかんじが私にと
っての「丼もの」イメージだったのですが、お洒落
な器に入ったこだわり卵の親子丼は、夜勤のお供と
は別の食べ物なのでした。お蕎麦屋さんに行って冷
めるまで待つわけにもいかないので、もはやあれは
幻の食べ物になっていることに気付かされ愕然とし
ました(そこまでガッカリすることはないですか)。
出前というと思い出すのは、高倉健さん主演の映
画『駅 STATION』です。健さんは射撃のオリンピッ
ク選手でもある刑事役、人質を取って立て籠もった
銀行強盗に出前持ちに扮してラーメンを持って行く
のですが、岡持ちに拳銃を隠して突入したのです。
あのラーメンは札幌みそラーメンの「すみれ」だっ
たのですね。
それはともかく、もはや銀行強盗に要求されても
出前持ちが行くことはなさそうですので、銀行強盗
も時代とともに変化しているのです。
そして、最近見たニュースでは出前だけでなく、
ピザのデリバリーにも時代の変化が起きているとい
うものでした。
ITmedia ビジネスオンラインによれば、全国のド
ミノ・ピザが相次いで閉店していて「閉店ドミノ」
現象が起きているといいます。
ドミノ・ピザはコロナの時期に需要が増え、20
23年には宅配ピザ業界で初めて1000店舗を突破し、
10年後には2000店舗を目指すという目標も掲
げていたそうです。しかし、オーストラリアの運営
元が不採算部門を整理することを決めたとのこと。
と、ここまではありがちな話題なのですが、私が
興味を持ったのは、ドミノ・ピザの最新事情よりも
創業者であるTom Monaghan(トム・モナハン)氏の
ことです。
1937年に米国ミシガン州の貧しい家庭に生ま
れたモナハン氏は4歳の時にトラック運転手だった父
親が亡くなり、弟とともに孤児院に預けられ修道女
のもとで育ったといいます。
その後、海兵隊に入隊。名誉除隊後にピザレスト
ランを売りたいという人からローンを組んで購入。
郵便局で働きながらこの経営に乗り出したそうです。
レストランではなく宅配専門の店舗にし、宅配用
の容器に着目。保温性に優れた容器にピザを重ねて
入れられることが大ヒットとなり、そして大成功す
るのです。
こうして孤児から億万長者になったモナハン氏で
したが、1989年にドミノの社長兼 CEO を退任、
「無一文で死にたい」と宣言し、自身が得た物質的
な資産は全て他人を助けるために使うことを決心し
ます。
神が与えてくれた才能や様々な恵みを���のために使
うというカトリックのクリスチャンらしい生き方を
選んだのです。そして、フロリダ州に「アベマリア
大学」という大学と学園都市を創設し、教育に私財
を投じています。
人間はある目標を達成した時が「成功」であり、そ
の時きっと幸せだろうと思い生きていますが、その
時になっても満たされないものです。誰かに喜んで
もらえる仕事をする、特別なことではなくても、周
囲の沈んでいる人を元気づける、そんなことが大事
なのだとつくづく思います。
知らなかったのですが、Dominoという言葉はラテ
ン語で「主」を意味するのだそうです。私たちの周
囲には、実に多くの学びがあると感じさせられます。
単なる宅配ピザチェーンの近況のように見えても、
そこにこれだけ壮大な物語があるのですから。まだ
まだ見つけていない宝物がたくさんどこかに隠れて
いるような気がしてワクワクするばかりです。
親子丼からとてつもない話の広がりとなりました
が、今日も最後まで読んで頂きありがとうございま
した。皆様にとって素晴らしい1週間となりますよう
に!
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ミツカンに対し1億円の賠償を求めていた 東京地裁709号法廷はその日、傍聴希望者で満席となっていた。8月10日13時30分すぎ。予定より15分ほど遅れて、海外でも注目されていた訴訟の判決言い渡しはわずか数分だった。「原告の請求はすべて棄却する」。傍聴席からはどよめきが流れた。 勝訴した被告は、「味ぽん」などで知られる老舗食品メーカーの「ミツカン」(ホールディングスなど2社)。原告は、ミツカン創業家の娘婿として迎えられ、役員ポストまで約束されていながら、長男が誕生するや妻子と引き離され、その後、妻とは離婚、ミツカンからは解雇された中埜なかの大輔氏(42)だ。 この日の判決は、大輔氏が「違法で不当な配転命令だ」と主張して1億円の損害賠償を求めた訴訟だった。 判決文を精査した大輔氏および代理人弁護団は「あまりにも杜撰な審理、お粗末な事実認定」として、東京高裁に控訴している。まずは訴訟に���るまでの経緯を説明しよう。 創業家の一子相伝で経営が引き継がれてきた 愛知県半田市に本社を置くミツカンは、グループ全体で年商2700億円、従業員約3700人、非上場ながら超優良企業である。「しあわせって、どこからやってくるんだろう? しあわせ、ぽん!」のキャッチコピーとともに家族団欒の様子を演出したCMでロングセラーとなっている「味ぽん」は、多くの家庭でもおなじみだろう。 その経営は江戸後期の1804年創業以来、中埜家による男子の一子相伝で、代々の当主は「中埜又左衛門」を襲名し、絶対君主として引き継がれてきた。歴代当主の最重要使命は、事業と莫大ばくだいな資産を次代の当主へと継承させることだった、と裁判のなかでも明らかにされている。 そんな名門創業家の婿として大輔氏が迎え入れられたのは2013年のこと。8代目当主・中埜和英ミツカン代表取締役会長兼CEO(当時、以下同)と妻の美和副会長(当時、以下同)の夫妻は男児に恵まれず、2人の娘しかいなかった。その次女である聖子氏と大輔氏は「お見合い」で知り合った。 婿入りするにあたっての「3条件」と「約束」 大輔氏は慶應義塾大学を卒業後、大手証券会社に入社。その後、外資系金融会社に転職し、当時は香港で働いていた。そこに、社内でプロジェクトチームまで結成して「婿探し」に奔走していたミツカン側から、資産運用で縁のあった上司を通じて見合い話が持ち込まれる。 高校時代ラグビーで鍛えたスポーツマンで8代目と同じく慶大卒の、エリート金融マン――。8代目夫妻も彼こそはと見込み、正式な交際を経て互いに愛し合うようになり、めでたく華燭の典となった。 ただし、入籍にあたって大輔氏は3つの条件を呑まされていた。1つ、金融マンとしてのキャリアを棄ててミツカンに入社すること。2つ、自身の姓を棄てて中埜姓となり婿入りすること。3つ、妻となる聖子氏の財産に対する遺留分放棄(妻が死亡した場合に財産を受け取れる権利の放棄)に合意すること。その代わり、近い将来ミツカンの役員に昇進させて十分な報酬も約束する、という合意書に署名した上での結婚だった。 そして夫婦は愛情を育み、幸せな結婚生活を送るなか、ほどなくして妻は身籠った。しかも、老舗創業家にとっては待望の男児と判明。ところが、この慶事が将来を約束された順風満帆であったはずの大輔氏の人生を急転直下させることになる。 本人提供ミツカン本社前で抗議活動をする中埜大輔氏 息子が生まれて4日、義父母が突然やって来て… 出産の3カ月前、大輔氏夫婦はロンドンに転居していた。すでに役員を務めていた妻の聖子氏はもちろん、ミツカンの社員となっていた大輔氏の英国支店配転によるものだったが、この結果、「英国で出産」という異例の事態となった。 しかも大輔氏は、転居後に和英会長から「1年間の育児休業を取得せよ、その間に転職先を探せ」と命じられる。婿入り時に約束された「近い将来ミツカンの役員に昇進させて十分な報酬も約束する」という合意はあっけなく反故にされ、逆にミツカンから出ていけとの命令だ。 そして息子が生まれて4日目の2014年9月1日、義父母がロンドンの大輔氏を訪ねてきた。 「あの日のことはいまも鮮明に脳裏に焼き付いています」 大輔氏はそう振り返る。 「ロンドンの産後ケア施設にいた僕たち夫婦のもとに、突然、日本から義父母がミツカンの常務を引き連れてやってきたのです。そして和英会長は『養子縁組届』なる書面を突き付け、この場でいますぐ署名しろと迫った。生後4日の僕たちの息子を自分たちの養子に差し出せというのです」
誕生4日後の孫を「創業家の養子」にするため英国へ…超名門企業の「男児を世継ぎにしたい」という異様な執着 「役員予定」だった娘婿は、息子と引き離され会社をクビに (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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単巻作品
『風花雪月』
喫煙の補導で停学になった高校生の知幌。両親が激怒する家に帰りづらく、従兄の束の部屋に転がりこむ。その町で佳鈴という女性に出逢い、ひと目で惹かれるが、彼女には夫も娘もいて……男子高生×人妻のラブストーリー。
『IN BLOSSOM』
愛してるのは二次元の彼!重度の夢女子・季羽は進級したクラスで早瀬という女子生徒に目が留まる。近づきたい、でも触れたくない。そんな季羽は、“ノンセクシュアル”という恋はしてもセックスは求めない性を知る。
『月の堤』
精神安定剤を飲み、工場で働く毎日をやりすごす心を病んだ青年。ある日、職場で古株のおばさんになじられる新人の女性に目が留まる。何となく気になるものの、彼女には娘がいて──哀しいほどの純愛を綴る恋愛小説。
『ミメシスの夜』
昼は「普通」に紛れて過ごす彼らは、夜、いつものバーでありのままのすがたになる──ビアンの未桜、トランスセクシュアルの透羽、ゲイの七音とバイの伊緒。いつも四人で過ごす夜に、柳という中年男性が現れ……?
『僕の爪痕』
クラスメイトの女子である里菜に、暴力的なイジメを行なう少年・早原。スクールカースト上位の彼が、底辺の里菜を容赦なくいびる背景には、幼い頃からトラウマが関係していた。彼は里菜に「恐怖」を覚えていた──。
『PASTEL ZONE』
死後に待っていたのは異世界転生──じゃなく、現世に遺した人々に対して“無力”になったことを思い知らされる、気のふれそうな時間だった!家族、友人、恋人の中で過去になる自分に、あなたなら耐えられますか?
『砂糖づけの人形』
容姿のことでイジメられて以来、髪をほどくこともなくなった結菜。そんな結菜の前に現れたのは、家の都合で引き取られてきた佳月というはとこの美少年。次第に結菜に心を開いた佳月が語った、彼の過去とは──?
『Baby,RAG BABY』
僕は好きになった人と幸せになれない。同性を好きになった日から、そう思ってきた希雪。そんな悩みを知ってか知らずか、ふたごの妹の希咲は希雪の書いた詞をたどってギターを弾く。そんなふたりが出逢ったのは──
『ミチカケループ』
DV彼氏の束縛を愛だと言い張る彼女、そんな彼女に片想いする彼、ふたりの力になろうとする彼女、そして彼女が片想いする彼は……さまざまな男女の負の感情が絡みあい、吐き気がするような連作短編集。
『360°』
「僕、女の子が好きなんだよね」ある日、親友の雪月がそう打ち明けてきた。男ならそうだろうと思った千晶に、雪月は自分の心は女の子なのだと訴えてくる。さて、軆は男、心は女、それなら恋する相手は──?
『Blue hour』
クリスマスの朝、闘病していた僕の恋人が死んだ。彼女がいなくなったこの世で、それでも生きていかないといけない。それは気の遠くなる長い夜を過ごすようで──愛する存在を喪っても、前を向いて生きるための物語。
『死花』
僕には命など邪魔物でしかない──誰も自分など愛さない、そんな想いに囚われ、“心”や“意思”のない物体を愛し、やがて死体性愛に目覚めていく少年。殺さないと人を愛せない彼は、ついに一線を超えてしまうが……?
『まちばり』
幼い頃に捨てられた少年は、残飯の中から赤ん坊を拾い、その子を妹として守り育てることを心の支えに成長する。ずっと盗みで生きてきたふたりは、ある日、男娼宿のオーナーである男に目をつけられて──?
『ロリポップ』
遊びほうける高三の夏休み。大して本気でもない彼女、校則違反だらけの親友、俺も将来を考えることから逃げている。そんな現実逃避の毎日の中、自傷癖を持った女の子と出逢い、次第に惹かれていくけれど──?
『中2ヒーロー』
知名度と話題性で作家になる芸能人。俺のクラスメイトの神凪瑠斗みたいな奴。音楽、モデル、文学、何をしても認められて、何だよもう!俺の取り柄は書くことだけど、そのたったひとつにも光は当たらないのに。
『男の娘でした。』
駄菓子屋で店番をする癒は、子供たちに「姫」と揶揄われている。青春は華やかな男の娘として暮らした癒。しかし今はイケメン女子の恋人・伊鞠に首ったけ。彼女のためなら何も厭わぬ、ハイテンションラブコメ!
『僕らの恋はうまくいかない』
書くしか取り柄がない青年・希音の周りの人々は、みんな恋をこじらせている。女装男子に恋するゲイ、塀の中の初恋の人を想う少女、実の弟との関係に溺れる女性、好きな人のペットに過ぎない少年──
『彼女の恋は凪いでいる』
恋をする。私にはその感覚が分からない──自分はどこかおかしいのかと悩む舞凪が知ったのは、自分が無性愛者(アセクシュアル)だということ。そんな彼女と、高校で知り合った三人組の男女は……?
『それでも君に恋をする』
この気持ちは報われないかもしれない。どんなに想っても届かないかもしれない。距離を取る親友、兄の婚約者、勘違いする彼女、振られた相手、長年の友達、失恋を引きずる男女。それでも、君が好き。
『雪の十字架』
彼女は俺を怨みながら死んだ。高校時代の同級生の死に取り憑かれ、精神を病んだ瑞栞。しかし恋人である陽葵に寄り添われ、やっと未来に光が芽生えたはじめて──そのとき、少女の怨念としか思えない惨劇が始まった。
『恋にならない』
三十歳。焦って婚活もしない私は、誰とも結婚なんてしない気がしてきた。そのほうが気楽でいいとさえ思っていた。なのに、あるきっかけで夫のいる女性と親しくなって──ねえ、私たち、友達のままならよかったの?
『白濁の血』
俺のなめらかで蒼白い肌は、まるで白濁を浴びたときのままのようで。幼い頃、さらわれて犯人と倒錯的な時間を過ごした美しい少年。忌まわしい記憶をなぞりながら、カミソリで自分を傷つける。彼の傷ついた魂の在処は?
『深紅の盃』
血を飲みたい。僕はその異様な欲求をこらえきれない。でも、君が僕のそんな欲望を理解してくれた。だから、ただ君のそばにいられたらよかったのに──ある日突然現れた美しい彼が、僕から理性を掠奪する。
『雪薬』
枕営業も厭わないホステスの凪子。そんな彼女を支えるのは処方される大量の薬。今日も口説き落とそうとしてくる客である作家が飲みに来る。薬さえ飲めば、まともでいられるんだから、それでいいじゃない──
『MIDNIGHT』
お互いを犯すように、一線を超えて禁忌に耽る姉弟。そこに愛はなく、ただいらだちを吐き出して夜の行為を重ねていたが、ある日、姉弟の幼なじみが隣の家に帰ってくる。そこから、姉弟の関係は揺らぎはじめて……
『START OVER』
夢の中でくらい、幸せな恋ができたらいいのに。そんなことを思うアラサー女子・真幸は、今日も職場後輩の恋バナマウントをかわす。このままひとりなのかな。そんな不安も一抹感じる日々、彼女の前に現れたのは──?
『アイオライトの夜』
あの残暑の夜を、私はきっとずっと忘れない。祖母を亡くし、乾燥したような退屈な日々を送っていた少女。ある日、彼女はクラスメイトの少年の飼い猫探しにつきあうことになり、さらに「帰らずの森」に踏み込むことになるが……?
『アスタリスク』
ずっと死ねばいいのにと思いながら生きてきた。機能不全の家庭、登校拒否の教室、そんな環境に身を置き、繰り返すのは自殺にも至らない自傷行為。それでも、こんな僕でもまだ──。言ってはいけない願いをこめて。
『指先に触れる君が』
周りにはゲイであることを隠し、ひっそりだけど、穏やかにつきあう映乃と真冬。しかし思いがけない運命に引き裂かれ、かけはなれたふたりに起きる、切なすぎる奇跡──ファンタジー風味のボーイズラブ。
『万華鏡の雫』
秘かに想いを寄せていた恵波とつきあうことになった水澪。幸せな交際が始まったが、恵波をつけ狙う不気味な影と、謎めいた水澪のルームメイト・早凪によって、徐々に歯車が狂いはじめる──血塗られたグロテスクBL。
『揺籃に花』
俺の家族はみんな狂っている。そんな俺も家族を避けて引きこもって暮らし、夜にだけ街を出歩く。いつものバーで引っかける男娼のキキのことは気に入ってる。ただし恋愛感情ではない、そう思っていたけれど──
『さいれんと・さいれん』
「ほかに好きな子ができた」いつもそう言われて彼氏に振られる桃寧。俺なら心変わりなんかしないのに。そう思っていた水雫は、ついに桃寧とつきあうことに!そして現れた桃寧の弟は男の娘!?NTR系BL。
『ローズケージ』
雪理と雪瑠、そして颯乃。幼い頃はいつも三人一緒だった。しかし雪瑠が失踪したことで、三人はばらばらになってしまう。数年が経ち、中学生になった颯乃の前に現れた雪瑠が語った、雪理と共に受けていた虐待は──
『Noise From Knife』
担任教師の水波と秘かにつきあい、心も軆も愛されている優織。このままずっと先生のそばにいたい。そんな甘い願いは、優織がナイフを持った何者かに襲われたことで壊れはじめ��──恋心と友情が錯綜するBL。
『樹海の影』
静かに暮らす姉弟の藍と燐。ふたりは夜ごと軆を重ねる、ゆがんだ男女でもあった。このままではいけない──分かっていても、呪われた記憶を共有するふたりは、互いに狂おしく執着する。これは愛情か、あるいは呪縛か。
『黒血の枷』
幼い頃、おぞましい出来事に見舞われたこまゆ。しかしその記憶も薄れた頃、その出来事が起きた町へと帰ってくる。懐かしい友達、幼なじみとの甘やかな再会──しかしこまゆを襲った悪夢は、まだ終わっていなかった。
『茜さす月』
幼い頃の忌まわしい記憶を共有し、互いを求めあってきた姉弟、萌香と有栖。ある日を境にふたりは離れることを選ぶが、それでも秘めた心では相手への狂気じみた執着が絶えることはなくて──禁断の愛の果ては?
『紅染めの糸で』
幼い頃から片想いしていた年上の幼なじみに大失恋した香凪。友達には早く次を見つけろと言われるが、簡単に心は切り替えられない。そんなとき遭遇したのは「男なら誰でもやれる女」こと深月毬実の情事現場だった。
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「館林北支部辞令交付」
皆さん こんにちは ハッピータイム渋川 婚活アドバイザーの登坂です(^^)
今回は 館林市花山町3222-14 館林北支部(080-1088-2035) 萩原紀子(はぎわら のりこ)先生 をご紹介させて頂きます(^^)
館林市のつつじが岡公園って知ってますか~? 地元の方はもちろんご存知だと思いますが、私は初めて行ったんです(^^)
つつじの開花時期は4月頃からだそうです💐 そろそろ咲き始めますね✨ 満開の時期にはたくさんの人が訪れるんでしょうね^^ 春のデート先にも良さそうですよ💕
その公園には沢山の地域猫ちゃんが居て、その猫ちゃんたちの面倒をみているボランティアの代表が萩原先生なんです😊
ご自宅は立派な一戸建てが保護猫ちゃんたちが過ごしやすい仕様に仕上がってました!
萩原先生のプライベート空間はあるのかな~と思うくらい猫ちゃんファーストなおうちでした🐱
保護猫ちゃんのご飯代だけでも月に10万円を超えてしまうそうです💦
誰にでも出来る活動ではないですよね。 本当に頭が下がる思いです🙇
萩原先生の優しく温かいお人柄が伝わりますね✨
そんな萩原先生が担当される館林北支部には、もう2人の会員さんが登録されています!
実は萩原先生は30年塾講師をされているので元生徒さんたちが卒業して又、萩原先生のハッピータイム館林北支部に入会👏 とにかく人も動物も放っておけない優しい先生なんです(^^)
地域活性化を目指して、一人でも多くの方が幸せなご結婚を出来るよう、館林北支部は皆様からのご連絡をお待ちしていますヽ(^o^)丿
********************************************
近くの結婚相談所
ハッピータイム群馬渋川
婚活アドバイザー 登坂美恵
群馬県渋川市渋川1821-25
セントラルタツミ2-A
電 話:0279ー25-3535
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婚活 結婚相談は近くの結婚相談所ハッピータイム (http://www.happytime-en.com/)、 群馬前橋・群馬沼田・群馬渋川・群馬高崎・群馬安中・群馬藤岡・群馬伊勢崎・群馬桐生・群馬みどり・群馬太田・群馬邑楽・群馬館林・栃木足利・栃木佐野・栃木小山・栃木栃木・栃木真岡・埼玉熊谷・埼玉深谷・埼玉本庄・埼玉行田・埼玉羽生・埼玉加須・埼玉児玉・茨城牛久・茨城下館・茨城筑西・茨城結城・茨城古河・新潟長岡・新潟小千谷・新潟見附・新潟柏崎・新潟魚沼・新潟十日町・新潟南魚沼・新潟西蒲原・神奈川川崎・山梨甲府昭和までお問い合わせください。
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2月の外食記
2月4日 ABCラーメン@銀座/tabacco@恵比寿
歌舞伎観たあと、受験で弟が遠路はるばる来てくれたので銀座でランチ。東京で、ラーメン食べたいとのご所望があればここ一択。育ち盛りをいいことにサイドメニューもたらふく食わせる。大学の下見に付き合ってから好きな人①に会いに恵比寿に。彼の行きつけのラーメン屋向かってから、かよ先輩が行ってい��気になってたイタリアンにお邪魔。串カツ屋さんみたいなノンストップタパス、楽しいなあ。大はずれだったビブグルマンフレンチの話して、ここは好みと伝えたら俺たち情報食ってるからねと返されて、たしかになと思った。情報を噛み締めて気持ち良くなりたいよね。4度目も手を繋いで健全解散。デートはこれが最後かな。
2月11日 うゆう@渋谷
大学時代のバイト同期と飲む。私以上に食にうるさいから、お店サジェストするときどきどきしちゃう。芸術品のようによそわれたお通し6品に毎度見惚れる。褒めてもらえて嬉しい。酔ったノリでハプバ行く。摘発されていたからどんなもんかと思っていたけど、プレイルームはホテルとして別会社が運営、行���たいときはスタッフにこっそり声かけるっていうパチ屋仕様になっていてウケた。たしかに懇ろになった男女がホテルに行くのは誰にも憚られませんからね。声かけてくれた男性2人と、半分おしりが見えるセーラー服着てダーツした。失礼だけど、私たちがアプリで会ったら初手で切ってしまう、なんならそもそもマッチしない属性の人。でも2人とも私たちに楽しんでもらいたい気持ちがまざまざと伝わってきて、人間っていとしいなと思えた。ここに来るといつだってあたたかい気持ちで帰路に着く。ありがとう。
2月12日 小野田商店@学芸大学
2ヶ月ぶりの加藤。大好きなホルモン屋さんとワインバー行く。ここに訪れるたびにお客さまは神様じゃないのを思い出す。この街がぜんぜんしっくりこない男だなと思う。ずっと日比谷線にいたほうがいいよ。そのあとなぜか六本木行こうや、と向かったもののバーはろくに空いておらず、さらになぜか遠隔プレイしようや、とドンキ行く。ぜんぜん思っていたのと違ってAVはフィクションだねと笑い転げた。
2月13日 友@目黒
3年前からときおり会っているティンダーの男友達とサシ。はじめて会ったときは私は22で彼は27だったと思うとこわい。手書きのメニューが適当に壁に引っ付けてあるお店ってだいたいはずれがない。M1出場を打診されノーシンクで快諾。だってM1経験のある人生のがおもろいじゃん。いったん彼の芸風見てからコンビ組もっと。
2月15日 ilungo@自由が丘
お気に入りのおでんやさんで飲むつもりが、煩いおじさん客がいるからっておでんやの女将さんと2人して抜けてビストロで飲んだ。日本酒フリーフローは嬉しい。彼女は代理店の大先輩でもある。さんざん仕事の愚痴を連ねる。最近仕事干されて���ヤイヤ期だけど、たしかに私はキャッチアップ遅いんだった。背中押される。私も彼女みたいに着物を自由に纏えるようになれるなら、アラフォーもそう悪くない。ハナエモリのお着物ずっと狙ってる。
2月18日 のんき屋@浅草/Trattoria Azurri@神楽坂
日本舞踊のお稽古に浅草へ。せっかくだし、と帰りにホッピー通り寄るもおひとりさまだからと4軒連続で断られる。もしかしてお呼びじゃない?半ば憤って入った立ち飲み屋が大正解で息をつく。もつ煮150円なんてマネタイズが心配です。ほろ酔いで神楽坂。電話でのリファレンスチェックも功を奏し案の定楽しかった。国家公務員からコンサルに転職した理由を問うたら、「それでいうと理由は3つあって〜」とお手本のような仕草を垣間見てにやにやしちゃった。まだ遊んでいたいと恋愛したいの狭間で揺れてると聞いて、正直な人だなあと思う。でも恋人がいないと甘えたくても甘えられないと溢されて、そんなの傷口の舐め合いじゃんと返したけど、まあ、そうだよね。だって私たち、頑張ってるもんね。男の子、みんな葛藤してて可愛い。菜の花とホタルイカ、旬のうちにリベンジしたいな。好きな人②に昇格。
2月21日 ゑぶり亭“@横浜
ダンサー3人で飲んだ回。まあダンサーじゃないんだけど。炙りしめ鯖にレモンを搾るさまさえもべた褒めしてくれるから自己肯定感あがる。元気の良い居酒屋って大好き、絶対にバイトしたくないけど。業界人でもないのにフースタ見てる人は変態と聞くけど、フースタは間違いない。
2月22日 カクニマル@神泉
某ギャラ飲みの日。ここも接客がいい意味でやたらやかましい。刺し盛を出血大サービスしてくれた。こういう人も、まだこういうお店で飲むんだなと思った。でもしっとりしない雰囲気で逆に良かったのかもしれない。女友達と来たかったなあ。
2月23日 da GIORGIO@湯島
好きな人②と飲む。彼から教えてもらったこのお店、かよ先輩が「東京で1番美味しいピザ」とツイッターに残していたのを思い出して俄然楽しみになった。MECEな恋愛の話する。MECEな恋愛なんてないだろ。私はやっぱり一緒にボトルを空けてくれる人が好き。いつだって飲みきる責任を背負った共犯関係でいたい。
2月25日 串カツ田中@横浜
サークルの同期3人と鎌倉で座禅を組んだ日。幸せってなんたるか、良い家に住むでも素敵な配偶者と巡り合うでもなく、皆さんの足元にあるそうですよ。頭ではよ〜くわかってるんだけどな〜!シャバい経営者は全員座禅したほうがいい。私もまだまだ先は長そう。そのまま横浜向かって、田中とカラオケとハブをはしごする煩悩に塗れた夜。田中で串カツ選ぶのってなんであんなに楽しいんだろう。好きなチェーンは田中と松屋とふたごです。
2月27日 どん底@新宿
「お会計30%オフになる年賀状が今月いっぱいだから!」と誘われてティンダーの男友達と飲む。彼ともかれこれ2年になる。ここ、クラシックでとっても美味しいけど絶対にスタッフが堅気じゃないんだよな。そこも含めて良店です。ティンダーを辞めた理由のひとつは彼で、彼に出会えてもう辞めても悔いないなと思った。好き同士ならただ一緒にいれば良いじゃない、なんて互いに婚姻アンチだけど、でも結婚したらバイブス上がりそうじゃね?!と盛り上がる。それもわかる。私が結婚式をするなら彼を「インターネット」のテーブルに着席させる。26歳、春からようやく社会人になるらしい。おめでとう。帰りに店員さんに「しこたま飲んだなあ!」と言われて笑う。2人でシーバスのボトルキープした。勝手に飲ませてね。
今月がはやく過ぎたのは決して日数だけの話じゃない。総じて非常に楽しかったんですよね。よく食べ、よく飲んだ。数えたら2日にいっぺんは飲み歩いていた模様。あと、思い返せば浮き足立つデートが毎週末あって幸せだったな〜!私、やっぱりときめいてたい。来月も素敵なお店で大好きな人たちと過ごせますように。
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いつかはぜんぶ幻みたいに思えても
タイトルはSwitchの曲「オモイノカケラ」より。昨日友人と会った際に彼女がこの歌を口ずさんでいて、ああ、この曲も大好きだったなと思い出した。Switchの曲はどれも良すぎる。なんでSwitchはここまで曲に恵まれているのか?恐ろしいほどだ。たんに私の好みに合っているだけかもしれないが。キャラクターのパンチがそこまでではない(いわゆる正統派美形ではない、搦手の3人)ため、曲は厚遇されているのか?などと思ってしまった。そのあたりのバランスはありそうだが、まあわからないことを考えても意味がない。そしてオモイノカケラを叩いていて思ったのだが、宙の顔のモデリングがえぐいほど良いということだ。夏目もいいのだが、あんスタの3Dはやはり小さな子供の顔が基調だと思うので、ということを差し引いても宙の顔のパーツ配置や輪郭が黄金比すぎる。夏目も童顔なのでいい感じだが、追加ユニットゆえのモデリング改良を受けているのだろうか。つむぎは成人男性のため、他のキャラと同じくややアンバランスだが、とにかく宙の顔の美しさが群を抜いている。どの角度から映されてもあまり現実の比率と齟齬がない。Rabbitsには感じたことがない感覚なので、やはりモデリング技術のなんらかの向上があるのか、宙だけ異様にうまくできてしまったのか…とまた考えても答えのないことを考えている(もしかしたらどこかのインタビューに答えがあるのかもしれないが)。そうなるとmusicで追加されたALKALOID、CrazyBの面々のモデリングもかなり改良されていそうなものだが、こちらには童顔(小柄)キャラがいない。一彩、藍良、こはく辺りはやや童顔系だが、宙ほど幼くはないので、やはりいつものやや幼さのある謎のバランスの悪さが発揮されている。成人男性モデル組はそもそも変。私は変だと思っているが、これがあんスタのモデリングなので別にいいと思う。顔も体も、なぜか立ち絵よりも幼く作られているのは、どんなコンセプトがあるのかいつか知りたいところである。というか、アイマスからの「少女型」モデリングをそのまま継承しているイメージでもある。これはモデリングをする人の手癖とかもあるのかもしれない。
SPECTATORS vol.52のアメリカ保守リベラルの年代まとめを終えた。1929年のウォール街大暴落までは、自由奔放な野蛮な(素朴な)アメリカ、その後ルーズベルトのニューディール政策により「大きな政府」=リベラルの時代が約40年続く。1980年代になり、ベトナム戦争の敗北や全体的な生産力の低下、アメリカ内部の分裂が深刻になり、「古き良きアメリカ」への懐古と、いきすぎたリベラルへの反動で、レーガンの「小さな政府」へ。ここから現在にいたる約40年間が保守の時代。こうしてまとめると、いろいろと見えてくるものがある。つまり、私が生まれた時代というのは強烈なアメリカ保守への揺り戻しの時代で、まさに自由市場主義が推し進められた、それも過剰に推し進められた「小さな政府」の時代だった。そして、失われた30年間とかなんとか、日本では言われるようになる。が、アメリカでは依然保守が強いので、日本の政党もかなり右傾化したままここに至っている。日本では経済成長が終わり、デフレ真っ逆さまのなか、「小さな政府」路線からなかなか脱却できず、福祉や公助で人々を救うのが遅れに遅れ、その間も自由市場主義によって格差はどんどん拡大した。これが私が生きてきた35年ほどの日本の状況だったように思う。この最悪な状況のなかで、確かに精神を病む大人(親)は多かったし、その煽りを受けて家庭内虐待が大量発生し、私たちの世代(子)もかなりの割合で、若い(子供の)うちから精神疾患を発症している。おそろしい時代だと思う。これから、格差拡大により増加した貧困層にいかに税金を割いていくか、を考えなければならないのに、日本は高齢者への福祉にかなり足を取られている。この状況はあと20年ほどは続くだろう。若い人たちは限られた自分たちに使える税金をいかに分配するか、工夫しなければならない。こんな状況で被虐待児や元被虐待児に支援を、と言っても、とてもそんなところまで手が回らないと言われるのはすごくよくわかる。とくに虐待なんて、誰もが関わりたくないトピックだ。それは、「虐待者が悪い」と言ったときに、その虐待者が権力者であった場合、指摘した側、子供を助けようとする側の立場が悪くなるから。しかし、被虐待者である子供の側には、何の権力の後ろ盾もない。親と子が争った場合、ふつうに負けるのは子供の方である。そして虐待死に至るか、虐待を耐え続け逃げ延びても、その先で精神疾患になり自殺する。または自殺と常に隣り合わせで地��を生きていくことになる。それでも、そんなことはどうでもいいとばかりに、児相は動いてくれない。これがなぜなのか私には全然わからない。児相がふつうに仕事をしてくれたら、虐待の被害はもう少し減るだろうし、こんなに民間で自助しなければならない構造は変わるだろう。児相が機能していない背景には、やはり、親権規定の強力さがあると思う。親権規定がある限り、児相がいくら子供を助けたいと思っても、親から子供を引き離すことはできない。親の虐待が検挙されるか、親がyesと言わなければ、子供を施設で保護することはできない。加えて施設も里親の数も足りない。日本にはとにかく血の繋がった子でなければ愛せないという神話が未だに渦巻いており、養子文化は全然ない。またはそれは悪いこと、恐ろしいことと思われている側面さえ感じる。私には理解できないが、血が繋がっていればその子供を愛せるらしいし、血が繋がっていなければ、その子供に対してどこか投げやりになるということなのだろうか。そんな人間ばかりではないと思う。みんな犬や猫を家族として受け入れているんだから、人間だって血が繋がっていなくても家族になれると思う。かかる金の桁が違うが、「自分の子」として受け入れるなら、愛情は注げるはずだし、誰の腹から生まれたかがそこまで重要なのか?と、養子反対の感情は私には本当に理解できない。私がさっさと結婚して養子を育てれば話は早いのだが、そもそも30代後半の精神障害者が結婚することがかなり難しいので、そこを強行突破できればいいのになあといつも思っている。あと30代後半の精神障害者と結婚してくれるような男というか、30代後半の女と番いたいと思う男に基本的にはまともな人は残っていないので、そういう男と結婚するのは憂鬱だなあと思っている。ここで虐待が再生産されたらなんの意味もない。養子縁組や里親は私以外の健全な人間たちにぜひお願いしたいと思っている。私は自分が養子を取るという面においてはあまり虐待問題に貢献できなさそうなので、仕事で被虐待者の支援を請け負う人間になりたいと思う。本当は自分の好きな仕事をして好きな人と結婚して子供を産んでまあふつうの家庭や家族をやってそれなりの人生を送りたかったのだが、それは無理だったので、せめて自分にできることを、と思っている。このような体力のない精神障害者でも、いないよりはいたほうがいい。0よりは、0.1でも、力はあったほうがいいのだと思っている。自分のためだけに生きられる人間だったらもっと楽だったと思う。でもたまたまそうは生まれつかなかった。自分の仕事をして、余暇で趣味をする。本来なら人間の生活とはそれでいいはずだ。でも、私はそうではなく、とにかく子供たちや、今も苦しむ大人たちを少しでも楽にしなくては、と思っている。それは自分にその経験があるから共感しているからなのかもしれないし、過去の自分を救済したいからなのかもしれない、それはどうでもいいのだが、とにかく、1秒でも早く、苦しんでいる誰かを実際的に救わなくては、と思う。この感情に駆られず生きられたらとても穏やかなんだろうなと思うが、たまたまそうは生まれなかったので仕方ないと思う。なんでみんな自分のことだけ考えていられるんだろう、自分が幸せならそれでいいんだろう、と不思議に思う。逆に、私も不思議に思われているはずだ、なぜ他人の救済を義務のように感じているのかと。もうこれはお互い生まれつきなので、お互い根本からの理解は不可能だと思う。
「自分にケアが必要な人ほど、他人を助けたがる」と苦言されたことがあった。でもそれは仕方がないと思う。他人を助けたいあまりに自分がダメージを受け、そのダメージが回復していないとしても、まだ他人を助けようとしてしまう、根源は同じだ。自分のケアをある程度まで進めてからでなくては共倒れになるのだから他人を助けることなど到底できない、と鼻で笑われたとしても、実際その通りなのだが、でも強烈に他人を助けなければという思いは消えない。その為にも私は自分を立ち直らせることを急いでいる。共感性の高い人がそうなりやすいと思う。自分が傷ついた経験から、他人の傷をこれでもかと想像できてしまい、その苦しさがわかるからこそ、助けたくなる。その人が少しでも楽になれば、共感によりこちらも少しは楽になる。その人が苦しんでいればこちらも苦しい。共感性も生まれつきのものだと思うので、これは仕方のないことだと思う。
共感性の高い人間には、おそらく、共感性の低い人間の感覚はわからない、逆もまた然り。利他的な人間には利己的な人間の感覚はわからない、逆もまた然り。これはどちらがいいとか悪いではなく、単に生まれつきが違うだけだからそうなってしまうのだ。そこで分断されずに、ただ、あなたはそうなんだね、とお互いの特質を理解して尊重するだけでいいと思う。私は共感性が高く、利他的な人間に生まれついたが、これがマイノリティであるということはさんざん今までの人生でわからされてきた。そして、自分も、自分と違う感性を持つ人も、別にどちらも悪くないし、どちらも正しい、みんな、自分の生きたいように生きればいいということをわかっている。
2023.1.29
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20230313
この寂しさを埋めることができるのは、
この寂しさを与えた人だけだと思ってた
おそらくこれは半分本当で半分本当ではない
寂しさを与えた人を今もまだ心のどこかで待っているとしたらこれは本当で。
心の底から待っていない、求めていないと思えたら、これは本当ではない。
私はこれまで沢山愛されてきた。これ以上の無償の愛はないだろうと確信づく程に祖父母は私たちを愛した。私が学校へ行かなくてもプリントを整理してくれる友人達がいた。言葉などなくても幸福感を感じるお付き合いをしてきた。人間関係のしがらみに巻き込まれるような環境でもなく、異性関係に無駄に傷つく経験も予定していない。男女問わず取捨選択をするし、付き合いたい人と付き合って、話したいことを話し、受け取りたいものを受け取る。それほどに良い人生はないじゃないか。
在るものを思い浮かべれば、私はとても恵まれている。なのにいつも埋まらないのは、ただ一人、私を愛さなかった人をいつまでも心のどこかで待っていたからだ。この寂しさを埋めることができるのは、この寂しさを与えてきた人だと思い至っていたから、私は忠実に、彼の役割を他の人に求めたりしなかった。忠犬ハチ公のように素直に痛々しいほどに勝手な期待と勝手な裏切り感の反覆の中でひとりよがりに待っていた。バカバカしい。
私が待つことを本心でやめることができてしまえば、この寂しさはいつか埋まるのだろうか。この穴の形に、なにか流動的な柔らかい形のないものが流れ込めば、いつかこの穴の凹みを忘れることができるのだろうか。
もう彼のこと吹っ切れたんです、彼がどこにいて何をして、どこかで野垂れ死んでてもどうでもいいんです、と言える女が生き生きとしたいい女。だとしたら、
私もう父親がどこにいて何をして、どこかで野垂れ死んでてもどうでもいいと言ったら、あなたはどう思う?やっと吹っ切れたね、次に進もう!と背中を押してくれる?それとも、欠陥した人間性を連想する?前例とは手のひらを返して、生き生きとしたいい子ではなくなる?私と女は何が違う?
曖昧だね人生は。でもそれもいいね。
たとえこの先、心の凹みが埋まったとしても、私は凹みの溝をいつまでも指先でなぞるだろう。
そうでないと文字が書けない、美しさが分からない、私が私でいられない。
もう寂しくはなくても、忘れてはいけない、そういう事がこれからもきっとあるでしょう?
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最近白泉堂のマンガparkというアプリで「ぼくの地球を守って」を読んでる。なんかセーラームーンの元ネタになったとか聞いて前から気になってて。最初はふーん…て感じで全くハマってなかったんだけども、マンガparkでは1日に10話ぐらいまとめて読めるから、世界観にハマった。これは確かに前世を信じる戦士症候群とか生まれるわ。
主人公のありすが植物と会話できるの羨ましいなあとか思う。マンションのベランダにたくさんの植物植えてるのも羨ましい…まあ私はあんま園芸には興味ないんだけどもね。実際憧れてこういう庭園を作ったとしても、花の世話とか多分面倒で普通に枯らせてしまうと思う。
あと前髪パッツンの中性的な錦織一成ていう子も好き。なんか最近はこういう髪型もリバイバルして多いけど、私が子供の頃に流行って憧れてたイケメンの髪型て感じで良い。よっぽど顔が良くて雰囲気のある似合う人じゃないとあかん髪型だと思うけど。
なんかマンガの影響で毛先ぱっつんにしたくて毛先自分で切り揃えてみた。結構真っ直ぐになったと思う。切れ毛があるから定期的に自分で毛先揃えてるけど、しっかり揃えると気持ちいいね。美容院でやってもらうべきなんやろうけど、とりあえず自力でそれなりに真っ直ぐにできてよかった。毛先にブリーチ3回ぐらいしてるところはほぼ無くなったかも。胸下ぐらいの長さが乳首隠れるくらいになった。今年は日本の美容院でちゃんとカラーするつもりやからこれでしばらく放置しとこ。
アラフォーのおばちゃんになってから初見で読んでるから、90年代前半頃の世紀末感を懐かしく思い出したり、もはや歴史としてかなり冷静に分析しながら読めるけど、世間知らずの子供の頃これ読んでたらめちゃくちゃ感化されてたと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/戦士症候群
これ読むと当時の雰囲気が垣間見れて面白い。目覚めた戦士の募集が何気にアイデア豊富。ほんまネットのなかった時代の厨二病はレベルが違うわ。現代の厨二病はそれなりに現実的というか、ちょっと大袈裟で痛い人程度で済んでて、世の中そういうこともありえるんだろうな、程度。ていうか、こんな症候群あるの自体わりと最近知ったんだよな。不思議。幼少期大好きだったセーラームーンもある意味転生ものだし、ごっこ遊びとかしてたけども、なんかこれはこれ、って感じだった。当時レイアースとかも流行ってて、どれもそれなりにハマってたから、どちらかというとマンガの登場人物みたいになりたいというより、こんなかわいい絵を描けるようになりたい!という気持ちが強かったかも。
まあ実際、戦士とか姫なんてかなりハードモードやと思う。ドイツで知り合ったロシア人の男友達(当時18歳)が兵役2回も行かされて、ロシアが大嫌いで、ロシア人であることも恥じるほどだったんよなあ。兵役でそんだけハードやから、やっぱ実際の戦士って大変。大怪我したり、死ぬのなんて当たり前の世界やし。セーラームーンとか子供の頃うさぎには泣いてないでしっかりしろよとか思ってたけど、そりゃ中学生の女の子が時間関係なく突然戦いに行かなきゃいけないなんて、泣きたくもなるわ。自分が中学の時なんてそんな心配もなく、何の力もない一般人の同級生にちょっと虐められただけでめちゃくちゃ悩んでた訳だから、今考えるとめちゃくちゃ気楽なモンやわ。セーラームーンの敵とか絵だから美化されてるけども実際見た目だけでトラウマになる化け物だらけやし、なんの害もない身体障害者を見ただけでビビってしまっていたような中学時代の私にはとても無理。
あと姫は一見イージーモードだと思うだろうけど、眞子さまとかあんなに嫌がってて今もう一般人でNYに住んでるのにあんなに写真撮られて追いかけ回されて、そりゃ一生お金には困らんやろうけど、目立ちたくなくても目立って現地の日本人に色々言われてしまうし、そこらの芸能人以上にプライベート皆無で生まれてから死ぬまでなんかやらかしたら全部報道されて、ってめちゃくちゃ大変やと思う。それならそこそこ金持ちの家で生まれてプライベート充実した人生の方がよっぽどイージーモードだわ。オタサーの姫とかもバカにされがちだけどほんとそのくらいの規模の姫が一番幸せだわ。
あとコメント欄では玉蘭が嫌われてて、紫苑に人気があるんだけども、紫苑レベルのハードモードな人生の読者がどのくらいいることやら。脱北者とか、日本に難民として亡命してきて毎日差別されてる外国人レベルじゃないと釣り合わないような。こんなマンガを読んでその世界観に浸れる余裕のある人はどちらかといえば恵まれている玉蘭側の人間ばかりなんだと思う。
今日はデトロイト川沿いの公園でカーニバルやってた。ロバートの幼馴染のブルーノはこのカーニバルに毎年行ってるらしい。ブルーノはロバートと同じく長年独身で30代になっても40代になってもこういう子供向けのカーニバルを満喫するような人間だったらしい。ロバートによるとブルーノには子供時代がろくになかったとか。親がイタリア系移民で児童労働が悪いことだという認識はなく、スポーツして遊ぶとかめちゃくちゃ嫌がったらしい。なので子供時代は常に畑仕事の手伝い。児童労働といえば「ロミオの青い空」のイメージ。あれもイタリアが舞台だったよな。でも時代は児童労働が問題視され義務教育が始まる以前の1800年代だったと思われる。半世紀前のイタリア人にまだその価値観が残っていたのが何気に衝撃的。
移動遊園地という感じだろうけども、日本の夜店に雰囲気が似ている。景品に国の個性が出ていて面白い。ポケモンのプリンだけが何故か大量に置かれている。ピカチュウじゃないんや…とか思うけど。あとバスケのユニフォームが景品というのもスポーツ好きな人の多いカナダらしいチョイス。日本だと遊園地といえばユニバかディズニーで大人も楽しめるって感じだけども、移動遊園地は流石に大人になるとそんなに楽しめるもんでもない。簡単に解体できるから安全性が怖いし、子供が行きたい言っても危ないからと反対するかも。
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2022年振り返り
カメラロールを見ながら今年も雑に振り返る。
■1月 ・横浜エアキャビンに乗った まあまあ高くて怖かった
・雪積もる 今の家に住み始めてから初めての積雪と思う 車が出せないくらいの積もり具合だった
・tofubeatsが人力車に乗っておじいちゃんみたいな笑みを浮かべてる写真が面白すぎてずっと見てた
・眉毛サロンに初めて行った ブラジリアンワックスみたいなやつで形を整えた後切り揃えるやつ めちゃ痛くて涙出た
■2月 ・特に何かをしていた記録がない
・友達の家に行って子どもを構ったりしていた様子
▲2月に何かしらの焼き肉を食べていました
■3月 ・NYCで働いている友達が一時帰国していたので遊んだ フォー食ってビール飲んだ
・初めてデイキャンプをした 薪割るの楽しい 焚き火の匂いたまらない
・サンダルを直した 修理に出したのは去年だったかも? ピカピカになって帰ってきた
・旅行バッグを買った elvis & kresseというところのもの 今年買ってよかったものその1
・パオパオチャンネルの展示を見に行った 渋谷 動画で出てきたアイテムが色々展示されててテンションあがる
・ちゃみん会
羊のキンタマ食いました
■4月 ・石川・福井に旅行に行った 東尋坊、越前松島水族館に行き、界 加賀へ宿泊 初めての石川福井よかった 翌日は金沢21世紀美術館に行った
▲東尋坊
・潮干狩りに行こうと思ったが、台風で天気が荒れるとのことで中止 普通に売ってる貝を食べるpartyした
・パオパオチャンネルのイベント(パオ博)を見に行った 目の前で動くパオパオチャンネルと東海オンエア見られてよかった
■5月 ・東京ダバインディアにてどん底会開催
・弁理士をやっている先輩とご飯を食べた 知財実務のあーだこーだ話を仕事以外でできる人貴重だなと思った
▲ご馳走になってしまった
■6月 ・謎会ホテルニューオータニ
・新しいレンズを購入
・オープンキャンパスで卒業生として座談会��参加した その後先生と研究室の同窓生で東京駅飲み@丸の内ハウス あそこよかったのでまた誰かと行きたい
■7月 ・食洗機を導入 キッチンの引き出しをぶち抜いて洗剤自動投入モデルを投入した あんま洗剤入れてくれてる雰囲気なくて手動で投入してる
・北海道に旅行 倶知安にある坐忘林という宿に泊まった 最高すぎて1ヶ月くらい住みたくなった
・札幌に暮らす大学時代の同期と久しぶりに会ってご飯食べた 穀物祭というところ 雰囲気の良い店だった
・大学時代の後輩の結婚式に参加 お幸せに〜〜
・家の人が感染完了してた お大事に〜〜 (自分は無事だった)
■8月 ・車から異音がして修理 ショックアブソーバー交換 出費です
・新しいレンズを購入
・炊飯器が壊れた 出費です
▲同じの買いました
■9月 ・祖父に会いに行く もう90超えてる 流石に元気なさそうだった 家も荒れてる雰囲気
・久しぶりに海釣り アジ爆釣
・ふと思い立って秋田に行った お気に入りのご飯屋さん、宇宙一のレバニラを食わしてくれる店、など
■10月 ・車検 出費です
・デイキャンプ2回目 流石にハマったと言って良いでしょう
・どん底会@新宿らへん
・山下達郎@横浜 相変わらず最高のパフォーマンスだった 長生きしてほしい
・写真おじさんたちと浅草界隈散歩 久しぶりにカメラぶら下げて街歩きした
▲結構人出戻ってる
■11月 ・鬼怒川旅行 界鬼怒川、花の宿松やに宿泊 2泊くらい旅行するのいい 東照宮の紅葉が見頃で大変よかった
・キャンプ道具を揃え出す 流石に(ry
・ヴェイランスのジャケットを購入 めちゃ着やすくて気に入っている 今年買ってよかったものその2
■12月 ・前職の同期と忘年会 みんな元気そうでよかった 恵比寿の米福にて
・わかさぎ釣り わかさぎじゃない魚ばっかり釣れた わかさぎはうまい
▲釣れたやつ
▲流石に釣れなすぎて追加購入したやつ
・名古屋旅行 名古屋港水族館、愛知住みの後輩とひつまぶし 水族館寒かった!
・かに道楽 カニだけで腹パンパンになるほど食べた
・大学の先輩が開いたビール屋に行く 1杯だけといいつつ何杯飲んだか・・・ 勝どきに行かれた際はぜひ
何かと大型出費の多い一年でした。(そういえば冷蔵庫も買い替えたのだった)
旅行にも結構行けたのでなかなか満足。年明けは伊豆の方に行く予定を立てています。
仕事面のことはわからん。何もわからんということだけがわかっているので来年は少しはわかるようになりたい。
みなさんの一年はいかがでしたか?
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我が国の未来を見通す(81)
『強靭な国家』を造る(18)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その8)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
2週遅れになってしまいましたが、8月15日、7
8回目の「終戦記念日」に感じたことをまとめてお
きたいと思います。
式典において、天皇陛下は「戦没者に対する慰霊、
人々のたゆまぬ努力によって平和と繁栄が築かれて
いること、さらには過去の反省と再び戦争を繰り返
さないこと」などのお言葉を述べられました。
岸田首相は天皇陛下と同趣旨の式辞の最後に「積極
的平和主義の旗の下で、国際社会と手を携え、世界
が直面する様々な課題の解決に全力で取り組む」
「今を生きる世代、これからの世代のために国の未
来を切り開いていく」旨の言葉を付け加えました。
細田衆院議長は「日本国憲法の精神を体して恒久平
和の実現に全力を尽くす」、尾辻参院議長は自分の
体験談を述べられた後に「犠牲となられた方々のこ
とを忘れない」「戦争を絶対に起こしてはならない」
と結びました。
8月のこの時期になると、日本人として戦没者に対
する鎮魂は当然としても、「平和」(「戦争」は起
こさない)という言葉がそこはかとなく“一人歩
き”をして、多くの国民をして、“こうして念仏の
ように「平和」を口にしておれば、「平和」が向こ
うからやってくる”という錯覚に陥らせている(思
考停止というべきか)と考えるのは、うがった見方
なのでしょうか。
15日当日、各政党の談話も発表されました。談話
の全文は読んでいませんが、新聞紙上に発表された
その要旨だけでも考えさせられるものがあります。
紙面の都合上、紹介する価値があると考える政党談
話のみをさらに要約します。読者の皆様は、ぜひそ
れぞれの番号の談話がどの政党の談話かを想像して
お読みください。ウクライナ戦争などの厳しい安全
保障環境に対する認識はほぼ共通していますが、当
然ながら、その後に続く主張は各政党によって違い
ます。
唯一の被爆国として、「核兵器のない世界」の実現
に向けて現実的・実践的な取り組みを進めていく。
必要な防衛力を整備しつつ、国際協調と対話外交、
多国間協調を深め日本周辺の平和を守り、地域の緊
張を緩和させる努力をする。
他国に侵略を思いとどまらせる抑止力の確保、我が
国の主権と国民を守り抜くために積極防衛力を抜本
的に強化、整備する。
核兵器による威嚇など現実の脅威にさらされている。
「核の先制不使用」の議論を、今こそ日本が主導す
べきである。
食料やエネルギーの自給体制の強化を含めて「自分
の国は自分で守る」という現実的な安保政策を進め
ていく。
二度と戦争に巻き込まれないために、国のまもりに
対する国民の意識を高め、抑止力の構築が現実的な
手段との認識が必要である。
これらから、どの談話が与党で、その与党の安全保
障・防衛政策に反対の立場を主張する野党の談話が
どれなのか、混乱し、考え込み、そして安堵し、ま
た呆れもしました。
安堵したのは、「日頃、色々反対しているが、案外
分かっているではないか」と感じた野党に対してで
あり、呆れたのは、「相変わらず、足元を見ないで
とぼけたことを言っている。それが本心なのか」と
思ってしまう与党に対してでした。
各談話の正解は、(1)自民党、(2)立憲民主党、(3)日
本維新の会、(4)公明党、(5)国民民主党、(6)参政党
です。
総括すれば、(特に与党に対してですが)「国会議
員であることをもっと自覚して、我が国内外に起き
ている様々な事象をよく勉強して、危機意識を持っ
て国の舵取りをしていただきたい」の一言です。
(6)の参政党の冒頭には「恒久的な平和は美辞麗句を
並べるだけでは実現しない」とありましたが、その
ようなことを国民に最も声高に訴え、理解を促す必
要がある与党が「保守」の看板を下ろし、「リベラ
ル」のような主張をすることは、我が国にとって決
して幸福なことではないと思います。百田尚樹氏が
「結党宣言」し、保守の論客諸氏がこぞって現政権
を批判する訳もこのあたりにあるのでしょうし、最
近の世論調査からすると、国民の多くも見抜いてい
るのでしょう。読者の皆様はどう考えるでしょうか。
▼我が国の「防衛力」の“急所”─同盟
気を取り直して本題です。本メルマガでもすでに紹
介しましたが、私は、愚書『日本国防史』((※)に
おいて、「我が国の歴史から学ぶ4つの知恵」をま
とめ、その筆頭に「孤立しないこと」を上げ、人も
国家も仲間を選び、失わないことの大切さを強調し
ました。
(※)『世界の動きとつなげて学ぶ日本国防史』
https://amzn.to/44xI30c
その内容を要約すれば、「日米同盟」の強化・対等
化、���日米豪印戦略対話(QUAD)」や「自由で
開かれたインド太平洋戦略(FOIP)」などを対
中国包囲網として同盟化まで引き上げることなどに
加え、本メルマガにおいても、貿易や食料・肥料な
ど経済的な“中国依存”から速やかに脱却すること
なども提唱してきました。
今回、改めて、我が国の「防衛力」の“急所”とし
ての「同盟」について考えてみたいと思います。た
だし、この「同盟」にからむ様々な論点を子細に紹
介しますと、本メルマガ数回分に及び、本来の「国
力」分析の視点から外れてしまう可能性もあります
ので、私の問題意識を簡潔に紹介することに留めま
す。
島田洋一氏は、自書『腹黒い世界の常識』(※)の
第1章冒頭に「同盟とは何か」と題して、「同盟は
一瞬にして敵対関係に変わる。共に戦う限りにおい
てアメリカは日本の同盟国だが、日本が中国に降伏
した途端、敵の戦略拠点として使われないよう、ア
メリカは日本を攻撃対象にしてくる。『血を流して
守る』以外に、『破壊して去る』という選択肢もあ
る。それが国際常識である」と述べています。
(※)
これまで、様々な戦争の歴史を勉強して、島田氏の
指摘のようなことがたびたび繰り返されてきたとい
う事実を知っている私でさえ、この文章を読んだト
タン、ハッとして背筋が凍りました。
我が国には、軽々に「中国が攻めてきたら、白旗を
あげればよい」と口に出す人がいますが、そのこと
は即、アメリカを敵にまわすことであり、最悪の場
合、アメリカの攻撃によって陸海空自衛隊の基地や
装備が攻撃され、国土が再び“焦土と化す”ことま
でを考えなければならないのです。
島田氏も実例として取り上げていますが、第2次世
界大戦において、フランスがドイツに降伏し、パリ
無血入城を許した時、イギリスはフランス海軍が
(海上兵力が弱点だった)ドイツ海軍に組み込まれ
ることを防ぐため、フランス海軍の艦艇を空爆で破
壊し、1000名を超える兵士も犠牲になりました。
このような経験を乗り超えてイギリスとフランスは
この後も同盟国として共に戦ったのですが、ある事
象や事件をきっかけにして「昨日の友は今日の敵」
になったことなども歴史上枚挙にいとまがありませ
ん。
さて、細部の経緯は省略しますが、1952年4月、
「サンフランシスコ講和条約」と同時に発効された
「日米安全保障条約」は、戦後の占領に続き、アメ
リカ軍による保護協定的性格が強いものでした。ア
メリカは、日本の再軍備を抑え込むと同時に、日本
列島というアジア大陸東側の戦略的拠点を敵対勢力
の手に渡さないことが目的だったために、NATO
のように「相互性」を持たない「片務性」で妥協し
たのでした。
1960年、激しい安保闘争の中で、より共同防衛
に近い条約に改正されましたが、憲法上の制約もあ
って、引き続き日本本土に米軍を駐留することを容
認しつつ、「片務性」もそのまま残存された形の
「軍事同盟」が継続されました。
この結果、日本政府は、我が国の安全保障の多くを
アメリカに担ってもらい、「軽武装・重経済」とい
われる経済発展のみを政策の最優先課題とすること
ができて、実際に高度経済成長にもつながりました。
そして、1983年、中曽根元首相のアメリカ訪問
時の「共同宣言」をきっかけに、「日米同盟」とい
う言葉が市民権を得ました。「日米同盟」は、“
「日米安全保障条約」を根幹とする日本とアメリカ
の間の包括的な協力関係”と定義され、安全保障・
防衛面だけでなく、政治、経済、社会など幅広い分
野において機能することを指しています。
以来、我が国は、ほぼあらゆる政策を「日米同盟」
を基軸にして立案し、実行してきました。一時、民
主党政権時には米中を絡めた「二等辺三角形」論も
ありましたが、そのような考えは長くは持ちません
でした。よって、歴代の首相をはじめ政治家、官僚、
有識者、それに私たち自衛隊関係者にあっても、
「日米同盟がなくなる」とか「日米同盟なき我が国
の繁栄」などについて、一瞬たりと頭をかすめたこ
とはないでしょう。
特に、防衛分野においては、戦争経験のない自衛隊
は米軍の豊富な実戦経験から学ぶことが多々ありま
したし、個人的な経験でも、在日米軍の高官たちと
親しく付き合って、お互いの信頼や友情を深めまし
た。
一方、高度成長の結果、一時は世界第2位、現在で
も世界第3位のGDPを誇りならも、防衛予算は
「GDPの約1%」にとどまり、「日米安全保障条
約」は、憲法上の制約を盾に「片務性」についても
今日まで手付かずのまま放置されています。
「同盟」を維持させるためにはそれ相応の努力が必
要なことは言うまでもありません。長年、日本の約
15倍、GDPの約3.5%に相当する巨額の軍事
予算を投入しているアメリカが、その大元が戦後の
対日方針にあるとはいえ、この状態に不公平感を持
つのは当然なのです。
2019年、トランプ前大統領が「日本が攻撃され
れば、我々は第3次世界大戦を戦うことになり、あ
らゆる犠牲を払って日本を守るが、アメリカが攻撃
されても日本は我々を助ける必要がない。彼らはソ
ニー製のテレビでそれを見ていられる」と「片務性」
を痛烈に批判し、話題になりました。
「この批判が何を意味するか」について、当時、ほ
とんどの日本人に理解していなかったと今なお想像
しています。実際、アメリカにおいては、憲法上、
条約の批准は上院の3分の2の賛成を必要とすると
の高いハードルがありますが、条約の破棄は大統領
の判断で行なうことができます。トランプ大統領の
発言はけっして脅しでもなんでもなく、大統領一人
の判断でいつでも条約を破棄することはできるので
す。
現在、「日米同盟」はアメリカの「国益」にも合致
しているし、これから先もそう願いたいですが、国
際社会を取り巻く“様々な情勢”が変われば、未来
永劫に「日米同盟」が継続される保証はありません。
大統領の判断一つで「昨日の友は今日の敵」になる
可能性を潜めていることを常に頭に置く必要がある
と私は思います。だからこそ、「自主防衛」を筆頭
にした「自助努力」が必要なのですが、それについ
ては後述しましょう。
▼我が国の「防衛力」の“急所”─同盟(続き)
今後変わるかも知れない、国際社会を取り巻く“様
々な情勢”についても触れておきましょう。前回紹
介しました伊藤貫氏によれば、冷戦終了後、アメリ
カは、人類史上一度も実現されたことがなかった
「世界一極体制」を創ろうとの野心と自信をもって
様々な外交を展開しました。その特徴は、アメリカ
を例外的に優れた国とする「アメリカン・エクセプ
ショナリズム」をもって、国際政治にアメリカの政
治制度や経済システムを採用させようとし、それに
抵抗する国々は、裁き、処罰し、時には破壊しまし
た。実際に、冷戦終結直後の1989年の「パナマ
侵攻」以降、アメリカが関与した世界の紛争は17
紛争を数えます(『習近平が狙う「米一極から多極
化へ」』遠藤誉著より)。
アメリカのこの「新外交理論」は一世を風靡し、日
本人の中にも「熱心な信者」を輩出しましたが、2
0世紀になった頃から、中東地域、ロシア、中国、
北朝鮮などが反旗を翻すなど様々な厄災が表面化し
て、ほころびを露呈し始めてきました。なかでも、
中国、インド、ロシアなどの台頭は、「一極体制」
を形なきものにして、「多極化」に拍車がかかりま
した。
そのような状況から、オバマ元大統領の「アメリカ
は世界の警察官ではない」やトランプ前大統領の
「アメリカン・ファースト」の発言などにつながり、
このたびの「ウクライナ戦争」をもって、「世界一
極体制」はその原型を留めることなく、世界は「多
極化時代」、というか「分裂の時代」に再突入した
と考える必要があるでしょう。現に、スウェーデン
にある「民主主義多様性研究所」によれば、今や世
界人口の72%に相当する57億人が「専制主義的
(権威主義的)な傾向の強い国」に住んでいるとの
ことで、これらの国々はアメリカが提唱する政治制
度や経済システムに与することをかたくなに拒否し
ているのです。
基軸通貨である「米ドル」についても、近年はユー
ロや人民元に押され、外貨準備高の約60%はドル
建て資産といわれながらも、国際決済においては4
2%に留まっているなど脱ドル化が進み、将来はそ
の地位が危ぶまれる“様々な現象”が発生するとの
予測もあります。
さて話を本題に戻しましょう。このように、将来
“混とんとした国際情勢”になることを予想せざる
を得ないなかにあっても、なおかつ「日米同盟」は
盤石で、その延長で“アメリカの「核の傘」は有効
と断定できるのか否か”を議論する時が来たのでは
ないかと考えるのです。
これまでのようなアメリカであれば、水戸黄門の
「葵の紋所」のように、それを見せるだけでひれ伏
す国はあったとしても、これから将来はその“効き
目”があるのか、逆に、アメリカが「葵の紋所」を
“出し惜しみ”するような情勢は来ないのか、など、
それらの想定を「もしかして」の範疇として捉え、
最も大事な「我が国の抑止力は大丈夫なのか」につ
いて、しっかり議論すべきなのです。
前回、中国や北朝鮮などは、自国の犠牲回避を最優
先しない可能性があることに触れましたが、差し伸
べてもらった「傘」にも問題があるとすれば、過剰
な依存を止め、逆に相対的な力関係を補い、より盤
石な抑止力を構築する上でも、(それぞれ微妙に違
う)イギリスやフランス、そしてドイツの抑止戦略
などを研究しつつ、我が国独自の「自主防衛」につ
いても検討する時期に来ていると考えます。
かつてのアメリカは、「日本の核武装は力づくでも
阻止する」との勢力が大半を占めていたものから、
キッシンジャー、ウォルツ、ホフマンなどのリアリ
スト戦略家たちのように我が国の「自主防衛」を容
認する勢力が増えつつあるのは、それが日本の「国
益」に留まらず、アメリカの「国益」にもつながる
との認識を持っているからなのです。
まさに、“時代は変わりつつ”あります。冷静沈着
に「あらゆる戦争を抑止するために、我が国の防衛
をどうするか」についてタブーを廃して、真剣に考
える時期に来ています。
令和6年度防衛予算の概算要求は過去最高の7.7
兆円だそうで、これによって通常戦力が増強され、
陸海空領域に加えて「宇宙」「サイバー」「電磁波」
に至る「領域横断」を強化する方向に舵を切ってい
るのでしょうが、これだけでは、あらゆる「戦争」
の発生を未然防止するのは困難と考えます。不確定
で、かつ厳しさを増す情勢を目前にして、ここで思
考を断ち切ることは、冒頭に述べた、念仏のように
「平和」を願うことと“大同小異である”ことを悟
る必要があるでしょう。
▼我が国の「防衛力」の“急所”─「足かせ」にな
っているもの
最後に、「防衛力」の“急所”として「足かせ」に
なっているものついて触れておきましょう。
先般のNATO会議において、東京事務所の開設に
ついては、フランスの反対もあって実現しませんで
した。NATO加盟国は、1949年に署名された
「北大西洋条約」の条約第5条において「一方の加
盟国が武力攻撃を受けた場合、他方の加盟国も共同
して自衛すること」と定めておりますが、これは
“一方への攻撃は全員への攻撃とする”「集団的自
衛権」の原則そのものの適用です。
「日米安全保障条約」は戦後の特殊事情によって
「片務性」が容認されましたが、NATOへの加盟、
あるいはNATOの東アジアへの拡大を企図すれば、
もはや「片務性」は容認されないでしょう。
第1次世界大戦時、「日英同盟」下にあった日本に
対して、イギリスから日本の参戦について再三の要
求がありましたが、日本は「国防の本質を完備しな
い外征はなじまない」と「参戦地域の限定」に執着
し、海軍の特務艦隊の派遣を除き、陸軍の派遣は拒
否しました。そのことが、のちの「日英同盟」破棄
につながったという“前歴”があります。
もし、東アジア地域で何かあった場合、NATOの
支援を得ることを期待するなら、もし欧州で何かあ
った場合に、自衛隊を派遣することを“拒否できな
い”ような「枠組み」を求められるでしょう。その
ためには、現在、憲法上、「権利はあるが、行使で
きない」としている「集団的自衛権」を行使できる
ように解釈を見直すか、憲法そのものを見直すか、
他に方法がありません。
そのよう制約は、冒頭に述べたQUADやFOIP
を実質的同盟のレベルまで引き上げる場合、あるい
は8月18日に合意された「日米韓安保協力」をさ
らに盤石なものにする場合でも同様でしょう。
いよいよ戦後80年近く、かたくなに守り続けてき
た憲法、さらにはあの手この手を使い、屁理屈をつ
けつつ、潜り抜けてきた憲法解釈や現憲法のもとの
防衛政策が限界に来ているということでもあり、
“見切りをつける”時が来たということではないで
しょうか。
その決断こそが、我が国の「国力」を維持し、憲法
でいう「国際社会において名誉ある地位を占める」
ための唯一の道なのです。皮肉と言えば皮肉ですが、
それが現在の我が国の置かれた立場であり、これま
での“ツケ”の集大成こそが将来に向けた生存の道
であろうと私は考えます。
軍事力(防衛力)についてはひとまずこのぐらいに
しておきましょう。次回は、本メルマでもすでに取
り上げた「食料・天然資源」を「国力」の要素との
観点から再度取り上げ、その後、「政治力」につい
て素人の立場ながら「何が問題なのか」について迫
ってみます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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みずから神の手を
一つだけ手に入れるならばどれにするのか、そろそろはっきりさせなければならない。
佳境の2022年、ついに自尊心のすべてがだめになり、秋、友人たちの二人暮らしの住まいを居候先として匿ってもらった。その言葉の家で生きることを促され、少しずつ心を回復させて、なんとか今も生きている。こんなふうに匿ってくれる人たちがいることに、何度も改めて驚く。
死にかけていた私が優しく柔く生かされて、なんとかこの先も生き続けるだけの力を取り戻し、そうして季節が本格的な冬に入ると、今度は生について考える時間がとれないくらい仕事に明け暮れることとなった。人に優しく接する余力もなく、また一つの人間関係をだめにしてしまいかけたが、案件はなんとか年内に納まり、人との関係もぎりぎりのところで維持できた。ようやく休めるとなると気が抜けてしまって、年末年始は眠れるだけ眠った。体がまだ、休養のモードから抜け出せていない。
年始のご挨拶と友人の誕生祝いをかねて、ピエール・エルメのケーキと金目鯛などのきらきらをありったけ抱えて居候先を訪ねる。本調子でなく、鬱々とした考えに耽りがちな精神状態だったが、居候先の二人の関係性――「かわいいね」「いいね」「素敵だね」と讃えあって、微笑みとともに暮らしている二人――の中にまぜてもらうことで、冷えていた心がじんわりと温まったのだった。
癒しの場所だ。どうしてここに来るだけでこんなにも傷が癒えるのだろう。この場所の優しさは、私の厄介な暴力性すらも無化する。愛に満ちるというのはこういうことを言うのだろうと思う。優しさに満ちる。愛に満ちる。互いを必要とする。綺麗なものをたくさん眼差す。よいものとして眼差される。羨ましくて仕方なかった。
彼女たちの持つ「美しい目」というのは、そこにあるだけで多くを救う奇跡なのであった。二人とも、生まれてきてくれてありがとう。おめでとう。
帰り道、癒しを得て回復のきざしをみせた精神が、長々と電車に揺られながら、私はこのままではいけないのだということを考え始めた。
腐りかけているのは、いまの己の人生を愛せていないせいだった。そのことにすら、長らく気づいていなかった。のしかかる自他の愛情と夥しい刺激とに組み伏され、自己を客観視するうえでの冷静さを完全に欠いていたらしい。
自力で働きかけて何かを変えようと思えるところまで気力を回復できたことに、あらためて居候先への感謝をおぼえる。あの生かされる日々がなければ私の生はきっと、病に伏すか衝動的に死ぬかといったところだっただろう。誇張ではなく、恐ろしいことに、あの頃の私は命の一切を扱いきれなくなっていた。ついに、私のかわりに一人、死んでしまった。
*
望みをはっきりさせ、捨てることを覚悟し、明るいほうへ、幸福なほうへ、きちんと自身を導いてやること。
これが、これから私が取り組むべき課題であるのは明らかだった。しかし、どうにも苦手なのだった。自分が現実生活の上で何を望んでいるのかわからないままに、がむしゃらにここまで来たのだから。
「不幸でも構わない」と肩をいからせ、ひたすら情動の求めだけに従って生きてきた。その生き方はもう十年を超える。命を削って情念をゆさぶり、魂をふるわせ、狂い、絶叫し、そうして思惑通り、私は言葉と密な関係を築くに至った。
「思惑通り」というのはやや穿った言い方で、「結果的に」という表現と半々とするのが精確かもしれない。しかし、不幸を許容する自己に対する私の言い分は、この十年、一貫して「私の芸術のため」であった。
心が傷つけば、書くべきことが生まれる。実際、そうして書かれたものは目を見張るほど美しかった。書いた私自身でさえも、よくこんなものを書けたものだと拍手した。苦しみ、疲れ、惨めさ。人生を圧迫するそれらに抗うように息も絶え絶えに書かれたものたちは、間違いなくこの世界に存在するべきものだった。世界というのが言い過ぎであるなら、少なくとも、私のために、存在するべきものだった。
「出来事をフェティッシュとして受け取るのだと話すのを聞いて、物語に耽溺して文章を毀損する人だったらどうしようと危惧していたけれど、そうでないことがわかってよかった」と、私的な文章を読んでくれた彼女が言った。それが伝わってよかった。私は耽溺しない。私は捧げる。捧げてきたのだ、私の身を、書かれるべきものたちに。削り、切り刻み、焼き捨てながら、よいものを書かせてください、と。
心身を削って書くべきものを得る。その行いは実のところ、激しいセルフネグレクトにほかならなかった。
ごく宗教的で、うっかり宗教的であるがゆえに咎められることのない、他者の咎めの一切を制止する性格をもつ、自己破壊。私の姿を指して「修行僧のようだ」と事あるごとに語ってきた親友は、彼女自身も敬虔なクリスチャンだった。今、ようやくその言葉の指すところがわかる。
括弧付きの「愛」への盲信から自己存在を摩耗させ、いよいよ立っていられなくなったのが昨年だった。力尽きた、と感じた。これ以上捧げられるものが私にはもうないのだと。苛烈な生き方を辞する必要に迫られている。
気づいて、情けなくて仕方なかった。自分は脱落したのだと思った。しかしそれもまた盲いた人間の愚かな所感なのだろう。情けなくなんかない。私は自分の身を守らねばならない。
生き様を変えるのは並大抵のことではない。しかし、今そうしなければ全てが無に帰すだろう確信がある。私が魂と引き換えに得た言葉たちが、私の死に連れられて、この世から消えてしまう。それは避けなければならない。
愛情、執着、欲望、蹂躙、嫉妬、独占欲、この世はあまりに情念に支配されている。それらに寄り添うことは、恵みであり慈しみであり報いであった。愛であった。私はぎりぎりまで世界を愛した。今度は世界が私を愛する番であるはずだ。そう考えることでしか、踏み出す勇気を持てない。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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11/15
今日は忙しいぞー
◉仕事
月曜日から鬼の4連勤。しかも先週に日曜のビル停電があり、業務の定休日があったがために月曜日からその遅れを取り戻すためにいつもの二倍働かねばならない。正直なんとかなったけど、なんかこう、疲れてヘトヘトになって退勤して、家と職場の往復(通勤なし)して何となくyoutube見て、翌朝起きて出勤する生活をしていると、なんか心のどこかが死んでいく音がする。さらには必死こいて仕事した後に、火曜日にら退勤後にエージェント面談+寝る前に適性検査(60分)もあった。多忙は正直嬉しいけど、ふとアレ?何のためにこんな必死なんだ?とふと本当に疑問に思う。このままでも勿論素晴らしいけれど、単調な暮らしに慣れたら、興奮を求めることも忘れていくんじゃないか?と焦り、水曜日友達のバンドのライブがあったので、見に下北沢へと向かうことにした。何より気候が素晴らしいですから、それだけで原動力になります。
◉感受性の復活
水曜にライブを見た。素晴らしかった。何よりもいつからかプレッシャーになっていたパーティという場がある程度距離を置くことによって、改めて音楽に没入できるという空間が出来上がっており良かった。演奏もDJも素晴らしかった。DJがかけた曲の中でチャペルローンの『Good Luck,Babe!』が良かった。BSSMの演奏後にかかっていたジャズも趣深くて良かった。昔は周りにたくさんいた友人たちが1人もいなくて寂しい。けれどもパーティなんて元々1人で見るもんだからね〜この孤独さもパーティの味わいひとつ、だけど、みんな元気かなあ。
◉体調
無理して下北沢行ったら体調崩した。幸いにも半休予定日だったから、午後帰宅して15時過ぎに寝た。昔から自律神経の乱れからくる鼻炎には悩まされてきたけれど、最近はセーブできてた。それが発作のようにスイッチがかかると鼻炎が止まらなくなる。薬も効かないし、ただ深呼吸して体を温めて寝るしかない。起きたら17時過ぎてて、空が暗かった。そうそう、久しぶりに音楽を聴いて、開いたなと思った。自律神経が乱れてると、感受性が深まるのかな。Duval Timothy⦅2 sim⦆と、Bill Frisell & Thomas Morgen⦅Epistrophy⦆を聞いた。あとNala Sinephro⦅Endlessness⦆も。どれも今まで聞こえてこなかった音が聞こえてきて心が温かくなった。とくに⦅2 sim⦆は素晴らしい。ピアノと民族的なトラック、あとは英語圏ではない話し声のアンサンブル。こういうことがあると、具合が悪くなるのもいいのかもしれない。いや、ヘルシーがいいけどね。
◉六本木
面接が六本木一丁目だったので、面接してから周辺を散歩。麻布台ヒルズ内の郵便局に行ったら、建物の通路ががえらい白いし、何がどこにあるかわからない。亜空間に来たみたいな気持ちになる。そのまま東京ミッドタウン方面へと向かう。道の途中に、かつてvaritがあった空間があった。ミッドタウン近辺のみちにはイルミネーションが施してあって、その道を辿ると、なにやら音楽が聞こえてきた。看板があって、読むと⦅6分間ごとにしゃぼん玉の演出があります⦆と。いやいや〜baby野郎だからキャッキャしたくて3分くらい待つと、確かにもくもくとシャボン玉が出てきて子供もキャッキャしてたけど、純粋に六本木の道でシャボン玉が出てきてキャッキャするのってどうなんだ…ってなってきて赤坂まで歩いた。でも、こういうのに興奮する気持ち、ある。だってディズニーランドのエレクトリカルパレードだいすきだから。人間って光ってて音が出るもの好きだよね。計算された娯楽に興奮して踊らさせる。
◉奨学金
帰り道にmayaongakuのポッドキャストを聞く。過去に戻ったら何をしたいか?という質問に対して、俺は高三の頃の自分に大学に行くな、奨学金が無駄だから、と回答していた。
実は先日同僚と中華の円卓をかこったとき、つい先日400万円の奨学金の返済が完了した、という同僚がいた。podcastでも、借金の返済は結局今足枷になっているし、大学入学後も学校にはいかず、地元の友人たちと音楽をしていたから、俺にとっては無駄だった、と言っていた。(てかおれらはあんまり東京行かないし、大学四年間はギフトだよねー) 学歴かー。
今日選考を受けた会社は学歴不問とは言いつつも、高卒〜短大、専門卒の人に関しては雇用形態が大学四年卒の人間とは異なる。将来的に見ると、生涯貰える給料も大幅に違う。今日は面接上手くいったけど、キャリアアップが見込めない。そうすると独り立ちできない。運良く、実家から通えるし、通って貯金&投資かなーとな色々考えた。もう最早、結婚しちゃった方がいいのかもなとかも思う。《高学歴で高収入で、1人でもきちんと幸せになれる女性》ってやっぱり難しいのかもしれない。母親から今日の夜はちゃんこ鍋ですとラインが。散歩もほどほどにして帰路に着く。
地元の駅に着くと、すぐ商店街が広がっている。
普段出る逆側の駅の出口は再開発が進んでいる。一旦更地になって、病院や薬局、スーパー、マンション、老人ホームが立ち並び10年でここまで変わるんだなと思った。一方、私が使う出口の方は商店街がそのまま残っている。どうやら、地元住民が再開発に反対したようだった。一時期はシャッター街となっていたが、ここ3年くらいで結構変わった。元々あった居酒屋に、お弁当屋さん、居酒屋(外でおしゃれな若者が煙草を吸っていた)、コーヒースタンド2件、ヴィーガンのカフェ、クラフトビールのスタンド、おしゃれな中華専門店、タコスを扱うメキシカンの居酒屋、新刊専門の書店など。この街はわたしと同年代の人が頑張ってるんだな!と思うとこの街に帰るたびに元気が出る。クラフトビール屋の店主ともこの間少し仲良くなれた。全然活かすかないけど、高層マンシャンもどんどん建っていて、オシャレな街が確立されつつあって、大学生に、地元と高校生など、しっかり若者も行き交っていたり、駅前の不動産屋は野良猫を可愛がっていたり。終電でこの街に帰ると体感的ではあるが、おしゃれな若者も増えたと思う。先週土曜日には近所の公園でフリマのイベントをやっていたり、最近なんかいい感じだよねをすごく感じる。
転職活動を行いながらも、わたしは将来的にこの街に残って子育てとかしたいなって最近は思い始めてきた。そしたら、店とかやりたい、イベントも開催したい。ワインバーとかいいな。ジャズ喫茶でもいい。東京で、搾取されながら暮らすよりも、適度に栄えた地方都市で緩やかに広い部屋でのんびり暮らしたい。その上で、自分が文化を守り継承していく存在となれたら、どんなに幸せなことだろうか。都市と田舎、どちらが良いとかない。けれども個人的には地方都市が一番好きだ。車移動も自転車移動もできて、都市に出向けば芸術鑑賞も容易くできる。かと言って、文化格差はそこまで感じない。(ひとによる。DIC川村記念美術館は残すべきだ。)治安も良い。自分は恵まれて育ったなと最近になって思うのだ。
六本木の再開発ビルを歩きながら色々考えた。今夜は⦅女ふたり、暮らしています⦆を読んで寝よう。
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