#市松模様
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市松模様のタイバー 四分一銀、銅 銅の色もう少し濃くすべきだったかも Ichimatsu - Tiebar material: sv950, copper, shibuichi #tiebar #sv950 #copper #shibuichi #ichimatsu #checkpattern #銀と銅 #四分一銀 #接ぎ合わせ #煮色 #タイピン #市松模様 https://www.instagram.com/p/CmbqXEOyoBb/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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わがらのかみさま
●昔のあそび
いちまつさん×けんだま
#イラスト#イラストレーター#illustration#illustrator#일러스트#일러스트레이터#わがらのかみさま#和柄#市松模様#けん玉#和風#日本#japan#japanese#ゆるいイラスト#かわいいイラスト#かわいい#kawaii#ゆるかわ#オリジナルキャラクター#オリキャラ#デジタルイラスト
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黒とグレーの畳を敷いた小上がり
黒とグレーの畳がかっこいい。シックな和室 黒とグレーの畳を敷いた小上がり。ちょっと高級な旅館にありそうな色の琉球畳ですね。 実際に、使われている材料は、高級な和室に使われている素材と同じ畳表です。 (more…) “”
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◇Maurice(モーリス)◇ネクタイが入荷しました。 定価:9,900円(税込) 弊社通販サイト商品ページ⇒http://www.gallery-jpg.com/item/KENTPT240601001L3-6/ 素材:シルク100% カラー:パープル×マルチカラー サイズ:長さ約145cm、剣先幅約8cm (平置きの状態で測っています。) 古代エジプトの壁画に描かれている女性のモチーフを施した非常に珍しい柄のネクタイ。 素材はイタリア製シルク生地を使用しています。 ※ご覧頂いている媒体により、色の見え方が多少変わる場合がございます。 ※店頭でも同商品を販売しておりますので、通販サイトの在庫反映が遅れる場合があり商品をご用意出来ない場合がございます。予めご了承頂きますようお願い致します。 ⠀⠀// 🗣 いいね・保存・コメント大歓迎!ご来店お待ちしております! \\ ━━━━━━━━━■アクセス□━━━━━━━━━ なんばCITY本館の1階 大阪難波郵便局側から入って1軒目 靴のダイアナ(DIANA)の隣 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Gallery なんばCITY本館1階店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】7月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected]
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#Maurice#モーリス#NECKTIE#ネクタイ#シルクネクタイ#SILKTIE#シルクタイ#エジプト柄ネクタイ#エジプトネクタイ#壁画ネクタイ#エジプト模様ネクタイ#壁画模様ネクタイ#市松模様ネクタイ#チェッカーズフラッグネクタイ#マス模様ネクタイ#男性用ネクタイ#紳士ネクタイ#メンズネクタイ#ファッション小物#ファッション雑貨#ファッショングッズ#柄ネクタイ#メンズギフト#プレゼント#gift#ギフトネクタイ#インポートセレクトショップ#なんばセレクトショップ
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市松模様
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#おでかけ #松本
信州旅行2日目は生憎の雨。まずはぶらりと、あてもなく松本市内の中町通りを歩きます。
以前松本に来た時は何も知らずになわて通り商店街付近を歩いたのですが、ごちゃごちゃした観光地通りっぽい雰囲気のそちらと比べて、中町通りは落ち着いた感じ。もちろん天気のせいもあるでしょうが……。
民藝のお店もちらほらあって、こういう静かで落ち着いた雰囲気の通り、好きだなぁ。まあでも平日の雨の日だから静かなのであって、土日の晴れた日はめちゃくちゃ人で溢れているのかもしれない。どうなんでしょう。
私はこうやって事前情報なく街をぶらつくのも好きなんですが、そのスタイルだと帰ってから「あぁぁこのお店行っておけば良かった!」と後悔することも多いわけで……。まさに今回もコレです。偶々信州の特集を雑誌で見て、良さそうな雰囲気のカフェなどをスルーしていたことに気付いたのでした。うーん、松本はそのうちまた行くと思うので、その時こそは。
素晴らしい雰囲気のレトロなお店を発見。かたちといい、直線と曲線の入り混じり方といい、私の中での「絶対に後世に残してほしい建物賞」を受賞。仰々しい上部の装飾からの、いきなりのラーメン丼みたいな模様からの、シンプルで可愛らしいバルコニーが来て、その下にいかにも昭和の木とガラス製の扉〜傍らに丸ポストを添えて〜 という。とっ散らかっているようで意外とまとまっているようなこの感じ。大好きです。
何気ないこのすずらん型の街灯も良いですね。看板はイオンモールですけども……。
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平穏な生活が一変した12日間 なぜすべての車を発見できたのか 大量のキーが床に捨てられていた【写真:松本正美さん提供】 今年に入り自動車の大規模盗難が続いている。ターゲットはディーラーにも及び、8月19日には栃木・大田原市のホンダカーズ野崎で11台もの車が盗まれた。懸命の捜索により、30日までに全台を発見したが、被害者が直面したのは、不条理な現実の数々。Xに「犯罪者にとことん優しい日本を痛感」とつづった松本正美店長に投稿の真意を聞いた。(取材・文=水沼一夫) 「本当最後のフィットは諦めて、しょうがねえかなという思いもあった。でも、探してくれている人がたくさんいる。知らないところで知らない人が。そういう人たちに申し訳ないなという思いと、でも、今週いっぱいにしようという思いがあった。そんな話をしていたところに警察から電話が来た。とりあえず見つかってよかったなというのが本音です。ご協力いただいた方に感謝したいと思います」 30日、最後の1台が発見されたとの報告を受け、取材に応じた松本さんは安堵(あんど)の声を上げた。 平穏な生活が一変した12日間だった。 犯人グループが店にやってきたのは19日午前1時過ぎだ。従業員はおらず、11台の防犯カメラが目を光らせたが、犯人は手慣れた様子で2台を録画不可能な状態に。さらに車のキーが保管されていた金庫に目をつけ、これを破壊した。金庫は防火仕様で、素材は鉄とコンクリート。7センチの厚さがあったが、なすすべがなかった。スマートキーは車にかざせば反応してしまう。犯行グループはたやすくターゲットに目星をつけた。 複数ドライバーが必要で、松本��んが「最低でも7人」と見積もる犯行グループは、エンジンをかけると、そのまま北と南に分かれて暗闇の中に消えた。車をどこかに置いて、再び戻ってくると、残りの数台の車も準備。わずか2時間半の間に11台という“大量窃盗”を成し遂げた。 防犯カメラの映像を解析すると、犯人たちはベトナム語を話していることが分かった。松本さんは、1か月ほど前から閉店間際に不審な外国人の姿を目撃していた。事件後は姿が見えなくなったため、現場を物色していた可能性がある。 松本さんは防犯カメラの映像から、犯行グループが車を運び、再び店に戻ってくるまでの時間が、およそ「50分」だったことに着目。「片道20~25分とすると、さくら市から宇都宮にかけてだなっていう予想を立てました」。店を起点とした地図を作製し、付近のコインパーキングを中心に社員総出で捜索を行った。 さらにSNSを積極的に活用。営業マンとして「シビックタイプR販売台数日本一」を誇る松本さんは、自動車ファンの間で全国的に知られた存在だった。社長を務める親からは「会社の恥を晒すようだ」と情報公開に抵抗されたが、YouTubeで被害を訴えると、顧客からも協力者が相次いだ。 20日にさくら市で4台、21日に佐野市で1台、23日に埼玉・久喜市で3台、西那須野駅で1台……。犯行グループがGPSによる追跡を警戒して盗難車両をコンパーキングで“寝かせて”いる間に、次々と車を確保した。 全国的に多発し、社会問題になっている自動車盗難。しかし、今年は個人宅だけでなく、大量の自動車を保有するディーラーなどを狙うケースが増えている。 8月5日には群馬のホンダカーズ沼田南戸鹿野で12台が盗難。6月には成田空港近くの有料駐車場2か所が被害に遭った。そのうちの一つ、スーパーパーキングでは盗まれた9台すべてを発見、取り戻している。 いったい、なぜ犯行グループの“ターゲット”にされてしまったのか。 ディーラーや有料駐車場では防犯カメラの数もさることながら、個人宅に比べれば、セキュリティーは整っているように見える。しかし、別の自動車関係者はキーの管理について、「管理は雑だと思う。商談しているときにカギのある場所はすぐ分かってしまう」と盲点を指摘する。 「犯罪者にとことん優しい日本を痛感」と投稿 その真意とは? 27年前に店長に就任して以来、松本さんの店では車両盗難は一度もなかった。ただ、治安面の悪化は気にしていた。「いたずら��含めて怖いから本当、寝ていられないですよね」と本音を漏らす。高価な車は自前で別の車庫を用意。セキュリティーの強化を社長に相談したこともあった。 ただ、今回の盗難では、金庫について想像の上をいかれた。 「会社の事務所にドーンと置いてありました。持っていけないしね。5人でも持ち上がらないから。そういう隙はあった。こりゃ大丈夫だろう、金庫は壊さないだろうと思っていた。でも、そんなことなかった。簡単に壊された」 当事者になって気づいたことはほかにもあった。 28日、松本さんはXにこうつづった。 「犯罪者にとことん優しい日本を痛感しております」 どういう意味なのか。こちらが尋ねる前に、松本さんは切り出した。 「自分は取材で訴えたいのは何個かあって、やっぱり犯罪者に優しい日本だなと。例えば刑罰に対しても窃盗じゃないですか。最大で懲役10年、罰金50万円。あんパン盗んでも一緒かよ、みたいな感じですよね」 自動車窃盗は万引きと同じ窃盗罪が適用。「10年以下の懲役又は50万以下の罰金」が科せられる。犯罪の規模や再犯によって量刑が異なるものの、あまりにも甘いとかねて問題視されている。松本さんが1台も取り戻せなかった場合、11台の被害総額は3000万だった。人によっては残りの人生を棒に振るような金額だ。現行の法定刑は犯罪の抑止力になっておらず、罰則の強化が不可欠と実感した。 さらに警察の対応にも疑問の連続だったという。 「とにかく事情聴取が長すぎる。初日は朝8時ぐらいに警察が来てから、3時ぐらいまで拘束されましたからね。盗難はスピード命。SNSにアップしたいし、防犯カメラも見たい。そういうのができなかった。初動が遅すぎるなと」。自動車は盗難後、3日が勝負と言われている。立ち合い、被害状況の��認、カギの照合、書類作成……捜査を依頼するためには必要な作業だったが、とにかく時間がかかった。 盗難車両回収の帰路、偶然警察と遭遇 “窃盗団”と誤解され… また、最後に見つかったフィットは、ホンダのアプリで行方を追っていた。給油情報と時間が分かるため、実際に犯人が訪れたガソリンスタンドを特定することができた。「でも、防犯カメラの映像は見せてくれなかった」。事件のことはガソリンスタンド側も知っており、協力の姿勢を示していた。しかし、映像を見せるとなると、警察の許可が必要だった。「警察は捜査情報になるので出せませんと」。運転手の姿や偽造ナンバーかどうかを確認することはできなかった。 自力で被害車両を発見し、帰路につく途中に、偶然パトカーとすれ違ったこともあった。「そしたら犯人��間違えられて、前後にパトカー横付けですよ。(警察関係者が)何十人も出てきて……。で、盗難車だと。いや、俺たちは被害者で、盗難車を引き取りに行ったんだと。逃げも隠れもしないからちゃんと調べてくださいと言って。そしたら調べて、ごめんなさいって言ってきましたけどね」 11台のうち、警察の力によって発見されたのは2台。松本さんの会社の社員が交番からわずか100メートルの場所で見つけたこともあった。放置されている違法ヤードの問題や外国人の不法滞在問題も指摘した松本さんは、「いろんな問題が複合的に重なって、犯罪天国になっちゃっているのは事実」と結論づけている。 愛車を盗難されたらどうすればいいのか。混乱の中、教訓として得たのは、SNSの力であり、周囲の協力だった。30日には成田のスーパーパーキングの責任者がアポなしで激励に訪れ、協力を申し出た。そこで共通したのは、「我々の自衛しかない」という認識。被害者を少しでも減らせるよう、啓蒙活動をしていくことで一致した。 「実際、この事件があってから、自分の知り合いの県外のホンダカーズにも外国人が下見に来たんですよ。朝行ったらロープが外れていた。で、防犯カメラを見たら、ハイエースで来た外国人が見ていたと。うち狙われてます。どうしたらいいですかと。カギはとりあえず全部持ち帰れ、と伝えました。セキュリティー入っていても、社内は安全じゃないと」 まだ盗難されていなければ、防げる可能性がある。金庫の中に入っていた数百万円の現金は戻ってこなかった。もはや日本は安全な国ではなくなった。松本さんは、「このことを1人でも多くの人に知ってもらいたい。特に販売店とかね。防犯の意識を変えてもらいたいなって」と呼びかけた。
「犯罪者にとことん優しい日本を痛感」 自動車11台盗難→すべて発見の被害者が語る不条理 「犯罪天国になっているのは事実」(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース
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My exhibition & Kakishibu dyeing
こんにちは。 この地に引っ越してきて半年、もうすぐ秋になろうとしています。
まだまだ暑い日は続きますが(日本の夏は本当に暑い!)、柿渋の染まり具合を見ていると秋が近づいている事を実感します。
Hello. It's been 6 months since I moved here and it's almost fall.
Although the days are still hot (Japanese summers are really wet & hot!) ), I can feel that autumn is approaching when I look at the dye process of the persimmon tannin.
My lovely friend purchased a my works' gown made of linen and dyed with persimmon tannin.
These are called myoga, Japanese summer herb, eaten pickled in vinegar. It can also be eaten raw.
私は本当に柿渋染めの色が大好きなので、布をどんどん染めなくてはと焦ります。 そしてこちらは最近の制作風景。柿渋が鉄と反応すると黒くなる事を利用して模様を描いています。
I really love the colors of persimmon tannin dyeing and I am in a hurry to dye more and more fabric.
And these pics are recent work in progress. I draw patterns using the fact that persimmon tannin turns black when it reacts with iron.
The deep black charcoal color, which is not just black, is very beautiful. And it seems to have a very strong water repellent effect. さて、展示に向けてラストスパート! 国内ではこちら。
MAMEDORI LABO. solo exhibition
「いままでも、これからも」10/7~10/27
ギャラリー水巣 新潟県柏崎市松波3丁目3-3-28
Next my exhibition in Japan is
その後、イギリスのセレクトショップ Beautiful fashion freal lab. さんへたくさんの作品を送ります。Beautiful fashion freak lab.とMAMEDORI LABO.の限定コラボ商品も制作中。 イギリスの皆様、何卒よろしくお願いいたします。
After that, I will send a lot of works to a select store Beautiful freak fashion lab. in England. I'm also working on a limited collaboration product between Beautiful freak fashion lab. and MAMEDORI LABO. Thank you very much for your kind attention to me in the UK.
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"Salmosax presents Makiho" 山内桂&吉田真希穂 福岡・大分2デイズ
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"Salmosax presents Makiho" 山内桂&吉田真希穂 福岡・大分2デイズ
〜サックスとバイオリンによる静謐かつスリリングな音世界〜
日時:2024年11月15日(金)open 19:00/start 19:30 料金:¥2,000+要1ドリンクオーダー 場所:IAF SHOP* 福岡市中央区薬院3-7-19 2F TEL:090-5475-5326(佐藤) http://iafshop.tumblr.com/
【出演者紹介】 吉田真希穂(バイオリン) 幼少期にクラシックピアノを始め、12歳でバイオリンへ転向。大学で美術を学んだ後、「芸術作品」と「見る側」との関係における���元のズレに注目。観客と時間、特に瞬間を共有する表現を模索する中で、即興演奏を始める。 2006年以来、東京、成都(中国)、ベルリンでミュージシャンやダンサーと共演。 2008年、ベルリンに移住。様々なミュージシャンと共演の後、主にBerlin Soundpainting Orchestraの初期メンバーとして10年に渡り活動。 2023年に帰国し、岡山県に拠点を置いて活動中。 https://www.youtube.com/@berlinsoundpaintingorchest6504/videos
山内 桂(Salmosax) 松山の大学時代にサックスと即興演奏や企画主催などを始め��以後大分で会社勤務(-2002年)と音楽を続ける。並行して単独による山岳スキーや山岳釣りをする。 音そのものの響きと細胞レベルのコミュニケーションによる、唯一無比で独自の音楽「SALMO SAX」。ソロを中心に世界を駆ける。 サルモサックス・アンサンブル、映画制作、サガインなど、自然での経験が音楽に結実したサルモワールド展開中。CDリリース17枚。 https://salmosax.com/
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Tiebar - Ichimatsu shibuichi 市松模様のタイバー material: sv950, shibuichi #tiebar #silverwork #shibuichi #ichimatsu #タイピン #市松模様 #四分一銀 https://www.instagram.com/p/Cl04n9yrjXV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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わがらのかみさま
●キャラクター紹介
いちまつさん
市松模様
努力を惜しまない真面目な性格。愛称は「いちさま」端正な顔立ちは歌舞伎役者のご主人譲り。陰で頑張っている人を見つければ、運気を届けてくれる神様。
●時代……………江戸時代
●出身……………日本
●好きな事………舞台鑑賞
●好きな食べ物…納豆
※キャラクタープロフィール内の「出身」は、和柄が誕生した地域。「時代」は、その和柄が日本に入ってきた時代になっております。
※この作品は創作物です。歴史には諸説あります。
⚠️画像・文章の無断転載・使用等は禁じております。
Repost is prohibited.
禁止私自转载、加工
무단 복사와 사용은 금지입니다.
#イラスト#イラストレーター#illustration#illustrator#일러스트#일러스트레이터#わがらのかみさま#和柄#市松模様#和風#日本#japan#japanese#オリジナルキャラクター#オリキャラ#ゆるいイラスト#かわいいイラスト#かわいい#kawaii#ゆるかわ#デジタルイラスト
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241013
朝8時ごろ起床
軽くご飯を食べてから時間に余裕をもって出る
唐突な模写が過ぎる驚き猫失礼します
新幹線に乗り東京~高円寺へ
いつも東京でライブをするときは深夜か早朝に車を運転して行っていたから、今回の新幹線移動にはひどく感動した 体力の消耗が明らかに少ない
こそねくん、なぎちゃんと合流
置かせてもらっていた機材、物販を引き取り西荻窪へ
リンキーディンクに到着
2時間練習のつもりだったが、新幹線移動の甲斐もあり、調子が良かったので1時間弱で切り上げた
こんな余裕のあるライブはじめて…
時間が余ったので周辺を散策
それいゆ行きたかったけど満席だった
コンビニで水やラムネ、間食用のおにぎりを買う
おにぎりは瞬で食べた
会場に戻りSüdenの方々とご挨拶
Südenのリハーサルをみる
ツアーを15本くらいやったとのことで、その成果というか経験値が演奏に還元されており割と感動する Südenのリハをみて自分たちも音を大きくしなければ…と覚悟を決める
リハーサル
何曲かやる Südenの人たちが正面でさながら面接官のように座ってリハーサルを見てくれており、「我々は合格でしょうか…」と思いながら演奏
音を大きくして演奏したので、なぎちゃんは何が何だかわからなかったとのことだったが、本番はなんとかいけるっしょっと謎の気概でごまかす
リハーサル後、外へ
それいゆに再びきらわれる
食べていなかった昼ご飯兼軽く夜ご飯を探し、最近オープンしたらしいconiwaという喫茶店へ
ルーローハンとルイボスティーを注文
おいしく、ボリュームもあり助かった
あることないこと話す
途中で企画がソールドアウトしたことを知り緊張度が急激に高まる すごい
会場に戻りメリメリの2人と久しぶりに会う
普通にテンションが上がり大声を出してしまいお店の方に注意される
オープンまでの間に来てくれたこにたんやおやまさんとしゃべる おやまさんは最初からなんかテンションが高かった気がする
merimeriyeahの演奏
二人になってから初めて見たが、とてもよかった merimeriは形態やメンバーが変わることがそこそこ多いが、一度も「大丈夫だろうか」みたいな不安な気持ちになったことがないし、常に試行錯誤してアウトプットしているのがわかるから、観るたびにグッとくる いい演奏、いい曲、merimeriみたいに違和感なく変わり続けられてるバンドまじで関西いないから、観るたびにいいなって思う
at field of schoolの演奏
途中までしか見ていないがとにかく若い 一世代近く下のバンドらしく馬力と景色が違くていい体験になった 何とな��ドラムの方が一番目立っていた気もするが各メンバー速さに追いつけ追い越せの演奏で自分が経験しえないバンドだったなと思った
途中抜けて外に出てこにたんと話したりバーカンらへんで来ていた堀部さんと田端さんと話す
お二人とも物腰柔らかく、周辺に落ちてる棘を体中に刺しまくって威嚇しながら周囲から距離を置いている自分から一本ずつ棘を抜いてくれるような会話に救われる
bnjちゃんから連絡いただく 余裕でまた会いましょう!
knitの演奏
ライブを始める10秒前に「ライブがんばれ」とLINEが来て、ライブを配信しているみたいでアガった
演奏を重ねるにつれて完全にフラットな意識状態となり、何をやっても自分の範疇で捉えられてる気がした とても楽しかった
懸念してた曲の展開をわりと恥ずかしいレベルでトチってしまったが何とか終わりにたどり着けたのは不幸中の幸い
最前で見てくれていた方はノリノリという感じで、なかなかない経験
命中率が10%未満と呼ばれているおもしろ狙い打ちMCも奇跡の大ハマりと言っても過言ではなく、お客さんの温かさに救われた
自分がやりやすい、楽しいと感じられたのは、自分が年を取って周りの方々が気を遣ってくれている部分も大きいのではという気持ちも今大きくなっているが、アルバムを作りそれを聞いてきてくれた人たちが少なからずいるという事実を踏まえると、そういう方々の思いと心遣いでいい演奏ができたとも考えられると思っている
個人的には自分のギターの音もかなり理想的だったし、どの曲も走りまくったがライブ感の範疇だと思われるし、総じて満足度が高い
こそねくんとなぎちゃんもライブ慣れしているから、練習よりも増してエモーショナルな演奏をしてくれて3人で演奏していてとてもアガった
良い演奏ができて本当に良かった
演奏後、下の控室兼物販室にて皆様と話す
評判も良くMCで話した自分のフリマを見てくれたり、物販を買ってくれたり、これまで音源でknitの音楽を楽しんでくれていた方々の顔が見れたり、自分の身には余るいい時間を過ごせた
12月の企画でやっと一緒にできる村上くんとも話せてよかった
Südenの演奏
数曲見逃したが、ツアーフ��イナルらしいお客さんとバンドのコミュニケーション(発話有無を問わない)が全編を通して発光しておりとてもいい演奏だった
MCでもknitのことを触れてくれてうれしかった
自分がこれまでにアウトプットしたものをかなりチェックしてくれていたことや、長い期間knitのことを聴いてくれていたことがとても伝わってきて本当にうれしかった
自分が残しているものがちゃんと届いているという実感
アンコール含め、良いライブ・いい演奏!
終演後、物販
信じられないが、物販に人が絶えず様々な人が様々に言葉でライブの感想を伝えてくれ、本当にうれしかった 本当にいいライブができたんだと思った
自分の知らない若い世代のバンドをされている方、 Südenを見に来た方、そういう方に届いたというのが胸に響く
アルバムを出して数年たっても、こうして機会をいただき、演奏をして、誰かに届き、新しい何かがはじまる バンドをするというのはそういことなのかもしれないが、実感として強く心に残る感触はこれを書いている今も熱を帯びている
フリマも想定以上に売れて、何よりも持ってきたアルバムが全部捌けてこれ以上ない結果になった(いつもそういう感じの象の背マジですごいと思った)
フラットを後にし、残った方々で打ち上げの居酒屋へ
総じて皆テンションが高く、いいイベントだったなとしみじみ
長田さんともゆっくり話せたしとてもうれしかった
ライブ会場からヤバかったお客さんがいよいよ本格的にやばくなったのをきっかけに一次会終了
さらに残ったメンバーでニ次会の居酒屋へ
一次会まで気苦労絶えなかったであろうSüdenのこしだかくんも合流
途中、テンションが上がらざるを得ない話も聞けて最高だった
というか本当にみんな気持ちの良い人たちやったなあ
2次会終了後、マジで行く先を誰も知らずに1時間くらい右往左往したり公園でしゃべったりした
さらに残った、こしだかくん、こにたん、おやまさんで西荻窪に戻り、24時間営業の松のやでとんかつ定食を食べながら始発を待った
足利市より車で来ているというこしだかくんのバイタリティというか体力本当すごいなと思った
始発の時間となり解散
おやまさんと電車に乗り、最終的に始発の新幹線で帰った
家に帰り爆眠り
録っていただいていた演奏を見返したが、どう考えても自分だけが走っている箇所が割と多く存在しており、少しつらくなったが画面に映っているお客さんの様子とか時折聞こえてくる自分じゃないお客さんの歌声にうれしくなった 歌ってもらうことを想定していないだけに
またやりたいなと思う
一番最後に作って音源化していない曲"100年後"を音源化したいと思う
どうやったら進めるだろう
いい日、良い演奏、良いひと、心が洗濯されました
いろんな事情でこれなかった方、話せなかった方もいましたが、みなさんまたどこかで会いたいです 自分が向かえるように頑張ります
この日ばかりは一日中ポジティブに過ごせた
ありがとうございました!絶対続ける
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は曇り空です。
2018年よりお誘いを頂き、今年も参加をさせて頂く事となりました。
毎年漆器だけの参加となり申し訳ありません。
10月9日(水)より「二〇二四 日本×台湾 現代漆藝交流展」が、神奈川県横浜市のFEI ART MUSEUM YOKOHAMA(フェイアートミュージアムヨコハマ)さんにて開催されます。
以下、FEI ART MUSEUM YOKOHAMAさんより
長きに渡るコロナ禍自粛の反動か、画廊にも人が戻ってきて活気付いて参りました。2024年も変わらず漆作品による台湾との交流を深めたいと思います。
2018 年よりスタートした台湾作家と日本作家による漆交流展も、7回目を迎えることになりました。
漆は自然と人間を繋げ、自然の鼓動に包まれた、ゆったりとした心地よい時間を与えてくれます。
脈々と繋がる漆の歴史の中で、新世代の作家は漆作品の創造において、伝統に囚われない表現を模索しています。漆も生きている、人間も共に成長していきます。
この創造的な交流が継続し、次世代へ伝えられ、友情が育まれていくことを望みます。
今回も台湾の漆芸作家を交えた創造的な作品をご覧頂けます。漆芸の奥行きを会場にてぜひご体感ください。
2024日本× 台湾現代漆藝交流展
参加作家:
【出品作家】 日本 : 秋山由佳/浅野絵莉/畦地拓海/伊吾田道子/いらはらみつみ/ウィストン・ジョナサン/梅津奈保子/江村忠彦/大塚智嗣/ 小田伊織/久保万理子/小林秀俊/佐藤史幸/白澤陽治/白谷琢磨/髙宮ヨウコ/豊田正秋/中島敦子/中島靖高/藤田薫/星温美/ 増山明恵/柗井圭太郎/松島さくら子/松田環/三好かがり/村本真吾/横田千明/吉田真澄 ほか 台湾 : 張森洋/張美姜/謝袖妤/歐慧宜/姚菊華/賴明淳/吳明媛 /葉曉陵/廖勝文/廖栢賢/魏炎順 ほか
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展覧会名:日本×台湾 現代漆藝交流展
会 期:2024年10月9日(水)~10月19日(土)※月曜休廊
開廊時間:10:00~19:00 ※最終日は17:00まで
料 金:入場無料
会 場:FEI ART MUSEUM YOKOHAMA(フェイアートミュージアムヨコハマ)
住 所:〒221-0835神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町3-33-2 横浜鶴屋町ビル1F
TEL:045-411-5031 FAX : 045-411-5032
E-mail : [email protected]
URL: https://hfg-art.com
Facebook:https://www.facebook.com/feiartmuseum
Instagram:https://www.instagram.com/fei.art
Twitter:https://twitter.com/fei_yokohama
[ACCESS]
*各線「横浜駅」西口 より徒歩6分
*横浜駅西口地下街[南12番出口]より出て左
[鶴屋町3丁目交差点]前方左角
お近くにお住まいでご興味の有ります方は是非、ご高覧頂けましたら幸いです。
今週もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今週も、良い一週間と成ります様に。
https://jujiro.base.ec/
#秋田県 #湯沢市 #川連 #川連漆器 #川連塗 #寿次郎 #国指定伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田工芸品 #秋田クラフト #秋田の物作り #秋田のものづくり #髹漆 #寿次郎 #日本台湾現代漆藝交流展 #現代漆藝交流展 #秋田川連塗寿次郎 #佐藤史幸 #Kawatsura #Yuzawa #Akita #Japan #Urushi #japanlaquer #Lacquerware #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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月一で宮城の歴史や遺跡を巡れる勉強会(?)。
今回は塩竈神社や七ヶ浜の資料館や大木囲貝塚や吉田浜貝塚、鼻節神社など行ってきました。
お昼は塩釜水産物仲卸市場で買った具材でオリジナル海鮮丼。
毎回知らない事ばかりで楽しくて、帰る頃にはそれらの新しい知識を反芻するのにボーっとなってしまいます。
���に七ヶ浜は松島からもすごく近いのに、こんなに沢山の歴史や行ってみたい場所があったのかとびっくりです。
松島湾は縄文時代からあまり地形も風景も変わっていないと聞いて、我が故郷ながらめちゃめちゃロマン感じています。
七ヶ浜も松島も、海が内陸に入り込んでいた時代は、交易の中心地でもあったらしくて、今は田んぼになっているその場で想像力膨らませると、本当にワクワクドキドキします。
それと七ヶ浜の海には七ヶ浜より大きな暗礁もあり、そこに祠や階段もあるのが発見されたなんて話も、凄いワクワク。
あと縄文土器も模様が凄いはっきりしててびっくりした。。こんなに近い場所にこんなに立派な土器が沢山出てたなんて、私は何を見て松島で育ったんだろう…;;;;;;
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼとも��う。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙���ろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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富士山の裾野に並ぶ製紙工場。鮮やかな赤と白の市松模様から青空へ吐き出される煙を見て、雲みたいだなと子どものように思った。混雑を見越して各駅停車の新幹線で東京に向かう。普段は通過する駅で停車中の車窓を見ると、ずっと前から当たり前にあった景色に発見がある。
もやっとした不安が社会を覆っている。近所のスーパーに当たり前に並んでいた飲料水やトイレットペーパーがきれいに棚から無くなっていて、少し前のパンデミックを思い出した。炭酸水とティッシュはたくさん残ってるけど、そっちじゃダメなのだろうか。当たり前にあった景色が変わった。不安が目に見える形に具体化されないと行動に移せない人は多い。
正しく恐れるということ。いろんなことが起こるけど、正解はないから、自分で選択して生き延びてね、ということなんだろう。自分たちの不安とは無関係に日は昇り、容赦なく陽射しを投げかける。今日も外はとても暑い。
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