#岩屋毅元防衛大臣
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Posted @withregram • @k__satgram Posted @withregram • @naoto_mo7575_1 日本人もブチギレだわ。日本のメディアはこれをしっかり報道しろよ。
@takeshi_iwaya 外務大臣様。どう弁明されるんですか?@jimin.jp
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中国から“救出”された最初の日本人
「国家安全当局が岩谷氏の滞在するホテルの部屋を捜査したところ、中国の国家機密と関連する資料を発見した」 2019年11月15日午後、北京市中心部の中国外務省で定例記者会見に臨んだ耿爽報道官は、北京訪問中の北海道大学の岩谷將(のぶ)教授が9月8日に国家安全当局に連行された理由について、説明を始めた。 「取り調べを受けた岩谷氏は、以前も中国の秘密資料を大量に収集していたことを供述した。違法をおかした事実関係は明白であり、証拠もしっかりしている。彼の行為は、中国人民共和国の『刑法』と『反スパイ法』に違反している」 こう強調した耿報道官だが、突然声のトーンを下げ、「岩谷氏は罪を認めており、後悔の念も示したことを考慮して、中国は彼を訓戒したうえで保釈を認めた」と述べた。 耿報道官が会見を開く数時間前、岩谷氏は釈放され、日本に戻る飛行機に搭乗した。 中国政府は2015年春から、中国国内で「日本人スパイ狩り」を始めた。これまでに10人以上が拘束され、なかには最高で懲役15年の判決を受けている人もいる。 「後悔の念を示した」ことを理由に釈放され、帰国した岩谷氏は日本政府とメディア、言論人が力を合わせて、中国から“救出”した最初の日本人といえる。
入国して間もなく拘束
中国政治、軍事史の研究者として知られている岩谷氏は、日中戦争史、中華人民共和国建国前の政治史などを専門にしており、かつて防衛省防衛研究所で戦史研究センターの教官、外務省大臣官房国際文化協力室の主任研究官を務めた経歴をもつ。中国政府系シンクタンク・中国社会科学院近代史研究所の招聘で9月3日に北京入りし、同月8日に連行され、釈放されるまで約9週間、拘束された。 帰国した岩谷氏が中国で起きたことの詳細を明らかにしていないため、日中関係者の間で未だにさまざまな憶測が飛び交っている。 ある中国情報機関に詳しい共産党関係者は、「岩谷氏が中国に入国して間もなく拘束されたことから、中国の国家安全当局が、まず拘束する方針を固め、社会科学院と連携して岩谷氏を呼び寄せた可能性がある」と推測する。
これのどこが国家機密なのか
中国当局が主張する「国家機密」の詳細は明らかではないが、「岩谷氏はこれまでも、自らの研究テーマである日中戦争など当時の資料を収集するため、中国に渡航したことがあった」と証言する関係者もいる。主に古本業者から購入していたという。 80~100年前の歴史資料が「国家機密」でないことは、国際社会の常識である。中国でも、その年代の資料は基本的に公開されている。しかし中国の治安当局は、拘束の口実として、岩谷氏が手に入れた歴史文献が「国家機密」と主張した可能性もある。
中国当局の逆鱗に触れた?
南京事件の経緯や慰安婦問題など日中戦争当時の出来事について、中国政府と日本の研究者の間で大きな見解の違いがあり、岩谷氏はこれまでに、中国当局の主張を実質的に否定する論考を展開したこともある。一部の関係者の間で、「岩谷氏の研究が中国当局の逆鱗に触れたのではないか」との見方が示されている。 もし岩谷氏の拘束理由が研究内容と関係しているのであれば、日本の中国研究者の学問の自由が侵される由々しき事態といえる。
日本の対中外交の小さな勝利
岩谷氏が2カ月あまりで釈放されたことについて、日中関係者の間で「日本の対中外交の小さな勝利だ」と指摘する声がある。なぜなら、これまでスパイ容疑で拘束された日本人は、ほとんど起訴されているからだ。 岩谷氏のように「違法をおかした事実関係は明白であり、証拠もしっかりしている」事件なら、「数年~10年以上の懲役刑は避けられない」(中国共産党関係者)はずだった。それを中国当局が突然、譲歩したのは、日本メディアがこの問題を大きく伝え、「中国に対する強い姿勢」を示したことによる力が大きいと筆者は考える。
「記事にするな」と外務省が産経新聞記者を恫喝
筆者は産経新聞の北京駐在記者時代の2015年頃から、中国による日本人拘束問題をたびたび紙面や雑誌などで大きく取り上げ、会合などで国会議員に直接訴えたこともあった。 しかし、肝心の日本外務省はこの問題に消極的で、さまざまな形で筆者に圧力を加えたこともあった。「北京と交渉しているから、書かれたらうまくいかなくなる」というのが彼らの言い分で、当初、筆者もそれを信じ、記事を見送ったこともあったが、3年経っても4年経っても一人も救出できずに、中国に拘束される日本人は増えるばかり。邦人を救出しようとしているのではなく、中国を刺激したくないのが外務省関係者の本音であることに気づいた。 今回の岩谷事件について、北京駐在の同僚記者が「拘束された事実」を確認し、記事化する際にも、外務省高官から「絶対に書くな」 「責任をとれるのか」などと恫喝されている。
「知中派」も一斉に抗議
産経新聞はこうした恫喝を無視して、2019年10月19日の朝刊一面トップに「中国、北大教授を拘束 準公務員、スパイ疑いか」との見出しで報じ、大きな反響を呼んだ。 インターネット上では中国を批判する書き込みが殺到し、2020年春に予定されていた習近平国家主席の国賓来日を再考すべきだ、と主張する日本の識者が急増した。 産経新聞が記事を掲載した3日後、天皇陛下の即位式典に出席するために来日した中国の王岐山国家副主席に対し、安倍晋三首相がこの岩谷事件について言及したことも、中国に対する大きな圧力となった。 その後、中国政治や現代中国論が専門の早稲田大学の天児慧名誉教授や、法政大学の菱田雅晴教授など八人が呼びかけ人となり、事件について強い懸念を示す声明を発表。岩谷氏の拘束について、「言葉にしがたい衝撃を受けている。関係当局は拘束の理由など背景を一切明らかにしておらず、理由が不明なままの拘束は国際社会では到底受け入れられない」とし、拘束理由など関連情報の開示を求めた。 また、今回の事件を受けて、日本の中国研究者が恐怖で中国に渡航できなくなる可能性もあるとして、「日中間の学術交流に好ましからざる影響が立ち現れ、日中関係の健全な発展に大きな影を落としている」と強調した。これらの学者は日本で「知中派」と呼ばれる人たちで、彼らが一斉に抗議することは中国にとって大きなインパクトがあった。
新しい日中関係を考える研究者の会が公表したアピール文(スクリーンショット)
手柄がほしい国家安全当局
この声明に対し、中国外務省の報道官は当初、「日本の学者たちは真相を知らないかもしれないし、考え過ぎだ」と応じたが、日本の反発は収まらなかった。 「岩谷氏の拘束は、手柄がほしい国家安全当局の判断とみられる。しかし、反響は予想よりはるかに大きく、このままでは習氏の訪日に大きな影響が出ると判断した中国指導部が、岩谷氏の釈放を指示した可能性がある」と分析する中国の政治学者もいる。 岩谷氏の釈放は、日本政府、メディア、学者らが中国に対し強い姿勢を示したことの成果とともに、習近平訪日前という特別な時期とも関係しているといえる。
それでも情報を隠し続ける外務省
しかし、岩谷氏が釈放されたわずか12日後、別の50代の日本人男性が中国湖南省長沙市で、国内法違反で拘束されていたことが報道によって明らかになった。 この男性は介護関係の仕事をしていたといい、拘束された時期は岩谷氏よりも2カ月早く、2019年の7月だった。中国の治安当局は日本人を拘束したあと��日本大使館に伝えなければならない取り決めがある。つまり、この男性の拘束を外務省は認識しており、国民に隠していたことになる。 これまで中国当局によってスパイ容疑で拘束された日本人はその全てがメディア取材によって明らかにされたものであり、外務省が公表した例は一度もない。 戦後、周辺国との武力紛争を極力避けてきた日本が、中国の国家安全に危害を加える工作員を中国に派遣するなど常識的に考えにくい。しかも1人や2人ではなく、わずか数年で10人以上も同じような容疑で拘束されている。明らかに異常な状態といえる。 しかし外務省は邦人保護に関し、ほとんど事実関係を明らかにしない。約1年前に、大手商社の伊藤忠商事に勤務する40代の日本人男性社員が中国広東省の国家安全警察に拘束されたことが判明した時も、外務省はメディアの取材に対し冷淡な対応を貫いた。日本政府は拘束情報を約1年前から把握しておきながら、報道されるまでこの事実を公表しなかった。 その後、菅義偉官房長官が定例記者会見でようやく事実関係を認め、「邦人保護の観点からできる限りの支援をしている」と強調したが、男性の氏名や容疑、拘束された当時の状況など詳細は明らかにしなかった。
拘束、起訴された日本人
この他、2015年から2018年にかけて、中国でスパイ容疑などをかけられ拘束、起訴された日本人は、以下の9人であることがメディア報道によって判明している(年齢はいずれも当時)。 1、愛知県出身の会社員の男性、54歳。2015年、旅先の浙江省で拘束され、軍事施設や公船を撮影したとされる。2018年に懲役12年の実刑判決。 2、神奈川県在住のパチンコ店店員の男性、58歳。元脱北者で、北朝鮮にいる妹を救出しようとして日中間を往復していた2015年に遼寧省の中朝国境近くで拘束され、2018年に懲役5年の実刑判決。 3、東京都の日本語学校幹部の女性、58歳。元中国人で、中国の機密情報を日本の政府機関に提供した容疑で拘束され、2018年に懲役6年の実刑判決。 4、札幌市の団体職員の男性、73歳。元日本の大手航空会社社員で、定年退職後、中国と経済交流を促進する団体を立ち上げた。2018年にスパイ容疑で懲役12年の実刑判決。 5、東京都の日中友好団体幹部、男性、61歳。元日本社会党職員、中国との交流などを担当し、中国の砂漠に植樹するプロジェクトなどに参加。2017年にスパイ罪で起訴。2019年に懲役六年の実刑判決。 6、千葉県の地質調査会社社員、男性、70代。中国の業者の依頼を受けて温泉を探すために訪中したが、国家機密探知罪で逮捕。2018年5月に起訴。2019年に懲役5年6カ月の実刑判決。 7、千葉県の地質調査会社社員、男性、 50代。中国の業者の依頼を受けて温泉を探すために訪中したが、国家機密探知罪で逮捕、2018年6月に起訴。 2019年に懲役15年の実刑判決。 8、出身地不明の会社代表の男性、60代。遼寧省で拘束され、2018年3月にスパイ罪で起訴。2019年に懲役5年6カ月の実刑判決。 9、大手商社、伊藤忠の男性社員、40代。 2018年2月に広東省で国家安全当局に拘束され、同6月に起訴。2019年に懲役3年の実刑判決。 この他、メディアに報じられていない拘束された日本人も数人いると噂されている。
起訴された日本人全員が冤罪の可能性大
拘束、起訴された日本人の職業を見ると、中小企業の会社員、日本語教師、パチンコ店のアルバイト、中国の砂漠で植林プロジェクトを推進する「日中友好人士」などが含まれている。いずれも専門的なトレーニングを受けた情報分野のプロではない。同時に、中国の国家機密を探れる社会的立場にもない。 そもそも日本の情報機関は、国内の過激派の動きを監視することを仕事の中心にしており、海外に工作員を送る法的根拠もなければ予算もない。先述した伊藤忠商事の社員を含めて、起訴された9人全員が冤罪である可能性は極めて高い。
それでも犯罪者扱いする日本政府
冷戦時代、米国とソ連の間で拘束した相手側の諜報要員を同時に釈放する「スパイ交換」が行われていた。日本人が中国でスパイ容疑をかけられて拘束されたなら、日本政府はすぐに国内で活動する同じ数の中国工作員を拘束し、交換交渉を始めるべきだが、日本政府にそういうことを実施する気配は全くみられない。 筆者が北京に駐在していたとき、中国にスパイとして拘束された日本人の家族や周辺者の取材をしたことがあるが、複数の関係者から「冤罪なのに、外務省と大使館はなにもしてくれない」と言われたことがあった。 日本人の拘束が判明するたびに、菅官房長官は「(日本政府は)できるだけの支援をしている」と記者会見で述べているが、北京の大使館関係者によると、菅氏が言う支援は釈放に向ける外交努力ではなく、あくまでも本人の要望にしたがって弁護士を斡旋したり、漫画やカップラーメンを差し入れしたりするなど、いわば詐欺や傷害容疑などの一般刑事犯と同じ人道的な支援だ。日本政府も、彼らを“犯罪者扱い”しているという。
抗議も釈放要求も一切しない
北朝鮮による日本人拉致問題に長年、取り組んできた松原仁衆議院議員は2019年2月27日の衆議院予算委員会の分科会で、中国による邦人拘束問題を取り上げ、政府の見解を問いただした。 衆議院同分科会の議事録によれば、松原氏の「政府はなぜ邦人拘束という事実を公表しなかったのか」との質問に対し、外務省の垂秀夫領事局長(当時)は「政府としては、ご家族への配慮、人定事項を含めたなんらかの確認や公表を行うことにより、当該邦人および同様に拘束されている他の邦人に対する中国当局の今後の中国側司法プロセスにおける取り扱いなどにおいて、不利益な影響を生じさせる可能性が排除できなかったことから、対外公表をすることは差し���えたものでございます」と答弁した。 松原氏はさらに、「日本政府は中国に対し抗議、または釈放要求をした事実はあるか」と質問したのに対し、垂氏は「日中首脳会談、日中外相会談を含めてあらゆるレベルを通じ、厳正に申し入れ、前向きな対応を求めているところでございます」と回答した。 垂氏の答弁から、日本政府はこれまでに中国と外交交渉で、邦人拘束の件について「前向きの対応」を求めただけで、抗議したことも、釈放要求もしたことがないことが明らかになった。
邦人拘束をなぜ公表しないのか
また、邦人拘束を外務省が公表しなかったことについて、垂氏は「被害者への不利益な影響を避けるために」としているが、残念ながら、事なかれ主義の外務省の言い訳にしか聞こえない。 伊藤忠の社員は1年以上、温泉業者らほかの拘束者は、長ければ約4年も拘束されている。すでに十分な不利益を蒙っている。人権侵害が激しいといわれる中国の刑務所、留置場に未だ日本人が捕われている責任は外務省、そして日本政府にある。 対中交渉がうまくいかなければその事実を公開し、中国当局による人権侵害の事案として国際社会に訴えるべきだ。それが中国への圧力になり、邦人の救出につながる可能性もあるが、自らの仕事を増やしたくないのか、外務省と日本政府には、こうした発想がないようだ。
ファーウェイ創業者の長女を拘束したカナダ
足首にはGPS付きの追跡装置がつけられている
外務省や日本政府の邦人を守る姿勢は、国際社会の基準からみれば明らかに不十分だ。日本と同じく、中国に複数の自国民を拘束されたカナダ政府は中国に対して毅然とした態度を取り、国際社会の協力を積極的に求めている。 2018年12月、カナダは中国の大手IT企業、華為技術(ファーウェイ)創業者の長女で同社副会長の孟晩舟氏を拘束した。孟氏は米国の対イラン制裁回避に関連する不正行為の疑いがあったとして、米政府の要請を受けたカナダが孟氏の拘束に踏み切った。 これに対して、中国の外務省はすぐさま反応し、米国とカナダに猛抗議、釈放要求を繰り返した。中国外務省の王毅外相は全国人民代表大会中の3月8日、記者会見して華為事件に言及し、孟氏の拘束事件とその後に起きた一連の華為排除の動きについて、「意図的な政治的抑圧であり、われわれは中国企業と市民の合法的権益を断固守る」と強調した。
中国の激しい報復、カナダ人を次々に拘束
この事件の背景には米中のハイテク分野の主権権争いも絡んでいるが、ある意味で、中国にとっては「外国に拘束された自国民を保護する事案」でもある。その後、中国当局の激しい報復行為は国際社会を驚かせた。 孟氏拘束後、中国はすぐに中国国内にいる2人のカナダ人を「国家安全に危険を与えた」などの容疑で拘束。その後も次々とカナダ人を拘束し、中国の地方都市の英語学校で教える若い女性を含めて、わずか2カ月で計13人のカナダ人を拘束した。その後、5人を釈放��たが、残り8人はスパイ容疑で取り調べを続けた。 中国当局による一連のカナダ人拘束は、カナダ政府に対し、孟晩舟氏の身柄を米国側に渡さないように牽制するためと言われている。
屈しなかったカナダ
しかし、カナダは中国に屈しなかった。当初、カナダ人2人の拘束が判明すると、フリーランド外相はすぐに「中国によるカナダ人の恣意的拘束を深く懸念している」との声明を出し、即刻釈放を求めた。 その後、ほかにも複数のカナダ人が中国に拘束されていることが次々とわかり、同外相はさらに「中国側がカナダ国民に対して取った行動は、すべての国にとっての脅威だ」との声明を発表し、厳しい言葉で中国を非難した。 北京の駐中国カナダ大使も拘束者と面会するなど、国民を守る決意を表明した。中国に拘束された自国民の救出はいま、カナダ政府の最も重要な外交課題の一つになっている。 こうした中国に対するカナダ政府の強い態度は、複数の国、国際組織、人権団体の支持を受けており、拘束カナダ人を支援する輪は、すでに国際社会で広がっている。
これぞ中国の「人質外交」
米国国務省は2019年1月、一連のカナダ人拘束事件を踏まえて、米国人が中国に渡航する場合、中国当局による「恣意的な法執行」に対する警戒を呼びかけ、渡航危険度について、4段階のうち下から2番目の「一層の注意」に据え置かれて、中国へ圧力をかけた。 中国当局は「拘束した8人のカナダ人」について、スパイなど国家安全を脅かす疑いがあると説明しているが、中国から遠く離れ、人口も少ないカナダが地政学的に中国を仮想敵として見ているとは思えない。常識的に考えれば、カナダが大量の工作員を中国に送り込むはずがない。 中国は一連のカナダ人拘束を通じて、外交カードとしてカナダを牽制し、孟晩舟氏の身柄を米国に引き渡すことを阻止する狙いがある。いわば、人質をとって相手に圧力を加える「人質外交」である。 2010年、尖閣諸島海域で海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船の船長を日本側が逮捕すると、中国は即座に「河北省の軍事施設を撮影した」という容疑で日本の建設会社フジタの社員を拘束。日本に対し、「スパイ罪で起訴すれば死刑もあり得る」と脅して、船長の釈放を強く求めた。当時の民主党政権は中国の要求に屈し、結果としてフジタの社員たちも釈放された。 一方、今回、カナダ当局は孟晩舟氏の釈放になかなか応じないため、中国とカナダの対立の構図は今後も長期化する可能性もある。
習近平が恐れていること
また、中国当局による外国人拘束は、国内の締め付けを図る思惑もあるとみられる。中華民族の偉大なる復興などナショナリズムを煽るスローガンを掲げる習近平政権は、外国の価値観などが中国国内に入るのを阻止することに力を入れている。中国人と外国人が接触することを嫌い、外国の民間人に“スパイ”のレッテルを貼って摘発することが、ここ数年、急増している。
日本が世界の笑いものに
筆者の北京駐在時代も、複数の北京在住の外国人知人が“スパイ”として拘束された。中国人からもらった重要でない会議の資料をいきなり「国家秘密」だと言われ、海辺で撮った写真にたまたま軍艦が写っていたことなどを理由に起訴された人もいる。 筆者は当時、取材で中国国内出張が多かったが、スーツケースを持たず、小さな手荷物で飛行機に乗ることを徹していた。荷物を空港に預ければ、自分の知らないうちに麻薬や政府の機密文書を入れられ、罪をでっち上げられることを警戒したためだ。 今後、トランプ政権下で米中関係が深刻化する可能性があり、米国と関係が深く、外交の脅しに屈しやすい日本は、中国にとって国内の引き締めを図るうえでも、人質外交を展開するうえでも餌食になりやすい。 今回の岩谷氏の釈放が、日本の対中外交の小さな勝利といえるなら、この経験を活かして情報を公開し、強い姿勢を継続すべきだと考える。主権国家として自国民を保護する姿勢を見せてほしい。それをしなければ、日本は世界中の笑いものになるだけでなく、ますます中国から軽視され、在中日本人はこれからも拘束され続けるだろう。(初出:月刊『Hanada』2020年3月号)
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中国企業からお金をもらっていた議員の名前がでてきました。 自民:中村裕之、岩屋毅、船橋利実、宮崎政久 維新:下地幹郎 あー、やっぱりね、というメンツ。 岩屋元防衛大臣。そういうことですよ。
Strawberry 苺🍓さんはTwitterを使っています: 「中国企業からお金をもらっていた議員の名前がでてきました。 自民:中村裕之、岩屋毅、船橋利実、宮崎政久 維新:下地幹郎 あー、やっぱりね、というメンツ。 岩屋元防衛大臣。そういうことですよ。 https://t.co/DJ5VLeGYZO」 / Twitter
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📸東濱口家住宅(濱口氏庭園)[ 和歌山県広川町 ] Higashi-Hamaguchi Residence Garden, Hirokawa, Wakayama の写真・記事を更新しました。 ーーこれが #庭屋一如 🏡日本遺産“百世の安堵”にも構成される、商家・東濱口家の #国指定重要文化財 の邸宅と庭園。(非公開) ...... 「東濱口家住宅」は #日本遺産 『百世の安堵~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~』の構成文化財となっている国指定重要文化財の屋敷。 通常非公開ですが、近年は11月に特別公開も(*2020年は未実施)。これぞ庭屋一如の名建築と庭園。ぜひ庭園ファン、近代和風建築ファンに届けたい。 . 春に初めて和歌山県広川町を訪れました。先に日本遺産の拠点『濱口梧陵記念館』 (稲むらの火の館) を紹介し、その中で広川町(広村)の大地主・濱口家のことを紹介しましたが、今回紹介するのは“西濱口家”濱口梧陵とともに国指定史跡・広村堤防の築造を支えた“東濱口家”濱口吉右衛門家の邸宅。 今回特別に見学をさせていただきました。 . 古くは平家に仕えた武家・濱口四郎二郎忠宗を祖とする濱口家。その12代後の当主・濱口左衛門太郎安忠は室町幕府の管領・斯波氏の家臣として応仁の乱⚔️を目の当たりにしたことを機に武門を離れ高野山⛰に出家。 . その後、浄土真宗中興の祖・蓮如上人と出会ったことをきっかけに高野山を離れ、現在の広川町に浄土真宗の道場を開きました。 その寺院は現在も『安楽寺』として広川町に残ります(こちらも日本遺産に構成)。やがて広村の名主に。 . 江戸時代に入り、当時の当主・濱口吉右衛門忠豊が下総国(銚子)や江戸に進出。 隣町の湯浅の醤油醸造🏭に着目し、次男・知直(西濱口家)が銚子で現在の“ヤマサ醤油”を創業、その販路拡大のために濱口吉右衛門正勝(東濱口家)は江戸・日本橋に醤油問屋「廣屋」を構えました。 . その後の東濱口家は醤油問屋として発展��、地元・広村の経済発展に貢献、近代の当主・九代目濱口吉右衛門は実業家として後に #九州電力 となる九州水力電気の社長、豊国銀行🏦の頭取、政治家として衆議院議員・貴族院議員もつとめました。 . 江戸時代には勝海舟や儒学者 #亀田鵬斎 が、明治時代には犬養毅が東濱口家を訪れ、その言葉(扁額)を残すなど各著名人とも結びついていました。 (このうち、亀田鵬斎の名前が出るのは岩手県・宮古の『盛合氏庭園』以来。この時代には既に文人は日本各地を回っていたんだなあ) 続く。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/higashi-hamaguchi-residence/ ーーーーーーーー #japanarchitecture #japanesearchitecture #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #建築デザイン #日本庭園 #庭園 #庭院 #庭园 #広川町 #文化財 #非公開庭園 #近代建築 #近代和風建築 #近代日本庭園 #おにわさん #oniwasan (広川町 (和歌山県)) https://www.instagram.com/p/CSRfkcvJFLq/?utm_medium=tumblr
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7.高麗の建国と滅亡についてのまとめ
問い3:高麗の建国と滅亡について>7. 高麗の建国と滅亡についてのまとめ
目次は こちら
7.高麗の建国と滅亡についてのまとめ
「高麗の建国と滅亡について」に関してその要点を以下にまとめます。
① 羅第51代の真聖王は、昔から角干の魏弘と私通しており、彼女が887年に即位すると魏弘を常に宮廷に出入りさせ、少年や美丈夫2~3名を、密かに宮廷に引き入れ、。
② 889年、国内の諸州・郡では、貢賦を輸送しなかったので、王都の府庫はすっかり空になり、使者を各地に派遣し、督促させると、各地の盗賊が一斉に蜂起しました。
③ 892年、完山の賊の甄萱が、完山州を根拠地にし、後百済の国号を自称すると、武州の東南方の郡や県は皆、甄萱に降伏しました。
④ 898年7月、弓裔が泪西道および漢山州管内の三十余城を奪い取り、松岳郡(京畿道開城市)に王都を建て、911年に弓裔は国号を泰封と改め、年号を水徳万歳としました。 これで、新羅・後百済・泰封(後高句麗、後の高麗)の後三国が揃いました
⑤ 911年、新羅の52代王が身分の賎しい女を寵愛して、政治を顧みませんでした。大臣が諫めましたが、これを聞き入れませんでした。新羅では第51代・第52代と政治を顧みない王が二代続きました。
⑥ 918年6月、弓裔の部下たちが弓裔を追放し、王建を王に推戴しました。王建は国号を高麗としました。高麗の誕生です。
⑦ 927年9月、新羅の第55代景哀王が妃や嬪などと宴游に耽っている時、後百済の甄萱が王都に侵入し、王は妃や妾数人と共に甄萱の軍中に引き出され、甄萱は新羅王に自殺を強要し、王妃を強淫しました。彼の部下たちに王の妃や妾を勝手にさせました。そして、新羅王の一族の者を立て、これが敬順王です。
⑧ 敬順王は衰えた新羅���自力では維持発展できないと判断して、国民がこれ以上悲惨な目に遭わないようにと考え、王子たちや大臣たちの反対を排除して、国を挙げて自ら高麗に降り、新羅は高麗に併合されました。
⑨ 936年、後百済では甄萱の長男の神剣が父の甄萱を金山寺に閉じ込め王位を奪うと、甄萱は脱出して高麗に入り、この状況を利用して高麗は神剣の後百済軍を撃破して併合し、高麗が韓半島を再び統一しました。韓半島では3重の併合が行われています。
⑩ 高麗の太祖(王健)は統一前にすでに収取制度を変更し、農民の生活を安定させ、開国功臣や地方豪族を役人として登用し、有力な豪族と婚姻を通じて関係を深め、諸制度を実施して地方豪族を牽制しました。
⑪ 太祖は訓要十条の第一で、国家の大業は必ず諸仏の加護によるとして、仏教を保護して禅宗や教宗の寺院を創建しました。しかし、国家護持の仏教は驕り高ぶって腐敗し堕落して、農民や奴婢や下級官吏を下僕扱いし、朝鮮時代に儒者から廃仏論が出る種を蒔いていました。
⑫ また太祖は「逸楽するなかれ」と言っていますが、いつしかそれが忘れられ、その後の王や執権者の多くが政治にはまったく興味を示さず、逸楽に耽っていました。
⑬ 逸楽に耽った国王の代表として、毅宗の例を次に記します。第18代の毅宗(在位1146~1170年)は遊ぶのが好きで、そのことが『本当に悲惨な朝鮮史』の巻11の毅宗の条に記されています。
[【高麗史節要巻11(1152 18毅宗)】
正月に毅宗が康安殿に出かけ、舞楽をご覧になった。前日の夕方に始まった燃灯会は既に終わっていたが、もう一度やれと命じた。毅宗は時のたつのも忘れて舞楽や観劇を楽しんだ。午後になってやっとお開きになった。
さて、夜には宮廷の苑林の木々の間に怪しい火が見えた、焔が高く上がり煌々と輝いた。近くの住人が火事だと思って宮門に駆け付けたが、火事でないことが分かって戻っていった。人々は、王は夜に遊ぶのが好きなのでこういうことが起きたのだと言いあった。
毅宗が万寿亭で宴会を夜通し催し、翌朝になってようやくお開きとなった。(後略)。
【高麗史節要巻11(1156 18毅宗)】
毅宗は宮殿の東北の隅に一軒の閣を建て『衝虚』という額を掛けた。黄金や碧玉が眩いばかりに輝き、その内装は言葉を失うぐらい美しかった。また宮廷の別の一室には良く効く高価な薬をいろいろと取り揃え、その部屋には「善救��」という額をかけた。また亭をその隣に築き、奇妙な岩や、立派な花卉を集め、「養性」という額をかけた。
これだけに止まらず、毅宗は豪華な庭園を次々に造った。たとえば、庶民の家、50軒を取り壊して「太平亭」を造らせたが、庭には立派な花卉や珍しい果物の樹を取り寄せ、道の左右に植えさせた。また、「養貽亭」を造り、高価な青瓦で葺いた。]
一方、庶民は宮殿や庭園の造営に駆り出され、苦しい労役に携わっていました。このように庶民の苦しみなどに無頓着に遊楽に明け暮れていた毅宗ですが、1170年の武臣のクーデターで島流しになり、その後数年して殺されてしまいました。
⑭ 1170年の軍事クーデターで政権を掌握した武臣政権は、執権者が次々と殺して交代し、崔忠獻が執権者の李義玟と関連した人物を皆殺しにして崔氏政権を打ち建て、4代60年続きました。崔氏政権を含めて武臣政権は100年続きました。
⑮ 武臣政権の時、過酷な収奪と使役に反発し、農民と賎民の反乱が相次いで各地に起こり、身分解放や三国復興運動も起きました。また、1200年前後に、新羅・百済・高句麗を復興しようとする運動が起こったことは、13世紀初めには、一つの朝鮮民族としての意識が高麗の人々になかったことを示しています。
⑯ 1231年以降、モンゴル軍の侵略を受けて、王たちは早々と江華島に逃げ込み贅沢な生活を続けましたが、残された高麗の人達は奴婢までも果敢に戦い、モンゴル軍を敗退させる場合もありましたが、6次にわたるモンゴル軍侵攻に蹂躙され、甚大な被害に遭いました。
⑰ 1259年、高麗王は江華島を出てついに元に降伏し太子を元に送りました。そして高麗王室は元皇室との婚姻を重ね、高麗は元の一つの領域として新羅王が統治する形となりました。
⑱ 高麗は多人数の処女を何度も貢女としてお土産を持ってゆくように元皇室に提供し、また元の要求により高麗政府が専門部署を設置して多くの婦女子を拉致して、元軍のために提供しています。このことは『本当に悲惨な朝鮮史』に記されていますが、韓国の教科書は一言も記していません。
⑲ 1274年と1281年の二度の元と高麗の連合軍による大規模な日本侵攻のことが、韓国の歴史教科書にはまったく記されていません。
⑳ 元の衰亡により、親元派が粛清され、高麗から元が排除されました。そして明は元が支配していた地域を要求したので、これを拒否して明を攻撃するために李成桂が派遣されましたが、1388年、彼は威化島回軍をして、王と執権者を排除しました。李氏朝鮮の建国への序曲が始まったのです。
高麗時代の歴史上の大きな国際的な出来事の一つは、元と高麗の連合軍による1274年と1281年の二度の日本侵攻です。この二度の侵攻ともに悪天候の影響と、侵攻軍が矢を使い果たしてしまって戦えなくなり、将軍たちは全員が無事に引き上げました。この時日本側では対馬と壱岐島の住民と守備の将兵はほぼ全滅し、九州でも多くの戦死者が出ました。元軍と高麗軍の将兵も日本の武士との戦いで多くの将兵が死にました。
元寇の後、1284年、日本と元と高麗の将兵の死者を悼んで、鎌倉幕府の執権であった北条時宗は鎌倉に円覚寺を建立し、二回の元寇による犠牲者を、敵も味方も区別なく平等に供養しました。すなわち日本の武士の死者だけではなく、この戦いで亡くなった元と高麗の将兵の冥福も平等に祈って、丁寧に円覚寺に弔いました。このことは臨済宗大本山円覚寺のホームページ(www.engakuji.or.jp/about.html)に記されています。
韓国の方はご存知ないかも知れませんが、元軍に強制されて日本へ来て戦い、無念の死を遂げた多くの高麗将兵の霊がこの円覚寺で今も眠っています。そして、多くの日本人がこの円覚寺を参拝して、その霊を慰め冥福を祈っているのです。
韓国の方々も、どうかこの日本人の心を知って頂き、日韓両国人を不幸にする無益な敵対的な反日活動を止めることだけが、両国民を幸せにする唯一の道であることに一時も早く気付いて欲しいと思います。
また韓国は、「日本による朝鮮の併合は不法かつ不当である」とし、故にこの併合は無効であると主張していますが、世界の歴史を見れば、強国が弱小国を併合した歴史であると言えます。例えば次のような併合が知られています。
① ローマ帝国:エジプト・フランス・スペイン・ギリシャ・中東諸国などを併合
② 元帝国:ユーラシア大陸の殆どすべての国を併合
③ 秦帝国:中国大陸に存在していた多くの独立国を総て併合
④ オスマントルコ帝国:中東地域と東欧南部諸国・バルカン諸国・アフリカの地中海沿岸諸国などを併合
⑤ 漢帝国:衛満朝鮮を制圧して併合し、楽浪郡など四郡を置いて直接統治した。
⑥ 中国各王朝:アジア大陸における諸国の勃興と分離独立および武力制圧や禅譲による併合と統一
⑦ 高句麗:東扶余・楽浪郡・北方諸国を併合
⑧ 百済:周辺の50カ国余りを併合
⑨ 新羅:周辺12カ国と弁韓12カ国を併合
⑩ 新羅:百済を併合し、朝鮮半島を統一
⑪ 高麗:新羅が自ら降って来て、平和的に併合
⑫ 高麗:後百済を軍事力��制圧して併合し、朝鮮半島を統一
これらの併合は、歴史的事実です。そしてこれらは殆どが軍事力によって相手��国を制圧して、有無を言わせずに併合しています。唯一の例外は、⑪に記した新羅を高麗が併合した事例です。
新羅の最後の敬順王は、反対した王子たちや大臣を退けて、高麗に降って、新羅を高麗に平和的に併合させました。それは、腐敗し弱り切った新羅を自力で維持発展させるのは不可能であると判断したからです。これ以上の国民の苦難の発生を防ぐために、新羅の為政者は国内の反対を排除して高麗との平和的な併合に踏み切ったのです。
この併合時の弱り切った新羅の状況は、大韓帝国が日本との併合条約を締結した時の状況に非常に良く似ています。しかも大韓帝国皇帝が併合の勅諭を発し、時の政府が調印している併合は、歴史上稀に見る平和的な併合です。それにも拘らず、韓国は、「日本による朝鮮の併合は不法かつ不当である」とし、故にこの併合は無効であると主張しています。その理由は、大韓帝国内の一部の併合反対者に対する強圧や排除の上でなされたからであるとしています。しかし、新羅の国王も反対者を強圧して排除の上に異種族の高麗との併合を進めましたが、現在の韓国の人は日韓併合と同様なこの併合に対して誰もこの併合を不法かつ不当であるとはいっていません。このことから、「日本による朝鮮の併合は不法かつ不当である」との韓国の主張は一貫性がなくご都合主義的であり、根拠がりません。
その上、過去の歴史的併合が、不法か合法か、不当か正当か、有効か無効かを決定する国際的な規定は、存在していません。
このようなことを考えた時、唯一出来る意味のあることは、併合がもたらした結果の評価です。その併合された地域の人々を平和で幸せに暮らせるようになったか否かの評価です。その評価によって、併合の良否を論議することは有意義であり、可能だと思います。
さらに韓国は、「併合は加害者と被害者の関係であり、その関係は1000年経っても永遠に変わらない」と主張しています。これは併合された被害者の後百済人は加害者の高麗人に対して、精神的苦痛を含めた補償や賠償及び謝罪を永遠に要求し続ける権利があることになります。
しかし、このような不毛な論議をすることは、誰にも好ましい結果をもたらしません。そして、新たな問題を誘発させるだけで、まったく無益で有害な論議といえます。
ですから大切なことは、過去に囚われて相手を非難して争うのではなく、未来に向けて感情に流されずに誠実に接することです。このような交流を続けているうちに、友好的な雰囲気も生まれて来るのではないでしょうか。これ以外に、韓日両国民を幸せにする途はないと信じています。
世界の人々に、この信念の是非を問う次第です。
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パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザーから名前が消えた二人の自民党議員さて国会議員逮捕者(秋元司容疑者)を出している日本でのカジノを含む統合型リゾート施設(IR)事業を巡る汚職事件でありますが、ついに大臣経験者である大物政治家の名前が報道されました、岩屋毅前防衛相であります
元スレ
1:2020/01/05(日) 11:29:19.89ID:m3fKHzjO0 パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザーから名前が消えた二人の自民党議員
さて国会議員逮捕者(秋元司容疑者)を出している日本でのカジノを含む 統合型リゾート施設(IR)事業を巡る汚職事件でありますが、 ついに大臣経験者である大物政治家の名前が報道されました、岩屋毅前防衛相であります。
報道によれば贈賄の疑いが持たれている中国企業「500ドットコム」側が 現金各約100万円を渡したと供述した衆院議員5人の中の一人であります。
https://blogos.com/article/427491/
14 2020/01/05(日) 11:34:15.91ID:e9ryCb+E0.
ご覧のとおりパチンコアドバイザー自民党議員25名の中に、岩屋毅前防衛相の名前も今回逮捕された秋元司容…
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2019年12月25日に収賄容疑でIR担当の副大臣だった秋元司容疑者が東京地検特捜部に逮捕されたが、収賄側の中国企業「500ドットコム」は、新たに5人の衆院議員にも資金提供をしたと供述。 東京地検特捜部が衆院議員らを事情聴取していたことが判明した。 100万円の提供を受けたと指摘されているのは、前防衛相の岩屋毅氏(自民、大分3区)、中村裕之氏(自民、北海道4区)、船橋利実氏(自民、比例北海道)、宮崎政久氏(自民、比例九州)の4人と元郵政担当相の下地幹郎氏(日本維新の会、比例九州)だ。 5人はIR誘致を表明している、北海道、九州、沖縄から選出されている。
「俺の知る限り賄賂は30人。2000万円貰った議員もいる。なんで俺なんだよ。」 秋元司容疑者が自白供述 | 保守速報
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2019年12月25日に収賄容疑でIR担当の副大臣だった秋元司容疑者が東京地検特捜部に逮捕されたが、収賄側の中国企業「500ドットコム」は、新たに5人の衆院議員にも資金提供をしたと供述
元スレ
1マレーヤマネコ(北海道) [CN]2020/01/06(月) 08:47:23.91ID:B2sPPI2h0?PLT(12015) カジノを中核とした日本の統合型リゾート(IR)事業を巡る汚職事件が拡大している。
2019年12月25日に収賄容疑でIR担当の副大臣だった秋元司容疑者が東京地検特捜部に逮捕されたが、収賄側の中国企業「500ドットコム」は、新たに5人の衆院議員にも資金提供をしたと供述。
東京地検特捜部が衆院議員らを事情聴取していたことが判明した。 100万円の提供を受けたと指摘されているのは、前防衛相の岩屋毅氏(自民、大分3区)、中村裕之氏(自民、北海道4区)、船橋利実氏(自民、比例北海道)、宮崎政久氏(自民、比例九州)の4人と元郵政担当相の下地幹郎氏(日本維新の会、比例九州)だ。 5人はIR誘致を表明している、北海道、九州、沖縄から選出されている。
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世界七大奇蹟!2019現狀和“效果圖”對比分析
世界七大奇蹟(Seven wonders of the world)即古代世界七大建築奇蹟,是指古代西方人眼中的已知世界上的七處宏偉的人造景觀。最早提出世界七大奇蹟的說法的是公元前3世紀的旅行家安提帕特,還有一種說法是由公元前2世紀的拜占庭科學家斐羅提出的。
由於古代奇蹟大多已經毀滅,後人又提出了世界中古七大奇蹟。此外,美國人洛厄爾·托馬斯還曾提出世界七大自然界奇觀。在2001年,由“新七大奇蹟”基金會(由瑞士出身的法國人貝爾納·韋伯創辦,成立於2001年)發起新七大奇蹟的網上選舉。
歷史背景
地中海是地球上最大的陸間海,處於歐亞非3個大洲之間,以直布羅陀海峽接連大西洋,風浪較小,海水不冰封,海岸線曲折,島嶼眾多,擁有許多天然港口。沿著地中海東岸,從尼羅河三角洲、黎凡特、新月沃土、兩河流域至安那托利亞,孕育了許多重要的人類文明,從前40世紀至前2世紀,先後有人類最早的兩河文明、四大文明古國的巴比倫與古埃及、西方文明的源祖古希臘、以及洲際大帝國古羅馬,被稱為“文明的搖籃”(Cradle of civilization)。
前11世紀開始,古希臘文明伊始,至前8世紀其特有的城邦式社會架構逐漸成型,透過繁��的海上貿易,沿著地中海殖民發展,古希臘船員將他們出海所見所聞,帶到各城邦。
前5世紀,古希臘人希羅多德為了研究希波戰爭,遊歷地中海沿岸諸國,並將收集的資料編寫成《歷史(希臘語:?στορ?αι)》一書,內容包含了描寫巴比倫的城市規劃,以及古埃及的金字塔,此為有關古代七大奇蹟最早的文字記載。
前334年,亞歷山大大帝帶領古希臘大軍越過赫勒斯滂(今達達尼爾海峽),征服了整個波斯帝國,穿過興都庫什山脈進入印度後折返。至此古希臘達到鼎盛時期,興建許多代表性的重大工程、建築與紀念碑。於此時期,出生在古希臘殖民地利比亞,著名詩人、學者以及目錄學家,卡利馬科斯(希臘語:Καλλ?μαχο?)於當時古埃及亞歷山大港的圖書館任職時,編寫了一份名為《世界各地奇蹟》(A collection of wonders in lands throughout the world)的文獻,現已失傳。
前2世紀,古希臘經過四次馬其頓戰爭後,被羅馬共和征服,羅馬文化被深厚的古希臘文化影響。相傳於前224年,力學先驅拜占廷人斐羅,寫下《世界七大奇蹟》,所列的偉大建築便成為現存的“古代世界七大奇蹟”,現已失傳。直至公元七至八世紀,中古英格蘭諾森布里亞王國歷史學家畢德(又稱畢德尊者(Venerable Bede)或聖畢德(Saint Bede)),在其著作中有一份論文名為《關於世界七大奇蹟(拉丁語:de Septem Mundi Miraculis)》,記述斐羅所列的世界七大奇蹟,為現存最早的完整記載。
除此以外,前140年前後,住在賽達的希臘詩人安提帕特(Antipater of Sidon),寫下了一首讚美世人成就的詩,也列出了七個奇蹟,除了亞歷山大燈塔外,其餘與現存古代世界七大奇蹟相同。
世界古代奇蹟
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“七大奇蹟”指的是公元前三世紀左右,在地中海東部沿岸地區七座宏偉的建築和雕塑。它們是:埃及胡夫金字塔、巴比倫空中花園、阿爾忒彌斯神廟、奧林匹亞宙斯神像、���索拉斯陵墓、羅德島太陽神巨像和亞歷山大燈塔。
這“七大奇蹟”是公元前3世紀(中國戰國末期,秦始皇尚未統一中國),腓尼基(現在的黎巴嫩、敘利亞沿海一帶)的一位旅行家安提帕特(antipater)列舉出來的。後世人反复沿用,也就流傳開了。不過現“七大奇觀”中有六個由於地震、火災、戰爭等因素被損毀,只有埃及胡夫金字塔得以保存至今。
所附復原圖為:建築設計師Keremcan Kirilmaz 與Erdem Batirbekeremcan,以及Fractal Motion 的動畫設計師們一起,在電腦上模擬重現的。
【埃及胡夫金字塔】
建造時間:約公元前2631年—公元前2498年
建造地點:埃及開羅附近的吉薩附近。
現狀環境
復原圖
建築特色:
埃及現存金字塔80座,其中最大的一座金字塔是在公元前2600年左右建成的吉札金字塔,全都是由人工建成。古代埃及人如何雕刻坎石及砌成陵墓,陵墓內部通道和陵室的佈局宛如迷宮,古代埃及人是用什麼方法建成,至今還是眾說紛紜。最初鋪蓋金字塔的外層磨光的灰白色石灰石塊幾乎全部消失。如今見到的是下面淡黃色的石灰大石塊,顯露出其內部結構。金字塔中心有墓室,可以從甬道進去,墓室頂上分層架著幾塊幾十噸重的大石塊。建成的金字塔被用陵墓。古埃及人相信死後永生,金字塔內的墓穴裡起初堆滿了黃金和各種貴重物品。
傳說:
古埃及第三王朝之前,無論王公大臣還是老百姓離世後,都被葬入一種用泥磚建成的長方形的墳墓,古代埃及人叫它“馬斯塔巴”。後來,有個聰明的年輕人伊姆荷太普,在給埃及法老左塞王設計墳墓時,發明了一種新的建築方法。他用上採下的呈方形的石塊來代替泥磚,並不斷修改修建陵墓的設計方案,最終建成一個六級的梯形金字塔——這就是我們所看到的金字塔的雛形。樣子像漢字的“金”字,所以中國人把它寫為“金字塔”(原文是pyramid)。伊姆荷太普設計的塔式陵墓是埃及歷史上的第一座石質陵墓。
歷史淵源:
尼羅河畔的金字塔群(thegreatpyramids),是古代埃及法老自己修建的陵墓。據說在埃及的大小金字塔共有將近100座,大多都建築於埃及第三到第六王朝。一些有4000多年曆史的金字塔主要分佈在首都及尼羅河西岸。吉札金字塔,左邊屬於卡夫拉王,右邊屬於庫夫王,附近連著一座獅身人面像。主要建材是石灰岩,部分為花岡岩。3座最大、保存最完好的金字塔是由第四王朝的3位皇帝胡夫(Khufu)、海夫拉(Khafra)和門卡烏拉(Menkaura)在公元前2600年—公元前2500年建造的。胡夫金字塔高146.6m,底邊長230.35m;海夫拉金字塔高143.5m,底邊長215.25m;門卡烏拉金字塔高66.4m,底邊長108.04m。
在這3座大金字塔中最大的是胡夫金字塔,它是一座幾乎實心的巨石體,用200多萬塊巨石砌成。成群結隊的人將這些大石塊沿著地面斜坡往上拖運,然後在金字塔周圍以一種腳手架的方式層層堆砌。金字塔的旁邊還有一些皇族和貴族的小小的金字塔和長方形台式陵墓。
【巴比倫空中花園】
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建造時間:約公元前6世紀
地點:巴比倫,幼發拉底河(Euphrates)河東,今伊拉克首都巴格達以南50里左右。
現狀環境
復原圖
巴比倫的空中花園當然不是懸掛於空中,這個名稱的由來,是因人們把原本希臘文"kremastos"及拉丁文"pensilis",(除“懸掛”之外還有“突出”之意)錯誤翻譯成“懸空”所致。和羅德島巨像一樣,考古學家至今都未能找到空中花園的遺跡。
一般相信空中花園是由尼布甲尼撒二世(Nebuchadnezzar)王(公元前604 -公元前562)為了安慰思鄉成疾的王妃安美依迪絲(Amyitis),仿照王妃在山上的故鄉而興建的。據說它要由奴隸們轉動機械裝置,從下面的幼發拉底河裡抽上大量的水,來灌溉空中花園裡的花草。
巴比倫空中花園最令人稱奇的地方是那個供水系統。因為巴比倫雨水不多,而空中花園的遺址亦遠離幼發拉底河,所以歷史研究者認為空中花園應有不少輸水設備。有些文獻記載國王每天派幾百個奴隸推動輪軸,將水泵上石槽,由石槽向花園中供水。另一個難題是在保養方面,因為一般的建築物,不可能長年抵受河水的侵蝕而不坍塌。由於美索不達米亞平原(Mesopotamian plain) 沒有太多的石塊,因此研究者們相信空中花園所用的磚塊非比尋常,它們被加入了蘆葦���瀝青���瓦礫,更有文獻指出:石塊被加入了一層鉛,以防止河水滲入地基。在經過了層層防護後,花園頂層蓋上了石磚,鋪上了鉛板,最後種上了各種奇花異草,遠遠看去甚為壯觀。
【阿爾忒彌斯神廟】
建造時間:約公元前550年
建造地點:古希臘愛菲索斯(Ephesus)中,約在今土耳其的伊茲密爾(Izmir)南面50公里。
現狀環境
復原圖
阿爾忒彌斯(希臘文Αρτεμιδ,拉丁文Artemis),是希臘神話中的月亮神、狩獵女神,是太陽神阿波羅的妹妹;而羅馬神話則稱她為狄安娜(Diana),埃及人稱她[ 4] (Bastet),阿拉伯人稱她Lat。在古代的希臘阿爾忒彌斯女神深受敬仰,因此建成七大奇觀之一的阿爾忒彌斯神廟。
神廟建築以大理石為基礎,上面覆蓋著木製屋頂。整個建築的設計師是喬西宏父子,它最大的特色是內部有兩排、至少106根立柱,每根大約12-18米高。神廟的底座約為7200平方米。
毀於公元前356年的大火,在原址後建起的廟於公元262年再罹火難。阿爾忒彌斯神殿曾經歷過七次重建,首座阿爾忒彌斯神殿於公元前550年由建築師薩莫斯、喬西宏及他的兒子梅塔傑那斯設計,用伊奧尼亞柱式( Ionian)大理石柱支撐,是首座全部由大理石建成的當時最大的建築物。
整座建築物均由菲迪亞斯(Phidias)、波利克萊圖斯(Polyclitus)、克雷西拉斯(Kresilas)和福雷德蒙(Phradmon)等當時著名的藝術家以銅、銀、黃金及象牙浮雕裝飾,在中央的“U”形祭壇擺放著阿爾忒彌斯女神的雕像,供人膜拜。最後,由於愛菲索斯人轉信基督教,神殿在公元401年被St.John Chrysostom 摧毀。
【奧林匹亞宙斯巨像】
建造時間:約公元前457年
建造地點:希臘奧林匹亞城。
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神廟環境
復原圖
宙斯(Zeus)是希臘眾神之神,是奧林匹亞(Olympia)的主神,為表崇拜而興建的宙斯神像是當世最大的室內雕像,宙斯神像所在的宙斯神殿則是奧林匹克運動會的發源地。拜占庭的菲羅撰寫記述七大奇蹟說:“我們以其他六大奇蹟為榮,而敬畏宙斯神像。”
宙斯神殿是古希臘的宗教中心。神殿位於希臘雅典衛城東南面依里索斯河畔一處廣闊平地的正中央,為古希臘眾神之神宙斯掌管的地區;這地方盡是一片黃澄澄的丘陵,但是在古希臘時期,四周環繞翠谷和清冽溪水,景境��雅,更是當時的宗教中心。在古希臘時代,那片地區位於雅典城牆外,到了哈德連帝時代為了擴大雅典城規模,將城牆往外擴展,才把神殿納入城內。
神殿於公元前470年開始建造,前456年最後完工,為多利克式(Doric-style)建築,由建築師伊利斯人李班(Libon) 設計,宙斯神像由雕刻家菲迪亞斯(Pheidias ) 雕刻。
宙斯(Zeus)神殿本身則是多利克式(Doricorder)建築,表面鋪上灰泥的石灰岩,殿頂使用大理石興建,由34個高達17米的科林斯式(Corinthian) 支柱撐起來,面積達41.1米乘107.75米,廟前廟後的石像都是用派洛斯(Paros)島的大理石雕成。廟內西邊人字形簷飾上的很多雕像,十足是雅典的風格。
介紹:
至於神殿主角——宙斯,採用了所謂的「克里斯里凡亭」(chryselephantine)技術,是在木製支架外加象牙雕成的肌肉和金質的衣飾。寶座也是木底包金,嵌著烏木、寶石和玻璃,歷時八年之久才完成。
旅行家沙尼亞斯巴(Pausanias)的<;希臘遊記>;一書中,曾對宙斯神像作了詳細的描述,書中記載:“宙斯神主體為木製,身體裸露在外的部份貼上象牙,衣服則覆以黃金。頭頂戴著橄欖枝編織的皇冠,右手握著象牙及黃金製成的勝利女神像,左手則拿著一把鑲有各種耀眼金屬打造的權杖,杖頂停留著一隻鷲”。
至於他的寶座,神像頭上與頭後,雕著「典雅三女神」和「季節三女神」(春、夏、冬)雕像;腿和腳飾有舞動中的勝利女神、人頭獅身史芬克斯及希臘其他諸神裝飾,底部寬6.55米、高1米。不包括寶座,僅約高13公尺的神像就相當於四層樓高的現代建築,使坐在寶座上的宙斯頭部差不多頂著神殿頂。
神像身後掛著由耶路撒冷神廟劫掠得來的神聖布幔。菲迪亞斯更精密地規劃四周變化,包括由神廟大門射向雕像的光線,為了令神像的臉容更為美麗光亮,更於神像前建造一座極大且淺,裡面鑲了黑色大理石的橄欖油池,利用橄欖油將光線反射。矗立期間更有工人前來擦拭象牙,稱為「菲迪亞斯拋光工人」。一名訪客說:'我可以告訴你雕像的尺寸,但無法���容造成的影響。'
神像昂然地接受人們崇拜達900多年,但最後基督結束了一切。公元393年,羅馬皇帝都路斯(Theodsius)一世,毅然頒發停止競技的赦令,古代奧林匹克競技大會也是在這一年終止。接著,公元426年,又頒發了異教神廟破壞令,於是宙斯神像就遭到破壞,菲迪亞斯的工作室亦被改為教堂,古希臘從此灰飛煙滅;神廟內傾頹的石柱更在公元522年及551年的地震中震垮,石材被拆卸,改建成抵禦蠻族侵略的堡壘。所幸的是,神像在這之前已被運往君士坦丁堡(Constantinople)(現為土耳其最大城市伊斯坦布爾),被閹臣路易西收藏於宮殿內達60年之久,可惜最後亦毀於城市暴動中。
【摩索拉斯陵墓】
建造時間:約公元前353年
建造地點:古希臘,今土耳其西南地區。
現狀環境
必利吉,必利勁,印度壯陽藥,日本藤素,春藥,汗馬糖
復原圖
哈利卡納蘇斯的毛索洛斯墓廟約45米高,底座上部呈階梯形的金字塔狀,卡里亞王國摩索拉斯國王的塑像可能矗立在頂端。陵墓毀於公元3世紀的一次地震中。
這座偉大的白色大理石陵墓是為摩索拉斯和他的妻子修建的。整座建築由兩名希臘設計師設計,外面裝飾以奇異的雕刻花紋,頂端還雕有摩索拉斯的雕像。甫一建成就聲名遠播,公元3世紀初毀於大地震。倫敦大英博物館還收藏有一點剩餘的雕刻。毛索洛斯墓廟位於哈利卡納素斯,底部建築為長方形,面積是1200平方米,高45米,其中墩座牆高20米,柱高12米,金字塔高7米,大約共有400尊精美的雕像裝飾著陵墓,其中最頂部的4尊馬車雕像高3米。建築物被墩座牆圍住。毛索洛斯墓廟的雕塑由四名著名的雕刻家Bryaxis, Leochares, Scopas,和Timotheus製造,每人負責墓廟的其中一邊。
歷史淵源:
在15世紀初哈利卡納素斯被侵占,新的統治者為了建一座巨大的城堡,因此在1494年將摩索拉斯陵墓的一些石頭用作建築材料.有不少的雕塑仍然倖存,並存放在英國倫敦的博物館內.自從19世紀開始,摩索拉斯墓廟一直有進行考古學的挖掘,這一些挖掘提供不少有關摩索拉斯墓廟的資料。
【羅德島太陽神巨像】
建造時間:約公元前282年
建造地點:愛琴海,希臘-羅德港。
現狀環境
復原圖
希臘羅德島巨像是七大奇觀中最神秘的一個,這座巨像建在羅德市(Rhodes)港口的入海處。它是希臘太陽神赫利俄斯(Helios)的青銅鑄像,高約33米。因為它只在短短56年間便毀於公元前226年的一次地震中,考古學家甚至連它的確切位置及外觀都未能確定。
羅得斯島巨像位於希臘羅得斯島(Island of Rhodes)通往地中海(Mediterranean Sea)的港口。公元前的羅德島是重要的商務中心,它位於愛琴海和地中海的交界處,羅德港於公元前408年建成。歷史上羅德島曾經被許多勢力範圍統治過,其中包括摩索洛斯(他的陵墓也是七大奇蹟之一)和亞歷山大大帝。但在亞歷山大大帝歸天之後,全島又陷入了長時間的戰爭。馬其頓(Macedonia)侵略者德米特里帶領四萬軍隊(這已超過了整個島上的人口)包圍了港口。經過艱苦的戰爭,羅德島人擊敗了侵略者。為了慶祝這次勝利,他們決定用敵人遺棄的青銅兵器修建一座雕像。雕像修築12年,高約33米,與紐約的自由神像的高度差不多。傳說中雕像兩腿分開站在港口上船隻是從腿中間過去,非常壯觀而有趣。這座巨像其實是希臘人的太陽神及他們的守護神赫利俄斯(Helios),由建築師Chares設計,經過12年的興建,羅德島巨像於公元前282年完工,整座巨像共高33米,以大理石建成,再以青銅包裹,以後更被用作燈塔。可惜的是羅德島巨像作為一大奇觀只存在了短短56年。公元前226年的大地震把這幢偉大巨像推倒,脆弱的膝蓋成為了巨像的致命傷,巨像從此倒在Mandraki港附近的岸邊。公元654年,羅德島被阿拉伯人入侵,入侵者更把遺跡運往敘利亞,至此巨像徹底消失了。由於巨像的殘骸被搬運至別處,使這個奇觀的考察更加困難。
【亞歷山大燈塔】
必利吉,必利勁,印度壯陽藥,日本藤素,春藥,汗馬糖
建造時間:約公元前281年
建造地點:埃及(Egypt)的亞歷山大港(Alexandria)附近的法洛斯島(island of Pharos)上。
現狀環境
復原圖
遵照繼亞歷山大大帝(馬其頓國王)後統治埃及的托勒密王朝第一任法老托勒密的命令,亞歷山大城的法羅斯燈塔於公元前300年建在一座人工島上。由於歷史的模糊記載,預估高度115—150米之間(377—492英尺),用閃光的白色石灰石或大理石建成。
在亞歷山大大帝(Alexander the Great)死後不久,他的手下之一托勒密(Ptolemy Soter)便稱霸埃及,並建都於亞歷山卓,有鑑於亞歷山卓港附近的海道十分危險, Ptolemy Soter便下令由建築師Sostratus及亞歷山卓圖書館(Alexandria Library/Mouseion)合作興建亞歷山大燈塔,燈塔於公元前290年竣工。
當亞歷山大燈塔建成後,它的高度當之無愧地使它成為當時世界上最高的建築物。他的設計者是希臘的建築師索斯查圖斯。一位阿拉伯旅行家在他的筆記中這樣記載著:“燈塔是建築在三層台階之上,在它的頂端,白天用一���鏡子反射日光,晚上用火光引導船隻。”1500年來,亞歷山大燈塔一直在暗夜中為水手們指引進港的路線。它也是六大奇蹟(七大奇蹟中除埃及吉薩金字塔)中最晚消失的一個。14世紀的大地震徹底摧毀了它。在倒塌後地基被作為堡壘一直存在,直到亞歷山大港沉沒。
法洛斯燈塔與其餘六個奇觀絕對是不同,因為它並不帶有任何宗教色彩,純粹為人民實際生活而建,法洛斯燈塔的燈光在晚上照耀著整個亞歷山港,保護著海上的船隻,另外,它亦是當時世上最高的建築物。
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《韓股》日韓貿戰恐加劇,KOSPI二連跌 韓圜摔1週低
南韓宣布廢止與日本的軍情分享協定,兩國緊張恐怕會進一步升溫,韓股在平盤上下震盪,週五(23日)KOSPI指數終場下跌0.14%(2.71點),收1,948.30點,為連續第二天收低。儘管如此,本週以來,KOSPI上漲1.10%。
韓圜貶值,嘉實XQ全球贏家系統報價顯示,23日韓圜一度貶至1,214.10兌1美元,為16日以來盤中低。
外資今日轉站買方,買超韓股7,600萬韓圜。
南韓青瓦台(總統府)國家安保室第一次長金有根(Kim Yu-keun)週四說,日本的貿易白名單剔除南韓,導致兩國的安全合作情勢出現重大變化。基於此一情況,韓方研判繼續簽署《軍事情報保護協定》(GSOMIA)不符合國家利益。GSOMIA原定在本週六(24日)自動延長。
日本防衛大臣岩屋毅(Takeshi Iwaya)說,南韓決策未能體認到北韓飛彈活動造成的安全威脅。
BusinessKorea報導,韓國企業對政府決…
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【朝鮮日報】岩屋防衛相「韓国との関係、元に戻したい」北朝鮮ミサイルへの共同対応を強調 韓日防衛省会談の来月開催を調整中
【朝鮮日報】岩屋防衛相「韓国との関係、元に戻したい」北朝鮮ミサイルへの共同対応を強調 韓日防衛省会談の来月開催を調整中
1 名前:右大臣・大ちゃん之弼 ★:2019/05/20(月) 00:25:03.58 ID:CAP_USER.net 日本の岩屋毅防衛相が「韓国との関係を元に戻したい」と述べ、韓日の軍事協力関係を改善する意思を示したことが分かった。日本の各メディアが報じた。昨年12月に起きた日本の自衛隊哨戒機の低空威嚇飛行やレーダー照射問題で韓日関係が冷え込む中、関係改善への意欲を見せたわけだ。
NHKによると、岩屋防衛相は18日、大分県別府市で行われた会合で、今月4日と9日に北朝鮮が弾道ミサイルを発射したことに言及。その上で「米国と日本、韓国がタッグを組まなければ、国の安全を守ることができない」として「韓国との間にいろいろな問題はあったが、韓国の国防長官にも会って元…
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昨年末から韓国海軍レーダー照射事件に関して、未だにゴタゴタしていて一向に収束しない。それどころか、韓国の言いがかりとウソが酷くなるばかりだ。 私はひとりの日本国民として「なぜ日本政府は韓国に対してもっと毅然とした態度を取らないのか?」と不思議でならない。少なくとも小野寺五典前・防衛大臣なら、こんな対応はしなかっただろう、と思うのだが。 私なりに「変だな?」と思ってちょっと調べてみたら、「やっぱり!」と思う事実が出て来たので、簡単にまとめる。
孫正義と誓い合った志?
孫正義の出自が在日韓国人2世なのは知られていても、佐賀県鳥栖市の貧しい朝鮮人集落で生まれ育ったのは、あまり知られていないかも知れない。 ただ、孫正義が15歳の時に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んで大いに感動し、16歳で高校を中退して単身アメリカへ留学し、その後ソフトバンクを起業するエピソードは、本人が今まで色々な場所や著書等で「独立心あふれる物語」として美化して伝えているので、知っている人は多いと思う。 本人が語る美談ほど胡散臭いモノはないが、2010年3月31日にTwitterでこうツイートしている。
岩屋、16才の時に誓い合った志、いつも覚えとる。互いに頑張ろうぜ。RT @takeshi108 国民は賢明です。正攻法で攻めまくるのみだと思っています。
32人がこの話題について話しています
※ツイートが消される可能性があるので魚拓
岩屋、16才の時に誓い合った志、いつも覚えとる。互いに頑張ろうぜ。
ん?岩屋、だと?
Twitterから消えた?岩屋たけしアカウント
どうも、現在の岩屋毅防衛大臣のTwitterアカウントは2013年11月22日にツイートを開始した@jimfaini4c890のようだが、それより3年ほど前まで@takeshi108を運用していたようだ(理由と時期は不明だが凍結されている)。
正確には「同じ年」。学校は一緒になったことないが、高校一年の時に友人の紹介で知り合った。その時、彼は「実業家となって1兆円企業を作ったる」と豪語!。「アホかっ?」と思ったが既に実現(笑)。いやはや、たいしたもんですわ。 RT @pecharoh 同級生なんですか?
出展:16才の時に誓い合った志を覚えているか?@takeshi108 2010年03月31日 13:44:05
@takeshi108のアカウントは現在凍結により存在しないものの、当該ツイートをRTしている人はいたので(RTしたご本人に迷惑がかかるとマズイのでモザイク処理をしたが)さらなる証拠としてあげ��おこう。
自分のブログ記事を消して証拠隠滅?
岩屋毅防衛大臣の公式サイトのエッセイ記事である「忙中閑話」を見てみると、見事なまでに記事が全部削除されている。
しかし、ネットにはキャッシュが残っていることを知らないのだろうか? 魚拓と共に、孫正義との友情っぷりを見てみよう。
乗り換え
電車でもない。飛行機でもない。携帯電話の話だ。つい先日、大学生の息��にせがまれてついに家族全員で携帯をSoftBankに乗り換えることになった。実を言うと、小生も「いつかは」と考えていたのだ。なぜなら、同社総帥の孫正義君は高校時代からの長き友人で、会うたびに小生のdocomoの携帯を見て「お前は友達がいのない奴やなぁ。。」と言われていたのがずっとひっかかっていたからだ。「俺んところは田舎なんじゃ。お前んところの電波はなかなか届かんから仕事にならん。お前がアンテナをいっぱい立てんからいかんのじゃ!」などと言い返していたのだったが、まぁ、ようやくにして長年の「不義理」に終止符を打つことができたというわけだ。
言い出しっぺの息子はiPhoneが使ってみたくて仕方がなかったらしい。それは小生も同じだ。同じスマホなら敬愛するSteve Jobs氏の「遺品」を持っていたいものだとずっと思っていた。それに、この三月は通信各社による顧客の大争奪戦の真っ最中だったらしく、「乗り換え」にまつわるサービスを従来になく充実させているのだと聞いた。特に、家族の中に「学生」がいると一層、優遇されるのだという。なるほどよくできた仕掛けだ。家内とも相談した結果、「それほど負担増にならないのだったらまぁいいか」ということになり、娘二人の了解もとりつけて家族五人の携帯を一気に乗り換えることしたのだった。
しかし、手続きをしてみてわかったことは、この種の「乗り換え」にはかなりの精神的負担が伴うということだ。なんと言えばよいのか、、、幸いにして経験はないものの、「離婚」と「再婚」を一時にやってしまうという感じだろうか。。やはり、長年世話になったA社をやめてB社に移るというのはどうにも気が引けるものだ。まずはSoftBankショップの担当者からdocomoショップの担当者に電話をかけてもらって「解約手続き」を開始するのだが、不思議なものだ、その瞬間からなんだか「裏切り者」になったような気分になる。
SoftBankの担当者がしばらく先方と話した後に小生と電話をかわったのだったが、��直、出たくない気分だった。docomo側の受付嬢にしてみればこの種の手続きは日常茶飯事なのだろう。いかにも事務的に淡々と話してくれるのだが、それがまた気になって仕方がない。「あなた、長年付き合った私を捨ててほかの女に乗り換えるのね」と言われているような気がして、だんだんとうしろめたい気分になってくる。その彼女は解約に伴う料金や不利益について丁寧かつ丁重に説明してくれるのだが、そのたびに後ろ髪をひかれるような思いになる。
目の前にいるSoftBankの担当者は小生が顔を見るたびに何度も強く頷き、「早く解約しちまってください」と言わんばかりなのだが、彼女に質問を繰り返している間に刻々と時間が過ぎてなかなか先へ進まない。ハッと気がつくと一緒についてきていた家内と息子が「パパ、なにやってんのよ。早くしてよ」という顔でこっちを見ているので、ついに小生も意を決し、「ご説明いただいた点についてはすべて了解です。ど、どうか、か、解約をお願いします」とキッパリ?言って、ようやくにして「解約番号」とやらをもらうに至った。ここまでで既に冷や汗ものだ。
てなわけで「離婚」が成立。間髪入れずに「再婚」の手続きが始まった。こっちは「離婚」手続きだけで精神的にまいっているので、「再婚」までの間に本当は小休止したいところなのだが、もう再婚相手は決まっているのだからしてそんな悠長なことは言っていられない。まずは機種の説明を受けて「えいやっ」とこれを決し、次に料金体系ならびに各種の付加サービスの選択を迫られる。仕組みが複雑なのと、それ以上にまだ気持ちが動揺していてなんだかよくわからない。「ほかの方々はどうしていますか?」などとつまらない質問をして、「ああ、、、、じゃ、それでいいです」などという主体性のない決め方をし、「やれやれ」と思っていたら、今度はただちにデータの移し替えとメールアドレス変更の一斉送信をやるのだという。
「ちょ、ちょっと待って」「えっ?でも、早くしたほうがいいですよ」「うん・・・でも、それを送っちまうともう引き返せないんだよね・・・」などとブツブツ言っているうちに「それじゃぁ、送ります」と言って担当者はどんどんと作業を進めていく。小生は仕事柄もこれあり、山ほど電話番号とメールアドレスを詰め込んでいたので、待つこと20分。まだモヤモヤしていたが、「終わりましたっ」と言われ、「はぁ・・」と生返事した直後からどんどんとアドレス変更メールへの返信が届き始めた。「ううむ。。。かくなる上は仕方ない。もはや覚悟するしかあるまい」と人知れず大きな決心をもう一度して、やっと「再婚」が完了したという次第だった。
「携帯を乗り換えるくらいで」と人は笑うかもしれぬ。が、正直なところ、実に消耗した。もうこんな思いは二度としたくない。別れた彼女に未練はあるものの、こうなった以上、新しい彼女とうまくやっていくしかない。そう決心を固めて「新しい彼女」とともに早速に選挙区に乗り出していったのだったが、案の定、不安は的中した。小生の選挙区は一部を除いては農村山村漁村の集合体だ。地形も複雑でトンネルも全国一多く、以前の携帯ですら「圏外」となるところが多かったのだが、今度のはさらに電波感度がかんばしくない。が、いまさらそれを言っても仕方がない。既に「ルビコン」を渡ってしまったのだ。もはや引き返すことはできない。あとは「勝利」するしかないのだ。
イライラしながら、中山間地の小道を走りぬけ、ようやく幹線道路に出たところでやっと「圏外」マークが消えた。言うまでもない。小生は「新しい彼女」を握りしめ、さっそくに孫正義君にメールを打った。
「このたび家族全員での貴社への乗り換えが完了。長い間の不義理を許されたい。が、電波感度悪し!早くアンテナを立てられたし!!!」と。
ほどなくして「有難う。わかった。頑張る!」との返事。
頑張ってくれよ、ほんとに。
出展:岩屋たけし「乗り換え」(忙中閑話・岩屋たけし公式サイト・平成24年4月3日) ※キャッシュより復元(外部リンクと赤太字は引用に際して修飾)
これらが意味するところとは?
どうも、韓国海軍の対応について渦中にいる岩屋毅防衛大臣と孫正義は、高校は違えど「16歳で志を語り合った仲」であることに間違いはないようだ。そしてそれ以来の友人であるだろうことも、岩屋毅本人のブログ記事から伺い知ることが出来る。 岩屋毅と孫正義がツイートを交わしていたTwitterアカウントがいつ・どんな理由で凍結されたのかは不明だが、別のTwitterアカウントを適当に運用していて、なぜ今は孫正義とTwitterでツイートを交わしていないのだろうか?そしてどうやらこのタイミングで消したらしい、公式サイトのエッセイ「忙中閑話」の記事をなぜ全て削除したのだろうか?
私はこの記事の冒頭で孫正義の出自が在日韓国人2世だと書いたが、正確には1990年に日本に帰化した帰化人である。 あろうことかこの帰化朝鮮人は最近、次期経団連の会長を取り沙汰されているのだ。 ハッキリ言って、岩屋毅防衛大臣は孫正義と韓国に忖度しているのではないか?
おわりに
私は安倍内閣を支持するが、決して信者ではな��是々非々の立場である。 ぜひ安倍総理には結果を出せない(むしろ売国?の)岩谷毅防衛大臣をとっとと更迭し、国防と国益を優先する防衛大臣を据え、韓国に対して毅然とした態度で臨んで欲しいと切望する。 これ以上日本が韓国、そして世界から舐められるのは、いち国民として耐えられない。
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国会審議結果 3月7日(木)
衆議院 09:00 総務委員会 会議に付する案件 行���の基本的制度及び運営並びに恩給に関する件 地方自治及び地方税財政に関する件 情報通信及び電波に関する件 郵政事業に関する件 消防に関する件 ・質疑 質疑者 09:00-09:30 中谷 一馬(立憲民主党・無所属フォーラム) https://youtu.be/nXYEOsdDlZo 09:30-10:00 伊藤 俊輔(立憲民主党・無所属フォーラム) 10:00-10:25 稲富 修二(国民民主党・無所属クラブ) 10:25-10:50 奥野 総一郎(国民民主党・無所属クラブ) 10:50-11:20 足立 康史(日本維新の会) 11:20-11:50 本村 伸子(日本共産党) (休憩)※本会議(13:00-14:45)散会後、直ちに再開 14:50-15:05 宗清 皇一(自由民主党) 15:05-15:20 桝屋 敬悟(公明党) 15:20-15:40 井上 一徳(希望の党) (休憩) ※参議院予算委員会から大臣が到着次第、再開 16:05-16:25 吉川 元(社会民主党・市民連合) ・成田国際空港周辺整備のための国の財政上の特別措置に関する 法律の一部を改正する法律案(内閣提出第八号) 提案理由説明 石田 真敏(総務大臣) [約2分] 09:00 農林水産委員会 会議に付する案件 農林水産関係の基本施策に関する件 質疑者 09:00-09:25 今枝 宗一郎(自由民主党) 09:25-09:50 金子 俊平(自由民主党) 09:50-10:20 稲津 久(公明党) 10:20-10:55 亀井 亜紀子(立憲民主党・無所属フォーラム) 10:55-11:35 大串 博志(立憲民主党・無所属フォーラム) 11:35-12:10 金子 恵美(立憲民主党・無所属フォーラム) (休憩) ※本会議(所要約1時間45分)散会後、直ちに再開 14:45-15:15 神谷 裕(立憲民主党・無所属フォーラム) 15:15-16:00 近藤 和也(国民民主党・無所属クラブ) 16:00-16:40 関 健一郎(国民民主党・無所属クラブ) 16:40-17:10 田村 貴昭(日本共産党) 17:10-17:35 森 夏枝(日本維新の会) 13:00 本会議 「特定防衛調達特措法改正案」 趣旨説明 岩屋 毅 防衛大臣 https://youtu.be/R4ABAmesPAA 質疑 武田 良太(自由民主党) 篠原 豪(立憲民主党・無所属フォーラム) https://youtu.be/2NdGQcw6XMI 下条 みつ(国民民主党・無所属クラブ) https://youtu.be/6gDA2ewQoCE 宮本 徹(日本共産党) https://youtu.be/tIUwQBPo7rA 重徳 和彦(社会保障を立て直す国民会議) https://youtu.be/zsENg-Ve0fs 14:30 安全保障委員会 参議院 10:00 内閣委員会 10:00 総務委員会 10:00 法務委員会 10:00 外交防衛委員会 10:00 財政金融委員会 10:00 農林水産委員会 10:00 国土交通委員会 10:00 予算委員会 会議に付する案件 平成三十一年度一般会計予算(衆議院送付) 平成三十一年度特別会計予算(衆議院送付) 平成三十一年度政府関係機関予算(衆議院送付) 質疑者 ※[]内は割当時間 10:00-10:39 [13分] 中西 哲(自由民主党・国民の声) 10:39-11:15 [12分] こやり 隆史(自由民主党・国民の声) 11:15-12:00 [20分] 青木 愛(国民民主党・無所属クラブ) https://youtu.be/D2uD_YI_WGM (休憩) 15:00-15:54 [13分] 森 ゆうこ(国民民主党・無所属クラブ) https://youtu.be/1hAmLTGl9DM 15:54-16:48 [18分] 石橋 通宏(立憲民主党・民友会・希望の会) https://youtu.be/lJHEEp-5PuA
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【Yahoo論壇/蔡錫勳】大國競爭下的日美中「三國志」─日中關係新三原則
圖片來源:中央社
作者為淡江大學日本政經研究所副教授兼所長
日本首相安倍晉三此次訪華後,「化競爭為協調」成為當前日中關係發展之新共識。相反地,美國則認為美中關係正式邁入「大國競爭」階段,從美國官方資料中對中國的新定位可窺知一二,如2017年12月的“National Security Strategy of the United States of America”、2018年1月19日的“National Defense Strategy”、10月4日彭斯副總統演講···等,然「競爭」一詞是美式教科書常有名詞,亦為資本主義基本想法,並非新思維。但正當日中關係迎向曙光之時,美中貿易戰正式開打,導致中國第三季經濟成長率下滑至6.5%,創近10年來最低,由於日美中產業供應鏈連結在一起,日本恐難避免被捲入此寶座保衛戰。
大國或強國的判斷標準是基於該國之經濟力、軍事力、文化力、人口、平均人民所得、領土、領海,以及國際影響力等之總和。成為國際上之大國向為日本之目標,「大日本帝國」是戰前的用語;「世界第二大經濟大國」、「日本第一」是泡沫經濟破滅前的日本國家形象;「強日本」則為安倍政權之首要目標。
二戰期間,美蘇(1991年起更名為俄羅斯)共同對抗德國;戰後,美蘇間持續著「大國競爭」,冷戰後至今依然如此。二戰期間,美中(中華民國)共同對抗日本,1950-53年韓戰時,美韓對抗朝中(中華人民共和國),1960年締結日美(軍事)同盟。時至今日,日美(軍事)同盟成為主要抗衡巨龍中國覺醒之力量,但中國對日本經濟影響力持續增強,恐成為日美(軍事)同盟之隱憂。
日美中三國之競合並非游泳池的靜水,而是如同河川裡流動的水,是滾動發展、環環相扣。安倍首相對外善用其「政治解讀力(Political Literacy)」解構美中「大國競爭」的新流向,從中獲取對日本有力之戰略空間,以利建構「強日本」;對內則運用安倍經濟學、日幣貶值、股市上漲等淺顯易懂名詞說服選民,且善用漂亮的標語命名安倍內閣、國會、眾議院解散,輔以透過第四次產業革命,創造狩獵社會、農業社會、工業社會、資訊社會之後的「Society 5.0」,向國民表示那就是「新時代、新日本」的未來,塑造國民對「強日本」之美好想像,以穩固其政權穩定。
(資料來源)作者整理首相官邸資料。
近年來日中關係高潮迭起,2006年10月8日安倍首相訪問中國時,提出「戰略互惠關係」,是為小泉首相時期低盪之日中關係的「破冰之旅」,更帶動中國總理溫家寶訪日之「融冰」,再到福田首相訪華之「迎春」,以及胡錦濤回訪日本的「暖春」,但野田首相在2012年9月11日將釣魚台(日本名:尖閣諸島)國有化後,日中關係陷入「戰後最惡」。安倍於2012年12月26日再度上任首相後常說:「對話的門經常開放」,但日中關係卻不見好轉,直至今年9月12日安倍在《東方經濟論壇》演說表示:「我完全同感李克強總理所言,日中關係已經重回正常軌道」,雙方則第二度迎向「破冰」。
揆諸《第14次日中聯合輿論調查(2018年10月)》比較日中關係和日美關係的重要性時,日本人52.5%(2017年為46.8%)認為「兩者同等重要」。「日美關係比較重要」是30.9%(2017年為35.0%),「日中關係比較重要」僅為4.5%(2017年為5.1%)。中國人46.6%(2017年為40.3%)認為「兩者相等重要」,「中美關係比較重要」從2017年的38.3%下滑6.8個百分點成為31.5%。反而,「日中關係比較重要」比2017年的11.1%增加3.1個百分點成為14.2%。
因此,日本人和中國人認為「兩者同等重要」的人數各佔半數左右,認為「對美關係比較重要」的人數正在減少,中國人對日本的印象改善,凸顯川普政權的「美國第一」,特別是美中對立的「大國競爭」間接促進日中民間和政府間關係改善,安倍首相訪問中國是代表性例子。
中國外交部陸慷發言人於10月12日記者會表示:「應國務院總理李克強邀請,日本首相安倍晉三將於10月25日至27日對中國進行正式訪問」,「日本是中國重要近鄰」,「此訪是日本首相時隔7年正式訪華,正值中日和平友好條約締結40週年重要節點。訪問期間,中國領導人將同安倍首相舉行會見會談」,雙方還將舉行「首屆中日第三方市場合作官民論壇」。菅官房長官亦於10月12日記者會上表示:「更進一步促進各領域具體協力交流,將日中關係推向新高」。安倍亦期望藉此訪將兩國首腦往來「重回正常軌道」。
安倍首相於25日北京典禮表明:「現在中國經濟已經發展成為世界第二大經濟大國,日本對中ODA的歷史使命已經結束。日中兩國共同為世界和平與繁榮貢獻的時代來臨」,期待新次元的協調關係。這不僅有助於日本經濟發展,更進一步發展關係來對應國際社會所面臨的北韓問題、保護主義抬頭。26日和李總理、習國家主席的首腦會談,三位首腦皆明言:「日中關係重回正常軌道」,意圖共創「友好空氣」。
此次日中關係好轉之主要推力在於日中經濟實力差距擴大、日本亦期望能獲得一帶一路的商機,但在領土、歷史問題、安全保障等對立火種依然存在。觀察日本2018年版《防衛白書》(pp.93-94)依然對中國2018年度國防預算約1兆1,070億人民幣和其增加速度憂心。其預算從1989年度起30年規模成長約51倍,從2008年度起10年規模成長約2.7倍。日本2018年度防衛預算5兆1,911億日幣,2001年度防衛預算4兆9,388億日幣,2003-12年度微幅下降。安倍政權下2013年度起轉為增加,2015年度的4兆9,801億日幣才拉回2001年度的水平。2013-18年度成長速度約1.63%,遠遠低於中國。互相不信任推動軍事力及防衛力之競爭。
(資料來源)2018年版《防衛白書》、94頁。
岩屋毅防衛大臣於10月7日的NHK節目《星期日討論》,敘述日本防衛的三大支柱:(1)充實強化日本防衛力的自助努力、(2)透過(日美)同盟強化威懾力量、(3)透過多邊協力確保安全,以上均為安倍政權之既定路線,主要係為因應中國欲透過軍事力量改變當前國際現勢、國際恐怖活動的威脅、宇宙空間・網路威脅等,強調構築「非既有延長線上的日本防衛力」。安倍首相亦主張「非既有延長線上」,搭配修改憲法成功的話,將完成「創造新時代、新日本」的理想,顯見安倍並未因日中關係好轉,而降低中國強化軍事力量造成日本安保環境惡化之戒心。
安倍首相提案發展日中關係新時代的新三原則:「化競爭為協調」、「非威脅、是夥伴」、「自由公平貿易體制的發展」。26日記者會上再度表示:「日中關係漸漸地化競爭為協調,進入新階段」。中國藉此避免兩面受敵,集中力量因應美中「大國競爭」。「化競爭為協調」是NHK等日本媒體報導時的標題。安倍首相用詞為「協調」,中方用詞是「合作」,當然日文也有「合作」一詞。如何「協調」印太戰略和一帶一路共存是中期目標。《第一屆中日第三方市場合作論壇》的日文標題用「協力」,安倍首相在演說也表明:「兩國企業不僅只有競爭,也可結合協調力量因應需要與課題」,但是重複6次「國際標準」牽制中國主導風險。日本用詞意味「協」而不「合」。台灣所擔心核食開放問題,根據日本外務省官網中方僅表明:「基於科學評估基礎上,積極考慮放寬輸入管制」。陸慷發言人於29日記者會說:「期待以此訪為契機,開啟化競爭為協調的日中關係新時代」,修改原本「合作」用詞。
印太戰略的具體行動上,安倍首相27日回國之後,印度總理莫迪28-29日以「實務訪問賓客」身分訪日。海上自衛隊最大護衛艦「加賀號」等用「訓練」之名義,巡航於印度洋―太平洋的海上通路表示日本立場,為了準備在南海等長期展開,23日初次在南海訓練,中國艦艇一直尾隨。中國版神盾艦的飛彈驅逐艦25日出現在目視範圍之內,並對「加賀號」用無線電通話,互相確認對方編號為中國艦艇170與海上自衛隊艦艇184,「加賀號」在中方監視下接受美軍補給艦的燃料補給。因此,「大國競爭」止於改善,尚未改變日美中「三國志」的對立「空氣」與「流向」。日中關係回溫,藥(政策)需溫水帶路,但是「重回正常軌道」的下次變天、轉彎在何處?抬高還是淹沒「新台灣、新社會(New Taiwan, New Society」)的未來呢?
最後,引用安倍首相2018年10月24日國會「所信表明演說」、2013年1月28日第二次安倍政權初次「所信表明演說」的一句「初心」:「創造強日本不是他人,而是我們自己」。
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【内閣改造】第4次安倍改造内閣の顔ぶれ固まる 12人が初入閣 総務大臣に元財務副大臣の石田真敏氏。文部科学大臣に柴山昌彦氏。農林水産大臣に元農林水産副大臣の吉川貴盛氏。環境大臣に元文部科学副大臣の原田義昭氏。防衛大臣に元外務副大臣の岩屋毅氏。復興大臣に元経済産業副大臣の渡辺博道氏。国家公安委員長に参議院議院運営委員長の山本順三氏。山本氏は、防災担当大臣を兼務します。沖縄・北方担当大臣に総理大臣補佐官の宮腰光寛氏。宮腰氏は一億総活躍担当大臣と行政改革担当大臣を兼務します。科学技術担当大臣に元国土交通副大臣の平井卓也氏。平井氏は、IT担当大臣を兼務します。地方創生担当大臣に参議院議員の片山さつき氏。オリンピック・パラリンピック担当大臣に元文部科学副大臣の桜田義孝氏。 ※下記リンクより、一部抜粋。続きはソースで 関連記事 document.write('' + ''); Source: アルファルファモザイク
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森友学園に係る文書改竄問題は国政に対する信頼を揺るがす大きな問題である。しかし、世界が数十年に一度と言っていいくらいの激変を迎えようとしているいま、日本の舵取りをしっかりしなければ沈没を免れない。
学園関係で安倍晋三首相や昭恵夫人が関わり行政を歪めたとの明確な証拠はないし、首相自身が否定している。加計学園問題と同じく、野党やマスコミは魔女裁判のように印象操作で安倍内閣の支持率低下を狙うやり方は、フェアーではない。
世界の激動に対処し、日本の国益を毀損しないためには、世界を俯瞰する地球儀外交をしてきた安倍氏以外にないのではないだろうか。
日本は「力」を持つべきだ
元米太平洋艦隊司令官であったジェームズ・A・ライアンは国際ジャーナリストの藤田裕行氏(聞き手)に「平和は力で守られる」(『WiLL』2018年1月号)と答えている。
その通りであるが、憲法の平和条項が日本の平和を守ってきたと教えられてきた日本人は、なかなか「力」が平和を守っているとは理解しづらい。
日米は平成22(2010)年に新安保条約が調印されてから50周年を迎えていた。当初は首脳の共同声明が考えられたが、普天間飛行場の移設問題で鳩山由紀夫首相(当時)の態度が一定せず、バラク・オバマ米政権は不信感を募らせ格下げを要請してきた。
その結果、首相と大統領の署名ではなく、外相・防衛相と国務・国防長官の連名となった。岡田克也外務大臣や北澤俊美防衛大臣が「日米同盟の深化を目指す」と言っても防衛費の減額が続いたので、米国では日本の首相や大臣たちの発言を信じることはできなかったのだ。
平成30(2018)年3月12日付「産経新聞」は、国際政治学者の三浦瑠麗氏と外交評論家岡本行夫氏の「日本人の危機意識 徹底討論」を5面全段に掲載した。
岡本氏は「日米同盟が試される場面がくる」「トランプ氏は国家の運営に必要なコスト感覚などを国民にさらした、例えばGDPとの対比では世界の102位という日本の低い防衛費負担について『不公平だ』と批判してくる可能性がある」などと指摘する。
三浦氏は「日本や台湾が米国に見捨てられる事態を心配しています」「軍拡の是非も含めて目指すべき平和国家の議論を進める必要がある」などと語っている。
近衛文麿が「高度国防国家」を唱えて、米英に対処する軍の近代化・防空網整備と要塞化・重工業化と国民の国防意識の発揚を念頭に置いていたとして、想像力を発揮し��有事に備えることを提案するのは著述家の古谷経衡氏である(『WiLL』2017年6月号)。
その中で、人口当たりの核シェルター普及率がスイスやイスラエル100%、米国82%、ロシア78%に対し、日本は僅か0.02%でしかないことを例示し、「危機意識の無さというか、悪意すら無き『無垢』なる恐怖心の無さ、逆にそれが無知の恐ろしさ、その皮膚感覚の中に恐怖や怒りが打刻されていないあまりの『非動物的』な感性に、驚愕を通り越して不気味すら感じる」と書いている。
米国が憲法まで作り替えて〝骨も影もない″日本人にしようとした意図が見事に成就したのだ。「自分の国は自分で守る」という意志さえ持たない日本が、拉致された同胞を取り戻そうという意志などもてるはずもない。
安倍潰しは犯罪に等しい
加計学園の獣医学部新設問題では、理路整然とした侃々諤々ではなく、忖度したのではないかという空気で喧々囂々となり、論戦に値しない問答が繰り返され貴重な時間を空費した。
野党や多くのマスコミは首相が獣医学部の開設決定などに関わっていなかったにもかかわらず、加計幸太郎氏と長年の友人であったということを理由に、印象操作で首相の支持率低下を図った。
誘致の張本人であり、最も多くかかわってきた加戸守行氏を参考人に招くことや、招いた後の発言も報道しない不公平さが目立った。当人を差し置いての首相「尋問」に対し、加戸氏が「安倍首相の濡れ衣を晴らす」(『WiLL』2017年10月号)を書かざるを得なかったのも理解できる。
「関与していない」とする「悪魔の証明」を求められ、「答弁が明確でない」「誤魔化しているのではないか」などをくどいほど繰り返されたのでは、どのような内閣も堪え得ないであろう。
すでに獣医学部開設で、安倍首相の関わりがない、濡れ衣であったことが判明した。ともあれ、安倍政権をつぶしたい陰謀が働いてきたとしか言いようがない。
安倍政権は歴代政権ができなかった多くの成果を上げてきた。そうしたことに対し、自民党内にも羨ましさが過ぎて敵対的な発言や行動をする御仁も見受けられる。
石破氏は安倍内閣の地方創生担当大臣でありながら、国家戦略特区を設けて理不尽な「岩盤規制をドリルでこじ開ける」首相の意図に反する「獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討」(通称石破4条件)を掲げ、閣議決定される。
これについて、日本獣医師政治連盟委員長は「大臣から、(中略)大学学部の新設の条件については大変苦労したが、練りに練って、誰がどのような形でも参入が困難な文言にした旨お聞きした」と語っている。
細部は小川榮太郎氏「加計学園問題の〝主犯″は石破茂」(『Hanada』2017年9月号参照)に譲るが、これでは、座右の銘は「面従腹背」と語る前川喜平氏と同じである。
いまは文書改竄で批判が高まり、衆院議員会館前では安倍政権支持派と反対派のデモ隊による怒声が飛び交う険悪な状況も伝えられた。
米国が鉄鋼などの輸入制限措置を発動したが、日本は適用除外になるのではないかと油断していたようだ。文書書き換え問題に気をとられ、壮大な時間を浪費しているうちに、本来の任務を果たす方向に目が向いていないのではないだろうか。これでは、日本沈没を招く犯罪である。
倒閣後は誰が首相になるのか
第3回先進国首脳会議(サミット)時の福田赳夫首相の姿が忘れられない。一団となって話しながら野外を進む列国首脳から数メートル離れた後方を一人で「われ関せず」とでも言うようにぽつんと歩いていた。
また、2010年11月に横浜で開催されたAPEC時の胡錦濤主席と菅直人首相の会話時の状況はみじめであった。
9月に海保の巡視船に中国の漁船が追突した事案があり、日本が船長等を逮捕したことに対し、中国は各種の報復的なことを行なってきた。そうした中で迎えるAPECであり、中国は胡主席の出欠を明言しないなど日本を困惑させていた。
来日して会議に参加することが決まった後も、首相との首脳会談が危ぶまれる状況に日本側は追い込まれていた。そうした中で、懇請して実現した会談であったのだろうが、首相はおろおろしながら相手の顔どころか、手にもつノートを見ながら話しかける仕草は、卑屈としか映らなかった。
首脳同士の会談というよりも、会話でもない単に通りがかりの立ち話という程度だ。こんな惨めな会談では、日本の沽券にかかわるし、国益には資さないとつくづく思い知らされたものであった。
13億の民を8年間引っ張ってきた主席に対し、数か月前に就任したばかりの首相という「格」の違いを過剰に意識したのかもしれないし、船長逮捕で中国に逆に高圧的に出られ、我を失っていた民主党政権でもあったからであろう。
首脳ではないが、河野太郎外務大臣が就任直後に中国の王毅外相と会ったとき、深々と礼をした態度が批判を買ったことも記憶に新しい。
いま、首相候補に挙げられているのは石破茂氏や岸田前外務大臣である。相応しい人となると小泉進次郎氏も名を連ねる。
日本を取り巻く国々の首脳と、即座に渡り合える人物となると、よほどしっかりした国家観や歴史観、さらには日本を引っ張っていく確固とした理念を持ってもらわなければならない。
石破氏の防衛大臣時や岸田氏の外務大臣時の言動から判断する限り、両人には自虐史観的な考えも垣間見られたことから、国益視点の欠落が心配される。
特に候補の筆頭である石破氏に関しては、先の獣医学部新設にかかわる面従腹背的な行動は理解に苦しむ。氏は防衛庁長官と防衛大臣を都合3年やっている。
その間にイラクへの自衛隊派遣を行うが、陸幕の視察要請(4回)にもかかわらず現地隊員の激励に行かず、イージス艦「あたご」の衝突事故では、隊員の信頼を著しく失墜する処理を行う(田母神俊雄「石破茂だけは総理にしてはいけない」、『WiLL』2017年10月号所収)など、国政だけでなく、軍政においても背信的な言行がつきまとっている。
国益を考えるならば、文書改竄では安倍首相が行政の最高責任者とはいえ、それは風が吹けば桶屋が儲かる式の発想で、倒閣して国益に資することは何もない。
ワイドショー民主主義で共産主義社会か
加計学園事案は、結局のところ岩盤規制で半世紀も「歪められてきた行政を正した」ものであるが、ほとんどの新聞やテレビは前川喜平氏の「行政が歪められた」という発言ばかりを報道し、特に年配のおばちゃん連中は「安倍さんてダメよね」という見方がどんどん広がっていった。
ジャーナリストで松蔭大学客員教授の有本香氏は、テレビのワイドショーが政治を決めているという意味で日本は「ワイドショー民主主義」(『Hanada』 2017年9月号)だという。言い得て妙であるが、民主主義が嘘に弱いということでもある。
「朝日(新聞)が司令塔となり、テレビという巨大なマイクが国民にこれを宣布する。女性週刊誌とワイドショーが高齢女性層に執拗に、この虚報の拡大を図り続け、(中略)朝日―テレビが連動しての情報戦的な破壊活動に対抗するのは不可能」(小川榮太郎氏「なぜ私は朝日と闘うのか」、『Voice』2018年1月号)という。
そして、「私たちは、五年前の政権与党にして、日本といふ大国の現野党第一党党首(前原誠司氏)が独断で、まだ存在してもゐない政党(小池百合子氏の希望の党)に身売りをした現実を許したほどの愚か者」だから、「安倍氏の後の某総裁が、共産党の志位委員長と選挙直前に会談し、『今回自民党は公認候補を立てないから共産党公認で出たい』と表明し、志位氏がそれを受け入れる」としても、「日本人である我々にはもうこれを荒唐無稽と一笑に付す資格はない」と語る。
明治時代には正確な知識と議論を通して練り上げられた「輿論(Public opinion)」と、世の中の空気や噂でしかない「世論(Popular sentiments)」が明確に区分されていたが、近代化の進展の中で混同され、輿論が世論の意味でつかわれるようになったと言われる。
こうしてワイドショーなどで得た空気が「世論」調査の結果として提示され、政権をも左右するほどになっている現今である。
ただ、国際情勢を顧みない間の抜けた国会論戦が繰り返され、ワイドショー民主主義が横行するのは野党やマスコミだけに原因があるとは言い難い。中国が東シナ海で協定を破ってガス田の試掘を行っても、わが国のスクランブル(緊急発進)機が中国の戦闘機に攻撃動作を仕掛けられても、日本は進んで相手を批判することをしてこなかった。
こうしたことに対し、評論家の西尾幹二氏は「自民党政権の態度、習慣、自己隠蔽、糊塗・・・。自民党はこれらを専ら権力維持の手段とし、しかもそれが米国の庇護の下に可能であったから、日本の外交・防衛の感覚を世界に例のない異常なものにしてしまった」のではないかと詰問する(「安倍首相への直言 なぜ危機を隠すのか」、『WiLL』2016年9月号所収)。
もうそろそろ、国家や国民のために身を犠牲にして働く自衛隊員が、素人裁判で「殺人罪」に問われかねないような状況は改めなければならない。
閣僚は質問されたことにだけ答えるという決まりのようだけれども、質問者が相手国の悪意や危機の実態などについて聞かなければ、国民はなかなか中国の際どい行動やPKOの現場の実態などを知る由もない。現場で戦闘状況が発生していても「PKO5条件に反する状況ではありません」とそっけない答弁しか返ってこない。
政府も国会も、「民間人」を派遣できない「危険な状況」が想定されるから、「自衛隊」を派遣することが分かっている。時には戦闘状況も予測されるにもかかわらず、自衛隊の派遣場所は「非戦闘地域」と禅問答みたいな議論を続けてきた積弊である。
国会の質疑では、本質的な問題が論議されないために国民を納得させられないことも多い。そこで、首相は国民に対して、国際情勢等についての談話みたいなことを時折進んで開示するようにしたらいかがであろうか。
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